ミンダナオ子ども図書館の創設ディレクター:松居友(日本文芸家協会会員)の活動日記

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民話や子供たちの創作の入った
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店番 019
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店名:〇一九店(ゼロイチキユウ店)
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口座名:ミンダナオ子ども図書館

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現地日本人スタッフ宮木 梓
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Brgy. Manongol Kidapawan City
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ミンダナオ子ども図書館とは何か
過去の活動を支援別に振り返る
過去の活動をテーマや分野別にまとめて
見やすくして、逐次掲載していきます。
   
 
過去の真実の活動を支援者の方々にご報告するために、寄付を送ってくださった方に、
隔月でお送りしている機関誌だけではなく、インターネットの強みを生かして
活動報告を文章だけではなく(文章なら勝手に創作できる)自分で撮った現場写真に
文を加えた絵本スタイル?で10年以上にわたり、
「ミンダナオ子ども図書館だより」と「日記」を作成していきました。
ミンダナオに足を踏み込んで20年、特定非営利現地法人MCLを起ち上げて17年、
家庭にいられなくなった極貧の子たちを前にすると、その場に放っておけなくなって
「何とかしてあげたい」という、強い想いに打たれて奨学生に採用し、
その後、必ずおもうのは、「この子たちが、ミンダナオ子ども図書館から自立して、
一人前に社会に巣立っていくのを見届けるまで、あと20年はがんばらなくっちゃ!」
ミンダナオ子ども図書館は17年を経てようやく土台ができた感じ。
妻や娘も、ここ数年日本に滞在し日本語も見事に話せるようになったけれど、
娘たちが言うには、「将来は、いっしょに育った兄弟姉妹のような
ミンダナオ子ども図書館の仲間たちと、MCLを続けていくこと以外考えられない!」
中三の長女は来年に、中一の次女は3年後にはミンダナオに帰り仲間たちと
現地の高校に通う予定です。そのときは私と妻も、ミンダナオに永住し、
生涯ミンダナオを中心にして活動していきます。
25名いるスタッフたちのほとんどは、大学を卒業したかつての奨学生たち。
そうした次の世代が育っていることを見ると、
ミンダナオ子ども図書館のこれからの20年は、農業と文化を中心において
ミンダナオと世界との国境や心の壁をとりさって、日本の若者たちのためにも
土台の上に、家を建てていこうと思っています。
さらにこれからの20年を、次の世代に託していくためにも、
過去を整理し、新たな出発を準備することにしました。
今回、過去のサイトを、テーマ別に分けて、MCLの活動に関心のある方々、
特に若者たちが狭い日本から羽ばたく夢を持つためにも、テーマを絞って
リサーチでき、ミンダナオ子ども図書館を理解できるようにしていきます。
  
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戦争と平和構築
2009年の記録から
(1)


2019年4月~5月若者たちが来日して
先住民、イスラム、クリスチャンの踊りと歌を披露する
日本公演の日程は、ここをクリック
講演、公演の予定表など
今回の日本公演をテーマにした
機関誌「ミンダナオの風」70号を特別に
PDFで読めるようにしました。
出演する若者たちの背景や紹介などが載っています。
以下をクリックして開いてみてくださいね。

 日本公演特集号! 
イスラム自治区を中心に、
新たな戦闘があり
避難民が発生している


「イスラム反政府勢力の仕業と思われる」
とマスコミで報道された。
組織から市長の携帯に
メッセージが送られてきたという報告で、
公式に発表されたのだが、
現地の人たちは、すぐには信じない。
「マスコミを通して
反イスラム感情を高めておいて、
次のステップに
本格的な戦闘を起こすんだよ。」
と話してくれた。

ミンダナオ子ども図書館は、
安全に活動するために
スタッフたちが、情報を注意深く集め
検討して行動するが、
Non politic Non religious sect
政治や宗教に基づいては行動しない。
子どもたちへの愛のみが理念。

それにしても、
戦闘が起これば、
可哀想なのは子どもたちだ。



イスラム自治区の
避難民


スタッフの友人を通して、
イスラム自治区ARMMの一地域
(カルメンとカバカンの中間)
で戦闘があり、
避難民(正式には難民ではなく、
国内避難民との菊地氏からの
ご指摘を頂きました)
が、出ていると聞き
調査に向かった。

国道わきの鉄塔が
爆破され、
空から警戒する
ヘリコプターが見えた。

現地で避難民となっている
村長(イスラム系)の話だと、
「今回の戦闘は、
移民系クリスチャンと
ムスリムの間で起きた。
長年の確執が原因だ」という。

発端は、
化粧品の商売に歩いていた
3人のイスラム女性が、
移民系クリスチャンに
襲われたところから発していると言う。
一人が病院に収容されている。
これに怒ったMILF系住民と
クリスチャン系住民の間で襲撃があり、
それが、民兵同士の戦闘に拡大。

さらに、フィリピン政府軍が、
イスラム地域を攻撃するに至ったという。
「MILF正規軍の領域にまで
広がる可能性があり、
そうなると軍同士の
かなり激しい戦闘になるだろう。」
とのことだ。


下は、
爆弾がしかけられて
倒れた鉄塔。


イスラム自治区は
非常に貧しいが、
貧しくとも幸せに暮らしている
たくさんの人たちもいる。


戦闘のきっかけは、
去年勃発して
40万もの避難民が出た、
8月の戦争開始と
ほぼ同じパターンを持っている。

「一般住民が襲われる事件」
をきっかけに民兵が出動し、
政府側と反政府側の
民兵同士の戦闘が始まり、

それが、
さらに政府軍を加えた
戦争へと拡大し、
反政府軍が終結して
反撃を開始する。

問題は、最初のきっかけが、
かなり意図的に
作られているのではないか?
という疑惑を人々は語る。
「MILF正規軍の領域に
広がる可能性があり、
そうなると軍同士の
かなり激しい戦闘になるだろう。」
と村長の発言を引用したが、
もともとそれを意図した
動きだというのだ。

「軍どうしの激しい戦闘」
を作るために、
お金を出して暗殺集団に
イスラムの女性を襲わせたのだという。

すでに往年のクリスチャンとイスラムの
(家族を殺されたり)といった
対立感情を利用して喧嘩を起こし、
地域住民の民兵組織を
参加させることによって、
大規模な軍レベルまで
戦争を拡大させるのだそうだ。

こうした暗殺集団は、実在し、
クリスチャン系は
「イラガ(ねずみ)」と呼ばれている。

イスラム系にもあるだろうが、
問題は、暗殺集団を背後に、
「お金」を使って
戦争を操っている
第三者がいる可能性が
有ることだそうだ。

去年の大規模な戦闘も
同じ経緯をもっていたし、
かなり大きな範囲で
同時に起こることを考えると、
相当な規模で計画された?
可能性も否定できない?

そういった噂は
どうでも良いけど、
私たちにとっては、
大人の喧嘩に巻きこまれる
子どもたちが
可哀想でならない!


この地域の戦闘は、
まったく話題にならず、
NGOも地域政府も
避難民の救済に動くことはなかった。
ミンダナオ子ども図書館だけが、
ビニールシートを届け
医療活動を行った。



ピキットの
避難民


ほぼ同時期に、
ダトゥ ピアンと呼ばれる、
イスラム自治区で戦闘が起こり、

川向こうのピキット側に
避難民が来ているという、
ボードメンバーでDSWDの
グレイスさんから連絡があった。

こちらも、
国際NGOは
動いていない。

グレイスさんも属しているOMI
(カトリック教会のオブレード会)
が、唯一食料の支援をしている。

私たちは、
窮乏しているビニールシートの
支援に向かった。


支援は道がないので、
ボートで救済に向かう。




対岸では
軍の無人偵察機が
飛び交っているのが見える。


兵士が教えてくれた。
「ほら、あそこをふわふわ
飛んでいるのが見えるだろう
あれが、ドローンなんだよ!」


ともかく
自分たちの事を気遣ってくれる
人々が居るという事だけでも、
避難民達は安心できるようだ。



今回の避難民救済でも、
スカラーたちが活躍した。


今年から新しく入ってきた
スカラー達も同行して、
ビニールを張る作業を進めた。


これで、
雨が降ってもだいじょうだね。


本当にありがとうございます。
戦争は、もう嫌です。
屋根の下で、
女の子が寝ている。


避難場所が出来て
とりあえず一安心の人々。


すでに40年にわたって
くり返し戦争が勃発。


子どもの時から、
こうした生活を
繰り返しさせられてきた
人たちの気持ちを察すると、
いたたまれない気持ちになる。


どうでも良いけど、
この子達のために
平和になってほしい!


5月に入り、
戦闘は、
さらに拡大すると
言われているが・・



戦闘で
28の家が
焼かれた!


9月19日、
DSWDと組んで、
避難民支援に向かった。
イスラム自治区
ARMMサイドで戦闘があり、
300世帯が避難民化している。

2週間前のことだが、
ARMMサイドの事なので
ピキットのDSWDは動かなかった。
ARMMサイドの
DSWDも動いていない。
そこで、MCLの理事で
ピキットのDSWDの所長補佐の
グレースさんが中心になって
いっしょに食糧支援を行い、
私たちは古着の支援も行った。

ここでも中心になったのは、
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たちだった。


食糧支援は、
今回はEUの方からの支援で、
ワールドフードが参加した。


トラックに
食糧と衣料を積んで
奨学生たちと出発。


焼けた家々

戦闘で焼き払われた家々。
まったく見る影もなく


焼き払われている。

現地へ
トラックで向かう
ミンダナオ子ども図書館の
若者たち。


私(松居友)も
いっしょです。


今回のこの地域の戦闘は、
リドーとこちらでは言う
地域の有力者どうしの
争いだという。

ARMMサイドでは、3年前に
市長と副市長の権力争いで
避難民がどっと出た。
今回も同様の経過を
持っているのだそうだ。

今回は、約300世帯が
避難民とかした。
28件の家が焼かれて、
着るものも無く
焼き出された人々。

その多くが
ハウスベースと言って、
知り合いや、
学校やモスクに避難している。

路上や空き地に放り出され、
ビニールシートの生活を
余儀なくされるよりは
じゃっかんましだが、

知り合いの家の中に
住めるわけでもなく、
納屋や玄関先で
雨露をしのいでいる。


衣服の支給は、
一家族3枚としたが


着の身着のままで
焼き出された人々には、
多く支給した。

支給方法は、
DSWD(福祉局)の
グレースさんの采配で、
(下の写真で眼鏡をかけている方で
ミンダナオ子ども図書館の理事)

まずはスタッフが
家族の状況と名前、
家族メンバーの構成をチェック。

その後、
一枚一枚チケットを渡す。

そのチケットを持って、
トラックへ、食糧と衣料を
受け取りに行く形。

厳格な方法だが、
こうしないと、
混乱が起きたり、
繰り返し同じ家族が
もらいに来たりして
収集がつかなくなる。

支援物資を配るだけでなく、
現地の家族構成と被害状況も
正確に調査できる。

衣服もなく
焼け出された家族には、
とりわけ手厚い配慮をした。

食糧は、
今回はラマダン明けの
お祝いの日にもあたるので、
米(EUの支援)だけではなく、
鰯の缶詰と
ミロという粉末飲料を
子どものために添えた。

その名もラマダンパック。
医療チェックも同時に行った。
下は、スカラシップで卒業して
看護師の資格をとって
スタッフになったフェさん。


服や食糧をもらって

大喜びの子どもたち。



ピキットの
ブアラン近郊で
戦闘があり
再び多くの
難民が出ている



ピキットのブアランと
アレオサン近郊で、
政府軍とMILF軍が衝突し、
多数の難民が出ている。

ブアランは、
2000年の戦闘の
砲弾跡を残したままの
小学校がある地域で、
非常に貧しい地域です。

ミンダナオ子ども図書館で
保育所を建設して、
小学校や高校生の
スカラーもいる村。

去年2008年の8月に
発生した戦闘では、
半年間も難民生活を
余儀なくされていた人々たちです。

ようやく
今年2009年の3月に
家に戻れたところ、
3ヶ月もたたずに、
再び難民化することになった。


わたしたちが、
支援に行くことを聞いて
木の枠組みだけ作って
待っていた村人たち。


高熱を出していた、
4人の子どもたちは、
すぐに病院に運んだ。


すでに、数日もの間、
この様な状態で
夜を過ごしている。


この地域では、
かなり広範囲に
避難民が出ており、
国道沿いもふくめて、
難民は、
各地に散らばっている。

ハウスベース
(親戚などの家に逃れた人々)
の場合はまだよいのだが、
写真の地域のように、
野外に逃れたまま
住む家もない人々の生活は、
本当に悲惨だ。

雨の多いシーズンなので
緊急のビニールシートが必要。

熱や腹痛などの
病気の子どもも多く、
早速、
ミンダナオ子ども図書館に保護して、
治療をすることになった。


緊急に必要としているのは、
雨よけのビニールシートだ。


ミンダナオ子ども図書館で、
ビニールシートを支援した。


手伝っているのは、
スカラー(奨学生)の
ザイノディン君。


ロールで購入して、
家族の数に合わせて
シートをカットしていく。


これで、
雨が降っても一安心。


この様な雨よけも無い所に
子どもたちを
放っておくことは出来ない。


熱帯雨林地域の雨は、
半端でない。


下の写真の少女は、
両足先を膿んでいた。

下の写真の子たちは、
高熱を出して寝ていた。
ミンダナオ子ども図書館の子たちも
高熱を出して入院したが、
今流行のインフルエンザかデング熱・・・


この様な場所に
おいておくことも出来ずに
早速、
ミンダナオ子ども図書館に収容した。

しかし、後述したが、
ここ数ヶ月の
連続する患者の治療で
医療費が底をついている。
今後、戦渦が拡大すると、
大変な状況になっていく
恐れがある。

ラマダン明けの
6月から7月にかけて、
新たな戦闘が勃発する
噂があるが、
現実にならないことを
祈るのみだ。


ピキット地域だけではなく、
ミンダナオ子ども図書館の水田のある、
マタラム地域でも軍が入り
戦闘が広がっている様子。

今回の戦闘で、
軍は、3ヶ月分の「お弁当」(食料)を
準備しているという話が聞こえてきた。
最低、3ヶ月は
戦闘が続くという意味だろうか????
可哀想なのは、子どもたちだ。


MCL(ミンダナオ子ども図書館)
だけが、
難民たちの唯一の頼り。

現地で奨学生の
ジハッド君と

バイナオットさんに会った。
私たちが来て
本当にうれしかったようだ

この地の人々は皆
私たちを知っていて、
「本当にMCLは
頼りになってうれしい」
と言ってくれた。


この時期は、
どこのNGOも政府も、
救援活動を開始していない。
恐らく戦闘が拡大するとしても、
救済活動が開始されるのは
早くて数週間後だろう。


緊急支援は、
夕暮れまで続き
最後に、病気の子たちと
その保護者を車に乗せて
一路ミンダナオ子ども図書館に向かった

明日から、さらに本格的な
救済活動が始まる。
病気の治療も
開始しなければならない
ヤレヤレ


ブアランとパニコパンで
読み語り


私たちは、
先週ブアランとパニコパンの
難民支援をし、
週末の土曜日は、
この二カ所で読み語りをする
計画を立てて実行した。

この地域の人々は、
ブアランに近い丘陵地域から
逃れてきた人々で、
読み語りのあいだじゅう
遠方の丘陵地域から
迫撃砲の音が聞こえてきた。

難民の数は
思ったよりも少なかったが
ブアラン地域は、
次第に増えつつある



パマリアン集落で、
さらに多くの
難民が・・・

ミンダナオ紛争報告

ピキットとアレオサンの境界に広がる
丘陵地域が今回の
戦闘勃発地域だ。

以前のニュースで、
3月に入り、米軍が
ピキットの道に砂利を
敷き詰めている話を載せた。

おかげでブアランまでも
ハイエースで入れるようになったが、
案の定、軍の車も
入りやすくなり戦闘が勃発した。

その後、パマリアンに
難民が集結している、
何とかして欲しいと
現地の村長から
連絡が入っており、
調査に向かった。

現地に行って、
唖然とした。

シートもなく、
椰子の葉をおいただけの
掘ったてで、
すでに二晩の
昼夜を過ごしている。

その数は、
他の2地域よりも
はるかに多く
とりわけ子どもたちの
多いのに驚かされた!


この様な状態のなかで、
子どもも大人も
2晩以上過ごしている。

今は、
雨の非常に多いシーズンだ。
もちろん他からの支援は全くない。


子どもたちが非常に
多いのには驚かされた。
80%が子どもたちだ
と言っても良いだろう。

一晩なりともこのまま
放っておくことは出来ないので、
早速ピキット市にもどり
シートを購入。


子どもたちが、
毎晩雨にうたれているかと思うと
居ても立ってもいられず、
早急にシートの支援を決めた

人々は呆然としている。
「早急にシートを支援しましょう」
「支援を決めても
いつ戻ってくるのか?」
半信半疑の様相だ。

多くの支援は、
調査や決定に時間がかかる、
難民が出て、速くて2,3週間
遅い支援は数ヶ月後である。

しかし、難民にとって
初期と、後期が
一番厳しい時だ。

状況を見かねて
昼にはシートを準備


とりわけ雨の多い
熱帯地域は
初期のシートが死活問題。

それを知っているので、
今回は、午前に調査、
午後にシートを支給した。
ピキットの市場で購入したが
そんなお金どこにあったかって?

つけバライで購入したのです。
店主が私たちを
良く知っているので・・・
「また、難民ですか
大変ですね。どうぞどうぞ・・・」


シートカットの方法も、
それなりの技術がいる。

可能な限り長く広げて、
4ロールを重ね、
6メートルにカットしたシートを
添えていっぺんにカットしていく。


午前中の読み語りが終わり
これで今日のスケジュールが
完了したかと思いきや、
急きょ難民救済が始まる。

ピキット市内で
シートをカットして
準備をする若者たち、

彼らは本当に
頼りになる。

400枚を超えるシートが、
瞬く間に準備されていく。


さっそく
緊急支援を開始


若者たちが
中心になって、

次々にシートが

張られていく・・・

暗かった難民キャンプに
笑顔が戻り始める。

とにかくこれで
一息つける・・・


一仕事終わって
満足そうな
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たち


同時に読み語りも

シート張りと平行して、
読み語りがはじまる。

午前に続いて
午後の2セクション

こちらもお手の物だ。

それにしても、
とにかく子どもの数が多い!


難民支援は
始まったばかりだ。
長く続かなければ良いのだが、

ブアランでは、右の写真のように
一部の難民は、椰子の葉で
家のような物を作っている。

これは、
長期化を覚悟した結果だという。
MCLではシートを張ったが
とりあえず雨に
うたれなくてすむだけであり
難民支援は始まったばかりだ。

たびたび通い
状況を把握しながら
医療、食糧、衣料支援などを
しなければならないだろう。



さらにピキット、
ブロルと
ブロッドから
避難民発生

ピキットの川沿い地域、
貧しくMILFの活動拠点でもある
ブロルとブロッドで戦闘が起こった。

今回の戦闘は、
政府軍とMILF軍の対抗というよりも、
その地域の有力者家族、
それも従兄弟どうしの対立だ。

どうしてその様なことから
戦闘が起こるのか、
日本では考えられない事だが、
原因は地域の勢力、
権力、利権争いであることが多い。

どちらが施政的な権力を得るか。
それに土地領有の問題が加わったり、
ちょっとした事から殺害が起こり、
復讐が起こったりすることもある。

まったく生臭い話だが、
今回のブロル地域は、
現市長も力を入れている地域だけに、
妬みを買ったりすることもあるだろう。


現地の情勢を調べに
近くまで行ったが、
常時、銃撃の音が聞こえてきて
危険で近寄ることが出来なかった。

幸い、避難民はハウスベースで
雨の中、家も無いという状況ではないので
もう少し、様子を見ることにした。
長期化せず、治まれば
そのまま家に帰ることが出来るだろう。

長期化すると、
食事や医療の問題が出てくる。
戦闘で可哀想なのは、
子どもたちとお年寄りだ。
来年の総選挙に向けて
こうした内紛とも言えないような戦闘が
各地で起こる可能性がある。
まったく悲しいことだが・・・




日本のODAによる
ピキットの
灌漑運河の建設


日本のODAによる
ピキットの灌漑運河の建設も
再開されたようだ。
写真の対岸をダンプが
走っているのが見える。

数台のトラックと水管が
所々に置かれている。
しかし、部分的にかなり
埋まっている場所もあり
工事に時間がかかるだろう。
私たちのスカラーを
訪ねた時に偶然見た。


ピキットには、アメリカ軍も
かなり入って来ているらしい。
表向きは目立たないが、
おもに「道路」といってもかなり
バランガイ深くまで届く道に
砂利をひく整備を行っている。

日本のODAで建設し、
ミンダナオ子ども図書館がお手伝いした、
ここマカブアルの小学校にも
砂利道の道路が整備されて驚いた!
校長先生曰く、
「アメリカ軍は、道もないこんな所に、
こんな立派な小学校が
日本の支援で出来ているのを見て
ビックリ!していましたね。
『What a beautiful school!』
と驚いていました。

米軍がこんな所まで来る理由は、
『家畜に予防注射をうつためだ』そうです・・・」
家畜つまりミンダナオの人々、に
悪いバイ菌つまり反体制思想、
が感染しないため
予防注射つまり戦闘、を起こして
バイ菌に感染した人々=MILF
を退治する???

道路整備の大きな理由は、
戦闘が起こった時に、
戦車や軍用車が容易に
入れるようにするためだと言われている。
「アメリカ軍が道路を建設した後には、
必ず大規模な戦闘が起こる。」
と現地では言われている。

私の経験から、
ミンダナオで戦争が起こった
半年から一年後に
中東で大規模な戦争が起こっている。
計画したかのように?

2年前、こんな平和な時期に、
ダバオに何故、
立派な赤十字のビルが
出来るのだろうか?と思ったら、
翌年に、戦争が起こり、
赤十字が活動を開始した。.
あらかじめ知っていたかのように。

日本政府の停戦監視団の皆さん、
戦闘が起こらないように
よろしくお願いします!!!




ピキットの奇妙な洪水

ピキットを再び、大きな洪水が襲ったと、
今回は大々的に報道された。

腰まで届く水に、
スタッフのノライダさんも、
隣のアスレーさんの所に避難した。
その報告を受けて、どのような状態で、
どのような救済支援が
必要かを確かめるために、
洪水の翌日に緊急にピキットに向かった。

しかし!
水は、何と、24時間で、
引いていたのだ!!!!

道路沿いには、
若干の難民が残っているものの、
昨日の午後には、腰まであったという
水はすっかり引いて、
以前、洪水救済にいったときの、
半分ぐらいになっていた。

あのときは、10日間あまり、洪水が続き、
医療支援にカバサラン村に、
ボートで向かったのだが・・・
洪水というよりも、Flash Flood 
鉄砲水と呼ばれるものだったのだろう。

上流に、大量の雨が降ると、突然、
想像を絶する量の水が流れ出す。
原因は、1960年代に、
日本がラワン材を輸入するために、
ジャングルをことごとく伐採した事による。

それが、鉄砲水で終わるか、
洪水になるかは、
雨の量とともに、
降水期間が関係している。
たとえ量的には少な目でも、
降雨が長期にわたると、洪水になる。

今回のケースは、
降雨量が異常に多く
集中的に降ったものの、
短期だったので救われたのだろう。
確かに鉄砲水で家屋が流されたり、
一時的に腰までとどく
水の被害はあったものの、
引くのも実に早かった。

現地の人々に、全く悲壮感が無く、
むしろ道路の決壊箇所を利用して、
大量の魚の捕獲が出来、
一時、魚の出荷に湧いたのは
人々の生活力のしたたかさだった。

激しい洪水が襲ったと聞いて
現地に向かったが、
先日の腰まで来る水は、
あっという間に引き始めていた。

洪水難民も数は少なく
むしろ現地は
道路の決壊箇所に網を張って
捕獲した、魚の漁獲に湧いていた

大量に捕獲され
バイヤーに取り引きされていく
鯉、フナ、ナマズ、手長エビ

リグアサン湿原のある
この地域が
いかに富裕な天然資源を
保持しているかが理解できる

膨大な
天然ガスと石油も眠っており
国際資源争いの場となっているが・・・
何としたたかな民衆だろう
災い転じて福となす

雨にも負けず
風にも負けず
洪水にも戦闘にも負けず
生きる力に満ちた人たち
こういう人に、わたしもなりたい?

以前にも書いたが、
洪水が、予想を超えて高く
水位が現れる原因は、
道路建設支援の結果、
国道からラジャムダと呼ばれる村まで、
川沿いに、土盛りの高い
道路ができたせいだ。

この道路に堰き止められる形で、
水が川沿いの村を襲うようになった。
いわば、国際支援が
災害を大きくした例だが、
この道路は、
この先のリグアサン湿原に眠る、
大量の天然ガスと石油の開発と積み出しを
狙ったものだと、現地では言われている。

しかし、後ほど現地の人から
ショックな事が聞こえてきた。
「大量に雨も降っていないのに
洪水が襲ってきたのは、
日本のODAで作られたダムが開けられて
濁流が起こされて
石油の眠っている湿地帯から
漁民たちをゲリラという名目で
追い払うためだ」という。

学校も鉄砲水につかり、
教室も腰まで来る水の中だった
すっかり濡れてしまった教材。

しかし、翌日には水が引き、
道路で教材が乾かされていた。

しかし、子どもたちは
したたかだった。
洪水が出たとたん、
飛び出して
泳ぎ始める子どもたち

むしろ困難なのは、
戦闘難民の人々

地域によって、支援のあるところと、
無いところの格差が明確になってきている。

山元しんぷ支援のサダム君も、
支援をはずされている地域のスカラーだ。

支援が届かないのは、おそらく
クランボク村の村長が、
MILFよりだという理由だろうと、スタッフ。

このときは、
WFP世界食料機構のスタッフも同行して、
オーストラリアからのスタッフのための
事前調査をともにした。
行く先は、副市長の地元のパイドプランギ。
洪水に阻まれてストップ。
ボートで行くことはできるのですが・・・

WFPは、私たちの活動に
ずいぶん興味を持ったようすだった。
私たちも、時々WFPとは、
行動を共にしている。
ランドクルーザーの後を、
スズキの軽トラで追いかけるのが大変だった。


歯が悪く、
ガンの疑いのある少女の母親
いよいよダバオでの
本格的治療が開始されるので、
打ち合わせもした。


私たちは、非政治でかつ、
特定の宗教に偏らないNGOだから、
国際的NGOや行政から見捨てられた、
この様な場所にこそ
支援を継続していく。

といっても、蚤のような小さなNGOで、
出来ることも限られているのだが。
医療と炊き出しの支援を
開始することに決定した。
特に医療は重要。

先日、ダバオで、
20万円ぶんの医薬品を購入したが、
2月から、マノボの山岳地域をふくめて、
医療支援を本格的に開始する。

平行して、
白血病の疑いのある患者が、
現在ダバオで
検診治療を開始している。



日本政府から、
勇敢にも?
停戦監視団の
菊地さんが
マカブアルの
小学校を訪れた


建設が完了してから10ヶ月めにして、
現地視察が完了した。
菊地さんと私の間に立っているのは、
ピキット市長。

幸い米軍による砂利道の
修復が出来ていたので、
現地に楽に到着できた。
平和であれば
8月頃に開所式がなされるという・・・

IMT国際停戦監視団の
菊地智徳氏からのメール

このメールは、
ご本人の修正加筆の元に、
承諾を得て掲載しています


菊地智徳氏、
JICAインタビュー記事は
以下をクリックしてお読みいただけます

http://www.jica.go.jp/story/
interview/interview_66.html
おはようございます。
時々、webで発信される
HP内容を拝見しています。
今朝、見ましたが、
なるほど、という見解が
いくつかありました。
参考になります。

なるほど、と私が思ったのは、
・住民のなかにおいて政府、
反政府の色分けは、必ずしも
明瞭ではない、という点。
・地域の特性(政府よりなのか、
反政府よりなのかなど)は、
まさに現地のヒトでないとわからない、
という点。
また、それは、
明瞭でないこともあるという点。
・会話でNPAとかMILFとか、
を安易に出さない方がいいという点、
・平穏に見えても、突然、
戦闘が開始されるかもしれない、
という不気味さ
・国軍がいる場所で戦闘が
再開される可能性大のため、
避難民は戻らないという指摘、
・行政職員が必ずしも政府より
(国軍の味方)とは限らない
という点などです。

他の国でも
共通の要素もあると思います。

たとえば、中近東の一部では、
家族・親族のなかに、
国軍、警察、イスラム過激派支援者
などが混在しており、
いったい、この家族・親族は
どちらの味方なのか、という
問い自体が意味をなさない
地域もあります(国境地域)。
平易にいえば、「ぐちゃぐちゃ」です。

市庁舎裏の日本軍の要塞跡を訪れる
菊地智徳氏とピキット市長を表敬訪問

ミンダナオや、フィリピンの他の地区にも、
同じようなことがいえるかもしれませんね。
家族・兄弟のなかに、国軍、NPA、警察、
あるいはMILFとの繋がりをもつもの、
また、その構成員がいるとしても、
それは不思議ではないと思います。
地域という広がりを持たせると、
もっと、複雑で、曖昧だと思います。

結局、白黒はっきりしない
グレーゾーンのなかで
支援を行っていく上では、
そうした特性を把握して、
極力「政治色のない」支援を
心がけるしかないのだと私も思います。
保健医療、給水などは、
その代表と思います。

しかし、「道路」というのは少し違います。
この国に限らず、戦略物資の輸送、
また、軍事車両の迅速な展開を
可能にするという軍事的観点から見ると、
「道路」には政治性が出てきますので
要注意であること、
また、道路建設により、結果として、
裨益する人々と裨益しない人々の
格差を生じさせるという
可能性があると思います。

また、いろいろなことで、
ざっくばらんに
意見交換させていただきたい、
と思います。
感想を交えて、
いろいろ書きましたが、
「読み聞かせ」の
心理効果ということには、
私は興味を覚えました。
情操教育とは異なるのでしょうが、
そうした心理面の効果というのは、
私は子どもには
重要ではないか、と思います。

現地に根を張って生きる、
そこに骨を埋める、
という覚悟はすごいと思いました。

お元気でご活躍ください。
菊地 智徳


2009年、
ミンダナオ子ども図書館は
三つの問題を、
主題として
活動を開始するだろう


一つは、
イスラム地域における
戦闘難民の救済の問題。
難民キャンプにおける、
食料と医療支援の継続
および現地の若者たちによる平和構築。

もう一つは、
世界的な経済危機の影響を、
最も残酷な形で影響を
受け始めている(3食たべられない)
土地を奪われ、
プランテーョンの日雇いで
生活せざるを得ない、
先住民族の救済である。

日本サイドの問題を、
第三に加えるとするならば、
日本の若者や中高年の人々の
置かれている
精神的危機の問題も
議題に上っている。


2009年
最初のボード会議


ボードメンバーによる、
定例の第三期会議が行われた。
会計報告と同時に、
イスラム難民や戦闘の現状。
経済クライシスの影響を
もろに受けつつある、
先住民族の状況。
若者を中心とした、
日本人の受け入れの問題が
話し合われた。

再びここで、簡単に
ボードメンバーの構成をお伝えしておこう。

1,マノボ族サイドからは、
 エラさん
 (元アジア学院研修生でマノボ指導者)
2,スーザン・インカルさん
 (マノボ族で父親が初代のキダパワン市長、
 フィリピン先住民族協会)
3,イスラムサイドからは、
 ホサイン氏
 (イスラム教指導者オスタージュで、
 ピキットのイスラムファンデーション相談役)
4,イスラムとクリスチャンの橋渡しとして、
 グレイスさん
 (ピキットDSWDの所長補佐)
5,マノボ族とクリスチャンの橋渡しとして
 ビックビックさん
 (山岳地域の保育者、ジャスティス&ピース)
6,クリスチャンサイドから、
 ダニー・イサカ氏
 (シビルエンジニアでカップルオブクライスト)
7,フィリピンサイドと日本サイドの橋渡しとして、
 エープリルリン松居
 (バイスプレシデント)
8,日本サイドとフィリピンサイドの橋渡しとして、
 松居友
 (エクゼクティブディレクター、MCL創設者)
9,日本サイドから山田順子さん
 (日本事務局)

以上は、2009年時点で
2019年時点では、
インカルさんと山田順子さんは、
亡くなられ、
ビックビックさんは、
辞められている。

現在のボードメンバーについては、
以下をクリック。

ミンダナオ子ども図書館のミッション 理事、役員、スタッフ 活動の概要を紹介


会議の概要
全体として、
ミンダナオにおける
アンセスタードメイン
(先祖伝来の土地所有)の問題を、
先住民族とイスラムの立場から確認。

歴史的経緯と現在の
移民系クリスチャンとの確執、
イスラム地域における
戦闘の状況と難民の見通し。

先住民族の立場の
歴史的経緯と現在の状況、
世界的クライシスと土地所有、
プランテーションや食物貿易による
貧困格差の増幅。

日雇い、草取りなどの
労働の現状や、
現場や学校での
貧困による差別が報告された。

現実に、起こっている
イスラム難民の救済方法や、
山岳地域の先住民族の
現状と救済方法などが、
検討された。


1,イスラム地域では、
  戦闘が継続している。

戦闘地域から避難してきた難民達が、
政府の指示があっても
帰省しようとしない。
理由は、
戦闘地域での自分の家が、
破壊されたり燃やされたりして、
住む家がない。
家畜も奪われて財産がない、
等の原因がある。

しかし、最も大きな理由は、
フィリピン政府軍の保護の元に
クリスチャン系の難民の帰宅が、
都市周辺部において行われているが、
この様に政府軍が入った地域では、
MILF反政府勢力との戦闘が発生したり、
発生する可能性が高くなる。

それゆえに、
イスラム教徒難民達は、
政府軍が入った地域には
恐れて帰ろうとしない。
結果、
難民キャンプが長期化している。

理論的には、
政府軍が制圧した場所は
安全が確保されたと思われて、
難民が帰省すると考えられるが、
こちらでは、
政府軍が侵攻してきたところは、
戦闘が始まると恐れられて、
逆に難民化が進み、
政府軍が滞在する限りは、
難民が帰省しようとしない。

政府軍は、当面、
撤退することはないであろうから、
難民は長期化するであろう。

すでに、
半年目に入っている人々も居て、
食物の欠如から体力が低下、
病気が蔓延している。
衛生状態の悪さも
追い打ちをかけている。

また、
MILFと政府との交渉課題である、
アンセスタードメインの問題が
棚上げされた格好となっており、
この問題に見通しが立たない限り
反政府側は交渉のテーブルに
着くことを拒んでいる。
第3国政府が仲介に立つ
必要性も指摘されているが・・・。


2,マノボ族など先住民族の状況が
  悪化している。

とりわけ、プランテーションや
移民系クリスチャンに追われた、
土地無しの人々に
貧困の影響が出ている。

彼らの収入は、
遠隔地にあるサトウキビ農場の
過酷な非正規労働による低賃金、
または移民系クリスチャンに占有された
水田や田畑の雑草刈りぐらいしかない。

収入は、
食事自前で一日100ペソ
(180円から200円程度)、
自分で食事をすると
70ペソほどにしかならず、
さらに借金でがんじがらめになっている。

それが、今回の世界的な経済危機で、
ゴムやサトウキビ等の
輸出用作物の価格が下落。
また、雇用側も、マノボなどの人々の
教育水準の低さを見越して
経済的クライシスを理由に
賃金を低く抑えたり、
雇用のカットをしているように見える。
その結果、
最貧困層の人々が増え
生活が極端に困窮している。

私たちのスカラーの居る
プロック8やボホラノン、
ボアイボアイ村などでも
この傾向は顕著である。
3食たべることが出来ずに、
体力が低下、
高熱がひかなかったり
髪の毛が落ちる子が出ていることは、
前年の便りでも報告した。

この地域は、
過去イラガ(ねずみ)と言う
移民系クリスチャンの暗殺集団が、
先住民族を辺境に追いやったのちに
開拓した場所。
プロック8等は、追い出された後に、
もどったと言う歴史的経緯があり、
問題を根深くしている。

しかし、ここに来てこうした問題が
噴出し始めている背景に、
今回の世界的な経済クライシスから来る
不安心理があるように見える。
NPAなどの反政府勢力の動きも
活発化しており、
そうした不安から、
一時覆われていた差別が
増幅されているきらいがある


以上のような内容が、
各役員によって話された。

特に結論的なものはだしていないが、
役員も適宜同行することによって、
現場における
解決の方法を見いだすことになった。


1月11日、奇しくも
この2点に関する、
注目すべき記事を
インターネット上で
見つけたので、紹介したい。

毎日新聞:矢野純一 1/11
フィリピン:MILFと戦闘やまぬ、ミンダナオ島 
避難先、弱る子供たちhttp://mainichi.jp/select/world/news/
20090111ddm007030075000c.html

 【マニラ矢野純一】
フィリピン南部ミンダナオ島で、
国軍と反政府組織
「モロ・イスラム解放戦線」(MILF)の戦闘が
激化した昨年8月以降、
不衛生な生活環境の中で
病死する子供の避難民が急増している。
事態を重くみた国連児童基金(ユニセフ)は、
飲料水の確保や
トイレの整備を最優先に活動を行う。
戦闘下、避難先で新年を迎えた住民は
30万人以上に上った。 
 国軍の災害対策本部や
地元NGO(非政府組織)によると、
昨年8月以降に病死した
18歳以下の避難民は45人。
死因の多くは不衛生な水を飲んだことによる
下痢や栄養失調、
はしかなどの感染症だという。
公園や空き地に作られた避難所には
トイレや水道などの衛生施設が整っていない。

中略    

 ユニセフ・マニラ事務所の
バネッサ・トビン代表は
「ここまで戦闘が長引くとは
予想できなかった」と言い、
衛生施設整備のほか、
子供の精神面のケアや
医薬品の配布に力を入れると語った。

 昨年10月に38万人に上った避難民は
現在、30万7000人までに減った。
しかし、12月24日には北コタバト州で
戦闘に巻き込まれた住民9人が死亡、
約400家族が新たに避難民になるなど、
戦闘はやみそうにない。


国際ニュース : AFPBB News 1/11
貧困国から奪われてゆく土地、
背景に食糧危機や景気後退など
http://www.afpbb.com/article/
economy/2555463/3659718

ここをクリック!

  • 2009年01月11日 16:26 
  • 発信地:クアラルンプール/マレーシア

【1月11日 AFP】
 資源の乏しい国々が、
アジアの貧困国の広大な農地を
われ先に買っていく。
活動家らはこれを「土地の収奪」と呼び、
貧困と栄養不良がさらに悪化しかねない
と注意深く見守っている。
 食糧を輸入に頼っている国々は、
原油・食糧価格の高騰、バイオ燃料ブーム、
そして急激な景気減速の中、
自国民の食糧を確保するための
対策に追われている。
中でも、耕作地が不足している中国と韓国、
オイルマネーで懐が豊かな中東諸国が、
アジア・アフリカの農地の
権利取得に向けた動きをけん引している。
 スペインに本部を置く農業権利団体
Grain」は、最近の報告書で、
「今日の食糧および金融の危機が
世界規模の新しい土地収奪を
招いている」と指摘した。
 同団体によると、
こうして確保された農地の目的は、
主に「本国の食糧安全保障を念頭に、
本国で消費するための作物を栽培するため」と
「ヤシ油やゴムなど、
経済的利益を得るためのプランテーションを
設立するため」の2つに分かれるという。
 「こうした傾向により、
世界で最も厳しい貧困と飢餓に
見舞われている国々の肥沃な農地が
急速に外国企業により
統合・私物化されている」と、
同団体は警鐘を鳴らしている。

    中略

■腐敗政府との契約で農民を苦況に

 タイ・バンコク(Bangkok)に本部を置くNGO、
フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウス
Focus on the Global South)の
ウォルデン・ベロ(Walden Bello)氏は、
昨今の世界的な経済危機にあっても、
土地を持たない農民を
一層の苦境に陥れる可能性のある、
1つの「傾向」は
脈々と続いていると指摘する。
 その傾向とは、
腐敗した政府と土地に飢えた先進国が、
農地契約の名のもとで
私腹を肥やしているという事実だ。
実際、契約の多くは、汚職が横行、
または政府が機能不全に陥っている
ような国々で結ばれている。
 クウェートは前年8月、カンボジアに対し、
穀物生産の見返りとして、
5億4600万ドル(約500億円)の
借款供与に合意した。
カンボジア政府はカタール、韓国、
フィリピン、インドネシアとも同様の契約を
結ぶ準備を進めているという。
 だが、カンボジアのある野党議員は、
クウェートのような裕福な国が、
コメを輸入するのではなく、
わざわざ他国の土地で栽培する
という選択肢をとっていることに
疑問を呈する。
 この議員は、
「カンボジアの農民たちは
土地を必要としている」と主張。
政府に対し、
外国に貸与する土地に
制限を設けるべきだと訴えている。
(c)AFP/Sarah Stewart


先住民族の
置かれている
危機的状況
世界的経済
クライシスと
マノボ族の貧困

去年のミンダナオ子ども図書館便りで、
マノボ族の村のスカラーが
高熱のために入院し、
検査の結果、栄養失調が原因である、
と言う事実を報告した。
その後、対策として、上述のスカラーたちは、
ミンダナオ子ども図書館に収容し、
ここから小学校に通うことにし、
3ヶ月後にはすっかり体力が回復した。
また、クリスマスと正月に、
こうした村の子たちを大勢招いて、
栄養補給も兼ねたフィーディングを行った。

この時期になって、
何故、こうした土地無しで
山岳地域に追われた
マノボ族の子たちに、
栄養失調が増えているのか疑問に思い、
子どもたちの村への帰省などの
機会を利用して、
聞き取りを開始した。
すると、そこから
いくつかの事実と問題が
浮かび上がって来た。

実に驚くべき事に、
最も辺境に位置して、
およそ世界の動きからは
見放されているかのような、
再貧困地域こそが、
世界的な経済クライシスが
直撃してくる形で、
影響を受けていたのである!

彼らの現金収入を支えているのは、
日雇い労働である。
近隣の水田の田の草取り、
ゴムの木の汁集め、
サトウキビやトウモロコシ刈り、
農地の草刈り、といった
土地所有者が、
自身の土地のメンテナンスや、
それに伴う雑用を請け負う
脇の仕事を彼らが行っている。

その多くは、
輸出用作物を栽培している
大土地やプランテーションと
関係している。

日取りは、日給およそ100ペソ
(今のレートが×2だから=200円)で、
食事は自分持ち。
30日間フルにはたらいて3000ペソ。
(ちなみに、ドールの日給は200ペソだが、
土地所有に関連した一部の人々にしか
仕事は与えられない)
日々の食費の30ペソを引くと、
一日70ペソ(140円)ほどにしかならない。
30日間はたらいて2100ペソ。
円で計算すれば、月給の手取りが、
4200円と思えばよい。


先住民の
スカラーの家族


栄養失調だが、
先年暮れ
ダバオの病院で亡くなった子


ミンダナオ子ども図書館の、
粗食だが米を子どもたちに
食べさせている状況で、
一人一ヶ月の食費が1000ペソだから
平均7名の子どもに
両親を加えた9人家族であれば、
食費だけでも9000ペソ。

それが、
月給2100ペソしか無いとしたら、
普通日雇いから帰って、
7名の子どもが待っていて、
両親と一緒に食べるとして、
何日分の食費になるだろう。

さらに、子どもの学費や
弁当の米代などのための
借金があるケースがあり、
日雇いの季節労働から帰ってきても
手元にはほとんど
残らないような状況が多い。
この状況では、子どもに
お弁当を持たせることが出来ないし、
学用品に至っては無理なのは、当然。

それどころか、
毎日食べ物がなく、かろうじて、
山地に植わっている
バナナと芋をかじる生活になる。

栄養失調で毛が抜け始めた少女
いくら何でも、これはひどい!

バナナは味気のないバナナで、
芋もカサバ芋という、腹持ちがしないもので、
甘みもなくモソモソして
とてもたべる気にならない代物。
塩水に唐辛子を潰して、
バナナや芋につけてようやく
のどを通ると言ったものだ。

肉や魚と言ったものは
ほとんどたべる機会が無く、
これでは、次第に
栄養が細るのは当然で、
病気にもなろう。

こうした状態を助長しているのが、
世界的な経済危機だ。
彼らのわずかな現金収入源であった、
日雇いの季節労働が、
物価高による経営状況の悪化という、
雇用者側の理由で
カットまたは削減されているのだ。

日雇い労働が無ければ、
全くの現金収入がない。
田の草取りのような、仕事でも、
移民系クリスチャンが経済危機を理由に
雇用を渋りはじめている。

米の値段は、
高値で推移しているのだが、
物価高が理由。

彼らの貧困の根本的な理由は、
農業のプランテーション化による
輸出作物の作付け面積の著しい増大と、
移民系の土地所有によって、
低地にあった自給用の耕作地を奪われて
土質の悪い高地に
移り住まざるを得なくなった
貧困格差に起因している。

今まで、ミンダナオ子ども図書館では、
彼らにとって最も
経済的負担が多い部分である、
子どもの教育と医療を支援してきた。

現在、ミンダナオ子ども図書館は、
学校側との協議を始めると同時に、
最も良い解決法を、
現地の親や子どもたちと模索している。
同時に、仕事を得るための水牛の支援、
山羊などの家畜を増やす可能性。

そしてさらに、
ミンダナオ子ども図書館所有の農地や
水田を確保し、
そこでの労働を通して、
経済的支援が出来る体勢を考えている。

しかし、今回何よりも感動したのは、
こうした困難に直面しつつも、
マノボ族の人々がより団結して
プロック8集落では、
わずかに6ヘクタールだが、
30家族で、
自ら子どもたちの食事のために、
農地の共同管理と運営を始める
決意をしたことだった。
(一ヘクタールで養えるのは、
子どもの数にもよるが
2家族程度と言われている)

理由は、
支援だけに頼っているのは良くない。
わずかであっても、
自分たちの力で生活を切り開きたい。


教育支援を始めて5年目、
子どもたちの成長していく様子を見つつ
自分たちも、成長しなければならない、
と言う自覚を、
子どもたちの姿から学び始めた大人達、
特に、父親や男達の姿がまぶしかった。


イスラム地域の
戦闘と難民の問題
何故、イスラム難民は
自分の土地に帰らないか


これには、いくつかの原因がある。
一つは、帰っても
家が焼かれて無かったり、
家畜が奪われて居なかったり、
生活を始めるための基本的な財産が
戦闘のために失われている。
それ故に、
帰ろうと思っても帰れない
と言うものだ。

しかし、もっと根本的な原因は、
戦闘の拡大を恐れているからだ。
彼らは、政府軍がMILF反政府組織を
見かけ上は土地から追い出し、
外見上は戦闘地域を制覇した事で
戦闘が終わったとは考えていない。

彼らが、ビニールシートの屋根を
椰子の葉に変えて、
仮小屋を建て始めたことは、
長期滞在を覚悟したことを意味している。


クリスチャン系住民は、
政府軍の制圧によって守られている、
と言う自覚があり、
彼らは、
ほとんどが自分の土地に帰った。
行政が、公的な難民キャンプであった、
倉庫や学校を閉鎖して、
帰省を促していることも大きい。

しかし、イスラム教徒たちは、
自分の土地に帰ろうとせず、
ピキットの辺境に移って
道路沿いに住み始めている。
彼らが、ビニールシートの屋根を
椰子の葉に変えて、
仮小屋を建て始めたことは、
長期滞在を覚悟したことを意味している。

理由は、
クリスチャン系住民とは正反対に、
イスラム教徒の人々にとって、
政府軍が地域を制圧し、
軍が駐在したことは、
戦闘が起こる可能性、
拡大する可能性が高まった事を
意味しているからであると言う。


普通なら、政府軍は、
フィリピン政府が自分たちを守るために
出動させた軍隊という解釈になろう。

クリスチャン系住民にとっては、
まさにその通りである。
しかし、自治独立を目ざしている
イスラム系住民にとっては、
敵の侵攻に見えると言えば、
理由が明らかになろう。

ピキットは、7割が
イスラム教徒でしめられているが、
他の地域もふまえて、
イスラム地域はほとんどの住民が
感情的には反政府だと言って良い。

特にこの傾向は貧困層に強く、
村長や金持ちの土地所有を
しているイスラム教徒は、
ダバオやマニラに居を移している
ケースが見られる。
といっても、この境目は実に曖昧なもので、
遠くから、指示を出している可能性もある。

いわゆる反政府地域の
イスラム教徒のたちは、
MILFの正規軍が滞在したり、
通過しても逃げることはない。
しかし、政府軍が入ってくると、
子どもたちも、女達も、
いっせいに村を放棄して逃げ出す。

理由は、政府軍が村人を
攻撃してくるからではなく、
政府軍が入ったところに
戦闘がはじまるから。
MILFにとっては、
政府軍は自分たちのテリトリーに入ってきた
侵入者であり、攻撃の対象。

軍は、政府軍も、MILF軍も、
訓練された正規軍と、
一般住民が武器を持った民兵とにわかれる。
民兵は、ライフルや迫撃砲を持っていれば
それとわかるが、
特にMILFに属する民兵は
軍服を着ていないし、
普通の住民と同じ、というか、
普通の住民達のなかの男性達だから、
それと見分けるのが難しい。

彼らは、自分たちが戦うためにも、
家族を安全な場所に移しておきたい。
最も安全な場所はどこか、
それが、難民キャンプだ。
このことは、地方行政も承知であるし、
ピキットでは人道的な立場から
ワールドフードと協力して食料支援もしている。


難民キャンプは、
ほぼ村単位で固まるケースが多く、
その結束は固い。

難民状態が続いたからと言って、
彼らの結束が弱まったり、
コミュニティーが崩壊することはなさそうだ。
貧しい人々の結束は、
難民状態を通して、
より強くなることはあっても、
弱まることは無いと感じる。

しかも、彼らは、こうした経験を、
過去30年間、
3年置きに体験しているので
戦闘難民になっても、
「またか」と言う状況なのだ。
唯一、困難なのが食料と医療であり、
精神的なトラウマなどはあまり感じられない。
外国人に対する不審感と、
長期化してくると抑鬱状態は感じるが・・・・

戦闘における精神的トラウマの問題は、
他国に攻撃を仕掛けてきた
軍の兵士たちが、
故郷を離れて
戦地に放り込まれた結果、
つまり、ベトナムや
イラクの米兵などのように、
その様な場合に
顕著に現れるのではないか。


私も、戦闘を身近に体験して、
10,11月に日本に帰国しても、
ちょっとした音で神経が高ぶったり
飛行機の爆音や、
東京都内の環状道路を
自衛隊の軍用車が
走っているのを見ただけで、
「どこが戦闘か!!!」と、
総毛立ち強烈な感情に襲われたが、
こういうのは未経験者に特有で、
長期に経験し続けている
イスラムのスタッフに聞いても、
慣れっこになってしまうようだ。

スカラーの中には、
父親などが殺されると、
かなり強い抑鬱状態になることは確かだが、
加害者の立場に置かれたものの方が、
トラウマは激しく
被害者の場合は、むしろ家族や
親戚や村人たちで、
心を結束させて行くように見える。

今、はやりなのだろうか?
海外NGOによる、
トラウマの解消のための支援は、
現地の人々の表現を借りると
「それしかやらないのか、
米をくれる方がよっぽど良いのだが・・・」
と言った言葉になる。
私には、理念が理解できるが、
彼らには良くわからないようだ。

私たちは、読み語り活動を通して、
子どもに対して
トラウマ解消の支援に
類似したこと?をしているが、
私自身は、
昔語りに起源を発する語りは、
心理学的にも歴史的にも
最高の心理療法であることは、
拙著「昔話と心の自立」教文館で執筆したが。

さらなる利点は、
繰り返し通うことによって、
見知らぬ人々や子どもたちと、
信頼しあい
友だち関係になれることと、
現地の若者たちが
スカラー達といっしょになって、
ボランティア精神を育成できることだろう。

平和構築が、
宗教や部族や国を超えて、
心を通わせ会うことから始まると考えると
読み語りは、
最高の平和構築活動だと感じる。
ただし、海外の英語の絵本を読んだり、
欧米の歌やカテキスタの
歌のみを歌ってもだめで
言葉はマギンダナオ語やマノボ語などの
現地語(母語)を中心に置き
現地の文化や宗教を重視し、
地元の昔話、踊りや歌を、
必ず交える必要がある。
その意味で、現地の若者たちが
中心にならなければ
意味をなさないだろう。


ただ読み語りも含めて村人達には、
トラウマ解消プランは、
NGOの自己満足といった感じで、
映っているように見えるようだ。
期待しているのは、炊き出し、
そして医療なのだが・・・
実際、最も困窮しているのは、
医療と食料であることは確か。

興味深いことだが、
地方政府やイスラムの行政担当者、
福祉局の人々も
このことはちゃんと知っている。
戦闘など、まったく馬鹿げたことである。


地域社会や家庭と同時に、
コミュニティーも崩壊し
心理的なトラウマ解消支援を
必要としているのは、
自殺率の高い、
先進国の人々の方かも知れない

スカラシップの
調査を開始した
今回、私たちは、
山岳地域の村を訪ねた。

入り口は、
ミンダナオ子ども図書館の農場からで、
普通見れば、
どこが入り口かもわからず
この様な場所の奥に、
人が集落を構えているなど、
外部者にはわからないようになっている。

行ってみると、
喜んで迎えてくれた。
もちろん、
マロゴン村の役場の人など、
現地の人が同行する。

現地の学校に通っている、
ミンダナオ子ども図書館の若者たちも。
総じてこうした場所は、
隠れた人と自然の
パラダイスのような平和を感じる。


マキララは
本当に山深い。

MCL農場のある
マロゴン村まで、
まずは4WDでようやく到達。
そこから、
本格的に山に入っていく。

この様な奥に、
集落があるなどとは思えない。

到着して早速調査を開始
今回の子どもたちのリストは、
現地の小学校の先生の協力や
現地の奨学生の協力を得た。



病気のお母さんを囲んで
生活状況は非常に厳しい。
自分たちの土地はなく、
他人の土地に
住まわせてもらいながら、
日雇い仕事を請け負っている。
年齢の割には
考えられないほど小柄で痩せている
栄養が足りないからだ!


現地の人々との
良好な関係が無ければ、
この様な土地に足を
踏み入れることは不可能だ。

写真の家族は、
その後、
バナナプランテーションに関連した
土地問題で
父親が殺され
母親と子どもたちを
ミンダナオ子ども図書館に
住み込みで引き取り
奨学生とした。
後に、真ん中の少女は、
大学生になり日本に
踊りと歌の公演に参加。
その時に、10年支援し続けてくれた
支援者に会って涙ぐんだ。
その時のNHKの映像は以下です。

 NHK国際報道
フィリピンミンダナオ島


映像を 見たい方は ここをクリック
ミンダナオ子ども図書館の
若者たちによる
踊りと唄の日本公演で
父親を殺された奨学生
ハニーさんが、
支援者と出会い、
感動の涙涙・・・
涙なしには、
見られない映像です。
現地の状況から判断して、
マロゴン村に保育所を寄贈し、
下宿施設を建てて
スカラシップの男の子を置き、
小学校に通えるようにした。


年齢は高い子たちだが、
地元の小学校で、
級長などになって活躍。
彼らは、どの子が困窮しているかを
正確に把握している。
また、こうした地域の学校の先生も、
スカラシップ候補を綿密に選び出し、
推薦し、調査に同行してくれる。
そうした協力が無ければ、
とても入れない活動地域。


今回、マロゴン村に
高校を建てる計画があり
(日本における中学と高校を
現地では、ハイスクール
「高校」と呼ぶ。)
山元しんぷさんとMの会で
1ヘクタールの土地を寄贈。

高校がないと、
この地域の子たちは
ほとんど学校に通えない。
ここに高校が出来ることで
将来は、地域の発達に
大きな助けになろう。
日本政府の草の根資金で
建設できないだろうか
日本からワールドフードを経た
食糧支援は来たが・・・


小学校もコンクリートは
4クラスのみ


さらにそこから、
2時間も山を登って、


やっと奨学生候補の
家に着いた。


2時間もかけて、
山頂に近い家に着いたけれども、
家には、誰もいない。
小一時間たつと、
4人の子どもたちだけが
帰ってきた。

帰るとすぐに、
仕事を始める。

まず、山羊を移し
ゴミをかたずけ、
椰子の汁をあつめ

ゴムの汁を絞り始める
本当に、しっかりした子たちだ。
しかし、ほとんど裸足に近い生活。

部屋には何もないが
壁に、日本の国旗が見えたので
よく見ると

「世界食料機構」の文字のしたに
「日本のひとびとより、支援」
と書かれている。

話を聞いてみると、
このマロゴン村に、
昨年末に日本から、
世界食糧機構ワールドフードを通して
米の配給が数ヶ月あったという。

とても助かったのだそうだ。
滅多に米は
食べられないから・・・・

JICAさん、結構やりますね。
良くこんな所まで・・・
それにしても、どうしてここが
わかったのかなあ?

この山岳地域一帯は
ゲリラの活動も活発化し、
イスラム部隊も入り、
さらに難しい状況を
むかえようとしている。


下山は、
別の子を調査するために
別の道を下った。
こんな山の中に、
網の目のように道がある。

下の子のお母さんは
家出したまま
別の夫を持ち帰らない。
お父さんと二人で、
深い山の中で暮らし
うけおいの森番をしていた。
先生の推薦だけあって
貧しいけれども
学業に関する興味は高く
成績も良い。

推薦された子のなかの数名は
父さんがいない子だった。
国軍との戦闘で殺されたという。
反政府勢力の村だから・・・

一日ではとても調査できず、
マノゴル村でその夜は泊まった
電気のない暮らしも乙なもの?

石油の灯りで学ぶ
奨学生たち


翌日も、調査を継続
調査は一日では足らず、翌日も続けた。
翌日、ミンダナオ子ども図書館のスタッフと
ソーシャルワーカーが、
血相を変えてやってきた。
「携帯は届かないし、夜帰らないものだから、
MCLは大騒ぎだったのよ!
てっきり誘拐か殺害があったと思って・・・・」


MCLのソーシャルワーカー
カティも加わり調査を続行。


一泊すると話してきたつもりが、
伝わっていなかったらしい。

とにかく無事であることを見て、
ホッとしたようだ。
そう言う場所ではあるのだけれど・・・・
スミマセン!


この子たちには
お父さんが居ない。


お母さんは
日雇いをしながら
子育てをしている。


イスラム部隊が駐屯した地域の近く
来年は、そちらの村にも行ってみよう。
イスラムの奨学生たちといっしょに。


遠くにイスラム集落が望める。
この右手奥の谷に、駐屯している。
かつてイスラムの土地を
クリスチャン市長が手にいれたが、
それを奪い返して駐屯した。
ピキットから来た者もいるという。

マキララ地区は、
行政とドール資本の癒着が強く、
行政からの依頼を受けた国軍と、
それに対抗するNPA(新人民軍)との
戦闘が絶えない。
今後、拡大しなければ良いのだが。



こちらは、バゴボ族の村
ここの子どもたちも
奨学生候補に


貧しい村にもかかわらず
成績も良く
がんばっている子が多い


スカラシップに選ばれて
突然泣き出した少女。
病気と貧困で2年間
学業を停止して新たに開始。
本当にがんばっている
様子が、よくわかる。

「まだ、小学校だけれど、
高校にも行けるよ」
と、話したとたんに泣き出して
涙が止まらない。

「がんばれば大学まで
行けるからね」
と、言ったら、
呆然としていた。


スカラシップ
調査が続く

山のマノボ族の子たちの
家庭調査は、

山登りから始まる。


今年の小学校の里親奨学生を
選考する対象地域は、
和平構築を考えて、
反政府勢力の活動が活発で、
戦闘が絶えない山岳地域から2カ所選んだ。

 1,アラカンのマノボ地域

 2,マキララの移民系山岳地域

さらに戦闘の続くイスラム地域から、
ピキットの山岳地域と
ARMM(イスラム自治区)に属し、
MILFの強い2カ所。

 3,湿原沿いのサパカン集落

 4,山岳沿いのセニオマラウ集落

そして、昼はゴミを拾って、
深夜は物乞いでさまよう
町のストリートチルドレンたち。

そして、父親もいず、
食べるのも困難な
先住民のマノボ族の子たち。


母親が、
必死で娘を育ててきた。
それでも、大学は夢のまた夢。




思いがけない
スカラシップに

泣き出す子たち。




サトウキビ刈りに
駆り出される
ウオーターフォールの
子どもたち

サトウキビ刈りに
プランテーションに駆り出され、

学業をストップ。

スカラシップを続けることが
困難になった子たちを
ソーシャルワーカーの
カティーと調査する。


こうしたケアーも重要な仕事だ。
彼らの生活環境は劣悪だ。

下は、サトウキビ刈りの労働者が
過ごしている宿泊施設??


ようやく、
いなくなった奨学生の
両親と会えた。

しかし、彼らも
いなくなった娘の事も、
その居所も知らなかった。
両親を交えて、調査は続く。



新しいスカラー候補
スカラーのザイノディン君の妹。
もう一年近く、難民状態だ。
最初は、父親が
高校生になるのを反対した。

保守的なイスラム教徒の中には、
女の子は学業を続けることなく、
結婚した方がよい
と言った考え方がある。
彼女が、涙を流して悲しんだ様子が
今でも脳裏に焼き付いている。


しかし、一年たち、
兄のザイノディン君が、
MCLの活動の素晴らしさを語ったので、
保守的な父親の気持ちも変わった。


「もう、こんな難民生活は
ほとほと嫌になった。
娘も自由に羽ばたかせてやりたい」
家族写真を撮る時
最初は棒立ちだった父親の手を取ると
わたしは、娘の肩に乗せてやった。
ぎこちないだけに、
父親の気持ちが伝わってくる。


「娘が親元を離れて、
MCLに住むとなると、
父さんは寂しいでしょう」
父親は、一瞬言葉につまったが、
「寂しい・・・」とつぶやいた。

その気持ちは良くわかる、
私ももう8年間も、
生き別れになった
娘達に会っていないから・・・
支援者が見つかりました!

2019年現在、彼女はスタッフになり
結婚もしています。

 医療も絶え間なく続く
新年度に入って、
次々に患者が運び込まれてくる。
医療というのは、
不思議なことに
時期があるようで、ドッと増える。

年額120万円(月10万)の
医療費を充てているが、
一気にオーバーして
予算を使い果たしてしまった。
年度累計額は
150万に達しようとしている。
高額な手術がいくつか入ってきたためだ。


歩けない少女のために、
特性の車椅子を作った。
小型で、小水が出ても
だいじょうぶだ。


半年前から、
急激に瘤が出来てきた少女
歯の位置にも奇形がある。
一度の手術では完治は不可能。


交通事故の若者も
運び込まれる。

プロック8の子で、
もちろん両親に
医療はだせない貧困だ。






アルバちゃんを
訪ねた

かつて難民キャンプにいた少女、
アルバちゃんを訪ねた。

あまりにも衰弱した様子に驚いて、
山元しんぷさんのグループMの会で、
ミルクの支援をした。

その後、戦闘も終息して
村に帰ったと聞いていた。
今回、ピキットの
DSWDの協力を得て、
彼女の家を訪ねた。


アルバちゃんは、
思ったよりも元気だった。
体つきも、少し
しっかりしてきたように見える。

山元しんぷさんが声をかけると、
微笑んだ。
目も見えないのだが、
ちゃんと覚えているのだ。



《星に導かれて》
  山元 眞


夜中にMCL
(ミンダナオ子ども図書館)に着いた。
朝目覚めて最初に会った子に驚いた。
わたしが、今の
わたしになる大きなきっかけを
与えてくれた子どもだったから。
2005年の11月末から12月にかけて
初めてMCLに行った。
教会の創立50周年を機に
ミンダナオ支援を始めた。
その祝いに松居さんご夫婦を招待した。
急に、ほんとに急に
ミンダナオに行きたくなり、
帰国する松居さんに付いていった。
いろんな村を訪ねてまわったが、
夕暮れ時にその日最後の村を訪ねたとき、
ぼろぼろの車をいち早く見つけて
駆け寄ってきた子どもがいた。
頭に大きな傷跡があった。
こぼれるような笑顔で、
車を降りた松居さんに飛びついてきた。
その時、松居さんが話してくれたことと、
あの笑顔を今でもはっきり覚えている。
「この子はこの村で
最初に医療を受けた子ども。
この子が医療を受けて元気になって、
この村に明かりが灯った。
希望のない暗い村全体が、
この子一人が元気になることで
村全体が明るくなった。」
プロック8(エイト)と呼ばれる村。
この村の名前?
だけは最初から覚えていた。
その時から、
「こんな小さなことをしても
大して役に立たないのではないか」
という疑問が消えた。
今回、最初に会ったのが、その時の子。
ボランティアの原点
みたいなことを思い出した。
「一人の子どもが救われることで、
村全体が明るくなる。」
このことを思い出すとき、いつも同時に
マザー・テレサの言葉も思い出す。
「わたしたちがしていることは大海の
たった一滴の水に
すぎないかもしれません。
でもその一滴の水が
あつまって大海となるのです。」
帰国する日の朝、
キダパワンのカテドラル(司教座聖堂)で
朝7時の英語ミサを共同司式した。
この日は公現祭。
キリストの救いが一部の限られた
人たちだけのものではなく、
全世界に人たちにまで
及んでいることを記念し、祝う祭日。
ミサの中で三人の占星術の学者が
星に導かれて幼子イエスを訪ねた
聖書の話しが読まれた。
朗読をじっと聞きながら、
ヘロデ王に尋ねた言葉が腹の底に落ちた。
「ユダヤ人の王として
お生まれになった方は、
どこにおられますか。
わたしたちは東方で
その方の星を見たので、
拝みに来たのです。」
今回の訪問の目的のひとつが
アルバちゃんに会うことだった。
2008年の夏の紛争で
避難民となったアルバちゃん。
ほとんど飢餓状態だった
アルバちゃんがどうしているのか。
2008年の12月31日に
避難民キャンプに訪ねてから一年。
松居さんに尋ねた言葉
「アルバちゃんはどこにいますか」と
三人の学者の言葉が重なった。
「アルバちゃんはどこにいますか」
という言葉が
「キリストはどこにいますか」
という言葉となって、
その言葉がミサの間中、
心に中で響いていた。
アルバちゃんはイスラムの
小さな村に戻っていた。
帰国する前日、
アルバちゃんに会いに行った。
家に入ると部屋(一部屋しかない家)の隅に
アルバちゃんが横たわっていた。
手を握って声をかけると
ニコッと微笑んでくれた。
そのことを思い出し、
ミサの間ずっと考えていた。
言いすぎだろうか…。
キリストがそこにいた。
アルバちゃんがキリストだった…。
「この子にしてくれたことは、
わたしにしてくれたこと。」
(マタイ福音書25章40節)
わたしは神父だが、
神父が人を救うなどということはウソで、
救われていることに気づくことが
神父であることなのではないかと、今、思う。
宗教、民族、文化、育ちなど、
あらゆる違いがありながら、
平和に暮らしている
MCLの子どもたちを見ていると、
ここにこそ、本当の平和があると…
今回もまた、その思いを強くした。
プロック8で会った子との
再会で始まった今回の旅。
イスラムの村の家の片隅に
ころがるようにして横たわっていた
アルバちゃんを見つけて
終わった今回の旅。
こうして星に導かれた旅は終わった。
うれしかった。とても。


アルバちゃんのいる
イスラムの村では、
アラビア語学校が始まっていた


アルバちゃんの村のアラビア語学校。
小さなきれいなモスクに隣接して、
子どもたち、大人たちも集まって、
熱心にアラビア語の
コーランを勉強していた。
ここの村は、半年以上、
去年は避難民になっていた。
それでも、明るさを失わない子どもたち。
モスクも新しく建立されたようだ。
青空にモスクが青く輝いていた。

イスラム教徒の新年は、12月18日。
一般の正月は祝わない。

1月2日も、アラビア語学校が、
平日通り行われている。
金、土、日が授業の日だ。
ちなみに、公立学校を彼らは、
イングリッシュスクールと呼ぶ。
スタッフのノライダさんやアスレーさんは、
帰省する事もなく、
ミンダナオ子ども図書館のクリスマスや
正月をサポートしてくれた。


兎口の子ども
たちの治療


今年も、ダバオで開かれる、
兎口の子どもの治療に参加した。
これは、UCCP(フィリピン・キリスト教団)と
ドールが協賛して、
毎年ダバオで開かれるものだ。

ミンダナオ子ども図書館では、
家族の食事と宿泊、
そして搬送を行う。


今回、参加したのは、
マキララ地区の
先住民バゴボ族の子たちと
ピキットのイスラム教徒の子たちが多く
総勢で、8名の子とその親たち

経済的なサポートは、ドールが、
治療と検査は、比キリスト教団の招待で
アメリカのドクター方が
ボランティアで行ってくださる
私たちも、大いに助かっている
年一回の無料治療!


それにしても、
ドールのプランデーション開発の影響を受けて
山岳地域に追われた子たち、
米軍も関与している
戦闘地のイスラム教徒難民の兎口の治療を、
アメリカ人を交えたキリスト教会が行う・・・
それで助かるのなら良いとは思うのだが、
国際支援とは、何なんだろう?


戦争と平和構築 の記録 2008年の5の サイトへGO!