ミンダナオ子ども図書館の創設ディレクター:松居友(日本文芸家協会会員)の活動日記

ミンダナオ子ども図書館日記
     
 ミンダナオ子ども図書館のミッション 理事、役員、スタッフ 活動の概要を紹介
もくじINDEX
 ミンダナオ子ども図書館だより:サイトへGO! MCL文庫
民話、絵本原稿、青少年から大人までの読みものを
自由購読で提供しています。
MCL映像サイト
何故ここに日本人などのテレビ映像
その他の貴重な活動映像を掲載

ミンダナオ子ども図書館日記(松居友制作)にGO! ミンダナオ子ども図書館支援方法 講演、公演の予定表など 
訪問希望の方は ここをクリック!  まだ支援者のいない子たちへ! ミンダナオ子ども図書館日本応援窓口 

ミンダナオ子ども図書館では、支援者へ真の活動報告が行くように、
自分で撮った写真と記事を、10年以上サイトに随時掲載してきました。
近年、日本の特に青少年の国際化が謳われる中、この記録が学習素材としても注目され、
国際活動へ一歩踏み出したい体験希望者や、悩みを抱えた若者たちの受け入れも決断しました。
また、中高年の方々にも、現地の子供たちの笑顔が生きる喜びになっていることがわかり
夢と真実を伝えるために、活動を年次ごとにまとめ、過去の機関紙もPDFで掲載しました。
ただし、機関誌は2018年4月までで、数年はサイトに掲載しません。
購読されたい方は、自由寄付や奨学生支援等を振り込んでいただければ現地よりお送りします。
隔月にお送りし、そのうちの一回は、MCLで制作した、絵本をお届けしています!
 
ミンダナオ子ども図書館だより 
 2006 2007  2008  2009  2010  2011  2012  2013  2014  2015  2016 
Go! Go!  Go! Go! Go! Go!   Go! Go! Go! Go! Go!
ミンダナオ子ども図書館日記      
2008  2009  2010  2014  2015  2016  2017         
Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go!        
機関誌『ミンダナオの風』バックナンバーPDF 
1号 2号 3号 4号 20号 21号
2008/10
22号 23号 24号
2009/7
25号
2009/10
26号
2010/2
27号
2010/5
28号
2010/7
29号
2010/10
30号
2011/3
Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go!
31号
2011/5
32号 33号
2011/10
34号
2012/3
35号
2012/6
36号
2012/8
37号
2012/10
38号
2012/12
39号
2013/4
40号
2013/6
41号
2013/8
43号
2013/12
44号
2014/3
45号
2014/6
46号
2014/8
Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go!
47号
2014/10
48号
2015/1
51号
2015/10
52号
2016/1
53号
2016/3
54号
2016/5
56号
2016/10
57号
2016/12
58号
2017/2
59号
2017/4
60号
2017/6
61号
2017/10
62号
2017/12
63号
2018/2
64号
2018/4
Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go!
スカラシップや訪問希望、
また種々のご質問やお問い合わせは
現地日本人スタッフ宮木梓(あずさ)へ
 
mclmidanao@gmail.com
 
メールニュース希望
登録していただければ、サイトの更新等の情報を
メールで配信しています
 
松居友メール
mcltomo@gmail.com

支援申し込みメールで
ご住所を送っていただければ、
会員登録をして年6回、季刊誌をお送りします。
制作状況にもよりますが、
年一回季刊誌に代わって
MCL制作の絵本を
送るようにしています。


直接下記に振り込んでいただけると早く確実です
自由寄付、医療支援、スカラシップ、里親支援、
植林支援、緊急支援


郵便振替口座番号
00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

振り込んだ後に、メールをいただければ幸いです。

mclmindanao@gmail.com
銀行振り込みは以下へ

銀行名 ゆうちょ銀行
金融機関コード 9900
店番 019
預金種目 当座
店名 〇一九店(ゼロイチキユウ店)
口座番号 0018057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

ゆうちょ銀行(郵便局)や
それ以外の金融機関
からの振込もOK


振り込んだ後に、メールをいただければ幸いです。
mclmindanao@gmail.com
(以前のアドレスも有効です)
 

インターネットバンキングも可能です
 連絡、スカラシップや訪問希望
支援に関する質問は、こちらへ。

現地日本人スタッフ宮木 梓:

mclmindanao@gmail.com
(以前のアドレスも有効です)


日本窓口前田容子
mcl.madoguchi@gmail.com
FAX:0743 74 6465
電話:090 5091 7514

 松居友メール
mcltomo@gmail.com

松居友電話(日本および現地転送):
080 4423 2998


現地住所:Mindanao Children's Library :
Brgy. Manongol Kidapawan City
North Cotabato 9400 Philippines


著書の印税は、ミンダナオ子ども図書館に寄付しています
写真をクリックしていただければ、購入サイトに移行できます
 
新刊ご案内(今人舎)
 
 
この絵本の避難所になっているカルボガン小学校は、ミンダナオ子ども図書館が、日本政府のODA
草の根文化無償資金協力で建てたイスラム自治州ARMYの小学校
です。
ミンダナオのイスラムの子供たちの本当の姿を伝えてくて、書いたものです。
偏見が世界に蔓延しているのが、子供たちにも可愛そうで・・・。
 



ミンダナオ子ども図書館とは何か
過去の活動を支援別に振り返る


 ミンダナオ子ども図書館が
17年にわたった活動を過去のサイトから、
「医療」「スカラシップ」「戦争避難民救済」等、
支援別に切り取って掲載することによって
ミンダナオ子ども図書館とは何かを
振り返って見たいと思います。
     
 
 ミンダナオ子ども図書館を始めてから17年になりました。
 次々と起こる戦争で、避難民救済に追われたり、
極貧の山岳民族の病気の子どもたちを救済したり、
日本をかえりみる暇もなくあっという間に時が経ちました。
 しかし、テレビ東京の「なぜここに日本人:マノボ族の首長になった日本人」
で紹介されたり、パックにが来られたり、
NHKで紹介されたりするにしたがって、数年前から、
「どうしても行ってみたい!」といって、飛びだしてくる
青少年や中高年の方々が増えてきました。
 最初は、戸惑いもあったのですが、来て泣き出し、
元気をもらって帰っていかれる様子を見るにつけて
門戸を開くことに決めました。

 それと同時に、国際的な活動に興味のある青少年や、
現地の子どもたちを助けたい方々にも、
わかりやすくミンダナオ子ども図書館を理解していただくために、
今まで行ってきた活動を
年次別にまとめたのですが、
ミンダナオ子ども図書館だより:年次別 
 2006 2007  2008  2009  2010  2011  2012  2013  2014  2015  2016 
Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go!
さらに以下から分野別にまとめて見やすくして、逐次掲載していきます。
A:医療支援活動 B:訪問者の記録 C:戦争救済支援 D:スカラシップ 
E:子供たちの文化祭 F:保育所学校建設支援 等々


B:過去の訪問者と交流
製作中
フィリピン最高峰 
アポ山に登ろう!

2008年のサイトから
2008   Go!


みんなに会えるのを楽しみにしています。

松居友さん

わたしたち、すべての人の救い主の誕生…こころから喜びましょう!
そちらに行く日が近づいてきました。
昨晩から通風の兆候があり、目覚めても足が痛く…
今朝のミサをパスするほどでした。
通風の痛みが始まると収まるまで二日はかかり ます。
困った!と思って応急処置(ただ水をいっぱい飲むだけ…) をして…
不思議と痛みが増さず…収まりました。
このところの不摂生のたまものです。
運動不足、睡眠不足、栄養過多?…など。
気に はしていたのですが…ドキッとしました。
明後日は出発できそうで す。
よかったです。
22日にキャンドルサービスと終業式をしました。
その時に子ども たちと家族の皆さんの
「やさしい気持ち」がいっぱい詰まった
「お もいやり貯金箱」を奉納しました。
「だれがいちばん喜ぶと思 う?」と子どもたちに尋ねたところ、
即座に一人の子が「フィリッ ピンの子どもたち!」と答えてくれました。
わたしは「神さま!」 という答えを期待していたのですが…。
子どもたちはやはりスゴイです。
11月に松居さんと倉橋神父さまが幼稚園でお話ししてくださった
あの時は実にタイムリーで、
子どもたちはずっとフィリッピンやボ リビアの子どもたちを意識して
待降節を過ごしたようです。
本当に うれしいことです。
おかげさまで、みんなのやさしい気持ちが
いちだんと大きくなったようです。
「おもいやり貯金箱」は子どもの手作りで…
年少は「お家」、年中 は「天使」、
年長は「クリスマスツリー」の形に作りました。
お金 だけをいただいて貯金箱はみんなに返すのですが、
ミンダナオに行 く時、それぞれ1個ずつお持ちしたいと思います。
「サンタさん が来る前に、だれが来るの?」という問い掛けにも
「イエスさま!」と迷わず答えてくれる子どもたちです。感動します。
小さい時から思いやりの気持ちを膨らませることができて、幸せです。
ありがとうございました。

みんなに会えるのを楽しみにしています。     やまもと。

山元しんぷは、子どもたちの才能や資質を問わず
すべての子どもたちを心から等しく愛してくれるので
子どもたちは、「父さん」「父さん」と呼んで飛んでくる。
イスラムの子たちも、「父さん」と親しみを込めて呼ぶから面白い。

こちらでは、神父の事をFather と呼ぶ習慣があるが
言葉の中に、それ以上の気持ちを彼らが込めているのが良くわかる



  貧しさと争いの中で、
隠れた宝モノを探してほしい

                                            大渕みほ子 
 


2008 年も残りあとわずか。月日が経つのは本当に早い。
今年の私の大きなチャレンジは、ワークキャンプの実施だった。
8月に紛争が起こり、キャンプを行うのか、出発2 日前まで悩みに悩み、
現地の情勢を判断して行った。
キャンプが終わって約2 か月が過ぎ、キャンパー達も日常に戻っている。
ワークキャンプは何を残せたのだろう?
けがもあった、入院もあった、精神的に情緒不安定になった人もいた。
お金をかけて、時間もかけて、いろんな人を巻き込んで、
悩んで、苦しんで、笑って、泣いて・・・。
何が残ったのだろうか。
キャンパーの一人が、キャンプの途中、泣いた。
なぜ泣いたのか。
彼女はマニラ空港でお金をだまされたこと、
フィリピンの人々の貪欲さにまいってしまったようだった。
帰国後のメールは、「正直フィリピンは支援したいと思わない・・・
支援をするなら他の国がいい・・・」。

この言葉を聞いてすごく残念だった。
フィリピンに連れていったことで、彼女のフィリピンのイメージを悪くさせてしまったのか。
連れていかなければ良かった・・・。正直そう思った。
お金の問題はフィリピンだけじゃないよ、そういいたかった。
でも彼女の言葉は受け入れた。
先日、その彼女から再びメールがきた。
ある場所で色々な人と話をしているうちに、
フィリピンで許せなかったこと、はがゆかったこと、
苦しかったことがスッと消えた、という。
なぜそうなったのか、私には分からない。
でも彼女が、「フィリピンが楽しかったと、ひと前ではじめて言えたよ」
と書いてきたとき、嬉しかった。
ミンダナオに連れて行ったことは、意味がなかったわけじゃない・・・。
そう思うと、私の気持ちも少し軽くなった。


「日本は豊かだが、心が貧しい」
マザーテレサの言葉だ。
来日したときにそう彼女が言ったと聞いてから、この言葉がずっと私の中に残っていた。
なぜ彼女は言い当てたのか。
すごい人だと思った。
25 年以上も前のマザーテレサの言葉は、的を得ている。

そして彼女の言葉は現在、いっそう現実味を帯びてきた。

フィリピンに行ってつくづく思うのは、この国は貧しいけれど心は豊かだ、ということ。
日本が得たものをフィリピンは持っていないが、
日本が失ったものは、まだフィリピンにある。
お互いを補完するような交流ができないだろうか、
そう思って始めたワークキャンプだった。
でも現実はなかなか厳しい。
フィリピンの貧困は、人々の心を蝕みはじめているのも事実だから。
彼女を泣かせたのは、貧困の現実だった。
マザーテレサが貧しさの中に心の豊かさを見たのは、
インドの人々から見捨てられ、路上に放置され、死を待つばかりの人の中だった。
私は同じことがミンダナオにも起きていると思っている。
ミンダナオの貧困と紛争の中で、必死に生きる人々の中には、
本当に心が豊かな人が存在する。
ミンダナオはとても複雑なところだから、
初めはなかなか見えにくいかもしれない。
もしかしたら二度と行きたくないと思うかもしれない。
でも、貧しさと争いの中で、隠れた宝モノを探してほしい。探しにきてほしい。
そう思っている。
最後に、とっておきの笑顔でお別れ!


難民キャンプでは、
子どもたちの病気が
問題だった
     アルバちゃんのこと  山元 眞    

今年の夏ピキットの難民キャンプを訪れたとき、
そのたいへんな「現実」を教えてくれたのがアルバちゃんだった。
実際に難民キャンプの中に身を置いても
不思議と実感がわいてこない。
日ごろからテレビや新聞などの報道で客観的に見ることに
慣れてしまっているせいだろう。
まるでテレビを見ているような錯覚に
陥っていたことを思い出す。
その場にいても…。
ただアルバちゃんの、
触ったら折れるようなその手に触れたとき、
「現実」に触れた気がした。
ひどい栄養失調の状態を越えて、ほとんど飢餓状態…。
このような人に触れたのは、生まれて初めてだった。
「現実」が迫ってきた。
かわいそう、などと感じる余地はない。
アルバちゃんの背景にある世界を不気味に感じる。
現代社会のさまざまなひずみやしわ寄せが
アルバちゃんを、まるで骨だけの体にしている…。
このような「現実」にわたしたちは何ができるのだろうか。
難民キャンプからキダパワンに戻り、30年ぶりに献血をした。
血を与えるということは、どういうことなのだろうか。
アルバちゃんがまた何か大切なことを教えてくれる。
クリスマスが終わってから、アルバちゃんに会いに行こう。
今度は少し手を握り返してくれるかもしれない。



日本滞在中の所感
ミンダナオに来て8年目に入った。
早いものだとつくづく思う。ミンダナオ子ども図書館が、
現地法人の資格をとってから6年目にはいった。
対日本関係は、私が一手に引き受けたが
現地法人資格をはじめとして
読み語りや医療、スカラシップや難民救済といった現地活動を
ここまで築きあげたのは、他でもない
10代前半から後半のスカラーシップ奨学生たちだ

彼らの数名は、今スタッフとして活躍しているが
現地の若者たちの力がなければ
ここまで出来なかっただろう

決して平坦だったわけではない。
一歩一歩、去勢修正しながら、マネージメントを教えていくのも容易ではなかった。
賄賂が平然と横行する社会。
ちょっとした出来心が貧しさ故であること、
また、子どもの頃からの山育ちであるがゆえの無知から来ると言うことを考えると、
忍耐を持って接していけば、やがて次第にわかっても来るが、それなりの厳しさも必要だった。

それにしても、驚くべきは、
彼らの生きる事へのしたたかとも言えるバイタリティーだ。
例え難民キャンプにいたとしても、
目の輝きを失わない、子どもたちの姿にはほれぼれする。
あの輝きは、人の持つ、
純粋な生きる力を映し出していると思う。
日本人にとって、生きる力とは何だろう。
ミンダナオの若者たちと、
日本の若者たちの「生きる力」の解釈が異なるのは、
日本では、生きる力は、
「個人の力」として解釈されていることだろう。
忍耐力、学力、決断力、実行力、
これが国家単位になると
政治力、経済力、軍事力となっていく。
良い成績を取ること、良い学校に行き、良い会社に入ること。
良い地位につき、高い給料を得ること。
命令されるよりも、命令を下す立場に立つこと。
それが、生きる力であるかのように
・・・思ってはいないだろうか。
それなのに、そのように登り詰めた人々が、
何と多く、中高年で自殺することか。
ちょっとしたきっかけで・・・。
家財を失い、難民状態になったら、
日本人は次々に、首つり自殺をするだろうか。
右の難民たちも、すべてを失ってこの場所に、
すでに3ヶ月もいるのだが・・・・
ミンダナオの若者たちにとって、生きる力は、
どうも個人の力とは反対がわに有るように見える。
ミンダナオ子ども図書館に来て、
ここで共に生活を始める若者たち。
彼らのとって、「生きる力」は、互いの壁を極力取り去って
協力しあい、助け合い、家族のように愛し合い
たとえ贅沢な暮らしが出来なくても、極力みんなで分かち合い
問題を一つ一つ解決しながら
一歩一歩(例えそれが小さな小さな一歩でも)
喜びながら未来へ進んでいくことなのだ。
今回日本に行って、
若者や子どもたちの目を見て思ったことだが
ミンダナオの子どもたちと、幼い子たちの目や表情は、
基本的に変わりがない。
写真は、ミンダナオの話を真剣に聞いている、
年・中長組の幼稚園の子どもたち。(行橋カトリック幼稚園にて)
どうも、幼稚園までは良いのだが
(幼稚園の方針にもよるかな?)学校教育が始まり、
塾通いが日常になると、こうした「生きる力」が、
蝕まれて行くような気がしてならない。
子どもたちが、生きる力を持つにはどうしたらよいのだろうか。
自分だけの力だけで生きることは、
しょせん不可能なことを知ること。
互いに心を開いて同じ目線に立って愛し合うこと。
そのために必要な教育とは何か・・・
《同じ瞳》 山元 眞

 11月25日(火)、松居さんに幼稚園で
お話しをしていただいた。
クリスマスの準備でプログラムが詰まっていたので、
今回は学年ごとに 保育の合間を縫って
ミンダナオの状況を子どもたちに話していただいた。
わたしは横で子どもたちの様子を見ていたが
深い感動を覚えた。
 日ごろから人の話しをよく聞く子どもたちではあるが、
今回は特別に 集中していたようだ。
満3歳児、年少(3~4歳)、年中(4歳~5歳)、
年長児(5歳~6歳)の子どもたちに
それぞれ話していただいたが、
どの学年も松居さんの話しに集中していた。
話しを聞く子どもたち の瞳や表情を見て感動を覚えながら、
温かい平和に包まれる思いがした。
子どもたちの瞳、表情が…
ミンダナオで読み聞かせを聞く子どもたちのそれと…
まったく同じだった!
これが平和の原点だと思う。
 人の話しを聞くことさえできない日本の子どもたちの現実。
「人の話しは聞くもの」という常識が消え、
「聞くのも聞かないのも個人の自由」という
間違った自由主義に毒されている。
世界の現実を認識するためには「聞くことを聴き」、
「見ることを観る」能力が求められる。
この認識能力が育たない。
 日本の幼児教育(保育)の現場も
「子育て支援」という名目で親を助けることばかりを考え、
それが子どもの育ちにつながっていない。
子どもたちにとっては悲惨な状況だ。
何年間も間違った方向を歩み続けてきた。
今、その結果が現れている。それなのに、
まだ、このまま行くのだろうか。
間違っていることに気づきながらも「この道」を行くなら、
その結果は想像を絶するほど、
そして取り返しのつかないほど悲惨なものになるに違いない。
 今、軌道修正をしなければいけない。

今回、大きな体験は、大渕みほ子さんにつれられていった、
フリースクールの若者たちとの出会いだった。
ミンダナオの事を話したときの、彼らの目の輝きは、
まさにミンダナオの若者たちと共通した光があった。
どうやら、日本の若者たちの80パーセントが学校を拒否して行かなくなり
独自の人生を歩み始めたならば、日本も再生するのではないか・・・
日本では、全体的に何かが狂ってしまっていて、大人も教育者も政治家も、
子どもの文化にかかわる多くの知識人や作家も生きる力の「原点」が
いったい何かを、思い出せなくなっているようだ。
根元的に生きる喜びを見失った人々、生きる力を失った人々が作る、
金銭目的の見せかけの文化、そして政治と経済。
それに踊らせれているだけの国民たち。
日本では、もはや原点を見いだせないなら、
ときに同じアジアのミンダナオにしばし時と場所を移して眠ってしまった心の原点を、
ミンダナオの若者たちの力によって、目覚めさせるのが良い。
そうした意味でも、何らかの形で門戸を開き、
日本の若者や子どもたちを受け入れる体勢を考えなければならない時が来たと感じた。
難問も多いのだが、決断したからには、やるしかないだろう。
日本の子どもたちや若者たちの事を、ほおって置くわけにも行かないだろうし・・・

子どもが生きる力を持つために必要なことは
せめて小学校卒業までは
思う存分自由に外で遊ぶこと、
家のお手伝いをたくさんすること、
そして昔話をみんなで話して楽しむこと

今回の日本滞在で、ますます
そう確信するようになった




初めてのスタディーツアー
ミンダナオ子ども図書館に訪問者がいないわけではない。
今までは、ほとんどが支援者の方々だったし、
若者同士の交流を積極的に考えたことは無かった。
すでに何度か理由は書いたが、最大の理由は、
ミンダナオ子ども図書館の活動の根幹が積極外向型であり、
私を先頭にスカラーやスタッフが、ムスリム難民を救済したり、
山岳地のマノボ族の医療を実行したり・・・・その根幹は読み語りなのだが。
端的に言うと、訪問者のお世話は、活動を停滞させるからだ。
特に、支援者のように、すでに活動を理解していて、仲間として迎えられ、
自分の支援している学生に会いに来られたりする場合は、
目的もはっきりしているので心配はないが、
ツアーのように、漠然と来られる場合は、変に気を遣う?
ツアーと銘打っているからには、それだけの快適さやサービスを求める人もいる。
しかし、NGOとしては、接待を求められても、
それに答えてるゆとりがあろうはずがない。
多くの支援者たちの思いのこもった寄付で動いている団体なのだから、
少数の訪問者のために時間を割くことはどうか?
そのような迷いを持ち続けつつも去年、
訪問者に門戸を開こうと決心したのは、
ビジターから得る利益でNGOを維持しようと考えたからではない。
日本の若者や中高年の心の危機を見て、また、要望を耳にして、決断した事だった。
その際に、多くの方々から忠告をいただいた。
「松居さん、やめた方がいいんじゃないの?
訪問者なんてみんな我が儘なもので、ミンダナオ子ども図書館にそぐわないよ・・」
「あの純粋な子どもたちが、客接待に慣れた、媚びた子たちになっていったら、
本来の良さが無くなるよ」
結果がどうだったか、私にはわからない
南国のリゾート気分で来た人たちは、きっとショックを受けただろう
日本人にとって快適な滞在施設にするつもりは毛頭無いから、
食事もトイレも寝食も子どもたちとほとんど同じ特別扱いはしない。
他のスカラシップと異なって、リーダー養成などは目的としていないから、
日本をそのまま持ち込んだような教育ママも、ショックを受けるようだ。
とりわけ、日本の価値観に縛られたまま、それを未開文化の地に植え付けよう等と、
無意識にでも思っていると・・・・

要望にも応えて
久しぶりに
ウオーターフォールに行った。
テレビで紹介されたところだ
本当に美しいところだが
現在山岳地で使える
4WDの軽トラックで行く
山道は過酷だ
しかし、
子どもたちは大喜びで
早速、滝壺に飛び込んだ
この子たちを見ていると
私は本当に幸せを感じる
彼らのために生きている事
そして、両親がいなかったり
極貧の中から来た子たちが
心から幸せそうな表情を
見せるとき
この仕事をしていて
良かったと心底思う

しかし、ウオーターフォールの集落では
経済的な貧困がさらに進み、
病気が蔓延していた

今年は、奇妙な高熱と痙攣を
起こす風邪が流行っている
写真のスカラーの子たちも
すでに3週間も病床に
伏したりして、
学校も停止したままだった
久しぶりに会って愕然とした
なんて痩せてしまったことか!
立って歩こうとすると、
ふらついている
多くの親や子どもたちに
病気が蔓延している
同じ病気にかかっても
ミンダナオ子ども図書館に
住んでいる奨学生は、
数日で回復するが、
栄養失調だと命取りだ
とにかく、病院でチェックを
受けることにした
病院では、すぐに入院!
色々な検査をした結果、デング熱ではない事がわかってきた。
信頼できる小児科のウオン先生が首を傾げながら
単なる風邪で、これだけ長期の症状が出るという事は
基本的に栄養失調だからですね。
食べるものを食べていない、基礎体力がない、
快復力がないところに病気が襲うから、
ますますやせ細ってこのままだと、死ぬかも知れない。
唖然とした!!!


訪問者がいるので、自由に行動は出来なかったが、
山のビックビックさんの家に預けて別行動で急遽医療活動を実行した。
幸い、ピキットの難民キャンプでの医療活動を継続しているので、
その薬をウオーターフォールに届けた。
日本では、薬は日常手にはいるし、基礎健康が食事で出来ているので
「薬に頼っても、薬を渡しても・・・」と言う人もいるが
ちょっとした風邪でも死に至る場合もある時に、
予防も含めてやはり薬は頼りになるのだ。
日本では、風邪ぐらい自分で直すのだが・・・
訪問者がいるので、自由に行動は出来なかったが、
山のビックビックさんの家に預けて別行動で急遽医療活動を実行した。
幸い、ピキットの難民キャンプでの医療活動を継続しているので、
その薬をウオーターフォールに届けた。
日本では、薬は日常手にはいるし、基礎健康が食事で出来ているので
「薬に頼っても、薬を渡しても・・・」と言う人もいるが
ちょっとした風邪でも死に至る場合もある時に、
予防も含めてやはり薬は頼りになるのだ。
日本では、風邪ぐらい自分で直すのだが・・・

ウオーターフォールで、滝の滑り台
どんなに困窮した現状あっても
こちらではそれが日常だから、子どもたちは屈託がない。
楽しみ時には、大いに楽しむのが信条?











一方で、一日三食の食事が出来ず、
毎日、芋を食べて食いつなぎ、
病気にかかると体力がないので、
死んでいく人がいる。
同じその地域で優雅に遊び
お腹一杯米を食べ
おいしいおかずのある人がいる、
この矛盾は何か
この様な世界を見るたびに、
悲しい困惑とめまいを感じるのは、私だけでは無い?
ミンダナオは危険地域に指定されているから
公のツアーでは、訪問できる場所は限られている
ピキット市の福祉局、DSWDの調査と
グレイスさんの確認で希望者のみ
ピキットに読みきかせに行った。
先日から、炊き出しも行っているマノボの村。
大勢のスカラーたちも同行した。
困窮する子どもたち、それにも関わらず、明るく、
心を開いて向き合ってくれる。
彼らの前で、「大きな栗の木の下で」を演じて
子どもたちも大喜び?
ここで、何を彼らは感じたのだろうか?


まずは現場を見ること
実情を自分の目で確かめ確認すること
その後、どのような行動を起こすか
全く起こさないか、二度と来ないと決心するか
それは本人次第だ。
だた、日本も含む
国際情勢が関わっていなければ
この様な、ひどい戦闘は起こらない

炊き出しに並ぶ子どもたち

炊き出しは成功している
米の支給だけだと
大きな大人や青年が
ほとんど食べ尽くして
小さな子どもたちに
食事が十分回らない事も多い
17歳以下に厳しく限定した
炊き出しは
確実に子どもたちに
栄養を補給し、
基礎体力の維持を
可能にしている
週3回3週間で計9回の
第一回炊き出し計画が
終了した


ビサヤ・
イロンゴデーが
盛況で終わった
昨年、ムスリムの踊りが、日本公演で大盛況だった結果を受けて、
若者たちは、今年の文化祭のテーマを、ダンスに絞った。
踊りは、フィリピンの若者たちにとっては、最も適した自己表現の手段?
そのできのすばらしさは、驚嘆に値する。
ムスリムダンス、マノボダンス、ビサヤダンス
すべてが本当にすばらしく、どこに公演しても感動を起こすだろう!
この様なダンスがあるとは、
知らなかった、
長いすのダンスでは
女の子が、地面から
男性に手を引かれて
飛び上がる!
そのたびに、叫声と大拍手
交通費と宿泊を保証していただければ、国際交流のために日本公演にうかがいます。
訪問者はルモットの保育所を建設に
ビックビックさんのところに宿泊。
電気のない家で現地の生活を体験
建設途中の保育所

自分も何らかの形で貢献できる、という体験は貴重だった。
最初はとまどいながらも、最後には、ともに汗を流し、すがすがしい気持ちに・・・・
もう少し長く居たかった!

今回は、予定を変更して
後半は、ダバオオリエンタルのハウスオブジョイへ
ここは、海もきれいで、本当にリラックス出来る場所。ビジターには、おすすめ。
前半がハードだっただけに、ホッとされたようだった。
やはり、ミンダナオ子ども図書館は、ツアーには向かない?


カナダの青年が、
NGOとして見たミンダナオ子ども図書館
カナダの青年、ジェイソン君が、
前後してミンダナオ子ども図書館を訪れた。
父親が中国人で母親が日本人。
NGOや労働者の権利、国連の活動に興味をもち、
今まで、タイ、カンボジアなど、アジアを中心に
生活費を稼ぎながらNGOをめぐっている。
話を聞くと、ラテンアメリカのNGOも回ったとか・・・
日本の支援者で英語学校を営む首藤さんから、
是非尋ねなさいと言われてきた。
ピキット情勢が非常に悪いときで、難民救済活動を手伝ったが、
途中からハウスオブジョイを勧めた。
彼の所見が、首藤さんからメールで届いた。
また、バンクーバーの支援者からも届き、ブログを紹介。

このたび、友人のジェイソンを、
快く受け入れて下さりありがとうございました。
彼は、次の旅の前に、日本に立ち寄ってくれ、
私の家に4日ほど滞在しました。
その間、こちらでの友人に会ったり、
温泉に行ったりと、ゆっくり過ごしてもらいました。
ミンダナオの話も、たくさんの写真や、
ムービー画面で説明してくれ、
ほんとうによくMCLの様子がわかりました。
彼は、一人一人の子ども達のことを覚えていて、
それぞれのすばらしさを教えてくれました。
私は、彼が、こんなに子どものことを愛していたことを
初めて知りました。
日本では、そのようなことがありませんでしたので。
彼にとっても、大きな精神的な成長の1ヶ月だったと思います。
またMCLは、これまでみてきたどこのNGOにもない
すばらしものがあったと話していましたし、
私にも紹介してくれたことを感謝してくれました。
ありがとうございます。
MCLの子ども達が、ハンディキャップや、
貧困に負けないで、楽しく、協力して過ごしているようすが
写真にうつされていましたが、
またミンダナオの風にあるように、戦闘による難民の状況も、
かずあり、胸が痛みました。
まだまだ支援が足りないですね。
これから彼と協力して、少しでも、
支援者が増えればと思っています。
千竃さんが、先日スカラーが大学を卒業する前に一度、
ミンダナオへ行こうかと言っていたので、
私も、ご一緒できればと思っています。
来年になるとおもいますが・・・・・
それが実現するように、頑張ります。
Save money・・・皆様によろしくお伝えください。

首藤順子
松居様。こんにちは。

小さい子どもをもった育児真っ最中のママたちの集まりなので
細々とながらやっていますが、
少しずつ周囲からの協力をもらっています。
軌道にのって、もう少し協力が増えるようになれば、
少しでも多くの支援ができたら、、、といつも考えています。
私たちのできるところでがんばりますのでよろしくお願いします。
ちなみに、クローバーの会のブログが
ようやく立ち上がりましたので
お時間が許すときがあればぜひのぞいてください。
http://cloverforever.jugem.jp/?cid=2
エリザベスちゃんの紹介やミンダナオ図書館の紹介を
させていただきました。
来週の金曜日に簡単なイベントを行う予定です。
11月12日のエリザベスちゃんのお誕生日にむけて
子どもたちとカードを書きたいと思っています。
それではニュースレターの方、楽しみにしております。
よろしくお願いします。
カナダ・バンクーバーより
石本さゆり




ミンダナオに戦闘が
広がる中
ミンダナオ
子ども図書館に
スカラーたちが集まり
平和の祈りを行った
平和の祈りは、平和巡礼と称して、本来はピキットの市庁舎の裏にある、
丘の上の要塞で行われる予定だった。
この要塞は、第二次世界大戦の時に、日本軍が建てたものだ。
しかし、ピキットの政情不安をかんがみて、
急遽場所をミンダナオ子ども図書館にした。
祈りはまず、平和を表現する踊りから始まった。
これも皆、スカラーたちが自ら相談して決めたことだ。
その後、各部族の代表たちによる、自分たちの言語の祈りや歌が続いた。
とりわけ歌は、他の宗教や宗派、他の言語の歌でも、みんなで歌った。
特定の宗教に属していても、友人や隣人の持っている異なった宗教に敬意をはらい、
友人によりそって、背後から支援する気持ちで、共に歌うことは可能なのだ。

アッラーの歌、マノボの神マナマの歌、イエスの歌を全員が歌う。
神は一つで、呼び名と風習が違うだけたと、感じる。
祈りながら涙を流し、その涙が、大勢のスカラーたちに広がっていく。
民族は異なっても、宗教が異なっていても、平和に対する願いと愛は同じ。

日本からも、日本キリスト教団小田原教会所属の
I氏が祈りを捧げ、マノボの代表としてガボン牧師、
カトリックを代表して山元眞神父が話された
事態が緊迫しているだけに、
祈りに込める思いも深かった
イスラム代表のホサイン師は、
妹の突然の死に帰られたのが残念!
代わりに、スカラーのプレシデント、
イスラム教徒のバイヤン君が感動的な祈りを述べた
これらの祈りは、ミンダナオ戦で亡くなった
多くの現地人、米軍、そして
日本軍の兵士から始まって、
現代に至る戦闘で亡くなった人々の霊を慰めるために、
ミンダナオ子ども図書館が音頭をとってはじめるものだ。
来年こそは、ピキットの要塞跡で開催し、
毎年、ミンダナオ子ども図書館のスカラーを核にして
開催していきたいと思っている。
次回は、仏教界の方々も参加されるだろう。

関連記事は、行橋カトリック教会のサイトで、
今回の訪問の報告が載っています
私(松居友)にも、話す機会が与えられたので、
こんな内容の話をした。

「言葉で平和を語ることも大事だけれど、
行動で示すことも大事。
たとえば、シラミを採ること。(全員?????)
ミンダナオ子ども図書館では、
イスラム教徒もクリスチャンもマノボ族も
仲良く暮らしている。
僕が見ていて、一番平和だなと感じるのは、
イスラム教徒やクリスチャンやマノボ族が
いっしょになって互いの頭のシラミを
とりっこしているところ。(大笑い)
世界中の人々が、宗教や宗派を超えて、
シラミのとりっこをしたら、世界は平和になるだろう、
ミンダナオ子ども図書館のように!」


右の写真は、ミンダナオ子ども図書館の日常風景から
「シラミ採り」
・・・・・・・・・・・・・・・・



スカラシップ学生総会は
平和の祈りの日

3月27日(日)
日本から、京都暁星学園高校
の仁科夫妻と幼稚園の
ユウカちゃんが来られた

今年の役員およびスタッフの構成が紹介された。

モスクの開所式

MCLの本部があるマノゴル村には、
カトリックもプロテスタントもキリスト教徒の教会は
そろっているが
イスラム教徒のためのモスクがなく
それが、MCLにムスリムの若者たちが
住みたくても住めない理由だった。
そこで、高島均明治学院大学教授が、
埼玉のカトリックの信徒、フィリピン人、ブラジル人、
ボリビア人、日本人の有志たちと
日本イスラミックセンターのイスラム教徒と協力して
MCLにモスクを寄贈してくださった。


立派なモスクを設計して下さったエンジニアのマンソーリ氏は、
ミンダナオ子ども図書館のボードメンバー。
BDAバンサモロデベロップメントエイジェンシーの設計技師でもあり
JICAの草の根無償等でも、計技師を務めている。

以前に建てた、マカブアルの小学校や、今回、
建設が決まったブアランの小学校建設も
彼の設計で建設している。




建設の経緯を記した、
高島教授からのメッセージが、
モスク内に掲載され
披露された。

親愛なるMCL の友人たち、
特にイスラム教徒の友人たちへ
あなたたちの愛する友達、高島均と嘉久惠より

モスクの建設に関して、
私が書いた機関誌には、
「それ(モスク)を
寄付してくださったのは、
なんと埼玉のカトリック教会のかたがたが、
日本イスラミックセンターに声をかけ、
協力して寄付をしてくださったのだ!」
と記載されていますが、
MCL のモスクは、
高島均明治学院大学教授と
そのご友人の方々
(Kami-Fukioka Catholic
International Community・
明治学院大学高島ゼミの卒業生・
明治学院大学の教職員・
Akbar Raja さんと彼の属する
Islamic Circle of Japan :
パキスタン出身のイスラム教徒が主催)
が協力して
寄付をして、贈って下さったものです。

最初に高島様に呼ばれて
モスク建設のミィーティングをしたのが、
埼玉のカトリック教会だったので
私が、勘違いして、
そこの教会の有志の方々が中心となって
日本イスラミックセンターに掛け合って
寄付を集められたのかと思ったのです。
ここで、お詫び申し上げます。

機関誌の最新号でも
この件を載せましたが、
サイトにもそのコピーを
掲載させていただきました。



親愛なるMCL の友人たち
特にイスラム教徒の友人たちへ

あなたたちの愛する友達:
高島均と嘉久惠より
宮木梓 訳


今、あなたたちのモスクが
完成しました!おめでとう!

 私たちは、あなたたちから
遠いところにいますが、
皆さんと確かに喜びを
分かち合っています。
様々な方法を通して、
たくさんの子どもたち、
若者たちが工事を手伝った
ことでしょう。
ある人は労働力を提供し、
ある人は工事には
参加できなかったかもしれませんが、
工事に参加した人々を助けること
を通して、建設を手伝いました…
 モスク建設のための資金は、
様々な人々、日本人、フィリピン人、
そしてパキスタン人、カトリック、
プロテスタント、仏教徒、
そしてイスラム教徒によって、
寄付されました。
歳を取っている人もいれば、
若い人もいました。
 実に、このモスクは様々な人々からの
善意と友情で建てられました。
このモスクは、祈りの家であるのとともに、
団結の家でもあります。
 あなたたちは、なぜ私たちが
保育所の建設支援ではなく、
モスクの建設を通して
あなたたちを支援したいと
思ったのか知りたいかもしれません。
それは、私たちが心の平和を最も大切な
問題だと考えるからです。
信仰の深まりを養われなかった人々が、
最後の呼吸のときに
どのように感じると思いますか。
彼らは、寒さから身を守る服があっても、
生きるための食べ物や
飲み物があっても、
夜露をしのぐ家があっても、
きっと不幸で不安なことでしょう。
私たちはイスラム教ではなく
カトリックを信仰しており、
カトリックの信仰が正しいと考えています。
 しかし、これは私たちが違う信仰を
否定するということではありません。
すべての宗教や信仰は等しく
尊重に値します。
そして、それは、すべての人々が、
彼らの祖先から継承した信仰を
育てる世界の創造主である、
私たちの神さまの望みであると考えます。
 私たちは、あなたたちのモスクが
様々な信仰や背景の友情と
団結の印になることを望みます。
また、あなたたちイスラム教徒の
子どもたちや若者たちが、
あなたたち自身の信仰を深め、
無病息災に成長し、神さまからの祝福を
授けられるように望みます。
祈りの中で熱心に勉強して下さい。
そして、あなたたちは、
家族やあなたの共同体を助け、
ミンダナオの平和と正義に
貢献することができます。
そして、あなたたちは
世界を違うように変えるでしょう。
いつの日か、私たちが会って顔を見る
ことができるでしょう。
愛と抱擁をともに



授業のない日曜日には、
ムスリムも、クリスチャンも
少数民族の子どもたちも、
みんなでモスクの周りの
草引きをして、
花を植えることもあります。
マノボ族の祈りの家も同じように、
どの民族の子どもたちも
掃除に参加します。
MCL の子どもたちやスタッフ、
家族にとって、
モスクは宝物です。


モスクの名前は「連帯のモスク」


今まで、MCLのあるマノゴル村には
クリスチャンの教会は多々あっても
イスラム教徒のモスクだけは無かった。

そのため、イスラム教徒の奨学生は、
祈る場所が無く、それが、MCLに住みたくても
住めない理由だった。

今、モスクが出来て大喜び。
クリスチャンの子たちからも
良かったね、と声をかけられた。

平和の祈り

平和の祈りは、子どもたちの
歌と踊りで始まる

ミンダナオの平和、世界の平和と共に
日本の地震被害についての報告があり
みんなで鎮魂と平和の歌をうたった


今回は、日本の地震と津波、原発の被害者の報告があり、その人たちのためにも祈った。
日本にいる、支援者の事を想い、泣き出す子たちも・・・


日本政府JICAの支援で
建設が決まった
ブアランの小学校の
先生方も参加された
京都暁星高校の仁科先生
ご夫妻が,
日本の地震の様子と
日本の子どもたちの
抱えている
問題について語り
その後で、みんなで
日本の支援者の方々や
被害に遭われている人々
そして、日本の若者や
子どもたちのために歌い
そして、祈った
若者たちは、涙をためて
家族のような支援者の方々
兄弟姉妹のように感じられる
子どもたちや若者たちの
ために
歌い祈っていた

京都暁星高校ホームページ
 http://www.kghs.ed.jp/
私たちも、歌った。仁科先生や子どもたちの目に、涙が浮かぶ。

MCLでは、みんな家族

宗教の違い、宗派の違い、民族の違い、
国会の違い、豊かな国と貧しい国、金持ちと貧乏人
そのような違いを超えて、
互いに心を通わせ、愛し合え、
心も、富も、知恵も、
分かち合える時代にならないだろうか。
少なくとも、MCLには、
そのような家族の雰囲気がある。
ここには、世界の平和につながる
芽が感じられる。

MCLファームのあるマロゴンの農場から

また会いましょう




京都暁星高校が寄贈
マノボ族の村、アマベルの
保育所開所式

3月26日


京都暁星高校ホームページ
 http://www.kghs.ed.jp/

村の子どもたちを集めて読み語り

テープカットと開所セレモニー

京都暁星高校ホームページ http://www.kghs.ed.jp/




日本政府の海外支援ODAによる
ブアランの小学校建設が決定した

ブアラン村民との打ち合わせに
クリスチャン集落からも役員が参加
平和への一歩が記された

3月22日

マニラの日本大使館主催で署名式典が行われた
3月25日



スタディーユニオン寄贈の
保育所開所式

3月17日


関 浩成さんと
立命館大学・
同志社大学の若者が参加



MCLに滞在した、
長谷山文香さん、
佐藤知美さん
からのお便り


長谷山 文香さんからの便り


友さん

こんばんわ。パソコンの調子が悪く、
連絡が遅れてしまい申し訳ありません。
2日前4人で集まって写真を見せていただきました。
膨大な量の写真の中から、
友さんやスタッフの方がカメラを向ける視点が
わたしたちのそれとは違ったり、
「あ、これ知らない!見ておきたかったー!」
と感想を漏らしたり
日本に帰ってきてからも新たな発見がありました。
写真鑑賞会とともに、
わたしたちの9泊10日を振り返りましたので、
うまく言葉にできていない部分がたくさんありますが、
以下に記します。

レクチャーを聞いた直後に友さんをおいかけ、
ミンダナオの場所さえわからないままに
訪問希望を申し出ました。
専門的な知識も見解ももたないわたしですが、
ゼロからのMCL滞在の珍しい1例として。
ほとんど衝動的に、訪問希望を申し出たわたしたちですが、
正直不安でいっぱいでした
渡航情報やネットなどを見ても、
「渡航延期推奨」や「危険」の文字が。
また、経済的に子どもたちを支援できるわけでもなく、
子どもたちに何かを教える技術ももたずに訪問して、
果たして子どもたちは受け入れてくれるのか。

でも、そんな不安はMCL到着後すぐ、
子どもたちの歓迎で吹き飛びました。
わたしたちが無意識的に作ってきた壁を、
壊すのではなく、飛び越えてきてくれる感じ
「こっちもたのしいよ」と教えてくれるようでした。
一緒に絵本を読んだり、日本でいうと
「かごめかごめ」のような遊びをしたり、抱きついたり。
「アテアヤカー」と笑顔で話しかけてくれ、
可愛くって愛しくって、溶けてしまいそうでした。
思い出すと日記帳には書ききれないくらい、
たくさんの経験をさせていただきました。

キアタウという、標高の高い、
電気の通っていない小さな村で一泊したこと。
そこでホタルの木や白いペンキを
ぶちまけたような星を見たこと。
「日本人は星を見たことがないのか?」と驚かれたこと。
建設途中の保育所を見に、山登りをしたこと。
スタッフや子どもたちがナイトのように
わたしたちを気遣ってくれながらの頂上到着でした。
滞在半ばで具合が悪くなり部屋で寝ていると、
ふと目を開けた時に枕元で子どもたちが
心配してくれていたことに気づけたこと。
支援者である日本の財団、企業の方と日程が偶然重なり、
ピキットでの2つの保育所の開所式に
居合わすことができたこと。

最後の日は、学生が集まる総会が始める前から、
頭が真っ白になり涙が止まりませんでした。
泣かないって思ってたのに。
「わたしを忘れないように」と子どもたちがつけてくれた
指輪やブレスレットは、
日本では浮くくらい日に焼けた肌にキラキラしています。

ただ、楽しい滞在の中で、
行ってみて初めてわかる問題もたくさんありました。
移動中の車で、何度も
バナナのプランテーション農場の横を通りました。
バナナ以外の植物が一切生きていない裸の土壌。
農薬の恐ろしさ。
何年かすると土壌自体が使えなくなるとのこと。
そして、企業はそれを見越してか、
期間を設けて土地を借用するそうです。
今まで10円でも安いバナナを買い、
ときには腐らせてしまうこともあったわたしは
ただただ恥ずかしく思いました。

また、子どもたちの着ている服は、ほとんどが古着ですが、
「ミンダナオは暑い」という先入観からか
(もちろんわたしもそう思ってました)、
Tシャツがほとんどのように感じられました。
標高の影響もあるのか、MCLの夜は少し冷え込みます。
シーツにくるまって寝、朝3時や4時に起きて
炊事や掃除を行う子どもたちが何度か
「寒い寒い」と言っているのを聞きました。

日本の保育の場では、保育園主催のバザーなどで
「集まりすぎるから古着は持ち込み不可」
など決められる場合もあるそうです。
それを子どもたちに回してあげられないか。
みんなに長袖を買ってあげることは
わたしたちには出来ないけれど、
アナウンスをして集めることなら可能ではないか。
就寝時間がきて、部屋に戻ると、
わたしたちの会議が始まります。
「いま、わたしたちに出来ることはなにか?」
保育学、教育学、社会学、
そして心理学といった異なる分野で
「子ども」を学ぶ4人で訪問できたからこそ、
とらえることが出来た部分も大きかったと思います。

えるだけではなく、行動にする。
これからのわたしたちの課題です。
また今回、3人中2人が「はじめまして」
からのMCL滞在だったため、
このような話を真剣に交わせる
大事な友だちが日本に増えたことも
MCL
で得た宝物となりました。

子どもたちと離れるのが、苦しくって、寂しくって、
本当は1番言いたかった「ありがとう」が
あまり伝えられなかったことが心残りでした。
今では次回訪れるときの宿題、
と都合のいい解釈をしていますが。
最後に、今までNGOの活動やボランティア、
国際情勢に足を踏み入れたこともなかったわたしが、
今回MCLを訪問したいという衝動にかられたのは、
友さんが見せてくださった子どもたちのスライドと、
こんな言葉がきっかけでした。
「子どもたちを助けようと思う前に、
まず子どもたちと友だちになってください。
友だちになれば、
相手が必要としているものはわかってきます。」
「(日本の心の貧しさに触れて)ぼくはMCLの子どもたちに、
『君たちが日本人をたすけてやってくれ』
って言ってるんですよ。」

本当にその通りになってしまいました。
日本に帰り、MCLを訪れた話をすると、
「ボランティアで?」と聞かれることが何度かありました。
そのたびに、
「こっちがボランティアされて
のこのこ帰ってきちゃいました。」
と苦笑している毎日です。

子どもたち、友さん、スタッフの方々、
本当に本当にありがとうございました。


長谷山文香



MCLでの記憶  お茶の水女子大学 佐藤 知美


MCLでの10日間は
本当に毎日が楽しくてキラキラとしたものだった。

全力で子ども達との触れ合いを楽しみ、
見たり聞いたりした現実を深く考えた。


子ども達はどこまでも明るく
懐っこく又可愛かった。
こんなに日本で自分を解放できた事があるだろうか。
子ども達と共に心行くままに
歌い踊り遊び大声で笑った。

MCLで過ごす間は、なるべく子ども達と
同じように過ごすよう心掛けた。
ご飯は手で食べ、
朝は早く起きココナッツの実で掃除をした。
中でも印象的だったのが、
井戸で洗濯をしている際に子ども達が寄ってきて
手伝ってくれた時の事だ。
初めは服を洗濯していたが、
しまいには私も丸ごと洗われてしまった。
太陽の下、服ごとの水浴びはなんとも気持ちが良かった。

5日目には電気のない村キアタウに一泊した。
夜6時には辺り一面真っ暗になり、
ただ蛍の光が木に宿り、満天の星空となる。
朝は太陽の光と木や葉、
家々が織り成す影はなんとも美しかった。

6日目の晩には、次の日の朝ご飯の手伝いを頼まれた。
いつももてなそうとしてくれる子ども達が
手伝ってと言ってきてくれた事が、
仲間として気を許し
認めてくれたような気がして本当に嬉しかった。
前日は夜遅く朝4時起きはきつかったが、
何がなんでも起きようと思った。

9日目は総会の後、送別会を開いてくれた。
子ども達に負けない満面の笑みでと思い、
歌い踊っていたが途中から堪えきれなくなった。
I miss you.’‘Come back again.
と泣き出す子ども達。
また必ず
MCLへと誓った。

この10日間、子ども達の純粋さに心癒され、
子ども達の屈託のない笑顔に幸せをもらった。
しかし、貧困や戦闘により暮らしが厳しい人々や
家庭環境で心に傷を負った子ども達、
家族の為学校へ行けない子ども達がいるというのも
また私達が見てきた現実である

フィリピンでは、保育園を出ないと
小学校に入れない規定が制定され
今後厳しくなっていく、という話も聞いた。
この年齢の子ども達に保育が重要だという以上に、
小学校への架け橋として保育園が必要となる。


今になって講演で松居さんが
おっしゃっていた言葉が蘇る…

「まずは友達になって、
それから出来ることを考えよう。」


10日間を通して、子ども達には多くのものをもらった。
これから大好きな友達に私達は何ができるだろうか。
最後になりますが、お忙しい中私達を迎い入れ、
多くを教え様々な経験をさせて頂いた松居さんを始め
スタッフの方々に感謝と敬意を表します。




北野財団が寄贈
マノボの山の村バンシランに
保育所が完成
開所式をした

3月7日(月)


可愛い子どもたちの
ためとは言え
モオー、人間どもは、
よくまあ
あんな山奥の村にモオー
保育所などを
たてるもんだモオー

保育所は、村人の尽力で見事完成していた


今年から、フィリピン政府は、以前よりさらに厳しく
保育所卒業を小学校入学の条件とした
その結果、こうした僻地の先住民は
さらに厳しい教育の機会喪失に見舞われていく
ここでも、貧困と格差が助長されていくのだろうか

開所式の読み語りと、セレモニー

そして、村人たちと共にお祝いの食事が振る舞われた

開所式が終わり帰路をたどる
この日で村との関係が
終わるのではない
この日から、この村の人々との関係が始まる

保育所建設は、
このへんぴなマノボ族の村との
関係の始まりなのだ。



2月のスカラシップ総会は
訪問者の
歓迎送別会となった

2月27日(日)


アルメックの役員の方々にインタビュー
こちらでの経験と印象を語っていただいた

北野財団http://www.kitanozaidan.or.jp/
アルメックhttp://www.armec.jp/の役員の方々、そして
お茶の水女子大と一橋大学の女子学生が訪問されていたので
その方々の紹介からスカラシップ学生総会が始まった。

訪問者の皆さんからの報告、現地での体験談は、
多くの若者たちを勇気づけ示唆をあたえた。
ミンダナオの子どもたち、若者たちは、
自分たちを遅れた途上国の貧しい人間として卑下している事が多い
また、日本の若者や人々は、
自分たちが先進国のより高度な文明社会を維持していると言う、
誇りに心を奪われて、閉塞状況に生きていることも多々ある。
共に交流することによって、お互いが保っているもの、
失ったものに気づき、真の尊敬と友情の輪が広がる。

イスラム・マギンダナオ族の踊り
マノボ族の歌
ビサヤ系クリスチャンの歌が
披露された
訪問が、スカラシップ学生総会に当たり
みんなで歓迎と送別の気持ちをこめて
それぞれの宗教や部族に伝わる伝統を披露。

クリンタンの演奏に乗って、イスラム・マギンダナオの踊り
マノボ族の歌
ビサヤ系クリスチャンの歌が披露された


マノボ族の衣装に身を包み
マノボ語で、マノボの歌を歌う
学校では、マノボ語を話す
ことは禁じられていたりする。
また、ビサヤ語と
タガログ語が
一般に使われている地域で
マノボ語は、恥ずかしい言葉

しかし、MCLでは、
読み語りなども
積極的に現地語を
使うことを奨励し
母語の大切さを
日頃から語っているので
彼等は、臆することを知らない。笑顔で、のびのびと
自分たちの文化を表現している



こちらは、ビサヤ語の歌。
明るく、のんきで、愉快なのが
ビサヤの人々の特徴とされている

男子学生たちの愉快な踊りに触発されて
訪問者たちも踊った
どう見てもこの格好は、マノボ族のモンキーダンスの系列だが?


こちらは
伝統文化ではないが
現代的にアレンジされた
愉快なロックに触発されて
思わず訪問者たちも
踊り出した
大喝采と笑いが
周囲を包む

北野生涯教育振興会の卒業生に
島村氏から、直接賞状が渡される

北野財団(北野生涯教育振興会)は、
トヨタや日産、ホンダの車のヘッドランプ等を作っている
スタンレー電気の財団
工場のある、中国、ベトナム、インドなどで
就職希望の優等生にスカラシップ協力をしてきたが
ミンダナオ子ども図書館のようなタイプの
貧困の中でも極貧の子を支援するファンデーションに
協力するのは初めてだという。
毎年3名の大学生、2カ所の保育所を支援、
寄贈して下さっている
島村氏は、今回で二度目の訪問

今年の大学卒業生全員に
MCLから賞状
そして、卒業生たちの
後輩へのスピーチ
こちらは、MCLの
今年の大学卒業生たち
毎年、卒業生が増えていく
左のイスラムの二人の男性は
MCLのあるマノゴル村で
高校の先生
見習いをしている。
小学校の頃から
すでに7年以上関わっている子たちもいて
私も感慨深い



毎年、卒業生たちには
自分たちの経験を
後輩に発表してもらっている
苦労話に
聞いている方も涙ぐみことも

感動的だった最後のお別れ会

またお会いしましょう・・・MCLファミリー



スタンレー電気
北野財団が寄贈して下さった

保育所がプノルに完成
開所式に島村氏訪問


村長さんのサインをもらい
テープカットを行う

北野財団http://www.kitanozaidan.or.jp/

今回の白眉は、北野財団
島村さん主演の
おおきなカブだった


島村さんが、おおきなカブになられた

こちらでは、おおきなカサバイモだが、
猿もその大きさにビックリ
こちらは犬だ こっちはネズミ 村人たちのひさびさの大笑い?
ここは、絶えず戦闘に見舞われ
避難民化が絶えない
イスラム地域ピキットの奥だ
そんな村に、
朗らかな笑い声が
みなぎった
このようなお付き合いを通して
村人たちの心が開かれ
MCLを愛し、信頼し
平和への想いが強まっていく

絵本は真の平和を作る!



アルメック寄贈の
保育所が完成
開所式に役員が参加

2月26日(土)
アルメックhttp://www.armec.jp/

こちらは、アルメックが寄贈して下さった、保育所。
アルメックhttp://www.armec.jp/
到達するには、さらに奥に行かなくてはならない。
船着き場から、乗合船に乗る。
対岸はイスラム自治区で、
絶えず戦闘に見舞われている地域だ。
市にも話を事前に通して、
DSWDのグレイスさん方も同行するが
軍や私兵も警護をしている姿が物々しい。
私たちだけで行くときは、ここまで警護は無いが・・・


開所式の前に読み語りをした

この地域は、イスラム地域で、
マギンダナオ族
マギンダナオ語が
話されている。
小さい子たちは、
マギンダナオ語しか
知らない子も多い


しかし、保育所では、タガログ語が使われるので
スタッフが何語でお話ししようか、と聞くと
タガログ語!と言う言葉が返ってきた。
そこで私が、言った
「タガログ語は学校で習うけど、
マギンダナオ語は誰が教えてくれた?」
「お母さん、お父さん・・・!!!」
「そうだね、お祖父さんもその前のひいお祖父さんも・・・
だから、マギンダナオ語の方が、とっても大事なんだ。
MCLでは、読み語りの時に
その地の母語を優先する・・・」
この瞬間から、とりわけ周りの
お父さんお母さんの表情が変わった!


そして開所式が始まった
アルメックhttp://www.armec.jp/


アルメックhttp://www.armec.jp/

古着の支援もした
思いがけない、古着の支援に大喜び
この地域の子たちは、ピキットの町に出るだけでも遠い
戦闘でも、繰り返し避難民化している
対岸は、イスラム自治区のダトゥピアンだ。
今日は、なけなしのおしゃれをしてきているが
衣服がほとんど無いのは目に見えている
それだけに、大喜びだった。



祝日、ウオーターフォールに
遊びに行った

2月25日(金)


ウオーターフォール村の状況は良くない
男性も小学生の高学年の子たちも
時には家族総出で
サトウキビ刈りに駆り出され
村には小さな子どもと女しか残っていない

皮膚病の子と風邪の子を医師の元へ

滝で遊んだ


訪問者の方々も
ファミリーの一員


つかの間の休日
みんなで滝に泳ぎに行った
リスター君のお兄さんも参加
すっかりMCLが
気に入った様子だ

村の子どもたちも一緒に
お昼を食べて
遊んだ


この村出身の奨学生も多い


村では、3食たべられない家族も多い
肉や魚どころか
米のご飯も食べられない
それがわかっているので
村の子たちも皆呼んで一緒に食べ
一緒に遊んだ




北野財団の寄贈
カンポゴンの保育所を目指して

2月24日(木)


北野財団の寄贈して下さった
カンポゴンの保育所は馬で行く


馬でも歩けない場所は
ジャングルを徒歩で登っていく


この村の小学生、高校生は
この道を毎日通っているのだ

カンポゴンの村に着いた


ようやく、山上の尾根にある
カンポゴンの村に着いた

建設中の保育所を目指して
最後の登り


資材を運び上げる困難から
開所式には間に
合わなかったが



一生忘れならない
想い出になった

みんなで昼食

ようやくラナコランの下宿小屋まで帰ってきた


あの山奥の子たちが
安全に通えるように
この下宿小屋を使っている



高地マノボ族の村
キアタウに泊まった
2月23日(水)

キアタウの子どもたちと

翌日は、馬に乗り
保育所の開所式に出発



マキララを訪ねる
2月21日(月)

マキララの奥の小学校、
2年前に初等小学校から6年生の小学校に・・・
この村は、5年ほど前までは、NPAの拠点でもあり
戦闘が絶えなかった。
山麓に広がる、広大なドールのバナナ農園を抜けて、
山岳民族の集落を越えて
移民系のこの集落に達する道程は、
グローバル経済の抱えている矛盾を目の前で理解できる。
ドールのバナナを覆っている新聞紙は、日本の新聞
日本向けのバナナプランテーションが、人々を追いやり
それに反対してNPAが立ち上がり戦闘が起こった。
私が、来た2000年頃は危険地域では入れなかったが
今は、この地から多くの奨学生を取っているし
MCLの農場もある。
上記のイスラム地域と同じ問題が、ここにもある。


この村で、
今高校を建てようとしている。
はるか山麓にしか
高校はないから・・・
MCLジャパンで、
土地を寄贈、
今年の6月から
一年生のクラスが始まる。
右の掘っ立て小屋は
何かというと
村人たちが、
一生懸命出資して
小学校の子たちも、
トウモロコシを栽培して
やっと建て始めた、
高校の教室。
この掘っ立て小屋で
6月から授業が始まる。


こちらは、小学校。
かつては、
屋根だけの下で勉強していた
初等小学校だったが
2年ほど前に教育省が
教室を作った

小学校の側にある、MCLファーム
MCLの農場を守って
下さっている
ピサンさん一家
子どもたちは、奨学生。
この地に、今、MCLは
下宿小屋を
建てようとしている。
高校生たちが下宿して
通えると同時に
近隣の山岳地帯から
小学生たちが下宿をしながら
学校に通えるように・・・

この村には、JICAの支援で
給食事業が行われていたが
それが止まってから
学校に通えない子たちが
また増えてきたという。


皆で食事をした


ここに、高校生の
下宿小屋を作り
農業をしながら
勉強が出来るように
する予定だ。



リスター君の家を訪ねる

上のマノゴル村の生まれでありながら、土地所有者に父親を殺されたリスター君一家。
まず、お兄ちゃんを迎えに行き、一週間、MCLで生活してもらうことになった。


お昼のおかずの
芋を掘ってきた
お母さんもやってきた
この日、
リスター君のお兄ちゃんが
家族に一足先だって
MCLに来た。
3月に、
姉妹が学年を終えると
リスター君やお母さんも含め
みんなでMCLに引っ越す。
父親が殺された家族たち
それでも、
MCLに来られることで
ずいぶん顔つきが
明るくなった。


犯罪心理学を学んでいる
学生もいる
何を感じているのだろうか



お茶の水大学の3人と一橋大学の女子学生が
山上のマノボ集落を訪問

2月20日(日)
お茶の水大学の心理学を学んでいる3名と、
一橋大学で経済を学んでいる一人、
日本の若者たち4人の女性が、
ミンダナオ子ども図書館を訪れた。
きっかけは、私が、お茶の水大学で講演したこと。
学校と本で学んだことが、
初めて現地で子どもたちに出会い、
人々との交流で息を吹き返していく。
学校で見た若者たちが、時がたつたびに、
ここで息を吹き返したように
のびのびとしていく姿を見るのは、楽しい。


もともとキダパワンの市に近い、
山麓に住んでいたマノボ族が
プランテーションや移民の土地所有に追われて
こんなにも高い尾根上に集落を作って、
住み着くことになった。
MCLに土地を譲って下さった名門のマノボ族
亡きスーザン・インカルさん
お父さんは、初代のキダパワン市長だったが、
土地を譲り、売り渡していった。
その親戚たちも、今は、低地の土地から追われ、
この村のさらに奥の集落に移っている。



自分たちの所有地は
ほとんど無く、
ホウキ草で箒を作っては
町に売りに行くのが、
唯一の収入源だ。


大事なのは、しっかりと見て受け止め
感じ取り、理解し
そして、何が出来るか考えること
この地から高校生の
奨学生を
一人選んだ。
成績も良いし
この村との
コンタクトパーソンとして
役割を果たしてくれるだろう。
家は非常に貧しいが
自ら野菜を売りながら
高校まで進学。
スカラシップが
決まったとたんに
泣き出した。






村を回って子どもたちを集める


村に着くと、読み語りの場所を決め
その後、村を回って子どもたちを集める
そのとき、村の人々と話をし、その地の生の声を聞き
現状を把握していく。

いよいよ読み語りが始まった


たとえ言葉が通じなくても、
子どもたちの表情から
多くの事を
学ぶことが出来る

日本の若者たちが
ここから何を学んでいくのだろうか

その夜は、みんなに読み語りを




実に、いろいろと
考えさせられた日々だった


松居友 様
 私にとって二度目のMCL訪問、
滞在中は何かとお世話になりありがとうございました。
予定を変更し、ビザ日程をギリギリまで使う
十九日間の滞在となっりましたが
そこから見えてきたものはいろいろあります。
私自身支援者の一人ですが、
現地MCLの活動や子どもたちの生活の様子は
まだ良く分かっていなかった事を感じました。
本当のMCLを理解していただくためにも
今回の滞在中、自分の目で見たもの体験した感想を
多くの方々に、少しでも紹介してみたいと思いました。
日本の支援者の方々にも現地の活動や,
子どもたちの生活の様子を知って頂くための
一助になれば幸いです。

 <1月13日> 
MCLの活動は、毎朝のスタッフミーティングから始まる、
スケジュールに従って行動開始である。
3名のスタッフと供にカティンド村に 向かう、
目的はスカラーに手紙を書いて貰うこと、
支援をして下さる方々への
サンキュウレターやソーリーレターである。
その日の行動の効率を考え、学用品等も同時に届ける。
スタッフたちの仕事の大変さは移動距離の大きさである。
四駆でやっと登れるような荒れた山道を,
二時間~三時間喘ぐように登って行 く。
数枚の絵手紙を書いて貰うためにも、
時間と労力を惜しまない
スタッフたちに頭が下がる思いがした。

 <1月15日> 
今日はウオーターホールへストリーテーリングだ。
ウオーターホールはアポ山への登山口でもあり、
美しい滝が有るので有名な村でもある が、
急な坂道を上って行く事には変わりはない、
村の人々の生活は非常に貧しい。
四十人ぐらいの子どもたちを二回に分けての移動である。
朝早く第一陣が出発、
スタッフは第二陣を迎えるために又山を下る。
第二陣が到着した時にはもう正午を過ぎていた。
先発隊が昼の食事をつくって待っていた。
流れ落ちる滝を前に、みんなで食べる昼飯の味は格別だ。
ミンダナオはスコールの多さでも有名であるが、
この日のスコールは別格ものだった。
四駆が動けない、止むのを待って帰路につくが、
大スコールの後の荒れた山道は滑りやすい。
四駆の運転は、スタッフにとって緊張の連続である。
子どもたち全員を無事に運び終えた時は
もう夜の帳が辺りを支配していた。

 <1月18日> 
マキララのカタパガン村の保育所開所式に参加した。
松居さんは急用が出来ダバオへ行く事になった。
プレシデントのアスレーが中心になって
セレモニーを進めて行く、
保育所の使用目的や取り決め事項等を
読み上げ確認をとる。
村の主だった人達との調印を済ませ
握手を交わし開所式は終了した。
その後スタッフ全員で、集まった子どもたちに、
歌やパフォフオーマンスを交えながらの、
絵本の読み聞かせが始まった。
村の人達も交えて昼食をすませ、喜びのうちに無事終了。
スタッフ達の仕事は多種多様だ
多くの仕事をこなして行く。

 <1月20日> 
先日ひょんな事で知り合う事になった
レリンダ・ランダウィさんに会うために、
マグペットのイナムアランという村に向けて車を走らせた。
彼女は以前日本に住んでいた事が有り日本語が話せる。
松居さんとスタッフのマリペールの三人で
道を尋ねながら四駆で登って行った。
レリンダさんに会う事が出来いろんな話を聴く事ができた。
彼女は、この村のもっと上の山奥に
とても貧しい集落が有る事を話してくれた。
松居さんの表情が変わった。
是非そこに案内してくれませんか、
四人でその集落をめざした。
途中四駆も登れない山道にさしかかった、
徒歩で登るしかない。
松居さんもまだ足を踏み入れた事の無い村だ、
上り詰めた所に数戸の集落があった、
一見してこの集落の人たちの極貧の生活が窺える、
中でもとりわけ目立つ 家があった
九歳を頭に八人の子どもと両親が、
二畳程の家の中で生活している、
一日一食がやっとだという。
松居さんが呟いた、
これを見るともう黙っては居れない、何とかしなければ、
スタッフのマリペールの聴き取り調査が始まった。
MCLの活動の原点が見えた、これだ、
同時に日本の支援者の皆様の
温かい心を感じ胸が熱くなった。
 いよいよMCLを離れる時がきた、
あっという間に時が過ぎた気がする。
夕食後、子どもたちがサヨナラパーティをしてくれた。
別れの言葉やグループで歌を歌ってくれた、
しかしいつもと違う、声が出ていないのだ。
子どもたちの胸の内が窺え目頭が熱くなった。
ロロヨシ(ヨシおじいちゃん)明日帰るんだね・・
そうだよ明日日本に帰るよ・・
堰を切ったように子どもたちが抱きついてきた、
もう溢れる涙を抑えることができなかった。
 MCLの子どもたちは実に良く働く、
当番の子どもたちだろうか、朝四時には炊事を始める。
他の子どもたちも五時には起きる、学校に行く前に庭の掃除、
一階の床をヤシの実で磨く、
二階のフロアーのモップがけなど苦もなくやってのける。
学校から帰ってくると、洗濯や掃除に
勉強と楽しそうにやっているのだ。
日本ではなかなか見られない光景である。
子どもたちは底抜けに明るく笑顔を絶やさない。
 ロロヨシ、サヨウナラ、次は何時来るの、
子どもたちの目に妖精の涙がキラリと輝いた。
ありがとう。
                                        
  =頭島義成=     
     




二週間滞在された
頭島さん(ロロヨシ)のお別れ会

1月20日夜
山元しんぷさんと一緒に来られた頭島さん、子どもたちから
ロロヨシと呼ばれて親しまれた。
ロロとは、おじいちゃんの事だ。
日本事務局の構成員のお一人でもある
忙しい神父さん方が、
三日で帰られた後、意を決して、一人残られた。
言葉がさほど出来るわけでもなく、
海外で一人になったのは初めて。
最初は不安そうだったのだが、数日もたつと、
すっかり溶け込んでしまった。
私は、いつも、「せめて二週間はいないと、
本当のMCLはわかりませんよ」と言ってきた。
二週間というのは、日本では大変な長い日にちなのだが、
頭島さんが言うようにあっというま、
つまり、時の流れが違うのだ。
時の流れの違いに気がつきこちらの時に身を移したとき、
初めて、本当のミンダナオが見えてくる。

お別れ会。これで、二度目。今回は無くても良いから・・・と言っていたのだが。
子どもたちがしたがった。そして、唱っているときの声が全く違うのに、
おそらく気がつかれたことだろう。

短期間の滞在では、とても日本人には、現地の様子、MCLの活動がいかに大変か、
子どもたちの本当の姿も、わからないですね。
日本にいる人には、想像もつかないでしょうね。
一枚のお礼の葉書や手紙を子どもたちに書いてもらうだけでも
スタッフたちがどんなに努力しているか・・・帰ったら、私から話しましょう。」






マノボ族の村に
保育所建設の調査

1月20日
頭島さんのたっての願いで訪れた、マノボの村。
保育所調査で訪れた。
このような調査の時にこそ、現地の現状が飛び込んでくる。
会う人々に、執拗に質問をしながら、
最も貧しく、最も大変な集落に案内してもらいつつ
調査が進められていく。
そのあまりにも貧しい状況に、唖然とされた頭島さん。
「ミンダナオ子ども図書館の活動の原点を見た気がした・・・」


貧しい集落の中でも
比較的ましな首領の家
この集落で唯一
6年生を卒業する子がいた
この子を、
コンタクトパーソンとして
スカラシップに採用しようか?



ぼろぼろで、貧しく、
家の様子すらなしていない、
極貧の家庭も多い。
先ほどの首領が、
面倒を見ているが、
首領自体も、しばしば三食
たべられない日があるという。
そんな家を、
二軒紹介してもらい訪ねた。
小学校2年生で
止まった子がいる。
お弁当を持って
行けないからだ。
今年は、
日本の経済事情も厳しく
なかなか支援者が
見つからない
それでも、私の弱みで
いったん見てしまうと
どうにもならない。
せめてこの集落から
一人の高校生と二人の
小学生のスカラシップ候補を
とりたいと想った。
実現するだろうか・・・


ここに保育所を建てることになった
ここは、上記の集落から下に数キロ下った集落
子どもたちはたくさんいるのだが、
保育所が右のような代物で
しかも、地主が撤去を依頼しているとわかった。

上は、保育所の先生。
調査をしているのは、スタッフのマリベール。
私たちは、ここに保育所を建設することにした。
そうすれば、この周辺の多くの集落が助かる。



ソロプチミスト・
原田政子さま寄贈の
保育所が完成!

1月18日

ソロプチミスト、原田さまの依頼の保育所が、
マキララ地域に完成した。
マノボ族とクリスチャンの混在地域だが、
非常に山奥で、NPAの有名な活動地域。
(貧しい地域は、ほとんどそうで、
NPAを選んで支援している訳ではないのだが・・・)
とにかく、子どもが多い。
平日なので、開所式の読み語りは、スタッフたちがした。
彼等も以前は、奨学生たちだったからお手の物だ。


登山家の章さん・再訪
1月10日~1月16日

ピキット・ブアランの支援している
奨学生を訪問

1月16日


奨学生の家、今は非難してここには住んでいない。

章さんは、四度目のアポ山とざん。
よほどミンダナオが気に入ったと見えて、度々訪れている。
以前は、セブに泳ぎに行っていたけど、ミンダナオの方がおもしろい。
支援している、イスラム教徒の奨学生を訪れた。
ブアランの度重なる戦闘で、就学が遅れている彼女。
「来年から、高校一年生になるけど、MCLに住みたい」
しっかりしたよい子なので、受け入れる予定だ。



ピキットの市場で、母親に会う

ピキットの市場は、
フィリピンの他の
どの市場とも
雰囲気が違うと感激
お母さんも、
娘がMCLに住むのに
大賛成。
戦闘が無ければ良いのだが

今回は、
ウオーターフォール村から
アポ山に登頂


四回目の登山 1月12日~15日

初回は、ダバオ側から。
前回は、キダパワンのメインルート。
今回は、初めて、原生雨林が残る、
ウオーターフォール村からの登頂

雨の多い時期だった。3名のMCLスタッフに、ガイドとポーターがついた。
ポーターは、MCLの奨学生、アロナさんのお父さん、ガイドは叔父さん。



熱帯雨林のバージンフォーレストを抜けて

これはもう、写真で見ていただくしかない、原生雨林のすごさ、すばらしさ


森の途中でキャンプ
石油ストーブもあるけれど
あっという間に、
料理の準備を薪で

フィリピンで農業をしている青年を訪問
1月16日

MCLのために、米を寄贈して下さった。
しかりと大地に根ざしての活動。これからも協力しながら頑張りましょう。




イスラム自治区 
ナムリ村に保育所完成

1月6日

山元神父さん、現地訪問


イスラム地域の中でも、とりわけ孤立しているARMM(イスラム自治区)
ピキットには、国際的支援が集まっても、こちらにはなかなか集まらない
MCLでは、重点地域として指定している。
この地域は、湿原地帯にあり、道路が無く、無数に張り巡らされた湿原の支流が道

KAZARIさんは、この地域の奨学生を支援して下さっているかた

まずは、開所式

読み語りが始まった

ここでも、読み語りに、スタッフたちが活躍した。
船首に立ち
ワニをチェックしている少年
確かにワニはいる

アルバちゃんを訪ねる

かつてやせ細り、餓死寸前で難民キャンプで見つかったアルバちゃん
行橋カトリック教会のミルク支援で、すっかり丈夫に
目は見えないけど、座ることも出来るようになりました。奇跡的に。
これからも、支援を続けます。




母さんの亡いマロットに、ロラが見つかった!



ダバオから来られた
大本さん一行
姉さんの田中衣子さんが
去年足と腕を骨折して
山から運ばれてきたマロットの
支援者になってくださった
母さんの亡いマロット
まるで母親のように甘えて慕う
今も、写真を見るたびに
懐かしくなって涙ぐむマロット

マロットへ
                          たなか きぬこ

ミンダナオ子供図書館に行ったときに、
マロットに会えて本当によかったです。
私には日本に3人の孫がいますが、
マロットは4人目の孫のような気がします。
みんなといっぱい遊んで、勉強もしっかりね!
5月には日本に帰るので、マロットのことを皆に話します。
またいつか会える日を楽しみにしています。
 
   ミンダナオ子ども図書館に滞在した思い出:田中 衣子

たった1泊2日の短い日程でしたが、ミンダナオ子供図書館に行けたことは、
大きな感動の2日間でした。
美しく手入れされた庭や畑もそうですが、
何よりも感動したのは、そこにいる子供たちです。
小学生から大学生までおよそ50人程の子供たちは、どの子も明るく、
人懐こく、親切で、もてなしの心と節度を持っているのを何度も感じました。
今の日本の子供たちが失ってしまったものを、ここの子供たちは皆持っているのです。
食事の時、私達訪問者には彼らより、立派なお魚のから揚げがついていても、
欲しそうな顔をすることもなく、
果物を切り分けた時も、一番に私達のところに持ってきて勧めてくれます。
少しだけ一緒に遊んだバスケットボールの時も、
ボールを何度も私に渡してくれました。
ここに来るまでには大きな困難な状況の中にいた子供達ばかりなのに、
こんなに明るく、のびのびと生活出来るのはきっと
松居さんの教育がすばらしいのだと思いました。
次の日に連れて行ってもらった、貧困地域での読み聞かせや、
子供図書館での活動はほとんど学生が自主的に行い、
松居さんご自身は助言する程度とのことです。
キリスト教徒とイスラム教徒の人がともに過ごすことで、
大人になっても反発しあわないで共存できる社会を作ってほしいという
松居さんの思いはしっかりと彼らに届いています。
一緒に写っているのは、私の里子となったローズマリー、愛称マロットです。
日本に3人の孫がいますので、4人目の孫ということになります


ロラ(おばあちゃん)に甘えるマロット
妹さんの
大本和子さんの方は
両親の亡くなった
イスラム教徒の少年と
父親を亡くした少女を
支援してくださる
事になった
和子さんは、
現在ダバオの日系人会
が経営する
ダバオ国際大学の
日本語教師を
ボランティアで
勤めていらっしゃる。





大本さん方は、読み聞かせにも参加された。
ミンダナオ子ども図書館のストーリィテーリングは、
絵本の読み聞かせから
次第に読み語りにシフトしている。

ミンダナオでは、オリジナル言語の絵本が無く
現地語を生かすためには
語りを取り入れる必要があるからだ。

それにしても、皆、語りが驚くほどうまい
子どもの頃から、お話を聞いて育ち
昔話も生きている世界だからだ。






機関誌『ミンダナオの風』発送と子どもたちからの手紙
毎年、年四回
機関誌『ミンダナオの風』を
発行している。
それにあわせて、
スカラシップ支援者の方々に
子どもたちからの
手紙を同封する。
手紙を持ってきた子供たち
プロック8村にて

子どもたちは、一生懸命手紙を書くが、
小学生の場合は文字や英語が書けない子もいて
書ける子に手伝ってもらったり、
タガログ語の子は私たちが英語の翻訳をつける。
中には、私宛に、熱烈なラブレター?をくれる子もいる。
どうやら、足長おじさんのように思ってくれているらしい。
胴の方が長いのだが・・・・・
「We love you !
お願いがあります。
外国にいったら、私を受け入れてくれる、
もう一人のお父さんを
見つけてきてくださいね。」
と書かれている。
ミンダナオの子どもたちは、
自分の想いを素直に一生懸命表現しようとする。

スカラシップを受けている
子たちの
現状を調査するのもこのときだ。
貧しいマノボの村では
親のいなくなった子は
大変だ
今回の調査で、小学生のスカラシップ
(里親奨学制度)の子たちだが、
母親が亡くなり、父親は別の女性と
いっしょになったまま行方しれず。
完全に見放された状態でいることがわかった。

右の男の子(小学生)が、左の妹と従妹、
右の継母の祖母の面倒を見ていた。
他所の田んぼや畑の草刈りや日雇いをして、
日銭を稼いで妹たちを学校へ・・・・
彼の成績が落ちてきているのでわかったことだ。

三人は、上の祖母の家を始め、
親戚の家を転々として生きている。
身よりも無い状態なので
ミンダナオ子ども図書館に引き取ることに決めた。
自分の家に
里帰りした奨学生も
元気だった。
ミンダナオ子ども図書館に
戻るための
山からの交通費を
稼ぐために
アロナは、山で一日
薪拾いの日雇いをしていた




ミンダナオ子ども図書館便り:
京都暁星高校から訪問、保育所建設


ザンボアンガに保育所を建てているNGO、
ボランティア95のフェルケルさん他皆さまが、立ち寄れました。
マノボの集落プロック8で古着をわたしました。今後のお付き合いが楽しみです。

戦闘のひどかったイスラム地区ピキット
ピキットのトンドと呼ばれるゴミ捨て場地区フォートピキットで、
京都暁星高校  が保育所を建設。
仁科先生が、奥様と3歳の娘さんを連れて訪れ開所式に参加されました。
開所式の後に、奨学生たちが読み語りをし、古着を渡しました。

そのとき、ゴミ捨て場の向こうから、うれしそうに手を振る家族がいました。
近寄ってみると、なんと難民キャンプ時代に兎口を治した少女とその家族でした。
5年ぶりの再会で、少女はすっかり娘らしくなっているのに驚きました。

その後、仁科先生は、ご自身が支援しておられる山のマノボの高校生、
グレンさんの授賞式に参加しました。
山の高校の授賞式で、グレンさんは最優秀でした。

2008年度の支援学生候補が、ほぼ出そろいました。
皆さんのご支援をお願いします。




ボランティア95の訪問者の方々と!
ボランティア95は、阪神神戸大震災の時に生まれたグループ。
今は、ミンダナオ出身のシスターと共に、
ザンボアンガで保育所を支援している。
今回は、現地へ向かう前に、ミンダナオ子ども図書館の視察に訪れた。
2泊三日という短い滞在だったが、マノボの村、プロック8を訪問、
いっしょに古着の支援をしたり、充実した日々だった。
同じNGOとして、私たちも、いろいろと学ぶことが多かった。
今後のおつき合いが楽しみ。

ミンダナオ子ども図書館から
望む満月
電気を消すと、
たくさんの蛍が飛んでいる
若者たちの話だと、夜はこのあたりに妖精が飛んでいるという。
特に、満月の夜は要注意!
妖精に声をかけられても、返事をしないこと。
あっちの世界に連れて行かれて、帰れなくなることがある。
特に大きな木や岩のある場所は、気をつけて通り抜けること。
「ああ、きれいな月夜だなあ」などと賞賛する言葉は、絶対に言ってはならない!

妖精が振り向いて「こっちへおいで」と誘うから。

京都暁星高校がピキットに保育所
仁科先生が、学校を代表して開所式に参加
今回、保育所を建設した場所は、ピキット市の町の丘の裏側にあたる、
フォートピキットと呼ばれる地区。
ピキットの町中心部は、移民系クリスチャンも住んでいるが、
この地区はスコーターエリアと呼ばれ、貧しいイスラム教徒が都市に吹きだまった地区。
マニラのトンドほど巨大ではないが、市のゴミ捨て場地区で、
ゴミを拾いながら生活を立てている人々も多い。
子どもの数が多い割には、教育環境が行き届いていないので、
保育所建設が待ち望まれていた。

保育所が完成して、大喜びの住人たち。
開所式の後、さっそく読み語りを、
ミンダナオ子ども図書館の若者たちが行った。
初めて絵本を見る、子どもたち。

その後、古着の支援を開始。
男の子たちの腕の見せ所だ!
真ん中の写真は、
左はじイスラム教徒
次にビサヤ系クリスチャン
右の三人は、マノボ族。
三歳の悠河ちゃんを抱いた仁科先生を、
イスラムの子どもたちが囲む
宗教や民族の違いを超えて
子どもたちはいつも可愛い!

これが、ピキットのトンドと呼ばれるゴミ捨て場だ
右奥に大きな丘のようなゴミの山がある

ゴミ捨て場の中から必死に手を振る
父親と母親と少女がいた
本当にうれしそうに手招きし
こっちへ来い、こっちへ来い、と言う。
いったい何だろうと不思議に思い
ゴミの中の道を通っていくと
何と・・・・・・・アニサちゃん!


5年前に
手術をしたときの写真
左は手術前
中は手術直後
右は翌日


父さんの顔も懐かしい
(白い服)
母さんも元気そう
上写真の右奥が
アニサちゃんの家
近づくと、どこかで一度会った顔だ!
しきりに、「あのときのヘアリップの子の・・・」と言う。
てっきり、ヘアリップの手術を頼みたいのかと思うが、それにしては満面の笑顔!
父親の顔に記憶はあるが・・・・娘も、どこかでみたような????
唇をみてハッと思い当たった!手術の痕がかすかに見える。そうか・・・・
確か隣のパガルガン難民だった家族。
ヘアリップを直すために繰り返しダバオに通い、寝食を共にした思い出が突然浮かび・・・・
あのときの!アニサちゃん?
大きくなって、しかもすっかり娘らしくなって!
こういう出会いは、お互いに本当にうれしい。肩をたたき合って喜ぶ。
それにしても、このような場所に住んでいたとは。口では言えない苦労もあったんだろうな。



京都暁星高校は、かつて支援している奨学生を日本に招待してくださった。
寒い雪の宮津のクリスマスだった。
高校生同士の交流と、ホールでのクリスマス劇に、マノボの奨学生も民族舞踏を踊った。
懐かしい思い出が胸をよぎる。
4年ぶりの懐かしい再会
新しく支援してくださる
奨学生との出会い!
その後、支援している奨学生の村へ
車で1時間以上、途中で車が動かなくなるアクシデントも

車が動かなくなって
援助の車がくるのを待つ
TBSのテレビを見て
立派な車を持っていると
勘違いしている
支援者の方々へ
あの番組は、
トヨタがスポンサーなので
意向でわざわざレンタルした
トヨタブランドの車です
豪快に川を渡る
シーンがあったりして(笑)
うちの車はあの撮影の後に
川を渡る途中
川の中でエンコしたのだ!
逆にそれを放映したら
いかにトヨタの車が
性能が良いか
宣伝になったのになあ
どなたかあのような
ハイラックスを
一台寄付してくださいませんか

車はエンコしたけど
何とか表彰式に間に合った
というより、フ
ィリピンタイムで救われた
何と午後に
延期されたのだった
左は、仁科先生が
個人的に支援している
マノボ族のグレンさんの
表彰式
ファーストオーナーに輝く!
右は、やはり
オーナーになった
メロージェンの授賞式!
こちらはキダパワンにて

一週間の滞在は、様々な思い出を、若者たちの心に残した
涙なみだのお別れ会。
いつも思うが、ミンダナオの若者たちは、心から純粋に愛す力を持っているようだ。
出会いによって、毎回涙の質が違うのは、出会いが毎回異なっているからだろう。
仁科先生の場合は、娘さんといっしょに、まるで訪問者というよりは、
家族の中に家族が入ったような感じ。
若者たちは、「家族」というものを強く感じたようで、
特に幼い頃から両親がいない子などは、食い入るように楽しそうな家族の様子を見ていた。
いつか自分たちも、あんな楽しそうな家族を作ってみたい・・・・
良いことだと思う。

悲しい別れも
元気な笑いの中で
再会の誓いに変わっていく
彼らは、自分の家族が増えた
そう思っている
今度きたときは
お帰りなさいと言って
迎えるだろう



戦闘の後遺症を抱えるイスラム地域のマカブアル村に
小学校が建設されることに決まり、
日本大使館主催の調印式に出席しました。
 今回の調印式は、日本政府が主催し、
J-Bird(日本―バンサモロ・イニシアチブズ・
フォー・リコンストラクション・アンド・デベロプメント)
の代表と
MILF代表とARMM(イスラム自治区)代表、
MIT(国際停戦監視団)の代表出席のもとで
行われた。
選ばれた7団体は、ほとんどが現地NGOであり、
ミンダナオ子ども図書館も
一現地NGOとして選ばれた。
今回は、主にARMM(イスラム自治区)における
小学校や文化施設、水道施設に対する支援。
調印式の様子は、
フィリピンのテレビ局によっても報道された。
日本のNGOであるHANSが後押しする
水道施設と共に、
ミンダナオ子ども図書館が支援している
マカブアル村の小学校建設が認可された。
マカブアル村は、ピキットのMILF地域の
中枢に属しており、
戦闘中も子どもたちも含め
難民キャンプ入りが許されず、
その後も、ワールドフードなどによる食料支援も
なされなかった地域。


日本大使とサインした書類を交換

現在も道が意図的に遮断されて
一般車が入れず、4WDで、
踏み跡をたどって入るしかなかった。
(戦闘を常に意識して、
道路をあえて反政府側が遮断し、
穴を掘ったりして通れなくした結果)
ミンダナオ子ども図書館では、
2年前からこの地から
スカラシップ奨学生を採用してきた。
続いて小学校の里親奨学制度の
重点地域に指定。
30名の子どもたちが学校に
通えるようにしてきた。
その後、読み語りや医療を展開し、
村長をはじめとする村の人々と
信頼関係を築いてきた。
 今回の学校建設は、
地元の人々の強い要望から、
実現したもの。
嘆願があった当初は、
ミンダナオ子ども図書館で
建設を考えたが
地元の要望に添う恒久的な
しっかりしたものを建設する必要を
考えると、個人支援に頼る
小さなNGOでは無理。
 中途半端な仕事はしたくないので、
日本政府の支援を仰ぐことに
決めて活動開始。
 その意味でも、今回の認可は、
現地の子どもたちを含む多くの
人々の期待に応えるものだ。


 現地の子どもと親の希望から出発し、さらに村長と学校の先生の期待を確認した後、
ピキットのDSWD(福祉局)を通して、ピキット市の行政としての意志を確認。

 ミンダナオ子ども図書館は、実務を担当することにした。

 現地の人々と現地行政、そして日本政府とを結ぶ橋渡しの陰のお手伝いに徹するために、ピキット市のエンジニアに依頼して見積もりと計画書を作成。
 さらにピキット市から提出する書類を代理に作成して提出。

 今回、中心になって作業をしたのは、元ミンダナオ子ども図書館の奨学生で現スタッフ秘書のマージーさん。(イスラムの踊りで日本にも行った)
 彼女は、今年からアーロン君(ご主人)に代わり、代表(プレシデント)の重責をつとめる。

 英語も堪能であり、書類作成能力にもたけていて、ミンダナオ子ども図書館が国際的に展開する基盤を作ってくれるだろう。
 奨学生になった当時は、17歳だったが、こうして立派に成長していく姿を見るのはうれしいものだ。

 また、陰で、ミンダナオ子ども図書館のボードメンバーであり、キダパワン市の銀行などの建築も
手がけている設計技師(エンジニア)のダニー氏のアドバイスや協力も大きい。


元奨学生のマージーさん
スタッフとし活躍
今年からプレシデントに

この地域は、2000年の戦闘時期から、意図的に車の通る道を破壊しており
(反政府勢力の地域の特徴)今回も大使館から建設における安全の確保について打診があった。


 私たちは急遽、マカブアル村の村長以下役員と学校の先生方との会合を現地で開き、直後に予定していたピキット市長との会談に結びつけた(左写真はピキット市長との会談のようす)。
 その結果、安全の保証が市行政と村の両者から得られた。

 村はMILFの勢力下にあり、市行政側はMNLFに属しているので、行政側の安全保障だけでは不十分である。その点で、両者の保証が得られたことは大きい成果だ。

 しかし、マカブアルの村長(MILF)と市長(MNLF)が従兄弟どうしてあったのには驚いた!
 時々、互いに戦闘を起こしているはずなのだが・・・ピキットのある構造の一面をかいま見た体験。

 今後の予定としては、現地の視点に立ちつつ、IMT(国際停戦監視団)とJICAなどと連絡を密にとりながら、現地の学校建設を開始する。
 現地には、スタッフが毎週おもむき、状況を逐一報告していく予定。完成すればピキットでおそらく最も新しく美しい、5教室の小学校が建つ。閉ざされていたMILF地域の中枢に、こうした学校施設が建ち、将来的には500人を超す子どもたちに喜ばれるのは、大きな意味がある。


 マニラでの調印式では、最後に英文の俳句でピキットの戦闘の悲劇が述べられたが・・・
 2001年2002年と、現地の悲惨な難民キャンプを見たときの私のショック。それをきっかけに始めたミンダナオ子ども図書館。
 さらにその後も難民キャンプを訪れて子どもを救済したり、難民が村に帰っても、心が破壊された子どもたちへの読み語りと医療をしてきた記憶が、ドッと胸によみがえり、不覚にも目頭が熱くなった。

 現在は、この地から多くの大学、高校、小学校の奨学生を採用している。
 戦闘当時、父親を亡くし、心が千々となり、表情の失われていた彼らが、今は生き生きとした顔で大学や高校に通っているが、今年の奨学生候補も多くが、ピキットからで、応募してくる若者たちの多数が、父親を戦闘で失っている。
今年度のピキット地域からの奨学生候補 
 ただ一つ気になるのは、ピキットで唯一、反政府組織の奥の院と呼ばれ恐れられてきた
 ブアラン村の学校が、2000年の砲弾の跡を残したままであることだ。

 今年度の奨学生候補はブアラン村を選び、先年暮れ高橋毅氏の寄贈で、保育所も建設された。
 願わくば、このブアラン村に、小学校を建ててほしいのだが・・・・
 父親は亡くなって、祖父母に育てられている子が多い。
 ブアランの小学校に関しては、報告書に記載
 下は、2000年と2002年の戦闘で壁や床の崩れたブアランの小学校。


壁は、2000年、2002年の戦闘で崩れたままだ

教室内部は、
破壊されたままの地べたが剥きだし
このようなところで、
毎日勉強している子どもたちの
複雑な内面を考えると・・・・
ブアランの小学校は、教室が足らず
4年生は、
このような小屋で、
勉強をしている。

今年から、
さらに5年、6年と
学年が増えていくが
いったいどこで勉強するのだろう





今回、奨学候補生の家庭調査で訪れたさいの、ブアラン村の写真
ブアラン村では、父親が亡く
お年寄りが子どもを育ているケースが多い

これも戦闘の悲劇だ


村人たちは恐れて帰ることが出来ず
最近になってようやく
戻ってきた

家並の奥に、
高橋毅氏寄贈の保育所が見える
今回の奨学生候補の一人 ほとんどの家が崩れかけたような
粗末な家だ
ブアラン村
森と湖沼に覆われたこの地は、
戦闘の被害が最も深く激しかった地域

あれから7年たった今も
私たちの小学校は、砲弾の傷を残したまま
政府もNGOも、恐れてここまで来なかった

村人たちも、ようやく数年前から
少しずつこの地に戻り始め
学校も、今年から5年、6年の学年が増設される

けれども、教室が足りなくて
あっても、床が破壊され
土が丸出しのそんな中

亡くなった父さんや母さんを
思い出しながら勉強するのは・・・・
・・・・・・・・・・・

ミンダナオ子ども図書館の今年の課題

今年度の予定として、ARMM(イスラム自治区)サイドのパガルガンの学校等の調査を独自に始めます。
私たちは、ピキット以前には、医療などで、イスラム自治区のパガルガンと関係を有してきました。
ARMMサイドは、ミンダナオ子ども図書館の出発点となった地です。
とりわけ戦闘直後に学校を焼かれたイノクオグ集落など・・・・
2003年、パガルガンのイノクオグを訪れた体験を、訪問直後書いた奨学生ベビンさんの記事

(彼女は、現在スタッフで、ライブラリーを担当している。)
また今年は、ARMMサイドのイスラム地域の卒業生の一人が、スタッフに採用されます。
すでに同地からの奨学生候補も出そろっており、より貧しく困難なイスラム自治区にウエイトを置いて活動を進めていきます。


マノボ族のダトゥインダ村に、保育所が完成。
寄贈者の丹原美穂さん、開所式に訪れる

 「いったい松居さん、私をどこに連れて行くつもりなの?」と言われてしまった。

 ダトゥインダ村は、丘陵をいくつも超えて、道がとぎれる場所から、バイク道を通って、さらに丘をいくつも超えた場所にある小さなマノボ族の村だ。

 もちろん、4WDでないと、この地までは来られない。
 下の写真は、今回保育所を建てたダトゥインダ村の全景。
 「数件しか家が建っていないじゃないか」と言われるかもしれないが、この周囲にたくさんのマノボ族が住んでいるのだ。

 保育所には、35名を超す子どもたちが集まる。
 ここから、学校までは5キロの道を行く
 4歳から5歳の保育所つまり
 プレスクールの子どもたちが、
 雨の日も風の日も
 毎日通える距離だろうか?・・・


 それにもかかわらず、先々年から
政府はプレスクールを経由しなければ
小学校に入れないという
奇妙なシステムを作ったのだ。

 今でこそ、この辺り一帯は、丸裸の丘陵地だが
 戦前まで、ラワンの巨木が生い立ち、熱帯樹木が生い茂り、
 猿や色とりどりの蝶や鳥が舞う熱帯雨林だった。

 大木が、ことごとく伐採されたのは戦後で、
 ほとんどは、経済成長を続ける日本に輸出された。
 その結果、大地は保水力を失い、雨はそのまま大量の水を川に運び流れ出す。
 保水力を失った高地は乾燥し、下手の大地は洪水となる。

 この地の下手こそ、私たちが通っているピキットなどのイスラム地域で、絶えず洪水に見舞われている原因は、上手の地にあった熱帯雨林の伐採の結果なのだ。
 日本人がまずは踏み込むことのないこの地は、日本とは、深い関わりを持った地だった。

 右の写真は、先日奨学生の調査で訪れた際のピキットの洪水

悲劇はこうして作られる
 この地域の最大の悲劇は、巨木の伐採と共に、先住民族であるマノボ族が土地を奪われ追い立てられていったことだ。
 ミンダナオ子ども図書館で、娘の面倒を見てくださっているエディットさんは、マノボ族だが、当時の体験から明確になってくるのは・・・

 マルコス時代、政府は、ルソンやセブ、ネグロス、ボホールやイロイロと言った、ミンダナオ島外からの移民政策をとった。
 その方法は、まずは先住民族の住んでいる土地を、所有者の無い土地と断定して、移民たちに売却する。
 しかし、すでにマノボ族が先祖代々住み着いて、自給耕作をしていた土地である。
 簡単に明け渡すわけにはいかないのは当然。

 そうした強引な方法に対して、当然ながら、土地を守るための戦いが始まった。これが、組織化されたのが、NPA(新人民軍)と呼ばれるゲリラだ。NPAは、共産ゲリラとも呼ばれており、現在もフィリピンの山岳地域をはじめとして活動している。
 ミンダナオでは、ほとんどの山岳地域が、何らかの形でNPAと関係している。
 私たちの活動地域にも多くいるが、実態を追求したことは無い。

 これら反政府活動に対して、政府側は戦闘を起こしていった。政府側の言い分としては、ゲリラ活動に対する防衛措置である。
 その結果、戦闘地となった場所にいられなくなり、マノボ族であるエディットさんたちは、指定された難民キャンプに避難を余儀なくされた。
 こうして、数ヶ月から半年以上、難民生活をして帰ってみると、土地は移民系のクリスチャンの所有になっていたのだ。

 その後、エディットさんの父親は理由無く殺害され、ご主人は、NPAゲリラという容疑を着せられて殺害された。
 現在のご主人は、移民系クリスチャンであり、娘さんの一人は、ミンダナオ子ども図書館で経理を担当して今回結婚するルッチェルさん。

 意図的に戦闘を作り、現地の人々を排除したり、経済的困窮に陥れて、地域を思うように開発しようとするやり方は、ゲリラという呼称がテロリストに代わっただけで、現代でも至る所で行われている。
 ミンダナオだけではなく、世界の紛争地帯では、同様の手法が使われている。そうした現地政府の背後には、世界の経済を牛耳っている先進諸国の影がある。
 NGOもその片棒を担ぐ存在に過ぎないのだろうか。

  
 丹原美穂さんは、この二つの地に
 保育所を建設した。


 マノボ族の村では、子どもたちから大歓迎を受け、ハーモニカを吹き、日本から持ってきたチョコレートを配り・・・

 とりわけ、シャボン玉は大成功!!!
 至る所で子どもたちに夢を与えてくれた
 単なる物より消える物の方が、心に想いを残す?

日本で必死になって練習してきた
ハーモニカを吹く丹原さん

「ふるさと」は、
戦中日本軍の侵攻で亡くなった
ミンダナオの人々と日本兵の鎮魂のために
「歓喜の歌」は、
平和のために・・・等々

一曲一曲に切実な想いを込めて
汗びっしょりになって
ハーモニカを吹く姿が、
人々の感動を呼んだ


「あの人は、
単に貧しい子に物をばらまいて
自己満足したり
低開発国と見くだして、
安易な発言したりする人じゃない」
地元の人々は、
すぐにそれを感じ取った。

洪水に悩む下手のピキットの村、ブロッドにも丹原美穂さんは保育所を寄贈した
反政府地域だった
イスラムの人々の前でも
鎮魂の歌をハーモニカで奏で
平和への祈りを音に託す


小さな子どもでさえも
しーんとなって耳を澄ます

丹原さんを
心から受け入れてくれた瞬間
イスラム教徒もキリスト教徒も
丹原さんのような、無宗教も
仏教徒も神道も

自然崇拝も
精霊崇拝も

皆同じ心を持った人間だ


ミンダナオ子ども図書館でのシャボン玉パーティー
丹原美穂さんの今回の滞在で大成功は、シャボン玉だった。
この滞在のために、シャボン玉メーカーは特別に、一つ一個の特製ストローをつけてくれたのだという
ミンダナオ子ども図書館は、一瞬、シャボン玉に包まれて、別世界になった。



想い出の
ウオーターフォール


TBSテレビの

スタッフと共に過ごした

日々の記録
それはまるで、怒濤のような日々だった
日本のTBSテレビのスタッフが
貧しいマノボの村に、
日本の若者たちが
保育所を建てると言う設定で
学生5名に、タレント一人を加えてやってきた
彼らが来る前週に
村には、電気が来たと言う場所で
テレビの取材がどのような意味を持つかもわからない人々

最近になって、ようやくアポ山が、世界で二番目に高い山、であることに気づいた人々。
去年、フィリピン人がエベレストを初登頂して、彼らは目前に仰いでいたアポ山が
世界で一番高い山ではないことを知った。

「エベレストはどこにあるの?」
「アポ山のむこうの方・・・」
でも、子どもたちは、
物々しい機材と共に遠くから来た人々を
初めは用心深く、
しかし、すぐにうちとけて迎えてくれた

とりわけ、主人公の若者たちとは
うちとけるのも早かった
建設は夜遅くまで続いた
何しろ、通常2週間以上かけてする仕事を
5日でやることになったのだ。
仕事に対する考え方が
現地と日本では、天と地とも離れているのでとまどいも大きかった。
こちらの人々の仕事の方法は、昔の日本のように「心意気」が大事であって
「時間」が「心意気」よりも優先されていく現代の日本の考え方が理解できない
大工やスタッフの反発もあったが、
最後には、ディレクターの谷氏の「心意気」に押されて成功した・・・・
過去、日本人の間に生まれ、日本語も語れるおばあちゃんの存在
その姿から、若者たちが学んだことも多かった

軍事時代の負の歴史
決して日本人が、好意的に見られてはいないこと、
それをどのように友情で乗り越えていったらよいのか

今回の最大の驚きは
日本人の学生とスタッフが変化していく様子だった
知らず知らずのうちに
「先進国」と言う意識を持ち
現地の文化を破壊してしまうこと
見知らぬ国の
異なった文化の人々の中に
どのようにとけ込んだらよいのか
ただ単に、お金にまかせて
保育所などの建物を建ててあげたり
日本で発想した
押しつけの教育方法を持ち込んでもだめなこと

いかに現地の人々の文化や言葉
そして、心を理解して
それに寄り添うようにして、
物事を進めていかなければならないか
現地の人々の食べているものを食べ

バナナと芋とコーヒーと野菜
といっても、日本の甘いバナナではなく
ぼぞぼそしたバナナに塩辛をつけるだけ

野菜と言っても、山菜のわらび
そのような質素な食べ物しかない日々
こうして最終日の夕方近く
待望の保育所が完成した

ミンダナオ子ども図書館の規格より
一回り大きな保育所には
ガラス窓も入り

作業にかかる値段も50万円ほどになったが
立派なものが出来た
ただし、屋根の青いペンキだけは
雨が降って
塗り終わることが出来なかった
内側には
若者たちが苦心して作った
アルファベットチャートがかけてある

マノボ語が入った
アルファベットチャートは初めての事だろう
これらも彼らが学んだ成果だ
陰に陽に、ミンダナオ子ども図書館の若者たちも
お手伝いをした
彼らにとっても、思い出深い日々だった

お別れ会の時には、
皆涙を流した

人に対して、純粋に心を開くだけに
別れには深い悲しみを覚える若者たち
早朝、学生の一人の誕生日には
みんなでハラナをした

夜明け前に起き出して
みんなで誕生日の歌をうたうのだ
涙を流したイッセイ君

別れの日には、日本の若者たちも
泣き出した
とにかく、怒濤のような日々だった
スケジュールとタイムキーピングに追われる日本の仕事。
それとはまるで正反対に流れるミンダナオの時間。

その強烈な軋轢の中で、どうしても期日までに映像を仕上げなければならない・・・・
ギリギリの状況での活動だっただけに、若者たち、日本人スタッフに訪れた心の転機は、大きな意味をもって今後も生きてくるだろう



日本から4名の若者たちが訪れた
山田秀徳くんを中心として、YWCAの仲間たち
秀徳くんは、日本事務局をしてくださっている山田順子さんの長男
空手とアクアラングが得意な青年・・・と言っても31歳だが
ムスリムデーが近いので、イスラム教徒の若者たちとピキットの市場へ、イスラム料理の食材を求めて・・・
ピキットの市場は、キダパワンと全く違った趣があり「これぞアジアの市場の原点」
スタッフのジェックジェックさんの山の実家で一泊したあたりから、顔が変わり始めた
図書館の若者たちともすっかりとけ込んで・・・
実は、秀徳くんの訪問には、大きな目的が一つあった。
現在、日本事務局の山田順子さんが、癌が進んでいることがわかりコバルト治療を始められた、経過は良いようだが、治療が一段落したら
「もう、日本ではなく、ミンダナオ子ども図書館に住みたい!!!」
そこで、日本事務局の仕事を秀徳くんに・・・・
彼も高卒だが、お父さんも夜間の高卒でマニラに200人の従業員を擁する工場を立ち上げた。
秀徳くんはお父さん以上に「ぼくとつ」で、今時このような男が日本に居たとは、と思わせる人。
空手も指導してもらっただけに、若者たち、特に男の子たちに大人気!
先日見た映画「恋するトマト」の主演の日本人男性を思わせるせいか、女の子たちも、「男は見かけや年齢ではなく、誠実な人が良いな。」
あの映画は、ミンダナオ子ども図書館の若者たちに、大反響と涙を誘った映画です!
ハリーポッターよりよっぽどすごい!人生観が変わった!と言う子が多かった。必見。
別れの日、皆驚いたのは、ロネカリオくんが、秀徳くんが帰るというので、朝から涙涙・・・
ロネカリオくんは、小柄だが粋がって、俺は男だ一人でも生きていくぞ・・・と言ったタイプ
父親が亡くなっている事もあると思うのだが、とにかく涙が止まらない
それを見て、別れ際に、我慢しきれなくなって秀徳くんが、ワオーッと叫んだかと思うとドッと泣き出した
これには一同ビックリした
熱い男の友情を見せてもらったシーンだった

これから、日本事務局がよりしっかりした足腰を持って立ち上がっていくだろう。


アジア学院の長嶋氏が奥様と息子さんと訪問
有機農法を中心に長年
アジアから研修生を受け入れ来たアジア学院


長嶋氏は再訪だが、ここをクリック
今回は奥様と息子さんと来られた
左は、保育所の建ったイスラム地域
パイドプランギでグレイスさんと語る長嶋一家

右は、あらためて支援者の名が入った
ボードを設置しているところ
行橋カトリック教会の方々のために
「MIEKO MIZOTA Fr. YAMAMOTO & FRIENDS」
と書かれている
長嶋氏の息子さんは、シリマン大学の医学部を卒業後、ミンダナオの方と結婚し、現在はデュプログの病院でインターンとして活動している。
滞在中に医療患者が来られるとさっそく対応。医師として立派に対応されている姿が頼もしい。
フィリピン国籍が無いと医師として受け入れられないので、現在フィリピン国籍を申請中。
病院が貧困層とかけ離れている矛盾も良く理解しており、貧しい人々の中に入って活動したいと言う希望を持っている。
その観点から、ミンダナオ子ども図書館の活動にも評価を・・・・
将来ここを拠点にしてくだされば、多くの命を救えるだろう。
今回、何よりもの「成果?」は、奥様の滞在だった。
奥様は、タイの方だが、さすがに似た状況のミンダナオの子たちに、何が必要かを良く知っておられる。
足踏みミシンを寄付してくださり、裁縫の基礎を若者たちに教えてくださった。
その後、若者たちはもう夢中・・・・
帰られた後も、図書館に住み込んで
子どもの面倒を見てくださっている
寡婦のドリンさんが裁縫を引き継がれた


今は、1月27日ムスリムデーの踊りで使う
マロンを制作中
今年度の子ども達の制服もここで作るつもりだ
長嶋氏滞在のおかげで、
ミンダナオ子ども図書館で作りたい
大学の構想がスタッフにも見えてきた


最初は2年生の専門学校(短大)として出発し
保育コース、農業教育コース、家政コースを設置

4年制の大学とはひと味違った
より実務的な学校にしたい
成績はイマイチだが、心根のよい子の将来のために
と言っても、初夢の段階
長嶋ご夫妻曰く
「ここにアジア学院をリタイアされた方々や教会関係者の第二の人生の活動拠点を作りたいなあ。
気候もさわやかだし、緑豊かでアポ山の眺めも良いし。
小さいながらも良い総合病院もあるし、温泉もあるし、卒業生のエラさんもいるし、息子のクリニックも出来れば・・・・・」
どうぞどうぞ、土地もいくらでも空いています。



TBSのデレクター突如訪問
3月3日ゴールデンタイムの番組を制作したい
谷ディレクターからTELを頂いたとき、
「頓挫するな」と思った。


NHKを始め、ほとんどの番組が
既に6回以上のアプローチをしてきて全て
実現しなかったからだ

本当に来たときはビックリした
初めて現地を訪れたTV制作者だ
ウォーターフォール村の
バランガイキャプテンと話す谷氏

32歳、若くて精力的
仕事に情熱を傾けている姿に好感した。

まだこのような気概のある制作者が
テレビ局にもいたのだ!
過去、番組制作が頓挫する理由は明瞭だ。日本政府の指定する危険地域だから・・・・
つまり、取材許可がなかなか下りない。
北コタバト州はイスラム地域として有名なので、キダパワンは比較的安全な地域なのだが、ジャーナリストは恐れて入らない。
朝日新聞の木村文さんだけは、来られたが。ここをクリック
今回は、スタッフと話しを慎重に検討して、安全なアロナの故郷、ウォーターフォール村を選んだ。
谷氏はとにかく、仕事熱心だ。ミンダナオ子ども図書館の子ども達も迫力に押されて遠巻きに・・・「あの人、何????」
現地でもひたすら番組構成を・・村長、村人、子ども達、保育士、先生に矢継ぎ早に、核心を突いた質問をしてくる。

翌日、フリージャーナリストの宇崎眞氏も加わった。
こちらは、マルコス時代のNPAも取材した猛者のフリージャーナリスト?
この村では、
お父さんが日本人兵士で
日本語を明瞭に話す老婆と出会った

戦争被害者の一人だが
姉妹の中で日本人と結婚した妹は
日本にいるという

妹も亡くなり
今は、10年以上も音沙汰無いが
寡婦となって夫もいず
日本に帰りたいと・・・・

後ろの竹小屋に住んでいる
娘や孫やひ孫といっしょだが
兄を亡くしたアロナも協力してくれた。
彼女、すっかり元気を取り戻しました
皆さん安心してください!!!


TBSは、2月に本番で来ると話していますが
実現するか否かは、まだわかりません

実現すれば
3月3日の9時から10時の特別番組で放映
日本の若者たちが、この村に来る設定


スポンサーはト某自動車メーカーだそうです。
村に建設資材を運ぶための
4WDトラックを寄贈していただけませんか???











ミンダナオ子ども図書館の2階から見た
夕刻のアポ山
この山の向こうから日の出が拝める
刻々と表情を変えつつ
終日私たちを見下ろしている
アポ山
アポとは、長老の意味で、
地元の人々は、
たくさんの神々や妖精が棲む
神聖な山としてあがめている。
標高は2964mでフィリピンの最高峰。
ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちと
マノボ族のお父さんたちが
ガイドとポーターになって
訪問者と一緒に
道なき道を山頂へ!
ジャングルを抜けて3泊4日




山旅は、山麓のマノボ族の村から始まる























 


















































山でマノボ族の子たちに出会った












































「世界一高い山はどこ?」
子どもたちにたずねると
迷うことなく答えが返ってくる。
「アポ山!」
















































妖精のようなお父さん
急斜面では、靴を脱いで
裸足で登る






















































尾根下の渓流横でテントを張る
夜は、星空の下で
地元の妖精たちと歌って踊る




























ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちも
高校卒業の記念にアポ山へ!
毎日、目にしている山だけれど
神聖な山に登れるなんて
夢のまた夢





















































































































































































山頂は、七つのピークに
岩場には、ブルーベリーがいっぱい!





















































遠くダバオ湾が見渡せる
















































































妖精たちの住処に泊まらせてもらった。









































ミンダナオ子ども図書館MCL)ばんざーい!


























































































ぐつぐつと、地の底から煮立って湧き出す
こここそが、マノボ族の聖なる場所だ。


































































































戦前から住んでいた日本人が
大戦中にジャングルに逃げて
日本人出ることを隠して
マノボ族となって生きてきた。
このおばあちゃんのお父さんも日本人。
片言の日本語を話した。
お孫さんたちは、MCLの奨学生






























2007年のサイトから
2007  Go! 



行橋カトリック教会の山元神父、イスラム教徒の村を訪ねる


21日にミンダナオに帰り、25日にまた日本に発ち30日に行橋カトリック教会の30周年式典に出席、その後山元神父とミンダナオへ、昨日マニラにお送りして、今日ようやくメールとも向かい合えるようになりました。
ヘトヘトのフラフラですが、こちらでの業務が待っています。
それでも、心待ちにして待ってくれていた30名の若者たちの顔を見ると疲れが吹き飛びます。結局、この子たちを人生の旅に送り出すこと、そして色々な地域の子供たちが少しでも希望を持って病気にならずに安心して育っていく環境を作ることがミンダナオ子ども図書館の役割なのだと思います。
とても基本的なことを、とても単純に実行していきたいと思います。
山元神父は、気さくに若者たちとつきあってくださり、とりわけイスラム地域の読み聞かせ、先住民族の医療、ダバオのイスラムのスラムでの活動に感動。イスラム地域の読み聞かせでは、ともにイスラムの人々の前で歌ったり踊ったり・・・ムスリムの人々に新鮮な驚きをあたえてくださいました。
ミンダナオ子ども図書館の若者たちも、最初は神父が泊まると言うことで緊張していましたが、その気さくさにイスラム教徒の若者たちも、ファーザー、ファーザーと慕われました。
教会からの医療支援金は、イスラム地域の子どもの救済に使います。






 日本の若者たちを受けいれるためには、
それ自体をプロジェクトとして立ち上げなければならない。


 ミンダナオ子ども図書館の場合は、日本の若者たちを受け入れるためには、単なるボランティアとしては無理で、ワーキングキャンプのようなプロジェクトとして、受け入れ対象の若者たちの目的や個性に合わせて検討しなければならない。
 理由は、ミンダナオ子ども図書館の活動が、本部であるミンダナオ子ども図書館から、かなり遠くの村々にまで足を運ぶ、積極外向型プロジェクトであるためだ。

 今まで私は、訪問の依頼があると、かつて私がお世話になった孤児施設、ハウスオブジョイを紹介推薦してきた。
 理由はいくつかあるが、何よりもゲストハウスがあり訪問者の受け入れ体制が出来ていて、烏山さんが接待の経験も豊富であること。
 海も近くプライベートビーチもあり、美しいこと。そして何よりも、養護施設であるがゆえに、施設内で安全に楽しく子ども達と触れあうことが出来る事が大きい。中にいる子ども達も幼い子が多く、一緒に良く遊んでくれる。

 それに対して、ミンダナオ子ども図書館は、活動はリスクのある外向型プロジェクトであり、僻村や難民キャンプへの読み語り、戦闘のあるイスラム地域や反政府ゲリラのいる山地での諸活動を行っている。
 図書館に住み込みでいる子ども達の年齢層も、おもに高校から大学と高く滞在の目的は学習(結構のんびりとしているが・・・)。
 
 年度初めの全体集会で、若者たちの選挙で選出された学生議長と役員が、毎月末に全体集会をして重要事項を決定する。
 また週末は、図書館に住んで学校に通っている奨学生で家族会議が開かれ、生活の諸問題やルールが話し合われている。

 若者たちがスタッフと作った独自のポリシーはなかなか厳しい。
 現地の若者たちの自主性を重んじている結果だが・・・図書館の若者たちの間での恋愛は禁止。兄弟姉妹として接する。過去、抱き合ってキスをしている場面を小学生のスカラーが見て大問題に発展し、当人たちはスカラシップ停止処分になった。面接をして、互いに将来の結婚を確約して、責任を持って交際しているカップルは多めに見られているが・・・。

 こうした事態で一番困るのが私で、支援者への釈明が難しい。 
 加えて保護者と交わした契約もあり、相手が日本人だったりすると、日本の若者はフィリピン人をホステスか売春婦のように見ている、と言った険悪なムードが生まれるだろう。実際そのような中年男性が、フィリピンにはうろうろしている。「可愛い女の子がいっぱいいるから行こうぜ」と言うのが過去最悪の結果を生む。
 せっかく夢に見た大学生活や将来の夢をあきらめて、泣きながら元の貧困にもどらざるを得ない事態になる。


 ゲストハウスもないので、訪問者は、子ども達とファミリーサイズつまりセミダブルの竹のベッドで、若者たちと二人で寝る。
 一部屋に二段ベッドが3脚あり、小さな部屋に12人が寝ている。ただし付き添いのVIPの場合は、小さな私の部屋を開けるかオフィスを提供する。ミンダナオ的と言えばミンダナオ的で良い経験なのだが・・・・・食事もみんな一緒で粗食。接待らしい接待も出来ない。
  また訪問者が皆一応に驚かれるが、敷地の周囲に壁がまったくなく、ガードマンもいない。

 それでも良ければ良いのだが・・・・仮にそれでも良いとして、
 若者たちは午後まで学校だし、スタッフは独自の活動をしているから訪問者はほったらかしとなる。同行可能な場所も、外向型プロジェクトは頻繁に車を使うので、人数によって車を2台3台と出すことになり、ガソリン経費が馬鹿にならない。若者たちには信じられないほど良い経験になるのは確かなのだが・・・4駆のトラックがあれば、フィリピン式に荷台に乗って運べるのだが。
 「スカラシップなどの支援者ならば納得できるが、本来は医療で使うべき貴重な寄付を、単なる体験ボランティアのために使っても良いのだろうか」とスタッフ一同考えてしまうこともあった。子どもの救済は、毎月経費とのにらみ合いなのだ。

 最近は、日本の大学では国際関係論などの講義が盛んで、また企業もボランティア体験を採用の基準に加味しているようだ。
 もう一つ困るのが、こうした学生が、論文目当てで来ることで、若者たちのバックグラウンドを始めとして、本来あまり触れるべきではない事柄を根掘り葉掘り質問したり、住み込みのソーシャルワーカーに個人データーに触れることまで聞くことだ。
 ミンダナオ子ども図書館は、学生の論文や研究対象のために活動しているわけではない。中には、日本に行けると思って、あおられて対応するスタッフの始末や、その結果平和を乱された子ども達のケアが残る。当人は研究熱心なだけで少しも悪気はないのだが。
 もちろん、経験豊富で責任感のあるジャーナリストや作家も来ているが・・・

 しかし、今回は、それでも日本の若者たちの未来を考えると、交流プロジェクトを推進しよう、と決断する理由があった。
 やはり、フィリピン以外の国、特に日本のように生活感を失った先進国の若者たちを放っておくことは許されない。5年目で、スタッフも体制も整ってきたので、カルチャープロジェクトと平行して国際交流プロジェクトも検討しよう。
 やるからには、キチッとプロジェクトとして位置づける必要がある。訪問者が滞在する期間は、行橋の幼稚園の先生方が来られたときの経験から、訪問者に合わせた企画を作り、安全のためにはスタッフや場合によっては多くの若者も動員しよう。

 企画としては、以下の事を検討。
 1,僻村で安全な場所への読み語りや山の保育所の子たちとの交流
 読み語りは、奨学生が出てきた、マノボ族の良く知っている村を選ぶのが良いだろう。
 現地の子ども達との交流、自然の中で遊ぶ体験、お話しは出来なくても皆で手遊びを楽しんだ経験などは、きっと若者たちの心を広げ、豊かな気持ちにしてくれる。
 そして、山岳地域に追われた先住民の貧困の現状も伝えたい。

 ああ、どなたか、四輪駆動のトラックを購入してくだされば、荷台に大勢の若者たちを乗せて、1~2台の車で(ガソリンを節約して)現地に向かえるのですが・・・・
 読み語りには最低30人ぐらいの若者たちが同行するのです。
 皆が一番楽しみにしているプロジェクト。
 2,保育所建設を手伝う
 イスラム地域は危険で無理だが、マノボ地域でNPAゲリラのあまりいない地域なら大丈夫。
 現地に行って、可能であれば一泊ほどして、現地の人々やミンダナオ子ども図書館の若者たちと、保育所を建設。
 ぼくは大工の経験はないけど、と言う若者も大丈夫。こちらでは、家は皆自分で建てるもの・・・
 ただし、保育所建設資金の30万がなければ資材が買えない。
 それからこれまた、どなたか、四輪駆動のトラックを購入資金を寄付してください!そうすれば、人と資材を山岳地の村まで運べるのですが。
 3,山の家に泊まり、電気もない生活を体験する
 これは、安全な地域にある知り合いの家に限定。
 お金のない、自給を取り入れた生活。
 薪を作り台所でご飯を炊く。
 泉まで水をくみに行く。洗濯は川でする。
 私自身も、そのような生活の中で考え、今のミンダナオ子ども図書館を作り上げた。生きることの原点を感じることが出来る体験。サバイバルというより、生活の意味、豊かさの質、幸せとは何かを考える時を持つ。
 ガードマンとして、屈強の男(例えばプレシデントのアーロン君)他が同泊する。ただし、その家庭に少し寄付を置いて帰ってくださいね。
4,保育所の開所式に出席
 これは、どうしてもイスラム地域に行って交流したい人向けの計画。
 イスラム地域は、マノボ地域よりも入るのが難しい。目的もなく訪ねることは不可能。
 マノボの奥の地域の場合(危険地域)でも同様だが、しっかりした目的があれば、先方も納得し安心し、歓迎してくれる。
 イスラム地域での保育所建設参加は難しいとしても、あらかじめ保育所を建設して開所式に参加という手がある。
 そのかわり、現地の人々とのあらかじめ信頼関係を築きコンタクトをとり、市長にセキュリティーを相談し安全の確約を得る。市長が事前にその筋に報告し要所要所にガードを配置。
 場合によって行橋の幼稚園の先生方の時のように、ガードの兵士を6名ほどつけてもらう。
5,農作業に参加
 ミンダナオ子ども図書館を有機農場としてゆきたいと思っている。
 アジア学院のアドバイスも受けて、現在はフィッシュポンド(養魚池)を計画。
 例えば、フィッシュポンドの穴掘りに参加等・・・
 時期によって、バナナの収穫を手伝う。
 毎日の鶏の卵集め、2期作の稲刈りや田植えのお手伝い。
 その他、若者たちが作っている一坪農園の野菜作りを手伝う?ほとんどおしゃべりをしながらですが・・・・
 アジア学院の卒業生のエラさんの農場を見学し、有機農法について教えてもらうこともできる。

 このような線で、スタッフと相談してみたいと思っています。

 生涯忘れられない、貴重で有益な滞在になることは確実ですが、訪問したい方は、あらかじめメールでご連絡ください。


ミンダナオ子ども図書館だより:
日本での公演、講演スケジュール
2007/9/30




今回、ムスリム公演で持参する装飾の数々です


ウエルカムの文字の見える幟
幟や旗を見ると、国技館の相撲を思い出します。
やはりアジアの同じルーツでは?



ビーズの美しい織物も持参します。
手作りの貴重なものを購入しました。
美しい装飾には、天界への憧れ
祈りが表現されています。



左は、大きな銅鑼のアゴン、右は太鼓
共に当日使うものです。
真ん中は、今年2月のミンダナオ子ども図書館でのムスリムデーの一こま
竹ダンスですが、今回は人数のつごうでこの演目はありません。
しかし、様々な小物を使った美しい優雅な踊りが見られます。





ムスリム公演大盛況で終わる 11月13日

 非常にハードなスケジュールでしたが、公演は終始驚くほどの盛況で終わりました。まずは関係者の皆様、協力くださった多くの方々、とりわけ主催者の皆様に心より感謝申し上げます。

 最初の800名も入る高島市民会館の大ホールを皮切りに、小学校、山の分校、姫路の私立高校、福崎の図書館、大阪の水仙福祉会、平野ホール、平野全興寺の境内、福岡の行橋カトリック幼稚園と、山から里から大都会、大ホールから山の分校、幼稚園から高校までと毎回が異なったシチュエーションのなかで、時には観客が総立ちとなり、時には互いに涙を流しと、一つ一つの出会いが思い出深く充実したものになりました。

 国際交流基金に断られ、落ち込みながらも小さなNPOだけれどもみんなの力で頑張ろう、と諦めなかった草の根の人々の力が、大きな感動と成果につながったと思います。
 各市町村の太鼓や踊りの助っ人、町内会の青年部、なにわ語り部の会の踊りや昔話、地球お話し村のジンベグループのアフリカの太鼓や日本で唯一のクリンタン演奏グループ、パガナイクリンタンアンサンブル、国立民族博物館の江口教授もトークに参加。
 本来の目的である、草の根からの国際協力の目的が、皆さんのおかげで見事に実現されました。「絵本による街づくりの会」に拍手!

 市長夫人も福祉局のグレイスさんも、日本のイメージが根底から変わった、と嘆息して、若者たちと飛び立って行きました。
 このような取り組みが、今後も長く続けられ、相互理解に満ちた平和なアジアを作る環境が整っていけば幸いです。
 多少の写真と文では、語りきれませんが、とりあえず皆様にご報告いたします。

  ++++++++++++++++++++++++++++++++
 
 感想で一番多かったのは、「躍動する明るいリズムに乗った踊りから、生きる力や喜びをもらいました」というものだ。
 とにかく、私自身が驚いた!ミンダナオから出たことがないどころか、エスカレータも恐がり、飛行機も始めての謂わば辺境の地の若者たちが、こんなすばらしい公演をするとは思わなかった。
 所詮心のどこかで、民俗芸能を若者がまねた程度と考えてたし、何しろ海外に出ての初舞台が高島の大ホール。現地の和太鼓や踊り、舞台慣れした地球お話し村のジンベ太鼓やパガナイクリンタンアンサンブルに助けられたおかげもあるが、その合間に素人らしく踊るのが関の山だと思っていたのに、身内だから言うのではないが、その迫力、情熱、スピード、誇り、美しさにおいて他を圧倒していたと思う。

 理由はいろいろ考えたが、自分たちの生活に今も息づいている伝統芸能として、「演じる」のではなく「披露」するのでもなく「楽しんでいる」姿がそこにはあった。「誇り」「喜び」「情熱」など生活と祈りに通じるものがあった。
 本物だという感じがひしひしと伝わってきた。それは小さな舞台の中でさらに強く感じられた。6人の生徒しかいない山の分校で子ども達のコカリナの演奏を聞き全員が泣き出した。幼稚園や小学校の交流では演奏が終わって子どもを抱っこしたり一緒に太鼓を叩いたり。そのような彼らの姿には、舞台の上に立つものと下で鑑賞するものの壁が無い。
 同様のパワーを感じたのは、地元の太鼓グループや踊り、アフリカのジンベ太鼓のジョセフさん、全興寺境内で出会った青年団の若衆たちだ。

私も驚いた見事な舞台
実は私も、初日の高島の大ホールで初めて彼らの本当の公演を見たのだった。毎週末に、ピキットで練習していたことは知っていたし、垣間見たことはあったのだが、初日の初舞台で、800人収容の大ホールが小さく見えるほどの大胆な動きと、その優美な美しさにも感動したが、彼らの舞台度胸にも驚いた。
「生まれて初めて海外に出て、これが最初の公演とは・・・」
数名の方々から聞かれたのは。
「今回何度目の来日ですか?海外はどこで公演されてきたのですか?」
「いいえ、エスカレーターにも怖くて乗れない子たちで、ただの大学生です」「エッ!」
特に驚いたのはスピードと躍動感だ。くり返されるリズムが心地よく、天に昇っていく気がする。彼らの話しによると。
「この踊りは、現地では晴れの日の踊りで、自分たちが子どもの頃は楽器は神聖で、少し大きくなるまでは手を触れることは出来なかった。
それだけに憧れた」との事。
舞台のデコレーションもすばらしかった。手縫いのビーズの横幕が、照明にあたって、この世のものとも思われない空間を再現する。
元々は結婚式などの神聖な晴れの日の舞台なのだ。アフリカのジンベ太鼓のジョゼフさんと福祉局ソーシャルワーカーのグレイスさんに、
国立民族博物館の江口教授がトークで質問。地元の太鼓もくわわり、最後は総立ちに盛り上がった。
演奏が終わってからの交流会。
ジョセフさんは、すっかりクリンタンの魅力に引き込まれる。
あれだけ舞台で激しく踊ったにもかかわらず、
ここでも踊りや歌が深夜まで続く。
とにかくバイタリティーがある。
明日の公演のために力をセーブすると言った考えは全くなく、
あらゆる瞬間に全開で生きようとする
彼らの精神性が良く表れていた。
子ども達との交流
子ども達との交流は、特に良かった。
とりわけ、幼稚園児の場合は、
互いに壁を取り払って出会える人々だからか、
一番気が合うようだった。
とにかく子ども好きな若者たちだ。
6人の山の分校でのコカリナ演奏では、
皆で涙を流していたし、
行橋での市長夫人の誕生日に歌った歌に、
夫人も涙が止まらない。
30分の公演を、一心に見る子ども達、
終わってから一緒に踊ったり、
太鼓やクリンタンを叩かせてもらったり。

いろいろな出会いがあった
感動的だったのが、支援者の方々との出会い。
卒業間近の子も多く、4年にわたり支援し続けてくださった方々に、
まるで父親や母親に出会ったように喜んでいた。
とりわけ、父親のない子、母親の亡くなっている子などは、
支援者を頼りになる親のように思い続けていたことが、若者たちの表情かも読み取れた。
姫路では、
姫路城主にも出会った??
日本文化についても、何かを肌で感じたようだった。「思った以上に、優しくて、ホスピィタリティーにあふれていて驚きました。日本人に対するイメージが、根底から変わりました」とは、市長夫人の言葉。
フィリピンでは、子どもが寝ないと
「日本人が来るから早く寝なさい」と、
鬼のような意味で使う。
戦中の日本人の悪い行いも語り継がれている。
また、ハイテクの中で、人間性を失った仕事人間と言うイメージも強いが・・・

つかの間の休日
滋賀のマキノ木村さんのお宅で、つかの間の休息。
本当にお世話になりました。宿泊先ではホームステイが一番楽しかったようだ。
大阪の水族館と姫路城にも。
姫路城わきの小さな動物園では、初めて象やラクダをみて大喜びも。
平野の善興寺では、地区の青年部の太鼓と鉦に混じって踊りを踊る。
若者どうしの交流も、ぴったりと息が合い、たちまち国境を越えて心がつながる。
こうなると、私も含め大人達は完全な脇役だ。
釜ヶ崎の子どもの施設「子どもの里」は、一番リラックスした場所の一つだった。
ホームレスがいて人間味がある街は、どこかフィリピンに似ている。ゴミが落ちているよ、ホッとするなあ・・・日本にもホームレスがいるとは驚き。
でも、日本のホームレスは可哀想だ。ひとりぼっちだし、夜も寒くて寝られないだろうに・・・
ここには、日本滞在中のフィリピン人もたくさん来ていて、福祉局のグレイスさんは、様々な質問をしていた。
また、幼稚園でも園児と食事をして、日本の保育に深く関心を持った。
日本でも有名な水仙福祉会でも、日本の老人や赤ちゃん保育の現状を視察。たくさんのヒントを得た充実した滞在だった。



     *******************************************



幼稚園の先生研修に、パイロット保育所開所式に参加

 福岡から、研修旅行で、山元眞神父に引率された幼稚園の先生8名が来られ、イスラム地域での初の保育所の開所式に参加されました。美しい滝のあるマノボの村での読み語り、電気のないルモット村で一泊、現地の保育所で子どもたちと感動の日々を過ごされました。ミンダナオ子ども図書館の若者たちとの涙ながらの別れの様子もお伝えします。

 大阪から、関さんが来られ、リオ・プランギ川を舟で保育所建設予定地の視察に行かれました。マノボの村にも宿泊、2日間でしたが、感動されて帰られました。3カ所の保育所を建設予定。独自の開発プランも思索中とのことです。

 ダバオの三矢博司領事にお目にかかり、10月のムスリム公演に関してご説明し、無事にビザを出していただきました。ピキット・ナカブアル村の学校増築の件についても、日本政府の草の根基金に応募するためにそろえた資料をお見せし、在比大使館の角井書記官をご紹介いただきました。JICAの後藤氏、IMT(国際停戦監視団)の長石氏にお目にかかり、今後のピキットの発展協力に関し有意義な話しが出来ました。

  **************************************************
 FK 
  福岡から、幼稚園の先生方が研修旅行で来られた

 福岡の行橋から、8名の幼稚園の先生方が、園長である山元眞神父に引率されて研修旅行に来られた。
 8名の先生方のうち、何と6名が初めての海外旅行!
 初めての海外旅行にミンダナオというのは興味深い。他の海外旅行とは全然違うだろうから。
 しかも目的地の一つは、イスラム地域のピキット、最初のパイロット保育所を建設したプランギ村。そして、高地のマノボ族の村の保育所を訪問。ミンダナオ子ども図書館でなければ、決してアレンジできない場所だ!




 マニラまで迎えに行ったが、最初はさすがに緊張した様子。
 表情のこわばった?二十歳前後の若い先生方を見て、「この子たちだいじょうぶだろうか?」私の方が緊張した。
 到着して、まずは市場へ。そこで、寝袋にもなるイスラム教徒のマロンを購入。急に元気になった先生方を見て、これなら大丈夫とホッとした。その後は、どんどん心が解放されて、帰るときにはすっかり「失った何かをとりもどし」たような表情で、「日本に行きたくない」「また帰ってくるからね」とどちらが故郷かわからないような言葉と涙を残して、もどっていかれた。その経過を写真入りでお知らせします。

 到着翌日は、まずは足慣らしに、高地マノボの村、ウオーターフォール部落を訪ねた。
 結構な山道で、途中で一台車が登れなくなり最後は徒歩で。良くあることなので私たちは驚かないが、皆さんビックリ。しかし、滝は美しい。




 
まずは、マノボの子どもたちとの出会い。
 写真左は、園長の山元眞神父(再訪)と、右は主任の品川忍先生。さすがに日常、子どもとつきあっているだけにとけ込み方がとっても上手だ。あっと言う間に、子どもたちとの距離が縮まっていく。といっても、素朴で人なつっこいマノボの子たちが、素直に心を開いて受け入れてくれた???






 
ひとしきり子どもたちと遊んだ後に、いよいよ読み語りが始まった。
 
美しい滝の見える側での読み語り。





 上の写真で、読み語りをしているのは、奨学生のアロナ・アモールさん。
 彼女は、この村の出身。マノボ語で読み語りをした。
 この後、皆で彼女の家を訪ねたが、18歳の兄は、完全に足も腰も首も曲がっていて、生まれながらのポリオ(写真下右端で、こちらを見ていない子)。10歳の弟は多少軽度だが、やはりポリオだ(写真前列中央)。


下の白黒写真は、山元眞神父が撮影

 アロナ・アモールは、愛というその名が示すように、本当によい子。彼女が、一家の心の支えだ。
 体の曲がった兄をさすりながら、しきりに「ここが痛いの」と私にいう。出来れば治療して欲しいという事だろうが、18歳で自分で体も動かせない、一見肉の塊にしか見えない子をどのように治療したら良いのだろう。
 兄も、声をふりしぼりながら泣く。アロナが居ないと寂しいという。アロナもワッと泣き出す。私ももらい涙だ。
 周りで見ている奨学生たちが、アロナの家庭は哀れだと言う(彼らの家庭も別の意味で大変なのだが・・・)。私は、「むしろ、なんて愛のある家庭なのだろう。少し愛を分けてもらいたいぐらいだね」と答える。アロナと彼女の家族が喜ぶと思い、山元神父さんに「祝福してあげてください」と頼んだ。そのときの様子を、山元神父は、カトリック新聞のための記事にこう書いている。

   ++++++++++++++++++++++++++++++

 狭い戸口から入ると、そこには家の土間に座り込んだ二人の子どもがいた。
 子どもといっても一人は十八歳。細い腕と足。小さな体。頭は普通の大きさ。体はひねったような状態で土間に座りこんで下を向いている。もう一人は十歳くらいだろうか。その子も土間に座りこんでいる。その子は大きな目を輝かせて、部屋に入って来たわたしたちに歌を聞かせてくれた。細い細い棒を定規のようにして絵を描いてみせてくれた。しっかりした線で車の絵を描いている。
フィリッピン、ミンダナオ島の奥地にある村を訪ねた。読み聞かせに行く子どもたちに同行した。四輪駆動の車でやっと行けるような山村。その村に日本から奨学金を受けて学校に行っている子どもがいる。その兄弟想いの女の子の家に寄ったときの様子がそうだった。
 イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。「狭い戸口から入るように努めなさい…。」
 極貧の村。貧しくされた人たち。難病に悩む家族。とても救われているとはいえない状況。これ以上に不幸で残酷な所はないと思えるほどの家。しかし、狭い戸口から入ると、そこには救われた者の姿があった。
 兄想い、弟想いの女の子の名はアモール。「愛」という名。静かに涙を流しながら兄弟の状態を説明している彼女からは、えもしれない暖かさが溢れ出ていた。この家族はこの女の子の愛で救われているのだと思った。
 家の中は一緒に訪れた子どもたちでいっぱい。一人の子が座る場所を譲ってくれた。弟の真ん前。わたしの目を見つめながら歌を聞かせてくれた。家に入りきれなかった他の子どもたちが窓から、入口からのぞき込む。その子たちの温かいまなざしがその家をいっそう温かくする。ここはまさに救われた者の場だと思った。
 何もできない自分勝手で無責任な想い。苦しんでいる人たちに何もできない自分。救われている人はこの家族とそれを取り囲む人たち。救われてないのはむしろ自分だと思った。
 イエスの名による祝福。これしか与えられなかったが…。この場合、祝福は与えるものではなく、あなたは神から祝福されていますよ、という宣言にすぎないと思った。そして、その祝福された人に触れるとき、わたしもまた、その祝福に包んでいただくのだと気づかされた。
 (中略)
 狭い戸口から入って、そして見たもの。それは愛から溢れ出る涙だった。

  ++++++++++++++++++++++++++++++

 マノボ族の村での読み語りが続く。

 ミンダナオ子ども図書館では、必ずイスラム教徒、先住民族、移民系クリスチャンの歌を披露するが、今回はさらに日本人グループが加わった。
 下の写真左は、マノボ族の子たちの前で歌うイスラム教徒の奨学生たち。彼らも本当にうれしそうだ。右は日本民族の人たち、福岡の幼稚園の先生たちが山元神父と一緒に「むすんでひらいて」をしているところ。これは、大受けに受けたものの一つ。
 


 さらに、極めつけは、山元神父の甥御さんによる、大道芸だった。

 パントマイムもこなし、大喝采。プロに近い技に、魔法だと思った子たちもいた。
 ただ、日本的価値観を捨てきれずに、観察しに来る訪問者を、地元の子たちはあまり受け入れないが、このように無心にとけ込む人々に、子どもたちはすぐに心底心を開いて飛び込んでくる。



 
 翌日は、いよいよ最大の目的地、イスラム地域の保育所開所式へ

 まずは、ピキット市長を表敬訪問。
 写真左は、左からおなじみDSWDのグレイスさん、市長夫人、市長、山元神父、DSWD所長。皆さん、とても温かい人々。
 写真右は、先生方もいっしょに。




 新しいパイロット保育所が出来た!
 普通ではとても入れない場所だが、今回は日本から賓客も来ているので、市長が6名の軍の兵士を護衛に出してガード。現地に到達した。そんなに危険とは思えないのだが・・・・それにしても、住民も子どもも賓客も、あまり楽しいので、兵士まで笑顔でとけ込んでしまっていた。
 下左は、新築された保育所。ミンダナオ図書館を絶えず支援し、去年ガンで亡くなられた溝田美恵子さんが、行橋カトリック教会の方々と一緒に寄贈され、名前も入っている。右は内部の様子。椅子と机もそろった。亡くなられた美恵子さんは、生前から幼稚園を作るのが夢だったから、それが不思議なことにミンダナオでかなったわけだ。




 同時にこの村から、溝田美恵子さんの支援で、大学生の奨学生を一人採用した。
 下左は、私がその若者を紹介している所。父親は亡く、右はお母さん。非常に貧しく、下のように椰子の葉で屋根を葺くものを作り生活している。一つ1ペソ(2円にもならない)。息子さんが大学に行けるようになったのを、涙を目に浮かべて喜ばれていた。



 山元眞神父も、支援しているイスラム教徒の若者、アダム君と再会
 下の写真、右端がアダム君。左も今年新たに奨学生になった若者。このような出会いを通して、戦闘地のイスラム教徒で、ほとんど外人に会ったことのない彼らも、何かを感じ取るのではないだろうか。




 滞在5日目。ミンダナオにも慣れたところで、マノボ族のいる山に一泊。
 背の高いラワンの茂るジャングルに近い場所だが、ミンダナオ子ども図書館の役員の一人で、保育所の先生をしながらマノボ族のために献身的に生きていらっしゃるビックビックさんの家に行った。この家は、写真絵本(ポプラ社:世界の国々『フィリピン』下の写真)でも紹介された場所だ。下の写真は、ビックビックさんの保育所と黄色い服が当人。



 周囲に他の家が一軒も見えないような山の中の家。
 もちろん電気も無く、蛍が飛んでいる。
 家も小さいので、皆、床にゴザを敷いてねる。食事も薪で作り、まるで、キャンプみたい。しかし、翌日外へ出て、そのさわやかさにビックリ。ラジオ体操の後、朝食が済んでさっそく保育所へ。



 その楽しかったことと言ったら!
 上の写真は、こちら流の「後ろの正面だーれ」をしているところ。さすがに現役の先生方で、子どもの扱いも見事だ。



 上は「とうりゃんせ」をしているところ。
 もちろん、日本語で歌っている。子どもたちはもう夢中だ。



 さらに極めつけは、「花いちもんめ」
 「あの子じゃわからん」と言いながら、アッッカンベーをすると、子どもたちはそれこそ大喜びだ。
 このような日本の伝統的な遊びは、こちらでもそのまま子どもに受ける。



 部屋に入っても、「おおきなかぶ」を演じたり。
 一人一人パーフォーマンスが出たりと、とどまる所を知らない・・・・
 こちらの保育所は、プレスクールと言って、小学校に入学するための文字や英単語の学習が中心。遊びを主体とした日本の保育とは天と地ほども異なる。それだけに、ビックビックさんなどの保育者にとっては、新鮮な驚き。

 マノボの子たちは、日常がのびのびと解放されているだけに、せめて保育所では学習に集中することが求められ、日本の子たちは、日常が解放されていないだけに、せめて保育所ではのびのびすることが求められる?????

 入所して3ヶ月にならない先生3人に対して、古株の先生方が「あの人、あんな事も出来たの!ゼーンゼン知らなかった。」
 新しい先生方も、「あの先生、あんなとこがあったなんて。ビックリ」等、どうやら先生方の相互交流が出来たようだ。先生方が、マノボの子たちに、心を開いてもらった???


 そして別れの日
 お別れパーティーを開いたが、その前からすでに、先生も子どもたちも、涙涙・・・・・・・



 ここでも、先生方は、大ハッスル。
 山元神父の炭坑節まで加わって、ミンダナオの夜は更けることを知らないかのようだ。




 上は、炭坑節を踊っている山元神父。
 フィリピンの神父と、あまりにも違う神父像に、若者たちは大はしゃぎ。親のいない子も多いので、「お父さん、お父さん」と言ってくっついて離さない。(こちらでは、神父のことを、「ファーザー」と呼ぶ)



 劇団四季に勝るとも劣らない?、心のこもった「おおきなかぶ」の演技。
 ミンダナオ子ども図書館の若者たちは、この話を絵本で知っているので、今後は読み語りの現場でやるだろう。
 それと、「むすんでひらいて」は、現地語に訳して定着させようと思っている。




 最後は、笑いと涙の中で。
 「必ず、必ず、もどってきてね・・・・・・」


大阪から関さんが訪問、
ピキットのナブンダスの保育所建設予定地を視察。

 
 関さんは不思議な方だ。
 最初は文部科学省に席を置いていたが、今は様々なNPOの経営をしている。
 今回は、ピキットに保育所を建てる、現場視察にこられ、2日間という駆け足滞在。まず、舟でしか行けないナブンダスを訪ねた。



 ナブンダスでは、子どもたちが出迎えた。
 前回報告した、崩れかけた納屋を保育所として利用している場所だ。予定では、3カ所の保育所を計画している。



 ナブンダスの子たちの中には、下のように、体の奇形が発症している子たちが数人いる。
 左の子は、手の指が発達せずにくっついている。右の子は左の目が盲目になっている。まずは、検診し、可能ならば手術をすることになった。戦闘のあったピキット地域では、このような奇形が多いことは、すでに報告したとおりだ。私自身は、空爆の際に劣化ウランが使用されたのではないかと疑っているのだが・・・・戦闘後に増えていることは確かである。



 関さんのおかげで、この地に3つの保育所が完成しそうだ。
 「完成の暁には、開所式にいらしてください」と言うと、さすがに感性の鋭い関さんらしい、一言が帰ってきた。
 「この地を理解するには、最低1年は居ないとだめだなあ」



 ミンダナオ子ども図書館:日本に滞在 5/25

 今回の日本滞在は、20日間の駆け足でした。
  目的は、イスラムの若者たちとの平和交流です。
 NPO:マキノ絵本による街作りの会が主体になり、高島、姫路、福崎、大阪で民族楽器クリンタンの演奏と伝統舞踊を披露します。詳細は煮詰まり次第随時ご報告いたします。

 実現に当たって、なにわ語り部の会の方々(禅定正世先生など)、地球おはなし村の方々(国立民族博物館の江口名誉教授や山村様など)、水仙福祉会の方々、姫路淳心学園の方々、大阪ボランティア協会の方々などのお世話になりました。
 なつかしい君島久子先生(中国文化研究家)にもお目にかかり、夕食を共にすることが出来ました。
 ミンダナオにも来られた、元大阪市立図書館司書の小林さん、大阪ボランティア協会の錺さん、マキノ絵本による街作りの会の平松さん、福崎の町議の後藤さん、ありがとうございます。

 以下、日本滞在の報告です。 
 最後に、趙さんの娘さんの印象深い手紙を添付しました。

**********************************

  今回滞在の主目的は、イスラムの若者たちの演奏会計画をつめることだ。

 イスラムの若者たちが、10月25日から10日間ほどの予定で来日する。
 男性3名、女性3名。
 ビザのつごうで、18歳以上、おもに大学生だが、民族楽器と踊りを披露する予定。
 民族楽器は、クリンタンやアゴンや太鼓など。

 目的は交流。
 中近東の政情不安のあおりを受けて、世界でイスラム教徒への偏見が高まるなか、こうした文化交流は,ささやかながらもアジアにおける相互理解と平和のために意味を持っていると思い決断した。
 みな、戦闘地で難民生活を体験した若者たちだが、日本の人々が宗派を超えて温かく迎えてくれれば、世界に対する思いも変わってくるだろう。
 また、日本の若者たちにとっても、参加する多くの人々にとっても、アジアのイスラム教徒が、共通したメンタリティーの上に立つ普通の若者たちであることを理解する機会になればと思う。
 日本人は、アジアのイスラム教徒の事を本当に知らない。
 私も知らなかった。
 
 今回の主目的は、同じアジアに住む仲間として、共通のメンタリティーの上に立ち、異なった宗教や文化を理解し、共感の輪を広げることにある。
 今回の滞在でも感じたことだが、日本では、奇妙な保守化(内向き傾向)が進んでいるようなきがする。欧米をのぞく海外の国、とりわけ貧しい国々を後進国と見なして、いまだ根強い偏見や優越感があるかのように見える。
 ミンダナオのイスラムの若者たちの状況は、フィリピン国内でもマイノリティーとしてきびしいものがある。しかし、今回の訪問を通して、次の世代をになう特に若者たちが、たがいに心の殻を打ち破り、友情を通して世界を見るよすがになればと考えるが・・・。
 

 今回の滞在中に出会った人々

 古着の支援をしてくださっている幼稚園の園児たちに、直接難民のようすを語れたのはうれしい体験だった。
 先年からさまざまな方々から、たくさんの古着が到着した。
 出来れば、そうした方々を訪問して、現地の様子をご報告したいのだが、今回は日程が詰まっており、関西を中心に声をかけていただいた数カ所のみを訪問。
 前年、4WDを寄贈していただいた鳴門カトリック教会:鳴門聖母幼稚園では、残年ながら父母の方々への報告会は10月に持ち越されたが、園児たちにスライドを見せながら、難民キャンプの子どもたちや山の子どもたちのようすを語った。


 熱心に話を聞いてくれた子どもたち
 支援物資を手に持つ鳴門聖母幼稚園の先生方と左端が乾神父。

 モンテッソーリ教育で有名な乾神父の属するOMIオブレード会は、現在難民の出ているピキットやコタバト地域で、戦前からイスラム教徒救済のために活躍している修道会。日本軍占領時に、イスラム教徒と団結して抗日運動を展開した話は有名で、コタバトの大司教は乾神父の盟友でもある。
 ちょうど支援のための衣類を集めている時であったために、前年のクリスマスにみんなが集め送られてきた古着が、ミンダナオ子ども図書館の若者たちの手で仕分けされ、難民キャンプをはじめ、どのような場所に運ばれ、どんなに喜ばれたかを伝えた。
 3歳から5歳の幼稚園児が解るか若干の危惧があったが、本当に良くわかってくれたのはうれしかった。
 
 釜ヶ崎のこどもの里でも、懐かしい子どもたちに新しい映像とスライドを見せることができた。
 大阪に滞在中は、釜ヶ崎のこどもの里に泊めていただくことが多い。
 釜ヶ崎は、あいりん地区として有名なようだが、ミンダナオやダバオのスラムなどを見ているので、私には特別な地域には見えない。
 かえって無機質な表情の人々が多い都市よりもホッとするような感じを持つが、ダバオなどのスラムの人々に比べると、近年は中年の男性が多く、家族から見放された人々の孤独と悲しみを感じる。
 こどもの里には、数人のフィリピン系の子供もいるが、ミンダナオの映像を通して美しい自分のふるさとに誇りを持ってくれればと思う。

 日曜日、玉造カトリック教会で行われた国際協力の日に出店するというので、こどもの里の子どもたちと参加した。
 中国、韓国、ベトナム、インドネシア、ブラジルなどの方々が各々の言葉で、伝統文化を交えて奉献されたミサには、宗派を超えて人々が集まり感動した。
 カテドラルは、欧米の人々もまじえ大勢が立っているほど満杯だった。
 異質な文化がたがいに共存しながら、心を一つにして平和に向かって祈っている姿は、感動的で心がホッとする。
 なかには、南無阿弥陀仏と唱える人々もいた。
 このような体験ができる場は、今の日本では次第に希になりつつあるのではないだろうか。

 テーマとして掲げられている『外国人が暮らしやすい日本は、日本人にも暮らしやすい』というのは、本当だと思う。
 この試みは、毎年この時期に行われる。
 外では模擬店で、さまざまな料理を食べることができる。
 久々のフィリピン料理とベトナム料理がおいしかった。
 私は、講演予定があり午前で退席したが、こどもの里に帰ると、午後に右翼の宣伝カーが出現し、公園の集まりの雰囲気が乱されるときがあったと聞いた。
 一人のアメリカ人が、宣伝カーの窓を叩いて開けてもらいながら、「私は日本が大好きです!」と言って歩いたと聞いた。
 欧米も含めて集まった世界の人々は、こうした示威活動をどのように受け止めただろうか????



 
今回は、盲目の方々や障害者の方々に語る機会が幾たびかあった。

 今まで、障害者に対する対応などを語る機会はなかったが・・・
 ミンダナオ子ども図書館を訪れた方々が、図書館に住んでいる奨学生の若者たちが、盲目のジュンジュン君やベルリーンさん、ポリオのノノイ君、筋ジストロフィーの3兄弟妹たちに、家族の一員として自然に接していることに驚きの念をもたれ、なぜそれが可能なのかを話して欲しいと言う要請に応えた形だ。

 盲目の子や障害を持つ子たちが、ミンダナオ子ども図書館ではいっしょに自然に生活している。
 盲目の子は、最初、市の福祉局からの要請で受け入れたが、私に専門的なケアの知識や経験があろうはずもなく、最初は非常に不安だった。
 しかし、驚くべき事に、最初から若者たちは彼らを自然に受け入れ、やがて若者たちにまかせれば心配のない事が解った。
 その理由を、いろいろ考えながら話したのだが、根本的にミンダナオの人々のメンタリティーのなかに、壁を作らず自然に接したり面倒を見ていく生活習慣があるように思える。
 とりわけ貧しい辺境地域に見られることだが、親に見放された子も、周囲のだれかが引き取って面倒を見る。


 盲目のジュンジュンくんとベルリーンさん。
 今回の滞在で、6月から盲学校に行くジュンジュン君の支援者が決まった。

 ジュンジュン君などは、その典型的な例だ。
 また、見放されても、自殺をせずに、それなりのしたたかな生活力を持っている。
 貧困が日常のミンダナオでは、ほとんどの人々がいわゆる社会的弱者に属するので、おたがいに思いやり支え合ったり、したたかに生きていこうとする意志が共通してあるように思える。
 フィリピン人は、介護や看護の分野でも定評があるが、「人を放っておけない性格」=「おせっかいな性格」がどのように形成されていくのか、興味は尽きない。
 貧困と同時に、昔話が語りとして生きているという視点も加えた。
 家の街頭やちまたに、洗濯や夕涼みなどの生活そのものが生きている場があることも関係しているようである。

 こうした視点から日本を見ると、つくづく、ちまたに生活が無くなっていることを実感する。
 まちなかに子供の遊んでいる姿も見えない。 
 人々が町に出る目的は、消費=買い物か仕事(ビジネス)目的だけのように見える。
 かつて私が子供時代にあったような、隣人どうしがおしゃべりに興じたり心を通わす場も様子もない。
 
 大阪ボランティア協会の錺さんの紹介で、大阪福祉協会で、盲目の方々と車いすの方々にも語った。
 以前、盲目の上岡ゆかさんが、お一人でミンダナオ子ども図書館を訪ねられた時の様子や、ダバオの盲学校の様子、またとりわけミンダナオ子ども図書館でのジュンジュン君やベルリーンさんの様子を語った。
 仲むつまじい二人の様子など、いつか映像ビデオにまとめる必要がありそうだ。

  在日朝鮮人で社会問題に取り組んでおられる趙さんからは、大阪市立大学の堀智晴教授のゼミでも、語る機会をあたえられた。
 このゼミの参加者は、肢体不自由の方々も多く、ここでも与えられたテーマは、ミンダナオ子ども図書館における若者たちの障害者への対応やミンダナオの人々の態度だった。
 特に、日本では、障害者を前に、構えて言葉も選ぶが、ミンダナオでは、相手の障害にあけすけに言及してかえってケロッとしていることを話したが、ある肢体不自由の方が、「その方が僕らも本当は楽なんですよ」とおっしゃったのは印象的だった。

 今回は、水仙福祉会を通して、プロテスタント教会のH氏から2台の新しい車いすの寄贈を受けた。
 この車いすは、今年から新しく奨学生になるマノボ族の筋ジストロフィーの兄妹が学校に通うために使用される。
 この家族は、本当に山奥の小さな村で、非常に貧しい生活を余儀なくされていた子たち。7人兄弟のなかの5人が、筋ジストロフィーの症状。

 

 兄二人は、小学校を良い成績で卒業したが、経済的、地理的理由で高校までは通えず、人づてにミンダナオ子ども図書館に応募してきた。妹は歩行困難で、成績はよいのだが小学校をストップ。
 今後、唯一残された手段として、ミンダナオ子ども図書館に住み、若者たちが車いすを引いて通学する。
 ところが、フィリピンの車いすは値段も高いしやたら重い。
 軽くて丈夫な日本の車いすがあったらどんなに助かるか、と言うことで、今回は水仙福祉会に相談して、特定の方が使われるのならと言う条件で寄贈を受けた。
 本当にありがたい申し出で感謝!



 英語ミサでフィリピンの人々に、懐かしい故郷の映像を報告。

 福岡の行橋カトリック教会では、一般ミサのなかで、難民や医療プロジェクトの状況報告をしたが、午後の英語ミサには、普段50名以上のフィリピン人が集まる。 
 午後はミサ後、フィリピンの人々に、現地の美しい風景や生活、その中で活動しているミンダナオ子ども図書館の若者たちの様子、また私たちが実行している文化祭のDVDを見せた。
 日本でフィリピンの人々にこうした形で出会うのは初めて。


 フィリピンの若者たちとDVDに興じる山元眞神父(左)と説明するエープリルリン。最初は、教会の後ろ席で見ていた若者たちも、引き入れられるようにスクリーンの前に集まり、
 椰子の実取りや海水浴、豚の料理や伝統の踊りの場面で、歓声を上げたり、笑ったり、懐かしさに涙を流したり。
 普段日本で、孤独でつらい毎日を送っているだけに、一時ではあったが、温かく陽気なフィリピンの風が流れた。
 このような時を持つことは、本当に必要な事だと実感した。
 声をかけていただければ、いつでもフィリピンの方々の集会に顔をだします。


 ここでも、ミンダナオの子どもたちのためにスカラシップや衣服などを支援してくださっている。
 

 日本滞在中に気なった事など

 若者の自殺、母親の首切り殺人など、ショッキングなニュースが駆け回っている。
 日本の若者や中高年の自殺に関しては、先年のメールニュース10月あたりで記事を書いた。
 ここ数年、引き続き大きな問題となっている。

 日本は、世界で唯一、戦争をしない、戦争に荷担しない国であった。
 しかし、ここ数年、戦争に荷担できる国になろうとしているように見える。
 これは、日本にとって、自殺行為とならないか。

 アジアが経済的に発展していく中、日本がいつまでも優位な成長を続けていく基盤も自信も失せつつある。
 過去の戦争の精算をしなかった分、他のアジア諸国の発展に対して驚異と恐れがわき上がっているようにも見える。
 アメリカはもはや世界でその存在を誇示することは不可能となるだろう。
 平和を切り口に、アジアに切り込むことが、日本の未来を開く唯一の道に思えるのだが・・・・

 以前ミンダナオ子ども図書館に来られた、盲目の上岡由佳さんに会いに、奈良に行った。
 由佳さんの家が、奈良の山沿いの小村にあり、山や田んぼの風景を見たときにようやく息が出来る自分を感じた。
 奈良は、まほろばと言われるように原風景をまだ持っている。
 子どもたちの表情も良かった。
 妻のエープリルリンも、奈良でようやく子供らしい目をした子供に会ったと言っていた。
 日本復活の可能性は、地方から始まるのかもしれない。




 由佳さんは、奈良のFM放送のディスクジョッキーもされており、今回は奈良在住のフィリピン人のカルメンさんと夕食を共にした。
 ちょうど滞在中に、毎日新聞にカルメンさんの記事が出ており、親しく話せて良かった。
 

 最後に趙さんの娘さんの手紙を紹介します。
 ミンダナオに来た若者たちが、どのように感動し、また日本をどのように見るか、国籍に関係なく読んでいただきたい。

 趙さんの娘さんからの手紙

 お久しぶりです!!
松居さんやご家族、宿舎のみんなは元気にしていますか??

 連絡をするのが大変遅くなりましたが、 私は2月の末に北京へ戻り、今はもう授業が始まっています。

 フィリピンへ行って来ると前もって知らせておいた友達から、帰って来るなり 「どうだった?」 と質問攻めにあいましたが誰一人に対しても上手く答える事が出来ませんでした。
 実は私が今回ミンダナオへ行くと決めたのも軽い気持ちからで、フィリピンという国に関して何の知識もありませんでした。
要するに“目的”もなく、“ただ母に付き添って来ただけの者”だったのです。
 もちろん母からは事前に 「遊びに行くのでは無い」 と強調されていましたし、どのような活動をされているのか、簡単に説明は受けていました。
 しかし実際自分の足で現地へ入り、体験した事たちは正に“百聞は一見にしかず”を思い起こすほど、イメージと異なりました。
 何も考えずに来てしまった事が裏目に出て、学ぶ事や感じる事のあまりの多さ、深さ、広さに頭がついていけませんでした。
 何度も友達にミンダナオの事を話して聴かせようとしましたが一度話し始めると芋蔓のようにずるずると別のモノがついてくるのです。
それはまだ私の知識の領域ではなく、しかしそれらは全て繋がっていて、話さなければ理解できない。
 結局いつも中途半端なまま話が終わってしまい、
何が言いたかったのか自分でもわからなくなってしまうのです。
以前、韓国人の牧師さん宅に招待していただいた時、牧師さんが「この国は歴史、宗教、経済、政治もろもろ全てが絡み合った複雑な国だ」と言っていた言葉を思い出しました。
今の私はミンダナオを語るには足らない、そう思い、今では「自分の足で土踏んでみて初めてわかる場所や」とだけ言っています。
 まだまだ学ぶべき事は多いです;
 ミンダナオを訪問してもう1ヶ月が経ったとは思えないほどそこでの生活が昨日の事だったようにも感じられ、本当に自分がミンダナオにいたのかと不思議になるほどそこでの生活が夢だったように感じられます。
 日本に帰ってまず感じたのが、道行く人々の瞳の何と輝きの無いこと!まるで機械のようです。 
子供達の生き生きとした表情や、訪ねて行った村の人々の切ない表情など、ミンダナオでは一つ一つの表情全てに感情が漲っていたように感じました。
本当の人間に会ったような気がします。 
時間を見つけてまた必ず行くつもりなので、 時まで健康で元気に過ごしてください。  
みんなにも宜しくお伝えください。では・・・

 復活祭は、こちらでは日本の正月休みと同じで、役場も商店も学校も全て活動が停止し、休眠状態に入る。
 復活祭の日は、旅や仕事もしてはいけない、と言う迷信がある。キリストが死んだ時であり、葬式休みに入ると言って良い。
 聖金曜日には、あのめまぐるしいダバオの町に、昼間から人っ子一人いなくなったのは驚いた。迷信深いフィリピン人ならでは????

 下は、大阪、兵庫からの、訪問客とプロック8の子どもたち。

 

 今年、10月下旬に、上述のピキットから来たイスラム教徒の若者たち6名が、クリンタンの演奏や踊りを披露しにうかがう予定。それを話し合ったと共に、復活祭明けにプロック8の子どもたちの所へ読み聞かせに行った。



 皆さんで、お話組木の実演をしてくださる。
 大阪の図書館司書OB小林さん、読み聞かせのプロ錺さんなど、若者たちに読み聞かせの指導もしてくださった。
 こちらの子どもたちが2時間以上も集中してお話を聞くのにビックリ!
 「日本の子どもたちの集中は45分が限度なのに・・・・・」


 東洋英和女学院の石津珠子教授が訪れ、支援しているアンダスくんに会う。



 
アンダスくんのお母さんと一緒に(写真上)。
 父親は病気で母親も仕事が無く、バナナプランテーションの開発で食物の自給も不可能になり厳しい状況にある。その様子を見て、石津教授は心を痛める。
 ミンダナオの若者たちの豊かな精神性の背後には、想像もつかない深い困難や悲しみがある。そこに触れずしてミンダナオを語ることは出来ない?



ミンダナオ子ども図書館だより 2月22日

 次々と訪問者があり、また遅れがちになった季刊誌「ミンダナオの風」の編集発送、ソーシャルワーカーと最終の家庭調査で再び地域をめぐり、加えてヘアリップとポリオの子たちの医療プロジェクトと、ここへ来ていくつもの活動が重なり、便りを出す暇もなくすぎました。
 お伝えしたいことは、今までのように山ほどあるのですが、かいつまんでご報告いたします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 在日韓国人の帳さん、お母さんと娘さんが訪れられた。
 娘さんは、現在北京の大学で勉強中。韓国語、中国語、日本語が話せる。2週間の滞在で、すっかり若者たちと親しくなり、心の壁を越えた暖かい交流が胸を打つ。
 奨学生の家庭調査に同行し、時には道無き道を行き、川を渡り・・・・ずいぶん驚かれもし、感動もされた。
 最後の日には、若者たちと涙涙・・・「毎年必ず来てね!」と言う若者たちの声に送られて帰られた。
 心の交流が出来る方が来られると本当にうれしい。
 日本では人権を中心にした活動をなさっており、志を持って生きていらっしゃるだけに安易に物事をとらえておられず、普段はビジターを簡単にはお連れしない地域にも安心して同行していただけた。ミンダナオ子ども図書館の家族の一員となってくださるだろう。

 ドクター司医師が再訪。マノボのプロック8村とマキララのバゴボの村の健康調査。
 マノボの村の子たちの検便をし、子どもたちの診察をしてくださった。僧侶のような姿で、飄々と活動していく姿は不思議な印象と感動を人々の中に起こす。
 新潟の病院の先生で、タイで熱帯医学を勉強し直し、現在はマニラからミンダナオに活動の拠点を移される。
 ミンダナオ子ども図書館は、ドクターの出張診療所となり、持参の電子顕微鏡と薬を置いて、次の拠点に向かわれた。
 またもどってこられる予定で、次回はイスラム地域の子どもたちの健康状態をチェックする予定。


AJ

 アジア学院の研修生が到着。
 今回は、ネグロスでの一ヶ月の研修の後にミンダナオに来られた。
 ネグロスの研修には、ミンダナオ子ども図書館から、マノボの牧師ガボン氏とピキットのイスラム教徒の若者を送る。二人とも感動して帰ってくるなり、ガボン師から、「この経験を生かして、ミンダナオ子ども図書館を有機農法のモデル農場にしたい。」との提案を受ける。ガボン師は、マノボ族の間で大きな影響力がある人だけに将来が楽しみだ。
 イスラムの若者は、ミンダナオ子ども図書館のスカラーとなり、専門として農業を勉強していく予定。これらの地域の農業が軌道に乗れば、平和にも貢献するはずだ。



 アジア学院の長嶋氏と韓国の牧師のバン師とバンサランのルーラルライフセンターへ。ここは、バプテスト教会が運営するバンサランのモデル農場。
 


 山羊の飼い方、傾斜地農業、有機農法を取り入れた農法、フィッシュポンド(魚池)などを総合的に展開し、自給を基盤とした農業に感銘を受ける。
 その後、ネグロスからもどられたガボン師の提案で、ミンダナオ子ども図書館を有機農法の農場にしたいとのこと、イスラム教徒の若者もスカラーになり、いよいよミンダナオ子ども図書館の農業部門が始動し始めた?
 アジア学院のご厚意で、数日後には、ミンダナオ子ども図書館の農業スタッフ2名とソーシャルワーカーのリアが研修に参加し、ルーラルビレッジとマイクロファイナンスの実施を見学する予定。
 ちょうど、マノボのプロック8で、水牛のファイナンスの話が出ているので参考にしていきたい。フィッシュポンドも可能性があると思われ、今後いろいろな貧困地域で活かせていけるだろう。

 

 アジア学院の若者たちと、高地のマノボ族の調査に行く。
 山道を行く私たちのスカラシップ調査に驚き感銘を受けた様子。
 写真のように、かなりの山地を谷を越えて行く。このようなところにマノボ族のスカラー候補が住んでいる。
 スカラー候補のジャニット マラカスさんの家の前でご両親と・・・http://home.att.ne.jp/grape/MindanaoCL/aplicanteSP.htm



 また、ウオーターフォール集落の読み聞かせに参加。
 ここは、マノボ族の集落で、下のボホランノン集落よりも貧しさが目立つ。兄と弟がポリオのアロナ アモールさんは、この村の出身。



 ウオーターフォール集落は、その名の通り美しい滝があり、アポ山の登山口にもなっている。
 写真は、滝で子どもたち。
 このマノボの集落の下には、イスラム教徒の集落もあり、そこでも読み聞かせをする。

 

 アジア学院の若者たちは、2月25日日曜日のムスリムデーにも参加予定。
 今後の彼らの将来に祝福がありますように!



ミンダナオ子ども図書館だより:盲目の少女日本から


 盲目の少女といったら上岡さんに怒られるか、笑われるかもしれないけれど、奈良に住む上岡さん(27)は少女のような心の持ち主であることは確かだ。
 ミンダナオ子ども図書館を知ったのは、このメールニュースでだった。メールで返事をいただいたときには、見事な日本語なので(後になって関西のラジオでトーク番組を持っていたことを知って納得)まさか盲目だとは思わなかった。
 11月の大阪市立図書館の講演会場で始めてお目にかかり、その後からミンダナオ子ども図書館に来られることを決心されたようだったが、まさか本当に来られるとは思わなかった。たびたびマニラなどには行ったことがあるという話は聞いていたが・・・・・



 上岡さんは、ミンダナオ子ども図書館に引き取られてきた、盲目のジュンジュン君の事が気になっていたようだった。ちなみにミンダナオ子ども図書館には、ジュンジュン君とベルリーンさんの二人の盲目のスカラーがいる。下の写真は、ジュンジュン君とベルリーンさん。二人は兄妹のように仲が良い。



 
今回、上岡さんは、6月から盲学校に入るジュンジュン君に、持ってきた教材と時計で、時刻の読み方とアルファベットを教えてくれた。
 この世の中に、時計という物があるという事も、アルファベットで全ての物を書きあらわせるという言うこと、すら知らなかったジュンジュン君にとっては、天地がひっくり返るような画期的な出来事だった。
 教えている様子を見ていて、忍耐強い上岡さんの様子に、感銘を受けたスカラーも多く、みんなでジュンジュン君の勉強を手伝っている姿は傍目にも美しかった。
 ちょうど日本に帰った折に、吉祥寺カトリック教会の売店で手に入れた映画のDVD「奇跡の人」を皆で鑑賞した後だっただけに、上岡さんの姿がヘレンケラーに字を教えるサリバン女史の姿とダブったのだ。といってもジュンジュン君は耳が聞こえるが・・・
 下の写真は、教えている様子。



 ジュンジュン君にとって、この経験は画期的なことであることは、様子の著しい変化でわかった。
 歌だけ歌って馬鹿騒ぎしていた彼が、物思いに沈むようになり、聞くといろいろと将来の事を考え始めている。6月から盲学校で勉強する事に、異常なぐらい関心を集中させている。
 上岡さんを飛行場に迎えに行ったときも、近くの芝生で座りながら、「飛行機の足につかまって空を飛ぶんだ」と言っていた。どうやら鳥のような物を想像しているらしいので、「お客はお腹に入るのだよ、出るときはウンコのようにお腹から出てくるのさ」と説明して、二人で笑った。
 上岡さんのおかげで、盲目でも世界を旅できるという、信じられない人生が広がったのだ。
 まずは文字を覚えて、英語とタガログ語を勉強するのだとはりきっている。



 上岡さんは、お兄さんがインドネシアで勉強しているだけに、イスラム教徒にも理解があり、ピキット地域の読み聞かせにも参加し、市場を巡った。
 盲目の日本人のしかも女性がこのようなところまで来ることに、市場の人々もビックリして、たちまち人気者。
(写真上、同行してくださったのはDSWDの所長グレイスさん)
 
最後のお別れ会では、イスラム教徒の若者たちが歌ってくれた。(写真下)



 10日間ほどの短い滞在の間に、彼女がミンダナオ子ども図書館の若者たちの中に残した足跡は深く大きかった。とりわけ、ジュンジュン君には、一生を決定するような足跡だった。
 毎年来られるだろう。ミンダナオ子ども図書館で山地を巡るときには、盲目の子が他にもいないかたずねていきたいと思っている。
 私自身も、多くの事を勉強させられた、貴重な日々だった。上岡さんに感謝!

 追記:上岡さんは奈良の田舎でお父様は猟師もなさっている農家の家庭。
 宗教を聞いたら、屋根の上に白い蛇がすんでいて拝んでいるような感じの宗教、と言っていた。ミンダナオ若者たちも同じような物をたくさん信じている・・・・



 
















































































































































A:過去の医療支援活動
 

 私たちが読み聞かせ活動と平行して、最初にしたことは、医療活動とスカラシップでした。
 医療活動は、難民キャンプで病気の子どもたちを救済する事から始まりました。ポケットマネーで始めましたが、当時私はまったく財産も持っていませんでしたから(今もですが)たちまち底をつき支援を求めました。
 一般的に、小規模なNGOで実施されている医療活動は、メディカルアウトレットと呼ばれる健康診断的な活動が主流です。しかしミンダナオ子ども図書館では、簡単な投薬だけでは治りにくい患者から、時には重度の手術まで引き受けます。
 入院や手術を伴う疾患は、医者にかかることの出来ない貧困世帯の子どもにとっては死を意味します。教育と同時に、本格的な医療は、最も必要とされる分野だと感じます。
 子どもの命を救おうとする活動は、地域における心理的効果が大きく、結果イスラム地域の人々も、頑なで敵意に満ちた心を開き、読み聞かせ活動を受け入れ、奨学生として我が子を、喜んでミンダナオ子ども図書館に送り出すほど信用してくださるようになったのです。
 誰でも、我が子の命が救われれば感謝しますし、いざという時の頼りになる存在として喜ばれ、驚くほど広範囲な山奥にまで噂が伝わっていきました。ミンダナオは、まれに見る口コミ情報社会だったのです。
 「あの、日本人がやっているファンデーションに行けば、救ってもらえるかも知れない」


ルモット村から来た子が腹痛と下痢の病気で亡くなりましたが、そのまた2名運ばれてきて、こちらは快復してきています。



イスラムの村の高熱の子は無事快復し山に送り届けました。

**********

盲目のベルリーンさんを実家に送った。
 場所は、戦闘のあったピキットの奥。マノボ、イスラム、クリスチャンが共生している村のさらに奥。
 川には丸木橋が架かっている。
 丸木橋を迎えに来たおじさんの背に乗って運ばれていくベルリーン。


 実家は、トタンを組み合わせただけの粗末なものだ。
 これでは、強い雨が降れば雨もしのげないのではないかと思うのだが・・・・


 それでも、ベルリーンさんは、兄弟にも会えてうれしそうだ。
 新しく赤ちゃんも生まれ、5人の兄弟姉妹がいる。
 一家は、ビサヤ系移民。


お母さんと一緒に写真をとった。
お母さんも、右目が見えない。
戦闘のあった時期に、難民生活を余儀なくされ、そのときから片目が盲目となった。
このような症状の子どもは多く、過去何人も治療してきた。
戦闘時期に生じる症状の一つとして、戦闘の際に使われる兵器と関係があるのではないかと疑われている。


 ダバオの障害者施設でリハビリ中のジョイの義足が完成し、歩行訓練に入った。
 最初は痛がっていたジョイだが、がんばって一歩一歩あるいている。
 まだ、歩行棒を握ったままの訓練。

 あいかわらず笑顔を絶やさない子で、来年の6月からの新学期には、歩いて大学に通えるだろう。
 すっかり背が高くなった?ジョイは見違えるようだ。
「支援者のI様、感謝しています。これから大学に行ってがんばりますね!」
 本人の話では、コンピュータプログラミングを勉強したいとのこと。歩行に障害が残ることを考えると良いと思う。
 カニのような手でコンピュータを打つことになるが、すでに施設で練習をしている。


 先日、山から運ばれてきた子が、数日来下痢がひどく脱水状況だったが、今朝病院で死亡。もう少し早くミンダナオ子ども図書館にこれば助かった命だった。残念でならない。
 5日間、高熱が続いているイスラム地域の男の子が、今朝病院でチェックを受けた後に入院。
 今、様子を見ている。
 デング熱を疑われたイスラムの奨学生、ノルミナさんは、高熱だけで無事に退院。
 クリスマスパーティーの後に、急性の下痢が広がったが、こちらの方は正露丸で乗り切った。
 (正露丸が切れてしまい、どなたか送っていただけませんか?)
 医療プロジェクトが続くが、予算が逼迫している。今年は東京メソニックからの支援がなく、図書予算をすべて医療に回しているが苦しい。
 兎口など生命に影響しない治療は延期してもらい、緊急の患者を受けるようにしているが・・・

*************

 盲目でダバオの盲学校に行っているベルリーナさんがクリスマスに家に帰るために迎えに行った。

 少し成長し、以前はほとんど話をしなかった子が、少しずつ話すようになった。ご飯もこぼさずにきれいに食べる。
 ゆっくりだが確実に成長している。


 
 盲目のジュンジュン君は、元気で積極的だ。クリスマスパーティでも歌って大好評。
 目が見えないが、草刈りを始めたり、自転車に乗ろうとしたり・・・
 村の教会まで行き、帰れなくなり、トライシクル(三輪バイク)で送ってもらって帰ってきた。運転手はお金を受け取ろうとしなかった。
 クリスマスのキャロリングを村の家々を回ってして、お金をもらってくる・・・と言って出かけそうになったが、ソーシャルワーカーのリアがそれだけは止めさせた。
 マッサージの資格も得て、クリスマス中はピキットで警察官のマッサージを頼まれてする。依頼者は、ピキットの福祉局でミンダナオ子ども図書館の役員を務めてくださっているグレイスさん。
 ジュンジュン君は、自立に向けて大張り切り。
 旅に出たくてしょうがないらしく、このままでは盲目のまま世界を旅しそうな勢いだ。

マッサージの賞状をもらって大喜びのジュンジュン君


 酸素吸入マスクをつけながらも、手術後にパッチリと目を開いた彼女を見て喜んだのは、御両親と医師と私と、そしてメールニュースに載せた写真を見てともに祈ってくださった日本の多くの支援者の方々でした。
 「まずはうれしい知らせです。本当にうれしく思いました。手術後のロザリナさんの状態が、執刀医も驚くほど良いのです。 
 前夜、ダバオから帰り、ロザリナさんのご両親などに、日本ではたくさんの方々が祈ってくれましたよと、皆さんの事をお伝えしました。
 彼女は、月曜日には病院を出て、ミンダナオ子ども図書館に移り、そこから当分二日おきに病院に通うことになりました。完治ではないので、再発の危険も残っており、まだイスラム地区の山には戻れませんが、とにかく山は越した感じです。皆さんの祈りの力があったと思います。
 執刀医は、いつもお世話になるドクターモダンサさんと、ダバオの医師2人の3名チーム。ドクターは給与を返上して執刀して下さいました。」
 私は、祈って下さった皆さんのおかげだな、と思いました。
 その後、カラカカン村に招待され、イスラム教徒の子どもたちの洗礼式に出席させていただいた時、ロザリナさんとデング熱で緊急入院したオマール君が涙を流しながら自作の詩を吟誦してくれました。 想いが深く心に伝わり、沸々と感動が私の胸にわき上がってきました。
 日本人の皆さんのおかげで、小さな平和が生まれたんだな、と思いました。

********************************

  以前お伝えした、肺の癒着した女性のための家が、ミンダナオ子ども図書館の一角に完成しました。写真
 これで、へんぴな場所から馬で通うことなく治療に専念できます。お母様とも一緒の生活になります。
 お母様は、ミンダナオ子ども図書館のスタッフです。しかし、手術が不可能な状態で、酸素吸入が欠かせません。すでに数年の歳月ですから、さらに長い闘病になりそうです。基本的に食事も治療費もミンダナオ子ども図書館でみますので、ご本人の家族に対する負担の気持ちは和らぐでしょう。
 長く親子で過ごすこともなかったでしょうから、まずは心の重荷を下ろしてもらえたらと思っています。お祈りいただければ幸いです。モルモン教徒です。
 家は、ミンダナオ子ども図書館のニワトリ小屋をつぶした廃材も使ったので、3万円ほどで出来ました。ニワトリは、野菜をついばんで食べてしまうので、みんなで食べてしまいました。


*****************


 新しくスカラーで、17歳の盲目の子が入りました。ダバオの盲学校に通います。
 ドイツ系ミッションの良い学校です(すでに盲目の少女がスカラーになっています)。戦闘地だったピキットの子で、ピキット市のDSWD(福祉局)所長のグレイスさん(私の尊敬しているソーシャルワーカーでクリスチャンだが戦闘地のイスラム教徒の救済に命がけで奮闘してきた人、ミンダナオ子ども図書館の役員の一人)から、うちのソーシャルワーカーのリアに連絡が入り会いに行きました。
 父親はなく母親も遠くに行き、極貧家庭の叔母の家でほとんど放置状態。食事は近所の人がバナナを与えたりしていました・・・全くひどい状態ですが、歌が上手です。

***************



 山に入ったときに、ジクジク、アルメリン、ラライ、バンダン姉妹のお母様を訪ねました。以前からお伝えしている末期ガンの方です。 
 腰が立たなくなり病院にお連れしたときはすでに骨がガンで犯され、1年半の命という診断で、お一人だけ山に置いておけずに(ご主人は亡くなっています)引き取った方です。
 奇跡的に3年近くミンダナオ子ども図書館に住まわれたのですが(幸せな日々だった)、いよいよ覚悟されて、若者や子どもたちに自分の死ぬところを見せたくない事と、娘達は勉強に集中して欲しいと言う願いから、生まれ育った山に戻り結婚している長女のもとに帰ったのです。
 お元気そうでしたが、さすがにやせ細っていられます。
 しかし、長女も孫もいますのでこうして亡くなれば幸せだろうと、感じました。興味深いのは、ご自身が産婆でマナナンバル(民間医師)で、お父さんも同じなのですが、父親も現在病気で、マナナンバル同士が近くに住むと互いに体力を消耗して早く死ぬので、父親を逆に町に移したことです。
 娘達は、4人、孤児として残りますが、ミンダナオ子ども図書館で育てていくことになります。アルメリンは大学一年生で看護を勉強していますし、ラライも高校生、バンダンは小学年生ですが、すっかりうちの子になっていますので、お母様も安心でしょう。皆で撮した写真を添付しました。

*****************


 その他の子の医療状況
 イスラムのオマール君(父親におぶられている写真を添付)は、デング熱も軽く今日退院します。
 尿に血が混じっているハッシム君の方が、少しかかりそうです。腎臓を痛めています。
 盲腸をこじらせたロザリンダさんも、医師も驚くほどの回復ぶりで(皆さんのお祈りのおかげだと思います)もう歩いていますし、来週には帰れるようですが、患部を完全に削除していない事と、帰ると学校まで山道を5キロ以上も歩いて毎日通うのが不可能なので、ご両親からミンダナオ子ども図書館に住めないか打診されています。
 従姉妹もここにいるのですが、本人が親から離れて寂しくないかが問題で、良く両親と本人と話し合わなければなりません。
 4歳の子が、緊急に入院しました。高熱と喘息の発作です。
 未婚のまま4人の子を産み、父親が別の女性と結婚してしまい、母親は働きに出ていて、祖母が駆けこんできました。祖母のご主人も職が無く監獄にいたとか・・・・・おばあさん一人で小卒の末娘と5人の孫の面倒を見ていますが・・・・

****************

:ロザリナさんのその後の経過など 8月20日

ここのところ医療プロジェクトの報告が続いていますが、病気の多い時期なのでお許しください。


まずは、うれしい知らせです。本当にうれしく思いました。
手術後のRosalina Guiandalさんの状態が、執刀医も驚くほど良いのです。(写真)

 前夜、ダバオから帰り、Rosalina Guiandalさんとご両親などに、日本ではたくさんの方々が祈ってくれましたよと、皆さんの事をお伝えしました。
 彼女は、月曜日には病院を出て、ミンダナオ子ども図書館に移り、そこから当分二日おきに病院に通うことになりました。完治ではないので、再発の危険も残っており、まだイスラム地区の山には戻れませんが、とにかく山は越した感じです。皆さんの祈りの力があったと思います。
 執刀医は、いつもお世話になるドクターモダンサさんと、ダバオの医師2人の3名チーム。ドクターは給与を返上して執刀して下さいました。
 この時期はデング熱のシーズンですが、ロザリナさんの朗報と平行して、同じイスラムの村から2人の男の子が、5日間高熱の後に血を吐いた(典型的なデング熱の症状)とやはり高熱と尿に血が混じる(UPIの症状)が出ていると連絡が入り、慌てて向かいました。
 Omar MonibくんとGarry Hasimくんです。今は病院ですから大丈夫ですよ。状態を見ていますが輸血が必要になるかも知れません。
 また山から来た大学生のEdmon Linatoくんもデング熱で入院しました。輸血が必要で、A型ですので私も献血しました。
 今後は、少し日本人の血が混じるね、などと冗談を言いつつ・・・彼は極貧ですが屈強の体なので辛い病気ですが大丈夫でしょう。
 お祈りして下さっている方々、寄付を送ってくださっている多くの方々、ありがとうございます。


この日、ひどい皮膚病の子を治療する決定をしました.。
 お姉さんとミンダナオ子ども図書館で撮った写真を添付しました。かなり膿んでいてかわいそうです。
 時間がかかるでしょうが、命に別状があるわけではなさそうです。写真
 こちらの子の場合は、病気がそのまま生命の危険に結びつくケースが多いので大変です。

イスラムの少女の緊急手術 8月19日

 ミンダナオ子ども図書館では、イスラム教徒の戦闘地域、ピキットの山岳部、カラカカン村の小学生35名にスカラシップを出していますが、5年生のRosalina Guiandalさんが、盲腸炎が破裂して緊急入院させました。
 この地域は極貧で竹の家もボロボロの家庭が多く、当然医療は受けられず、腹部の痛みが盲腸の破裂であるにもかかわらず、腹部マッサージを続け菌が腹部に飛散した状態です。
 緊急に手術をしましたが、患部の全削除はかなわず、現在は様子見で、生存は五分五分だそうです。
 まつげの長いいたいけない子です。皆さんお祈りしてください!お願いします!


 この地域は、政府軍とアメリカ軍のテロ掃討作戦で爆撃を受け、ガンなどの患者が増えている地域です。
 共にイスラム教徒のために活動しDSWD(市の福祉局)所長であり、ミンダナオ子ども図書館のボードメンバーのクリスチャングレイスさんは、劣化ウランを疑っています。彼女自身も喉頭ガンです。


医療プロジェクトより 8月7日

 肺の癒着が進んでいる女性がダバオの私立病院で診察を受けた。病気の発端は喘息だった。
 初期においては薬の治療で治る病状だったので、当時はデパートで働いて薬を買い治療していたが、肺の異常に気づいたデパート側は、病気を理由に解雇した。
 (大都市ダバオのデパートなどの雇用は、比較的恵まれた職なのですが、終身雇用ではなく5ヶ月契約がほとんど。理由は、半年未満の契約であれば正規の雇用ではなく、健康保険や年金の法的責任がない。)
 解雇後はもちろん薬は買えず貧困のなかで、母親が近くの町で住み込みお手伝いをしながら面倒を見ていたが、薬を買ったり買えなくなったりをくり返し、現在の状態になってしまった。
 彼女の存在を知ったのは、スカラシップに応募してきた一通の手紙からだった。
 調査に行くと、田んぼの側に車を乗り捨てて川沿いのあぜ道を吊り橋や丸木橋を渡りながら、行くこと30分あまり。緑の田んぼの中に孤立した島状の土地があり、3軒ほどの竹家が隔離されるように建っている内の一軒だった。
 そこに寝かされている女性は、明らかに顔色も悪くやせ細り、一見して大学進学どころではない事は明白だった。その時母親は居なかったが、話を聞くと、母親の給与では食べるのがやっとで薬は買えないとのこと。
 進学は論外でまずは病気を治すことが先決だが、ミンダナオ子ども図書館の規定である、「医療は17歳以下」に当てはまらない。そこで、母親に現在の家事手伝いから図書館に移り、もう少し給与の良いハウスマネージメントに雇い、その給与で薬を買ってもらう事にした。
 それから半年、残念ながら喘息の薬だけでは回復は見込めず、呼吸困難になったと聞いて、例外規定でダバオメディカルセンターに入院する事になった。
 病院に見舞ったときは、酸素吸入を受けやせ細り、方肺が機能不全で心臓も弱り、手術は不可能との診断。薬の投与で病状を見守るという結果になった。
 話を聞いていると、本人は元気になりたいのだが、薬が買えず、病気で仕事も出来ず家からも出られず、自分が生きていることによって親兄弟に精神的経済的な負担をかけていることが重荷なようだ。しかも病状はゆっくりと進行し、かといって死ぬことも出来ない。
 しかし、本人の生きたいという意欲も確かだし、ミンダナオ子ども図書館では、いったん引き受けた患者は、可能性がある限り最後まで面倒を看るという原則から、薬物治療に賭けることにした。
 ダバオに見舞ったとき、偶然ではあるが、貧しい人たちが15人近く寝ている病室の隣のベッドで、老人が息を引き取っていく瞬間を見た。
 老人はすでに意識はないらしく、風船を手で圧すという原始的な方法で、家族が人工呼吸を続けていたが、ようやくやってきた医師の心臓マッサージもむなしく、その場で息を引き取っていった。
 鼻や喉に差しこまれていたビニールのチューブが一つ一つ抜きとられ、最後には病院の薄汚れたシーツにくるまれて、運び出されていくのを見ながら、死ぬという事は、自分の体から離れることだとは思うのだけど、それにしても大変な一仕事だなとつくづく思った。
 死んだ後、周りを囲んでいた家族も、むしろホッとしたようだったが、本人も死臭漂う体から離れて、どんなにかホッとしたことだろう。
 ちなみに、肺が癒着した女性は、長く病院に置かれるのも嫌だし費用も馬鹿にならないので退院したいと言い、かといって不便な実家にもどれば、診察のたびに馬で道路まで運ばなくてはならないので、意を決して、ミンダナオ子ども図書館の道路側の開いている土地に、小さな竹の家を建てて、そこで母親と生活しながら回復まで面倒を見ることにした。
 半年以上はかかるだろう。

*******************

 ミンダナオ子ども図書館では、昨年は105名の子どもたちの病気を治したが、その半数はスカラシップの学生や里親の子どもたちだ。
 全員が全員、極貧家庭から来た子たちだから、健康保険に加入していなくて当たり前だし、病気になっても親が医療費を払えるわけがない。
 言ってみれば小学生から大学生まで、合わせて200名近くの栄養不良で、しかも健康管理の行き届かない地域の子達がいるのだから、病気の子が出て当然なのだ。中には、長期治療を続けている子もいる。
 そのようなわけで、肺の癒着が進んでいる女性の対応に追われている間にも、大学生クリスティーン・パデルナルさんがデング熱で緊急入院した。幼いときに両親と死別し完全な孤児だから、私たちが助けなければ他に助けてくれる人もいない。
 デング熱というのは、夏の時期になると流行する病気で、蚊によって媒介される。高熱がくり返し襲い、体が極端にだるく食事が進まず、ひどくなると鼻や口から出血する。点滴と輸血をすれば、だいたい治まるが、そうした最低限の治療費も出せない一般の貧しい子どもたちにとっては、これといった治療法もなく薬も効かない恐ろしい病気で、僕もかつて7キロも痩せた経験がある。
 クリスティーンの場合は試験があり、熱があるにもかかわらず終了まで頑張ったのも良くなかったようだ。図書館に住んでいればすぐにも入院させたのだが、仲間のスカラーと下宿生活をしていたので知らずに入院が遅れてしまった。鼻から出血したと聞いて慌てた時にはすでに輸血が必要な状態だった。
 血液型はタイプA。奨学生やスタッフの支援を仰いだが、自分の血液型も知らなければ、注射もしたことがない子達なので恐れて献血をしようとしない。キダパワンの血液バンクが登録ドナーに電話して、ようやく最低限の血液を確保した。
 4月にはコナナン君が同様の状態で輸血を受けているので、今回の反省から全体ミィーティングで全員の血液型検査をして緊急時のドナーを登録することにした。

****************


たとえトタン屋根の下に避難できたとしても、土の上で寝るのは厳しい。
とりわけ子供とお年寄りには過酷な生活が始まる。
読み聞かせに行った日の前夜、ミンダナオ子ども図書館のスカラーの一人、ノルハナさんのお祖父さんが難民キャンプで亡くなった。心臓発作だった。
難民生活がいかに過酷か理解できるだろう。彼女は悲しみにうちひしがれていた。



 私たちは、医療プロジェクトも持っているので、病気の子供がいるとすぐに救済に向かう。
今回も、39度近い熱の子どもたち、激しい腹痛と下痢の子どもたちに30名ほど出会った。

 読み聞かせを聞きに来た子供の一人は、腹が写真のような状態。もう一人は高熱を出している。病院に運ぶことに決定した。
 同じ村の隣の家で、骨折した子がいるというので、向かった。一週間前に骨折、木から落ちて足と手を折っていた。
 もちろん、彼らには治療するだけの力も財力もない。




本当に貧しい家だ。この家のなかで、少女は寝ていた。母親は亡く、継母が同行。
村人たちは、私たちが治療を決断した事を心から喜んでくれた。
男泣きに泣く村人もいる。
「神様のおかげだ!」と天に手をあげて感謝する村の牧師。



みんなで協力して、少女を車まで運ぶ。レントゲンの結果、かなりひどい骨折で、
放っておいたら一生歩けないと言う事がわかった。
足にはステンレスの補強をし、手の骨折も含めて、15万ほどの治療費だ。
国民健康保険に加入している訳もなく、出生届すらないのだから・・・・





緊急治療は、なぜか次々に重なる。

スカラーの年老いた父親が高熱で意識がもうろうとして緊急入院。
ピキットから子供を運んだ後に帰ってくると、別の地域から子供が運ばれてきた。
見た感じは、たいしたことがなさそうに見えたが、全身がむくみ膿んでいる。



キダパワンの病院に診せた結果、「これは、キダパワンでは無理。
ダバオの病院に今すぐにでも運んでください!!!」

「ええ、でも、もう夕暮れですよ!」
「そうしないと、明日にも亡くなるかもしれない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

そのようなわけで、現在夜8時、スタッフが患者を連れてダバオに向かった。
出かける前に「医療費はどうしますか?ダバオでの治療となると、大変です。」
概算すると、すでに一月で40万円。月予算の10万をはるかに超えて、4ヶ月分の医療費を使っている。
今度は、私たちの方が、「おお、神様、何とかなりますように!」
しかし、救済を優先してGOサインを出す。

明日のことは思い煩うな・・・・・?



 



 ナブンダスの子たちの中には、下のように、体の奇形が発症している子たちが数人いる。左の子は、手の指が発達せずにくっついている。右の子は左の目が盲目になっている。
 まずは、検診し、可能ならば手術をすることになった。
 戦闘のあったピキット地域では、このような奇形が多いことは、すでに報告したとおりだ。空爆の際に劣化ウランが使用されたのではないかと疑っているのだが・・・・戦闘後に増えていることは確かである。

 今回は、ヘアリップを中心に10数名の治療を、ダバオメディカルセンターで一気に行った。スマイルファンデーション主催の集中治療に参加。
 山から子どもたちをミンダナオ子ども図書館に運び一泊、翌日ダバオでスクリーニングを終えた後、手術日が決まり、再度ダバオに運ぶ。
  術後は病院の体育館で一泊。いつもながら、医療プロジェクトは、子どもと家族の面倒を手取り足取りするスタッフにとって最も過酷な活動だ。

 
 

 今回は、ダバオメディカルセンターに平行して、足が内側に曲がった子どもたちの診察も行っている。山奥のマノボの若者で、その家の兄二人は今年度のスカラシップ候補者だ。


 何とか救済しようと、まずはドクターに診せると、医師は顔をしかめた。
「あなた方のファンデーションは、難しい患者ばかり運んでくるね。
これは、筋ジストロフィーだと思われるよ。」

 筋ジストロフィーは、足から次第に硬直が体の上部に進み、やがてからだが麻痺し、肺と心臓が硬直して死に至る病気だ。
 彼らの家庭は、ひどい困窮状態で、山地の谷間にほとんど土地はなく、父親が一人で5人の歩行困難な子を養っていくことはどう見ても不可能。

 二日後に、神経内科の検査を受けてその結果を見て決めるが、この分では、ミンダナオ子ども図書館の敷地内に小さな家を建てて家族で移り、両親に仕事を与える以外になさそうである。と言っても、これだけ養っていけるだろうか。
 ミンダナオ子ども図書館の住人は、今年の春新しいスカラーを加えると60名近くになりそうである。
 神よ我らを守り給え!

下左は、デング熱で入院した奨学生マノボ族のローズマリーさん。


 下は、体内に細菌感染が広がり、緊急入院したマノボ族の子。
ドクターはいつもお世話になっている、ドクター チュー先生。中国系だと思うが、本当にすばらしい方。



悲しいニュースを一つ
前号のメールニュースで紹介した病気の赤ちゃんが亡くなりました。
 

骨折した子は、無事に退院

 ステンレスで補強しましたが無事に退院。
 今は、ミンダナオ子ども図書館に住みながらメンテナンスをしている。少しずつ歩けるようになり、山に戻れる日も近いでしょう。
 ありがとうございました。


   ********************

新しい患者が運び込まれた!

 6月1日に日本よりミンダナオへもどる
 イスラムの若者たちの民族楽器による、10月の日本公演打ち合わせから、ミンダナオに帰ると、息をつく暇もなくさまざまな状況が待ち受けていた。
 まずは、骨折したマノボの若者14歳の救済。(写真下)




 彼は、前回に少女ローズマリーグマイちゃんを救済したボアイボアイ村に隣接する、山岳地帯の貧しいマノボの村はずれの家に寝かされていた。
 彼の家も同様に、山中の貧しい小屋であった。父親は無く、母親と生活。すでに2週間も寝たままであった。



 骨折は、サントルの実をとろうとして木から落ちたのが原因。サントルの木は高木になり、実は枝の先端になっているから、落ちたらただではすまない。 
サントルの木から落ちて骨折した子の救済は、これで3人目。
 もちろん、医者にかかり治療する事は、貧しい彼らには不可能なことだ。
 とりあえず宛木をほどこし、村医者(祈祷師)になにやら炭を油に溶かしたようなものを塗ってもらっていた。
しかし、気休めになっても、このようなことで骨がつながるわけがない。
 本人は、病院に行くのを恐れ嫌がったが、「このままでは一生歩けなくなる、下手をすると体が腐って死んでしまう」
などとと説得してようやく病院に運んだ。


 案の定、完璧に骨折している。 手術は、翌週の水曜日に実行されることになった。
貧しい地方の公立病院では、専門医師は週一回訪れるだけ。
多くの患者が通路に寝ている。

 ちなみに、以前骨折して運ばれたローズマリーちゃん(写真下)は、すっかり歩けるようになった。
二人ともミンダナオ子ども図書館に寄せられた、皆さん方の医療寄付がなければ、一生歩行困難だったろう。手のギブスは取れずにいるので、今年は学校をお休みする。
 彼女は、母親が亡くなっていて、継母に育てられているが、お姉さんと共にミンダナオ子ども図書館がすっかり気に入り、ご両親の了解も得て、お姉さんとここに住み、ミンダナオ子ども図書館の子として学校に通うことになった。




 写真左はローズマリーちゃん、右は妹の世話をしている実姉のマリベールさん。
二人とも素直でとってもよい子たちだ。
お姉さんは、すでにミンダナオ子ども図書館のあるマノゴル村の小学校に通い始めた。

マリベール グマイ 十三歳 マノボ族 六年生 支援者が決まりました。
 もう一人の、緊急でダバオに運ばれた子も、命をとりとめた。
 現在は、ダバオからミンダナオ子ども図書館に戻り、キダパワンの病院で術後の検診を受けている。
 キダパワンの医師や看護婦も、この子が命をとりとめて生還してきたので、ビックリして感動していた。
これも皆さんのおかげです。



*************************************************

 子どもたちが、学校に通い始めて、日本で寄贈していただいた車いすが大活躍。

 プロテスタント教会のH氏から寄贈された2台の車いす。
 筋ジストロフィーの兄妹が、学校に行くために大活躍!
 ミンダナオ子ども図書館のスカラシップの子たちが、みんなで手分けして毎朝学校に通っています。
 うれしそうな彼らの写真を見てあげてください。







 彼らを支えてくださっているのは、支援者の皆さん方。
 皆さん方の上にも、彼らからの笑顔の支援をお送りします!!!

 心からありがとうございます。

*********************************************

 今回は、盲目の方々や障害者の方々に語る機会が幾たびかあった。
 今まで、障害者に対する対応などを語る機会はなかったが・・・
ミンダナオ子ども図書館を訪れた方々が、図書館に住んでいる奨学生の若者たちが、盲目のジュンジュン君やベルリーンさん、ポリオのノノイ君、
筋ジストロフィーの3兄弟妹たちに、
家族の一員として自然に接していることに驚きの念をもたれ、なぜそれが可能なのかを話して欲しいと言う要請に応えた形だ。
 盲目の子や障害を持つ子たちが、ミンダナオ子ども図書館ではいっしょに自然に生活している。
 盲目の子は、最初、市の福祉局からの要請で受け入れたが、私に専門的なケアの知識や経験があろうはずもなく、最初は非常に不安だった。
しかし、驚くべき事に、最初から若者たちは彼らを自然に受け入れ、やがて若者たちにまかせれば心配のない事が解った。
その理由を、いろいろ考えながら話したのだが、根本的にミンダナオの人々のメンタリティーのなかに、壁を作らず自然に接したり面倒を見ていく生活習慣があるように思える。
 とりわけ貧しい辺境地域に見られることだが、親に見放された子も、周囲のだれかが引き取って面倒を見る。


 盲目のジュンジュンくんとベルリーンさん。
 ジュンジュン君などは、その典型的な例だ。見放されても、自殺をせずに、それなりのしたたかな生活力を持っている。
 貧困が日常のミンダナオでは、ほとんどの人々がいわゆる社会的弱者に属するので、おたがいに思いやり支え合ったり、
したたかに生きていこうとする意志が共通してあるように思える。
 フィリピン人は、介護や看護の分野でも定評があるが、「人を放っておけない性格」=「おせっかいな性格」がどのように形成されていくのか、興味は尽きない。
 貧困と同時に、昔話が語りとして生きているとい
う点、 家の街頭やちまたに、洗濯や夕涼みなど、生活そのものが生きている場があることも関係しているように思える。


   **************************************
アイリーンの手術が成功した。
 アイリーンは、アラカンのマノボ族だ。祭りの日に、家の台所で料理をしていると、外で銃が暴発し、銃弾がアイリーンの腰から腹を射抜いた。
 土地もなく、高地の貧しいマノボ族だったから、父さんがあちこちから借金をして安い公立病院で緊急の手術をしたが、手術の半ばで費用がつきた。



 アイリーンは、切断された腸を接ぐ手術に移行することなく、腹の脇から排便することになった。
薬を買うお金もなかったから、傷口は大きなケロイド状になった。
 退院した後、家庭はさらに極貧になったから、傷が癒えるまもなく食堂の女給や洗濯女をしながら家計を手伝った。
銃痕のあとから血がにじむこともあった。

 女給をしているとき、去年の秋に、突然脳障害が起こり、意識が失われた。
 意識が失われると同時に、異様な声を発して、転がり出した。
意識を取り戻した後、彼女は何も覚えていない。
 かつて働いていた食堂では、彼女を男たちが取り押さえたが、腹の手術の大きな傷を見たとたんに、大の男たちがわっと逃げ出したそうだ。



   先日も同様の症状がミンダナオ子ども図書館で起こり、意識を失ったアイリーンは、うめきながら転がった。てんかんに似た症状に、皆、悪魔が憑いたと思って恐れた。
 無理矢理、強引に、若者たちが、力ずくで押さえ込もうとする。
 塩をまいたり、ニンニクを持たせたり、香を焚いたり、悪霊よけの祈祷をしたりと、一時は騒然となったが、冷静になるように皆を諭し、彼女の頭を腕に抱いてくり返し優しく語りかけると、次第に落ち着きを取り戻していった。
 「悪霊が憑いているのに、ともさんは、怖くないの?」
 「うん、僕はぜんぜん怖くなんかないよ。」
 とても積極的で明るい子だし、非常にがんばりやだし。
 スカラシップには、弟も高校生として応募してきたが、私たちはアイリーンを採用した。
費用はかかるけれども、手術をして彼女を救うことが先決だと判断したからだ。
 私たちの医療プロジェクトは、17歳以下という規定がある。
アイリーンは20歳だが、奨学生になると例外規定が有効になる。
勉強に対する情熱も高いし、結婚が不可能でも大きな良い働きをするだろう。

 非常に貧しく、病気の治療も困難である。両耳が膿んで一年もたつ子。

すでに治療は始まっている。

 また、祭りの際の暴発で腹部を射抜かれて貧困のために手術を完了できずに、腹から排便している子もいる。
(この子は、まず治療をしてから学校に行くように決定)
 またポリオの子も、山岳地域にしばしば見受けられる。


マノボの子を抱く、イスラム教徒の奨学生。
ミンダナオ子ども図書館の奨学生は、ボランティアで活動を手伝っている。

********************************
盲目の少女日本から


 盲目の少女といったら上岡さんに怒られるか、笑われるかもしれないけれど、奈良に住む上岡さん(27)は少女のような心の持ち主であることは確かだ。
 ミンダナオ子ども図書館を知ったのは、このメールニュースでだった。
メールで返事をいただいたときには、見事な日本語なので(後になって関西のラジオでトーク番組を持っていたことを知って納得)まさか盲目だとは思わなかった。
 11月の大阪市立図書館の講演会場で始めてお目にかかり、その後からミンダナオ子ども図書館に来られることを決心されたようだったが、まさか本当に来られるとは思わなかった。
たびたびマニラなどには行ったことがあるという話は聞いていたが・・・・・



 上岡さんは、ミンダナオ子ども図書館に引き取られてきた、盲目のジュンジュン君の事が気になっていたようだった。
 ちなみにミンダナオ子ども図書館には、ジュンジュン君とベルリーンさんの二人の盲目のスカラーがいる。
 下の写真は、ジュンジュン君とベルリーンさん。二人は兄妹のように仲が良い。




 今回、上岡さんは、6月から盲学校に入るジュンジュン君に、持ってきた教材と時計で、時刻の読み方とアルファベットを教えてくれた。
 この世の中に、時計という物があるという事も、アルファベットで全ての物を書きあらわせるという言うこと、すら知らなかったジュンジュン君にとっては、天地がひっくり返るような画期的な出来事だった。
 教えている様子を見ていて、忍耐強い上岡さんの様子に、感銘を受けたスカラーも多く、みんなでジュンジュン君の勉強を手伝っている姿は傍目にも美しかった。
 ちょうど日本に帰った折に、吉祥寺カトリック教会の売店で手に入れた映画のDVD「奇跡の人」を皆で鑑賞した後だっただけに、上岡さんの姿がヘレンケラーに字を教えるサリバン女史の姿とダブったのだ。
といってもジュンジュン君は耳が聞こえるが・・・
 下の写真は、教えている様子。



 ジュンジュン君にとって、この経験は画期的なことであることは、様子の著しい変化でわかった。
 歌だけ歌って馬鹿騒ぎしていた彼が、物思いに沈むようになり、聞くといろいろと将来の事を考え始めている。
6月から盲学校で勉強する事に、異常なぐらい関心を集中させている。
 上岡さんを飛行場に迎えに行ったときも、近くの芝生で座りながら、「飛行機の足につかまって空を飛ぶんだ」と言っていた。どうやら鳥のような物を想像しているらしいので、「お客はお腹に入るのだよ、出るときはウンコのようにお腹から出てくるのさ」と説明して、二人で笑った。
 上岡さんのおかげで、盲目でも世界を旅できるという、信じられない人生が広がったのだ。
 まずは文字を覚えて、英語とタガログ語を勉強するのだとはりきっている。



 上岡さんは、お兄さんがインドネシアで勉強しているだけに、イスラム教徒にも理解があり、ピキット地域の読み聞かせにも参加し、市場を巡った。
 盲目の日本人のしかも女性がこのようなところまで来ることに、市場の人々もビックリして、たちまち人気者。
(写真上、同行してくださったのはDSWDの所長グレイスさん)
 
最後のお別れ会では、イスラム教徒の若者たちが歌ってくれた。(写真下)



 10日間ほどの短い滞在の間に、彼女がミンダナオ子ども図書館の若者たちの中に残した足跡は深く大きかった。
とりわけ、ジュンジュン君には、一生を決定するような足跡だった。
 毎年来られるだろう。ミンダナオ子ども図書館で山地を巡るときには、盲目の子が他にもいないかたずねていきたいと思っている。
 私自身も、多くの事を勉強させられた、貴重な日々だった。上岡さんに感謝!

 追記:上岡さんは、奈良の田舎でお父様は、猟師もなさっている農家の家庭。
 宗教を聞いたら、屋根の上に白い蛇がすんでいて拝んでいるような感じの宗教、と言っていた。
ミンダナオ若者たちも同じような物をたくさん信じている・・・・


医療と心療
再会、そしてミンダナオ子ども図書館へ

グレン

この子の手術をしたのは、もう5年も前になるだろう。
母親が居ず、父親の過ちで銃が暴発頭に傷を負っていた。
数ヶ月の治療の後、回復。
その後、父親は、別の女性と家庭を持った。

先日、たった一人で村に
帰ってきているのを見つけた。
大喜びで駆け寄ってきた。
しかし、膿が再び広がっている。

それでも、元気で大きくなって、
友だちと遊んでいる。
当時は、口からヨダレが止まらず、
左腕と足に軽い麻痺がみられる。
正常な成長は見込めないと思っていたが・・・



この子に再会してから3日後、
引き取るために村を訪ねたが
祖母の所にいると聞いて、さっそくその場所に向かった。
祖母いわく「傷を治した後、
この子をMCLで引き取ってくれないか」。
祖母にとっても、厄介者でしかない。
グレンにたずねた「私たちといっしょに、MCLに住むかい?」
「うん、MCLがいい」本人は大喜びだ。
と言うわけで、
新たにミンダナオ子ども図書館に住むことになった。


久々に会って、思ったより
目つきも行動も
しっかりしているので一安心した。
私の姿を見たとたん、
よほどうれしかったのだろう、
満面笑顔で駆け寄ってきた。

祖母の所を離れ、
一人でもどってきたという。
このままでは、化膿が広がるので
再び治療を開始。
ときどき、このように、
まったく見放された子に出会う。

軽トラの後ろに乗ってお別れ MCLでみんなと
初めての食事
どのような生涯を
送っていくのか

ジンジン

かつてMCLの奨学生だったジンジン。
足に問題があり、ゆっくりとしか歩けない。
薬をだしてメンテナンスを続けていたが、父親も町に仕事が出来たし、
家で母親が面倒を見ることになった。
5年前のことだ・・・。

先日、キダパワンの町で、5年ぶりに父親が声をかけてきた、
「ジンジンは、歩けなくなっている。
実はあれから、私たち夫婦は離婚して、
私も彼女も別の人といっしょになって、子どももいる」
「エッ、それならジンジンはどこにいるのですか?」
「母親の元にいるが、妹のラブラブが学校を停止して面倒を見ている。
トイレにも行けないから・・・ぼくはもう、ずいぶんもどっていない、
彼女も別の男性と結婚し子どももいるから」

話の途中で
父さんの事になったとたん
泣き出したジンジン




とりあえず、事情を知る
必要があるので、
数日後、ジンジンの家に
向かった。
何年ぶりの再会だろうか、
大喜びで迎えてくれた。
しかし、歩行は出来ず
寝たきりだ。


かつてまだ小さかった
妹のラブラブ(下写真)が、
高校3年生の学業を停止して
ジンジンの面倒を見ていた。
将来、妹とMCLに
帰ることを決め顔が明るくなった。

  マイマイ

小さかったマイマイ、当時10歳。
股関節のヘルニアを治療した折りに、MCLと知り合った。


お母さんは、障害がある。
片足を切断して
義足を入れたので
娘のマイマイに
支えられて歩く。
それでもがんばって、
保育者をしている。
月給2000円。




お父さんは、
ガードマンだが、
音信が途絶え、
帰宅しなくなった。
別の女性と
いっしょになった。

マイマイは、
今年大学に入学したものの
一年たたずに、
経済的に続かなくなった。

同じ大学に通っている
MCLの奨学生の
友人に言われて
再びMCLを訪ねてきた。

どなたか、
支援者になって
いただけませんか? 
            

6年前、当時のマイマイ、10
アンティパスのDSWD(福祉局)からの依頼。

股間接のヘルニアで、カレングレースと二人一緒にダバオのDMC病院で
検診を受け手術を完了。

ジェニーボーイ

かつて私が滞在した孤児施設
ハオウオブジョイで
出会った少年
当時、小学生だった
ジェニーボーイ。

彼の両親は、
サリサリストアと呼ばれる
小さな村のお店を
していたが、
つけ払いで借金が貯まった
警察官に
文句を言ったと事が原因で
その場でピストルで
殺害された。

こうした物語は
拙著『サンパギータの白い花』
(女子パウロ会)
で書いたが、
一部下記で引用。

 彼が暴漢に襲われ、頭部を殴られ骨折して病院に運ばれたと聞いて、
 彼の弟と妹、MCLの奨学生のラランとラブラブが現地に向かった。
 ジェニーボーイは耳から血を流し、救急車でダバオに搬送、
その後、キダパワンの病院に収容した。

 CTスキャンの結果、頭部の骨が一部砕けていた。
 喧嘩でもしたのかと思ってたずねると、
どうやら本当に暴漢に襲われた不慮の事故だった。
 「フィエスタで少し酔って外の机でウトウトとしていると、
後ろから懐の財布を探っているのを感じて、
 手で押さえたとたん後部から強く殴られて、そのまま記憶を喪失した。」

 両親とは、幼い頃に死別ししてるし、生活は、あちらこちらをさまよいながら、
 草刈りをしたり、漁の手伝いをしたりしながら、何とか生き延びているという。
 学校は、小学校四年生でストップした。
 ハウスオブジョイで下記の文章を書いた時に、三年生になるところだったから、
その後一年でストップしたわけだ。
 しょうがない、このまま追い出すわけにもいかないし、
入院治療が終わったら、MCLのマキララ農場で働かせるか・・・


パン一個の不幸

 ボイはカッパに似ている。ぎょろっとした大きな目。
 針金のように立っている短く刈り込んだ黒い髪。
 一口で魚を飲み込んでしまいそうな大きな口と、ちょっと面長の顔。
 どうしようもない不良だという人もいるけれど、
 決してそうは見えないし
 問題児ほどかわいいというのもまた確かな事だ。
 確かにボイは学校が嫌いだ。
 いや正確には大嫌いだったと書くべきかもしれない。
 なぜって、ここ十日ほどは学校に通っているからね。
 これは彼にとっては画期的なことなのだ。
 おかげで二年生から三年生に、進級だってできそうだ。・・・・


続きを読みたい方は、書店、
または右のインターネットから購入できます。
サンパギータの白い花
松居友:著 

(女子パウロ会)

注文は以下からも・・・
Info


アシム

彼女は、図書館に住んで学校に通っているスカラーのアシムさん、
やはりプロック8村のマノボ。
父親はいないが、成績も良い。
ところがある日、村に帰って2週間以上帰ってこない日が続いた。
この様な時は、ソーシャルワーカーのカティさんと相談まずは探しに行く。
村の母親の元から、さらに長女の家に移っていた。

頭痛の熱が発端だったが・・・
「その後、私、白い男の人が
前に立っているのを見たのです。
たぶん、妖怪だと思う。
それで、怖くなって、村にもどって、
マナナンバル(祈祷師)に看てもらったら、
女の妖怪が憑いているっていわれて。
母さんのいる村から、姉さんの所に移って
養生していたの・・・」



この様な場合は、
話を良く聞いて
本人が一番良いと
思う方法を選ぶ。
恐らく、新しい高校が
少し程度が高い
からだと思うのだが
姉さんも良い方だし、
母親と相談して、後日、
姉さんの家から通う
という結論を下した。

妖精達には、
逆らえない事が多い???

ピキットのブアラン近郊で戦闘があり
再び多くの難民が出ている

ピキットのブアランとアレオサン近郊で、政府軍とMILF軍が衝突し、
多数の難民が出ている。
ブアランは、2000年の戦闘の砲弾跡を残したままの
小学校がある地域で、非常に貧しい地域である。
ミンダナオ子ども図書館で保育所を建設、
小学校や高校生のスカラーもいる。
去年の8月に発生した戦闘で、
半年間も難民生活を余儀なくされていた人々。
ようやく今年の3月に家に戻れたところ、
3ヶ月で再び難民化することになった。

木の枠組みだけ作ってもシートがない。

高熱を出していた、4人の子どもたち。

かなり広範囲に難民が出ており
国道沿いもふくめて、
難民は各地に散らばっている。
ハウスベース(親戚などの家に逃れた人々)
の場合はまだよいのだが、
写真の地域のように、
野外に逃れた人々は悲惨だ。
雨の多いシーズンなので
緊急のビニールシートが必要。
熱や腹痛などの病気の子どもも多く
早速、ミンダナオ子ども図書館に
保護して、治療をすることになった。


この様な状態で夜を過ごしている
ミンダナオ子ども図書館で、とりあえずビニールシートを支援した。
手伝っているのは、スカラーのザイノディン君



この様な雨よけも無い所に
子どもたちを
放っておくことは出来ない
熱帯雨林地域の雨は、
半端でない



左の少女は、
両足先を膿んでいた
上の子たちは、
高熱を出して寝ていた。
ミンダナオ子ども図書館の
子たちも
高熱を出して入院したが
今流行の
インフルエンザか・・・

この様な場所においておくことも出来ずに早速、
ミンダナオ子ども図書館に収容した。
しかし、後述したが、
ここ数ヶ月の連続する患者の治療で医療費が底をついている。
今後、戦渦が拡大すると、大変な状況になっていく恐れがある。
6月から7月にかけて、
新たな戦闘が勃発する噂があるが、
現実にならないことを祈るのみだ。


ピキット地域だけではなく、
ミンダナオ子ども図書館の水田のある、
マタラム地域でも軍が入り戦闘が広がっている様子。
今回の戦闘で、軍は、3ヶ月分の「お弁当」(食料)を
準備しているという話が聞こえてきた。
最低、3ヶ月は戦闘が続くという意味だろうか????
可哀想なのは、子どもたちだ。




 MCL(ミンダナオ子ども図書館)
だけが、難民たちの唯一の頼り。
現地で奨学生の
ジハッド君と
バイナオットさんに会った。
私たちが来て
本当にうれしかったようだ

この地の人々は皆
私たちを知っていて
「本当にMCLは
頼りになってうれしい」
と言ってくれた


当然、この時期は、どこのNGOも政府も、
救援活動を開始していない。
恐らく戦闘が拡大するとしても、
救済活動が開始されるのは数週間後だろう。

緊急支援は、夕暮れまで続き
最後に、病気の子たちと
その保護者を車に乗せて
一路
ミンダナオ子ども図書館に
向かった
明日から、さらに本格的な
救済活動が始まる
病気の治療も
開始しなければならない
ヤレヤレ












































































































































































































































 






 




 















































  

次々と医療患者が・・・

ミンダナオ子ども図書館の運営で、戦闘が起こった時は別にして
最も予期できないのが、医療と車の故障だ。
予算をとってはいるのだが、とりわけ医療は、過去の事例を見ても、
突然に次々と病気の子どもが運ばれてくる。

写真は、ピキットのラガイエン出身のスカラー、Kakim Noraimaさん。
難民だったところを、支援者の意向で小学校のスカラーに採用された。
戦闘は終わり、難民状態の生活は終わり、自分の家に戻り
学校に通い始めたところまでは良かったのだけれども、
右足の膝の裏側から腿にかけて痛みが広がり、歩行するのも難しくなった。


どうも肉腫のような物が出来て、3ヶ月の短期間に大きくなっていくようだ。
それで、ミンダナオ子ども図書館に運ばれて、
キダパワンの病院で診てもらったところ
手術が必要で、癌の可能性も有るという。
さっそくダバオのドクターに診てもらったが、
DMCと呼ばれるJICAも支援している
公立病院でも最低10万、私立病院だろ20万は軽く出ると言う。
公立病院では、入院したまま、病院が手術を決定するまで数ヶ月かかり
かつて半年も滞在した患者がいた。
日本では考えられない病院事情なので、キダパワンの医師に相談して
最良の方策を現在模索している。
スカラーでもあるし、何としてでも治療を成功させたい。
彼女の従妹(下左の写真)も、歯茎が出る奇形で手術をした。
戦闘地ピキットでは、しばしば、目が飛び出す異常、瘤などの奇形、癌、そして
戦闘期間や難民生活ちゅうに妊娠した子の異常などの奇形が見られる。


Kakimさんの従妹の歯茎の治療は完了。
8月に、その後の経過を診ることになっている。
かつて2000年、2002年の戦闘後に
奇形が増えた理由に疑問を抱き
大学時代の友人で、現在は
カトリック教会大阪司教をしている
松浦悟郎くんに話をした。

彼は、私の写真を見て即座に
「劣化ウランとちゃうかなあ」と言った。
さすがに、正義と平和協会の代表。
私は知らなかったが
写真集を見せてもらって驚いた。
似た症状の子たちに多く会っていたから。
白血病で亡くなった子もいる。
知り合いの子も奇形だった。

その後、中国新聞社から取材を打診する
連絡をいただいたのだが、
危険すぎる地域という理由で
許可が下りずに断念。
劣化ウランは、証明は難しい。
Kakimさんも、
癌でなければ良いのだが・・・
劣化ウランに関しての中国新聞の情報は
右をクリックInfo

それにしても、ここ数週間で、次々と病人が出た。
今はやりのインフルエンザでは無いと思うのだが
最初は喉の痛みと咳から始まって、ある時あっというまに高熱が出る。
半端ではない、39度から40度を超える熱が出るのだ。


高熱が出るたびに、
最初は病院に運んで薬を出してもらった。
様態が重い子になると、意識がもうろうとしてくる。
医師に言われて、その様な子は入院することになった。
一貫して症状は同じ。
その後も、次々と感染し、ほとんど20人に上った。

幸い、薬で治療すると、熱は短日間でひき、
問題ないこともわかってきたので、
なるべく家で治療をすることにした。
ほんとうに、費用が馬鹿にならない。
8月までの医療費予算がこれで消費されてしまった。

さらに追い打ちをかけるように、
別件の子どもの治療が舞い込む。
幸い、去年看護学を卒業したスカラー、
Feさんが今年からボランティアスタッフで
活躍してくれているが
あまりにも次々と患者が出て、
その対応に苦心のあまり、涙ぐむ場面も・・・



兎口の子どもたちの治療

今年も、ダバオで開かれる、兎口の子どもの治療に参加した。
これは、UCCP(フィリピン・キリスト教団)とドールが協賛して、
毎年ダバオで開かれるものだ。
ミンダナオ子ども図書館では、家族の食事と宿泊、そして搬送を行う。


今回、参加したのは、マキララ地区の
先住民バゴボ族の子たちと
ピキットのイスラム教徒の子たちが多く
総勢で、8名の子とその親たち

経済的なサポートは、ドールが、
治療と検査は、比キリスト教団の招待で
アメリカのドクター方が
ボランティアで行ってくださる

私たちも、大いに助かっている
年一回の無料治療!


それにしても、ドールのプランデーション開発の影響を受けて山岳地域に追われた子たち、
米軍も関与している戦闘地のイスラム教徒難民の兎口の治療を、
アメリカ人を交えたキリスト教会が行う・・・
それで助かるのなら良いとは思うのだが、国際支援とは、何なんだろう?
支援を考える時にいつも繰り返し戸惑いながら、問い解される素朴な疑問!
支援とは、単なる利益の還元、それとも罪滅ぼしなのだろうか???


難民キャンプの
歯茎異常の少女の治療


手術前の姿


治療が終了し
再び難民キャンプに戻った少女
すでに半年もこういう生活が続いている

祖母は涙が止まらない

歯茎が異常に飛び出してくる病気
原因が何だかわからないが、ピキットの地に、
瘤や発育の異常が多いのは事実で、戦闘時期と重なっている。
まるで劣化ウランの症状のようだと、
その道に詳しい者が語っていたが、証明は難しい。
とりあえず手術が成功、6ヶ月後に今度は歯を入れる事になった。
見違えるように成った孫娘を見て、祖母は涙が止まらない。(右写真上)



ピキットの奇妙な洪水

ピキットを再び、大きな洪水が襲ったと、今回は大々的に報道された。
腰まで届く水に、スタッフのノライダさんも、隣のアスレーさんの所に避難した。
その報告を受けて、どのような状態で、
どのような救済支援が必要かを確かめるために、
洪水の翌日に緊急にピキットに向かった。

しかし!
水は、何と、24時間で、引いていたのだ!!!!
道路沿いには、若干の難民が残っているものの、昨日の午後には、
腰まであったという水はすっかり引いて、
以前、洪水救済にいったときの、半分ぐらいになっていた。
あのときは、10日間あまり、洪水が続き、
医療支援にカバサラン村にボートで向かったのだが・・・

洪水というよりも、Flash Flood 鉄砲水と呼ばれるものだったのだろう。
上流に、大量の雨が降ると、突然、想像を絶する量の水が流れ出す。
原因は、1960年代に、日本がラワン材を輸入するために、
ジャングルをことごとく伐採した事による。

それが、鉄砲水で終わるか、洪水になるかは、雨の量とともに、降水期間が関係している。
たとえ量的には少な目でも、降雨が長期にわたると、洪水になる。
今回のケースは、降雨量が異常に多く集中的に降ったものの、
短期だったので救われたのだろう。

確かに鉄砲水で家屋が流されたり、一時的に腰までとどく水の被害はあったものの、
引くのも実に早かった。現地の人々に、全く悲壮感が無く、
むしろ道路の決壊箇所を利用して、大量の魚の捕獲が出来、
一時、魚の出荷に湧いたのは人々の生活力のしたたかさだった。


 激しい洪水が襲ったと聞いて現地に向かったが、
先日の腰まで来る水は、あっという間に引き始めていた
洪水難民も数は少なく
むしろ現地は道路の決壊箇所に網を張って
捕獲した、魚の漁獲に湧いていた。
大量に捕獲され、バイヤーに取り引きされていく
鯉、フナ、ナマズ、手長エビ。
リグアサン湿原のあるこの地域が
いかに富裕な天然資源を保持しているかが理解できる
膨大な天然ガスと石油も眠っており
国際資源争いの場となっているが・・・
 
 
 


何としたたかな民衆だろう、災い転じて福となす
雨にも負けず、風にも負けず
洪水にも戦闘にも負けず生きる力に満ちた人たち
こういう人に、わたしもなりたい?

以前にも書いたが、洪水が、
予想を超えて高く水位が現れる原因は、
USAIDと呼ばれるアメリカ政府の道路建設支援の結果、
国道からラジャムダと呼ばれる村まで、
川沿いに、土盛りの高い道路ができたせいだ。
この道路に堰き止められる形で、
水が川沿いの村を襲うようになった。
いわば、国際支援が災害を大きくした例だが、
この道路は、この先のリグアサン湿原に眠る、
大量の天然ガスと石油の開発と積み出しを
狙ったものだと、現地では言われている。
しかし、現地の人々はしたたかだ。
前回の経験から、道路の決壊箇所に漁網が張られ
大量の漁獲がされていた!


学校も鉄砲水につかり、
教室も腰まで来る水の中だった
すっかり濡れてしまった教材。


しかし、翌日には水が引き、
道路で教材が乾かされていた。
洪水が出たとたん、
飛び出して泳ぎ始める子どもたち

むしろ困難なのは、
戦闘難民の人々
歯が悪く、ガンの疑いのある少女

地域によって、支援のあるところと、
無いところの格差が明確になってきている

山元しんぷ支援のサダム君も、
支援をはずされている地域のスカラーだ
このときは、WFP世界食料機構のスタッフも同行
オーストラリアからのスタッフのための事前調査。
行く先は、副市長の地元のパイドプランギ。
洪水に阻まれてストップ。
ボートで行くことはできるのですが・・・

私たちの活動にずいぶん興味を持ったようすだった。
私たちも、時々WFPとは、行動を共にしている。
ランドクルーザーの後を、
スズキの軽トラで追いかけるのが大変だった。


歯が悪く、ガンの疑いのある少女の母親
いよいよダバオでの本格的治療が開始されるので、打ち合わせ


私たちは、非政治でかつ、特定の宗教に偏らないNGOだから、
国際的NGOや行政から見捨てられた、
この様な場所にこそ支援を継続していく。
といっても、蚤のような小さなNGOで、出来ることも限られているのだが。
医療と炊き出しの支援を開始することに決定した。特に医療は重要。

先日、ダバオで、20万円ぶんの医薬品を購入したが、
2月から、マノボの山岳地域をふくめて、医療支援を本格的に開始する。
平行して、白血病の疑いのある患者が、現在ダバオで検診治療を開始している。




初日は、登録と、
ドクターによるチェック


ARMMイスラム自治区から応募した
少女と父親


サポートに活躍するスタッフのFeさん
元、奨学生で
看護学を修了

ミンダナオ子ども図書館は、本当に僻地の患者たちを支援する。
患者たちは、時には、タガログ語も話せず、文字も書けない。
子どもや孫の、生年月日も定かではなく、出生届も出ていない。
こうした人たちは、サポートがなければ、治療を受けることもできない。
ここでも、スタッフたちが活躍する。
みな、ミンダナオ子ども図書館の卒業生たちだ。
マギンダナオ語の通訳をするアスレーさん、
患者に話をしたり、ドクターに説明をするFeさんは、看護士だ。
彼らは、現場で本当に頼りになる。



第二回、口蓋手術の青年
小さいときから
親に見放されて育った


Feさんの後ろに
控えるのはアスレーさん
言葉が通じない
ケースも多い
マギンダナオ語を
アスレーさんが通訳する



医療も絶え間なく続く

新年度に入って、次々に患者が運び込まれてくる。
医療というのは、不思議なことに時期があるようで、ドッと増える。
年額120万円(月10万)の医療費を充てているが、
一気にオーバーして予算を使い果たしてしまった。
年度累計額は150万に達しようとしている。
高額な手術がいくつか入ってきたためだ。

歩けない少女のために、特性の車椅子を作った。
小型で、小水が出てもだいじょうぶだ。
半年前から、急激に瘤が出来てきた少女
歯の位置にも奇形がある。
一度の手術では完治は不可能。

交通事故の若者も運び込まれる。
プロック8の子で、もちろん両親に医療はだせない貧困だ。

 両目に白い膜が出来ていた少女がいたので、「目を治したい?」と聞いた。
 すると、涙をためながらうなずいた。
 さっそく母親を訪ねた。路上で蕪を売って生活をしている。
 学校にも行きたいことがわかった。
成績も良いのだけれど、貧しくて学校が続かない。
 「スカラシップの支援者をさがしてあげるからね。
がんばれば大学まで行くことも出来るよ」
 と言うと、後ろを向いてしまった。
 見ると、目に涙をいっぱいにためて泣いている。




この子もスカラシップを出すことに決めた
成績も良いしがんばりやだ。
まずは、目の手術をしなければならない
上は、蕪を売っているお母さん
お父さんは、ゴム汁をしぼる日雇い
いつも、仕事があるわけではない
母さんががんばって
生活を支えているが・・・
どなたか、支援者になって
いただけませんか?
支援者が見つかりました!!


今回、クリスマス医療プロジェクトで
医療診断を受けたり、
病院に入院した子どもたち
栄養失調と熱とで
毛の抜ける病気があるとは知らなかった
マノボ族の少女。
天然痘のような症状と高熱の男の子
父親は、大事な財産である子豚を売って
薬を買おうと出かけていた
熱でガリガリに痩せた子 天然痘と熱の男の子 高熱の赤ちゃん


難民キャンプでは、
子どもたちの病気が
問題だった
     アルバちゃんのこと  山元 眞    

今年の夏ピキットの難民キャンプを訪れたとき、
そのたいへんな「現実」を教えてくれたのが
アルバちゃんだった。
実際に難民キャンプの中に身を置いても
不思議と実感がわいてこない。
日ごろからテレビや新聞などの報道で客観的に見ることに
慣れてしまっているせいだろう。
まるでテレビを見ているような錯覚に
陥っていたことを思い出す。
その場にいても…。
ただアルバちゃんの、
触ったら折れるようなその手に触れたとき、
「現実」に触れた気がした。
ひどい栄養失調の状態を越えて、ほとんど飢餓状態…。
このような人に触れたのは、生まれて初めてだった。
「現実」が迫ってきた。
かわいそう、などと感じる余地はない。
アルバちゃんの背景にある世界を不気味に感じる。
現代社会のさまざまなひずみやしわ寄せが
アルバちゃんを、まるで骨だけの体にしている…。
このような「現実」にわたしたちは何ができるのだろうか。
難民キャンプからキダパワンに戻り、30年ぶりに献血をした。
血を与えるということは、どういうことなのだろうか。
アルバちゃんがまた何か大切なことを教えてくれる。
クリスマスが終わってから、アルバちゃんに会いに行こう。
今度は少し手を握り返してくれるかもしれない。


思った通り、難民キャンプでの現在の最も大きな問題は、子どもの病気だった。

上は、かつて紹介したアルバちゃん(9歳)。
病院でのチェックの後、ビタミンと粉ミルクの栄養補給を続けていたが、
DSWDから突然帰郷したという報告を受け中断していた。

今回、日本に行ったときに、当時アルバちゃんに会った
行橋カトリック教会の「Mの会」メンバーと、山元眞しんぷから、
「探して欲しい。できれば、ミンダナオ子ども図書館に小さな小屋を建てて、
祖父母と共に、健康が回復するまで療養させて欲しい」
と言う、希望を聞き、現地に足を運んだ。

幸い?、アルバちゃんは、再び難民キャンプに戻っていて、
今後の事は、祖父母と詰めて話し合うことに決定。
OKの場合は、ミンダナオ子ども図書館に小屋を建てて、
そこで祖父母と共に療養生活を始めることになる。

右は、今回診療することになった、天然痘の子ども。
彼女以外に、この地域に4名の子が、病気であり、
即医師の診断をあおぐことにした。
また、年明けて各々の難民キャンプでの医療プロジェクト実施を決めた。

難民キャンプにも優先順位があるのか、
いくつかの場所は、どういう訳か、他の難民キャンプと異なって、
赤十字の食料支援も少ないし、12月はうち切られていることが判明した。
一方で、ある地域では、オックスファムとアメリカ海軍の支援が始まったと聞く。
軍の要人もシリック高校にヘリコプターで降り立ったと聞いたが、
これらは何を意味しているのだろうか・・・


しかし、ウオーターフォールの集落では
経済的な貧困がさらに進み、
病気が蔓延していた
今年は、奇妙な高熱と痙攣を起こす
風邪が流行っている

写真のスカラーの子たちも
すでに3週間も病床に伏したりして
学校も停止したままだった

久しぶりに会って愕然とした
なんて痩せてしまったことか!!!
立って歩こうとすると、
ふらついている

多くの親や子どもたちに
病気が蔓延している
同じ病気にかかっても
ミンダナオ子ども図書館に
住んでいる奨学生は、
数日で回復するが

栄養失調だと命取りだ
とにかく、病院でチェックを
受けることにした

 
病院では、すぐに入院!
色々な検査をした結果、
デング熱ではない事がわかってきた。
信頼できる小児科のウオン先生が首を傾げながら
単なる風邪で、これだけ長期の症状が出るという事は
基本的に栄養失調だからですね。
食べるものを食べていない、基礎体力がない、
快復力がないところに病気が襲うから、
ますますやせ細って行く
このままだと、死ぬかも知れない。
唖然とした!!!
訪問者がいるので、自由に行動は出来なかったが、
山のビックビックさんの家に預けて別行動で急遽医療活動を実行した。
幸い、ピキットの難民キャンプでの医療活動を継続しているので、
その薬をウオーターフォールに届けた。
日本では、薬は日常手にはいるし、基礎健康が食事で出来ているので
「薬に頼っても、薬を渡しても・・・」と言う人もいるが
ちょっとした風邪でも死に至る場合もある時に、
予防も含めてやはり薬は頼りになるのだ。
日本では、風邪ぐらい自分で直すのだが・・・

カバサランの医療プロジェクト
先日、洪水に見舞われたカバサラン地域を紹介した。
そのときに、人々が激しい腹痛、下痢、高熱に困っていると言う報告をした。

翌週、私たちは、スカラーたちと一緒に医療プロジェクトと読み語りを実施した。
ピキットのドクターと看護士が同行して・・・

左と右の写真を
見比べて欲しい
つい数日前の写真だが、
左が洪水時、
右は今回の写真

水は退いたが、
舟でしか、
たどり着けない事に
代わりはない

今も、周辺は、
かなり深い水に
覆われている


私たちは、医療を開始した。
ドクターが処方箋を出し
看護士が薬品を渡す
スカラーたちは
その指示に従って
お手伝いをしている
一方の木陰では
読み語りが始まった
この対岸は、ARMMの
ダトゥ・ピアンで
激戦地の一つ
この村には、対岸からも
子どもたちが通っている
MILF系の地域
私たちも、かなり長く
この地域と関わって
きているが
これから本格的に
関わる地域の一つ
MILFの力が強く、
対岸と協調をしながら
入っていく必要がある。
その中心でもある、
カバサランと
良い関係を築くことが
今後の活動を左右する。

カバサランからの帰り、すでにミンダナオ子ども図書館で
保育所を建てたブロッドを抜けた。
のどかな田圃のあぜ道を、17歳前後の若者たちが、
散歩でもするかのように歩いていた。

通りすがりに、手を振ると、うれしそうに笑顔で答えてくれた。
数人は、ミンダナオ子ども図書館の私を知っているようだ。

彼らの服は、よれた迷彩服で、手にはM61ライフルや、ロケット弾が握られていた。
ミンダナオ子ども図書館の若者たちと、ほとんど同じ年のあどけない若者たち。

学校に行きたくて反政府組織に応募する子がは多い。
組織が戦闘参加を条件に、
スカラシップを出してくれるし、食べ物も食べさせてくれる。

先進国からは、少年兵の問題が声高に非難され議論されるが、少年兵を生み出す、
不条理な貧困や差別の問題の解決無くして、少年兵の問題は議論できないだろう。

ミンダナオ子ども図書館に来た若者たちの中には、
NPAやMILFに応募する予定だった子もいる。

医療プロジェクト報告
ヘアリップの子たちの手術が終わりました。
ヘアリップの子たちは、
緊急ではないが、
こうした子たちとの
関係を通して
新たな地域と関係を
築いていける
この子たちも
新たにスカラーと
なれれば幸いだ。
 
医療活動も続いている
新しい患者たちも次々に運び込まれる
どこまで治療できるか、予算との格闘だ・・・・


覚えていますか
あの子たち
今は、治療のために
ミンダナオ子ども図書館に
母さんと住んでいます
とっても元気に
そして、
明るくなりました。
この子たち、
スカラーになります。
どなたか
支援してく
ださいませんか
よろしければ寄付をお願いします。
一つでも虹のような笑顔が生まれるように!

こちらをクリックして・・・

現在の難民キャンプの問題は
長期滞在組が残り、
洪水や衛生、そして栄養失調で病人が増えていることだ

とりわけ、子どもたちや赤子たちの病気が増え
死者も出てきている
左の婦人は、強度の腹痛で
病院に運び
翌朝、緊急の手術をした

ヘアリップの少女は
緊急ではないが
難民キャンプで出会ったからには
最後まで面倒を見よう

難民キャンプで大やけどを
負った少女は、
体の方は良くなっていたが、
父親が無理矢理
退院させたために
足のやけどが膿んでいた。
たまたま訪れた
カラカカンで見つかり
再び病院へ・・・・
今度は父親も
平身低頭、協力してくれた。

一方、栄養失調の少女は
親の意向で病院から出て
難民キャンプにもどった

そこで、ビタミン治療を続けるが
両親に、「ミンダナオ子ども図書館で
小さな家を建てるから
そこで半年か一年治療を続けるように」
提案したが、了解が得られない。
親次第で治療の道筋が立つのだが

今後もビタミン治療と栄養補強を
続けていくが、状況は難しくなった

 
 
今後の展開を予想するのは難しい。
政府は、今回の戦闘をMILF側の一方的な違反行為と断定して、
和平交渉の棚上げ、棄却を示唆しているが、
MILF側はそれに反発している。互いに総攻撃も辞さないという、
過激な論調が出ているが・・・・
一方で、今回の展開は、事前にかなり周到に準備されたドラマであり、
反政府側がそれに引っかかったという見方も根強い。
直前に平和交渉に異議を申し立て、ホゴにする計画に、
イスラム側が引っかかったと言うのだ。
そのシナリオは、米国によって書かれ、
日本も側面から支援したと言うのだが、真相は闇の中だ。
(もちろん、米政府は否定している)
ただ、この劇のしこりは、かなり深く影響を及ぼすだろう。


難民キャンプで見つかった、
子どもアルバ(女9歳)ちゃん。
極端な栄養失調の状態だった。
現地を訪れた山元眞神父と
行橋カトリック教会のメンバーたちと
相談して救済を決断した。

3ヶ月の病院治療の後に
一年の栄養補給
そして、3年のリハビリが始まる

右は、病院に収容された
アルバちゃん

 


きつい難民生活で、
もっともかわいそうなのは
子どもたちとお年寄りだ

左は、ブアランの小学生で
私たちのスカラーの一人。
Aiza Midtimbang (10)
彼女は、熱を出していた。

2000年の戦闘で
すでに父親を失っている。
母親は、行方が知れない。
彼女を育てているのは
年老いた祖母一人だ。

もう少し年が上になったら
ミンダナオ子ども図書館で
暮らすことになるだろう。
 
難民キャンプでは、病気の子供が増えている
病気でもっとも多いのが
激しい下痢と腹痛
そして、高熱の症状だ。
折しもミンダナオでは、
高熱を発して
悪寒と痙攣を引き起こす
奇妙な風邪が流行っている
ミンダナオ子ども図書館の
子たちも
すでに、5人が引き付けを
起こして
入院している


私たちは、繰り返し現地を訪れて
人々から聞き取り調査を行い
何に困窮し何を必要としているかを尋ねた
その結果、相変わらず需要が高いのが
新たな難民たちのためのビニールシートであり
薬品であることがわかった薬品に関しては、
すでに赤十字も入っており、
あちこちでたくさんの赤十字のマークが入った
車を見かけていたので、安心していたのだが・・・・
聞いてみると、今回の赤十字の支援は、
食料(米)と水の支援であることがわかった。
事実、食料とりわけ米の支援はワールドフードも
入り十分すぎる。
近隣の難民たちが帰宅した事もあるが・・・・
薬品の支援に関しては、
アメリカのNGOが入ったと聞いていたが、
一部の地域に限られている。
DSWDのグレイスさんからの強い要請もあり
ミンダナオ子ども図書館で、医療プロジェクトを開始した

薬を車に積み込むスカラーたち 現地では、ドクターが処方箋を出し 看護士が二人、
個別に患者に指示を出す
至急、ドクターの紹介で、ダバオの薬局で、
現在の難民たちの症状に最も適した
種類の薬品を選別して購入した。
ドクターのおかげで、
市価の7割安で薬品が購入できた。
(年末または年初に、今回のピキット支援寄付の
内訳を公表する予定です)

その後、ドクターと看護婦とともに、
難民地域を訪れて処方箋にあわせて薬を渡していく
英語が読めない人も多いので、
いちいち使い方を説明し、
裏蓋に処方量などを手書きで書いて、渡していく。
薬は、処方量を間違えると、かえって危険だからだ・・・

この後も、残った薬は、
ピキット市のDSWDにスタッフを派遣して、
24時間態勢で、病気の人々の治療に専念する。
今回の医療は、子どもも大人も、
年齢は関係なく対象としている。



医療と平行して、読み語りも行う
医療が体の治療ならば、読み語りは心の治療だ!
スカラーの子たちによる
読み語り
ムスリムのスカラーたちも、
マノボ族のスカラーたちも
移民系クリスチャンの
スカラーたちも
皆協力して、読み語りをした
今回は、初めて、平和巡礼のために練習した、
ムスリムの祈りの歌、マノボ族の祈りの歌、
クリスチャンの祈りの歌を、読み語りで披露した。
それぞれの歌を、皆で歌う。
つまり、ムスリムの歌の時は、マノボもクリスチャンも、
後背支援のようにして、アッラーの名が出てくる歌を歌う。
マノボ族の時は、ムスリムもクリスチャンの若者も、
マノボ族の神マナマの名が出てくる歌を、
クリスチャンの時は、マノボもムスリムもイエスの名が出てくる歌を歌うのだ。

これに対するイスラムの人々の反応はと思いきや・・・・
本当にうれしそうに大人たちも聞いてくれる!
驚いたのは、スカラーの一人が、(勇敢にも)
イエスの誕生の絵本を読んだときだ!
実際、私は真っ青になり、・・・
なぜならイスラム教徒の人々のしかも難民キャンプというデリケートな場で、
聖誕物語を始めたのだから!
密かにムスリムのスカラーたちに、周囲の大人たちの気持ちを探ってもらった。
驚いたことに、10人中10人が、
「あの話なら知っているし、何の問題も無いんじゃない」
これには正直、度肝を抜かれた。
ミンダナオのイスラムの人々は、自分の信仰は厳格に守るが、
他の宗派に対してはいたって寛容な事は経験で理解していたが
ここまでだとは思わなかった。


 
上は倉庫に避難している難民達
左は野外の子達

野外はろくな屋根もなく
雨が降るとずぶぬれになる



病気やけがの子も多く出てきた
下は、慣れない難民生活で大やけどをおった少女
緊急にキダパワンの病院に運び治療を開始した。
病室でホッとしている母さんと少女。
ミンダナオ子ども図書館では、
当然治療費や入院費以外に付き添いの食事も面倒を見ている。

軍用車にひかれて頭部を骨折した少女
幸い今のところ良いようだ・・・
私たちの主治医をしてくださっている
モダンサ医師が、給与返上で
治療に当たってくださっている

今のところ、緊急のビニールシート支援だけで
手一杯で
医療活動は緊急以外は先延ばししている
あちらこちらから
風邪、熱、腹痛の症状の訴えがあるが

私自身も、ダンプで雨に打たれたり
激しい活動で熱があるが、そうも言っていられない。

洪水地区の医療活動
前号で、ピキットの洪水地区の様子を伝えた。
とりわけ、洪水地区の子どもたちのなかに、
下痢、腹痛、熱が広がっている
緊急支援を求めた結果
山本幸子さまから10万円が届いた。うれしかった。
さっそくピキット市の福祉局DSWDを通して
医師に相談し、必要な薬を用意した。
薬代は10万円を超えたが、
不足分は医療プロジェクトの予算で満たした。

ドクターは、無休のボランティアで参加してくださった。看護婦も3名同行した。
さすがピキットのドクター(住んでいるのはダバオだが)は、
こうした緊急支援に好意的だ。
「私の親戚は日本にも行っているが、私はこのミンダナオにとどまって、
貧しい人々の医療につくすのが信念だよ」
ドクターは、そう話された。
ミンダナオでは、時々このような僻地医療に命をかける気骨あるドクターに出会う。
多くの医者が、看護士の資格をとり、
海外に出稼ぎに行くのがフィリピンの現状なのだが。
ミンダナオ子ども図書館にも、いつか常駐の看護士を置きたいと思っている。
クリニックもあると最高だが・・・・


上は、今回、山本幸子さまのおかげで購入できた、10万円分の医薬品だ。
やはり診察を始めて見ると、圧倒的に多いのが腹痛と下痢の症状だった。
それと、熱の症状。
洪水被害を受けている近隣の村に、あらかじめ福祉局から伝令が入り、
子どもやお年寄りを連れて人々が駆けつけた。
300人を超す人々が来た。ほとんどが普段、医薬品も買えない人々だ。
宝物でも持つように、大事に薬を抱えて帰る姿が印象的だ。

医薬品は、大人用の熱や腹痛の薬が、
予想を超えて使用され、底をついた。
さらに、上記の緊急難民支援で、8割方消費された。
その結果、第二回洪水医療支援の場所として
予定していた川沿いのカバサラン村やブロル地域への
支援が不可能になってしまった。

この日は平日だったが、ここでも、
時間の割けるスカラーの若者たちが手伝った
医師や看護士の指示で
医薬品を渡したり、患者のお世話をしたり・・・
普段の医療プロジェクトも続いている
相変わらず予算との戦いだ
   松居 陽

 MCLは、限られたスタッフと共に複数の入り組んだプロジェクトを同時進行しているため、常に活動内容、スケジュール、予算などの計画と整理を慎重に行わなければ、寄付者の方々やプロジェクトの対象になる子供達に対して顔を向けにくい結果が訪れる可能性がありうる。
 特に治安の不安定な地域や、スムーズなシステムが存在しない場合の多いミンダナオでは、上手く立てたつもりの計画も、次の瞬間には一変していることも少なくない。
 忍耐力と、考えを切り替える力が十分に無ければ、苛立ちを感じてしまうこともあるだろう。

 全体の活動の感覚がつかめるようになるためには、一つ一つのプロジェクトに深く入り込み、じっくり観察し、学び、経験する必要があると思った僕は、手始めに何かと脇に置かれがちな医療プログラムを受け持つことになった。
 計画上、毎月同一の限られた予算の中で行われるプロジェクトだが、すぐに手を打たなければならないケースが生じると、処置の実行を優先することになるだろう。
 MCLの医療プロジェクトは全スカラーをはじめ、17歳以下の子供を対象としている。さらにMCLは、患者の下にスカラーやスタッフの中から責任者を置き、完治するまでなるべく常に側で見守らせる方針をとっている。

 先月、病院で患者の世話をしていると、一人のスカラーのいとこに当たる小児が熱病で亡くなったという報告が入った。僕はその足で、スカラーと共に急斜面にあるマノボの村へ向かった。
 小児の家では、悲しみと啜り泣きが空気を満たしており、死んだ子供を前に、母親はやるせなさと絶望にあふれたありさまだった。家の前では、男達が小さな棺おけを作っていた。
 僕のお父さんが聞くところによると、彼らは自分達の貧乏さを恥に思い、助けを求めなかったとか。さらに、MCLの医療プロジェクトはスカラーにのみ当てられたものだと勘違いしていたようだ。
 僕達は、彼らとプロジェクトの概要を確認し、今後こういったことが起こらないためにもMCLの活動をパンフレットにして各村に配布する必要性を認識した。

 6月から今まで、腫瘍を持った赤ん坊の手術と栄養失調の子供の処置が行われ、
スカラーの中にはカリウムの不足で下半身が麻痺した、不清潔な環境で皮膚病を起こした、
そして急な腹痛で入院をした等のケースが医療の対象になっている。
 さらに、ピキット方面の洪水の後に起こった伝染病等の薬代も、少々プロジェクト費から出されている
先の見えないことも多いが、信用の置ける情報の入手手段によって、
できるだけ早く、多くの子供達を救う手伝いをしていくつもりだ


骨折した少年の救済
スカラシップの最終調査の
課程で
骨折した子の救済が始まった
父親もいない、母親もいない
兄弟はバラバラになり
叔父が面倒をみているが
骨折を治療するお金もない
一人、親戚の家に放りおかれ
厄介者扱いを受けている
子にしばしば出会う。
小学校を途中で止まったまま
学校にも行かせてもらえない
田んぼの草取りを
手伝っているが
骨折したとなると、
厄介者以外の何者でもない
少年は、ミンダナオ子ども図書館に保護され
病院の検査を受けて後治療に入る。

叔父さんの話だと
「そのままミンダナオ子ども図書館に滞在して
学校に行かせてもらえ」と、言われたという。

厄介者を追い払う?
しかし、確かに子だくさんで
日々の食事にも事欠き

つい最近自分の子も病気で亡くしたというから
一概に責めることは出来ないのだ。

マロットもそうだったが、
この子もここに住むことになるだろう。


今回は医療支援にも力を入れた


天然痘の症状


生まれながらの成長障害


彼女は、目がよく見えない
戦闘に苛まれ続けてきたこの地域では、
奇形障害や成長障害、
精神障害や奇妙な出来物が多く見られる
年齢的に、2000年、2003年頃に妊娠、
出産した子に多い。
こうした症状に詳しい友人曰く
「これは、劣化ウランの症状ではないか・・・」
2000年、2003年の米軍と
フィリピン軍の合同演習で
劣化ウラン弾が使われたのではないだろうか!


即日、手術をした若者たち

出来物や腫瘍の子たちは、即日に手術をした。
視力が異常な子は、キダパワンに運び、これからチェックを始める




年に一度の
兎唇の手術に15名の患者を!

2月27日(日)~3月6日(日)


まずは、検診から始まる

そして手術が始まる

手術の一週間、
スタッフで看護士のフェは、
終始患者と生活を共にする
体育館で、
患者たちと寝起きを
共にするのだ・・・
本当に献身的だ
フィリピンの人々は、ビジネスが下手で
一般的に怠惰で怠け者だという印象があるが
とんでもない。
スタッフのフェさんを見ていると良くわかるが・・・
ビジネスマンとしては、
おしゃべり好きで勤勉ではないかもしれないが
ひとたび、人情というか、人を助けることになると
信じられないほどの忍耐と献身を発揮する。
看護士や介護士に活躍するのは
そうした「人情」で行動する
フィリピン人の特徴ゆえかもしれない。



孤児で、弟を戦闘で殺され
腹部を撃たれた少年を
MCLに引き取る


流れ弾に当たり弟は亡くなり、本人も負傷
幼いときに、両親を亡くした上に
今回の戦闘で、流れ弾に当たり
目の前で弟を失い
自分も腹部を撃たれ
福祉局の支援で病院に入院
2週間の入院の後
退院にまでこぎ着けたものの
家族も引き取り手になる親戚もない
その話を聞いて、
彼をMCLに引き取ることにした。
Sulaiman Salik 14歳 小学校4年生
ショックのせいか、表情が無いが、
まじめな好青年であることは良くわかる

 


カバカン地域で小規模戦闘が勃発
2000人の避難民への救済支援を開始

2月2日(水)
北コタバト州のカバカンからカルメン市に
またがる地域は、道らしい道も無く、
プランギ川を舟でたよるしかない地域だ。
今回、この地域でリドーと呼ばれる戦闘が発生し、
両地域で2000人ほどの避難民が出た。

MILFとMNLFとの路線対立に、
土地の問題が絡まったものであるという以外
現地の詳しい者たちも、口を濁して語りたがらない。
すでに長い間の、かなり深い確執だという。

とりあえず、市の福祉局(DSWD)を通して、
赤十字からのシートが配られている地域もあるが
新たに非難してきた家族も居て、足りない状態。
早急にMCLでシートを買い、避難民に提供したが、
これから各地の調査と共に
本格的な活動を開始する。
このまま小規模で収まる事を願うのみだが
赤十字やユニセフ、UN(国連)が
このような初期から動いているのは珍しく
逆に、今後の展開が気になる。

病気の子どもたちをチェック
健康状態は、良くない。
現在、のど、咳、熱の出る風邪がはやっている事もあり
また、環境の変化や水の悪さで
腹痛や頭痛を訴えるものが多かった。
簡単な投薬治療は、福祉局専属の医師が
行っているので、メデカルアウトリッチは任せて
むしろ、多少とも重く
病院での診察や治療
入院を必要としている患者をターゲットにすることにした。
大概の支援は、こうした重篤な患者の治療をしたがらない。
人数の割に、経費がかかりすぎるからだが、MCLは、
一人一人に可能な限り治療を施す主義にしている。



子どもをすぐに病院に運ぶ
ユニセフの車に出会った。
訪問者と仕事内容と分担の打ち合わせ。
ユニセフは、避難民教育のみの活動であることがわかり、
MCLは、困窮している医療とビニールシートを
その日のうちに実行。
後日、読み語りと炊き出しを行うことに決定した。
本当は、日々食べる米の支援が最も必要で
期待されているのだが、
MCLでは、子どものための炊き出しが限度。
米の支援をお願いしたが、最近流行の
トラウマ解消の心理的カウンセリング教育支援。
投薬だけでは、どうにもならない子たちを
街の医師の元へ運び検査
入院や手術の必要な子は
改めて日にちを指定し
付き添いの家族を加えて迎えに行き
キダパワンの病院に入院させる事に

また、時期を見て読み聞かせ活動も
奨学生たちと行い
心のケアにもつとめていく予定だ。
活動には、カバカンに下宿して大学に通っている
イスラム教徒の奨学生たちも、参加し、協力してくれた
現地を良く知っているぢ、現地語も話す、強い味方だ。
今回は、カバカンの一上流地帯一カ所だが
別の地域にも避難民が出ている。
今後、カルメンサイドも含めて
調査し、救済支援を実行して行かなければならない。
よろしければ、難民支援寄付をおねがいします。
郵便振替口座番号:00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館




覚えていますか下の子

立正佼成会の皆さん、覚えていますか下の子を。
皆さんが帰られた後、子どもを病院へ・・・
今はすっかり治りました。右が今です。

すっかり完治しましたよ。
ありがとう



アルバちゃんを訪ねる

かつてやせ細り、餓死寸前で難民キャンプで
見つかったアルバちゃん
行橋カトリック教会のミルク支援で、すっかり丈夫に
目は見えないけど、座ることも出来るようになりました。
奇跡的に。
これからも、支援を続けます。



再び戦闘が起こり始めた!
2013年6月11日
 

ミンダナオにおける、
イスラム地域の和平交渉が、
軌道に乗り始めたかに
思えたにもかかわらず、
再び戦闘が起こり始めた。

表向きは、リドーと呼ばれる
土地争いに起因する、
地域紛争と言われているが、
内実は、MILF
(モロイスラム解放戦線)と
MNLFとの勢力争い。

MILFが、アキノ政権と
和平交渉を始めたことで 
本来政府よりであった
MNLFが、
立場をなくした感じを
持っていた。

それに対して、
何らかの報復行動を
起こすのではないかと、
感じていたが、
3週間ほど前から、
ピキットではなく、
もっとキダパワンよりの
ムラアンで、戦闘が勃発、
避難民が大量に出た。

ちょうどそのとき、ぼくは、
過労とストレスに
風邪をこじらせて
一週間の入院をしていたので
スタッフは気を使って
話さなかったが、
それが、今週になって
さらに国軍を交えた
戦闘になり、
再び大量の避難民が出た。

まだ地域紛争の範囲だから、
規模こそ小さいが、
根が政治的で、
深いところから
発しているので、
今後も戦闘地域が拡大し
難民規模と地域が、
広がることが感じられる。

先日、奨学生たちと、早急に
ビニールシートと古着
そして、読み語りの
支援を行った。


今後、戦闘は、広がる恐れもあり
今日さらに、ピキット地域では、
追い打ちをかけるように、洪水が発生
避難民が国道沿いに集まり始めた。
こちらもビニールシートなどの
緊急支援をしなければならないのだが、
現在、ミンダナオ子ども図書館では、
奨学生たちの学費の支払い
新年度の学用品の届けで、
避難民救済にかける資金が
枯渇状態で、
救済活動の緊急支援を
お願いできれば幸いです


支援申し込み
 
 
 
   


近年、日本でもときどき
報道されているように、
日本政府も国際停戦監視団
IMTなどを通して
マレーシアやインドネシアと
連携しつつ、
積極的にミンダナオの
反政府勢力である
MILFと接触し、
フィリピン政府と
和平交渉を進めてきたことは
しばしばウエッブサイトや
季刊誌『ミンダナオの風』
でも述べてきた。

和平交渉は、
2008年に決裂し、
80万人の避難民を出した。
その後、アキノ政権下で、
再び交渉の土俵に
乗ることが決まって、
最近は、楽観的なムードが、
ミンダナオにも
広がっていたが、
しばしばぼくは、
MILFと政府の交渉を、
MNLFやBIFFといった、
イスラムの別の勢力が
どのようにとらえ、
場合によっては、MILFに対し
独自の抵抗運動を
開始するのではない
という懸念を述べてきた。


 

今回の戦闘勃発は、
その懸念を拡大させた。

BIFF(バンサモロ・イ
スラム自由戦士)は、
MILFの分離派であり、
MILFから圧力を
かけられた形で静かだが
軍事訓練は行っている。

今回の戦闘は、
MNLFとMILFの対立が
背景にある。
まだ、全面的な戦闘ではなく、
地域紛争(リドー)
と呼ばれるものだが、
MNLFに属する軍人たちは、
マタラム市の北方に集まり
戦闘が起こった。

(そのときぼくは、
過労とストレスに
風邪がこじれて
一週間、入院していたので、
スタッフは、あえて報告
しなかったようだが。)

その戦闘には、
ピキットの山岳地域の
MNLFの住民である
戦士たちも参加し、
戦いに向かったが、
その地域には、
ミンダナオ子ども図書館
の奨学生のいる極貧の
村々があり
奨学生の父親の一人は、
今回の戦闘による、
過労とストレスで
亡くなった。
MNLFの司令官だったが・・・


 
   
   
 
 


写真の老人は、今回の戦闘による避難民の一人。
度重なる戦闘による難民化で、過労とストレスが蓄積
調査の日に撮影し、病院に運ぶことを約束
翌日、早々に子どもたちと救済に来てみると
この写真を撮った夜に亡くなっていた!!!
   

今回は、薬による医療支援も行った。

避難民生活は、お年寄りと子どもたちに特に厳しい。
ちょうど私が、過労とストレスで病院で唸っているときに、
何と知り合いのMNLFの司令官で奨学生のお父さん
(良い人だった)が亡くなり、
さらに救済を約束していた老人が
翌日に行ってみると亡くなり、
埋葬中だったことを聞いて、ショック!
ぼくも60歳、それだけに人ごととは思われない。
 

こうした避難民キャンプでは、子どもたちも夜は、
雨が降らなければ、外の土やコンクリートの上で寝ている。

雨が降ると、身を寄せ合って
なけなしのシートの下で過ごす。
これでは、風邪になったり
下痢や食中毒を起こすのは当たり前だ。


私たちは、急きょ薬を購入して
メディカルアウトリッチ(医療支援)を行った。


 
 
   



かつて病気を治した子たちにも出会った 
    

現地の村で、この子たちに出会った
以前、手術をして救った子たち
大きくなったね!
大喜びで駆けつけて手伝ってくれた

車椅子があれば、学校に行ける!行ける! 
 

難民キャンプで出会った少年
歩けなくて学校に行けない!
学校に行きたくてしょうが無い。
お母さんから、
車椅子があれば
学校に行かせられるのに・・・
どなたかお願いできませんか。





医療プロジェクト
毎年140名以上、大きな手術も含めて医療を推進
年間予算は、180万円ほどを計上しているのだが、
医療だけは、予定が立たず、突然運び込まれてくる子たちのために、行動を起こす。
東京メソニックの支援が大きい。


昨日の夜
癌で歩行が困難になり
病院で片足を切断
その後、
ミンダナオ子ども図書館に住み
松葉杖で学校に復帰した彼女

去年の暮れから
体調がすぐれず、病院に戻ったが
癌の転移が激しく
医師の診察で、
余命幾ばくかであることがわかった。

去年の夏にも、
イスラムの子が、お腹が大きく腫れ
繰り返し手術をしたが
救えなかった。


このような場合、本人や親の希望もあり
実家のある村に帰らせてあげるのが
最も良いと判断する。
死ぬのだったら、家族や兄弟、
友達が居る場所で死にたい!


ミンダナオ子ども図書館の奨学生が多い
マノボ族の貧しい集落
ウオーターフォール村の子で
仲間たちもたくさんMCLに住んでいて
彼らといっしょに、最後の写真を撮った。

そして、夜であったにもかかわらず
仲間たちもいっしょに、
みんなで村に送り届けた。
時々意識がもどって、
安らかが笑顔が顔にひろがるものの
たちまち、眠ったような状態になる。
うわごとで、「MCLに帰りたい、
学校に行きたい・・・」

イエスのように
死人や病人を生き返らせるほどの
信仰を持っていたら良いのに
としばしば思う。

ヘアリップの子たち12名の
一斉手術も・・・ 



この子たちの一斉手術は
これからダバオで行われる。
国際的なファンデーションと
タイアップ
イスラムの子たち
マノボ族の子たち
送り迎えから完治まで
MCLで面倒を見る





この子たちの治療も終わった 


 
病院での治療も完了した。少なくとも、この子たちは大丈夫だった。
治療を完了し、内臓疾患の薬を持たせてキアタウの山に送り届けた。




キアタウの病気の子を迎えに
母が居なくなった子も調査 


私がくると、キアタウに住んでいる
初等小学校の子たちが
大喜びで迎えてくれた。



先日まで肥えていた
双子の兄弟
両方とも病気で
すっかり痩せている。
早速車にのせて、
MCLに向かった。
とにかく病院で
検査を受けて
対応を考える。
医療費も逼迫している。
年間140名近くの子を
治療しているが、
どこまで
今後も可能だろうか。


彼女も奨学生だが、最近母親がいなくなってしまい。
父親も村を離れ、祖母の家に一人残された。
今後は、ミンダナオ子ども図書館に住んで
生活することに・・・
下の子たちも、MCLの奨学生だが、
なんとかキアタウで生活している。




母さんの亡いマロットに、
ロラが見つかった!

骨折から救済されたときの
マロット



ダバオから来られた
大本さん一行
姉さんの田中衣子さんが
去年足と腕を骨折して
山から運ばれてきたマロットの
支援者になってくださった
母さんの亡いマロット
まるで母親のように甘えて慕う
今も、写真を見るたびに
懐かしくなって涙ぐむマロット

マロットへ
                          たなか きぬこ

ミンダナオ子供図書館に行ったときに、
マロットに会えて本当によかったです。
私には日本に3人の孫がいますが、
マロットは4人目の孫のような気がします。
みんなといっぱい遊んで、勉強もしっかりね!
5月には日本に帰るので、
マロットのことを皆に話します。
またいつか会える日を楽しみにしています。
 
   ミンダナオ子ども図書館に滞在した思い出:田中 衣子

たった1泊2日の短い日程でしたが、
ミンダナオ子供図書館に行けたことは、大きな感動の2日間でした。
美しく手入れされた庭や畑もそうですが、
何よりも感動したのは、そこにいる子供たちです。
小学生から大学生までおよそ50人程の子供たちは、
どの子も明るく、人懐こく、親切で、
もてなしの心と節度を持っているのを何度も感じました。
今の日本の子供たちが失ってしまったものを、
ここの子供たちは皆持っているのです。
食事の時、私達訪問者には彼らより、
立派なお魚のから揚げがついていても、欲しそうな顔をすることもなく、
果物を切り分けた時も、一番に私達のところに持ってきて勧めてくれます。
少しだけ一緒に遊んだバスケットボールの時も、
ボールを何度も私に渡してくれました。
ここに来るまでには大きな困難な状況の中にいた子供達ばかりなのに、
こんなに明るく、のびのびと生活出来るのはきっと
松居さんの教育がすばらしいのだと思いました。
次の日に連れて行ってもらった、貧困地域での読み聞かせや、
子供図書館での活動はほとんど学生が自主的に行い、
松居さんご自身は助言する程度とのことです。
キリスト教徒とイスラム教徒の人がともに過ごすことで、
大人になっても反発しあわないで共存できる社会を作ってほしい
という松居さんの思いはしっかりと彼らに届いています。
一緒に写っているのは、私の里子となったローズマリー、愛称マロットです。
日本に3人の孫がいますので、4人目の孫ということになります


ロラ(おばあちゃん)に甘えるマロット

妹さんの大本和子さんの方は
両親の亡くなったイスラム教徒の少年と
父親を亡くした少女を
支援してくださる事になった
和子さんは、現在ダバオの日系人会
が経営する
ダバオ国際大学の日本語教師を
ボランティアで勤めていらっしゃる。



これが、ピキットのトンドと呼ばれるゴミ捨て場だ
右奥に大きな丘のようなゴミの山がある

ゴミ捨て場の中から
必死に手を振る
父親と母親と少女がいた
本当にうれしそうに手招きし
こっちへ来い、こっちへ来い、と言う。
いったい何だろうと不思議に思い
ゴミの中の道を通っていくと
何と・・・・・・・
アニサちゃん!


5年前に手術をしたときの
写真
左は手術前
中は手術直後
右は翌日


父さんの顔も懐かしい
母さんも元気そう
上写真の右奥が
アニサちゃんの家
近づくと、どこかで一度会った顔だ!
しきりに、「あのときのヘアリップの子の・・・」と言う。
てっきり、ヘアリップの手術を頼みたいのかと思うが、
それにしては満面の笑顔!
父親の顔に記憶はあるが・・・・
娘も、どこかでみたような????
唇をみてハッと思い当たった!手術の痕がかすかに見える。
そうか・・・・確か隣のパガルガン難民だった家族。
ヘアリップを直すために繰り返しダバオに通い、
寝食を共にした思い出が突然浮かび・・・・
あのときの!アニサちゃん?
大きくなって、しかもすっかり娘らしくなって!
こういう出会いは、お互いに本当にうれしい。肩をたたき合って喜ぶ。
それにしても、このような場所に住んでいたとは。
口では言えない苦労もあったんだろうな。


*************************


 ミンダナオにおける
     医療の現状と課題

 肺の癒着した女性を一時入院させたダバオメディカルセンターは通称DMCと呼ばれ、日本のジャイカからの支援が多い公立病院で、私立病院にとても入ることの出来ない多くの貧しい人々にとっては大きな救いとなっていると感じます。
 日本のODAに関しては様々な問題も指摘されているようですが、ダバオメディカルセンターなどは成功している例だと感じます。極度に制限された予算のなかで活動している私たちにとっても頼もしい存在です。
 こうした比較的安く利用できる公立病院には、多くの人々が殺到するので、診察に関する待ち時間が異常に長かったり、手続きが煩雑だったり、ジャイカ病棟とも呼ばれている診察棟は近代的で設備も整っているのですが、重要な入院棟と救急患者セクションは老朽化したままで通路や体育館にまで患者があふれているばかりでなく、トイレなどの衛生面にも問題がありそうです。
 医療プロジェクトを実施しつつ多種多様な患者のお世話をしてきて、意外と助かるのが、マハリカファンデーションやジェロームファンデーションといった医療ファンデーションの存在です。
 マハリカファンデーションは兎口と目の異常を専門に取り上げているファンデーションで、衛生的な手術室も完備していますし、ジェロームファンデーションは、設備の整った私立病院でポリオのジョイの足の手術を無料で実施してくださいました。私たちは、点滴や医薬品を供給しました。

 これらのファンデーションは高額な治療費のかかる手術を低額または無料で行ってくれるのですが、背景にはダバオのライオンズクラブ、ロータリークラブ、メソニックファンデーションなどが資金援助をしており、その背後では同団体の日本部門が深い関わりを持ち活動していることもわかってきました。
 かつてダバオは、東洋一の日本人町があったほど歴史的にも日本とのつながりが深く、日比混血も多いの
で、ミンダナオは日本と深い関係を持った地域なのです。
 また、ジョイの歩行訓練を引き受けてくださったカトリック系の障害者更生施設Our
Lady of Victoryやドイツミッションが運営している盲学校。また、複雑で困難な瘤のパルコン君などの場合は、手術が高額でミンダナオ子ども図書館では手に負えず、地元の民放テレビが主催している子供支援基金に応募して放映され、どっと支援金が集まりました。その結果、私たちは患者の搬送などのお手伝いだけですみました。

 感動的だったのは、戦闘地ピキットから来た頭部の瘤のある難しい手術の子を、ダバオメディカルセンターでお願いしたとき、ミンダナオ子ども図書館の活動に常々行為を抱いてくださっていた複数のお医者様方が、執刀治療費を無報酬のボランティアで引き受けてくださった時です。
 こうした様々な方々やファンデーションの協力や連携で、ミンダナオ子ども図書館の医療プロジェクトが一歩一歩進み続けて行くことが出来るのは、本当に感謝としか言いようがないことです。
 ミンダナオにおける医療の課題は、こうした良い病院やファンデーションがありながら、大都市ダバオに集中しておりミンダナオの山岳地や僻地の貧しい人々がなかなかその功徳にあずかれないことです。
 当然のことながら、ミンダナオの貧しい人々の大半は、大都市ダバオからはるか離れた山岳地や海岸地域に住んでいます。
 こうした人々は、ダバオにまで行く公共の乗り物費用すらも高額で出ず、また治療費がただになっても病院などから要請される点滴や輸血用血液、薬代が払えない状態なのです。何しろ家にいても、三度の食事すらままならないのですから。

 また格安で治療をしてくれるファンデーションの存在も知らず、知っていても文字が書けなかったり、出生届がないといったハンディーを抱えていて、面倒な書類整備の段階で挫折してしまうのです。
 ミンダナオ子ども図書館に運ばれてきた子達の場合は、スタッフが献身的に複雑な書類整備や登録、役所への出張を同行し代行するので治療が可能になるわけです。
 せっかく日本の政府や団体から支援金がありながら、本当に貧しい人々の救済にまでいたらないのは見ていて残念でなりません。

 ファンデーションのなかにはマハリカのようにときどき車で僻地を訪ねて治療したり、ジャイカの支援を受けているダバオメディカルセンターのように、スマイルファンデーションと連携をとり地方の役所やラジオで無料の兎口の治療も行っている団体もあるのですが、地方に拠点を持っていないために散発的であったり需要の高い病気や手術にまでは手が届いていないのが現状です。
 そうした観点から見ますと、ミンダナオ子ども図書館の医療プロジェクトは、山岳地帯の先住民族やダバオに出ることの難しいイスラム地域の子どもたちを対象としていますので、痒いところにまで手が届く活動になっていて、その結果僻地の人々に安心を提供していると、先住民族リーダーやイスラム教徒の人々から喜ばれています。ここ数年で、近隣のロハス市やグリーンヒル市、先日はキダパワンのガールスカウト教会から盾や賞状をいただきました。

 地図でごらんになるとおわかりになるように、ミンダナオ子ども図書館のあるキダパワンはミンダナオの中心部近くに位置しており、アポ山周囲はマノボ族などの山岳民族の地域で、西はイスラム地域の接点にあります。
 また、読み聞かせ活動を常時することで、たえず山岳地や僻地へ行き、現場の子どもたちの健康状況を確認していることも大きな意味を持っています。

 ミンダナオのこれからの課題は、こうしたより僻地にある小さなNGOと、大都市ダバオの大きな医療機関やファンデーションが相互に連携を持ちながら、本格的に救済を必要としている人々に支援の手を差しのべていくことだと思われます。
 また、ダバオ一極集中を是正しより深く先住民族やイスラム貧困層を支援するためにも、要所要所に散在する公立病院の設備の拡充や医師の常駐が望まれます。

 例えばキダパワン市に隣接したアマス病院などは、多くの貧しい人々が利用するのですが、建物の衛生状態も悪く患者が通路に寝ているしまつです。
 アマス病院は地理的に北は、現在日本の商事会社がバナナ農園を次々に開発し、土地なし山岳民族が自給地から追われ、狭い土地に移転させられる結果自給が困難になりつつあるロハス、アラカン、グリーンヒルといった山岳地域と隣接し、西は政府軍と反政府ゲリラの間に戦闘の絶えないイスラム教徒のマギンダナオ自治区を結ぶ、いわばミンダナオの交通の接点部という地理的には恵まれた位置にあり、その利点を生かして広大な敷地を持つ北コタバト州庁舎が設置され、病院は隣接しているのですが、医療担当者が常駐していることが少なく医療設備もなく充分な治療が行われていないのは残念なことです。
 (アマス病院に入ると死ぬと言う噂が立つほど)

 私たちの患者もそこから回されてきたり、治療が完了されずに来る患者がいて、入院が必要な患者は遠いダバオに運ぶか、キダパワンにおいては結局、治療費の高い私立病院に入院させている現状があります。
 日本政府のODAも、このような病院にもう少し費やされると地域にさらに大きく貢献するように思われます。


ミンダナオ子ども図書館だより:医療 7月26日

 肺の癒着が進んでいる女性が、ダバオの私立病院でチェックを受けた後に、ダバオメディカルセンターに入院する事になりました。
 ダバオメディカルセンターDMCは日本のジャイカからの支援が多い公立病院で、私立病院にとても入ることの出来ない多くの貧しい人々にとっては大きな救いとなっています。日本のODAが成功している大きな例の一つであると感じます。
 ライオンズクラブ、ロータリークラブ、メソニックファンデーションの支援を受けて兎口や目の異常を取り上げているマハリカファンデーションや、キリスト教系の障害者更生施設Our Lady of Victoryと 連携をとり手術を実行しているジェロームファインデーションも大きな貢献をしている団体です。ミンダナオ子ども図書館の患者たちも救われており、こうした本格的なファンデーションの貢献は大きいと思います。
 問題はその所在地がダバオに集中しており、こうしたファンデーションがあるにも関わらず、ミンダナオの僻地の貧しい人々がなかなかその功徳にあずかれないことでしょう。
 80パーセントを超えるという貧しい人々の多くはダバオにまで行く費用が出ず、また治療費がただになっても病院などから要請される点滴や輸血用血液、薬代が払えない状態にあるからです。
 せっかく日本などからの支援がありながら、本当に貧しい人々の救済にいたらないのは残念でなりません。
 ファンデーションのなかには、マハリカのようにときどき車で僻地を訪ねて治療したり、ジャイカの支援を受けているDMCのように、スマイルファンデーションと連携をとって地方の役所やラジオで無料の兎口の治療も行っていますが、僻地に拠点を持っていないために散発的であったり、需要の高い病気や手術にまでは手が届いていないのが現状です。

 その意味では、ミンダナオ子ども図書館の医療プロジェクトは、山岳地帯の先住民族やダバオに出ることの難しいイスラム地域の子どもたちに貢献と安心を提供していると、先住民族のリーダーやイスラム教徒の人々から言われています。
 地図でごらんになるとおわかりになるように、ミンダナオ子ども図書館のあるキダパワンは、ミンダナオの中心部近くに存在しており、周囲は山岳民族の地域で、西はイスラム地域の接点にあるからです。
 また、読み聞かせ活動を常時することで、絶えず僻地へ行き、さまざまな現場の子どもたちの健康状況を確認していることも大きな意味を持っています。
 ミンダナオのこれからの課題は、こうしたより僻地にある小さな活動機関と、大都市ダバオの大きな医療機関やファンデーションが連携を持ちながらより広範囲の貧しい人々(本格的に救済を必要としている人々)を支援していくことだと思われます。

 また、ダバオ一極集中を是正するためにも、要所要所に散在する公立病院。例えばキダパワンのアマス病院などをジャイカや日本政府がもう少し支援できれば、さらに貧しい人々の福音となると思われます。
 アマス病院などは、多くの貧しい人々が利用するのですが、建物の衛生状態も悪く患者が通路に寝ているしまつで、広大な州庁舎のそばにありながらその設備や医療担当者が常駐していることが少ない結果充分な治療が行われておらず、私たちの患者もこちらから回されてきたり、治療が完了されずに来る患者がいて、キダパワンにおいては結局、治療費の高い私立病院に入院させている現状があります。
 ミンダナオの中央、東西南北の接点に位置し、山岳民族とイスラム教徒を結ぶ接点になりながら残念なことです。
 肺の癒着が進んでいる女性は、喘息が発端で初期においては薬の治療で治る状態でした。当時はデパートで働いて薬を買って治療していましたが、デパートの職を追われてしまい、貧困のなかで薬を買ったり買えなくなったりをくり返し、現在の状態になってしまいました。
 (こうしたダバオのデパートなどの雇用は、比較的恵まれた職ですが、終身雇用ではなく、5ヶ月契約がほとんどです。理由は、半年未満の契約であれば正規の雇用ではなく、健康保険や年金の法的責任がないからです)

 昨日、病院に見舞いましたが、酸素吸入を受けやせ細り、方肺が機能不全で心臓も弱り手術は不可能で薬の投与で病状の進行を見守るという診断です。
 キダパワンでは回復不可能という診断ですが、ミンダナオ子ども図書館では、いったん手がけた患者は可能性がある限り支援し続けると言うポリシーですので、本人の希望もあり、ダバオに運び最後の可能性をさぐりつつ治療を進めています。


 新たに私たちのスカラーで、親と死別し完全な孤児である大学生、クリスティーン・パデルナルさんがデング熱で緊急入院しました。
 試験があり、熱があるにもかかわらず試験終了まで頑張ったのも良くなかったようです。仲間のスカラーと下宿生活をしていたので知らずに入院が遅れました。
 現在、点滴と輸血を受けています。デング熱は大変ですが、設備のととのった私立病院で治療を受けていますので生命の危険はないものと思います。
 4月にはコナナナ君が同様の状態で輸血を受けています。治療を受けられない貧困状態の人々の場合は、死に至る病です。
 同じデング熱のアイリーンは、初期の状態で入院したので輸血を受けずに退院しました。200名近い奨学生がいますと、皆極貧家庭から来ているので基本的な体力や健康状態、栄養状態が悪く、誰彼となく病気をし、その健康管理も大変ですが、一人一人を我が子のように考えて、出来るだけの事をしていくのが私たちの役割だと思っています。


ダバオメディカル病院にジョイをたずねました。
 手術が終わり、少し疲れた顔でしたが、穏やかで元気そうでした。手術前と後の写真を添付しました。
 早いもので、明日には退院し、ダバオの障害者更生施設Our Lady of Victoryに移ります。そこで治療後の足の回復を待ち、その後義足の制作に移り、6ヶ月歩行訓練を続けます。
 Our Lady of Victoryは、現在私たちのスタッフでポリオのノノイ君が車椅子の訓練を受けたところです。
 今回の手術は、ジェロームファンデーションの協力で、ダバオドクトル病院の先生が手術代を無償で執刀してくださいました。私たちは、薬や点滴血液などその他の費用を負担しています。




ミンダナオ子ども図書館便り 7月23日

お元気ですか。今年の夏は暑くなりそうですね。
ジョイさんの手術が終わりOur Lady of Victoryに移りました。
車椅子ですが、傷も癒えて、うれしそうです。義足を作り歩行訓練にはいります。
6ヶ月の予定で、退院後は来年度から大学に通います。



ミンダナオ子ども図書館便り06711医療 7月11日

医療活動は、予算が限られた状態でぎりぎりに活動しています。
ポリオのジョイさんの手術が始まります。

 ジョイさんは昨日、ダバオドクトル病院に入院しました。先天的に膝から下が30センチほどで細く萎えており、それでも膝にゴム草履を履いて歩く状態でした。手も指が3本しか無く、本人の表現を借りるとカニの手だそうです。
  家庭は極貧ですが、高校までピキット市の市長が面倒を見て、高校を卒業しました。今はミンダナオ子ども図書館に住み大学に行く準備をしていましたが、私たちの懇意にしている障害者自立施設を運営しているアメリカミッション系のファンデーション、Our lady of Victoryに相談し、せめて彼女特有の靴 を作ろうと思いたちうかがったところ、膝下を切断して義足を入れれば歩けるという結論に達しました。
 本人と両親も強く希望。今回の手術となりました。
 手術後、Our lady of Victoryで半年間、歩行訓練を受けます。
 この施設では、滞在期間中にコンピューター指導や絵画指導をしています。彼女はコンピューターを使えるようになりたいという希望を、強く持っていますので練習を始めることでしょう。将来はミンダナオ子ども図書館を手伝ってもらえたらと密かに思っています。

 ミンダナオ子ども図書館でハウスマネージメントをして下さっている方の娘さんが、片肺癒着で緊急入院しました。
 この娘さんは高校卒業後デパートに勤めたのですが、肺炎の疑いありで停職処分、ミンダナオ子ども図書館に奨学生として応募してきたときに調査すると、水田の奥の奥で、小さな竹小屋に隔離されるように一人で住んでいました。
 やせ細り喘息のような発作もあり、奨学生になるのは無理と判断。父親は病死、母親は住み込みのお手伝いをして口糊をしのいでいますが、薬を買うことも出来ない状態なので、ミンダナオ子ども図書館のハウスマネージメントで雇いました。
 その後、喘息の薬は買うことが出来るようになったのですが、昨日緊急入院しました。今後、医師の指示に従って手術などがはじまります。

 長く喉のガンが転移し骨ガンになり、母子ともどもミンダナオ子ども図書館で暮らしてきた、ジクジク、アルメリン、ラライ、バンダン姉妹のお母さんが、緊急入院しました。
 歩行不能で治癒も不可能、ガンも最終段階でせめて山ではなく図書館で子どもたちと日々を過ごせればと3年前に引き取りました。夫はすでに病死。ご本人も一昨年にはすでに命は無いだろうと宣告されていたのに今まで持ったのが奇跡です。
 今回の緊急入院が最後になるのではないかと懸念しています。母親が亡くなれば子どもたちは完全な孤児となります。
 ジクジクは来年卒業し学校の先生を目指します。支援し続けて下さっている瀬川神父様ありがとうございます。
 アルメリンは今年大学一年生で看護士の勉強を始め、ラライは高校生、バンダンは小学校5年生です。今後は、ミンダナオ子ども図書館で自立まで面倒を見ていくことになると思います。

 デング熱で緊急入院したアイリーンは無事に退院しました。
 いよいよデング熱の季節が始まり、大きな手術もひかえている子もあり。お断りしている子も多く、予算とのにらみ合いが続いています。
 医療以外のプロジェクトは順調に進行しています。


行政のシティープラニングで依頼された子どもの家を訪れる

 たった今、行政から依頼された子の家を訪ねました。
 今回のプランは、いくつかのファンデーションが行政を中心に役割を分担して、一人の子を救うプロジェクトへの参加を依頼されたもので、初めてのケースです。
 病院は私たちの重傷の患者をお願いしている、日本政府の支援で運営されている市立病院DMC(ダバオメディカルセンター)で、今回はミンダナオ子ども図書館には外の薬代をお願いしたいとの打診でした。
 外の薬は、おそらく一番お金がかかり、ファンデーションでは(製薬会社との利害があり)なかなか手が出せない部分だからだと思います。
 そのこと自体は良いのですが、しかし、私たちの医療プロジェクトのポリシーとして、最初の状況から常に付き添いながら完治を見届けていくという方針に立つと、いったい完治にいたるまで、またその後のケアにいたるまで、誰が付き添い、どこが責任を持つかという点で今回の企画には不明な部分が多くあります。
 案の定、患者は一度あるファンデーションがダバオの病院に連れて行ってくれるというので車で行ったのですが、ただ連れていっただけでそこに放りっぱなしで非常に困った経験があり、患者も非常に不安そうでした。
 今回は、最初の部分は、行政が2000ペソほど(ガソリン代と初診ぐらいでしょう)だしてDMC病院に連れて行くものの、煩雑な再度の検診やレントゲンや入院手続きを誰がこなすのか?誰がくり返しダバオに車を出し、患者には解りづらい手続きを手を取り足を取りしていくのか・・・また、入院中の付き添いの母親の食費などは誰が見るのかといった様々な部分が不明です。
 行政は、最初のきっかけだけを作って後は種々のファンデーションに任せるにしても、その連携や細かい部分での責任が明確になっていないので、患者の不安も考慮してミンダナオ子ども図書館ですべての行程をチェックして、一人のスタッフが完治まで付き添いながら進めていき、問題があればすぐに対応する事を約束しました。

(あるファンデーションでは、部分的に手術などを受け持ってもその後のケアが無く、山に読み聞かせに行ったときなど再度入院しなければならない患者を見ているので、全体を統括する責任を誰が持ち、どのように行動するかが問題になります。)

 ミンダナオ子ども図書館では、今年度の純医療予算が、戦闘地ピキットの奇形の子の複雑な手術を多く取ったことと(長期の手術になります)今年は政府も注意報を出すほどのデング熱の流行で、山岳民族の子どもたちの入院が相次いだことで、予算が底をついています。
 しかしスタッフと協議した結果、この政府との協賛のプロジェクトは、一つの重要な過程としてGOサインを出すことに決めました。
 子どもの写真を貼付しました。患者は1歳4ヶ月ですが、栄養不良と病気せいで極端にやせ細っています。


この子は残念ながら亡くなりました。




憑依が
何故起こるのだろうか


初めてミンダナオ子ども図書館で、
憑依が起こった時には、
これは体の傷が原因かと思った。
その子は、銃が暴発し腹部を貫通。
そこから排便していたが手術の結果、
肛門が使えるようになった。
しかし、その後も傷は癒えていなかったから
その膿が頭部にも移るのかと・・・・
最近、二人の子に起こった憑依は、
顔かたちも変わり、同時に憑依状態になり、
二人を引き離し、部屋を別に移動した後、
私が仲立ちの子と二人で彼女を押さえて
落ち着かせ、
神とイエスの話を聞かせ、
落ち着き始めると不意に正気に返り、
本人は何も覚えていない。


2月10日

心配おかけしてすみません。
ちょっと体調を崩していました。先年からの疲れが出たのか、
気管支炎になって数日入院しました。
それに、うちの二人の子が憑依状態になって・・・

霊がとりついたようになって、これで三人の子で、
数度目の体験ですが、今回は二人が一緒に一つになって憑依状態が始まり、
一人には、もう一人子の、去年の暮れに亡くなった
障害者の妹の霊が乗り移った、と言うことなのですが
目が真っ赤に血走って斜め上を凝視したまま、
手が収縮して手先を尖らして固くなり、想像以上の力で暴れ
別人格のようになり、髪を振り乱してけたたましく笑ったり・・・

もう一人の亡くなった障害者の妹の霊がついたと言う子の場合は、
小さな女の子の霊は、マノボ語しか介さず、
私は、彼女を抱きとめてマノボのスカラーに通訳してもらいながら、
霊に、死者の魂は父である神とイエスの元にあって、
お姉さんの事をしっかりと見守っているから安心するように、
話しかけていきました。

顔を見たりすると仰天するような形相で(普段は可愛い子なのですが)。
周囲は、恐れ騒然となるのですが、
時には押さえ込もうとする屈強の男の子を、
信じられない力ではねとばしたりする。

私は、こういうのがなぜか全然怖くないので、興奮している、
スカラー達や大人を厳しくたしなめて、
冷静な子以外は、興奮を助長するだけなので部屋から出てもらい、
穏やかに愛情を持って接して、すごい力で暴れようとするのを、
時にはしっかりと抱き留めて安心させ、落ち着かせ、
問題を見極めて行くと不意にスーッと憑依状態が消えて元に戻る。

元に戻る瞬間というのは、非常に感動的で、
狐につままれたような顔で、あたりを見回しながら、
自分のいるところも、何が起こったかも理解できず、何も覚えていないのです。

結局、様々な言えない悲しみや家庭の問題があり、
ストレスが引き金になるようです。
一人は、障害者の妹を大事にしていた子で、クリスマスに
櫛、髪飾り、小さな靴を買って帰ろうとしていた矢先に妹の死を知った。
その妹は、いつも大好きな姉さんが側にいることを望んでいたので、
霊となって来たのだと・・・

もう一人は、父親が毒殺された子で、ここでは語れないのですが、
非常に複雑な家庭背景と
父親の親戚が、土地の問題も含めて、密かに連れ戻そうとするのを恐れている。
その子は上述の子の親友で同じ村から来た子で、妹の霊の媒体になった。
MCLは、子どものシェルターとしても認定されているから、
大丈夫守ってあげると言ってようやく心が落ち着いてきた。

山の貧しい家族の期待を一身に背負っていたり、
都会でレベルの多少高い学校に移った結果、
学校の事も含めて、
心因性のストレスがたまり、限界を超えて、
引き金になって憑依状態になるようなのですが、
それだけでは説明しきれないものもある。

私は、平静をたもちつつ、寄り添いながら、
落ち着かせ、
原因を話をしながら明確にして、解決策を見いだす。
そのご、彼らのストレスを
全部私が吸い取ったようになり、
疲れがどっと出て。
日本にいると、こういう事は特殊でしょうね。

どうも、人だけではなく、霊までも、
私が理解してくれると思って、
頼ってくるようですね????
(アイヌ文化に造詣の深い、
藤村久和氏なら、そう言うだろう)

経済的にだけでなく、精神的にも、強い愛情を持って
しっかり支えていかなければならないようですね。
大変な家庭状況を背負っていたりして。

カトリックには、
こういう状況に対応する神父がいて、
エクソシストを行うと聞いていますが、
こちらでは時々あることで、
マナナンバルと呼ばれる祈祷師が対応します。

今回は、二人ともクリスチャンで
サウザン・バプテストなのですが、
村にしばらく帰って、亡くなった妹の墓に、
櫛や靴や髪飾りを持って墓参し、
その後、マナナンバルが生け贄に、
黒いニワトリを捧げたようです。

キリスト教と地元の信仰が、
矛盾無く共存している所も興味深い点ですね。




憑依に関する若干の考察

本当にスピリットが取り憑くのだろうか?
それとも、無意識のなかの自我が、突然水面下から現れるのだろうか?
ちょうど巨大な氷塊が、激しい嵐で、
水面上に現れている意識の部分を崩し突然、氷塊全体がひっくり返り、
今まで海面下にあった無意識の部分が現れるかのように・・・

確かに、こうした状況を見ると、若者も大人も、
取り押さえようと異常な興奮状態に取り憑かれるのだが、
私は、なぜか、全く心の動揺が無い、かつて北海道で、アイヌ文化に触れ、
カムイの世界を少しでも感じたいと、たった一人で山頂で、
テントもなく眠ったり過ごしたり、
沖縄の神の島、宮古の池間島で、神々の話を聞いて過ごしたせいで
人間の意識を超えた世界に心を慣らしているせいなのだろうか?

普通の女の子が、夜叉のように面相が変わり、声も変わり、暴れても
少しも動揺することなく、受け止めて、愛情を持って接し、
優しく語りかけることが出来る

その後も、数日、様々な原因を話しながら探っていくと、
こうした症状に至る前に、かなり激しい心因性のストレスがあり、
人に言うことが出来ない原因が内在することが分かってくる
心が素朴で純粋であるが故に、それが引き金になり、つまり、
憑依状態に入ることで、助けを求めているとも言える。

だが、完全に人格が変わっていることは確かで、
スーッと意識が戻ってから、全然何が起こったのか覚えていない。
今回は、別室に移した二人の子の意識が、全く同時に、
戻ってきたのも不思議な現象だった。

ただ、山での生活が、貧しいにもかかわらず、
楽園のように美しく
キダパワン郊外の学校の生活が、
(日本の東京から来た者には、
あまりにものんびりしたストレスのない社会なのだが)
彼らの、ナイーブで感じやすく素朴な感性から見ると、
都市部に近いストレスのある社会であることも
わかってきた。

確かに学校教育そのものが、
ストレスの押しつけなのだ。
その延長に会社があるが・・・

私も学校教育が本当に嫌いで、
小学校の担任、無着成恭先生の影響か、
点数による、競争教育に強い拒否感を持っている・・・
成績がそれほど良くなかったことも原因だが。

その上、ここでは、スカラシップを受けた子は、
家族で唯一学業を継続できると言う事で、
一家から、両親から、親戚や村から、
多大の期待を背負ってきている事も大きい。

さらに、家族や友人から離れている事、
村のコミュニティーや友だちから遠いことも、
寂しさを募らせる。
そこに、大事な妹の死や、
込み入った家族の状況が複雑に重なって
意識が限界を超えて、弾けてしまい、
憑依という手段で自我が助けを求める!

ただ、それを受け止めて、理解し、
解決の道を探ってくれる人が
居るかいないかが問題で、
どうやら、私がその役を引き受けてくれると
感じているらしい。

私に出来ることは、
ただひたすら愛情を持って強く接し
話を聞き、問題を見つけ、それを整理し、
解決の糸口を探していくことだ。
こうした経験を経て、
ますます深く心の繋がりが生まれていく。
多くの若者たちとの間に。


本文と写真は
関係ありません



驚くべき
ムスリムのシャマニズム
,

この様な世界が、まだ生きているとは思わなかった!

一月の最後の日曜日は、年3回の文化祭の初日、ムスリムデーだ。
そこで若者たちは、自分たちの文化のルーツを演じる。
今回のテーマは、「病気などの祓い」
そこで演じられた世界を見て、唖然とした!
この様な世界がまだ生きているとは、思わなかった。
マノボだったらまだ理解できるが、ムスリムにもシャーマンがいたとは!
ミンダナオのイスラムの世界に
このようなシャマニズムが
とけ込んでいるとは思わなかった。
写真の流れを見ながら、
背後に宿る壮大な宇宙観の片鱗を
ご説明しよう。
日本で8年かけて執筆した拙著
『沖縄の宇宙像』(洋泉社)を
読んでいただければ
これが、シベリアから欧州、
中国からアジアに広がる
シャマニズムに則ったものだとわかるだろう
 
 
イスラムの教えに則っているのではないだろう、なぜなら、ここで若者たちが演じたのは、
病気を治すための御祓いであり、シャマニズムの世界観に則ったものだから。
下の連続する写真を見て、象徴が何を意味しているか、理解できたとしたら
あなたはシャマニズムの宇宙像コスモロジーを把握している!
儀式に必要なものを備える
上に掲げられた赤い布は
舟を表しているのだろう
ドゥヤンと呼ばれる
ゆりかごでもあるが
ゆりかごは、
神の世界に昇る舟でもある
赤子は神の世界と
最もつながっている存在
置かれた6本の旗は、
第七の天界に昇るまでの
六段階の世界を意味している
 
天界は、神の世界である
塔や大木(神木)の
最先端から昇るが
神の世界の入り口には
星がある
沖縄ではネノハンマティダ
といって女神だが
そこには供物、
そして鈴の着いた
楽器をならしていく
イスラムの塔の先の
月と星は、
何を意味しているのか
新約のイエスの誕生と
マリアの星は・・・
 
シャマニズムでは、
女性と男性は
役割を別にしている
神の世界の入り口に
女性はおり
地位が低いわけではない
祈る儀式は男性だが、
女性は山の神のように
世界を司っている
宇宙は陰と陽で
出来ているからだ。

コーランを読んだ時にも、カーバ神殿の石を巡る祈りの方法を知った時にも、
そして何よりも、イスラムの寺院の塔の頂の月と星を見た時にも
イスラムにも、シャマニズムの香が残っているのではないか
(キリスト教の中にも聖書の中にもシャマニズムの宇宙観は至る所に
散らばっているが)と思っていたが、
この儀式は、まさにシャマニズムそのものであり、ミンダナオのイスラム、
アジアのイスラムに特徴的なものなのだろうか?
それとも、イスラム教徒に全体的なものなのだろうか。

宗教家はシャマニズムというと、キリスト教や仏教、イスラム以前の原始宗教、
精霊崇拝として邪視したり、排斥したりすることが多いのだが、
拙著『沖縄の宇宙像」』でも述べたごとく、そこには、キリスト教の根元をなす宗教観、
特に罪と生け贄の原型の構造がある。
つまり、罪のあがないとして、羊(旧約)や豚(沖縄)やニワトリ(マノボ族)、
最高の生け贄として人を屠った時代。
(日本の人柱、ヨーロッパのメイポール、沖縄の送り、
アンデスからフィリピンに至るまで、旧約にも出てくる慣習)

さらに、屠った人の肉を食べた習慣。
これは、キリストの教えそのものにつながる。
イエスは、罪の許しの最後の唯一の方法は、
わたし(人の姿をとった神)の肉を食べ血を飲むこと、
その象徴的な行為としての最後の晩餐を行うことを教えた。
パンと葡萄酒に代わっているが、神道では餅と御神酒。
アイヌも、カムイとして熊を迎え送る時に、実際の肉を食べ血を飲む儀式を行う。
沖縄でも死者を送るために食べた。
その様子はカトリックのミサ、プロテスタントでも行われる正餐式そっくりである。

つまり、全世界にかなり共通していたと見られる、
シャマニズムの宇宙観の後に、さらにその上に、その影響のもとに
宗教が、愛、平等、そこから生まれる自由の概念を
実現する教えとして現れたという、歴史を顧みれば、
すべての宗教が、シャマニズムという根から枝葉を出してきたのであり、
当然ながらその表現に影響が見られてもおかしくないのだ。

ただ、宗教を研究する時に、近代から過去にさかのぼる、
という形で分析することにより、宗教以前の世界を否定した結果、
その大きな影響が見えなくなったのではないだろうか。
あたかも、意識の下に眠っている無意識の世界を否定して、
理性のみで心を分析するように・・・
しかし、かつてユングが行ったように、無意識の世界を深く知り尽くした上で、
その上に宿る意識をとらえ、

総合的に分析する時に真実の心が見えてくるように、宗教に置いても、
深層としてのシャマニズムという観点から、
(宗教の無意識の部分にあり、絶えず意識に影響を与え続けている)
シャマニズムという視点から、
改めて宗教を分析する事は、特に現代のように、宗教的といわれる国々が、
あたかもその教えに反したような戦闘を行うような時代には
有意義で必要なことであるかもしれない。
ダトゥを中心に村人が
輪になり、病気の子どもが
天界へ向かう舟、
揺りかごの左右に
寝かされる中心に
供物が置かれている
山盛りのご飯などの上に
卵が乗せられているが
ゆで卵は、誕生と同時に
宇宙の象徴でもある
 
この世界は、
この世を表している
神の世界への出発点であり
儀式はこの世から始まる
 
 シャーマン
(ダトゥと呼ばれる首領)は、
お皿の香料に火をつけて、
その煙を供物に
かかるようにして
供物を清めている
線香や香炉、
ローソクと同じで、
火は天界への儀式に
欠かせない
  同じ火と煙で、病気の子どもを浄めている
シャーマンが、
6段階に竹で組まれた
塔の前で、
その一つ一つの段階に
火と煙をかけて浄めている
この儀式は、シャーマンが
天に昇る儀式でもある
 
右が椰子の葉で包んだ
供物が下げられている
木の枝で元には、
プラスティックの
大きなゴミバケツが
置かれていて、
半分ほど水が入っていたが
撮影の邪魔になると思って
私が移動させてしまった
 
ゴミバケツの水は重要で、
木は天の世界への道、
水は地下の先祖の魂の
世界への道を
象徴していたのだ!
仏壇の前に、ローソクと
水を奥のと同じ意味。
勝手に外したのは
私の過ちだったが遅かった

病気の子どもを浄めた後に、いよいよシャーマンは、天界への道行きを歩き始める。
竹で組んだ、塔のようなものには、6つの段階のスペースが儲けられており、
その一つ一つに飯などの供物が置かれている。
シャーマンは、そこにも清めの火を持っていく。
この塔は、6本の赤いテープで、本体の家とつながれている。

この塔の右側に、木が置かれており、
木の枝にも米の飯を椰子の葉で包んだ供物が下げられている。
この木の手前に、プラスティックの大きなゴミバケツが置かれていて、
半分ほど水が入っていた。
理由がわからず、撮影の邪魔になると思い、私が一人で勝手に移動してしまったが、
儀式が始まってはっと気が付いた。
水は重要な象徴なのである。

木は、神木と同様に、天頂に魂が向かうための道筋である。
昔は、天頂の北極星に向かって巨大な目に見えない神木、
または柱がありそこを中心にして天界は支えられ、星も巡っていると思われていた。
また、下にも、この世と同様の世界が裏側にあり、そこに向かう入り口が、
洞窟や海や井戸であり、
水は先祖の魂の世界に人々を導くスピリット精霊であると考えられていた。

火は天界に昇ろうとする火之神だが、水は下の世界に流れようとする、
その性質から精霊、アイヌではワッカウシカムイ、水の神とされて
沖縄では海がその世界への入り口だと考えられていた。ニライカナイ、
宮古島ではニッラ。アイヌではポクナモシリ、つまり黄泉の国である。
旧約聖書でも、死者の国が無くなって、海から死者が復活してくる場面が
詩篇などで描かれている。
太陽は海の中に沈み、あの世へ出ていくと考えられていたから、あの世への道は、
太陽の沈む西から、海つまり水を通って行くと思われている。

井戸や滝、山上の湖(恐山等)が祈祷の場になっていたりするのもその名残。
それゆえに、ミンダナオの若者たちの演じている儀式でも、
例えそれがゴミバケツであったとしても重要な意味を持っていたのである。

さらに、世界は、地の下の世界から天界まで、6段階で表されており、
第七段目が到達点である。
6本のテープは、家であるこの世と、天の各々の聖霊と段階を結んでいる象徴。
方位とも関係しており、南、西、北、東、天頂、天界(月)の6段階を得て、
最高神(かつては太陽神)に到達した。
その全体に祈願する事が、宇宙全体の聖霊(天使)と神に祈願するために必要であり、
6段の塔は、その一つ一つを経て、
シャーマンが最高神まで登り詰めていく道行きを表している。
塔の横に置かれている水と木は、その道そのもの。

6段階の世界を経て天界に登り詰めてきたシャーマンは、
最高神から特別な力を授かってこの世に戻ってくる
彼はもはや、この世の存在ではなく、神と一体となった人間の姿なのだ
その象徴として、特別に作られた被り物をかむるのである

こうした被り物は、神聖な儀式の時に、天界との関係を結んだ人という意味で、
過去、皇帝や王などに被せられた
被りものを頭に乗せたシャーマンは、
右手に木の板を持っているが、
ここには沢山の鈴がつけられている
シャーマンの聖なる道具として、
音の出る鈴も重要なものである
天界から降りてきて、
聖なる力を持った
シャーマンは、
病魔を祓う
 
シャーマンの後を、病気の子の母親がついていく 
最後に病気の子を伴いなが  天界への供え物がある
塔へと導く
 
その周囲を巡り、
天の神の力によって病気をいやすと同時に
左手に刀を持って、地界と天界、
家と塔の間に結ばれている6つのテープを切断する
 
テープの切断によって、
天界と地界の繋がりが
断ち切られて、
再び人々は地界に
戻っていく
 

 地上に戻りいやされた
病人に最後の浄めを行う
 地界に戻ってから、最後の祓いを行い、
人々の周りを喜びに満ちて踊りつつ巡る
病人の健全な魂が、
再び子どもの肉体に戻る
 

 最後に火と煙で全体を
浄めつつ導かれて退出する
 こうして、天界の力が地界にもたらされ、病魔は追い払われ
地上に平和と幸せが息づきはじまる





この前のサイトをご覧になりたい方は ここをクリックしてください。






     
 ミンダナオ子ども図書館のミッション 理事、役員、スタッフ 活動の概要を紹介
 もくじINDEX
 ミンダナオ子ども図書館だより:サイトへGO! MCL文庫
民話、絵本原稿、青少年から大人までの読みものを
自由購読で提供しています。
MCL映像サイト
何故ここに日本人などのテレビ映像
その他の貴重な活動映像を掲載

ミンダナオ子ども図書館日記(松居友制作)にGO! ミンダナオ子ども図書館支援方法 講演、公演の予定表など 
訪問希望の方は ここをクリック!  まだ支援者のいない子たちへ! ミンダナオ子ども図書館日本応援窓口 

ミンダナオ子ども図書館では、支援者へ真の活動報告が行くように、
自分で撮った写真と記事を、10年以上サイトに随時掲載してきました。
近年、日本の特に青少年の国際化が謳われる中、この記録が学習素材としても注目され、
国際活動へ一歩踏み出したい体験希望者や、悩みを抱えた若者たちの受け入れも決断しました。
また、中高年の方々にも、現地の子供たちの笑顔が生きる喜びになっていることがわかり
夢と真実を伝えるために、活動を年次ごとにまとめ、過去の機関紙もPDFで掲載しました。
ただし、機関誌は2018年4月までで、数年はサイトに掲載しません。
購読されたい方は、自由寄付や奨学生支援等を振り込んでいただければ現地よりお送りします。
隔月にお送りし、そのうちの一回は、MCLで制作した、絵本をお届けしています!
 
ミンダナオ子ども図書館だより 
 2006 2007  2008  2009  2010  2011  2012  2013  2014  2015  2016 
Go! Go!  Go! Go! Go! Go!   Go! Go! Go! Go! Go!
ミンダナオ子ども図書館日記      
2008  2009  2010  2014  2015  2016  2017         
Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go!        
機関誌『ミンダナオの風』バックナンバーPDF 
1号 2号 3号 4号 20号 21号
2008/10
22号 23号 24号
2009/7
25号
2009/10
26号
2010/2
27号
2010/5
28号
2010/7
29号
2010/10
30号
2011/3
Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go!
31号
2011/5
32号 33号
2011/10
34号
2012/3
35号
2012/6
36号
2012/8
37号
2012/10
38号
2012/12
39号
2013/4
40号
2013/6
41号
2013/8
43号
2013/12
44号
2014/3
45号
2014/6
46号
2014/8
Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go!
47号
2014/10
48号
2015/1
51号
2015/10
52号
2016/1
53号
2016/3
54号
2016/5
56号
2016/10
57号
2016/12
58号
2017/2
59号
2017/4
60号
2017/6
61号
2017/10
62号
2017/12
63号
2018/2
64号
2018/4
Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go!
スカラシップや訪問希望、
また種々のご質問やお問い合わせは
現地日本人スタッフ宮木梓(あずさ)へ
 
mclmidanao@gmail.com
 
メールニュース希望
登録していただければ、サイトの更新等の情報を
メールで配信しています
 
松居友メール
mcltomo@gmail.com

支援申し込みメールで
ご住所を送っていただければ、
会員登録をして年6回、季刊誌をお送りします。

制作状況にもよりますが、
年一回季刊誌に代わって
MCL制作の絵本を
送るようにしています。


直接下記に振り込んでいただけると早く確実です

自由寄付、医療支援、
スカラシップ、里親支援、
植林支援、緊急支援


郵便振替口座番号:
00100 0 18057
口座名:
ミンダナオ子ども図書館


振り込んだ後に、メールをいただければ幸いです。

mclmindanao@gmail.com
(以前のアドレスも有効です)
  
銀行振り込みは以下へ
 
■銀行名 ゆうちょ銀行 
 ■金融機関コード 9900
■店番 019  ■預金種目 当座
■店名 〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
■口座番号 0018057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

ゆうちょ銀行(郵便局)や、
それ以外の金融機関
からの振込もOK


振り込んだ後に、メールをいただければ幸いです。
mclmindanao@gmail.com
(以前のアドレスも有効です)
 

インターネットバンキングも可能です
 連絡、スカラシップや訪問希望
支援に関する質問は、こちらへ。

現地日本人スタッフ宮木 梓:

mclmindanao@gmail.com
(以前のアドレスも有効です)


日本窓口前田容子
mcl.madoguchi@gmail.com
FAX:0743 74 6465
電話:090 5091 7514

 松居友メール
mcltomo@gmail.com

松居友電話(日本および現地転送):
080 4423 2998


現地住所:Mindanao Children's Library :
Brgy. Manongol Kidapawan City
North Cotabato 9400 Philippines