活動の根幹は愛と友情! |
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va1 父を殺された 悲劇から 妻の病気を治すために、 一時的にバナナプランテーションに 土地を貸した父が、 翌年になって、 「植えたバナナの代金は、支払うから、 貸した土地を返して欲しい!」 と、いったとたん、 その場で殺された! そのとき長男は、 仕事に出かけていたが、 兄弟たちが家にいた。 酔って父親を殺した男は、 拘置所に入れられたが、 二万円払って サッサとでてきた。 お兄ちゃん、長男は、 何度も殺害した男を 殺そうと思ったという。 でも、 自分が殺されたら家族が困る。 そう思ってとどまった。 その後も続く 極貧の生活、 それに加えて複雑な心。 このままでは、 経済的にも心理的にも、 不安定なので放っておけず、 「ミンダナオ子ども図書館に、 小屋を建ててあげるから、 母さんと兄弟で移るように」 と提案した。 弟と小さな妹二人は、 すでにMCLの奨学生だったし、 ミンダナオ子ども図書館に住めば、 少なくとも、 食べ物はだいじょうぶだし。 お兄さんも、スタッフとして 雇うことになった。 その後5年ほどたち、現在は、 ドールに雇われて仕事をしています。 va2 訪問者たちと 家を訪ねる MCLに移転する話をつめるために、 父親を殺された、奨学生の一家を、 日本人の訪問者たちと訪ねた。 そこで話し合って、 まずお兄ちゃんが、 家族にひとあし先だって、 MCLに来て、家を建てることになった。 そのご、学年が終わったら、 お母さんも含め、 兄弟姉妹みんなで、 MCLに引っ越すことにした。 お昼のおかずの山芋を、 掘りにいっていた お母さんも、もどってきた。 父親が殺され、 毎日の食べものにもことかく家族たち。 それでも、MCLに住めることがきまって、 ずいぶん、顔つきが明るくなった。 お茶の水女子大からきた 訪問者のなかには、 犯罪心理学を、 学んでいる学生もいる。 何を、 感じたのだろうか。 その後2018年、 大学生になったハニーは、 来日公演に日本を訪れ、支援者に会った。 そのときの、感動的な様子が NHKで報道されました!
以前に立正佼成会さんと 共に訪れた ダバオサイドの 先住民の村へ スカラシップ調査 ダバオのカリナン地域の バナナ農園を抜けていくと、 大きな谷の端っこ、 追い落とされそうな場所に、 小さなマノボの集落がある。 この広大なバナナ農園、 ご存じのスミフル。 日本の住友フルーツの農園。 住友フルーツの皆さん、 一緒にスカラシップ支援を しませんか? 農園の中や表の村道にすんでいる人々は、 ミンダナオ島外からの移民系が多く、 バナナ農園のメンテナンスなどの 日雇い仕事で、 多少の収入はあるのだが、 たとえ日雇い仕事であっても、 高校中退か卒業の学歴と 住民票の提出を求められるので、 土地を追われ、 移住を余儀なくされ、 隠れた谷や裏山に追いやられた 先住民たちは、 小学校卒業の学歴もなく、 住民登録もしていないので、 非正規雇用にもやとってもらえず、 極端に貧しい。 下の腐ったような山は、 捨てられたバナナを ひろってきてきざんだもので、 豚のエサだ! これを売って、 なんとか彼らは、 食いつないでいる! 「お腹がすいたら、 捨てられたバナナをひろってきて、 たくさん食べたらいいのに!」 というと、 「そんなの、ぜったい食べちゃだめだよ!」 「食べたら死ぬよ!」 「ぼくのおじさんも、死んだよ。」 「それなら、 これを食べた豚は死なないの?」 「こうやって外に置いたまま、雨で洗って、 何日も太陽で干せば、だいじょうぶ!」 「でもね、豚もときどき死ぬんだよ!」 「豚は、死んだら売ればいい!」 過剰な農薬、化学肥料で、 プランテーションでは、下草も生えない。 空中散布を受けて、 無くなった子たちもいる。 でも、現地で売っていて 食べるバナナは、 自家栽培のバナナだけ! トゥンダン、ビナガイ、 赤いバナナや 1メートルもあるティンドクや、 小さくてかわいい でも、とっても甘い セニオリータなどなど、 たくさんあって、 とってもおいしい! 「プランテーションで働いたら?」 ときくと、 出生届も学歴もないので、 たとえ日雇いでも、 雇われることはないのだそうだ。
立正佼成会の訪問を きっかけに知り合った 子どもたち! ここから奨学生を 採用することに決定 先祖伝来の土地として 守られているはずなのに、 「祈りの山国際リゾート建設のために、 金をやるからここから出ていけ!」 「いやだ!出ていかない!」 そう答えたとたん、その場で、 酋長である父親と母親を殺された! 娘たちを二人、奨学生に採用した。 娘の一人は、 撃たれた母親を助けようと 駆け寄ったとたん、 足先を撃たれた。 ミンダナオ子ども図書館の スカラシップの特徴は、 極貧のなかでも特に、 親の居ない子、 片親の子、 厳しい環境の子たちが優先されるが、 学習意欲も大事なポイント。 スタッフたちが家を探し、 次々に質問をしていく。 最近は、スタッフたちも 写真技術が向上し、 カメラを使うようになったので、 時々私も写っている。 前は、全部、 今でもほとんど、 息子の陽とぼくが撮影を 引き受けていたのだけれど。 立正佼成会の皆さん、 覚えていますか。 皆さんが帰られた後、 子どもを病院へ! 今は、 すっかり治りました! va5 マノボ族の村に 保育所建設の調査 頭島さんの たっての願いで、 マノボの村々を訪れた。 保育所調査で訪れたのだが、 このような調査の時にこそ、 現地の現状が飛びこんでくる。 会う人々に、 質問をしながら、 最も貧しく、 最も大変な集落に 案内してもらいつつ、 調査が 進められていく。 そのあまりにも 貧しい状況に、 唖然とされた頭島さん! 「ミンダナオ子ども図書館の 活動の原点を見た気がした・・・」 と、おっしゃった。 貧しい集落の中でも、 比較的ましな首領の家。 この集落で唯一、 6年生を卒業する子がいた。 この子を、 コンタクトパーソンとして、 スカラシップに採用しようか? ぼろぼろで貧しく、 家の様子すらなしていない、 極貧の家庭が多い集落! 先ほどの首領が、 面倒を見ているが、 首領自体も、しばしば、 三食たべられない日があるという。 そんな家を、 二軒紹介してもらい訪ねた。 小学校2年生で 止まった子がいる。 2年生になると、 午後の授業があって、 お弁当を持って行けないからだ。 今年は、 日本の経済事情も厳しく、 なかなか支援者が見つからない。 それでも、私の弱みで、 いったん見てしまうと、 どうにもならない! せめてこの集落から、 小学校を卒業する子と 二人の小学生の スカラシップ候補をとりたいと想った。 実現するだろうか・・・! va6 ここに保育所を 建てることになった ここは、 上記の集落から 下に数キロ下った集落。 子どもたちは、 たくさんいるのだが、 保育所が、 下のような代物で、 しかも、 山麓に住んでいる地主が、 撤去を依頼している、 とわかった。 保育所の先生に質問して、 調査をしているのは、 マノボ族で スタッフのマリベール。 私たちは、 ここに保育所を 建設することにした。 そうすれば、 この周辺の多くの村々から、 子どもたちが来れるし、 集落が助かる。 va7 保育所建設調査に 別の山頂の マノボの村を訪れた キダパワンの隣、 マグペット市のDSWD(福祉局)から、 保育所建設の依頼があり、 福祉局の職員と、 保育所担当のスタッフのジケロくん、 スカラシップ担当のスタッフ マリベールと共に現地を訪れた。 道には、橋がなく、 車で川を渡る。 増水していないので良かった。 マグペット市地域では、 ボアイボアイと ウオーターフォール集落に 保育所を建設しているが、 その両者に挟まれて、 多くのマノボ族の集落が 山岳地域に点在している。 現地は、 粘土質の赤土の道で、 雨が降れば、 スリップして帰れなくなる。 バイクの車輪跡があるだけで、 車の轍はまったくない。 そんなところを 四輪駆動車で二時間ほど、 山を登っただろうか。 山頂から伸びる 尾根状の場所に、 突然集落があった。 こんなところに! と思われる場所に、 小学校がある! 教室数は足りないが、 それでもしっかりした学校だ! そこからの眺めは絶景で。 ミンダナオの 広大な平地が見渡せた。 va8 アポ山の山麓に、 ぽっかり抜けたような マノボの集落 低地を追われた彼等が、 貧しくともせめて、 平和に住める土地を探して、 ここまで登ってきたのだ。 彼等の生活の基盤は、 ホウキ草でホウキを作って、 下の村にまで売りにゆくこと。 そして、 ほぼ野生のようなコーヒー豆を、 干して売ること。 途中でバナナが、 植わっている農場があるが、 プランテーションのような 大規模なものではない。 それらの土地は、 ほぼ、 下界に住んでいる お金のある有力者のものだ。 そうした畑の草刈りや、 収穫の手伝いをして日銭を稼いで、 何とか食べていくのが 原住民たちの置かれた状況! ここには、 移民系の人々の家も若干あり、 そうした関係からか、 電気が引かれていた。 先住民だけなら、 電気が引かれることはないだろう。 こうした移民系の人々の家は、 このような高地でも、思ったより良い。 バナナ農場の管理などを、 金持ちから任せられているからだ。 それらの家の少し下に、 貧しい先住民マノボ族たちの 家がつらなっていた。 彼らの住んでいるところまでは 電線もなく、 たとえ引かれても、 電気代など払えない! 家も竹とヤシの葉で葺いた 家とも言えない 掘っ立て小屋だ! va9 マノボの子たちは、 本当に働き者だ! 小さい子でも、 水をくんだり、 薪を運んだり。 ホウキ草の ホコリのような種子を、 地面に叩きつけてとったりして、 家のお手伝いをしている。 一家族に、 7人から12人ほどの 子どもたちがいる。 避妊をしなければならないだって!? コンドーム買うお金 どこにあるの?! フィリピンに来て、 自然に生まれてくるものは、 生まれてきたらいい、 と思うようになった。 貧しくても良い、 みんなで助け合って 生きていく事が大切だと・・・。 少子化政策が成功した 日本のような、 寂しい国にならないためにも。 va10 かつて MCLボードメンバー 亡きインカルさんの 親戚の子に会った! どん詰まりのように見える、この村。 実は、このさらに奥に、 七つほどの集落を抱えている。 全て、マノボの集落だ。 そこから、 大きな荷物を頭に載せて 来る人々に出会った。 その中の一人は、少年だ。 汗びっしょり、 しかし、目元の涼しい 利発そうな子。 「いくつなの?」 「12歳。」 「学校は?」 「小学校二年生。」 一緒にいた叔父さんが笑っていった。 「MCL、知っているよ。 うちの兎唇の子を治してもらったしね!」 少年に「君の名前は?」ときくと、 「インカル!」と答えた。 「エッ!」と驚くとおじさんが言った。 「スーザン・インカルさんの親戚だよ!」 ぼくは、空いた口がふさがらない。 亡きスーザン・インカルさんは、 ミンダナオ子ども図書館に 土地を譲って下さった方で、 お隣さんであり、 初代のボードメンバーだった。 おじいさんは、 なんとキダパワン市の 初代の市長で マノボ族の酋長! ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちも たくさん通っている、 南ミンダナオ州立大学の土地も、 寄贈されている。 インカル市長の頃は、 ミンダナオ子ども図書館のある、 キダパワン市は、 マノボ族しか住んでいなかった。 その後、経済が発達するにしたがって、 移民の人々が入ってきて、 所有者のない土地として、 安く売られた。 その結果、 先住民族として住んでいた マノボ族たちは、 次々に山に追いやられた。 スーザン・インカルさんが、 ミンダナオ子ども図書館に 売ってくださった土地は、 インカル一族の最後の土地だったのだ。 ミンダナオ子ども図書館の中に 大きな岩があるが、 実はそれは、 先祖の集まる神聖な岩なのだそうだ。 今でも横を通る人は、 「ちょっと通させてくださいね!」 と精霊たちに声をかけて通る。 そここそが、祈りの場であったという! インカルさんは、貧しい人を救って、 ともに生きていこうとする MCLの活動を、 心から理解し愛して下さり、 理事も引き受けてくださった。 この少年は、山に追われた インカル一族の 末裔のひとりだったのだ! 山頂に近い自分の集落から、 学校に通うには 遠すぎるので、 この小さな村に、 仲間と共に 崩れかけたような下宿小屋を持ちながら、 小学校に通っているのだという。 亡きスーザン・インカルさんの 声が聞こえるような気がした。 「この子を奨学生にしてあげてください! 将来、立派なマノボの指導者になるために」 va11 二週間滞在された 頭島さん(ロロヨシ) のお別れ会 山元しんぷさんと 一緒に来られた頭島さん、 子どもたちから、 ロロヨシと呼ばれて親しまれた。 ロロとは、おじいちゃんの事だ。 忙しい神父さん一行が、 三日で帰られた後、 意を決して、一人残られた。 言葉がさほど出来るわけでもなく、 海外で一人になったのは 初めてとのこと。 最初は、 不安そうだったのだが、 数日もたつと、 すっかり溶け込んでしまった。 私は、いつも、 「せめて二週間はいないと、 本当のMCLは、わかりませんよ」 と言ってきた。 二週間というのは、 日本では 大変な長い日にちなのだが、 頭島さんがおっしゃるように、 こちらでは、あっという間。 ここでは、時の流れが違うのだ。 時の流れの違いに気がつき、 こちらの時に身を移したとき、 初めて、 本当のミンダナオが見えてくる。 お別れ会。 これで、二度目。 今回は無くても良いから・・・ と言っていたのだが。 子どもたちが、 どうしてもやりたがった。 そして、 唱っているときの声が、 いつもと全く違うのに、 おそらく気がつかれたことだろう。 「短期間の滞在では、 現地の様子、 MCLの活動がいかに大変か、 子どもたちの本当の姿も、 わからないですね。」 「日本にいる人には、 想像もつかないでしょうね。 一枚のお礼の葉書や手紙を子どもたちに 書いてもらうだけでも スタッフたちがどんなに努力しているか!」 「帰ったら、 私から話しましょう。」
お茶の水女子大学の3人と 一橋大学の女子学生が 山上の マノボ集落を訪問 お茶の水大学で、 心理学を学んでいる3名と、 一橋大学で 経済を学んでいる一人。 日本の若者たち 4人の女性が、 ミンダナオ子ども図書館を訪れた。 きっかけは、 お茶の水大学で 講演したこと。 学校と本で学んだことが、 初めて、 現地の子どもたちに出会い、 人々との交流で 息を吹き返していく。 学校で見た若者たちが、 時がたつたびに、 ここで息を吹き返したように のびのびとしていく姿を見るのは、 楽しい。 もともと キダパワンの市に近い、 山麓に住んでいたマノボ族が、 プランテーションや 移民の土地所有に追われて、 こんなにも高い、 尾根上に集落を作って、 住み着くことになった。 MCLに土地を譲って下さった、 名門のマノボ族亡き スーザン・インカルさん。 お父さんは、 初代のキダパワン市長だったが、 土地を譲り、 売り渡していった。 その親戚たちも、 今は、低地の土地から追われ、 この村のさらに奥の集落に移っている。 自分たちの所有地は、ほとんど無く、 ホウキ草で箒(ほうき)を作っては、 町に売りに行くのが、 唯一の収入源だ。 大事なのは、 地元の人々の生活の状況を しっかりと見て受け止て、 相手の気持ちを感じ取り、 生活の状況を理解して、 微力ながらも、 何が出来るか考えることだ! va19 スカラシップが、 決まったとたんに 泣き出した! この地から、 高校生の奨学生を一人選んだ! 成績も良いし、 今後もこの村とつながりを 作って行くための、 コンタクトパーソンとしての 役割を果たしてくれるだろう! 家は非常に貧しいが、 自ら野菜を売りながら 高校まで進学したけれど、 それ以上は無理で、 学校を断念しなければならなかった子だ。 でも、ミンダナオ子ども図書館との 出会いがあって、 大学まで行けるという 信じられないことが現実になった! ほとんどの子たちが、 学校に行きたくても行けない。 学校に行きたい理由は?と聞くと、 ほとんどの子たちがこう答える。 「わたしが、がんばって卒業して 少しでも良い仕事について、 家族を助けたい!」 村に着くと、 読み語りの場所を決め、 子ども達が座るための ビニールシートを引いた。 読み語りをするために、 村を回って 子どもたちを集めた。 こんな小さな村に こんなにたくさんの 子どもたちがいるなんて! 若者たちは、ビックリ! 村を回って、 子どもたちを集める時に、 村の人々と話をし、 その地の 生の声を聞きながら 現状を把握していく。 va20 大きな 木のイメージが、 浮かんだ! いよいよ 読み語りが始まった! 読み語りが MCLの基幹の活動だ! 読み語りは、 ミンダナオ子ども図書館(MCL)の 根幹をなす活動だ。 MCLを創設し始めた頃、 ぼくの心には、 大きな木のイメージが浮かんだ! 根っこから、 太い幹をへて、 天空に向かって、 何本かの大枝が張り出し、 そこからさらに、 無数の小枝が広がって、 その先に、 たくさんの葉が茂っている! これが、 ミンダナオ子ども図書館の 平和構築の全体像だが、 根っこから出てくる、 太い根幹が、 読み語りの活動だ! 読み語りの活動を基幹として、 そこから、 いくつかの大枝がわかれていく。 それらの大枝が、 戦争避難民救済支援であり、 戦争で親を殺されたり、 貧困で家庭が 崩壊した子どもたちの、 小学校から大学までの スカラシップ(奨学制度)支援であり、 薬も買えずに、 死んでいく子どもたちの 投薬から手術までの 医療活動支援! さらに、 保育所も建てられず、 大木の下で勉強している村への 保育所や学校建設支援であり、 ジャングルの伐採によって起こされる 洪水対策に、 山岳民族の収入も考慮した、 コーヒーやカカオやゴムの植林支援だ! va21 MCLの活動に 日本の若者たちが 同行することで 現地の子どもたちの、 貧しくても いきいきとした様子に感動し、 困難な現状に心を打たれ。 ときには、村で数日過ごし、 帰るときには、 再会を約して 涙をためて、若者たちは帰って行く。 そんな、日本の 青少年の様子を見るにつけ、 さらに、 孤独や自殺や引きこもりの多い、 今の日本の子どもや若者たちが、 置かれている状況を聞くにしたがって、 十数年間にわたって、 ミンダナオの子どもたちのことのみ 考えてきたものの、 日本の子どもたちの事も放っておけず、 日本の子たちも視野にいれて、 訪問してきた青少年が、 ミンダナオ子ども図書館に 滞在しながら、 現地の子どもたちから 生きる勇気と希望をもらう 体験をさせてあげて、 彼らが日本に帰ったら、 物が豊かでも、心の豊かさが欠けていて、 それが、日々の生活を寂しく、 時には苦しくしている現状に気づいて、 ミンダナオ体験を生かして、 これからの日本を、 どのようにしていったら良いのかを考えて、 行動し始めて欲しい、 と思うようになった。 中高年の訪問者が必ず言う、 「かつて日本にあったものが、 ここにはそのまま生きている!」 と言う言葉を、 若い世代もミンダナオで見て感じ取り、 それをどのように、 日本で復活させていったら良いのかを、 考えて欲しいと、思うようになった。 青少年こそ未来だから! ミンダナオで貧しい集落を訪れて、 MCLの奨学生たちと 読み語りの体験をすると、 何か物資を支援する以上に、 子どもたちとの心の距離が、 いっきに縮まる! 読み語りの支援は、 お金や物資の支援とは 価値観が異なる、 愛と友情の心の支援だから! それだけに、 現地の子どもや、 日本から来た若者たちにも、 ひと味ちがった感動が残る!
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va22 活動の根幹は、 愛と友情が 何よりも大事! 読み語りが、 MCLの根幹だと、 ぼくが、あくまでも言い張る理由は、 MCLの活動の根幹は、 愛と友情が何よりも大事、 という気持ちが強いからだ。 NGOの専門家に、そんな話をすると、 笑われた。 「そんなの本当の支援じゃないよ! 開発援助にならないよ!」 また、村の長老に話すと、 がっかりした顔をしてよく言われる。 「読み語りって、楽しむだけ? 支援物資は、何にもくれないの?」 でも、読み語りをすることで、 落ちこんでいた子どもたちが 元気になり! 親も喜び!村中が明るくなる! すると皆、 帰りがけには、言ってくれる。 「こんど、いつきてくれますか?」 「また、ぜったいに来てね!」 NGO支援とは、 ほとんどが数回きりで、 おさらばだと 現地では思われているけれど、 MCLは、一回出会った村とは、 その後もヒナイヒナイ バスタ カヌナイ ゆっくりゆっくり でも たえることなく 関係を作っていく。 まずは、根幹の読み語りから始めて、 状況をしっかり把握してから、 スカラシップや医療その他の 大枝の支援活動に移っていく。 読み語りが終わって 村人たちと、親しくなった後に、 日本から送られた、 古着や古靴を支援した! 下の子たちは、 日本から送られた 古着を着ている! もちろん、 その後も何度も読み語りに訪れて、 寒村だった村の人々が、 明るくなっていくのをみると、 わたしたちの心も明るくなる。 そのような関係を持っている村が、 100村はくだらないだろう。 卒業した子も含めると 奨学生だけでも1000人をくだらない。 そのようなわけで、 電気もない山奥の 初めて訪れる僻村にも、 MCLのことは、 口コミで伝わっていて、 私たちが行くと大喜びで、 「ミンダナオ子ども図書館が、 私たちの村にも来てくれたー!」 といって、 家からかけだしてきて 迎えてくれる。 そのような感動的な体験を、 日本の若者たちにも伝えたいと、 つよく思うようになった。 「でも、ぼくは、 外国語ができないからなあ」 という若者もいるけれど、 来てごらん! ぼくも、世界中を旅したけれど 驚くべき事には、ミンダナオでは、 たとえ言葉が通じなくても、 心が通じて、 少しも寂しくならないどころか、 子どもたちの表情から、 多くを学ぶことが出来るよ! va23 日本の若者たちが、 高地のマノボ族の村 キアタウに泊まった キアタウの子どもたちから、 日本の若者たちが、 何を学んでいくのだろうか! 今回は、 4人の大学生の若者たち。 泊まるときには、 なるべく一人づつ別の家に泊まる。 家は、なるべく素朴で、 収入の少ない家を、 選ぶことにしている。 一泊1000ペソ 日本円では、2000円前後だけれど、 この地域の人々は、 ほとんど現金収入が無いから、 下の村に草刈りや、 洗濯をしに行ったときの 2ヶ月分いじょうの収入になる! 泊まるときには、 かならず スタッフがいっしょに泊まる。 現地では、 寝るときは布一枚だけれど、 ミンダナオ子ども図書館にある 寝袋をもたせてあげる。 標高は800メートル近いから 夜明け前は、 結構寒い! 雨も多いし、 長袖のレインジャケットと フリースのジャケットを持参! 飲み水は、スタッフが、 ミネラルウオーターを買っていく。 現地にあるのは、 川からくんでくる水だけだから。 ぼくは、飲むけれど・・・。 va24 翌日は、馬に乗り 保育所の 開所式に出発! 民泊をした若者たちは翌日は、 馬に乗り、 保育所の開所式に出発! 今回、 北野財団の島村様がいらっしゃって、 寄贈してくださった 3棟の保育所のうち、 先住民地域の 2棟の開所式が行われた! 北野財団の寄贈して下さった カンポゴンの保育所! そこまでは、 車で行ける道は無く、 山道を、馬で行くしかない。 ミンダナオの山では、 馬は、最高の乗りものだ! わたしたちも、 読み語りに行くときなどは、 四輪駆動の車でも入れない場所は、 絵本をつめた箱を、 馬の背に乗せていく。 保育所建設など、 セメントなどの 重い資材を運ぶときは、 馬も良いけど水牛がすごい! va25 馬でも歩けない 場所は徒歩で下る 踏みあとしか、 残っていない急な下りは、 雨が降ると、 つるつるすべってたいへんだ! 谷底まで降りると、 大木で作られた橋を越えて、 沢をわたって、 ふたたび 尾根を登っていく! 深いジャングルの中には、 猿もたくさんいて、 木の上から、 なきながら 見おろしているけれど、 ニシキヘビやコブラや ブルースネークがいるという! ぼくは、 ニシキヘビは食べたことがあるし、 コブラは見たけれど、 木の上から飛んで襲ってくると言う、 恐ろしいブルースネークには、 まだ会ったことが無い! この村の小学生、高校生は、 この道を、毎日通って、 学校にいっているのだ! va26 カンポゴンの 村に着いた! 建設中の保育所を目指して 最後の登り! 資材を運び上げる困難から、 開所式には、 完成が間に合わなかったが、 一生忘れならない、 想い出になった。 村人たちは、 保育所ができて大喜び! 村長であり、 先住民の酋長も来られていた。 外国人が、 ほとんどまったく、 入った事の無い地域だ! マノボ族の村人たちは、 民族衣装で迎えてくれた。 まだ、 セメントの床と下壁が、 完成していないけれど、 ミンダナオ子ども図書館の 奨学生たちと、 日本の若者たちが、 良い経験をして友だちになった! みんなで 昼食を食べた! 床だけ、 まだ完成していない。 セメントを運びあげるのに、 時間がかかっているからだ! めったに食べられない お米のご飯と、 ビーフンと鶏肉のおかずに、 大喜びの子どもたち! 開所式が終わり ようやくラナコランの 下宿小屋まで帰ってきた! この下宿小屋ができて、 あの山奥の子たちがここに住み、 小さな子でも安全に 学校にいけるようになった! va27 祝日、 ウオーターフォールに 遊びに行った ウオーターフォール村の 状況は良くない。 男性も、小学生の高学年の男の子たちも、 時には、家族総出で、 サトウキビ刈りに駆り出され、 村には、 小さな子どもと 女しか残っていない。 みんなで滝で遊んだ! つかの間の休日。 家族で時を過ごす感じで、 ときどきみんなで、 この滝に泳ぎにいったり、 おかずになる山芋掘りや 山菜採りにいったり、 ときには、ヤシの実とりや、 文化祭には、ニシキヘビをとりに行って、 生きたヘビのお腹を開いて、 蒲焼きにして焼いて食べた! 子どもたちにとっては、 小さい頃からの日常だけれど、 みんなで遊んだりして楽しむのも、 MCLファミリーの家族としての 大事なときだと思う。 この日は、日本から来た訪問者や 若者たちもいっしょ! 子どもたちが、平気で滝に 飛び込んでいくのを見て、ビックリ! しかも、 おおはしゃぎで、 その楽しそうなことと言ったら! このような時を経て 友情と愛が、 さらに、深まっていくのを 感じているようだ! リスター君の お兄さんも参加。 すっかりMCLが、 気に入った様子だ。 va28 村の子どもたちも 一緒に お昼を食べて遊んだ! この村出身の 奨学生も多い。 村では、 3食たべられない 家族も多い! 肉や魚どころか、 米のご飯も食べられない! それが、 わかっているので、 村の子たちも皆呼んで、 一緒に食べ、 一緒に遊んだ。
読み語りをした! va36 MCLの日常から かつて奨学生、 今は、スタッフのベビン! 同じ奨学生のレイナルドと結婚。 女の子の赤ちゃんが、生まれました! 朝は、4時半に起きて、 子どもたちが、 自分たちで、 食事の準備をはじめる。 車いすの彼女も奨学生。 毎日、他の子たちが協力して、 彼女を学校に連れていく。MCLには、 車いす用のスロープもできています! (その後、高校を卒業して結婚し 赤ちゃんが生まれました!) 庭の草刈りも、 みんなで協力して楽しくやるよ! バナナの木も切りたおして、 ちゃんと乾かして、 ご飯を炊く材料にするの。 草を刈った後、 ここを畑にして、 野菜を植えておかずにするの! 畑仕事だって、 みんなでやれば、 とっても楽しい! ニワトリは、地鶏の放し飼い! 卵をうんで、 増えたらいいな! お料理は、 80人ぶんのおかずを作るのよ! みんなで作るのが、 とっても楽しい。 ガスでなんか、 炊いてられない! たきぎが一番! ゴムの廃材を薪にするの! va37 早朝に起きて 籾米を干す 自分たちが食べる米をは、 自分たちで干す! まだ朝焼けの残る時、 みんなで庭に出て、 籾米を広げる。 再来週には、 みんなで田んぼの刈り入れに行く予定! 野菜や米を育てること、 ヤギやニワトリを飼うことも、 わたしたちが、自分たちでやるの! 米を収穫したら、ご飯を炊いて! 香料となる、 果実を取り入れて、 ニワトリをさばき、 卵を集めて料理して、 魚も外で、 子どもたちが焼く! 時には、 ヤギも解体する。 va38 朝の4時に起きて 朝食の用意。 昼食、夕食も、 自分たちで料理する! 洗濯も掃除も、楽しくこなす! 洗濯機があってもつかわないよ! だって、ボタンを押すだけで 洗濯できるなんてつまらないよ! おしゃべりしながら、 みんなで、 楽しく洗濯するほうが、 ずっとずっと楽しいよ! 生活の基本が、 しっかりと身についている 子どもたちを 見ていてとても すがすがしい。 こちらは夕暮れ時の 籾米の収納 va39 誕生日のお祝いに 早朝みんなで歌う ハラナ ハラナというのは、 窓辺や部屋の前で、 夜明け前の4時頃に起きて、 愛の歌を奏でる習慣! ミンダナオ子ども図書館では、 誕生日の子がいると、 必ずハラナをする! ギターのメロディーと、 子どもたちの歌声が、 夜の闇の中で聞こえてくると、 私も、眠い目をこすりながら必ず参加する。 誕生日は、 子どもたちにとっては、 特別の日! 特に、親のいない子にとって、 寂しくないように、 ケアしてあげる大事なときだ。 希望者が、祝福の言葉を述べる。 激励や未来への希望の祈り、 そして、愛情のこもった言葉を、 心をこめてプレゼントする。 物のプレゼントは 無いのだけれど、 心のこもった歌と言葉が、 寂しい子どもの心を癒す。 最後に言葉をかけるのは、 私の役だ。 父親がいない、 母親がいない、 両親がいない。 家族が遠くに住んでいて、会えない・・・ 何で自分は、ここにいるの? なぜこの世に生まれてきたの? 時には、自分が見放され、 捨てられたように感じる子どもたち。 この世に誕生したことを、 時には、素直に喜べない。 捨てられた小石? でも、こうやって、 お互いに兄弟姉妹のように 愛し合うと、 私たちは、一つの家族! それを確かめ、 支え合うとき、 それが愛のこもったハラナとなる。 捨てられた小石ほど、 可愛らしく美しい。 こんな美しいものを、 神様は愛をこめて 造ったと思うと、 いつも感動する! va40 多湖ファミリー 親戚たちによる もう一つの保育所が マノボ集落 ムヤスに完成 ムヤスは、 アラカンの山岳地帯にある、 非常に貧しい集落だ。 ほとんど、 全てがマノボ族! ムヤス集落の 新しい村長さん! ムヤスは、 山上の非常に貧しい村! 最初にこの村に、 保育所を作る決定をしたとき、 前集落長が、語った。 「このような、 見捨てられた村に、 目をかけて下さって、 感謝の言葉もありません!」 その言葉が、 忘れられない! 開所式の読み語り 今日は、 これでも特別な日なので、 みんな、最高の服を着て集まってきた。 もちろん古着だ! ほとんどの子たちが、 以前に、 ミンダナオ子ども図書館で渡した、 皆さんから送られてきた、 古着を着ている!。 夢中で、 お話を聞く子どもたち! va41 米も食べられない貧しい村で 開所式のご飯を! ここの子どもたちは、 ほとんど、米は食べられない! お米なんか、 買えないから! あまりの貧しい状況に、 スタッフたちのために持ってきた、 弁当のおかずも、 子どもたちを優先して、 すべて、あたえてしまった! 最後には、 おかずもなくなり、 ご飯だけが残ったが、 それでも夢中になって、 残りご飯をほおばる、 子どもたち!
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金額を選択し寄付をするをクリック! 通信欄やメールで宮木梓 |
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毎回振込後に、宮木梓からお礼のメールとが届きます! 奨学金は物価高騰もあり、2021年より以下に変更いたしました。 一年間、小学校42000円、中高60000円、大学72000円 卒業後も支援額を変更して継続、別の子を紹介希望、終了希望は、 通信欄かメールで宮木梓宛に、寄付の内容や要望をお書きいただければ、 宮木梓が、対応いたします。 メールが難しい方は、日本事務局に携帯かお電話で対応いたします。 |
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郵便局、銀行またはコンビニ、ATM、ネット振込は以下です! 基本は、自由寄付です。振り込まれた方には、隔月に機関誌をお送りします。 |
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