ミンダナオ子ども図書館のミッション 理事、役員、スタッフ 活動の概要を紹介



Mindanao Children's Library Foundation, Inc.
MISSION STATEMENT
ミンダナオ子ども図書館のミッション


 
愛を必要としている不幸な子どもたちに仕え、
互いに愛し合うこと。
悲しみの中にある子たちに喜びを、
傷ついた心に癒やしをあたえ、
互いの文化を分かちあい、
一つの家族として生きること、
そして夢をかなえて平和な世界を作ること。






ミンダナオ子ども図書館は、
北コタバト州の認定NGOから
フィリピン政府の直轄のNGOとなりました。
理由は、ダバオ地域の海辺の下宿小屋やイスラム自治区など、
活動範囲が広範囲にひろがっているのと、
フィリピン政府からも評価されてたからです。
先日も、マニラから福祉局の役員が調査視察に来られて、
MCLを見て感動して帰られました。

ダバオでNGOの会合が開かれると、
妻のエープリルリンが講演を頼まれたりしています。
また、大学生などもOJT(郊外学習体験授業)として、
研修生を派遣して来て、
半年ぐらい実習をする場所になってきています。






ミンダナオ子ども図書館の理事
ダニー・イサカ氏 マリセリノ・ガボン牧師 メリー・グレイスさん サムソディン氏 エラ・セスパニヨーラさん
プレシデント バイス・プレシデント セクレタリー 経理 メンバー
エンジニア(設計技師)で、
庁舎などのビルも建ている
MCLの全ての建物も
政府の基準を満たして
災害時や構造の
基準などを満たして
氏の設計で
建てられています
カトリック教会のカーバック
も勤めている。
マノボ族で教会の牧師
アライアンス派
マノボ族の儀式にも
通じていて
首長を勤めている。

奥様が日系人。
山岳地域の先住民の
人々とも深く繋がり
広く知られている。
イスラム地域のピキット市
福祉局所長補佐
カトリック教会のソーシャル
ワーカーも勤める。
イスラム婦人たちと活動し
戦争が起こると
爆弾の落ちる中を
子どもたちを救済。
多くのNGOや政府からも
高く評価されている。
イスラム地域の
ピキット市の社会福祉局
グレイスさんと協働している
イスラム教徒。
イスラム自治区にも通じて
コマンダーとも親しい
パックンが訪れたときには、
いっしょに北コタバト州の
MILFの最高司令官の
お宅にも行きました。 
 マノボ族で、フィリピンの
先住民族協会の代表
ワシントンにも招待され
日本とも関係が深く、
那須のアジア学院に留学
有機農法に詳しく、
ご主人は、
その時に知り合った
アルゼンチンの方。



現地法人と日本法人(MCLジャパン)をつなぐ役割を持つ
ディレクター 
松居友
マノボ族の酋長名は
アオコイ・マオガゴン
エープリルリン・松居 宮木梓さん
エクゼクティブ・ディレクター  ディレクター  ディレクター
MCLの創設者になっていますが
法人を取ったのも
現地での読み語り
医療、スカラシップ、
戦争避難民救済、保育所建設
すべて現地の若者たちが
行ってきました。
ディレクターの役割は、
日本とフィリピンをつなぎ
支援者を見つけることです。 
松居友の妻で、
実質的に現地法人の代表。
2003年創設時期の
法人登録も、当時16歳の
彼女が中心になり
数人の若者たちが立ち上げた。
(拙著『手をつなごうよ』(彩流社)
に当時の様子を書きました。)
マンダヤ族の血を引く。
子どもの頃に、母親が失踪
その経験を、機関誌に連載。
フィリピンが好きで
アジア学院を出た後に
ネグロスのシスターの
農場で8年間
有機農法をする。
その後、MCLをたずね
すっかり気に入って
「ここしかない!」と
スタッフになる。
日本の支援者、訪問者への
対応をしっかりとやってくれている 
 



本部で活動している現地スタッフ

現地運営役員 
       
ノエミ・バセテ(通称ベビン)   バイヤン・サバス ピティーボウイ・ラナイ  ニトニト・ギアマルディン 
 アドミンオフィサー  秘書  会計  経理
父親が殺害され
シスターの所に住みながら
学校に行っていた
大学までは無理なので
MCLの奨学生に。
妻と創設に携わった。
しっかり者で信頼も厚く、
代表の妻をサポートして
副代表を務めている。
イスラム地域のピキットで
苦労して育ちMCLの奨学生に。
正直で性格も良く、
行政に提出する
書類などを作成
やはりMCLの奨学生で
貧困地域で親を亡くして育った
クリスチャンの女性と結婚
子どもも出来、
MCLに住んでいる。
マノボ族で山の中の貧困集落で
殺害されたファウスト神父の
奨学生として
集落で初めて
小学校を卒業。
高校を出た後、
MCLの奨学生となり、
大学を卒業。
しかりと会計を
してくれています。
ご主人がイスラム教徒で
MCLの奨学生で大学卒。
本人は、クリスチャン。
MCLの入り口の前に建つ
家で育ち、スタッフに。
子どもも生まれ
教師のご主人と幸せに
暮らしています。


MCLの活動は、
福祉局の規定による、
孤児施設のようにな
レジデンスベース(施設内活動)と、
読み語り、医療、保育所建設、
植林、避難民救済など、
各地域を広範に巡る
コミュニティーベース(地域活動)にわかれ、
それぞれのトップに
ソーシャルワーカー(社会福祉士)が
ついています。



本部施設(レジデエンタルベース)の
運営責任者 
アーリン・ジラドさん
 ソーシャルワーカー(社会福祉士)
 ダバオ市のNGOでの体験も長く、その後MCLに来られて
「MCLが最高!」といって過去の経験を生かして
勤めて下さっています。 

 ハウスペアレント他
       
 ペルラ・ラフォール
通称アカイさん
 ジョイ・ジョオラン君 エレンジョイ・ムロドさん   タベタ・ジョオランさん
 ハウスペアレント ハウスペアレント ハウスペアレント ハウスペアレント
ご主人が牧師さんでしたが
訳あって殺害され、
苦労されているので
娘さん、息子さんを
奨学生に採用。
今は、大学を卒業して
娘さんは教師に、
息子さんは、ダバオのトヨタに。
高校生以上の
高学年の子たち担当です。
イロンゴ族の移民系。 
長くトライシクル
(三輪乗り合いバイク)
の運転手でしたが、
MCLの奨学生で大学卒
スタッフになっている
マノボ族のタベタさんと
結婚して、2児の父親。
今は男の子たちの
ハウスペアレントとして
子どもの面倒を見ている。
クリスチャン。
MCLを始める前に滞在した
孤児施設(ハウスオブジョイ)で
まだ小学生の頃に会う。
(当時のことは、
拙著『サンパギータの白い花』
(女子パウロ会)に書きました。)
その後、マニラで妊娠し
未婚の母で苦労しているので採用
今は、イスラムのご主人と
結婚して子どもも2人います。
卒業生で奨学生
貧しい山の先住民マノボ族。
大学を卒業して
MCLのスタッフに。
今は、やはりハウスペアレントの
ジョイ君と結婚して
2人の子の母親。
MCLに家族で住んでいます。
     
ジェニーボーイ・レベリエザ 
調理担当  家屋修理担当
上のエレンジョイさんの弟。
両親が殺され
孤児施設(パウスオブジョイ)で育ち
小学校で中退。
苦労していたのと、
ケンカで骨折した話を聞いて
病院で治療してあげ、
その後スタッフとして採用。
現在は結婚して
妻子とMCLに住んでいます。


多くの集落に住んで学校に通っている、
400名あまりの奨学生の管理。
また、MCLは積極外向型で
広範囲の地域の貧困集落を巡って、
読み語り、スカラシップ、医療、
保育所建設、農業植林の活動を行っています。
そうしたコミュニティーベースと呼ばれる
外部活動のスタッフたちです。



外部活動(コミュニティーベース)の
活動担当者 
 
アイリーン・ディゾンさん 
ソーシャルワーカー(社会福祉士) 
妻エープリルリンの妹で
子どもの時に母がいなくなり、家庭崩壊を経験。
MCLのおかげで、大学を卒業して
、ソーシャルワーカーになり活動。

マンダヤ族。 

外部活動スタッフ
     
ローズマリー・バコスさん   イズラハイダ・バンスナンさん ベンジー・アゴマイ君  レイナルド・パセテ君  
 スカラシップセクション  スカラシップセクション  スカラシップセクション 農業植林担当 
外部に住んでいるMCL奨学生
500名あまりの状況や
背景を把握して、
授業料や学費、
学用品などから支援者からの
贈り物などを届ける
スカラシップセクションの
リーダー。
MCLの卒業生。
マノボ族。
イスラム自治区出身の
イスラム教徒。
MCLで目の義眼手術を
した卒業生。
お父さんが、
イスラム教徒の司祭で
しっかりした女性。
外部の奨学生たちの状況、
特にイスラム教徒たちの
状況をしっかり把握。
生まれつき筋ジストロフィー症で
手足が悪く、お兄ちゃん、
妹も同様の病気でしたが
車いすで卒業。
彼も、杖が無くては
歩けないのですが、
積極的に動こうとします。
コンピューターが専門で、
Facebookも彼が作っていますが
奨学生の管理も行っています。
マノボ族。
副代表をしている
ベビンさんのご主人。
しっかり者で信頼も厚く、
妻の仕事を精神的にも
サポートしながら、
MCLが自給している
200人分の米の
水田管理と
植林支援を支えています。
       
サダム・アダン君  リチェジン・カリギド君 
 医療担当 保育所建設担当 菜園庭仕事担当
山に住む、崩壊家庭で
母親の行方が不明。
MCLの奨学生で、
薬剤学科を卒業。
妹は、まだ小学生で
MCLにいっしょに
住んでいます。
病院の医者と密に
連絡を取り合いながら、
投薬から手術まで
子どもたちの医療補助をします。
卒業生で、イスラム教徒。
戦闘地域のピキット出身。
読み語りのための集落との
コーディネートを行っています。
人里離れた僻村に行くので、
事前に集落長や
MILFのコマンダーなどと
会って状況判断をしないと
危険もともなうからです。
そうした仕事を担当。。
山で父親が殺されて
困窮している家族を引き取って
妹と弟を奨学生に。
長男の彼は、
MCL内で作物を作り
食材の野菜で
少しでも経費を
削減するために
仕事をしています。
   



下宿小屋は、
山に男子寮と女子寮
キダパワン市に大学寮と高校男子寮、
そして現在、海に寮を計画しています
 
下宿小屋の管理者
   
マリセール・タカさん ロクサン・ティゴさん
下宿小屋管理・女子寮  下宿小屋管理・大学寮
アラカン市の山奥の
ラナコラン村にある下宿小屋を、
家族で管理をしてくれている
ハウスペアレントです。
ご主人のジケロ・タカ君と
結婚して子どももいます。
ご主人は、日系の男性です。 
キダパワン市にある、
大学生と高校生の男子の
下宿施設を家族で管理
してくれている
ハウスペアレント。
子どももいます。

ミンダナオ子ども図書館支援方法


ミンダナオ子ども図書館の 活動概略


ミンダナオ子ども図書館の子どもたち 

ミンダナオ子ども図書館の中心は、
いつも子どもたち!
土曜日の午前中に庭に出て、
庭作りをしながら、
花や野菜を育てる子どもたち。




日本では、ちょっと考えられない姿だけれど
本当に自然がすき、というか
生まれたときから、自然と共に生きている。
きれいな花を育てるのが好きで
時には、花を摘んで髪にさしておしゃれする。




山芋作りや、
雑草の草刈り掃除もお手の物
不思議なぐらい嫌がらずに
むしろ笑顔で楽しくお掃除。




掘った山芋も料理に


「私についてきたければ、家族も財産も全て捨てなさい」と、
イエスがおっしゃった意味は、わかる気がします・・・。
財産は、ほぼ捨てているような状態で、今のぼくの個人の全財産は、80万円あるかなあ?
本の印税もすべて、MCLに寄付しているし。
MCLは、みんなで大きな一つの家族!
300人以上のたくさんの子どもたちを、学校に行かせ、養っていてあげているから。
でも、会社で働いていた経験から言えることは、「利益」は会社の物。
しかし、寄付はというのは、子どもたちのための預かり金であって「利益」じゃない。
子どもたちの物。


 



貧困にあえぐ、マノボの村
奨学生(スカラシップ)支援を
お願いします。

マノボの村から来た、小学生のスカラーたちをウオーターフォール村に送り届けた。
小学校の里親の子たちには、お小遣いが出ないので、乗り合いバイクで帰るお金がない
そこで、私が運転して、送り届けることになる

私は、この様な機会を大切にしている。
自分の目で、現状を見極める大切な機会だからだ。

彼らの生活は、非常に貧しく、3食たべられない家族が多い。
前回、ガリガリに痩せて、高熱でフラフラしていた子を、ミンダナオ子ども図書館に収容した事を載せたが、
この村でも、栄養失調から来る病気が多いことがわかった。
今回、とりわけ高熱で薬を買うお金もない、4名の子を病院に運んだ。


覚えていますか、高熱と栄養失調でフラフラしていた子
彼女には、栄養失調と熱で
頭の毛が抜ける病気が進んでいた!
3ヶ月あまり、ミンダナオ子ども図書館に住んで
見違えるほど、元気で明るくなりました
覚えていますか、
ひいおじいさんが、日本人だった家族です。

後ろの男の子が、ガリガリで痩せていたが
ミンダナオ子ども図書館で、元気になりました。

でも、兄弟姉妹は、3食たべられずに
痩せています。

この村では、小さな子どもが多い。
理由は、小学校4年生ぐらいになると、労働力として、両親と一緒にサトウキビ刈りに、遠くの村まで行かなければならないからだ。
出稼ぎの日雇い労働で、かろうじて食いつないでいる村人たち。

自分たちの土地はほとんど無く、有っても山の急斜面で、芋ぐらいしか育たない。
スカラシップをあたえても、今回二人の男の子が、学業(小学校4年生)を停止していることがわかった。
理由は、家族と、サトウキビの日雇い労働に長期に連れて行かれているからだった。

多少、高学年までいく子に、女の子が多いのは、男の子の場合は、すぐに日雇いの実労働に駆り出されるからだ。
その結果、キダパワンの高校も大学も、7割は女性である。
高学歴の仕事への希望を女性に託す、フィリピン社会。実際、女性の方が、しっかりしていると言う点もあるが・・・

新しく二人の子をスカラーに!
彼女の弟は、ポリオだった。

そうそう、この村出身のアロナさんの
小さな弟も亡くなりました。

ポリオではなく、
筋ジストロフィーだったようです。


笑顔でわからないけれども
とても痩せています。
ミンダナオ子ども図書館支援方法 彼女の両親は、二人とも
サトウキビ刈りでいません。

上の写真の、ひいおじいさんが日本人の
おばさんの家に預けられていますが

子どもも孫も多く、
12人の子を養っていて
・・・・・

二人とも、1月から
ミンダナオ子ども図書館に住むことになります

栄養失調で、年齢の割には小柄です



医療支援をお願いします
自由寄付です 


 





日々の食べ物にも困っている
経済的に貧しい人々にとって
何よりも大変なのが、
病気になったときだろう。
私たちが活動している地域の人々は、
都会に住んでいる人は別にして
山岳地や湿地に住んでいて
日々の食べ物にすら困る人たちだ。
しかし、食べ物は、
無ければせめて、カエルを捕ったり
山芋を探したりして、何とかなるけど
病気だけは、どうにもならない。
何しろ貧困の度合いが違い
薬も買えなければ、
医者の診断など不可能で、
入院などは、夢のまた夢。

そんな状況を見かねて、
長年医療をしてきたけれど
10年近く、毎年大口の寄付を続けて
くれていた団体が、一昨年急にストップした。
理由は、まったくわからないけれど・・・。
MCLでは、投薬から手術、入院まで
可能な限り、子供たちを助けている。
病院の先生方とも、長いつきあいで
特別に安く引き受けてくれるばかりで無く、
時には自分の給与をなげうって
MCLの患者たちを助けてくださる。

ことしも、左の子たちの手術から
500名以上の奨学生の投薬や
医師の診断まで、やってきているけれど
多くの方々の個人の自由寄付に頼っている。
もしよろしければ、自由寄付でも
寄付に「医療」と書いてくださって、
わずかでも良いので、お願いします。

 支援方法のサイトへGo!


 
手術後の経過の調査も行っています。 
   
 



保育所の開所式
保育所支援をお願いします!



いつもは、ミンダナオ子ども図書館は
比較的豊かな人々の多い市内や
都市近郊では無く
山や湿原地帯の僻地のなかでも
最も貧しい村や集落で活動し
保育所も、そのような場所を選んで
建ててきた。

しかし、今回はピキット市の
ソーシャルワーカーで、MCLの理事でもある
グレイスさんから、市内の広場に
スタンダードのしかも
総セメント製の保育所を建てられないか
という要請があった。
大きさは簡易保育所の2倍あり、
セメント製であるから暑いのでエアコンも
寄贈されるという。
本来竹壁と窓の方が、総セメント製よりも
暑さをしのげるので良いのだが。

しかも、土台は一メートル以上高くして作る。
理由は、戦争や洪水の時の
避難場所として機能するものを作って欲しい
という事だった。
確かに過去の経験から、
戦争や洪水が起こると、数十万から
時には百万を超える避難民が
僻地から逃げてきて、半年から一年
時には数年にわたる避難民生活を
余儀なくされる。
そのたびに救済支援を行ってきたから
このような避難場所があると、
助かると同時に救済避難ベースにもなる。
セメント製なら、鉄砲玉が飛んできても
命が守られるし、1メートルの高さがあれば
洪水になっても大丈夫だ。

そうした理由を納得して
お二人のスタンダード保育所支援者に
カトリック教会の寄付を加えて
160万で建てたのが今回の保育所。




開所式には、保育所の先生
福祉局のでMCL理事のグレイスさん
そして、神父さまも参加されて
サイン式と祝福を行い
その後で、MCLの若者たちが
読み語りをして
子供たちと一緒に
開所式を楽しんだ。

  
   
 
 
 

MCLのイスラム、クリスチャン、
先住民の子たちが読み語りをした 
    
   

読み語りの後に、みんなでパンを食べた 
     
   

それにしても、10年前に比べると、資材、文具、生活費、ガソリン代などの値上げが激しく
フィリピン経済は表向き上向いていると言われていても
貧困層の生活は、ますます酷くなってきている 


ミンダナオ子ども図書館支援方法




ミンダナオ子ども図書館が提案し
日本政府のODA
「草の根・人間の安全保障無償資金」で
イスラム自治区に建設
カルボガン小学校の最終チェック

学校建設は、ODAで
すでに4棟建てました



カルボガンは、ARMM(イスラム自治区)のなかでも、
戦闘が多く、最もデリケートと言われていた地域だ。
東南アジア最大と言われているリグアサン湿原の内部に位置していて、
反政府ゲリラの巣窟と名指しされていた。
ミンダナオ子ども図書館(MCL)では、
2000年初期の戦争で150万の避難民が出て、
3年近く実家に帰れない日々が続いたときから、
医療、読み語り、スカラシップ、保育所建設支援を通して、
こうした最もデリケートな地域の子どもたちも助け、
村の人々と繋がりを持ち活動し続けてきた。、
今回は、この地からの強い要望で建設を決めた、
小学校の最終チェックをしに向かった。
MCLでは、この地から親のいない子などを奨学生に採用し、
本部にも数人住んで学校に通っている。
冬休みに入るので、その子もいっしょに舟で村まで送った。
右の男の子がその子。
日本の支援者から送られてきたジャケットを着て、おみやげに、
支援者の方々から送られてきた古着などを持って故郷に。
親はいなくても、やはりふる里は懐かしの我が家!
ワニの出没する湿原を抜けて、先端のカルボガン集落に着く。

 
 
MCLの奨学生も一緒にふる里へ送りとどけた 
 

ご覧のように、校舎は床が底上げされている。


毎年数回おそってくる洪水。
そのたびに人々は、避難場所を探し回る。
今回の学校は、授業を受ける場所であると同時に、
洪水のさいの緊急避難場所として、活用できる場にするためだ。
サパカンでの学校のように、土盛りでは無く、
柱で底上げされているのは、洪水でおそってくる水流を床下に流して、
家を倒す水草などから建造物を転倒崩壊から守るため。 



 



ミンダナオ子ども図書館のスタッフは、ほぼ2週間に一度現地に行き、
作業の状況と流れを調査してきた。
実は、この地域は、ODAでは最も難しいと言われている地域で、多くが、
完成しないまま放置されたり、完成しても
コミュニティーセンターとして作られたものが
現地の有力者によって私物化したりしている。
資材の盗難は、日常茶飯事。MCLでも、経験がある。
MCLでは、今まで2棟の学校を、ピキット市サイドに建ててきたが、
つくづく、建物や物資の支援の難しさを感じ続けてきた。

なかでも、今回のカルボガンは、教育省が建てた学校すら、
土台と壁がコンクリートで建てられた後に、屋根も無く、窓も無く、
そのまま現地に放置されている。
それでも、現地の子どもたちが通う小学校の状態や、
ひどさを見る度に放っておけず、また、現地が反政府地域のなかでも、
度重なる分離派とのリドー(戦闘)で、
取り残されたように疲弊している様子を見ていたたまれず、
困難な地域の中でも、和平構築に最も重要な地点として読み語り、
医療、スカラシップや洪水、戦争による難民救済支援を続けてきた。

ミンダナオ子ども図書館支援方法
 

 

階段だけは、子どもたちが滑ることを恐れて、
完全にラフなままに残された。
 
スタッフも校長先生も、仕上げになっとく。 
     

私自身ここから学んだことは、
やはり現地の住民の視点に立たないとなかなか
深層までは、理解できないという事。
そして、現地の住民との率直な意見交換が
出来るようになるためには、
現地の人々との壁を取り去った信頼関係が、
長年の交流によって作られていないと
不信感が先に立ってしまうという。
自身を交えての反省事項だった。
支援する側とされる側が、
同じ目線に立てる場所が
住民との友情、そして、子どもたちへの愛だ。
今回のこの学校は、この湿原地域に最適な
建物のモデルになるだろう。
今後もこうした学校を、子どもたちのために、
建てていきたい。

  



そんなことが起こっているの?



ミンダナオ子ども図書館の、
最初の会計をしてくれたダバオ出身のスタッフ
(お母さんは、ダバオの修道会の調理師をしています)が、
「自分の叔父さんは、バナナプランテーションで働いていたけれども、
農薬の空中散布で死んだ」と語ってくれました。
当時は、ミンダナオに足を踏み込んで間のない頃で、
何も知らずに驚いて言いました。
「そんなことが起こっているの?
それは酷い、裁判所に訴え出るべきだよ!」
すると彼女は、こう言いました。
「そんなことをしたら、刺客を雇って殺される!」
『参考「フィリピン・私の家族は国家に殺された
―家族を奪われた女性たちの戦い」
工藤律子著 長崎出版
(アマゾンで古本で買えるかもしれません。)』


さらに驚いたのですが・・・
アラカンで先住民族を40年間擁護してきた、
イタリア人のファウスト神父さまも、
シスターの話によると体制側に雇われた刺客に殺された、とのことです。
農薬汚染と山岳地でも希少金属(ニッケル)の開発に、
反対していたからだということです。
(ぼくも、暗殺される危険がある!)
その後にも、希少金属の開発に反対した
山のマノボ族の酋長がその場で殺され、
その娘さんは、ミンダナオ子ども図書館の奨学生にしています。
https://www.youtube.com/watch?v=d_24-TUKkdA


ミンダナオ出身の今のドゥテルテ大統領は、その事を知っていて
鉱山開発を抑制する処置をとっていると、貧しい人たちは考えています。

写真は、大量に廃棄されたバナナ。
食べられるけれども、現地の人々は、
「農薬がかかっているから死ぬかもしれない」と怖がって食べない。
地元のバナナは食べるけれども、
違いは、地面に下草や雑草が生えているかどうかでわかる。
地元産のバナナは、日本のフェアトレードでも売られているバナナで、
現地の人たちも安心して食べている、
低農薬の地元産のビナガイとかトゥンダン・・・








土地を失った先住民たち。
彼等の唯一の収入は、
プランテーションのバナナを拾ってきて、
切りきざんで、豚の餌として売ること。
お腹がすいていても、バナナは怖くて食べない。
ミンダナオ子ども図書館の奨学生で、
戦前の日本人の血が混じっている日系人
(戦争の時に、日本人であることを隠して山に逃げた一族)
の娘の・・・さん、曰く。
「わたしの叔父さんも、食べ物がなくって、
プランテーションのバナナを食べて、
お腹がいたくなって死んだの・・・」





下の写真(90%は、わたしが現地で撮影)は、
先住民の村。
この村からも奨学生をとっています。



高原バナナが有名になって、プランテーションは、
みるみるうちに山麓の高原地帯に広がっていった。
ミンダナオ子ども図書館のある、アポ山の北コタバト州。
プランテーション=駄目だとは言わないけれど、
せめて農薬の被害や、平地の肥えた土地を追われ、
斜面に居住地を移さなければならない状況などを解決して、
土地持ちの土地持ちの金持ちだけが
より私腹を肥やして、貧富の差が
拡大するようなことを防いで欲しい。
日本であんなに安く売られているけれど、
利益はほとんど富裕層と海外に?
プランテーションでは、日雇いになるにも、
高卒の学歴(中退でも良い?)と
出生証明書が必要。



でも、貧しく山に追われた先住民は、
小学校も出ておらず、
出生届も出ていないので、雇ってもらえない。
唯一、落ちたバナナを拾ってきて、
豚の餌を作って売るだけ。
それを食べて、豚が死んだという
話も聞いている・・・。
できれば、利益が、
こうした人々にも行き渡れば良いのだけれど。
少なくとも、ミンダナオ子ども図書館では、
写真の村々に保育所を建て、奨学生を採っています。



それでも、生きるために
明るく力をあわせる子どもたち。
お金が無くっても、友情と愛があれば大丈夫。
でも、辛いのが、一日じゅう食べられないときと、
病気になっても薬も買えないとき。
学校に行きたくても、行けないとき。





ミンダナオ子ども図書館支援方法





 














 


































     




奨学生候補の状況調査

 
親がいず、厳しい環境の子で、学校に行きたくても行けない子がいる話が聞こえてくると、
私たちは、スカラシップに採る前に必ずその子の家を訪ね、状況を調査します。
スタッフは、ほとんどがMCLの奨学生だった子たちです。
下のスタッフは、マノボ族のローズマリー。
現在は、スカラシップセクションのリーダー!


現在スカラシップの子たちは、500名以上。
今年は、フィリピン政府が、
今まで小学校を6年で卒業して、
その後4年間で卒業し、大学に進学できた
ハイスクール(高校)を、ジュニア4年に
シニア2年を加え、6年制にしたために、
大学進学に燃えていた子がショックを受け
停止する子が多く出ました。

理由は、学校に行けなかった子の場合
すでに他の子より年齢が高く
保護者からも、本人の希望からも
働かせたい、働きたい
結婚させたい、結婚したい、
(こちらの結婚年齢は、16歳から18歳)
そんな希望と焦りが出てきたためです。

将来の事を考えると、仕事を探すにしても
大学に行った方が良いよ・・・
彼氏を探すにしても、大学が良いよ・・・
というのですが、兄弟姉妹が年下でも
働いて家庭を支えている様子を見て
いたたまれなくなるようです。

 
ミンダナオ子ども図書館支援方法
今、MCLでは、140名ほどの奨学生が、まだ支援者、里親がいません。
しかし、どうしても現地に置いておけない子たち、
アビューズがあって保護の必要な子たちは、無理して採用するので
これだけ多くなってしまいました。
皆さん、お願いします。
自由寄付でも助かります。

 

ミンダナオ子ども図書館の活動範囲は、
東はダバオ湾の半島から、
西はコタバト市まで、
北はアラカンから時にはブキッドノン。
南はサンタマリアとリグアサン湿原地帯。
下の地図に、おおよそ過去において
避難民救済、保育所建設、スカラシップ
植林、などなどで活動してきた
範囲を示しました。
写真をクリックしてくだされば、
拡大してみることが出来ます。
キダパワン市が、MCLのある場所で、
そこを中心に楕円形に広がっていると
思ってみていただければ良いかと思います。


ミンダナオの地図へGo!

ミンダナオの地図です。
画面をクリックしていただければ、
大きくなります。
四角で囲った部分が、スカラシップ、植林、
保育所、戦争避難民救済などで
活動してきた範囲です。

  

ミンダナオの地図へGo!
地図上で、⑪と出ているKidapawan市が、MCLのある町です。

MCLの現地スタッフが、
ソーシャルワーカーや理事、
役員も含めてしっかりと動いています。

妻でディレクターのエープリルリンが、
全体をしっかりとマネージして、
時には政府から頼まれて、
NGOの集会で講演もしています。
日本でも講演を少しずつはじめました。


活動範囲が広いので調査と平行して、
学用品も届けます。 


とにかく、活動範囲が広く
奨学生候補を調査したり
奨学生の子どもが、何らかの理由で
学業を停止していたりする場合、
スカラシップ担当のスタッフと
ソーシャルワーカーが子どもに会いに
現地の学校や家をたずねます。
(ソーシャルワーカーも3人いて、そのうち
2人は、卒業生たち・・・)
山道を行くガソリン代だけでも大変。
節約のために、一気に仕事を集中させます。
訪問者も同行して、現地を見ます。
   
     



ミンダナオ子ども図書館支援方法



戦争避難民の救済支援 
数日後、難民キャンプを訪れると
戦車が轟音を建てて通り過ぎていった


装甲車と異なって、
キャタピラをはいた戦車は
さすがに不気味だ!
ガリガリと異様な音を立てて失踪する戦車に人々の顔も引きつっていたが、
戦車から顔を覗かせている、政府軍の兵士の顔も引きつっていた。
どこから、M16ライフルやロケット弾の攻撃を受けるかわからないからだ・・・・

こうした戦車の示威活動と戦闘で、MILF軍は押し返された様相で
市政は、学校や施設に滞在している難民たちに、半ば強制的な帰省を促している。
そのために、公の難民キャンプから、難民の姿はだいぶ消えたが
逆に難民たちは、公のキャンプから追い出された形で、
道路沿いに新たにテントを張って避難している。
まだ地域では戦闘が続いていて、帰省を恐れているからだ。
町から遠くない地域の人々は、ほぼ帰宅したが、戦闘はイスラム自治区との境界周辺で新たに発生しており
難民キャンプは、辺境へと移っている。
具体的な地名は避けるが、ピキット周辺でも反政府勢力は、山岳地域などに新たに集結して体制を立て直して、
総攻撃に備えているという。

イスラムには、聖戦による聖都奪回の歴史がある。
メッカを追われたモハメッドは、メジナに引き下がり、体勢を立て直した後に聖都メッカを奪回した。
攻撃されれば、必ず挽回するのが、イスラムの教えだとすると
彼らがこのまま引き下がるとは思えない。

今後の展開を予想するのは難しい。
政府は、今回の戦闘をMILF側の一方的な違反行為と断定して、和平交渉の棚上げ、棄却を示唆しているが、
MILF側はそれに反発している。互いに総攻撃も辞さないという、過激な論調が出ているが・・・・

一方で、今回の展開は、事前にかなり周到に準備されたドラマであり、反政府側がそれに引っかかったという見方も根強い。
直前に平和交渉に異議を申し立て、ホゴにする計画に、イスラム側が引っかかったと言うのだ。
そのシナリオは、米国によって書かれ、日本も側面から支援したと言うのだが、真相は闇の中だ。
(もちろん、米政府は否定している)
ただ、この劇のしこりは、かなり深く影響を及ぼすだろう。

難民キャンプで見つかった、
子どもアルバ(女9歳)ちゃん。
極端な栄養失調の状態だった。
現地を訪れた山元眞神父と
行橋カトリック教会のメンバーたちと
相談して救済を決断した。

3ヶ月の病院治療の後に
一年の栄養補給
そして、3年のリハビリが始まる

右は、病院に収容された
アルバちゃん
きつい難民生活で、
もっともかわいそうなのは
子どもたちとお年寄りだ

左は、ブアランの小学生で
私たちのスカラーの一人。
Aiza Midtimbang (10)
彼女は、熱を出していた。

2000年の戦闘で
すでに父親を失っている。
母親は、行方が知れない。
彼女を育てているのは
年老いた祖母一人だ。

もう少し年が上になったら
ミンダナオ子ども図書館で
暮らすことになるだろう。

難民キャンプでは、病気の子供が増えている
病気でもっとも多いのが
激しい下痢と腹痛
そして、高熱の症状だ。

折しもミンダナオでは、
高熱を発して
悪寒と痙攣を引き起こす
奇妙な風邪が流行っている

ミンダナオ子ども図書館の子たちも
すでに、5人が引き付けを起こして
入院している
私たちは、繰り返し現地を訪れて
人々から聞き取り調査を行い
何に困窮し
何を必要としているかを尋ねた

その結果、相変わらず需要が高いのが
新たな難民たちのための
ビニールシートであり
薬品であることがわかった

薬品に関しては、すでに赤十字も入っており、
あちこちでたくさんの赤十字のマークが入った車を見かけていたので、安心していたのだが・・・・
聞いてみると、今回の赤十字の支援は、食料(米)と水の支援であることがわかった。
事実、食料とりわけ米の支援はワールドフードも入り十分すぎる。
近隣の難民たちが帰宅した事もあるが・・・・
薬品の支援に関しては、アメリカのNGOが入ったと聞いていたが、一部の地域に限られている。


DSWDのグレイスさんからの
強い要請もあり
ミンダナオ子ども図書館で、
医療プロジェクトを開始した

 ミンダナオ子ども図書館支援方法
薬を車に積み込むスカラーたち 現地では、ドクターが処方箋を出し 看護士が二人、個別に患者に指示を出す
至急、ドクターの紹介で、ダバオの薬局で、
現在の難民たちの症状に最も適した種類の薬品を選別して購入した。
ドクターのおかげで、市価の7割安で薬品が購入できた。
(年末または年初に、今回のピキット支援寄付の内訳を公表する予定です)

その後、ドクターと看護婦とともに、難民地域を訪れて処方箋にあわせて薬を渡していく
英語が読めない人も多いので、いちいち使い方を説明し、
裏蓋に処方量などを手書きで書いて、渡していく。
薬は、処方量を間違えると、かえって危険だからだ・・・

この後も、残った薬は、ピキット市のDSWDにスタッフを派遣して、
24時間態勢で、病気の人々の治療に専念する。
今回の医療は、子どもも大人も、年齢は関係なく対象としている。

医療と平行して、読み語りも行う
医療が体の治療ならば、読み語りは心の治療だ!
 
スカラーの子たちによる読み語り
ムスリムのスカラーたちも、
マノボ族のスカラーたちも
移民系クリスチャンのスカラーたちも

皆協力して、読み語りをした

今回は、初めて、平和巡礼のために練習した、ムスリムの祈りの歌、マノボ族の祈りの歌、
クリスチャンの祈りの歌を、読み語りで披露した。それぞれの歌を、皆で歌う。

つまり、ムスリムの歌の時は、マノボもクリスチャンも、後背支援のようにして、アッラーの名が出てくる歌を歌う。
マノボ族の時は、ムスリムもクリスチャンの若者も、マノボ族の神マナマの名が出てくる歌を、
クリスチャンの時は、マノボもムスリムもイエスの名が出てくる歌を歌うのだ。

これに対するイスラムの人々の反応はと思いきや・・・・本当にうれしそうに大人たちも聞いてくれる!
驚いたのは、スカラーの一人が、(勇敢にも)イエスの誕生の絵本を読んだときだ!
実際、私は真っ青になり、・・・なぜならイスラム教徒の人々のしかも難民キャンプというデリケートな場で、
聖誕物語を始めたのだから!

密かにムスリムのスカラーたちに、周囲の大人たちの気持ちを探ってもらった。
驚いたことに、10人中10人が、「あの話なら知っているし、何の問題も無いんじゃない」
これには正直、度肝を抜かれた。

ミンダナオのイスラムの人々は、自分の信仰は厳格に守るが、
他の宗派に対してはいたって寛容な事は経験で理解していたが
ここまでだとは思わなかった。


読み語りが終わって、
持ってきた風船と古着を配った


 ミンダナオ子ども図書館支援方法

山元眞しんぷ
イスラムやマノボの若者からも
父さん、父さんと呼ばれている

難民の子たちに風船はとても効果的だった
厳しい難民生活のなかで、支援はどうしても「必要としている」物やお金に向けられる。
「風船などを贈るなら、パンの一つも買ったらよい」と思いきや
このような厳しい環境の中で、何の意味もない、ただ貰って遊んでうれしいだけのものが
どんなに美しく、心を慰める物に見えたことか!!!

読み語りもこうした風船と同じなのだが、
こうしたものこそ心を悲しみや重荷からつかの間なりとも解放させ
失った平和への希望の灯火となるような気がする


その後、スカラーたちが手分けをして
一軒一軒難民の家を訪れて、困っている子どもたちや大人たちに
日本から贈られてきた古着を渡した

彼らも、今は日本から贈られてきた古着を着ているので、こざっぱりしているが
同じように、極貧の厳しい環境からきた子たちなので
他の人々の気持ちがわかる
こうした経験を経て、平和を語り、愛を持って活動できる子たちが一人でも多く育ってほしい

もちろん最後には
いつものように
みんなにパンを配りました

子どもたちにも
そして、
周りにいる大人たちにも

現在の難民キャンプの問題は
長期滞在組が残り、
洪水や衛生、そして栄養失調で
病人が増えていることだ
とりわけ、子どもたちや
赤子たちの病気が増え
死者も出てきている
左の婦人は、強度の腹痛で
病院に運び
翌朝、緊急の手術をした

ヘアリップの少女は
緊急ではないが
難民キャンプで出会ったからには
最後まで面倒を見よう
難民キャンプで大やけどを
負った少女は、
体の方は良くなっていたが、

父親が無理矢理
退院させたために
足のやけどが膿んでいた

たまたま訪れた
カラカカンで見つかり
再び病院へ・・・・
今度は父親も
平身低頭、協力してくれた。

一方、栄養失調の少女は
親の意向で病院から出て
難民キャンプにもどった

そこで、ビタミン治療を続けるが
両親に、「ミンダナオ子ども図書館で
小さな家を建てるから
そこで半年か一年治療を続けるように」
提案したが、了解が得られない。
親次第で治療の道筋が立つのだが

今後もビタミン治療と栄養補強を
続けていくが、状況は難しくなった
炊き出しが始まった
今日のメニューは
モンゴ豆と
干し小魚の煮込み

炊き出し
(フィーディング プロジェクト)

炊き出しは、一ヶ村で週三回×三週間=合計9回します。
現在、カラカカン、バルヤン、タプドク、マカシンディク、パイドプランギ
タキパン、ラガィエンを計画しています。
一カ所で200人前後と想定し、17歳以下の子どもと妊婦を主なる対象にします。
一村の予算を計算したところ、およそ3万5千円で、200名ほどの子どもが
9回の食事を食べられます。
これによって、栄養失調による病気等から、保護できると考えています。

食事内容は
1*モンゴ豆と小魚の煮込みとお粥
2*ロスカルド、鶏肉が入ったお粥
3*サンポラード、ココアと砂糖がはいったお粥

料理は、現地の母親たちと、スカラーたちが行います
 
配給の間に
さらに先のナラパアンに
昨夜出た
マノボ族の難民調査へ。

そのために
多くの写真を撮りのがしたが、
とにかく子どもたちは
おなか一杯になって
「ありがとう」
を繰り返していたと言う。
こちらは、カラカカンの
医療プロジェクト

先日、10万円分を
買い足したが、
今後も、ダバオに出るたびに
医薬品を買い足し
補充していく必要がある

ビタミン剤が足りない!
昨夜からナラパアンで、
マノボ族の難民が出ている
 
彼らは、ピキットの山岳部に住んでいたが
周囲にMILFの反政府組織が多く現れるようになり
恐ろしくて、低地にある村の中心に逃れてきた。

実に、昨夜の事である。
このバルヤン集落は、G7と呼ばれるピースゾーンに属し、その中でも
ムスリム、マノボ、クリスチャンが平和に共存している村として注目を集めていた。
私たちのスカラーで、盲目のベルリーンは、一時この奥の村にすんでいて
私たちも、この村で、読み語りをした場所である。

しかし、現在、ピースゾーンの支援は、新しいイノクオグ等に集中しており
ここは、再び辺境の見放された集落と化している。

昨夜逃れてきたマノボ族の難民のために
私たちは、至急ピキットでビニールシートを購入し

カラカカンで読み聞かせを終了したスカラーたちと、
急遽、バルヤンに向かった
回、読み聞かせに参加したスカラーは
マノボ族が多い。

彼らが中心になり、
次々にシートが張られていく。

道沿いは、イロンゴやビサヤの人々。
彼らのためにも張られていくが

結局、足りずに、再度訪問することになった。

ここでも、多くの子どもたちがお腹をすかせていた。
今回は、カラカカンの残り物ご飯しかなかったが、次回から、ここも炊き出しの拠点とすることにした。
それにしても、いつも子どもたちは可愛らしい。
彼らの姿を見るたびに、疲れも吹き飛び、この様な仕事をしていて良かったと、心底思う。





川沿いの難民キャンプが
洪水に見舞われている
洪水救済支援

パイドプランギに近い、村道上の難民キャンプが、激しい洪水に襲われている。
つい先週に、読み語りで訪れた場所も、完全に水没し、村にはカヌーでしか、近寄ることが出来ない。
難民たちは、戦闘の恐怖の後は水害に襲われ、踏んだり蹴ったり。

水害は、R7と呼ばれる川沿いの村々も襲い、タリタイもラジャムダも水のなかだ。
2年前にUSAIDで作られた、比較的立派な村道が、水害を防ぐ防波堤の役割も果たしているが、
逆に川沿いに建つ家々や村は、屋根まで届く水害に犯されている。海外による道路支援が、水害をひどくした形になり、
R7では、戦闘ではなく、水害による難民が出ている。
パイドプランギとプノル
分岐点にある
道路沿いの難民キャンプは
激しい洪水の流れで
仮小屋がさらわれた
かろうじて水が届かなかった家々で、難民たちはさらに不自由な生活をしいられている
床も、泥だらけで眠ることも出来ない
ここにすんでいる
スカラーのアイサちゃんの事が気になった
彼女の仮小屋も水の中だったが、
竹で高床をしいて
かろうじて生き延びていた

ミンダナオ子ども図書館に
来るように誘ったが
家畜がいるので置いていけないのだと
おばあさんが語っていた

手元にあったパンを袋ごとあげた

難民キャンプの概況
「戦闘は、一時的であるにしても治まっている」という判断の元に、ピキット市中心部の穀物倉庫や学校を利用した
難民キャンプは、ほとんど閉鎖された。学校も周辺の洪水に襲われてる地域を除いては、授業を再開した。

あれだけ頻繁に見た赤十字をはじめとする国際NGOも、約3週間の活動の後に姿を消した。
たまに、現況視察をしているが、米や食料の支援も無くなった。
難民は、確かに市中心部からは消えたが、追い出された人々が、市の周辺部に移転している。

とりわけ可哀想なのが、戦闘で家を焼かれたアレオサン近辺からの難民たちだ。
まだ散発的に戦闘が続いており、恐ろしくて帰れないのと、帰っても家がないのだ。
さらに、山沿いのカラカカンやナラパアンでは、山に反政府ゲリラが集結しているので怖く
新たな難民となってバランガイと呼ばれる村の中心部に集結し始めている。

現在はラマダン期間中で比較的平穏だが、ラマダン明けと同時に反政府組織は戦闘を開始すると言われている。
政府軍も集結を開始しているし、イスラム自治区内では戦闘が継続しており、時々ピキット市内でも砲弾の音を耳にする。

現在NGOで活動しているのは
再び、ミンダナオ子ども図書館と
ポンポン神父率いるOMIの
カトリック教会のみ
と言う状況になってきている

取り残された難民は
僻地で3ヶ月目に入り
病気などが広がり
死亡する子も出てきている

難民生活に疲労が見える時期なのだが

よりによってそのような時期に、洪水が襲った
今年の気候は確かに変だ
突然の集中豪雨が、毎日のように襲ってくるのだから

左と上の写真は、つい10日前に、パイドプランギで実施した
医療と読み聞かせのプロジェクトだ。
道路は乾いており、人々も通常の生活をしている。

しかし、下は、まったく同じ場所の先日(9月5日)の写真なのだ。
写真のなかに、同じ大木が写っているので
かろうじて同じ場所だとわかるが、周囲はどこまでも水だらけだ。

私たちは、かろうじてこの地にカヌーで到達したが
北海道時代に鍛えたカヌーの腕が、この様なところで役に立とうとは想像もしなかた。
笑顔で写っているものの、顔はひきつり心は鉛のように重たい。

戦闘の進行状況が、精神や心に絶え間なく重圧として覆い被さってくる
一人の力では、どうにも跳ね返すことの不可能な重圧。
このような経験は初めてだった。

雨がふれば、難民キャンプでずぶぬれになっているだろう、子どもたちが気になる。
砲声の中で、蚊やブヨにさされて暮らす日々。
汚れた水を飲み、日に一食も食べられない生活を想像し胸が痛む。

私自身も55歳で、体も精神も、さすがに無理は利かなくなった?
友人たちは、定年退職をし始めているというのに
ミンダナオ子ども図書館の仕事は、緒に就いたばかりで、まったく試練の連続だ。

ピキットの戦闘が勃発して以来、支援者への対応も不規則で、
寄付のお礼の葉書も遅れがちになって、最近はしばしばメールで遅滞のお叱りを受ける。
豊かで平和な日本と、ミンダナオの現状のあまりの相違が理解できず、
怒り心頭にきて、離れていく支援者もいる。

たまに写真を載せないと、「現場写真は現地スタッフに撮らせて、作家の手並みで解説だけを
好きに書いているのでは」と思われるらしい・・・・。
すべて現場に足を運び、スタッフに早急の対策や指示を出し、
写真も記事も、すべて私と息子が撮っているのだが。

何しろ、この様な危険と常時隣り合わせの場所で活動しているので、日本人は私一人
日本人ボランティアも日本人スタッフも居ない。
(現地NGOですら、怖がって寄りつかない地域)
去る鳥は追わずに、現地の人々を最優先して、ゆっくりと地道に活動しよう。

ミンダナオ子ども図書館支援方法





それにしても恐ろしい事になった。
写真は、先週戦闘が起こった、
タブドク村だ。
椰子の木の傷は、虫食いではなく、
銃撃戦の掃射跡だ。

椰子の幹が、弾丸で炸裂している
砲弾で見事に椰子の木が折れて
裂けているものもある。





来週から、この村とクランボク
ブアランの子たちを対象に
炊き出しを始める





奨学生たちによる
平和の祈り

毎年かならず各地で開催
ミンダナオに戦闘が
広がる中
ミンダナオ
子ども図書館に
スカラーたちが集まり
平和の祈りを行った

平和の祈りは、平和巡礼と称して、本来はピキットの市庁舎の裏にある、丘の上の要塞で行われる予定だった。
この要塞は、第二次世界大戦の時に、日本軍が建てたものだ。
しかし、ピキットの政情不安をかんがみて、急遽場所をミンダナオ子ども図書館にした。

祈りはまず、平和を表現する踊りから始まった。
これも皆、スカラーたちが自ら相談して決めたことだ。


その後、各部族の代表たちによる、自分たちの言語の祈りや歌が続いた。
とりわけ歌は、他の宗教や宗派、他の言語の歌でも、みんなで歌った。
特定の宗教に属していても、友人や隣人の持っている異なった宗教に敬意をはらい、
友人によりそって、背後から支援する気持ちで、共に歌うことは可能なのだ。

アッラーの歌、マノボの神マナマの歌、イエスの歌を全員が歌う。
神は一つで、呼び名と風習が違うだけたと、感じる。
祈りながら涙を流し、その涙が、大勢のスカラーたちに広がっていく。
民族は異なっても、宗教が異なっていても、平和に対する願いと愛は同じ。

 
日本からも、日本キリスト教団小田原教会所属のI氏が祈りを捧げ、
マノボの代表としてガボン牧師、
カトリックを代表して山元眞神父が話された

事態が緊迫しているだけに、祈りに込める思いも深かった
イスラム代表のホサイン師は、妹の突然の死に帰られたのが残念!
代わりに、スカラーのプレシデント、イスラム教徒のバイヤン君が
感動的な祈りを述べた

これらの祈りは、ミンダナオ戦で亡くなった多くの現地人、
米軍、そして日本軍の兵士から始まって
現代に至る戦闘で亡くなった人々の霊を慰めるために
ミンダナオ子ども図書館が音頭をとってはじめるものだ。

来年こそは、ピキットの要塞跡で開催し
毎年、ミンダナオ子ども図書館のスカラーを核にして
開催していきたいと思っている。

次回は、立正佼成会などの仏教界の方々も参加されるだろう。



ミンダナオ子ども図書館支援方法
私(松居友)にも、話す機会が与えられたので、こんな内容の話をした。

「言葉で平和を語ることも大事だけれど、行動で示すことも大事。
たとえば、シラミを採ること。(全員?????)
ミンダナオ子ども図書館では、イスラム教徒もクリスチャンもマノボ族も
仲良く暮らしている。
僕が見ていて、一番平和だなと感じるのは、イスラム教徒やクリスチャンやマノボ族が
いっしょになって互いの頭のシラミをとりっこしているところ。(大笑い)
世界中の人々が、宗教や宗派を超えて、シラミのとりっこをしたら、
世界は平和になるだろう、
ミンダナオ子ども図書館のように!」

右の写真は、ミンダナオ子ども図書館の日常風景から「シラミ採り」・・・・・・・・・・・・・・・・



立正佼成会の子どもたち
から送られてきた
ゆめポッケを配った


     
 

貧困だけでは無く、時には戦闘で
避難を余儀なくされるような
厳しい地域の子どもたちに
立正佼成会は、ゆめポッケを送りとどける。
ゆめポッケは、日本の子供たちが
一食ぬいてお金を貯めて
それで、貧しい子どもたちに
学用品やぬいぐるみを買って
それを親たちが手作りした
色とりどりの巾着袋にいれてわたす。
長年、MCLでは、ゆめポッケの配布を
お手伝いしてきた。
ひとつひとつに、贈り物を選んだ子どもたち
そして、手作りで巾着袋を作った
親たちの気持ちがこもっていて
本当に喜ばれる贈り物だ。

  

MCLが来たよ!ゆめポッケくばるよ!
大喜びで駆けよってくる子どもたち。


  
 
  

読み語りが始まった 
 



 





ゆめポッケを配る前に、まずは読み語りをする 
  
  
  
 

お話しだけでは無くって、歌や踊りも披露する


そして、最後に「おおきなカサバイモ」の劇もする
「うんとこしょ、どっこいしょ」

 




朝日小学生新聞、熊本日々新聞や
キリスト新聞、カトリック新聞で
取り上げられました

講演会、家庭集会など、
謝礼に関係なくうかがいます。
よろしくお願いいたします。

ミンダナオ子ども図書館支援方法


受賞者挨拶 奨励賞 
松居 友



堺市のサイトへGO!

 自由都市・堺 平和貢献賞という栄誉ある賞をいただき光栄です。
 この賞は、私個人に贈られたと言うよりも、ミンダナオ子ども図書館でいっしょに暮らしている、120人あまりの極貧の子どもたち、および外部に住んで学校に通わせてあげている、500人近い子どもたちにこそ、捧げられるべき賞だと思います。
 その理由を、ここで説明させていただきます。
 意外と知られていないのですが、フィリピンのミンダナオ島は、イスラム教徒とキリスト教徒と先住民族が住んでおり、ここ40年ほど、3~5年おきに、戦争に見舞われています。
 国連の調べによりますと、避難民の累計は世界一。
 ただ、戦争の原因は、宗教や種族の違いではなく、石油・鉱物・農業資源の国際的な獲得合戦です。
 2001年、現在図書館のあるキダパワン市で、「松居さん、この先のイスラム地域で、戦争があり、避難民が大勢出て、大変なことになっている。行ってみますか。」といわれて、物見遊山で行って、驚いたこと、驚いたこと。
 見渡す限り、至る所に避難民。
 その辺から切ってきた木の棒に、椰子の葉か、良くてビニールシートをかけた下に、1年以上住んでいる。
 この年、2001年の避難民は100万人、2008年の時は80万人。
 何だこれは。
 生活状態のひどさもさることながら、何よりも心を痛めたのは、快活で明るいフィリピンの子どもたちが、笑顔どころか、表情すら失っていることでした。
 手を振っても、笑みも反応もないのです。
 私が、ミンダナオに行ったのは、落ち込んでいる気持ちを立て直したかったためであり、それをしてくれたのが、明るく快活な子どもたち。
 そのことは、女子パウロ会から出版した「サンパギータの白い花」で書いたのですが、私を救ってくれたミンダナオの子どもたちが、このような悲惨な状況に置かれている。
 これは何とかしたい、何とかしなければと強く思いました。
 そのとき浮かんだのが、読み聞かせ。
 この子たちに絵本の読み聞かせをしてあげたら、少しは笑顔が戻るのではないだろうか。
 トラウマが、消えるのではないだろうか。
 病気の子どもがいるので、病院に運びたいと、話をしたら、現地の職員から、「どこのNGOに属しているのか」、「属していない」と答えると、「許可は出せない」、と言われて強い怒りを感じました。
 「イエスは、どこのNGOに属して、病の人を救ったか。」
 しかし、現実を変えることはできません。
 その時に相談したのが、当時、学校に行かせてあげていた16歳前後の3人の若者たち。
 極貧の中から来た子たちですが、「自分たちでやってみる。」と言って、何と半年でフィリピン政府の法人資格を取ってしまった。
 これが、ミンダナオ子ども図書館の始まりです。
 そのとき、中心になって行動してくれたのが、ここにいる妻です。
 ミンダナオ子ども図書館が、なぜ図書館でありながら、スカラシップをとり、医療を行い、戦争や洪水難民を救済し、保育所建設や植林支援を行っているのか。
 「変な図書館ですねえ。」と現地でもよく言われるのですが、読み聞かせをするのも子どもたち、医療活動をするのも子どもたち、戦争や洪水が起こって、難民救済支援に向かっていくのも子どもたち、洪水対策と生活支援をかねた植林をするのも子どもたち。
 皆さんの支援で学校に行くことができたミンダナオ子ども図書館の子どもや若者たちなのです。
 スカラシップは、イスラム教徒、キリスト教徒、先住民族がほぼ等しくなるように採用しています。
 特に親のいない子や三食たべられない家庭の子、学校が遠くて通えない子たち、120人あまりが、本部で共同生活をしています。
 イスラム教徒、キリスト教徒、先住民族の若者や子どもたちが、宗教や種族の違いを、敬意を持って認め合って、仲良く暮らしているのです。
 「そんなこと、考えられない。」と言う人もいますが、問題は起こらないどころか、全員が協力し合って、難民救済などに立ち向かう。
 それゆえに彼らこそが、この栄誉ある賞を受け取るべきだと思うのです。
 私には3つの名前があります。
 松居友は、愛する父と母からもらったもの。
 ヘルマン ヨーゼフは、尊敬するホイヴェルス神父からいただいた洗礼名。
 そして、もうひとつ、アオコイ マオンガゴン。
 これは、マノボ族の酋長としていただいた名前で、意味は、「心から人を助ける 我らの友」。
 しかし、この名前は、この賞と同様に、ミンダナオの貧しい子どもたちにこそ、ふさわしいと思います。
 嘘だと思ったら、日本の悩んでいる子どもたちや若者たち、中高年の方々、自殺やいじめに走る前に一度、ミンダナオ子ども図書館にいらっしゃることをおすすめします。
 「心から人を助ける 我らの友」、ミンダナオの貧しい子どもたちが、皆さんを救ってくれると思いますよ。




























 もくじINDEX
 ミンダナオ子ども図書館だより:サイトへGO! MCL文庫
民話、絵本原稿、青少年から大人までの読みものを
自由購読で提供しています。
MCL映像サイト
何故ここに日本人などのテレビ映像
その他の貴重な活動映像を掲載

ミンダナオ子ども図書館日記(松居友制作)にGO! ミンダナオ子ども図書館支援方法 講演、公演の予定表など 
訪問希望の方は ここをクリック!  まだ支援者のいない子たちへ! ミンダナオ子ども図書館日本応援窓口 

ミンダナオ子ども図書館では、支援者へ真の活動報告が行くように、
自分で撮った写真と記事を、10年以上サイトに随時掲載してきました。
近年、日本の特に青少年の国際化が謳われる中、この記録が学習素材としても注目され、
国際活動へ一歩踏み出したい体験希望者や、悩みを抱えた若者たちの受け入れも決断しました。
また、中高年の方々にも、現地の子供たちの笑顔が生きる喜びになっていることがわかり
夢と真実を伝えるために、活動を年次ごとにまとめ、過去の機関紙もPDFで掲載しました。
ただし、機関誌は2018年4月までで、数年はサイトに掲載しません。
購読されたい方は、自由寄付や奨学生支援等を振り込んでいただければ現地よりお送りします。
隔月にお送りし、そのうちの一回は、MCLで制作した、絵本をお届けしています!
 
ミンダナオ子ども図書館だより 
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ミンダナオ子ども図書館日記      
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また種々のご質問やお問い合わせは
現地日本人スタッフ宮木梓(あずさ)へ
 
mclmidanao@gmail.com
 
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松居友メール
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支援申し込みメールで
ご住所を送っていただければ、
会員登録をして年6回、
季刊誌をお送りします。

郵便振替口座番号
00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

振り込んだ後に、宮木梓あてに
メールをいただければ幸いです。

mclmindanao@gmail.com
(以前のアドレスも有効です)
 
銀行振り込みは以下へ

銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
店番:019 
預金種目:当座
口座番号:0018057
口座名:ミンダナオ子ども図書館
一般の金融機関からの振込もOK

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メールをいただければ幸いです。

mclmindanao@gmail.com
(以前のアドレスも有効です)
 
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