ミンダナオ子ども図書館日記は、松居友(文芸家協会会員)が日記風にしるす、ミンダナオMindanao、ミンダナオ紛争と平和構築
ピキットPikit、コタバトCotabato地域のミンダナオ紛争、ムスリムMuslim、先住民族Manoboの考察など!
 ミンダナオ執筆日記  
zero
2009年に
ミンダナオ子ども図書館日記に序文で書いたものです
 
「0」ゼロに立つための支援を
1 「0」ゼロというイメージ GO! 6 ここだったら子どもを育てられる GO!
2 これからの若者に期待したいのは GO! 7 仕事場と生活の場に壁を作らない GO!
3 『愛』は決して滅びない GO! 8 プラスの支援はしないのか GO!
4 引きこもっていては世界がわからない GO! 9 彼らが新たな道を切り開くだろう GO!
5 ゼロに近いからこそ美しい GO!
ミンダナオ執筆日記:2009(1) 
 GO!
1 6月16日(火) GO! あっ!ここは平和な日本だった!
2   GO! この時期に文章で日記を書かざるを得ない気持ちになったのは
3 6月17日(水) GO! これから第三次世界大戦も起こりえると言われている
4   GO! 車いすに乗せるとしても、誰が学校まで引いていくの?
5 6月18日(木) GO! サトウキビ刈りの労働は、炎天下の厳しい労働だ
6 6月19日〔金) GO! スピリットが憑いたようになって、振り乱した髪の毛
7 6月21日(日) GO! 光は渦を巻きながら、果樹園を染めていく
8   GO! ミンダナオ島における資源をめぐる紛争の検証
9 6月22日(月) GO! 生きている実感の中から、伝える必要があると感じた事を書く
10 GO! 子どもの頃から、本に囲まれて育ってきた
11 GO! 今ぼくが体験し感じていることを日本の若者たちにも伝えたい
12 6月22日(月)夕刻 GO! ピキットで戦闘が勃発したという
13 6月24日(水) GO! 子どもたちがいて困窮している、と想像しただけで
14 6月26日(金) GO! トトロの世界だったから、自然のなかでのびのびと毎日遊んだ
15 GO! ちまたこそが、心を通わせるぬくもりのある環境であったはずだが
16 GO! 死か発狂のどちらかしかない瞬間に
17 6月27日(日) GO! 落ちこぼれ人生にも、ここで少し触れておこう
18 GO! その後、カトリックの洗礼を受けた
19 GO! フィリピンのカトリック教会はアジア的で土着的
20 GO! 君は、学業を仕事にするには向いていないよ。野人だからなあ
21 6月28日(日) GO! 奨学生たちが話し合って決めた独自のポリシー
22   GO! 16歳を超えると結婚適齢期を超えた感じがして
23   GO! 恋愛もかまわないし、スカラシップは続けられるよ
結婚していないからいのちを捧げて行動できる  GO!  
無題3 松居陽   GO!
01
(1)「0」ゼロというイメージ
 「0」ゼロというイメージを、人々はどのようにとらえるのだろうか。
 「ゼロになる」という事は、何も無い状況を意味している。感覚的には、すべてを失った状態だろう。浮かび上がってくる例は、財産も家庭もうしなって、社会的な地位も名誉も無くなり、絶望の淵に立たされ、自殺もしかねない中高年の姿だろうか。
 しかし、かつてから私の心には、ゼロに立つというイメージの一つに、さわやかで肯定的なものがあった。座標軸で言うゼロは、マイナスとプラスの狭間であり上下左右の中心である。
 シャマニズムのコスモロジーでいえば、東西南北の中心、陰陽の世界から考えれば五行の軸、西洋の錬金術にしたがえば、両極性における螺旋を支える中心軸ということになる。かつて学んだゲーテの自然科学や錬金術、沖縄やアイヌの宇宙像をもちだせばきりがないが、仏教的に言えば無の悟りに近いものだろう。つまり、「0」ゼロとは、原点であると同時に、これから「自分の判断で、思う方向に自由に進んでゆける」可能性に満ちた出発地点でもあるのだ。


 現在のミンダナオ子ども図書館のような「支援」をする仕事を始めるとは、夢にも思わなかったが、やってみて支援には二通りあると思った。
 一つは、ゼロからプラスへ持っていく支援であり、これは何も無いところから仕事なりを作り、経済的な基盤のうえに実質的な利益を生み出していくための支援だ。今はやりの経済開発支援と呼ばれているものなどはこの種のものだろう。それによって、プラスを走っている先進国の仲間入りをさせてやろう、と言う種のものだが、これはこれで良いと感じる。

 ただ、現在の先進国の様子をミンダナオから見ていると、先進国の仲間入りをして欲しくはないなと個人的には思う。なぜなら、経済的には富裕だが、日常生活における心のほうは貧困で、逆にミンダナオの貧しい人々とくに子どもたちを見ていると、経済的には貧困で生活は大変だけれど、先進国が失ってしまった心の豊かさを持って生きている気がしてならないからだ。
 
ただし、近年MCLを訪れる若者たちや、最近日本に来てからここ数年、日本の若者や子どもたちを見ていると、戦後日本が走ってきた、物質文明の豊かさを最大の目標として生きるよりも、家族や隣人との関係のなかでの心のゆとりや豊かさの方が大切なのではないか、そのためには、日常生活をどのようにしていったら良いのだろうか、と迷いながらも感じ始めているように思う。
 そのことを2020年に、サイトで書きましたのでよろしければご覧下さい!
クリックして見てください!


02
(2)これからの若者に期待したいのは
 むしろこれからの若者に期待したいのは、経済的な先進目指してワッショワッショと走ることよりも、心に壁のない家族愛や隣人愛が生きている世界とはどんなものかを、ミンダナオの貧しい人々と友だちになって考えて、貧困や戦争故に彼らが窮地に追い込まれていたら、なぜこんな事になっているのだろう?と考えて、「友だちが困っていたらこれをしてあげたい」という気持ちから、第三の道を模索しながら走り始めて欲しいと思う。

 もう一つの支援は、マイナスにあるものを限りなく「0」ゼロに持っていくための支援で、教育や医療、文化支援などは、こちらに属する場合が多いように思える。ミンダナオ子ども図書館が、おもにやってきたのはこちらの支援だ。
 貧困で教育を受けられない多くの子どもたちや、経済的に極端な格差社会であるがゆえに、マイナスの位置から抜け出られない地域の人々にとって、教育支援や医療支援のありがたさは、不可能が可能になることによって、マイナスの中で心身を病んでいた子どもたちが、ゼロつまり出発点に立てること。人心地ついて、一歩を踏み出せる可能性に立つことが出来るための支援になる。

 現代社会の基盤であると言われる「自由、平等、博愛」という概念から考えてみると、現在は、はき違えた「自由」だけが横行し、富裕層と貧困層、豊かな国と貧しい国との格差ばかりが広がって、「平等」も無くなり、家庭も国家も壁を作り自分たちだけ良ければそれで良いと考えるあまりに、隣人愛が失われて、「博愛」に至っては風前の灯火と感じられるが・・・。
 そのなかで教育と医療と食料支援は、少なくとも落ちこぼれた人々をマイナスからゼロに持っていくための支援で、子どもたちにとって最低の「平等」とは、家族がみんなでいっしょに食べることが出来て、お兄ちゃんお姉ちゃんから赤ちゃんまで病気を治せて、行きたければ学校にも行けること。つまり、未来に向かって安心して生きていける「自由」を感じて、その後も希望をもって喜びの中で「平等」に生きていける気持ちになれること。そのために根本的に必要なのは「博愛」で、仏教における無の境地につながっている?ミンダナオの先住民の世界観もまったく同じ!それがゼロ地点に立つことだろう。

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(3)『愛』は決して滅びない
  「自由、平等、博愛」という概念は、キリスト教の「信仰、希望、愛」から派生して作られたものだと思われるけれど、「たとえ、人々の異言(いげん)、天使たちの異言を語ろうとも、『愛』がなければ、騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な『信仰』を持っていようとも、『愛』がなければ、無に等しい。」(13章1~2節)と聖書には書かれていて、パウロは「『愛』がなければ、そのすべてに意味がない!」と断言している。


 「預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れようとも、『愛』は決して滅びない。」「『信仰と、希望と、愛』この三つは、いつまでも残るが、その中で最も大いなるものは、『愛』である。」カトリックでは、父と子と聖霊の三位一体に向かって祈るけれど、父は愛そのもの、子のイエスは信仰を語り、聖霊は突然おとずれて希望を与えてくれる?ただし「どんなに強く岩のような信仰を持っていても、美しい夢や希望を抱いていても、愛がなければ無に等しい。なぜなら神は愛だから。」
・・・僕のかってな思い込み(笑)。

 ミンダナオにいると、先進国の自国の利益を優先にした植民地政策や資源獲得を目指した資本主義は、「愛」に取って代わられた「自由」ばかりが強調されて、格差ばかりが広がって「平等」という「希望」も失われ、「信仰」の本来の姿までもが無視されて、富裕層やその周辺を取り囲む者だけが経済的に恵まれて、上から目線の生活をしている世界の構図が見えてくる?
 そのような構図のなかで、日本は真ん中より上に属しているという社会的意識が定着しているせいなのか、日本も関係しているにもかかわらず自国にいると本当の世界が実感できないような気がする時がある。だからこそ、そのような日本から飛び出して、ミンダナオにくると、格差がひろがって貧困層はさらに貧しい中へと追いやられていく、本当のありのままの世界の縮図が見えてくる?

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(4)引きこもっていては、世界の真相がわからない
 ただしかし、ミンダナオにいると、先住民やイスラム教徒やキリスト教徒のとりわけ一般の貧しい人々の中に入ると、愛が生きているのが感じられるのはなぜだろう。
 例えば、ダバオの海沿いの貧困地域で、MCLの奨学生もいるササでは、先住民やイスラム教徒やキリスト教徒、仏教徒も、お互いに助けあって隣人愛のなかで生きているし、特に子どもたちに出会うと希望が感じられ、愛は宗派や部族を超えて、たとえ信仰が異なっていても、異なった夢を抱いていても、友情と隣人愛の中で平和に生きていけるのが感じられる。

 こうした世界の子どもたちを目の当たりにすると、先進国からから来た若者たちは感動して泣き出すことも多い。そのような様子から、いかに自国で引きこもり孤独な生活をしているのかを感じて、若い頃には引きこもりがちだった僕の気持ちも共感故か悲しくなり、そこから救われていく体験を是非ともさせてあげたいと思うようになった。
 引きこもっていては、世界の真相がわからないから、飛び出しておいで!ダバオ空港まで、安い便だと4万円で往復できて、MCLのスタッフが車で迎えに行っているよ!そして、MCLでは宿泊費はないし!スタッフの仕事について、山へ行ったり海へ行ったりできるから、最低でも2週間、一ヶ月か場合によっては数ヶ月いると良いよ。

 引きこもって自殺未遂もしていた若者たちが曰く、「ぼく、もう日本に帰ってもだいじょうぶ、だって、いざとなれば、ここにこればいいもん!」
訪問希望の方は ここをクリック!

ササの先住民、イスラム、クリスチャンの子たち!

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(5)限りなくゼロに近いからこそ美しい
 話をもどすと、ミンダナオ子ども図書館は、教育に関しては、学校教育のみだと活動に限界もあるので、平和で平等で愛のある未来を若者たちが作っていくためにも、スカラー達が自ら貧しい地域での読み聞かせや難民救済に向かったり、宗教を超えた融和をはかるために、先住民、イスラム、クリスチャンの文化祭や平和の日をもうけ、若者自身が集まって自ら考え行動することによって避難民救済や植林や文化プロジェクトを運営していく場所にしています。
 こうした単に支援してもらっているだけではなく、そうした子たちが自らの意思で大変な状況に置かれている子たちを支援しようと考え議論し実行していく、そのような大事な経験を、若者たちが実際に体験できる場所にすることも、自主教育の一つと考えているのです。上から知識を詰め込むだけの学校教育よりもずっと重要な・・・・。

 学校教育とはひと味違った、民族や宗教を超えた友情と愛の体験を経れば、先進国がたどってきた道とは、ひと味もふた味も異なった、第三の新たな道をゼロから始めることも、彼らには可能な気がします。本来のアジアに生きている、心に壁を作らない、柔軟でファジーな心を生まれながらに持って育ってきた彼らには。
 MCLに住み込んでいる奨学生たち曰く、「イスラム教徒もキリスト教徒も先住民も、ミンダナオ子ども図書館では宗教や種族が違っていても兄弟姉妹、一つの家族だもん!」
 私もときどき若者たちに語るのは、「海外に出稼ぎなど行かないほうがいいよ、寂しいだけだぞ、ここでがんばって仕事を作った方が良いよ。仕事は、探すものではなくって創るものだからね・・・」ミンダナオは、限りなくゼロに近いからこそ美しい?

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(6)ここだったら結婚して子どもを育てられる
 ミンダナオ子ども図書館のスカラシップの選択基準を、孤児、片親の子、家庭崩壊の子たちを優先させたのも、彼らはすでにマイナスに立たされていて、彼らこそ、ゼロすなわち出発点に立たせたときに、偉大な仕事はしなくても、心優しく社会に貢献しようとする人に育つだろうと思ったから。
 しかも学校に行かせてあげるならば、彼らのような境遇の子たちには信じられない、大学まで卒業できる道を開いてあげたいと思ったのも、人よりもマイナスから出発しているだけに、人並みを超えて出発させたら、貧しい子たちの状況や気持ちも理解できる大人になるから良いじゃないか、と思った事による。
 実際、多くの子たちが、学校の先生になった、福祉局のソーシャルワーカーや役所の教育局の職員や看護師や薬剤師になって働いている。

 ミンダナオでは、貧困家庭は小学校を卒業するだけでも経済的に大変で、大学まで行けるのは20パーセントぐらいの富裕層の子どもたちだけ。
 現実的には、自分が親だったら、だれだって、子どもの病気は治してやりたいし、学校には出来る限り行かせてやりたいし、食べさせていかなければならないし、と言う「自分が親だったらこうしてやりたい」と思うことを、可能な限り(限界も多い)したいという思いで活動している。個人的な感情に過ぎないかも知れないけれど・・・。

 しかし、寄付を主体とした事業は、利益を優先するビジネスとは全く違う。
 最初に寄付金を手にしたときに、つくづく責任と深い重みを感じたのは、これは今まで出版社で行ってきた時の売り上げから入る「利益」とは、全く異なった種類のお金で、寄付金は「利益」ではなく、「子どもたちのための『預かり金』なのだ」という、同じお金でもまったく異質の感じがあった。
 そんなわけで、私の家族もスタッフも、子どもたちと一緒に同じものを食べ、同じような竹の部屋で寝ているし、給与は決して高くはない。(現地では海外と繋がっているNGOは、「仕事は楽で高給取り」、と言われている!)

 しかし、MCLのスタッフたちは、そのほとんどが奨学生の卒業生で、必ずしも大卒ではなく、(
2020年には20人ぐらい)結婚して家族を持てば、敷地内にシンプルながらも家を建ててあげて住み、食料のお米は、本部や山や海の下宿小屋や、町に下宿している大学生の奨学生をふくめて200人分を、田んぼで自給しているので、スタッフにも家族の米と医療、そして子どもの学費も大学まで保証している。保険と年金も出している。
 たとえ給与が多少は安めでも、衣食住と医療と教育が保証されているのだから、スタッフたちは、安心して何人も子どもを産める。現地では、子どもを持つことが人生の最大の幸せの一つで、平均して7人ぐらいの子どもがいる。

 より高い給与を求めて、スタッフを辞めて海外に出稼ぎに行った子たちも、必ず帰ってきて言うことが、「色々なところで働いたけれど、ミンダナオ子ども図書館が一番いい!」
 日本から来た、年頃の若者たちが必ず言う言葉。
 「ここだったら、結婚して、子どもを育てられる!」

07
(7)仕事場と生活の場に壁を作らない
 ミンダナオ子ども図書館では、仕事場にも家庭との壁を作らず、我が子や奨学生の子どもたちも、仕事部屋に入ってきても良いし、ゆりかごを揺らしながらやベビーベッドの側で仕事も出来る。仕事場と生活の場に壁を作らない方法も、私が現地で学んだやりかたで、ミンダナオではあたりまえ。
 たとえ役所や銀行であろうとも、仕事場に子どもが入ってくると、職員たちが声をかける。
 「・・・ちゃん、おかえりー!」
 「母ちゃんあっちで仕事しているよ!」
 母さんの机の側まで行くと、母さんは子どもの服を着がえさせ、ゴザを引いて言う。「さあ、ここでちょっと昼寝してなさい。」
 前で座って順番を待っているお客さんたち曰く。
 「あなたのお子さん?」
 「大きくなったわねー!」

 ミンダナオ子ども図書館の本部にも、80人の小学校から高校までの奨学生の子たちが生活していて、若者や子どもたちが、みんなでスタッフの赤ちゃんや子どもたちも、自分の妹や弟として、家族として面倒を見てくれるので、子育ては本当に楽だ!
 「子育て」という考えがおかしく、放っておいても「子育つ」場所が、ミンダナオ子ども図書館!

 料理も子どもたちが朝の5時には起きて、100人分のおかずを作ってくれる。
 ゴムの木の廃材をマキにして、カマドや庭で炊いたご飯やおかずは、香りがあってとってもおいしい。
 なんどか大きな電気釜を買って炊いたけど、すぐに壊れてしまうし、マキで炊く方が慣れている。

 洗濯も洗濯機ではなく、井戸水でする。頼むと喜んでしてくれる。
 「パパトモー、洗濯物があったら言って!」
 山では、友だちや兄弟姉妹で、斜面をおりて川に洗濯に行く子どもたち。

 最初の頃は上から目線で、洗濯機も使ったことがない子どもたちだから、洗濯機を買ってあげたら驚いて感動するだろうと思って買ってあげた。けれども、ちっとも使おうとしない。ちょっと使ってもすぐにやめて、井戸端で洗濯している。

 「せっかく洗濯機を買ってあげたのに、なぜ使わないの?」と聞くと。
 「洗濯機で洗濯できたって、スイッチ押すだけでつまらないよ!みんなでおしゃべりしながら洗濯する方が楽しいもん!」
 井戸端会議もそこでしながら、嫌なことでも水に流して、そして最後は、自分を洗濯!

08
(8)ゼロからプラスの支援はしないのか
 それならば、ミンダナオ子ども図書館は、ゼロからプラスの支援はしないのかと言うと、今現在、次々とスカラー達が大学を出て育っていく中で、私のかつての専門だった文化事業、出版や映像を通して、ミンダナオから昔話、踊り、音楽など文化を発信する事をも考えている。
 もう一つは、農業事業で、山岳地のマノボ族などでも作れる高地農業の可能性を実験する実験農場、また雇用を創出するためのコミュニティー農場の実験を今年から始める。

 フェアトレードなども関心はあるけれど、農業や文化事業をするとしたならば、ミンダナオに住んで、むしろ現地で作物を育てたり、踊りや歌を楽しんだり、子どもたち社会に送り出すための貢献の土台ができれば、それで十分な気がしている。
 将来は、どのような展開になるかは分からないが・・・・ミンダナオに骨を埋めたいと思っている。

09
(9)ゼロに立った彼らが新たな道を切り開くだろう
 今年から日本の若者たちも視野に入れた活動を行おうと思っている。閉塞状態で、時には学校からドロップアウトした若者たちなど特に魅力的だ。
 そうした彼らもマイナスに立っている子たちで、彼らがこちらに来て、ミンダナオの若者たちと交流することによって、精神的にゼロの軸の上に立てたら良いなと思う。そこから進んでいくほうが、エリートを目指して学校の成績や学歴に執着している、勝ち組の子たちより良いかもしれない。既成の道などかなぐり捨てて、思う方向に進めばよいのだ。それもゼロに立つから出来ることだ。

 そう考えると、今や多くの日本人が、若者だけではなく中高年なども、経済的にはプラスの時点に立っていても、精神的な心の面ではマイナスの上に立っているように思えてならない。自殺率から鑑みれば、マイナスからゼロに立つための心の国際支援を必要としているのは、ミンダナオより日本人?
 国際比較の自殺率から見れば、日本は9位で先進国中第一位。フィリピンは100ヵ国中85位だ。

 自殺志願の中高年も可哀想だとは思うのだが、ミンダナオ子ども図書館があえて若者にこだわるのは、彼らに、未来があるからだ。もちろん、中高年の方々もいらしてくださいね。
 死ぬぐらいの勇気があるのなら、武器を持たずに戦闘地域に入っていって、子どもや難民を救済することができる?今後もなるべく多くの若者たちを、ゼロの上に立たせる支援をしていきたい。ゼロに立った彼らが新たな道を切り開くだろう。その後、プラスに向かって、どちらに歩を進めていくのかは、彼らの意志にまかせよう。若いときの体験が、彼らを支え導くだろう。

訪問希望の方は ここをクリック!ミンダナオ子ども図書館 支援方法

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ミンダナオ執筆日記:2009(1) 
 
1 6月16日(火) GO! あっ!ここは平和な日本だった!
2   GO! この時期に文章で日記を書かざるを得ない気持ちになったのは
3 6月17日(水) GO! これから第三次世界大戦も起こりえると言われている
4   GO! 車いすに乗せるとしても、誰が学校まで引いていくの?
5 6月18日(木) GO! サトウキビ刈りの労働は、炎天下の厳しい労働だ
6 6月19日〔金) GO! スピリットが憑いたようになって、振り乱した髪の毛
7 6月21日(日) GO! 光は渦を巻きながら、果樹園を染めていく
8   GO! ミンダナオ島における資源をめぐる紛争の検証
9 6月22日(月) GO! 生きている実感の中から、伝える必要があると感じた事を書く
10 GO! 子どもの頃から、本に囲まれて育ってきた
11 GO! 今ぼくが体験し感じていることを日本の若者たちにも伝えたい
12 6月22日(月)夕刻 GO! ピキットで戦闘が勃発したという
13 6月24日(水) GO! 子どもたちがいて困窮している、と想像しただけで
14 6月26日(金) GO! トトロの世界だったから、自然のなかでのびのびと毎日遊んだ
15 GO! ちまたこそが、心を通わせるぬくもりのある環境であったはずだが
16 GO! 死か発狂のどちらかしかない瞬間に
17 6月27日(日) GO! 落ちこぼれ人生にも、ここで少し触れておこう
18 GO! その後、カトリックの洗礼を受けた
19 GO! フィリピンのカトリック教会はアジア的で土着的
20 GO! 君は、学業を仕事にするには向いていないよ。野人だからなあ
21 6月28日(日) GO! 奨学生たちが話し合って決めた独自のポリシー
22   GO! 16歳を超えると結婚適齢期を超えた感じがして
23   GO! 恋愛もかまわないし、結婚しても、スカラシップは続けられるよ
結婚していないからいのちを捧げて行動できる  GO!  
無題3 松居陽   GO!

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 2009年:6月16日(火)
 あっ!ここは平和な日本だった!
 時々、激しい疲れが午後になって、重い石車の軋みのように、頭と体を轢いていく。
 去年の8月からのピキットでの戦闘。その後の激しい緊張が、血の凝りのように脳髄と背骨とに留まり、気がつかなかったものの、氷雪のように肩から頭にかけて溜まっていた。戦闘は、2月あたりで多少収束に向かい、3月から5月まで、ミンダナオ子ども図書館にやってきた新たな若者たちの対応に追われていたが、6月の新学年が始まると同時に、少しずつ南に押し流された北極の氷山となって溶け出し始めた?のかもしれない。

 偏頭痛と、極端な脱力感と、夢を交えた重い午睡が突然襲い、車の中であろうと、山に訪ねた竹小屋の床であろうと眠りが襲う。トラウマ状態は確かにあった。少しの物音でも、戦闘を思いだす刺激があると緊張が走る。強風のあえぎやヘリコプターの爆音。今でも国道で出会う軍用車などなど・・・。
 日本に行ったときも、九州の湯布院で、天空を自衛隊のヘリコプターが数機、爆音をとどろかせて横切ったとたん、髪の毛がさかだって「どこで戦闘が起こっているのか!早く子どもたちを助けに行かなくては!」と思って、ふっとまわりを見渡して呆然として思った。
 「あっ!ここは平和な日本だった!」戦争でイラクなどにいってきた米軍の若い兵士が、祖国に帰ってもトラウマ状態になるのが良く理解できる。

 しかし、規模は小さい物のミンダナオで戦争が起こる(起こされる)現状を終始見ている者としては、現在の日本の状況も決して良くはない。
 1999年の「周辺事態安全確保法」と2001年の「テロ対策特別処置法」が通って以来、尖閣問題も含めて、戦争を作るために中国と日本、ベトナム、フィリピンを対立させようとしているように思えた。

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この時期に文章で日記を書かざるを得ない気持ちになったのは
 
赤で書いているこの文は、2020年のものですが、このサイトページの黒で書かれた文は、ミンダナオ情勢が非常に複雑に展開している2009年から10年に書いたものです。この時期に文章で日記を書かざるを得ない気持ちになったのは、以下の理由によります。

 1996年から2002年のフィリピン政府軍と米軍による合同演習、バリカタンという名の実戦と、2003年の米軍によるテロリスト掃討作戦で、150万の戦争避難民が出た。(このときに避難民の子どもたちを見て心を痛めてミンダナオ子ども図書館を始めました。)
 ところが、2003年にイラク戦争が勃発して、米軍もNGOも、まだ大量の避難民がいるにもかかわらず、いっせいにミンダナオから去ってイラクへの向かっていったのです。

 その後は、小規模な戦闘は毎年起こるものの、情勢は比較的安定した感じでした。ところが2007,8年頃から、次第にイラク戦争が行きづまるにしたがってISがアジアにもどりはじめ、日本政府が主催したIMT国際監視団による和平交渉も決裂し、ちまたでは東アジアで第三次世界大戦が起きる可能性があると言われ始めました。

 その後、戦闘地域だけではなく、ミンダナオの全ての学校の屋根に白のペンキで大きく番号が書かれ、理由は無人爆撃機のドローンから避難場所である学校を爆撃しないようにするためだと聞きました。

 テレビ東京の番組でパックンが来られた時の番組にも、学校の屋根の白いペンキが書かれている理由が紹介されています。
池上彰の
ジャパンプロジェクト
世界の”命の現場”で
奮闘する日本人
 
 
パックンが
来た
 映像を 見たい方は ここをクリック
 イラク戦争が、しだいに行きづまり始めると、テロリスト集団と呼ばれているISIS戦闘員は、次第にミンダナオに拠点を築こうとしていると言われ始め、それを理由に2014年、日本の議会を集団的自衛権が通り、バリカタンと呼ばれるフィリピン政府軍と米軍による合同演習に、なんと日本の自衛隊が参加するようになりました。
 ミンダナオの人々の視点から見ると、これはいよいよ大規模な戦争が勃発する前兆だと言われはじめたのです。バリカタンは、演習と呼ばれているのですが、現地では実戦で、くり返しミンダナオで起こされて、2000年頃に3年ほど続いた時には空爆も行われて、150万の避難民が出て死体を埋めることなく河に流したと言われています。

 その時の悲惨さ、とりわけ表情を失った子どもたちの様子を見ていたたまれなくなり、ミンダナオ子ども図書館を始めたのですが、その後しばらくおさまっていたものの、集団的自衛権が通ってからは、現地では次回ミンダナオで大きな戦争が起これば米軍と共に日本軍も攻めてくる。尖閣諸島での中国との対立も過度にあおられて、場合によっては東アジアで第三次世界大戦が勃発するのではないか、と言われるようになりました。
 ただし、その後、ミンダナオ出身のドゥテルテ大統領になって、フィリピンは米軍とも距離を置き、日本政府JICAなどの尽力もあり、和平交渉が再開されてMIFLとフィリピン政府との間に和平が締結されたのです。その後、これを書いている2020年現在も和平交渉の詰めは進行しています。


 そうした複雑な情勢の中を、ただひたすら子どもたちの事のみを考えて活動してきたミンダナオ子ども図書館の歩みは、年代別に記したサイトの「戦争と平和構築」でご参照下さい。
GO!


sp2
 2009年:6月17日(水)
  これから第三次世界大戦も起こりえると言われている
 2000年前後の150万を超えると言われた戦争避難民救済支援の後も、毎年のように起こる戦闘や地域闘争で、何度も救済活動を行い続けてきた体験から見ると、平和呆けしている日本のことが心配でならなかった。ミンダナオで戦争が起こっていると言う事も知らない日本人。UN国連の人が現地で私に教えてくれたところによると、イラク戦争前まで、世界で最も戦争避難民の累計が多いのが、ミンダナオなのだそうだ。
 ここで避難民と難民の違いを明確にしておこう。僕も知らなかったのだが、戦争や災害で国外に脱出するのが難民で、家を置いて避難所や国道で避難生活を余儀なくされるのが避難民なのだそうです。ミンダナオは、避難民の累計が世界一だと、そのとき聞きました。イラク戦争勃発の直前のことです。

 現地では、これから第三次世界大戦も起こりえると言われていることなどもあり、ミンダナオに入ってから10年。日本の事も多少なりとも意識して、写真による活動報告だけではなく、困惑した自分の心も踏まえてミンダナオ日記を書くことにしたのです。
 けれども、しかし、その重いトラウマが、ある時次第に氷解するとき。確かに久々に虫の音が耳に聞こえてくる。普段もいつでも、虫は鳴いているのだが、ついぞその様な平和な光景を忘れていたのか、シャットダウンしていたのか・・・・まだ本当の回復までは、数ヶ月はかかるだろう。
その後、2016年に
青少年も意識して久しぶりに、
現地の情勢や活動をまとめたノンフィクション
『手をつなごうよ』(彩流社)を書きました。
 毎朝のスタッフとのミィーティングで、若者たちへの米の供給がテーマにあがった。一日で50キロの米袋が消費される。水田からの籾が全部消費され、9月の収穫まで待たなければならない。
 こうなると、市場で米を買うことになるが、とにかく高い。9月までのりきるために、若者たちに、農地にカサバ芋やサツマイモ、食用バナナを植えてもらい、それをおやつに食べることでお腹を満たし、そのあとで夕食を食べることに決めた。米の消費を極力抑えるためだ。まるで、戦中の配給制度のようだ。

 確かに、戦闘はあるし、世界経済も良くないので、その影響がミンダナオにも及んでいる。
 私たちは、まだ米が食べられるだけましだが、山のマノボ族や貧しい多くの家族は、米どころか、三食まともに食べられていない。4月5月の夏休み(こちらではこの時期が夏休み)に、里帰りしていた子たちも次々と戻ってきたが、あれだけふっくらとしていた子たちが、見る影もなく痩せて戻ってきた。やはり聞くと2ヶ月の間、家ではほとんど食事らしい食事をしていない。これが現実だ。

 体力が弱っていたせいだろう。次々と高熱の子たちが出て、18名以上が熱と頭痛と腹痛で治療を受け、6名が入院した。
 これを書いているのは、夜で、気まぐれな地蛍の漫遊の向こうから、熱帯の空気を押しつぶしたような、嗄れた虫の音が聞こえてくるが、それに混じって部屋から、ときどき咳をしている子たちの乾いた音がする。他にも入院患者が立て続けに出て、すでに8月までの医療予算を消費してしまった。治療を受けられるだけ、マシなのだが・・・。

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車いすに乗せるとしても、誰が学校まで引いていくの?
 筋ジストロフィーのアーリー(名前は全て仮名)が40度を超える熱を出した。
 他にも、メーアンとジュリーが、38度の熱で昼から学校を休んだ。ご存じのように、筋ジストロフィーは、年齢と共に筋肉が犯されていき、最後は内臓の筋肉まで機能しなくなり死ぬ病気だ。治療の方法はないと言う。MCLには、アーリーの兄弟リエルとベンジが同じ病気で、ベンジのみはかろうじて松葉杖で歩行しているが、他の二人は車いすだ。
 この家族は、マノボ族で、本当に山奥の小さな集落で見つかった。川を渡り、谷を越えて、かろうじて4WDが行き着く谷間。その様な村の竹の家で、歩行も困難な三人が、どのような惨めな生活をしていたか・・・想像がつくだろう。見つかった時、アーリーは、体を引きずるようにして、陰へ陰へと隠れようとした。光を恐れる小動物のように。

 彼らが不治の病である筋ジストロフィーであることがわかったのは、ダバオの医者に診せた時だ。
 ショックだった。何よりもこの病が不治の病で、年齢と共に進行し、やがて死を待つしかない事を知った時は、どうしようかと思いあぐねた。ミンダナオ子ども図書館で引き取ることを躊躇したくなる理由はいくつもあった。
 スカラシップをあたえても、それがどのように役に立つのか?それ以前に、歩けない子をどのように面倒を見たらよいのか。車いすに乗せるとしても、誰が学校まで引いていくのか?大きくなったらどのように面倒を見たら良いのか?などなど・・・。

 もともと身障者の施設や介護の知識もなく(今も無いが)、その様な施設や介護をやることに興味すら持ったことが無い僕が、この子たちを責任を持って引き受かられるのか・・・。
 しかし、山の小屋のあの惨めな生活の中に、知らぬ顔して放っておく事は出来なかった。見てしまった以上、そして治療を通して関係してしまった以上は・・・とにかく、MCLに引き取らなければいられない。そのためには、まずは車いすが無くてはならない。
 幸いノイ君というポリオの若者がいたので、身障者と暮らす多少の経験はあったし、二階建ての本棟を建てるときに、彼のために階段の無いスロープで上れるように家を建てていたので、先のことはその時になったら考えることにして思い切って引き受けることにした。

 しかし、狭い病室の片隅の酸素吸入バルブの横で、鉛のように重い午睡のなかに埋もれているアーリーの姿を見ていると、真剣に彼女の将来の事を考えれば考えるほどに、この先アーリーが肉体の不条理の中に心も深く、さらに沈み込んで行くような気がして胸がつまった。そのとき、かすかな救いとして僕の心に浮かんだのは、ミンダナオ子ども図書館にいるときのアーリーのうれしそうな微笑みだった。僕はそのほほえみが大好きで、良く彼女の横に座りながら、下の芝生で遊んでいる子どもや若者たちの姿を見るのだった。
 彼女は、そのほほえみで周囲を幸せにしている。それだけでも大きな存在意義を持って生まれてきたのではないだろうか・・・と、ふっと思った。

 あれから2年。車いすは、他のスカラー達が毎朝引きながら、手も足も萎えているアーリーは、そのわずかな力で車いすにすがるようにして、それでも小学校を卒業した。お兄さんで同じ障害を持つベンジーもリエルも高校を続けている。
 驚くべきは、彼らの顔の変化で、ミンダナオ子ども図書館に来てからは、想像できないほど明るくなった。学校に行くのも日常生活も、ほかの子たちが何も言わずにみんなで協力して助けてくれるのでスタッフの手もかりない。友情の中で、みんなで協力して生活していけば、専門的な介護の知識など無くても、かなりの事は出来るのだ!
 その後、ベンジーは大学を卒業してスタッフに、リエルは車いすのママで、コンピューターエンジニアになってパソコンショップで働き、アーリーは歩けないにもかかわらず、なんと彼氏が出来て結婚して子どもが生まれた!


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 2009年:6月18日(木)
  サトウキビ刈りの労働は、炎天下の厳しい労働だ
 今日は、キダパワン市の貧困地域へ、今年度の最後のスカラーを探しに行った。スタッフの一部は、先日予告なしに母親の元に行ったエミリーを捜しに山の村へ・・・。
 今年は、小学校と高校で数名が、親元に行ったきり学業を停止した。その多くはマノボ族で、山の貧困集落から、家族が低地のサトウキビ農場に出稼ぎに出てそのまま数週間現地に留まることになったのだ。兄弟姉妹も、日雇い労働に駆り出されたまま学校を、ストップしなければならなくなるので、(親に言われて?あるいは自分の意志で)自分も学校をやめて労働して稼ぐことに決めたのだ。

 山地で仕事の無い家族は、三食たべるのにも事欠き、サトウキビ農場の差し出すダンプトラックに乗せられてサトウキビ刈りに向かう。特に3月下旬から5月は、学校が夏休みに入るので、サトウキビ刈りに子どもの動労力を駆り出すのに適当な時期なのだ。
 サトウキビ刈りの労働は、ウオーターフォールから来ている子たちに多いが、スカラーの一人が言うように炎天下の厳しい労働だ。

 「わたしも時々したけれども、暑い日差しのしたで、サトウキビを刈る仕事は本当に本当につらい仕事なの。
 刈り取って、女では肩に担ぐことが出来ないほどの束にして、それで2ペソ(4円)稼げるの。女では、一日に30ペソ(60円)を稼ぐのがやっとかしら。男の人なら100ペソ(200円)ぐらい稼ぐけれども、その日の三食の食事をするだけで、ほとんど手元には残らない。
 家族みんなで出稼ぎに行って、もちろん子どもたちも手伝うわ。そう、小学校の子どもたちもね。わたしもしたわ。そうして、家族みんなで働いて、なけなしの賃金を家に持って帰るのだけれども、お米を食べられるのは2週間ぐらい。その後は、また一日2食の芋と野バナナ。学用品の鉛筆やノートも買えない。」

 今は、世界的な経済危機がミンダナオも襲っていて、サトウキビ労働の賃金も仕事もカットが続いている。その一方で、ここ数年の諸物価の値上がりが、家計を直撃。2年前まで、50キロの米袋が850から900ペソで買えたのが、今は倍近い1500ペソもする。極貧家庭では、ちょっとした値上げが死活問題になるのだ。

 ミンダナオ子ども図書館では、7.5ヘクタールの水田を持ち、籾米の値段で米を供給しているから良いようなものの・・・。それでも今年の5月から9月の収穫までは米が底をつき、市販の米を買わざるを得なくなり、急きょみんなで庭の芋やバナナを食べて米の消費を押さえることにした。子どもたちにとっては、MCLの毎日の食卓に、米が三度出てくるだけでも贅沢なのだ。そう考えれば、学業を続けたくとも、例えスカラシップを出してもらっていても、泣く泣く学校を停止して、一家がたべていくための手伝いをする方を選ばざるを得ない子どもたちの気持ちや状況は理解できる。

 例えそれが、小学校の女の子であったとしても、両親が働いている間に小さな兄弟や赤ちゃんの面倒を見ることも、家族を助ける労働の一部なのだ。しかも、大概の家族は多産で、平均して7人の子どもが居る。
 こうして、数名の子たちが、スカラシップからこぼれていった。支援者には、申し訳ないのだが、本当の極貧の子たちを学校に行かせてあげるためには、授業料だけではとうていだめで、ミンダナオ子ども図書館では、高校生には月に500ペソのお小遣いをだして学用品を買えるようにもしているのだが、それでも無理なことが多々ある。

 エミリーは、それを知っているものだから、こっそりとMCLを抜けだして、働いている両親の事を案じて帰ったのだ。
 それがわかった時、即翌日、わたしたちは朝のミィーティングでこの件を話し合った。そして、状況を調査するために、とりあえず現場にスタッフが向かった。エミリーは成績も良いし、口数は少ないけれども素直なよい子だ。そしてスタッフが迎えに行くことで、親も納得し(親だって子が学校に行くことを望んでいるのだから)夕刻MCLに戻ってきた。

 今日、高熱を出して学校を休んだ、同じ地域のジュリーやメリーンなど子どもたちが、2ヶ月の夏休みの間に、なぜ見る影もなく痩せて帰ってきたのかが今ようやくわかった。十分な食物が無かっただけではない。出稼ぎのサトウキビ刈りや、山の薪拾い(業者に売って日銭を稼ぐための・・・)毎日激しい労働をしていたからだ!
 夕刻、帰ってきたエミリーは、わたしの姿を見ると少し恥ずかしそうに、そして本当にうれしそうに微笑んだ。やはり、本当は、学校に行きたかったのだ。


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 6月19日〔金)
スピリットが憑いたようになって、振り乱した髪の毛
 50を過ぎた頃から、そして離婚を経験して(結婚式は英国国教会だった)何もかも崩壊したような気がしてから、物に執着しなくなったような気がする。ここミンダナオで、しかもピキットを中心とした危険地域で、日本人はおろか外国人で、あちらこちらに入り込んで活動しているのは僕一人だ。
 それでも怖くないのは、自分の命に対する執着が、薄れてしまったからだろうか。しかし、興味深いのは、自分の命に対する執着が薄れれば薄れるほど、次の世代の子どもたちや若者たちの命が、美しく見えてきて、「この子達のためだったら何でもしたい、自分の命が失われても」と言った気持ちが、強く起こってくることだろう。

 それでも、アーリーのケースもそうだが、どんなに救いたいと思っても、完全には救えない時の気持ち。また、どんなに寄り添っていてあげたいと思っても、生涯寄り添ってあげられない時の気持ちは、愛する人から無理矢理引き離されて、どっと血が流れながら手術をしても、修復できない裂け目に似ている?
 激しい頭痛が続いて、一度はスピリットが憑いたようになって、振り乱した髪の毛の間から真っ赤に血走った目で中空を見据え。どう見ても狂気の化け物のような顔になっていたリベール。スタッフも奨学生たちも恐れて近寄ろうにもよれないので、僕が必死に抱きかかえて落ち着かせた少女。

 普段はおとなしく本当によい子なのだけれど・・・。
 その後も相変わらず、頭痛と狂気が戻ってくる。本人は僕に、「このまま、わたしは、気が狂って行くような気がする。最後には気が狂って死んでしまうような気がする。死んだ妹が私を向こうに連れて行こうとしている・・・それが怖い!」と言って泣いた。
 僕は繰り返し、「死者は天使になって、神さまと共に、イエスさまと共に、空から君を見守っている。死んだ妹もそうだから、落ち着いて安心するように。」と話すのだが。

 あるときには少女は、とつぜん男のような声になって狂って暴れだした。その声を聞いて、親戚の子が僕に言った言葉が忘れられない。「あれは、死んだおじさんの声だわ!死んだおじさんの霊が取り憑いている!」
 誰も恐れて近寄れず、あんまり酷く暴れるので、僕は彼女を抱きしめて、耳もとから彼女の魂に声をかけて呼び戻すと、ようやく少女の意識が戻り、倒れたまま眠り込んだ。翌朝起きても全く何も覚えていない。

 50を過ぎていくと、そして自分の人生に対する執着が無くなっていくと、自分のいのちはどうでも良いから、次の世代を生かしたいと言う強い気持ちが生まれてくる。今やっている活動も、そうした気持ちの延長線上に有るように思う。しかし、言うに安しであって、そのことを少女に言っても、心の痛みはなかなか当人から乗り移る物ではないし、それが悲しい。それでも、僕の言葉を聞いて、本当におだやかに微笑んだリベールの笑顔が忘れられない。
 彼女は今、実家に近いところから学校に通っている。両親に近い方が良いと思ってそちらに移したのだが、相変わらず頭痛に襲われて、ときどき意識が遠くなるようだ。今まですでに5人、そうした子に出会っている。人には話せない辛い経験をしてきた子たちだけに、ときどき悪夢に苛まれるのだろう。


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 6月21日(日)
  光は渦を巻きながら、果樹園を染めていく
 朝起きてポーチに立つ。
 夜明けの光が、正面のアポ山とその前山の山並みの向こうから、黄金の水がこぼれ出したように、正面に高くたつ椰子の木立におちる。

 こぼれだした光は、渦を巻きながら、果樹園を染めていく。ランブータン、ランソネス、マンゴー、ドリアンといった果物の木が輝く虹色の光を浴びていく。
 早朝のミンダナオ子ども図書館。家の裏では子どもたちが井戸端で、朝の水浴びや洗濯をしている。

 キッチンでは、4時半の暗い頃から、朝食の準備がはじまっている。
 子どもたちが相談してグループ分けして、毎朝交代で自分たちの手で料理を作る・・・気持ちの良い朝の一時。

 そんな様子を眺めながら、コーヒーをいれる。目の前にコーヒーの木が植わっているのが見えるのだから、地場そのものの味わいだ。ポーチに座っている僕を見つけた子どもたちが、下から叫ぶ。
 「パパとも-!おはよーーぅ!」

 日々の活動で、悲惨な戦闘をピキットで体験しても。難民の困窮している様子を見ても。この自然の美しさと子どもたちの無邪気な笑顔だけは変わらない。 「こんな美しい世界で、なぜ戦車が走ったり、迫撃砲やM16ライフルが炸裂したり、ヘリコプターから砲撃を加えたりするのだろうか。」
 それは、その部分だけとれば地獄絵のような光景なのだが、その地獄絵は、人間が人工的に描いているカリカチュアに過ぎないことは、その地獄絵図の周囲に、まったくかわらない美しい自然の風景が広がっている事で良くわかる。小鳥たちもさえずっている。

  あるイスラムの村長さんが言った言葉が忘れられない。
 「昔はここでは人間達も、宗教や種族を超えて平和に暮らしていたんだよ。先進国が、この地に関心を持つまではね。ピキットのリグアサン湿原には、膨大な石油や天然ガスが眠っている。海外がそれに関心を示しさえしなければ、今でもここは、美しいパラダイスなんだ。」
 人間さえいなければここは平和なのに。

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フィリピン・ミンダナオ島における資源をめぐる紛争の検証
ミンダナオ島中央部の “Ligawasan (リガワサン)” 湿地帯の
地下資源とそれに関連する重要行為主体の利害関係の考察
村田俊一

GO!

はじめに
 
21 世紀を迎えた私たちの住む世界全体を見渡したときどのような光景が目に浮かぶであろうか。科学や産業の急速な発達により、人類は様々な歴史的な進歩を遂げてきた。途上国もその例外ではない。
 世界60 億人の 3/4 に当たる 45 億 人は途上国に暮らし、過去30年間に世界の平均寿命は8年延び、非識字率は47%から 25%に下がった。完全な水を利用できる農村地帯の割合は5倍以上に増加 し、途上国の平均所得は実質ベースではほぼ倍増したが、それでも現在 12 億人 が1日1ドル未満で 20 億人以上が 2 ドル未満で生活するなど、25 億の人々が進 歩や豊かさから取り残されている。
 世界の環境汚染や天然資源の枯渇は、豊かな国や特権階級の利害に大きく関連しているように思われる。この報告書を執筆するに当たって、最近の資源と紛争に関連するケースを通じて、重要行為主体の整理と資源と紛争の関連性を検証しながら、ミンダナオ 島のリガワサン(Ligawasan)湿地帯の紛争回避の可能性を模索したい。


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 6月22日(月)
  生きている実感の中から、伝える必要があると感じた事を書く
 昨日と一昨日は、子どもたちによる読み語りがあった。
 新しく来た子たちも読み語りが大好きで、小学校1年生の子でさえも、初めてだし、まだ字も読めないのに、堂々と絵本の読み語りをする。絵を見て自分でお話をつくりながら、周囲に爆笑を引き起こして語る・・・語る力がすばらしい!

 ミンダナオに来た後、しばらくはまだアメリカに渡る希望を持っていたので、一時ニュージーランドに行った。英語を磨くためだった。その後、アメリカに渡る希望も失せるにしたがって、世界の、特にアジアの現状を知りたいと思った。これは、昔から暖めてきた思いだった。すでに30年前、『昔話の死と誕生』(教文館)を書いた頃から、アジアにこそこれからの平和な未来を作る世界観、宇宙観がまだ生きている、と感じていたからだ。

 そこで最初は、ジャーナリストのように、あちらこちらの貧困地域や紛争地域をめぐって現状を取材して執筆しようかと考えたが、それはそれなりに意味はあるが、訪問者として旅行記やジャーナリスティックな物は書けても、その地域の人々の心の中に深く宿る真実は見えてこないと思った。
 むしろ、一カ所に留まって、現地の人々と何らかの活動をしながら、そこに住む人々と深くつながり、そこから見えてくる物こそが僕が求めているものであるように思ったし、今もそう感じる。物を書くことが本来の目的ならば、あちらこちらをめぐって取材して書く方が多彩で量も多くて良いだろう。しかし僕の場合は書くために生きるのではなくて、生きている実感の中から、人々に伝える必要があると感じた事を書くのが、自分のやり方だと思った。

 確かに一点に滞在して深く掘り下げる仕事は、書く視点から見ると効率は良くない。けれども、そこから世界につながる普遍的な真実を見いだすことは可能だし、書くことが先に立つのではなく、生きることが先に立つ方が面白い。
 ミンダナオという東南アジアの小さな島の、さらにそのごく一部分の場所にすぎないけれど、実体験を通して深く掘り下げた中から、次第に見えてくる真実を追究したい!

 しかしその後、ミンダナオ子ども図書館を始めてから7年がたつが、ほとんど本を書いていない。書け書けとは言われるのだが、可哀想な一人の子どもが笑顔になる様子を目の前にしてしまうと、絵本も本も絵画も文学も芸術も、空に吹っ飛んでしまうほど感動的で美しい!

 そのような子どもたちに囲まれた生活が、あまりにも面白いからだろう、「子ども図書館」を作りながら、一時期は絵本や本に対する興味すら吹き飛んでしまった。しかし、子どもたちがお互いに絵本を楽しみ、読み語りを楽しむ姿を見ていると、絵本や本の存在価値も感じられて、これはこれで良いなと思いはじめた。

 そして、いたるところに生きている、子どもたちの本当の笑顔や心の豊かさや生きる力を見るにしたがって、逆に日本の子どもたちに、この世界を伝えてあげなければいけないと思うようになった。経済的には豊かだけれど、自殺や引きこもりが増えている、心の貧しい日本の子ども・・・?

 
そこで、久しぶりに絵本『サンパギータのくびかざり』や『サダムとせかいいち大きなワニ』(今人舎))をだし、青少年のために『手をつなごうよ』(彩流社)を出しました。本の良さは、いつでもそばにいてくれること!携帯は、スイッチを消すと幽霊のように飛んでいく。
絵本をクリックして、アマゾンサイトへGo!

  
 しかし、絵本や本だと特定の子にしか行き渡らないし、今の時代の落ちこんでいる子どもや若者たちの事を考えると、サイトでも読んだり楽しんだり出来るように工夫して、絵本や本や携帯で見て何かを感じたら、そこから本当の世界に飛び出したくなるような、踏み石になるような絵本や物語やサイトや映像を作ろうと思うようになった。
 これらのサイトでも、昔話や物語、創作や映像をただで読んだり見たり出来ますよ。でもそれをきっかけに、ぜひ現地へ来て体験して、子どもたちにも出会ってみてください!
MCL映像サイト
何故ここに日本人などのテレビ映像
その他の貴重な活動映像を掲載
MCL文庫
 民話、絵本原稿、青少年から大人までの読みものを
自由購読で提供しています。


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子どもの頃から、本に囲まれて育ってきた
 僕は子どもの頃から、本に囲まれて育ってきた。父親をはじめ、周囲の親戚が福音館書店に属し、父は今もそこを拠点に活動している。妹も弟も本を書いている。
 ただし、読書が絶対だとは思わない。高校、大学と、小説から哲学まで数千の本を読みあさったが、そのあげく死にそうになった経験も持つ。本だけで育ってきていたら、携帯だけで育つ子のように、僕は引きこもりになって死んでいたのではないかとも思う。僕が子どもの頃は、読書は携帯と同様に見られて、電車の中で本ばっかり読んでいると周囲の大人から言われたものだ。
 「そんなに本の世界に閉じこもってばかりいないで、もっと友だちどうしで外で遊びなさい!本ばっかり読んでいると、引きこもって駄目になるよ!」

 本に囲まれて育ちながら言うのもおかしいが、「本」は人間が作った文化の一部で、「文化」以上に感動的で面白いのは、神によって創造された「世界」だ!
 ミンダナオの手つかずのジャングルや子どもたちを見ていると、これこそが神が創った世界だと感じられる。神=愛が創造した自然や人間こそが、真に深く感動的なのであって、その魅力に取り憑かれると、本や音楽や商品や都市文化などといった人間の作ったものは、酒の絞りかすのように見えてくる。

 小学校の高学年ころから、奈良や京都の古代遺跡や神社仏閣など、文化財を徘徊するのが好きになり、一人で比叡山なども巡ったけれど。
古跡が好きで小学校を卒業したら京都に住もうと決心して、京都の中学を受験して落第。公立の高井戸中学にいったけれど、公立の良さは近所に友だちがたくさんいて、八百屋や布団屋の息子から、比較的金持ちのお嬢さんまで色々混ざっていることだろう。

 しかし、クラブ活動には興味が持てず、花を植えたり野菜を育てたり。祖父が山梨で晩年に農業をやっていたこともあるが、この体験は子ども時代にしておいたほうが良い。有機栽培からコンポストまで、いまだに農業の視点を交えて世界を考える基盤になる。ゲーテの植物のメタモルフォーゼもこの体験があったから実感として理解できた?
 しかし親からは、「まるで、隠居老人のようだねえ」と言われたが、自然界に興味を持ち山々を歩き始めたのもこのころだ。


 文化財を巡るのは、それはそれなりに良いのだが、そこから目を上げて、さらにミンダナオの自然やそのなかで生き生きと遊んだり生活している子どもたちの魅力にかかっては、お化けのように飛んでいてしまう?
 人間が中間にはいって作ったものと、神が自らの愛で創造したものの違いがそこにはある?むろん、子どもよりも酒を飲む方が好きな大人もたくさんいるが、ミンダナオには本屋はないが、自然とそこで遊ぶ子どもたちの姿がある。

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今ぼくが体験し感じていることを日本の若者たちにも伝えたい
 ミンダナオにいると、人が人に語りかけるために作った言葉と、神の愛によって創られた世界が語りかける言葉とは、その力に大きな差があるように感じられることがある。たとえば、ここに僕が書いている言葉に感動して現地に来て、本当に現地の山の子たちに出会うと、僕が書いた言葉など頭のなかから吹き飛んでしまう!そういう体験をして欲しい。
 一人の子どもの美しい表情を前にすると、全ての絵本や本、物やお金、文化文明が消えてしまうほど、心に深くしみ通る!特に人間の作った文化に影響を受けていないような世界に生きている子たちの表情は、言葉にならないほど美しい。

 そのときにぼくが思うのは、「ああ、今ぼくが体験し感じていることを、日本の若者たちにも伝えたい!いちばん良いのは、ここに来てもらって体験してもらうことだろう。」
 事実、ミンダナオ子ども図書館に来られた支援者の方々や、とりわけ日本の若者たちは、MCLの子どもたちが、孤児や家庭崩壊を体験してきた子たちなのに、笑顔で驚くほど明るいのに驚くと同時に、そんなミンダナオ子ども図書館の子どもたちに囲まれて抱きつかれると、涙が湧き出て止まらない。

 泣き出したある若者が僕に語った。
 「ぼくは、小さいときから生きるためには、『心に壁を作らなければいけない、いけない』と考えて、今まで何とか生きてきたけれども、ここへ来て明るい子どもたちに囲まれたとたん、あっという間に壁が崩れて、あわてて壁を作ろうとしてもどんどん崩れてしまって、うれしくってうれしくって涙が湧き出てとまらない!」
 そのような若者たちを目の前にして、これは日本の人々、とりわけ若者や子どもたちに、僕の経験して来たことも、伝えなければと思うようになった。

 しかし、日本から遙か遠く、郵便物も届かない辺境な奥地に住みながら、日本の若者たちと交流が持てるとしたら、印刷所で隔月で作ってお送りしている機関誌とインターネットしかないので、こうして機関誌『ミンダナオの風』とウエッブサイトを立ちあげました。また、日本の出版社と連携して絵本や本も出したけれど、インターネットで情報を送れるものの印刷物にこだわる理由は、ある方曰く「やはりサイトを読むのと『ミンダナオの風』を読むのとは、心に入る入り方が違うし、他の人にも見せてあげられるし全部大事にとってありますよ。」
下の表紙をクリックすれば、特別にPDFで見ることができますよ。
機関紙は、わずかでも自由寄付等の支援をしてくださる方々に、現地から隔月でお送りしています。希望の方は、現地日本人スタッフの宮木あずささんにメールか、ゆうちょに寄付を振り込んでいただければ、登録してお送りします。
宮木あずさメール mclmindanao@gmail.com


 こうした印刷物やサイトに込めた思いは、少しでも現地で感じた体験を伝えたいという気持ちと、可能ならいつかいらしていただいて、現地で皆さんと分かち合いたいという思いからだ。
 若者たち、来たらいいよ!宿泊費はとらないし、ダバオ空港までマニラでの乗り換えはあるけれど、安くて往復4~5万円ぐらい。到着時間を現地スタッフの宮木あずささんに伝えておけば、ダバオ空港まで車で迎えに行くし、スタッフといっしょに山をめぐって見たらいいよ。
訪問希望の方は ここをクリック!
 ミンダナオの子どもたちとの出会いをきっかけに、日本の若者たちの心に、夢と希望と生きる力がよみがえってこれば、こんなうれしいことはない。
 サイトや本を飛び越えて、現地で本物の体験をして欲しいとつくづく思う。

 ぼくの作ったサイトや本や講演会で発する言葉は、現地で本当に子どもたちに出会うと、幽霊かお化けのように消し飛んでいく!その意味でも、人が発した言葉が目的になるのではなく、きっかけになって行動が起こり、文明の世界から飛び出して、言葉の向こう側に生きている真実の言葉、子どもの表情や声が聞こえ、見えてきたらよいのだと思う。
 ミンダナオ子ども図書館の子どもたちは、小さな子でも昔話が語れる。祖父母から聞いているから。人の言葉でも我が子や孫への愛があれば、それは神の言葉と同じ。本物の言葉が生きている。絵本がなくても、本物のお話の生きている社会ミンダナオ!
  

若者たちと
絵本画家の
体験記

GO!
最後に海の
下宿小屋に
泊まった
 
GO!
避難民に
読み語りと
炊き出し支援

GO!
イスラム地域
緊急
避難支援
 
GO!

 子ども時代、引きこもって本を読む時期も確かにあったが、僕の場合は、小学校の頃に学校内でも学校帰りも、外で思う存分友人たちと自然の中で、徒党を組んで遊んだ体験が僕を救った。杉並はまだトトロの世界で、学校がひけてからが本番だった。校門を飛び出し、当時武蔵野で湿地だった井の頭公園で、ザリガニやドジョウをとり葦の原を探検した。
 そんな好奇心と冒険好きの性格が、後に北海道でアイヌの人々と出会いカヌーで川を下り、厳冬の山を彷徨したり、道のない日高の沢筋をザイルを持って登ることに発展した?それこそが真実の物語の世界だった?
 その体験こそが今、ミンダナオで役に立っている。

 2012年に先妻との息子の
 松居陽が書いた文章がおもしろい!
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無題 3  松居陽

聞こえるのは、波の音、風の音、ココヤシの音。
イヤホンはあっても、音楽を聴く気にはならない。
生と死の詰まった、潮のにおい。
砂が足をくすぐり、塩が肌にべたつく。
実体のない波も、銀河へ続く水平線も、
目を据わらせてはくれない。
宇宙という意識に溺れたひと時。

夢みたい。と、人は現実に目覚めたときに言うのだ、
とお父さんは言う。
概念上の世界を現実だと思い込むと、
自然界を夢のように感じるのだと。
人声が静まり返れば、宇宙が無言で語りかけてくる。
人と自然の間に境目はないはずなのに、僕も感じる、
夢みたいだと。
後何時間見させてくれるだろう。
もうすぐ夜が明けて、人が起き出す。
地位、財産、業績、またこの太りすぎたシステムが、
ますます重い足を引きずって、ぎくしゃく走り始める。
空気を吸いつくし、水を飲みつくし、
大地を踏みつくすまで。
それとも、奇跡が起こって、
みな名も言葉も忘れて目を覚ますかも。
こんな夜は、そう星に願う。
朝が来れば、僕らは新たな目で互いを見つめあい、
そこに表現しきれない愛を感じるだろう。
言葉が出ないもんだから、みんないっせいに笑い出し、
抱き合い、声高らかに浜辺へ駆け出して、
赤ん坊のようにピンクの水平線に見とれるだろう。
泣き出す者もいるかもしれない。
次々と海に飛び込んで、水が肌を撫でる快感にうめき、
身をよじらせるだろう。
でも、僕らがしないことがある。
それは、それを海と呼ぶこと。
それを美しいと呼ぶこと。
それを僕らと呼ぶこと。

もう、誰の振りもしなくていいんだ。
もう、上にも、下にも、右にも、左にも、
中にも、外にも立たなくていいんだ。
人間くさい、裸、生きている、一緒に、生々しく。
自然体を恥じることはない。
体で感じる情熱を、好んで否定することはない。
死が自制心からの開放なら、
今罪深い本性をさらけ出して、生きながらの死を祝おう。
どうせ、いつか気づきざるを得ないことだ。
心は変えられても、血は変えられない。
知能が平等を望んでも、
本能は支配したがり、されたがる。
頭は、体を指示するのではなく、体に耳を傾け、
その声を忠実に表現するために
生まれてきたのではないだろうか。
沖に、小船の光がちらつく。
漁夫が、網を引き上げているようだ。
フィリピンの海や山に生きる、
たくましい人々を見ると、
どこかやるせない無力感に打たれる。
僕は、所詮今経済と呼ばれているシステムに取り入って、
姑息に生きている人間だ。
容赦ない自然界に生かされる術など、
ほとんど持ち合わせていない。

それだけに僕らは心の奥に不安を抱き続け、
それだけに彼らは自由なのかもしれない。
何もかもをなくしても、
自然の情けに命を許されるのだ。
おなかがすけば、魚を捕り、調理する法を、
人は受け継いできた。
病気にかかれば、治療する方法も。
そうか、言葉はやっぱり必要なんだ。
じゃあ、何でこんなに嫌気が差すんだろう。
小うるさい人間のドラマに、空っぽの言葉に。
今なら、永久保証、お買い得、愛!
言霊の嘆きが聞こえるようだ。
問題は、言葉が表すはずの本質が
見失われているからかもしれない。
情報は増えても、その根源が
いつにも増してあやふやになってきている。
体内に残った全ての声を、海にぶちまけたい。
波よ、さらっていってくれ!
この他愛もないおしゃべりを!


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 6月22日(月)夕刻
  ピキットで戦闘が勃発したという

 午後一時にブアランとアレオサンで戦闘が勃発、大量の難民が出ているという連絡が入った。雨の多いシーズンで、難民たちは困窮しているのでビニールシートの支援を開始できないかという連絡。

 緊急にスタッフ会議を開いた。明日は、病人の搬送のためダバオに行く予定だったが、その件はスタッフの一部にまかせて、緊急にピキットへ支援活動をしに行く必要がありそうだ。ここ数日、頭痛が起こり、嫌な予感が絶えず心を襲ってきていたが、このことだったか?
 世界的に見ても、ラマダン明けの6月7月は、イスラム地域で不穏な動きがある時期のような気がする。ブアランからアレオサンでの戦闘勃発は、去年の8月の戦闘開始のケースとまったく同じだ。今後、拡大しなければ良いのだが。


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 6月24日(水)
  子どもたちがいて困窮している、と想像しただけで
 ピキットで戦闘が勃発した連絡を受け、翌日の火曜日、さっそく現地に向かった。難民が発生している地域は、まだ限られており、ブアランとパニコパンの難民の状態が良くないと言うので、困窮している地域を優先した。

 正直な気持ち、せっかく去年からの戦闘の疲れというか、トラウマ状態から抜けだし始めたかな、と思っていた時だけに、イタチが巣穴の土手から頭を出してそろそろ青空の良い天気かな、と思って天を見上げたとたん、重くトゲトゲしたドリアンが首筋に落ちてきたような感じで、「いい加減にしてくれよー」と頭を抱えたくなる。このトゲトゲした重い情感は、本当につらい、ドリアンならそれなりに僕には良い臭いで美味しいのだが・・・

 しかし、奮起して活動を開始。
 2000年、2003年、2006年、2008年、そして2009年と、もう5回の戦闘が起こっている。そのたびに難民救済を開始するのだが、こんな事をいつまでも続けていたら、うんざりして、逃げ出したくなるだろう。重い鬱病を抱えたまま・・・と思うのだが、確かにその通り。
 それにもかかわらず、性懲り無く起こる(人間が起こす馬鹿げた)戦争に対抗して、性懲り無く救済活動を実行する原動力は、どこにあるのかと自問すると、答えは一つしかないことに気がついた。
 その戦闘の中に、子どもたちがいるからだ。

 そこに、子どもたちがいて困窮している、と想像しただけで、科学物質で汚染された汚泥の中に野の花を見るような気がして、恐れを忘れてその場に行かなくては、と思い始める。この気持ちがなかったら、こんな馬鹿げた活動を誰がするモノカ!とも思う。
 現場に行くと、案の定、他の救済支援は全くないから、難民たちは困窮して途方に暮れていた。先日は、子どもたちも地面の上で寝たという。

 今回の戦闘は、一ヶ月ぐらいで終わるのか?とある人が軍の関係者に聞いたところ、「3ヶ月分の弁当を持ってきているよ」と答えたという。3ヶ月分の食糧をあらかじめ準備しているという意味だ。
 それにしても、戦闘を起こす理由が未だに良くわからない。DSWDの某氏に今回戦闘が起こった理由を聞くと、曰く「選挙が近いからでしょう」「エッ?」確かに来年は、大統領から集落の役員に至るまでの総選挙で、すでに至るところで道路の補修工事がなされている。政治家による選挙前の資金のばらまきだ。

 さらに加えて某氏曰く、「政府から、その筋に、軍資金が落ちるようにするために、戦闘を起こすのでしょう」。唖然としたが、「なるほど、軍資金というのは、軍に資金を落とすことか」と、変に納得した。政治家にとって、軍は重要な票田なのだ。


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 6月26日(金)
  トトロの世界だったから、自然のなかでのびのびと毎日遊んだ
 僕が子どもの頃は、まだ東京杉並は、トトロの世界だったから、自然のなかでのびのびと毎日遊んだ。

 小学校が良かった。受験制度に蹂躙されるまえの明星学園。担任の無着成恭の授業は楽しかったし、数学の松井幹夫、理科の遠藤豊先生たちの授業も素晴らしかった。
 その後、僕が小学校を出て、京都の私立中学を受験して落第したあと、公立の高井戸中学校に移ったけれど、何があったのか未だにわからないけれど、明星学園を離れて(追い出されて?)無着先生は曹洞宗の僧侶にもどり、松井先生や遠藤先生たちは自由の森学園を始めた。

 しかし、こうした先生方に学べる機会があって、何が良かったかと言えば・・・勝ち負けを競争させたり知識を詰め込むことよりも、生きる意味を自分で考え、疑問を持ち、自分で答えを見いだそうとすることを学んだことだ。これこそアジアの文化の特質?
 しかし、学校がひけてからが本番だった。
 校門を飛び出し、当時の武蔵野で、まだ公園と言うよりも湿地だった井の頭公園で、ザリガニやドジョウをとり、葦の原を探検した。

 読書好きと並行して得た、こうした好奇心と冒険好きの性格が、後に東北文化に興味を持って、ねぶた祭やネプタ祭りで踊ったり、月山をはじめとする出羽三山を放浪したり。
 北海道に住みついてアイヌの人々と出会い、一人山頂でテントもなしに眠ったり。氷雪の中をカヌーで川を下ったり、厳冬の山を彷徨して雪洞を掘って眠ったり、道のない日高の沢筋をザイルを持って登ることに発展した?
 これが今、ミンダナオで役に立っている。

 宇宙に関心を持ち始めたのも中学生のころからで、天体を望遠鏡でながめたりもしながら宇宙論に関心を持ち、アインシュタインの「物理学はいかに作られたか」(岩波新書)等も読んで心に残っている。
 後に、大学でゲーテの自然科学に関心を持ち、錬金術の宇宙像を探求するが、それを縄文の基層であるアイヌと沖縄にも見いだし、その後執筆することになる、宮古島のシャマニズムの宇宙像「沖縄の宇宙像」(洋泉社)やアイヌの「火の神の懐にて」(洋泉社)などへつながる興味は、ここから出発してるような気がする。
   
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 ちまたこそが、心を通わせるぬくもりのある環境であったはずだが
 小学校の高学年から中学は最も楽しい時だったが、東京オリンピックをさかいに西洋目線が強まり始めて、リゾート開発が盛んになりありのままの自然と共に素朴で伝統的な庶民の生活が消えていくのに、強い不安と寂しさを覚えた。

 駄菓子屋や屋台、銭湯や縁台、公共と個人との中間に位置するちまたの空間こそが、人々の心を通わせるぬくもりのある生活環境であったはずだが、個人ばかりが尊重され、住宅は見かけがきれいになっても高い壁で囲まれてしまった。
 昔は生け垣が主流で、生け垣の下をかいくぐって学校に通ったり、他の家の庭にはいることも出来た。すると、おばさんが声をかけてくれた。
 「柿の実が熟れたよ、採りに『盗りに?』おいでー。」
 「お風呂が沸いたよ、入りにおいでー!」

 外部は道も舗装されて、電灯も裸電球ではなくなり瀟洒な外灯になったのだが、立ち話やちょっとした食事が出来たりする、縁台、屋台、駄菓子屋といったものがなくなり街頭紙芝居もなくなっていった。

 どこでも遊んでいた子どもたちは公園に隔離され、やがて学童センターに閉じこめられることになる。老人は、老人ホームに。ちまたのコミュニケーションは、コミュニティーセンターに。
 現代文化の発展に疑問を持ち始めたのもこのころだ。戦後経済を背負って、生き生きと働いていた人々の姿は、牛詰めの地下鉄のなかで、深海魚のようなうつろな目をしたサラリーマンに代わっていった。

 「俺もあんな人生を送るのか・・・」と思うとぞっとしたが、一方で、小学校の頃から聞き始めたビートルズやグループサウンズ、後には新宿西口広場にたむろしたフォークソング、岡林や高石にかすかな希望を見いだすのだが、それも後に学生運動の阻止と共に消えていった。
 ムスタキ、ジョーンバエズ、フレディー アギラ・・・

 感受性豊かな高校時代は、友人たちが高校の職員室を封鎖したりして、学生運動のさなかだったが、僕自身はそれに加担する気は起きなかった。
 ただ、現代人の心の問題には関心を抱き、現代文明に置ける疎外についてなど、当然ながら、ニーチェ、キルケゴール、サルトル、ハイデガー、ボーボワール、小説ではサガン、ウイルソンなど、いやはや片っ端から読みふけり、他方でモーツアルトやベートーベンやシューベルトを聴き、アルフレート アインシュタインのモーツアルト論を読みながらマーラーを好み、絶えず死の考察を続けていったが、そのあげく、死にそうになった。

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 死か発狂のどちらかしかない瞬間に
 「神は死んだ」世界であるから、宗教も持たずに虚無との戦いにのめり込んでいったのだが・・・「虚無を超える強い意志」を人間は持たなければならない、という強い思いに答えをだすために、鬼門から虚無の世界に積極的に入っていったその・・・結論は・・・「持てない!」で、人間の意志など、絹糸のごとく張りつめれば容易にプツンと切れる!
 それにもかかわらず奇跡的に生きながらえたのは、予期せぬ不思議な体験のおかげであった。

 死か発狂のどちらかしかない瞬間に、見えないけれども見える母なる存在が枕元に立ちあらわれて、「あなたは、もう充分やった(戦った)のだから、今は休みなさい」と、言われてその愛に救われたのだった。
 黒い服を着たその女性は、目の前に居ないのだけれど、実際にそばにいるのが感じられ、自分の苦しみのすべてがその愛の中に吸いこまれていき、「救われたのだ」と、いうことがわかった。当時は、宗教を信じていなかったが、この世を超えた愛が存在することは、認めざるをえなかった。
その時の体験から生まれた絵本が
『サンパギータのくびかざり』(今人舎)です。

 その後から、この世を超えた愛の存在を確信するようなった。愛以外に物事を真に解決する力は無いと悟った。

  多量の本に興味が無くなり、読むに値したのは聖書(これは本ではないのではないかと思っている。とりわけ福音書には、人間業ではない、神の言葉がちりばめられている。)、そしてゲーテは面白かった。メメントモーリではなく、ゲデンケツーレーベン、「死を想う」のではなく、「生きることを考えよ」。
 すると次第に、再び神が創った世界が、強烈な光を帯びて見え始めた。美しかった。今でもこの世は、本質的に美しいと思う。人間が、汚さない限りは。
 その後、読んで多少面白いと思ったのは、ドストエフスキー、森敦そんなところかな?


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  6月27日(日)
  落ちこぼれ人生にも、ここで少し触れておこう
 書きづらいけれど、大学の頃から後の落ちこぼれ人生にも、ここで少し触れておこう。
 後に上智大学の独文科にうかり、(あの頃は、上智はあまり有名な大学ではなく、上智大学って仏教系???とよく言われた。だから入れた?)僕は、音楽が好きだったので聖歌隊に入り、友だちと皆でスキーには行ったりした。

 けれど、相変わらず授業もそこそこで卒業を迎えるころ父に、「お前は、将来何をやりたいのか?」と、聞かれて「この世の本質が知りたい」と、答えると、呆れた顔で、「大学を卒業したら、どこに就職するのかと聞いているのだ!」と言われ、返答に困っていると、「お前のような人間は、社会に適応できないから、とりあえず大学に残って修士課程に行きなさい!」そして、受けたけれど落第。
 ただし大学の恩師で、ゲーテ研究者の木村直司教授が、「卒業論文は良いから、一年浪人して、ドイツ語を学び直して来年もう一度受けなさい」と言われて浪人。教授が、夏休みに別荘でドイツ語の集中講義をしてくださった。

 浪人生活が始まった春、父から「一度海外のドイツに旅してご覧」と言われ、自分で計画をたてて生まれて初めて飛行機に乗り、最初に海外で降り立ったのがチェコスロバキアのプラハだった。
 当時のチェコは共産圏で、プラハの春の革命が終わったばかり。そこで東ドイツ大使館に行き、ビザをとって(当時、日本には東ドイツの大使館はなく、ビザはとれなかた)東ドイツに入り、かつてゲーテのいたワイマールに向かった。
 現地で友達になった人に誘われて、ドイツの温泉にも行ったけれど、服を脱いでお湯に入るのかと思っていたら、白いガウンを羽織って岩から出る蒸気の周りを人々が、息を吸ったり吐いたりしながら歩くのが温泉だった。

 落第の翌年、修士に合格して、一対一の授業の時に「ニーチェのように神を否定した人の中にも、神の力は現れると思うのですが、そのようなことを語っている人はいますか?」と聞くと、「ホイヴェルスさんがそうだね。」「どこの哲学者ですか?」「裏にいるよ!」なんと、上智の裏のイグナチヨ教会にいる詩人で有名なドイツ人神父だという。
 面白い神父がいるもんだと思い、早速たずねると、当時はすでに80歳を超えたホイヴェルス神父の前に座ったとたん、「洗礼を受けます」と言っている自分に驚いた。

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 その後、カトリックの洗礼を受けた
 その後、くり返し通って『人生の秋に』(春秋社)などの著書を読んであげていたけれども、あるとき自分が死にそうになった時、黒い姿の女が立って、「十分やったのだから今は休みなさい」と、言われて救われた話をすると。「それは、黒い聖母だね。最近でも、ポーランドやアルゼンチンに現れているよ!」と、おっしゃった。

 ドイツ生まれのホイヴェルス神父さまが、1923年に来日して、なぜ日本が気に入ったかというと、ご本人曰く「その当時の日本の子どもたちが、とっても素朴で純心で生き生きとした子どもたちだったから・・・」だそうだ。「お地蔵さまのなかにも、神様はいますよ!」アジア文化に深い造詣をもって「細川ガラシア」の劇や詩を書いた詩人。
 僕もその後、イグナチヨ教会で子どもたちと毎週土曜日に遊んでいたけれど、ホイヴェルス神父さまの創造の根底にあった、アジアの子どもたちへの魅力と愛は、ミンダナオの子どもたちに出会って感じている、僕の今の気持ちと通じているなと感じている。

 その後、カトリックの洗礼を受けた。
 ここだけの話、カトリックは厳しいというイメージが強かったけれど、実際的には南米からアジア、アフリカと世界に大きく広がり、人種も多様で貧困層も多く、特にフィリピンにいると日本のカトリックと違って厳しいようでゆうずうがきいて、仏教もイスラム教も先住民の精霊崇拝も好きな僕には居心地がいい?

 カトリックでは、父と子と聖霊の三位一体で祈るけれど、父に集中するとイスラム教、神の子イエスに集中するとプロテスタント、聖霊や精霊に集中すると先住民や仏教や神道?カトリックだとその三位が一体で、モスクに行っても神社やお寺に入っていっても、どれもが身近に感じられて、どこに行ってもホッとする。(これは、僕のかってな解釈!)

 宗教に関しては、どれが良いとか悪いではなく、多少の違いはあったとしても根底はほぼ同じようなものだから、それぞれが自分に合った居心地のいいところに居ればよいといつも思う。
 僕にとっては、カトリック特にフィリピンのカトリックは、アジア的でゆうずうがきいて居心地がいい。ろうそくから出る煙を手で体につけて健康を祈ったり(信仰というより信心みたいで神道や仏教と同じしぐさ?)。

 こんな事を書くと、日本や欧米のキリスト教徒から強い批判と反感を受けそうだけれど、フィリピンで驚いたのは教会で、「あの神父さん、子どもいるんだよ。母子とも養ってあげているんだけど、神父さんも人間だからなあ」と言って、欧米ほどには非難せずに子持ちの神父も認めているし、カーバックと言って、結婚して家庭を持っていても、神父の代理を務められて、MCLの代表理事の建設技師のダニー氏もその一人。
 キダパワンでは、最初は司教館に住んでいたけれど、知り合いの神父さんやシスターが修道会を離れて結婚すると、信者達が言った言葉が、「やったー、愛を貫いた!」今でも妻はFacebookでつながっていて、「子どもがかわいいね!幸せになれて、良かったね!」

 親鸞聖人の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」が、カトリックの本質かなと思い始めた。その後ある本で、親鸞が比叡山で修行をしていたころには、聖書もあったから、読んだ可能性もあると聞いた。親鸞の言葉と、罪人への愛を持って身を捧げ、地獄に降りて罪人を救ったイエス姿はどこかつながる。親鸞聖人も、罪の許し、体の復活、永遠の命を信じていた?
 いつも良く思うけれど、仏教もイスラム教も先住民の精霊崇拝もユダヤ教もキリスト教も、人間の顔や肌の色のように、見かけは多少異なっていても本質は一緒なのではないだろうか。人類がみな同じ顔をしていたら面白くない、違っているから世界は楽しく面白い。

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 フィリピンのカトリック教会はアジア的で土着的
 フィリピン(ミンダナオ)のカトリック教会は、日本とはずいぶん違ってアジア的で土着的な感じがしてならない。
 教会にもジーンズやTシャツで着て、司祭にも「神父」ではなく、「ファーザー、ファーザー」「父さん父さん」と、呼んで近づき大家族のような雰囲気で接する。修道士は「ブラザー」で兄さん、修道女は「シスター」で姉さん、これぞアジアに根ざしたカトリック?(これは、ここだけの話)

 クリスマスは、9月から飾りつけがはじまって、謡ったり踊ったり、まるでクリスマスのために生きているよう。
 そして、クリスマスが明けると正月で、七つの丸い果実をそなえ、年越しの長生きのための焼きソバかスパゲッティを、大みそかに食べてそこらじゅうで花火があがる。日本の年越し蕎麦とまったく同じ。

 ミンダナオが面白いのは、強烈な現代文明の力にさらされながらも、根っこは素朴で、誰もがお化けや妖精や幽霊がいることを感じているし知っていて、神の愛の中に見えない世界が生きている世界だからだ。

 そんな世界のなかで、ヘルメットをかぶっても、ゲバ棒をM16ライフルに代えて、ミサイルやロケット砲、エスカレートのあまり核弾頭を保有しても、戦いへの意志を持てば持つほど物事は解決しない・・・どころかますます悪くなる?

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 君は、学業を仕事にするには向いていないよ。野人だからなあ
 話がそれたけれど、もとにもどすと。  
 その後、修士を卒業するころに恩師にいわれた。
 「君は、このまま博士課程には入れないね。学業を仕事にするには向いていないよ。野人だからなあ。」
 当時は、何を言われているのかわからなかったが、今では「野人」と言われた理由がよくわかる。

 「ゆいいつの可能性は、ドイツの大学にはいって博士の資格をとることだね。修士を出ていれば、無条件に大学生には席をおけるから。」
 それを聞いて、モーツアルト好きで当時はまだ『中心の喪失』(美術出版)を執筆した美術史家ハンス・ゼーデルマイヤーも生きていたので、ザルツブルグの大学に席を置いた。

 けれども、たまにしか授業には出ずに、実際に自分の目で見てヨーロッパ文化の宇宙像を感じ取ろうと、中古のポンコツ車で一人でチェコやスロバキアや東ドイツ、オランダやベルギーやフランス、スペイン、イタリアなどに旅をした。東ドイツの国境を超えたあたりで軍隊につかまって尋問も受けたりしたけれど、旅は一人が面白い!野人だから?
 ミュンヘンでは、『モモ』を書いたミヒャエル・エンデさんとも気があって、親友になりよく話した。


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6月28日(日)
 奨学生たちが話し合って決めた独自のポリシー
 今月の最終の日曜日は、高校大学のスカラー達が全員集まりジェネラルミィーティングを行った。
 前回は、今年度の役員選挙が行われたので、新役員の議事により進められた。次回はマノボデー先住民の文化祭なので、今月は一般的な話し合いがなされた。学校での諸問題、下宿での問題、また多少改正したポリシーが承認された。学校に関する問題は、今年入学した奨学生に、制服がまだ支給されていない事などが議題にあがった。

 下宿は、最低350ペソをMCLで支給しているが、毎年下宿代が高騰しており、平均で400から500ペソになっていて、差額は個人負担なので厳しい状況だと報告された。
 今後は、家を一軒借り切って、集団生活をすることで、奨学生が下宿代を出さなくてもやっていける体制を作っていく。

 ミンダナオ子ども図書館では、奨学生たちが話し合って決めた独自のポリシーがあり、保護者にもサインをしてもらっている。
 自宅から通う子達は、恋愛も含めて保護者の責任で、MCLに住んでいる子たちの場合は、帰宅時間など独自のルールがある。恋愛に関しては、スタッフが責任を持たなくてはならないので、高校生は本部に住みこむ場合は、内部では家族として互いに愛し合うことが原則。

 もし、恋愛が発覚しても、スカラシップは続けることが出来るけれど、親戚など保護者の元に帰ること。そうすれば、責任は保護者に移るから、保護者が良ければ恋愛はOK。

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16歳を超えると結婚適齢期を超えた感じがして
 かつて、フィリピンの教育制度は日本と違い2015年以前までは、小学校を卒業すれば四年制のハイスクールに入り、16歳で卒業して大学へ行き、20歳で大学を卒業できた。
 ところが、2015年以降、小学校を卒業後、四年間ジュニアハイスクール(日本で言えば中学校)に行き、その後、さらに新しく出来た二年間シニアハイスクール(日本で言えば高校)に行き、その後ようやく日本と同じ18歳で大学に入学し、大学を卒業出来るのは早くても22歳の制度となった。

 小学校もまともに行けなかったが故に、同級生のなかでは、すでに年齢が多少上の子たちにとっては、これがショックで、この時期ずいぶんジュニアハイスクールを卒業したまま奨学生を続けることをストップしたり、がんばってシニアハイスクールを卒業したけれども、成績も良く才能もあるのに大学は行かず、学業を諦める奨学生たちが沢山でた。

 理由は、小学校もろくに行けない僻村では、通常結婚の適齢の歳が14歳から16歳。でも、せっかく夢のまた夢の大学まで卒業できるスカラシップをもらったから、良い仕事について家族をたすけたい!
 そのためにも、結婚はしばらく我慢して、20歳で大学を卒業してからしようと決心するのが通常だった。たとえ彼らにとって、16歳を超えると結婚適齢期を超えた感じがしても・・・。

 ところが、シニアハイスクールが二年間加わってしまうと、大学を卒業できるのが22歳!
 彼らにとってこれは、結婚適齢期を逃がして、中高年に入るような感じ?それで、成績も良く学校が楽しかった子たちもストップしたのだった。
 ミンダナオの若者たちにとって、最大の夢と喜びのひとつは、若くして家庭をもって子育てをすること!
 子どもを持つことこそが、最大の夢と希望!
 少なくとも5人、平均して7人、多い家庭は10人以上は子どもが欲しい。


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  恋愛もかまわないしスカラシップは続けられるよ
 集会で若者たちにたびたび話すことは、
 「学校を続けるか結婚するかは、自分の判断で決めたら良いよ!何よりもだいじなのは、幸せになることだからね。
 ハイスクールで彼氏が出来ても、本部に住むのはスタッフの責任やお互いの影響もあるからだめになるけれど、親戚や保護者の元に移り住むのだったら、恋愛もかまわないしスカラシップは続けられるよ。

 でもね、妊娠したりさせたりしたら、スカラシップはストップだからね。
 なぜって何より大事なのは子どもだから、まずはしっかり結婚して家庭をきづいて、赤ちゃんの面倒を見ることに集中してね。
(貧しい子たちの場合は、避妊はほとんど出来ないから、妊娠=結婚を意味する。)

 もちろん卒業前に妊娠して結婚して学業をストップしても、後ろめたく思わないでいいからね。大事なのは愛!結婚式には、呼んでね!そして、赤ちゃんが生まれたら、だっこして訪れてね。その後もときどき来たらいいよ。君たちの赤ちゃんや子どもたちが、幸せに育っていくのも見たいから。
 でも人生何が起こるかわからない。辛いことや相談したいこと、何か困ったことや悩みがあったら、いつでも駆け込んでおいで。」

 すると若者たちは、答えて言う。
 「うん、わかった!そうする!
 ミンダナオ子ども図書館は、わたしたちの我が家ホームだから!」

 そして、大学生は恋愛も携帯も許されるけれど、高校生に対する影響を考えて、本部の外で下宿して生活すること、恋愛も外でつきあうこと。高校生の場合は、親戚や保護者のもとならそちらの責任なので恋愛もOKだけれど、出来れば卒業まで頑張ること!。
 下宿している子たちも、土曜日日曜日は、本部に来て畑仕事などを手伝ったあと、一緒にお昼や夕ご飯をお腹いっぱい食べたれること等が話し合われた。
 総会の最後には、支援者から送られてきた手紙、カード、贈り物などが渡されて、彼らも支援者宛に手紙を書く。今回から、お礼の葉書も支援者への機関誌に同封する形で一括して送ることになりました。
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結婚していないから
いのちを捧げて行動できる
上記の記載で、私自身の宗教に関連した思いも書かれているので、
写真を主体とした報告をまとめた
戦争と貧困と平和構築のサイトGo! から
2011年(2)に作成した
現地体験の記録を引用しました。

GO!
カヨパトンへ行く途中で、
ファウスト神父に会った。
私たちが司教館に
住んでいた頃の事を
想いだして下さった。


その2年後に、
ファウスト神父は,、刺客に殺害された。
シスターの話だと、政府から送られた暗殺者。
理由は、山での鉱山開発で水が汚れて、
それを飲み生活用水にしている先住民にとっては
危険で生きられなくなるから反対するように語ったため。
現地では今も、鉱山開発が大きな問題で、
日本人の私も鉱山開発できていると言われて、
保育所建設で先住民の村に行くと、
全ての住民が恐れて逃げて誰もいなかった事があり、
MCLの理事でマノボ族の酋長のガボン氏と
厄払いをしに行ったこともある。

ミンダナオ子ども図書館が
鉱山開発を目的に
来ているという
誤解を解くための
儀式をした


 麓の村では、
日本のODAによる学校建設が進んでいた。
日本人としてうれしかったのだが、
日本の学校建設の目的は
この上の山岳部に
鉱山開発をすることが背景にあると
現地であらぬ噂が立って、

二度目に読み聞かせに行った時に
村人が恐れて
逃げ出していたのには驚いた。
誤解を解くために、
信頼されているマノボ族の
ボードメンバーと牧師と一緒に
説明しに行かなければならない。
ミンダナオ子ども図書館は、
ノンガバメント、ノンレリジャスセクト
鉱山開発のために来ているのではないと!!!


山麓の村の中心に、
日本政府のODAで、
高校が建てられつつある。
そこから山に、
さらに7キロ入ったところに
保育所を建てる件で話に言った。

前回行ったときには、
集落の人々は大喜びだったのだが、
次に読み聞かせに行ってみると
村の大人たちは誰もいない・・・
何が起こったのか?

後で、MCLが来ると言うことで、
村人たちが皆逃げたことがわかった。
何と、下の学校建設にからめて、
MCLが鉱山開発をしようとしている、
という噂が立ち、
戦闘の発生を恐れて逃げたのだった。
「日本政府の学校建設は、鉱山開発が目的だ!」
「MCLは、その手先だ。」


それを案じた
ミンダナオ子ども図書館の理事で
マノボ族の酋長のガボン牧師が、
近隣の酋長をたちを
読み集めて、

ミンダナオ子ども図書館が
純粋に先住民の人々の事
特に子どもたちの幸せを願って
活動していることを説明して、
さらに、
伝統的な先住民の
悪霊払いの祈りを捧げた。

ファウスト神父が、
鉱山開発に反対して殺された
その数ヶ月後に、
住友金属が共産ゲリラに襲われて
職員が殺された。

どうやら、日本企業が
先住民たちにとっては、
鉱山開発における
最大の脅威のようだ。

アロヨ政権の当時、
先住民を擁護していた弁護士や議員、
カトリック傘下のキダパワン市
FMラジオ放送の解説者夫婦も
刺客に殺されている!
わたしも危ない?


ミラノミッション会で、
とりわけ先住民の貧困克服と平和構築に
大きな貢献をしているピーター神父共々、
ファウスト神父は、私の尊敬するイタリアの神父。
頭に巻いた、
マノボ族の酋長の印の赤いバンダナが、
ピーター神父と一緒のスタイル。
貧困層や先住民を長年支援してきたので、
体制側からゲリラ新人民軍の仲間と見られて
刺客によって殺されたのだと、シスターたちが言う。


ミンダナオ子ども図書館は、
Non politic Non religious sect 
非政治団体で特定の宗教宗派の下では行動しないけれど。
その中でぼくはカトリックだけれど、
カトリックはアフリカ、南米、アジアにも広がっていて
民族種族も実に多様で
ミッション会も多く、
どこかに居場所があるような気がしてほっとする。


(中略)
しかし、貧しい人々の立場から見ても、
30年以上こうした場所で命がけで活動し続けている、
こうした神父の働きには頭が下がる思いがする。
結婚していないから、命をかけて、どこでも行ける?
神父さんだけでなく、ブラザーやシスター方もすごい・・・


日本の若者よ。
自殺する勇気があるのなら、
神父やブラザーやシスターになって、
命を捨てた思いで活動したら!


ぼくも、神父さん方と
キダパワンの司教館に住んでいたころ、
ブラザーになることを考えたけれど、


イスラムの戦争孤児たちを
救済していく過程で思ったのは、
逆に平凡な一信徒だから団体規定に縛られることなく


変なカトリック信者だと、
眉をしかめられても
やれることがあるのではないか・・・?
カトリック信者だけれど先住民の酋長でもある。
アオコイ マオガゴンが僕の名前。


たとえば、先住民の祈りに
酋長として参加したり


クリスチャンとともに、
イスラムの子たちをひきとって
いっしょに家族として暮らしモスクを建てたり。
聖職者だったらできない?


シスターと司教館に住んでいて、
そのご、共に生きていく連れ合いだと感じて
MCLミンダナオ子ども図書館をいっしょに立ち上げた、
今の妻と結婚することに決めた。


でも、家族を捨てて命がけで活動できる聖職者たちが、
自由でうらやましいと感じることが、しばしばある。
とりわけフィリピンのカトリックは、
多様で柔軟でいごこちがいい。
マリア様のローソクの煙を
手であおいで肩につけて健康を祈る。
まるで日本の仏教か神道みたい。


今こそ世界に必要なのは、
善悪二元論を超えて
ゼロの視点に立つことはないでしょうか。
イエスの教えは、
まさにアジアに生きてきた
無の境地に立つことのような気がする時があります。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」

「善人なおもて往生を研ぐ、いわんや悪人おや」

狩猟採集文化、
農耕牧畜文化、
科学技術文化
の後に来るべき
第四の文化の
コスモロジーに関して
書いた本と、
昔話から学んだ
心の自立について、
ユング心理学を基盤に
30年以上前、
32歳の頃に書いた本が
わたしの絵本体験
といっしょに、
教文館から
再版されています。

左の本の写真を
クリックしていただければ、
教文館のサイトにはいれますよ。
印税はみなMCLの子どもたちへ!
  川で洗濯のことや
子どもたちが山でカエルや
ニシキヘビを捕ってきて
料理したりすることは、
「手をつなごうよ」で
書きました。
彩流社から出ています
左の本の写真を
クリックしていただければ、
サイトにはいれますよ。
印税はみなMCLの子どもたちへ!



続きは制作中

もくじINDEX 
ミンダナオ子ども図書館だより:サイトへGO!
現地日本人スタッフによる、
写真を交えた最新の活動報告です!
「0」ゼロに 立つための支援を ミンダナオ子ども図書館を 始めた理由
ミンダナオ子ども図書館日記(松居友制作)にGO!
松居による活動報告および
製作映像や想いを載せた自由日記です!
ミンダナオ子ども図書館 支援方法 訪問希望の方は ここをクリック! 
MCL映像サイト
何故ここに日本人などのテレビ映像
その他の貴重な活動映像を掲載
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