ミンダナオ子ども図書館だより

『ミンダナオ子ども図書館』(略称:MCL)はフィリピンの現地NGO法人です。
MCLは地域の村に入っての絵本などの読み聞かせ活動、
医療支援、就学支援、保育所支援、子どもシェルター、難民救援活動、植林活動などをおこなっています。


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郵便振替口座番号
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口座名:ミンダナオ子ども図書館

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銀行名 ゆうちょ銀行
金融機関コード 9900
店番 019
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店名:〇一九店(ゼロイチキユウ店)
口座番号 0018057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

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Brgy. Manongol Kidapawan City
North Cotabato 9400 Philippines

 

あずさのラジオ ミンダナオの風

フィリピンのミンダナオ子ども図書館より、
現地日本人スタッフが子どもたちの様子をお届けします。




ムジャヒドさん


アジェラさん

 
左からジャマイカさん
アミラさん、ナジラさん

 
第29回 家族への愛、神さまへの愛、
イスラムの教え
ムスリムソング特集~後編~
(2018年5月)


ミンダナオのムスリム民族、
マギンダナオ族の子どもたちによる
ムスリムソング特集の後編です。

ご紹介する曲は、
家族がお互いに理解し合うことの
大切さを歌う「ママガンポナタノ」、
「神様はアッラーのみ」と
神を讃える「シカボイサニン」、
明日のことは誰もわからないのだから、
生きている今日のうちに
イスラムの教えるよい行動をしよう、
と唱える「シガイノアガマ」、
忘れられない思い出をたどりながら歌う
別れの歌「プンガナット」です。
 

歌を披露してくれた、
左からハギュアさん、
ノルハイナさん、
バイコサンさん、
ビメルジョイさん、
ハスミンさん、
バイリンさん
 
第28回 平和の歌から恋歌まで
ムスリムソング特集~前編~
(2018年4月)


ミンダナオのムスリム民族、マギンダナオ族の子どもたちによる
ムスリムソングを前・後編の2回にわたってお届けします。

前編でご紹介する曲は、
平和や愛、民族の誇りと他民族との団結を歌い上げた「バンサモロ」、
他に好きな人がいる男性に恋してしまった
女性の切ない片思いをつづったラブソング「オアデゥンサラカオナンカ」、
振り向いてくれるまで貴女を待っている、
そんな一途な男性が窓越しの女性に向かって熱い思いを語る「カロカロボン」です。



奨学生の作ったお話 「フアンとフィエ」  


皆さん、こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

MCLで暮らす奨学生のホニョさんの
作ったお話を紹介します。
(2018年12月2日)

  

Junio P. Renet199767日生)21歳 ビサヤ族

マノンゴル高校5年生(6年制)

 

 こんにちは。僕は、6月に生まれたので「ホニョ(現地語で6月)」と名付けられました。ビサヤ族で、ローマンカトリックを信仰しています。出身は、プレジデント・ロハスのラ・エスペランサです。僕は父親を知りません。母は結婚せずに僕を産みました。父親の違う、姉が一人います。姉は結婚しましたが、すぐに離婚してしまい、母親の元に戻ってきました。姉には、現在9歳になる息子が一人います。姉は野菜売りをして、生計を立てています。母親は仕事がなく家にいるので、僕たちの生活はとても苦しかったです。僕は、小学5年生、14歳の時にMCLの奨学生になりました。2008年に、母と姉が僕を一人残して家を出てしまい、僕は学校を止めてゴムの樹の樹液を集める仕事をして生活することになりました。9歳の時です。その時、僕を雇ってくれていた人が、僕をかわいそうに思ってその人の家の敷地に住まわせてくれました。それから、13歳までその人のゴム農園で働きました。ゴム農園の雇い主は、キダパワンのインディケイシーという大学で先生をしていました。そこで、MCLの代表のエイプリルさんが学んでいて、雇い主がMCLの奨学金のことを知り、僕に勉強をしたいか聞いてくれました。僕は、雇い主の元を離れてMCLに移ることを怖く感じましたが、その時に一緒にいた、いとこのジムジムもMCLの奨学生になることが決まり、ジムジムが一緒ならと、MCLの奨学生になりました。ジムジムも、父親が家を出てしまい経済的に困っていて、奨学金を必要としていたのです。ジムジムは、高校1年生でした。奨学生になることが決まった僕らを、雇い主がアラカンのラナオコランまで送ってくれて、そこでMCLから迎えに来た日産ナヴァラに乗せられました。キダパワンのMCLに着いたときにはもう夜で、その夜は停電していたので真っ暗でした。真っ暗な中、エイプリルさんに家庭環境や夢などをインタビューされたのを、よく覚えています。そして、MCLの奨学生になった僕は、マノンゴルで小学校を卒業し、高校はマキララ地区のマロンゴンの男子寮に移りました。ジムジムも、マロンゴンの寮にいたからです。しかし、高校1年生を終了したときにマロンゴンの寮が閉まり、MCLに戻ってきました。ジムジムは高校を止めてしまいましたが、僕は勉強を続けることにしました。一緒に小学校を卒業した、エクセルやラブリー・アツ、ジュリエットも止めて結婚してしまいましたが、僕は、この4月にジュニアハイスクールを終了し、シニアハイスクールに進級しました。高校を卒業するまで、後2年です。僕の夢は、プロの運転手になることです。特に、トラックなどの大型車を運転することに憧れています。だから、大学は自動車科に進学したいです。そして、大学を卒業できたら運転を仕事にして、家族を助けたいです。僕は、2012年にギナティランの近くのイルマビスという村で母と姉に会って以来、家族と連絡が取れません。親戚がイルマビスにいて、おそらく今でも、母たちはイルマビスで暮らしているのでしょうが、母は携帯電話を持っておらず、MCLに連絡はありません。保護者がイルマビスにいることがはっきりしないので、僕もそこに帰省することができず、夏休みもクリスマスもMCLで過ごしています。大学を卒業し、仕事に就いてお給料をもらえたら、まず、家族を探しに行きたいです。2012年に母親に会った時は、お米が買えずにキャッサバ芋やサツマイモばかりを食べていました。将来いい仕事に就いて、家族にお米を買ってあげたいです。それに、少しでもいいので、MCLにも寄付をして、僕と同じような境遇の子どもたちが学校に行くのを助けたいです。高校の勉強は楽しくて、とくに道徳が好きです。数学は、少し苦手です。僕はMCLに入ってから、奨学生として色々な経験をさせてもらえました。特に楽しかったのは読み語りで、これまでに行ったことのないような遠くの村に行ったり、夏休みに海に行ったこと、MCLで建設支援した保育所の建物のペンキ塗り、それから、調理用の薪を軽トラで買いに行ったり、MCLの家庭菜園で働くことです。家族と会えなくて寂しいですが、今は学校を止めずに卒業することを目標にがんばっています。好きな色はピンクと青で、好きな食べ物は野菜です。特に、小松菜とニンジンが好きで、好きなおかずは、野菜のココナツ煮や八宝菜です。趣味は音楽を聴くことで、いつもラジオをイヤフォンで聴きながら寝ています。男の子たちとバスケットボールをすることや、畑で野菜の世話をすることも好きです。MCLでの寮生活が寂しいと家に戻る奨学生もいますが、僕は帰るところがないので、MCLで勉強を続けさせてもらって、とても感謝しています。日本で僕らを支えて下さっている支援者の皆さまに、神さまの祝福があるようお祈りしています。

2018617日)

  
     
  

「フアンとフィエ」 

語り:ホニョ P. レネット

 

 むかしむかし、ある山の奥の奥に、兄と妹とおじいさんが住んでいました。兄の名前はフアン、妹の名前はフィエといいました。二人は父親が違いましたが、仲のいい兄妹でした。

 三人は、とてもとても貧しい暮らしをしていました。フアンとフィエは、毎日山へ、さつま芋やキャッサバ芋、里芋、バナナなどを探しに行かねばなりませんでした。どんなに小さなお芋でも、家に食べるものが何もないよりはましでした。二人は大きな麻袋を持って山に入り、お芋やバナナを見つけるとその中に入れ、袋がいっぱいになると家に帰りました。二人が袋いっぱいのお芋やバナナを持って帰ると、家で待っていたおじいさんはとても喜びました。そして、お芋やバナナを茹でて、朝ご飯を作ってくれました。朝ご飯がすむと、フアンとフィエは、また麻袋を持って、昼食や夕食のために食べ物を探しに行かねばなりませんでした。

 フアンとフィエは、いつも同じ山に食べ物を探しに行っていました。しかし、ある時から、その山ではバナナやお芋があまり採れなくなりました。兄妹の家族で、その山のバナナやお芋を採り尽くしてしまったのです。二人は、食べ物をたくさん家に持って帰ることができなくなってしまいました。

 ある日、フアンは頬杖をついて、どこで食べ物を見つけたらいいか考えていました。そして、ハヤトウリや豆、さつま芋の葉や蔓、山菜などを探しに行こうと思いました。兄妹は山で野菜や豆を採り、お芋やバナナの代わりに毎日の食事にしました。しかし、山の野菜や豆も、しばらくすると採り尽くしてしまいました。家族は、また食べるものがなくなりました。

 フアンは、これから何を食べればいいのだろうと考えました。そして、グアバやマラン、グヤバノ、椰子の実などの木になっている果物を採って飢えを凌ごうと思いました。

「他にもまだ食べられるものがあるかしら…。果物もなくなってしまったら、これから何を食べていけばいいのかしら…」

 次の日の朝まだ暗いうちに、フアンは寝床から飛び起きました。一緒に寝ていたフィエとおじいさんは、ぐっすりと寝ています。フアンは、水を飲み、身支度をととのえると、急いで友達の家を訪ねました。友達が、山にほうきの材料になる草を採りに行くのについて行くためです。

 その日の午後遅く、たくさんのほうき草を背負ってフアンは家に戻りました。ほうきを作って売れば、食べ物を買うことができます。

「フィエ、おじいさん、ほうき草を採ってきたよ!」

 フアンは、妹とおじいさんを探しました。そして、目を腫らして泣いている妹を見つけました。

「フィエ、どうしてそんなに泣いているの!?」

「おじいさんが亡くなってしまったの…」

 フアンは驚いて高床の家に駆けあがり、おじいさんの姿を探しました。おじいさんは寝床に横たわり、冷たくなっていました。

 それから七日後に、おじいさんのお葬式と埋葬がありました。お葬式には、叔父さんが現れ、二人を引き取って養ってくれることになりました。フアンとフィエは、おじいさんを恋しく想うこともありましたが、叔父さんの小屋で幸せに暮らしました。

 兄妹が叔父さんの小屋に引き取られてから、四年の月日が流れました。ある日、叔父さんが突然小屋からいなくなってしまいました。近所の人とささいな誤解からけんかになり、身の危険を感じて、小屋を残して逃げ出したのです。フィエも、実母のママ・メリーが引き取りに来て、一緒に逃げることになりました。フアンだけが、叔父さんの小屋に残されることになりました。

 フアンが一人残されてから七か月が過ぎた頃、叔父さんとフィエとママ・メリーがフアンのところに帰ってきました。フアンは、また家族がそろったのでとてもうれしく思いました。

 家族が再会したうれしい一日が暮れて、夜になりました。フアンたちは、家族みんなで寝床につきました。フアンは、安心してぐっすりと眠りました。次の日の早朝は肌寒く、暖かい布団が気持ちよかったので、フアンはなかなか目を覚ましませんでした。

 いつもより少し寝坊してフアンが目を覚ますと、一緒に寝ていたはずの叔父さんと、フィエとママ・メリーはいなくなっていました。フアンが眠っている間に、家を出て行ってしまったのです。フアンは、大きな声でフィエの名を何度も何度も呼びましたが、返事は戻ってきませんでした。近所の家々も、フアンのいる小屋からは離れているので、誰からの返事もありませんでした。フアンは泣きながら、いつまでもフィエと叔父さんと母親を呼び続けました。しかし、彼らは戻ってきませんでした。フアンは、また一人ぼっちになりました。

 一人小屋に残されてからもフアンは、毎日毎日食べ物を探しに小屋を出ました。果物や山菜、お芋など、毒でないものなら何でも食べて、お腹を満たしました。

 ある晴れた朝、フアンはいつもの様に食べ物を探しに山へ行き、ゴムの樹の種を見つけました。フアンは、ゴムの樹の種を集め、売ってお金に変えようと思いました。フアンは、袋いっぱいにゴムの樹の種を集め、市場に売りに行きました。それは、500ペソになったために、フアンはお米と鶏を買って、うれしい気持ちで家に帰りました。

 次の日、フアンは朝早く起きて、前の日にゴムの樹の種を見つけたゴム林に行きました。また、ゴムの樹の種を見つけられるかと思ったからです。ゴムの樹の種を探していたフアンは、お昼になりお腹が空いたので、何か食べられるものはないかとそこらを見渡しました。そして、林のはずれに大きなマンゴーの樹を見つけました。フアンは、その樹に登って実を採ろうと思いましたが、そこまでに大きな岩があってマンゴーの樹までたどりつけません。その大岩の手前には、これまた大きな大きなサントールの樹がありました。フアンは、マンゴーではなくサントールを昼食と夕食にしようと思いました。サントールの、香りのいい甘酸っぱい実をたくさん食べた後、フアンは実を袋いっぱいに詰め、市場へ売りに行きました。それは、330ペソになりました。

 このように食べ物を探し、市場へ売りに行き、フアンは一人でも何とか生きていけそうに思いました。また、フアンは山で見つけた果物や野菜や花の種を、叔父さんの残してくれた小屋の周りに植えていきました。フアンは、人生にどんなに辛い試練があっても、それに負けずに生きていこうと思いました。

 

   


I.P デー  



  皆さん、こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

11月16日(金)、
MCLで暮らす奨学生の通う
マノンゴル小学校で
「I.P デー(先住民の文化祭)」
がありました。

MCLのマノボ族の小学生たちも、
歌や踊りを披露しました。
(2018年11月19日)

 

MCLの奨学生たち
 

マノンゴル村のダト(酋長)の
あいさつ
 

プログラムの
トップバッターで歌う奨学生

緊張する・・・!


マノボ族の農作業のダンス 
   
 

マノボ語の歌をソロで歌う
   

マノボ族の衣装を着た
先生たちとクラスメイトと
記念撮影
 

第二回定期テストの
成績優秀者と
皆勤賞の表彰式
 

表彰された奨学生
(左から3番目)
 

私は皆勤賞!
 

担任の先生と、クラスメイトと。
小学5年生の奨学生
(中央民族衣装の男の子)
 

最後にスタッフに
アイスキャンディーを
買ってもらって大喜び


とても楽しかったよ!

私たちを
学校に行かせてくださって、
どうもありがとうございます。

 
 カラッグカラッグ



  こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

こちらは秋休みが終わり、
11月5日から後期の授業が始まりました。

11月1日のカラッグカラッグ(フィリピンのお盆)や、
秋休みをMCLで過ごした子どもたちの様子です。
(2018年11月13日)

 

カラッグカラッグでは、
お墓参りをしたり
もち米のお菓子を作ります。
フィリピン風ちまきをもらって、
うれしそう。
 

MCLのハウスペアレントさんは、
ビニグニットを作ってくれました。

サツマイモを選んでいるところ。


ビニグニットというのは、
サツマイモ、バナナ、紫芋、
お団子、タピオカ、
ココナツミルク入りの
もち米の甘いお粥です。 
 

11月1日のおやつの時間
   
 

授業がお休みの間に
スタッフの仕事を手伝う
奨学生たち
 

田んぼの側に、
休憩小屋を建てました。
 

水牛で田んぼを
耕しているところ。
 

以前、お米を積んだ軽トラが
道の穴にはまって
動けなくなったので、
石を入れました。
 

おやつ休憩
 

お疲れ様!
 

新学期に向けてお洗濯
 

8歳と9歳ですが、
上手に手洗いしています。


ご支援に、
心よりお礼を申し上げます。


  読み聞かせと物資配付


  こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

10月27日に、
アラカン地区トゥマンディン村ナポナガン集落で、
10月28日に、
サンタマリア地区タングラッド村コラグシン集落で、
読み聞かせと支援物資の配付を
行いました。

今回配らせていただいた物資は、
埼玉の、諸外国の困難な状況で暮らす子どもたちへ
靴や文房具を贈る活動をしているNPO法人、
「SB. HeartStation」さまから
届いたものです。

「SB. HeartStation」さまからは、
4人の男性が現地に来てくださいました。
(2018年10月29日)

ナポナガン  
 

アラカン地区では、
新人民軍と国軍の戦闘があったために
警察署で記帳してから
現地に入りました。
 

国軍の方々が、
読み聞かせに同行しました。
 

ナポナガン集落到着

参加したMCL奨学生
     
     
     
 

ココア味の甘いお粥の炊き出し
   


日本から贈られた靴の配付 
   
   

お昼ご飯
 
  コラグシン
  

お話を聴く子どもたち
     
   
     
     
   

SB. HeartStationの皆さま、
どうもありがとうございました!
 

MCLの活動への
ご理解とご支援に、
心より感謝を申し上げます。
  

靴を受け取った、コラグシンの子どもたち

新学期からは、
靴で学校に行けます。

日本の皆さん、どうもありがとう!



秋休み  



 こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

10月22日に前期の授業が終了し、
23日から秋休みが始まりました。

秋休みに故郷に帰省する、
MCLに住む子どもたちの様子です。
(2018年10月24日)
 
     
     
     
 

イスラム地域ピキットにある
ビサヤ族の住むタケパン村


ただいま、僕の家!
 

両親と弟妹と
 

家族の部屋
 

マタラムのキブヤ

田んぼの向こうに見えるのが、
奨学生の家

 

お迎えしてくれた
叔父さんの奥さんと
いとこたちと
 

お迎えに来た家族と

楽しい秋休みを
過ごしてね!

 
祖父の戦争体験
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こんにちは!
MCLに住む奨学生のジェリーです!

今日は、
僕の祖父の戦争体験について
お話したいと思います。
(2018年10月12日)
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 これは、僕が15歳、小学5年生だった頃に、父がしてくれた僕の祖父の戦争の経験です。晩ご飯を食べた後、「お父さん、何かお話をして」とせがむと、父が祖父から聴いた戦争の頃の話をしてくれました。僕の祖父は、僕が小学3年生の時に、お腹が大きく膨らむ病気で亡くなりました。病院には連れていくことができなかったので、家で亡くなりました。祖父、父、僕の苗字は「Awe」で、カヨパトン出身の家族です。祖父は、MCLの奨学生のミチックの母親といとこ同士で、ミチックのミドルネームは「Awe」です。また、僕の母親の苗字は「Bantac」で、同じくカヨパトン出身です。母親は、奨学生のジムジムやメルボーイの父親といとこ同士で、苗字を「Mailan」といいます。アラカン出身の奨学生の中には、同じ苗字を持つ奨学生が他にもいるのですが、おそらく遠い親戚だと思います。

 

「祖父の戦争体験」 

語り:ジェリー B. アウェ(1998318日生) マノボ族

トゥマンディン村カヨパトン集落
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 祖父が若かったころ、日本の兵士たちがミンダナオ島のアラカン地区にもやってきました。彼らは、大きな銃を持っていました。

 それからしばらくして、飛行機がアラカンの山々の上を舞いました。それは、実はアメリカ軍の飛行機でした。それらの飛行機は、飛びながらたくさんの紙切れを落としました。紙切れには、「戦闘が始まる」と書いてあったのですが、英語で書かれていたために、ほとんどの先住民の人々は、何が書いてあるか理解できませんでした。

 しかし、先住民の中にも、英語の分かる人がいました。その人によると、アメリカ軍の落としたチラシには、「アメリカ軍が日本軍に爆撃を開始するので、先住民の人は、Tシャツとズボンという洋風の恰好を止めるように。そして、マノボ族の民族衣装を見につけなさい。また、家の外に、マノボ族の人々が使う、野生の竹で編んだ、ラバン()とネゴ(ざる)を出しておきなさい。日本軍と見分けをつけて、爆撃に巻き込まれないようにするためです」

 その後、アラカンの山々の上にも、アメリカ軍の飛行機がたくさん飛んできて、日本軍への爆撃を開始しました。チラシに書いてある、英語の意味が分からなかった人は、家の外に竹籠やざるを出すこともなく、Tシャツとズボンを身につけ続けました。そのため、たくさんの人が、爆撃に巻き込まれて亡くなりました。

 陸稲の収穫の季節がやって来ました。人々は、お米を収穫したいと思いましたが、爆撃を恐れて、収穫をあきらめ、家を捨て、森の中に避難しました。爆撃があるのを知らずに、逃げずにお米を収穫した人の中には、爆弾に当たって亡くなった人もいたそうです。

 僕の祖父も、森の中で避難生活をしました。お米を収穫できないので、人々の食糧は不足しました。備蓄されていた食糧を食べてしまうと、人々の主食は山に育つ芋類や、野生の野菜になりました。また、森で鹿や猪、鳥、カエル、野ねずみ、蛇、猿、ミロ(山猫)トカゲ、沢蟹など、食べられるものは何でも捕まえて食べました。

 アメリカ軍の爆撃は、日中に行われ、夕方になる前に爆撃機は基地に戻っていきました。人々は、火を焚いて煙を見つけられるのを避けるために、夜のうちに次の日の分の食事を料理しておき、日中は炊事をしませんでした。日中は、森で食料を集め、夕方3時ごろに寝泊まりしている掘っ立て小屋に戻りました。

 避難したマノボの人々は、爆撃を避け、森の中を移動しながら生活しました。僕の母方の祖母は、もし日本軍に出会ったら、首を落とされてしまうかもしれない、と怖れていましたが、家に戻って、家がどうなっているか見たいと思いました。しかし、祖母の家は、米軍の爆撃で焼けてしまったそうです。

 祖父は、たくさんの日本軍の兵士がアラカンを通過するのを見ました。彼らがカヨパトンを通ったこともあるそうです。日本軍を見て祖父が印象的に思ったのは、物の運び方だそうです。塹壕を作る際に石を運ぶとき、列になって順番に次の人にリレーして渡していくのでした。出来上がった塹壕は、サトウキビの葉で隠されました。しかし、日本兵はそこにも長く滞在せずに逃げていきました。

 また、「オキナワ」という人たちは、先住民とも仲良くしていました。彼らは、家族が無くなると、お墓に埋めるのではなく、死んだ人の体を食べるのだそうです。祖父の時代の人々は、「オキナワ」を日本人とは別の民族としてとらえていたようです。「沖縄」は日本の南にある島だと、僕自身(ジェリー)も知りませんでした。

 日本軍は、アメリカ軍のように飛行機がなく劣勢で、森の中を歩いて退却しました。逃げる途中、日本兵は、マノボの人々が刈り残した陸稲を見つけると、勝手に収穫し、そのまま食べてしまいました。日本軍は、食糧の補給が途絶え、とてもお腹が空いていたのです。収穫したお米を干す時間もなかったので、収穫したそばから、食べてしまったのだそうです。日本兵も、逃げる途中で出会う現地の人々を怖れているように見えました。彼らは、マノボの人を怒ったり殺したりすることはなく、退避する自分の軍から取り残されることを怖れていました。マノボの人々も、日米の戦争に参加することを怖れ、日本兵と闘うことはなく、戦闘を避けて森の中を移動しながら逃げるのみでした。

 また、森を逃げる日本人兵の中には、「カロット」と呼ばれるウベに似た芋を食べて亡くなった人もいました。「カロット」は森に自生する野生の芋ですが、毒を抜かずに食べると食中毒を起こして死んでしまいます。マノボの人たちが「カロット」を食べるときは、皮を剥ぎ、実を薄くそぎ切りし、2日間流れる水にさらします。それを天日に干して乾かし、木の臼に入れて杵で突いて細かく砕きます。それを熱した鍋に入れて、水は入れずに、鍋のへりにくっつけるようにして加熱するのです。そうして、ようやく食べることができます。味付けには、塩か砂糖があれば加えます。おかずは、あれば何でもいいです。「カロット」を食べなければならないようなときには、本当に食べるものがないときなので、おかずはありません。「カロット」の味は…、以前、小学校で配給された豆乳を飲んだ時に、似た味がすると思いました。僕たちは、今でもお米もトウモロコシもないときに、「カロット」を食べることがあります。毒を抜くのが大変なので、本当に食べ物のないときにしか食べませんが、おいしいし、とりあえずお腹がいっぱいになります。日本兵は、マノボの人たちが「カロット」を採っているのを見て、自分たちも食べようと思ったのでしょうが、毒があることを知らずにそのまま食べて、亡くなってしまったのです。

 日本軍は退却する途中で、アメリカ軍に奪われないように、崖の中腹などに金などの宝物を隠していったそうです。そして、宝物を守るために、人柱のように、兵士を一緒に埋めたそうです。日本軍の将校が兵士たちに、「誰がこの宝物を守るのか」と尋ね、「私が守ります」と志願した兵士が、味方の日本兵に撃たれて殺され、宝物の側に埋められたのです。もし、宝物を盗みにくる人があったら、呪いで病気にして、殺してしまうためです。この呪いは、人柱を埋めてから、何十年たっても効いています。呪いにかかって病気になった人は、運よく治る人もいますが、亡くなる人もいます。僕が高校1年生(日本の中学1年生)の時にも、トゥマンディンの人が宝探しの呪いを受けて、病気になり、亡くなりました。彼はトレジャーハンターで、日本軍の残した宝物を探してあちこちを掘っていましたが、宝物を探し当てることなく、呪いにかかってしまったのです。お医者さんに連れていかれましたが、治療の甲斐なく亡くなりました。日本兵の残した宝物を探すトレジャーハンターは、時々グループでやって来ます。彼らは車を持っていて、仕事として宝探しをしているようです。

 戦争が終わると、日本兵たちはアラカンからいなくなりました。日本へ帰ったのでしょう。日本人と結婚していた先住民の妻と子どもたちは、ミンダナオに残されました。アラカンにも、日本人と現地の女性の子どもの子孫がたくさんいます。MCLの奨学生のマリサや、ベビ・タカも日系人です。戦争が終わった直後は、ミンダナオにもたくさんの被害が出たので反日感情が強く、彼らは日系人であることを怖れて、名前や日本語も隠し、先住民として生活していました。でも、戦後長い時間が経ち、フィリピンと日本の関係も良くなって来たので、日本を懐かしんだり、憧れる人も多いようです。

 父の話を聴いて、僕は日本兵がかわいそうだと思いました。家族を残してフィリピンに闘いに来て、日本に戻ることなく亡くなったからです。そして、アラカンの先住民の人々も、戦争に巻き込まれてかわいそうだと思いました。アラカンには、今でも新人民軍と「カフゴ」と呼ばれる国側の軍隊との戦闘が起こることがあります。僕たちも、もし、アラカンのどこかで戦闘が起こったら、村から避難するための準備をします。僕は、まだ戦闘からの避難生活の経験はありませんが、この先も経験したくないです。アラカンの人々は、自分たちの土地が平和になることを強く願っています。


 
アラカンの風景
 
マノボ族の老人
 
マノボ族の籠


ジェリー B. アウェ 20歳 マノボ族 マノンゴル高校4年生(6年制)
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 僕は、ジェリー。アラカンの山あいの村、トゥマンディンのカヨパトンという集落が、僕の故郷です。「パノバット・トバット」というマノボ族の宗教で、創造主である「マナマ」を信じ、「パヌバラン」というお祈りのための家で、祈ります。2017年の前期期末テストまでトゥマンディン高校で勉強し、秋休みの終わった後期からMCLに移りました。2017年11月からMCLの奨学生として、キダパワンのマノンゴル高校で学ぶことになりました。僕の父は46歳、母は49歳で元気ですが、家族はとても貧しいです。僕は本当は11人兄弟でしたが、4人の兄と弟、妹が一人ずつの合計の6人が亡くなり、今は5人しか残っていません。僕は末っ子になってしまいました。兄弟の亡くなった原因は病気です。お金がないので、病気になっても薬を買ったり病院に連れていけずに、死んでしまいました。15歳まで生きたのに死んでしまった兄や、キノコの毒で亡くなった兄もいます。僕たちが病気になったときは、「カラマンガモ」を飲みます。これは、山に特別な木を採りに行き、それを炭にしたものです。でも、お金があればお店で熱さましや痛み止めの薬を買うこともあるし、病院に行けることもあります。僕たちの村は今年の3月に電気がきました。お米はお金があるときしか買えないので、いつもはサツマイモや里芋、キャッサバ芋、トウモロコシを食べています。時々、お昼ご飯は食べられません。家にお米がたくさんあれば高校休まなくていいけど、お米が無いとお弁当を持って行けないので、学校に行かずに家の仕事を手伝います。カヨパトンから高校まで歩いて、大体1時間半くらいかけて通っていました。今、兄弟で勉強を続けているのは僕だけです。僕には姉は1人と兄が3人いますがみんな小学校の途中で止めてしまいました。両親も兄弟も、仲がいいです。兄の2人は、もう結婚しました。両親は、バナナやトウモロコシ、ゴムをつくって収入を得ています。時々、僕もトウモロコシを製粉所に持って行く手伝いをしていました。カヨパトンからだと、セントニーニョの製粉所が一番近いです。僕の家には、馬もいないしバイクも無いので、バイクタクシーにお金を払ってトウモロコシを運びます。MCLでは3食お米を食べていて、トウモロコシは出ないんですね。僕の家では、トウモロコシを炊いて食べることも多いです。家族は、僕が勉強を続けることを喜んでくれています。でも、僕が家を出る日、母は泣いていました。僕は、大学を卒業することが夢です。将来は海軍に入りたかったけど、MCLの奨学金は、銃を持つ仕事に就くためには出ないそうなので、船乗りになりたいです。海を見たことがないけど、憧れているんです。好きな科目はMAPE(音楽・美術・保健体育)です。トゥマンディンの高校に行っていたときは、宿題で模造紙や色紙、ファイルを買わなくてはならない時、お金がないと提出することができませんでした。でも、トゥマンディンの高校に通っている生徒はお金がない子が多いので、先生も分かってくれます。MCLの奨学生は、月に200ペソのお小遣いがもらえて、それで宿題に必要なものを買うことができるんですね。うれしいです。趣味は、バスケットボールやバレーボール、チェスをすることです。好きな色は、白。好きな食べ物は、特にないけれど、お腹いっぱい食べたいです。MCLの奨学生たちと一緒に励まし合って、お互いに夢を叶えたいです。ご支援に、とても感謝しています。

 



ビサヤデー  



  こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

9月30日(日)
学生総会と
ビサヤ族の文化祭が
ありました。
(2018年9月30日)

     
     
     
     
   
     
     
     
     

 
保育所の開所式 



  こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

9月23日(日)、
アンティパス地区バランガイ・ラマタブの
シティオ・ロキキで、
公益財団法人北野生涯教育振興会より
建設をご支援いただいた
保育所の開所式を行いました。

開所式、
奨学生による読み語り、
日本から送っていただいた
古着の配布の様子です。
(2018年9月23日)

     
     
     
     
   

参加したMCL奨学生

保育所建設や、物資のご支援に
心より感謝を申し上げます。

 
ランソネスの言い伝え
このお話は、下クリックすると、
昔話文庫のサイトに移ります。
もっと大きな字で読むことが出来ますよ。
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こんにちは!
MCLに住む奨学生のマイカです!

今日は、小学校で教えてもらった、
ランソネス(南の国の果物の一種)の 
昔話をしたいと思います。
(2018年9月21日)

 

「ランソネスの始まり」
このお話は、下クリックすると、
昔話文庫のサイトに移ります。
もっと大きな字で読むことが出来ますよ。
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語り:マイカ E. アルマディン(12) マノボ族
出身:マタラム キブヤ ピロック
1

 

 むかしむかし、ある村に、若い夫婦が小さな竹の家に暮らしていました。この夫婦は仲がとても悪く、毎日けんかばかりしていました。

 ある日も、夫が妻に腹を立てて、おどかしてやろうと、妻を棒で打とうとしました。妻は、怖くなって家を逃げ出しました。

 妻は、行く当てもなく、しくしく泣きながら道を歩いて行きました。そのうちに、知らない村を通りかかりました。道端に、たくさんの小さな薄褐色の実をつけた大きな木が立っていました。

 妻は、泣いて道を歩いてきて、とてものどが渇いていましたので、その実を採って食べたいと思いました。そして、通りかかった村の人に、その実を食べてもよいか尋ねました。

「だめだよ、この木の実を食べては!この実には、毒があるんだ。食べたらきっと死んでしまうよ」

 妻は、それを聞いて、ますますその実を食べたいと願いました。夫とけんかをする毎日に疲れ果てて、いっそのこと死んでしまいたいと思ったのです。

 妻は、木から一つ、その実を採りました。薄褐色の皮をむくと、良い香りがして、白くて少し透き通った実が現れました。妻は、目をつぶって、思い切ってその実の小さな一房を口に入れました。甘酸っぱいその実は、妻の喉を潤しました。一房、また一房と口に入れ、一つの実を食べ終わりましたが、まだ苦しくなりません。妻は、一つ、また一つと、夢中で実を食べました。

 たくさんの実を食べて、お腹のいっぱいになった妻は、木陰に腰を下ろしました。木の幹にもたれていると、妻はうとうととしてきました。このまま死んでしまえばよい、と思いました。

 しばらくして、村の人が通りかかりました。

「木陰で眠っている、このとてもきれいな女の人は誰だろう」

 毒だと思われていた木の実を食べた妻は、とても美しい姿に変わっていました。妻は、村人の気配を感じて目を覚ましました。

「私、あんなにたくさん毒のある実を食べたのに死ねなかったの…」

 村の人々は、この木の実が毒ではないことに気が付きました。そして、村の女性は、自分も妻のように美しくなりたいと思い、争うように実を食べました。しかし、一番最初にこの実を食べた者だけが美しくなることができたのでした。村の人々は、この実を食べても姿が美しく変わることはありませんでしたが、この実はいい香りがしておいしいと思いました。

 妻は、村の人に鏡を見るようにと言われ、自分の美しい顔を見て驚きました。

「これは本当に私なの?私、死ぬつもりだったのに…」

 その後、妻は生きる気力を取り戻し、自分を棒で打とうとした夫と別れました。そして、自分を大切にしてくれる男性と出会い、再婚して、幸せに暮らしました。

 妻が最初に食べた木の実はランソネスと呼ばれ、その木は村の人々に大切にされました。季節が来ると、たくさんの実を幹にたわわに実らせ、村の人々は籠いっぱいに収穫して、おいしくいただきました。

 



ランソネスの実 


植林  



こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

9月8日に、
アラカン地区トマンディン村カヨパトン集落で、
コーヒーの木の苗を植林しました。

MCLの植林作業は、
先住民の人々が
土地を手放さないようにするための
経済自立支援と、
洪水対策のために、
日本の支援者の方たちの寄付で
支援されています。

支援者の方々に、
心より感謝を申し上げます。
(2018年9月12日)

  



コーヒーの苗をMCLから運んで水やり 
   

マノボ族の集落の人々と、
オリエンテーション
 

植林場所に苗を運ぶ
   
     
     
   
 

コーヒーの木が、大きく元気に
育つといいね。
   

参加したMCLの奨学生
お疲れさまでした!


奨学生のお話 



こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

MCLで暮らす奨学生のマイカさんが
語ってくれたお話を紹介します。
(2018年9月7日)


このお話と自己紹介は、MCL文庫のサイトに文字を大きくして移転しました。
クリックしてくださいね
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Mayca E. Almadin2006124日生)12歳 マノボ族

マノンゴル小学校6年生(6年制)

 

 ハーイ!私はマイカ。ニックネームはカイカイです。マタラムのキビヤのプロック1の出身です。マノボ族で、信仰はキリスト教のアライアンスです。私は、本当のお父さんとお母さんを知りません。私の本当のお母さんは、マニラに出稼ぎに行き、ハウスメイドをしていました。そこで船乗りの男性と出会い、結婚して妊娠しました。そして、本当のお母さんだけがミンダナオのマグペットに里帰りし、私を産みました。そしてすぐに、私を叔父さん(お母さんのお兄さん)に預け、一人でマニラに戻ってしまいました。それから、本当のお母さんもお父さんも、私に会いに戻ってきませんでした。私は写真でしか、本当の両親の顔を知りませんクリックして読んでくださいね。Go!
 

 
 これは、私が小学2年生か3年生の時に、学校で教えてもらったお話です。

「バナナの始まりの物語」 

 

 むかしむかし、この世界に、まだバナナはありませんでした。

 ある村に、若い恋人同士がおりました。二人はとても愛し合っていましたが、娘がまだ十四になったばかりでしたので、娘は父親に交際を反対されてしまいました。娘の父親は、娘が恋人の青年と会うことを禁じました。それでも二人は、娘の父親に隠れて会い続け、交際を続けていました。

 しかし、ある日、父親は娘が内緒で恋人に会っているところを見つけてしまいましたクリックして読んでくださいねGo!




日常より  



  こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

MCLで暮らす奨学生たちの
日常の様子です。
(2018年9月4日)

 

今日の食事係
 

ご飯が炊けました。
 

朝の掃き掃除


今から水浴び 
   

洗濯
 

お米の天日干し
   
     
   

今から洗濯


奨学金のご支援に、
心よりお礼を申し上げます。


奨学生採用の調査(サンタマリア)  



  こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

8月14日~8月16日にかけて、
サンタマリア地区の
バランガイ・タングラッドや
バランガイ・バシャワンで
支援の必要な子どもたちを探す、
コミュニティ・インタビューをしました。
(2018年8月17日)



サンタマリアの海辺の集落 
   
   

水頭症の妹がいる
小学6年生の姉と2年生の弟が
奨学生になりました。
 
 

車の入れない山道を歩いて、
一軒一軒家庭訪問します。
   

小学6年生の卒業後、
高校進学をあきらめていた女の子が、
来年度奨学生になり、
復学します。
     

両親が離婚し、祖母に預けられ、
学校に行けていなかった
9歳と6歳の姉妹。
6歳の子は、肝臓が悪そうなので、
病院に連れていくことになりました。
 

2015年に奨学生になった
6年生の男の子。
来年小学校を卒業です。
 

2015年に奨学生になった、
高校4年生の女の子。
支援者の方から
写真をいただきました。


皆さまのご支援に、
心より感謝を申し上げます。


奨学生採用の調査(マキララ)  



 こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

8月6日から7日にかけて、
マキララ地区の
バランガイ・バト、
ビアフローレス、マロゴンで、
支援の必要な子どもたちの
調査をしました。

MCLの奨学生は、
両親のいない子、崩壊家庭や片親の子、
兄弟の数が多く食べていくのが苦しい家庭、
学校が遠く交通費が払えずに学校に行くことが難しい
子どもたちが選ばれます。

(2018年8月17日)



マキララ地区は、
MCLから1時間程ハイウェイを
南に走ったところにあります。
 
 

村の役場や学校で教えてもらった
支援の必要な家庭のリストをもとに、
家々を訪ねます。
 
     
   

母親が学費を持って、
よその男性のところに逃げたため、
進級を断念していた高校生
 
 

候補の子どもたちを探しに、
学校も訪ねます。
 

母親が亡くなり、養父も去って
親戚に預けられていた
高校生
 
 

両親が離婚し、
母親が別の男性と
新しい家庭を持ったため
祖母の家に残された
小学6年生の女の子
 

バイクに乗っていて火傷した傷が
化膿していたので
医療支援を受けることになった
女の子


姉がMCLの奨学生で、
来年大学を卒業します。
私たちも、勉強頑張ります。


読み語りと炊き出し(ウォーターフォールス)



こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

8月4日(土)
大きな滝のある
マノボ族の村、ウォーターフォールスで
読み語りと
甘いお粥の炊き出しをしました。

読み語りの後、
MCLの奨学生たちは
滝つぼで泳ぎました。

日本からの訪問者の方も、
参加して下さいました。
(2018年8月5日)



チャンポラード(ココア味のお粥)の


炊き出し


滝つぼで泳いだ後、


お昼ご飯


雨が降って寒かったけど、
楽しかった!


 読み語りと炊き出し(スマヤホン) 



こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

8月1日(水)
キダパワン市ペレスのスマヤホン村で、
読み語りと「大きなキャッサバ(カブ)」の劇、
ご飯とソーセージのケチャップ煮の
炊き出しをしました。

日本から来てくれた
小学生の女の子たちも参加しました。
(2018年8月5日)
  
     
     
     
     
     

車の荷台に乗るのが
楽しかったよ!

 
読み語り 



こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

7月21日
アンティパスのカムタンで
読み語りをしました。

また、日本からの支援物資の
古着を配りました。
(2018年7月21日)

  
   
     
     
     
 

日本から
 

たくさんの古着を送って下さり、


どうもありがとうございます。


洗濯



  こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

MCLで暮らしている子どもたちの
洗濯の様子です。
(2018年7月6日)

     
     
     
     
   

僕たちを
学校に行かせてくださって、
どうもありがとう!


マノボデー  



こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

2018年6月24日、
MCLでマノボ族の文化祭がありました。
(2018年6月24日)


  
     
     
     
     
   
 

この日のために、毎晩歌や踊りを練習してきました。
ビサヤやムスリムの奨学生に
楽しんでもらえたらうれしいです。
私たちを学校に行かせてくださり、
どうもありがとうございます。
明日からも、勉強頑張ります。




エンバシ保育所の開所式  



  こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

独立記念日で祝日だった2018年6月12日、
キダパワン市バランガイ・ぺレスの
シティオ・エンバシで
保育所の開所式を行いました。

開所式と、奨学生による読み語りの様子です。
(2018年6月17日)



総コンクリート製の
スタンダードサイズの保育所を
贈りました。
 
 

キダパワン市の市長さんや、
バランガイキャプテンが
出席して下さいました。
 

ともさんとエイプリルさん
 

同意書にサイン
 

MCL奨学生による読み語り
 
     
     
 

立派な保育所を建てて下さり、
 

どうもありがとうございます。


新しい保育所での
勉強が楽しみです。


サンタマリア 海の下宿小屋開所式  



  こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

2018年6月10日に、
サンタマリアで
海の下宿小屋の開所式がありました。

読み語りと、
参加した奨学生の様子です。
(2018年6月17日)

     
     
     
     
     
   

建設をご支援して下さった皆様、
どうもありがとうございました。
 

海水浴や、
海の村の子どもたちと遊ぶのが、
とても楽しかったです。


新年度



こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

6月4日から新年度が始まりました。
(2018年6月7日)




奨学金のご支援
ありがとうございます!


  保育所建設場所の調査



  こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

保育所建設支援の調査のために、
5月24日に
キダパワン市バランガイ・マリナンの
プロック・サントールを訪ねました。

ここは、少数民族ビラアン族の集落ですが、
保育所がありません。
保育所に行くには、違う集落の
プロック・タリサイまで行かなければなりませんが、
遠いので保育所に行っていない子どもたちがほとんどです。

フィリピンでは、幼稚園に上がる前に
保育所でABCや数の数え方を習わなければならないために、
小さな子どもたちが歩いて通えるよう、
集落の中に保育所を必要としています。

(2018年5月25日)


キダパワン市の福祉局で
計画の話をしています。
 
 

プロック・サントール
 
 

集落のリーダー、
福祉局のスタッフとの
話し合い
 

集落を見てまわります。
 

村のお母さんに
話を聴いています。
 

村のリーダーが推薦した、
建設場所。
正式に決まれば、
土地を集落に寄付してもらい、
そこに保育所を建てます。

 

ビラアン族の子どもたち
 
     
 

MCLでは、
新学期に向けての準備中
   

ご支援、
どうもありがとうございます!

 
サマーキャンプ 



  こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

フィリピンは、4月から5月が夏休みです。
MCLのほとんどの子どもたちも
実家で夏休みを過ごしていますが、
24人の奨学生がキダパワン市カライサン高校で
5月16日~18日まで、
2泊3日のサマーキャンプに参加しています。
(5月17日)

   
     
     
     
 

MCLを入れた3つの団体から
参加している子どもたちを
混ぜて7つのチームを作り、
応援合戦やゲームを楽しんでいます。


奨学金のご支援、ありがとうございます! 

  
日本公演中



  こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

4月8日から、
MCLの奨学生とスタッフが来日し、
日本各地を回りながら
ミンダナオの踊りや歌を披露しています。

来日中の奨学生たちの
様子です。
(2018年4月29日)

     
 

MCLでの練習の様子
 

行ってきます!
 

日本でホームステイ
 

食事の前のお祈り
 

お箸で食べています。
     

食後のお皿洗い
 

踊りに使う傘の修理
   

公演前のお化粧
     
 

公演は6月7日まで続きます。
 

ご都合がよろしければ、
子どもたちに会いに来てくださいね。
 

MCLの活動へのご支援、
どうもありがとうございます。


マノンゴル高校の卒業式  



こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

MCLに暮らす子どもたちの通う、
マノンゴル高校の卒業式が4月4日にありました。
(2018年4月27日)

  
 

MCLの奨学生たち
 

保護者の方との入場行進
 
     
     
   

高校を卒業した
奨学生のみなさん、
おめでとう!
 

奨学金のご支援に、
心より
お礼を申し上げます。
 


遠足  

  

こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

MCLの子どもたちの通う
マノンゴル小学校・高校では
4月4日に終了式があり、
約2か月間の夏休みに入りました。

4月9日に、
まだ帰省していない子どもたちみんなで、
プールに遠足に行きました。
(2018年4月19日)

     
     
     
     
     

楽しかったね!

広島の三倉岳山開き
にて公演

 マノボ族の収穫祭の踊り
最初にマノボ族の
収穫祭の踊りをしました


8日に日本に着いた、
ミンダナオ子ども図書館の若者たち
の公演が始まりました。
山口のJICAのOB会主催の公演を終わり、
広島の三倉岳山開き公演、
そして湯布院に来ています。
どの公演も、
予想以上に喜んでいただいています。
何よりも、踊りの中に祈りと物語があって、
ステージではなく、
村の収穫祭や結婚式で素朴の行われている踊りで、
それが心を打つようです。
来日の若者たちも、
鍛えられた踊り手ではなく、
普通の奨学生の若者たち。
ビザの都合で17歳以上ですが、
本当に素朴で笑顔が素敵、と言われました。
広島の映像を載せますね。
まずは、マノボ族の収穫祭の写真です。 

イスラムの恋と結婚の竹のダンス

イスラム教徒の竹のダンス。

竹のダンスといっても、
ただのステージの踊りではなく、
恋愛をした少女と少年が、
それぞれの試練を超えて、
最後に二人の試練を超えて
結婚していく物語。
結婚式の儀式で行われる踊りです。
フィリピンでは、
竹のダンスが有名ですが、
竹の踊りの意味が
私にもようやくわかりました!
竹の踊りは、
試練を超えていく、
生きる力を意味していたのです。


ビサヤ(クリスチャン)のヤシ殻ダンス

ビサヤ(クリスチャン)のダンスで、
珍しい男の子たちの
ヤシ殻を胸に付けた踊り。
子ども時代から培われる
自然のなかでの
遊びがテーマ。
こうした体験のなかから
友情が培われていくのです。

時間があるときは、
ビサヤの竹のダンスも行います。




最後にラテン音楽に合わせてダンス
そして、歌を唄いました。

 
 




 
マノンゴル小学校の卒業式 



こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

2018年4月3日
MCLに暮らす子どもたちの通う
マノンゴル小学校の
卒業式がありました。
(2018年4月4日)

  
     
     
 

今年、マノンゴル小学校を卒業する奨学生は13人。
おめでとう!
 
 

小学校の終了式
 

優秀賞を受け取った奨学生
 
     

奨学金のご支援、
どうもありがとございます。

 
ムスリムデー 

  

こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

3月25日(日)の
ムスリムデーの様子です。
(2018年3月25日)


   
     
     
     
     
     
   

成績が優秀な奨学生の表彰

奨学金のご支援に、
心より感謝を申し上げます。


読み語り  



  こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

3月17日(土)に行われた
アラカン地区トマンディン村カヨパトンでの
読み語りの様子です。
(2018年3月18日)

 

昨年10月から6か月間
毎月カヨパトンに
読み語りと炊き出しに
行きました。

3月でとりあえず、
カヨパトンへの
半年の炊き出しプログラムは
最後です。
 
     
     
     
     


炊き出し 
 

ご飯と鶏肉のしょう油煮
 
   
 

ご支援に、
 

心より
 

お礼を申し上げます。


第5回マラウィ緊急支援



こんにちは。
現地スタッフの宮木 梓です。

2018年3月1日から5日にかけて、
昨年戦闘のあった
ミンダナオ島マラウィ市の避難所を訪ねました。

避難所では、読み語りをしたり、
子どもたちへ救援物資を配布しました。

今回子どもたちに配ったのは、
立正佼成会の子どもたちが
一食断食で貯めたお金で用意してくれた、
おもちゃや文具の詰まった「夢ぽっけ」と、
北海道小樽の朝里小学校の皆さんが
送って下さった物資です。

物資を送って下さった皆さまに、
心よりお礼を申し上げます。
(2018年3月6日)



避難所での読み語り


「夢ぽっけ」を送って下さった
子どもたちの紹介


「夢ぽっけ」を受け取った
子どもたち
     


朝里小学校の皆さまからの物資 
   
 

避難所の様子
 

戦闘が終わっても、
「グラウンド・ゼロ」と呼ばれる
戦闘になった市街地に住んでいた人たちは、
 

不発弾の処理などが
終わっていないために、
まだ帰ることができません。
     
 

ポーズをとってくれた
避難所の子どもたち
   

避難所から、MCLを見に来た
奨学生候補の子どもたち
 

MCLにようこそ!
 

いっしょに勉強をがんばって、
学校を卒業できるといいね。
 

奨学金や物資などのご支援を、
どうもありがとうございます。


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