戦争と平和構築
2016年の記録から(2)


MCLを訪れた真奈美さんの原稿です
真奈美さんの原稿【旅日記】
1 MCLを訪れた真奈美さんの原稿 GO!
2 竹でできた簡素な高床式の家 GO!
3 赤ちゃんはほんとに泣かない GO!
4 電気のない村キアタウ GO!
5 川いくぞー GO!
6 朝四時に何キロも山道を歩いて GO!
7 天の国は彼らのものである GO!
8 すべてがゆるい GO!
9 天国はまさに彼らのものだった GO!
10 大量の蟻いりコーヒーのせい? GO!
11 そうここは自由の国 GO!
12 怒る必要なんてどこにもない GO!
13 個性を超えて GO!
14 《競争心は壁をつくる》 GO!
15 でもどうしようもなくて GO!
16 《曖昧な心、曖昧な生活》 GO!
17 もうすぐ旅は終わる GO!
18 日本の子どもたちの感性は素晴らしい GO!
19 子どもたちの様子を映像から紹介 GO!日本の
20 本やサイトから飛びだそう GO!
21 娘も勇気と希望をいただきました GO!
22 お便りありがとうございます GO!
23 日本に少し重きを置いて GO!
24 本当に飛び出してみて体験すること GO!
25 文教大学の若者たちの訪問サイトから GO!
26 日本の若者たちが訪れるように GO!
27 花岡風子の訪問記 GO!
28 子どもたちが大喜びで迎えてくれた GO!
29 皆さんの御寄付でダバオで手術 GO!
30 子どもたちが植えたカカオの苗 GO!
31 今はすっかり草木ものびた GO!
32 モスクの修復が終わっていた GO!
33 野菜売りの子どもたち GO!
34 先住民の文化祭の準備 GO!
35 ニシキヘビを蒲焼きに  GO!
36 友情のなかで生きる力 GO!
37 ヤシの実とりに行った GO!
38 マノボデー先住民族の文化祭 GO!
39 マノボ族の結婚式! GO!
40 日本から来た若者たちも歌った GO!
41 卒業生のアロナの講演 GO!
mana1
MCLを訪れた、
真奈美さんの原稿です


ミンダナオ子ども図書館を訪れた、
高田真奈美さんの原稿です。

体験が、
とっても素直に
見事に書かれていますね。


【旅日記その1】
電気のない村キアタウ

フィリピンよりコンニチハ。
Maayong Gabie!(ビサヤ語)
生きてます!が、
また風邪引いてます。

9月10月11月と連続で発熱し、
やっと鼻水止まった
翌々日にまた発熱。
何か検査したほうがいいかなぁ(´・_・`)?

ミンダナオ子ども図書館に行く前に、
キアタウという
電気ない山奥の村に滞在してきました。
この村から図書館に来ている
子どももいるので、
その様子を見てこようと。


ミンダナオ子ども図書館では、
戦争孤児や崩壊家庭、
極貧、虐待などの理由で学校に通えない
子供達の奨学金の支給や、

放っておけない子どもについては
本部で共に生活している。
http://www.edit.ne.jp/
~mindanao/mindanews.htm


さて、しばらく
遊園地のアトラクションは
遠慮したいほどの悪路を、
舌を噛みながら数時間。

四駆じゃないと
絶対進めない凸凹道。 
雨が降れば土砂崩れ。

開けた山々の眺めは素晴らしい。
(妖精に連れていかれるから、
山が綺麗♡とか言ってはダメらしい。)

村に着くと、
子どもたちがじーーっと見つめてくる。 
私たちは異星人に見えるよね。 
村から出たこともない人が
殆どとのこと。


ここでは電気も
上下水道の設備もない。 
ほぼ自給自足で、
塩や白いお米も高級品だ。

私たちが宿泊した二つの家庭では、
鶏肉とコメを出してくれたが、
これは年に数回しか出ないもので、
わざわざ飼っている鶏をしめてくれた。 
おもてなし。。。(T_T)


子どもたちはキャッサバ(芋)や、
甘くないバナナを蒸しただけの
ご飯だった。



mana2
竹でできた
簡素な高床式の家


村の朝は
5時頃始まり、
8時か9時には寝る。

竹でできた簡素な高床式の家。
モノは殆どない。 
家ごと燃やしても
残るのは鍋くらいだろう。 

布団もないので床で寝る。
夜中に手の上に
ネズミが落ちてきた。

何かわからない
虫にかまれて、
右手がパンパンに腫れた。

そこら辺にいる犬を
撫でようと思ったら
村人に全力で止められた。

「噛むし汚いし後でそいつ食べるから!」笑
あひるは子どもが叩いて遊ぶもの。
猫はしっぽふんずけて遊ぶもの。
みんな笑う。

夕食はロウソクの明かり一つで、
暗すぎる。 
正直何を食べているんだか
わからない笑。

基本はおかず一品にご飯のみ。
味付けは塩だけだが、
なぜか美味しい。

風呂は水も貴重だから、
たまには入るのだろうが、
シャンプーなどももちろんない。

村人はシャイだし、
英語も通じない人が多いが何も気にしない。 
目が合ったら微笑めば良い。 
他人と自分の境目があまりない、
共同体としての意識。 


おそらく日本でも
70歳以上の人なら体験したであろう、
町や人々に繋がりがあった時代が
ここではずっと続いている。


mana3
赤ちゃんは
ほんとに泣かない


東京で若者が感じることは
殆どない意識。
誰が指図するでもなく、
家事、育児がこなされていく。 

立って歩いて言葉がわかるなら、
2歳くらいの子どもから
何か家事をする。

それは「うちの子」「よその子」は関係がない。 
赤ちゃんはみんなが
代わる代わる抱っこして、
枝に布を巻きつけただけの
ゆりかごを揺らす。


(赤ちゃんはほんとに泣かない。
夜泣き、ムダ泣きもない。
というよりみんながずっと構っているので、
泣いて注意を引く必要が
ないのかもしれない)


村のどこを見ても物質的に貧しいが、
半分以上が子どもで凄く賑やかだ。 
そして
なによりのびのび、自由に育っている。 


「何々しなさい!ちゃんとしなさい!
泥がついたら誰が洗うの!」
みたいに叱る母親は皆無。 
怒ることがまずない。 

むしろ母親とは
オマケでついてきた肩書きであって、
村の人たちみんなが面倒を見ているし、
その中で子どもは
勝手に育っていくといったほうが正しい。


日本と何もかも違う。。。
私の細胞の一つひとつが、
エネルギーで
満たされていくのがわかる。

日が昇れば起き、
日が落ちれば寝て、粗食、
1日にすべきことはほとんどなく、
薪をくべて米を炊き、


お湯を沸かして
コーヒーを入れたり、

洗濯物を
足でふみながらお喋りしたり。

擦り切れるほど聞いていると思われる、
なぞのフィリピンポップスを
家族で聴いたり。 

10人家族で
八畳の部屋でねたり。

初めてだけれど懐かしさを感じた、
原始的な村から
1ヶ月のフィリピン生活が始まる。
→旅は続く


mana4
【旅日記その2】 
電気のない村キアタウ続き

電気がないと聞いて
一番期待していたこと!
やっぱり星空でしょう( ^ω^ )

夜ワクワクして家からでると、
やっぱり凄い!!! 
こぼれんばかりに星が瞬いていて、
ときおり蛍も流れていく。

恋人でこれを見たならば、
勢い余って
プロポーズしちゃうような、
ずるすぎる星空。

「流れ星あと3つ見つけるの( *`ω´)」
と私が興奮しているのを、
村人はポカンと見ていた。 
え、星がどうしたの。。。?(ざわざわ)
みたいな感じで。

普通って怖い。
この村人たちは、
他の空を知らないから
そう言うしかないのだけれど、
こんな凄い星空も「普通」になっちゃうんだ。

どんなに金銭的に恵まれていようとも、
素敵な人と結ばれようとも、
素晴らしい宝石を手に入れようとも、
それが常に手の内にあると思うなら
普通になる。

普通なんてどこにもない、
毎日が奇跡のような必然の積み重ねだと
考えることができるのも、
一種の強さかな。

強い人になりたいなと
流れる星たちにつぶやいた。


mana5
川いくぞー

翌朝みんなで川いくぞーと招集かけると、
大人も子どももわーーっとついてきて、
ぜんぶで20人のパーティーになった笑
時間があるっていいなぁ。。。

村で唯一の?オネエ男子もいた。
言葉はわからないが、
語尾に♡がついてるし、
身振り手振りでオネエだとすぐわかる。

「あたし、一応女のコが好きなのヨ♡
あたしの心も
女のコだけど♡きゃーー!」
世界共通だ。。。((((;゚Д゚)))))))

日本軍が
潜伏していたんだか、
逃れて隠れていたんだか
という洞窟に先ず向かった。

急斜面を下ること40分
(私はこういう怖い、高い道がめちゃ苦手。
手を引いてもらいながら行く。
完全にお荷物系女子。 

日本だったら絶対
「子どもだけで行ってはいけません」とか、
危なすぎる!
と言われるだろう道なき道。 
一応大人もいるけど、誰も何も干渉しない。

ジャングルでは
子どものほうが身軽にすすむし、
何がどこにあるか
良く知っているみたい。 

アンバランスな丸太も、
川を渡るのも、
私がびええぇぇと鳴きながら行く間に、
子どもは風のように走り抜けていく。

森をよく理解していて、
本当の意味で
生きる力があるんだなぁと
ただただ感心…。

洞窟に着くと、
子どもたちが率先して火をおこし、
それを松明にして
真っ暗な洞窟を探検。

70年以上前、
ここに戦争にやってきた
日本人は何を思っただろう。 

この暗闇に
パチパチと燃える火のように、
静かに
戦いへのきもちを高めていたのか。

それとも負傷したり、
亡くなったりする同志を尻目に、
美しいジャングルに守られて、
一時の平安を得ていたのか。。。
手を合わせておいた。

川辺では
バナナの葉でお皿をつくり、
火をおこし、ご飯を炊く。 

魚やカニ、
オオトカゲを捕まえて焼く。



つめたーい川で水浴び。
水も貴重なので
お風呂は毎日入れないからね!
小さい子どもはフルチンで川へダーイブ\(^o^)/

楽しかった!!!
DNAにこういうのを
楽しいと感じます、
と書き込んであるみたい。

タノシイ
オイシイ
タマシイ
ヨロコブ


mana6
朝四時に
何キロも
山道を歩いて


話は変わるが、
キアタウ村から小学校まで、
子ども図書館の支援が入る前は、
朝四時に
出発しなければならなかったらしい。

さらに保育所を卒業しないと
小学校に上がれない
というルールを政府が突然作った。
小さな子達が朝四時に何キロも
山道を歩いていくことはできないし、
お弁当も持って行かせられない。 

そもそも
三食食べられない子も沢山いるし、
何人もいる兄弟でも1人を頑張って
小学校を卒業されられるか程度。 

高校、大学なんて夢のまた夢。
だからといって塞ぎこんだり、
ひきこもりになったり、
自殺したりする子は一人もいない。 

競争に勝とうと考える子も、
リーダーになりたがる子もいない。
大切なのはみんなで協力して、
楽しく暮らすこと。 

お父さん、お母さんを助けること。 
兄弟の面倒をみることだと
泊まった
家の子供達が言っていた。 


物質的には
明らかに貧しいが、
心はお金では買えないくらい
素直ですこやかで素敵だ。

✳︎山に住む人たちには、
好きで僻地に住んでいるわけでなく、
日本軍から逃れるためだったり、
開発の波に追いやられ、
平地を奪われたりと様々な事情がある。

電気もねぇ!水道もねぇ!
キアタウで、
東京とは真逆の何か、
日本にもかつてあったもの、

日本の若者の感じている
生き辛さの解決の
ヒントになるものが
いろいろ見えた気がする。

物質の世界から遠く離れ、
強く、たくましく生きているこの村や、
こどもたちの笑顔が
永く存続しますようにと願い悪路を辿る。


mana7
【旅日記その3】 
天の国は
彼らのものである


ミンダナオ島生活も
20日経って
折り返し地点にきた。

ミンダナオ子ども図書館での
暮らしにもなじんできて、
子どもたちとの生活を
楽しんでいる今日この頃( ^ω^ )

ここに暮らすのは、
戦争孤児や崩壊家庭で
帰る家がなかったり、
極貧で食べられず
学校にも行けない子どもたち。

学費の援助のみの奨学生を合わせると
膨大な数だが、
暮らしを共にしているのは
80人くらい。

いわゆる孤児院なのだが、
創設者の松居さんはもともと
孤児院をつくろうと考えたわけではなく、
絵本の読み聞かせで、子どもたちに
笑顔になってもらいたい
との思いでここを始めた。

今も絵本を中心に
子どもたちだけでなく、
戦地となって取り残された村の人々にも
読み聞かせを通して繋がりをつくっている。


命がいくつあっても
足りない。。。

最初は
こんなに大きな組織にしようだなんて
想像もしていなかった、
と松居さんは言う。

放って置けない子どもたちの
面倒を見ているうちに
やることが次から次へと増えて、
こんなに大きな組織になったらしいが、

殆どが
企業などからの大口寄付でなく、
個人からの少額寄付で成り立っている
というから驚きだ。

「最近はフィリピンの子どものことと
同じくらい、
日本の子ども、
若者の精神が気になりはじめた。

なぜ物質的豊かさでは
フィリピンと比べものにならないくらいの日本で、
子どもが引きこもったり、自殺したり、
鬱病になったりするのだろう?

忙しくて本来は訪問者にまで
手が回らないのだけれど、
ミンダナオの風を届 けたい」ということで
今回は色々あって
働けていない私に白羽の矢が立った。

(ここまで私が来れたのも、
周りの方々の沢山のアシストがあったから。
私の意志 とは関係なしに
ここに来ることが、トントン拍子で決まっていった。
本当に驚くべきことなのだけれど。)


mana8
すべてがゆるい

ミンダナオ島での毎日はとてもすこやかで、
怒ったり、焦ったりするようなことは一つもない。
すべてがゆるい。
ズルしても、真面目にも、
生きていける気がしたよ。

朝焼けを拝めるよう5時に起き、
明日の朝焼けのために、9時に寝る。
フィリピンといえど
標高の高い場所に居るので、
長袖長ズボンでも寒い。

シャワーはもちろん水。
最初は震えあがっていたけれど、
今は頭からさっさとかぶれる。
南無!

トイレはもちろんインド式。
便座はないが、
なんてことない。

新疆ウイグル→パキスタン→
インド旅での青空トイレや、日々のう⚪︎こ語り、
空港でパンツをおろした事件を
経験していなかったら
できなかったことが沢山ある。

改めてあの旅を
ほぼ強制的に行かせてくれた
ビリヤニ一行に感謝したい。。。

さて、ここにきて驚いたのは
子どもたちの明るさや、素直さ、
強さに圧倒されて浮き彫りになった
私の心の壁のほうだった。 

まったくこころが開かない。 
自分の指では届かないくらい深いところに、
その扉はある。


mana9
天国はまさに
彼らのものだった


東京で暮らしている間、
私はコミュニケーションは得意なほうだと思っていた。
そうです、みんなが良く知るまなちゃんの心は、
ある意味ではとても硬く閉ざされて
歪んでいたのです。

(え?知ってた?)
笑顔だけど笑顔じゃない。
元気だけど元気じゃない。
健康な精神と粗食と広い空の下で、
そのことが触れられるくらいハッキリと、
明確にわかってしまった。

私は親を目の前で殺されたり、
虐待されてきた子どもたちと
どこか一部でも影の部分が一致して
分かち合えるような気がしていた。 
(全くそんなことはなかった、というか
そこは重要ではなかった。)

今、ここに居て三食食べられ、
沢山のともだちがいて、
パパトモ(松居さん)やハウスペアレント
(ダディー、マミーと呼ばれる住み込みの親役)
がいて学校に行ける。

夢がある。
笑える強さがある。
天国はまさに彼らのものだった。。。

この天国に近い場所で、
鍵を失くして家に入れない、
核家族の一人っ子になった気分だった。

細胞壁を溶かされて、
中身が全部出てしまいそうで、
合体吸収させられそうな気分になって、
ぐちゃぐちゃで。

どうして良いか
わからなくなった
27歳の日本人の私。

保てない。すっぴんの私では。
なにをすべきなのか
なにをしたいのかんがえることはたくさんあり
でもまずはこのかんじょうをせいりしなくては。。。

と、3日ほど目眩とともに過ごしていたら
風邪を引いて寝込んで。。。
はぁ、思ってたより色々と
気持ちの面では重労働になりそうだな。。。
と思いながら、知らない天井を仰いでいた。


mana10
【旅日記その5】 前々回のつづき
大量の蟻いりコーヒーのせい?


大量の蟻いりCoffeeの
せいなの何なのか、
フィリピン二度目の発熱で
寝込んで過ごしたクリスマスでした、

皆さま
いかがおすごしでしょうか。
やっと復活してみると、
年の瀬ではありませぬか! 

私はもうすっかりと
ミンダナオの生活に馴染み、
師走とは日本のものであって、
ここには関係がないものだと知りました。
誰も走ってないよ、牛歩。


今は子ども図書館から離れて、
帰省する家、
親、親戚のない子どもたち数人と、
スタッフやその家族と
海でキャンプをしています。


やることといえば、
遊ぶことだけ。

ずっと大きな木の下でお昼寝したり、
子どもと遊んだり。
なんという贅沢な時間。



mana11
そう、
ここは自由の国


さて、前回の長文の続きです。
感じることがありすぎて、
とても伝えきることはできないと思っていますが、
この年の瀬に暇を持て余している
幸せなかたが居れば、読んでみてください。


子どもたちの
圧倒的な輝きに気圧されて、
自分の心の壁に気づいた、
というのが前回までのおはなし。

悶々としているとはいえ、
毎日フィリピン流のご飯、
水浴び、遊び、
うた、お祈りなどをして楽しく過ごしている。

本当にここはフリーダム。
誰も怒らない。
誰も何に対しても
怒らないのだから、フリーダム。

全てがテキトー。
日本では3秒で怒られるような、
行儀の悪い行為も、
道路交通法を完璧に無視した
乗車スタイルも全部ゆるされる。

笑顔で鼻くそをほじり、
何食わぬ顔で私の足に落として、
その手で私のケータイを
スクロールしてもオールオッケー!!
《そう、ここは自由の国》

日本では
何であんなに怒られてきたんだろう、
と不思議に思うくらいだ。
仕事では、怒っても怒らなくても変わらない、
一銭の得にもならないことで
一時間くらい怒られたりする。

「そこはすみませんじゃなくて、
『申し訳ございません』だろう!!」みたいなこと。
どっちでも良いんですけど。
機嫌で怒りをぶつけてきたり、パワハラ野郎も多い。
彼らが不憫だ。

私に限らず、家でも学校でも、
うるさいだの行儀が悪いだの、
細かいことで誰でも何かと
怒られてきたんじゃないだろうか。

細かすぎだよ日本人、
と小さい頃から思ってきた。 
だから、
とてもここは心地よい。


mana12
怒る必要なんて
どこにもない


東京では、誰かの怒りを見ない日はない。
空気全体がピリリとして、
早くこんな1日よ
終われと言わんばかりに
どんどん時計は進んでゆく。

ぶらさがるマンゴーが、
風にゆらゆら揺れるのを眺めながら、
怒る必要なんてどこにもない、
ぜんぶゆるせばいいということに
凄くホッとした自分がいた。

そう、怒るより
ゆるすほうがずっと良い。
揺れていれば良い。
どうせこの世には善も悪もないのだから。

化粧もしないし
(一回化粧道具を子どもたちに見せたら、
もうぐちゃぐちゃに
使われまくったのもあるが笑)
鏡もみない。(鏡がない。。。)

着るべき服は昨日の雨で濡れたので、
昨日と同じ服。
私のナルシシズムは最小限に抑えられ、
自我はとても小さくなり、

なにも気にしない、バッチコイ!
精神が整ったところではたと気づく。
おお!
私ここに馴染んできた!

ビサヤ語も少しずつ覚えてきたし、
子どもたちと遊ぶことにも慣れてきた。
(そしてご飯に飽きてきた。。。
プリーズギブミー味噌スープ)

第一、
心をどう開こうなんて考えて開くものなら、
カウンセラーはいらないのだ。
ただ感じる儘にしている。 
そこにただよう。 
同じようにしている。一緒に笑う。

他人をゆるしてないから、
自分に対しても
ゆるすことができずに
壁をつくり出していたのかな。

いや、反対か。
壁の成分のひとつに「ゆるせない」
という気持ちがあることがわかり、
今その壁を壊せた。
がしゃん。

今はとても清々しい。
側では子どもが賑やかに唄っている。
希望の歌だ。
→続く



mana13
【旅日記その6】
個性を超えて


年末の休みで
殆どの子は帰省していたが、
帰る家のない子たちと、
スタッフとでワイワイ過ごしてきた。

素朴な椰子の木のビーチ。
砂のベッドで眠ると星の絵本があり、
風のタオルケットが涼しい。

そして青空トイレ。
嗚呼なんというメルヘン。。。
!!!笑


mana14
《競争心は壁をつくる》

さて、ミンダナオ島の人たちは
本当に競争心がない。
何でもかんでも良くしていこう
という気があんまりない
(ような気がする)。

あるモノで満足しよう
という気持ちがある。
これでオールオッケー!
明るくてタフでテキトーだ。

以下は旅先で感じた
各国の国民性について。


韓国「競争心の塊、誰にも負けたくない。」
中国「何でもパクって劣化させる!!」
ベトナム「努力は実る、頑張ろう!
アメリカにも勝った誇りがある☆」

台湾「日本大好き、
日本みたいになりたいなぁ。。。」
香港「ペチャクチャペチャクチャ
ペチャクチャ!!!!」
インド「はい、1000ルピーダヨ」

フィリピン『。。。これでヨシ!』←イマココ
✴︎個人の見解です。
どの国も私は好きです。

ここの人たちは、
集団でいるときは怪獣のように
ワーワー騒ぐのだが、
個人になると急にしおらしくなる。

カメラも皆に向けると
「撮って撮ってー!!!」なのだが、
誰か一人にフォーカスすると
恥ずかしがってどこかへ行ってしまう。

自我やエゴ、
目立ちたい気持ちがとても小さい。
コミュニティに属していると強くなれる。
レオ・レオニのスイミーという絵本を思い出した。

だから個性を発揮しなさいとか、
人と違うことが素晴らしいよね
とかそんな考えがない。
誰かより抜きん出る必要も、
競争に勝つ必要もない。

協調性を
ことさら意識しているわけではないけれども、
小さい頃からそういう環境なので当たり前に
なっているのだろう。
すべてのことが、
リーダー役がいなくても阿吽の呼吸で進んでいく。


mana15
でも
どうしようもなくて


ところで、
運動会で勝てない子がいるから、
順位をつけるのを止めようという記事が
炎上していたのを前に見た記憶がある。

その時私は
「酢いも甘いも経験させないと、
大人になってから困る。
運動が得意な子は自信をつけられるし、
苦手な子も何か他の得意なことを見つける
チャンスじゃないか」と思っていた。

運動会云々は置いておいたとしても、
学校でも会社でも
競争ばかりに目をつけすぎていないかと
疑問に思えてくることもある。

競争原理は効率的で
合理的な部分もあるだろう。
個人の力を高めることで、
全体の力を高めるというのは
一見筋が通っているように思える。

けれど、たぶんここの人たちは
これをヨシとは言わない。
《多くの人は個人主義、
成果主義の社会に
疲れ果ててているのではないか》

『私のスキル』『私の個性』
『私が他人より優れた点』
『私が御社に提供できるもの』
『私の資格』『ノルマ』
『コンプライアンス』『ヴィジョン』
『我が社のクレド』etc。。。

会社では、相談役の窓際族
(私は見たことがないが)は排除され、
情報屋のお茶汲みのお姉さん、
おせっかい焼きの掃除のおばちゃんは
効率主義の名の下に消えていった。

企業戦士の末裔が頑張れよと、
精神論を持ち出して説教してくる。
ストレスで
頭がおかしくなっていることにも気づかない
おっさん達のパワハラ。

日々成果を出さなくてはいけない。
成長は続けなくてはならない。
頑張り続けたら、いつか伸びきった
ゴムのようになってしまうのに。
鬱病の経験が
美徳のように語られることもある。

いつまで私たちは資本主義に魂を
売り続けなければいけないのか?
そんな風に思うのは
私だけだろうか。

私たち20代ですら、
社会に出て楽しいと思っている人は
少数な気がする。
会社が楽しくて!という人は
聞いたことがない。
楽しくないのが仕事の本質なのか?

仕事は人生ではない、
割り切ろうというのも淋しい話だ。

やりがいがあっても、
東京では手取り20万円もらっても、
残業時間や、給料の出ない労働時間が
長い人にとっては
ワーキングプアと言える。

手取り30万円もらう頃には
責任も大きくなって、
時間もさらになくなる。
50万円もらって精神内科に
お金を沢山落としている人も少なくない。

不安で、焦って、
でもどうしようもなくて。
恋人をつくることも結婚も子育ても、
なんだか別世界の話に見える。


mana16
《曖昧な心、曖昧な生活》

ミンダナオでは、
個人と集団の境目も
曖昧なように、
仕事もプライベートも曖昧だ。

働いているスタッフは、
子ども図書館の敷地内に
家を建てて
暮らして良いことになっている。

日本だとどうか?
家庭に仕事仲間や、
上司がいると考えただけで
ゾッとする人がほとんどだと思う。

レストランでもどこでも、
赤ちゃんをあやしながら仕事をする。
子どもがギャーギャー騒いでいる横で仕事をする。
みんな気にしない。
この差は何なのだろう。

さぁ、叫んでしまおう。
ストレス抱えてまで
仕事なんてやりたくないんだよ!
会社のヴィジョンなんてどうでもいいんだよ!

さぁ声高に言ってしまおう。
うちの会社のサービスなんてどうでもいいんだよ!
生きるために仕事してるんだよ!
宝クジ当たったら翌日から行きたくないんだよ!
ほら言ってごらん!


『御社のヴィジョンに共感しまして。。。』
とか思ってもないこと言うのは
今日で止めよう、
と海に叫びましたワタクシでございます。

でも、それでも、
生きていかなくてはならない。
(私も帰ったら働かなきゃ。。。)
お金のある人ない人の
二極化は日本でも始まっている。

豊かさを実感しにくい、
豊かな国の残念賞。
豊かさは『選択できる』ことだと思っている。

日本ではやり直しも再出発も、
遅刻も許されがたい雰囲気がある。
もう私のような
カリスマネオニート(元取締役笑)は
ほとんど身動きがとれない。

私から愛する友人たちへ言いたいのは、
会社から帰ってつかれた〜と
暗い顔をしなくて済むように、
仕事は適当にしましょうよ。
日本のGDPを下げまくろう。

1億総活躍より、
みんなでみんなが
幸せになる方法を考えようよ。
活躍なんてしなくていい。

とはいえ別に今の社会の全てを
批判するつもりなどないし、
受けている恩恵にも感謝している。
それは海外にいるからこそ
実感できることだ。


mana17
もうすぐ旅は終わる

さて話を戻すと。
個性を発揮して、
他人より優れようという考えについては、
立ち止まってみても良いのかもしれない。

限界はもうきていて、
東京の空気は
人々のストレスや怒りや
かなしみでビリビリしびれるくらいだ。

個人でやるより、
みんなでやれることのほうが、
遥かに強くて大きい。

戦後、日本はそれで世界が驚くような
復活を遂げたのではないか。
この可能性についてもっと考えられないか。
喜びもかなしみも
自然と分け合っていけるのは、
アジア人の良いところだ。

今ある文化、習慣から一旦脱出してみて、
驚くほど軽いきもちになれた。
この一カ月の思い出は
ずっと忘れないだろうし、
今後の生き方に影響を与えるだろう。

今までどれだけ自分の手入れ、
自分をどう見せるかに
注力してきたかわかった。

個性的であることなど必要ない。
ヒトは生まれた時から
十分魅力的なんだ。
そんなものは超えていこう。
自我など宙に漂っていればいいのだ。

他人よりも優れようと思う点が
自分にあるなら、その力で
他人のその終わっていない仕事を手伝おう。
自分の小ささを認めてしまおう。
私が1人でできることなんて少ない。

モテたい、可愛くなりたい。。。
そんな気持ちが膨らみすぎて、
お金かけ過ぎたり、
心労を抱えすぎていないか、
考えてみてもいいかもしれない。

いっそ、その素敵な服は
物質的な貧しさを抱える人に送ってしまおう。
スッキリするし、
本当に喜ばれるぞ!笑

心につける羽は
「個性的であろうとすること、
人より優れようと考えること」
を超えたところにある。。。たぶん。

ミンダナオ島の生活も
あと少し。
もうすぐ旅は終わる。



mana18
思った以上に
日本の子どもたちの
感性は素晴らしい



日本での講演会が、
今まで多かった幼稚園の母親から、
大学、高校、中学、
そして小学校にも広がっていきはじめた。

いろいろな
心理的な問題や生活不安、
家族関係での孤独を感じている子も多く、
自殺率も
世界でも最高の国だと聞いている。

しかし講演での印象では、
幼い子も 含めて
心から耳を傾け、感動してくれる。

ミンダナオの子どもたちの
「困難の中でも生きる力を失わない」様子を
映像で見せて、
友情と愛こそが生きる力であることを理解し、
涙ぐむ子たちも多い。

思った以上に、日本の子どもたち、
若者たちの感性は素晴らしい。
若者たちのデートも多いし、
イケメンよりもイクメンに未来を託せそう!

問題は、
それをとりまく社会的環境、
とりわけ遊びの中で友情を培う
「ちまた」が存在しないことだろう。

来年はミンダナオの総選挙があり、
6月までは
訪問者をストップするけれども、
そのあいだに、海のMCLも含めて、

将来の日本の子どもたち
若者たちを受け入れて、
現地の子たちと友情と愛を結べる場を
作るための計画を進めていこう。


写真は、
ミンダナオ子ども図書館に
住んでいる子どもたち。
日本から送られてきた古着を来ている。

親がいなかったり、
事情があって
親といっしょに住めない子たちだけれど
とっても明るい。



mana19
子どもたちの様子を
映像から紹介


1,
ミンダナオ子ども図書館の夜明け


朝起きて、
ミンダナオ子ども図書館の花壇の
お花を世話する子どもたち。


朝4時半には起きて、
朝食の支度をするのも子どもたち。
5時を過ぎると、
部屋の掃除や花壇の手入れ。

野菜作りも、お米干しも、
子どもたちが自分たちで決めてします。
本当にしっかりした、良い子たち。


映像を見たい方は、 ここをクリックしてください。
2,
雨が降っているのに、
滑り台!


一緒に、長女のエンジェルと
次女のアンジェラ
(藍花と舞花)も滑り台!

ミンダナオ子ども図書館の第二棟と第三棟は、
ヤシの葉っぱで葺かれています。
痛みが早いので、現在はトタンになりました。
紅く見えるのは、
ファイアーツリー(火炎樹)です。

映像を見たい方は、 ここをクリックしてください。
3,
ビサヤデーの映像です


海をテーマに、クリスチャンの文化祭
ビサヤデーの映像です。
子どもたちと、
海にキャンプに行った時の想い出。


最初の山の家は、
妻のエープリルリンの育った家です。

初期のミンダナオ子ども図書館の
奨学生達の様子がわかります。
懐かしいですね。

小さい赤ちゃんは、
長女の藍花です。

この子たちの多くは卒業して、
スタッフになったり仕事を持ったり
結婚したり・・・


映像撮影、編集もすべてド素人の私、松居友です。
映像を見たい方は、 ここをクリックしてください。
mana20
本やサイトから
飛びだそう


私は、インターネットやフェイスブックを
必ずしも否定していません。
絵本も本もそうですが、
大切なのはそこに込められた心でしょう。

私は、日本の若者たちが、
ミンダナオ子ども図書館のサイトや
私のフィイスブックをみて影響を受けて、
そこからまだ見ぬ世界に
飛びだしてくれることを願って発信しています。

その場限りのものも、
多いとは思うのですが、
それをきっかけに、
人生が開かれていく物もあります。

その意味では、絵本や本も同じで
その場限りの物もありますが、
人生が開かれていく
きっかけになる物もあります。

編集者をやり、作家もやりながら、
そして子供時代から、
4000冊を超える絵本や本を読みながらも
結局は、作り物ではなく、
真の体験から生まれてくる物こそが
素晴らしいと感じるようになりました。

絵本「サンパギータのくびかざり」(今人舎)や
ヤングアダルト「手をつなごうよ」(彩流社)も
同様の思い書きました!

私の体験からも、
読書もサイトも異なった部分と
同じ部分を持っています。

本やサイトを、読んだり見たりすると、
そこから世界に羽ばたいて行きたいと思うような
力を持った作品と、
ただただ面白いけれど、
引きこもっていく作品があるような気がします。

引きこもりや死の瀬戸際に立った
体験から言えることは、
真実の体験から生まれてくるものこそが
生きる力に満ちているような気がします。

15年前に
予期せぬ離婚を告げられたとき、
自由の身になり、
あちこち旅して取材することを考えたけど、
書くために見て歩くような体験よりも、

僕の場合は、執筆も放棄して、
ミンダナオという一つの場で、
深く現地の子どもたちと生きることのほうが、
本当の世界が見えてくると思いました。

実際、ミンダナオの子どもたちと過ごしていると、
本の世界も絵本の世界も
飛んで行ってしまうほど子どもたちが魅力的で、
子ども図書館を作ったにもかかわらず、
本の魅力が飛び去ってしまった時がありました。

しかし、MCLの子どもたちと一緒に、
山の村々に
読み語りに行った時の
子どもたちと奨学生の交流が素晴らしく、

天使たちが、大喜びで飛び回るのに
絵本も役に立つ
という事がわかってきて、
絵本の価値が別の観点から
浮かび上がってきたのです。

15年間、
書くことは全く考えずに、
ミンダナオの子どもたちの事にのみ、
心を向けてきましたが、

最近、
日本からの訪問者が多くなり、
悩んでいる子どもたちや現代社会を見ていると、
何とかしなくちゃ、
という思いで再び執筆を決心しました。

「サンパギータのくびかざり」(今人舎)につづく、
第二の絵本
「サダムとせかいいち大きなワニ」も、
ほぼ原画が完成に向かっています。

第三弾の絵本の文もすでに完成。
若者向けの読み物は
「手をつなごうよ」(彩流者)に続く作品も
執筆予定です。
「山菜売りの少女」も仕上げました。

日本の若者たちが、
ミンダナオ子ども図書館のサイトや
絵本や本を読んで影響を受けて、
そこからまだ見ぬ世界に
飛びだしてくれることを願って
発信しています。



mana21
娘も勇気と希望を
いただきました


以下のような投稿がありました。
ここに掲載します。


5年前フィリピンに
親子で行かせていただいた時は
松居さん、MCLの皆さまには
大変お世話になりました。

娘は当時中学3年生で
転校、友達、先生との関係で
心理的にどん底状態でしたが
温かい皆さんに接する事ができ、
娘も勇気と希望をいただきました。

今は看護師目指して
まだ学生ですが
看護の道を歩んでいます。

何か恩返しを
させていただきたいと
思っているところです。



mana22
お便り、
ありがとうございます


北海道では、アイヌ文化と沖縄文化、
そして自然が探求の対象でした。
しかし、思わぬ離婚。

家族のために働いてきたからと、
子どものために貯めておいた
大学までの教育費、
そして家も土地も売り払い
全財産を送り、その後無一文になり、

愛する子どももいなくなり、
追いかけようと思ったのですが、
自由になりたということがわかったので、
ぼくはミンダナオで
生涯を送ることに決めまし た。

その後、そこで会ったのが、
エープリルリン。今の妻です。
共に生きていく運命を感じました。
そして再婚。

我が子がいなくなってので、
そこで会った
親のいない子たちを我が子として、
ミンダナオ子ども図書館をはじめました。

のちのち息子が、
ミンダナオに来て、10年。
今は結婚して、
しっかりと自立の道を歩み始めています。

末の娘も、ときどきやってきます。
末の娘は、2022年には、
ジュリアード音楽院の修士を卒業、
フランスで作曲とバイオリニストとして
活躍しています!


まさか、
ミンダナオに暮らすことになるとは、
思いませんでしたが、
これも運命かなと思っています。

ただ、
親のいない子たちのために、
父親代わりに生きていきたい
と強く思っています。

そんなことを、
「手をつなごうよ」(採流社)
でも書きました。

兄弟姉妹のなかでは、ずば抜け読書家で、
哲学書も含め
4000冊以上の本を読みましたが、
正直にいって読書だけではだめだと思います。
スマートフォンでもだめだと思います。

創造主(神)の創った世界に
直接で会うことが最高!
特にミンダナオでは、
それを強く感じます。

一人の子ども(天使)の笑顔の前では、
人間の作った物は
すべて吹き飛んでしまいますね。
日本の若者たちが、MCLで泣き出す理由です。

いつか
ミンダナオの子どもたちに
会いにいらしてください。
また、お目にかかれれば幸いです。




mana23
日本に少し
重きを置いて


日本に少し重きを置いて、
去年から活動しています。

ミンダナオ子ども図書館の敷地のなかにある
セメント作りの穀物干し場。
ここで自分たちが食べる
お米を干すMCLの子どもたち。

その多くが、
孤児や崩壊家庭の子どもたちです。
戦争で親が殺された子もいる。
それなのになぜこんなに明るく、
生きる力に満ちているのだろう。


この子どもたちと、
スタッフとその家族をいれて約100人。
さらに下宿施設と山の下宿小屋の奨学生、
そして町に下宿している大学生をいれると、
約250人の米をここで干す。

一日100キロの米が消費されるけれども、
水田を持ち、2.5期作で、
干害がなければほぼ自給している。

おかずは子どもたちが植えている野菜と
皆さん方から送られてくる自由寄付で
なんとかまかなっています。

でも、偉いのは、
子どもたちが率先して、
楽しみながら協力してくれること。

生きることの大変さと意味と、
そして
友情のなかで助け合う
喜びと楽しさを知っている子どもたち。


一方で日本の青少年の場合は、
引きこもりや自殺が多いという
話がしきりに聞こえてきて、
日本の若者たちの事が心配で、
その状況を知ろうと思ったことと、

小学校の高学年になってきたけれど、
まったく日本の文化も知らず、
言葉も話せない二人の娘の将来と、
MCLの未来も考えて、

そしてまた、
年老いていく親が、
死に向かう気持ちを少しでも感じ取り、
受け止めることも必要だと感じて、
今後数年は、日本に移住して、
活動をしていくことにしました。

それから5年、2022年、娘たち二人も
公立の小学校から中学を卒業して
日本語もペラペラ!
コロナのために帰国できなかったのですが、
ダバオの日系人会の高校を
オンラインで卒業し、

長女は、
小児科医になって子どもたちを助けたいと
ダバオのサンペドロ病院付属の
高校の医学部に入りました!
現地の私立大学は、
医学部でも年間授業料が20万円!

長女も次女も、
成績優秀で表彰されて、
学級委員も引き受けています!
日本の公立の中学でも
半年は持たないだろうと思ったものの、
「友だちがいるから、楽しいよ!」

中学校で男の子たちからいじめにあっても
ビシッと言い返す娘たちの生きる力に
先生方もビックリ!
わたしもビックリ!

MCLで、
不幸な体験を切り抜けてきた
大勢の子たちと一緒に育ってきた体験が
生きる力になったのでしょう。


mana24
本当に飛び出してみて
体験すること


けれども、
いきいきとした
コミュニケーションの場であるはずの、
家の外、
学校や幼稚園保育園の外、

誰にも属さず
全ての人に属している中間の場所であり
生活の場所であるはずの、
「ちまた」が日本にはほとんどなく、

ちまたがないから
隣近所ともコミュニケーションがなく、
伝統的な遊びをしてはしゃいでいる
子どもたちの姿も消えて、

学校の中でも、
友情よりも
勝ち負けばかりが強調される社会に当惑。
15年いないとずいぶん変わる?

日本人は、自国を
なんとさびしい世界にしてしまったのだろう、
と、地方を車で走っていても感じる。
商店街も食堂も殆ど閉鎖?

路地や野原で子どもたちが、
缶けりや石けり、
ときには木登りをする様子がないと、
散歩するご老人達もさびしいだろう。

人々が、スマートホンの映像から
出てきたような恐ろしい目つきで、
硬い表情で目を合わすことなく
あるいていくのを見るにつけて思う。
日本は大丈夫かな?

スマートフォンを否定はしないけれど、
それだけが
コミュニケーションの場になっているのは、
あまりにも見ていて孤独でさびしい・・・・

スマートフォンで、
MCLのサイトを見るのが唯一の生きがいだ
という、若者やお年寄りも日本に多い。
ときどきメールをくださいます。

しかし、読書だけでは、
世界が外に広がっていかないのと同様に、
スマートフォンだけでは、
本当の友情と愛の体験にはならないだろう。

子どものころ、本ばかり読んでいると、
周囲の人から、
『本ばかり読んでいると駄目になるよ。
もっと友だちと遊びなさい』
といって怒られたことを思い出す!

ぼく自身、本にこもりすぎて
死にそうなった体験からわかるけれど、
読書同様に
スマートフォンを見ているだけでは、
引きこもりの閉じこもり。

ぼくも読書が好きだけれど、
何千冊も
読書体験を重ねるうちに、
読むと心が奮い立ち、
本をこえて現場に飛び込むのがさらに
楽しみになる本と、

ますます閉じこもる本が
あるのがわかってきた。

本もサイトも人間が作ったもの、
そこから外に=神が創造した愛の世界に
目が開かれて、行動が始まる!
そういう本やサイトなら
見たい読みたいと思うけれど、

そういう世界を
実際に深く体験して
実体験から書いたり描いた
本やサイトがあまりない?

それでも、

サイトでMCLを見ていた若者たちが
僕の書いた本も読み、
さらに日本での講演会に参加して、
現地の映像を見て話を聞き、
その結果どうしても行きたくなって、
実際にMCLにも来てみると、

子どもたちに会って涙を流し、
その後顔が変わり始め、
本当にいろいろなことが見えてきて、
自分の人生も変わり始める!

そうした事実から
読書もサイトも否定できない、
救いの第一波?
世界に飛び出すきっかけになればと思い、
あらゆる手段を通して
実体験から生まれてくる言葉を選んで
発信しはじめているけれど、

もっと大事なのは、
本人が本当にいってみて体験すること。
そして、そこで体験したものを、
大切なものを喪失している日本社会で、
どのように再生し生かしていくかを考える、
若者たちが育っていくことだろう。



mana25
中園さんが作られた
文教大学の若者たちの
訪問サイトから


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「ミンダナオ子ども図書館」に、
京都文教大学の花岡さんたち
学生さん3人がやって来ました。

平地から山に追われた先住民として
貧しい生活を続けてきた
マノボ族の村に行き、
一緒に医療支援の手伝いをし、
電気のない村にも泊まってもらいました。

そして現地の子どもたちと歌ったり踊ったり、
「後ろの正面 だーれ」といった
伝統的な遊びをして、
日本にいるとき以上に
楽しい時を過ごしたと思いました。


京都文教大学の学園祭では、
現地での体験を
花岡さんたちがまとめて発表し、
僕も呼ばれて講演をしました。

花岡さんをはじめ
京都文教の学生さんたちは、
やさしくて、
心があたたかいですね。



mana26
日本の若者たちが
訪れるように


最近、
「ミンダナオ子ども図書館」に
日本の若者たちが
訪れるようになりました。

現地の子どもたちに囲まれて、
友情や愛情のこもった
優しい言葉をかけられたり
抱きつかれたりすると、

彼らは泣き出したり
涙を浮かべ、
やがて硬かった顔に
自然で優しい表情がもどってきます。

そして、帰る時には
「また来るね、 私たちのこと、忘れないで! 」
と言って帰っていく。
これこそが、
本物の国際交流の体験だと思います。


京都文教大学でも講演をしましたが、
日本の大学、中高、小学校で
講演をするようになって感じることは、
日本の子どもたち、若者たちの感性 は
フィリピンの子どもたちと同様に
純粋で素晴らしいということ。

しかし、
それを生かす社会的な場が
「ちまた」=生活の場が少ないことです。


日本から来た若者たちが、
現地の素朴な子たちに出会って
感動し泣き出すのは、
日本の社会で失われた何かが、
アジアの特に貧しい人々の生活のなかに
生きているからでしょう。


「ミンダナオ子ども図書館」に住んでいる子は、
いわゆる「問題家庭」の子たちだけれど、
孤児になっても
明るく生きています。

みなさんも学生時代に
「ミンダナオ子ども図書館」に来て、
生きる力とは個人でがんばることではなく、
友情と愛であることを、
ぜひとも体験してください。


こんなふれあいを通じて、
アジアの若者たちが手をつなぎ、
相互理解や平和構築に
つながっていけばと願っています。



mana27
花岡風子の訪問記
「ミンダナオ子ども図書館」

現地で“よさこい”の踊りを披露。
集めた子ども服も配りました。


フィリピン・ミンダナオにある
「ミンダナオ子ども図書館」は、
紛争で親をなくした子、
貧しい家庭の子たちが暮らす寄宿舎です。

私は大学の先生から
この施設のことを聞き、
ぜひ訪問したいと仲間を募りました。

集まったのは、
私が所属していた“よさこい”のサークル
「風竜舞伝」の仲間2人。

私たちは
「京都文教大学ミンダナオ国際交流チーム」 (MIA)
という任意団体をつくり、
事前に寄付を集めて
よさこい踊りで使う「鳴子」を買い、

そこに寄付者のメッセージを書いてもらって
ミンダナオの子どもたちに
プレゼントすることにしました。


また、
着なくなった子どもの服や靴を集めて
ミンダナオに持って行くことも計画。


帰国したあとは、
「ミンダナオ子ども図書館」の松居友さんを
学園祭にお招きして
帰国の報告会を開催することにしました。


さて、
3ヵ月あまりの準備期間を経てミンダナオへ。
ミンダナオはイスラム教徒と政府との紛争が
長く続いている場所ですが、

図書館のスタッフの方が
空港の出口まで迎えにきてくださり、
また現地でも常にそばにいて
サポートしてくださったので安心でした。


1週間という短い期間でしたが、
私たちは踊りを披露したり、
日本で集めた子ども服を配ったり、
フィリピン風の「飛び出し坊や」を
子どもたちに描いてもらう
活動などを行いました。


現地で出会った子どもたちの笑顔、
スタッフの方々の献身的なお仕事の様子、
そしてこの図書館を立ち上げ、
フィリピンの貧しい人たちのために
尽くしていらっしゃる松居さんのお姿に触れ、
多くのことを感じ、
考える機会を与えていただいた旅でした。


私は在学中に
世界中を旅してまわり、その経験から、
卒業後は
旅行会社で働きたいと考えていました。

ミンダナオから帰ると就職活動が本格化して
大忙しになりましたが、
「社会人になってまたミンダナオに行き、
子どもたちに会いたい」
という思いでがんばり続け、
志望していた会社から
内定をいただくことができました。


またミンダナオの子どもたちに
会いに行きたいと思っています。


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mana28
子どもたちが
大喜びで迎えてくれた



ミンダナオ子ども図書館に
帰ってきた。
子どもたちが、大喜びで駆けよって
抱きついて迎えてくれた。
「パパ友!!!」「お帰りなさい!」


親のいない子や
不幸な環境で育った子にとって、
思いっきり「パパ!」と叫んで
抱きつくことが出来る人がいるという事が、
とっても大切だという実感が、
子どもたちの姿を見ていてわいてくる。

もちろん、女の子だけでは無く
男の子たちも
「パパ!」
と言って、抱きついてくる。




mana29
皆さんの自由寄付で、
ダバオで手術をした子


ミンダナオ子ども図書館に帰ると
先日、ダバオの病院で
手術をした子がいた。

まだ、経過を見るために繰り返し、
3時間かかるダバオの病院に
通わなければならない。

そこで、当分は
ミンダナオ子ども図書館に泊まって
病院に通うことになった。
お母さんといっしょ。

これからの活動の重要な要素が、
医療です。


医者どころか、薬も買えず、
マナナンバルという祈祷師に
祈ってもらうしかない
子どもたちが沢山います。

医療は、
自由寄付で保っています。



mana30
子どもたちが植えた、
カカオの苗


3月は、
エルニーニョによる干ばつで
特に、山岳地域の先住民は、
作物が枯れて大変だった。

MCLでも、
緊急の米などを支援した。

3月に撮った写真
ミンダナオ子ども図書館の庭。


世界的な気候変動のせいか
干害が起こり、作物だけでは無く
雑草から木まで枯れ始めました。

特に山の人々は、
食べ物が無くなり、
政府の支援に
頼るしかなくなりました。

しかし、貯蔵米や
ワールドフードから届いた米も
横流しされて、
山の人々の元には、届かず。

それに怒った人々は、
政府の支援を求めて
デモ行進を行いましたが、
逆に発砲されて
けが人や死人が出ました。

干害が激しく、
農民が食べられず、怒り。
政府の支援が届くはずが届かず。
デモをして、3人が殺され、
けが人がたくさん出ました。

下の写真は、
MCLのスタッフの
ピティーボウイ君の従兄弟で、
撃たれて亡くなりました。


今は、少し雨が降り、
子どもたちが植えた
カカオの種も育ち始めた。

もう少し大きくなったら、
植林をする予定。



mana31
今はすっかり
草木ものびた


今回、MCLに帰ったときは
干害は去り
逆に、集中豪雨で
イスラムの湿原地帯が
洪水に見舞われるぐらいでした。

庭のドリアンの実も豊作で
子どもたちは、
収穫の日を涎をたらして、
待っています。 


洗濯の水も出て
子どもたちが
手入れしている花壇も
野菜畑も順調に育っています。

岩の中に住む妖精たちも
ホッとして、大喜び。



mana32
モスクの修復が
終わっていた


ラマダンと
イスラム文化さんに合わせて
モスクの修理を進めてきましたが、

屋根も内部も、
きれいに仕上がりました。


イスラムの奨学生達は、
大喜びです。

内も外もピンクの外観で
晴れやかですし、
夜を断食して
徹夜で過ごすには最高。


MCLの庭も
華やかになりました。


村にモスクがないので、
イスラムの子たちが可愛そう!
という、子どもたちの提案で、
建てたモスクです。



mana33
野菜売りの
子どもたち


「野菜売りの少女」は、
支援してくださっている方にお送りしている
季刊誌『ミンダナオの風』に連載している童話。
サイトにも掲載されています!
山菜売りの少女童話 
松居友作
GO!  
山菜売りの少女(映像)
松居陽 制作
GO!


そこに登場する子たちが、
何と小さな従兄弟たちと一緒に
MCLにやってきた!

学校にも行かずに、
家族のために頑張っている姿は
いじらしい。




mana34
先住民の
文化祭の準備


年四回の文化祭。
2月末の日曜日は、イスラム教徒。
6月末の日曜日は、先住民マノボ族。
8月末の日曜日は、クリスチャン。
11月末の日曜日は、シンポジウム。


参加したい方は、
どうぞいらしてください。
文化人類学的にも、
非常に貴重な体験が出来ますよ!


著名な文化人類学者の増田和彦さまも、
MCLのサイトと活動をご覧になって、
独自に調査を開始されました。

MCLもお手伝いして、
立派な学術書が出ています。

本当の祭りは、
神々の住む自然界、
山や湿原や川や海から、


魚や動物や
山菜や果実といった神々
精霊やアイヌ語のカムイたち!

沖縄では、マブイたち!
が、死んで自分の肉体を捧げて
霊=神となって訪れてくださるのを
心からお招きして、

祈りと祭りによって天に返し、
再訪して下さることを祈願する、
神聖な祭礼なのですよ!



mana35
ニシキヘビを
蒲焼きに


食は、重要な文化で
相互理解を深めていきます。
下宿で、お米に塩をかけて食べている
大学生の栄養補給の意味合いも!


その後は、原住民の子どもたちが、
徹夜で料理を作ってくれます。
もちろん、ガスレンジではなく、
薪を使って焚火を炊いて!


山ではお鍋もないから、
竹筒に入れて炊きこんだり!

ふる里で体験してきたことを
MCLの中でやってくれます。

良かったら、
そこから一緒に体験しましょう!


夜中に川に行って
松明をともしてカエルを捕ったり、
ニシキヘビを捕獲して
解体して、蒲焼きにしたり。


上の写真は、「マノボデーの文化祭」の映像から
取り出して掲載したものです。
以下をクリックすれば、
「マノボデーの文化祭」のオリジナル映像を
ご覧になれますよ!
原住民の文化祭 マノボデー!
食は、重要な文化で
相互理解を深めていきます。
下宿で、お米に塩をかけて食べている
大学生の栄養補給の意味合いも!


その後は、原住民の子どもたちが、
徹夜で料理を作ってくれます。
もちろん、ガスレンジではなく、
薪を使って焚火を炊いて!


山ではお鍋もないから、
竹筒に入れて炊きこんだり!

ふる里で体験してきたことを
MCLの中でやってくれます。




mana36
友情のなかで
生きる力


仕事も遊びも、みんなでやれば
友情のなかで
生きる力に変わっていく!


ミンダナオ図書館の子たちは、
極貧で学校に行けないだけではなく、
戦争で親が殺されたり、

貧困で家庭が崩壊して、
自分の土地や畑も無く、
兄弟姉妹が10人以上いて、
一日三食、お米を食べるのも無理で、
親戚に預けられて、下働きをさせられて
時には、アビュースを受けていたり。

スカラシップに採用するときには、
必ず僕自身が、
その子の生まれ育った村や
生活している家に足を運び、
状況をキチッとチェックしているだけに、

MCLを始めたときは、
こんなに多くのいわゆる問題児を抱えて
大丈夫だろうかと、心配したけれど、
ところが、それにもかかわらず、

住み込みで生活している子たちが、
明るく元気に助けあい、
宗教や部族が違っていても、
友情と愛で生きていく
その姿に、驚きを隠せなかった。


学校から帰ってくると、
「パパトモー!」と叫んで駆け寄ってくる
子どもたちを見ると、
この子たちの父親だと
自分自身を思わざるをえないけれど、

父親として、
うちの子たちを助けているはずなのに、
どれだけ彼らによって、
助けてもらってきたかわからない!


子育つ世界ミンダナオ
ミンダナオ子ども図書館とふる里の子ども達!

ビデオ映像13分
ビデオ映像へGO!


mana37
ヤシの実とりに
行った


MCLの男の子たちが
文化祭を前に、
山に芝刈りに・・・
否、山にヤシの実とりに行った。

ヤシの木は、本当にすばらしい!
ヤシの実は、鉈で割って、
ヤシ汁を
そのまま飲んでもおいしいけれど、

飲み終わった後に、
ヤシの殻を割いて、
白い実を食べても本当においしい!

山や湿地帯で、
川や湿原の水は、
衛生上飲むことは出来なくっても、


ヤシの木が生えていれば、
実をとって汁を、
水代わりに飲めるし、
実を食べるとお腹がすいたのが癒される!

食べた後のヤシ殻も、
乾燥させて、
ご飯を炊く薪にもなるし、


さらにそれをヤシ殻炭にして、
たくさん作って保存用の炭もできる。
ヤシ殻炭で焼いた魚はおいしいよ!
下の写真は、ナマズの塩焼き!


しかも、エルニーニョ現象で干害が襲っても、
ヤシの木は枯れることがない。
ヤシの葉は、家の屋根や壁にも使えるし、
乾燥させてホウキも作れる。


さらに、古くなった木は、
倒して、皮の割いて剥がして、
中は建材として使えるし、
剥がした皮は薪としても活用できる。


ヤシの実とりが終わって、
帰りがけに、川を渡るとき
みんなで川に飛び込んで泳いで
汗を流した!


日本から送られてきた
古着を着ているので、
現地の子たちより豊かな感じ!



mana38
マノボデー
先住民族の文化祭

ミンダナオ子ども図書館では、
年四回の総会があり、
イスラム、先住民、
クリスチャンの文化祭をやり、
最後にシンポジウムをします。


毎年、学生たちの選挙により
代表メンバーを選出。
若者たちが、運営していきます。

6月の最終日曜日は、マノボデー、
文化祭を通して互いの文化の
違いを感じ、認め合って、
平和を築く礎にしていきます。


文化も部族も宗教も、
異なっているからおもしろい。
人間の顔も、
皆同じではおもしろくない・・・

異なっているから、
友情や愛が生まれてくる。



mana39
今回は、
マノボ族の結婚式!


まずは、両家の父親が
結婚の相談と話を持ちかけて
話し合う。
結納の品物も、山羊や馬など・・・


ダトゥ(首長)を挟んで、
両家族の両親が座り
結婚する二人が向き合う。


そして、目の前に置かれた
ご飯とおかずを
相手の口元に持っていき
それを口に入れて食べる。


まわりでは、キャーーーッという
感動?の悲鳴がわき上がる。

その後、初夜では、
二人のあいだに子どもを置いて
寝るのだという。



mana40
日本から来た
若者たちも歌った


アンダンテの若者たち。
子どもたちは、
一緒に歌い拍手喝采。

マノボ族の若者たちも
歌って踊った!


MCLのボードメンバーである
ガボン牧師の奥様と息子さん
奥さんは、日系人で、
日本人の血が混じっている



mana41
卒業生の
アロナの講演

もとミンダナオ子ども図書館の奨学生で、
卒業後に
学校の先生になったアロナさん。


自分の体験を通して、
自分たちの持っている文化を、
これから未来を担う子どもたちに
伝えることの意味と大切さを語った。

すばらしい講演だった。
ミンダナオにおける、
イスラムとクリスチャンと先住民族の
調和と平和の重要性についても
熱弁をふるった。

かつて、
小さな小学生だった子が、
大学出て一人前になっていく姿をみるのは
本当にうれしい。




ミンダナオ子ども図書館の最新の活動報告
支援者の方々への活動報告です!

ミンダナオ子ども図書館だより 宮木あずさ制作

現地日本人スタッフによる、
写真を交えた最新の活動報告です!

ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
訪問等でMCLと出会った若者たちの想いです!

ミンダナオ子ども図書館:日記 松居友制作
松居友による活動報告および
製作映像や想いを載せた自由日記です!
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