戦争と平和構築
2009年の記録から
(3)


平和構築の礎としての文化祭と読み語りそして、
保育所、学校建設、医療活動と

毎年行われる平和の祈り
1 マノボデー原住民の文化祭 GO! 11 文化祭に参加することは GO!
2 学校だけが目的ではない GO! 12 徹夜で作ったマノボ料理 GO!
3 成績を重視して採用しない GO! 13 前日は徹夜で料理した GO!
4 全家庭を訪問しているので GO! 14 立正佼成会の調査 GO!
5 収穫を祈祷する GO! 15 今も戦闘が起こって死者が GO!
6 争いや憎しみを治める祈祷 GO! 16 防空壕に大量の遺骨 GO!
7 病気の祓い GO! 17 私の叔父も戦死している GO!
8 インターミッションの踊り GO! 18 佼成会の保坂氏から GO!
9 マノボ文化の講義 GO! 19 北野教育振興会が奨学生に GO!
10 生贄で大事なのは血と肉 GO!
20 佼成会の子どもたちと GO! 30 日本の若者の心が開かれて GO!
21 歓迎会が始まった GO! 31 次々に医療患者が GO!
22 ゆめポッケの開帳式 GO! 32 劣化ウランとちゃうかなあ GO!
23 仏教の祈りも加わった GO! 33 次々と病人が出た GO!
24 マノボ族の村へ GO! 34 歯茎異常の少女の治療 GO!
25 永遠の時が流れた GO! 35 その後も完治するまで GO!
26 必ずまた会おうね! GO! 36 予告なしに訪れる GO!
27 機関誌より佼成会の記事 GO! 37 イスラムの文化祭ムスリムデー GO!
28 子どもたちが変わったのは GO! 38 イスラムの子にもハラナ GO!
29 子どもの遊びは日常 GO! 39 イスラムの子たちが GO!
eu19
2009年:
マノボデー
原住民の文化祭


今年の文化祭のテーマは、
「祈祷」。

収穫祈祷、
争いを収める祈祷、
そして、
病魔を祓う祈祷が行われた。

結婚式のための祈祷は、
来年に持ち越された


四隅には、
神に捧げる供物が置かれる
ご飯と鶏肉。

毎月、月末の日曜日
学校での諸問題が話し合われる
奨学生の総会、その後で
先住民族の文化祭が行われた。

7月は、マノボデー
9月は、ビサヤ・イロンゴデー
1月は、ムスリムデー
3月は、平和の祈り
4月は、シンポジウム

こうしたアクティビティーを通して、
平和、貧困、文化について
発言し、考え、体験する。


eu20
貧しい子たちを、
ただ学校に行かせるのが、
目的ではない


ミンダナオ子ども図書館は、
スカラシップや医療が
中心的活動目的だと、
考えている人が多いけれど、

貧しい子たちを、
ただ学校に行かせるのが、
目的ではない。

彼等が将来、
民族、宗教を超えて、
平和や貧困の問題を解決できる
心を育てることが主眼。

それには、
学校教育にはない、
独自の文化やボランティア活動を、
自分たちで考えて行う必要がある。

MCLが政府に登録している際の
プライマリーパーパス(第一次目的)は、
文化と読み語りプロジェクト。
文化プロジェクトを通して、
平和で貧困のないミンダナオを創ること・・・。
これが基幹だ。

学校教育だけで
平和が実現できるなら、
とっくに世界もフィリピンも
平和な国になっていただろう。


eu21
成績を重視して
子どもたちを
採用しない


日本でも、
企業で働いている人ならわかると思うけど、
学校教育を受けたからと行って、
大学を出たからと行って、

すぐに、
社会で役に立てるわけでもないし、
成績優秀だからといって、
世の中を良くする仕事が、
出来るわけでもない。

逆に、学校では英語とタガログ語以外の
言語の使用は禁止したり、
先住民族やイスラムの文化を
低く見る嫌いがあり、
平和に逆行している。

2020年ごろには、
地元の文化や原住民の言語も
教育の場で、少しづつ
重視する方向が出てきています。


私自身、
成績はたえず中だったし、
勉強は好きではなかったし。
優等生になったこともない。

だからというわけではないが、
MCLは、
成績を重視した視点から
子どもたちを採用しない。

孤児、片親、極貧、
ブロークンファミリーの子が優先される。

共通しているのは、
総じてみんな、
極貧状態から来た子たちであること。

こうした子たちの方が、
人の気持ちを理解して、
平和を築けるような気がする。



eu22
全家庭を訪問して、
家庭事情を聞いたり
しているので


この子たちの顔を見たとたん
私には、
その子の背景が浮かんでくる。

200人以上集まっても、
奨学生として採用する時に、

ぼく自身が
全家庭を訪問して、
家庭事情を聞いたりしているので
ほぼ全ての子たちの状況がわかる。

背後事情を知っていることは、
子どもたちの
私に対する安心感や
信頼する気持ちとも関わってくる。 

下の写真の4兄弟姉妹は、
昨年、両親とも病気で亡くした。
キダパワンの貧民地区に住んでいた。

写真の子たちの中には、
特定して言うことは出来ないが、
母親が殺された子、
無実の罪で監獄に父親が入っている子、
両親が離婚してバラバラになっている子、

父親が死んで、
継父が変な関心を持っていて
保護が必要な子等の顔が見えている。

顔を見ているだけで、
色々な背景が思いだされる。

極貧で食べていけない子たちも含めて、
MCLの子たちは、ほとんどが、
何らかの困難な家庭事情を
抱えて来ている子たちだ。

最初は、この様な
事情のある子は難しいと思ったが、
(もちろん難しい場合もあるが)
こうして苦労してきている子たちの方が、
良い子が多いと思うようになった。



eu23
収穫を祈祷する

最初に、
収穫祈祷からはじまった。

人々が、
首領の前にやってきては、
農具、鎌や鉈を置いてゆく。

農具を浄めてから、
儀式がはじまる。
鎌を手にして、山の草刈り、

男子が、木の棒を突いて
地面に穴を開けて
女子がカゴから種を取りだし
地面に開いた穴にまく。


種まきを模した祈祷

川の石をのけて
餌をまいて魚を集め、
魚を捕獲する。
時には、
力で合わせてイノシシ狩り。


カエル(食べるための)や
カニ捕りも演じられる。

捕れて良かった。
これでご飯が食べられるわ!


最後に、
陸稲の収穫が演じられる


収穫されたものを
持ち寄りって、

首領を中心にして、
村人たちが集まり、
皆で、豊穣と豊かな恵を
神に願って祈りを終える。



eu24
争い、
憎しみを
収める祈祷


喧嘩が起きた!
迫真の演技に
身の毛もよだつ・・・


妻や家族が、
仲裁にはしる


村人たちが
仲裁を願い出ることによって、
首領が、白いニワトリを持って
仲裁の祈りにやってくる。


憎しみあっている二人の間にはいり、
白いニワトリの足をもって
両者の頭越しにふりまわす。
こうして和解の儀式が終わる。



eu25
病気の祓い

病気の祓いの時も、
首領が呼ばれ、
白いニワトリを持ってやってくる。

白いニワトリの首に
ナイフが当てられ、

ニワトリの血を
病気の若者の額に塗る。

鶏も料理して病人に米と
鶏肉を食べさせる 。

白いニワトリは、
生け贄の象徴だ。

沖縄では、
夜浜で豚が生け贄にされるし、
中近東ではかつて
羊が生け贄になったことは、
聖書に記されているとおりだ。

こうした神へ供物、
または生け贄を送る場合は、
血と肉が儀式で重要な意味を持つ。

この血と肉が象徴として、
酒と米、または
パンと葡萄酒に代わる。

日本では、
アイヌの熊送りの場合は、
血を飲み、肉を食べて、
カムイである熊をカムイモシリに送った。

神道や仏教では、御神酒とご飯が
カトリックでは、パンと葡萄酒が
供物として捧げられる。


こうした古代から現代まで
文化の背後に伝わる
宇宙像コスモロジーに関しては、
『火の神の懐にて』および
『沖縄の宇宙像』の2冊に書いたので


読みたい方はクリック
古本でしか手に入らないけれど・・・
火の神の懐にて沖縄の宇宙像

eu26
インターミッション
の踊り








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マノボ文化の講義

首領・ダトゥ イナガロ
マノボ族だが
彼のおじいさんは日本人。

ガボン牧師
MCLのボードメンバー、マノボ族。
奥さんのおじいさんは日本人で、
戦中にマノボ族の家族と山に逃げ
日本人であることを隠して生きのびた。

奥さんのお父さんにお会いしたら
山の中で、
盆栽庭を造って生活していた。

松居友
MCLの首領補佐?
ミンダナオの後住民族?
マノボ族の酋長もつとめていて
名前は、アオコイ マオガゴン


私にとって、
今回印象的だったのは、
生け贄の事だった。
ニワトリを生け贄に捧げる
習慣があることは知っていた。

2006年のマノボデーでは、
口でニワトリの喉を切って
人々を聖別していた。

白いニワトリだけではなく、
儀式によっては、
黒いニワトリを捧げることも聞いている。

生け贄は、
世界中の民族に見られる風習で、
沖縄では豚、中近東では羊、
時には山羊や人を生け贄に捧げた。

羊や人を
生け贄に捧げる習慣は、
旧約聖書でも出てくるが、
日本でも人柱の昔話として残っている。

罪の許しや病魔を祓う、
いわゆる悪霊を祓う
犠牲としてもちいられる。

私は、最後に指名を受けて語った。
「今回の儀式で、
生け贄になった白いニワトリが
印象に強く残った。

喧嘩を仲裁するために
生け贄となった白いニワトリは、
イエスのように見えた。

『自分は、なんの罪もないのに、
こうして生け贄にされる。

しかし、
自分が生け贄になって殺されることで、
病気が癒され、喧嘩が無くなり、
この世に平和がもたらされるのならば、
仕方がないか・・・』

イエスは、病気を癒し、
悪霊を追い出し、
最後は、神の平和を実現するために
自らの命を差し出した。


eu28
生け贄で
大事なのは、
血と肉


生け贄で大事なのは、
血と肉。
アイヌの人々は、
熊を神のもとに送る時、
血を飲み、肉を食べた。

その血が、酒になり、
肉がご飯や餅やパンになって、
神前に捧げられる。

ヨーロッパでは、葡萄酒とバン、
日本では御神酒と餅。
最後の晩餐を象徴しているカトリックミサも、
この流れをくんでいると私は見ている。

こうした風習は、
根元的に世界中に共通していて、
生け贄を捧げることで、
争いや病気を無くそうとした。

罪もないのに、
自分を犠牲にすることが、
愛の最高の姿だと
知っていたからだろう。

かつては、罪のない処女を
生け贄にささげたりもしたが、
イエスが、神の子として
最高の生け贄となることで、

神の愛と平和を
この世にもたらした意味は、
こうした風趣からも良く理解できる。


イスラム教徒も
先住民族もクリスチャンも、
過去の風習をしっかりと見つめていくと、

そこに以外と自分たちの
宗教につながる、
普遍的な愛を
見いだせるような気がする。」


eu29
文化祭に
参加することは、
ひょっとして


そして最後に、こう語った。
「こうした先祖から培ってきた文化を
受け継いでいくことは大事だと思う。

それは、
大昔から人々が
受け継いできた愛の流れだから。

文化祭に参加することは、
ひょっとして『ある事』よりも
大事かもしれない、

『ある事』って、ここじゃ
大きな声では言えないけれど、
『学校教育』よりも大事かもネ・・・」

上の裸の子たちも、
今は高校生になっています!



eu30
徹夜でつくった
マノボ料理


とってもおいしいよ
カエルの煮込み!


オララム:沢ガニ
みんなで捕ってきたものだよ。

マノボの食卓は本当に豊かだ。
かつて、ミンダナオに
土地所有権などが無かった時、
いたるところで、
狩猟や採集、耕作が出来た時、

彼等の食卓は、
想像以上に
豊かだったのではないかと思う。
ティナポイ:米の麹蒸し

バンコック
ナマズの串焼き

イナサノボタル
トウモロコシの皮でくるんだ
トウモロコシのお菓子

サギング:蒸しバナナ
このバナナは甘いけれど
甘くないのは、
塩辛をつけて食べるんだよ!

ギナタア ガビ
里芋の一種

ビツォビツォ
米で作った揚げ団子


eu31
前日は、
徹夜でマノボ料理の
準備をした


奨学生や
村のお母さんたちも来て
料理を手伝ってくださった。

山の集落から
親もやってきて、
料理の手ほどき。

薪を使って
ご飯を炊くのは、
僕らの役目!


男の子たちも
女の子に負けず
料理は上手。
互いに分担して、手伝い合う。

親のない子も、こうした場で
自分のアイデンティティに
目覚めていく。


年齢に関係なく、
小さな子たちもしっかりお料理。
だって、毎日MCLでは
私たちが料理をしているもの!

200名ほどの、高校大学の
奨学生たちが集まり
イスラムの子もクリスチャンの子も、

始めて食べるマノボの食事に
舌鼓をうった!
食事は、文化交流の
大事な一部


次回は、9月最終日曜日
ビサヤ・イロンゴの
移民クリスチャンの文化祭


文化祭の映像サイトへ GO!
先住民族の文化祭
マノボデー
 
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eu32
立正佼成会の調査
日本軍の
要塞跡での祈り


立正佼成会の方々が、
本格的に現地調査に入った。

昨年のゆめポッケ配布で、
日本の子どもたちと
現地の子たちの交流が、
予想以上に好評だった事を受けて、
ゆめポッケ 映像へGO!

以前、さまざまな
世界の難民地域を巡って
プロジェクトを推進して来られた、
保科氏を中心にして、

イスラム地域、
マノボ地域の状況と
セキュリティー調査を行われた。

ピキットにある大戦時に
日本軍が指令部を置いた
スペイン時代の要塞跡で、

近い将来、
「平和の祈り」を開催するのも
1つの大きな目的だ。


eu33
今も戦闘が起こって、
人々が死んでいく


ピキットでは、
今も戦闘が起こって、
人々が死んでいくのだけれど、

第二次世界大戦では、
日本軍が
この地に指令部を構え
この地が最後の激戦と成った。

敗戦を喫した日本兵たちは、
指令部である
スペイン時代の要塞蹟を放棄して
湿原地帯に逃げ延びた。

私たちも、この地域で
長年活動をしていると、
「私には、日本人の軍人の血が
入っているんです」と、
非常に言いにくそうに
話しかける人に出会う。

湿原に逃げた軍人の子孫は、
日本人であることを隠し
イスラム教徒となって現在も生きている。

中には反政府勢力の
司令官になっている人もいる。
以下をクリックして見てください。
日系イスラム戦士、 「日本への思いを」を語る


eu34
地下の防空壕に
大量の
日本人の遺骨


この要塞は、
地下に複雑な防空壕を持っていて、
大量の日本人の遺骨が残っていると
言われているが、

今だに、
日本政府や慰霊団の
調査が入っていない。

現地の人々も曰く、
「多くの遺骨が眠っていて、
怖くてはいれない。
財宝があるという話もあるが・・・」


ここにお連れしたとき、
ちょうど太陽が、
ミンダナオの湿原の彼方に沈むときだった。

立正佼成会の方々は、
思わず手を合わせて拝む。
英霊たちに導かれて
この地に来たのだという想いが巡る。

日本軍、フィリピンの人々、
MILF、MNLF、政府軍そして、
地元の家族や子どもたちが、
今もこの地で、
戦争の被害を受け続けている。

その全ての魂に、
鎮魂の祈りを捧げたい。


eu35
わたしの叔父も
フィリピンの地で
戦死している


私も父から聞いた話だが、
叔父、父の兄もフィリピンの地で
戦死している。
時々、私も
その叔父のことに思いをはせる。

「こんな素朴な人々や、
子どもたちのいる美しい地で、
なんで戦闘など
しなければならないのか?」

そう思いながら、
死んでいったのだろう。

叔父は、従軍医で、
スペイン語も良くできて、
若くハンサムでもてたらしい???

そんな叔父の魂に呼ばれて、
こんな地に来て、
平和を作る活動を
するはめになったかなと、
ふと思うときがある。


ピキット市長やBDAの役員と、
セキュリティーに関しての
話し合いをした。


BDA(バンサモロ ディベロップメント 
エイジェンシー)の方々と

ピキット市長、
DSWDのグレイスさんと話し合い。


eu36
立正佼成会
社会貢献グループ 次長
保科和市氏からのメール
謹啓、
ミンダナオから帰国して
早くも一週間以上が
経過してしまいました。

この度の「ゆめぽっけ親子隊」
下見調査では、
急なお願いにもかかわらず、
事前から当日まで
大変に行き届いたお手配を賜り、
誠にありがとうございました。

お陰様で、
大変に多くの学びと
収穫を得ることが出来ました。

下見調査の主なテーマは、
①事業目的に照らしての訪問地の適正と
②現地の安全調査の二つでした。
以下、大変僭越ながら
思うところを申し上げます。

①「事業目的に照らしての
訪問地の適正」について
「親子の手づくりによる『ゆめぽっけ』を
直接手渡す行いを通して、

紛争や対立で傷ついた
世界の子どもたちに、
まごころと友情の支援をすること」

そして
「現地での出会いを通して、
自分たち自身がいのちを尊ぶ心や
思いやりの心を育む」
という訪問の目的に照らし、

以下の点で
大変に相応しく、
大きな価値があると思いました。

先住民マノボ居留地、ムスリム地域、
クリスチャン地域のどこをとっても、
紛争や抑圧の影響にさらされ、
日々の食事を得ることも十分でなく、

ましてや医療や
教育に関しての保証が
希薄な環境で生活している
多くの極貧の家族と子どもたちがいる。

MCLは日頃の地道な
地域コミュニティーとの接触により、
人びとの生存と生活のニーズを把握し、
堅実な物資配付の姿勢と能力を持っている。

社会的、経済的に
大変厳しい生活条件の中でも、
家族や共同体の仲間が
自然の恵みに生かされ、

互いに寄り添い、
支え合いながら生活しており、
彼らとの出会いから
日本の親子がまなぶことは多い。

さらに、地元先住民・モスレム・クリスチャン
の人々が共に尊重しあうMCLの生活は、
本会が目指す理想を実現して
おられるものでもあります。

なによりも、
MCLのお子さんたち・
スタッフの皆さんとの出会いは宝であり、
必ずや大きな感動を生むと信じます。

②「現地での安全調査」について
 安全調査チェック項目として、
「紛争・テロ行為との遭遇」
「犯罪(強盗その他)被害」
「暴動の発生」「誘拐被害」

さらに「危機回避の事前の手立て」
「安全に関する最新情報収集」
「危機発生時の対応・脱出方法」
などに留意して行程を過ごしました。

MCLの危機管理は、
地元の各コミュニティーに深く
しかも偏り無く溶け込み、
地元行政・NGO・
住民との信頼関係を築き、

現地住民による最新で
生の情報を随時更新しつつ、
紛争当事者間のバランスに配慮して
進める方法とお見受けしました。

現地コミュニティー出身者の
同伴に護られながら、
自分たちが何者であり、
何の目的で訪問するのかについて、

また敵意が全く無く、
友好協力のために来ていることを
知らせつつ現地入りする。

これらの方法は
MCL独自のものであり、
私には大変に新鮮でした。
そして、信頼に値するものであり、
大変心強く思いました。

実際、今回訪問した
私たち三人は、
殆ど危機を感じることなく
安全に行程を終えることが出来ました。

しかしまた、私は、このことを
決して安易に考えてはおりません。
安全であったのは、
あくまでもその条件を作り出してくださった
松居さん・大渕さん、

長時間車の荷台に乗って
私たちを護ってくれた
お子さん方を始めとする
MCLの方々のお陰様であり、
当然の如くそこに
安全があったのだとは思いません。 

もう一方のチェック項目は、
「疾病・感染症」
「衛生(水・食事・就寝・トイレ)」「医療環境」
「移動手段」「気候」等です。

これらについては、訪問するこちら側が、
事前準備をし注意すべき点を
心得て現地に入れば、
概ね問題無しと思います。

とりわけ水は清らかで、
手づくりの食事は、
大変に美味しく頂きました。

私は、これまでにも色々な国を訪問し、
様々な出会いに恵まれましたが、
今回の旅は、本当にめったに無い
豊かな実りを頂戴しました。

「貧しい途上国」という
私の単純な見方は、
訂正を迫られました。

美しい自然の豊かなる恵み、
街中のマーケットに
溢れるばかりの山海の品々、
そして何よりも、人々と子どもたちの優しく
温かい笑顔に触れました。

本来は豊かである土地に住む
温和な人々が、
自分達の望んでいない
対立と争いに巻き込まれ、
貧しく不安定な生活を余儀なくされている。

そして、
分かち合い、支えあって
日々を生きて
おられるのだと知りました。

MCLのお子さんたちの歌は、
聴く人の魂に響く
奇跡の歌です。
お世辞ではありません。

最終日に訪れたマロンゴンは
多くの人びとが
心の奥にしまってある
南の天国の姿です。

ピキットの日本軍要塞跡での慰霊供養は、
キリスト教の愛に導かれ、
仏教の慈悲の心を多くの御霊に捧げる
尊い機会を頂きました。

あらためて松居さん、奥さん、
大渕さんはじめMCLの皆様に
心から御礼申し上げます。合掌
立正佼成会:社会貢献グループ 次長
一食平和基金 事務局長
保科和市


eu48
北野生涯教育振興会
12人の奨学生に
授与式


財団法人:北野生涯教育振興会の
島村様も参加されて、
12人の奨学生に授与式をされた。

スタンレー電気が母胎の
財団法人 北野生涯教育振興会

日本製の多くの車は、
スタンレー電気のライトで
世界を走っています。

その北野財団が、
ミンダナオ子ども図書館の
大学生を12名、
支援してくださることになりました。

そのほとんどが、
苦労している
ワーキングスチューデント。

日常は働きながら、
夜間や週末に大学に通ってくる
苦学生たちです。


スタンレー電気の皆さま、そして
財団法人 北野生涯教育振興会の皆さま
このような戦闘のある僻地にも、
灯りをともしてくださってありがとう!
いつでもまた、いらしてください。



子どもたちの
日常生活から
ビデオ映像へGO!
18分です!
先住民族の文化祭
マノボデー

  
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イスラム教徒の文化祭
ムスリムデー

  
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 クリスチャンの文化祭
ビサヤデー

  
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eu37
立正佼成会の
子どもたちと
MCLの子どもたち


日本の仏教団体である、
立正佼成会の子どもたち10名が
母親といっしょにMCLにやってきた。

スタッフや撮影班もいれて総勢30名、
7台の4WDを手配し、
コーディネートをしたのは
大渕みほ子さん。

目的は、コンテナとともに
1000個送られてきた、
『ゆめポッケ』を
貧しい村の子たちに届けることと、

こちらの子どもたちとの
交流を通して、
日本に失われてしまった
「何か」を体験し学ぶこと・・・


まずは、友だちになること
それから、何が出来るか考えよう!
友だちが困っていたら
これをしてあげたい!!!
それが出来たら、
私たちもうれしい!


車から降りた、
日本の子どもたち、
母親たちやスタッフの方々。
皆さん、緊張した面もちだったが、

大喜びと笑顔で迎える、
MCLのスカラーたちの表情に
少しホッとしたようす。


ミンダナオ子ども図書館に
日本から訪問者が着くと、
なぜだかわからないが、
皆さんおっしゃる言葉。

「ああ、何か懐かしい雰囲気!
ここに来ると、ホッとする」 

若者たちの自然な笑顔、
屈託のない生活の姿、
のびのびと遊ぶ様子が、

人としての原点の気持ちを
目覚めさせるのだろう。

加えて、テラスから見える
緑の果樹園と
その向こうに見える山並み。



eu38
さっそく歓迎会
(Wellcome party)
が始まった


日本式の歓迎儀礼?に、
少し戸惑った若者たちだが、


あっという間に
自分たちのスタイルで、
歓迎会を進めていく。

こうした歓迎会やミィーティングに関して、
アドバイスをあたえることはあるものの
進行や工夫は、
すべて若者たちにまかせているので、

始まるまでは、
何を彼らが企画しているのか、
私にもわからない。


歌ったり、踊ったり、
歓迎の言葉が述べられたり、
イスラム、マノボ族、クリスチャンの
文化が披露されたり・・・

歓迎会が終わった時には、
たがいの距離がぐんと近くなり、
日本の若者たちが持ってきた折り紙で、
またたくまに遊びがはじまった。



eu39
コンテナで
運ばれてきた
ゆめポッケの開帳式


『ゆめポッケ』とは、
立正佼成会の子どもたちが、
月に2度食事を抜き、
その食費を献金貯金して、

世界の貧しい子どもたち、
とりわけ難民の子たちのために
学用品やぬいぐるみを買って
プレゼントする、心の支援だ!

今回、コンテナに詰められた
『ゆめポッケ』が、
1000個運ばれてきた。
みんなで、開帳式をした。

『ゆめポッケ』に関しては、
以下をクリック
http://www.kosei-kai.or.jp/
news/2008/09/post_1178.html

「ゆめポッケ親子ボランティア隊」
フィリピンから帰国
http://www.kosei-kai.or.jp/
news/2009/04/post_1335.htm


『ゆめポッケ』には、
お母さんが手縫いした布袋に、
ボールペンやノート、
ぬいぐるみや絵手紙が詰められている。

一つ一つ、異なったプレゼントを
子どもたちが、
思いを込めて選んでいるし、

お母さん方の思いもこもっているので、
単なる物資支援とは異なった、
暖かみが感じられる。

日本の子どもたちにも、
自分たちで心を込めて作った
『夢ポッケ』を配っているという、
気概を感じた。



eu40
仏教の祈りも
加わった
平和の祈り

Player for Peace

かつてから、
仏教の方々を交えて
平和の祈りを開催したいと言うのが、
私たちの願いだった。

それが、意外とはやく、
第二回目に、

しかも、子どもたちを交えて
美しい形で実現できたことは、
本当にうれしかった。


高校大学のスカラー、
総勢224名が
一堂に会して行う。

「平和の祈り」は、
学生達が
自身で企画実行しているが、

ミンダナオらしく踊りや歌で
彩られて厳粛な中にも
楽しさや美しさが生きていた。

とりわけ訪問者の読経は、
スカラーたちに
感銘を残した。

平和の祈りでは、
マノボ族の牧師がマノボ語で。

イスラムの説教師が
アラビア語で。

仏教からは
お経が。

カトリックからは
シスターが。

祈りや説教を
してくださった。


eu41
マノボ族の村
プロック8へ


平和の祈りの後に、
非常に貧しいマノボ族の村へ行った。
『ゆめポッケ』を届けに。


大勢の日本人が、
何台も車をつらねて
訪れて来たのに皆ビックリ!

集落の子どもたちは、
ほとんどが
MCLの奨学生たちだ。

次々と運びあげられる、
『ゆめポッケ』


いったい何が
入っているのだろう???


開けてビックリ、
何とすてきな贈り物!

とにかく笑顔が
止まらない・・・

ぬいぐるみを
いつまでも抱きかかえて
離さない少女たち!

ノートやボールペン、
小さな車のおもちゃや鉛筆削り・・・


日本からの訪問者は、
それぞれの子たちの家庭を訪問した。
その貧しい生活にびっくり!

家庭では、
せめてものおもてなしに、
家の前の椰子の実をとって
飲ませてくれたり・・・

貧しくとも、
屈託のない交流が、
子どもたちの心に残った。



eu42
永遠の時が
流れた


たった
3泊4日だったのに
永遠の時が流れたように・・・

お別れは、
涙、涙、涙

愛と友情いうのは、
やはり時空を超えている
と思うことがたびたびある。

たった三泊四日、
実質的には二泊三日
だったにもかかわらず。

まるで、
何年もいっしょに
暮らしてきたような親近感。

時計やカレンダーの刻む時の流れとは、
まったく異なった
時の流れがここにはある。

愛の流れは、
久遠の神や仏のもとから
やってくるから。

「いつまでも、友だちでいようね。
なぜって、愛しているから・・・

また会おうね」
「また、ぜったいに会いに来るからね」


ミンダナオ子ども図書館の若者たちは、
一度出会い愛し合った人の事を
決して忘れない。

時々、ふとしたおりに名前が出て
「・・・・」どうしているかな、
「今度いつ来るの?」と
無邪気にわたしに聞いてきたりする。



eu43
必ずまた
会おうね!


涙の後の笑顔がみんな、
すがすがしい。  

アイ ラブ ユー 
また必ず会おうね!



eu44
季刊誌『ミンダナオの風』
より一部抜粋

『ミンダナオの風』23号をPDFで読みたい方は、
ここをクリック
 Info
先年の夏、ミンダナオ紛争が勃発し、
MCLで、「平和の祈り」を始めて以来、
ぜひとも仏教団体に
参加していただけたらと思っていた。


ミンダナオの若者たちにも、
温厚な仏教は、よい影響をもたらすだろう。
それが、立正佼成会のおかげで、
思いもよらず早々に、
しかもとても美しい形で実現したのは
喜び以外の何ものでもない。

最初は、緊張しきった顔が、
一夜明けるとすっかり変わっていた。
三泊四日という、
非常に短い期間だったにもかかわらず、
日ごとに子どもたちの表情が
変わっていくのが興味深かった。

最初は緊張した顔も、
歓迎会が終わり、外でバレーボールをしたり、
薪で料理をしたり、
井戸でいっしょに洗濯を
しはじめるにしたがって変わっていった。

高校大学のスカラー総勢224名が、
一堂に会して行う「平和の祈り」は、
学生達が、自身で企画実行しているが、
ミンダナオらしく踊りや歌で、

厳粛な中にも、
楽しさや美しさが生きていた。
とりわけ訪問者の読経は、
スカラーたちに感銘を残した。

10名の子は、母親といっしょに、
最初はホテルで宿泊したが、
翌日の「平和の祈り」以降は親から離れ、
若者たちといっしょに
ミンダナオ子ども図書館に泊まった。


eu45
子どもたちが
すっかり
変わったのは


子どもたちが、
すっかり変わったのは、
親から離れて最初に
図書館に宿泊した日の夜からだった。

何か特別な出来事が
起こったわけではない。

MCLにすんでいるスカラーたちが、
ときどき楽しみのためにする
こちら式の遊技、
「うしろの正面だーーれ」や、

「ハンカチ落とし」
や「かごめかごめ」
「はないちもんめ」を
始めた時からだ。


eu46
子どもの遊びは、
こちらでは
日常で


こうした子どもの遊びは、
こちらではごくごく
一般的な日常で、

ただ日本と異なるのは、
高校生や大学生でも、
子どもと全く同じで、
無邪気に喜々として遊ぶことだ。


こうした幼心を失わないところに
「素顔のミンダナオ」があると思う。

日本から来られた子たちは、
六年生が中心で、
高校生も混じっていたが、
気がつくと皆、遊びのなかにとけこんでいた。

こちらの若者を見ていて
いつも思うのだが、
心の壁を取りはらうのが
実にじょうずだ。

山の貧しい集落が、
それ自体が大家族のような
濃密なコミュニティーで有ること、

粗末な家には個室が無く、
家族がいつも身を寄せあい
暮らしている生活スタイルなどが、
関係しているように思えるが、

彼ら自身に、
心の壁というものがあまり無く、
たとえ言葉が通じなくとも、
相手の気持ちや思いを察して、
ごくごく自然にとけこんでくる。


eu47
日本の若者の心が、
いつの間にか
開かれて


それがあまりにも自然だから、
心に壁を作って構えていた
日本の若者の心が、
いつの間にか開かれていて、

翌日母親やスタッフが来て、
子どもの顔つきの違いに驚き
唖然とするような
事態が起こるのだ。

山の村で子どもたちに
『夢ポッケ』をくばり、
読み聞かせをし、

豚の丸焼きを村人と食べ、
美しい滝壺で
遊ぶにいたって、

彼らの顔は、
すっかり地元の子に
なっていた。

「最初は、日本の子どもと
フィリピンの子どもだったのに、
どちらの子も、
我が子のように見えますね!」
と、お別れ会で言った。

お母様方も、うちのスカラー達を、
「私たちの子」と呼んでくださった。
そう、私たちは世界中にいる、
私たちの子のために、
平和で貧困がない世界を作っていこう。」

そう、語りあいながら、
涙ながらに別れた。
再会を誓いながら。

アイ ラブ ユー・・・また遊ぼうね。

 ゆめポッケ:
17分
映像を 見たい方は ここをクリック 

eu49
次々と
医療患者が・・・


ミンダナオ子ども図書館の運営で、
戦闘が起こった時は別にして
最も予期できないのが、
医療と車の故障だ。

予算をとってはいるのだが、
とりわけ医療は、過去の事例を見ても、
突然に次々と
病気の子どもが運ばれてくる。


写真は、ピキットのラガイエン出身のスカラー、
Kakim Noraimaさん。
難民だったところを、
支援者の意向で
小学校のスカラーに採用された。

戦闘は終わり、難民状態の生活も終わり、
自分の家に戻り
学校に通い始めたところまでは
良かったのだけれども、

右足の膝の裏側から腿にかけて
痛みが広がり
歩行するのも難しくなった。

どうも肉腫のような物が出来て、
3ヶ月の短期間に大きくなっていくようだ。
それで、ミンダナオ子ども図書館に
運ばれて、

キダパワンの病院で
診てもらったところ
手術が必要で、
癌の可能性も有るという。

さっそくダバオのドクターに診てもらったが、
DMCと呼ばれるJICAも支援している
公立病院でも最低10万、
私立病院だと20万は軽く出ると言う。

ダバオ公立病院では入院したまま、
病院が手術を決定するまで
数ヶ月かかり、
かつて半年も滞在した患者がいた。

日本では考えられない病院事情なので、
キダパワンの医師に相談して、
最良の方策を現在模索している。

スカラーでもあるし、
何としてでも治療を成功させたい。

(現在、治療はすべて
キダパワンの私立総合病院
メディカルスペシャリスト病院に
まずはお願いして、
高度の手術などが必要な患者は
救急車でダバオの病院に移送して
治療することにしています。

キダパワン市にも市立病院と
8つの私立総合病院が建ち、
下のようなCTスキャンもそろっていますし、

デング熱など大概の治療はOKです。
コブラに噛まれても大丈夫。
お医者様方は、時には給与を返上して
治療をしてくださいます。)



eu50
劣化ウランと
ちゃうかなあ


戦闘地ピキットでは、
しばしば、目が飛び出す異常、
瘤などの奇形、癌、そして
戦闘期間や難民生活ちゅうに
妊娠した子の異常などの奇形が見られる。

Kakimさんの従妹の
歯茎の治療は完了。
8月に、その後の経過を
診ることになっている。

かつて2000年、2002年の戦闘後に
奇形が増えた理由に疑問を抱き
大学時代の友人で、現在は
カトリック教会大阪司教をしている
松浦悟郎くんに話をした。

彼は、私の写真を見て即座に
「劣化ウランとちゃうかなあ」と言った。
さすがに正義と平和協会の代表。

私は知らなかったが
写真集を見せてもらって驚いた。
似た症状の子たちに多く会っていたから。
白血病で亡くなった子もいる。
知り合いの子も奇形だった。

その後、
中国新聞社から取材を打診する
連絡をいただいたのだが、
危険すぎる地域という理由で
許可が下りずに断念。

劣化ウランは、証明は難しい。
Kakimさんも、
癌でなければ良いのだが・・・
劣化ウランに関しての中国新聞の情報は
右をクリックInfo



eu51
それにしても、
ここ数週間で、
次々と病人が出た


今はやりのインフルエンザでは
ないと思うのだが、
最初は喉の痛みと咳から始まって、
ある時あっというまに高熱が出る。

半端ではない、
39度から40度を超える
熱が出るのだ。


高熱が出るたびに、
最初は病院に運んで
薬を出してもらった。

様態が重い子になると、
意識がもうろうとしてくる。
医師に言われて、
その様な子は、入院することになった。

一貫して症状は同じ。
その後も、次々と感染し、
ほとんど20人に上った。

幸い、薬で治療すると、
熱は短日間でひき、
問題ないこともわかってきたので、
なるべく家で治療をすることにした。

ほんとうに、
費用が馬鹿にならない。

8月までの医療費予算が
これで消費されてしまった。

さらに追い打ちをかけるように、
別件の子どもの
治療が舞い込む。

幸い、去年看護学を卒業したスカラー、
Feさんが今年から
ボランティアスタッフで活躍してくれているが
あまりにも次々と患者が出て、
その対応に苦心のあまり、涙ぐむ場面も・・・



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難民キャンプの
歯茎異常の少女の治療


歯茎が異常に
飛び出してくる病気
上の写真は、手術前の姿

原因が何だかわからないが、
ピキットの地に、
瘤や発育の異常が多いのは事実で、
戦闘時期と重なっている。

まるで劣化ウランの症状のようだと、
その道に詳しい者が語っていたが、
証明は難しい。

とりあえず手術が成功、
6ヶ月後に今度は
義歯を入れる事になった。

治療が終了し
再び難民キャンプに戻った少女
すでに半年もこういう生活が続いている

見違えるようになった
孫娘を見て、
祖母は涙が止まらない。



eu53
手術が終わっても
その後も繰り返し
完治するまで


歯茎と歯の治療が最終段階に、
イスラム集落の
最もはずれの貧しい家


手術が終わっても
その後も繰り返し完治するまで
病院に行き来しなければならない。

病院まで通う
お金があるわけもなく
そのたびに家に迎えに行く。

避難民キャンプにいた家族が
実家に帰ったと聞いて
初めて、彼女の家を訪れた。

ラガイエン集落から
来ていることは知っていたが、
集落の中心からさらに小一時間
踏み痕だけの山道を、
無理矢理4WDで登っていき。

さらに、そこから
踏み痕をとどった、最奥に家はあった。
ボロボロの家。


eu54
予告もなしに
訪れなければ
ならない


携帯で連絡が、
取れるわけもないので、
予告もなしに
訪れなければならない。

家に行ってみると
両親は、山仕事に出かけていて
子どもたちしか家にいず、
妹が迎えてくれた。


ようやく、昼時になって、
山に働きに出ていた父親と母親が帰ってきた。
極貧であることは、明らかだった。

この様な
村はずれの奥に住むには
それなりの訳があるのだろう。

幾たびか
ミンダナオ子ども図書館にも泊まり、
いっしょに病院に通う間に、
こうした隔絶した地域の家族とも
信頼関係が生まれていく。

一回限りのお付き合いではなく、
その後も村で読み語りをしたり、
奨学生を採用したり、
他の子の医療を継続したりして、

貧しく、しかも繰り返し戦争で
痛めつけられてきた人々の心が、
次第に開かれていく。



eu55
ムスリムデー
(マギンダナオデー)
イスラムの文化祭


今年のムスリムデーは、
テーマが結婚式!

BDA(バンサモロ デベロップメント 
エージェンシー)のスタッフの方々も、
アドバイザーとして参加された。

湿原で食べられる
ナマズの料理!

料理を抱えて、
いよいよ結婚式の始まり!


結婚の儀式がはじまった!
少し緊張した顔の若者たち。


妻になる人を
夫になる若者が、家に迎えに行き、

部屋に入り、
婚約者を連れだしてくる。

そして、
結婚式の会場へ向かう。

いよいよ
結婚の儀式が始まった。

まずは、
祝福の歌と踊りの後に、

結婚の誓いが、
かわされる。


模擬結婚式だけれど、
なんだか、
本当の結婚式みたい!

結婚式が終わり
イスラムの御馳走が
ふるまわれた。


eu56
イスラムの子にも
ハラナ!


ハラナとは、
夜明け前にみんなで集まって、
誕生日の歌を歌いお祝いをすること。
移住してきた、ビサヤ・イロンゴ系の
クリスチャンの風習。

しかし、
私も知らなかったのだが、
イスラム教徒には、
誕生日を祝う習慣が無いという。

でも、ミンダナオ子ども図書館では、
みんなの誕生日を祝いたい。
そこで、イスラム教徒も含めて相談して、
みんなハラナをすることにした。

イスラム教徒の彼女にとっては、
生まれて初めての誕生日のお祝い?
思わず涙ぐむ場面も・・・

ハラナの曲は、ほとんどが
クリスチャンソングなので、
相談してアッラーの出てくる
イスラムソングも交えることに。

最後は、希望者が
誕生日の子のために祝辞を送るが、
通称「牧師」と呼ばれている
本当の牧師ロネール君が、

「アッラーの加護が
いつまでもあなたの上にあるように」云々と
神やイエスを
アッラーに代えて祝辞を送っていた。

こんな光景を見たら、
保守的な宗教界は、
目くじらをたてるのかもしれない???
「松居さんは、なんたる宗教教育を
若者たちに施しているのか!!!」

いいえ、私は何も施していないで、
彼等が自分で、
心から実行しているのです。
家族のような兄弟姉妹のために


eu57
そのロネール君に、
イスラムの子たちが


それから数日後、
私も知らなかったが、
外でハラナの歌声が聞こえてくるので
行ってみると、

ロネール君の誕生日だった。

誕生日を祝う習慣が無いはずの
イスラムの子たちもみんな集まって
クリスチャンソングや
マノボソングに混じって、
イスラムソングを歌った。

ロネール君は、MCLでは唯一の
ビラーン族の若者だ。
彼は、牧師の資格も持っているから、
てっきりプロテスタントだと思っていたが、

日曜日に、
私たちとカテドラルに行き、
聖体拝領も受けたのでびっくすると、
何とカトリックでもあった。

カトリックの洗礼を受けた
プロテスタントの牧師が居ても
良いの(かもしれない?)。

これを聞いたら、
保守的な宗教界は、
目くじらをたてるかもしれない・・・
「何といい加減な・・・」

しかし、カトリック教会が近くに無い時は、
皆プロテスタント教会にも平気で行くし、
プロテスタントの子たちもたくさん、
私といっしょに夕方の
カテドラルのミサに出ている。

まったく違和感なく、
平気な顔して・・・
入れてもらえる時には、
モスクの中でも礼拝する。

「松居さんは、なんたる宗教教育を
若者たちに施しているのか!!!」
いいえ、私は何も施していないで、
彼等が自分で心から
実行しているのです。

これぞ、
フィリピンのハロハロ精神?


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