戦争と平和構築
2013年の記録から(1)


鉱山開発の誤解発生
原住民の魔除けの祈祷をした
 1 日本大使が来られて開所式 Go! 14 新しい奨学生に学用品届け Go!
2 学校を作ったのは子どもたち Go! 15 共同で使える場に保育所を Go!
3 平和構築への経緯 Go! 16 イスラムとクリスチャンを結ぶ Go!
4 保育所の先生とご主人 Go! 17 野焼きをしながら Go!
5 クリスチャン集落で読み語り Go! 18 イスラムクリスチャン平和合意 Go!
6 平和の読み語りが始まった Go! 19 会議の前に読み語り Go!
7 丘の下でも読み語り Go! 20 和平会議が合意 Go!
8 大勢の子供達が集まった Go! 21 イスラム教徒の奨学生たち Go!
9 子供達が学校に通い始めた Go! 22 平和の祈りを開催 Go!
10 驚くべき早さで学校建設 Go! 23 踊りから始まる平和の祈り Go!
11 白頭鷲が飛んでいる! Go! 24 最後に原住民マノボの踊り Go!
12 保育所の移転の話し合い Go! 25 洪水が起こり避難民発生 Go!
13 資源争奪戦はまだまだ続く Go!
26 保育所移転でたずねる Go! 37 同様な鉱山開発が Go!
27 洪水の中奨学生調査 Go! 38 誤解を解く原住民の祈祷を Go!
28 再び戦闘が起こり始めた Go! 39 母親も殺害されました! Go!
29 医療支援も行った Go! 40 母親も殺害されました! Go!
30 翌日ビニールシートを届け Go! 41 戦闘の絶えない村へ読み語り Go!
31 支援者のいない子たちの調査 Go! 42 古着を喜ぶ村人達 Go!
32 沢山のバナナが捨てられていた Go! 43 日本人の子孫も多い Go!
33 戦闘の絶えない山岳部を訪ねた Go! 44 新奨学生に学用品を Go!
34 日本政府ODAの小学校が建設 Go! 45 古着の支援もした Go!
35 鉱山開発で来たという誤解発生 Go! 46 子供達に読み語り Go!
36 鉱山開発で分断進む先住民 Go! Japan Timesに記事 Go!

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日本大使が来られて
ブアラン小学校の
開所式が行われた


小学校自体は、
すでに一年半以上前に
建ったのだが、

現地が
高度の危険地域だったせいもあり、
開所式がなされていなかった。

光栄なことに、
今回は大使の出席のもとに
開所式が行われた。 

現地は、40年に渡って
山の上のクリスチャンと、
下のムスリムが対立していた場所。

今回の
大使の出席を含めた開所式は、

平和交渉が始まったときと
同期しており、
日本政府が教育を通して、

ミンダナオで
貢献してきた事をアピールする、
格好の機会にもなるだろう。


ミンダナオ子ども図書館は、
現地法人のNGOで、
あえて、
もっとも困難な地域を選び、

しばしば起こる
戦争のために
くり返し避難難民化したり、

極度の貧困や、
親を失って生活に困っている
子どもたちのために、
スカラシップや医療を行って、

読み聞かせにも
繰り返しおもむき、

現地の
子どもたちを中心に、
村人たちと接してきた。

それゆえに
困窮した地域の現状や要望を、
見る機会や聞く機会が多くあり、

現地出身の奨学生が何人もいて、
大学を卒業して
スタッフにもなってもいるので、
現地の状況が良く理解できる。

今回の学校建設も、
私たちが「探した」企画ではなく、
「学校が有れば」という
現地からの強い想いをうけて、

支援を捜したところ、
日本政府のODAに
たどり着いたものだった。
(支援活動の知識が皆無なので・・・)

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学校を作ったのは、
子どもたち


大使館が準備された
記者会見に集まった記者


MCLは、フィリピンのNGOなので、
日本政府だけではなく、
EUやUSA、中国や韓国など
他国の支援に応募しても
良かったのかもしれないけれど、

私が日本人であることもあり、
また現地で日本政府が
良い活動をしていることが
見えていたので応募した。

MCLは、
団体からの寄付はほとんどなく、
(支援に関する知識が皆無なので・・・)
ほぼ個人の寄付で
なんとか成り立っている、
シラミのような小さなNGOだ。

それゆえに、
建物といえば、
保育所がせいぜいで、
学校まではとても建てられない。

現地の大勢の
子どもたちの事を考えると、
学校を建てるとしたならば、
しっかりしたものを建てたかった。

それが、
今回も日本政府の
ODAに応募した大きな理由だ。

こうしてマカブアルとブアランの
二つの小学校を建設して、
地元の方々、特に子どもたちから
大いに喜ばれてきた。

マカブアルは、
当時は道もない反政府地域で
入るのも危険といわれた場所だったが、
学校が出来てその後に道も出来、

村人たちも逃避していた場所から
自分の村に戻ってきて、
200名だった生徒が400名になり、
とても明るい村になった。

ブアランは、山の上のクリスチャンと
麓のイスラム教徒が、
お互いに「入ったら殺す!」といって、
40年に渡り対立していた地域で、
2008年の戦闘もここから起こった場所だ。

そこで、
平和構築のために、
まず保育所をイスラム地域に建設し、
次に、クリスチャン地域に建設し、
両地域から多くの奨学生をとり、

また、
くり返される戦闘で
避難民化している状況になるとたびに、
早急に救済に走ってきた。

「パパとものおかげで、学校ができたあ!」と、
子どもたちは、
嬉しそうに言うけれど、


学校を作ったのは、
子どもたち!
平和と作ったのは子どもたち!


そしてこれからミンダナオに、
そして世界に、
平和を作っていくのも子どもたち!


子どもたちの様子を見ていると
平和構築が、
一朝一夕に出来たのではないことが、
少しずつ見えてくる。

子どもたちに導かれて、
わたしたちが、
どうやって学校を作り、
平和を作ってきたかが見えてくる。



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過去のサイトの
記事を掲載して、
平和構築への経緯を
顧みてみよう!


イスラム地域のクリスチャン、
憎しみと対立を超える
試みが始まった。


戦闘の絶えないブアラン集落。
山麓のイスラム地域と、
丘の上に移住してきたクリスチャン移民。
ともに恐れて、近寄らない。

2008年の
50万の避難民が出た戦闘は、
実にこの地から始まった。

しかし、その後MCLで、
下のイスラム地域に保育所を建てた。
その時は、まだ山の上に
クリスチャンの集落があることは
知らなかったが、

なぜか、
村人たちは山の上を恐れている。
そしてある時こう言った。

「ぜったいに、
山の上に行ったらだめだよ。
殺されるからね!」

「あの山の上には、
クリスチャンの集落があって、
入ったら殺す!
と言っているからね!」

それでかえって興味を持ち、
次第に山の上の
クリスチャン集落にも足を運び、

福祉局DSWDの役員で
MCLの理事もしてくださっている
グレイスさんが、村人と話し合って、

子どもたちのために、
まずは、クリスチャン集落にも平等に
保育所を建設することにした。
下の写真が、もともとあった保育所。

まずは、
保育所を建設する場所を確認。

保育所を建てたのは、
学校が建つ4年前のことだ。

ミンダナオ子ども図書館は、
保育所を建てたのちに、
奨学生たちも採用した。

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保育所の先生と
ご主人


そこで分ってきた事は、
子どもたちは、
かつては丘の下の
ブアラン小学校に通っていたが、

戦争以後は、
はるか遠くのシリック小学校まで
歩いて通わざるを
得なくなっていたことだ。

戦争が起こる前までは、
丘の下のブアランで、
バスケットボール等をして
楽しく遊んだという。

こうした過程で
次第に感じられてきたのは、
住民たちが、くり返し起こされる戦争に
うんざりし始めている事だ。

とりわけ
子どもたちを抱えている親たちは、
安心して、何とか平和に暮らしたいと
強く望んでいる事だった。

戦争に嫌気がさして、
このクリスチャンの村は、
できれば平和をつくって、
友情の心を開きたいと思っている。

ミンダナオ子ども図書館のおかげで
貧困で学校にも行けなかった子たちが、
奨学生になって、
保育所も建てられたし、

奨学生も採用したし、
いよいよ、
平和構築の試みが始まった。


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対立していた
クリスチャン集落での
読み語り


こちらは、ブアランの
丘の上のクリスチャン集落。

かつては
100世帯ほど住んでいたらしいが、
度重なる戦闘で、
現在は、わずかしかいない。

村は、
イスラム教徒の立ち入りを、
独自の規定で禁止している。


JICA日本政府や
IMT国際停戦監視団もかかわった
2008年の和平条約締結は、
この村と関係した
議員の最高裁への提訴でご破算になった。

村人たちは、
全員が民兵に登録されていて、
常時武器を携帯している。

一般の農民たちなのだが、
彼らは、土地を守りたい一心だ。
丘の向こうには、
勇猛で名高いコマンダーもいる。


この村の人々は、ほとんどがカトリック。
この地域に入っているのは、
OMIと呼ばれる
フランスミッションの宣教会。

戦時中、
イスラムの人々と組んで
抗日運動を展開しており、
イスラム教徒の信頼も厚いのだが。

この宣教会は、ピキットのライソン神父や
コタバトのオーランド司教がいて
(日本では、鳴門教会の乾神父が
オーランド司教の盟友)
オーランド司教は、現在枢機卿でバチカンへ!

戦闘では、
爆弾の落ちる中を命がけで
イスラムの子どもたちを救済している。
MCLのボードメンバーのグレイスさんも
同教会のメンバーだ。

それを見ると、
イスラムとキリスト教徒の対立が
戦闘の原因とは
簡単に言えなくなってくる。

16日には、
日本から山元しんぷさんをはじめとする
小倉、行橋カトリック教会他の
メンバーが来られる。

現在、MCLでは、
この村に保育所の建設を開始。
山元しんぷさんの
平和のミサを準備している。

MCLジャパンからは、
このクリスチャンの村民と、
丘下のイスラムの村民に
農園に蒔く種を寄贈予定。

戦闘で疲弊し、
農民たちは、
種を蒔きたくても種を買えない。

日本の皆さんの支援のおかげで
今ここに、
平和の種が蒔かれようとしている


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平和の読み語りが
始まった


どのような種よりも、
最も美しく効果的な
平和の種を蒔いてくれるのが
実はこの子たち。


皆さんが支援して下さっている、
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たちだ。

わたし今回、
初めて
読み語りに訪れたの。 


読んで読んで!
とっても楽しい!


ミンダナオ子ども図書館の子たちは、
イスラム教徒、キリスト教徒、マノボ族の混成部隊
(隊列を組まないで、
自由に走りまわるけれど!)

イスラム教徒を
拒絶していた村人たちも、
明るい笑顔の奨学生たちを
受け入れてくれた。

みんなでマノボ族の歌、
クリスチャンの歌、
イスラムの歌をうたった。

イスラムの歌を歌うとき、
アッラー(神)の名が出てくる来るのに、
クリスチャンの村人たちは、
一瞬たじろいだけれども、

ミンダナオ子ども図書館の
クリスチャンの子たちも
イスラムの子たちとアッラーの歌を、
一緒に声を合わせて歌うのに驚いたようす!


歌を歌いながら踊る
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たち。


戦闘で疲弊した村に
久々に子どもたちの歌声がこだますと、
村の子どもたちも喜びの表情で
踊りのまねをする。


陰で見ていた
村の人々の表情も、
少しずつ緩み始める。


絵本で有名な、
「おおきなカブ」をもとに、
ミンダナオにカブは無いので、
どこでも生えているカサバイモに変えて
子どもたちが作った劇。

「大きなカサバイモ」が
演じられる頃には、

堅かった村人たちの表情もすっかり緩み、
久しぶりに
平和を感じている様子だった。

村人たちのひそひそ声が聞こえてくる。
イスラム教徒のジェネッサさんが、
読み聞かせをするのを見て、

「ほらほら、あの子、
下の村に住んでいたイスラムの子。
あんなにビサヤ語が、
上手だなんて!!!」

それもそのはず、
2年間、
MCLに住んでいるし、
クリスチャンの友達もたくさん・・・。
その後、彼女は結婚して
子どもも生まれて、
MCLのスタッフとして活躍しています。


下は、この村から、
スカラシップに採用する若者。
今度大学生だが、
貧しくて学校に行けない。
「大学に行けるなんて信じられない!」


イスラム教徒の大学生の奨学生(女子)も
同行したが、
上の写真の奨学生候補の彼を見て、
飛び上がって駆け寄ってきた。
「わたしの高校時代の同級生よ!」

村人たちも、
イスラムの娘と
この村のクリスチャンの若者が、
こんなに親しいのにビックリ!

こうした奨学生たちが、
これから
コンタクトパーソン繋ぎ役として、
この地域の平和を築いていくだろう。

性格も良いし、
大学で教育学を学んで将来は先生になりたい。
どなたか支援者に
なっていただけませんか?



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丘の下の、
ブアラン村で
今年最後の読み語り


村長選挙の腹いせで、
小学校に火がつけられて、
子どもたちが学校に
通えなくなってしまい、泣いた!

彼らにとって、
日本のJICAの支援だけが
今は頼りだ!


読み語りに、子どもたちが大勢集まった。
本当に、貧困の不幸や
度重なる戦争の困難を
繰り返しくぐってきた小さな集落。

焼けた小学校が見える!
今回、ピキットで
三つの小学校が焼かれた。

全ては、フィリピン政府系の建物で、
マカブアルの日本政府JICAが建設
MCLがお手伝いした学校は
大丈夫だった!

話によると
BDAで建設した建物は
焼かれることはないとのこと。

地域の村長選などを巡っての小競り合いは、
現地ではリドーと呼ばれ、
しばしば、地域の有力者同士で、
私兵を使っての戦闘がおこなわれるが、

今は選挙も終わり、
きわめて平和だ。

新たに選出された村長さんと、
小学校の校長先生。

誠実で村の人々からの信頼も厚く、
本当に村を良くして
平和を作りたいという願いを感じる。
下は、古く、2000年の戦闘で
崩れたままの校舎。

ごらんのように
四隅の鉄の柱は腐り、
いつ倒れてもおかしくない
危険な建物。
ここでは、授業を続けられない。


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読み語りに
大勢の子どもたちが
集まった


まずは、
皆で踊って歌った。


学校が焼けて、
泣いた大勢の子たちに
笑顔がもどってきた。

それでも、授業は停滞している。
戦争さえ起きなけば、
もうじき12年ぶりの
卒業式が開催されるのだが・・・。

なんと、
くり返し起こる戦争で
避難生活を余儀なくされて、
進学が出来ずに6年間が過ぎたのだった!

それにしても、
こんなに大勢の子どもたちが
集まるとは!

親たちも、
炊き出しをしてくれた。

村の人々や子どもたちの
JICAによる、
学校建設への期待を強く感じた。


難民救済の時から、
深くつながっている子たちも多い。

下の右の姉妹は、
両親が亡くなってしまい、
ミンダナオ子ども図書館に住む。

その中の5名ほどは、
来年から高校生になる。

すでに4年越しのつきあいで、
多くの奨学生が
ここからMCLに参加している。

私にとっても
思い出の多い地域の子どもたちだ。


この上のクリスチャン集落である
ニューバレンシアにも、
保育所を建てたことは報告したが、


先日は、市長に会い、
クリスチャン集落と
イスラム集落をつなぐ
道を再開建設する確約をとったばかりだ。


MCLの主導による、
平和構築の試みは続く。
私たちは、決してあきらめない。



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40年間争い、
交流が途絶えていた
丘の上のクリスチャン集落

ニューバレンシアの
子どもたちが
下のイスラムの村の
学校に通い始めた


イスラム教徒がほとんどの学校に、
新しく入ってきた
クリスチャンの子たち。

イスラムの奨学生が、
沢山いるブアランの小学校。
さぞかし緊張しているだろうと思ったけど、
意外と明るい顔で幸せそう。

子どもたちは皆、
戦闘が無く、
みんなが仲良く住める世界を
望んでいるのだ!

この様子を見て、
胸が温かくなり、
本当に幸せな気持ちを感じた。

イスラムとクリスチャンのお父さん方が、
みんなで協力し合って
建設に励んでいる姿も素晴らしかったし、
思わず目頭が・・・。

今後、ニューバレンシアに戻り、
ブアランの小学校に通い始めた
イスラム教徒の子どもたち5名も
スカラシップのための
調査して加えたいと思っています。

一緒に手をつないで、
学校に通えるようになるために。
皆さん、里親奨学支援に応募して下さい。
支援者のいない子たちがいっぱいいます。


7月いっぱいには、小学校が完成する。
完成と同時に、
8月半ばに開所式を兼ねて
MCLの奨学生が全員集合し、
『平和の祈り』の祭典を行う予定だ。

日本からも山元眞しんぷ様が参加予定。
現地のイスラム宗教者やOMIカトリック神父、
マノボ族のプロテスタント牧師も
マノボ指導者も参加します。

仏教界からも
どなたか参加されませんか?
一般参加もOKです。



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ブアランの小学校が
驚くべき早さで
建てられている



日本政府ODAでJICAが建設、
MCLが提案し
建設管理を委託された
ブアランの小学校。

ミンダナオ子ども図書館からは、
2時間半ほど車でかかるけれど、
くり返し足を運んで
建設状況を調査する。


イスラムとクリスチャンの村人から
公平に選ばれた労働者たちが、

互いに力を合わせて、
自分の村の子どもたちのために
学校を建設していく。


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白頭の鷲が
飛んでいる!
目を疑った!!!


ニューバレンシアの丘は、驚くべき場所だ。
リグアサン湿原が一望できるだけではなく、
なんと、下を見ると、
白頭の鷲が飛んでいる!
目を疑った!!!

「あれ、ひょっとして
フィリピンイーグルですか?」
「そうですよ、
ここには24匹ほどが棲んでいる。」

「エエエッ・・・!!!!」
「この間、縄張り争いで、
あっちに移ったつがいが居るよ・・・」
その勇壮で美しい飛翔の姿が
リグアサン湿原を背景に燦然と輝いている。

あわてて、
望遠レンズのある写真機を探して向けたが、
もう飛び去った後だった。

これを聞いて、
「オレは絶対この地に行き、
1週間は滞在するぞ」
と考えた人は野鳥好きの人。

フィリピンイーグルは、
絶滅危惧種にも指定されていて
私も、ダバオの郊外の保護施設の
檻の中でしか見たことがなかった。

おっとどっこい、
数日前に、
リグアサン湿原地帯のサパカン集落で
幼鳥を飼っている人に見せてもらったっけ。

そういえば、来る途中、
エメラルドグリーンの鳥が横切ったけど
どう見ても
カワセミの一種としか思えないし。

専門家ではないので何とも言えないが、
リグアサン湿原は、
周囲の丘陵地帯も含めて、
天然の野鳥の宝庫!!!

そのスケールから見ても、
釧路湿原を数倍しのぐ。

釣りにヨシ、カヌーにヨシ、
野鳥観察からワニ観察まで・・・
石油や天然ガスが出るからって、
こんな素晴らしい自然を破壊しても良いの?

この湿原には、
4000から5000世帯の
漁師さんたちが住んでいて、
貧しいながらも魚をとって売り生活している。

その漁師さんたちが、
今後のことで今一番心配しているのが、
石油やガスの掘削や開発で
湿原の水が汚れて、

魚介類が獲れなくなったら
如何しようということ。

それからもう一つは、
ダムや灌漑用水の建設で、
水が干上がったり、

またわざと洪水を作って
家々を押し流して、
追いやられたあげく、
漁業が出来なくなったらどうしよう!

灌漑地を干拓して、
農業で広げたらというけれど、
土地を持てるのは金持ちだけで、

先住民同様に、貧しい漁民は、
戦闘を使って山へ追いやられ、
貧困格差が広がるのではないか
という恐れが、漁民の間から聞こえてくる。

平和が実現しても、
その後の開発しだいでは、
再び戦闘を起こすという話が、
漁民たちから聞こえてくる。


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クリスチャン集落に
ムスリムの人々も
集まって
保育所の移設が
話し合われた


保育所の移転と今後の取り組みについて、
話し合いがもたれた。

イスラム教徒の村長と
キリスト教徒の集落長が話し合っている。


市の福祉局DSWDの所長補佐で、
MCLのボードメンバーのグレイスさん。
カトリックだけれど、
イスラムの婦人たちと
婦人クラブを主催している。


ここの場所に、
多湖さん家族から寄贈された
保育所を移設する事に決まった。
この村の子たちは、
下の写真の場所でABCを勉強している。

保育所と言っても、
日本のように子どもを預かる施設ではなく
幼稚園に遠くて通えない村の子たちが、
小学校に入学前にABCを学ぶ場所だ。

クリスチャン集落に遊びに来た
イスラム教徒の少女たち。

クリスチャンとムスリムの両方の子たちが
保育所で勉強できるように、

二つの集落の出会う場所に、
村人たちが協力して、
すでに上のクリスチャンだけの集落から
この場所に保育所を
移動することになった。
多湖さん一家によって寄贈された保育所。

その話し合いがもたれたが
その場所に、ぜひとも
バスケットボールコートを作りたいという
意見が出た。

バスケットボールコートは、
トウモロコシなどの
穀物干し場になるし、

保育所は小さな子たちのために、
そして、バスケットボールコートは、
若者や大人たちの
良き交流の場になるから。

下の写真が、
村によって寄贈される
バスケットボールコートを作る場所。

こうしていけば、
度重なる戦闘で村を離れた多くの家族が、
ここに戻ってくるだろう。


40年間、
憎しみと戦闘ばかり
安心して暮らせるって良いね。

しかし、安心しきってはいられない。
現在進行中のMILFと
政府側の和平交渉の会議。

北コタバト州などの独立を目指す
MILF側と政府側の交渉が決裂すれば、
再び
かなり大規模な戦争が勃発するだろう。

先日のタリタイ集落でのミィーティングでも、
IMTがどこまで本気で
平和構築が出来るかが問われている、
と言う話?

8月のラマダン明けが
一つの目安だろうか。
5月からすでに、
国軍の動きが活発化している。

NPAの領域も含めて、
手術(オペレーション)が始まっているが、
8月には、一斉に新規放出?

アキノ大統領は、
平和路線で行きたいらしいが、
周囲がそうはさせないかもしれない。

南シナ海を巡る利権で、
フィリピン、日本、ASEANを
中国と対立させたいアメリカの動き?

それを睨んだフィリピン政府軍と
アメリカ軍との合同演習バリカタンは、
演習と呼ばれる実戦で、
日本ではほとんど知られていないが、

現地で出会ったUN国連の方から、
「イラク戦争が起こる前までは、
戦争避難民の累計の
世界一がここなんですよ!」
と言われてショックを受けた。

この地で数年おきに勃発して
40年間も続いている戦争が
バリカタンだ!

集団的自衛権が通った後は、
日本の自衛隊も
バリカタンに参加しているので、
次回この地で戦争が勃発したら、
演習という名の実戦で
日本軍も攻めてくると言われ始めた。


qz1

中国の動きもからんで・・・
資源争奪戦は
まだまだ続く?

ミンダナオと
スールーへの
アメリカの介入
オクタビオ・アビラニ・ディナンポ

http://www.dmzhawaii.org/dmz-legacy-site-two/
wp-content/uploads/2009/03/
17-octaviodinanpo_mindamao_japanese.pdf
PDFへGo1
尖閣列島も北朝鮮も、
これからが戦争作りの
本番かもしれないので、
日本の皆さんも
心した方が良いかもしれない。

アメリカ政府は、
米国市民に警告を発した。
http://jp.reuters.com/article/topNews/
idJPJAPAN-21717320110615

国務省は「空港やショッピングモール、
会議場など人が集まる場所が
狙われる可能性がある」とし、
「ミンダナオやスールー諸島に
渡航する場合は
細心の注意を払うべき」と呼び掛けた。

昨年11月には
ミンダナオ島の中部と西部への
渡航警戒を勧告していたが、
今回は対象を島全体に拡大。
また「テロ攻撃は無差別の可能性があり、
マニラでも起こる恐れがある」としている。

オーストラリア政府も14日発表した
フィリピンへの渡航勧告で、
ミンダナオ島東部については
「必要性を再検討するように」と
制限を緩和したが、
同島西部は引き続き「禁止」としている。

先日は、
洪水難民救済のためとはいえ、
オーストラリア政府の寄贈の
高性能戦闘用ボートに乗せてもらったし、

それなりのゲームが、机上で作られ
実行されつつあるのだろうか。
ここが戦場になったら、ここの子たちを、
全ていったんMCLに集団疎開させよう。

こんな可愛らしい子たちを、
戦闘の渦中に置いてはおけない。

幸いMCLは、発足時から、
避難民救済のための
シェルターの許可も得ているし・・・。
でも経済的に食べさせていけるかなあ?

正面に座っていた母親が、
ぼくを見て声をかけた。
「トモさん、何を考えているの、
一人沈み込んでいらっしゃるようだけど」

「エッ、いいえ、別に。
ここに、バスケットボールコートを作れば
皆もっと楽しく幸せになれるかと・・・」



jp13
ニューバレンシアの
イスラム集落の
新しい奨学生たちに
学用品を届けた


イスラム教徒の村の中で
クリスチャンの若者と集落長が、
イスラムの若者たちと
一緒にバスケットボールをしていた。

かつて40年前には、
このような光景が見られたという。
今それが
再び復活するのは感動的だ。

この下のクリスチャンと
ムスリム集落の出会う場所に、
今度、村人たちが協力して
保育所を移設する。

村を訪ね、
直接、学用品をわたした。

子どもたちの多くは、
ラガイエンの小学校に通っているが
6名の子どもたちが、
ブアランの小学校に通い始める。

その子たちを奨学生に選び、
学用品の入ったバックを渡す。

来年から、
より近いブアラン小学校に
籍を移す子たちがドッと増える。

この地を去った多くの家族も、
戻ってくる予定で、
ブアランが活気を取り戻すだろう。



jp14
ニューバレンシアの
保育所を
共同で使える場所に


イスラムとクリスチャンの
集落の人たちが
協力して運んだ!

ニューバレンシアの保育所は、
山上の
クリスチャン集落の中にあったが、

集落の人々は、
学校にも遠くて不便な山頂から、
少し下の尾根に
村を作って移動することになった。

クリスチャン集落の道の向こうには、
イスラムの人々も住んでいたが、
戦争に恐れをなして、
下のラガイエン集落に移っていた。

しかし、保育所もたち、
下のブアランにも学校が建つというので、
避難していたラガイエン村から
少しづつ戻ってきた。

平和のためにその両方から
公平に奨学生を採用した。

下の写真は、
その集落の奨学生を
支援者と訪ねたときに、
うれしくて泣き出した奨学生!

両方の集落が、
道を挟んで
仲良く生活を始めたので、

保育所も
両方の子どもたちが
通える位置に移すことに決定!

クリスチャンとムスリムの人々が、
協力して保育所を運んだ。

何と保育所を
みんなで交代しながら、
肩で担いで、

山道を移動した。





こうした作業も平和構築への
大きな足がかりになる。

保育所を通して、
子どもの頃からイスラムの子と
クリスチャンの子たちが友達になれる。

ここに、さらに、
バスケットボールのコートも作りたい。

コンクリートのコートは
トウモロコシなどの干し場になり、
地域の経済にも貢献するし。

子どもたちだけではなく、
若者や大人たちの
交流の場にもなるから・・・。



pj15
クリスチャンの集落と
イスラムの集落を
結ぶ道を、
村人たちが作った


和平合意の前日
イスラムの人々、クリスチャンの人々に
MCLの奨学生を加えて、
両村を結ぶ道を切り開いた。



40年間、途絶えていた、
クリスチャンとイスラムの
二つの集落を結ぶ道が
両村の人々の協力で切り開かれていく。

MCLの奨学生たちの協力も得て
道が切り開かれ、

丘の上の
クリスチャン集落の子どもたちが、
すぐ下のブアラン小学校に
通うことが出来る。

40年間交流が途絶えていた間に、
下草どころか、いたるところに
灌木が生い茂り行く手を阻む。

チェーンソーがあるわけでもなく、
大きなノコギリもなく、
手刀だけで大木も倒す。


微熱もあったが、
私も雑木を伐る体験を
北海道時代にしていた。


薪割りもしていたのだが、
チェーンソーを使うわけではなく、
使用する道具はいわゆる蛮刀!
これで、大木から雑木まで伐る

こんな小さなものでと思うが、
さすがにテクニックがすごい!

特に、ジャングルの木々は、
互いに蔓でからまっているので、
いくつもの大木の根本を、
蛮刀で堀を付けておき、


最後に一個を倒したとたん。
蔓に引っ張られて、
軒並みに次々と倒れ始める。

葉を散らしながら、雪崩のように倒れる
木々の迫力はすごい!
手を挙げているのは、
ブアラン小学校の校長先生だ。


下は、
クリスチャン集落の役員


これは、
息子の陽が映像におさめたので、
いつか上映したい。


ミンダナオ子ども図書館の
奨学生の若者たちも手伝った。


道がつながることによって
平和への足がかりができてきた。

むろん、
平和構築はこれからだ。

次の支援活動として、
ブアランのイスラム教徒の奨学生は、
すでに、25名すでにいるので、

これから、
クリスチャンの奨学生を
同数採る予定。


MCLの奨学生たちも、
この作業に参加した。


40年にわたって、
対立してきた
クリスチャンとイスラム教徒の村人たちが、

力を合わせて道を切り開く姿を
見るのは感動的だ!


息子の陽は、
撮影記録を取り編集



国軍の兵士たちも感動しながら、
警護をしてくれた。


戦争よりも平和が何より!

jp16

場所によっては
野焼きをしながら
道を開く!



時には
野焼きをしながら、
斜面に道を開いていく。



ケガをした人には、
妻のエープリルリンが、
日本で買ってきた
薬をつけて応急手当をした。


貧しい村人たちには、
傷薬を買うお金も無い!

日本から送られてきた薬品が、
ここでも役にたちました!

クリスチャン集落への
最後の登り


尾根に続く、
最後の斜面に道を切り開き、



斜面を登り切れば
尾根に飛び出す!


尾根に登ると、
広大なリグアサン湿原の
大風景が広がった!


遙か彼方の、
リグアサン湿原まで見渡せる、
素晴らしい眺めだ!


やっぱり、
平和は良いなあ!


平和構築は、
始まったばかりだ。


まだまだ、
紆余曲折が考えられるが、

この経験は、
彼等の子孫に
語り継がれる事だろう。


クリスチャン集落の奨学生の子たちも、
これから
もっと採用しなければならない。

彼等が、
平和を作る世代に成長するために!
下の右の二人は奨学生。


MCLの若者たちも
よく頑張った。

この体験は
彼等が将来を考える
貴重な糧にもなるだろう!



jp17
ブアランで
イスラム教徒と
キリスト教徒の
平和の合意


40年にわたって、
イスラム教徒と
キリスト教徒が対立。

多くの家族が
この地から逃げ出していった、
ブアランとニューバレンシア集落。

激しい憎悪の結果、
お互いに集落に入ることを拒否。
「入ったら殺す!」

それが、MCLの働きで
平和交流がはじまり、

国軍と行政も含めて、
平和合意への交渉が、
行われることになった。

政治的な内容も含んだ合意なので、
MCLは、直接関わらないが、
子どもたちのために、
会議の前に
読み聞かせをすることにした。


クリスチャンと
イスラム教徒の村人たちが、

一緒に、
食事の用意をしてくれた。


会議は、
まず両者の祈りから始まった。


「読み語りもはじまるよー!]

「洗濯が終わったら、
みんなおいでーーー!」


「おやつも
用意しているからねーーー!」


jp18

国軍も交えた
合意会議の前に
読み語りをした



読み語りは、
イスラム教徒の
マギンダナオ族のマギンダナオ語と、

キリスト教徒の
ビサヤ語が同時に使われた。

MCLに住み込んでいる、
この近く出身の奨学生の
ザイノディン君兄妹が、
両方語れるので大活躍!


大人たちが、
どんなに戦争をしても、

子どもたちの心は、
イスラム教徒も
クリスチャンも変わらない。

このような子どもたちの姿に、
長年憎しみあってきた
地元の人々の心も開かれていく。

ブアラン小学校には、
24名のイスラムの奨学生が
すでにいるので、

今回は
同数のクリスチャンの奨学生を
まずはこの地から採用することにした。


jp19

国軍とピキット市政の
仲介のもと
イスラムとクリスチャン
住民の平和合意が!


イスラム教徒側と
クリスチャン側の議論が続く。


私たちも、
最初少し加わったが、

MCLは、特定の宗教や政治に関与せず、
子どもたちの事のみを考えて
行動する立場なので、
議論の詳細は任せた。


交渉の結果、
40年にわたって敵対し、
交流が途絶えていた二つの集落が、
平和に合意!

子どもたちは、
日本政府が建設する下の
ブアラン小学校に通うことになった。


平和構築に向けての歩みが続く
ブアラン集落


ブアランの小学校は、
ほぼ完成に近づいている。

6ヶ月かかる予定が
3ヶ月で完成するのだから、
村の親たちの意気込みがわかる。


村の父親たちが、
クリスチャンもイスラム教徒も
協力し合って大勢で、
みんなで作業をしたものだから、

11月に完成予定の小学校が、
何と7月末には、
完成しそうだ。

外観はできあがり、
最後のペンキ塗りと窓のはめ込み
黒板を含めた
内部の仕上げが残っているのみ。

敷地も広がり、
素晴らしい学校になりそうだ。

そのせいか、
子どもたちの顔もあかるい。

丘の上のニューバレンシアの
クリスチャンの子たちも、
イスラム教徒の子たちも、
一緒に下の学校に通っている。


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新しく奨学生に
選ばれた
ニューバレンシアの
イスラムの子たち!


クリスチャンとイスラム教徒が、
40年にわたって対立してきた、
丘の上のニューバレンシア集落。

40年ぶりに平和が戻り、
クリスチャンの子たちを
奨学生に採用したことは前回述べた。

さらにその側に、
下のラガイェンに避難していた
イスラムの家族たちが戻ってきた。

クリスチャンの村の人たちは、
彼等を心から歓迎し、
共生の生活が始まっている。

MCLでは、
新しいイスラムの子たちで、
ブアランの小学校に通い始める
6名を奨学生に採用した。

こうして、毎朝、
イスラムの子たちとクリスチャンの子たちが、
同じMCLのカバンを背負って、
仲良く登校するようになった。

イスラムの子たちと
クリスチャンの子たちが、
一緒に支援者の方々に手を振っている。
本当に皆さんありがとう!

MCLとJICAで建設中の小学校も、
日本の皆さんの
税金で建てた平和のシンボル!

8月にここで、
平和の祈りの祭典をします。
参加希望の方は、ご連絡下さい。




奨学生たちが
平和の祈りを
ブアランで開催


MCLが主催し、
日本政府が建設した
小学校の開校式を兼ねて

MCLが提案・マネージメントし、
日本政府と
バンサモロで建設した、

ブアランの小学校の
開所式を兼ねて、
平和の祈りを開催した。


戦闘の激しかったブアランの地に、
7教室の美しい学校が、
日本政府の支援で完成した。

草の根支援と呼ばれるこの支援は、
ローカルガバメントや
NGOの要請を、
日本大使館で慎重に審査して決定される。

MCLは、
現地組織として案件を提出、
日本人が関わっているNGOとしては、
今回唯一だった。

美しい校舎は、
30年間対立していた、
ムスリムとクリスチャンの親たちが、
協力して3ヶ月で建設した。


jp22

平和の祈りが
始まった!


平和の祈りは、
MCLの子どもたちの
踊りから始まる

この歌と踊りによる平和の祈りを、
企画したのも
MCLの子どもたち!



今回、背後で
中心に位置している男の子は、
イスラム教徒で戦闘で両親を殺され、
自分も腹を射貫かれた少年。


今は、
MCLに住んでいる。


訪問者の方々

国際停戦監視団の落合氏、
仏教徒を代表して参加。
MCLジャパンの山元眞神父は、
日本のカトリック教会から来られた!


ピキットの神父現地の
カトリック教会から参加。
ブアランの村長さんはイスラム教徒。


ブアラン小学校の
校長先生はイスラム教徒。
そして、トモさん。


まずは、
イスラムの祈りが、
聖職者オスタージュによって行われ、

MCLの奨学生たちによって、
イスラムの祈りの歌がうたわれた。


そのあと、
MCLの先住民を代表して、
マノボ族の祈りが捧げられ、

マノボの奨学生たちによって、
マノボ語の歌が謡われた。


さらに、
山元神父によって
クリスチャンの祈りが捧げられ、


MCLのクリスチャンの子たちによって、
クリスチャンの歌が謡われた。


そして、
国際停戦監視団からの
参加と報告の後に、
仏教の祈りが落合氏によって捧げられた。



そして最後に
イスラム、先住民、クリスチャン
みんなで、タガログ語で平和の歌が歌われた。


jp23

最後に、
マノボの踊りが
始まった!


MCLの子どもたちが、
伝統的な先住民の踊りを披露していると、


とつぜん
マノボの酋長のアオコイ マオガゴンも
飛び出して来て
いっしょに踊り始めた!



アオコイ酋長の突然の参加に、
マノボの子たちも大張り切り!



すると、
側で見ていた日本人の
山元神父さんも、



おつれの訪問者の方々も、
急きょ踊り加わった!



原住民の踊りは、祈り!
盆踊りにつながっている?


IMT国際停戦監視団の
『IMT通信』に
ミンダナオ子ども図書館が
紹介されました!

IMT国際停戦監視団が発行している
『IMT通信』に、
MCLの記事が載りました。
取材に来られた福永さんが執筆。

MCLに来られた
落合さんも、
国際停戦監視団の役割や、

また、
今回の大規模な洪水の状況などを、
簡潔に実にわかりやすく
述べていらっしゃいます。


jp24
イスラム地域で
洪水が起こり
避難民発生


東南アジア最大の湿原リグアサン、
この広大な湿原地帯の端に
ピキット市がある。


フィリピンの最高峰で
標高2945mのアポ山。

ダバオ市からも見えるが、
その高原の裏側がキダパワン市で、
唯一本物のジャングルが残っている場所だ。
アポ山へGo!

この高原地帯に降った雨が、
ミンダナオの大河
プランギ川の上流地帯から、

豊富な水流を得て流れ込み
ミンダナオの内陸に出来上がったのが、
リグアサン湿原だ。

リグアサン湿原地帯は、
ピキット側から見ても対岸の山並みが
かすかに見えるほど広大だ。

自然の宝庫で8mのワニや

6mのウナギ
普段食べさせてくれる鯉も
1m近くあるのもいる。

ところが、上流のジャングルが
ベニアや建材として伐採され、
海外(日本も)に輸出されてしまい、
耐水性が失われて、

下の湿原地帯が絶えず洪水に
襲われるようになった。

大洪水は、年に7,8回起こり、
そのたびに国道沿いに
避難してくる避難民の救済に
駆け回ってきた。


国道沿いの
比較的裕福な人の家も
水びたしで帰れない。


竹の家は、
流れですぐに流されて、
次第次第に腐っていく。



湿原の奥に
住んでいる貧しい人たちは、

雨よけのシートもなく、
着がえも食べ物もなく、
湿原の奥からバナナの茎の舟に、
乗せてもらって国道沿に避難してきた。



食べ物がないし
買えるお金も無いから、
それでも子どもたちは、
頑張って魚を捕ったり、


食べられる果実をさがして、
家族を助ける!



jp25
保育所を
新築移転する
ブロッドをたずね

奨学生に
学用品をわたした


洪水にも負けずに、
奨学生たちは元気で、


大喜びで迎えてくれた。



MCLが来たよ!


子どもたちが
大喜びで寄ってくる。


先日、
読み語りを
したばかりの場所だ。


偶然だが、
同じ丹原さんの寄贈の保育所が、
戦闘で穴が開き、

去年のうちに
急きょ村で移転し、
新築中であったが、

そこも洪水が襲うので、
学校敷地内に
移転新築することに決めた。



jp26
洪水の中、
奨学生を調査


激しい洪水の中、
洪水支援に平行して、


支援者へ報告するための
スカラシップの子の
成績進級調査をした。



6月下旬、
イスラム地域は、
しばしば洪水に襲われた。


今年は、
洪水もくり返し襲ってくる。


まだ、
大洪水までには
ならないけれども

支援者に送る手紙や
成績表を学校で受け取り、
現地の子どもたちに
学用品を届けるために、


スタッフは洪水の中を、
現地に向かう。



車の後は、
舟を借りて


小学校に向かう。


MCLが来たことを知って
子どもたちは大喜びで
水の中を・・・集まってきた。


年に数回、
毎年のように
襲ってくる洪水。


しかし、
子どもたちは強くたくましく、
洪水を超えて
学校に集まってくる。


家々も、
セメントならばまだしも、


木と竹で出来ているので、
濡れると
あっという間に腐り始める。

トタン屋根の家は、
まだしも良いけれど、

貧しい家は、
屋根が大概ニッパヤシの葉や
藁屋根で腐りやすい。

それでも
子どもたちは、
本当にたくましい!




jp27
再び戦闘が
起こり始めた!


ミンダナオにおける
イスラム地域の和平交渉が、
軌道に乗り始めたかに
思えたにもかかわらず、

再び
戦闘が起こり始めた。

表向きは、
リドーと呼ばれる
土地争いに起因する
地域紛争と言われているが、

内実は、
MILF(モロイスラム解放戦線)と
MNLFとの勢力争い。

MILFが、
アキノ政権と和平交渉を始めたことで 
本来政府よりであったMNLFが、
立場をなくした感じを持っていた。

それに対して、
何らかの報復行動を
起こすのではないかと感じていたが、

3週間ほど前から、
ピキットではなく、
もっとキダパワンよりのムラアンで、
戦闘が勃発!
避難民が大量に出た。

ちょうどそのとき、ぼくは、
過労とストレスに風邪をこじらせて
一週間の入院をしていたので
スタッフは、気を使って話さなかったが、

それが、
今週になって
さらに国軍を交えた戦闘になり、
再び大量の避難民が出た。

まだ地域紛争の範囲だから、
規模こそ小さいが、
根が政治的で深いところから
発しているので、

今後も戦闘地域が拡大し
難民規模と地域が、
広がることが感じられる。

先日、奨学生たちと、
早急に
ビニールシートと古着
そして、読み語りの支援を行った。


今後、戦闘は広がる恐れもあり
今日さらに、ピキット地域では、
追い打ちをかけるように洪水が発生!
避難民が国道沿いに集まり始めた。

こちらも
ビニールシートなどの
緊急支援をしなければならないのだが、
現在、ミンダナオ子ども図書館では、

奨学生たちの学費の支払い
新年度の学用品の届けで、
避難民救済にかける資金が
枯渇状態で、

救済活動の緊急支援を
お願いできれば幸いです!

支援申し込み

近年、日本でもときどき報道されているように、
日本も国際停戦監視団IMTなどを通して
マレーシアやインドネシアと連携しつつ、
積極的にミンダナオの反政府勢力である
MILFと接触し、

フィリピン政府と
和平交渉を進めてきたことは、
しばしばウエッブサイトや
季刊誌『ミンダナオの風』でも述べてきた。

和平交渉は、
アロヨ政権の2008年に決裂し、
80万人の避難民を出した。

その後、アキノ政権下で、
再び交渉の土俵に乗ることが決まって、
最近は、楽観的なムードが、
ミンダナオにも広がっていたが、

しばしばぼくは、
MILFと政府の交渉を、
MNLFやBIFFといった、
イスラムの別の勢力がどのようにとらえ、

場合によっては、
MILFに対し
独自の抵抗運動を開始するのではない
という懸念を述べてきた。


今回の戦闘勃発は、
その懸念を拡大させた。

BIFF(バンサモロ・イスラム自由戦士)は、
MILFの分離派であり、
MILFから圧力をかけられた形で静かだが
軍事訓練は行っている。

今回の戦闘は、
MNLFとMILFの対立が背景にある。
まだ、全面的な戦闘ではなく、
地域紛争(リドー)と呼ばれるものだが、

MNLFに属する軍人たちは、
マタラム市の北方に集まり
戦闘が起こった。

その戦闘には、
ピキットの山岳地域の
MNLFの住民である戦士たちも参加し、
戦いに向かったが、

その地域には、
ミンダナオ子ども図書館の奨学生のいる
極貧の村々があり、

奨学生の父親の一人は、
今回の戦闘による、
過労とストレスで亡くなった。
MNLFの司令官だったが・・・


下の写真の老人は、
今回の戦闘による避難民の一人。
度重なる戦闘による難民化で、
過労とストレスが蓄積。

調査の日に撮影し、
病院に運ぶことを約束
翌日、子どもたちと救済に来てみると
この写真を撮った夜に亡くなっていた!!!


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今回は、
薬による
医療支援も行った


避難民生活は、
お年寄りと
子どもたちに特に厳しい。

ちょうど私が、
過労とストレスで病院で唸っているときに、
何と知り合いのMNLFの司令官で
奨学生のお父さん(良い人だった)が亡くなり、

さらに
救済を約束していた老人が
翌日に行ってみると亡くなり、
埋葬中だったことを聞いて、ショック!

ぼくも60歳!
それだけに
人ごととは思われない。 

こうした避難民キャンプでは、
子どもたちも夜は、
雨が降らなければ、
外の土やコンクリートの上で寝ている。

雨が降ると、身を寄せ合って
なけなしのシートの下で過ごす。
これでは、風邪になったり
下痢や食中毒を起こすのは当たり前だ。

私たちは、
急きょ薬を購入して
メディカルアウトリッチ(医療支援)を行った。



qz2

翌日すぐに
ビニールシートを届け
古着と読み語りと
医療支援をした


ちょうど翌日は独立記念日、
祝日だったために、
子どもたち、
特に高校生と大学生の奨学生たちで、
避難民救済支援をした。

今年から、
ミンダナオ子ども図書館に
移り住むようになった
子どもたちも、初めての体験。

イスラム教徒、
先住民族、
クリスチャンが
協力して救済活動を展開した。


最近のNGOの動向を見ていると
和平協定が再開になった後、
ほとんどのNGOが、

ピキットなどの
MILF地域に比重をかけて
活動している感じが
現地では否めず、

逆に、
MNLF側の
貧困地域の事が気になり、


MCLでは、
あえてMNLF地域を意識して
活動しようと
考えていた矢先だった。

それだけに
戦闘の発生と
奨学生の父親の死はショックだった。


それから、2週間後、
さらに規模の大きな戦闘が、
国軍を交えて発生し、
現在も続いている。

MCLでは、
すぐに
ビニールシートを持っていき、


古着の支援もし、

薬による
医療支援や、

子どもたちを対象にした
食糧支援もしたが、

奥地までは、
戦闘が頻発して
入れない状況になっている。


さらに戦闘は、
広がる恐れもあり、
避難民救済に走らなければならない
可能性が高いのですが、

現在、MCLでは、
奨学生たちの
新年度の学費支払いで
資金が枯渇の状態で・・・、

平和構築も意識して
反政府地域の集落などから
意図的に多くの奨学生と採用したため、

まだ、200名以上が、
支援者無しの状態。
自由寄付を充てていたために資金が枯渇。


避難民救済にかける資金が無く
今後、戦闘は拡大の方向に走るか、
縮小に向かうかは
予期できないのですが、

同時に、
洪水による避難民も発生しており
緊急支援を
お願いできれば幸いです。



今後戦闘は、ピキットの背後、
カルメンからビキッドノンにいたる
イスラム教徒、先住民族の混合している
地域に拡大するという話だ。

日本政府が、
ダム建設を計画している
地域でもある。


jp37

支援者のいない
200名余りの
子たちの調査は続く


ミンダナオ子ども図書館は、
スカラシップ支援や医療支援
保育所支援や
植林などの活動をしているが、

支援活動しようと思って立ちあげた
NGOではない。

戦争避難民の子たちを見て
絵本の読み語りをし始めて、
そこに病気の子がいるので、
病院に連れて行ってあげたいと言うと、

NGO法人でなければ、
活動は許されないといわれて、
当時高校生だった4人の若者たちが
自ら立ちあげたNGOだ。

そのご、
戦争孤児や
極貧の子を見るにつけて
学校に行かせてやりたい、

我が子だったら
大学まで行かせてあげたい、
と言う思いで、
スカラシップ支援を始めた。

ところが、
貧困地域や戦争避難民地域を
命がけで回ればまわるほど、
助けてあげたい子どもたちが、
次から次へと出てくる。

本来なら、
スカラシップ支援をして下さる方が
見つかった分だけ、奨学生をとるのが
NPOだろうけれど、

放っておけない子たちが
あまりに多く、
その場で
奨学生に採用してしまい。

支援者が
見つかっていなくても、
学校に行かせ始める。

現地に置いておけない子たちは、
MCLに住んでいる。
そのなかで、支援者のいない子は、
現時点で200人もいる。


qz3

バナナプランテーションを抜けると
沢山の規格外れの
バナナが
捨てられていた


地元では
プランテーションのバナナは食べずに、
豚の餌になる。


農薬や除草剤が、
大量に使われているから、
奨学生やスタッフの肉親にも
食べて死んだ人もいる。

地元で食べる
バナナを育っている農地か、
プランテーションかは、
外観からすぐにわかる、

地元で食べるバナナを作っている農場は、
下草が生えているが、
プランテーションのバナナ園は
下草が生えていない!

大量の除草剤が
使われているから?


拾いに来ている人が居た。
聞くと、
「そのままでは売れないから、良く洗ってから
バナナケーキを作って売る」んだそうだ。


現地では、
プランテーションで捨てられたバナナは、
拾ってきて、

細かく刻んで
雨にあてて、
豚の餌にして売りに出す!

雨に当たっているから
農薬が流れているよ・・・
でもこれを食べて
死んだ豚もいるけどね!


jp38

戦闘の絶えない、
マグペットの
山岳部を訪ねた


イスラム地域の和平への交渉が、
反政府勢力と政府の間で
話し合われるという、
うれしいニュースが飛び交った後、

今度は山岳地の
新人民軍との戦闘が
各地で起こり始めた。

すでに、去年の春から、
アポ山周辺での戦闘が
起こり始めていたのだが、

去年の春、夏、秋と
散発的に戦闘が起こり
ミンダナオ子ども図書館でも、
避難民に古着をわたした。


今は、
少し穏やかになったようで
その隙間をみて、
保育所建設の調査をした。

こうした地域が落ち込んで、
平和への希望が失せないように、
そのためにも
保育所建設は有用で、

地域の人々、
特に繰り返し戦闘で
避難しなければならなかった
村の人々に希望を与える。

そして、
逃げた人々が再び自分たちの村を
作っていく希望を持てるように
なるためにも有用だ。

村の家族数は、
まだ故郷に戻ってくるのを
恐れている家族も居て、
子どもたちの総数もじゃっかん少ない。

けれども、保育所が建つことで、
希望を持って帰ってくる家族が
増えていくことを考えれば、
平和構築への意味がある。

7キロの山道を歩き
ようやく目指す集落が見えてきた。
この村に、
保育所を建てようと思う。

つい最近まで、
国軍と新人民軍の戦闘が、
後ろの山で起こり
村人たちは避難していた場所だ。

遠くに見える、
ちょっと三角の山が右にある山並みは、
ミンダナオ子ども図書館の保育所が6つと
下宿小屋のあるアラカンの山並み。

キアタウ村に泊まった
訪問者の方々も多いだろう。
ラナコラン、ケロハス、ムヤスカルボガンなど、
たくさんの奨学生たちが住んでいる。

新たに戻ってきて
新築した家族の家。

小さな子どもたちも居て
良かった良かった。
 


貧しい村だけれども、
保育所はあり、
先生は居る。

保育所と行っても、
村の集会所を使っている。

男の子たちは、
家族のためによく手伝う。 



jp39

マグペットの
バゴンバヤンでは、
日本のODAによる、
小学校建設が
進んでいた


麓の村では、
日本のODAによる
学校建設が進んでいた。

日本人として
うれしかったのだが、
日本の学校建設の目的は、

この上の山岳部に
鉱山開発をすることが
背景にあると現地で噂が立って、

二度目に読み語りに村に行くと、
村人が恐れて
逃げ出していたのには驚いた。

誤解を解くために、
信頼されているマノボ族のボードメンバーで
酋長で牧師のガボン氏と一緒に
説明しに行かなければならない。

ミンダナオ子ども図書館は、
ノンガバメント、ノンレリジャスセクト
non goverment non religious sect
鉱山開発のために
来ているのではないと!!!



jp40
ミンダナオ
子ども図書館が
鉱山開発を目的に
来ているという
誤解を解くための
儀式をした


山麓の村の中心に、
日本のODAで高校が建てられつつあるが、
そこから山に、
さらに7キロ入ったところに
保育所を建てる件で話に言った。

最初に行ったときには、
集落の人々は大喜びだったのだが、
次に読み聞かせに行ってみると
村の大人たちは誰もいない!

いるのは子どもたちだけで、
親を助けるために、
川で洗濯をしたり、


ホウキ草で、
ホウキを作ったり、


陸稲を
干したりして働いている。


洗濯物を持って、
川から上がってきた
子どもたち。


洗濯物を干すのも
幼い子どもたち。

大人たちがいないとは、
いったい
何が起こったのか?


後で解ってきたことは、
驚いたことには、

ミンダナオ子ども図書館が
この村に来る目的は、
金鉱目当てだという
あらぬ噂が立ったという事。

MCLが来ると言うことで、
村の大人たちが、
皆逃げたことがわかった。

何と、山麓の学校建設にからめて、
MCLが鉱山開発をしようとしている、
という噂が立ち、
戦闘の発生を恐れて逃げたのだった。

「日本政府の
学校建設は鉱山開発が目的だ!」
「MCLは、その手先だ。」


麓の村では、
日本のODAによる
学校建設が進んでいた。
日本人としてうれしかったのだが、

日本の学校建設の目的は
この上の山岳部に
鉱山開発をすることが
背景にあると噂が立って、


二度目に
読み聞かせに行った時に、
村人が恐れて
逃げ出していたのには驚いた。


イスラム地域での学校建設も
背後に同様の
目的があると思われていないか
心配になってきた。


イスラム地域の戦争の背景には
リグアサン湿原の
石油と天然ガスが、


この地域の戦闘には、
ニッケルやレアメタルの
鉱山開発の利権が
深く絡んでいるのが見えてきたから。


qz4

ニッケル鉱山開発で
分断進む先住民
フィリピン・ミンダナオ島

毎日新聞2019年8月2日

フィリピン・ミンダナオ島北部で進む
大規模な鉱山開発により、
先住民ママヌワ族の伝統的な
狩猟・採集文化が危機にさらされ、
民族内で分断が進んでいる。

開発に伴う立ち退きや
自然環境の変化、
補償金の地域差が大きな要因だ。

採掘されているのは、
現代文明の象徴、
携帯電話や電気自動車の
バッテリーに欠かせないニッケル。

ママヌワ族のカイン・フクマンさん(62)は
「日本人にも
ママヌワの現状を知ってもらいたい」
と訴えている。

毎日新聞 サイト記事へGo!


フィリピン・コーラルベイ/
タガニート・
ニッケル製錬事業


EV(電気自動車)のバッテリーや
太陽光パネルなどに使われる
ニッケルの需要増で、
生産地である鉱山周辺地域の環境悪化や
住民の健康被害の懸念が増している。

アジア太平洋資料センター(PARC)など
環境NGOが7月25日に開いた
オンラインシンポジウムでは、
フィリピン・パラワン島など

住友金属鉱山出資会社の生産拠点周辺での
水質汚染や健康被害が報告された。
「脱炭素社会」への移行に向けて、
企業に対して環境や人権など
「負の側面」の配慮が求められている。(堀理雄)

地元住民への聞き取り調査によれば、
皮膚疾患や咳、頭痛などの健康被害のほか、
漁獲量の減少など
生業への影響も出ているという。

大沼さんは
「住民の飲み水や沿岸部のヘドロからも
六価クロムが検出されている。
汚染防止対策の実施が急務だ」と強調する。
alterna記事 Go!


jk

同様な
鉱山開発が


同様な鉱山開発が、
ミンダナオ子ども図書館の
原住民の奨学生が多く住んでいる、
アポ山の裏のタガイタイで進みつつあり、

反対したマノボ族の酋長が
その場で殺された!


ミンダナオ子ども図書館は、
不幸な子どもたちが、
幸せになることのみを考えて、
活動しているNGOだ。


開発によって追われたり
病気になる子が
たくさん出てきて、
貧しいものがさらに貧しくなる、


おもてづらはいい顔をしていても、
背後で貧困の手助けを
助長していると思われたら、
本当に嫌だと感じ始めた。



jp41
誤解を解くために
原住民の祈りをした


信頼されているマノボ族の
ボードメンバーと牧師と一緒に
ミンダナオ子ども図書館は、
ノンガバメント、ノンレリジャスセクト
non gaverment  non religious sect

政治、経済目的では無く
特定の宗派の基で行動しているのでも無く、
鉱山開発のために
来ているのではないと!
説明しに行かなければならない。


山麓の村の中心に、
日本政府のODAで、
高校が建てられつつある。

そこから山にさらに
7キロ入ったところに
保育所を建てる件で話に言った。

前回行ったときには、
集落の人々は大喜びだったのだが、
次に読み聞かせに行ってみると
村の大人たちは誰もいない・・・。
何が起こったのか?

後で、
MCLが来ると言うことで、
村人たちが
皆逃げたことがわかった。

何と、下の学校建設にからめて、
MCLが鉱山開発をしようとしている、
という噂が立ち、
戦闘の発生を恐れて逃げたのだった。

日本政府の学校建設は、
鉱山開発が目的だ!
MCLは、その手先だ!


それを案じた
ミンダナオ子ども図書館の理事で
マノボ族の酋長のガボン牧師が、
近隣の酋長をたちを集めて、

ミンダナオ子ども図書館が
純粋に先住民の人々の事、
特に子どもたちの幸せを願って
活動していることを説明して、さらに、
伝統的な先住民の悪霊払いの祈りを捧げた。

2年前に四〇年間にわたり
先住民を支援してこられた、
ファウスト神父が、
鉱山開発に反対して殺され、


その数ヶ月後に、
住友金属が、
共産ゲリラに襲われて
警備員が殺されたのは2年前の話だ。

どうやら、
先住民たちにとっては、
日本企業が鉱山開発における
最大の脅威のようだ。



jp42
戦闘の耐えない
山岳地タガイタイの
殺された酋長の
子達にも
学用品を届けた


時には激流を越えて、
山道を歩き登って
学用品を子どもたちに届ける。


同行した訪問者いわく
「これは想像以上だ!
日本の支援者にも
体験させてあげたいものだ!」


学用品は、
学校に置くのでは無く、
子どもの現状も調査したいので、

奨学生の家にまで
届けに行くようにしている。


この日は、
お母さんが
遠くから帰ってきていたが、
いつもは
子どもたちだけで生活している。

小学生のお姉ちゃんが
ご飯を作り、
下の子の面倒を見ている。


次に向かった家は、
マノボ族の酋長の家。

しかし、
昨年酋長は殺されて
母親と子どもたちだけで
生活している。

奨学生にならなければ、
兄弟とも
学校にはいかれない。


夫はマノボ族の酋長だったが
昨年殺された。
「ここに、鉱山を開発するから
立ち退いて欲しい。」

「いやだ、ここは原住民に
最後に与えられた土地だ!
山麓の谷にもたくさんの原住民が住んで
川の水を飲んだり洗濯をしている。」

「水が汚れるから、
鉱山開発をやめて欲しい!」

「出ていけ!」
「出ていかない!」と言ったとたん、
パパーーーン!その場で殺された。

土地の問題が原因だそうだ。
このような山奥にまで
希少金属の
鉱山開発の手が伸びている。

それが今起きている、
戦闘や
殺害の原因だという


qz5

2020年に、
農地に出かけた帰りに
母親も殺害されました!


その後、2020年、
母親も娘と一緒に
農地に出かけた帰りに殺害されました!

長女は、
MCLの奨学生でしたが、
母が危ないというので実家に帰り、
母に付き添って働いていました。

殺される前の年に私は、
この女性に会い、
自分が危ないこと、
そして、もしも何かあった場合、

下の子たちを
奨学生に採用してほしいと言われ
奨学生に採用したばかりでした。

彼女が殺された理由は、
鉱山開発に
反対していたからです!




Manobo woman, logging foe,
killed in Cotabato town

INQUIRER.NET

COTABATO CITY–A
Manobo woman in Magpet town,
Cotabato province was attacked by four men
while she was on her way to her farm
at the village of Mahongkog in the town
past 2 p.m. on Sunday (Aug. 23),
according to police.

Merlin Ansabu Celis, 50, a resident of Magpet,
was walking with her daughter
and was on her way to her farm
when she was shot from behind
by one of the four men.
As she fell, another assailant
finished her off using a machete.

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Her daughter managed to run
and sought help in houses nearby.

Bae Leah Aurena-Labrador,
provincial executive assistant
on Indigenous Peoples in Cotabato province,
said

Celis had been actively advocating
for the protection of i
ndigenous peoples’ (IP) culture
and ancestral domain at her village
in the face of continued illegal logging.

No one has claimed
responsibility for the attack
but Cotabato Gov. Nancy Catamco
condemned the murder.

“This act may instill fear among our IP
sisters and brothers
whose only desire is
to live in our ancestral domain,
according to our culture and tradition,”
said Catamco,
a member of Manobo Dulangan tribe,
in a statement.


Read more:

INQUIRER.NET GO!

Friend of the Earth
Japan

フィリピン・コーラルベイ/
タガニート・ニッケル製錬事業

フィリピン・北スリガオ州でつづく
六価クロムによる水質汚染 ―

日本企業が関わる
ニッケル開発事業周辺地での
2019年乾季の水質分析結果(2019年8月)

FoEjapan記事2! Go!

qz6
戦闘の絶えない
マノボ族の村へ
読み語りと
古着を届けた


イスラム地域の
平和交渉がスタートしてから、


今度は、
山の原住民地域で
戦闘がひんぱんに起こっている。

兵士がイスラム地域から、
こちらに移動
派遣されているとも言われている。

子どもたちにとっては、
なぜ戦闘が起こるか
解らない!

昼夜、
山のほうから、
鉄砲や銃声が聞こえてくると、

ただただ恐怖で
夜も不安で寝られない。

そんな子どもたちの心が
トラウマ状態にならないためにも、
ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちが、
読み語りに行くことにした。

MCLの若者たちも、
同じような経験をしてきたし、
親を亡くしてしまったりした子もいて、

子どもたちの気持ちが
良く理解できる。

読み語りの後、
村人たちからも状況を聞いて、
必要としている次の支援を考えて、

孤児や崩壊家庭や極貧で
小学校にも行けず困っている子がいたら、
奨学生にすることも
視野に入れて活動していく。

共同通信社の三井潔さんが、
同僚のロンロン カルンソッドさんと来られた。

ちょうど、
戦闘のあったマノボの集落に、
読み聞かせと古着の支援に同行された。

ロンロンさんは、
その後、
JAPAN TIMESに
記事を書かれた!

前回は、
ピキットのリグアサン湿原地帯へ
同行されて、
以下の記事を書かれている。
Go!
Go!
いろいろな戦闘の現場にも足を運び、
積極的に取材をしている三井さん。
まだ日本にも、
記者魂が残っているのだと感じ入った次第。

jp44

古着を喜ぶ
村人たち


下で渡しているのは、
妻のエープリルリン。


古着に
村人たちは大喜び。


今日は、みんな、
できる限りのおしゃれをして
集まってきているけれど、

貧しいと、
街に出ても古着も買えない。

普段は、
穴だらけの服か、

子どもたちは下着も無く、
半分裸だ!

pm

日本人の
子孫も多くいる


この地域には、
第二次世界大戦中に
ダバオから命がけで逃れてきた
日本人の子孫も多くいる。

大戦前までは、
ダバオのカリナンあたりに日本人が、
現地の原住民と結婚して
アバカと呼ばれるマニラ麻を生産していた。

しかし、
第二次世界大戦が起こり
敗戦が近づくと、
日本軍も不安になり、

原住民が裏切るという理由で
穴を掘って
生き埋めにしたという。

原住民と結婚していた日本人は、
家族を守るために
山に逃げ、

今にいたるまで、
日本人であることを隠して、
原住民として
山の中で生き抜いてきた。

そのような話を、
現地の日系人から耳にすると
心が痛む。

戦争は、
人を狂気におとしいれる?

ミンダナオ子ども図書館が活動している
アポ山近郊の山々は、
そうした場所のひとつで、

ぼくも、ときどき山の中で、
年寄りから声をかけられる。
日本語の片言で、
「わたしのおとうさん、にほんじん・・・」

ここは、
そのような場所のひとつだ。

どう見ても
日系ではないか
と言う人々も多い。

JP45

サアグ集落の
新しい奨学生たちに
学用品を届けた


マノボ族の村、サアグ。
そこまで到達するだけでも、
山道を3時間ほどかけて
4WDで行く。

そのような場所が
数十か所あり、

学用品を、
2ヶ月に一回届けることが
どんなに大変なことか、
文明国の人には理解できない?

電話も電気もないので、
家族が山に農作業に行って
だれもいなければ、
再度たずねなければならない・・・


jp29

古着の
支援もした


日本からの訪問者の
若者たちも、

MCLの子どもたちと
手伝って・・・

避難をしている子どもたちに
日本から送られてきた
古着を渡した。



大喜びの子どもたち!
普段は裸。


現地では、
普段は、
多少経済的に余裕があれば、

町のお店で
古着を買うけれど、
なかなか買えない。

新しい服なんて、
売っていないもん!

服ってお金持ちが、
町で買うために
あるんでしょ!


わーい!
たくさんのお洋服!

わたしにもちょうだい!

わたしも!
わたしも!

おねがーーーーーぃ!



ぼくも、
いただいて良いかな?
大人だけれど。

こんなにたくさん
お洋服をもらえたなんて!


わたちいままで、
ずーーっと
はだかんぼうだったの!


わたしたちも
下着はあっても、
上に着る服なんてなかなか、
買ってもらえないもん。


わたし、兄弟姉妹、皆で10人!
お姉ちゃん、
お兄ちゃんのぶんもありがとう!


日本のみなさんありがとう!
いつか遊びに来てね!



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最後に
子どもたちへの
読み語り


最後に
子どもたちを集めて
絵本の読み語りをした。

もちろん、
お母さんやお父さん
おじいちゃんや
おばあちゃんもいっしょ!

読み語りは、
最初、
歌と踊りで始まる!

現地語は、
イスラムのマギンダナオ族だから
マギンダナオ語。

子どもたちはまだ、
英語も知らないし、
わずかに国語の
タガログ語は少しわかる。

クリスチャンや先住民の奨学生が
絵本を読み語りするときには、
イスラム教徒の奨学生たちが、
訳して助けてくれる。

この地のさらに奥で、
両親が殺され
自分も腹部を撃たれていた
イスラムの奨学生の若者も、

イスラムの子どもたちに
読み聞かせをした。


沈んだ、
避難民キャンプに、

笑顔が戻ってきた。




洪水と植林活動
11分

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若者たちと画家の
ミンダナオ子ども図書館
マノボ族の村での体験記

10分
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2019年
地震被害調査の記録

10分

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2019年
山の先住民の状況から

10分

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2019年
山崩れで亡くなった

11分

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 2019年
滝の村から避難して

11分

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マノボ族の酋長の依頼で
読み語りに!
10分

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スカラシップ決定調査
10分

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ミンダナオ子ども図書館の日常生活から
写真:宮木梓

子育つ世界 ミンダナオ

13分です!
映像を 見たい方は ここをクリック
kso
 Japan builds on
Philippine students’dreams
by Ronron Calunsod
Kyodo

また共同通信社のカルンソッドさんは、
Japan Timesに
以下の記事を書いてくださいました。
http://www.japantimes.co.jp/news/2013/03/20/
national/japan-builds-on-
philippine-students-dreams/
To some people, the seven-classroom
facility used by elementary school students in the
Muslim-dominated southern Philippine village of Bualan in the town of Pikit is just a building ?
though evidently a well-built one.But for the students in Pikit ?
whose education is occasionally interrupted by fighting between Muslim insurgents and government
forces in this part of Mindanao Island ?
the building, erected two years ago with some $100,000 in Japanese government aid,
is a launchpad for realizing their ambitions.
“This new classroom means a lot to me,” said 12-year-old Micheil Abellanida, a sixth-grader
with dreams of becoming a flight attendant.
“I like to attend classes all the more, and I can learn a lot more because I can listen well to my teachers.
“Before, we were all cramped in the old building, together with students from another grade level.
We had to bear the noise and sit on the floor due to overcrowding,” she said.
Abellanida’s classmate, 13-year-old Hairin Saliman, agreed.
“I’m positive that one day I’ll become a policewoman because I feel assured of my education,”
said Saliman, the recipient of a scholarship
from the Mindanao Children’s Library Foundation,
a Japanese-founded nongovernmental organization.
The new building, which sits beside Bualan Elementary School’s two aging, battle-scarred structures,
was formally turned over Thursday by Japanese Ambassador Toshinao Urabe to Tomo Matsui,
executive director of the project’s conceiver, MCLF.
Housing more than 300 students, 90 percent of them Muslims and the rest Christians,
the facility is equipped with blackboards,
school desks with armrests and tables and chairs for teachers.
Matsui said his pitch to the Japanese government
to build the new facility was preceded by another initiative of his ?
the creation of a 2-km pathway to the school from the Christian residential area where Abellanida lives.
“That road not only provides students access to the school,
it also unites the Muslim and Christian communities,
which is essential for peace,” he said.
In addition to the two communities’ religious and cultural differences,
the decades-old conflict between the Moro Islamic Liberation Front and the government
has also threatened Bualan and other parts of Pikit.
The MILF ? the country’s largest Muslim rebel group ?
is currently in the process of finalizing a peace deal with the government.
When rebels and government troops fought nearby in 2008,
the school was temporarily shut down to ensure the safety of students.
Saliman recalled how she and her family had to evacuate to a safer place in town.
When classes resumed after several weeks,
teachers and students were saddened to see one of the original
school buildings riddled with bullet holes.
Two years later, the school suffered another misfortune
when it was torched amid domestic political wrangling.
Seeing the pathway and school building projects
as a manifestation of “a better understanding between”
the Muslim and Christian communities, Urabe said,
“We are now giving the children in this community a chance to enjoy a peaceful life.”
“We are making a building block for peace,” he added.
Urabe noted that in the wake of its devastating defeat in World War II, Japan ?
a country with few natural resources ?
made the most of its human assets.
“Education was the key to rebuild Japan,” he said.
Because Japan sees education as empowering children and improving their lot in life,
while also positively affecting communities,the nation has become“a partner in building schools”
in the Philippines and elsewhere, Urabe said.
Based on embassy records, more than 66,000 classrooms in many parts of the country have either
been built or repaired with Japanese government funding, either by grants or through loans.
The assistance, which also extends to infrastructure,livelihood support,
and disaster-control projects, is Japan’s contribution to the peace process and
development of the conflict-hit areas of Mindanao.
The amount of aid committed so far under the so-called
Japan-Bangsamoro Initiatives for Reconstruction
and Development,
which were launched in December 2006, stands at \12.5 billion.
However, seeing the fruits of their labors takes time,
Urabe said, stressing the need to continue supporting
children in developing their full potential,
including efforts to ensure they grow up in peaceful communities.
Jeramae Tan, who teaches second grade at the school,
said she has noticed significant changes in the students since moving to the new school facility,
which was completed in 2011.
“The students are comfortable,” she said.
“They listen intently because the classroom is conducive to learning,
unlike when we held classes outside by the tree
and they had to sit on the tarpaulin-covered ground.”
Tan said they show increased interest in their studies anda greater determination to make their
dreams come true.
In a speech during the turnover ceremony,
Matsui challenged the students to be agents of peace,saying:
“You make peace here. You will make peace here in Mindanao.”
Abellanida, who is Catholic, and Saliman,
a Muslim, are already heeding his call.
“I have good relations with my schoolmates who are Muslims,” Abellanida said.
“At first I got into fights with them
because they would tease us about eating pork, which they don’t do.
But our parents and teachers held meetings over it.
That’s why we’ve learned to understand each other.”
“No, we don’t fight each other,” echoed Saliman.
“Whether we’re Muslims or Christians, my classmates
and I are all just happy with our new classroom,
and we’re showing great interest in our studies.

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ミンダナオ子ども図書館だより 宮木あずさ制作

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ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
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ミンダナオ子ども図書館:日記 松居友制作
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