戦争と平和構築
2010年の記録から(3)



国境を越えたアジアと日本の
友情と愛の交流の中に
1 京都暁星寄贈の保育所完成 GO! 12 美しいキアタウの丘と村 GO!
2 この地から新たな奨学生を! GO! 13 外国人が来ることの無い世界 GO!
3 京都暁星の招待で日本へ GO! 14 各々、自分の宿泊先へ GO!
4 日本の文化を学ぶ時間も! GO! 15 若手のリサさんの感想 GO!
5 日本に招かれた奨学生の報告 GO! 16 森林を復活できないだろうか GO!
6 学校別のアトラクション GO! 17 洪水を救済支援の映像 GO!
7 がんばった子たちを表彰! GO! 18 神秘的な石灰岩洞窟 GO!
8 最後に古着を配った! GO! 19 父親のいない子の里親に! GO!
9 日本の若い世代からの便り GO! 20 MCLジャパンの出発 GO!
10 MCLとの出会い:大澤すぐる GO! 21 ミンダナオ支援婦人会 GO!
11 マノボ族の家体験宿泊 GO!
22 明治学院の学生たちが訪問 GO! 32 ワールドフレンズから支援 GO!
23 日常生活に触れた若者たち GO! 33 餡が詰まったお饅頭に GO!
24 先住民の家に宿泊 GO! 34 追悼そして復活 GO!
25 ラナコランの下宿小屋が完成 GO! 35 子供たちに元気をもらって GO!
26 開所式に村人たちが集まった GO! 36 死を知って激しく泣いた GO!
27 和平も考慮して保育所調査 GO! 37 懐かしい多湖さん GO!
28 谷を越え尾根をたどり GO! 38 懐かしい小野智子さん GO!
29 ライオンズクラブが訪問 GO! 39 支援者と共にアポ山へ GO!
30 ヤギを寄贈 GO! 40 今回彼らがたどったのは GO!
31 亡き先生寄付の保育園で GO! 41 なんと野生のブルーベリー! GO!
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京都暁星高校
寄贈の保育所が完成


京都の宮津にある、
京都暁星高校は、
前から奨学生を支援して下さっている。

フィリピンとの関係は深く、
夏休みに、
植樹プロジェクトに、
行ったりもされているが、

今年も
ミンダナオ子ども図書館の奨学生3名、
イスラム教徒の子と
マノボ族の子と
クリスチャンの奨学生が、

11月末招かれて、
日本の子どもたちと
交流をする計画が進んでいる。

今回で2度目のプロジェクト。
それ以外にも、
この保育所と下宿小屋に
支援をして下さっている。

こうした寄付は、
暁星高校の若者たちによる、
ウォーカソンと呼ばれる
ボランティアプロジェクトから寄贈される。


下の写真のアルバート君、
政府系ラジオ局スタッフで
現地取材に訪れた。

なんと、彼も、
京都暁星高校が
支援して下さった奨学生で、

キダパワンのノートルダム大学の
マスコミュニケーション学科を卒業した、
マノボ族の青年なのだ。

自分を支援してくれた日本の高校が、
同じマノボ族の集落に、
保育所を建設してくださった事を
現地取材に訪れて、
村の福祉職員にインタビューしているところ。

ミンダナオ子ども図書館から、
こうした人材が多数出ていることは、
うれしいことだ!


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この地から
新たな奨学生を!


保育所を建てた村から、
家庭の問題を抱えた数人の子たちを、
MCLの奨学生に採用した。



物的支援も大事だけれど、
奨学生を採用することで、
集落との心の関係とつながりが生まれてくる。



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京都暁星高校の
招待で
奨学生が日本へ


京都暁星高校は、
長年にわたってMCLの奨学生を
支援し続けて下さっている。

保育所建設や下宿小屋も、
生徒の協力を得てすすめている。

今回は、
支援して下さっている
3名の奨学生が招かれて交流した。

初日は、
歓迎と紹介を兼ねて、
私が現地の映像を見せながら講演をした。

その後、彼等が、
マノボ族の踊りと、
イスラムの踊りを紹介。


最後は、
日本の若者たちを交えて、
一緒に踊った。

京都暁星高校は、
独自の課外授業を実施している。

その一つが、堤防での釣りだ。
宮津の漁港にめんしているだけに、
好釣り場。

イスラムのモハジール君にとっては、
飛行機に乗るのも
海を見るのも初めてだが、

ピキットの大湿原で、
漁もしているのでお手の物。
戦闘地のピキットから来て、
父親を失っているモハジール君。
大学生だ。

「こう言う交流は、
本当に素晴らしいと思う。

友さんが、どんなに日本で大変で、
一生懸命に支援者を
探しているかもわかったし、


将来は、友さんのような仕事がしたい。
平和を作るためにも、
重要だと思う。」


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日本の文化を
学ぶ時間も!




日常は、
他の学生さんたちと一緒に、
授業に参加もした。



平日は学校が終わると、
生徒の家庭でホームステー。



日本の家が、
ミンダナオの裕福な家のように
大きくはなく、

質素な生活をしながらも、

支援をして下さっている
様子に感動!

このような体験こそが、
戦闘のトラウマを超えて、
平和を作る若者を生み出す。

京都暁星高校の皆さん、
ありがとう!


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スカラーズデー!
日本に招かれた、
3名の奨学生の
報告から始まった


年四回、
中高校生、大学生が集まる
イスラム、マノボ、クリスチャン文化祭に、

12月はクリスマスだが、イスラム教徒もいるので、
奨学生みんなでシンポジウムを行い、
お祝いする日として、スカラーズデー
(奨学生の日)とみんなで決めた。

とにかく一年の終わり、
みんなで楽しもうと言う日だ。


今回はまず、
日本を訪問した三人の子たちに登場願った。
上のサイトでも紹介したが、
京都暁星高校の招きで
日本に10日間滞在した三人。

今回の総会で、
日本での体験を語った。
マノボ族のグレンは、
初めて乗る飛行機が、どんなに恐かったか!

イスラム教徒のモハジールは、
日本の人々は、
決して裕福ではないのに、
一生懸命私たちを支援して下さっていること。

マノボ族のマリテスは、
向こうの学生たちの様子、家庭の様子。
時には、水の飛び出すトイレの話。
温泉で、素っ裸にならなければならないこと等!

会場の笑いをさそいつつ、
日本の体験を語ってくれた。
何よりも、日本の人々の親切が、
深く心にしみたようだ!


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学校別の
アトラクション


その後は、
学校別にアトラクションを披露した。

歌あり、劇あり、
その多様で上手なこと。


彼等の表現力の豊かさは、
いったいどこから来るのだろう。


とりわけ、ドラマは感動的だ。
金持ちで傲慢な雇い主に、
とことん虐められる家政婦!


貧富の格差の中で、
自分たちも
身近に体験するような事柄が、


表現力豊かに、
ドラマティックに演じられるものだから、
見ている方も、
涙ぐんで鑑賞している。



日本から見ると、
まだ小学生と、

中学生
高校学生なのに、


なんと驚くべき表現力を
身につけている事か!


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今年の成績優秀者と
がんばった
子たちを表彰!



平均成績が、
85%以上の好成績の子たち!

学校からオナーとして、
表彰を受けた子たち!


表彰の対象となった子たちは、
全体で39名に昇った


高校と大学生子たち
(フィリピンに中学はない)
230名ほどで、
39名が受賞というのは!


成績優秀の子ではなく、
孤児、片親、問題家庭、極貧といった、
学校へ通うものも困難な子たちの集合体としては、


高いパーセント?


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最後に
古着を配った!


クリスマスプレゼントに
自宅の両親や
兄弟たちにあげるために!


12月の総会で、
クリスマスもかねて毎年、
古着を配る。

家にいる両親、曾祖父、
そして、
平均7名という兄弟姉妹のために。


古着、靴、バッグなど
一人10品に限り持ち帰れる。

皆それはそれは、大喜びだ!


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日本の
若い世代からの
便り


今回、日本に滞在して、
最も強く感じたことは、
日本の若者達の心の状況だった。

それと、世界に、特に日本も含む
アジアに迫っている?
戦争を起こそうとする
見えざる外からの足音だ・・・

ミンダナオのコタバトで、先日、
IMT(国際停戦監視団)の
菊地さん、落合さん達と、
福祉局のグレイスさん、

プレシデントのアスレーさん、
バイスのマージーさん、
妻のエープリルリンと話したときに
グレイスさん曰く、

「この非常に複雑な戦闘を作る状況を
解決するために必要なのは
次の世代に期待と希望を
かけるしかないと思う。

その点で、
ミンダナオ子ども図書館が
行っている事は
画期的な試みだと思う。」

ここ8年あまり、
現地の若者達と関わってきて、
ぼくが今、
非常に重要に思うことは、

現地の若者だけではなく、
日本を始め、
先進国の若者達を大切にして、

彼らが
夢を持って未来が見えてくる
場やきっかけを作っていかなければ
いけないという事だ。

そのためには、
彼らがミンダナオ子ども図書館に来て、
こちらの若者達と交友を
深める体験の機会を作る必要がある。


大澤君は、今年、上智の大学院、
修士課程を卒業する。
現代っ子だが、真剣に
発展途上国の貧困問題を考えている。

将来は、
国連で仕事をしたいそうだが、
こうした若者たちが日本にも
着実に増えてきていると感じる。

閉塞的な日本に見切りを付けて、
世界の、とりわけ先進国文化から
「取り残されている」と
言われている地域に
真実の可能性を発見しつつある若者達・・・

彼の文章を、
ときどき連載しながら、
今後も若い世代からの意見を
サイトで公にしていきたいと思う。

お別れ会の日、
大澤君の顔がこわばっているな
と思っていたら、
突然、堰を切ったように
号泣したのには驚いた。

別れの時に、
泣き出す若者達は多いのだが
(若者達だけではなく、中高年も・・・)
その泣き方が、あまりにも激しかっただけに、
周囲の涙も誘った。

「涙が出るとは思わなかった、
小学校以来です・・・」
一人で来ただけに、さらに深く、
若者達との友情の輪が深まったのだろう。

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MCLとの出会い
大澤 すぐる

2010年5月、大学院で発展途上国の
貧困問題について勉強していた僕は、
学部生時代の恩師である先生のゼミで
後輩の指導にあたっていた。


そんな時、
ミンダナオ子ども図書館という
フィリピンで子供たちの
就学支援や医療支援等を行っている、
NGOの代表である松居さんが、
そのゼミで講演会を開いてくださることになった。

将来は、国際協力ができる場で
働きたいと考えていた僕は、
松居さんとの出会いに胸が躍った。

MCLのホームページをチェックし、
松居さんの著書を読んで
自分の研究と照らし合わせて、
いくつもテクニカルな質問を考えて
講演会に臨んだことを今でも覚えている。

しかし、結果的に
その質問をすることはなかった。
それは、松居さんの子供たちの話をする時の
幸せそうな顔や、

綺麗ごとではすまない
ミンダナオでの戦闘の様子を見て、
自分が学んできた机上の研究を
どこかちっぽけに感じたからである。

以前から
様々な発展途上国と
いわれる国に足を運んで、
色んな状況を見てきたつもりでいた。

だが、松居さんの講演を聞き
自分のやっていることに物足りなさを感じ、
講演会後、松居さんを追いかけ
とっさに出た言葉が、

「MCLで勉強させてください。」
というものだった。
2010年9月、
僕はMCLに向かった。

不安がなかったかというと嘘になるが、
そんなものは初日から
子供たちの笑顔が
吹き飛ばしてくれた。

MCLに着いて、
最初に感じたことは、
子供たちのエネルギーの凄さである。

これに関してはまた回を改めて
詳しく書きたいのだが、
とにかく子供たちの
そのエネルギーには圧倒された。

それは、塾講師のアルバイトを通して
MCLのスカラー達と同世代の
日本人の子供たちと接する
機会が多い僕にとって、

日本人の子供たちからは
感じることができないものだった。
MCLの子どもたちが持つ
底抜けな明るさや優しさは、

夜眠りにつくときになって
「そういえばあの子たちは
色々な境遇にある子たちだったな。」
とやっと思いだすほどに純粋なものだった。

滞在中、子どもたちに
勉強を教えたりもしたが、
僕の方が多くの事を
教えてもらった気がする。

印象的だったのは、
彼らの手紙や会話の中に
僕の家族を気遣う内容が
多く含まれていたことである。

たいていの日本人は(少なくとも僕は)
誰かに手紙を書くときに
その人の親を気遣う文面を
書いたことがないだろう。

しかし、彼らは僕の
家族までも気遣ってくれた。
とても心が温まる思いだった。

今では僕も、
友人に手紙を出す際には、
友人の家族を気遣う文面を
加えるようにしている。

一般的に、MCLのような団体や
発展途上国を想像する時、
僕たち日本人は、そこに暮らす人々を
「希望がない可哀そうな人々」
と考える節がある。

しかし、
それは違うのだということを
MCLの人たちが体現してくれている。

MCLは支援者だけでなく、
不登校になってしまった生徒や
精神的に疲れてしまった人の
日本からの訪問を歓迎している。

これは
そのような人々が訪問することで、
MCLの人々のエネルギーに触れ、
何かを感じ取ってほしいという
松居さんの心遣いであるように思う。

近年、
日本では「心の貧しさ」が
社会問題となっている。

そういった点から考えると、
僕たち日本人とフィリピン人、
どちらが豊かなのかはわからない。

MCLと出会って、
日本人にあってフィリピン人にないもの、
フィリピン人にあって日本人にないものを
少なからず見つけることができた。

多くの日本人は
発展途上国の人々に対して
何かを「してあげている」という意識がある。

しかし、述したように、
彼らから学ぶことも多い。

したがって上からの「援助」でなく、
手と手を取り合う「協力」をしていく
という意識こそが、
互いが発展していくために必要であると思う。

帰国する際、MCLの子供たちが
「私たちは友達だよね。」
と尋ねてきた。

その際は、「そうだよ。」としか
答えられなかったが、
今この場を借りて僕も彼らに言いたい。
「僕たちは、既に友達ではなく家族だよ。」と。

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マノボ族の家
体験宿泊


山元眞しんぷさんと、
MCLジャパンの面々に、
福祉を専攻している
若き女性リサさんが加わって、
キアタウのマノボの集落に一泊した。

夜になると、
満天の星空以外は、
灯りのまったく無い世界。

子どもたちの無邪気さに、
一生消えない、
すばらし体験だったという。

最初に、
アラカンのミラノ宣教会のイタリア人神父、
ジョバンニ神父を訪ねた。

有名なファウスト神父はいなかったが、
モトクロス用のバイクで、
山でミサを上げている。

政府側の人々からも、
反政府側の人々からも、
敬意をもって見られている神父たちだ。

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美しい
キアタウの丘と村


この宿泊体験の企画は、
地元から上がってきたものだ。

スカラーたちのお父さんたちから、
村をあげて歓迎し、
セキュリティーも
万全を期するという条件で、

今回、
MCLジャパンの面々で、
初めて実行した。

その体験のすばらしさは、
予想以上のものだった。

スカラーたちのいる
貧しい現地が、
多少でもうるおうプロジェクトなら、
無償で貢献したいと思っている。

三食つきで一泊1000ペソ。
すべて直接、
宿泊家庭に渡されます。

贅沢な
スタディーツアーに慣れた人々には、
とうてい無理?

現地に適応する心の無い方には、
帰っていただく、
あくまでも現地重視の企画です。


必ずスタッフが同行し宿泊。
MCLに住んでいる集落出身のスカラー
(奨学生)たちも、
休日であれば同行します。

また、現地にも、
小学生、高校生の
奨学生たちがたくさんいる。

彼らたち、
そして両親たちが、
皆心から歓迎してくれる。

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およそ外国人が
来ることの無い世界


外国人どころか
地元の人たちも、
この隔絶した
マノボの集落を知らない。

電気もなく、
下界から遠く離れているから、
文明の影響がほとんど無い。

特に子どもたちは、
貧しいけれども、
本当に心が純粋で美しい。

こうした子どもたちの姿に、
私もどれだけ
救われてきたことか、
その体験を多少でも分かち合いたい。

ごらんのように、
子どもたちは普段裸足だ。

学校に行くときには、
すり減ったゴム草履を
履いたりするけれども、
ほとんど靴は持っていない。

MCLで
古着の支援をしたことがあるので、
服は比較的良いものを、
着ていたりするのだが・・・

ここの住人の一人、オンゴイ君!
猿の事をオンゴイと呼ぶ。
まだ小さな小猿だ。

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各々、
自分の宿泊先へ


宿泊先は、
普通の民家で、
家族と寝食をともにする。

食べ物は、日常のもので、
特別に用意はしないはずだが、
ニワトリを一羽、
つぶしてくれた家族もあった!

普段は、
蛙やカニがおかずで、


ニワトリは、こちらでは、
一年に一度あるかの大変な歓迎!
米も普段は食べられず、
カサバイモだけだったりする。


ただし、マンツーマンで、
MCLスタッフや
高校生のスカラー(奨学生)が、
付き添い同宿する。


看護師のフェさん、
空手が堪能な秀君
(亡くなった日本事務局の山田さんの息子さん)
も同行した。

ちなみに、
トイレは、外の木を二本並べただけの、
和式(?)便所だが、
(うんこ以外は)落ちないようになっている・・・?

ティシューと懐中電灯は必携!
飲み水は、ミネラルを買っていく。
地元のコーヒーが旨い。
その辺にたくさん生えているから!


スカラーの家族と一緒に。
彼女には、
お父さんがいない
久しぶりにお父さんのような人が来て大喜び!

神父さんが、
泊まられたのは、
村の牧師さんの家。

翌日の礼拝に、
神父さんも参加した。


MCL事務局の山本幸子さん。
スタッフのジェックジェクと一緒に!

「何しろ、夜は部屋もなにも、みんな真っ暗。
手探りで外に出たら、満天の星空!!!」


「今回のMCL訪問で、
何よりも良かったのが、
このホームステーだった!」


「本当の貧しい家の、
それでも、
心豊かに生活している
家族に触れて、学ぶことが本当に多かった。」


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唯一の?若手
福祉大学の
リサさんの感想


先日はMCLに訪問させていただき
ありがとうございました。
大変、
実のある経験をさせてもらいました。

松居さんは、
お忙し中にもかかわらず、
いろいろな場所に、連れて行ってくださり
ありがとうございました。


この10日間で、
私が経験したことは、
私にとって、
すごく大きなものになりました。

知らないこと、
感じたこと、
子ども達から笑顔や元気
いろんなものを貰いました。

又、
考えさせられることも多くありました。
これから、自分なりに
考えていきたいと思いました。


貧困の地域や
戦争が今にも起こりそうな地域、

そこに住んでいる人々と触れ合う機会など
めったに無いような、
経験をさしてもらい
本当に多くのものを感じました。

現地の方たちと触れ合うと
私のほうが
元気や笑顔を貰った気がします。

皆さんから
いろいろなものを貰ってばかりで、
何も出来なかった自分が
恥ずかしく思いました。

MCLのみなさんにも
感謝の気持ちで一杯です。

子ども達と過ごした
何気ない時間などが、
とても大好きでした。


日本に帰ってからは、
みんなに逢えなくて寂しいです。

いろんな過去を背負っている
子ども達とは思えないほど、
パワフルで元気で愛があって、
私は本当に癒されました。

私自身子ども達から
学ぶことや気づかされることが
多くありました。
感謝の気持ちで一杯です。

ミンダナオが平和になること、
さまざまな問題がなくなること、
子ども達やみんなに幸せが訪れること、

MCLにある平和が、
もっともっと広がっていくことを
祈りたいと思いました。

又、
自分ができることを
見つけられるように
頑張りたいと思います。



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失われた森林を
復活できないだろうか


キアタウ集落があるのは、
森がなく、
一見イタリアの丘陵地帯を
思わせる高原地帯。

だが、山頂付近や谷間に、
わずかに残っている、巨大なシダや
天を目指して枝を広げる
壮大なラワン木を見ると、

ここが昔、水の豊かな深いジャングルで、
たくさんの虫や鳥、
猿やイノシシが住んでいる、
豊かな大地であったことがわかる。

その視点で見ると、
どこまでも森の無い丘陵地帯が、
いかに不自然な自然破壊の
残骸であるかが理解できる。


見渡す限り、
木の無い、広大な草原地帯。
ここは、かつてジャングルだった。

1900年代後半、
ちょうど日本の高度経済成長期に、
ミンダナオのジャングルは、
伐採され、

ラワン、マホガニーといった
熱帯材の多くが、
切られて日本に輸出され
建材や家具、ベニヤ板された。

その後、さらに雑木も伐採されて、
土地が安く売却されると同時に、
低地に住んでいた先住民族
(マノボ族バゴボ族等)たちは、
こうした山岳地の斜面に追いやられた。

山岳地は、
すでに森林が伐採された後で、
飲料水の供給もままならない。
斜面は、腐葉土が流出して作物が育たない。


キアタウの村人たちは、写真のように、
遙か谷間の下の多少は保水力の残っている
傾斜地にかろうじて、
バナナやトウモロコシを植えて収穫し、
口糊をしのいでいる。

かつて森林が豊かであったころは、
このような、
貧困はなかっただろう。
森林破壊によって作られた貧しさ。

下の写真は、望遠レンズで撮影した、
低地のバナナプランテーション。
日本資本のAJMR(スミフル)の
展開するプランテーションで、
いわゆる、皆さんが食べている高原バナナ。


プランテーションに雇用されるのは、
おもに移民系の人々で、
最低限でも高校大学を卒業した
学歴のある人々。

日雇いですら、
出生届や、
中学校卒業程度の学歴は要求されるから、
山の貧しいマノボ族には、
仕事はほとんど回ってこない。


この広大な伐採跡の大高原地帯。
見た目は、
イタリアの丘陵地帯のようなのだが、
ここは、ピキットに注ぐ大河川
プランギ川の上流地帯にあるために、

ここに降る集中豪雨は、
信じがたい鉄砲水となって
毎年、ピキットをおそう。


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2008年の
ピキットの洪水を
救済支援した時の
写真と映像記録引用

松居陽撮影


水につかった学校

普段はトウモロコシ畑で
車で活動している地域



せっかく植えた作物も
小さなお店も家も水につかり


人々は、舟で緊急避難。
年5,6回は洪水が襲う。



洪水と植林活動
映像を 見たい方は ここをクリック  
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キアタウの
神秘的な石灰岩洞窟


キアタウの谷底に、
神秘的で手つかずの、
鍾乳洞があると聞いて、
私たちは向かった


引き水が涸れると、
キアタウの人々は、

遙か谷底のこの地まで、
水をくみにやってくる。


かつてジャングルが、
国土を豊かに覆っていた頃は、
どこもかしこも、
このような風景だった。


清水は美しく、
飲んでもまったく問題はない。


巨大な洞窟は、
大きなトンネルになっている。

手探りで登っていくと、
さまざまな鍾乳洞がある。


真っ暗闇の向こうに、
緑のトンネルの出口が
見えたときは感動した。



出口近くの小さな穴。

地元の人の話だと、
その奥に、
さらに巨大な鍾乳洞が広がっていて、
いったい、どこまで続いているのか、
わからないのだという。

この鍾乳洞の奥で、
大戦後に日本軍が玉砕して
無数の遺骨が眠っているという。

現地の人々は、
お化けが出ると言って
入ろうとしない。

かつて、一度だけ、
神父に同伴してきた外国人が、
簡単な調査をして、
驚嘆していたという。



再び、
キアタウの村にたどりついた。


夕暮れが、
近づいてきた。


訪問者たちが、
地元の子どもたちと、

本当に、
楽しそうに遊んでいた。



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父親のいない子の
里親になった!


ミンダナオ子ども図書館を
支え続けて、
下ださっている頭島さんが、
不幸な子の里親になってくださった!


ぼくに、お父さんが出来た!
少年は、大喜び!


ご主人と福岡で事業を立ちあげて、
経営者をなさると同時に、
多くの貧しい子どもたちを支える
活動をしていらっしゃる山本さん。

ご主人は、
ライオンズクラブの会員で
村の家々に、
ヤギを寄贈してくださった!

電気もない家での食事に
胸を打たれた!

下のニワトリは、飼っていた地鶏で、
一年に一度か二度、
クリスマスか父親の誕生日のお祝いに
締めて焼いて食べるおおご馳走だ!

現金収入がほとんど無いから、
お米も
めったに食べられない!
一日に二食たべられれば幸せ!

ふだんは、
山に生えているカサバイモ!

子どもたちには、
カサバイモだけ?

それでも、明るい子どもたち!
貧しくても愛がある、
だって、家族だもん!




 マノボ族の
酋長になった

 
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マノボデーの
カサバイモ
 
  
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MCLジャパンの
出発


いよいよ、
ミンダナオ子ども図書館の
日本事務局が、本格的に
立ち上がるめどが見えてきました。

すでに5年前、
北九州で発足していた
ミンダナオ支援;Mの会・・・

お年寄りも子どもたちも、
そして若者たちも。
個人会社の社長さんから
大きな会社の経営者、塾の先生、

コンピュータの専門家、
そして多くのボランティアの方々・・・
仏教の住職さんや神父さん
(ベトナム人、フランス人、日本人)

皆さん方が、
ボランティアの手弁当で
関わり作り上げてきたMの会。
(Mの会は、特定の宗教や
宗派にこだわらない会です)

繰り返しMCLにも訪れ、
心から子どもたちを愛し、
愛されている庶民の方々。
そこから、
日本事務局が立ち上がりました。
名前も、MCLジャパン!

アジアへの玄関口、
小倉に本部を置き、
庶民的感覚を生かしながら
和気あいあいと出発します。

NPO法人化も、
意外と早く
軌道に乗せることが出来そうです。
独自の企画も考えています。

とりあえずメンバーの一部を
ご紹介します。
全員の写真はまだありませんが、


藤瀬さん、山本幸子さん、
小田崎さん、おいたてさん、
井本さん・・・
理事を含めた構成は、
NPO法人化の進行と共にお伝えします。


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MCLジャパンを強力に支える
ミンダナオ支援
Mの会婦人会


葉書の発送を手伝ってくださる方々
行橋カトリック教会の主任司祭、
フランス人のベリオン・ルイ神父様を囲む
婦人会の方々。

それから、
ミンダナオ子ども図書館に
来られた経験もある、
行橋カトリック幼稚園の先生方も
支えてくださいます。




朝起きて、
花壇のお花を
世話する子どもたち

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雨が降ってるのに
滑り台

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ミンダナオ
子ども図書館の
日常風景

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読み語りを
楽しむ子どもたち
 
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マノボデーの
カサバイモ
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『わたしの絵本体験』
『昔話とこころの自立』
『昔話の死と誕生』
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明治学院経済学部の
学生さんたちが、
高島教授と
いっしょに訪問

生きた経済を学んだ?


経済学部の学生たちが
キアタウ村に一泊
忘れられない体験



生きる力は、
学校教育からは得られない、

というのが持論だが、
本当にそう思う。

ここで遊んでいる、
子どもたちに出会うと、
自分の少年時代を思い出す。

本当に、
夕暮れまでよく遊んだ。

それに加えて、
ここの子たちは、
本当に良く生活のお手伝いをする。



コミュニティーの
生きている社会では、
子どもたちが
生き生きとしている!


MCLに泊まられた方々が、
口をそろえて、
フィリピンの若者たちが
自立していることに驚く!

炊事、洗濯、掃除、
身の回りのすべてのことを、
全く嫌がらずに
自分たちだけでこなしていく!

「子ども時代に一番大切なのは、
思う存分遊ぶこと、
夜に昔話を聞くこと」

日本にいたころ、
子どもたちの現状を憂えて、
拙著や講演で繰り返し話してきたことが、
間違っていなかったことが、
ここでは良くわかる。

しかし、
その本質を体験したければ、

この地に、
足を運ぶのが最善だろう。

昔話だけはなく、
ここには、
たくさんの妖精も生きているから!


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日常生活に
触れた若者たち


ココヤシのジュースは、
渇いたのどにおいしい!

蒸しバナナは、
味が無く食べずらいが、
これがほとんど、
毎日3食の食事なのだ!

コーヒーだけは、
いくらでも飲める。
そこら中に、
木が生えているから。

ただし、
砂糖は買わなければ
手に入らないので貴重だ!
サトウキビをかじっても良いけど!


コーヒーは、
干して乾燥した豆を、

木の臼でついて粉にした物を
ぼくは、ブラックで飲むけど・・・。

砂糖を買ってあげると
子どもたちは、大喜び!
たくさんたくさん入れて飲む!

子どもたちと
夜たいまつを持って川でとった蛙は、
煮込んで食べると、
とってもおいしい!

早朝と夕刻の水くみは、
子どもの
重要な仕事の一つ


エルニーニョで、
引き水が涸れると、
ここから遙か
30分以上も歩いて下る。

子どもの足だと、
1時間近くかかるだろう
谷底のわき水から、
水をくみ、運び上げる。

例の巨大な、
鍾乳洞のある場所から。

この引き水は、
アラカンのミラノ宣教会の
プロジェクトとして完成した。

それでも、
乾燥時期になると、
水はしばしば涸れてしまう。


くんだ水でお洗濯。
子どもたちの大事な仕事の一つ。


お母さんといっしょに、
夜食べる
ドジョウインゲンを収穫する。

すごく長いので、
ぼくは、
ウナギインゲンと呼んでいる。

現地では、
バトンという。


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先住民族の家庭に
案内されて宿泊


各家庭に、
男性または女性のスタッフかスカラー
(奨学生)が付きそい同宿する。

スタッフの一人、
フェさんは看護士。
(右から二人目の赤い服)
病気の事態に備えている。

緊急の時は、スタッフのドライバー
(このときは、ジェニーボーイ君下左)
が、麓のダバオの病院まで
30分ぐらいで移送できる。

MCLにもあるけれど、
寝袋があるほうが良いだろう。
懐中電灯は必携。
夜のトイレもスタッフを誘って・・・

飲み水は、
MCLから持っていくが、
ぼくは現地の水を飲む。
山だから大丈夫?


一緒に
同じものを料理して、
いっしょに食べよう!


今回も、お客様が来ているので、
特別に米を炊いて出した。

普段は、写真にある、
カサバイモかバナナがせいぜい。

米は、
焼き畑の斜面に植えた
陸稲だろうが、
本当に貴重な食物だ。

写真のように、
木の杵で精米する。


カエルで良いと言っているのに
大事なニワトリをつぶしてくれた。
一年に一度、
あるかないかの鶏肉料理だ!


村人たちには、
日常食べているものを、
食べさせてあげれば良いのだから、
と話しているのだが、

さすがに、
恥ずかしいと思うのだろう。


夕ご飯は灯りを中心に座って食べる。
フラッシュを使って撮影したので明るいが、
真っ暗闇に、
ほのかな石油ランプの明かりがあるだけ。

それがまた、
暖かく情緒があって心が和む。
食事の後は、みんなで語ったり唱ったり、
昔話をしたりする。

こんなにおかずがあるのは珍しい。
町で買ってきたビーフンに、
家で育てたニワトリをつぶした
鶏肉まで添えてある。

もちろん、
スプーンなどは使わずに手で食べる。
たぶんMCLで
スプーンも用意したのだろう。


数字が先行する
経済学ではなく、
幸せな暮らしを保証する経済学が
理論的に生まれないだろうか!


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ラナコランの
下宿小屋が完成


初めての下宿小屋の試みが、
成功した。

保育所の二件分で建てたが、
多少予算が足りなかったが、
その重要性が確認できた。

下宿小屋は、
遠くて学校まで通えない子どもたちが、
そこに住み込み近くにある、
小学校や高校に、
通えるようにする試みだ。

ラナコランの下宿小屋には、
女の子30名が、
ハウスキーパーと共に住める。

ここに住むのは、
ケロハス村(片道10キロ)、
キアタウ村(片道7キロ)、


そして
今回調査した
カンポゴン村の子達と、

それ以外にも、
はるかに遠い地域の子達だ。

住むことが出来るのは、
MCLの奨学生だけではなく、
他の子達にも解放している。

この試みは、大成功で、
さらに今後の展開が楽しみ・・・
他にも、こうした下宿小屋を
必要としている地域は多く、

マネージメントの仕方を含めて、
今後のプロジェクトとしての
可能性を秘めている事が
明らかになった。


建設した施設には、
必ず支援者の看板を作ってかけてある。
河野優子さんと

京都暁星高校が、
今回は、
支援して下さった。


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開所式には、
村人たちが集まった


部屋は、
全体を寝るスペースとしている。
外部に食堂とトイレがある。

勉強や読書、
交流や食事は、
オープンスペースで・・・


ここに到達するには、
4WDで3時間はかかる、
大変な山の中だが、
それだけに素朴な人々たち。
マノボ族が多い


下宿小屋を文庫として、
地域の子どもたちにも解放!


地元の村々の
親の協力を得て運営するが、
一日に3食たべられない
極貧家庭も多く、

子どもたちの食事は、
米はMCLが面倒を見る。
副食の野菜やバナナは村人たち。

おもに中高校生が下宿をするが、
年下の小学生もいるので
その面倒を見たり、
家庭教師の役割を持つ。

文庫としても、
地域の子どもたちに解放し。

ほぼ、月に一回の割合で、
MCLでは、
当地の子どもたちに
学用品などを支給しているので、

その都度、
運営に支障が無いかを
チェックする。


今回は、奨学生担当スタッフのマリベールと
ソーシャルワーカーのマルチェジンが、
子どもたちに、文庫の使い方や勉強の仕方、
守るべき最低の規則などを語った。
二人とも、MCLの卒業生だ


普段は、ボロボロの家に住んでいるが故に
質素な建築であるにもかかわらず
このような、新しい、
ステキな家に住めることに
子どもたちは大喜びだ。

この地域は、
ことのほか学力が低く
その向上にも役立つだろう。


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先住民地域の
和平構築も考慮して
保育所候補地を調査


ミンダナオに戻って、
休む暇もなく、
保育所建設候補地の調査を始めた。

12月中に、
建設を開始するのは以下の地域。
年開けて、さらに5カ所の
建設予定が決まっている。

カパタガン・ソロプチミスト原田万紗子 /
ムナリ・錺 栄美子/カンポゴン・
(財)北野生涯教育振興会

今回は、
その中で、
カンポゴンの保育所候補地を
調査決定した。

ここは、上述した、
ラナコランの下宿小屋から
さらにジャングルを小一時間入る村だ。


この先に
本当に集落があるのだろうか

行く先をジャングルが覆う。
小さな踏み跡道をたよりに集落を目指す。

道は時々、
枯れ沢状になっている。
雨が降れば濁流となり、
家にたどり着くのも困難だろう。

こんなところを、
毎日4時や5時に起きて、
子どもたちが、
学校に通っているのだ。

今までは、
こうした困難な地域の子たちを優先して、
MCLに住まわせてきたが、
現在、100名近くなりもう満杯状態だ。

苦肉の策が、
下宿小屋だが
下宿小屋の重要さが良く理解できる。


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谷を越え、
尾根をたどり


谷を越え、尾根をたどり、
ようやく山上に近い集落に着いた。
比較的大きな家が一軒、首領の家だ。
そこに人々が集まっている。

それ以外の家は、
ようやく建っているような
貧しい集落。

子どもたちは、
お客様が来るというので、
最良の服を着て集まってきていた。
普段は、裸足で裸同然の生活。

子どもたちも多いが、
今の時期、
多くの親が子どもたちを連れて、
遙か彼方のダバオの町へ行っているという。

クリスマスを控えて、
集団で、
物乞いに出かけているのだ。

ダバオの町の物乞いは、
子どもたちが中心で、
風物詩にもなっているが、

そのほとんどは、
山から下りてくる
先住民だと聞いていた。

道ばたで寝起きしながら、
子どもたちは、
車から投げてもらう小銭を期待して
何時間も道脇にたっている。

なんと、
こんなに遠い地域から来ていたのだ。
ダバオまで、数日かけて歩くのだろう。

この方が、保育所の先生になる

この集落で一人、
弟や妹を学校に行かせるために、
高校を停止して、
父親の農業を手伝っている若者に出会った。

学校に行きたくて、
MCLに期待してやってきたのだ。
日曜日は、この村の牧師の仕事も
引き受けているし、

成績も良いし心根も良い。
将来は、大学を出て、
マノボ族を守るために
弁護士になりたいという。

「親が、土地を取られた苦い経験から、
先住民族を守る
弁護士になりたい・・・」


今後、同村と深い関係を持つためにも
コンタクトパーソンとして
スカラシップ候補とすることにした。
どなたか支援者になってくれませんか?

ミンダナオ子ども図書館 支援方法

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北九州小倉
ライオンズクラブの
役員が訪問


北九州小倉ライオンズクラブの
役員の方々が、
ミンダナオ子ども図書館を訪れられた。

実際に自分たちの目で、
MCLを見、

MCLの活動を
視察するために・・・

私たちは、
ピキットの避難民がいる地域に、
乾神父さまと共に行き、

後日、マノボ族のいる、
カヨパトン集落を訪ね、
読み語りの活動をした。


その後、
ラナコランの下宿小屋に、
とりわけ貧しい三集落をたずねた。


ケロハス村、キアタウ村、

ムヤス村、カヨパトン村の
集落長に集まってもらい、
各集落に、雄ヤギ一頭、
雌ヤギ五頭を寄贈された。


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ヤギを寄贈

今回のヤギの寄贈は、
個人的なものだけれども、
このような山岳地域では、
ヤギは貴重だ。

ヤギの良さは、
豚や牛のように、
特別に餌を用意することなく、
山地の草を食べてくれること。

乳は、
地元の子どもたちの
栄養になること。

増えやすいことなど、
貧しい地域にとって、
大きな支援となる。

これらのヤギは、個人ではなく、
集落のものとして増やし、
増やした分をさらに
貧しい個人家庭に分け与えていく。


今回の訪問は、現地の実地視察。
ベトナムやカンボジアなども、
絶えず訪問し、
現地を良く知っていらっしゃる
ベテランの役員の方々も、

思った以上に貧困度の激しい
現地の状況や
ミンダナオ子ども図書館の
誠実な活動に胸を打たれた様子。

多くのドキュメントフィルムを
撮影して帰られた。

これから、
北九州小倉ライオンズクラブとの
長いおつきあいが始まろうとしている。


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亡きフレンズ幼稚園の
園長先生が
主体になって
寄付された保育園で


北九州で有名な、
フレンズ幼稚園の園長先生が亡くなられた。
去年の秋に、
病室にお見舞いにいったときは、
まだお元気そうだったのだが・・・

親身に、ミンダナオ子ども図書館の事を
考えて下さっていた先生で、
この小笠原ライオンズクラブの保育所も、
先生が主導して作って下さったものだ。

Mの会とも関係が深く、
その追悼の意も込めて、
ボアイボアイ村を訪ねた


上の写真で、
青いユニセフのシャツを着て、
一緒に踊って下さっているのが
現地の保育園の先生。

若く情熱的な若者の先生で、
この先生のおかげでユニセフから
机の支援が入っている。

50万で建設された
この保育所は、
本当に立派だ。

非常に貧しい村だが、
古着の支援を度々しているので、
着物はそれほど悪くはない。


フレンズ幼稚園の園長先生は、
ミンダナオ子ども図書館の
活動を愛し、遺言で
100万円を寄贈して下さっていた。

私たちは、
Mの会と相談して、
この遺産で水田を買うことにした。

ミンダナオ子ども図書館の
子どもたちの食べる、米が、
毎年2・5度収穫できて、
先生のおかげでご飯が食べられる。

米の値上がりが激しく、
住み込みの子たちもスタッフを入れて
100人を超え、
米が足りなかったのでホッとした。
心から感謝します!!!!!!!!


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OTARU
ワールドフレンズから
送られてきた、
靴の支援もした


毎年、数度にわたって、
北海道から
古靴を箱いっぱいに送って下さる
小樽ワールドフレンズの方々。

ミンダナオの
山の子どもたちにとっては、
靴は、
夢のまた夢なのだ。

小学校に入ると、
特に中高校になると、
靴を履いて登校する規定がある。

しかし、もちろん、
多くの親たちは、
子どもに
靴を買ってやることが出来ない。


このボアイボアイ村も非常に貧しく、
特にマノボの人々は、
自分たちの
自給地も持っていない。

この村のそばには、
日本資本のAJMR(スミフル)の
バナナプランテーションが
近年急速に広がり、

アンティパス県のほとんどは、
日本向けバナナ(完熟王)の
出荷地となってしまった。

このボアイボアイには、そのときに、
土地所有者と企業の契約で、
自給していた土地を追われた
マノボの家族が多く住んでいる。


子どもたちは、
ほとんど裸足だが、
小学校に行くときには、
せめてすり切れたゴム草履を履く。

本当は、
ゴム草履ではなく、
靴を履く規定になっているのだが・・・

そのようなわけで、
古靴の支援は、
古着と並んで、
本当に喜ばれる支援なのだ。


靴を持って、
大喜びで
家にかけていく子どもたち!


この家などは、
屋根がトタンで家自体も大きく
まだ経済的に良い方だ。


現地に足を運び、
時には寝食をともにして、
経済的な貧しさの不幸と、

心の豊かさと美しさを、
自分の目で見て体験する事は、

今の日本人、
特に若者たちにとって

欧米やオーストラリアなどに
体験留学するよりも、
大きな収穫だと思う。


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僕は餡が
ぎっしり詰まった
お饅頭になりたいと
思います

大渕みほ子

公開日当日に映画
「スラムドッグ$ミリオネア」を見てきた。
たぶん半年ぐらい前だと思うが、
映画の予告を見て
絶対見たいと待ちに待った作品だ。

ご存知のように
アカデミー賞を受賞してから、
話題沸騰の作品でもある。

映画の内容を振り返ってみると、
売春やドラッグ、殺人や暴力、
盗みや争いといったスラムの闇と、

急速に近代化に向けて変化する
スラムとの狭間で、
時代に翻弄されながら生きる
最貧困層の人々が、

愛や夢を追い求め、
したたかに生きる姿には
すがすがしい思いさえした。

この映画で印象的だったのは、
主人公がクイズに正解するにつれて
応援する人もどんどん増え、

働いていた会社の人、
町中の人までも
テレビにくぎ付けになって
応援している姿だった。

発展途上国だからだろうか?
同じような光景を
フィリピンでも良く見かける。

アメリカで一時流行した
「アメリカン・アイドル」
のような番組がフィリピンにもあり、
私がミンダナオでホームステイをしていた
家の子ども達も、

歌手を目指す
素人の勝ち抜きバトルに
くぎ付けになり応援していた。

たとえ全くの素人で
顔見知りじゃなくても、
頑張っている人には
心から皆で応援したり、

喜怒哀楽を共に分かち合う
姿をみると私も嬉しくなるし、
また羨ましくもなる。

ちょっとしたことで感動できたり、
笑顔になれたり、
そういう心の素直さを
羨ましく感じるからだと思う。

文化の成熟なのか、
それとも無感動や
無関心が広がっているのか
分からないが、

日本では
大そうな出来事でもない限り、
あまり人を応援したり
感動しなくなっている気がする。

「そんなことで驚くの?」
「何が楽しいの?」、
そんな冷めた目で見ている
自分がいることに気がつく。

私自身も良く言われることだが、
日本にいるときと
ミンダナオにいるときでは、
顔が違うようだ。

日本で閉ざされた
感情が解き放たれて、
顔が変わるのかもしれない。

もしかしたら、
こうしてミンダナオに行くことで
自然に心のバランスを
取っているのかもしれない。

今回ご一緒した立正佼成会の
親子ボランティアの皆さんの顔も
観察していたが、
やはり私と同じだった。

初めはこわばった顔や
無表情の顔をしていても、
ミンダナオ子ども図書館での
生活に慣れるにつれて表情に変化が現れ、

感情が顔に出るようになる。
嬉しいときは
とびっきりの笑顔になり、
悲しい時は人前だろうと涙する。

「ミンダナオの子どもを助けたいと
思って来たのに、
逆に自分が助けられた」と、
あるお母さんが話して下さったが、

ミンダナオ子ども図書館を
訪れる方々は、
良くこのように話して下さる。

日本で忘れていたことや
失っていた大切なことに気が付き、
心がリフレッシュされるのだろう。
このような感想をもたれた方々の顔は
また美しい顔をしている。

今回同行したツアーのある男の子が、
最後の振り返りのときに
こう話してくれたことが
大変印象的だった。

「僕はお饅頭が大好きです。
フィリピンに来て思ったんだけど、
日本は見かけはとっても美味しそうだけど
中はスカスカなお饅頭みたい。

でもフィリピンは見かけが悪くても
餡がぎっしり詰まっている。
僕は餡がぎっしり詰まった
お饅頭になりたいと思います。」

「あぁ、日本の子ども達にも
きちんと分かるんだ」と、
感動して聞いていた。

日本の子どもも
捨てたものじゃない。
こういう気づきが出来る子どもが
どんどん増えたら、
日本の未来もきっと明るい。
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追悼そして復活

昨年から今年の復活祭までに亡くなった、
思い出深い人々。
「正義と平和」活動に心血を注いでいた
多胡さん!

そして、いつもやさしく、
死の床でも、枕元に
奨学生の写真や手紙を置き
「あの子、どうしているかしら」
とおっしゃっていた
土谷美知子さん。

支援者の方々が亡くなられ、
支援を受けていた
ミンダナオの奨学生たちは
激しく泣いた!

家庭が崩壊して学校に行けなかったり
親を失って
明るい未来や希望も見えず、

極貧の中を
さまよっていた彼らにとっては、
自分たちの母親や父親と同じ!

支援者から、
生きる希望をもらっていた彼らが、
激しく泣きだすのも無理はない!

それと同時に、 奨学生支援が、
支援者である日本の方々にも
大きな生きがいと
喜びをもたらしていることが、

亡くなった妻の事を
書いて送ってくださった
土屋美知子さまのご主人の
以下の手紙からも感じることが出来ます!


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子供たちに
元気をもらって


松居 友 さま
美知子は、
いつもミンダナオの子供たちに
元気をもらって生きてきました、


2008、6、25日、
肺がんが見つかり、
「ミンダナオの風」を枕元に重ね
何度も読み返したり、

山奥から私たちに会いに来てくれた後、
帰りにすごい雨が降ってきて
無事にちゃんと
家に帰れたのかなとか、

すごい石だらけの道、
大丈夫だったかしらとか、

赤ちゃんは
大きくなっただろうね、
見てみたいな、
などといっていましたし、

ミンダナオの思い出を
語りながら
とうとう8月23日逝去いたしました。

生前、故土谷美知子に
寄せていただきました
皆様のご厚情に対し心より
御礼申し上げます。

有難うございました。
残された、私どもも、
故人同様のお付き合いをいただき、
ご指導をいただけますことを
お願い申し上げます。

  
                  土谷 登喜夫

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死を知って
激しく泣いた


土谷美知子さんに、
支援してもらって
卒業したマリベールは、
その死を知って激しく泣いた。

彼女は、2009-10年度の
ミンダナオ子ども図書館のプレシデント。
温厚な性格ながら芯は強く、
最も難しい時期を乗り切ってくれた。

奨学生全員の事を良く把握しており、
今年から、最も重要な
スカラシップセクションのリーダを
スタッフたちの満場一致で選ばれた。

会った当時は、
ホウキを売って生活していた。
極貧のマノボ族。

今は、農業スタッフのトト君と結婚して、
一児(男の子)をもうけた。
最初の娘サンシャインも元気で、今は保育園。
本当に可愛い子。
みんなで育てているのでご心配なく。


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懐かしい多湖さん

ノルハナさんやアスレーさん
イスラム教徒の若者たちを
支援してくださっていた
大阪の多湖さんご夫妻。
ご主人が亡くなった。

2008年3月、大学を退職。
2008年12月にすい臓がんがみつかり、
その後、抗がん剤治療で
1年余りの闘病生活の後、
2009年12月27日に帰天。

大学教員としての研究、
講義と平行して、
「正義と平和」活動に心血を注いでいた。

奥様の敬子さんは、
正紀さんの意志を継いで 
Sarah Rumiko Miyashiro さんと 
hannah Yumiko Miyashirさんの支援を
続けていきたいと思っている。

ミンダナオ子ども図書館を心から愛して
これからの出会いが楽しみだったのに・・・
ミンダナオにこられたら、
子どもたちは、どんなに喜んだことだろう!

子ども好きのご本人の
笑顔を思い浮かべると
残念でならない。

アスレーさんは、何と、
上のマリベールさんを継いで
2010年からのプレシデントで、
活動を始めた。

奇しくも、彼女のお父さんは、
イスラム教徒のオスタージュで、
ピキット現地のNGO活動も推進。
MCLのボードメンバーだったが、去年他界。

その悲しみから立ち上がるように
アスレーさんは、MIFLとMNLFなどの
狭間に立ちながら
正義と平和のために活動を開始している。


下の写真は、
日本にイスラムの踊りの公演に
行ったときのもの


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懐かしい、
小野智子さん


もうお一人、思い浮かぶのは、
小野智子さん。
軽井沢の一画から、
いつも葉書をくださった。

どこに住んでいらっしゃるのかは
わからないが、
カトリックの教会に属していらして
病気がちで、
裕福ではない事は良くわかった。

卒業するジミー・マリンバくんを
長く支援してくださっていた。
(下の写真は、今回のシンポジウムで
発表しているジミー君。

すでに30代だが、
マノボ族で極貧の家庭。
仕事を見つけて結婚し、
家庭を作ることを夢見ている。

結婚相手は、スカラーのMさん。
27歳で、今度大学に。
父親の子を産まざるを得なかった子だが、
ジミー君の明るさで・・・・・)

小野さんのお手紙には、
いつも、懐かしいミンダナオ。
わたしは、子ども時代、
ミンダナオで育ちました。

懐かしい、懐かしい。
出来ればそちらで暮らしたい。
でも、病気もありますし、
もう本当に年ですから。

ミンダナオの様子を教えてください。
ジミー君によろしく。

日系人が多く住んでいた
カリナンで育たれたのだろうか?
戦争と同時に、
日本に帰られたのだろうか?

病床にあっても、死の床にあっても、
お葉書が届いた。
亡くなられて、
娘さんから手紙が来た。

母が、ミンダナオの子を
支援しているなんて、
ぜんぜん知りませんでした。

遺品のなかからわかって・・・・

経済的には、豊かではないし、
どうしようかと思ったのですが、
私が引き継いで
支援することにしました。

小野智子さんは、
亡くなられて自由に
ミンダナオのなつかしい地を、
ソロイソロイ(散歩)しているような気がする。


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支援者と共に
アポ山へ


支援者の西村章さんと一緒に、
スタッフのジケロ君、
大学生のララン君が、
フィリピンの最高峰アポ山に登った。

キダパワン市は、
アポ山へ登るための登山口として有名で、
登山名簿を見ると
世界から登りに来ていることがわかる。

ただし、登るためには、
市に登録し、
現地のガイドをつける必要がある。

今回の市が選んだガイドは、
なんとMCLに
奨学生応募をしてきた
若者の弟だった。

キダパワン市は、
日本の川崎市の姉妹都市でもあり、
大学が7つほどあり、
その一つは州立大学、

医療大学もあり、
CTスキャンもある総合病院が二つ、
その他の病院も4つほどある
高原の学園都市のような存在なのだ。

もちろん、フィリピンの
マクドナルドと呼ばれる
ジョリビーもある。

地域的には、
ダバオよりのクリスチャンエリアで、
ここまでは戦闘もなく安全であると言われている。
(もちろん、マニラより遙かに安全)

ただし、
コタバト州の端に属しているので、
日本政府の
高度危険地域に入るが・・・


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今回彼らが
たどったのは


今回彼らがたどったのは、
メインルート。
私がかつて下ったルート。

ここが一般的で、
世界から来る人々は、
ほぼこのルートをたどる。

これ以外に、より深い、
バージンフォーレスト(原生林)を抜けるのが、
ご存じ、スカラーもいる、
ウオーターフォールのルート。

そして、ニューイスラエルのルート、
さらに踏み跡程度で
ジャングルを抜けていく
アラカンルートもあるのだが、

ただし、現地とつながりがあり、
ガイドとポーターを良く知っている
(奨学生のお父さんだったりする)
ミンダナオ子ども図書館でなければ、
アレンジできない地域だろう。

山自体は、3000メートル弱だが、
裾野のジャングルがすばらしい。
アプローチを含めると、
最低3泊出来れば5泊は、山中でする。


下から仰ぐと、
単純な山に見えるが、
登ってみると意外に
複雑な地形で、

美しい山上の湖沼が
いくつもあったりして、
峰も入り組んだ岩峰だ。

何しろ、手つかずの
自然がすばらしく
まさに原生林の中にいる気配がある。

つまり、妖精たちが、
たくさん今も
活動している地域なのだ。


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なんと野生の
ブルーベリー!


なんとこれは野生のブルーベリー!
いたるところに生えていて、
歩きながらの食べ放題だ!

地元に人たちは、
食べられるって知らない!


山頂からは、
はるかダバオ湾が見渡せる。

絶景だ!

ああ、
これぞミンダナオ。
一度は経験すると良いだろう。

登りたい方は、
いつでもどうぞ。
ガイドやポーターをご紹介します!

とりわけ、
貧しいマノボの人たちで
奨学生のお父さんやおじさんたちを!

山道を裸足で登ります。
ジャングルのなかで、
薪で食事も作ってくれますよ!

貧しく収入の無い
奨学生たちのいる原住民の村の
活性化にもなるので
歓迎します!

 

クレジットカードによる寄付が可能になりました!
サイトは保護されています、
個人情報が流出することはありません!


スカラシップの一括支払いも可能です!

毎回振込後に、宮木梓からお礼のメールとが届きます!
奨学金は物価高騰もあり、2021年より以下に変更いたしました。
一年間、小学校42000円、中高60000円、大学72000円

卒業後も支援額を変更して継続、別の子を紹介希望、終了希望は、
通信欄かメールで宮木梓宛に、寄付の内容や要望をお書きいただければ、
宮木梓が、対応いたします。
メールが難しい方は、日本事務局に携帯かお電話で対応いたします。
 
郵便局、銀行またはコンビニ、ATM、ネット振込は以下です!  
基本は、自由寄付です。振り込まれた方には、隔月に機関誌をお送りします。 
郵便局からの振り込み
自由寄付、スカラシップ里親支援等
郵便振替口座番号 00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

ミンダナオ子ども図書館 支援方法
銀行またはATM
インターネットでの振り込みは以下へ

銀行名 
ゆうちょ銀行 金融機関コード 9900
店番 
019  預金種目 当座
店名:
〇一九店ゼロイチキユウ店
口座番号 
0018057
口座名:
ミンダナオ子ども図書館
 振込を確認しましたら、子どもたちの写真または絵が描かれたお礼ハガキを現地からお送りしています!
領収書等が必要な方は、宮木梓までご連絡ください。
現地日本人スタッフ宮木 梓  mclmindanao@gmail.com
日本事務局 前田容子 FAX:0743 74 6465 携帯電話:090 5091 7514
ぜひいつか、子どもたちに会いにしらしてくださいね!





主要な目次を集めました!
クリックして飛んでくださいね
ミンダナオ子ども図書館だより 宮木あずさ制作
現地日本人スタッフによる、
写真を交えた最新の活動報告です!
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
訪問等でMCLと出会った若者たちの想いです!
ミンダナオ子ども図書館:日記 松居友制作
松居友による活動報告および
製作映像や想いを載せた自由日記です!
ミンダナオ子ども図書館 支援方法
支援方法
「0」ゼロに 立つための支援を
ゼロに立つための支援を
訪問希望の方は ここをクリック!
訪問希望
MCL映像サイト
何故ここに日本人などのテレビ映像
その他の貴重な活動映像を掲載
機関誌『ミンダナオの風』 にこめた思い!
機関誌『ミンダナオの風』編集にこめた思い!
ミンダナオ子ども図書館のミッション 理事、役員、スタッフ 活動の概要を紹介
ミッション・ビジョンとボードメンバー 
MCL文庫
民話、絵本原稿、青少年から大人までの読みものを
自由購読で提供しています。
ミンダナオオから発送の 機関誌「ミンダナオの風」 
過去の機関誌PDF
MCL 会計報告
会計報告
 日本の子ども ミンダナオの子ども
日本の子ども ミンダナオの子ども
MCLへの 若者たちの想い! 
機関誌『ミンダナオの風』若者たちの想い!
無題3 松居 陽
無題3:松居陽
イクメンに 未来をたくせそう! 
イクメンに未来をたくせそう!
2021年 今後のMCL 
今後の活動指針
 愛に捧ぐ黙想 松居 陽
愛に捧ぐ黙想:松居陽
ぼくの少年時代と 思春期から   
ほくの少年時代と思春期から
子育てよりも、子育つ世界!  
子育てよりも、子育つ世界!
講演、公演の予定表など 
講演、公演の予定表など
メールニュース 希望! 
メールニュース希望!
原住民、イスラム、クリスチャン 私たちは一つの家族!
原住民、イスラム、クリスチャン、私たちは一つの家族!
小学生や若者たちの 講演感想!
講演感想
近年の若者たちの訪問体験記!
ミンダナオ子ども図書館の活動とは?

MCLを知っていただくために、多くの映像のなかから選びました。
  
 山の下宿小屋に!
山の下宿小屋に
海の下宿小屋に! 
海の下宿小屋に
奨学生を決定に山へ!
奨学生決定に山へ
酋長の依頼で! 読み語りに!
酋長の依頼で
地震の悲しみで お父さんが!
地震の悲しみでお父さんが
アポ山へGo!
アポ山へGO!
地震避難民の 救済と読み語り! 
地震避難民の救済と読み語り
イスラム避難民の 救済支援! 
イスラム避難民の救済支援
ウイルス期間に 洪水が襲った!
 洪水が襲った
 イスラム湿原に 保育所を建てた!
イスラム湿原に保育所を建てた
 土地を追われる マノボ族!
土地を追われるマノボ族
 サンタマリアの 海辺で遊ぶ子どもたち!
サンタマリアの海辺で遊ぶ子ども
クリスチャンの文化祭 ビサヤデー!
クリスチャンの文化祭
イスラムの文化祭 ムスリムデー!
イスラムの文化祭
原住民の文化祭 マノボデー!
原住民の文化祭
戦争と平和
戦争と平和
洪水と植林活動
洪水と植林活動
平和構築と学校建設
平和構築と学校建設
ミンダナオ子ども図書館の 日常から
ミンダナオ子ども図書館の日常
総合活動報告の 記録映像
総合活動報告の記録映像
海の下宿小屋 クラクシン
海の下宿小屋
何故ここに日本人 TV録画! 
テレビ東京なぜここに日本人
池上彰の番組 パックンが来た!
池上彰の番組、パックン
NHK国際放送 ミンダナオから来日! 
NHK国際放送
English Video 1 Yo Matsui   English Video 2 Yo Matsui English Slide video! Yo Matsui 
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