戦争と平和構築
2011年の記録から(5)

,


JICAとMCLの協働によって
四〇年間対立していた
クリスチャンとムスリムが平和を構築
1 クリスチャン集落から奨学生 GO! 2 小学校が建てられている
GO!
3 イスラムの村の学校に GO! 4 平和構築に向けての歩みが GO!
5 奨学生に学用品を届けた GO! 6 IMTの通信にMCLが紹介 GO!
7 保育所移設が話された GO! 8 安心しきってはいられない GO!
9 イスラムとクリスチャンが協力 GO! 10 山元神父さんによるミサ GO!
11  アルバちゃんも元気だった GO! 12 ブアランの小学校が完成! GO!
13  ブアラン小学校最終チェック GO! 14  夢ポッケをトラックに積んだ GO!
15 開校式を兼ねて平和の祈り GO! 16 和平構築のための保育所建設 GO!
17 UNHCRから今井飛鳥さんが
GO! 18  
1 ミンダナオの情勢 GO! 2 奨学生の学用品を届ける GO!
3 ARMMカルボガン保育所の開所式 GO! 4 舟に乗ることに変更 GO!
5 建てたばかりの保育所も水の中 GO! 6 シートと衣料を届ける GO!
7 日本から送られてきた古着も渡す GO! 8 集落にシートを届ける GO!
9 スカラシップ候補のインタビュー GO! 10 医療支援も行う GO!
11  小学校に学用品を届ける GO! 12 小学校はひどい状態だ GO!
13  集落に学用品と衣料を届ける GO! 14  IMTの福永さんが訪問された GO!
15 マカブアルの小学校も水の中だ GO! 16 病気の子のチェックと手術 GO!
17 治療の方法の無い子は奨学生に GO! 18 劣化ウラン弾に関して GO!
bual
ブアランの
クリスチャン集落から
奨学生を選び出した


40年以上にわたり
丘の上のクリスチャンと
麓のムスリムが
対立し続けてきたブアラン集落。

初めてしたのイスラム集落に
保育所を建てた頃、
「この上にも貧しい集落はありますか?」
とたずねると

村民顔色が変わり
沈黙してしまうのが
不思議だった。

村の人々が
山に恐れて行かない理由は、
不思議だったが、
やがて口を開いてくれた。

「ぜったいに、
山の上の方に行ってはいけないよ。
殺されるからね!」

次第にわかってきた事は、
山の上にはクリスチャンの集落があって
恐ろしいコマンダーがいて、
行くと殺されるし、

40年にわたる対立があり
しばしば大規模な戦争も、
ここから
起こることが多いのだという。

そのご、MCLの理事で
ピキット市の福祉局所長補佐
カトリックのグレイスさんと
話し合って保育所を建て、

感動的な
和平合意がなされたこと、

そして、
丘の上のクリスチャンも、

丘下の学校に、
通えるようになったことを、


前回のサイトにも掲載しました。
2011年(2)
GO!

その後も、
村をくり返したずねて、

ミンダナオ子ども図書館の奨学生を、
クリスチャン集落と
ムスリム集落から均等に、


採用することに決めて、
くり返し相談をしに
村をたずねました。



下の写真は、
学校に行けることになって
大喜びの子どもたち!



bual2
ブアランの小学校が
驚くべき早さで
建てられている!


MCLが提案し
日本政府ODAでJICAが建設、

MCLが、
建設管理を委託された、

ブアラン村の小学校の建設が、


MCLのスタッフのマネージメントで、
急ピッチで進んでいる。


何と20日間で
ここまで建設されたのは驚き!

予定では、11月から12月の完成と
言われていたのだが・・・・
なんと、7月末には、
完成することになった。

建設が早急に進んだ理由は、
ブアラン村の男たち、
特に父親たちが、
イスラム教徒もクリスチャンも、


自分たちの子どもの事だからと、
一致協力して
大勢が建設に関わって
くれたからだ!

イスラムとクリスチャン双方の
父親たちの姿も明るく、
40年にわたる戦闘で暗かった村が、
一気に明るさと活気を取り戻した。



若き校長先生と、
MCLスタッフ。
右プレシデントのアスレーさん、
左バイスプレシデントのマージー。

日本政府のODAの仕事を、
大使館の現地スタッフと
連絡を取りながら
見事にこなしている。

二人ともMCLの奨学生だった。
マージーは、MCLの出発時、
奨学生がまだ
たった5人だった頃の一人。

出発当時は、
日本人は、私一人だったし、
現地語もおぼつかないので、
彼等の働きがなければ何も出来なかった。

初期の頃は、
彼等が高校や大学に行った後、
私が便所掃除と洗濯をしていた。

外国人が、
現地の人々の助け無しには、
いかに何も出来ないか、
という体験も貴重だと思う。



bual3
ニューバレンシアの
子どもたちが
下のイスラムの村の
学校に通い始めた

40年間争い、
交流が途絶えていた
丘の上のクリスチャン集落

ニューバレンシアの子どもたちが、

丘下のイスラムの村の
学校に通い始めた。


ブアランの小学校に通えて、
本当にうれしそうなクリスチャンの子たち。
平和になることで、
どんなにホッとする事か!

教室が足りないので、
ここの教室で
4年生から6年生までが
一緒に授業を受けている。

机もいすも足りないが、
外ではお父さんたちが一生懸命
学校を建てているので
子どもたちの心にも希望が膨らみ
明るい顔になった。


イスラム教徒がほとんどの学校に、
新しく入ってきたクリスチャンの子たち。
イスラムの子たちも
クリスチャンの子たちも
わけへだて無くMCL奨学生になっている。

お互いにさぞかし緊張しているだろうと、
思ったけれど、
意外と明るい顔で幸せそう。

子どもたちは皆、
戦争や戦闘が無く、
みんなが仲良く住める世界を
望んでいるのだ!


この様子を見て、
胸が温かくなり、
本当に幸せな気持ちを感じた。

お父さん方が、
みんなで協力して
建設に励んでいる姿も
素晴らしかったし、

思わず目頭が・・・。

丘の上のニューバレンシアに戻ったら、
ブアランの小学校に通い始めた
イスラム教徒の子どもたち5名も
調査して奨学生に加えたいと思っている。

一緒に手をつないで、
学校に通えるようになるために。

皆さん、
里親奨学支援に応募して下さい!
まだ支援者のいない子たちが
いっぱいいます。


7月末には、
小学校が完成する。

完成と同時に、
8月半ばに開所式を兼ねて、
MCLの奨学生が全員集合し、
この地で
『平和の祈り』の祭典を行う予定だ。

日本からも、
山元眞しんぷが参加予定。

現地のイスラム宗教者や
OMIのカトリック神父、
マノボ族のプロテスタント牧師も
指導者も参加します。

仏教会からも、
どなたか参加されませんか?
一般参加もOKです。



bual4
平和構築に向けての
歩みが続く
ブアラン集落


ブアランの小学校は、
ほぼ完成に近づいている。

6ヶ月かかる予定が
3ヶ月で完成するのだから、
村の親たちの意気込みがわかる。


村の父親たちが、
クリスチャンもイスラム教徒も
協力し合って大勢で、
みんなで作業をしたものだから、

11月に完成予定の小学校が
何と7月末には完成しそうだ。

外観はできあがり、
最後のペンキ塗りと窓のはめ込み
黒板を含めた内部の仕上げが、
残っているのみ。

敷地も広がり、
素晴らしい学校になりそうだ。
そのせいか、
子どもたちの顔もあかるい。

お父さんたちが切り開いた道をぬけて、
丘の上のニューバレンシアの
クリスチャンの子たちも、
イスラム教徒の子たちも、
一緒に下の学校に通っている。


クリスチャンとイスラム教徒が
40年にわたって対立してきた、
丘の上のニューバレンシア集落から見た
リグアサン湿原。

40年ぶりに平和が戻り、
クリスチャンの子たちを
奨学生に採用したことは前回述べたが、
さらにその側に、
下のラガイェンに避難していた
イスラムの家族たちが戻ってきた。

クリスチャンの村の人たちは、
彼等を心から歓迎し、
今共生の生活が始まっている。

MCLでは、
新しいイスラムの子たちで、
ブアランの小学校に通い始める
6名を奨学生に採用した。

こうして、毎朝、イスラムの子たちと
クリスチャンの子たちが、
同じMCLのカバンを背負って、
仲良く登校するようになった。


イスラムの子たちと、
クリスチャンの子たちが、
一緒に支援者の方々に手を振っている。
本当に皆さんありがとう!

MCLとJICAで建設中の小学校も、
日本の皆さんの税金で建てた
平和のシンボル!
8月にここで平和の祈りの祭典をします。
参加希望の方は、ご連絡下さい。



bual5
ニューバレンシアの
イスラム集落の
新しい奨学生たちに
学用品を届けた


四〇年前には、
イスラム教徒の村の中で
クリスチャンの若者たちが、

イスラムの若者たちと一緒に
バスケットボールをしていたという。


今それが
再び復活したのは、
感動的な風景だった。

この下のクリスチャンと
ムスリム集落の出会う場所に、
今度、村人たちが
協力して保育所を移設する。
多湖さん一家によって寄贈された保育所だ。

移設のための話し合いがもたれたが、
その場所に、ぜひとも
バスケットボールコートを作りたい。
バスケットボールコートは、
トウモロコシなどの穀物干し場になるし、

保育所は小さな子たちのための交流の家、
そして、バスケットボールコートは、
若者や大人たちの
良き交流の場になるからと思った。

どなたか、
寄贈できませんか?
今見積もりをとっているところです。


村を訪ね、
直接学用品をわたす。

子どもたちの多くは、
遠いラガイエンの小学校に通っているが、
6名の子どもたちが、
ブアランの小学校に移籍して通い始めた。

その子たちを奨学生に選び、
学用品の入ったバックを渡す。

来年から、より近いブアラン小学校に
籍を移す子たちがドッと増えるだろう。
この地を去った多くの家族も
戻ってくる予定で、
ブアランが活気を取り戻すだろう



bual6
IMT国際停戦監視団の
『IMT通信』に
紹介されました


IMT国際停戦監視団が発行している
『IMT通信』に、
MCLの記事が載りました
IMT通信へgo
取材に来られた福永さんが執筆


やはり
MCLに来られた落合さん

なかなかわからない、
国際停戦監視団の役割
また、今回の大規模な洪水の状況などを
IMT通信へgo
簡潔に実にわかりやすく
述べていらっしゃいます。



ochi
2019年に落合さんが出版なされた本!
ミンダナオ子ども図書館について
書いた部分のみ抜粋して掲載!
下の写真または、
ロゴをクリックして
読んでみてください!

ここをクリックすれば、 ミンダナオ子ども図書館 抜粋部分に入れます!

bual7
クリスチャン集落に
ムスリムの人々も
集まって
保育所の移設が
話し合われた


ニューバレンシアの丘は驚くべき場所だ。
遠く、リグアサン湿原が
一望できるだけではなく、
下を見ると白頭の鷲が飛んでいる!

目を疑った!!!
「あれ、ひょっとしてフィリピンイーグル?」
「そうですよ、24匹ほどが棲んでいる。」
「エエエッ・・・!!!!」
「この間、縄張り争いで、
あっちに移ったつがいが居る・・・」


その勇壮で美しい飛翔の姿が
リグアサン湿原を背景に
燦然と輝いている。

あわてて、
望遠レンズのある写真機を探して向けたが、
もう飛び去った後だった。

これを聞いて、
「俺は絶対この地に行き、
1週間は滞在するぞ・・・」
と考えた人は、野鳥好きの人。

フィリピンイーグルは、
絶滅危惧種にも指定されていて、
私も、ダバオの郊外の保護施設の
檻の中でしか見たことがなかった。

おっとどっこい、数日前に、
リグアサン湿原地帯のサパカン集落で、
幼鳥を飼っている人に
見せてもらったっけ。

そういえば、来る途中、
エメラルドグリーンの鳥が横切ったけれど、
どう見ても
カワセミの一種としか思えないし。

専門家ではないので何とも言えないが、
リグアサン湿原は、
周囲の丘陵地帯も含めて、
天然の野鳥の宝庫!!!

そのスケールから見ても、
釧路湿原を数倍しのぐ。
釣りにヨシ、カヌーにヨシ、
野鳥観察からワニ観察まで・・・。

石油や天然ガスが出るからって、
こんな素晴らしい自然を
破壊しても良いの?


下の写真の場所に、
多湖さん家族から寄贈された
保育所を移設する。

クリスチャン集落に遊びに来た
イスラム教徒の少女たち。


保育所の移転と
今後の取り組みについて
話し合いがもたれた。


イスラム教徒の村長と
キリスト教徒の集落長が
話し合っている。


市の福祉局DSWDの所長補佐
グレイスさん、
MCLのボードメンバー。


クリスチャンとムスリム集落の
出会う場所に、
今度、村人たちが
協力して保育所を移設する。

多湖さん一家によって寄贈された保育所だ。
その話し合いがもたれたが、
その場所に、ぜひとも
バスケットボールコートも作りたい。

バスケットボールコートは、
トウモロコシなどの
穀物干し場になるし

保育所は小さな子たちの
バスケットボールコートは、
若者や大人たちの良き交流の場になるから
と言う話も出て議論された。

どなたか、
寄贈できませんか?
今見積もりをとっているところです。
バスケットボールコートを作る場所。

こうしていけば、さらに多くの家族が
ここに戻ってくるだろう。

40年間、憎しみと戦闘ばかり
安心して暮らせるって良いね。



bual8
安心しきっては
いられない。


現在進行中のMILFと
政府側の和平交渉の会議。
北コタバト州などの独立を目指す
MILF側と政府側の交渉が決裂すれば、
再びかなり大規模な戦争が勃発するだろう。


先日のタリタイ集落での
ミィーティングでも、
IMTがどこまで本気で
平和構築が出来るかが問われている、
と言う話だった。

8月のラマダン明けが
一つの目安だろうか。
5月からすでに、
国軍の動きが活発化している。


NPAの領域も含めて、
すでに政府による
手術(オペレーション)が始まっているが、
8月には、一斉に新規放出?

アキノ大統領は
平和路線で行きたいらしいが、
周囲がそうはさせないかもしれない。


南シナ海を巡る、
ASEANとその背後のアメリカ、
それを睨んだ国軍とアメリカ軍との
バリカタンという
合同演習という名の実戦!

対する
中国の動きもからんで・・・
資源争奪戦はまだまだ続く?


尖閣列島も北朝鮮も、
これから戦争作りのテクニックの
本番に利用されるかもしれないので、
日本の皆さんも
心した方が良いかもしれないと思った。


アメリカ政府は
米国市民に警告を発した。

http://jp.reuters.com/article/
topNews/idJPJAPAN-21717320110615


国務省は「空港やショッピングモール、
会議場など人が集まる場所が
狙われる可能性がある」とし、
「ミンダナオやスールー諸島に
渡航する場合は
細心の注意を払うべき」と呼び掛けた。

昨年11月にはミンダナオ島の
中部と西部への
渡航警戒を勧告していたが、
今回は対象を島全体に拡大。
また「テロ攻撃は無差別の可能性があり、
マニラでも起こる恐れがある」としている。


オーストラリア政府も
14日発表したフィリピンへの渡航勧告で、
ミンダナオ島東部については
「必要性を再検討するように」と
制限を緩和したが、
同島西部は引き続き「禁止」としている。

先日は、洪水難民救済のためとはいえ、
オーストラリア政府の寄贈の
高性能戦闘用ボートに乗せてもらったし、
それなりのゲームが、机上で作られ
実行されつつあるのだろうか。


ここが戦場になったら、
ここの子たちを全ていったんMCLに
集団疎開させよう。
こんな可愛らしい子たちを
戦闘の渦中に置いてはおけない。


幸いMCLは、発足時から、
避難民救済のための
シェルターの許可も得ているし・・・
でも経済的に食べさせていけるかなあ?

正面に座っていた母親が私に声をかけた。
「トモさん、何を考えているの、
一人沈み込んでいらっしゃるようだけど」
「エッ、いいえ、別に。
ここにバスケットボールコートを作れば
皆もっと楽しく幸せになれるかと・・・」



baul9
イスラムと
クリスチャンの
集落の人たちが
協力して
保育所を運んだ



ニューバレンシアの保育所は、
クリスチャン集落の
中にあったが、

新たにクリスチャン集落の人々も、
村を作り始め、
その道の向こうにイスラムの人々も
ラガイエン集落から戻ってきた。

両方の集落が、道を挟んで仲良く
生活を始めたので、保育所も、
両方の子どもたちが通える位置に
移すことに決定。

クリスチャンとムスリムの人々が、
協力して保育所を運んだ。
何とみんなで担いで山道を移動させた!



こうした作業も、
平和構築への
大きな足がかりになる。


保育所を通して、
子どもの頃からイスラムの子と
クリスチャンの子たちが友達になれる。


ここに、さらに、
バスケットボールコートを作りたい。


コンクリートのコートは、
トウモロコシなどの干し場になり
地域の経済にも貢献するし。


子どもたちだけではなく、
若者や大人たちの
交流の場にもなるから。




bual10
山元神父さんによる
ニューバレンシアの
平和のミサ


イスラムの村と
クリスチャンの村の中間に、
保育所の移設も完了した。


Mの会で、
ここに穀物干し場を兼ねた
バスケットボールコートが近くできる。


子どもたちは、
仲良く保育所に、


若者や大人は、
バスケートボールを楽しみながら、
収穫を喜ぶことが出来る。




bual11
アルバちゃんも
元気だった


2008年の難民キャンプで
出会ったアルバちゃん。

その後も、行橋カトリック教会から、
ミルクの支援が続いている。
避難生活で出会ってから4年。
ずいぶん大きくなった。



bual12
ブアランの
小学校が完成!

MCLで提案しマネージメントした
JICA(日本政府)による小学校が、
何と3ヶ月で完成した。


かつて対立していた、
イスラム教徒とキリスト教徒の
村の親や人々が協力し、
子供たちのために喜びの内に建設。

何十人も協力して、
何と3ヶ月
8月のラマダン前に完成した。

教育支援が、
いかに平和構築に役立つか・・・・

日本が支援して建てた学校は、
いつ見ても繊細で美しい!

設計と施工監督は、
JICAが指定したBDA
(バンサモロ開発エージェント)の
エンジニア、マンソーリ氏。
実は、MCLの奨学生の叔父さん。


教室の内部も
清潔で明るい雰囲気で、
黒板も広がりが大きく
家具もしっかり作られている。


トイレもトイレタンクも、
清潔にしっかりと作られている。
便座と蓋がないのは、こちら仕様。

トイレットペーパーは、
こちらでは使わず
水と手で、お尻を洗い流す。

慣れるとこの方が、
キレイになった感じ・・・。


8月23日には、
ここで完成祝いを兼ねた、
平和の祈りの集いを行う。

ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たちも大勢集まり、
イスラム教徒、キリスト教徒、
マノボ族皆で祝う。

日本を代表して、
国際監視団IMTの落合さんも参加、
仏教を代表して語って下さるだろう。
山元眞神父と小倉カトリック教会の子供たちも
日本から参加の予定。



bual13
ブアラン小学校の
最終チェック


設計施工を担当した、
BDA(バンサモロデベロップメント 
エージェンシー)のマンソーリ氏。


これがかつての小学校。

6年生は野外で授業。


壁には、
J-BiRDと書かれている。


J-BiRDとは、
(Japan-Bangsamoro Initiatives
for Reconstruction and Development)
の略称らしい、

実は、ミンダナオに来る前までは、
ぼくは海外支援やNGOなど
ほとんど興味も関心も無く、


偶然にミンダナオに突然飛び込んで、
可哀想な戦争避難児を見て哀れに思い、
この活動を始めたので、

ほとんど国際的な
支援活動に関しての知識はなく、
未だに恥ずかしいぐらい無知に等しい。

支援活動の最初は、
避難生活で笑顔を失っている子どもたちに、
笑顔を取り戻して欲しいと思い
読み語りから始めた。

けれど、病気の子がたくさんいるので、
案内してくださっていた社会福祉士に、
「この子を治療しても良いですか?」
とたずねると、

「どこのNGOですか?」と聞かれた。
まだ、組織を作っていなかったので
「個人で助けたいのですが・・・」
と言うと、「それは、出来ません!」

その人がクリスチャンだったので
「なぜだめなのですか、
イエスは、病人を癒やしたでしょう。
どこのNGOに属していたのですか?」
というと、その人は困った顔をして言った。

「もし、誘拐や人身売買になったら
責任が持てないからなんです・・・」
なるほどと思った。

それがきっかけで、
学校に行かせてあげていた、
当時10代の3人の若者たちに相談すると。

「わたしたち、法人資格の立ちあげなんて
わからないけれど・・・やってみる!」といって、
何と半年でMCLを立ちあげた。
MCLの正式名称は、特定非営利法人
Mindanao Children's Library Foundation, Inc.

読み語りを基盤に、
医療、奨学生、孤児施設の認可を得ている。
けれども、法人資格を得て
うれしかった理由はただ一つだけ。
「これで、子どもたちを救える!」

このことは、拙著
「手をつなごうよ」(彩流社)で語られています。
読みたい方は、以下の写真をクリックして
購入してみてください。

bual14
平和の祈りのために
立正佼成会から送られてきた、

夢ポッケを
トラックに積んだ



1053個のゆめポッケが、
MCLに届いた。


その中の500あまりを、

今回は、小学校が建設された、
ブアランの子どもたちに
届ける事にした。




bual15
MCLが主催し、
日本政府が建設した
小学校の開校式を兼ね
平和の祈りを
ブアランで開催


MCLが提案・マネージメントし、

日本政府とバンサモロで建設した、
ブアランの小学校の開所式を兼ねて、
平和の祈りを開催した。



戦闘の激しかったブアランの地に、
7教室の美しい学校が
日本政府の支援で完成した。

草の根支援と呼ばれるこの支援は、
現地のローカルガバメントや
NGOの要請を、
日本大使館で慎重に審査して決定される。

MCLは、
現地組織として案件を提出、
日本人が関わっているNGOとしては、
今回唯一だった。

美しい校舎は、
30年間対立していたこの地域の
ムスリムとクリスチャンの
親たちが協力して、3ヶ月で建設した。


平和の祈りは、
MCLの子どもたちの


踊りから始まる


今回、
背後で中心に位置している男の子は、

イスラム教徒で
戦闘で両親を殺され、
自分も腹を射貫かれた少年。

今は、
MCLに住んでいる。


訪問者の方々

国際停戦監視団の落合氏
仏教徒を代表して参加。

MCLジャパンの山元眞神父
日本のカトリック教会から。

ブアランの村長さん、
イスラム教徒。

ピキットの神父、
現地のカトリック教会から。

ブアラン小学校の校長先生、
イスラム教徒。

MCLプレシデント アスレー。

イスラムの祈りが
聖職者によって行われ、、

イスラムの祈りの歌が
MCLの奨学生たちによってうたわれた。

その後、
マノボの祈りと、

マノボの歌が、
先住民の奨学生たちによって謡われた。

その後、
クリスチャンの祈りと、
クリスチャンの歌が歌われた。


国際停戦監視団からの
参加と報告の後に、
仏教の祈りが、落合氏によって捧げられた。

最後に、
イスラム、先住民、クリスチャン、
みんなで、


平和の歌が歌われた!

オウコイ酋長も参加して、

マノボの踊りを
披露した。



オウコイ酋長の
突然の参加に、
マノボの子たちも大張り切り。


山元神父さんも、
マノボ族になった?


日本からの訪問者たちも、
急きょ踊り加わった。



そのあと、
立正佼成会から
送られてきた夢ポッケを
子どもたち全員に渡した。



平和の祈りの最後に、
立正佼成会から贈られてきた
ゆめポッケを、

参加した子どもたち
全員に配った。


日本の子どもたちが、
食を抜いてためた献金で、

一つ一つ思いをこめて、

ノートや文具やプレゼントを選び、
さらに両親などが巾着を手縫いして
作っただけに、

単なる物ではなく、
そこに魂が、


籠もっているといつも感じる。

子どもたちにもその事を説明する。


MCLジャパンと
Mの会を代表して
参加した山元神父さんも、

自分の支援している
イスラムの若者に出会えて大喜び!


山元神父さんに同行した
大学生の拓くん。

数日するとすっかり
現地の若者たちと溶け込んで、
帰るときには、

「今度は、
ぼく、一人だけで来て、
もっと長く滞在します!!」



このブアランの小学校建設の経緯を
JICAから
IMT国際監視団に派遣され
平和の祈りに参加された
落合直之さんが
以下の本のなかで
書いていらっしゃいます。








bual16
和平構築のために、
イスラム地域での
保育所建設を促進


長崎出島ロータリークラブ
寄贈による
ピキット・タリタイ村の
保育所の開所式


NPO STUDY UNIONを主催されていらっしゃる
関さんは、3度目の訪問。
今回は、RCの寄付で
タリタイ村に保育所を建設された。


希望としては、イスラム自治区のカルボガンに
保育所建設を望まれていた。
私たちは、資材も購入し
準備を完了していたのだが、
洪水が繰り返し襲うことで、

どうしても
建設を開始することが出来ず、
急きょ、
ピキットのタリタイ村に変更した。

ここは、
MCLが最初に活動を始めた地域で、
イスラム地区における活動は、
ここから始まった。

関さんは、STUDY UNIONの活動を
なさっていると同時に
長崎出島のロータリークラブの
メンバーでもあられる。

STUDY UNIONに関しては、こちらをクリック
http://www.justmystage.com/
home/studyunion/


今回の開所式で私が個人的に
最もうれしかったのは
この子に会えたことだ。

下は、かつての記事の抜粋。
洪水で大変な時に
たった一人で魚を売りに
裸足で道を歩いていた。

ウナギはいくらかと聞くと
二匹で25ペソ、50円
そこで、持っていたウナギ4匹を
100ペソで買った。

小さい頃から、
親に言われて、
こうして兄弟で魚を捕っては売り歩く。
それが、彼等の生活を支えている。

あまりにも身なりが貧しいので、
思わず車を止めて魚を買った。

タリタイ村の川沿いの集落に
住んでいると言うことはわかったが、
どこだかわからない。

必ずいつか探し出して
訪ねようと決心したのだ・・・

こうして、日々の糧をようやく
得ている多くの貧しい人々が、
川沿いの地域で生活している。
もちろん、学校に行くことも出来ない。

開所式の読み語りに
その子が来ていることが
わかったときには、
どんなにうれしかった事か。

早速、写真に収めた。
彼女も私を思い出してくれた。
一緒にいるのは、妹。
ピンクの服を着ているものの破れてひどい服。

話を聞いていく内に、
川沿いの非常に貧しいニュータリタイに
住んでいるという。
川沿いゆえに、
洪水の影響をもろに受けている場所。

この村には、
MILFの司令官もいるのだが、
彼も貧しく、タリタイの村長に
米をもらいに来たりしている。

彼女のお父さんも病気で
ほとんど仕事が出来ないので、
この子たちが魚を獲っては、
売り歩いていることもわかった。

その村は
貧しいと言うことで
必ず訪れる決心をした。


写真の少女は、
恐らく兄弟が捕ったウナギを
村の小さな市場に売りに行くところ。


ダムで川が堰き止められることによって、
乾期に水位が低下し、
漁業が出来なくなったために、
多くの貧しい人々が、
日々の食卓にも不安を持つようになった。

こうした人々は、ダムの後にさらに
農業用灌漑水路が出来ることによって、
今まで以上に水位が低下して、
漁業被害が出ることを怖れている。


下の写真は、
地元の子のように見えるが、
わたしの娘の藍花と舞花。

足は素足だ。

こちらは、
本当に世話になった
タリタイの村長さん。


この村からは、
現在、MCLのプレシデントをしているアスレー、
スタッフのノライダさんや
アミン君も来ている。

過去に多くの奨学生を採っていて、
大学生を卒業して
いろいろな場所で活躍している。

上の写真は、保育所の先生だが、
奨学生のお姉さんでピキットBDAの
メンバーでもある。
EUの支援で学校も建ったが
保育所だけが小さかった。



bual17
国連難民高等弁務官
事務所UNHCRから
今井飛鳥さんが
避難民調査に


UNHCR
(United Nations High
Commissioner for Refugees)
国連難民高等弁務官事務所のサイトInfo


UNHCR
(国連難民高等弁務官事務所)が、
コタバトに拠点を構えたことは知らなかった。

UNHCRは、
緒方貞子さんがかつて活躍した
国連の部署であるぐらいしか知識はない。


UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の
Protection Officer の
今井さんから連絡をいただき、
MCLでお目にかかることになった。

ミンダナオにおける先住民族、
特にマグペット地域のマノボ族の
状況について聞きたいという、
お電話をいただいた。

MCLでは、
バランガイマノボで
200名を超す避難民が出て
すぐに行動を起こしていたし、

そこから最奥の集落
アポックアポックに保育所建設を開始。

同時に、現地の状況を
かなり把握していたので
マキララやアラカンの情勢と共にお話をした。

ボードメンバーのガボン牧師に連絡をし、
当日は各地の首領も参加して、
マノボ族の状況を話し合った。

これをきっかけに、
お互いに協力しあって行くことに
話がついた。

min1
ミンダナオの情勢

ミンダナオの情勢は
良いのか悪いのか、
つかみ所がはっきりしない。

イスラム地域は、
ラマダン明けが一つの節目で、
ラマダン期間中は国軍は動いても
イスラム教徒は、断食月に入り動かない。

しかし、
あちこちで爆弾事件などが
起こるのもこの時期。

マスコミでは、
反政府勢力の仕業と報告されるけれど、
現地の人は、
簡単には信用しない。

爆弾事件や誘拐殺人は、
戦争を作るための
第三者による仕掛けだという。
それに対応するかのように、
ラマダン明けに戦闘が起こることが多い。

現地では8月初め頃には、
和平交渉が
決裂するのではないかという、
不安があって少し緊張した。

決裂すれば、
即戦闘態勢に入るという話も聞いていたし。
7月下旬あたりから、
軍の動きも活発で目立つようになった。

しかし、
アキノ大統領とMILFの極秘会談が、
日本で行われ
平和への努力話しが合われ、
戦闘は回避されたような感じだった。

むしろ、戦闘の動きは、
マグペットやマキララの
マノボ族地域で起こり始めた。

若い軍人たちが投入されている、
という話は
聞こえていたし、

マノボの人たちからは、
山の中を軍隊が
陣を張ったり動いている、
という話が聞こえてきていた。

戦闘は、
小規模な物だが、
死者や避難民もあちこちで出た。

マキララでは、空からの空爆もあり、
バゴボ族にかなりの死者が
出たと聞いたが、死者の実数などの報告は、
マスコミ上では出てこない。

日系人のバゴボ族も
この地には多く、
MCLの奨学生になっている子もいる。

MCLの奨学生のいる、
ボアイボアイでも戦闘が起こり、
今も住民は困窮している。

しかし、こうした小規模な戦闘の状況は、
ほとんど現地でも報告されることもなく、
今回、国連難民高等弁務官事務所
UNHCRから
連絡が入ったときは少し驚いた。

国際的な機関は、
このような小さな動きには、
呼応しないものだと思っていたから。

同時に、私は
イスラム地域の状況と同時に、
貧困では、はるかに困窮している
マノボ地域に、
比重をかけて行こうと考えていた
矢先だっただけにうれしくもあった。

今後の動きについては、
予断を許さないと思っている。

和平交渉は、自治と資源が
メインの課題としてのぼってきたが、
両者の隔たりは未だに大きく、
和平交渉の困難さを浮き彫りにした。

結果的に、
和平交渉は継続するが、
政府案は拒否する考えを
MILF側は表明した。

イスラム地域での今後の動きは、
MILF分離派のKatoの動きとも
複雑に関係している。
http://newsinfo.inquirer.net/
52461/kato-prefers-talks-

先日、ミンダナオ子ども図書館で
平和の祈りをしたブアランの
ニューバレンシア。
その裏のラガイェンに軍が入った。
上記の事と関連している。

2008年にも、
この地域から戦闘が勃発した。
それが50万の避難民を
発生させる戦闘に拡大していったのだが、

ブアランの子どもたちや
ラガイェンの奨学生たちの事を考えても
この地域の動きに
不安を覚える者たちは多い。

マノボ族の地域も含めて、
子どもたちの事を考えて、
出来る限りの
手は打っていきたい。

平和構築も安易に出来る
ことではないことは
重々承知だが、
諦めてはいけない。


min2
マカブアルの小学校に
奨学生の
学用品を届ける


日本政府ODAの支援で、
MCLが建てた
マカブアルの小学校は、
洪水の中だった。

しかし、
プランギ川からは
比較的離れているので、
水が屋根まで届くような事はない。

今回は、
奨学生に学用品を届けるためと、
IMT国際停戦監視団の
福永さんが訪れるという事で
事前の打ち合わせに訪れた。

もちろん、
洪水被害の状況を
チェックするためでもあるが・・・


遙か彼方にも
家々が見える、
マカブアルの小学生たちが
通っている集落だ。

普段はもちろん、
陸を歩いて通っているのだが、
今は完全に水の中だ。

どうしているのだろう、
かなり困窮している話を聞く。
時を見つけて、
この集落に行ってみよう。

父親を失い、母親が一人で漁師をしながら、
子どもを小学校に
通わせている家族があるが、
経済的困窮で、
小学校3年生を休学せざるを得ないようだ。

何とか学校にいけるようにしたいし、
MCLは、現状を把握するために、
必ず家庭を訪問する。
水の中でも・・・。


確かに、
大変な状況なのだけれども、

子どもたちには、
困窮を楽しみに
変えてしまう力がある。

そんな
子どもたちの様子に、
私たち
大人の心が救われる。



MCLの奨学生が
沢山いるせいか、
かつての暗いイメージは今は無い。


ここは、
かつて道も無く、
反政府組織の拠点の一つだった。

今は、
外界との道もつながり
200名だった子どもが
500名になった。


JICAの草の根無償で建てられた
学校は、
いつ見ても美しいと思う。


学校は、
洪水のために休校だったので、
先生方から子どもたちに
学用品を渡してもらうようにお願いした。


マカブアルには、
ほとんど家が無かったが、

今は、
多くの家が建ち始めた。

戦闘で村を放棄していた人々が
帰ってきたのだ。

小学校の生徒も、
200名から500名になった。


この地域は、
農業地帯だが、
上流の雨次第で洪水は
急速に引いていくだろう。

洪水の後、
肥えた土が残るので
地味は豊かだ。

それゆえか、
戦闘時のような
悲壮感はあまり感じられない。


今回、BDA
(バンサモロ開発エージェンシー)の
エンジニアで、
JICAの委託でマカブアルの小学校を建設、
ブアランも担当している
マンソーリ氏が同行して下さった。

今はコタバトに居を構えているが、
この地の出身で姪は偶然MCLの奨学生。
子どもの頃を思い出して、
舟を漕ぐマンソーリ氏の後ろ姿。



min3
洪水の中を舟で・・・
円福幼稚園寄贈の
ARMMカルボガン
保育所の開所式


円福幼稚園ウエッブサイト
http://w2.avis.ne.jp/~enpuku/


前日からの大雨で、
鉄砲水がピキットを襲った!


確かに、
今年は異常に雨が多い。

2008年の戦闘時に、
多くの人々が
避難民であるにもかかわらず、
無慈悲に雨が降り、洪水が起こった。

それに勝とも劣らない、
雨だという。

去年の春は、
エルニーニョで
山岳地の人々が困窮した。
ピキットの上流のアラカンのマノボ族たちだ。

今年は、
異常に雨が多いので、
下のリグアサン湿原周辺の
イスラム教徒たちが大変だ。

しかし、
それでも戦闘がないだけ、
まだ平和な感じがする。

日本でも、
津波のような天災よりも、
原発の人災がよほど怖いように、
ここでも、洪水よりも戦争が恐ろしい。

といっても、
洪水も原生林(ジャングル)が伐採され、
日本等に材木が
大量に輸出された結果に起こされた
人災でもあるのだが・・・


モスクもすっかり水の中だ。
家を放棄して
道路に逃げている人々。


車が一台水をかぶりストップ、
修理する


悲しいことだが、この道は、
昔の轍道を戦闘後、
USAIDというアメリカのODAが、
土盛をして幅を広げて高くし建設した道路だ。

それが、
堤防の役割をしてしまうために、
道路の川沿い側の集落が、
ことごとく水没するようになってしまった。

水はなんと、
屋根まで来る。
奨学生が多くいるタリタイ村の家々も
水没するようになってしまった。

このような状況の結果、
人々の開発支援に対する
不信感が増幅する。

支援が
逆効果を及ぼす悲しさ。


それでも、
人々の生活意欲は高い。
決壊した道路沿いで魚を捕る子どもたち。

水の中で、
ボール遊びをする子どもたち。


本来なら、
この先まで
車で行かなければならないのだが、

今回は、断念して
ラジャムダまで
舟で来てもらうことにした。




min4

ラジャムダから
舟に乗ることに変更



日本のODA、JICAが建設した
ラジャムダの高校も水の中だった。


この学校には、
MCLの奨学生も通っている。


子どもたちが
釣り竿で魚をとっているように
見えるかもしれないが、
そうではない。

川の畔にたち、
上流から流れてくる
木や枝を集めているのだ。


それを集めて薪にして、
家のご飯を炊いたりするために。

時には、
一束いくらかで売るために。



JICAの支援で建てられた、
こちらは、
ARMMタリタイの小学校。


こちらも、
すっかり水の中だった。


ようやく
カルボガン集落に
着いた




カルボガンに建った
ワカワカ保育所。

円福寺幼稚園の寄贈だ。
円福幼稚園ウエッブサイト
http://w2.avis.ne.jp/~enpuku/

先生から、
保育園の名前は、
子どもたちに付けてもらいたい、

と言うご希望で、
ワカワカ保育所という名になった。

こちらの人ならすぐにわかるが、
今流行の歌に出てくる節回しで、
特に意味は無いようだが、

子どもたちが
踊り出したくなる言葉らしい。



min5
その後の洪水で
ARMMイスラム自治区

カルボガンに
建てたばかりの
保育所も水の中だった


つい先週に開所式があった
カルボガンの
ワカカワ保育所も水の中だった。


村は、
完全に水の中だ。


つい先週開所式をしたばかりの

ワクワク保育所の子どもたち

ワールドフードや国軍、
地方自治体や国際NGOなどの
食糧支援が始まったが、

北コタバト州にある
ピキットサイドがほとんどで、

イスラム自治区ARMMサイドには
全くと言って良いほど、
支援が行かない。

川を隔てて
対岸なのだが・・・。



min6
イスラム自治区に
シートと衣料を届ける


サパカン集落に届ける

サパカン集落は、
リグアサン湿原の入り口にあり重要な要衝。

近年、
この先のブリオクなどから
非難移住してきた家族などが沢山住んでいる。

生活は、半農半漁だが、
とりわけ土地の無い人々は、
生活を淡水漁業に頼っている。

年収は、5000ペソ、
一年間の収入が
なんと1万円程度だという。


パンボートと言う
エンジン付きの小舟を
貸し切って乗り込む。

覆面をかぶっていて物々しいが、
MILF側のセキュリティだ。

このあたりには、国軍は入れない。
いったい何から、
私たちを守ろうとしているのだろうかと、
いつも不思議に思うのだが、

その筋から、
現地の司令官などには、
私たちが入るという報告は行っている。

スタッフたちがシートを渡す。


一枚ずつチケットをもらって渡さないと
大変な混乱状態になって、
もらえない人々が
殺気立つこともあるので、

確実にチケットと
引き替え条件にする。


この村からは、
奨学生もたくさんとっているので
皆さん、
MCLの事をよくご存じで、

読み語りなどもしているし
総じてフレンドリーだ。

日常からのお付き合いが
大切だとつくづく思う。



min7
日本から
送られてきた
古着も渡す



古着は、
子どもたちを優先する。


特に、
貧しい見成りの家族に、


手渡すように心がける。



村を離れるとき
みんなで見送ってくれる。

とりわけ子どもたちが可愛い。
沢山の困ってる子を
奨学生に採りたいのだけれど・・・。


最後は、
フォーレックスの段ボール箱も渡す。

結構貴重品で
箱が壊れても段ボール紙を
寝床の代わりに敷いたりする。



min8
カルボガン集落に
シートを届ける


サパカンから
舟でさらに下流に下っていくと
ブリオク、バロンギスを経て
カルボガンに着く。

下は、
友人の村長さんと息子さん。


サパカン以上に到達が難しく、
貧しい地域だ。

カルボガンから小舟に乗り、

まずは、
最も困窮している湿原内の家族に、
シート、衣料をわたした。



すでに手渡してあった、
チケットを持って、


水の中を、
母親がやってきた。




min9
スカラシップ候補
にした子のインタビュー


前回、
チケット配布で来た
洪水の中の家。

子どもたちが大勢居るのに唖然としたが、
その中の年上の子の一人が
中高校生であり、
成績も悪くない事がわかった。

こうした困難な状況の中から来た子にこそ、
大学に行ってほしいと思い
スカラシップ候補に選んだ。
彼女は、大学を出て教師を目指す。


もう一つの理由は、
こうした子を選ぶことによって、
MCLと現地を結ぶ
コンタクトパーソンになってくれるから、
中高校生を選ぶ。

カルボガンには、小学生のスカラシップの子が
10名ほど居るが、
高校生は、この集落では、
この子を入れて二人となる。
もう一人は、写真で緑の服を着ている少年。

高校一年生で、
私たちを守って同行しているが、
素直でとてもよい子だ。
上の少女とも同郷の顔見知りなので、
今後、二人で月末のミィーティング(総会)に
キダパワンまで来るだろう。

一人で来るより、心強いし、
MCLの平和の祭典や文化祭にも出席し
いろいろ感じてくれるだろう。

MCLの奨学生は、
こうして一人一人選んでいく。


かつて北海道の激流で
カヌーを漕いでいたので
特に怖いとも思わないが、


シートが足りなくなったので、
再度訪問を約束。
次回は、カルボガンからカバサランの至る
ARMMイスラム自治区サイドを
訪問することに決定した。



min10
医療支援も行う

カルボガンでは、
シートが尽きたので
医療支援に集中した。

子どもの風邪、腹痛、
足の皮膚病や出来物が多い。

汚れた水の中を
絶えず歩く生活のためだ。

歩くだけではない、
この汚れた水を飲んで生活をしなければ
ならないのだ。

この地で多いのが、
喉や顔や足のでき物、

腫瘍や腫れ物、
そして目や顔や足の奇形だ。




ここでは、
現在MCLのスタッフで、もと奨学生で
キダパワンの看護科を卒業した
フェさんが活躍した。

彼女は
マノボ族で、両親が別れてしまった。

父親はその後、
戻ってきたが
しばらくたって脳溢血で倒れた。

彼女は、
親を支えると同時に
驚いたことに、一人の小学生の里親を
自らかって出て支援している。

月一万円の
薄給だというのに・・・

こうした使命感に燃えた
スタッフたちが
育っていくのは本当に頼もしい。



min11
カルボガン小学校に
学用品を届ける


この小学校には、
保育所が無く、
今月中に建設予定で
資材も調達し終わっているのだが、


洪水が長引いて、
資材を運ぶのが
困難となり止まっている。


今回は
ようやく陸は見えたが、

資材運搬トラックが、
船着き場まで入らないのと、
繰り返し洪水が襲ってくるのだ。

しかし、
奨学生もたくさんいるので、
学用品だけは届けた。

来週は再び訪れて、
シートを届けなければならない。

この8年間、
この地域を繰り返し訪問しているが、
こんなに雨が多い年は初めてだ。
時には、竜巻のようにして襲う。


ダバオでも、鉄砲水で家が流され
30名ほどが亡くなったが
その大半は、子どもたちだった。


この子たちの治療も
実行予定に入れている。



min12
カルボガンの
小学校は、
ひどい状態だ


これは、
物置でも納屋でもない
これが二クラス分の教室なのだ。

上流のサパカン集落の学校もひどいが
カルボガン集落の学校は、
それに輪をかけてひどい状態だ。

この地区では、唯一バロンギスや
ブリオクの集落が建物も良い。
JICAの建設したコミュニティーセンター
イスラミックセンターもあるが、


前コマンダーが亡くなってから
あまり使われている様子もなく
今後どうするかが課題でもある。

とりあえず、MCLは、
最も貧困状況が良くない
サパカンとカルボガンを支援対象地として、

少しずつ地域と
関わりを持っていくことにした。

とにかく
小さなNGOに過ぎないので
たいしたことは出来ないから・・・。


サパカンの後に、
いつかカルボガンの小学校も
JICAにアプライしたいが、

もう少し
様子を見た方が良いと判断し
最初にサパカンを選ぶ予定だ。


翌日、また大雨が降り
少し引いた水位が
またもとに戻ってしまった。



min13
バロンギス集落に
学用品と
衣料を届ける


カルボガンでも、
このバロンギスの集落の学校は良い方だ。

ここからも
スカラシップの子たちを採っている。



私たちは、
この村を通り過ぎて、

さらに奥の集落に
いつも向かうので、

集落長から、

「ここも大変なので
支援対象から外さないでほしい」
と、切に言われた。


そこで、
集落を見回ったが、


特に川向こうの、
リグアサン湿原地帯が、
同様に貧しいことがわかった。



再びサパカンにもどり、
学用品を届ける


再びサパカン集落に戻ってきた。

子どもたちも喜んでくれて
なんだか、
故里に戻ったような気がする。


下は、
スカラシップの子どもたち・・・

奨学生たちだが、
今年から高校になった子たちは、

対岸の
ラジャムダ高校に通っている。


下の写真は、ラジャムダ高校の新任の先生。
今年から先生に採用された・・・
もとミンダナオ子ども図書館の奨学生で、
奥さんは、MCLスタッフの会計担当のネットネット。
彼は、イスラム教徒で奥さんはクリスチャン。
可愛い男の子がいる。


min14
国際監視団IMTの
福永さんが
マカブアルの小学校と
MCLを訪問された


JICAの職員として、
世界各国で活動されてきた福永さん
今回は、IMTのメンバーとして
ミンダナオに赴任された。

私がお世話になった
ハウスオブジョイの烏山さんと、
青年海外協力隊のころからの友人。
http://hoj.jp/
今回は、MCLを取材されるために来られた。

MCLが、
JICA草の根無償で建設した
マカブアルの小学校を訪問。

マカブアルは、現在洪水に見舞われていて、
ミンダナオの現実を行政の視点からと同時に、
地域住民の視点から見つめる
良い経験になった。


洪水は、毎年起こるわけではないが、
2,3年に一度の割合で起こる。
前回の大きな洪水は2008年だった。

この時期は戦争の時期で、
避難民化している人々を洪水が襲ったので、
大変厳しい状況だった。

MCLは、ビニールシート、
医療、食料の支援をした。
今回は、戦闘が無いだけ、
まだ平和で良いが、困窮の状況は変わらない。

ピキットの地域政府は、
すでに米の支給をしているが、
一世帯わずか2キロ。
洪水が長期化しなければ良いが。

屋根近くに逃げたりして、屋根が壊れたり、
避難民化している人々も多く、
MCLでは、他がしていない
ビニールシートの支援をすることに決めた。



min15
マカブアルの小学校も
水の中だ


一時、
教室内まで水没したが、
今は、多少水が引いた状態だ。

村に行くには、
小さな舟に乗るしか道はない。


周囲は大海原のようだが、
マカブアルはまだ内陸に属していて
この先の村々の被害が甚大だ。


学校は、すでに一週間休校だが、
事前にMCLで連絡していたので
先生方が駆けつけて下さった。
DSWDのグレイスさんもご一緒下さった。
MCLのボードメンバーだ。


少し遅れて、警官も到着。

恐らく市長からの要請だろう。
裸足なのが珍しい?


人々の生活は楽ではない。
漁師をしている人々は良いが、
内陸地ではおもに農業で、
そうした人々は打撃が大きい。

洪水を避けるための
灌漑用水路が効果的だと思うが、
漁業者は、湿原の水位が
低下するのではないかと怖れている。

洪水で
地味が豊かになる利点もあるが・・・。


私がこの地に踏み込んだときは、
この村に入る道は
踏み跡以外に無かった。

理由はいろいろあるが、
今もそれは変わらないと思うのだが、
奨学生を30名ほど採用し、
今その多くが高校生。
大学卒業生も出ている。

読み語りにも通って、
村人たちと親しくなり、
人々も警戒を解いて
親しくしてくれるようになった。

その時期から崩れかけ、
屋根だけの校舎で勉強している
子たちの状況ゆえに、
村人から、学校が建てられないか、
と言う依頼が出てきた。

MCLのような小さなNGOでは、
簡易保育所建設が限界であるし、
学校のような恒久的な建物は、
コンクリートのしっかりしたものを建て
半永久的に使ってもらわなければ
意味がないと考えた。

そうなると五百万から
一千万円はかかることになる。

MCLの力ではとても無理と考えて、
検討した結果日本政府ODAである
JICAの草の根無償基金に
応募することにしたのだ。

この基金は、対象が日本のNGOではなく、
現地のNGOが直接大使館に応募する基金で、
MCLは、フィリピン政府公認のNGOだから、
応募できる。

完成後、当時200名だった子どもたちが、
500名近くになった。
USAIDにより道も出来、
電気も届き、家々がたち始めた。

村の人々が、
明るくなったのが何よりも印象的だ。

うまく機能すれば、
政府のODA、米国などの海外支援、
JICAのプロジェクト等が
素晴らしい効果を発揮する良い例だろう。


コタバトのOMIオブレード会の
オーランド司教が、
今までの既存の洪水対策の
抜本的な見直しを提案しているが、
賢明な方策だろう。

漁業者、農業者、
政府側、反政府側が
歩み寄って根本的な対策を打ち出す時期だ。

JICAが会議の場を提供しEUを含む
IMT参加国やUNとも連携し
技術的にも協力する体制を打ち出したら
良いと思うのだが・・・


ピキットの後に、
MCLを訪問された


お昼時に
子どもたちが戻ってきていたので、
急きょ短い歓迎会を
子どもたちが開いてくれた。


その後、
インタビューを交えて2時間近く話をした。
内容の一部は、
IMTの機関誌に掲載されると思うので、
皆さんにも報告したい。

ピーストークが、7月末に、
再度の区切りが付けられそうだが、
それをきっかけに、
戦闘が起こらなければ良いのだが・・・

今、不安定なのは、むしろ新人民軍だ。
NPA側との戦闘で先日、
私たちの奨学生がいるボアイボアイで
国軍との間に戦闘が起きた。

子どもたちが心配で、
学用品を届けるために
現地に行ったが、
小規模だったので軍も引いていた。

また、
保育所のあるマキララ地域の近くで
戦闘があり、こちらの方は、
150名ほどの避難民が出ている。

土曜日は、
ピキットの洪水対策のために
緊急支援に向かうが、
マキララの情勢もチェックしなければならない。

かつて7,8月頃に
戦争が起こるかもしれないと書いたが、
根拠がないわけではない、
戦争だけはごめんだ。
停戦監視団の方々、よろしくお願いします。



min16
病気の子たちの
チェックと手術


こちらの方でも、
今でも多数の奇形が見られる。
劣化ウラン弾のせいではないかと
現地でも言われているが・・・。

生まれつきの物も多いが、
後から、でき物が出来て
体の内部で大きくなる子も多い。

現地では、一般的には
水による影響と言われているが、
何らかの遺伝子の異変ではないだろうかと
思うことが良くある。


いったん引き始めた水が、
昨日来の大雨で、
また増え始めた。

写真のように川の流れに、
木の枝や浮き草が混じり始めると、
かなりの洪水になる。


子どもたちを
病院へ


ほとんど、
医者や病院に
かかることの不可能な子たちだ。

この子たちは、
その後MCLの奨学生になった。


いつもお世話になっている、
キダパワンの総合病院。

キダパワン・ドクトルスペシャリスト病院の
外科医師、モダンサ氏。

もう長いお付き合いで、
MCLの運んできた子たちの場合は
ご自身の給与無しで、
執刀、診断してくださる。

また、子どもによっては、
適切なアドバイスや
別のファンデーションや
良い病院を紹介して下さる。

こうしたドクター方に
どれほど助けられたか・・・



min17
治療の方法の無い子は
将来を考えて奨学生に


片目が見えなくても、
片足が動かなくなっても、
せめて大学を出て学校の先生や看護士など
プロフェッショナルの道へ。

こうした子は、
かなり軽度の方で、
集落に行くと、かなり高度な奇形
水頭症の子を見る。

全く動くことが
出来ない子も多く、
小さいうちに亡くなっていく子も多い。

とりわけ、2002年、
アメリカ・フィリピン合同演習バリカタン
の後に増えた。

バリカタンは、
演習と呼ばれる実戦で、
空からの空爆も行われ
死体を埋める暇もなく川に流したという。

ある案内の方が、
言った言葉が忘れられない。

「この川の魚、食べますか?
死体をたくさん流したから、
人の味がするんですよ・・・」



そのご、2015年に
日本で海外派兵を可能にする
集団的自衛権法が通ったときはショックだった。
集団的自衛権が通った後から
アメリカ・フィリピン合同演習のバリカタンに
日本の自衛隊も参加するようになったから。

集団的自衛権
(2015年05月12日 朝日新聞刊)
同盟国などが攻撃されたとき、
自国への攻撃と見なし、反撃できる権利。
国連憲章など国際法で認められている。
日本の歴代内閣は
「保有しているが、憲法9条との関係で行使できない」
との解釈を示していたが、
安倍内閣は昨年7月の閣議決定で、解釈を変更。
(1)日本と密接な関係にある他国が武力攻撃され、
日本の存立が脅かされる
明白な危険がある事態(存立危機事態)
(2)我が国の存立を全うし、
国民を守るために他に適当な手段がない
(3)必要最小限度の実力行使——
の新たな3要件を満たせば、
集団的自衛権による武力行使を
憲法上可能とした。

私が現地で戦争避難民の、
悲惨さにショックを受けて
避難民救済活動を始めたのは、
二〇〇〇年のバリカタンだった。

バリカタンというのは、
合同演習と呼ばれているが、
ミンダナオで40年以上続く実戦でもあり、
二〇〇〇年から数年続いたバリカタンでは、
一五〇万の戦争避難民がでて大変だった。

バリカタンは、
「合同演習」と呼ばれる「実戦」で、
空爆で
この地域の多くの住民も亡くなったが、

自衛隊が参加することによって現地では、
次にミンダナオで
バリカタンが起こされたときは、
「米軍と共に日本軍も攻めてくる」
と言われ始めた。

ピキットには、
スペイン次代の要塞があり
第二次世界大戦では、
日本軍の駐屯基地があった。

この地が日米の戦場となり、
米軍に敗北して、多くの日本軍人たちが
湿原地帯や山に逃げたために、
今でも日系人が存在している。

日系人たちは、イスラム教徒になり、
ゲリラとして活動している日系人も多く、
日本人の血が混ざっていることは
隠して生きてきているが、
私も実際に現地で会っている。

ある父親は、
病気の子どもを直して別れるときに
「実は、私の祖父は日本軍人だった」
と語ってくれた。



ミンダナオ紛争を戦った
「キムラさん」の正体

日系イスラム戦士、
「日本への思い」を語る
中坪 央暁 : ジャーナリスト
(以下をクリックして
東洋経済のサイトで読めます)

https://toyokeizai.net/articles/-/178118

フィリピン南部のミンダナオ島で
1970年代から続いたミンダナオ紛争。
分離独立を求めて政府軍と戦った
イスラム武装勢力「モロ・イスラム解放戦線」
(MILF)の中に、日系3世の大隊長がいる。
祖父が大正時代に日本からフィリピンに渡って約100年、
現在67歳になる“日系イスラム戦士”が経験した
戦いと平和への思いとはどのようなものなのだろうか。
現地で本人を直撃した。

今度、バリカタンが起これば
演習と称して自衛隊が
日系人に攻撃を
加えることになるだろう。

2000年から始まったバリカタンは、
2003年に、
米軍によるテロリスト掃討作戦になり、
空爆が行われており
その後、急速に奇形が増えた。

とりわけ、この時期に
妊娠していた子たちに奇形が多い。
爆撃の際に、劣化ウラン弾が
使用されたのではないだろうかと
現地でも言われているが・・・


治療は不可能でも奇形のまま、
貧困ゆえに学業を停止するより、
頑張って大学を卒業し
プロフェッショナルの道を歩かせたい。

奨学生になれば、
これから社会に巣立つまで
彼等の人生を見守っていける。
スカラシップの話をしたとたん母親の目から、
涙があふれ出した!



min18
劣化ウラン弾に
関してのサイト

劣化ウラン症状

私が劣化ウラン弾に関して初めて知ったのは、
友人で大阪の司教区に属し、
「正義と平和」の活動を進めている
松浦悟郎司教に会って、
こちらの子どもたちの写真を見せ、
奇形の多さに疑問を呈したときであった。

「松居君、これ、劣化ウランとちゃう?」
その後、
劣化ウランに関する本を読むうちに、
あまりに似た症状が多いので、唖然とする。


グーグル検索「劣化ウラン弾」
http://www.google.co.jp/

こういう子たちの将来を考えると、
極貧で生活が厳しい地域だけに慄然とする。
せめてスカラシップ支援が出来れば
してあげたいと思うのだが・・・。

MCLのスカラシップは、
変わった支援のスカラシップ?


カルボガンの奇形の子

手足の障害、
目の見えない子など、
生まれつきの身体障害が多い。
この子たち、皆カルボガンの子たちである。

私が同時に心配するのは、
このような被害が、
原発の崩壊した日本の人々、
とりわけ次世代の子どもたち子孫たちに
長期にわたって後遺症を
残していくのではないかと言う事である。


 戦争と平和
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洪水と植林活動
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マラウィの戦争避難民
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若者たちと
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最後に海の
下宿小屋に泊まった
 
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避難民に読み語りと
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ミンダナオ子ども図書館だより 宮木あずさ制作
現地日本人スタッフによる、
写真を交えた最新の活動報告です!
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
訪問等でMCLと出会った若者たちの想いです!
ミンダナオ子ども図書館:日記 松居友制作
松居友による活動報告および
製作映像や想いを載せた自由日記です!
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イクメンに未来をたくせそう!
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ぼくの少年時代と 思春期から   
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子育てよりも、子育つ世界!  
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講演、公演の予定表など 
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原住民、イスラム、クリスチャン 私たちは一つの家族!
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イスラム避難民の救済支援
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