戦争と平和構築
2015年の記録から
(3)


ほんらいは平和な島
1 ほんらいは、平和な島 GO!
2 演習と呼ばれる実戦! GO!
3 イラク戦争が勃発したとたん GO!
4 その後も現地に残ったのは GO!
5 2005年にふたたび戦争が起こり GO!
6 目の前で両親が殺された GO!
7 戦争の理由は、宗教対立ではなく GO!
8 加治康男の報道記録 GO!
9 人の味がするんです GO!
10 栄養失調になって体が弱っていく GO!
11 雷魚も鯉も人の味がするんです GO!
12 子ども時代から、くり返しくり返し GO!
13 世界がひっくりかえったような GO!
14 2014年~15年度の奨学生の状況 GO!
15 大学生たちが集まる総会を開催 GO!
16 小学校のころの体験が基盤に? GO!
17 本当に学校があるの? GO!
18 目指す高校があった! GO!
19 学用品をもらって大喜びの奨学生 GO!
20 4時半に起きて朝食のしたく GO!
21 エープリルリンに出会った当時のこと GO!
22 ひどい喘息もちで GO!
23 植民地主義とは極端な格差社会 GO!
24 大学までいけるスカラシップ支援にしよう GO!
25 おなじものをいっしょに食べて GO!
26 外遊びの体験があったがゆえに GO!
27 自分の力と想像力で考えてみる GO!
28 なによりも影響をうけたのは GO!
29 成績よりも遊びを重視 GO!
30 山や高原を歩きはじめたのも GO!
31 まじめに授業にもでなかった GO!
32 卒業したら何をしたいのか GO!
33 どうみても、野人だからな GO!

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ほんらいは
平和な島


ミンダナオは、
ほんらいは平和な島なのだ。

現地の人々の話では、
400年前に
インドネシア、マレーシアから
イスラム教がはいり、

300年前に、
スペインから
キリスト教がもたらされ、

その前後も、
中国や日本からの移住民が、
島に住みついていったけれど、

それでもミクロネシア、メラネシア系の先住民と
マレー系の移民たちとが、
平和に共存してきたという。 

この地域が
不安定になりはじめたのは、

資源の獲得を目的とした
経済的植民地主義が
広がりはじめた、
世界大戦前後からのようだ。

とくに、ここ40年ほどからは、
イスラム地域や原住民のいる
山岳地域で、
戦闘や戦争がおきている。

大きな戦争は、
3年から4・5年おきに。

リドーとよばれる
地域紛争をふくめると
ほぼ毎年のように・・・!


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演習と呼ばれる
実戦!


現地での話を聞くと、
最近の戦争は1997年に、
アメリカ軍がもどってくるための
バリカタンと呼ばれる
演習からはじまったという。

ミンダナオ子ども図書館の
若者たちの話でも、
演習とは名ばかりで、
戦闘と避難民の状況は、
とてもひどかったと聞いている。

その後、
2000年になって
ふたたび合同演習が行われ、

2002年にはいると
ブッシュ大統領の指示で、
米軍による
テロリスト掃討作戦がおこなわれた。

国連の発表によると、
120万をこす
避難民が出たという。

ぼくたちも、2001年に、
避難民の状況の酷さを見て
若者たちがMCLを立ち上げて、
救済活動を始めたけれど、

とりわけ、2002年の
テロリスト掃討作戦のときの
風景は異常だった。

国道ぞいには、
後に「NGOの見本市」と言われるほど、
欧米とくに
アメリカのNGOが集まった。

けれども、
危険な奥にはほとんど入らず、
国道沿いに店をならべているだけで、

「これを買っていただけたら、
この子たちの救済活動費に充てられます!」
などと、持ってきた商品の
テレビ撮影などをしている。

政府よりと反政府寄りの支援差が激しく、
政府寄りの村々には、
国際支援がまわり、
アメリカ政府によって
学校も建てられたりもしたけれど、

反政府寄りの方は
貧しいままにほったらかされ、
避難民キャンプにも
いれさせてもらえなかった。

逆にそうしたかわいそうが家族を
命がけで助け回ったのが、
MCLの理事の一人で
市の福祉局のソーシャルワーカー
カトリック教会のグレイスさんたちだ!

戦争の原因が、
イスラムとカトリックの
対立だと思っていたので、
婦人たちがお互いに連携して
助け合っているのをみて困惑したが、

現地では、
互いに助け合っている!
戦争の原因が、現地での
宗教対立ではないとしたら、
いったい何が原因なのか?


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イラク戦争が
勃発したとたん


そして、2003年に
イラク戦争が勃発したとたんに、
ほとんどすべてのNGOは、
店じまいして消えていった。

「まだこんなにたくさん
避難民たちがいて、
苦しい生活をしているのに、
なんで去っていくのですか?」

不思議におもって
たずねると、
こういう返事が返ってきた。

「もう、ミンダナオじゃないですよ。
イラク、イラクですよ。
ここでやっていても、これ以上、
支援金は集まらないしね・・・。」

話を聞くと、
これからは、
イラクの方でのNGO活動に
支援金が落とされるのだという。

「何てことか!
NGOというのは、いったい何なのか?」
「人々を助けるために
来ているのではなかったのか?」

「これでは、
戦争にかこつけた商売だな。
まるで、死肉に集まる、
ハゲタカのようなものだなあ!」


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その後も現地に
残ったのは


NGOやボランティアにすら
全く興味や関心がなく、
子どもの救済に走りまわっていた素人の
ぼくの頭に浮かんできた
正直な気持ちがそれだった。

その後、日本に帰った時に手に取った
ナオミ クラインの書いた本、
『ショック・ドクトリン
惨事便乗型資本主義の正体を暴く』
(岩波書店)を読んで少し納得した。

そこで書かれていることと
全く同じ事が、
ミンダナオで展開されていたのだ!


膨大な避難民がいるにもかかわらず、
たくさんの国際NGOが、
あっという間に引き上げていった後も、

現地に残って活動を続けたのは、
ミンダナオ子ども図書館と
もう一つのコタバトの
イスラムのNGOだけだった。

そして、
いまも続けて現地の人々を
支援し続けているのは、
ミンダナオ子ども図書館だけになった。

とうじある有名な
イギリスに本部を置く海外NGOが、
現地で掘って作った、
たくさんの井戸も、

数ヶ月後には壊れてしまい、
今は、ほどんど残っていない。


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2005年に
ふたたび
戦争が起こり


その後、2005年に
ふたたび戦争が起こり


2006年から日本政府の仲介で、
IMT国際停戦監視団が形成されて
和平交渉が再開された。

ところが2008年、
マレーシアで和平合意の
調印がされる直前に
交渉が崩壊して戦争が勃発。

80万人をこす避難民がでて、
救済にむかった。

和平交渉が合意されると
信じこんでいただけに、
ショックだった。

それいらい、
現地の人々と同様に、
国際的な和平交渉というものすらも、
簡単に信じられなくなってしまった。

戦争がおこると避難民たちは、
町ちかくの国道ぞいに
避難して雨よけもなく寝ているので、

ミンダナオ子ども図書館では、
戦争がおこるたびに
ビニールシートを配布したり、

その後も、
炊きだしや
医療をおこなってきた。

戦争で親を殺された子どもたちも、
かなりたくさん奨学生にしている。
彼女は、2020年、大学を卒業!


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目の前で
両親が殺された


ある若者は、
戦争で目の前で
両親が殺された。

そして殺された両親のもとに
駆けよったときに、
本人も撃たれて
腹部に深い傷をおった。

彼はその後、
ミンダナオ子ども図書館に住み、
池上彰さんの番組で、
パックンがインタビューをしたけれども、

うつむきながら
当時のようすを語ってくれた。

戦争がおこされる理由は、
最初は、イスラム教徒とキリスト教徒が
対立しているかのように思っていたし、
そのように報道されるけれども、

MCLの理事でクリスチャン、
市の福祉局で
イスラム教徒の婦人達と
連携してと働いている
グレースさんなども、

カトリック教会の神父や
イスラムの仲間たちや
MCLの子たちとも協力して、

爆弾の落ちる中を
避難所にも入れてもらえない
イスラムの子どもたちの
救済に駆け回る。


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戦争の理由は、
宗教対立ではなく


そんな活動を続けてきて
次第に聞こえてきたのは、
戦争の理由が、
宗教対立ではなく、

ミンダナオのイスラム地域では、
リグアサン湿原に
ぼうだいな石油と天然ガス資源が
ねむっていて、

その資源の利権をめぐって、
対立を利用して
国際的に引き起こされる
土地と権力争いだというのだ。

東ティモールの独立も、
現地では、石油をめぐる利権だと
言われているけれど、
いま問題になっている
南シナ海もまったくおなじ?

「東ティモールは独立させておいて、
なぜミンダナオのイスラム地域は、
独立させないのか?」というのが、
現地のイスラムの人々の主張だ。

国際資本が利権を獲得するために、
意図的に対立を引き起こし、
支配しようとしているというのが、
現地の人々の考え。

戦争は勃発するのではなく、
じつに巧妙に意図的に、
第三者の手によってお金が撒かれ、
つくられているという。

現地でも体験したけれども、
戦争が勃発する前に起こるのが
誘拐と殺害、
そして爆弾事件。

新聞やテレビで
大々的に報道され、
戦争気分が高められる。

可哀想なのは、
罪もない住民や子どもたち。



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加治康男の
報道記録

加治康男の報道記録
http://mediacritique.dip.jp/
modules/pico/index.php?cat_id=17


最近知った報道記録ですが、
実に深く現地で
取材していらっしゃいますね。
驚きました。

まさに、そのとおり、
という記事が
掲載されています。
すばらしい!


ブッシュ米政権は
石油・天然ガスから金、銅、ウランまで
資源の宝庫とされる
ミンダナオ地方中部での
対テロ戦遂行を名目とした
米軍駐屯に執念を燃やしてきた。

駐留予定の米兵は
沖縄から移動する
海兵隊員だ。

米国に「こちらにつくのか、
テロリスト指定されたいのか」と迫られた
MILF指導部は、
苦渋の選択として
組織としての生き残りを選んだ。


゛約束の島゛とされながら
イスラム勢力の反抗で
開発が手付かずの状態の
ミンダナオ島。

二十世紀前半、
植民者として統治した米国にとって
゛ミンダナオ支配゛は
「見果てぬ夢」だった。

また、中部ミンダナオ地方での
大規模で長期な
米比合同軍事演習実現は、
米国の今後のアジア戦略に
深くかかわっている。

この記事が、書かれた後
バリカタンと呼ばれる米比合同演習に、
2014年、集団的自衛権が通って
日本も参加するようになった!



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人の味が
するんです


避難民キャンプというものも初めてだったが、
雨がふれば
そこらじゅうから水がもれてくる、
タタミ二畳ぶんもないような椰子の葉や、

ビニールシートの屋根のしたに、
まるでちじこまるようにして
二年いじょう、
家族が生活している
姿をみるのはあわれだった。

しかも、
その数たるやはんぱではない。

そのおおくは
町からはなれた平地や丘陵地帯で、
トウモロコシをちゅうしんに
ほそぼそと畑をたがしている農民や、

湿原地帯の
漁民たちだった。

戦争が勃発してまもないころは、
彼らは、農業倉庫や
政府機関によって指定された
難民キャンプに収容される。

それは
モスクのそばだったり、
学校のそばだったりする。

しかし行政も、
毎日のようにあふれでてくる
避難民たちに対応しきれず、

その数が
あまりにもとほうもないので、
たちまち
収容場所からはみだして、

道路わきから畑地にも、
乞食小屋よりも
さらにひどいものが
立ちならぶようになっていく。


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しまいには
栄養失調になって
体が弱っていく


避難民たちは、
ほんとうに骨の髄から
疲れきったという顔をしている。

何しろ数年おきに
同じことがくり返されるし、

水も不自由でトイレもなく、
食料もない暮らしが、
半年から、
一年以上も続くのだから。

食料といえば、日に二度
トウモロコシを薄くとかしたような
お粥を食べられれば良いほうで、

ときには何日も食べるものがなく、
おなかが痛くなってきて、
しまいには
栄養失調になって体が弱っていく。

それにくわえて
不衛生な環境で病気になり、

薬もなく、
たとえあっても
買えるだけのお金もないので、
キャンプで死んでいく
大人や子どもも多い。


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雷魚も鯉も
人の味がするんです


案内をしてくださった
女性がいった。
「ナマズをスープにした料理、食べますか?」

ぼくは、こたえた。
「ええ、大好きですよ。
ここは、河も湿原もちかいから、
おいしい川魚料理がたべられそうですね。」

「ええ、
雷魚も鯉もおいしいですよ。
でもねえ、
人の味がするんです!」

「ええ?人の味?」
おどろいて絶句するぼくにむかって、
女性はこたえた。

「あのプランギ河をコタバトから海軍が、
戦闘用のボートでのぼってきて、
いっせい射撃をしながら、

このさきの
ランディングピースと名づけられている
場所に上陸したとき、

おおぜいの人々が
にげるひまなく殺されて、
その死体を埋めるひまなく
川にながしたんです。

そのあたりの魚は、
その死体を食べてそだっているから、
人の味がする
といわれているんです。」

ぼくは、
答えにきゅうして
だまってしまった。

まわりをみると大人たちも
疲れきった顔をしているけれども、
子どもたちの
疲労困憊ぶりはさらにひどい。

父さんも母さんも
絶望的に機嫌が悪いし、
ひもじいし、

泣きはらした顔がそのまま
こおってしまったような表情をして、
ぼくが手をふっても、
ほとんど表情がなく笑おうともしない。


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子ども時代から、
くり返しくり返し


これはのちほど、
この地域出身の
ある父親から聞いた話だが、

彼はうまれていらい
30年間というもの、
かずしれぬ
戦闘を体験してきたという。

そのたびにつらい
避難民生活をよぎなくされてきた。
幼い子ども時代から、
くり返しくり返し・・・。

現地で活動しはじめてから
しったことだが、
ミンダナオ紛争が、
イスラム自治区の独立闘争として
はじまったのが1970年。

その後も、3年おきぐらいに
大きな戦争がおこり、

そのたびに住民たちは、
避難民として
このような生活を
よぎなくされてきたのだった。

そのお父さんは、
こうぼくにかたってくれた。
「わたしは、生まれてからこのかた、
子ども時代から青年時代、

そして結婚して
子どもが生まれてからも、
数年おきに、こうした
避難生活をさせられてきたのです。


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世界が
ひっくりかえったような
気がしました


戦争になるたびに、
母親に
手をひかれてにげました。

ちかくで、おおきな爆発がして、
世界がひっくりかえったような
気がしました。
母さんはないています。

父さんは、牛車に、
なけなしの服と家財道具をのせて、
ビニールシートをかけて、
わたしたちをのせて
家をあとにして逃げだします。

家畜はおいたまま、
帰ってみると
なにもかも、なくなっているんです。

国道近くまでくると、
ちいさな空き地に、
ヤシの葉っぱを地面にしいて、

おおぜいの
みしらぬ人たちといっしょに、
ときには一年以上も
地面のうえでねる生活。

ねていると、
とつぜん爆弾が、ドカーーーン!
銃声が、パンパン、パパンパン!
また逃げなければならない。

じゅうぶんな着がえもないし、
体はいつも
よごれたまんま。

しかも空腹で、
食べものもないから、
しだいに体が弱っていき、

たくさんの子どもたちが、
病気になって、
死んでいきました。

とくに
1990年代の戦闘と
難民生活はひどかった。」

いま目の当たりにしている
状況でさえひどいのに、
もっとひどいときがあったという事実に、
ぼくは心を痛めた。

その方の
小さな娘さんは、
ほおに大きなこぶが
できていて、

後にぼくたちは、
その切開手術をしてあげた関係で、
いまも親しく
おつきあいさせていただいている。


これらの事は、
後に「手をつなごうよ」(採流社)に
まとめましたので、
読んでいただければ幸いです!




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ミンダナオ子ども図書館の
2014年~15年度の
奨学生の状況


ミンダナオ子ども図書館の
スカラシップは、
山岳地域や戦闘地域の
僻村の子たちの中でも、

孤児、片親、母子家庭、
崩壊家庭の子たちを
第一候補として採用しています。

第二候補として、
僻村の中でも、
自給地も無く極貧で、
兄弟姉妹も多く、

スカラシップ支援が無いと
小学校も出られず、
三食たべられない
家庭の子を加えています。


2014年度の卒業生

小学校卒業・・・・・54名
高校卒業・・・・・・・60名
大学卒業・・・・・・・33名


小学校の奨学生・・・・・145名

1年生・・・・・3名
2年生・・・・・5名
3年生・・・・・17名
4年生・・・・・36名
5年生・・・・・50名
6年生・・・・・34名


高校生の奨学生・・・・・251名

1年生・・・・・56名
2年生・・・・・53名
3年生・・・・・72名
4年生・・・・・70名


フィリピンでは、
小学校の後は、
ハイスクール(高校)になります。

中学校という概念は無く、
高校は、4年制でしたが、
今年から
高校4年(ジュニアハイスクール)の後に
高校2年(シニアハイスクール)が加わり、
6年制となります。


大学生の奨学生・・・・・139名

1年生・・・・・60名
2年生・・・・・31名
3年生・・・・・21名
4年生・・・・・26名
5年生・・・・・・1名


支援者のある奨学生・・・・・402

小学生・・・・・136名
高校生・・・・・167名
大学生・・・・・・99名


支援者のまだ無い奨学生・・133名

小学生・・・・・・9名
高校生・・・・・84名
大学生・・・・・40名


現地に放っておけない
子たちなので、
支援者がいなくても、
自由寄付やスカラシップ残予算で
学校に行かせています。

MCLでは、
イスラム教徒、クリスチャン、
先住民族を
なるべく公平に採っていますが、

山岳部に追われた
先住民族の貧困度が高く、
相対的に多く採用される
結果となっています。


イスラム教徒の奨学生・・・・・159名

キリスト教徒の奨学生・・・・・112名

先住民族の奨学生・・・・・・・・264名


奨学生全体数・・535名

皆さんの支援を
よろしくお願いします!


支援に関する一般的な質問は、
現地日本人スタッフの梓さんにお願いします。
 
支援方法は、
ロゴをクリックして入ってください。

ミンダナオ子ども図書館支援方法


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MCLでは、年4回
大学生たちが集まる
総会を開催


ムスリムデー
イスラムの文化祭!

ルマッドデー
原住民の文化祭!

クリスチャンデー
キリスト教徒の文化祭!

スカラーズデー
奨学生たちの学生総会!

以上の4つを開催して、
文化の相互理解と
宗教も理解しあった友情を深めています。

また、僻地への読み語りや、
時には戦争や洪水避難民救済も
奨学生自ら行っています。
訪問者も大喜び!

なにがしかの理由で、
現地に放っておけない子たちは、
MCL本部に住むことが出来ます。
その数、80名ほど・・・



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小学校のころの
体験が基盤に?


ミンダナオ子ども図書館での活動を
振り返ってみると、
小学校時代の体験が、
思い浮かぶことが多い。

ぼくの人生で
いちばん楽しかったときの一つが、
小学校のころだろう。

小学校になると
童話も読んだけれども、
読書よりも何よりも楽しかったのは、
学校がひけると友人たちと、

近くの公園の池や川で
カエルやカニや
ザリガニをとったり、

木登りをして
カブトムシやクワガタを
つかまえたりして、
ほんとうによく
ちまたで遊んだことだ。

これらの事は、後ほどサイトのページ
「ゼロにたつための支援を」でも
2020年に書き直しました。
以下をクリックすれば、
他の文とともにお読みにいただけます!

「0」ゼロに 立つための支援を



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こんなところに、
本当に
学校があるの?

サンタマリアの
クラクシン集落の高校と、

小学校の奨学生に
学用品を届けた。


いつも行く
白い浜辺の遠くに見える
岬の反対側に、
小学校と高校がある。

手作りのカヌーで漁をする
漁師さんたち!

こんなところに、
本当に学校があるの???

4WDでしか登れない、
山道を越えていくと、
村が見えてきた。

普段は、
カヌーかバイクでしか
入らない村!

村の生活は、
とてもシンプルで、

クリスチャン、ムスリム、
先住民が、
仲良く暮らしている。

まるで、MCLのようだけれど、
それこそが、
ミンダナオの貧しい人々の
当たり前の生活!



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目指す
高校があった!


高校と言っても、仮の校舎だ。
奨学生は、
どこにいるかな?

周辺の漁村から
集まってきた高校生たち。


クラクシン高校
現地の高校=ハイスクールは、
日本の中学校で4年制!

「お小遣いを
持ってきたよー!」

お小遣いがないと、
エンピツも買えないし、

学校も続けられない、
MCLの奨学生たち!

親のいない子の場合は、
親に代わって、
受領書にサインしてもらう。


そして、
高校の裏から、
岩礁を抜けて、

小学校に向かった。

マングローブが生えている
磯浜をぬけて、

小学校に着いた!

ここに、
MCLの奨学生たちがいますか?

先生が、呼んでくださった!
「MCLの奨学生たち、
いらっしゃーーーい!」



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学用品をもらって
大喜びの
奨学生たち


母親も父親も
別の人といっしょになって、
おばあさんや親戚の家に
預けられた子たちや、

母子家庭で、
経済的に大変な子たち等々。

それでも、
MCLの奨学生になれたから、
普通では、
小学校を卒業するだけでも大変なのに、

なんと、
大学までいけるなんて、
信じられない!
夢みたい!

ほとんどの子が、
「わたし、小学校を卒業したら、
MCLに移り住んで、
そこから学校に通う!」

すでに、数名
こちらの村からも、
MCLに住んで
学校に通っている子がいる!

皆さんが
支援して下さっているお子さん、
ここにいますか?


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4時半に起きて
朝食のしたく


ミンダナオ子ども図書館の子どもたちは、
毎朝こうたいで4時半に起きて
朝食のしたくをはじめる。


食堂にちかい台所で、
マキをつかって火をたいて、
ほぼスタッフの分をいれると
一〇〇人ぶんの量の
ごはんをたき、おかずをつくる。

交代制だとはいっても、
朝早く目をさまして
一〇〇人分の料理をつくるのは、
大変な仕事だとおもうのだけれど、

ぜんぜん嫌な顔をもせず、
むしろ楽しそうに歌ったり、
おしゃべりしたり笑いながら、
朝ごはんのしたくをしていく。

朝食当番ではない子たちも、
五時ごろには起きだして、
庭の手入れや掃除をしたり、

水浴びをして
学校にいく用意をはじめる。

すると、カンカンカンと
朝食の準備が、
ととのったことをつげる鐘の音がして、

子どもたちが、
おしゃべりしたり笑いながら、
食堂にあつまってくる。

ぼくや妻の顔をみると、
笑顔で声をかけてくる。
「おはよう、パパ友。」
「ママエープリル。よくねられた?」

「うん、きみたちは?」
「ぐっすりねられたよ。」

「明日は学校ないし、夜は映画見られる?」
「もちろんだよ。」
「わーい!」「やったー!」
「何がいい。」「トトロ!」

ミンダナオ子ども図書館には、
テレビがない。
しかし、翌日に学校がない日は、
みんな集まって、

映画の上映会を
することになっている。
子どもたちにとっての、
最大のお楽しみのひとつ。

土曜日曜の休日は、
女の子も男の子も、
庭の手いれや野菜づくり。

芝刈り機で雑草をかったり、
薪割りや畑仕事。
洗濯もちゃんと自分たちでする。




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エープリルリンに
出会った
当時のこと


エープリルリンも、小学校は
親戚のサポートで卒業できたけれども、
高校までは無理だった。
そこで、成績のよい彼女は
就労学生に採用されたのだ。

就労学生とは、一種の家政婦で、
雇われた家の料理や
家事手伝いから子守りまで、
めんどうをみる仕事だけれど、

ミンダナオの極貧の子たちとっては、
学校に行けるだけでも
夢の実現の一歩なのだ!

しかし、就労先の家では、
朝の四時まえにはおきて、
食事、洗濯、掃除。
夜は一〇時近くに寝る生活は、
非常にきびしく、

女中やお手伝いを
やとうよりも安く、
家事労働を、
させているようなかんじもした。


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ひどい
喘息もちで


しかも彼女は、
ひどい喘息もちで、
もちろん薬などもかえず、

おばさんは
やはり喘息のアレルギーで
20代で
死んでいることもわかった。

彼女も、
自分も、そのころには
死ぬとおもっていた。

のちのちわかってくることだが、
なかには、このような
女中や子守をさせられていた子が、
雇い主にレイプされておいだされ、
妊娠して子どもを産むケースもおおい。

事実
ミンダナオ子ども図書館にも、
そうした体験をしてきた
少女がけっこういる。

話がそれたけれども、
再会は、おたがいにうれしかった。
彼女を採用した市長さんは、
たいへん理解がある方で、
読み語りの活動も再開できた。

それとどうじに、
就労学生のおかれている境遇や
仕事をしりたくて、
朝早く5時におきて、
いっしょにトイレの掃除をしたり、
食事を作ったり、

食事も外にある
ダーティーキッチン、
つまり「よごれた台所」という場所で、
いっしょに食べたりした。



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植民地主義とは
極端な格差社会


おそらく日本軍による占領も含めて
長くつづいた植民地時代の
なごりであろう、
こちらでは、
裕福な家庭の雇い主たちは、

招待者や客人とともに、
母屋のなかの豪華なダイニングルームで、
雇人に料理させた食事をする。
とうぜん、食べるものも豪華な料理。

そして雇人たちは、
母屋の外のトタン屋根の
ダーティーキッチンとよばれる
そまつな料理場で、

仕事のあいまをみて
かんたんな食事をする。

おどいたのは、
結婚式やフィエスタという
村祭りのときだ。

招かれた人々や親族は
それなりのじょうとうな席につき
食事をするけれども、

つぎに
正規の雇われ人たちが
主人の残り物をたべ、

さいごに外に、
ベニア板がしかれて
残飯などがおかれて、

就労学生や労働者や
浮浪者たちが
それを手でつかんでたべたりする。

ぼくも、
彼らといっしょにたべた。
植民地主義とは、
極端な格差社会で、
こういうものかとおもった。




こういう子こそ
大学まで行ける
スカラシップ支援にしよう


ほんとうに、
貧富の格差がはげしい社会だった。
学業も、大学までいけるのは
20%にもみたない、
富裕層の子息たちだけ。

貧しい子たちは
就労学生になったとしても、
よくて高校(日本の中学)がせいぜいで、
大学までは不可能。

そんな状況をみて、あるときぼくが、
「こういう子たちこそ、
大学までいかせてやりたいですね。」
というと、ある裕福な方は、
悪びれる様子もなくこういった。

「極貧の家庭の子たちが
大学にいっても、
あんまり意味はないですよ。
生まれが違いすぎますからね。」

それを聞いてショックをうけたせいか、
ミンダナオ子ども図書館で
スカラシップ支援を
はじめたときにはおもった。

「こういう子こそ、
夢のまた夢の大学までいける、
そんなスカラシップ支援にしよう。
そして、食事は貧しい子どもたちと、
いっしょの物をいっしょにたべよう。」


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おなじものを
いっしょに
食べている


そんなわけで、
ミンダナオ子ども図書館の
スカラシップは、
成績の優劣に関係がなく、

極貧の孤児たちでも
大学までいけるスカラシップだし、

ぼくも妻も二人の娘も、
おなじような竹の部屋で寝て、
おなじものをいっしょに食べている。

それだけみても
ミンダナオ子ども図書館は、
こちらの常識とはちがっている、
不思議な場所なのかもしれない。

ぼくが、ダバオオリエンタルをはなれ
キダパワンにいくことになったとき、
エープリルリンとレイセルの
二人の就労学生の同行がきまった。

そのとき、
レイセルが
叫んだ言葉が忘れられない
「ばんざーい!わたしは自由!」

ミンダナオ子ども図書館の
活動と運営の中心は、
じつはこうした若者たちで、
彼らによってつくられていった、
というのが真実だ。



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外遊びの体験が
あったがゆえに


絵本も本も読んだけれども、
いま考えると、
外遊びの体験があったがゆえに、
いまの自分があるようなきがする。

中学校は、
公立のふつうの学校だったけれども、
おもしろい先生がいらっしゃったし、
仲のよい友だちにあえた時期でもある。

公立学校のよさは、
友人たちが近所にすんでいて
遊びにいきやすく、
かえり道などに、
その家庭にもたちよれるし、

友人たちの家庭環境も、
寿司屋から八百屋やふとん屋、
サラリーマンから地域の商店街まで
多様だという点だろう。

学校は明るくのびのびとして
好きだったけれども、
ひとつだけなじめなかったのは
クラブ活動だった。

子ども時代から木登りは得意で、
運動神経はひといちばいよく、
小学校のときから
とくに球技は得意だった。

ソフトボールやバレーボール、
ドッジボールから卓球まで、
なんでもやったけれども、

中学にはいって
そうした遊びがクラブ活動になると、
楽しかはずの遊びが、
ひたすら勝ち負けを追求する
競技になってしまう。

「ワッショ、ワッショ」と声をあげて、
運動場をひたすらはしる馬鹿馬鹿しさ!
教師や先輩の笛にしたがい、
真剣な表情をあえてつくって
行動をするつまらなさ!

遊びのばあいは、
上手でも下手でも、
子どもどうしが友情をもってささえあい、
歓声と笑いで楽しんだのに、

クラブ活動では
うまいへたによって評価され、
そこから少しでもはずれると馬鹿にされ、
見下され、ブーイングが飛び、
あげくのはてに排除され疎外される。

それをみて、
こんな馬鹿げたことはやっていられない、
と判断しすぐに辞めてしまった。



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自分の力と
想像力で考えてみる


おもいおこすと授業の方法も、
知識のつめこみではなく、
じぶんで考えることを
大切にさせていたことがわかる。

数学の松井幹夫先生は、
たとえば2×0は、なぜ0なのか?
子どもたちに問いかけた。

リンゴが2つあったとして、
それに0をかけると、
なぜあったリンゴが無くなるのか?

0っていったい、何だろう?
それを子どもたちに問いかけて、
自分の力で考え発表させる。

理科の遠藤豊先生は、
水素と酸素を結合させると
水になるけど、
どうして水にかわるのかを、
一週間グループ討議して発表させた。

想像力だけで考えるから、
子どもたちは
奇想天外な説をたてて発表する。

まちがっていてもよいから
「自分の力と想像力で考えてみる」
ことを評価し優先させた。


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なによりも
影響をうけたのは


しかし、
なによりも影響をうけたのは、
5、6年生の担任で
国語の教師だった無着成恭先生。

当時のぼくにとっては、
父親いじょうに
父親のような人だった。

お坊さんから教師になり、
教師から晩年ふたたび
お坊さんに
なられた方だけれども、

ランニングシャツに
腰手ぬぐいをさげた東北スタイルで、
東北訛りをいれながら
国語の授業をすすめていった。

ラジオの子ども電話相談室にも
でていらっしゃったが、
いまでも訛りのある声が
なつかしく耳にきこえてくる。

授業の進めかたもどくとくで、
知識をつめこむのではなく、
つねに子どもたちに質問をして
問いかけて、

その発言をもとに
文学の深い流れを
とき明かしていった。


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成績よりも
遊びを重視


子どもたちに
質問を問いかけると、
80%ぐらいのおおぜいの子どもたちが、
いっせいに手をあげた。

ハイ!
ハイ、ハイ!
ハーーーイ!
ハイ!

たちあがって
手をあげる子もいて、
その熱気はすごかった。

お昼休みに弁当をたべていると、
教室にこられて
本を読んでくださった。

いまも思いだすのは、
「ゲンと不動明王」や
『ヴィーチャーと学校ともだち』
(註・岩波の児童文学全集から)。

成績よりも遊びを重視して、
学校のなかでも休み時間になると、
カンケリや鬼ごっこ、

コマ回しや縄跳び、
馬乗りごっこや
はないちもんめ。

校外教育もさかんで、
遠藤豊先生理科では
「散歩」という授業があって、

田んぼの
あぜを歩きながら、
生態系を教えてもらったり、

体育になると
井の頭公園までいって、

林のなかで
陣取りをして遊んだりした。


絵本も読んだけれども、
いま考えると、
あの外遊びの体験があったからこそ、

ミンダナオのいまの自分が
あるようなきがする。



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山や高原を
歩きはじめたのも


学校がおわると家にかえり、
庭で花をそだてたり、

休みの日には、
ひとりで自由に山や高原を
歩きはじめたのもこのころからだ。

庭にコンポストをおいて堆肥をつくり、
水仙や矢車草、カンナやケイトウを育てて
楽しんでいるぼくの姿をみて、
母がいった言葉がわすれられない。

「おまえの趣味は、
まるで隠居老人のようだねえ。」
いまりゅうにいえば、おちこぼれ。

ちょうどそのころ、
母方の祖父が隠居して、
山梨県に移りすみ、

ブドウ栽培を中心とした
農業をいとなんでいた。

週末や休みの日などに、
ぼくは祖父のところにいっては、
南アルプスや八ヶ岳をながめて、
ブドウをたべた。

有機農業の基本的な知識も、
このころ学んだ。


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それほどまじめに
授業にもでなかった


高校を卒業する時期がちかづいてきたとき、
「どこの大学にゆきたいのか」
と、父から問われて、

「一年ぐらい学校にいかずに、
山を歩いたり、音楽を聴いてみたい」
といったらあきれられた。

「どうしても大学にいくとしたならば、
どこが良いか。
なんの学部を専攻するのかを、
聞いているのだ。」

執拗に問われて、
最終的に私立の文学部を
受験することに決めた。
理由は、受験科目が少なかったから。

いまだから告白するけれども、
ぼくの場合、
学校でならった知識は
あまりやくだった記憶がない。

知識に関しいえば、
本を読んで得たものの方が多いけれども、
ただし語学だけは
生涯にわたって役にたつから、
したほうがよいと思う。

大学では、恩師の木村直司教授に影響をうけて、
ゲーテの自然科学論文を中心に
錬金術的宇宙像をまなんだ。
ゲーテの宇宙像を、
心理学的にも展開している
ユングの勉強もしてえ本も書いた。

また、ゲーテの自然科学論的宇宙像や
ゼーデルマイヤーの宇宙論から
狩猟採集文化にも関心を持ち、
アイヌや沖縄の宇宙像も探求した。

自分の興味で、
本はたくさん読んだけれども、
髪の毛は長めでインドの袋を肩にかけ、
皮のサンダルをはいて大学に通い、
それほどまじめに授業にもでなかった。


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卒業したら
何をしたいのか


大学4年の後半になって、父から、
「おまえは卒業したら何をしたいのか」
と問われて、
「この世の本質が知りたい」と答えたら、

「大学4年にもなって、
なにを馬鹿なことをいっているのか。
どこに就職するのかを聞いているんだ」
と言われたことをおもいだす。

答えにきゅうしていると、
とうとう父がいった。

「おまえのような性格の人間は、
社会に適応できないから、
大学にでものこって、
先生になったらどうだ。」

しかし、たいして勉強をしていなかったから、
修士を受けて落ちて浪人し、
その春に、海外を一人で旅した。

いまから40年ぐらいまえ、
1970年のころだ。

それが、初めて
飛行機というものにのった体験で、
旅の計画は、
すべて一人でたてた。

たった一人で飛びたって、
初めておりたった場所は、
チェコのプラハ!


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どうみても、
野人だからな


プラハに行った理由は、
ゲーテのいた
ワイマールに行きたかったので、

日本では、当時は
共産圏の国のビザが取れなかったので、
プラハでとって
そこから旧東ドイツに入っていった。

翌年なんとか修士に入り、
修士論文は書いたものの、
終了のときに教授にいわれた。

「おまえは、論文はよいのだが、
学者への道はどうかなあ。
大学教師には向かないと思うよ。
どうみても、野人だからな。」

「野人?」
野人とは、どういう意味だろうと、
今もときどき考えるけれど、
おそらくアウトサイダー???

組織に属することのできない、
まあいってみれば、
社会の落ちこぼれ、
という意味だったと思う。

今の日本の学生たちの
70パーセントが落ちこぼれて、
世界に散らばって、
生きることを
そこから学んで帰ってきたら、

日本の将来も
明るくなるかもしれないと今は思う。

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