戦争と平和構築
2016年の記録から(3)


学校建設の記録から
1 学業を断念する子が増えて GO!
2 年末まずは子どもたちとダバオハウスへ GO!
3 宿泊費もかからない GO!
4 僕らが働いて支援します GO!
5 海で迎えたお正月! GO!
6 そんなことが起こっているの? GO!
7 貧富の差が拡大する GO!
8 友情と愛があれば大丈夫 GO!
9 『バナナと日本人』のその後は? GO!
10 ミンダナオ訪問団報告 GO!
11 キダパワンでデモ3人殺害される GO!
12 医療支援をお願いします GO!
13 ミンダナオ子ども図書館の医療活動 GO!
14 さまざまな患者に出会う GO!
15 戦闘地域に急激に奇形が増えた GO!
16 手術も終わって GO!
17 アルアルくんの手術が成功 GO!
18 ミンダナオ子ども図書館の子どもたち GO!
19 ピキット市の保育所の開所式 GO!
20 イスラム、クリスチャン、先住民の子たちが GO!
21 読み語りの後に、みんなでパンを食べた GO!
22 保育所のチェックと修理を始めた GO!
23 保育所は村単位で建設 GO!
24 補修を行うことに GO!
25 小学校建設の打ち合わせ GO!
26 小学校建設の調印式 GO!
27 カルボガンの学校建設を視察 GO!
28 戦争がある度に、逃げてきた子たちを支援 GO!
29 物的支援を始めた理由 GO!
30 物的支援の難しさ GO!
31 支援というのは GO!
32 学校建設の記録から GO!
33 マニラ新聞の記者が来られた! GO!
34 いよいよ壁が出来上がっていく GO!
35 屋根の建設へ向けて資材を搬送! GO!
36 洪水が襲ってきた GO!
37 滑らない工夫をしなければならない GO!
38 家具を搬送 GO!
39 カルボガン小学校の最終チェック GO!
40 ラフなまま完成とされた教室? GO!
41 住民の意見と大使館の狭間に立たされ GO!
42 床をラフにして欲しいと提案したのは GO!
43 ペンキを塗って GO!
44 校長先生は仕上げになっとく GO!
45 サダムとせかいいち大きなワニ GO!
46 事実、世界一大きなワニは GO!
gaku1
学業を
断念する子が増えて


もうすぐ
今年度の卒業式が近づいています。

しかし、ここに来て、
今年は高校4年生で
学業を断念する子が増えて、
支援者の方々をガッカリさせています。

学業を断念した子たちの
ほとんどの理由は、
働いて家族を支えること。

1,
物価高で家族の生活が
厳しくなってきていること。

米なども、4,5年前の倍の価格。
貧富の格差が激しくなってきて、
山の子たちは大変。

2,
高校が今までの4年制から、
今年から6年制に変わったこと。
これが大きい原因です。

高卒まで、
さらに2年間が加わったことで、
18歳で卒業。
大学卒業は22歳。

これは日本と同じなのですが、
15,6歳で結婚することも多い山では、
18歳だけでもかなりな年齢。
もはや家庭で両親や
妹弟を助ける年齢なのです。

そんなわけで、今年から
突然高校卒業まで2年増えて、
特に今年卒業の子たちがショックを受けて、
学業を停止することを選びました。

おそらく親からも
プレッシャーがかかっているようです。
停止の理由の殆どが、
「仕事を見つけて、家族を助けたい」でした。

MCLに住んで通うことを
提案したのですが、
親が子に、働いてほしいと言う
要求がつよい場合もあり、
引き留めることの出来ない子もいました。

何と答えて良いのやら。
頑張ってね、
としか言えない。


ただし、前も都会に行かされて
女中や子守りで雇われて、
雇い主からアビューズされて
MCLに飛び込んできて、
泣きながら、

「家にも帰れない。
雇い主の所は絶対に嫌!」と泣いて、
最終的にMCLに
住むことになった子も数人います。
駆け込み寺のミンダナオ子ども図書館!


gaku2
年末まずは
子どもたちと
ダバオハウスへ


あけけまして、おめでとうございます。
去年の暮れの
ダバオハウスの様子から

ここは、MCLのダバオ拠点のダバオハウス。

今回は、クリスマスと正月に、
親もいなくて
里帰りが出来ない子どもたち15人ほどと、
赤ちゃんもいるスタッフ達も一緒に
ここに泊まり、
日本から来る、妻と娘とここで合流。

ここからさらに、海にいき、
お正月を過ごしました。
孤児の子たちが、
さびしいクリスマス、
お正月にならないように!


このダバオハウスを説明しますと、
ここは、これからのMCLの活動を考慮して
支援金は使わずに、
前田容子さんとぼくで、
約600万円で手に入れた中古の家。

少し立派すぎるのではないか
と思ったのですが、
持ち主は、ある村の村長さん家族!
息子さんが、心を込めてデザインした家で、

最初は家を一年間借りたけれども、
MCLが気に入って
出来ればあなた方に譲りたい、
と言う話をうかがって、

日本のみならず
海外諸国との関係が密になり始め、
訪問者の方々が、
ダバオ空港に深夜便で着かれたり、
早朝便で発たなければならない方々が、

2時間前に
空港に送り迎えに行かねばならず、
ダバオからキダパワンの本部までは
3~4時間かかり

スタッフとホテルに滞在しなければならない事、

そして、ダバオの町はずれの貧困地域でも
奨学生を採用し、
数日間、ダバオで活動しなければならない
状況を考えると、

アメリカの古いスタイルで
扇風機だけだと少し暑いし
修理も必要だけども、
将来の事も考慮しで、
思い切って購入しました。



gaku3
宿泊費も
かからない


けれど、二階もあり、
今回のように、
大勢の子どもたちと寝られるのが利点。

ダバオに出るたびに、
ホテルでは経費も大変だし、
訪問者も多くなり、
決して裕福でない日本の若者達もいて、
MCLに来たくても、ホテル代が大変!

そうした日本の中高年や
若者たちとの交流をも考えて、
思い切って
この家を手に入れました。

ここならば、
訪問者も20名以上でも
無理すれば泊まれるし
宿泊費もかからない。

空港まで10分程度で近いし、
早朝や深夜の到着や出発も問題ない。
日系人会のミンダナオ国際大学も近くだし、
デパートの買い物も可能。

近所に、日系人や米国人も住んでいて
治安も良いし・・・。
戦争が起きたときに、
スタッフもキダパワンから避難できる。

支援者の皆さん、
ご利用なさってください!

連絡は、現地日本人スタッフ宮木梓へ
mclmindanao@gmail.com



gaku4
僕らが働いて
支援します


さらに、前に来た
ペルー人の双子の若者が選んだ奨学生を、
正式にスカラーに採用した。

「僕らが働いて支援しますから、
採用してあげてください!」
下の写真が、その奨学生で、
父親がいず大学に行けない。

この近所の家で働いていたのを
双子の兄弟が見つけた。
以前から、何とか大学に行きたいと
ダバオハウスの前に、時々来ては
話をしていた若者。
大喜びだ。



gaku5
海で迎えた
お正月!




今回は、
ハウスオブジョイの
浦和ビーチを訪問した。


MCLでも、
海のMCLをサンタマリアに
作る予定で進めているけれども、


ぼくが、
ミンダナオで最初に過ごした
ハウスオブジョイとも
今後も交流を進めていきたいと思って滞在。


懐かしいビーチで、
正月を過ごした。


ここは、
妻のエープリルリンと出会った場所。


さまざまな思い出が、
どっと押し寄せてきて
これからのMCLを、じっくりと
考える年明けを迎えることができた。




娘も大喜びで
友だちと再会
一緒に泳いだり木に登ったり!



取れたての魚で、
子どもたちで
おいしい料理も作ってくれた。


イスラムのスタッフたちも一緒に行き
隣のイスラムの村の人々とも
楽しい会話で年を開けた。
Happy New Year!
Muslim+Christian+Lumad=MCL




gaku6
そんなことが
起こっているの?


ミンダナオ子ども図書館のスタッフ。
「自分の叔父さんは、
バナナプランテーションで働いていたけれども、
農薬の空中散布で死んだ」と語ってくれました。

当時は、
ミンダナオに足を踏み込んで間のない頃で、
何も知らずに驚いて言いました。
「そんなことが起こっているの?
それは酷い、裁判所に訴え出るべきだよ!」

すると彼女は、
こう言いました。
「そんなことをしたら刺客を雇って殺される!」

『参考「フィリピン・私の家族は国家に殺された
―家族を奪われた女性たちの戦い」
工藤律子著 長崎出版


さらに驚いたのですが・・・
アラカンで先住民族を40年間擁護してきた、
イタリア人のファウスト神父さまも、
シスターの話によると体制側に雇われた
刺客に殺された、とのことです。

農薬汚染と山岳地でも
希少金属(ニッケル)の開発に、
反対していたからだということです。
(ぼくも、暗殺される危険がある!)

その後にも、希少金属の開発に反対した
山のマノボ族の酋長がその場で殺され、
その娘さんは、
ミンダナオ子ども図書館の奨学生にしています。
https://www.youtube.com/
watch?v=d_24-TUKkdA


ミンダナオ出身の
今のドゥテルテ大統領は、その事を知っていて
鉱山開発を抑制する処置をとっていると、
貧しい人たちは考えています。

写真は、大量に廃棄された
プランテーションの輸出用のバナナ。
食べられるけれども、現地の人々は、
「農薬がかかっているから死ぬかもしれない」
と怖がって食べない。

地元のバナナは食べるけれども、
違いは、地面に下草や
雑草が生えているかどうかでわかる。


プランテーションのバナナは、
大量の除草剤や
殺虫剤が撒かれているので、

下草がまったく生えていない。


地元産のバナナは、
日本のフェアトレードでも売られているバナナで、
これならば、現地の人たちも
安心して食べている、
低農薬の地元産のビナガイとかトゥンダン・・・



土地を失った先住民たち。
彼等の唯一の収入は、
プランテーションの
落ちているバナナを拾ってきて、
切りきざんで、豚の餌として売ること。

お腹がすいていても、
バナナは怖くて自分では食べない。

ミンダナオ子ども図書館の奨学生で、
戦前の日本人の血が混じっている日系人
(戦争の時に、日本人であることを隠して
山に逃げた一族)の娘さん、曰く。
「わたしの叔父さんも、食べ物がなくって、
プランテーションのバナナを食べて、
お腹がいたくなって死んだの・・・」


写真(90%は、わたしが現地で撮影)は、
先住民の村。
この村からも奨学生をとっています。


高原バナナが有名になって、
プランテーションはみるみるうちに
山麓の高原地帯に広がっていった!
ミンダナオ子ども図書館のある、
アポ山の北コタバト州。


gaku7
貧富の差が
拡大する


プランテーション=駄目だとは言わないけれど、
せめて農薬の被害や、
平地の肥えた土地を追われ、
斜面に居住地を移さなければならない
原住民の状況などを解決して、

土地持ちの土地持ちの金持ちだけが
より私腹を肥やして、貧富の差が
拡大するようなことを防いで欲しい。
日本であんなに安く売られているけれど、
利益はほとんど富裕層と海外に?

確かに地元の人々を雇ってはいるけれど、
日雇いになるにも、
高卒の学歴(中退でも良い?)と
出生証明書が必要。


でも、貧しく山に追われた先住民は、
小学校も出ておらず、読み書きもできず、
親も自分の名前すら書けないので、
住民届もされていないし、
出生届も出ていない。

ミンダナオ子ども図書館では、
そういう子たちを奨学生に採用し、
学校に行かせるために、親と役所に行って、
出生届や住民届を
作成してあげるところから始めている。

役所に届けるために、
日本円で2000円ぐらいかかるけれど、
米や塩も買えない彼らに
2000円など払えるわけがない!

日雇いでも
プランテーションに雇ってもらえるのは、
平地の村々に住んでいてい、
最低でも読み書きができる
移民系の人たちだけ!

原住民たちは、雇ってもらえない。
唯一、落ちたバナナを拾ってきて、
豚の餌を作って売るだけ。
それを食べて、豚が死んだという
話も聞いている・・・。


gaku8
友情と愛があれば
大丈夫


できれば、海外の企業が
開発にかかわっているこうした会社が、
貧困に追われた人々の事情も知り、
視野にいれてくれればうれしいのだが・・・

少なくとも、
ミンダナオ子ども図書館では、
写真の村々に保育所を建て、
奨学生を採っています。


その後、ドゥテルテ大統領になったころから、
海外企業も少しずつ、
最貧困層の人々の状況を意識して
活動を始めたような気がします。


それでも、生きるために
明るく力をあわせる子どもたち。
お金が無くっても、
友情と愛があれば大丈夫。

でも、辛いのが、
一日じゅう食べられないときと、
病気になっても薬も買えないとき。
学校に行きたくても、行けないとき。


gaku9

『バナナと日本人』の
その後は?


『バナナと日本人』の
その後はどうなっているのか?
深刻な農薬被害

ご案内には、クリック
http://www.labornetjp.org/
news/2016/0929banana



農薬の空中散布と先住民の
衝撃のドキュメントは、以下のYouTubeへ
YouTubeへGO1
上のYouTubeは、
そこに載っていたドキュメンタリーです。
バナナの農薬の空中散布によって、
先住民がいかに
被害を受けているかを描いています。
https://www.youtube.com/
watch?v=d_24-TUKkdA
   


以下のサイトで、ミンダナオにおける、
バナナプランテーションの現地住民への
被害状況に関する報告会が、
行われることがわかりました。
http://www.labornetjp.org/
news/2016/0929banana

私にとっては、ミンダナオの日常で、
人ごとではないので
参加しようと思っています。

以下、サイトの記事より

かつて、『バナナと日本人』という
大ベストセラーの本がありました。
あの本で告発されていた
バナナ・プランテーション、
残念ながら今もフィリピン・ミンダナオで
拡大しつつあります。

プランテーションで働く労働者だけでなく、
その家族からも健康の問題について
不安が高まっています。
出生障害、麻痺や原因不明の病気で
なくなるケースなども報告されており、
その実態は深刻です。

その状況を知るために
訪問団が9月初旬に派遣されました。
その報告会が今週土曜日に開かれます。
会場は東京の連合会館(御茶ノ水)になります。
ぜひご参加いただけますようお願いいたします。

これに先立ち、
バナナ・プランテーションで使われている
農薬がいかに危険なものであるか、
アジアでの農薬規制、
日本での農薬政策の問題などについて
学習会を行い、そのまとめを作っています。
16ページですぐに読めます。
ぜひご活用ください。
http://altertrade.jp/archives/12800

日本のバナナ市場にバナナを出荷する
住友系のスミフルのプランテーションで
農薬空中散布が行われており、
先住民族の村が被害を受けている状況を
現地のNGOがドキュメンタリーとして制作しています。
その日本語字幕版もぜひご覧ください。(印鑰 智哉)


『毒の雨』(Poison Rain)
https://www.youtube.com/
watch?v=d_24-TUKkdA



gaku10
ミンダナオ訪問団
報告

------------------
フィリピン・ミンダナオと
私たちの今を考える
『バナナと日本人』で
描かれた問題は現在、
どうなっているか?

------------------


私たちの食卓と
海外の産地がどうつながっているか、
バナナを通じて追求した
鶴見良行著『バナナと日本人』が
出版されたのは1982年でした。

日本にあふれるようになったフィリピン・バナナが
危険な農薬が空中散布される中、
過酷な労働条件のもと、
バナナ・プランテーションで
働かざるをえなくなっていった人びとによって
作られていること、

しかも、日本のバナナ市場のために
多国籍企業によって
そのプランテーションが
作られていったことを明快に描き、
日本社会に大きな衝撃を与えた名著です。


それから30年あまりがたちましたが、
今なお、日本で消費されるバナナの
9割以上はフィリピン、ミンダナオ島の
プランテーションから来るバナナです。
現地での状況は
ほとんど報道されることはありませんが、
その現状はどうなっているのでしょうか?

日本に輸入されたプランテーション・バナナからは
国際農薬監視行動ネットワークなどが
使用禁止を世界中で訴えている
危険度の高い農薬や、
ネオニコチノイド系農薬の
残留が確認されています
(東京都健康安全研究センター
研究年報2013など参照)。

それを生産する現場では
環境や現地の人びとの暮らしや健康に
何が起きているのでしょうか?
プランテーション・バナナに代わる
オルタナティブは存在するのでしょうか?

そうした状況を確かめるために、
9月上旬にミンダナオ現地に
訪問団が派遣されました。
参加者は農薬問題や
現地の社会問題を研究する研究者や
生協関係者の方たちです。

現地報告をもとに、
フィリピン・ミンダナオの人びとと
私たちの関係を考えます。

ぜひ、この機会にご参加ください。
【日時】2016年10月1日(土) 1
4:00~16:30 (開場13:30)
【お問い合わせ】
オルター・トレード・ジャパン(ATJ)政策室


gaku11
キダパワンでデモ
3人殺害される


MCLのあるキダパワンが、少し不安定ですね。
干害が激しく、農民が食べられず、怒り。
政府の支援が届くはずが届かず。
デモをして、

3人が殺され、
けが人がたくさん出ました。
下の写真は、
MCLのスタッフの従兄弟で、
撃たれて亡くなりました。

この一家は、アラカンで殺害された、
ファウスト神父さまとも繋がりがあって、
高校まで
ファウスト神父さまの奨学生でした。

ファウスト神父さまは、本当に優しい方で、
イタリア人の神父で、
40年間にわたって
先住民を支援してきましたが、

新人民軍の仲間と疑われて、
シスターの話ですと、
政府の送ってきた刺客に殺されました。
そのときの悲しみは、
ドンボスコ社の
「カトリック生活」に以前書きました。

MCLの田んぼは、
いまのところ灌漑用水があり、収穫があり、
200人の子ども、若者たちを養っていますが、
干害が続くとどうなることやら・・・

いま、とりわけ貧困が厳しい
山岳地帯の状況を調査しています。

食べられない家族が多く、
場所によっては
炊き出しなどの支援もしたいのですが、
円安以降財政が厳しく、
よろしければ緊急の支援をお願いします。
ミンダナオ子ども図書館 支援方法

日本で私も、講演をこなし、
本の印税も全て送って頑張っているのですが・・
一人ではなかなか。
MCLは、ほとんどが個人支援なので!
以下は、記事です。

サイトの記事へGO!


gaku12
医療支援を
お願いします


日々の食べ物にも困っている
経済的に貧しい人々にとって
何よりも大変なのが、
病気になったときだろう。

私たちが活動している地域の人々は、
都会に住んでいる人は別にして
山岳地や湿地に住んでいて
日々の食べ物にすら困る人たちだ。

しかし、食べ物は、
無ければせめて、カエルを捕ったり
山芋を探したりして、何とかなるけど
病気だけは、どうにもならない。

何しろ貧困の度合いが違い
薬も買えなければ、
医者の診断など不可能で、
入院などは、夢のまた夢。

そんな状況を見かねて、
長年医療をしてきたけれど
10年近く、
毎年大口の寄付を続けてくれていた団体が、
一昨年急にストップした。

理由は、まったくわからないけれど・・・。
MCLでは、
投薬から手術、入院まで
可能な限り、子供たちを助けている。

病院の先生方とも、長いつきあいで
特別に安く引き受けてくれるばかりで無く、
時には自分の給与をなげうって
MCLの患者たちを助けてくださる。

ことしも、写真の子たちの手術から
500名以上の奨学生の投薬や
医師の診断まで、やってきているけれど
多くの方々の個人の自由寄付に頼っている。

もしよろしければ、
自由寄付でも寄付に「医療」と書いてくださって、
わずかでも良いので、
お願いします。

 支援方法のサイトへGo!

手術後の経過の
調査も行っています。



gaku13
ミンダナオ子ども図書館
の医療活動


左右の写真は、
先年末に、足の手術をしたときと、
終わったときのジャナ(仮名)
キダパワンのドクトルスペシャリスト病院にて。

足に大きな腫れ物が出来て、
歩けなくなった
イスラムのジャナ。

手術をしたあと、
現地のイスラム地域に、
その後の経過を確認に行きました。

もうすっかり元気で、
ちゃんと歩いて学校に通えています。
お母さんもうれしそう。


写真下は、元奨学生で薬剤学科を卒業。
今は、医療担当になった、ジナ。
山奥で、母がいなくなり、極貧で云々。
でも、MCLに住んで大学を卒業できた!
しかも、あこがれのMCLのスタッフに。

ジナの役割は、
キダパワンの総合病院の一つ、
キダパワン メディカル スペシャリスト病院の医師と
貧困の中の病気の子どもの間に入って、
診察の手配、薬の購入、
手術の手はずをすること。

(ここにはCTスキャンもあり、
十数人の専門医師が働いている。
長年の関わりでMCLは特別に、
医師が自分の給与を棚に上げて診てくださる。
だから、訪問者がコブラに噛まれても大丈夫!)


MCL自身は、
医療支援活動はするものの、
医療そのものは
病院の先生方が行う。

しかし、あらゆる場合において、
必ずスタッフが同行する。
貧困の親は、病院の手続きもわからず、
薬の購入も、
その後の再診の事もわからないから。
完治するまで、送り迎えから同行もする。


ときどき山で出会うのが、
あるNGOで手術はしてもらったのだけれど、
抜糸やその後の薬の事もわからずに、
放置されたままの子どもたち。
何度か、MCLで完治させてあげた。


写真の子どもは、
血液に障害を持ち、
輸血手術をした
マノボ族のプロックエイト集落の子ども。

その後、チェックしましたけど、
すっかり良くなっていました。
なおしてあげるだけではなく、
その後のフォローが医療では大事。
自分たちでは、医者には行けないから。

MCLでは、必ず治療した子の
その後の状況をくり返し通って
完治するまで調査します。

寄付をくださったJICAの・・・さん、
安心してください。
同じこの村で、あるNGOが手術をしたあと、
抜糸をしないでこどもをほったらかしにしていて、
その子の抜糸を
MCLでしてあげた子もチェックしましたよ!

医療は、
本当に責任と
手間がかかるプロジェクトです。



gaku14
さまざまな患者に
出会う


現地に行くと、さまざまな患者に出会う。
そのたびにインタビューをして、
後日、または即日、
子どもたちを病院に運ぶ。
写真は、妻のエープリルリン。

ミンダナオ子ども図書館の医療活動は、
100万人規模と言われた
2000年、2002年の
イスラム教徒難民の悲惨な現状に
出会った事から始まりました。

その後、デング熱などの治る病気でも
死んでいく、山岳民族など、
現地の貧しい子どもたちの
現状を見るにつけて、

高額治療でも
予算の許す限り行う、
医療プロジェクトの必要性を痛感して
実施を始めた活動です。

下は、避難民状態の患者達。
中には、精神障害を起こしている子もいて
ダバオの精神病院にも・・・



gaku15
戦闘地域に
急激に奇形が増えた


奇妙なのは、
空爆も含む激し戦争だった2000年の
米比合同演習と、
2002年のテロリスト掃討作戦の後、
戦闘地域に急激に奇形が増えたこと。

友人の松浦悟朗司教に話して
写真を見せると
「劣化ウランの症状とちゃう!」


それで調べたところ
その頃、体内にいた子が
ひどい奇形を持っていることが見えてきた。
MCLで、何人手術をしたことか。

日本の某新聞社がそれを知って
取材に行きたいと言ったものの
なぜか、ストップ!

その後も、2006年に緒方さんが
JICAのトップになり、
和平交渉が推進されるまで
殆どの取材は、拒否されました。

私たちの医療活動は、
手術の必要な重篤患者の子ども
デング熱や生命に関わる緊急医療を
必要とする子どもたちを、
主な対象としています。(17歳以下)

このような入院を伴う緊急医療は、
時として膨大な費用を
必要としているので、
貧しい家族には不可能なケースが多い。

また、メディカルアウトリッチと呼ばれる
健康診断や風邪などの軽い病気を
医師が派遣されて治療するNGOや
ファンデーションはあるのですが、

重篤な病気に対する
治療を支援する団体は、
現地ではあまりありません。

それゆえに、MCLでは、
他では診てもらえない子たちを
特別に、受け入れるようにしています。


診察や薬を含め、
年間140人ほどの子どもの
医療をしています。

毎年200万ほどの
医療代がかかっています。
支援をよろしくお願いします。


医療は、
自由寄付で
まかなっている分野です。



gaku16
手術も終わって

下の彼に会った訪問者も多いのでは?
とっても明るくておもしろい子、
そして、ちょっといたずら好き。
いまは、山のお父さんの所から
学校に通っています。
手術も終わって美男子に・・・


下は、
日本から訪問された医師に
治療してもらった、
マノボ族の少女。


顔は載せていないけど、下の子は足を撃たれた。
リゾート開発で5000ペソやるから
ここを出て行けと言われ、
マノボの酋長の父親が
「嫌だ!」と言ったらその場でズドン!
殺されて、母親も腹をバーン。
少女が助けに寄ると足をババーン!

現在、私たちの医療活動は、
山岳地域の子どもたちや
イスラム教徒難民など
年間100名以上の子どもたちに
本格的な医療の機会をあたえています。


いざというときには、
ミンダナオ子ども図書館に
足を運べば何とかしてくれる!

医療プロジェクトは、
多くの人々に
信頼と安心を与えている
重要なプロジェクトです。 

自由寄付が、
医療に使われます。
よろしくお願いします。

支援申し込みメールでご住所を送っていただければ、
会員登録をして年4回、季刊誌をお送りします。
直接下記に振り込んでいただけると早く確実です
自由寄付、医療支援、スカラシップ、里親支援、
植林支援、緊急支援


郵便振替口座番号:00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

振り込んだ後に、メールをいただければ幸いです。

mclmindanao@gmail.com
(以前のアドレスも有効です)
インターネットバンキングも可能です
■銀行名 ゆうちょ銀行   ■金融機関コード 9900 
■店番 019   ■預金種目 当座 
■店名 〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
■口座番号 0018057
口座名:ミンダナオ子ども図書館
ゆうちょ銀行(郵便局)や、
それ以外の金融機関からの振込もOK

振り込んだ後に、メールをいただければ幸いです。
mclmindanao@gmail.com
(以前のアドレスも有効です)
連絡、スカラシップや支援方法の問い合わせ、
訪問希望、講演会、公演、家庭集会の希望、
支援に関する質問は、こちらへ。

現地日本人スタッフ宮木 梓:
mclmindanao@gmail.com


gaku17
アルアルくんの
手術が成功


本当に小さい頃から
ミンダナオ子ども図書館に住んで
学校に通ってきたアルアルくん。

先住民のマノボ族で
バナナ開発のプランテーションに
土地を追われて行き場が無く、

家族が苦労しているのを見かねて
ミンダナオ子ども図書館に・・・。

小さかった彼もいまは大学生に。
だけれども、とつぜん病気が解り
腹部の手術を断行。
「MCLが無かったら、ぼくは死んでいた。」

ミンダナオ子ども図書館では、
大きな手術から、病院での診察、薬の投与まで、
17才以下の子どもたちを
予算の許す限り助けています。

毎年行っている
三ツ口の子どもたちの治療。




gaku18
ミンダナオ子ども図書館の
子どもたち


ミンダナオ子ども図書館の中心は、
いつも子どもたち!
土曜日の午前中に庭に出て、
庭作りをしながら、
花や野菜を育てる子どもたち。

日本では、
ちょっと考えられない姿だけれど
本当に自然がすき、というか
生まれたときから、
自然と共に生きている。


きれいな花を
育てるのが好きで
時には、花を摘んで
髪にさしておしゃれする。

山芋作りや、
雑草の草刈り掃除もお手の物。
掘った山芋も料理に!


不思議なぐらい嫌がらずに
むしろ笑顔で楽しくお掃除。


gaku19
ピキット市の
保育所の開所式


いつもは、ミンダナオ子ども図書館は
比較的豊かな人々の多い都市近郊では無く、
山や湿原地帯の僻地のなかでも
最も貧しい村や集落で活動し
保育所も、そのような場所を選んで建ててきた。

しかし、今回はピキット市のソーシャルワーカーで、
MCLの理事でもあるグレイスさんから、
市内の広場にスタンダードのしかも
総セメント製の保育所を建てられないか
という要請があった。

大きさは簡易保育所の2倍あり、
セメント製であるから暑いのでエアコンも
寄贈されるという。
本来竹壁と窓の方が、総セメント製よりも
暑さをしのげるので良いのだが。


しかも、土台は一メートル以上高くして作る。
理由は、
戦争や洪水の時の避難場所として
機能するものを作って欲しいという事だった。

確かに過去の経験から、
戦争や洪水が起こると、
数十万から時には百万を超える
避難民が僻地から逃げてきて、


半年から一年、
時には数年にわたる
避難民生活を余儀なくされる。


そのたびに救済支援を行ってきたから
このような避難場所があると、
助かると同時に
救済避難ベースにもなる。

セメント製なら、
鉄砲玉が飛んできても命が守られるし、
1メートルの高さがあれば
洪水になっても大丈夫だ。

そうした理由を納得して
お二人のスタンダード保育所支援者に
カトリック教会の寄付を加えて
160万で建てたのが今回の保育所。


開所式には、保育所の先生、
福祉局のでMCL理事のグレイスさん
そして、神父さまも参加されて
サイン式と祝福を行い、

その後で、
MCLの若者たちが読み語りをして
子供たちと一緒に
開所式を楽しんだ。



gaku20
イスラム、クリスチャン、
先住民の子たちが
読み語りをした


保育所の開所式の時は、
いつもMCLの子どもたちが同行して、
子どもたちや親たちの前で
絵本の読み語りをする!

絵本の読み語りは、
MCLの根幹となるプロジェクトで、
子どもたちや親たちにも喜ばれ、
MCLが、どのようなNGOかを理解してくれる!

絵本の読み語りは、
現地語を重視するけれど、
歌や語りも、
原住民、ムスリム、クリスチャンで行い、

部族の言葉しかわからない子たちが
多い場合は、
その部族出身の若者が、
語り手の横で、通訳をしてくれる。



gaku21
読み語りの後に、
みんなでパンを食べた
 


それにしても、
10年前に比べると、
資材、文具、生活費、
ガソリン代などの値上げが激しく、

フィリピン経済は
表向き上向いていると言われていても、
貧困層の生活は、
ますます酷くなってきている。

これからは、格差が、
大きな社会問題になっていくだろう!

海外の政治や企業とつながりがある、
地域の有力者たちは、
さらに大金持ちになる反面、

イスラムのリグアサン湿原で、
土地も持たず、
漁業で生計を立てている
漁民たちの生活は、
もっと貧しくなっていく???


しかし、リグアサン湿原の漁獲は、
大きな鯉や雷魚や
5mもあるウナギ、
エビやカニなどもすごいので、


それを捕まえて、
町で売りさばいていくだけで、
貧しくとも何とか生きていける。

現地の漁師から聞こえてくる
今後の心配は、
この広大なリグアサン湿原に海外資本が入って、
膨大な埋蔵量の石油や天然ガスを
開発することによって、

湿原の水が汚染されたり、
漁場が破壊されていったりして、
漁業に影響が及ぼされることと、

または、灌漑によって湿原の水が干され
陸地化されていったあげく、
水田やプランテーションが広がり、
土地持ちはもっと豊かになるけれど、
貧しい漁民は、漁場が失われて
追いやられていくのではないかという事だ。


gaku22
保育所のチェックと
修理を始めた

保育所支援は、フィリピン政府が
小学校入学の条件として
「小学校に併設される幼稚園を
せめて卒業しなければ入学できない」
という条件を出したところから始まった。

山岳地の貧しい村では、
小学校のある村の中心部まで8キロあり、
ジャングルや山道を小学生は、
3時間もかけて歩かなければならないのは
普通の事だ。

ミンダナオ子ども図書館で、
下宿小屋を作っているのも、
そうした子供たちが、
小学校や高校の有る村の中心部に住み、
学校に通えるようにするためだ。

特に孤児や崩壊家庭、
そして両親はいても極貧で食べられない
家庭の子たちを優先して奨学生にしている
MCLでは、下宿小屋に住んでいる子たちに、
米も服も支給している。

すでに
山に男子寮と女子寮を作っているが、
現在、海にもう一つ、
下宿小屋を作る準備をしている。


話を保育所にもどすと
そうした貧しい村の幼い子供たちが、
8キロもある道を通って幼稚園に
行けるわけが無い。

そこで、政府は、村に保育園を作り
そこでABCを学んだ子も
とりあえず小学校に入学できる
ということにした。

保育所は、教育所ではなく、
福祉局の管轄下で
村単位で建設、維持する。

保育所といっても、
日本のように親が働きに出ている間に
子供を預かる場所では無く、
一日2時間ほど、
ABCや簡単な算数を学ぶ場所なのだ。


gaku23
保育所は
村単位で建設


村単位で建設といっても、
貧しい村に
お金が有るわけもない。

保育所の先生も、せめて高校卒業で
読み書きが解ることが前提だが、
小学校卒業生もまれな村で
先生になれる人がいない村もある。

建物などはさらに不可能で、
木の下やプロックと呼ばれる
屋根だけの休み場所で
勉強していたりする。

ぼくには、政府の政策は、
豊かな村のある程度お金のある人々だけが
小学校に入学し教育が受けられる形にする、
貧困層を切り捨てるための、
教育システムのように思えたものだが、

といっても
そうした村の子供たちが惨めで放っておけず
福祉局からの強い要請もあり、
自分たちで独自に
保育所建設を開始することに決断した。

福祉局に問い合わせると、
保育所には、
スタンダードと呼ばれて大きくて、
入り口もトイレも2つあるものと、

トイレも入り口も一つしかない、
小さめの簡易保育所が、
あることもわかってきた。

福祉局からは、
とにかく保育所が無い村が
あちらこちらにあるので、
「簡易保育所で良いから、多数建てて欲しい」
と言われた。

そして、簡易保育所を見たが、
床も土で全部竹だけだと、
あっという間に腐ってくる。
そこで、せめて土台と壁の半分は
セメント製にすることにした。


最初は、簡易保育所は
30万円で可能だったが、
10年で資材の値上がりが厳しく
その後、40万にして、
すでに75件を建ててきた。


ただし、10年もすると
簡易保育所の問題点が見え始めた。
補修は、寄贈式のときの調印と取り決めで
村で行うことになっているのだが
村には、補修の費用すら
持てないケースが多々ある。

さすがに土台はOKでも、
竹壁が腐ってきたりする。



gaku24
補修を行うことに

せっかくドネイションしていただきながら
色あせて補修も
必要としている保育所を目にし、
現地の子供たちや教師、
支援者の気持ちを無視できずに、

今年から
保育所補修の寄付を募り
補修を行うことにして、実行し始めた。


ただ、補修や再建が必要な
保育所は以外に多く、
数年は、補修プロジェクトを
続けなければならないだろう。経費も大変。

しかし、
新たにピンクのペンキが塗られ、
壁も補修された保育所で
うれしそうに学ぶ子供たちを見ると、
頑張ろうと想う気持ちがわいてくる。


サインボードも
塗り替えて張る。


今後は、
今までの展開の経験を踏まえて
一時しのぎの簡易保育所を辞めて、
室内に2つのトイレを置き、

部屋の大きさも広くして
セメントの壁にドアも二つつけて、
福祉局からの要請も受けて
すべてをスタンダードにして
90万円で建てることにした。


総セメント製だと
130万になる。


そして保育所が保たれるためにも、
下にピンクか緑のペンキを塗り
屋根もペンキを塗って
錆を防ぐことにした。

簡易保育所より
面積が広くトイレも二つあり、
扉も二つあるスタンダード保育所。



奨学生を決定に山へ!
奨学生決定に山へ
海の下宿小屋に! 
海の下宿小屋に
戦闘避難民救済
2019年の戦闘避難民救済活動
地震の悲しみで お父さんが!
地震の悲しみでお父さんが
イスラム湿原に 保育所を建てた!
イスラム湿原に保育所を建てた
戦争と平和
戦争と平和
平和構築と学校建設
平和構築と学校建設
原住民、イスラム、クリスチャン 私たちは一つの家族!
原住民、イスラム、クリスチャン、
私たちは一つの家族!
何故ここに日本人 TV録画!
テレビ東京なぜここに日本人
池上彰の番組 パックンが来た!
池上彰の番組、パックン
gaku25
小学校建設の
打ち合わせ
 

今年の3月に日本大使館で正式にサインした後、
大統領選後の6,7,8月あたりから
政情を確認しながら進める予定の
パガルガン地域に
小学校建設のつめの話をしに行きました。

ミンダナオ子ども図書館の提案で、
イスラム自治区のカルボガン村に、
日本政府の支援で
小学校を建設する予定です。

この地域一帯は、
ミンダナオの戦闘地域のなかでも、
最も不安的で
微妙な場所であるだけに、
逆に、和平構築に重要な場所でもあるのです。

3月に、日本大使館で
私がサインすることになっていますが、
様々な不安要因もあり、
現地で最終的なつめをしました。

先日、イスラム自治区で、
市長代理、エンジニア、カルボガン村長、校長先生、
そして、MCLのイスラムのスタッフ4名と、
代表の妻と私とで、
小学校建設に関する詰めの会議をしたのですが、

戦争は別として、
不安事例としてあがったのは、
前にMCLが日本大使館に推奨して、
その後の責任は、
現地の自治体に与えられ建設した、
サパカンの小学校が、

危険地域であるがためか
マニラに本部のある業者のチェックがあまりなく、
建設後も土台が良くないという
学校の校長からの指摘があり、

MCLには直接責任はないのですが、
一日本人としても恥ずかしく、
現地のエンジニアと話し合って
3月はじめまでには完璧に修理し、
修理後も、MCLのスタッフが
チェックすることになりました。

イスラム地域での建設は、
過去の経験からも難しい部分があり、
資材の盗難や
手抜き工事などもあり、

下の写真は、
途中で屋根の建材が行方不明になって
建設が中途でストップした
教育省の建物です。


今回は会議を開き、
業者の選択も含めて、エンジニア、村長、校長、
市と密接に協力しながら、
MCLのイスラムスタッフがたえず同行して、
資材の調達、運搬、

そして建設のための
現地の村の職人の選択、
資材の紛失などの避けるために
管理を強化することで一致しました。

MCLとしては、
全くボランティアで活動しますが
(皆さんの支援金の一部を使いますが、
現地の子どもたちのためです!
奨学生もいます。)

現地の子どもたちとの繋がりを考えると、
不完全なまま放置されている
海外支援の建設物が多い地域だけに、
現地の人々の日本への信頼を構築する
重要な仕事ととらえています。

IMTの中川さん、
サパカン心配ないので安心してください。
床を上げたことは大正解です!
洪水の時の避難場所にもなりますし、
喜ばれています。

ただ、置き土の固める経験がなかったことが
ベランダに亀裂がはいる原因となったようです。
3月上旬には、
全面修理がなされます。

今回、私もサパカンの小学校をチェックし、
カルボガンも舟で行こうと思ったのですが、
ピキットサイドのタリタイとラジャムダで
選挙関係のリドーがあり、
危険で入れませんでした。


gaku26
小学校建設の調印式

コタバトで
カルボガンの小学校建設の調印式。

MCLから、副代表のベビン、スタッフのサダム。
そして、現地のエンジニア、村長、
市長代理が出席。

大使館の職員とエンジニア、村長が握手
現地でもしっかりと
取り組んでもらうためにも
こうした計らいが重要


いつもマニラで調印式を行うが、
今回は、大使の意向で
初めてミンダナオのイスラム地域
コタバトで調印式が行われた。
イスラムのバンサモロBDAの拠点であるだけに
現地でも親しく、迎えられた。

2006年いらい、
和平交渉における日本の役割は大きい。
マレーシア、インドネシアと共同して
IMT国際停戦監視団を形成し
和平に貢献してきた。

MCLは、直接携わってきたわけではない。
特定の政治団体の下
または、宗教団体の下では、
活動しない定款をもっている。
Non politic Non religioussect

子どもたちへの愛だけで活動する!
しかし、どのような国家や宗教団体であれ
子どもたちにとって良い企画であれば
心の底から協働する。

MCLは、15年間
現地の最も複雑で、
戦闘や対立が絶えない地域に入り
奨学生をとり、保育所を建て、

さらに小学校を建てられないかという
きびしい地域からの要望で、
個人の支援でほぼ成り立っているMCLでは、
自力で学校を建てるほどの資金は無いので、
日本政府に応募して学校を建ててきた。

最初に建てたのはマカブアル村。
道も無く、反政府ゲリラの拠点がある
危険な地域だったが、
学校が建ってから道も出来
村も明るくなり人々も帰ってきた。

次に建てたのがブアラン村。
こちらは、40年間丘の上のクリスチャンと
丘の下のイスラム教徒が対立し
殺し合いが続いてきた
最も複雑で危険な地域。

それが、学校建設を条件に
和平交渉を現地で行い、
クリスチャンとイスラムの村人たちが共同して、
かつてあった道を切りひらき、

イスラムとクリスチャンの両者が、
同じ学校に通えることを条件に
建設した。

今は、すっかり平和になっている。
そのときの活動と様子を
映像であげました。
以下をクリックして、ご覧ください。
和平構築の映像へGO!


IMT国際停戦監視団で活動し
今回の提案にも
お声がけをしてくださった中川さん

いよいよ
これからが本番で大変です!


gaku27
カルボガンの
学校建設を視察


MCLの法人資格が、
現地の若者たちの手で取得されて、
公的に活動が開始されたのが
2003年の8月のこと。

元々のきっかけは、
2001年に
キダパワンのバリエス司教につれられて
イスラム地区の戦争を見て、

その避難民の状態のひどさ、
特に笑顔を失った子どもの姿を見てから、
ここで読み聞かせ、医療、奨学制度が出来る
NGOを作らなければと思ったからだ。

そのことは、
拙著『手をつなごうよ』(彩流社)で、
青少年向けに書いた。

それから13年、
ミンダナオに足を踏み入れて
15年の歳月がん流れた。

その後も
2002、3年の米軍による
テロリスト掃討作戦で、
120万の避難民。

さらに2005年にも、戦争が勃発。
リドーと呼ばれる
小さな戦闘にいたっては、
毎年のように起こり、

2006年の
日本政府による和平交渉以降も、
2008年には、和平交渉決裂により
80万の避難民が出る戦争になった。

今年も
小さな戦闘がしばしば起こり、
そのたびに避難民救済に駆け回って
あっという間の13年!


ミンダナオの全ての学校には、
上の写真のような番号が、書かれている。
これは、学校が
避難所として指定されており
ドローンによる空爆防止のためです!

2008年の戦争の時にも、軍の兵士が
リグアサン湿原の上を指して言った。
「ほら、あそこにフワフワ飛んでいる
飛行機が見えるかい!
あれは、米軍の無人偵察爆撃機だよ。」

すると、そこから爆弾が、
ドーンと落とされた。

爆弾を落とす引き金を引くのは
戦場から遠いアメリカ軍のオフィスにいて、
コンピューターながめている
司令官なのだという。

そのしたに、
どれほど多くの避難民の子供たちが、
なけなしのシートのしたに
避難しているのか、
解っているのだろうか?



gaku28
戦争がある度に、
逃げてきた
子たちを支援


そんな爆弾が落とされていた地域。
とても入れない
と思っていた反政府地域。
東南アジア最大の湿原と呼ばれている
リグアサン湿原のイスラム自治区にも、

戦争がある度に、
逃げてきた子たちを支援し、
親が殺された子たちを、
奨学生に採り。

読み語りをし、保育所を建て
10年間にわたる交流を続けてきた。
その結果、現地の人々は心を開き
MCLを信頼し、
受け入れてくれるようになった。

和平構築は、
ヒナイニナイ バスタ カヌナイ
(MCLの合い言葉で、
ゆっくりゆっくり でも絶えることなく)
友情と愛のお付き合いをしていくなかで
培われていくものだと、感じている。

一時的に巨額な支援をしても、
現地の人は簡単に信じてくれない。
「何を下心に支援するの・・・???
目的は、リグアサンに眠っている
膨大な石油と天然ガスの資源を奪うこと?」

事実、ここで40年間にわかって
起こされてきた戦争の原因は
国際的な天然資源の
奪い合いだと聞いている。


ミンダナオ子ども図書館の活動は、
政治目的でも無く、
宗教目的でも無い。
子供たちへ愛と友情だけが行動規範だ。

それを理解してくれるから、彼等は言う。
「MCLは、他のNGOと違っているね・・・」
その結果、今回のような、
一般では外国人が入れないような
非常に難しい場所にも、
学校建設が可能になった。

ただ、こうした活動に
妬みを持ったり、あるいは逆に妨害して
戦争を起こすきっかけにしたい動きも
過去見ている。

たとえば、中東でのイスラム国による
日本人誘拐殺害のように
ぼくを誘拐殺害して、
あるいは、今の大統領を殺害して、
イスラム国の仕業と大々的に報道して、

一挙に政府軍、アメリカ軍。
そして集団的自衛権と憲法改正を利用して
日本軍(現地では自衛隊では無く
日本軍と呼んでいる)
まで、ミンダナオのイスラム地域に攻め込んで、

軍隊を駐留させて、
リグアサン湿原の石油と天然ガス、
そして、山岳地たちの希少金属の
資源の発掘の基盤にするのではないか?


皆さん!
戦争を起こすための口実に
ぼくが、誘拐され、殺されても、
決してこの地のイスラムの人々を
悪く思わないで欲しいです。

ぼくは、この地のイスラムの子供たち、
とりわけ、戦争で親が殺された子たちを
心から愛し、また、地域の人々を
友人だと思っているのでお願いします。

戦争を起こすために行われるのが、
誘拐と殺害、
爆弾事件であることは、
過去何回も見てきています。

それでも、
この子たちのためならば、
ぼくは、殺されていってもかまわない・・・
そんな思いで、活動しています。



gaku29
物的支援を
始めた理由


ミンダナオ子ども図書館の
根幹の支援は、読み語りで、
いわゆる物的支援ではない。

貧しい村を訪れると、
しばしば村長さんから、
「お宅のNGOは、何の支援をしてくださるの?」
と聞かれて、

「私たちの支援は、
子どもたちへの愛と友情、
絵本の読み語りです!」
そう答えると、驚いた顔をして、
「えっ!それだけですか?
何も持ってきてくれないの?」とがっかりされる。

それでも、子どもたちが驚くほど喜び
寂しかった村が明るくなり、
親や村のお年寄りたちも喜ぶ顔を見て、
最後には、とても喜ばれる!

MCLの活動の根幹は、
絵本の読み語り!
子どもたちと
歌ったり踊ったり劇をしたり!

愛と友情の支援なのだ!

けれども、
貧しくって食べ物もない子たちを見ると
放っておけず、
最後にパンを配ったり、


着るものも靴もない子たちのために、
日本から送ってもらった
古着や靴を持っていく。

また、薬も買えない村で、
病気の子たちを見ると放っておけず、
手術に至るまでの医療支援を始めた。

そして、極度の極貧で学校にも通えない子や
親が戦争で殺されたり、
崩壊家庭の子たちがいると、
奨学生に採用して、

現地では、
小学校卒業も大変なのに、
中高から大学まで通えるようにした。
大学など、ほとんどの子が
通えない地域だ。

それに平行して、
福祉局からの強い要望にあわせて
保育所支援、学校建設支援などの
可能な限り物的支援もはじめた。

保育所支援を始めた理由は、
フィリピン政府が幼稚園で
ABCを学ばなければ小学校に入れない、
という制度を作ったからだ。

けれど、文科省に属する幼稚園は、
小学校に並列されて作られるだけで、
貧しい山や湿原の子たちは、
村の中心に設置されている学校まで、
4,5キロもジャングルを超えて歩いたり

湿原を舟に乗って行かざるをえず、
極貧の幼い子たちにそれが
出来るわけがない。
そこで、集落単位で保育所を作って、
そこで学ぶのも良いことになった。

しかし、極貧の村々の人々は、
自分の家すら小さな竹小屋で、
保育所なんか作る費用が集まらない。
下は奨学生の家族の家だが、
子どもたちが12人も住んでいる!

そこで、保育所を管轄している福祉局から
「何とか、簡易保育所でも良いから
MCLで建てられないか」
という、要請依頼が来て、
始めたのが、保育所支援だ。

すでに、70棟ほど建てたけれど、
契約では建てるまでがMCLの責任で、
その後の維持管理は、村に任せられる。

けれど、5年もたつと修理が必要になって来る。
しかし、極貧の村で修理が出来るわけもなく、
ほったらかしの保育所が増えた。

それを見ていたたまれず、
子どもたちの事を考えて、
2020年から、
保育所の修理もしていくことにした。

次に来たのが学校建設の要請だ!
保育所までは、日本からの個人寄付で
何とか建てられるものの、
学校までは無理。

そこで、JICAを通して、
日本政府のODAに提案して、
マカブアル村に続いてブアランに建設。
その後も、サパカンやマカブアルにも!


gaku30
物的支援の難しさ

前回は、国際停戦監視団IMTに
JICAから派遣されている、中川さんから
「どこに建てたら良いか、推薦して欲しい」
といわれて、

MCLの責任ではないが、
イスラム自治区下のカルボガン市の責任で、
サパカンに学校を建てた。

しかし、マニラの業者からの調査も無く
現地でも、
洪水を避けて避難するための場所としても
機能するように考えて設計した
床上げの技術が初めてで、

床上げした床に、ひびが入り始めた!
本来修復は、請け負った業者の責任で、
地方自治体が経費を出して、
修復の手はずを整えるはずなのだが、
そのような経費は無いという・・・

MCLとしては、
建設場所を提案した手前もあり、
MCLで独自に調査し
行政とMCLのエンジニアと話し合い、
修復を完了した。

長年現地で活動していると、
海外支援の良いところと並行して、
問題点をも見せつけられる事が多い。

公に言いにくいのだが、USAIDやEU、
日本のODAやフィリピン政府で建設した、
コミュニティーセンターなどの建物や橋が、
資材の盗用や技術の未熟で
建設途中でストップしたまま放置されていたり。

さらに多いのが、
現地の有力者の個人所有に
なってしまっている例も多い。

MCLの保育所も、
建設後に個人の物にされてしまっていたり、
セメントなどの資材を横領されて、
建設が中途でストップしたり。
手抜き工事で、壊れたり・・・

現地では、公的支援という物は、
金銭も含め関係した有力者の
懐を埋める物という考え方が常識で、
特に選挙前に行われる。

ただし、MCLの場合は、
その後のフォローも続けていくので
一目置かれているけれど
悲しい・・・

そういう経緯をいくつも見ているので、
今回コタバトで調印式があった
カルボガンの小学校は、
サイン会を一年延ばして、
大統領選挙後に着工することにした。

この村では、
フィリピン政府が建設しようとした
校舎の一部も、
セメントで壁を作ったところで
屋根も張らずにストップしており、
反政府地域の複雑で難しい場所の一つだ。

MCLでは、完璧に校舎を作るために
現地出身のMCLのイスラム卒業生を
建設現場に常駐させ、


資材調達には、
イスラムのスタッフを
常に同行させることにした。



gaku31
支援というのは

支援というのは、
戦争の時の支援もそうだが、
「支援」という美名の元で入ってくるのは
良いのだけれど、

現地NGOに任せっきりにすると、
たいしたこともせずに支援金を得て
去っていくNGOも結構多い。

あるNGOでは、
日本からの支援団体の要請で、
学校の子どもたち全員に
色鉛筆を買って配布したけれど、

現地で見たのは、
24色の色鉛筆を買ってきて、
一本づつ子どもたちに渡しただけだった。
写真では、子ども一人に一箱の色鉛筆を
わたしているのだけれど・・・

特に、2002年のブッシュ政権時代の
アメリカ軍による「テロリスト掃討作戦」時など
NGOの見本市と呼ばれるほど
国道沿いに欧米のNGOが入りお店を出して、

テレビのカメラの前で
「これを買っていただければ、
利益が支援に回されます」
などと宣伝をしていたけれども、

周囲にいる子どもたちを中に入れて、
支援物資をわたすだけで、
ほとんど危険な外には出ずに、
やがて、イラク戦争が勃発すると、
次々に消えていった。

「こんなに避難民がまだ沢山いるのに
なぜ、去っていくのですか」と聞くと
「もうミンダナオじゃない、イラク、イラク!
ここにいても支援金は、落とされないしね!」
といって、あっという間にいなくなり、
コタバトの一つのNGOとMCLだけが残った。

当時のイギリスに本部を置く国際NGOも、
沢山井戸を掘ったけれど
数ヶ月後に、ほとんど壊れていた。

無経験のぼくには、
近著の「手をつなごうよ」(彩流社)にも
当時のことを書いたけれど、
支援活動に関する無知ゆえに?
支援というのは、体のいいビジネスで、
NGOというのは、
死体に集まる、ハゲタカのようだと思った。

その後、国際NGOには、
それなりの行動規範があることが
見えてきました。
それと並行して、MCLは、
蚤のように小さな現地NGOならではの
独自の活動をしていこう
と考えるようになりました(笑)

私は、著者印税も講演の収入も、
MCLの子どもたちと一緒に
生きていくための経費にしています。
300人近い子たちやスタッフたちも
すべてを分かち合う、
一つの家族ですから!


NGOの資金も、
実際に携わっている方々から、
支援団体の本部のある国のスタッフの
給与が大変で6割から、
時には7割消えていくという。

現地NGOでは、この仕事は、
給料が良くて、
楽な仕事といわれている。

その話をきっかけにMCLでは、
日本事務局は、
送金を中心としたボランティアで、
日本で時に活動しなければならない、
私と梓さん(
2022年度には奈々子さん
そして、妻でプレシデントのエープリルリンに、
日本に戻っても最低限の生活ができるように
月々6万円の給与が支払われることにした。
2022年現在は、物価の上昇もあり10万

しかし、現地の給与も、
梓さんとエープリルリンには、
他のスタッフの中間ぐらいの
8000ペソ(一万六千円ほど)出して、
現地での生活が、できるようにした。

海外ボランティアの長かった梓さん曰く
「MCLは、現地では、食事、住居、年金、
医療、そして子供が生まれたら、
教育が大学まで保証されている。

そして、現地での給与の他、
日本の給与6万円(
2022年より10万)は、
毎月使うことも無く貯蓄できる。
日本で働くと、貯蓄することだけでも大変よ!
でもここは子ども達と毎日楽しいし、
本当に幸せ!」



gaku32
学校建設の記録から

リグアサン湿原のカルボガン村は、
湿原地帯を舟で
かなり行かねばならないと同時に、

戦争がくり返し勃発してきた
活動が、
最も困難な地域の一つだ!

しかし、それだけに
村も極貧で取り残されており、
学校も戦闘で壁が破壊されたり、
竹壁と土の床で非常に粗末なものだった。

私たちも、
最初はこんな奥の地域にまで
行くとは思わなかったのだが、

読み語りや医療や奨学生の採用、
そして、保育所支援の噂が広がるにつれて、
しだいに、奥へ奥へと導かれ、
声がかかるようになってきた。

カルボガン村も、
最初は、読み語りで訪れて、
戦争で親が殺されたりして
学校にもいけない子たちを奨学生に採用!

とりわけ、現地に置いておけない子たちは、
保護者と本人の希望で、
MCLの本部に来て見てもらったのちに、
本人が望めば、MCLに住むんで生活し、
近くの学校に通えるようにした。
両親を失った下の子もお兄さんも
2020年には大学を卒業!妹は大学生!



カルボガン村からも、
最初は、7人ほどの奨学生を採用し、
数年後には、兄弟姉妹を含めて、
12人ほどが採用されて、

その中の7人ほどが、
本部に住むことになった。

奨学生の採用が、
その後の現地での活動展開に
大きな影響を与えるのは、

とりわけ、
MCLに住むようになった子たちが、
休みになるとふる里に帰り、
村人たちに、

MCLがどんなところで、
宗教や部族が違っていても
いかに楽しく
幸せに生活できるかを語ることで、
村人たちの信用が高まることだ!

しかもMCLは、
いったん関係を持った集落とは、
その後も読み語りで何度も訪れ、
医療を必要な子がいると、
手術までめんどうを見る!

「うちの村にもMCLが来てくれて良かった!
子どもたちも学校に行けるようになったし、
病気になっても、
あそこに行けば救ってくれる!」

しかし、その後現地を知るにつけて、
その村の子たちが通う学校が
壁は竹で、床は土で、

さらに銃痕跡があったり、
爆弾で破壊されかかっていたり・・・
ひどい状態なのがわかって、


私たちの方から、日本政府へ
学校建設支援をお願いした。
そして、本当にうれしいことに、
それが認められたのだ。

しかも、この地域は、
毎年最低でも5,6回は、
大規模な洪水に襲われる場所だ!

湿原の中なので丘陵地帯も無く、
洪水に襲われると、
避難する場所が無くなってしまう。

そこで、今回建設する学校は、
床を高くして、
洪水の避難場所になるように
設計することにした。


設計者は、パガルガン市が推薦した
信頼できる方で、
その方の見方では、
土台は土盛りにするのではなく、

鉄筋コンクリートで、
しっかりと足を付けて
水は、下を通り抜けるように
した方が良いとことだった。

そして、村人たちからの要請もあり、
床は、ツルツルする塗装仕上げにしないで、
ラフなセメントのままで
残してほしいとの事だった。

そうしないと、
床が水で濡れると滑りやすくなって、
子どもたちが
危険だからということだ。

その後、早速建設が始まった。
土台が大切なので、
強い針金とセメントの柱で
絶えず設計者が指導して出来ていった。


gaku33
マニラ新聞の
記者が来られた!


建設が始まった
カルボガン村の学校を取材しに
マニラ新聞の記者が来られた!

護衛も万全を期すために、
役所はもとより、
現地の村長や村々にも
事前に話を付けておいた。

しっかりと
警備の民兵さんたちが、
鉄砲を持って護衛して下さった。

現地では、
政府側も反政府側にも
事前に報告が行き
両者で安全を確保してくれる・・・

しかも、何と
取材に来られたすみれ子さんは、
若い女性だったので驚いた。

湿原の川を下って、
カルボガン村に到着した。
かなり大手の新聞やメディアが、
取材を希望しながら、

危険度が高いがゆえに
ストップしてきたことを考えると、
本当に来られたのにはビックリ!

村の人々を中心にして、
工事は、
着実に実行されて来ていた。


すみれ子さんは、
さらに現地の校舎も取材!

一時的に木材で建っている校舎と、
セメント壁の校舎も
中は床が剥げて土になっているのにビックリ!
度重なる戦争と洪水が原因!

でも、子どもたちは
困難な中でも明るく元気に
学校に通っている。


校長先生にも取材し、

その後、
MCLの奨学生にも取材した。


下は、
今回の設計に関与した
エンジニアの方。


gaku34
いよいよ壁が
出来上がっていく


ミンダナオ子ども図書館の学校建設支援では、
建設が始まった後からが本番で、
その後もスタッフたちが、
出来る限り毎日のように、

建設が順調に行われているか!
資材は、ちゃんと届いているか!
技術その他に問題はないか!
そうしたことをチェックしていく。

スタッフたちも、
近隣の集落から奨学生となり、
大学を卒業して、
MCLのスタッフになった子たちで、
危険度も含めて情報を持っている。

建設中に良く起こるのが、
資材の盗難や手抜き工事。
それを、
可能な限り防止するためだけれど・・・

また、
スカラシップの子の支援物資を届けたり、
医療などの調査も含めて、
スタッフたちが、
みんなで視察に来ることもある。

下の写真では、
村長も建設技師も同行している。



gaku35
屋根の建設へ向けて
資材を搬送!



土台が完成し、
いよいよ最後に、
屋根の設置に向けての工事が始まった。


外壁は、
すでにセメントで塗られた。

あとは、内壁を完成させることだ。
そして、いよいよ
屋根が設置されれば、
ペンキも塗られて、工事は完成性!

子どもたちも、
自分たちの学校が出来る
その喜びを隠せない!



gaku36
洪水が襲ってきた

ミンダナオのイスラム地域には、
東南アジア最大の湿原と呼ばれている
リグアサン湿原が広がっている。

ここには、
多くの魚類が生息しており、
巨大な鯉やナマズ、雷魚やフナや
7mを超えるウナギもいると聞いている。

驚くほどの魚介類に恵まれた地域で、
4000世帯を超える漁師さんたちが、
家族で湿原内の島や陸地沿いに
竹やヤシ材で家を建てて住んでいる。

移動は、小さな舟が普通。
しかし、子どもたちは、
時には頭に荷物を載せて泳いでわたったり、
水牛にまたがって湿原地帯を移動していく。

しかし、数十年前から
この湿原地帯を
年に5,6回も
大洪水が襲うようになった。

現地は、それほど雨が降っていなくても、
上流の山岳地帯や
高原地帯に雨が降ると、
いっきにこの湿原に流れ込んでくるのが原因だ!

その濁流の強さが半端ではない、
原因は、
上流地帯の原生林の伐採だという。

プランテーションの開発により、
原生林がことごとく切られてしまい、
保水力を失った大地を
雨水が疾走するのだ。

今回の洪水は、
建設中の
カルボガンの小学校も襲った。


小学校は、洪水を避けて人々が避難できる
避難場所となるように、
床をあげて建設されているが、
今回の洪水は、
教室の内部にも多少流れ込んだ。



gaku37
滑らない工夫を
しなければならない



この状況を通して、
村人たちや村長さんから
提案が出来てきた。
それは、

教室の階段と室内のコンクリートの床を
普段ならば、
削り磨いて平らにした上に
ペンキを塗って仕上げるのだけれど、


避難場所として、
また大雨が降ったりすると
湿原ゆえに教室内も水が入り、
床が滑りやすくなる。

そうなると、子どもたちも
滑ってひっくり返ったりして危険なので
できれば床は、仕上げで磨かないで、
多少の凸凹があっても現状のまま
ラフなコンクリートのまま
完成させてくれないかという事だった。

現地を知る設計技師や、
わたしもしばしば洪水難民救済支援で
学校に行くと、
教室やポーチの床がツルツル滑り、

こけそうになって
不安になる経験をしているので
村人や校長先生や村長さんの言う事が
なっとくできた。

そこで、壁はペンキを塗るけれども、
床と階段はペンキを塗らず、
平らに仕上げるために
削ることもしないことにした。


ただ、滑らないために
セメントラフで完成したが、
見た目がいまいちだ。




gaku38
家具を搬送

学校の外壁と
内壁の仕上げとペンキ塗り、


ミンダナオでは、珍しい、
水洗トイレも完了して、

黒板の設置も終わり、
教室内にイスや机が
運び込まれることになった。

しかし、道路もない湿原地帯では、
こうした家具も資材同様に、
舟に乗せて運び込む以外に
方法がない。

MCLのトラックに家具を載せて
村にできるだけ近くまで行っている
道路を走って
湿原沿いにまで運び、

MCLの奨学生や
現地の村の若者たちも手伝って、
岸辺から家具を舟に積みこんで

東南アジア最大の湿原
リグアサンから流れ出す、
プランギ河を下っていく。

到着すると、
子どもたちは、
待ってましたとばかりに大喜び!

自分たちも手伝って、
みんなでイスを
自分の教室に運び込む!


「こんな素敵な学校で、
勉強が出来るなんて夢みたい!」

ミンダナオ子ども図書館が提案し
日本政府のODA
「草の根・人間の安全保障無償資金」で
イスラム自治区に建設された小学校!
下の左側にMCLのロゴが付いています!



gaku39
カルボガン小学校の
最終チェック


カルボガンは、
ARMM(イスラム自治区)のなかでも、
戦闘が多く
最もデリケートと言われていた地域だ。

東南アジア最大と言われている
リグアサン湿原の
内部に位置していて
反政府ゲリラの巣窟と名指しされていた。

ミンダナオ子ども図書館(MCL)では、
2000年初期の戦争で
150万の避難民が出て、
3年近く実家に帰れない日々が続いたときから、

医療、読み語り、スカラシップ、
保育所建設支援を通して
こうした最もデリケートな地域の子どもたちも助け
村の人々と繋がりを持ち活動し続けてきた。

今回は、
この地からの強い要望で建設を決めた
小学校の最終チェックをしに向かった。

MCLでは、この地から
親のいない子などを奨学生に採用し
本部にも数人住んで学校に通っている。
MCLの奨学生も一緒にふる里へ送りとどけた

冬休みに入るので、
その子もいっしょに舟で村まで送った。

下の男の子がその子。
日本の支援者から送られてきたジャケットを着て、
おみやげに、支援者の方々から送られてきた
古着などを持って故郷に。

親はいなくても、
やはりふる里は懐かしの我が家!
ワニの出没する湿原を抜けて、
先端のカルボガン集落に着く。

子どもたちを送り届けた後、
私たちは、
建設が終了した学校に向かった。

ご覧のように、
校舎は床が底上げされている。
毎年数回おそってくる洪水。
そのたびに人々は、避難場所を探し回る。

今回の学校は、
授業を受ける場所であると同時に
洪水のさいの緊急避難場所として
活用できる場にするためだ。

サパカンでの学校のように、
土盛りでは無く、柱で底上げされているのは、
洪水でおそってくる水流を床下に流して、

家を倒す
水草などから
建造物を転倒崩壊から守るため。


gaku40
ラフなまま、
完成とされた教室?


ミンダナオ子ども図書館のスタッフは、
ほぼ2週間に一度現地に行き、
作業の状況と流れを調査してきた。

実は、この地域は、
ODAでは
最も難しいと言われている地域で、
多くが、完成しないまま放置されたり、

完成しても、
コミュニティーセンターとして作られたものが、
現地の有力者によって
私物化したりしている。

資材の盗難は、日常茶飯事。
MCLでも、保育所建設で
同様の経験がいくつかある。
下は、材木置き場と化した保育所。

MCLでは、今まで2棟の学校を、
ピキット市サイドに建ててきたが、
つくづく、建物や物資の支援の難しさを
感じ続けてきた。

なかでも、今回のカルボガンは、
教育省が建てた学校すら
土台と壁がコンクリートで建てられた後に
屋根も無く、窓も無く、
そのまま現地に放置されている。

それでも、
現地の子どもたちが通う
小学校の状態や
ひどさを見る度に放っておけず、

度重なる分離派とのリドー(戦闘)で、
取り残されたように
疲弊している地域の子どもたちを見て
いたたまれず、

困難な地域の中でも、
和平構築に最も重要な地点として
支援活動を続けてきた。

今回も、2週間ごとのチェックを継続して
最終チェックを迎えたが
一つ気になっていたのは、
床がスムーズな仕上げをされていない事だった。

しかし、これは
資材の盗用や手抜きのせいではなく、
洪水時の避難場所として活かすためには、
床が濡れでも滑らないように、

多少凸凹があって見た目は悪くても、
ラフに仕上げてほしいという、
村長や校長をはじめとする
村人たちからの要請だった!

しかし、
見た目を気にする日本政府としては、
受け入れられないのでは
ないだろうか?


gaku41
住民の意見と、
大使館の意見の
狭間に立たされ


しかし、
床がラフのままで完成した写真を
マニラの日本大使館に送ると、
予想したとおりに、

「これでは未完成ですね!
床をもっと平らに削って仕上げ、
ペンキを塗ってください!」
という、返事が返ってきた。

洪水で避難したとしても、
滑らないように、
ラフのままのセメント床にして、
ペンキは塗らないで欲しいという
現地からの要請を伝えたけれど、
大使館の理解は得られなかった!

現地の住民の意見と、
大使館の意見の狭間に立たされて
悩んだエンジニアが、
ダバオから建設会社の担当者を呼んで
最終的に出した結論が、

ラフな床に、
多少凸凹を残してもそのままに、
厚めのペンキを塗ることだった。

確かにペンキを塗ると、
見た目ははるかに良くなるが、
ただ、水分は吸収されにくいので、
むき出しの床よりは滑りやすい。

しかし、あえて床のデコボコは残ってあるし、
ペンキも厚めなので
スムースな床よりは滑らないのだという。


gaku42
床をラフのままに
して欲しいと、
提案したのは


最終的な仕上げを
なぜラフなままにしたのかを、
現地の村長を始めとする村人にたずねると・・・
意外な背景がわかってきた。


教室の床を、
ラフのままにして欲しいと、
エンジニアに提案したのは住民たち、
村長、村人、コミュニティーだった。
理由は、スムーズな床は滑りやすく、
子どもが転倒してケガをする。

とりわけ、
この建物の目的の一つが、
洪水の時の避難場所にも使うこと
である事を考えると、

水や泥の多い湿原地帯では
スムースな床は、
転倒の危険があって危ない!
と言うものであった。

現地で、人々が話すのを聞いて、
私自身はすぐに納得した。
戦争避難民が大量に出て、その救済に行くと
多くの場合、学校内に大量に避難している。

学校の教室は、一般的には
スムースと呼ばれる仕上げがなされていて、
先生に言われて、毎日のように子どもたちが、
ヤシの実の殻を半分に切ったものを
足で滑らしながら磨きをかけている。

しかし、正直に言って、
このような湿原地帯で、
しかも滑りのある泥の地面であるが故に
私自身も、教室に足を踏み入れたとたん、
何度か滑って転倒しそうになった経験を持つ。

それを思いだすと、
最も転倒を避けられるのは、
確かに村人やエンジニアが言うように、
むき出しのコンクリートのラフな床である。

むき出しだと、
吸水力もあって滑りにくい。
しかし、上記の写真で見てもわかるように、
いかにも不完全なままに放置された感じがする。


gaku43
ペンキを塗って


そこで、相談を重ねて、
床を磨かないで、
ラフなままの床に
厚くペンキを塗ることにした。

ただし、下の写真のように、
階段だけは、
ペンキは塗らずに、
完全にラフなままに残されていた。


子どもたちが階段から滑り落ちて、
落差のある地面に転がり落ちたら
危ないからだ!

ペンキも、
粘性のある厚手のペンキを使ったので、
他の学校のペンキよりも
多少赤いペンキを使わざるを得なかった。

仕上がりを見て、
校長、村長も村人たちも
なっとくしたけれども、
大使館では気に入らないようだ。


gaku44
校長先生は、
仕上げになっとく


私自身ここから学んだことは、
やはり現地の住民の視点に立たないと
なかなか深層までは、
理解できないという事。

そして、現地の住民との率直な意見交換が
出来るようになるためには、
現地の人々との壁を取り去った信頼関係が、
長年の交流によって作られていないと
不信感が先に立ってしまうという
自身を交えての反省事項だった。

支援する側とされる側が
同じ目線に立てる場所が
住民との友情
そして、子どもたちへの愛だ。

今回のこの学校は、
この湿原地域に最適な建物のモデルになるだろう。
今後もこうした学校を、
子どもたちのために建てていきたい。


gaku45
サダムと
せかいいち大きなワニ


私が文を書き、
ダバオの画家ペレスさん描いた絵本
「サダムとせかいいち大きなワニ」(今人社)
に出てくる主人公のサダムとノルミアは、
ここの村の出身の子たち。
(二人とも奨学生でした!)

父親が戦争で殺されて、
学校を止めて漁師をしながら
母さんと妹たちを助けている少年と、
隣で学校に行けている幼なじみの少女。

しかし、洪水が起こって
家がながされそうになり、
勇敢な少年は、水牛にまたがって、
母親と妹たちと、

さらに
隣で助けを求めている
幼なじみの少女の家族を助け、

濁流の中を
必死で避難場所の学校に向かいます!

村人たちが避難している学校が、
見えてきた!

この学校が、
今回、私たちが提案して
日本政府がカルボガンに建てた学校なのです!
ところが、サダムたちが崖を登って
学校に避難しようとしたとき、

とつぜん後ろから、
世界一大きなワニが、
水牛に襲いかかってきたのです!

「みんな来てー!水牛君を助けてあげてー!」
そして、みんなの力で
水牛を土手の上にひっぱり上げました!

「ばんざーい、やったーーー!」
「みんなで 力を あわせれば、
なにがあっても こわくない!




gaku46
事実、
世界一大きなワニは


事実、
世界一大きなワニは、
ミンダナオのリグアサン湿原に住んでいると
ギネスブックに書かれています。

実際のワニは、
ダバオで飼われていたのが、
7mある世界一大きなワニ!

しかし、
リグアサン湿原には、
はるかに巨大な8mを超えるワニが、
住んでいると言われています。

しかし、この地域一帯は、
高度な危険地域なので、
調査はされたことが無いそうです。
見たことのある人は、たくさん居るのですが!

私も一度だけ、橋の下を
大きなワニが泳いでいるのを
見たことがありますよ!

絵本「サダムとせかいいち大きなワニ」は、
まさにこのミンダナオにある
東南アジア最大の湿原が舞台です!
リグアサン湿原と
日本政府のODAで作られた学校も出てきます。

日本の子たちが、
小さいときにこの絵本読んでもらって、
イスラム教徒に対する
偏見が広がっているときだけに、
イスラムの子たちって、
たくさんいい子たちがいるんだよ!

そんな気持ちを失わずに、
大人になってほしくて、
「サダムとせかいいち大きなワニ」を書きました!
お楽しみに!



ミンダナオ子ども図書館だより 宮木あずさ制作

現地日本人スタッフによる、
写真を交えた最新の活動報告です!

ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
訪問等でMCLと出会った若者たちの想いです!

ミンダナオ子ども図書館:日記 松居友制作
松居友による活動報告および
製作映像や想いを載せた自由日記です!
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