日本から来る若者たちにも |
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ju1 海のMCLを 建てよう! ミンダナオ子ども図書館は、 本部が北コタバト州の キダパワン市の郊外に 位置している。 ミンダナオの首都ダバオ市から フィリピンの最高峰アポ山を右に仰ぎ、 左を海に沿って車で走り、 デゴスDigos市から アポ山麓を巡って右に入り、 マキララMakilalaの峠を越えて アポ山の裏側の町に着く。 高原の学園都市、 それがキダパワン市だ! そこを中心に、 さらに西に行くとイスラム地域。 アポ山麓を巡って北東の山に入ると 原住民のいる アラカン地域がある。 しかし、デゴスから左へ、 海沿いに南に下っていくと、 サンタマリア市から 海に突き出した半島を超えると クラクシン村に着く。 イスラム地域には、 リグアサン湿原など広大な大自然があり、 絶句するような 太古の美しさに満ちているけれども 反政府地域でもあるがゆえに、 訪問者は、容易に入れない。 東北のアラカン地域は、 先住民族のマノボ族のすむ 山岳地域で、 ここにはMCLの山の宿舎があり、 周辺の村の一つ 電気も無いマノボの村キアタウには、 訪問者も泊まれるようになっている。 かつては、 とても外国人の入れる場所では なかったけれども、 MCLの奨学生も多く保育所も建設し、 さらに、ラナコランには 遠かったり三食たべられなくて 学校に通えない子たちが住んで、 近くの学校に通える MCLの下宿小屋がある。 下宿小屋には、 日系人のジケロ君家族が スタッフとして住んでいて、 20人ぐらいの子どもたちの 面倒を見ていて ぼくたちは、 山の下宿小屋と呼んでいる。 それに対して、もう一つ、 海の下宿小屋を作ろうという計画が かつてからあり、 今回、サンタマリアのある漁村の外れに 土地を購入した。 ju2 海の下宿小屋を 建てようと思った理由 海のMCL(下宿小屋)を 建てようと思った理由は、 いくつかある。 1, 毎年数回、 MCLに住んでいる子供たちと 海に遊びに行くようにしている。 特に、夏休みやお正月には、 家庭環境が複雑で、 帰郷できない子たちが 寂しいから海に行くけど、 いわゆる外国人向けリゾートは、 なんだか現地の生活から乖離した 金持ちの集う不自然な空間で 好きになれない。 どこかに、 開発されにくい、 素朴で自然な漁村があれば、 そこに下宿小屋を建てたいと思った。 そうすれば、 現地の貧困家庭の孤児たちを救えるし ときどき、 MCLの子たちも泳ぎに行ける。 ju3 日本から来る 若者たちにも 2, それから、 日本から来る若者たちにも いわゆるリゾートでは無く、 素朴な漁村の 生活体験をさせてあげれば、 どんなにか心が癒やされることか。 ちょうと、山の下宿小屋の近くの村 電気も無い マノボ族の集落 キアタウ村での生活体験のように。 MCLに行くとちゅうの ディゴスの郊外ならダバオ州に属しており、 日本政府の指定の 海外での危険度も低いし・・・ そこで偶然見つけたのが、 サンタマリアから 半島の海沿いと山を、 4輪駆動の車で超えたこの村だった。 ここでは、イスラム教徒と、 先住民族とクリスチャンが 仲良く暮らしていて、 まるでMCLのようだ。 小さな小さな 個人のリゾートがあるけれど、 ほとんど小舟でしか入れない。 信じられないくらいの 真っ白な砂浜。 それに、 漁民たちの生活が素朴だった。 ここに奨学生が住めば、 浜辺を抜けて、 小学校と高校にも通えるから 下宿小屋を作るにはうってつけだ。 ju4 村はずれに 土地を購入 信じられないほどの 真っ白な砂浜 そして、素朴な漁民と子どもたち。 偶然この地を訪れて、 村人たちと親しくなり 保育所が酷かったので、 MCLで建てた。 その後、子どもたちと テントを持って泳ぎに行ったり、 日本から来られた、 訪問者や若者たちも この村の漁民の家に民泊して 寝食をともにした。 日本で有名なカヌーの野田さんたちと カナダのユーコン川を下った 身障者カヌーの吉田さんも、 ミンダナオ子ども図書館の日本の理事で この海でシーカヤックを楽しんだ。 この地で 漁民とカヌーで漁に出かけ そのおかげで、心が回復していく 青少年も多い。 村の保育所が 酷い状態だったので 保育所もMCLで建ててあげた。 サンタマリア市の市長や福祉局 行政機関とも連携して、 山の先住民の地域にも足を運び、 すでに4ヶ所の保育所を建てた。 また、貧困家庭のなかでも 特に孤児や片親、 崩壊家庭の子たちを 奨学生にとってきた。 そのような繋がりからも 村人たちも、 ぜひぜひMCLに来てもらい、 ここに、下宿小屋を建てて欲しい! という、要望が生まれてきた。 そこで、 土地を手放しても良いという方から、 村の一番外れの落ち着いて静かな場所に、 下宿小屋を建てるための 土地を買うことにした。 先日、 土地の測量を終えて 弁護士を交えて話し合いを持ち、 購入を完了した。 ju5 サンタマリアの 市場 サンタマリアにある市場も 生活の臭いがあって 心が温まる。 ぼくが子どもの頃の東京は、 荻窪駅前にも市場があり、 このような 風景があったのを思いだす。 ミンダナオに帰ってくると 心からホッとするのは、 子どもの頃にあった、 こうした人情味にあふれた、 風景を思いだすからだろう。 本当の幸せや、 生きている喜びは、 物やお金だけでは、 手に入らない? ちまたの生活の臭い。 壁を作らない 隣人愛や友情、そして 家族の愛のなかにある?
ju6 ゆめポッケを配った 仏教団体 立正佼成会の子どもたちから 送られてきた ゆめポッケを配った。 山に追われて 貧困生活を強いられている 原住民の集落だけでは無く、 毎年のように起こる戦闘で、 避難を余儀なくされるような 厳しい地域の子どもたちや、 都市近郊の 海に張り出した 貧困地帯の子どもたちにも、 MCLでは、毎年 立正佼成会から送られてくる ゆめポッケを 届けさせていただいている。 ゆめポッケは、 日本の子供たちが一食ぬいて、 お金を貯めて、 それで、世界の貧しい子どもたちに、 学用品やぬいぐるみを買って、 親たちが手作りした 色とりどりの 巾着袋にいれてわたす、 愛と友情の支援活動! 心のこもった良い活動なので、 長年、MCLでは、 ゆめポッケの配布を お手伝いしてきた。 ひとつひとつに、 贈り物を選んだ子どもたちの想いや願い、 そして、手作りで巾着袋を作った 親たちの気持ちがこもっていて、 それが、 現地の子どもや 親たちにも伝わっていく。 本当に喜ばれる贈り物だ。 MCLが来たよ! ゆめポッケくばるよー! 大喜びで駆けよってくる 子どもたち。 ju7 読み語りが 始まった ゆめポッケを配る前に、 まずは、 MCLの基幹となる読み語りをする。 絵本を読み語るのは、 ミンダナオ子ども図書館の奨学生たち! 原住民の住む、山の貧困は大変で、 毎日、ご飯を食べるのも難しく、 山芋やカエルを 食べて育った子どもたち。 兄弟姉妹も平均して7人で、 小学校にも行けず、 父さんや母さんを助けるために、 川で洗濯をしたり、 料理のための 薪を集めて 家族を助けたり。 そうやって、 助けあいながら、 山で育った子どもたち。 ju8 歌や踊りや 劇も披露する お話しだけでは なくって、 歌や踊りも披露する。 歌は必ず、 原住民の歌、 クリスチャンそしてイスラムの歌を みんなで歌う! そして、最後に 「おおきなカサバイモ」の劇もする 「うんとこしょ、どっこいしょ」 原本は「おおきなカブ」だけれど、 このような山では、 子どもたちは、 カブなど見たことも無い! いつも山で、 食べるために掘るのは、カサバイモ! カサバイモの抜き方なら 子どもたちは、誰でも知っている! だから、劇の名前は、 「おおきなカサバイモ」にした。 猿も出てきて 「うんとこしょ、どっこいしょ」 最後は、ネズミが出てきて カサバイモのまわりをコツコツ掘って、 「抜けたーーーー!」 絵本のお話が、 実体験と重なって演じられる! 真にお話が生きている世界 ミンダナオ! ju9 ゆめポッケの 配布が始まった 読み語りの後に、 いよいよ 「ゆめポッケ」の配布を開始。 まずは、ポスター写真を見せながら、 日本の子どもたちが 一食ぬいてお金を貯めて、 どのようにゆめポッケを作っていくかを ソーシャルワーカーのアイリーンが語った。 語り終わってから、 いよいよ ゆめポッケの配布がはじまる。 本来、立正佼成会から、 親子連れで来られて、 ゆめポッケを子どもたちが直接 現地の子供たちに配るのだけれど、 今回は、 情勢も考えて延期して 立正佼成会の代表の方が訪問されて ゆめポッケを配布された。 MCLの子どもたちに混じって、 私の二人の娘たちも 子どもたちに ゆめポッケを渡した。 MCLの子どもたちは、 親がいなくなったり、 さまざまな孤独やトラウマを 持っている子たちだけれど、 こうした活動をすることで、 逆に、生きる力を培っていく。 子どもたちの 喜ぶ笑顔に出会って、 大きな生きる喜びを感じる 訪問者の方々! 友情と愛こそが、 生きる力! 今回は、 日本から来た訪問者や 若者たちも参加して 喜びを体験した! ju10 ゆめポッケをもらって、 大喜びの子どもたち ポッケを開いて 見せあって、 早速 おもちゃで遊び始める! ゆめポッケを開いてのぞいて 中に入っている、 学用品やおもちゃ、 ぬいぐるみを 取り出して喜ぶ子どもたち。 現地の子供たちにとって ぬいぐるみなど、 ほとんど夢のまた夢。 古着を渡しているので 服は多少良いけれど、 鉛筆や色鉛筆、 クレヨンや定規も買えない。 このゆめポッケの活動は、 さらに現地に親子が訪れて、 直接手渡すことで、 さらに深い意味を持つ体験となる。 帰る時には、 日本子たちと現地の子供たちは 抱きあって泣く。 こうした体験を通して 日本の子供たちや若者たちも、 現地の子たちから 生きる喜びと力を受けとって、 心を成長させていける 場所にしようと思っています! みなさん、 いつでもいらしてくださいね! 宿泊費は、とりません。 ju11 配布した子の 家を訪ねた ゆめポッケの 配布が終わって、 配布した子の家を訪ねた。 家は、 貧しくて ほとんど竹で出来ている。 平均して7人の子がいて、 家具も無ければ 食器もあまりないけれど、 お金では買えない、幸せがある? 立正佼成会の代表の方々が 家族にインタビューされた。 ゆめポッケをもらって 大喜びの子どもたち。 配布が終わって 大喜びの MCLの子たちと訪問者。
ju12 訪問してきた 支援者の方々と一緒に ミンダナオ子ども図書館のある北コタバト州は、 日本政府の指定する 危険地帯になっていて、 キダパワン市は、 現地では安全だと言われているけれど、 MCLでは、訪問者は、 単独で歩かないようにお願いしています。 市内であっても、 必ずスタッフや奨学生達が同行! MCLの訪問者のポロシーは、 下に紹介しましたのでご覧ください。 MCLの活動は、読み語りなどは、 本部に住んでいる 奨学生の子供たちと一緒に 山の村を巡ります。 その帰り道に、 時には川で水浴びして 自分自身を洗濯したり・・・ 時には、 倒れて妨げになっている 木を切ってよけながら、 山奥の村の 奨学生の子供たちに 会いに行きます。 ju13 支援している 子に会えた! 奨学生を支援してくださっている方の場合は、 必ずその子のいる学校と家を訪ねて、 支援している奨学生に 会えるようにします。 車で数時間かけて山々を巡っていくので、 その途中で、 別の奨学生にも会ったり、 病気だった子どもの 病後の経過を確認したり、 学用品を届けたり、 村の状況を見て 病気の子がいないか等、 何に困っているかを調査します。 訪問者も、 危険地域を除いて 同行できます。 ju14 子どもたちの生活が 見えてくる 訪問者の方々も、 日々の活動に同行することで 現地の子供たちの 真の生活が見えて来ます。 日本では、 スタディー=勉強が重要で。 海外を知るための スタディーツアーが盛んなようで、 私たちもずいぶんいろいろなところから 要請を受けました。 経済的な恩恵もあり 真剣に考えた時期も ありましたが、 しかし、 ひたすら子どもたちに目を向けて 連日のように活動をし、 しばしば、 緊急の医療や戦争避難民救済に 駆け回っていると、 スタディーツアーの お客様を 接待している暇もなく、 現地で訪問者が、 村の人々に質問をする時間などを設定すると、 場所によっては、 「何の目的出来たのか・・・?」 と不信感を持ってみられるほど、 外国人など見たこともの無い村の人たち。 ju15 一番不振に 思われるのが 一番不振に思われるのが、 鉱物資源を調査しに来たのだろう、 という不信感です。 事実、最近山で起こるのが ニッケルなどの レアメタルの発掘調査。 これに反対した マノボ族の酋長が殺されて、 その娘さんが、 MCLの奨学生になっています。 その後、 娘は母親を守るために 奨学生を辞めて農業に同行。 しかし、母親から、 「私も殺されるかもしれない。 下の子たちを、奨学生に受け入れてください!」 と言われて、受け入れたのですが、 2020年に母親も、殺されました。 最初の奨学生だった 娘さんは、結婚しましたが、 その下の子どもたちを 奨学生に受け入れています。 ju16 あるマノボ族の 村では あるマノボ族の村では、 保育所建設を決定したのですが、 その後、 私は、日本政府が 開発調査に派遣した要員だ、 という噂が流され、 再訪したときに 村の全員が恐怖で逃げて 村には子ども以外は、 誰一人いない事態。 そこで、 理事でマノボ族の酋長で牧師でもある ガボン氏と、懇意の現地の酋長とで、 再度、村に行き、 悪霊払いの儀式をしました。 そういった深層の背景が、 まったく解っていない日本人の訪問者が、 ただ村に入って、撮影したり質問したりしたら、 村人はどれだけ警戒し 疑うことか・・・ ju17 村に いくからには 私たちは、 どこの村を訪れるときも ただ「見学」に行くような行為は、 危険であるが故に行いません。 村にいくからには、 その村の人々、 とりわけ子供たちにとって、 奨学生の採用や読み語り、 医療や保育所支援や、 古着の配布など・・・、 何らかの良い理由があり、 それを事前に、 コンタクトパーソンを通して 村に通達して、 さらに、現地に通じている人や 現地の人々も良く知っていて信頼できる人、 あるいは現地出身の 奨学生の子供や若者やスタッフに同行してもらい 一緒に行きます。 そうすると危険地域の人々でさえ 「何とかちゃんが、帰ってきたよ!」 「MCLが、読み聞かせに来たよ」 「古着を持って来てくれたよ!」 などといって、大歓迎して迎えてくれます。 そうした配慮が大切です。 それゆえに、MCLは、 基本的に現地では不自然に 受けとられかねない スタディーツアーなどは行わず。 自分の支援している 奨学生に会いに 活動にいっしょに着いてきた訪問者 として同行してもらい、 村人たちに紹介します。 ju18 子供たちと、 庭の掃除とイモ堀 訪問者の若者が、 子供たちと、 庭の掃除とイモ堀をした。 ミンダナオ子ども図書館では、 支援者から送られてくる支援金を、 できるだけ教育費や避難民救済、 そして 貧しくて薬も買えない子たちを 救うための医療に充てようと、 子どもたちは、 自分たちのごはんとおかずを 出来る限り自給して、 活動費に充てることを目指しています。 お米は、 水田を購入して、 本部や下宿施設や 山の下宿小屋などに住んでいる 小学校から大学生までの奨学生たち、 ほぼ250人分の米を 自給しています。 水田での米の自給に並行して、 子どもたちも 少しでも自分たちの力で 自給できるようにしたいと考えて、 MCLの敷地内に食材の野菜や果物を植えて 育てています! 貧しい子どもたちですが、 山でお父さんやお母さんを手伝って、 小さいときから 野菜を育てたり、 ヤマイモ(カサバイモ)を 掘ったりしてきた 経験があるせいか、 本当に、楽しみながら 見事に畑仕事をこなしていきます。 嫌な顔をする子は、一人もいない! 2021年には、 ご寄付によって、精米機も設置されました。 感謝です! 今後も 何とか水田を10ヘクタール加えて、 食材の購入も寄付を使わず、 スタッフの家族や訪問者の食費も 自給できるようにしたいと思っています。 ju19 マノボ族の文化を 特別調査 理事で酋長で牧師の ガボン氏をたずねた。 先住民族の 文化調査が目的で来られた方。 訪問の目的が、 現地の人々にとって意味のある 調査などの場合は、 特別な計らいで、計画をお立てします。 過去、 文化人類学者の増田氏などを 現地の先住民族の方々に紹介しています。 本も 出版されています。 現地の取材など、 可能な限りお役に立ちたいと思いますが、 状況や内容によっては、 不可能な場合もあります。
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ju20 親のいない子を 奨学生に! 帰りに、 マノボの集落を訪問 親のいない子を奨学生に! 今回、 先住民の取材で来られた方と 帰りがけに、ひさしぶりで マノボ族の集落を訪れた。 ここは、 山岳地では無いけれども、 平地の良い土地を移民に取られてしまい、 斜面にかろうじて家を建てて、 土地を持っている 移民たちの畑や田んぼの草刈りや、 家々をまわって、 洗濯物を集めて洗濯をして、 日銭を稼いでいる、 マノボの人々が、集まっている集落。 学校まで、 3時間近く歩かなければならない。 それゆえに、 お弁当も持って行けない極貧の子たちには、 学校に行くことすら辛いこと・・・。 すでに、 10年にわたり 奨学生をここから採っていて、 大学を出た子もいるけれども、 中高校や小学校でストップして 結婚した子も多い。 でも、何よりも大事なのは、 幸せになってくれること! MCLでは、 保育所も建設しているけれど 生活はいつも大変。 今回も 状況を見るために 訪問者といっしょに訪れて、 いろいろな話をうかがった。 そして、最後に、 親がいずに、 学校に行きたくても行けない少女を2人 奨学生候補に決定した。 候補と言っても、 まだ支援者はいないけど、 すでに奨学生としての採用した。 ここから学校に通うよりも 「ミンダナオ子ども図書館に住みたい!」 という、本人の強い希望と意志で、 MCLに住んで、 近くの学校に通うことになった。 村では、 親のいない子も放っておかず、 「仕方がない、うちに住みな!」 と、引きっとって、 一緒に住まわせたりするのだけれど、 自分の子だけでも7人以上いて、 学校に通わせるのも大変なのに、 預かっている子を学校に行かせることなど 無理な話。 そんな子たちが MCLに80人ほど住み込んで、 近くの学校に通えるようにしている。 ju21 奨学生候補の 状況調査に 親がいず、厳しい環境の子で、 学校に行きたくても 行けない子がいる話が聞こえてくると、 私たちは、 スカラシップに採る前に必ずその子の家を訪ね、 状況を調査します。 スタッフは、 ほとんどがMCLの 奨学生だった子たちです。 下のスタッフは、 マノボ族のローズマリー。 現在は、スカラシップセクションのリーダー! 現在スカラシップの子たちは、 500名以上。 今年は、フィリピン政府が、 今までは、小学校を6年で卒業して、 その後ハイスクールを4年間で卒業すれば、 大学に進学できたのに、 ジュニアハイスクール4年にさらに シニアハイスクールを2年を加えて、 ハイスクールを合計6年制にしたために、 大学進学に燃えていた子が ショックを受け 停止する子が多く出ました。 理由は、 学校に行けなかった子の場合は、 クラスの中でも、 他の子より年齢が高いケースも多く、 保護者からも、本人の希望からも、 大学に行かせるよりも、働かせたい、働きたい! 結婚させたい、結婚したい! (こちらの結婚年齢は、16歳から18歳) そんな希望と焦りが出てきたためです。 将来の事を考えると、 仕事を探すにしても大学に行った方が良いよ・・・ 大学で彼氏を探して結婚したら? というのですが、 年下の兄弟姉妹たちも一生懸命に働いて、 家庭を支えている様子を見て、 いたたまれなくなるようです。 今、MCLでは、 140名ほどの奨学生が、 まだ支援者や里親がいません。 しかし、 どうしても現地に置いておけない子たちや、 アビューズがあって保護の必要な子たちは、 無理してでも採用するので、 これだけ多くなってしまいました。 皆さん、 お願いします。 自由寄付でも助かります。 ju22 北海道と四国を 合わせたほどの島 ミンダナオ島は、 北海道と四国を合わせたほどの 大きさの島で、 ミンダナオ子ども図書館の 活動範囲は、 東はダバオ湾の半島から、 西はイスラム教徒の多いピキット リグアサン湿原地帯を経て コタバト市まで。 北は アポ山山麓のマグペットから、 原住民の住むアラカンや ブキッドノン。 南の海岸沿いは、 海の下宿小屋がある サンタマリア等々。 とりわけ、 四角で囲った部分が、スカラシップ、植林、 保育所、戦争避難民救済などで 活動してきた範囲です。 MCLの本部がある場所が、 下の地図上で、 ⑪と出ているKidapawan市の郊外で、 活動範囲は、 キダパワンを中心に広がっていると 思っていただければ良いかと思います。 下をクリックしてくだされば、 拡大して みることが出来ます。 ミンダナオ子ども図書館は、 行動範囲だけではなく、 保育所建設などの活動範囲が、 北コタバト州からダバオ州、 マギンダナオ州にまで広がってきたので、 現在マニラの福祉局と話ながら、 北コタバト州ではなく フィリピン政府の直轄のFoundation NGOとして、 フィリピン全体で 活動できるように動いています。 ほぼ、マニラとの話も詰めに入り、 最終調整の段階です。 MCLの現地スタッフが、 ソーシャルワーカーや理事、役員も含めて しっかりと動いています。 妻でディレクターのエープリルリンが、 全体をしっかりとマネージして、 時には政府から頼まれて、 NGOの集会で講演もしています。 2018年の時点で フィリピン政府直轄のNGOとなり、 活動許可範囲は、フィリピン全体になりました。 セブ、ルソン島など、 フィリピン全域での活動が許可されています。 ju23 学用品も届けます 活動範囲が広いので 調査と平行して、 学用品も届けます。 とにかく、活動範囲が広く、 奨学生候補を調査すると同時に、 すでに奨学生の子どもが、 困窮していないか、 また、 何らかの理由で学業を停止していなか、 スカラシップ担当のスタッフと ソーシャルワーカーが、 子どもに会いに 現地の学校や家をたずねます。 (ソーシャルワーカーも3人いて、 そのうち2人は、卒業生たち・・・) 本来ならば、 携帯で連絡を取ったり、するのでしょうけれど、 電気も来ていない地域であり、 先生にも、携帯の電波も届かず、 とにかく足を運ぶしかありません。 山道を行く4WDの ガソリン代だけでも大変なので、 ガソリン節約のために、 一気に仕事を集中させますが、 訪問者も同行して、現地を見ると、 現地の状況や 奨学生たちの生活状況もわかります。 ju24 ソーシャルワーカーの 研修生たち
ju33 山のマノボ族の村 キアタウに宿泊 若者たちは、電気もない マノボ族の村で泊まった。 キアタウ村は、 MLCの奨学生がいる村。 MCLが スカラーを採用し始めてから 近所も村も、 村人たちの顔が明るくなった。 貧しいことは変わらなくても、 以前のような、 人々の困窮感は感じられない。 「いざという時は、 MCLに行けば何とかしてくれる!」 今回の民泊は、 極貧の地域興しのために、 公平に家を選びながら、 宿泊は、 家に1000ペソ(2000円ぐらい)、 そして、 共同体にも1000ペソ、 訪問者にだしていただいて、 水のタンクも作った。 日本からの訪問者のおかげで、 村は明るくなり、 子どもたちにも、 読み語りをしたり、 古着を配ってきたので、 かつての暗い寂れた雰囲気とは 大違い。 しかし、 相変わらず クリスマスシーズンになると、 ダバオに物乞いに出る家族も多い。 けれども、 町に出たお父さんやお母さんが、 子どもを置いたまま 居なくなることも少なくなり、 町の貧民街に 移り住むこともなく、 クリスマスが終わると 村にもどって来て生活している。 先進国?で、 物とお金が豊かでも、 心の貧困に苦しむ日本。 後進国?で、物とお金が足りなくても、 心豊かな先住民の共同体。 お互いに、経済的にわかちあい、 心をわかちあって友情と愛のなかで、 助け合えると思うのだけれど。 力のあるもの、取る者だけが、 とことん富を収奪し 蓄積して行く世界って・・・ 対立を起こし、戦争になっていく? 貧しいからといって、 必ずしも不幸とは限らない! 私たちの生活の方が、 豊かな国の人々の生活よりも はるかに美しい と感じるときだってある。 けれども、 どうにもならないのが、 一日三食たべられないときと、 お金が無くて学校に行けないとき、 病気になっても 薬も買えず、 病院に行けないとき・・・ ju34 真の友情は、 ちまたで培われる 年明けに、 日本から来た若者たちが、 海と山とMCLに滞在。 真の友情は、 ちまたでの遊びのなかで 培われる。 日本にいると、ちまたで、 伝統的な鬼ごっごやかくれんぼ、 後ろの正面だーれ、 のような遊びをしている 子どもたちの姿が皆無。 石けりや 缶けりもない! 勝ち負けだけを競い合う部活動は、 下手な者にブーイングが飛び、 挙げ句の果てには、 排除されていく。 それで本当の友情が、 培われるのかな? そして、遊ぶ場所は、 遊具に満ちた児童館だけが遊び場? 物とお金は、満ちているけれど、 友情と愛は、お金で買えない? 日本から来た 若者たちが、 ミンダナオの子どもたちに出会って、 感動して泣き始めるのも理解できる。 若者たちが泊まった家。 MCLの奨学生の家。 宿泊は、 一つの家に訪問者一人で、 スタッフが一人同宿する。 2泊以上も可能だけれど、 その場合は、 公平になるために 毎夜、宿泊する家を代える。 現地の酋長が、 責任を持って、 特に貧しい家庭を優先する。 |
ミンダナオ子ども図書館の最新の活動報告 支援者の方々への活動報告です! |
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現地日本人スタッフによる、 写真を交えた最新の活動報告です! |
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記 訪問等でMCLと出会った若者たちの想いです! |
松居友による活動報告および 製作映像や想いを載せた自由日記です! |
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