戦争と平和構築
2008年の記録から
(10)
初めてのスタディーツアーを 試みたけれど・・・ |
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vn1 初めての スタディーツアーを 試みたけれど・・・ 2008年は、 創設から7年目で、 MCLがようやく少しづつ軌道に 乗り始めた時期だといえる。 日本では、それほど知られている、 NGOでは、ないけれど、 訪問したいと望む者が、 いないわけではない。 ただ、たった一人の日本人で、 現地の若者たちと 現地NGOを立ち上げて、 活動し始めると、 戦争や貧困ゆえに、 家庭が崩壊し、 極度の困難に追い込まれている 子どもたちを見ると、 放っておくことが出来ず、 医療やスカラシップで 連日のように走りまわり、 現地の子どもたちの事だけで精一杯で、 7年間のあいだ、 日本の訪問者のことまで 視野に入れたり、 スタディーツアーなど 考えるゆとりも出てこなかった! しかも現地は、 日本政府の指定する 高度の危険地域であるので、 放っておくわけにいかず、 世話するだけでも大変なのだ。 しかし一方で、 こうした不幸な子どもたちをささえ、 病気を治したり、 学校に行かせてくださっているのは、 日本の支援者の方々 であることを思うと、 何らかの貢献もしなければと、 強く思う! MCLの子どもたちにとっても 支援者の方々は、 感謝し尊敬すべき、 第二のお母さんお父さん! 訪問してこられると、 感謝の気持ちがあふれだし、 大喜びで駈けてきて 抱きつく! vn2 訪問して こられる方々の ほとんどは 2008年までは、 訪問してこられる方々のほとんどは、 スカラシップ支援者の方々か、 保育所の開所式に来られる方々だった。 スカラシップ支援の方が来られると、 必ず、その子が通っている 学校にお連れして、 支援している子と出会わせてさしあげる! 大概の子たちは、うれしくて涙を流す! そして授業が終わると、 かなり山奥であっても、 必ずその子が生まれた村に行き、 家にお連れする。 たとえ親が死んでいなくても、 一緒に生活をしている、 兄弟姉妹や親せきがいるし、 ほとんどの子たちは、 泣いて喜ぶ! 訪ねてきた支援者にとっても、 支援している子の 育った環境を知ることは、 感動的な体験で理解が深まる! しかし、当時はまだ、 スタディーツアーのような、 支援者以外の訪問者の受け入れや、 若者同士の体験交流までは、 考える心のゆとりはなかった。 しかし、ミンダナオ子ども図書館が 知られるにしたがって、 若者のスタディーツアーの要請が、 団体や学校から来るようになった。 私一人では、 無理だと思ったけれど、 日本で事務局をしてくださっていた、 大渕さんが、受けてくださって、 スタディーツアーを試みることにした。 その後、大渕さんは、別のNGOで 働いていらっしゃいます! vn3 訪問できる場所は 限られている ミンダナオは、 日本政府の指定する 危険地域に指定されているから 訪問できる場所は限られている ピキット市の福祉局、 DSWDの調査と グレイスさんの確認で、 希望者のみ 子どもたちといっしょに、 イスラム地域のピキットに 読みきかせに行った。 先日から、 炊き出しも行っている イスラム地域に住んでいる 原住民マノボの村。 MCLの大勢のスカラーたちも 同行した。 安全も考えて・・・ 避難生活の中で、 困窮する子どもたち。 それにも関わらず、明るく、 心を開いて向き合ってくれる。 訪問者たちは、彼らの前で、 「大きな栗の木の下で」 を演じて、 子どもたちも大喜び? ここで、 何を訪問者たちは 感じたのだろうか? まずは現場を見ること 実情を自分の目で確かめ 確認すること。 その後、 どのような行動を起こすか、 あるいは全く起こさないか、 再訪したいと思うか、 二度と来ないと決心するか、 それは本人次第だ。 だた、日本も含む 国際情勢が関わっていなければ この様な、 ひどい戦闘は起こらない? vn4 炊き出しに並ぶ 子どもたち 炊き出しは成功している。 「米を袋にいれて渡せば良いのに、 なぜわざわざ炊き出しをして、 それを一人一人の子どもたちに渡すの?」 訪問者たちは、 少し当惑していたようだが、 米の支給だけだと 受け取って家に持って帰って、 大きな大人や青年が ほとんど食べ尽くして、 小さな子どもたちには、 食事が回らない事も多い・・・。 MCLは、幼い子たちを優先して、 救済する「子ども」図書館だから、 炊きだしをして、 17歳以下に限定して、 その場で食べてもらうようにしている。 現地の有力者から、 「ここに米を置いて行ってくれれば、 私たちで、村人たちに配給しますよ!」と、 しばしば言われることあるけれど、 渡さずにその場で炊き出しをする。 個人のものになると、 村人たちに渡さず、親戚や仲間に渡し、 残りは売って 利益にしたりすることもあるから・・・ 炊き出しならば、 確実に子どもたちに栄養を補給し、 基礎体力の維持を可能にできる。 週3回3週間で計9回の炊き出しを実行! 第一回炊き出し計画が終了した vn5 ビサヤ・イロンゴデーが 盛況で終わった 昨年、ムスリムの踊りが、 日本公演で 大盛況だった結果を受けて、 若者たちは、 今年の文化祭のテーマを ダンスに絞った。 踊りは、 フィリピンの若者たちにとっては、 最も適した自己表現の手段? そのできのすばらしさは、 驚嘆に値する。 ムスリムダンス、 マノボダンス、 ビサヤダンス すべてが本当にすばらしく、 どこで公演しても 感動をまき起こすだろう! 僕も、 この様なダンスがあるとは、 知らなかった。 長いすのダンスでは、 女の子が、 地面から男性に手を引かれて 飛び上がる! そのたびに、叫声と大拍手! 日本の若者たちも 踊りながら歌った! 交通費と宿泊を 保証していただければ、 国際交流のために、 日本公演にもうかがいます。 vn6 久しぶりに ウオーターフォールに 行った ウオーターフォール集落は、 本当に美しいところだが、 住んでいるのは、おもに マノボ族の原住民たち。 ミンダナオの原住民は、 色黒で小柄で 髪の毛がチリチリしていて、 ネグロイド(ニグロ黒人)と呼ばれている。 平地にいたものの、 農地開発にあい、 所有権が無いという口実で、 居住地を追い出され、 こうしたへんぴな山岳地に 移らざるを得なかった人々だ。 斜面は、 耕作に適さないので、 植えても山芋かトウモロコシか 地バナナだけ。 傾斜地に生えている ほうき草やコーヒー豆を 集めて乾燥させて、 ホウキを作ったり、 木の臼でたたいて コーヒーを作って、 担いで町に 売りに行くぐらいしか 現金収入がない。 収入を得ても、 塩を買って帰るのが 精いっぱいで、米も買えず、 日常の食べ物といえば、 味気のない地バナナや、 バランホイという 山芋やタケノコに 塩を付けて食べるぐらい。 おかずは、 川のカエルやカニや トカゲやヘビ! 貧しい家庭の子どもたちは、 靴もなく、 学用品も買えないので、 学校に通うこともできない。 そんな生活だけれど、 滝つぼのあたりは、 だんだんリゾートになってきて、 町の人たちがやってくるようになった。 その生活の極端な格差が 現地の原住民の心を 極度の卑下にならなければ 良いけれど。 MCLでは、 この地域からも 奨学生たちを採用したり、 病気を治したりしている。 山岳地なので、 4WDの軽トラックで行っが、 最後は歩いた。 山道は過酷だ。 しかし、 MCLの子どもたちは大喜び! vn7 滝の滑り台 早速、 訪問してきた若者たちと一緒に 滝壺に飛び込んでいった。 子どもたちにとっては、 これそこが、 日常の生活だったのだ! この子たちを見ていると 生きる力を強く感じる! 本当の幸せとは何かを 教えてくれているようだ! 先進国?日本から 訪問してきた若者たちも、 後進国に対する 上から目線を捨てて、 本当の幸せとは 何かを 感じてくれたら良いなあ・・・ vn8 現地の子たちの 生活はきびしい! しかし、 現地の子たちの 生活はきびしい! この村からも、 MCLでは、 奨学生を採用している。 しかし、 奨学生になると、 日本から送られてきた 古着を着ているし、 学用品もそろっているし、 靴も履いているので、 貧困の状況までは、 わからないが、 こうした極貧のなかでも、 現地に放っておけない 孤児や崩壊家庭の子たちが、 MCLに住んでいるのだ! ほうきを売ったお金で、 塩をかえればせいぜいで、 チョコレートなど、 夢のまた夢! vn9 日本語を話せる 日系人のおばあちゃん この地には、戦前まで 原住民と結婚し、 ダバオ近郊でマニラ麻を栽培しながら、 幸せに暮らしていた 日本人がたくさんいた。 とりわけ、 九州や沖縄から移住してきた 日本人が多く、 ミンダナオの料理も沖縄に似ている。 現地に溶け込んで平和に暮らし、 戦前に日本語学校もあって、 東南アジアで 最も日本人が多い島と言われていた。 ところが、 第二次世界大戦のときに、 アメリカ軍の侵攻により、 敗戦が近づき、 ジャングルへの逃亡も 余儀なくされると、 兵士たちの原住民に対する信頼も 恐怖に代わり、 「原住民は、日本軍を裏切るぞ!」 「逃亡するまえに、殺せ!」 という命令が下り、 実際に穴を掘って、 生き埋めにしたという記録が残っている。 私の現在の妻のおじいさんも、 かつて、日本軍の下で 働かされていた経験があり、 妻のエープリルリンの話によると、 「日本人は悪い奴だから、 つき合わない方が良いぞ!」 と結婚前に会うまでは、 言っていたという。 実際に会ってからは、 日本人に対する考えが、 違ってきて、 妻の膝の上で息をひきとった。 vn10 日本軍が、 原住民を生き埋めに 日本軍が、 原住民を生き埋めにしている、 という情報を聞いて、 家族を捨てて、 帰還した父親もいるけれど、 家族や子どもを守るために、 家族ともども山に逃げて、 日本人であることを隠し、 原住民として生き抜いてきた人も多い。 そういう人たちを、 日系人と呼ぶが、 したの写真のお婆さんの 家族も日系人で、 たくさんいる孫たちも 学校にも行けず、 奨学生に採用している。 彼女は、わたしの肩を叩いて、 片言の日本語で言った。 「わたしの、おとーーさん、 にーほんじん!」 アポ山周辺の山の集落には、 こうした日系人の家族の 子たちも多く、 山に逃げて極端に貧しく、 教育も受けられないので、 MCLの奨学生に 採用してあげている。 スタッフの ジケロ君も日系人! タカという名字が多いけれど、 タカハシが本名らしい・・・ 原住民になって山に逃げた 日系人も多いけれど、 湿原に逃げて、 イスラム教徒のゲリラになった 日系人も多い!
日本から送られてきた 古着などを配っている。 MCLで配った古着を着ているね! 彼らのために生きている事。 そして、両親がいなかったり 極貧の中から来た子たちが、 心から幸せそうな表情を見せるとき、 この仕事をしていて 良かったと心底思う! vn11 お昼ご飯を食べた お昼ごはんができたよーー! 村の子たちも、 みんな、みんな、みんなーー! 食べにおいでーーーーー^! どんなに困窮した現状あっても こちらではそれが日常だから、 子どもたちは屈託がない。 MCLの子たちには、 ごはんを炊いて 渡したけれど、 沢山いる村の子たちには、 配給するのはとても無理で、 読み語りの時と同様に パンをわたした! 普段は、 ごはんもろくに食べられないけど、 パンなど めったに食べられない! でも、バナナがあれば 生きていけるよ! 下は奨学生だったアロナ、 発達障害だった二人のお兄さんは 亡くなったけれど、 彼女は大学を卒業して 地元の学校の先生になって 貧しい子どもたちを助けている! MCLが来た時には、 村の子たちも集まってきて いっしょに遊んで、 いっしょに食べる! 食べ終わったら みんなで泳ごう!!! vn12 古着や靴や カバンの配布 ふだんから、 くり返しくり返し、 奨学生採用や医療、 古着や靴や カバンの配布などで、 訪れているから、 村人たちにとっても MCLのこたちにとっても、 家族のよう! vn13 一方で、 食事が出来ず 一方で、 一日三食の食事が出来ず、 毎日、 芋を食べて食いつなぎ、 病気にかかると薬も買えず、 体力がないので、 死んでいく人がいる。 この地が リゾート地に指定されて以来、 同じその地域で優雅に遊び おいしい料理を作って、 遊べるだけ遊んで 帰っていく、 裕福な人たちもいる。 この格差と矛盾は何だろうか? リゾート開発が進むにしたがって、 この様な格差社会を見るたびに、 悲しい困惑とめまいを感じるのは、 私だけでは無いのでは? MCLの奨学生で 本部に住んでいる子たちが、 なんであんなに喜ぶのか! 多くの子たちが、 できればMCLのスカラーになって 本部に住みたいと 願う気持ちも良くわかる。 あそこに住めれば、 安心して食べていけて、 学校いけて近くて、 病気になっても大丈夫! MCLがやっていることは、 本来は、 国がやることだと思うのだけれど、 リゾート地から原住民を 追い出そうとしている という話も聞こえてくる! 日本から スタディーツアーで来た若者たちにも、 ただ子どもたちと 楽しく時間を過ごすのではなく、 現状を見て、 そういった子たちの背後にある 真実を知って欲しいと、 思うのだけれど・・・ vn14 貧困が進み、 病気が蔓延 ウオーターフォールの集落では 経済的な貧困がさらに進み、 病気が蔓延していた 皮膚病の子と 風邪の子を医師の元へ! 今年は、 奇妙な高熱と痙攣を 起こす風邪が流行っている。 写真のスカラーの子たちも、 すでに3週間も病床に 伏したりして、 学校も停止したままだった。 久しぶりに会って愕然とした。 なんて痩せてしまったことか! 立って歩こうとすると、 ふらついている。 多くの親や子どもたちに 病気が蔓延している。 同じ病気にかかっても、 ミンダナオ子ども図書館に 住んでいる奨学生は、 数日で回復するが、 栄養失調だと命取りだ! とにかく、病院でチェックを 受けることにした。 病院では、すぐに入院! 色々な検査をした結果、 デング熱では ない事がわかってきた。 信頼できる小児科の ウオン先生が首を傾げながら、 単なる風邪で、 これだけ長期の症状が出るという事は、 基本的に栄養失調だからですね。 「食べるものを食べていない、 基礎体力がない、 快復力がないところに病気が襲うから、 ますますやせ細ってこのままだと、 死ぬかも知れないですね。」 唖然とした!!! vn15 初めての スタディーツアーは 中断! 訪問者がいて、 スタディーツアーの途中なので、 自由に行動は、 出来なかったが、 急きょ、訪問者たちを、 数名のスタッフといっしょに、 山に住んでいる理事の ビックビックさんの家に預けて、 別行動で、 数日間 緊急の医療活動を実行した。 幸い、 ピキットの難民キャンプでの 医療活動を継続しているので、 その薬をウオーターフォールにも届けた。 日本では、 薬は日常手にはいるし、 基礎健康が食事で出来ているので、 ちょっとした風邪なら、 すぐに回復していくけれど、 米も買うゆとりさえないのに、 たとえ風邪薬でも、 薬まで買えるわけがない! 日本では、 風邪ぐらい自分で直すのだが・・・ 栄養失調だと、 死に至る場合もある。 初めてのスタディーツアーは 中断してしまい、 期待して来た若者たちには、 本当に申し訳なく思った! しかし、 子どもの命を守ることこそ MCLの大事な活動であり、 スケジュールや活動予定を 事前に決めなけれならないツアーは、 ミンダナオ子ども図書館では、 経費を出して期待して来た、 訪問者への責任を考えても、 あらかじめ訪問者のスケジュールや 目的が決められている ツアーや体験学習は、 無理だとつくづく実感した! vn16 訪問者は ルモットの保育所を 建設に 今回の訪問者は、 緊急医療活動のために、 予定を変更して、 ビックビックさんのところに宿泊。 電気のない家で 現地の生活を体験しながら、 vn17 建設途中の 保育所を手伝った 若者たちにとっては、 自分も何らかの形で貢献できる、 という体験は貴重だった。 最初はとまどいながらも、 最後には、 ともに汗を流し、 すがすがしい気持ちに・・・・ もう少し長く居たかった! 緊急の医療活動の事を考慮すると、 今回は、予定を変更して 後半は、ダバオオリエンタルの ハウスオブジョイへ移ってもらった。 ハウスオブジョイは、 近くの海もきれいで、 ゲストハウスも整っていて、 本当にリラックス出来るリゾートもあり、 ビジターには、おすすめ。 若者たちは、 前半がハードだっただけに、 ホッとされたようだった。 やはり、ミンダナオ子ども図書館は、 ツアーには向かない? ごめんなさいね! vn18 MCLでは、 スタディーツアーは 難しい? 「MCLを継続していくためにも、 宿泊費をとって受け入れたり、 スタディーツアーも立ち上げたら?」 等々言われもしたが、 ぎゃくに訪問者が多いと、 「純粋な子どもたちの心を ゆがめてしまうから気を付けて!」 という声も聞こえてくる。 また、MCLの活動の根幹自体が、 信じられないような山岳地帯や、 ワニのいる湿原地帯の集落をめぐって、 子どもたちに学用品を届けたり、 時には、 スカラーやスタッフが、 命がけでイスラム地域の 戦争避難民を救済したり、 寒村に保育所を建設したり、 時にはODAと強調して 平和のための学校を建てたり! 読み語りをして、 病気の子がいたり、 すぐに病院に連れて行ったり、 極貧で小学校も行けない 子どもたちのなかでも、 孤児や崩壊家庭の子、 戦争で親が殺された子などを、 スカラシップで採用して、 大学まで、 行けるようにしてあげているし。 そのなかでも、 現地に置いておけず、 保護しなければならない子は、 本部や宿舎に住めるようにしている。 現在、奨学生の数は、 300名を超えており 本部に住んでいる子は、 80名あまり。 町に下宿しなければならない 大学生や、 外部に住んで、食事と生活費を 支給している子たちを含めると、 200名ほどの生活費を まかないつつ、 米も支給しているので、 一日50キロの米が消費されます! 2020年の現在は、 水田で米を自給しています! スタッフたちは、四輪駆動車で、 山の学校をめぐっては、 ふる里から通っている子たちに、 授業料の支払いや 学用品やお小遣いを届けたり。 その忙しさを考えると、 スタディーツアーを立ち上げて、 訪問者のために時間を割いて、 前もって立てた活動計画にしたがって 行動する余裕があろうはずもなく、 活動は、 現地の状況に合わせて 臨機応変に 動かなければなりません。。 例えば、読み語りで行った村で 病気の子がいれば、 即、キダパワンの病院に運び 手術や入院させたりしますが、 お医者さんにかかったり 薬も飲んだことがない子や保護者に、 付き添うだけでも 大変な時間と浪費がかかります。 病状しだいでは、 数人スタッフが付き添って 緊急にダバオの病院に患者を運んで 手術をしなければなりません! vn19 スタディーツアーは 辞めたとしても 今回、初めての スタディーツアーで 来た若者たちも、 いろいろな体験をして、 感動して 帰っていきました。 スタディーツアーは 辞めたとしても、 興味を持って きたいと思う、 若者たちや家族は、 受け入れていきたいと 思っています。 若者や家族の 訪問は 前向きに スタディーツアーやツアーのように、 事前に立てた スケジュールにしたがって 行動しなければ、 ならないとしたならば、 村に病気の子がいたりした場合に、 スケジュールを棚上げにして、 訪問者を置いたまま、 病気の子の救済に、 まい進出来るはずもなく、 支援者のように すでに活動をご存じの方は、 理解して、 受け入れてくださるとしても、 一般募集のツアーのように、 事前にお金を払って、 体験を目的に来られる場合は、 過度に気を遣う? MCLの生活も現地のままだし、 トイレは、 手くみの水でうんこを流し、 山で泊まれば、 どこでもトイレ! お風呂もなく、 トイレのシャワーか、 外の井戸端で 子どもたちと一緒に 水をかぶって、 水浴する! 若者たちには、良いとしても、 さすがに冷たい水だと 高齢者には難しいので、 温水が出るシャワーを付けたけれど。 料理も、 子どもたちが薪で作った 素朴な料理を、 みんな一緒に食べる。 朝早くて、 起きられない場合は、 食堂に 残しておいてくれるけど・・・ しかし、ツアーと銘打って お客さまとして招待するからには、 特に高齢者の場合などは、 それだけの快適さや 接待やサービスを求める人もいるだろう。 vn20 門戸を開こうと 決心したのは そのような迷いを 持ち続けつつも去年、 訪問者に 門戸を開こうと決心したのは、 生きがいを失い、 自殺未遂や引きこもりの多い、 日本の若者の心の危機を知り、 そうした子たちが、 現地の子たちに囲まれると、 心を回復して、 生きる力を 見出すことがわかってきたから・・・ フリースクール等からの 要望なども耳にして、 スタディーツアーではなく、 むしろ宿泊費なしで、 とりわけ若者たちや、 子連れの家族の訪問を、 前向きに 受け入れる決断しました。 |
vn32 いったい どこに連れて行く つもりなの? マノボ族のダトゥインダ村に、 保育所が完成。 寄贈者の丹原美穂さん、 開所式に訪れる。 「いったい松居さん、 私をどこに連れて行くつもりなの?」 と言われてしまった。 ダトゥインダ村は、 丘陵をいくつも超えて、 道がとぎれる場所から、 バイク道を通って、 さらに丘を いくつも超えた場所にある 小さなマノボ族の村だ。 もちろん、4WDでないと、 この地までは来られない。 下の写真は、今回保育所を建てた ダトゥインダ村の全景。 「数件しか家が建っていないじゃないか」 と言われるかもしれないが、 この周囲にたくさんの マノボ族が住んでいるのだ。 保育所には、 35名を超す子どもたちが集まる。 ここから、学校までは5キロの道を行く。 4歳から5歳の 保育所プレスクールの子どもたちが、 雨の日も風の日も 毎日通える距離だろうか?・・・ それにもかかわらず、 先々年から政府はプレスクールを 経由しなければ、 小学校に入れないという 奇妙なシステムを作ったのだ。 今でこそ、この辺り一帯は、 丸裸の丘陵地だが、 戦前まで、ラワンの巨木が生い立ち、 熱帯樹木が生い茂り、 猿や色とりどりの蝶や鳥が舞う熱帯雨林だった。 大木が、ことごとく 伐採されたのは戦後で、 ほとんどは、 経済成長を続ける日本に輸出された。 その結果、大地は保水力を失い、 雨はそのまま 大量の水を川に運び流れ出す。 保水力を失った高地は乾燥し、 下手の大地は洪水となる。 この地の下手こそ、 私たちが通っている ピキットなどのイスラム地域で、 絶えず洪水に見舞われている原因は、 上手の地にあった熱帯雨林の伐採の結果なのだ。 日本人が、 踏み込むことのないこの地は、 日本とは、 深い関わりを持った地だった。 先日奨学生の調査で訪れた 際のピキットの洪水 vn33 悲劇は こうして作られる この地域の最大の悲劇は、 巨木の伐採と共に、 先住民族であるマノボ族が 土地を奪われ追い立てられていったことだ。 ミンダナオ子ども図書館で、 娘の面倒を見てくださっている エディットさんは、マノボ族だが、 当時の体験から明確になってくるのは・・・ 政府は、ルソンやセブ、 ネグロス、ボホールやイロイロと言った、 ミンダナオ島外からの移民政策をとった。 その方法は、 まずは先住民族の住んでいる土地を、 所有者の無い土地と断定して、 移民たちに売却する。 しかし、すでにマノボ族が 先祖代々住み着いて、 自給耕作をしていた土地である。 簡単に明け渡すわけにはいかないのは当然。 そうした強引な方法に対して、 当然ながら、 土地を守るための戦いが始まった。 これが、組織化されたのが、 NPA(新人民軍)と呼ばれるゲリラだ。 NPAは、共産ゲリラとも呼ばれており、 現在もフィリピンの山岳地域を はじめとして活動している。 これら反政府活動に対して、 政府側は戦闘を起こしていった。 政府側の言い分としては、 ゲリラ活動に対する防衛措置である。 その結果、 戦闘地となった場所にいられなくなり、 マノボ族であるエディットさんたちは、 指定された難民キャンプに 避難を余儀なくされた。 こうして、数ヶ月から半年以上、 難民生活をして帰ってみると、 土地は移民系のクリスチャンの 所有になっていたのだ。 その後、エディットさんの父親は 理由無く殺害され、ご主人は、 NPAゲリラという 容疑を着せられて殺害された。 意図的に戦闘を作り、 現地の人々を排除したり、 経済的困窮に陥れて、 地域を思うように開発しようとするやり方は、 ゲリラという呼称が テロリストに代わっただけで、 現代でも至る所で行われている? ミンダナオだけではなく、世界の紛争地帯では、 同様の手法が使われている? そうした現地政府の背後には、 世界の経済を牛耳っている 先進諸国の影がある。 NGOもその片棒を担ぐ存在に過ぎないのだろうか。 丹原美穂さんは、 この二つの地に保育所を建設した。 マノボ族の村では、 子どもたちから大歓迎を受け、 ハーモニカを吹き、 日本から持ってきた チョコレートを配り・・・ とりわけ、シャボン玉は大成功!!! 至る所で子どもたちに夢を与えてくれた 単なる物より、 消える物の方が、心に想いを残す? 日本で必死になって練習してきた ハーモニカを吹く丹原さん 「ふるさと」は、戦中日本軍の侵攻で亡くなった ミンダナオの人々と日本兵の鎮魂のために。 「歓喜の歌」は、平和のために・・・等々 一曲一曲に切実な想いを込めて 汗びっしょりになってハーモニカを吹く姿が、 人々の感動を呼んだ。 「あの人は、単に貧しい子に物をばらまいて 自己満足したり、低開発国と見くだして、 安易な発言したりする人じゃない」 地元の人々は、すぐにそれを感じ取った。 vn34 ブロッドにも 保育所を寄贈 洪水に悩む下手のピキットの村、 ブロッドにも 丹原美穂さんは 保育所を寄贈された。 反政府地域だった イスラムの人々の前でも 鎮魂の歌をハーモニカで奏で 平和への祈りを音に託す。 小さな子どもでさえも しーんとなって耳を澄ます。 丹原さんを 心から受け入れてくれた瞬間! イスラム教徒もキリスト教徒も 丹原さんのような、無宗教も、 仏教徒も神道も 自然崇拝も精霊崇拝も 皆同じ心を持った人間だ! vn35 シャボン玉パーティー 丹原美穂さんの 今回の滞在で大成功は、 シャボン玉だった。 この滞在のために、 シャボン玉メーカーは特別に、 一つ一個の 特製ストローを つけてくれたのだという。 ミンダナオ子ども図書館は、 一瞬、 シャボン玉に包まれて、 別世界になった。 vn36 TBSの デレクター突如訪問 3月3日ゴールデンタイムの番組を制作したい 谷ディレクターからTELを頂いたとき、 「頓挫するな」と思った。 NHKを始め、ほとんどの番組が 既に6回以上のアプローチをしてきて、 全て実現しなかったからだ。 本当に来られたときはビックリした! 初めて現地を訪れた TV制作者だ! ウォーターフォール村の村長と話す谷氏。 32歳、若くて精力的! 仕事に情熱を傾けている姿に好感した。 まだ気概のある制作者が、 テレビ局にもいたのだ! 過去、番組制作が 頓挫する理由は明瞭だ。 日本政府の指定する危険地域だから・・・・ つまり、取材許可がなかなか下りない。 北コタバト州は、 イスラム地域として有名なので、 キダパワンは比較的安全な地域なのだが、 ジャーナリストは恐れて入らない。 朝日新聞の木村文さんだけは、来られたが。 今回は、スタッフと話しを慎重に検討して、 安全なアロナの故郷、 ウォーターフォール村を選んだ。 谷氏はとにかく、仕事熱心だ。 MCLの子ども達も迫力に押されて 遠巻きに・・・ 「あの人、何????」 現地でもひたすら番組構成を・・ 村長、村人、子ども達、 保育士、先生に矢継ぎ早に、 核心を突いた質問をしてくる。 翌日、フリージャーナリストの 宇崎眞氏も加わった。 こちらは、マルコス時代のNPAも取材した 猛者のフリージャーナリスト? この村では、 お父さんが日本人兵士で 日本語を明瞭に話す 老婆と出会った。 戦争被害者の一人だが、 姉妹の中で 日本人と結婚した妹だけは、 日本にいるという。 妹も亡くなり 今は、10年以上も音沙汰無いが、 寡婦となって夫もいず 日本に帰りたいと・・・。 竹小屋に住んでいる。 娘や孫やひ孫といっしょだが、 兄を亡くしたアロナも協力してくれた。 彼女、すっかり元気を取り戻しました 皆さん安心してください!!! TBSは、 2月に本番で来ると話していますが 実現するか否かは、 まだわかりません。 実現すれば 3月3日の9時から10時の特別番組で放映。 日本の若者たちが、この村に来る設定です。 スポンサーはト某自動車メーカー。 村に建設資材を運ぶための 4WDトラックを寄贈していただけませんか? vn37 想い出の ウオーターフォール それはまるで、 怒濤のような日々だった。 日本のTBSテレビのスタッフが 貧しいマノボの村に、 日本の若者たちが 保育所を建てると言う設定で 学生5名に、タレント一人を加えてやってきた 彼らが来る前週に 村には、電気が来たと言う場所で、 テレビの取材がどのような 意味を持つかもわからない人々。 最近になって、ようやくアポ山が、 世界で二番目に高い山、 であることに気づいた人々! 去年、フィリピン人が、 エベレストを初登頂して、 彼らは目前に仰いでいたアポ山が 世界で一番高い山ではないことを知った。 わたしが、「エベレストって知ってる?」 と聞くと、「ラジオで聞いたよ!」 「どこにあるの?」 「アポ山のむこうの方・・・」 でも、子どもたちは、 物々しい機材と共に遠くから来た人々を 初めは用心深く、 しかし、すぐにうちとけて迎えてくれた。 とりわけ、 主人公の若者たちとは うちとけるのも早かった。 建設は夜遅くまで続いた。 何しろ、通常2週間以上 かけてする仕事を、 5日でやることになったのだ。 仕事に対する考え方が 現地と日本では、 天と地とも離れているので とまどいも大きかった。 こちらの人々の仕事の方法は、 昔の日本のように 「心意気」が大事であって、 「時間」が「心意気」よりも優先されていく。 時計も持ったことのない人々には、 現代の日本の考え方が理解できない? 大工やスタッフの反発もあったが、 最後には、ディレクターの谷氏の 「心意気」に押されて成功した・・・・ vn38 日系人の おばあちゃんから 若者たちが学んだ 過去、日本人の間に生まれ、 日本語も語れる 日系人のおばあちゃんから、 若者たちが学んだことも多かった。 軍政時代の負の歴史 決して日本人が、 好意的に見られてはいないこと、 それをどのように、 友情で乗り越えていったらよいのか! 今回の最大の驚きは 日本人の学生とスタッフが 変化していく様子だった! 知らず知らずのうちに 「先進国」と言う意識を持ち、 原住民の文化を 破壊してしまうことの悲しさ! 見知らぬ国の 異なった文化の人々の中に、 どのように とけ込んだらよいのか。 ただ単に、お金にまかせて 保育所などの建物を建ててあげたり、 日本で発想した教育方法を 持ち込んでもだめなこと。 いかに現地の人々の文化や言葉、 そして、心を理解して それに寄り添うようにして、 物事を進めていかなければならないか 現地の人々の食べているものを食べ、 バナナと芋とコーヒーと野菜 といっても、日本の甘い バナナではなくぼぞぼそしたバナナに 塩辛をつけるだけ・・・ 野菜と言っても、 山菜のわらびのような質素な 食べ物しかない日々・・・ こうして最終日の夕方近く、 待望の保育所が完成した! ミンダナオ子ども図書館の規格より 一回り大きな保育所には、 ガラス窓も入り、 作業にかかる値段も 50万円ほどになったが 立派なものが出来た! ただし、屋根の青いペンキだけは、 雨が降って、 塗り終わることが 出来なかった。 内側には若者たちが苦心して作った アルファベットチャートがかけてある。 マノボ語が入ったチャートは、 初めての事だろう! 陰に陽に、MCLの若者たちも お手伝いをした。 彼らにとっても、 思い出深い日々だった。 お別れ会の時には、皆涙を流した。 人に対して、純粋に心を開くだけに 別れには深い悲しみを 覚える若者たち。 早朝、学生の一人の誕生日には みんなでハラナをした。 夜明け前に起き出して みんなで誕生日の歌をうたうのだ! 涙を流したイッセイ君! 別れの日には、 日本の若者たちも 泣き出した! とにかく、 怒濤のような日々だった。 スケジュールとタイムキーピングに 追われる日本の仕事。 それとはまるで正反対に流れる ミンダナオの時間。 その強烈な軋轢の中で、 どうしても期日までに 映像を仕上げなければならない・・・! ギリギリの状況での活動だっただけに、 若者たちや日本人スタッフに 訪れた心の転機は、 大きな意味をもって 今後も生きてくるだろう! vn39 ロラ(おばあちゃん)に 甘えるマロット 母さんの亡いマロットに、 ロラ(おばあちゃん)が見つかった! ダバオから来られた 大本さん一行 姉さんの田中衣子さんが、 去年足と腕を骨折して 山から運ばれてきたマロットの 支援者になってくださった。 母さんの亡いマロット まるで母親のように甘えて慕う 今も、写真を見るたびに 懐かしくなって涙ぐむマロット マロットへ たなか きぬこ ミンダナオ子供図書館に行ったときに、 マロットに会えて本当によかったです。 私には日本に3人の孫がいますが、 マロットは4人目の孫のような気がします。 みんなといっぱい遊んで、勉強もしっかりね! 5月には日本に帰るので、 マロットのことを皆に話します。 またいつか会える日を楽しみにしています。 vn40 ミンダナオ子ども図書館に 滞在した思い出 田中 衣子 たった1泊2日の 短い日程でしたが、 ミンダナオ子供図書館に行けたことは、 大きな感動の2日間でした。 美しく手入れされた 庭や畑もそうですが、 何よりも感動したのは、 そこにいる子供たちです。 小学生から大学生までおよそ 50人程の子供たちは、 どの子も明るく、人懐こく、 親切で、もてなしの心と節度を 持っているのを何度も感じました。 今の日本の子供たちが 失ってしまったものを、 ここの子供たちは 皆持っているのです。 食事の時、私達訪問者には 彼らより、立派な お魚のから揚げがついていても、 欲しそうな顔をすることもなく、 果物を切り分けた時も、 一番に私達のところに 持ってきて勧めてくれます。 少しだけ一緒に遊んだ バスケットボールの時も、 ボールを何度も 私に渡してくれました。 ここに来るまでには 大きな困難な状況の中に いた子供達ばかりなのに、 こんなに明るく、 のびのびと生活出来るのはきっと 松居さんの教育が すばらしいのだと思いました。 次の日に 連れて行ってもらった、 貧困地域での読み聞かせや、 子供図書館での活動は、 ほとんど学生が自主的に行い、 松居さんご自身は 助言する程度とのことです。 キリスト教徒と イスラム教徒の人が ともに過ごすことで、 大人になっても反発しあわないで、 共存できる社会を 作ってほしいという 松居さんの思いは しっかりと彼らに届いています。 一緒に写っているのは、 私の里子となった ローズマリー、愛称マロットです。 日本に3人の孫がいますので、 4人目の孫ということになります。 妹さんの大本和子さんの方は 両親の亡くなった イスラム教徒の少年と、 父親を亡くした少女を 支援してくださる事になった! 和子さんは、 現在ダバオの日系人会が経営する ダバオ国際大学の日本語教師を ボランティアで勤めていらっしゃる。 vn41 読み聞かせにも 参加 大本さん方は、 読み聞かせにも参加された。 ミンダナオ子ども図書館の ストーリィテーリングは、 絵本の読み聞かせから 次第に読み語りにシフトしている。 ミンダナオでは、 オリジナル言語の絵本が無く、 現地語を生かすためには、 語りを取り入れる 必要があるからだ。 それにしても、皆、 語りが驚くほどうまい 子どもの頃から、お話を聞いて育ち 昔話も生きている世界だからだ。 vn42 アジア学院の長嶋氏が 奥様と息子さんと訪問 有機農法を中心に長年アジアから研修生を 受け入れて来たアジア学院。 長嶋氏は再訪だが、 今回は奥様と息子さんと来られた。 保育所の建ったイスラム地域 パイドプランギでグレイスさん と語る長嶋一家。 あらためて支援者の名が入った ボードを設置しているところ。 行橋カトリック教会の方々のために 「MIEKO MIZOTA Fr. YAMAMOTO & FRIENDS」 と書かれている。 長嶋氏の息子さんは、 シリマン大学の医学部を卒業後、 ミンダナオの方と結婚し、 現在はデュプログの病院で インターンとして活動している。 滞在中に医療患者が来られると さっそく対応。 医師として立派に 対応されている姿が頼もしい。 フィリピン国籍が無いと医師として 受け入れられないので、 現在フィリピン国籍を申請中。 病院が、貧困層とかけ離れている矛盾も 良く理解しており、 貧しい人々の 中に入って活動したい と言う希望を持っている。 その観点から、 ミンダナオ子ども図書館の 活動にも評価を・・・ 将来ここを拠点にしてくだされば、 多くの命を救えるだろう。 今回、何よりもの「成果?」は、 奥様の滞在だった。 奥様は、タイの方だが、 さすがに似た状況のミンダナオの子たちに、 何が必要かを良く知っておられる。 足踏みミシンを寄付してくださり、 裁縫の基礎を 若者たちに教えてくださった。 その後、若者たちはもう夢中・・・・ 帰られた後も、 図書館に住み込んで 子どもの面倒を見てくださっている 寡婦のドリンさんが、 裁縫を引き継がれた。 今は、1月27日。 ムスリムデーの踊りで使うマロンを制作中。 今年度の子ども達の 制服もここで作るつもりだ。 長嶋ご夫妻曰く 「ここにアジア学院をリタイアされた方々や 教会関係者の第二の人生の 活動拠点を作りたいなあ。 気候もさわやかだし、 緑豊かでアポ山の眺めも良いし。 小さいながらも良い総合病院もあるし、 温泉もあるし、 卒業生のエラさんもいるし、 息子のクリニックも出来れば・・・・・」 vn43 スタディーユニオン寄贈の 保育所開所式 関 浩成さんと 立命館大学・ 同志社大学の若者が参加 マノボ族がおもに住んでいる この地は、山奥で、 保育所が建ったマノビサ村までは、 最後は歩いてしか到達できない。 しかし、まだ若い関さんと 学生さんたちは、 元気に村まで登っていく! この村の貧困度はひどく、 靴を履いていない子も多い。 山に生えている ほぼ野生の山芋や 原種に近いバナナを植えて、 コーヒーやカカオや豆を 木の臼でついて粉にして 食べて生活している。 現金収入は、 野生に生えている ほうき草を刈り取って、 ホウキを作って町に売りにいくぐらい。 その収入で、 塩を買って帰れるぐらいで、 米はめったに食べられない。 砂糖もめったに食べられない貴重品で、 こうした村から来た子たちが、 MCLでココアやコーヒーを作ると 山ほど砂糖を入れたがる 気持ちが良くわかる! サトウキビは、 時々かじることもあるけれど、 お砂糖=大御馳走! MCLの子どもたちが、 読み語りをした! 最初に、 日本の若者たちもいっしょに 歌って踊って楽しんだ後、 いよいよ、読み語りが始まった! 絵本も本も 見たことのない子どもたちは、 絵を見ながら お話を聞いて大喜び! そして最後に、 MCLの子どもたちが、 「おおきなカブ」のお話から作り上げた、 「おおきなカサバイモ」の劇を演じた。 ミンダナオには、カブは無いけど、 カサバイモなら、 子どもたちは毎日山に採りにいっているし、 猿も出てきて、 最後はネズミが、 イモのまわりをコツコツ掘って カサバイモがスポット抜けるのは、 こちらのカサバイモの掘方だ! vn44 北野財団寄贈 マノボの山の村に 保育所が完成 バンシラン村は、 山奥の集落で、 車が通れる道も無い。 行くとしたら 登山道を歩いて登るか、 建設材料や荷物があれば、 水牛か馬の背中に積んで、 急な斜面を登っていくしか 方法がない。 この道は、 普段子どもたちが、 小学校に通う時に、 毎朝通り道! 小学生なら、 小さい子でもお兄ちゃんと一緒に、 山道を歩いてジャングルを抜けて、 下の村にまで行けるだろうけれど、 この道を、 小さな幼稚園の子たちが 毎朝通うことなど、 出来るわけがない! そこで、 何とか保育所を 村に作ってくれないか! という、悲痛な声が聞こえてきた。 こうして、 MCLでは、この村に 保育所を建てる 決断をしたのだ! 可愛い子どもたちの ためとは言え モオー、 人間どもは、 よくまあ あんな山奥の村にモオー 保育所などを たてるもんだモオー 保育所は、 村人の尽力で見事完成 今年から、 フィリピン政府は、 以前よりさらに厳しく 保育所卒業を小学校入学の条件とした。 その結果、 こうした僻地の先住民は さらに厳しい教育の機会喪失に 見舞われていく。 ここでも、 貧困と格差が 助長されていくのだろうか! vn46 開所式の読み語りと、 お祝いの食事 読み語りは、 保育所の中で、 保育所の子どもたちに行われた! 日本から 大澤潔くんが来られた! 右は、息子の松居陽! 外にいないで、 入っておいでーーー! 正式に寄贈書類にサインがされる。 サインをしているのは、 村長さん! サイン後は、 保母さんに書類をお渡しする。 建設後の管理、修復は、 現地の村に責任が委託されている。 しかし、その後、 次第に明確になってきたのは、 5年もたつと、竹壁が破れたり、 トタンに錆が入ったりしてくる。 建設後の修復は、村に委託されているが、 貧しい村では、修理費が出せないこと! それで、2021年のMCL理事会で、 今後、全保育所をチェックして、 訪問してきた若者たちにも手伝ってもらい、 MCLで修復していくことに決めました! 炊き出しの米を持参して、 村人たちにお祝いの食事が ふるまわれた! 普段は、 米もめったに食べられない 子どもたち。 ごはんが食べられるだけでも、 大喜び! 父子家庭で、 貧しい子がいたので、 奨学生に採用しました! ぼくが、がんばって学校を出たら、 家族を助けるんだ! 下の子の めんどうを見ているのは、 お姉ちゃん! vn47 開所式が終わり 帰路をたどる この日で、 村との関係が 終わるのではない。 この日から、 この村の人々との 関係が始まる。 保育所建設は、 このへんぴな マノボ族の村との 関係の始まりなのだ。 vn48 機関誌『ミンダナオの風』 発送と 子どもたちからの手紙 毎年、年六回隔月で、 機関誌『ミンダナオの風』を発行している。 スカラシップ支援者の方々には、 それに同封して、 子どもたちからの手紙をいれる。 支援者に送る 手紙を持ってきた子供たち マノボ族の村、プロック8村にて。 子どもたちは、 一生懸命手紙を書くけれど、 小学生の場合は、 まだ文字や英語が書けない子もいて、 書ける子に手伝ってもらったり、 タガログ語の子は、 私たちが英語の翻訳をつける。 中には、私宛に、 熱烈なラブレター?をくれる子もいる。 どうやら、足長おじさんのように 思ってくれているらしい。 胴の方が長いのだが・・・・・ 「We love you ! お願いがあります。 外国にいったら、私を受け入れてくれる、 もう一人のお父さんを 見つけてきてくださいね。」 と書かれている。 ミンダナオの子どもたちは、 自分の想いを素直に 一生懸命表現しようとする。 スカラシップを受けている 子たちの現状を調査するのもこのときだ。 貧しいマノボの村では、 親のいなくなった子は大変だ 今回の調査で、 小学生のスカラシップ (里親奨学制度)の子たちだが、 母親が亡くなり、父親は別の女性と いっしょになったまま行方しれず。 完全に見放された 状態でいることがわかった。 右の男の子(小学生)が、左の妹と従妹、 右の継母の祖母の面倒を見ていた。 他所の田んぼや畑の 草刈りや日雇いをして、 日銭を稼いで妹たちを学校へ・・・ 彼の成績が落ちてきているのでわかったことだ。 三人は、 下の祖母の家を始め、 親戚の家を転々として生きている。 身よりも無い状態なので ミンダナオ子ども図書館に 引き取ることに決めた。 里帰りした奨学生も元気だった。 ミンダナオ子ども図書館に戻るための 山からの交通費を稼ぐために、 アロナは、山で一日 薪拾いの日雇いをしていた vn49 アルバちゃんを 訪ねる かつてやせ細り、 餓死寸前で 難民キャンプで見つかったアルバちゃん 行橋カトリック教会のミルク支援で、 すっかり丈夫に! 目は見えないけど、 座ることも出来るようになりました。 奇跡的に。 これからも、 支援を続けます。 vn24 ミンダナオ子ども図書館 からのぞむ満月 電気を消すと、 たくさんの蛍が飛んでいる 若者たちの話だと、 夜はこのあたりに 妖精が飛んでいるという。 特に、満月の夜は要注意! 妖精に声をかけられても、 返事をしないこと。 あっちの世界に 連れて行かれて、 帰れなくなることがある。 特に大きな木や岩のある場所は、 気をつけて通り抜けること。 「ああ、きれいな月夜だなあ」などと 賞賛する言葉は、絶対に言ってはならない! 妖精が振り向いて 「こっちへおいで」と誘うから。 |
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vn21 2020年には、 スタディーツアーは、行わないものの 上述の記事を書いた2008年当時は、MCLが始まってから7年目で、 それほど一般に広く、知られていたわけではありません。 それゆえに、訪問希望者の方々のほとんどは、支援者の方々でした。 支援者の方々は、家族として受け入れ、 ダバオ空港までお迎えにあがり、宿泊費なしで滞在し、 支援している子に会いに学校に行き、そこからさらに、実家を訪ねます。 山の原住民やイスラム教徒の極貧の寒村ですから、 驚くべき体験になると同時に、 奨学生たちのほとんどが、支援者に出会って涙を流して抱きついてきます! 支援者の訪問は、良いのですが、 2013年にテレビ東京の「なぜここに日本人」などで放映されて以降、 ご覧になりたい方は、以下をクリック! 若い世代を中心にMCLを訪れたいという希望者が増えてきました。 訪れた若者たちのほとんどは、現地の子どもたちに囲まれると、 感動して、ときには涙を流します。 聞くと、引きこもりや人生に行き詰まりを感じている、若者が多い事もわかってきました。 彼らの心は、ここに来ると、子どもたちの力で、心が底から解放されて、 本来の自分にもどるのです! その後、日本で調べてみると、驚いたことに、青少年の自殺率も世界で一番か二番目! そのような現状を知るにつれて、 日本の若者たちも視野に入れて、活動をしなければという想いが強くなってきました。 そして、2020年には、 スタディーツアーは、行わないものの、希望があれば若者や家族たちを、 支援者同様に、宿泊費なしで、家族として受け入れることに決めました。 しかし、お客様のような接待や事前に計画した体験学習スタディーツアーなどのプロジェクトは行わず、 状況にもよりますが、その時々の状況で、 スタッフの活動や読み語りに同行したり、 子ども達と遊びで海や滝にいったり、 山を登ったりすることは、可能であることに決めました。 しかし、メインは、あくまで現地の子どもたち! 状況にもよりますが、 基本的に訪問者のための、 特別な企画は、立てないことを了解していただければ幸いです。 訪問について知りたい方は、以下をクリックして訪問希望サイトに移行してみてください。 ご質問やご希望は、現地日本人スタッフの宮木梓さんにメールでお願いいたします。 mclmindanao@gmail.com |
サイトは保護されています、 個人情報が流出することはありません! |
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金額を選択し寄付をするをクリック! 通信欄やメールで宮木梓 |
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毎回振込後に、宮木梓からお礼のメールとが届きます! 奨学金は物価高騰もあり、2021年より以下に変更いたしました。 一年間、小学校42000円、中高60000円、大学72000円 卒業後も支援額を変更して継続、別の子を紹介希望、終了希望は、 通信欄かメールで宮木梓宛に、寄付の内容や要望をお書きいただければ、 宮木梓が、対応いたします。 メールが難しい方は、日本事務局に携帯かお電話で対応いたします。 |
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郵便局、銀行またはコンビニ、ATM、ネット振込は以下です! 基本は、自由寄付です。振り込まれた方には、隔月に機関誌をお送りします。 |
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