和平交渉が軌道にのっているかのように 見えたところに、 急に戦闘が起こり始めた |
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na1 620名の奨学生 一人一人の チェックを始めた 今年度の 私たちの大きな課題の一つが、 620名いる子どもたちの 一人一人の状況チェックだ。 小学校、高校、大学と 学校別のリストを作り、 支援者のいる子と いない子の調査をしつつ、 学校の先生に 話をうかがった後に 実際に実家を必ず訪ねる。 特に支援者の居ない子の場合は、 1,出席率はどうか・・・ 学校に興味はあるか。 2,小学校の場合は特に、 ABCなど 読み書きの基本は出来るか。 3,学校の成績や 学習態度はどうか。 4,家庭状況はどうかなど、 足を運んでチェックする。 そして、 この子だったら大丈夫! という子を支援希望者に紹介する。 しかし、学業に関心があることは 採用基盤の一つではあるけれど、 それ以上に 孤児だったり、 崩壊家庭だったり、 アビューズを受けていたり、 助けを必要としている子は、 優先する! 生活状況の厳しさを 採用の第一条件にしているので、 精神的に不安定な子もいるし 悪ガキだった子もいる。 成績よりもむしろ、 そのような子を優先しているので、 すぐに支援者に 紹介できないケースも多い! そのような、 現地に置いとけず、 保護を必要としている子は、 MCLに住みこんで 学校に行かせてあげて、 安定してきたら、 支援者に紹介する。 そのようなわけもあって、 現在、 支援者が居ない子たちが、 100人ぐらいいるかなあーーー。 ad1 まずは 幸せに なってくれること MCLのスカラシップは、 極貧の集落の子の中でも、 とりわけ孤児や片親といった、 マイナスから来た子が大半だから、 成績や卒業資格よりも、 まずは人並みに 幸せになってくれることを 心から願っている。 成績優秀な子を採用して、 エリートを送り出す スカラシップではないけれど、 行きたい子は大学まで行ける! ミンダナオでは、 大学まで行けるのは、 20パーセントぐらいの 富裕層の子たちだけ? 貧しい子たちの場合、 特に女の子の場合は、 食べ盛りになる14歳ぐらいになると 結婚する(させられる?)子も多い。 ただぼくは、 早婚が必ずしも悪いとは思わない! MCLのスカラーの中でも、 休みに里帰りしたら、 小さいときから世話してもらって いっしょに遊んだ 大好きだった幼馴染の男の子に プロポーズされて、 嬉しくなって 奨学生を辞めて、 すぐに結婚した子もいる! 崩壊家庭や孤児だったり、 さびしい体験をしてきた子だけに ぼくは、嬉しく思う。 「幸せになってくれたら何より!」 「結婚式には、呼んでね。 赤ちゃんが生まれたら、 見せにおいで!」 「困ったらいつでも、 駆けこんでおいで!」 結婚はフィリピンの法律では、 17歳以上にならないと出来ないので、 その場合は、家族や村で 簡単な婚姻の儀式をして、 17歳になったら、 教会で結婚式をして 役所に登録する。 妻と結婚式の前の 教会での勉強会に出たときに、 30カップルほどが参加していたが、 ほとんどが、子どもがすでにいたり 妊娠しているのには驚いたけれど、 今では、その理由もわかるし、 早婚や婚前出産も、それはそれで、 良いのではないかと思うようになった。 行政登録は、お金がかかるから、 登録していないカップルも多いけれど! 何より大事なのは、 愛し合い、幸せになること! カトリック教会は、結婚式の希望者が すでに妊娠していても、 子どもがいても、 村で原住民の結婚式をあげていても、 非難も拒否もしないで、 神父さんが心を込めて 結婚の祝福をしてくれる! これぞアジアのキリスト教??? gt1 大学なんて 想像を絶する! 貧しい家庭の子にとっては、 小学校を卒業するだけでも 経済的に難しく、 中高卒なんて信じられない! 大学に入るなんて想像を絶する! 夢のまた夢! そのようなわけで、 ミンダナオ子ども図書館の 奨学生に採用された子たちは、 家族のためにがんばって、 大学を卒業して、 先生や看護師や エンジニアにもなっている。 ミンダナオ子ども図書館の スタッフになっている若者も、 ハウスペアレントや ソーシャルワーカーを含めて卒業生たち! けれども小学校や中学校に入れたけれど、 すでに年齢の高い子も多いし、 山の村では、 一四、五歳から結婚するから、 二〇歳に近づいたら 結婚適齢期を 過ぎた感じでちょっと不安? ad2 自分の夢や目標が また、当然ながら 一人一人に個性があり、 自分の夢や目標がある。 大学へ行くよりも、 小学校卒業や中高校を卒業したら、 漁師さんになったり、 実験農場で 有機農法を学んで、 村に帰って農業指導者になったり、 ドレスメーキングを習得して、 町の市場で 洋裁店をしたり、 運転技術を習得して、 トライシクルのドライバーで日銭を稼ぐ方が、 大学を出るよりも実質的で 良いと考える子も多いので、 画一的に 大学卒業を目指すのではなく、 子どもの個性や目標に合わせて、 相談に乗ることにしている。 学用品と同時に、 中学生には、月200ペソ 高校生には、月300ペソ、 大学生には、月1000ペソ のお小遣いをわたします。 大学生の場合は、 4ヶ月に一回、 総会に集まり文化祭をします。 極貧で親の無い子の場合は、 ミンダナオ子ども図書館が、 授業料を出すだけでは 学校を続けられない。 文具やプロジェクト代などを含む 諸経費を出してあげて、 さらに大学生の場合は、 大学は町にしかないので下宿代も出します。 支援額は、2013年時点では、 小学生の場合は、年間4万円 高校生は、年間6万円 大学生は、7万円ですが、 2021年から、物価の高騰もあり 小学生が年間4200円 中高生は年間60000円で変わらず 大学生は年間72000円になりました! 毎年 物価高がつづき足りないので、 自由寄付からも 多少加えて出しています。 na2 小学校 低学年のころから ひどい話ですが、 小学生のころから 虐待やレイプの 対象になっている子もいて、 特に、実の親が亡くなって、 他に引き取られた子の場合や、 継父になっている子の場合など・・・ 時には、福祉局や小学校などから 直接頼まれて こうした子たちの場合は、 ミンダナオ子ども図書館がシェルターとなります。 奨学制度と同時に保護施設としても、 フィリピン政府から公式に認められていて、 市の福祉局から依頼されて、 住み込んでいる子もいます。 実家の村から通っている 奨学生の子たちにも、 学用品やプロジェクト代等を 届けて支給すると同時に、 食べられない子、 親の無い子などは、 本部や下宿小屋に住んで、 食事や生活費をMCLでまかなっています。 そのようなわけで、 本部や下宿小屋に住み込んでいる子が、 現在200名を超えていて、 米だけでも一日 100キロ近く消費されますが、 幸い台湾の赤十字社を含む 皆さん方からのご支援で、 水田を購入して、 米だけは何とか自給しています。 ad3 大変なのは医療費 大変なのは医療費で、 貧しい人々は、 かぜ薬一つ買えません。 祈祷師にたのんで祈ってもらい 薬草を飲むのがせいぜいで、 死ななくて良い病気で 死んでいきます。 各集落の兎口の子の手術も 毎年30名ほど ダバオで行う他にも、 緊急の患者の診察代や薬代、 手術を含めると、 毎年140名近くの 患者を治癒しています。 年間医療費だけでも150万円を 優に超えています。 それでも、村人たちや子どもたちの 幸せそうな笑顔に出会うと、 この仕事、 やっていて良かった! そう思わずにはいられない。 心労も 危険に対する恐怖も、 子どもたちを見ていると 吹き飛んでしまう! 子どもこそ未来だ! 富は金額で計るものでは無い、 天国に蓄える物? 子どもの笑顔こそ天国だ! といつも思う。 上は小学校を最優秀で 卒業するマノボ族の子。 ここまでは、先生方の支援で来たけれど 中高校には貧しくて行けない。 山奥の不安定な 集落の出身だから。 下の子は。 「MCLの奨学生になったら 高校に行く事ができるよ」と話をすると、 ボロボロと涙をこぼし始めた。 後日、 彼の家を訪ねると同時に スカラシップに採用した。 na3 新学年のバッグと 学用品を届け 支援者へのお礼の 絵手紙を描く子どもたち 私たちの支援している 子どもたちのいる場所が、 本当に考えられないほどの 山岳地域だったり、湿原地域だったり。 しかも 奨学生は620名にのぼり、 3000メートル弱の アポ山山麓いったいから、 東南アジア最大で 世界一大きなワニのすむ リグアサン湿原に及び、 ようするに 富士山麓から 霞ヶ浦一帯を想像すれば、 理解させる活動範囲! しかも全てが 4WDのみで登れるわけでもなく、 ときには、戦闘が起こったり、 洪水が起こったり、 がけ崩れで 道が先へ進めなかったり・・・。 数名の子どもたちに 学用品を届けに行って、 支援者に渡すための お礼の絵手紙を 描いてもらうだけで丸一日かかる!!! それでも、 子どもたちの笑顔を見るために、 活動を続けるスタッフたち! 最後に支援者に送る 奨学生の写真を撮る。 na4 ボアイボアイの子達に 学用品を届けた。 学用品を 届けるだけではなく、 支援者からの手紙が MCLに届いている場合は、 日本語でも 現地語に翻訳して渡し、 返事をその場で書いてもらう。 里親たちは全員が 小学生の場合は、 絵手紙を書く。 (英語がまだ上手じゃないから) 中高生から大学生には、 英語の手紙を書いてもらい、 機関誌に同封して 支援者あてにお送りしています。 それを心から楽しみに、 時には、 生きがいにしていらっしゃる 日本の支援者の方々も! よろしかったらぜひ訪問されて下さい。 ダバオ空港までお迎えに上がり、 宿泊費無しで何日でも MCLに滞在されてください。 里子の実家と村にまで、 スタッフ同伴で お連れいたします。 里親が、 訪問されたときは、 感動して泣き出す 子たちも多い! na5 保育所建設の 調査を開始 昨年2012年は、 3月から山岳地帯で、 断続的に 国軍と新人民軍の戦闘が起こり 、 この地域も、 6月、8月、12月と 戦闘が起こってきた。 イスラム地域は和平交渉開始の 合意ができたから良かったものの、 出来なければ、 全面戦争であると言われて緊張した。 そのようなわけで、 戦闘の合間をぬって、 イスラム地域で、 平和構築のためにも2棟の保育所を建てたが、 それ以外の保育所は、 建設を見送らざるを得ない 状態だった。 しかし、その後は地域によって、 まだ小規模な戦闘は起こっているものの、 しだいに避難民は、 村にもどり始めたので、 避難民化せずにはいられなかった 不幸な地域を中心に、 保育所建設を 開始することにした。 まずは 1月から2月中に4棟、 2月から4月にかけて4棟ほどを建設する。 そのための候補地域を調査した。 na6 保育所調査はつづく この地域は、 2年前に戦闘があり、 今は平穏だが、 今後の展開が危惧されている。 戦闘で両親を失い、 兄弟姉妹を失い、 自分も腹部を撃たれた少年が、 ミンダナオ子ども図書館の奨学生として MCL本部にいる。 戦闘の原因は、 大土地所有者が、 輸出用のオイルパームを植えるために、 農場を拡大して、 先住民や イスラムの貧しい人々を 追い出そうとしたこと。 そして、 プランギ河に、 ダムの建設計画が有ることだという。
先住民とイスラムの反政府勢力が、 反対しているのだと 言うのだが・・・。 この村に、 まずは保育所を建設できないか、 という依頼が、 先住民の首領から来た。 松居陽が、 現地に赴いた。 貧しいけれども、 自給しながら 平和に暮らしている人々。 下の写真は、 同行されたミンダナオ子ども図書館の ボードメンバーで、 牧師であり酋長でもあるガボン氏。 現地の状況をふまえて、 MCLについて 説明している。 ad4 村までは、 7キロの道を歩いていく 先住民族の文化も、 まだ色濃く残っている。 文化的にも貴重な場所だ! ただ、 こうした先住民たちは、 かつて土壌も豊かな、 平地に住んでいた。 しかし土地の所有権が無い、 ということで、 島外からの金持ちの移民や プランテーション企業に土地を奪われ、 抵抗すると 反政府ゲリラだと レッテルを貼られて、 軍隊による攻撃を受けて、 土地の悪い山の中に 逃げ込まざるを得ない 過去(現在?)を持っている。 初期の頃はぼくも、 何度も問いかけられた。 「何しに日本から来たのか。 金鉱堀が目的か!」 実際問題として しだいに解ってきたことは、 希少金属などを目的とした鉱山開発に、 日本も含む海外企業からの探索が 入ってきていると言う事だ。 いま、 先住民たちが 最も恐れているのが、 鉱山開発によって川が汚染され、 飲み水や生活用水が駄目になり、 村から追いやられて さらに奥の山に 逃げ場を失って行くことだ。 先進国の目線からすると、 開発が貧困を撲滅する 手段になると思いがちだが、 現地で実際に見ていると、 開発は、 貧富の格差をさらに 激しくさせていく? 貧しい人々は、 もっと貧しく厳しい生活状況に、 落とし入れられていくように 思えてならない。 どうしたら良いのか? 安易に解決の方法は見えないが、 せめて次代を担う子どもたちや若者たちに 教育の機会を与えて、 大学を出て 社会の現実をしっかり捕らえ、 良い方に持って行くように 努力して行ってくれたらと思う。 自分の国、自分の故郷を 良くしていけるのは、 ぼくのような外国人では無く、 そこで育つ若者たちだから! せめてきっかけだけでも、 ミンダナオ子ども図書館で 作れたら良いなと思う。 na7 野村ひろこ様寄贈の 保育所・開所式 日本からの 訪問者の方も、 保育所の開所式に参加された。 保育所はごらんのように、 こちらの伝統的な スタイルを取り込んで 上半分が竹壁になっている。 窓もガラスではなく、竹を編んだ窓。 下半分は、熱帯地方は、 木だと腐りやすいので、 セメントで床と半壁を固めている。 確かに総セメントで ガラス窓の方が腐りにくいのだが、 子どもが割ってしまうと、 村では修理も交換もできない。 熱帯地方では、 普段はヤシの葉を拭いた屋根だが それでは腐りやすく、 長持ちさせるためにトタン屋根にしている。 それでも暑いにもかかわらず、 総セメントの壁の部屋なら、 部屋全体が、 日中暑くてたまらない! クーラーを付けたらいいって? 電気も来ていない場所に クーラーなんて付けられっこない! そのようなわけで 現地の人々からの要望でも、 ハーフカラカットと呼ばれている、 半分竹壁で、 窓も竹編みの方が良いと言われる。 涼しいし、修理も簡単! 痛んだら、 その辺に生えている竹を切ってきて 治せるから! 建設を始めた頃は、 現地の要望を優先したのだけれど、 だんだん年月が経つにつれて いくつかの問題が出てきた。 そのひとつが、 公式の引き渡し式には、 村長、福祉局職員、保母そして ミンダナオ子ども図書館の代表として 私か妻のサインがなされ、 署名される公的書類には、 引き渡し後の維持管理および修復は、 村の責任に移行される と書かれているのだが。 竹壁の保育所は、 内部は涼しく 過ごしやすいのだけれど、 5年から10年以上も経つと 竹が腐れたり、 ネズミ?のせいで穴が空いたり。 トタン屋根にも 錆が出てきたりして、 補修が必要になってくる。 ガラス窓やコンクリートに比べると、 補修費は僅かなのだが、 それでも貧しい村では、 修復する費用が出せない。 na9 2021年の春に 松居友とエープリルリンは、 娘たちと5年間の 日本滞在を終えて、 ミンダナオに帰郷。 それ以降、 松居自身が全保育所を点検して、 修理活動を開始します。 本来修復は、 村の責任なのですが、 極貧の村では難しく、 だからといって、 子供たちの事を考えると 放っておくことが出来ず。 建てた保育所の管理補修は、 今後もMCLで行っていくことにしました。 すでに一部開始しましたが、 帰郷後、 全保育所を私自身の目でチェックして、 竹壁と屋根を修復し、 土台と内部を ピンクにペンキで塗り、 屋根を赤いペンキでぬって、 錆びにくく修復していきます。 訪問者の若者たちにも、 手伝っていただいて、 上下の写真の ビデオ映像サイトへGo! 時には 現地の村に泊めてもらい、 実行していこうと思っています。 じっさい保育所は、 僻村の人々との心の交流にとっても、 スカラシップ採用や医療、 読み語りとならぶ、 大きな支援となっています。 また、高校を卒業して 村の保育士になっている もと奨学生たちも多いので、 荒れたまま放置は出来ません! ただし、過疎化が進み 使われなくなった保育所や、 村長が替わり土地問題故に 個人所有になってしまった保育所も、 話し合って 移転などの解決を 見いだしていきます。 読み語りと違って、 建設支援は、貧しい地域の場合、 建てればそれで良いではなく、 その後の維持管理が大変! na10 IMT国際監視団の 中川さんを案内して サパカン集落に行った JICAから IMT国際監視団に派遣された 中川さんから突然、 連絡が入った。 「JICAと日本政府の 日本バンサモロ復興開発イニシアティブ (J-BIRD)で、 次の学校を最も難しい イスラム自治区に建てたいのだが、 和平構築のためには、 どこが良いのか、 現地をよく知っている 松居友さんの意見を聞きたい。 できれば、 一緒に現地の状況を 直接見て確かめたいのだが、 協力お願いできますか?」 そこで、私は リグアサン湿原への 裏ルートである川と、 下のプランギ河への入り口でもあり、 目立たない小さな村だが、 MILFとMNLFとの両極の交差点として 重要な位置づけを持つ サパカンを紹介したいと思った。 サパカン集落には、 すでに保育所も建てているし、 奨学生も採用しているので、 面識もあり信頼されている。 しかし、現在の状況は、 大洪水ではないものの水かさが増していて、 子どもたちは舟に乗り、 また水の中を歩いて学校に通っている。 下の写真の子どもたちの 後ろの竹壁が校舎の教室。 そのような状態を 実際に見ていただければ、 なぜ故にここに 学校を建設することが位置的にも重要で、 現地の人々からも、 大きな喜びと感謝で 受け止めてくれるだろうし、 その後の平和構築にも貢献すると思った。 na11 訪問者の若者と PHPの記者が同行 上の写真の若者は久住君。 背後は、PHPの記者の若林さん。 今回MCLのビジターとして、 訪問滞在されている。 久住くんは、 秋田国際教養大学で勉強中で、 現在、米国の大学に留学中。 休みを利用してMCLへ。 大学で フィリピン支援活動を始めたが、 ミンダナオは、 カガヤンデオロの洪水支援についで二度目。 「JICAは、僕のあこがれです! IMTの中川さんに どうしてもお会いしたい!」 と繰り返し言われ、 フィリピンの現状を 多少なりとも理解しているし、 同行を許可した。 MCLでは、 特別な理由を除いて、 訪問者を極度の危険地域には お連れしないけれど、 事前に、政府側と反政府側の コマンダーにも連絡を取り、 政府側はもとより 反政府側の人々も警備を 万全にしてくださり今回は同行できた! 中川さんに いくつも質問を重ね、 中川さんも、喜んで対応してくださり 気があったようだ。 ad5 僕は引きこもりだった、 と自分の体験を 語ってくれた サパカン集落の学校は、 現地の人々からも またローカルLGOからも、 新築したいという 要請が長年あり、 良い機会なので 中川さんにそのお話をした。 校舎の一つは、 竹を並べただけの壁で すぐに洪水で水につかる。 ミンダナオ子ども図書館で 応募することも考えたが、 すでに2棟建てており、 3年に一回しか応募が出来ず 今年は応募が出来なかった。 しかし、IMTの中川さんから 直接話が来て嬉しかった。 今回は、 MCLが直に担当するわけではないが、 サイドから建設の状況を調査し、 実現すれば、 子どもたちも地域の人々も 心から喜ぶだろう! ここにも、MCLの奨学生がたくさんいる。 訪問希望の方は、 以下をクリック! こうした体験も踏まえて ミンダナオ子ども図書館は、 日本の若者たちの未来を考えて、 とりわけ引きこもりや 孤独で悩んでいる若者たちを 可能な限り、訪問やボランティアで 受け入れていきたいと思います。 ダバオ空港まで 安い便だと往復5万円。 状況にもよりますが長期滞在もOKです。 宿泊費はとりません。 ただし、現地は日本政府の指定する、 高度な危険地域でもあり、 単独行動などは許されません。 規定をよくお読みください。 na13 多少水かさが増した 程度だった 教室近くに水が来ているが、 日常のことだ。 しかし、学校を作るとしたら 水が来ない位置に、 しかも、少し高くして建てる必要がある、 という結論に達した。 そうすれば、 鉄砲水が来て家々が床上浸水したり、 家屋が倒壊しても 緊急の避難場所としても機能する。 中川さんとは、 初めての 本格的な出会いだったが、 南米やアフリカの体験も多く、 地元に根ざした 建設的な支援を 地元の特に貧しい人の立場に立ち、 純粋な心で見て 考えていることがわかり、 好感を持てた。 それは、地元の人たちにも伝わった。 na14 反対側は 水をかぶってはいない 学校の敷地内でも、 反対側は水をかぶってはいない。 そちら側に高台を作り 学校を建てるのが良いと思う。 敷地の反対側では、 水浸しになっていない場所で、 子どもたちが楽しく遊んでいる。 ミンダナオでは、 子どもたちは本当に、 子どもたち同士で 伝統的な遊びでよく遊ぶ。 イスラムの子たちも 女の子も男の子も 仲良くいっしょに遊ぶ。 そのなかで、 本当のコミュニケーションを 作る能力が形成されて、 生きる力が養われる! 木々もたくさん茂っている 高い土地に、 学校を建設することに決めた。 下の写真は、 MCLで建てた保育所。 水がかぶりにくい場所を選んで 建てている。 na15 J-Birdで建設中の バゴンイギッドの学校 バゴンイギッドに建設中の学校は、 MCLが担当しているわけではないが、 この水路の奥に 小さな村がたくさんあり、 MCLでは、 複数の奨学生を採用し、 しばしば行っている地域だ。 6月の選挙後に この奥で殺害があり、 危険で最近は敬遠していたのだが、 MCLの奨学生を含めた子たちのためにも、 学校が出来ることはうれしいことだ! この村の本来学校がある場所に、 MCLで保育所を建設出来ないかという 要請が過去あり、 かなり時間をかけて検討したが、 小学校のグランド内に 穀物干し場があり、 村の公共施設として使えば 子どもたちの運動場がなくなる事、 子どもたちが穀物干し場を、 遊びに使えば 村人が困るという点。 また、そのことを含めて、 学校と村長との間に 土地問題があることがわかり 断念していた。 その後、 川沿いに場所を 変更したがどうか、 という再度の要請が来たが、 洪水などの問題もあると予想して 保育所建設を決めるには、 状況が早いと判断して、 支援を スカラシップに限定して 当面の様子を 見ることにしていた。 特に6月の選挙による 混乱を意識していたが、 選挙後も関係者が 殺害されて躊躇していた。 ところが、 日本政府がすでに学校建設を その地に始めていることを、 今回初めて知って、中川さんに同行した。 びっくりしたのは、 建てた場所で、 本格的な洪水でもないのに、 学校全体が水の中に浮いている。 地元の担当者に 「このような場合は、 子どもたちはどこを通って 学校に通うのですか?」と聞くと、 「このへんの子たちは 水があっても 舟で来るから大丈夫だよ」 という話であった。 その子どもたちの中には、 MCLの奨学生も たくさんいるし、 彼らは湿原地帯から 舟で来るから大丈夫だろう。 とにかく、 学校が出来て良かった! na16 日本人ボランティアの 最近の活動から ゴムの苗を運ぶ プランギ河の下流地域で 毎年数回起こる 大きな洪水の原因の一つが、 上流のアポ山の高原地帯の ジャングルの伐採であることが、 現地で活動していて 次第に分かってきた。 しかもラワンやマホガニーなどの巨木を ことごとく切り倒して 運んで行った行き先が、 日本であることを聞いて、 日本人の一人として 心を痛めた。 それで、 小さな蟻のようなNGOでは、 洪水を止めるところまでは 出来ないけれど、 何もしないよりは、 せめて少しでも 何かしたいと思い、 植林を始めた。 植える木が ラワンやマホガニーだと 80年近くかかり、 地元の人々の収益にはならない。 しかし、 ゴムやカカオなら、 貧しい山の人々の 収入にもつながることが分かり、 微力ながらも、 訪問者の若者たちも手伝って、 植林を開始した。 na17 訪問者の 若者たちと一緒に 学用品を渡した 「私、いったん就職したけど どうしてもここに来たくって。 父さんに言ったら、 おまえは、言い出したら聞かない! パッキャウの居るところだろ、行ってこい! 今までも 世界を一人で旅したけど、 これからさらに世界中を回ります。 でも、ここは特別!また帰ってきます!」 「ぼくは、高校時代は、引きこもりの不登校。 でも、自分で勉強して資格を取って 大学に入って、 ボランティア活動を始めた。 フィリピンは数回来ているけど ボランティアとは何か、 ここでは、考えさせられた。 まずは、 友だちになることなんですね! それから、 何が出来るか考えれば良い!」 ビジターで 一週間滞在された若田尚里さん。 「短い滞在期間だったけど とても充実していました。 また必ず来ます!」 na18 子ども達と一緒に! 僕のミンダナオ体験記 かつて僕は引きこもりだった、 と自分の体験を語ってくれた 久住泰平くんの文章です! 7月4日から8月4までの1か月間、 MCL(ミンダナオ子ども図書館)に 滞在させて頂きました。 ミンダナオの山岳地域や イスラム地域での MCLの様々な活動に 参加させて頂いたり、 国際監視団の視察に 同行させて頂いたりしたのは、 どれもとても貴重な 経験をすることができました。 なかでも MCLの子どもたちとの 共同生活からは、 とても多くの事を学び体験しました。 一緒に毎日ご飯を食べたり、 外で元気に遊んだり、 たらいで洗濯をしたり、 絵本を楽しんだ! 子ども達に導かれました。 「仕事は あたえられるものじゃなくて、 自分で切り拓いていくもの。 できることを何でもやってみてください」 友さんの言葉に 背中を押してもらって、 MCLのスタッフや 他のビジターにも協力してもらって、 七夕の短冊を 子どもたちみんなと書きました。 学校を修了して 将来は先生になりたい! そんなたくさんの子どもたち。 ナースやお医者さんになって 多くのひとを助けたい! 子供たち。 家族や友達の幸せや ミンダナオや世界中の 平和を願う子ども達! グアバの木の枝を彩った 子どもたちの 七夕のお願い事は、 1つ1つどれも素敵なものばかりで、 子ども達の夢の実現を 応援したいと思ったり、 そのために自分には何ができるのかを 自然と考えるようになりました。 ミンダナオ子ども図書館の 子どもたちの七夕のお願い事 2013年7月 クリックしてPDFへ ad6 同じ目線で遊んでいると 子ども達と友達になって、 同じ目線で一緒に遊んでいると たくさんの発見をしました。 その1つが、 表情豊かに絵本を読み語る 子ども達の表現力。 日本語の本でも 一度、英語で読み聞かせをしてあげると、 すぐほかの子ども達に ビサヤ語で読み語ります。 声の抑揚や 体をうまく使って 読み語るので、 現地語のわからない僕も たちまち周りの子どもたちと一緒に、 物語の世界に 惹きこまれていきました。 まず子ども達と一緒に 絵本を楽しんでいると、 いくつかの事に気が付きました。 言葉がわからなくても、 子ども達は絵が美しく、 楽しい日本の絵本をみるのが 大好きだということ。 そこで、 日本の絵本を 英語に翻訳することを 始めました。 子ども達と一緒に 楽しく翻訳に取り組むなかで、 面白いアイディアを思い付きました。 僕が日本語の絵本を 英語に訳した後に、 今度は子ども達が ビサヤ語に翻訳しました。 ストーリーを楽しみながら、 子ども達と一緒に わきあいあいと取り組む翻訳活動は、 とても楽しいものでした。 週末の読み語りで 子ども達が、 堂々とこれらの絵本を 読み語るのをみていると、 子ども達との 温かい時間を思い出し、 自然に笑顔になりました。 「子ども達と友達になって、 それから 自分にできることをみつけよう」 友さんが日頃 色々な場面でおっしゃっている この言葉に日本で出会って、 その時、MCLに行くことを直感したのです。 na19 イスラムの山岳地域の 状況がひどく心配になり まず小学校を訪ねた 校長先生から、 特に大変な子たち 10人を紹介されていたが、 今のMCLの状況では 支援者のいない子が200を超え、 申し訳ないが小学校低学年の子 3人に絞っていただいた。 父親が殺され、 母は出稼ぎ先を探しに 町へ出ている子。 両親とも出稼ぎで遠くに行ってしまい、 おばさんがあずかっている子。 ともに極貧で、 3食たべられない家庭の子たちだ! 最近、 父が殺された少女の母は、 子どもたちを食べさせるために ダバオに出稼ぎに行ったまま。 子どもは、 祖母のところで暮らしている。 PHPの記事を書いていらっしゃる 若林さんが、 里親になってくださった。 少女は、大喜び! ad7 子どもたちと 一緒に家を調査 私たちは、 学校や村長や教会などから、 奨学生の候補が選出されても、 すぐには決定しない。 必ず、その子のすんでいる 家を訪問して、 家庭や村での状況を 近所の人々にも質問して、 家庭状況を確かめた後に 最終決定をする。 少女は、 母親からは遠く離れ、 一人、おじさんおばさんの家に住んで 学校に通っている。 おじさんはクリスチャン おばさんはイスラム教徒。 クリスチャンのおじさんは、 我が子以外にも、 妻の兄弟の イスラム教徒の子たちをあずかり、 貧しいながらも 必死に学校に行かせている。 食べていくだけでも大変! ad8 ブグアク村は 非常に貧しく ブグアク村は非常に貧しく、 MLCの奨学生も多いが 現在は、特に厳しい状況。 今回の戦闘の間に、 心労から 奨学生だった若者の お父さんが亡くなった。 若者は、もう卒業しているのだが、 護衛のために武器を持って 現地を案内してくれた。 痩せてしまって心配だ。 2019年には、 悲しいことに 彼も、戦闘に巻き込まれて 殺されてしまった。 この地は、 イスラム地域でも 非常に貧しく、 収入として ミンダナオ子ども図書館で ゴムの木を植えることを 考えることにした。 na21 PHP派遣の若林さん、 マノボ族の村 キアタウにも行かれた PHPの月刊誌の10月号に、 ミンダナオ子ども図書館の 記事が掲載されます。 その取材に3週間、 若林さんがこられました。 仏教に 深い造詣がおありになり、 『苦しまなくていいんだよ』PHP を編集された方です。 キアタウ周辺には、 今もゴムを植え続けています。 改めて植林を報告しますので 支援者の方々、ご安心ください。 本来、低地に住んでいて、 山に追いやられた 原住民の人々にとって、 最大の問題は収入源がないこと。 食べ物は、 山に生えているカサバイモや 川まで降りていて捕まえる カエルやカニやトカゲ。 森の中で ニシキヘビを捕まえられれば、 おおごちそう! 蒲焼きにして食べるとおいしいよ! イノシシや猿や鹿も 捕まえて食べるけれど 簡単ではない。 ゆいいつ自然のヤシの実や 山芋やバナナは 何とか生えているけれど。 かつては山はジャングルで、 巨木を伐採して売れば かなりの収入にはなったけれど、 ほとんど伐採し尽くして、 日本に持って行かれたので はげ山になってしまった。 森がなくなると 山の斜面は乾燥して、 雨が降ると豊かな表土がことごとく 流されてしまい。 土地は、荒れ果てて 乾燥した石と岩になってしまい、 トウモロコシや陸稲すらも 生えにくくなってしまった。 そんなわけで、 せめて植林することにした。 マンゴーや果実は腐りやすく 山岳地からは、 輸送が傷みやすく大変なので とりあえずゴムとカカオから始めた。 |
na22 キアタウから 向こうに見える丘 見渡す限り 森が伐採されてしまって まるで大草原のよう! 日本もかつて 森林伐採がひどかったけれど、 自然保護や里山が復活して 実に緑が豊かになった! 日本に帰ると、 自然が美しいのに感動する! けれども、 自国の森を保護する過程で、 他国の森を破壊して来た事がわかり、 何とも複雑な気持ちになった。 しかし、日本における、 森林復活の経験をフィリピンにも アジアや南米、 アフリカにも伝えて、 里山づくりを始めたら どんなに 感謝され喜ばれることか! 若い世代が そうしたことを現地を見て学び、 将来、国境を越えて 世界に平和を作るために活躍したら、 日本も世界から 高い評価を得るだろう。 それを考えると、 こうした事実を若者たちに 体験させてあげることは、 大切なことのように思えた。 サーグ集落が麓にあり 山頂から下にかけて、 ゴムの木を植えている場所。 ケロハスの村は, キアタウから徒歩か 馬に乗ってしか行けない 山の中の小さな村。 それだけに、 子どもたちの素朴な姿に 出会える。 ad9 子どもたちが ヤシの実を とってくれた 子どもたちが 椰子の木に登って、 ヤシの実をとってくれた。 小さな子でも 木登りは上手! 落ちた椰子をナタで割って、 椰子のジュースを 飲ませてくれた。 その後、割って、 白い果肉を実の殻から作った スプーンを使って 食べさせてくれる。 生きる力がすごいなあ! 学校に行っていた お兄ちゃん、 お姉ちゃんたちが帰ってきた! ここから、学校までは、 下のような道を歩いて ジャングルを抜けて 2時間ぐらいかかる。 それでも、 がんばって 学校に通う子どもたち。 緑のバックパックには、 MCLと書いてある。 ミンダナオ子ども図書館の 奨学生の子どもたち! 普通の家庭だと、 鉛筆も買えないし、 学用品も買えないし、 靴も買えないから裸足で行く! この村の子どもたちは、 小学校1年には通っても、 2年になると7割以上が学校をやめる! なぜ? だって、2年生になると 午後の授業があって、 お米もないし、 お弁当持って行けないもん! ここの村の子を 主人公にお話を書きました。 以下をクリックして読んでみて下さい!
ケロハスに作った保育所の 先生と子どもたち。 ミンダナオ子ども図書館で 古着をたえず渡しているので、 少なくとも 着ている服はとってもすてき! 以前は、 下着もなく、 ほとんど裸の子どもたち! 学校に行くにも ほとんどの子に靴がない。 でもだいじょうぶ、 足の裏が靴になっているからね! na23 井上幼稚園の 先生二人とチエさんが、 年末に訪れて くださった! 訪問者が訪れると、 必ずやるのが ウエルカムパーティー つまり歓迎会と、 フェアウエルパーティー 送別会! 再訪、 再々訪の方々でも、 これだけは参加お願いします! 日本では、 歓迎会や送別会は、 儀式のひとつに 思えるかもしれないけれど、 こちらでは、 子どもたちが計画した お楽しみのひとつ! na24 井上幼稚園の 先生たちと マノボ族の村 キアタウでクリスマス! 12月25日、26日。 電気なし、水なしの寒村、 キアタウの民家で過ごした 井上幼稚園の先生お二人。 山・川・洞窟の 大自然と たくさんの 無垢な子ども達に歓迎され、 いつもとは ひと味もふた味も違う クリスマスに 心打たれた様子だった。 夜、ふと見上げると、 そこには満天の星空。 思わず言葉を忘れるほどの美しさ! キアタウでは、 手が届くような近さで輝く 無数の星々が、 聖なるクリスマスの日の夜を飾っていた。 井上幼稚園のサイトへGo! 三浦 有紀先生 南 茉友子先生 子どもたちの 裸の写真を掲載するのも 抵抗が少しあるけれど、 これがいつもの姿! 雨が降ったら裸で水浴び! でもMCLが来て、 日本から送られてきた 古着を渡しているので、 いまは、 訪問者が来ると オシャレして飛び出してくる! ミンダナオの子どもたちは、 本当に 遊びが大好き! 自由で伝統的な 遊びの中で学べるのが、 相手の気持ちを察して 理解して、 助け合える本物の愛と友情! 日が暮れるまで遊びをした。 先生曰く。 「みんな人なつっこいですね。 日本の子ども達もかわいいけれど、 ここの子ども達の笑顔は本当にかわいい。 辛いことも多いはずなのに、 それを忘れてしまうくらい!」 一日の最後に、 三浦先生と南先生のお別れ会。 みんなで歌ったマノボ語の歌が 夕暮れの空にこだました! na25 村を発つ日の午前に、 子ども達と一緒に 神秘的な川と洞窟へ 一夜明け、 26日の朝。 前日の雨で道はぬかるみ、 子ども達に 手を貸してもらいながら、 獣道を進むこと数十分。 妖精の住みかのような 澄んだ川にでた! たちまち子どもたちは、 裸になって、 川の中に飛びこんで 遊びはじめた! 山の上には水がないから、 村人たちは、 川で洗濯! さらに 川を上っていくと、 吸い込まれそうなほど 深い洞窟にたどりついた! ここは、外国人は、 ほとんど入ったことがない 洞窟だけれど、 大戦で米軍に追われた 日本兵たちが、 最後にこの洞窟に逃げ込んで 玉砕した場所! 奥には、 さらに手つかずの鍾乳洞があり、 ロープ無しには降りられない。 底には 日本人の遺骨が眠っている と言われているが、現地の人々は、 お化けが出ると言って恐れて入らない! na26 翌々日、 ラウィタン村へ 保育所調査に向かった ラウィタン村までは、 車を降りてから 約一時間半の道のりを ひたすら歩く。 現地は、 ロハス州とブキッドノン州の狭間で、 イスラム地域と先住民族 そしてクリスチャン地域の狭間だ。 1980年代から、 数々の戦闘に侵されて、 村人たちは、繰り返し繰り返し 避難民生活を強要させられてきた。 避難民になって逃げるときにも、 お金がないので 土地を抵当にして、 お金を借りて町の方へと避難した。 ところが、帰ってきても 返却資金があるわけではなく、 貧しいままで 土地は抵当に入ったまま。 取り返すすべもなく 金持ちに土地を買収されて、 故郷を離れて町で乞食になるか、 さらに深い山に逃げるしかなかった。 騎兵隊に追われたアメリカインディアンが、 自分の土地に帰ってみると、 大農場主に土地を奪われていたのと 同じ事が現代でも起こっているのだった。 しかし、この村は、 それでもかろうじて もどってこられた人々の村で、 イスラム教徒と先住民と クリスチャンが 協力して生活している。 na27 プランギ河の 上流を渡航 村に着くまでに、 プランギ河を 渡らなければならない。 プランギ河は、 下の東南アジア最大の リグアサン湿原地帯に流れ込む 母なる河で、ここはその上流地帯だ。 世界最大のワニは、 この下の リグアサン湿原に住んでいる。 いつかここをカヌーで下り、 東南アジア最大の 大湿原に入りたいなあ。 もちろん、危険地域でもあるので、 現地の人々が護衛してくれた。 いつものことだが・・・ 下は、船頭さんの娘さん。 何とか小学校を卒業するところまでは 出来たけれど、中学生になりたくても、 遠くて学校までは通えない。 学校までは、河を越えて、 少なくとも3時間以上は 歩かなければならない。 まさか、 こんな経験ができるとは!!! 幼稚園の先生方も、 子どものように大はしゃぎ! 川を越えてから、 さらに急斜面を登って、 村を目指して歩いて行く。 下を見ると、 漁師さんたちが、 網で魚を捕っている。 このようなところに、 外国人が来るのは、 僕を除けばもちろん初めて。 遠く、 ブキッドノン州が見渡せる。 この一体には、 爆弾も数多く落とされた。 先住民を追い出して、 プランテーションを広げるため??? na28 ラウィタン集落に 到達した この村の最も大きな問題は、 貧困だろう。 貧困ゆえに、 子どもたちは学校にも行けず、 この村に住んで、 中高校を卒業できた子は まだひとりもいない。 学校に行きたくても 遠すぎるし、 鉛筆も買えないし、 お弁当も持って行けないから。 親戚のある子は、 親戚のところに住みこんで、 学校に通えるけれども・・・。 小学校でさえも、 3時間近く 歩かなければならない。 もう一つの大きな問題は、 病気になっても、 薬も買えず、 医者にもかかれず、 手術も受けられずに、 死ななくて良い病気で 死んでいく。 na29 極貧の村の 初等小学校と保育所 それでも、 村人たちは、 力を合わせて自分たちで 初等小学校を建てた! ここで、 三年生までは学校に通える。 そんなわけで、 小学校3年までの子どもは いるけれど、 これ以上は、 ほんの数人。 保育所2件分の費用で 初等小学校も建設できるので、 MCLで考えてみようと思った。 集落は、 貧しいけれども、 山岳地帯ではないし、 土地もそこそこ肥えていて トウモロコシなども出来るし、 魚を捕れる河もあり、 収穫物を積んで 舟で移動もできる。 戦争さえなければ、 そして、土地が収奪されて、 プランテーションにさえならなければ、 学校も建てて、 貧しくとも、 そこそこの生活が 出来る村になるだろう。 ad10 極貧のラウィタン村の 保育所 学校と比べて、 保育所の方は、 さらにひどい状態だった。 これでも、 皆で作ったのだが。 しかし、 先生もいるし、 教育に対する姿勢も しっかりとしている。 先生は、 MCLの奨学生のおばさんだった。 まずは、 保育所建設をここに決めた。 セメントを運び、 砂利は、村人が川から採り、 村中で協力することになった。 na31 親がいず 苦労している子に絞って スカラシップ、 里子候補を選んだ 長くつながりを持ち、 集落を支えていくためにも、 数名の奨学生をとり、 彼らが村を作っていけば 村も明るくなっていく。 親がいない子も結構いて、 それでも、がんばって 学校に行きたい子たちは多い。 どなたか、 支援してくださいませんか。 下流から舟に乗り、 船着き場に向かった。 ここを下っていくと MCLで保育所も建てている イスラムの反政府地域 リグアサン湿原達する。 河岸の家から子どもたちが、 手を振って 見送ってくれた。 この集落とも、 長いおつきあいが 始まろうとしている。 お父さんと、 漁をしている少年。 学校には 行けないかもしれないけど、 こうした生活も、 素朴で良いと思う。 とくにここは、 土地も肥えているし、 魚も捕れるし、 友達と一緒に遊べるし、 戦争さえなければ 良いところだと思う。 na32 二つの保育所開所式 1:京都暁星高校寄贈 サラヤン保育所の 開所式 12月8日、 京都暁星高校にご支援頂いた、 サラヤン保育所の開所式を行った。 たっくさんの子どもが暮らす 村にあったのは、 倉庫程度の小さい保育所だけだった。 こちらが、かつての保育所! 大きな保育所が出来て、 みんなニコニコ。 MCLの子ども達による読み語り。 開所式の後には、 京都暁星高校が贈って下さった 衣類・文房具を村の人々へ! 「これは僕の!」 「私のだもん!」 貴重な鉛筆、 消しゴムの取り合いっこが勃発。 お勉強、頑張ってね! 読み語りに集まった子ども達。 一日三食 食べられない時もあるけれど、 みんなと~っても元気で、 明るくて無邪気! 書類を受け取る女性が保育所の先生。 貧しい村だが、 この日のために 開所式の垂れ幕を作ってくださった。 もらった洋服を早速、 身につける子ども達。 日本からの、 少し早いクリスマスプレゼントに みんな大興奮! サラヤンは、 先住民族のマノボの人々が 暮らしている村。 大人たちは、 近くのバナナ農園で、 朝から晩まで働く。 京都暁星高校のみなさま、 ありがとうございました! 日本からの古着を着たお父さん! ad11 2:東郷 暢彦さま寄贈 キボリン保育所の 開所式 11月9日、 東郷 暢彦さまに寄贈頂いた キボリン保育所が開所しました。 キボリンは、 急勾配の山を登った 頂上にある小さな集落。 村から見下ろす 田園風景は 息をのむほどの美しさ! 開所式には たくさんの子どもが集まり、 学びの場の完成をみんなで祝った! マノボ族の民族衣装を着た キボリン村の女の子。 トラックがぬかるみにはまり、 村の人々に助けてもらいながら 何とか脱出! 下の写真は、 建設途中の保育所。 ペンキ塗りはMCLが行う。 立正佼成会から贈られた 夢ポッケも手渡しました。 東郷 暢彦さま、 ありがとうございました! na33 速報: フィリピンを襲った 台風に関して フィリピンのレイテ島およびサマール島、 タクロバン市などを巨大な台風が直撃し、 家屋が倒壊し流されて、 多数の死傷者が出ています。 フィリピンでは、極貧の家庭は 土地を買うことが出来ずに、 川沿いや海に張り出した地域に 家を建てて生活しているので、 今回の高潮は、 そのような貧しい人々の 家々を襲ったものと思われます。 推計で1万を超える 死者が出たと言われていますが、 犠牲者の多くが、貧しい人々であることは 間違いないと思われます。 私の元にも、心配の電話やメールが 多数寄せられましたが、 ミンダナオこども図書館のあるミンダナオは、 強風はあったものの被害はありませんでした。 ご安心ください。 現地スタッフから新たに連絡が入り、 赤十字から 共同して現地に向かえないか と言う依頼が来ました。 堺市の平和賞受賞式で知り合い、 4WDも寄贈して下さった 台湾赤十字も フィリピンに向かう旨の連絡も受け、 11月26日から7月3日に 第一回救済支援を開始、 サイトに報告します。 4WDトラック(立正佼成会より寄贈)に 食料と古着などの支援物資を積んで 現地OMIの賛助支援も受けつつ、 ミンダナオ子ども図書館のスタッフ自らが、 福祉局おより赤十字、 OMIと共に現地に乗り込み、 直接現場で支援活動を行うことになりました。 政府機関である 福祉局DSWDとも連携して、 今回の台風で親を失ったり、 身寄りが無くなった子を、 ミンダナオこども図書館に 受け入れる相談もしていきます。 古着などを、 MCL宛てに送っていただければ、 赤十字と協力して 現地に届けられるように手配します。 赤十字社と共同はするものの、 活動経費は ミンダナオ子ども図書館自体が 負担することになりました。 現地へのトラックでの輸送費、 支援物資代、宿泊や食料支給、 子どもたちの保護などなど、 円安にくわえ授業料の値上がりなど、 MCLも 厳しい財政状況なのですが、 レイテの子どもたちを 放っておくことは出来ません。 よろしければ、緊急支援をお願いします! 振込用紙の通信欄に「レイテ支援」 または「台風支援」と書いてください。 寄付は、現地救済のために使います。 活動報告は、常に写真入りで ネット上に掲載していきます。 na34 11月26日~29日 台風被災地 緊急支援活動へ 2013年11月8日から9日にかけて フィリピンを通過した超大型台風「ヨランダ」。 被災者数は現在、約1500万人、 避難者は400万人以上、 死者・行方不明者は 合計7300人以上と推計されている。 難民支援の経験豊富な ピキット福祉局とともに、 ミンダナオ子ども図書館もレイテ島へ 緊急支援活動に向かった! まずは物資の整理。 コンテナいっぱいにあった 日本からの衣類・靴などの物資を、 サイズ別・種類別に分け、 一枚ずつ畳んでいく。 授業のない大学生スカラーも 朝からお手伝い。 学校から帰ってきた 高校生も、 夜中まで手を貸してくれた。 気がつけば 段ボールの上でうとうと…。 一日がかりの準備を経て、 AM4:00 ミンダナオ子ども図書館を出発。 レイテへ向かう真夜中、 トラックの物資が重すぎて、 緩やかな上り坂で立ち往生してしまう アクシデントも発生…。 図書館から車で20時間、 ミンダナオ島最北端の地 スリガオ市に到着。 そこからさらに 船で4時間かけて ようやくレイテ島へ。 北へ北へと 車を走らせるにつれ、 町の光景が悲惨になっていく。 へし折れた電信柱、 なぎ倒された椰子の木やバナナ、 ぺちゃんこにつぶされた家々、 道路脇に乱雑に掲げられた 「HELP」「NO FOOD」の文字。 そして、何より辛いのが、 ハイウェイを走る車に向かって 「食べ物~!」と叫び 手を伸ばす子供たちの姿。 被害がひどく、かつ支援の少ない 2カ所の地域で 支援活動を実施。 整理券を配り、 一人一人に物資を手渡していく。 衣類・靴・タオルなどの 日本から贈られた品々、 ブルーシート、懐中電灯、ライター等々。 特にブルーシートの支援は喜ばれた。 屋根のない壊れた家で 雨をしのぐには、 欠かせないという。 na35 絵本の 読み語りも行った。 最初は険しい顔をしていた 子供たちも、 歌が始まり みんなで踊れば 大きな笑顔を取り戻す! そして 語られるお話に向けられる、 真剣で、 キラキラしたまなざし! 幸いにも、 子供たちはまだまだ元気だった。 無邪気な笑い声が 壊れた町に響き、 焦燥しきった大人たちからも 思わず笑みがこぼれる。 最後にココアを混ぜた 甘いおかゆの炊き出し。 「2列に並んでねー!」と声を張るものの、 我先にと大混乱! 大人も混じって! それくらい、 被災地の食料不足は 深刻なのだ。 被災から 1ヶ月が経とうとしているが、 現地では未だ 混沌とした状況が続いている。 復旧・復興に向けては、 国際社会の 継続的な支援が欠かせない。 ミンダナオ子ども図書館も、 被災した多くの子供たちのための支援を 長期的に続けていきます。 第二次支援活動は、 日本からの物資が 一定量集まり次第開始します。 年明けになる見通しです。 台風被災地緊急支援を よろしくお願い致します!! na36 籾米を乾燥させる 干し場を作った 前田さんご夫妻 寄付をありがとうございます! 籾米を干すための 干し場(ドライヤー)が必要だった。 普通、職人に工事を頼めば、 100万ぐらいはかかるはずが、 なんと30万でできあがった! 100万! そんなお金は、とても出せないし、 それだけあれば、 多くの子どもたちを救えるし。 だからこそ、 子どもたちががんばって、 自分たちで努力して お米の干し場を作った! 寄付は、 毎年あるものの、 すべて子どもたちの学費や医療費、 活動費に使っているので、 食費や生活費は、 つねに火の車。 特に今年は、 アベのミックスによる 円安誘導のおかげで 600万が消し飛んだ! 田んぼの籾米を 自分たちで干して、 自給率を上げる努力をしている・・・。 何しろ、 200人近い子どもや 若者たちを養っているので、 一日100キロ近い米が消えていく!!! しかし、 子どもたちは、 ただ食べさせてもらっているのではない。 自分たちで米を干し、 自分たちで料理も作る! 僕の方が、 食べさせてもらっている。 それでも 田んぼがまだ足りない。 自給率は、70パーセント。 米の値上がりが激しくて、 7年前の2倍になった。 貧しいものは、 さらに貧しく・・・? 今後も自給率をあげるためにも、 農業は、文化とともに MCLの基盤と考えている。 台湾赤十字社も そのことを理解してくださって、 田んぼの購入費を出してくださったが、 まだまだ田んぼが足りない! ぶつぶつぶつ・・・ na37 ブアランに 避難民が出た 和平交渉が 軌道にのっているかのように 見えたところに、 急に戦闘が 次々に起こり始めた。 戦争が勃発する理由が、 現地にいても 本当によくわからない。 現地の人々は、 イスラム教徒もクリスチャンも 結構、 それなりに仲良くしている。 次第に聞こえてきたのが、 土地の権力者同士の 土地の所有権や、 石油や天然ガス、 農業利益等の開発により 得られる利益の対立。 国際資本も かかわっているようで、 海外から武器がもたらされて、 貧しい若者が 戦闘員として応募すれば、 国家公務員並みの給料が入る! 一日三食食べられず、 仕事もろくにない若者たちは、 自分が死んでも 家族や兄弟姉妹を助けたい! そういう思いで、 ゲリラにも応募していく。 MCLの奨学生になった子がよくいう話・・・ 「ぼく、MCLの奨学生になれてよかった! 大学を出て家族を助けられるから。」 そうでなければ 戦闘員になるしかなかった!」 ミンダナオから アブサヤフやISISに応募して この地からアフガンやイラクに送られて、 戦闘に向かった若者も多い。 それにしても、 武器を買うお金や給与は どこから出るの? 資源や利益を得るために、 貧困と格差を利用して、 戦争を起こし、 収奪していくとしか思えない。 かわいそうなのは、 それで 死んでいく若者たち! 戦争の被害にあう 子どもたち! とにかく、 戦争だけはしないでほしい。 イエスは言った、 武器を持つな、 剣を持つものは剣で滅びる! 貧しい普通の人々は イスラム教徒もクリスチャンも、 戦争には嫌気がしている。 下の写真は、市の福祉局の署長補佐で、 ミンダナオ子ども図書館の理事、 カトリックで命がけで イスラムの人々を救っているグレイスさん! 40年も続いている ミンダナオの紛争!! 13歳の時、 家に帰ると戦争に巻きこまれ、 恐怖のあまり、 痴呆状態になってしまった女性! 今は、 28歳だが、 MCLで治療を試みる予定です。 na38 さっそく ビニールシートを配る 自分たちの家を放棄して、 山の村から 麓の空き地に、 家族で逃げ出してきた人々。 ミンダナオでは、 1家族にだいたい 最低でも7,8人の子どもたちがいる! 比較的安全な山下の空き地や、 国道路沿いに、 なけなしの服と 鍋をもって、 逃げてきたのは良いけれど、 何よりも大変なのが 寝る場所! 草の上に ヤシの葉を置いて寝たとしても、 雨が降ったら大変! 熱帯の雨は半端ではない! そこで、 避難民が出ると、 まずは、 ビニールシートを届ける。 シートがあれば、 木の枝を立ててシートを張って 雨よけの屋根を作れる! 子どもたちは、 本当に家族想いだ! 何も言われなくとも お手伝いをして、 母さんやおばあちゃん、 兄弟姉妹を 助けようとする! ほら! かあちゃん、 シートもらってきたよーー! わあーよかったねー! 屋根が出来て大喜び! これでとにかく、 一息つけた。 これで、 夜も寝られるねえ! na39 戦闘の合間をぬって 最もデリケートな拠点に 米と古着をとどけた ここは、 反政府分離派と 国軍の戦闘地域。 ピキットの大規模戦争も この地域から 勃発するのが常だ。 イスラムと クリスチャンの対立が あおられてきた場所だが、 数年前からMCLで、 平和構築のために、 保育所を建て、 スカラシップを出し 下のブアランには 小学校を建設してきた。 イスラムの家族が クリスチャンに襲われ 報復されるなど、 この地域の 一部勢力が動き出しており、 現在最もデリケートな場所。 福祉局DSWDに持ちかけて、 現在恐怖から 孤立しているこの地域に、 ワールドフードの米と、 MCLの古着を届けた。 重要な事は、 この地域のクリスチャンと ムスリムの人々が 安心し協力しあって、 現地で助け合う 状況を作ることだ! 両方の集落に、 MCLの子どもたちが居て、 彼らが 仲良しであることも、 JICAと共同して作った山麓の 同じ学校に通って、 互いに友達であることも、 平和構築に 大きく役立っている。 na40 さらに奥の イスラム教徒と 完全に対立している クリスチャンの 民兵集落にも 古着を届けた イスラム教徒が 入ったら殺す・・・! 30年以上 そのような対立が続いてきたが、 こうした対立を 意図的に煽って作る背景もあり、 この意味では, 戦争の犠牲者でもある。 MCLは、 敵味方や宗派に関係なく、 子どもたちが 困窮しているところなら どこにも向かう。 子どもたちを見ると、 本当にホッとして 来た良かったと思う!
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