戦争と平和構築
2016年の記録から(4)


隣人をほうっておけないでしょう
1 ひかりの子幼稚園・フィシャー幼稚園寄贈の保育所 GO!
2 絵本など見たこともない子どもたち GO!
3 北野生涯教育振興会の保育所 GO!
4 保育所を三棟完成 GO!
5 土曜の夜はMCLで読み語り GO!
6 MCLのなかでの読み語り映像 GO!
7 語りの生きている世界 GO!
8 やっぱり絵本も悪くない GO!
9 誕生日のお祝いの歌と祝辞 GO!
10 戦争について思ったこと GO!
11 ぼくを置いて逃げなさい! GO!
12 剣を持つものは剣で滅びる GO!
13 思い出から GO!
14 「避難民キャンプ」というのは GO!
15 戦争が勃発してまもないころは GO!
16 戦争のたびに母親に手をひかれてにげました GO!
17 神父が命がけで救済に GO!
18 隣人をほうっておけないでしょう GO!
19 ミンダナオ紛争を戦った「キムラさん」の正体 GO!
20 ぼくの父方の叔父も GO!
21 日本の隣国で戦争がおこっているなどとは GO!
22 現地で15年次第にわかってきた GO!
23 UNHCRの方から聞いたところでは GO!
24 愛がなければ無に等しい GO!
25 ミンダナオ子ども図書館のミッション GO!
26 ミンダナオ子ども図書館の理事 GO!
27 増田和彦氏の本が2冊出版された! GO!
28 『手をつなごうよ』が出来ましたよ! GO!
29 日本がアジアの引き籠りに? GO!
30 ドンボスコ社『カトリック生活』三月号が出ました GO!
31 ミンダナオに来られた支援者からのメール GO!
32 子どもたちはベッドで寝ないで GO!
rinj1
ひかりの子幼稚園・
フィシャー幼稚園
寄贈の保育所


去年の秋から暮れにかけて、
三つの保育所を
建設しました。

ひかりのこ幼稚園と
フィッシャー幼稚園寄贈のスタンダード保育所は、
サンタマリアの山奥の先住民の村に!

北野生涯学習振興会寄贈の
スタンダード保育所は、
サンタマリアの海の村に!

大道教本部の保育所は、
先住民の村に。
子どもたちは大喜びです!

サンタマリアの山奥の
先住民族が住んでいる地域。
こんな山奥に
こんな沢山の先住民がいることにビックリ!


rinj2
絵本など、
見たこともない
子どもたち


開所式に合わせて、
MCLの奨学生たちが、
絵本の読み語りをしました!

絵本など、
見たこともないこともたちは、
読み語りに大喜び!

というのも、
元々住んでいた平地が、
所有権がないとされて、
売却され追い出され、

バナナプランテーションになってしまい
山に逃れて
住むしかなくなったから・・・

でも、立派な
スタンダード保育所が出来て
嬉しくってなりません!


日本では、
保育所は子どもを預かるところですが、
こちらでは、
ABCを2時間ほど学ぶところで、

幼稚園は学校に併設、
しかし、学校まで遠くて通えない
僻村の場合は、
保育所卒業で認められる。

しかし、保育所は、
村単位で建設運営され、
貧しい村では、建物も建てられないで、
大木の下で学んでいたりする。

けれど、政府は、
幼稚園か保育所をでなければ
小学校に入学できない決まりを作り
貧しい村は、悲鳴を上げている。

MCLは、すでに
70近い保育所を建てたけれども
まだまだ足りません!



rinj3
北野生涯教育振興会
の保育所


こちらは、
北野生涯学習振興会寄贈の保育所
海のそばの浜の村に作った。

元々戦前まで、
日本人が多く移民していた場所で、


敗戦後、米軍によって、
土地が一人の家族にわたされて
85ヘクタールを所有することになったが、

日本人を
追い出すことなく、
小作として住まわあせたので、

この地の人たちには、
日系人が多いということを、
この日、
初めて地主からうかがった。

そういえば、
日本人によく似た顔の子たちが多い。

「息子を日本人と結婚させたい!」
としきりにいわれた。
母親がイスラム系で、
とても良い方だった。


rinj4
保育所を三棟完成

去年の後半には、
3っつの保育所を完成しました。
下は、大道教本部の寄贈の保育所。

先住民族地域に建てた保育所で、
ぼろぼろの屋根の下で、
細々と保育をしていただけに、
地元の人々も子どもたちも、大喜び。

開所式には、
看板の設置の後、
移譲受け渡し書類に村長、保母、
そしてMCL代表のサイン式を行います。

その書類の中には、
受け渡し後の維持管理の責任は、
集落にあると明記してあります。

土台はセメントでも、
熱帯ゆえに湿度も高く、
数年たつと竹壁に腐りが入り、
トタン屋根に錆が入ってきます。
下は、MCLで建てたものではないのですが・・・

全体をセメントで建てる方法もあるのですが、
電気も来ていないので、
クーラーや扇風機も設置できず
熱帯ゆえに暑いので、

村では、土台がセメントで
風通しの良い竹壁が好まれます。
学校も多くが竹壁です。


rinj5
土曜の夜は
MCLで読み語り


ミンダナオ子ども図書館に帰ると、
子ども達は大喜び!

これは、土曜日の夜、
映画を見る前に楽しむ読み語り。

今回は、長野ヒデ子さんから
送られてきた絵本と
うさこちゃんを読みました。

読む前に、歌を歌ったりして
雰囲気を盛り上げるのがとっても上手!
とにかく、皆で、楽しむこと!!!
愛と友情が、MCLのポリシーです。


いまでこそ、
ミンダナオ子ども図書館の読み語り活動は、
マニラからおとずれた
フィリピン政府の社会福祉の専門家からも、

 「孤児や崩壊家庭といった
悲惨な状況からきた子たちが、
ほかの子どもたちの前に立って
読み語りをして喜ばれ、拍手をうけている。

彼らはこうしたボランティア活動をとおして、
すごい自信と前向きな人生観をもてるでしょう。
すばらしい活動ですね。」
などといって評価されるけれども、

初期のころには、周囲の人々から、
孤児施設運営の常識をこえてしまった活動!
とみなされても、
しかたがなかったのかもしれません。

そんなわけで、某孤児施設で
読み語り活動をはじめたのだけれども、
ときがくると、むしろ施設からはなれて
独立して活動をするほうが良いのではないか、
とすすめられた。

そのけっか、某孤児施設をはなれて
市内のアパートに移り住むことになったけれど、
そのときに、エープリルリンとレイセルのほかに、
ジェクジェクという名の
中高校生の若者たちがついてきた。

もっとついて来たい子たちもいたのだけれど、
そのころぼくは無一文で、
やしなっていく自信がもてなかった。

アパートでの生活は、
質素でもそれなりに楽しかった。

独立したおかげで、
イスラム地域にも自由にいけたし、
現地のカトリックの人々たちも、
背後から理解して助けてくれた。

経済的には厳しかったけれども、
現地での生活費が
日本の10分の1ぐらいだったこともあり、
若者たちを学校にいかせながらも
何とか生活できたのだ。

若者たちが学校にいったあと、
ぼくのやくわりは、
洗濯と便所掃除だったし、
仕事としてできるのは、
運転手と絵本のはいった箱を運ぶことぐらいだ。

読み語り活動も医療活動も、
じっさいに出来るのは
現地の若者たちで、
ぼくはもっぱら下働きだった。



rinj6
MCLのなかでの
読み語り映像


上の写真か、ここをクリックしてビデオ映像に!
こうして、
ミンダナオ子ども図書館で
読み語りをして、楽しんで。

やがて、皆で車に乗って、
山の村、海の村々にいって
読み語りをします。

誰に聞いても、
ミンダナオ子ども図書館に住んでいることの
最高の楽しみが、
なんと読み語りに行く事。

親の無い子や、
戦争の犠牲となった子たちだけれど、
読み語りで、
生きる力を回復していく!


 長野ヒデ子さんの絵本
「おかあさんが、おかあさんになった日」
の読み語りを
MCLの子ども達が楽しんでいます。

長野さん、
絵本を送ってくださってありがとう。
いつか、子ども達に
会いにいらしてくださいね。

 「うさこちゃん」の読み語りの場面も載せました。
絵本の語りの方法など、
私も学んだことがないので、
子ども達の自由な表現にまかせています。

上の写真か、ここをクリックしてビデオ映像に!
形にとらわれず、
心から自由に表現して、
皆で楽しむのが良いような気がします。

「読み聞かせは、
こうしなければいけない」などと、
一度も言ったことありません。

それよりも、「手をつなごう」(彩流社)
http://www.amazon.co.jp/…/obi…/
ASIN/4779122236/hanmotocom-22

でも書きましたが、
彼らの表現力から、
学ぶことの方がよっぽど多い日々でした。


rinj7
語りの生きている
世界


何でこんなに子どもたちが、
読み語りがじょうずで、
聞く力も表現する力もスゴイのか!
最初は、不思議に思ったのですが、

しだいに、ミンダナオの貧しい地域は、
本物の語りが、
生きている世界だという事が、
わかってきました。

絵本など全くないにも関わらず、
子どもたちは、
おとぎ話を語られて育っていたのです!

そのような体験がたくさんあるので、
ほとんどの子どもたちは、
絵本や本が無くても、
自らおとぎ話を語ることが出来るのでした!

語りの生きている世界、
社会はすごいですね!
子どもたちの生きる力は、
語りと遊びの体験から、
培われてくるのだとわかりました!

語りの生きている世界では、
大人も子どももみんな、
妖精やお化けや妖怪が、
そこらじゅうを這いまわっていると思っています。

子どもたちは、
妖精たちがいることを感じ、
一緒に生きているのです!

彼らの持っている世界に出会って、
しばらく絵本がつまらなく
見えた時期すらありました。


rinj8
やっぱり
絵本も悪くない


でも、
子ども達は絵本が大好き。
それで救われました。
やっぱり絵本も悪くない・・・

ミンダナオ子ども図書館は、
図書館という名前がついていても、
図書館の建物があるわけではなく
(いつか建てたいとはおもっているけど)、

1・5ヘク タールの敷地のなかに
3棟の長屋が建ち、
イスラム教徒とキリスト教徒と
先住民の子どもたち約80人が、
なかよくいっしょに暮らしている場所だ。

絵本や本は、どこにあるかというと、
奥の第三棟の二階の、
木造のポーチにしつらえた
本棚にならべられています。

学校からかえってくると、
子どもたちは
ポーチの板の床にすわって、
思い思いに本棚から絵本をとりだして、

ときには、おおはしゃぎしながら、
ときには、いっしょに唄いながら、
みんなで絵本を見たり、
お話を語りあったりして楽しんでいる。

この土地を
手に入れたときは、
ここはゴムの木の農場でした。

さいしょに
青いトタン屋根の母屋をたてて、
そのときは一階のコンクリート壁の部屋のなかに
図書室をつくって。

本棚には、きちっと貸出カードをつけた
本をならべて司書もおいたのですが、
図書室だと孤立したイメージになって、
子どもは、よりつかなかった。

絵本があっても、
子どもたちが手にとらないのでは
意味がないので、
思いきって図書室をやめて、

とりわけおおぜいの
子どもたちの宿舎になっている、
奥のかやぶき長屋の
二階のポーチに本棚をつくり、
すべての絵本や本をそこにうつした。

それが大成功!
子どもたちは、本棚から
いつでも自由に絵本をとりだし、

見せあって語りあったり、
ときには絵本をみながら歌ったりと、
ポーチがコミュニケーションの
楽しい空間になった。


時には絵本を
ちゃん本棚にともどさなかったり、
いたずらがきがしてあったり
することもあるけれども、

家庭ではふつうに起こることで、
しだいに絵本のあつかい方も学んでいくし、
本たちも孤独にさびしげに
図書室にならんでいるよりも、
よっぽどうれしそうに見えてくる。

ポーチの手すりからは、
庭で遊んでいる仲間たちの姿も見えるし、
時には小鳥たちもやってきて、
屋根裏に巣をつくって雛を育てたりしている。


そんな体験を日本の若者たちにも知らせたくて、
4月に書店にならぶ、
拙著『手をつなごうよ』(彩流社)に書きました。
アマゾンで予約できますよ!
http://www.amazon.co.jp/…/obi…/
ASIN/4779122236/hanmotocom-22




rinj9
誕生日の
お祝いの歌と祝辞


MCLの子ども達が
ミンダナオから贈ってくれた
誕生日のお祝いの歌と祝辞
ハラナです!


子ども達のお祝いの歌と祝辞を聞かれる方は
以下をクリックしてくださいね!

ハラナの映像へgo!
上の映像は、MCLの子ども達が歌ってくれた、
誕生日の歌です。
歌と、パパ友への
祝福のメッセージが聞こえてきますよ。

この子たちが、孤児や片親、
崩壊家庭や戦争で
親を殺された子だとは思えない。
その明るさと生きる力を
見習いたいな・・・

ミンダナオ子ども図書館の子ども達が、
誕生日のお祝いの歌と、
お祝いの言葉を贈ってくれました。
本当に良い子たち。

胸が熱くなって、妻と娘たちと
「早くMCLに帰りたいなあ」
でも、日本でこの子たちのために、
頑張らなくっちゃ!

I love you!


かつての奨学生からのメールを
匿名で掲載しました。

Happy Birthday, Papa Tomo!
Though we have not seen each other
for a long time,
I've been praying for you
and your family a good health,
safety and happiness
as you continue your service
to the people of Mindanao.

Thank you for being a Father to us
and the rest of the children in MCL.
I am keeping you
and will always be in my heart.
Being my father,
I do keep asking forgiveness
for being a prodigal daughter to you.

May God continue to bless you
with more years as you embrace
the wounded and healed by your helping hands.
I love you, Papa Tomo!
Daghang Salamat sa tanan.



rinj10
戦争について
思ったこと


ミンダナオは、今のところ
予想以上に平和に動いていて
驚いています。

五月の総選挙が山場でしょうが・・・。
和平交渉が継続されれば
イスラム反政府側も
平和への希望を持てるでしょう。

ただ、内部は分裂の可能性も否定できません。
しかし、現地の一般の人々は
40年も続いている戦争に
飽き飽きしているというのが本音です。

ただ、若者たちが兵士に応募していく理由は、
給料をもらって家族を助けたい!
ゲリラに応募して、
アルカイダやISISに送られていく!

今回の和平交渉も、
本当に平和になるか否かは安易に言えません。
2008年和平交渉の時も、
サイン直前に崩壊して戦争が勃発!

80万の避難民が出て
救済に向かった経験から、
最後まで軽信しないようにしています・・・。

本当の平和が、
ミンダナオから
世界に広がっていくと良いですね。


rinj11
ぼくを置いて、
逃げなさい!


私は、ときどきスタッフに話します。
「ぼくは、いつ誘拐や殺害に
会うかわからない外国人だ。

しかし、もし誘拐グループに囲まれても、
決して抵抗してはならないよ。
反撃してもならない。
ぼくを置いて、逃げなさい!
ぼくは、彼らと一緒に行くから。

決して身代金を、
一文たりとも払ってはならないよ!
支援金は、ぼくのためではなく、
親が殺されたり、
いない子どもたちのためだから。」

私は、右でも左でもなく、
政府側でも反政府側でもありません。
神は愛であり、
宗教や民族や種族の違いに関わらず、
全ての人を愛していると思っています。

今回、天皇陛下のフィリピン訪問
過去の戦争にも触れて
平和への大きな貢献だったと思います。

私は天皇反対論者でもなく、
賛成論者でもありません。
人として見ていると、
貧しくはないけれど、
大変な一家にお生まれでご苦労様ですね
としか言いようがありません。

エジンバラ公が来られたとき、
編集者時代にかつて吉田遠志さんの原画展で、
天皇皇后両陛下が、
絵をご覧になりながらいらっしゃるとき、
気さくに立ち話をした思い出があります。


ただ、天皇制を政治的に利用して
戦争を煽ることだけはしないで欲しい。
ご自身もそう思われている事でしょう。


rinj12
剣を持つものは
剣で滅びる


MCLには、
父親が反政府系で殺されたり、
政府軍側の民兵で殺された子も
奨学生として受け入れています。

MCLは、フィリピン政府に届けた規定でも、
非政治で特定の宗派にも属さずに
(Non politic, Non religious sect)
子どもたちへの愛のみで活動します。

ミンダナオ子ども図書館の活動は、
偶然笑顔を失った子どもを見たからで
特別なことをしている気持ちはないのです。
僕自身は、人間としてもたいしたことないし・・・。

ただ、怖いと思っても、
そこに子どもたちがいるとおもうと、
放っておけなく。行かなくっちゃ!
命の二つや三つ、あげてもいい!

命が、
二つ三つあればの話ですが・・・。
子どもって可愛いですね。


rinj13
思い出から

以下の文は、
拙著『手をつなごうよ』(採流社)に掲載しました。


2001年、
ミンダナオの母なる大河、
プランギをわたったとたん、
風景はいっぺんした。

「なんだこれは?」
今までつづいてきた、
平和な田園風景のあちらこちらに、
避難生活をしている、
避難民たちの姿があらわれだしたのだ。

ピキットにむかって走る車のりょうがわ、
国道ぞいのわずかな空き地に、
着の身着のままの姿で生活をしている。

彼らのすんでいる場所は、
避難小屋などとはとても
よべないようなしろものだった。

1畳か、良くて3畳半ぐらいの
スペースにゴザをしき、
どこからとってきたかわからない
木の枝を四方にたてて柱にして、
そのうえに青いビニールシートを
かむせて屋根がわりにしている。

ビニールシートを買うことができる
家族はよいほうで、
おおくの家族が、
木の下やヤシの葉をかさねて
おいた下で生活している。

車でピキットにむかうにつれて、
その数は、
またたくまに増えだした。

少し小高い国道を
はしりながら見わたすと、
道ぞいだけではなく、
りょうがわの牧草地のような農地にも
避難民の仮小屋はひろがっている。

しかもその数がはんぱではない!
見わたすかぎり地平線まで、
避難民なのだ!


rinj14
「避難民キャンプ」
というのは


「避難民キャンプ」というのは、
キャンプという言葉から想像していたように、
戦争で避難してきた人々を、
空き地なりにテントをはって
収容する施設であり、

そこにいけば、医療や食料も
用意されている場所であると
おもいこんでいただけに、
初めて見る避難者の状況に強ショックをうけた。

たしかに場所によっては、
特定の空き地などに
集められてはいるものの、

そのほとんどは国道ぞいどころか
農地や川ぞいにいたる
あらゆる場所に、
雨よけのシートをはって生活しているのだ。

そのときは、
なぜこのようなことが
起こっているのか、
見当もつかなかった。

あとでわかったことだが、
2000年にエストラーダ大統領のもと、
フィリピン軍とアメリカ軍の
合同演習(バリカタン)があったのだ。

しかし、演習というのは名ばかりで、
事実じょうの実戦がおこされて、
100万人いじょうの人々が避難民となった。

さらに、これらの避難民が
まだ家にかえらずに、
苦しい避難生活を
つづけているにもかかわらず、

二〇〇一年に、フィリピンのアロヨ大統領と
アメリカのブッシュ大統領の主導による
「テロリスト掃討作戦」がはじまった。
このけっか、避難民は三年近く
避難生活をしいられたのだ。

ぼくが、この地につれて
いかれたのは2001年の
はじめのころのことだから、
このときの避難民を見たことになる。


避難民キャンプというものも初めてだったが、
雨がふればそこらじゅうから
水がもれてくる、
タタミ二畳ぶんもないような、
椰子の葉やビニールシートの屋根のしたに、

まるでちじこまるようにして二年いじょう、
家族が生活している姿を
みるのはあわれだった。
しかも、その数たるやはんぱではない。

そのおおくは町からはなれた
平地や丘陵地帯で、
トウモロコシをちゅうしんに
ほそぼそと畑をたがしている農民や、
湿原地帯の漁民たちだった。


rinj15
戦争が勃発して
まもないころは


戦争が勃発してまもないころは、
彼らは、農業倉庫や
政府機関によって指定された
難民キャンプに収容される。

それはモスクのそばだったり、
学校のそばだったりする。

しかし行政も、
毎日のようにあふれでてくる
避難民たちに対応しきれず、
その数があまりにもとほうもないので、
たちまち収容場所からはみだして、

道路わきから畑地にも、
乞食小屋よりもさらにひどいものが
立ちならぶようになっていく。

避難民たちは、
ほんとうに骨の髄から
疲れきったという顔をしている。

何しろ数年おきに同じことがくり返されるし、
水も不自由でトイレもなく、
食料もない暮らしが、
半年から一年以上も続くのだから。

食料といえば、
日に二度のトウモロコシを
薄くとかしたようなお粥を
食べられれば良いほうで、

ときには何日も食べるものがなく、
おなかが痛くなってきて、
しまいには栄養失調になって
体が弱っていく。

それにくわえて不衛生な環境で
病気になり、薬もなく、
たとえあっても買えるだけの
お金もないので、
キャンプで死んでいく大人や子どもも多い。

案内をしてくだった女性がいった。
「あなたは
ナマズをスープにした料理、
食べますか?」

ぼくは、こたえた。
「ええ、大好きですよ。
ここは、河も湿原もちかいから、
おいしい川魚料理がたべられそうですね。」

「ええ、雷魚も鯉もおいしいですよ。
でもねえ、人の味がするんです。」
「ええ?人の味?」
おどろいて絶句するぼくにむかって、
女性はこたえた。

「あのプランギ河をコタバトから海軍が、
戦闘用のボートでのぼってきて、
いっせい射撃をしながら、
このさきのランディングピースと
名づけられている場所に上陸したとき、

おおぜいの人々が
にげるひまなく殺されて、
その死体を埋めるひまなく
川にながしたんです。

このあたりの魚は、
その死体をたべてそだっているから、
人の味がするといわれている。」
ぼくは、答えにきゅうしてだまってしまった。

まわりをみると大人たちも
疲れきった顔をしているけれども、
子どもたちの疲労困憊ぶりはさらにひどい。

父さんも母さんも絶望的に
機嫌が悪いし、ひもじいし、
泣きはらした顔がそのまま
こおってしまったような表情をして、

ぼくが手をふっても、
ほとんど表情がなく
笑おうともしない。



rinj16
戦争になるたびに、
母親に手をひかれて
にげました


現地で活動を始めてから
知ったことだが、
ミンダナオ紛争が、イスラム自治区の
独立闘争としてはじまったのが1970年。

そのご3年おきぐらいに大きな戦争がおこり、
そのたびに住民たちは、避難民として
このような生活をよぎなく
されてきたのだった。

そのお父さんは、
こうぼくにかたってくれた。

「わたしは、生まれてからこのかた、
子ども時代から青年時代、
そして結婚して子どもが生まれてからも、
数年おきにこうした
避難生活をさせられてきたのです。

戦争になるたびに、
母親に手をひかれてにげました。
ちかくで、おおきな爆発がして、
世界がひっくりかえったような気がしました。

母さんはないています。
父さんは、牛車になけなしの
服と家財道具をのせてビニールシートをかけて、
わたしたちをのせて家を
あとにして逃げだします。

家畜はおいたまま、
帰ってみると
なにもかもなくなっているんです。

国道近くまでくると、ちいさな空き地に、
ヤシやバナナの葉っぱを地面にしいて、
おおぜいのみしらぬ人たちといっしょに、
ときには一年以上も地面のうえでねる生活。

ねていると、
とつぜん爆弾が、ドカーーーン!
銃声が、パンパン、パパンパン!
また逃げなければならない。

じゅうぶんな着がえもないし、
体はいつもよごれたまんま。

しかも空腹で、食べものもないから、
しだいに体が弱っていき、
たくさんの子どもたちが、
病気になって死んでいきました。

とくに1990年代の戦闘と
難民生活はひどかった。」

いま目のまえで、まのあたりにしている
状況でさえひどいのに、
もっとひどいときがあったという事実に、
ぼくは心を痛めた。

その方の小さな娘さんは、
ほおに大きなこぶができていて、
後にぼくたちは、
その切開手術をしてあげた関係で、
いまも親しくおつきあいさせていただいている。

rinj17
教会の神父が、
命がけで救済に


たしかに、
周囲の山々からは、
散発的に大砲の音がドドーン、
ドドーンときこえてくる。

子どもたちも、大人たちも、
そうした砲声にはなれきっているのか、
避難シートにすわったまま、
大砲の音がしてもとくべつな反応をしめすこともなく
ぼんやりとしている。

バリエス司教は、案内の女性にたずねた。
「ピキット教会のライソン神父は、どうしていますか?」
女性は、
三つ又に編んでうしろにゆわえた髪を、
左手でたくしあげながらいった。

「いま、教会なかまで、
市のソーシャルワーカでもある
グレイスさんといっしょに、
戦闘地のなかをかけまわっていますよ。

村に残された子どもや
女性を助けるために!

(このグレースさんは、
ミンダナオ子ども図書館の
役員の一人になられた方。)」

「村に残された子どもや女性って!
なぜ難民キャンプに
収容しないんですか?」
おつきの者が、おどろいてたずねた。

「いちぶの村は、
反政府ゲリラよりだという理由で、
町の難民キャンプにも
入れさせてもらえないのです。」

「それは、ひどい!」
「それで、教会の神父や教会員が、
命がけで救済にむかっているというのですね。」
「ええ、そうです。
時には、爆弾の落ちるなかを!」


rinj18
隣人をほうって
おけないでしょう


ぼくには、おどろくべき話だった。
イスラム地域で戦争がおこっている
という話を聞いたときには、
てっきりクリスチャンとイスラム教徒が
反目しているのだとおもっていた。

ぼくは、その女性にたずねた。
「つまり、カトリックの信者が、
反政府組織とよばれている
イスラムの人々を、
命がけで救済しているというのですか?」

「そうです。
隣人をほうっておけないでしょう。」
「今、おこっているのは、
宗教戦争ではないのですね。」

困惑したような顔をしている女性をみて、
バリエス司教がいった。
「現地では、クリスチャンもイスラム教徒も、
一部をのぞいて
ひかくてき仲良くやっているんですよ。

とくに、ここからコタバトに
いたるイスラム地域で、
戦前からながく活動してきた
オブレート修道会はね。」

案内の女性が言葉をついだ。
「第二次世界大戦中に、
日本軍がここに攻めてきたときに、
イスラムの人々をかくまって助けたのも、
オブレート会の神父たちだったんです。

ピキットの街なかには、
日本軍が駐留していた
スペイン時代の要塞跡があります。

地下にはいくつもの防空壕があって、
遺骨や遺品がのこっているようだけれども、
何しろここがきょくどの危険地域なので、
いまだに日本政府も調査団を
派遣できないでいるのです。

まさにここが、
日本軍と米軍の
激戦地だったのです。

ですから、いまだに湿原地帯には、
当時逃げた日本兵の末裔がいますよ。
イスラム教徒になっていますがね。」
rinj19

ミンダナオ紛争を
戦った
「キムラさん」の正体

日系イスラム戦士、「日本への思い」を語る

中坪 央暁 : ジャーナリスト
https://toyokeizai.net/articles/-/178118

フィリピン南部のミンダナオ島で
1970年代から続いたミンダナオ紛争。
分離独立を求めて政府軍と戦った
イスラム武装勢力「モロ・イスラム解放戦線」
(MILF)の中に、日系3世の大隊長がいる。

祖父が大正時代に
日本からフィリピンに渡って約100年、
現在67歳になる
“日系イスラム戦士”が経験した
戦いと平和への思いとは
どのようなものなのだろうか。
現地で本人を直撃した。
https://toyokeizai.net/articles/-/178118


rinj20
ぼくの
父方の叔父も


ぼくの父方の叔父も、
ミンダナオではないけれども、
レイテ島で戦死している。

叔父は、海軍の医師で、
スペイン語もたんのうで踊りもうまく、
ずいぶん現地でモテたらしい。
遺体もなにも見つかっていない。

これはあとになって、
ぼくたちが現地で活動しはじめて、
おこったことだけれども、

病気を治してあげたイスラム教徒の
子どものお父さんが、
ぼくの耳元で、
「自分の祖父は日本兵だった」、
と語ってくれたことがあった。

どうようのことは、山岳地域にすむ
先住民のマノボ族の人々からも
しばしば聞いた。
さすがにショックだった。


rinj21
日本の隣の国で、
戦争がおこっている
などとは


日本の隣の国で、
大量の避難民がでるような
戦争がおこっているなどとは、
想像もできないことだったし、

それがすでに40年間、
3年から5年おきに
大きな戦闘をくりかえして
現在にいたっていたなんて!

しかもそのあいだ多くの人々が殺され、
国連のしらべでは、
累計では世界でも最大規模の
避難民がでていたなんて!

宗教対立ではないとしたなら、
いったい
何が原因なのだろう?

青いビニールシートのしたで、
ぼうぜんとしゃがんでいる
避難民たちを目のまえにしていると、

世界でおこっていることにたいする、
自分の無知をしらされると同時に、
さまざまな疑問が、
翼をもった妖怪のように頭のなかをかけめぐった。

しかし、避難民のとりわけ
子どもたちの顔をみると、
「とにかく、まずは、
何とかしてあげなければならない!」
という気持ちのほうが、
疑問をおしのけてわいてくるのだった。

兵士やゲリラ兵や民兵に応募するのも
貧しい若者たちが多い。
応募の理由は、貧困だ!
極貧の子たちにとって、兵士の給与は魅力的!

「僕が兵士になって、何とか家族を助けたい。」
演習という名の実戦に配備され
多くの若者たちが、
家族のために命を失っていく。

後に聞かされたことだけれど、
民兵やゲリラになると、
ミンダナオからイラクやシリアの
アルカイダやイスラム国の傭兵に
送られていく若者も多い。

ミンダナオ子ども図書館の奨学生になれた
若者たちが、しばしばいう言葉。
「ぼくは、MCLの奨学生になれて良かった!
これでゲリラ兵に応募しなくても
大学を出て家族を養っていける!」


rinj22
現地で15年
次第にわかってきた


現地で15年
次第にわかってきたのだけれど、
結局戦争の理由は、
宗教対立と言うよりは、

東南アジア最大の湿原、
リグアサン湿原に眠る、
膨大な量の石油と天然ガスの
資源の利権を、
国際的にどこが取るかという事だった。

ある村長さんが言った
言葉が忘れられない。
「世界が、ここに関心さえ持ってくれなければ、
ここは平和なんだけどなあ。」

戦争がおこると避難民たちは、
町ちかくの国道ぞいに避難して
雨よけもなく寝ているので、

ミンダナオ子ども図書館では、
戦争がおこるたびに
ビニールシートを配布したり、
炊きだしや医療をおこなってきた。

戦争で親を殺された子どもたちも、
かなりたくさん
奨学生にしている。

ある若者は、
戦争で目の前で両親が殺された。
そして、殺された両親のもとに
駆けよったときに、
本人も撃たれて腹部に深い傷をおった。

彼はその後、
ミンダナオ子ども図書館に住み、
池上彰さんの番組で、
パックンがインタビューをしたけれども、
うつむきながら当時のようすを語ってくれた。

池上彰のジャパンプロジェクト
世界の”命の現場”で奮闘する日本人
 

パックンが来た
  
映像を 見たい方は ここをクリック
戦争がおこされる理由は、最初は、
イスラム教徒とキリスト教徒が
対立しているかのように思っていたし、
そのように報道される。

けれども次第にわかってきたのは、
戦闘の最大の原因は、
リグアサン湿原にねむっている、
ぼうだいな石油と天然ガス資源の
国際的な利権をめぐる争いだということだ。

戦争は勃発するのではなく、
じつに巧妙に意図的に、
第三者の手によって
つくられているのだという。

現地でも体験したけれども、
戦争が勃発する前に起こるのが
誘拐と殺害、そして爆弾事件だ。

新聞やテレビで大々的に報道され、
戦争気分が高められる。
可哀想なのは、
罪もない住民や子どもたち!



rinj23
UNHCRの方から
聞いたところでは


当時、
UNHCRの方から聞いたところでは、
ミンダナオが避難民の累計は世界一。

難民は海外に移動する人々。
まだお金が多少でもある人々で、
避難民は現地で
避難生活をする貧しい人々。

MCLでは、避難民が出るたびに
救済活動をしてきました。
日本では、隣国であるにもかかわらず、
ほとんど報道されなかった。
なぜだろう。

2008年の戦闘の時、軍の人が空を指していった。
「ほら、あそこに飛行機がふわふわ浮いているだろう。
無人偵察爆撃機だよ。」
すると突然、そこから爆弾が
発射されて、ドドーーーン!

あまりにも毎年のように、
小さな戦闘も含めて救済してきたので、
日本に帰って天空を自衛隊の
ヘリコプターが飛んでも髪の毛が総毛立ち、

「どこで戦闘が起 こっているのか!
子どもたちを助けに行かなくっちゃ!」
と思い、周囲を見ると、
「ああここは、憲法9条の生きている日本だった!」
と思う始末です。

2000年から2013年頃まで、
何度戦闘があり、
避難民救済に駆けつけたことか。
行くと奨学生も駆けだしてきました!

これらは、2008年の80万の
避難民が出て救済に行った時、
またその後の戦闘の子どもたちです。



rinj24
愛がなければ
無に等しい


正直に言って、
多くのクリスチャンが、
武器を持って戦うことを正義とし、
良しとしているのが信じられない。

カトリック教会では、
中世に十字軍を送り出したことを、
過ちであったとして謝罪しています。

たとえ戦う相手が
イスラム教徒でも、
ぼくは、一平凡なキリスト教徒として
戦争は認められない。

キリスト教徒が空爆で、
イスラムの子どもたちを爆撃するなら、
ぼくはイスラムの子どもたちを
命がけでも守りたい。

ミンダナオでしてきたように。
神は愛であり、
全ての人を愛していると思っているから。

神の子イエスも、
父なる神や聖霊と一緒に
イスラムの人々も仏教徒も先住民も
心から愛しているだろう。


高校三年生の時、
絶対に武器は持たない、
殺すなら殺されることを選ぼうと決めました。
「剣を持つものは、剣で滅びる!」

人間であるからには、
罪も犯すこともあるでしょう。
しかし、神は愛を持って罪人を許し救いたもう。

「どんな強い信仰を持っていても、
どんな強い希望を胸に抱いていても、
愛がなければ無に等しい。」聖書

お金や物、地位や名誉、国家や宗教も
繁栄への希望も
全ての子どもたちへの愛がなければ
無に等しい????



 戦争と平和:14分
映像を 見たい方は ここをクリック

2019年マカシンディク
戦闘避難民救済

映像を 見たい方は ここをクリック
2019年マカシンディク
第二回戦闘避難民救済
読み語りと炊き出し

映像を 見たい方は ここをクリック

rinj25
Mindanao Children's Library Foundation, Inc.
MISSION STATEMENT
ミンダナオ子ども図書館
のミッション


愛を必要としている
不幸な子どもたちに仕え、
互いに愛し合うこと。

悲しみの中にある子たちに喜びを、
傷ついた心に癒やしをあたえ、
互いの文化を分かちあい、
一つの家族として生きること、
そして夢をかなえて平和な世界を作ること。


ミンダナオ子ども図書館は、
2016年の現在は、
北コタバト州の認定NGOですが、
政府の要請により、
フィリピン政府の直轄のNGOとして認定を進めています。

理由は、ダバオ地域の海辺の下宿小屋や
イスラム自治区など、
活動範囲が広範囲にひろがっているのと、
フィリピン政府からも評価されているからです。

先日も、マニラから福祉局の役員が
調査視察に来られて、
MCLを見て感動して帰られました。

基準も満たして、
近くフィリピン政府直轄のNGOとして
認定を受けると思います。

2020年には、
フィリピン政府直轄のNGOとして、
フィリピン全域での活動が認められました!


ダバオでNGOの会合が開かれると、
妻のエープリルリンが講演を頼まれたりしています。
また、大学生などもOJT(郊外学習体験授業)として、
研修生を派遣して来て、
半年ぐらい実習をする場所になってきています。


rinj26
ミンダナオ子ども図書館
の理事


ダニー・イサカ氏:プレシデント
エンジニア(設計技師)で、庁舎などのビルも建ている
MCLの全ての建物も政府の基準を満たして
災害時や構造の基準などを満たして
氏の設計で建てられています
カトリック教会のカーバックも勤めている。


マリセリノ・ガボン牧師:バイス・プレシデント
マノボ族で教会の牧師アライアンス派
マノボ族の儀式にも通じていて
首長を勤めている。
奥様が日系人。
山岳地域の先住民の人々とも深く繋がり
広く知られている。


メリー・グレイスさん:セクレタリー
イスラム地域のピキット市福祉局所長補佐
カトリック教会のソーシャルワーカーも勤める。
イスラム婦人たちと活動し戦争が起こると
爆弾の落ちる中を子どもたちを救済。
多くのNGOや政府からも高く評価されている。


サムソディン氏:経理
イスラム地域のピキット市の社会福祉局
グレイスさんと協働しているイスラム教徒。
イスラム自治区にも通じて
コマンダーとも親しい。
パックンが訪れたときには、
いっしょに北コタバト州の
MILFの最高司令官のお宅にも行きました。


エラ・セスパニヨーラさん:メンバー
マノボ族で、フィリピンの先住民族協会の代表
ワシントンにも招待され日本とも関係が深く、
那須のアジア学院に留学
有機農法に詳しく、ご主人は、
その時に知り合ったアルゼンチンの方。


rinj27
増田和彦氏の本が2冊
出版された!




文化人類学者でミンダナオに来られ、
ミンダナオ子ども図書館でも全面的に
ご協力させていただいていた、
増田和彦氏の本が出版された。

数年にわたる実地調査に基づく、
本格的な研究書だけれども、
しばしば
ミンダナオ子ども図書館にも触れられ、

特に第九章の2節で、
「ミンダナオ子ども図書館の活動」について
専門分野から書かれている。
貴重な数々の写真もあり、
ミンダナオの先住民族を知るための貴重な本。


定価は6000円だけれども、
ミンダナオ子ども図書館の支援者の方は、
5000円に割り引きとのこと。
申し込みは、
FAX 043-441-3014 和算研究所
メール masudak2004@yahoo.co.jp



rinj28
『手をつなごうよ』
が出来ましたよ!


ミンダナオ子ども図書館の創立について書いた本
『手をつなごうよ』(彩流社)が出来ましたよ!
定価1800円アマゾンに注文は ここをクリック
この本に限らず、著者印税は全て、
ミンダナオ子ども図書館に寄付されます
全ての子ども達が、僕も含めて一つの家族!


ミンダナオに足をふみこんで15年。
ミンダナオの子どものことしか
考えずに
すごしてきた日々でもある。


しかし、近年になって日本からの訪問者、
とりわけ若者たちを受け入れるようになってから、
日本のようす、
とくに若者たちのことが気になってきた。


この本の執筆は、
そういった気持ちが
背中をおしているのです!

今回の本では、
ミンダナオ子ども図書館の創設と出発、
戦争やこどもたちの様子、
理念について書いています。

次作も、平和構築について、
さらに先住民の状況と
文化についても執筆予定。
楽しみにして下さいね。

小学校高学年から大人まで、
読めると思いますよ。
感想をお知らせ下されば幸いです。


この本に限らず、著者印税は全て、
ミンダナオ子ども図書館に寄付されます
全ての子ども達が、
僕も含めて一つの家族!

本は、アマゾンの
次のサイトから購入できますよ。
アマゾンに注文は ここをクリック

『手をつなごうよ』(彩流社)執筆動機

今回の作品『手をつなごうよ』(彩流社)
副題「フィリピン・ミンダナオ子ども図書館・
日本にいちばん近いイスラム紛争地域での活動」は、
紛争地域での私(文芸家協会会員)の
15年間の実体験をまとめたものです。

出発当時、無一文だった私が、
戦争が勃発している
イスラム地域に連れて行かれ、

その地の
イスラムの子ども達の
笑顔のない悲惨さを目撃。

あまりのひどさから
読み聞かせ活動を考えつきました。

その後、現地の若者たちが法人資格をとり、
日本で言えば中高校生ぐらいの若者の力で
立ちあがっていったのが、
フィリピンの非営利現地法人
ミンダナオ子ども図書館でした。

その後、2006年から日本も和平交渉に参加。
IMT国際停戦監視団でもなかなか入れなかった、
イスラムゲリラMILFの湿原地帯にも同行し、
4棟の小学校建設にも協力。

読み聞かせ活動を中心に、スカラシップ
(現在600名で、イスラム教徒、先住民、
クリスチャン。孤児や崩壊家庭の子たち)
医療(年間100名ほど、薬から手術まで)、
保育所建設、植林をし、和平に貢献。

現在は本部には、
現地においておけない孤児たちが
80人あまり住み込み、
衣食住をいっしょにしています。

今回、その実体験を
青少年向きに書いた理由は、
第一に日本の若者たちが訪れるようになって、
日本の若者たちのいわば生きがいが見つからず、
精神的に引きこもり自殺など
追い詰められた状態が見えてきたことです。


rinj29
日本がアジアの
引き籠りに?


ミンダナオの青少年は、
いろいろな問題を抱えているものの、
自殺や引きこもりは
ほとんどありません。

特に、貧しい山岳部の先住民族や
イスラム、クリスチャンのなかにも、
友情と愛で互いに助けあう、
コミュニティーが生きているのです。

日本の若者たちが、ミンダナオに来て、
子ども達に囲まれ泣き。
数日たつと生きる喜びと力を得ていく。
その姿を見て、

ミンダナオでの体験。
日本人がたった一人でも、
現地の若者たちや人々と
こうしたNGO活動を作っていけるという
喜びを伝えて、

青少年に
希望を送りたかったことが、
執筆の根底にあります。

第二に、現地から見ると、
日本自体がアジアのなかで
引きこもっているような感じがして、
本当の国際化と何か「上から目線」を破棄して、

どういう気持ちで
現地の人々の中に
溶け込んでいったら良いかなど、
また報道で流されるイスラムと現地の差異、

開発によって追われる先住民の状況などを、
青少年にもわかる言葉で語り、
今後の明るい日本の未来を
考えてもらおうと思って作品を書きました。

印税は、100%MCLに寄贈しています。
買っていただくだけで、支援になります。

アマゾンに注文は ここをクリック


rinj30
ドンボスコ社から月刊誌、
『カトリック生活』
三月号が出ました


表紙の子どもたちは、
ミンダナオの子どもたち!
2~4ページは、カラー写真付きで、
私が原稿を書きました。
読んでいただければ幸いです。


カトリック新聞や

朝日小学生新聞

熊本日々新聞や

キリスト新聞で
取り上げられました

講演会、家庭集会など、謝礼に関係なくうかがいます。
よろしくお願いいたします。



rinj31
ミンダナオに来られた
支援者の方からのメール


以前にミンダナオに来られた
大分の首藤さまから、
熊本地震の体験に関して、
以下のメールをいただきました。
写真は、メールと直接は関連していません!

こんにちは
大分県由布市庄内に住む首藤智子です。
今回の熊本、大分地震のことを心配してくださり
ありがとうございます。

また、早速大分に足を運んでくださったとのこと
そのお気持ちが嬉しく、
心が励まされました大分では観光の名所、
湯布院に大きな被害が出ましたが、
その隣町の庄内でも局地的に被害がでました。

私の住む畑田地区は
その局地的な地域の一つで
あちこち家の屋根瓦が落ち、
梅雨を前に今もブルーシートで覆われた家々が
点在しています。

我が家も屋根の被害の他に、
壁にヒビが入ったのか
部屋のあちこちに亀裂が入り、食器も割れました。
何より気になっているのは、
家と地面の間に隙間ができたことです。

余震が続き、まだ余談を許さない状況ですが
大分は大半の地域が普通に生活できていますので、
被災した地域との温度差を感じながら、
日々の生活をこなしていっています。

少し…いえ かなり体も心も疲れていた時に
ミンダナオ図書館だよりが届き
高田真奈美さんの記事を拝見し、
不思議なほど元気をいただきました。

色々と考えさせられましたし、
何より肩の力がふっと抜け
笑顔が自然に出てきました。

ミンダナオの子どもたちに
益々会いたくなりましたとはいえ、
私が支援させていただいているノルディン君には
一度も手紙の返事を書いていません、

申し訳ないです
直接伝えてはいませんが
彼の頑張りに私自身ずっと支えられてきました。
幼かった字が
今ではすっかり整った大人の青年の字になり
ずいぶん成長した姿を実感し、嬉しく思っています。

そして、いつも変わらずに
私や私の家族の健康を気遣い、
幸せを願ってくれていて
本当にありがたい限りです。

実は今回の地震で、
被害が逆にこれくらいですんだのはノルディン君の
祈りのおかげと感謝していいます。
日本にいると気づかない多くのことを、
ミンダナオの風がいつも爽やかに運んできてくれます。

現地や日本で
色々と働いて下さるスタッフの方々のおかげで
この支援が
息の長いものになっているのだと思います。

そして、この支援はミンダナオに住む方々を
サポートしているように見えて
実は経済の急成長を遂げ
経済大国の肩書きを得る代わりに日本が失った、
とてつもなく大きなものを
日本に住む私たちにミンダナオの風が
緊急支援してくれているのだと感じています。

日々の忙しさに埋没し、
本当にやりたいことができないまま来た一週間が過ぎ 、
またこれから仕事に向かう前に
このメールが打てたことに
今日はいつもより充実感を感じています。
ありがとうございました。

支援してくださった方々に、
ミンダナオよりお送りしている
季刊誌『ミンダナオの風』54号です。
以下のリンクをクリックしてください。
自由寄付で購読できます。
Link
ミンダナオの風54号のpdf


rinj32
子どもたちは、
ベッドで寝ないで


福祉局の指導で、
二人で寝られるベッドをやめて、
一人ひとスペースのベッドに代えた。
そしたら子どもたちは、
ベッドで寝ないで、
木の床にござを引いて寝る方を選んだ。

みんなで寝る方が
さびしくないよーーー!

以下は、拙著『手をつなごうよ』(彩流社)で、
書いた一節です。

*************
竹をくんで作られた
二段ベッドがならんでいる。

「子どもたちは、この部屋に寝ているんですね。
部屋の壁も、ベッドも
竹をあんだ伝統的なつくりで、
あたたかい感じだなあ。」

「ええ。
広いポーチが共同の生活空間で、
部屋は寝るだけ。」
「個室ではないんですね。」
「ハハハ、こちらの子どもたちは、
個室ではさびしくて寝られない!

いちど、
日本に8名ほど招待されたことがあって、
ホテルの個室を用意してくださった。
そしたら、ぜんいんが一つの部屋に集まって、
ベッドをわけあって床にも寝ていた。

こちらの山の生活も、
竹の床で家族がみんなで
川の字になってねている。

ここに住んでいる子たちは、
ほとんどが
孤児や崩壊家庭からきた
孤独な子たちだからこそ、

個別に孤立したコンクリートの個室をあえて作らず、
故郷を思いおこすような伝統的なあたたかい
デザインの竹の部屋のなかで、
肩をよせあって寝られるようにしたのです。

最初は、あえてさびしくないように、
少し広めの竹ベッドで、二人がならんで
寝られるようにしたのですが、
福祉局の規定と指導で、
一人ひとスペースに
作りかえざるをえませんでした。」

「西洋的個人主義で物事を考えている
専門家というのは、そういうものですよ。」
「子どもたちは、二人のほうがいいよー!
と叫んでましたけどね。
******************


結局、みんなで並んで
床に寝ることを選んだ、
子どもたち!
個別化よりも、一緒が良いよ!


ミンダナオ子ども図書館は、基本的に 
Non Politic Non Religious sect
(政治の元では行動しない、
特定の宗派の下でも行動しない)

つまり、子どもたちへの愛だけで行動する、
という規定を持っています。
Serve the less fortunate children
who need love and love each other
これが、ミンダナオ子ども図書館の基本理念です。

ただ、子どもたちを救済し支援していくためにも、
政情を含め、世界情勢のあらゆる動きを
可能な限り把握するようにしています。


ミンダナオ子ども図書館の
総合活動映像:50分 
 

映像を 見たい方は ここをクリック
2001年に創立し、
翌年に若者たちの手で
立ち上げた、
ミンダナオ子ども図書館の
活動を総括的にまとめた
映像です。
拙著『手をつなごうよ』
で執筆した世界の映像版。
戦争の中の子供たちの
支援救済からはじまり、
平和の祈り、洪水、
植林支援、
保育所建設等々を
息子の陽のビデオと
共にまとめました。

写真は、松居友です。

 
 


ミンダナオ子ども図書館の最新の活動報告
支援者の方々への活動報告です!

ミンダナオ子ども図書館だより 宮木あずさ制作

現地日本人スタッフによる、
写真を交えた最新の活動報告です!

ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
訪問等でMCLと出会った若者たちの想いです!

ミンダナオ子ども図書館:日記 松居友制作
松居友による活動報告および
製作映像や想いを載せた自由日記です!
訪問希望の方は ここをクリック!   ミンダナオ子ども図書館 支援方法  スカラシップ、訪問希望 ご質問は宮木梓さんへ メールしてください
mclmindanao@gmail.com
サイト全体の目次INDEXGo!