戦争と平和構築
2008年の記録から(7)


ダムが解放されて
激流が起こされていた
1 読み語りを始めたのが2000年 GO! 11 MCLの奨学生もいた GO!
2 NGOの見本市? GO! 12 栄養失調で病人が増えて GO!
3 その様子にショックを受けて GO! 13 炊き出し支援の実行 GO!
4 平和になると思ったものの GO! 14 スカラーたちと共に GO!
5 大きな戦争が勃発! GO! 15 炊き出しがはじまった GO!
6 洪水が襲ってきた! GO! 16 洪水地区の医療活動 GO!
7 家も田畑も水没した! GO! 17 医師に看護師も同行された GO!
8 小舟に家族を乗せて GO! 18 多いのが腹痛と下痢 GO!
9 内陸の避難者のために GO! 19 カバサランの医療支援 GO!
10 保育所にも子どもが避難していた GO! 20 周囲は深い水に覆われて GO!
21 木陰で読み語りが始まった GO! 30 共感と思いやりに満ちて GO!
22 手をふると笑顔で答えて GO! 31 あふれる川を渡って GO!
23 兎口の子の手術も終わった GO! 32 縦断でボロボロの学校 GO!
24 子供達は悲しみに負けない GO! 33 今回の洪水は異常だ! GO!
25 戦争と洪水がくり返し襲う GO! 34 ゲリラに勧誘されて GO!
26 自衛隊海外派兵がショック GO! 35 ダムが解放されて激流が! GO!
27 ミンダナオから日本を見て GO! 36 反対運動が起こっていたのだ! GO!
28 昔の日本はこうだった GO! 37 反対していたのは漁民たち GO!
29 活動の主役は子どもたち! GO! 38 ダムと灌漑用水は着工開始 GO!


表情を失った
子が哀れで
読み語りを始めたのが
2000年

この項の写真は、当時の写真ではありません。
最初の頃は、ショックで
写真を撮ることも出来ずに活動しました。


ぼくが、始めて、
バリカタンと呼ばれる
米比合同演習と呼ばれる実戦で、

100万を超えたと言われる
戦争避難民を見て
ショックを受け、

表情を失った子が哀れで
読み語りを始めたのが
2000年。

そのあと、2002年には、
いまだに大量の
避難民がいるというのに、

ブッシュ政権のアメリカ軍による
テロリスト掃討作戦が行われ、
避難民は130万に増えた。



現地では、
NGOの見本市
と言われた!


このテロリスト掃討作戦は、
現地では、いまでも
異常な戦争と言われていて、

ピキット市内の国道沿いには、
現地の人々が、
NGOの見本市と呼んだほどの
大小の国際NGOが店を並べた。

ところが、それらは、
2003年になると、
あっという間に消えていった。

不思議に思ってたずねると、
「もうミンダナオじゃないよ。
イラク、イラク!」

イラクで戦争が勃発して、
いっせいに
イラクへと去って行ったのだ!

まだ大量の
戦争避難民がいるというのに。



その様子を見て、
ショックを受けて


支援活動に何の興味も無く、
とつぜん戦争避難民の中に放り込まれ、
子どものためだけに走りまわっていたのだが、

その様子を見て、
ショックを受けた!

その後も残って、
避難民の支援を継続したのは、
コタバトのイスラムNGOと
ミンダナオ子ども図書館だけだった。
ウィキペディア イラク戦争

ようやく2005年ぐらいになって、
当時の戦争の傷跡も
多少癒やされてきたかのように
見えたものの、

その後もときどき、
リドーと呼ばれる地域紛争が勃発し、
そのたびに避難民の
救済支援に駆けまわった。



平和が実現すると
思ったものの

しかし、ミンダナオの和平交渉が
開始されて、
これで、平和が実現するんだなと
思ったものの、

なんと、2008年に
ミンダナオの和平交渉が決裂し、
再び大きな戦争が勃発!
80万を超える避難民がでた。

思えば、2007年の年末頃に
日本大使館から訪れた方が、
おっしゃった言葉が思い出される。

「松居さん、和平交渉が
思うように、
進まないんですよねえ!」

その頃からすでに和平交渉が決裂し、
戦争が起こされるであろうという
筋書きが準備されていた???



二週間前に
決裂して、

大きな戦争が勃発!

そのようなことは何も知らずに、
「和平交渉がマレーシアで行われる」と、
新聞で読んで喜んでいたものの、

サインの確か二週間前に決裂して、
大きな戦争が勃発した!

しかし、政府側も反政府側も
戦争準備をしていたことを見ると
決裂は、前から筋書き通りだった?

2008年8月4日、フィリピン最高裁は、
それ以前に「仮調印」されていた先祖伝来の土地の
認知問題に関する覚書(MOA-AD)を
一時的に停止する命令を出した。

この命令から数日後、MILF兵士は
北コタバト、ラナオ・デル・ノルテ、
そしてサランガニの各州で一般市民を攻撃した。
10月14日、最高裁は
MOA-ADについて違憲の判断を出した。

https://www.amnesty.or.jp/
news/2008/1030_912.html


当時の大統領は、アロヨ大統領 2001年1月就任
その後、アキノ大統領 2010年6月 大統領就任
そして、ドゥテルテ大統領 2016年6月30日以降




戦争で
避難生活をすでに
数か月したうえに
洪水が襲ってきた


戦争で大量の避難民がでた後、
雨が降り出したおかげで
戦闘が多少収まった感じがして、
少しホッとした。

しかし、それもつかのま、
今度はなんと、
プランギ河から水があふれだし、

大きな洪水が、
ピッキットの町も

その周辺の集落も、

リグアサン湿原沿いの部落にいたっては、
家の屋根に届く、
背丈をはるかに超えた洪水に襲われた。



川沿いの家々も
壊滅し、
田畑も完全に
水没した


洪水そのものは、
毎年、数回訪れるのだけれど、
今回の洪水は、
町も水に襲われるほど水量が多く、

川沿いの家々も壊滅し、
田畑も完全に水没した。

もちろん、トウモロコシや米や
サトウキビも壊滅状態!

唯一、食物としてとれるのは、
鯉や鮒やウナギ、雷魚などの魚と
エビやカニの魚介類だけ。

漁師さんたちには、良いとしても、
激流のなかでの漁は、
危険この上ない仕事だ!



小舟に
家族を乗せて、
網だけもって


漁師さんたちの家は流され、
小舟に家族を乗せて、
ゆいいつ網だけもって、

国道沿いの高台や
町に避難し、

路上脇に、
椰子の葉で葺いた
避難小屋を建てている。

すでに、戦争の時から
半年近く、
避難生活が続くにもかかわらず、

さらに、洪水で
より高台に避難しなければ、
ならなくなった!



まず内陸に
避難している
人々のために

わたしたちは、
まず内陸に避難している
人々のために、
支援を開始した。

何よりも、
最初に必要なのは、
寝る場所を着くってあげること。

そのために、
雨よけのビニールシートを配った!


それでも、子どもたちは
がんばって、家族のために
洪水のなかで魚をとる!




保育所にも
子どもたちが
避難していた


ミンダナオ子ども図書館で
建てた保育所にも、

子どもたちが避難していた。


さいわい、ここまでは、
洪水が届いていなかった。

しかし、
こうした場所での避難生活が、
数ヶ月、この年は一年以上続くと、

親の心といっしょに、
子どもたちの心も沈んでいく。




ミンダナオ子ども図書館の
奨学生の子たちもいた


避難生活している
奨学生たちのことも心配で、

湿原地帯などから
避難してきている、
奨学生たちにも会った。

下の子は、今は、
ミンダナオ子ども図書館に
住んでいます。

無事を確かめて、
古着や学用品などを渡した。


とにかく、無事で何よりだね。

下の子も、
私を護衛するために
鉄砲をもっている!
彼も、奨学生に採用した。


奨学生たちは、
こんなところで久しぶりに会えて
大喜び!

何か、本当に困ったことがあったら、
すぐに連絡をするように話した。

市の福祉局に行って話せば、
すぐにMCLに連絡が入り、
救援支援に入れるし、

病気になったら治せるし!
いざとなれば、
ミンダナオ子ども図書館に
住むこともできる!




栄養失調で
病人が増えている


現在の難民キャンプの問題は
長期滞在組が残り、

洪水や衛生、そして栄養失調で
病人が増えていることだ。

子どもたちや赤子たちの
病気が増え
死者も出てきている。


下の婦人は、強度の腹痛で
病院に運び
翌朝、緊急の手術をした。

ヘアリップの少女は、
緊急ではないけれど、

難民キャンプで出会ったからには、
完治する最後まで面倒を見よう。

難民キャンプで大やけどを負った少女は、
体の方は良くなっていたのだけれど、
父親が無理矢理、退院させたために
足のやけどが膿んでいた。

たまたま訪れたカラカカンで見つかり
再び病院へ・・・。
今度は父親も協力してくれた。

この後、少女は奨学生になり、
2018年現在は、
高校生になりました。

一方、栄養失調の少女は
親の意向で病院から出て、
難民キャンプにもどった。

そこで、ビタミン治療を続けるが
両親に、「ミンダナオ子ども図書館で
小さな家を建てるから、
そこで半年か一年治療を続けるように」
提案したが、了解が得られない。

親次第で治療の道筋が立つのだが
今後もビタミン治療と栄養補強を
続けていくが、状況は難しくなった



炊き出し支援の実行

ミンダナオ子ども図書館では、
今週から、難民の子どもたちの
フィーディングプロジェクト
(炊き出し支援)を開始することにした。

米の支給だけだと、
一家の大人や
大きい家族が食べてしまい、

子どもに、
ご飯が当たらなくなるからだ。

そこで、週3日、三週間継続して、
17歳以下の子どもや
妊婦のみを対象に炊き出しをする。

メニューは、DSWDの
グレイスさんが考えた。

栄養の偏りがないように工夫し、
出来るだけ腹一杯
食べさせることが目的。

この企画を、
医療と同時に行い、
土曜日はそれに読み語りを加える。

時間の空いている
スカラーが手伝うが、
おもに現地の母親の協力を得る。

炊き出しは、
一ヶ村で週三回×三週間=
合計9回します。

現在、カラカカン、バルヤン、タプドク、
マカシンディク、パイドプランギ、タキパン、
ラガィエンを計画しています。

一カ所で200人前後と想定し、
17歳以下の子どもと妊婦を
主なる対象にします。

一村の予算を計算したところ、
およそ3万5千円で、
200名ほどの子どもが
9回の食事を食べられます。

これによって、
栄養失調による病気等から、
多少は保護できると考えています。

食事内容は
1*モンゴ豆と小魚の煮込みとお粥
2*ロスカルド、鶏肉が入ったお粥
3*サンポラード、ココアと砂糖がはいったお粥



スカラーたちと共に、
すぐに企画を実行


炊き出しと医療を決断した。
最初の土曜日
スカラーたちと共に、
すぐに企画を実行に移した。


現地視察、
現場のニーズの確認
対策をDSWDのグレイスさんと
その場で検討。

翌日の早朝ミーティングで、
スタッフと早急に検討し、
夕方のハウスミィーティングで
スカラーたちが実行計画を作成。

三日後には、プランを実行する。
この素早さ!!!
これぞ、ミンダナオ子ども図書館の強みだ。

緊急支援が、必要な現場では、
この様な即断実行が欠かせない。

上は、早速開かれた、
カラカカンでの読み語り、
炊き出し、医療支援。

対象は、
17歳以下の子どもたちと妊婦だが、
栄養失調の親にも・・・・

この地域は、G7と呼ばれている
ピースゾーンに入っていて、
大渕みほ子さんが関わり、
日本の支援で完成した。

この裏に、イロンゴ系、
道の奥にビサヤ系、
離れたところにムスリムの難民がおり、

山岳地域に、
ミンダナオ子ども図書館の
スカラーたちの村がある。

現在多くの難民が、
集まってきているのは、
この山の方で、

反政府勢力が、
活発に活動しているから!
しかし、現在
このことはあまり知られていない。

私たちが炊き出しを終えて
食事をしているときに、
初めてDSWDのみなさんが、
初調査に来られた。




炊き出しが
始まった


今日のメニューは、
モンゴ豆と干し小魚の煮込み


配給の間に、
さらに先のナラパアンに
昨夜出たマノボ族の難民調査へ。

とにかく子どもたちは、
おなか一杯になって
「ありがとう」
を繰り返していたと言う。

こちらは、
カラカカンの医療プロジェクト
病気の人に無償で薬をくばる。

先日、10万円分を買い足したが、
今後も、ダバオに出るたびに
医薬品を買い足し
補充していく必要がある。
ビタミン剤が足りない!


去年まで、
私たちのスカラーだった
アスレーさん。
現在は、ピキット市の職員


彼女のお父さんのホサイン師は
ミンダナオ子ども図書館の
ボードメンバーだった。




洪水地区の
医療活動


前号で、ピキットの洪水地区の
様子を伝えた。

とりわけ、
洪水地区の子どもたちのなかに、
下痢、腹痛、熱が広がっている。

緊急支援を求めた結果
山本幸子さまから10万円が届いた。
うれしかった。

さっそくピキット市の福祉局
DSWDを通して
医師に相談し、必要な薬を用意した。

薬代は10万円を超えたが、
不足分は医療プロジェクトの
予算で満たした。




ドクターは、
無休のボランティアで
参加してくださった。
看護婦も3名同行された


さすがピキットのドクター
(住んでいるのはダバオだが)は、
こうした緊急支援に好意的だ。

「私の親戚は日本にも行っているが、
私はこのミンダナオにとどまって、
貧しい人々の医療につくすのが信念だよ」
ドクターは、そう話された。

ミンダナオでは、時々
このような僻地医療に命をかける、
気骨あるドクターに出会う。

上は、今回、
山本幸子さまのおかげで購入できた、
10万円分の医薬品だ。

多くの医者が、
看護士の資格をとり、
海外に出稼ぎに行くのが
フィリピンの現状なのだが。

ミンダナオ子ども図書館にも、
いつか常駐の看護士を
置きたいと思っている。
クリニックもあると最高だが・・・。

2020年に、長女は、
ダバオの医学系の高校に入り、
小児科医を目指し始めた。




圧倒的に多いのが
腹痛と下痢


やはり診察を始めて見ると、
圧倒的に多いのが腹痛と下痢の症状だった。
それと、熱の症状。

洪水被害を受けている近隣の村に、
あらかじめ福祉局から伝令が入り、
子どもやお年寄りを連れて
人々が駆けつけた。

300人を超す人々が来た。
ほとんどが普段、
医薬品も買えない人々だ。

宝物でも持つように、
大事に薬を抱えて帰る姿が印象的だ。

医薬品は、
大人用の熱や腹痛の薬が、
予想を超えて使用され、底をついた。

さらに、緊急医療支援で、
8割方消費された。

その結果、第二回洪水医療支援の場所。
川沿いの村やブロルへの支援が
不可能になってしまった。

この日は平日だったが、
ここでも、時間の割ける
スカラーの若者たちが手伝った。

医師や看護士の指示で
医薬品を渡したり、
患者のお世話をしたり・・・



カバサランの
医療プロジェクト


先日、洪水に見舞われた
カバサラン地域を紹介した。

そのときに、
人々が激しい腹痛、下痢、
高熱に困っていると言う報告をした

翌週、私たちは、
スカラーたちと一緒に
医療プロジェクトと読み語りを実施した。

ピキットのドクターと看護士が
同行してくださった。



周辺は、
深い水に覆われて



上と下の写真を
見比べてみてください。
つい数日前の写真ですが、
上が洪水時、
下は今回の写真。


水は退いたが、
舟でしか、たどり着けない事に
代わりはない!

今も、周辺は、
かなり深い水に覆われている!

私たちは、医療を開始した。
ドクターが処方箋を出し
看護士が薬品を渡す。

スカラーたちは、
その指示に従って
お手伝いをしている。



一方の木陰では
読み語りが始まった


上は、洪水が引いた大木の下!
下の写真は洪水時!

読み語りは、
心の心のトラウマを解消する
心理治療?

この対岸は、ARMMの
ダトゥ・ピアンで激戦地の一つ。

この村には、対岸からも
子どもたちが通っている。
MILF系の地域。

私たちも、かなり長く
この地域と関わってきているが、
これから本格的に関わる地域の一つ。

MILFの力が強く、
対岸と協調をしながら、
入っていく必要がある。

その中心でもある、カバサランと
良い関係を築くことが、
今後の活動を左右する。

カバサランからの帰り、
すでにミンダナオ子ども図書館で
保育所を建てたブロッドを抜けた。



手を振ると、
笑顔で答えてくれた


のどかな田圃のあぜ道を、
17歳前後の若者たちが、
散歩でもするかのように歩いていた。

通りすがりに、手を振ると、
うれしそうに笑顔で答えてくれた。

数人は、
ミンダナオ子ども図書館の
私を知っているようだ。

彼らの服は、よれた迷彩服で、
手にはM61ライフルや、
ロケット弾が握られていた。

学校に行きたくて
反政府組織に応募する子がは多い。

組織が戦闘参加を条件に、
スカラシップを出してくれるし、
食べ物も食べさせてくれる。

先進国からは、
少年兵の問題が声高に
非難され議論されるが、

少年兵を生み出す、
不条理な貧困や差別の問題の解決無くして、
少年兵の問題は議論できないだろう。




ヘアリップの子たちの
手術も終わりました


ヘアリップの子たちは、
緊急ではないが、
こうした子たちとの関係を通して
新たな地域と関係を築いていける。

この子たちも
新たにスカラーとなれれば幸いだ。


のどに腫瘍が出てきた子を
病院でチェックすることに


もうすでに何人、この種の腫瘍を
手術してきたことだろう。
すでに拡大して、
手術が出来ない子もいる。


この地域に戦闘後、
こうした腫瘍を始め、
奇形、未熟児が多いのは、

劣化ウランのせいではないか
と、ある専門家の言葉。



子どもたちは
悲しみに負けずに
元気だ!

友情と愛こそが
生きる力!


辛さを忘れるためにも、
友だちや兄弟姉妹で、
遊んだり歌ったり!

家族のために、
笑顔で、
食べ物をさがしたり!


でも、雨が降ると厳しい!
あわてて、
渡してあげたシートをかけて、

家族を雨から
守ろうとしている少女!

シートがあれば
雨が降ってもだいじょうぶ!
「ありがとう!」


雨にも負けず、
風にも負けず!

友情と愛で、
悲しみに打ち勝とうとする
子供たち




2008年は、
戦争とともに
繰り返し
洪水が襲ってきた


政府側とイスラム反政府側の
和平交渉が決裂して勃発した
2008年の大きな戦争!

過去も4,5年おきに
大きな戦争が勃発して、
大量の避難民が出た。

ぼくが体験して、
とりわけひどかったのは、
2000年のバリカタン。

あまりひどくて、
毎日のように救済に走りまわり、
写真も悲しくって撮っていない・・・。

現地の人々の話だと、
1996年から8年が、
もっとひどかったという!

こうした戦闘は、すでに
40年間も数年おきに続いていると、
当時、幼い娘さんの頬の
異常な膨らみを手術してあげた
お父さんが、言っていた言葉。

「ぼくは、生まれてこの方30年以上、
数年おきに勃発する戦闘のために、
子どもの頃から避難生活を、
くり返しくり返し余儀なくされてきたんです!」



日本が自衛隊を
海外に派遣し
始めたときは、
本当にショックだった


バリカタンとは、
フィリピン政府軍と米軍の
合同演習という名の実戦!

集団的自衛権の法律が、
2014年に、閣議決定を通って、
日本が自衛隊を海外に派遣し始めたときは、
本当にショックだった!

それ以後、
フィリピン政府と米軍に交じって、
自衛隊もバリカタンに参加したから・・・。

その時現地で言われたのが、
「もし次に大きな戦争が
ミンダナオで起こされたら、
次回は、日本軍が攻めてくる!」
現地では、自衛隊=日本軍だから!

しかし、その後、ドゥテルテ大統領になって、
ミンダナオから米軍の基地施設を排除し、
合同演習もストップされて、
本当に少しホッとしましたが・・・!

アキノ政権の末期には、
ミンダナオの学校の屋根に
大きな白い文字で数字が書かれ、
ドローンの爆撃から守るためだと聞き、

和平交渉が決裂し、
日本軍も含めた第三次世界大戦が、
ミンダナオから勃発するのではないかと、
現地で言われ始めたときは、

本当に心配しました。



ミンダナオから
日本を見ていて


ミンダナオから
ぼくのふる里である日本を見ていて、
ショックを受けて悲しくなったのは、

1、青少年の引きこもりと自殺の多さ
2、福島原発事故、そして
3、集団的自衛権の閣議決定
この三つだった!

ミンダナオから見ていても、
日本は、小さな島国なのに、
安全で自然も豊かで

文化も本当に美しく、
素晴らしい国!

子どもの頃から、神社仏閣が好きで、
中学校は、京都の中学を受験したぐらい!
しかし、落第!

それでも海で泳ぎ、山に登り、
山岳スキーもよくした
思い出いっぱいのふる里の日本!

MCLの子たちは、
いつも訪問者に最後に「ふる里」を
何と日本語で覚えて歌う!

すると、
訪問者の方々は、
必ず涙をながし始める。



昔の日本は
こうだった


中高年の方々が、
素朴な山の子たちを見て言う言葉。

「昔の日本はこうだった・・・。
昔からのアジアの良さが、

ミンダナオには、
まだ残っていますねえ!」

しかし、一方で
フィリピンをはじめ
アジアの人たちが、

日本に住みたがる理由も
ぼくにはよくわかる!

小さな島国なのに、
安全で自然も豊かで、
文化も本当に美しく、

安心して住める
素晴らしい国!

隣国と仲良く
アジア独特の壁を作らない
ファジーな友情をもって、

経済的政治的に、
民族も宗教も
多様にやっていけば、

世界でも理想的な国になれると
思うのだけれど・・・
ミンダナオ子ども図書館みたいに!



活動の主役は、
子どもたち!


戦争や洪水が起こるたびに
奨学生たちが、
支援活動に向かった!

ミンダナオ子ども図書館の活動の
基盤をなすのは、
奨学生の子どもたち。

戦争で親が殺されたり、
学校にも行けず、
極貧で崩壊した家庭などから
来た子たちだけれど、

原住民、イスラム教徒、クリスチャンが
みんなで話し合い、
スタッフと協力して、

戦争や洪水避難民の
救済支援に
立ち向かう!



共感と思いやり
に満ちていて


自分も辛い思いをしてきた
そんな体験があるだけに、
共感と思いやりとに満ちていて、

現地の子どもたちも
親たちも大喜び。

駆け寄ってきて、
ときには、
びっくりして叫ぶ!

「ほら、・・・ちゃんがいるよ!
MCLの奨学生だったんだねー!」

現地で安心して、
大喜びで、受け入れてもらえるのも、
彼らがいるからかな?

くり返し、くり返し通って、
そして最後は、
読み語り!



時には、
あふれる川をわたって


時には、
あふれる川をわたって
避難民の救済に向かいます。
運転手は、松居陽です。

村から、
この子と一緒に
ここまで逃げてきたの。

避難生活しながら
赤ちゃんを抱いて・・・。

避難生活だと
食べるものもないの・・・
戦争は、もう嫌!

いつも、
お姉ちゃんといっしょ!

みんなで子育つ!
真ん中の子が親がいなくて、
奨学生になりました。



銃弾で
ボロボロになった
小学校


後に
ミンダナオ子ども図書館から
日本政府に要望を出して、

ODAで草の根無償基金で
ここにも
学校を建設しました。


村で作った保育所!
床は土だけれど
まだ良いほう。

真ん中にいる子が
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生に!




それにしても、
今回の洪水は異常だ!

晴天でも激流襲う

もともと、年に3,4回、
大きな洪水のある地域だが、

今年の状況は異常だ。

戦闘が、
終結していないのに
くり返し洪水が襲ってくる!

しかも、
どう考えても不思議なのは、

天気も良くて
大雨も降っていないのに、
くり返し洪水が襲ってくること!

戦闘と洪水が、
まるで入れ代わり、
住民たちの村を襲うのだ!

可哀そうなのは、
とりわけ川沿い近くに住んでいる、
貧しい人々。
とりわけ漁民たちだ!

彼らの家々は、
突然襲ってくる洪水の
激流に飲み込まれて
倒されてしまう!

彼らは、極貧で
土地を持つこともできず、
魚をとっては、
それを干物にしたりして、

街の市場にもっていき、
わずかな収入を得て、
それで、米や塩をかって
家族を養っている。

ひと家族に平均して、
7人ほどの子どもと
祖父母もいるので、
生活は大変。

長女や長男は、
学校にも行かずに、
下の子のめんどうを見たり、

お父さんと一緒に
漁に出かけたりして
家族の生活を助けている。



アルカイダや
イスラム国に
勧誘されて


こうした子のところに
海外から、
テロリストに成らないかという
応募が来る。

給料は、公務員並み!
それで、この地域からは、
国際的なリクルートで、
アルカイダやイスラム国に勧誘されて、

多くの若者たちが
テロリストとなって
イラクやシリアに向かっていった。

MCLの奨学生になった
ある若者曰く。
「スカラシップで大学まで行けて良かった!
これで、テロリストに成らなくてもすむ!」

「大学まで行ければ、
いい仕事を見つけて、
家族を養っていけるからね!」

戦闘に行きたくない子は多い。
それでも、テロリストに
応募する理由は同じ。

「ぼくが、がんばって、家族を養うため!」
スカラシップに応募する理由も同様だ。



上流のダムが
解放されて
激流が
起こされていた


数ヶ月の間に、すでに4回も
大きな洪水に襲われている。

退いたかと思うと、
数週間後にまた襲ってくるのだ。


晴天でも激流襲うので
おかしいと思ったら

国軍によって、
上流のダムが解放されて
激流が起こされていた。

その後、国際監視団に日本から派遣された
JICAのメンバーにこの件を話して以来、
ダムの解放による
急激な激流は無くなりましたが、

洪水は、
あいかわらず襲ってきます。



ダム反対運動が
起こっていたのだ!


現地の人々は、
このダムの事をなかなかぼくに
話し明かそうとしなかった。

しだいに語ってくれたのは、
このダムは、
日本政府が開発支援目的で造った
ダムなのだ。

当時建設をしていた
韓国人の技師は殺害されたのだという。

ダム建設に対して、
反対運動が起こっていたのだ。



反対運動を
していたのは、
おもに貧しい
漁民たちだった


1,ダム建設によって
湿原の水が干されて、
耕作地は広がるものの、
地主だけが土地を広げて所有し、

岸辺にたくさん住んでいる
漁民たちは、魚もとれなくなり、
場合によっては、水が汚されて、

あげくの果てには、土地を追われて
もっと貧しい地域へと
移住を余儀なくされるのではないか。

2,ダム建設で湿原の水を無くして、
今でも地面に
パイプを刺すと、
天然ガスが出てきてご飯が炊ける。

リグアサン湿原には、
天然ガスと石油が
大量に地中に眠っていて、
国際資本による調査がすんでいると、

米軍による掘削調査に
同行した村長が、
語ってくれた。

その結果、
湿原もプランギ河の水も汚染され
漁業に大きな被害が出るのでは無いか!

ようするに、
ダム建設の狙いは、
大金持ちの土地持ちは、
国際企業と共にさらに大金持ちになり、

貧しい漁民は、排除され、
漁獲量も激減して、
貧富の格差が高まるばかりだという。

これが現実になれば、
漁民たちはいっせいに蜂起して、
反政府ゲリラとなって戦闘を起こすという。

その後、
まだ完成されていないという。



ウィキペディア(Wikipedia)より
干拓による環境破壊


干拓される対象となる水域の大抵は
既に生態系が形成されている個所である。
そこを陸地化させてしまうことは、
元々あった生態系を破壊してしまうことであり、
しばしば自然破壊の1つとして問題視されるのである。
特に、諫早湾干拓事業のような大規模事業の場合、
その影響が干拓地だけでなく、
周辺の水域にも及ぶことがある
(同事業の場合、1997年4月に
湾の西半分を潮受け堤防で閉め切ったことが、
有明海全体に甚大な漁業被害を
もたらす原因となったほどである)。
『ウィキペディア(Wikipedia)』




ダムと
灌漑用水は、
着工が開始

2010年執筆

その後、

ダムと、灌漑用水は、
フィリピンの技術者によって、
着工が開始された。

けれど、
和平交渉が一段落した後。
干拓による農業開発と

石油天然ガスの
資源開発が始まると、

再び大きな戦闘がくり返し
勃発し始めるのでは無いかと心配です。

現地の特に、
最も貧しい人々の置かれている状況を
良く理解して、
開発を進めて欲しいと思います。

プランテーションの土地開発で、
原住民たちが平地から追いやられ、

極度の極貧生活を余儀なく
させられたようなことが、

起こらないように!

可哀想なのは子どもたち!




 
平和構築と学校建築
 
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2019年マカシンディク
戦闘避難民救済

  
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2019年マカシンディク
第二回戦闘避難民救済
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