戦争と平和構築
2010年の記録から
(1)
 


立正佼成会の
親子
ボランティア隊
訪問記

日本の若者たちと、
ミンダナオ子ども図書館の
若者たちの
感動の出会いと、
思いに残った現地体験の日々


今回は、外務省の都合で、
団体としては、
MCLのある
北コタバト州には入れず、
ダバオ州のパラダイスビーチで
出会う事になった。

ミンダナオ子ども図書館のある
キダパワンは、
北コタバト州に属しているが、
領域的には、
クリスチャン地域に属していて、
安全だといわれているのだが。

マニラと言った大都市よりは、
はるかに安全だと思うのだが・・・
行政地図による
杓子定規な判断では、
細かいことは、言えなくなる。

ミンダナオ子ども図書館で、
寝食を共にすると言う、
最高の経験が
出来なくなったのは
訪問の若者たちにとっては
とても残念だった!

けれども私たちは、
ミンダナオ全域が活動範囲として
許可されていて、
ダバオ地域でも
日々あちこちで活動しているので、
まったく問題は無く
かえって興味深い計画を実現できた。



立正佼成会の
現地訪問の企画は、
今回が二度目。


戦闘で疲弊した
貧困地域の子どもたちを、
日本の子どもたちが直接訪れ
心を込めて用意した
「夢ポッケ」を渡す。

若者どうしの交流を
重視している
ミンダナオ子ども図書館にとっても、
日本の子どもたちにとっても、
例年すばらしい体験を
保証してくれる。


 ゆめポッケ
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初日は、
マイパラダイスの
浜での
出会いと交流


マイパラダイスの浜は、
外国人に有名なサマール島の
パラダイスビーチとは
異なっていて

庶民の隠れた海水浴場で、
私たちは、
みんなで時々訪れる。

どんなにインターネットで
リサーチしても、
ここを見つけるのは
難しいだろう。
白い珊瑚の浜で、
ダバオから離れているので
水もきれいだ。


ミンダナオ子ども図書館に
今年から入った
新しい子どもたちは、
海で泳げると聞いただけで、
有頂天で夜も眠れなかった。

日本の友達に
会うことも楽しみだが、
生まれてから一度も
「海」を見たことも
無い子たちだから。

貧困地域の
マノボ族の子たちなどは、
山の下の
小さな町に出ることすら、
滅多にないことで

(歩いて行ける場所にしか、
お金がないから、出て行けない)
海などは、話で聞いただけの、
おとぎ話の世界なのだ!
それだけに、
いったん海に入ると、
何時間でも
泳いで(つかって)いる。



浜辺での歓迎会

立正佼成会の子たちは
ピックアップで、
MCLの子たちは
ジプニーで到着した。

MCLの子たちは、
実に3時に起床、
準備を開始。
5時には出発し、
浜で昼食の準備をした。

翌日の
平和の祈りなどは、
2時に起床して、
準備を開始している。

誰に言われたのでもなく、
自分たちで相談して、
いやな顔一つせずに、
実行していく
若者の力に感心する。

いつもなら、
図書館でする歓迎会
(ウエルカムパーティー)を、
今回は初めて浜でした。


日本の子たちは、
最初は、ちょっと
緊張していても、

MCLの子どもたちの
のびのびとした
雰囲気に押されて、

どんどん顔つきも
代わっていく。

MCLの若者たちは、
あっという間に、
日本の子たちに接近し、
よりそって声をかけて、

名前を覚えて
共に海で泳ぐ頃には、
互いの距離も消えている。

最初に日本の子どもたちの
顔を見たときには、
少し心配になったけれど、

最後に彼らの顔を
見たときには、
驚くべき事に、
ミンダナオの子どもたちと
寸分違わない、明るく、
のびのびと解放された
顔になっていた。

この変化は、
私自身、
驚きだった。



第2日
マノボの聖地
ラナコランで
平和の祈り

MCLの若者たちが、
祈りの踊りを披露


今回の平和の祈りは、
ダバオ州に属する
ラナコラン村で行った。
私たちの奨学生がたくさんいる、
マノボ族の先祖伝来の土地として
保護された山岳地域。

長年ダバオに
住んでいるドライバーも、
びっくりして
「いったいここは、どこですか?」
「まだ、先まで行くのですか?」

4WDのピックアップで、
どんどん山道を登っていく!
視界が開け、
アポ山山麓の美しい風景が
飛び込んでくる。

ラナコランについたときは、
その美しさにビックリ!
遠く西に、アラカンから
イスラム地域の
ピキットまで見渡せる。

東は、フィリピンの最高峰
2954mのアポ山から
ダバオの町が遙かに広がる。
アポ山の北に
位置するこの地域は、
マノボの聖地だ。

イスラム教徒、キリスト教徒の
両地域を見渡す
中間の先住民族の聖地!
まさに、「平和の祈り」に
ぴったりの場所。


「平和の祈り」は、
2008年の
ピキットでの戦闘以来、
毎年かならず
ミンダナオ子ども図書館で
実施している
プロジェクトの一つだ。

例年は、3月に実施。
今年は、立正佼成会の訪問が、
選挙の影響もあって
8月に延期されたので
それにあわせて
計画を延期して実行した。

イスラムの祈り、
マノボ族の祈り、
クリスチャンの祈りに加えて、
立正佼成会は、
仏教の祈りを
代表して下さるので、
大歓迎だ!

どなたでも
参加できますので、
ご連絡ください。


祈りも、
こちらでは
踊りで表現する。

歌、言葉、踊り、
五体で全力で
表現していくのが
こちらの特徴のように
思える。

この祈りの踊りも、
若者たちが
自分たちで
組み立てたものだ。



イスラムの祈り、
マノボの祈り、
移民系クリスチャンの祈り


今回の祈りは、
MCLの大学生の
奨学生にお願いした。


イスラムの祈り



マノボ族の祈り


クリスチャンの祈り


小さな子たちも
平和の祈りを心から
踊りで表現


今年から、
年齢の低い子たちが


ミンダナオ子ども図書館に
増えた。

その結果、
MCLがさらに
家庭的になったと同時に、

彼らも
独自に祈りを表現。


全員が
MCLに住んでいる
問題家庭の子たち・・・



立正佼成会の
親子による
平和の祈り


そして、
いよいよクライマックス。
日本から訪問された
立正佼成会の仏教の祈り。
次期「教祖」さまも
娘さんと参加して
お経を読まれた。

とても優しい方で、
母親のいない
妻のエープリルリンを
我が子のように愛して下さった。
仏教の経典が、
山々の風景に
ゆっくりと溶け込んでいく。

子どもたちも、
真剣に聞いている。
非常に厳かで良い感じだ。
現地の子たちにとっても、
このような体験が
平和を築く礎になると感じる。


この山岳地域は、
日本人にもゆかりの深い地域で、
日本人が戦前20万人も入植し、
先住民と結婚しながら、
平和に住んでいたのが
山麓のダバオのカリナンだった。

大戦が起こったときに、
カリナンに日本軍が陣を張り、
裏切りを恐れてマノボ族を
穴を掘って生き埋めにする
という話が伝わり。

敗戦と共に、
故郷に引き上げた者もいるが、
先住民と結婚していた
日本人たちの多くが
家族でこの
山岳地域に逃げ込んだ。

その後、
そのまま日本人であることを隠して
山奥に住み続けた。
私も、この山の領域で、
時々、祖父が
日本人だったという人に会う。

どう見ても
日本人の血が
流れていることが
わかる人も多い。

MCLのスタッフ、
下の写真のジケロ君も
その流れをくむ一人だ。
左は日系人のおじさん。



マノボ族の
伝統的な踊りを
みんなで踊った


一連の祈りが
終わった後、

みんなで
マノボ族の
踊りを踊った。

日本の人たちも、
私も加わって、
みんなで踊った。



最後に平和の歌を
みんなで唱った


イスラム
先住民
クリスチャン
そして仏教の子たちが


宗教や部族や
民族や国籍や
文化の違いの壁を
取り去って超えて。

手をつなぎ

心をつなぎ
合いながら


愛と友情で結ばれる!

その喜びを、
どう例えたら
良いのやら・・・。




夢ポッケを
みんなに渡す


祈りが終わり、
日本の子どもたちが、
現地の子たちに一つずつ、
夢ポッケをわたす。

夢ポッケとは、
立正佼成会の
信者の子供たちが、
一食抜いてためたお金で

貧しく困難の中で
生きる子たちに
平和と愛の願いをこめて
ぬいぐるみや学用品などを
買ってつめた贈り物。

心をこめて一つずつ作った
手縫いのバッグに
思い思いの学用品や
おもちゃが入っている。

同じものを一斉に渡す、
いわゆる「支援」と
異なっていて
一つ一つに渡す側の
思いがこもって
いることがわかる。

引っ張り出して、
それぞれ違うおもちゃに
大喜びし合う子どもたちの
顔を見るのは
楽しみの一つだ。


現地の子どもたちは、
夢ポッケを胸に抱いて、
美しい風景の中、
自分たちの貧しい集落に
帰っていった。


第2日の午後
キアタウ集落で
昼食と交流


午前中、ラナコランで
平和の祈りを終えた後、
そこから30分ぐらいの
キアタウ集落で昼食。

この集落との
おつきあいは長く、
たくさんの奨学生が
この集落から来ている。

彼らは、ここから7キロも歩いて
ラナコランの小学校や高校に
通わなければならない。
この問題を解決するために、
平和の祈りをした
ラナコラン村に、
MCLで下宿小屋を
建設している。

信じられないほどの
美しい風景に、

立正佼成会の
子どもたちもビックリ仰天。

しかも、
この急坂を
車で下っていくのに、

地元ダバオの
4WDドライバーも
ビックリ仰天。

キアタウには、
諏訪俊子さんが寄贈された、
保育所がある。


このキアタウは、
先祖伝来の土地として
保護されているのだが、
ごらんのように、
森林伐採によって
周囲に木がほとんど無い


昔はジャングルだったのだが
木材の多くは、
日本に輸出された。

ここで降る雨は、
保水力がないために
鉄砲水となって下り
その下流に位置する
ピキットの湿原に
流れ込み、
膨大な洪水被害を
毎年起こしている。

この問題を、
日本政府として解決できたら
どんなにすばらしいことだろう。
この山岳地域の森林復活

人々の生活の糧となる
ヤシやゴム、
マンゴーなどの林を作ること

こうした植林作業を
MCLでも行っているが、

何しろ伐採地域が
アラカン全体に広がっていて
あまりにも広大で
小さなNGOだけでは、
手の施しようがない


地元の人々が食べる食事を、
みんなでいただく。
蒸しバナナ、カサバイモ、
貧しい食事だが、
おいしくいただく。

現地の人々のためには、
普段食べられない、
お米のご飯と
両方のために、
豚の丸焼きを用意した。

このキアタウの風俗や儀礼
豚の丸焼き、
そして、村人たちの
様子や風景は、
テレビ東京で放映された
「なぜここに日本人:
マノボ族の首長になった日本人」
でも、映像で
紹介されています。

なぜここに日本人
マノボ族の首長になった日本人

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キアタウには、
さらにその下の
ケロハス村からも、
親子が登ってきていた。

キアタウも貧しい集落だが、
ケロハスはもっと貧しい。

子どもたちの多くは、
素足のままだ。

この周辺は、
マノボ族の聖地と
呼べる場所。

文明から
切り離されているだけに、

なによりも、
子どもたちが素朴で美しい。


立正佼成会の親たちが
がんばった、
紙芝居も大好評。

お父さんやお母さんの
奮闘している姿を見ている、
娘や息子の姿も良かった。



子どもたちに
夢ポッケを届けた


最後に、
子どもたち全員に
「夢ポッケ」を届けた。

一人一人の親子の手から
心を込めて
渡される贈り物に、

子どもたちは、
喜びを隠せない。


いつまでも
手を振り続けて見送る、
裸足の子どもたち。
今度はここに、
靴を届けよう。



 ゆめポッケ
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第3日
プランテーションに
追われた
カリナンの
先住民族たち


カリナンは、
ミンダナオに関心がある人なら
必ず知っている土地で、
戦前まで、ここには
約20万人の日本人が住んで、
おもにマニラ麻の栽培をしていた。

先住民族とも結婚し、
仲良く生活をしていたのだが、
大戦がすべてを
破壊してしまい
敗戦に追い込まれた
日本軍が、
先住民族を
生き埋めにすると言う
話を聞いて、
先住民と結婚していた
多くの日本人は、山に逃げ、
そのまま日本人であることを
隠して先住民族として
生活をした。

日系人と呼ばれている
2代目3代目に、
私たちはよく山の中で出会う。

プランテーションが、
先住民の土地を
浸食していく過程で
反政府ゲリラ(NPA)として、
先住民や移民系の
クリスチャンたちと共に
活動した(今もしている)
日系人もけっこういる。

これは実際にあって聞く話・・・・
大規模プランテーションに
土地を奪われていく過程は
先住民も移民系も同じで、
現地を見ていると
気持ちは良く理解できる。
気持ちだけは・・・

MCLには、
こうした地域から、
父親や親戚などが、
NPA、MILF、MNLFに
所属していたり、
コマンダーだったりする子も多い。

皆普通の人たちで、
現地の人々とも仲がよい。
もちろん、父親が
政府系の民兵で殺された
子も奨学生になっているし、
それでも皆が、
仲良く平和に
生活をしているのだから
MCLは、おもしろい。



みんなで
読み語りを展開


カリナンの郊外、
丘陵の山頂に広がる
カホサヤン集落は、
今不幸に見舞われている。
アンセストラルドメイン
(先祖伝来の土地)として
保護されているはずなのだが、

地元出身の牧師が、
「祈りの山のリゾート」
という名目で
売買できないはずの土地を
半ば強制的に奪い、
外国人向けのリゾートを
開発し始めた。

マノボの首領は、殺害いされ、
妻も子も足などを撃たれた。
今も、夜に来ては、
5000ペソ出すから
出て行けと脅される。


有力政治家もからんでいるだけに、
皆怖がって表に言えない。
立正佼成会の某さんの願いで、
殺された首領の子をふくめ、

この土地から
20名ほどの小学生を
MCLの奨学生に採用するが、
こうした事実を公にした私も
殺されるかもしれない。



医療プロジェクトの
患者に


一回きりのおつきあいではなく、
地域の発展に、永続的に
関わっていくためにも
教育と医療は、
重要なコンタクトプロジェクト。

さらに、この地から
30名ほどの奨学生を
里親として採用の予定。

ダバオに近く、
文化的にも山岳地より
良いはずなのだけれども、
追い詰められ、
貧困度は激しく、
小学校を卒業するのも
大変な環境だ。




夢ポッケを
もらってうれしそう


最後に夢ポッケを皆に届け、
子どもたちとみんなで、
「カゴメカゴメ」の
遊技をして別れた。



そして
別れの時が・・・


別れの
情景については、

何も
語るまい。

写真での
子どもたちの姿が

すべてを
語っている。

短い
滞在なのに

こんなにも心を
通わせあえるなんて・・・

一生消えない
思い出を持って

また会う日を
約束して・・・

ミンダナオの
子どもたちも

日本の
子どもたちも

同じ顔に
なっていた。



 ゆめポッケ
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マキララの
ドールに追われる
先住民



超広大にどこまでも広がり
山々を裾野まで
埋め尽くすバナナ



ドールのバナナに、
日本の新聞が
使われている理由?


この新聞を
バナナにかけている
日雇い労働者に聞いた
「この新聞、
どこから来たのかしってますか?」
「下の、スタンフィルコ
(ドールのオフィス)からだよ」

「ドールは、
どこの会社だか
しっていますか?」
「地元の会社だよ」

新聞が日本のものであること、
このバナナは、
ほとんど日本人が食べる事も、
何も知らない。
教育がないから・・・
と言ってしまえばそれまでだが。



plan
プランテーションに
土地を奪われ
山に追われた
バゴボ族


上のドールのプランテーションの
すぐ奥に広がる森のなかに
まるで外界から遮断され、
隠れたように
バゴボ族の集落があった


タケノコを見つけて
食事にする


土地を奪われたにもかかわらず、
プランテーションでの仕事はない。
アバカを梳いて、
かろうじて生活している。

この地域のバゴボ族には、
日本人の血が混じっている。
アバカの栽培は、
かつて日系移民の仕事だった


ミンダナオに居て、
あちらこちらに行くと、
あっ、この人、
日本人に似ている。
と言う人々に時々出会う。

中国系の人々は、
町に多いのだが、
山奥やイスラム地域の奥で、
出会うことが多い。

自分からはっきり
日系人だとは言ってこない。
たいがい、微笑みながら、
近寄るともなく見守っている。

目が合うと、
意味ありげに微笑む。
そして、近づいてくると
耳元で日本語でそっとつぶやく
「わたしおじいさんにほんじん」

聞くと、実は・・・・
いろいろな過去の歴史から、
日系であるということは、

戦中のイメージとも
重なっていて、
後ろめたいことでも
あったりするので
なかなかおおやけに
出来なかった。

ミンダナオの子どもたちを、
早く寝かせるときに
言うことば、

「早く寝ないと
ハポン(日本人)が来て、
連れて行くぞ」


戦中にこの地に移ってきた
日系バゴボ族で
自らバゴボの土地と文化を
守ろうとしている
MCLスタッフの
ジケロ君の叔父さん。

ここに初等小学校を
建てようとしているのだが・・・
日本政府で
支援できないだろうか!

日本向けのバナナに追われて
極貧をよぎなくされている
日系バゴボ族なのだから!


遠い道を通って
小学校に行っている子たち。
まだ、学校に通える子は
良いほうだ。

この周辺の集落のバゴボ族は、
ほとんど遠くて通えない



ケロハスに
松岡なつめ様
寄贈の保育所が
出来た!!


ケロハスは、
山深いマノボ族の集落。
深い谷を越え
山をよじ登って到達する。

アラカンのこの地域は、
本当に美しい場所だ。
緑の山々がつながり
遠くにアポ山が望まれ、
ミンダナオの心臓部、
秘められた心の故郷を感じる。

もともと、
マノボ族の故郷と言うべき地で、
今も、この山裾の広大な地域が
アンセストラル ドメイン
(先祖伝来の土地)
として保護されている。

下の平野の部分は、
かなり移民系の人々の
所有となっているが、
聖地だけは、
守られている。

ただ、元々のジャングルは、
ほとんど伐採によって失われた。

ここに大雨が降ると、
川下のイスラム地域、
ピキットなどの湿原地帯に
洪水が起こる。


保育所は、
この聖地の斜面にある
秘められたような小さな、
マノボ族の集落に建てられた。

首領の話では、
ごく最近まで
ここは、反政府軍の
キャンプだったという。
今は、教育を通して、
村を立て直したい・・・

ここの子たちは、
ほとんど学校に行っていない。
行っても、
小学校4年までの初等小学校
それ以上のクラスに行くには
10キロも先の
学校に通わなければならない。


当然、保育所もないし、
車の通る道も無いから、
村人たちは、
資材を担ぎ馬に乗せて運び
保育所を
自分たちの手で建設した。


看板を担ぎ上げているのは、
この村で唯一高校を卒業した
ピティ ボウイ君。
麓のファウスト神父の奨学金で
高校を卒業。

今は、
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生で
大学に通っている。
学校の先生を
目指している好青年だ
(その後、彼はMCLのスタッフに!)



保育所の建った
ケロハスには、
谷を越えた
この小さな集落から
出発する


ケロハス村には、
この山麓の小さな村から
歩き始めるか、
上の方のキアタウ村から
歩き始める。
とにかく、徒歩で踏み痕道を
歩き続けて到達する。

今回は、
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たちとスタッフ、
25人あまりが開所式に
参加するために
ケロハスに向かった。
マノボ族、イスラム教徒、
クリスチャンの奨学生たち・・・。


麓の村から歩き始める。
バナナの農場があり、
ここまでは車で何とか近づける。
前方に、広大なミンダナオの
高地が広がる。
このはるか先に、
イスラム教徒のいるピキットがある。

素朴な小さな村は、
本当に心が和む。
マノボ族の子どもたちが可愛い。
髪の毛が褐色になっているが、
これは自然な姿で、
染めたわけでもない。


行く手の山は、
私たちの奨学生たちが、
たくさんいる地域。
キアタウ、トマンディン、
カヨパトンといった集落で、
ここから見える裾野に、
すでに4つの保育所が建っている。
ケロハスの村も、
実は、この山の裾にある。



行く手を深い谷が遮る
ケロハスの村は、
この谷の向こう側だ


この雄大な裾野に、
点々とマノボ集落が点在している。
写真で見にくいかもしれないが、
中腹の右端の方に
小さな村があり、
小学校と高校がある。

ところが、
点在している集落からは、
10キロも道のりがあり、
なかなか子どもでは、
通いきれない。

ミンダナオ子ども図書館では、
各集落に、保育所を
建設してきたが、
最後に、学校のある村に
河野さま一家の寄贈で、
下宿小屋を建てることになった。

建設は7月から開始される。
そうすれば、
ケロハスの子どもたちも、
キアタウの子たちも、
下宿をしながら、
学校に通えることになる。
下宿は、キアタウの
親たちが維持する。
キアタウの高校生の
奨学生も手伝って・・・。


平坦に見えた行く手が、
突然途切れて、
目もくらむような、
深い谷があらわれた。
この谷の向こう側に、
ケロハス集落があるのだ。


この山の中腹には、
ケロハスのほかに、
キアタウやカヨパトンといった
マノボ族の集落が散らばっていて、

MCLの奨学生が、
あちらこちらの村にいる。
この地域は、本当に美しく、
私たちだけが、近寄れる地域だ。


陸稲の手入れをしている
子どもたち。


この谷を渡って、
さらに急な崖を登る。

想像以上に深い谷に、
愕然とする。

しかし、
さすがにこちらの子たちだ、
奨学生たちは、靴を脱ぎ、
裸足になって、
かけるように斜面を下っていく。

重い荷物にも
へこたれることなく・・・?

山岳地域もなれたもの。
軽々と荷物を運び上げていく。


こんな谷底にも、
畑を作って、人が住んでいる。
マノボ族の家族たちだ。

平坦な土地は、
土地所有が決まっていて、
自分たちの自給地を持つためには、
こうした、人が見向きも
しないような場所に、
トウモロコシや陸稲を
植えなければならない。


学校に通っていないが、
保育所が出来たら、この子たちも、
新しくたった保育所に
通うのだという。
さらに小学校になったら、
MCLの奨学生に採用しよう。


やっと目的の
保育所が見えた!


正直に言って、
こんなに遠いとは思わなかった。
遠いというよりは、
谷を越えていく
急斜面の道のりは、
素晴らしかったが、
思ったより厳しかった。

私は、二度目だが、
一度目は、上の方から、
斜面を降りてこの村に来た。

それにしても、
キアタウを始め、
この地域の人々の素朴さと
風景の美しさは
絶品中の絶品。

アラカンには、
イタリアのミラノ修道会が入り、
イタリア人神父が数人いる。
彼らがこの地に
引かれた理由が良くわかる。
マノボ族の美しい素朴さ、
そして、北イタリアの
丘陵地帯によく似た風景?

僕の秘密の場所だったのだが・・・

今回のケロハス集落の
保育所建設と案内役に、
キアタウの奨学生の
お父さんたちが活躍した。

お父さんと一緒に
うれしそうな奨学生。


キアタウ集落のお父さんたちから、
ここに、
日本人を迎えられないだろうか・・・
と言う話が出た。
収入が少なく、
土地を手放すマノボ族も多い、
観光?による
地域興しが出来ないだろうか・・・。

「うーん!セキュリティの問題は?」
「大丈夫、私たちが保証します。
この奥には、
不思議な巨大な洞窟があり、
その奥に泳げる場所もあるし。」
「?????」

私も一晩
泊まったことが
あるのだが・・・。



開所式は、
マノボの歓迎の
踊りから始まった


マノボ族の子たちの踊りは、
本当に可愛らしい。

純粋なマノボの文化が残っている。
もちろん、観光客どころか、
外国人が来ることも
ほとんど(まったく)
無いところだから、
観光用に踊りなどではない。

保育所が建設された喜びを、
伝統的な踊りで、
表現しているのだ。


こんな素晴らしいところで、
マノボの家に泊めてもらって、
素朴な食事を共にして、
2,3日過ごしたら、
心も体も、すっかり清らかな
元気を取り戻すだろう。

精神的に病んでいる、
日本の若者や中高年に、
こうした体験を
させてあげたいとふっと思った。

ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たちが、
たくさんいる村だし。
スタッフも同行して、
2,3日マノボの村で
過ごすような、
企画を立てたら、
皆さん来られますか???



セレモニーの後の
読み語り


2年から、
3年目に入った奨学生たち。

第2世代の読み語りが、
素晴らしくなってきている。
「しろいうさぎとくろいうさぎ」
絵を見ただけで、
物語が生まれて語る。

イスラム教徒の子も、

マノボ族の子も、

クリスチャンの子たちも・・・


こちらは、今年から
ミンダナオ子ども図書館に
住み始めた、
第3世代の子たち。

ほとんどが、
この地域から来た子たちだ。

新しい奨学生たちも、
先輩の読み語りを
熱心に見ている



最後は、
今や定番の
「おおきなかぶ」ならぬ
「おおきなカサバイモ」
で終わる


うんとこしょ、どっこいしょ、
それでもカサバ芋は
抜けません!


大きなかぶならぬ、
大きなカサバ芋の劇で終わる。
これは、本当に評判が良い。

おじいさんから孫、
そして犬も猫もネズミも曳くが、
特に評判が良いのは、猿だ!
そんなの絵本にあったっけ?


村人たちも、こどもたちも、
お話しを聞いて、パンを食べて
絵本を見て、遊んで・・・

満ち足りた
半日が過ぎた。

こうして、私たちと、
村とのご縁が始まる。
ここから、来年は、
さらに奨学生を採用して、
彼らが村を育てていく。



急坂を下って
帰路につく


この急坂を見て下さい!
そして風景の美しさと、
人々の暮らしの素朴さを!!!


私たちは、
MCLの収入を求めて、
スタディーツアー企画を
立てたいとは思いませんが、
現地からの声もあり、
こうした村に
数日滞在したいと言う
希望の方があれば、
ご連絡下さい、ご紹介します。

生活方法も
あらかじめお教えして、
セキュリティも万全にして、

スタッフや時には私も、
同泊するような形で、
文明からかけ離れた、
黄金の日々を
過ごしてみますか?



学用品の
支給を開始


このリックサックのなかに、
ノート、鉛筆、ボールペン、
定規、消しゴムといった、
あらゆる学用品が、
詰められている。

さらに、新たなノートや鉛筆
といった消耗品は、
二ヶ月に一回のわりあいで、
定期的に、
スタッフが山に届ける。

小学生対象スカラシップ
(里親奨学制度)は、
地域を対象としているので、

山をめぐり、
時には舟にのって、
届けなければならない。

対象地域も多いので大変だ。
年初に支給するバッグは、
車で運ぶが、

2ヶ月に一度の学用品届は、
ガソリン代節約のために
可能な限りバイクを使う。


とりわけ大変なのが、
7月に支援者の方々に送る、
最新のプロフィール写真撮影。

「えっ、何で写真撮影が
大変なの????」
理由は、休校している子が、
必ず数名いるため。

家まで行っても、
子どもは留守だ。
「なんで????」

理由は、両親を手伝って、
はるかな山の斜面の畑を
手伝っているから!!!
子どもを捜すのを断念して、
出直さなければならない。
写真撮影が終わるまで。

皆さんの手元に
送られて来るプロフィール。
一枚の写真ですら、
大変な苦労が必要なのです。

返事が数ヶ月から
半年ほど
遅れてもよろしければ、
手紙やプレゼントを届けます・・・・

これが僕らスタッフの昼食弁当。

経費削減を考慮して、
文字通りスタッフは、
手弁当で活動する。
写真は、
日系マノボ族のジケロ君。



マノボ族の
先祖伝来の土地
アラカン・
キアタウの
読み語り



キアタウは、
政府の認めた
先祖伝来の土地

つまり、
先住民族の
保護地域だ。

一般の入植は
許されていない。

人々も自分たちの
伝統的な信仰や風習を、
重んじて生活している。


MCLからは、
3時間もかかる、

本当に山の中だが、
私たちのスカラーもいる。

この地域が自立するために、
イタリアのカトリック宣教会、
ミラノミッションが長く
貢献している事は有名だ。

山の中で、
ファオスト神父と出会った。
正義と平和の活動を
現地で進めている。

貧しいけれども
美しいところで、

土地があるから
一日2食でも、
何とかイモが食べられるし、

ここに来て、人々と
特に、
子どもたちと出会うことで、

本当に
心が癒される。

教育だけが問題で、
要請を受けて
保育所を作ることになった。



プロック8
集落の差別


プロック8村の子どもたちが、
学校や通学路で
移民系の子たちに
いじめられる
被害が続いている。

先祖伝来の土地の
所有を求める訴訟で、
先住民族側の弁護士が殺害!

その後の土地をめぐる
大人達のいざこざが、
子どもたちにも及び、
今年は、たくさんの子たちが、
ミンダナオ子ども図書館に
移り住みたいと
言ってきたのだが・・・。

MCLも子どものシェルターとして
法人登録もされていて、
受け入れに
法的問題は無いのだが、
何しろ手狭で、食費も大変!

マノボのボードメンバー、
エラさんや
ガボン牧師の
サジェスチョンを受けて、
対応を模索しているが、
政治的な問題でもあり、
非政治というMCLポリシーからは、
子どもの保護に
限定した活動を考えている。

下手に動くと、
私が簡単に
殺害される危険がある。
ミンダナオは、世界でも有名な
ジャーナリストやNGO関係者の
殺害地域なのだ。


経済危機の余波を
まともに受ける貧しい人々。
日雇いの草刈りも
ことごとくカット。

窮余の策として、
先祖伝来の地を
耕し始めたのだが、
「そこに生えている
大きな木を切った」
という理由で訴訟を起こされた。

移民系の人々の言い分だと、
その地は自然保護地域で、
木を切っては、
いけないのだという。

訴訟を起こされても、
極貧で字も読めない
マノボの人々は、
対抗する弁護士を雇う
費用もないし、
マノボの立場で活動してきた
弁護士も、
一昨年に殺害された。

自給地もない彼らは、
移民系の人々の
田の草取りをして
何とか生きてきたのだが、
対立が深まるほどに
生存も怪しくなる。

子どもたちは、
学校や通学路で、
虐めにあって、
怖くて学校に行けない。
学校の先生も、村長も
マノボの子たちが悪いというし・・・。

これは、マノボの子たちが
私に語ってくれたことなので、
一方的かもしれないが。
真実だとしたら、
まったくひどいことだ・・・・

彼らの唯一の希望は、
「小学校を卒業したら
平和なMCLに住むこと」
なのだそうだが・・・。



マノボデーの準備

毎年、7月の最終日曜日は、
先住民族の文化祭
「マノボデー」と決めている。

1月末のマギンダナオデー
(イスラム文化祭)、

9月末のビサヤデー
(移民系クリスチャン文化祭)

そしてこのマノボデーが、
いわゆる民族文化の祭典。


マノボ族の住む山に
食材をとりにいった。

イスラム教もキリスト教も
ミンダナオにとっては、
外来の宗教で、
中東や欧米文化の影響があり、
それが元来の先住民文化に
溶け込んで生まれた独自の文化。

それ故に、味わい深いが、
やはりこのオリジナルな
先住民族の文化が持つ、

根源的な力は、圧倒的に、
若者たちの心を動かす。

普段は、蔑まれ、
恥とされているような
部分もあるにもかかわらず
このような場を与えてあげると、
圧倒的な迫力で
皆の心を動かしていく。


急斜面に、
カサバイモ(バランホイ)を探す。


卑下していた自分たちの文化を、
生き生きとした喜びを持って
再認識する機会、
それが、文化祭の持つ、
一つの意味だろう。

喜びの中で、
さらにそこに宿る
世界観、宇宙観、
自然観、生活観を探り出し、
現代文明が切り捨ててしまった、
大切な精神「心」を回復する。



キダパワンの市場で
素材を追加


キダパワンには、
活気に満ちた市場がある。
アポ山山麓の町にも、海から、
マグロ、アジ、イカなど
豊かな幸があがってくる。

それに、地鶏、豚、牛の肉。
干物から塩辛、海藻まで・・・。

活気に満ちた市場には、
スーパーマーケットにはない、
生活のぬくもりが満ちている。
私は、自分が子どもだった頃の、
東京・荻窪の
駅前市場を思い出す。



みんなで作る
マノボ料理


文化祭では、踊りや歌、
伝統文化と同時に、
食を重視している。

マノボデーには、
みんなで
マノボ料理を食べる。

今回は、山でとれる
野菜や果物が多かったが、
今までに食材として
上がってきたものには、
蛇や蛙やトカゲもある。



下手物食いなどと
思うなかれ!

どれもこれも
おいしくいただいた。

料理は大事な文化だから、
大切に保存し伝えて
いかなければならないと思う。

ビーコ

カラマイハピ
(餅米のお菓子)


トウモロコシのお菓子

地鶏の蒸し焼き

ビーフン

蒸しモロコシ

アドボ


会場の飾り付け

民族楽器のクリンタン。
イスラムのクリンタンは、
横置きだが、
マノボのクリンタンは
吊す形式。

軽快なリズムにのって、
踊る踊る。

こういう機会を経て、
新たな伝承者が
生まれてくる。


こうした飾り付けの
すべてを、
子どもたちが、

自分たちの手だけで
完成させていく。

MCLの庭作りも、
すべて彼らの
デザインだが、

感性のすばらしさには、
いつも驚嘆!

ミンダナオの人々は、
大人も子どもも
芸術家だとつくづ思う。


練習は、
夜も続いた。

表現することの
飽くなき情熱。



本番:
マノボ族の
結婚式


まずは、
マノボ族の歌が
うたわれた


マノボ族やバゴボ族など、
先住民には、
戦前に住んでいた
日本人の地の入った、
日系人も多い。
下の写真の最前列の左の子も
日本人の血がはいている。



いよいよ結婚式が

今年のテーマは、「結婚式」だ。
イスラムの結婚式が終わり、
今回はマノボの結婚式。

まずは、結婚相手の
家庭を訪問し
結婚の意思を確認する。

結婚式をテーマにしたのは、
今回が二度目。
互いの家族が話し合って
結婚式の準備を進めていく。

お互いの娘と息子の
結婚を確認する。
その後に結納式。

今回は、事前にリサーチをして、
より、伝統に乗っ取った形態で、
伝統的な結婚式を再現した。
酋長を呼んで
結婚式を正式に依頼。

最初に、
家族同士で食事をして、
いよいよ結婚がきまり、

ダトゥと呼ばれる首領が
結婚を祝別する。

首領の役割は、
ただの村長とは異なっていて、
神聖なスピリットが降りてきて
村人に振り分ける、
シャーマンの役割も持っている。

祝別された食事を、
互いの口に
入れることによって、

結婚が成立する。


マノボの踊り






エラさんの講義

文化祭では、
かならずその道の指導者や、
深く文化を探求している方々に
いろいろな角度から、
講演をしていただく。

エラさんは、
MLCのボードメンバーでもあり、
フィリピンにおける
先住民の代表。

マノボの指導者としても
活躍している。
エラさんにお願いして、
マノボ文化について
語っていただいた。

エラさんは、那須塩原にある、
アジアの農業指導者を
養成しているアジア学院に
留学の経験もある方で、
日本のつながりも深い。

ご主人は、
ボリビアの方で、
日本で研修中に知り合った。



ガボン牧師と
エラさんも踊った


ガボン牧師は、
アライアンス教会の牧師。
MCLのボードメンバーでもある。

興に乗って、
エラさんとご一緒に、
伝統的な踊りを披露。

エラさんの娘さんも
共に踊った。
エラさんの娘さんは、
MCLの奨学生。

ガボン師は、
閉会の最後の祈りを、
マノボ語で捧げて下さった。
bunkasaiA
三つの文化祭 
ミンダナオ子ども図書館では、
先住民、イスラム教徒、
クリスチャンが
仲良く平和に住んでいます。
みんな、私たちは兄弟姉妹、
一つの家族だといっています。
しかし、お互いに
理解し合うのは大事なこと。
そこで、毎年、先住民、イスラム、
クリスチャンの文化祭を行います。
文化は、食べることから踊りまで。
映像は、かなり初期のものです。


先住民族の文化祭
マノボデー


ミンダナオには、14部族の
先住民が住んでいます。
それぞれ、
異なった言葉をしゃべり、
文化にも特徴があります。
これは、初期の頃に行った、
マノボの文化祭。
準備のために、山に食べるための
ヤマイモをとりに行ったり、
ニシキヘビもとって来て、
解体し料理しました。
文化人類学者にとっても、
珍しい映像です。
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イスラム教徒の文化祭
ムスリムデー

イスラムの文化祭の映像です。
ミンダナオのイスラム文化は、
先住民族時代の
古代のアジアの文化に、
マレイシア、インドネシアから
海を伝って入ってきた
イスラムの商業文化が、
重なって出来上がってきました。
その独特の持ち味を生かして
若者たちが文化祭を行います。
その時の写真を見て、
ユネスコ文化保存会が、
極秘に現地を訪れました。
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移民系クリスチャンの文化祭
ビサヤデー
 
海をテーマに、
クリスチャンの文化祭
ビサヤデーの映像です。
子どもたちと、
海にキャンプに行った時の
想い出からはじまります。
最初の山の家は、妻の
エープリルリンの育った家です。
初期のミンダナオ子ども図書館の
奨学生達の様子がわかります。
懐かしいですね。
小さい赤ちゃんは、
長女の藍花です。
この子たちの多くは卒業して、
スタッフになったり
仕事を持ったり結婚したり・・・

映像撮影、編集もすべて、
松居友です。
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 マノボデーの
カサバイモ

 
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 ゆめポッケ
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 マノボ族の
酋長になった

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イスラム自治区を
中心に、
新たな戦闘があり
避難民が
発生している



再び戦闘が始まる兆しがある。
最近ミンダナオのあちらこちらで
爆弾事件があり、
以前の経験からも、
こうした事件は
戦闘の予兆とも見られる。

大概の爆弾事件は、
「イスラム反政府勢力の
仕業と思われる」
とマスコミで報道される。
市長に組織から
メッセージが
送られてきたりするので、
公式に発表されるのだが、
簡単に信じてはならないようだ。

反イスラム感情を
マスコミを通して高めておいて
次のステップに本格的な
戦闘を起こすとも言われている。

それにしても、
戦闘が起これば、
可哀想なのは子どもたちだ。



イスラム自治区の
避難民


スタッフの友人を通して、
イスラム自治区
ARMMの一地域

(カルメンとカバカンの中間)
で戦闘があり
避難民が出ていると聞き
調査に向かった。
(正式には難民ではなく、
国内避難民とのご指摘を
菊地氏からの頂きました。)

国道わきの鉄塔が爆破され、
空から警戒する
ヘリコプターが見えた。

現地で避難民となっている
村長(イスラム系)の話だと
「今回の戦闘は、
移民系クリスチャンと
ムスリムの間で起きた。
長年の確執が原因だ」という。

発端は、
化粧品の商売に歩いていた
3人のイスラム女性が、
移民系クリスチャンに
襲われたところから発していると言う。
一人が病院に収容されている。

これに怒ったMILF系住民と
クリスチャン系住民の間で、
襲撃があり
それが、民兵同士の戦闘に拡大。
フィリピン政府軍が
イスラム地域を攻撃するに
至ったという。

「MILF正規軍の領域に
広がる可能性があり、
そうなると軍同士の
かなり激しい戦闘になるだろう。」


イスラム自治区は非常に貧しいが、
貧しくとも幸せに暮らしている
様子も感じられる


戦闘のきっかけは、
去年勃発して
40万もの避難民が出た
8月の開始とほぼ同じ
パターンを持っている。

一般住民が襲われる事件を
きっかけに民兵が出動し、
政府側と反政府側の
民兵同士の戦闘が始まる。
それを契機に、政府軍が出動し、
反政府がわの正規軍が
反撃を開始する。

問題は、最初のきっかけが、
かなり意図的に
作られているのではないか、
という疑惑。

「MILF正規軍の領域に
広がる可能性があり、
そうなると軍同士の
かなり激しい戦闘になるだろう。」
と村長の発言を引用したが、
逆に物事をたどる必要もあるのだ。

「軍どうしの激しい戦闘」を
作るために、
民衆の中の暗殺集団に
イスラムの女性を襲わせた。」

すでに往年のクリスチャンと
イスラムの(家族を殺されたり)
といった対立感情を利用して
喧嘩を起こし、
地域住民の民兵組織を
参加させることによって、
大規模な軍レベルまで拡大させる。

こうした暗殺集団は、実在し、
クリスチャン系は「イラガ」と
呼ばれている。
イスラム系にもあるだろうが、
問題は、暗殺集団を
背後で「お金」で操っている
第三者がいる可能性が有ることだ。

去年の大規模な戦闘も
同じ経緯をもっていたし、
かなり大きな範囲で
同時に起こることを考えると
相当な規模で、計画された?
可能性も否定できない?

どうでも良いけど、
私たちにとっては、
大人の喧嘩に巻きこまれる
子どもたちが可哀想でならない!


この地域の戦闘は、
まったく話題にならず、
NGOも地域政府も
避難民の救済に
動くことはなかった。
ミンダナオ子ども図書館だけが、
ビニールシートを届け
医療活動を行った。



ピキットの避難民

ほぼ同時期に、
ダトゥ ピアンと呼ばれる、
イスラム自治区で戦闘が起こり
川向こうのピキット側に
難民が来ているという、

ボードメンバーでDSWDの
グレイスさんから連絡があった。

こちらも、
国際NGOは動いていない。
グレイスさんも属しているOMI
(カトリック教会のオブレード会)が
唯一食料の支援をしている。


私たちは、
窮乏している
ビニールシートの支援に向かった。


支援は道がないので、
ボートで救済に向かう。

下の兵士が、
対岸の空を指さして教えてくれた。
「あそこを飛び交っているのが
軍の無人偵察機のドローンだよ!」

避難民にとっては、
ともかく自分たちの事を
気遣ってくれる
人々が居るという事だけでも
安心できるようだ。

今回の避難民救済でも、
スカラーたちが活躍した。

今年から新しく入ってきた
スカラー達も同行して、

ビニールを張る
作業を進めた


どうでも良いけど、
この子達のために
平和になってほしい!

5月に入り、
戦闘は拡大すると
言われているが・・・



パマリアン集落で、
さらに多くの
避難民が・・・

ピキットとアレオサンの
境界に広がる
丘陵地域が
今回の戦闘勃発地域だ。

以前のニュースで、
3月に入り、
米軍がピキットの道に
砂利を敷き詰めている話を載せた。

おかげでブアランまでも
ハイエースで入れるようになったが、
案の定、
軍の車も入りやすくなり
戦闘が勃発した。



ブアランとパニコパンで
読み語り


私たちは、
先週ブアランと
パニコパンの難民支援をし、

週末の土曜日は、
この二カ所で
読み語りをする
計画を立てて実行した。

この地域の人々は、
ブアランに近い丘陵地域から
逃れてきた人々で、

読み語りのあいだじゅう
遠方の丘陵地域から
迫撃砲の音が聞こえてきた。

難民の数は
思ったよりも少なかったが
ブアラン地域は、
次第に増えつつある


その後、パマリアンに
難民が集結している、
何とかして欲しいと

現地の村長から
連絡が入っており、
調査に向かった。

現地に行って、
唖然とした。

シートもなく、
椰子の葉を
おいただけの掘ったてで、
すでに二晩の
昼夜を過ごしている。

その数は、
他の2地域よりもはるかに多く
とりわけ子どもたちの
多いのに驚かされた!


この様な状態のなかで、
子どもも大人も
2晩以上過ごしている。

今は、雨の
非常に多いシーズンだ。
もちろん他からの
支援は全くない。


子どもたちが
非常に多いのには
驚かされた。

80%が子どもたちだ
と言っても良いだろう。

一晩なりともこのまま
放っておくことは出来ないので、
早速ピキット市にもどり
シートを購入。


子どもたちが、
毎晩雨に
うたれているかと思うと
居ても立ってもいられず
早急にシートの支援を決めた

人々は呆然としている
「早急にシートを支援しましょう」
「支援を決めても
いつ戻ってくるのか?」
半信半疑の様相だ。

多くの支援は、
調査や決定に時間がかかる
難民が出て、速くて2,3週間
遅い支援は数ヶ月後である。

しかし、難民にとって
初期と、後期が
一番厳しい時だ

とりわけ雨の多い熱帯地域は
初期のシートが死活問題。

それを知っているので、
今回は、午前に調査、
午後にシートを支給した。

ピキットの市場で購入したが
そんなお金
どこにあったかって?

つけバライで購入したのです
店主が私たちを
良く知っているので・・・
「また、難民ですか
大変ですね。どうぞどうぞ・・・」



状況を見かねて
昼には
シートを準備


シートカットの方法も、
それなりの技術がいる。

可能な限り長く広げて、
4ロールを重ね、
6メートルにカットした
シートを添えて
いっぺんにカットしていく。


午前中の読み語りが
終わりこれで
今日のスケジュールが
完了したかと思いきや
急きょ難民救済が始まる。

ピキット市内で
シートをカットして
準備をする若者たち、

彼らは
本当に頼りになる。

400枚を超えるシートが、
瞬く間に準備されていく。



さっそく
緊急支援を開始


若者たちが
中心になって、

次々にシートが
張られていく・・・

暗かった難民キャンプに
笑顔が戻り始める。

とにかくこれで

一息つける・・・



同時に
読み語りも・・・


シート張りと平行して、
読み語りがはじまる。

午前に続いて
午後の2セクション
こちらもお手の物だ。

それにしても、
とにかく
子どもの数が多い


難民支援は
始まったばかりだ。

長く続かなければ良いのだが、
ブアランでは、
下の写真のように
一部の難民は、椰子の葉で
家のような物を作っている。

これは、
長期化を覚悟した
結果だという。


MCLでは
シートを張ったが

とりあえず
雨にうたれなくてすむだけであり
難民支援は、始まったばかりだ

たびたび通い
状況を把握しながら
医療、食糧、衣料しえんなどを
しなければならないだろう


支援方法支援方法

ピキットの
ブアラン近郊で
戦闘があり
再び多くの
難民が出ている


ピキットのブアランと
アレオサン近郊で、
政府軍とMILF軍が衝突し、
多数の難民が出ている。

ブアランは、
2000年の戦闘の砲弾跡を
残したままの
小学校がある地域で、
非常に貧しい地域である。

ミンダナオ子ども図書館で
保育所を建設、
小学校や高校生の
スカラーもいる。
去年の8月に発生した戦闘で、
半年間も難民生活を
余儀なくされていた人々。

ようやく今年の3月に
家に戻れたところ、
3ヶ月で再び
難民化することになった。


木の枠組みだけ作っても
シートがない


高熱を出していた、
4人の子どもたち。


この様な状態で
夜を過ごしている


かなり広範囲に難民が出ており
国道沿いもふくめて、
難民は各地に散らばっている。

ハウスベース
(親戚などの家に逃れた人々)
の場合はまだよいのだが、
写真の地域のように、
野外に逃れた人々は悲惨だ。

雨の多いシーズンなので
緊急のビニールシートが必要。
熱や腹痛などの
病気の子どもも多く
早速、ミンダナオ子ども図書館に
保護して、治療をすることになった。


ミンダナオ子ども図書館で、
とりあえず
ビニールシートを支援した。

手伝っているのは、
スカラーのザイノディン君


この様な雨よけも無い所に
子どもたちを
放っておくことは出来ない

熱帯雨林地域の雨は、
半端でない


下の少女は、

両足先を
膿んでいた


下の子たちは、
高熱を出して寝ていた。
ミンダナオ子ども図書館の子たちも
高熱を出して入院したが
今流行のインフルエンザか・・・


この様な場所に
おいておくことも出来ずに
早速、
ミンダナオ子ども図書館に
収容した。

しかし、後述したが、
ここ数ヶ月の
連続する患者の治療で
医療費が底をついている。

今後、戦渦が拡大すると、
大変な状況になっていく
恐れがある。

6月から7月にかけて、
新たな戦闘が
勃発する噂があるが、

現実にならないことを
祈るのみだ。


ピキット地域だけではなく、
ミンダナオ子ども図書館の
水田のある、
マタラム地域でも
軍が入り戦闘が
広がっている様子。

今回の戦闘で、
軍は、3ヶ月分の
「お弁当」(食料)を
準備しているという
話が聞こえてきた。

最低、3ヶ月は
戦闘が続くという
意味だろうか????
可哀想なのは、子どもたちだ。


MCL(ミンダナオ子ども図書館)
だけが、
難民たちの唯一の頼り。

現地で奨学生の
ジハッド君と
バイナオットさんに会った。
私たちが来て
本当にうれしかったようだ

この地の人々は皆
私たちを知っていて
「本当にMCLは、
頼りになってうれしい」
と言ってくれた。


当然、この時期は、
どこのNGOも政府も、
救援活動を開始していない。

恐らく戦闘が拡大するとしても、
救済活動が開始されるのは
数週間後だろう。


緊急支援は、夕暮れまで続き
最後に、病気の子たちと
その保護者を車に乗せて
一路
ミンダナオ子ども図書館に向かった

明日から、
さらに本格的な
救済活動が始まる

病気の治療も
開始しなければならない
ヤレヤレ


日本政府から、
勇敢にも?
停戦監視団の
菊地さんが
マカブアルの
小学校を訪れた


建設が完了してから1
0ヶ月めにして、
現地視察が完了した。
菊地さんと私の間に
立っているのは、ピキット市長。

幸い米軍による砂利道の修復が
出来ていたので
現地に楽に到着できた。
平和であれば
8月頃に開所式がなされるという・・・



日本大使館から
ブアランの
小学校建設;
最終チェック


日本大使館から、
二人のフィリピン人スタッフが、
ブアランの小学校建設の
最終調査に来られた。

ブアランには、
IMT(国政停戦監視団)の
菊池さん関係以外は、
日本人は来られていない。

今回は、
提出された書類に
書かれている事の実地調査。
校長先生と村長さん
などが対応した。
ブアランは、絶え間ない戦闘に
さらされてきた地域。

丘陵の下のイスラム地域と、
丘の上のクリスチャン地域が
激しく対立。
2008年の50万を超す
避難民が出た戦闘も
ここから始まった。

下記に報告している、
先日読み聞かせに行った村が
クリスチャン地域。
両者は、対立してから
長年交流が途絶えている。
わずか一キロ半を隔てる、
山の上と下であるにもかかわらず・・・


マニラの日本大使館から来られた、
勇気ある若き二人の
フィリピン人スタッフ、
ハナさんとマリアフェさん
次々と鋭い質問を繰り出す。

右は、奥が村長さん、
一人おいて手前が校長先生。
若く正義感が強く、
エネルギッシュなやり手の先生。
手前がピキットDSWDの
おなじみグレイスさん。
MCLのボードメンバーだ。


協議の後に、教室を視察。
2000年の戦闘で穴が開き
痛んだ教室もさることながら
とりわけ1年生と
2年生の多さに唖然。

マカブアルに、
ODAで学校を作ったときも
そうだったが、
学校が出来たという事で
避難民化していた多くの家族が、
村に戻ってきた。

実数200人、登録500人でも、
今は生徒の実数だけでも
600名を超える。
5教室では足りなくて、
教育省が2教室を付け足した。

道が失われ、
関係が閉ざされていた
クリスチャンの村とも
交流が生まれてくるし。
親戚のいる町や
他村に逃げていた
家族たちも戻ってくるので、
戦闘が無ければ
生徒数は、
数年で数倍になるだろう。

「一・二年は、
2クラスづつにした方が良いですね。
どうせ作るのだったら、
いい加減なものに
しないようがよいと思います。
早速、帰ったら提案してみましょう。」
子どもたちの現状を見て、
お二人からうれしい言葉。


戦闘が、
再びこの地で起こらないように
するためには、
クリスチャン地域との
閉ざされた関係を
再び構築しなければならない。

私たちは、下記に記した、
クリスチャン集落へ読み語りに行き、
すでに関係を構築し始めている。
クリスチャン集落の子たちは、
恐れて山麓の
ブアランの小学校に通わない。

イスラムの子たちは、
山の上を恐れて近寄らない。
かつてあった道は、
雑草や木が生い茂る。

グレイスさんと私は、
ピキット市に、
道路を再び整備する
可能性に関して、
要請と調査をした。

このことを村長さんに話すと。
「大人たちの
感情的なしこりをとるのは、
そう簡単ではないでしょう。
しかし、次世代を担う、
子どもたちだったら
出来るかもしれない」

避難民救済から保育所建設まで、
5年以上にわたって
関係してきたブアラン。
村長さんも、心から信頼し、
尊敬できる方だと感じてきた。
さすが・・・と思った。

「先日、上のクリスチャン地域に
読み語りに行き、
イスラム教徒の奨学生も同行し
アッラーの歌と、クリスチャンの歌と、
マノボの歌を歌ったのですよ」
そう言うと、村長さんは、
思わず微笑んだ。



対立していた
クリスチャン
集落での
読み語り


こちらは、
ブアランの丘の上の
クリスチャン集落。
かつては100世帯ほど
住んでいたが、
度重なる戦闘で
わずかしかいない。
この村は、
イスラム教徒の立ち入りを、
独自の規定で禁止している。


今回の選挙で落選した、
有名議員一族の
息のかかった村であることは、
ポスターをみれば一目瞭然。

日本政府や
国際停戦監視団もかかわった
2008年の和平条約締結は、
この議員の最高裁への
提訴でご破算になった。
兄弟親戚が、
各市の市長や副市長、
市の役員をしていて、
広大な保有地を持っている

村人たちは、
全員が民兵に登録されていて、
常時武器を携帯している。
一般の農民たちなのだが、
彼らは、とにかく
土地を守りたい一心だ。
丘の向こうには、勇猛で名高い、
MILFのコマンダーもいる。


この村の人々は、
ほとんどがカトリック。
この地域に入っているのは、
OMIと呼ばれる
フランスミッションの宣教会。
戦時中、イスラムの人々と
抗日運動を展開しており
MILFをはじめ
イスラム教徒の信頼も厚い。

この宣教会は、
ピキットの有名なライソン神父や
コタバトのオーランド司教がいて
(日本では、鳴門教会の
乾神父がオーランド司教の盟友)
戦闘では、命がけで
イスラムの子どもたちを
救済している。
MCLのボードメンバーの
グレイスさんも
同教会のメンバーだ。

16日には、日本から
山元しんぷさんをはじめとする
小倉、行橋カトリック教会
他のメンバーが来る。
現在、MCLでは、
この村に保育所を建設開始。
山元しんぷさんの
ミサを準備している。

MCLジャパンからは、
このクリスチャンの村民と
下のイスラムの村民に
農園に蒔く種を寄贈予定。
戦闘で疲弊し、
農民たちは、
種を蒔くにも、種を買えない。

日本の皆さんの
支援のおかげで
今ここに、
平和の種が
蒔かれようとしている



平和の
読み語りが始まった


しかし、どのような種よりも、
最も美しく効果的な
平和の種を蒔いてくれるのが
実はこの子たち。

皆さんが支援して下さっている、
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たちだ。

初めての
読み語りに訪れた。


もちろん、イスラム教徒、キリスト教徒、
マノボ族の混成部隊。
イスラム教徒を
拒絶していた村人たちも、
受け入れてくれた。

みんなでマノボ族の歌、
クリスチャンの歌、
イスラムの歌もうたった。
イスラムの歌を、歌うとき、
アッラー(神)の名が
出てくる来るのに
村人たちは一瞬たじろいだが
クリスチャンの子たちも一緒に
声を合わせて
歌うのに驚いたようす。


歌を歌いながら踊る
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たち。
戦闘で疲弊した村に
久々に子どもたちの
歌声がこだます


村の子どもたちも
喜びの表情で
踊りのまねをする


陰で見ていた
村の人々の表情も
少しずつ緩み始める


大きなカブならぬ、

大きなカサバイモが
演じられる頃には

堅かった村人たちの表情も
すっかり緩み
久しぶりに
平和を感じている様子だった。

村人たちの
ひそひそ声が聞こえてくる。
イスラム教徒のジェネッサさんが、
読み聞かせをするのを見て
「ほらほら、あの子、
下のイスラムの子。
あんなにビサヤ語が
上手だなんて!!!」

それもそのはず、
2年間、MCLに住んでいたし・・・
下は、スカラシップに
採用する若者。
今度大学生だが、
貧しくて学校に行けない。



衣料支援も行った




堅かった村人たちの表情
水を頭に載せて
不審そうに通り過ぎた
おばあちゃんも

(上写真)
最後には
笑顔でわらっていた



イスラム地域の
クリスチャン
憎しみと
対立を超える
試みが始まった


戦闘の絶えないブアラン集落。
山麓のイスラム地域と丘の上に
移住してきたクリスチャン移民。

ともに恐れて、
近寄らない。

2008年の
50万の避難民が出た戦闘は、
実にこの地から始まった。
しかし、下のイスラム地域に
MCLで保育所をたて、

ミンダナオ子ども図書館
奨学生が増え、
さらに日本政府の支援で
小学校が建設される計画が
広がるに従って、
平和構築の試みが始まった。
平和構築と学校建築 
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ピキット市も道を
整備すると同時に、
両地域に公平に電線を引いた。
OMIもクリスチャン地域の家の
ヤシの葉を支援をした。
イスラム地域には、
赤十字も入り、
簡易水道を建設し始めた。

ミンダナオ子ども図書館は、
すでに4年前からこの地に、
保育所を建て、
奨学生たちをとってきた。

今回初めて、山上の
貧しいクリスチャン地域を訪れ、
最終的なこの地の
平和構築に向けた
一歩を踏み出す。


保育所を建設する場所を確認。
この小さな村が、
クリスチャン系移民の
前線基地として
イスラム教徒と
対立してきた構図。

問題は、外部から、
この構図を利用して
武器を渡し、集落民を民兵化し
外部から対立と憎しみをあおって
乾いた枯れ葉の上に
マッチで故意に火をつける
第三の勢力があること???


ここに、この子たちのために
保育所を作り学校を作り
閉ざされた村を開放しよう。

さらにここから奨学生を採用
下のイスラムの村の
子たちと一緒に
平和を作っていく試みを
しなければならないだろう。

戦争に嫌気がさして
このクリスチャンの村は
初めて、心を開こうとしている。


住民たちは、素朴で貧しいから
戦闘にそそのかす者たちの
隠れた意図や背景を知らない。
唯々ひたすら
自分たちの土地を守ること・・・
 
しかし、その背後に
政治的、経済的権力を
持った人々や組織があり、
 さらにその背景に
国際的な地下資源獲得や
プランテーションなどの
農業利権獲得の思惑
武器売却による利益その他が
結びついていたとしたら・・・?

小さな集落に火をつければ
50万の避難民を出す
戦争も作れるのだ。

すべての戦争は、
巧妙な第三者の思惑によって
作られることを、
無邪気な彼らは
何も知らない。



イスラム自治区に
茨木
ロータリーアクト
による保育所が
完成した!



場所は、ARMM
イスラム自治区と
呼ばれる地域で、
舟でしか通えないサパカン集落

リグアサン湿原地帯から、
約800人近い子どもたちが
小学校に通っている

度重なる戦闘の犠牲となり、
不幸な場所で、
国際的な支援もほとんど無い


保育所の開所式は
まずは、奨学生たちによる
読み語りから始まる


読み語りは、
MCLの根幹になる活動だ!


この目の輝きを見るたびに
この子たちのためなら
命をかけて、
出来るだけの事をしたいと思う。


私たちは、この集落に、
日本政府の力を借りて、
学校を建設出来ればと考えて
草の根無償資金に応募した。


保育所までは、
個人の寄付で
建てられるけれど

学校は、JICAなど
政府のODAでないと
なかなか建てられない。


でも、保育所は、
極貧の小さな集落でも
必要としている支援だ。

それゆえに、
より深いつながりを
地域の人々と持てると感じる。

保育所が出来て、
村長さんも村人達も大喜びだ!
読み語りのあとに、
開所式を行った。


サパカンから、
成績も良いのだが、貧困で
高校に進学できない子を
スカラシップに一人採用した。
対岸のラジャムダの高校に
通うことになった。

今後は、彼女が
コンタクトパーソンになって
この地域の活動を
手伝ってくれるだろう。

それ以外に、小学校の子たちを
3年、4年、5年と各学年、
2名ずつ里親奨学制度で
採用する。

スタッフが、
毎月学用品を
届ける事になるが
それによって現地の状況を知り、
住民ととぎれぬ関係を
築く縁となる。




放っておけない
子どもたち

足と手の指がなぜか6本

左手と左足に、
指が6本ずつある彼女

カヨパトン集落で、
唯一の高校生。

でも、高校までは、
本当に遠い道のり。
放っておけなくて、
MCLに住みこみ、
近くの高校に通うことになった

本人は、とっても明るく、
今回も許可を得て
写真を掲載するけれども
将来を考えると、
MCLに住み込んで
しっかり、
大学に行くのが良いと判断した。



私たちが、
野菜を売って、
たくさんの兄弟姉妹を
養っています


この子たちが、野菜を売って
小さな兄弟姉妹を養っている。
山菜売りの少女たち。


山菜売りの少女の
お話を書きました。
サイトで読んで
みてください!
山菜売りの少女松居 友
 Go!
第一章: 1,起なくっちゃ  2,山菜つみ  
3,妖精たちの森  4,ばあちゃん  5,山の生活
 Go!
第二章: 1,三本角のカブトムシ 2、姉ちゃんの村
3,サリサリの犬 4,大きな岩
 Go!
第三章: 1,町で  2,市場で 
3,ストリートチルドレン 
4,シンカマス売りのお母さん 5,ボス
 Go!
第四章: 1,子ども図書館の子どもたち  
2,あなたがジサね! 3,母さんとばあちゃんも
4,助けにゆくための準備
 Go!
第五章:1,ボアイボアイ村をめざして  
2,村についた  3,姉ちゃん 
4,読み語り 5,ギンギンの昔語り
 Go!
 第六章:1,お腹を撃たれた少女 
2,病院にむかって 3,手術室へ 
4,手術がおわった 5,二つの歓迎会
 Go!

少女たちは、父親を失い
母親は、この子たちを含めて
7人の子を育てている。

祖父母もいっしょだが
非常に貧しく
辺鄙なところに住み、

この子たち3人が
野菜を売って、
米を買って、
家族を養っている。

学校に行きたいけど
お金が無くて行けない。


真ん中の子だけが
昨年1年生に通ったが
帰るとすぐに、
毎日野菜を売りに出かけるため
進級できていない。

MCLによく野菜を売りに来るので
顔だけは知っていたが・・・
事情や環境がわかって
MCLに住み込んで
学校に通うことになった。



今年、MCLは、
はっきり言って、
食費だけでも大変だ。
何しろ、90名近くが
ともに生活することに
なったから。


(自由寄付を生活費として、
投入しているのですが、
食品を始め
物価の値上がりが激しくて)

予定では、今年自宅に戻り、
そこから学校に
通うはずだった子たちが、
世界的な経済不況の結果、
家で養いきれなくなって、
もどってきたこともひびいた。

これが予定外だったことと、
上の写真の子たちのように、
どうしても放っておけない
環境の子たちが多くなった。

これから、
高校生のスカラシップ17人、
小学校の里親を
53人探さなければならない。
まだ全部の子たちの写真等を
載せていないのですが、
順次掲載していきますので
よろしくお願いします



次々と
医療患者が・・・


ミンダナオ子ども図書館の運営で、
戦闘が起こった時は別にして
最も予期できないのが、
医療と車の故障だ。
予算をとってはいるのだが、
とりわけ医療は、
過去の事例を見ても、
突然に次々と
病気の子どもが運ばれてくる。


写真は、ピキットの
ラガイエン出身のスカラー、
Kakim Noraimaさん。
難民だったところを、
支援者の意向で
小学校のスカラーに採用された。

戦闘は終わり、
難民状態の生活は終わり、
自分の家に戻り
学校に通い始めたところまでは
良かったのだけれども、
右足の膝の裏側から
腿にかけて痛みが広がり、
歩行するのも難しくなった。


どうも肉腫のような物が出来て、
3ヶ月の短期間に
大きくなっていくようだ。
それで、ミンダナオ子ども図書館に
運ばれて、
キダパワンの病院で
診てもらったところ
手術が必要で、
癌の可能性も有るという。

さっそくダバオのドクターに
診てもらったが、
DMCと呼ばれる
JICAも支援している
公立病院でも最低10万、
私立病院だと20万は
軽く出ると言う。

公立病院では、入院したまま、
病院が手術を
決定するまで数ヶ月かかり
かつて半年も
滞在した患者がいた。
日本では考えられない
病院事情なので、
キダパワンの医師に相談して
最良の方策を
現在模索している。

スカラーでもあるし、
何としてでも
治療を成功させたい。
彼女の従妹(下の写真)も、
歯茎が出る奇形で手術をした。

戦闘地ピキットでは、しばしば、
目が飛び出す異常、
瘤などの奇形、癌、そして
戦闘期間や難民生活ちゅうに
妊娠した子の
異常などの奇形が見られる。


Kakimさんの従妹の
歯茎の治療は完了。
8月に、その後の経過を
診ることになっている。

かつて2000年、
2002年の戦闘後に
奇形が増えた理由に
疑問を抱き

大学時代の友人で、現在は
カトリック教会大阪司教をしている
松浦悟郎くんに話をした。

彼は、私の写真を
見て即座に
「劣化ウランとちゃうかなあ」
と言った。

さすがに、
正義と平和協会の代表。
私は知らなかったが
写真集を見せてもらって驚いた。

似た症状の子たちに
多く会っていたから。
白血病で亡くなった子もいる。
知り合いの子も奇形だった。

その後、中国新聞社から
取材を打診する
連絡をいただいたのだが、
危険すぎる地域という理由で
許可が下りずに断念。

劣化ウランは、証明は難しい。
Kakimさんも、
癌でなければ良いのだが・・・
劣化ウランに関しての
中国新聞の情報は
右をクリックInfo


それにしても、ここ数週間で、
次々と病人が出た。
今はやりの
インフルエンザでは
無いと思うのだが

最初は喉の痛みと
咳から始まって、
ある時あっというまに
高熱が出る。
半端ではない、
39度から40度を超える
熱が出るのだ。


高熱が出るたびに、
最初は病院に運んで
薬を出してもらった。
様態が重い子になると、
意識がもうろうとしてくる。

医師に言われて、
その様な子は入院することになった。
一貫して症状は同じ。
その後も、次々と感染し、
ほとんど20人に上った。

幸い、薬で治療すると、
熱は短日間でひき、
問題ないこともわかってきたので、
なるべく家で治療をすることにした。
ほんとうに、費用が馬鹿にならない。
8月までの医療費予算が
これで消費されてしまった。

さらに追い打ちをかけるように、
別件の子どもの治療が舞い込む。
幸い、去年看護学を
卒業したスカラー、
Feさんが今年から
ボランティアスタッフで
活躍してくれているが
あまりにも次々と患者が出て、
その対応に苦心のあまり、
涙ぐむ場面も・・・



網膜の手術が
完了した


先日、休みの日、
市場に行くと、

道ばたで母さんとシンカマス
(砂糖大根)を売っている
彼女に出会った

二度目の手術を受けて、
よく目が
見えるようになった。

よかったね。



医療活動も
絶え間なく
続いている


スカラーで、
今年看護学を
卒業したフェさんも
MCLのスタッフとなり、

医療活動も
さらにきめ細かく
充実してきた

相変わらず、
予算をにらみながらの
活動だが

患者がいると、
放っておく
訳にもいかずに・・・




新たな展開
新たなスカラシップ


ミンダナオ子ども図書館の
スカラシップは
変わってますね・・・
と現地でもよく言われる

成績優秀の子を採用して
欧米流のリーダーを育てる
スカラシップではないから。

不幸な環境の子を探し出し
学校に通うことによって
立ち直っていく場?
とも言えるけれど

言語も宗教も種族も
生活や社会環境も多様だから
美しく楽しい?


新たに
ミンダナオ子ども図書館に
住む子どもたち

貧困のみではなく、
家庭問題や
社会問題の渦中の子たちも
MCLには多く住んでいて
その背景も実に実に多様だ・・・


涙を流しながら話を聞く、
ソーシャルワーカーと
スタッフたち


「ミンダナオ子ども図書館は、
孤児施設???でもないし。
読み語りの図書館にしては、
子どもたちが多いし・・・

文化活動や
難民救済活動までしながら、
子どものシェルターでもあるし
極貧の子を拾い集めている割には、
看護士や教師や農業家や
図書館司書や
宗教家も育っているし・・・・」


今後、ミンダナオ子ども図書館は、
足下のキダパワン市の
ストリートチルドレンに
焦点を当てていく予定



ミンダナオ
子ども図書館
に住み込む子たち


今年は、意識して低学年の
子たちを入れた
年上の子たちにとっても、
お姉さんお兄さん役を
こなすことは重要だと考えたから。
その結果、
ミンダナオ子ども図書館は、
ますます大家族的になった。


新たに住み込みの子たちで
役員が選ばれた
左から2番目がプレシデント
「牧師」と呼ばれているが、
本当の牧師!
高校一年から開始する。


大学生の多くは、
自立して下宿生活をはじめる。
男の子達の中には、
マキララ農場で
実地の農業研修をしながら
学校に通う子もいる。

ミンダナオ子ども図書館は、
子どもたちの成長に合わせて、
多様な自立を模索している。



ミンダナオ
子ども図書館の
新しい役員が
選出された


高校・大学の
スカラシップの子たち、
約250名が無記名投票で
役員を選出する

今年のプレシデントは、
Lankoban君(マノボ族)
バイスプレシデント、
Ronie Odin君(イスラム教徒)
バイスプレシデント、
Bernie君(ビサヤ族)


Jeam Salik(ムスリム): 秘書
Jerome(マノボ):経理
Laboan(ビラーン):会計
Awin(ビサヤ):P.I.O.
Lansangan(タガログ):B. Manager
Zainodin(ムスリム):B. Manager
Suhat(マノボ):Sytatarms



新しいスカラーの
若者たち


6月からの新学期に向けて、
新しいスカラーたちが入ってきた。
小学校から大学まで、現在、
総スカラーは400名を超えた。

自宅や親戚、
下宿から通っている子が大半だが
その中の特に親のいない子、
保護が必要が子、
学校が遠くて通えない子

おもに下宿を許していない
小学生から中高校生の
70名あまりが、
ミンダナオ子ども図書館に
住むことになる。

学年の変わり目の5,6月は、
ミンダナオの夏休みで、
親戚や家族の元に
帰っている子たちも多いが、
新しく選ばれたスカラーたちが、
集まってくる時期でもある。

バケツや空き缶、
鉄板などの
がらくたを使って作ったドラムで
即席のコンサートが始まった。

楽器のリズムと共に
踊り出す若者たち


この子達の家を見たら、
ビックリするほどの山の奥で
粗末な小屋のような
家なのだけれど、

父親や母親の
居ない子たちも
多いのだけれども
なぜか、そんなところで
育っていても、

音楽や芸術を表現する
力がそなわっているのは
驚きだ。


ドラムはポリバケツ
張っている皮は、米袋

キットキット君は
私がハウスオブジョイにいた頃に
膝に乗って遊んでいた
男の子だが
すっかり大人になった。
今年からMCLに・・・


その様な環境だからこそ、
楽譜が無くても、
音楽教師がいなくても、
自己流で楽器を奏でていく・・・

これこそ、
芸術の神髄かもしれない。
皆さんから支援された
古着を着ると、
いっぱしの格好になるから
面白い。


MCLに戻り、
この子達の笑顔を見ると
本当にホッとする

私は決して、
この子達を放り出して
どこかに去ることはないだろう

親に見捨てられた子も多く。
いつも思うのだけれども、
こんな可愛い子たちをおいて、
どうして去ることが
出来るのだろうか・・・

色々な事情は
あるのだろうけど。



キダパワン市の
貧困地域での
読み語り


ミンダナオの
どの町でも市でも、
表側と裏側がある。


訪問者は、とうぜん国道に沿った
表側だけを見るから、
そこで生活している人々の
真の姿を知らない。

裏側の人々は、
町から少しはずれた
墓地などの周辺で、
特に川沿いに生活している。

川沿いに生活している理由は、
土地の所有者がいないし、
彼らは水道が得られないし、
洗濯や水浴にも
水が必要だからだ。
大概は、
かなり汚れた
汚水なのだけれども・・・・

かねてから私たちは、
こうした地域の
子どもたちを対象に
活動しようと考えていた。

最初は戦闘で
疲弊するイスラム地域、
それから極貧で
山に追われた
山岳地域のマノボ族

その後、最後に足下の
市街周辺に散らばる
スラム地域の子どもたち。

キダパワンにも
数カ所そのような地域があり、
ほとんどの子どもたちが
近くに小学校があっても
小学校にも通えない

今年入ったばかりの
奨学生の子たちも、
いきいきと
始めての読み語りをする。


最初期のスカラーの一人、
アイリーンが訪ねてくれた。
結婚して一児の母。
今年、学校の先生になる。

ここからも、両親の亡くなった
兄弟姉妹がスカラーとなり、
MCLに住んでいる。

こうした地域の子どもたちは、
町に出て
ゴミを拾うことを仕事にしている。

夜は家に帰らずに、
ストリートチルドレンとして
さまよっている子も多いし

高校の年齢になると、
売春を強要される
子もいる。

ミンダナオ子ども図書館は、
こうした都市型の困窮を
背負った子を、
今後少しずつ
支援していくことにした。



MCLでの
読み語り


その日の夜から、
毎週日曜日の夜は、
MCLでスカラー達だけで
読み語りを楽しむことにした。

新しいスカラーたちにとっての
練習の場にもなる。
小学校一年生のスカラーも
堂々と読み語り


もちろん、始めての体験で
まだ字を読むことが
出来ないのだけれど、
絵を見ながら
お話しを作って語る。
爆笑に次ぐ爆笑!


最後は、今年は言った
プロック8のマノボの少女が
見事に昔話を語った。

ここでは、祖父母や両親から
また、村のお年寄りから
お話を聞いて
育っている子が大半で
小さな子でも、
半数以上が昔語りをする。

これこそ、語りの神髄だ!
絵本だけでは、
地元のオリジナルの
語り文化が途絶えてしまうので
必ず、語りを交える。


現代社会では、
絵本から語りが
生まれてくるように
思っている人もいるが
歴史的に見ても本来、
語りから、
絵本が生まれたのであって、
絵本から、
語りが生まれたのではない。

自分で語った語りから
絵本を作った少年。

絵本が定着するようになって、
絵本こそが定番のように
思われる嫌いがあるが
語りは、
一人一人の個性によって、
同じはなしでも違ってくるし

同じ語り手でも、
目の前にしている聴衆?
の雰囲気によって、
微妙に調子が異なってくる。

語りとは
自由な物なのだ。

彼らの語りを
目前にしていると、
それが良くわかる。

絵本の読み語りも、そういった
「本質」が基盤となって
実行されているので、
いわゆる絵本の
「読み聞かせ」のように
「聞かせられる」のではなく、
「語られる」ので本当に楽しい。

わたしが、
ここでの読み聞かせを
「読み語りと」呼ぶのは、
そのせいである。



MCLの日常から
土砂降りの日!


土砂降りの雨が降ってくると、
いち早く外に飛び出して、
雨の中ではしゃぐ子どもたち。

山の生活では、
水は貴重だから、
とりわけ、
水浴びをするためには、
半時間も山道を下って、
川や泉まで
下りなくてはならない。

そんな山育ちの子たちにとって、
土砂降りの雨は、
うれしい水浴びの機会なのだ。


小さな子たちは、服を脱いで
男の子などは、パンツも脱いで
素っ裸になって
雨の中を駆け回る
そのうれしそうな様子!
土砂降りの雨の中で
花いちもんめをして
遊んだり・・・

日本の子たちにも、
このような体験を
させてあげたいと思うのだが?
親に怒られそう!


今年は、
100人を超えた


MCLに住み込んで、
近くのマノゴル小学校、
高校に通う子たちが
今年は、90名を超えるだろう。
スタッフも含めると、
100人ぐらいが
共同生活をしはじめた。

一部の子たちは、
おばさんの家などに移籍するから、
結果的には、前と同じ
90名程度になるだろう。
と考えたのが甘かった?

移籍すると言っていた子たち、
(理由は、マノゴルの学校が
レベルが少し高いから・・・)
帰って親に相談すると、
猛反対された
可哀想に、理由の多くは、
現地の学校は遠いし、
何よりも食べていけない!

年齢が上の子たちが
故郷から通う分
親のいない小さな子たちも
10数名増やしたので
結果的に100名近くなる。
ただ、雰囲気は
もっと家族的になってきた。

1ッヶ月ぐらいは、ヤレヤレ、
こんなにたくさんでどうするのだ!
と、子どもたちも、
私たちも思ったが
生活し始めて2ヶ月弱
すっかりなれて、
この風景が
当たり前の家庭となった。

MCLから、
マノボ族の初めての看護師も、
先生も輩出しているから、
ソーシャルワーカーを含めて、
残るは弁護士のみ。

マノボ族を擁護する
ビサヤ系の移民の弁護士が
殺されたから、
いよいよ、
マノボ族初の弁護士の
奨学生支援を考えている。



朝起きて、
花壇のお花を
世話する子どもたち

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雨が降ってるのに
滑り台

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ミンダナオ
子ども図書館の
日常風景

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読み語りを楽しむ
子どもたち
 
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僕は餡がぎっしり詰まった
お饅頭になりたいと思います


大渕みほ子

公開日当日に映画
「スラムドッグ$ミリオネア」を見てきた。
たぶん半年ぐらい前だと思うが、
映画の予告を見て
絶対見たいと待ちに待った作品だ。

ご存知のように
アカデミー賞を受賞してから、
話題沸騰の作品でもある。
映画の内容を振り返ってみると、
売春やドラッグ、殺人や暴力、
盗みや争いといった
スラムの闇と、急速に近代化に向けて
変化するスラムとの狭間で、
時代に翻弄されながら生きる
最貧困層の人々が、
愛や夢を追い求め、
したたかに生きる姿には
すがすがしい思いさえした。

この映画で印象的だったのは、
主人公がクイズに正解するにつれて
応援する人もどんどん増え、
働いていた会社の人、
町中の人までもテレビにくぎ付けになって
応援している姿だった。
発展途上国だからだろうか?
同じような光景を
フィリピンでも良く見かける。

アメリカで一時流行した
「アメリカン・アイドル」
のような番組がフィリピンにもあり、
私がミンダナオでホームステイをしていた
家の子ども達も、
歌手を目指す素人の勝ち抜きバトルに
くぎ付けになり応援していた。

たとえ全くの素人で顔見知りじゃなくても、
頑張っている人には心から皆で応援したり、
喜怒哀楽を共に分かち合う
姿をみると私も嬉しくなるし、
また羨ましくもなる。

ちょっとしたことで感動できたり、
笑顔になれたり、
そういう心の素直さを
羨ましく感じるからだと思う。

文化の成熟なのか、それとも無感動や
無関心が広がっているのか分からないが、
日本では大そうな出来事でもない限り、
あまり人を応援したり
感動しなくなっている気がする。

「そんなことで驚くの?」
「何が楽しいの?」、
そんな冷めた目で見ている
自分がいることに気がつく。

私自身も良く言われることだが、
日本にいるときと
ミンダナオにいるときでは、
顔が違うようだ。
日本で閉ざされた感情が解き放たれて、
顔が変わるのかもしれない。
もしかしたら、こうしてミンダナオに行くことで
自然に心のバランスを
取っているのかもしれない。

今回ご一緒した親子ボランティアの
皆さんの顔も観察していたが、や
はり私と同じだった。
初めはこわばった顔や
無表情の顔をしていても、
ミンダナオ子ども図書館での
生活に慣れるに
つれて表情に変化が現れ、
感情が顔に出るようになる。
嬉しいときはとびっきりの笑顔になり、
悲しい時は人前だろうと涙する。

「ミンダナオの子どもを助けたいと
思って来たのに、
逆に自分が助けられた」と、
あるお母さんが話して下さったが、
ミンダナオ子ども図書館を訪れる方々は、
良くこのように話して下さる。

日本で忘れていたことや
失っていた大切なことに気が付き、
心がリフレッシュされるのだろう。
このような感想をもたれた方々の顔は
また美しい顔をしている。

今回同行したツアーのある男の子が、
最後の振り返りのときに
こう話してくれたことが
大変印象的だった。
「僕はお饅頭が大好きです。
フィリピンに来て思ったんだけど、
日本は見かけは
とっても美味しそうだけど
中はスカスカなお饅頭みたい。

でもフィリピンは見かけが悪くても
餡がぎっしり詰まっている。
僕は餡がぎっしり詰まった
お饅頭になりたいと思います。」
「あぁ、日本の子ども達にも
きちんと分かるんだ」と、
感動して聞いていた。
日本の子どもも捨てたものじゃない。
こういう気づきが出来る子どもが
どんどん増えたら、
日本の未来もきっと明るい。





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