戦争と平和構築
2012年の記録から(1)
 



MCLの
天使たちを紹介します!
1 洪水支援のその後 GO! 11 洪水支援の調査完了 GO!
2 父親が亡くなった子を採用 GO! 12 ピキット福祉局と連携して GO!
3 小学生の奨学生たち GO! 13 アメラちゃんも奨学生に GO!
4 奨学生が病気で病院へ GO! 14 ビニールシートを配った GO!
5 洪水被害の集落を訪ねた GO! 15 ここが通っている小学校 GO!
6 開けた湿原に飛び出した GO! 16 いよいよシートを配布 GO!
7 今年は5回洪水にあった GO! 17 洪水支援Ⅱ(漁網と舟) GO!
8 ここに緊急支援を GO! 18 洪水支援Ⅲ(植林ゴムの木) GO!
9 月刊『カトリック生活』より GO! 19 草刈りが始まった GO!
 10 被害状況を詳細に調査 GO! 20 JICA落合さんの紹介で GO!
21 イスラムの子に学用品を GO! 31 新たな地域から奨学生を GO!
22 孤児崩壊家庭の子たち GO! 32 保育所調査と建設 GO!
23 アルバちゃんに食料を GO! 33 村の子たちの生活を調査 GO!
24 自立には遊びが一番 GO! 34 ダンプカーがスタック GO!
25 MCLの天使を紹介します GO! 35 いよいよ念願の開所式 GO!
26 夜が明けてMCLへ GO! 36 開所式の読み聞かせ GO!
27 天使たちの現実調査 GO! 37 北野財団保育所の開所式 GO!
28 施設として行政許可も GO! 38 マーガレット幼稚園保育所 GO!
29 どうやって不幸な子を? GO! 39 下の写真が高校の校舎! GO!
30 夏休み子供たちの調査 GO! 40 野菜売りの少女たちも GO!
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洪水支援のその後

洪水があった後に
ビニールシートを支援しようとしたが、

年末で銀行が休みに入り、
シートを買うことができずに、
年明けを迎えてしまった。

しかし、
前掲の方々から届いていた古着を、

30日と31日の両日に
届ける事ができたのは、幸いだった。

現地の方々も子どもたちも、

とっても喜んでくれたし、

MCLの子どもや若者たちも
頑張って手伝ってくれた。
心から感謝します。

その後、年開けて、
銀行の開く3日に再度訪問したが、
小学校に避難民たちの姿は無かった。

ダムは満杯ではあるものの
水は多少引いていたので、
家に帰したとの事・・・。

今回のダムの水の調整は、
下にも被害が無かったし
かなりうまくいったようだ。
JICA主導のIMT(国際監視団)が、
動いてくれた件も大きい?

3日に避難民を全員帰した理由だが、
ミンダナオでは、3日から学校が始まるので
校庭を開放せざるをえなかったとか。

避難民たちの家は
まだかなり水に浸かっていて、

膝まで来る泥の中を家に戻ったと
聞いているから、

どうやらかなり強制的に
帰宅させた様子もある?

残念だったのは、元旦の休日が入り、
あれほど皆望んでいた、
ビニールシートの支援ができなかったことだ。

帰宅したとしても、
水に浸かった家や屋根の下
雨をよけながら眠るのも難しいし、
シートは、非常に役に立ったはずだ。

それに、
今年の気候状況と7月から度重なる水害。

ダムの満杯の様子からも、
いつ再び避難民状態になるかわからない。

加えて、
政府とMILFの交渉が決裂すれば、
近く、かなり大規模な戦闘が
勃発する可能性もある。

寄付を下さった方々に心から感謝します。
ご安心下さい。
さっそくビニールシート購入し、

次回はすぐに行動できるように
倉庫に保存しておきます。



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マカブアル小学校で
父親が事故で
亡くなった子を
奨学生に


現在、支援者に送るための
奨学生たちのスナップショットを撮っている。

学校を訪ねては、一枚一枚撮るのだが
子どもたちの成長の様子と問題点の確認、
生活状況の把握ができる大切なときだ。

今回は、マカブアルで、
父親が亡くなり、学校を停止せざるを得ない
状況の子たちに会った。

成績は優秀、表彰もされているのだけれど、
60円が払えないで、ストップしている、

1年生の子だけ、学校にいた。

3年生の子は、
母さんと市場に干物を売りに。
6年生の子が家で弟の面倒をみていた。

今年から、スカラシップセクション担当の
アルベルト(元奨学生)が調査書を作成。
大学でマスコミにケーションを学んで
一時、FMラジオ局で
ボランティスタッフをしていただけに
インタビューはお手の物?



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小学生の奨学生たち

ほら、
こんなに成長してきました。
もうじき高校生
(ジュニアハイスクールは日本の中学)

支援者の方々、
ありがとうございます!
3月にスナップショットを
お送りします。



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セニオマラウの
奨学生が、
病気だったので
至急病院へ!


もう、2ヶ月もこの状態だった。
生活は大変だ。すっかりやせ細っている。

父親は亡くなっていて、
母親が一人で面倒を見ているが、

医療費どころか
薬を買うお金もない。


さっそく、医者の診察を受けさせて
ミンダナオ子ども図書館で
入院させることに決めた。


私たちは、6月、9月、2月と全奨学生を、
足で歩いてチェックする。

支援者に送るための写真を撮って、
絵手紙を描いてもらう。

高校大学生は、総会でMCLに来るので
そのときに全員写真を撮れるけれど、
小学生は、現地の学校に向かう。

小学校に行くと言っても
日本の感覚とは異なっていて
イスラム地域は、舟に乗り、

マノボの山岳地域は、
4WDで山を越えていく。

ともに、反政府組織の地域と呼ばれていて
一般の人々では、
なかなか入れない地域だけに緊張する。

今回の写真の子たちは、
みな、イスラム教徒の子たち。
リグアサン湿原の子もいる。

今後、マノボ地域とクリスチャン地域の
全員の子たち、290名ほどを調査する。



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洪水で被害を受けた
イスラム自治区、
リグアサン湿原
集落を訪ねた


小さな小川のような運河が
現地への到達手段.

この先に、
300世帯近い集落が有るとは
考えられない!



集落に到達するためには、

ジャングルの湿地を
抜けなければならない


ワニに出会っても少しも不思議ではない。
ギネスブックに出ている
7メートルある世界一大きなワニは、
ミンダナオ生まれ。

この湿原は、調査がされておらず
8メートルのワニもいるという。
周囲のニッパヤシは、
屋根を葺く原材料になる。

小舟に乗り、
薪をあつめていた家族に出会った。

子どもたちが手伝っている。

小さな魚が舟に飛びこんできた。
自然が豊かな証拠だ。

膨大な石油の埋蔵も確認されていて、
それが、戦争の原因だと言われているが、

ここを油田に開発したら、
これら自然は、ことごとく破壊され、
人々の生活は圧迫されるだろう。


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集落を抜けると、
とつぜん
開けた湿原地帯に
飛び出した


突然、
開けた湿原地帯に出た。

見渡す限り
広大な湿原地帯に、
集落が見える。

米を栽培している。
本来は
豊かな地なのだが、



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今年は5回の
洪水に出会った。


そのたびに
収穫までの苦労が水泡に帰した。

農業と漁業が見事に両立している
豊かな地域なのだが、

繰り返し洪水と戦闘に
見舞われている不幸な場所。

戦闘の理由は、
この地域から膨大な量で湧出している石油と
天然ガス資源が国際的に
注目されているからだと言われている。


有名な反政府組織の地域でもあり
住民の顔は、最初強ばっていた。

村長の依頼で向かったのだが、
事前の連絡がついていなかったのだ。

私たちは、モスクに招き入れられた。

話を理解して下さり
緊急の集会を開いて下さった。

話が進むにしたがって、顔がゆるみはじめる。

今年も5度、洪水に襲われている。
戦闘の時もひどい状況になる。

支援はまったくなく、かつて一人
オースラトリア政府関係のNGOが訪れて
ポンプを置いて、
逃げるように帰って行ったという冗談が出た。

その時、約束していった保育所も、
その後の支援も何もないという。

MCLは、政府関係のNGOではないから、
小さな事しかできないけれど、
スカラシップを通して
長くお付き合いしたいと話した。

日本人を見るのはもちろん初めて。

洪水のために
家々がかなり被害を受けている!


洪水被害の件をたずねると、
今年は、5回の洪水に見舞われている。

そのたびに屋根裏に避難するのだという。
その屋根も腐りがひどい。

今は、若干水は引いた状態だが、
天候は良くなく、
再び洪水が襲う可能性がある。

長いお付き合いをはじめるために、
28日に、MCLの奨学生と来て、
読み聞かせと古着の支援をするが、
一番必要としているのは、
ビニールシートだそうだ。



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ここに
皆さんからの
緊急支援を・・・


屋根や壁の腐り方を見ると、
繰り返された洪水の被害がよくわかる。

真ん中のは橋。


世帯数は、役300世帯。

子どもたちも、
ほとんど学校に通っていない。

陸伝いに道は無いからだ。

下宿小屋を建てられると良いのだが。


保育所建設も考えたいと思っている。

屋根のシートもボロボロだ。

個人の支援に頼っている小さい組織MCLに
出来ることは限られているのだが。


この子たちをそのまま
放っておくことは出来ない。

子どもたちこそ未来だから。


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ドンボスコ社発行:
月刊誌『カトリック生活』
より抜粋

ミンダナオ子ども図書館を始めた
直接的なきっかけは、
キダパワンの司教館に
泊めていただいていたとき、
ロムロ・バリエス司教に誘われて、
現地から一時間ほど
西へ行ったイスラム地域、
ピキットの避難民キャンプを見たときだ。

現地は、国際停戦監視団でも
容易には活動できない高度な危険地域。
今でこそミンダナオ子ども図書館は、
スタッフも僕も、連日のように
現地に深く入り込んで活動をしているが、
当時バリエス司教は、
同行する外国人である僕たちに
「絶対に車から離れないこと」を約束させて
現地に向かって出発した。

車が大湿原に流れ込む大河、
プランギ河を越えたとたん、
避難民が増え始めた。
着の身着のままの姿で、
テントどころか、
木の枝を立てた上に
ヤシの葉を葺いた下で生活している。
しかもその数が半端ではない。
見渡す限り地平線まで避難民なのだ。

2000年に米国とフィリピン軍との
合同演習(バリカタン)という名の実戦で、
数十万の避難民が出た上に、
二〇〇三年テロリスト掃討作戦で
空爆まで含む戦闘が起きた。
死体を埋める暇も無く、
河に流したという。
それがこの膨大な避難民だった。

さすがにショックだった。
何故このような事が起こるのか
という疑問もさることながら、
何よりも悲しかったのは、
快活なフィリピンの子どもたちが、
まったく笑顔を失っているどころか、
表情すらないことだった。

いくらなんでも、
これはあまりにもひどすぎる。
何か僕に、出来ることはないだろうか。
そう思ったときにとっさに浮かんできたのが
「読み聞かせ」だったのだ。
子どもたちを前に、
絵本などの読み語りをすれば、
トラウマも消え元気になれるはずだ。

さらに、避難民のキャンプに、
病気の子どもがいたので、
ポケットマネーでも良いから
病院に運びたいと、
現地の人に話したら、
「どこのNGOに属しているのか?」
と聞かれた。
「どこにも属していない」と答えると、
「NGOに属していない者は
ここでは活動できない」
と言われた。
強い、怒りがこみ上げてきた。
目の前にいる子どもを
助けることも許されない!
イエスは、NGOに所属しながら、
病人や貧者を救ったのだろうか!

当時、五名の若者たちを
学校に行かせてあげていたが、
彼等に相談すると
「私たちで、法人資格を取ってみる」と言って、
当時高校生だった若者たちが、
半年で許可を取ってしまった。
彼等は今、
有能なスタッフとして活躍している。
ボランティアなど全く関心がなかった僕が、
NGOにはまってしまったのは、
子どもたちへの愛からだった。



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被害状況を
詳細に現場調査


この地は、
石油と天然ガスの資源が豊富で
国際的にも注目されている。

大量の避難民を出し続けている
30年にもわたる戦闘も、
住民の排除と関係があるのではと
現地の人々は言う。

私には、良くわからないし
MCLは、政治には関与しない。

ただひたすら、
不幸な子どもたちのために
可能な限りの活動を行う組織だが、

家々を流す鉄砲水の原因が

上流のダムの開閉と関係していると
言われていて、

日本政府が建設したダムの
貯水の解放の仕方に、

人々が、疑いの目を差し向けている
事が次第にわかってきた。


後日、IMT国際監視団に
JICAから派遣されている方に
この話をしてから、
急激なダム解放による
鉄砲水は、無くなりました。



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洪水支援のための
詳細な調査を完了


洪水直後の緊急支援を今まで行ってきたが、
今回は、
洪水で破壊された生活を立て直すための
実質的な生活支援を、
長期的な視点から行うことにした。

生活立て直し支援がないと、
被災者の実質的な定着が
不可能になるばかりか、

ただただ支援を待っているような
受け身的な状態になりかねないから。


今もしばしば浮草が増え、
洪水の予兆が繰り返し襲っている。

しかし、
とりあえず水は引いた状態に。


この広大な湿原の中に、
何と多くの人々が、
(5000世帯と言われている)
漁業と稲やトウモロコシを植えて

生活しているかを見ると
驚きが隠せない。


家々が破壊されても、
彼等は、土地を離れようとはせず、

時には屋根裏に逃げ、
実にしたたかに生きていく。


この地は、洪水と戦闘さえ無ければ、
驚くほど農業と漁業資源に満ちている。

それを知っている湿原の人々は、
決してここを去ろうとしないだろう。

また、先住民族とも異なって、
イスラム教徒独特の高いホコリとプライド、
強い自意識が感じられる。


今回の支援は、ビニールシート600枚、
大漁網8枚、小舟4雙、
植林支援ゴムの木の苗60000本の他
立正佼成会から、
リグアサン湿原を航行するための
大型と小型の乗合船を
支援していただきました。

この舟は、今後、
ミンダナオ子ども図書館の
リグアサン湿原地域における保育所建設
読み聞かせ、緊急支援に役立てると同時に、

小型舟も湿原内の学校の奨学生に
学用品等を届けたり
医療患者を救済したりします。

また、この舟は、MCLだけではなく、
ピキットの市の
DSWD(福祉局)やワールドフードの
食料支援などにも使用する予定です。

IMT(国際停戦監視団)やUNHCRでも
ご使用なさりたければご連絡下さい。


今回の支援は、
3月から6月にかけて長期に行っていきます
随時経過をサイトにてご報告いたします。

洪水支援

さゆり・立正佼成会平和基金・岡部恵造・Mの会 
山本幸子・芝本祐造、
カトリック千里ニュータウン教会・
久野万里子・菊地知子・千里サンパギータ



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ピキット市の
DSWD(福祉局)と
連携して

漁民のための漁網と小舟を

生活立て直し支援のために
配布することに決めた


ごらんのように、
ここの住民の生活基盤は漁業だ。

洪水のおこす鉄砲水のために、

漁網が破壊されたり、
舟が流された人々も多い。

今回の漁網は、
かなり大きな物を集落単位で、
小舟とともに渡すことにした。


支援活動が多いピキットのDSWDで
所長補佐をしているソーシャルワーカーの
グレイスさんの提案で、

単なる一時的な物的支援ではなく、
生活基盤を立て直し、
収入を復活することによって、

住民が自分の力とやる気で、
再建するタイプの支援を今回は採用した。

それが、大きな漁網の支援で、
二つの村の8つの集落に漁網を渡し、

組織されてきている女性グループが、
全体を管理することで収益を上げ、

それを村で公平に分配していく
方法を採っている。

グレイスさんは、
MCLのボードメンバーでもある。
(下の写真、右)



支援に関しては、
慎重に地元の意見を聞き
長期的な視野に立って
計画を詰める


今回の洪水支援は、
総合的に、三つの部分に分けられている。

1,漁網と小舟の支援
2,ビニールシートの支援
3,上流のゴムの植林の支援

ビニールシートは、
湿原地帯の水田中心の村に500枚支援する。

こちらは、雨漏りと同時に、
晴れの時は収穫した米を
乾燥させるために有益。

ゴムの緑林は、
アラカンのマノボ地域に行う。

植林によって洪水を防ぐと同時に、
収入がなく土地を手放しがちな
マノボ族に収益をもたらす、
生活保護支援にもなる。



医療やスカラシップ、
読み聞かせを通して
村との長期的な
友情関係を作っていく


こうした奇形の子が
多いのもこの地域の特徴

ちょうど、2000年、2003年頃に
生まれた子に多い。
アメリカとフィリピン軍の合同演習と
テロリスト掃討作戦で
空爆まで行われた時期と重なる。

その時の一人が、下のアメラちゃんだ。
私は、劣化ウランを疑っているのだが

この子たちの手術や将来を考えて
スカラシップも決定した。

このようなところから
MCLとの心の関係が生まれてくる。


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アメラちゃんも
奨学生に


2003年、MCLが出発したばかりの頃
赤ちゃんだったアメラちゃんの頬の手術をした。

生まれつきの瘤が急速に拡大。
CTスキャンの結果
深く喉を圧迫しており、このままでは死亡。
ダバオの病院で早急に手術を決定。

ダバオドクトル病院。
ガンの疑いもあるという事で、
医師団が慎重にチェック、
顔の脳に近いところであるので、
手術も難しかったのですが無事終了。

送っていってびっくり。
イスラム地区のもっとも激戦地で
多くの人が亡くなった場所。
今も厳重な監視体制がひかれていて、
さらに行き止まりの家屋から
大きな川を小舟で渡ったところでした。

今は、
すっかり成長して小学生になった。

ARMMの最も危険な地域で
当時は、軍隊の検問も厳しく、
MCLだけを通してくれた。
今思っても良くあんなところまで
行った物だと思う。


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ビニールシート
600枚を配った


まずチケットを渡す

ミンダナオで最も困難な地域
と言われているリグアサン湿原の
イスラム自治区(ARMM)エリア。
国の自治も行き届かずほとんど無法地帯だ。

くり返し戦闘と洪水に見舞われてきた
不幸な地域に、
今回ビニールシートを配布した。


この地には、読み聞かせも含めて
すでに数回足を運んでおり、
村人とも懇意になってきた。


ビニールシートは、
腐った屋根のカバーにもなるし、

とりわけこの地域は稲作が生命線なので
湿地帯のぬれた土壌の上に
ビニールシートを広げて、
米を干すのに重要な生活必需品なのだ。

今回の洪水支援は、
前にも書いたが生活立て直しを援助する、
生活収入支援とした。


いよいよMCLで、
ビニールシートを配ると聞いて
人々が集まってきた。


このような場所に、
突然シートを持ってきても
奪い合いになったり、混乱を来すだけだ。

そこで、まずは、
本当に必要としている家庭をチェックして、
チケットを配ることにした。

説明会に、
婦人たちが集まってきた。


集会所になっているのは
湿原に建てられたモスク。

この地域は、三つの集落に分かれている。
今回は、現地の実地調査と
地域の不平等を無くすため
各地域を舟で回った。


ビニールシートは、
写真のように籾米を干すのに重要なツールだ。

生活に欠かすことの出来ない必需品だが、
貧しい彼らには、
なかなか買うことが出来ない。

下のお年寄りは、
100歳を遙かに超えている。

目は見えないが、
家の壁が、シートであることからも
生活に必要であることがわかる。


この広大な湿原地帯に
なんと多くの人々が暮らしていることか。
来るたびに驚きを隠せない。

本来、
地味は肥えていて洪水さえなければ、

稲作にはもってこいの豊かな地域なのだ。

そのうえ、
湿原からは大小の魚が無尽蔵にとれる。

しかし、
いったん洪水が襲うと、
水は軒下まで到達し家を腐らせ、傾かせ
生活そのものを脅かす。

今回の洪水でも
多くの子供たちが亡くなっている。


チケットを配り終わって
湿原地帯を去るとき、
私たちは、学校帰りの子供たちに出会った。

通学路はないから、
お兄ちゃんたちが小舟を自ら漕いで
妹の送り迎えをする。

男の子は、親を手伝って力仕事!
妹の中でひとりだけ、
家族みんなでがんばって、
学校にいかせてあげる。

学校自体も、
ニッパ椰子の葉で屋根を葺いたもので
外壁も何もない。

MCLでかつてセニオマラウ集落に
初等小学校を建てたのでその話をすると、

2教室でも良いから
ぜひぜひ教室を作ってほしいと言われた。

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ここが彼らが
通っている小学校


MCLでは、小学校は
日本政府のODAに依頼することが多い。

コンクリートの7教室で恒久的な建物が良い
という考えからだ。


この小学校は、6年生まであるが、
たびかさなる戦争で住民が少なくなり、

ようやく少しずつ家も建ち始めたが、
非常に貧しい。

村長が教育に熱心で、学校を建てたものの、
屋根はニッパ椰子の草葺きが限界だ。

これでは、3年もすれば、
雨漏りで使えなくなるだろう。


MCLが、
かつて作った
セニオマラウの小学校


MCLでは、どうようのケースに見かねて、
ピキットサイドのセニオマラウ集落に、
初等小学校の教室を
2棟建てた経験がある。

MCLで建設している
保育所2棟分の寄付で建設し、
大変喜ばれ、今も使われている。

基礎はコンクリートで
壁も半分までコンクリート。
そのため、すぐに痛むこともなく、
上半分の竹編みも修理がきく。
屋根も鉄板が使われている。


戦闘の絶えないピキットの丘陵地帯。
セニオマラウに
地元の強い要望で建設した小学校。
当時は、4学年までの初等小学校だったが、
今は6学年になっている。
ここからも、多くの奨学生を採用している。
W21小田原と全国海外事情研究会が、
寄贈してくださった。



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いよいよ
ビニールシートを配布


いつものように、MCLの子たちが、

協力して、
ビニールシートを5mの長さにカットした。

それを米袋に詰めこんで、

車からさらに小舟に移す。


小舟は、ジャングルの中を抜けて
湿原地帯に入っていく。


水深は浅く、
ときどき、船首にいる若者が、

竹や木の棒で川底を押して、

舟を進めていく。


舟は、
ワニの出そうなジャングルを抜けると、

突然、
広大な湿原地帯に飛び出す。


湿原地帯のあちこちに点々と家が建ち、

ビニールシートを配布してくれると聞いて、
集まってきた。

数日前に配ったチケットと引き換えに、

一人一人、
シートを手渡ししていく。


チケットを受け取ると同時に
家族の名前も確認し、
リストにチェックを入れる。


ビニールシートを
皆、心から喜んでくれる。



こうしたところから、

次の関係が生まれてくる。

この村からは、親のいない子など、

スカラシップの子を採用もした。

医療も行ったし、

初等小学校の建設も喜ばれるだろう。


シートを受け取って、

大喜びで帰ってく村人たち


私たちが、
今この地域に力を入れて

人々とのつながりを持とうと
しているのには、

それなりの理由がある。

ミンダナオでも、最も複雑な地域

戦闘に常にさいなまれてきた人々。

不信感から、
なかなか心を開かない村人たち。

もともと、
素朴な人々であったはずなのだが・・・

このリグアサン湿原からは
大量の天然ガスの湧出と
石油の埋蔵が確認され、

その利権を巡る争いが
戦争の原因と言われてきた。

一見、
今は落ち着いているようだが

ピーストークが決裂すれば、
30年以上にわたる戦闘の
最終戦がミンダナオで行われるという。


そのような事が起これば、
この子たちはどうなるだろうか!


今、
この地域に活動を展開している理由は、

戦闘が起こったとき、
難民化したとき、

MCLで
すぐに救済しに来れる体制を、


平和な今のうちに
作っておきたいからだ。


津波よりももっと恐ろしい物は、原発!

洪水よりももっと恐ろしい物は、戦争!


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洪水支援Ⅱ
(漁網と舟)


こちらは漁網の支援
カルボガンとブリオク村は、

プランギ川沿いで絶え間ない戦闘の
影響を受けてきた、極貧地域だ。

絶え間ない洪水にも見舞われ、

収入は、
川や湿地の魚をとって生活している。

今回の洪水で家が倒壊したり
破壊されたりした。

屋根が壁が、
今でも腐ったまま

現金収入が少ないので
修復も出来ない。


DSWD(福祉局)のグレイスさんの発案もあり、
カルボガン村の5集落とブリオク村の3集落に、

大きな漁網と小舟を4艘
支援することにした。

かなり大きな物なので
集落単位で管理し漁業利益は、分配する。

その一部は、
保管して漁網の修理代などに使う。

こうした管理作業をするのが
グレイスさん自身が関与している
集落の婦人会組織。


グレイスさんは、
MCLのボードメンバーでもある

(下の写真、青い服)

女性たちが中心になって
村の収益事業を立ち上げていく計画だ。

今回の漁網授与式にも
多くの女性たちが集まって来た。

各集落の女性代表たちが、

さまざまな取り決めを書いた
授与契約書にサインする。




漁網と組んで、小舟を支援

広大な湿原地帯では、
舟が重要な移動手段となる。

漁業も舟なしでは、なりたたない。

干しあがった魚の干物を、
町の市場に運ぶのも舟だ。

せっかくの大きな漁網も、
舟が無くては湖水に張ることが出来ない。

その意味でも、
漁網に加えて多少大きめの漁舟は、必要だ。

そのために、
今回の漁網支援に、木製の舟を加えた。


おいしい魚がたくさん捕れる。
こうした魚を干物にして市場に運ぶ。
こうした仕事に従事するのが
女と子供たちだ。

今回の企画のマネージメントは
こうした女性たちが中核となる。



立正佼正会の洪水支援で
MCLの舟も作った


今回の洪水支援のために
特別に立正佼正会から寄付の一部を
乗合船の購入に使わせていただいた。

これで、道のない湿原地帯の内部にある
集落の支援も可能になった。

そればかりか、
今後、湿原内部の集落への読み聞かせや
学用品を届けたり、
保育所建設の資材運び
病人や避難民の救済に活躍してくれる。

大人が30人まで搭乗可能。
MCLの舟だが、DSWD(福祉局)など
でも貸し出し使用できるようにする。
国際停戦監視団やUNHCRの方々
よろしかったらお貸しいたします。



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洪水支援Ⅲ
(植林ゴムの木6000本)


こちらはリグアサン湿原の上流にある
アラカンの山岳地域。

マノボ族の住む地域で、
MCLの奨学生たちもたくさんいる場所だが、
ごらんのように山の木が
ことごとく伐採されている。

もともとジャングルでラワンなどの
巨木がはえていたが、
多くが1960年代から伐採され、
大量に日本に輸出された。

その後も違法伐採が今でも続き、
ごらんのように丸裸な草地になってしまった。

低地の住みやすい地域が、
移民系の人々に買い占められ、
バナナなどのプランテーションになり、

先住民族たちが、
もともと住んでいた土地を追われて、
こうした山に住むようになった。

山岳地を豪雨が襲うと、
元々あった豊かな土は、
土砂崩れとなって流れ出し
石ころ混じりの荒れ地が残った。

雨は、鉄砲水となって下流に流れ、
森林伐採が、下の洪水の原因となっている。


MCLでは、このアラカンの地から
5つの集落を選び出し各集落に
2ヘクタールのゴム、カカオ、
コーヒーなどの木を植えることを提案。

すでに村々で集会を開いて、
それぞれの地域に合わせた方法で
植林を実行することに決定した。

キアタウ、ケロハス、ムヤス、
カヨパトン、パコパコの集落で
ここから多くの奨学生たちを採用している。

ゴムを選んだ理由は、
そこからあがる収益が村の人々の糧となり
貧困から不用意に土地を手放すような
不具合を無くす力になるからだ。

土地は、
個人の土地だとその後の問題になるので、
共同の所有地とする。

30%は、収穫の村の労働者に、
収益となる70%は、共同体の収益となる。
収益はすべて村にはいる。

同時に、学校が嫌いな若者でも、
ゴムのトッピングの技術を実地訓練する
生きた学校となる。

また、最初は2ヘクタールでも、
そこで落ちるゴムの種を分け合って
各家庭で苗を栽培し、

その後は、
自分の土地へ植えていくことによって
ゴムの林を無償で広げていくことが出来る。

ゴムの植林は、
洪水から人々を守ると同時に、
貧しい山岳の先住民に
経済的な支援を与え、

プランテーション化から土地を守るという、
二重の価値がある。


貧困地域の村にとって、
医療とスカラシップによる教育支援は、
未来の人材を作る上で非常に有意義だが、 

すべての子たちを奨学生として
とることも出来ず。

本来なら、
現地の親たちが自分たちの収入で食べさせ、
医療も受けさせられ、

子供たちを学校に行かせることが
出来れば最高だ。

その意味でも、
こうした収入プロジェクトを
スカラシップの若者たちと
実行していくことの意味は大きい。

この企画は、現地で大変喜ばれ
今後も長く続けていきたい。


ag19
村人たち総出の
草刈りが始まった


まずはキアタウ集落で、
村総出の草刈りが始まった。


大人たちだけではなく、
子供たちも参加して
父さんたちの仕事を見つめる。


スカラシップの若者たちも、参加した。

他地域から来た奨学生たちも、
こうした作業に加わることによって、

他の部族や地域の現状を知る。

特に、洪水地域から来た
イスラム教徒の若者たちが、
上流のマノボ族の貧困の状態を知り、

自らの地域の洪水対策のために、
クリスチャンやマノボ族の若者たちと
協働することの意味は大きい。

背景に立つ不思議なマンゴーの木。

一本の木から、赤と緑の葉が生えて
異なったものでも、一つになれるという
象徴のように見えてくる。


父さんたちの働いている
背中を見て育つ、

子供たち。



帰ると
母親と子供たちが、

料理を準備して
待っていた


仕事を終えて、
男の子たちと家路に向かう男たち。


料理を準備して待っている。

女性たちと、

女の子たち。
米や食費もMCLで支給した。



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朝日新聞の記者が
国際監視団の
落合さんの紹介で

ブアランの
小学校を訪問


40年以上、丘の上のクリスチャンと
山麓のイスラム教徒が対立し、

戦争が起こる原点の
場所の一つに数えられていたブアランの村に、

ミンダナオ子ども図書館の提案応募で
JICAによるODAで、小学校が建設され


平和への一歩が記されたことは、
幾たびかサイトに
記録を掲載してきました。

サイト参照
2011年(3)
サイトへGO!
平和構築と学校建築 
映像を 見たい方は ここをクリック
 戦争と平和
映像を 見たい方は ここをクリック 
ag21
プランギ河沿いの
イスラム教徒の子たちにも
学用品を届け、
状況をチェック


山の上の
クリスチャンとイスラム集落
ニューバレンシアに建設中の
バスケットボールコート


Mの会寄贈のバスケットボールコートは
建設中だ。

政情が多少不安定だったために
建設が中断したが、再び再会される。

イスラム地区は、
ミンダナオの母なる大河
プランギ川沿いに広がっている。

戦争と洪水さえなければ、
地味も肥えて豊かな場所。

洪水避難民となっていた子たちと出会い、
病気を治したところから
彼等とのお付き合いが始まった。

緊急支援の後もこうした地道な交流を
続けていくのが、
ミンダナオ子ども図書館の特徴。

こうして、
人々の心のつながりが生まれてくる。


ノート一冊、
鉛筆一本が買えなくて、

学校を諦めて行く子も多い。



ag22
親のいない子
崩壊家庭の子たちを
同時に調査


学用品を届けたり、
授業料の支払いをして、
写真を撮ったりする過程で、

必ず、現地に親がいず、
また崩壊家庭で苦労している
子たちがいないか、

先生や村長に聞き、
地域の現状を把握すると同時に、

次期の奨学生候補としていく。


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2008年の戦闘で
知り合った
アルバちゃんに、
今もMの会で
食料を支給している


アルバちゃんはどうしている?
元気かな?

ちょうどおばあちゃんに抱かれて、
昼寝から目覚めたところだった。


アルバちゃんは、14歳になった。
目は見えないが、
私たちの声を聞いただけで
優しい笑顔が返ってくる。

2008年の戦闘時期に
難民キャンプで発見。

その後、行橋カトリック教会とMの会が
ミルクや米を支援。

私たちが定期的に、
今も届けている。


4年前、出会った当時は、
正直に言って、生き残れるとは思えなかった


別の小学校では
懐かしい少女に再会


同じ2008年
難民キャンプで足に大やけどを負った少女。

緊急に病院に運び治療。

その後も極貧で住居を転々とするなか、
彼女を探し出して奨学生に!

私たちの顔を見たとたん
大喜びでかけてきた!


以下は、出会った時と

治療後の写真

こういう、
子どもたちとの出会いがあるから、
この仕事は辞められない!


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子どもの自立には、
遊びが一番


子ども時代を思い出すと、
私も学校の勉強はさておいて、
本当によく遊んだ。

拙著『昔話と心の自立』でも
繰り返し書いたが、

自立に何よりも大切なのは
遊びだと思う。

コンピューターや球技も含めて、
単に勝ち負けを競い合う、
ゲームは、遊びではない。

花いちもんめや鬼ごっこ、
みんなで飛ぶ縄跳び遊びや
ボールの代わりにゴム草履を使った
伝統的な数々の遊びを
ミンダナオの子たちは知っている。

遊びは相手の心を察して
自由な発想から楽しみが始まる、
創造的なものだ。


ハッピー バレンタイン

皆でチョコレートケーキを食べた。
めったにこんなの食べられない?


こういう笑顔を忘れずに、
皆元気に育ってほしい。

それにしても、つい先日まで、子供だったのに、
あっという間に年頃になっていく。
とにかく、特別な人間にならなくてもよいから。
幸せになってほしい。

子どもが生まれたり、先生になったら
宗派や部族を認め合いながらも
心から友情を結び合った体験を
次の世代に語ってほしい。

すでに結婚して、
誇らしげにわが子を抱いてくる子もいる。
ということは、私はおじいちゃん?

かつてのロクサンちゃん
極貧のマノボ族の村、カヨパトンの出身。

今のロクサンちゃん
下の写真では、左から3番目の子。

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復活祭
おめでとうございます。
MCLの
天使たちを紹介します!


MCLのあるマノンゴル村のカトリック教会から
「復活祭の夜明けのミサに、
MCLの天使たちを招待したいのですが・・・」
という依頼があった。

小学校の子どもたち、
特に女の子に白い服を着せて
ダンボールと紙で作った
羽を作って背中につけて

ローソクを携えた村人が、
マリアとともに庶民となり下から、

復活したイエスが上から
闇の中を教会に向かって進み

教会の中庭で出会い、
マリアとイエスの出会いを通して
復活の喜びの寸劇をする。

天使たちの役割は、
その場で輪になって踊りながら歌うこと。
復活祭の日曜日の夜明けのミサだ。


そんな、MCLの天使たちに
町で真っ白な服を買い
段ボールで羽を作って着せた。

天使の歌をみんなで練習。
夜明け前の3時に起きて、
化粧をして教会に行く準備。

普段のお転婆もいたずらっ子も
まるで本当の天使のよう?
いいえ、普段も本当の天使です。

極貧家庭から来て、いつもは山で、
破れた服を着ていた天使たち。
靴もなく、
裸足で山を駆け回っていた天使たち。

三食たべられず毎日おなかをすかせて、
沢でカニやトカゲを捕って
食べていた天使たち。

父親や母親が病気や戦闘で亡くなったり、
どこかに行ってしまったり、

極貧で異常をきたし
呆けてしまったあげく、
行き場所を失ってしまっていた天使たち。

MCLで購入した真っ白な服を着せると
そんな姿は想像できない。

でも、そんな困難や苦難の中で
かえって子どもらしい素直な心を
失わなかったからこそ、
天使のような姿なのかもしれない。
神様が作った天使たち。

子供たちほど本当の天使に近いようだ?
わたしの娘のエンジェルとアンジェラも!


これから教会に
向かいます


夜明け前のミサ
外は真っ暗で星空のした
あちこちにホタルが飛び交っている。

村の教会の鐘の音が
夜のとばりをふるわせるとき
MCLから、天使たちが飛びたっていく
闇の中に白い光を投げながら
教会に集まった天使たち。

復活祭の日曜日の夜明けのミサ。

復活祭では、
金曜日にキリストが亡くなり
三日後の日曜日に復活する。

夜明けの太陽が昇るのと
イエスの復活が重なっている。

復活の朝、天使たちが集まって
キリストの復活を喜び歌い
人々に知らせるのだ!

まずは、教会に集まって
その後、天使たちは教会の庭に出る。

すると、村の方から夜の闇の中を、
たくさんのローソクの明かりが
教会に向かってくるのが見える。

村人たちが、イエスの復活を知って
マリアとともに教会に集まってきたのだ。
天使たちは、教会の庭で祈り歌う。


教会の前で、復活した
イエスに出会ったマリアと村人たち。

天使たちは、イエスとマリアを迎え
喜びの歌を歌う。

村人たちも、
ローソクをともして喜びの歌をうたう。

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夜が明けて
ミサが終わり、
MCLへ


ミサが終わると夜が明けている。
朝の光の中を家へ向かう。

そのさわやかさが、何ともいえない。
復活の喜びと、

朝のさわやかさ。
すがすがしい空気と天使たちの笑い声。

訪問者も、思わぬ体験に
深く心を打たれたようだ。

素朴な子たちだからこそ
本当に天使のようだ。

つらい思いをしてきた子たちだからこそ、

心からの笑顔で幸せになって
わらうことができる?

そんな天使たちに
私もずいぶん救われている。
ありがとう!

MCLにもどってきた
天使たち


もどってくると、

すっかり夜が明けている。

どこからともなく、
鶏の声が聞こえてくる。

天使の心を失うことなく、

幸せに、

大人になっていってほしい。

羽を降ろして、

普段の天使にもどった
天使たち


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天使たちの現実調査


天使たちのMCLでの表情は
思いのほか明るいので
天使たちの背景を想像することすら
不可能が事が多い。

四月五月と学年代わりの時期から
新学期の六月が始まるまでの夏休み
二ヶ月間をかけて、
徹底した天使たちの現地調査が始まる。

現地調査の目的は、
 1,小学校から高校、高校から大学に
   進学する奨学生たちのスクリーニング。
   一人一人、現地で面接して、
   進学可能か生活の状況を調査する。

 2,今年から、毎年支援者にお送りする
   日本語のプロフィールに、最新の家庭
   や学校での様子を文章か写真で報告。
   その状況調査も兼ねる。

お父さんはいなくなり、
お母さんは呆けてしまった。
食べ物がなくなり、
お腹をすかせた状況で
突然絶望や戦闘が襲うと
精神に異常をきたしてしまう。
MCLにも、そうした親を持つ子が結構いる。


 3,貧しい村や
   親の無い新たな子たちの
   スカラシップ採用調査。

応募してきた天使の数は限りなく、
その中から、どうしても放っておけない
境遇の子たちや地域を優先して、
スカラシップや里親候補としてあげていく。

平和構築の必要性や、
どうしても放っておけない子たちだけで、
すでに、
支援者の無い子たちが130名を超える。

MCLのスカラシップは、
子供たちの救済が重要テーマで、
支援者の数だけ子どもを
採用するようなスカラシップではない。

救済支援を必要としている子たちの場合は、
支援者がいなくても
費用を出して学校に行かせてあげる。
保護もかねて、MCLに住む子も多い。

山村僻地の親の無い子ばかりではなく、
時にはストリートチルドレンもいるし、
チャイルドレイバーで、
サトウキビ刈りや薪集め、
草刈りや山菜集め、
水くみからゴムの木の汁集めまで、

ありとあらゆる労働に駆りだされ、
とても学習するような
環境ではないのがあたりまえ。

そうした劣悪な環境のせいもあり、
成績優秀とは言い難い子も多く、
そうした子は支援者に紹介せずに、
MCLで面倒をみる。
支援者の無い子が
130名を超えているが、
そのなかの40名ありまりはそうした子たち。

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スカラシップ
だけではなく、
子供たちの
保護施設としての
行政許可も得ている。

奨学生(スカラシップ)といっても、
孤児施設のような側面も持つ。
DSWDからの依頼で
孤児を引き受けることも多い。

そうした子たちの中でも、
特に親の無い子や、親族や地域で
面倒を見ることの出来ない子は
ミンダナオ子ども図書館に住むことが出来る。

本人の希望と保護者の理解で
住むことが出来るが、
翌年に村に帰りたくなれば、いつでも帰れる。

17歳以上でも住み込めるし、
その意味では孤児施設では無いわけで、
いわば、学校に行けない子たちの
下宿施設を本部がになっているわけだ。

それでも、今年も本部のある
マノンゴル小学校、高校卒業生の、
最優秀者は皆、なんとMCLの子たちだった。
もちろん外部の学校でも
表彰される子は多い・・・
せっかく学校に行かせてもらえるのだから、
がんばらなくっちゃ!

本来は孤児であっても、
孤児と言われるのは悲しいことで
その意味では、
MCLの子たちは、孤児と呼ばれず
スカラー(奨学生)と呼ばれる。

ミンダナオでは、スカラーというのは、
とてもステータスが高い響きがあるから
本人もうれしいし、
やる気が出るというものだ。

でも、校長先生などからは、
「MCLの子たちは、優秀な子もいるけど、
全然だめな子もいますねえ。
変なスカラシップですねえ」
などと、嫌みを言われることもある。

学校教育等というものは、
概してエリート教育でそんなものだが、
私自身は、
極貧のさらにマイナスから来た子が、
将来ごく普通の幸せを
手にしてほしいと思っている。

文化や種族や宗教の違いを
敬意を持って受け入れる気持ち、
親になったり先生になったり、
いろいろな場で
次の世代を生きる我が子に
「母さんは、子どもの頃、
親がいなくてMCLで生活してたけど、
イスラムの子たちもいて、
マノボの子たちもいて、
とても楽しかったよ」と言えるように。

そんなわけで、経済的にはたえず火の車で、
皆さん方からの自由寄付も、
読み聞かせや医療だけではなく、
支援者のいない子供たちの
学費や食費にもまわす。

財政的に考えると無理をしているなあ、
と自分でも思うが、
現地で親が死んだり、いなくなったりして
苦労している子を見ると
どうしても放っておけない。

戦闘が繰り返される地域では、
何とか平和を構築しなければ
ならないとも思う。

そこまで無理をして、
なぜ子供たちを採用するのか?
子供たちのために、
お金を使いすぎているのでは?
と言われることがあるけれど・・・

ag29
どこから、どうやって、
こうした不幸な境遇や
環境の子たちを
みつけてくるの?

とよく聞かれる。
貧しい村があるという情報を聞くと、
積極的に村を訪れる。

時には歩き、馬に乗り・・・
ただ日本のように安全ではないので
コンタクトパーソン(仲介者)がいないと
村には入れない。

外国人が突然村を訪れたら、
人々は、恐れをなすだろう。
始まった頃は、日本人というだけで
過去の悪い戦争イメージと、
ジャパユキの売春斡旋の
人買いのイメージが先に立ち
娘を預けるなど論外だったが、

今は、村人たちの方が、
子どもの未来のために、
子どもがMCLで生活することを希望したり、

MCLが、やって来た!
と言うだけで大喜びで迎えてくれる。

電気も携帯も無くても、
こちらの口コミの力はものすごい、
信じられない遠くの山奥の人々まで
結構、MCLの事を知っている。

今は、MCLの奨学生たちがさらに、
自分の村の不幸な子を
奨学生にしてあげてほしいと推薦してくる。
下の子たちも、そうした子たちだ。
 

お母さんは、病気で亡くなった。
お父さんは、足が悪くて引きづりながら
歩いているけど、
ゴムの木の汁をとる日雇い労働をしている。

生活は大変。
ぼくも父さんを手伝っているけど、
仕事もしなくてはならないし
学校に行くお金がない。

学校が要求するプロジェクトの費用は
当然出せないし、
プロジェクトに参加しないと成績をもらえない。
時にはエンピツ一本買えないし
お弁当も持って行けない。
下の写真が、ぼくの家。

わたしは、おばあちゃんと暮らしている。
母さんは、結婚前にわたしを産んで
父さんにあたる人は、いなくなった。

母さんはいるけど、わたしを置いて、
別の男の人といっしょになったの。
おばあちゃんも年だし、仕事がないし。

放っておけないので、
ミンダナオ子ども図書館で
暮らしながら、学校に行くことになった。

一家族、平均して7人はいる。
避妊はしない。出来るはずもない。
コンドームや避妊薬など買えないし。

大勢の方が、
大きくなって草刈りなどの仕事も
手伝ってくれる?


先進国から見ると、
もっと避妊を進めるべきだ・・・
と言う意見が出るだろう。
最初は、わたしもそんなことを
思ったりもしたものだが、

村に行き、生活は大変なのだけれども、
共同体の中で、互いに助け合いながら、
子供たちが、生き生きと遊んだり、
親を助けて
お手伝いをしている姿を見ていると
お金には換えられない幸せが感じられて。

少子化政策の後にたどり着いた、
日本の社会の寂しさや
(なんと田舎でも子どもが遊んでいる姿がない)

家庭に子どもが少ないが故に、
お互いに助け合う姿が無い
(たとえば、お姉ちゃんが、
妹や弟の赤ちゃんをおんぶしたり世話をしたり)
どちらの生活が良いのかわからなくなってきた。

善し悪しは、
上下と同様に簡単に結論づけられないようだ。

下にいらっしゃる魔除けの猿さまに、
聞いてみると
「どこにも良い点と問題が潜んでいて、
協力し合って解決するのが一番良い」
とのお言葉。


お金に余裕のある人は、
生活の厳しい人を助け
生活が厳しくとも心が豊かな人たちは
お金があっても
心が貧困状態の人々を助ける?

隣国同士のフィリピンと日本
足して二で割れば、良いのにといつも思う。

ag30
学校が夏休みの
僻村を回って
子供たちの調査をする


フィリピンの夏休みは、4月5月。
特に、小学校を卒業する子と、
高校を卒業する子が、
基本的な読み書きが
出来るかどうかをテストする。

MCLは、成績優秀者を好んで
採用するスカラシップではない。

極貧や戦闘で疲弊した地域のなかでも、
特に子育てや生活に困っている家庭、

特に孤児や片親の子を
優先してスカラシップに採用し
大学まで進学できるチャンスを与える。

こうした子たちは、
成績の面でも困難に直面している子が多い。

高校や大学に進学したくても、
読み書きと言った
基本が出来ていない子の場合は、
専門学校や技術習得の短期コースを推薦する。

そのためにも、一人一人の状況を、
私も含めてスタッフが
理解している必要がある。

それには、経費がかかっても
村を巡って読書力のテストをしたり、
相談に乗ったりする。

今年は、小学校から大学まで、
奨学生の数は総勢550名に達する。

学校や教会に選択や管理を依頼する
スカラシップなら自力で僻村をたずね、
一人一人の調査を毎年幾度も繰り返すような、
経費の無駄と言えるような
努力は必要ないだろう。

巡っている村々も、
イスラムの湿原地域から
マノボ族の山岳地域まで80はくだらない。

危険度もさることながら、
往復6時間以上かかる山岳地帯もあり、
ガソリン代だけでも大変だが
地元の人々と深い友情と
信頼関係が生まれてくる。

時には、馬で行ったり、
徒歩で数時間山道をあるく。
そのようなところにしばしば学用品を届けたり
状況調査で訪れたり。

戦闘などがあれば、
救済に命がけに向かうのだから
さすがに村人たちも、
私たちを心から信用して
迎えてくれるようになる。

「MCLは、本気で私たちの事を考えてくれる」
とよく言われるが、
「本気で子供たちを愛している」
というのが本当だろう。

本気で愛せば、
どんな困難も喜びに変わっていく。
特に、とりわけ困難な地域や、
困難な状況の子たちを救済できて、
その子たちが幸せそうになり、
村の様子も喜びに満ち、

MCLに来ても、明るい笑顔で
庭を駆け回るようになると
どんな苦労も報われたような気持ちになる。

自己満足といわれるかもしれないけれど、
心の底から深い満足に満たされる。
支援者の方々にも、少しでもその喜びを
感じてほしいといつも思う。
訪問希望の方は ここをクリック!
その後、ミンダナオ子ども図書館を
訪問者の方々、
特に青少年の若者たちに
宿泊費なしで
滞在可能にすることに決めました。


感動した場面を写真に記録し
また、出来るだけ多くの子たちの姿を乗せて
支援者の方々に、
現状をお伝えしようと努力するのも、

私自身が体験し感じている
深い感動や喜びを多くの方々と
分かち合いたいと思うが故です。

小学校の子たちは、
今年は250名を超えるだろう。
そのなかの100名以上が
支援者が見つかっていない。
様子見で、推薦を控えている子も
3分の一を超える。

推薦する自信が無ければ
採用しなければ良いでしょうに、
と言われることもあるが、

親もなく困窮している子たちを見ると
自腹をはたいても
何とかしたいと思うものだ。

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新たな地域から
奨学生を選ぶために

まだ踏み込んでいない、
貧しい村の子どもたちの
状況も調査


学校から非常に遠く、
取り残されたマノボの村


実際に現地を見て
状況を把握していく。

最終的な奨学生の決定は
ディレクターにゆだねられる。


現状を把握すると同時に
読み聞かせ等の活動を計画し

後日、子どもたちが集まる機会を作り
その中で再び奨学生候補を選んでゆく。


MCLの奨学生は、学校に行きたいと同時に
孤児などの不遇な環境の子たちを優先してる。


ラナコランの下宿小屋の子たちも
元気だった


いつもながら、
雄大で素晴らしい展望が開けるアラカン
天然記念物の
フィリピンイーグルが迎えてくれた。


河野優子さんと

京都暁星高校が寄贈して下さった、
下宿小屋。

下宿小屋は、奨学生だけではなく、
現地に住んでいる学校が遠い子どもたち
(時には、朝の4時にでて
3時間以上かけてジャングルを通う)

貧しく3食たべられない子たちが
学校に近い下宿小屋に住み、
MCLで米を支給して、

共同生活しながら
学校に通えるようにしている。

新しい小学生たちを、
奨学生に採用したいが。


今までの奨学生たちも元気だった。

多くの6年生が、
これから高校に進学する。

高校までは、さらに遠いので
MCLに住みながら通う子も出てくるだろう。

そうした希望をインタビューする時期だ。


支援者に絵手紙を描く子どもたち。

子どもを抱いているのは、
夫婦で下宿小屋のハウスペアレントを
して下さっている、スタッフのジェイ夫妻。

子どもたちの面倒を見ていると同時に、
子どもたちと一緒に、

まわりで食材用の野菜を栽培し
ニワトリを飼って、食物の自給に心をくだく。


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MCL流
保育所調査と建設


現在、
保育所建設の場所の調査を行っています。

5月の年度替わりまでに、
前年度分の保育所を逐次完成していきます。

藤本洋子・丹原美穂・小池文司 
杉の子幼稚園・中本山實相院発菩提心の会
宮崎 朱美・前田 玉枝(徹生・容子)・
前田 鶴呉(徹生・容子)・京都暁星高校
(財)北野生涯教育振興会・野村 裕子


一軒の保育所を建てるのも容易ではない。

車の乗り入れがしやすい場所で、
保育所建設を望む村もあり、
建てようによっては、
経費も安く次々と建てられるのだが、

MCLは、スカラシップ同様に、
保育所も極貧で最も辺境にあり、
見捨てられているような村を
慎重に選んで検討する。

4WDで山道を何時間もかけて走り、
そこからさらに徒歩や馬、
時には舟で行く場所も多い。

資材の運搬も容易ではない。
繰り返し村との調整をおこなうために
何度も車で通い、
ガソリン代も馬鹿にならない。

保育所建設も地域によっては命がけだ。


そのような地域から、
保育所を建設するだけではなく、
奨学生を採用し、
そこから村とのお付き合いが始まる。

家庭崩壊の結果、見捨てられ
それでも頑張って親戚の家で働いて
小学校を卒業する。
成績も良いし、奨学生候補に。


今回は、二月末日に2棟完成した
北野生涯教育財団の
建設報告を紹介しながら、
MCL流、
保育所建設支援の実態を紹介しよう。
北野生涯教育振興会
http://www.kitanozaidan.or.jp/


1月から5月までは、
年度で最も忙しい日々だ。
4月がMCLの年度替わりで、
一年の集計をするときだが、
スカラシップの子どもたちが
新年度を迎えるのもこの時期。

支援者の方々には、3月にスナップ写真と
子どもの手紙をお送りし
5月に成績表、
7月にプロフィールをお送りしている。

スナップ写真を撮りに行くだけでも大変だが、
その場で山の子どもたちの写真を撮り、
現状を確認。

なかには、
サトウキビ労働に狩りだされたあげく、
ストップした子などもいて、
その状況を調べて支援者にご報告。

代わりの子の支援をお願いしたり・・・
新たなスカラシップや
里親の子とたちの調査や選択。

その合間を縫って、
洪水支援対策のための
集落でのミーティングを行い、
保育所建設を同時に行う。
とにかく忙しく、
サイト更新もままならないほど・・・

保育所建設も、予算をそのままドンと
村にわたすようなやり方では
どこにどう使われたかわからないので、
くり返し現地調査をして、
村人と懇意になり村の現状を確認し。 
DSWDの行政機関と連携を持ち、
責任の所在をはっきりさせた上で建設をする。

資材の購入もまかせっきりにすると、
とんでもない使い方や、
偽領収書をつかませられるので、
現在は、経理と会計、
そしてスタッフのなかの
選ばれた少数の者だけが
現金を扱うような体制にしている。

NGOが多数活動し
支援慣れしているところでは
いかに海外支援からお金をとるかの
テクニックも進んでいて一筋縄ではない。

まずは、現地調査。僻地のなかでも、
最も貧困度の高い場所を選ぶので
現地調査だけでも大変だ。

4WD車で到達できる場所ならまだ良いが、
時には何時間も歩き、
山の集落に到着する。

今回の場所は、
DSWDからの依頼もあるが、
行政からの依頼でも、
実は、有名な反政府組織の活動拠点。

反政府組織の活動拠点なのに、
なぜ行政が?と
不思議に思われるかもしれないが、
住んでいればわかるのだが、
ここでは説明しきれないので、
興味があればいらしてください。


今回の開所式の直前に、
北野財団の方から、
訪問予定取り止めの連絡が入った。
キダパワンの監獄に収監されていた
MILFの爆弾製造にたけたコマンダーを
脱獄させるためにMIFLの戦士たちが、
NPAと共に監獄を襲撃。

コマンダーの解放には失敗したが
市民も含め数名が死亡した。
コマンダーはマニラに移送されたが、
警護がほとんどいなかった等
奇妙な点も多く、はたして反政府勢力の
仕業か否かは、現地でも疑問が出ている。

ミンダナオの状況を、私は楽観していない。 
MILFと政府軍との最終戦争を起こし
NPAも含めて、ミンダナオを戦場に
仕立て上げようとする動きがある?

国際NGOもことごとく
コタバトに集結している。
戦闘が起こるとしたならば、
今年から来年にかけてだろう。

かつてない大規模な
道路整備が完結し
来年の地方選挙をめどに勃発?
国際停戦監視団やUNHCRの皆さん
停戦よろしくお願いします。

かつてピキットの村長が
言った言葉が忘れられない。

戦闘の起こる予兆
1,道路が補修整備される
2,国際NGOや国際機関が
  世界から集結する
3,頻繁に爆弾事件や誘拐事件が
  起こされる


生臭い話はさておいて
私たちは、森を抜けて
目的とする集落の近くにたどり着いた。
アバカとはマニラ麻のこと。
ちゃんと栽培されている。

この地域のバゴボ族は、
よくマニラ麻を生産し、
自分たちで手透きですいている。

マニラ麻は、戦前にダバオで
日系人たちが従事していた産業だ。
マキララのバゴボ族のなかには、
日系人、つまり自分の先祖が
日本人だった人が多い。


案の定、思った通り
この村の人々の何人かは
祖父や曾祖父は日本人だったと語ってくれた。


こんな山奥によくもまあ、
人が住んでいるものだ。
戦後、日本人であることを
隠して生きてきた人々の末裔。


ag33
村の子どもたちや
人々の生活を調査
 
 

保育所建設を決定する前に
事前に村の調査をする。
読み聞かせを実行して
村の子どもたちの状況も把握


私たちの活動を見て、
ある日本の方が言われた。
「あの大きさの保育所だったら、
30万円以下で、
建設可能だと思ったのですが
いま、ようやくわかりました。

これだけくり返し事前調査をして、
読み聞かせもして
村とのコミュニケーションを
図った上で建設する。

時には、資材を運び上げるのに、
大勢の人々や馬も出る。
4WDで山道を数時間行く時の
ガソリン代だけでも馬鹿にならないのに・・・
人件費も並大抵ではないでしょう。

私はてっきり、
寄付のお金を現地の村にボンとおいて、
後はまかせるだけだと思っていたのだけれど、
資材購入から完成まで、
MCLのスタッフが全部責任を持って行動する。
いやあ、驚きました。」


資材の購入を現地にまかせれば、
セメントの三分の一は、有力者の
懐に入るし、水増しの建設費と
偽造領収書で建設費はあっという間に
30万円を超えるだろう。

10年間現地に住んで現地の習慣や様子を
失敗もくり返しながら理解していくと
次第次第に、最良の施策方法が
編み出されてくるものだ。


私自身は、人をすぐ信頼し
人にまかせて物事を行うという
あまーーい性格なのだが

妻のエープリルリンが
その点、実にしっかりしている。

危機になると、学校をストップして
MCLを立て直すのも彼女で、
たびたび学校を停止して
7年間かけて高校を卒業

今、大学の教育学部数学科だが
今回も半年休学し
10周年に向けた経理体制を
作り上げてくれた


MCLが資材を購入 

資材購入もすべてMCLで行い、
公式な領収書を受け取る。


壁を竹で作る。
今回の保育所の壁作りは、彼にまかせた。

高校生で学業はストップして、
家業を手伝っている青年。
ほとんど職人といえる技術と
気質を持っている好青年だ。


こちらは、
砂利とセメントでブロックを作っている現場。

上の竹の仕事の隣で
青年の父親が作業をしている。


セメントやブロックの購入現場。

ここでもすべての価格と個数をチェックし、

領収書を確認する。


資材購入表のチェックと
労働者の給与支払いもMCLで直接行う


ag34
ダンプカーがスタック
資材を届ける困難


集めた資材を現地に届けるのも
並大抵ではない。
時には思わぬ困難が襲う。

ダンプカーは、
ドライバー付きで市行政が貸してくれた。

ガソリン代は、MCLが負担する。
だが、そのダンプカーが・・・

思わぬところでスタックした!

MCLの4WD
日産のナバラで引いてみたのだが
多少動いたかと思ったら
何重にもまいた太い縄が
プッツー-----ン!

これでは無理だ。
山の中腹では集落の人々が
資材を担ぎ上げるために
集まっているという連絡は入るし。

急きょ資材をナバラに積み替えて
往復することになった。

ダンプカーの方は運転手が市長に連絡。
市のパワーショベルが
救援に来ることに決定した。


ようやく約束の場に届いた
資材を車から降ろし

今度は、人力と馬で運び上げる。

集落は、ここから徒歩で歩いても
2時間はかかる。

このようなことが、
実にしばしば起こるので

自分でも興味深いことだが、
何が起こっても少しも驚かなくなった。

神様は必ず、よりよい解決を用意している。

終わりよければ

全てよし!


人間が作った4WD車も入れないところを、

神が作った4WD(馬)は、
何の苦もなく入っていく。

「人間って、大したことないなあ・・・」


いよいよ
建設が始まった












自分たちの村に、

念願の保育所が出来るので

子どもたちも

村人も大喜びだ。




ag35
いよいよ念願の開所式

開所式には、読み聞かせもあるので
MCLの子どもたちも参加する。

皆この日を楽しみにしている。
彼らもこぞって荷物を運ぶ。

下の写真で運んでいるのは豚の丸焼き。

MCLで寄贈して村人と食べる。


貧しい村では、
豚の丸焼きは滅多に食べられない。
米もあまり食べられないので
MCLで寄付する。

その代わり、村で特産の食事を
村総出で準備してくれているはず
なんと言っても特産は

1,カエルの竹筒煮込み
2,カサバイモの蒸かし
3,山芋の蒸かし
4,地鶏の丸焼き






今回は、
日本から勇敢な女子大生たちが参加。

皆、今年大学を卒業する。
すでに就職先も決まっているのだが

「これからも毎年
絶対に時間を見つけて来ます。
ぜーーーったい!」




たいしたお嬢さん方だ。


開所式が始まった

マロンピーニ村は、最初は雲の中だった。

ここからアポ山に登山できる。






子どもたちは地鶏を焼いてくれた

北野生涯教育財団つうしょう
北野財団は、車のライトをおもに
制作しているスタンレー電気の財団
http://www.kitanozaidan.or.jp/
 

大学のスカラシップの子たちも
12名支援してくださっている。


開所式では、リボンカットと同時に
サイン式が重要な意味を持っている。
サインには、村長、保育所の先生
MCLの代表、ディレクターなどがサイン。

基本的には、MCLから村へ
正式に保育所を譲渡し、
村で責任を持って管理すること。

土地は、個人のものでも
デッドオブドネーションで譲渡すること。
保育所の先生の給与を保証すること。

先生は、責任を持って
子どもたちの面倒を見ること。

そうした事柄が書かれている。




ag36
開所式のあとに
読み聞かせが


今回の読み聞かせには、
日本の若者たちも参加した。

英語で読み聞かせをして、
エープリルリンが訳しながら現地語で語る。
一緒に踊ったり歌ったり。

保育園の建物を建設することをきっかけに
村人たちとの交流を開始することが、
貧しい僻村にとって重要と考えている。
その根幹になるのが、この読み聞かせ。

さらに、今回も、
大学進学と高校のスカラシップの子を採用。
彼らが、コンタクトパーソンとなっていく。

そして、数名の小学校の子どもたちを
里親として採用し、彼らの成長を通して、
村との関係が深まっていく。

病気の子がいる場合は、
医療も、現地とMCLを結ぶ大きな力となる。


そして最後は、みんなで食事。
貧しい村なので、米があるわけでもない。
おかずも鳥の丸焼きで大変なごちそう。

そこで、村では、普段食べている。
カサバイモと里芋を用意してもらい。
おかずのカエルを煮てもらう。
竹に入っているのがカエル竹筒煮込みで、
ほのかに竹の香りもする。

その横にあるのが、豚の丸焼き。
お祝いには、必携の一品だが、
現地では無理なのでMCLで準備した。
こうして子どもたちも含めて
食事をして完成をお祝いする。
北野財団の方、是非後日
訪問されてください。


ag37
北野財団の
もう一つの保育所の
開所式


北野財団の訪問に合わせて
2カ所の保育所を同時に建設した。

こちらは、パルソン集落。
マキララ地域のバゴボ族の村。


マキララのDSWDの依頼だが、
マロンピーニほど山奥にあるわけではない。
しかし、保育所の建物がない。
下のような、休憩所で保育をしている。


開所式の日、村の若者がヤシの木に登り
ヤシのジュースと実をふるまってくれた。

このどん詰まりの集落の裏は山が続いている。
この保育所に山の方からも
先住民が通っている。


洗濯を川でした後、母さんと家へもどる少女。
家で着替えをして開所式に参加してくれた。

こちらの子供たちは
親の苦労を見ているだけではなく
積極的に、母さんや父さんを
手伝ったり助けたりする。

学校に行きたい理由もほとんどが、
親を助けたい家族を助けたい。


開所式のテープカット

私も開所式の挨拶をした。

もっぱら子供たちに語った。



ヤシの林に囲まれた保育所。

お母さん方も参加して
とても喜んでくださった。


恒例のサイン式典。

MCLから村への保育所の譲渡。

土地の所有権の放棄、村での維持の責任。

保育所の先生の給与。

そうした規定が書かれている。


最後にボードが打ち付けられる。

このボードの制作はもと奨学生で車いす
今はスタッフのジョイが描いている。


下の写真、
左に写っているのがジョイ。

両足義足で手も生まれつきの障害が
あるけれども、
明るく、MCLで高校と大学を卒業後
スタッフとして活躍している。


開所式の後の
読み聞かせ


開所式の後の読み聞かせ
子供たちにとっては
もちろんこっちの方が楽しみだ。


こうして楽しみながら
子供たちの笑顔を見るとき
保育所を建設したことの喜びが
しみじみと感じられてくる。

北野財団さんありがとう!


今回の開所式は平日だったため
奨学生の子供たちが参加できずに
スタッフたちで読み聞かせ。

大きなカブのドラマも彼らがした。



読み聞かせの後に絵本を受け取り
絵本を見ることも重要。

まだ字が読めない年頃だけれど
こうした体験が、
将来勉強への好奇心に自然に発展していく。


こうした子たちがさまざまな本を読み、

社会の矛盾に疑問を持ち

自ら貧困などの問題に
取り組んでいってほしいと思う。



ag38
聖マーガレット幼稚園
の保育所もできた

寄贈の保育所ができた


とっても貧しい村ですが、
子どもたちは本当に可愛い。



場所は、マグペットの山の中、
非常に貧しいマノボ族の村。

ここに行くには、
山の中を1時間ほど歩くしかない。
資材も馬で運んだ。

実は、この保育所。
わたしが日本に行った直後に完成し、
開所式があった。

わたしは、慌ただしく
日本に旅立った直後だったので
寄贈者のお名前を忘れてしまっていました。
ゴメンナサイ
日本に滞在中、講演会にうかがったのに、
ご報告できませんでした。

聖マーガレット幼稚園では、
子どもたちにもお話ができて、
とっても楽しい時間でした。

 幼稚園のサイトへ マーガレット幼稚園
いつか是非、来て下さい。ご案内します。


ag39
マロゴン村の問題
なんと、
下の写真が
高校の校舎!


マロゴン村の問題は、
高校の校舎が以下のような現状であること。


スナップショットは、私も同行、
現地の子どもたちの状況を
把握すると同時に、
問題点を理解する良い機会になります


3月に皆さんにお送りする
子どもたちの
スナップショットの撮影に
走り回っています








子どもたちが書いているのは
支援者への絵手紙

小学校の子たちは
英語がまだ堪能ではないので

こうして絵手紙を描きます。





ag40
野菜売りの
少女たちも元気です

野菜売りの少女へ!

お父さんは、毒を飲まされて殺された。
原因は、地主が彼らを追い出したかったから。

土地もなく、
川沿いの傾斜地にかろうじて家を建て、
母親は年老いた祖父母と、
7人の子供たちと暮らしていた。
子供たちが野菜を売って生活している。

3人をMCLの奨学生に採用したが、
真ん中の長女は、去年家にもどって、
母親を助けて野菜売りにもどった。


家に戻って野菜売りを続けて、
家族を助けている長女。
学校は停止したが、
本人の希望?もあるので仕方がない。

しかし、こうやって野菜を売りにくるので
MCLでほとんど買ってあげている。
学校に行くだけが全てではないし、
こうした子はこうした子で
今後も見守っていこうと思う。


下の子も一度帰ったが、
MCLに戻ることに


下の子も、今年から家に
戻ることにしたが、
聞くと、学校を停止してしまっていた。

本人は、MCLに住んで
学校に通いたい。

しかし、母親から、
上の子は子供の面倒をみて、
下の彼女が、野菜売りをするように
言われたようだ。
隣にいるのは、弟。

早速、母親と相談して、
MCLに戻れることになった。
でも、一年生をもう一度繰り返すことに。


野菜の値段をパッパと答えていく。
そして、あっという間に合計を答える。


しかし、一年を落第しても、
翌年には成績優秀で表彰された子もいる。
ミンダナオ子ども図書館の
スカラシップは、優等生に
出しているわけではないので難しいところだ。

優等生を支援したい方は、
その旨、お伝えください。
優等生で、困窮家庭の子を探します。



数日後、
誕生日があり、
夜明け前に皆で歌った


夜明け前に、
その子の寝ている部屋の前にあつまり、
誕生日の歌をうたう。
ハラナと呼ばれている習慣だ。

4時に起きて歌うが、
私は、欠席したことがない。


歌い始めるとき外には星がまたたいているが、
歌い終わったときに、夜が白々と明けてくる。

最初は、眠くて億劫なのだが、
夜明けと

歌ってもらっ子の笑顔をみると、
心も白々とあけてくる。


野菜売りの少女へ!

クレジットカードによる寄付が可能になりました!
サイトは保護されています、
個人情報が流出することはありません!


スカラシップの一括支払いも可能です!

毎回振込後に、宮木梓からお礼のメールとが届きます!
奨学金は物価高騰もあり、2021年より以下に変更いたしました。
一年間、小学校42000円、中高60000円、大学72000円

卒業後も支援額を変更して継続、別の子を紹介希望、終了希望は、
通信欄かメールで宮木梓宛に、寄付の内容や要望をお書きいただければ、
宮木梓が、対応いたします。
メールが難しい方は、日本事務局に携帯かお電話で対応いたします。
 
郵便局、銀行またはコンビニ、ATM、ネット振込は以下です!  
基本は、自由寄付です。振り込まれた方には、隔月に機関誌をお送りします。 
郵便局からの振り込み
自由寄付、スカラシップ里親支援等
郵便振替口座番号 00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

ミンダナオ子ども図書館 支援方法
銀行またはATM
インターネットでの振り込みは以下へ

銀行名 
ゆうちょ銀行 金融機関コード 9900
店番 
019  預金種目 当座
店名:
〇一九店ゼロイチキユウ店
口座番号 
0018057
口座名:
ミンダナオ子ども図書館
 振込を確認しましたら、子どもたちの写真または絵が描かれたお礼ハガキを現地からお送りしています!
領収書等が必要な方は、宮木梓までご連絡ください。
現地日本人スタッフ宮木 梓  mclmindanao@gmail.com
日本事務局 前田容子 FAX:0743 74 6465 携帯電話:090 5091 7514
ぜひいつか、子どもたちに会いにしらしてくださいね!




主要な目次を集めました!
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ミンダナオ子ども図書館だより 宮木あずさ制作
現地日本人スタッフによる、
写真を交えた最新の活動報告です!
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
訪問等でMCLと出会った若者たちの想いです!
ミンダナオ子ども図書館:日記 松居友制作
松居友による活動報告および
製作映像や想いを載せた自由日記です!
ミンダナオ子ども図書館 支援方法
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機関誌『ミンダナオの風』 にこめた思い!
機関誌『ミンダナオの風』編集にこめた思い!
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日本の子ども ミンダナオの子ども
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機関誌『ミンダナオの風』若者たちの想い!
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無題3:松居陽
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イクメンに未来をたくせそう!
2021年 今後のMCL 
今後の活動指針
 愛に捧ぐ黙想 松居 陽
愛に捧ぐ黙想:松居陽
ぼくの少年時代と 思春期から   
ほくの少年時代と思春期から
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子育てよりも、子育つ世界!
講演、公演の予定表など 
講演、公演の予定表など
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酋長の依頼で
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地震避難民の救済と読み語り
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