戦争と平和構築
2009年の記録から
(2)



平和構築の礎としての
ミンダナオ子ども図書館の
文化祭と読み語りそして、
保育所、学校建設、医療活動と

毎年行われる平和の祈り

先住民族の文化祭
マノボデーの
準備の芋掘りと
先住民の生活状況



芋掘りと言っても
日本のように
畑に植わっているのを
掘るのではない

自生している芋を
木の枝を使って
掘るのだ!

(実はこれも、
半自生であって
立派な畑なのだが)


先住民族のマノボ族、バゴボ族、
ビラーン族、マンダヤ族などは、
多くが山の奥に住み着いている。

それを見て、
山を生活の場として好む、
山岳民族だと
勘違いしている人たちが居る。

そうではない、
亡きボードメンバーで
マノボ族のスーザン・インカルさんが
おっしゃっていたが、
「今は、学園都市になっている
MCLのあるキダパワンも、
昔はジャングルで、
平地には、
マノボ族しか住んでいなかった。」

誰が好きこのんで、
この様な傾斜地に好んで
畑を作るだろうか・・・・!

下の写真の背後の下には、
広大な水田やゴムやバナナの
プランテーションが広がっているが、
あそこが、元々、
マノボ族の住んでいた土地だった。

それが今では、
外地から来た開拓民や
プランテーションに土地を追われ、

こうした、不便な斜面に
住むしかなくなったのだ。

こうした現実を理解するために、
芋掘りも、
ミンダナオ子ども図書館で行う
文化祭の一つ、
先住民マノボデーの
大切な活動の一部。

他宗教や他部族の
イスラムの子や
移民系クリスチャンの子たちにとっても、
マノボの子たちが
どこでどのような生活をしているかを
知ることは大事なこと。

MCLの奨学生たちも、
ほとんどが下の写真のような
家から来ている。


今、こうした地域を、
先進国の自国優先による
食糧確保政策のために起こった
作られた貧困による食糧難と
物価高騰による生活難が
先住民たちを襲ってる。
ちょっとした食料の値上がりが、
こうした貧困層にとっては
壊滅的な打撃になる。

下の写真を見て、
皆さんには、どんな声が
聞こえてきますか?
私には、こんな声が聞こえてきます。
「ハハハ、これは単なるジョーク 
ジョーク、冗談だよ!
こんなだったら良いなあ、
って米もって演出しているだけ!
あーあ、腹へったなあ。

この米?
田の稲刈りに日雇いで
働かせてもらったXさんが、
落ち穂を集めた籾で、
うちのじゃないわ。
置いてあったから、
冗談で写真に撮ってもらっただけ。
子どもたちに食べさせる米?
あるわけないでしょう!」


どうして貧しい人々って、
こんなに朗らかなんだろう・・
写真を見ると、
または、現実を知らない旅行者が
こうした人々の姿に出会うと、
「ああ、熱帯は冬もなく、食糧が豊かだなあ」
と思えるかもしれない。
しかし、上のモミ米の写真は、
自分たちの田んぼの収穫ではない。

山裾の平原を所有している
移民系クリスチャンの
稲刈りの後の田んぼから
(下の写真)
こぼれていた落ち穂を
拾い集めてきたものだ。

家族が多ければ、
二日分の食糧にも満たないだろう。
米を買う金がないから、
こうして収穫後の田んぼに残された
落ち穂を拾う。

こうした田んぼは、
もともと先住民の
自給地だったのだが、
政府が(所有者の無い土地)と認定し、
分割して島外移民に売却した。
マノボの人たちは、
自分で土地を買うような
お金がないので、
生活していた土地から
追い出されたのだ。

出ていかない
マノボの家族は、
イラガ(ネズミ)と呼ばれる、
移民系の人々が作った暗殺団に
殺されたりしている。

それでも抵抗する者たちは、
NPA(反政府ゲリラ)という
レッテルを貼られ
軍の攻撃を受けて死んでいった。
先住民を擁護していた
イタリア人のファウスト神父も
殺された。

私がきた6年ほど前も、
マキララで同様の事が起こり
現在も、抵抗運動や戦闘は
各地で起こっている。

山に追われた
マノボ族の人々は、
誰も耕していない、
不便な傾斜地を見つけては
そこで、かろうじて
バナナや芋や
トウモロコシを作付けしている。


のんきな日本人は、
バナナは、バナナの木に
次々と房がつくと思っている。
だから、例え山岳地域でも、
熱帯は果物が一年中なっていて
豊かな場所だと・・・

しかし、バナナは草で、
木のように見える一本に
一房だけ実り、
その後は、腐って死ぬか
切り払われる。
つまり、年に二回、
二房が収穫できるだけだ。


プランテーションのように、
何万本も植わっていれば
食べるにこまらないだろうが、
斜面のバナナの所有者は、
一家族が10本程度。

仮に10本のバナナの木を
所有していても、
食べられるの年に20房だけ。
芋を掘っても、
トウモロコシを植えても、
食べていけない事がわかる。

しかも、多くのマノボの人々は、
この様な斜面にすら土地が無く、
自給地すらを持たない。
そのなかには、
日本人たちの末裔である
日系人も多くいる。
下の写真の前列左の
奨学生も日系人。

彼らは、戦前まで
ダバオ近郊に住んでいて
原住民と結婚していて、
マニラ麻の農場を持っていたが、
第二次世界大戦の時に日本軍が、
先住民を裏切るという理由で、
生き埋めにする話を聞き、
家族を守るために、
日本人であることを隠して
妻子と山に逃げた。

(下のマノボの母親の
おじいさんは、日本人で
戦争の時に身を隠して
山に逃げた。
母親は、日本語で私に語りかけてきた
「わたしのおとうさんにほんじん」)

こういう人々は、
サトウキビ刈りの日雇いなどに
出稼ぎに行くか
(これも現在の経済危機で
ことごとくリストラされている)、

女の子は、町にでて
洗濯女や子守、女中となり、
果ては食べるために売春に走り
男の子たちは、
空き缶などの町のゴミを拾って歩く、
なかば物乞いの生活となる。


ミンダナオ子ども図書館では、
そういう子たちを保護し、
本部や下宿小屋に住み込んで
大学まで行けるようにしている。
MCLのスタッフのジケロ・タカ君も
そんな日系人の一人だ。


これが、彼等が
山から得られる
貴重な食糧だ


森のなかの野菜は、
これでも、ちゃんと
個人で植えたものなのだ。


渓谷や小川でも
カエルやカニを捕って
食料にする。


それが、子どもたち
特に男の子たちの
毎日のお仕事。


沢ガニは
とっても美味しい
僕も大好き!

トカゲも食べる
美味しいよ!


一見、豊かな?森の恵??
しかし、これだけ捕るのも
結構たいへんだし、
たくさん捕れるわけでもない


カエルは、日常のおかず。
アドボでココナツ煮込み
をして食べると
これもおいしい。


こうした子どもたちの日々の様子を
童話にして「MCL文庫」の

児童文学・幼年童話の原稿に
載せています。

MCL文庫にGO!

下界に見える
平坦で耕作に良い土地は


ほとんど、
ビサヤ、イロンゴ、
イロカノと言った


移民系クリスチャンに
占められている


田んぼを持ち、
コメが食べられるだけでも
山の先住民たちには
想像を絶する
豊かな生活なのだ!


しかし、田んぼを持っていても
決して豊かな生活とは言えず
子どもを学校に行かせられない
移民系クリスチャンの家族も多い。
耕運機やトラクターは使わず
水牛で耕す。

費用がかかるので
除草剤も使わずに
アヒルで草刈りをして

卵をバロットにして
町に売りに行く。


高地のマノボの子たちが、
こうした村に降りてくると
物乞いが来たと思われる。
実際に物乞いに下りてくる子も多く
残飯や日銭をあたえたりもする。

いわゆるストリートチルドレンになって
道ばたに立つ子もいて
それもほとんど、
家族を少しでも助けるためだ。

下は低地に住む
クリスチャンの家族
土地もなく貧しいので
奨学生に採用した。
子どもたちには、
日本から送られてきた
古着を渡した。

お弁当も文具も買えず
靴もないので学校にも通えず、
たとえ通えたとしても、
山のなかのジャングルを何キロも
歩かなければならない。

町の貧困は山とは違って
自給地がなく
物乞いに頼らざるを得ない。
ぼくが子供の頃に父と
物乞いの前を通ると
父が、
「物乞いに何も与えちゃだめだ。
彼らは、仕事を見つけて働く
努力をしなければならないんだ!」
と言われたのを思い出す。

今は、家族の為に必死に頑張る
物乞いの子たちには、
あれば日銭を渡してあげる。
何でも、ある物は
すべて分かち合えばいいんだと思う。

ミンダナオ子ども図書館では、
すべてを家族として分かち合っているし。
物乞いをしていた子たちも
いっしょに住んで助け合いながら
生活をしている。

ミンダナオ子ども図書館は、
そうした子をあえて選んで、
奨学金を出している。

彼等がなぜ、
ミンダナオ子ども図書館に
住みこみを希望するか、
ご理解いただけよう。


マノボの人々は、
この写真の後ろの山の
さらにはるか奥の
山の中に住んでいる。

こうした山の傾斜地に、
悪いことに現在、
ドールやデルモンテ、
日本のAJMR(住友商事)が
次々とバナナ園を開き
マノボの人々は自給地を追われ、
さらに山の彼方へと
移動せざるを得ない状況。

ここで育つバナナ、
皆さんが日常
スーパーで食べている高原バナナ、
完熟バナナ
ちょっとしたブームになっている、
高地栽培バナナと
呼ばれるのがそれである。

ただ、落ちたバナナを食べて
死んだ人が親せきにいて
人々は、食べようとしない。
刻んで豚の餌として売る。

バナナに土地を追われた
マノボの子たちは、
三食食べられなくて痩せている。
これぞ、本当の
バナナダイエット???!!!

それに加えて最近は、
ジェトロファ(こちらではトバトバ)
と呼ばれる草の実が、
バイオ燃料が出来るというので
日本も含めた海外企業が、
土地を買いあさっている
という声が聞こえてきた。。

バナナに次いで、バイオ燃料に
土地を追われるマノボ族。
ジェトロファは、雑草だから、
盗んでも食べられない。

(プランテーションでは、
盗もうとすると、
ライフルを持った
警備員に射撃される。)
こうして、父親が命を落としたり、
監獄に投獄されて、
家庭も崩壊した子も
ミンダナオ子ども図書館には数人いる。

今年、図書館の建物に
住みこみの子を70名まで増やし、
飽和状態をあえて超えさせたのも
保護しなければならない、
食べられない子たちが
今年に入ってどっと増えたからだ。


先住民族を追い出して、
政府の公認の内に
自分たちの土地を所有した
移民系の人々

旅人には、
一見のどかな農村風景にしか
見えないが、
その背後に隠れた
こうした真実を
現地から発していくのも、
ミンダナオ子ども図書館の
重要な仕事だと思い始めた。
先進国の人々も気づいて
少しでも、子どもたちの未来が
良くなるように・・・。

例えミンダナオに住んでいても、
リタイヤメントなどで
町に住んでいては、
この様な現実はわからない。

外国人が、
こうした地域に
入り込むだけでも難しいのだが、
私が、年月を重ねて可能にしたのは、
そこに子どもたちがいるからだ。


僕自身、まったく
偶然にもミンダナオに入り
このような予期せぬ
子どもたちの貧困状態を
目の当たりにして、
先進国日本も関わっている
作られた貧困の
事実を見せつけられ
非常に強いショックを受けた。

日本にいた時に
子ども時代から受け取っていた教育では、
このような事実は、
いっさい語られていなかった。
政治も経済も教育文化も
欧米先進国をひたすら
模倣し追いかける
良いとこどりのキレイで
その裏で起こっている悲惨な状況を
まったく伝えていなかった???

たしかに若い頃に
鶴見良行著『バナナと日本人』(岩波新書)
を読んでいたけれど、
1960年代のミンダナオでの
出来事だと思っていた。
それが、まさに西部劇のような
プランテーション開発による戦争や
土地を奪われていく先住民の家族を
目の当たりにするとは!!!

バナナだけではない。
海辺のマングローブの林が
備長炭として売られていくことで
海岸線の自然環境が破壊されて
漁民が住めなくなった場所や
ジャングルの熱帯材が伐採されて
ほとんど日本に持っていかれて

ジャングルが6%しか残らず
それゆえ表土が流失し
下流のイスラム地域の湿原では
毎年4,5回も大洪水が
起こる様子を見たりして
洪水の 映像を見たい方は ここをクリック!

とにかく僕は
困難や極貧状態に追い込まれた
子どもの様子を放っておけず
ミンダナオ子ども図書館を設立して
微力ながらも
自分の最後の将来をかけて
出来ることをやろうと思った。

僕が、一人の日本人として
次代を担う若者たちに
心から期待することは、
自国のうちに閉じこもって、
本や絵本やメディアを通して
キレイごとのみを見て
生きようとするのではなく、

実際に現地に足を運んで
こうした隣国の負の面にも
真剣な眼差しをもって事実を知り
日本の人々に伝えながら
出来ればその地に根を下ろして、

アジアや世界の平和のために
国境を越えて
何ができるかを
考え実行し始めることだろう。

人々のために、
とりわけ未来である
子どもたちのために
活動を開始しなければ
ならないのではないだろうか。
アジアそして世界に
平和を作る国として。


来週に迫った
マノボデーの練習風景


今年の文化祭のテーマは
病気の癒し、祈祷。


ムスリムデーの祈祷は
実に興味深いシャマニズムの宇宙観
ともつながる部分もあって
私自身もビックリした!
マノボの方は、生け贄のニワトリを
使って病魔を追い払う祈祷

ミンダナオ子ども図書館の
文化祭は、
首領に教えてもらいながら

伝統と文化を受け継ぐ
大事なプロジェクトだ。
憑依を払ったり


先住民族の伝統楽器、
アゴンの音色にあわせて

収穫を願う
踊りをおどったり。

アゴンが弾ける人も
少なくなっている中で、
それを途絶えさせてはならない

若者たちが、
自分の民族の
伝統文化に誇りを持ち、

嫌々ながらではなく、
心の底から
楽しみながら

宗教や部族の違いも超えて
参加できることが
大切だと思う。


自分がマノボ族であること、
マノボ族で生まれてきて
良かったと思えること、

それが美しいことだと
感じられること。

同時に
他の宗教や部族の文化も
すてきだなあ!
と思えること。

それこそ、
ミンダナオ子ども図書館の文化祭の
最も重要なテーマだ。

ステージで演じて、
見せ物になることではなく、

自分たちで地元での
自分たちの文化の
素晴らしさに気づき、

それを表現する喜びを
体験する事


ほんらい山での収穫祭は
ステージの上に立ち
外来の人々の拍手を
受けるために行うのではなく
集落の大人も子供も
全員が参加して

みんなで謡って踊って
精霊や妖精や
先祖の魂たちを呼び寄せて
天地創造の神に感謝し
生かしていただくために
豊作を願うことだ。


その夜は、
ダトゥ(首領)を囲んで


夜は、ダトゥ(首領)を囲んで
自分たちの伝統を感じることの大切さを
語ってもらった。
ダトゥの昔話に釘付けに・・・

こうした体験を、今度は読み語りに生かし
あちこちで語り歌い踊ることによって
失われつつある文化を
新たに復活させる

ミンダナオ子ども図書館の若者たち


首領の話は、夜も続く。
あちこちで妖精達の飛んでいる羽音や、
声が聞こえてくる



2009年:
マノボデー
先住民族の文化祭


今年の文化祭のテーマは、
「祈祷」。

収穫祈祷、
争いを収める祈祷、
そして、
病魔を祓う祈祷が行われた。

結婚式のための祈祷は、
来年に持ち越された


四隅には、
神に捧げる供物が置かれる
ご飯と鶏肉

毎月、月末の日曜日
学校での諸問題が話し合われる
奨学生の総会、その後で
先住民族の文化祭が行われた。
7月は、マノボデー
9月は、ビサヤ・イロンゴデー
1月は、ムスリムデー
3月は、平和の祈り
4月は、シンポジウム

こうしたアクティビティーを通して
平和、貧困、文化について
発言し、考え、体験する

ミンダナオ子ども図書館は、
スカラシップや医療が
中心的活動目的だと
考えている人が多いが、
貧しい子たちを、
ただ学校に行かせるのが
目的ではない。

彼等が将来、
民族、宗教を超えて、
平和や貧困の問題を解決できる
心を育てることが主眼。
それには、学校教育にはない、
独自の文化やボランティア活動を、
学校とは別に行う必要がある。

MCLが政府に登録している際の
プライマリーパーパス(第一次目的)は、
文化と読み語りプロジェクト。
文化プロジェクトを通して、
平和で貧困のないミンダナオを創ること・・・。
これが基幹だ。
学校教育だけで平和が実現できるなら、
とっくにフィリピンは
平和な国になっていただろう。

日本でも、
企業で働いている人ならわかると思うが、
学校教育を受けたからと行って、
大学を出たからと行って、
社会で使い物になるわけでもないし、
成績優秀だからといって、
世の中を良くする仕事が
出来るわけでもない。

逆に、学校では
英語とタガログ語以外の
言語の使用は禁止したり、
先住民族やイスラムの文化を
低く見る嫌いがあり、
平和に逆行している。

私自身、
成績はたえず中だったし、
勉強は好きではなかったし。
優等生になったこともない。
だからというわけではないが、
MCLは、成績を重視して
子どもたちを採用しない。

孤児、片親、極貧、
ブロークンファミリーの子が優先される
共通しているのは、総じてみんな、
極貧状態から来た子たちであること。
こうした子たちの方が、
人の気持ちを理解して、
平和を築けるような気がする。


この子たちの顔を見たとたん
私には、その子の背景が浮かんでくる。
200人以上集まっても、
奨学生として採用する時に
全家庭を訪問して、
家庭事情を聞いたりしているので
ほぼ全ての子たちの状況がわかる。

背後事情を知っていることは、
子どもたちの私に対する安心感や
信頼する気持ちとも関わってくる。 
の写真の4兄弟姉妹は、
昨年両親とも病気で亡くした。
キダパワンのスコーターエリアに住んでいた。

上の写真の子たちの中には、
特定して言うことは出来ないが、
母親が殺された子
無実の罪で監獄に父親が入っている子
両親が離婚してバラバラになっている子
父親が死んで、
継父が変な関心を持っていて
保護が必要な子
等の顔が見えている。

顔を見ているだけで、
色々な背景が思いだされる。
極貧で食べていけない子たちも含めて、
MCLの子たちは、ほとんどが、
何らかの困難な家庭事情を
抱えて来ている子たちだ。

最初は、この様な
事情のある子は難しいと思ったが、
(もちろん難しい場合もあるが)
こうして苦労してきている子たちの方が、
良い子が多いと思うようになった。



収穫を祈祷する

最初に、
収穫祈祷からはじまった。

人々が、
首領の前にやってきては、
農具、鎌や鉈を置いてゆく。

農具を浄めてから、
儀式がはじまる。
鎌を手にして、
山の草刈り、

男子が、木の棒を突いて
地面に穴を開けて
女子がカゴから種を取りだし
地面に開いた穴にまく。


種まきを模した祈祷

川の石をのけて
餌をまいて魚を集め
魚を捕獲する。

時には、
力で合わせてイノシシ狩り。


カエル(食べるための)や
カニ捕りも演じられる。

捕れて良かった。
これでご飯が食べられるわ!


最後に、陸稲の収穫
が演じられる


収穫されたものを
持ち寄りって

首領を中心にして
村人たちが集まり
皆で、豊穣と豊かな恵を
神に願って祈りを終える。



争い、憎しみを
収める祈祷

喧嘩が起きた!
迫真の演技に身の毛もよだつ・・・


妻や家族が
仲裁にはしる


村人たちが仲裁を
願い出ることによって、
首領が、白いニワトリを持って
仲裁の祈りにやってくる。


憎しみあっている二人の間にはいり、
白いニワトリの足をもって
両者の頭越しにふりまわす。
こうして和解の儀式が終わる。



病気の祓い

病気の祓いの時も、
首領が呼ばれ、
白いニワトリを持ってやってくる。

白いニワトリの首に
ナイフが当てられ

ニワトリの血を
病気の若者の額に塗る

鶏も料理して病人に米と
鶏肉を食べさせる


白いニワトリは、
生け贄の象徴だ。
沖縄では、
夜浜で豚が生け贄にされるし、
中近東ではかつて
羊が生け贄になったことは
聖書に記されているとおりだ。

こうした神へ供物、
または生け贄を送る場合は、
血と肉が儀式で
重要な意味を持つ。
この血と肉が象徴として、
酒と米、またはパンと葡萄酒に代わる。

日本では、
アイヌの熊送りの場合は、
血を飲み、肉を食べて、
カムイである熊を
カムイモシリに送った。
神道や仏教では、
御神酒とご飯が
カトリックでは、パンと葡萄酒が
供物として捧げられる。


こうした古代から現代まで
文化の背後に伝わる
宇宙像コスモロジーに関しては、
『火の神の懐にて』および『沖縄の宇宙像』の
2冊に書いたので
読みたい方はクリック
古本でしか手に入らないけれど・・・

火の神の懐にて沖縄の宇宙像
インターミッション
の踊り













マノボ文化の講義

首領・ダトゥ イナガロ
マノボ族だが
彼のおじいさんは日本人。

ガボン牧師

MCLのボードメンバー
マノボ族。
奥さんのおじいさんは日本人で
戦中にマノボ族の家族と山に逃げ
日本人であることを隠して生きのびた。
奥さんのお父さんにお会いしたら
山の中で、
盆栽庭を造って生活していた。

松居友
MCLの首領補佐?
ミンダナオの後住民族?
マノボ族の酋長もつとめていて
名前は、アオコイ マオガゴン


私にとって、
今回印象的だったのは、
生け贄の事だった。
ニワトリを生け贄に捧げる
習慣があることは、
知っていた。

2006年のマノボデーでは、
口でニワトリの喉を切って
人々を聖別していた。
白いニワトリだけではなく、
儀式によっては、
黒いニワトリを捧げることも聞いている。

生け贄は、
世界中の民族に見られる風習で、
沖縄では豚、中近東では羊、
時には山羊や人を生け贄に捧げた。

羊や人を生け贄に捧げる習慣は、
旧約聖書でも出てくるが、
日本でも人柱の昔話として残っている。
罪の許しや病魔を祓う、
いわゆる悪霊を祓う
犠牲としてもちいられる。

私は、最後に指名を受けて語った。
「今回の儀式で、
生け贄になった白いニワトリが
印象に強く残った。
喧嘩を仲裁するために
生け贄となった白いニワトリは、
イエスのように見えた。

『自分は、なんの罪もないのに、
こうして生け贄にされる、
しかし、自分が生け贄になって
殺されることで、
病気が癒され、喧嘩が無くなり、
この世に平和がもたらされるのならば、
仕方がないか・・・』
イエスは、病気を癒し、悪霊を追い出し、
最後には、神の平和を実現するために
自らの命を差し出した。

生け贄で大事なのは、血と肉。
アイヌの人々は、熊を神のもとに送る時、
血を飲み、肉を食べた。
その血が、酒になり、
肉がご飯や餅やパンになって、
神前に捧げられる。
ヨーロッパでは、葡萄酒とバン、
日本では御神酒と餅。
最後の晩餐を象徴しているカトリックミサも、
この流れをくんでいると私は見ている。

こうした風習は、
根元的に世界中に共通していて、
生け贄を捧げることで、
争いや病気を無くそうとした。
罪もないのに、
自分を犠牲にすることが、
愛の最高の姿だと知っていたからだろう。

かつては、罪のない処女を
生け贄にささげたりもしたが、
イエスが、神の子として
最高の生け贄となることで、
神の愛と平和を
この世にもたらした意味は、
こうした風趣からも良く理解できる。


イスラム教徒も
先住民族もクリスチャンも、
過去の風習をしっかりと見つめていくと
そこに以外と自分たちの
宗教につながる、
普遍的な愛を
見いだせるような気がする。」

そして最後に、こう語った。
「こうした先祖から培ってきた
文化を受け継いでいくことは
大事だと思う。

それは、大昔から人々が
受け継いできた愛の流れだから。

文化祭に参加することは、
ひょっとして『ある事』よりも
大事かもしれない、
『ある事』って、ここじゃ
大きな声では言えないけれど、
『学校教育』よりも大事かもネ・・・」



徹夜でつくった
マノボ料理


とってもおいしいよ
カエルの煮込み!


オララム:沢ガニ
みんなで捕ってきたものだよ。


マノボの食卓は本当に豊かだ。
かつて、ミンダナオに
土地所有権などが無かった時
いたるところで、
狩猟や採集、耕作が出来た時
彼等の食卓は、
想像以上に豊かだったのではないかと思う。

ティナポイ:米の麹蒸し

バンコック:
ナマズの串焼き

イナサノボタル:
トウモロコシの皮でくるんだ
トウモロコシのお菓子

サギング:蒸しバナナ
このバナナは甘いけれど
甘くないのは、
塩辛をつけて食べるんだよ!

ギナタア ガビ:
里芋の一種

ビツォビツォ:
米で作った揚げ団子

奨学生や
村のお母さんたちも来て
料理を手伝ってくださった。

前日は、徹夜でマノボ料理の
準備をした。
山の集落から
親もやってきて
料理の手ほどき


薪を使って
ご飯を炊くのは、
僕らの役目!


男の子たちも
女の子に負けず
料理は上手。


互いに分担して
手伝い合う。

親の無い子も、
こうした場で
自分のアイデンティティに
目覚めていく。


年齢に関係なく
小さな子たちも
しっかりお料理。
だって、毎日MCLでは
私たちが料理をしているもの!


200名ほどの、高校大学の
奨学生たちが集まり
イスラムの子も
クリスチャンの子も
始めて食べるマノボの食事に
舌鼓をうった
食事は、文化交流の
大事な一部


次回は、9月最終日曜日
ビサヤ・イロンゴの
移民クリスチャンの文化祭



文化祭の映像サイトへ GO!
立正佼成会の調査
日本軍の
要塞跡での祈り


立正佼成会の方々が、
本格的に現地調査を行った。

昨年のゆめポッケ配布で、
日本の子どもたちと
現地の子たちの交流が、
予想以上に好評だった事を受けて、
ゆめポッケ 映像へGO!

以前、さまざまな
世界の難民地域を巡って
プロジェクトを推進して来られた、
保科氏を中心にして
イスラム地域、マノボ地域の状況と
セキュリティー調査を行われた。

ピキットにある大戦時に
日本軍が指令部を置いた
スペイン時代の要塞跡で、
近い将来、
「平和の祈り」を開催するのも
1つの大きな目的だ。


ピキットでは、今も戦闘が起こって、
人々が死んでいくのだけれど、
第二次世界大戦では、日本軍が
この地に指令部を構え
この地が最後の激戦と成った。

敗戦を喫した日本兵たちは、
指令部である
スペイン時代の要塞蹟を放棄して
湿原地帯に逃げ延びた。

私たちも、この地域で長年
活動をしていると、
「私には、日本人の軍人の血が
入っているんです」と、
非常に言いにくそうに
話しかける人に出会う。
湿原に逃げた軍人の子孫は、
日本人であることを隠し
イスラム教徒となって
現在も生きている。
以下をクリックして見てください。
日系イスラム戦士、 「日本への思いを」を語る
中には反政府勢力の
司令官になっている人もいる。

この要塞は、地下に
複雑な防空壕を持っているが、
今だに、日本政府や慰霊団の
調査が入っていない。

現地の人々も曰く、
「多くの遺骨が眠っていて、
怖くてはいれない。
財宝があるという話もあるが・・・」

ここにお連れしたとき、
ちょうど太陽が、ミンダナオの
湿原の彼方に沈むときだった。

立正佼成会の方々は、
思わず手を合わせて拝む。
英霊たちに導かれて
この地に来たのだという想いが巡る。

日本軍、フィリピンの人々、
MILF、MNLF、政府軍
そして、
地元の家族や子どもたちが、
今もこの地で、
戦争の被害を受け続けている。
その全ての魂に、
鎮魂の祈りを捧げたい。

私も父から聞いた話だが
叔父、父の兄も
フィリピンの地で戦死している。
時々、私も
その叔父のことに思いをはせる。
「こんな素朴な人々や、
子どもたちのいる美しい地で、
なんで戦闘など
しなければならないのか」
そう思って死んでいったのだろう。

叔父は、従軍医で、
スペイン語も良くできて、
若くハンサムでもてたらしい????
そんな叔父の魂に呼ばれて、
こんな地に来て、
平和を作る活動を
するはめになったかなと
ふと思うときがある。



ピキット市長やBDAの役員と、
セキュリティーに関しての
話し合いをした


BDA(バンサモロ 
ディベロップメント 
エイジェンシー)の方々と

ピキット市長、
DSWDのグレイスさんと話し合い。





立正佼成会
社会貢献グループ 次長
保科和市氏からのメール
謹啓、
ミンダナオから帰国して
早くも一週間以上が
経過してしまいました。
この度の「ゆめぽっけ親子隊」
下見調査では、
急なお願いにもかかわらず、
事前から当日まで
大変に行き届いたお手配を賜り、
誠にありがとうございました。
お陰様で、大変に多くの学びと
収穫を得ることが出来ました。

下見調査の主なテーマは、
①事業目的に照らしての訪問地の適正と
②現地の安全調査の二つでした。
以下、大変僭越ながら
思うところを申し上げます。

①「事業目的に照らしての
訪問地の適正」について
「親子の手づくりによる
『ゆめぽっけ』を
直接手渡す行いを通して、
紛争や対立で傷ついた
世界の子どもたちに、
まごころと友情の支援をすること」
そして
「現地での出会いを通して、
自分たち自身が
いのちを尊ぶ心や
思いやりの心を育む」
という訪問の目的に照らし、
以下の点で大変に相応しく、
大きな価値があると思いました。

先住民マノボ居留地、ムスリム地域、
クリスチャン地域のどこをとっても、
紛争や抑圧の影響にさらされ、
日々の食事を得ることも十分でなく、
ましてや医療や教育に関しての保証が
希薄な環境で生活している
多くの極貧の家族と子どもたちがいる。
MCLは日頃の地道な
地域コミュニティーとの接触により、
人びとの生存と生活のニーズを把握し、
堅実な物資配付の姿勢と
能力を持っている。

社会的、経済的に
大変厳しい生活条件の中でも、
家族や共同体の仲間が
自然の恵みに生かされ、
互いに寄り添い、
支え合いながら生活しており、
彼らとの出会いから
日本の親子がまなぶことは多い。
さらに、地元先住民・モスレム・クリスチャン
の人々が共に尊重しあうMCLの生活は、
本会が目指す理想を実現して
おられるものでもあります。
なによりも、MCLのお子さんたち・
スタッフの皆さんとの出会いは宝であり、
必ずや大きな感動を生むと信じます。

②「現地での安全調査」について
 安全調査チェック項目として、
「紛争・テロ行為との遭遇」
「犯罪(強盗その他)被害」
「暴動の発生」「誘拐被害」
さらに「危機回避の事前の手立て」
「安全に関する最新情報収集」
「危機発生時の対応・脱出方法」
などに留意して行程を過ごしました。

MCLの危機管理は、
地元の各コミュニティーに深く
しかも偏り無く溶け込み、
地元行政・NGO・住民との信頼関係を築き、
現地住民による最新で
生の情報を随時更新しつつ、
紛争当事者間のバランスに配慮して
進める方法とお見受けしました。

現地コミュニティー出身者の
同伴に護られながら、
自分たちが何者であり、
何の目的で訪問するのかについて、
また敵意が全く無く、
友好協力のために来ていることを
知らせつつ現地入りする。

これらの方法はMCL独自のものであり、
私には大変に新鮮でした。
そして、信頼に値するものであり、
大変心強く思いました。
実際、今回訪問した私たち三人は、
殆ど危機を感じることなく
安全に行程を終えることが出来ました。

しかしまた、私は、このことを
決して安易に考えてはおりません。
安全であったのは、
あくまでもその条件を作り出してくださった
松居さん・大渕さん、
長時間車の荷台に乗って
私たちを護ってくれた
お子さん方を始めとする
MCLの方々のお陰様であり、
当然の如くそこに
安全があったのだとは思いません。 

もう一方のチェック項目は、
「疾病・感染症」
「衛生(水・食事・就寝・トイレ)」「医療環境」
「移動手段」「気候」等です。
これらについては、訪問するこちら側が、
事前準備をし注意すべき点を
心得て現地に入れば、
概ね問題無しと思います。
とりわけ水は清らかで、
手づくりの食事は
大変に美味しく頂きました。

私は、これまでにも色々な国を訪問し、
様々な出会いに恵まれましたが、
今回の旅は
本当にめったに無い
豊かな実りを頂戴しました。
「貧しい途上国」という
私の単純な見方は訂正を迫られました。
美しい自然の豊かなる恵み、
街中のマーケットに
溢れるばかりの山海の品々、
そして何よりも、
人々と子どもたちの優しく
温かい笑顔に触れました。

本来は豊かである土地に住む
温和な人々が、
自分達の望んでいない
対立と争いに巻き込まれ、
貧しく不安定な生活を余儀なくされている。
そして、分かち合い、支えあって
日々を生きておられるのだと知りました。

MCLのお子さんたちの歌は、
聴く人の魂に響く奇跡の歌です。
お世辞ではありません。
最終日に訪れたマロンゴンは
多くの人びとが
心の奥にしまってある南の天国の姿です。

ピキットの日本軍要塞跡での慰霊供養は、
キリスト教の愛に導かれ、
仏教の慈悲の心を
多くの御霊に捧げる
尊い機会を頂きました。

あらためて松居さん、奥さん、
大渕さんはじめ
MCLの皆様に
心から御礼申し上げます。
合掌
立正佼成会
社会貢献グループ 次長
一食平和基金 事務局長
保科和市



立正佼成会の子どもたちと
ミンダナオ子ども図書館の
子どもたち


日本の仏教団体である、
立正佼成会の子どもたち10名が
母親といっしょにMCLにやってきた。

スタッフや撮影班もいれて総勢30名、
7台の4WDを手配し、
コーディネートをしたのは
大渕みほ子さん。

目的は、コンテナとともに
1000個送られてきた、
『ゆめポッケ』を
貧しい村の子たちに届けることと

こちらの子どもたちとの交流を通して、
日本に失われてしまった
「何か」を体験し学ぶこと・・・


まずは、友だちになること
それから、
何が出来るか考えよう!
友だちが困っていたら
これをしてあげたい!!!!
それが出来たら、
私たちもうれしい!


車から降りた、日本の子どもたち、
母親たちやスタッフの方々。
皆さん、緊張した面もちだったが、

大喜びと笑顔で迎える、
MCLのスカラーたちの表情に
少しホッとしたようす。


ミンダナオ子ども図書館に
日本から訪問者が着くと、
なぜだかわからないが、
皆さんおっしゃる言葉。
「ああ、何か懐かしい雰囲気!
ここに来ると、ホッとする」 

たぶん、
若者たちの自然な笑顔、
屈託のない生活の姿、
のびのびと遊ぶ様子が、
人としての原点の気持ちを
目覚めさせるのだろう。

加えて、テラスから見える
緑の果樹園と
その向こうに見える山並み。


さっそく歓迎会
(Wellcome party)
が始まった。

日本式の歓迎儀礼?に
少し戸惑った若者たちだが、

あっという間に
自分たちのスタイルで
歓迎会を進めていく。

こうした歓迎会やミィーティングに関して、
アドバイスをあたえることはあるものの
進行や工夫は、
すべて若者たちにまかせているので
始まるまでは、
何を彼らが企画しているのか、
私にもわからない。


歌ったり、踊ったり、
歓迎の言葉が述べられたり、
イスラム、マノボ族、クリスチャンの
文化が披露されたり・・・

歓迎会が終わった時には、
たがいの距離がぐんと近くなり、
日本の若者たちが
持ってきた折り紙で、
またたくまに遊びがはじまった。



コンテナで
運ばれてきた
ゆめポッケ
の開帳式


『ゆめポッケ』とは、
立正佼成会の子どもたちが、
月に2度食事を抜き、
その食費を献金貯金して
世界の貧しい子どもたち、
とりわけ難民の子たちのために
学用品やぬいぐるみを買って
プレゼントする、心の支援だ!

今回、コンテナに詰められた
『ゆめポッケ』が、
1000個運ばれてきた。
みんなで、開帳式をした。

『ゆめポッケ』に関しては、
以下をクリック
http://www.kosei-kai.or.jp/
news/2008/09/post_1178.html

「ゆめポッケ親子ボランティア隊」
フィリピンから帰国
http://www.kosei-kai.or.jp/
news/2009/04/post_1335.htm


『ゆめポッケ』には、
お母さんが手縫いした布袋に、
ボールペンやノート、
ぬいぐるみや絵手紙が
詰められている。

一つ一つ、異なったプレゼントを
子どもたちが、
思いを込めて選んでいるし、
お母さん方の思いもこもっているので、
単なる物資支援とは異なった、
暖かみが感じられる。

日本の子どもたちにも、
自分たちで心を込めて作った
『夢ポッケ』を配っているという、
気概を感じた。



仏教の祈りも
加わった
平和の祈り

Player
for Peace


かつてから、
仏教の方々を交えて
平和の祈りを
開催したいと言うのが、
私たちの願いだった。

それが、意外とはやく、
第二回目に、

しかも子どもたちを交えて
美しい形で実現できたことは、
本当にうれしかった。


高校大学のスカラー、
総勢224名が
一堂に会して行う

「平和の祈り」は、
学生達が自身で
企画実行しているが、

ミンダナオらしく踊りや歌で
彩られて厳粛な中にも
楽しさや美しさが生きていた。

とりわけ訪問者の読経は、
スカラーたちに
感銘を残した。


平和の祈りでは
マノボ族の牧師がマノボ語で

イスラムの説教師が
アラビア語で

仏教からは
お経が

カトリックからは
シスターが

祈りや
説教をしてくださった



マノボ族の村
プロック8へ


平和の祈りの後に、
非常に貧しい
マノボ族の村へ行った。
『ゆめポッケ』を届けに。


大勢の日本人が、
何台も車をつらねて
訪れて来たのに皆ビックリ!

集落の子どもたちは、
ほとんどが
MCLの奨学生たちだ。

次々と
運びあげられる

『ゆめポッケ』

いったい何が
入っているのだろう???


開けてビックリ、
何とすてきな贈り物!

とにかく笑顔が
止まらない・・・

ぬいぐるみを
いつまでも抱きかかえて
離さない少女たち!

ノートやボールペン、
小さな車のおもちゃや
鉛筆削り・・・


日本からの訪問者は、
それぞれの子たちの
家庭を訪問した。
その貧しい生活にびっくり!

家庭では、
せめてものおもてなしに、
家の前の椰子の実を
とって飲ませてくれたり・・・
貧しくとも、
屈託のない交流が、
子どもたちの心に残った。



たった
3泊4日だったのに
永遠の時が
流れたように・・・

お別れは、
涙、涙、涙


愛というのは、
やはり時空を超えている
と思うことがたびたびある。

たった三泊四日、
実質的には二泊三日
だったにもかかわらず
まるで、何年もいっしょに
暮らしてきたような親近感。

時計やカレンダーの刻む
時の流れとは、
まったく異なった
時の流れがここにはある。
愛の流れは、
久遠の神や仏のもとから
やってくるから。

「いつまでも、友だちでいようね。
なぜって、愛しているから・・・

また会おうね
また、ぜったいに
会いに来るからね」


ミンダナオ子ども図書館の
若者たちは、
一度出会い
愛し合った人の事を
決して忘れない。

時々、ふとしたおりに
名前が出て
「・・・・」どうしているかな
「今度いつ来るの?」と
無邪気にわたしに
聞いてきたりする。



でも、必ず
また会おうね!


涙の後の
笑顔がみんな、
すがすがしい。  

アイ ラブ ユー 
また必ず会おうね!




季刊誌『ミンダナオの風』
より一部抜粋

『ミンダナオの風』23号をPDFで読みたい方は、
ここをクリック
 Info
先年の夏、ミンダナオ紛争が勃発し、
MCLで、「平和の祈り」を始めて以来、
ぜひとも仏教団体に
参加していただけたらと思っていた。


ミンダナオの若者たちにも、
温厚な仏教は
よい影響をもたらすだろう。
それが、立正佼成会のおかげで、
思いもよらず早々に、
しかもとても美しい形で実現したのは
喜び以外の何ものでもない。

最初は、緊張しきった顔が、
一夜明けるとすっかり変わっていた
三泊四日という、
非常に短い期間だったにもかかわらず、
日ごとに子どもたちの表情が
変わっていくのが興味深かった。

最初は緊張した顔も、
歓迎会が終わり、
外でバレーボールをしたり、
薪で料理をしたり、
井戸で洗濯をし始めるに
したがって変わっていった。

高校大学のスカラー、
総勢224名が一堂に会して行う
「平和の祈り」は、学生達が
自身で企画実行しているが、
ミンダナオらしく踊りや歌で

厳粛な中にも
楽しさや美しさが生きていた。
とりわけ訪問者の読経は、
スカラーたちに感銘を残した。

10名の子は、母親といっしょに、
最初はホテルで宿泊したが、
翌日の「平和の祈り」以降は親から離れ、
若者たちといっしょに
ミンダナオ子ども図書館に泊まった。

子どもたちが
すっかり変わったのは
親から離れて最初に
図書館に宿泊した日の
夜からだった
 何か特別な出来事が
 起こったわけではない。

MCLにすんでいるスカラーたちが、
ときどき楽しみのためにする
こちら式の遊技、
「うしろの正面だーーれ」や

「ハンカチ落とし」
や「かごめかごめ」
「はないちもんめ」を
始めた時からだ。

こうした子どもの遊びは、
こちらではごくごく
一般的な日常で、

ただ日本と異なるのは、
高校生や大学生でも、
子どもと全く同じで、
無邪気に喜々として遊ぶことだ。


こうした幼心を失わないところに
「素顔のミンダナオ」があると思う。
日本から来られた子たちは、
六年生が中心で、
高校生も混じっていたが、
気がつくと皆、
遊びのなかにとけこんでいた。

こちらの若者を見ていて
いつも思うのだが、
心の壁を取りはらうの
実にじょうずだ。

山の貧しい集落が、
それ自体が大家族のような
濃密なコミュニティーで有ること、

粗末な家には個室が無く、
家族がいつも身を寄せあい
暮らしている環境などが
関係しているように思えるが、

彼ら自身に、
心の壁というものがあまり無く、
たとえ言葉が通じなくとも、
相手の気持ちや思いを察して、
ごくごく自然にとけこんでくる。

それがあまりにも自然だから、
心に壁を作って構えていた
日本の若者の心が、
いつの間にか開かれていて、

翌日母親やスタッフが来て、
子どもの顔つきの違いに驚き
唖然とするような
事態が起こるのだ。

山の村で子どもたちに学用品の
『夢ポッケ』をくばり、
読み聞かせをし、

豚の丸焼きを村人と食べ、
美しい滝壺で
遊ぶにいたって、
彼らの顔は
すっかり地元の子に
なっていた。

「最初は、日本の子どもと
フィリピンの子どもだったのに、
どちらの子も私たちの
子のように見えますね」と、
お別れ会で私は言った。


お母様方も、うちのスカラー達を、
「私たちの子」と呼んでくださった。
そう、私たちは世界中にいる、
「私たちの子」のために、
平和で貧困がない世界を作っていこう。
そう、語りあいながら、
涙ながらに別れた。
再会を誓いながら。

アイ ラブ ユー・・・
また遊ぼうね。



財団法人
北野生涯教育振興会
の島村さまも参加
12人の奨学生に
授与式をされた


スタンレー電気が母胎の
財団法人 北野生涯教育振興会

日本製の多くの車は、
スタンレー電気のライトで
世界を走っています。

その北野財団が、
ミンダナオ子ども図書館の大学生を
12名、支援してくださることになりました。
そのほとんどが、
苦労している
ワーキングスチューデント
日常は働きながら、
夜間や週末に大学に通ってくる
苦学生たちです。


スタンレー電気の皆さま、
そして財団法人 北野生涯教育振興会
の皆さま
このような戦闘のある僻地にも、
灯りをともしてくださってありがとう!
いつでもまた、いらしてください。



次々と
医療患者が・・・


ミンダナオ子ども図書館の運営で、
戦闘が起こった時は別にして
最も予期できないのが、
医療と車の故障だ。

予算をとってはいるのだが、
とりわけ医療は、
過去の事例を見ても、
突然に次々と
病気の子どもが運ばれてくる。


写真は、ピキットの
ラガイエン出身のスカラー、
Kakim Noraimaさん。
難民だったところを、
支援者の意向で
小学校のスカラーに採用された。

戦闘は終わり、
難民状態の生活は終わり、
自分の家に戻り
学校に通い始めたところまでは
良かったのだけれども、
右足の膝の裏側から腿にかけて
痛みが広がり、
歩行するのも難しくなった。

どうも肉腫のような物が出来て、
3ヶ月の短期間に大きくなっていくようだ。
それで、ミンダナオ子ども図書館に
運ばれて、キダパワンの病院で
診てもらったところ
手術が必要で、
癌の可能性も有るという。

さっそくダバオのドクターに
診てもらったが、
DMCと呼ばれる
JICAも支援している
公立病院でも最低10万、
私立病院だと
20万は軽く出ると言う。

ダバオ公立病院では、
入院したまま、
病院が手術を決定するまで
数ヶ月かかり
かつて半年も滞在した
患者がいた。

日本では考えられない
病院事情なので、
キダパワンの医師に相談して
最良の方策を現在模索している。
スカラーでもあるし、
何としてでも治療を成功させたい。

(現在、治療はすべて
キダパワンの私立総合病院
メディカルスペシャリスト病院に
まずはお願いして、
高度の手術などが必要な患者は
救急車でダバオの病院に移送して
治療することにしています。
キダパワン市にも市立病院と
8つの私立総合病院が建ち、
下のような
CTスキャンもそろっていますし、
デング熱など大概の治療はOKです。
コブラに噛まれても大丈夫。
お医者様方は、
時には給与を返上して
治療をしてくださいます。)


戦闘地ピキットでは、
しばしば、目が飛び出す異常、
瘤などの奇形、癌、そして
戦闘期間や難民生活ちゅうに
妊娠した子の異常などの
奇形が見られる。

Kakimさんの従妹の歯茎の治療は完了。
8月に、
その後の経過を診ることになっている。
かつて2000年、2002年の戦闘後に
奇形が増えた理由に疑問を抱き
大学時代の友人で、現在は
カトリック教会大阪司教をしている
松浦悟郎くんに話をした。

彼は、私の写真を見て即座に
「劣化ウランとちゃうかなあ」と言った。
さすがに、正義と平和協会の代表。
私は知らなかったが
写真集を見せてもらって驚いた。
似た症状の子たちに多く会っていたから。
白血病で亡くなった子もいる。
知り合いの子も奇形だった。

その後、中国新聞社から取材を打診する
連絡をいただいたのだが、
危険すぎる地域という理由で
許可が下りずに断念。

劣化ウランは、証明は難しい。
Kakimさんも、
癌でなければ良いのだが・・・
劣化ウランに関しての中国新聞の情報は
右をクリックInfo


それにしても、
ここ数週間で、
次々と病人が出た。

今はやりのインフルエンザでは
無いと思うのだが
最初は喉の痛みと咳から始まって、
ある時あっというまに高熱が出る。

半端ではない、
39度から40度を超える
熱が出るのだ。


高熱が出るたびに、
最初は病院に運んで
薬を出してもらった。

様態が重い子になると、
意識がもうろうとしてくる。
医師に言われて、
その様な子は入院することになった。
一貫して症状は同じ。
その後も、次々と感染し、
ほとんど20人に上った。

幸い、薬で治療すると、
熱は短日間でひき、
問題ないこともわかってきたので、
なるべく家で治療をすることにした。

ほんとうに、
費用が馬鹿にならない。

8月までの医療費予算が
これで消費されてしまった。

さらに追い打ちをかけるように、
別件の子どもの
治療が舞い込む。

幸い、去年看護学を卒業したスカラー、
Feさんが今年から
ボランティアスタッフで活躍してくれているが
あまりにも次々と患者が出て、
その対応に苦心のあまり、
涙ぐむ場面も・・・




難民キャンプの
歯茎異常の少女の治療


歯茎が異常に
飛び出してくる病気
手術前の姿

原因が何だかわからないが、
ピキットの地に、瘤や
発育の異常が多いのは事実で、
戦闘時期と重なっている。
まるで劣化ウランの症状のようだと、
その道に詳しい者が語っていたが、
証明は難しい。

とりあえず手術が成功、
6ヶ月後に今度は
義歯を入れる事になった。
治療が終了し
再び難民キャンプに戻った少女
すでに半年も
こういう生活が続いている

見違えるようになった
孫娘を見て、
祖母は涙が止まらない。



歯茎と歯の治療が
最終段階に
イスラム集落の
最もはずれの
貧しい家


手術が終わっても
その後も繰り返し
完治するまで
病院に行き来しなければならない。
病院まで通う
お金があるわけもなく
そのたびに家に迎えに行く。

避難民キャンプにいた家族が
実家に帰ったと聞いて
初めて、彼女の家を訪れた。
ラガイエン集落から来ていることは
知っていたが、
集落の中心からさらに小一時間
踏み痕だけの山道を、
無理矢理4WDで登っていき。

さらに、そこから
踏み痕をとどった最も奥に
家はあった。
ボロボロの家

携帯で連絡が
取れるわけもないので
予告もなしに
訪れなければならない。
家に行ってみると
両親は、山仕事に出かけていて
子どもたちしか家にいず、
妹が迎えてくれた。


ようやく、昼時になって、
山に働きに出ていた
父親と母親が帰ってきた。
極貧であることは、
明らかだった。

この様な
村はずれの奥に住むには
それなりの訳があるのだろう。

幾たびか
ミンダナオ子ども図書館にも泊まり
いっしょに病院に通う間に
こうした隔絶した地域の家族とも
信頼関係が生まれていく。

一回限りのお付き合いではなく、
その後も村で読み語りをしたり
奨学生を採用したり、
他の子の医療を継続したりして
貧しく、しかも繰り返し戦争で
痛めつけられてきた人々の心が
次第に開かれていく。




ムスリムデー
(マギンダナオデー)
イスラムの文化祭


今年のムスリムデーは、
テーマが結婚式

BDA(バンサモロ デベロップメント 
エージェンシー)のスタッフの方々も
アドバイザーとして参加された。


湿原で食べられる
ナマズの料理


料理を抱えて
いよいよ結婚式の始まり









妻になる人を
夫になる若者が
家に行き
部屋に入り
婚約者を連れてくる。




いよいよ
結婚の儀式が始まる。


歌と踊りの後に

結婚の誓いが
かわされる。



模擬結婚式だけれど
なんだか、
本当の結婚式みたい!


結婚式が終わり
イスラムの御馳走が
ふるまわれた。



イスラムの子にも
ハラナ!


ハラナとは、夜明け前にみんなで集まって、
誕生日の歌を歌いお祝いをすること。
移住してきた、ビサヤ・イロンゴ系の
クリスチャンの風習。
しかし、私も知らなかったのだが、
イスラム教徒には、
誕生日を祝う習慣が無いという。

でも、ミンダナオ子ども図書館では、
みんなの誕生日を祝いたい。
そこで、イスラム教徒も含めて相談して、
みんなハラナをすることにした。


イスラム教徒の彼女にとっては、
生まれて初めての誕生日のお祝い?
思わず涙ぐむ場面も・・・
ハラナの曲は、ほとんどが
クリスチャンソングなので、
相談してアッラーの出てくる
イスラムソングも交えることに。

最後は、希望者が
誕生日の子のために祝辞を送るが、
通称「牧師」と呼ばれている
本当の牧師ロネール君が、
「アッラーの加護が
いつまでもあなたの上にあるように」云々と
神やイエスを
アッラーに代えて祝辞を送っていた。

こんな光景を見たら、
保守的な宗教界は、
目くじらをたてるのかもしれない?????
「松居さんは、
なんたる宗教教育を
若者たちに施しているのか!!!」
いいえ、私は何も施していないで、
彼等が自分で、心から実行しているのです。
家族のような兄弟姉妹のために



そのロネール君に、
イスラムの子たちが


それから数日後、
私も知らなかったが、
外でハラナの歌声が聞こえてくるので
行ってみると

ロネール君の誕生日だった。

誕生日を祝う習慣が無いはずの
イスラムの子たちもみんな集まって
クリスチャンソングや
マノボソングに混じって、
イスラムソングを歌った。


ロネール君は、MCLでは唯一の
ビラーン族の若者だ。
彼は、牧師の資格も持っているから、
てっきりプロテスタントだと思っていたが
日曜日に、私たちとカテドラルに行き、
聖体拝領も受けたのでびっくすると、
何とカトリックでもあった。
カトリックの洗礼を受けた
プロテスタントの牧師が居ても
良いの(かもしれない?)だった。

これを聞いたら、
保守的な宗教界は、
目くじらをたてるかもしれない・・・
「何といい加減な・・・」
しかし、カトリック教会が近くに無い時は、
皆プロテスタント教会にも平気で行くし
プロテスタントの子たちもたくさん、
私といっしょに夕方の
カテドラルのミサに出ている。
まったく違和感なく、平気な顔して・・・
入れてもらえる時には、
モスクの中でも礼拝する。

「松居さんは、なんたる宗教教育を
若者たちに施しているのか!!!」
いいえ、私は何も施していないで、
彼等が自分で心から
実行しているのです。
これぞフィリピンのハロハロ精神?



戦争と平和構築 の記録 2009年の1の サイトへGO!