戦争と平和構築
2014年の記録から
(3)


秘密の白い浜を見つけた
1 秘密の白い浜を見つけた! GO! 13 山奥をめぐってダバオへ GO!
2 お正月を海で過ごそう! GO! 14 奨学生が病気だった GO!
3 浜で過ごした GO! 15 イスラム地域で戦闘が起こる GO!
4 あくまで独立を求めて GO! 16 イスラム地域は戦闘の被災を GO!
5 秘密の浜に着いた GO! 17 誘拐事件と爆弾事件が多発! GO!
6 ミンダナオでも白くて美しい浜 GO! 18 小学生2年でストップ GO!
7 浜で遊ぶMCLの子どもたち! GO! 19 スカラシップを始めたのは GO!
8 保育所建設を約束 GO! 20 現地に置いておけない子 GO!
9 読み語りと劇もした GO! 21 わたしたちは、一つの家族! GO!
10 日本の若者が子たちと交流 GO! 22 庭で遊ぶ子どもたち! GO!
11 ここでは、平和に共存している GO! 23 日本との架け橋を作る子たち GO!
12 琴平ロータリーの方がお米を! GO! 24 日本の人々を受け入れるために GO!
25 夕ぐれまで仲良く遊ぶ! GO! 34 最後の下りで谷を渡る GO!
26 何ができるかと考えたときに GO! 35 わたしダバオで生まれたの! GO!
27 アポ山に二度登った GO! 36 カリナンの市場を歩いた GO!
28 フィリピンの最高峰アポ山は GO! 37 日本語を話す老人に会った GO!
29 二回目は日本の若者たちと GO! 38 日系人を祀った記念碑に GO!
30 アポ山の妖精たち GO! 39 ジャングルに逃げ込んだ GO!
31 山のお店で手伝う子どもたち GO! 40 日本軍と米軍の決戦場に GO!
32 夜明け GO! 41 支援しているイスラムの子に GO!
33 ジャングルの下山 GO! 42 ダバオの貧困地域を訪ねた GO!

sg1
秘密の白い浜を
見つけた


ここで、
26日から3泊で
子供たちと海水浴をする予定!


ここに行くには、
小さな素朴な漁村を
いくつもこえていく。

最後に、
4WDの車でしか登れない、
岬の最先端の山の
急斜面を超えると、


広大な海が広がる
絶景に出会えて
ビックリ!

峠を越えて浜に降りると、
小さな漁村、
クラクシン集落に到達する。


信じられないほどの
まっ白な砂浜!


村で遊ぶ、
子どもたち!


クラクシン集落の後ろに続く道を
四輪駆動車で
何とかかんとか超えていくと、

集落のはずれに達して
道は消える。

ここから先は、
岬の崖沿いに
踏み後道があるだけで、

子どもたちは、
ここを通って
学校に通うけれど、


車道は、行き止まり。



真っ白な
粉のような砂浜で遊ぶ、

素朴な
浜の子供たち!




sg2
今年は、
お正月を
海で過ごそう


年末の12月26日から、
MCLに残っている子供たちと、
3泊ここで
過ごすことにした。


お正月休みは、
ふる里に
兄弟や親せきが残っていて、
帰郷ができる子たちはなるべく、

スタッフが、車に乗せて
ふる里に送り届ける。

家庭が崩壊したり
つらい記憶が残っていても、
幼馴染の友だちもたくさんいるし、

やはり、
ふる里は懐かしく
大事な郷里だから。

しかし、
戦闘があったり、
アビューズなど
いろいろな事情から、

帰すことのできない子、
どうしても
帰りたくない子たちも結構いる。

そうした子たちにとっては、
MCLの仲間たちも帰ってしまい、
年末はさびしくなる時!

それだからこそ、
みんなで
海に行くことにした。

「お正月は海に行くよ!」
というと、
「わーーーーっ!」と大喜び。

山の子たちや
内陸の子たちにとって、
海など、
聞いたことはあっても、

見たことはない、
お伽話の世界なのだ!


sg3
今回は数日、
浜で過ごした


クリスマスに、
ちょっと過労がたたってかダウン。
数日入院。

ミンダナオ和平交渉への不安、
2016年の選挙の年に
大規模な戦争が起こる不安。


日本の集団的自衛権の
行使への不安。

それに加えて
突然の円安で、
MCLの経済情勢も楽ではないので、

出版や執筆だけではなく、

訪問や実体験を含めて、
どうやって日本の若者たちを
支援したら良いのか・・・

受け入れ体制は、
どうしたら良いのか・・・

それに加えて、
現地に放っておけずに
受け入れてしまっている、

50名ほどの
まだ支援者のいない子の支援者を
さがさなくっちゃなどなど・・・、

一昨年あたりからの
心労が重なってダウン?

経済情勢が厳しいので、
学生総会も子どもたちと相談して、
年四回にしました。

3月が
イスラムデー、

6月が
マノボデー(先住民の日)

9月が、
クリスチャンデー
(島外移民のクリスチャンの日)

12月が
学生総会でスカラーズデー


sg4
日本の若者たちと
交流するため


また、日本の若者たちとの
交流を考えると、
北コタバト州は、危険度が高く、

日本政府の指定する危険度が低い、
ダバオ州が良いのだがと言う、
大学などからの希望で、


海の白浜に、
交流のための浜を考えていましたが、
見つけました!

それが、今回子どもたちと
正月を過ごしたサンタマリア、
クラクシン集落の白い浜です。

MCLからも、
ダバオからも二時間半ほど。

週末に子どもたちと、
泳ぎにこれますし、
リゾート化されていない真っ白な浜で、

本当に自然で
素朴な漁師の村人たちと、
友だちになれる浜です。


場所は、ディゴスの奥の
サンタマリア市から
四輪駆動で入っていくところ。

サンタマリア市近郊には、
名の知られた
リゾートビーチもあるのですが、

そういうリゾートは、
地元の人々の生活から、
かけ離れて変な感じがして、
まったく好きになれないので、

ここの浜を見つけたときは
子どもたちも大喜び!

村でも、
読み聞かせをし、
保育所を建てることにしました。

貧しくて
学校にも行けない子も
多い村ですが、

漁村良さは、
何とか魚を捕って
食べられること!


どこあるかは、
秘密です。

開発が入って
欲しくないから・・・



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秘密の浜に
着いた!


村に到着すると
村の子どもたちが、

皆のところに
やってくる。


MCLの子どもたちも
初めて見る海に、
驚きと
感動を隠せない!


海の向こうの対岸に
アポ山も見えるよ!


アポ山は、
ミンダナオ子ども図書館からも
眺められるけれど、

2954mで、
フィリピンでは一番高い山!


ミンダナオ子ども図書館がある、
キダパワン市が登山口!


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ミンダナオでも、
白くて美しい浜


現地でも、
リゾートではなくって、
普通の漁村で、
これだけきめが細かくて、
真っ白な砂は珍しい?


「さあ、お昼ごはんが、
できたよーーー!」


「村の子たちも、
食べにおいでーーー!」



「おまえにもごはん
わけてあげるね!」


地元の子どもたちと
いっしょに
遊ぶこともできて、

その交流が
素晴らしい体験になる!

いつか
日本の若者たちがきたら、
漁師さんたちの家に民泊して、

いっしょに漁を体験するのも、
良いかも。



サンタマリアの
海の下宿小屋を訪ねた

10分
 
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サンタマリアの映像
漁村をぬけて岬へ

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サンタマリアの映像
村の子供たち

 
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琴平ロータリークラブの
方々が米を
寄贈してくださった


琴平ロータリークラブの方々が、
ミンダナオ子ども図書館を
訪れられた。

子どもたちによる、
歓迎会の後、
訪問者の方々は、

MCLの子たちと、
お米を干した。

ミンダナオ子ども図書館の庭には、
籾米を干すための
セメントの広場が作ってある。

ここに、
籾米だけではなく、

山芋やコーヒー豆
カカオなども
干すことが出来て、

空いているときには、
子どもたちが、
バスケットボールやバレーボールの
コートにしたり、

縄跳びやおにごっごや
ゴム草履をけって遊んだりする
遊び場にもなる。


お米干しには、
慣れている子もいて、

その子たちの様子から、
すぐに学んで、
他の子たちも
どんどん自分達でやってみる!


小さい子でも、
嫌な顔せず、
むしろ大喜びでお手伝いする!


そんな
子供たちの様子を見て、
訪問者の方々もビックリ!


最後は、
みんなで記念撮影!



sg13
アラカンの山奥を
巡ってダバオへ


琴平ロータリークラブの訪問者の方々を
ダバオにお送りするのに、
帰りは国道ではなく、

アポ山の裏側の山を越えて、
原住民の村々を
抜けていくことにした。

4WDでしか通れない
ジャングルの中を超えていくと、
たくさんのマノボ族の村々がある。

ミンダナオ子ども図書館は、
こういった地域を巡って、
孤児や崩壊家庭の子がいると
奨学生に採用したり、

病気の子どもを
救済したり、

保育所を
建てたりしているので、

原住民の人たちも皆、
わたしたちの事を知っている。

それゆえに、
外国人は、
決して入れないと言われた、


危険地域であるにも
かかわらず、


訪問者も、
わたしたちと一緒なら、
こうした地域を
巡ることが出来る。



sg14
奨学生の一人が、
病気だった


奨学生のいる
極貧の村へ行くと、

奨学生の一人が、
病気だった。

病院長で医師のロータリーの方が 、
その場で診断し
薬をくださった。

父親はいないけど、
母と当人は大喜び!

原住民の集落では、、
衛生上の問題が大きい。

水を引いて貯める
貯水施設は壊れてしまい、

下の川に
水汲みに行き。

汲んだ水を
運び上げては、

家の裏に置かれた、
プラスティックの
タンクに貯めて、

その水で洗濯したり、

うんこをした後には、
空き缶に水を汲んで
お尻にかけて流す。
下は便所。

トイレットペーパーなど、
あっても高価で
買えないから・・・。


sg15
ミンダナオの近況
イスラム地域で
戦闘は起こるものの

ときどき、
イスラム地域で
地域的な戦闘は起こるものの 、

ミンダナオの現況は、
比較的おだやかに
推移している。

ただ、人々が、
きたる2016年の
大統領選もまじえた、

国政選挙のさいに
起こると予想されている
戦闘に、

不安を感じているのが、
いろいろな動きから
伝わってくる。

ミンダナオというと、
戦争がしばしば起こり、
イスラム教徒も多いことから
危険地域というイメージが強いが、

先入観を持って
来らた方々も驚くほど、

現地の人々の日常の生活、
特に子どもたちのようすは
平和だ。

マニラの人々は、
MCLのあるミンダナオの
北コタバト州は、

とても来られない
恐ろしい場所と聞いているので、
来られた方は、
平和な様子に唖然とする。

「ここは、マニラよりも
よっぽど治安も良いし、
安定していてステキなところですね!」

最近は、キダパワン市には、
ガイサノモールと呼ばれる
デパートも建ち、

大学は、
ノートルダム大学や
ミンダナオ州立大学などなど、

たくさんの
公立私立の大学と
総合病院も4つほどあり、

若者の多い
高原の
学園都市になっている。

またキダパワン市は、
観光に力を入れていて
フィリピンの最高峰、

2954メートルの
アポ山への登山基地として、
海外からの登山客も多く、

天然の温泉もあり、
気候も暑くなく寒くなく 、
原住民の聖地にもなっている。

ミンダナオのフルーツバスケット
と、言われるほど、
熱帯果樹の産地で住みやすい。


私が、
キダパワンを
拠点に選んだ理由の一つは、

戦争になってもここは、
戦場になることはなく、
拠点として
比較的安全だというのも理由だ!


sg16
イスラム地域は 、
戦闘の被災を


ただし、
キダパワンから
西へ1時間半ほど行った
イスラム地域は 、

40年間のあいだ、
たえず戦闘の被災を
受けてきている。

特に、
選挙の時は、
地域の有力者同士の
リドーと呼ばれる内戦が必ず起こる。

今回の2016年の選挙では、
MILFとMNLF、BIFFの対立から
イスラム勢力同士の戦闘が
おこるばかりではなく、

和平交渉の決裂から、
イスラムと政府軍との
大規模な戦争が起こり、

そこに、バリカタンと呼ばれる
政府軍とアメリカ軍との
合同演習という名の実戦が
行われる可能性が高いという。

さらに、場合によっては今年から、
集団的自衛権を行使して日本軍も、
合同演習バリカタンに、
参戦してくるのではないかと噂されている。

最近、人々の
日本人に対する目が、
複雑になってきたのを感じる。


sg17
誘拐事件と
爆弾事件が多発


大規模な戦争の前には、
必ず誘拐事件と
爆弾事件が多発する。

マスコミは、
「反政府組織の仕業と思われる」
と、報道するが 、

現地では、
戦争気分を高めるための
報道であると言われている。

15年間活動してきて、
怖い目に遭った体験はないが 、
ここ数年は、
最大限の注意が必要だと思っている。

しかし、現実には、
ダバオは、治安が
非常に良くなってきているし 、
(マニラよりよほど安全だ!と言う声をよく聞く。)

白人を含め外国人も多くなり、
特に増えたのが
韓国の若者に加えて、

最近は、
インドの若者たちが激増している。
医学と看護学を
勉強しにきているのだと聞いている。

キダパワンでも、
かつては見かけなかった、
白人を時々見るようになった。

ダバオは、
石油施設を始め、
経済施設の建設は驚くべきで、

戦争が起こり続けている
イスラム地域の
リグアサン湿原には、

膨大な石油と
天然ガスの湧出が、
先進国によって確認されている。

さらに驚きは、
三つしかなかったデパートが、
さらに五つほども増えたことだ!

新車の車も激増している。
それが良いか悪いかは
別にして、

一方では物価が上がり、
貧富の格差が
激しくなっている。

貧しいものはさらに貧しく、
一部の豊かな者たちだけが
肥えていく。

日本も
同様の状況なのでは?



sg18
小学校に入学しても、
2年生でストップ


ミンダナオの貧困の状況はひどく、
戦闘の絶えない
イスラム地域だけではなく、

低地の良い土地に
住んでいたにもかかわらず、
所有者のいない土地という名目で、

土地を奪われて
山に追いやられた、
原住民の貧困は激しかった。

三食米も食べられず、
山芋を抜いて、

カエルを
おかずにしている。

子どもたちは、
小学校に入学しても、
2年生で80%ストップする。

その理由は、
午後の授業が始まると
お弁当を持っていけないし、

エンピツも買えないし、
靴なんて
履いていけないから・・・。


sg19
スカラシップを
始めたのは


スカラシップを始めたのは、
そんな子こそ
学校に行かせ、

出来れば
大学まで卒業させて、

少しでも
社会を良くして欲しいと
思ったからだ。

都市のスラム街の貧困も
激しいけれど、

そうした極貧の
子どもたちの中でも、

家庭が崩壊したり、
親が殺されて
片親になったり、

そんな子たちを引きとって
ミンダナオ子ども図書館に
住まわせた。


sg20
現地に
置いておけない
孤児たちは


2001年に設立して、
すでに15年近くがたったけれども、
200人以上が卒業していき、

今も300人以上の子たちを
スカラシップで
学校に行かせてあげている。

そのなかでも
現地に置いておけない
孤児や極貧の子たちは、

本部や町の男子寮や
山の下宿施設で生活させている。

食べさせてあげているのは
200人ぐらい。
しかし、お米は自給している!

本部には、とりわけ
きびしい境遇の子たちが、
80人ほど住んでいるが、

かれらが言うのは、
「宗教や種族が違っていても
わたしたちは、一つの家族!」

基本的に、
男の子は、
小学校以上になると、

大学生と同じ寮に移るように、
福祉局の指導で
決められているので、
町の男子寮に移る。

その結果、本部に住んでいるのは、
小学校の男女と、
日本で言えば中高の女子たちと
スタッフの家族たち。

しかし、
男の子たちも、
土日には本部に来て、

畑仕事などを手伝ってくれるし、
いっしょに読み語りに
行ったりもする!

大学生になると、
恋愛や携帯の使用も求められ、
下宿して学校に通い
旅立ちの用意をする。

恋愛もOKだけれど、
妊娠したり、
出産した場合は、
子どもの面倒をみる事!

学業をストップしても、
幸せになってくれることが何より!
結婚式には出るし、
困ったことがあったら
駆けこんでおいで!!!

スタッフたちも、
『仕事人』というよりは、
家族の一員!


子どもたちは、
妻の事を
「ママ エープリル!」と呼んで、

わたしのことを、
「パパ とも!」と呼んで、
抱きついてくる。



sg21
MCLの子どもたち
わたしたちは、
一つの家族!


ミンダナオ子ども図書館は、
戦争で避難民になって、
道脇や空き地で、

木の枝を建てた上に
ヤシの葉を置いて屋根にした、
小屋とも言えないような下で、
表情も失っている子どもたちを見て、

「いくらなんでもひどすぎる、
何かできないだろうか?」
と思った時に、

「読み語りをしてあげれば、
少しは元気なるのではないか」
という思いから始まった活動だった。

それまで、
ボランティアなど
全く関心がなかったけれど、

「みじめな子どもたちを助けたい」
そういう思いから、
現地の若者たちと始めた活動だ。

その後、
病気の子がいるので
置いておけず、

なんと当時、
16,7歳の若者たちが、
フィリピンの特別非営利法人資格をとり、

病院に連れて行ったり、


親が死んで孤児になり
学校にも行けない子たちに
スカラシップを与えて、

そのなかでも、
現地に置いておけない
子たちを引き取って、
孤児の生活できる施設としても
活動しはじめた。


sg22
子ども図書館の
庭で遊ぶ
子どもたち



バライバライ遊び!
家を作って遊ぶ子たち。



ここから家族の気持ち、
友情の気持ちが培われる。


家を建て・・・

小さな子たちのために、
たき火をして、

お料理をする
お母さんの役目。

普段の食事も、
毎日、子どもたちが
4時半に起きて、

薪で作っているから
お手の物!


実の娘の姿も見える。

いっしょに育って、
友情を心底
体験しているから、

仲間たちから
生きる力をもらっている!



妖精の家の岩で
語り合う子どもたち。

妖精の話をしているに
違いない!

親が死んだり、
殺されたり、


家庭が崩壊して
バラバラになったり、


様々な悲しみを体験した
子たちだけれど、

わたしたちは、
MCLで
皆兄弟姉妹!


イスラム教徒もキリスト教徒も
先住民も、皆一つの家族!





sg23
日本の子どもや若者たち、
中高年の方々との
かけはしを作る試み


MCLの若者たちが、
現地法人の資格をとって
正式に活動しはじめたのが2001年。
あっという間の10数年!

その間、
次々と勃発する戦争や
限りなく広がる貧困地帯で
困窮している子たちを前にして、

ミンダナオの子どもたちの
支援救済のみ視野に入れて
活動するのが精一杯!
現地での日本人は、ぼく一人。

訪問者が訪れますと、
頭を日本語に
切り替えるのに
しばらくかかるような状態でした。

しかし、最近になって、池上彰さんのテレビ東京
「なぜここに日本人」で紹介された頃から、
ez1
なぜここに日本人
マノボ族の首長になった
日本人

 
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日本の若者たちや、
支援者になってくださっている
中高年の方々が、
MCLを訪れて、

現地の子どもたちに感動され、
逆に生きる力を得て
帰られる姿を
見ると同時に、

自殺や
引きこもりの多い
日本の子どもたちの
心の現状を知るにつけて、

さすがに日本の人々、
とりわけ青少年たちを、
放っておけない
気持ちが強まりました。

また、
MCLを訪れられる
日本の方々の想いに
答えるためにも、

貧しくとも
生きる力にみちあふれ、

明るい笑顔の
ミンダナオの子どもたちの姿を
つたえ語り、

若者たちや
皆様方とともに
考えることによって、

微力ながらも
何か出来ないかと
思うようになりました。  


sg24
日本の人々を
受けいれるために

日本の人々を
受けいれるためには、
日本人が
僕一人では難しく、

日本人スタッフが必要なことは、
わかりましたが、
利益が絡んだお客様接待や
スタディーツアーと
組み合わされてしまうと、

素朴な家族としての
雰囲気が、
失せていくことも感じられ、

紆余曲折の結果、
MCLは、
利益目的の
スタディーツアーはやらず、

宿泊費なしで、
お客様としてではなく、
住んでいる子たちも、
家族として迎えることにしました。

日本人スタッフも
宮木梓さんが入ってくださり、
長年のネグロスでの
シスターのもとでの有機農業の体験もあり、

素朴な家族としての
ミンダナオ子ども図書館を
よく理解してくれています。

sg25
ゆうぐれまで、
なかよく遊ぶ

夕暮れの、
電気も無い、
マノボ族の集落。

でも子どもたちは、
学校鞄をおくと 、
みんな家から飛び出してきて 、

ゆうぐれまで、
なかよく遊ぶ。

伝統的なハンカチおとしや、
おにごっこ
後ろの正面、だーーーれ!

バスケットだって、
ただのボール遊びさ。

学校の体育館やコートでする、
サッカーや野球は
大人が作ったルールのなかで
勝ち負けを競い合うゲームにすぎない。

遊びは、
楽しみながら
友情をつちかうもの。

学校でも
幼稚園や保育園でも無く、
野原や森や
路地裏といった、

家や学校の
壁や垣根の外側の
ちまたと呼ばれる場所でするものさ。

そここそが、
ぼくたちの自由な空間!
イスラムの子どもたちも同じ!

こうした場所でこそ、
ぼくらの心は解放されて 、
競争原理からも自由になって 、

家庭や教育からも
解き放たれて 、

真の友情と社会性を
培う心が養われる。
友情と愛こそが生きる力!

子ども時代に、
ちまたでの友愛体験を持てずに、
勝つことばかり考えて、
育った大人は恐ろしい?

日本では、
ちまたで遊ぶ子どもたちの姿を
見なくなって久しい。

ミンダナオの子どもたちと、
日本の子どもを比較すると、
ちまたでの遊びの欠如、

真の友愛体験の欠如が
生きる力を喪失させて、

自殺と引きこもりを
生んでいるように
思えてならない。

お金と物は豊かでも、
日本の子供たちがかわいそう!



sg26
何ができるだろうかと
考えたときに

訪問者の受け入れ以外に、
何ができるだろうかと
考えたときに、
思い至った可能性のひとつは、

絵本をはじめとして、
児童文学や文化論の執筆を
ふたたび始めること。



編集者時代からやってきた講演で、
絵本体験や昔話論の話に、
ミンダナオの子どもたちから学んだ、
遊びやちまたの大切さ、

妖精や見えないものとの交流の
重要性を加えて、

新たな気持ちで
講演を再開することでした。


km1
アポ山に
二度登った


初回は、
ミンダナオ子ども図書館の
食堂を寄付してくださった
伴野正夫さまと
いっしょに登った。

68歳にもかかわらず
まだまだ
お元気でびっくり、

3泊4日の旅は、
日本の山とは違って、

道なき道、
ジャングルを行く旅。

ようやく、
山頂近くにたどり着いた。

頂上付近は意外と複雑で
いくつかのピークに
わかれている。


夜は
かなり寒くなる。

至る所にブルーベリーが
実っていて、
ぼくは食べながら歩いた。

でも、フィリピンでは、
だれもブルーベリーを見たことも無いし、
食べられることも知らない!

km2

フィリピンの最高峰
2950mのアポ山は


フィリピンの最高峰
2950mのアポ山は、
展望も素晴らしい活火山で、
海外からの登山者もある有名な山!

だけれども、山麓には
原住民の村々も多く、
彼らにとっては、
死者の魂の集まる神聖な山!

いろいろな理由から、
気ままに訪れることのできない
危険地域だとも言われていて、

単独登頂は許されず、
ほとんどの登山者は、

安全で登山道も整備されている
ダバオ側からガイドを雇って
登らなければならない。

ミンダナオ子ども図書館のある
キダパワン市は、
アポ山の裏側の登山口として
有名ではあるものの、

下の写真は、
MCLから見たアポ山!

ジャングルの中の
登山道も整備されておらず、

キダパワン側は、
おいそれと登れない
登山口だとされている。

ガイドを付けないと登れないけれど、
MCLの場合は、
マノボ族やバゴボ族の奨学生の
お父さんたちがガイドになり、


奨学生たちが同行して、
荷物も持ってくれるし、

料理もしてくれる!
だから、安全!

山頂付近は、
大きな火口の周囲に、
頂上がいくつか別れ立ち、


晴れていると、
遠くに海も見渡せる!


アポ山は、
まだ多少噴煙があがる、
活火山だ!


km3

二回目は、
日本の若者たちと


二回目は、
日本の若者たちと、
MCLの奨学生たちが・・・

ウオーファーフォール村から
3泊の旅が始まる。


日本から訪問してきた
若者たちと  
アポ山(2950m)に登った。

4月5月は、
ミンダナオの夏休み。
(2022年からは、7月!)

この時期に、
奨学生の高校生と大学生を中心に、
フィリピンの最高峰、
アポ山に登ることにしている。

ジャングルに囲まれている
アポ山は、
3千メートル弱の
フィリピンの最高峰だが、


とりわけ、裏口の
キダパワンからの登山道は、
日本の高山のように
アプローチや山道が
整備されているわけでもないので、

ガイドとポーターを雇って、
3泊4日で頂上をきわめる。

今回も、
ガイド役になってくださったのは、
マノボ族の奨学生の
お父さんたち。

日本の若者2人を含めて、
18人の精鋭部隊?

アポ山は、
MCLの裏山なのだが、
現地の人々にとっては、
神々の庭。


神聖な山で、
若者たちの強い憧れ。

大きな木や岩には、
妖精たちや
妖怪たちも住んでいる!


若い時に一度でも、
フィリピン最高峰に登った
という体験は、

生涯彼らの
自信と誇りとなるだろう。
そのこともあり、
毎年計画している。

日本から来た
彼女たち(写真下)は、
ほとんど山を登った
体験のない若者たちで、

最初は
ちょっと心配したけど、
MCLの若者たちが助け、
時にはおんぶして川を渡り、

荷物も
喜んで運び上げ、


最後は
すっかり仲良しになって、
曰く。

「すっかり山登り(MCL?)に、
はまってしまった。
また絶対来るからね!」



km4

アポ山の
妖精たち


アポ山は、
山麓に住んでいる人々にとっては、
神聖な神の山で、


妖精や妖怪や
お化けもたくさん住んでいて、


死者の魂も、
全てこの聖なる山に
集まるという。


世界の最高峰が、
アポ山だと
今も信じている人もたくさんいる。

マノボ族の
ガイドのお父さんが、
尾根に登る前に言った言葉!

「もうすぐ尾根にたどり着きます!
きれいな花が
咲き乱れていて、

向こうに
アポ山の山頂が見えます!

でも、そこにたどり着いても、
これだけは、
言わないでくださいね!
『きれいだなーーー!」

どうしてですか?
と聞くとこう答えた。
「あっちの世界に、連れていかれるから!」

お花畑には、
妖精たちがたくさん住んでいて、
その妖精たちを目の前にして、
「きれいだなーーー!」というと、


「あっ!わたしのこと、好きなんだ!」
と言って、
あっちの世界に
連れていかれるのだという。

「実際に連れていかれて、
死んだ人も、
何人かいますよ!」

地元の
とりわけ原住民にとっては、
アポ山は、
聖なる山なのだ!

頂上直下には、
湿原がある。

神秘的な山、
アポ山には、
世界からも登山者が絶えない

大概の登山者たちは、
整備された登山道を、
反対側のダバオ側から登って来て、
この湿原脇のキャンプ場に泊まる。


km5

山のお店で、
お父さんお母さんを手伝う
子どもたち


頂上直下の湖畔のキャンプ場は、
ダバオからの登山者が多く、
整備も行き届いていて?

こちらでは、
サリサリストアーと言う
小さな雑貨屋が並んでいて、
お菓子やインスタントコーヒーや
ラム酒も買える!

そんなサリサリストアーは、
山麓の村に住んでいる人たちが、
斜面を登ってきて、
竹やほうき草で作った小屋に、

持ち上げてきたお菓子や雑貨
水やお酒を置いて売る。
登山季節の小さな商売!

ある雑貨屋に近づくと、
女の子が
笑顔で手を振った!

ビックリして良く見ると、
どこかで
見たことがある顔!

聞くと、
「わたしの村に、
読み語りに来てくれたよね!」
なんと、奨学生もいる
下の村から来た子だった。

「いま、夏休みだから、
お父さん、
お母さんのお手伝いしに
ここにきているの!」

女の子たちは、
お料理のお手伝いをしたり。

沢で
料理したり、
飲むための水をくんだり。



お洗濯をしたり。




男の子たちは、
荷物を運んだり!

ときには、
朝早く一人で村を出て、
サリサリで売る
雑貨を担ぎ上げたりもする。

本当に、
嫌な顔一つせずに、
家族で助け合う、
献身的な子どもたち!



km6

夜明け

夜明けとともに、
奨学生の子どもたちは起きだすと
朝ご飯を作り始めた。

山頂が、
朝日をあびて
オレンジ色に輝きだす!


食事のあと、
食器も彼らが洗ってくれた。
MCLでは、各々洗うけれど、
さすがに自然のなかの生活に慣れている。


池にも、
アポ山が映っている!



テントを回収して
さあ、下山しよう!


km7

ジャングルの下山


下山は、最短距離で
鉱泉の湧き出ている
登山口を目指して下った。


谷に向かって、
急斜面をくだる。
それにしても、下山がこんなに
大変だとは思わなかった。

何しろ急な谷沿いの
火山灰の土は、
数日前に降った雨のせいか、
まだ濡れていて、

想像を絶するほどに
ツルツル滑る。
まるで、
雪の上を歩いているようだ!


道が下り、
川沿いに近くなるほど、
斜面は急になり、
滑りやすくなった。


さすがに
大きな荷物に耐え切れず、
リュックサックを
若者たちに持ってもらった。


日本でも、
多くの山を登ってきたけれど、


整備されていないジャングルの中の
踏み跡のような登山道は、
一味も二味も違った!


しかし、
若者たちはスゴイ!
慣れているせいか、
滑りながらも駆け降りていく。


km8

最後の下りで
谷を渡る


道は、
谷底に到達した。
深い谷底は、
両岸を岩盤に囲まれて、

岩盤の下の大岩のあいだを、
急流が、
すりぬけるようにして
流れていた。

道らしい道も無く、
川をまたぐ橋なども、
とても、橋とは言えない代物。

竹で作られた
橋もあった。


しかし、
竹は腐りやすいし、
慎重に渡らなければ
危ない!


こちらのアポ山の裏道は、
ここが、
メインストリートだけれど、

外国人はほとんど入らず、
登山道としては、
下の部落の人々が、
山頂でお店を開くため、

また、
普段は、タケノコや
山菜をとるためや、

食料としての
猿やニシキヘビを獲るための道?

ようやく、
麓の村の
登山口にたどり着いた。


km9

わたし、
ダバオで生まれたの!


七〇年ぶりの故郷を訪ねて!

カリナンの日系人博物館で、
70年前の自分が写っている
写真を発見!


娘さんの琴子さんから、
メールをいただいた。
「母は、ダバオの生まれです。

7歳のころまで
ダバオの日本人小学校に行き、
第二次世界大戦のとき、
妹とダバオから離れ
カリナンに疎開しました。

その後、戦闘が拡大し、
日本軍とともに、
さらにタコナン村に逃げました。
そして、ジャングルの中を逃げ惑い、

最後に投降して日本に帰されました。
それから70年、
一度もフィリピンに
足を踏み入れたことはありません。

今回、意を決して母の妹と、
バプテストの牧師の夫と
わたしたち息子と娘。
さらに孫たちをつれて、
回想の旅を計画しました。
受け入れていただけますか?」

総勢10人、
大学生やまだ中学の孫もいっしょ。
どれだけお役にたてるか
わからないけれども、実行を約束した。

まずは、生まれたダバオの地域に
ホテルを予約。
その地は、思い出の場所ではあるが、
すっかり都会化していた。

その後、カリナンの
日系人博物館を訪問。
なんとアルバムに
古い自分の写真がのっていた!


km10

カリナンの
市場を歩いた


ミンタルの
日系人墓地に詣で、
その後カリナンの
博物館を訪ねた。

自分の写真を見つけたり、
アバカ(マニラ麻)などの
工場や収穫など、
懐かしい思い出がよみがえってくる。

博物館を出て、
カリナンの街の市場を案内した。

ダバオと異なって、
ここにはまだ昔ながらの
雰囲気は風景が残っている。

ご当人の心には、
過去が、
すごい勢いでよみがえってくる。

魚屋、米屋、
お菓子屋など、


ぼくにとっても、
子ども時代に、
荻窪の市場で見た風景。

裸電球の下で
「いらっしゃい!いらっしゃーい!」

「生きが良いよ。
安くしておくよ!」

ここで、
待望のドリアンを買ったり、
マンゴスティンを食べた。

懐かしい想い出の
熱帯フルーツたちが、
「お帰り、お帰りなさい!」と、
叫んでいる?



km11

日本語を話す
老人に会った


訪問者と
タコナンを訪ねた。
日本語を話す、
混血の老人に会った


軍人だった父は、
戦後日本に帰り、
バゴボ族だった母と私たちは、
ミンダナオに残りました。

ジャングルをさまよった後
自分が
日本人の子であることを
ひたすら隠して生きてきました。

日本の軍隊は、
日本人と先住民の
あいの子にも厳しかった。

裏切るのではないかと、
いじめられた人もいました。

バゴボ族、
マノボ族のなかには、
殺されたり、
生き埋めにされた人もいたようだ。

辺見庸のノンフィクション「もの食う人びと」には、
当時、山に立て籠もった敗残兵たちが
原住民を襲って食べた、という
現地での聞き取りが書かれている。


カリナンから、
さらに訪問者たちが逃げた
ジャングルの村が、
タコナンという集落だった事を聞き、

ぼくたちは、
事前にタコナン集落が
どこにあるかを探した。

タコナンと言われるところに行き、
食堂のあるじに聞くと、
この先の山の集落に、
今でも日本語を話す、
日系人がいると教えてくれた。

ぼくたちは、
その集落へ早速向かった。

そこの主は、日系人で、
父親が日本人、
母親がバゴボ族。
奥様も同様だった。

「戦後、父親たちは、
家族をおいて日本に帰り、
自分たちはここに残った。
日本人であることを隠すために、
現地の名前を名乗って来ました。」

驚いたことに、
本当のタコナン村はここだった。
そこで、訪問者たちを、
ここにお連れすることに決めたのだ。

今は、
創価学会会員として、
平和を願っていると言う。


km12

日系人を祀った
記念碑に


第二次大戦で亡くなった
日系人を祀った記念碑に詣でた。

戦争避難民救済を毎年行っている
そうした体験から、

とにかく、
ぼくは、戦争が嫌だ!
子どもたちや庶民が、
最大の犠牲者になる。

これは、現在勃発する戦闘を見ても
まったく同様だ。
戦争そのものを
憎む必要がある???

聖書には、「剣を持つものは、剣で滅びる」
と書いてある。
武器を持ったとたん人格が変わる?
人が、人で無くなる?


ミンダナオの人々は、
アジアでは比較的
日本人を良く言ってくれる。
戦前の日系人との交流が
あったせいだろう。

しかし、子どもが寝ないと
「日本人が来るから、早く寝なさい!」
と言って、寝かせる言葉が
今でも生きている。


km13

ジャングルに
逃げ込んだ


訪問者は、
自分の子ども時代の体験を
語ってくださった。

戦闘は、敗戦の色を濃くし、
日系人たちは、
カリナンにもいられなくなり、
日本軍とともに
ジャングルに逃げ込んだ。

山芋を掘って食べたり、
困難な生活が続く。

「現地の人たちも助けてくれた。
むしろ日本軍のほうが、
私たち子どもの目から見ると
怖かったです。」

「わずかしかない塩などを、
むりやり
取っていってしまうのです。」

ぼくも、
現地の人々からも
聞いた話が多々あるが、

人によっては、
「日本軍があの丘に滞在していたけど、
良い人たちだったよ・・・」
と言ってくれる人もいる。

結局は、
司令官の資質によって、
現地での
命令の形態が変わったようだ。


思い出深い
ジャングルに入った


ジャングルに逃げた頃の
想い出から、
もう一度
ジャングルを見てみたい。

その希望を聞いて、
アラカンの山にご案内した。

さすがに、
山道までは、無理なので、
ジャングルが残っていて、
車で通れる山道を行った。

いつも、
原住民の地域に行くために
通っている道で、

4WD出なければ入れず、
川を越え、
谷を渡って行く。

ときどき枝の上から
猿たちが見下ろしている。

km14

この地域が、
日本軍と
米軍の決戦場になった


この奥に、
たびたび日本の
訪問者が滞在するキアタウ村や、

ケロハス村が有り
多くの奨学生を取り
保育所も建設している。

MCLの下宿小屋もある。

目の前の丘。
この丘の上に
日本軍が陣を張っていた。


ミンダナオ子ども図書館の
アラカンの下宿小屋で、
スタッフのジケロ君から
日系人を話を聞いた。

ジケロ君は、
名字をタカといって
おじいさんが日本人だが、
証明することが出来ない。

ジャングルを
逃げ惑った家族の
その苦労が
いかほどであったことか!

ミンダナオ子ども図書館には
数人の日系人の
奨学生がいる。
下の家族は日系人!


訪問者のご主人は、
バプテストの牧師さん。
新築間もない、
バプテスト教会の前で、

地元の牧師さんと
いっしょに写真を撮った。


km15

支援している
イスラムの子に会えた


自分が支援している
奨学生に会いたい。
それも今回の目的の一つだった。

しかし、
リグアサン湿原沿いの集落で
最近も戦闘が起こり難民が出て、
MCLで救済に向かった地域。

ここのところ、
若干おだやかだが、
情報を収集しても
とても村までは危険で行けない。

そこで、
先生に連絡を取り
近くの安全な場所で
会うことになった。

イスラムの湿原地域の彼女。
片手が萎えているが、
とてもよい子だ。

彼女の集落までは
行けなかったが、

先生が、
安全な集落まで
連れてきてくださった。

下の子といっしょに
今年度から、
MCLに住むことになった。


ミンダナオ子ども図書館に
もどってきた。

ここでは、
原住民、イスラム、クリスチャン、
みんな仲良し
ひとつの家族!

また
遊びに来てねえー!


km16

最後にダバオの
貧困地域を訪ねた


ここには、
町で家を持てない
極貧の家族が住んでいる。


海で漁をしている
イスラムのタウソグ族が
多いけれど、


貧しいクリスチャンや
山から下りてきた
原住民たちも、

海に張り出した家に
住んでいる。

つねに、
子どもたちを中心に
考える社会を作りたいと、
つくづく思う。



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