戦争と平和構築
2014年の記録から
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秘密の白い浜を見つけた |
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sg1 秘密の白い浜を 見つけた ここで、 26日から3泊で 子供たちと海水浴をする予定! ここに行くには、 小さな素朴な漁村を いくつもこえていく。 最後に、 4WDの車でしか登れない、 岬の最先端の山の 急斜面を超えると、 広大な海が広がる 絶景に出会えて ビックリ! 峠を越えて浜に降りると、 小さな漁村、 クラクシン集落に到達する。 信じられないほどの まっ白な砂浜! 村で遊ぶ、 子どもたち! クラクシン集落の後ろに続く道を 四輪駆動車で 何とかかんとか超えていくと、 集落のはずれに達して 道は消える。 ここから先は、 岬の崖沿いに 踏み後道があるだけで、 子どもたちは、 ここを通って 学校に通うけれど、 車道は、行き止まり。 真っ白な 粉のような砂浜で遊ぶ、 素朴な 浜の子供たち! sg2 今年は、 お正月を 海で過ごそう 年末の12月26日から、 MCLに残っている子供たちと、 3泊ここで 過ごすことにした。 お正月休みは、 ふる里に 兄弟や親せきが残っていて、 帰郷ができる子たちはなるべく、 スタッフが、車に乗せて ふる里に送り届ける。 家庭が崩壊したり つらい記憶が残っていても、 幼馴染の友だちもたくさんいるし、 やはり、 ふる里は懐かしく 大事な郷里だから。 しかし、 戦闘があったり、 アビューズなど いろいろな事情から、 帰すことのできない子、 どうしても 帰りたくない子たちも結構いる。 そうした子たちにとっては、 MCLの仲間たちも帰ってしまい、 年末はさびしくなる時! それだからこそ、 みんなで 海に行くことにした。 「お正月は海に行くよ!」 というと、 「わーーーーっ!」と大喜び。 山の子たちや 内陸の子たちにとって、 海など、 聞いたことはあっても、 見たことはない、 お伽話の世界なのだ! sg3 今回は数日、 浜で過ごした クリスマスに、 ちょっと過労がたたってかダウン。 数日入院。 ミンダナオ和平交渉への不安、 2016年の選挙の年に 大規模な戦争が起こる不安。 日本の集団的自衛権の 行使への不安。 それに加えて 突然の円安で、 MCLの経済情勢も楽ではないので、 出版や執筆だけではなく、 訪問や実体験を含めて、 どうやって日本の若者たちを 支援したら良いのか・・・ 受け入れ体制は、 どうしたら良いのか・・・ それに加えて、 現地に放っておけずに 受け入れてしまっている、 50名ほどの まだ支援者のいない子の支援者を さがさなくっちゃなどなど・・・、 一昨年あたりからの 心労が重なってダウン? 経済情勢が厳しいので、 学生総会も子どもたちと相談して、 年四回にしました。 3月が イスラムデー、 6月が マノボデー(先住民の日) 9月が、 クリスチャンデー (島外移民のクリスチャンの日) 12月が 学生総会でスカラーズデー sg4 日本の若者たちと 交流するため また、日本の若者たちとの 交流を考えると、 北コタバト州は、危険度が高く、 日本政府の指定する危険度が低い、 ダバオ州が良いのだがと言う、 大学などからの希望で、 海の白浜に、 交流のための浜を考えていましたが、 見つけました! それが、今回子どもたちと 正月を過ごしたサンタマリア、 クラクシン集落の白い浜です。 MCLからも、 ダバオからも二時間半ほど。 週末に子どもたちと、 泳ぎにこれますし、 リゾート化されていない真っ白な浜で、 本当に自然で 素朴な漁師の村人たちと、 友だちになれる浜です。 場所は、ディゴスの奥の サンタマリア市から 四輪駆動で入っていくところ。 サンタマリア市近郊には、 名の知られた リゾートビーチもあるのですが、 そういうリゾートは、 地元の人々の生活から、 かけ離れて変な感じがして、 まったく好きになれないので、 ここの浜を見つけたときは 子どもたちも大喜び! 村でも、 読み聞かせをし、 保育所を建てることにしました。 貧しくて 学校にも行けない子も 多い村ですが、 漁村良さは、 何とか魚を捕って 食べられること! どこあるかは、 秘密です。 開発が入って 欲しくないから・・・ sg5 秘密の浜に 着いた! 村に到着すると 村の子どもたちが、 皆のところに やってくる。 MCLの子どもたちも 初めて見る海に、 驚きと 感動を隠せない! 海の向こうの対岸に アポ山も見えるよ! アポ山は、 ミンダナオ子ども図書館からも 眺められるけれど、 2954mで、 フィリピンでは一番高い山! ミンダナオ子ども図書館がある、 キダパワン市が登山口! sg6 ミンダナオでも、 白くて美しい浜 現地でも、 リゾートではなくって、 普通の漁村で、 これだけきめが細かくて、 真っ白な砂は珍しい? 「さあ、お昼ごはんが、 できたよーーー!」 「村の子たちも、 食べにおいでーーー!」 「おまえにもごはん わけてあげるね!」 地元の子どもたちと いっしょに 遊ぶこともできて、 その交流が 素晴らしい体験になる! いつか 日本の若者たちがきたら、 漁師さんたちの家に民泊して、 いっしょに漁を体験するのも、 良いかも。
sg12 琴平ロータリークラブの 方々が米を 寄贈してくださった 琴平ロータリークラブの方々が、 ミンダナオ子ども図書館を 訪れられた。 子どもたちによる、 歓迎会の後、 訪問者の方々は、 MCLの子たちと、 お米を干した。 ミンダナオ子ども図書館の庭には、 籾米を干すための セメントの広場が作ってある。 ここに、 籾米だけではなく、 山芋やコーヒー豆 カカオなども 干すことが出来て、 空いているときには、 子どもたちが、 バスケットボールやバレーボールの コートにしたり、 縄跳びやおにごっごや ゴム草履をけって遊んだりする 遊び場にもなる。 お米干しには、 慣れている子もいて、 その子たちの様子から、 すぐに学んで、 他の子たちも どんどん自分達でやってみる! 小さい子でも、 嫌な顔せず、 むしろ大喜びでお手伝いする! そんな 子供たちの様子を見て、 訪問者の方々もビックリ! 最後は、 みんなで記念撮影! sg13 アラカンの山奥を 巡ってダバオへ 琴平ロータリークラブの訪問者の方々を ダバオにお送りするのに、 帰りは国道ではなく、 アポ山の裏側の山を越えて、 原住民の村々を 抜けていくことにした。 4WDでしか通れない ジャングルの中を超えていくと、 たくさんのマノボ族の村々がある。 ミンダナオ子ども図書館は、 こういった地域を巡って、 孤児や崩壊家庭の子がいると 奨学生に採用したり、 病気の子どもを 救済したり、 保育所を 建てたりしているので、 原住民の人たちも皆、 わたしたちの事を知っている。 それゆえに、 外国人は、 決して入れないと言われた、 危険地域であるにも かかわらず、 訪問者も、 わたしたちと一緒なら、 こうした地域を 巡ることが出来る。 sg14 奨学生の一人が、 病気だった 奨学生のいる 極貧の村へ行くと、 奨学生の一人が、 病気だった。 病院長で医師のロータリーの方が 、 その場で診断し 薬をくださった。 父親はいないけど、 母と当人は大喜び! 原住民の集落では、、 衛生上の問題が大きい。 水を引いて貯める 貯水施設は壊れてしまい、 下の川に 水汲みに行き。 汲んだ水を 運び上げては、 家の裏に置かれた、 プラスティックの タンクに貯めて、 その水で洗濯したり、 うんこをした後には、 空き缶に水を汲んで お尻にかけて流す。 下は便所。 トイレットペーパーなど、 あっても高価で 買えないから・・・。 sg15 ミンダナオの近況 イスラム地域で 戦闘は起こるものの ときどき、 イスラム地域で 地域的な戦闘は起こるものの 、 ミンダナオの現況は、 比較的おだやかに 推移している。 ただ、人々が、 きたる2016年の 大統領選もまじえた、 国政選挙のさいに 起こると予想されている 戦闘に、 不安を感じているのが、 いろいろな動きから 伝わってくる。 ミンダナオというと、 戦争がしばしば起こり、 イスラム教徒も多いことから 危険地域というイメージが強いが、 先入観を持って 来らた方々も驚くほど、 現地の人々の日常の生活、 特に子どもたちのようすは 平和だ。 マニラの人々は、 MCLのあるミンダナオの 北コタバト州は、 とても来られない 恐ろしい場所と聞いているので、 来られた方は、 平和な様子に唖然とする。 「ここは、マニラよりも よっぽど治安も良いし、 安定していてステキなところですね!」 最近は、キダパワン市には、 ガイサノモールと呼ばれる デパートも建ち、 大学は、 ノートルダム大学や ミンダナオ州立大学などなど、 たくさんの 公立私立の大学と 総合病院も4つほどあり、 若者の多い 高原の 学園都市になっている。 またキダパワン市は、 観光に力を入れていて フィリピンの最高峰、 2954メートルの アポ山への登山基地として、 海外からの登山客も多く、 天然の温泉もあり、 気候も暑くなく寒くなく 、 原住民の聖地にもなっている。 ミンダナオのフルーツバスケット と、言われるほど、 熱帯果樹の産地で住みやすい。 私が、 キダパワンを 拠点に選んだ理由の一つは、 戦争になってもここは、 戦場になることはなく、 拠点として 比較的安全だというのも理由だ! sg16 イスラム地域は 、 戦闘の被災を ただし、 キダパワンから 西へ1時間半ほど行った イスラム地域は 、 40年間のあいだ、 たえず戦闘の被災を 受けてきている。 特に、 選挙の時は、 地域の有力者同士の リドーと呼ばれる内戦が必ず起こる。 今回の2016年の選挙では、 MILFとMNLF、BIFFの対立から イスラム勢力同士の戦闘が おこるばかりではなく、 和平交渉の決裂から、 イスラムと政府軍との 大規模な戦争が起こり、 そこに、バリカタンと呼ばれる 政府軍とアメリカ軍との 合同演習という名の実戦が 行われる可能性が高いという。 さらに、場合によっては今年から、 集団的自衛権を行使して日本軍も、 合同演習バリカタンに、 参戦してくるのではないかと噂されている。 最近、人々の 日本人に対する目が、 複雑になってきたのを感じる。 sg17 誘拐事件と 爆弾事件が多発 大規模な戦争の前には、 必ず誘拐事件と 爆弾事件が多発する。 マスコミは、 「反政府組織の仕業と思われる」 と、報道するが 、 現地では、 戦争気分を高めるための 報道であると言われている。 15年間活動してきて、 怖い目に遭った体験はないが 、 ここ数年は、 最大限の注意が必要だと思っている。 しかし、現実には、 ダバオは、治安が 非常に良くなってきているし 、 (マニラよりよほど安全だ!と言う声をよく聞く。) 白人を含め外国人も多くなり、 特に増えたのが 韓国の若者に加えて、 最近は、 インドの若者たちが激増している。 医学と看護学を 勉強しにきているのだと聞いている。 キダパワンでも、 かつては見かけなかった、 白人を時々見るようになった。 ダバオは、 石油施設を始め、 経済施設の建設は驚くべきで、 戦争が起こり続けている イスラム地域の リグアサン湿原には、 膨大な石油と 天然ガスの湧出が、 先進国によって確認されている。 さらに驚きは、 三つしかなかったデパートが、 さらに五つほども増えたことだ! 新車の車も激増している。 それが良いか悪いかは 別にして、 一方では物価が上がり、 貧富の格差が 激しくなっている。 貧しいものはさらに貧しく、 一部の豊かな者たちだけが 肥えていく。 日本も 同様の状況なのでは? sg18 小学校に入学しても、 2年生でストップ ミンダナオの貧困の状況はひどく、 戦闘の絶えない イスラム地域だけではなく、 低地の良い土地に 住んでいたにもかかわらず、 所有者のいない土地という名目で、 土地を奪われて 山に追いやられた、 原住民の貧困は激しかった。 三食米も食べられず、 山芋を抜いて、 カエルを おかずにしている。 子どもたちは、 小学校に入学しても、 2年生で80%ストップする。 その理由は、 午後の授業が始まると お弁当を持っていけないし、 エンピツも買えないし、 靴なんて 履いていけないから・・・。 sg19 スカラシップを 始めたのは スカラシップを始めたのは、 そんな子こそ 学校に行かせ、 出来れば 大学まで卒業させて、 少しでも 社会を良くして欲しいと 思ったからだ。 都市のスラム街の貧困も 激しいけれど、 そうした極貧の 子どもたちの中でも、 家庭が崩壊したり、 親が殺されて 片親になったり、 そんな子たちを引きとって ミンダナオ子ども図書館に 住まわせた。 sg20 現地に 置いておけない 孤児たちは 2001年に設立して、 すでに15年近くがたったけれども、 200人以上が卒業していき、 今も300人以上の子たちを スカラシップで 学校に行かせてあげている。 そのなかでも 現地に置いておけない 孤児や極貧の子たちは、 本部や町の男子寮や 山の下宿施設で生活させている。 食べさせてあげているのは 200人ぐらい。 しかし、お米は自給している! 本部には、とりわけ きびしい境遇の子たちが、 80人ほど住んでいるが、 かれらが言うのは、 「宗教や種族が違っていても わたしたちは、一つの家族!」 基本的に、 男の子は、 小学校以上になると、 大学生と同じ寮に移るように、 福祉局の指導で 決められているので、 町の男子寮に移る。 その結果、本部に住んでいるのは、 小学校の男女と、 日本で言えば中高の女子たちと スタッフの家族たち。 しかし、 男の子たちも、 土日には本部に来て、 畑仕事などを手伝ってくれるし、 いっしょに読み語りに 行ったりもする! 大学生になると、 恋愛や携帯の使用も求められ、 下宿して学校に通い 旅立ちの用意をする。 恋愛もOKだけれど、 妊娠したり、 出産した場合は、 子どもの面倒をみる事! 学業をストップしても、 幸せになってくれることが何より! 結婚式には出るし、 困ったことがあったら 駆けこんでおいで!!! スタッフたちも、 『仕事人』というよりは、 家族の一員! 子どもたちは、 妻の事を 「ママ エープリル!」と呼んで、 わたしのことを、 「パパ とも!」と呼んで、 抱きついてくる。 sg21 MCLの子どもたち わたしたちは、 一つの家族! ミンダナオ子ども図書館は、 戦争で避難民になって、 道脇や空き地で、 木の枝を建てた上に ヤシの葉を置いて屋根にした、 小屋とも言えないような下で、 表情も失っている子どもたちを見て、 「いくらなんでもひどすぎる、 何かできないだろうか?」 と思った時に、 「読み語りをしてあげれば、 少しは元気なるのではないか」 という思いから始まった活動だった。 それまで、 ボランティアなど 全く関心がなかったけれど、 「みじめな子どもたちを助けたい」 そういう思いから、 現地の若者たちと始めた活動だ。 その後、 病気の子がいるので 置いておけず、 なんと当時、 16,7歳の若者たちが、 フィリピンの特別非営利法人資格をとり、 病院に連れて行ったり、 親が死んで孤児になり 学校にも行けない子たちに スカラシップを与えて、 そのなかでも、 現地に置いておけない 子たちを引き取って、 孤児の生活できる施設としても 活動しはじめた。 sg22 子ども図書館の 庭で遊ぶ 子どもたち バライバライ遊び! 家を作って遊ぶ子たち。 ここから家族の気持ち、 友情の気持ちが培われる。 家を建て・・・ 小さな子たちのために、 たき火をして、 お料理をする お母さんの役目。 普段の食事も、 毎日、子どもたちが 4時半に起きて、 薪で作っているから お手の物! 実の娘の姿も見える。 いっしょに育って、 友情を心底 体験しているから、 仲間たちから 生きる力をもらっている! 妖精の家の岩で 語り合う子どもたち。 妖精の話をしているに 違いない! 親が死んだり、 殺されたり、 家庭が崩壊して バラバラになったり、 様々な悲しみを体験した 子たちだけれど、 わたしたちは、 MCLで 皆兄弟姉妹! イスラム教徒もキリスト教徒も 先住民も、皆一つの家族! sg23 日本の子どもや若者たち、 中高年の方々との かけはしを作る試み MCLの若者たちが、 現地法人の資格をとって 正式に活動しはじめたのが2001年。 あっという間の10数年! その間、 次々と勃発する戦争や 限りなく広がる貧困地帯で 困窮している子たちを前にして、 ミンダナオの子どもたちの 支援救済のみ視野に入れて 活動するのが精一杯! 現地での日本人は、ぼく一人。 訪問者が訪れますと、 頭を日本語に 切り替えるのに しばらくかかるような状態でした。 しかし、最近になって、池上彰さんのテレビ東京 「なぜここに日本人」で紹介された頃から、
支援者になってくださっている 中高年の方々が、 MCLを訪れて、 現地の子どもたちに感動され、 逆に生きる力を得て 帰られる姿を 見ると同時に、 自殺や 引きこもりの多い 日本の子どもたちの 心の現状を知るにつけて、 さすがに日本の人々、 とりわけ青少年たちを、 放っておけない 気持ちが強まりました。 また、 MCLを訪れられる 日本の方々の想いに 答えるためにも、 貧しくとも 生きる力にみちあふれ、 明るい笑顔の ミンダナオの子どもたちの姿を つたえ語り、 若者たちや 皆様方とともに 考えることによって、 微力ながらも 何か出来ないかと 思うようになりました。 sg24 日本の人々を 受けいれるために 日本の人々を 受けいれるためには、 日本人が 僕一人では難しく、 日本人スタッフが必要なことは、 わかりましたが、 利益が絡んだお客様接待や スタディーツアーと 組み合わされてしまうと、 素朴な家族としての 雰囲気が、 失せていくことも感じられ、 紆余曲折の結果、 MCLは、 利益目的の スタディーツアーはやらず、 宿泊費なしで、 お客様としてではなく、 住んでいる子たちも、 家族として迎えることにしました。 日本人スタッフも 宮木梓さんが入ってくださり、 長年のネグロスでの シスターのもとでの有機農業の体験もあり、 素朴な家族としての ミンダナオ子ども図書館を よく理解してくれています。 |
sg25 ゆうぐれまで、 なかよく遊ぶ 夕暮れの、 電気も無い、 マノボ族の集落。 でも子どもたちは、 学校鞄をおくと 、 みんな家から飛び出してきて 、 ゆうぐれまで、 なかよく遊ぶ。 伝統的なハンカチおとしや、 おにごっこ 後ろの正面、だーーーれ! バスケットだって、 ただのボール遊びさ。 学校の体育館やコートでする、 サッカーや野球は 大人が作ったルールのなかで 勝ち負けを競い合うゲームにすぎない。 遊びは、 楽しみながら 友情をつちかうもの。 学校でも 幼稚園や保育園でも無く、 野原や森や 路地裏といった、 家や学校の 壁や垣根の外側の ちまたと呼ばれる場所でするものさ。 そここそが、 ぼくたちの自由な空間! イスラムの子どもたちも同じ! こうした場所でこそ、 ぼくらの心は解放されて 、 競争原理からも自由になって 、 家庭や教育からも 解き放たれて 、 真の友情と社会性を 培う心が養われる。 友情と愛こそが生きる力! 子ども時代に、 ちまたでの友愛体験を持てずに、 勝つことばかり考えて、 育った大人は恐ろしい? 日本では、 ちまたで遊ぶ子どもたちの姿を 見なくなって久しい。 ミンダナオの子どもたちと、 日本の子どもを比較すると、 ちまたでの遊びの欠如、 真の友愛体験の欠如が 生きる力を喪失させて、 自殺と引きこもりを 生んでいるように 思えてならない。 お金と物は豊かでも、 日本の子供たちがかわいそう! sg26 何ができるだろうかと 考えたときに 訪問者の受け入れ以外に、 何ができるだろうかと 考えたときに、 思い至った可能性のひとつは、 絵本をはじめとして、 児童文学や文化論の執筆を ふたたび始めること。 編集者時代からやってきた講演で、 絵本体験や昔話論の話に、 ミンダナオの子どもたちから学んだ、 遊びやちまたの大切さ、 妖精や見えないものとの交流の 重要性を加えて、 新たな気持ちで 講演を再開することでした。
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ミンダナオ子ども図書館の最新の活動報告 支援者の方々への活動報告です! |
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現地日本人スタッフによる、 写真を交えた最新の活動報告です! |
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記 訪問等でMCLと出会った若者たちの想いです! |
松居友による活動報告および 製作映像や想いを載せた自由日記です! |
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