日本政府から勇敢にも 国際監視団の菊地さんが訪れた |
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we1 イスラム自治区で 新たな戦闘があり 避難民が発生 再び戦闘が始まる兆しがある。 最近ミンダナオのあちらこちらで 爆弾事件があり、 以前の経験からも、 こうした事件は戦闘の予兆と 現地では見られている。 大概の爆弾事件は、 「イスラム反政府勢力の仕業と思われる」 とマスコミで報道され、 市長などに組織からメッセージが 送られてきたりするので、 公式にそう発表されるのだが、 現地の人々は簡単に信じない。 反イスラム感情を マスコミを通して高めておいて、 次のステップに本格的な戦闘を起こす 手腕であるとも言われている。 コタバト市の大教会の前の 豚の丸焼き屋が爆発したときも、 オーランド大司教は、 イスラム勢力の仕業と言わなかった。 後日、武器の破片が見つかって、 調べてみたら ・・・だったと教えて下さった。 どうでも良いけれど、 それにしても、 戦闘が起これば、 可哀想なのは子どもたちだ。 we2 イスラム自治区の 避難民 スタッフの友人を通して、 イスラム自治区ARMMの一地域 (カルメンとカバカンの中間)で戦闘があり、 避難民が出ていると聞き向かった。 (正式には難民ではなく、 国内避難民とのご指摘を 菊地氏からの頂きました。) 国道わきの鉄塔が爆破され、 空から警戒する ヘリコプターが見えた。 現地で避難民となっている村長(イスラム系)の話だと、 「今回の戦闘は、移民系クリスチャンと ムスリムの間で起きた。 長年の確執が原因だ」という。 発端は、化粧品の商売に歩いていた 3人のイスラム女性が、 移民系クリスチャンに 襲われたところから発していると言う。 一人が病院に収容されている。 これに怒ったMILF系住民と クリスチャン系住民の間で襲撃があり、 民兵同士の戦闘に拡大。 フィリピン政府軍が、 イスラム地域を 攻撃するに至ったという。 「MILF正規軍の領域に広がる可能性があり、 そうなると軍同士の かなり激しい戦闘になるだろう。」 イスラム自治区は非常に貧しいが、 ムスリムもクリスチャンも 貧しくとも幸せに暮らしている様子も 感じられる。 we3 戦闘のきっかけは 戦闘のきっかけは、 去年勃発して 40万もの避難民が出た 8月の開始とほぼ同じパターンを持っている。 一般住民が襲われる事件をきっかけに 民兵が出動し、 政府側と反政府側の民兵同士の戦闘が始まる。 それを契機に、 政府軍が出動し、 反政府がわの正規軍?が反撃を開始する。 問題は、最初のきっかけが、 かなり意図的に 作られているのではないか、 という疑惑がいつも語られる。 「このままだとMILF正規軍の領域に 広がる可能性があり、 そうなると軍同士の かなり激しい戦闘になるだろう。」 と村長の発言を引用したが、 逆に物事をたどる 必要もあるのだという。 「軍どうしの激しい戦闘」を作るために、 暗殺集団にお金を出して イスラムの女性を襲わせた。」 すでに往年のクリスチャンとイスラムの (家族を殺されたり) といった対立感情を利用して 喧嘩を起こし、 それをきっかけに 地域住民の民兵組織を 参加させることによって、 大規模な軍レベルまで拡大させる。 こうした暗殺集団は実在し、 クリスチャン系は 「イラガ(鼠)」と呼ばれている。 イスラム系にもあるだろうが、 問題は、暗殺集団に背後で 「お金」払って操っている、 第三者がいる可能性が有ることだ。 去年の大規模な戦闘も 同じ経緯をもっていたし、 かなり大きな範囲で 同時に起こることを考えると 相当な規模で計画された 可能性も否定できない? どうでも良いけど、 私たちにとっては、 大人の喧嘩に巻きこまれる 子どもたちが可哀想でならない! この地域の戦闘は、 まったく話題にならず、 NGOも地域政府も避難民の救済に 動くことはなかった。 ミンダナオ子ども図書館だけが、 ビニールシートを届け 医療活動を行った。 we4 ピキットの避難民 ほぼ同時期に、 ダトゥ ピアンと呼ばれる、 イスラム自治区で戦闘が起こり、 川向こうのピキット側に難民が来ているという、 ミンダナオ子ども図書館のボードメンバーで DSWDのグレイスさんから 連絡があった。 彼女は、カトリックだけれど、 イスラムの婦人たちと連携して 避難民の子どもたちの救済に、 爆弾の落ちる中をかけまわる。 こちらも、国際NGOは動いていない。 グレイスさんも属しているOMI (カトリック教会のオブレード会)が 唯一食料の支援をしている。 私たちは、 窮乏している ビニールシートの支援に向かった。 支援は、道がないので、 ボートで救済に向かう。 下の兵士が 対岸の空を指さして教えてくれた。 「あそこを飛び交っているのが、 米軍の無人偵察機のドローンだよ!」 避難民にとっては、 ともかく自分たちの事を気遣ってくれる 人々が居るという事だけでも 安心できるようだ。 今回の避難民救済でも、 スカラーたちが活躍した。 今年から新しく入ってきた スカラー達も同行して、 ビニールを張る 作業を進めた。 we5 パマリアン集落で、 さらに多くの 避難民が・・・ ピキットとアレオサンの 境界に広がる丘陵地域が 今回の戦闘勃発地域だ。 以前のニュースで、 3月に入り、米軍がピキットの道に 砂利を敷き詰めている話を載せた。 おかげでブアランまでも ハイエースで入れるようになったが、 案の定、 軍の車も入りやすくなり戦闘が勃発した。 どうでも良いけど、 この子達のために 平和になってほしい! 5月に入り、 戦闘は拡大すると言われているが・・・ we6 ブアランとパニコパンで 読み語り 私たちは、 先週ブアランと パニコパンの難民支援をし、 週末の土曜日は、 この二カ所で、 読み語りをする計画を立てて実行した。 この地域の人々は、 ブアランに近い丘陵地域から 逃れてきた人々で、 読み語りのあいだじゅう、 遠方の丘陵地域から 迫撃砲の音が聞こえてきた。 難民の数は 思ったよりも少なかったが、 ブアラン地域では、 次第に増えつつある。 その後、 パマリアンに難民が集結している、 何とかして欲しいと、 現地の村長から連絡が入って、 調査に向かった。 現地に行って、 唖然とした。 シートもなく、 椰子の葉をおいただけの掘ったてで、 すでに二晩の昼夜を過ごしている。 その数は、 他の2地域よりもはるかに多く、 とりわけ 子どもたちの多いのに驚かされた! この様な状態のなかで、 子どもも大人も 2晩以上過ごしている。 今は、雨の 非常に多いシーズンだ。 もちろん他からの支援は全くない。 子どもたちが 非常に多いのには驚かされた。 80%が子どもたちだと言っても 良いだろう。 一晩なりともこのまま 放っておくことは出来ないので、 早速ピキット市にもどり シートを購入。 子どもたちが、 毎晩雨にうたれているかと思うと、 居ても立ってもいられず 早急にシートの支援を決めた。 人々は呆然としている! 「早急にシートを支援しましょう」 「支援を決めてもいつ戻ってくるのか?」 半信半疑の様相だ。 多くの支援は、 調査や決定に時間がかかり、 難民が出て、速くて2,3週間 遅い支援は数ヶ月後である。 しかし、難民にとって 初期と後期が 一番厳しい時だ! とりわけ雨の多い熱帯地域は 初期のシートが死活問題。 それを知っているので、 今回は、午前に調査して 午後には、シートを支給した! ピキットの市場で購入したのだが、 そんなお金 どこにあったかって? つけバライで購入したのです! 店主が私たちを良く知っているので・・・ 「また、難民ですか大変ですね。 どうぞどうぞ・・・!」 we7 状況を見かねて 昼にはシートを準備 シートカットの方法も、 それなりの技術がいる。 可能な限り 長く広げて4ロールを重ね、 6メートルにカットした。 シートを添えていっぺんにカットしていく。 午前中の読み語りが終わり、 これで今日のスケジュールが 完了したかと思いきや、 急きょ難民救済が始まる。 ピキット市内で シートをカットして 準備をする若者たち。 彼らは 本当に頼りになる。 400枚を超えるシートが、 瞬く間に準備されていく。 we8 さっそく 緊急支援を開始 若者たちが 中心になって、 次々に シートが張られていく・・・ 暗かった難民キャンプに 笑顔が戻り始める。 とにかくこれで、 一息つける・・・ 同時に読み語りも・・・ シート張りと平行して、 読み語りがはじまる。 午前に続いて 午後の2セクション! こちらもお手の物だ。 それにしても、 とにかく子どもの数が多い! 難民支援は、始まったばかりだ。 戦争が、長く 続かなければ良いのだが。 ブアランでは、下の写真のように 一部の難民は、 椰子の葉で家のような物を作っている。 これは、 長期化を覚悟した結果だという。 MCLではシートを張ったが、 とりあえず 雨にうたれなくてすむだけであり、 難民支援は、始まったばかりだ。 たびたび通い 状況を把握しながら、 医療、食糧、衣料などを 支援しなければならないだろう。 we9 ピキットの ブアラン近郊で 戦闘があり 再び多くの 難民が出ている ピキットのブアランと アレオサン近郊で、 政府軍とMILF軍が衝突し、 多数の難民が出ている。 ブアランは、 2000年の戦闘の砲弾跡を残したままの 小学校がある地域で、 非常に貧しい地域である。 ミンダナオ子ども図書館で 保育所を建設、 小学校や高校生のスカラーもいる。 去年の8月に発生した戦闘で、 半年間も難民生活を 余儀なくされていた人々。 ようやく今年の3月に 家に戻れたところ、 3ヶ月で再び 難民化することになった。 木の枠組みだけ作っても シートがない。 高熱を出していた、4人の子どもたち。 この様な状態で 夜を過ごしているのだ。 かなり広範囲に難民が出ており、 国道沿いもふくめて、 難民は各地に散らばっている。 ハウスベース(親戚などの家に逃れた人々) の場合はまだよいのだが、 写真の地域のように、 野外に逃れた人々は悲惨だ。 雨の多いシーズンなので、 緊急のビニールシートが必要。 熱や腹痛などの病気の子どもも多く、 早速、ミンダナオ子ども図書館に 収容保護して、 治療をすることになった。 ミンダナオ子ども図書館で、 とりあえず ビニールシートを支援した。 手伝っているのは、 スカラーのザイノディン君。 この様な雨よけも無い所に 子どもたちを 放っておくことは出来ない we10 熱帯雨林地域の 雨は、半端でない 下の少女は、 両足先を膿んでいた! 下の子たちは、高熱を出して寝ていた。 ミンダナオ子ども図書館の子たちも 高熱を出して入院したが、 今流行のインフルエンザか・・・ この様な場所に おいておくことも出来ず。 早速、 ミンダナオ子ども図書館に収容した。 しかし、後述したが、 ここ数ヶ月の連続する患者の治療で 医療費が底をついている。 今後、 戦渦が拡大すると、 大変な状況になっていく恐れがある。 6月から7月にかけて、 新たな戦闘が 勃発する噂があるが、 現実にならないことを 祈るのみだ。 ピキット地域だけではなく、 ミンダナオ子ども図書館の水田のある、 マタラム地域でも軍が入り戦闘が 広がっている様子。 今回の戦闘で、 軍は、3ヶ月分の 「お弁当」(食料)を準備しているという 話が聞こえてきた。 最低、 3ヶ月は戦闘が続くという 意味だろうか??? 可哀想なのは、子どもたちだ。 MCL(ミンダナオ子ども図書館)だけが、 難民たちの唯一の頼り。 現地で奨学生のジハッド君と バイナオットさんに会った。 私たちが来て 本当にうれしかったようだ! この地の人々は 皆私たちを知っていて、 「本当にMCLは、頼りになってうれしい」 と言ってくれた。 当然、この時期は、 どこのNGOも政府も、 救援活動を開始していない。 恐らく 戦闘が拡大するとしても、 救済活動が開始されるのは 数週間後だろう。 緊急支援は、夕暮れまで続き、 最後に、 病気の子たちとその保護者を車に乗せて、 ミンダナオ子ども図書館に向かった。 明日から、 さらに本格的な 救済活動が始まる。 病気の治療も 開始しなければならない。 ヤレヤレ! we11 日本政府から勇敢にも 国際監視団の 菊地さんが マカブアルの 小学校を訪れた マカブアル村の学校の建設が完了してから 10ヶ月めにして、 現地視察が完了した。 菊地さんと私の間に 立っているのはピキット市長。 幸い米軍による砂利道の修復が 出来ていたので、 現地に楽に到着できた。 平和であれば、 8月頃に開所式がなされるという・・・。 私たちは、 2番目の学校建設候補として、 平和構築に重要な、 ブアランを紹介した。 菊池さんが戻られた後日、 日本大使館から フィリピンスタッフが訪れて、 ブアランの小学校建設の 最終チェックが行われた! 日本大使館から、 二人のフィリピン人スタッフが、 ブアランの小学校建設の 最終調査に来られた。 ブアランには、 IMT(国政停戦監視団)の菊池さん関係以外は、 日本人は来られていない。 今回は、 提出された書類に 書かれている事の実地調査。 校長先生と村長さんなどが対応した。 ブアランは、 絶え間ない戦闘に さらされてきた地域。 丘陵の下のイスラム地域と、 丘の上のクリスチャン地域が激しく対立。 2008年の50万を超す 避難民が出た戦闘もここから始まった。 下記に報告している、 先日読み聞かせに行った村が クリスチャン地域。 両者は、 対立してから交流が途絶えている。 わずか一キロ半を隔てる、 山の上と下であるにもかかわらず・・・ マニラの日本大使館から来られた、 勇気ある若き二人のフィリピン人スタッフ、 ハナさんとマリアフェさんが、 次々と鋭い質問を繰り出す。 下の写真は、奥が村長さん。 一人おいて手前が校長先生。 若く正義感が強く、エネルギッシュなやり手の先生。 手前がピキットDSWDのおなじみグレイスさん。 MCLのボードメンバーだ。 協議の後に、教室を視察。 2000年の戦闘で穴が開き 痛んだ教室もさることながら、 とりわけ1年生と2年生の多さに唖然。 マカブアルに、 ODAで学校を作ったときもそうだったが、 学校が出来たという事で 避難民化していた 多くの家族が村に戻ってきた。 実数200人、登録500人でも、 今は生徒の実数だけでも600名を超える。 5教室では足りなくて、 教育省が2教室を付け足した。 道が失われ、 関係が閉ざされていた クリスチャンの村とも 交流が生まれてくるし。 親戚のいる町や他村に逃げていた 家族たちも戻ってくるので、 戦闘が無ければ 生徒数は、数年で数倍になるだろう。 「一・二年は、2クラスづつにした方が良いですね。 どうせ作るのだったら、 いい加減なものにしないほうがよいと思います。 早速、帰ったら提案してみましょう。」 子どもたちの現状を見て、 お二人からうれしい言葉。 戦闘が、 再びこの地で起こらないようにするためには、 クリスチャン地域との閉ざされた関係を 再び構築しなければならない。 私たちは、 下記に記した クリスチャン集落へ読み語りに行き、 すでに関係を構築し始めている。 クリスチャン集落の子たちは、 恐れて山麓の ブアランの小学校に通わない。 イスラムの子たちは、 山の上を恐れて近寄らない。 かつてあった道は、 雑草や木が生い茂る。 グレイスさんと私は、 ピキット市に、 道路を再び整備する可能性に関して、 要請と調査をした。 このことを村長さんに話すと、 「大人たちの感情的なしこりをとるのは、 そう簡単ではないでしょう。 しかし、次世代を担う、 子どもたちだったら出来るかもしれない!」 避難民救済から保育所建設まで、 5年以上にわたって関係してきたブアラン。 村長さんも、心から信頼し、 尊敬できる方だと感じてきた。 さすが・・・と思った。 「先日、 上のクリスチャン地域に読み語りに行き、 イスラム教徒の奨学生も同行し アッラーの歌と、クリスチャンの歌と、 マノボの歌を歌ったのですよ」 そう言うと、村長さんは、思わず微笑んだ。 we12 対立していた クリスチャン 集落での読み語り こちらは、 ブアランの丘の上のクリスチャン集落。 かつては100世帯ほど住んでいたが、 度重なる戦闘でわずかしかいない。 この村は、 イスラム教徒の立ち入りを、 独自の規定で禁止している。 今回の選挙で落選した、 有名議員一族の 息のかかった村であることは、 ポスターをみれば一目瞭然。 日本政府や国際停戦監視団もかかわった 2008年の和平条約締結は、 この議員の最高裁への 提訴でご破算になった。 村人たちは、 全員が民兵に登録されていて、 常時武器を携帯している。 一般の農民たちなのだが、 彼らは、とにかく土地を守りたい一心だ。 丘の向こうには、勇猛で名高い、 MILFのコマンダーもいる。 この村の人々は、 ほとんどがカトリック。 この地域に入っているのは、 OMIと呼ばれるフランスミッションの宣教会。 戦時中、イスラムの人々と 抗日運動を展開しており、 MILFをはじめ イスラム教徒の信頼も厚い。 この宣教会は、 ピキットの有名なライソン神父や コタバトのオーランド司教がいて、 (日本では、鳴門教会の 乾神父がオーランド司教の盟友) 戦闘では、命がけで イスラムの子どもたちを救済している。 MCLのボードメンバーのグレイスさんも 同教会のメンバーだ。 16日には、 日本から 山元しんぷさんをはじめとする 小倉、行橋カトリック教会他のメンバーが来る。 現在、MCLでは、 この村に保育所を建設開始。 山元しんぷさんのミサを準備している。 MCLジャパンからは、 このクリスチャンの村民と 下のイスラムの村民に 農園に蒔く種を寄贈予定。 戦闘で疲弊し、 農民たちは、 種を蒔くにも種を買えない。 日本の皆さんの支援のおかげで、 今ここに、 平和の種が蒔かれようとしている! we13 平和の読み語りが 始まった しかし、どのような種よりも、 最も美しく効果的な 平和の種を蒔いてくれるのが、 この子たち! 皆さんが支援して下さっている、 ミンダナオ子ども図書館の 奨学生たちだ! 初めての 読み語りに訪れた。 もちろん、 イスラム、キリスト教、マノボ族の混成部隊。 イスラム教徒を 拒絶していた村人たちも、受け入れてくれた。 みんなでマノボ族の歌、 クリスチャンの歌、 イスラムの歌もうたった。 イスラムの歌を、歌うとき、 アッラー(神)の名が出てくる来るのに 村人たちは一瞬たじろいだが、 クリスチャンの子たちも一緒に声を合わせて 歌うのに驚いたようす。 歌を歌いながら踊る ミンダナオ子ども図書館の奨学生たち。 戦闘で疲弊した村に 久々に子どもたちの歌声がこだます。 村の子どもたちも 喜びの表情で 踊りのまねをする。 陰で見ていた 村の人々の表情も 少しずつ緩み始める。 大きなカブならぬ、 大きなカサバイモが 演じられる頃には、 堅かった村人たちの表情も すっかり緩み、 久しぶりに 平和を感じている様子だった。 村人たちのひそひそ声が聞こえてくる。 イスラム教徒のジェネッサさんが、 読み聞かせをするのを見て 「ほらほら、あの子、下の村のイスラムの子。 あんなにビサヤ語が上手だなんて!!!」 それもそのはず、 2年間MCLに住んでいたし・・・。 下は、スカラシップに採用する若者。 今度大学生だが、貧しくて学校に行けない。 衣料支援も行った! 堅かった村人たちの表情も 柔らかくなり、 水を頭に載せて不審そうに通り過ぎた おばあちゃんも、 最後には笑顔でわらっていた! we14 イスラム地域の クリスチャン 憎しみと 対立を超える 試みが始まった 戦闘の絶えないブアラン集落。 山麓のイスラム地域と 丘の上に移住してきたクリスチャン移民。 2008年の 50万の避難民が出た戦闘は、 実にこの地から始まった。 ともに恐れて 近寄らなかったけれど、 下のイスラム地域にMCLで保育所をたて、 ミンダナオ子ども図書館の奨学生が増えて、 さらに日本政府の支援で 小学校が建設される計画が広がるに従って、 平和構築の試みが始まった。
両地域に公平に、 電線を引いた。 OMIもクリスチャン地域の家の ヤシの葉を支援をした。 イスラム地域には、赤十字も入り、 簡易水道を建設し始めた。 ミンダナオ子ども図書館は、 すでに4年前からこの地に、 保育所を建て、 奨学生たちをとってきた。 今回初めて、 山上の貧しいクリスチャン地域を訪れ、 最終的なこの地の平和構築に向けた 一歩を踏み出す。 保育所を建設する場所を確認。 この小さな村が、 クリスチャン系移民の前線基地として、 イスラム教徒と対立してきた構図。 問題は、 外部からこの構図を利用して 武器を渡し、 集落民を民兵化し、 対立と憎しみをあおって、 乾いた枯れ葉の上に マッチで故意に火をつける 第三の勢力があること??? ここに、この子たちのために 保育所を作り学校を作り 閉ざされた村を開放しよう。 さらにここから奨学生を採用! 下のイスラムの村の子たちと一緒に、 平和を作っていく試みをしていこう! 戦争に嫌気がさして、 このクリスチャンの村は初めて、 心を開こうとしている。 住民たちは、素朴で貧しいから、 お金を出してゲリラに雇い 戦闘にそそのかす者たちの 隠れた意図や背景を知らない。 唯々ひたすら 自分たちの土地を 守ることだけを考えている。 しかし、その背後に 政治的、経済的権力を持った 人々や組織があり、 さらにその背景に 国際的な地下資源獲得や プランテーションなどの 経済的利権獲得の思惑。 武器売却による利益その他が 結びついていたとしたら・・・? 小さな集落に火をつければ、 50万の避難民を出す 戦争も作れるのだ。 すべての戦争は、 巧妙な第三者の 思惑によって作られることを、 無邪気な彼らは何も知らない。 we15 イスラム自治区に 茨木ロータリーアクト による保育所が 完成した! 場所は、 ARMMイスラム自治区と呼ばれる地域で、 舟でしか通えないサパカン集落 リグアサン湿原地帯から、 約800人近い子どもたちが、 小学校に通っている。 度重なる戦闘の犠牲となり、 不幸な場所で、 国際的な支援もほとんど無い。 保育所の開所式は、 まずは、奨学生たちによる 読み語りから始まる。 読み語りは、 MCLの根幹になる活動だ! この目の輝きを見るたびに、 この子たちのためなら命をかけて、 出来るだけの事をしたいと思う。 私たちは、この集落に、 日本政府の力を借りて、 学校を建設出来ればと考えて 草の根無償資金に応募した。 保育所までは、 個人の寄付で建てられるけれど、 学校は、 JICAなど政府のODAでないと なかなか建てられない。 でも、保育所は、 極貧の小さな集落でも 必要としている支援だ。 それゆえに、 より深いつながりを 地域の人々と持てると感じる。 保育所が出来て、 村長さんも村人達も大喜びだ! 読み語りのあとに、開所式を行った。 サパカンから、成績も良いのだが、 貧困で高校に進学できない子を スカラシップに一人採用した。 対岸のラジャムダの高校に通うことになった。 今後は、彼女が コンタクトパーソンになって この地域の活動を手伝ってくれるだろう。 それ以外に、小学校の子たちを 3年、4年、5年と各学年、 2名ずつ里親奨学制度で採用する。 スタッフが、 毎月学用品を届ける事になるが、 それによって現地の状況を知り、 住民ととぎれぬ関係を築く縁となる。 放っておけない子どもたち! 足と手の指がなぜか6本 左手と左足に、指が6本ずつある彼女。 カヨパトン集落で、 唯一の高校生。 でも、高校までは本当に遠い道のり。 放っておけなくて、MCLに住みこみ、 近くの高校に通うことになった。 本人は、とっても明るく、今回も許可を得て 写真を掲載するけれども、 将来を考えると、MCLに住み込んで、 しっかり、大学に行くのが良いと判断した。 we16 私たちが、 野菜を売って、 たくさんの兄弟姉妹を 養っています! この子たちが、野菜を売って、 小さな兄弟姉妹を養っている。 山菜売りの少女たち。
母親は、この子たちを含めて 7人の子を育てている。 祖父母もいっしょだが、 非常に貧しく 辺鄙なところに住み、 この子たち3人 が野菜を売って、 米を買って、家族を養っている。 学校に行きたいけど お金が無くて行けない。 真ん中の子だけが、 昨年1年生に通ったが、 帰るとすぐに、 毎日野菜を売りに出かけるため 進級できていない。 MCLによく野菜を売りに来るので、 顔だけは知っていたが・・・。 事情や環境がわかって、 MCLに住み込んで学校に通うことになった。 今年、MCLは、はっきり言って、 食費だけでも大変! 何しろ、90名近くが 生活することになったから! (自由寄付を生活費として、 投入しているのですが、 食品を始め物価の値上がりが激しくて・・・) 予定では、今年自宅に戻り、 そこから学校に通うはずだった子たちが、 世界的な経済不況の結果、 家で養いきれなくなって、 もどってきたこともひびいた。 これが予想外だったことと、 上の写真の子たちのように、 どうしても放っておけない 環境の子たちが多くなった。 これから、 高校生のスカラシップ17人、 小学校の里親を 53人探さなければならない。 まだ全部の子たちの写真等を 載せていないのですが、 順次掲載していきますので よろしくお願いします。 we17 次々と 医療患者が ミンダナオ子ども図書館の運営で、 戦闘が起こった時は別にして、 最も予期できないのが、 医療と車の故障だ。 予算をとってはいるのだが、 とりわけ医療は、 過去の事例を見ても、 突然に次々と 病気の子どもが運ばれてくる。 写真は、 ピキットのラガイエン出身のスカラー。 難民だったところを、支援者の意向で 小学校のスカラーに採用された。 戦闘は終わり、 難民状態の生活は終わり、 自分の家に戻り学校に通い始めたところまでは 良かったのだけれども、 右足の膝の裏側から 腿にかけて痛みが広がり、 歩行するのも難しくなった。 どうも肉腫のような物が出来て、 3ヶ月の短期間に 大きくなっていくようだ。 それで、ミンダナオ子ども図書館に運ばれて、 キダパワンの病院で診てもらったところ、 手術が必要で、 癌の可能性も有るという。 さっそく、ダバオのドクターに診てもらったが、 DMCと呼ばれるJICAも支援している 公立病院でも最低10万、 私立病院だと20万は軽く出ると言う。 公立病院では、 入院したまま病院が手術を 決定するまで数ヶ月かかり、 かつて半年も滞在した患者がいた。 日本では考えられない 病院事情なので、 キダパワンの医師に相談して最良の方策を 現在模索している。 スカラーでもあるし、 何としてでも治療を成功させたい。 彼女の従妹(下の写真)も、 歯茎が出る奇形で手術をした。 戦闘地ピキットでは、 しばしば、目が飛び出す異常、瘤などの奇形、 癌そして戦闘期間や難民生活ちゅうに 妊娠した子の異常などの奇形が見られる。 従妹の歯茎の治療は完了。 8月にその後の経過を 診ることになっている。 we18 劣化ウランと ちゃうかなあ かつて2000年、 2002年の戦闘後に 奇形が増えた理由に疑問を抱き、 大学時代の友人で、 現在はカトリック教会 大阪司教をしている 松浦悟郎くんに話をした。 彼は、私の写真を見て即座に、 「劣化ウランとちゃうかなあ」と言った。 さすがに、 正義と平和協会の代表。 私は知らなかったが 写真集を見せてもらって驚いた。 似た症状の子たちに 多く会っていたから。 白血病で亡くなった子もいる。 知り合いの子も奇形だった。 その後、中国新聞社から 取材を打診する連絡をいただいたのだが、 危険すぎる地域という理由で 許可が下りずに断念。 劣化ウランは、 証明は難しい。 癌でなければ良いのだが・・・。 それにしても、ここ数週間で、 次々と病人が出た。 今はやりの インフルエンザでは無いと思うのだが 最初は喉の痛みと咳から始まって、 ある時あっというまに高熱が出る。 半端ではない、 39度から40度を超える熱が出るのだ。 高熱が出るたびに、 最初は病院に運んで、薬を出してもらった。 様態が重い子になると、 意識がもうろうとしてくる。 医師に言われて、 その様な子は、入院することになった。 一貫して症状は同じ。 その後も、 次々と感染しほとんど20人に上った。 幸い、 薬で治療すると、熱は短日間でひき、 問題ないこともわかってきたので、 なるべく家で治療をすることにした。 ほんとうに、 費用が馬鹿にならない! 8月までの医療費予算が これで消費されてしまった。 さらに追い打ちをかけるように、 別件の子どもの治療が舞い込む。 幸い去年看護学を卒業したスカラー、 Feさんが今年からボランティアスタッフで 活躍してくれているが、 あまりにも次々と患者が出て、 その対応に苦心のあまり、涙ぐむ場面も・・・。 we19 網膜の手術が 完了した 先日、休みの日、 市場に行くと、 道ばたで母さんと シンカマス(砂糖大根)を 売っている彼女に出会った。 目がよく見えなかったけれど、 二度目の手術を受けて、 よく見えるようになった。 よかったね! 医療活動も 絶え間なく続いている スカラーで、今年看護学を 卒業したフェさんも MCLのスタッフとなり、 医療活動も さらにきめ細かく充実してきた。 相変わらず、 予算をにらみながらの活動だが、 患者がいると、 放っておく訳にもいかずに・・・。
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we21 新たな展開 新たなスカラシップ ミンダナオ子ども図書館のスカラシップは、 変わってますね・・・と 現地でもよく言われる。 成績優秀の子を採用して 欧米流のリーダーを育てる スカラシップではないから。 不幸な環境の子を探し出し、 学校に通うことによって 立ち直っていく場? とも言えるけれど、 言語も宗教も種族も 生活や社会環境も 多様だから美しく楽しい? 新たにミンダナオ子ども図書館に 住む子どもたち。 貧困のみではなく、 家庭問題や社会問題の渦中の子たちも MCLには多く住んでいて、 その背景も実に実に多様だ・・・。 涙を流しながら話を聞く、 ソーシャルワーカーとスタッフたち。 「ミンダナオ子ども図書館は、 孤児施設???でもないし。 読み語りの図書館にしては、 子どもたちが多いし。 文化活動や 難民救済活動までしながら、 子どもを保護するためのシェルターの 政府認可も得ているし。 本部に住みたい子は、 保護者の了解を得て住めるけれど、 家にもどりたくなれば 家から学校に通ってもOKだし! 極貧の子を拾い集めている割には、 卒業した後の国家試験も、 初回は、 払って受けさせてあげるからか、 看護士や教師や 農業家や図書館司書や ソーシャルワーカーや 宗教家も育っているし・・・。」 今後、ミンダナオ子ども図書館は、 足下のキダパワン市のストリートチルドレンに 焦点を当てていく予定。 we22 ミンダナオ 子ども図書館 に住み込む子たち 今年は、 意識して低学年の子たちを入れた。 年上の子たちにとっても、 お姉さんお兄さん役をこなすことは、 重要だと考えたから。 その結果、 ミンダナオ子ども図書館は、 ますます大家族的になった! 新たに住み込みの子たちで 役員が選ばれた。 左から2番目がプレシデント。 「牧師」と呼ばれているが、本当の牧師! 高校一年から開始する。 大学生の多くは、 自立して下宿生活をはじめる。 もちろん、 下宿代はMCLで負担してるし、 米や生活費や お小遣いも支給している。 男の子達の中には、 マキララ農場で 実地の農業研修をしながら 学校に通う子もいる。 ミンダナオ子ども図書館は、 子どもたちの成長に合わせて、 多様な自立の可能性を 模索している。 we23 ミンダナオ 子ども図書館の 新しい役員が 選出された 高校・大学のスカラシップの子たち、 約250名が 無記名投票で役員を選出する。 今年のプレシデントは、 Lankoban君(マノボ族) バイスプレシデント、 Ronie Odin君(イスラム教徒) バイスプレシデント、 Bernie君(ビサヤ族) Jeam Salik(ムスリム): 秘書 Jerome(マノボ):経理 Laboan(ビラーン):会計 Awin(ビサヤ):P.I.O. Lansangan(タガログ):B. Manager Zainodin(ムスリム):B. Manager Suhat(マノボ):Sytatarms we24 新しいスカラーの 若者たち 6月からの新学期に向けて、 新しいスカラーたちが入ってきた。 小学校から大学まで、 現在、総スカラーは400名を超えた。 自宅や親戚、 下宿から通っている子が大半だが、 その中の特に親のいない子、 保護が必要が子、 学校が遠くて通えない子、 下宿を許していない 小学生から中高校生の 80名あまりが、 ミンダナオ子ども図書館に住むことになる。 学年の変わり目の5,6月は、 ミンダナオの夏休みで、 親戚や家族の元に 帰っている子たちも多いが、 新しく選ばれた スカラーたちが、 集まってくる時期でもある。 バケツや空き缶、 鉄板などの がらくたを使って作ったドラムで 即席のコンサートが始まった。 楽器のリズムと共に 踊り出す若者たち。 下の小さいのは、娘! この子達の家を見たら、 ビックリするほどの山の奥で 粗末な小屋のような家なのだけれど、 父親や母親の居ない子たちも 多いのだけれども、 なぜか、 そんなところで育っていても、 音楽や芸術を表現する 力がそなわっているのは驚きだ! ドラムは、ポリバケツ 張っている皮は、米袋! キットキット君は 私がハウスオブジョイにいた頃に 膝に乗って遊んでいた男の子だが、 すっかり大人になった。 今年からMCLに・・・。 その様な環境だからこそ、 楽譜が無くても、 音楽教師がいなくても、 自己流で楽器を奏でていく・・・。 これこそ、 芸術の神髄かもしれない。 皆さんから支援された古着を着ると、 いっぱしの格好になるから面白い。 MCLに戻り、 この子達の笑顔を見ると 本当にホッとする。 私は決して、 この子達を放り出して どこかに去ることはないだろう。 親に見捨てられた子も多く。 いつも思うのだけれども、 こんな可愛い子たちをおいて、 どうして去ることが出来るのだろうか・・・。 色々な 事情はあるのだろうけど。 we25 キダパワン市の 貧困地域での読み語り ミンダナオの どの町でも市でも、 表側と裏側がある。 海外からの旅行者たちは、 とうぜん国道に沿った 表側だけを見るから、 裏側で生活している人々の真の姿を知らない。 裏側の人々は、 町から少しはずれた墓地などの周辺で、 特に川沿いに生活している。 川沿いに生活している理由は、 土地の所有者がいないし、 彼らは水道が得られないし、 洗濯や水浴にも 川の水が必要だからだ。 大概は、 かなり汚れた汚水なのだけれども・・・。 かねてから私たちは、 山だけではなくこうした地域の 町の子どもたちをも対象に 活動しようと考えていた。 最初は戦闘で疲弊する イスラム地域、 それから極貧で山に追われた 山岳地域のマノボ族。 その後、最後に 足下の市街周辺に散らばる スラムの子どもたち。 キダパワンにも 数カ所そのような地域があり、 ほとんどの子どもたちが、 近くに小学校があっても小学校にも通えない。 今年入ったばかりの 奨学生の子たちも、 いきいきと始めての読み語りをする。 最初期のスカラーの一人、 アイリーンが訪ねてくれた。 結婚して一児の母。 今年、学校の先生になる! ここからも、 両親の亡くなった 兄弟姉妹がスカラーとなり、 MCLに住んでいる。 こうした地域の子どもたちは、 町に出て ゴミを拾うことを仕事にしている。 夜は家に帰らずに、 ストリートチルドレンとして物乞いをして さまよっている子も多いし、 高校の年齢になると、 売春を強要される子もいる。 ミンダナオ子ども図書館は、 こうした都市型の困窮を背負った子を、 今後少しずつ 支援していくことにした。 we26 MCLでの読み語り その日の夜から、 毎週日曜日の夜は、 MCLでスカラー達だけで 読み語りを楽しむことにした。 新しいスカラーたちにとっての 練習の場にもなる。 小学校一年生のスカラーも 堂々と読み語り。 もちろん、始めての体験で、 まだ字を読むことが出来ないのだけれど、 絵を見ながらお話しを作って語る。 爆笑に次ぐ爆笑! 最後は、 今年は入った プロック8のマノボの少女が、 見事に昔話を語った! ここでは、祖父母や両親から、 また、村のお年寄りからお話を聞いて 育っている子が大半で、 小さな子でも、半数以上が昔語りをする。 これこそ、語りの神髄だ! 絵本だけでは、地元のオリジナルの 語り文化が途絶えてしまうので 必ず語りを交える。 現代社会では、 絵本から語りが生まれてくるように 思っている人もいるが、 歴史的に見ても本来、 語りから、絵本が生まれたのであって、 絵本から、 語りが生まれたのではない。 自分で語った語りから 自分で絵本を作った少年! 先進国では、 絵本が定着するようになって、 絵本による「読み聞かせ」が語りの定番のように 思われる嫌いがあるが、 語りは、 一人一人の個性によって、 同じ話でも違ってくるし、 同じ語り手でも、 目の前にしている聴衆? の雰囲気によって、 微妙に調子が異なってくる。 語りは 自由な表現なのだ! 彼らの語りを目前にしていると、 それが良くわかる。 現地の子どもたちの活動を見ていて 「読み聞かせ」という言葉に 違和感を感じ始めた。 絵本を使っても、 昔語りの「本質」が 基盤となって実行されているので、 いわゆる絵本の「読み聞かせ」のように 「聞かせられる」のではなく、 「語られる」ので本当に楽しい! これぞ、「絵本の読み語り!」 わたしが、 ここでの読み聞かせを 「読み語りと」呼ぶのは、そのせいである。 we27 MCLの日常から 土砂降りの日! 土砂降りの雨が降ってくると、 いち早く外に飛び出して、 雨の中ではしゃぐ子どもたち。 山の生活では、水は貴重だから、 とりわけ、水浴びをするためには、 半時間も山道を下って、 川や泉まで下りなくてはならない。 そんな、山育ちの子たちにとって、 土砂降りの雨は、 うれしい水浴びの機会なのだ! 小さな子たちは、服を脱いで 男の子などは、パンツだけで、 素っ裸になって雨の中を駆け回る。 そのうれしそうな様子! 土砂降りの雨の中で 花いちもんめをして遊んだり・・・。 日本の子たちにも、 このような体験を させてあげたいと思うのだが? 親に怒られそう! we28 今年は、 100人を超えた MCLに住み込んで、 近くのマノゴル小学校、 高校に通う子たちが、 今年は、90名を超えるだろう! スタッフも含めると、 100人ぐらいが 共同生活をしはじめた。 一部の子たちは、 おばさんの家などに移籍するから、 結果的には前と同じ90名程度になるだろう、 と考えたのが甘かった? 可哀想に、理由の多くは、 現地の学校は遠いし、 何よりも食べていけない! 年齢が上の子たちが 故郷から通う分、 親のいない小さな子たちも 10数名増やしたので、 結果的に100名近くなる。 ただ、雰囲気は もっと家族的になってきた。 1ッヶ月ぐらいは、 ヤレヤレ、 こんなにたくさんでどうするのだ! と、子どもたちも私たちも思ったけれど、 生活し始めて 2ヶ月弱すっかりなれて、 この風景が当たり前の家庭となった。 MCLから、マノボ族で初めての看護師も、 先生も輩出しているから、 ソーシャルワーカーを含めて、 残るは弁護士のみ。 マノボ族を擁護する ビサヤ系の移民の弁護士が殺されたから、 いよいよ、マノボ族初の弁護士の 奨学生支援を考えている。
we29 ブアラン村で 今年最後の読み語り 村長選挙の腹いせで、 小学校に火がつけられ、 子どもたちが学校に通えなくなってしまい、 泣いた! 彼らにとって、 日本のJICAの支援だけが、 今は頼りだ! 読み語りに大勢が集まった。 本当に、不幸や困難を繰り返し、 くぐってきた小さな集落! 向こうに焼けた小学校が見える。 今回、ピキットで、 三つの小学校が焼かれた! 全てはフィリピン政府系の建物で、 マカブアルの 日本政府JICAが建設し MCLがお手伝いした学校は大丈夫! 話によると、 BDA海外支援で建設した建物は、 決して、 焼かれることはないとのこと。 地域の村長選を巡っての小競り合い、 リドーで焼かれたが、 選挙後の今は、 きわめて平和だ。 新たに選出された 村長さんと、 小学校の校長先生。 誠実で村の人々からの信頼も厚く、 本当に村を良くし、 平和を作りたいという 願いを感じる 下は、古く、 2000年の戦闘で崩れたままの校舎! ごらんのように、四隅の鉄の柱は腐り、 いつ倒れてもおかしくない危険な建物! ここでは、授業を続けられない! we30 読み語りに 大勢の子どもたちが 集まった 学校が焼けて、 大勢の子たちが泣いた! 授業が停滞している! それにしても、 こんなに大勢の子どもたちが、 集まるとは、 思ってもいなかった! 親たちも、 おかゆの炊き出しをして、 村の人々や子どもたちの、 JICAによる学校建設への 期待を強く感じた。 難民救済の時から、 深くつながっている子たちも多い。 (下の写真の前列の右二人は、 戦闘で両親が殺された姉妹。 その後MCLに住み、2019年時点で 右の子は大学生!隣の妹は高校生!) さらに、その中の5名ほどは、 来年から高校生になる。 すでに、4年越しのつきあいで、 多くの奨学生が、 ここからMCLに参加している。 私にとっても思い出の多い、 地域の子どもたちだ。 この上のクリスチャン集落である、 ニューバレンシアにも 保育所を建てたことは、 報告した。 先日は、市長に会い、 クリスチャン集落と イスラム集落をつなぐ、 道を作る確約をとったばかりだ。 MCLの主導による、 平和構築の試みは続く。 私たちは、決してあきらめない! we31 母親たちもがんばって、 おかゆを支給 パンとジュースを配った 村の女性たちも応援に出た。 本当に貧しい村だけれども、 こうしておかゆを作って、 子どもたちに配る。 それだけ、 学校が焼けてしまった悲しみと、 それを、たちなおらせる期待と 平和への願いが、大きく感じられる。 ジュースも滅多に飲めないので、 大喜び! ジュースの袋を大事に集めて、 縫い合わせて、家の飾りにするために、 子どもたちは、持ち帰っていった。 もちろん、普通だったら捨てるはずの プラステックのコップも・・・! 彼等にとって特別な日だけに、 最上の服を着て 集まってきているけれども、 皆さんが、現地を訪れたら、 あまりにもへんぴな、 集落にもなっていないような、 貧しい地域に驚くだろう。 もちろん、 普段は子どもたちは、 裸足で、裸に近い生活をしている。 しかも、ここの小学校は、 1988年に創設されて、 今年2010年に 初めて、6名の卒業生を出した。 なんと、12年間の半分は、 戦闘による、 避難民状態だったのだ!!! we32 最後に古着の支援 古着の支援を終えた後、 建物の背後で、恥ずかしそうに、 5人の子どもたちが、 私を呼んで、心から奨学金のお礼を言った! まだ小学生の子たちで、 その中の3名は、 来年、中高校になるという。 見慣れた顔の子たち、そのなかに、 難民救済でしばしば会った、 子の顔もあった。 下の赤い服の子。 小さいと思っていたけど、 来年中学になるのだ! それが、感慨深かった。 見かけは小学校3年生ほど、 ここの子たちは、 栄養失調が重なってとても小柄だ。 お父さんもお母さんも、 死んでいない。 (下のビデオで戦争による避難生活の中を 洪水が襲い助けに行った場面に出ています。)
we33 イスラムと対立している クリスチャン集落で 平和を願うミサ 以前も紹介した、 2008年の戦闘が勃発した集落。 イスラム地域の丘の上にある、 小さなクリスチャン集落で、 山元神父さまが、ミサをたてた。 ピキットの町の中心にあるカテドラルから、 3ヶ月に一回だけ、 OMI(オブレード修道会)の神父が、 ミサをあげに来られる。 この集落は、 下のイスラム地域と敵対していて、 全員が民兵として、 武装しているといわれている。 さらに、イスラム教徒を入れないという 規定があるが、今回も、 MCLのイスラムの子たちも参加して 一緒にミサにあずかった! 驚くかもしれないが、 異なった宗派の祈りの場に、 敬意を表しつつ、 抵抗なく参加する気持ちが、 ミンダナオ子ども図書館の 子たちの中には、 自然と培われているのだ。 本当に今までのミサのなかでも、 とりわけ感動的なミサだった。 この地の人々の平和への気持ちが、 移ったのだろう。 ピキットから同伴して下さった、 地元の神父さんの目も 潤んでいた。 ピキットのカテドラルの 聖歌隊も参加。 車で20分ぐらいの 近くであるにもかかわらず、 恐れて踏み込んだことのない 集落だったけれども、最後は笑顔が満面に。 ミサが終わって、 みんなで平和の歌をうたった。 このような地域に、 はるか日本から神父が訪れ 平和の祈りを捧げたこと自体が、 現地の人々にとって、 驚嘆すべきことだった。 ブアランは、 現地の人々も恐れている場所。 よく海外のNGOは、 「現地の人々なら現地を知っている」と、 思い込んでいるようだが、 決してそのようなことはない。 イスラム教徒同士であっても、 現地を知っているだけに かえって恐れて、 自分の小さな集落と町を 往復するだけの人々が、 多いのが現実だ。 we34 夢ポッケの配布 最後はみんなで、 カゴメカゴメ 立正佼成会が、 残していってくれた、 夢ポッケを ここでも子どもたちに配った。 本来は、 この戦闘のあるピキットで 平和の祈りをされたかったが、 実現できなかった。 だがきっと、 そのときが来るだろう。 日本の子どもたちが 自分たちの手で、 自分で作った夢ポッケを、 配ることの出来る日が。 その日が来るまで、 平和構築活動を続けよう。
ミサが終わって、 すぐ教会の外で、 子どもたちと、 現地のカゴメカゴメをして遊んだ。 イスラム教徒もマノボ族も キリスト教徒も、 みんな一緒に! そうそう、 かつて第二次世界大戦の時 大きな被害をもたらした 「恐ろしい?」日本人も一緒に。 ピキットには、 今も遺骨や 遺品調査もされていない、 日本軍の大きな要塞がある。 いつか、 そのうえで、 カゴメカゴメを踊りたい! we36 多湖 敬子・ 正爾・広紀さま寄贈の 保育所建設も 進んでいる この地のすぐしたには、 ブアラン集落があり、 日本政府によるODAの 小学校建設計画が進んでいる。 すぐ近くにもかかわらず、 現在道はなく、 子どもたちは越境して、 7キロの別の地域の学校に通っている。 これも、 戦闘の憎しみが生み出した 不幸だ。 昔は、 この集落の若者たちも、 下のイスラムの村に、 バスケットボールをしに行っていた。 ミンダナオ子ども図書館では、 独自の平和構築の一環として、 ここに保育所を建設開始。 多湖 敬子・正爾・広紀さま寄贈の 保育所の建設も、着実に進んでいる。 今月中には、開所式が可能だろう。 現村長さんの息子さんと奥さん。 奥さんが保育所の先生。 若い世代に、 平和を作る可能性が 生まれつつある。 戦闘で財産を失い、 蒔く種も 買えない農民が多い。 「Mの会」から、 ミンダナオ子ども図書館を通して 種を支給した。 現地の収入を 確保するための プロジェクトの一つだ。 we37 多湖さんと友人の方々から 寄贈されたブアランの クリスチャン地域の 保育所で 奇跡が起こった! 多湖敬子さんとご家族、 友人方から寄贈された保育所が、 2008年の戦闘勃発の発端となった地、 ブアランのニューバレンシアに建った。 私たちは、この日の オープニングセレモニーを計画。 子どもたちと一緒に現地に向かった。 これは、 2009年12月27日に亡くなった故人・ 多湖正紀さんへの 追悼の想いとして、 友人方から寄せられた、 物心両面の厚志をひとつにして、 ご遺族が、故人の志を継ぐべくして 寄贈されたものである。 丘の下のイスラムの人々と、 丘の上のクリスチャンの人々とが 激しく対立。 かつては交流があったが、 20数年にわたって交流が途絶え、 かつてあった道も無くなり、 クリスチャンの子どもたちは、 7キロも離れた 別の村の学校に通っている。 激しい戦闘の結果、 200家族以上いた村人たちは、 土地を残して避難、 現在は、36家族になっている。 下のイスラムの村も同様で、 激しい戦闘のために、 卒業式が毎年遅れ、 このことも便りに書いたが、 ようやく今年、 12年ぶりに、 開設以来初めて卒業生が出た。 赤十字やIOMなど、 国際NGOも 注目している地域だが、 平和への決定的な足がかりがまだない。 私たちMCLは、 すでに三年前から、 この地の子たちをスカラー (奨学生)として採用しており。 2008年の難民救済でも、 砲弾の音がする中、 子どもたちへの支援活動を行ってきた。 下の子たちも奨学生。 そして戦闘が終わった現在、 現地からの依頼によって 日本政府の草の根資金ODAに 小学校建設の案件を提出。 大使館からも、 調査に来られたことも書きました。 その後、見事に建ちました。
we38 MCLの開所式は、 堅苦しいものではなく、 子どもたちの 読み語りから始まる ニューバレンシアを指導している クリスチャンの村民。 実は、 人も恐れる豪腕の民兵司令官。 ここの村民は、 すべて民兵として登録されている。 下の写真イスラム集落の村長。 本来は、クリスチャン地域も ブアランに属するので、 この集落の村長でもあるのだが、 対立が続いてから、 互いに一歩も 近づいたことは無かった。 当然、開所式には、 村長のサインが必要で、 開所式に参加するのが通常なのだが、 イスラムの村長は、 恐れて参加を拒否していた。 しかし、当日、 私たちも子どもたちも 同行するので、意を決して参加! we39 子どもたちだったら 超えられるかも ブアランのイスラムの村長が かつて語った言葉が、 現実となり始めた。 「子どもたちだったら、 対立を超えられるかもしれない!」 サイン式の後に、 握手を交わす、 イスラムとクリスチャン二人の指導者! MCLのボードメンバー DSWDのグレイスさん(左) 所長さん(右)も驚きの笑顔! 今回の開所式には、 下のイスラムの保育所(高橋毅氏寄贈)の 子どもたち親たちも招待した。 彼らが、 平和への足がかりを 作ってくれると思ったからだ。 しばしば、読み語りをしていて、 MCLの活動も 理解してくれているだけに、 喜んで参加してくれた。 対立している二つの地域の、 大人たちが 交流し心を開きあうには、 まだまだ 時間がかかると思っていた。 まして、 村長や集落長が握手するには・・・ それが、 保育所開所式で突然実現したのだから、 本当に驚いた! 唖然とした! 目頭が熱くなったのは、 私だけではないだろう。 地元の人々も、 事の成り行きに あっけにとられ感動していた。 5年にわたる、 下のイスラム地域と MCLの若者たちが培った信頼関係! 避難民になったときの 命がけの救済! 絶え間ない支援! スカラシップと小学校建設計画! そして、 山元神父さんによる、 平和のミサと読み語り! こうした積み重ねが、 有ってのことだろうが・・・ とっさに脳裏を横切ったのは、 大学教員の仕事と平行して、 「正義と平和」の希求のため、教会内で、 あるいは市民運動として、 真摯に活動を続けてこられた 故人・多湖正紀さんの事だった! 正紀さんの霊が、 微笑みながら側に建ち、 共に開所式を喜んでいるように思えた。 このような幻想というか、 幻視は、たまに起こる。 本当に側にいらっしゃるような気がする。 we40 この日、 起こった事の感動は、 奇跡のように感じられた 読み語りを聞きに来ている 子たちのなかに、 避難民だった子たちの 顔が散見される! あの例のおばあちゃんも、 強力な民兵の一人だった? 今後の平和構築を話し合ったが、 まずは消えてしまった道を、 復活させること! そのために、MCLは、 ピキット市に、 道路建設の要望書を、 提出することにした。 すでに建設部門に顔を出したし、 市長も副市長も懇意なので、 うまくいくだろう。 道が出来れば子どもたちは、 下の村の中心にある小学校に、 5分で通えるようになる。 さらに日本政府がODAで、 予定通り7クラスルームの 美しい学校を建てれば、 大きな平和のシンボルとして、 評価されると同時に、 この村から離れていった、 多くの家族を呼び寄せる力になるだろう。 クリスチャン地域だけで200世帯、 イスラム地域を加えると400世帯は くだらない家族が、 ブアランから逃避した。 興味深いことに、 すでに学校を建設したマカブアルでは、 道が出来、避難していた家族が帰り、 新たに家が建ち始めている。 200人だった子どもたちも、 600人近くに増えて、 日本政府が建てた5教室の建物に 古い2教室を加えても追いつかず、 急きょフィリピン政府が、 2教室の新たな建物を 追加して建てたぐらいだ。 平和構築の正念場は、これからだ。 we41 オブレード会 (OMI)の 乾盛夫神父 ライオンズクラブの 面々とピキットへ モンテッソーリ教育でも有名な、 鳴門教会の乾神父。 属しているのは、 ミンダナオのイスラム地域で イスラム教徒の救済に奔走している 神父たちがたくさんいる、 OMI(オブレートミッション会)だ。 今回は、 日本で同僚だった フィリピン人の司祭叙会に参加するために ミンダナオを訪れられた。 以前は、他の神父から、 ミンダナオの奥地には入るなと、 止められていたのだが、 ミンダナオ子ども図書館が、 全面的にお世話をすることになって、 現地に来られた。 今回は、グレイスさんからの要請もあり、 普通ではちょっといけない、 パイドプランギの奥の村に ボートに乗って出かけた! ダトゥピアン側から逃れてきて、 一年近く避難民状態になっている 人々の調査のために! ライオンズクラブの 役員もいらっしゃるので、 セキュリティーは、 市長もはじめ万全を期した。 ピキット市長訪問の後に、 民兵の護送船団方式で現地を訪問・・・ 現地のOMIの神父たちも、 めったに 足を踏み入れない地域??? 一艘のボートは、 ほとんどが民兵で埋まり、 護送船団方式で警護に就く。 私たちが行くときには、 ここまで 警護をすることはないけど・・・ 対岸の ダトゥピアンから逃れてきて、 一年以上、避難民になっている人々! 一見のどかな風景なのだが、 この地域でも最も戦闘が多く、 不穏な場所だ! we42 ARMM (イスラム自治区) の読み語り 保育所建設の事前調査もかねて、 イスラム自治区の ラヨグ村ナムリ集落に行った。 ここは、卒業したイズラハイダさんの 生まれた村で、 彼女のお父さんは、 イスラムの司祭。 政治上の動きとは別に 子どもたちのことを考えると、 イスラム自治区側にも保育所を建て、 奨学生を増やしていくことは、 平和をつくるためには、 重要な課題だと考えている。 すでに、 パガルガンやサパカンにMCLは、 活動領域を広げているが・・・ イスラム自治区には、 道路というものがあまりなく、 (ダト・ピアン側は別だが) ほとんどが パンボートと呼ばれる 乗合船で移動するしかない! この地区は、外国人には、 特に危険な地域として指定されているので、 皆さんは、 決して気軽に乗合船に乗ってはならない。 私も以前 「乗合船にだけは乗るな、 どこに連れて行かれても(誘拐)、 見つけることは不可能だから・・・」 と言われていた。 乗るときは、 今回もそうだが、 信頼できる 知り合いのつてで舟を貸し切り、 大勢の奨学生や スタッフだけで乗る。 特に注意しなければならないのは、 ワニで、 スキを見せると水の中からジャンプして 食いついてくる(ジョーダン)! ワニがいるのは本当の事! ギネスブックに載っている 世界一大きなワニは7mで ミンダナオだが、 この湿原には8mを超す ワニがいると言われている。
we43 原始のミンダナオを 見ているようで 美しさに感動! この村の村長の父親は、 パナルガンの元副市長で 前選挙の時にリドーにあった。 JICAの碑があったので、撮影したが、 穀物干し場の寄付のようだ。 サウジアラビアの支援で、 アラビア語学校も出来ているが、 イングリッシュスクール(公立学校) も含め荒れている。 MCLの今回の目的は、 読み語りをすると同時に、 保育所建設のための実地調査。 子どもの数は多いが、 保育所の建物がない。 今回は、訪問してきた 鳥海武夫さんが同行した。 聾唖者だが、 有名なアイアンマンだ。 村の人から、 こんな場所にまで良く来ますね。 怖くないですか・・・と言われた。 現地の事情を知っているだけに 一人か数名だけでは、 来ようとは思わないし、 奨学生の イズラハイダさんがいなければ、 来ることは考えられない。 少し時間が出来たので、 イズラハイダさんの家を訪ねた。 彼女のお父さんは、 オスタージュと言うイスラムの司祭だ。 お母さんと 一番下の妹さんと写真をとった。 イズラさんは、 目の手術後大学を卒業し、 MCLのスタッフとして活躍しています。 家の前の道を、 鉄砲を持った人が横切っていった。 学校がえりの、数人の子どもたちを守って、 前後を歩いて行く。 何を 警戒しているのだろうか。 読み語りが始まった! ここのイスラムの人々が使う言語は、 マギンダナオ語。 私たちは、 まずは現地の言葉を優先する。 しかし、 マギンダナオ語の 話せない奨学生たちは、 ビサヤ語や タガログ語で物語り、 イスラムの奨学生たちが通訳する。 みんなでイスラムの歌、 マノボの歌、 ビサヤの歌もうたった。 地元の子どもたちと 友情で結ばれて、 保育所建設を約束し、 再会を誓って ムラリ集落を後にした。 「また、来るからねーー!」 |
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