戦争と平和構築
2011年の記録から(1)


国境を越えた交流から
真の和平構築を学ぶ訪問者たち
1 小規模戦闘が勃発 GO! 17 焼けた小学校の修理開始 GO!
2 病気の子どもたちをチェック GO! 18 高校に進学する子の調査 GO!
3 奥の集落でも避難民 GO! 19 読書力の調査 GO!
4 蚤だから出来ることも? GO! 20 奨学生へのケア開始 GO!
5 子どもをすぐに病院に GO! 21 お弁当のための米を支給 GO!
6 医師の元へ運び検査 GO! 22 平和のための保育所を建てた GO!
7 読み語りと炊き出し古着 GO! 23 アルメック寄贈の保育所が完成 GO!
8 親を殺され腹部を撃たれた GO! 24 開所式が始まった GO!
9 避難民支援を学校で GO! 25 スタンレー寄贈の保育所完成 GO!
10 読み語りの合間に歌った GO! 26 奨学生総会は歓送会になった GO!
11 長く続いた対立に軍が介入 GO! 27 愉快な踊りを一緒に踊った GO!
12 大成功だった古着の支援 GO! 28 感動的だったお別れ会 GO!
13 家と学校が焼かれていた GO! 29 ムスリムデーのテーマは洗礼 GO!
14 軍による炊き出し GO! 30 イスラームの出産と洗礼 GO!
15 湿原の村での読み語り GO! 31 支援者が帰られるので泣いた GO!
16 カルボガン村に着く GO! 32 モスクの建設が進んでいる GO!
33 父を殺された悲劇から GO!  49 活動の根幹は愛と友情 GO!
34 訪問者たちと家を訪ねる GO! 50 マノボ族の村に泊まった GO!
35 先住民の村へスカラシップ GO! 51 馬に乗り出発 GO!
36 奨学生を採用決定 GO! 52 最後は徒歩で登る GO!
37 原住民の村へ保育所調査 GO! 53 カンポゴンの村に着いた GO!
38 保育所を建てることに GO! 54 滝に遊びに行った GO!
39 別のマノボの村を訪れた GO! 55 村の子も一緒に昼食 GO!
40 ポッカリ抜けたような集落 GO! 56 文香さんからの便り GO!
41 子どもたちは働き者 GO! 57 知美さんからの便り GO!
42 親戚の子に会った GO! 58 MCLの日常から GO!
43 ロロヨシのお別れ会 GO! 59 早朝に起きて籾米干し GO!
44 頭島さんからのお便り GO! 60 朝の4時に起きて GO!
45 山上のマノボ集落を訪問 GO! 61 誕生日祝いにハラナ GO!
46 決まったとたん泣き出した GO! 62 多湖さんの保育所完成 GO!
47 大きな木が浮かんだ GO! 63 開所式のご飯を食べる GO!
48 日本の若者たちが同行 GO! 64 三つの文化祭 GO!

ma1
カバカン地域で
小規模戦闘が勃発
2000人の避難民
救済支援を開始


北コタバト州のカバカンから
カルメン市にまたがる地域は、
道らしい道も無く、
プランギ河を舟にのって
ゆくしかない地域だ。

今回、この地域で
リドーと呼ばれる、小規模な戦闘が発生し、
両地域で2000人ほどの避難民が出た。

MILFとMNLFとの路線対立に、
土地の問題が絡まったものである、
という以外、現地の詳しい者たちも、
口を濁して語りたがらない。

すでに長い間の、
かなり深い確執だという・・・。

とりあえず、
市の福祉局(DSWD)を通して、
赤十字からのシートが
配られている地域もあるが、

新たに非難してきた、家族も居て、
足りない状態!

早急にMCLでシートを買い、
避難民に提供したが、
これから、各地の調査と共に、
本格的な活動を開始する。

小規模の戦闘で収まる事を願うのみだが、
赤十字やユニセフ、UN(国連)が、
このような初期から動いているのは珍しく、
逆に、今後の展開が気になる!



ma2
病気の子どもたちを
チェックした!


健康状態は、良くない!
現在、のど、咳、熱の出る風邪が、
はやっている事もあり、

また、環境の変化や水の悪さで、
腹痛や頭痛を、訴えるものが多かった。

今回は、簡単な投薬治療は、
福祉局専属の医師が行っているので、
メデカルアウトリッチは任せて、

むしろ、多少とも病状が重く、
病院での診察や治療、
入院を必要としている患者を、
ターゲットにした!

大概の支援は、
こうした重篤な患者の治療をしたがらない。
診察、治療、手術から退院にいたるまで、
日程と経費が、かかりすぎるからかな?

MCLは、現地の小さな、
NGOであることを生かして、
一人一人に、可能な限りの治療を
施す主義にしている!
シラミのようなNGOだから、
出来ることもあるかな?



ma3
さらに奥の集落でも
避難民発生
ビニールシートの
支援を開始!


こうした、奥の地域にまでは、
なかなか、国際的な支援はゆきとどかない。

この地域で、意外と多いのが奇形だが、
なぜだろうか?一説には、
劣化ウラン弾が使われている?
のではないかといわれているが・・・。


シートを必要としている人に、
「シートの支援をしましょう」と言うと、


「いつ、シート持って、戻ってくるの?」

「今すぐです、
今日の午後でも良いですか?」

「えー、驚き!
たいていの支援団体は、
話だけで戻ってこないよ。
写真だけ撮ってね。」

わたしたちも、写真は、
支援者の方々に現地の真の状況を、
伝えるための手段として、
大事な活動だと思っている。
文章だけなら、かってに創作もできるし。

しかし、現地では、
確実に、支援活動を行ってはいるが、
他の国際団体が、すでに支援している時は、
大きなNGOにまかせて、
支援のない、偏狭な場所へと移っていく。


国際的な大きなNGOの人から見ると、
MCLは、現地に来て、
状況写真だけ撮っている団体のように、
見られることも、あるようだ!

他のNGOが、支援している場所は、
私たちは、記録写真だけ撮った後、
その場所は、彼らに任せて、
さっさと、支援の届かない、
より危険で偏狭で困難な場所へと、
移って行ってしまうので・・・。

国際NGOが、強大なゾウだとしたならば、
MCLは、現地をベースにして、
子どもたちと一緒に活動している、
ほぼ、個人のご寄付で運営されている
ノミかシラミのような、
小さな小さなNGOだから!

しかし、現地の人々からは、
MCLは、どんな辺境へでも、
本当に困っている場所へ、
困難を乗り越えて来てくれる!
珍しいNGOだ!と言われている。
それぞれの特徴を生かせば良い!
ミンダナオ子ども図書館 支援方法

ma4
ノミだから、
出来ることも
あるのかな?


しかも、戦争が終わって平和になっても、
つながりがあった集落とは、
スカラシップや医療、読み語り等で訪れて、
ヒナイヒナイ バスタ カヌナイ
ゆっくゆっくりたえることなく、
関係をもちつづけていく。
中心になるのは、
スカラシップの子どもたち!

こんかいも、早速、
ビニールシートを購入して、
スタッフや若者たちが、切断していく。
切断方法も慣れたものだ。


戦争なんてなければ、良いのになあ。

でも、シートを本当にありがとう!


戦争は、つらいけど、
でも、ぼくたち何とかがんばって、
生きていくね!


シートを持ってきて、
くださるって聞いて、
竹の柱をたてて、待っていたのよ!



ぼくたちこれで、雨が降っても寝られるね!
でも、何日続くのかなあ?
去年は、一年以上、こうして生活したわ!


学校に避難できた人々は、
少なくとも雨は、避けられるけれど、
セメントの床に寝るのは、
冷たくってつらい。


そこで、せめて保温と湿気を妨げるために、
床に、寝床となるシートを広げてあげた。



ma5
子どもをすぐに
病院に運ぶ!


ユニセフの車に出会った。
仕事内容と分担の打ち合わせ。

ユニセフは、
避難民の子どもたちを対象とした、
心理教育活動であることがわかり、

MCLは、困窮している医療と、
ビニールシートを実行することにした。

後日、
読み語りと炊き出しを行うことを決定。
読み語りは、MCL流の心理教育支援?

本当は、日々食べる米の支援が最も必要で、
期待されているのだが、
MCLでは、資金が少なく、
子どもに限定した、炊き出しが限度だ。


ユニセフには、米の支援をお願いしたが、
今回は最近流行のトラウマ解消の
心理的カウンセリングと
教育支援だけということ。


UNICEFに比べたら、
個人の寄付にたよる、
ゾウにつくシラミのような
小さな辺境のNGOにすぎないけれど、
出来るだけの事をしようと思った。

ma6
街の医師の元へ運び
検査をした!


シートをくばったあと、
投薬だけでは、どうにもならない子たちを
街の医師の元へ運び検査をした。

お医者様とも、長いつきあいであるために、
極貧のNGOであることを、
よく理解して下さっていて、
ときには、自分の給与なしに、
ボランティアで、
診察や手術をしてくださる!

入院や手術の必要な子は、
改めて日にちを指定し、
スタッフが車で迎えに行き、
付き添いの家族も加えて病院にいった。

診察の結果、
キダパワンの病院に入院させる事にした。



また、時期を見て、
読み聞かせ活動も奨学生たちが行い、
心のケアにもつとめた。


活動には、
カバカンに下宿して大学に通っている、
イスラム教徒の奨学生たちも参加した。

彼らは、現地を良く知っているし、
現地語も話す、強い味方だ!

今回は、カバカンの上流地帯一カ所だが、
別の地域にも、避難民が出ている。

今後、カルメンサイドも含めて調査し、
救済支援を、
実行して行かなければならない。

よろしければ、支援寄付をおねがいします。
郵便振替口座番号:
00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館


ビニールシートをさらに届ける!

多湖さま2万円、伊藤さま1万円、
難民支援を、早速ありがとうございます。


ビニールシートは、一巻き100mが、
1万1千円ほど、それを5mづつに切り、
20家族に届けます。

多湖さまの支援で、2巻き、
40家族にくばりました。

今後、土曜日、日曜日に、
読み聞かせと炊き出しと、
古着の支援を、子どもたちとする予定です。

伊藤さまの支援は、炊き出しに使います。

支援を振り込まれる方、振り込まれた方は、
出来ればメールか、FAXでお知らせ下さい。
直ちに支援金として活用していきます。


シートをもらって、ホッと一息ついた家族。
しかし、まだまだ足りないので困惑。
まずは、最も必要としている家族を
慎重に選び出して、シートを渡す。



ma7
今週末は、
ここで読み聞かせと
炊き出し
古着の支援を行う


もちろん学校は休み。
それでも、子どもたちはけなげに遊ぶ。

食べ物は、ほとんど底をついているけど、
ままごと遊び!

バナナの花房、これだけが食べ物。

子どもを抱え、呆然としている母親。

今度の土曜日は、
2カ所で読み聞かせをし、炊き出しをする。

次の日曜日には、
別の場所で、読み聞かせと古着の支援。

カバカン側の支援が、始まったところで、
次は、カルメン側の調査と支援を
開始しなければならない。


MILFとMNLFの対立だというものの、
かなり根深いものがある。

しかし、
それよりも不安なのは、国軍の動きだ。
どうやら7月8月に、
大きな戦争が、起こりそうだ!

いつも、戦闘が始まるのは、
ラマダン明けの、この時期だが、
着々と準備が、始まっている?



ma8
孤児で、
親を戦闘で殺され
腹部を撃たれた少年を
MCLに引き取る


両親を目の前で殺害され、
目の前で弟を失い、自分も腹部を撃たれ、
福祉局の支援で病院に入院。

2週間の入院の後、
退院にまで、こぎ着けたものの、
家族も、引き取り手になる親戚もない。

その話を聞いて、
彼をMCLに引き取ることにした!

14歳で小学校4年生。
ショックのせいか、表情が無いが、
まじめな好青年であることは、良くわかる。



ma9
避難民支援を学校で

キダパワンとピキットの間の町カバカン。
USM南ミンダナオ州立大学もある、
学園都市だが、

ムスリム地域とクリスチャン地域の境界に、
位置していると同時に、
イスラム地域とマノボ地域の
境界の町でもある。


その背後は、
道も無いプランギ川の上流地帯で、
ムスリムとマノボが、混合している。

その地で、1月に戦闘が起こり、
100以上の家が焼かれた!

MCLでは、地域の有力者同士の、
リドーと呼ばれる地域争いと思い、
深い関与は避けてきたが、
意外と深い問題が、
隠されていることが、わかってきた。
避難民が、出るに及んで活動を開始。



祈りの後で
読み語りが始まる


イスラム地域なので
イスラムの祈りで始める。


初めて手にする絵本たち!

カバカンは、大学もあるので、
学校教育が行き届いていて、
国語のタガログ語は、
理解できると思っていたが、

ほとんどの子たちが、タガログ語も知らず、
現地語のマギンダナオ語で、
読み語りがなされた。

イスラムの奨学生以外が語るときには、
マギンダナオ語ができないので、
イスラムの若者があいだに入って
通訳しながら、
タガログ語をマギンダナオ語に
訳して語った。


フィリピンの国語は、タガログ語で、
学校では、
タガログ語と英語で授業がなされる。

それ以外にも部族語や地域語で、
ミンダナオだけでも、
タガログと英語にアラビア語を加えると、
17の言語が話されている。

しかし、就学前の小さな子たちや、
学歴のない子たちは、
自分の部族の言葉しかわからない。
この地域は、イスラムのマギンダナオ族で
マギンダナオ語が母語。

「だったら絵本の読み聞かせには、
なるべく国語を使うべき!」
という声も、あるかもしれないけれど、
わたしたちは国語以上に、
母語をもっと大切にする。



ma10
読み語りの合間に
先住民、イスラム
クリスチャンの
歌をうたった


難民キャンプに、ひさびさの
笑顔と歓声がひびいた!


「おおきなカブ」ならぬ
「おおきなカサバイモ」の劇をした!


「うんとこしょ、どっこいよ
それでも、カサバイモは、
ぬけません!」

犬や猫いがいにも、サルもでてきて、
うんとこしょ、どっこいしょ!
最後には、ネズミが、
カサバイモのまわりをコツコツ掘って、
みごとにカブがぬけました!

山でカサバイモを実際に掘る体験から、
お芋のまわりを、
ネズミが、コツコツ掘って抜く!
子どもたちが編み出したストーリィー!
MCLの奨学生たちの演技に、
笑いと拍手が、避難所にこだます!
子どもが明るくなると、
親も明るくなっていく!


初めて絵本を手にとってみる
子どもたち!


絵本をどころか、
本すら見たこともない子どもたち。
絵本を手に取って見るのは、
生まれて初めての体験!

もちろん、書いてある字は読めないけれど、
絵を見るだけで、もう、むちゅうだ!

ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちが、
子どもたちの中に入ってかたってあげる。

楽しくて、よかった!


読み語りが終わってパンを配る!

パンなんて、普段はとっても食べられない!

あこがれのおやつの一つ!



ma11
長く続いた対立に
軍が介入


国軍の司令官と懇談・・・
状況について、意見を聞く。
直接的な軍の関与は、今回が初めてだ。

多かった避難民が、半減していた。
それでも、まだ多いのだが・・・
理由がわからなかったが、国軍が入り、
戦闘地に滞在しにらみをきかせ、
MILFとMNLFの和解も開始。

避難民は、半強制的にここから現地に、
送り届けられたのだった。

その事を事前に知って、
郷里に帰ることを怖れた避難民たちは、
新たに親戚などをたよって、
別の場所に移動したのだ!

今回の対立の芽は、
1月7日あたりに発している、
土地をめぐる小競り合いリドーだと解釈し、
行動を起こさなかったが、
事実を知るにつけて、
根の深さが、表面化してきた。


先祖伝来の土地の問題や、
マノボ族をふくめた、
油ヤシプランテーションの拡張。
フィッシュポンドからウナギまで・・・
土地を所有している金持ち層と、
膨大な貧困層の対立。

軍が入って、若干の秩序が回復したものの、
戦闘は拡大するというのが、大方の見方だ!


授業がない日は、教室の中で寝られるが、
普段は教室から、外に追い出され、
雨が降っていても、
外で過ごさなければならない、避難民たち!


最後に、
日本から送られてきた、古着を配った!



ma12
大成功だった
古着の支援


ミンダナオ子ども図書館の先住民、
イスラム、クリスチャンの若者たちが、
連携して荷物運びから、

古着をくばるところまで、
すべて、自分たちで運営してくれる。

湿原や山の奥から出てきた家族は、
着るものも十分ではない。

戦闘の様子を見ながら、
彼らが出てきたこの奥の地域と、
今後も、深い関係を築いていく、
必要を感じた!

日本では、秋から冬の服でも、
暖かく夜寝るために、とても役に立つ!

こちらでは、パジャマはほとんど着ない。

とりわけ、子供服は数が少なく貴重だ!

古着屋で普通買うが、
彼らにとっては、なかなか値段も良く、
ボロボロの服か、
裸で過ごしている子が多い。


子どもだけではなく、親や、
大人たちにも、古着が渡された!



ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちも、
戦争で親が殺されたり、
家庭が崩壊して孤児になったり、


日本でいえば、
崩壊家庭や問題家庭の子たちだけれど、

彼らが積極的に人々を救う救済活動、
平和構築活動を、
嫌な顔を一つもせずに力強く、
笑顔で行っていくのは驚きだ!

薬もわたした!
薬は、最も買えないものの一つ!

そして、子どもたちや親たちの、
大喜びの笑顔に出会い、
感謝の言葉をかけられると、


支援した側の若者たちの心が、
癒され満たされて、
愛と友情の力で強くたくましく、
未来にむかって育っていく!

そんな、若者たちの成長していく、
姿を見るのは、
パパ友としては、とっても楽しみ!


お兄ちゃんとわたしに、


絵本を読んでくれて、

パンやビスケットを、
ごちそうしてくれて!

お洋服もくださって、ありがとう!



ma13
カバカンの
避難民たちの
一部が集落にもどった
108軒の家々と
学校が焼かれていた!


なぜ学校が焼かれるのか、
不思議に思っていたが、
大土地所有者が、土地を握っている、
このような地域では、

おもに大土地所有者は、
政界につながっており、学校の誘致や、
時には、軍への支援要請もできる。

大土地所有者は、
かつての日本での荘園制度のように、
広大な土地を持っており、
多くの小作と私兵を抱えている。

こうした大土地所有者の庇護のもとで、
小作や日雇いの仕事を
あたえられている者たちは、
収入もあり学校に通える。

しかし、その周囲に、
ほとんど土地のない貧しい人々や、
先住民族たちもいる。

その貧富の格差に、
国際資本と連携した資本が、戦闘を起こし、
そこに住む極貧の住民を追い出して、
アブラヤシを植えようとしたところから、
今回の戦争が、始まったのだそうだ。

すでに、数年前から、
住民の殺害などの事件が起きていたという。
幸い軍の駐留で、今は戦闘が収まっているが・・・
108件の家々が、焼かれた!

次は、隣のMILF側の村を
福祉局DSWDと訪問する予定。
道がないので、舟に乗らなければならない。

とにかく、子どもたちが可哀想だ!
両者の間に平和を実現するには、
どうしたらよいのか。


皆さんからの戦闘に対する寄付は、
戦闘による被害者、
破壊された小学校や保育所
避難民の食料や物資などの支援、
平和構築に使っていきます。


ここには、訪問者は同行してません。
松居友と数名のスタッフのみです


MNLFの集落に軍が入り、
つかの間の停戦が実現。
避難民の一部は、集落もどったが・・・

今回は、政府のDSWDと軍が米の支給をした。
しかし、下の写真のように、
地元までは、軍に送り届けられて帰ったものの、
家が奥地にあり、
恐ろしくて帰れない人々もいる。

今回の支援の課程で、
様々なことが聞こえてきた。
あまり詳細には語れないが、
なぜ、MNLFとMILFが、対立したかというと、

意外なことに大土地所有者と
多国籍プランテーション企業、
無数の貧しい土地無し農民と若者たちを
ゲリラにリクルートしようとする、
海外から来る支援が、
複雑に関係しているという。

政治経済の利害対立など、
ぼくたちには、どうでも良いけど、
庶民、特に子どもたちが可哀想だ!

MCLは、最も厳しい立場に置かれた
子どもたちの事だけ考えて、活動する、
蚤のような小さなNGOだけれど、
非政治(Non Politic)
特定の宗派にも属さず(Non religious sect)
子どもたちへの愛だけを基盤に、
できる限りの事をするのがポロシーだ!

村の中心部のヘルスセンターで、
生活している人々!



ma14
軍による炊き出し

今回は、軍が炊き出しを行った。
食べるものが出来て、良かった良かった!

前回行った奥の村には、行けなかったが、
今後、いくつかの村を調査し、
避難民の状況を把握して、

救済支援を、
継続していかなければ、ならないだろう。



最後にビニールシートを渡した

ビニールシートは、
最も必要としている支援なのだけれども、
MCLのような小さなNGOでは、
高価でなかなかすべての家庭に、
行き渡らないこともある。

DSWDの事前の調査で選ばれた
困難な家族に渡すが、
それでも、なかなか難しい。

この地域の今後の展開が、気がかりだ。
とりわけ、ムスリムと共存している
マノボ族の事も気になる。

MILFとMNLF、
見かけは同じムスリム同士の対立だが、
聞こえてくるのは、背後に、資源を巡る、
国際的な潮流なのだという話!


知り合いの村長さんが、
ふっともらした言葉がよみがえる。

「世界がミンダナオに
関心を持ってくれさせしなければ、
ここは、平和だったのになあ!」



ma15
ムスリム自治区
リグアサン湿原
カルボガン村での
読み語り


ARMMイスラム自治区は、
多くの問題を抱えた地域でもあり、
支援が、なかなかうまく、
行き届かない場所でもある。

とりわけ、ピキットと隣接している、
イスラム自治区のリグアサン湿原側では、
膨大な天然ガスと石油の湧出が、
確認されている。


度重なる戦闘も、
ほぼこの地域が、中心になっており、
絶えず、避難民化している地域でもある。


ミンダナオ子ども図書館のかつての奨学生で、
いまは、スタッフの二人。


そして、現地出身の奨学生たちも参加して、
読み語りによる、平和構築支援を実行した。


ブリオクの小学校!
この小学校は、度々洪水で水没する。


JICAで建設した吊り橋の下を行く

この橋は、対岸のイスラミックセンターと
セットで、JICAが建設。
建設したのは、MCLがマカブアルの
小学校を建設した同年だ。

保育所建設について話し合うために、
私が、数日前に、ここを訪れたときには、
この橋は、吊り紐のロープがのびきっていて
一部、水につかっている状態だった。

橋桁も、折れたり外れたり。
洪水による被害のせいだろうが、
使われている様子は全くなく、廃物同然の姿。

それから、一週間後、
今回、私が再訪するという事で、
数日前に、急いで修復したそうだ。
下の写真は、修復後のもの。

とりあえず、綱がしっかりはられて、
橋の形態をとりもどしたものの、
使用されていない理由は、

多くの家族や子どもたちが、戦闘で、
ここブリオクから、
MCLで保育所を建て奨学生も採用している、
サパカンに引っ越していったからだという。

サパカンは、人口が急増し、
小学校が酷い状態で、修復増設が急務。

リグアサン湿原の左側の集落への、
交通の要衝として、
平和構築には、重要な位置にあるのだが・・・。

去年、JICAの草の根に
MCLで学校建設を応募したが、
危険すぎるとしてペンディングになっている。
(その後、JICAからIMT国際監視団に、
派遣された中川さんと話し合って、
サパカンに3つめの、MCLが関与した
小学校を建てました。後の記事に出てきます。)


MCLでは、今後、
バロンギスやカルボガンの先生方、
村長さん方と連携をとり、取り残されている、
リグアサン湿原地帯の集落に保育所を建設し、
奨学生を採用していく事にしている。

吊り橋も、こうした現地での、
地道で絶え間ない努力を続けていけば、
子どもたちが、対岸から、
歌いながら渡る日がくるだろう。



ma16
カルボガン村へ着く

カルボガン村の村長さん
小銃に加えて、腰にはピストル!
でも、良い人です。


子どもたちは、どこも変わらない。
親のいない一人は、奨学生になりました。
(今は、中高校生!)


読み語りと古着の支援

この地からの、スカラシップの要望は高い。
ああ、私の力がもっとあり、
多くの支援者を、見つけることが出来れば!


平和構築へも、
もっとおおきな貢献が、出来るであろうに!

それでも、
この子たちのためにがんばらなくっちゃ。


うんとこしょー、どっこいしょ!
それでも、カブは(カサバイモは)ぬけません。


でも、この子たちの喜ぶ顔を見てしまうと、
いのちの一つや二つ、亡くなっても良いか!

うんとこしょー、どっこいしょ!



反政府勢力の拠点と言われている、
リグアサン湿原の村々との交流が、
これから始まる!



ラガイェンでは、
リドー(地域戦闘)で
避難民化して
帰っていない奨学生たちがいる


カキムさんは、現地にいた。

しかし、残りの二人は、
避難したまま行方がわからない。

現在、小学校の生徒の半分は、
避難したまま戻っていない。



ma17
ブアランの
焼けた小学校の
修理も始まった


戦争で焼かれた小学校の修理が、
地元の業者の手で、開始された。

修理されるのは、一部の校舎だけで、
教室がまだまだ足りず、
多くの子どもたちが外で学んでいる。

私たちが、JICAに提案した校舎が、
日本政府のODA
J-BiRD日本バンサモロと
MCLの支援で建ち、


些少なりとも、
平和構築への貢献となった。


ブロッドの保育所修理も完了!

小規模な戦闘リードで壁に穴が空き、
部分的に破壊された保育所!

丹原さん、修復完了しました。

黒板の左すみに、銃痕が残っていた!

ご心配なく、
その他の保育所も、だいじょうぶです。



ma18
イスラム自治区に
今度高校に
進学する子の調査


サパカンには、
小学校の里子が16名ほどいる。

イスラム自治区で、ラジャムダを超えて、
ランディングピースから舟に乗る。

リグアサン湿原の入り口だ!

バランガイは、ブリオクに属しているが、
多くの家族が、戦闘を嫌って移住。
サパカンに中心が移った。

そのようなわけで、子どもたちが多いが、
小学校の設備が追いつかない。

去年、JICAに学校建設を申請したが、
危険な戦闘地域なだけに、
ペンディングとなっている。

その後、JICAの中川さんから
「どこに学校を建てたら良いか」
と聞かれ、推薦して現在は、
日本政府のODAで学校が建ちました!


ミンダナオの情勢は、あまり良くない!
ラマダン明けの7月か8月ごろに、
大きな戦闘が、起こるかもしれない!

MCLでは、ここに保育所を建てて、
その後、多くの奨学生を取っている。
そのようなわけで、
とても親しくして下さる。

しかし、子どもたちはごらんのように、
穴の空いた、コンクリートに座って、
授業を、受けている状態だ。



MCLでは、
この地域は、和平構築の重点地域で、
今度は、この先のカルボガンに
保育所を建設する予定。



ma19
読書力の調査

戦闘が起こると、この子たちが皆、
避難民として困窮するのだ!


小学校を卒業するとき
高校スカラシップに
上がるための読書力の調査


自己紹介などをタガログ語で、
絵本の英語とタガログ語を読む。



のどに腫瘍が出てきた子を
病院でチェックすることに!


この子は、手術の後に奨学生に!
その後、お父さんが殺されたけど
今は、中学生に!


もうすでに何人、
この種の腫瘍を手術してきたことだろう。
すでに患部が拡大して、
手術が、出来ない子もいる。

この地域に戦闘後、こうした腫瘍を始め、
奇形、未熟児が多いのは、
劣化ウランのせいではないかとは、
ある専門家の言葉。




ma20
新年早々に
奨学生へのケア開始


まずは、学用品を届けた!

支援者からの学用品を渡したり、
お礼の絵手紙を、
書いてもらうだけでも大変!

電気も携帯もない世界なので、
事前に会う予定を、相談できず、
スタッフが、とにかく山の村々に足を運び、
「・・・さん、いますか?」


ときには、学校を休んで、
親と山仕事に、出かけたりしていて、
会えないことも多くあり、
その場合は、近所の人に話して、
後日ふたたび山道を
車で往復しなければならない。


支援者へのお礼の手紙だけでも、
結構なガソリン代と、労力がかかって大変。
今回、同行された、頭島さんもビックリ!

里親奨学金支援者に、
絵手紙を書く子どもたち!



支援者に送る、
子どもたちの写真を撮るスタッフ。



ma21
お弁当のための
米を支給


こちらはプロック8、非常に貧しく、
家族は、一日三食たべられないこともある。

小学生たちは、
八キロあまりの道を通うけれども、
お弁当を持って行けない!


そうした村には、
毎月、お弁当のための米を支給する。


ミンダナオ子ども図書館 支援方法

ma22
戦闘の絶えない
イスラム自治区に
平和のための保育所を
建てていった

ナムリ村に、
錺さんの寄贈された
保育所が完成。

山元神父さんと現地訪問


イスラム地域の中でも、
とりわけ孤立している
ARMM(イスラム自治区)

ピキットには、国際的支援が集まっても、
こちらには、なかなか集まらない。

MCLでは、そうした地域を
重点地域として活動している。

この地域は、湿原地帯にあり道路が無く、
無数に枝分かれした湿原の支流が道。

KAZARIさんは、
この地域の奨学生を
支援して下さっているかた。


まずは開所式

しっかりと契約書類にサイン。
まずは、村長と保育者がサインして、


そして、
MCL代表の松居友が、署名をして、
建物の贈与をおこなう。



その後、
お祝いの読み語りが始まった


今回は読み語りに、
スタッフたちが活躍した。
スタッフたちのほとんどは、
もとスカラシップの奨学生たち。

学校が休みの場合は、
奨学生たちもいっしょに来て、

奨学生たちが中心になって
読み語りをするけれど、



学校があるときは、
スタッフたちが読み語りをする。


絵本を、語ってあげるだけではなく、
踊って歌って、みんなで楽しむ!


スタッフたちも、
ももともと奨学生だった。


読み語りが終わると、
いつも、子どもたちに絵本を手渡して、
手にとって絵本を見る体験をさせてあげる。


絵本を手にとった体験が、
将来、読書や学校に行く喜びになっていく。



船首に立ち、
ワニをチェックしている少年?

ワニがいるのは本当の事!
ギネスブックに載っている
世界一大きなワニは7mでミンダナオだが、

この湿原には8mを超す
ワニがいると言われている。

リグアサン湿原が舞台の絵本を書きました!
MCLの提案でJICAと共同で建てた
小学校も出てきます。
注文は、以下をクリック

クリック! 

ma23
アルメック寄贈の
保育所が完成
開所式に役員が参加


こちらは、
アルメックが寄贈して下さった保育所。
アルメックhttp://www.armec.jp/


到達するには、
さらに奥に行かなくてはならない。

船着き場から、乗合船に乗る。

対岸はイスラム自治区で、
絶えず戦闘に、見舞われている地域だ。

市にも話を事前に通して、
DSWDのグレイスさん方も
同行してくださる。

軍や私兵も、
警護をしている姿が、物々しい?

私たちだけで行くときは、
ここまで警護は無いけれど・・・。


開所式の前にお茶の水女子大の
訪問した若者を交えて
読み語りをした!


この地域は、イスラム地域で、
マギンダナオ族のマギンダナオ語が、
話されている。

小さい子たちは、
マギンダナオ語しか、知らない子も多い。

しかし、保育所では、
タガログ語が使われるので、
「何語でお話ししようか」と聞くと、

タガログ語!と言う言葉が返ってきた。

そこで私が、言った。
「タガログ語は学校で習うけど、
マギンダナオ語は、誰が教えてくれた?」

「お母さん、お父さん・・・!!!」

「そうだね、お祖父さんお婆さんも、
その前の、ひいお祖父さんたちも、
マギンダナオ語だったんだよね!」

「だから、国語のタガログ語もいいけれど、
みんなの母語のマギンダナオ語の方が、
とっても大事なんだよ。」

MCLでは、読み語りの時に、
その地の母語を優先する・・・。


この瞬間から、とりわけ周りの
お父さんお母さんの表情が変わった!




ma24
開所式が始まった

アルメックhttp://www.armec.jp/

福祉局DSDWの所長補佐で、
MCLの理事もしてくださっている
グレイスさんが、契約書類を読み上げる。


サインをしたあとに、書類を受け渡す。

奨学生で、
6本あった指の手術をした子も来ていた。


警護をしてくださった、現地の私兵の方。

古着の支援もした!

プランギ河を、舟でのぼって村に着く。

対岸は、イスラム自治区のダトゥピアンだ。

舟からおりて、川沿いから村に向かう。


子どもたちは、
思いがけない、古着の支援に大喜び。
この地域の子たちは、古着を売っている
ピキットの町に、出るだけでも遠い。


戦闘でも、
繰り返し避難民化している。

今日は、
なけなしのおしゃれをしてきているが、
衣服がほとんど無いのは、目に見えている。


それだけに、大喜びだった。
日本から来た若者たちも、
子どもたちと出会えて大喜び!



支援が終わると、
再び舟に乗りこんで川道をもどる。


子どもたちも、川まで送ってくれた。

この笑顔を見てしまうと、
どんな困難があったとしても、
この活動が辞められない!


ma25
スタンレー電気
北野財団が
寄贈して下さった
保育所が
プノルに完成!



開所式に島村氏訪問

イスラムの村長さんが、
感謝の祈りを捧げた後、

村長さんのサインをもらい、


島村さんが、テープカットをおこなった。


その後、保育士も含めて
みんなで記念撮影をした。


北野財団
http://www.kitanozaidan.or.jp/


自分たちの保育所ができた!

子どもたちは、大喜び!



今回の白眉は、北野財団
島村さん主演のおおきなカブ
カサバイモだった!


まずは、
読み語りから始まった。

ここは、絶えず戦闘に見舞われ
避難民化が絶えないイスラム地域、
ピキットの奥だ。

そんな村に、
朗らかな笑い声がみなぎった。


このようなお付き合いを通して、
村人たちの心が開かれ、MCLを愛し信頼し、
国境を越えて平和への想いが、
強まっていく。


絵本「おおきなかぶ」のミンダナオ版
「おおきなカサバイモ」の劇が始まった。

島村さんが、
おおきなカサバイモになられた。


おじいさんが、カサバイモをうえました。
はやく、おおきくなああれ!

おおきなカサバイモに、
おじいさんは、びっくり。
うんとこしょ、どっこいよ
ひきぬくことができません。


おばあさんもきて、
おおきなカサバイモにびっっくり!


うんとこしょ、どっこいしょ
それでも、イモはぬけません!


サルもやってきて、
おおきなカサバイモの大きさにビックリ


うんとこしょ、どっこいしょ!
それでも、イモはぬけません!


こんどは、イヌがやってきて、
おおきなイモに、おしっこをひっかけた。

さいごは、ネズミ。

ネズミは、
ミンダナオの子どもたちのように、
カサバイモのぬきかたをしっていて、
イモのまわりの土を
コツコツコツとほりかえし、

うんとこしょ、どっこいしょ!
おイモがぬけたああああーーー!
村人たちのひさびさの大笑い?


絵本は真の平和を作る!

読み語りと劇が、終わったあと、

わたしたちみんなで、
見たことも無い絵本を手にとってみるの。



ma26
日本からの
訪問者を交えて
スカラシップ総会は
歓迎送別会となった


北野財団
http://www.kitanozaidan.or.jp/と

アルメックhttp://www.armec.jp/の
役員の方々、

そして、
お茶の水女子大と一橋大学の女子学生が、
訪問されていたので、

その方々の紹介から、
スカラシップ学生総会が始まった。

訪問者の皆さんからの報告。
現地での体験談は、
多くの若者たちを勇気づけ示唆をあたえた。

ミンダナオの子どもたち、若者たちは、
自分たちを遅れた途上国の
貧しい人間として卑下している事が多い。

また、日本の若者や人々は、
自分たちが先進国のより高度な文明社会を
維持していると言う、誇りに心を奪われて、
閉塞状況に、生きていることも多々ある。


共に交流することによって、
お互いが保っているもの、
失ったものに気づき、
真の尊敬と友情の輪が広がる。


イスラム・マギンダナオ族の踊り
マノボ族の歌、ビサヤ系
クリスチャンの歌が披露された


クリンタンの演奏に乗って、
イスラム・マギンダナオの踊り。
マノボ族の歌。


ビサヤ系クリスチャンの歌が披露された。

マノボ族の衣装に身を包み
マノボ語で、マノボの歌を歌う


学校では、マノボ語を話すことは、
禁じられていたりする。
タガログ語が、使われている地域では、
マノボ語は、恥ずかしい言葉。



しかし、MCLでは、
何語を使ってもかまわないし、
読み語りなども、
積極的に現地語を使うことを奨励し、
母語の大切さを日頃から語っているので、
彼等は、臆することを知らない。


笑顔で、のびのびと
自分たちの文化を表現している。


こちらは、ビサヤ語の歌。
明るく、のんきで、愉快なのが、
ビサヤの人々の特徴とされている。



ma27
男子学生たちの
愉快な踊りに
触発されて
訪問者たちも踊った


どう見てもこの格好は、
マノボ族の
モンキーダンスの系列?

現代的にアレンジされた、
愉快なロックに触発されて、
思わず、訪問者たちも踊り出した。

大喝采と笑いが、周囲を包む。


北野生涯教育振興会の卒業生に
島村氏から、賞状が渡される


北野財団(北野生涯教育振興会)は、
トヨタや日産、ホンダの
車のヘッドランプ等を作っている
スタンレー電気の財団。

工場のある中国、ベトナム、インドなどで、
就職希望の優等生に
スカラシップ協力をしてきたが、
ミンダナオ子ども図書館のような、
貧困の中でも極貧の子を支援する、
ファンデーションに、
協力するのは初めてだという。

毎年3名の大学生、
2カ所の保育所を支援、
寄贈して下さっている。
島村氏は、今回で二度目の訪問。


今年の大学卒業生全員に
MCLから賞状!
そして、卒業生たちの
後輩へのスピーチ!


こちらは、MCLの今年の大学卒業生たち。
毎年、卒業生が増えていく。
下のイスラムの二人の男性は、
MCLのあるマノゴル村で、
高校の先生になるための
見習い研修をしている。

小学校の頃から、すでに7年以上、
関わっている子たちもいて、私も感慨深い。

毎年、卒業生たちには、
自分たちの経験を後輩に、
発表してもらっている!

下のイスラム彼は、スタッフになり
クリスチャンの子と結婚して、
今は、子どもが二人いる!


苦労話に、聞いている方も涙ぐみことも。



ma28
感動的だった
最後のお別れ会



また会いしましょう・・・!


MCLファミリー!




ミンダナオ子ども図書館 支援方法



最後にみんなで
ごちそう(焼きそば)と
ご飯を食べた!


今回のごちそうは
もと奨学生で、今はスタッフの
彼女が作ってくれた。
今は、結婚してお母さん!



ma29
ムスリムデー
今年のテーマは洗礼


毎年1月の最後の日曜日、
総会はムスリムデーと決めている。

ムスリムつまりイスラム教徒の
文化も多様だから、
正確には、マギンダナオデーと呼ぶ。

Welcomeと書かれている、
お祝いや結婚式の幟。

優雅な手でビーズを刺繍した壁飾り、
全て神をあらわす。

ミンダナオのムスリムも、
タウソグやマラナオ等と、
いくつかの種族があり、

ピキットを中心としている
マギンダナオ族が、MCLには多いので、
マギンナオデーだが、

いくつかの種族が、MCLにもいる。


ミンダナオのムスリム文化は、
600年以上の歴史があり、奥が深い。

さすがに国際的な文化で、
服飾や飾りの美しさも、中東の文化に
アジア独特の味が加わり優雅だ。


イスラームの歌が唱われた

独特の短調も入ったイスラムの歌は、
どことなく、日本の古い歌を思い出させる。

アジアンテーストに満ちていて、
憂愁を感じさせて心を打つ。
普段はベールをまとっていないが、
要所要所で、彼女たちはベールをまとう。

独特の味わいがあって美しい。
小さな子どもでも、
街中や田舎道をベールをまとって
アラビックスクールなどに通っていく。



ma30
イスラームの出産
と洗礼


イスラム教徒は、7日後に洗礼を授ける。

これが唯一の誕生の祝いで、

その後に、誕生日は祝わない。

イスラムの子たちが、
ときどき自分の誕生日を知らないのは、
誕生祝いが、一生に一度だからだ。

へその緒を切るところ。

ゆりかごに、赤ちゃんを寝かせる。


BDA
バンサモロ エージェンシーの
教授がレクチャー


イスラム文化の深さとすばらしさ、

戦争を必ずしも許容しない考え方、
多様性などについて

バンサモロ エイジェンシーで
アラビックスクールの教授が語った。
ヨーロッパも含め世界を巡ってきた教授。


ミンダナオ子ども図書館の
活動を絶賛して下さった!


訪問された、
湯沢さんの紹介の後、
みんなで
マギンダナオ料理をいただく!



長野県の茅野からこられた湯沢さん。
エルマリー(一緒にいる少女)の支援者!

大柄でバスケットなどのスポーツに堪能!
エプソンに、勤めていらっしゃる。

長野のNGO等との
今後のつながりが楽しみ!

マギンダナオ族の伝統的なお菓子も
とっても、おいしい!



ma31
支援者の湯沢さんが
帰られるので
エルマリーは泣いた!



彼女の姿を見ていると
この子たちにとって、


支援者とは、
どんなに大切な人かが理解できる!


それは、まるで第二のお父さんお母さんだ。
皆さんも、支援者になってくださいね。



ミンダナオ子ども図書館 支援方法


ma32
モスクの建設が
進んでいる


MCLに、モスクを建設することは、
長年の課題だった。

MCLのある、マノゴル村には、
プロテスタント教会も
カトリック教会もある。
ただ、モスクだけは無かった。


イスラムの子や若者たちにとって、
一日五度の礼拝は重要で、
今までは、図書館を使っていたが、

礼拝が、モスクで出来ないがために、
MCLに住むことを
断念していった子も多かった。

そのようなイスラムの子の気持ちを察して
クリスチャンの子たちが、
ぼくに言ってきた。

「パパ友、イスラムの子たちの
お祈りする場所が、この村にはないよね。」

「お祈りする場所がないなんて、
かわいそうだよ!」

「パパ友、イスラムの子たちのために
MCLにモスク建ててあげてよ!」

子どもたちの声を聞いて
日本の支援者の方に話すと、
高島均明治学院大学教授が、
日本人の有志たちと協力して、
イスラム教徒もキリスト教徒同様に、
祈りを捧げる場所があるようにするために、

日本の有志ある方々に声をかけて、
宗派を超えて、
モスクの建設にこぎ着けてくださった。
画期的なことだ!


建設の経緯を記した、
高島教授からのメッセージが、
モスク内に掲載!


ミンダナオ子ども図書館 支援方法

ma33
父を殺された
悲劇から


妻の病気を治すために、
一時的にバナナプランテーションに
土地を貸した父が、翌年になって、

「植えたバナナの代金は、支払うから、
貸した土地を返して欲しい!」
と、いったとたん、その場で殺された!


そのとき長男は、仕事に出かけていたが、
兄弟たちが家にいた。


酔って父親を殺した男は、
拘置所に入れられたが、
二万円払ってサッサとでてきた。


お兄ちゃん、長男は、
何度も殺害した男を殺そうと思ったという。
でも、自分が殺されたら、家族が困る。
そう思って、とどまった。

その後も続く極貧の生活、
それに加えて複雑な心。

このままでは、経済的にも心理的にも、
不安定なので放っておけず、
「ミンダナオ子ども図書館に、
小屋を建ててあげるから、
母さんと兄弟で移るように」と提案した。

弟と小さな妹二人は、
すでにMCLの奨学生だったし、
ミンダナオ子ども図書館に住めば、
少なくとも、食べ物はだいじょうぶだし。

お兄さんも、スタッフとして
雇うことになった。
その後5年ほどたち、現在は、
ドールに雇われて仕事をしています。



ma34
訪問者たちと
家を訪ねる


MCLに移転する話をつめるために、
父親を殺された、奨学生の一家を、
日本人の訪問者たちと、いっしょに訪ねた。

そこで話し合って、まずお兄ちゃんが、
家族にひとあし先だって、
MCLに来て、家を建てることになった。


そのご、学年が終わったら、
お母さんも含め、兄弟姉妹みんなで、
MCLに引っ越すことにした。


お昼のおかずの山芋を、掘りにいっていた
お母さんも、もどってきた。


父親が殺され、
毎日の食べものにもことかく家族たち。
それでも、MCLに住めることがきまって、
ずいぶん、顔つきが明るくなった。


お茶の水女子大からきた訪問者のなかには、
犯罪心理学を、学んでいる学生もいる。


何を、感じたのだろうか。


その後2018年、
大学生になったハニーは、
来日公演に日本を訪れ、支援者に会った。
そのときの、感動的な様子が
NHKで報道されました!


NHK国際報道
フィリピンミンダナオ島
ミンダナオ子ども図書館の
若者たちによる
踊りと唄の日本公演で
父親を殺された
奨学生ハニーさんが、

支援者と出会い、
感動の涙涙・・・
涙なしには、
見られない作品です。
 
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ma35
以前に立正佼成会さんと
共に訪れた

ダバオサイドの
先住民の村へ
スカラシップ調査


ダバオのカリナン地域の
バナナ農園を抜けていくと、

大きな谷の端っこ、
追い落とされそうな場所に、
小さなマノボの集落がある。

この広大なバナナ農園、ご存じのスミフル。
日本の住友フルーツの農園。

住友フルーツの皆さん、
一緒にスカラシップ支援をしませんか?

農園の中や表の村道にすんでいる人々は、
ミンダナオ島外からの移民系が多く、
バナナ農園のメンテナンスなどの
日雇い仕事で、多少の収入はあるのだが、

日雇い仕事でも、
高校中退か卒業の学歴と住民票の
提出を求められるので、
土地を追われ、移住を余儀なくされ、
隠れた谷や裏山に追いやられた
先住民たちは、

小学校卒業の学歴もなく、
住民登録もしていないので、
非正規雇用にもやとってもらえず、
極端に貧しい。

下の腐ったような山は、
捨てられたバナナを
ひろってきてきざんだもので、豚のエサだ!

これを売って、
なんとか彼らは、食いつないでいる!

「お腹がすいたら、
捨てられたバナナをひろってきて、
たくさん食べたらいいのに!」というと、

「そんなの、ぜったい食べちゃだめだよ!
食べたら死ぬよ!」
「ぼくのおじさんも、死んだよ。」

「それなら、これを食べた豚は死なないの?」
「こうやって外に置いたまま、雨で洗って、
何日も太陽で干せば、だいじょうぶ!」

「でもね、豚もときどき死ぬんだよ!」
「豚は、死んだら売ればいい!」

過剰な農薬、化学肥料で、
プランテーションでは、下草も生えない。
空中散布を受けて、
無くなった子たちもいる。

でも、現地で売っていて食べるバナナは、
自家栽培のバナナだけ!

トゥンダン、ビナガイ、赤いバナナや
1メートルもあるティンドクや、
かわいいセニオリータなどなど、
たくさんあって、とってもおいしい!

「プランテーションで働いたら?」
ときくと、出生届も学歴もないので、
たとえ日雇いでも、
雇われることはないのだそうだ。



洪水と植林活動

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ma36
立正佼成会の訪問を
きっかけに知り合った
子どもたち!

ここから奨学生を
採用することに決定


先祖伝来の土地として
守られているはずなのに、
「祈りの山国際リゾート建設のために、
金をやるからここから出ていけ!」
「いやだ!出ていかない!」
そう答えたとたん、その場で、
酋長である父親と母親を殺された!
その娘たちを二人、奨学生に採用した。

娘の一人は、撃たれた母親を助けようと
駆け寄ったとたん、足先を撃たれた。

ミンダナオ子ども図書館の
スカラシップの特徴は、
極貧のなかでも特に、

親の居ない子、片親の子、
厳しい環境の子たちが優先されるが、
学習意欲も大事なポイント。

スタッフたちが家を探し、
次々に質問をしていく。

最近は、スタッフたちも写真技術が向上し、
カメラを使うようになったので、
時々私も写っている。

前は、全部、今でもほとんど、
息子の陽とぼくが撮影を
引き受けていたのだけれど。


覚えていますか下の子!

立正佼成会の皆さん、覚えていますか。
皆さんが帰られた後、子どもを病院へ!
今は、すっかり治りました!



ma37
マノボ族の村に
保育所建設の調査


頭島さんのたっての願いで、
マノボの村々を訪れた。

保育所調査で訪れたのだが、
このような調査の時にこそ、
現地の現状が飛びこんでくる。


会う人々に、質問をしながら、
最も貧しく、最も大変な集落に
案内してもらいつつ、
調査が進められていく。


そのあまりにも貧しい状況に、
唖然とされた頭島さん!


「ミンダナオ子ども図書館の活動の原点を
見た気がした・・・」と、おっしゃった。

貧しい集落の中でも、
比較的ましな首領の家。


この集落で唯一、
6年生を卒業する子がいた。

この子を、コンタクトパーソンとして、
スカラシップに採用しようか?

ぼろぼろで、貧しく、
家の様子すらなしていない、
極貧の家庭が多い集落!


先ほどの首領が、面倒を見ているが、
首領自体も、しばしば、
三食たべられない日があるという。


そんな家を、二軒紹介してもらい訪ねた。


小学校2年生で止まった子がいる。
2年生になると午後の授業があって、
お弁当を持って行けないからだ。

今年は、日本の経済事情も厳しく、
なかなか支援者が見つからない。

それでも、私の弱みで、
いったん見てしまうと、どうにもならない!

せめてこの集落から、
小学校を卒業する子と二人の小学生の
スカラシップ候補をとりたいと想った。


実現するだろうか・・・!



ma38
ここに保育所を
建てることになった


ここは、上記の集落から
下に数キロ下った集落。

子どもたちは、たくさんいるのだが、
保育所が、下のような代物で、


しかも、山麓に住んでいる地主が、
撤去を依頼している、とわかった。

保育所の先生に質問して、
調査をしているのは、
スタッフのマリベール。
私たちは、ここに保育所を
建設することにした。


そうすれば、
この周辺の多くの村々から、
子どもたちが来れるし、集落が助かる。



ma39
保育所建設調査に
別の山頂の
マノボの村を訪れた


キダパワンの隣、
マグペット市のDSWD(福祉局)から、
保育所建設の依頼があり、

福祉局の職員と、
保育所担当のスタッフのジケロくん、
スカラシップ担当のスタッフ
マリベールと共に現地を訪れた。

道には、橋がなく、車で川を渡る。

増水していないので良かった。

マグペット市地域では、
バアイボアイとウオーターフォール集落に
保育所を建設しているが、
その両者に挟まれて、
多くのマノボ族の集落が
山岳地域に点在している。


現地は、赤土の道で、
雨が降れば、スリップして帰れなくなる。

バイクの車輪跡があるだけで、
車の轍はまったくない。

そんなところを四輪駆動車で二時間ほど、
山を登っただろうか。
山頂から伸びる尾根状の場所に、
突然集落があった。

こんなところに、と思われる場所に、
小学校がある!
教室数は足りないが、
それでもしっかりした学校だ!

そこからの眺めは、絶景で。
ミンダナオの広大な、平地が見渡せた。


ma40
アポ山の山麓に、
ぽっかり抜けたような
マノボの集落


低地を追われた彼等が、貧しくともせめて、
平和に住める土地を探して、
ここまで登ってきたのだ。

彼等の生活の基盤は、
ホウキ草でホウキを作って、
下の村にまで売りにゆくこと。

そして、ほぼ野生のようなコーヒー豆を、
干して売ること。

途中でバナナが、
植わっている農場があるが、
プランテーションのような
大規模なものではない。

それらの土地は、ほぼ、
下の街に住んでいるお金のある
有力者のものだ。

そうした畑の草刈りや、
収穫の手伝いをして日銭を稼ぐ。

ここには、
移民系の人々の家も若干あり、
そうした関係か、電気が引かれていた。
先住民だけなら、
電気が引かれることはないだろう。

こうした移民系の人々の家は、
このような高地でも、思ったより良い。
バナナ農場の管理などを、
金持ちから任せられているからだ。

それらの家の少し下に、
貧しい先住民マノボ族たちの
家がつらなっている。


下は、マノボ族の人たち


ma41
マノボの子たちは、
本当に働き者だ!


小さい子でも、
水をくんだり、薪を運んだり。

ホウキ草のホコリのような種子を、
地面に叩きつけてとったりして、
家のお手伝いをしている。

一家族に、
7人から12人ほどの子どもたちがいる。

避妊をしなければならないだって!?
コンドーム買うお金どこにあるの?!

フィリピンに来て、
自然に生まれてくるものは、
生まれてきたらいい、と思うようになった。

貧しくても良い、みんなで助け合って
生きていく事が大切だと・・・。
少子化政策が成功した日本のような、
寂しい国にならないためにも。



ma42
かつて
MCLボードメンバー
亡きインカルさんの
親戚の子に会った!


どん詰まりのように見える、この村。
実は、このさらに奥に、
七つほどの集落を抱えている。

全て、マノボの集落だ。そこから、
大きな荷物を頭に載せて来る人々に出会った。
その中の一人は、少年だ。

汗びっしょり、
しかし、目元の涼しい利発そうな子。

「いくつなの?」
「12歳。」
「学校は?」
「小学校二年生。」
一緒にいた叔父さんが笑っていった。

「MCL、知っているよ。
うちの兎唇の子を治してもらったしね!」
少年に「君の名前は?」ときくと、
「インカル!」と答えた。

「エッ!」と驚くとおじさんが言った。
「スーザン・インカルさんの親戚だよ!」
ぼくは、空いた口がふさがらない。

亡きスーザン・インカルさんは、
ミンダナオ子ども図書館に
土地を譲って下さった方で、
お隣さんであり、
初代のボードメンバーだった。

おじいさんは、なんとキダパワン市の
初代の市長でマノボ族の酋長。

ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちも
たくさん通っている、
南ミンダナオ州立大学の土地も、
寄贈されている。

インカル市長の頃は、
ミンダナオ子ども図書館のある、
キダパワン市は、
マノボ族しか住んでいなかった。

その後、経済が発達するにしたがって、
移民の人々が入ってきて、
所有者のない土地として、安く売られた。
その結果、先住民族として住んでいた
マノボ族たちは、次々に山に追いやられた。

スーザン・インカルさんが、
ミンダナオ子ども図書館に
売ってくださった土地は、
インカル一族の最後の土地だったのだ。

インカルさんは、貧しい人を救って、
ともに生きていこうとするMCLの活動を、
心から理解し愛して下さり、
理事も引き受けてくださった。

この少年は、山に追われた
インカル一族の末裔のひとりだったのだ!

山頂に近い自分の集落から、
学校に通うには遠すぎるので、

この小さな村に、仲間と共に
崩れかけたような下宿小屋を持ちながら、
小学校に通っているのだという。

亡きスーザン・インカルさんの
声が聞こえるような気がした。
「この子を奨学生にしてあげてくださいね!
将来、立派なマノボの指導者になるために」



ma43
二週間滞在された
頭島さん(ロロヨシ)
のお別れ会


山元しんぷさんと一緒に来られた頭島さん、
子どもたちから、
ロロヨシと呼ばれて親しまれた。
ロロとは、おじいちゃんの事だ。

忙しい神父さん一行が、三日で帰られた後、
意を決して、一人残られた。

言葉がさほど出来るわけでもなく、
海外で一人になったのは初めて、とのこと。

最初は、不安そうだったのだが、
数日もたつと、
すっかり溶け込んでしまった。

私は、いつも、
「せめて二週間はいないと、
本当のMCLは、わかりませんよ」
と言ってきた。

二週間というのは、
日本では大変な長い日にちなのだが、

頭島さんがおっしゃるように、
こちらでは、あっという間。
ここでは、時の流れが違うのだ。

時の流れの違いに気がつき、
こちらの時に身を移したとき、
初めて、本当のミンダナオが見えてくる。

お別れ会。これで、二度目。
今回は無くても良いから・・・
と言っていたのだが。

子どもたちが、どうしてもやりたがった。

そして、唱っているときの声が、
いつもと全く違うのに、
おそらく気がつかれたことだろう。

「短期間の滞在では、とても日本人には、
現地の様子、MCLの活動がいかに大変か、
子どもたちの本当の姿も、
わからないですね。」

「日本にいる人には、
想像もつかないでしょうね。
一枚のお礼の葉書や手紙を子どもたちに
書いてもらうだけでも
スタッフたちがどんなに努力しているか!」

「帰ったら、私から話しましょう。」



ma44
頭島さんからのお便り
実に、いろいろと
考えさせられた
日々だった

松居友 様
私にとって二度目のMCL訪問、
滞在中は何かとお世話になり
ありがとうございました。
予定を変更し、ビザ日程をギリギリまで使う
十九日間の滞在となっりましたが、
そこから見えてきたものはいろいろあります。

私自身、支援者の一人ですが、
現地MCLの活動や、
子どもたちの生活の様子は、
まだ良く分かっていなかった事を感じました。

本当のMCLを理解していただくためにも、
今回の滞在中、自分の目で見たもの
体験した感想を、多くの方々に、少しでも
紹介してみたいと思いました。
日本の支援者の方々にも、現地の活動や、
子どもたちの生活の様子を
知って頂くための一助になれば幸いです。

 <1月13日> 
MCLの活動は、
毎朝のスタッフミーティングから始まる、
スケジュールに従って行動開始である。
3名のスタッフと供にカティンド村に向かう、
目的はスカラーに手紙を書いて貰うこと、
支援をして下さる方々への
サンキュウレターやソーリーレターである。

その日の行動の効率を考え、
学用品等も同時に届ける。
スタッフたちの仕事の大変さは、
移動距離の大きさである。
四駆でやっと登れるような荒れた山道を,
二時間~三時間喘ぐように登って行 く。
数枚の絵手紙を書いて貰うためにも、
時間と労力を惜しまないスタッフたちに、
頭が下がる思いがした。

 <1月15日> 
今日は、
ウオーターホールへストリーテーリングだ。
ウオーターホールは、
アポ山への登山口でもあり、
美しい滝が有るので有名な村でもあるが、
急な坂道を上って行く事には変わりはない。
村の人々の生活は非常に貧しい。

四十人ぐらいの子どもたちを
二回に分けての移動である。
朝早く、第一陣が出発、スタッフは、
第二陣を迎えるために又山を下る。
第二陣が到着した時には、
もう正午を過ぎていた。
先発隊が昼の食事をつくって待っていた。

流れ落ちる滝を前に、みんなで食べる
昼飯の味は格別だ。
ミンダナオは、
スコールの多さでも有名であるが、
この日のスコールは別格ものだった。
四駆が動けない、やむのを待って帰路につくが、
大スコールの後の荒れた山道は滑りやすい。

四駆の運転は、
スタッフにとって緊張の連続である。
子どもたち全員を無事に運び終えた時は、
もう夜の帳が辺りを支配していた。

 <1月18日> 
マキララのカタパガン村の
保育所開所式に参加した。
松居さんは急用が出来、
ダバオへ行く事になった。
プレシデントのアスレーが中心になって
セレモニーを進めて行く。
保育所の使用目的や取り決め事項等を
読み上げ確認をとる。

村の主だった人達との調印を済ませ、
握手を交わし開所式は終了した。
その後スタッフ全員で、
集まった子どもたちに、
歌やパフォフオーマンスを交えながらの、
絵本の読み聞かせが始まった。
村の人達も交えて昼食をすませ、
喜びのうちに無事終了。
スタッフ達の仕事は多種多様だ
多くの仕事をこなして行く。

 <1月20日> 
先日、ひょんな事で知り合う事になった
レリンダ・ランダウィさんに会うために、
マグペットのイナムアランという
村に向けて車を走らせた。
彼女は以前、日本に住んでいた事が有り
日本語が話せる。
松居さんとスタッフのマリペールの三人で
道を尋ねながら四駆で登って行った。

レリンダさんに会う事が出来
いろんな話を聴く事ができた。
彼女は、この村のもっと上の山奥に
とても貧しい集落が有る事を話してくれた。
松居さんの表情が変わった。
是非そこに案内してくれませんか、
四人でその集落をめざした。

途中四駆も登れない山道にさしかかった、
徒歩で登るしかない。
松居さんもまだ、
足を踏み入れた事の無い村だ、

上り詰めた所に数戸の集落があった、
一見してこの集落の人たちの
極貧の生活が窺える。
中でもとりわけ目立つ家があった
九歳を頭に八人の子どもと両親が、
二畳程の家の中で生活している、
一日一食がやっとだという。

松居さんが呟いた、
これを見ると、もう黙っては居れない、
何とかしなければ。
スタッフのマリペールの聴き取り調査が始まった。
MCLの活動の原点が見えた、これだ。
同時に日本の支援者の皆様の
温かい心を感じ胸が熱くなった。

いよいよMCLを離れる時がきた。
あっという間に時が過ぎた気がする。
夕食後、子どもたちが
サヨナラパーティをしてくれた。
別れの言葉やグループで歌を歌ってくれた。
しかしいつもと違う、声が出ていないのだ。

子どもたちの胸の内が窺え
目頭が熱くなった。
ロロヨシ(ヨシおじいちゃん)明日帰るんだね・・
そうだよ明日、日本に帰るよ・・
堰を切ったように子どもたちが抱きついてきた、
もう溢れる涙を抑えることができなかった。

MCLの子どもたちは実に良く働く、
当番の子どもたちだろうか、
朝四時には炊事を始める。

他の子どもたちも五時には起きる。
学校に行く前に庭の掃除、

一階の床をヤシの実で磨く、
二階のフロアーのモップがけなど
苦もなくやってのける。
学校から帰ってくると、洗濯や掃除に勉強と
楽しそうにやっているのだ。

日本ではなかなか見られない光景である。
子どもたちは底抜けに明るく笑顔を絶やさない。
ロロヨシ、サヨウナラ、次は何時来るの。
子どもたちの目に妖精の涙がキラリと輝いた。
ありがとう。
  =頭島義成=
     

ma45
お茶の水女子大学の3人と
一橋大学の女子学生が

山上の
マノボ集落を訪問


お茶の水大学で、
心理学を学んでいる3名と、
一橋大学で経済を学んでいる一人。

日本の若者たち4人の女性が、
ミンダナオ子ども図書館を訪れた。

きっかけは、私が、
お茶の水大学で講演したこと。

学校と本で学んだことが、
初めて、現地の子どもたちに出会い、

人々との交流で息を吹き返していく。

学校で見た若者たちが、時がたつたびに、
ここで息を吹き返したように
のびのびとしていく姿を見るのは、楽しい。

もともとキダパワンの市に近い、
山麓に住んでいたマノボ族が、

プランテーションや
移民の土地所有に追われて、
こんなにも高い、尾根上に集落を作って、
住み着くことになった。


MCLに土地を譲って下さった、
名門のマノボ族亡きスーザン・インカルさん。
お父さんは、
初代のキダパワン市長だったが、
土地を譲り、売り渡していった。


その親戚たちも、
今は、低地の土地から追われ、
この村のさらに奥の集落に移っている。

自分たちの所有地は、ほとんど無く、

ホウキ草で箒(ほうき)を作っては、
町に売りに行くのが、唯一の収入源だ。




大事なのは、
地元の人々の生活の状況を
しっかりと見て受け止て、


相手の気持ちを感じ取り、
生活の状況を理解して、


微力ながらも、
何が出来るか考えることだ!



ma46
スカラシップが、
決まったとたんに
泣き出した!


この地から、高校生の奨学生を一人選んだ!
成績も良いし、
今後もこの村とつながりを作って行くための、
コンタクトパーソンとしての
役割を果たしてくれるだろう!

家は非常に貧しいが、
自ら野菜を売りながら、
高校まで進学したけれど、それ以上は無理で、
学校を断念しなければならなかった子だ。

でも、ミンダナオ子ども図書館との
出会いがあって、
大学まで行けるという信じられないことが
現実になった!

ほとんどの子たちが、
学校に行きたくても行けない。

学校に行きたい理由は?と聞くと、

ほとんどの子たちがこう答える。
「わたしが、がんばって卒業して
少しでも良い仕事について、
家族を助けたい!」



村を回って子どもたちを集める


村に着くと、読み語りの場所を決め、


村を回って、子どもたちを集める!


そのとき、村の人々と話をし、
その地の生の声を聞き
現状を把握していく。




ma47
大きな木のイメージが、
浮かんだ!


MCLを創設し始めた頃、
ぼくの心には、
大きな木のイメージが浮かんだ!



いよいよ
読み語りが始まった!

読み語りがMCLの基幹の活動だ!

読み語りは、
ミンダナオ子ども図書館(MCL)の
根幹をなす活動だ。

MCLを創設し始めた頃、ぼくの心には、
大きな木のイメージが、浮かんだ!

根っこから、太い幹をへて、
天空に向かって、何本かの大枝が張り出し、
そこからさらに、無数の小枝が広がって、
その先に、たくさんの葉が茂っている!


これが、ミンダナオ子ども図書館の
平和構築の全体像だが、
根っこから出てくる、太い根幹が、
読み語りの活動だ!

読み語りの活動を基幹として、
そこから、いくつかの大枝がわかれていく。

それらの大枝が、
戦争避難民救済支援であり、
戦争で親を殺されたり、
貧困で家庭が崩壊した子どもたちの、
小学校から大学までの
スカラシップ(奨学制度)支援であり、


薬も買えずに、死んでいく子どもたちの
投薬から手術までの医療活動支援!

さらに、保育所も建てられず、
大木の下で勉強している村への
保育所や学校建設支援であり、

ジャングルの伐採によって起こされる
洪水対策に、山岳民族の収入も考慮した、
コーヒーやカカオやゴムの植林支援だ!


ma48
MCLの活動に
日本の若者たちが
同行することで


現地の子どもたちの、
貧しくてもいきいきとした様子に感動し、
困難な現状に心を打たれ。

ときには、村で数日過ごし、
帰るときには、再会を約して
涙をためて、若者たちは帰って行く。

そんな、日本の青少年の様子を見るにつけ、
さらに、孤独や自殺や引きこもりの多い、
今の日本の子どもや若者たちが、
置かれている、状況を知るにしたがって、

十数年間にわたって、
ミンダナオの子どもたちのことのみ
考えてきたものの、
日本の子どもたちの事も放っておけず、

日本の子たちも視野にいれて、
訪問してきた青少年が、
ミンダナオ子ども図書館に滞在しながら、
現地の子どもたちから
生きる勇気と希望をもらう
体験をさせてあげて、

彼らが日本に帰ったら、
物が豊かでも、心の豊かさが欠けていて、
それが、日々の生活を寂しく、
時には苦しくしている現状に気づいて、

ミンダナオ体験を生かして、
これからの日本を、
どのようにしていったら良いのかを考えて、
行動し始めて欲しい、と思うようになった。


中高年の訪問者が必ず言う、
「かつて日本にあったものが、
ここにはそのまま生きている!」
と言う言葉を、
若い世代も、ミンダナオで見て感じ取り、

それをどのように、
日本で復活させていったら良いのかを、
考えて欲しいと、思うようになった。
青少年こそ未来だから!

ミンダナオで貧しい集落を訪れて、
MCLの奨学生たちと
読み語りの体験をすると、
何か物資を支援する以上に、
子どもたちとの心の距離が、
いっきに縮まる!


読み語りの支援は、
お金や物資の支援とは価値観が異なる、
愛と友情の心の支援だから!

それだけに、現地の子どもや、
日本から来た若者たちにも、
ひと味ちがった感動が残る!


ma49
活動の根幹は、
愛と友情が
何よりも大事!


読み語りが、MCLの根幹だと、
ぼくが、あくまでも言い張る理由は、
MCLの活動の根幹は、
愛と友情が何よりも大事、
という気持ちが強いからだ。


NGOの専門家に、そんな話をすると、
笑われた。
「そんなの本当の支援じゃないよ!
開発援助にならないよ!」

また、村の長老に話すと、
がっかりした顔をしてよく言われる。
「読み語りって、楽しむだけ?
支援物資は、何にもくれないの?」

でも、読み語りをすることで、
落ちこんでいた子どもたちが元気になり、
親も喜び!村中が明るくなる!

すると皆、帰りがけには、言ってくれる。
「こんど、いつきてくれますか?」
「また、ぜったいに来てね!」

NGO支援とは、ほとんどが数回きりで、
おさらばだと現地では思われているけれど、
MCLは、一回出会った村とは、
その後もヒナイヒナイ バスタ カヌナイ
ゆっくりゆっくり でも たえることなく
関係を作っていく。


まずは、根幹の読み語りから始めて、
状況をしっかり把握してから、
スカラシップや医療その他の
大枝の支援活動に移っていく。

読み語りが終わって
村人たちと、親しくなった後に、
日本から送られた、古着や古靴を支援した!

下の子たちは、
日本から送られた古着を着ている!

もちろん、
その後も何度も読み語りに訪れて、
寒村だった村の人々が、
明るくなっていくのをみると、
わたしたちの心も明るくなる。

そのような関係を持っている村が、
100村はくだらないだろう。
卒業した子も含めると
奨学生だけでも1000人をくだらない。

そのようなわけで、
山奥の初めて訪れる僻村にも、
MCLのことは、口コミで伝わっていて、
私たちが行くと大喜びで、
「ミンダナオ子ども図書館が、
私たちの村にも来てくれたー!」


といって、
家からかけだしてきて迎えてくれる。

そのような感動的な体験を、
日本の若者たちにも伝えたいと、
つよく思うようになった。

「でも、ぼくは、
外国語ができないからなあ」
という若者もいるけれど、来てごらん!

ぼくも、世界中を旅したけれど
驚くべき事には、ミンダナオでは、
たとえ言葉が通じなくても、心が通じて、
少しも寂しくならないどころか、
子どもたちの表情から、
多くを学ぶことが出来るよ!




ma50
日本の若者たちが、
高地のマノボ族の村
キアタウに泊まった



キアタウの子どもたちから、
日本の若者たちが、
何を学んでいくのだろうか!



今回は、4人の大学生の若者たち。

泊まるときには、
なるべく一人づつ別の家に泊まる。

家は、なるべく素朴で、
収入の少ない家を、選ぶことにしている。

一泊1000ペソ
日本円では、2000円前後だけれど、
この地域の人々は、
ほとんど現金収入が無いから、

下の村に草刈りや、
洗濯をしに行ったときの
2ヶ月分いじょうの収入になる!

泊まるときには、
かならずスタッフがいっしょに泊まる。

現地では、寝るときは布一枚だけれど、
ミンダナオ子ども図書館にある
寝袋をもたせてあげる。

標高は800メートル近いから
夜明け前は、結構寒い!

雨も多いし、長袖のレインジャケットと
フリースのジャケットを持参!

飲み水は、スタッフが、
ミネラルウオーターを買っていく。
現地にあるのは、
川からくんでくる水だけだから。
ぼくは、飲むけれど・・・。



ma51
翌日は、馬に乗り
保育所の
開所式に出発!


民泊をした若者たちは翌日は、
馬に乗り、保育所の開所式に出発!


今回、北野財団の島村様がいらっしゃって、
寄贈してくださった、3棟の保育所のうち、
先住民地域の2棟の開所式が行われた!



北野財団の寄贈して下さった
カンポゴンの保育所!

そこまでは、車で行ける道は無く、
山道を、馬で行くしかない。

ミンダナオの山では、
馬は、最高の乗りものだ!


わたしたちも、
読み語りに行くときなどは、
四輪駆動の車でも入れない場所は、
絵本をつめた箱を、馬の背に乗せていく。


保育所建設など、
セメントなどの重い資材を運ぶときは、
馬も良いけど水牛がすごい!



ma52
馬でも歩けない
場所は徒歩で下る



踏みあとしか、残っていない急な下りは、


雨が降ると、
つるつるすべってたいへんだ!

谷底まで降りると、
大木で作られた橋を越えて、沢をわたって、


ふたたび尾根を登っていく!

深いジャングルの中には、
猿もたくさんいて、木の上から、
なきながら見おろしているけれど、


ニシキヘビやコブラや
ブルースネークがいるという!


ぼくは、ニシキヘビは食べたことがあるし、
コブラは見たけれど、
木の上から飛んで襲ってくると言う、
恐ろしいブルースネークには、
まだ会ったことが無い!


この村の小学生、高校生は、この道を、
毎日通って、学校にいっているのだ!




ma53
カンポゴンの
村に着いた!


建設中の保育所を目指して
最後の登り!


資材を運び上げる困難から、
開所式には、
完成が間に合わなかったが、


一生忘れならない、想い出になった。
村人たちは、保育所ができて大喜び!


村長であり、
先住民の酋長も来られていた。

外国人が、ほとんどまったく、
入った事の無い地域だ!


マノボ族の村人たちは、
民族衣装で迎えてくれた。


まだ、セメントの床と下壁が、
完成していないけれど、

ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちと、
日本の若者たちが、
良い経験をして友だちになった!



みんなで昼食を食べた!

床だけ、まだ完成していない。
セメントを運びあげるのに、
時間がかかっているからだ!



めったに食べられないお米のご飯と、
ビーフンと鶏肉のおかずに、
大喜びの子どもたち!



開所式が終わり
ようやくラナコランの
下宿小屋まで帰ってきた!


この下宿小屋ができて、
あの山奥の子たちがここに住み、
安全に学校にいけるようになった!



ma54
祝日、
ウオーターフォールに
遊びに行った



ウオーターフォール村の状況は良くない。

男性も、小学生の高学年の男の子たちも、
時には、家族総出で、
サトウキビ刈りに駆り出され、村には、
小さな子どもと女しか残っていない。



みんなで滝で遊んだ!

つかの間の休日。
家族で時を過ごす感じで、ときどき、
みんなで、この滝に泳ぎにいったり、


おかずになる山芋掘りや
山菜採りにいったり、
ときには、ヤシの実とりや、
文化祭には、ニシキヘビをとりに行って、

生きたヘビのお腹を開いて、
蒲焼きにして焼いて食べた!


子どもたちにとっては、
小さい頃からの日常だけれど、
みんなで遊んだりして楽しむのも、


MCLファミリーの家族としての
大事なときだと思う。


この日は、日本から来た訪問者や
若者たちもいっしょ!
子どもたちが、平気で滝に
飛び込んでいくのを見て、ビックリ!


しかも、おおはしゃぎで、
その楽しそうなことと言ったら!

このような時を経て友情と愛が、
さらに、深まっていくのを
感じているようだ!

リスター君のお兄さんも参加。

すっかりMCLが、気に入った様子だ。



ma55
村の子どもたちも
一緒に
お昼を食べて遊んだ!



この村出身の奨学生も多い。

村では、
3食たべられない家族も多い!

肉や魚どころか、
米のご飯も食べられない!

それが、わかっているので、
村の子たちも皆呼んで、

一緒に食べ、一緒に遊んだ。



MCLに滞在した、
長谷山文香さん、
佐藤知美さん
からのお便り

ma56

長谷山 文香さん
からの便り
友さん
こんばんわ。
パソコンの調子が悪く、
連絡が遅れてしまい申し訳ありません。
2日前4人で集まって
写真を見せていただきました。

膨大な量の写真の中から、
友さんやスタッフの方が
カメラを向ける視点が
わたしたちのそれとは違ったり、
「あ、これ知らない!
見ておきたかったー!」
と感想を漏らしたり、
日本に帰ってきてからも
新たな発見がありました。
写真鑑賞会とともに、
わたしたちの9泊10日を
振り返りましたので、
うまく言葉にできていない部分が
たくさんありますが、以下に記します。

レクチャーを聞いた直後に
友さんをおいかけ、
ミンダナオの場所さえわからないままに
訪問希望を申し出ました。
専門的な知識も見解も
もたないわたしですが、
ゼロからのMCL滞在の珍しい1例として。
ほとんど衝動的に、
訪問希望を申し出たわたしたちですが、
正直不安でいっぱいでした。

渡航情報やネットなどを見ても、
「渡航延期推奨」や「危険」の文字が。
また、経済的に子どもたちを
支援できるわけでもなく、
子どもたちに何かを教える
技術ももたずに訪問して、
果たして子どもたちは
受け入れてくれるのか。

でも、そんな不安はMCL到着後すぐ、
子どもたちの歓迎で吹き飛びました。
わたしたちが無意識的に作ってきた壁を、
壊すのではなく、
飛び越えてきてくれる感じ。
「こっちもたのしいよ」
と教えてくれるようでした。

一緒に絵本を読んだり、日本でいうと
「かごめかごめ」のような遊びをしたり、
抱きついたり。
「アテアヤカー」と笑顔で話しかけてくれ、
可愛くって愛しくって、
溶けてしまいそうでした。
思い出すと日記帳には書ききれないくらい、
たくさんの経験をさせていただきました。

キアタウという、標高の高い、
電気の通っていない
小さな村で一泊したこと。
そこでホタルの木や
白いペンキをぶちまけたような
星を見たこと。
「日本人は星を見たことがないのか?」
と驚かれたこと。
建設途中の保育所を見に、
山登りをしたこと。
スタッフや子どもたちがナイトのように
わたしたちを気遣ってくれながらの
頂上到着でした。

滞在半ばで具合が悪くなり
部屋で寝ていると、
ふと目を開けた時に枕元で子どもたちが
心配してくれていたことに気づけたこと。
支援者である日本の財団、
企業の方と日程が偶然重なり、
ピキットでの2つの保育所の
開所式に居合わすことができたこと。

最後の日は、
学生が集まる総会が始める前から、
頭が真っ白になり涙が止まりませんでした。
泣かないって思ってたのに。
「わたしを忘れないように」
と子どもたちがつけてくれた
指輪やブレスレットは、
日本では浮くくらい
日に焼けた肌にキラキラしています。

ただ、楽しい滞在の中で、
行ってみて初めてわかる問題も
たくさんありました。
移動中の車で、何度も
バナナのプランテーション農場の
横を通りました。

バナナ以外の植物が
一切生きていない裸の土壌。
農薬の恐ろしさ。
何年かすると土壌自体が
使えなくなるとのこと。
そして、企業はそれを見越してか、
期間を設けて土地を借用するそうです。
今まで10円でも安いバナナを買い、
ときには腐らせてしまうことも
あったわたしは、
ただただ恥ずかしく思いました。

また、子どもたちの着ている服は、
ほとんどが古着ですが、
「ミンダナオは暑い」という先入観からか
(もちろんわたしもそう思ってました)、
Tシャツがほとんどのように
感じられました。
標高の影響もあるのか、
MCLの夜は少し冷え込みます。
シーツにくるまって寝、
朝3時や4時に起きて
炊事や掃除を行う子どもたちが何度か
「寒い寒い」
と言っているのを聞きました。

日本の保育の場では、
保育園主催のバザーなどで
「集まりすぎるから古着は持ち込み不可」
など決められる場合もあるそうです。
それを子どもたちに
回してあげられないか。
みんなに長袖を買ってあげることは
わたしたちには出来ないけれど、
アナウンスをして集めることなら
可能ではないか。

就寝時間がきて、部屋に戻ると、
わたしたちの会議が始まります。
「いま、わたしたちに
出来ることはなにか?」
保育学、教育学、社会学、
そして心理学といった異なる分野で
「子ども」を学ぶ
4人で訪問できたからこそ、
とらえることが出来た部分も
大きかったと思います。

えるだけではなく、行動にする。
これからのわたしたちの課題です。
また今回、3人中2人が
「はじめまして」
からのMCL滞在だったため、
このような話を真剣に交わせる
大事な友だちが日本に増えたことも
MCLで得た宝物となりました。

子どもたちと離れるのが、
苦しくって、寂しくって、
本当は1番言いたかった
「ありがとう」が
あまり伝えられなかったことが
心残りでした。
今では次回訪れるときの宿題、
と都合のいい解釈をしていますが。

最後に、
今までNGOの活動やボランティア、
国際情勢に足を
踏み入れたこともなかったわたしが、
今回MCLを訪問したいという
衝動にかられたのは、
友さんが見せてくださった
子どもたちのスライドと、
こんな言葉がきっかけでした。
「子どもたちを助けようと思う前に、
まず子どもたちと
友だちになってください。
友だちになれば、
相手が必要としているものは
わかってきます。」
「(日本の心の貧しさに触れて)
ぼくはMCLの子どもたちに、
『君たちが日本人をたすけてやってくれ』
って言ってるんですよ。」

本当にその通りになってしまいました。
日本に帰り、MCLを訪れた話をすると、
「ボランティアで?」
と聞かれることが何度かありました。
そのたびに、
「こっちがボランティアされて
のこのこ帰ってきちゃいました。」
と苦笑している毎日です。
子どもたち、友さん、スタッフの方々、
本当に本当にありがとうございました。

長谷山文香


ma57
MCLでの記憶

お茶の水女子大学
佐藤 知美
MCLでの10日間は
本当に毎日が楽しく
てキラキラとしたものだった。
全力で子ども達との
触れ合いを楽しみ、
見たり聞いたりした現実を
深く考えた。

子ども達はどこまでも明るく
懐っこく又可愛かった。
こんなに日本で
自分を解放できた事があるだろうか。
子ども達と共に
心行くままに
歌い踊り遊び大声で笑った。

MCLで過ごす間は、
なるべく子ども達と
同じように過ごすよう心掛けた。
ご飯は手で食べ、朝は早く起き
ココナッツの実で掃除をした。
中でも印象的だったのが、
井戸で洗濯をしている際に
子ども達が寄ってきて
手伝ってくれた時の事だ。

初めは服を洗濯していたが、
しまいには私も
丸ごと洗われてしまった。
太陽の下、服ごとの水浴びは
なんとも気持ちが良かった。

5日目には
電気のない村キアタウに一泊した。
夜6時には辺り一面真っ暗になり、
ただ蛍の光が木に宿り、
満天の星空となる。
朝は太陽の光と木や葉、
家々が織り成す影は
なんとも美しかった。

6日目の晩には、
次の日の朝ご飯の手伝いを頼まれた。
いつももてなそうと
してくれる子ども達が
手伝ってと言ってきてくれた事が、
仲間として気を許し
認めてくれたような気がして
本当に嬉しかった。
前日は夜遅く
朝4時起きはきつかったが、
何がなんでも起きようと思った。

9日目は総会の後、
送別会を開いてくれた。
子ども達に負けない
満面の笑みでと思い、
歌い踊っていたが
途中から堪えきれなくなった。
‘I miss you.’
‘Come back again.’
と泣き出す子ども達。
また必ずMCLへと誓った。

この10日間、
子ども達の純粋さに心癒され、
子ども達の屈託のない笑顔に
幸せをもらった。
しかし、貧困や戦闘により
暮らしが厳しい人々や
家庭環境で心に
傷を負った子ども達、
家族の為学校へ行けない
子ども達がいるというのも
また私達が見てきた現実である。

フィリピンでは、
保育園を出ないと
小学校に入れない規定が制定され
今後厳しくなっていく、
という話も聞いた。
この年齢の子ども達に
保育が重要だという以上に、
小学校への架け橋として
保育園が必要となる。

今になって講演で
松居さんがおっしゃっていた
言葉が蘇る…
「まずは友達になって、
それから出来ることを考えよう。」

10日間を通して、子ども達には
多くのものをもらった。
これから大好きな友達に
私達は何ができるだろうか。

最後になりますが、
お忙しい中私達を迎い入れ、
多くを教え様々な経験を
させて頂いた松居さんを始め
スタッフの方々に
感謝と敬意を表します。

その夜は、みんなに
読み語りをした!




ma58
MCLの日常から

かつて奨学生、今は、スタッフのベビン!
同じ奨学生のレイナルドと結婚。
女の子の赤ちゃんが、生まれました!

朝は、4時半に起きて、子どもたちが、
自分たちで、食事の準備をはじめる。


車いすの彼女も奨学生。
毎日、他の子たちが協力して、
彼女を学校に連れていく。MCLには、
車いす用のスロープもできています!
(その後、高校を卒業して結婚し
赤ちゃんが生まれました!)


庭の草刈りも、
みんなで協力して楽しくやるよ!

バナナの木も切りたおして、
ちゃんと乾かして、
ご飯を炊く材料にするの。


草を刈った後、ここを畑にして、
野菜を植えて、おかずにするの!


畑仕事だって、
みんなでやれば、とっても楽しい!


ニワトリは、地鶏の放し飼い!
卵をうんで、増えたらいいな!


お料理は、
80人ぶんのおかずを作るのよ!

みんなで作るのが、とっても楽しい。


ガスでなんか、炊いてられない!
たきぎが一番!
ゴムの廃材を薪にするの!



ma59
早朝に起きて
籾米を干す



自分たちが食べる米をは、
自分たちで干す!


まだ朝焼けの残る時、
みんなで庭に出て、籾米を広げる。


再来週には、
みんなで田んぼの刈り入れに行く予定!


野菜や米を育てること、
ヤギやニワトリを飼うことも、
わたしたちが、自分たちでやるの!


米を収穫したら、ご飯を炊いて!
香料となる、果実を取り入れて、


ニワトリをさばき、
卵を集めて料理して、

魚も外で、
子どもたちが焼く!

時には、
ヤギも解体する。


ma60
朝の4時に起きて

朝食の用意。


昼食、夕食も、


自分たちで料理する!


洗濯も掃除も、楽しくこなす!
洗濯機があってもつかわないよ!
だって、ボタンを押すだけで
洗濯できるなんてつまらないよ!

おしゃべりしながら、
みんなで、楽しく洗濯するほうが、
ずっとずっと楽しいよ!


生活の基本が、
しっかりと身についている
子どもたちを

見ていてとても
すがすがしい。



こちらは夕暮れ時の
籾米の収納







ma61
誕生日のお祝いに
早朝みんなで歌う

ハラナ

ハラナというのは、窓辺や部屋の前で、
夜明け前の4時頃に起きて、
愛の歌を奏でる習慣!

ミンダナオ子ども図書館では、
誕生日の子がいると、必ずハラナをする!

ギターのメロディーと、
子どもたちの歌声が、
夜の闇の中で聞こえてくると、
私も、眠い目をこすりながら必ず参加する。


誕生日は、
子どもたちにとっては、特別の日!

特に、親のいない子にとって、
寂しくないように、
ケアしてあげる大事なときだ。

希望者が、祝福の言葉を述べる。
激励や未来への希望の祈り、
そして、愛情のこもった言葉を、
心をこめてプレゼントする。

物のプレゼントは無いのだけれど、
心のこもった歌と言葉が、
寂しい子どもの心を癒す。

最後に言葉をかけるのは、私の役だ。


父親がいない、母親がいない、
両親がいない。
家族が遠くに住んでいて、会えない・・・

何で自分は、ここにいるの?
なぜこの世に生まれてきたの?
時には、自分が見放され、
捨てられたように感じる子どもたち。

この世に誕生したことを、
時には、素直に喜べない。捨てられた小石?
でも、こうやって、
お互いに兄弟姉妹のように愛し合うと、
私たちは、一つの家族!

それを確かめ、支え合うとき、
それが愛のこもったハラナとなる。
捨てられた小石ほど、可愛らしく美しい。
こんな美しいものを、神様は愛をこめて
造ったと思うと、いつも感動する!



ma62
多湖ファミリー
親戚たちによる
もう一つの保育所が
マノボ集落
ムヤスに完成


ムヤスは、アラカンの山岳地帯にある、
非常に貧しい集落だ。

ほとんど、全てがマノボ族!

ムヤス集落の新しい村長さん!

ムヤスは、山上の非常に貧しい村!

最初にこの村に、
保育所を作る決定をしたとき、
前集落長が、語った。

「このような、見捨てられた村に、
目をかけて下さって、
感謝の言葉もありません!」


その言葉が、忘れられない!


開所式の読み語り


今日は、これでも特別な日なので、
みんな、最高の服を着て集まってきた。
もちろん古着だ!


ほとんどの子たちが、
以前に、ミンダナオ子ども図書館で渡した、
皆さんから送られてきた、
古着を着ている!。

夢中で、お話を聞く子どもたち!



ma63
米も食べられない貧しい村で
開所式のご飯を!

ここの子どもたちは、
ほとんど、米は食べられない!
お米なんか、買えないから!

あまりの貧しい状況に、

スタッフたちのために持ってきた、
弁当のおかずも、子どもたちを優先して、
すべて、あたえてしまった!


最後には、おかずもなくなり、
ご飯だけが残ったが、


それでも夢中になって、
残りご飯をほおばる、子どもたち!



ミンダナオ子ども図書館 支援方法
ma64

三つの文化祭 
ミンダナオ子ども図書館では、
先住民、イスラム教徒、クリスチャンが
仲良く平和に住んでいます。
みんな、私たちは兄弟姉妹、
一つの家族だといっています。
しかし、
お互いに理解し合うのは大事なこと。
そこで、毎年、
先住民、イスラム、クリスチャンの
文化祭を行います。
文化は、食べることから踊りまで。
映像は、かなり初期のものです。



先住民族の文化祭
マノボデー

映像を 見たい方は ここをクリック 

イスラム教徒の文化祭
ムスリムデー

 映像を 見たい方は ここをクリック

 移民系クリスチャンの文化祭
ビサヤデー

 映像を 見たい方は ここをクリック

クレジットカードによる寄付が可能になりました!


スカラシップの一括支払いも可能です!

毎回振込後に、宮木梓からお礼のメールとが届きます!
奨学金は物価高騰もあり、2021年より以下に変更いたしました。
一年間、小学校42000円、中高60000円、大学72000円

卒業後も支援額を変更して継続、別の子を紹介希望、終了希望は、
通信欄かメールで宮木梓宛に、寄付の内容や要望をお書きいただければ、
宮木梓が、対応いたします。
メールが難しい方は、日本事務局に携帯かお電話で対応いたします。
 
郵便局、銀行またはコンビニ、ATM、ネット振込は以下です!  
基本は、自由寄付です。振り込まれた方には、隔月に機関誌をお送りします。 
郵便局からの振り込み
自由寄付、スカラシップ里親支援等
郵便振替口座番号 00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

ミンダナオ子ども図書館 支援方法
銀行またはATM
インターネットでの振り込みは以下へ

銀行名 
ゆうちょ銀行 金融機関コード 9900
店番 
019  預金種目 当座
店名:
〇一九店ゼロイチキユウ店
口座番号 
0018057
口座名:
ミンダナオ子ども図書館
 振込を確認しましたら、子どもたちの写真または絵が描かれたお礼ハガキを現地からお送りしています!
領収書等が必要な方は、宮木梓までご連絡ください。
現地日本人スタッフ宮木 梓  mclmindanao@gmail.com
日本事務局 前田容子 FAX:0743 74 6465 携帯電話:090 5091 7514
ぜひいつか、子どもたちに会いにしらしてくださいね!





主要な目次を集めました!
クリックして飛んでくださいね
ミンダナオ子ども図書館だより 宮木あずさ制作
現地日本人スタッフによる、
写真を交えた最新の活動報告です!
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
訪問等でMCLと出会った若者たちの想いです!
ミンダナオ子ども図書館:日記 松居友制作
松居友による活動報告および
製作映像や想いを載せた自由日記です!
ミンダナオ子ども図書館 支援方法
支援方法
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ゼロに立つための支援を
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訪問希望
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何故ここに日本人などのテレビ映像
その他の貴重な活動映像を掲載
機関誌『ミンダナオの風』 にこめた思い!
機関誌『ミンダナオの風』編集にこめた思い!
ミンダナオ子ども図書館のミッション 理事、役員、スタッフ 活動の概要を紹介
ミッション・ビジョンとボードメンバー 
MCL文庫
民話、絵本原稿、青少年から大人までの読みものを
自由購読で提供しています。
ミンダナオオから発送の 機関誌「ミンダナオの風」 
過去の機関誌PDF
MCL 会計報告
会計報告
 日本の子ども ミンダナオの子ども
日本の子ども ミンダナオの子ども
MCLへの 若者たちの想い! 
機関誌『ミンダナオの風』若者たちの想い!
無題3 松居 陽
無題3:松居陽
イクメンに 未来をたくせそう! 
イクメンに未来をたくせそう!
2021年 今後のMCL 
今後の活動指針
 愛に捧ぐ黙想 松居 陽
愛に捧ぐ黙想:松居陽
ぼくの少年時代と 思春期から   
ほくの少年時代と思春期から
子育てよりも、子育つ世界!  
子育てよりも、子育つ世界!
講演、公演の予定表など 
講演、公演の予定表など
メールニュース 希望! 
メールニュース希望!
原住民、イスラム、クリスチャン 私たちは一つの家族!
原住民、イスラム、クリスチャン、私たちは一つの家族!
小学生や若者たちの 講演感想!
講演感想
近年の若者たちの訪問体験記!
ミンダナオ子ども図書館の活動とは?

MCLを知っていただくために、多くの映像のなかから選びました。
  
 山の下宿小屋に!
山の下宿小屋に
海の下宿小屋に! 
海の下宿小屋に
奨学生を決定に山へ!
奨学生決定に山へ
酋長の依頼で! 読み語りに!
酋長の依頼で
地震の悲しみで お父さんが!
地震の悲しみでお父さんが
アポ山へGo!
アポ山へGO!
地震避難民の 救済と読み語り! 
地震避難民の救済と読み語り
イスラム避難民の 救済支援! 
イスラム避難民の救済支援
ウイルス期間に 洪水が襲った!
 洪水が襲った
 イスラム湿原に 保育所を建てた!
イスラム湿原に保育所を建てた
 土地を追われる マノボ族!
土地を追われるマノボ族
 サンタマリアの 海辺で遊ぶ子どもたち!
サンタマリアの海辺で遊ぶ子ども
クリスチャンの文化祭 ビサヤデー!
クリスチャンの文化祭
イスラムの文化祭 ムスリムデー!
イスラムの文化祭
原住民の文化祭 マノボデー!
原住民の文化祭
戦争と平和
戦争と平和
洪水と植林活動
洪水と植林活動
平和構築と学校建設
平和構築と学校建設
ミンダナオ子ども図書館の 日常から
ミンダナオ子ども図書館の日常
総合活動報告の 記録映像
総合活動報告の記録映像
海の下宿小屋 クラクシン
海の下宿小屋
何故ここに日本人 TV録画! 
テレビ東京なぜここに日本人
池上彰の番組 パックンが来た!
池上彰の番組、パックン
NHK国際放送 ミンダナオから来日! 
NHK国際放送
English Video 1 Yo Matsui   English Video 2 Yo Matsui English Slide video! Yo Matsui 
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過去の活動を整理し、完成版をここに掲載していきます
戦争と貧困と平和構築と国際交友
ミンダナオの子どもたちから、生きる力をもらってきた実体験の記録!
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