戦争と平和構築
2015年の記録から
(1)


パックンが、テレビ東京の方々と来られた!
1 ここに保育所を建設することに GO! 14 支援している子に再会 GO!
2 木の下で勉強している GO! 15 戦闘避難民の現状を調査 GO!
3 女子寮が完成まじか GO! 16 国軍が派遣されて GO!
4 子どもたちが野菜を育てる GO! 17 UNHCRが避難民救済を開始 GO!
5 もうじき保育所完成します! GO! 18 マニラ新聞の記事から GO!
6 イスラムの子たちがラマダンに GO! 19 ドローンがふわふわと飛び GO!
7 ラマダンは約一カ月続く GO! 20 たくさんの日系人がいる GO!
8 外国が興味を持たなければ GO! 21 皆さん読んでみてください GO!
9 合同演習(バリカタン)は実戦 GO! 22 My wonderful memory GO!
10 大きな戦争を作る前には GO! 23 剣を持つものは剣で滅びる GO!
11 あっという間に日本製品が消え GO! 24 大河プランギを渡ったとたん GO!
12 若者たちはインド人と韓国人 GO! 25 確かに場所によっては GO!
13 炊き出しとビニールシート配布 GO! 26 誕生日を祝ってくれた GO!
27 パックンが来られた GO! 40 MCLの子どもたち GO!
28 お引き受けするのを躊躇した GO! 41 山の村の下の川の洞窟 GO!
29 考えあぐねた結果 GO! 42 慰霊に訪れた山本ご兄弟 GO!
30 福祉局に状況を聞くと GO! 43 初代の市長の末裔だった GO!
31 パックンを交えて読み語り GO! 44 マノボ族しか住んでおらず GO!
32 子どもたちと荷台に乗って GO! 45 男の子がバナナをしょって GO!
33 読み語りが始まった! GO! 46 野菜売りの少女の家を訪ねた GO!
34 車いすを少年に届けた GO! 47 カリナンの市場に行った GO!
35 古着を人々に届けた GO! 48 私の少女時代の思い出から GO!
36 パックンから写真が届いた GO! 49 あっちへ、いけ! GO!
37 ペルー生まれの双子の兄弟 GO! 50 あんた、娘を殺すつもり! GO!
38 山本博樹さまからのお便り GO! 51 母は、家を出ていった! GO!
39 今回私は4回泣きました GO! 52 I was born with a harelip GO!

po1
ここに保育所を
建設することに


山の集落では、
保育所の建物が無く、
村の仮設の集会所で
子どもたちが勉強してる。

フィリピンでは、
数年前から、
小学校に入学するためには、

2年ほど幼稚園で
読み飽きを学ばなければならないと
法律で決められた。

幼稚園は、文科省の管轄で
小学校に併設される。
しかし、山や海沿いの
極貧の集落からは、

小学校の建っている村まで
時にはジャングルの中を
10キロぐらいかけて
行かなくてはならず、

幼い子供にはとても無理だ。
そこで、とりあえず
厚生省の管轄下の
保育所でも良いことになった。

しかし、保育所の建設の責任は、
バランガイと呼ばれる村ではなく、
シティオと呼ばれる
集落にゆだねられる。

電気も無いどころか、
毎日の食事も大変な人々が住む
集落で、
保育所など建てられるはずがない!


po2
多くの子どもたちが、
大木の下で
勉強している!


そこで、せめて村人たちが、
山から木や竹を切って来て、
ヤシの葉で葺いた
プロックと呼ばれる、

休憩場所のようなものが、
保育所として
使われることになった。


これでも、良いほうで、
貧しい集落では、
多くの子どもたちが、
大木の下で勉強している!

それを見かねて、
MCLでは、

簡易保育所でも
良いというので、
保育所建設支援を始めたのだ。

先生になるには、
せめてハイスクールを
中退か卒業していなければ無理で、

MCLの奨学生の子たちにも
卒業後にふる里に帰って、
保育所の先生になっている子も多い。

この村の先生も、
しっかりしていて
情熱的に子どもに接している。
月給は1500円ほど。

給与は安くっても、
生まれ育ったふる里が好きで、
保育所や小学校の
先生になる子もたくさんいる。

二十四の瞳を
思い出す。


po3
ラナコランの
女子寮が完成間近


ラナコランの女子寮。

ここに寮を建てた理由は、
この近くには、
小学校と高校が建っていて、
近くて通えるから!

この近辺の山の子たちは、
時には5キロも離れた寒村から、
ジャングルの山道を
徒歩で通わなければならない。

小学校の子たちにとって、
また、高校生の
女の子たちにとっても
学校に通うだけでも命がけ!

そのような理由で、
学校に近いこの場所に、
下宿施設を建てて、
ハウスペアレントを置いて、

住み込みで
子どもたちが、
学校に通えるようにした!

かつては、
現地の建て方で
壁は竹と木で
作ったのだけれど、

雨風の激しい場所で、
5年ほどたつと
痛みが目立ってきた。

そこで、
長持ちするように、
ブロックとボードで作り直した。

これで、
日本からの訪問者も
泊まることができる。

今回は、
ブロックとセメントで
しっかり建てられている。


po4
子どもたちが
おかずの野菜を
育てている


施設の周囲では、
子どもたちが
おかずの野菜を育てている。
下は、山芋(カサバイモ)。

普段は米も
食べられない子たちなので、
毎月、MCLのスタッフが、
車で学用品に加えて、
米と多少のおかずを届けているが、

多少なりとも
おかずの野菜や山芋や
豆などを、
子どもたちが庭で育てている!

下は、
子どもたちが育てたタクワイ
イモのツル!

親たちもがんばって、
ときどき、
サワガニやカエル、

ヘビや
ニシキヘビもおいしい!

トカゲも届けてくれる!
けれども、子だくさんで、
家の子たちを養うだけでも
大変なのだ!

そのことを
子どもたちも知っているので、
親を助けて少しでも
自給するために、
山菜取りに出かけたり、

種は、
MCLで支給して、
下宿の周辺にも
おかずの野菜を育てている。



po5
章さん、
もうじき保育所
完成しますよ!


山登りが大好きで、
フィリピンの最高峰、
2954mのアポ山に、
登りたいと来られた章さん!

マノボ族の奨学生の
お父さんを
ガイドに紹介して、

ジャングルの中を抜け、
原住民しか知らない
けもの道コースを、

数泊かけて
登頂された!

その後すっかり
アポ山にはまってしまい、
いくつかの登山口から、

外国人は、
入ったこともないと
言われている、
さらに困難な道を越えて、

何度も
登頂をくり返された。

そのお礼もあり、
アポ山が正面に見える
マノボ族の僻村に、

保育所を寄贈された!

もうじき
開所式に来られる予定。

MCLの子どもたちも
開所式に参加して、
読み聞かせができるのを
楽しみにしている。

章おじちゃん、
ありがとう!!!



po6
イスラムの子達が、
ラマダン(断食期間)に


イスラムの子達が、
ラマダン(断食期間)に入った。

イスラムの子たちにとって
ラマダンは、
日の出とともに
モスクにこもり、

全身全霊を向けて
神に心を向けて祈る
大切な時!

クリスチャンの子たちの
クリスマスや
復活祭のよう!

そこで、クリスチャンの子、
先住民の子たちが
MCLのモスクのまわりを
清掃してあげた。


MCLの敷地内には、
祈りの場として
イスラムのモスクと、

先住民の
パルバランが建っている。

MCLのなかに、
なぜモスクやパルバランを
建てえたかというと、

MCLの近辺には、
クリスチャンの教会はあるものの、
イスラムと先住民の
祈る場がないから。

祈りをする場所は大切!
それだったら、
MCLの中に作ろう!


そう決めて発信したら、
日本の有志の方々が、
モスクを建ててくださった。

イスラムの子たちは、大喜び。
こうしたことから、
友情が芽生えてくる。



po7
ラマダンは、
約一ヶ月続く


日の昇っているときは、
食事をせずに断食して、
夜中の1時頃に起きて、
食事をする。

去年のラマダンの時には、
クリスチャンの子たちも数人、
自主的にラマダンに参加していた。

イスラムの子たち曰く。
「クリスチャンの子たちでも、
参加したかったらかまわないよ!」

クリスチャンの子たちも、
兄弟姉妹のような友達が、
どんな体験をしているのか、
知りたかったのかな?

「モスクの周り、
雑草が生えているから、
イスラムの子たちのために、
きれいにしてあげよう!」


今年は、大喜びで、
クリスチャンの子たち、
先住民の子たちが、
積極的にモスクの周りを清掃した。

イスラムの子たちも、大喜び。
世界もMCLのようになれば、
平和になるのになあ???



po8
外国が、ここに
興味を持ってさえ
くれなければ!


イスラムの村長さんが、
言った言葉が忘れられない。
外国が、ここに
興味を持ってさえくれなければ、
ミンダナオは平和なのになあ!


アメリカ軍は、
フィリピン政府と10年間の
共同軍事作戦(バリカタン)を
展開しようとしています。
日本もそれに参加しようとしている。
http://www.huffingtonpost.jp/…
/the-selfdefense-forces_n_711…


対象は、中国を抑止する事だと
しているけれど、現地では、
2016年に起こると予想されている、
ミンダナオのイスラムとの戦争に
備えることだといわれている。

すでに米軍は、
ミンダナオのザンボアンガに入っていて、
ミンダナオにおける戦争の準備は、
着々とされている。

イスラム国が、
日本に近いミンダナオにまで
影響を延ばしている、
と言う噂も盛り上げられて、

危機感を通して
日本の参戦への機運を
高めている?

表向きは中国との対立だけれど、
現地では、
ミンダナオが
視野に入っているのは確実で、

アメリカ軍が爆撃を開始すれば、
日本軍も参加せざると得ないと
言われている。


po9
合同演習は、
バリカタンと言われる
実戦で!


2000年に見た、
米軍とフィリピン軍の合同演習は、
バリカタンと言われる実戦で、
120万の避難民をだした。

その惨状、
特に笑顔を失った
子どもたちを見て、
ミンダナオ子ども図書館を始めた。

現地に日本のマスコミは、
いっさい入れなかったので、

隣国フィリピンで、
120万も避難民が出ている戦争が
起こっているなど、
誰も知らなかったし
今も知らない。

僕は、
この目でそれを見て、
唖然とした。


その後も2002年に、
ブッシュ政権によるテロリスト掃討作戦。
死者を葬る暇もなく、
川に流した。

だから、
リグアサン湿原の川魚は、
人の死肉を食べているから、
人の味がすると言われたほどだ!


po10
大きな戦争を
作る前には


現地で10年以上、
戦争を作る
仕掛けを見てきたけれど、

大きな戦争を作る前には、
必ず誘拐殺人、
爆弾事件が、あいついで起こり、
反政府勢力の仕業であると報道される。

戦争機運を高めるために、
意図的に
仕掛けられると
現地では言われている。

その意味では、
僕が誘拐殺害されて、
イスラム国の仕業と報道される可能性は、
極めて高いと思っている。

爆弾事件も起こるとしたら、
日本でも起こされるかもしれない。
日本人の参戦気分を
高めるために。

現地の人々は、
今までの友情の関係から、
現地のイスラム教徒が
僕を誘拐殺害することは無いと言っている。

しかし、
大金を出して
殺し屋を雇うことも可能だから、
気を付けるように・・・とのこと。

まずお願いしたいのは、
僕が殺されても、
現地のイスラム教徒の人々の
仕業であると報道されても、
皆さんは信じないでいただきたい。



po11
あっというまに
日本製品が
消えていった


尖閣の問題をきっかけに
日本が中国と対立させられてから、
ここ数年で、
ミンダナオのデパートから、
あっというまに日本製品が消えていった。

フィリピンの大統領をはじめとして、
議員、財界、銀行やデパートも、
ことごとく
中華系が占めているからかな?

逆に、アメリカ、欧州、
韓国、台湾などの車や
コンピューターが席巻し始めている。

日中関係が、
良ければ良いほど、
地理的にも、技術力でも、
日本は漁夫の利を得るわけだから、

日本の孤立化を画策し
日本には、
武器を大量に買わせて、
儲けようとしてもおかしくはない?

バナナを中国が買わなくなったとき、
大量のバナナが、
廃棄されて、

財界あわせて、
政府に抗議して
アキノ政権を動かしたのは、
ごく最近の話。

表向きに言っていることと、
実際にやっていることには
開きがある?

フィリピンは、絶対に、
本気で中国と戦争はしないだろう。
日本軍が、代わりに戦えばそれで良い、
というのが本音?

世界の人口の四分の一は、
中国人だとしたら、
これは、東南アジア全体にも
いえることだろう。


po12
多く見かける
若者たちは、
インド人と韓国人


最近ダバオで
多く見かける若者たちは、
インド人と韓国人。

日本は、武器ばっかり買わされて、
周辺諸国と対立させられて、
若者たちも、中高年も、
アジアですっかり引きこもり?

円安になっても、
なかなか輸出が伸びないのは、
現地で見ているとあたりまえ?

そんなことを見せられたり、
そっと耳元でささやかれると、
ほんとうに疲れてしまう!

MCLは、
政治に関与しない非営利団体!
宗教は、尊重するけれど、
特定の宗派の基でも活動しない!
Non politic, Non religious sect!

ただひたすら、
一人一人の子どもたちの
幸せを願って活動するよ!


po13
子どもたちへ、
ビニールシートをとどけ、
炊き出しをした


こうした事実を書けば書くほど、
殺される確率は高くなると、
周りの人々は心配するけど、

日本の子どもたち、
若者たちの事も
とっても心配。

今年の2月にも、
小さな戦闘が起こり、
避難した子どもたちへ、
ビニールシートをとどけ、
炊き出しをした。

幸い数週間で
帰ることが出来たが、
この14年で、
何度避難民救済をしたことか!!!

最初は、
なぜ戦争など起こされるのか
わかならかったけれど、
だんだんと現地の人々が、
それとなく教えてくれた。

「ここの大湿原には、
すでに、調査はされていて、
膨大な石油と
天然ガスが眠っているんです。」

「戦争が起こされる理由は、
その利権をどこの国の
どの国際資本に獲らせるか、
それを目的として、
戦争が起こされるのですよ!」


po14
支援している
イスラムの子に再会


まずは学校に行き
支援している
少女と弟に出会った。

再会し、
学用品と靴を届ける。
イスラム教徒の
しっかりしたよい子だ。

ピキットに行く途中に通過する
ARMM(イスラム自治区)の
プランギ川沿いに、
支援している子の
学校と家があるので訪ねた。

この地域の奥からは、
地域戦闘(リドー)による
避難民が出ているが、

国道沿いにある
この子の家は、
今のところ大丈夫だ。

元気に
学校に通っているが、
まえに書いたように、

この子の足が
腫れてきていて、
医師の診断を受ける予定。

日本からの贈り物を
家族に届けた。



po15
BIFFとMILFの
戦闘避難民の現状を
同時に調査


先にも書いたが、
北コトバト州側のピキット、
その湿原沿いの
カバサラン集落にBIFFが集結して、

MIFLとの戦闘
(リドーと呼ばれる地域戦)があり、
避難民が出ていたが、

カバサラン側は、
福祉局の指導で
家にもどり始めていた。

この子は、後ほど、

パックンといっしょに
車いすを届けた子!

しかし、この時
十四軒の家が焼かれた。

イスラム自治区の
パガルガン側は今回、
MCLで学校建設を進めている
カルボガン集落。

こちらは
まだもどらず、
UNHCRがシートの支援をしていた。

さすがにお金があるので、
シートの質が全然違う!
良かった良かった。


po16
国軍が
派遣されて

こちら側も
近々もどれる
という話を聞いたが、

その後、
国軍(フィリピン政府軍)が
イスラム自治区に
派遣されていて、

戦闘を恐れる避難民が、
大量に
避難し始めているという
ニュースが流れている。

基本的に、
MILFから分離したBIFFを
押さえる目的で、
派兵されているとはいうものの、

どこでどう
戦闘が
起こされるかわからず、

国軍が入ったことにより、
大きな戦争になる
可能性が高くなり、

人びとは、一斉に
避難し始めたと思われる。

あせらずに、
注視する必要があるだろう。



po17
UNHCRが
避難民の救済を
開始


BIFFの拠点のあるカバサラン集落には、
避難民たちが、福祉局の指導で
避難民キャンプから帰り始めていた。
しかし、
14軒ほどの家は焼かれたようだ。

こちらは、
MCLで学校を建設する予定の
カバサラン集落の人びと。
ここの避難民のために、
古着を届けた。

UNHCRが、避難民のために
ビニールシートを用意していた。
これほど早急に活動を行う例は珍しいが、
福祉局で、
UNHCRの派遣員に会った。

かつてミンダナオ子ども図書館にも
来られた人たち。
お互いに、再会し、喜び合った。
UNHCRが来て、良かった良かった。

今回、カバサラン集落で
小学校を建てる
建設技師にも会った。

「今は、難民化しているが、大丈夫。
現地は、比較的安定している。
難民たちも、もうすぐもどるだろう。
学校建設は、可能だと思うよ。」

BIFFが、MILFと国軍に
押さえられているようだ。
思ったより平和の可能性も
あるような気がした。
MILFは、
これ以上の戦争を望んでいないようだ。

ただ、今後も余談は許さない状況に
変わりは無い。
避難民になっていた
奨学生の子が、駆けてきた!!!


po18
マニラ新聞の記事から

国軍部隊投入へ

武装集団同士の交戦長期化受け、
「国軍部隊投入で事態収拾図る」と参謀総長


ミンダナオ地方マギンダナオ、
コタバト両州の州境付近で、
14日から続く反政府武装勢力
モロ・イスラム解放戦線(MILF)と
バンサモロ・イスラム自由戦士(BIFF)の交戦で、
国軍のカタパン参謀総長は19日、事態収拾のため、
近く国軍部隊を投入する考えを明らかにした。
首都圏ケソン市の国軍本部で記者団の質問に答えた。


交戦地域の拡大で、
避難住民が2万人を超えたためだが、
国軍介入が事態悪化につながる恐れもある。
また、BIFFはMILFとの戦闘に加えて、
コタバト州キダパワン市にある
州庁舎襲撃を計画しているとされ、
予断を許さない状況が続きそうだ。


交戦はマギンダナオ州パンガルガン町で始まり、
その後、隣接する同州ダトゥモンタワル、
コタバト州ピキット両町にも広がった。


国軍が介入する上で問題となるのは、
部隊投入対象となる地域の選定。
戦力面でMILFに劣るBIFF側は、
小グループによるゲリラ戦を続けているとみられ、
「仲裁に入ったレフェリー(国軍部隊)が
殴られることもあり得る」(カタパン参謀総長)状況だ。


また、両州に点在するMILF支配域に
国軍部隊が不用意に入った場合、
MILFとの遭遇戦が発生する可能性もある。
「三つどもえ」の交戦を回避するため、
MILF指導部との連携など、
慎重な対応が必要となる。


今回の交戦原因は、主に
(1)リド(土地をめぐる争い)
(2)BIFF構成員による
MILF支配域通過をめぐるトラブル--
の2点が指摘されている。
発生直後、MILFの部隊指揮者が死亡したことから、
「報復戦」の様相も呈している。

このため、カタパン参謀総長は
「(MILFとBIFFの)組織的戦闘なのか、
それとも部族間同士の争いなのか。
事態を複雑化させないため、
交戦原因と現状の把握をまず進める」と述べ、
部隊投入の時期は明示しなかった。


BIFFは、現政権発足直後の2010年12月、
MILF第105部隊の
カト元部隊長により結成された。
MILFの離脱者らで構成され、
兵力は1千人程度とされる。
カト元部隊長は、
MILFと比政府の和平交渉に不満を持ち、
08〜09年に町役場占拠事件などを起こした。
(酒井善彦)



po19
ドローンが、
ふわふわと飛び


2008年の80万の避難民の時には、
湿原地帯の上を見ると、
アメリカ製の無人偵察爆撃機ドローンが、
ふわふわと飛び爆弾を落としていた。

案内の人が言った。
「今は、遠くの町の机で、
コンピューターを操作しながら、
ああやって、爆弾を落とすのですよ!」

住んでいる、
罪のない家族も殺される!

そのうち日本も
資源のおこぼれにあずかるために、
軍隊を送り込んでくるのだろうか。
集団的自衛権をたてまえに。

最先端に立たされるのは、
ゲリラも国軍も、
家族を養うために雇われた
貧困層の貧しい若者たちだという。

MCLにスカラシップ採用された
若者たちが、よく言う言葉!
「MCLの奨学生になれて良かった!
大学まで行けて、
良い仕事につけるから!」

「ぼくは、家族を養うためとはいえ、
戦争にだけは、
行きたくなかったんだ!」

現地からは、若者たちが、
ゲリラに雇われて
シリアやイラクにも行くという。

また、国軍の民兵にもなったりする。
昼は民兵、夜はゲリラ。
どちらも、家族を養うため!


po20
たくさんの
日系人がいることを、
知っているのだろうか


それにしても、
反政府ゲリラと呼ばれている、
ミンダナオの
イスラム教徒のなかに、

第二次大戦中に逃げた、
たくさんの日系人がいることを、
日本政府の人々は
知っているのだろうか。


ミンダナオ紛争を戦った
「キムラさん」の正体

日系イスラム戦士、「日本への思い」を語る

中坪 央暁 : ジャーナリスト 
GO!
わたしも、
病気の子を治したお父さんが、
別れ際に耳元でささやいた
言葉が忘れられない!

「わたしのおじいさんは、
大戦のときに湿原に逃げて
イスラム教徒になった日本人です。」

集団的自衛権を建前に、
日本軍(現地では自衛隊を日本軍と呼ぶ)が、
ここで戦闘に加われば、
日本人が、
日本人の末裔を殺すことになる!



po21
皆さん
読んでみてください!


平和を心から願い、
現在の日本を心配する大学時代の親友、
松浦悟郎司教が本を出版!

大学時代の親友、
松浦悟郎司教さま(通称悟郎ちゃん)から、
新刊『平和をつなぐ』(ドンボスコ社)が、
送られてきました。

ありがとう。
時々あっては、励まし合う仲、
がんばっているね、悟郎君!
簡潔で、わかりやすく、
しかも鋭いところを突いているね。
MCLの事も載っています。

みなさん、読んでみてください。
以下のサイトから、
注文できますよ。
http://www.donboscosha.com/
product/6858


「宗教者という立場から
平和を訴え続けてきた松浦悟郎司教が、
普遍的な価値である人間の尊厳や
互いを大切にし合う関係の実現
という視点から現代社会を見つめ、
平和の実現のために今、
私たち一人ひとりが何をすべきなのかを説く。」

●目次...
はじめに
1.“ぼんやり”で導かれる日本
2.集団的自衛権行使がもたらすもの
3.集団的自衛権と結びついていく法
4.「国を守る」ということ
5.戦争は、非人間化への歩み
6.非暴力、非軍事でつくる平和
7.平和に取り組む国際社会の中で
8.日本国憲法を平和の礎に
おわりに:私の伝えてきたこと


A5判並製 109頁 定価本体550円+税
みなさん、読んでみてください。
以下のサイトから、注文できますよ。
http://www.donboscosha.com/
product/6858


上智時代の聖歌隊の友人、松浦悟郎名古屋司教
(ぼくらは、悟郎ちゃんと呼んでいるけれども・・・)。
カトリック正義と平和で活躍し、
キリスト者九条の会でも平和を目指して・・・
ミンダナオ子ども図書館に関しても、
最初期から心から協力してくれた友人。

その悟郎ちゃんが、
ミンダナオ子ども図書館最初期に送ってくれた
英文のサイトへの文章を、
再度掲載しました。



po22

My wonderful memory in Mindanao
I visited Mindanao on 1990 and it was also my first visit in Philippines.
That time I had an opportunity to meet and
I talked with some groups of indigenous people of the mountain area.
It was so wonderful experience that I was able to hear their stories
and exchange cultures with each other.
Until now I cannot forget about spending special night
with them in the mountains.
That was already in the evening
we meet some groups of indigenous people
on the path of the mountain
and they decided to stay and sleep on that place.
I confused because there were only bushes around the path,
but they began to work immediately cutting bushes
and made an open space for talking and sleeping.
Actually after that
I could have many surprising experiences of their abilities
and wisdoms about how to survive in the nature.
Also we talked about some problems
about situation of the native people in Mindanao.
After talking I show their dancing and singing.
We also exchanged culture and then we slept on the field.
I thought it was an end of the day, but in the midnight many Datu
(chiefs of the community from different areas) began singing and sharing.
One Datu sang like " Today we had good friend from Japan.
Their songs were very interesting for us." Then next Datu continued,
" Oh! It's true. We want to be friends with them forever."
And then next and next they laughed laud and sang many songs.
They enjoyed their meeting so much on whole night!
I heard their pleasant voice and chat in the dream.
What a wonderful time it was!
I had to think and ask myself about what is a real richness,
especially when they appealed us ,
"Please don't take our earth, which we inherited from our ancestors.
We only hope that we can live here peacefully."
I promised in my mind that I will do my best for not to break their wish.
After 10 years I met Mr. Tomo Matsui,
who has been my good friend from the time of the university.
I heard from him that he lives now in Mindanao
and works for poor children
especially indigenous people and Muslim.
Then I feel a possibility to be realized
what I promised in myself at that night in Mindanao.
I am so happy now that I can walk with people of Mindanao through him
.



po23
剣を持つものは、
剣で滅びる


涙も枯れ、
泣きはらした顔が、
そのままこおってしまったような
表情をした子どもたちや、

戦闘の恐怖に
おびえきったようすの
子どもたちをみると、

戦争を
肯定することが
できるはずもない。

ぼくの心のなかに、
聖書の一節がうかんできた。

「剣を持つものは、剣で滅びる。」

たがいに武器をもちあって、
戦をしたとしても、
いったいなんの
解決になるというのだろう。

かえって憎しみを助長して、
対立をふかめて
いくだけではないだろうか。

かわいそうなのは、
被害にあう子どもたち。

ぼくにとっては、
目の前でぼうぜんとしている
子どもたちが、

イスラム教徒であろうと
キリスト教徒であろうと、
先住民であろうと他宗教であろうと、

子どもたちは
子どもたちにしか見えなかった。

せめて
この子たちのために、
何かできないだろうか。

そうおもったとき、
ぼくの頭のなかに、
どこからかわからないけれども、

すとんと
落ちてきた考えが、
「ここで、読み語りをしたらいい。」

そうだ、たしかに、
それは良いかもしれない、
とおもった。



po24
大河、
プランギを
わたったとたん


(以下は、後に
拙著『手をつなごうよ」(採流社)
に載せた文の一部です。
初めて戦争避難民を
見たときのショックです!)

ミンダナオの母なる大河、
プランギをわたったとたん、
風景はいっぺんした。
「なんだこれは?」

今までつづいてきた、
平和な田園風景のあちらこちらに、
避難生活をしている、
避難民たちの姿があらわれだしたのだ。

ピキットにむかって走る
車のりょうがわ、
国道ぞいのわずかな空き地に、
着の身着のままの姿で生活をしている。

彼らのすんでいる場所は、
避難小屋などとは
とてもよべないようなしろものだった。

1畳か、良くて3畳半ぐらいの
スペースにゴザをしき、
どこからとってきたかわからない
木の枝を四方にたてて柱にして、

そのうえに
青いビニールシートを
かむせて
屋根がわりにしている。

ビニールシートを買うことができる
家族はよいほうで、
おおくの家族が、
ヤシの葉をかさねておいたしたで
生活している。

車でピキットにむかうにつれて、
その数は
またたくまに増えだした。

少し小高い国道を
はしりながら見わたすと、
道ぞいだけではなく、
りょうがわの牧草地のような農地にも
避難民の仮小屋はひろがっている。

しかも
その数がはんぱではない!
見わたすかぎり地平線まで、
避難民なのだ!

「避難民キャンプ」というのは、
キャンプという言葉から想像していたように、
戦争で避難してきた人々を、空き地なりに
テントをはって収容する施設であり、

そこにいけば、医療や食料も
用意されている場所であると
おもいこんでいただけに、
初めて見る避難者の状況に
強ショックをうけた。


po25
たしかに
場所によっては


たしかに場所によっては、
特定の空き地などに
集められてはいるものの、

そのほとんどは国道ぞいどころか
農地や川ぞいに
いたるあらゆる場所に、
雨よけのシートをはって生活しているのだ。

そのときは、
なぜこのようなことが
起こっているのか、
見当もつかなかった。

あとでわかったことだが、
2000年にエストラーダ大統領のもと、
フィリピン軍とアメリカ軍の
合同演習(バリカタン)があったのだ。

しかし、演習というのは名ばかりで、
事実じょうの実戦がおこされて、
100万人いじょうの人々が
避難民となった。

さらに、これらの避難民が
まだ家にかえらずに、
苦しい避難生活をつづけている
にもかかわらず、

二〇〇一年に、
フィリピンのアロヨ大統領と
アメリカのブッシュ大統領の主導による
「テロリスト掃討作戦」がはじまった。

このけっか、避難民は
三年近く
避難生活をしいられたのだ。

ぼくが、この地につれていかれたのは
2001年の
はじめのころのことだから、
このときの避難民を見たことになる。


まるで、
植民地時代の
領土拡大のために起こされる
戦争と同じ・・・?

戦争が起こって
可哀想なのは子どもたち!


po26
みんなで、
62歳の誕生日を
祝ってくれた!


3月2日、
みんなで誕生日を
祝ってくれました。

私と3人の子どもたち
合計4人。

子どもたちのなかの2人は、
自分の誕生日がわからないので、
一緒にお祝い。

あやさん、
シェーラも一緒ですよ。

誕生日の最大のお祝いは、
夜明け前、
四時半に
部屋の前に集まって、

ハラナと呼ばれる
夜明けのお祝いの歌と
祝福をすること。
これが最高の楽しみ!

(西山さん、
写真を撮られていたから、
シェアしますよ!)



ハラナは、
ビサヤの習慣で、
MCLに住んでいる
全部の子たちのハラナをします。

そんなわけで、
時には一週間に三度ほど、
四時半に起きて、

その子の部屋のまえに、
子どもたちと一緒に私も行き。
歌って祝福します。

お祝いのケーキと
スパゲッティは、
予算がいつもぎりぎりなので、

月末に、
その月の誕生日の子を
一緒に祝います。

今回の誕生日は、
特別に私の日に
祝ってくれましたが、

スパゲッティとケーキとコーラを
特別に寄付しました(笑)

年始めも同じで、
麺を食べるのは、
長生きを祈願してです。



 ぼくの65歳の誕生日を、
ミンダナオ子ども図書館の
子供たちが祝ってくれた。


映像を 見たい方は ここをクリック


ミンダナオ子ども図書館
総合活動映像:50分
 
  
2001年に創立し、
翌年に若者たちの手で立ち上げた、
ミンダナオ子ども図書館の活動を
総括的にまとめた映像です。
拙著『手をつなごうよ』(彩流社)で執筆した
世界の映像版。
戦争の中の子供たちの支援救済からはじまり、
平和の祈り、洪水、植林支援、保育所建設等々を
息子の陽のビデオと共にまとめました。

写真は、松居友です。
映像を 見たい方は ここをクリック

po27
パックンが、
テレビ東京の方々と
来られた!


突然、
テレビ東京の関係の方から、
連絡が入った。 

池上彰の番組で、
ミンダナオ子ども図書館を
取材したいが・・・


4月12日生放送
「池上彰のJAPANプロジェクト」


~命の現場と向き合う日本人~
世界のどこかに
誰かが行かなくてはならない。
危ないと言われる地域で
活動する日本人がいる。

池上彰が
「世界で踏ん張る日本人」と
生放送で対話


放送日時 4月12日(日)
19:54~21:48(2h)生放送


中東の過激派「イスラム国」や
様々な過激派組が、
世界各地で
破壊活動を展開している。

「世界で今、
何が起こっているのか?」
池上彰が地図や映像を
駆使し解説して
「混沌の世界」を伝える。

世界には
「危ないと言われる地域」が
たくさんある。
しかしそこで活動している
日本人がいる。

この番組は
「誰かがそこにいないとならない」
と思い、踏ん張っている
日本人の声を聞く。



po28
最初は、
正直に言って、
お引き受けするのを
躊躇した


理由は、
イスラム国を前面に
イスラム教徒の人びとを
いかにもテロリスト集団のように
報道する傾向が、

今の日本に
はびこっているように感じられ、
それに荷担したく
なかったからだ。

ミンダナオ子ども図書館では、
イスラム教徒もクリスチャンも
先住民も
みんな仲良く生活している。

彼らは、自ら、
自分たちは家族で
兄弟姉妹だと言っている。

たしかに、
ミンダナオでは、
イスラム自治区を中心に
不穏な動きがあるのだが、

こちらの人びとの見方からすると
「意図的に政府とMILFを分断し
戦争を起こさせるための工作では?」
と言われているほどだ。

それは別にしても、
ミンダナオ子ども図書館には、
多くのすてきなイスラム教徒の
我が子のような子どもたちがいて、

戦闘地域でも、
200名あまりの奨学生が、
MCLの支援で
元気に学校に通っている。

イスラム文化祭を
つい先月末に開いて
みんなで楽しんだばかり・・・

そうした子たちもひっくるめて
イスラム教徒=テロリストといった
図式に当てはめられるのは、
ちょっと心外・・・

友人や我が子を
テロリスト呼ばわり
されているようで胸が痛む・・・


po29
考えあぐねた結果

それでも、
考えあぐねた結果、
あえてこの企画に
挑戦しようと思ったのは、

逆に、
ミンダナオ子ども図書館や、
私たちが行っている
地域の人びと、

特に無邪気な
子どもたちの素顔や
純真な笑顔。

どこの国の人びととも
変わらない庶民の姿を、
映像を通して、

日本の人びとに、
伝えることが、
可能かもしれないと
思ったからだ。

(テレビ映像は、
編集次第でどのようにも
変えられるけれど・・・)

「ミンダナオは、
海外からの力が入りさえしなければ
平和な土地なんだがなあ・・・」
という、村長の言葉が思い浮かんだ。

中近東もそうだけれど、
ミンダナオも
40年間の戦争の原因は、
リグアサン湿原にねむる、
膨大な天然ガスと石油の利権を、

どこが獲得するかと言う
問題の背後に、
国際資本が絡んで
起こされているという・・・。


po30
福祉局に、
状況を伺いに
行くと


福祉局に、
事前に状況を伺いに行くと
驚いたことに、

つい最近まで
戦闘で避難民が出て、
MCLで救済活動をしていた
カバサランやカルボガンの人びとが、

現地の村に戻り!
すっかり平和になり、
しかもそこに読み語りに行くことも
可能だという!

そこで、
市長に話を通し、
さらに現地の
村長を訪れて話をつけ
両方の確証の元に決断を下した。

さらに当日は、
MILFの軍人が
護衛につき、

北コトバト州の
MILF最高司令官にも、
お会いして、

協力関係を持ち、
万全の準備をしてから
活動を開始。


カバサランに
読み聞かせと
古着の支援をした



po31
パックンを交えて、
歌と踊りと読み語り


前日に、
有名な俳優で
ジャーナリストのパックンが到着。

(ごめんなさい、
15年以上も
日本のテレビを見ていないので
存じ上げませんでした・・・)

しかし、とっても気さくで
自然な若者で、
たちまちMCLの子どもたちに、
大人気!

撮影していようが
(仕事の時も)
撮影していまいが、

水道のプラスティックの配管で
子どもたちが作ったフラフープで
子どもたちと一緒に遊んだり、

ゴム草履の
ベースボールをしたり、

心から子どもたちを
愛していることが
良くわかる。

後で教えてくださったけれど、
パックンは、
貧困の母子家庭で育ち、
MCLの子たちと
共通した体験もしている!


po32
子どもたちと
トラックの荷台に
載って


翌日は、
子どもたちと
トラックの荷台に載って、

本来は極度の
危険地域である
カバサランの集落に向かった。

このプランギ河の向こう側は、
イスラム自治区で
12万の避難民が出て
問題になっているママサパノも遠くない。


この村近辺は、
くり返し戦闘に襲われ、

村民たちは、
家財道具を置いたまま
町に逃げ、

数か月か、
長いときには数年間も、
避難生活を余儀なくされてきた。

50年近く続いている戦闘!
最初は、クリスチャンとムスリムが、
宗教的に対立している
宗教問題かと思っていたけれど、

現地では、
戦争が起こると
協力して助け合っている!

わけがわからなかったけれど、
あるときわたしたちが
読み語りに訪れると、

「最近頻発に、
国際NGOが来るようになったけれども、
また大きな戦争にならなければ
良いけどなあーーー!」
と言われた。

「えっ!
なぜ、国際NGOが来ると
戦争が始まるのですか?」
驚いて聞くと、
言いにくそうにおっしゃった。

「世界が、ここに
関心を持つようになる前までは、
ミンダナオは
宗教や部族が違っていても、
数百年も平和だったのになあ・・・」

次第に、聞こえてきたのが、
戦争が起こる
(武器提供や兵士の雇用も含めて
海外からの力によって起こされる)
根本的な理由は、

東南アジア最大の湿原と呼ばれている
リグアサン湿原に眠る、
膨大が石油と天然ガスの
国際的な利権をめぐる
争いのせいなのだという。


po33
読み語りが
始まった!


MCLの
イスラムやクリスチャンや
先住民族の若者たちと、

一緒に、
現地で読み語りのまえの
踊りをおどる、パックン!

踊りと唄を楽しんだ後、
いよいよ読み語りが
始まった!

絵本など、
見たこともない子どもたち!
だけれも、夢中になって
お話の世界に入っていく!

この村にも、
何度も訪れているけれど、
普段は、
全くのどかで平和な村。

それにもかかわらず、
最近、
15軒の家が焼かれた。

MILFとBIFFの戦闘で、
村人全員が避難していた。

敵味方や善悪に
関係なく、

僕はとにかく、
一切の戦争が嫌いだ!

かわいそうなのは、
子どもたち!



po34
避難民の時に
約束した車いすを
少年に届けた


大久保さん、
ありがとうございます!


久保山 真由美さん
この子に、二台目の
車いすを寄贈しました。

ありがとうございます!

避難民の時にあった少年。

車いすさえあれば
学校に通えるんだけど・・・

「これで大丈夫だね!」

本人はもとより、

お父さんや
村長さんも大喜び!



po35
皆さんから
支援していただいた
古着を人びとに届けた


ミンダナオ子ども図書館での体験、
子どもたちとの出会い。

そして、
イスラムの人びととの交流。

思いがけない体験を胸に、
時には
涙を目にためながら、

パックンも、
制作者の方々も、
撮影の方々も、

来られたときの
緊張した顔とは、
全く異なった笑顔を携えて、

別れを惜しみながら
帰路につかれた。

「必ずまた来ますからね。
今度は、
子どもをつれてプライベートに・・・」

子どもたちも、
抱きつきながら、
大喜びで、
撮影隊の方々を見送った。

「バイバイ。また来てね・・・」


「もちろん、
さよならは言わないからね。
また来るからねーーーー!!!」

月明かりの夜、
みんなの愛情のこもった
別れの抱擁と歓声に送られて、

パックンは、
明かりのついた
食堂から出ると、

昇ってきたばかりの
半月と金星を見上げて、
こみ上げてくるものを
押さえきれない様子だった。



po36
パックンから、
ディレクターを通して
写真が届いた


15年近く日本を離れていると、
パックンが、
有名な俳優であることも
知らなかったので、

失礼してしまった。
「ごめんなさいね!」

しかし、
とっても自然で、


心の温かい人柄の、
好青年であることは、

一目見て、
すぐにわかった。

撮影の時も、
撮影されていないときも、

同じ表情で
自然に子どもたちを愛する、
パックン!

子どもたちも、
パックンが大好き!

また必ず来ますからね
絶対に!

いつでもどうぞ
何日でも、
泊まっていってくださいな!


池上彰の
ジャパンプロジェクト

世界の”命の現場”で
奮闘する日本人
 

 パックンが来た
 
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po37
ペール生まれの
双子の兄弟


キアタウの民家に
泊めてもらった。


今回、
いっしょに来た、
ペール生まれの双子の兄弟。

4歳の時に、
母親とペルーから
日本に移住して、

日本で育ったけれども、
中学2年で
学業を停止。

いじめやケンカもあってか、
混沌とした成長期を
過ごしてきた20歳の若者。

日本語以外に
英語もほとんど
しゃべれない。

でも、見ていると
子どもが大好きで、
友情を培う力がすばらしい!

前にも、
父親が中華系で
苦労して育ち、

やはり英語が
あまりしゃべれない
若者が来たけれども、

性格が良く、
たちまち子どもたちと
親しくなっていった。

ミンダナオ子ども図書館の
子どもたちは、
友情と愛をはぐくむ
感性がすばらしく、

言葉がつながらなくても
心が通じて、
相手の気持ちをすぐに察して、
たちまち親友になっていく。

でも、やはり
心が通じるだけではなく、
言葉も通じる方が良い。

ペルーの双子の兄弟も、
ここにきて、
英語を勉強したくなって、

子どもたちから
遊びながら
習っているけど、

日本に帰ったら
がんばって
飛び職人として働いて、

次回はさらに
長期滞在しながら
英語学習をする予定だ。

左が日系人で、
スタッフのジケロくん



po38
山本博樹さまからの
お頼り

山本博樹さまからの
お頼りの一部を
掲載させていただきました。

松居友さま、
おはようございます。
先日、MCLで、
大変お世話になりました
山本博樹(剛の兄)です。


日本での超多忙さから解放され、
大好きな子どもたちに癒されて、
ゆっくり元気回復を
待ち望まれていた友さんだったのに、

穏やかにあんなにも奥地まで、
私たちを「慰霊の旅」に
案内していただいた上に、

MCLでは、
涙の大歓送迎で
迎えていただきました。


帰ってきて振り返ってみますと、
友さんの慈愛の深さと偉大さが、
心遣いのやわらかさが、
しみじみ伝わってきて、

ミンダナオの風のように
私たちを
癒してくれていことに気付きます。

人の幸せとは、
何かを知る出会いの旅を、
ありがとうございました。



po39
今回私は、
4回泣きました。



1つは、
カリナンの小学校を訪れたとき、

「十一叔父さんのひ孫がここにいる!」
と思うと泣けました。
日系の子どもたちの表情、声、歌、しぐさに
戦争と同邦が重なって、

そこに、私の場合、
私の母方の伯父は、カナダの敵国、
日系1世だということで、
山奥に強制収容されていたのですが、

そのときの状況もダブって、
涙が止まりませんでした。
まさに「慰霊の出会い」でした。


2つめは、
ナナオプランのタカさんに。

「この方は、十一さんではないか」と。
タカさんも、何か言いたそうで、
涙ぐんでいました。

「タカさんの父が、10歳の時、
お祖父さんが父を背負い、
ここまで逃げてきた!」
(敗戦の直前で、
祖父は30~40歳と思われる)

「タカさんの祖父は、当時、
『アバカ(マニラ麻)の太田興業』で
働いていた!」という。
叔父十一も、同じ太田興業だったから、
(当時叔父は21歳)、
ぜったい叔父のことは知っていたはず。

だからこそ、
友さんは,私たちに、
タカさんを
会わせたかったのでしょう。


今回、最初に訪れたタモガンに住む
「山田部隊ミンタル会」の堺幸一さんが、
今回の一番の情報通で、
友さんはこの方を、
一番当てにしておられたのに、
今年亡くなっていて、
当てが外れてしまいました。

友さんは後で、しきりに、「急がないと!」。
日本国内でも、
戦争体験者は、僅かになってきて、
とりわけ、現地は、きびしい。
私たちも、調査時には、
是非ご一緒したいと強く思いました。



po40
三つ目は、
マノンゴルのMCLの
スカラシップの子どもたち!


一つの家族、笑顔、その声、合唱は、
「よくぞ来てくれた!」
「私たちは、うれしいよ」という歓びを一つにして、
私たに、大歓迎を届けてくれました。

賛歌は、まるで、笑顔の弾丸が、
私をぶち抜くがごとく、
凛凛と、滔々と、延々と 熱く熱く、
私を打ちつづけました。

この子ら、一人ひとりは、
過酷な、想像を絶する境遇を背負って、
今、ここに、
安堵の喜びを爆発させているのだ。
皮膚の色、顔かたち、背負ったもの、
宗教の違いを超えて!

私は、今、
まさに人間の尊厳が輝いていると、
涙しました。

叔父十一たち、
この地で無念に果てた
一人ひとりの命の魂の、
これは、歓びと大歓迎なのだ!

私は、
胸が詰まって痛く、
涙は流れ続けました。


同時に、4っつ目は、
松居友さんの「やっていること」が、
究極、「こういうことかあ」と
笑顔の大合唱で気づきました。
心底、すげーことを、したはるんや、
あの穏やかさで。

「人間の尊厳を踏みにじる場が
『人間の戦場』である(広河隆一)」ならMCLは、
「人間の尊厳が輝く
人間の幸せと希望の場所」であると。

(子どもたちとスタッフのメンバーと
梓さんと友さんへの尊敬と、元気を願って)

終わりに、私たちは、
「小学生のスカラシップ」を、
支援させていただきます。

これも、叔父十一の遺志です。
叔父の遺族年金を充てます。

私たちの「慰霊と出会いの旅」を
ありがとうございました。

2015年12月11日(金)朝


po41
山の村
キアタウの下の
川の洞窟


写真は、山の村
キアタウの下の川の洞窟。
日本の兵隊が
沢山隠れていた場所で、

この洞窟が
玉砕した場所だった。

MCLの奨学生が
沢山いる地域。
実は、ぼくの叔父、父の兄も
フィリピンのルソン島で戦死していて、

なぜかミンダナオにいると、
しばしばその叔父の事を
思い浮かべる。

会ったことはないのだけれど、
父の話に聞くところでは、
性格も良く勉強も出来て
医師になった。

ところが
世界大戦が勃発して、
軍医としてフィリピンに
派遣されたけれども、

スペイン語も出来て、
現地の女性たちに
もてたそうだ。

ぼくが思うのは、
その叔父が戦争で
ジャングルを巡りながら、

おそらく現地の
子どもたちにも
出会ったに違いなく、

こちらの明るい
子どもたちを見ながら、

なんでこんな馬鹿げた戦争を
しなければならないのだろう、
と思ったに
違いないと言う事だ。

ぼくが、ミンダナオ子ども図書館を
はじめたきっかけは、
イスラム地域での戦争で、
100万を超す避難民が出ていて、

特に子どもたちの笑顔が
消えてしまっ ていることに
心を痛めたからだったが、

ミンダナオ子ども図書館の
活動を始めてから、
しばしばその叔父のことを
考えるようになった。

死んだ叔父が
ぼくの前に立ち、
この仕事を導いているような
気がする時があるのだ。



po42
慰霊に訪れた
山本御兄弟


写真は、今回ミンダナオで
亡くなられたおじさまを
慰霊に訪れた山本御兄弟。

70歳代前後のお二人は、
おじさんが戦前に
ダバオでマニラ麻を作っていた
太田興業に所属されていた。

しかし、世界大戦が勃発。
徴兵されて日本軍とともに、
カリナンの奥のタモガンのジャングルに
逃げこんで亡くなられ、

その慰霊のために、
お二人は来られた。

現地でマノボ族と
平和に暮らしていた人たちは、
戦争を複雑にとらえていた人が
多いと聞く。

おそらく
山本さんのおじさんも、
同じ思いだったのでは
ないだろうか。

ミンダナオ子ども図書館の
スタッフのジケロくんも、
おじいさんが太田興業の関係で
カリナンでマニラ麻を栽培していた。

しかし、戦争になり、
おじいさんは戦争を避けて、
まだ小さな彼のお父さんを
背中におんぶして、

バゴボ族の妻と一緒に
ジャングルのなかを
逃げまわったという。

ミンダナオ子ども図書館の
奨学生には、
そうした
日系人の子たちも多い。

彼らは、ジャングルに逃げた後、
自分が日本人の末裔であることを
ひた隠しにして、
先住民として生き延びた。

ぼくも、ときどき耳元で
そっと声をかけられることがある。
「実は、わたしのお祖父さんは、
日本人・・・」



po43
初代市長の
末裔だった


図書館の敷地内には、
アポ山の噴火で飛ばされてきた
火山弾とおもわれる
大きな岩があるけれども、

いぜんから
村人はそのなかには
妖精がすんでいると
語ってきた。

とりわけ夕刻に、
その岩のそばを
とおるときには、

岩にむかって
声をかけるのが習慣だ。
「ちょっと、ごめんなさいね、
通してね・・・。」

その岩は、
妖精たちの
家だといわれているし、
なにか気配をかんじるのだろう。

ミンダナオ子ども図書館の
土地をゆずってくださったのは、
お隣さんのインカルさんだ。

インカルさんは、
理事をやってくださっていたが、
亡くなられた。

お父さんが、
初代のキダパワン市の市長で、
マノボ族の酋長だった。


po44
キダパワンには、
マノボ族しか
すんでおらず


そのころキダパワンには、
マノボ族しかすんでおらず、
ミンダナオ子ども図書館のある場所が、
神聖な中心地で、

ある特別な日になると、
敷地内の妖精の家とよばれている
岩のまわりに
亡くなった先祖たちがあつまって、
集会を開くのだとおしえてもらった。

インカルさんを中心とした
マノボ族は、
けっきょくそのご自給地を奪われ、
山のおくへとうつっていった。

ただし、インカルさんのお孫さんたちや、
親族たちは、貧しいけれども
川のふちに家をたてて
今でも何とか暮らしている。

子どもたちも
三食たべられなかったりするので、
ミンダナオ子ども図書館でご飯を
食べられるようにしてあげているし、

何人かは
スカラシップをあたえて、
大学までいけるように
してあげている。


po45
男の子が、
バナナをしょって


驚いたのは、
はるか遠い山のなかの
村のはずれを歩いていたら、
一人の男の子が、
バナナを袋に入れた
重い荷物をしょってやってきた。

なかなか、すがすがしく、
良い顔をしているのでたずねると、
学校にいくために
がんばっているのだという。

「名前は?」
「インカル。」
びっくりした、
初代市長の末裔だった。

その出会いがきっかけで、
彼は奨学生になった。
いま彼は、高校生だ。
いつか市長になってくれたら、
いいのになあ。
 



po46
野菜売りの少女の
家をたずねた


今回は、
訪問者とダバオの
画家が同行した。


大雨の中を、
びしょ濡れになって川を渡る。


家は、
川向こうに建っている。 


妹のビビが、
野菜売りをしている。

以前の
ジョイジョイそっくり!

お姉さんのインダイ
次女ギンギンもいた。
すっかり大きくなって、
年頃の少女!

でも、
仕事が無くて困っている。
何か、
考えてあげなければ!


小さかったインダイ(手前)と
ギンギン(向こう)
パイナップルを
プレゼントしてくれた。

滑る中を
パイナップルをもって
登っていく・・・



po47
カリナンの
市場に行った
 


日系人がたくさんいることで
有名な、
カリナンの市場に行った。

今、
「野菜売りの少女」のお話を
何とか本にしたいと思っている。

山菜売りの少女 
物語と
松居陽制作の映像へは、
以下をクリックしてください!
山菜売りの少女へGO!

画家にとっても、
実際に現地に行くと
気持ちがぜんぜん違ってくる。

ミンダナオの食卓は、
日本の食事と根底がにている。
たくさんの干物。
塩っ辛いけど、ご飯が進む。

塩辛に沖縄と同じ
ゴーヤチャンプルもある。
おいしさの秘訣は、
下味づくりだ。

ショウガ、ニンニク、
小さなタマネギ
香辛料の草を細かく刻んで
下味を作り、

それをだしにして、
魚の煮物
肉料理の味付け
スープのだしにする。

軽く酢で締めた
刺身もたべる。



po48
わたしの
少女時代の思い出から
 
エープリルリン

妻、エープリルリンが書いた、
自分の幼いころの事の一部を、
本人の希望と了解でここにのせます。
いま彼女は、
自分の人生を書き始めています。


1985年4月20日、
わたしは兎口で生まれた。
5人兄弟姉妹の2番目。

わたしが生まれても、母さんは、
わたしを自分の子どもと
思ってくれなかったし、
何の世話もしてくれなかった。

おばさんが、
めんどうを見てくれただけ。

普通とちがう顔で生まれたから、
それからあとの人生でも、
さんざんいじめられて育った。

でも、恥ずかしいとは思わなかった。
それどころか
兎口で生まれたことを
誇りにおもった。

兄弟姉妹のなかでも、
ユニークな顔立ちだから。
しかし、
思った以上に人生はきびしく、
そう簡単ではなかった。

「なぜ、
わたしの顔はこんななの?」
「なんで、
こんな顔になってしまったの?」


po49
あっちへ、いけ!

五歳になると、母さんが
わたしを嫌っているのがよくわかった。
母はわたしと目をあわせたくなかったし、
わたしが抱きつくと叫んだ。
「あっちへ、いけ!」

母がやってくると、わたしは、
あえて台所で働いたり、
井戸から水をくんだりした。

いつもの習慣で
母がお酒を飲んだときは、
なんの過ちもしていないのに怒鳴られた。
母は洗濯女で、父は農夫。

山から父は、
月に1度か2度しか家に帰らず、
母はまいにち夜おそく家にもどり、
それからあとは飲んでいた。

小さいころから
母さんをよろこばせ、
家族を助けるために家事をしたから、
料理はじょうず。

でも、
ほかの子たちと
遊ぶひまはなかった。

わたしたちは、
海のそばにすんでいた。
だから、貝をみつけて
おいしいスープも作った。

母さんは、
朝早く5時には起きて
頭をかかえると
「いたい、いたい」とうめいていた。


po50
あんた、
娘を殺すつもり!


その日、
わたしは前日食べた貝のせいか、
ぜんそくの発作で
起きられなかった。

すると、母さんは、
わたしのところに来て怒っていった。
「起きなさい!まだ寝ているの!
はやく、起きなさい!」

母さんは、わたしをつかむと、
家の入りぐちまで押しやって、
外になげだそうとした。

わたしは、あわてて、
母の服をつかんだ。
それを見たおとなりさんが、
すかさずさけんだ。
「自分のむすめに
何ということをしているの!
頭がおかしいんじゃない!
あんた、娘を殺すつもり!」

おおきな叫び声に、
隣近所のひとたちが、家からでてきた。
それを見て、母さんは、
わたしを外においたままドアを閉めた。

その後、おばがわたしを引き取って、
数ヶ月そこですごした。
そのごも、親戚から親戚へと
たらい回しに回されて、
一年たって家へもどった。

わたしは、小学校に
行きたくてしょうがなかった。
一年生になれることに、興奮していた。
友だちには、クラスメートになる子もいた。

でも、予想したとおり、
彼らは、わたしを「兎口!」といって、ばかにした。
それでも、わたしはそれを受け入れて、
かえって勉強に精をだしたので、
クラスでトップになった。

でも、両親は、
表彰式の日にはこなかった。
わたしがクラスでトップになって、
授賞式の日がいつか、知っていたのに。

下の妹がわたしを呼んで、
人混みのなかを
いっしょに両親を探したけれど、
どこにもいなかった。

しかたなく、わたしは
ひとりステージに立ち、
リボンとメダルを受けとった。
涙がほおを伝わって流れるのを感じた。


po51
母は
家を出ていった


家に帰ると、
家のなかの様子がおかしくて、
そっとカバンとメダルをテーブルにおくと、
バケツを持って水くみにいこうときめた。

そとにでて、
家の扉をしめようとしたとき、
父にあった。
父は、わたしを家におしもどした。

中にはいると、
メダルとリボンは、
めちゃくちゃになりこわされていた。
わたしは、泣いた。

その夜、
母は弟と妹をつれると家を出ていった。
姉は祖母のところにいき、
わたしは、下の妹と残された。

その後、父も友だちと仕事をさがして
どこか遠くへ行ってしまい、
わたしは下の妹と
叔母の家に住むことになった。


下の写真は、
父親が亡くなって奨学生になった
イスラムの戦闘地の少女と
いっしょのエープリルリン。

いま彼女は、
MCLのプレシデント。
彼女が、採用の決定をします。

しかし、まだ支援者がないのに
奨学生として見捨てられないので
採用して学校にいかせてあげているこが
180人もまっています。

皆さん、
第二の親になってあげてください。
支援方法は、以下のサイトから・・
http://www.edit.ne.jp/
~mindanao/siennhouhou.htm



po52
I was born
with a harelip


On April 20, 1985, I was born with a harelip.
I am the second child among 5 siblings.
Since, I was born my mother did not like me as her child.
She did not want to take care of me instead,
my aunt who take care of me.

I`ll grow up with full of teasing
because of my physical appearance,
despite my appearance I do not feel shy,
I am proud of become harelip
because I feel I am unique among of them,
but it is not an easy as I thought,
It is hard enough fo me. Sometimes,
I ask "Why I am like this?"
" Why it happened to me?"

The age of 5,
I cannot deny that my mother hate me,
she doesn`t want to see me
if I try to hug her she shouted of me.
"Go away! she said. If I saw her coming,
I'll rather than make myself busy helping
in the kitchen or get water from the deep well.
I always scolded by my mother with or without
mistake especially when she was drunk,
it is a daily routine. I do all chores in our home.

My mother is a laundry woman and my father is
a farmer once or twice in a month he came back home
while my mother returned home late at the night
and some other time that she was drunk.
Even in my age I work hard to help my family
I already know how to cook just for our meal.
have no time for playing together with other children
because I always thinking on how to make my mother happy.
We lived near in the seashore,
so, it is easy for me to find a shell to make soup for viand.

Early in the morning at 5:00 am she woke up
and touching her head "I had my head ached" she murmured.
I was not able to wake up that morning
because my asthma was attacked at that night.
She rushed towards me
" wake up...wake up..why you still sleeping here?"
in a roaring voice.

I was caught by her and she pushed me into the doorway,
exactly she threw me, I quick touched her clothes, suddenly,
our relative neighbor`s saw the event
" What are you doing to your own daughter? are you crazy?
Do you want to kill her? ”neighbor`s loud voice.
The overflowing terrific voice
catches the attention of our neighbor
and one by one they came out from their house
and that time my mother put me down and closed the door.

Because of that event my aunt took me to their house
temporarily stay there for a couple of months,
I move from one relative to another relative
until almost a year then I go back home.

I am so excited going to school in frist grade,
I meet many children, some of them become my classmate.
As I expected they teasing me "BUNGI" in Bisaya dialect
notwithstanding for teasing me I pursuing my studies
and become a first honor of our class.

The time of our recognition day giving awards to those pupils
who got an excellent in their class.
My parents did not go there
even though they knew that I am a first honor.
I heard my name calling by the Emcee,
I look side by side in the crowded people to find my parents
but no one there,
I came to the stage alone and received my ribbons and medals
and I notice my tears flowing in my cheek.

I came back home, I found that they cruel
and I slowly put my bag and my medals on the table
and I pick up a container to get water in the pump
when I close to our house I met my father
and he pushed me into the house.
I have nothing to do but just crying and
I found out that the lace of my medals and my ribbons
scattered and cut into pieces.

At that night my mother gone away, she went to her godparents
and few days after, she took my brother and sister,
I left and my two sisters in the house and then,
my father gone away too.
He joins his friend to find a job far from us so,
our relative get us and stay their house.
A week after, my grandparents come and take my eldest sister
I left with my sister in my aunt.



わたしの少女時代の
想い出から
松居 エープリルリン   
Go!

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ミンダナオ子ども図書館だより 宮木あずさ制作
現地日本人スタッフによる、
写真を交えた最新の活動報告です!
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
訪問等でMCLと出会った若者たちの想いです!
ミンダナオ子ども図書館:日記 松居友制作
松居友による活動報告および
製作映像や想いを載せた自由日記です!
ミンダナオ子ども図書館 支援方法
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会計報告
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日本の子ども ミンダナオの子ども
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機関誌『ミンダナオの風』若者たちの想い!
無題3 松居 陽
無題3:松居陽
イクメンに 未来をたくせそう! 
イクメンに未来をたくせそう!
2021年 今後のMCL 
今後の活動指針
 愛に捧ぐ黙想 松居 陽
愛に捧ぐ黙想:松居陽
ぼくの少年時代と 思春期から   
ほくの少年時代と思春期から
子育てよりも、子育つ世界!  
子育てよりも、子育つ世界!
講演、公演の予定表など 
講演、公演の予定表など
メールニュース 希望! 
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原住民、イスラム、クリスチャン 私たちは一つの家族!
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MCLを知っていただくために、多くの映像のなかから選びました。
  
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海の下宿小屋に! 
海の下宿小屋に
奨学生を決定に山へ!
奨学生決定に山へ
酋長の依頼で! 読み語りに!
酋長の依頼で
地震の悲しみで お父さんが!
地震の悲しみでお父さんが
アポ山へGo!
アポ山へGO!
地震避難民の 救済と読み語り! 
地震避難民の救済と読み語り
イスラム避難民の 救済支援! 
イスラム避難民の救済支援
ウイルス期間に 洪水が襲った!
 洪水が襲った
 イスラム湿原に 保育所を建てた!
イスラム湿原に保育所を建てた
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土地を追われるマノボ族
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サンタマリアの海辺で遊ぶ子ども
クリスチャンの文化祭 ビサヤデー!
クリスチャンの文化祭
イスラムの文化祭 ムスリムデー!
イスラムの文化祭
原住民の文化祭 マノボデー!
原住民の文化祭
戦争と平和
戦争と平和
洪水と植林活動
洪水と植林活動
平和構築と学校建設
平和構築と学校建設
ミンダナオ子ども図書館の 日常から
ミンダナオ子ども図書館の日常
総合活動報告の 記録映像
総合活動報告の記録映像
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海の下宿小屋
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テレビ東京なぜここに日本人
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池上彰の番組、パックン
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NHK国際放送
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