国際交友の抜粋記録
2010年のサイトから



MCLジャパンの出発

いよいよ、ミンダナオ子ども図書館の日本事務局が、
本格的に立ち上がるめどが見えてきました。
すでに5年前、北九州で発足していた
ミンダナオ支援;Mの会・・・
お年寄りも子どもたちも、そして若者たちも。
個人会社の社長さんから大きな会社の経営者、塾の先生、
コンピュータの専門家、そして多くのボランティアの方々・・・
仏教の住職さんや神父さん(ベトナム人、フランス人、日本人)
皆さん方が、ボランティアの手弁当で関わり作り上げてきたMの会。
(Mの会は、特定の宗教や宗派にこだわらない会です)
繰り返しMCLにも訪れ、心から子どもたちを愛し、
愛されている庶民の方々。
そこから、日本事務局が立ち上がりました。
名前も、MCLジャパン
アジアへの玄関口、小倉に本部を置き、
庶民的感覚を生かしながら和気あいあいと出発します。
NPO法人化も、意外と早く軌道に乗せることが出来そうです。
独自の企画も考えています。
とりあえずメンバーの一部をご紹介します。
全員の写真はまだありませんが、
藤瀬さん、山本幸子さん、小田崎さん、おいたてさん、井本さん・・・
理事を含めた構成は、NPO法人化の進行と共にお伝えします。



MCLジャパンを強力に支える
ミンダナオ支援Mの会婦人会

葉書の発送を手伝ってくださる方々
行橋カトリック教会の主任司祭、
フランス人のベリオン・ルイ神父様を囲む
婦人会の方々。
それから、ミンダナオ子ども図書館に
来られた経験もある、
行橋カトリック幼稚園の先生方も
支えてくださいます。


長崎巡礼の旅



追悼そして復活

昨年から今年の復活祭までに亡くなった、
思い出深い人々。
いつもやさしく、死の床でも、
枕元に奨学生の写真や手紙を置き
「あの子、どうしているかしら」
とおっしゃっていた、

土谷美知子さん。


 
松居 友 さま

美知子は、いつもミンダナオの子供たちに
元気をもらって生きてきました、
2008、6、25日、肺がんが見つかり、
「ミンダナオの風」を枕元に重ね
何度も読み返したり、
山奥から私たちに会いに来てくれた後、
帰りにすごい雨が降ってきて
無事にちゃんと家に帰れたのかなとか、
すごい石だらけの道、
大丈夫だったかしらとか、
赤ちゃんは大きくなっただろうね、
見てみたいななどといっていましたし、
ミンダナオの思い出を語りながら
とうとう8月23日逝去いたしました。
生前、故土谷美知子に寄せていただきました



皆様のご厚情に対し心より
御礼申し上げます。
有難うございました。
残された、私どもも、
故人同様のお付き合いをいただき、
ご指導をいただけますことを
お願い申し上げます。

  
                  土谷 登喜夫


土谷美知子さんに、
支援してもらって卒業したマリベールは、
その死を知って激しく泣いた。
彼女は、2009-10年度の
ミンダナオ子ども図書館のプレシデント。
温厚な性格ながら芯は強く、
最も難しい時期を乗り切ってくれた。
奨学生全員の事を良く把握しており、
今年から、最も重要な
スカラシップセクションのリーダを
スタッフたちの満場一致で選ばれた。
大学の時に、
妻子ある男性にだまされて妊娠。
お父さんは、牧師の職を
捨てることを余儀なくされた。
会った当時は、ホウキを売って生活していた。
極貧のマノボ族。
今は、農業スタッフのトト君と結婚して、
一児(男の子)をもうけた。
最初の娘、サンシャインも元気で、
今は保育園。
本当に可愛い子。
みんなで育てているので、ご心配なく。



懐かしい多湖さん


日本にイスラムの踊りの公演に
行ったときのもの

ノルハナさんやアスレーさん
イスラム教徒の若者たちを
支援してくださっていた
大阪の多湖さんご夫妻
ご主人が亡くなった。
2008年3月、大学を退職。
2008年12月にすい臓がんがみつかり、
その後抗がん剤治療で
1年余りの闘病生活の後、
2009年12月27日に帰天。
大学教員としての研究、講義と平行して、
「正義と平和」活動に心血を注いでいた。
奥様の敬子さんは、
正紀さんの意志を継いで 
Sarah Rumiko Miyashiro さんと 
hannah Yumiko Miyashiro さんの支援を
続けていきたいと思っている。
ミンダナオ子ども図書館を心から愛して
これからの出会いが楽しみだったのに・・・
ミンダナオにこられたら、
子どもたちはどんなに喜んだことだろう
子ども好きのご本人の
笑顔を思い浮かべると
残念でならない。
アスレーさんは、何と、
上のマリベールさんを継いで
2010年からのプレシデントで、
活動を始めた。
奇しくも、彼女のお父さんは、
イスラム教徒のオスタージュで
ピキット現地のNGO活動も推進。
MCLのボードメンバーだったが、去年他界。
その悲しみから立ち上がるように
アスレーさんは、MIFLとMNLFなどの
狭間に立ちながら
正義と平和のために活動を開始している。



懐かしい、小野智子さん

もうお一人、思い浮かぶのは、
小野智子さん。
軽井沢の一画から、いつも葉書をくださった。
どこに住んでいらっしゃるのかは
わからないが、
カトリックの教会に属していらして
病気がちで、
裕福ではない事は良くわかった。
卒業するジミー・マリンバくんを
長く支援してくださっていた。
(右の写真は、今回のシンポジウムで
発表しているジミー君
すでに30代だが、マノボ族で極貧の家庭。
仕事を見つけて結婚し、
家庭を作ることを夢見ている。
結婚相手は、相手は、スカラーのMさん。
27歳で、今度大学に。
父親の子を産まざるを得なかった子だが、
ジミー君の明るさで・・・・・)
小野さんのお手紙には、
いつも、懐かしいミンダナオ。
わたしは、子ども時代、
ミンダナオで育ちました。
懐かしい、懐かしい。
出来ればそちらで暮らしたい。
でも、病気もありますし、
もう本当に年ですから。
ミンダナオの様子を教えてください。
ジミー君によろしく。
ダバオのカリナンで育たれたのだろうか?
戦争と同時に日本に帰られたのだろうか?
病床にあっても、死の床にあっても、
お葉書が届いた。
亡くなられて、娘さんから手紙が来た。
母が、ミンダナオの子を
支援しているなんて、
ぜんぜん知りませんでした。
遺品のなかからわかって・・・・
経済的には、豊かではないし、
どうしようかと思ったのですが、
私が引き継いで支援することにしました。
小野智子さんは、亡くなられて自由に
ミンダナオのなつかしい地を、
ソロイソロイ(散歩)しているような気がする。





夢ポッケが届いた!
立正佼成会の送る、
手作りの学用品支援、
夢ポッケが届いた。
去年始まった、夢ポッケ支援。
今年も、40名あまりの子どもと親が、
ミンダナオ子ども図書館を訪れる。
ただし、3月に予定されていたのを、8月に変更。
理由は、現在の総選挙に関連する
政情が不安定なためだ。
平和の祈りも、8日の第2日曜日になるだろう。

村に入ったところで、コンテナトラックが立ち往生した。
電線が低くて、これ以上先に行けないと言う。
そこで、みんなで取りに行った。
大きなコンテナが止まっている・・・
開けてビックリ!

夢ポッケとは、立正佼成会が
世界の貧しい戦闘に影響された
子たちの元へ届けている、

学用品とおもちゃが入った
手縫いの巾着ぶくろだ。
去年も、イスラム地域やマノボ地域の
多くの子どもたちにあげて
とても喜ばれた。
とりわけ、年一回、
30名ほどの親子が来て
直接貧しい村を訪ね、
子どもたちの手で夢ポッケを渡す。

この企画は、互いの宗派を尊重しつつ、
救ってやろうと大仰に構えるのではなく、
愛するものを救うことによって
自らが救われるという心を子どもに伝えている。
小学校時代の恩師、
無着成恭先生がおっしゃった言葉が
心によみがえる。
「友くん、君はクリスチャンだから、
人に何かを施すことを
寄付と考えているかもしれんが、
仏教では、施しは寄付ではなく喜捨という。
喜んで捨てるのは、人に施すことによって
自分の煩悩を喜んで捨てる。
喜んで捨てますので、
どうか私を救ってください。

つまり、施すことによって、
救うのではなく、
救ってもらうのだよ。
だから、タイでは、
お坊さんに喜捨するときは、
お坊さんの方が立っていて
与えるものの方が
身を低くする・・・」

無着先生は、曹洞宗だが、
夢ポッケにも
仏陀の教えが生きている。
ぼくは、カトリックだけれど、
結構仏教が好きで、
寺院で拝むのも抵抗ない。
お稲荷さんも好きだけどね・・・
早速みんなで夢ポッケを、
ミンダナオ子ども図書館
まで運んだ。
夢ポッケの到着も
さることながら、
子どもたちは
8月に日本の友だち
たちが訪れて
共に平和の祈りを
開催できるのを
心から楽しみにしている。




IMT国際停戦監視団の方々を
ブアラン小学校に案内する
久々に、ミンダナオで
国際停戦監視団が動きはじめた。
マレーシア、インドネシアそして日本からは
菊地智徳さんが紛争調停に参加。
「また、国際停戦監視団が
動きはじめることになったんですよ。
今、コタバトです。」
菊地さんからお電話をいただいた。
「お目にかかりたいですね。
お話ししたいこともあるし・・・」
「こちらも現状を知りたいですね。
サイトはいつもチェックしているけど、
書けないこともあるでしょうから・・・」
そんなわけで、先日コタバトでお会いした。
以前から懸案の、戦闘地域、
しじゅう子どもたちが避難民化している
ブアラン小学校のお話をした。
2000年2002年の戦闘で、
壁には砲弾の痕があり、
教室内部もコンクリートが禿げている。
骨組みもガタが来て、
屋根がいつ落ちるかわからない。
それから数日後、再び電話があり
「ブアランの小学校を見たいのですが・・・」
この地域の子どもたちは、もう十数年、
絶え間なく避難民状態をくり返している。
700名登録されている現地の子どもたち。
本当は土地はここにあり、
畑を耕してもいるのだけれど、家は焼かれ、
小学校も絶えず休校になるので、
遠い小学校に越境している子たち
学業を停止している子たちもいて
400名しか来ていない。
一昨年建てたマカブアルの
小学校の場合もそうだけれども、
学校が建って生徒数が200名から
400名以上になった。
1年2年の就学率が、倍になり、
このまま数年後には1000名を超えるだろう。
教育は、現地に安心と安らぎを生みだす。
反政府勢力の拠点の1つだが、
反政府勢力の人々も一般住民であり
自分たちの子どもたちが、
教育を受けられる美しい施設を
そうやすやすと破壊はしない。
戦闘で、どちらの砲弾が
教室を破壊したのだろうか???
先生曰く、
「このあたりの学校の子どもたちは、
MILF軍が入ってきても逃げないけれど、
政府軍が入ってくると、一目散に逃げるんですよ」


小学校の校長先生から
学校の経緯を聞く菊地氏
今回は、ハイエースに、
菊地氏の他、マレーシア軍の方々、
そして国軍とMILF側の方々が同行された。
朝日新聞の脇阪記者も・・・
ブアラン村に入ると、道ばたの粗末な家々から、
貧しい人々や子どもたちが、
私の顔を見て、うれしそうに
手を振っているのを見て驚いたようだった。
マレーシア軍の方々や国軍の方々からも、
「どんな活動をしているのですか。
何年になるのですか?」
等、いろいろ質問を受けた。
特別なことは、何もしていないのだけれど。
この地には奨学生も多くいて、
避難民の時の苦労を知っているから、
それ故にさらに可愛い。
子どもたちの一人に言った。
「あの人たち、日本政府から来ていて、
学校を建ててくれるかもしれないんだよ」
「本当・・・・?」絶句



立正佼成会の
親子ボランティア隊、訪問記
日本の若者たちと、
ミンダナオ子ども図書館の若者たちの感動の出会いと、
思いに残った現地体験の日々
今回は、外務省の都合で、北コタバト州に入れず、
ダバオ州のパラダイスビーチで出会う事になった。
ミンダナオ子ども図書館のあるキダパワンは、
北コタバト州に属しているが、
領域的には、クリスチャン地域に属していて、
安全だといわれている。
(マニラやダバオと言った都市よりは、
はるかに安全だと思うのだが・・・)
だが、行政地図による杓子定規な判断では、
細かいことは、言えなくなる。
ミンダナオ子ども図書館で、寝食を共にすると言う、
最高の経験が出来なくなったのは残念だが
私たちは、活動範囲がミンダナオ全域を許可されており、
ダバオ地域でも日々活動しているので、まったく問題は無く
かえって興味深い計画を実現できた。

立正佼成会のこの企画は、今回が二度目。
戦闘で疲弊した貧困地域の子どもたちを、
日本の子どもたちが直接訪れ
心を込めて用意した「夢ポッケ」を渡す。
若者どうしの交流を重視している
ミンダナオ子ども図書館にとっても、
日本の子どもたちにとっても、
例年すばらしい体験を保証してくれる。



(初日)
マイパラダイスの浜での出会いと交流
マイパラダイスの浜は、
外国人に有名なサマール島の
パラダイスビーチとは異なっていて
庶民の隠れた海水浴場で、
私たちは、みんなで時々訪れる。
どんなにインターネットでリサーチしても、
ここを見つけるのは難しいだろう。
白い珊瑚の浜で、
ダバオから離れているので水もきれいだ。

新しい子どもたちは、
海で泳げると聞いただけで、
有頂天で夜も眠れなかった。
日本の友達に会うことも楽しみだが、
生まれてから一度も「海」を
見たことも無い子たちだから。
貧困地域のマノボ族の子たちなどは、
山の下の小さな町に出ることすら、
滅多にないことで
(歩いて行ける場所にしか、
お金がないから、出て行けない)
海などは、話で聞いただけの、
おとぎ話の世界なのだ!
それだけに、いったん海に入ると、
何時間でも泳いで(つかって)いる。


浜辺での歓迎会
立正佼成会の子たちはピックアップで、
MCLの子たちは上の写真のジプニーで到着した。
MCLの子たちは、実に3時に起床、準備を開始。
5時には出発し、浜で昼食の準備をした。
翌日の平和の祈りなどは、
2時に起床して、準備を開始している。
誰に言われたのでもなく、自分たちで相談して、
いやな顔一つせずに、実行していく若者の力に感心する。
いつもなら、図書館でする歓迎会(ウエルカムパーティー)を、
今回は初めて浜でした。

最初は、ちょっと緊張していても、
MCLの子どもたちののびのびとした雰囲気に押されて
日本の子どもたちの顔も少しずつ代わっていく。
MCLの若者たちは、あっという間に、
日本の子たちに接近し、名前を覚え
共に海で泳ぐ頃には、互いの距離も消えていく。
最初に日本の子どもたちの顔を見たときには、
「なんと子どもらしくない、硬く孤独な顔をしているのか」と
私は、少し心配になったが、
最後に彼らの顔を見たときには、驚くべき事に、
ミンダナオの子どもたちと寸分違わない、
明るく、のびのびと解放された顔になっていた。
この変化は、私自身、驚きだった。


(第2日)
マノボの聖地
ラナコランで平和の祈り
MCLの若者たちが、祈りの踊りを披露
今回の平和の祈りは、ラナコラン村で行った。
私たちの奨学生がたくさんいる、
マノボ族の先祖伝来の土地として
保護された山岳地域。
長年ダバオに住んでいるドライバーも、
「いったいどこですか?」
4WDのピックアップで、どんどん山道を登っていく!
視界が開け、アポ山山麓の美しい風景が飛び込んでくる。
ラナコランについたときは、
その美しさにビックリ
遠く西に、アラカンから
イスラム地域のピキットまで見渡せる。
東は、アポ山からダバオが遙かに広がる。
そして、アポ山の北に位置するこの地域は、
マノボの聖地だ。
イスラム教徒、キリスト教徒の両地域を見渡す
中間の先住民族の聖地!
まさに、「平和の祈り」にぴったりの場所。

「平和の祈り」は、
2008年のピキットでの戦闘以来、
毎年かならず
ミンダナオ子ども図書館で実施している
プロジェクトの一つだ。
例年は、3月に実施。
今年は、立正佼成会の訪問が、
選挙の影響もあって8月に延期されたので
それにあわせて計画を延期して実行した。
イスラムの祈り、マノボ族の祈り、
クリスチャンの祈りに加えて、
立正佼成会は、仏教の祈りを
代表して下さるので、大歓迎だ!
どなたでも参加できますので、ご連絡ください。

祈りも、こちらでは踊りで表現する。
歌、言葉、踊り、
五体で全力で表現していくのが
こちらの特徴のように思える。」
この祈りの踊りも、
若者たちが自分たちで組み立てたものだ。


イスラムの祈り、マノボの祈り、移民系クリスチャンの祈り
今回の祈りは、
MCLの大学生の奨学生にお願いした。
イスラムの祈り マノボ族の祈り 移民系クリスチャンの祈り
小さな子たちも祈りを踊りで表現


今年から、
年齢の低い子たちが
ミンダナオ子ども図書館に増えた。
その結果、MCLがさらに
家庭的になったと同時に、
彼らも独自に祈りを表現。
全員がMCLに住んでいる。

立正佼成会の親子による平和の祈り
そして、いよいよクライマックス。
日本から訪問された
立正佼成会の仏教の祈り。
次期「教祖」さまも
娘さんと参加してお経を読まれた。
とても優しい方で、
母親のいない妻のエープリルリンを
我が子のように愛して下さった。
仏教の経典が、
山々の風景にゆっくりと溶け込んでいく。
子どもたちも、真剣に聞いている。
非常に厳かで良い感じだ。
現地の子たちにとっても、
このような体験が
平和を築く礎になると感じる。

この山岳地域は、
日本人にもゆかりの深い地域で、
日本人が戦前20万人も入植し、
先住民と結婚しながら、
平和に住んでいたダバオのカリナン
大戦が起こったときに、
カリナンに日本軍が陣を張り、
敗戦と共に、故郷に引き上げた者もいるが
多くの日本人が妻の家のある
この山岳地域に逃げ込んだ。
その後、そのまま日本国籍を隠して住み続けた。
私も、この山の領域で、時々、
祖父が日本人だったという人に会う。
どう見ても日本人の血が
流れていることがわかる人も多い。
MCLのスタッフ、
ジケロ君もその流れをくむ一人だが。

マノボ族の伝統的な踊りを
みんなで踊った
一連の祈りが終わった後、
みんなでマノボ族の踊りを踊った。
日本の人たちも、
私も加わって、みんなで踊った。

最後に平和の歌をみんなで唱った
夢ポッケをみんなに渡す
祈りが終わり、
日本の子どもたちが、
現地の子たちに一つずつ、
夢ポッケをわたす。
夢ポッケとは、
立正佼成会の信者の方々が、
心をこめて一つずつ作った
手縫いのバッグに
それぞれ思い思いの学用品や
おもちゃが入っている。
同じものを一斉に渡す、
いわゆる「支援」と異なっていて
一つ一つに渡す側の思いが
こもっていることがわかる。
引っ張り出して、それぞれ違うおもちゃに
大喜びしあう子どもたちの顔を
見るのは楽しみの一つだ。

 
現地の子どもたちは、夢ポッケを胸に抱いて、
美しい風景の中、自分たちの貧しい集落に帰っていった
(第2日午後)
キアタウ集落で昼食と交流

午前中、ラナコランで平和の祈りを終えた後、
そこから30分ぐらいのキアタウ集落で昼食。
この集落とのおつきあいは長く、
たくさんの奨学生がこの集落から来ている。
彼らは、ここから7キロも歩いてラナコランの
小学校や高校に通わなければならないので
今、平和の祈りをしたラナコラン村に、
MCLで下宿小屋を建設している。
信じられないほどの美しい風景に、
立正佼成会の子どもたちもビックリ仰天。
しかも、この急坂を車で下っていくのに、
地元ダバオの4WDドライバーもビックリ仰天。
キアタウには、
諏訪俊子さんが寄贈された、保育所がある。


このキアタウは、
先祖伝来の土地として
保護されているのだが、
ごらんのように、
森林伐採によって
周囲に木がほとんど無い
昔はジャングルだったのだが
木材の多くは、
日本に輸出された。
ここで降る雨は、
保水力がないために
鉄砲水となって下り
その下流に位置する
ピキットの湿原に
流れ込み、
膨大な洪水被害を
毎年起こしている。
この問題を、日本政府として
解決できたら
どんなにすばらしいことだろう。
この山岳地域の森林復活
人々の生活の糧となる
ヤシやゴム、マンゴーなどの
林を作ること
こうした作業をMCLでも
行っていこうと
思っているが、
何しろ伐採地域が
アラカン全体に広がっていて
あまりにも広大で
小さなNGOだけでは、
手の施しようがない

地元の人々が食べる食事を、
みんなでいただく。
蒸しバナナ、カサバイモ、
貧しい食事だが、おいしくいただく。
現地の人々のためには、
普段食べられない、お米のご飯と
両方のために、豚の丸焼きを用意した。


キアタウには、さらにその下のケロハスからも、
親子が登ってきていた。
キアタウも貧しい集落だが、
ケロハスはもっと貧しい。
子どもたちの多くは、素足のままだ。
この周辺は、マノボ族の聖地と呼べる場所。
文明から切り離されているだけに、
なによりも、子どもたちが素朴で美しい。



立正佼成会の親たちががんばった、
紙芝居も大好評。
お父さんやお母さんの
奮闘している姿を見ている
娘や息子の姿も良かった。


子どもたちに夢ポッケを届けた


最後に、子どもたち全員に
「夢ポッケ」を届けた。
一人一人の親子の手から
心を込めて渡される贈り物に
子どもたちは、喜びを隠せない。

いつまでも手を振り続けて見送る、
裸足の子どもたち。
今度はここに、靴を届けよう。
(第3日)
プランテーションに追われた
カリナンの先住民族たち

カリナンは、
ミンダナオに関心がある人なら
必ず知っている土地で、
戦前まで、ここには約20万人の
日本人が住んで、おもにマニラ麻の栽培をしていた。
先住民族とも結婚し、
仲良く生活をしていたのだが、
大戦がすべてを破壊してしまい
多くの日本人は、山に逃げ、
そのまま先住民族として生活をした。
その2代目3代目に、
私たちはよく山の中で出会う。
プランテーションが、
先住民の土地を浸食していく過程で
反政府ゲリラ(NPA)として、
先住民や移民系のクリスチャンたちと共に
活動した(今もしている)日系人もけっこういるようだ。
これは実際にあって聞く話・・・・
大規模プランテーションに
土地を奪われていく過程は
先住民も移民系も同じで、
現地を見ていると気持ちは良く理解できる。
気持ちだけは・・・
MCLには、こうした地域から、
父親や親戚などが、
NPA、MILF、MNLFに所属していたり、
コマンダーだったりする子も多い。
皆普通の人たちで、現地の人々とも仲がよい。
もちろん、政府系に属している家族もいて
皆が、仲良く生活をしているのだから、おもしろい。


今回は、スタッフのマージーがよく頑張った。
初期からのスカラーで今はスタッフ。
日本政府との学校建設ODAの仕事なども
一手に引き受けて活躍する。


みんなで読み語りを展開

カリナンの郊外、
丘陵の山頂に広がるカホサヤン集落は、
今不幸に見舞われている。
アンセストラルドメイン(先祖伝来の土地)として
保護されているはずなのだが、
地元出身の有名テレビ牧師が、
「祈りの山のリゾート」という名目で
売買できないはずの土地を半ば強制的に奪い、
外国人向けのリゾートを開発し始めた。
マノボの首領は、殺害いされ、妻も子も足などを撃たれた。
今も、夜に来ては、5000ペソ出すから出て行けと脅される。


有力政治家も
からんでいるだけに、
皆怖がって表に言えない。
立正佼成会の某さんの願いで、
殺された首領の子をふくめ、
この土地から
20名ほどの小学生を
MCLの奨学生に採用するが、
こうした事実を公にした私も
殺されるかもしれない。
医療プロジェクトの患者に
一回きりではなく、
地域の開放や発展に、
教育などを通して永続的に関わっていくためにも
医療は、第一のコンタクトプロジェクトとなる。
さらに、この地から30名ほどの
奨学生を里親として採用の予定。
ダバオに近く、文化的にも山岳地より
良いはずなのだけれども、
追い詰められ、貧困度は激しく、
小学校を卒業するのも大変な環境だ。


 
夢ポッケをもらってうれしそう
最後に夢ポッケを皆に届け、
子どもたちとみんなで、
「カゴメカゴメ」の遊技をして別れた。

そして別れの時が・・・
別れの情景については、
何も語るまい。
写真での子どもたちの姿が
すべてを語っている。
短い滞在なのに
こんなにも
心を通わせあえるなんて・・・
一生消えない
思い出を持って
また会う日を約束して・・・
ミンダナオの子どもたちも
日本の子どもたちも
同じ顔になっていた。
 

日本大使館から
ブアランの小学校建設;最終チェック

日本大使館から、
二人のフィリピン人スタッフが、
ブアランの小学校建設最終調査に来られた。
ブアランには、IMT(国政停戦監視団)の
菊池さん関係以外は、日本人は来られていない。
今回は、提出された書類に書かれている事の実地調査。
校長先生と村長さんなどが対応した。
ブアランは、絶え間ない戦闘にさらされてきた地域。
丘陵の下のイスラム地域と、丘の上のクリスチャン地域が激しく対立。
2008年の50万を超す避難民が出た戦闘もここから始まった。
下記に報告している、先日読み聞かせに行った村がクリスチャン地域。
両者は、対立してから長年交流が途絶えている。
わずか一キロ半を隔てる、山の上と下であるにもかかわらず・・・



マニラの日本大使館から来られた、
勇気ある若き二人のフィリピン人スタッフ、
ハナさんとマリアフェさん
次々と鋭い質問を繰り出す。
右は、奥が村長さん、
一人おいて手前が校長先生。
若く正義感が強く、エネルギッシュなやり手の先生。
手前がピキットDSWDのおなじみグレイスさん。
MCLのボードメンバーだ。



協議の後に、教室を視察。
2000年の戦闘で穴が開き痛んだ教室もさることながら
とりわけ1年生と2年生の多さに唖然。
マカブアルに、ODAで学校を作ったときもそうだったが、
学校が出来たという事で
避難民化していた多くの家族が、村に戻ってきた。
実数200人、登録500人でも、今は生徒の実数だけでも600名を超える。
5教室では足りなくて、教育省が2教室を付け足した。
友情が失われ、関係が閉ざされていた
クリスチャンの村とも交流が生まれてくるし
親戚のいる町や他村に逃げていた
家族たちも戻ってくるので、
戦闘が無ければ生徒数は数年で数倍になるだろう。
「一・二年は、2クラスづつにした方が良いですね。
どうせ作るのだったら、
いい加減なものにしないようがよいと思います。
早速、帰ったら提案してみましょう。」
子どもたちの現状を見て、お二人からうれしい言葉。



戦闘が再び
この地で起こらないようにするためには、
クリスチャン地域との閉ざされた関係を
再び構築しなければならない。
私たちは、下記に記した、クリスチャン集落へ読み語りに行き、
すでに関係を構築し始めている。
クリスチャン集落の子たちは、
恐れて下のブアランの小学校に通わない。
イスラムの子たちは、山の上を恐れて近寄らない。
かつてあった道は、雑草や木が生い茂る。
グレイスさんと私は、ピキット市に、
道路を再び整備する可能性に関して、要請と調査をした。
このことを村長さんに話すと。
「大人たちの感情的なしこりをとるのは、そう簡単ではないでしょう。
しかし、次世代を担う、子どもたちだったら出来るかもしれない」
避難民救済から保育所建設まで、
5年以上にわたって関係してきたブアラン。
村長さんも、心から信頼し、
尊敬できる方だと感じてきた。
さすが・・・と思った。
「先日、上のクリスチャン地域に読み語りに行き、
イスラム教徒の奨学生も同行し
アッラーの歌と、クリスチャンの歌と、マノボの歌を歌ったのですよ」
そう言うと、村長さんは、思わず微笑んだ。




支援者と共にアポ山へ

支援者の西村章さんと一緒に、スタッフのジケロ君、
大学生のララン君が、フィリピンの最高峰アポ山に登った。
キダパワン市は、アポ山へ登るための登山口として有名で、
登山名簿を見ると世界から登りに来ていることがわかる。
ただし、登るためには、市に登録し、ガイドをつける必要がある。
今回の市が選んだガイドは、
なんとMCLに奨学生応募をしてきた若者の弟だった。
キダパワン市は、日本の川崎市の姉妹都市でもあり、大学が7つほどあり、
その一つは州立大学、医療大学もあり、
CTスキャンもある総合病院が二つ、その他の病院も4つほどある
高原の学園都市のような存在なのだ。
もちろん、フィリピンのマクドナルドと呼ばれるジョリビーもある。
地域的には、ダバオよりのクリスチャンエリアで、
ここまでは戦闘もなく安全であると言われている。
(もちろん、ダバオやマニラより遙かに安全)
ただし、コタバト州の端に属しているので、日本政府の高度危険地域に入るが・・・


今回彼らがたどったのは、メインルート。
私がかつて下ったルート。
ここが一般的で、世界から来る人々は、ほぼこのルートをたどる。
これ以外に、より深い、バージンフォーレスト(原生林)を抜けるのが、
ご存じ、スカラーもいる、ウオーターフォールのルート。
そして、ニューイスラエルのルート、さらにアラカンルートもあり、
ただし、現地とつながりがあり、ガイドとポーターを知っている
(奨学生のお父さんだったりする)
ミンダナオ子ども図書館でなければ、アレンジできない地域だろう。
山自体は、3000メートル弱だが、裾野のジャングルがすばらしい。
アプローチを含めると、最低3泊は、山中でする。


下から仰ぐと、
単純な山に見えるが
登ってみると意外に
複雑な地形で
美しい山上の湖沼が
いくつもあったりして
峰も入り組んだ岩峰だ。
何しろ、手つかずの
自然がすばらしく
まさに原生林の中に
いる気配がある。
つまり、妖精たちが
たくさん今も
活動している地域なのだ。
なんとこれは
ブルーベリーの
食べ放題だ
山頂からは、
はるかダバオ湾が
見渡せる。絶景だ。
ああ、これぞミンダナオ
一度は経験すると
良いだろう。
登りたい方は
いつでもどうぞ
ガイドやポーターは、
貧しいマノボの人たちです。
山道を裸足で登ります。
村の活性化にもなるので
歓迎します。



ケロハスに松岡なつめ様寄贈の
保育所が出来た!!

ケロハスは、山深いマノボ族の集落。
深い谷を越え山をよじ登って到達する。
アラカンのこの地域は、本当に美しい場所だ。
緑の山々がつながり
遠くにアポ山が望まれ、ミンダナオの心臓部、
秘められた心の故郷を感じる。
もともと、マノボ族の故郷と言うべき地で、
今も、この山裾の広大な地域が
アンセストラル ドメイン(先祖伝来の土地)として保護されている。
下の平野の部分は、かなり移民系の人々の所有となっているが、
聖地だけは、守られている。
ただ、元々のジャングルは、ほとんど伐採によって失われた。
ここに大雨が降ると、川下のイスラム地域、
ピキットなどの湿原地帯に洪水が起こる。


保育所は、
この聖地の斜面にある
秘められたような小さな、
マノボ族の集落に建てられた。
首領の話では、ごく最近まで
ここは、反政府軍の
キャンプだったという。
今は、教育を通して、
村を立て直したい・・・
ここの子たちは、
ほとんど学校に行っていない
行っても、小学校4年
までの初等小学校
それ以上のクラスに行くには
10キロも先の学校に
通わなければならない。

当然、保育所もない
車の通る道も無いから
村人たちは、資材を
担ぎ馬に乗せて運び
保育所を自分たちの
手で建設した


看板を担ぎ上げているのは、
この村で唯一
高校を卒業した
ピティ ボウイ君
麓のファウスト神父の
奨学金で高校を卒業
今は、
ミンダナオ子ども図書館
の奨学生で
大学に通っている
学校の先生を
目指している好青年だ


保育所の建ったケロハスには、
谷を越えたこの小さな集落から出発する

ケロハス村には、この山麓の小さな村から歩き始めるか、
上の方のキアタウ村から歩き始める。
とにかく、徒歩で踏み痕道を歩き続けて到達する。
今回は、ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちとスタッフ、
25人あまりが開所式に参加するためにケロハスに向かった。
マノボ族、イスラム教徒、クリスチャンの奨学生たち・・・
麓の村から歩き始める。
ここには、バナナの農場があり、
ここまでは車で何とか近づける。
前方に、広大なミンダナオの高地が広がる。
このはるか先に、イスラム教徒のいるピキットがある。
素朴な小さな村は、本当に心が和む。
マノボ族の子どもたちが可愛い。
髪の毛が褐色になっているが、
これは自然な姿で、染めたわけでもない。


行く手の山は、私たちの奨学生たちがたくさんいる地域。
キアタウ、トマンディン、カヨパトンといった集落で、
ここから見える裾野に、すでに4つの保育所が建っている。
ケロハスの村も、実は、この山の裾にある。

行く手を深い谷が遮る
ケロハスの村は、この谷の向こう側だ

この雄大な裾野に、点々とマノボ集落が点在している。
写真で見にくいかもしれないが、
中腹の右端の方に小さな村があり、小学校と高校がある。
ところが、点在している集落からは、
10キロも道のりがあり、
なかなか子どもでは通いきれない。
ミンダナオ子ども図書館では、
各集落に保育所を建設してきたが、最後に、学校のある村に
河野さま一家の寄贈で、下宿小屋を建てることになった。
建設は7月から開始される。
そうすれば、ケロハスの子どもたちも、キアタウの子たちも、
下宿をしながら学校に通えることになる。
下宿は、キアタウの親たちが維持する。
キアタウの高校生の奨学生も手伝って・・・


平坦に見えた行く手が、
突然途切れて
目もくらむような
深い谷があらわれた。
この谷の向こう側に、
ケロハス集落があるのだ。
この山の中腹には、ケロハスのほかに、
キアタウやカヨパトンといった
マノボ族の集落が散らばっていて、
MCLの奨学生が、あちらこちらの村にいる
この地域は、本当に美しく、
私たちだけが近寄れる地域だ。


陸稲の
手入れをしている
子どもたち


この谷を渡って
さらに急な
崖を登る

想像以上に深い谷に愕然とする。
しかし、さすがにこちらの子たちだ、
奨学生たちは、靴を脱ぎ、裸足になって、
かけるように斜面を下っていく。
重い荷物にもへこたれることなく・・・?




こんな谷底にも
畑を作って、人が住んでいる
マノボ族の家族たちだ。
平坦な土地は、
土地所有が決まっていて
自分たちの自給地を
持つためには
こうした、人が
見向きもしないような場所に、
トウモロコシや陸稲を
植えなければならない



学校に通っていないが、
保育所が出来たら、
この子たちも
新しくたった
保育所に通うのだという
さらに小学校になったら、
MCLの奨学生に
採用しよう
今回のケロハス集落の保育所建設と案内役に、
キアタウの奨学生のお父さんたちが活躍した
お父さんと一緒に
うれしそうな奨学生



山岳地域もなれたもの
軽々と荷物を
運び上げていく


やっと目的の保育所が見えた!
正直に言って、
こんなに遠いとは
思わなかった
遠いというよりは、
谷を越えていく
急斜面の道のりは、
素晴らしかったが
思ったより厳しかった。
私は、二度目だが、
一度目は、上の方から
斜面を降りてこの村に来た。
それにしても、
キアタウを始め、
この地域の人々の
素朴さと風景の美しさは
絶品中の絶品。
アラカンには、イタリアの
ミラノ修道会が入り
イタリア人神父が数人いる。
彼らがこの地に引かれた
理由が良くわかる
マノボ族の美しい素朴さ
そして、
北イタリアの丘陵地帯に
よく似た風景
僕の秘密の
場所だったのだが・・・
キアタウ集落のお父さんたちから、
ここに、日本人を迎えられないだろうか・・・
と言う話が出た。
収入が少なく、土地を手放すマノボ族も多い、
観光?による地域興しが出来ないだろうか・・・
「うーん!セキュリティの問題は?」
「大丈夫、私たちが保証します。
この奥には、不思議な巨大な洞窟があり、
その奥に泳げる場所もある」
「?????」
私も一晩泊まったことがあるのだが、


開所式は、
マノボの歓迎の踊りから始まった

マノボ族の子たちの踊りは、本当に可愛らしい。
純粋なマノボの文化が残っている。
もちろん、観光客どころか、
外国人が来ることもほとんど(まったく)無いところだから、
観光用に踊りなどではない。
保育所が建設された喜びを、
伝統的な踊りで表現しているのだ。


こんな素晴らしいところで、
マノボの家に泊めてもらって
素朴な食事を共にして、
2,3日過ごしたら
心も体も、すっかり清らかな
元気を取り戻すだろう
精神的に病んでいる、
日本の若者や中高年に
こうした体験をさせて
あげたいとふっと思った。
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たちが
たくさんいる村だし。
スタッフも同行して、
2,3日マノボの村で過ごす
企画を立てたら、
皆さん来られますか???
セレモニーの後の読み語り

2年から、3年目に入った奨学生たち。
第2世代の読み語りが、素晴らしくなってきている。
しろいうさぎとくろいうさぎ、絵を見ただけで、物語が生まれて語る。
イスラム教徒の子も、マノボ族の子も、クリスチャンの子たちも・・・



こちらは、今年から
ミンダナオ子ども図書館に住み始めた、
第3世代の子たち。
ほとんどが、この地域から来た子たちだ。
新しい奨学生たちも、
先輩の読み語りを熱心に見ている



最後は、今や定番の
「おおきなかぶ」ならぬ
「おおきなカサバ芋」で終わる


うんとこしょ、どっこいしょ、
それでもカサバ芋は抜けません!

最後は、平和の歌を歌い、
大きなかぶならぬ、大きなカサバ芋の劇で終わる。
これは、本当に評判が良い。
おじいさんから孫、そして犬も猫もネズミも曳くが、
特に評判が良いのは、猿だ。
そんなの本にあったっけ?


村人たちも、
こどもたちも、
お話しを聞いて
パンを食べて
絵本を見て
遊んで・・・
満ち足りた半日が過ぎた
こうして、私たちと
村とのご縁が始まる。
ここから、来年は
さらに奨学生を採用し
彼らが村を育てていく。
急坂を下って帰路につく

この急坂を見て下さい!
そして風景の美しさと、
人々の暮らしの素朴さを!!!!!



私たちは、MCLの収入を求めて
スタディーツアー企画を立てたいとは思いませんが、
現地からの声もあり、
こうした村に数日滞在したいと言う希望の方があれば、
ご連絡下さい、ご紹介します。
生活方法もあらかじめお教えして、セキュリティも万全にして、
スタッフや時には私も同泊するような形で、
文明からかけ離れた黄金の日々を過ごしてみますか?





茨木ロータリーアクトによる
保育所が完成した!
場所は、ARMMイスラム自治区と呼ばれる地域で、
舟でしか通えないサパカン集落
リグアサン湿原地帯から、
約800人近い子どもたちが
小学校に通っている
度重なる戦闘の犠牲となり、
不幸な場所で、
国際的な支援もほとんど無い

私たちは、この集落に、
日本政府の力を借りて、
学校を建設出来ればと考えて
草の根無償資金に応募した。
保育所が出来て、
村長さんも村人達も大喜びだ!
読み語りのあとに、
開所式を行った
サパカンから、成績も良いのだが、貧困で
高校に進学できない子をスカラシップに一人採用した。
対岸のラジャムダの高校に通うことになった。
今後は、彼女がコンタクトパーソンになって
この地域の活動を手伝ってくれるだろう。
それ以外に、小学校の子たちを
3年、4年、5年と各学年、
2名ずつ里親奨学制度で採用する。
スタッフが、毎月学用品を届ける事になるが
それによって現地の状況を知り、
住民ととぎれぬ関係を築く縁となる。




僕は餡がぎっしり詰まった
お饅頭になりたいと思います


大渕みほ子

公開日当日に映画
「スラムドッグ$ミリオネア」を見てきた。
たぶん半年ぐらい前だと思うが、
映画の予告を見て絶対見たいと待ちに待った作品だ。
ご存知のようにアカデミー賞を受賞してから、
話題沸騰の作品でもある。
映画の内容を振り返ってみると、
売春やドラッグ、殺人や暴力、盗みや争いといった
スラムの闇と、急速に近代化に向けて
変化するスラムとの狭間で、
時代に翻弄されな
がら生きる最貧困層の人々が、愛や夢を追い求め、
したたかに生きる姿にはすがすがしい思いさえした。
この映画で印象的だったのは、
主人公がクイズに正解するにつれて
応援する人もどんどん増え、
働いていた会社の人、
町中の人までもテレビにくぎ付けになって
応援している姿だった。
発展途上国だからだろうか?
同じような光景をフィリピンでも良く見かける。
アメリカで一時流行した「アメリカン・アイドル」のような
番組がフィリピンにもあり、
私がミンダナオでホームステイをしていた
家の子ども達も、
歌手を目指す素人の勝ち抜きバトルに
くぎ付けになり応援していた。
たとえ全くの素人で顔見知りじゃなくても、
頑張っている人には心から皆で応援したり、
喜怒哀楽を共に分かち合う姿をみると
私も嬉しくなるし、また羨ましくもなる。
ちょっとしたことで感動できたり、笑顔になれたり、
そういう心の素直さを羨ましく感じるからだと思う。
文化の成熟なのか、
それとも無感動や無関心が
広がっているのか分からないが、
日本では大そうな出来事でもない限り、
あまり人を応援したり感動しなくなっている気がする。
「そんなことで驚くの?」「何が楽しいの?」、
そんな冷めた目で見ている自分がいることに気がつく。
私自身も良く言われることだが、
日本にいるときとミンダナオにいるときでは、
顔が違うようだ。
日本で閉ざされた感情が解き放たれて、
顔が変わるのかもしれない。
もしかしたら、こうしてミンダナオに行くことで
自然に心のバランスを取っているのかもしれない。
今回ご一緒した親子ボランティアの皆さんの
顔も観察していたが、
やはり私と同じだった。
初めはこわばった顔や無表情の顔をしていても、
ミンダナオ子ども図書館での生活に
慣れるにつれて表情に変化が現れ、
感情が顔に出るようになる。
嬉しいときはとびっきりの笑顔になり、
悲しい時は人前だろうと涙する。
「ミンダナオの子どもを助けたいと思って来たのに、
逆に自分が助けられた」と、
あるお母さんが話して下さったが、
ミンダナオ子ども図書館を訪れる方々は、
良くこのように話して下さる。
日本で忘れていたことや失っていた
大切なことに気が付き、
心がリフレッシュされるのだろう。
このような感想をもたれた方々の顔は
また美しい顔をしている。
今回同行したツアーのある男の子が、
最後の振り返りのときに
こう話してくれたことが大変印象的だった。
「僕はお饅頭が大好きです。
フィリピンに来て思ったんだけど、
日本は見かけはとっても美味しそうだけど
中はスカスカなお饅頭みたい。
でもフィリピンは見かけが悪くても
餡がぎっしり詰まっている。
僕は餡がぎっしり詰まった
お饅頭になりたいと思います。」
「あぁ、日本の子ども達にもきちんと分かるんだ」と、
感動して聞いていた。
日本の子どもも捨てたものじゃない。
こういう気づきが出来る子どもがどんどん増えたら、
日本の未来もきっと明るい。

大渕みほ子






京都暁星高校の招待で
奨学生が日本へ


京都暁星高校は、長年にわたってMCLの奨学生を
支援し続けて下さっている
保育所建設や下宿小屋も、生徒の協力を得てすすめている。
今回は、支援して下さっている3名の奨学生が、招かれて交流した。



初日は、歓迎と紹介を兼ねて、
私が現地の映像を見せながら講演をした
その後、彼等が、マノボ族の踊りと、イスラムの踊りを紹介。
最後は、日本の若者たちを交えて、一緒に踊った。





京都暁星高校は、
独自の課外授業を
実施している。
その一つが、
堤防での釣りだ。
宮津の漁港に
めんしているだけに、
好釣り場。
イスラムの
モハジール君にとっては、
飛行機に乗るのも
海を見るのも初めてだが、
ピキットの大湿原で、
漁もしているのでお手の物。

戦闘地のピキットから来て、
父親を失っているモハジール君。
大学生だ。
「こう言う交流は、本当に素晴らしいと思う。
友さんが、どんなに日本で大変で、
一生懸命支援者を探しているかもわかったし、
将来は、友さんのような仕事がしたい。
平和を作るためにも、重要だと思う。」



日本の文化を学ぶ時間も


日常は、他の学生さんたちと
一緒に授業に参加もした。


平日は学校が終わると、
生徒の家庭でホームステー
日本の家が、
ミンダナオの裕福な家のように
大きくはなく
質素な生活をしながらも、
支援をして下さっている様子に感動!



このような体験こそが、戦闘のトラウマを超えて、
平和を作る若者を生み出す
京都暁星高校の皆さん、ありがとう!




若い世代からの便り

今回、日本に滞在して、最も強く感じたことは、
日本の若者達の心の状況だった。
それと、世界に、特に日本も含むアジアに迫っている、
戦争を起こそうとする見えざる外からの足音だ・・・
このことに関しては、ミンダナオ子ども図書館:日記で書いた。
ミンダナオのコタバトで、先日、
IMT(国際停戦監視団)の菊地さん、落合さん達と、
福祉局のグレイスさん、
プレシデントのアスレーさん、バイスのマージーさん、
妻のエープリルリンと話したときにグレイスさん曰く、
「この非常に複雑な戦闘を作る状況を解決でするために必要なのは
次の世代に期待をかけるしかないのだと思う。
その点で、ミンダナオ子ども図書館が行っている事は
(次の世代を育てて行くと言う点で)画期的な試みだと思う。」
ここ8年あまり、現地の若者達と関わってきて、
ぼくが今、非常に重要に思うことは
現地の若者だけではなく、日本を始め、
先進国の若者達を育てなければいけないという事だ。
そのためには、彼らがミンダナオ子ども図書館に来て、
こちらの若者達と交友を深める体験の機会を作る必要がある。



大澤君は、今年、上智の大学院、修士課程を卒業する。
現代っ子だが、真剣に発展途上国の貧困問題を考えている。
将来は、国連で仕事をしたいそうだが、
こうした若者たちが日本にも着実に増えてきていると感じる。
閉塞的な日本に見切りを付けて、世界の、
とりわけ先進国文化から「取り残されている」と言われている地域に
真実の可能性を発見しつつある若者達・・・


MCLとの出会い

 20105月、大学院で
発展途上国の貧困問題について勉強していた僕は、
学部生時代の恩師である先生の
ゼミで後輩の指導にあたっていた。
そんな時、ミンダナオ子ども図書館という
フィリピンで子供たちの
就学支援や医療支援等を行っている

NGO
の代表である松居さんが
そのゼミで講演会を開いてくださることになった。
将来は国際協力ができる場で
働きたいと考えていた僕は
松居さんとの出会いに胸が躍った。
MCLのホームページをチェックし、
松居さんの著書を読んで
自分の研究と照らし合わせて、
いくつもテクニカルな質問を考えて
講演会に臨んだことを今でも覚えている。
 しかし、結果的にその質問をすることはなかった。
それは、松居さんの子供たちの話をする時の
幸せそうな顔や、
綺麗ごとではすまない
ミンダナオでの戦闘の様子を見て、
自分が学んできた机上の研究を
どこかちっぽけに感じたからである。
以前から様々な発展途上国といわれる国に足を運んで、
色んな状況を見てきたつもりでいた。
だが、松居さんの講演を聞き
自分のやっていることに物足りなさを感じ、
講演会後、松居さんを追いかけとっさに出た言葉が
MCLで勉強させてください。」というものだった。

20109月、僕はMCLに向かった。
不安がなかったかというと嘘になるが、
そんなものは初日から子供たちの笑顔が
吹き飛ばしてくれた。
MCLに着いて最初に感じたことは、
子供たちのエネルギーの凄さである。
これに関してはまた回を改めて詳しく書きたいのだが、
とにかく子供たちのそのエネルギーには圧倒された。
それは、塾講師のアルバイトを通して

MCL
のスカラー達と同世代の
日本人の子供たちと接する機会が多い僕にとって、
日本人の子供たちからは
感じることができないものだった。
MCLの子どもたちが持つ底抜けな明るさや優しさは、
夜眠りにつくときになって
「そういえばあの子たちは
色々な境遇にある子たちだったな。」
とやっと思いだすほどに純粋なものだった。

滞在中、子どもたちに勉強を教えたりもしたが、
僕の方が多くの事を教えてもらった気がする。
印象的だったのは、彼らの手紙や会話の中に
僕の家族を気遣う内容が多く含まれていたことである。
たいていの日本人は(少なくとも僕は)
誰かに手紙を書くときに
その人の親を気遣う文面を書いたことがないだろう。
しかし、彼らは僕の家族までも気遣ってくれた。
とても心が温まる思いだった。
今では僕も友人に手紙を出す際には、
友人の家族を気遣う文面を加えるようにしている。

一般的に、MCLのような団体や
発展途上国を想像する時、
僕たち日本人は、そこに暮らす人々を
「希望がない可哀そうな人々」
と考える節がある。しかしそれは違うのだということを

MCL
の人たちが体現してくれている。
MCLは支援者だけでなく、
不登校になってしまった生徒や
精神的に疲れてしまった人の
日本からの訪問を歓迎している。
これはそのような人々が訪問することで、
MCLの人々のエネルギーに触れ、
何かを感じ取ってほしいという
松居さんの心遣いであるように思う。
近年、日本では「心の貧しさ」が
社会問題となっている。そういった点から考えると、
僕たち日本人とフィリピン人、
どちらが豊かなのかはわからない。

MCLと出会って、
日本人にあってフィリピン人にないもの、
フィリピン人にあって日本人にないものを
少なからず見つけることができた。
多くの日本人は発展途上国の人々に対して
何かを「してあげている」という意識がある。
しかし、述したように彼らから学ぶことも多い。
したがって上からの「援助」でなく、
手と手を取り合う「協力」
をしていくという意識こそが互いが
発展していくために必要であると思う。

帰国する際、MCLの子供たちが
「私たちは友達だよね。」と尋ねてきた。
その際は、「そうだよ。」としか答えられなかったが、
今この場を借りて僕も彼らに言いたい。
「僕たちは既に友達ではなく家族だよ。」と。

お別れ会の日、大澤君の顔が
こわばっているなと思っていたら、
突然、堰を切ったように号泣したのには驚いた。
別れの時に、泣き出す若者達は多いのだが
(若者達だけではなく、中高年も・・・)
その泣き方が、あまりにも激しかっただけに、周囲の涙も誘った。
「涙が出るとは思わなかった、小学校以来です・・・」
一人で来ただけに、さらに深く、若者達との友情の輪が深まったのだろう。





立正佼成会の皆さん
夢ポッケを、ありがとう!

今年の8月に、立正佼成会の子どもたちと母親が、
平和の祈りに参加するために
ラナコランを訪れた様子をサイトに載せた。サイトへ
そのときも、子どもたちに手渡して好評だった夢ポッケ
信者の方々が、子どもたちと一緒に手縫いで作った巾着に
思い思いの文房具や玩具を入れたものを、
最終的に全部子どもたちに手渡し完了。
最後は、マノボ族の多いカマッド村の子どもたちに手渡した。



ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちが、
みんなで手伝って一つ一つ手渡しする。
立正佼成会の子どもたちが、ていねいに
一つ一つ手渡ししているのを見ているので
同じやり方で、心をこめて手渡しした。


私たちの活動範囲は、非常に広いので、
いくらあっても足りることはない。
来年も、1000個以上を届ける約束になっている。
これからも長いおつきあいが出来ると良いね。
友情は、宗教の輪を超えて広がっていく。




北九州小倉ライオンズクラブの
役員が訪問

北九州小倉ライオンズクラブの役員の方々が、
ミンダナオ子ども図書館を訪れた。
実際に自分たちの目で、MCLを見、
MCLの活動を視察するために・・・
私たちは、ピキットの避難民がいる地域に、乾神父と共に行き
(この記事は、以下に掲載)

後日、マノボ族のいる、
カヨパトン集落を訪ね、読み語りの活動をした。
その後、ラナコランの下宿小屋に、
とりわけ貧しい三集落
ケロハス村、キアタウ村、ムヤス村、
カヨパトン村の集落長に集まってもらい
各集落に、雄ヤギ一頭、雌ヤギ五頭を寄贈した。



山羊を寄贈

今回のヤギの寄贈は、個人的なものだけれども、
このような山岳地域では、ヤギは貴重だ。
ヤギの良さは、豚や牛のように、
特別に餌を用意することなく、山地の草を食べてくれること
乳は、地元の子どもたちの栄養になること。
増えやすいことなど、貧しい地域にとって、大きな支援となる。
これらのヤギは、個人ではなく、集落のものとして増やし、
増やした分をさらに貧しい個人家庭に分け与えていく。



今回の訪問は、現地の実地視察。
ベトナムやカンボジアなども、絶えず訪問し、
現地を良く知っていらっしゃるベテランの役員の方々も
思った以上に貧困度の激しい現地の状況や
ミンダナオ子ども図書館の誠実な活動に胸を打たれた様子。
多くのドキュメントフィルムを撮影して帰られた。
これから、北九州小倉ライオンズクラブとの
長いおつきあいが始まろうとしている。



フレンズ幼稚園の園長先生寄贈の
水田を慰霊訪問

ライオンズクラブの方々は、亡くなられた盟友、
北九州フレンズ幼稚園の富村園長先生が
遺言で寄贈して下さった水田を視察に訪れた。
吊り橋を渡っていくどん詰まりの村に、
2ヘクタールの水田は田植えを終えて、
美しい若苗をのばしていた。
MCLで作った看板も、
雨風をよけるようにして置かれている。
そのようすに、深く感動し、涙ぐまれていた。



水田の支援は、ものすごく役立っている。
何しろ、ミンダナオ子ども図書館本部だけでも、
100名が共同生活
なんと、50キロの米が一日で消費される。
さらに、毎月月末の日曜日には総会があり、
高校生と大学生の奨学生
約200名が集まり、炊き出しをかねて昼食を出す
普段は、米に醤油をかけてたべる生活だから。
さらに、地域によって、
子どもたちは弁当を持っていくことが出来ずに
学校での炊き出し支援もしている。
2ヘクタールではまだたらず、
最低6ヘクタールは必要なので
4ヘクタール足りない。
1ヘクタールが、灌漑施設が整っていて60万円
どなたか寄贈していただけませんか。




オブレード会(OMI)の
乾盛夫神父
ライオンズクラブの面々と
ピキットへ
モンテッソーリ教育でも有名な、
鳴門教会の乾神父。
属しているのは、
ミンダナオのイスラム地域で
イスラム教徒の救済に奔走している
神父たちがたくさんいる、
OMI(オブレートミッション会)
今回は、日本で同僚だった
フィリピン人の司祭叙会に
参加するためにミンダナオを訪れた。
以前は、他の神父から、
ミンダナオの奥地には入るなと
止められていたのだが
ミンダナオ子ども図書館が、
全面的にお世話をすることになって
現地に来られた。
今回は、グレイスさんからのたっての要請もあり、
普通ではちょっといけない、
パイドプランギの奥の村に
ボートに乗って出かけた。
ダトゥピアン側から逃れてきて、
一年近く避難民状態になっている人々の調査のために。
ライオンズクラブの役員もいらっしゃるので、
セキュリティーは、市長もはじめ万全を期した。
ピキット市長訪問の後に、
民兵の護送船団方式で現地を訪問・・・
現地のOMIの神父たちも、
めったに足を踏み入れない地域???

一艘のボートは、
ほとんどが民兵で埋まり
護送船団方式で
警護に就く
私たちが行くときには
ここまで警護を
することはないけど・・・
対岸のダトゥピアンから逃れてきて、
一年以上避難民になっている人々

一見のどかな風景なのだが、
この地域でも最も戦闘が多く不穏な場所だ



ARMM(イスラム自治区)
の読み語り

保育所建設の事前調査もかねて、
イスラム自治区のラヨグ村、ナムリ集落に行った。
ここは、卒業したイズラハイダさんの生まれた村で、
彼女のお父さんは、イスラムの司祭。
アンパトワン一族のその後の動向も、
この地の人々から聞こえてくるが、まあ、それとは別に
イスラム自治区側にも保育所を建て、
奨学生を増やしていくことは重要な課題だと考えている。
すでに、パガルガンやサパカンにMCLは、
活動領域を広げているが・・・


イスラム自治区には、道路というものがあまりなく
(ダト・ピアン側は別だが)
ほとんどがパンボートと呼ばれる乗合船で移動する。
この地区は、外国人には、
特に危険な地域として指定されているので、
皆さんは、決して気軽に乗合船に乗ってはならない。
私も以前「乗合船にだけは乗るな、どこに連れて行かれても(誘拐)、
見つけることは不可能だから・・・」と言われていた。
乗るときは、今回もそうだが、
信頼できる知り合いのつてで舟を貸し切り、
大勢の奨学生やスタッフだけで乗る。
特に注意しなければならないのは、ワニで、
スキを見せると水の中からジャンプして食いついてくる。(ジョーダン)
ワニがいるのは本当の事だが、
とにかく原始のミンダナオを見ているようで美しさに感動。



この村の村長の父親は、
パナルガンの元副市長で
前選挙の時にリドーにあった。
JICAの碑があったので、撮影したが、
穀物干し場の寄付のようだ。
サウジアラビアの支援で、
アラビア語学校も出来ているが、
イングリッシュスクール(公立学校)も含め荒れている。
MCLの今回の目的は、読み語りをすると同時に、
保育所建設のための実地調査。
子どもの数は多いが、保育所の建物がない。
今回は、訪問してきた鳥海武夫さんが同行した。
聾唖者だが、有名なアイアンマンだ。



村の人から、
こんな場所にまで
良く来ますね。
怖くないですか・・・と
言われた。
現地の事情を
知っているだけに
一人か、数名だけで
来ようとは思わないし
奨学生のイズラハイダさんが
いなければ
来ることは考えられない。
少し時間が出来たので、
イズラハイダさんの家を訪ねた。
彼女のお父さんは、
オスタージュと言うイスラムの司祭だ。
お母さんと一番下の妹さんと写真をとった。
家の前の道を、鉄砲を持った人が横切っていった。
学校がえりの、数人の子どもたちを守って
前後を歩いて行く。
何を警戒しているのだろうか。

読み語りが始まった
ここのイスラムの人々が使う言語は、マギンダナオ語。
私たちは、まずは現地の言葉を優先する。
しかし、マギンダナオ語の話せない奨学生たちは、
ビサヤ語やタガログ語で物語り
イスラムの奨学生たちが通訳する。
みんなでイスラムの歌、マノボの歌、ビサヤの歌もうたった。



多湖さんと友人の方々から寄贈された
ブアランのクリスチャン地域の保育所で

奇跡が起こった!
多湖敬子さんとご家族、
友人方から寄贈された保育所が、
2008年の戦闘勃発の発端となった地、
ブアランのニューバレンシアに建った。
私たちは、この日のオープニングセレモニーを計画。
子どもたちと一緒に現地に向かった。

これは、2009年12月27日に亡くなった
故人・多湖正紀さんへの追悼の想いとして
友人方から寄せられた物心両面の厚志をひとつにして、
ご遺族が故人の志を継ぐべくして寄贈されたものである。
丘の下のイスラムの人々と、
丘の上のクリスチャンの人々とが激しく対立。
かつては交流があったが、
20数年にわたって交流が途絶え、
かつてあった道も無くなり
クリスチャンの子どもたちは、
7キロも離れた別の村の学校に通っている。
激しい戦闘の結果、200家族以上いた村人たちは、
土地を残して避難、
現在は、36家族になっている。
下のイスラムの村も同様で、激しい戦闘のために、
卒業式が毎年遅れ、
このことも便りに書いたが、
ようやく今年、12年ぶりに、
開設以来初めて卒業生が出た。
赤十字やIOMなど国際NGOも注目している地域だが、
平和への決定的な足がかりがまだない。
この村で、山元眞神父さん主催で、
村人たちと平和のミサをあげた。


私たちMCLは、
すでに三年前から、
この地の子たちをスカラー
(奨学生)として採用しており。
2008年の難民救済でも、
砲弾の音がする中、
子どもたちへの
支援活動を行ってきた。
そして戦闘が終わった現在、
現地からの
依頼によって
日本政府の
草の根資金ODAに
小学校建設の案件を提出。
大使館からも、
調査に来られたことも書いた。
(結果はどう出るか
わからない・・・)
MCLの開所式は、堅苦しいものではなく、
子どもたちの読み語りから始まる

下の写真、左は、ニューバレンシアを指導しているクリスチャンの村民。
実は、人も恐れる豪腕の民兵司令官。
ここの村民は、すべて民兵として登録されていて、
常時武器を携行している。



上の写真、右は、下のイスラム集落の村長。
本来は、クリスチャン地域もブアランに属するので、
この集落の村長でもあるのだが、
対立が続いてから、互いに一歩も近づいたことは無かった。

当然、開所式には、村長のサインが必要で、
開所式に参加するのが通常なのだが、
イスラムの村長は、恐れて参加を拒否していた。
しかし、当日、私たちも子どもたちも同行するので意を決して参加。



ブアランのイスラムの村長がかつて語った
「子どもたちだったら、この対立を超えられるかもしれない」
と言った言葉が、現実となり始めた。

サイン式の後に、
握手を交わす
イスラムとクリスチャンの二人
MCLのボードメンバー
DSWDのグレイスさん(左)
所長さん(右)も驚きの笑顔
今回の開所式には、
下のイスラムの保育所(高橋毅氏寄贈)の
子どもたち親たちも招待した。
彼らが、平和への
足がかりを作ってくれると思ったからだ。
しばしば、読み語りをしていて、
MCLの活動も理解してくれているだけに、
喜んで参加してくれた。
対立している二つの地域の、大人たちが交流し
心を開きあうには、
まだまだ時間がかかると思っていた。
まして、村長や集落長が握手するには・・・

 
それが、保育所開所式で
突然実現したのだから、
本当に驚いた!
唖然とした!
目頭が熱くなったのは、
私だけではないだろう。
地元の人々も、
事の成り行きに
あっけにとられ
感動していた。
5年にわたる
下のイスラム地域と
MCLの若者たちが培った
信頼関係
避難民になったときの
命がけの救済
絶え間ない支援
スカラシップと
小学校建設計画
そして、山元神父さんによる
平和のミサと読み語り
こうした積み重ねが
有ってのことだろうが・・・
とっさに脳裏を横切ったのは
大学教員の仕事と平行して
「正義と平和」の希求のため、
教会内で、
あるいは市民運動として
真摯に活動を続けてこられた
故人・多湖正紀さんの
事だった。
正紀さんの霊が
微笑みながら側に建ち
共に開所式を喜んで
いるように
思えたからだ。

このような幻想というか
幻視は、たまに起こるから
それゆえに
奇跡だとは言えないが
この日起こった事の感動は
状況をよく知っているだけに
奇跡のように感じられた。

読み語りを聞きに来ている子たちのなかに、
避難民だった子たちの顔が散見される

今後の平和構築を話し合ったが、
まずは消えてしまった道を復活させること
そのために、MCLは、ピキット市に
道路建設の要望書を提出することにした。
すでに建設部門に顔を出したし、
市長も副市長も懇意なのでうまくいくだろう。
道が出来れば子どもたちは、
下の村の中心にある小学校に5分で通えるようになる。
さらに日本政府がODAで、
予定通り7クラスルームの美しい学校を建てれば
大きな平和のシンボルとして、評価されると同時に
この村から離れていった、
多くの家族を呼び寄せる力になるだろう。
クリスチャン地域だけで200世帯、
イスラム地域を加えると
400世帯はくだらない家族が、ブアランから逃避した。
興味深いことに、すでに学校を建設したマカブアルでは、
道が出来、避難していた家族が帰り、
新たに家が建ち始めている。
200人だった子どもたちも、600人近くに増えて、
日本政府が建てた5教室の建物に
古い2教室を加えても追いつかず、
急きょフィリピン政府が、
2教室の新たな建物を追加して建てたぐらいだ。
平和構築の正念場は、これからだ。





明治学院経済学部の学生さんたちが
高島教授といっしょに訪問
生きた経済を学んだ?

マノボ族のムヤス村での初めての読み語り
10月の村長選挙の余波をうけて、
ムヤス村に圧力がかかり、
保育所が停止してしまった。
貧しい崩れかけたような保育所。
MCLでは、
この村に保育所を作る決定を下した。
ただし、11月に入って、
選挙が終わってからだ。
落ちこぼれた村ほど支援するMCL。
ムヤス村で、初めての読み語りをした。
集落長から、
「このような忘れ去られた村にまで
来てくれてありがとう」
といわれた。
「こんな素晴らしい子どもたちに会えるのだから、
こちらの方こそありがとう」と答えた。
上の写真のヘアリップの子は、
看護士のフェさんが登録し
他のヘアリップの子といっしょに、
2月にダバオで治療をする。



マノボの子たちに、古着の支援をした
今日は日曜日。
集落の子たちも、
貧しくとも一枚ぐらいは、
教会に行くための
服を持っているので
写真からは、
あまり貧しさが
伝わってこないだろう。
しかし、もし皆さんが、
現地に同行されたとしたら、
想像以上にへんぴで
貧しい地域であることに
驚かされるに違いない。
子どもたちの後ろにあるのが
保育所だ。

教会から出てきた子どもたちに
MCLの奨学生たちが服をくばっているところ。
明治学院の若者たちも手伝った。
並んでもらって、一人一人にあわせて渡す。
一人に3枚。大人にも渡す。
兄弟姉妹が多いので多少サイズが違っても
少しもかまわない。
経済学部の学生たちが
キアタウ村に一泊
忘れられない体験

コミュニティーの生きている社会では、
子どもたちが生き生きとしている
生きる力は、学校教育からは得られない、
というのが持論だが、本当にそう思う。

ここで遊んでいる子どもたちに出会うと、
自分の少年時代を思い出す。
本当に、夕暮れまで、よく遊んだ。
それに加えて、ここの子たちは、
本当に良く生活のお手伝いをする。

MCLに泊まられた方々が口をそろえて、
フィリピンの若者たちが自立していることに驚く。
炊事、洗濯、掃除、身の回りのすべてのことを、
全く嫌がらずに自分たちだけでこなしていく。
その原点が、ここにある。

「子ども時代に一番大切なのは、
思う存分遊ぶこと、と夜に昔話を聞くこと」
日本にいたころ、子どもたちの現状を憂えて、
拙著や講演で繰り返し話してきたことが、
間違っていなかったことがここでは良くわかる。
『わたしの絵本体験』『昔話とこころの自立』という本は
教文館から出ています。
エイデル出版から出ている講演録、
『絵本・昔話にみる楽しい子育ての知恵』は
まだ手に入るようですが・・・
しかし、その本質を体験したければ、
この地に足を運ぶのが最善だろう。
昔話だけはなく、ここには、妖精も生きている。
日常生活に触れた若者たち
ココヤシのジュースは、
渇いたのどにおいしい。
蒸しバナナは味が無く食べずらいが、
これがほとんど毎日3食の食事なのだ。
コーヒーだけは、いくらでも飲める。
そこら中に木が生えている。
ただし、砂糖は買わなければ
手に入らないので、貴重だ。
ぼくは、ブラックで飲むけど・・・


早朝と夕刻の水くみは
子どもの重要な
仕事の一つ

エルニーニョで、引き水が涸れると、
ここから遙か30分以上も歩いて下る
子どもの足だと、
1時間近くかかるだろう谷底のわき水から、
水をくみ、運び上げる。
例の巨大な鍾乳洞のある場所。
この引き水は、
アラカンのミラノ宣教会の
プロジェクトとして完成した。
それでも、乾燥時期になると
水はしばしば涸れてしまう。
くんだ水でお洗濯。
子どもたちの大事な仕事の一つ。
お母さんといっしょに、
夜食べるドジョウインゲンを収穫する。
すごく長いので、ぼくは、
ウナギインゲンと呼んでいる。
現地ではバトンという。


先住民族の家庭に案内されて宿泊
各家庭に、男性または女性の
スタッフかスカラー(奨学生)が付きそい同宿する。
スタッフの一人、フェさんは、看護士。
病気の事態に備えている。
寝袋があるほうが良いだろう。
懐中電灯は必携。
飲み水は、MCLから持っていくが、
ぼくは現地の水を飲む。
山だから大丈夫。


一緒に同じものを料理して、いっしょに食べる

今回も、お客様が
来ているので、
特別に米を
炊いて出した。



普段は、
上の写真にある、
カサバイモがせいぜい。
上の米は陸稲だろうが、
本当に貴重な食物だ。
写真のように、木の杵で精米する。

大事なニワトリをつぶしてくれた。
一年に何度あるかないかの鶏肉料理だ。

村人たちには、日常食べているものを、
食べさせてあげれば良いのだから、
と話しているのだが、
さすがに、恥ずかしいと思うのだろう。

夕ご飯は灯りを中心に座って食べる。
フラッシュを使って撮影したので明るいが、
真っ暗闇にほのかな
石油ランプの明かりがあるだけ。
それがまた、暖かく、情緒があって心が和む。
食事の後は、
みんなで語ったり唱ったり、昔話をしたりする。
こんなにおかずがあるのは珍しい。
町で買ってきたビーフンに、
家で育てたニワトリをつぶした鶏肉まで添えてある。
もちろん、スプーンなどは使わずに、手で食べる。
たぶんMCLでスプーンも用意したのだろう。

数字が先行する経済学ではなく、
幸せな暮らしを保証する経済学が
理論的に生まれないだろうか


マノボ族の家に体験宿泊
山元眞しんぷさんと、MCLジャパンの面々に、
福祉を専攻している若き女性リサさんが加わって
キアタウのマノボの集落に一泊した。
夜になると、満天の星空以外は、
灯りのまったく無い世界。
子どもたちの無邪気さに、
一生消えないすばらし体験だったという。

最初に、アラカンのミラノ宣教会のイタリア人神父、
ジョバンニ神父を訪ねた。
有名なファウスト神父はいなかったが、
モトクロス用のバイクで、山でミサを上げている。
政府側の人々からも、反政府側の人々からも、
敬意をもって見られている神父たちだ。

美しいキアタウの丘と村
この宿泊体験の企画は、
地元から上がってきたものだ。
スカラーたちのお父さんたちから、
村をあげて歓迎し、
セキュリティーも万全を期するという条件で
今回、MCLジャパンの面々で、初めて実行した。
その体験のすばらしさは、予想以上のものだった。
スカラーたちのいる貧しい現地が、
多少でもうるおうプロジェクトなら、
無償で貢献したいと思っている。


一泊2000ペソで、1000ペソは宿泊家庭に、
1000ペソは、コミュニティーに渡され、
水道や植林事業に使われます。
贅沢なスタディーツアーに慣れた人々には、とうてい無理?
現地に適応する心の無い方には、帰っていただく、
あくまでも現地重視の企画です。


MCLに住んでいる
集落出身のスカラー(奨学生)たちが、
休日であれば同行する。
また、現地には、小学生、高校生の
奨学生たちがたくさんいる。
彼らたち、そして両親たちが、
皆心から歓迎してくれる。
およそ外国人が、来ることのない世界。
外国人どころか地元の人たちも、
この隔絶したマノボの集落を知らない。

電気もなく、下界から遠く離れているから、
文明の影響がほとんど無い。
特に子どもたちは、貧しいけれども、
本当に心が純粋で美しい。
こうした子どもたちの姿に、
私もどれだけ救われてきたことか、
その体験を多少でも分かち合いたい。

ごらんのように、
子どもたちは普段裸足だ。
学校に行くときには、
すり減ったゴム草履を履いたりするけれども、
ほとんど靴は持っていない。
MCLで古着の支援をしたことがあるので、
服は比較的良いものを
着ていたりするのだが・・・

ここの住人の一人
オンゴイ君
猿の事を
オンゴイと呼ぶ
まだ小さな
小猿だ
各々、自分の宿泊先へ
宿泊先は、普通の民家で、家族と寝食をともにする。
食べ物は、日常のもので、特別に用意はしない
(はずだが、ニワトリを一羽つぶしてくれた家族もあった。
これは、こちらでは、一年に一度あるかの大変な歓迎。
米も普段は食べられず、カサバイモだけだったりする。)
ただし、マンツーマンで、
MCLスタッフや高校生のスカラー(奨学生)が
付き添い同宿する。
看護師のフェさん、空手が堪能な秀君
(亡くなった日本事務局の山田さんの息子さん)も同行する。
ちなみに、トイレは外の木を二本並べただけの、
和式(?)便所だが、
(うんこ以外は)落ちないようになっている・・・?
ティシューと懐中電灯は必携。
飲み水は、ミネラルを買っていく。
地元のコーヒーが旨い。その辺にたくさん生えている。


これがトイレだ
スカラーの家族と一緒に。
彼女には、
お父さんがいない
久しぶりに
お父さんのような
人が来て大喜び!
神父さんが
泊まられたのは
村の牧師さんの家。
翌日の礼拝に
神父さんも参加した。
MCL事務局の山本幸子さん
スタッフの
ジェックジェクと一緒に
「何しろ、夜は部屋もなにも
みんな真っ暗。
手探りで外に出たら
満天の星空!!!」
「今回のMCL訪問で
何よりも良かったのが
このホームステーだった」
「本当の貧しい家の
それでも
心豊かに生活している
家族に触れて
学ぶことが、
本当に多かった。」

今回、唯一の?若手
福祉大学生のリサさんの感想

 
先日はMCLに訪問させていただき
ありがとうございました。
大変、実のある経験を
させてもらいました。
松居さんはお忙し中にもかかわらず、
いろいろな場所に連れて行ってくださり
ありがとうございました。

この10日間で私が経験したことは
私にとってすごく大きなものになりました。
知らないこと、感じたこと、子ども達から笑顔や元気
いろんなものを貰いました。
又、考えさせられることも多くありました。
これから、自分なりに
考えていきたいと思いました。
 
貧困の地域や戦争が今にも起こりそうな地域、
そこに住んでいる人々と触れ合う機会など
めったに無いような経験をさしてもらい
本当に多くのものを感じました。
現地の方たちと触れ合うと
私のほうが元気や笑顔を貰った気がします。
皆さんからいろいろなものを貰ってばかりで、
何も出来なかった自分が恥ずかしく思いました。
MCLのみなさんにも感謝の気持ちで一杯です。
子ども達と過ごした何気ない時間などが
とても大好きでした。

日本に帰ってからはみんなに逢えなくて寂しいです。
いろんな過去を背負っている子ども達とは思えないほど
パワフルで元気で愛があって、私は本当に癒されました。
私自身子ども達から学ぶことや
気づかされることが多くありました。
感謝の気持ちで一杯です。

ミンダナオが平和になること
さまざまな問題がなくなること、
子ども達やみんなに幸せが訪れること、
MCLにある平和がもっともっと広がっていくことを
祈りたいと思いました。
又、自分ができることを見つけられるように
頑張りたいと思います。


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日本の子ども ミンダナオの子ども
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