国際交友の抜粋記録
2008年のサイトから


みんなに会えるのを楽しみにしています。

松居友さん

わたしたち、すべての人の救い主の誕生…
こころから喜びましょう!
そちらに行く日が近づいてきました。
昨晩から通風の兆候があり、目覚めても足が痛く…
今朝のミサをパスするほどでした。
通風の痛みが始まると収まるまで二日はかかり ます。
困った!と思って応急処置
(ただ水をいっぱい飲むだけ…) をして…
不思議と痛みが増さず…収まりました。
このところの不摂生のたまものです。
運動不足、睡眠不足、栄養過多?…など。
気に はしていたのですが…ドキッとしました。
明後日は出発できそうで す。
よかったです。
22日にキャンドルサービスと終業式をしました。
その時に子ども たちと家族の皆さんの
「やさしい気持ち」がいっぱい詰まった
「お もいやり貯金箱」を奉納しました。
「だれがいちばん喜ぶと思 う?」
と子どもたちに尋ねたところ、
即座に一人の子が「フィリッ ピンの子どもたち!」
と答えてくれました。
わたしは「神さま!」
という答えを期待していたのですが…。
子どもたちはやはりスゴイです。
11月に松居さんと倉橋神父さまが
幼稚園でお話ししてくださった
あの時は実にタイムリーで、
子どもたちはずっとフィリッピンや
ボ リビアの子どもたちを意識して
待降節を過ごしたようです。
本当に うれしいことです。
おかげさまで、みんなのやさしい気持ちが
いちだんと大きくなったようです。
「おもいやり貯金箱」は子どもの手作りで…
年少は「お家」、年中 は「天使」、
年長は「クリスマスツリー」の形に作りました。
お金 だけをいただいて貯金箱はみんなに返すのですが、
ミンダナオに行 く時、
それぞれ1個ずつお持ちしたいと思います。
「サンタさん が来る前に、だれが来るの?」
という問い掛けにも
「イエスさま!」と迷わず答えてくれる
子どもたちです。感動します。
小さい時から思いやりの気持ちを
膨らませることができて、幸せです。
ありがとうございました。
みんなに会えるのを楽しみにしています。 
              
           やまもと。
山元しんぷは、子どもたちの才能や資質を問わず、
すべての子どもたちを心から等しく愛してくれるので
子どもたちは、「父さん」「父さん」と呼んで飛んでくる。
イスラムの子たちも、「父さん」と
親しみを込めて呼ぶから面白い。
こちらでは、神父の事をFather と呼ぶ習慣があるが
言葉の中に、それ以上の気持ちを
彼らが込めているのが良くわかる



  貧しさと争いの中で、
隠れた宝モノを探してほしい

                                            大渕みほ子 
 


2008 年も残りあとわずか。
月日が経つのは本当に早い。
今年の私の大きなチャレンジは、
ワークキャンプの実施だった。
8月に紛争が起こり、キャンプを行うのか、
出発2 日前まで悩みに悩み、
現地の情勢を判断して行った。
キャンプが終わって約2 か月が過ぎ、
キャンパー達も日常に戻っている。
ワークキャンプは何を残せたのだろう?
けがもあった、入院もあった、
精神的に情緒不安定になった人もいた。
お金をかけて、時間もかけて、いろんな人を巻き込んで、
悩んで、苦しんで、笑って、泣いて・・・。
何が残ったのだろうか。
キャンパーの一人が、キャンプの途中、泣いた。
なぜ泣いたのか。
彼女はマニラ空港でお金をだまされたこと、
フィリピンの人々の貪欲さにまいってしまったようだった。
帰国後のメールは、
「正直フィリピンは支援したいと思わない・・・
支援をするなら他の国がいい・・・」。
この言葉を聞いてすごく残念だった。

フィリピンに連れていったことで、
彼女のフィリピンのイメージを悪くさせてしまったのか。
連れていかなければ良かった・・・。正直そう思った。
お金の問題はフィリピンだけじゃないよ、そういいたかった。
でも彼女の言葉は受け入れた。
先日、その彼女から再びメールがきた。
ある場所で色々な人と話をしているうちに、
フィリピンで許せなかったこと、はがゆかったこと、
苦しかったことがスッと消えた、という。
なぜそうなったのか、私には分からない。
でも彼女が、
「フィリピンが楽しかったと、ひと前ではじめて言えたよ」
と書いてきたとき、嬉しかった。
ミンダナオに連れて行ったことは、意味がなかったわけじゃない・・・。
そう思うと、私の気持ちも少し軽くなった。

「日本は豊かだが、心が貧しい」
マザーテレサの言葉だ。
来日したときにそう彼女が言ったと聞いてから、
この言葉がずっと私の中に残っていた。
なぜ彼女は言い当てたのか。
すごい人だと思った。
25 年以上も前のマザーテレサの言葉は、的を得ている。
そして彼女の言葉は現在、いっそう現実味を帯びてきた。

フィリピンに行ってつくづく思うのは、
この国は貧しいけれど心は豊かだ、ということ。
日本が得たものをフィリピンは持っていないが、
日本が失ったものは、まだフィリピンにある。
お互いを補完するような交流ができないだろうか、
そう思って始めたワークキャンプだった。
でも現実はなかなか厳しい。
フィリピンの貧困は、
人々の心を蝕みはじめているのも事実だから。
彼女を泣かせたのは、貧困の現実だった。
マザーテレサが貧しさの中に心の豊かさを見たのは、
インドの人々から見捨てられ、路上に放置され、
死を待つばかりの人の中だった。
私は同じことがミンダナオにも起きていると思っている。
ミンダナオの貧困と紛争の中で、
必死に生きる人々の中には、
本当に心が豊かな人が存在する。
ミンダナオはとても複雑なところだから、
初めはなかなか見えにくいかもしれない。
もしかしたら二度と行きたくないと思うかもしれない。
でも、貧しさと争いの中で、隠れた宝モノを探してほしい。
探しにきてほしい。
そう思っている。
最後に、とっておきの笑顔でお別れ!


難民キャンプでは、
子どもたちの病気が
問題だった
     アルバちゃんのこと  山元 眞    

今年の夏ピキットの難民キャンプを訪れたとき、
そのたいへんな「現実」を
教えてくれたのがアルバちゃんだった。
実際に難民キャンプの中に身を置いても
不思議と実感がわいてこない。
日ごろからテレビや新聞などの報道で客観的に見ることに
慣れてしまっているせいだろう。
まるでテレビを見ているような錯覚に
陥っていたことを思い出す。
その場にいても…。
ただアルバちゃんの、
触ったら折れるようなその手に触れたとき、
「現実」に触れた気がした。
ひどい栄養失調の状態を越えて、ほとんど飢餓状態…。
このような人に触れたのは、生まれて初めてだった。
「現実」が迫ってきた。
かわいそう、などと感じる余地はない。
アルバちゃんの背景にある世界を不気味に感じる。
現代社会のさまざまなひずみやしわ寄せが
アルバちゃんを、まるで骨だけの体にしている…。
このような「現実」にわたしたちは何ができるのだろうか。
難民キャンプからキダパワンに戻り、
30年ぶりに献血をした。
血を与えるということは、どういうことなのだろうか。
アルバちゃんがまた何か大切なことを教えてくれる。
クリスマスが終わってから、アルバちゃんに会いに行こう。
今度は少し手を握り返してくれるかもしれない。



日本滞在中の所感
ミンダナオに来て8年目に入った。
早いものだとつくづく思う。ミンダナオ子ども図書館が、
現地法人の資格をとってから6年目にはいった。
対日本関係は、私が一手に引き受けたが
現地法人資格をはじめとして
読み語りや医療、スカラシップや
難民救済といった現地活動を
ここまで築きあげたのは、他でもない
10代前半から後半のスカラーシップ奨学生たちだ
彼らの数名は、今スタッフとして活躍しているが
現地の若者たちの力がなければ
ここまで出来なかっただろう
 
決して平坦だったわけではない。
一歩一歩、去勢修正しながら、
マネージメントを教えていくのも容易ではなかった。
賄賂が平然と横行する社会。
ちょっとした出来心が貧しさ故であること、
また、子どもの頃からの山育ちであるがゆえの
無知から来ると言うことを考えると、
忍耐を持って接していけば、
やがて次第にわかっても来るが、
それなりの厳しさも必要だった。
それにしても、驚くべきは、
彼らの生きる事へのしたたかとも言えるバイタリティーだ。
例え難民キャンプにいたとしても、
目の輝きを失わない、子どもたちの姿にはほれぼれする。
あの輝きは、人の持つ、
純粋な生きる力を映し出していると思う。
日本人にとって、生きる力とは何だろう。
ミンダナオの若者たちと、
日本の若者たちの「生きる力」の解釈が異なるのは、
日本では、生きる力は、
「個人の力」として解釈されていることだろう。
忍耐力、学力、決断力、実行力、
これが国家単位になると
政治力、経済力、軍事力となっていく。
良い成績を取ること、良い学校に行き、
良い会社に入ること。
良い地位につき、高い給料を得ること。
命令されるよりも、命令を下す立場に立つこと。
それが、生きる力であるかのように
・・・思ってはいないだろうか。
それなのに、そのように登り詰めた人々が、
何と多く、中高年で自殺することか。
ちょっとしたきっかけで・・・。
家財を失い、難民状態になったら、
日本人は次々に、首つり自殺をするだろうか。
右の難民たちも、すべてを失ってこの場所に、
すでに3ヶ月もいるのだが・・・・
ミンダナオの若者たちにとって、生きる力は、
どうも個人の力とは反対がわに有るように見える。
ミンダナオ子ども図書館に来て、
ここで共に生活を始める若者たち。
彼らのとって、「生きる力」は、互いの壁を極力取り去って
協力しあい、助け合い、家族のように愛し合い
たとえ贅沢な暮らしが出来なくても、
極力みんなで分かち合い
問題を一つ一つ解決しながら
一歩一歩(例えそれが小さな小さな一歩でも)
喜びながら未来へ進んでいくことなのだ。
今回日本に行って、
若者や子どもたちの目を見て思ったことだが
ミンダナオの子どもたちと、幼い子たちの目や表情は、
基本的に変わりがない。
写真は、ミンダナオの話を真剣に聞いている、
年・中長組の幼稚園の子どもたち。
(行橋カトリック幼稚園にて)
どうも、幼稚園までは良いのだが
(幼稚園の方針にもよるかな?)学校教育が始まり、
塾通いが日常になると、こうした「生きる力」が、
蝕まれて行くような気がしてならない。
子どもたちが、生きる力を持つには
どうしたらよいのだろうか。
自分だけの力だけで生きることは、
しょせん不可能なことを知ること。
互いに心を開いて同じ目線に立って愛し合うこと。
そのために必要な教育とは何か・・・
《同じ瞳》 山元 眞

 11月25日(火)、松居さんに幼稚園で
お話しをしていただいた。
クリスマスの準備でプログラムが詰まっていたので、
今回は学年ごとに 保育の合間を縫って
ミンダナオの状況を子どもたちに話していただいた。
わたしは横で子どもたちの様子を見ていたが
深い感動を覚えた。
 日ごろから人の話しをよく聞く子どもたちではあるが、
今回は特別に 集中していたようだ。
満3歳児、年少(3~4歳)、年中(4歳~5歳)、
年長児(5歳~6歳)の子どもたちに
それぞれ話していただいたが、
どの学年も松居さんの話しに集中していた。
話しを聞く子どもたち の瞳や表情を見て感動を覚えながら、
温かい平和に包まれる思いがした。
子どもたちの瞳、表情が…
ミンダナオで読み聞かせを聞く子どもたちのそれと…
まったく同じだった!
これが平和の原点だと思う。
 人の話しを聞くことさえできない
日本の子どもたちの現実。
「人の話しは聞くもの」という常識が消え、
「聞くのも聞かないのも個人の自由」という
間違った自由主義に毒されている。
世界の現実を認識するためには「聞くことを聴き」、
「見ることを観る」能力が求められる。
この認識能力が育たない。
 日本の幼児教育(保育)の現場も
「子育て支援」という名目で親を助けることばかりを考え、
それが子どもの育ちにつながっていない。
子どもたちにとっては悲惨な状況だ。
何年間も間違った方向を歩み続けてきた。
今、その結果が現れている。それなのに、
まだ、このまま行くのだろうか。
間違っていることに気づきながらも「この道」を行くなら、
その結果は想像を絶するほど、
そして取り返しのつかないほど悲惨なものになるに違いない。
 今、軌道修正をしなければいけない。

今回、大きな体験は、大渕みほ子さんにつれられていった、
フリースクールの若者たちとの出会いだった。
ミンダナオの事を話したときの、彼らの目の輝きは、
まさにミンダナオの若者たちと共通した光があった。
どうやら、日本の若者たちの
70パーセントが学校を拒否して行かなくなり
独自の人生を歩み始めたならば、
日本も再生するのではないか・・・
日本では、全体的に何かが狂ってしまっていて、
大人も教育者も政治家も、
子どもの文化にかかわる多くの知識人や作家も生きる力の「原点」が
いったい何かを、思い出せなくなっているようだ。
根元的に生きる喜びを見失った人々、
生きる力を失った人々が作る、
金銭目的の見せかけの文化、そして政治と経済。
それに踊らせれているだけの国民たち。
日本では、もはや原点を見いだせないなら、
ときに同じアジアのミンダナオにしばし時と場所を
移して眠ってしまった心の原点を、
ミンダナオの若者たちの力によって、目覚めさせるのが良い。
そうした意味でも、何らかの形で門戸を開き、
日本の若者や子どもたちを受け入れる体勢を
考えなければならない時が来たと感じた。
難問も多いのだが、決断したからには、やるしかないだろう。
日本の子どもたちや若者たちの事を、
ほおって置くわけにも行かないだろうし・・・
子どもが生きる力を持つために必要なことは
せめて小学校卒業までは
思う存分自由に外で遊ぶこと、
家のお手伝いをたくさんすること、
そして昔話をみんなで話して楽しむこと

今回の日本滞在で、ますます
そう確信するようになった

初めてのスタディーツアー
ミンダナオ子ども図書館に訪問者がいないわけではない。
今までは、ほとんどが支援者の方々だったし、
若者同士の交流を積極的に考えたことは無かった。
すでに何度か理由は書いたが、最大の理由は、
ミンダナオ子ども図書館の活動の根幹が積極外向型であり、
私を先頭にスカラーやスタッフが、ムスリム難民を救済したり、
山岳地のマノボ族の医療を実行したり・・・・
その根幹は読み語りなのだが。
端的に言うと、訪問者のお世話は、活動を停滞させるからだ。
特に、支援者のように、すでに活動を理解していて、仲間として迎えられ、
自分の支援している学生に会いに来られたりする場合は、
目的もはっきりしているので心配はないが、
ツアーのように、漠然と来られる場合は、変に気を遣う?
ツアーと銘打っているからには、
それだけの快適さやサービスを求める人もいる。
しかし、NGOとしては、接待を求められても、
それに答えてるゆとりがあろうはずがない。
多くの支援者たちの思いのこもった寄付で動いている団体なのだから、
少数の訪問者のために時間を割くことはどうか?
そのような迷いを持ち続けつつも去年、
訪問者に門戸を開こうと決心したのは、
ビジターから得る利益でNGOを維持しようと考えたからではない。
日本の若者や中高年の心の危機を見て、
また、要望を耳にして、決断した事だった。
その際に、多くの方々から忠告をいただいた。
「松居さん、やめた方がいいんじゃないの?
訪問者なんてみんな我が儘なもので、
ミンダナオ子ども図書館にそぐわないよ・・」
「あの純粋な子どもたちが、客接待に慣れた、
媚びた子たちになっていったら、
本来の良さが無くなるよ」
結果がどうだったか、私にはわからない
南国のリゾート気分で来た人たちは、きっとショックを受けただろう
日本人にとって快適な滞在施設にするつもりは毛頭無いから、
食事もトイレも寝食も子どもたちとほとんど同じ特別扱いはしない。
他のスカラシップと異なって、リーダー養成などは目的としていないから、
日本をそのまま持ち込んだような教育ママも、
ショックを受けるようだ。
とりわけ、日本の価値観に縛られたまま、
それを未開文化の地に植え付けよう等と、
無意識にでも思っていると・・・・

要望にも応えて
久しぶりに
ウオーターフォールに行った。
テレビで紹介されたところだ
本当に美しいところだが
現在山岳地で使える
4WDの軽トラックで行く
山道は過酷だ
しかし、
子どもたちは大喜びで
早速、滝壺に飛び込んだ
この子たちを見ていると
私は本当に幸せを感じる
彼らのために生きている事
そして、両親が
いなかったり
極貧の中から来た子たちが
心から幸せそうな表情を
見せるとき
この仕事をしていて
良かったと心底思う

しかし、ウオーターフォールの集落では
経済的な貧困がさらに進み、
病気が蔓延していた

今年は、奇妙な高熱と痙攣を
起こす風邪が流行っている
写真のスカラーの子たちも
すでに3週間も病床に
伏したりして、
学校も停止したままだった
久しぶりに会って愕然とした
なんて痩せてしまったことか!
立って歩こうとすると、
ふらついている
多くの親や子どもたちに
病気が蔓延している
同じ病気にかかっても
ミンダナオ子ども図書館に
住んでいる奨学生は、
数日で回復するが、
栄養失調だと命取りだ
とにかく、病院でチェックを
受けることにした
病院では、すぐに入院!
色々な検査をした結果、デング熱ではない事がわかってきた。
信頼できる小児科のウオン先生が首を傾げながら
単なる風邪で、これだけ長期の症状が出るという事は
基本的に栄養失調だからですね。
食べるものを食べていない、基礎体力がない、
快復力がないところに病気が襲うから、
ますますやせ細ってこのままだと、死ぬかも知れない。
唖然とした!!!


訪問者がいるので、自由に行動は出来なかったが、
山のビックビックさんの家に預けて別行動で急遽医療活動を実行した。
幸い、ピキットの難民キャンプでの医療活動を継続しているので、
その薬をウオーターフォールに届けた。
日本では、薬は日常手にはいるし、基礎健康が食事で出来ているので
「薬に頼っても、薬を渡しても・・・」と言う人もいるが
ちょっとした風邪でも死に至る場合もある時に、
予防も含めてやはり薬は頼りになるのだ。
日本では、風邪ぐらい自分で直すのだが・・・

ウオーターフォールで、滝の滑り台
どんなに困窮した現状あっても
こちらではそれが日常だから、子どもたちは屈託がない。
楽しみ時には、大いに楽しむのが信条?











一方で、一日三食の食事が出来ず、
毎日、芋を食べて食いつなぎ、
病気にかかると体力がないので、
死んでいく人がいる。
同じその地域で優雅に遊び
お腹一杯米を食べ
おいしいおかずのある人がいる、
この矛盾は何か
この様な世界を見るたびに、
悲しい困惑とめまいを感じるのは、私だけでは無い?
ミンダナオは危険地域に指定されているから
公のツアーでは、訪問できる場所は限られている
ピキット市の福祉局、DSWDの調査と
グレイスさんの確認で希望者のみ
ピキットに読みきかせに行った。
先日から、炊き出しも行っているマノボの村。
大勢のスカラーたちも同行した。
困窮する子どもたち、それにも関わらず、明るく、
心を開いて向き合ってくれる。
彼らの前で、「大きな栗の木の下で」を演じて
子どもたちも大喜び?
ここで、何を彼らは感じたのだろうか?

まずは現場を見ること
実情を自分の目で確かめ確認すること
その後、どのような行動を起こすか
全く起こさないか、二度と来ないと決心するか
それは本人次第だ。
だた、日本も含む
国際情勢が関わっていなければ
この様な、ひどい戦闘は起こらない

炊き出しに並ぶ子どもたち
炊き出しは成功している
米の支給だけだと
大きな大人や青年が
ほとんど食べ尽くして
小さな子どもたちに
食事が十分回らない事も多い
17歳以下に厳しく限定した
炊き出しは
確実に子どもたちに
栄養を補給し、
基礎体力の維持を
可能にしている
週3回3週間で計9回の
第一回炊き出し計画が
終了した


ビサヤ・
イロンゴデーが
盛況で
終わった
昨年、ムスリムの踊りが、日本公演で大盛況だった結果を受けて、
若者たちは、今年の文化祭のテーマを、ダンスに絞った。
踊りは、フィリピンの若者たちにとっては、最も適した自己表現の手段?
そのできのすばらしさは、驚嘆に値する。
ムスリムダンス、マノボダンス、ビサヤダンス
すべてが本当にすばらしく、どこに公演しても感動を起こすだろう!
この様なダンスがあるとは、
知らなかった、
長いすのダンスでは
女の子が、地面から
男性に手を引かれて
飛び上がる!
そのたびに、叫声と大拍手
交通費と宿泊を保証していただければ、
国際交流のために日本公演にうかがいます。
訪問者はルモットの保育所を建設に
ビックビックさんのところに宿泊。
電気のない家で現地の生活を体験
建設途中の保育所
自分も何らかの形で貢献できる、
という体験は貴重だった。
最初はとまどいながらも、最後には、
ともに汗を流し、すがすがしい気持ちに・・・・
もう少し長く居たかった!
今回は、予定を変更して
後半は、ダバオオリエンタルのハウスオブジョイへ
ここは、海もきれいで、
本当にリラックス出来る場所。
ビジターには、おすすめ。
前半がハードだっただけに、
ホッとされたようだった。
やはり、ミンダナオ子ども図書館は、
ツアーには向かない?


カナダの青年が、
NGOとして見たミンダナオ子ども図書館
カナダの青年、ジェイソン君が、
前後してミンダナオ子ども図書館を訪れた。
父親が中国人で母親が日本人。
NGOや労働者の権利、国連の活動に興味をもち、
今まで、タイ、カンボジアなど、アジアを中心に
生活費を稼ぎながらNGOをめぐっている。
話を聞くと、ラテンアメリカのNGOも回ったとか・・・
日本の支援者で英語学校を営む首藤さんから、
是非尋ねなさいと言われてきた。
ピキット情勢が非常に悪いときで、難民救済活動を手伝ったが、
途中からハウスオブジョイを勧めた。
彼の所見が、首藤さんからメールで届いた。
また、バンクーバーの支援者からも届き、ブログを紹介。
このたび、友人のジェイソンを、
快く受け入れて下さりありがとうございました。
彼は、次の旅の前に、日本に立ち寄ってくれ、
私の家に4日ほど滞在しました。
その間、こちらでの友人に会ったり、
温泉に行ったりと、ゆっくり過ごしてもらいました。
ミンダナオの話も、たくさんの写真や、
ムービー画面で説明してくれ、
ほんとうによくMCLの様子がわかりました。
彼は、一人一人の子ども達のことを覚えていて、
それぞれのすばらしさを教えてくれました。
私は、彼が、こんなに子どものことを
愛していたことを
初めて知りました。
日本では、そのようなことが
ありませんでしたので。
彼にとっても、大きな精神的な成長の
1ヶ月だったと思います。
またMCLは、これまで
みてきたどこのNGOにもない
すばらしものがあったと話していましたし、
私にも紹介してくれたことを
感謝してくれました。
ありがとうございます。
MCLの子ども達が、ハンディキャップや、
貧困に負けないで、楽しく、
協力して過ごしているようすが
写真にうつされていましたが、
またミンダナオの風にあるように、
戦闘による難民の状況も、
かずあり、胸が痛みました。
まだまだ支援が足りないですね。
これから彼と協力して、少しでも、
支援者が増えればと思っています。
千竃さんが、先日スカラーが
大学を卒業する前に一度、
ミンダナオへ行こうかと言っていたので、
私も、ご一緒できればと思っています。
来年になるとおもいますが・・・・・
それが実現するように、頑張ります。
Save money・・・
皆様によろしくお伝えください。

首藤順子
松居様。こんにちは。

小さい子どもをもった育児真っ最中のママたちの集まりなので
細々とながらやっていますが、
少しずつ周囲からの協力をもらっています。
軌道にのって、もう少し協力が増えるようになれば、
少しでも多くの支援ができたら、、、といつも考えています。
私たちのできるところでがんばりますのでよろしくお願いします。
ちなみに、クローバーの会のブログが
ようやく立ち上がりましたので
お時間が許すときがあればぜひのぞいてください。
http://cloverforever.jugem.jp/?cid=2
エリザベスちゃんの紹介やミンダナオ図書館の紹介を
させていただきました。
来週の金曜日に簡単なイベントを行う予定です。
11月12日のエリザベスちゃんのお誕生日にむけて
子どもたちとカードを書きたいと思っています。
それではニュースレターの方、楽しみにしております。
よろしくお願いします。
カナダ・バンクーバーより
石本さゆり




ミンダナオに戦闘が
広がる中
ミンダナオ
子ども図書館に
スカラーたちが集まり
平和の祈りを行った
平和の祈りは、平和巡礼と称して、
本来はピキットの市庁舎の裏にある、
丘の上の要塞で行われる予定だった。
この要塞は、第二次世界大戦の時に、
日本軍が建てたものだ。
しかし、ピキットの政情不安をかんがみて、
急遽場所をミンダナオ子ども図書館にした。
祈りはまず、平和を表現する踊りから始まった。
これも皆、スカラーたちが
自ら相談して決めたことだ。
その後、各部族の代表たちによる、
自分たちの言語の祈りや歌が続いた。
とりわけ歌は、他の宗教や宗派、
他の言語の歌でも、みんなで歌った。
特定の宗教に属していても、
友人や隣人の持っている異なった宗教に敬意をはらい、
友人によりそって、背後から支援する気持ちで、
共に歌うことは可能なのだ。
アッラーの歌、マノボの神マナマの歌、
イエスの歌を全員が歌う。
神は一つで、呼び名と風習が違うだけたと、感じる。
祈りながら涙を流し、その涙が、
大勢のスカラーたちに広がっていく。
民族は異なっても、宗教が異なっていても、
平和に対する願いと愛は同じ。
日本からも、日本キリスト教団
小田原教会所属の
I氏が祈りを捧げ、
マノボの代表としてガボン牧師、
カトリックを代表して
山元眞神父が話された
事態が緊迫しているだけに、
祈りに込める思いも深かった
イスラム代表のホサイン師は、
妹の突然の死に帰られたのが残念!
代わりに、スカラーのプレシデント、
イスラム教徒のバイヤン君が
感動的な祈りを述べた
これらの祈りは、
ミンダナオ戦で亡くなった
多くの現地人、米軍、そして
日本軍の兵士から始まって、
現代に至る戦闘で亡くなった
人々の霊を慰めるために、
ミンダナオ子ども図書館が
音頭をとってはじめるものだ。
来年こそは、ピキットの要塞跡で開催し、
毎年、ミンダナオ子ども図書館の
スカラーを核にして
開催していきたいと思っている。
次回は、仏教界の方々も参加されるだろう。
私(松居友)にも、話す機会が与えられたので、
こんな内容の話をした。

「言葉で平和を語ることも大事だけれど、
行動で示すことも大事。
たとえば、シラミを採ること。(全員?????)
ミンダナオ子ども図書館では、
イスラム教徒もクリスチャンもマノボ族も
仲良く暮らしている。
僕が見ていて、一番平和だなと感じるのは、
イスラム教徒やクリスチャンやマノボ族が
いっしょになって互いの頭のシラミを
とりっこしているところ。(大笑い)
世界中の人々が、宗教や宗派を超えて、
シラミのとりっこをしたら、
世界は平和になるだろう、
ミンダナオ子ども図書館のように!」

右の写真は、ミンダナオ子ども図書館の日常風景から
「シラミ採り」・・・・・・・・・・・・・・・・



スタディーユニオン寄贈の
保育所開所式

3月17日

関 浩成さんと
立命館大学・
同志社大学の若者が参加



MCLに滞在した、
長谷山文香さん、
佐藤知美さん
からのお便り


長谷山 文香さんからの便り


友さん

こんばんわ。パソコンの調子が悪く、
連絡が遅れてしまい申し訳ありません。
2日前4人で集まって写真を見せていただきました。
膨大な量の写真の中から、
友さんやスタッフの方がカメラを向ける視点が
わたしたちのそれとは違ったり、
「あ、これ知らない!見ておきたかったー!」
と感想を漏らしたり
日本に帰ってきてからも新たな発見がありました。
写真鑑賞会とともに、
わたしたちの9泊10日を振り返りましたので、
うまく言葉にできていない部分がたくさんありますが、
以下に記します。
レクチャーを聞いた直後に友さんをおいかけ、
ミンダナオの場所さえわからないままに
訪問希望を申し出ました。
専門的な知識も見解ももたないわたしですが、
ゼロからのMCL滞在の珍しい1例として。
ほとんど衝動的に、訪問希望を申し出たわたしたちですが、
正直不安でいっぱいでした
渡航情報やネットなどを見ても、
「渡航延期推奨」や「危険」の文字が。
また、経済的に子どもたちを支援できるわけでもなく、
子どもたちに何かを教える技術ももたずに訪問して、
果たして子どもたちは受け入れてくれるのか。
でも、そんな不安はMCL到着後すぐ、
子どもたちの歓迎で吹き飛びました。
わたしたちが無意識的に作ってきた壁を、
壊すのではなく、飛び越えてきてくれる感じ
「こっちもたのしいよ」と教えてくれるようでした。
一緒に絵本を読んだり、日本でいうと
「かごめかごめ」のような遊びをしたり、抱きついたり。
「アテアヤカー」と笑顔で話しかけてくれ、
可愛くって愛しくって、溶けてしまいそうでした。
思い出すと日記帳には書ききれないくらい、
たくさんの経験をさせていただきました。
キアタウという、標高の高い、
電気の通っていない小さな村で一泊したこと。
そこでホタルの木や白いペンキを
ぶちまけたような星を見たこと。
「日本人は星を見たことがないのか?」と驚かれたこと。
建設途中の保育所を見に、山登りをしたこと。
スタッフや子どもたちがナイトのように
わたしたちを気遣ってくれながらの頂上到着でした。
滞在半ばで具合が悪くなり部屋で寝ていると、
ふと目を開けた時に枕元で子どもたちが
心配してくれていたことに気づけたこと。
支援者である日本の財団、企業の方と日程が偶然重なり、
ピキットでの2つの保育所の開所式に
居合わすことができたこと。
最後の日は、学生が集まる総会が始める前から、
頭が真っ白になり涙が止まりませんでした。
泣かないって思ってたのに。
「わたしを忘れないように」と子どもたちがつけてくれた
指輪やブレスレットは、
日本では浮くくらい日に焼けた肌にキラキラしています。
ただ、楽しい滞在の中で、
行ってみて初めてわかる問題もたくさんありました。
移動中の車で、何度も
バナナのプランテーション農場の横を通りました。
バナナ以外の植物が一切生きていない裸の土壌。
農薬の恐ろしさ。
何年かすると土壌自体が使えなくなるとのこと。
そして、企業はそれを見越してか、
期間を設けて土地を借用するそうです。
今まで10円でも安いバナナを買い、
ときには腐らせてしまうこともあったわたしは
ただただ恥ずかしく思いました。
また、子どもたちの着ている服は、ほとんどが古着ですが、
「ミンダナオは暑い」という先入観からか
(もちろんわたしもそう思ってました)、
Tシャツがほとんどのように感じられました。
標高の影響もあるのか、MCLの夜は少し冷え込みます。
シーツにくるまって寝、朝3時や4時に起きて
炊事や掃除を行う子どもたちが何度か
「寒い寒い」と言っているのを聞きました。
日本の保育の場では、保育園主催のバザーなどで
「集まりすぎるから古着は持ち込み不可」
など決められる場合もあるそうです。
それを子どもたちに回してあげられないか。
みんなに長袖を買ってあげることは
わたしたちには出来ないけれど、
アナウンスをして集めることなら可能ではないか。
就寝時間がきて、部屋に戻ると、
わたしたちの会議が始まります。
「いま、わたしたちに出来ることはなにか?」
保育学、教育学、社会学、
そして心理学といった異なる分野で
「子ども」を学ぶ4人で訪問できたからこそ、
とらえることが出来た部分も大きかったと思います。
えるだけではなく、行動にする。
これからのわたしたちの課題です。
また今回、3人中2人が「はじめまして」
からのMCL滞在だったため、
このような話を真剣に交わせる
大事な友だちが日本に増えたことも
MCL
で得た宝物となりました。
子どもたちと離れるのが、苦しくって、寂しくって、
本当は1番言いたかった「ありがとう」が
あまり伝えられなかったことが心残りでした。
今では次回訪れるときの宿題、
と都合のいい解釈をしていますが。
最後に、今までNGOの活動やボランティア、
国際情勢に足を踏み入れたこともなかったわたしが、
今回MCLを訪問したいという衝動にかられたのは、
友さんが見せてくださった子どもたちのスライドと、
こんな言葉がきっかけでした。
「子どもたちを助けようと思う前に、
まず子どもたちと友だちになってください。
友だちになれば、
相手が必要としているものはわかってきます。」
「(日本の心の貧しさに触れて)ぼくはMCLの子どもたちに、
『君たちが日本人をたすけてやってくれ』
って言ってるんですよ。」
本当にその通りになってしまいました。
日本に帰り、MCLを訪れた話をすると、
「ボランティアで?」と聞かれることが何度かありました。
そのたびに、
「こっちがボランティアされて
のこのこ帰ってきちゃいました。」
と苦笑している毎日です。
子どもたち、友さん、スタッフの方々、
本当に本当にありがとうございました。

長谷山文香



MCLでの記憶  お茶の水女子大学 佐藤 知美


MCLでの10日間は
本当に毎日が楽しくてキラキラとしたものだった。
全力で子ども達との触れ合いを楽しみ、
見たり聞いたりした現実を深く考えた。

子ども達はどこまでも明るく
懐っこく又可愛かった。
こんなに日本で自分を解放できた事があるだろうか。
子ども達と共に心行くままに
歌い踊り遊び大声で笑った。
MCLで過ごす間は、なるべく子ども達と
同じように過ごすよう心掛けた。
ご飯は手で食べ、
朝は早く起きココナッツの実で掃除をした。
中でも印象的だったのが、
井戸で洗濯をしている際に子ども達が寄ってきて
手伝ってくれた時の事だ。
初めは服を洗濯していたが、
しまいには私も丸ごと洗われてしまった。
太陽の下、服ごとの水浴びはなんとも気持ちが良かった。
5日目には電気のない村キアタウに一泊した。
夜6時には辺り一面真っ暗になり、
ただ蛍の光が木に宿り、満天の星空となる。
朝は太陽の光と木や葉、
家々が織り成す影はなんとも美しかった。
6日目の晩には、次の日の朝ご飯の手伝いを頼まれた。
いつももてなそうとしてくれる子ども達が
手伝ってと言ってきてくれた事が、
仲間として気を許し
認めてくれたような気がして本当に嬉しかった。
前日は夜遅く朝4時起きはきつかったが、
何がなんでも起きようと思った。
9日目は総会の後、送別会を開いてくれた。
子ども達に負けない満面の笑みでと思い、
歌い踊っていたが途中から堪えきれなくなった。
I miss you.’‘Come back again.
と泣き出す子ども達。
また必ず
MCLへと誓った。
この10日間、子ども達の純粋さに心癒され、
子ども達の屈託のない笑顔に幸せをもらった。
しかし、貧困や戦闘により暮らしが厳しい人々や
家庭環境で心に傷を負った子ども達、
家族の為学校へ行けない子ども達がいるというのも
また私達が見てきた現実である
フィリピンでは、保育園を出ないと
小学校に入れない規定が制定され
今後厳しくなっていく、という話も聞いた。
この年齢の子ども達に保育が重要だという以上に、
小学校への架け橋として保育園が必要となる。

今になって講演で松居さんが
おっしゃっていた言葉が蘇る…

「まずは友達になって、
それから出来ることを考えよう。」

10日間を通して、子ども達には多くのものをもらった。
これから大好きな友達に私達は何ができるだろうか。
最後になりますが、お忙しい中私達を迎い入れ、
多くを教え様々な経験をさせて頂いた松居さんを始め
スタッフの方々に感謝と敬意を表します。



北野財団が寄贈
マノボの山の村バンシランに
保育所が完成
開所式をした

3月7日(月)

可愛い子どもたちの
ためとは言え
モオー、人間どもは、
よくまあ
あんな山奥の村にモオー
保育所などを
たてるもんだモオー

保育所は、村人の尽力で見事完成していた


今年から、フィリピン政府は、以前よりさらに厳しく
保育所卒業を小学校入学の条件とした
その結果、こうした僻地の先住民は
さらに厳しい教育の機会喪失に見舞われていく
ここでも、貧困と格差が助長されていくのだろうか

開所式の読み語りと、セレモニー

そして、村人たちと共にお祝いの食事が振る舞われた

開所式が終わり帰路をたどる
この日で村との関係が
終わるのではない
この日から、
この村の人々との関係が始まる
保育所建設は、
このへんぴなマノボ族の村との
関係の始まりなのだ。



2月のスカラシップ総会は
訪問者の
歓迎送別会となった

2月27日(日)


アルメックの役員の方々にインタビュー
こちらでの経験と印象を
語っていただいた
北野財団http://www.kitanozaidan.or.jp/
アルメックhttp://www.armec.jp/の役員の方々、そして
お茶の水女子大と一橋大学の女子学生が訪問されていたので
その方々の紹介からスカラシップ学生総会が始まった。
訪問者の皆さんからの報告、現地での体験談は、
多くの若者たちを勇気づけ示唆をあたえた。
ミンダナオの子どもたち、若者たちは、
自分たちを遅れた途上国の貧しい人間として卑下している事が多い
また、日本の若者や人々は、
自分たちが先進国のより高度な文明社会を維持していると言う、
誇りに心を奪われて、閉塞状況に生きていることも多々ある。
共に交流することによって、お互いが保っているもの、
失ったものに気づき、真の尊敬と友情の輪が広がる
イスラム・マギンダナオ族の踊り
マノボ族の歌
ビサヤ系クリスチャンの歌が
披露された
訪問が、スカラシップ学生総会に当たり
みんなで歓迎と送別の気持ちをこめて
それぞれの宗教や部族に伝わる伝統を披露。
クリンタンの演奏に乗って、
イスラム・マギンダナオの踊り
マノボ族の歌
ビサヤ系クリスチャンの歌が披露された
マノボ族の衣装に身を包み
マノボ語で、マノボの歌を歌う
学校では、マノボ語を話す
ことは禁じられていたりする。
また、ビサヤ語と
タガログ語が
一般に使われている地域で
マノボ語は、恥ずかしい言葉

しかし、MCLでは、
読み語りなども
積極的に現地語を
使うことを奨励し
母語の大切さを
日頃から語っているので
臆することを知らない。
笑顔で、のびのびと
自分たちの文化を
表現している



こちらは、ビサヤ語の歌。
明るく、のんきで、愉快なのが
ビサヤの人々の特徴とされている

男子学生たちの愉快な踊りに触発されて
訪問者たちも踊った
どう見てもこの格好は、マノボ族のモンキーダンスの系列だが?

こちらは
伝統文化ではないが
現代的にアレンジされた
愉快なロックに触発されて
思わず訪問者たちも
踊り出した
大喝采と笑いが
周囲を包む

北野生涯教育振興会の卒業生に
島村氏から、直接賞状が渡される
北野財団(北野生涯教育振興会)は、
トヨタや日産、ホンダの車のヘッドランプ等を作っている
スタンレー電気の財団
工場のある、中国、ベトナム、インドなどで
就職希望の優等生にスカラシップ協力をしてきたが
ミンダナオ子ども図書館のようなタイプの
貧困の中でも極貧の子を支援するファンデーションに
協力するのは初めてだという。
毎年3名の大学生、2カ所の保育所を支援、
寄贈して下さっている
島村氏は、今回で二度目の訪問
今年の大学卒業生全員に
MCLから賞状
そして、卒業生たちの
後輩へのスピーチ
こちらは、MCLの
今年の大学卒業生たち
毎年、卒業生が増えていく
左のイスラムの二人の男性は
MCLのあるマノゴル村で
高校の先生
見習いをしている。
小学校の頃から
すでに7年以上
関わっている子たちもいて
私も感慨深い

毎年、卒業生たちには
自分たちの経験を
後輩に発表してもらっている
苦労話に
聞いている方も涙ぐみことも

感動的だった最後のお別れ会

またお会いしましょう・・・MCLファミリー



スタンレー電気
北野財団が寄贈して下さった

保育所がプノルに完成
開所式に島村氏訪問

村長さんのサインをもらい
テープカットを行う

北野財団http://www.kitanozaidan.or.jp/

今回の白眉は、北野財団
島村さん主演の
おおきなカブだった

島村さんが、おおきなカブになられた

こちらでは、おおきなカサバイモだが
猿もその大きさにビックリ
こちらは犬だ こっちはネズミ 村人たちの
ひさびさの大笑い?
ここは、絶えず
戦闘に見舞われ
避難民化が絶えない
イスラム地域ピキットの奥だ
そんな村に、
朗らかな笑い声が
みなぎった
このような
お付き合いを通して
村人たちの心が開かれ
MCLを愛し、信頼し
平和への想いが
強まっていく

絵本は真の平和を作る!



アルメック寄贈の
保育所が完成
開所式に役員が参加

2月26日(土)
アルメックhttp://www.armec.jp/
こちらは、アルメックが寄贈して下さった、保育所。
アルメックhttp://www.armec.jp/
到達するには、さらに奥に行かなくてはならない。
船着き場から、乗合船に乗る。
対岸はイスラム自治区で、
絶えず戦闘に見舞われている地域だ。
市にも話を事前に通して、
DSWDのグレイスさん方も同行するが
軍や私兵も警護をしている姿が物々しい。
私たちだけで行くときは、ここまで警護は無いが・・・

開所式の前に読み語りをした

この地域は、イスラム地域で、
マギンダナオ族
マギンダナオ語が
話されている。
小さい子たちは、
マギンダナオ語しか
知らない子も多い

しかし、保育所では、タガログ語が使われるので
スタッフが何語でお話ししようか、と聞くと
タガログ語!と言う言葉が返ってきた。
そこで私が、言った
「タガログ語は学校で習うけど、
マギンダナオ語は誰が教えてくれた?」
「お母さん、お父さん・・・!!!」
「そうだね、お祖父さんもその前のひいお祖父さんも・・・
だから、マギンダナオ語の方が、とっても大事なんだ。
MCLでは、読み語りの時に
その地の母語を優先する・・・」
この瞬間から、とりわけ周りの
お父さんお母さんの表情が変わった!

そして開所式が始まった
アルメックhttp://www.armec.jp/

アルメックhttp://www.armec.jp/

古着の支援もした
思いがけない、古着の支援に大喜び
この地域の子たちは、
ピキットの町に出るだけでも遠い
戦闘でも、繰り返し避難民化している
対岸は、イスラム自治区のダトゥピアンだ。
今日は、なけなしのおしゃれをしてきているが
衣服がほとんど無いのは目に見えている
それだけに、大喜びだった。



祝日、ウオーターフォールに
遊びに行った

2月25日(金)

ウオーターフォール村の状況は良くない
男性も小学生の高学年の子たちも
時には家族総出で
サトウキビ刈りに駆り出され
村には小さな子どもと女しか残っていない

皮膚病の子と風邪の子を医師の元へ

滝で遊んだ


訪問者の方々も
ファミリーの一員

つかの間の休日
みんなで滝に泳ぎに行った
リスター君のお兄さんも参加
すっかりMCLが
気に入った様子だ
村の子どもたちも一緒に
お昼を食べて
遊んだ


この村出身の奨学生も多い

村では、3食たべられない家族も多い
肉や魚どころか
米のご飯も食べられない
それがわかっているので
村の子たちも皆呼んで一緒に食べ
一緒に遊んだ




北野財団の寄贈
カンポゴンの保育所を目指して

2月24日(木)

北野財団の寄贈して下さった
カンポゴンの保育所は馬で行く

馬でも歩けない場所は
ジャングルを徒歩で登っていく


この村の小学生、高校生は
この道を毎日通っているのだ

カンポゴンの村に着いた

ようやく、山上の尾根にある
カンポゴンの村に着いた

建設中の保育所を目指して
最後の登り

資材を運び上げる困難から
開所式には間に
合わなかったが

一生忘れならない
想い出になった

みんなで昼食

ようやくラナコランの下宿小屋まで帰ってきた
あの山奥の子たちが
安全に通えるように
この下宿小屋を使っている



高地マノボ族の村
キアタウに泊まった
2月23日(水)

キアタウの子どもたちと

翌日は、馬に乗り
保育所の開所式に出発



マキララを訪ねる
2月21日(月)
マキララの奥の小学校、
2年前に初等小学校から6年生の小学校に・・・
この村は、5年ほど前までは、NPAの拠点でもあり
戦闘が絶えなかった。
山麓に広がる、広大なドールのバナナ農園を抜けて、
山岳民族の集落を越えて
移民系のこの集落に達する道程は、
グローバル経済の抱えている矛盾を目の前で理解できる。
ドールのバナナを覆っている新聞紙は、日本の新聞
日本向けのバナナプランテーションが、人々を追いやり
それに反対してNPAが立ち上がり戦闘が起こった。
私が、来た2000年頃は危険地域では入れなかったが
今は、この地から多くの奨学生を取っているし
MCLの農場もある。
上記のイスラム地域と同じ問題が、ここにもある。

この村で、
今高校を建てようとしている。
はるか山麓にしか
高校はないから・・・
MCLジャパンで、
土地を寄贈、
今年の6月から
一年生のクラスが始まる。
右の掘っ立て小屋は
何かというと
村人たちが、
一生懸命出資して
小学校の子たちも、
トウモロコシを栽培して
やっと建て始めた、
高校の教室。
この掘っ立て小屋で
6月から授業が始まる。

こちらは、小学校。
かつては、
屋根だけの下で勉強していた
初等小学校だったが
2年ほど前に教育省が
教室を作った

小学校の側にある、MCLファーム
MCLの農場を守って
下さっている
ピサンさん一家
子どもたちは、奨学生。
この地に、今、MCLは
下宿小屋を
建てようとしている。
高校生たちが下宿して
通えると同時に
近隣の山岳地帯から
小学生たちが下宿をしながら
学校に通えるように・・・

この村には、JICAの支援で
給食事業が行われていたが
それが止まってから
学校に通えない子たちが
また増えてきたという。


皆で食事をした

ここに、高校生の
下宿小屋を作り
農業をしながら
勉強が出来るように
する予定だ。




リスター君の家を訪ねる
村の生まれでありながら、土地所有者に父親を殺されたリスター君一家。
まず、お兄ちゃんを迎えに行き、一週間、MCLで生活してもらうことになった。


お昼のおかずの
芋を掘ってきた
お母さんもやってき
この日、
リスター君のお兄ちゃんが
家族に一足先だって
MCLに来た。
3月に、
姉妹が学年を終えると
リスター君やお母さんも含め
みんなでMCLに引っ越す。
父親が殺された家族たち
それでも、
MCLに来られることで
ずいぶん顔つきが
明るくなった。

犯罪心理学を学んでいる
学生もいる
何を感じているのだろうか



お茶の水大学の3人と一橋大学の女子学生が
山上のマノボ集落を訪問

2月20日(日)
お茶の水大学の心理学を学んでいる3名と、
一橋大学で経済を学んでいる一人、
日本の若者たち4人の女性が、
ミンダナオ子ども図書館を訪れた。
きっかけは、私が、お茶の水大学で講演したこと。
学校と本で学んだことが、
初めて現地で子どもたちに出会い、
人々との交流で息を吹き返していく。
学校で見た若者たちが、時がたつたびに、
ここで息を吹き返したように
のびのびとしていく姿を見るのは、楽しい。
もともとキダパワンの市に近い、
山麓に住んでいたマノボ族が
プランテーションや移民の土地所有に追われて
こんなにも高い尾根上に集落を作って、
住み着くことになった。
MCLに土地を譲って下さった名門のマノボ族
亡きスーザン・インカルさん
お父さんは、初代のキダパワン市長だったが、
土地を譲り、売り渡していった。
その親戚たちも、今は、低地の土地から追われ、
この村のさらに奥の集落に移っている。


自分たちの所有地は
ほとんど無く、
ホウキ草で箒を作っては
町に売りに行くのが、
唯一の収入源だ。

大事なのは
しっかりと見て受け止め
感じ取り、理解し
そして、何が出来るか考えること
この地から高校生の
奨学生を
一人選んだ。
成績も良いし
この村との
コンタクトパーソンとして
役割を果たしてくれるだろう。
家は非常に貧しいが
自ら野菜を売りながら
高校まで進学。
スカラシップが
決まったとたんに
泣き出した。






村を回って子どもたちを集める

村に着くと、読み語りの場所を決め
その後、村を回って子どもたちを集める
そのとき、村の人々と話をし、
その地の生の声を聞き
現状を把握していく。

いよいよ読み語りが始まった

たとえ言葉が通じなくても、
子どもたちの表情から
多くの事を
学ぶことが出来る

日本の若者たちが
ここから何を学んでいくのだろうか

その夜は、みんなに読み語りを


アルバちゃんを訪ねる
かつてやせ細り、
餓死寸前で難民キャンプで見つかったアルバちゃん
行橋カトリック教会のミルク支援で、
すっかり丈夫に
目は見えないけど、
座ることも出来るようになりました。
奇跡的に。
これからも、支援を続けます。




母さんの亡いマロットに、ロラが見つかった!



ダバオから来られた
大本さん一行
姉さんの田中衣子さんが
去年足と腕を骨折して
山から運ばれてきたマロットの
支援者になってくださった
母さんの亡いマロット
まるで母親のように甘えて慕う
今も、写真を見るたびに
懐かしくなって涙ぐむマロット

マロットへ
                          たなか きぬこ

ミンダナオ子供図書館に行ったときに、
マロットに会えて本当によかったです。
私には日本に3人の孫がいますが、
マロットは4人目の孫のような気がします。
みんなといっぱい遊んで、
勉強もしっかりね!
5月には日本に帰るので、
マロットのことを皆に話します。
またいつか会える日を楽しみにしています。
 
   ミンダナオ子ども図書館に滞在した思い出:田中 衣子

たった1泊2日の短い日程でしたが、
ミンダナオ子供図書館に行けたことは、
大きな感動の2日間でした。
美しく手入れされた庭や畑もそうですが、
何よりも感動したのは、そこにいる子供たちです。
小学生から大学生までおよそ
50人程の子供たちは、どの子も明るく、
人懐こく、親切で、もてなしの心と節度を
持っているのを何度も感じました。
今の日本の子供たちが失ってしまったものを、
ここの子供たちは皆持っているのです。
食事の時、私達訪問者には彼らより、
立派なお魚のから揚げがついていても、
欲しそうな顔をすることもなく、
果物を切り分けた時も、
一番に私達のところに持ってきて勧めてくれます。
少しだけ一緒に遊んだバスケットボールの時も、
ボールを何度も私に渡してくれました。
ここに来るまでには大きな困難な
状況の中にいた子供達ばかりなのに、
こんなに明るく、のびのびと生活出来るのはきっと
松居さんの教育がすばらしいのだと思いました。
次の日に連れて行ってもらった、
貧困地域での読み聞かせや、
子供図書館での活動は
ほとんど学生が自主的に行い、
松居さんご自身は助言する程度とのことです。
キリスト教徒とイスラム教徒の人がともに過ごすことで、
大人になっても反発しあわないで
共存できる社会を作ってほしいという
松居さんの思いはしっかりと彼らに届いています。
一緒に写っているのは、私の里子となった
ローズマリー、愛称マロットです。
日本に3人の孫がいますので、
4人目の孫ということになります


ロラ(おばあちゃん)に甘えるマロット
妹さんの
大本和子さんの方は
両親の亡くなった
イスラム教徒の少年と
父親を亡くした少女を
支援してくださる
事になった
和子さんは、
現在ダバオの日系人会
が経営する
ダバオ国際大学の
日本語教師を
ボランティアで
勤めていらっしゃる。





大本さん方は、読み聞かせにも参加された。
ミンダナオ子ども図書館のストーリィテーリングは、
絵本の読み聞かせから
次第に読み語りにシフトしている。
ミンダナオでは、オリジナル言語の絵本が無く
現地語を生かすためには
語りを取り入れる必要があるからだ。
それにしても、皆、語りが驚くほどうまい
子どもの頃から、お話を聞いて育ち
昔話も生きている世界だからだ。






機関誌『ミンダナオの風』発送と子どもたちからの手紙
毎年、年四回
機関誌『ミンダナオの風』を
発行している。
それにあわせて、
スカラシップ支援者の方々に
子どもたちからの
手紙を同封する。
手紙を持ってきた子供たち
プロック8村にて
子どもたちは、一生懸命手紙を書くが、
小学生の場合は文字や英語が書けない子もいて
書ける子に手伝ってもらったり、
タガログ語の子は私たちが英語の翻訳をつける。
中には、私宛に、熱烈なラブレター?をくれる子もいる。
どうやら、足長おじさんのように思ってくれているらしい。
胴の方が長いのだが・・・・・
「We love you !
お願いがあります。
外国にいったら、私を受け入れてくれる、
もう一人のお父さんを
見つけてきてくださいね。」
と書かれている。
ミンダナオの子どもたちは、
自分の想いを素直に一生懸命表現しようとする。
スカラシップを受けている
子たちの
現状を調査するのもこのときだ。
貧しいマノボの村では
親のいなくなった子は
大変だ
今回の調査で、小学生のスカラシップ
(里親奨学制度)の子たちだが、
母親が亡くなり、父親は別の女性と
いっしょになったまま行方しれず。
完全に見放された状態でいることがわかった。
右の男の子(小学生)が、左の妹と従妹、
右の継母の祖母の面倒を見ていた。
他所の田んぼや畑の草刈りや日雇いをして、
日銭を稼いで妹たちを学校へ・・・・
彼の成績が落ちてきているのでわかったことだ。
三人は、上の祖母の家を始め、
親戚の家を転々として生きている。
身よりも無い状態なので
ミンダナオ子ども図書館に引き取ることに決めた。
自分の家に
里帰りした奨学生も
元気だった。
ミンダナオ子ども図書館に
戻るための
山からの交通費を
稼ぐために
アロナは、山で一日
薪拾いの日雇いをしていた




ミンダナオ子ども図書館便り:
京都暁星高校から訪問、保育所建設


ザンボアンガに保育所を建てているNGO、
ボランティア95のフェルケルさん他皆さまが、立ち寄れました。
マノボの集落プロック8で古着をわたしました。今後のお付き合いが楽しみです。
戦闘のひどかったイスラム地区ピキット
ピキットのトンドと呼ばれるゴミ捨て場地区フォートピキットで、
京都暁星高校  が保育所を建設。
仁科先生が、奥様と3歳の娘さんを連れて訪れ開所式に参加されました。
開所式の後に、奨学生たちが読み語りをし、古着を渡しました。
そのとき、ゴミ捨て場の向こうから、うれしそうに手を振る家族がいました。
近寄ってみると、なんと難民キャンプ時代に兎口を治した少女とその家族でした。
5年ぶりの再会で、少女はすっかり娘らしくなっているのに驚きました。
その後、仁科先生は、ご自身が支援しておられる山のマノボの高校生、
グレンさんの授賞式に参加しました。
山の高校の授賞式で、グレンさんは最優秀でした。
2008年度の支援学生候補が、ほぼ出そろいました。
皆さんのご支援をお願いします。




ボランティア95の訪問者の方々と!
ボランティア95は、
阪神神戸大震災の時に生まれたグループ。
今は、ミンダナオ出身のシスターと共に、
ザンボアンガで保育所を支援している。
今回は、現地へ向かう前に、
ミンダナオ子ども図書館の視察に訪れた。
2泊三日という短い滞在だったが、
マノボの村、プロック8を訪問、
いっしょに古着の支援をしたり、充実した日々だった。
同じNGOとして、私たちも、
いろいろと学ぶことが多かった。
今後のおつき合いが楽しみ。
ミンダナオ子ども図書館から
望む満月
電気を消すと、
たくさんの蛍が飛んでいる
若者たちの話だと、
夜はこのあたりに妖精が飛んでいるという。
特に、満月の夜は要注意!
妖精に声をかけられても、返事をしないこと。
あっちの世界に連れて行かれて、
帰れなくなることがある。
特に大きな木や岩のある場所は、
気をつけて通り抜けること。
「ああ、きれいな月夜だなあ」などと
賞賛する言葉は、絶対に言ってはならない!

妖精が振り向いて「こっちへおいで」と誘うから。

京都暁星高校がピキットに保育所
仁科先生が、学校を代表して開所式に参加
今回、保育所を建設した場所は、
ピキット市の町の丘の裏側にあたる、
フォートピキットと呼ばれる地区。
ピキットの町中心部は、
移民系クリスチャンも住んでいるが、
この地区はスコーターエリアと呼ばれ、
貧しいイスラム教徒が都市に吹きだまった地区。
マニラのトンドほど巨大ではないが、
市のゴミ捨て場地区で、
ゴミを拾いながら生活を立てている人々も多い。
子どもの数が多い割には、
教育環境が行き届いていないので、
保育所建設が待ち望まれていた。
保育所が完成して、大喜びの住人たち。
開所式の後、さっそく読み語りを、
ミンダナオ子ども図書館の若者たちが行った。
初めて絵本を見る、子どもたち。
その後、古着の支援を開始。
男の子たちの腕の見せ所だ!
真ん中の写真は、
左はじイスラム教徒
次にビサヤ系クリスチャン
右の三人は、マノボ族。
三歳の悠河ちゃんを抱いた
仁科先生を、
イスラムの子どもたちが囲む
宗教や民族の違いを超えて
子どもたちはいつも可愛い!

これが、ピキットのトンドと呼ばれるゴミ捨て場だ
右奥に大きな丘のようなゴミの山がある
ゴミ捨て場の中から必死に手を振る
父親と母親と少女がいた
本当にうれしそうに手招きし
こっちへ来い、こっちへ来い、と言う。
いったい何だろうと不思議に思い
ゴミの中の道を通っていくと
何と・・・・・・・アニサちゃん!


5年前に
手術をしたときの写真
左は手術前
中は手術直後
右は翌日


父さんの顔も懐かしい
(白い服)
母さんも元気そう
上写真の右奥が
アニサちゃんの家
近づくと、どこかで一度会った顔だ!
しきりに、「あのときのヘアリップの子の・・・」と言う。
てっきり、ヘアリップの手術を頼みたいのか
と思うが、それにしては満面の笑顔!
父親の顔に記憶はあるが・・・・
娘も、どこかでみたような????
唇をみてハッと思い当たった!
手術の痕がかすかに見える。そうか・・・・
確か隣のパガルガン難民だった家族。
ヘアリップを直すために繰り返しダバオに通い、
寝食を共にした思い出が突然浮かび・・・・
あのときの!アニサちゃん?
大きくなって、しかもすっかり娘らしくなって!
こういう出会いは、お互いに本当にうれしい。
肩をたたき合って喜ぶ。
それにしても、このような場所に住んでいたとは。
口では言えない苦労もあったんだろうな。
京都暁星高校は、かつて支援している
奨学生を日本に招待してくださった。
寒い雪の宮津のクリスマスだった。
高校生同士の交流と、ホールでのクリスマス劇に、
マノボの奨学生も民族舞踏を踊った。
懐かしい思い出が胸をよぎる。
4年ぶりの懐かしい再会
新しく支援してくださる
奨学生との出会い!
その後、支援している奨学生の村へ
車で1時間以上、途中で車が動かなくなるアクシデントも

車が動かなくなって
援助の車がくるのを待つ
TBSのテレビを見て
立派な車を持っていると
勘違いしている
支援者の方々へ
あの番組は、
トヨタがスポンサーなので
意向でわざわざレンタルした
トヨタブランドの車です
豪快に川を渡る
シーンがあったりして(笑)
うちの車はあの撮影の後に
川を渡る途中
川の中でエンコしたのだ!
逆にそれを放映したら
いかにトヨタの車が
性能が良いか
宣伝になったのになあ
どなたかあのような
ハイラックスを
一台寄付してくださいませんか

車はエンコしたけど
何とか表彰式に間に合った
というより、フ
ィリピンタイムで救われた
何と午後に
延期されたのだった
左は、仁科先生が
個人的に支援している
マノボ族のグレンさんの
表彰式
ファーストオーナーに輝く!
右は、やはり
オーナーになった
メロージェンの授賞式!
こちらはキダパワンにて

一週間の滞在は、様々な思い出を、若者たちの心に残した
涙なみだのお別れ会。
いつも思うが、ミンダナオの若者たちは、心から純粋に愛す力を持っているようだ。
出会いによって、毎回涙の質が違うのは、出会いが毎回異なっているからだろう。
仁科先生の場合は、娘さんといっしょに、まるで訪問者というよりは、
家族の中に家族が入ったような感じ。
若者たちは、「家族」というものを強く感じたようで、
特に幼い頃から両親がいない子などは、食い入るように楽しそうな家族の様子を見ていた。
いつか自分たちも、あんな楽しそうな家族を作ってみたい・・・・
良いことだと思う。
悲しい別れも
元気な笑いの中で
再会の誓いに変わっていく
彼らは、自分の家族が増えた
そう思っている
今度きたときは
お帰りなさいと言って
迎えるだろう



戦闘の後遺症を抱えるイスラム地域のマカブアル村に
小学校が建設されることに決まり、
日本大使館主催の調印式に出席しました。
 今回の調印式は、日本政府が主催し、
J-Bird(日本―バンサモロ・イニシアチブズ・
フォー・リコンストラクション・アンド・デベロプメント)
の代表と
MILF代表とARMM(イスラム自治区)代表、
MIT(国際停戦監視団)の代表出席のもとで
行われた。
選ばれた7団体は、ほとんどが現地NGOであり、
ミンダナオ子ども図書館も
一現地NGOとして選ばれた。
今回は、主にARMM(イスラム自治区)における
小学校や文化施設、水道施設に対する支援。
調印式の様子は、
フィリピンのテレビ局によっても報道された。
日本のNGOであるHANSが後押しする
水道施設と共に、
ミンダナオ子ども図書館が支援している
マカブアル村の小学校建設が認可された。
マカブアル村は、ピキットのMILF地域の
中枢に属しており、
戦闘中も子どもたちも含め
難民キャンプ入りが許されず、
その後も、ワールドフードなどによる食料支援も
なされなかった地域。


日本大使とサインした書類を交換




現在も道が意図的に遮断されて
一般車が入れず、4WDで、
踏み跡をたどって入るしかなかった。
(戦闘を常に意識して、
道路をあえて反政府側が遮断し、
穴を掘ったりして通れなくした結果)
ミンダナオ子ども図書館では、
2年前からこの地から
スカラシップ奨学生を採用してきた。
続いて小学校の里親奨学制度の
重点地域に指定。
30名の子どもたちが学校に
通えるようにしてきた。
その後、読み語りや医療を展開し、
村長をはじめとする村の人々と
信頼関係を築いてきた。
 今回の学校建設は、
地元の人々の強い要望から、
実現したもの。
嘆願があった当初は、
ミンダナオ子ども図書館で
建設を考えたが
地元の要望に添う恒久的な
しっかりしたものを建設する必要を
考えると、個人支援に頼る
小さなNGOでは無理。
 中途半端な仕事はしたくないので、
日本政府の支援を仰ぐことに
決めて活動開始。
 その意味でも、今回の認可は、
現地の子どもたちを含む多くの
人々の期待に応えるものだ。

現地の子どもと親の希望から出発し、
さらに村長と学校の先生の期待を確認した後、
ピキットのDSWD(福祉局)を通して、
ピキット市の行政としての意志を確認。
ミンダナオ子ども図書館は、
実務を担当することにした。
現地の人々と現地行政、
そして日本政府とを結ぶ橋渡しの
陰のお手伝いに徹するために
ピキット市のエンジニアに依頼して
見積もりと計画書を作成。
さらにピキット市から提出する書類を
代理に作成して提出。
また、陰で、ミンダナオ子ども図書館の
ボードメンバーであり、
キダパワン市の銀行などの建築も
手がけている設計技師(エンジニア)の
ダニー氏のアドバイスや協力も大きい。






この地域は、
2000年の戦闘時期から、
意図的に車の通る道を破壊しており
(反政府勢力の地域の特徴)
今回も大使館から建設における
安全の確保について打診があった。
私たちは急遽、
マカブアル村の村長以下
役員と学校の先生方との
会合を現地で開き、
直後に予定していた
ピキット市長との会談に結びつけた
(左写真はピキット市長
との会談のようす)。
その結果、安全の保証が
市行政と村の両者から得られた。
村はMILFの勢力下にあり、
市行政側はMNLFに属しているので、
行政側の安全保障だけでは
不十分である。
その点で、両者の保証が得られた
ことは大きい成果だ。
しかし、マカブアルの村長(MILF)と
市長(MNLF)が従兄弟どうして
あったのには驚いた!
時々、互いに戦闘を起こしている
はずなのだが・・・
ピキットのある構造の一面を
かいま見た体験。

今後の予定としては、現地の視点に立ちつつ、
IMT(国際停戦監視団)とJICAなどと
連絡を密にとりながら、現地の学校建設を開始する。
現地には、スタッフが毎週おもむき、
状況を逐一報告していく予定。
完成すればピキットでおそらく最も新しく美しい、
5教室の小学校が建つ。
閉ざされていたMILF地域の中枢に、
こうした学校施設が建ち、
将来的には500人を超す子どもたちに喜ばれるのは、
大きな意味がある。

マニラでの調印式では、最後に英文の俳句で
ピキットの戦闘の悲劇が述べられたが・・・
2001年2002年と、現地の悲惨な
難民キャンプを見たときの私のショック。
それをきっかけに始めたミンダナオ子ども図書館。
さらにその後も難民キャンプを訪れて
子どもを救済したり、難民が村に帰っても、
心が破壊された子どもたちへの読み語りと
医療をしてきた記憶が、
ドッと胸によみがえり、不覚にも目頭が熱くなった。
現在は、この地から多くの大学、高校、
小学校の奨学生を採用している。
戦闘当時、父親を亡くし、心が千々となり、
表情の失われていた彼らが、
今は生き生きとした顔で大学や高校に通っているが、
今年の奨学生候補も多くが、
ピキットからで、応募してくる若者たちの
多数が、父親を戦闘で失っている。

ただ一つ気になるのは、ピキットで唯一、
反政府組織の奥の院と呼ばれ恐れられてきた
ブアラン村の学校が、2000年の砲弾の跡を
残したままであることだ。
今年度の奨学生候補はブアラン村を選び、
先年暮れ高橋毅氏の寄贈で、保育所も建設された。
願わくば、このブアラン村に、
小学校を建ててほしいのだが・・・・
父親は亡くなって、祖父母に育てられている子が多い。
ブアランの小学校に関しては、報告書に記載
下は、2000年と2002年の戦闘で
壁や床の崩れたブアランの小学校。


壁は、2000年、2002年の
戦闘で崩れたままだ

教室内部は、
破壊されたままの地べたが剥きだし
このようなところで、
毎日勉強している子どもたちの
複雑な内面を考えると・・・・
ブアランの小学校は、教室が足らず
4年生は、
このような小屋で、
勉強をしている。
今年から、
さらに5年、6年と
学年が増えていくが
いったいどこで勉強するのだろう





今回、奨学候補生の家庭調査で訪れたさいの、ブアラン村の写真
ブアラン村では、父親が亡く
お年寄りが子どもを
育ているケースが多い
これも戦闘の悲劇だ
村人たちは恐れて
帰ることが出来ず
最近になってようやく
戻ってきた

家並の奥に、
高橋毅氏寄贈の
保育所が見える
今回の奨学生候補の一人 ほとんどの家が
崩れかけたような
粗末な家だ
ブアラン村
森と湖沼に覆われたこの地は、
戦闘の被害が最も深く激しかった地域
あれから7年たった今も
私たちの小学校は、砲弾の傷を残したまま
政府もNGOも、恐れてここまで来なかった
村人たちも、ようやく数年前から
少しずつこの地に戻り始め
学校も、今年から5年、6年の学年が増設される
けれども、教室が足りなくて
あっても、床が破壊され
土が丸出しのそんな中
亡くなった父さんや母さんを
思い出しながら勉強するのは・・・・
・・・・・・・・・・・

ミンダナオ子ども図書館の今年の課題

今年度の予定として、ARMM(イスラム自治区)サイドのパガルガンの
学校等の調査を独自に始めます。
私たちは、ピキット以前には、医療などで、
イスラム自治区のパガルガンと関係を有してきました。
ARMMサイドは、ミンダナオ子ども図書館の出発点となった地です。
とりわけ戦闘直後に学校を焼かれたイノクオグ集落など・・・・
2003年、パガルガンのイノクオグを訪れた体験を、
訪問直後書いた奨学生ベビンさんの記事

(彼女は、現在スタッフで、ライブラリーを担当している。)
また今年は、ARMMサイドのイスラム地域の卒業生の一人が、スタッフに採用されます。
すでに同地からの奨学生候補も出そろっており、
より貧しく困難なイスラム自治区にウエイトを置いて活動を進めていきます。


マノボ族のダトゥインダ村に、保育所が完成。
寄贈者の丹原美穂さん、開所式に訪れる
 「いったい松居さん、
私をどこに連れて行くつもりなの?」
と言われてしまった。

ダトゥインダ村は、丘陵をいくつも超えて、
道がとぎれる場所から、バイク道を通って、
さらに丘をいくつも超えた場所にある小さなマノボ族の村だ。
もちろん、4WDでないと、この地までは来られない。
下の写真は、今回保育所を建てたダトゥインダ村の全景。
 「数件しか家が建っていないじゃないか」
と言われるかもしれないが、この周囲に
たくさんのマノボ族が住んでいるのだ。
保育所には、35名を超す子どもたちが集まる。

ここから、学校までは
5キロの道を行く
4歳から5歳の保育所つまり
プレスクールの子どもたちが、
雨の日も風の日も
毎日通える距離だろうか?・・・
それにもかかわらず、
先々年から
政府はプレスクールを
経由しなければ
小学校に入れないという
奇妙なシステムを作ったのだ。
今でこそ、この辺り一帯は、丸裸の丘陵地だが
戦前まで、ラワンの巨木が生い立ち、熱帯樹木が生い茂り、
猿や色とりどりの蝶や鳥が舞う熱帯雨林だった。
大木が、ことごとく伐採されたのは戦後で、
ほとんどは、経済成長を続ける日本に輸出された。
その結果、大地は保水力を失い、
雨はそのまま大量の水を川に運び流れ出す。
保水力を失った高地は乾燥し、下手の大地は洪水となる。
この地の下手こそ、私たちが通っている
ピキットなどのイスラム地域で、
絶えず洪水に見舞われている原因は、
上手の地にあった熱帯雨林の伐採の結果なのだ。
日本人がまずは踏み込むことのないこの地は、
日本とは、深い関わりを持った地だった。


先日奨学生の調査で訪れた
際のピキットの洪水

悲劇はこうして作られる
この地域の最大の悲劇は、巨木の伐採と共に、先住民族であるマノボ族が
土地を奪われ追い立てられていったことだ。
ミンダナオ子ども図書館で、娘の面倒を見てくださっているエディットさんは、
マノボ族だが、当時の体験から明確になってくるのは・・・
マルコス時代、政府は、ルソンやセブ、ネグロス、ボホールやイロイロと言った、
ミンダナオ島外からの移民政策をとった。
その方法は、まずは先住民族の住んでいる土地を、
所有者の無い土地と断定して、移民たちに売却する。
しかし、すでにマノボ族が先祖代々住み着いて、自給耕作をしていた土地である。
簡単に明け渡すわけにはいかないのは当然。
そうした強引な方法に対して、当然ながら、土地を守るための戦いが始まった。
これが、組織化されたのが、NPA(新人民軍)と呼ばれるゲリラだ。
NPAは、共産ゲリラとも呼ばれており、現在もフィリピンの山岳地域をはじめとして活動している。
ミンダナオでは、ほとんどの山岳地域が、何らかの形でNPAと関係している。
私たちの活動地域にも多くいるが、実態を追求したことは無い。
これら反政府活動に対して、政府側は戦闘を起こしていった。
政府側の言い分としては、ゲリラ活動に対する防衛措置である。
その結果、戦闘地となった場所にいられなくなり、マノボ族であるエディットさんたちは、
指定された難民キャンプに避難を余儀なくされた。
こうして、数ヶ月から半年以上、難民生活をして帰ってみると、
土地は移民系のクリスチャンの所有になっていたのだ。
その後、エディットさんの父親は理由無く殺害され、ご主人は、
NPAゲリラという容疑を着せられて殺害された。
現在のご主人は、移民系クリスチャンであり、娘さんの一人は、
ミンダナオ子ども図書館で経理を担当して今回結婚するルッチェルさん。
意図的に戦闘を作り、現地の人々を排除したり、経済的困窮に陥れて、
地域を思うように開発しようとするやり方は、ゲリラという呼称がテロリストに代わっただけで、
現代でも至る所で行われている。
ミンダナオだけではなく、世界の紛争地帯では、同様の手法が使われている。
そうした現地政府の背後には、世界の経済を牛耳っている先進諸国の影がある。
NGOもその片棒を担ぐ存在に過ぎないのだろうか。

  
丹原美穂さんは、この二つの地に保育所を建設した。
マノボ族の村では、子どもたちから大歓迎を受け、
ハーモニカを吹き、日本から持ってきた
チョコレートを配り・・・
とりわけ、シャボン玉は大成功!!!
至る所で子どもたちに夢を与えてくれた
単なる物より消える物の方が、心に想いを残す?
日本で必死になって練習してきた
ハーモニカを吹く丹原さん
「ふるさと」は、戦中日本軍の侵攻で亡くなった
ミンダナオの人々と日本兵の鎮魂のために
「歓喜の歌」は、平和のために・・・等々
一曲一曲に切実な想いを込めて
汗びっしょりになってハーモニカを吹く姿が、
人々の感動を呼んだ
「あの人は、単に貧しい子に物をばらまいて
自己満足したり低開発国と見くだして、
安易な発言したりする人じゃない」
地元の人々は、すぐにそれを感じ取った。

 

洪水に悩む下手のピキットの村、
ブロッドにも丹原美穂さんは保育所を寄贈した
反政府地域だった
イスラムの人々の前でも
鎮魂の歌を
ハーモニカで奏で
平和への祈りを音に託す
小さな子どもでさえも
しーんとなって耳を澄ます
丹原さんを
心から受け入れてくれた瞬間
イスラム教徒もキリスト教徒も
丹原さんのような、無宗教も
仏教徒も神道も
自然崇拝も
精霊崇拝も
皆同じ心を持った人間だ


ミンダナオ子ども図書館でのシャボン玉パーティー
丹原美穂さんの今回の滞在で大成功は、シャボン玉だった。
この滞在のために、シャボン玉メーカーは特別に、
一つ一個の特製ストローをつけてくれたのだという
ミンダナオ子ども図書館は、一瞬、シャボン玉に包まれて、別世界になった。




想い出の
ウオーターフォール


日々の記録
それはまるで、
怒濤のような日々だった
日本のTBSテレビのスタッフが
貧しいマノボの村に、
日本の若者たちが
保育所を建てると言う設定で
学生5名に、
タレント一人を
加えてやってきた
彼らが来る前週に
村には、電気が来たと言う場所で
テレビの取材がどのような
意味を持つかもわからない人々
最近になって、ようやくアポ山が、
世界で二番目に高い山、であることに気づいた人々。
去年、フィリピン人がエベレストを初登頂して、
彼らは目前に仰いでいたアポ山が
世界で一番高い山ではないことを知った。
「エベレストはどこにあるの?」
「アポ山のむこうの方・・・」
 
でも、子どもたちは、
物々しい機材と共に遠くから来た人々を
初めは用心深く、
しかし、すぐにうちとけて迎えてくれた
とりわけ、主人公の若者たちとは
うちとけるのも早かった
建設は夜遅くまで続いた
何しろ、通常2週間以上
かけてする仕事を
5日でやることになったのだ。
仕事に対する考え方が
現地と日本では、
天と地とも離れているのでとまどいも大きかった。
こちらの人々の仕事の方法は、
昔の日本のように「心意気」が大事であって
「時間」が「心意気」よりも優先されていく
現代の日本の考え方が理解できない
大工やスタッフの反発もあったが、
最後には、ディレクターの谷氏の
「心意気」に押されて成功した・・・・
過去、日本人の間に生まれ、
日本語も語れるおばあちゃんの存在
その姿から、若者たちが学んだことも多かった
軍事時代の負の歴史
決して日本人が、好意的に見られてはいないこと、
それをどのように友情で乗り越えていったらよいのか
今回の最大の驚きは
日本人の学生とスタッフが変化していく様子だった

知らず知らずのうちに
「先進国」と言う意識を持ち
現地の文化を
破壊してしまうこと
見知らぬ国の
異なった文化の人々の中に
どのように
とけ込んだらよいのか
ただ単に、お金にまかせて
保育所などの
建物を建ててあげたり
日本で発想した
押しつけの教育方法を
持ち込んでもだめなこと
いかに現地の人々の
文化や言葉
そして、心を理解して
それに寄り添うようにして、
物事を進めて
いかなければならないか
現地の人々の
食べているものを食べ
バナナと芋とコーヒーと野菜
といっても、日本の甘い
バナナではなく
ぼぞぼそしたバナナに
塩辛をつけるだけ
野菜と言っても、
山菜のわらび
そのような質素な
食べ物しかない日々
こうして最終日の夕方近く
待望の保育所が完成した
ミンダナオ子ども図書館の
規格より
一回り大きな保育所には
ガラス窓も入り
作業にかかる値段も
50万円ほどになったが
立派なものが出来た
ただし、屋根の
青いペンキだけは
雨が降って
塗り終わることが
出来なかった
内側には
若者たちが苦心して作った
アルファベットチャートが
かけてある
マノボ語が入った
アルファベットチャートは
初めての事だろう
これらも彼らが学んだ成果だ

陰に陽に、ミンダナオ
子ども図書館の若者たちも
お手伝いをした
彼らにとっても、
思い出深い日々だった
お別れ会の時には、
皆涙を流した
人に対して、
純粋に心を開くだけに
別れには深い悲しみを
覚える若者たち
早朝、学
生の一人の誕生日には
みんなでハラナをした
夜明け前に起き出して
みんなで誕生日の
歌をうたうのだ
涙を流したイッセイ君
別れの日には、
日本の若者たちも
泣き出した
とにかく、怒濤のような日々だった
スケジュールとタイムキーピングに
追われる日本の仕事。
それとはまるで正反対に流れる
ミンダナオの時間。
その強烈な軋轢の中で、
どうしても期日までに映像を仕上げなければならない・・・・
ギリギリの状況での活動だっただけに、若者たち、
日本人スタッフに訪れた心の転機は、
大きな意味をもって今後も生きてくるだろう



日本から4名の若者たちが訪れた
山田秀徳くんを中心として、YWCAの仲間たち
秀徳くんは、日本事務局をしてくださっている山田順子さんの長男
空手とアクアラングが得意な青年・・・と言っても31歳だが
ムスリムデーが近いので、イスラム教徒の若者たちとピキットの市場へ、
イスラム料理の食材を求めて・・・
ピキットの市場は、キダパワンと全く違った趣があり「これぞアジアの市場の原点」
スタッフのジェックジェックさんの山の実家で一泊したあたりから、顔が変わり始めた
図書館の若者たちともすっかりとけ込んで・・・
実は、秀徳くんの訪問には、大きな目的が一つあった。
現在、日本事務局の山田順子さんが、癌が進んでいることがわかり
コバルト治療を始められた、経過は良いようだが、治療が一段落したら
「もう、日本ではなく、ミンダナオ子ども図書館に住みたい!!!」
そこで、日本事務局の仕事を秀徳くんに・・・・
彼も高卒だが、お父さんも夜間の高卒でマニラに
200人の従業員を擁する工場を立ち上げた。
秀徳くんはお父さん以上に「ぼくとつ」で、
今時このような男が日本に居たとは、と思わせる人。
空手も指導してもらっただけに、
若者たち、特に男の子たちに大人気!
先日見た映画「恋するトマト」の主演の日本人男性を
思わせるせいか、女の子たちも、
「男は見かけや年齢ではなく、誠実な人が良いな。」
あの映画は、ミンダナオ子ども図書館の若者たちに、
大反響と涙を誘った映画です!
ハリーポッターよりよっぽどすごい!
人生観が変わった!と言う子が多かった。必見。
別れの日、皆驚いたのは、ロネカリオくんが、秀徳くんが帰るというので、朝から涙涙・・・
ロネカリオくんは、小柄だが粋がって、俺は男だ一人でも生きていくぞ・・・と言ったタイプ
父親が亡くなっている事もあると思うのだが、とにかく涙が止まらない
それを見て、別れ際に、我慢しきれなくなって秀徳くんが、
ワオーッと叫んだかと思うとドッと泣き出した
これには一同ビックリした
熱い男の友情を見せてもらったシーンだった



アジア学院の長嶋氏が
奥様と息子さんと訪問
有機農法を中心に長年
アジアから研修生を
受け入れて来たアジア学院
長嶋氏は再訪だが、
今回は奥様と息子さんと
来られた
左は、保育所の建った
イスラム地域
パイドプランギでグレイスさん
と語る長嶋一家
右は、あらためて支援者の
名が入った
ボードを設置しているところ
行橋カトリック教会の
方々のために
「MIEKO MIZOTA
Fr. YAMAMOTO &
FRIENDS」
と書かれている
長嶋氏の息子さんは、シリマン大学の医学部を卒業後、
ミンダナオの方と結婚し、現在はデュプログの病院で
インターンとして活動している。
滞在中に医療患者が来られるとさっそく対応。
医師として立派に対応されている姿が頼もしい。
フィリピン国籍が無いと医師として受け入れられないので、
現在フィリピン国籍を申請中。
病院が貧困層とかけ離れている矛盾も良く理解しており、
貧しい人々の中に入って活動したいと言う希望を持っている。
その観点から、ミンダナオ子ども図書館の活動にも評価を・・・・
将来ここを拠点にしてくだされば、多くの命を救えるだろう。
今回、何よりもの「成果?」は、奥様の滞在だった。
奥様は、タイの方だが、さすがに似た状況のミンダナオの子たちに、
何が必要かを良く知っておられる。
足踏みミシンを寄付してくださり、
裁縫の基礎を若者たちに教えてくださった。
その後、若者たちはもう夢中・・・・
帰られた後も、
図書館に住み込んで
子どもの面倒を
見てくださっている
寡婦のドリンさんが
裁縫を引き継がれた
今は、1月27日
ムスリムデーの踊りで使う
マロンを制作中
今年度の子ども達の
制服もここで作るつもりだ
長嶋氏滞在のおかげで、
ミンダナオ子ども図書館で
作りたい
大学の構想がスタッフにも
見えてきた

最初は2年生の専門学校
(短大)として出発し
保育コース、
農業教育コース、
家政コースを設置
4年制の大学とは
ひと味違った
より実務的な学校にしたい
成績はイマイチだが、
心根のよい子の
将来のために
と言っても、初夢の段階
長嶋ご夫妻曰く
「ここにアジア学院をリタイアされた方々や
教会関係者の第二の人生の活動拠点を作りたいなあ。
気候もさわやかだし、緑豊かでアポ山の眺めも良いし。
小さいながらも良い総合病院もあるし、温泉もあるし、
卒業生のエラさんもいるし、息子のクリニックも出来れば・・・・・」
どうぞどうぞ、土地もいくらでも空いています。



TBSのデレクター突如訪問
3月3日ゴールデンタイムの
番組を制作したい
谷ディレクターから
TELを頂いたとき、
「頓挫するな」と思った。
NHKを始め、
ほとんどの番組が
既に6回以上の
アプローチをしてきて全て
実現しなかったからだ
本当に来たときはビックリした
初めて現地を訪れた
TV制作者だ
ウォーターフォール村の
バランガイキャプテンと
話す谷氏
32歳、若くて精力的
仕事に情熱を傾けている
姿に好感した。
まだこのような気概のある
制作者が
テレビ局にもいたのだ!
過去、番組制作が頓挫する理由は明瞭だ。
日本政府の指定する危険地域だから・・・・

つまり、取材許可がなかなか下りない。
北コタバト州はイスラム地域として有名なので、
キダパワンは比較的安全な地域なのだが、
ジャーナリストは恐れて入らない。
朝日新聞の木村文さんだけは、来られたが。
今回は、スタッフと話しを慎重に検討して、
安全なアロナの故郷、
ウォーターフォール村を選んだ。
谷氏はとにかく、仕事熱心だ。
ミンダナオ子ども図書館の子ども達も迫力に押されて
遠巻きに・・・「あの人、何????」
現地でもひたすら番組構成を・・
村長、村人、子ども達、保育士、先生に矢継ぎ早に、
核心を突いた質問をしてくる。
翌日、フリージャーナリストの宇崎眞氏も加わった。
こちらは、マルコス時代のNPAも取材した猛者のフリージャーナリスト?
この村では、
お父さんが日本人兵士で
日本語を明瞭に話す
老婆と出会った
戦争被害者の一人だが
姉妹の中で日本人と
結婚した妹は
日本にいるという
妹も亡くなり
今は、10年以上も
音沙汰無いが
寡婦となって夫もいず
日本に帰りたいと・・・・
後ろの竹小屋に住んでいる
娘や孫やひ孫といっしょだが
兄を亡くしたアロナも協力してくれた。
彼女、すっかり元気を取り戻しました
皆さん安心してください!!!

TBSは、2月に本番で来ると話していますが
実現するか否かは、まだわかりません
実現すれば
3月3日の9時から10時の特別番組で放映
日本の若者たちが、この村に来る設定
スポンサーはト某自動車メーカーだそうです。
村に建設資材を運ぶための
4WDトラックを寄贈していただけませんか???
 

クレジットカードによる寄付が可能になりました!
寄付された方には、隔月に機関誌「ミンダナオの風」をお送りします!
単発寄付(左)と各月寄付(右)があります。
金額欄をクリックして、振込金額を選択し、
右隣の「寄付をする」をクリックしていただくと、
クレジットカード決済で著名な
ミンダナオ子ども図書館のサイトEdinetは、保護されていない通信ですが、
サイトは保護されています、
個人情報が流出することはありません!

携帯のデーターが古い場合は、エラーが出る可能性あり、その場合は、パソコンで試してみてください!


小学奨学金1年のエラーを修正しました!
毎回振込後に、宮木梓からお礼のメールが届きます!
奨学金は、物価高騰もあり、
小学校と大学のみ2000円加えた額に変更しました。
年間、小学42000円、中高60000円、大学72000円継続支援の方で変更を希望されない方は、以前の額で結構です!


卒業後も支援継続されたい方、別の子を希望、終了を希望等は、
メールか振り込みの通信欄で宮木梓宛に、
メールが難しい方は、日本事務局に、FAXかお電話で対応します。
 
日本事務局 前田容子 FAX:0743 74 6465 携帯電話:090 5091 7514

ぜひいつか、子どもたちに会いにしらしてくださいね!
郵便局、銀行、コンビニATM、ネット振込は以下!  
寄付された方には、隔月に機関誌「ミンダナオの風」をお送りします! 
郵便局からの振り込み
自由寄付、スカラシップ里親支援等
郵便振替口座番号 00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

ミンダナオ子ども図書館 支援方法
銀行またはATM
インターネットでの振り込みは以下へ

銀行名 
ゆうちょ銀行 金融機関コード 9900
店番 
019  預金種目 当座
店名:
〇一九店ゼロイチキユウ店
口座番号 
0018057
口座名:
ミンダナオ子ども図書館
 振込を確認しましたら、子どもたちの写真または絵が描かれたお礼ハガキを現地からお送りしています!
領収書等が必要な方は、宮木梓までご連絡ください。
現地日本人スタッフ宮木 梓  mclmindanao@gmail.com
日本事務局 前田容子 FAX:0743 74 6465 携帯電話:090 5091 7514
ぜひいつか、子どもたちに会いにしらしてくださいね!



主要な目次を集めました!
クリックして飛んでくださいね
ミンダナオ子ども図書館だより 宮木あずさ制作
現地日本人スタッフによる、
写真を交えた最新の活動報告です!
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
訪問等でMCLと出会った若者たちの想いです!
ミンダナオ子ども図書館:日記 松居友制作
松居友による活動報告および
製作映像や想いを載せた自由日記です!
ミンダナオ子ども図書館 支援方法
支援方法
「0」ゼロに 立つための支援を
ゼロに立つための支援を
訪問希望の方は ここをクリック!
訪問希望
MCL映像サイト
何故ここに日本人などのテレビ映像
その他の貴重な活動映像を掲載
機関誌『ミンダナオの風』 にこめた思い!
機関誌『ミンダナオの風』編集にこめた思い!
ミンダナオ子ども図書館のミッション 理事、役員、スタッフ 活動の概要を紹介
ミッション・ビジョンとボードメンバー 
MCL文庫
民話、絵本原稿、青少年から大人までの読みものを
自由購読で提供しています。
ミンダナオオから発送の 機関誌「ミンダナオの風」 
過去の機関誌PDF
MCL 会計報告
会計報告
 日本の子ども ミンダナオの子ども
日本の子ども ミンダナオの子ども
MCLへの 若者たちの想い! 
機関誌『ミンダナオの風』若者たちの想い!
無題3 松居 陽
無題3:松居陽
イクメンに 未来をたくせそう! 
イクメンに未来をたくせそう!
2021年 今後のMCL 
今後の活動指針
 愛に捧ぐ黙想 松居 陽
愛に捧ぐ黙想:松居陽
ぼくの少年時代と 思春期から   
ほくの少年時代と思春期から
子育てよりも、子育つ世界!  
子育てよりも、子育つ世界!
講演、公演の予定表など 
講演、公演の予定表など
メールニュース 希望! 
メールニュース希望!
原住民、イスラム、クリスチャン 私たちは一つの家族!
原住民、イスラム、クリスチャン、私たちは一つの家族!
小学生や若者たちの 講演感想!
講演感想
近年の若者たちの訪問体験記!
ミンダナオ子ども図書館の活動とは?

MCLを知っていただくために、多くの映像のなかから選びました。
  
 山の下宿小屋に!
山の下宿小屋に
海の下宿小屋に! 
海の下宿小屋に
奨学生を決定に山へ!
奨学生決定に山へ
酋長の依頼で! 読み語りに!
酋長の依頼で
地震の悲しみで お父さんが!
地震の悲しみでお父さんが
アポ山へGo!
アポ山へGO!
地震避難民の 救済と読み語り! 
地震避難民の救済と読み語り
イスラム避難民の 救済支援! 
イスラム避難民の救済支援
ウイルス期間に 洪水が襲った!
 洪水が襲った
 イスラム湿原に 保育所を建てた!
イスラム湿原に保育所を建てた
 土地を追われる マノボ族!
土地を追われるマノボ族
 サンタマリアの 海辺で遊ぶ子どもたち!
サンタマリアの海辺で遊ぶ子ども
クリスチャンの文化祭 ビサヤデー!
クリスチャンの文化祭
イスラムの文化祭 ムスリムデー!
イスラムの文化祭
原住民の文化祭 マノボデー!
原住民の文化祭
戦争と平和
戦争と平和
洪水と植林活動
洪水と植林活動
平和構築と学校建設
平和構築と学校建設
ミンダナオ子ども図書館の 日常から
ミンダナオ子ども図書館の日常
総合活動報告の 記録映像
総合活動報告の記録映像
海の下宿小屋 クラクシン
海の下宿小屋
何故ここに日本人 TV録画! 
テレビ東京なぜここに日本人
池上彰の番組 パックンが来た!
池上彰の番組、パックン
NHK国際放送 ミンダナオから来日! 
NHK国際放送
English Video 1 Yo Matsui   English Video 2 Yo Matsui English Slide video! Yo Matsui 
kako
過去の活動を整理し、完成版をここに掲載していきます
戦争と貧困と平和構築と国際交友
ミンダナオの子どもたちから、生きる力をもらってきた実体験の記録!
2007
(1)
2007
(2)
2007
(3)
 2007
(4)
2008
(1)
2008
(2)
  
 2008
(3)
2008
(4)
2008
(5)
2008
(6)
2008
(7)
2008
(8)
2009
(1)
GO! GO! GO!  GO! GO! GO! GO! GO! GO! GO! GO! GO! GO!
2009
(2)
2009
(3)
2010
(1)
 
2010
(2)
2011
(1)
2011
(2)
2011
(3)
2011
(4)
2012
(1)
2012
(2)
2012
(3)
2013
(1)
GO! GO!  GO! GO! GO! GO! GO! GO! GO! GO! GO! GO!
2013
(2)
2013
(3)
 2014
(1)
2014
(2)
2015
(1)
2015
(2)
2015
(3)
GO! GO!  GO! GO! GO! GO! GO!