クリスチャンとムスリムが 対立してきた村だが、 今は友情が・・・ |
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vs1 父親が居ない 子の調査 調査に行った子の父親は殺されていて、 プランテーションのはずれで、 母親と祖母と共に、 極貧の生活を送っている。 家ともいえないような狭いところに、 兄弟をふくめて5人ほどで 寝泊まりしている。 調査をした後に、 ふたりとも、奨学生に採用した。 まだ、 支援者が見つかっていない子たちが、 200名以上も居るのに・・・。 見てしまったからには、 どうしても、放っておけない。 とりあえず自分の私費をつぎ込んで、 80万あるかなあ? この場をしのいでいくしかなさそうだ。 vs2 奨学生候補の子の 調査はつづく さまざまな所から口コミで、 時には父親が殺害されたり 家庭が崩壊して、 困窮している子の話が入ってくる。 時にはアビューズだったり・・・ 放置だったり・・・ そのまま放っておくことが どうしても出来ないので、 MCLで出会っていてもかならず、 家をたずねて家庭調査を始める。 車が入れないので、 徒歩で向かう事も多い。 あっ! ようやく家が見つかった! まだ支援者が、 見つかっていない子も多いのだけれど、 放っておけないので受け入れて、 保護するためにも 奨学生に採用して学校に行かせてあげる。 特に、現地に置いておけない子は、 本人が望めばMCLに住むこともできる。 支援者の無い子は、 自由寄付を充てているが、 採用た後、 ため息がいつも出る。 「経済的に大変なのにまた背負い込んだな。」 ミンダナオ子ども図書館の スカラシップや里子支援は、 「学校に行きたい」という思いがあれば、 成績や学歴よりも 孤児や母子家庭や極貧など、 厳しい境遇の子を優先しています。 日本の中高生の年齢に達している子でも、 保護を目的として、 本人が望めば、小学生で採用します。
少しでも幸せな人生を 将来送ってもらうこと! まずは以下をクリックして 支援方法のサイトを 読まれることをお勧めします。 ボランティアスタッフをしてくれた 佐藤栄亮くんも支援してくれた。 vs3 キアタウ村で 5泊した若者たち 日本の若者たちの未来を考えて、 MCLでの若者の滞在も考慮した 企画を立てることを始めた。 MCL内だけでは体験も限られるし、 それよりもっと現地の人々のなかに! 仕事もかねてコミュニティーのなかで! 子どもたちとの本当の出会いと、 彼らの生活とを体験させてあげたい! 今までは、 現地の子どもたちの事だけを 考えてやってきたが、 閉塞的な世界に 引きこもっているかのような、 日本の若者たちが世界を知り、 実際に体験し、 喜びと希望を持って、 未来に一歩踏み出せるような、 そんな場を、 現地の子どもたちや人々と 一緒に作っていく必要があると思いはじめた。 特にフィリピンは日本の隣国だ。 隣の人を自分のように愛せずに、 どうして世界で生きて行けよう! vs4 訪問者が書いた 体験記録(1) 同志社大学 経済学部 2年 この度は学生団体 Novel Standardの活動に、 協力してくださいまして ありがとうございます。 個人として日本にいては体験できない、 また海外に旅行するだけでは 体験することができない、 素晴らしい体験を することができました。 これは人生の宝物となりました。 キアタウの方と信頼関係を築いてこられた MCLの努力に、 感謝の気持ちでいっぱいです。 子どもたちの笑顔を たくさん見ることができ、 とても幸せでした。 子どもたちに ここに帰ってくると約束して、 と言われる前から、 帰ってこないといけないなと思い、 義務ではなく、 自分が会いにいきたいと 思わせてくれる人に出会えました。 これもMCLが、僕たちの間に 入ってくださったからだと思います。 本当にありがとうございます。 最後になりましたが、 案内をしてくださった松居友様、 フィリピンでの活動をサポートしてくださった スタッフの皆さま、 そして子どもたちに感謝申し上げます。 ありがとうございました! 電気も無いマノボ族の村キアタウ。 そこの村の普通の家で、 家族と一緒に生活する体験。 泊まる家にも、 必ずスタッフが一人つくものの、 一人一軒、貴重な体験だ! vs5 訪問者が書いた 体験記録(2) 同志社大学 商学部 2年 日本へ帰国して まだ1週間も経っていませんが、 既にまたフィリピンへ赴き、 MCLの子ども達や、 キアタウの人々と再開したい、 という気持ちでいっぱいです。 自然や子どもが好きな僕にとって、 ここでの生活は、 とても印象的で 有意義なものとなりました。 僕にとって今回が 初渡航ということもあり、 文化や言語の違い、治安等の面で 相当な不安を抱えていました。 しかし、MCLさんの協力により、 抱えていた不安が解消され、 日本では決して 体験することが出来ないような、 貴重な体験をすることが出来ました。 また、その体験を通じて、 様々な人々と交流することができ、 それが僕にとって、 今回一番の大きな財産となりました。 一週間という短い間でしたが、 親切にサポートして頂き ありがとうございました。 vs6 訪問者が書いた 体験記録(3) 誕生日の夜明け前の ハラナ(祝福) 関西大学 商学部 2年 約1週間、 MCLには大変お世話になり、 非常に貴重な体験をさせて頂きました。 MCLには3度目の訪問となりましたが、 今回は初めてキアタウに行き、 それも5泊させていただきました。 数か月ほど前から松居さんと直接 メールで打ち合わせをさせて頂き、 キアタウでのゴムの植林、 ケロハスでの古着の配布と様々な活動を することができました。 3度目の訪問となったMCLでは、 子どもたちに再び会うことができ、 幸せでした。 初のキアタウでは、 夜は予想以上に冷えますが、 それを感じさせない ホットな村の方々に迎えて頂きました。 子どもたちも無邪気で、 よく遊んでくれました。 2日間に渡っておこなった、 ゴムの植林でしたが、 私たち日本人は、 足手まといになるだけ。 村の方々も、 私たちを常に心配されながらの作業でした。 「魚を与えるのではなく 魚の釣り方を教えよ」と言いますが、 まさに我々側の 傲りに満ちた言葉だと思いました。 何でも彼らの方がよく知っている ことを実感しました。 また私は、 キアタウで忘れがたい 幸せな20歳の誕生日を 迎える事が出来ました。 他にも植林の体験や、 子どもたちへの古着の配布! どれをとっても、この1週間は、 私にとって生涯忘れられない 記憶となりました。 MCLのスタッフの皆様には、 感謝してもしつくせない思いであります。 MCLにはまた、 再び訪れたいと思っています。 ありがとうございました! こんな感動的な誕生日 今までに経験したかなあ! vs7 ミンダナオの習慣 ハラナについて ミンダナオでは、 ハラナという習慣があり、 夜明け前に、 誕生日の人の家の前に集まって、 お祝いの歌をうたい、 祝福の言葉を述べる。 ミンダナオ子ども図書館では、 親のいない子がほとんどで誕生日は寂しい日。 そこで、 必ず夜明け前にその子の部屋や 家の前にあつまってハラナを行う! 祝福を受けた子は、 大喜びで泣き出す! クリスマスはイエスの誕生日で、 お祝いの飾り付けは9月から始まり、 クリスマスの前の一週間は、 毎朝、夜明け前に教会に集まって ミサを行って歌う!これも、ハラナ! vs8 訪問者が書いた 体験記録(3) 翌二日は、村人と ゴムの苗を植えた 日本の若者たちが、 現地の若者や村人たちと 一緒にゴムの苗を植えた。 同志社大学 グローバル 地域文化学部 1年 キアタウ村での植林など、 私達のために、 様々なことを計画してくださった松居さん。 言葉も全く通じないキアタウ村で、 困っている私達を、 いつも助けてくれて、 本当にお世話になったスタッフの方々、 そしてたくさんの 笑顔をくれた子どもたちに、 感謝の言葉を 述べたいとおもいます。 我々を受け入れていただき、 本当にありがとうございました。 キアタウ村での生活は、 言葉の面などにおいて 本当に不安でした。 しかし、現地スタッフの方々の通訳や 色々な説明により、 村の方々と交流を深められました。 キアタウ村では、 一生忘れられないような 経験をさせていただきました。 またいつの日か、 子ども達とも約束したように、 MCLに戻らさせて いただきたいとおもいます。 その時は、どうぞよろしく、 お願いたします。 vs9 訪問者が書いた 体験記録(4) 同志社大学グローバル 地域文化学部 1年 先日は、貴重な体験を ご提供いただき、 誠にありがとうございました。 また、ゴムの木の植林、 古着の配布といった活動を 成し遂げることができ、 学生団体としての 職務を果たすことができました。 6日間付き添ってくれたスタッフの皆さんに、 感謝申し上げます。 vs10 この村には、 MCLの奨学生が たくさん居る 女の子たちは、 MCLで渡した、 支援者からの古着を着て、 普段よりちょっとおしゃれして、 来ているな。 vs11 ケロハス村に 古着を届けた 若者たちはキアタウから さらに貧しいケロハス村に、 古着を届けた! 一つの村を拠点にして、 その近隣のさらに貧しい村々に、 交流と支援の輪を広げていく。 ケロハス村は、 キアタウから馬にのるか、 急な斜面を徒歩で行くしかない。 しかし、MCLでは、 ここからも、スカラーを採り、 保育所も建てているので、 村人たちとは親しい。 vs12 最後にお別れの 読み語りをした! また、絶対に、 絶対に、帰ってきてね~! vs13 保育所調査を継続 保育所を支援された方々に、 保育所の現状を確認するために、 日本から来た若者たちと 山奥の集落を訪れた。 たった一つの保育所を調査するだけでも、 車で数時間山岳道路を、 時には、川を渡って行き。 そこから徒歩で、登っていって、 まる一日かかる。 ボランティアスタッフの 杉菜さんと史子さんが、 同行したが、 もうビックリ! こんな山奥にMCLは、 保育所を作っているんだ! vs14 2020年時点で、 MCLでは、 約70の保育所を 建てていますが、 2020年に執筆挿入 福祉局と連携して依頼を受けてきた 保育所支援なのですが、 引き渡し時点で公の開所式を行い、 「竹の壁やトタン屋根の修復そして維持は、 引き渡し後は、すべて村の責任にゆだねる」 と言う書類に、 村長や保育士を含めて公的なサインをして、 引き渡すのですが、 極度の貧困地域であるが故に 行政の手もまわらず。 修復費も出せず。5年後ほどから、 痛みが激しくなっている保育所が、 増えてきました。 それでも、小学校に入るために (幼稚園か保育所でABCを勉強しなければ、 小学校に入学できない、 と言う規則を政府が作った!) 一生懸命、勉強している子どもたちを見ると、 いたたまれず、 今後、ミンダナオ子ども図書館で 全保育所をチェックして、 訪問した若者たちにも協力してもらって、 一緒に集落を訪れて、 竹壁の修復と屋根や壁のペンキ塗りを ヒナイヒナイ バスタ カヌナイ ゆっくりゆっくり でも たえることなく 行っていくことにしました。 皆さんの支援をたよりながら、 自由寄付も使って、 全保育所を、MCLでチェックして 補修を進めていきます。 子どもたちの事を考えると、 MCLの力を継続させて、 完成後も保育所支援を していかなければならないと決心しました。 2020年に訪問してきた若者たちが、 保育所補修も行った様子は、 以下のビデオでもご覧いただけます! 地震の悲しみで父さんが 2021年の春には、松居友と妻と娘が、 ミンダナオにもどります。 そして、再度自分の目で 全保育所をチェックして 本格的な補修活動を開始します。 それも集落の人々との 長いおつきあいの一つだと思います。 日本での5年と今後のMCL 2020年に執筆 vs15 アポックアポック村の 保育所は元気だった 聖マーガレット幼稚園の皆さんありがとう!!! ここも何とか予算を計上して、 土台をピンクに、 劣化をふせぐためにも、 屋根をペンキで緑に塗る予定です。 先生もしっかりしている。 ここから学校には通えないほど遠いので、 小学校になると村の中心へ下宿する。 マノボ族の村。 保育所の後ろが 大きな地滑りが起きていた。 予期していなかった場所に、 大きな地滑り。 これは山岳地域の大きな問題。 森林の伐採が原因。 村人たちと相談し、 植林をすることに決定。 斜面には竹を植え、 平坦地にはゴムの木を植える。 このような急斜面には竹が一番良い。 植林支援を復旧にも当てていきます。 MCLの支援金の中から労働費を出して、 村人たちとやっていきます。 植林は、 あらゆるところで行っています。 今後は、ゴムの木に加えて、 竹、マホガニー・ラワン なども植林予定です。 確実に支援金は 植林の役にたっていますのでご心配なく。 長期ボランティアの史子さん ボランティアスタッフの杉菜さん。 よろしくお願いします。 オモチャが無くても 子どもたちの遊ぶ力はすばらしい! 日本の若者たちが、 この村に泊まって、 滞在できるようにしたいと思う。 キアタウのように。 vs16 子どもたちに古着や 靴をわたした 皆さんから送られてくる、 古着や靴を、 活動地域に持って行って届けています。 無限に必要とされています! 活動範囲が広大なので・・・! kot 高校生で 初めての海外の 琴美さん お別れ会で、 子どもたちが泣いた 17歳、高校3年生の琴美さん。 ぼくのところに、電話がかかってきた。 「わたし、北海道の琴美です。 このあいだ、 テレビ「なぜここに日本人!」で見て、 どうしても、どうしても行きたくって!」 「来ても良いけど、初めての海外旅行でしょ。 お父さんお母さんには、もう話したの?」 「まだです。わたし、お父さんいないんです。 でも、これからお母さんに話します。」 北海道から初めての海外旅行。 しかも、たった一人で! といっても、看護婦でお忙しいお母様が、 いっしょに来られて、一泊してもどられた・・・。 どうしても、 どうしても、 どうしても、 どうしても来たくって! 来て良かった! 友だちがたくさん出来たのが、 何よりもうれしい。 ボランティアも手伝って 保育所建設も 進めている 保育所建設は、 厳選した資材の選択や注文 現地への移送。 仕事人の給与、完成にいたるまで、 ミンダナオ子ども図書館が 責任を持って行っている。 資材や資金が盗られたり 横流しされたりしないように。 下は、スタッフのラメール君。 17歳、高校3年生の琴美さん、 北海道から一人で、初めての海外。 どうしても、 どうしても、 どうしても、 どうしても来たくって! 来て良かった。 友だちがたくさん出来たのが、 何よりもうれしい。 vs18 松居さん、 こんにちは! 鈴木琴美です。 昨日家につきました。 家に帰ってからも、 何回もMCLで撮った写真を見たり、 今頃みんな学校かなーとか、 ご飯の時間かなーとか考えちゃって、 すごく寂しいです。 すんごく MCLに戻りたいです(*_*) 初めて日本以外の国を、 自分の目で見て感じて、 町も車も匂いも生活も文化も、 全て日本と違うことにドキドキして、 見るもの見るもの興味を感じました。 全部が忘れられない経験ですが、 1番頭の中に残ってるのが、 陽さんと何人かの子どもと、 クリスティーの家に行ったことです。 クリスティーが毎回毎回、 一緒に家行こうって、 言いに来てくれたこともうれしかったです。 クリスティーの家まで、泥道を歩き、 川を渡り、バナナ農園を通り、 こんなとこに家あるのかと思いました。 でも子供たちがすんごい楽しそうに、 ぎゃあぎゃあ騒ぎながらジャンプしたり、 じゃれあったりして、 歩いたり走ったりしてるのを見て 私も楽しかったです。 たくましいなと思いました。 クリスティーの家族は、 初めて会った私に、 すごく優しくしてくれました。 厳しい生活環境にいながら、 すごくあったかい家族だなって感じました。 クリスティーのお姉ちゃんっぷりを、 見ることもできました。 クリスティーの家族たちだけでなく、 MCLの近くにいる人も、 アンティパスやマロンゴンにいる人、 みんなすごく優しくて、あったかかったです。 見知らぬ私にフルーツくれたり、 話しかけてくれたり、笑いかけてくれたり、 すごいうれしかったです。 たくさんの人のあたたかさに、 触れることができました。 MCLの中もいっつも楽しかったです。 他のビジターやスタッフに比べたら、 全然英語しゃべれなくて 最初話すのが怖かったけど、 どんどん話してくうちに、 お腹痛くなるくらい笑ったりずっと話してたり、 会話力に乏しい私でも、 ここまで仲良くなれたと思って、 すごい楽しかったしうれしかったです。 相手の言葉を聞こうって気持ちと、 言葉を伝えたいって気持ちと、 あと笑顔があれば、なんとか コミュニケーションとれることがわかりました。 大学にも行って、 1日だけラマダンも経験して、 洗濯や子供たちと勉強したり、 家のペンキ塗りや車の中や外に あんなにぎゅうぎゅうに 乗るのも初めてだったし、 書ききれないくらい たくさんのこと経験して、 感じることができました。 ほんとに行ってよかったなって、思います。 ビサヤ語や生活のことや フィリピンのことなど、 子供たちから いろんなことを教えてもらって、 わたしもちょっとは、 日本語とか子供たちに教えたけど、 それ以上に、 教えてもらうことの方が多くて、 たくさんたくさんお世話になりました。 友さんやエイプリンや陽さん、 スタッフの人やビジターの人にも、 たくさんお世話になりました。 本当にありがとうございました。 またぜひ、MCLに行きたいです。 今の私の目標は、 大学生になったらMCLに泊まって、 キダパワンのUSM大学に留学することです。 ビサヤ語や文化を学んでみたいと思ったし、 それ以上にもっとフィリピンの人たちと 話したり関わったりしてみたいなって、 思いました。 長くなりましたが、 本当にお世話になりました。 ありがとうございました!! vs19 学校法人 雪見ヶ丘学園 井上幼稚園の園長 松尾琢二先生と 竹田先生が 来られた 日本での講演会にうかがって知り合った、 愛知の井上幼稚園から、 園長・松尾先生と 竹田先生が、 MCLを訪れられた。 ちょうどマノボ族の村に、 ゴムの木の植林をする日だったので、 子どもたちと一緒に 植林に参加された。 vs20 ミンダナオ子ども図書館 の子どもたちと ゴムの木を 荷台に載せた ゴムの木の苗は、種から、 ミンダナオ子ども図書館の子どもたちが、 農業担当のスタッフといっしょに育てていく。 苗を購入すると経費がかかるし、 種から育てることによって、 子どもたちも農業の経験になる。 いつか、ふる里に帰って、植樹をして、 収入を確保できるようになって欲しい。 農業と文化は、 これからのMCLの大きな課題だ! vs21 食事も子どもたちと 薪で料理し、 一緒に食べる 井上幼稚園は、 自然体験を大切に 子育てを考えていらっしゃるので、 さすがに先生も、 こうした場所であっという間に適応される。 現場で子どもたちと 接していらっしゃるだけに、 子どもへの観察力や適応力が異なっていて、 私たちの方が教えられた面も多かった。 「朝の5時には起きて、自分で食事を作ったり、 庭からトイレの掃除もしたり。 洗濯も遊びも、本当に自立している。」 vs22 その後、 アラカンの電気のない、 キアタウ村に行き宿泊。 夏休みだったので、村の子どもたちに、 読み語りをし、 子どもたちと一緒に、 いろいろなびをされた。 サイトを見ればわかるように、 子どもたちが自然を感じ、 神を通して妖精たちとも、 いっしょに生きることが出来るように、 させてあげている幼稚園なので、 今回の訪問は、絶好の機会となった・・・? お忙しい中、 4泊5日の短い日程だったにもかかわらず、 あっという間に、 現地の子どもたちの中に とけこんでいった。 大自然の中で友だちどうし遊んで、 のびのびと生きていた時代の 子どもたちの、自然な本来の姿に、 幼稚園の先生方が、ふれるには、 MCLに来られて、 電気もない山々の村などで過ごされて、 子どもたちと素朴な遊び、 伝統的な遊びをしたり、 一緒に川で洗濯をしたり、 泳いだり、 トウモロコシやコーヒー豆を木の臼でひいたり、 薪で料理を作って、 竹の家で、 現地の家族と食事を共にしたりする体験が、 貴重かもしれない。 川で捕ったカエルの煮込み! またいつでもいらしてください。 子どもたちと歓迎いたします。 vs23 園長先生から いただいたメール 先日は一週間にわたり、 お世話にりありがとうございました. 大切な時間の中、 支援先の村々への訪問まで 帯同させていただき、 私たちにとって 何事にも変えることができない 大きな恵みを受けることが出来ました。 子どもたちとの時間は、 今日本で関わっている子どもたちの 本来持っている力を 再確認する時間となりました. と同時に豊かさの中で 鈍くなってしまった子どもたちの感性や 力強く生きようとする力の弱さを 現実の問題として 突きつけられたようにも感じております。 現地に行かなくては 知ることが出来ないことを ミンダナオ子ども図書館のお働きも併せて、 具汰的に知ることが出来ましたこと、 子どもたちへ保護者へ どのように伝えるかが、 私たちの今の宿題です。 vs24 園長先生もいっしょに、 子どもたちと マノボの村サアグで 植林をした 伐採の跡地に広がっていく、 バナナプランテーション。 ほとんど日本に、 そして最近は中国に輸出されていく 本来はジャングルだった場所が、 ほとんど伐採されている。 大量の材木が、日本に輸出されていった。 その結果、土地に保水力が無くなり、 鉄砲水が起こっては土砂崩れを併発。 下流のイスラム地域は、 毎年洪水に襲われている。 下の土地は、ほとんど移民系クリスチャン ビサヤ、セブ、イロカノ、ルソンから 移民してきた人々の所有となってしまい、 その中の丘だけが、マノボ族の首長の土地。 プランテーションは麓にまで迫っている。 ここを守るためにも、 現金収入の生じる ゴムの木の植林は効果的だ。 首長の強い願いもあり、 4ヘクタールをここに植えた。 今回の寄贈者の方々 1.山田 穂積さま 2.久岡 喜美子さま 3.内海 公子さま 4.箱田 昌平・貴代子さま 現地の子どもたち、家族たちに代わって、 ここで心から感謝いたします! 彼らが、 自分たちの収入を自分たちの手で確保し、 子どもたちを学校に行かせることが 出来る日が、8年後には来るでしょう。
vs25 マノボ族の キアタウ村で 子どもたちと過ごした 小さな竹の家で、 素朴な家庭料理を食べて、 子どもたちや家族と一夜を過ごす。 翌日、読み語りをし、 おもしろいことに、 大して言葉が通じなくても 心が通じていく・・・ 読み語りの後 絵本「おおきなかぶ」を スタッフと一緒に演じた! そして、 子どもたちと楽しく遊んだ。 さすがに 子どもとの遊びが上手? いいえ、子どもたちが、 先生の相手を してくれているのです??? 言葉が、 それほど通じていないはずなのに、 完全にとけ込んでいる。 大事なのは、 言葉の意味よりも込められた心。 ミンダナオ子ども図書館に 住んでいる子どもたちも、 学校から帰ってくると本当によく遊ぶ。 かつて僕も子どもの頃に遊んだ 「はないちもんめ」や「はんかちおとし」 竹馬やゴム草履で野球もする。 庭のグワバの木や、 マンゴスティンの木に登って 実をとってくれたり。 僕も小学校が明星学園で 5,6年の担任が無着成恭せんせいだった。 何しろ、4年生まで、 試験が無く通信簿が無く、 家で勉強しなくて良かった! とにかく夕暮れ時まで、 自然の中でカエルやザリガニを追いかけて 友人たちと徒党を組んで遊び回った。 ミンダナオの特に山の村に来ると、 そんな自分の少年時代を 思い出す光景にたくさん出会う。 vs26 園長・竹田の ミンダナオ滞在記 ~ミンダナオで見て・聞いて・ 感じた5日間~ 昨年度、フィリピンのミンダナオにある 「ミンダナオ子ども図書館」(以下MCL) の松居さんが 幼稚園に講演をしに訪れてくれました。 その際「いつでも来てください。」 というお言葉をいただき、 春休みの5日間を使って 園長・竹田でミンダナオへ行ってきました。 滞在は短い期間でしたが 様々な経験をさせていただき、 たくさんのことを感じ、 考えさせられる時間となりました。 まずは、 井上幼稚園が支援している お友だちとの出会いから アンジェリカちゃん (写真と名前は、別です) ミンダナオ子ども図書館のスタッフである 兄弟と一緒に敷地内に居住。 8人兄弟。母子家庭。 私たちが訪問することを とても楽しみにしていたが、 恥ずかしくて声をかけれなかったとのこと。 話しかけると照れながら、 受け答えしてくれました。 お兄さんはとてもハンサムな方で、 お礼にと体をマッサージしてくださいました。 感謝を伝えること。 自分で出来ることを 心を込めて行うことだと いうことを教えて下さいました。 アレア・カイちゃん (写真と名前は、別です) ミンダナオ図書館のあるキダパワン市内の 貧困している町に お母さんと二人で住んでいます。 およそ2畳ほどの部屋を 間借りして住んでいますが、 家主から3月いっぱいで 退去してほしいと言われてしまいました。 しかし、小学校の先生が手を差し伸べてくれ、 先生の家に住むことに。 お母さんが先生の家の 洗濯を担うことで生活をしています。 きれいな目の女の子。 困難にある中でも 穏やかな表情をしていた、 お母さんが印象的でした. 4泊5日の 滞在記録です。 1日目 名古屋国際空港を飛び立ち 4時間でフィリピンのマニラに到着。 マニラにてダバオ行の 飛行機に乗り換えました。 警備員のお姉さんに ものすごい形相で睨まれたり、 パスポートを投げ返されたり、 飛行機の搭乗口の人が隠れて トウモロコシを食べていたりと、 早速文化の違いを感じました。 (笑)そこからさらに2時間半飛行機に乗り、 現地時刻18時過ぎにダバオへ到着。 空港へ松居さんが迎えに来てくれました。 竹「MCLまでどのくらいなんですかね?」 園「1時間ぐらいでしょ」と 松居さんが来るまで話していた2人。 車に乗り込みどれくらいかかるか聞くと 園・竹「3時間!!?」 と驚いてしまいました。 そこから車に揺られること3時間。 (信号がほとんどなく、 また道路の状態もあまりよくない中、 結構スピードを出すので まるでジェットコースターのようでした。) 工事渋滞などもあり、 MCLのあるキダパワンに着いたのは 21時半でした。 そこで少し遅い夕食。 道に並ぶ屋台で食べたのですが、 味付けが日本によく似ていて とってもおいしくいただきました。 (ウィンナーの炭火焼き、 角煮みたいなもの、 鳥の内臓の煮込みみたいなのなど) お腹もいっぱいになり、 MCLに着くとすぐさま眠りにつく2人でした。 2日目(朝~昼) シュ!シュ! という物音に気づき目を覚ましました。 外に目をやると やっと日が登ったくらい。 時間は5時半でした。 何の音か確かめに行くと 子どもたちがほうきやココナツの皮で 床や建物の周りを掃除する音でした。 また台所では朝食作りをしていたり、 他にも草刈り、洗濯、トイレ掃除など 子どもたちが早くから 家事に取り組んでいました。 しかし驚かされたのは、 こうしたことをやらされているのではなく 子どもたちが自主的に 進んで組んでいるということ。 (しかもみんな楽しそう) そしてこの日は ゴムの樹を植樹しに行くということで トラックに500本積み込みました。 朝からヘトヘトです…。 そして朝食を済ませ、 植樹&里帰りに同行させていただきました。 (フィリピンは3月から6月までが夏休み) 車でいろいろな村を周り 子どもを送り届けます。 ピックアップワゴンに 子どもも含め12人程乗っています。 もちろん道は 舗装などされていない道がほとんどです。 5時間かけて子どもを送り届け、 植樹をする村へ。 トラックから大量のゴムの樹を降ろして、 山の頂上まで運びました。 多少体力に自信のあった園長・竹田ですが、 二人ともばてている中、 「Are you OK?」と笑いながら 登っていく子どもたちでした。 そして区切りがつくとその村で昼食。 昼食後、松居さんは 支援する子どもを選ぶため面談。 そして私たちは 追いかけっこや地元の遊びで 子どもと遊んで過ごしました。 2日目(昼~夜) 植樹をした村を後にして ひたすら山道を3時間。 再び車に揺られ、 この日泊まらせていただく マノボ族の村に到着。 電気も水道もない村でトイレは男性の場合 「そこらへんでして」という感じです。 この日は 園長・竹田それぞれ別の一般のお宅に MCLのスタッフ(ジョジョさん、タタさん)と 泊めてもらうことに。 英語があまり話せない私たちにも 積極的に話しかけ、 明るく振舞ってくれる姿に 心が温かくなりました。 晩御飯は魚の開き、魚のスープ、 鶏肉の焼いたものを頂きました。 後で聞いたことなのですが、 これだけのメニューは この村ではかなりのごちそうで 一年に一回あるかないか、 という程のおもてなしだったそうです。 そして夜はふけ、 ココナツワインまでごちそうになり、 なんとかの英語で話は盛り上がりました。 ミンダナオには そこらじゅうに犬がいるのですが、 扱いがネズミ程で、家に入って来ようものなら ほうきで叩かれてしまいます。 それを見て、 竹「日本では犬は家の中で飼ってるんだよ」 ジョ「なかで!?ご飯はどうするの? 自分のを分けてあげるのかい?」 竹「そうだよ、一緒に食べるんだよ。」 ジョ「外には出ないの?」 竹「首にひもをつけて外に出るんだよ、 牛みたいに。」 ジョ「おぉ~(信じられないといった様子)」 また恋の話は万国共通で盛り上がるようで、 タ「フィリピンの女性は好き?」 竹「もちろん!とってもやさしいよね。」 タ「そうなんだよ!優しくて、笑顔がすてきで、 一生懸命家族のために働いてくれる。 ガールフレンドはこっちでつくりなよ」 ジョ「でも私は日本の女性が好きです」 竹「日本の女性も優しくて可愛らしいよ、 でもすごく強い! (精神的な意味でと言いたかった…)」 ジョ「おぉ!カラテ!? 日本人は女性も空手をするの?」 竹「(まぁいっか)もちろん!みんなやるよ!」 みんなで笑いながら そんな会話が続いていたが、 ふと外に目をやると蛍が数匹光っていました。 それを見て、 竹「すごくきれいだね。」 タ「日本にはいないの?」 竹「いるけど探すのはすごく難しいよ。」 タ「なんで?」 竹「蛍はきれいな森や川でしか 生きられないんだよ」 タ「日本にはきれいな自然はないの?」 と、とても驚かれました。 この日は満月だったのですが、 月のない日には 星と見間違える程の蛍が光るそうです。 他にも様々なことを話しましたが、 言葉がいまいち 理解できなかったことも多々ありました。 それは相手も同じことでしょう。 それでも言葉はちゃんと通じなくとも 心がぐっと近づくことのできる 時間となりました。 そしてこの日は スタッフとお家の家族と川の字になって就寝。 別々の家に泊まると聞いた時の 不安が嘘かのように、 もっとこの時間が続いて欲しい という気持ちを胸にしまい寝袋に入りました。 3日目 朝、起きて家の外に出て ボ~と景色を見てると、 タタさんがコーヒーを持ってきてくれました。 竹「見渡す限りきれいな緑と山で すごく美しい景色だ。」と言うと、 タ「私たちはいつもこんな景色を見ているが 何度見てもやっぱり美しいと思う。」 と話してくれました。 たくさんの関わりの中で、 ミンダナオの人たちは 普段身近に存在しているものに対しても、 あることが当たり前と思わず、 感謝の気持ち、尊重する気持ちをしっかりと 心の中に宿していることを感じました。 こうした気持ちの欠如は 現代社会における人間の問題点の 一つですはないでしょうか。 物の豊かさが必ずしも 幸せに直結しないことを 痛感した瞬間でした。 そしてお昼からは村の子どもたちに、 絵本の読み聞かせをしました。 園長・竹田も一冊ずつ 読ませてもらいました。 そして、昼過ぎに村を出てMCLへ。 「MCLへ直行なので 3時間ぐらいでつきます」という説明に 「3時間か~近いな。」と ここ2~3日で完璧に 時間の感覚がずれてます。 そしてMCLへ着くと夜には子ども達が 歓迎&送迎会を開いてくれました!! 4日目 この日はお昼まで MCLの中で子どもたちと過ごしました。 MCLにはゴムの樹、ココナツ・バナナの木、 名もわからない草や木が生い茂る 緑豊かな敷地があり、 その中を子どもたちが説明しながら歩き、 草花を使ってあそびました。 またお昼からは 支援しているアレア・カイちゃんの 村を訪れたり、 市場にも連れて行ってもらいました。 アレア・カイちゃんの住む村も 貧しい人が大勢暮らし、 4帖ほどのうす暗い部屋に 一家全員が住んでいる家があるかと思うと、 すぐ隣には2階建て、庭付きの豪邸で 昼から外でカラオケをする家もあり、 格差の大きさを 一目で把握することができました。 市場では、いろいろな現地の フルーツを食べさせてもらったり、 「ハロハロ」もごちそうになりました。 「日本にもハロハロがあるの!?」 と前夜話をしたところでした。 そして夕方には、 空港のあるダバオへ向かうため、 MCLをあとにしました。 別れ際に子どもたちが 「また来ることを願っているよ」と 声をかけてくれました。 必ずまた来たい! と思える出会いと経験の数々でした ダバオまでの車の中で松居さんは 「ミンダナオに来れば世界が見えてくる」と 話してくださいました。 実際に様々な村を回ったり話を聞く中で、 資本主義による一方的な産業、 宗教問題、格差問題、森林伐採、教育格差、 政治など世界各地で起きている、 様々な問題を ミンダナオも抱えられていることを 感じることができました。 しかしそうした現状の中でも、 人々は常に前を向き、笑顔を絶やさず、 家族のために働いて 生活をしている姿が見られました。 豊か=幸せという価値観を 本質から考えなおさせられるような 経験の数々でした。 5日目 朝7時にダバオ空港に着き 夜7時に名古屋空港に着く 移動の1日でした。 園「戻ってからの生活が 物足りなく感じるかもね」という程、 私たちにとって刺激的な、 そして、考えさせられる経験となりました。 vs27 夢、遊び、最後に 夢 「Do you hava Dream?」 歓迎会を開いてくれた時に、 子どもたちに対して訪ねた質問です。 その返事は迷うこと無く全員が「YES!!!!」。 目を輝かせ、 絶対的な将来への希望が その一言に溢れていました。 またゴムの木の植樹の際、 現地に向かうピックアップの荷台の上で 隣にいた女の子が歌っていた歌の歌詞 ♪I hava a Dream. I belive me.♪ 希望を持つことの意味を このミンダナオで教えられました. ミンダナオ子ども図書館の支援は 就学、医療、農業、貧困など 様々な支援を展開していおられます。 様々な宗教をバックボーンに 持つ子どもたちですが、 それぞれに絶対的な存在に 支えられていることに加えて、 家族の一員として金銭的、物質的な ミンダナオ子ども図書館の支援を得ることは 困難な家庭の状況の中にあっても、 夢や希望を具体的な目標として歩む 大きな力となっています。 「わたしはせんせいになりたい!」 [わたしはかんごしになりたい!」 全員の夢を聞くことは出来ませんでしたが、 子どもたちの持つ希望や夢を、 自分のことがごとく願わざるをえません。 「Yes!!」という全員の声が 今でも頭の中で鮮明に響いています。 「教育は無限大に可能性を広げるもの」 改めてその事を実感した ミンダナオ訪問でした。 遊び 子どもたちと色々な遊びを楽しみました。 自然の中でかけまわり、鬼ごっこなど ゲームの要素がある集団遊びをし、 山の子どもたちとは、木の実を採ったり 家畜の鶏を追いかけ回したり、、、、。 遊びながらふと思い出したのが、 幼稚園の子どもたちと遊ぶ中で 時々聞かれる言葉、 「どうやって遊ぶの?」でした。 本来子どもは 遊ぶことにバリアフリーで無くてはならない 存在だと思います。 しかし、日本の子どもたちが過ごす環境は 「遊び方」なる押しつけが 往々にして子どもたちの自由な発想を 阻害しているように感じます。 言い換えれば 「情報」が多すぎるのだと思います。 目で見たことを、耳で聞いたことを、 鼻で臭ったことを、手で触ったことを ダイレクトに遊びに展開することが 出来るミンダナオの子どもたち。 子どもが本来持つ潜在的な力を、 否が応でも発揮できる 環境がうらやましく感じました。 その反面、 ミンダナオの子どもたちにとって遊びを広げ、 視野を広げる為の 道具や遊具の不足はとても深刻です。 教育を受けることが出来ない 貧困の中にある子どもたちにとって、 そしてその親にとって 遊びを豊かに展開することの大切さを、 ひとつの価値として持つことが できたらいいなあと感じています。 松居さんが絵本やストーリテリングを 支援の一番の柱とする意味が少しわかった。 最後に ミンダナオ子ども図書館への訪問は、 井上幼稚園の子どもたちの今、 そしてこれからの将来を 客観的に感じることが 出来た経験となりました. 豊かさとは何か? 日本が抱えている様々な問題の 原因となるものは、よくよく考えると その「豊かさ」が 原因となっていることも少なくありません。 環境問題、原発問題、 子どもたちの教育の問題、健康の問題など。 様々な情報が氾濫し、 便利で物質的にも豊かと感じている 環境に疑問を持ち、 少なくとも子ども時代は、 目で、耳で、口で、鼻で、 手でそして心で感じることを 生活の基盤としていくことが大切であると、 ミンダナオの子どもたちとの触れ合いから 改めて感じることが出来ました。 そして豊かさの方向性を 変える教育を幼稚園から展開することが 自分自身の大きな役割だと感じています。 ミンダナオ子どもと図書館の働きが 隅々にまで展開されることを祈っています。 何年か後、また訪問します。絶対 その後翌年、 井上幼稚園の他の先生方も、 ミンダナオ子ども図書館を 訪問されました。 vs28 丹羽正吉さん、お母さん、 山下直子さんそして池田愉香さん マノボの村に 古着を配った 丹羽正吉さんは、 体が生まれつき不自由だが 何度もケニアに行き 貧しい人々の支援をしている。 今回、お母様と山下直子さんとご一緒に、 ミンダナオ子ども図書館を訪問し、 マノボの集落を訪ねた。 どんな印象をもたれたのだろう・・・ vs29 電気の無いマノボの村 キアタウにも泊まった 電気も無いマノボ族の村キアタウで 一泊したことは、 生涯忘れられない思い出になった。 現地の子どもたちにとっても、 心に残る良い体験となったことだろう。 ぼくは、とくに国際交流に 関心を持ったことも、 国際交流の方法や意義について、 学んだこともないのだけれど、 このように、日本から訪れた人々、 特に、若者たちが、 大きな感動と 生涯忘れられない体験をして、 ほとんどの子たちが、 涙ながらに帰って行くのを見て、 また、現地の子たちも、 外国人などほとんど見たことも ない子たちだけれど、 純粋に喜ぶのを見ると、 こうした交流の持つ意味は、 大きいような気がしてきた。 活動を始めた頃は、 日本から訪問者が来ると、 上から目線で見おろして接する結果、 変な影響を現地の子どもや若者たちに 与えてしまうのではないか。 そして、彼らの持つ純粋な心を 崩してしまうのではないか、と心配で、 あえて訪問者を 受け入れないようにしていました。 しかし、驚いたことに、 日本から来た若者たちの方が、 自分の先入観を打ち崩されて、 時には泣きながら、 「日本にいるときは、 こうしなくちゃ、ああしなくちゃ、 そんな思いにとらわれて、 心に壁をつくって、 今まで必死に生きてきたけれど、 ここに来て、子どもたちに囲まれて、 心の壁が一気に崩れて、楽なった! 本当に、ここに来て良かった! 生涯忘れられない体験だ! もう、この体験をしたから、 日本は寂しくて、つらいと思うけれど、 だいじょうぶ! こういう場所があるということがわかったし、 落ち込んでも、引きこもっても、 自殺したいと思っても、 いざという時は、 ここにこれば救われるから! ミンダナオの子どもたちがぼくを、 わたしたちを救ってくれる! vs30 MCLの訪問者たち 支援者の方も一緒に保育所建設 教文館の編集者 倉澤さんご夫婦も訪れてくださった。 上智大学 関西ソフィア会の笠原さんは、 二度目の訪問。 支援者の高橋くん(私の高校時代の友人) 会えて大喜びの奨学生。 子どもたちにとって、 自分を学校に行かせてくれている支援者は、 第2のお父さん、 お母さんのような存在だ! |
vs31 支援者に会えて 大喜びの奨学生 ブアラン小学校で 支援している子に出会った。 戦闘が絶えない不安定な時期だったが、 福祉局とも連絡を万全に取り、 学校を訪問。 普通では、 とても入れないニューバレンシア。 クリスチャンとムスリムが対立してきた村だが、 MCLの努力で今は友情が・・・ その村のイスラムの子を 支援してくださっている磯綾子さん。 尾根上の実家まで訪ねた。 本当に偶然だったが、 ここまで入れたのは、 神様アッラーのお導きだろうか。 vs32 ブアランで 両親が居ない子を 先生が・・・ 両親がいず、 最近叔母とこの地に来たが、 孤独と戦闘の毎日に泣き出した・・・。 再訪して、 早期にスカラシップ奨学生として採用し、 MCLに引き取ろうと思う。 本人も希望。 この子も、 父が居ず母親だけで困窮している。 成績は良いのだが、 母だけでは、小学校を 卒業させることだけでも難しそうだ。 追伸: その次の週に、 この子の調査をしようとしたが、 すでに戦闘が激しく 現地に入ることは出来なかった。 しかし、戦闘が収まってから再訪して、 奨学生に採用した。 vs33 前田さん夫妻が、 お友達を連れて再訪! 9日間、前後2日を 日本との移動日に充てて、 正味1週間滞在された、 前田夫妻と友人たち。 ほぼ50代から 60代の面々の動向を、 MCLの本部でと、 ミンダナオの山岳地域、 マノボ族の村などで、 何を体験されたのかを、 写真を通して追ってみます。 vs34 前田さん寄贈の 保育所・開所式 この保育所の開所式は、 マノボ族の伝統に則って行われた。 祈りを捧げるときに、 白いニワトリを生け贄として神々に捧げる。 この地は、世界大戦の時に、 日本軍と米国軍が、決戦を交えた場所。 しらなかったのだが、 この村の首長が語ってくれた。 そして、まだ若い40代ぐらいの このマノボ族の首長は、 自分の父親は、 この地域の首長のなかでも最高位で、 日本軍とも親しかったことをかたり、 そっと、なんと、 ももたろうの歌を歌ってくれた。 父親からならったそうだが・・・。 この地域には、 多くの日系人がいることは確か。 さらに向こうの アポ山に近い山岳地域では、 新人民軍との 戦闘が絶えず起こっていて、 資源開発やプランテーション開発に対する 諍いが繰り返されている。 貧しい地域だけに、 ここに足場を作り、 さらに山岳地域へと活動を広げていく、 拠点にしようと思っている。 この村から奨学生の子も採用。 集まってきた子たちに、 日本の支援者の方々から送られてきた、 古着も配った。 子どもたちは大喜び! vs35 さらに奥の 極貧の村にも 古着を配った こうした山奥の 孤立した集落では、 子どもたちの洋服も 買うことが難しい。 普段は、上着やスカート。 ズボンも無く、 下着や靴も まったく買えない。 今日は、 外国からの訪問者が来ているので、 これでも、 最高の服を着て集まってきたのだ。 普段は、裸同然で、 靴も無いから 学校にも行けなかったり、 鉛筆も買えないし、 一年生の時は、 午前の授業だから学校に行けても、 二年生になると、 村の子の70パーセントが ストップしてしまう村もある。 午後の授業が出てきて、 お米もおかずも無いから、 学校にお弁当を持って行けない! 兎口の子は、記録して、 20人ほど集まったら、 迎えに行って 毎年、ダバオで手術を行う。 vs36 読み語りもした 読み語りが始まるよー! そういうと、村中の子どもたちが、 大喜びで集まってくる。 今回はスタッフが読み語りを行うけれど、 普段は、MCLの奨学生たちが、 大勢同行して、彼からが読み語りを行う。 絵本も見たことも読んでもらったことも、 読み聞かせの活動の事もまったく知らずに、 このような山奥の貧しい村の 竹の家で育った子たちなのだけれど、 なぜか、子どもたちは、 見事に読み語りを行っていく。 現地の子たちは、もちろん、 学校にも行ったことが無い子が多く、 フィリピンの国語のタガログ語も 英語も知らない。 ここは、マノボ族の村なので、 日常会話はマノボ語だけ! そこで、マノボ族の子たちが中心になって、 マノボ語で物語る。 イスラムの奨学生はマギンダナオ族で マギンダナオ語だけれど、 タガログ語で語って、 マノボ族の奨学生が通訳する。 それにもかかわらず見事に語り、 聞く子たちも夢中になって聞くのでビックリ! なぜこんなに、 聞く力や語る力があるのかって? 答えは、「お話が生きている世界だから!」 つまり、絵本や本が無くても、 小さいときから、両親や祖父母や 近所の人たちからも、 民話を語ってもらって育っているから、 語ってもらって育てば自分でも語れるし、 ほんとうの意味でのお話の生きている世界 ミンダナオ! お話が生きている世界では、 子どもも大人も 妖精がいることを信じているし、 子どもたちの伝統的な遊びも生きている。 vs37 キアタウ村に泊まり 子どもたちと 伝統的な遊びをした ミンダナオの山の子どもたちは、 日本人には、 想像も出来ないことだろうけれど、 電気もなく、夕暮れは蛍が飛び交い。 明かりと言えば、良くて小瓶に入れた 石油に芯をさして、 灯すのが明かりのある生活。 水道もなく、 水は、15分も尾根を下って 下の川から汲んでくる。 汲んでくるのは子どもたち。 お母さんが料理するのを手伝うため。 女の子たちも洗濯物を頭にのせて、 朝早くから尾根を下り川におりて洗濯。 そのあと、 おたがいにシラミをとって、 最後に、 みんなで自分を洗濯! 男の子たちは、 いっしょに川におりていって、 カエルを捕ったり、 トカゲを捕ったり、 カニを捕ったり、 ときには崖を登って皆でニシキヘビを捕まえる。 もちろん持って帰って料理をするため!
ニシキヘビの蒲焼きは、 ぼくも食べるけどおいしいよ!
iki 生きる力って なんだろう? 山の集落の子どもたちは、 幼い頃からほとんど裸で育って、 友だちどうし集まって、 山菜を摘んだり、 家族を助けるためにマキを集めたり、 料理をしたり。 上の子が下の子の面倒をよく見るし、 ときには赤ちゃんを抱いていっしょに遊ぶ。 町など見たこともない、 携帯も、本も絵本も 見たこともない子どもたち。 でも民話は語れるし、 花いちもんめや うしろのしょうめんだーれといった、 伝統的な遊びは、 ほんとにたくさん知っているし、 いっしょに遊び、 いっしょに山を歩きまわって、 お手伝いしたりしているから、 幼くっても、 相手の気持ちをすぐ理解して、 困っていたら、 すぐに手をさしのべて、助けてくれる。 下は、身障者カヌーで パラリンピックの役員もしている吉田義朗さん。 辛いこと悲しいこと、 怖いことがあっても、 ぜんぜんへこたれずに助けあう! 村で家庭が崩壊して、 お父さんやお母さんがいなくなって、 孤独になってしまう家庭の子もいるけれど、 近所の誰かが理解して声をかけてくれる。 「うちの子になりな!」 一人暮らしのお年寄りを村で見たことがない。 なぜかというと放っておかずに声をかける。 「うちに住みな! 子どもたちの面倒を見てくれない?」 これぞ、自然な共同体? 生きる力がほんとうにすごい! ほとんど自殺も無いし、引きこもりも無い。 ミンダナオ子ども図書館の子どもたちに 「日本では、青少年の引きこもりや 自殺がすごく多くて、 世界でも一番か二番に多いんだよ!」 と言ったら、子どもたちはビックリして、 「なんで死ぬの?あんな豊かな国なのに!」 「孤独で死ぬってどういうこと?」 そこで「こっちには、自殺は無いの?」 と聞くと考え込んでから、 「たまーーにあるよ。」「原因は?」 「ラブだね!」 聞くと親の反対で恋愛結婚ができなくって、 心中するカップルが多いらしい。 「皆だって、家庭が崩壊したりして、 孤独なときは無いの?」と聞くと、 「寂しいときは、もちろんあるよ! でも、自殺しない! だって友だちがいるもん!」 とりわけ、ミンダナオ子ども図書館では、 宗教や部族が違っていても一つの家族。 兄弟姉妹なのだそうだ。 ミンダナオにいると、 生きる力って何だろう、と考えさせられる。 vs38 その夜は、 子どもたちと 夕暮れまでいっしょに遊び、 一人ひとり別の民家に 泊まった。 そして、早朝のキアタウ村 一泊、できれば数日、 こうした村に民泊すると、 村の人々の生活がわかり、 訪問者にとっては、良い体験! かつて初めて訪れたときは、 外国人が決して入れない 今度な危険地域と言われていたのだけれど、 人はみな人で 友情と愛があれば心が通じる。 泊まった家には、 一泊1000ペソおよそ2000円を 渡してあげる。 貧しい村人にとっては一ヶ月分の収入! 「めったに食べられない米や鶏肉は、 ださなくっても良いから、 日常食べているカサバイモやカエルを 料理してだしたら良いよ。」 と言っているのだけれど、 恥ずかしいと思うのか、 陸稲を炊いて、 ニワトリを捕まえて料理してくれる。 これは、年一回のクリスマスか、 父や母の誕生日のおおごちそうだ! 泊まる家はできるだけ竹で出来た、 子どもの多い貧しい家を優先する! 帰るときにはもう家族の一員! 「かならずまた、帰ってきてねーーー!」 vs39 ゴムの木の 植林地を見た 最初にこの風景を見たときには、 広大な原野だと思った。 けれど、本来はラワンやマホガニーなど 熱帯材のジャングルであり、 それらがほとんど切り倒されて、 ベニヤや建材や紙を作る原料として、 なんと、そのほとんどが、 1960年代頃から 日本に持って行かれたことが だんだん解ってきた。 ぼくも、小学校の頃、 美術工芸の先生がラワン材を見せて、 「これは年輪や節が無いから、 加工には打ってつけなんだよ」と、 ラワンで本立てを作ったのを覚えている。 後日出会った船乗りだった日本人が、 ぼくに語ってくれた。 「ミンダナオには、 なんどもなんども船で行ったよ。 熱帯材を取りにね!」 北海道と四国を合わせたほどの大きさの ミンダナオ島の熱帯材は、 ほとんど切り尽くされてしまい、 アポ山の周辺に3パーセントぐらいしか 原生林は無いという。 こうして木が切り払われた結果、 保水力が無くなり、 下のリグアサン湿原一帯では、 毎年、4,5回の大洪水が襲ってくる! それを見ていたたまれなくなり、 微力だけれど、何もしないより 何かしようと思い立ち、植林を始めた。 熱帯材を植えて、 原生林を復活させたかったけれど、 ラワンやマホガニーは、 成長するまで80年はかかる。 それで、地元の人々の意見から、 ゴム、カカオやヤシを植えることにした。 こうした木なら、8年後から収穫が可能になり、 生活も支えられてくるから。 vs40 ダバオ市の貧困地域で 古着を渡す 辺境の山の貧困と都市の貧民街の貧困は、 共通している部分と異なっている部分がある。 都市の貧民街の人々は、 原住民は山から町に下りてきた人が多く、 とりわけクリスマスの一ヶ月前あたりから 民族衣装に伝統の楽器をもって 山から下りてきて、 家々の前や道ばたで楽器をならしながら、 伝統的な踊りをおどりながら歌って 物乞いをする。 こちらでは、 キャロリンと呼ばれていて習慣になっている。 その後、山に戻らず、 物乞い生活に入っていく 家族や若者たちもいるようだ。 ぼくが子どもの頃にも 物乞いが路上にいたけれど、 その前で10円でもいいから渡そうとすると、 父が、「やっては、だめだ! がんばって仕事をしなければならない。 努力がたりない!」と言って、 目もくれずに通り過ぎた。 その影響もあってか、 最初は物乞いに小銭を与えるのは、 良くないと思ったが、 子どもの物乞いもいて、 母さんを助けるために努力している。 それを見てから、 いまは、小銭を物乞いにわたすのも、 路上で魚をうったりするのも、 良いような気がしている。 いざとなっても物乞いすれば 何とか生きていける、という安心感が、 庶民にあっても良いと思うようになった。 イスラムの人々の場合は、 戦闘を逃れて時には、 他の島々からミンダナオに逃げてきて、 住み着いた人々が多い。 海沿いを移動してきた人々も、 山から下りてきた人々も、 町に着いた頃には、一銭のお金もなく、 家も土地も買うことなど出来ず、 海上に板をはりだした海の上に、 家々を建てて貧民街を作っている。 そこで舟を持ち漁師さんになって 生活している人はまだ良い。 生活も大変だし、 衛生上の問題もあるだろうけれど、 宗教や種族を超えて 貧しい中でお互いに助けあう風潮があって、 子どもたちどうしも、 信じられないぐらい明るく仲が良く、 みんなで遊びお手伝いする。 それを見ると、 高い壁に囲まれた立派な家に住んでいる 金持ちが失ったものが 何かあるのではないかと感じる。 聖書の言葉 「貧しい人は幸いである、 天国は彼らのものである」 身にしみて、ここで感じる言葉。 ミンダナオ子ども図書館の事を この地区の子どもたちも人々も知っていて、 奨学生もいるし、 私たちが行くと駆けよってくる。 中には、ぼくに向かって叫ぶ子もいる。 「トモさんーーー!」 そのような体験を 訪問者もすることによって感動し、 貧民街に対する差別的な視点が消えて、 金持ち社会が失った 何かを感じて感動する。 大事なのはお金や物よりも、 まずは、隣人愛と友情かな? vs41 また必ず、 帰ってくるからね! vs42 マノボの集落の 保育所が完成 丹原美穂さま寄贈の 保育所が完成 これからもゆっくりとですが、 一つひとつの保育所の調査をして 補修を行っていきます。 マノボの集落 プロック8の保育所も完成 この集落は、 周囲を移民の人々に土地をとられ、 先住民族は、 狭い斜面に住まざるを得なくなっている。 自給地もないために、 周囲の田んぼの雑草を刈ったりして 日銭を稼いで生活しており、 子どものための弁当も作れず MCLで米を支給している。 開所式の準備のために、 子どもたちが 保育所のいすを運んだ。 こちらの子どもたちは、 こうしたお手伝いを、 嫌な顔ひとつせずに、 楽しそうに行っていく。 vs43 いよいよ、 開所式の読み語りに! MCLの 子どもたちが出発! 諏訪湖ロータリークラブの方々も乗り込んで、 出発! まずは読み語りと歌から、 開所式が始まる。 マノボ族の村だから、 マノボの子たちが中心になるが、 必ずイスラム、クリスチャンの子たちの 歌と読み語りを入れていく。 宗教を前面に出し、 違いを敬意を持って受け入れ、 互いに友情を結ぶことは、 21世紀の最大の課題だと MCLは考えている。 子どもの文化の中に、絵本にも、 様々な異なった文化や宗教表現を、 どんどん入れていく時代が 始まっていると思うのだが・・・ もっと先住民の宗教の絵本、 イスラムの絵本、 仏教の絵本、神道の絵本、 カトリックやプロテスタントの宗教観 などを描いた絵本が、 どんどん出ると、 今後の平和を創り出す運動に 貢献すると思うのだが。 読み語りの後に開所式が・・・ ミンダナオでは、 会合はすべて祈りから始まる。 まわりは水田に囲まれているが、 彼らの土地は無い。 元々は彼らの居住地だったのだが・・ それでも限られた共同の土地で、 みんな仲良く助けあい、 いっしょに保育所でABCを勉強したら、 今度は、できれば小学校にあがりたい! 中学校や高校にも行けたら良いんだけれど! と言うのが子どもたちの夢。 vs44 北野財団の保育所が 完成した 北野生涯学習財団は、 日産などの車のライトを作っている スタンレー電気の財団。 毎年2棟の保育所を寄贈してくださっている また、4名の大学の奨学生も・・・ 開所式は読み語りから vs45 男子下宿小屋が マロゴンに完成した マロゴンは山の奥の集落だけれども、 教育に情熱を傾けている。 小学校が完成し、高校が出来つつある。 ここに、念願の MCLの男子下宿小屋が完成した。 MCLの奨学生は、 山の貧困家庭や親の無い子、 崩壊家庭の子たちを優先している。 それゆえに日常学校に行けず、 学校成績や年齢にハンディがあったりする。 みんなで読み語りをした ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちが、 現地の子どもたちとの 友情をきづくために、 村の子たちを集めて読み語りをした。 この村の保育所も、 ミンダナオ子ども図書館で 数年前に建てている。 保育園の先生が、 村の子どもたちを集めて、 宿泊施設にやってきた。 読み語りは踊りからはじまる。 みんなで踊ると楽しくって、 緊張感がほぐれるし! 絵本のほとんどは、 英語か日本語で書かれているので、 自分で見ても、 子どもたちは、 何が書いてあるのかわからない。 でも、 こちらの子どもたちは全然気にしない、 一度、 読み語りの体験させすれば、 絵本の良さがすぐにわかるし。 絵を見るだけでも楽しいし、 すぐに絵から自分でお話を考えて、 他の子たちに語り始める。 心に壁を作らず、 既存の知識の上に立って物事を考えず、 心が妖精のように飛び跳ねる! 絵本を見たこともない子どもたちに、 スタッフが絵本をわたす。 読み語りの後、 自分の手にとって、絵本をみるだけでも、 興味の度合いが変わってくる。 vs46 大きなカサバイも の劇をした 奨学生たちが演じる 「おおきなカサバイモ」の劇は、 絵本「おおきなかぶ」からアイデアを得て、 ミンダナオ子ども図書館の若者たちが 独自に作った劇! 絵本「おおきなかぶ」は、 ぼくも、子どもの頃に読んでもらった絵本で、 父が編集した思い出深い 絵本のひとつだけれど、 なぜ名前がカサバイモに 代わっているかというと、 ミンダナオにはカブがなく、 カサバイモなら山に自然に生えていて、 山の子どもたちが毎日のように 斜面で掘ってきてみんなで食べる。 お米代わりの主食だから。 だから、どうやって地面から 引っこ抜くかもしっている。 下の映像サイトのなかの原住民の文化祭、 マノボデーでマノボ料理を作るために、 山にカサバイモをとりにいき、 子どもたちとひっこぬく場面が出来てます。 オリジナルの絵本とは異なった部分があり、 猿やネズミもやってきて、 最後にネズミが 根っこのまわりをこつこつとひっかいて みんなで芋を引っ張りぬく。 この筋書きも、彼らが独自に考えたもの! 日本でやったら、専門家から、 「原作通りにやりなさい!」 と、怒られるかな? 最後にみんなで歌った! 毎回必ず最後に イスラムの歌、マノボの歌、ビサヤの歌 そして平和の歌を歌う vs47 建築祝いを最後に 家は下がコンクリートで、 上半分が竹壁にしている。 これは、 こちらの伝統的なスタイルで、 確かに全部がコンクリートの方が、 耐久性があるのだが、 熱帯であるが故に、 クーラーも置かないと暑くて夜も眠れない。 ミンダナオ子ども図書館の本部も寝室は、 伝統的な竹壁にしている。 しかし、竹壁の欠点は、 5年ごとに多少、 修理をしなければならないこと。 ここには、 高校生以下の男の子たちが住み、 学校に行きながら農業も行う。 すぐ横には信じられないぐらいに 巨大なラワンの大樹が立っている。 ここは伝説の場所で、 巨大な樹から不思議な白い女性が現れて、 天に向かって昇っていくという。 それをテーマに、お話を書きました。 下から読むことができます。
このお話を2020年現在、 画家が絵を描いて絵本を制作中です。 その画家と若者たちもいっしょに 2019年にこの場所を 訪れた映像が、以下です。
vs48 マノボの祈りの家 の建前式 今年のマノボデーは、 マノボの祈りの家の建前式を行った。 酋長たちも訪問してくださった。 マノボ文化を若者たちに 伝え続けるためにも、 こうした、 伝統的な祈りの家が必要だった。 酋長たちの祈りに、 私も酋長として加わった。 妻のエープリルリンは、 マンダヤ族の血が入っている。 マノボ族にとって鶏は、 地上と神の国をつなぐ存在だ。 vs49 マノボ族、 ビラアン族の スカラー(奨学生)の 歌や踊り 従兄弟どうしの下の二人は、 本当に伝統的な踊りを知っている。 貴重な存在で、 昔話もたくさん語れる。 彼らに昔話を収集してもらって、 絵本や本を作ろうと思っている。 支援者から届いた手紙を渡した 最後に集まってきた奨学生たちに、 支援者から届いた手紙をわたした。 日本語で書かれている手紙は、 渡す前に、 英語に書きかえたものを同封して渡す。 奨学生たちは大喜び! vs50 原住民の祈りの家が 完成した 高島ご夫妻の支援で完成 大勢の首長たちが、 開所式に参加してくださった。 今後、MCLを中心に、 マノボ文化の保存育成活動が、 広範囲に展開されていくだろう。 行き詰まっているかに見える現代文明の、 物質中心の世界観、宇宙観を打ち破り、 本来人類が持っていた、 見えない世界と見える世界、 自然とと人間、 一見対立しているかのような 二元論を超えた、 ゼロの視点にたった本来の宇宙観を 人類が取り戻すためにも、 原住民の世界観に立ち返って、 世界を見ることが、 これからの未来を開いていくように 思えてならない。
vs51 クリスチャンデーの 文化祭 毎年、ミンダナオ子ども図書館では、 イスラムの文化祭、 マノボ族、バゴボ族、ビエラーン族など、 原住民の文化祭。 クリスチャンの文化祭を行い。 最後に、シンポジウムを開いて 一年の総括をする。 その年のテーマをどうするかは、 その年の選挙で選ばれた、 それぞれの代表が、 話し合って決める。 今年のテーマは葬儀と復活。 クリスチャンの文化祭では、 イエスの最後の晩餐と、 十字架に貼り付けになる 死と復活が演じられた。 訪問者も参加できます。 今年は、訪問者の方が支援している子に、 手紙をわたした。 vs52 イエスの受難の物語 イエスの死と復活をどう演じ伝えるかは、 クリスチャンの奨学生たちが、 事前に話し合って決め、 練習もしてきた。 弟子の足を洗い 愛と受難を伝える最後の晩餐 最後の晩餐の前に、 イエスは、一人一人の弟子たちの 足を洗って清めた。 そして生け贄の象徴としての肉と血、 パンと葡萄酒に感謝をささげ、 肉の象徴としてのパンを捧げて食べ、 血の象徴として 葡萄酒を神に捧げて飲み。 弟子たちと食事を共にした。 kz 突然 突風が襲った! 死の十字架に向かうために イエスが、立ち上がった瞬間 突然、強風が起こり、 大雨がふりだした! みな天に何が起こったのかと、 ビックリして立ち上がると、 飛ばされそうになる、 テント代わりのビニールシートを、 必死につかんで、 ミンダナオ子ども図書館の庭を抜けて、 母屋へと向かった! まるでイエスの死に心を痛めて、 天が泣き出したかのようだった。 最後に母屋で お昼ご飯を食べる奨学生たち。 vs53 MCLの日常 ザンボアンガでは戦争が起こり、 ピキットでも、 季刊誌で述べた懸念が、 現実のものとなりつつあり、 MILF分離派のBIFFとMNLFが組んで、 国軍との戦闘が散発的に起こっている。 しかし、MCLのなかでは、 クリスチャンもムスリムも本当に仲が良く、 他国から来た訪問者とも、 仲良く遊ぶ! ミンダナオが世界が、 MCLのようになれば良いのにとつくづく思う。 vs54 小学校の卒業式 MCLの近くのマノンゴル小学校を スタッフでハウスペアレントのローズマリーは、 もと、MCLの奨学生だった。 MCLの奨学生には、親のいない子も多い。 そんな子にとって、 卒業式はうれしくもあるものの、 ちょっと寂しくなるときでもある。 そんな子どもたちの気持ちを察して、 ハウスペアレントや スタッフや、 ときには、 上級生のお姉ちゃん役が、 親代わりにつきそう。 日本から訪問されていた野田杉菜さんも、 お母さん役をつとめてくださった。 山から、 片親だけれど、 忙しいのにお父さんが来てくれた! 最後に、 卒業証書の授与がはじまった。 小学校もいけない、 卒業なんてできないと思っていた、 極貧の子どもたちにとって、 卒業式は夢の又夢だった。 それが実現した驚きは、大変なものだ! vs55 現地日本人スタッフによる、 写真を交えた最新の活動報告です! 松居友による活動報告および 製作映像や想いを載せた自由日記です! 何故ここに日本人などのテレビ映像 その他の貴重な活動映像を掲載 民話、絵本原稿、青少年から大人までの読みものを 自由購読で提供しています。 |
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毎回振込後に、宮木梓からお礼のメールとが届きます! 奨学金は物価高騰もあり、2021年より以下に変更いたしました。 一年間、小学校42000円、中高60000円、大学72000円 卒業後も支援額を変更して継続、別の子を紹介希望、終了希望は、 通信欄かメールで宮木梓宛に、寄付の内容や要望をお書きいただければ、 宮木梓が、対応いたします。 メールが難しい方は、日本事務局に携帯かお電話で対応いたします。 |
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会計報告 |
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日本の子ども ミンダナオの子ども |
機関誌『ミンダナオの風』若者たちの想い! |
無題3:松居陽 |
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イクメンに未来をたくせそう! |
今後の活動指針 |
愛に捧ぐ黙想:松居陽 |
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ほくの少年時代と思春期から |
子育てよりも、子育つ世界! |
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メールニュース希望! |
原住民、イスラム、クリスチャン、私たちは一つの家族! |
講演感想 |
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近年の若者たちの訪問体験記! ミンダナオ子ども図書館の活動とは? MCLを知っていただくために、多くの映像のなかから選びました。 |
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山の下宿小屋に |
海の下宿小屋に |
奨学生決定に山へ |
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酋長の依頼で |
地震の悲しみでお父さんが |
アポ山へGO! |
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地震避難民の救済と読み語り |
イスラム避難民の救済支援 |
洪水が襲った |
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イスラム湿原に保育所を建てた |
土地を追われるマノボ族 |
サンタマリアの海辺で遊ぶ子ども |
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クリスチャンの文化祭 |
イスラムの文化祭 |
原住民の文化祭 |
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戦争と平和 |
洪水と植林活動 |
平和構築と学校建設 |
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ミンダナオ子ども図書館の日常 |
総合活動報告の記録映像 |
海の下宿小屋 |
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テレビ東京なぜここに日本人 |
池上彰の番組、パックン |
NHK国際放送 |
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