イスラム地域の戦闘と難民の問題 土地を追われたマノボ族 |
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mk40 イスラム地域の 戦闘と難民の問題 何故、イスラム難民は 自分の土地に帰らないか? これには、いくつかの原因がある。 一つは、帰っても 家が焼かれて無かったり、 家畜が奪われて居なかったり、 生活を始めるための 基本的な財産が 戦闘のために失われている。 それ故に、 帰ろうと思っても帰れない、 と言うものだ。 しかし、 もっと根本的な原因は、 戦闘の拡大を恐れているからだ。 彼らは、 政府軍がMILF反政府組織を 見かけ上は土地から追い出し、 外見上は戦闘地域を制覇した事で 戦闘が終わったとは考えていない。 クリスチャン系住民は、 政府軍の制圧によって守られている、 と言う自覚があり、 彼らは、ほとんどが自分の土地に帰った。 行政が、 公的な難民キャンプであった、 倉庫や学校を閉鎖して、 帰省を促していることも大きい。 しかし、イスラム教徒たちは、 自分の土地に帰ろうとせず、 ピキットの辺境に移って 道路沿いに住み始めている。 彼らが、ビニールシートの屋根を 椰子の葉に変えて、 仮小屋を建て始めたことは、 長期滞在を覚悟したことを意味している。 理由は、 クリスチャン系住民とは正反対に、 イスラム教徒の人々にとって、 政府軍が地域を制圧し、 軍が駐在したことは、 戦闘が起こる可能性、 拡大する可能性が高まった事を 意味しているからであると言う。 普通なら、政府軍は、 フィリピン政府が自分たちを守るために 出動させた軍隊という解釈になろう。 クリスチャン系住民にとっては、 まさにその通りである。 しかし、自治独立を目ざしている イスラム系住民にとっては、 敵の侵攻に見えると言えば、 理由が明らかになろう。 mk41 7割が イスラム教徒で しめられている ピキットは、7割が イスラム教徒でしめられているが、 他の地域もふまえて、 イスラム地域は、ほとんどの住民が 感情的には反政府だと言って良い。 特にこの傾向は貧困層に強く、 村長や金持ちの土地所有をしている イスラム教徒は、 ダバオやマニラに居を移している ケースが見られる。 といっても、 この境目は実に曖昧なもので、 遠くから、 指示を出している可能性もある。 いわゆる反政府地域の イスラム教徒のたちは、 MILFの正規軍が滞在したり、 通過しても逃げることはない。 しかし、政府軍が入ってくると、 子どもたちも女達も、 いっせいに村を放棄して逃げ出す。 理由は、政府軍が村人を 攻撃してくるからではなく、 政府軍が入ったところに 戦闘がはじまるから。 MILFにとっては、 政府軍は自分たちの テリトリーに入ってきた 侵入者であり攻撃の対象。 軍は、政府軍も、MILF軍も、 訓練された正規軍と、 一般住民が武器を持った 民兵とにわかれている。 民兵は、 ライフルや迫撃砲を持っていれば それとわかるが、 特にMILFに属する民兵は、 軍服を着ていないし、 普通の住民と同じ、というか、 普通の住民達のなかの 男性達だから、 それと見分けるのが難しい。 mk42 最も安全な場所は 難民キャンプだ 彼らは、自分たちが戦うためにも、 家族を安全な場所に移しておきたい。 最も安全な場所はどこか、 それが、難民キャンプだ。 このことは、 地方行政も承知であるし、 ピキットでは人道的な立場から ワールドフードと協力して食料支援もしている。 難民キャンプは、 ほぼ、村単位で固まるケースが多く、 その結束は固い。 難民状態が続いたからと言って、 彼らの結束が弱まったり、 コミュニティーが 崩壊することはなさそうだ。 貧しい人々の結束は、 難民状態を通して、 より強くなることはあっても、 弱まることは無いと感じる。 しかも、彼らは、 こうした経験を、過去30年間、 3年置きに体験しているので、 戦闘難民になっても、 「またか」と言う状況なのだ。 唯一、困難なのが食料と医療であり、 初期のうちは、 精神的なトラウマなどは、 あまり感じられない。 外国人に対する不審感と、 長期化してくると、 抑鬱状態は感じるが・・・・ 戦闘における精神的トラウマの問題は、 他国に攻撃を仕掛けてきた軍の兵士たちが、 故郷を離れて 戦地に放り込まれた結果、 つまり、 ベトナムやイラクの米兵などのように、 その様な場合に 顕著に現れるのではないか。 私も、戦闘を身近に体験して、 10,11月に日本に帰国しても、 飛行機の爆音や、 ちょっとした音で神経が高ぶったり、 東京都内の環状道路を 自衛隊の軍用車が、 走っているのを見ただけで、 「どこが戦闘か!!!」と、 総毛立ち 強烈な感情に襲われたが、 こういうのは未経験者に特有で、 長期に経験し続けている イスラムのスタッフに聞いても、 慣れっこになってしまうようだ。 スカラーの中には、 父親などが殺されると、 かなり強い 抑鬱状態になることは確かだが、 加害者の立場に置かれたものの方が、 トラウマは激しく 被害者の場合は、むしろ家族や 親戚や村人たちで、 心を結束させて行くように見える。 mk43 海外NGOによる、 トラウマの解消支援 今、はやりなのだろうか? 海外NGOによる、 トラウマの解消のための支援は、 現地の人々の表現を借りると、 「それしかやらないのか、 米をくれる方がよっぽど良いのだが・・・」 と言った言葉になる。 私には、 理念は、理解できるが、 彼らには良くわからないようだ。 私たちは、 読み語り活動を通して、 子どもに対してトラウマ解消の支援に 類似したこと?をしているが、 私自身は、 昔語りに起源を発する語りは、 心理学的にも歴史的にも 最高の心理療法であることは、 拙著「昔話と心の自立」教文館で執筆したが。 さらなる利点は、 繰り返し通うことによって、 見知らぬ人々や子どもたちと、 信頼しあい友だち関係になれることと、 現地の若者たちが スカラー達といっしょになって、 ボランティア精神を育成できることだろう。 平和構築が、 宗教や部族や国を超えて、 心を通わせ会うことから 始まると考えると、 読み語りは、 最高の 平和構築活動だと感じる。 ただし、 英語の絵本を読んだり、 欧米の歌のみを歌ってもだめで、 言葉はマギンダナオ語や マノボ語など、 現地語(母語)を中心に置き、 現地の文化や宗教を重視し、 地元の昔話、 踊りや歌を、 必ず交える必要がある。 その意味で、 現地の若者たちが、 中心にならなければ 意味をなさないだろう。 ただ読み語りも含めて村人達には、 トラウマ解消プランは、 NGOの自己満足といった感じで、 映っているように見えるようだ。 しかし、子どもたちが大喜びで 表情が変わるのを見て、親もおお喜び! そして、大人たちも心が癒され、 「また、来てくださいね!」 期待しているのは、炊き出し、 そして医療なのだが・・・ 実際、最も困窮しているのは、 医療と食料であることは確か。 興味深いことだが、 地方政府やイスラムの行政担当者、 福祉局の人々も このことはちゃんと知っている。 戦闘など、 まったく馬鹿げたことである。 地域社会や家庭と同時に、 コミュニティーも崩壊し、 心理的なトラウマ解消支援を必要としているのは、 自殺率の高い、 先進国の人々の方かも知れない。 mk44 スカラシップの 調査を開始した 今回、私たちは、 山岳地域の村を訪ねた。 入り口は、 ミンダナオ子ども図書館の農場からで、 普通見れば、 どこが入り口かもわからず、 この様な場所の奥に、 人が集落を構えているなど、 外部者には わからないようになっている。 行ってみると、 喜んで迎えてくれた。 もちろんマロゴン村の役場の人など、 現地の人が同行する。 現地の学校に通っている、 ミンダナオ子ども図書館の 若者たちも。 総じてこうした場所は、 隠れた人と自然の パラダイスのような平和を感じる。 マキララは、本当に山深い。 MCL農場のあるマロゴン村まで、 まずは4WDでようやく到達。 そこから、 本格的に山に入っていく。 この様な奥に、 集落があるなどとは思えない。 到着して早速調査を開始。 今回の子どもたちのリストは、 現地の小学校の先生の協力や 現地の奨学生の協力を得た。 mk45 病気の お母さんを囲んで 生活状況は非常に厳しい。 自分たちの土地はなく、 他人の土地に住まわせてもらいながら、 日雇い仕事を請け負っている。 年齢の割には 考えられないほど、 小柄で痩せている。 栄養が足りないからだ! 現地の人々との 良好な関係が無ければ、 この様な土地に足を 踏み入れることは不可能だ。 写真の家族は、その後、 バナナプランテーションに関連した 土地問題で父親が殺され、 母親と子どもたちをミンダナオ子ども図書館に 住み込みで引き取り奨学生とした。 後に、真ん中の少女は、 大学生になり日本に踊りと歌の公演に参加。 その時に、10年支援し続けてくれた 支援者に会って涙ぐんだ。 その時のNHKの映像は以下です。 mk46 NHK国際報道 フィリピンミンダナオ島 ミンダナオ子ども図書館の若者たちによる 踊りと唄の日本公演で 父親を殺された奨学生ハニーさんが、 支援者と出会い、感動の涙涙・・・ 涙なしには、見られない映像です。 現地の状況から判断して、 マロゴン村に保育所を寄贈し、 下宿施設を建てて スカラシップの男の子を置き、 小学校に通えるようにした。 年齢は高い子たちだが、 地元の小学校で、級長などになって活躍。 彼らは、どの子が困窮しているかを 正確に把握している。 また、こうした地域の学校の先生も、 スカラシップ候補を綿密に選び出し、 推薦し、調査に同行してくれる。 そうした協力が無ければ、 とても入れない活動地域。 今回、マロゴン村に高校を建てる計画があり (日本における中学と高校を 現地では、ハイスクール「高校」と呼ぶ。) 山元しんぷさんとMの会で 1ヘクタールの土地を寄贈。 高校がないとこの地域の子たちは ほとんど学校に通えない。 ここに高校が出来ることで 将来は、 地域の発達に大きな助けになろう。 日本政府の草の根資金で 建設できないだろうか。 日本からワールドフードを経た 食糧支援は来たが・・・ 小学校もコンクリートは 4クラスのみ。 mk47 さらにそこから、 2時間も 山を登って やっと奨学生候補の 家に着いた。 2時間もかけて、 山頂に近い家に着いたけれども、 家には、誰もいない。 小一時間たつと、 4人の子どもたちだけが帰ってきた。 帰るとすぐに、 仕事を始める。 まず、山羊を移し ゴミをかたずけ、 椰子の汁をあつめ、 ゴムの汁を絞り始める 本当に、しっかりした子たちだ。 しかし、ほとんど裸足に近い生活。 部屋には何もないが 壁に、日本の国旗が見えたので よく見ると、 「世界食料機構」の文字のしたに 「日本のひとびとより、支援」と書かれている。 話を聞いてみると、このマロゴン村に、 昨年末に日本から、 世界食糧機構ワールドフードを通して 米の配給が数ヶ月あったという。 とても助かったのだそうだ。 滅多に米は食べられないから・・・・ 結構やりますね。 良くこんな所まで・・・ それにしても、どうしてここが わかったのかなあ? この山岳地域一帯は ゲリラの活動も活発化し、 イスラム部隊も入り、 さらに難しい状況をむかえようとしている。 下山は、 別の子を調査するために別の道を下った。 こんな山の中に、 網の目のように道がある。 下の子のお母さんは家出したまま 別の夫を持ち帰らない。 お父さんと二人で、 深い山の中で暮らし うけおいの森番をしていた。 先生の推薦だけあって 貧しいけれども 学業に関する興味は高く成績も良い。 推薦された子のなかの数名は、 父さんがいない子だった。 国軍との戦闘で殺されたという。 反政府勢力の村だから・・・ 一日ではとても調査できず、 マロゴン村でその夜は泊まった 電気のない暮らしも乙なもの? 石油の灯りで学ぶ 奨学生たち! mk48 翌日も 調査を継続 調査は一日では足らず、 翌日も続けた。 翌日、ミンダナオ子ども図書館のスタッフと ソーシャルワーカーが、 血相を変えてやってきた。 「携帯は届かないし、 夜帰らないものだから、 MCLは大騒ぎだったのよ! てっきり誘拐か殺害があったと思って・・・」 MCLのソーシャルワーカー カティも加わり調査を続行。 一泊すると 話してきたつもりが、 伝わっていなかったらしい。 とにかく無事であることを見て、 ホッとしたようだ。 そう言う場所ではあるのだけれど・・・・ スミマセン! この子たちには お父さんが居ない。 お母さんは、 日雇いをしながら 子育てをしている。 イスラム部隊が、 駐屯した地域の近く。 来年は、そちらの村にも行ってみよう。 イスラムの奨学生たちといっしょに。 遠くにイスラム集落が望める。 この右手奥の谷に、 駐屯している。 かつてイスラムの土地を クリスチャン市長が手にいれたが、 それを奪い返して駐屯した。 ピキットから来た者もいるという。 マキララ地区は、 行政とドール資本の癒着が強く、 行政からの依頼を受けた国軍と、 それに対抗するNPA(新人民軍)との 戦闘が絶えない。 今後、拡大しなければ良いのだが。 mk49 こちらは、 バゴボ族の村 貧しい村にもかかわらず 成績も良く がんばっている子が多い スカラシップに選ばれて 突然泣き出した少女。 病気と貧困で2年間 学業を停止して新たに開始。 本当にがんばっている様子が、よくわかる。 「まだ、小学校だけれど、高校にも行けるよ」 と、話したとたんに泣き出して 涙が止まらない。 「がんばれば大学まで行けるからね」 と、言ったら、呆然としていた。 mk50 スカラシップ 調査が続く 山のマノボ族の子たちの 家庭調査は、 山登りから始まる。 今年の小学校の里親奨学生を 選考する対象地域は、 和平構築を考えて、 反政府勢力の活動が活発で、 戦闘が絶えない 山岳地域から2カ所選んだ。 1,アラカンのマノボ地域 2,マキララの移民系山岳地域 さらに戦闘の続くイスラム地域から、 ピキットの山岳地域と ARMM(イスラム自治区)に属し、 MILFの強い2カ所。 3,湿原沿いのサパカン集落 4,山岳沿いのセニオマラウ集落 そして、昼はゴミを拾って、 深夜は物乞いでさまよう 町のストリートチルドレンたち。 そして、父親もいず、 食べるのも困難な 先住民のマノボ族の子たち。 母親が、 必死で娘を育ててきた。 それでも、大学は夢のまた夢。 思いがけない スカラシップに、 泣き出す子たち。 信じられないことが 私に起こったわ! 学校に行くことが出来るなんて!!! mk51 サトウキビ刈りに 駆り出される ウオーターフォールの 子どもたち サトウキビ刈りに プランテーションに駆り出され、 学業をストップ。 スカラシップを続けることが 困難になった子たちを ソーシャルワーカーのカティーと調査する。 こうしたケアーも 重要な仕事だ。 彼らの生活環境は劣悪だ。 下は、 サトウキビ刈りの労働者が 過ごしている宿泊施設? ようやく、 いなくなった奨学生の 両親と会えた。 しかし、彼らも、 いなくなった娘の事も、 その居所も知らなかった。 両親を交えて調査は続く。 mk52 新しいスカラー候補 スカラーのザイノディン君の妹。 もう一年近く、難民状態だ。 最初は、父親が 高校生になるのを反対した。 保守的なイスラム教徒の中には、 女の子は学業を続けることなく、 結婚した方がよい と言った考え方がある。 彼女が、涙を流して 悲しんだ様子が 今でも脳裏に焼き付いている。 しかし、一年たち、 兄のザイノディン君が、 MCLの活動の素晴らしさを語ったので、 保守的な父親の気持ちも変わった。 「もう、こんな難民生活は ほとほと嫌になった。 娘も自由に羽ばたかせてやりたい!」 家族写真を撮る時 最初は棒立ちだった父親の手を取ると わたしは、娘の肩に乗せてあげた。 ぎこちないだけに、 父親の気持ちが伝わってくる。 「娘が親元を離れて、MCLに住むとなると、 父さんは寂しいでしょう」 父親は、一瞬言葉につまったが、 「寂しい・・・」とつぶやいた。 その気持ちは良くわかる、 私ももう8年間も、 生き別れになった娘達に会っていないから・・・ 支援者が見つかりました!
mk54 アルバちゃんを 訪ねた かつて難民キャンプにいた少女、 アルバちゃんを訪ねた。 あまりにも衰弱した様子に驚いて、 山元しんぷさんのグループMの会で、 ミルクの支援をした。 その後、戦闘も終息して 村に帰ったと聞いていた。 今回、ピキットのDSWDの協力を得て、 彼女の家を訪ねた。 アルバちゃんは、 思ったよりも元気だった。 体つきも、少し しっかりしてきたように見える。 山元しんぷさんが声をかけると、 微笑んだ。 目も見えないのだが、 ちゃんと覚えているのだ。
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mk56 アラビア語学校が 始まっていた アルバちゃんのいる イスラムの村では、 アラビア語学校が始まっていた アルバちゃんの村のアラビア語学校。 小さなきれいなモスクに隣接して、 子どもたち、大人たちも集まって、 熱心にアラビア語の コーランを勉強していた。 ここの村は、半年以上、 去年は避難民になっていた。 それでも、 明るさを失わない子どもたち。 モスクも 新しく建立されたようだ。 青空にモスクが青く輝いていた。 イスラム教徒の新年は、 12月18日。 一般の正月は祝わない。 1月2日も、 アラビア語学校が、 平日通り行われている。 金、土、日が授業の日だ。 ちなみに、公立学校を彼らは、 イングリッシュスクールと呼ぶ。 スタッフのノライダさんやアスレーさんは、 帰省する事もなく、 ミンダナオ子ども図書館の クリスマスや正月をサポートしてくれた。 mk53 医療も 絶え間なく続く 新年度に入って、 次々に患者が運び込まれてくる。 医療というのは、不思議なことに 時期があるようでドッと増える。 年額120万円(月10万)の 医療費を充てているが、 一気にオーバーして予算を使い果たしてしまった。 年度累計額は、150万に達しようとしている。 高額な手術がいくつか入ってきたためだ。 歩けない少女のために、 特性の車椅子を作った。 小型で、小水が出てもだいじょうぶだ。 半年前から、 急激に瘤が出来てきた少女。 歯の位置にも奇形がある。 一度の手術では完治は不可能。 交通事故の若者も 運び込まれる。 プロック8の子で、 もちろん両親に 医療はだせない貧困だ。 eu1 先住民族の文化祭 マノボデーの 準備の芋掘りと 先住民の生活状況 芋掘りと言っても、 日本のように、 畑に植わっているのを掘るのではない。 自生している芋を 木の枝を使って掘るのだ! 実はこれも半自生であって、 現地では、 立派な畑なのだが・・・ 先住民族のマノボ族、バゴボ族、 ビラーン族、マンダヤ族などは、 多くが山の奥に住み着いている。 それを見て、 山を生活の場として好む、 山岳民族だと 勘違いしている人たちが居る。 そうではない、 亡きボードメンバーで、 ミンダナオ子ども図書館に土地を提供して下さった、 マノボ族のスーザン・インカルさんが、 おっしゃっていたが、 「今は、学園都市になっている MCLのあるキダパワンも、 昔はジャングルで、 マノボ族しか、住んでいなかったのです。」 かつて、原住民たちはみな、 豊かで住みやすい 平地に住んでいたのだった! 下の写真は、最初期のMCL! 誰が好きこのんで、 山の傾斜地に 畑を作るだろうか・・・・! 下の写真の背後の下には、 広大な水田やゴムやバナナの プランテーションが広がっているが、 あそこが、元々、 マノボ族の住んでいた土地だった。 それが今では、 外地から来た開拓民や プランテーションに土地から追われて、 こうした、 不便な斜面に 住むしかなくなったのだ。 こうした現実を理解するために、 芋掘りも、 ミンダナオ子ども図書館で行う文化祭の一つ、 先住民マノボデーの活動の一部? eu2 原住民の中には 日本人の血の入った 日系人も多い! 下の写真のスタッフのジケロ君も マノボ族だけれど、 苗字がタカという名字で、 日系人で高橋という・・・ 原住民と結婚して マニラ麻を作っていた 日本人たちは、 日本軍が、原住民を 生き埋めにしているという話を聞き、 家族を守るために、山に逃げて、 日本人であることを隠して 生き延びてきた。 下のおばあちゃんも、亡くなられたけれど、 そのような日系人のお一人で、 片言の日本語を話された! 「わたしのおとおおうさんは、にほおんじん」 この方の娘さんも、 貧しい生活で大変。 そこで、お孫さんたちを MCLの奨学生に採用している。 下の子たちもそうで、 小学生だったのが、もう高校生だ! ぼくも、よく山の中で 片言の日本語を話せる 日系人に会うことがよくある。 湿原地帯のイスラムの日系人も多い! 中坪 央暁 : ジャーナリスト ミンダナオ紛争を戦った 「キムラさん」の正体 日系イスラム戦士、「日本への思い」を語る
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ez6 土地を追われるマノボ族 20分 |
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