戦争と平和構築
2012年の記録から(3)
マノボ族の収穫祭の踊りに テレビ東京「なぜここに日本人」の スタッフたちも涙涙 |
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tv1 アラカンの キアタウ集落で マノボの収穫祭に テレビ東京も 同行取材 酋長アオコイ マオガゴン として妻と参加 僕にとっては、故郷のようなマノボ族の 集落の一つだけれど、 最初のころは、反政府地域故に、 危険で絶対に入れないと 言われていた地域だ。 道もなく 4WDのトラックも入れず、 下の村から、 相乗りのバイクや馬の背中に後ろに乗って、 ジャングルのなかを、 時には川を越えてきた場所。 しかし、長いつきあいで、 村人たちとも友だちになり、 奨学生も採用して、 保育所も建設して、 いまは、道もしっかりしてきて、 下宿小屋も建っている。 MCLに テレビ東京が同行した なぜここに日本人 マノボ族の首長になった日本人 テレビ東京が「なぜここに日本人」の 番組で取材に来ました。 わたしがマノボ族の首長、 アオコイ・マオガゴンになったこと。 マノボ族の儀式の様子。 危険なイスラム地域にも 読み語りにいきました。 それまでは、ほとんどのテレビも新聞も、 「取材に行きます・・・」 といってなぜかストップ? 実現したときは驚きでした。 現地の子どもの様子を見て、 ディレクターやカメラマンは、 涙をながしていらっしゃいました。 tv2 収穫祭の準備 愛すべき キアタウ村の日常 赤字は、2020年の執筆です。 今では、村自体が安全を考慮して、 日本からの訪問者も MCLのスタッフと一緒に、 電気のない竹小屋に泊めてもらって、 地域興しのためにも、 民泊体験ができる場所になっています。 よろしければ、いらしてください! 以下は、日本から若者たちが、 2019年に来た時の映像。 私の家に、遊びに来てね! 最初の頃は、靴もなく裸足で、 穴だらけの服を着ていたけれど、 繰り返し訪問して、 古着を渡しているので、 とても貧しいのだけれど、 着ているものだけは良く見える。 日本の方々からの支援の古着です。 日本のみなさんありがとう! ヤマイモが主食で、おかずは、 カエルやトカゲしか 食べられないけどおいしいよ! tv3 収穫祭の前日、 村人たちと一緒に カサバイモを掘りに山に行った。 この枝木で掘ってとるんだよ! 「おっ!出来てる出来てる。大きいぞ!」 「ぼくは、水をくみに行ってくるね!」 「ありがとう、がんばってね!」 村の酋長(首長)の一人で、 奨学生(右の子)のおじいちゃん。 わたしたち、 これからお料理手伝うの! 「わたしは、 木の臼を回して陸稲を粉にする役目!」 「ぼくは、 野生のバナナをとってあげるね!」 「ありがとうお兄ちゃん!」 「ぼくは、 椰子の実をとるからね!」 「落っこちないでねー!お兄ちゃん!」 「こんなにとれたよ!」 「これって、こうやって料理するのよ!」 「熟れたパパイヤも甘くっておいしいよ!」 tv4 その日の夜は、 村で泊まった 「パパトモは、わたしたちの家で寝てね!」 「ありがとう、うれしいな!」 「陽ちゃんは、どこで寝るの?」 「うちで泊まって!お願い!」 「わたしのお父さん、 ホウキ草でホウキを作っているの。」 「ぼくが、 ほうきのための草を集めてきたんだ!」 「たくさん作ってね! 帰りにぜんぶ、買って帰るからね!」 希望者は、泊まれますよ! tv5 収穫祭の 準備が始まった 収穫祭の料理の準備をしている、 奨学生たち。 「うわーーーっ!」 「すっごい!」 「おおごちそうだ!」 ご飯の準備をするのは、 ミンダナオ子ども図書館の マノボ族の奨学生たち! 丸焼き用の豚とカエル このマキで、 豚の丸焼きを作るんだよ。 お祝いにかかせないのが、豚の丸焼き! 「あの豚は、うちで飼っている地豚だよ。 自然のえさを食べているからおいしいよ!」 お祝いに欠かせない、豚の丸焼き! しかし、山ではめったに食べられない おおごちそう! こちらは、日常食べるカエルと沢ガニ! トカゲも、子どもたちが 川まで降りていってとってきたもの。 カエルといっしょにとった沢ガニも、 とっても美味しいよ。 「わたしたちは、イスラム教徒だから、 豚は食べられないの。」 「でも、食卓を少し離してくれたら、 いっしょに食べてもだいじょうぶよ!」 tv7 いよいよ 収穫祭の日が来た 収穫祭の当日、 周囲の村の酋長たちが集まってきた。 僕もその一人。 アオコイ マオガゴンが僕の名前。 普段は三食たべられない村人にとって、 こんなにたくさん豚肉やお米や、 たくさんのおかずが 食べられなんて信じられない! 数年に一度 あるかないかのおおごちそうだ! まずは、子どもたちに、 バナナの葉でくるんだご飯を渡した。 普段は、お米も食べられない! それだけに、子どもたちは大満足だ! tv8 収穫祭の 踊りが始まった 酋長が、 神々への祈りを捧げた後、 いよいよ、 祭りの踊りが始まった。 妻のエープリルリンは、 マノボ族ではなくマンダヤ族だが、 マンダヤ族のビーズと衣装を身につけて、 いっしょに踊った。 収穫祭の踊りは、 まずは草刈りの踊りから始まって、 その後、 踊りながら大地に穴をあけて、 踊って、謡いながら、 皆で楽しく、種まきをした後、 いよいよ収穫をして、 神々に豊穣を感謝します! バナナもこんなに採れたし! サトウキビも、たくさん収穫できた! 私達が生きられるために、 この世にやって来て、 いのちをささげて下さった、 精霊たちの集まりである 植物や動物たちよありがとう! 自然界の神々に心から感謝して、 今後の、豊作と平和を願って、 感謝の踊りが始まった! さあさあ、最後に皆で踊ろう! tv9 テレビ東京の スタッフたちも 驚きと感動を 隠せない表情で! 取材の途中で、 涙を浮かべていた・・・ 純粋なマノボの文化が、 テレビもない集落から 発信されるのも珍しい。 フィリピンでは、 先住民族の文化がステージのうえで、 ショー化されて紹介されることもあるけど。 けれども、 ここでは本当に感謝の心が生きてる! 精霊や神々と語りあい、 心からの祈りと感謝に 満たされた世界だからだ。 この近くで生まれ育って、 スカラシップで大学を卒業し、 後にスタッフになったピィティーボーイくんと妹。 tv10 テレビ東京の依頼で イスラムの 湿原地域にも! 今回の取材は本格的だった。 だいたいにおいて、 このような反政府地域の湿原や山岳地域に、 テレビカメラが入ること自体、 初めてだろう。 今までも取材は受けたが、 過去はほとんどが、直前になってストップした。 理由は知らない。 tv11 イスラム地域の ピキットの要塞跡で、 平和の祈りを開催! 長年日本にいないので、 日本のテレビも見ていないし、 マスコミのことはわからないが、 ここまで取材するとは驚きだった。 さすがに20カ国以上取材してきた ベテランだからできたのだろう。 「20カ国以上取材してきたけど、 MCLのような 暖かい歓迎の体験は初めてでした」 という言葉が忘れられない。 MCLの若者たちによる、 祭典が始まった 戦争の絶えなかったイスラム地域ピキット。 その中央にそびえる スペイン時代の要塞跡で、 平和の祈りをすることは、長年の夢だった。 ここは、 日本とも深い関係のある要塞跡で、 第二次世界大戦の時に、 ここに、日本軍の司令部が置かれ、 激戦が展開され敗戦した場所だ。 地下には、防空壕が掘られていて、 軍人たちは、 自決するか湿原地帯に逃げこんだ。 未だに日本軍人の遺骨が眠っているが、 調査はされたことがない。 この地で、私たちは、 ミンダナオ子ども図書館のスカラシップの 子どもたちと一緒に、 ミンダナオ、フィリピン、日本、そしてアジアと 世界の平和を祈った。 ピキットの市長 カトリック(OMI)の司祭 マノボ族の首領 プロテスタントの牧師 すべてミンダナオ子ども図書館の 若者たちが自らの手で企画した、 第六回 平和の祈りの祭典! スペイン軍が滞在した時代からはじまり、 第二次世界大戦のときの、 日本軍との激戦を経て、 さらにフィリピン政府軍と イスラム反政府組織の 40年にわたる戦争で犠牲になった、 多くの人々を想いながら祈った。 tv12 MCLの若者たちが、 イスラムと先住民の 踊りを踊った! 竹の踊りは、 人生のさまざまな試練や困難を、 みんなで力を合わせて、 乗りこえて、 平和で幸せな世界を作っていくことを、 意味している。 先住民のマノボ族の祈りの 儀式もした 最初に酋長を囲んで話し合いがもたれ、 踊りながら、 自然界の精霊や神々が招かれて、 感謝の唄と踊りが捧げられる。 楽器の先に馬の頭がついているのは、 馬頭琴? 神々に感謝し 平和の祈りが捧げられた! tv13 最後に みんなで平和の歌を 歌って祈った とりわけ戦闘の狭間で死んでいった 子どもたちのために心から祈った! 現在フィリピン政府とMILF反政府勢力との 平和交渉が始まった事もあり、 本当の平和がきますように! そして、隣国である日本や韓国、 ロシアや中国、 インドネシアや東南アジア諸国と、 平和のなかで隣人としての 友情を結べるように! さらに世界の人々と、 平和のうちに愛を分かち合えますように! 私は、集まった人々の前で、 日本人として日本軍が行った残虐な行為を、 心から謝罪した! すると「いい人もたくさいたよ」と 耳元でささやいてくれる人も多い。 この日本軍の指令部があった要塞で、 敗戦の結果日本軍が玉砕した。 地下の防空壕に逃げこんで自決した結果、 地下には遺骨が、 まだたくさん眠っているという。 地元の人々は、怖がってはいらない。 そして、多くの日本人たちが、 目前に広がるリグアサン湿原に逃げ込んで、 今にいたるまで、自分の中に日本人の血が 混じっていることを明かさず、 イスラム戦士となって生き続けている。 ときどき、僕にそっと 「自分の父親は、日本人」と あかしてくれる人にも会った。 しかし、じっと僕を見つめて ニヤッとほほえむ日系人が多い。 tv14 ミンダナオ紛争を戦った 「キムラさん」の正体 日系イスラム戦士、 「日本への思い」を語る 中坪 央暁 : ジャーナリスト (以下をクリックして 東洋経済のサイトで読めます) https://toyokeizai.net/articles/-/178118 フィリピン南部のミンダナオ島で 1970年代から続いたミンダナオ紛争。 分離独立を求めて政府軍と戦った イスラム武装勢力「モロ・イスラム解放戦線」 (MILF)の中に、日系3世の大隊長がいる。 祖父が大正時代に 日本からフィリピンに渡って約100年、 現在67歳になる“日系イスラム戦士”が 経験した戦いと平和への思いとは どのようなものなのだろうか。 現地で本人を直撃した。 日本が貢献した
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tv25 難民収容キャンプに 避難した人々 避難民収容所に避難した人々たちは、 まず寝る場所を確保するために、 雨よけのシートをかけるための木組みを作る。 今回は最初に、ピキット市のはずれの 空き地に避難している人々を訪ねた。 家で飼っているアヒルといっしょに避難・・・。 家に置いておくと盗まれてしまうから。 避難所は、 モスクの側で場所は良い。 移動はおもに平地の人々は、 水田を耕作するときに使う水牛でおこなう。 すでに30年以上にわたって、 およそ3年おきに起こる戦争のたびに、 避難生活を余儀なくされてきた人々。 飼料ではなく草を食べて育ってくれるヤギは、 乳も飲めるし、すばらしい家畜だ! シートをカットする スタッフたち ここは、ピキット市の中心の広場、 この裏の丘に市役所がある。 この市の福祉局のソーシャルワーカーで 署長補佐のグレイスさんは、 カトリックでMCLの理事の一人、 同僚のイスラムの理事 サミー氏といっしょにイスラムの婦人組織と 連携をとりながら活動する。 保育科修士課程のさとみさんも 幼稚園の先生のさとこさん 田坂好生さんも救済支援に参加 今回は日本の学芸大学の 若者たちも参加した。 訪問者が参加する場合は、 行政とも、MILFのコマンダーなどとも、 グレイスさん方が連絡を取り合い、 役所や、現地の村長、 そして司令官などと安全を確認して、 時には、政府側と反政府側の 両方に話をつけて訪問する。 現地では政府側も反政府側も、 おたがいに連絡を取り合える関係があり、 それほど対立した様子には、 見えないのだが。 避難民にとって、何よりも早急に必要なのが、 雨をよけて寝るためのビニールシートだ。 海外NGOの支援などは、 数週間から数か月後の場合が多い。 「それまで、どこで寝たらいいの?」 小規模な戦闘の場合は、 棒を建てても避難民救済にビニールをもって、 誰も来てくれない時もある。 ミンダナオ子ども図書館は、 蟻のような小さなNGOで 現地に住んで活動しており、 地元から奨学生も採用しているし、 保育所を建てたり、 医療支援をしたりしているので、 現地の最も困難な場所の情報がすぐに入り、 早急に救済活動を行える。 それでもあまりにも小さなNGOなので、 資金源も乏しく、 全体にいきわたるような 大規模な活動をすぐに行えるわけではない。 いまだに多くの避難民が、 寝る場所もなく困っているのを見ると、 心が痛む。
vt26 避難民のための トイレも作った 意外とないのがトイレだ! 男性ならば藪の中や、 どこでもトイレでよいけれど、 女性は囲いがないと難しい。 現地の人々に穴を掘ってもらって、 ビニールシートで周りを囲って、 出来上がったトイレに、 避難民たちはおお喜び! vt27 ピキット市から外れた 支援の届きにくい 避難場所にも シートを届けた 避難は、およそ集落単位で移り住み、 避難小屋を建てていく。 近隣の町とつながりの深い集落は、 市のそばに避難場所を与えられるが、 山の奥から来た人々には、 町はずれの辺鄙な土地にしか 与えられない場合も多い。 ミンダナオ子ども図書館は、 とりわけ辺境の村々と つながりを持って活動しているので、 そうした集落の人々が、 どこに避難してきており、 どんなに困難な生活をしているかを 知っているし耳にしているので、 そのような人々を優先して、 活動を展開していく。 他のNGOや政府の支援が入った場所は、 それらの団体に引き渡し、 さらに支援の入らない地域の人々のもとに、 向かうようにしている。 大きな支援団体は行政からの要請もあり、 おおよそ国道沿いの政府側の安全で 避難民の多い地域に、 集中して支援物資を運ぶのが普通。 状況を把握するために、 そのような場所にも行きチェックするが、 他の団体が入っている場合は、 すぐにもっと厳しい場所に移動する。 それゆえに大きな支援団体の人たちからは、 「ミンダナオ子ども図書館は、 来ても写真だけとって、 すぐにどこかに行ってしまうよね・・・」 と言われているらしい。 確かに、他の団体が来ていると、 状況写真だけを撮ってあとはまかせて、 もっと辺境の取り残された 避難民たちのところへ移っていくので、 そういわれても仕方がない。 小さな団体だから、 経済的にもやれることがわずかだし・・・。 現地の村長さんや校長先生に、 「私たちの活動の中心は、 子どもたちによる読み語り、 友情と愛の支援です」というと、 がっかりされて、 「もっと色々なものを持ってきて くださらないのですか?」 でも読み語りで 落ち込んでいた子供たちが元気になって、 炊き出しで食べさせてシートももらって、 お母さんや家族も明るくなって、おお喜び! 「また来てねー!」 「絶対に来てねーーー!」 そして実際に、 何に困っているかをチェックした後、 次回は米の配給や 病気の子を病院に運んだり・・・ 何度も何度も繰りかえし通って、 戦争が終わってその後も 読み語りに村を訪ねて、 長い付き合いがはじまる。 「私たちの村にも、MCLが来てくれた!」 「困ったり病気になったりしたら、 あそこに行けば救ってくれる!」 「よかったーーー!」 tv28 緊急支援に 心から感謝! 2012/09/14現在 戦闘は、BIFFの分離過激派にたいして、 MILF側が、9月27日の政府との 平和交渉の回答を待つように強く指示を出し、 場合によっては、BIFFとの戦闘も 辞さない強行姿勢をしめしたために、 BIFF側が、 とりあえず戦闘を収めることにして、 つかの間の停戦状態となっています。 カバサランとバゴンイギッドには、 入れなかったのですが、 今は何とか入れ保育所も完了したので、 27日前に早急に開所式を済ませますが、 政府との交渉が決裂した場合は、 MILF側は最終戦争に入ると言っており、 現地では、交渉が決裂する公算が 強いと考えられています。 ミンダナオ子ども図書館では、 500世帯にシートを配布しました。 その後、市長令によって 帰宅が促されましたが、 恐れて帰宅できない家族が 現地に残っています。 親戚のところに非難している子どもも多く 奨学里子支援の子どもが休学し、 現地から離れて、 お礼の手紙を出せない状況も 起こっています。 今後さらに戦闘が拡大する恐れがあります。 帰宅した家族にとっても渡したシートは、 いざという時の緊急避難に役立ちます。 今は、寄付金はポンドして、 いざという自体に備えている状態です。 状況は、逐次サイトでご報告していきます。 支援者のみなさん、 現地の子供たちに代わって、 心から感謝いたします。 tv29 平和構築のために 戦闘の合間をぬって 保育所の開所式を実施した 上記でピキットで戦闘が起き、 避難民が出た事を記した。 戦闘は、 MCLが協力して学校と保育所を建設した ブアランと山岳部で始まったが、 MIFL側が、BIFFに政府との平和交渉の 結果を待つように圧力をかけて とりあえず治まっている、と書いた。 避難民が出始めたとき、 MCLでは上に写真で載せたように、 ビニールシートを届けた。 そのときピキットで砲撃が始まり、 戦車が向かい、 大砲の音が聞こえ始めた地域が、 リグアサン湿原ぞいのこの地域だった。 まさに二つの保育所を建設中だっただけに、 建設はストップし状況次第となった。 実はMCLでは、この地域が戦火に 近く見舞われることを予想して、 カバサランとバロンギス集落に 保育所を建設したのだった。 なぜ?あえて危険な場所に? と思われるかもしれないが。 今、戦火に見舞われそうなこの地域に 保育所を建設し、 いざ大変な事態になり人々が困窮したときに、 駆けつけられるような、 村人たちとの信頼関係を今のうちに、 築いておこうと思ったからだ。 事態は、 思った以上に早く進展し、 まだ建設が終わっていないうちに 戦闘が始まったが、 上記のような理由で 一時休戦といった状況に入った。 この休戦期間に、 ほとんど完成している保育所を建設し終えて、 開所式を済ませられないだろうか・・・ イスラムのスタッフが動いた。 結果的に保育所は完成し、 状況を見極めて、 開所式を実行する日取りを決めた。 最悪の結果も考えて今回に限っては、 MCLの子供たちを同行させないことにして、 読み聞かせは、スタッフで行うことにした。 それと同時に、 たえず戦闘に見舞われているこの二つの村は、 立正佼正会の方々から贈られてきた、 「ゆめポッケ」という、 母親たちが、手縫いで作ったバッグに、 子供たちと選んだ学用品や ぬいぐるみを加えたものを 渡す活動を実行した。 (MCLは、non-rerigious sect 特定の宗派のもとで活動しないが、 宗派を超えて良い支援、 心の籠もった支援のお手伝いならば、 どんな宗派でも宗教でも喜んでする。 ゆめポッケは一つ一つ手作りで、 子供たちにとっても喜ばれている。) 今回もただ開所式のサインだけではなく、 子供たちに読み聞かせをすると同時に、 ゆめポッケを配ることで、 子供たちがとっても喜んだ。 つい一週間前には、 砲撃音がしていた地域だけに、 最初は、さすがに村人たちも 緊張した顔をしていたし、 MILF側の警備も物々しかったが、 学用品とおもちゃをもらって 子供たちが喜ぶ顔と、 読み聞かせでの歓声や笑い声で、 さすが村人たちも つかの間の平和を感じていた。 ライフルを持った一人が曰く。 「MCLは、やることが他と違うなあ・・・」 tv30 カバサランと バロンギスに着いた ここは国軍は入れない地域だが、 年月をかけて福祉局は入れる。 わたしたちも5年以上のお付き合いで、 もちろん奨学生たちもいる。 わたしたちを警護してくれているのは、 MILF(反政府ゲリラ?)の人々だが、 いつも思うのは、 いったい何から守ってくれているのだろう? 川沿いに舟で行くと子供たちも、 人々も最初はちょっと 緊張したような顔で見るが、 MCLであることがわかると、 大喜びで手をふってくれる! 下は奨学生たちもいる小学校、 子供たちもMCLを知っている。 対岸はARMMイスラム自治区で、 同行した福祉局の職員たちも緊張気味だが、 そこにもMCLの建てた 保育所もあり、奨学生もいて、 人々が手をふるのであっけにとられている。 MCLは、政府も反政府も関係なく、 貧しく困難な状況にある子供たちの所なら、 どこにでも行く・・・ 右は手の不自由な奨学生のポールくん。 大学で法律学を専攻し弁護士になる。 渡辺さんご夫婦、 ピーター ポールくん元気ですよ。 10月から、ノートルダム大学に復帰して 弁護士をめざして法律の勉強を続けます。 大変困難な状況から来た若者だけに、 いろいろと迷いもあったけれども、 一歩一歩しっかりと自分の人生を歩んでいく。 そうした成長の様子を見ていくのも、 この仕事の楽しみの一つだろう。 tv31 保育所の開所式 今回はスタッフが 読み聞かせをした かつて奨学生で、大学で マスコミュニケーションを学んだアルベルト君。 京都暁星高校の皆さん 彼も元気で活躍しています。 ラジオ局の経験の後に、 MCLにもどってきて今は役員もしています。 見事に、 「三びきのやぎの がらがらどん」を語ります。 日本のみなさん、 日本語の絵本も送ってください! 読めなくても自分でお話を作って、 絵を見て語ることが出来る、 想像力豊かな子供たちだということが、 わかってきました。 保育所のサイン式 中本山實相院 発菩提心の会の サンタクロースの皆さん、 トトロの奥様 10月の季刊誌に同封して、 写真をお送りします。 tv32 この地域は戦闘が 絶えないだけではなく 本当に貧しい。 10月には、本格的な戦争が、 この地域で起こると言われている。 戦争だけは、起こして欲しくない。 何よりも子供たちが、かわいそうだ。 もしも、 こうした子供たちと日常的に出会い、 長年にわたって 関係を持つことが無かったなら、 戦争勃発に対してこれほど神経質になり、 トラウマ状態になったりはしないだろう。 我が子のように愛する子供たちが、 半年から一年近く、 避難民生活を余儀なくされ、 表情も失われていく過程を 見ているがゆえに、 極度の悲しみから、 トラウマが起こりはじめる。 tv33 イスラムの ブアラン小学校の 卒業式 学校建設もした イスラム地域ブアランの小学校の卒業式。 ここは12年かかって、 初めての卒業生を一昨年出した。 と言うことは6年間も子供たちは、 戦闘で避難民状態が続き 卒業できなかったと言う事なのだ。 先年は息子の陽が開校初の卒業式に出た。 下はその時の記録です。
卒業記念講演に招かれて、 マノボ族からのメッセージを伝えた。 彼もMCLの奨学生で、 大学でマスコミニケーションを学んだ。 この小学校にもMCLの子供たち (うちの子たち、と呼んでいる) が30名近くいる。 クリスチャンとイスラムと断絶していたのだが、 MCLとIMT国際停戦監視団の協力で、 両者が30年ぶりに和解し 同じ学校に通っている。 その事は、前にも書いたが、 先日の朝日新聞でも記事になったようだ。 tv34 拓くん訪問記 吉田拓郎から父親がとって 名前を拓也にしたという。 みんなの前で吉田拓郎の歌を歌ってくれた。 学校を出て自衛隊に入り、 今はそこを出て世界を旅している。 ひとりで、中国からチベットをぬけて インドへも行った。 中国の印象を聞くと、 いろいろと興味深く語ってくれた。 実際に旅をした人の話は、 マスコミや学問だけの報告とはことなり、 中国人に対する偏見もなく、 むしろ敬意を感じさせた。 感情的に中国敵対をあおっている、 口先だけの言葉とは違う。 こういう若者たちが日本にまだいることに、 救いを感じた。 自分の目で見て偏見無く、 物事を判断して、 事実と真実をつかんでいこうとしている。 tv35 イスラム 反政府地域である リグアサン湿原地帯へ イスラム地域のリグアサン湿原にも行った。 現在は、戦闘が起きていて、 とても入れない地域だ。 さすがに世界を旅しているので、 もちろん、 イスラム教徒に対する偏見もない。 湿原の村々をまわって奨学生に渡す、 バッグと学用品を子どもたちに配った。 こうした地域の子どもたちは、 バッグも学用品も買うことが出来ない。 拓君からのメール 電気のないという 現代では希な状況のなかでの キアタオでの生活は貴重な体験でした。 村に至るまでの風景も 村の丘からの風景も絶景で、 しかも村自体はとてもよく整備されていて、 綺麗だったので、 表向きには貧しい村だとは あまり思えませんでした。 本当にありがとうございました!
是非また尋ねさせてください。 明日からタイに行き、 インドビザを取得しそれからインドに 向かうことにします。 tv36 イスラム地域に 杉の子幼稚園寄贈の 保育所が出来た 保育園の建設は、 ピキット市の福祉局からきた依頼だ。 依頼理由は、政府が、 「小学校入学前に幼稚園で少なくとも ABCと計算を学ばなくては、 小学校には入学させない」 という新し制度を作った事にあるという。 幼稚園は文科省の系列で小学校に併設される。 しかし、貧困地域では小学校に行くのにも、 ジャングルの中を3時間ぐらい 歩かなければならない。 幼い子どもたちではとても通えない。 そこで、へんぴな集落の場合は、 福祉局の下で運営される 保育所でも良いことになった。 ところが貧しい村では、 とても保育所を建てる予算がない。 そこで、仕方なく木下で勉強しているという。 そこで、福祉局のグレイスさん達から、 「スタンダードだと大きくて高額になるけれど、 土台がブロックでさえあれば、 小さくて竹壁の簡易保育所でも良いので、 建てられませんか・・・」という話が来た。 そこで、 「日本の方々に聞いてみます!」 と答えて始めたのが保育所建設支援です。 こうして、保育所建設が始まった。 ミンダナオ子ども図書館は、 貧しい中でも最も大変な集落と 関連をもって行動している。 すでに、70棟以上を建てた。 保育所と言っても日本のように、 子どもを預かる場所ではなく、 子どもたちにABCを午前と午後に、 2時間ほど教える学習場所なのだ。 ただ、最後の問題は、 村に少なくとも日本でいう 中学校(現地ではジュニアハイスクール) を卒業した若者がいるかどうかだ! 中学を卒業していないと先生になれない! しかし、山の村では 小学校を卒業するのも難しい。 そのようなわけで、 そのような地域から奨学生を採用して、 高校や大学を卒業して 故郷の保育士になっている奨学生も多い。 給与は村で支払われて 日本円で月に6000円ぐらい。 でも、彼らにとってふる里は、 思い出もいっぱいあってとってもたいせつ! 故郷のために尽くしたい! tv37 その後2015年から 簡易保育所ではだめで、 大きくてドアが二つあり、 外に二つのトイレがある スタンダードのみ政府の認可が 得られることになり、 簡易保育所は40万から建てられたのですが、 現在は、資材の値上がりもあり、 竹壁と土台コンクリートで90万円 総コンクリートで130円になってしまった。 貧困層は、教育も受けられず ますます貧困に! 格差ばかりが広がる社会。 貧困地域の現実を知らない人々は言う。 「資材費だけを村に落とせばいいんだから、 そんなにかかりませんよ!」 しかし、集落にお金を持って渡すと 紛失されたりするので、 ミンダナオ子ども図書館の場合は、 資材の購入から 山奥や湿地帯への車や舟の手配、 ガソリン代から建設労働者の費用まで、 MCLスタッフが全てを仕切って 完成までもっていった後に、 引き渡しのサイン式を行います。 MCLの保育所は、 最後に机からイス黒板まで寄贈します。 プラスティックのイスは、 壊れたら現地では修復できないので、 木や竹のイスや机。 さらにその後も開所式には読み語りもして 村から不幸な子を奨学生に採用し 長いお付き合いが始まります。 ただ10年以上たつ保育所も多く、 契約サインでは建設後の修復は、 村の責任になっているのですが、 貧困村では経費も出せず、 ボロボロのまま使われていて、 子どもたちのことを考えると放っておけず、 予算が大変だけれど、 少しづつ修復を始めていきます。 今後の事ですが、来年の2021年には、 妻と私もミンダナオ子ども図書館に戻り おそらく生涯ミンダナオを中心に 活動を続けていきます。 以下をクリックしてださい! もどったら、活動の一つとして、 すべての保育所を 私自身目で状況をチェックして、 山の集落が住民不在で子どもがいなくなって 閉鎖してしまった保育所は、 放棄せざるを得ないにしても、 数人でも子どもが学んでいる保育所は、 土台や壁や屋根を予算が許す範囲で 少しずつ修復していく予定です。 すでに修復には、 日本から来た若者も参加したりして、 国際交流を深めています。 今後も状況は随時報告していきます。 以下は、2019年の記録映像です!
杉の子幼稚園の寄贈の保育所が コタバト市の近くに完成 イスラム地域で子どもたちの人数も多い。 開所式には、 北コタバト州のDSWDの所長さんも 直々に出席されて、 多くの子どもたちとともに祝った。 杉の子幼稚園の皆さん! 園長先生をはじめとする先生方ありがとう! いつかいらしてください。 正式なサインをともなう、 開所式の後、 MCLの若者たちが、 イスラムの奨学生を中心にして、 読み語りをした。 tv38 立正佼成会 平和基金からの寄贈で MCLの舟が出来た こちらは、 洪水支援の一環として行われたパンボート。 立正佼成会平和基金からの寄贈で、 舟を作りエンジンをいれた。 これで、洪水があっても 早急に救援に向かえるし、 湿原地域における保育所建設への資材運び、 若者たちとともに行く読み聞かせ、 湿原の村に学用品をとどけたり出来る。 今までレンタルしてきたが、 経費の削減にも大きく役立つ。 このリグアサン地域の出身で、 舟に乗り慣れているはずの スタッフのアミン君が滑って川に落ちた? 実は、民希さんが舟に乗るのを 手伝っているときに、 民希さんが滑りそうになって助けた瞬間、 自分が川に落ちてしまった! tv39 学用品の支給が 始まった MCLのスタッフたち、 そのほとんどは卒業生たちだ。 小学生たちにわたす、 MCLのロゴが入っているバックパック。 緑と黒と赤はミンダナオの森と大地、 そして太陽をあらわしている。 そのなかに学用品をいれて小学校にとどける。 日本の感覚では、 携帯か何かで先生に連絡して、 会う約束と時間を決めて、 車でスーーっと持っていくだけの、 簡単な仕事のように思えるだろう。 ところが実は、 これがけっこう大変な仕事なのだ。 何が大変かというと、 辺境の地にある学校の場合、 携帯の電波が届いているわけがなく、 先生に連絡ができない。電話もない。 さらに、 現地までの道のりが半端ではない。 山道を何時間もかけて 4WDで登っていくだけではなく、 リグアサン湿原のように 舟でしか行けない場所もある。 着いたのは良いけれど、 学用品をとどけるだけではなく、 ひとりひとりの子どもたちの状況を確認して、 支援者へのプロフィール写真を 撮影しなければならない。 子どもたちは、お礼の手紙を書く。 字の書けない子の場合は、絵手紙を描く。 しかし、事前に連絡をつけられないために、 当日、学校に来ていない子もいる。 その場合は、状況を聞いてから、 本人の自宅を訪れなければならない。 学校までは、なんとか来るまで行けても、 本人の自宅はさらに山の中・・・ tv40 リグアサン湿原地帯へも 学用品を届ける こちらは、全く道というものがなく、 舟でしか到達できない。湿原地帯。 東南アジア最大の湿原と言われていて、 湿原の中には沢山の僻村が広がり、 4000世帯以上の人々が住んでいるという。 彼らのおもな仕事は、 小さな舟で魚をとる漁師さんたち。 湿地で、毎年数回の洪水に襲われる。 時には、水が屋根下にまで達する。 ミンダナオ子ども図書館でもいくたびとなく、 洪水支援を行ってきた場所。 しかし、洪水さえなければ、 湿地にトウモロコシなどを育てられるし、 土壌は豊かで、 魚も巨大な鯉や雷魚 そして、6メートルもあるウナギや 8メートルのワニもすんでいると言われている。 極貧であっても、なんとか食べていける。 自然豊かな湿原なのだ。 しかし、貧しくて大変なのは、 病気になった時と、 鉛筆も買えず学校に行きたくても いけないこと。 和平構築のためもあり、 わたしたちはここからも多くの 奨学生を採用しており、 授業費と共に 学用品を支給している。 東南アジア最大の湿原地帯であるだけに、 奨学生たちに学用品を届けるだけでも、 パンボートと呼ばれる舟に乗って、 湿原地帯の集落を訪ね、 バックパックに詰めた学用品を届ける。 集落に着くと子どもたちに会い、 学用品を渡すと同時に、 子どもたちの状況を聞き、 とりわけ、戦争孤児など 親のいない子の場合は、 親戚に養われていたとしても、 食べていくのも大変な場合が多く、 代父母と話し合い、 場合によってはMCL本部に移って、 そこから近くの学校に通うことも相談する。 ミンダナオ子ども図書館に 住みたい子は非常に多い。 おお喜びする、 子どもたちや代父母の顔を見ると、 がんばらなくちゃ! また、集落の人々と語り合い、 地域の状況も聞いて、 困ったことがないか調査する。 とりわけ医療は、薬も買えず、 高熱があって、 医師の診察が必要なケースも多く、 その場合は至急、 保護者といっしょに車に乗せて、 MCLの本部で泊まり、 翌日、病院で医師の検診を受け、 状況によってはすぐに入院させる。 tv41 保育所の チェックと撮影 学用品の支給と同時に、 保育所の現状もチェックします。 2020年現在では、 すでに、建設後10年以上 たっている保育所も多くあり、 保育所の修理は、 村で行う規定なのですが、 極貧ゆえに行えず、 壁が穴だらけになっている 室内でかろうじて続けていたり、 個人の私有物になっていたり。 村人たちが村から去ってしまい、 保育所も使われない村もあり 来年2021年には、 5年間の日本滞在から引き上げて MCLで活動していきますので、 松居友がすべてチェックして 修復していく予定です。 修理費がかかるのですが、 使い続けている子どもたちのことを考えると、 放っておくことはできません! tv42 文化祭ムスリムデー 今年は、2月末の日曜日の学生総会 (高校大学の全奨学生が集まる)で、 恒例のムスリムデーを開催した。 イスラム教徒とキリスト教徒と先住民族、 ミンダナオを構成する 三つの文化宗教の若者たちが、 いっしょに生活をしている ミンダナオ子ども図書館。 対立を無くし互いを理解し合い、 尊重し認め合いながら生活するためにも、 文化祭は、大事な相互理解の機会だと思う。 そんなMCLの基本理念を 具現化しているのが文化祭だ。 今年のテーマは、「葬儀」。 結婚式、通過儀礼、 病魔払い、出産儀礼などと同様に、 重要なコスモロジー(宇宙像)を秘めた儀式だ。 今年は、 日本から6名の若者たちが参加した。 「MCLに来て子供たちに会うと、 笑顔が満開になれる!」 というのは、ご本人たちの言葉。 茅野の支援者の湯沢さんの娘さんは、 子供の頃を中国で過ごした体験を持つ。 さらに下のお嬢さんたち。 学校や裁判所にこれから勤務のかたわら、 毎年?何とか暇を見つけて、 必ず、かーーならず!MCLに来るという。 この出会いが、今後どのように 発展していくか楽しみだ。 北野生涯教育振興会も 奨学生を支援してくださっている。 トヨタ、日産、ホンダなどの車の電気を 製造している会社の財団。 http://www.kitanozaidan.or.jp/ アジアでもタイや中国に工場を持ち、 その地の優秀な学生たちに、 奨学金を授与してきた。 ところがフィリピンには工場はなく、 MCLのような、成績よりも、 孤児や片親で極貧の子を優先する、 変わったスカラシップ?に、 光栄なことに初めて奨学金を 12名の大学生に出してくださることに・・・! 今回は都合により、 直前に訪問をキャンセルなされたが、 予定通り卒業と新規奨学生の授与式を行った。 スカラシップだけではなく、 下記に記事を載せたが、 毎年2つの保育所を寄付してくださっている。 tv43 イスラムの葬儀 拙著『沖縄の宇宙像』や 『火の神の懐にて』でも書いたのだが、 葬儀にはこの世を超えた 宇宙像が含まれている。 イスラム文化にもキリスト教文化にも、 ミンダナオでは、 もともと宗教が到来した以前の 先住民族の世界観が根強く生きているようだ。 今までは10年間、 おもに貧困の問題、戦闘の問題、 宗教や民族の違いの問題に、 実践的に取り組んでくる過程で 現地を理解するのが精一杯だったが、 これからは時間を見つけて、 以前行ってきたように、 文化の深層の宇宙像にも 目を向けていきたい。 死者の死を悲しむ。 この時点で死者の魂は、 体から離れているはずで、 どこにいるかが注視される。 頭はどちらの方向に? 真剣に見守る、 クリスチャンや先住民族の奨学生たち。 特別な、布にくるまれて、 墓に運ばれる。 衣を脱がされて、遺体に水がかけられる。 水は下に流れるスピリットで、 死と清めの儀式に必ず現れてくる。 今回の葬儀は、MCLの奨学生で、 本物のオスタージュ(伝道師)の 若者が担当した。 死体には、 新たな白い布が着せられる。 この世と他界の区別が示されている。 死んだ霊はイスラムの場合は、 どのような過程を踏んで どこへ行くのか興味深い。 墓の方向も気になるところだ。 死体を埋めるときに、 上から布で風を送っている。 風は魂と深い関係があると考えられる。 最後に、隅にたてられた棒の意味と、 方角なども調べる必要がある。 こうした葬儀などの深層を見ていくと、 以外とイスラム教徒もクリスチャンも 仏教徒も神道も、 深層でつながっているのがわかってくる。 tv44 イスラムの歌と踊り まずはピキットのマギンダナオ族の子たちが、 マギンダナオ語で歌った。 そして、踊ってくれたのは、 ピキットのマギンダナオ族ではなく、 ダバオの海に張り出した貧困地域の、 タウスグ族の奨学生たち。 日本から来た若者たちにとっても、 またとない貴重な体験になった。 tv45 反政府武装勢力 和平に向け 「枠組み」合意 フィリピン、ミンダナオの イスラム反政府勢力MILFが政府と、 和平に向けての枠組みで 合意したという非常に嬉しいニュースが 10月8日、日本を駆けめぐった。 ただ過去の経緯もふり返って現状を見ると、 とても楽観的にはなれない。 (後年、この枠組みが崩壊して、 80万人の避難民が出る戦争が勃発!) とりあえず、「枠組み」が決まっただけで、 MILFと政府が土俵に登ったところであり、 これから交渉も本番にはいる。 それ以外にも不安な要素は多い。 国際停戦監視団の働きも、 ミンダナオ子ども図書館の 平和構築への活動もこれからが本番だ! 今回の平和構築活動で、 日本の果たした役割は大きい。 緒方貞子氏が、JICAに移籍してからの 日本政府、JICAとりわけ IMT国際停戦監視団の働きは大きかった。 ミンダナオを発つ直前、 IMTの落合さんが突然MCLを訪れ 情勢について語った。 枠組み合意の可能性にも触れた。 落合さんご苦労様です! 今、JICAの本部にもどられ、 JICAオフィスもダバオからコタバトへ。 UNHCRも含めこれからが正念場でしょう。 ARMM地域を、今後どのように 取り込んでいくのか鉱物資源を含めて、 どのような取り組みを 国際資本に解放していくのか、 とりわけ貧富の格差の是正をどうすかなど、 課題は多い。 平和構築はようやく始まったばかりだ。 朝日新聞に、かなり詳しい記事が出た。 他誌にも多くの記事が紹介されている。 非常に嬉しいニュースではあるものの、 平和交渉は、 緒に就いたばかりであるという事を 認識しなければならない。 今回の平和構築活動では、 日本も含めた国際的な動きと同時に、 ミンダナオ子ども図書館が、 10年間にわたって草の根で 動いてきた働きも、 小さくなかったと思います。 これは、何と言っても、 ミンダナオ子ども図書館の子供たちの働き。 現地のイスラム反政府地域から、 ピキット、ARMMを含んで 200名近くのスカラシップの 貧しい子供たちを採り、 数知れない読み語りを実行したのも彼ら。 もと奨学生で今スタッフは、 この地域に13棟の保育所を建設。 一棟の小学校(これは日本政府と協働) 一棟の初等小学校を建設している。 この地域で、MCLと言えば、 だれもが知っています。 そして、松居友一人で手が回らず、 不手際も多かったにもかかわらず、 MCLを支え続けて来られた 支援者の方々のお力だと思います。 10月25日の平和貢献賞は もちろんこうした方々のお力!!! ただ、後述しますが、 平和構築は緒に就いたばかりで、 これからが正念場です。 ご一緒に、頑張りましょう。 tv46 平和構築は、 緒に就いたばかりで、 今後も予断は許せない 朝日新聞 紛争40年、ミンダナオ和平へ合意、 自治政府樹立目指す。 http://www.asahi.com/international/ update/1007/TKY201210070135.html フィリピン南部ミンダナオ島で 10万人を超える死者を出し、 40年以上続くイスラム系住民らによる 武力紛争でアキノ大統領は7日、 闘争の中核組織 モロ・イスラム解放戦線(MILF)との間で、 自治政府の樹立による 恒久和平を目指すことで合意したと発表した。 大統領の任期が終わる2016年までに ミンダナオ島のイスラム系住民が住む地域に 新たな自治政府をつくるための枠組みを 明記した文書に近く双方が署名する。 MILFは、分離独立要求を取り下げ、 武装闘争を停止することになる。 まず政府とMILFと国際機関の代表からなる、 「移行委員会」を設置し、 自治政府の権限など詳細を決める。 憲法改正や基本法の法整備をしたうえで、 16年の統一選挙後の運用開始を目指す。 MILFの兵力は公称約12万人、 政府推定約2万人と、 東南アジアで最大規模の武装勢力とされる。 本格的な武装解除は、 16年以降になる見通しだ。 以上の記事で注意すべき点は、 恒久平和が実現したのではなく、 「目指す」ことで合意した点だ。 期限は、アキノ大統領の 任期が終わる2016年。 今後、4年以内に実現しなければ、 情勢は元の木阿弥にもどる。 MILFは、分離独立要求を取り下げ、 武装闘争を停止することになる。 本来MILFは、 ミンダナオの独立をかかげていた。 東ティモールが独立したときから、 キリスト教徒地域は独立させて、 イスラムが400年にわたって 独立を要求し続けているミンダナオは、 なぜ駄目なのか・・・。 これが、イスラム教徒のこの地域での 率直な気持ちだった。 こうした気持ちを、 根強く抱いている人々は、少なくない。 かつて、MNLFが政府との 合意にいたった時にも、 独立を目指す一派が、 分離してMILFを形成した。 MILFの勢力が無視できなくなった時点で、 今回政府側は、MILFと和平交渉をする 舞台に立つと言ったわけだが、 今回の合意に賛同できないグループが、 新たにMILFから分離して、 新規の独立闘争を始める可能性はある。 その最も有力なのがBIFFだ。 ロイターの記事には以下の記述が見える。 ロイター http://jp.reuters.com/article/ topNews/idJPTYE89700U20121008 新しい枠組みでは新自治政府の名称を 「バンサモロ」自治政府とし、 徴税権などの権限や 天然資源の配分拡大のほか、 自治政府内の治安により 積極的な役割を担うとみられる。 島の反武装勢力が支配する地域は、 原油やガス、鉱石などの 天然資源が豊富で、 同島全体で計3120億ドル (約24兆5000億円)相当の 鉱物資源があるとされる。 ただ、合意後にMILFから分派した、 バンサモロ・イスラム自由運動(BIFF)の スポークスマンが、 独立を求めて戦いを継続すると、 発表するなど予断を許さない状況だ。 BIFF(BIFM)も含め、 あくまで独立を目指そうとするグループが、 どのように動くかが今後の焦点の一つだろう。 MILFが政府と交渉に入るのとは別に、 新たなグループが独立を目指して、 活動を開始する可能性も高い。 この点を産経ニュースはこう指摘している。 産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/world/news/ 121007/asi12100715470001-n2.htm だが、不透明な点や課題は多い。 一例を挙げれば、ミンダナオ島の豊富な 石油や天然ガスの開発権などを、 中央政府が新自治政府に、 一部移譲するか否かという問題がある。 MILFの軍への編入、 武装解除の行方も不明だ。 モロ・イスラム解放戦線(MILF) フィリピン南部ミンダナオ島の 反政府武装勢力。 政府との和平へと向かう。 「モロ民族解放戦線」(MNLF)に 反発する分子が1970年代に分派し、 84年に結成された。 活動拠点の「キャンプ・アブバカル」には、 ジェマ・イスラミア(JI)や 国際テロ組織アルカーイダ系の 訓練キャンプもあったとされる。 97年から政府との和平交渉を始め、 決裂と戦闘を繰り返していた。 今回の交渉のテーマは、いくつかあり、 表向きのテーマは、独立自治区の拡大だ。 独立自治区の拡大の背後には、 リグアサン湿原の 膨大な石油と天然ガス資源の 利権をどこが握るかという、 非常に具体的な問題が隠れている。 MILF側としては、 ARMMも含んだ全権を握ることだろうし、 政府側は、半々でどうかと言っている。 こうした石油や鉱物資源、また農業資源 とりわけプランテーションの背景には、 大土地所有者の利権が絡んでいる。 しかも、その背後には 国際的な資本もからんでいる。 ミンダナオのイスラム地域も、 国際的な資本の拡大により、 現地での貧富の格差が、 他のミンダナオどうように 拡大するとしたならば、 今後も、 あらゆる形での戦闘が起こり続けるだろう。 未だに、NPA(新人民軍)との戦闘が、 ミンダナオ、あるいは フィリピン全域で起こっているように。 その点は、日経新聞が指摘している。 日本経済新聞 http://www.nikkei.com/article/ DGXNASGM0700C_X01C12A0FF2000/ ただ、ミンダナオにはMILFだけでなく、 共産系反政府組織である 新人民軍(NPA)や、 アルカイダとの関連が指摘される 過激派組織アブサヤフも存在する。 11年には住友金属鉱山系の鉱山を NPAが一時占拠する事件も発生。 日本企業の進出には、 比政府がこうした勢力を抑えて、 治安を強化することが、条件になりそうだ。 戦争の問題は、貧困の問題とつながっている。 根本的に貧困の問題が解決されない限り、 戦争はこの地で、 起こり続けるような気がしてならない。 平和への一歩は、また緒に就いたばかりだ、 ミンダナオ子ども図書館は、 貧しい子供たちを救済し支援し、 読み語りを実行して、 宗教や種族を超えて 生きるすばらしさを体験させ、 貧しい子供たちを学校に行かせ続けます・・・。 皆さん、頑張りましょう。 tv47 ミンダナオの和平への 合意に関しての 分析を掲載 ミンダナオの平和構築の状況に関して、 季刊誌『ミンダナオの風』で より詳しく分析してみました。 季刊誌は、本来は寄付をくださった方々に、 年5回ミンダナオから発送しているのですが、 現在、新聞諸紙でも、 ミンダナオの状況が取り上げられており、 今後の日本の在り方とも、 深く関係している部分も多いと思い、 今回は、特別にサイト上で 読めるようにしました。 内容の一部紹介 (前略) 本来MILFは、ミンダナオ島全体の 分離独立をかかげていた。 さすがに、それは私にも 非現実的に思えたものだが、 それが駄目でも ミンダナオの少なくとも自治州は、 フィリピン政府から独立した 国家となるべきだというのが主張だった。 東ティモールが独立したときから、 キリスト教徒地域は 国際支援で独立させて、 イスラムが400年にわたって 独立を要求し続けているミンダナオは、 なぜ駄目なのか・・・。 a これが、インドネシアなどを含む、 イスラム教徒の率直な気持ちだったからだ。 ジェマイスラミアをはじめとして、 こうした気持ちを、 根強く抱いている人々は、 今も末端にいたるまで少なくない。 (後略) tv48 第3回自由都市・堺 平和貢献賞をMCLも 受賞しました! 大賞がお二人、奨励賞が一人です http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/ _jinkenbu/heiwa_jyusyo3.html#shore 大賞 Daw Aung San Suu Kyi アウンサンスーチー氏 1945年6月19日ヤンゴン市 (旧ラングーン)生まれ。 ミャンマー連邦共和国在住。 国民民主連盟中央執行委員会議長 贈賞理由 同氏は、ビルマ(ミャンマー)の民主化運動を 阻止しようとする軍事政権の圧力により、 1989年から長年にわたり、 軟禁生活を強いられるという逆境にも屈せず、 自国の民主化、平和尊重に尽力してきました。 2010年11月、同氏は解放され、 本年、同国において選挙が行われるなど、 今後、同国の民主化への道筋の中で、 重要な役割を果たすことが期待されています。 同国の民主化は、同国の人々の 基本的な自由・権利の確保のみならず、 アジア地域全体の平和・安定にも 寄与するものと考えられます。 台湾赤十字組織 1904年3月、上海万国紅十字会として設立、 1933年、中華民国紅十字会と改称しました。 1949年、同団体は台湾に移り、 1954年、台湾における法に基づく 唯一の民間団体として、 現在も各国の赤十字と交流し、 国内外の人道支援に尽力されています。 2011年3月11日に発生した 東日本大震災においては、 同団体は、 台湾の人々から寄せられた支援金から、 ただちに約13億円を日本に送金、 さらに約4億円を追加し、 合わせて約17億円が日本赤十字社を通じて 被災地の緊急復旧作業の 支援に充てられました。(後略) 贈賞理由 東日本大震災は、 各地にかつてない甚大な被害をもたらし、 今も避難生活を余議なくされる方も多く、 復興にはまだ多くの時間が必要な状況です。 そのような中、我が国に対し、 多くの国・地域から支援が寄せられました。 とりわけ台湾の人々からも、 同団体を通じて多大な支援をいただき、 その規模はアジアの国や 地域の中で最大のものでした。 特に、同団体は、 救援金を被災地の実情に即した きめ細かな支援に充てるため、 被災市町及び日本赤十字社と連携し、 継続的な取り組みを続けています。 これら同団体の活動は、 被災地の復興はもちろんのこと、 今後の日台関係の発展、 及び広くアジア太平洋地域の 平和・安定の構築に 大きく寄与するものと高く評価します。 驚いたのは、壇上で 台湾赤十字社の代表が おっしゃったことです! 「私たちが 今回いただいた受賞金は、 全てミンダナオ子ども図書館に 寄付いたします!」 その寄付金で 子どもたちが食べられるように 水田を購入しました! そして、MCLを 訪れてくださいました!!! 写真の車は、 その後、台湾赤十字社が MCLに寄贈して くださったものです。 ミンダナオ子ども図書館 は奨励賞を いただきました! 奨励賞 松居 友(まつい とも)氏 受賞者紹介 1953年3月2日東京生まれ。 フィリピン キダパワン市在住。 児童文学者、 ミンダナオ子ども図書館館長。 フィリピンでは、第二次世界大戦後、 南部のミンダナオ島で 独自の文化・社会を築いてきた モロ(イスラム教徒となった先住民族の総称)と 政府の対立が先鋭化し、 1970年には 民族自決を掲げるモロのゲリラと 政府軍との戦闘がはじまり、 多くの犠牲者や避難民が生まれました。 2003年には停戦合意がなされ、 断続的に和平交渉が続いてきましたが、 現在も不安定な状態が続いています。 2000年に偶然、 ミンダナオ島を訪問した同氏は、 紛争により難民となり、 貧困により疲弊した子どもたちが、 笑みどころか表情を失っている光景を見て、 この子どもたちを救いたい、 という強い思いから、島に残り、 絵本の読み聞かせ活動を始めました。 2003年には、さらに活動を拡大するため 「ミンダナオ子ども図書館」を設立し、 小学校や保育所建設、 医療支援、奨学金の付与なども行っています。 現在も同図書館には、 貧困等で自宅からの通学が困難な、 言葉も宗教も違う約100人の 子どもたちが共同生活しており、 同図書館はこれまでに、 同図書館に居住する子どもたちも含め、 さまざまな事情を抱え、 学校に通うことが困難な約630人の 子どもたちに奨学金を付与してきました。 近年は、日本の不登校やひきこもり等の 課題のある青年たちを招き、 子どもたちへの支援とフィリピンの 子どもたちとの交流を通じて、 生きる力をつけるための 活動も行っています。 贈賞理由 宗教、民族間の争いが続くフィリピン、 ミンダナオには、貧困のため、 十分な教育、医療を受けることが できない多数の子どもたちがいます。 同氏は、道路も十分整備されていない 山岳地帯などの村を訪ね、 絵本の読み聞かせ活動を通じ、 子どもたちが、自身の文化や民族の誇りを 再認識する支援をするとともに、 訪問の際、医療が必要な子どもたちへの きめ細かな支援を行っています。 また同氏は、言葉や宗教の違う子どもたちが、 互いの文化を知り、 違いを認め合い共同生活する 同図書館運営などの中において、 一貫して民族、宗教の違いからくる 対立の解消への取り組みを進めています。 同氏のこれらの取り組みは、 個人の尊厳の回復、 同島における民族和解を促進し、 多様性を認め合う社会の実現に 大きく寄与するものと評価します。
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毎回振込後に、宮木梓からお礼のメールとが届きます! 奨学金は物価高騰もあり、2021年より以下に変更いたしました。 一年間、小学校42000円、中高60000円、大学72000円 卒業後も支援額を変更して継続、別の子を紹介希望、終了希望は、 通信欄かメールで宮木梓宛に、寄付の内容や要望をお書きいただければ、 宮木梓が、対応いたします。 メールが難しい方は、日本事務局に携帯かお電話で対応いたします。 |
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