戦争と平和構築 2009年の記録から (4) |
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山に追われた原住民に保育所 イスラム自治区に学校を! |
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m1 マキララでの 戦闘と難民 この地は, ドールによるプランテーションが、 ダバオ近郊と比べて 比較的近年開発された地域で、 ここ30年ほど、 山岳地域でのNPAと軍による 戦闘が絶えない地域である。 最近、再び、 この地域に隣接して戦闘が起こり、 2000人以上に上る難民が出た。 その多くは、山岳地域のバゴボ族である。 http://www.gmanews.tv/story/148140/ 2000-villagers-displaced-by-anti-NPA- drive-in-North-Cotabato 戦闘が起こっている理由は、諸説あるが、 Fr,ピーターのトライバル・フィリピーノ・ ファンデーションによると、 プランテーションの拡張と 鉱山資源開発のための 農地所有の拡大による、 政府軍とNPAや先住民との 衝突であるという。 名前が出ている企業には、 バナナで有名なスミフルも 挙がっており、 おもに、ジェトロファの作付けや、 (こちらでは、トバトバと呼ばれ、 バイオディーゼルを作る原料の実) ゴム農園の大規模拡張と 関連しているという。 これは、 現地から聞こえてくる解釈であり、 戦闘は政府軍がNPAのキャンプを、 空からのペリコプターによる 襲撃を加えて攻撃したが、 理由は、 経済的危機と同時に活発化している 外国資本による農地拡大(プランテーション)に 反対している反政府組織を、 叩くためであると、言われている。 m2 島外移民が、 農地を 拡張してきた マキララやトゥルーナンは、 ダバオからキダパワンに入る 手前の山沿いの市で、 周囲を山並みに囲まれている。 この地域は、 先住民族がもともと 広範囲に住んでいた地域で、 2000年前後から、 NPA(反政府ゲリラまたは 共産ゲリラと呼ばれる)と称されて、 政府軍との戦闘が繰り返され、 結果的に、彼らを追い出して 山に封じ込める形で、 ビサヤイロンゴ系の島外移民が、 農地を拡張してきた。 私が、8年前にこの地に来た時には、 マキララは、 NPAと軍の戦闘地域として、 危険視されていて、 夜は国道も閉鎖された。 現在は、 多少収束しているが、 情勢が根本的に 変わったわけではない。 m3 先住民族は、 山に追われる 2000年前後の戦闘では、 先住民族は、 反政府ゲリラではないにもかかわらず、 NPAであるとされて 山に追われるか、 山麓に移住してもすでに 自分たちの土地は無く、 しかたなく日雇いとして、 移民系住民の村の郊外に 固まって住むようになった。 これは、 読み語りで訪れた、 バゴボ族の村人が、 私に語ってくれた事である。 私が来た、 8年前から現在に至る過程は、 資産家が大土地を所有した後に、 5年前ほどにスタンフィルコつまり、 ドールの立派なバナナ集積所が 国道沿いに建てられた。 その後、 山裾に大規模な バナナプランテーションが 開発されていった。 こうしたバナナは、 高地栽培バナナとして、 ドールを経由して 日本や中国に輸出されている。 土地無しの先住民は、 山岳地に追われたものの、 当時、小規模ながら土地を持っていた住民も、 優先して雇用に預かれるという事で、 土地を売却したが、 その後、雇用されていた 地元の人々がリストラで職を失い、 他所から来た人々が、 雇用されてきている。 こうした問題から、 住民の不満が集積し、 先年、12月のドール倉庫の 焼き討ちやトラックの襲撃、 二人のバランガイキャプテンが殺害された。 これらの事件も、 NPAの仕業とされているが、 経済的クライシスとともに、 反政府、 反プランテーション感情が、 根強く表に現れてきた、 結果であると言えよう。
m4 平和構築のために 山岳地域に追いやられた 先住民の集落に 保育所建設を開始 私たちは、 山中の貧困集落が 最も必要としている保育所を、 微小ながら平和構築に 役立てるために、 スカラシップと医療に並行して 活動を開始した。 まずは、ボアイボアイの保育所建設! ボアイボアイは、 山奥のマノボの集落。 小学校、高校の奨学生が、 ここには多い。 4WDでも、到達がしばしば難しい。 しかし、非常に貧しく 三食たべられない。 私たちはこの地域を 課題地域の一つにしている。 最近は世界的な経済危機が、 この地域にも打撃を与え、 さらなる貧困化が進んでいる。 NPAも活発に動き出しており、 呼応するかのように軍も入った。 山道の軽トラの旅は過酷だ。 村の子どもたちも 乗ってきた! m5 途中から ダンプに便乗 ボアイボアイは、 マグペット市に属しているので、 同市のダンプトラックをお借りした。 MCLは、現在、 約7カ所の周辺の市で 活動しているが、 全ての市で市長許可証 (メイヤーズパーミット)を得て 活動している。 ロハス市、 アンティパス市からは、 表彰も受けている。 どこまでも続く山道を超えて、 ようやく目的地の村の 手前に到達。 橋が崩れかけている所で ダンプは停止。 これ以上は進めず、 資材を道脇に置いた。 そこからは、 ボアイボアイの村人たちが 水牛や馬、 肩に担いで資材を村まで運ぶ。 奨学生マロットのお父さんも 無償で協力してくださった。 村までの道のりは、 一キロはあるのではないだろうか。 コンクリートの袋は、 一つ40キロはある。 砂や砂利も運ばなければならない。 m6 村人たちによる 建設が始まった 土橋が崩れ 車で近寄れないので、 資材を水牛で牽いて運ぶ。 父親たちの手で、 こうして建設が始まった。 しかし、 自分たちの村の 子どもたちのために、 無償で協力してくださる姿は、 感動的だ。 このほかにも、 マノボ族地域に二つ建てます! キアタウと、 そして ボアイボアイに! m7 北九州小笠原 ライオンズクラブ 寄贈の保育所が 完成した 北九州小笠原ライオンズクラブの 保育所が完成した。 予算額から、 50万円を寄贈してくださり、 一回り大きくて立派なものになった。 そして屋根が青く ペンキで塗られ錆びにくく、 裾のコンクリートも 白く塗られていて美しい。 保育所建設支援は、 建物だけではない。 椅子と机も寄贈する。 椅子は、プラスティックを避けて 籐で作られている。 田舎でも修理が利くためだ。 m8 奨学生による 読み語りがはじまった ボアイボアイは、 非常に貧しいマノボ族の集落だ。 NPAゲリラの活動する 地域としても有名で、 ときどきコマンダーから 声をかけられたりする。 もちろん、 彼らもMCLの事は 良く知っていて好意的だ。 私たちは、ここから 小学校、高校のスカラーを採っているが、 もうすぐ大学生も出てくるだろう。 ミンダナオ子ども図書館との 関係を持つことで、 この村が少し明るくなった。 今日、 初めて読み語りをする、 奨学生たち。 毎週日曜日の夜は、 みんなで読み語りの 練習をしている。 英語やタガログ語の勉強にもなるし、 人の前でも怖じけずに 表現できるようになる。 最初は、 恥ずかしそうに。 でも、 お兄さんお姉さん(先輩)の 読み語りをいつも見ていて、 アドバイスも受けているので、 けっこう上手だ。 読み語りが終わると 絵本を配って、 手に取って 見られるようにしてあげる。 m9 読み語りが終わって 署名式 落ちこぼれたような村に、 美しい保育所が出来ることで、 どれだけ村人の気持ちが、 明るくなることだろう。 明日から、 子どもたちの歓声がひびく、 ボアイボアイ集落。 今後の建設予定 松岡なつめ・・・グマイ、 窪田なつめ・・・カヨパトン 藤岡市私立幼稚園協会・・・プノル 久岡隆行・・・ケロハス STUDY UNION関・・・カティラカン 京都暁星高校・多湖ファミリーと親戚・・・プロックM 多湖ファミリーと友人・・・カバサラン m10 ほるぷ舎 の保育所が出来た! 高崎に拠点を置く絵本の専門店、 『ほるぷ舎』寄贈の保育所が マキララ、マルンゴン村に完成。 代表の金子さんが、 開所式に来られた。 ご自身も読み聞かせ活動や 講演会も行っている積極的な方で、 毎年、私の講演や 息子の陽の講演会を、 10月、11月にセットしてくださっている。 歓迎の歌を アラビア語で歌う イスラム教徒の若者たち。 忙しい日本の日々とは異なった時間が、 ここミンダナオ子ども図書館には 流れている。 たった二日の滞在だったのに、 まるで2ヶ月も居たような 錯覚に陥る。 この様な時の流れを体験すると、 人生観や、 帰ってからの仕事への気持ちが 変わってくる。 それは、 心そのものが 癒される体験なのだ。 m11 明けて翌日 さっそく、 保育所の開所式へ 保育所の看板を運ぶ スカラー達。 左にMCL、 右に福祉局DSWDのマークが入り、 寄贈者の名前が登録される。 日本語で自己紹介。 私が現地語に訳して 経緯を説明。 バランガイキャプテン(村長)さんと にこやかに・・・ テープカット! この村は、村長さんを始め 役員はほとんど皆、女性だ。 寄贈された 金子さんのサイン。 サイン式を見守る 子どもたち。 子どもたちの歌も 披露された。 その後、 保育所のなかで 読み語りが始まった。 金子さんは、日本語で 紙芝居を演じて好評だった!! 言葉が伝わらなくても 心が伝わるミンダナオ。 m12 その後、 ピキットの スカラーを訪問 ほるぷ舎の金子さん方は、 ピキットのイスラム教徒の若者を スカラシップ支援している。 Joemar Abudul君。 父親はなく、 ゴミ捨て場の近くの 貧民地域に住んでいる。 時々、働きながらの 苦学生だ。 本当に二人とも うれしそうだ! m13 これが 小学校だなんて! しかも、 生徒が200人! ここに、ミンダナオ子ども図書館で、 2教室の小学校を建設決定。 ミンダナオ子ども図書館の奨学生で、 カラカカンの山沿い、 ブグアット集落から 来ている子たちがいる。 ここ数年の戦闘で、道も崩れ、 バイクでしか入れなかった地域。 最近の戦闘でも、 たびたび難民化している。 先週にも、軍隊が入り、 人々が山麓に避難した。 話を聞いていたが、 田畑は荒れ、 食事もろくにとれない事情を聞いて、 調査をかねて 久々の読み語りに向かった。 その集落の手前、 見上げると、 大勢の子どもたちが居る・・・ 不思議に思って登っていくと、 何と小学校だった!!! 村の名は、 セニヨールマラウ集落。 こちらで言うプライマリースクール、 つまり、1年から4年生までが通う、 初等小学校なのだが、 穴だらけの屋根のしたで、 何と200名が勉強しているという。 「国からの支援はほとんどない。 話だけはあるのだが・・・ コンクリートの立派な学校は、 6学年になってからでも良いから せめて、雨の当たらない教室が欲しい・・・」 m14 絵本ボックスを持って、 奨学生たちが 学校に向かった 私たちは、相談して、 保育所建設の2カ所ぶんを投入して 下半分がコンクリート、屋根がトタン、 壁が竹の保育所と同じものを 2教室ぶん、建てる提案をした。 ちょうど翌日は、 祭日だったので、 読み語りの活動も行うことに決定。 絵本のボックスを持って、 翌日、奨学生たちが 学校に向かった。 車がやっと通れるほどの、 踏み跡のような 丘陵地帯の細道を行く。 フィリピンの国旗が、 はためいているので、 かろうじて小学校であると、 認識できる。 もちろん、文部省の管轄だ。 屋根だけの教室がふたつ、 しかも一つは、椰子の葉葺きで、 腐って穴が空いている。 雨が降ればびしょぬれだ。 m15 早速、 読み語りを始めた 今日は 読み語りがあると言うことで、 精一杯 おしゃれをしてきた 子どもたち・・・ ピキットは、 低地と山岳地とに分かれていて、 低地は洪水被害が絶えないが、 地味は豊かだ。 山岳地域は、 極端に土地が痩せて 作物の育ちが悪く生活は貧しい。 この村のさらに先にある集落、 ブグアットには、奨学生がたくさんいて、 良く通っていたし、 貧しさは知っていたが、 奨学生たちからの報告では、 去年からの戦闘の影響で、 両親たちは 難民化をくり返しているので、 畑作が継続できずに 土地は荒れた状態で、 食べるものもろくにないと言う。 土地は、乾燥して石が多く、 トウモロコシも ようやくはいつくばるように 生えている。 m16 遠くから 砲撃の音がする! 今日も、 遠くから砲撃の音がする! 読み語りの間も、 低地から砲撃音が響いてくる。 豆科の雑草 イピルイピルを売って、 子どもたちは日銭を稼ぐ。 一見、平和な丘陵地帯の風景だが、 しばしば戦闘が起こり、 人々は麓の集落に避難している。 先週は避難し、 今はもどってきているが、 荷物は山麓に置いたままだという。 いつでも避難できるように 準備しているのだ。 その結果、 畑は荒れ果てている。 毎日3食たべられず、 日々の食べ物にも窮している。 遠く、ピキットの低地が見渡せるが、 大きな洪水が襲っている地域で、 遠景に水が広がっている。 アロヨ大統領の 停戦宣言があったものの、 今日も継続的に砲撃音が響いてくる。 ミンダナオ子ども図書館の奨学生が居る、 ブアラン地域からのようだ。 m17 着るものにも 困っているだろうと 思って 古着の支援も・・・ 着るものも、 ろくにない事はわかっているので、 日本から届いた 古着を持っていった。 本当に喜ばれました。 皆様方のおかげです。 さらに、 二人の兎口(ヘアリップ)の子の 手術を決定。 来年は、 この集落をターゲットに、 小学校、高校のスカラシップ支援を 開始する事も考えよう。 地域的には、 MNLFの活動地域で、 司令官も良く知っている。 奨学生のお父さんだから・・・ m18 初等小学校が 完成した 全国海外教育事情研究会と WE21おだわら寄贈の 初等小学校が完成した。 こちらが、かつての小学校。 これが、 今回完成させた小学校。 ミンダナオ子ども図書館で、 初めての、初等小学校が完成した。 初等小学校とは、こちらで呼ぶ、 プライマリースクールの事。 1年から4年生までの小学校だ。 おもに山の遠隔地に置かれていて、 年齢の小さな子でも、 歩いて行かれる距離に 建てられている。 ミンダナオ子ども図書館では、 小学校建設は経費の関係上 不可能と思っていた。 それで、JICAの草の根資金などに 応募して建ててきたが、 上左の写真の小学校を見るに見かねて 保育所建設応募の2団体で、 合計30×2=60万円の建設費で、 初等小学校を建てる決心をした。 保育所はDSWD(福祉局)の管轄だが、 小学校は文科省の管轄になる。 この地域は、 絶えず戦闘にさらされており、 反政府的な意識が強いという事で、 海外などの支援もまったくなく、 小学校も屋根に、 穴が空いたままだった。 小学校が出来て、 子どもたちは大喜びだ。 父母たちも、 先生たちも、大喜び・・・ 今回、ここから、 10名の小学校のスカラシップを 採用することも決めた。 高校生も数人とる。 かつてのマカブアル同様に、 閉ざされた反政府的な人々の心を 開いていくための一歩。 今後の 重点地域の1つになるだろう。 m19
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m24 今年度のODA 草の根資金 J-Birdに イスラム自治区の 小学校建設をアプライ 2000年、 2003年の戦闘では、 120万を超す難民が出た。 その難民キャンプの悲惨さを 目の当たりにしたのが、 ミンダナオ子ども図書館を 作るきっかけだった。 当時の銃痕が 今も壁に残っている。 ARMMと呼ばれるイスラム自治区は、 ミンダナオで最も 支援が行き渡らない地域。 MILFの活動地域としても知られている。 日本政府は平和構築のために、 この地をあえて 政府の支援地域の一部にして、 平和構築支援活動を開始している。 私たちは、 ほとんど現地の人々も、 恐れて入ろうとしないこの地域を、 今年の学校建設の候補と することに決めて活動を開始した。 この地域に支援をしても、 おおかたが賄賂として、 為政者や金持ちに渡ってしまって 無意味だと言われている。 ARMM以外でも、 似たようなものだと、 私は思うのだが、 行政機構が機能していないのも事実。 しかし、私たちの活動は、 権力者に物資や金を預けるのではなく、 あくまでも自分たちの手で 最も貧しい地域の人々に、 恩恵が直接行くように活動している。 現地には、 心から貧しい人々と助け合って 分かち合って生きようとしている、 多くの人々が居る! 彼らと共に、 子どもたちと共に、 そして、スカラー達と共に 活動を開始するのが、 MCL流だ。 m25 陸路はなく、 乗り合い舟でしか たどり着けない 選んだのは、 2000,2003年の戦闘がひどく フィリピン海軍が プランギ川を遡って攻撃し ピキットへの上陸地点とした、 その名もランディングピース と呼ばれた地域から、 さらにパンボートに乗って 奥の対岸に渡るPAARALANG村。 陸路はなく、 乗り合い舟でしか たどり着けない。 これがこの村の学校。 メインビルディングが一つあるだけで、 窓も木組みの粗末なものだ。 ここに3教室ある。 これに破れた壁の 掘っ建て小屋のような 教室が一つと、 塀のない 屋根だけの教室が二つ。 m26 子どもたちの数は、 何と700名に近い! 6学年あるが、 子どもたちの数は、 何と700名に近い! 教室を遮る壁は、 ベニヤを張っただけの、 粗末なものだ。 便所も外になる。 隣接された教室 1年2年生が多く 一教室では足りないし、 職員室も無い。 m27 子どもたちは、 床で勉強する 椅子や机も不足しているので 子どもたちは、 床で勉強する 急きょ加えた教室は、 竹壁のために 一年もたつと腐り始めて、 下部は、 抜け落ちてしまった。 隣接して作られた図書室も本はなく、 看板だけが目立つ! ライブラリーと言っても、 一冊の本もなく半ば崩れていた。 子どもたちは、 抜け落ちた廃材を シーソー代わりにして遊んでいた。 外部教室は、屋根だけで、 その下に2クラスあるが、 仕切が無く 話し声が筒抜けで家具も足りない。 m28 のどの瘤の 治療をした少女 今回何よりも驚いたのは、 この様なところで、 二人の知り合いに 会ったことだ。 一人は、7年前に のどの瘤の治療をした少女 アレナちゃんのお父さん! 懐かしさに、感動しながら 「どこへ行く?銃は持ってきたか?」 「この地に知り合いの多い、 アスレーさんのお父さんが 同行してくれているが銃はないです。」 と言うと、 「任せておけ、俺が守る」 と言って同行してくださった。 私たちは、どんな危険な場所でも 決して銃を持たない。 椰子の実のジュースを飲む時には、 「飲み口を開けていないのを拾って、 お前が鉈で、飲み口を開けろ。 ほらここに四つある。 毒を盛っていない証拠だ!」 「いや、信じているから大丈夫ですよ そちらでやってください」 と僕は答えた。 銃を持った男たちに囲まれて 誘拐される話は聞くが、 スタッフたちには、 「誘拐犯の目的は、僕だから、 絶対に抵抗せずに、僕を置いて 逃げるように」と、話してある。 「僕は、誘拐犯といっしょに行くから・・・」 m29 嬉しい出会いの もう一人は、 現地であった先生。 上の写真の方だが、 「あなた、私覚えていますか?」 「????」どこかで見たような。 「あの、タリタイの 目を手術した若者の姉です! まだ、ミンダナオ子ども図書館が とても小さかった時に、 弟に同行したのが私です!」 ここへ来た目的が、 学校建設に応募すること と聞いて大喜び!! 校長先生も村長も 大喜びするのを必死になだめて 応募の段階ですから・・・・と、 脂汗をかきながら繰り返し話すと 「その気持ちだけでもうれしいです!」 m30 子どもたちに 見送られながら 帰りには、 子どもたちに見送られながら、 まずは14日にスカラー達と 読み語りに訪れることを約束して別れた。 保育所も無いので、 保育所建設も始めよう。 資材は、 ボートで運べば大丈夫だ。 ナブンダスに建設した経験が ここで役立つ! ただひたすら 子どもたちの事のみ考えて 行動するのが、 ミンダナオ子ども図書館の理念です。 m31 週明けて 皆で読み語りに 訪れた キダパワンからピキットまでは、 車で小一時間しかない それにもかかわらず多くの若者たちは、 互いの文化も土地も知らない。 何しろ、 交通が発達しているわけでもなく、 極貧で村から出ることすらない若者たち。 小さな山の村以外には、 行ったことも見たこともなく、 イスラム教徒はキリスト教徒を恐れ、 キリスト教徒はイスラム教徒を恐れ、 マノボ族は 山岳民族とされている。 それゆえに、 宗教の違いや部族の違いを超えて、 共にへき地を訪れて、 僻村の子どもたちに 読み語りを行うことによって、 現地の子たちにとっても MCLの奨学生の子たちにとっても、 想像を絶する 大きな体験と喜び。 そして、将来への 平和構築への希望になる。 m32 いよいよ 読み語りがはじまった 読み語りは、 現地の母語のマギンダナオ語と、 国語のタガログ語でかたられる。 小さい子が多い場合は、 通訳のスカラーを交えて 母語が大切にされる。 合間には、イスラムの歌、 マノボの歌、ビサヤの歌、 そして、最後にタガログ語で、 平和の歌が歌われる。 平和の歌は、 スカラー達が 作詞作曲したものだ。 読み語りが終わったら 絵本を配って、 手に取って見られるようにしてあげる。 絵本どころか、 本も見たことのない子どもたちは、 手に取って見て大喜び! m33 保育所建設へ即行動 ミンダナオ子ども図書館流、 行動パターンを紹介します。 建設する場所によって 最短の資材調達場所を選択。 保育所建設決定の翌日 ピキット市の懇意の店で、 予算にあった資材を調達。 グレイスさんと話しているこのオジサン、 実はなんと、 ピキット市の市長さん! 懇意の方で、 話している内容は・・・ 「MCLで保育所を建設しますから 市で、ダンプトラックを 無償で提供していただけませんか」 「そうですか、それはすばらしい、 ちょっと待ってくださいね。 今すぐに手配しますから」 そうしてすぐにその場で、 携帯で運転手に指示を出す。 「もしもし、ああ、運転手。 今日の午後、車は空いてたよね。 MCLさんが、保育所の資材を調達したいそうだ ガソリン経費は、市でもつから 相談に乗ってやってくれ。」 やってきた ピキット市のダンプトラック。 このトラックには、 たびたびお世話になっている。 早速、 資材を運び込む。 出発完了! m34 パマリアンの 保育所建設 今回は、二台同時に、お借りして、 一台はパマリアンへ、 もう一台はブグアッドへ、 二往復していただいた。 運転手も既知の方々で とても親切で好意的だ。 一七日には、 初等小学校建設の 資材搬送も決まっている。 以下の写真は、私が行ったパマリアン。 疲れが出たので、 山岳地のブグアッドには 別のスタッフが同行し、 私は低地のパマリアンを選んだ。 まだ体が、 本調子ではないようだ。 m35 おーい、 あっちだよ 村長も待っているよ! お待たせしました。 村長さん! 待っていましたよ・・・ これは、パガルガン集落の村長さん 若いが誠実で、努力家だ! 自分たちの村に、 保育所が出来るということで、 村人たちが協力。 市のトラックから セメントや屋根のトタン、 竹を織って作った 壁を降ろす。 川の遠方左に コンクリートの橋桁残骸が見えるが、 前村長時代、 NGOから建設支援金が入り建設開始。 ところが橋桁一個を作ったところで、 支援金がドロンしたという。 実に良くある話。 保育所建設が、問題なく進むように、 大工は2名、 労働者は4名を原則として、 2週間、14日間の 突貫工事と決めている。 m36 村に行くためには、 丸木橋を渡る。 幸い、 GIM(USAID)が橋を架ける予定。 軍用車が来なければ良いのだが・・・ 今回は、村長から、 「村人みんなで協力して建てるから 労働賃金の総額を、昼食の炊き出しと おやつの費用に転用してほしい。」 との要請があった。 「もちろん、かまいませんよ」 大切なのは、 事前の打ち合わせで、 細かい点まで内容を詰めておくこと。 建築後の教師の有無、どこが給与を出すか。 土地は、個人のものでも、 正式な契約書を書いてもらい、 村に寄贈する、といった細かいところまで、 きちっと話を詰める。 後でトラブルが、 無いように。 結構あちらこちらで、 海外からの支援で 建てたのは良いけれども、 使われていなかったり、 個人の私有になっていたりするのを見ているから。 MCLの建てた保育所にも 個人所有になってしまったものもあり、 過疎化で穀物倉庫になっていたり、 地震で破壊されたものもあり、 建設後の維持管理および修復も 村の行政で行うことになっていて、 署名もされているのですが、 貧困ゆえに 村で修復が、なされていないものも多く、 2021年から全保育所を 私自身の目で見て調査して、 可能な限り子どもたちのために、 日本から来た若者たちと共に、 修復およびペンキ塗りを していく予定です。 上記のサイトと映像を見たい方は 以下をクリックしてください! 保育所の先生。 厳しそうだが、 しっかりとした優しい方。 これが保育所の状態だ。 洪水があったために、 椅子が無く、 板が置いてあるだけだと思ったら、 なんと、椅子だった。 MCLでは、 子どもたちの椅子、机、黒板、 学習チャートまで含めて 寄贈することにしている。 m37 難民の発生後、 洪水被害の激しい パマリアンにも 保育所を建設 コタバトでは、 洪水被害が広がっていたのだが、 かなり終息に向かっている。 今回も、DSWDやWFPつまり、 行政や世界食料機構の 支援があった。 ただし、こうした支援は、 大方が地方行政の采配下になるので、 政治家の息のかかった 地域の住民にのみばらまかれるという話。 いつものことなので、 「ああまたか」と言った感じ。 下記のパマリアンは、 最も難民が多く出ている地域なのだが、 外されている。 来年度の総選挙を視野に、 道路の補修を始め (これも選挙運動の一つ) ばらまき争いが熾烈になってきた??? しかし、私たちは、 行政の意向だけでは、すぐに動かない。 絶えず現地を自分たちの目で見て確認し、 他の大きなNGOや行政の動きも見て、 協調しながら独自に判断をする。 つまり他からの支援もなく、 本当に困窮している地域にこそ、 支援を決定。 とにかく、 小さい蟻のようなNGOだから 出来ることも限られているし・・・。 m38 この日も砲撃音が 聞こえてくる ナラパアンの水もずいぶんひいた。 たくさん居た難民は、山側に避難した。 しかし、 この日も砲撃音が聞こえてくる ミンダナオ子ども図書館の ボードメンバーのグレイスさんは、 ピキットのDSWD所長補佐だが、 イスラムの婦人会とも 連携を密にとり、 行政からはずれた地域をも 積極的に支援している。 下は、パマリアンの小学校 上述の小学校同様に、 4年生までの 初等小学校(プライマリースクール)だが、 とりあえず下半分が セメントの校舎が建っている。 ところが、下の写真の なんと、これが保育所! 黒板も無く、 水が引いた後だとはいえ、 これではあまりにもひどい。 村長からの度重なる依頼も受けて、 私たちは、ここにも 保育所を建てる決定をした。 それにしても、選挙が近くなると、なぜ、 国際的NGOやWFPの 米の支援などが活発になるのかと、 以前から不思議に思っていたが、 海外NGOからの支援が、 行政のトップを通して、 その息のかかった地域に ばらまかれていく様子を見て納得した。 m39 イスラム地域ピキット パマリアン集落の 保育所開所式 大量の避難民が出た パマリアン集落。 そこに救済支援を行ったのは、 ついこの間のことだ。 パマリアンは、 戦闘地域に隣接しているだけに、 避難民が発生すると この地に逃れてくる。 ピキットの中では、 非常に貧しい集落の一つで、 村の中心地には、 申し訳程度の初等小学校と、 骨組みだけの保育所。 私たちは、 この地に保育所を建設。 その開所式に 奨学生たちと向かった。 戦闘が 絶えないところだけに、 皆大喜びで祝ってくれた。 奨学生たちの 読み語りが始まる。 m40 保育所開所の 調印式 まずは、 ミンダナオ子ども図書館の 子どもたちが歌う。 MCL代表 (松居)のサイン 村長のサイン 保育所所長のサイン パマリアン集落には、 丸木橋を渡っていく。 ここにももうじき橋が架かる予定。 そうすれば、 本格的な小学校建設も 視野にはいるだろう。 m41 パマリアンの 小学校もひどかった 同じ場所に、小学校がある。 今回、建設を決めた、 セニヨールマラウ集落と同じ、 初等小学校で現在は4年生まで。 来年から、5年生クラスが始まるという。 上の左と中の二つの建物が小学校で、 下の写真は裏から見たところ。 壁が完成していない。 生徒数は300名に達する。 教室が足りないので、 民家を一教室に当てている。 子どもたちは、 いつも可愛い! 次に私たちが実行するのは、 この子たちの中から、 スカラシップの子を選ぶこと。 教育によって 地域を活性化させていくことだ。 と言ってもすでに一人、 この地から奨学生として 親の無い子が、 大学に通っているが・・・ m42 平和構築のための 保育所建設 1、保育所建設を始めた理由 2、どのような場所に建てるか 3、建てた後も、つながりを持つ 4、奨学生を採用し(教育) 5、病気の子を治す(医療) 6、医療と教育の持つ力 7、最もへんぴな村と交流する 茨木ロータリーアクトによる 保育所が完成した! 場所は、 ARMMイスラム自治区と 呼ばれる地域で、 舟でしか通えない サパカン集落。 リグアサン湿原地帯から、 約800人近い子どもたちが、 小学校に通っている。 度重なる戦闘の犠牲となり、 不幸な場所で、 国際的な支援もほとんど無い。 私たちは、この集落に、 日本政府の力を借りて、 学校を建設出来ればと考えて 草の根無償資金に応募した。 保育所が出来て、 村長さんも 村人達も大喜びだ! 読み語りのあとに、開所式を行った。 契約書にサインをして、 支援者の名を記したボードを打ち付ける。 村人たちが 手を振って見送ってくれた。 子どもを愛する気持ちは、 どこも変わらない。
m43 ナブンダスに 市川鉄子先生寄贈の 保育所が完成! この保育所に到達するには、 パンボートと呼ばれる舟で行くしかない。 舟には、椅子と机も運び込まれた。 途中からも、 子どもたちが次々に、 舟に乗り込んでくる、子どもたち。 保育所には、舟で通っている。 完成した、保育所。 読み語りの後に、 プレートが張られる。 読み語りに、 熱中する子どもたち。 彼らの顔を見るのは 本当にうれしい! 何度見ても見飽きない 子どもたちの表情。 イスラムやマノボ族の歌も みんなで歌った。 市川鉄子先生は、 長く幼稚園教師を務めて退職された。 その記念と想い出に、 寄付をされた。 市川先生、 もうじき開所式のDVDが届きます。 そして必ず、 いつかいらしてくださいね。 現地を訪れましょう!!! 市川鉄子先生ありがとう! 外国人が、 決して入れないといわれていた、 イスラム反政府勢力の跋扈する、 東南アジア最大の湿原、 リグアサン湿原。 わたしも、最初は、 絶対に入ってはいけないといわれていた。 その湿原地帯に保育所を建てて、 今は、現地の人々とも仲良くしている。 太古の昔にもどったような、 感動的な湿原地帯を舟で行く映像。 世界最大の8メートルのワニもいるという。 拙著『サダムとせかいいち大きなワニ』 (今人社)の舞台。 m44 カラカカン、 ブグアッド集落にも 保育所を建設決定! 大きな木下で、ひさびさの読み語り ここには、 長年保育所を建てる計画があったが、 戦闘が収まって いよいよ実行に移す決断をした。 前述の小学校を建てることを決定した 集落の次の村が、 ここ、ブグアットだ。 すでに、 5年以上の関係が続いており、 大学卒業生も出ている。 去年から、 戦闘による道の崩壊で 到達することが出来なかったが、 ようやく、今年になって、 戦闘が収まり、 米軍が道の修理をした。 これで、車で通える と思っていた矢先 先週から軍の車が入り、 人々は再び山麓に逃げた。 こうしたことの繰り返しで、 田畑は荒れ、 生活は困窮している。 ちょうど昼食時で、 持っていった弁当を食べようとしたが お腹をすかせた子たちを見て、 放っておけずに子どもたちに・・・ 私たちの弁当を差し出した。 m45 ブグアック村にも 保育所が完成! N.T.さん、 ありがとう! この村も、 山沿いに位置している。 山沿いは、反政府勢力の 通り道になっていると言う都合で、 政府軍との戦闘がしばしば起こる。 ブグアク村も、 その様な村の1つだ。 この村とのおつきあいは長く、 大学を卒業した スカラーも出ている。 多くの子たちが、 皆さんの支援で学校に行けていて、 その意味で、 貧しくても夢のある村となった。 ここでも、 立正佼成会から届いた ゆめポッケを配った。 イスラム難民の村では初めて。 絶えず起こる戦闘で、 家族は、山の家を離れて 麓に避難する。 帰ってみると せっかく植えたトウモロコシも 他の作物も枯れている。 新たに播く種を買うお金もなく、 食事にも事欠く生活。 それでも、 子どもたちは元気だ。 ここから来た子の 高校生8名ほどは、 ミンダナオ子ども図書館に住んでいる。 家からは、学校までひどく遠いし 食事もろくに食べられないからだ。 m46 諏訪淑子先生の寄贈で キアタウに 保育所が完成! ミンダナオ子ども図書館は、 困難で貧しい地域を選んで 活動しているが、 ここ、キアタウは、 その中でも最も山深く困難な地域だ。 しかし、私が知る限りでも、 最も美しい村である。 雄大な風景も美しいが、 子どもたちの心も 純粋で美しい!!! ここの保育所作りは、 困難を極めた。 麓の町で、 資材を買っても、 車でこの地まで運ぶのが大変。 道が悪路なので、 天候が悪いと 車が現地近くまで入れない。 さらに、現地近くから、 ブロック、砂利、トタンなどの資材を馬で運ぶ。 建設は村人たちの手で・・・・ 保育所が完成した! 開所式には、 子どもたちによる 読み語りが行われた。 絵本どころか 本など見たこともない子どもたち。 でも、貧しくても心は豊。 m47 この村に 立正佼成会から 送られてきた ゆめポッケを届けた 「ゆめポッケ」とは、 立正佼成会が行っているプロジェクトで、 家庭で、母親と子どもたちが、 巾着のような袋を作り、 学用品やオモチャを選んでつめたもの。 それを、世界の難民、 貧困地域に届けている。 ミンダナオ子ども図書館に 声がかかり、 お手伝いさせていただいた。 2009年は、 山に追われたマノボ族の地域に、 来年、2010年は、 イスラム地域に届ける予定。 手作りであるだけに、 一般の物資支援と異なっていて、 まごころがこもっていて 子どもたちが本当に喜ぶ。 子どもたちだけでなく、 親も、感動して大喜び。 なにしろ、ここの子どもたちは、 こうした学用品やオモチャを見たことも、 さわったこともないから。
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