国際交友の記録
2007年


日本の若者たちとの国際交友
1 イスラムの若者たちとの平和交流 Go!  19 若者たちの交友プロジェクトの必要性 Go!
2 今回滞在の主目的は Go! 20 日本の若者たちを受けいれるためにはGo!
3 日本公演の手続きを始めた Go! 21 食事もみんな一緒で粗食 Go!
4 盲目の方々や障害者の方々に語る機会Go! 22 企画としては、以下の事を検討 Go!
5 懐かしい故郷の映像を報告 Go! 23 クリスマスの準備とアロナの兄の死 Go!
6 日本滞在中に気なった事など Go! 24 山奥のマノボ族のアロナ Go!
7 どもたちの表情も良かった Go! 25 平和のシンポジウム Go!
8 趙さんの娘さんからの手紙Go! 26 二つの保育所がさらに完成した Go!
9 ムスリム公演大盛況で終わる Go! 27 みんなで頑張った古着の支援 Go!
10 感想で一番多かったのは Go! 28 ムスリムデーが無事に終了した Go!
11 私も驚いた見事な舞台Go! 29 季刊誌の春号が出来上がり Go!
12 子ども達との交友Go! 30 わたしのNGO体験 Go!
13 いろいろな出会いがあったGo! 31 さっと人生をふりかえるなら Go!
14 つかの間の休日Go! 32 ミンダナオのマネージメント意識 Go!
15 ムスリムの祭りで使う装飾の数々 Go! 33 2006年の事業報告から見えてくるもの Go!
16 悲しいニュースを一つ Go! 34 寄付を誰のために使っているか Go!
17 迷走日本どこへ行く Go! 35 フィリピンにおけるNGOのイメージ Go!
18 日本の若者たちの国際交友の必要性Go!


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イスラムの若者たちとの平和交友



今回の日本公演の目的は、イスラムの若者たちとの平和交流です。
NPO:マキノ絵本による街作りの会が主体になり、
高島、姫路、福崎、大阪で民族楽器クリンタンの演奏と伝統舞踊を披露します。
詳細は煮詰まり次第、随時ご報告いたします。
実現に当たって、なにわ語り部の会の方々(禅定正世先生など)、
地球おはなし村の方々(国立民族博物館の江口名誉教授や山村様など)、
水仙福祉会の方々、姫路淳心学園の方々、
大阪ボランティア協会の方々などのお世話になりました。


なつかしい君島久子先生(中国文化研究家)にもお目にかかり、
夕食を共にすることが出来ました。
ミンダナオにも来られた、元大阪市立図書館司書の小林さん、
大阪ボランティア協会の錺さん、マキノ絵本による街作りの会の平松さん、
福崎の町議の後藤さん、ありがとうございます。
以下、日本滞在の報告ですが、
最後に、趙さんの娘さんの印象深い手紙を添付しました。


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今回滞在の主目的は

今回滞在の主目的は、
イスラムの若者たちの公演会計画をつめること!

イスラムの若者たちが、10月25日から10日間ほどの予定で来日する。
男性3名、女性3名。
ビザのつごうで18歳以上、おもに大学生だが、民族楽器と踊りを披露する予定。
民族楽器は、クリンタンやアゴンや太鼓など。目的は交流。
中近東の政情不安のあおりを受けて、世界でイスラム教徒への偏見が高まるなか、
こうした文化交流は,ささやかながらも、
アジアにおける相互理解と平和のために、意味を持っていると思い決断した。


みな、戦闘地で難民生活を体験した若者たちだが、
日本の人々が宗派を超えて温かく迎えてくれれば、
彼らの世界に対する思いも変わってくるだろう。
また、日本の若者たちにとっても、参加する多くの人々にとっても、
アジアのイスラム教徒が、アジア的な共通したメンタリティーの上に立つ
普通の若者たちであることを理解する機会になればと思う。
下の右の写真は、イスラム教徒の獅子舞の儀式!


日本人は、アジアのイスラム教徒の事を本当に知らない。
私も知らなかった。 
今回の主目的は、同じアジアに住む仲間として共通のメンタリティーの上に立ち、
異なった宗教や文化を理解し、共感の輪を広げることにある。
今回の滞在でも感じたことだが、
日本では、奇妙な保守化(内向き傾向)が進んでいるようなきがする。
欧米をのぞく海外の国、とりわけ貧しい国々を後進国?と見なして、
いまだ根強い偏見や優越感があるかのようにも見える。



確かにミンダナオのイスラムの若者たちの状況は、
フィリピン国内でもマイノリティーとしてきびしいものがある。
しかし、今回の訪問を通して、次の世代をになう特に若者たちが、
たがいに国家や宗教宗派による心の殻を打ち破り、
友情と愛を通して、世界を見るよすがになればと考えるが・・・。

今回、古着の支援をしてくださっている幼稚園の園児たちに、
直接難民のようすを語れたのはうれしい体験だった。
先年からさまざまな方々からいただいた、古着や靴も到着しました



出来れば、そうした方々を訪問して現地の様子をご報告したいのだが、
今回は日程が詰まっており、
関西を中心に、声をかけていただいた数カ所のみを訪問。
前年、4WDを寄贈していただいた鳴門カトリック教会:鳴門聖母幼稚園では、
残念ながら父母の方々への報告会は10月に持ち越されたが、
園児たちにスライドを見せながら、
難民キャンプの子どもたちや山の子どもたちのようすを語った。


熱心に話を聞いてくれた子どもたち!
支援物資を手に持つ、鳴門聖母幼稚園の先生方と左端が乾神父。
モンテッソーリ教育で有名な乾神父の属するOMIオブレード会は、
現在難民の出ているピキットやコタバト地域で、
戦前からイスラム教徒救済のために活躍している修道会。
日本軍占領時に、イスラム教徒と団結して抗日運動を展開した話は有名で、
コタバトの大司教は乾神父の盟友でもある。


ちょうど支援のための衣類を集めている時であったために、
前年のクリスマスに、みんなが集めて送られてきた古着が、
ミンダナオ子ども図書館の若者たちの手で仕分けされ、
難民キャンプをはじめ、どのような場所に運ばれどんなに喜ばれたかを伝えた。
3歳から5歳の幼稚園児が、わかるか若干の危惧があったが、
本当に良くわかってくれたのはうれしかった。


釜ヶ崎のこどもの里でも、懐かしい子どもたちに出会い、
新しい映像とスライドを見せることができた。
大阪に滞在中は、釜ヶ崎のこどもの里に泊めていただくことが多い。
釜ヶ崎は、あいりん地区として有名なようだが、
ミンダナオやダバオのスラムなどを見ているので、私には特別な地域には見えない。
かえって無機質な表情の人々が多い、都市よりもホッとするような感じを持つが、
ダバオなどのスラムでは子どもたちが多いのに比べると、
日本は近年は中年の男性が多く、
家族から見放された人々の孤独と悲しみを感じる。
こどもの里には、数人のフィリピン系の子供もいるが、
ミンダナオの映像を通して、自分のふるさとに誇りを持ってくれればと思う。


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日本公演の手続きを始めた

日曜日、玉造カトリック教会で行われた国際協力の日に出店するというので、
こどもの里の子どもたちと参加した。
中国、韓国、ベトナム、インドネシア、ブラジルなどの方々が各々の言葉で、
伝統文化を交えて奉献されたミサには、宗派を超えて人々が集まり感動した。
カテドラルは、欧米の人々もまじえ大勢が立っているほど満杯だった。
異質な文化がたがいに共存しながら、
心を一つにして平和に向かって祈っている姿は、感動的で心がホッとする。
なかには、南無阿弥陀仏と唱える人々もいた。
このような体験ができる場は、
今の日本では次第に希になりつつあるのではないだろうか。


テーマとして掲げられている
『外国人が暮らしやすい日本は、日本人にも暮らしやすい』
というのは、本当だと思う。この試みは、毎年この時期に行われる。
外では模擬店で、さまざまな料理を食べることができる。
久々のフィリピン料理とベトナム料理がおいしかった。
私は、講演予定があり午前で退席したが、こどもの里に帰ると、
午後に右翼の宣伝カーが出現し、
公園の集まりの雰囲気が乱されるときがあったと聞いた。
一人のアメリカ人が、宣伝カーの窓を叩いて開けてもらいながら、
「私は日本が大好きです!」と言って歩いたと聞いた。
欧米も含めて集まった世界の人々は、
こうした示威活動をどのように受け止めただろうか???



10月25日から2週間ほどの予定で、
戦闘地ピキットのイスラム教徒の若者たち6名が、演奏交流に日本に向かいます。
そのメンバーがそろった。関西を中心に、福岡にも足を伸ばす予定。
ホールや学校での演奏会、交流会を予定しています。

よろしくお願いします!
ノライダさん ハジッブくん アスレーさん アブドゥルくん ノルハナさん ボウイくん

先日、領事館におもむき、三矢領事にお会いしてご説明。
パスポートを近日中にとり、ビザの手続きを開始。
日本での交流が楽しみ!



今回の日本滞在は、20日間の駆け足でした。
目的はおもに、今年10月25日から関西を中心に10日間ほど来日する予定の
イスラム教徒奨学生たち6名による演奏会の企画調整です。
現在決まっている、日程は以下の通りです。

10月27日 滋賀:高島市民会館
10月29日 同高島市内の小学校公演交流会
10月30日 姫路淳心学園公演交流会
11月1日  福崎町図書館
 
11月2日  大阪 水仙福祉会エルダー講座公演
11月3日  大阪平野区民ホール
11月3日  平野全興寺クリンタン演奏(夜)
11月4日  水仙福祉会クリンタン演奏


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盲目の方々や
障害者の方々に語る機会があった


今まで、障害者に対する対応などを語る機会はなかったが・・・
ミンダナオ子ども図書館を訪れた方々が、
図書館に住んでいる奨学生の若者たちが、盲目のジュンジュン君やベルリーンさん、
ポリオのノノイ君、筋ジストロフィーの3兄弟妹たち等に、
家族の一員として自然に接していることに驚きの念をもたれ、
なぜそれが可能なのかを、話して欲しいと言う要請に応えた形だ。


盲目の子や障害を持つ子たちが、
ミンダナオ子ども図書館ではいっしょに自然に生活している。
盲目の子は、最初、市の福祉局からの要請で受け入れたが、
私に専門的なケアの知識や経験があろうはずもなく、最初は非常に不安だった。
しかし、驚くべき事に、最初から若者たちは彼らを自然に受け入れ、
やがて若者たちにまかせれば心配のない事が解った。
その理由を、いろいろ考えながら話したのだが、
根本的にミンダナオの人々のメンタリティーのなかに、
壁を作らず自然に接したり面倒を見ていく生活習慣があるように思える。
とりわけ貧しい辺境地域に見られることだが、
親に見放された子も、周囲のだれかが引き取って面倒を見る。


ジュンジュン君などは、その典型的な例だ。
見放されても自殺をせずに、それなりのしたたかな生活力を持っている。
貧困が日常のミンダナオでは、ほとんどの人々が、
いわゆる社会的弱者に属するので、おたがいに思いやり支え合って、
したたかに生きていこうとする意志が、共通してあるように思える。
下の左は、子どもたちにお話を語る、盲目のジュンジュンくん。
右はベルリーンさん。
今回の滞在で、6月から盲学校に行くジュンジュン君の支援者が決まった。


フィリピン人は、介護や看護の分野でも定評があるが、
「人を放っておけない性格」=「おせっかいな性格」が
どのように形成されていくのか、興味は尽きない。
貧困と同時に、昔話が語りとして生きていて、
妖精たちともいっしょに生きていると思っている、という視点も加えた。
家の街頭やちまたに、洗濯や夕涼みなどの
生活そのものが生きている場があることも関係しているようである。


こうした視点から日本を見ると、つくづく、
ちまたに生活の香りが無くなっていることを実感する。
まちなかに子供の遊んでいる姿も見えない。
人々が町に出る目的は、消費=買い物か仕事(ビジネス)目的だけのように見える。
かつて私が子供時代にあったような、
隣人どうしがおしゃべりに興じたり、
道脇に縁台を置いて、一杯飲みながら心を通わす場も様子もない。


大阪ボランティア協会の錺さんの紹介で、
大阪福祉協会で、盲目の方々と車いすの方々にも語った。
以前、盲目の上岡ゆかさんが、
お一人でミンダナオ子ども図書館を訪ねられた時の様子や、
ダバオの盲学校の様子、またとりわけミンダナオ子ども図書館での
ジュンジュン君やベルリーンさんの様子を語った。
仲むつまじい二人の様子など、いつか映像にまとめる必要がありそうだ。


在日朝鮮人で、社会問題に取り組んでおられる趙さんからは、
大阪市立大学の堀智晴教授のゼミでも、語る機会をあたえられた。
このゼミの参加者は、肢体不自由の方々も多く、ここでも与えられたテーマは、
ミンダナオ子ども図書館における若者たちの障害者への対応や
ミンダナオの人々の態度だった。
特に、日本では、障害者を前に構えて言葉も慎重に選ぶが、
ミンダナオでは、相手の障害にあけすけに言及して
かえってケロッとしていることを話したが、ある肢体不自由の方が、
「その方が僕らも本当は楽なんですよ」とおっしゃったのは印象的だった。


今回は、水仙福祉会を通して、
プロテスタント教会のH氏から、2台の新しい車いすの寄贈を受けた。
この車いすは、今年から新しく奨学生になるマノボ族の
筋ジストロフィーの兄妹が学校に通うために使用される。
この家族は、本当に山奥の小さな村で
非常に貧しい生活を余儀なくされていた子たち。
7人兄弟のなかの5人が、筋ジストロフィーの症状。
 

兄二人は、小学校を良い成績で卒業したが、
経済的、地理的理由で高校までは通えず、
人づてにミンダナオ子ども図書館に応募してきた。
妹は歩行困難で、成績はよいのだが小学校をストップ。
今後、唯一残された手段として、ミンダナオ子ども図書館に住み、
若者たちが車いすを引いて通学する。
ところが、フィリピンの車いすは値段も高いしやたら重い。
軽くて丈夫な日本の車いすがあったらどんなに助かるか、と言うことで、
今回は水仙福祉会に相談して、
特定の方が使われるのならと言う条件で寄贈を受けた。
本当にありがたい申し出で感謝!



この少女は、高校を卒業してふる里に帰り、
その後、結婚して子どもも生まれました!


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懐かしい故郷の映像を報告

福岡の行橋カトリック教会では、一般ミサのなかで、
難民や医療プロジェクトの状況報告をしましたが、
午後の英語ミサには、普段50名以上のフィリピン人が集まられるので、 
午後はミサ後、フィリピンの人々に、現地の美しい風景や生活、
その中で活動しているミンダナオ子ども図書館の若者たちの様子、
また私たちが実行している文化祭のDVDをお見せしました。
日本でフィリピンの人々にこうした形で出会うのは初めてでした。
フィリピンの若者たちとDVDに興じる山元眞神父(左)と説明するエープリルリン。


最初は、教会の後ろ席で見ていた若者たちも、
引き入れられるようにスクリーンの前に集まり、
椰子の実取りや海水浴、豚の料理や伝統の踊りの場面で、
歓声を上げたり、笑ったり、懐かしさに涙を流したり。
普段日本で、孤独でつらい毎日を送っている?だけに、
一時ではあったが、温かく陽気なフィリピンの風が流れた。
このような時を持つことは、本当に必要な事だと実感しました。
声をかけていただければ、いつでもフィリピンの方々の集会に顔をだします。
ここでも、ミンダナオの子どもたちのために
スカラシップや衣服などを支援してくださっています。



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日本滞在中に気なった事など

若者の自殺、中高年の自殺、母親の首切り殺人など、
ショッキングなニュースが駆け回っている。
日本は、世界で唯一、戦争をしない、戦争に荷担しない国であった。
しかし、ここ数年、戦争に荷担できる国になろうとしているように見える。
これは、日本にとって自殺行為とならないか。


アジアが経済的に発展していく中、
日本がいつまでも優位な成長を続けていく、基盤も自信も失せつつある?
他のアジア諸国の発展に対して、驚異と恐れがわき上がっているようにも見える。
アメリカはもはや、世界でその存在を誇示することは不可能となるだろう。
平和を切り口に、フィリピンを含む近隣のアジア諸国に、
友情と愛の力で切り込むことが、日本の未来を開く唯一の道に思えるのだが・・・


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子どもたちの表情も良かった

以前ミンダナオ子ども図書館に来られた、盲目の上岡由佳さんに会いに奈良に行った。
由佳さんの家が、奈良の山沿いの小村にあり、
山や田んぼの風景を見たときにようやく息が出来る自分を感じた。
奈良は、まほろばと言われるように原風景をまだ持っている。
子どもたちの表情も良かった。
妻のエープリルリンも、
奈良でようやく子供らしい目をした子供に会ったと言っていた。


日本復活の可能性は、地方から始まるのかもしれない。

由佳さんは、奈良のFM放送のディスクジョッキーもされており、
今回は奈良在住のフィリピン人のカルメンさんと夕食を共にした。
ちょうど滞在中に、毎日新聞にカルメンさんの記事が出て親しく話せて良かった。




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趙さんの娘さんからの手紙


お久しぶりです!!
松居さんやご家族、宿舎のみんなは元気にしていますか??
連絡をするのが大変遅くなりましたが、
私は2月の末に北京へ戻り、今はもう授業が始まっています。

フィリピンへ行って来ると前もって知らせておいた友達から、
帰って来るなり 「どうだった?」と質問攻めにあいましたが
誰一人に対しても上手く答える事が出来ませんでした。



実は私が今回ミンダナオへ行くと決めたのも軽い気持ちからで、
フィリピンという国に関して何の知識もありませんでした。
要するに“目的”もなく“ただ母に付き添って来ただけの者”だったのです。
ちろん母からは事前に 「遊びに行くのでは無い」 
と強調されていましたし、どのような活動をされているのか、
簡単に説明は受けていました。

しかし実際自分の足で現地へ入り、体験した事たちは
正に“百聞は一見にしかず”を思い起こすほど、イメージと異なりました。
何も考えずに来てしまった事が裏目に出て、
学ぶ事や感じる事のあまりの多さ、深さ、広さに頭がついていけませんでした。



何度も友達にミンダナオの事を話して聴かせようとしましたが、
一度話し始めると芋蔓のように、
ずるずると別のモノがついてくるのです。
それはまだ私の知識の領域ではなく、
しかしそれらは全て繋がっていて、話さなければ理解できない。
結局いつも中途半端なまま話が終わってしまい、
何が言いたかったのか、自分でもわからなくなってしまうのです。


以前、韓国人の牧師さん宅に招待していただいた時、
牧師さんが「この国は歴史、宗教、経済、政治
もろもろ全てが絡み合った複雑な国だ」と言っていた言葉を思い出しました。

今の私はミンダナオを語るには足らない、そう思い、
今では「自分の足で土踏んでみて初めてわかる場所や」とだけ言っています。
まだまだ学ぶべき事は多いです;


ミンダナオを訪問してもう1ヶ月が経ったとは思えないほど
そこでの生活が、昨日の事だったようにも感じられ、
本当に自分がミンダナオにいたのかと不思議になるほど
そこでの生活が夢だったように感じられます。

日本に帰ってまず感じたのが、道行く人々の瞳の何と輝きの無いこと!
まるで機械のようです。


 
子供達の生き生きとした表情や、訪ねて行った村の人々の切ない表情など、
ミンダナオでは一つ一つの表情全てに感情が漲っていたように感じました。

本当の人間に会ったような気がします。 
時間を見つけてまた必ず行くつもりなので、
時まで健康で元気に過ごしてください。
 
みんなにも宜しくお伝えください。では・・・



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ムスリム公演大盛況で終わる



非常にハードなスケジュールでしたが、
公演は終始驚くほどの盛況で終わりました。
まずは関係者の皆様、協力してくださった多くの方々、
とりわけ主催者の皆様に心より感謝申し上げます。


最初の800名も入る高島市民会館の大ホールを皮切りに、
小学校、山の分校、姫路の私立高校、福崎の図書館、大阪の水仙福祉会、
平野ホール、平野全興寺の境内、福岡の行橋カトリック幼稚園と、
山から里から大都会、大ホールから山の分校、幼稚園から高校までと
毎回が異なったシチュエーションのなかで、時には観客が総立ちとなり、
時には互いに涙を流しと、
一つ一つの出会いが思い出深く充実したものになりました。
記事は下をクリック。
比ミンダナオ島の暮らし・文化学ぶ(朝日新聞)
クリンタンの音色と共に(高島市) 
ミンダナオの子供らと国際交流(京都新聞)
湖西つれづれ


国際交流基金に断られ、落ち込みながらも
小さなNPOだけれどもみんなの力で頑張ろう、
と諦めなかった草の根の人々の力が、
大きな感動と成果につながったと思います。
各市町村の太鼓や踊りの助っ人、町内会の青年部、なにわ語り部の会の踊りや昔話、
地球お話し村のジンベグループのアフリカの太鼓や
日本で唯一のクリンタン演奏グループ、パガナイクリンタンアンサンブル、
国立民族博物館の江口教授もトークに参加。
本来の目的である、草の根からの国際協力の目的が、
皆さんのおかげで見事に実現されました。
「絵本による街づくりの会」に拍手!


市長夫人も福祉局のグレイスさんも、
日本のイメージが根底から変わった、と嘆息して、
若者たちと飛び立って行きました。
このような取り組みが、今後も長く続けられ、
相互理解に満ちた平和なアジアを作る環境が整っていけば幸いです。
多少の写真と文では、語りきれませんが、とりあえず皆様にご報告いたします。


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感想で一番多かったのは

「躍動する明るいリズムに乗った踊りから、生きる力や喜びをもらいました」
という感想が一番多かった!
とにかく、私自身が驚いた!
ミンダナオから出たことがないどころか、エスカレータに乗るのも恐がり、
飛行機も始めての謂わば辺境の地の若者たちが、
こんなすばらしい公演をするとは思わなかった!
所詮心のどこかで、地元の民俗芸能を若者がまねた程度と考えてたし、
何しろ海外に出ての初舞台が高島の大ホール。
現地の和太鼓や踊り、舞台慣れした地球お話し村のジンベ太鼓や
パガナイクリンタンアンサンブルに助けられたおかげもあるが、
その合間に素人らしく踊るのが関の山だと思っていたのに、
身内だから言うのではないが、
その迫力、情熱、スピード、誇り、美しさにおいて他を圧倒していたと思う。


理由はいろいろ考えたが、自分たちの生活に今も息づいている伝統芸能として、
「演じる」のではなく「披露」するのでもなく
「楽しんでいる」姿がそこにはあった。
「誇り」「喜び」「情熱」など、生活と祈りに通じるものがあった。
本物だという感じがひしひしと伝わってきた。
それは小さな舞台の中でさらに強く感じられた。
6人の生徒しかいない山の分校で
子ども達のコカリナの演奏を聞き全員が泣き出した。
幼稚園や小学校の交流では、
演奏が終わって子どもを抱っこしたり一緒に太鼓を叩いたり。
そのような彼らの姿には、舞台の上に立つものと下で鑑賞するものの壁が無い。
同様のパワーを感じたのは、地元の太鼓グループや踊り、
アフリカのジンベ太鼓のジョセフさん、全興寺境内で出会った青年団の若衆たちだ。



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私も驚いた見事な舞台

実は私も、初日の高島の大ホールで初めて彼らの本当の公演を見たのだった。
毎週末に、ピキットで練習していたことは知っていたし、
垣間見たことはあったのだが、
初日の初舞台で、800人収容の大ホールが小さく見えるほどの大胆な動きと、
その優美な美しさにも感動したが、彼らの舞台度胸にも驚いた。
「生まれて初めて海外に出て、これが最初の公演とは・・・」


数名の方々から聞かれたのは。
「今回何度目の来日ですか?海外はどこで公演されてきたのですか?」
「いいえ、エスカレーターにも怖くて乗れない子たちで、ただの大学生です」
「エッ!」
特に驚いたのはスピードと躍動感だ。
くり返されるリズムが心地よく、天に昇っていく気がする。
彼らの話しによると。
「この踊りは、現地では晴れの日の踊りで、
自分たちが子どもの頃は楽器は神聖で、
少し大きくなるまでは手を触れることは出来なかった。それだけに憧れた」との事。



舞台のデコレーションもすばらしかった。
手縫いのビーズの横幕が、照明にあたって、
この世のものとも思われない空間を再現する。
元々は結婚式などの神聖な晴れの日の舞台なのだ。
アフリカのジンベ太鼓のジョゼフさんと
福祉局ソーシャルワーカーのグレイスさんに、
国立民族博物館の江口教授がトークで質問。
地元の太鼓もくわわり、最後は総立ちに盛り上がった。



演奏が終わってからの交流会。
ジョセフさんは、すっかりクリンタンの魅力に引き込まれる。
あれだけ舞台で激しく踊ったにもかかわらず、ここでも踊りや歌が深夜まで続く。
とにかくバイタリティーがある。
明日の公演のために力をセーブすると言った考えは全くなく、
あらゆる瞬間に全開で生きようとする、彼らの精神性が良く表れていた。


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子ども達との交友

子ども達との交流は、特に良かった。
とりわけ、幼稚園児の場合は、互いに壁を取り払って出会える人々だからか、
一番気が合うようだった。
とにかく子ども好きな若者たちだ。


6人の山の分校でのコカリナ演奏では、皆で涙を流していたし、
行橋での市長夫人の誕生日に歌った歌に、夫人も涙が止まらない。
30分の公演を、一心に見る子ども達、
終わってから一緒に踊ったり、太鼓やクリンタンを叩かせてもらったり。




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いろいろな出会いがあった

感動的だったのが、
奨学生たちが、自分の支援者の方々と出会った時だ!


卒業間近の子も多く、4年にわたり支援し続けてくださった方々に、
まるで父親や母親に出会ったように喜んでいた。
とりわけ、父親のない子、母親の亡くなっている子などは、
支援者を、頼りになる親のように思い続けていたことが、
若者たちの表情かも読み取れた。



姫路では、姫路城主にも出会った???
日本文化についても、何かを肌で感じたようだった。
「思った以上に、優しくて、ホスピィタリティーにあふれていて驚きました。
日本人に対するイメージが、根底から変わりました」とは、市長夫人の言葉。
フィリピンでは、子どもが寝ないと、
「日本人が来るから早く寝なさい」と、鬼のような意味で使う。
戦中の日本人の悪い行いも語り継がれている。
また、ハイテクの中で、人間性を失った
ロボットのような「仕事人間」と言うイメージも強いが・・・。
そのような既存のイメージが、根底からくつがえされたという!



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つかの間の休日

滋賀のマキノ木村さんのお宅で、
つかの間の休息。
本当にお世話になりました。


宿泊先ではホームステイが一番楽しかったようだ。
大阪の水族館と姫路城にも。
姫路城わきの小さな動物園では、初めて象やラクダをみて大喜びも。

平野の善興寺では、地区の青年部の太鼓と鉦に混じって踊りを踊る。
若者どうしの交流も、ぴったりと息が合い、
たちまち国境を越えて心がつながる。
こうなると、私も含め大人達は完全な脇役だ。


釜ヶ崎の子どもの施設「子どもの里」は、
一番リラックスした場所の一つだった。
ホームレスがいて人間味がある街は、どこかフィリピンに似ている。


ゴミが落ちているよ、ホッとするなあ・・・
日本にもホームレスがいるとは驚き。
でも、日本のホームレスは可哀想だ。
ひとりぼっちだし、夜も寒くて寝られないだろうに・・・


ここには、日本滞在中のフィリピン人もたくさん来ていて、
福祉局のグレイスさんは、様々な質問をしていた。
また、幼稚園でも園児と食事をして、日本の保育に深く関心を持った。
日本でも有名な水仙福祉会でも、日本の老人や赤ちゃん保育の現状を視察。
たくさんのヒントを得た充実した滞在だった。



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ムスリムの祭りで使う装飾の数々

ウエルカムの文字の見える幟。
幟や旗を見ると、国技館の相撲を思い出します。
やはりアジアの同じルーツでは?
イスラムの獅子舞も生きていますよ!
結婚式のときに踊ります!


今回も、ビーズで刺繍された、美しい織物も持参しました。
機会織ではなく、
手作りの貴重なものを購入しました。


美しい装飾には、
天界への憧れ
祈りの気持ちが表現されています。



下の写真の左は、大きな銅鑼のアゴン、
ゴーーーン!という深みのある音が何とも言えない!
右は踊りの時に使う太鼓!
この音が聞こえてくると、思わず手足が踊り始める!
共に神聖な楽器です。


下は、今年2月のミンダナオ子ども図書館でのムスリムデーの一こま
竹ダンスですが、今回の日本公演では人数の都合でこの演目はありません。
(数年後に訪れた、後の公演では行いました・・・)
まだまだたくさんの、様々な小物を使った
美しい優雅な踊りが見られます。



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悲しいニュースを一つ

前号のメールニュースで紹介した病気の赤ちゃんが亡くなりました。
医療活動の過程で、過去5名ほどが亡くなっています。
お祈りください。

骨折した子は、足をステンレスで補強しましたが無事に退院。
今は、ミンダナオ子ども図書館に住みながらメンテナンスをしています。
少しずつ歩けるようになり、山に戻れる日も近いでしょう。
ありがとうございました。




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迷走日本どこへ行く

毎年10、11月に日本に帰国し、講演や報告会をしていますが、
そのつど日本の状況についていろいろと考えさせられ、
それを課題として持ち帰ります。


ミンダナオ子ども図書館では、
現地の若者や子ども達と密接に関わっているだけに、
日本をはじめとする、先進国の若者や子ども達の事も気になります。
2006年の滞在では、
増える自殺の傾向について分析しました。


今回の日本で感じたことは、日本の人々、社会に閉塞感が強まっていること。
生きる目標や目的、人生の方向性が見いだせない人々が多いこと。
人々は、互いに顔を会わせていても、内面にいっそう高い壁を作って、
孤独に生きているような気がしました。
自殺も多いが、理解しがたい他殺も増えているようです。


フィリピンでも、貧富の格差ゆえに家計がいきづまって、
殺害に走る他殺や誘拐が多いのですが、
日本でも経済的な迷走は、
政治、経済や一般社会にまで広がり始めているようです。
国民の不安が高まると、
世界では戦争を作り、国民の目をそらす事がありますが、
今回もしきりにくり返される「テロ対策」という、言葉が気になりました。


ミンダナオでも、爆弾事件が意図的に作られ、
「テロリストの仕業」と報告されることがあり得るように、
戦争が、意図的に作られることがありえるという事実を
現地の人たちは知っているので、
ミンダナオの人々の多くは、報道をすぐには信じません。
一般の人々は、イラク戦争も反イスラムを高めるために、
意図的に作られていると感じている人が現地では多いです。
むしろミンダナオから日本を見ると、
「アジアの中の引きこもり」になっているように見えてきて、
日本の事が心配で、ミンダナオからイスラム教徒の若者たちが来日し、
大盛況のなかで民族舞踊公演を成功させたことは、
草の根の小さな試みであったとしても、
閉塞的な社会に未来への、風穴を開けたプロジェクトだったと感じます。


さらに日本の行橋カトリック教会が、イスラムの子ども達の保育所を建て
幼稚園の若い先生方と共に開所式に参加。
マノボの子たちも含めすばらしい交流を実現したこと。
そうした流れの中で、日本を訪れ、今回考えさせられたのは、
ミンダナオ子ども図書館が小さいながらも、
日本の若者をはじめとする人々に、
独自の国際交流の機会を作ることを、
一つの仕事として位置づけなければならないということでした。




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日本の若者たちの国際交友の必要性

今回の日本滞在で強く思ったのは、
若者を中心とした国際交友の大切さ。
必要性を感じたのは、現地の若者に対してよりも、日本の若者に対してだ。
日本は、精神的な閉塞感、迷走感に喘いでいるようにみえる。


社会の閉塞感は、
子どもや若者の問題ではなく、大人たちの社会問題でもあるが、
社会的閉塞感を打ち破り、希望のある未来を開くためには、
次世代を担う若者たちに、
いくつかの可能性を提供しなければならないだろう。
大人社会の問題に拘泥するよりは、
次世代を担う子どもや若者たちに意識を集中させて
活動するのがミンダナオ子ども図書館。


ミンダナオ子ども図書館が、現地の若者たちに提供しているのは、
単なる学校教育だけではなく、
宗教や部族を超えて交わることで、
将来のミンダナオに貧困や戦闘を超えた、平和を作っていって欲しいから。


一般的に内向き内向化は、心に高い壁を作り、
あえて壁の外の諸問題を見つめようとしないと言う傾向から始まる。
自分たちの国が豊かであればそれで良い。
自分たちが食べて行ければ、ある程度贅沢な暮らしが出来ればそれでよい。
自分の国が平和であればそれでよい。
つまり困窮している隣人に目を開かず、
自国のさらなる経済的発展のみを追い求めようとする態度。
しかし繁栄は一国で実現できるものではない。


石油等の資源や食料自給が良い例。
経済はグローバルに動き出している。
経済がグローバル化されれば、貧困もグローバル化される?
戦闘や戦争が勃発するのではなく、作られるように、貧困も作られる?
ミンダナオの貧困を見ていると、
この人たちは、本来こんなに貧困な状態でなくても良いはずなのに、といつも思う。
日本はミンダナオのように、
直接的な戦闘や貧困に喘いでいるわけではないが、
国際的な戦闘への参加と、グローバル化による経済搾取を通じて、
間接的に世界の貧困と関わっている。


その現実を認識していないとしたなら、
視線が内向きになっているからだろう。
そのような社会が、若者にとって、希望のある社会なのだろうか。
むしろそのような矛盾に目を開いた若者たちにこそ、
未来の希望を託せるのではないか。

今回、あえてイスラム教徒の若者たちを連れてこようと思った理由
その中の一つが、今主流の「イスラム教徒=テロリスト=敵」と言った
作られた印象を、互いに心を通わせ出会うという体験を通して、
克服して欲しかったからだ。


結果的にこれは大成功で、
出会った人々は見事に宗教を超えて、
心を通わせる事が出来るという貴重な体験をしていた。
宗教や習慣の違いを超えて、
ミンダナオの若者たちのおおらかさ、素朴な心を感じてもらうことで、
自閉的になっている心に風穴を開けて、
すがすがしいミンダナオの風を感じてもらえた。


日本は、経済的には豊かだが、心の面では貧困が極度に進んでいる?
ミンダナオの若者たちが、
経済的貧困に喘いでいるとするならば、
日本の若者は精神的貧困に喘いでいる。
フィリピンと日本が出会うことによって、
両方に欠けたものが、互いに埋められていけば、
世界は少し平等で平和になるのではないだろうか。
そうした出会いが世界で広がっていけば・・・




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若者たちの
交友プロジェクトの必要性


日本の若者たちと、ミンダナオの若者たち、
相互の交流の必要性は感じてはいたが、
この5年間は、積極的に取り上げることはしていなかった。


理由は、支援者方に送っている季刊誌『ミンダナオの風』
「五周年と未来への展望」にも書いたが、
MCLの立ち上げ時期である、という事もあって、
私自身の目が、ミンダナオの若者に、より強く注がれていたことによる。
ここ半年、それを反省させられる三つの事が立て続けに起こった。




1,日本の福岡県行橋から
山元眞神父が、幼稚園の若い先生方を引き連れて訪れたこと。
本当にすばらし出会いだった。
保育者であると言う点がわかりやすく、事前に計画を立てやすかった。
ミンダナオ子ども図書館の子たちとの交流から始まり、マノボ族地域での読み語り。
イスラム地域の保育所の開所式への参加。
マノボの保育所の子たちと遊び、山で電気のない薪でご飯を炊く生活を体験した。
若者たちとも友情で心を通わせ、涙の別れ・・・
国際交流のすばらしさが、詰めこまれていた。




2,今回、ミンダナオのムスリムの若者たちが来日公演をして
国際交流の面で大きな成果を上げたこと。
正直、出発前には、日本の人々が、
イスラム教徒の若者たちをどのように受け入れるか不安があった。
しかし、最初の公演と、僻地の小学校から私立高校、
幼稚園での出会いも含めて驚くほどの成功だった。総立ちになって拍手する人々。
ムスリムの若者たちが、子どもを抱いて遊ぶ姿。
アフリカの太鼓や大阪の祭り囃子との出会い。
マキノ絵本による街づくりの会や高島町の方々を始めとする、
計画を立案してくださった方々の、
草の根の国際交流という思いが、見事に花開いたと言えよう。
こうしたプロジェクトを、今後も適宜開催していけば、
平和への小さな一歩となるのではないか・・・・




3,徳島の鳴門カトリック教会で
四国地域の青年の集いに参加し若者たちと、膝を交えて話した。
特に、一泊二日で行った、四国のカトリック青年の集いでは、
ミンダナオの報告をしたが、
福岡、岡山、東京からも来た青年たちと膝を交えて、本音で話しあった。
その結果、日本の若者たちが活動の一つに貧困地域を選び、
またミンダナオ子ども図書館に寄せる気持ちを強く感じた。
真剣な若者たちの表情を見て、
責任を持って若者たちどうしで交流が出来る場を、作る必要性を感じた。


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日本の若者たちを受けいれるためには

これを書いている現在、私はまだ日本で最終日程をこなしているが、
ミンダナオに帰り次第、スタッフや若者たちと、
一つのプロジェクトとして検討しようと思っている。

日本の若者たちを受けいれるためには、
それ自体をプロジェクトとして立ち上げなければならない。

理由は、ミンダナオ子ども図書館の活動が、
本部であるミンダナオ子ども図書館から、
かなり遠くの村々にまで足を運ぶ、積極外向型プロジェクトであるためだ。


今まで私は、訪問の依頼があると、かつて私がお世話になった孤児施設、
ハウスオブジョイを紹介推薦してきた。
理由はいくつかあるが、何よりもゲストハウスがあり
訪問者の受け入れ体制が出来ていて、烏山さんが接待の経験も豊富であること。
海も近くプライベートビーチもあり、美しいこと。
そして何よりも、養護施設であるがゆえに、
施設内で安全に楽しく子ども達と触れあうことが出来る事が大きい。
中にいる子ども達も幼い子が多く、一緒に良く遊んでくれる。


それに対して、ミンダナオ子ども図書館は、
活動はリスクのある外向型プロジェクトであり、
僻村や難民キャンプへの読み語り、
戦闘のあるイスラム地域や反政府ゲリラのいる山地での諸活動を行っている。
実際に現地の人々は、MCLの事を良く知っていて歓迎してくれるし、
保育所なども建てていて、想像以上に平和でのんびりしていて、
貧しくっても子どもたちは本当にかわいい!
MCLではそうした村から、
親がいない子などを奨学生として採用している!


図書館に住み込みでいる子ども達の年齢層も、
小学生から高校と高く滞在の目的は学習(結構のんびりとしているけれど・・・)。
年度初めの全体集会で、若者たちの選挙で選出された学生議長と役員が、
毎月末に全体集会をして重要事項を決定する。
また週末は、図書館に住んで学校に通っている奨学生で家族会議が開かれ、
生活の諸問題やルールが話し合われている。



若者たちがスタッフと作った、独自のポリシーはなかなか厳しい。
現地の若者たちの自主性を重んじている結果だが・・・
図書館に住む場合は、若者たちの間での恋愛は避けて、兄弟姉妹として接する。
過去、抱き合ってキスをしている場面を小学生のスカラーが見て問題が発展し、
そのような場合は、スカラシップをストップすることはないけれど、
MCL内から親戚や親の元に移行することによって責任も移行し、
遠くてもそこから学校に通ってもらうことにしている。
しかし、ミンダナオでは、女子は14,5歳から結婚適齢期がはじまる!
小学校を出て中高卒業が4年間。
その後、制度が変わり、ジュニアハイスクール4年間、シニアハイスクール2年間で、
日本同様に小卒後6年で大学受験になりました!
ということは、高卒ですでに18歳!すでに結婚適齢期を越えそう!
大卒では、22歳になり、結婚適齢期を超えてしまって不安になる?



その後、スタッフと福祉局で話し合い、
2020年現在、本部は男子は小学生までで、それ以降は、
新たに建てたキダパワン市の男子寮に移行して通うことになりました。
しかし、土日には、いろいろ手伝いに来てくれ、食事も共にします。
女子も、本部はジュニアハイスクールまでで、
シニアハイスクールや大学になると隣接した女子寮や下宿に移り、
パソコンも使え携帯も所持でき、恋愛も場合によっては結婚もOK!
しかし、赤ちゃんが生まれたら育児優先で、
スカラシップはストップして子育てに集中すること!
下は、スタッフの宮木梓さんの赤ちゃんを抱く奨学生たち。




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食事もみんな一緒で粗食

ミンダナオ子ども図書館には、ゲストハウスもないので、
女子の訪問者は、時には子ども達とファミリーサイズ
つまりセミダブルの竹のベッドで、他の女の子と二人で寝ることもある。
一部屋に二段ベッドが3脚あり、小さな部屋に12人が寝ている。
ミンダナオ的と言えばミンダナオ的で良い経験なのだが・・・・・
2020年現在、地震による修復の時に立正佼成会さまから寄付をいただき、
事務室のあるメインハウスの二階に、訪問者が泊まれる部屋を作りました。
日本の青少年や家族の事も考慮して、宿泊は無償で出来るようにいたしました。
訪問希望の方は、現地スタッフの宮木梓さんにご相談ください。
また、訪問に関する規定などは、以下のサイトに書かれています。
訪問希望の方は ここをクリック!
現地日本人スタッフ宮木 梓  mclmindanao@gmail.com


食事もみんな一緒で粗食。接待らしい接待も出来ない。
また訪問者が皆一応に驚かれるが、敷地の周囲に壁がなくガードマンもいない。
若者たちは午後まで学校だし、
スタッフは独自の活動をしているから訪問者はほったらかしとなる。
同行可能な場所も、外向型プロジェクトは頻繁に車を使うので、
人数によって車を2台3台と出すことになりガソリン経費が馬鹿にならない。
若者たちには、信じられないほど良い経験になるのは確かなのだが・・・
4駆のトラックがあれば、フィリピン式に荷台に乗って運べるのだが。
その後、福祉局と相談してフェンスが出来ています。
2022年には、よりしっかりとしたフェンスを作ることに決めました。

2020年現在は、4WDの車が2台、一台は台湾赤十字社から寄贈、
そして大型の四輪駆動のトラックが一台あります。



しかし、スタッフからは、
「スカラシップなどの支援者ならば納得できるが、
本来は医療で使うべき貴重な寄付を、
体験ボランティアのために使っても良いのだろうか?」
「村々の奨学生に、教材や支援物資を届けたり
保育所の整備をしたりすることを考えると、
訪問者の体験ツアーに割くほどの時間があるだろうか?」
等々の意見が出てきて、スタッフ一同考えてしまうこともあった。
子どもの救済は、毎月の経費と時間とのにらみ合いなのです。
しかも、ときどき戦闘が起こり
緊急救済支援に向かわなければならないこともあります。
2020年に訪問者受け入れをけっていた時点で、
収入を目的としたスタディーツアーは行わない事、
その代わり、宿泊費もとらずに滞在できる事。
お客さまとしてお迎えせず、家族としてお迎えすること、
そして、現地の子どもたちの事が常に優先されて、
現地の保育所の修復に参加したり、スタッフの活動に同行することは、
可能であること等が話し合われました。



最近は、日本の大学では国際関係論などの講義が盛んで、
また企業もボランティア体験を採用の基準に加味しているようだ。
その関係でか、もう一つ困るのが、こうした学生が、論文目当てで来ることで、
若者たちのバックグラウンドを始めとして、
本来あまり触れるべきではない事柄を根掘り葉掘り質問したり、
住み込みのソーシャルワーカーに個人データーに触れることまで聞くことだ。
それに、僻村に行って情報収集のインタビューなど、
それが自然な事だと思っているようだけれど、
不安定で繊細な地域の人々にとっては、
保育所建設や医療など、はっきりした目的で訪れるのならまだしも、
単なる情報収集をされると、その背後に何を目的とした情報収集なのかと疑われ、
ミンダナオ子ども図書館そのものが、
信頼に足らない危険な情報機関のように誤解される危険がある!
日本の一般の人々や若者たちは、
そのようなことに全く気が回らないほど平和に素直に育っている?


MCLは、学生の論文や研究対象のために活動しているわけではない。
中には、日本に行けると思って、あおられて対応するスタッフの始末や、
その結果平和を乱された子ども達のケアが残る。
当人は研究熱心なだけで少しも悪気はないのだが。
もちろん、経験豊富で責任感のあるジャーナリストや作家も来ているが・・・
しかし、今回は、それでも日本の若者たちの未来を考えると、
交流プロジェクトを推進しよう、と決断する理由があった。
やはり、フィリピン以外の国、特に日本のように
生活感を失った先進国の若者たちを放っておくことは許されない。
5年目で、スタッフも体制も整ってきたので、
カルチャープロジェクトと平行して国際交流プロジェクトも検討しよう。
やるからには、キチッとプロジェクトとして位置づける必要がある。
安全のためにはスタッフや場合によっては、現地の若者も動員しよう。


2019年、夏の訪問者の記録・・
クリックするとサイトから映像に飛べます!
若者たちと
絵本画家の体験記

GO!
最後に海の
下宿小屋に泊まった
 
GO!
避難民に読み語りと
炊き出し支援を行った
 
GO!
イスラム緊急避難支援に
訪問者と行った
 
GO!


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企画としては、以下の事を検討。

1,僻村で安全な場所への読み語りや
  山の保育所の子たちとの交流

読み語りは、奨学生が出てきた、
マノボ族の良く知っている村を選ぶのが良いだろう。
現地の子ども達との交流、自然の中で遊ぶ体験、
お話しは出来なくても皆で手遊びを楽しんだ経験などは、
きっと若者たちの心を広げ、豊かな気持ちにしてくれる。
そして、山岳地域に追われた先住民の貧困の現状も伝えたい。
ああ、どなたか、四輪駆動のトラックを購入してくだされば、
荷台に大勢の若者たちを乗せて、1~2台の車で
(ガソリンを節約して)現地に向かえるのですが・・・・
読み語りには最低30人ぐらいの若者たちが同行するのです。
皆が一番楽しみにしているプロジェクト。




2,保育所建設を手伝う
イスラム地域は危険で無理だが、
マノボ地域でNPAゲリラのあまりいない地域なら大丈夫。
現地に行って、可能であれば一泊ほどして、
現地の人々やミンダナオ子ども図書館の若者たちと、保育所を建設。
ぼくは大工の経験はないけど、と言う若者も大丈夫。
こちらでは、家は皆自分で建てるもの・・・




3,山の家に泊まり、電気もない生活を体験する
これは、安全な地域にある知り合いの家に限定。
お金のない、自給を取り入れた生活。
薪を作り台所でご飯を炊く。
泉まで水をくみに行く。洗濯は川でする。
私自身も、そのような生活の中で考え、今のミンダナオ子ども図書館を作り上げた。
生きることの原点を感じることが出来る体験。
サバイバルというより、生活の意味、豊かさの質、幸せとは何かを考える時を持つ。
ガードマンとして、屈強の男(例えばプレシデントのアーロン君)他が同泊する。
ただし、その家庭に少し寄付を置いて帰ってくださいね。




4,保育所の開所式に出席
これは、どうしてもイスラム地域に行って交流したい人向けの計画。
イスラム地域は、マノボ地域よりも入るのが難しい。
目的もなく訪ねることは不可能。
マノボの奥の地域の場合(危険地域)でも同様だが、しっかりした目的があれば、
先方も納得し安心し、歓迎してくれる。
イスラム地域での保育所建設参加は難しいとしても、
あらかじめ保育所を建設して開所式に参加という手がある。
そのかわり、現地の人々とのあらかじめ信頼関係を築きコンタクトをとり、
市長にセキュリティーを相談し安全の確約を得る。
市長が事前にその筋に報告し要所要所にガードを配置。
ガードの兵士を6名ほどつけてもらう?




以下は、イスラム地域での保育所の開所式の映像です!
クリックしてご覧くださいね!

イスラム湿原に 保育所を建てた!


5,農作業に参加
ミンダナオ子ども図書館を有機農場としてゆきたいと思っている。
アジア学院のアドバイスも受けて、現在はフィッシュポンド(養魚池)を計画。
アジア学院サイト
例えば、フィッシュポンドの穴掘りに参加等・・・
時期によって、バナナの収穫を手伝う。
毎日の鶏の卵集め、2期作の稲刈りや田植えのお手伝い。
その他、若者たちが作っている一坪農園の野菜作りを手伝う?
ほとんどおしゃべりをしながらですが・・・・
アジア学院の卒業生のエラさんの農場を見学し、
有機農法について教えてもらうこともできる。




このような線で、スタッフと相談してみたいと思っています。
生涯忘れられない、貴重で有益な滞在になることは確実ですが、
訪問したい方は、あらかじめメールで
現地日本人スタッフの宮木梓さんに、ご連絡ください。
訪問希望の方は ここをクリック!
現地日本人スタッフ宮木 梓  mclmindanao@gmail.com



ミンダナオ子ども図書館だより:速報
「勉強したい」貧しさでかなわず… 小6少女自殺、比社会に衝撃


本当に悲しい話しです。
ダバオの海沿いには、多くのスラムが広がっています。
その地域からも、ミンダナオ子ども図書館のスカラシップを
受けている子がいるのですが・・・・
ミンダナオ子ども図書館に話してくれたら、スカラシップを出せたのに!!
思わず涙が。



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クリスマスの準備とアロナの兄の死

クリスマスが近づいています。
フィリピンでは、クリスマスは、正月や復活祭とともに一大行事です。
ミンダナオ子ども図書館でも、飾り付けが終わりました。
若者たちが飾り付けをしている様子と、
新年に向けて庭をきれいにしている様子をお伝えします。


クリスマスは、フィリピンでは最大のイベント。
みんなで飾り付けを作る。

リングは、雑誌や新聞紙を切り、輪にしてつなげていく。
新聞紙も貴重な装飾だ。



雑誌を切って輪にしてつなげていく。
出来上がったチェーンは天井につるす。
このような作業をするときの
若者たちの顔は生き生きしている。


現金の無い、山の人々は、野の花で飾り付けをする

大掃除もクリスマスの大切なイベント
コンクリートの床も、赤いワックスを塗ってきれいに仕上げていく
外の庭や通路の雑草も刈る。
普段も週末に花壇や野菜畑の手入れをするが、年末は特に念入りに!



若者たちのガーデニングの才能はたいしたものだ
農作業も手伝ってきたせいか、植物の移植などもお手の物!
こうした才能を発揮できる職場があれば良いのだが・・・と良く思う。


手先が器用なのも特徴。
ただし、黙々と一人孤独に作業をするような仕事は苦手で、
おしゃべりしながら働くのが得意?



図書館には、未成年の小学生と高校生が多い。
理由は、未成年の子は下宿させない規定があるから。
マノボの子が多いのは、山岳地域で自分の村から高校が遠く、
学校まで通えないケースが多いからだ。


高校(ハイスクール)と言っても、
日本では中学生にあたるので見た目が幼い。
大学になると自立して、下宿をする子が多くなる。



小さな子でも、水くみや草刈りは堂に入ったものだ。
食事も見事に作る。薪を使って・・・
皆さんが支援してくださっている子は、この中にいますか?




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山奥のマノボ族のアロナ

悲しいニュース。
アロナさんの兄で18歳、
ポリオの若者が突然亡くなりました。
アロナは激しく泣きました。


兄さんと弟がポリオ、その兄さんが、先日突然息を引き取った。

病気だったわけでもなく、少し胸が痛く、
心臓を押さえて息苦しくなった直後に息を引き取った。
山から叔母さんが来て、報告したとたん
アロナは、気が触れたように泣き出した
「せっかくクリスマスにラジオを買ってあげようとしてたのに!!!」
そう叫んで、どっと崩れ、
自分の髪を引きちぎるようにして、頭を叩く!


私はアロナを抱きかかえて気持ちを納めようとする。
そして、車で山に向かった。
家に飛び込むと、兄の亡骸を抱いて、激しく泣きじゃくるアロナ、
「兄さんじゃなくて、私が死んだ方が良かった」と叫ぶ。

兄さんの顔を見ると、本当に安らかな死に顔だった
「アロナ、見てご覧、兄さんの顔を本当に安らかだよ。
自分の体から離れて、今はここに立ってアロナを見ているよ。
自由になって、神様といっしょに、
どこでも行けるようになって喜んでいるよ」



アロナに語りかけていると、ようやく激しい哀しみが消えはじめ、
アロナの心が静まりだした。
「アロナ、ラジオも大事だけど、ラジオを買ってあげようと、
なけなしのお小遣いを節約してきた、その気持ちこそが大事。
死んだ兄さんは、今この部屋で、そんなアロナの気持ちをわかってみているよ。
だから、そんなに泣かないで」




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平和のシンポジウム

ミンダナオ子ども図書館の奨学生が全員集まり、
恒例のクリスマスパーティーを開きました。この日は、単に浮かれ騒ぐ日ではなく、
シンポジウムの日と決めています。今年のテーマは「平和」。
クリスマスが近いので若者たちが、貧しい人々への古着の支援をしました。
イスラム地域に、Tuyoshi Takahashi氏の支援で、
さらに二つの保育所が完成しました。
重要な地域での建設だっただけに平和への一歩だと感じます。
里帰りする子たちの様子などをお伝えします



Merry Christmas &
Happy New Year !!
クリスマスおめでとうございます。
これらは、ミンダナオ子ども図書館の若者たちが手作りで作った星です。
身近ないろいろな素材を使って苦心して制作したものです。
中には、全身ピーナッツで出来ている星もありますが、わかりますか?

ミンダナオ子ども図書館のクリスマスパーティーが終わった。
約150名の高校大学のスカラシップ生徒と
若干の地元の学校に通っている、小学校の里子たちが参加した。
クリスマスパーティーは、単なる遊びではなく、
シンポジウムをする日と決めている。
初日は、全体のミィーティングの後に、
昼を挟んで「平和」についてシンポジウムをした。
イスラム教徒、先住民族、移民系クリスチャンのグループに分かれて、
各々パネリストを選出し、まずはグループ別討論をする。
その後、パネリストを中心に発表があり、さらに意見交換に移っていく。


議論は、家庭における平和から、国家、政治的な問題や戦闘などにも及んだ。
議論された内容は、スタッフが英訳して公表したい。
私たちは、12月のクリスマスパーティーを、1月のムスリムデー、
4月のマノボデー、8月のビサヤイロンゴデーという、
三つの各部族の日の集大成と考えている。
今回も三つの文化祭を基調にして、平和について語りあった。
来年は、「貧困」について語ってみたい。

人数が多いので、今回は庭に天幕を張った。
ミンダナオ子ども図書館の農地の向こうに、
ビニールシートで若者たちが建てたテント。


「平和」は、たびたび戦闘が起こるミンダナオでは、
切実な問題だけに、触れるには勇気がいる。
私たちの奨学生は、イスラム教徒の場合も、
先住民族の場合も、移民系クリスチャンの場合も、政府系と反政府系から来ている。
それだけに、話しにくい部分もあって一筋縄には行かないのは当然。
それ故に、統一した見解を出すのではなく、
各々が違った部族や立場を互いに理解し合うきっかけにしている。
イスラム教徒から多く出された意見は、
「イスラムというのは、宗教の名であり、イスラム=テロリストという、
安直な偏見に満ちた見方は止めて欲しい」というものが多かった。


先住民族の場合は、家庭の問題として取り扱われたケースが多く、
平和=幸せな家庭だが、
その背景に家庭が成り立たないほどの貧困、
つまり一家が食べ行けない状態が見えてくる。
さすがに移民系クリスチャンによって奪われた、
土地問題にまで踏み込むとこじれてくるので、止めているようすだったが、
新人民軍などの反政府勢力の地域から来ている子も多い。


キリスト教徒の子たちの中には、政治の腐敗や賄賂に言及する子がいた。

私は、どのような立場にも立たないが、将来を担う若者たちが、
何かを考えるきっかけになってくれればと思っている。
平和を作り、貧困の問題を解決していかなければならないのは、彼らなのだから。
夜は、今年一年のミンダナオ子ども図書館の活動の映画を見た。
シーンの中には、難民救済のシーンや山での貧困の場面もあり、
皆それぞれ自分たちの事として現実を深く感じ、
また異なった部族の人々の立場にも思いを至らせていた。

戦争と平和

平和構築と学校建設

その夜は、クリスマスのご馳走を食べて、みんなでクリスマスパーティー
各々の学校に分かれて、出し物が続く。
時には寸劇も入り、出演者も周りも涙を流していた。
クリスマスパーティーは、延々と深夜まで続いた。



開けて翌日、この日は特別に、支援者の方々から届いた物資を奨学生にも支給した。
一人10品。古着やバッグや靴など・・・自分が使うものもあるけれども、
何よりも新年に里帰りしたときに
親や親戚や兄弟に渡すもの彼らの家も極貧だからだ・・・


特に、小さな妹や弟にあげるための子供服、小さな靴やサンダルが大人気!
あっと言うまに無くなった。

家が遠く、また筋ジストロフィーだったり、
盲目だったりする若者を、私たちは家にまで送っていった。



写真を撮られて、恥ずかしがる筋ジストロフィーのアーリン。
来たときよりずいぶん重たくなった。
おばあさんに迎えられて、うれしそうな兄弟のベンジー
ジープで2時間近くかかる山奥に彼らの家はある。


盲目のベルリーンも里帰り。
父さん、母さん、兄弟たちが迎えてくれた。
戦闘後に盲目になったが、母さんも片眼が見えない。



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二つの保育所がさらに完成した

Tuyoshi Takahashi氏のおかげで、バロンとブアランに二つの保育所が完成した。
前回の一カ所を含めるとTakahashi氏のおかげで、3棟完成した。
共に、支援から見放されてきた反政府地域だが、人々も心を開きはじめ、
とても良い関係が構築されつつある。


保育所建設は、平和への取りかかりになる。
ここを拠点に、次に読み語りの活動が始まる。

完成をイスラム教徒の人々は、心から喜んでくれた。
バランガイキャプテンから、引き渡しのサインを頂く。
DSWD(福祉局)の所長も同行した。
子ども達も中に入った大喜び。
この地域の子ども達は、カメラを向けると怖がって逃げる。
ピストルと間違えるのだろうか?


最も保守的なイスラム地域の一つだが、ここのところ急速に心を開きつつある。

下は、ブアランの保育所、
ここは、小学校が戦闘時の傷を残したままになっている。
小学校が新しくなればどんなにうれしいことか、と村長が語っていた。


ただ、ブロルとブアランを結ぶ地域にあるダマラサクで、
先週から戦闘が起きている。
すでに一部の難民に古着の支援を行ったがまだ情勢が不安定なのと、
難民が家に非難しているので接触が難しい。
ダマラサクからは、奨学生(高校生)が来ているが、彼は無事だ。
6人ほどが亡くなり、1000人ほどの難民が出ている。




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みんなで頑張った古着の支援

クリスマスを前に、ピキットのカトリック教会で古着の支援をした。
事前に配られていたチケットを元に、若者たちが古着を手渡していく。
イスラム教徒の救済で有名なライソン神父の教会で、久しぶりにお会いした。
日本でのイスラム教徒の若者の公演にエールを送ってださった。
ライソン神父の報告書(2003)ここをクリック 
「戦争における敵は、戦争そのものである」 Fr.ロベルト・ライソン



古着をもらって大喜びの子ども達やお母さんたち
古着を積んで、リヤカーで家族で家路につく。
ピキットの周辺のイスラム教徒も貧困が激しいが、
町中のキリスト教徒地域の子ども達も貧しい。



来年度の小学生のスカラシップ調査もかねてボアイボアイに行った。
9月から数度近づこうとして、車がたどり着けなかった所だ。
今回もいろいろな壁に出会ったが、
強心臓のチェロキー一台で制覇・・・・・
と思いきや、直前で橋が崩落していた(写真下)



古着を渡すことも目的だったが、
幸い、ミンダナオ子ども図書館にいる小学生のお父さんが、
娘と川に洗濯に・・・・・
大きな荷物だったが、
お父さんが、軽々と肩に担いで運んでくださった。



今年も皆さんからの物資支援は、多くの方々に喜ばれています。
1月からは、応募してきた学生の家庭調査で、
サバイバルゲームさながらに、
山岳地やムスリム地域を巡りますが
そこにも届けようと思っています。
ただ、活動のための寄付もお願いしますね。



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ムスリムデーが無事に終了した

今回の特別テーマは、「洗礼」とした。
イスラム教徒に洗礼があることは、前年に私たちのスカラーのいる
カラカカン村に招待されて始めて知ったことだ。 


洗礼は、考えてみれば、神道の禊ぎなどとつながる通過儀礼だ。
古代の宇宙像では、水は死の世界の象徴である。
洗礼は、死と再生を意味している。


男性たちが勇壮な、女性たちは優美なイスラムのダンスを披露してくれた。
テレビの影響もあって、普段は単調なディスコ調のダンスを踊る彼らだが、
こうした民族の踊りも見事に披露できる。
この小さな島ミンダナオでこれだけ濃厚に文化が保存されているのは驚きだ。
イスラム独特のバンブーダンスも披露してくれた。


三日後の近所の小学校の修了パーティーで、
ミンダナオ子ども図書館の奨学生ジクジクさんが、
イスラム教徒のスカラーに教えてもらって覚えた
バンブーダンスを大勢の前で披露した。
彼女はカトリック、今年大学の教育学部を卒業し、
しばらくミンダナオ子ども図書館で秘書として働いた後小学校に勤める予定。
クリスチャンの彼女は、イスラムの装束を身にまとい、
ミンダナオの伝統的な踊りとして、教員実習の最後の日に、
生徒や先生の前でムスリムのバンブーダンスを披露したのだ。
私はそれを見て深い感慨を覚えた。
理由は、彼女は熱心なクリスチャンでカトリック教会の聖歌隊に属し、
初期の頃、イスラム教徒に対して根強い抵抗感を持っていた一人だったのだ。
よりによってその彼女が、卒業を間近にした教育実習の現場で、
多くの生徒や教諭のまえで自らイスラム婦人の姿で登場して、
バンブーダンスを踊った。


MCLの立ち上げ時期から苦楽を共にしてきたメンバーの一人であるだけに、
私の想いをくんで、「よくぞここまで成長してくれたものだ」と思った。
この姿は、第二回ムスリムデーの映像と共に、
ミンダナオ子ども図書館で成長していく若者たちの姿の一つとして
映画作成して公表したい。
下が製作した映像です!
イスラムの文化祭 ムスリムデー!
その後いくつもの美しい調べの歌が続いた。
異質な文化や宗教を、共に尊敬し合い、
感動を分かち合える心と感性を持った若者たちが、
ミンダナオ子ども図書館か確実にそだっている。


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機関誌の春号が出来上がり

機関誌が出来上がり、2000通を皆で手分けしながら発送しました。
スカラシップ支援の方々には、学生本人の手紙とプロフィールを同封しました。
機関誌は、自由寄付やスカラシップなど、わずかでもご支援くださる方々に
隔月でお送りしています!
ミンダナオ子ども図書館 支援方法


説明不足で手紙の意味が、良くわかっていない新規奨学生もいたようで、
内容が少し外れているかもしれませんが、次回のミィーティングで、
日本の支援者も決して裕福ではなく一生懸命応援していること、
支援者を大切にすることが、いかに大事かを具体的に話しますので、
今回はちょっと見当違いでも、なれない子たち故にご容赦ください。
また4月にまだ未決定または、
ご報告が遅れた子たちも写真などを同封いたしました。
皆様から、古着等の荷物が届きました。
まずはこの場でご報告させていただきます。
子どもたちに渡す様子などは、後日ニュースでお伝えいたします。


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わたしのNGO体験

ミンダナオ子ども図書館は、7年前に3名で活動を開始した。
最初は、アジア子ども図書館基金として出発。
離婚時に土地も家も売って、全財産を妻と子どもたちのために送ってしまい、
自己資金はまったく無かったが、
少数の支援者と日本での講演会を資本金にして出発。
私と当時高校生のエープリルリンとレイセルで読み聞かせに村をまわりはじめた。
2年後にキダパワンに移り、現地法人資格をとって本格的に活動。

5年たった、というのは簡単だが、幾度となく先が見えずに苦闘したのも事実。 
NGOもファンデーションも関心が無く、奉仕活動=胡散臭いと考えていた私が、
貧しい子どもたちのために本当に何かをしたいという、
強い気持ちを抱いたのは、
ピキットのイスラム教徒の戦争難民を見た時であった。


現地法人の設立運営は、現地語もたどたどしいたった一人の日本人
(今もそうだが、日本人スタッフは私だけ)が簡単に出来ることではない。
法人化も現地で活動するのに必要だという理由で、
エープリルリンを先頭に、
当時一緒に生活していた5名の若者たちが手続きを完了。
ミンダナオの貧しく厳しい家庭環境で育った若者たちは、
10代後半でも、いざというときの実行力にはすごいものがある!


2007年現在ミンダナオ子ども図書館は、
153名の高校大学の奨学生と三つの村の132名の小学生を支援している。
医療では、2006年度は56名の患者の治療をした。
また週末は、へんぴな山の村の子どもたちのために読み聞かせ活動もしてきた。
こうした活動が可能なのは、
現在1208名いる日本の地道な支援者の方々のおかげで、
現地の子どもたちに代わって心から感謝したい。
皆さんに、子どもたちの笑顔をお見せできないのが残念、
是非いらしてみてくださいね。


時には危険地域も含む、外国人にとっては、命がけの仕事ではあるが、
学校に行く喜びや、命が救われた喜びに輝く、子どもたちの笑顔を見ると、
恐れも吹き飛んで仕事人冥利につきる。


短期になぜここまで出来たのかと、不思議に思われる方も多いが・・・
すでに25年以上まえ、福武書店(現在のベネッセ)の出版部児童図書部門を
初代編集長として事業部を立ち上げた体験や、
後に北海道時代は作家・評論家として、
場所や謝礼を選ばずに講演をし続けて、
背後からもオンラインで、出版部門を支え続けてきた経験も役にたった?
そうした仕事の過程で、多くの人々との
出会いと好意があったからこそ出来た事だと思う!


青年時代から、引きこもりで落ちこぼれのような自分を通して、
著作や編集の仕事をしつつも、日本の若者たちの心の危機に関心を持ち、
子育てに悩む母親の話を聞き、登校拒否や引きこもりの子たちとも関わってきた。
ひさしぶりに日本に行って、当時の彼らが幸せを見つけ、
子どもたちは学校に行かずとも、
しっかり育っているという報告を聞くのはうれしい。
当時書いた著書に、
『わたしの絵本体験』『昔話とこころの自立』『昔話の死と誕生』
『絵本は愛の体験です』『絵本昔話に学ぶたのしい子育ての知恵』等があります。


北海道時代には、「北の森通信」という、
今の季刊誌「ミンダナオの風」の前身とも言える機関誌を、
3000名以上の方々に発送していた。
それが、後の機関誌「ミンダナオの風」になり現在につながっている。
北海道時代は、執筆を通して
心病んだ人々に新鮮な風を吹き込む事をめざしていたが、
家族でアメリカに移住しようと計画していたものの、
突然の離婚で全てが崩れ去った。
それが思いもかけずに、ミンダナオ島から島風を吹かすきっかけになった?
「ミンダナオの風」は、現在年6回発行して、支援者に郵送お届けしています。
「北の森通信」時代からの読者の方々には、特に感謝!


なぜミンダナオの子どもや若者たちに心を向けるかというと、
突然の離婚が、大きな喪失感をともなったからだろう。
ひどいときは、どこに行っても目前に見る他人の子が我が子に見える。
そうした折にミンダナオの孤児たちと出会い、
我が子のように感じることで救われた。
その経過は、「サンパギータの白い花」で出版。
その中では触れていないが、
僕のような落ちこぼれて社会に適応できないような人間は、
日本から離れた死と紙一重の危険地帯で生きる方が良いと、当時は思った。


私が時々抱くような気持ちは、
この地で戦闘その他の理由で、親兄弟を殺されたり、
貧困や海外への出稼ぎで親に見放されたり、
捨てられて孤児状態になっているミンダナオ子ども図書館の子たちが、
内奥のどこかに隠し持っている感情であると感じる。
しかし日常の壁を越えて、
愛と友情の中で無言に理解し合えていると感じられるとき、
また、私や再婚した妻やスタッフたちから、
愛され見守られているという実感を持つとき、
彼らは、生きる希望と喜び、そして安心感を持つようだ。
スタッフたちもかつてMCLの奨学生で、
孤独で苦しんで来た体験を持っているから。


しかし、ミンダナオの子どもたちから、生きる力と喜びを受け取るにしたがって、
これこそが、少年時代から思春期を経て大人になっても、
ぼくが追い求めていた本物の世界だと感じるようになった。
最初、30代の初めに「昔話の死と誕生」(教文館)で書き、
後に北海道時代に
アイヌの本「火の神の懐にて」や「沖縄の宇宙像」に書いたものの、
ミンダナオには、その世界観が現実の生活のなかで生きているのには驚いた!
とりわけ、山に追いやられて極貧のなかで生活している、
ミンダナオだけで14部族いるという、
原住民たちの世界観や子どもたちの生きる力は、
本の世界や現代の都市文化が吹き飛んでしまうほど、素晴らしいものだった!


フィリピンに足を踏み入れた理由については、
『手をつなごうよ』(採流社)で書いたけれど、
その理由の一つが、20世紀の終わりあたりで北海道で感じていた、
「これからの世界は行き詰り、いよいよ大変な時代が訪れる」という予感の中で、
30代の頃に「昔話の死と誕生」(教文館)で書いたように、
「アジアにこそ、今までの善悪二元論的な世界観を超える、
ゼロの上に立った世界観が生きている。それを、実体験したい」
という希望でミンダナオに来たのだが、
それが、ミンダナオで、とりわけ子どもたちの心に
見事生きて花開いているのには驚いた!


その後、自殺や引きこもりの多い日本で、
落ち込んでいた若者たちもミンダナオにきて、同様の体験をしていくのを見ると、
まさに自分の体験が本物の体験であったと感じる。
今考えているのは、
日本そして先進国と呼ばれる国々が落ち込んでいる精神的な心の病、
それを超える世界観とは何かを、ミンダナオのとりわけ子どもたちから得て
伝えていく必要があるのではないか、という事である。
それを思って、『サンパギータのくびかざり』
『サダムとせかいいち大きなワニ』(今人社)
などの絵本も久しぶりに書き始めている!


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さっと人生をふりかえるなら

少年時代は、自然の沼地や崖や木を登るのが好きで、
それが高じて北海道時代は、熊の出る山で一人で数日過ごしたり、
冬山からロッククライミングまで。
多少は冒険好きな性格に加えて、子どもの頃の絵本体験から始まり
数千冊は読破した物語好き(結果、人生も物語のようでないと気がすまない?)。
ただし、ミンダナオでは、あまり本は読まなくなった。
現実(一冊の本より一人の人間)の方が、真実でおもしろいから?


思春期のキルケゴール、ニーチェやサルトルなどの実存主義と
ユングやゲーテやゼーデルマイヤー、ドストエフスキー、森敦、
音楽もモーツアルト、ベートーベンからショパンやマーラーのクラッシック、そして
ムスタキやカーペンターズ、キャロル・キングやジョンレノンといった
フォークや黒人ジャズ、シャンソン、そしてビートルズやベンチャーズといった
グループサウンズまで好きで聞いた。


急速に現代化、都市化が進む世界を見て感じたのは、
現代人の疎外と孤独が社会に蔓延してくようすだった。
それを見て、まずは孤独と死の考察が必要だと感じた。
資本主義と共産主義の作られた二元論のさらにその奥に、
ベトナム戦争の背後にもある、
物質文明が高度に栄えた国の第三世界への搾取と戦争の問題や心の崩壊、
そして、生きる希望を失った若者たちの自殺の考察。
そうした、現代社会の矛盾を目の当たりにするにつけて、
自分も死から目をそらさずに、死を見つめることが重要だと考えて正面から
死に対峙して立つ必要性を考えて進んで言ったあげくに、自分も死にそうになった。


そのとき、黒い女性が枕元に立った。現実の存在ではないけれど、いるのがわかる。
そして、その膝に頭を載せているような気持になった時に、声をかけられた。
「あなたはもう、じゅうぶんやったのだから、いまは休みなさい!」
といわれて、その愛で命が救われた。
「ほんものの愛は、死を超えている!」その後、世界が驚くほど輝きだした!
当時は、宗教は信じていなかったが、
大学終わりごろにゲーテの研究者の木村直司教授にその話をして、
「お地蔵様の中にも神はいると思いますが、
そのような事を言っている人はいますか?」
と聞くと、「ホイヴェルスさんがそうだね・・・」
「どこの哲学者ですか?」「裏のイグナチオ教会にいるよ」
ビックリして行ってみると、有名な詩人で哲学者の神父だった。
ホイヴェルス神父の前に座り、黒い女性に救われた話をすると、
「それは黒い聖母マリアだね。最近も、ブラジルやポーランドに出現しているよ!」
それを聞いたとたん「洗礼を受けます!」と言っている自分に驚いた。

その後、ゲーテのコスモロジーやユングを学び、
さらに手島圭三郎の絵本を編集している過程で、藤村久和氏とも出会い
アイヌの絵本を出版したが、
北海道に移り住んでからは千歳のアイヌの人々と仲良くなり、
小田イトさんの話を聞いて、「火の神の懐にて」を出版。
農耕牧畜文化や科学技術文化を超えたその根底にある、
狩猟採集文化に興味を持った。
そして、ぐうぜん講演で訪れた沖縄の宮古島で、神の島「池間島」に連れていかれ、
そこで、前泊徳生おじいに出会って「沖縄の宇宙像」の話を聞いて驚いた!
まさにそれこそが、人類が最初期に共通して持っていた世界観、
宇宙像だと感じたのだ!


アイヌと沖縄で学んだ、先住民の宇宙像やゲーテの自然科学と芸術論といった
よろず問題に取り組むのが、ワクワクするほど好きな不幸な性格?
神社仏閣も好きで、京都や奈良や比叡山から月山もめぐり、
東北のねぶたやねぷたの祭りにも参加して踊った体験!
それが、ミンダナオに足を踏みこんで驚いたのは、
この北海道と四国を合わせたほどの島に、
そのすべての根源にある宇宙像が生きていて、
そこからみると、イスラムもキリスト教も、仏教や神道も西洋も東洋も、
もともと人類が持っていた、ゼロの視点に立った、
総合的な一元的な宇宙像のなかに見えてくるという驚きだった!
そして、特に子どもたちの自然で生き生きとしてい様子に、
世界の諸問題を解くカギが生きているように思えた。


話を元にもどすけれど、おもしろいのは図書館に住んでいる子どもたちの男女比が、
ほぼ1:2で心が落ち着くことだ。
たぶん、かつて3人の子のうち、長男が一人と娘が二人いたせいだろう。
今は、エープリルリンという、ミンダナオ子ども図書館の出発当初から
苦労を共にしてきた子と再婚し、二人の娘もいるが。
図書館で一緒に住んでいる子たちを見ていると我が子のように思え、
とくに親から離れていたり、親を亡くした子たちに対しては、
父親のように感じている自分がわかる。彼らもそれを感じるようだ。
彼ら言うには「原住民もイスラムもクリスチャンも、MCLでは兄弟姉妹!」
「わたしたちは、一つの家族!」
僕自身は、居心地がいいのでカトリックだけれど、
原住民の酋長でもあり名前はアオコイ・マオガゴン!
貧困を作り出していく理不尽な力に怒りは感じても、
高邁な使命にかられて活動しているわけではないけれど・・・。


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ミンダナオのマネージメント意識

NGOであろうが、別の事業であろうが、
200人を超える子どもたちに対する責任を思えば、
明確な計数を中心としたマネージメントを考えるのは当然。
彼らを路頭に迷わせるわけにはいかない。
ミンダナオ子ども図書館を軌道に載せる事に一番役だったのは、
編集者時代に、一事業部をゼロから立ち上げ軌道に載せた経験だろうか?
福武書店の創業者、福武哲彦氏には、今も心から感謝。


福武書店は出版をやめたので、
当時編集した数々の絵本は図書館にあるが、他社で出版されているものもある。
『しまふくろうのみずうみ』『おおはくちょうのそら』(リブリオ)等、
手島圭三郎の北海道の絵本、『はじめてのかり』『まいご』(リブリオ)等、
吉田遠志のアフリカの動物絵本シリーズなど。
ミンダナオでは、長い植民地支配の歴史ゆえか
一般的にマネージメントの意識が欠けているように思えてならない。
常夏で豊かすぎたからかな?
食べ物がなければ、バナナと芋でがまんできるし、
ちょっとまとまった金が入れば仕事をしないで、仲間たちを呼んで
椰子酒を飲んでおやべりしたり歌ったり?全てがそうではないけれど・・・


四季のある国なら冬の飢餓に備えるが、
常夏の国では、先を見据えて生きる必要もあまりなかったから?
その意味では、悪名高いアシェンダという大地主の荘園制のほうが、
日雇いの稼ぎさえ良ければ、
適した生活スタイルだと言えるかもしれない、と時々思う。
しかし、最大の問題は、先進国による搾取の関係で、あまりに職が無く、
あっても日雇いで給与が極端に安いことだろう。
私は、若者やスタッフにいつも、
「仕事というのは探すものではなくて作り出すものだ」と話している。
安易に仕事を探しに海外に出稼ぎに行くのではなく、
現地で作り出す工夫が大切だと。
また図書館では、全て領収書をとり、計数を明瞭にして、
月次にまとめながらマネージメントをする方法を行っている。


常時役員やスタッフで会議を開いて、現状を把握し、
コンセンサスを求めながら進めていく方法を教えている。
しっかりと教えればすぐに理解するし、実行する。
貧しくともミンダナオの人々は、感性も豊かで、思考も柔軟。
問題は短視眼的で飽きやすく嫉妬心が強く、
感情に流されて行動してしまいやすい事だろうか。
しかし、問題が起きると外国人である僕には、
時にどう解決したらよいのかわからない、そのような事がしばしばあっても、
妻のエープリルリンがしっかりマネージメントをしてくれるのでここまで来られた!


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2006年度の
事業報告から見えてくるもの


ミンダナオ子ども図書館では、会計と経理を分けているし、
口座の予算もプロジェクト別に分けているし、
サイトには、外部監査による会計報告も載せている。
ライブラリー、スカラシップ、メディカルと三つの部門で集計している。
支出の細目も載せているが、スカラシップと医療の支出が高い。
ガソリン代が高いのも特徴で、私たちの活動が、
施設の建物に閉じこもっているのではなく、
常に広範囲の地域の子どもたちを助けている積極外向型のプロジェクトだから。
車の修理費が高いのも、山岳部など過酷な場所をめぐっているから。


厳しいのは、ガソリン代の値上がり。またここ数年の痛撃は、強烈なペソ高。
根底には、アメリカ経済の崩壊不安から来るドル安があると思う。
2年前まで1000円が500ペソだったが、今は370ペソにしかならない。
加えて物価高。米が850ペソから1200ペソになった。
ミンダナオでは、貧しい人々が多いので、
わずかな物価上昇が強烈に家計を直撃する。
ちまたではクライシス、危機的状態だと言われている。
フィリピン経済はペソ高で好調と言うが、一部の資本家だけの話で誰も信じない。
現実は、中産階級の生活も崩壊状態に近いといって良いだろう。


ミンダナオ子ども図書館では、生活防衛策として、農業部門を別組織に持っている。
一家族が水田5ヘクタールを受け持ち、
ミンダナオ子ども図書館に住んでいる奨学生53名分と
スタッフの食費負担を軽減させている。
なにしろ食べ盛りの若者たちで、50キロの米が3日で消費されるのだから。
親のいない子も多く、子どもたちを路上に放り出すわけにはいかない。
ただし支出を見ていただければわかるが、
土地購入も含めて農業部門に寄付は一切使っていない。
農業スタッフは独自の収入創出で自立している。 


それ以外に、バナナ100本、野菜各種、鶏100を育てて原価で渡し雇用を創出。
バナナと野菜は、福祉局からの要請のある、
果物と野菜を食卓に加えることを目的に植え、
残りを業者に売却し農業スタッフの給与にしている。
肉と魚は市場で買うが、イスラム教徒がいるので豚は食べない。
下の写真は、隣接するバナナ園と出荷風景。
鶏は、地鶏も考えたが、食費軽減のため卵を採るための白鶏を100羽入れた。
イスラム教徒がいるので豚は飼えないが、
時に多量に出る残飯を無駄にしないために・・・。



野菜も植えて若者たちの栄養の偏りをふせぎ、食卓に変化を持たせている。
若者たちも週末は独自の一坪菜園を管理しつつ食卓に野菜を提供し、
経費削減にも貢献している。
菜園は、若者たちが自分で管理している。
思い思いの野菜を植えて、育てている。
その他、水道水は食事用におもに使用し、
洗濯用には雨水をためたり、井戸を使ったりして節約している。
何しろ洗濯好き、きれい好きな子たちだから水の使用も馬鹿にならない。
お金のかかる水道水は節約し、自然の水を利用するようにしている。


最近は、毎日のように午後から夕方、バケツをひっくり返したような雨が降る。
おかげで雨水には不自由しないし、作物の生育も良い。
下は、洗濯や水浴びようの、雨水をためる貯水槽。スタッフが作った。
炊事、洗濯、掃除、庭仕事すべて若者たちが計画を組んで実行。
二階の台所はプロパンガスだが、大きな鍋を使うために、
おもに料理は下の薪使用の台所で作る。


料理は、スケジュールを組んで、若者たちが手分けしながら炊事する。
こちらの子たちは、家で薪で料理を日々しているので
誰でももすぐに総菜や具入りスープを作る。
洗濯も掃除も良くできるし、日本の子どもたちに見せてあげたい。
写真は、外の台所。料理の支度をするのは若者たち。
朝は、4時半に起きて、まだ黄昏時に料理の支度が始まる。
夜は翌日の下ごしらえ。家を取り仕切るハウスキーパーは一人だけ。


そのような防衛策を施しながら、注意深く運営しているが、
どうにもならないのが授業料の値上がり。
大学の年間経費は全て総合すると、すでに年間6万円を超えている学科が多い。
結局、高校と小学生を含め、全てを基金として調整し、
可能な限り若者たちが、
自分の好きな大学の希望の学科に行けるように工夫している。
スカラシップに関しては、ここをクリック


10名のスタッフの給与は(2020年には約20名)
北コタバト州の賃金の中当たりではあるが、他のNGOのように高給取りではない。
現地では、国際的なNGOは、仕事は楽で高給取りといわれている!
しかし、家族で住み込みで食費等はただであるし、敷地内に家も建てられるし、
家族の医療、教育もMCLが負担し年金も保険料もMCLで支払っているので、
安心して生活し、子供を何人も生める!
給与は、ときどき家族で好きなものを食べに行ったり
実家の家族のために使ったり? 


2007年度新体制の役員およびスタッフの構成は、以下の通り
新体制では、役員にイスラム教徒と先住民族を必ず入れる事にした。
各民族の思いが運営にも反映出来るようにすると同時に、
その地域での活動をスムーズに進めるためである。
以下、役員とスタッフの写真を掲載。

ミンダナオ子ども図書館の
ボードメンバー紹介
スーザン・インカル ダニー・イサカ グレイス・カドゴン バルセール
父親は有名なマノボ族首領
フィリピンの先住民族協会
の創立者だ。
先住民族協会に所属
学校や役所、銀行を始め
キダパワンを拠点に
建築設計を
手がけている設計技師
ピキット市福祉局長補佐
ソーシャルワーカ。
ライソン神父の右腕として
イスラム教徒の救済に走る
山のマノボ地域で
保育所を開いている
キダパワンの正義と平和
協会の会員

以上の4名に加えて、MCLを代表してエープリルリン・松居が、
日本側を代表して山田順子と松居友がボードメンバーに加わっている。
ミンダナオ子ども図書館では、年四回、定例ボードメンバー会議を開き
現状と見通しについて会計も含め報告会をしている
運営方法に関して専門の立場から活発な意見が展開される。
今回も、12月の定例会が終了した。


Officer
President Vice President Secretary Treasurer C.O.O.
Gromio Genaro Aprilyn Matsui Margie Genaro Rutchel Calcaben Marivelle Gubat Carmela Abedin

MCL Staff

Asistnt Social Worker Accountant Librarian House keeper House Manager .
Joey Cadungog Net-Net Sarillosa Noemi Flojimon Thelma Dela Torre Samuel Dizon .


松居友は、創設のディレクターで七名のボードメンバーの一人。
日本の支援者を代表する形で発言させてもらっている。
日本に帰った時のために、日本事務局から6万円の月給をもらっているが、
執筆と講演で生活をまかない、印税も謝礼もMCLの土地や水田を買ったり、
増える奨学生の家を建てたりと子どもたちのために使っている。
食事は子どもたちと一緒に質素だが、お腹いっぱい食べさせてもらっているし、
家族で大きな家に住みたいとも思わないし、住む部屋も4畳半ぐらいだけれど、
みんな一つの家族だから、子どもたちとスタッフの家族が幸せならば十分だろう。


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ミンダナオ子ども図書館は、
寄付を誰のために使っているか

公認の外部監査士の見解だと、
「一般のNGOは、寄付の半分を活動に使うのが通常で、
私たちのように、ほとんど活動に使っているファンデーションは希だ」という。
「こんなに人のために使って大丈夫ですか?」と言うので。
「皆さんの思いがこもった寄付を預かり、
子どもたちを救うために活動しているのだから、あたりまえでは!」
と言いたくなったが、ぐっとガマン。
初めて寄付金を手にしたときに、
「寄付とは、編集をやっていた時の会社における利益とは、まったく違う!」
「これは【利益】ではなく、子どもを助けるために使う【預り金】なのだ!」
という、畏れに似た気持ちが起こったことを思い出す。


日本事務局が小さいのもその想いから生じたことの一つ。
日本事務局は、山田順子さん一人におねがいしている。
コンピュータが発達している現代では、おおかたの処理は現地で出来る。
多少の時間差があるが、日本で事務局を持つと10倍の経費がかかる。
現地法人として、現地の子どもたちのために寄付を役立てた方がよっぽど良い。
ある海外から来られたNGOの方が、言った言葉がわすれられない、
寄付金の7割は、日本事務局の事務経費と人件費で消えていくんです・・・
それを聞いて、日本に帰った時に使うための僕の給与は6万円にした。


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あっと驚く、
フィリピンにおけるNGOのイメージ

MCLもNGOと呼ばれるようになり、
他のNGOと知り合うにつれて聞こえてきたのは、
フィリピンでは、海外につながっているNGOは、
楽して高給がとれる仕事というイメージが強いということだった。


仕事のないフィリピンでは、NGOで働くのは一つのステータスだ。
大卒でなければ不可能だし、仕事は楽で高給取り。
外から見てもカッコイイ職場だから。
ただし欠点は、安定していないこと。
つまり海外からの支援金が無くなれば開店休業か解散。
政府公認とはいっても、海外からの支援金の受け皿として登録された、
名ばかりのNGOも多いのが現実だという。


僕自身は、NGOを全く知らず興味もなく、
Foundationとしての現地法人登録がないと、病気の子も救ってはダメだと言われ、
ショックを受けて、当時まだ高校生ぐらいだった若者たちに相談したら、
「わからないけど、やってみる!」といって、何と半年で法人資格を獲得して、
「これで子どもたちを救える!」と思ったのがMCLの始まりだった。
日本の人々は、NGOやボランティアに
高尚なイメージを抱いているから信じられないだろうが、
例えば「現場での活動は、現地のNGOスタッフにまかせて・・・」
という謳い文句が、下手をするとあやうい理想論で終わってしまう可能性が
ここにいると実感できる。


悪い言い方をすれば、「外国という、オリの外から投げ入れられるバナナの束に、
サルが群がって食べ尽くして、無くなれば終わり」といった感じ?
利益にあずかるのは、ボスざるとその一族と手下とその周辺に限り、
結局、貧しい人々の手までは届かない・・・というケースも多いという?
(もちろん、全てではないけれど・・・)


しかし、中産階級でも、素直な子たちは心底やさしく素直だ。
ミンダナオは大変な格差社会で、金持ちはけた違いで、
地平線まで続く土地を持ち敷地内に飛行場まであったりする。
それだけ人々は貧しい。貧富の差も極端に激しい。
このようなおかしな社会構造を作ったのは、フィリピンの人々だろうか?

Merry Christmas & Happy New Year!

ずいぶん前に出版された、私の絵本「おひさまありがとう」が
新たにBL出版から「おひさまのくにへ」と言うタイトルで出版されました。
今、米国にいる息子のために書いた絵本です。
奇しくも、現在わたしはミンダナオというおひさまの国にいるようです。
ぜひ読んでください。書店でも購入できます。

 


クレジットカードによる寄付が可能になりました!
寄付された方には、隔月に機関誌「ミンダナオの風」をお送りします!
単発寄付(左)と各月寄付(右)があります。
金額欄をクリックして、振込金額を選択し、
右隣の「寄付をする」をクリックしていただくと、
クレジットカード決済で著名な
ミンダナオ子ども図書館のサイトEdinetは、保護されていない通信ですが、
サイトは保護されています、
個人情報が流出することはありません!

携帯のデーターが古い場合は、エラーが出る可能性あり、その場合は、パソコンで試してみてください!


小学奨学金1年のエラーを修正しました!
毎回振込後に、宮木梓からお礼のメールが届きます!
奨学金は、物価高騰もあり、
小学校と大学のみ2000円加えた額に変更しました。
年間、小学42000円、中高60000円、大学72000円継続支援の方で変更を希望されない方は、以前の額で結構です!


卒業後も支援継続されたい方、別の子を希望、終了を希望等は、
メールか振り込みの通信欄で宮木梓宛に、
メールが難しい方は、日本事務局に、FAXかお電話で対応します。
 
日本事務局 前田容子 FAX:0743 74 6465 携帯電話:090 5091 7514

ぜひいつか、子どもたちに会いにしらしてくださいね!
郵便局、銀行、コンビニATM、ネット振込は以下!  
寄付された方には、隔月に機関誌「ミンダナオの風」をお送りします! 
郵便局からの振り込み
自由寄付、スカラシップ里親支援等
郵便振替口座番号 00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

ミンダナオ子ども図書館 支援方法
銀行またはATM
インターネットでの振り込みは以下へ

銀行名 
ゆうちょ銀行 金融機関コード 9900
店番 
019  預金種目 当座
店名:
〇一九店ゼロイチキユウ店
口座番号 
0018057
口座名:
ミンダナオ子ども図書館
 振込を確認しましたら、子どもたちの写真または絵が描かれたお礼ハガキを現地からお送りしています!
領収書等が必要な方は、宮木梓までご連絡ください。
現地日本人スタッフ宮木 梓  mclmindanao@gmail.com
日本事務局 前田容子 FAX:0743 74 6465 携帯電話:090 5091 7514
ぜひいつか、子どもたちに会いにしらしてくださいね!



主要な目次を集めました!
クリックして飛んでくださいね
ミンダナオ子ども図書館だより 宮木あずさ制作
現地日本人スタッフによる、
写真を交えた最新の活動報告です!
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記
訪問等でMCLと出会った若者たちの想いです!
ミンダナオ子ども図書館:日記 松居友制作
松居友による活動報告および
製作映像や想いを載せた自由日記です!
ミンダナオ子ども図書館 支援方法
支援方法
「0」ゼロに 立つための支援を
ゼロに立つための支援を
訪問希望の方は ここをクリック!
訪問希望
MCL映像サイト
何故ここに日本人などのテレビ映像
その他の貴重な活動映像を掲載
機関誌『ミンダナオの風』 にこめた思い!
機関誌『ミンダナオの風』編集にこめた思い!
ミンダナオ子ども図書館のミッション 理事、役員、スタッフ 活動の概要を紹介
ミッション・ビジョンとボードメンバー 
MCL文庫
民話、絵本原稿、青少年から大人までの読みものを
自由購読で提供しています。
ミンダナオオから発送の 機関誌「ミンダナオの風」 
過去の機関誌PDF
MCL 会計報告
会計報告
 日本の子ども ミンダナオの子ども
日本の子ども ミンダナオの子ども
MCLへの 若者たちの想い! 
機関誌『ミンダナオの風』若者たちの想い!
無題3 松居 陽
無題3:松居陽
イクメンに 未来をたくせそう! 
イクメンに未来をたくせそう!
2021年 今後のMCL 
今後の活動指針
 愛に捧ぐ黙想 松居 陽
愛に捧ぐ黙想:松居陽
ぼくの少年時代と 思春期から   
ほくの少年時代と思春期から
子育てよりも、子育つ世界!  
子育てよりも、子育つ世界!
講演、公演の予定表など 
講演、公演の予定表など
メールニュース 希望! 
メールニュース希望!
原住民、イスラム、クリスチャン 私たちは一つの家族!
原住民、イスラム、クリスチャン、私たちは一つの家族!
小学生や若者たちの 講演感想!
講演感想
近年の若者たちの訪問体験記!
ミンダナオ子ども図書館の活動とは?

MCLを知っていただくために、多くの映像のなかから選びました。
  
 山の下宿小屋に!
山の下宿小屋に
海の下宿小屋に! 
海の下宿小屋に
奨学生を決定に山へ!
奨学生決定に山へ
酋長の依頼で! 読み語りに!
酋長の依頼で
地震の悲しみで お父さんが!
地震の悲しみでお父さんが
アポ山へGo!
アポ山へGO!
地震避難民の 救済と読み語り! 
地震避難民の救済と読み語り
イスラム避難民の 救済支援! 
イスラム避難民の救済支援
ウイルス期間に 洪水が襲った!
 洪水が襲った
 イスラム湿原に 保育所を建てた!
イスラム湿原に保育所を建てた
 土地を追われる マノボ族!
土地を追われるマノボ族
 サンタマリアの 海辺で遊ぶ子どもたち!
サンタマリアの海辺で遊ぶ子ども
クリスチャンの文化祭 ビサヤデー!
クリスチャンの文化祭
イスラムの文化祭 ムスリムデー!
イスラムの文化祭
原住民の文化祭 マノボデー!
原住民の文化祭
戦争と平和
戦争と平和
洪水と植林活動
洪水と植林活動
平和構築と学校建設
平和構築と学校建設
ミンダナオ子ども図書館の 日常から
ミンダナオ子ども図書館の日常
総合活動報告の 記録映像
総合活動報告の記録映像
海の下宿小屋 クラクシン
海の下宿小屋
何故ここに日本人 TV録画! 
テレビ東京なぜここに日本人
池上彰の番組 パックンが来た!
池上彰の番組、パックン
NHK国際放送 ミンダナオから来日! 
NHK国際放送
English Video 1 Yo Matsui   English Video 2 Yo Matsui English Slide video! Yo Matsui 
kako
過去の活動を整理し、完成版をここに掲載していきます
戦争と貧困と平和構築と国際交友
ミンダナオの子どもたちから、生きる力をもらってきた実体験の記録!
2007
(1)
2007
(2)
2007
(3)
 2007
(4)
2008
(1)
2008
(2)
  
 2008
(3)
2008
(4)
2008
(5)
2008
(6)
2008
(7)
2008
(8)
2009
(1)
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2009
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2009
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2010
(1)
 
2010
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2011
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2011
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2012
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2013
(1)
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2013
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2013
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2014
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2015
(1)
2015
(2)
2015
(3)
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