ミンダナオ子ども図書館だより2014年3月ー5月





学年最後の総会・シンポジウム


5月末の学生総会は
年度切り替えの総会で
シンポジウムを行っている



民希さんが、支援者からの手紙の件で報告。
この場で、高校生大学生には、支援者からの手紙を渡し
日本語の場合は、翻訳して、返事を書いてもらう。
若者たちは、大喜び。


今回は、支援者の方々の想いを
若者たちに伝えて
その想いにどう答えていったら良いかを
テーマにして、
ディスカッションをした。
 

高校・大学の卒業生たちに賞状!
スペースの関係で全員の写真を載せられませんでしたが、支援者の方には、別便で写真を郵送します。


また、今年卒業して大学に行く子たち
大学を卒業して社会に出る子たちに
MCLから賞状を送った。
成績のよい子も表彰された。

下は、その子たちの一部。
皆さんの支援している子はいますか?



ダバオ市の海岸沿いの
焼け出されたイスラムの人々を救済支援



かなり広範囲の地域が全焼した。
避難生活をする人々。

ダバオ市の海に張り出す
イスラムの人々が多く住む
貧民街が焼けた。
去年は、MCLの奨学生がいる
ササ地域が焼けた。
焼け出された、イスラム教徒
バジャウ族の人々は、
避難生活を余儀なくされた。
MCLでは、その実態に心を痛め
早速古着などの救済支援をした。
しかし、駆けつけた消防隊員が
あえて、あまり火を消そうとしなかった
と言う理由で、イスラムの人が怒って
その場で殺害したり、
立ち退きを強制するために
意図的に火を放ったとも、言われている。
行政に対する反発も強く
この日も、場所によっては
近づくことが出来なかった。


すぐに読み語りと
古着の支援に向かった 


読み聞かせをすることで
子どもたちは元気に!
上の子は、治療を約束。


上の写真の奨学生
左はイスラムの子
男の子はクリスチャン
MCLでは、兄弟姉妹。

古着の支援もした
レイテの台風支援は一段落したようなので、残存している物資をこちらの方にまわしました。
レイテ支援で親のいない高校生が、MCLに住んで学校に通い始めました。



全員で食べられる食堂が出来た!



子どもたちの数が100人を超し、三棟に分かれて食事をしなければならなくなり
それが寂しかったことと、福祉局の認定を得るためにも
規格にあった食堂と台所、宿舎作りをしなければならず困っていたが
皆さんの助けで念願の食堂を作る事が出来ました。
全員がいっしょに食べられる
 
食堂と台所と宿舎も出来た!
 念願の120名全員が一緒に食べられる
食堂が出来ました。
伴野正夫さまのおかげです。
開所式当日はお越しになり子どもたちと
一緒にお祝いしました。
 当日は、MCL日本窓口の前田容子さんも、
桃山学院学長をなさっているご主人と参加。
楽しい時を過ごされました。
 食堂は、フィリピン政府の福祉局の基準に
合わせた設計で、
すでに法人資格はとっているのですが、
これから順次福祉局の認定基準を満たし、
認定法人にしていくための一歩です。
 食堂の二階は子どもたちの宿舎です。
宿舎を寄贈してくださったのは、磯綾子さま、
佐藤浩市さまと奥様の亜矢さん。
亜矢さんは、
ミンダナオ子ども図書館を訪問され、
奨学生を支援してくださってます。
息子さんの栄介くんも数カ月滞在。
しばしば原宿でチャリティーイベントを
開いてMCLを助けてくださっています。
「Leela」という名のお店を
恵比寿でなさっています。
行ってみたら?
 ミンダナオ子ども図書館のスカラシップは、
採用の基準は成績ではなく、
親のいない孤児や片親の子、崩壊家庭の子、
親はいても兄弟姉妹が多く、自給地もなく、
3食たべるのも難しいような
貧困家庭の子どもたちです。
現在スカラシップの子どもたちは、620名。
中には戦闘で両親を殺されたり。
アビューズの対象になっていたりする子も多く、
現地に置いておけない子どもたちは、
MCLの本部に住めるようにしてあげています。
その数が、100名強。
 大勢ですが、一つの家族として
一緒に食事をしたがります。
そのご飯を作る台所を寄贈してくださったのが、
北九州小倉ライオンズクラブの方々、
そして土肥基さま 大久保一興さま、 
濱田博さま。

皆さん本当にありがとうございます!

神父さまに来ていただいて、祝福していただいた 

神父様に来ていただき
祝別式をした。



祝福をしていただかないと
子どもたちは怖がる。
変な妖精が来るかもしれない

祝別式の後、みんなでお祝いした 

お祝いのケーキを顔につけ合って遊ぶ子どもたち




アポ山に二度登った


頂上付近は意外と複雑で
いくつかのピークにわかれている。
夜はかなり寒くなる。
至る所にブルーベリーが実っていて
食べながら歩く。


初回は、ミンダナオ子ども図書館の
食堂を寄付してくださった
伴野正夫さまといっしょに登った。

68歳にもかかわらず
まだまだお元気でびっくり、

3泊4日の旅は、日本の山とは違って
道なき道、ジャングルを行く旅。

ウオーファーフォール村から3泊の旅が始まる
 日本から訪問してきた若者たちと  
アポ山(2950m)に登った

 4月5月は、ミンダナオの夏休み。
この時期に、高校生と大学生を中心に、
フィリピンの最高峰、アポ山に登るこ
とにしている。

 ジャングルに囲まれているアポ山
は、3千メートル弱のフィリピンの最
高峰だが、日本の高山のようにアプ
ローチや山道が整備されているわけで
もないので、ガイドとポーターを雇っ
て、三泊二日で頂上をきわめる。

 今回も、ガイド役になってくださっ
たのは、マノボ族の奨学生のお父さん
たち。日本の若者二人を含めて、一八
人の精鋭?部隊。

 アポ山は、図書館の裏山なのだが、
人々にとって神々の庭、神聖な山で、
若者たちの強い憧れ。若い時に一度で
も、フィリピン最高峰に登ったという
体験は、生涯彼らの自信と誇りとなる
だろう。そのこともあり、毎年計画し
ている。

 日本から来た彼女たち(写真左)は、
ほとんど山を登った体験のない若者た
ちで、最初はちょっと心配したけど、
MCLの若者たちが助け、時にはおん
ぶして川を渡り、荷物も喜んで運び上
げ、最後はすっかり仲良しになって、
曰く。

 「すっかり山登り(MCL?)に、
はまってしまった。また絶対来るから
ね!」
山のお店で、
お父さんお母さんを手伝う子どもたち 

夜明け
   

ジャングルの下山

最後の下りで谷を渡る




わたし、ダバオで生まれたの!
七〇年ぶりの故郷を訪ねて!




カリナンの日系人博物館で、70年前の
自分が写っている写真を発見!
 
娘さんの琴子さんから、メールをいただいた。
「母は、ダバオの生まれです。
7歳のころまでダバオの日本人小学校に行き、
第二次世界大戦のとき、
妹とダバオから離れカリナンに疎開しました。
その後、戦闘が拡大し、日本軍とともに、
さらにタコナン村に逃げました。
そして、ジャングルの中を逃げ惑い、
最後に投降して、日本に帰されました。
それから70年、一度もフィリピンに
足を踏み入れたことはありません。
今回、意を決して母の妹と、
バプテストの牧師の夫とわたしたち息子と娘。
さらに孫たちをつれて、回想の旅を計画しました。
受け入れていただけますか?」
総勢10人、大学生やまだ中学の孫もいっしょ。
どれだけお役にたてるかわからないけれども、
実行を約束した。
まずは生まれたダバオの地域にホテルを予約。
その地は、思い出の場所ではあるが、
すっかり都会化していた。
その後、カリナンの日系人博物館を訪問。
なんとアルバムに古い自分の写真がのっていた!

   

カリナンの市場を歩いた 

ミンタルの日系人墓地に詣で、
その後カリナンの博物館を訪ねた。
自分の写真を見つけたり、アバカ(マニラ麻
)などの工場や収穫など懐かしい思い出が
よみがえってくる。博物館を出て、
カリナンの街の市場を案内した。
ダバオと異なって、ここにはまだ昔ながらの
雰囲気は風景が残っている。
ご当人の心には、過去がすごい勢いでよみがえってくる。
魚屋、米屋、お菓子屋など、ぼくにとっても、
子ども時代に、荻窪の市場で見た風景。
裸電球の下で「いらっしゃい!いらっしゃーい!」
「生きが良いよ。安くしておくよ!」
ここで、待望のドリアンを買ったり、
マンゴスティンを食べた。
懐かしい想い出の熱帯フルーツたちが、
「お帰り、お帰りなさい!」と、叫んでいる?
 

日本語を話す、混血の老人に会った
軍人だった父は、戦後日本に帰り
バゴボ族だった母と私たちは
ミンダナオに残りました。
ジャングルをさまよった後
自分が日本人の子であることを
ひたすら隠して生きてきました。
日本の軍隊は、日本人と先住民の
あいの子にも厳しかった。
裏切るのではないかと、
いじめられた人もいました。
バゴボ族、マノボ族のなかには、
殺されたり、生き埋めにされた人も
かなりいたようだ。
辺見庸のノンフィクション「もの食う人びと」
には、当時山に立て籠もった敗残兵たちが
原住民を襲って食べた、という
現地での聞き取りが書かれている。


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カリナンから、さらに訪問者たちが逃げた
ジャングルの村がタコナンという集落だった事を聞き、
ぼくたちは、事前にタコナン集落がどこにあるかを探した。
現在、タコナンと言われるところに行き、
食堂のあるじに聞くと、この先の山の集落に、
今でも日本語を話す日系人がいると教えてくれた。
ぼくたちは、その集落へ早速向かった。
そこの主は、日系人で、父親が日本人、
母親がバゴボ族。奥様も同様だった。
「戦後、父親たちは、家族をおいて日本に帰り、
自分たちはここに残った。
日本人であることを隠すために、
現地の名前を名乗って来ました。」
驚いたことに、本当のタコナン村はここだった。
そこで、訪問者たちをここにお連れすることに決めた。
今は、創価学会会員として、平和を願っていると言う。
 
 

訪問者とタコナンを訪ねた 
訪問者は、自分の子ども時代の体験を
語ってくださった。
戦闘は、敗戦の色を濃くし、日系人たちは、
カリナンにもいられなくなり日本軍とともに
ジャングルに逃げ込んだ。
山芋を掘って食べたり、困難な生活が続く。
「現地の人たちも助けてくれた。
むしろ日本軍のほうが、私たち子どもの目から
見ると怖かったです。わずかしかない塩などを、
むりやり取っていってしまうのです。」
ぼくも、現地の人々からも聞いた話が多々あるが、
人によっては、「日本軍があの丘に滞在していたけど、
良い人たちだったよ・・・」と言ってくれる人もいる。
結局は、司令官の資質によって、
現地での命令の形態が変わったようだ。
 

第二次大戦で亡くなった
日系人を祀った記念碑に詣でた 

とにかく、ぼくは、戦争が嫌だ。
子どもたちや庶民が、最大の犠牲者になる。
これは、現在勃発する戦闘を見ても
まったく同様だ。
戦争そのものを憎む必要がある???
聖書には、
「剣を持つものは、剣で滅びる」
と書いてある。
武器を持ったとたん、人格が変わる?
人が、人で無くなる?

ミンダナオの人々は、アジアでは比較的
日本人を良く言ってくれる。
戦前の日系人との交流があったせいだろう。
しかし、子どもが寝ないと
「日本人が来るから、早く寝なさい!」
と言って、寝かせる言葉が
今でも生きている。

支援しているイスラムの子に会えた


自分が支援している奨学生に会いたい。
それも今回の目的の一つだった。
しかし、リグアサン湿原沿いの集落で
最近も戦闘が起こり難民が出て、
MCLで救済に向かった地域。
ここのところ、若干おだやかだが、
情報を収集しても
とても村までは危険で行けない。
そこで、先生に連絡を取り
近くの安全な場所で会うことになった。

イスラムの湿原地域の彼女。
片手が萎えているが、とてもよい子だ。
彼女の集落までは行けなかったが、
先生が、安全な集落まで
連れてきてくださった。
下のこといっしょに
今年度から、MCLに住むことになった。

ミンダナオ子ども図書館にもどってきた 

思い出深いジャングルに入った


ジャングルに逃げた頃の想い出から
もう一度ジャングルを見てみたい。
その希望を聞いて、アラカンの山にご案内した。


この地域が、日本軍と米軍の決戦場になった


この奥に、
たびたび日本の訪問者が滞在する
キアタウ村やケロハス村が有り
多くの奨学生を取り
保育所も建設している。


MCLの下宿小屋がある目の前の丘。この丘の上に日本軍が陣を張っていた
ミンダナオ子ども図書館の
アラカンの下宿小屋で
スタッフのジケロ君から
日系人を話を聞いた。

ジケロ君は、名字をタカといって
おじいさんが日本人だが
証明することが出来ない。
ジャングルを逃げ惑った家族の
その苦労がいかほどであったことか!

ミンダナオ子ども図書館には
数人の日系人の奨学生がいる。
訪問者のご主人は、バプテストの牧師さん
新築間もない、バプテスト教会の前で
地元の牧師さんといっしょに写真を撮った。

最後にダバオのイスラム地域を訪ねた


つねに、子どもたちを中心に考える社会を作りたいと、つくづく思う。


スカラーたちの卒業式


奨学生たちの卒業式は、大きな喜び。あの小さかった子たちが、こんなに大きくなって・・・
特に、親の居ない子たちや、いても行方がわからない子たちには、ハウスペアレントや友人がつきそう。
寂しくなることもあるかもしれないけれど、「ぼくらは、MCLファミリーだから!!!」
ミンダナオ子ども図書館が、安心して子ども時代を送れ、のびのびと思春期を迎えて、大学まで行き
将来の可能性を開くための舞台になってくれれば良いと、いつもおもう。
 

小学校から高校に


ミンダナオでは、小学校六年から高校四年間、そして大学だったが
近年制度が変わり、高校が6年制となり、4年間がジュニアハイスクール
その後に2年間シニアハイスクールが出来て、その後大学になった。
結果的に日本同様に、小学校から高卒まで12年間となり
二年間増えたが、経済的に高校を卒業するための親の負担が
さらに厳しくなったといえる。
大学卒業は、ミンダナオでは、2割に満たないと思うのだが、
さらに大学まで行ける子が少なくなった?
授業料の値上がりも厳しい。
  僕の付き添いは、日本人スタッフの杉菜さん!!! 
 いとこが駆けつけてくれたの! 私たちの付き添いは、ハウスペアレントのアカイさんとローズマリーさん
右端の付き添い、ローズマリーも奨学生だったが、今は立派なスタッフだ。 

親や兄弟が駆けつけてくれる子たちは
わずかしかいない。
それでも、寂しさを吹き飛ばすように
子どもたちは元気に歌う。
やはり卒業はうれしい。
今年は、小学生から高校生に!
大学は、先生のコース
私は、看護師になりたい
僕は、エンジニア
いよいよ夢は膨らんでいく。
支援者の皆さん、ありがとう。
これからもよろしくお願いします。
支援者は、私たちのお母さん、お父さん。

皆さんの子、いますか?
アカイさんが、私の母さん役 杉菜さん、ありがとう。  スタッフのタビタさん、ありがとう 
大学の奨学生の姉ちゃんといっしょに  ハウスペアレントのダゴルさんと   ハウスペアレントのロース姉ちゃんと

小学校の終業式
こちらは、終業式の奨学生たち。
進級していきます。
みんなでいっしょに
歌ったり踊ったり・・・


まだ小さかったはずの子たちが、どんどん大きくなっていく
みな、MCLに住んでいる子たち。


イスラムの貧しい山の保育所の卒業式

こちらは、戦闘地域の貧しいイスラム集落
非常に厳しい地域だが、卒業生も出て
平和のために活躍している。
左の写真で、先頭にたっているのは
今大学生の子。
MCLがなければ、
高校にも行けなかっただろう。


今回は、日本から
音楽による支援活動をしている
アンダンテの若者たちが来てくれた。
アンダンテは、以下をクリック音楽支援NPOあんだんて
代表の大澤くんは、
かつてMCLに来てくれた若者。

右は、卒業して現地で活躍している旧奨学生、真ん中はいま大学生、教育学を学んで先生になる。
 


日本からの訪問者、あんだんての皆さんもいっしょに
右から二人目が大澤君
 


両親のいない彼女は、今年からMCLに住むことになった。


アンダンテの皆さんが
寄贈してくれたハーモニカ
アンダンテの皆さんによって贈られたおもちゃに大喜び。

イスラム自治区、サパカン村の小学校と保育園の卒業式

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