ミンダナオ子ども図書館:日記




増田和彦氏の本が出版された
文化人類学者でミンダナオに来られ、
ミンダナオ子ども図書館でも全面的に
ご協力させていただいていた、
増田和彦氏の本が出版された。
数年にわたる実地調査に基づく、
本格的な研究書だけれども、
しばしばミンダナオ子ども図書館にも触れられ、
特に第九章の2節で、
「ミンダナオ子ども図書館の活動」について
専門分野から書かれている。
定価は6000円だけれども、
ミンダナオ子ども図書館の支援者の方は、
5000円に割り引きとのこと。
申し込みは、
FAX 043-441-3014 和算研究所
メール masudak2004@yahoo.co.jp
貴重な数々の写真もあり、
ミンダナオの先住民族を知るための貴重な本。
 



学業を断念する子が増えて
もうすぐ今年度の卒業式が近づいています。
しかし、ここに来て、
今年は高校4年生で
学業を断念する子が増えて、
支援者の方々をガッカリさせています。
そうした子たちのほとんどの理由は、
働いて家族を支えること。

調べると、

1,物価高で家族の生活が
厳しくなってきていること。
米なども、4,5年前の倍の価格。
貧富の格差が激しくなってきて、
山の子たちは大変。

2,高校が今までの4年制から、
今年から6年制に変わったこと。
これが大きい原因です。
高卒まで、さらに2年間が
加わったことで、18歳で卒業。
大学卒業は22歳。
これは日本と同じなのですが、
15,6歳で結婚することも多い山では、
18歳だけでもかなりな年齢。
もはや家庭で両親や
妹弟を助ける年齢なのです。

そんなわけで、
今年から突然高校卒業まで2年増えて、
特に今年卒業の子たちがショックを受けて、
学業を停止することを選びました。
おそらく親からも
プレッシャーがかかっているようです。

停止の理由の殆どが、
「仕事を見つけて、家族を助けたい」でした。
MCLに住んで通うことを提案したのですが、
親が子に、働いてほしいと言う
要求がつよい場合もあり、
引き留めることの出来ない子もいました。
何と答えて良いのやら。
頑張ってね、としか言えない。

ただし、前も都会に行かされて
女中や子守りで雇われて、
雇い主からアビューズされて
MCLに飛び込んできて、
泣きながら
「家にも帰れない。雇い主の所は絶対に嫌!」
と泣いて、
最終的にMCLに
住むことになった子も数人います。
駆け込み寺のミンダナオ子ども図書館!




ドンボスコ社から月刊誌、
『カトリック生活』三月号が出ました


表紙の子どもたちは、ミンダナオの子どもたち。
2~4ページは、カラー写真付きで、私が原稿を書きました。
読んでいただければ幸いです。




今日本に少し重きを置いて、
去年から活動している

ミンダナオ子ども図書館の敷地のなかにある
セメント作りの穀物干し場。
ここで自分たちが食べるお米を干すMCLの子どもたち。
その多くが、孤児や崩壊家庭の子どもたちです。
戦争で親が殺された子もいる。
それなのになぜこんなに明るく、
生きる力に満ちているのだろう。
この子どもたちとスタッフとその家族をいれて約100人。
さらに下宿施設と山の下宿小屋の奨学生、
そして町に下宿している大学生をいれると、
約200人の米をここで干す。
一日100キロの米が消費されるけれども、水田を持ち、
2.5期作で、干害がなければほぼ自給している。
おかずは子どもたちが植えている野菜と皆さん方から
送られてくる自由寄付でなんとかまかなっています。
でも、偉いのは、子どもたちが率先して、
楽しみながら協力してくれること。
生きることの大変さと意味と、
そして友情のなかで助け合う楽しさを
知っている子どもたち。

ぼくは、心を閉ざした日本の若者たちの事が心配で、
さらにまた親が死に向かうのを
受け止めることも必要だと感じて、
今日本に少し重きを置いて、去年から活動している。
けれども、いきいきとしたコミュニケーションの
場であるはずの、家の外、学校や幼稚園保育園の外、
会社や仕事場の外、誰にも属さず
全ての人に属している中 間の場所であり
生活の場所であるはずの、「ちまた」が
日本にはほとんどなく、
ちまたがないから隣近所ともコミュニケーションがなく、
伝統的な遊びをしては しゃいでいる
子どもたちの姿も消えて、
学校の中でも友情よりも
勝ち負けばかりが強調される社会に当惑。
15年いないとずいぶん変わる?
日本人は、自国をなんとさびしい世界に
してしまったのだろう、と
地方を車で走っていても感じる。
商店街も食堂も殆ど閉鎖?
路地や野原で子どもたちが、缶けりや石けり、
ときには木登りをする様子がないと、
散歩するご老人達もさびしいだろう。
人々が、スマートホンの映像から
出てきたような恐ろしい目つきで、
硬い表情で目を合わすことなく
あるいていくのを見るにつけて思う。
日本は大丈夫かな?
スマートフォンを否定はしないけれど、
それだけがコミュニケーションの場になっているのは、
あまりにも見ていて孤独でさびしい・・・・

梓さんの、MCLの子どもたちの
日常をサイトに上げてくれています。
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanews.htm
スマートフォンで、MCLのサイトを見るのが
唯一の生きがいだという若者やお年寄りも日本に多い。
ときどきメールをくださいます。
どうぞ、メールも送ってください。
返事に時間がかかりますけれども、すみません。
里親になってくだされば、
本人からの手紙も行くし、文通もできますけど。
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/siennhouhou.htm

しかし、読書だけでは、
世界が広がっていかないのと同様に
(「子どものころ、本ばかり読んでいると、
周囲の人から、『本ばかり読んでいると駄目になるよ。
友だちと遊びなさい』といって怒られた。)
ぼく自身、本にこもりすぎて
死にそうなった体験からわかるけれど、
読書同様にスマートフォンを見ているだけでは
引きこもりの閉じこもり。
ぼくも読書が好きだけれど、
何千冊も読書体験を重ねるうちに、
読むと心が奮い立ち、
本をこえて現場に飛び込むのがさらに
楽しみになる本と、ますます閉じこもる本が
あるのがわかってきた。
本もサイトも人間が作ったもの、
そこから外に(神が創造した愛の世界に)
目を開くきっかけになる。
そこから次の行動が始まる。
そういう本やサイトなら読みたい。
それを意識して、執筆やサイトも試してみている。
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanewsdaiary.html

サイトでMCLを見ていた若者たちが本も読み、
講演で現地の映像を見て話を聞き、
その結果どうしても行きたくなって、
実際にMCLにも来てみると、
子どもたちに会って涙を流し、
その後顔が変わり始め、
本当にいろいろなことが見えてくる。
(すでに今人舎から出た絵本
「サンパギータのくびかざり」もそうですが、
5月には、彩流社から「手をつなごうよ」が出版されます。)
そうしたものも救いの第一波。
きっかけになればと思い、
あらゆる手段を通して実体験から生まれてくる
言葉を選んで発信しはじめているけれど、
もっと大事なのは、本人が本当にいってみて体験すること。
そして、そこで体験したものを、
大切なものを喪失している日本社会で、
どのように再生し生かしていくかを考える、
若者たちを育てることだろう。




戦争について思ったこと 


ミンダナオは、今のところ
予想以上に平和に動いていて
驚いています。
五月の総選挙が山場でしょうが・・・。
和平交渉が継続されれば
イスラム反政府側も
平和への希望を持てるでしょう。
ただ、内部は分裂の可能性も
否定できません。
しかし、現地の一般の人々は
40年も続いている戦争に
飽き飽きしているというのが、
本音だと思います。

ただし、本当に平和になるか否かは
安易に言えません。
2008年和平交渉の
サイン直前に崩壊して戦争 が勃発、
80万の避難民が出て
救済に向かった経験から、
最後まで軽信しないように
しています・・・。

平和がミンダナオから
広がっていくと良いですね。


私は、ときどきスタッフに話します。
「ぼくは、いつ誘拐や殺害に
会うかわからない外国人だ。
しかし、もし誘拐グループに囲まれても、
決して抵抗してはならない。
反撃してもならない。
ぼくを置いて、逃げなさい。
ぼくは、彼らと一緒に行くから。
決して身代金を、
一文たりとも払ってはならない。
浄罪は、ぼくのためではなく、
親が殺されたり、
いない子どもたちのためだから。」

私は、右でも左でもなく、
政府側でも反政府側でもありません
神は愛であり、
全ての人を愛していると思っています。
ただ、戦争だけは肯定できない。
武器を持つな、剣を持つものは剣で滅びる。
聖書イエスの言葉。

MCLには、父親が政府軍側の民兵で、
戦闘で殺された子も奨学生にいます。
MCLは、非政治で、子どもたちへの
愛のみで活動します。


















































































今回、天皇陛下のフィリピン訪問
過去の戦争にも触れて
平和への大きな貢献だったと思います。
私は天皇制反対論者でもなく、
賛成論者でもありません。
大変なお生まれでご苦労様です。

このお二人とは、
エジンバラ公が来られたとき、
編集者時代にかつて
吉田遠志さんの原画展で、
ご覧になっているときに
気さくに立ち話をした思い出があります。
ボンペレスさんと私が書いた絵本
「サンパギータのくびかざり」も
読んでいらっしゃいますよ。
ボンペレスさん!
結構MCLのこと、知っていらっしゃる。
戦争に利用されなければ良いのだけれど。

ミンダナオ子ども図書館の活動は、
偶然笑顔を失った子どもを見たからで
特別なことをしている気持ちはないのです。
人間としてもたいしたことないし・・・。
ただ、怖いと思っても、
そこに子どもたちがいるとおもうと、
放っておけな くなって。
行かなくっちゃ!
命の二つや三つ、あげてもいい!
と思ってしまう。
二つ三つあればの話ですが・・・ハハハ。
子どもって可愛いですね。




















































兵士に応募するのも
貧しい若者たちが多い
演習という名の実戦に配備され
多くの若者たちが
命を失っていく。
誰のために?















思い出から 
 
2001年、ミンダナオの母なる大河、
プランギをわたったとたん、
風景はいっぺんした。
「なんだこれは?」
 今までつづいてきた、
平和な田園風景のあちらこちらに、
避難生活をしている、
避難民たちの姿があらわれだしたのだ。
 ピキットにむかって走る車のりょうがわ、
国道ぞいのわずかな空き地に、
着の身着のままの姿で生活をしている。
 彼らのすんでいる場所は、
避難小屋などとはとても
よべないようなしろものだった。
 1畳か、良くて3畳半ぐらいの
スペースにゴザをしき、
どこからとってきたかわからない
木の枝を四方にたてて柱にして、
そのうえに青いビニールシートを
かむせて屋根がわりにしている。
 ビニールシートを買うことができる
家族はよいほうで、
おおくの家族が、ヤシの葉をかさねて
おいたしたで生活している。
 車でピキットにむかうにつれて、
その数はまたたくまに増えだした。
 少し小高い国道を
はしりながら見わたすと、
道ぞいだけではなく、
りょうがわの牧草地のような農地にも
避難民の仮小屋はひろがっている。
 しかもその数がはんぱではない!
 見わたすかぎり地平線まで、
避難民なのだ!
 「避難民キャンプ」というのは、
キャンプという言葉から想像していたように、
戦争で避難してきた人々を、
空き地なりにテントをはって
収容する施設であ り、
そこにいけば、医療や食料も
用意されている場所であると
おもいこんでいただけに、
初めて見る避難者の状況に
強ショックをうけた。
 たしかに場所によっては、
特定の空き地などに
集められてはいるものの、
そのほとんどは国道ぞいどころか
農地や川ぞいにいたるあらゆる場所に、
雨よけのシートをはって生活しているのだ。
 そのときは、なぜこのようなことが
起こっているのか、
見当もつかなかった。
 あとでわかったことだが、
2000年にエストラーダ大統領のもと、
フィリピン軍とアメリカ軍の
合同演習(バリカタン)があったのだ。
しかし、演習というのは名ばかりで、
事実じょうの実戦がおこされて、
100万人いじょうの人々が避難民となった。
 さらに、これらの避難民が
まだ家にかえらずに、
苦しい避難生活を
つづけているにもかかわらず、
二〇〇一年に、フィリピンの
アロヨ大統領とアメリカの
ブッシュ大統領の主導による
「テロリスト掃討作戦」がはじまった。
 このけっか、避難民は三年近く
避難生活をしいられたのだ。
 ぼくが、この地につれて
いかれたのは2001年の
はじめのころのことだから、
このときの避難民を見たことになる。


避難民キャンプというものも
初めてだったが、
雨がふればそこらじゅうから
水がもれてくる、
タタミ二畳ぶんもないような、
椰子の葉やビニールシートの
屋根のしたに、
まるでちじこまるようにして二年いじょう、
家族が生活している姿を
みるのはあわれだった。
 しかも、その数たるやはんぱではない。
 そのおおくは町からはなれた
平地や丘陵地帯で、
トウモロコシをちゅうしんに
ほそぼそと畑をたがしている農民や、
湿原地帯の漁民たちだった。
 戦争が勃発してまもないころは、
彼らは、農業倉庫や
政府機関によって指定された
難民キャンプに収容される。
それはモスクのそばだったり、
学校のそばだったりする。
 しかし行政も、
毎日のようにあふれでてくる
避難民たちに対応しきれず、
その数があまりにもとほうもないので、
たちまち収容場所からはみだして、
道路わきから畑地にも、乞食小屋よりも
さらにひどいものが
立ちならぶようになっていく。
 避難民たちは、ほんとうに骨の髄から
疲れきったという顔をしている。
 何しろ数年おきに
同じことがくり返されるし、
水も不自由でトイレもなく、
食料もない暮らしが、
半年から一年以上も続くのだから。
 食料といえば、日に二度のトウモロコシを
薄くとかしたようなお粥を
食べられれば良いほうで、
ときには何日も食べるものがなく、
おなかが痛くなってきて、
しまいには栄養失調になって
体が弱っていく。
 それにくわえて不衛生な環境で
病気になり、薬もなく、
たとえあっても買えるだけの
お金もないので、
キャンプで死んでいく大人や子どもも多い。
 案内をしてくだった女性がいった。
 「あなたは、ナマズをスープにした料理、
食べますか?」
 ぼくは、こたえた。
 「ええ、大好きですよ。ここは、
河も湿原もちかいから、
おいしい川魚料理がたべられそうですね。」
 「ええ、雷魚も鯉もおいしいですよ。
でもねえ、人の味がするんです。」
 「ええ?人の味?」
 おどろいて絶句するぼくにむかって、
女性はこたえた。
 「あのプランギ河をコタバトから海軍が、
戦闘用のボートでのぼってきて、
いっせい射撃をしながら、
このさきのランディングピースと
名づけられている場所に上陸したとき、
おおぜいの人々がにげるひまなく殺されて、
その死体を埋めるひまなく
川にながしたんです。
 このあたりの魚は、
その死体をたべてそだっているから、
人の味がするといわれている。」
 ぼくは、答えにきゅうしてだまってしまった。
 まわりをみると大人たちも
疲れきった顔をしているけれども、
子どもたちの疲労困憊ぶりはさらにひどい。
 父さんも母さんも絶望的に
機嫌が悪いし、ひもじいし、
泣きはらした顔がそのまま
こおってしまったような表情をして、
ぼくが手をふっても、
ほとんど表情がなく笑おうともしない。


げんちで活動しはじめてから
しったことだが、
ミンダナオ紛争が、イスラム自治区の
独立闘争としてはじまったのが1970年。
 そのご3年おきぐらいに
大きな戦争がおこり、
そのたびに住民たちは、避難民として
このような生活をよぎなく
されてきたのだった。
 そのお父さんは、
こうぼくにかたってくれた。
 「わたしは、生まれてからこのかた、
子ども時代から青年時代、
そして結婚して子どもが生まれてからも、
数年おきにこうした
避難生活をさせられてきたのです。
 戦争になるたびに、
母親に手をひかれてにげました。
 ちかくで、おおきな爆発がして、
世界がひっくりかえったような
気がしました。
母さんはないています。
 父さんは、牛車に、
なけなしの服と家財道具をのせて、
ビニールシートをかけて、
わたしたちをのせて家を
あとにして逃げだします。
 家畜はおいたまま、
帰ってみると
なにもかもなくなっているんです。
 国道近くまでくると、ちいさな空き地に、
ヤシの葉っぱを地面にしいて、
おおぜいのみしらぬ人たちといっしょに、
ときには一年以上も
地面のうえでねる生活。
 ねていると、
とつぜん爆弾が、ドカーーーン!
 銃声が、パンパン、パパンパン!
 また逃げなければならない。
 じゅうぶんな着がえもないし、
体はいつもよごれたまんま。
しかも空腹で、食べものもないから、
しだいに体が弱っていき、
たくさんの子どもたちが、
病気になって死んでいきました。
 とくに1990年代の戦闘と
難民生活はひどかった。」
 いま目のまえで、まのあたりにしている
状況でさえひどいのに、
もっとひどいときがあったという事実に、
ぼくは心を痛めた。
 その方の小さな娘さんは、
ほおに大きなこぶができていて、
後にぼくたちは、
その切開手術をしてあげた関係で、
いまも親しくおつきあい
させていただいている。


たしかに、周囲の山々からは、
散発的に大砲の音がドドーン、
ドドーンときこえてくる。
 子どもたちも、大人たちも、
そうした砲声にはなれきっているのか、
避難シートにすわったまま、
大砲の音がしても、
とくべつな反応をしめすこともなく
ぼんやりとしている。
 バリエス司教は、案内の女性にたずねた。
 「ピキット教会のライソン神父は、
どうしていますか?」
 女性は、三つ又に編んで
うしろにゆわえた髪を、
左手でたくしあげながらいった。
 「いま、教会なかまで、
市のソーシャルワーカでもある
グレイスさんといっしょに、
戦闘地のなかをかけまわっていますよ。
村に残された子どもや
女性を助けるために!
 (このグレースさんは、
ミンダナオ子ども図書館の
役員の一人になられた方。)」
 「村に残された子どもや女性って!
なぜ難民キャンプに
収容しないんですか?」
 おつきの者が、おどろいてたずねた。
 「いちぶの村は、
反政府ゲリラよりだという理由で、
町の難民キャンプにも
入れさせてもらえないのです。」
 「それは、ひどい!」
 「それで、教会の神父や教会員が、
命がけで救済に
むかっているというのですね。」
 「ええ、そうです。
時には、爆弾の落ちるなかを!」
 ぼくには、おどろくべき話だった。
 イスラム地域で戦争がおこっている
という話を聞いたときには、
てっきりクリスチャンとイスラム教徒が
反目しているのだとおもっていた。
 ぼくは、その女性にたずねた。
 「つまり、カトリックの信者が、
反政府組織とよばれている
イスラムの人々を、
命がけで救済しているというのですか?」
 「そうです。
隣人をほうっておけないでしょう。」
 「今、おこっているのは、
宗教戦争ではないのですね。」
 困惑したような顔をしている女性をみて、
バリエス司教がいった。
 「現地では、
クリスチャンもイスラム教徒も、
一部をのぞいてひかくてき仲良く
やっているんですよ。
とくに、ここからコタバトに
いたるイスラム地域で、
戦前からながく活動してきた
オブレート修道会はね。」
 案内の女性が言葉をついだ。
 「第二次世界大戦中に、
日本軍がここに攻めてきたときに、
イスラムの人々をかくまって助けたのも、
オブレート会の神父たちだったんです。
 ピキットの街なかには、
日本軍が駐留していた
スペイン時代の要塞跡があります。
地下にはいくつもの防空壕があって、
遺骨や遺品がのこっているようだけれども、
何しろここがきょくどの危険地域なので、
いまだに日本政府も調査団を
派遣できないでいるのです。
 まさにここが、日本軍と米軍の
激戦地だったのです。
 ですから、いまだに湿原地帯には、
当時逃げた日本兵の末裔がいますよ。
イスラム教徒になっていますがね。」
ぼくの父方の叔父も、
ミンダナオではないけれども、
レイテ島で戦死している。
 叔父は、海軍の医師で、
スペイン語もたんのうで踊りもうまく、
ずいぶん現地でモテたらしい。
遺体もなにも見つかっていない。
 これはあとになって、
ぼくたちが現地で活動しはじめて、
おこったことだけれども、
病気を治してあげたイスラム教徒の
子どものお父さんが、
ぼくの耳元で、
「自分の祖父は日本兵だった」、
と語ってくれたことがあった。
 どうようのことは、山岳地域にすむ
先住民のマノボ族の人々からも
しばしば聞いた。
 さすがにショックだった。
 日本の隣の国で、
大量の避難民がでるような
戦争がおこっているなどとは、
想像もできないことだったし、
それがすでに40年間、
3年から5年おきに
大きな戦闘をくりかえして
現在にいたっていたなんて!
 しかもそのあいだ多くの人々が殺され、
国連のしらべでは、累計では世界でも
最大規模の避難民がでていたなんて!
 宗教たいりつではないとしたなら、
いったい何が原因なのだろう?
 青いビニールシートのしたで、
ぼうぜんとしゃがんでいる
避難民たちを目のまえにしていると、
世界でおこっていることにたいする、
自分の無知をしらされるとどうじに、
さまざまな疑問が、
翼をもった妖怪のように頭の
なかをかけめぐった。
 しかし、避難民のとりわけ
子どもたちの顔をみると、
 「とにかく、まずは、
何とかしてあげなければならない!」
 という気持ちのほうが、
疑問をおしのけてわいてくるのだった。

現地で15年
次第にわかってきたのだけれど
 












 














現地で15年
次第にわかってきたのだけれど、
結局戦争の理由は、
宗教対立と言うよりは、
東南アジア最大の湿原、
リグアサン湿原に眠る、
膨大な量の石油と天然ガスの
資源の利権を、
国際的にどこが取るかという事だった。
ある村長さんが言った
言葉が忘れられない。
「世界が、ここに関心さえ
持ってくれなければ、
ここは平和なんだけどなあ。」

****************

 戦争がおこると避難民たちは、
町ちかくの国道ぞいに避難して
雨よけもなく寝ているので、
ミンダナオ子ども図書館では、
戦争がおこるたびに
ビニールシートを配布したり、
炊きだしや医療をおこなってきた。
 戦争で親を殺された子どもたちも、
かなりたくさん奨学生にしている。
 ある若者は、戦争で目の前で
両親が殺された。
そして、殺された両親のもとに
駆けよったときに、
本人も撃たれて腹部に深い傷をおった。
 彼はその後、
ミンダナオ子ども図書館に住み、
池上彰さんの番組で、
パックンがインタビューをしたけれども、
うつむきながら当時のようすを
ぼくに語ってくれた。
 戦争がおこされる理由は、最初は、
イスラム教徒とキリスト教徒が
対立しているかのように思っていたし
、そのように報道される。
けれども次第にわかってき たのは、
戦闘の最大の原因は、
リグアサン湿原にねむっている、
ぼうだいな石油と天然ガス資源の
国際的な利権をめぐる
争いだということだ。

 戦争は勃発するのではなく、
じつに巧妙に意図的に、
第三者の手によって
つくられているのだという。
 現地でも体験したけれども、
戦争が勃発する前に起こるのが
誘拐と殺害、
そして爆弾事件だ。
新聞やテレビで大々的に報道され、
戦争気分が高められる。
 可哀想なのは、
罪もない住民や子どもたち。


当時、UNHCRの方から聞いたところでは、
避難民の累計は世界一。
難民は海外に移動する人々。
まだお金が多少でもある人々で、
避難民は現地で
避難生活をする貧しい人々。
そのたびに救済活動をしてきました。
日本では、隣国であるにもかかわらず、
ほとんど報道されなかった。なぜだろう。


2008年の戦闘の時、
軍の人が空を指していった。
「ほら、あそこに飛行機が
ふわふわ浮いているだろう。
無人偵察爆撃機だよ。」
すると突然、そこから爆弾が
発射されて、ドドーーーン!
あまりにも毎年のように、
小さな戦闘も含めて救済してきたので、
日本に帰って天空を自衛隊の
ヘリコプターが飛んでも、
髪の毛が総毛立ち、
「どこで戦闘が起 こっているのか!
子どもたちを助けに行かなくっちゃ!」
と思い、
周囲を見ると、
「ああここは、憲法9条の生きている
日本だった!」
と思う始末です。


  2000年から2013年頃まで、
何度戦闘があり、
避難民救済に駆けつけたことか。
これらは、2008年の80万の
避難民が出て救済に言った時、
またその後の戦闘の子どもたちです。
   

正直に言って、多くのクリスチャンが、
武器を持って戦うことを正義とし、
良しとしているのが信じられない。
カトリック教会では、
中世に十字軍を送り出したことを、
過ちであったとして謝罪しています。

たとえ戦う相手がイスラム教徒でも、
ぼくは、一平凡なキリスト教徒として
戦争は認められない。
キリスト教徒が空爆で、
イスラムの子どもたちを爆撃するなら、
ぼくはイスラムの子どもたちを
命がけでも守りたい。
ミンダナオでしてきたように。
神は愛であり、全ての人を
愛していると思っているから。
もちろん、イスラムの人々も仏教徒も。

高校三年生の時、絶対に武器は持たない、
殺すなら殺されることを選ぼう、
と決めました。
イエスのように。
人間であるからには、
罪も犯すこともあるでしょう。
しかし、神は愛を持って
罪人を許し救いたもう。

「どんな強い信仰を持っていても、
どんな強い希望を胸に抱いていても、
愛がなければ無に等しい。」聖書
お金や物、地位や名誉、国家や宗教も
繁栄への希望も
全ての子どもたちへの愛がなければ
無に等しい????














      



 






 




ミンダナオ子ども図書館
の医療活動 




左右の写真は、
先年末に、
足の手術をしたときと、
終わったときのノルジャナ
キダパワンの
ドクトルスペシャリスト病院にて。

足に大きな腫れ物が出来て、
歩けなくなったイスラムのノルジャーナ。
手術をしたあと、
現地のイスラム地域に、
その後の経過を確認に行きました。
もうすっかり元気で、
ちゃんと歩いて学校に通えています。
お母さんもうれしそう。 




   






写真左は、
元奨学生で薬剤学科を卒業。
今は、医療担当になった、ジナ。
山奥で、母がいなくなり、極貧で云々。
でも、MCLに住んで大学を卒業できた!
しかも、あこがれのMCLのスタッフに。

ジ ナの役割は、
キダパワンの総合病院、
ドクトルスペシャリスト病院
(ここにはCTスキャンもあり、
十数人の専門医師が働いている。
長年の関わりでMCLは、
特別に時には医師が
自分の給与を棚に上げて診てくださる。
だから、訪問者が
コブラに噛まれても大丈夫!)

この私立病院の医師と
貧困の中の病気の子どもの間に入って、
診察の手配、薬の購入、
手術の手はずをすること。

MCL自身は、
医療支援活動はするものの、
医療そのものは病院の先生方が行う。
貧困の親は、
病院の手続きもわからず、
薬の購入も、
その後の再診もわからないから。


写真の子どもは、血液に障害を持ち、
千年末に輸血手術をした
マノボ族のプロックエイト集落のこどもも、
その後チェックしましたけど、
すっかり良くなっていました。
なおしてあげるだけではなく、
その後のフォローが医療では大事。
自分たちでは、医者には行けないから。
寄付をくださった
JICAの・・・さん、安心してください。

同じこの村で、
あるNGOが手術をしたあと、
抜糸をしないでこどもを
ほったらかしにしていて、
その子の抜糸を
MCLでしてあげたことを思いだしました。
医療は、本当に責任と
手間がかかるプロジェクトです。

 


現地に行くと、
さまざまな患者に出会う。
そのたびにインタビューをし
後日、または即日
子どもたちを病院に運ぶ。
写真は、妻のエープリルリン。

ミンダナオ子ども図書館の医療活動は、
100万人規模と言われた
2000年、2002年の
イスラム教徒難民の悲惨な現状に
出会った事から始まりました。

その後、デング熱などの治る病気でも
死んでいく、山岳民族など、
現地の貧しい子どもたちの
現状を見るにつけて、
高額治療でも予算の許す限り行う、
医療プロジェクトの必要性を痛感して
実施を始めた活動です。


下は、避難民状態の患者達。
中には、精神障害を起こしている子もいて
ダバオの精神病院にも・・・


奇妙なのは、
空爆も含む激し戦争だった、
2000年の米比合同演習と
2002年のテロリスト掃討作戦の後
戦闘地域に、
急激に奇形が増えたこと。

友人の松浦悟朗司教に話して
写真を見せると
「劣化ウランの症状とちゃう!」
それで調べたところ
その頃、体内にいた子が
ひどい奇形を持っていることが見えてきた。
MCLで、何人手術をしたことか。

日本の某新聞社がそれを知って
取材に行きたいと言ったものの
なぜか、ストップ!
その後も、2006年に緒方さんが
JICAのトップになり、
和平交渉が推進されるまで
殆どの取材は、拒否されました。

なぜだか、僕には、わからないけど
長女も、当時妊娠中だったせいか
生まれて心臓の血管に問題があり
一歳の時に手術。

  診察や薬を含め、
年間140人ほどの子どもの
医療をしています。
毎年200万ほどの
医療代がかかっています。
支援をよろしくお願いします。
医療は、自由寄付で
まかなっている分野です。
 
 
  私たちの医療活動は、
手術の必要な重篤患者の子ども
デング熱や生命に関わる緊急医療を
必要とする子どもたちを、
主な対象としています。
(17歳以下)

このような入院を伴う緊急医療は、
時として膨大な費用を
必要としているので、
貧しい家族には不可能なケースが多い。

また、メディカルアウトリッチと呼ばれる
健康診断や風邪などの軽い病気を
医師が派遣されて治療するNGOや
ファンデーションはあるのですが、
重篤な病気に対する治療を支援する
団体は、現地ではあまりありません。

それゆえに、MCLでは、
他では診てもらえない子たちを
特別に、受け入れるようにしています。
 
  右の彼に会った訪問者も
多いのでは?
とっても明るくておもしろい子、
そして、ちょっといたずら好き。

いまは、山のお父さんの所から
学校に通っています。
手術も終わって
美男子に・・・
 


 
   
 




 



左は、日本から訪問された医師に
治療してもらった、マノボ族の少女。






顔は載せていないけど、
上の子は足を撃たれた。
リゾート開発で
5000ペソやるから
ここを出て行けと言われ
マノボの酋長の父親が
「嫌だ!」
と言ったらその場でズドン!
殺されて、母親も腹をバーン。
少女が助けに寄ると
足をババーン!


現在、私たちの医療活動は、
山岳地域の子どもたちや
イスラム教徒難民など
年間100名以上の子どもたちに
本格的な医療の機会をあたえています。

いざというときには、
ミンダナオ子ども図書館に
足を運べば何とかしてくれる!
医療プロジェクトは、
多くの人々に信頼と安心を与えている
重要なプロジェクトです。
 

自由寄付が、医療に使われます。
よろしくお願いします。
 
 

 

支援申し込みメールでご住所を送っていただければ、
会員登録をして年4回、季刊誌をお送りします。
直接下記に振り込んでいただけると早く確実です
自由寄付、医療支援、スカラシップ、里親支援、
植林支援、緊急支援


郵便振替口座番号:00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

振り込んだ後に、メールをいただければ幸いです。

mclmindanao@gmail.com
(以前のアドレスも有効です)
  
 インターネットバンキングも可能です
■銀行名 ゆうちょ銀行  ■金融機関コード 9900
■店番 019  ■預金種目 当座
■店名 〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
■口座番号 0018057
口座名:ミンダナオ子ども図書館
ゆうちょ銀行(郵便局)や、
それ以外の金融機関からの振込もOK

振り込んだ後に、メールをいただければ幸いです。
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(以前のアドレスも有効です)
 

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現地日本人スタッフ宮木 梓:
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