ミンダナオ執筆日記:2008−10
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2010年

12月21日(火)

明日から、帰郷できない子たち20名ほどと海に泳ぎに行く。
海を見たことも無い子も多く興奮気味だ。

朝鮮半島の動きが気になる。
以前、以下のような記事を書いた。
「たとえば、今は、アメリカに言われてポチのように吠えついて、武器を大量に買わされて、アメリカと中国が手を結んだ時点で「番犬は黙っていなさい!」としかられて、キャンキャンキャンとなる程度なら良いのだが、武器を使って噛みついて、一般の人々に、大変な人的被害を出すようになったら悲しいことだ。
武器を売りたい人々にとっては、どこで戦争が起ころうとかまわないわけで、イランとイラクでも(サウジが大量に武器を購入)北朝鮮+中国と韓国+日本でも・・・」

けしかけているのは、諸外国とりわけ軍需産業の強いアメリカだろうか。
自動車産業を例に挙げるとするならば、今、強いのは、日本と韓国。
アメリカは、ようやくGMを再建した状態で、中国も今ひとつ・・・
それを考えるならば、戦争で、日本と韓国を北朝鮮に対立させて、
中国との関係を悪化させれば、アメリカとEUが、中国市場を牛耳れる。

国が戦争で破壊されてから、傷だらけになって捨てられるのは、日本と韓国?

再び繰り返すが、対立する背景には、第三者がいる。
その目的は、戦争そのものとは全く別な、経済的、政治的進出と利益である事が多い

コタバトに大量の武器が上がっているのも気になる。
「アメリカと中国製の武器、そして日本製のピストルもマレーシアから入ってくるよ!」
「???」
それでも、子どもたちは、本当に元気で明るく、かわいらしい

12月18日(土)

明日は、月例総会で高校大学の奨学生が200名ほど集まる。
12月は、スカラーズデーといって、クリスマスのような総会。
今晩は、すでに大勢が集まり始め、明日の料理の準備で大忙し。
とっても賑やかだ。

キダパワンで、韓国の専門家によるエコプランニングの研修会があった。
http://www.gmanews.tv/story/208374/korean-experts-teach-eco-planning-in-north-cotabato
The workshop aims to develop plans for the preservation, conservation,
and enhancement of the ecosystems of areas that have tourism potentials.

According to Edgar Paalan, environment officer of Kidapawan City LGU,
the mouth of Nuangan River can be traced to the Liguasan marsh
believed to have vast deposits of natural gas and oil.

The Liguasan marsh and the Mount Apo, the country’s highest peak
that still has lush forests, might quality to become a natural heritage of the UNESCO,
according to Prof. Kwi-Gon.

韓国は、積極的にミンダナオに関与しているが、興味深いのは、多くの牧師を先住民地域に派遣していることだ。
ミンダナオ子ども図書館の裏にも、韓国の牧師たちが作っている小さな農場があり、そこを拠点に、先住民の宣教者とくに若者たちを教育して貧しい地域に送り込んでいる。
ミンダナオ子ども図書館の奨学生にも、こうした韓国系の教会で、牧師の教育を受けた若者がいる。
エコプランニングは、アポ山の地熱発電会社、国立のPNOCフィリピン ナショナル オイル カンパニーが倒産してテレビ会社の経営者が買い取った。
PNOCは、日本の丸紅も関わっていたはずだ。希少金属の宝庫と言われている。
先日、ミンダナオ子ども図書館の奨学生の調査でアポ山の山麓の村に行ったが、今まで、PNOCから奨学金が出ていたのが失われレイオフも激しく、この地の先住民が困窮している。
その解決策の一つは、ツールズムだろう。
アポ山の登山口だし、温泉も出る。
さらに、ピキットの戦闘地域で石油の埋蔵が確認されているリグアサン湿原も、素晴らしツーリストスポットだ。

「UNESCOの自然遺産に指定される価値がある」と韓国の専門家は述べている。
韓国の狙いは何かわからないが、経済的効果におけるWin-Winの関係を強調している。
最近よく耳にする「Win-Winの関係」とは、中国から出てきた言葉だが「共存互恵」の訳語だろう。



12月17日(金)

ミンダナオは、クリスマス一色。今度の日曜日は、ミンダナオ子ども図書館の総会はスカラーズデー、終わった後にプレゼント交換や古着の支援もします。
若者たちは、一人10品。
里帰りの時に、家族や兄弟姉妹にあげる古着やおもちゃや靴を持って、帰ります。
メーリークリスマス。



 
図書館とともだち・鎌倉 おしらせ No.141    

児童文学者、編集者として著名な松居友さんですが、
現在はフィリピンのミンダナオ子ども図書館で、

独自の活動をなさっています。
おはなしの生きている島での生活・活動について伺いました。

 松居 友氏 講演会 『ミンダナオに子ども図書館を作った

松居友さんのお話しを聞いて

松居友さんの作られた「ミンダナオ子ども図書館」は、市民生活を文化的な側面からサポートする「図書館」の性質を、全面に強烈に打ち出して、ミンダナオの子ども達を物心共に支えるスーパー・ライブラリーでした。
たくさんの本はないけれど、地元に息づく物語を、図書館に住む子ども達を語り部として、避難民キャンプや不便な山間に住む子ども達に届けています。

大人社会の理不尽な圧力で、家や保護者を失ったり、衣食にも事欠く生活にある子どもたちが、物語を聞くことで心を潤わせ笑顔になる。
語り聞かせる子どもも、聴き手の笑顔に癒され充足感と自信を得ながら才能を伸ばしていく。
松居さんのプロジェクトは、そこだけを切り取って見ただけでも素晴らしく、「絵のない絵本」さながら「本のない図書館」として、図書館の真髄に迫ったものだと感じました。
更に、そこで力を得た奨学生たちが、現地に戦闘が起こる度に、自ら救済に向かい活動を繰り広げるといいます。
まさに現地の人の力と現地にあるもの(物語)を尊重し、掘り起こした援助活動だと感じました。
未来の社会を変え得る人材を育てるには、単に奨学金を与えて教育を受けさせるだけではなく、その成果を社会に還そうという他者を思いやる心を育む周囲の愛情が必要なのでしょう。

「遊び」と「読み書きせ」の両方に満たされていたと、松居さんご自身の子ども時代を楽しそうに振り返られお話しされました。
ご両親様の眼差しが、今の松居さんの中に生きているのだろうと感慨深く拝聴しました。
人生の岐路で通りかかったミンダナオで、子どもたちの困窮を見過ごせず、その未来を変え得るお仕事をなさっていらっしゃる松居さんのもとからも、きっと同様な人材がたくさん飛び立っていくことと思います。
私ももう少しがんばってみよう、と力をいただいた講演会でした。
ありがとうございました。

ミンダナオに棲む古き良き精霊たちが、松居さんを守って助けてくれますように。

ご活躍をお祈りして、またいつか、お話しの続きを伺いたいと願っております。
 
(藤田まゆみ)

感想

ミンダナオの現状にびっくりしましたが、その貧しい大変な中でのおはなし(スト―リテリング)のもつ力にも感銘しました。
コミュニティのあり方をもう一度考えたいと思いました。

松居さんのHPを拝見しているだけと、この講演会を聴くのとは理解が100倍ほど違いますね。
大変感銘受けました。

考えることの多い企画でした。
人と人とのふれあいを感じました。
(ミンダナオでの松居さんの生活の話の中で、「うちの子たち・・」という表現、すばらしいと思います。
図書館=生活の場と思っていなかったので、びっくりでした。)

今の生活で文句なんて言ってられないと思った。(3名)孤独な日本の子供たち、
貧しくとも心がひらけて助け合えるミンダナオの子供たちについて考えさせられました。





12月16日(木)

日曜日に、ミンダナオの現状に関して、IMT(国際停戦監視団)の菊地さん、新任の落合さん達と、かなり長時間にわたり、イスラム地域の状況について話をした。
コソボやアフリカを始め、世界各地で停戦和解の活動を支援してきたそうそうたる方々だが、ミンダナオの状況のあまりにも複雑な様相に「ここは、世界で最も複雑で、問題解決が困難で時間がかかる地域だと思う・・・」という、感想に達したようだった。
政府の下で仕事をしている民兵が、夜はMILFに変身したり、政府よりのはずのバランガイキャプテンから、国際支援の食料が反政府兵士の訓練キャンプに流れるのが当然だったり、反政府軍に銃器を売りさばいているのが国軍だったり???
ミンダナオ情勢は、今少し落ち着いているけれども、現職のアキノ大統領が、平和構築活動を積極的に推進しようとしないことに反政府勢力はいらだっているようだ。
つい先日、水曜日に、ピキットのマカブアルにかなりの規模の軍が入った。

マカブアルでは、11月の村長選挙で、対立候補が落選したが、その腹いせで、リドーと呼ばれる、小規模な小競り合いが起きていると聞いていた。
こうした小競り合いは、ラガイエンでも起こったし、小学校が三つ焼かれた。
小学校が焼かれるのは、他に建物らしいものが無く、事を大げさにするのに好都合だからだが、リドーそのものを、それほど心配する必要はない。
ただ、小規模なリドーのはずのマカブアルで、国軍がかなりの規模で動いたのは、心配だ。
落選した対立候補者が、アンパトアン一族とつながっている事も気になる。
アンパトアン一族は、アロヨ前政権と深く関係し、大量の国軍の武器が流れていて、国軍とも深い関係を有していた。
マカブアル集落には、奨学生もたくさんいるしJICAによる学校建設も完了していて、もう戦闘には、皆、辟易しているのだけれども。


12月14日(火)

ミンダナオに帰ったとたん、子どもたちが迎えてくれた。
『パパ、トモー」と叫びながら、抱きついてくる子どもたち。

しばらくは、訪問者と共に現地での活動が続いた。
先着していた、乾盛夫神父と北九州ライオンズクラブの役員方とピキットの奥の村へ、パンボートに乗って避難民調査。
普通ではとても入ることが出来ない地域だが、福祉局のグレイスさんからの要請もあり、市長が、厳重な警備を保障して行った。
僕らは、ごく普通に行っている場所だが・・・
その後、アラカンのマノボ族の地域にもお連れしてヤギの寄贈をした。
ミンダナオ子ども図書館便り、を見ていただければ幸いです。


11月29日(月)

明日、ミンダナオに旅立つ・・・と言うよりも、帰郷する。
二ヶ月前、一緒に住んでいる100名近い子どもたちが、泣きながら抱きついてきたのを思い出す。

「パパ、トモー、行かないで・・・」
帰ってくるからと諭しても、激しく泣く。
小さい子達だけではない、高校生たちも、泣きながら抱きついてくる(日本で言えば、中学生だが)
帰郷の時は、お土産に腐心する。なによりも、数が多いので・・・
帰ったらすぐに、ピキットの一部で出ている、避難民の調査に行かなくてはならない。
保育所建設や奨学生の調査など、休んでいる暇はないだろうが、それでも、ミンダナオに帰るとホッとする。
自然と、人々の生活があって、時計の針とは無関係の生活と自然の流れがある。
そして、可愛い子どもたち。
日本でも、子どもや若者の事を考え続けて仕事や本を書いてきたが、子どもの頃から、子どもが好きな性格らしい。
10歳あたりから、成長が止まってしまっている?


30年前、二冊の本を初めて書いた。

「わたしの絵本体験」と「昔話の死と誕生」前者は、絵本に関心のある方々に多く読まれた。
後者は、ほとんど売れなかったが、ぼくにとっては、人類の方向性を示す宇宙像を描いた作品で、その後の、「火の神の懐にて」で書いたアイヌ文化の宇宙像や「沖縄の宇宙像」に展開していく。
人類は、狩猟採集文化から、農耕牧畜文化に展開し科学技術文化が生じることによってどのような世界観を作り、何を喪失していったか・・・
さらに、21世紀にいたって、それらを総合した第四の文化を形づくる宇宙像を獲得するために再び、世界や宇宙をどのようにとらえ、座標軸のゼロの上に立つ必要性を書いている。
ゲーテや錬金術の宇宙像、そして東洋の陰陽五行を踏まえて昔話を分析した。
30歳の頃に書いたから、27年も昔の作品だが、現代において、ますますその重要性は明らかになって来ている。


その後、「沖縄の宇宙像」を仕上げた時点で、落ち込む。
50代になる頃で、更年期障害のようなものかと、自分で書いてはいるが、本当は異なる。
その直後、離婚されているから、それが原因だと思っている人もいるようだがそれも異なる。
「沖縄の宇宙像」執筆を完了したとき池間島のおばあから、「あそこまで神ごとを理解したならあんた、死ぬはず・・・」と言われたから、そのあたりが当たっているのかもしれない。
結局、死にそうになっただけだが、復活した。(イエスに導かれたからだろう)
幸い、死ぬことはなかったが、深く落ち込んで、孤独を求めたその底で考えていたのは

「2000年に入ると、何か、大きな変化(大変なこと)が世界で起こる・・・」
どのように人類は生きていったらよいのか、と言う事だった。1999年の事だ。
2001年、9.11が起こったときいよいよやってきたな、と思った。
その頃は、深い落ち込みから抜け出しつつあり新たな世紀、次の時代を作る作業をミンダナオの子どもたちや若者達と一緒に始めていた。

それともう一つ、人類の根源になる宇宙像。
狩猟採集文化の宇宙像を明確にした後落ち込んでいる時期に、

最後にぼくがやらなければならないのは、宗教の問題だと、繰り返し言われた。
「言われた」というのは、なぜかわからないが、内的な声がそう語りかけてくるのだ。
特に、神道のような、狩猟採集文化の持つスピリチャルな信仰と、仏教やヒンズー教、ユダヤ教、キリスト教、とりわけ、イスラム教が平和に共存する世界観。
落ち込んでいるぼくの心の根底に、世界が体験する危機の出現と同時にそうした、問題が、自分の人生の最終課題として提示された。
それが、どのような形で自分の人生の中で実現されるのかは、皆目見当がつかないでいた。
その後、ミンダナオに放り出されて今やっていることの必然的な意味を悟らされ始めている。
このような形で、行動するとは、予想もしていなかったが今は理解できる。
本当に、充実して、美しい形で

子どもたちと平和を実現しつつあるMCL
ミンダナオは、おもしろい。
イスラムとキリスト教と先住民の信仰、先進国と搾取される途上国の相克、抑圧される人権、自然と環境、現代の諸問題が総合的に凝縮されていると同時に、ぼくを待ってくれている子どもたちが本当に可愛い。
この子達のためだったら、また、日本や世界の子どもや若者達のためなら命の二つや三つ、捨てても良いかな、といつも思う。
この世では、命は一つしかないようだが・・・
最悪の時期は、まだ来ていない、これから始まる???
ほぼその先も見えてきている。
明日には、我が子のような子どもたちに会えるだろう。
我が子にも会える。
アメリカにいる、二人の娘とは、もう10年以上も会っていないが・・・まあ、幸せにやっているのだろう。
ミンダナオにいる「我が子達」は

「パパ、トモー!!!」
と言って、駆け寄って、抱きついてくるだろう。一人一人を抱きしめよう。
日本で出会った若者や子ども達の事も忘れることなく。



11月28日(日)

ネット上で、ミンダナオ子ども図書館と関連する、いくつかニュースが流れたので紹介「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は、以下の記事を出した。
アンパトゥアン一族の殺害に関する、詳細な調査記事で、注目に値する。
これは、ミンダナオだけではなく、フィリピン全土また、海外のグローバル企業や武器を携えた自由主義に関わる大きな問題。
全文は、サイトで読んでほしい。ここでは、部分的に抜粋した。
ただここで注意しなければならないのは、これが、イスラムの問題ではなく、
クリスチャン系も含めた全フィリピンの問題であり、ひいては、植民地主義、グローバル経済も含む国際的な経済的植民地主義、新自由主義経済を背景としていることだ。

フィリピン:地方を支配する有力な一族による人権侵害 政府関与
http://www.hrw.org/ja/news/2010/11/16

アンパトゥアン一族の台頭と勢力拡大の背景には、
虐殺当時政権の座にあったグロリア・マカパガル・アロヨ元大統領の支援があった。
同元大統領はミンダナオ島における重要な支持票獲得や
長期化するモロ族との武装紛争への支援をアンパトゥアン一族から受けることで、依存を深めてきたのだ。
そして民兵部隊はアロヨ政権の下、
地方当局者やその他の政権支持者を相手に軍用兵器の売り上げ高を伸ばし、
同国で長年人権侵害を行ってきたとされる軍勢力の強化に充ててきた。
アロヨ政権はこうした重大な人権侵害への不処罰問題にも対処してこなかった。


ヒューマン・ライツ・ウォッチは、虐殺発生の根本的原因や民兵部隊の不処罰問題に、
フィリピン政府が概して対処して来なかったことについて懸念を表明した。
アンパトゥアン一族の民兵は、フィリピン全域で活動しているとされる100もの私設軍隊の1つにすぎない。
事実上、彼らの武装規模は、活動費を提供する地方政治家の力に左右されている。
これまでの政権は1987年制定のフィリピン憲法の規定に従い
これらの民兵部隊を解体・非武装化するという義務を無視するばかりか、
私的な目的のために民兵を統制・利用してきた者の違法行為を捜査・起訴してこなかった。

「フィリピン政府は、マギンダナオ虐殺という国民的な悲劇をきっかけに、
私設軍隊をすべて廃絶し、
すべての人権侵害者を司法で裁くという動きに転ずることができたはずだ。」と述べる。
「有力な一族が思い通りの支配を続ける限り、フィリピン国民は苦しみ続け、
フィリピンという国の評判にも悪影響を与え続けてしまうだろう。」




出版:バルセロナ在住の画家、行橋出身の九十九さんが初の絵本 
http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20101126ddlk40040395000c.html

1冊2100円。行橋市のギャラリー、ラヴー亭(0930・22・3383)などで販売中。
同市門樋町の行橋カトリック教会で28日午前11時ごろ、出版記念サイン会があり、
売り上げの一部を同教会が支援するフィリピン・ミンダナオ島の子ども図書館に贈る。


九十九さんの絵本、日本事務局
MCLジャパンに連絡いただければ、手に入ります。
mclj.tessa.mi07@blue.plala.or.jp




フィリピンにスポーツ用品寄贈 活動報告兼ね写真展 
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2010/11/2010_128874703865.html

聴覚障害者でトライアスロンに挑戦し、
アジアの貧しい子どもたちにスポーツグッズを贈る活動もしている鳥海武夫さん(40)
=北島町北村、会社員=が3日から、
フィリピンでグッズを贈った活動を報告する写真展
「フィリピンミンダナオ写真展」を同町北村の「ギャラリーなごみ」で開く。

 展示する写真は、フィリピンのミンダナオ島北部にある農山村などで
鳥海さんが撮影した約50点。
子どもたちがタオルやTシャツなどを受け取って喜ぶ表情や、
貧しい生活環境などを、自身の感想文とともに伝える。


ミンダナオ子ども図書館に来られた、
聴覚障害者の鳥飼さん。
ARMM地域と、キアタウ、ケロハスに古着を届けた様子を
写真展に・・・




ミニストップ、フェアトレード認証のバナナをアジアで初めて発売
http://www.eic.or.jp/news/?act=view&serial=24213&oversea=0

ミニストップは、アジアで初めてフェアトレード認証を受けた
フィリピン・ミンダナオ島ダバオ市産のバナナを、

関東以北の店舗(10月末現在1080店)で11月30日発売する。
フェアトレードの日本での拡大推進を目指す。
フェアトレードバナナは、1本105円、または3本178円で販売する。



 
11月26日(金)

ミンダナオに帰る日が近づいてきた。
子どもたちへのお土産も買ったし、心は、ミンダナオへ飛んでいる。
今、これを、渋谷のカフェーで書いているのだけれど・・・


今回の滞在で、成果は多い。
数日前に、日本事務局のNPO法人化も達成できたし、より深い日本との関係が、構築され始めたきがしている。
しかし、何よりも大きな成果は日本の若者達に話が出来たことだろう。
大学でのセミナーも多かった。
日本の若者達に、新しい未来を感じる。
就職など、厳しいだけに、過去、年配の人たちが築いてきた「現在」にスッパリと見切りを付けて、新たな生き方を模索しようとする気配を感じる。
まだどちらかというと、意識は欧米志向のようだが、アジアに目を向ける機運も、確実に芽生えている。
(あいかわらず、自殺も多いけれども・・・・)


今回の滞在で、一番気がかりだったのは、世界情勢の中で揺れる日本の人々の気持ちだ。
ミンダナオで、絶えず戦闘を見てきているだけに、トラウマになっているのだろうか、戦争へ引っ張る力が日本を巡る世界を覆っているのを敏感に感じ取る。
それに対応する世界観を、中高年の人々が持っているのだろうか?それが気になる。
何より子どもたちが可愛そうだ。
引っかからなければ良いのだが。
ぼくが、武器を持たない、殺されても殺さないと決心したのは、ティーンエイジャーの頃、17歳のころだろうか。
高校生で、大学の学生紛争が飛び火していろいろなことを考えた頃だ。
右にも左にも行くことなく、第三の道を切り開こうと決心した年頃。
今、ぼくが、常識では考えられない地域に入っていけるのは、武器を持たない決心をしているからだ。
反政府も政府も混在している複雑な地域であるだけに、武器は日常的に見ることも多い。
そのような中で、なぜ活動が出来るのか、不思議に思う人も多いが、もし護身のために武器を携行していたり軍隊の護衛があったりしたら、かえって恐くて活動できない。
武器を持たないことと、子どもたちのために、命をかけて仕事をしたいという、この二つの想いがあってそれを人々が感じてくれる。
これが最大の安全だと思う。
ただし、絶対だとは言い切れない。
武器三原則の見直しなど、日本は、武装した方が良いという考えがあるようだが、もし、日本が武装したら、危険度は格段に高まるだろう。
渋谷を歩く人々を見ても、今の日本人は、若者も含めて戦争に耐えられるはずがない。
高齢化しているし、体力的にもミンダナオの政府系も反政府系にもかなわない。
金の力だけで(経済力だけで)戦争に勝つことが出来ないことは、近代兵器で攻め込んだ、アメリカが証明している。
(アメリにも、たくさんの良心的な人々がいることも知っているが・・・)
今こそ、どんな挑発を受けても、平和的に解決する忍耐強さを見せるときだ。
憲法九条を全面にだして、逆に対話を続けていく勇気を持つならば、日本は、世界、とりわけアジアの国々から賞賛され、信頼され、経済的にも伸びるだろう。
若者達も、それを望んでいるし、のようなことを今回は深く考えさせられた


ミンダナオの戦闘は、
2008年、9年の80万の避難民が出た戦闘でも、実に奇妙な戦闘で民間の死者は少なかった。
国軍も、反政府軍もプロフェッショナルな戦闘で、戦闘が起こる場所の住民達をまずは、双方とも避難させて、それからドンパチやるからだった。
2000年のフィリピン政府軍と米軍の合同演習。演習という名の実戦が起こったとき。
そして、2002年のやはり合同のテロリスト掃討作戦の時には、多数の死傷者出て死体を埋める暇もなく川に流したと言う、そのときとはずいぶん違う。
米軍が関わってきた、合同演習や掃討作戦は、本当に恐い。
2008年は、おもにフィリピン国軍と反政府軍だったので良かったが、理由は、両方とも、フィリピンの人たちだから民間人をむやみに殺したくないと思っているからで、ピキット市の市長が、ぼくの目の前で国軍司令官に携帯で電話して、戦闘を国道沿いから外して民間人に危害が行かないように頼んでいる。
その後すぐに、反政府勢力のMILFの司令官に、同様の事を頼んでいる。
そんな様子からも、現地の人々は、本当はあまり、戦闘をしたくはない事が良くわかった。


戦争で一番恐いのは、当事者同士ではなく、その背後にいる、第三者なのだ。
日本がそれに、引っかからないように切に祈りつつ故郷を発つ
たぶん、杞憂に過ぎないだろうが・・・可愛い日本の子どもたちや若者達の事を想いつつ

11月25日(木)


久しぶりに日本に帰ってきて、いつも驚くのが、日本の風景の美しさだ。
自然が豊かで、森の木々が目にしみ山々が輝いている。
今回は、時間が無く、長野の茅野での講演の後、北八ヶ岳をめぐり、みどり池にぬけたが、日本は、九州の湯布院あたりも至る所みどりが美しい。
海外の人々とりわけ、アジアから来ると日本の美しさが際立ち、韓国や中国の人々が、なぜこんなに日本に観光に来たがるのかが良く理解できる。


日本で将来、最も可能性がある収益事業の一つが観光業だろう。
北海道の風景、雪の山、そして夏も雪渓の残るアルプスの岩峰。
海も近く、川は澄んだ水をたたえる。
九州や四国ののどかな田園風景、京都や奈良の古都の文化。そして、温泉。
東京などのビルの風景は、さほど興味深いとは感じられないが、何しろ田舎が美しい。
驚嘆すべきことは、道路が地方の山の農道や林道に至るまで舗装されていることだ!!!
この箱庭的でコンパクトな中に、山川海が全て配置されている日本。
日本の経済的基盤の最も大きな車輪の一つは、観光だとつくづく思う。
観光だけは、家電や車と違って技術革新もいらず、他がまねようとしてもまねられない。
ただ一つ残念なのは、こんなに風景が美しいのに、人々の様子が寒々としている感じだ。
心が閉じこもった感じで、表情もなく出会い頭に挨拶もない。
子どもたちが生き生きと、美しい風景の中で遊んでいる様子もない。
外国人を見るとどこか蔑んだ表情が浮かぶ?
とくに、アジアやフィリピンの人々に対して。
どんなに風景が美しくても、隣人を友として受け入れて自分のように愛すことが出来ない国は孤独で、自殺率が高くても仕方がない?



11月11日(木)

今回の日本滞在中に感じたこと、経験したこと、思ったことを少しまとめよう。


若者達に語る必要性

日本に着く前には、5カ所ほどの講演会しか入っていなかったのに数日たつと、ほぼ埋まってしまったのには、驚いた。
予定表を見ていただければわかると思うが、大学が多い。
東京理科大、お茶の水女子大、立教女学院、立命館、創価大学。
高校もフレンド学園など・・・
このことは、日本の人々が、時代を担うはずの若者達の現状に行き詰まりと不安を感じ、それを打開する方向性をミンダナオ子ども図書館の若者達や活動方針に見ているからだろう。
小学校でも話す機会があったが、これからの若者達はアジアに目を向け、そこでこそ、将来、活動する喜びと課題が得られるように思える。

その点では、韓国はとても先進的でミンダナオのダバオには韓国の若者達が多い。
日本の若者は全く見ないが、これは、日本政府、外務省が渡航を制限しているからだろうか?
韓国の若者達は、すがすがしく、若者同士で交流し、もちろん引率者など無しに現地に滞在。
現地の人々と交わりながら同時に英語を学んでいく。
日本人で見かけるのは、ほとんどが中年男で女の子を追いかけてきたような情けない雰囲気・・・
韓国では、若者を積極的にアジアに、特に貧しい地域に送り出す政策をとっていると聞いている。
もう数年もたつとアジアで活躍するのは、韓国人と中国人そして、インド人になるだろう。
そういえば、ここ数年インド人も見るようになった。
4,50代の、働き盛りのビジネスマンが多い。
もはや、日本の若者は、閉塞的に閉じこもりどこにも自分たちの力で、出て行かない?
ぼくが、生まれて初めて一人飛行機に乗り自分で旅程を計画し、生まれて初めて、外国に降り立ったのはプラハだった。チェコスロバキアだ。
20歳の頃だったから、35年も前のことだ。
言葉も大して通じないプラハから東ドイツへ入るビザをとり、ワイマールに向かった。
当時は、プラハの春の後の頃で当然、チェコもドイツも共産圏だ。
共産主義に興味があったわけではなくゲーテを学んでいたのでワイマールを目指したのだが、もちろん日本人に会うわけもない。
全くの一人旅だったが、それ故に貴重な体験だった。
軍の尋問を受けたりもしたが、みな、良い思い出だ。
それ以来、海外はほとんどが、一人旅だ。
そのような体験を、今の若者にもしてほしい。
今日本ではやりは、海外のNGOへのスタディーツアーだそうだ。
海外NGOを体験すると、就活に役立つのだという。
そんな下心を持った体験が、若者の心を形成するのだろうか???
ミンダナオ子ども図書館でも、かつてやったが、一日いくらで滞在費をとりやらせの保育所建設。
時には、リゾートで宿泊といった現地から見ると不自然な、お客様ようの特別扱いで、日本の若者達を、かえって駄目にしているように感じた。
MCLは、お客様ではなく、ファミリーとして訪問者を受け入れたいし、それが嫌な方には、帰っていただく。
結局、収益目当てのスタディーツアーは、馬鹿馬鹿しくてやめてしまった。
ミンダナオで、現地の若者達と力を合わせたった一人で、図書館を立ち上げたのも本当に楽しい体験だ。
海外での、一人旅の体験が、こんなところに生きていると思う。



絵本をめぐる現状
それと、今回、増えてきたのが絵本や昔話といった、子どもの本にまつわる依頼が増えたことだ。
以前も、絵本論や昔話を通した自立論を語ってきたが時代が行き詰まっているからだろう、ミンダナオの子どもの姿を含めて、新たに聞きたいという要求が多い。
10年以上前の子育て時期に講演を聴いておいて良かったという方々にも多くであう。
読み聞かせや子どもの本の関係者、図書館員や出版に関係した人々から聞こえてくるのは、ここ10年で、絵本が本当につまらなくなったと言う苦情だ。
「絵本の世界が、ちまちまとして、趣味的で、女の世界になってしまった」
これは、女性蔑視で言うのではない、絵本に関係している、女性達が言っているのだ。
確かに、出版は低調で、本来、時代に向かって何を語りかけていこうとしているのかという、主張もビジョンも無いような気がする。
売れれば良い、売れるか売れないか、当たるか当たらないか。
そればかりなのかもしれない。

出版の本来の意味は、時代に向かって語りかけ時代を切り開くこと。
子どもや若者達の羽ばたきや旅立ちのきっかけを作ることだと思うのだが・・・
それが全く失われているというのが、父の意見だった。
驚いたのは、編集者が、ほとんど持ち込みの原稿からしか絵本を作らないと言う事だ。
これには、あっけにとられた!
ぼくも編集者時代があったが、90%は、絵本作りを考えたことも無かった作家や画家を起用。
ようするに、時代の中で生き、表現している芸術家の力をどのように、絵本という形で子どもたちに伝えるかを考えてきたからだ。
父の編集者としての仕事「だいくとおにろく」などの赤羽末吉や荻太郎、佐藤忠良などもおよそ、絵本とは縁のない人々だ。
それゆえに、絵本という狭い概念を超えた時代の力を作品にこめて表現している。
絵本から、絵本の発想を得て、絵本を作るという、絵本から抜けられない絵本が多い?
絵本の外の世界から、絵本という形で本を作り子どもの心を、絵本の外の世界へダイナミックに向かわせる絵本が本当に、無い、と感じる。
他の絵本を見て、絵本に興味を持ち絵本の世界から、絵本を作る三次産業的に絵本は、3番煎じの出涸らしのような感じがあって絵本で育った?ぼくには、趣味的でおもしろくない。
かつては、ぼくも、編集者だったわけだが、手島圭三郎も吉田遠志も井上博幾もおおよそ、絵本など考えていなかった本格的な画家達であってその世界は、彼らの人生の生き方そのものの表現だった。
おそらく、父が言うように、今の絵本のつまらなさは本格的な信念や理念を持って時代に、今の子どもたちに向かおうとする、本物の編集者
本物とは何かという事が理解できる編集者がいないという点に尽きるのだろう。

ミンダナオでは、たとえ絵本が無くともお話が見事に生きていて
それゆえに、コミュニティーも生きていて子どもたちの生きる力も生きていて、ちょっとやそこらで、自殺などしない。
絵本が無くとも、絵本の原点が生きていることをぼくは、彼らから学んだ。
彼らと共に、僻地の子どもたちと会い読み語りを楽しむのは、本当に充実していて、すばらしい。
ミンダナオには、本物の世界が生きているといつも思う。

ぼくが、先進国のグローバル化によって追い詰められ作られた貧困の中であえいでいる現地の子どもたちや若者達から真実を学んだように、日本の子どもや若者達そして、大人たちも、彼らからこそ、生きる力の真実を謙虚に学ばなければならないのかもしれない。
空虚な絵本を読み聞かせても家庭も個人も崩壊し続け、自殺はいっこうに減らないだろう。
思い切って視点を変える体験を日本から出てしない限りは?



11月9日(火)

ミンダナオ子ども図書館、そしてぼく自身への誤解が無いように、この辺でMCLのスタンスを明確にしておこう。
戦争に対する危惧やプランテーションに対する危惧をサイトに掲載しているが、ぼく自身、
「何かを告発する」といった考えは全くない。
コミュニティーが大事だと言っても、ぼくは、コミュニストでもないし共産党員でもない。
高校時代に、左翼運動に関心は持ったが、すぐにその限界を感じ取り、右でもなく、左でもなく第三の道を見つけようと心に決めた。
その方向性は、今に至っても変わらない。
団体にも、秘密結社にも属していない。
とにかく、何にもクラブや結社に加盟してはいない。
もちまえの、めんどくさがりやなのだ。
大学時代に、恩師の木村直司教授から(元上智大学教授でゲーテの自然科学の本を出している)ゲーテのコスモロジーにかんする、宇宙像を学んでいるし、中世の錬金術やユングやゼーデルマイヤーを学んでいるからルシファーや自然と関連した宇宙像は、把握しているが、沖縄やアイヌのシャマニズムに通じる宇宙観も、さらなる根底として把握している


ミンダナオ子ども図書館の寄付は、99%が個人寄付。

企業からの寄付も含めていつ途切れても、大丈夫な体制を引いている。
ちなみに、ぼくは、給与を一切寄付からもらわず(印税と個人的に渡される講演収入だけ)日本事務局のMCLジャパンスタッフも含めて完全ボランティア。
寄付は、全額、子どもたちのために使われている。
宗教的には、祖母は、仏教の浄土真宗だったし父は、日本基督教団だが、ぼくは、カトリックに属している。
といっても、ほとんど内実にはあまり関心がない一平信徒に過ぎない。
一信者に過ぎないから、イスラム教徒やマノボ族の子たちと一緒に住み、朝は、イスラムの祈り、昼はマノボ族の祈り、夜はキリスト教徒の祈りで食事をする事が出来る???
もちろんぼくは、モスクでも祈るし、お寺も大好きだ。
ミンダナオ子ども図書館の現在のプレシデントは
イスラム教徒のアスレーさんだし。


ミンダナオ子ども図書館は、Non Religious Sect, Non Politic
特定の宗教や宗派に偏らない、政治的な動きにも関わらない団体だ。

ゆいいつ、所属しているのは、カトリックだが、洗礼を授けて下さったヘルマン・ホイヴェルス神父との出会いが大きい。
(『人生の秋に』(春秋社)といった本が出ている)代父は、先述のゲーテ研究家の木村直司教授。
この世に理想的な宗教団体などが、有ろうはずもなく(人間が組織するものであるがゆえに)ぼく自身は、カトリックが、まあこの世において属するには良いところかなと個人的に思うのは、神父の説教が、時には納得できなくても聖体拝領でイエスと出会えることと、バチカンが世界の神父や信者を完全に牛耳っている訳でもなく(そう思っている人が多いようだが、ミンダナオにいると良くわかる)右から左、聖人のような神父や修道女から、女ったらしの(時には子どもがいる・・・失礼、でも本当)神父まで多様だからだ。
フィリピンでは、暗黙で子どもがいる神父もいるが、神父をやめて愛を貫いた、元神父に、人々は喝采を送る。
大事なのは、愛だと思っているからだろう。
フィリピンのカトリックは、明るくおおらかで、しかも、歌も朗らかでとても良い。
カトリックは、まあ、これだけ世界各地広がると、金持ちから極貧の家庭まで、人種や教会の歌や表現まで文字通り多様で、簡単に突っ走ったり、戦争には荷担できないだろう。
2000年に、過去犯してきた2000年間の罪を告白したところも大いに気に入っているところだ。
自分たちこそ最高で、正しいと思い込む宗派ほど恐いものはない?
特に気に入っているのは、ミンダナオでは、命がけでイスラムの子達を救おうとするシスターやブラザーなどのミッション修道会の存在で、こうした修道士や修道女、神父達の活躍はすばらしい。
NGOという観点から見ても、宣伝もしないし、頭が下がるような活動を現地でしている。
バイクに乗って、ミンダナオの山岳地帯を駆け巡り政府も反政府も関係なく、ミサを建てていくファウスト神父やジョバンニ神父など、なかなか勇壮でかっこいい。
オブレード会で、イスラム教徒を救済しているピキットのライソン神父やオーランド司教には頭が下がる。
結婚する気もなく、むしろ人生の生き甲斐を探している若者達など、派遣労働者にもなれず、グチグチしているよりも、こうしたミッションに人生を捧げたら良いのにといつも思う。
修道会には、欲得を超越した奉仕に捧げるコミュニティー精神が生きていて、カトリックを支えているのは、彼らだと思う。

また、プランテーションの事などを書くのは、告発したいからではない。
(そのようなNGOの存在も知ってはいるが)ミンダナオ子ども図書館の子どもたち、ぼくにとっては、我が子のような子どもたちが、それらの影響をもろに受けて家族や村人たちが困窮している様子を毎日見るからだ。


ぼくの活動の原点は、いつも我が子のような子どもたちに対する愛情!

イスラム地域の子どもたちも、ぼくには、我が子のように思える。
戦闘などで、彼らが困窮している様子をみると多くの人々、特にその原因の一つを作っている先進国の人々に、現実を知ってほしいと思う。
現実を知り、可能であれば行動を起こし対処してほしいと切に望む。
フェアトレードなども行動の一つだろうし、資源と戦闘の問題を見ながら日本を見ると北朝鮮、中国、東シナ海、南シナ海の問題が、さらに大きな戦争に拡大しないか気になるし、戦争が起こったとき被害を被るだろう子どもたちが、ミンダナオのイスラムの我が子のような子たちの顔と重なってくる。
それだからこそ、日本の将来を開いていくはずの若者や子ども達の事がとても気になる。
そうした想いから、発言するのであって政治的な闘争や告発を考えているわけではない。
ただし、現地では、国際的なプランテーションや山に追われた民族、イスラムや戦闘の真の原因に触れることはタブーで、ぼくが知っていた女性議員、先住民族を擁護していた弁護士、OMIというオブレード宣教会のラジオ解説者夫婦も殺害されている。
ジャーナリストやNGO関係者も多数殺されていて、とりわけ現地の人々が殺されるが、過去には、とりわけマルコス時代、ダバオやキダパワンの神父達も殺されている。
現在でもたまに、国際NGOの人も殺されると言う。
殺害者は、覆面をかぶっているので特定できないが、マスコミでは、反政府勢力の仕業と書かれていても、現地では、軍か警察か有力者や企業がやとった殺し屋だと言われている。
5000ペソ(一万円)だせば殺し屋が雇えると言う。
アムネスティーも抗議してるが、ぼくの場合も、殺害の可能性があると、子どもたちやスタッフが心配している。
我が子を誘拐される可能性も否定できない。
反政府組織の場合は、すぐに解放されるだろうし殺害はないと、言われているが・・・
もしも、ぼくが殺されたら、「反政府組織の仕業と思われる」とマスコミに載るかもしれないが信用しない方が良いだろう。
ときどき、「イエス・キリストも最後は殺されたから仕方がないか」と思うときがある。
子どもたちが、可愛いから活動しているだけなのだが、愛に生きようとすればするほど、殺される可能性が高まってくる?
それでも、決して武器はとらない覚悟はしている。


11月9日(火)

コミュニティーとは、8日の記事で書いたように「隣の人を、自分のように愛する事」と考えると、それを広げていけば戦争は、無くなるはずだ。

ミンダナオのプランテーションで山に追われたマノボ族の極度の貧困も、グローバルな企業の現地を顧みない利益追求から生まれたものだし
イスラム地域の国際的な天然ガスや石油の利権を目的とした戦争も、結局は、現地の人々よりも自己、自国、自社の利益のなりふり構わぬ追求から生じた結果。
そこに、武器製造企業などが絡んで戦闘が、意図的、計画的に作られる様子はミンダナオによく見える。

さらに、国際的なNGOも絡んでいる(かもしれない)としたならば、皆さんは、どう思われるだろう。
しかし、隣の人、特に貧しく困窮している人々の事を切り捨てることなく優先し、考え、野心もなく、満ち足りた小さな平和を望んでいるこうした人々が幸せに暮らせる社会を優先し、支援し、作り上げることを考えれば・・・
隣人の中でも、こうした人々をとりわけ大切にする社会を作り上げれば、戦争は、最もやってはならないものであることが、理解できるだろう。
「隣の国の人々を、自分の国の人々のように愛する事」自分の国の豊かさが、隣の国の人々の貧しさを作る原因にもなっている事を理解すること。
ミンダナオのバナナプランテーションに追われるマノボの子たちのように・・・
隣人、隣国、そうした最も身近なところと友情も結ぶところから考えるとき、初めて、世界の平和が実現するように思えてならない。



世界が、経済や政治、軍事分野で複雑な動きをしている現在、フィリピンのミンダナオという地域から海の向こうの欧米諸国と日本とを比較するといくつか興味深い点に気がつく。
欧米諸国は、実に、戦略に長けている。
おそらく、ヨーロッパでは、長年にわたって歴史の中で諸国が戦闘を繰り返し、複雑な国家や宗教の対立のなかで生き延びざるを得なかったからだろう。
戦争のおこし方、対立の作り方。
相手側に工作員を送り込む方法、マスコミを使った宣伝作戦、人心操作?
日本は、江戸時代の300年の平和そうした平和が続いた後、突然、世界の中に引き出されて、何もしらずに世界戦略の渦中に巻き込まれ
二つの戦争を経て敗退。
真珠湾攻撃の際も、見事に戦争を作る操作に引っかかり原爆投下で、全てをうしなったにもかかわらず、当時、どのように、国際社会の中で孤立化させられ戦争に焚きつけられていったかの、戦後の冷静な分析がなされていない。
アジアにおける、誤った行動、とりわけ、大量の虐殺の反省、ミンダナオでも、穴を掘って、多くのマノボの人々が生き埋めにされたという事実など(マノボの妻といっしょになって、山に逃れた日本人たちも多いが)そうした検証がなされていないのは、とても不安だ。
アジアの各国にとっても不安だろうが、また、同じように、世界戦略に載せられて、たとえば、今は、アメリカに言われてポチのように吠えついて、武器を大量に買わされて、アメリカと中国が手を結んだ時点で「番犬は黙っていなさい!」としかられてキャンキャンキャンとなる程度なら良いのだが、武器を使って噛みついて一般の人々に、大変な人的被害を出すようになったら(原爆投下のように)悲しいことだ。
武器を売りたい人々にとっては、どこで戦争が起ころうとかまわないわけで、イランとイスラエルでも(サウジが大量に武器を購入)北朝鮮/中国と韓国/日本でも・・・武器輸出三原則を改正して日本企業も参加に名乗りを上げている?


日本が武器を持ったらアジアは日本から離れるだろう。
欧米ならば、多少は戦略的な判断ができるだろうが、300年の平和を享受し、戦争の仕組みを知らない日本が大戦時のように、ただ感情のなすがままに武器を振り回せば、子どもにライフルを持たせたようだ・・・
欧米と日本の歴史の違いは、商売の方法にも見えるような気がする。
欧米の商売の方法は、植民地主義のように、商人は、貴族と結託し貴族の持つ軍事力を使って他国に軍を送り植民地化し、反政府的な人々を追い出し経済的に支配する。
まさに、現在、ミンダナオでも起こっている事のような気がする。
日本の場合は、近江商人がそうであったように商人は、貴族や武士と関わることなく、武力行使もせずに独自の文化を形成していった。
文化とは、欧米では、貴族文化のことを指し、日本では、町人文化、貴族や武家とは一線を画した純粋な市民文化が生まれている。
それが、江戸の300年間続いた平和な時代を作ったように思われる。
江戸時代から商業で、ミンダナオまで貿易し、明治になっても戦前には、ミンダナオのダバオには20万の日本人が住み、マノボ族と結婚して現地に溶け込み日本人学校も出来たりしていた。
「郷に入っては、郷に従え」が商売の基本であり、武力を使った植民地主義とは異なっている。
大戦でその全てを失ったが・・・

中国の場合は、華僑だが、これはなかなかしたたかだ。
良くわからないが、とにかく武力は行使してこない。
静かに深く浸透するがアイデンティティは保持して中華街を形成するが、小さな商店もミンダナオの小さな町にまで広がっていて、ダバオやコタバトにも大きな中華学校があり中国語が教えられている。
日本の場合、ダバオに戦前まで日本人学校があったのだが、欧米の仕掛ける戦争にまんまと引っかかりその後全てを失ってしまった。
欧米の戦略にひっかかるか、自立して、地域と調和をしながら(ウインウインの関係で?)独自の判断を下していったかの違いだろうか。
まあどちらにせよ商売の仕方は、現在の日本の貿易や自動車産業、衣料や家電にしても、日本のやり方は、武力を使った植民地主義では無いことは確かで中国やASEAN諸国に近い。
ただ、政治が暴走すると怖いのが日本で、単純なだけに、もう一度、大戦へ至った経過を検証しアジアに対して行った失敗を反省する方が、将来の日本のために、特に、今後、おそらくアジアを含む世界で活躍していく子どもや若者たちのためにも良いだろう。
戦争を起こさない商業、貿易、友好関係のなかで互いに語り合って問題を解決し貧困層を作らない発展を模索する力が、アジアにはあると思う。


11月8日(月)

コミュニティーとは何かを考えてみると・・・それは、おそよ団体生活とは異質なもので、クラブ活動やサークルでもない。
ましてや、行政による地域社会や町でもない。

ミンダナオ子ども図書館には、イスラム教徒もキリスト教徒もマノボ族も仲良く生活しているが、ここには、コミュニティーがあると感じる。
ミンダナオ子ども図書館は、施設ではない。
スカラシップを受けている子の中で家庭状況や、学校まで遠くて通えない子、三食食べられなく、お弁当を持って行けない子などが、住んでいるが、皆、自分たちの意志で来る。
だから、家族の元や、親戚、郷里に帰りたくなった子はいつでも、戻れることになっている。
いわば、下宿や寮のようなものかもしれない。
ただ、読み語りや避難民救済などのボランティア活動には積極的に参加する。
しかし、山の集落には、コミュニティーが生きていると言った場合それは、集団社会が機能していると言うのではなく、子どもたちも大人たちも、個人として尊重されながらも、お互いに理解し合い助け合って生きているという事だ。
つまり、互いのコミュニケーションが生きている、互いに愛し合っている、助け合っている、友情や愛情が生きている社会だ。
だから、家庭が崩壊し親がいなくなったとしても子どもは自殺などしない。
周囲の人々の愛や仲間の友情に支えられるからだ。

コミュニティーとは何かと訪ねられたら、ぼくは即座にこう答えるだろう。
「隣の人を、自分のように愛する社会」

日本には、この感覚が失われ、皆、競争社会のなかで孤立し、孤独だ。
そのような教育で育ったエリートが政治や経済を動かしているとしたら恐ろしい。
隣の人を、自分のように愛する事のできない人は、隣の国の人々を、自分の国の人々のように愛する事はできないだろう。
ミンダナオの資源獲得のために起こされる紛争や戦争。
先住している人々を山に追いやって広がる、グローバル企業によるプランテーション、隣の国の人々を、自分の国の人々のように愛さない自己中心的なエゴイズム。
今の日本人たちは、中国や韓国やフィリピン、そしてASEAN各国といった隣国の人々を自分のように愛せるだろうか。
成績優秀で、エリートとして育てられた政治家ほどこうした気持ちがわからない???


10月29日(金)

日本に来ると、孤独のどん底に落とされるような、気持ちになる。
それが、今までは、2週間ほど続いたのだが、今回は、3週間ぐらい続いた。

日本人の心の状況、経済的、政治的に一段深く落ち込んだような気がするが、二番底は、これからなのかもしれない?
経済的には、ミンダナオの山に追われたマノボ族の集落などは、3食たべられないような、7番底ぐらいの状況なのだが、子どもたちや大人たちの様子には、どん底の暗さはない。
開き直ったのかというと、そうでもない。
彼らの心、生きる力を支えているものは、何かを考えると、次第にわかってきたのは、分かち合い、助け合い、友情や愛の生きているコミュニティーであることがわかってきた。
コミュニティーと言う言葉は、日本では、死語に近い。
コミュニティー、社会、地域社会、ご近所づきあい、どのように訳したら良いのかわからないが、ミンダナオの貧しい集落には、コミュニティーが生きている。
日本では、コミュニティーどころか、家庭も崩壊している。
家庭の大事さは、講演などで、識者が強調しているようだが、家庭が大事、大事と言っても、ミンダナオの社会、家族、子どもたちの生き生きとしている様子を見、考えるに付けコミュニティーが崩壊しているところに、家庭は成り立たないのではないかと思う。
先進国社会は、学校教育、識字、自由主義の力で個人主義が可能になった、と言われる。
確かに、日本の人々も、個人の自立、確立が進み、それが、コミュニティーの崩壊や、家庭という集団社会を崩壊させたと思われるときもあるが、個人主義が確立したように見える日本の人々を一人一人眺めていると、その内面で、「個人」すら崩壊しているように見える。
こうした観察から、ぼくは今、このように考え始めた。
コミュニティーが崩壊すると、次に家庭が崩壊する。
家庭が崩壊すると、しまいには、個人も崩壊する。

家庭は、コミュニティーから生まれ、豊かなコミュニティーによって、支えられる。
コミュニティーの無い社会に、家庭も無い。
さらに、コミュニティーの無い社会には個人もない。
個人は、家庭から生まれる。
家庭は、コミュニティーから生まれる。
ミンダナオ子ども図書館の子どもたちを見ているとわかることだが、家庭が崩壊しても、彼らは個人として、崩壊しない。
自殺もしない。
なぜか、コミュニティーが生きているから。
つまり、コミュニティーは、家庭、そして個人、全ての人々の「母体」なのだ。
コミュニティーのなかで個人は存在し得ると同時に、コミュニティーと個人の間にあって、その両者を結ぶ場が家庭なのかもしれない。
三位一体で、初めて愛が完成する?


10月27日(水)

中国の若者たちが、反日デモを行っている。
裏から政府がコントロールしている・・・
貧富の格差によって起こる不満を転嫁している・・・
などなど、いろいろな要因があるだろう。
フランスでも若者たちがデモに参加。
デモに参加する気概があるだけ、元気な国なのかもしれない。

若者たちの反日感情の昂揚は何故だろう。
円高で、日本企業の国内生産と輸出は厳しく、日本の企業は、中小も含めて海外進出に活路を見いだそうとしているが、感受性の鋭い若者たちには、それが、海外侵略と映り、大戦中の日本軍の行動と重なるのだろうか・・・。
しかし、ミンダナオからの視点を加えるとしたならば、対立を煽る背景には、必ず、「見えざる第三者の存在」がある。
各国政府も、軍隊も、政治家も、場合によっては民衆さえも、マスコミやテレビを通して、「見えざる第三者」の影響を受けていると考えると、意外なところに存在する、その意図と目的は何だろうか。
日本が円高を利用して、海外に進出していくのを押さえたいと思っている国々・・・
もしも、日本と中国と韓国そしてASEANが強い友情で結ばれて、協調して経済活動をしはじめたとしたならば、経済力の世界第二位と第三位に加えて、強力な韓国とASEAN各国が一体となるわけだから、経済的なパワーの大方は、東アジアが牛耳るだろう。
それに、危機感を抱くとしたならば、東アジアを分断させ、中国を孤立化する政策を展開したくもなるだろう。
加えて北朝鮮も希少金属の宝庫であるし、東シナ海、南シナ海も資源の宝庫だと言われている。
ミンダナオは、南シナ海領域に入り、米軍は、ミンダナオのサンボアンガやジェネラルサントスに南シナ海を中心にインドネシアからマレーシア、ベトナムを睨む基地を置こうと計画している。
東シナ海の基地は、沖縄だろう。
北朝鮮の潜水艦の問題から始まって尖閣列島の問題、若者たちのデモ、日中の政治的な対立・・・
金持ちの日本が、円高で海外に進出するのを止めて逆に大量の武器を購入し、武装をしてくれれば、儲かるかもしれない。
サウジアラビアが、大量の武器を購入したように・・・
だからといって、見えざる第三者が米国だとは思っていない。
米国の経済力の疲弊をにらんだ国家を超えた、グローバルな力、世界の中で、善悪二元論を使って対立を起こし、国際的な政治的なプレゼンス、軍事的なプレゼンスを高めてそれによって利益をあげる?
国家の安全は、経済的には、共存互恵、隣国と深い友情で結ばれるところから始まると思うのだが・・・


10月25日(月)

日本について25日間が経過した。
日本に着くと、必ずと言って良いほどに落ち込む。
想像を絶する孤独感に見舞われるのはなぜだろうか。
ミンダナオ子ども図書館での子どもたちをはじめとする人間同士の交流が温かく愛情に満ちていて、互いに支え合う心が生きているのにたいして、日本の社会は、人々が孤立していて、孤独感ばかりが迫ってくる。
孤独な老人や子どもたちの話題がニュースで飛び交うが、ミンダナオとの差を激しく感じる。

経済の豊かさと心の貧困は、反比例しているのだろうか・・・
日本からの訪問者、とりわけ若者たちがミンダナオ子ども図書館に来ると、ほんの数日の滞在であるにもかかわらず、別れの時に、激しく泣く。
それだけ、日本で、孤独の中に住んでいて、MCLにやってくると、日頃、深く求めているにもかかわらず満たされることがない、愛や友情に飢えていた心が、現地の若者たちとの出会いでどっと開かれ奥底にしまい込み、失われていたと感じていた自分自身が、一気に復活するからだろう。
「帰ってくるからね、また帰ってくるからね私の事を忘れないで・・・」
泣きじゃくりながら、どちらが故郷で、どちらが故里かわからないような言葉を口にして帰って行く。
何が日本と違うのだろうか・・・
日本の若者たちの事が気になるが、少なくとも今回滞在して多少なりとも世論が、若い世代の事を心配し、気づかい始めていると感じる時がある。
今までは老人のことばかりだったが、若者こそが未来なのだ・・・。
「若者よ、派遣労働者よ、この辺でイッチョ、デモでもやったら・・・」などといったら、ひんしゅくを買うだろうか?
ミンダナオと日本の社会の大きな違いは競争社会か、お互いに助け合い、心を分かち合うコミュニティーを重視した社会かの違いであるように思えるときがある。
ミンダナオは、ある意味では、現代の競争社会の落ちこぼれグループの典型だ。
貧しく、開発からも、経済システムからも、教育からも取り残された人々、多くの自称先進国の人々は、こうした人々を哀れと思ったり「努力が足りない」と蔑んだりする。
ミンダナオは、かつては豊かだった。
国際的な資源獲得競争によって起こされる、戦闘、プランテーションなどの国際資本によって山に追われる、先住民族、ミンダナオの貧困は、国際的な資本主義社会、グローバリズムと新自由主義が、民主主義の理想だと思い込んでいる先進国の経済至上主義によって作られた貧困だと思う。
ミンダナオの貧しいコミュニティーこそ真の民主主義の具現化だと、感じる時がある。

もともと、競争よりも、分かち合うこと
競争相手を蹴落とし、追い詰めて、自己、自社または、自国の利益を獲得することより、平等で分かち合い、互いに愛し合うことを求める人々もいるのだという事を先進国は、忘れていないだろうか。
日本の若者も含め、競争することよりも、心を分かち合い助け合うことを大切に思う人々がいる。
今の若者たちが、真に求めているものは、これではないだろうか。
ミンダナオの、特に貧しい人々は、そうした心を失っていない。
それに出会って、若者たちは、号泣する。
「生き残るためには」競争社会を勝ち抜かなければならないと日本人たちは、子どもの時からたたき込まれる。
「生き残る」という意味は、競争が嫌いな負け組は「死ね」または、「死ぬしかない」「あんな者たちは放っておけ」と言う意味かもしれない。
そうした気持ちを人々が抱いて生きている社会は、心の安まる社会だろうか。
孤独な社会ではないだろうか。
そうした競争社会に疑問を持ち競争社会のなれの果てとも言えそうなグローバリズムや新自由主義の陰で、貧しく虐げられている人々と分かち合い心のつながりを持つことを大事だと考える人々も、日本にはいる。
そういう人々が、ミンダナオ子ども図書館を心から支援して下さっていると感じる。
その心の根底は、優しさかもしれないし哀れみかもしれないし「取り残されている人々」?を自分たち同様の、先進的な?競争社会、新自由主義的民主主義?に取り込むことかもしれないが・・・支援する心に違いがあっても良いとして、ぼくの目には逆に、自分の社会が喪失した大事な心に対する希求や危機感が根底にあるように思われる
プライドもあるから率直には言えないとしても、心のどこかに、本来の優しさや人間性を失った自分を少しでも回復させたいという希望が無意識に働いているのではないだろうか。
その点、若者たちは、率直で感性も豊かだからミンダナオ子ども図書館の子どもたちに出会うと心の底から慟哭するのだろう。

小学校の恩師無着成恭師が言った言葉が忘れられない。
仏教では、支援や寄付は、布施または喜捨という。
寄付とは、つまり、自ら執着しているもの、財産や我執を喜んで捨てることであり、それゆえ、信者は、ひざまずいて僧侶に布施をする。
布施をする方が偉いのではなく布施をする方がひざまずくのは、それによって、自分を救って下さいと願う行為だからだ。
寄付する方の者、支援する側の者が、自分を低くして、貧しい人々の心によって救ってもらう、それが、寄付であり、支援であるのかもしれない。
ミンダナオに来た若者たちに、言う言葉
「何かをしてあげようと思うよりもまずは、友達になること。
友達になれば、友達が困っているときに何かしたいと、心から思う。そこから、始めればよいのだと」

ミンダナオの若者たちにはこう言う。
「支援してもらっている事を感謝することは大事。でも、まずは、友達になること。
日本の子どもたちは孤独で、心の友情や愛の支援をひつようとしている。だから、助けてあげてほしい・・・」
経済的に豊かでも、心の貧困にあえいでいる先進国の競争社会の人々が、現地で救われていくのを目の当たりにするたびに思う。


9月5日(日)

日本に行く準備をはじめた。
10,11月は、毎年日本に報告会、講演会に出向いている。
そのために、この時期、報告会に使用する映像を制作する。
イスラム地域の戦闘を体験し、大洪水の状況を見て、さらに今年は、エルニーニョの影響によるマノボ族の現状、その後、山に追われた先住民の現況を見るにつけて、こうした別々に見える諸問題の背後に共通した問題があるのがわかってきた。

「作られた貧困」
本来は、このような貧困や避難民と行った困難な状況に置かれる必要の無い人々が、なぜこのような不幸な立場に置かれざるを得ないのか。
それは、彼らには抗しがたい状況が、近代の先進国主導の政治的、経済的、文化的状況によって作られ、圧倒的力でもって、ある日突然に彼らの生活を破壊していくからのように見える。
先日、ボアイボアイ村を訪ねた。
スカラシップの調査のためだが、この村のマノボ族の状況は良くない。
理由は、この集落の人々が自分たちの土地を持っていないためだ。
周囲は丘陵地で、広大な土地が広がっているにもかかわらず、彼らには、自分たちの土地がない。
移民系の人々に、ただ同然の値段でだまされて土地を奪われてしまった経緯もある。
しかし、それだけでは、ここまでひどくはならないだろう。
首領に聞くと、この村には、多くのマノボ族が逃げてきた。
彼らは、向こうのアンティパス県から移ってきた。
首領の指さす方向に目をやるとすぐしたの道路の向こうアンティパス県に、どこまでもどこまでもバナナ畑が広がっている。
AJMR(スミフル)と呼ばれる日本資本のバナナプランテーションだ。
ここ数年、進出が甚だしく、ミンダナオ子ども図書館の奨学生の中にもAJMRに追われて、自給地を失い家族が崩壊している子も多い。
追われた家族の多くが、このボアイボアイに逃れてきたが、彼らとて作付けできる土地があるわけではなく、さらに追い詰められていく。
ミンダナオ子ども図書館のスカラシップ子どもたちの世代が教育を受けることでせめて生活できるようにすること・・・これが最後の頼みの綱なのだ。

すでに既得権を持った人々が土地の所有権を放棄するとは思われず、今後も問題が続いていくだろう。



8月29日(日)

今日は、奨学生たちの月例集会で、200名近くが集まっている。
先月は、マノボの文化祭、来月は移民系クリスチャンの文化祭で、
今月は一般の例会で、少しホッと息をついた。

忙しいの繰り返しで、言い訳ばかりが続く
立正佼成会の訪問に関して、サイトに写真だけをアップしたまま
コメントを書く暇が全くなかった。
続いてすぐに、山元しんぷさんと、日本事務局の面々が訪問した。

日本事務局は、MCLジャパンという名で、順調に出発している。
事務局は、経費をかけず、なるべく軽くするために
仕事は、最小限にして、いろいろな企画は、Mの会といった
別の組織で進めていくことにした。
このような支援の会が、次々と全国に出来て
ネットワークが可能になれば良いだろう。

その後、すぐにACC21に誘われて、
ダバオでフィリピンと日本のNGOの集会に
プレゼンテーターとして参加した。
京都暁星高校が支援するカティンドの保育所も開所式があった。
こうした一連の動きを、すぐにでもサイトに載せていく予定だが
まずは、写真を掲載するところから始めたい。

日記で突っ込んで書きたいことも多いのだが
時間を見つけて挑戦するつもりだ。

9月は、10月からの日本での報告会や講演会の準備時期で
一年間の映像を、新たにドキュメンタリーにまとめる時期だ。
今年は、先住民族であるマノボ族の現状を、映像を通して報告する予定だ。
11月中旬以降は、京都暁星高校が3名のスカラーを招いて
交流の催し物があるが、まだずいぶん空いている日があるので
メールをいただければ、報告会に出向きます。
家庭集会でも結構です。
松居友宛


8月5日(木)

ミンダナオ子ども図書館だより

「対立していたクリスチャン集落での読み語り」より継続


2008年の戦闘は、この周辺の地域から始まった。
この先の村に避難民救済に行ったとき、避難民は数千人。
どこのNGOも恐れて入らない地域だが、
グレイスさんが言った言葉が忘れなれない。
「クリスチャン系の有力者が、クリスチャン系の農民に武器を渡している・・・」
その実に数週間後、国軍が入り、避難民は10万を超え、
数ヶ月後には、80万を超えた。
ここのごく普通の人々たちは、
そのようなことまで気がついていない。
今も気がついていない。
この地域の貧しい人々は、
ただ自分たちの耕作する土地を守りたかっただけだ。

かつては、この村にも、イスラムの人々が魚を売りに来たり
クリスチャンの若者たちが、下のイスラムの村に
バスケットボールをしにいったりしたというから
宗教的な教義が、対立を生み出しているわけではない。
これは、現在世界で起こっている、紛争や戦争でも同じだろう。

地域の小競り合いは、リドーと呼ばれ、たびたび起こるのだが、
それが、80万もの避難民を出すほど拡大するためには
すでに筋書きによって用意された準備がいる。
つまり、小さな発火を「待っている」大きな軍備。
小さな発火が作られる。
世界で起こっていることを知らない
文字も読めない「無知な」農民を扇動するのは訳もない?

時には、それが不発に終わったり、
計略によって覆されたりすることもある。
アロヨ政権末期のアンパトワン事件などは、
戒厳令を起こす計画が事前に漏らされ
火はくすぶっただけで消されたが、
それも用意されていた筋書きだった?

マギンダナオ自治区などでは、
小さな規模で戦闘が起こされることもある。
イスラムの薬売りの女性が襲われて、その報復にMILFが立ち上がり
それに対抗してヘリコプターから空爆がはじまった。
このような場合は、次のように疑って見るといい。
空爆を起こすために、
意図的に女性を襲わせ
挑発したのではないか・・・
空爆の目的は何だったか?

避難民が出て、その救済に向かったのは
なんと「ミンダナオ子ども図書館」だけだった。
空を飛んでいるヘリコプターも見ているのだが、
新聞にも載らない。
NGOも地方行政も避難民救済すら行わない。
かわいそうなのは、子どもたちだ。

2008年、戦闘が勃発した初期の段階で、
クリスチャン系の暗殺団「ねずみ」の話が出たが、すぐに消え
マスコミは一斉に、反政府組織を非難する論調であふれかえった。
どちらが先に手を出すのかは、あくまで不明の闇の中だが
戦闘を煽る強力な手段はマスコミだろう。
戦争を起こす根本的な原因を、
時には偏った論調を掲載して、覆い隠すのもマスコミだろう。
宗教対立が強調され、人々は、それを信じる。

外から対立をあおって、戦争を起こすきっかけを作る勢力が存在する。

戦争を起こす理由は何かというと、
現地では、土地問題だったりもするのだが、
マキララでのNPAとの戦闘もそうだが、
土地問題の背後には、日本も含む国際的なプランテーションが
遠巻きに関与していたり、
(直接関与しているのではなく、
地域の政治家などの有力者を通して間接的に関与している)

またピキットのように、リグアサン湿原に眠るという、
膨大な天然ガス、石油、
ミンダナオが希少金属の宝庫だといった
鉱物資源だったりする。

こうなると、背景は、
国際的な国と国との対立関係も絡んできて、
ミンダナオの豊かな資源を、アメリカがとるか中国がとるか、
EUや日本はどうやってそのおこぼれに預かるか
といった事まで動き始め、
戦闘の後の、国際的なNGOの動きまでが関わってくる。

コタバトの経済は、中国資本で保っているし、
ダバオにもコタバトにも中華学校があり
コタバトの市場に行けば、中国語のコーランも手に入る。
(フィリピン経済が、中華系であることは、
自明の理だと言われているが)

ただ、中国の影響は、経済で大きく、
武器売却や戦闘戦略には現れていないように見える。
USAID、EU、オックスファムといった
国際的NGOのように、戦闘後の、看板を至る所に掲げた
これ見よがしの
無償支援も行っていないようだが・・・

ただ、現地の識者からは
中国商人が手を引けば、
コタバト経済は崩壊すると聞いている。
中国は、国として関与していないで
中華系の商人として関与しているので
共存互恵があるかぎり
手を引くことはあり得ないが・・・

経済的な問題は、戦争を起こす大きなきっかけだ。
反政府勢力にとっては、貧困の問題。
不公平な社会の矛盾。
体制を牛耳っている側にとっては
落ち込みつつある現在不況を打破すること?
「こう、不景気だと、戦争でも起こってもらえないか・・・」

経済力が落ちてくると、国際的な政治力が落ち、
軍事力も落ちてくる。
国力が落ちてくるのだ。
力を維持するためには、経済力、政治力、
軍事力を維持しなければならない。
それは、ミンダナオの小さな村においても、
世界においても、同様?

戦争で最も儲かるのは、
兵器武器を製造する産業だろう。
その主な生産地は、アメリカと
部品製造に関与している列強諸国。
もちろん、日本も含まれる。
ミンダナオでは、反政府組織が使っているのも
国軍同様に、アメリカ製の武器だ。

アンパトワン一族が検挙されたときに、
大量の武器が見つかった。
国軍から流れたものも有ったが、
国軍ですら持っていないアメリカ製の武器があり、
合同演習の時に
アメリカ軍から流れたと言われている。
そこを経由して、反政府組織にも
武器は流れているというから、
武器が売れるなら、儲かるならば、
敵も味方も関係ない?

宗教などを理由に挙げて
二極の対立を故意にあおり立てて、
戦争を作っては、そこに武器を供給していけばよいのだ。
国際的な武器商人にとっては、
自国が勝とうが負けようがどうでも良い。

結局、反政府組織も正規軍側も、
戦闘の正面に立って戦うのは、
正義感に燃えた若者たちや
農民で組織された民兵たち。

革命を起こして、不平等な社会を是正する。
貧困を解消して、理想の社会を作る。
自由を広め、民主主義国家を建設する。
掲げている理想は美しくとも
戦闘の前面に立って戦い、
死んでいくのは
純粋な若者たちだ。
その陰で利益を享受しているのは
別の国に住む第三者たち?

自国の国内で、戦争が起こるのを
喜ぶ者はいないだろう。
見世物の格闘技と同様で
喜んで儲けているのは、
リングの外にいる
顔の見えない第三者だ。
ちょうどプロレスのように、
公衆の前面やテレビで格闘技をやらせておいて、
リングの外で、金を賭けているような仕組み。

アメリカは、ドル安を望んでいるという。
輸出産業を振興させるために・・・
アメリカの輸出産業とは、何だろう。
ベトナム戦争の時、日本も特需にわいた
日本の自動車産業も、機械産業も
アメリカの武器産業の下請けだとしたら、
今回もアメリカの後を、
しっぽを振って追い続けるだろう。

世界で武器を買うことの出来る国は多くはない。
石油資源で儲かっている、中近東諸国。
中国やロシアに脅威を感じている東アジア諸国。
とりわけ日本は、金持ちだから、
武器を買ってくれる最上の国の一つ?

アメリカ軍の日本からの
全面撤退に重ねて
日本が独自の武装した国軍を持つとしたならば
最大の顧客は金持ちの日本だろう。

中国脅威論を展開して
朝鮮を刺激して、
戦争の脅威を高めれば
日本国民も武装を納得する?
現在の朝鮮半島情勢も、
そのあたりと関係している?

北朝鮮にも希少金属があるし、
中国を通してそちらにも武器を売れるし
スーダンや南アフリカ
ソマリアやアフガニスタンにも
ミンダナオ同様に多くの資源が眠っている。
とにかく、このような不景気な社会を打開するためには
戦争でも起こってもらわないと・・・

このような事実に疑問を持ち、
ラジオや新聞で発表したジャーナリストは、
キダパワンでも殺されたし
地元のNGO関係者や弁護士、
弱者擁護の議員も殺害されたりしている。
表には出ない、簡単な暗殺か事故。
トモさんだって危ないよ・・・と、
スタッフやスカラーや妻も
寝食を共にしている90名の
親のいない子どもたち
500名近い奨学生たちも心配している。

ハイゼンベルグやゲーテやユングの言うように
自然科学論を分析してもわかるように
最も小さな部分で起こっていることをとらえると
全体が見えてくる?

日本は、かつて
世界大戦の時に善悪二元論に引っかかった。
大切なのは、決して善悪二元論に
引っかからない事。
悪魔のように狡猾な
第三者が必ず背後にいると疑ってかかるべき?

第三者を監視する、第四者として行動すれば
四角形の曼荼羅となり、
伝統的な陰陽二元論からはっする
五行の螺旋が回復する。
仏教や陰陽道は
武器を持つな、殺すなと言った
イエスの教えに近い気がする。

一例を挙げれば
相撲のような格闘技を、賭博や金儲けのツールにせずに
神聖な技の儀式として平和のうちに受け入れること。
決して武器を持たず
平和憲法を前面に出して
勇気を持って世界を渡り歩くこと。

中国は、商業を前面に出して、
世界を渡り歩き始めた。
ひょっとしたら、これも東洋の知恵かもしれない。
中国では、驚異的な勢いで
クリスチャンが増えているという。
イエスは西で十字架につけられて死に
夜明けと共に東から復活する?

幸い、子どもたちの読み語りのおかげで
フィリピンのミンダナオ
ブアランのクリスチャンエリアは、心を開き始め
下のイスラム地域と一緒に
多様性の中で生きていく道を模索し始めた。

イスラム地域の村長さんの言葉
「年とった大人たちは、
なかなか簡単に受け入れられないだろうが
子どもたちなら、未来に期待が持てるだろう」
ミンダナオ子ども図書館をよく理解して下さっている
イスラム教徒の村長さん。

日本政府は、JICAの草の根支援を通して
この地に小学校を建設しようとしている。
日本国民である皆さんの税金で。
MCLの若き現地スタッフたちは、
喜んでそのお手伝いをしたいと思っている。


     
 

2010年

12月21日(火)

明日から、帰郷できない子たち20名ほどと海に泳ぎに行く。
海を見たことも無い子も多く興奮気味だ。

朝鮮半島の動きが気になる。
以前、以下のような記事を書いた。
「たとえば、今は、アメリカに言われてポチのように吠えついて、武器を大量に買わされて、アメリカと中国が手を結んだ時点で「番犬は黙っていなさい!」としかられて、キャンキャンキャンとなる程度なら良いのだが、武器を使って噛みついて、一般の人々に、大変な人的被害を出すようになったら(原爆投下のように)悲しいことだ。
武器を売りたい人々にとっては、どこで戦争が起ころうとかまわないわけで、イランとイスラエルでも(サウジが大量に武器を購入)北朝鮮/中国と韓国/日本でも・・・」
韓国の人々には、あまり比喩は良くないので恐縮だが、ミンダナオから見ていると、韓国が噛みついて、日本は後ろから、ワンワン吠える。
けしかけているのは、諸外国とりわけ軍需産業の強いアメリカだろうか。
自動車産業を例に挙げるとするならば、今、強いのは、日本と韓国。
アメリカは、ようやくGMを再建した状態で、中国も今ひとつ・・・
それを考えるならば、戦争で、日本と韓国を北朝鮮に対立させて、とりわけ、中国との関係を悪化させれば、アメリカとEUが、中国市場を牛耳れる。
中国と共に、世界の車市場は、日本と韓国をつぶして広がる???
国が戦争で破壊されてから、傷だらけになって捨てられるのは、日本と韓国????
田中宇の記事が結構おもしろい
http://www.tanakanews.com/
再び繰り返すが、対立する背景には、第三者がいる。
その目的は、戦争そのものとは全く別な、経済的、政治的進出と利益である事が多い。
コタバトに大量の武器が上がっているのも気になる。
それでも、子どもたちは、本当に元気で明るく、かわいらしい

12月18日(土)

明日は、月例総会で高校大学の奨学生が200名ほど集まる。
12月は、スカラーズデーといって、クリスマスのような総会。
今晩は、すでに大勢が集まり始め、明日の料理の準備で大忙し。
とっても賑やかだ。

キダパワンで、韓国の専門家によるエコプランニングの研修会があった。
http://www.gmanews.tv/story/208374/korean-experts-teach-eco-planning-in-north-cotabato
The workshop aims to develop plans for the preservation, conservation,
and enhancement of the ecosystems of areas that have tourism potentials.

According to Edgar Paalan, environment officer of Kidapawan City LGU,
the mouth of Nuangan River can be traced to the Liguasan marsh
believed to have vast deposits of natural gas and oil.

The Liguasan marsh and the Mount Apo, the country’s highest peak
that still has lush forests, might quality to become a natural heritage of the UNESCO,
according to Prof. Kwi-Gon.

韓国は、積極的にミンダナオに関与しているが、興味深いのは、多くの牧師を先住民地域に派遣していることだ。
ミンダナオ子ども図書館の裏にも、韓国の牧師たちが作っている小さな農場があり、そこを拠点に、先住民の宣教者とくに若者たちを教育して貧しい地域に送り込んでいる。
ミンダナオ子ども図書館の奨学生にも、こうした韓国系の教会で、牧師の教育を受けた若者がいる。
エコプランニングは、アポ山の地熱発電会社、国立のPNOCフィリピン ナショナル オイル カンパニーが倒産してテレビ会社の経営者が買い取った。
PNOCは、日本の丸紅も関わっていたはずだ。希少金属の宝庫と言われている。
先日、ミンダナオ子ども図書館の奨学生の調査でアポ山の山麓の村に行ったが、今まで、PNOCから奨学金が出ていたのが失われレイオフも激しく、この地の先住民が困窮している。
その解決策の一つは、ツールズムだろう。
アポ山の登山口だし、温泉も出る。
さらに、ピキットの戦闘地域で石油の埋蔵が確認されているリグアサン湿原も、素晴らしツーリストスポットだ。
「UNESCOの自然遺産に指定される価値がある」と韓国の専門家は述べている。
韓国の狙いは何かわからないが、経済的効果におけるWin-Winの関係を強調している。
最近よく耳にする「Win-Winの関係」とは、中国から出てきた言葉だが「共存互恵」の訳語だろう。



12月17日(金)

ミンダナオは、クリスマス一色。今度の日曜日は、ミンダナオ子ども図書館の総会はスカラーズデー、終わった後にプレゼント交換や古着の支援もします。
若者たちは、一人10品。
里帰りの時に、家族や兄弟姉妹にあげる古着やおもちゃや靴を持って、帰ります。
メーリークリスマス。


 図書館とともだち・鎌倉 おしらせ No.141    

児童文学者、編集者として著名な松居友さんですが、
現在はフィリピンのミンダナオ子ども図書館で、独自の活動をなさっています。
おはなしの生きている島での生活・活動について伺いました。

 松居 友氏 講演会 『ミンダナオに子ども図書館を作った

松居友さんのお話しを聞いて

松居友さんの作られた「ミンダナオ子ども図書館」は、市民生活を文化的な側面からサポートする「図書館」の性質を、全面に強烈に打ち出して、ミンダナオの子ども達を物心共に支えるスーパー・ライブラリーでした。
たくさんの本はないけれど、地元に息づく物語を、図書館に住む子ども達を語り部として、避難民キャンプや不便な山間に住む子ども達に届けています。
大人社会の理不尽な圧力で、家や保護者を失ったり、衣食にも事欠く生活にある子どもたちが、物語を聞くことで心を潤わせ笑顔になる。
語り聞かせる子どもも、聴き手の笑顔に癒され充足感と自信を得ながら才能を伸ばしていく。
松居さんのプロジェクトは、そこだけを切り取って見ただけでも素晴らしく、「絵のない絵本」さながら「本のない図書館」として、図書館の真髄に迫ったものだと感じました。
更に、そこで力を得た奨学生たちが、現地に戦闘が起こる度に、自ら救済に向かい活動を繰り広げるといいます。
まさに現地の人の力と現地にあるもの(物語)を尊重し、掘り起こした援助活動だと感じました。
未来の社会を変え得る人材を育てるには、単に奨学金を与えて教育を受けさせるだけではなく、その成果を社会に還そうという他者を思いやる心を育む周囲の愛情が必要なのでしょう。

「遊び」と「読み書きせ」の両方に満たされていたと、松居さんご自身の子ども時代を楽しそうに振り返られお話しされました。
ご両親様の眼差しが、今の松居さんの中に生きているのだろうと感慨深く拝聴しました。
人生の岐路で通りかかったミンダナオで、子どもたちの困窮を見過ごせず、その未来を変え得るお仕事をなさっていらっしゃる松居さんのもとからも、きっと同様な人材がたくさん飛び立っていくことと思います。
私ももう少しがんばってみよう、と力をいただいた講演会でした。
ありがとうございました。

ミンダナオに棲む古き良き精霊たちが、松居さんを守って助けてくれますように。
ご活躍をお祈りして、またいつか、お話しの続きを伺いたいと願っております。
 (藤田まゆみ)

感想

ミンダナオの現状にびっくりしましたが、その貧しい大変な中でのおはなし(スト―リテリング)のもつ力にも感銘しました。
コミュニティのあり方をもう一度考えたいと思いました。
松居さんのHPを拝見しているだけと、この講演会を聴くのとは理解が100倍ほど違いますね。
大変感銘受けました。
考えることの多い企画でした。
人と人とのふれあいを感じました。
(ミンダナオでの松居さんの生活の話の中で、「うちの子たち・・」という表現、すばらしいと思います。
図書館=生活の場と思っていなかったので、びっくりでした。)
今の生活で文句なんて言ってられないと思った。(3名)孤独な日本の子供たち、
貧しくとも心がひらけて助け合えるミンダナオの子供たちについて考えさせられました。





12月16日(木)

日曜日に、ミンダナオの現状に関して、IMT(国際停戦監視団)の菊地さん、新任の落合さん達と、かなり長時間にわたり、イスラム地域の状況について話をした。
コソボやアフリカを始め、世界各地で停戦和解の活動を支援してきたそうそうたる方々だが、ミンダナオの状況のあまりにも複雑な様相に「ここは、世界で最も複雑で、問題解決が困難で時間がかかる地域だと思う・・・」という、感想に達したようだった。
政府の下で仕事をしている民兵が、夜はMILFに変身したり、政府よりのはずのバランガイキャプテンから、国際支援の食料が反政府兵士の訓練キャンプに流れるのが当然だったり、反政府軍に銃器を売りさばいているのが国軍だったり???
ミンダナオ情勢は、今少し落ち着いているけれども、現職のアキノ大統領が、平和構築活動を積極的に推進しようとしないことに反政府勢力はいらだっているようだ。
つい先日、水曜日に、ピキットのマカブアルにかなりの規模の軍が入った。
マカブアルでは、11月の村長選挙で、対立候補が落選したが、その腹いせで、リドーと呼ばれる、小規模な小競り合いが起きていると聞いていた。
こうした小競り合いは、ラガイエンでも起こったし、小学校が三つ焼かれた。
小学校が焼かれるのは、他に建物らしいものが無く、事を大げさにするのに好都合だからだが、リドーそのものを、それほど心配する必要はない。
ただ、小規模なリドーのはずのマカブアルで、国軍がかなりの規模で動いたのは、心配だ。
落選した対立候補者が、アンパトアン一族とつながっている事も気になる。
アンパトアン一族は、アロヨ前政権と深く関係し、大量の国軍の武器が流れていて、国軍とも深い関係を有していた。
マカブアル集落には、奨学生もたくさんいるしJICAによる学校建設も完了していて、もう戦闘には、皆、辟易しているのだけれども。

12月14日(火)

ミンダナオに帰ったとたん、子どもたちが迎えてくれた。
『パパ、トモー」と叫びながら、抱きついてくる子どもたち。
しばらくは、訪問者と共に現地での活動が続いた。
先着していた、乾盛夫神父と北九州ライオンズクラブの役員方とピキットの奥の村へ、パンボートに乗って避難民調査。
普通ではとても入ることが出来ない地域だが、福祉局のグレイスさんからの要請もあり、市長が、厳重な警備を保障して行った。
僕らは、ごく普通に行っている場所だが・・・
その後、アラカンのマノボ族の地域にもお連れしてヤギの寄贈をした。
ミンダナオ子ども図書館便り、を見ていただければ幸いです。

11月29日(月)

明日、ミンダナオに旅立つ・・・と言うよりも、帰郷する。
二ヶ月前、一緒に住んでいる100名近い子どもたちが、泣きながら抱きついてきたのを思い出す。
「パパ、トモー、行かないで・・・」
帰ってくるからと諭しても、激しく泣く。
小さい子達だけではない、高校生たちも、泣きながら抱きついてくる(日本で言えば、中学生だが)
帰郷の時は、お土産に腐心する。なによりも、数が多いので・・・
帰ったらすぐに、ピキットの一部で出ている、避難民の調査に行かなくてはならない。
保育所建設や奨学生の調査など、休んでいる暇はないだろうが、それでも、ミンダナオに帰るとホッとする。
自然と、人々の生活があって、時計の針とは無関係の生活と自然の流れがある。
そして、可愛い子どもたち。
日本でも、子どもや若者の事を考え続けて仕事や本を書いてきたが、子どもの頃から、子どもが好きな性格らしい。
10歳あたりから、成長が止まってしまっている?

30年前、二冊の本を初めて書いた。
「わたしの絵本体験」と「昔話の死と誕生」前者は、絵本に関心のある方々に多く読まれた。
後者は、ほとんど売れなかったが、ぼくにとっては、人類の方向性を示す宇宙像を描いた作品で、その後の、「火の神の懐にて」で書いたアイヌ文化の宇宙像や「沖縄の宇宙像」に展開していく。
人類は、狩猟採集文化から、農耕牧畜文化に展開し科学技術文化が生じることによってどのような世界観を作り、何を喪失していったか・・・
さらに、21世紀にいたって、それらを総合した第四の文化を形づくる宇宙像を獲得するために再び、世界や宇宙をどのようにとらえ、座標軸のゼロの上に立つ必要性を書いている。
ゲーテや錬金術の宇宙像、そして東洋の陰陽五行を踏まえて昔話を分析した。
30歳の頃に書いたから、27年も昔の作品だが、現代において、ますますその重要性は明らかになって来ている。

その後、「沖縄の宇宙像」を仕上げた時点で、落ち込む。
50代になる頃で、更年期障害のようなものかと、自分で書いてはいるが、本当は異なる。
その直後、離婚されているから、それが原因だと思っている人もいるようだがそれも異なる。
「沖縄の宇宙像」執筆を完了したとき池間島のおばあから、「あそこまで神ごとを理解したならあんた、死ぬはず・・・」と言われたから、そのあたりが当たっているのかもしれない。
結局、死にそうになっただけだが、復活した。(イエスに導かれたからだろう)
幸い、死ぬことはなかったが、深く落ち込んで、孤独を求めたその底で考えていたのは
「2000年に入ると、何か、大きな変化(大変なこと)が世界で起こる・・・」
どのように人類は生きていったらよいのか、と言う事だった。1999年の事だ。
2001年、9.11が起こったときいよいよやってきたな、と思った。
その頃は、深い落ち込みから抜け出しつつあり新たな世紀、次の時代を作る作業をミンダナオの子どもたちや若者達と一緒に始めていた。

それともう一つ、人類の根源になる宇宙像。
狩猟採集文化の宇宙像を明確にした後落ち込んでいる時期に、
最後にぼくがやらなければならないのは、宗教の問題だと、繰り返し言われた。
「言われた」というのは、なぜかわからないが、内的な声がそう語りかけてくるのだ。
特に、神道のような、狩猟採集文化の持つスピリチャルな信仰と、仏教やヒンズー教、ユダヤ教、キリスト教、とりわけ、イスラム教が平和に共存する世界観。
落ち込んでいるぼくの心の根底に、世界が体験する危機の出現と同時にそうした、問題が、自分の人生の最終課題として提示された。
それが、どのような形で自分の人生の中で実現されるのかは、皆目見当がつかないでいた。
その後、ミンダナオに放り出されて今やっていることの必然的な意味を悟らされ始めている。
このような形で、行動するとは、予想もしていなかったが今は理解できる。
本当に、充実して、美しい形で
子どもたちと平和を実現しつつあるMCL
ミンダナオは、おもしろい。
イスラムとキリスト教と先住民の信仰、先進国と搾取される途上国の相克、抑圧される人権、自然と環境、現代の諸問題が総合的に凝縮されていると同時に、ぼくを待ってくれている子どもたちが本当に可愛い。
この子達のためだったら、また、日本や世界の子どもや若者達のためなら命の二つや三つ、捨てても良いかな、といつも思う。
この世では、命は一つしかないようだが・・・
最悪の時期は、まだ来ていない、これから始まる???
ほぼその先も見えてきている。
明日には、我が子のような子どもたちに会えるだろう。
我が子にも会える。
アメリカにいる、二人の娘とは、もう10年以上も会っていないが・・・まあ、幸せにやっているのだろう。
ミンダナオにいる「我が子達」は
「パパ、トモー!!!」
と言って、駆け寄って、抱きついてくるだろう。一人一人を抱きしめよう。
日本で出会った若者や子ども達の事も忘れることなく。


11月28日(日)

ネット上で、ミンダナオ子ども図書館と関連する、いくつかニュースが流れたので紹介「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は、以下の記事を出した。
アンパトゥアン一族の殺害に関する、詳細な調査記事で、注目に値する。
これは、ミンダナオだけではなく、フィリピン全土また、海外のグローバル企業や武器を携えた自由主義に関わる大きな問題。
全文は、サイトで読んでほしい。ここでは、部分的に抜粋した。
ただここで注意しなければならないのは、これが、イスラムの問題ではなく、
クリスチャン系も含めた全フィリピンの問題であり、ひいては、植民地主義、グローバル経済も含む国際的な経済的植民地主義、新自由主義経済を背景としていることだ。

フィリピン:地方を支配する有力な一族による人権侵害 政府関与
http://www.hrw.org/ja/news/2010/11/16

アンパトゥアン一族の台頭と勢力拡大の背景には、
虐殺当時政権の座にあったグロリア・マカパガル・アロヨ元大統領の支援があった。
同元大統領はミンダナオ島における重要な支持票獲得や
長期化するモロ族との武装紛争への支援をアンパトゥアン一族から受けることで、依存を深めてきたのだ。
そして民兵部隊はアロヨ政権の下、
地方当局者やその他の政権支持者を相手に軍用兵器の売り上げ高を伸ばし、
同国で長年人権侵害を行ってきたとされる軍勢力の強化に充ててきた。
アロヨ政権はこうした重大な人権侵害への不処罰問題にも対処してこなかった。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、虐殺発生の根本的原因や民兵部隊の不処罰問題に、
フィリピン政府が概して対処して来なかったことについて懸念を表明した。
アンパトゥアン一族の民兵は、フィリピン全域で活動しているとされる100もの私設軍隊の1つにすぎない。
事実上、彼らの武装規模は、活動費を提供する地方政治家の力に左右されている。
これまでの政権は1987年制定のフィリピン憲法の規定に従い
これらの民兵部隊を解体・非武装化するという義務を無視するばかりか、
私的な目的のために民兵を統制・利用してきた者の違法行為を捜査・起訴してこなかった。
「フィリピン政府は、マギンダナオ虐殺という国民的な悲劇をきっかけに、
私設軍隊をすべて廃絶し、
すべての人権侵害者を司法で裁くという動きに転ずることができたはずだ。」と述べる。
「有力な一族が思い通りの支配を続ける限り、フィリピン国民は苦しみ続け、
フィリピンという国の評判にも悪影響を与え続けてしまうだろう。」





出版:バルセロナ在住の画家、行橋出身の九十九さんが初の絵本 
http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20101126ddlk40040395000c.html

1冊2100円。行橋市のギャラリー、ラヴー亭(0930・22・3383)などで販売中。
同市門樋町の行橋カトリック教会で28日午前11時ごろ、出版記念サイン会があり、
売り上げの一部を同教会が支援するフィリピン・ミンダナオ島の子ども図書館に贈る。

九十九さんの絵本、日本事務局
MCLジャパンに連絡いただければ、手に入ります。
mclj.tessa.mi07@blue.plala.or.jp




フィリピンにスポーツ用品寄贈 活動報告兼ね写真展
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2010/11/2010_128874703865.html

聴覚障害者でトライアスロンに挑戦し、
アジアの貧しい子どもたちにスポーツグッズを贈る活動もしている鳥海武夫さん(40)
=北島町北村、会社員=が3日から、
フィリピンでグッズを贈った活動を報告する写真展
「フィリピンミンダナオ写真展」を同町北村の「ギャラリーなごみ」で開く。

 展示する写真は、フィリピンのミンダナオ島北部にある農山村などで
鳥海さんが撮影した約50点。
子どもたちがタオルやTシャツなどを受け取って喜ぶ表情や、
貧しい生活環境などを、自身の感想文とともに伝える。

ミンダナオ子ども図書館に来られた、
聴覚障害者の鳥飼さん。
ARMM地域と、キアタウ、ケロハスに古着を届けた様子を
写真展に・・・



ミニストップ、フェアトレード認証のバナナをアジアで初めて発売http://www.eic.or.jp/news/?act=view&serial=24213&oversea=0

ミニストップは、アジアで初めてフェアトレード認証を受けた
フィリピン・ミンダナオ島ダバオ市産のバナナを、
関東以北の店舗(10月末現在1080店)で11月30日発売する。
フェアトレードの日本での拡大推進を目指す。
フェアトレードバナナは、1本105円、または3本178円で販売する。


 
11月26日(金)

ミンダナオに帰る日が近づいてきた。
子どもたちへのお土産も買ったし、心は、ミンダナオへ飛んでいる。
今、これを、渋谷のカフェーで書いているのだけれど・・・

今回の滞在で、成果は多い。
数日前に、日本事務局のNPO法人化も達成できたし、より深い日本との関係が、構築され始めたきがしている。
しかし、何よりも大きな成果は日本の若者達に話が出来たことだろう。
大学でのセミナーも多かった。
日本の若者達に、新しい未来を感じる。
就職など、厳しいだけに、過去、年配の人たちが築いてきた「現在」にスッパリと見切りを付けて、新たな生き方を模索しようとする気配を感じる。
まだどちらかというと、意識は欧米志向のようだが、アジアに目を向ける機運も、確実に芽生えている。
(あいかわらず、自殺も多いけれども・・・・)

今回の滞在で、一番気がかりだったのは、世界情勢の中で揺れる日本の人々の気持ちだ。
ミンダナオで、絶えず戦闘を見てきているだけに、トラウマになっているのだろうか、戦争へ引っ張る力が日本を巡る世界を覆っているのを敏感に感じ取る。
それに対応する世界観を、中高年の人々が持っているのだろうか?それが気になる。
何より子どもたちが可愛そうだ。
引っかからなければ良いのだが。
ぼくが、武器を持たない、殺されても殺さないと決心したのは、ティーンエイジャーの頃、17歳のころだろうか。
高校生で、大学の学生紛争が飛び火していろいろなことを考えた頃だ。
右にも左にも行くことなく、第三の道を切り開こうと決心した年頃。
今、ぼくが、常識では考えられない地域に入っていけるのは、武器を持たない決心をしているからだ。
反政府も政府も混在している複雑な地域であるだけに、武器は日常的に見ることも多い。
そのような中で、なぜ活動が出来るのか、不思議に思う人も多いが、もし護身のために武器を携行していたり軍隊の護衛があったりしたら、かえって恐くて活動できない。
武器を持たないことと、子どもたちのために、命をかけて仕事をしたいという、この二つの想いがあってそれを人々が感じてくれる。
これが最大の安全だと思う。
ただし、絶対だとは言い切れない。
武器三原則の見直しなど、日本は、武装した方が良いという考えがあるようだが、もし、日本が武装したら、危険度は格段に高まるだろう。
渋谷を歩く人々を見ても、今の日本人は、若者も含めて戦争に耐えられるはずがない。
高齢化しているし、体力的にもミンダナオの政府系も反政府系にもかなわない。
金の力だけで(経済力だけで)戦争に勝つことが出来ないことは、近代兵器で攻め込んだ、アメリカが証明している。
(アメリにも、たくさんの良心的な人々がいることも知っているが・・・)
今こそ、どんな挑発を受けても、平和的に解決する忍耐強さを見せるときだ。
憲法九条を全面にだして、逆に対話を続けていく勇気を持つならば、日本は、世界、とりわけアジアの国々から賞賛され、信頼され、経済的にも伸びるだろう。
若者達も、それを望んでいるし、のようなことを今回は深く考えさせられた

ミンダナオの戦闘は、
2008年、9年の80万の避難民が出た戦闘でも、実に奇妙な戦闘で民間の死者は少なかった。
国軍も、反政府軍もプロフェッショナルな戦闘で、戦闘が起こる場所の住民達をまずは、双方とも避難させて、それからドンパチやるからだった。
2000年のフィリピン政府軍と米軍の合同演習。演習という名の実戦が起こったとき。
そして、2002年のやはり合同のテロリスト掃討作戦の時には、多数の死傷者出て死体を埋める暇もなく川に流したと言う、そのときとはずいぶん違う。
米軍が関わってきた、合同演習や掃討作戦は、本当に恐い。
2008年は、おもにフィリピン国軍と反政府軍だったので良かったが、理由は、両方とも、フィリピンの人たちだから民間人をむやみに殺したくないと思っているからで、ピキット市の市長が、ぼくの目の前で国軍司令官に携帯で電話して、戦闘を国道沿いから外して民間人に危害が行かないように頼んでいる。
その後すぐに、反政府勢力のMILFの司令官に、同様の事を頼んでいる。
そんな様子からも、現地の人々は、本当はあまり、戦闘をしたくはない事が良くわかった。

戦争で一番恐いのは、当事者同士ではなく、その背後にいる、第三者なのだ。
日本がそれに、引っかからないように切に祈りつつ故郷を発つ。
たぶん、杞憂に過ぎないだろうが・・・可愛い日本の子どもたちや若者達の事を想いつつ

11月25日(木)

久しぶりに日本に帰ってきて、いつも驚くのが、日本の風景の美しさだ。
自然が豊かで、森の木々が目にしみ山々が輝いている。
今回は、時間が無く、長野の茅野での講演の後、北八ヶ岳をめぐり、みどり池にぬけたが、日本は、九州の湯布院あたりも至る所みどりが美しい。
海外の人々とりわけ、アジアから来ると日本の美しさが際立ち、韓国や中国の人々が、なぜこんなに日本に観光に来たがるのかが良く理解できる。

日本で将来、最も可能性がある収益事業の一つが観光業だろう。
北海道の風景、雪の山、そして夏も雪渓の残るアルプスの岩峰。
海も近く、川は澄んだ水をたたえる。
九州や四国ののどかな田園風景、京都や奈良の古都の文化。そして、温泉。
東京などのビルの風景は、さほど興味深いとは感じられないが、何しろ田舎が美しい。
驚嘆すべきことは、道路が地方の山の農道や林道に至るまで舗装されていることだ!!!
この箱庭的でコンパクトな中に、山川海が全て配置されている日本。
日本の経済的基盤の最も大きな車輪の一つは、観光だとつくづく思う。
観光だけは、家電や車と違って技術革新もいらず、他がまねようとしてもまねられない。
ただ一つ残念なのは、こんなに風景が美しいのに、人々の様子が寒々としている感じだ。
心が閉じこもった感じで、表情もなく出会い頭に挨拶もない。
子どもたちが生き生きと、美しい風景の中で遊んでいる様子もない。
外国人を見るとどこか蔑んだ表情が浮かぶ?
とくに、アジアやフィリピンの人々に対して。
どんなに風景が美しくても、隣人を友として受け入れて自分のように愛すことが出来ない国は孤独で、自殺率が高くても仕方がない?


11月11日(木)

今回の日本滞在中に感じたこと、経験したこと、思ったことを少しまとめよう。

若者達に語る必要性

日本に着く前には、5カ所ほどの講演会しか入っていなかったのに数日たつと、ほぼ埋まってしまったのには、驚いた。
予定表を見ていただければわかると思うが、大学が多い。
東京理科大、お茶の水女子大、立教女学院、立命館、創価大学。
高校もフレンド学園など・・・
このことは、日本の人々が、時代を担うはずの若者達の現状に行き詰まりと不安を感じ、それを打開する方向性をミンダナオ子ども図書館の若者達や活動方針に見ているからだろう。
小学校でも話す機会があったが、これからの若者達はアジアに目を向け、そこでこそ、将来、活動する喜びと課題が得られるように思える。

その点では、韓国はとても先進的でミンダナオのダバオには韓国の若者達が多い。
日本の若者は全く見ないが、これは、日本政府、外務省が渡航を制限しているからだろうか?
韓国の若者達は、すがすがしく、若者同士で交流し、もちろん引率者など無しに現地に滞在。
現地の人々と交わりながら同時に英語を学んでいく。
日本人で見かけるのは、ほとんどが中年男で女の子を追いかけてきたような情けない雰囲気・・・
韓国では、若者を積極的にアジアに、特に貧しい地域に送り出す政策をとっていると聞いている。
もう数年もたつとアジアで活躍するのは、韓国人と中国人そして、インド人になるだろう。
そういえば、ここ数年インド人も見るようになった。
4,50代の、働き盛りのビジネスマンが多い。
もはや、日本の若者は、閉塞的に閉じこもりどこにも自分たちの力で、出て行かない?
ぼくが、生まれて初めて一人飛行機に乗り自分で旅程を計画し、生まれて初めて、外国に降り立ったのはプラハだった。チェコスロバキアだ。
20歳の頃だったから、35年も前のことだ。
言葉も大して通じないプラハから東ドイツへ入るビザをとり、ワイマールに向かった。
当時は、プラハの春の後の頃で当然、チェコもドイツも共産圏だ。
共産主義に興味があったわけではなくゲーテを学んでいたのでワイマールを目指したのだが、もちろん日本人に会うわけもない。
全くの一人旅だったが、それ故に貴重な体験だった。
軍の尋問を受けたりもしたが、みな、良い思い出だ。
それ以来、海外はほとんどが、一人旅だ。
そのような体験を、今の若者にもしてほしい。
今日本ではやりは、海外のNGOへのスタディーツアーだそうだ。
海外NGOを体験すると、就活に役立つのだという。
そんな下心を持った体験が、若者の心を形成するのだろうか???
ミンダナオ子ども図書館でも、かつてやったが、一日いくらで滞在費をとりやらせの保育所建設。
時には、リゾートで宿泊といった現地から見ると不自然な、お客様ようの特別扱いで、日本の若者達を、かえって駄目にしているように感じた。
MCLは、お客様ではなく、ファミリーとして訪問者を受け入れたいし、それが嫌な方には、帰っていただく。
結局、収益目当てのスタディーツアーは、馬鹿馬鹿しくてやめてしまった。
ミンダナオで、現地の若者達と力を合わせたった一人で、図書館を立ち上げたのも本当に楽しい体験だ。
海外での、一人旅の体験が、こんなところに生きていると思う。


絵本をめぐる現状
それと、今回、増えてきたのが絵本や昔話といった、子どもの本にまつわる依頼が増えたことだ。
以前も、絵本論や昔話を通した自立論を語ってきたが時代が行き詰まっているからだろう、ミンダナオの子どもの姿を含めて、新たに聞きたいという要求が多い。
10年以上前の子育て時期に講演を聴いておいて良かったという方々にも多くであう。
読み聞かせや子どもの本の関係者、図書館員や出版に関係した人々から聞こえてくるのは、ここ10年で、絵本が本当につまらなくなったと言う苦情だ。
「絵本の世界が、ちまちまとして、趣味的で、女の世界になってしまった」
これは、女性蔑視で言うのではない、絵本に関係している、女性達が言っているのだ。
確かに、出版は低調で、本来、時代に向かって何を語りかけていこうとしているのかという、主張もビジョンも無いような気がする。
売れれば良い、売れるか売れないか、当たるか当たらないか。
そればかりなのかもしれない。

出版の本来の意味は、時代に向かって語りかけ時代を切り開くこと。
子どもや若者達の羽ばたきや旅立ちのきっかけを作ることだと思うのだが・・・
それが全く失われているというのが、父の意見だった。
驚いたのは、編集者が、ほとんど持ち込みの原稿からしか絵本を作らないと言う事だ。
これには、あっけにとられた!
ぼくも編集者時代があったが、90%は、絵本作りを考えたことも無かった作家や画家を起用。
ようするに、時代の中で生き、表現している芸術家の力をどのように、絵本という形で子どもたちに伝えるかを考えてきたからだ。
父の編集者としての仕事「だいくとおにろく」などの赤羽末吉や荻太郎、佐藤忠良などもおよそ、絵本とは縁のない人々だ。
それゆえに、絵本という狭い概念を超えた時代の力を作品にこめて表現している。
絵本から、絵本の発想を得て、絵本を作るという、絵本から抜けられない絵本が多い?
絵本の外の世界から、絵本という形で本を作り子どもの心を、絵本の外の世界へダイナミックに向かわせる絵本が本当に、無い、と感じる。
他の絵本を見て、絵本に興味を持ち絵本の世界から、絵本を作る三次産業的に絵本は、3番煎じの出涸らしのような感じがあって絵本で育った?ぼくには、趣味的でおもしろくない。
かつては、ぼくも、編集者だったわけだが、手島圭三郎も吉田遠志も井上博幾もおおよそ、絵本など考えていなかった本格的な画家達であってその世界は、彼らの人生の生き方そのものの表現だった。
おそらく、父が言うように、今の絵本のつまらなさは本格的な信念や理念を持って時代に、今の子どもたちに向かおうとする、本物の編集者
本物とは何かという事が理解できる編集者がいないという点に尽きるのだろう。

ミンダナオでは、たとえ絵本が無くともお話が見事に生きていて
それゆえに、コミュニティーも生きていて子どもたちの生きる力も生きていて、ちょっとやそこらで、自殺などしない。
絵本が無くとも、絵本の原点が生きていることをぼくは、彼らから学んだ。
彼らと共に、僻地の子どもたちと会い読み語りを楽しむのは、本当に充実していて、すばらしい。
ミンダナオには、本物の世界が生きているといつも思う。
ぼくが、先進国のグローバル化によって追い詰められ作られた貧困の中であえいでいる現地の子どもたちや若者達から真実を学んだように、日本の子どもや若者達そして、大人たちも、彼らからこそ、生きる力の真実を謙虚に学ばなければならないのかもしれない。
空虚な絵本を読み聞かせても家庭も個人も崩壊し続け、自殺はいっこうに減らないだろう。
思い切って視点を変える体験を日本から出てしない限りは?


11月9日(火)

ミンダナオ子ども図書館、そしてぼく自身への誤解が無いように、この辺でMCLのスタンスを明確にしておこう。
戦争に対する危惧やプランテーションに対する危惧をサイトに掲載しているが、ぼく自身、「何かを告発する」といった考えは全くない。
コミュニティーが大事だと言っても、ぼくは、コミュニストでもないし共産党員でもない。
高校時代に、左翼運動に関心は持ったが、すぐにその限界を感じ取り、右でもなく、左でもなく第三の道を見つけようと心に決めた。
その方向性は、今に至っても変わらない。
団体にも、秘密結社にも属していない。
とにかく、何にもクラブや結社に加盟してはいない。
もちまえの、めんどくさがりやなのだ。
大学時代に、恩師の木村直司教授から(元上智大学教授でゲーテの自然科学の本を出している)ゲーテのコスモロジーにかんする、宇宙像を学んでいるし、中世の錬金術やユングやゼーデルマイヤーを学んでいるからルシファーや自然と関連した宇宙像は、把握しているが、沖縄やアイヌのシャマニズムに通じる宇宙観も、さらなる根底として把握している。

ミンダナオ子ども図書館の寄付は、99%が個人寄付。
企業からの寄付も含めていつ途切れても、大丈夫な体制を引いている。
ちなみに、ぼくは、給与を一切寄付からもらわず(印税と個人的に渡される講演収入だけ)日本事務局のMCLジャパンスタッフも含めて完全ボランティア。
寄付は、全額、子どもたちのために使われている。
宗教的には、祖母は、仏教の浄土真宗だったし父は、日本基督教団だが、ぼくは、カトリックに属している。
といっても、ほとんど内実にはあまり関心がない一平信徒に過ぎない。
一信者に過ぎないから、イスラム教徒やマノボ族の子たちと一緒に住み、朝は、イスラムの祈り、昼はマノボ族の祈り、夜はキリスト教徒の祈りで食事をする事が出来る???
もちろんぼくは、モスクでも祈るし、お寺も大好きだ。
ミンダナオ子ども図書館の現在のプレシデントは
イスラム教徒のアスレーさんだし。

ミンダナオ子ども図書館は、Non Religious Sect, Non Politic
特定の宗教や宗派に偏らない、政治的な動きにも関わらない団体だ。
ゆいいつ、所属しているのは、カトリックだが、洗礼を授けて下さったヘルマン・ホイヴェルス神父との出会いが大きい。
(『人生の秋に』(春秋社)といった本が出ている)代父は、先述のゲーテ研究家の木村直司教授。
この世に理想的な宗教団体などが、有ろうはずもなく(人間が組織するものであるがゆえに)ぼく自身は、カトリックが、まあこの世において属するには良いところかなと個人的に思うのは、神父の説教が、時には納得できなくても聖体拝領でイエスと出会えることと、バチカンが世界の神父や信者を完全に牛耳っている訳でもなく(そう思っている人が多いようだが、ミンダナオにいると良くわかる)右から左、聖人のような神父や修道女から、女ったらしの(時には子どもがいる・・・失礼、でも本当)神父まで多様だからだ。
フィリピンでは、暗黙で子どもがいる神父もいるが、神父をやめて愛を貫いた、元神父に、人々は喝采を送る。
大事なのは、愛だと思っているからだろう。
フィリピンのカトリックは、明るくおおらかで、しかも、歌も朗らかでとても良い。
カトリックは、まあ、これだけ世界各地広がると、金持ちから極貧の家庭まで、人種や教会の歌や表現まで文字通り多様で、簡単に突っ走ったり、戦争には荷担できないだろう。
2000年に、過去犯してきた2000年間の罪を告白したところも大いに気に入っているところだ。
自分たちこそ最高で、正しいと思い込む宗派ほど恐いものはない?
特に気に入っているのは、ミンダナオでは、命がけでイスラムの子達を救おうとするシスターやブラザーなどのミッション修道会の存在で、こうした修道士や修道女、神父達の活躍はすばらしい。
NGOという観点から見ても、宣伝もしないし、頭が下がるような活動を現地でしている。
バイクに乗って、ミンダナオの山岳地帯を駆け巡り政府も反政府も関係なく、ミサを建てていくファウスト神父やジョバンニ神父など、なかなか勇壮でかっこいい。
オブレード会で、イスラム教徒を救済しているピキットのライソン神父やオーランド司教には頭が下がる。
結婚する気もなく、むしろ人生の生き甲斐を探している若者達など、派遣労働者にもなれず、グチグチしているよりも、こうしたミッションに人生を捧げたら良いのにといつも思う。
修道会には、欲得を超越した奉仕に捧げるコミュニティー精神が生きていて、カトリックを支えているのは、彼らだと思う。

また、プランテーションの事などを書くのは、告発したいからではない。
(そのようなNGOの存在も知ってはいるが)ミンダナオ子ども図書館の子どもたち、ぼくにとっては、我が子のような子どもたちが、それらの影響をもろに受けて家族や村人たちが困窮している様子を毎日見るからだ。

ぼくの活動の原点は、いつも我が子のような子どもたちに対する愛情!
イスラム地域の子どもたちも、ぼくには、我が子のように思える。
戦闘などで、彼らが困窮している様子をみると多くの人々、特にその原因の一つを作っている先進国の人々に、現実を知ってほしいと思う。
現実を知り、可能であれば行動を起こし対処してほしいと切に望む。
フェアトレードなども行動の一つだろうし、資源と戦闘の問題を見ながら日本を見ると北朝鮮、中国、東シナ海、南シナ海の問題が、さらに大きな戦争に拡大しないか気になるし、戦争が起こったとき被害を被るだろう子どもたちが、ミンダナオのイスラムの我が子のような子たちの顔と重なってくる。
それだからこそ、日本の将来を開いていくはずの若者や子ども達の事がとても気になる。
そうした想いから、発言するのであって政治的な闘争や告発を考えているわけではない。
ただし、現地では、国際的なプランテーションや山に追われた民族、イスラムや戦闘の真の原因に触れることはタブーで、ぼくが知っていた女性議員、先住民族を擁護していた弁護士、OMIというオブレード宣教会のラジオ解説者夫婦も殺害されている。
ジャーナリストやNGO関係者も多数殺されていて、とりわけ現地の人々が殺されるが、過去には、とりわけマルコス時代、ダバオやキダパワンの神父達も殺されている。
現在でもたまに、国際NGOの人も殺されると言う。
殺害者は、覆面をかぶっているので特定できないが、マスコミでは、反政府勢力の仕業と書かれていても、現地では、軍か警察か有力者や企業がやとった殺し屋だと言われている。
5000ペソ(一万円)だせば殺し屋が雇えると言う。
アムネスティーも抗議してるが、ぼくの場合も、殺害の可能性があると、子どもたちやスタッフが心配している。
我が子を誘拐される可能性も否定できない。
反政府組織の場合は、すぐに解放されるだろうし殺害はないと、言われているが・・・
もしも、ぼくが殺されたら、「反政府組織の仕業と思われる」とマスコミに載るかもしれないが信用しない方が良いだろう。
ときどき、「イエス・キリストも最後は殺されたから仕方がないか」と思うときがある。
子どもたちが、可愛いから活動しているだけなのだが、愛に生きようとすればするほど、殺される可能性が高まってくる?
それでも、決して武器はとらない覚悟はしている。


11月9日(火)

コミュニティーとは、8日の記事で書いたように「隣の人を、自分のように愛する事」と考えると、それを広げていけば戦争は、無くなるはずだ。

ミンダナオのプランテーションで山に追われたマノボ族の極度の貧困も、グローバルな企業の現地を顧みない利益追求から生まれたものだし
イスラム地域の国際的な天然ガスや石油の利権を目的とした戦争も、結局は、現地の人々よりも自己、自国、自社の利益のなりふり構わぬ追求から生じた結果。
そこに、武器製造企業などが絡んで戦闘が、意図的、計画的に作られる様子はミンダナオによく見える。
さらに、国際的なNGOも絡んでいる(かもしれない)としたならば、皆さんは、どう思われるだろう。
しかし、隣の人、特に貧しく困窮している人々の事を切り捨てることなく優先し、考え、野心もなく、満ち足りた小さな平和を望んでいるこうした人々が幸せに暮らせる社会を優先し、支援し、作り上げることを考えれば・・・
隣人の中でも、こうした人々をとりわけ大切にする社会を作り上げれば、戦争は、最もやってはならないものであることが、理解できるだろう。
「隣の国の人々を、自分の国の人々のように愛する事」自分の国の豊かさが、隣の国の人々の貧しさを作る原因にもなっている事を理解すること。
ミンダナオのバナナプランテーションに追われるマノボの子たちのように・・・
隣人、隣国、そうした最も身近なところと友情も結ぶところから考えるとき、初めて、世界の平和が実現するように思えてならない。


世界が、経済や政治、軍事分野で複雑な動きをしている現在、フィリピンのミンダナオという地域から海の向こうの欧米諸国と日本とを比較するといくつか興味深い点に気がつく。
欧米諸国は、実に、戦略に長けている。
おそらく、ヨーロッパでは、長年にわたって歴史の中で諸国が戦闘を繰り返し、複雑な国家や宗教の対立のなかで生き延びざるを得なかったからだろう。
戦争のおこし方、対立の作り方。
相手側に工作員を送り込む方法、マスコミを使った宣伝作戦、人心操作?
日本は、江戸時代の300年の平和そうした平和が続いた後、突然、世界の中に引き出されて、何もしらずに世界戦略の渦中に巻き込まれ
二つの戦争を経て敗退。
真珠湾攻撃の際も、見事に戦争を作る操作に引っかかり原爆投下で、全てをうしなったにもかかわらず、当時、どのように、国際社会の中で孤立化させられ戦争に焚きつけられていったかの、戦後の冷静な分析がなされていない。
アジアにおける、誤った行動、とりわけ、大量の虐殺の反省、ミンダナオでも、穴を掘って、多くのマノボの人々が生き埋めにされたという事実など(マノボの妻といっしょになって、山に逃れた日本人たちも多いが)そうした検証がなされていないのは、とても不安だ。
アジアの各国にとっても不安だろうが、また、同じように、世界戦略に載せられて、たとえば、今は、アメリカに言われてポチのように吠えついて、武器を大量に買わされて、アメリカと中国が手を結んだ時点で「番犬は黙っていなさい!」としかられてキャンキャンキャンとなる程度なら良いのだが、武器を使って噛みついて一般の人々に、大変な人的被害を出すようになったら(原爆投下のように)悲しいことだ。
武器を売りたい人々にとっては、どこで戦争が起ころうとかまわないわけで、イランとイスラエルでも(サウジが大量に武器を購入)北朝鮮/中国と韓国/日本でも・・・武器輸出三原則を改正して日本企業も参加に名乗りを上げている?

日本が武器を持ったらアジアは日本から離れるだろう。
欧米ならば、多少は戦略的な判断ができるだろうが、300年の平和を享受し、戦争の仕組みを知らない日本が大戦時のように、ただ感情のなすがままに武器を振り回せば、子どもにライフルを持たせたようだ・・・
欧米と日本の歴史の違いは、商売の方法にも見えるような気がする。
欧米の商売の方法は、植民地主義のように、商人は、貴族と結託し貴族の持つ軍事力を使って他国に軍を送り植民地化し、反政府的な人々を追い出し経済的に支配する。
まさに、現在、ミンダナオでも起こっている事のような気がする。
日本の場合は、近江商人がそうであったように商人は、貴族や武士と関わることなく、武力行使もせずに独自の文化を形成していった。
文化とは、欧米では、貴族文化のことを指し、日本では、町人文化、貴族や武家とは一線を画した純粋な市民文化が生まれている。
それが、江戸の300年間続いた平和な時代を作ったように思われる。
江戸時代から商業で、ミンダナオまで貿易し、明治になっても戦前には、ミンダナオのダバオには20万の日本人が住み、マノボ族と結婚して現地に溶け込み日本人学校も出来たりしていた。
「郷に入っては、郷に従え」が商売の基本であり、武力を使った植民地主義とは異なっている。
大戦でその全てを失ったが・・・

中国の場合は、華僑だが、これはなかなかしたたかだ。
良くわからないが、とにかく武力は行使してこない。
静かに深く浸透するがアイデンティティは保持して中華街を形成するが、小さな商店もミンダナオの小さな町にまで広がっていて、ダバオやコタバトにも大きな中華学校があり中国語が教えられている。
日本の場合、ダバオに戦前まで日本人学校があったのだが、欧米の仕掛ける戦争にまんまと引っかかりその後全てを失ってしまった。
欧米の戦略にひっかかるか、自立して、地域と調和をしながら(ウインウインの関係で?)独自の判断を下していったかの違いだろうか。
まあどちらにせよ商売の仕方は、現在の日本の貿易や自動車産業、衣料や家電にしても、日本のやり方は、武力を使った植民地主義では無いことは確かで中国やASEAN諸国に近い。
ただ、政治が暴走すると怖いのが日本で、単純なだけに、もう一度、大戦へ至った経過を検証しアジアに対して行った失敗を反省する方が、将来の日本のために、特に、今後、おそらくアジアを含む世界で活躍していく子どもや若者たちのためにも良いだろう。
戦争を起こさない商業、貿易、友好関係のなかで互いに語り合って問題を解決し貧困層を作らない発展を模索する力が、アジアにはあると思う。


11月8日(月)

コミュニティーとは何かを考えてみると・・・それは、おそよ団体生活とは異質なもので、クラブ活動やサークルでもない。
ましてや、行政による地域社会や町でもない。
ミンダナオ子ども図書館には、イスラム教徒もキリスト教徒もマノボ族も仲良く生活しているが、ここには、コミュニティーがあると感じる。
ミンダナオ子ども図書館は、施設ではない。
スカラシップを受けている子の中で家庭状況や、学校まで遠くて通えない子、三食食べられなく、お弁当を持って行けない子などが、住んでいるが、皆、自分たちの意志で来る。
だから、家族の元や、親戚、郷里に帰りたくなった子はいつでも、戻れることになっている。
いわば、下宿や寮のようなものかもしれない。
ただ、読み語りや避難民救済などのボランティア活動には積極的に参加する。
しかし、山の集落には、コミュニティーが生きていると言った場合それは、集団社会が機能していると言うのではなく、子どもたちも大人たちも、個人として尊重されながらも、お互いに理解し合い助け合って生きているという事だ。
つまり、互いのコミュニケーションが生きている、互いに愛し合っている、助け合っている、友情や愛情が生きている社会だ。
だから、家庭が崩壊し親がいなくなったとしても子どもは自殺などしない。
周囲の人々の愛や仲間の友情に支えられるからだ。

コミュニティーとは何かと訪ねられたら、ぼくは即座にこう答えるだろう。
「隣の人を、自分のように愛する社会」
日本には、この感覚が失われ、皆、競争社会のなかで孤立し、孤独だ。
そのような教育で育ったエリートが政治や経済を動かしているとしたら恐ろしい。
隣の人を、自分のように愛する事のできない人は、隣の国の人々を、自分の国の人々のように愛する事はできないだろう。
ミンダナオの資源獲得のために起こされる紛争や戦争。
先住している人々を山に追いやって広がる、グローバル企業によるプランテーション、隣の国の人々を、自分の国の人々のように愛さない自己中心的なエゴイズム。
今の日本人たちは、中国や韓国やフィリピン、そしてASEAN各国といった隣国の人々を自分のように愛せるだろうか。
成績優秀で、エリートとして育てられた政治家ほどこうした気持ちがわからない???


10月29日(金)

日本に来ると、孤独のどん底に落とされるような、気持ちになる。
それが、今までは、2週間ほど続いたのだが、今回は、3週間ぐらい続いた。

日本人の心の状況、経済的、政治的に一段深く落ち込んだような気がするが、二番底は、これからなのかもしれない?
経済的には、ミンダナオの山に追われたマノボ族の集落などは、3食たべられないような、7番底ぐらいの状況なのだが、子どもたちや大人たちの様子には、どん底の暗さはない。
開き直ったのかというと、そうでもない。
彼らの心、生きる力を支えているものは、何かを考えると、次第にわかってきたのは、分かち合い、助け合い、友情や愛の生きているコミュニティーであることがわかってきた。
コミュニティーと言う言葉は、日本では、死語に近い。
コミュニティー、社会、地域社会、ご近所づきあい、どのように訳したら良いのかわからないが、ミンダナオの貧しい集落には、コミュニティーが生きている。
日本では、コミュニティーどころか、家庭も崩壊している。
家庭の大事さは、講演などで、識者が強調しているようだが、家庭が大事、大事と言っても、ミンダナオの社会、家族、子どもたちの生き生きとしている様子を見、考えるに付けコミュニティーが崩壊しているところに、家庭は成り立たないのではないかと思う。
先進国社会は、学校教育、識字、自由主義の力で個人主義が可能になった、と言われる。
確かに、日本の人々も、個人の自立、確立が進み、それが、コミュニティーの崩壊や、家庭という集団社会を崩壊させたと思われるときもあるが、個人主義が確立したように見える日本の人々を一人一人眺めていると、その内面で、「個人」すら崩壊しているように見える。
こうした観察から、ぼくは今、このように考え始めた。
コミュニティーが崩壊すると、次に家庭が崩壊する。
家庭が崩壊すると、しまいには、個人も崩壊する。

家庭は、コミュニティーから生まれ、豊かなコミュニティーによって、支えられる。
コミュニティーの無い社会に、家庭も無い。
さらに、コミュニティーの無い社会には個人もない。
個人は、家庭から生まれる。
家庭は、コミュニティーから生まれる。
ミンダナオ子ども図書館の子どもたちを見ているとわかることだが、家庭が崩壊しても、彼らは個人として、崩壊しない。
自殺もしない。
なぜか、コミュニティーが生きているから。
つまり、コミュニティーは、家庭、そして個人、全ての人々の「母体」なのだ。
コミュニティーのなかで個人は存在し得ると同時に、コミュニティーと個人の間にあって、その両者を結ぶ場が家庭なのかもしれない。
三位一体で、初めて愛が完成する?


10月27日(水)

中国の若者たちが、反日デモを行っている。
裏から政府がコントロールしている・・・
貧富の格差によって起こる不満を転嫁している・・・
などなど、いろいろな要因があるだろう。
フランスでも若者たちがデモに参加。
デモに参加する気概があるだけ、元気な国なのかもしれない。

若者たちの反日感情の昂揚は何故だろう。
円高で、日本企業の国内生産と輸出は厳しく、日本の企業は、中小も含めて海外進出に活路を見いだそうとしているが、感受性の鋭い若者たちには、それが、海外侵略と映り、大戦中の日本軍の行動と重なるのだろうか・・・。
しかし、ミンダナオからの視点を加えるとしたならば、対立を煽る背景には、必ず、「見えざる第三者の存在」がある。
各国政府も、軍隊も、政治家も、場合によっては民衆さえも、マスコミやテレビを通して、「見えざる第三者」の影響を受けていると考えると、意外なところに存在する、その意図と目的は何だろうか。
日本が円高を利用して、海外に進出していくのを押さえたいと思っている国々・・・
もしも、日本と中国と韓国そしてASEANが強い友情で結ばれて、協調して経済活動をしはじめたとしたならば、経済力の世界第二位と第三位に加えて、強力な韓国とASEAN各国が一体となるわけだから、経済的なパワーの大方は、東アジアが牛耳るだろう。
それに、危機感を抱くとしたならば、東アジアを分断させ、中国を孤立化する政策を展開したくもなるだろう。
加えて北朝鮮も希少金属の宝庫であるし、東シナ海、南シナ海も資源の宝庫だと言われている。
ミンダナオは、南シナ海領域に入り、米軍は、ミンダナオのサンボアンガやジェネラルサントスに南シナ海を中心にインドネシアからマレーシア、ベトナムを睨む基地を置こうと計画している。
東シナ海の基地は、沖縄だろう。
北朝鮮の潜水艦の問題から始まって尖閣列島の問題、若者たちのデモ、日中の政治的な対立・・・
金持ちの日本が、円高で海外に進出するのを止めて逆に大量の武器を購入し、武装をしてくれれば、儲かるかもしれない。
サウジアラビアが、大量の武器を購入したように・・・
だからといって、見えざる第三者が米国だとは思っていない。
米国の経済力の疲弊をにらんだ国家を超えた、グローバルな力、世界の中で、善悪二元論を使って対立を起こし、国際的な政治的なプレゼンス、軍事的なプレゼンスを高めてそれによって利益をあげる?
国家の安全は、経済的には、共存互恵、隣国と深い友情で結ばれるところから始まると思うのだが・・・


10月25日(月)

日本について25日間が経過した。
日本に着くと、必ずと言って良いほどに落ち込む。
想像を絶する孤独感に見舞われるのはなぜだろうか。
ミンダナオ子ども図書館での子どもたちをはじめとする人間同士の交流が温かく愛情に満ちていて、互いに支え合う心が生きているのにたいして、日本の社会は、人々が孤立していて、孤独感ばかりが迫ってくる。
孤独な老人や子どもたちの話題がニュースで飛び交うが、ミンダナオとの差を激しく感じる。

経済の豊かさと心の貧困は、反比例しているのだろうか・・・
日本からの訪問者、とりわけ若者たちがミンダナオ子ども図書館に来ると、ほんの数日の滞在であるにもかかわらず、別れの時に、激しく泣く。
それだけ、日本で、孤独の中に住んでいて、MCLにやってくると、日頃、深く求めているにもかかわらず満たされることがない、愛や友情に飢えていた心が、現地の若者たちとの出会いでどっと開かれ奥底にしまい込み、失われていたと感じていた自分自身が、一気に復活するからだろう。
「帰ってくるからね、また帰ってくるからね私の事を忘れないで・・・」
泣きじゃくりながら、どちらが故郷で、どちらが故里かわからないような言葉を口にして帰って行く。
何が日本と違うのだろうか・・・
日本の若者たちの事が気になるが、少なくとも今回滞在して多少なりとも世論が、若い世代の事を心配し、気づかい始めていると感じる時がある。
今までは老人のことばかりだったが、若者こそが未来なのだ・・・。
「若者よ、派遣労働者よ、この辺でイッチョ、デモでもやったら・・・」などといったら、ひんしゅくを買うだろうか?
ミンダナオと日本の社会の大きな違いは競争社会か、お互いに助け合い、心を分かち合うコミュニティーを重視した社会かの違いであるように思えるときがある。
ミンダナオは、ある意味では、現代の競争社会の落ちこぼれグループの典型だ。
貧しく、開発からも、経済システムからも、教育からも取り残された人々、多くの自称先進国の人々は、こうした人々を哀れと思ったり「努力が足りない」と蔑んだりする。
ミンダナオは、かつては豊かだった。
国際的な資源獲得競争によって起こされる、戦闘、プランテーションなどの国際資本によって山に追われる、先住民族、ミンダナオの貧困は、国際的な資本主義社会、グローバリズムと新自由主義が、民主主義の理想だと思い込んでいる先進国の経済至上主義によって作られた貧困だと思う。
ミンダナオの貧しいコミュニティーこそ真の民主主義の具現化だと、感じる時がある。

もともと、競争よりも、分かち合うこと
競争相手を蹴落とし、追い詰めて、自己、自社または、自国の利益を獲得することより、平等で分かち合い、互いに愛し合うことを求める人々もいるのだという事を先進国は、忘れていないだろうか。
日本の若者も含め、競争することよりも、心を分かち合い助け合うことを大切に思う人々がいる。
今の若者たちが、真に求めているものは、これではないだろうか。
ミンダナオの、特に貧しい人々は、そうした心を失っていない。
それに出会って、若者たちは、号泣する。
「生き残るためには」競争社会を勝ち抜かなければならないと日本人たちは、子どもの時からたたき込まれる。
「生き残る」という意味は、競争が嫌いな負け組は「死ね」または、「死ぬしかない」「あんな者たちは放っておけ」と言う意味かもしれない。
そうした気持ちを人々が抱いて生きている社会は、心の安まる社会だろうか。
孤独な社会ではないだろうか。
そうした競争社会に疑問を持ち競争社会のなれの果てとも言えそうなグローバリズムや新自由主義の陰で、貧しく虐げられている人々と分かち合い心のつながりを持つことを大事だと考える人々も、日本にはいる。
そういう人々が、ミンダナオ子ども図書館を心から支援して下さっていると感じる。
その心の根底は、優しさかもしれないし哀れみかもしれないし「取り残されている人々」?を自分たち同様の、先進的な?競争社会、新自由主義的民主主義?に取り込むことかもしれないが・・・支援する心に違いがあっても良いとして、ぼくの目には逆に、自分の社会が喪失した大事な心に対する希求や危機感が根底にあるように思われる
プライドもあるから率直には言えないとしても、心のどこかに、本来の優しさや人間性を失った自分を少しでも回復させたいという希望が無意識に働いているのではないだろうか。
その点、若者たちは、率直で感性も豊かだからミンダナオ子ども図書館の子どもたちに出会うと心の底から慟哭するのだろう。

小学校の恩師無着成恭師が言った言葉が忘れられない。
仏教では、支援や寄付は、布施または喜捨という。
寄付とは、つまり、自ら執着しているもの、財産や我執を喜んで捨てることであり、それゆえ、信者は、ひざまずいて僧侶に布施をする。
布施をする方が偉いのではなく布施をする方がひざまずくのは、それによって、自分を救って下さいと願う行為だからだ。
寄付する方の者、支援する側の者が、自分を低くして、貧しい人々の心によって救ってもらう、それが、寄付であり、支援であるのかもしれない。
ミンダナオに来た若者たちに、言う言葉
「何かをしてあげようと思うよりもまずは、友達になること。
友達になれば、友達が困っているときに何かしたいと、心から思う。そこから、始めればよいのだと」
ミンダナオの若者たちにはこう言う。
「支援してもらっている事を感謝することは大事。でも、まずは、友達になること。
日本の子どもたちは孤独で、心の友情や愛の支援をひつようとしている。だから、助けてあげてほしい・・・」
経済的に豊かでも、心の貧困にあえいでいる先進国の競争社会の人々が、現地で救われていくのを目の当たりにするたびに思う。


9月5日(日)

日本に行く準備をはじめた。
10,11月は、毎年日本に報告会、講演会に出向いている。
そのために、この時期、報告会に使用する映像を制作する。
イスラム地域の戦闘を体験し、大洪水の状況を見て、さらに今年は、エルニーニョの影響によるマノボ族の現状、その後、山に追われた先住民の現況を見るにつけて、こうした別々に見える諸問題の背後に共通した問題があるのがわかってきた。
「作られた貧困」
本来は、このような貧困や避難民と行った困難な状況に置かれる必要の無い人々が、なぜこのような不幸な立場に置かれざるを得ないのか。
それは、彼らには抗しがたい状況が、近代の先進国主導の政治的、経済的、文化的状況によって作られ、圧倒的力でもって、ある日突然に彼らの生活を破壊していくからのように見える。
先日、ボアイボアイ村を訪ねた。
スカラシップの調査のためだが、この村のマノボ族の状況は良くない。
理由は、この集落の人々が自分たちの土地を持っていないためだ。
周囲は丘陵地で、広大な土地が広がっているにもかかわらず、彼らには、自分たちの土地がない。
移民系の人々に、ただ同然の値段でだまされて土地を奪われてしまった経緯もある。
しかし、それだけでは、ここまでひどくはならないだろう。
首領に聞くと、この村には、多くのマノボ族が逃げてきた。
彼らは、向こうのアンティパス県から移ってきた。
首領の指さす方向に目をやるとすぐしたの道路の向こうアンティパス県に、どこまでもどこまでもバナナ畑が広がっている。
AJMR(スミフル)と呼ばれる日本資本のバナナプランテーションだ。
ここ数年、進出が甚だしく、ミンダナオ子ども図書館の奨学生の中にもAJMRに追われて、自給地を失い家族が崩壊している子も多い。
追われた家族の多くが、このボアイボアイに逃れてきたが、彼らとて作付けできる土地があるわけではなく、さらに追い詰められていく。
ミンダナオ子ども図書館のスカラシップ子どもたちの世代が教育を受けることでせめて生活できるようにすること・・・これが最後の頼みの綱なのだ。

すでに既得権を持った人々が土地の所有権を放棄するとは思われず、今後も問題が続いていくだろう。


8月29日(日)

今日は、奨学生たちの月例集会で、200名近くが集まっている。
先月は、マノボの文化祭、来月は移民系クリスチャンの文化祭で、
今月は一般の例会で、少しホッと息をついた。

忙しいの繰り返しで、言い訳ばかりが続く
立正佼成会の訪問に関して、サイトに写真だけをアップしたまま
コメントを書く暇が全くなかった。
続いてすぐに、山元しんぷさんと、日本事務局の面々が訪問した。

日本事務局は、MCLジャパンという名で、順調に出発している。
事務局は、経費をかけず、なるべく軽くするために
仕事は、最小限にして、いろいろな企画は、Mの会といった
別の組織で進めていくことにした。
このような支援の会が、次々と全国に出来て
ネットワークが可能になれば良いだろう。

その後、すぐにACC21に誘われて、
ダバオでフィリピンと日本のNGOの集会に
プレゼンテーターとして参加した。
京都暁星高校が支援するカティンドの保育所も開所式があった。
こうした一連の動きを、すぐにでもサイトに載せていく予定だが
まずは、写真を掲載するところから始めたい。

日記で突っ込んで書きたいことも多いのだが
時間を見つけて挑戦するつもりだ。

9月は、10月からの日本での報告会や講演会の準備時期で
一年間の映像を、新たにドキュメンタリーにまとめる時期だ。
今年は、先住民族であるマノボ族の現状を、映像を通して報告する予定だ。
11月中旬以降は、京都暁星高校が3名のスカラーを招いて
交流の催し物があるが、まだずいぶん空いている日があるので
メールをいただければ、報告会に出向きます。
家庭集会でも結構です。
メール松居友宛




8月5日(木)

ミンダナオ子ども図書館だより「対立していたクリスチャン集落での読み語り」より継続

2008年の戦闘は、この周辺の地域から始まった。
この先の村に避難民救済に行ったとき、避難民は数千人。
どこのNGOも恐れて入らない地域だが、
グレイスさんが言った言葉が忘れなれない。
「クリスチャン系の有力者が、クリスチャン系の農民に武器を渡している・・・」
その実に数週間後、国軍が入り、避難民は10万を超え、
数ヶ月後には、80万を超えた。
ここのごく普通の人々たちは、
そのようなことまで気がついていない。
今も気がついていない。
この地域の貧しい人々は、
ただ自分たちの耕作する土地を守りたかっただけだ。

かつては、この村にも、イスラムの人々が魚を売りに来たり
クリスチャンの若者たちが、下のイスラムの村に
バスケットボールをしにいったりしたというから
宗教的な教義が、対立を生み出しているわけではない。
これは、現在世界で起こっている、紛争や戦争でも同じだろう。

地域の小競り合いは、リドーと呼ばれ、たびたび起こるのだが、
それが、80万もの避難民を出すほど拡大するためには
すでに筋書きによって用意された準備がいる。
つまり、小さな発火を「待っている」大きな軍備。
小さな発火が作られる。
世界で起こっていることを知らない
文字も読めない「無知な」農民を扇動するのは訳もない?

時には、それが不発に終わったり、
計略によって覆されたりすることもある。
アロヨ政権末期のアンパトワン事件などは、
戒厳令を起こす計画が事前に漏らされ
火はくすぶっただけで消されたが、
それも用意されていた筋書きだった?

マギンダナオ自治区などでは、
小さな規模で戦闘が起こされることもある。
イスラムの薬売りの女性が襲われて、その報復にMILFが立ち上がり
それに対抗してヘリコプターから空爆がはじまった。
このような場合は、次のように疑って見るといい。
空爆を起こすために、
意図的に女性を襲わせ
挑発したのではないか・・・
空爆の目的は何だったか?

避難民が出て、その救済に向かったのは
なんと「ミンダナオ子ども図書館」だけだった。
空を飛んでいるヘリコプターも見ているのだが、
新聞にも載らない。
NGOも地方行政も避難民救済すら行わない。
かわいそうなのは、子どもたちだ。

2008年、戦闘が勃発した初期の段階で、
クリスチャン系の暗殺団「ねずみ」の話が出たが、すぐに消え
マスコミは一斉に、反政府組織を非難する論調であふれかえった。
どちらが先に手を出すのかは、あくまで不明の闇の中だが
戦闘を煽る強力な手段はマスコミだろう。
戦争を起こす根本的な原因を、
時には偏った論調を掲載して、覆い隠すのもマスコミだろう。
宗教対立が強調され、人々は、それを信じる。

外から対立をあおって、戦争を起こすきっかけを作る勢力が存在する。

戦争を起こす理由は何かというと、
現地では、土地問題だったりもするのだが、
マキララでのNPAとの戦闘もそうだが、
土地問題の背後には、日本も含む国際的なプランテーションが
遠巻きに関与していたり、
(直接関与しているのではなく、
地域の政治家などの有力者を通して間接的に関与している)

またピキットのように、リグアサン湿原に眠るという、
膨大な天然ガス、石油、
ミンダナオが希少金属の宝庫だといった
鉱物資源だったりする。

こうなると、背景は、
国際的な国と国との対立関係も絡んできて、
ミンダナオの豊かな資源を、アメリカがとるか中国がとるか、
EUや日本はどうやってそのおこぼれに預かるか
といった事まで動き始め、
戦闘の後の、国際的なNGOの動きまでが関わってくる。

コタバトの経済は、中国資本で保っているし、
ダバオにもコタバトにも中華学校があり
コタバトの市場に行けば、中国語のコーランも手に入る。
(フィリピン経済が、中華系であることは、
自明の理だと言われているが)

ただ、中国の影響は、経済で大きく、
武器売却や戦闘戦略には現れていないように見える。
USAID、EU、オックスファムといった
国際的NGOのように、戦闘後の、看板を至る所に掲げた
これ見よがしの
無償支援も行っていないようだが・・・

ただ、現地の識者からは
中国商人が手を引けば、
コタバト経済は崩壊すると聞いている。
中国は、国として関与していないで
中華系の商人として関与しているので
共存互恵があるかぎり
手を引くことはあり得ないが・・・

経済的な問題は、戦争を起こす大きなきっかけだ。
反政府勢力にとっては、貧困の問題。
不公平な社会の矛盾。
体制を牛耳っている側にとっては
落ち込みつつある現在不況を打破すること?
「こう、不景気だと、戦争でも起こってもらえないか・・・」

経済力が落ちてくると、国際的な政治力が落ち、
軍事力も落ちてくる。
国力が落ちてくるのだ。
力を維持するためには、経済力、政治力、
軍事力を維持しなければならない。
それは、ミンダナオの小さな村においても、
世界においても、同様?

戦争で最も儲かるのは、
兵器武器を製造する産業だろう。
その主な生産地は、アメリカと
部品製造に関与している列強諸国。
もちろん、日本も含まれる。
ミンダナオでは、反政府組織が使っているのも
国軍同様に、アメリカ製の武器だ。

アンパトワン一族が検挙されたときに、
大量の武器が見つかった。
国軍から流れたものも有ったが、
国軍ですら持っていないアメリカ製の武器があり、
合同演習の時に
アメリカ軍から流れたと言われている。
そこを経由して、反政府組織にも
武器は流れているというから、
武器が売れるなら、儲かるならば、
敵も味方も関係ない?

宗教などを理由に挙げて
二極の対立を故意にあおり立てて、
戦争を作っては、そこに武器を供給していけばよいのだ。
国際的な武器商人にとっては、
自国が勝とうが負けようがどうでも良い。

結局、反政府組織も正規軍側も、
戦闘の正面に立って戦うのは、
正義感に燃えた若者たちや
農民で組織された民兵たち。

革命を起こして、不平等な社会を是正する。
貧困を解消して、理想の社会を作る。
自由を広め、民主主義国家を建設する。
掲げている理想は美しくとも
戦闘の前面に立って戦い、
死んでいくのは
純粋な若者たちだ。
その陰で利益を享受しているのは
別の国に住む第三者たち?

自国の国内で、戦争が起こるのを
喜ぶ者はいないだろう。
見世物の格闘技と同様で
喜んで儲けているのは、
リングの外にいる
顔の見えない第三者だ。
ちょうどプロレスのように、
公衆の前面やテレビで格闘技をやらせておいて、
リングの外で、金を賭けているような仕組み。

アメリカは、ドル安を望んでいるという。
輸出産業を振興させるために・・・
アメリカの輸出産業とは、何だろう。
ベトナム戦争の時、日本も特需にわいた
日本の自動車産業も、機械産業も
アメリカの武器産業の下請けだとしたら、
今回もアメリカの後を、
しっぽを振って追い続けるだろう。

世界で武器を買うことの出来る国は多くはない。
石油資源で儲かっている、中近東諸国。
中国やロシアに脅威を感じている東アジア諸国。
とりわけ日本は、金持ちだから、
武器を買ってくれる最上の国の一つ?

アメリカ軍の日本からの
全面撤退に重ねて
日本が独自の武装した国軍を持つとしたならば
最大の顧客は金持ちの日本だろう。

中国脅威論を展開して
朝鮮を刺激して、
戦争の脅威を高めれば
日本国民も武装を納得する?
現在の朝鮮半島情勢も、
そのあたりと関係している?

北朝鮮にも希少金属があるし、
中国を通してそちらにも武器を売れるし
スーダンや南アフリカ
ソマリアやアフガニスタンにも
ミンダナオ同様に多くの資源が眠っている。
とにかく、このような不景気な社会を打開するためには
戦争でも起こってもらわないと・・・

このような事実に疑問を持ち、
ラジオや新聞で発表したジャーナリストは、
キダパワンでも殺されたし
地元のNGO関係者や弁護士、
弱者擁護の議員も殺害されたりしている。
表には出ない、簡単な暗殺か事故。
トモさんだって危ないよ・・・と、
スタッフやスカラーや妻も
寝食を共にしている90名の
親のいない子どもたち
500名近い奨学生たちも心配している。

ハイゼンベルグやゲーテやユングの言うように
自然科学論を分析してもわかるように
最も小さな部分で起こっていることをとらえると
全体が見えてくる?

日本は、かつて
世界大戦の時に善悪二元論に引っかかった。
大切なのは、決して善悪二元論に
引っかからない事。
悪魔のように狡猾な
第三者が必ず背後にいると疑ってかかるべき?

第三者を監視する、第四者として行動すれば
四角形の曼荼羅となり、
伝統的な陰陽二元論からはっする
五行の螺旋が回復する。
仏教や陰陽道は
武器を持つな、殺すなと言った
イエスの教えに近い気がする。

一例を挙げれば
相撲のような格闘技を、賭博や金儲けのツールにせずに
神聖な技の儀式として平和のうちに受け入れること。
決して武器を持たず
平和憲法を前面に出して
勇気を持って世界を渡り歩くこと。

中国は、商業を前面に出して、
世界を渡り歩き始めた。
ひょっとしたら、これも東洋の知恵かもしれない。
中国では、驚異的な勢いで
クリスチャンが増えているという。
イエスは西で十字架につけられて死に
夜明けと共に東から復活する?

幸い、子どもたちの読み語りのおかげで
フィリピンのミンダナオ
ブアランのクリスチャンエリアは、心を開き始め
下のイスラム地域と一緒に
多様性の中で生きていく道を模索し始めた。

イスラム地域の村長さんの言葉
「年とった大人たちは、
なかなか簡単に受け入れられないだろうが
子どもたちなら、未来に期待が持てるだろう」
ミンダナオ子ども図書館をよく理解して下さっている
イスラム教徒の村長さん。

日本政府は、JICAの草の根支援を通して
この地に小学校を建設しようとしている。
日本国民である皆さんの税金で。
MCLの若き現地スタッフたちは、
喜んでそのお手伝いをしたいと思っている。


8月3日(木)

ピキットで、再選された市の役員が殺害された。
理由は、彼が選挙中にモスクに爆弾を投げたからだというのだが・・・
殺害の対象はイスラムの首領だったので、報復されたのだという。
軍が多少出ていて不穏だが、
ともにイスラムの同じ地域の有力者の対立
いわゆるリドーと呼ばれるものだ。

対岸のダトピアンでもリドーが起こり
ピキットのダマラサク方面に避難民が出たが、
ハウスベース(親戚の家などに避難する)なので
MCLとして救済はする必要はないと判断した。

マキララ地区では、軍隊が小学校近くに駐屯し
住民からの批判を浴びた。
本来は、こうした場所に駐留してはならないことになっているのだが
子どもに武器を持たせて、写真撮影もしたといので、
DSWD(福祉局)も抗議した。
撮った写真を、マスコミを通して、
NPAが活発に動いているという宣伝工作に使うのではないか
というのが推測。

軍は、NPAの取り調べという名目で、家宅調査をしているが
住民を追い詰め怒らせて
反政府組織の活動を誘発させる
かつて経験した
その恐ろしさを、地域の人々たちは語る。

選挙が終わり、落選した議員たちの中には、
今回の選挙を無効と宣言している者たちも多い。
選挙のしこりが、様々な不穏な動きにつながっている。

中東や北朝鮮も含めて、
戦争を起こしたい勢力が動き始める気配もする。
アメリカの経済は、崩壊過程に入り始めた?
大量に武器を売らずば、経済は持たない?

7月30日(金)

イスラム地域のクリスチャン集落
戦闘を起こすきっかけや、
貧困の仕掛けが解ればわかるほど
気が重くなる。
背後の巨大な国際利権もさることながら・・・

先日は、カリナンに行った。
日本人の入植地で、
カリナンからさらに山に入った集落を支援するため。
ここは、プランテーションに追われた先住民の吹きだまり
ジャガン、オボマノボ、タガバワ、カオロといった種族が住んでいる。
ここを支援してたのは、スタッフのおじさん
彼同様に日系の血が混じっている。

かつては反政府組織の一員だったが、今は牧師。
「・・・派の牧師が、有力者・・・と組んで
先祖伝来の土地を所有し農場を開いている
抗議をした首領は殺害された」
見渡す限りのプランテーション
戦後、反政府組織に加わっていった日系人は意外に多い。
先祖伝来の土地の件で、5月には、MILFのコマンダーと
マラカニアン宮殿に呼ばれたのだが・・・

日本人の知らない、日本人の歴史が
想像以上に深く、現代に至るまで
ミンダナオに流れている。
これからも流れ続けるだろう。

明日は、イスラム教徒を拒絶していた
イスラム地域のクリスチャン集落に
イスラムの子たちも一緒に読み語りに行く

書きたくても、安易に書けないことが多すぎて
なかなか、書く気が起こらない

7月25日(日)

「ミンダナオ子ども図書館だより」の方は、更新してきたのだが
あまりの忙しさに、日記の方は、書くゆとりがなかった。
書きたいことは、山ほどあり、山積している状態で
書きたいことがありすぎて、すぐに書けなくなったといっても良い。

地震のニュースが、日本を駆け巡ったようで、
電話やメールで問い合わせがくる。
地震など、全く感じなかった。
一度だけ、わずかになんか揺れているようだと感じただけだが、
現地の人たちは、全く気がついていない。

報道というものの影響は、小さなものが過大に流れ
流れるべきものが、流れない?
たぶん、震源地では大きな揺れだったのだろう。

6月13日(日)

日本からミンダナオに帰ってきた。
日本から、アポ山に登りにこられた訪問者の方もあり、
新しくMCLに住むことになった、子供たちへの対応にも追われて
日記に記録する時間もなく慌ただしく時が過ぎた・・・?

本当に、ミンダナオ子ども図書館に帰ってくるとホッとする。
多くの子どもたちがいて、騒がしいはずなのだけれども
彼らの姿が、
ミンダナオの緑と光と風に溶け込んで
心からの安らぎを感じる。

先日、マノボ族のいる貧しいカヨパトン集落に行った。
すでにMCLに移ってきている、二人の子の話から
彼らのお姉さん、といっても小学校の4年生だが
一人で下の4歳と5歳の子の面倒をみてるのだという。

先夫は、娘を産んだ後いなくなった。
二番目の夫との間に、5人の子が生まれたが
その夫は、先夫の娘と関係を持ち
DSWDの調査で黒となり、監獄行きとなった。

長女は、DSWDの保護下に置かれ
母親は、生活のために町に出た。
父親も母親もいなくなった山奥の家で
5人の子どもたちは取り残されたまま
長女が面倒を見続けてきた。

村の人々は、水と芋としか食べられない
子どもたちを放っておけずに
ときどきわずかな差し入れをしては
彼らを支えてきた。

最初、僕らは、集落に残された5人のうち
小学校に行っている上から2番目の男の子と
3番目の女の子を採用し、MCLに住まわせることにした。
しかし、二人の話からも、ほかの子たちを放っておけずに
学年が始まる直前、決心して
すべての子を迎えることに決めた。

現地に行くと、集落の人々が歓声を上げて迎えてくれる。
幸い、町からお母さんが帰ってきていた。
数日滞在して、また、町に戻らねばならないのだという。
村長をはじめとする村に人々は、子どもたちの置かれている立場を
非常に心配している。

小学校4年生の女の子が、母親となって
3歳と4歳の弟と妹の面倒をみながら
寂しい山の寒村で暮らすなど、日本では不可能なことなのだが
幸い、こうした山の村には、人々のコミュニティー意識が強く生きていて
お互いにたすけあうので可能なのだ。
日本が、もっとも失ったものがここにある。

これが日本だったらと思うとゾッとする。
たくさんの人が住んでいる都会ならなおさらに、
子どもたちは、家の中で餓死するか
その前に、母親が、生活の悲嘆と絶望で
子どもを次々に殺害しているのではないだろうか。

近所の人々?
事件が起こった後で、
「へーっ、そんなことが身近に起こっていたなんて
少しも知りませんでした」

ぼくらは、母親とも話し合って、
子どもたち全員をMCLに引き取ることにした。
さらに、DSWDの保護下に置かれている長女にも会った。
ちょうど高校を卒業した長女も、専門学校に通うことになるだろう。

今、家族全員が久々にそろってMCL にいる。

5月30日(土)

日本に来てみると、本当に自然が美しい
5月ということもあるのだろうけれども・・・
自然と同時に驚くのが、町の景観や道路
とにかくチリ一つ落ちていない。
環境問題に関心があるせいもあろう。
観光立国としては、スゴイ可能性がある美しい国だと思う。

チリ一つ落ちていない点は、スイスを思わせる。
ただ、スイスも日本も、青少年の自殺率は高い。

こんなに美しい国なのに、
住んでいる人々の表情は、暗い。
この人、泣いているんじゃないか?
この人の目つきは、普通じゃない?
「人」がたくさんいるのに、
人がいないような不気味さ。

本当に心が解放されないし
孤独感ばかりがつのっていく
テレビを見ても、善悪二元論の中で
対立ばかりが煽られて
思考も感情も感性も
はたまた、政治や経済も
コントロールされている不気味さ。
よって立つ場所の無い不安。


北朝鮮の問題がクローズアップされているが
ミンダナオの経験からすぐ感じるのは
これは、どこかで作られた臭いがする。
真珠湾攻撃が、作為的であったように。

田中宇氏のサイトに、以下のような記事が掲載されている。 
「韓国軍艦「天安」沈没の深層」
http://tanakanews.com/100507korea.htm
まさかと思うだろうが、
ミンダナオを見ている僕には、非常に納得がいく記事だ。
この事件と、沖縄の普天間基地をめぐる動きは、
並列しているように見える。
さらに、中国に対する動き。
さすがに中国はしたたかで、日本のように
脆弱にヘイコラとして来ない?

あ〜あ、日本はもう骨抜きになって
クラゲのように漂うばかり?
米軍を追い出して
スービック基地を取り戻した、
フィリピンの方がよっぽど気骨がある?


5月28日(金)

日本事務局の体制が固まってきました。
事務局は、北九州市の小倉に置くことに決めました。
福岡県は、アジアへの玄関口、
かねてから支援活動の活発なところなので最適だと思います。

山元しんぷの教会も小倉になり
教会で泊めていただけるのも魅力です。
マニラから直行便が出ていますし、
全国へも飛べます。

名称は、MCLジャパンとし
新たな活動も始める予定です。
事務局の電話番号は、回線を着け次第ファックスとともに
ご報告します。

事務局電話は、一本化し、日本でも現地でも
私(松居友)が出られるようにしました。
MCL電話:08055023446
(日本・現地綜合事務局電話:松居友)

電話は、かつての日本滞在中の電話を使い
現地でも、日本へかけるのと同じ電話番号で
直接、年間を通して受けられるようにしました。


5月16日(日)

かつて日本にいた頃、特に若い頃
ボランティアという言葉が、胡散臭くて嫌いだった。
ニヒリズムが席巻し、神も仏も信じていなかった。
学生運動の末期の時期
友人たちは、高校の職員室を封鎖した。

読んでいた本は、ニーチェ、ハイデガー、サルトルにボーボワール
サガンにキルケゴールにマルクス。
聞いていたのは、小学校の頃からビートルズ、サイモン、ドアーズ
サンタナ、岡林、高石

面白い時代だったが、虚無が世界を支配しており、
宗教は、死におびえる人間の生みだした空想、
幻想に過ぎないと思っていた。
「宗教はアヘンである。」これは、マルクス。
「神は死んだ」ニーチェ。

「おぼれる者は、ワラをもつかむ、
宗教とは、おぼれる者のつかむワラである。
救いを求め、ワラにしがみつきながら、人はおぼれていくのである」
当時考えた言葉。
虚無へ戦いを挑み、意志の力を信じていたが
虚無を追求しすぎて、死と狂気の狭間に立った・・・

その後不思議な体験をして、今は神を信じ、
北海道では自然を追求し、
といっても、環境問題ではなく
草木を含めたスピリット(精霊)との共存。
アイヌや沖縄を舞台に
先住民族の文化を追いかけたが
現在は、ミンダナオで
思春期の頃から胡散臭いと思っていたボランティア活動をしているのは、
まったく興味深いほど、胡散臭い?

MCLには、今のところ
純粋なボランティアで関わっていることになるから
今の活動は、ボランティアなのかもしれない
無給であっても、好きでやっているのだから
偉そうな顔は出来ない。
ただ自分の心の中では、ボランティアをしているという気持ちも
NGO活動をしていると言う気持ちもあまりない。
ただ、子どもたちが可愛いからだ

これをボランティア活動とするならば、
かつて軽蔑していた方向に、向かわされている自分がいる。
誰がこんなことを、こんな馬鹿な人間にさせているのか?
と自問するときがある。

5月15日(土)

去年の里親とスカラシップの重点地域は
イスラム地域では、MILFのARMM地域サパカン
マノボ地域では、NPAの強いアラカン
クリスチャン地域では、やはりNPAの強いマキララを選んだ。
反政府的なこうした地域は、貧しいだけではなく、差別されているという意識や
閉ざされた気持ちを人々が持っている事が往々にしてある。
そうした心を開いていくにも、スカラシップや読み語りは有意義だった。

今年は、ちょっと視点を変えてみようと思う。
イスラム地域のマノボ集落やクリスチャン集落
クリスチャン地域のイスラム集落やマノボ集落
マノボ地域のイスラム集落

こうした貧しい小集落は、マノボでもクリスチャンでもムスリムでも
困難な状況に置かれている。
イスラム地域のマノボ族には、
イスラム側からのそれなりの差別や偏見がある。
現に、私たちは、ピキットのマノボ集落を見ている。

クリスチャンに差別されていると感じている、イスラムの子たちにも
イスラムに差別されている、マノボの集落と関わることは
大事なことだと思う。
ピキットのブアランには、イスラム教徒のなかで
ひっそりと暮らす貧しいクリスチャン集落もある。

クリスチャン地域のイスラム教徒も同じで
マキララでは小さな戦闘や小競り合いが絶えない。

イスラム教徒もマノボ族もクリスチャンも
自分たちが被害者であるという意識が強い。
お互いに小集団に追い込まれている
種族の集落の現状を若者たちが見ていくことによっ
時代を担う若者たちの視点が広がることを期待したい・・・

イスラム地域の先住民や、クリスチャン地域のイスラム教徒の
貴重な報告が、来年は出来るかもしれない。


5月15日(土)

日本に行く飛行機の中。
ひさしぶりの家族同伴での旅。

本部では、スタッフもスカラーを交えて
季刊誌「ミンダナオの風」発送準備に忙しい。
3000通の中で、とりわけ支援者への1800通あまりの
振り分け作業が実に複雑。

今回は、季刊誌と年間スケジュールの他に
新規スカラシップと里親の方々への
新奨学生の写真と略歴
旧奨学生の場合は、高校大学が
手紙と成績表。
さらに、寄付を下さった方々に、
手書きの絵はがきが同封される。

各々選別されなくれはならず、
一つも漏れることなく完璧にチェックしていく作業は
本当に複雑で神経を使う。
今年は、ほぼ完璧に作業がなされるだろう。
去年、プレシデントだった、マリベールの努力だ。
彼女は、どんなスカラーでも
どこの出身であるかを理解している。

今年は、スカラシップセクションのリーダーだが、
プレシデント以上に複雑な仕事をこなしていて
スカラシップセクションの中では
プレシデントのアスレーの方が、
スタッフとなる。

僕は、機中だが、
こうしたスタッフに作業を全面的にゆだね
まかせられることを本当にうれしく思う。

5月14日(金)

選挙が終わった。
あちらこちらで死者が出た。
選挙の形態そのものが、もう少し改善の余地があると感じる。
ポスターの張り方なども考慮すれば、
もう少し秩序のある、選挙形態がとれるだろう。

それにしても、今回コンピューター化した部分があるが
それがかえって不正や混乱をまねているように見える。
選挙をコンピュータ化すれば、不正もしやすくなるだろう。

NGOの活動をしてもう一つ思うことは
これは、ボランティア等という
安易な言葉で表現できないほど
厳しい仕事だということだろう。

もともと、ボランティアという概念が
中途半端な甘さがあるような気がして
嫌いだったが
本格的に人を助けようとしたら
そのような甘い感情ではとうてい無理だ。

スタッフも大変だが
こうした仕事は、時には命がけでもあり
サイドビジネスを持ちながら
出来るような甘い仕事ではない
特に現地ではそうだ

ただ、子どもたちの顔を見ると
命をかけるだけの事はあるなと思う

5月9日〔日)

昨日から、インターネットが接続しない
明日は、選挙。
パレードと言って
車やバイクが選挙ポスターや風船を付けて
何十台と道を連なって走る。
交通渋滞がひどくなり、
まったく迷惑至極の選挙戦?

昨日、車の修理でダバオにいった
毎回、ダバオに行くたびに
外国人、とくにアメリカ系の白人の姿が
多くなっているのを感じる。

デパートの一角では、
建て売り住宅の販売ブースが目につく。
一戸建てで、販売価格が300万から500万前後
のものが多く、高いもので1千万。
こちらの人たちが、易々と買えるものではないが
どう見ても、外国人向けの販売企画。
セカンドハウスとして買っても良いような・・・

白人層は、姿を見ても、決して金持ち層とは言えない層
フィリピン人妻も結構多い。
移民局などに行くと、白人が多くなっているのが一目瞭然。
いよいよアメリカ経済が崩壊過程に入ったのか?
経済的に沈没しつつあるアメリカを見限って避難してきた
難民に見える時がある。

ダバオに金持ち層が少ないのは、
政情不安定もあるだろうが
お金のある難民ならば、
セブかマニラに行くだろう。

5月7日(金)

今までなおざりにしてきた
ミンダナオ子ども図書館の対日本事務体制の
目処がついてきた。
卒業後の支援者の継続確認など
対日本の支援者の方々への対応全般は
ミンダナオ子ども図書館本部でやることにした
その結果、日本支部は、負担がなく
最小限にして、支援金を現地の子たちのために使うようにする。

今ぼくは、忙しい狭間を見つけては
支援者にミンダナオから確認の電話をしている。
様々な確認作業は、ほぼ、それで問題は解決する。
さらに、かつてやっていたように
スカラシップ支援者のリストを作り
今年から入金記録を作っていく。

難しい事ではないのだが、
以前法人化を企画してストップしたとき
資料をみな渡してしまって、
それいらい、現地立ち上げ、戦闘勃発などの
現地活動に専念して、置き去りにしていた。
これを復活させることにした。
その結果、支援者の方々の入金状況に
現地ですぐにお答えできる体制に戻し
何月何日、いくら振り込んだかの
現地でいつでも確認が出来るようになります。

僕一人では、本当に大変なのだが、
幸い文字通り、救いの手があらわれた。
亡き山田順子さんの息子さんが、
ミンダナオ子ども図書館本部で
活動する決断をしてくれた。

例え、学歴はなくとも
こうした若者こそが、日本の未来を開いていく?
貧しい子たちにも歓迎されて
MCLのスタッフも奨学生も大喜びだ。

優等生ばかりを集めたスカラシップではないMCL
むしろ問題家庭の子たちを集め
彼らこそ未来を開いていく、と言う理念で始めたMCL。
そこに適した人材だと思う。

5月5日(火)

二人の子を迎えに行った。
一人は、今度小学校一年生。
もう一人は、4年生。

父親は、行方が知れない。
母親は、頭がおかしくなって
あちこちを徘徊している。

老齢の祖母は、貧しく育てきれない。
そこで、うちに。
新しく建てた家に、小さい子たちと共に住むことに・・・



個人住宅と思って建てたが
もうすでに小さな子たち
6人が一緒に住んでいる。

年齢の幼い子は、父親や母親代わりの
人が必要だ。
個人住宅は、だんだん
孤児たちの家になりつつある?

予定通りだったりして????

5月4日〔月〕

突然、病気の子が運ばれてきた。
脱水症状がひどく、ぐったりとしている。



とても放っておけないので
急いで病院に運ぶ。
救急で入るが、そこにいた新米の看護婦
「今日は休日で医師はいないから、
後日来て下さい」

しかし、どう見ても救急入院患者だ。
医療担当のノライダさんはおとなしいので
あたふたしている。
エープリルリンが、食い下がる。
フィリピンでは、良くあるケースだが
ここで引き下がってはいけない。

はっきりと状況を述べる。
後ろで気がついた看護婦さん
「あなた、あれ、MCLさんよ。
先生方皆知っているからだいじょうぶ。
支払いもつけてOK」

良いのか悪いのかは、わからない。
貧しい身なりで飛び込んで
門前払いになる患者たち。

翌日、この子は少しづつ回復。
危なかった。

5月2日(日)

病気で苦しんでいるジンジン、
今、うちで療養している。
すでに30万を超えている経費。
一人の子のために・・・

そのジンジンを救う決心をしたとき
医療予算はとうにオーバーしていた。
でもどうしても救いたい。
それが、現地スタッフの気持ちだった。
特に、フェにはその気持ちが強い。

予算枠を超えてまで病人を救おうとする
そんなのNGOの運営常識から外れている
それじゃあ、どんぶり勘定の神頼みじゃないですか。
ショックだったが、確かにその通りだと思った。
それでもふと思った。
マザーテレサは、予算枠で人を救済したのだろうか。

5月2日(日)

NGOを作ろうと思ったことは一度もない、と言う事は
たびたび書いてきた。
現地の子どもたちの状況を見て、現地の要望に応えようとして
ここまで走ってきた。
理由は、子どもたちが可愛いから。

ここまで大きくなるとは、思っていなかった。
大きくしようと思ったことも、一度もない。
戦火の中の子どもたちや、
山のマノボ族の子たちの現状を目の前にして
黙ってみていることが出来なかった。
今でもそうだ。
理由は、子どもたちが可愛いから。

私財をはたいて、良くできますね・・・
と言われる。
出発時は、文字通り一銭も無かった。
離縁状を果たして出て行ったかつての妻子に
土地も家も売って、銀行にある全財産を
将来の子どもの教育費として送ったから。
後で気がついたら、郵便局に100万ほど
あったので、孤児施設の子たちに絵本を寄付した。
ハオウオブジョイのトモライブラリー。

まったく一円も無くなって、ささやかな講演をしながら食いつないだが
一文無しになったときの心地よさがわすれられない。
子どもや妻に会えなくなった寂しさと共に・・・
今は、新しい妻と子がいるし、アダプトしている子たちもいる。
子に会えない寂しさが、逆に、親のいない子を集める結果となったのだろう。
子どもたちは可愛いし、困窮していると放っておけない。

ただそれだけが、全ての活動の原点だろう。
命を捨てたら、みんなが困るよ、と言われるけれども、
しばし危険であっても、
命を捨てても良いなと思う。
子どもたちが可愛いから。

5月2日(日)

NGOに関しては、本当に無知だと今回は自覚した。
先月の事か、ソルトというNGOのメンバーがスタッフと来た。
マニラのパヤタスに基盤を置く、有名なNGOだった。

ICANの方は、知っていたし、時々訪問される。
ICANとソルトは、フィリピンでも有名なNGOなのだそうで
僕は、全然知らなかったし、失礼なことに
興味もなかったのだから・・・・ひどいものだ。

ソルトhttp://salt.or.tv/
ICANhttp://www.ican.or.jp/library.html

ソルトとMCLの二つを結びつけて、
スタディーツアーを企画すると良かったのかもしれない。
それにもかかわらず、僕は、スタディーツアーに関して
MCLとしては、難しく、否定的な考えをサイトに載せた。
無知故に・・・

スタディーツアーを否定しているのではなく、
活動がそぐわないのと
MCLの家庭的な雰囲気を壊したくないからだ。
子どもたちが育つために、一番大切なのは
家族的な雰囲気だから。
この辺で、僕のNGO観をじゃっかん書く方が良さそうだ。

NGOは、無くなればよい、と言うのが正直な思いだ。
支援する必要がある子どもたちがいなくなれば良い、
貧困や戦闘が無くなれば良い、
皆が、学校に行け、医療を満足に受けられて、
ちゃんと3食たべられれば、
NGOといった支援活動は、必要なくなる。

僕は、ミンダナオ子ども図書館のスカラシップや医療支援
避難民救済支援が無くなる日を夢見て活動している。
でも、そんなことになったら、今のスタッフはどうなるのか・・・

そう、小さな図書館は残るだろう。
読み語りも残るだろう。
小さな孤児施設が残るかもしれない。
豊かになっても孤児や片親、崩壊家庭は消えないだろう。

それ以外に残るとしたら
農場と出版事業だろうか。
出版も不景気だし、最も長く続くのは、
小さな図書館と農場かな?

そこで、農業を中心とした、親の無い子や崩壊家庭の子たちでも
家族の一員となれるような平等なコミュニティーが
僕の死後も維持される可能性を模索しているけれども
NGOの無い、平和で貧困のない社会を夢見て・・・

いつもよく考える
こうした物質的なものを地上に残しても仕方がない
ここで育っていった子たち、
関係していった子たちの心に、深い想いが残ればよい。
地上に宝を蓄えても仕方がないと。

5月2日(日)

大渕さんの突然の辞任と共に
事務所の所在と訪問の規定を見直しています。

訪問に関しては、本部の私にご連絡ください。
mclstaff@zar.att.ne.jp
ビジター訪問、一泊一日4000円の規定も廃止いたします。
ダバオーキダパワン往復のガソリン代は、現地での活動も含めて
2000円ぐらいですが、自由寄付をいただけばそれで結構です。

ミンダナオ子ども図書館は、大きなファミリーのようなもので
訪問者の方々に特別なことはできませんが、
家族の一員として、心から歓迎いたします。
ただ、活動は、現地の予定に合わせていただくことには変わりなく
詳細は、訪問希望に関してをご覧下さい。


もともと、病身の山田順子さんにお願いしていた
日本事務局の主な仕事は、
月一回の振替用紙の搬送だけだったので
本部の私の仕事が、もどってきただけなので
基本的な業務に、多少の遅滞はあっても、支障は無いと思います。
ご安心ください。

私の仕事の量が、オーバーワークだった点が主な問題なのですが、
支援者の方々の協力で、ほぼ解決しそうです。
新しい日本事務局の住所や担当者名など、
今後の体制は、15日に日本に着いて
今回は、日本の支援者や現地スタッフと意見交換をし、
さらに慎重に論議検討してから後に、
結論を出したいと思っています。

5月1日(土)

マティアスとグマイの保育所が完成した。
宮崎朱美・・・Gumay マグペットのマノボ集落
久岡隆行・・・Matias マグペットの移民系クリスチャン集落
Kimiko Takayuki Hisaoka と、名前を入れることが出来ました。
サイトにも載せますが、後日、季刊誌と共に写真を送ります。
毎年、10月の季刊誌(秋号)にその後の保育所と子どもたちの様子が入った
写真を送ります。

困ったことに、ピキットの裏のゴミ捨て場
フォートピキットに作った保育所が
軍に占領されてしまった。
福祉局を通して抗議をしているが、
この地域には、反政府組織が潜入している、
と言うのが理由。
子どもたちが、近くの学校のステージで保育している。
まったくひどい話だ。
選挙後に、さらに市長に話に行く予定。

残念な事が一つ。
事務局の大渕さんが、辞表を出された。
長年、事務局をやられてきた山田順子さんが亡くなって
この人なら、と思ったのだが、
僕が、現地立ち上げに全力投球をしてきた
7年のつけが、一度に降りかかり、
現地の活動に追われて、その厳しさを
十分、理解していなかった
僕に、原因がある。

給与も、月10万円では、ワーキングプアに入るようだ。
こちらでは、12人、スタッフ全員の給与分なのだが、
僕の頭が、すっかりフィリピンサイドに仕上がっていて
日本の現実が良く理解できていない。
これも、僕に原因がある。

現地本部は、全ての面で、仕上がってきた。
体制もスタッフも、ほぼ完成した状況になったと感じる。
チームワークも、未だかつて無いほど良い。
問題は、日本事務局の立ち上げだが、
日本とフィリピンでは、NGOに関する意識もスゴイ違いがあり
なかなか両方のスタッフを結びつけるのが難しいことがわかってきた。

日本側は、支援金を出しているのは、日本だから
日本が中心と考える、嫌いがある。
フィリピン側は、現場で子どもと実際に出会い
救済支援活動をしているのは、自分たちだという誇りがある。
時には、戦火のなかを命がけで・・・

実際、日本(海外)とフィリピンにまたがっているNGOは
どうかというと、
大概が、やはり、海外の関係者が、現地人に(指示)を与える
と言う、対応が多い。
海外の関係者は、それなりの学問と経験を積んできたという誇りもあるし。
先進経済国だという、自負もある。
政治も経済も、滅茶苦茶なフィリピンと比べたら、実際日本は遙かにましだ。
違いは、子どもや若者たちの笑顔だけ。

僕の場合は、現地の若者たちの力で、現地で作ってきただけに
ここに住んで、同じ釜の飯を食っているだけに、
日本主導という気持ちが薄い。NGOに関する勉強もしたことないし
関心も持ったことがないし、
関心あるのは、現地の子どもたちの事だけだから・・・

確かにこれでは、日本の支援者に通用しない。
もっと支援者に顔を向け、
支援者が納得いくような、サービス体制を整えなくてはいけない。
それには、人とお金が必要だ。
日本は、フィリピンのほぼ十倍。
それだけの経費を投入しても、今度は現地に降りるお金がかなり減る。

正直な話、現地では、日本の支援者に顔を向け
現地にほとんど支援金が下りていかないNGOもたくさん見ている。
この辺の矛盾をどう乗りこえたらよいのか。
現地スタッフを重んじ、やる気を損なわないためにはどうしたらよいのか。
経費や人を、どのように捻出し、体制を作ったらよいのだろうか
今後、この点をどう堀を埋めていくかが課題だが、
まだ、紆余曲折はあるだろう。

今回の失敗の結果、今、考えているのは、
前から思っていたことだが
やはり、どうしても、ミンダナオの本部に日本人のスタッフが必要なこと。
できれば、男性。腰を落ち着けられる人。

つまり、現地にいながら、日本の支援者に目を向ける仕事をまかせられる人。
支援者の現地での管理、手紙や要望への対応、現地報告など。
幸い、大学の奨学生の一人、日系のミヤシロさんが日本語が出来る。
お父さんの牧師さんと、小学校中学校と日本で過ごした。
彼女がここに住み込んで、日本人スタッフの右腕となり
現地スタッフや現地人との間の、言葉の壁を超えられる。

すでに今までの経験から、専属のスタッフさえいれば
かなりの仕事は、現地で出来る。
そうすれば、日本事務局を立ち上げたとしても、
日本での仕事は、大いに軽減され
スカラーの状況も、日本事務局から
いちいちメールで問い合わせること無く
現地で直接対応できる。
どなたか、現地本部で一緒に仕事しませんか?

5月14日から日本に行くが
体制作りを再度検討しなければならない。
この体制が始動して、形が出来るには3年はかかるだろう。
今年は創立7年だから、10年で、支援者にもある程度
満足のいく体制を作ろうと思っています。
あまりにも、現地重視型で、ご迷惑をおかけしますが、
いつも日本の皆さんの事を、気にかけていますので
ご理解下さい。


4月29日(木)
季刊誌「ミンダナオの風」春号を脱稿しました。
明日、ダバオの印刷所に入れて来週印刷
5月中旬には、皆さんの手元にお届けできると思います。

新年間スケジュール表にも書きましたが
じゃっかんの変更がスケジュールにあります。
季刊誌は、2,5,7,10月で
スカラシップは、正式のプロフィールは7月
5月には、成績表と手紙が入ったりは同じですが、
新スカラシップ応募者の場合は、候補の写真と略歴を同封します。

変更点は、里親(小学生)支援は、
新年絵手紙が2月にはいる以外は、手紙が同封されません。
原則的に文通、プレゼントは不可能とさせて下さい。
スカラシップは、文通、プレゼントともに可能です。

理由ですが、
スカラシップ(高校、大学)は、月末の総会で奨学生たちが全員集まり
手紙を書いたり、プレゼントを渡したり出来るのですが
小学生の場合は、山岳や湿原の極端な僻地が対象となっているので
届けるだけでも一日がかり。
ガソリン費用も時間も馬鹿にならずにとうとうスタッフも、根を上げてしまいました。

保育所支援者の場合は、年一回10月号に、
現地の新しい保育所の写真をお送りします。
試行錯誤をくり返してきましたが、
今回のスケジュールが、恐らく長い経験の最終的なものとなるでしょう、
ぜひ確認してみてください。

2010年5月号をPDFでお届けします!
季刊誌「ミンダナオの風」27号 PDFへGO
新「年間スケジュール表」 PDFへGO
PDFで読めるのならば、季刊誌の発送はいらない、
とおっしゃる方もいらっしゃいますが
印刷物ならではの良さ。長いすで寝ながらじっくり読める。人に紹介できる。
ファイルに保存できる。
等、あると思いますので、受け取っていただけたら幸いです。
4月26日(月)
シンポジウムは、素晴らしいものだった。
「差別を無くして、平和を築き、異なった宗教や部族が、一体となって強い絆を作るには」
このテーマは、若者たちにとって切実なものだ。

部族間の偏見や差別、外国人の見下した対応。
世界で、あちこちで、女中、子守、エンターテイナーとして
苦言も言わず働くフィリピン人。
外国人を、サー、マムといって、自らへりくだり、
雇ってもらう態度には、良い面もあるのだろうけれども???

ここミンダナオでも、宗教の対立、部族たいりつ
無知から来る偏見
怒りをすぐに暴力で現す対応。
様々な問題が身近にある。

日本の若者たちにとっては海外の遠い出来事、
シンポジウムのテーマも、日本で実施すれば
実感の無い抽象論???
あるいは、部落解放同盟の集会か、左翼運動
共産主義者の差し金かと思われる???
しかし、ここの若者たちにとっては
日々の現実であるだけに、彼らの発表は優れていたし
体験に基づいた重みもあった。

その量もかなりのもだから、ネット上で簡単に報告できないので
今、文化セクションスタッフたちが、録音し、記録した内容を書き起こしている。
それをさらにまとめて、冊子にする。

日本の若者たち、それどころか、日本の人々も読めるように
時間があれば、翻訳して、冊子、本としてまとめたらよいだろう。
出版も、重要な一歩かもしれない。

4月25(日)
今日は、設立7周年の記念日。
4月の学生総会は、シンポジウムと決めている。

今日の日のために、前回の総会で全員で論議し、学生たちが決めたシンポジウムのテーマは
「Eliminate Discrimination and Promote Peace to strengthen Unity of each tribe」
訳すと、
「差別を無くして、平和を築き、異なった宗教や部族が、一体となって強い絆を作るには」
と言ったところか。
これを書いている朝、奨学生たちが集まり始め、昨日から準備がはじまっていたが、最後の準備に入っている。
高校生、大学生のスカラシップ学生、約200名が集まる。


週が明けたら、ストリートチルドレンだった、スイーツスイーツとお母さんを迎えに行かなくてはならない。
彼女のお母さんも、かなり深い精神障害に陥っているが、ここに住めるのかを確かめなければ・・・
ミンダナオ子ども図書館は、精神病院もかねそうな・・・・・??

4月24日(土)
頭のおかしくなった(と言われている)ポール君のお姉さん。
子どもの頃の叔父からのレイプの経験、そして結婚後の極貧。
夫の暴力・・・
精神病院で薬をもらってきた後、今もうちにいる。

最初は、躁病状態で、真夜中に起き出して、部屋の戸を叩いて歩いたり
深夜の庭で、大声で叫び、演説していた。
パンティーで、歩き回るので、僕が、しっかり話すと
それから無くなってきた。

薬を飲むようになった後は、逆に、ひどい鬱病のようになった。
だらんと手を下げて、幽霊のように徘徊する。
しかし、きっと良くなってくるだろうと思った。

大きな変化が出たのは、みんなで教会のカテドラルのミサに出た後。
聖体拝領をしたあとから、何か変わったなと感じた。
事実、翌日から、憑きものがとれたような感じで、
しだいに生活も、みんなと出来るようになってきた。

残してきたわが子二人が恋しいと、
ここに連れてきたいというので、ソーシャルワーカーが夫の両親に会いに行ったが
頑として子どもを手放さず、ひどくしょげた。
しかし、確実に良くなってきている。
今度、読み語りに連れて行こうと思っている。

ミンダナオ子ども図書館には、不思議なヒーリングの力を感じる。
純粋な若者たちの心の働きだろう。
自分たちも大変だったから????

4月23日(金)
同日の下の記事は、朝の6時に起きて書いたが、
その後朝食を食べながら、先日ストーリーテリングに行った
ブグアクの奨学生と話した。

「あっちの現状はどう?」
「別に・・・」
「食べ物がないとか・・・」
「ええ」
「夜、あちこちから銃声が聞こえてくるとか」
「ええ」
「行ったら村人の顔が硬いから、何かあるかの思ったけど」
「ええ、隣村の人々が、うちの村の人を皆殺しにすると言っている」
「エッ、それはひどい。それで怖くて、MCLにまたもどってきたんでしょう」
「そう」

日本では、考えられない会話。リドーで、MNLFとMILFの対立が根底にある。
さっそく、対立しているバランガイに行けるかどうかを聞いた。
意見は二つに分かれた。
可能であれば、相手(敵側)のバランガイで保育所建設を進め、奨学生を採用し、
次期を見て読み語りをする可能性を、模索する。
この件を、プレシデントのアスレーさんを核にして
現地の若者たちで検討することをお願いした。

その奨学生の顔つきが、みるみる代わりうれしそうになった。
どこまで出来るかはわからないが、
平和構築をしなければならない。
そうしないと、子どもや若者たちが可哀想だ。
見ていると、食事の後、MCLの片隅で
話が進んでいる。

危険の中に飛び込むことは出来ないが
最大の手続きを踏んで、実行することは可能だろう。
ここでは、ここまでしか書けないが・・・
また、やるべき事が増えてきた。

5月15日から6月5日まで
ひさびさに子どもたちもつれて日本にいくのだが、
そんな時間があるのだろうか????

4月23日(金)
ミンダナオ子ども図書館の報告をまとめつつ想ったことは多いのだが
書いている暇もなく活動が動いていく。

熟考している時間もなくまとめきれない部分もあるが、
記録だけでも残していこう。
MCLは、最極貧から来た者たちが、共に協働しながら助け合える
コミュニティー作りを目指している。
若者たちが、自らの手で、同じ環境に置かれている極貧の子たちを
支援し、救済していく手と成る。

現在、週に2,3回の読み語りも、
クリスチャンの子たちが、イスラムやマノボの子の
マノボの子たちが、イスラムやクリスチャンの
イスラムの子たちが、マノボやクリスチャンの・・・
つまり、他の地域の奨学生を訪れる事によって
自分たちの住んでいる地域の現状や状況
問題点を体験する点に重みがある。

今朝も5時から、若者たちは起き出して
夏休みであるけれども、庭の草刈りや農作業、炊事はもちろん
ゴミ捨ても行っている。
何も指示を出していないのに・・・

農作業も重要な自立の体験だし(日本の若者は作物を育てたり
ニワトリを絞めて料理できるのだろうか)
保育所建設で最後に置く、子どもたちの机や黒板も
皆、若者たちが、大工仕事で作っていく。

さまざまな活動を通した若者たちの精神的な自立を支援する場
それが、ミンダナオ子ども図書館。
自立支援というのは、経済的な面が強調されがちだが、
もっと根底に、精神的な自立を支援していく「場」を作る必要がある。
経済支援は、外国人がやることではなく(プランテーョンのように)
彼ら自身が作り出してこそ、本物の自立だから。

ここで、育って、スタッフとなった若者たちも
次に、スタッフとして、働き手として、社会の担い手として自立していく。
現地の人々を「育てる事」
育てるなんて、おくがましいので、言葉を代えるが
現地の人々が「育つ場」と「その機会や環境」を作ること。
彼らが次の時代を切り開けるように、教育や文化や農業、
種々の技術習得の場を(現地の人々と共に)作ること。
その役割と喜びを支援者の皆さん方と共に共有していきたい。
その役割を、ミンダナオ子ども図書館は、担っていると想う。

こうして育った若者たち
戦闘のあるイスラム地域の人々や、マノボの人々は
ミンダナオ子ども図書館の活動を心から愛し
それを通して、支援してくださる一般の日本の人々に
心から親近感を抱いてくださる。
親近感を超えて、愛と呼んでも良いような強い感情。
その姿をみるとうれしくなる。
戦争中迷惑をかけた日本人なのに???

先日は、驚くべき事に、IMTと訪れたブアランの先生が
友人とMCLの子たちに出張教育をしたいという。
その友人をピキットで紹介してくださった。
何と、その人は、
アイヌのことから憲法九条(日本の平和憲法)の事まで勉強していて
アジア学院の卒業生で、MCLのボードメンバのエラさんも良く知っていた。
イスラム教徒なのだが、アメリカでもNGOの勉強をしている。

アジア学院のエラさんも、マノボの文化を執筆されているし
こうした人々の協力も得て
これから、小さな出版事業も始めようと思っているが
文化を保護し、ミンダナオから世界に向けて
情報、文化、思索、哲学、平和への実践結果などを
若者たちが自分たちの手で
現地スタッフたちが、自分たちの経験と実践から得た思考で
発言できる場を作ることが大切だと想う。

出版は物作りなので、経費がかかるし、販売がポイントと成るが
利益があがるまでは、私個人の負担で行うつもりなので
寄付は使わないのでご安心を。
と言っても、MCLの立ち上げも同じですが・・・

4月21日(水)
「ミンダナオ子ども図書館だより」の方に、活動の合間をぬって、
2009−10年度の活動のまとめと、2010年−11年の活動の見通し
新たな体制に関する記事、資料の報告を作成している。
毎日が本当に忙しく、外部の活動が終わって夜に作成しているので
なかなか、校了しない。

その間にもいろいろな事件が起こる。
先日は、現在進行中のブアラン集落の小学校建設の件で
国際停戦監視団ともども、選挙利用されそうになったのを直前回避した。
背後がかなり複雑なので、これ以上は言えない・・・。

スカラーの居る、ルモットやボアイボアイで、事件が起きている。
副市長の車が焼き討ちにあった件は書いたが、
先々日、殺害が起こった。
政治がらみと言われている。

今は、夏休みで、読み語りの時期。
現地の奨学生をみんなで訪れて、次期奨学生のスクリーニングもかねるのだが、
ピキットの北の方。丘陵地域の子たち。
(つまり、川をさかのぼって、ゴコタン、ナブンダス方向へ行く左の山側は、
カラカカンに属するのだが、MNLFの強い地域で戦闘が絶えない)

そこのブグアック村とセニオマーラウ村に、保育所と学校を建て
5年前から多くの奨学生が来ているが、
そこに読み語りに行った。
しかし、人々の顔が強ばっている。

情報は得ていたが、リドーと呼ばれる地区戦闘が起こっている。
奨学生たちも、夏休みに家に帰ったが
昨日の夜なども、銃声が聞こえてきて怖くて眠れないと言う。
5人ほどは、MCLに避難してきた。

知り合いのコマンダーも奥さんも、すっかりやせ細っている。
極貧地域に加えて、エルニーニョで作物が壊滅していて
食うや食わずであることは聞いていたが・・・
実は、彼の娘は去年、MCL奨学生として大学を卒業。
今度大学の男の子と、高校になる男の子は奨学生。

コマンダー曰く
「高校になる息子たちを含む男の子たち4名
MCLに住み込ませてやってくれないか」
理由は聞かなかったが、
自分の身の危険も含めてのことである事はわかっている。
三食たべられないこともあるのだが。

先日は、私は体調を壊して行けなかったが・・・
病院の医師に、入院して休めと言われた。
若者たちは、マキララのクリスチャン地域に読み聞かせに行った。
そこから北の方ではあるが、地雷が炸裂したという。
政治目的による地雷。何を狙ったのだろうか。
NPAも活発に動き出している。

4月15日(木)
毎月一回、スタッフミィーティングが行われ、そこで月次会計報告がなされるが
4月は、年度末なので、一年間の会計報告が行われた。
さらに、土曜日が、年度最後のボードミィーティングであり、
その時に発表される資料の検討が行われた。

役員構成もあらたになり、初めてイスラム教徒のアスレーさんがプレシデントとなった。
役員の選出も時間をかけても民主的に行う。
まずは、スタッフ全員による、プレシデントの選出。
その後、スタッフ会議で、バイスプレシデント、秘書、経理、OCCの候補を挙げてもらい
エクゼクティブディレクターとディレクターとプレシデントで役員を決定する。

今年はさらにセクションとセクションリーダー、サブリーダーを決めた。
セクション形式にしたのは、複雑多岐にわたる仕事を効率的に行うためと
プレシデントに責任が一極集中しない体制を作るためだ。
あまりにも多くの仕事を同時にしていかなければならないので
今までの体制では不可能であると判断した。

セクションリーダーとサブリーダーも、スタッフ会議で候補を出し
最終的に、5名の役員とエクゼクティブディレクターとディレクターで決定し
今回のスタッフミィーティングで了承を得て
さらにボードミィーティングで承認される。

絶えずみんなの合意を得て会議で進めていくやり方は、時間はかかるのだが
フィリピンの若者たち(山から出てきた)が、仕事の面で責任を独自に持ち
自立して自分の仕事を考えていく上で、非常に重要な要素だと思っている。

こちらで一般的にあるように、金持ちや地位の高いものがボスになり
全てボスの指示を仰いで決定する。
とりわけ、外国人を特別扱いして「サー」とか「ボス」とか呼んでおだてて
指示をもらって行動はするが、自分で考えたり判断したり、責任持ったりしないで
その様なときにはさっさと逃げる。

僕は、サーとか呼ばれるのが嫌いで、
子どもたちや若者たちには、サーとかボスとか呼ばないように言っているし
来客が「サー」と言ってきたときには、こちらも「サー」と呼び返すようにしている。
そうすると、「おっ、こいつ、わかっているな」と現地の人の顔が変わる。
ボードメンバーのダニー氏などは、「プレ」とぼくを呼ぶ、
隣のおっちゃんに声をかけるときの現地での呼び方だ。

子どもたちは、僕を、「トモ」とか「トモさん」とか呼ぶが
最近多くなってきたのが「パパ」「パパ トモ」
パパがいない子もいるものだから、そうした子は恥ずかしそうに「パパ」と言ってニッコリする。

話がそれたが、公平で、大家族的な雰囲気が大事だと思っているから、
仕事の面でも、公平で、コンセンサスを重視する方法をとり
時間をかけてスタッフを育てていく方針を採っている。
本当に大変だが、いったん理解すると頼りになる。
特にここでは、女性がしっかりしている。

MCLでは、会議でコンセンサスを得たり、全員が意見を述べて決定する方針が大切で
驚かれるかもしれないが、毎朝、1時間にわたるミィーティングを行っている。
それにプラスして、月一回のスタッフミィーティングで、会計報告を徹底的に検討する。
さらに、これから、セクションごとにミィーティングをする。これは任意だ。

現地を支援するというと、外国人が偉そうに指導する姿がよく見られる。
自立支援が大切だという話は良く聞くが
本当に、現地の人々の自立を考えているの????
経済的に自立したって、精神的に自立しなければ元の木阿弥!
今の日本の状況は、精神的に自立していないので、元の木阿弥?

4月10日(土)
奨学生のピーターポールが、沈んだ顔でやってきた。
姉さんが、頭がおかしくなったという。

去年のカヨパトン村近くの沢で姉さんには会っていた。
非常に貧しい地域だ。
妹をスカラーにする決定もしていた。

姉さんの方は、9ヶ月の子と3歳の子がいる。
その姉さんが、最近、突然のように大声でわめいて
子どもに噛みついたり、
深夜、パンティー一つであちらこちらを徘徊すると言う。

今は、子どもたちと一緒に、カヨパトンから
夫の親戚のあるマキララに移って
夫の両親が子どもの面倒を見ている。
彼女も一緒に移っているが、
そこでも同じ行動を起こすという。

ほとほと困った顔をして来たので
ソーシャルワーカーのカティとエープリルリンと私で
とりあえず調査に行った。

現地は、有名なNPAの拠点で
かつて読み語りをしたこともある場所。
人々は私を知っている。

案の定、確かにおかしな状態である。
こちらでは、時々起こることで
特に産後、何日も食べるのが無く
生活が厳しく
精神的にも肉体的にも追い詰められると成るという。

姉さんは、大声で村人たちに
憤りや反抗の言葉、時には、聖書の一節を叫んだりする。
村人たちも困惑して、近寄ることも出来ないが
僕は、わりに平気なので、声をかけ
しばらく話し、落ち着かせると
祖父母の家に向かった。

相談した結果、とりあえずは
ダバオの精神病院の先生の治療を受けることにした。

ストリートチルドレンで、12月に写真を載せた
スイーツスイーツも奨学生に決定し
そろそろ迎えに行かなくてはならないが、
彼女のお母さんも、頭がおかしくなっている。
こちらは、噛みついたり、大声で叫んだりはしないのだが
お母さんも、精神病院に見せなければならない。
親戚も受け付けないので
薬である程度、コントロール出来るようになればよいのだが
ここに住むようになるかもしれない。

ピーターポールのお姉さんは、昨晩は一睡もせず
奨学生たちの部屋の戸を叩いて歩き
庭で大声で演説をしていた。

学歴は高校卒、抜群に成績は良く
先生になるのが夢だったようだが
2児を抱え、極貧状態で、
頭が少しおかしくなった?

精神状態が治まるようであれば
スカラシップで大学に行き
卒業して学校の先生になれば
家族を養うことも出来るだろう。
あの演説力を使えば、
全校生徒も統率できる????

4月1日(木)
卒業式が終わった。
今日から、復活祭休日に入る。
と同時に、学校は夏休みとなり、5月までほぼ二ヶ月、子どもたちは学校を休む。

ミンダナオ子ども図書館にいた、85名近い子どもたちも、里帰りできる子は帰ったので
残りは20名ほどになった。
スタッフたちにとっても、ホッとする時期だ。
復活祭休みに帰郷する者もいる。

帰郷できない子たちにとっては、親のいないことや、家庭の問題をひしひしと感じるときでもあり
クリスマス正月休みと並んで寂しい時期でもある。
それだけに、海に泳ぎに行ったりという企画を考えている。

本来ならば、夏休みは、読み語りに最適な時期なのだ。
子どもたちはみな、村にいるし、学校がないので平日でも活動ができる。
今年も読み語りなどのプロジェクトを子どもたちと推進する時期でもある。
ただし、選挙が近いので、ほどほどに活動をするしかなさそうだが・・・・

スタッフの活動は、相変わらずこれから忙しい。
復活祭休みが明けたら、学校を訪れて、今回高校に進学する子たちの成績などの調査をする。
新しいスカラシップの子たちを選ぶ時期でもあり、実地調査に家庭を訪れもする。

エルニーニョは、まだ続いているようだが、多少雨が降った。
木や草や花たちが、ホッと息をしているのが感じられる。
彼らにとっても、復活祭は、ホッと一息つく復活の日になったようだ。

3月25日(木)


 以下、4カ所の保育所建設に着工しました。
 以下、4カ所の保育所建設に着手しました。4月中旬には完成すると思われますが、
 開所式に参加希望等の問合せがありましたら、日本事務局までご連絡ください。

 宮崎朱美・・・Gumay マグペットのマノボ集落
 窪田まゆみ・・・Kayopaton アラカンのマノボ集落
 久岡隆行・・・Matias マグペットの移民系クリスチャン集落
 松岡なつめ・・・Kerohasu アラカンのマノボ集落

 以下、5カ所の保育所は、5月10日の総選挙開けに現地調査を開始いたします。
 総選挙で、現地が不穏なために、以下の方々の保育所建設は、選挙開けに現地調査をします。
 建設開始は6月、完成は7月ごろになると思いますが、開所式参加希望などがございましたら、
 それに合わせて建設を始めますので、日本事務局にご一報いただければ幸いです。

 以下に予定地の名称を掲げました。
 直接的、間接的にすでに現地からの要請があり、実地調査と、現地との調整の段階なのですが、
 何しろ、1,4,5はNPA反政府組織の地域で、馬でしか到達できず
 2,3,はMILFの活動地域で、舟でしか行けない地域なものですから、
 選挙後に実地調査と現地とのつめをすることに決定しましたので、ご了承ください。

 1.京都暁星高校・・・マグペット マタヨカン
 2.関浩成STUDY UNION・・・イスラム地域ARMM(イスラム自治区)ブロル
 3.多湖ファミリーと親戚・・・イスラム地域 カバサラン集落
 4.多湖ファミリーと友人・・・マグペット プロックA 
 5.藤岡市私立幼稚園協会(水沼武彦)・・・クリスチャン地域 ビアラフローリス

 その他にも4方々から、希望を得ておりますが、積立中と解釈しております。
 折をみて、日本事務局からお電話でご確認させていただきます。

 保育所を建設したボアイボアイ集落。MCLの奨学生たちが多くいる貧しい村。
 先日、そこにキャンペーンに向かった副市長、村長、村役員、牧師が乗った2台の車が
 NPAによって襲撃、炎上した。
 マグペットは、市長がピニョール兄弟の一人。
 現地は、有名なNPAの活動地域。選挙キャンペーンに便乗した、革命税の要請。

 この時期は、行動に注意が必要だ。
 先日、フィエスタに招かれた。スカラーが二人、マノボの踊りを踊る。
 過去、フィエスタに参加したら、ピニョール市長が役員と共に壇上にのって 
 選挙キャンペーンに利用された経験がある。
 ひょっとしたらと思ったが、今回も同様の展開だった。

 「壇上に一緒に座ってください」というピニョール市長の要請に
 「しかし、スカラーの写真を撮らなくてはならないので・・・」と断り、エープリルリンだけが壇上に。
 その後、ヘルスセンターで特別に食事に招かれたが、
 「スタッフやスカラーと一緒なら・・・」

 案の定、スタッフやスカラーは、家の外で食べる事になったので
 「私も、外で、彼らと一緒に、食べますから・・・」
 外では、貧しい子たちが、紙皿にご飯だけを盛ってもらっているので
 その紙皿を持って家の中に入り、豪華なおかずを山盛りにして渡した。
 担当職員は苦い顔をしているが、とぼけた顔で 
 スタッフやスカラーのおかずも、家から持ち出し外で食べた。

 ぼくが、壇上に登らずに、一般の人々に混じって写真を撮ったり
 貧しい子たちに食べ物を取ってきたりするのを見て
 見知らぬ数人から声をかけられた。
 「あなたは、本当に、貧しい人の立場で行動しているのですね・・・」
 当然、NPAも混じっている?

 こうした場面で、得意がって壇上に席を取る愚かさと危なさ。
 現地を知らない日本人なら・・・・
 
 副市長の車が襲われた地域。
 さらに奥に、二つの保育所を建設する予定にしている。
 今朝のスタッフミーティングで、現地調査は、選挙の後に実施することに決めた。


3月24日(水)
 子どもたちは、学年末試験に追われている。
 4月第一週には、年度の成績が発表される。

 スタッフは、ソーシャルワーカーも含めて、年度替わりの仕事を進めている。
 とりわけ、小学校を卒業して、今度高校に入学する予定の子たち。
 小学校時代、里親奨学制度で支援してくださった支援者の方々が、
 そのまま継続してスカラシップ支援をしてくださる場合は良いのだが、
 支援継続では無い場合も当然多く、その場合は、新たなスカラシップ支援者を探さなければならない。

 ミンダナオ子ども図書館では、高校大学をスカラシップ、小学生を里親とわけているが、
 その理由の1つに、学業が、本格的に始まるのは、高校からだと言う認識がある。
 (こちらは中学が無く、高校一年生は、日本の中学一年生と同じで幼い)
 高校に進学する場合、当人の学業意識を再度確認することが重要な仕事となる。
 成績や出席率も参考の一助で、とりわけ学校に興味があるか否かを、
 先生にインタビューをして判断をする。

 単に、成績優秀の子を採用するなら、判断は難しくはないだろう。
 しかし、MCLのスカラシップは、採用の第一基準を、親の無い子や片親の子
 崩壊家庭の子や貧しい中でも極貧の子たちに置いている。
 特に、親の無い子の場合は、多少成績に問題があっても、保護もかねて自立の道を共に模索する。
 ミンダナオ子ども図書館に住み込んで、ここが彼らの家庭になるのだ。
 スタッフたちは、お姉さんやお兄さん、そして母親父親がわりでもある。
 だからといって、ここは孤児施設ではない。
 読み語りを中心にした図書館であり、
 子どもたちは学校に行くと同時に、プロジェクトに主体的に参加する。
 それだけに、選択基準が曖昧多様で難しい。 

 本人に、学業意欲が無くても、環境によって、意欲が出てくることもある。
 その成功例が、去年からマロゴン農場で始めた、山の小学校、高校に行かせる試みだ。
 ミンダナオ子ども図書館は、街に近く、学校もレベルが高い。
 (といっても、ダバオやマニラの学校に比べれば田舎だが・・・)
 学校に対する興味が今ひとつ欠けている子にとっては、ついていくのが難しい場合がある。
 とくに、元気の良い男子の場合、女の子もたくさんいるし、
 気が散って将来に向かって進めなくなる事がわかってきた。
 結果的に、妊娠させる例も含めて問題になり、スタッフと検討した結果、
 ミンダナオ子ども図書館に住む、男の子は厳選セレクトして少人数とすることと、
 大学生の奨学生を、指導者として数名いれることになった。

 こうして、6名ほどの男の子が、山の農場を手伝いながら、学校に通うことになった。
 これだと、将来大学にまで行けなくとも、農業技術を経験できて、山に戻っても現地で役立つ人材になれる。
 一年間様子を見て驚いたのは、小学校卒業がせいぜいで、どうにもならないと思っていた子たちが
 現地の山の小学校で、成績も上がり、級長や生徒会長になっていたことだ。
 これは、良い判断だった。

 大学生の奨学生たちは、町中に別個の部屋を借りて、集団下宿をしているから、
 (自立の一歩を踏み始める年頃であることと
 ミンダナオ子ども図書館に住んで通うには、大学は街で遠いのが理由)
 結果的にミンダナオ子ども図書館は、小学生と高校生、
 しかも女性が8割を占めるようになったが、これを見て、MCLの全体が見えたと思ってはならない。
 MCL住みこみの大学生は交通費を別に支給して、リーダーや家庭教師をしてもらっている。
 さらに、10名のスタッフが、子どもたちの面倒を見ている。
 スタッフといっても、MCLの卒業生たちで、マノボ族もイスラムもクリスチャンもいる。
 こうした試行錯誤や工夫が成功し、かなり安定したものと成った。
 やはり、年頃の若者たちを、男女ごっちゃに住まわせるのはいろいろと難しい????

 再び、新たなスカラシップ候補選択の話にもどるが、
 大学希望者の場合は、学業に対する意志もほぼ固まっているし、
 自立しているので選択の難しさは半減する。
 難しいのは、高校生を選択する場合で、成績も含めて、本当に大学まで行く気があるのかの確認。
 (とりわけ、こちらは中学が無く、高校一年生は、日本の中学一年生と同じで幼い)

 本人に高校に行く意思があっても、親にその気が無い場合も複雑だ。
 まず、親との懇談を始めなければならない。
 去年から、世界的な経済崩壊の影響で、子どもを働かせたいケースが多く、
 その結果、親の意向で学業を停止する子も結構出た。
 「学校に通わせるくらいなら、少しでも稼いでもらわないと、やっていけない。」
 「サトウキビ刈りや、女中、食堂の給仕など、何でも良いから、収入をいれて欲しい」
 「14・5歳になれば、結婚してもらった方が良い」
 と言う考えも多いし、それはそれで、否定は出来ない。

 本人に高校に行く意志がある場合でも、高校の授業について行けるだけの成績があるかも問題。
 「基準」をもうけて「落ちこぼれ」を作るのは好きではないが、
 基準を設けずに全てを高校に行かせると、本人が、学校に行っても授業についていけず、
 勉学意欲どころか、非行に走るきっかけを作ることもあり、一定のスクリーニングは必要という結論に至った。
 別に学校に行くだけが、人世ではないのだし・・・。

 親の方が、学校に行かせたいと必死になっているケースも問題で、本人の意思確認がかかせない。
 試行錯誤の結果、基本的に、小学校卒業の6年生の平均点数値が、80%というハードルを儲けている。
 もちろん、親のないこの場合など、保護する必要があり、例外も多く儲けているが・・・

 ちなみに、他のスカラシップ奨学制度を参考にすると
 大概は成績が基準で、全科目85%以上、
 場合によっては90%以上というハードルだから、MCLのスカラシップは基準がかなり低い。
 学校の成績がよい子が、必ずしも将来社会に貢献する訳もなく
 苦労して人の気持ちがわかる子に、一定以上の可能性を与えたいという想いからだ。
 MCLのスカラシップは、親のない子や片親など、境遇が優先される。

 そのようなわけで、スカラシップを受けていても、MCLの子たちは、
 自分たちを「特別」に選ばれた存在だと感じている子はほとんどいない。
 「特別」という意識が低いが故に、子どもたちは野の花のように、のびのびとしていると良く感じる。

 訪問者が来ると、日本では、花は野ではなく「家庭」で栽培されるがために
 「特別」に対する社会的要求(親の教育的要求)が強いのだなあ、
 と思う体験をしばしばする。
 今流行の歌に原因があるようだが・・・
 特にぼくのように?特別な家庭と周囲から思われている家庭に育った??子たちは大変だ????

 個人主義が行き過ぎた弊害で、競争による格差社会が、さらに大きくなっているせいもあるのか。
 「特別」に対するプレッシャーから解放されるために、
 逆に全てを特別とせざるを得ないほどに???
 成績が良ければ良いでそれでよい、悪ければ悪いでそれでよい。
 自分が特別であると感じるときも、逆に特別に感じられないときもあってよい
 全てが特別である必要もないし、特別でない必要もない 
 各々が、それぞれの道を、たくましく生きていけばそれでよい。
 それだから、自殺が少ない。
 
 最初のころは、フィリピン独自のパーセントによる成績評価数値がよくわからなかったが、
 試験の成績や日常の態度など、全てが加味された数値のようで
 80%というのは、80点と言うより、成績では日本で言うところの70点代ぐらい。
 興味を持って授業を受ければ、比較的容易に達成できる数値だという。
 確かに、80以下で採用しても、結局高校でついて行けずに学業を停止する例が過去多発しているから
 この数値設定を、1つの目安にすることは適切だろう、と経験から思うようになった。
 別に学校に行くだけが、人世ではないのだし・・・。

 つい先日、MCLに住んでいる奨学生たちに、今年度は、
 「自分の住んでいる地域の学校に転籍する」か「ここで頑張るか」を、
 ソーシャルワーカーも交えて個人面接した。
 移籍したい、といった子が20名ほどいた。
 主な理由は、親が恋しくて・・・
 イスラムの子たちは、地元のアラビア語学校に行きたくて・・・
 そして、最も多いのが、現地の学校の方がレベルが低くて成績が良くなるから!
 もちろん、すべてOKだ!
 MCLでは、基本的に本人の意志を尊重している。
 そこで、彼らは、帰省時に親と相談したようだ。
 しかし、7名ほどが、親に反対された。
 最大の理由は、経済的に苦しく、食べていくのやっとなこと、
 それと、戦闘が勃発する不安からだった。

 一方で、外部で頑張ってきた奨学生たち、とりわけ、今度高校に入る子たちの多くが
 ミンダナオ子ども図書館に住むことを希望している。
 結果的に、出る子よりも入りたい子の方が多いので、
 (期待に反して???)さらに住みこみの子たちが増えそうだ。
 すでにミンダナオ子ども図書館に住み込んでいる奨学生は85名に達する。
 50キロの米袋が、一日で消費され、食費も馬鹿にならない。
 2010年度は、住みこみの奨学生を減らしたいと思ってきたが、
 エルニーニョで、食糧危機が山岳部で起こりつつあり人々の不安が高まっていて
 逆に住みこみが増える傾向にある。
 
 4月から、小学校を卒業する子たちのインタビューが始まる。
 学校の先生の話を聞くと同時に、家庭の状況も調査する。
 また、毎日のように、山岳地を巡る日々が続く
 訪問者が来られたら、現地の状況が真に理解できる興味深い経験が出来るだろうが、
 毎日が実にハードワークだ。

 こんなめんどくさくて変なスカラシップ支援プロジェクト、他にもあるのだろうが・・・・????
 ふっと考える・・・

3月20日(土)
訪問希望者が増え始めた。
ミンダナオ子ども図書館が、施設形NGOなら、施設訪問という形で訪問者を受け入れることが出来るだろう。
また、マニラのパヤタスのように、特定地域を対象に活動しているのであれば、スタディーツアーも考えられる。

しかし、ミンダナオ子ども図書館は、その時々の状況によって、即断して行動する外交支援形NGO?
戦闘が起これば夜を徹して救済に走るし、奨学生や保育所調査に思いもかけない山奥にも出かける。
行動は、毎日朝の8時から始まるスタッフミィーティングで議題に上り決断される。
このスタッフミィーティング、毎日一時間ぐらい白熱の論議?が交わされる。

「昨日、教材を届けた山の村で、病人が出ている。救済すべきか。」
「費用は?誰が行くか?運転は?病院へ同行は・・・」
「エルニーニョの影響で、作物が全滅、乾燥被害が広がっている。どう対処すべきか」
「停戦監視団とだれが同行するか?」
「プロジェクト代の払い込みにだれがイスラム地域に行くか」等々ひけも切らない

医療、読み語り、外部奨学生、内部奨学生、保育所建設など、スタッフは、多岐にわたる活動をこなしているから
お互いの確認とコンセンサス、相互の理解が欠かせない。
緊急の医療や学費など、経理との調整も重要なポイントだ。

そのようなわけで、一般のスタディーツアーがどのように計画されているかはしらないが、
あらかじめこの様な計画で、これこれの活動を見せて欲しいと言われても
とても約束が出来るものではない。
時には、訪問者を置き去りにしたまま、ダバオの病院に走る。

つまり、訪問者を「特別あつかい」出来ないのだ。
とりあえずあらかじめ、訪問者の「希望」は聞いて
努力はするが、希望に添った予定を組めるわけでもなく
結果的に、「こんなつもりじゃなかった」と言われても仕方がない。

奨学生を支援してくださっている方々に対しては、
支援学生の様子や実家などにうかがったりする。
これは、活動の一部だと考えているから、現地に詳しいスタッフや奨学生をつける。
その意味では、「訪問者」と「支援者」は区別せざるを得ない。

スタディーツアーなどを企画されたいときは、大渕さんが同行されるのが最も良い
僕たちが現地でお世話できなくても、彼女なら、現地を知っていて、
独自に計画を実行できるだろう。

僕たちは、特別な集団ではなく、
奨学生たちは、平凡な日々の生活と学校と、
スタッフたちは、可能な限りの外部支援活動をしているNGOに過ぎないし
あくまで現地中心主義で主役は現地の人々、とりわけ子どもたちが優先される。
そのようなわけで、いくらお金を積まれても、訪問者への対応は副次的に成らざるを得ないから
特別なことは出来ないし、お客様扱いもできないが
それでも良いと言うのであれば、まずは日本事務局の大渕さんに相談されてみてください。

3月17日(水)
 ミンダナオはエルニーニョの影響下にある。
 政府も、食糧支援を含めた緊急支援を決定した。
 3月から5月は、ミンダナオの夏で、一番暑い季節だ。
 良く雨期はいつ頃なのかと聞かれるが、6月から7月あたりに雨が多いかなと言う程度で 
 台風同様に雨期というものも無いような気がする。

 乾燥化している事は、肌で感じる。
 外で活動することが多いので、日差しが強いこともさることながら
 とにかく喉がかわく。
 
 低地の大地はひび割れてきているし、
 平地の草は枯れてきている。
 道路沿いの大きな木まで枯れ枝が目立ってきているし
 やたらに花をつけているのは、実をならすことによって乾燥に対抗しているからか?

 山岳地の野火がひどい
 ちょっとしたタバコや焼け残りの火から
 あっという間に火が広がる。
 治まったかと思うと、強風に煽られて、とんでもないところで火が広がる。

 作物に対する被害も広がっている。
 トウモロコシは、ことごとく枯れ、野菜も採れない
 唯一乾燥に強いのは、カサバ芋とバナナだが、
 バナナの葉にまで、枯れ葉が目立ってきている。

 このままでは、山岳地の斜面に住んでいるマノボ族たちに大きな影響があるだろう。
 食物が無い、水がない。
 今回行った、アラカンのキアタウ方面では、野火も激しく燃えている。

 「今年は、小学生のスカラシップの子たちが、MCLに住めるようにして欲しい
 このままでは、食糧も底をつくだろうし、今年は大変な年になりそうだから」
 そういう要請が語られた。

 ここの子たちは、片道小学校まで7キロから、多い子では10キロの道を歩く。
 4時に起きて登校する。
 午後、学校から帰ってくる彼らに会った。
 長袖のキャップのついた服を着ている。
 今まで無かった風景だ。
 そうか、暑さがあまりにもひどいので、長袖のシャツで暑さを防ぎ
 帽子をかぶっているのだな・・・

 村長が行った言葉が思いだされた。
 「子どもたちにとっても、この暑さは、学校通いに影響を与えている・・・」
 
 皆さん、長袖のシャツ、フードのついたジャケットなど有ったら送ってください。

3月16日(火)
 あまりにも慌ただしく、日記が書けず、日記が月記になってしまった。
 数名の方々から、心配のメールをいただいた。「何かあったんじゃないか」
 訪問者が矢継ぎ早にあった事もあるのだが・・・
 
 訪問者が多くなった理由はわからないが、それだけ「ミンダナオ子ども図書館に行ってみたい」
 と言う方々が多くなった事が大きな原因だろう。

 訪問者が多くなった事は、良いことなのか否かはわからない。
 子どもたちが変に客慣れしていくのを見るのは、彼らの生まれ育った素朴さと
 その良さをしっているだけに、良いこととは思われない。
 一方で、日本の精神的に貧困状態にある若者たちの事を思うと、門戸を開く必要を感じる。
 こちらの子たちが「国際交流」から得られるものもあるだろう。

 こうしたことから、訪問は、日本事務局の裁量にゆだねることにした。
 訪問したい方々は、日本事務局の大渕さんに連絡してみてください。

2月29日(月)
 気のせいか、最近、ダバオやキダパワンでも、外国人とりわけ白人の姿を多く見かけるようになった。
 移民局でもそうだが、感じからして、アメリカ人かと思われる。
 奥さんや、連れの女性を同行しているケースが多く、
 質素ながら長期滞在を目指しているようだ。
 アメリカの経済が悪く、物価の安いミンダナオにまで、避難?してきたような感じがする。
 ミンダナオは、アメリカや日本からの避難民を受け入れる時期に来たのかもしれない。
2月28日(日)
 月末のミィーティングが終わる。今回は、特別のテーマを掲げての総会ではないが、
今年大学を卒業する子たちが、自分の経験と今後の抱負を語った。
特に、親からの仕送りも期待できない子たちだけに、
涙ながらに、食事を切り詰めて生活する様子は、他の奨学生たちの心を打った。
そうした困難を切り抜けながらも、がんばって卒業を目指してきた子たちだ。

 今年は、これらの中から、ソーシャルワーカーや学校の先生が生まれてくる。
看護婦の資格試験を通った子たちも二人いる。牧師になって活躍している子もいる。
看護婦は合計で5名となったし、学校の先生もすでに7名ほどなっている。

 奨学生たちには、支援者の存在を強調するようにと、スタッフには話している。
MCLそのものは、支援者と奨学生を結び続ける役目であって、
最も大事にしなければならないのは支援者なのだと。
 支援者は、守護の天使のようなものだと、今回も奨学生に話を聞かせた。

 しかし、今まで、松居一人が窓口に、しかも現地でなっていた関係上、
支援者に対する対応に十分手が回らず、どう見ても手薄のところが多かった。
今は。日本事務局が立ち上がってきているので、ファックスなどで相談して欲しい。
私たちにとっても、支援者の生の声を聞くことは非常に大切だと思う。
これからも、絶えず改善していけるところから、改善していきたい。

例えば、学生からの手紙も、解読できないときには、ちょっと面倒でもファックスで送っていただけたら
日本事務局で翻訳して返送するような手続きを考えている。

日本事務局が立ち上がって、今、作業の全面的な見直しに着手している。
季刊誌の発送時期などに関しても、今までの経験から、最適な形を模索している。
こうした変更も含めて、5月の季刊誌で、新たなお便りをお届けしたいと思っています。
ミンダナオ子ども図書館も、ようやく形が整ってきたようです。


立正佼成会
社会貢献グループ 次長 保科和一氏からのメール
謹啓、
 ミンダナオから帰国して早くも一週間以上が経過してしまいました。
この度の「ゆめぽっけ親子隊」下見調査では、急なお願いにもかかわらず、
事前から当日まで大変に行き届いたお手配を賜り、誠にありがとうございました。
お陰様で、大変に多くの学びと収穫を得ることが出来ました。

 下見調査の主なテーマは、
@事業目的に照らしての訪問地の適正とA現地の安全調査の二つでした。
以下、大変僭越ながら思うところを申し上げます。

@「事業目的に照らしての訪問地の適正」について
 「親子の手づくりによる『ゆめぽっけ』を直接手渡す行いを通して、
紛争や対立で傷ついた世界の子どもたちに、まごころと友情の支援をすること」
そして「現地での出会いを通して、自分たち自身が
いのちを尊ぶ心や思いやりの心を育む」という訪問の目的に照らし、
以下の点で大変に相応しく、大きな価値があると思いました。

 先住民マノボ居留地、ムスリム地域、クリスチャン地域のどこをとっても、
紛争や抑圧の影響にさらされ、日々の食事を得ることも十分でなく、
ましてや医療や教育に関しての保証が希薄な環境で生活している
多くの極貧の家族と子どもたちがいる。
MCLは日頃の地道な地域コミュニティーとの接触により、
人びとの生存と生活のニーズを把握し、堅実な物資配付の姿勢と能力を持っている。

 社会的、経済的に大変厳しい生活条件の中でも、
家族や共同体の仲間が自然の恵みに生かされ、互いに寄り添い、
支え合いながら生活しており、彼らとの出会いから日本の親子がまなぶことは多い。
さらに、地元先住民・モスレム・クリスチャンの人々が
共に尊重しあうMCLの生活は、
本会が目指す理想を実現しておられるものでもあります。
なによりも、MCLのお子さんたち・スタッフの皆さんとの出会いは宝であり、
必ずや大きな感動を生むと信じます。

A「現地での安全調査」について
 安全調査チェック項目として、
「紛争・テロ行為との遭遇」「犯罪(強盗その他)被害」
「暴動の発生」「誘拐被害」さらに「危機回避の事前の手立て」
「安全に関する最新情報収集」「危機発生時の対応・脱出方法」
などに留意して行程を過ごしました。

 MCLの危機管理は、地元の各コミュニティーに深くしかも偏り無く溶け込み、
地元行政・NGO・住民との信頼関係を築き、
現地住民による最新で生の情報を随時更新しつつ、
紛争当事者間のバランスに配慮して進める方法とお見受けしました。

現地コミュニティー出身者の同伴に護られながら、自分たちが何者であり、
何の目的で訪問するのかについて、また敵意が全く無く、
友好協力のために来ていることを知らせつつ現地入りする。

これらの方法はMCL独自のものであり、私には大変に新鮮でした。
そして、信頼に値するものであり、大変心強く思いました。
実際、今回訪問した私たち三人は、殆ど危機を感じることなく
安全に行程を終えることが出来ました。

しかしまた、私は、このことを決して安易に考えてはおりません。
安全であったのは、あくまでもその条件を作り出してくださった
松居さん・大渕さん、長時間車の荷台に乗って私たちを護ってくれた
お子さん方を始めとするMCLの方々のお陰様であり、
当然の如くそこに安全があったのだとは思いません。 

 もう一方のチェック項目は、
「疾病・感染症」「衛生(水・食事・就寝・トイレ)」「医療環境」
「移動手段」「気候」等です。
これらについては、訪問するこちら側が、
事前準備をし注意すべき点を心得て現地に入れば、概ね問題無しと思います。
とりわけ水は清らかで、手づくりの食事は大変に美味しく頂きました。

 私は、これまでにも色々な国を訪問し、様々な出会いに恵まれましたが、
今回の旅は本当にめったに無い豊かな実りを頂戴しました。
「貧しい途上国」という私の単純な見方は訂正を迫られました。
美しい自然の豊かなる恵み、街中のマーケットに溢れるばかりの山海の品々、
そして何よりも、人々と子どもたちの優しく温かい笑顔に触れました。

本来は豊かである土地に住む温和な人々が、
自分達の望んでいない対立と争いに巻き込まれ、
貧しく不安定な生活を余儀なくされている。
そして、分かち合い、支えあって日々を生きておられるのだと知りました。

 MCLのお子さんたちの歌は、聴く人の魂に響く奇跡の歌です。
お世辞ではありません。
最終日に訪れたマロンゴンは
多くの人びとが心の奥にしまってある南の天国の姿です。
ピキットの日本軍要塞跡での慰霊供養は、キリスト教の愛に導かれ、
仏教の慈悲の心を多くの御霊に捧げる尊い機会を頂きました。

 あらためて松居さん、奥さん、大渕さんはじめ
MCLの皆様に心から御礼申し上げます。
                              合掌

立正佼成会
社会貢献グループ 次長
一食平和基金 事務局長
保科和市
2月17日(水)

北野生涯教育財団の島村さまから、ミンダナオ子ども図書館滞在の感謝のメールが届きました。


松居友様

 このたびの貴地訪問に際しましては、種々ご配慮をいただき誠にありがとうございました。
昨夜、無事に雪の東京に帰ってきました。
お陰さまで、初期の目的を果たし、さまざまな貴重な体験をさせていただき感謝いたしております。
スカラー宅の訪問では”極貧”の実態に接しショックを受けました。
しかしながら、人々が必死に逞しく生活をしている姿には胸を打たれました。
MLCの純心無垢な子供たちの明るい笑顔が私にとっての救いでした。
本当に可愛い子どもたち!

私は子供が大好きなのですが残念ながら子供がおりません。
あまりにも可愛いので
私のために企画してくれたウェルカムパーティーやさよならパーティーでのみんなの
歌声に触れて本当に感動してしまいました。

 松居さんがMCLをこれまでに作り上げたご苦労は計り知れないと思います。
MCLは本当に素晴らしい共同社会、まさにユートピアのように感じられました。
どうかご健康にだけは充分留意され、ますますご活躍されますよう祈っております。
奥様の体調はその後いかがでしょうか、何かと気を遣っていただきお礼の言葉も
ありません。くれぐれもよろしくお伝えください。
また、スタッフの皆々様、80人のMCLの子供たちにもよろしくお伝えください。
また、MCLを訪問したいと思っていますので、その節はよろしくお願いいたします。

2月5日(金)
 山田順子さんが亡くなられた!記事は、季刊誌『ミンダナオ子ども図書館』26号最新号でご覧下さい。
季刊誌へGO!
 ミンダナオ子ども図書館の出発時から
 日本事務局を
 無償のボランティアで一人で支え
 ミンダナオ子ども図書館を心から愛し
 子どもたちから、「母さん、母さん」と
 慕われていた、山田順子さんが亡くなった!
 癌だった・・・
 この写真は、亡くなる一ヶ月ほど前のもの
 すでに車椅子ではあったものの
 気丈で明るく
 いつも笑顔を絶えさせない
 末期癌とは思われない、気力と美しさに満ちた方
 「末期癌なら
 ミンダナオ子ども図書館で最後暮らしたい
 子どもたちや若者たちに囲まれて・・・
 クリスマスには、必ず行きます
 そのために今、がんばっている
 みんなによろしく」
 12月2日、日本を発つ私に語られた言葉
 とつぜん、クリスマス前に知らせが入った
 ミンダナオ子ども図書館の子たちは泣いた


順子さんの遺志をついで私たちは、
ミンダナオ子ども図書館の日本事務局を、
さらに本格的に立ち上げていきます

1、日本事務局長に、ミンダナオでのNGO活動の経験豊かな大渕みほ子さんを抜擢しました。

  すでにHP『ミンダナオ子ども図書館だより』で執筆していただいているので、
 ご存じの方もいらっしゃるかも知れませんが、
 大渕さんは、長くミンダナオのピキット、イスラム地域と関わってこられた方です。
 ミンダナオへの関心も思い入れも深く、MCLとも活動を共にしてきた関係で、
 私たちの活動も良く理解しています。
  お父さんは、プロテスタントの牧師さん。
 ご主人は、三鷹の国立天文台の技術者です。
 思春期の頃から、宗教対立に関心を持ち、立教大学の大学院で論文
 「紀要 2006 年5 号 - フィリピン・ミンダナオ紛争におけるNGO の役割●大渕みほ子
  - 立教大学大学院独立研究科 21 世紀社会デザイン研究科」を発表。
 (サイト検索:「ミンダナオ紛争」で探せます。)
 
2,日本事務局の日本法人化を早急に

  繰り返し議題にあがりながらも、山田順子さんのご病気などで、
 のびのびになっていた、NPO法人化を、大渕みほ子さん中心にして、早急に進めていきます。
  ミンダナオ子ども図書館は、フィリピンのNPO現地法人ですが、
 日本での支援者は1500名を超えます。
 少しずつ人々にも知られるようになり、社会的な役割を考えても、
 法人化は必然的な流れだと思います。
 すでに去年、ボードメンバーの選出も終えて、今年こそNPOとして登録させて、
 日本での新しい活動基盤を確立します。

3,支援者への対応も迅速、充実

  驚かれる方が多いのですが、今まで日本サイドの仕事は、
 ほとんど松居友一人で、現地でこなしてきたのです。
 しかし、お礼の葉書の発送や寄付確認の問い合わせに対する対応が、
 遅いという批判を免れることは出来ませんでした。
  理解のある方は、「現地であれだけの活動をしながら、
 良くまあ、一人でなさりますねえ。」と同情されたものです。
 しかし、これからは、日本事務局がMCLの強い見方。
 支援者への対応も迅速、充実させていきます。

4,日本の若者とミンダナオの若者たちの、接点になる事務局を!

  時代を見ると、日本の人々がミンダナオの若者たちを支援すると同時に、
 心の問題、貧しくとも強く明るく生きていく方法など、経済支援は出来なくとも、
 ミンダナオの若者たちが、日本の若者に、心の支援を開始できる時が来たと思っています。
  日本事務局を中心にして、国際交流の輪を広げていきたいと思っています。
 その点でも、大渕みほ子さんは適任で頼りになります。
 旅行業の資格も持ち、旅行会社とも契約。
 団体の訪問は、現地を知っている彼女を通してお願いします。
 個人やグループの訪問も、相談してみてください。航空券やホテルの手配もOKです。

5、日本事務局の住所や電話が変更に!

日本事務局住所:〒207-0022 東京都東大和市桜が丘4-261-1-505
携帯電話:090-8105-3948  メール:japan.mcl@gmail.com(大渕みほ子)
MCL 日本事務局電話・FAX 番号:042−511−7246
1月21日(木)
 毎日が現場で、本当に忙しい。おもにスカラシップの子どもたちの実地調査だが、オフィスワークも強烈に加わってくる。
 現地の子どもたちのケアに追われて、訪問者の事すら忘れている。
 突然、日本事務局の大渕さんから、「明日訪問者がそちらに着くのでよろしく」などとメールが入ってあわてる。

 人によっては、ぼくは、コミュニストだと思っている人がいるらしい。
 山岳地域でNPAの人とも会うからだろうが、ぼくはコミュニズムに基づいて活動しているわけでもないので
 コミュニストではないだろう。
 ソシアリストかというと、そう言うわけでもない。
 ただし、ここで働くスタッフの給与は、決して高くないので、彼らの子どもたちの医療と教育は、
 心配なく子育てできるようにしたいと思ってがんばっている。

 それでは、キャピタリストかというと、そうでもなく、自由主義者かというとそうでもない。
 つまり、「主義」というものが、無い。
 前稿でも書いたが、人が一人一人の「人」としてしか見えないものだから、
 「主義」という概念があまりにも抽象すぎて把握できない。
 いつまでたっても数字を暗記できないのと同じで、抽象概念がつかめない性格なのだろう。
 視覚人間に特有の欠陥がひどいと時々感じる。

 貧しい人々と接触する機会をもてばもつほど、NPA(共産ゲリラと呼ばれている)やMILFの人々の領域に入っていく。
 そうした人々と共にこちらで歩んでいる、イタリア人のミラノ会のピーター神父やアラカンのファウスト神父は
 こちらでは、NPAだと思われている。
 ピーター神父など、70歳近いと思われるのだが、かくしゃくとして、赤いバンダナを頭に巻いてミサをあげている。
 ぼくは、カトリック教会とも密接に関係を持って動いているわけでもないので、つながりが深いわけでもないが・・・。

 カトリック教会の下で動いていたら、こんなにもイスラム教徒の子たちがついてくるはずもないから・・・
 平信徒であって良かったと思う時がある。
 MCLは、特定の宗派の「主義」のもとで行動するのでもないし、
 特定の政治や思想のもとで活動するのでもないことは、定款でうたっている。

 ぼくのカトリックの解釈は、文字通り「普遍的な愛」だと勝手に思いこんでいて、主義でも主張でも宗派でもない。
 そんな勝手なことが言えるのは、平信徒に過ぎないからだろう?
 カトリックが宗派の中で一番良いとも思っていないし、キリスト教徒が最上だ等とも思っていない。
 カトリックの神父には、右翼から左翼までいるし、女ったらしの神父から聖人のような者までいて
 人間的な、あまりにも人間的な、ので、地上で属すならこの辺でよいかな・・・などと、思っている。
 まったくいい加減な平信徒なのだ・・・

 両親は日本基督教団に属しているが・・・祖母は、熱心な仏教徒だった。
 浄土真宗だが、浄土真宗はカトリックと似てるところがあると思う時もある。
 信徒から怒られるかも知れないが、親鸞などは結構すきだ。
 イスラムの子たちとの出会いは、ミンダナオが初めてだが、とても可愛い。
 こういう子どもたちを見ていると、宗派の違いというのは、
 人間のちょっとした生活習慣の違いから来る癖のようなもんだと、感じる時がある。
 主義もひょっとしたら、癖のようなものかもしれない。それを全ての人に押しつけようとした時に戦争が起こる???

1月17日(日)
 山のマノボ族に関するスカラシップ調査をすると、
 大規模プランテーション農業が家庭を崩壊させている様子がわかる。
 下界の土地を移民系の人々に追われて山に入り、斜面に細々と自給用の畑を切り開いている先住民族。
 ミンダナオの山岳地域には、こうした先住民族の村が多い。
 自給だけでは、現金収入がないに等しく、子どもたちを学校に通わせることは出来ない。

 こうした先住民族に、仕事を与えて、現金収入を得させ、
 子どもを学校にやれるようにすることは、大事なこと。
 彼らは教育がないので、仕事と言えば、他人の土地の草刈り、トウモロコシなどの刈り入れ等の請負。
 大概が日雇いだが、世界の経済危機で、こうした小さな仕事がことごとくカットされ、
 一日に3食たべられないような状況に追い込められている事は、しばしばこの欄で指摘してきた。

 とりわけ、小規模の土地所有者の田んぼや畑の日雇い仕事がカットされている。
 大規模プランテーションは、ほぼ常勤スタッフが決まっていて、
 日雇いでも仕事があれば何とか生活していけるが
 平地から離れた山岳地域の先住民族には、なかなか仕事が回ってこない。
 また、例え日雇いでも、採用に、最低でも高卒程度の教育水準が求められたりする。
 ミンダナオの貧しい人々が、教育にこだわるのは、
 小学校中退程度、小卒、高校中退、高卒、大学中退、大卒など
 必ず書かなければならない欄があり、それによって、明確に採用が変わるからだ。
 大手スーパーのパート社員でされも、大卒でないと採用されない。

 ぼくらが、スカラシップを採用しているマノボの村、ウオーターフォールやボアイボアイ等では、
 人々はほぼ、小学校にも通ったことがない。
 そういう人々が得られる仕事は限られているが、中に、プランテーションのサトウキビ刈りがある。
 はるか遠い平地の他市の国営プランテーションに、トラックの荷台に牛詰めになって、出稼ぎに行く。
 季節労働だから、年間、ある時期に数ヶ月働き詰める。

 給与は安く、現地での食費も自前、結局は、数週間の米を買うぐらいのお金しか残らないから、
 子どもをこれで学校に行かせることは出来ず、口糊をしのぐぐらいしかならない。
 今回、スカラシップ調査で見えてきたのは、
 こうした出稼ぎが、学校教育との狭間で家庭崩壊の原因となっていることだ。

 出稼ぎは、家族みんなで移動して、数ヶ月農場に住み込むのなら、家庭崩壊にはならない。
 また、男の子は手助けにもなり、同行を求める親もいる。
 しかし、その間、学校には行けない訳だから、学業停止になり、その後も学校が続かない。
 こうして、せっかくの支援者がありながら、学校を止めてしまった子も数人いる。

 反面、学校を続けようと思うならば、たった一人、集落の家に残らなければならない。
 小学生では、一人暮らしは無理だから、近所の親戚に預けられるが、
 親戚も、食べ物にも事欠く生活だから、快く預かるわけもなく、
 水くみなどの厳しい労働や家事を押しつける。
 要するに、女中代わりにするわけで、その環境は厳しいものとなる。

 高校あたりだと、街の就労学生になったりさせるが、
 学校が続かないようだと、13歳ぐらいから、結婚させる。
 要するに口減らしだ。
 この様な状況で、ミンダナオ子ども図書館に来ている子どもたちも居る。

 数ヶ月の日雇いから久々に家に帰っても、竹の家は腐り始めているし、廃屋状態。
 家の中まで荒れている。
 子どもたちは、小さくして、親から引き離された状態で、家庭も崩壊。
 貧しさ故に、仕事を提供しても、基本的な生活形態が保証されていなければ何もならない。
 大規模農業による雇用創出が、かえって事態を悪くする。

1月10日(日)
 スカラシップの調査を開始した。
 9月の応募期間だけで、何と今年は500名を超える応募があった。
 そのほとんどは、高校大学のスカラシップだ。
 最初は、面接でその困窮状況から、A、B、Cの3ランクにわけ、Aを主なる対象として選択をするが・・・
 それと平行して、こちらは主に小学生の里親奨学生が対象だが、地域を限定した調査を開始する。
 重点地域として、今年選んでいる場所は、

 1,アラカンのマノボ地域
 2,マキララのビサヤ地域
 3,カラカカンのイスラム地域

 ともに、新たに保育所や初等小学校を建設した場所で、共通しているのは山岳地域で極貧であるばかりでなく
 反政府勢力の中枢に近い場所だ。

 アラカンのマノボ地域は、先祖伝来の地域として、土地は保護されているが、非常に貧しくNPAの活動が活発。
 カラカカンのイスラム地域は、MILFの活動が活発。
 今回、最初の調査を開始した、マキララのビサヤ地域。ミンダナオ子ども図書館が農場を購入した場所だが、
 この地域も、有名なNPAの活動地域。

 NPAとは、新人民軍の略称で、もともと抗日戦線から発展した反政府勢力で、共産ゲリラとも呼ばれ
 フィリピン国内にネットワークを持っている。
 特に、ミンダナオでの活動は盛んだ。

 僕らの活動範囲のマキララ地区は、行政がドールと密接な関係を築いている地域で
 8年前あたりから、戦闘が絶えず、一時終息したものの
 最近、NPAは、活発に動き出している、と聞く。

 マキララ地域には、イスラム教徒の村も若干あるが、
 先年から、ドールと結びついた市長が、山のなかに購入した土地を
 イスラム先祖伝来の土地として、ピキットからの勢力も加わって、強引に奪い返した経緯もある。

 イスラム勢力は、キャンプを築いているが、NPAと繋がっていると考えられており、
 それがこの地を再び不穏な動きにしている。
 
 今回、ぼくらは、山岳地域のNPAの村を訪ねた。
 入り口は、ミンダナオ子ども図書館の農場からで、普通見れば、どこが入り口かもわからず
 この様な場所の奥に、人が集落を構えているなど、外部者にはわからないようになっている。

 行ってみると、 別に普通の人たちで喜んで迎えてくれた。
 もちろん、マロゴン村の役場の人など、現地の人が同行する。
 総じてこうした場所は、隠れた人と自然のパラダイスのような平和を感じる。

 今回の奨学生は、誰がとは言えないが、アラカンもマキララもこうしたエリアの子どもたちだ。
 学校も遠く、極貧で修学できないから、食べるために反政府勢力に参加したり
 NPAも独自のスカラシップを持っているのでそれに加わり、戦闘の時には前線に立つのも彼らだ。

 ぼくは戦闘は嫌いだが、この地の貧富の格差を見ると、反政府勢力に加わりたくなる気持ちはわかる。
 武力を持ってしても、何も解決はしないと思うのだが・・・・
 
 しかし、子どもたちの表情は屈託なく可愛らしい。
 スカラシップ候補の写真を載せたので見ていただきたい。
 出来れば、支援者になっていただきたいと思う。
 http://home.att.ne.jp/grape/MindanaoCL/scholor2010.htm

 サイトは、完成していないが、常時、更新していきたいと思っている。  

1月9日(土)
 子どもたちといっしょに生活し、毎朝顔をあわせて、同じ食卓をともにする。
 久しぶりに全員が集まると80名近いから壮観だ!
 こんなにたくさん、どうするのだろう!!!と動揺したりする。

 しかし、朝、ポーチで一人一人の顔を見ながら学校に見送り
 (表情で問題を抱えているか否かがわかる)
 一人一人を注視して数日が過ぎると、「多い」と思わなくなるから不思議だ。

 マスで物事を見る事が出来ないのが、ぼくの性格で、
 団体は実態の無い抽象概念に無限に近く、個人しか実存しない。
 イスラム教徒もキリスト教徒も、ビサヤ族もマノボ族もマギンダナオ族も
 抽象概念に近く、ぼくの目には一人一人しか存在しない。
 だから、全員が同じテーブルにつけるし、多いと思わなくなるのだろう・・・・


 

1月8日(金)
 MCLが新しい年を迎えた。
 今年は、ミンダナオ子ども図書館が正式に登録されてから8年目、
 ミンダナオに足を踏み入れてから10年目に入る。
 あと二年で創立10年という事になるから、ある意味で最初の10年、
 基盤作りの仕上げが出来るまであと2年。
 心の中でも、新たなる次の10年の出発を迎える最後の準備の年の始まりだと感じる。

 どのような事業も、仕事も、商売も、基盤が固まるまでに10年はかかると思っている。
 基盤がしっかりしたうえに、本体となる建物が建つわけで
 その意味では、最初の10年は、基礎作りの10年だろう。
 本当に外観が見えてくるのは、建物が建ち始める時だから
 2年後の次の10年からが、本格的なミンダナオ子ども図書館建設開始の時期となるわけだ。

 建物がしっかりと立ち上がるまでに、さらに10年かかると思っている。
 つまり12年後に、ミンダナオ子ども図書館は、「形が出来る」、と言うことになる。
 形が出来ると言うことは、別に建物が完成すると言うわけではない。
 フィリピンで小さくともモデルとなる、子ども図書館を建設する事は考えているが・・・

 大事なのは、物も大事だが、人こそが中心で、
 次代を担う子どもたちが成長し、世の中で活躍し始めたり、
 その存在意義や評価がかたまって
 社会貢献できる基盤が出来ると言う事だろう。

 12年後。今ぼくは56歳だから、68歳になるわけで
 気持ちの上では別だが、初老を迎える時期だ。
 さらに、平和構築や貧困撲滅などに関して、ミンダナオで何らかのわずかなりの成果が出るのは
 それから、さらに10年後。
 生きていればの話になるが、78歳の頃だろう。

 
 2012年、人類は危機を迎えるという予言があるらしいが、
 ミンダナオにいると、人の心は自然と同じく、創造主によって創られているから
 時は永久に流れるように見えて、人類の作り出した危機など馬鹿馬鹿しくて話にもならない。
 世界に平和が訪れるのはいつのことだか?
 いい加減に目覚めた方が良いのではないか???

12月24日(木)
 クリスマスが近づいている。
 先日は、キダパワンの役所前広場、通称プラザと呼ばれるところで、読み語りをした。
 街のど真ん中。
 対象は、ストリートチルドレンたち。

 クリスマスになると、貧しい家庭の子どもたちが、クリスマスの歌をうたいながら街を徘徊する。
 そうした子どもたちを呼び集めて、ミンダナオ子ども図書館の若者たちが読み語りをする。
 中には、同じようにストリートチルドレンだった子たちもいる。

 集まった中には、顔見知りの子たちもいる。
 いつも車を止めると、窓を拭いてくれる子どもたち。
 両目に白い幕が出来ていた少女がいたので、「目を治したい?」と聞いた。
 すると、涙をためながらうなずいた。

 さっそく母親を訪ねた。路上で蕪を売って生活をしている。
 学校にも行きたいことがわかった。成績も良いのだけれど、貧しくて学校が続かない。
 「スカラシップの支援者をさがしてあげるからね。がんばれば大学まで行くことも出来るよ」
 と言うと、後ろを向いてしまった。
 見ると、目に涙をいっぱいにためて泣いている。
 写真を、「ミンダナオ子ども図書館だより」に載せました。
http://home.att.ne.jp/grape/MindanaoCL/mindanews.htm

 だいぶ長く、ミンダナオ子ども図書館日記を更新しなかった。
 活動は絶えず続いていたし、忙しい日々だった・・・
 (豊島紀子さま、久岡隆行さま、松岡なつめ様、Stady Unionさま、小笠原ライオンズクラブさま寄贈の
 保育所の建設予定場所も、決定しました)
 最も貧しく困難な場所に建てるものだから、4WDの車すら入らない。

 日本から帰って、体調が回復しないままの強行軍。
 しかし、日本にいるときのように、ストレスは溜まらない。
 むしろ、少しずつこちらの空気に、体がなじむにしたがって、心も体も回復してくる。

 今回は保育所を、アラカン地区の山岳部、NPAの強い場所に2つ。
 ビサヤイロンゴのクリスチャン集落に1つ。
 日本のバナナ会社が高原バナナを広げている地域、アンティパスのマノボ族集落に2つ。 
 皆、本当に貧しく、支援を必要としているところだ。
 

 もくじINDEX
 ミンダナオ子ども図書館だより:サイトへGO! MCL文庫
民話、絵本原稿、青少年から大人までの読みものを
自由購読で提供しています。
MCL映像サイト
何故ここに日本人などのテレビ映像
その他の貴重な活動映像を掲載

ミンダナオ子ども図書館日記(松居友制作)にGO! ミンダナオ子ども図書館支援方法 講演、公演の予定表など 
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