ミンダナオ子ども図書館だより:10月7日.



八ヶ岳から

日本に帰り、体育の日を交えた連休、八ヶ岳に登った。富士見高原から編笠山、青年小屋に一泊して赤岳に縦走し頂上小屋に泊まった。

単独行は、北海道で経験してきたから、平気だと思っていたが、今回は、孤独、恐怖、その他諸々の想いが身にしみた。,
前年からの戦闘と難民救済のトラウマだろうか、頭痛、体の不調、精神的な抑鬱が一度にもどってくる。

変な話だが、岸壁を見ると、恐怖が先に立ち、落ちることばかり考える。
斜面に這いつくばっている木々や草は、天を目指して
ひたすら上昇しようとしているのが実に不思議だ。
いつかは枯れて死ぬにもかかわらず、
彼等は上昇(メタモルフォーゼ)することしか考えない。
そんなことを考えながら、自らを鼓舞し、
岸壁の斜面を鎖や梯子をつたって這い登るのだが・・・

アフガニスタンにオバマは、追加派兵をするのだろうか。
戦場で、恐怖をなめた兵士たちのトラウマ、
社会復帰の難しさは、想像以上だろう。
米兵もさることながら、現地の反政府兵士や、その家族。
とりわけ、親などを殺された子どもや若者たちの社会復帰。

日本は、兵士の社会復帰支援をするのだという。
互いに戦争をする社会ではなく、
互いに愛し合う社会を作れたら、
トラウマは自然と消えるだろう。
冗談事ではなく、これらは、ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちの
切実な状況の一部なのだ。

わざわざ、外国に戦争をしにいく馬鹿馬鹿しさ。
とつぜん、よそから兵隊が戦争をしに来る恐怖。
目の前で殺されていく家族たち。

山小屋で、合い席の登山客と食事をしながら雑談をする。
「ミンダナオって、どこですか?そんなところで、戦争があるなんて、ぜーんぜん、知りませんでした。日本は平和ですからね・・・」


あまりに体がひどいので指圧にいった。
先生いわく、「こんなひどいのは見たことがない!」なにしろ首筋に触れただけで激痛が体に走る。
それでも指圧を続けていく。手ぬぐいを頭に置いて・・・
激痛が走るたびに、難民キャンプの子どもたちの様子が走馬燈のように浮かんでは消えて、手ぬぐいの下で涙が頬を濡らしていく。
自然の木々は、上に向かって、光に向かってただひたすら枝葉を伸ばそうとしている。



ミンダナオ子ども図書館だより:9月30日


2,季刊誌「ミンダナオの風」秋号・25号をPDFでお読みいただけます。
  a:ミンダナオの概況:ミンダナオ情勢は、相変わらず良いとは言えない。散発的に起こる戦闘。
    MILFと政府軍の対立もあるが、リドーと呼ばれる地域の実力者どうしの争いも起こる

  b:特集 マノボ地域の状況
    近年になく、先住民族の置かれている状況は厳しい。
    世界的な経済崩壊が、この様な辺境の地にまで影響を及ぼすとは思いもしなかったが、
    現代社会では、土地や財産を持たない人々ほど、容易に生活崩壊の危機に立たされるのだ。
    まるで赤子の手をひねるかのように・・・。
    グローバルな資本主義経済がもたらした悲劇。

  c:医者にかかることの出来ない貧しい人々にとって、病気はそのまま死に結びつく脅威だ
    病気がそのまま死に結びつく脅威であることを、貧しい人々は良く知っていて、
    もちろん、マナナンバルという民間医術師に、薬草治療や祈祷をしてもらうのだが、
    これではとても救うことが出来ない、または、自分自身治ることは不可能だと察すると、
    静かに諦めて死を待つ。

3,戦闘で28の家が焼かれた
   9月19日、DSWDと組んで、避難民支援に向かった。
   イスラム自治区ARMMサイドで戦闘があり、300世帯が避難民化している。
   そこで、ワールドフードWFPが食糧支援、私たちは古着の支援を行った。
   ここでも中心になったのは、ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちだった 







戦闘で28の家が焼かれた!

9月19日、DSWDと組んで、避難民支援に向かった。
イスラム自治区ARMMサイドで戦闘があり、300世帯が避難民化している。
2週間前のことだが、ARMMサイドの事なのでピキットのDSWDは動かなかった。
ARMMサイドのDSWDも動いていない。
そこで、グレースさんが中心になって、食糧支援、私たちは古着の支援を行った。
ここでも中心になったのは、ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちだった
食糧支援は、今回はEUの方から
ワールドフードが参加した。
トラックに食糧と衣料を積んで
奨学生たちと出発
焼けた家々
戦闘で焼き払われた家々。まったく見る影もなく焼き払われている。
今回のこの地域の戦闘は、
リドーとこちらでは言う
地域の有力者どうしの争いだ。

ARMMサイドでは、3年前に
市長と副市長の権力争いで
避難民がどっと出た。

今回も同様の経過を持っている。


今回は、約300世帯が避難民かした。
28件の家が焼かれて、
着るものも無く焼き出された人々。

その多くがハウスベースと言って
知り合いや、
学校やモスクに避難している。

路上や空き地に放り出され
ビニールシートの生活を
余儀なくされるよりは
じゃっかんましだが

知り合いの家の中に
住めるわけでもなく
納屋や玄関先で雨露をしのいでいる。
現地へトラックで向かう。
衣服の支給は、一家族3枚としたが、着の身着のままで焼き出された人々には多く支給した。

支給方法は、DSWD(福祉局)のグレースさんの采配で、まずはスタッフが家族の状況と名前、家族メンバーの構成をチェック。
その後、一枚一枚チケットを渡す。
そのチケットを持って、トラックへ、食糧と衣料を受け取りに行く形。
厳格な方法だが、
こうしないと、混乱が起きたり、繰り返し同じ家族がもらいに来たりして収集がつかなくなる。
支援物資を配るだけでなく、現地の家族構成と被害状況も正確に調査できる。
衣服もなく焼け出された家族には、とりわけ手厚い配慮をした。
食糧は、今回はラマダン明けのお祝いの日にもあたるので、
米(EUの支援)だけではなく、鰯の缶詰とミロという粉末飲料を子どものために添えた。
その名もラマダンパック。
医療チェックも同時に行った。
服や食糧をもらって大喜びの子どもたち。




ミンダナオ子ども図書館だより:9月16日

1、ピキット、ブロルとブロッドから避難民発生
  ピキットの川沿い地域、貧しくMILFの活動拠点でもあるブロルとブロッドで戦闘が起こった。
  今回の戦闘は、政府軍とMILF軍の対抗というよりも、その地域の有力者家族,、
  それも従兄弟どうしの対立だ。

2,クリスマスの願い星の制作が始まった

3,イスラム地域ピキット、パマリアン集落の保育所開所式


4,歯茎と歯の治療が最終段階に。イスラム集落の最もはずれの貧しい家

5,キアタウ集落のこの子の支援者をさがしています。

6,全体ミィーティングの後で、持ち寄ったバナナとカサバ芋を植えた



ピキット、ブロルとブロッドから
避難民発生

ピキットの川沿い地域、貧しくMILFの活動拠点でもあるブロルとブロッドで戦闘が起こった。
今回の戦闘は、政府軍とMILF軍の対抗というよりも、その地域の有力者家族、それも従兄弟どうしの対立だ。
どうしてその様なことから戦闘が起こるのか、日本では考えられない事だが、
原因は地域の勢力、権力、利権争いであることが多い。

どちらが施政的な権力を得るか。
それに土地領有の問題が加わったり、ちょっとした事から殺害が起こり、復讐が起こったりすることもある。
まったく生臭い話だが、今回のブロル地域は、現市長も力を入れている地域だけに、
妬みを買ったりすることもあるだろう。



現地の情勢を調べに近くまで行ったが

常時、銃撃の音が聞こえてきて
危険で近寄ることが出来なかった。

幸い、避難民はハウスベースで
雨の中、家も無いという状況ではないので
もう少し、様子を見ることにした。

長期化せず、治まれば
そのまま家に帰ることが出来るだろう。

長期化すると、
食事や医療の問題が出てくる。

戦闘で可哀想なのは、
子どもたちとお年寄りだ。

来年の総選挙に向けて
こうした内紛とも言えないような戦闘が
各地で起こる可能性がある。

まったく悲しいことだが・・・




クリスマスの願い星の
制作が始まった
トウモロコシの皮に着色して
飾りにする。
ニッパ椰子の葉を折って
星を作っている、
その他にも、椰子の木の皮を使って
それを貼り付けていったり

クリスマスの願い星の制作がはじまった。
奨学生たちが、一つ一つ手作りしていく。
注文は、9月いっぱいで、10月に入ってから発送を開始する。

メールでご連絡いただければ、まだ注文まにあいます。

貧しい家庭ならではの、自然の素材を使った質素な願い星・・・・定価はありません。
自由寄付ですが、送料がどのくらいかかるのかまだわからない。

少し高くなるものの、より確実なDHL便で送ります。
発送から一週間以内には、確実に届くと思います。
のんきな話ですが、皆さまに喜んでいただければ幸いです。
それにしても、
ミンダナオは、すでにクリスマス気分。
至る所でクリスマスソングが流れ始め
イルミネーションが飾られ始めました。

クリスマスの星も、飾られ始めました。
この興奮が、今から日を追うたびに高まり
12月24日の一週間前に最高潮になります。

本当にお祝いやお祭りが好きな人々です。



イスラム地域ピキット
パマリアン集落の保育所開所式
大量の避難民が出たパマリアン集落。
そこに救済支援を行ったのはついこの間のことだ。INFO

パマリアンは、戦闘地域に隣接しているだけに、避難民が発生するとこの地に逃れてくる。
ピキットの中では、非常に貧しい集落の一つで、村の中心地には、申し訳程度の初等小学校と、骨組みだけの保育所。
私たちは、この地に保育所を建設。その開所式に奨学生たちと向かった。
戦闘が絶えないところだけに、皆大喜びで祝ってくれた。
奨学生たちの読み語りが始まる。
保育所開所の調印式
MCL代表(松居)のサイン 村長のサイン 保育所所長のサイン
パマリアン集落には、丸木橋を渡っていく。
ここにももうじき橋が架かる予定。そうすれば、本格的な小学校建設も視野にはいるだろう。


歯茎と歯の治療が最終段階に
イスラム集落の最もはずれの貧しい家

初めて、彼女の家を訪れた。
ラガイエン集落から来ていることは知っていたが、集落の中心からさらに小一時間
踏み痕だけの山道を、無理矢理4WDで登っていき。
さらに、そこから踏み痕をとどった最も奥に家はあった。
妹が迎えてくれた ボロボロの家
昼時になって、山に働きに出ていた
父親と母親が帰ってきた。
極貧であることは、明らかだった。

この様な村はずれの奥に住むには
それなりの訳があるのだろう。

幾たびかミンダナオ子ども図書館にも泊まり
いっしょに病院に通う間に
こうした隔絶した地域の家族とも
信頼関係が生まれ・・・


キアタウ集落の
この子の支援者をさがしています。


小さくてもこれが我が家


お父さんといっしょに
キアタウでは、保育所建設を進めている
キアタウ集落は、大変な山奥にある。車が入れず、馬にコンクリートなどの資材を積む。


全体ミィーティングの後で
持ち寄ったバナナとカサバ芋を植えた

文化と農業は、ミンダナオの将来を考えるためにも重要な要素だと思っている。
その様なこともあって、外部に住んでいる奨学生も含めて
みんなで、ミンダナオ子ども図書館にバナナとカサバ芋を植えた。

ミンダナオ子ども図書館に住んでいる奨学生は、日々こうしたプロジェクトに参加しているが
外部で下宿したり、親元から通っている子たちは
毎月一回、総会の時に集まってくる。
こうした時を利用して、文化祭や平和の祈りと言った、全体のプロジェクトを行うが
農業プロジェクトもその一つだ。

それぞれ、苗を一つづつ持ち寄って
ミンダナオ子ども図書館に植えていく。

これによって、
食費の軽減にも大いに貢献できるだろう。

支援してもらっているだけではなく、
自分たちの手や智恵を働かせて
自助努力をしていくことも
大切な体験だと思う。



ミンダナオ子ども図書館だより:8月25日

1、保育所建設へ即行動
  ミンダナオ子ども図書館流、行動パターンを紹介します。

  a:パマリアンの保育所建設
  b:ボアイボアイの保育所建設

2,医療と心療

  再会、そしてミンダナオ子ども図書館へ


  a:グレン

  b:ジンジン

   c:マイマイ

  d:ジェニーボーイ



保育所建設へ即行動
ミンダナオ子ども図書館流、行動パターンを紹介します。

実際にどこの場所が保育所を、または学校を真に必要としているかは、
読み語り、医療、難民救済や奨学生プロジェクトの過程で、常にチェックしている。
決定までは慎重に状況を調査する。
しかし、いったん決断すると行動は迅速だ

今後、サイトで、各保育所の建設経過をご報告していきます。

建設する場所によって
最短の資材調達場所を選択

保育所建設決定の翌日
ピキット市の懇意の店で、予算にあった資材を調達


グレイスさんと話しているこのオジサン
実はなんと、ピキット市の市長さん
懇意の方で
話している内容は・・・

「MCLで保育所を建設しますから
市で、ダンプトラックを無償で提供して
いただけませんか」


「そうですか、それはすばらしい、
ちょっと待ってくださいね。
今すぐに手配しますから」



そうしてすぐに
その場で、
携帯で運転手に指示を出す。



「もしもし、ああ、運転手。
今日の午後、車は空いてたよね。
MCLさんが、
保育所の資材を調達したいそうだ
ガソリン経費は、市でもつから
相談に乗ってやってくれ」
やってきたピキット市のダンプトラック
このトラックには、たびたびお世話になっている
早速、資材を運び込む
出発完了

パマリアンの保育所建設

今回は、二台同時に、お借りして、一台はパマリアンへ、もう一台はブグアッドへ二往復していただいた。
運転手も既知の方々でとても親切で好意的だ。
一七日には、初等小学校建設の資材搬送も決まっている。以下の写真は、私が行ったパマリアン。
疲れが出たので、山岳地のブグアッドには別のスタッフが同行し、私は低地のパマリアンを選んだ。
まだ体が本調子ではないようだ。

おーい、あっちだよ
村長も待っているよ!
お待たせしました。
村長さん!
待っていましたよ・・・
これは、パガルガン集落の村長さん
若いが誠実で、努力家だ!
自分たちの村に、保育所が出来るということで、村人たちが協力

川の遠方左にコンクリートの橋桁残骸が見えるが、
前村長時代、NGOから建設支援金が入り建設開始。
ところが橋桁一個作ったところで支援金がドロンした。
実に良くある話で、選挙資金か個人資産になった?


保育所建設が、問題なく進むように
大工は2名、労働者は4名を原則として
2週間、14日間の突貫工事と決めている。


つまり、こうした契約がはっきりしていないと
ゆっくりと何日も仕事をして
日雇い料を稼ごうとするからだ。

村に行くためには、丸木橋を渡る。
幸い、GIM(USAID)が橋を架ける予定。
軍用車が来なければ良いのだが・・・
今回は、村長から、
「村人みんなで協力して建てるから
労働賃金の総額を、
昼食の炊き出しと
おやつの費用に

転用してほしい。」
との要請があった。
「もちろん、かまいませんよ」

大切なのは、事前の打ち合わせで
細かい点まで
内容を詰めておくこと。

建築後の教師の有無、
どこが給与を出すか、
土地は、個人のものでも、
正式な契約書を書いて
村に寄贈する、といった
細かいところまで、
きちっと話を詰める。
後でトラブルが無いように。

結構あちらこちらで、
NGOで建てたのは良いけれども、
使われていなかったり
個人の私有になっていたりするのを
見ているから。
保育所の先生
厳しそうだが、優しい方
これが保育所の状態だ。
洪水があったために、椅子が無く、板が置いてあるだけだと思ったら、なんと、椅子だった。

MCLでは、子どもたちの椅子、机、黒板、学習チャートまで含めて寄贈する。
パマリアンの小学校もひどかった
同じ場所に、小学校がある。
今回、建設を決めた、セニヨールマラウ集落と同じ、
初等小学校で現在は4年生まで。

来年から、5年生クラスが始まるという。

左が、下記で紹介した写真だが、本当は、村役場だった。
上の左と中の二つの建物が小学校で、
真ん中の写真は裏から見たところ。壁が完成していない。

生徒数は300名に達する。
教室が足りないので、右の民家を一教室に当てている。


子どもたちはいつも可愛い
次に私たちが実行するのは、
この子たちの中から、
スカラシップの子を選ぶこと。

教育によって地域を活性化させていくことだ。
と言っても
すでに一人、この地から奨学生として
親の無い子が、大学に通っているが・・・




ボアイボアイの保育所建設

ボアイボアイは、山奥のマノボの集落。小学校、高校の奨学生がここには多い。
4WDでも到達がしばしば難しい。しかし、非常に貧しく三食たべられない。私たちはこの地域を課題地域の一つにしている。
最近は世界的な経済危機がこの地域にも打撃を与え、さらなる貧困化が進んでいる。
NPAも活発に動き出しており、呼応するかのように軍も入った。
ボアイボアイは、マグペット市に属しているので、同市のダンプトラックをお借りした。
MCLは、現在約7カ所の周辺の市で活動しているが、全ての市で市長許可証(メイヤーズパーミット)を得て活動している。
ロハス市、アンティパス市からは表彰も受けている。
山道の軽トラの旅は過酷だ。 途中で子どもたちも乗ってきた 途中からダンプに便乗

どこまでも続く山道を超えて、ようやく目的地の村の手前に到達。
橋が崩れかけている所でダンプは停止。これ以上は進めず、資材を道脇に置いた。




そこからは、ボアイボアイの村人たちが
水牛や馬、
肩に担いで資材を村まで運ぶ。


奨学生マロットのお父さんも
無償で協力してくださった
(写真:左)

村までの道のりは、
一キロはあるのではないだろうか。
コンクリートの袋は、一つ40キロはある。
砂や砂利も運ばなければならない。

しかし、自分たちの村の子どもたちのために
無償で協力してくださる姿は感動的だ。

村人たちによる建設が始まった
土橋が崩れ車で近寄れないので、資材を水牛で牽いて運ぶ。父親たちの手で、こうして建設が始まった。




医療と心療
再会、そしてミンダナオ子ども図書館へ

グレン

この子の手術をしたのは、もう5年も前になるだろう。母親が居ず、父親の過ちで銃が暴発頭に傷を負っていた。
数ヶ月の治療の後、回復。その後、父親は、別の女性と家庭を持った。
先日、たった一人で村に
帰ってきているのを見つけた。
大喜びで駆け寄ってきた。
しかし、膿が再び広がっている。

それでも、元気で大きくなって、
友だちと遊んでいる。
当時は、口からヨダレが止まらず、
左腕と足に軽い麻痺がみられる。
正常な成長は見込めないと思っていたが・・・



久々に会って、思ったより
目つきも行動も
しっかりしているので一安心した。
私の姿を見たとたん、
よほどうれしかったのだろう、
満面笑顔で駆け寄ってきた。

祖母の所を離れ、
一人でもどってきたという。

このままでは、化膿が広がるので
再び治療を開始。
ときどき、このように、
まったく見放された子に出会う。


この子に再会してから3日後、引き取るために村を訪ねたが祖母の所にいると聞いて、さっそくその場所に向かった。
祖母いわく「傷を治した後、この子をMCLで引き取ってくれないか」。祖母にとっても、厄介者でしかない。
グレンにたずねた「私たちといっしょに、MCLに住むかい?」
「うん、MCLがいい」本人は大喜びだ。
と言うわけで、新たにミンダナオ子ども図書館に住むことになった。
軽トラの後ろに乗ってお別れ MCLでみんなと初めての食事 どのような生涯を送っていくのか

ジンジン

かつてMCLの奨学生だったジンジン。足に問題があり、ゆっくりとしか歩けない。
薬をだしてメンテナンスを続けていたが、父親も町に仕事が出来たし、家で母親が面倒を見ることになった。5年前のことだ・・・。

先日、キダパワンの町で、5年ぶりに父親が声をかけてきた、
「ジンジンは、歩けなくなっている。実はあれから、私たち夫婦は離婚して、私も彼女も別の人といっしょになって、子どももいる」
「エッ、それならジンジンはどこにいるのですか?」
「母親の元にいるが、妹のラブラブが学校を停止して面倒を見ている。トイレにも行けないから・・・ぼくはもう、ずいぶんもどっていない、
彼女も別の男性と結婚し子どももいるから」





とりあえず、事情を知る必要があるので、

数日後、ジンジンの家に向かった。
何年ぶりの再会だろうか、
大喜びで迎えてくれた。
しかし、歩行は出来ず寝たきりだ。

かつてまだ小さかった
妹のラブラブ(下写真)が、
高校3年生の学業を停止して
ジンジンの面倒を見ていた。
話の途中で父さんの事になったとたん
泣き出したジンジン
将来、妹とMCLに帰ることを決めて
顔が明るくなった。

  マイマイ

小さかったマイマイ、当時10歳。
股関節のヘルニアを治療した折りに、MCLと知り合った。


お母さんは、障害がある。
片足を切断して義足を入れたので
娘のマイマイに支えられて歩く。
それでもがんばって、保育者をしている。
月給2000円。




お父さんは、ガードマンだが、
音信が途絶え、帰宅しなくなった。
別の女性といっしょになった。

マイマイは、
今年大学に入学したものの
一年たたずに、経済的に続かなくなった。

同じ大学に通っている
MCLの奨学生の友人に言われて
再びMCLを訪ねてきた。

どなたか、
支援者になっていただけませんか? 
             MAIL
6年前、当時のマイマイ、10

アンティパスのDSWD(福祉局)
からの依頼。
股間接のヘルニアで、
カレングレースと
二人一緒にダバオのDMC病院で
検診を受け手術を完了。

ジェニーボーイ

かつて私が滞在した孤児施設
ハオウオブジョイで出会った少年
当時、小学生だったジェニーボーイ。

彼の両親は、サリサリストアと呼ばれる
小さな村のお店をしていたが、
つけ払いで借金が貯まった警察官に
文句を言ったと事が原因で
その場でピストルで殺害された。

こうした物語は
拙著『サンパギータの白い花』
(女子パウロ会)
で書いたが、一部下記で引用。

 彼が暴漢に襲われ、頭部を殴られ骨折して病院に運ばれたと聞いて、
 彼の弟と妹、MCLの奨学生のラランとラブラブが現地に向かった。
 ジェニーボーイは耳から血を流し、救急車でダバオに搬送、その後、キダパワンの病院に収容した。

 CTスキャンの結果、頭部の骨が一部砕けていた。
 喧嘩でもしたのかと思ってたずねると、どうやら本当に暴漢に襲われた不慮の事故だった。
 「フィエスタで少し酔って外の机でウトウトとしていると、後ろから懐の財布を探っているのを感じて、
 手で押さえたとたん後部から強く殴られて、そのまま記憶を喪失した。」

 両親とは、幼い頃に死別ししてるし、生活は、あちらこちらをさまよいながら、
 草刈りをしたり、漁の手伝いをしたりしながら、何とか生き延びているという。
 学校は、小学校四年生でストップした。
 ハウスオブジョイで下記の文章を書いた時に、三年生になるところだったから、その後一年でストップしたわけだ。
 しょうがない、このまま追い出すわけにもいかないし、入院治療が終わったら、MCLのマキララ農場で働かせるか・・・


パン一個の不幸

 ボイはカッパに似ている。ぎょろっとした大きな目。
 針金のように立っている短く刈り込んだ黒い髪。
 一口で魚を飲み込んでしまいそうな大きな口と、ちょっと面長の顔。
 どうしようもない不良だという人もいるけれど、決してそうは見えないし
 問題児ほどかわいいというのもまた確かな事だ。
 確かにボイは学校が嫌いだ。いや正確には大嫌いだったと書くべきかもしれない。
 なぜって、ここ十日ほどは学校に通っているからね。
 これは彼にとっては画期的なことなのだ。
 おかげで二年生から三年生に、進級だってできそうだ。・・・・


続きを読みたい方は、書店、または右のインターネットから購入できます。

サンパギータの白い花
松居友:著 

(女子パウロ会)

注文は以下からも・・・
Info


アシム

彼女は、図書館に住んで学校に通っているスカラーのアシムさん、やはりプロック8村のマノボ。
父親はいないが、成績も良い。ところがある日、村に帰って2週間以上帰ってこない日が続いた。
この様な時は、ソーシャルワーカーのカティさんと相談まずは探しに行く。
村の母親の元から、さらに長女の家に移っていた。

頭痛の熱が発端だったが・・・
「その後、私、白い男の人が
前に立っているのを見たのです。
たぶん、妖怪だと思う。
それで、怖くなって、村にもどって、

マナナンバル(祈祷師)に看てもらったら、
女の妖怪が憑いているっていわれて。
母さんのいる村から、姉さんの所に移って
養生していたの・・・」



この様な場合は、話を良く聞いて
本人が一番良いと思う方法を選ぶ。
恐らく、新しい高校が
少し程度が高いからだと思うのだが

姉さんも良い方だし、
母親と相談して、後日、
姉さんの家から通う

という結論を下した。

妖精達には、逆らえない事が多い???





ミンダナオ子ども図書館だより:8月9日

1:お待たせしました。5保育所、1小学校を建設決定
2:これが小学校だなんて!
3:早速、読み語りを始めた。古着の支援も・・・
4:カラカカン、ブグアッド集落にも保育所を建設決定!
5:難民の発生後、洪水被害の激しいナラパアンにも保育所を建設

6:このほかに、マノボ族地域に二つ建てます
キアタウとボアイボアイ

お待たせしました。
4保育所、1小学校を建設決定

諏訪淑子・窪田まゆみ・小役丸良徳・WE21おだわら・全国学校教育研究会
豊島紀子・久岡隆行・松岡なつめ


以上の方々から保育所建設をお預かりしています。
以下の建設を8月に開始します。

諏訪淑子様・・・キアタウ
窪田まゆみ様・・・ボアイボアイ
WE21おだわら&全国海外教育事情研究会様・・・初等小学校
小役丸良徳様・・・パマリアン
豊島紀子様・・・ブグアット

松岡なつめ様・・・年末年始まで、もう少しお待ち下さい
久岡隆行様・・・年末年始まで、もう少しお待ち下さい


これが小学校だなんて!
しかも、生徒が200人
ここに、ミンダナオ子ども図書館で、2教室の小学校を建設決定

ミンダナオ子ども図書館の奨学生で、カラカカンの山沿い、

ブグアット集落から来ている子たちがいる。
ここ数年の戦闘で、道も崩れ、バイクでしか入れなかった地域。
最近の戦闘でも、たびたび難民化している。

先週にも、軍隊が入り、人々が山麓に避難した話を聞いていたが、
田畑は荒れ、食事もろくにとれない事情を聞いて、
調査をかねて久々の読み語りに向かった。
その集落の手前、見上げると、大勢の子どもたちが居る・・・
不思議に思って登っていくと、何と小学校だった!!!
村の名は、セニヨールマラウ集落

こちらで言う、プライマリースクール、つまり
1年から4年生までが通う、初等小学校なのだが、
穴だらけの屋根のしたで、何と200名が勉強しているという。


「国からの支援はほとんどない。話だけはあるのだが・・・
コンクリートの立派な学校は、6学年になってからでも良いから
せめて、雨の当たらない教室が欲しい・・・」

私たちは、相談して、保育所建設の2カ所ぶんを投入して
下半分がコンクリート、屋根がトタン、壁が竹の保育所と同じものを
2教室ぶん、建てる提案をした。
ちょうど翌日は、祭日だったので、
読み語りの活動も行うことに決定。
絵本のボックスを持って、翌日、奨学生たちが学校に向かった。
車がやっと通れるほどの、踏み跡のような丘陵地帯の細道を行く。

フィリピンの国旗がはためいているので、かろうじて小学校であると、認識できる。

もちろん、文部省の管轄だ。
屋根だけの教室がふたつ、しかも一つは、椰子の葉葺きで、腐って穴が空いている。
雨が降ればびしょぬれだ。


早速、読み語りを始めた

今日は読み語りがあると言うことで、精一杯おしゃれをしてきた子どもたち・・・

ピキットは、低地と山岳地とに分かれていて、低地は洪水被害が絶えないが、地味は豊かだ。
山岳地域は極端に土地が痩せて作物の育ちが悪く生活は貧しい。

この村のさらに先にある集落、ブグアットには奨学生がたくさんいて、良く通っていたし、貧しさは知っていたが
奨学生たちからの報告では、去年からの戦闘の影響で、両親たちは難民化をくり返しているので、
畑作が継続できずに土地は荒れた状態で、食べるものもろくにないと言う。

土地は、乾燥して石が多く
トウモロコシもようやくはいつくばるように生えている
今日も、遠くから砲撃の音がする!
読み語りの間も、低地から砲撃音が響いてくる。
豆科の雑草イピルイピルを売って
子どもたちは日銭を稼ぐ

一見、平和な丘陵地帯の風景だが、しばしば戦闘が起こり、人々は麓の集落に避難している。
先週は避難し、今はもどってきているが、荷物は山麓に置いたままだという。
いつでも避難できるように準備しているのだ。
その結果、畑は荒れ果てている。

毎日3食たべられず、日々の食べ物にも窮している。
遠く、ピキットの低地が見渡せるが、大きな洪水が襲っている地域で、遠景に水が広がっている。
アロヨ大統領の停戦宣言があったものの、今日も継続的に砲撃音が響いてくる。
ミンダナオ子ども図書館の奨学生が居る、ブアラン地域からのようだ。



着るものにも困っているだろうと思って
古着の支援も・・・

着るものも、ろくにない事はわかっているので、日本から届いた古着を持っていった。
本当に喜ばれた。
皆様方のおかげです。

さらに、二人の兎口(ヘアリップ)の子の手術を決定。
来年は、この集落をターゲットに、小学校、高校のスカラシップ支援を開始する事も考えよう。
地域的には、MNLFの活動地域で、司令官も良く知っている。
奨学生のお父さんだから・・・・




カラカカン、ブグアッド集落にも
保育所を建設決定!
大きな木下で、ひさびさの読み語り
ここには、長年保育所を建てる計画があったが、戦闘が収まって
いよいよ実行に移す決断をした。
前述の小学校を建てることを決定した集落の次の村が、
ここ、ブグアットだ。
すでに、5年以上の関係が続いており、大学卒業生も出ている。

去年から、戦闘による道の崩壊で到達することが出来なかったが、
ようやく、今年になって、戦闘が収まり、米軍が道の修理をした。
これで、車で通えると思っていた矢先
先週から軍の車が入り、人々は再び山麓に逃げた。

こうしたことの繰り返しで、田畑は荒れ、生活は困窮している。
ちょうど昼食時で、持っていった弁当を食べようとしたが
お腹をすかせた子たちを見て、放っておけずに
子どもたちにも・・・私たちの弁当を差し出した。



難民の発生後、洪水被害の激しい
パマリアンにも保育所を建設

コタバトでは、洪水被害が広がっていたのだが、かなり終息に向かっている。
今回も、DSWDやWFPつまり、行政や世界食料機構の支援があった。
ただし、こうした支援は、大方が地方行政の采配下になるので、
当然、政治家の息のかかった地域の住民にばらまかれる。(来る選挙のために)

ピキットでは、今回も支援は、パイドプランギ、プノル、マカシンディクと、
カバサラン、ブロルに播かれた。
いつものことなので、「ああまたか」と言った感じ。

下記のパマリアンは、最も難民が多く出ている地域なのだが、外されている。
来年度の総選挙を視野に、道路の補修を始め(これも選挙運動の一つ)ばらまき争いが熾烈になってきた???

しかし、私たちは、市の行政の意向だけでは、すぐに動かない。
絶えず現地を自分たちの目で見て、他のNGOや行政の動きを見ながら独自に判断をする。
つまり他からの支援もなく、本当に困窮している地域にこそ、支援を決定。
その結果か、最近はNGOの集まりがあっても行政からはお声がかからない???
特に、選挙戦に関連していると・・・


もちろん市長や副市長とも親しいし、先方も良く理解してくれているのだが
とにかく、小さい蟻のようなNGOだから出来ることも限られているのだ。




ナラパアンの水もずいぶんひいた
たくさん居た難民は、山側に避難した
しかし、この日も砲撃音が聞こえてくる


ミンダナオ子ども図書館のボードメンバー
グレイスさんは、ピキットのDSWD所長補佐だが、
行政からはずれた地域をも積極的に支援している

左はパマリアンの小学校
上述の小学校同様に、4年生までの
初等小学校(プライマリースクール)だが
とりあえず下半分が
セメントの校舎が建っている

ところが、なんと、これが保育所!
黒板も無く、水が引いた後だとはいえ、これではあまりにもひどい。
村長からの度重なる依頼も受けて、私たちは、ここにも保育所を建てる決定をした。

それにしても、選挙が近くなると、なぜ、国際的NGOやWFPの米の支援などが活発になるのかと、
以前から不思議に思っていたが、
海外NGOからの支援が、行政のトップを通して、その息のかかった地域にばらまかれていく様子を見て納得した。
NGOの支援も、立派なばらまき選挙対策の一部なのだ。

まさか、あえて戦闘を起こして、難民状態を作って
意図的に海外支援を呼び込んで、ばらまきを行っている訳ではないだろうが・・・????
これは考えすぎだろう。


このほかに、マノボ族地域に二つ建てます
キアタウと
ボアイボアイ



ミンダナオ子ども図書館だより:7月30日

1,2009年:マノボデー:先住民族の文化祭

   今年の文化祭のテーマは、「祈祷」。
   収穫祈祷、争いを収める祈祷、そして、病魔を祓う祈祷が行われた。

  a,収穫を祈祷する

   b,争い、憎しみを収める祈祷

  c,病気の祓い

  d,インターミッションの踊り

  e,マノボ文化の講義

  f,徹夜でつくったマノボ料理


2009年:マノボデー
先住民族の文化祭


今年の文化祭のテーマは、「祈祷」。
収穫祈祷、争いを収める祈祷、そして、病魔を祓う祈祷が行われた。
結婚式のための祈祷は、来年に持ち越された
四隅には、神に捧げる供物が置かれる
ご飯と鶏肉
毎月、月末の日曜日
学校での諸問題が話し合われる
奨学生の総会、その後で
先住民族の文化祭が行われた。

7月は、マノボデー
9月は、ビサヤ・イロンゴデー
1月は、ムスリムデー
3月は、平和の祈り
4月は、シンポジウム

こうしたアクティビティーを通して
平和、貧困、文化について
発言し、考え、体験する


ミンダナオ子ども図書館は、スカラシップや医療が中心的活動目的だと考えている人が多いが、
貧しい子たちを、ただ学校に行かせるのが目的ではない。
彼等が将来、民族、宗教を超えて、平和や貧困の問題を解決できる心を育てることが主眼。
それには、学校教育にはない、独自の文化やボランティア活動を、学校とは別に行う必要がある。

MCLが政府に登録している際のプライマリーパーパス(第一次目的)は、文化と読み語りプロジェクト。
文化プロジェクトを通して、平和で貧困のないミンダナオを創ること・・・。これが基幹だ。
学校教育だけで平和が実現できるなら、とっくにフィリピンは平和な国になっていただろう。

日本でも、企業で働いている人ならわかると思うが、学校教育を受けたからと行って、
大学を出たからと行って、社会で使い物になるわけでもないし、
成績優秀だからといって、世の中を良くする仕事が出来るわけでもない。
逆に、学校では英語とタガログ語以外の言語の使用は禁止したり、
先住民族やイスラムの文化を低く見る嫌いがあり、平和に逆行している。

私自身、成績はたえず中だったし、勉強は好きではなかったし。優等生になったこともない。
だからというわけではないが、MCLは、成績を重視して子どもたちを採用しない。
孤児、片親、極貧、ブロークンファミリーの子が優先される
共通しているのは、総じてみんな、極貧状態から来た子たちであること。
こうした子たちの方が、人の気持ちを理解して、平和を築けるような気がする。


 この子たちの顔を見たとたん
 私には、その子の背景が浮かんでくる。
 200人以上集まっても、奨学生として採用する時に
 全家庭を訪問して、家庭事情を聞いたりしているので
 ほぼ全ての子たちの状況がわかる。

 背後事情を知っていることは、子どもたちの私に対する安心感や
 信頼する気持ちとも関わってくる。
 左の写真の4兄弟姉妹は、昨年両親とも病気で亡くした。
 キダパワンのスコーターエリアに住んでいた。

 上の写真の子たちの中には、特定して言うことは出来ないが、
 母親が殺された子
 無実の罪で監獄に父親が入っている子
 両親が離婚してバラバラになっている子
 父親が死んで、継父が変な関心を持っていて保護が必要な子
 等の顔が見えている。

 顔を見ているだけで、色々な背景が思いだされる。
 極貧で食べていけない子たちも含めて、MCLの子たちは、
 ほとんどが、何らかの困難な家庭事情を抱えて来ている子たちだ。

 最初は、この様な事情のある子は難しいと思ったが、
 (もちろん難しい場合もあるが)
 こうして苦労してきている子たちの方が、
 良い子が多いと思うようになった。
 

収穫を祈祷する
最初に、収穫祈祷からはじまった。
人々が、首領の前にやってきては、農具、鎌や鉈を置いてゆく。
農具を浄めてから、儀式がはじまる。
種まきを模した祈祷
狩猟を模した祈祷。イノシシ狩り。 カエル(食べるための)捕りも演じられる
最後に、収穫の様子が演じられる
収穫されたものを持ち寄り
首領を中心にして
村人たちが集まり
皆で、豊穣と豊かな恵を
神に願って祈りを終える

争い、憎しみを収める祈祷
喧嘩が起きた!迫真の演技に身の毛もよだつ・・・ 妻や家族が仲裁にはしる
村人たちが仲裁を願い出ることによって、首領が、白いニワトリを持って仲裁の祈りにやってくる。
憎しみあっている二人の間にはいり、白いニワトリの足をもって
両者の頭越しにふりまわす。こうして和解の儀式が終わる。

病気の祓い
病気の祓いの時も、首領が呼ばれ、白いニワトリを持ってやってくる。
白いニワトリの首にナイフが当てられる ニワトリの血を病気の若者の額に塗る 病人に米と鶏肉を食べさせる
白いニワトリは、生け贄の象徴だ。
沖縄では、夜浜で豚が生け贄にされるし、中近東ではかつて羊が生け贄になったことは
聖書に記されているとおりだ。

こうした神へ供物、または生け贄を送る場合は、血と肉が儀式で重要な意味を持つ。
この血と肉が、象徴として、酒と米、またはパンと葡萄酒に代わる。
日本では、アイヌの熊送りの場合は、血を飲み、肉を食べて、カムイである熊をカムイモシリに送った。
神道や仏教では、御神酒とご飯が供物として捧げられたりする。

火の神の懐にて    沖縄の宇宙像
こうした古代から現代まで文化の背後に伝わる宇宙像コスモロジーに関しては、
『火の神の懐にて』および『沖縄の宇宙像』の2冊に書いたので読みたい方はクリック
古本でしか手に入らないが・・・

インターミッションの踊り

マノボ文化の講義
首領・ダトゥ イナガロ
マノボ族だが
彼のおじいさんは日本人。
ガボン牧師
MCLのボードメンバー
マノボ族
松居友
MCLの首領補佐?
ミンダナオの後住民族

首領の語った内容は、現在スタッフがまとめているが、私にとって、今回印象的だったのは、生け贄の事だった。
ニワトリを生け贄に捧げる習慣があることは、知っていた。
2006年のマノボデーでは、口でニワトリの喉を切って人々を聖別していた。
白いニワトリだけではなく、儀式によっては、黒いニワトリを捧げることも知っている。

生け贄は、世界中の民族に見られる風習で、沖縄では豚、中近東では羊、時には山羊や人を生け贄に捧げた。
羊や人を生け贄に捧げる習慣は、旧約でも出てくるが、日本でも人柱の昔話として残っている。
罪の許しや病魔を祓う、いわゆる悪霊を祓う犠牲としてもちいられる。

私は、最後に指名を受けて語った。
「今回の儀式で、生け贄になった白いニワトリが印象に強く残った。
喧嘩を仲裁するために生け贄となった白いニワトリは、イエスのように見えた。
『自分は、なんの罪もないのに、こうして生け贄にされる、しかし、自分が生け贄になって殺されることで、
病気が癒され、喧嘩が無くなり、この世に平和がもたらされるのならば、仕方がないか・・・』
イエスは、病気を癒し、悪霊を追い出し、最後には、神の平和を実現するために自らの命を差し出した。

生け贄で大事なのは、血と肉。アイヌの人々は、熊を神のもとに送る時、血を飲み、肉を食べた。
その血が、酒になり、肉がご飯や餅やパンになって、神前に捧げられる。
ヨーロッパでは、葡萄酒とバン、日本では御神酒と餅。
最後の晩餐を象徴しているカトリックミサも、この流れをくんでいると私は見ている。

こうした風習は、根元的に世界中に共通していて、生け贄を捧げることで、争いや病気を無くそうとした。
罪もないのに、自分を犠牲にすることが、愛の最高の姿だと知っていたからだろう。
かつては、罪のない処女を生け贄にささげたりもしたが、
イエスが、神の子として最高の生け贄となることで、神の愛と平和をこの世にもたらした意味は、
こうした風趣からも良く理解できる。

イスラム教徒も先住民族もクリスチャンも、過去の風習をしっかりと見つめていくと
そこに以外と自分たちの宗教につながる、普遍的な愛を見いだせるような気がする。」

そして最後に、こう語った。
「こうした先祖から培ってきた文化を受け継いでいくことは大事だと思う。
それは、大昔から人々が受け継いできた愛の流れだから。
文化祭に参加することは、ひょっとして『ある事』よりも大事かもしれない、
『ある事』って、ここじゃ大きな声では言えないけれど、
『学校教育』よりも大事かもネ・・・」


徹夜でつくったマノボ料理
マノボの食卓は本当に豊かだ。
かつて、ミンダナオに土地所有権などが無かった時
いたるところで、狩猟や採集、耕作が出来た時
彼等の食卓は、想像以上に豊かだったのではないかと思う。
オララム:沢ガニ
ティナポイ:米の麹蒸し バンコック:ナマズの串焼き イナサノボタル:トウモロコシの皮でくるんだ
トウモロコシのお菓子
サギング:蒸しバナナ ギナタア ガビ: ビツォビツォ:米で作った揚げ団子



前日は、徹夜でマノボ料理の
準備をした。
山の集落から
両親もやってきて
料理の手ほどき

日常も
こうした機会を得ると
新たに生き生きとよみがえってくる

親の無い子も、
こうした場で
自分のアイデンティティに
目覚めていく。
200名ほどの、高校大学の
奨学生たちが集まり
イスラムの子も
クリスチャンの子も
始めて食べるマノボの食事に
舌鼓をうった

食事は
文化交流の
大事な一部

次回は、9月最終日曜日
ビサヤ・イロンゴの
移民クリスチャンの文化祭



ミンダナオ子ども図書館だより:7月24日

1,マノボデーの準備の芋掘り
   芋掘りと言っても日本のように畑に植わっているのを掘るのではない

2,来週に迫ったマノボデーの練習風景
   今年の文化祭のテーマは病気の癒し、祈祷だ。

3,その夜は、ダトゥ(首領)を囲んで
   夜は、ダトゥ(首領)を囲んで自分たちの伝統を感じることの大切さを語ってもらった。

4,イスラムの子にもハラナ
   ハラナとは、夜明け前にみんなで集まって、誕生日の歌を歌いお祝いをすること。

5,そのロネール君にイスラムの子たちが
   これを聞いたら、保守的な宗教界は、目くじらをたてるかもしれない・・・


マノボデーの
準備の芋掘り
芋掘りと言っても
日本のように
畑に植わっているのを掘るのではない

自生している芋を
木の枝を使って
掘るのだ!

(実はこれも半自生であって
立派な畑なのだが)

先住民族のマノボ族、バゴボ族、ビラーン族、マンダヤ族などは、多くが山の奥に住み着いている。
それを見て、山を生活の場として好む、山岳民族だと勘違いしている人たちが居る。
そうではない、亡きボードメンバーでマノボ族のスーザン・インカルさんがおっしゃっていたが、
「今は、学園都市になっているキダパワンも、昔はジャングルで、平地には、マノボ族しか住んでいなかった」
誰が好きこのんで、この様な傾斜地に好んで畑を作るだろうか・・・・!
右の写真の下には、広大な水田やゴムやバナナのプランテーションが広がっているが、
あそこは、元々、マノボ族の住んでいた土地だった。
それが今では、外地から来た開拓民やドールなどのプランテーション企業に土地を追われ、
こうした、不便な斜面に住むしかなくなったのだ。


こうした現実を理解するために、芋掘りも、マノボデーの大切な文化活動の一部。
イスラムの子や移民系クリスチャンの子たちにとっても、マノボの子たちが
どこでどのような生活をしているかを知ることは大事なこと。
MCLの奨学生たちも、ほとんどが左のような家から来ている。
今、こうした地域を、先進国の自国優先による食糧確保政策のために起こった食糧難と
物価高騰による貧困が襲ってる。
ちょっとした食料の値上がりが、こうした貧困層にとっては
壊滅的な打撃になる
上の写真を見て、皆さんには、どんな声が聞こえてきますか?私には、こんな声が聞こえてきます。
「ハハハ、これは単なるジョーク ジョーク、冗談だよ。こんなだったら良いなあ、って演出しているだけ!あーあ、腹へったなあ。」
「この米?田の稲刈りに日雇いで働かせてもらったXさんが、落ち穂を集めた籾で、うちのじゃないわ。
置いてあったから、冗談で写真に撮ってもらっただけ。子どもたちに食べさせる米?あるわけないでしょう!」

どうして貧しい人々って、こんなに朗らかなんだろう・・・

写真を見ると、または現実を知らない旅行者がこうした人々の姿に出会うと、
「ああ、熱帯は冬もなく、食糧が豊かだなあ」と思えるかもしれない。
しかし、上の籾の写真は、自分たちの田圃の収穫ではない。
山裾の平原を所有している
移民系クリスチャンの稲刈り(右写真)の後、
こぼれていた落ち穂を拾い集めてきたものだ。
家族が多ければ、二日分の食糧にも満たないだろう。
米を買う金がないから、こうして収穫後の田圃に残された落ち穂を拾う。
こうした田圃は、もともと先住民の自給地だったのだが、
政府が(所有者の無い土地)と認定し、分割して島外移民に売却した。
マノボの人たちは、自分で買うようなお金がないので、
生活していた土地を追い出されたのだ。

出ていかないマノボの家族には、
イラガ(ネズミ)と呼ばれる、移民系の人々が作った暗殺団に
殺されたりしている。
それでも抵抗する者たちは、NPA(反政府ゲリラ)という
レッテルを貼られ
軍の攻撃を受けて死んでいった。
私がきた6年ほど前も、マキララで同様の事が起こり
現在も、抵抗運動や戦闘は各地で起こっている。

山に追われたマノボ族の人々は、
誰も耕していない、不便な傾斜地を見つけては
そこで、かろうじてバナナや芋やトウモロコシを作付けしている。

のんきな日本人は、バナナは、バナナの木に次々と房がつくと思っている
だから、例え山岳地域でも、熱帯は果物が一年中なっていて豊かな場所だと・・・
しかし、バナナは草で、木のように見える一本に一房だけ実り、
その後は、腐って死ぬか切り払われる。つまり、年に二回、二房が収穫できるだけだ。

プランテーションのように、何万本も植わっていれば食べるにこまらないだろうが、
斜面のバナナの所有者は、一家族が10本程度。
仮に10本のバナナの木を所有していても、食べられるの年に20房だけ。
芋を掘っても、トウモロコシを植えても、食べていけない事がわかる。

しかも、多くのマノボの人々は、この様な斜面にすら土地が無く、自給地を持たない。
こういう人々は、サトウキビ刈りの日雇いなどに出稼ぎに行くか
(これも現在の経済危機でことごとくリストラされている)、
女の子は、町にでて洗濯女や子守、女中となり、果ては食べるために売春に走り
男の子たちは、空き缶などの町のゴミを拾って歩く、なかば物乞いの生活となる。


これが、彼等が山から得られる
貴重な食糧だ
一見、豊かな?森の恵??
しかし、これだけ捕るのも結構たいへんだし、たくさん捕れるわけでもない

下界に見える平坦で耕作に良い土地は
ほとんど、ビサヤ、イロンゴ、イロカノと言った
移民系クリスチャンに占められている
高地のマノボの子たちが、こうした村に降りてくると馬鹿にされる。
学校に通うのも、山からでは何キロも歩かなければならない。
村は、移民系の人々に都合良く作られているからだ。
ミンダナオ子ども図書館は、そうした子をあえて選んで、奨学金を出している。
彼等がなぜ、ミンダナオ子ども図書館に住みこみを希望するか、ご理解いただけよう。
マノボの人々は、この写真の後ろの山に住んでいる。
こうした山の傾斜地に、悪いことに現在、ドールやデルモンテ、
日本のAJMR(住友商事)が次々とバナナ園を開き
マノボの人々は自給地を追われ、さらに山の彼方へと移動せざるを得ない状況。
ここで育つバナナ、
皆さんが日常スーパーで食べている高原バナナ、完熟バナナ
ちょっとしたブームになっている、高地栽培バナナと呼ばれるのがそれである。
バナナに土地を追われたマノボの子たちは、三食食べられなくて痩せている。
これぞ、本当のバナナダイエット???!!!

それに加えて最近は、ジェトロファ(こちらではトバトバ)と呼ばれる草の実が、
バイオ燃料が出来るというので
日本も含めた海外企業が、土地を買いあさっている。
バイオ燃料に土地を追われるマノボ族、
バナナなら、盗んで食べることも可能?
しかし、ジェトロファは、雑草だから、盗んでも食べられない。
(プランテーションでは、盗もうとすると、ライフルを持った警備員に射撃される。)
こうして、父親が命を落としたり、監獄に投獄されて、家庭も崩壊した子も
ミンダナオ子ども図書館には数人いる。

今年、図書館の建物に住みこみの子を70名まで増やし、
飽和状態をあえて超えさせたのも
保護しなければならない、食べられない子たちが
今年に入ってどっと増えたからだ。
先住民族を追い出して、政府の公認の内に自分たちの土地を所有した移民系の人々
旅人には、一見のどかな農村風景にしか見えないが、その背後に隠れた

こうした真実を現地から発していくのも、ミンダナオ子ども図書館の重要な仕事だと思っている。
例えミンダナオに住んでいても、リタイヤメントなどで町に住んでいては、この様な現実はわからない。
外国人が、NPAの暗躍するこうした地域に入り込むだけでも難しいのだが、
私が、年月を重ねて可能にしたのは、そこに奨学生がいるからだ。



来週に迫ったマノボデーの練習風景
今年の文化祭のテーマは
病気の癒し、祈祷。

ムスリムデーの祈祷は
実に興味深いシャマニズムの宇宙観
にのっとったもので
私自身もビックリした!
(興味ある方は以下をクリック)

ムスリムの祈祷へ

マノボの方は、生け贄のニワトリを
使って病魔を追い払う
祈祷

首領に教えてもらいながら
伝統と文化を受け継ぐ
大事なプロジェクトだ
伝統楽器、アゴンの音色にあわせて踊る。
アゴンが弾ける人も少なくなっている中で、それを途絶えさせてはならない
若者たちが、自分の民族の伝統文化に誇りを持ち、
嫌々ながらではなく、楽しみながら参加できることが大切だと思う。

自分がマノボ族であること、マノボ族で生まれてきて良かったと思えること、それが美しいことだと感じられること
それこそ、ミンダナオ子ども図書館の文化祭の最も重要なテーマだ。
ステージで演じて、見せ物になることではなく、自分たちで自分たちの文化の素晴らしさに気づき、
それを表現する喜びを体験する事。


その夜は、ダトゥ(首領)を囲んで
夜は、ダトゥ(首領)を囲んで
自分たちの伝統を感じることの大切さを
語ってもらった。
ダトゥの昔話に釘付けに・・・

こうした体験を、今度は読み語りに生かし
あちこちで語り歌い踊ることによって
失われつつある文化を
新たに復活させる

ミンダナオ子ども図書館の若者たち
首領の話は、夜も続く。あちこちで妖精達の飛んでいる羽音や、声が聞こえてくる。



イスラムの子にもハラナ!

ハラナとは、夜明け前にみんなで集まって、誕生日の歌を歌いお祝いをすること。
移住してきた、ビサヤ・イロンゴ系のクリスチャンの風習。
しかし、私も知らなかったのだが、イスラム教徒には、誕生日を祝う習慣が無いという。

でも、ミンダナオ子ども図書館では、みんなの誕生日を祝いたい。
そこで、イスラム教徒も含めて相談して、みんなハラナをすることにした。

イスラム教徒の彼女にとっては、生まれて初めての誕生日のお祝い?
思わず涙ぐむ場面も・・・
ハラナの曲は、ほとんどがクリスチャンソングなので、相談してアッラーの出てくるイスラムソングも交えることに。
最後は、希望者が誕生日の子のために祝辞を送るが、
通称「牧師」と呼ばれている本当の牧師ロネール君が、「アッラーの加護がいつまでもあなたの上にあるように」云々と
神やイエスをアッラーに代えて祝辞を送っていた。

こんな光景を見たら、保守的な宗教界は、目くじらをたてるのかもしれない?????

「松居さんは、なんたる宗教教育を若者たちに施しているのか!!!」
いいえ、私は何も施していないで、彼等が自分で心から実行しているのです。
家族のような兄弟姉妹のために
ronel

そのロネール君に、イスラムの子たちが



それから数日後、
私も知らなかったが、
外でハラナの歌声が聞こえてくるので
行ってみると
ロネール君の誕生日だった。
誕生日を祝う習慣が無いはずの
イスラムの子たちもみんな集まって
クリスチャンソングや
マノボソングに混じって、
イスラムソングを歌った。

ロネール君は、MCLでは唯一のビラーン族の若者だ。
彼は、牧師の資格も持っているから、てっきりプロテスタントだと思っていたが
日曜日に、私たちとカテドラルに行き、聖体拝領も受けたのでびっくすると、何とカトリックでもあった。
カトリックの洗礼を受けたプロテスタントの牧師が居ても良いの(かもしれないの)だった。

これを聞いたら、保守的な宗教界は、目くじらをたてるかもしれない・・・

「何といい加減な・・・」
しかし、カトリック教会が近くに無い時は、皆プロテスタント教会にも平気で行くし
プロテスタントの子たちもたくさん、私といっしょに夕方のカテドラルのミサに出ている。
まったく違和感なく、平気な顔して・・・入れてもらえる時には、モスクの中でも礼拝する。

「松居さんは、なんたる宗教教育を若者たちに施しているのか!!!」
いいえ、私は何も施していないで、彼等が自分で心から実行しているのです。
これぞフィリピンのハロハロ精神?





ミンダナオ子ども図書館だより:7月14日

1,2008−9年度の医療費報告書を掲載しました。
2,食糧危機をのりきるためにみんなで、野菜畑を作った
  次の二つの記事を読んでいただければ、世界と同時に、
  最貧国地域の一つとも言えるミンダナオのとりわけ、
  土地を持たないマノボ族や丘陵地域のイスラム教徒、クリスチャンの
  おかれている状況理解の一助となるかもしれない・・・

3,薪を運んで食事の準備

4,いま、皆が一番夢中なもの。それは、自転車の練習



食糧危機をのりきるために
みんなで、野菜畑を作った
次の二つの記事を読んでいただければ、世界と同時に、最貧国地域の一つとも言えるミンダナオのとりわけ、土地を持たないマノボ族や
丘陵地域のイスラム教徒、クリスチャンのおかれている状況理解の一助となるかもしれない・・・

最貧国では、食糧の問題が深刻さをましている。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20090620AT2M1902K19062009.html
先進国による、農地買い占めがここミンダナオでも進んでいる。
http://www.nouminren.ne.jp/dat/200902/2009020905.htm

新年度が、6月よりミンダナオでも始まった。
去年は、50名ほどの奨学生が、ミンダナオ子ども図書館に住み込んで通ったが、今年は何と70名に増えた。
圧倒的な増え方で、飽和状態を超えた気がする。
それでも何故、彼等を受け入れたのか。
三食たべれない、山岳地域のマノボ族と丘陵地帯のイスラム教徒の子たちが、住みこみを希望してきた結果だ。
イスラムの子たちは、戦闘を恐れて、平和なミンダナオ子ども図書館に来たがった。
先年暮れに、山元しんぷとMの会が、ゲストハウスを寄贈増設したが、部屋はゲストどころか、新しい奨学生に占拠されてしまった。

米だけではない、副食が大変。
普段でさえ、私には粗末に思える一汁にご飯なのだが・・・

中に入っている魚の切り身も干し魚に代えたり、
おやつに芋をたべて、足りないお腹を満たしたり

せめて野菜を植えて、多少でも市場の経費を削減して、干し魚を増やそう・・・

こう、相談して、みんなで野菜を植え始めた。
いくらミンダナオ子ども図書館が子どものシェルターだと言っても
そのキャパシティーには限度がある。

食費は、スカラシップの経費には入れていないし。
食べ盛りの子たちを70名養うだけでも大変だ。
何しろ、50キロの米袋が一日で消費されるのだから。

幸い、卒業生でスタッフになった、ローズマリーさんがハウスキーパーの仕事を引き受けて
全メニューと経費の再検討をしてくれた。
それに、野菜作りも加わって、経費は代わらずに、多少豊かな食卓が提供された。


子どもたちが、やがて社会に飛び出して、
それぞれ有意義な道を
歩み始めるためにも、
大事なことは、

甘やかして育てることではなく、
命令して服従させるのでもなく、
自主的な企画力や判断を信じて
自立心を養うことだと思う。

人数が増えたからという理由で
簡単に食費を上げることは
可能なのだが、
みんなで協力して
危機を打開しようとすること
これが本当の生活だと思う。



同じ村のラメール マノボ族のアロナ 山羊も育ってきた

今年に入って、こうした、最貧困層の食料難が世界を覆ってきている。
先進国が食糧確保のために、ミンダナオの土地も買収している。日本も中国も韓国も・・・
それら広大な土地に作つけられたものは、ミンダナオの現地の人々の口には入らず、先進国の民の口にはいる。
ドールやデルモンテの広大なバナナプランテーションと同じ構造・・・

こうして、自給地を追われた人々は、外国人の食物を育てているプランテーションの日雇いとなるが、
その賃金たるや、とても家族を養っていけるものではない。
(この事実は、上の中央写真のアロナさんが語ってくれた。ミンダナオ子ども図書館:日記右クリック)//アロナの語った事  
そのうえ、米を始め、物価は上がり、食糧難は増幅する。
ミンダナオ子ども図書館に来ることができた子たちは、まだ良いのだが・・・

こうした状況をふまえてか、NPAやMILFの反政府的動きも活発化している。
奨学生たちの居る、ボアイボアイ集落では、NPAに軍の情報委員が殺されて、軍が入った。
イスラムのカラカカン集落でも、2台の装甲車と軍が入り、一時、奨学生たちの両親は、避難民として逃げた。
あちらこちらで、新たに戦闘が起こる気配が見える。

このことは、「ミンダナオ子ども図書館:日記」で、もう少し深く論じていこうと思うが、ミンダナオ情勢は良くない。
そうした中でこそ、困窮に負けずに、協力を惜しまなで、友情と愛情で結ばれ、
宗教を超えて、種族を超えて、平和を作れる若者たちを育てていかなければならない。

彼等にはそれが出来ると思う。




薪を運んで食事の準備

少ないおかずでも、米が食べられ
こうしてみんなで食事を分かち合えるだけでも、幸せ!

いま、皆が一番夢中なもの
それは、自転車の練習

4,5月の休み中に家に帰り、見る影もなく痩せて帰ってきた子たちも
少しふっくらしてきました。



ミンダナオ子ども図書館だより:6月29日

1、パマリアン集落で多くの難民,ミンダナオ紛争
  とにかく子どもたちが多い!二晩も雨に打たれたまま外で寝ていた。
2,状況を見かねて昼にはシートの支援を開始
3,同時に読み語りも


pamarian

パマリアン集落で、さらに多くの難民が・・・

ミンダナオ紛争報告、ピキットとアレオサンの境界に広がる丘陵地域が今回の戦闘勃発地域だ。
以前のニュースで、3月に入り、米軍がピキットの道に砂利を敷き詰めている話を載せた。
おかげでブアランまでもハイエースで入れるようになったが、案の定、軍の車も入りやすくなり戦闘が勃発した。

ブアランとパニコパンで読み語り

私たちは、先週ブアランとパニコパンの難民支援をし、週末の土曜日は、
この二カ所で読み語りをする計画を立てて実行した。

この地域の人々は、ブアランに近い丘陵地域から
逃れてきた人々で、読み語りのあいだじゅう
遠方の丘陵地域から迫撃砲の音が聞こえてきた。

難民の数は思ったよりも少なかったが
ブアラン地域は、次第に増えつつある

その後、パマリアンに難民が集結している、何とかして欲しいと
現地の村長から連絡が入っており、調査に向かった。
現地に行って、唖然とした。
シートもなく、椰子の葉をおいただけの掘ったてで、すでに二晩の昼夜を過ごしている。
その数は、他の2地域よりもはるかに多くとりわけ子どもたちの多いのに驚かされた!
この様な状態のなかで、子どもも大人も2晩以上過ごしている。
今は、雨の非常に多いシーズンだ。
もちろん他からの支援は全くない。
子どもたちが非常に多いのには驚かされた。
80%が子どもたちだと言っても良いだろう。
一晩なりともこのまま放っておくことは出来ないので、早速ピキット市にもどりシートを購入。
子どもたちが、
毎晩雨にうたれているかと思うと
居ても立ってもいられず
早急にシートの支援を決めた

人々は呆然としている
「早急にシートを支援しましょう」
「支援を決めても
いつ戻ってくるのか?」
半信半疑の様相だ。

多くの支援は、調査や決定に時間がかかる
難民が出て、速くて2,3週間
遅い支援は数ヶ月後である。

しかし、難民にとって
初期と、後期が一番厳しい時だ
とりわけ雨の多い熱帯地域は
初期のシートが死活問題。

それを知っているので、
今回は、午前に調査、
午後にシートを支給した。
ピキットの市場で購入したが
そんなお金どこにあったかって?

つけバライで購入したのです
店主が私たちを良く知っているので・・・
「また、難民ですか
大変ですね。どうぞどうぞ・・・」



状況を見かねて
昼にはシートを準備
シートカットの方法も、それなりの技術がいる。
可能な限り長く広げて、4ロールを重ね、6メートルにカットしたシートを添えていっぺんにカットしていく。

午前中の読み語りが終わりこれで今日のスケジュールが完了したかと思いきや
急きょ難民救済が始まる。
ピキット市内でシートをカットして準備をする若者たち、彼らは本当に頼りになる。
400枚を超えるシートが、瞬く間に準備されていく。


さっそく緊急支援を開始
若者たちが中心になって、次々にシートが張られていく・・・
暗かった難民キャンプに笑顔が戻り始める。
とにかくこれで一息つける・・・


同時に読み語りも・・・
シート張りと平行して、読み語りがはじまる。
午前に続いて午後の2セクションこちらもお手の物だ。
それにしても、とにかく子どもの数が多い

難民支援は始まったばかりだ。
長く続かなければ良いのだが、ブアランでは、右の写真のように
一部の難民は、椰子の葉で完全に家のような物を作っている。
これは、長期化を覚悟した結果だという。

MCLではシートを張ったが
とりあえず雨にうたれなくてすむだけであり
難民支援は始まったばかりだ

たびたび通い状況を把握しながら
医療、食糧、衣料しえんなどをしなければならないだろう



ミンダナオ子ども図書館便り:6月23日

T:ピキットのブアラン近郊で戦闘があり、再び多くの難民が出ている

  ピキット近郊で、政府軍とMILF軍が衝突し、多数の難民が出ている。

U:次々と医療患者が・・・
  写真は、ピキットのラガイエン出身のスカラー、Kakim Noraimaさん。

V:キダパワン市の貧困地域での読み語り
   訪問者は、とうぜん国道に沿った表側だけを見るから、そこで生活している人々の真の姿を知らない。

W:MCLでの読み語り,




ピキットのブアラン近郊で戦闘があり
再び多くの難民が出ている

ピキットのブアランとアレオサン近郊で、政府軍とMILF軍が衝突し、多数の難民が出ている。
ブアランは、2000年の戦闘の砲弾跡を残したままの小学校がある地域で、非常に貧しい地域である。
ミンダナオ子ども図書館で保育所を建設、小学校や高校生のスカラーもいる。
去年の8月に発生した戦闘で、半年間も難民生活を余儀なくされていた人々。
ようやく今年の3月に家に戻れたところ、3ヶ月で再び難民化することになった。

木の枠組みだけ作ってもシートがない。

高熱を出していた、4人の子どもたち。

この様な状態で夜を過ごしている
かなり広範囲に難民が出ており
国道沿いもふくめて、
難民は各地に散らばっている。
ハウスベース(親戚などの家に逃れた人々)
の場合はまだよいのだが、
写真の地域のように、
野外に逃れた人々は悲惨だ。
雨の多いシーズンなので
緊急のビニールシートが必要。
熱や腹痛などの病気の子どもも多く
早速、ミンダナオ子ども図書館に
保護して、治療をすることになった。
ミンダナオ子ども図書館で、とりあえずビニールシートを支援した。手伝っているのは、スカラーのザイノディン君



この様な雨よけも無い所に
子どもたちを放っておくことは出来ない
熱帯雨林地域の雨は、半端でない



左の少女は、両足先を膿んでいた
上の子たちは、
高熱を出して寝ていた。
ミンダナオ子ども図書館の子たちも
高熱を出して入院したが
今流行のインフルエンザか・・・

この様な場所においておくことも出来ずに早速、ミンダナオ子ども図書館に収容した。
しかし、後述したが、ここ数ヶ月の連続する患者の治療で医療費が底をついている。
今後、戦渦が拡大すると、大変な状況になっていく恐れがある。
6月から7月にかけて、新たな戦闘が勃発する噂があるが、現実にならないことを祈るのみだ。

ピキット地域だけではなく、ミンダナオ子ども図書館の水田のある、マタラム地域でも軍が入り戦闘が広がっている様子。
今回の戦闘で、軍は、3ヶ月分の「お弁当」(食料)を準備しているという話が聞こえてきた。
最低、3ヶ月は戦闘が続くという意味だろうか????
可哀想なのは、子どもたちだ。





MCL(ミンダナオ子ども図書館)
だけが、難民たちの唯一の頼り。
現地で奨学生の
ジハッド君と
バイナオットさんに会った。
私たちが来て
本当にうれしかったようだ

この地の人々は皆
私たちを知っていて
「本当にMCLは
頼りになってうれしい」
と言ってくれた。
当然、この時期は、どこのNGOも政府も、救援活動を開始していない。
恐らく戦闘が拡大するとしても、救済活動が開始されるのは数週間後だろう。

緊急支援は、夕暮れまで続き
最後に、病気の子たちと
その保護者を車に乗せて
一路
ミンダナオ子ども図書館に向かった

明日から、さらに本格的な
救済活動が始まる

病気の治療も
開始しなければならない

ヤレヤレ



iryou


次々と医療患者が・・・

ミンダナオ子ども図書館の運営で、戦闘が起こった時は別にして
最も予期できないのが、医療と車の故障だ。
予算をとってはいるのだが、とりわけ医療は、過去の事例を見ても、
突然に次々と病気の子どもが運ばれてくる。

写真は、ピキットのラガイエン出身のスカラー、Kakim Noraimaさん。
難民だったところを、支援者の意向で小学校のスカラーに採用された。
戦闘は終わり、難民状態の生活は終わり、自分の家に戻り
学校に通い始めたところまでは良かったのだけれども、
右足の膝の裏側から腿にかけて痛みが広がり、歩行するのも難しくなった。


どうも肉腫のような物が出来て、3ヶ月の短期間に大きくなっていくようだ。
それで、ミンダナオ子ども図書館に運ばれて、キダパワンの病院で診てもらったところ
手術が必要で、癌の可能性も有るという。
さっそくダバオのドクターに診てもらったが、DMCと呼ばれるJICAも支援している
公立病院でも最低10万、私立病院だろ20万は軽く出ると言う。

公立病院では、入院したまま、病院が手術を決定するまで数ヶ月かかり
かつて半年も滞在した患者がいた。
日本では考えられない病院事情なので、キダパワンの医師に相談して
最良の方策を現在模索している。
スカラーでもあるし、何としてでも治療を成功させたい。
彼女の従妹(下左の写真)も、歯茎が出る奇形で手術をした。

戦闘地ピキットでは、しばしば、目が飛び出す異常、瘤などの奇形、癌、そして
戦闘期間や難民生活ちゅうに妊娠した子の異常などの奇形が見られる。


Kakimさんの従妹の歯茎の治療は完了。
8月に、その後の経過を診ることになっている。
かつて2000年、2002年の戦闘後に
奇形が増えた理由に疑問を抱き
大学時代の友人で、現在は
カトリック教会大阪司教をしている
松浦悟郎くんに話をした。

彼は、私の写真を見て即座に
「劣化ウランとちゃうかなあ」と言った。
さすがに、正義と平和協会の代表。
私は知らなかったが
写真集を見せてもらって驚いた。
似た症状の子たちに多く会っていたから。
白血病で亡くなった子もいる。
知り合いの子も奇形だった。

その後、中国新聞社から取材を打診する
連絡をいただいたのだが、
危険すぎる地域という理由で
許可が下りずに断念。
劣化ウランは、証明は難しい。
Kakimさんも、
癌でなければ良いのだが・・・
劣化ウランに関しての中国新聞の情報は
右をクリックInfo

それにしても、ここ数週間で、次々と病人が出た。
今はやりのインフルエンザでは無いと思うのだが
最初は喉の痛みと咳から始まって、ある時あっというまに高熱が出る。
半端ではない、39度から40度を超える熱が出るのだ。


高熱が出るたびに、最初は病院に運んで薬を出してもらった。
様態が重い子になると、意識がもうろうとしてくる。
医師に言われて、その様な子は入院することになった。
一貫して症状は同じ。
その後も、次々と感染し、ほとんど20人に上った。

幸い、薬で治療すると、熱は短日間でひき、
問題ないこともわかってきたので、なるべく家で治療をすることにした。
ほんとうに、費用が馬鹿にならない。8月までの医療費予算がこれで消費されてしまった。

さらに追い打ちをかけるように、別件の子どもの治療が舞い込む。
幸い、去年看護学を卒業したスカラー、
Feさんが今年からボランティアスタッフで活躍してくれているが
あまりにも次々と患者が出て、その対応に苦心のあまり、涙ぐむ場面も・・・





キダパワン市の貧困地域での読み語り

ミンダナオのどの町でも市でも、表側と裏側がある。

訪問者は、とうぜん国道に沿った表側だけを見るから、そこで生活している人々の真の姿を知らない。
裏側の人々は、町から少しはずれた墓地などの周辺で、特に川沿いに生活している。
川沿いに生活している理由は、彼らは水道が得られないし、洗濯や水浴にも水が必要だからだ。
大概は、かなり汚れた汚水なのだけれども・・・・


かねてから私たちは、こうした地域の子どもたちを対象に活動しようと考えていた。
最初は戦闘で疲弊するイスラム地域、それから極貧で山に追われた山岳地域のマノボ族
その後、最後に足下の市街周辺に散らばるスラム地域の子どもたち。
キダパワンにも数カ所そのような地域があり、ほとんどの子どもたちが小学校にも通えない


今年入ったばかりの子たちも、いきいきと始めての読み語りをする。
最初期のスカラーの一人、アイリーンが訪ねてくれた。
結婚して一児の母。今年、学校の先生になる。
ここからも、両親の亡くなった兄弟姉妹がスカラーとなり、MCLに住んでいる。

こうした地域の子どもたちは、町に出てゴミを拾うことを仕事にしている。
夜は家に帰らずに、ストリートチルドレンとしてさまよっている子も多いし
高校の年齢になると、売春を強要される子もいる。
ミンダナオ子ども図書館は、こうした都市型の困窮を背負った子を、今後少しずつ支援していくことにした。


MCLでの読み語り

その日の夜から、毎週日曜日の夜は、MCLでスカラー達だけで読み語りを楽しむことにした。
新しいスカラーたちにとっての練習の場にもなる。
小学校一年生のスカラーも堂々と読み語り もちろん、始めての体験なのだが、 彼は、まだ字を読むことが出来ない
しかし、絵を見ながら語る。爆笑に次ぐ爆笑!
最後は、今年は言った
プロック8のマノボの少女が
見事に昔話を語った。
ここでは、祖父母や両親から
また、村のお年寄りからお話を聞いて
育っている子が大半で
小さな子でも、半数以上が昔語りをする。

これこそ、語りの神髄だ!
絵本だけでは、
地元のオリジナルの
語り文化が途絶えてしまうので
必ず、語りを交える。


現代社会では、絵本から語りが生まれてくるように思っている人もいるが
歴史的に見ても本来、語りから絵本が生まれたのであって、絵本から語りが生まれたのではない。
絵本が定着するようになって、絵本こそが定番のように思われる嫌いがあるが
語りは、一人一人の個性によって、同じはなしでも違ってくるし
同じ人でも、目の前にしている聴衆?の雰囲気によって、微妙に調子が異なってくる。
語りとは自由な物なのだ。

彼らの語りを目前にしていると、それが良くわかる。
絵本の読み語りも、そういった「本質」が基盤となって実行されているので、
いわゆる絵本の「読み聞かせ」のように「聞かせられる」のではなく、「語られる」ので本当に楽しい。
わたしが、ここの読み聞かせを「読み語りと」呼ぶのは、そのせいである。




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ミンダナオ子ども図書館だより:6月10日

T:2008-9年度:決算報告

外部監査士に依頼して、毎年領収書のチェックから報告書の作成までをお願いしていますが、
非常に良いと太鼓判を押されました。

U:2009年度スタッフ紹介


V:新たな展開新たなスカラシップ
今後、ミンダナオ子ども図書館は、足下のキダパワン市のストリートチルドレンに焦点を当てていく予定

W:2009年度のミンダナオ子ども図書館に住み込む子たち

今年は、意識して低学年の子たちを入れた
年上の子たちにとっても、お姉さんお兄さん役をこなすことは重要だと考えたから。
その結果、ミンダナオ子ども図書館は、ますます大家族的になった

X:ミンダナオ子ども図書館の新しい役員が選出された

Y:茨木ロータリーアクトによる保育所が完成した!

Z:マリアフェの事
彼女は、深く亡くなった母親を慕っている。
母の死と同時に、自分自身が、母親と一体となり、二人の弟の面倒を見始めた。

[:医療活動も絶え間なく続いている

\:日本政府から、勇敢にも?停戦監視団の菊地さんがマカブアルの小学校を訪れた


kessan


人件費

スタッフは、以下で今年度のスタッフを紹介させていただいていますが、
M−CAP事業のスタッフも増えました。
ただし、MCLとM−CAPは、会計は別で、人件費も含めて、いっさいの経費を
MCLへの皆さまからの寄付からは使用していません。
今後も、M−CAPは、独立してMCLの活動を支える、
ジェネレートインカム プロジェクトとして活動していきます。

スタッフ給与は、オノラリウムの項目で提出していますが、
プレシデントも経理も会計も、ドライバーもハウスキーパーも
職種に関係なく、役員であっても、一律5000ペソ(約10000円)としています。
これは、キダパワン市の私立高校などの
職員の初任給ほどであり、公務員はその3倍ほどの給与をもらっていますが、
一般としては、まあまあと言ったところです。

MCLは、さらに健康保険、年金をスタッフに支払っています。
また、MCL内に住んでいるスタッフが多いのですが
彼らの食費、光熱費、居住費を全て賄っていますので、外で働く以上に保証され、
それらを考えると給与も10000ペソに匹敵すると言われています。

その他、ボランティアスタッフ制度を設けて、卒業した学生のなかで、
ボランティアスタッフとして生活しながら経験を積み
将来の仕事を見つけていく場を作っています。
ボランティアスタッフの給与は1000ペソですが、健康保険と年金が支給されます。
現在、農業部門と看護部門で活躍していますが、優秀な子は、スタッフとして採用されていきます。

ディレクターの仕事は、日本とフィリピンを結ぶ仕事ですが、私も含め現在は、無給のボランティアです。
生活費は、日本での講演や執筆で賄っています。
(日本人の給与は、フィリピン人の約20倍ですので、寄付を可能な限り現地活動に落とすために、
全ての事務業務は現地で行うのを原則として、現在まで松居友が一手に引き受けている状態です。
今後、現地で日本人またはフィリピン人スタッフで、対日本事務を手伝ってくれる人材を捜すのが課題です)

スカラシップ
スカラシップは、小学校から高校まで合計すると、357名になります。
内訳は、大学84名、高校115名、小学校159名です。
2008年度は、20名以上の大学卒業生が出ました。

今までの職種を見ると、病院の看護士、教諭、農業、会計士、自動車整備工、会社員などで活躍しています。
最貧困層の、しかも優等生を優先せず、家庭環境の厳しい子たちを優先している割には、
厳しい現状の中をがんばって生きていると言えるでしょう。

ミンダナオ子ども図書館自体も、M−CAPを通して「仕事を作る」事を目標に新たな事業を展開しています。
そこで働いているスタッフも皆ほとんどが卒業生です。
今後も、ソーシャルワーカー、教諭、農業、商業、看護士など
様々な職種で働く子たちがMCLを支えていくと思います。

子どものシェルター
世界の辺境であるミンダナオでも、経済的クライシスの影響で、最貧困層の日雇い仕事がカットされるなか、
子どもの教育費どころか、三度の食事にも事欠く家族が頻出してきています。
それらの子たちが、ミンダナオ子ども図書館に
住みこみで学校に通いたいと申し出が多く、約70名近くが、共同生活を行うことになりました。

共同生活の場合は、食費から生活費全般をミンダナオ子ども図書館が丸抱えで面倒を見る必要があり、
費用も多くかかり、キャパシティの面も含めて、MCLだけでは人数も限界に来ているかと思われます。
それゆえに、マキララファームやアンティパスに宿舎を設けて若者、特に男の子達が、農場を手伝うことによって
食物の供給を増やし、少しでも自給自立していく、新たな体制を作りつつあります。

保護の必要な低学年の子も受け入れを拡大し、子どものシェルターとして
高学年の子たちが、低学年の世話をすると言う形で、若者たちの協力を得ながら
大家族的な協働生活を実現すべく進めています。

医療
医療は、とぎれなく実行されています。
現在も、40度に近い高熱の子たちが、突然18名も出て、一部の子たちは病院に収容されました。
医療は、絶え間なく実施されていくので、全てをサイト上でご紹介できませんが、
別事、年度報告で皆さまにご報告いたします。

保育所建設
戦闘の結果、保育所建設支援が遅れてしまいましたが、サパカン集落の保育所完成を始めとして、
今後、ボアイボアイ集落、キアタウ集落、マグペット、マキララ地域に完成させていきます。
保育所支援の方々、もうしばらくお待ち下さい。

新たな展開
新たなスカラシップ




ミンダナオ子ども図書館のスカラシップは
変わってますね・・・
と現地でもよく言われる

成績優秀の子を採用して
欧米流のリーダーを育てる
スカラシップではないから。

不幸な環境の子を探し出し
学校に通うことによって
立ち直っていく場?
とも言えるけれど

言語も宗教も種族も
生活や社会環境も多様だから
美しく楽しい?

新たにミンダナオ子ども図書館に住む子どもたち
この子達の現状に関して、語ることはここでは出来ない。
貧困のみではなく、家庭問題や社会問題の渦中の子たちもMCLには多く住んでいて
その背景も実に実に多様だ・・・

涙を流しながら話を聞く、ソーシャルワーカーとスタッフたち


「ミンダナオ子ども図書館は、孤児施設???でもないし。読み語りの図書館にしては、子どもたちが多いし・・・
文化活動や難民救済活動までしながら、子どものシェルターでもあるし
極貧の子を拾い集めている割には、看護士や教師や農業家や図書館司書や宗教家も育っているし・・・・」



今後、ミンダナオ子ども図書館は、足下のキダパワン市のストリートチルドレンに焦点を当てていく予定

2009年度の
ミンダナオ子ども図書館に住み込む子たち
今年は、意識して低学年の子たちを入れた
年上の子たちにとっても、お姉さんお兄さん役をこなすことは重要だと考えたから。
その結果、ミンダナオ子ども図書館は、ますます大家族的にな
った
新たに住み込みの子たちで役員が選ばれた
左から2番目がプレシデント
「牧師」と呼ばれているが、本当の牧師!
高校一年から開始する。
大学生の多くは、自立して下宿生活をはじめる。
男の子達の中には、マキララ農場で実地の農業研修をしながら学校に通う子もいる。
ミンダナオ子ども図書館は、子どもたちの成長に合わせて、多様な自立を模索している。

ミンダナオ子ども図書館の
新しい役員が選出された


高校・大学のスカラシップの子たち、約250名が無記名投票で役員を選出する
今年のプレシデントは、Lankoban君(マノボ族)
バイスプレシデント、Ronie Odin君(イスラム教徒)
バイスプレシデント、Bernie君(ビサヤ族)
Jeam Salik(ムスリム): 秘書
Jerome(マノボ):経理
Laboan(ビラーン):会計
Awin(ビサヤ):P.I.O.
Lansangan(タガログ):B. Manager
Zainodin(ムスリム):B. Manager
Suhat(マノボ):Sytatarms
  


茨木ロータリーアクトによる
保育所が完成した!
場所は、ARMMイスラム自治区と呼ばれる地域で、舟でしか通えないサパカン集落
リグアサン湿原地帯から、約800人近い子どもたちが小学校に通っている
度重なる戦闘の犠牲となり、不幸な場所で、国際的な支援もほとんど無い

私たちは、この集落に、日本政府の力を借りて、学校を建設出来ればと考えて
草の根無償資金に応募した。
保育所が出来て、村長さんも村人達も大喜びだ!
読み語りのあとに、開所式を行った
Mariafe

マリアフェの事

当時のマリアフェ(向かって右端)

サンパギータの白い花
松居友:著 

(女子パウロ会)

注文は以下からも・・・
Info


マリアフェについて書いたページ
Mother Happy Happy Mother
読みたい方はクリック


自著:『サンパギータの白い花』より抜粋


「母親は、夫に頼んで上半身を起こしてもらうと、そのままフェに抱きかかえられた。
かつてシスターからもらったという薄い寝間着の下で、骨だけの体がかろうじて息をしている。
母親はフェに抱きかかえられながら耳元でささやいた。ジェフやロジは元気かい。
・・・・中略・・・・・
みんな幸せかい。
ええ、幸せよ。それを聞いて母親が、うれしそうにほほえんだときに、だれも予想していなかった事態が起こった。
ほほえんだ母親の体がのけぞり、フェが大声でわとた泣き出したのだ。そして次の瞬間、
フェに抱かれたまま、母親の体がベッドに沈み込むといのちが果てた。皆ぼう然と立ちすくんだ。
フェは、おんおん泣いた。見たこともない激しい泣き方でおんおん泣いた。・・・・・・」

かつて、孤児施設ハオウオブジョイで出会ったマリアフェ。
高校で学業が停止して苦労していたけれども、ミンダナオ子ども図書館にやってきた。
彼女の亡くなった母親は、イスラム教徒だった。

私がハウスオブジョイでフェに、亡くなった母親の事を聞いた時。
「母さんは、だいじょうぶ。(天国で)幸せにしている」と語り、私のノートに、

Mother Happy Happy Mother
と記してくれた。


スタッフのハジブ君のお母さんと・・・

(戦闘でイスラム教徒の夫を亡くした彼女は、
かつてカトリック教徒だった)







スタッフのノライダさんと・・・

イスラム教徒であることに
別に負い目を感じる必要はない

「出生届は、カトリックになっているけど
かきかえなくちゃ」










イスラム地域での読み聞かせ
ムスリムの子どもたちを抱いて
幸せそうだ

私はカトリックだが
そんな彼女の姿に心から喜びを感じる

彼女は、深く亡くなった母親を慕っている。
母の死と同時に、自分自身が、母親と一体となり、二人の弟の面倒を見始めた。

その彼女が、ミンダナオ子ども図書館で、イスラム教徒がのびのびと自分のアイデンティティーを持ちながら
イスラム地域での読み聞かせや、難民の救済で活躍しているのを見たせいだろう。

心の中で抑圧されていた、自分はムスリムだという気持ち、ムスリムであって良いのだ!
と言う思いが一気に吹き出して母を慕う心と重なり、
豚を食べざるを得なかった生活の身を清め・・・・今は、喜々としてヴェールをまとい学校に通っている。

私自身はカトリックだが、彼女の気持ちが良く理解できるし、押し殺してきたアイデンティティーがのびのびと解放されて
満面の笑顔を見るのがうれしい。娘の一人のように想ってきた子だけに。



日本政府から、勇敢にも?
停戦監視団の菊地さんが
マカブアルの小学校を訪れた


建設が完了してから10ヶ月めにして、現地視察が完了した。
菊地さんと私の間に立っているのは、ピキット市長。
幸い米軍による砂利道の修復が出来ていたので現地に楽に到着できた。
平和であれば8月頃に開所式がなされるという・・・







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ミンダナオ子ども図書館だより:5月15日

T:新しいスカラーの若者たち
  今年の新しいスカラーたちを見ていると、才能のある子が多く
  彼らが、自身の能力を生かせる環境作りを課題として行こうと思っている。

U:ピキットの農場計画・・・ライブリーフッドプロジェクト&現物マイクロファイナンス
  18ヘクタールは、こちらではありふれた大きさだが、日本人の私の感覚ではとにかく広い。
  緩やかな傾斜地と窪地を持ち
  国道沿いには果樹が、傾斜地にはトウモロコシが、窪地には米が作付けできる。


V:亡き二人のボードメンバーに捧ぐ

   お二人とも持病があることは承知していたが、突然のあまりにもあっけない死に
  言葉を失うと共に、その喪失の大きさにMCLとしても悲しみがつきない

W:2009年度最後のボードメンバー会議
  今回の会議では、ミンダナオの状況とともに
  とりわけ、農場と文化を通して仕事を作っていくMーCAP構想が報告され、絶賛された!

X:二人の娘を紹介します





新しいスカラーの若者たち

6月からの新学期に向けて、新しいスカラーたちが入ってきた。
小学校から大学まで、現在、総スカラーは400名を超えた。
自宅や親戚、下宿から通っている子が大半だが
その中の特に親のいない子、保護が必要が子、学校が遠くて通えない子
おもに下宿を許していない小学生から高校生70名あまりが、ミンダナオ子ども図書館に住むことになる。

今は、ミンダナオの夏休みで、親戚や家族の元に帰っている子たちも多いが、
新しく選ばれたスカラーたちが、集まってくる時期でもある。
バケツや空き缶、鉄板などのがらくたを使って作ったドラムで即席のコンサートが始まった。


楽器のリズムと共に
踊り出す若者たち


ドラムはポリバケツ
張っている皮は、米袋
キットキット君は
私がハウスオブジョイにいた頃に
膝に乗って遊んでいた
男の子だが
すっかり大人になった。
今年からMCLに・・・

この子達の家を見たら、ビックリするほどの山の奥で
粗末な小屋のような家なのだけれど、
父親や母親の居ない子たちも多いのだけれども
なぜか、そんなところで育っていても、
音楽や芸術を表現する力がそなわっているのは驚きだ。


その様な環境だからこそ、楽譜が無くても、音楽教師がいなくても、自己流で楽器を奏でていく・・・
これこそ、芸術の神髄かもしれない。
皆さんから支援された古着を着ると、いっぱしの格好になるから面白い。

MCLに戻り、この子達の笑顔を見ると本当にホッとする
私は決して、この子達を放り出して
どこかに去ることはないだろう

親に見捨てられた子も多く。いつも思うのだけれども、
こんな可愛い子たちをおいて、どうして去ることが出来るのだろうか・・・
色々な事情はあるのだろうけど。



そんな奇遇に驚きながら
美しいモスクのある村を後に
管理者の家の前まで来ると
奇遇に追い打ち!

当のアイダさんが、ボカンとして立っている
「トモさん!何故こんな所にいるの????」
スカラーは皆、私を「Tomo San」と呼んでいる。
私もあぜんとして・・・

「そうだ、この村出身のアイダさんやマト君に
この農場を手伝ってもらえば良いんだね!」
今度は、アイダさんがポカンとする番。

近くに美しいモスクがあれば
イスラムの子たちにも良いし
クリスチャンも仲良く住んでいるから
ここをピキットに平和を作るための
拠点にしよう・・・・


難民救済で活躍する、アイダ エズラさん(左)

美しいモスク

ARMMイスラム地域の難民救済で出会ったバリバリのイスラム指導者が
その娘さんの医療のために、MCLに泊まった。
来られた地域では、クリスチャンとムスリムの世代を越えた憎悪の戦いが今も続いている。
その方が、ムスリム、クリスチャン、マノボ族が仲良く生活しているMCLを見て驚いた。
「ここには、神(アッラー)の御旨が息づいているのが感じられる!」
私は、山元眞しんぷが、ここに来て言った言葉を思いだした。
「MCLの敷地にはいると、ここだけ何か違うものが息づいている!同じフィリピンに居ながら。」




亡き二人のボードメンバーへ捧ぐ
ミンダナオ子ども図書館に土地を提供して
下さった、スーザン インカルさん
マノボ族で父親は初代の
キダパワン市長
イスラム自治区での活動を支援してくださった
ホサイン氏、イスラム教徒の師
娘さんのアスレーさんは、今年からスタッフ
バンサモロのメンバー

相次ぐお二人の突然のボードメンバーの病死に悲しみが絶えない
MCLを心から愛してくださっていた貴重なお二人
心よりご冥福をお祈りします

お二人とも持病があることは承知していたが
突然のあまりにもあっけない死に
言葉を失うと共に、その喪失の大きさにMCLとしても悲しみがつきません

お二人とも、心からMCLを愛し
いつも人々に「MClはすばらしい」と、過分の評価で話してくださっていた方々。
イスラム教徒とクリスチャン、宗教が異なっていても、同じ天国から見下ろしながら
MCLを導くための議論をされているような気がしてならない。


今回の会議では、ミンダナオの状況とともに
とりわけ、農場と文化を通して仕事を作っていくMーCAP構想が報告され
エラさん、グレイスさんを始めとして、絶賛された!

M−CAP構想は、マキララの12ヘクタールの農地
マタラムの5ヘクタールとロハスの2.5ヘクタール、合計7.5ヘクタールの水田
加えて、ピキットのタキパンに18ヘクタールの農地を持ち、農業事業を開始する。

とりわけ、戦闘地のピキットでは、イスラムの若者たちとクリスチャンの若者たちが
協力して農地を経営管理し
戦闘難民や洪水被害の農家に、トウモロコシの現物支給をし
収穫時に返済するという現物マイクロファイナンスを開始する予定

さらに、小さな雑貨屋サリサリストアがMCLで好調にスタート
今後、山の貧困地域にMCLチェーンサリサリを出し
貧困地域のスカラーの家庭の収入とする

ダバオに用事で出た時に商品を安く購入し
山に学用品を届ける時にデリバリーして
ライブリーフッドプロジェクトとし極貧の家庭の経済支援を開始する

エラさん曰く
「いったい誰が、こんなすばらしい構想を考えついたの?」

今後は、農業構想を軌道に乗せる過程で
出版も含む文化事業構想を進めていく予定です。
事業は、MCLとは別組織として寄付は使いません。

目的は、貧困地域の生活支援、
難民や洪水被害のライブリーフッド支援と現物マイクロファイナンス
そして、卒業していくスカラー達の、仕事を作る、雇用創出支援のためです。

成長していく若者たちの、成長に合わせた大きな木のイメージ
これが、MCLとM−CAPを一つにした全体の構造です






M−CAP事業は、それなりに大きな構想でこれを持って、MCLの構想がようやく整ってきました
詳しくは、今後、サイト上で経過と共に論じていきます。

単なる物を支援するのではなく、
次の世代の若者たちの成長を支援するための計画を実現する
皆さんのミンダナオ子ども図書館を
今後ともよろしくお願いします。



 私の二人の娘を 
紹介します


下、左が長女の
エンジェル 
藍花(アイカ)

下、右が次女の
アンジェラ 
舞花(マイカ)

大勢の若者や
子どもたちといっしょに
のびのびと
育っています


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ミンダナオ子ども図書館だより:5月10日

Tイスラム自治区を中心に、新たな戦闘があり避難民が発生している。再び戦闘が始まる兆しがある。
  最近ミンダナオのあちらこちらで爆弾事件があり、以前の経験からも、
  こうした事件は戦闘の予兆とも見られる。

U:イスラム自治区の避難民
  スタッフの友人を通して、イスラム自治区ARMMの一地域(カルメンとカバカンの中間)で戦闘があり
  避難民(正式には国内避難民だが、以下避難民とする)が出ていると聞き調査に向かった。

V:ピキットの避難民
  ほぼ同時期に、ダトゥ ピアンと呼ばれる、イスラム自治区で戦闘が起こり
  川向こうのピキット側に難民が来ているという、ボードメンバーでDSWDのグレイスさんから連絡があった。

W:マノボ族の先祖伝来の土地、アラカン・キアタウの読み語り

X:プロック8集落の不幸

イスラム自治区を中心に、新たな戦闘があり
避難民が発生している

再び戦闘が始まる兆しがある。
最近ミンダナオのあちらこちらで爆弾事件があり、以前の経験からも、
こうした事件は戦闘の予兆とも見られる。
大概の爆弾事件は、「イスラム反政府勢力の仕業と思われる」とマスコミで報道される。
市長に組織からメッセージが送られてきたりするので、公式に発表されるのだが、
簡単に信じてはならないようだ。
反イスラム感情をマスコミを通して高めておいて
次のステップに本格的な戦闘を起こすとも言われている。
それにしても、戦闘が起これば、可哀想なのは子どもたちだ。



イスラム自治区の避難民

スタッフの友人を通して、イスラム自治区ARMMの一地域(カルメンとカバカンの中間)で戦闘があり
避難民(正式には難民ではなく、国内避難民との菊地氏からのご指摘を頂きました。
少し長いので、本稿では以下「避難民」といたします)が出ていると聞き調査に向かった。
国道わきの鉄塔が爆破され、空から警戒するヘリコプターが見えた。

現地で避難民となっている村長(イスラム系)の話だと
「今回の戦闘は、移民系クリスチャンとムスリムの間で起きた。長年の確執が原因だ」という。
発端は、化粧品の商売に歩いていた3人のイスラム女性が、
移民系クリスチャンに襲われたところから発していると言う。
一人が病院に収容されている。

これに怒ったMILF系住民とクリスチャン系住民の間で、襲撃があり
それが、民兵同士の戦闘に拡大。
フィリピン政府軍がイスラム地域を攻撃するに至ったという。
「MILF正規軍の領域に広がる可能性があり、そうなると軍同士のかなり激しい戦闘になるだろう。」


爆弾がしかけられて倒れた鉄塔
イスラム自治区は非常に貧しいが、貧しくとも幸せに暮らしている様子も感じられる

戦闘のきっかけは、去年勃発して40万もの避難民が出た8月の開始とほぼ同じパターンを持っている。
一般住民が襲われる事件をきっかけに民兵が出動し、政府側と反政府側の民兵同士の戦闘が始まる。
それを契機に、政府軍が出動し、反政府がわの正規軍が反撃を開始する。
問題は、最初のきっかけが、かなり意図的に作られているのではないかという疑惑。

「MILF正規軍の領域に広がる可能性があり、そうなると軍同士のかなり激しい戦闘になるだろう。」
と村長の発言を引用したが、逆に物事をたどる必要もあるのだ。
「軍どうしの激しい戦闘」を作るために、民衆の中の暗殺集団にイスラムの女性を襲わせた。
すでに往年のクリスチャンとイスラムの(家族を殺されたり)といった対立感情を利用して
喧嘩を起こし、地域住民の民兵組織を参加させることによって、大規模な軍レベルまで拡大させる。

こうした暗殺集団は、実在し、クリスチャン系は「イラガ」と呼ばれている。
イスラム系にもあるだろうが、問題は、暗殺集団を背後で「お金」で操っている第三者がいる可能性が有ることだ。
去年の大規模な戦闘も同じ経緯をもっていたし、かなり大きな範囲で同時に起こることを考えると
相当な規模で、計画された?可能性も否定できない?

どうでも良いけど、
私たちにとっては、大人の喧嘩に巻きこまれる子どもたちが可哀想でならない!



この地域の戦闘は、まったく話題にならず、NGOも地域政府も避難民の救済に動くことはなかった。
ミンダナオ子ども図書館だけが、ビニールシートを届け医療活動を行った。





ピキットの避難民

ほぼ同時期に、ダトゥ ピアンと呼ばれる、イスラム自治区で戦闘が起こり
川向こうのピキット側に難民が来ているという、ボードメンバーでDSWDのグレイスさんから連絡があった。
こちらも、国際NGOは動いていない。
グレイスさんも属しているOMI(カトリック教会のオブレード会)が唯一食料の支援をしている。
私たちは、窮乏しているビニールシートの支援に向かった。


支援は道がないので、ボートで救済に向かう。




対岸では
軍の無人偵察機が
飛び交っているのが見える
ともかく
自分たちの事を気遣ってくれる
人々が居るという事だけでも
避難民達は安心できるようだ




今回の避難民救済でも、スカラーたちが活躍した。
今年から新しく入ってきたスカラー達も同行して、ビニールを張る作業を進めた


どうでも良いけど、
この子達のために
平和になってほしい!

5月に入り、
戦闘は拡大すると
言われているが・・・


マノボ族の先祖伝来の土地
アラカン・キアタウの読み語り

キアタウは、政府の認めた先祖伝来の土地つまり、先住民族の保護地域だ。
一般の入植は許されていない。
人々も自分たちの伝統的な信仰や風習を重んじて生活している。

MCLからは、3時間もかかる、本当に山の中だが、私たちのスカラーもいる。
この地域が自立するために、イタリアのカトリック宣教会、ミラノミッションが長く貢献している事は有名だ。
山の中で、ファオスト神父と出会った。
正義と平和の活動を現地で進めている。

貧しいけれども美しいところで、土地があるから何とか食べられるし
ここに来て、人々と出会うことで、本当に心が癒される。
教育だけが問題で、要請を受けて保育所を作ることになった。


プロック8集落の差別

プロック8村の子どもたちが、学校や通学路で移民系の子たちにいじめられる被害が続いている。
先祖伝来の土地の所有を求める訴訟で、先住民族側の弁護士が殺害!
その後の土地をめぐる大人達のいざこざが、子どもたちにも及び
今年は、たくさんの子たちが、ミンダナオ子ども図書館に移り住みたいと言ってきたのだが・・・

MCLも子どものシェルターとして法人登録もされていて、受け入れに法的問題は無いのだが
何しろ手狭で、食費も大変!
マノボのボードメンバー、エラさんやガボン牧師のサジェスチョンを受けて対応を模索している
政治的問題でもあり、非政治というMCLポリシーからは、表向き子どもの保護に限定した活動を考えている
下手に動くと、私が簡単に殺害される危険がある。
ミンダナオは、世界でも有名なジャーナリストのNGO関係者、殺害地域なのだ。


経済危機の余波をまともに受ける貧しい人々。
日雇いの草刈りもことごとくカット。
窮余の策として、先祖伝来の地を耕し始めたのだが、「そこに生えている大きな木を切った」という理由で訴訟を起こされた。

移民系の人々の言い分だと、その地は自然保護地域で、木を切ってはいけないのだという。
訴訟を起こされても、極貧で字も読めないマノボの人々は、対抗する弁護士を雇う費用もない。
マノボの立場で活動してきた弁護士も、一昨年に殺害された。

自給地もない彼らは、移民系の人々の田の草取りをして何とか生きてきたのだが、対立が深まるほどに生存も怪しくなる。
子どもたちは、学校や通学路で、虐めにあって怖くて学校に行けない。
学校の先生も、村長もマノボの子たちが悪いというし・・・。
これは、マノボの子たちが私に語ってくれたことなので、一方的かもしれないが。
真実だとしたら、まったくひどいことだ・・・・
彼らの唯一の希望は、「小学校を卒業したら平和なMCLに住むこと」、なのだそうだが・・・




僕は餡がぎっしり詰まった
お饅頭になりたいと思います


大渕みほ子

公開日当日に映画「スラムドッグ$ミリオネア」を見てきた。
たぶん半年ぐらい前だと思うが、
映画の予告を見て絶対見たいと待ちに待った作品だ。
ご存知のようにアカデミー賞を受賞してから、話題沸騰の作品でもある。

映画の内容を振り返ってみると、
売春やドラッグ、殺人や暴力、盗みや争いといった
スラムの闇と、急速に近代化に向けて変化するスラムとの狭間で、
時代に翻弄されな
がら生きる最貧困層の人々が、愛や夢を追い求め、
したたかに生きる姿にはすがすがしい思いさえした。

この映画で印象的だったのは、
主人公がクイズに正解するにつれて応援する人もどんどん増え、
働いていた会社の人、
町中の人までもテレビにくぎ付けになって応援している姿だった。
発展途上国だからだろうか?同じような光景をフィリピンでも良く見かける。

アメリカで一時流行した「アメリカン・アイドル」のような番組がフィリピンにもあり、
私がミンダナオでホームステイをしていた家の子ども達も、
歌手を目指す素人の勝ち抜きバトルにくぎ付けになり応援していた。

たとえ全くの素人で顔見知りじゃなくても、
頑張っている人には心から皆で応援したり、
喜怒哀楽を共に分かち合う姿をみると私も嬉しくなるし、また羨ましくもなる。
ちょっとしたことで感動できたり、笑顔になれたり、
そういう心の素直さを羨ましく感じるからだと思う。

文化の成熟なのか、それとも無感動や無関心が広がっているのか分からないが、
日本では大そうな出来事でもない限り、
あまり人を応援したり感動しなくなっている気がする。

「そんなことで驚くの?」「何が楽しいの?」、
そんな冷めた目で見ている自分がいることに気がつく。

私自身も良く言われることだが、
日本にいるときとミンダナオにいるときでは、顔が違うようだ。
日本で閉ざされた感情が解き放たれて、顔が変わるのかもしれない。
もしかしたら、こうしてミンダナオに行くことで
自然に心のバランスを取っているのかもしれない。

今回ご一緒した親子ボランティアの皆さんの顔も観察していたが、
やはり私と同じだった。

初めはこわばった顔や無表情の顔をしていても、
ミンダナオ子ども図書館での生活に慣れるにつれて表情に変化が現れ、
感情が顔に出るようになる。
嬉しいときはとびっきりの笑顔になり、悲しい時は人前だろうと涙する。

「ミンダナオの子どもを助けたいと思って来たのに、逆に自分が助けられた」と、
あるお母さんが話して下さったが、
ミンダナオ子ども図書館を訪れる方々は、良くこのように話して下さる。
日本で忘れていたことや失っていた大切なことに気が付き、
心がリフレッシュされるのだろう。
このような感想をもたれた方々の顔はまた美しい顔をしている。

今回同行したツアーのある男の子が、最後の振り返りのときに
こう話してくれたことが大変印象的だった。

「僕はお饅頭が大好きです。フィリピンに来て思ったんだけど、
日本は見かけはとっても美味しそうだけど中はスカスカなお饅頭みたい。
でもフィリピンは見かけが悪くても餡がぎっしり詰まっている。
僕は餡がぎっしり詰まったお饅頭になりたいと思います。」

「あぁ、日本の子ども達にもきちんと分かるんだ」と、感動して聞いていた。
日本の子どもも捨てたものじゃない。
こういう気づきが出来る子どもがどんどん増えたら、
日本の未来もきっと明るい。

大渕みほ子






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ミンダナオ子ども図書館だより:4月15日

1,ミンダナオ子ども図書館のゲストハウスが完成!

2,立正佼成会の子どもたちとミンダナオ子ども図書館の子どもたち
    日本の仏教団体である、立正佼成会の子どもたち10名が母親といっしょにMCLにやってきた。
   スタッフや撮影班もいれて総勢30名、
   目的は、コンテナとともに1000個送られてきた、『夢ポッケ』を貧しい村の子たちに届けることと
   こちらの子どもたちとの交流を通して、日本に失われてしまった「何か」を体験し学ぶこと・・・

3、コンテナで運ばれてきた「夢ポッケ」の開帳式と平和の祈りPlayer for Peace
    
  かつてから、仏教の方々を交えて平和の祈りを開催したいと言うのが、私たちの願いだった。
    それが、子どもたちを交えて美しい形で実現できたことは、本当にうれしかった。

4,マノボ族の村、いっしょに作った料理、そして洗濯水浴び。いざ!滝の滑り台へ
   
 こうした体験をへて日に日に我が子の顔や言動が変わっていくのにビックリし、感動し。
    我が子たちの変化に思わず目頭を熱くして泣き出す母親もいた。


たった3泊4日だったのに永遠の時が流れたように・・・お別れは、涙、涙、涙

ミンダナオ子ども図書館の
ゲストハウスが完成!
今年、向かって右端の建物がつながった、ゲストハウス。
山元神父さんが音頭をとって、「Mの会」で先日、完成させた。
ここを使った第一陣は、立正佼成会の子どもたち
仏教徒、イスラム教徒、先住民族、プロテスタント、カトリック、みんなで平和の祈りを開催した!

立正佼成会の子どもたち

ミンダナオ子ども図書館の子どもたち

日本の仏教団体である、立正佼成会の子どもたち10名が母親といっしょにMCLにやってきた。
スタッフや撮影班もいれて総勢30名、7台の4WDを手配し、コーディネートをしたのは大渕みほ子さん。
目的は、コンテナとともに1000個送られてきた、『ゆめポッケ』を貧しい村の子たちに届けることと
こちらの子どもたちとの交流を通して、日本に失われてしまった「何か」を体験し学ぶこと・・・

車から降りた、日本の子どもたち、母親たちやスタッフの方々。
皆さん、緊張した面もちだったが、大喜びと笑顔で迎える、MCLのスカラーたちの表情に少しホッとしたようす。

ミンダナオ子ども図書館に日本から訪問者が着くと、なぜだかわからないが、皆さんおっしゃる言葉。
「ああ、何か懐かしい雰囲気!ここに来ると、ホッとする」 
たぶん、若者たちの自然な笑顔、屈託のない生活の姿、のびのびと遊ぶ様子が、人としての原点の気持ちを目覚めさせるのだろう。
加えて、テラスから見える緑の果樹園とその向こうに見える山並み。

さっそく歓迎会(Wellcome party)が始まった。
日本式の歓迎儀礼?に少し戸惑った若者たちだが、あっという間に自分たちのスタイルで歓迎会が進行していく。
こうした歓迎会やミィーティングに関して、アドバイスをあたえることはあるものの
進行や工夫は、すべて若者たちにまかせているので
始まるまでは、何を彼らが企画しているのか、私にもわからない。

歌ったり、踊ったり、歓迎の言葉が述べられたり、イスラム、マノボ族、クリスチャンの文化が披露されたり・・・
歓迎会が終わった時には、たがいの距離がぐんと近くなり、
日本の若者たちが持ってきた折り紙で、またたくまに遊びがはじまった。

コンテナで運ばれてきた
『ゆめポッケ』の開帳式

『ゆめポッケ』とは、立正佼成会の子どもたちが、月に2度食事を抜き、その食費を献金貯金して
世界の貧しい子どもたち、とりわけ難民の子たちのために
学用品やぬいぐるみを買ってプレゼントする、心の支援だ!
今回、コンテナに詰められた『ゆめポッケ』が、1000個運ばれてきた。
みんなで、開帳式をした。


『ゆめポッケ』に関しては、以下をクリック
http://www.kosei-kai.or.jp/news/2008/09/post_1178.html
「ゆめポッケ親子ボランティア隊」フィリピンから帰国
http://www.kosei-kai.or.jp/news/2009/04/post_1335.html

『ゆめポッケ』には、お母さんが手縫いした布袋に、ボールペンやノート、ぬいぐるみや絵手紙が詰められている。
一つ一つ、異なったプレゼントを子どもたちが、思いを込めて選んでいるし、
お母さん方の思いもこもっているので、単なる物資支援とは異なった、暖かみが感じられる。
日本の子どもたちにも、自分たちで心を込めて作った『夢ポッケ』を配っているという、気概を感じた。

平和の祈り
Player for Peace

かつてから、仏教の方々を交えて平和の祈りを開催したいと言うのが、私たちの願いだった。
それが、意外とはやく、第二回目に、しかも子どもたちを交えて美しい形で実現できたことは、本当にうれしかった。

 高校大学のスカラー、総勢224名が一堂に会して行う「平和の祈り」は、学生達が自身で企画実行しているが、
ミンダナオらしく踊りや歌で彩られて厳粛な中にも楽しさや美しさが生きていた。
とりわけ訪問者の読経は、スカラーたちに感銘を残した。
平和の祈りでは
マノボ族の牧師がマノボ語で
イスラムの説教師がアラビア語で
仏教からはお経が
カトリックからはシスターが
祈りや説教をしてくださった

マノボ族の村
プロック8へ

平和の祈りの後に、非常に貧しいマノボ族の村へ行った。
『ゆめポッケ』を届けに。

大勢の日本人が、何台も車をつらねて訪れて来たのに皆ビックリ!
ここの村の子どもたちは、ほとんどがMCLの奨学生たちだ。
次々と運びあげられる『ゆめポッケ』
いったい何が入っているのだろう???

明けてビックリ、何とすてきな贈り物!
とにかく笑顔が止まらない・・・
ぬいぐるみをいつまでも抱きかかえて離さない少女たち!
ノートやボールペン、小さな車のおもちゃや鉛筆削り・・・

日本からの訪問者は、それぞれの子たちの家庭を訪問した。
その貧しい生活にびっくり!
家庭では、せめてものおもてなしに、家の前の椰子の実をとって飲ませてくれたり・・・
貧しくとも、屈託のない交流が、子どもたちの心に残った。

いっしょに作った料理
そして洗濯・水浴び

二日目と三日目は、日本の子どもたちは母親と離れ(親は市内のホテルにスタッフと滞在)ミンダナオ子ども図書館に泊まった。
心配顔の親たちをホテルに送り届け、子どもたち同士での生活がはじまる。
薪でご飯をたいたり、翌日の早朝は、洗濯をしたり水浴びをしたり。
たちまち、子どもたち同士の距離がちぢまっていくのがわかる。

 子どもたちがすっかり変わったのは親から離れて最初に図書館に宿泊した日の夜からだった
 何か特別な出来事が起こったわけではない。
MCLにすんでいるスカラーたちが、ときどき楽しみのためにするこちら式の遊技、
「ハンカチ落とし」や「かごめかごめ」「はないちもんめ」を始めた時からだ。
テレビも無い生活だけれども、楽しい笑い声が夜遅くまで星空にこだましていた。

滝のあるマノボの村
ウオーターフォールへ!

翌日は、滝のあるマノボの村ウオーターフォールへみんなで読み語りをしに・・・・
日本の子どもたちやお母さん方も読み語りをして拍手喝采!
踊ったり歌ったりしたあと、村人達と、豚の丸焼きを食べて交流をはかった。
3食たべられない家族の多いマノボの人々や子どもにとっては
素晴らしいフィーディングプロジェクトとなったし
日本の人々は、マノボの人々がいつも食べている
カサバ芋や蒸かしバナナや芋を食べた。
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いざ!滝の滑り台へ

食事の後は、村の子たちと、いざ、滝の滑り台へ!!!
もう、言うことなし。喝采がジャングルにこだまする。


見事に滑る、この村出身のアロナ
こうした体験をへて
日に日に我が子の顔や
言動が変わっていくのに
ビックリし、感動し。

我が子たちの変化に
思わず目頭を熱くして
泣き出す
母親もいた。

たった3泊4日だったのに
永遠の時が流れたように・・・
お別れは、涙、涙、涙

愛というのは、やはり時空を超えていると思うことがたびたびある。
たった三泊四日、実質的には二泊三日だったにもかかわらず
まるで、何年もいっしょに暮らしてきたような親近感。
時計やカレンダーの刻む時の流れとは、まったく異なった時の流れがここにはある。
愛の流れは、久遠の神や仏のもとからやってくるから。

いつまでも、友だちでいようね。
なぜって、愛しているから・・・


また会おうね
また、ぜったいに会いに来るからね

ミンダナオ子ども図書館の
若者たちは、
一度出会い
愛し合った人の事を
決して忘れない。

時々、ふとしたおりに
名前が出て
「・・・・」どうしているかな
「今度いつ来るの?」と

無邪気にわたしに
聞いてきたりする。

でも、必ずまた会おうね!
涙の後の笑顔がみんな、すがすがしい。        
アイ ラブ ユー また必ず会おうね!

季刊誌『ミンダナオの風』より
一部抜粋

『ミンダナオの風』23号をPDFで読みたい方は、ここをクリック Info


 先年の夏、ミンダナオ紛争が勃発し、MCLで、「平和の祈り」を始めて以来、
ぜひとも仏教団体に参加していただけたらと思っていた。

 ミンダナオの若者たちにも、温厚な仏教はよい影響をもたらすだろう。
 それが、立正佼成会のおかげで、思いもよらず早々に、しかもとても美しい形で実現したのは喜び以外の何ものでもない。
 最初は、緊張しきった顔が、一夜明けるとすっかり変わっていた
 三泊四日という、非常に短い期間だったにもかかわらず、日ごとに子どもたちの表情が変わっていくのが興味深かった。
 最初は緊張した顔も、歓迎会が終わり、外でバレーボールをしたり、薪で料理をしたり、
井戸で洗濯をし始めるにしたがって変わっていった。
 高校大学のスカラー、総勢224名が一堂に会して行う「平和の祈り」は、学生達が自身で企画実行しているが、
ミンダナオらしく踊りや歌で彩られて厳粛な中にも楽しさや美しさが生きていた。
とりわけ訪問者の読経は、スカラーたちに感銘を残した。
 10名の子は、母親といっしょに、最初はホテルで宿泊したが、翌日の「平和の祈り」以降は親から離れ、
若者たちといっしょにミンダナオ子ども図書館に泊まった。
 
 子どもたちがすっかり変わったのは親から離れて最初に図書館に宿泊した日の夜からだった
 何か特別な出来事が起こったわけではない。

MCLにすんでいるスカラーたちが、ときどき楽しみのためにするこちら式の遊技、「ハンカチ落とし」

や「かごめかごめ」「はないちもんめ」を始めた時からだ。
 こうした子どもの遊びは、こちらではごくごく一般的な日常で、ただ日本と異なるのは、高校生や大学生でも、
子どもと全く同じで、無邪気に喜々として遊ぶことだ。

 こうした幼心を失わないところに「素顔のミンダナオ」があると思う。
 日本から来られた子たちは、六年生が中心で、高校生も混じっていたが、気がつくと皆、遊びのなかにとけこんでいた。
 こちらの若者を見ていていつも思うのだが、心の壁を取りはらうのが実にじょうずだ。
 山の貧しい集落が、それ自体が大家族のような濃密なコミュニティーで有ること、
粗末な家には個室が無く、家族がいつも身を寄せあい暮らしている環境などが関係しているように思えるが、
彼ら自身に、心の壁というものがあまり無く、たとえ言葉が通じなくとも、
相手の気持ちや思いを察して、ごくごく自然にとけこんでくる。
 それがあまりにも自然だから、心に壁を作って構えていた日本の若者の心が、
いつの間にか開かれていて、翌日母親やスタッフが来て、子どもの顔つきの違いに驚き唖然とするような事態が起こるのだ。
 山の村で子どもたちに学用品の『夢ポッケ』をくばり、読み聞かせをし、豚の丸焼きを村人と食べ、美しい滝壺で遊ぶにいたって、
彼らの顔はすっかり地元の子になっていた。

 
 「最初は、日本の子どもとフィリピンの子どもだったのに、どちらの子も私たちの子のように見えますね」と、
お別れ会で私は言った。

 お母様方も、うちのスカラー達を、「私たちの子」と呼んでくださった。
 そう、私たちは世界中にいる、「私たちの子」のために、平和で貧困がない世界を作っていこう。
 そう、語りあいながら、涙ながらに別れた。
 再会を誓いながら。
 アイ ラブ ユー・・・
 また遊ぼうね。


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ミンダナオ子ども図書館だより:3月25日

1,ほるぷ舎の保育所が出来た!
  高崎に拠点を置く、絵本の専門店、『ほるぷ舎』寄贈の保育所がマキララ、マルンゴン村に完成
  代表の金子さんが、開所式に来られた。

2,愛に捧ぐ黙想・・・松居陽

3,今年度のODA草の根資金J−Birdにイスラム自治区の小学校建設をアプライ
  ARMMと呼ばれるイスラム自治区は、ミンダナオで最も支援が行き渡らない地域。
  MILFの活動地域としても知られている。
  日本政府は平和構築のために、この地をあえて政府の支援地域の一部にして平和構築支援活動を開始している。
  私たちは、ほとんど現地の人々も、恐れて入ろうとしないこの地域を、
  今年の学校建設の候補とすることに決めて活動を開始した。


(3/25制作)
ほるぷ舎
の保育所が出来た!

高崎に拠点を置く、絵本の専門店、『ほるぷ舎』寄贈の保育所がマキララ、マルンゴン村に完成
代表の金子さんが、開所式に来られた。
ご自身も読み聞かせ活動や講演会も行っている積極的な方で、
毎年、私の講演や息子の陽の講演会を、10月、11月にセットしてくださっている。
金子さんへの講演依頼は以下のメールへ
holp-kaneko@holpsya.com
お忙しい中、ミンダナオ子ども図書館に正味二日滞在された。
ほるぷ舎のブログは以下をクリック
http://holp.blog61.fc2.com/blog-entry-11.html





歓迎の歌を
アラビア語で歌う
イスラム教徒の若者たち




興味津々で
訪問者を迎える若者たち

忙しい日本の日々とは異なった時間が、ここミンダナオ子ども図書館には流れている。
たった二日の滞在だったのに、まるで2ヶ月も居たような錯覚に陥る。
この様な時の流れを体験すると、人生観や、帰ってからの仕事への気持ちが変わってくる
それは、心そのものが癒される体験なのだ。

明けて翌日
さっそく、保育所の開所式へ



保育所の看板を運ぶ
スカラー達

左にMCL、右に福祉局DSWDのマークが入り
寄贈者の名前が登録される。
その後、テープカットとサイン式が行われ、保育所はフィリピン政府の管轄下に入る


日本語で自己紹介
私が現地語に訳して経緯を説明





テープカット
バランガイキャプテン(村長)さんと
にこやかに・・・

かつて、MPAの拠点だった村だが、
今の村長始め
役員はほとんど皆、女性だ。




サイン式を見守る子どもたち



子どもたちの歌も披露された




その後、保育所のなかで
読み語りが始まった。

金子さんは、日本語で
紙芝居を演じて
好評だった!!

保育所建設、希望の方々へ

ミンダナオ子ども図書館の保育所建設は
ピキットの戦闘で、先年からじゃっかん滞っていましたが、
現在、7件ある建設予定のうち
4月から6月にかけて、5件が順次、建設されます。

今年から、建設が終わって開所式の様子を
松居友が制作した映像と写真のDVDに焼き付け
映画として想い出にお送りしています。


開所式に参加されたい方は、
事前に、参加希望日をお教え下さい
訪問日に合わせて
建設を開始いたします。

保育所は、30万円で建設可能です。
お問い合わせはメールで

Mail


その後、
ピキットのスカラーを訪問


ほるぷ舎の金子さん方は、ピキットのイスラム教徒の若者をスカラシップ支援している。
Joemar Abudul君
父親はなく、ゴミ捨て場の近くの貧民地域に住んでいる。

時々、働きながらの
苦学生だ。
本当に二人ともうれしそうだ!

(制作:3/22)
「愛に捧ぐ黙想」

松居 陽


ここは、まったく面白い世界だ。
相対性原理に基づいて作られたこの宇宙。
無限であり、ゼロである絶対的な宇宙とは違い、
全てがこれ、あれ、そしてその間、
と比較によって成り立っている。
これが高ければ、あれは低い。
これが近ければ、あれは遠い。
これが良ければ、あれは悪い。
これが正しければ、あれは間違っている。

その中でも最も興味深いのが、愛と不安の相対性だ。

不安は、押し止め、閉じ困り、闇に隠れ、傷つけ、逃げる力。
愛は、解き放ち、開け広げ、明るみに立ち、癒し、留まる力。

不安に生きる者にとって、多くは足りない。
財が足りない。愛が足りない。
何かが足りない。
足りないったら足りない、と彼は叫ぶ。
富を下さい、と彼は祈る。愛が欲しい、彼は懇願する。
満たされたいんです!
その声明は、宇宙によって聞き入られる。
そう、あなたは満たされたがっている。
求める者は、延々と求めている自分を経験することだろう。

彼は、朝起き出し、多くを得る努力をする。
多くを得た後、さらに多くを得るため骨を折る。
とにかく、前へ前へ。
より多く、より大きく。彼の視界は狭く、厳しい。
彼の不安から逃れたい者達を、
彼は押し止めようとする。
持つという幻覚に住む彼にとって、
無くすことは最大の恐怖だ。


愛に生きる者にとって、全てはすでに与えられている。何もかも、十分に存在する。世界は、愛に満たされている!
彼は、何かが足りないとは決して考えない。全てを、そしてこれから与えられる全てをありがとう、彼は感謝に祈る。
その声明は、宇宙によって聞き入られる。
そう、あなたは満たされた。彼は、充満な自分を経験するだろう。

信仰心に肥えている者にとって、欲しがる必要は初めからから無い。
彼が得ることを選択した瞬間に、全ては与えられると、神は約束されたのだから。
彼は、宇宙の息吹に目覚め、命の触れ合いを感じる。神は、喜びいっぱいの素晴らしい世界を創って下さった。
そして、彼は自分や他人の死を恐れない。永遠の命を信じる者に、死などという概念は存在しない。

彼は、命の全てを祝福し、愛しながら、永遠の一瞬を生きる。全てに溶け込み、一体となり、神と語り合う。
彼には、執着心が欠けている。全てはすでに与えられている、と言う真実に住む彼にとって、
無くすことへの不安など、無邪気な錯覚だ。


無条件の愛に、不安は微塵も無い。

僕は、信じること、
そして愛することを恐れる人達を多く知っている。

受け入れてもらうため、愛してもらうため、
何かを代わりに得るために愛し、信じるのであれば、
たとえ求めているものが無条件の愛だとしても、
与えているのは条件付の愛であり、
それは愛と呼ぶより、要するに、
欲することから生まれた取引行為だ。
君の欲しいものを上げるから、僕の欲しいものを下さい、
と語られざる交渉がそこにはある。

この取引には、不安が隠れている。
初期の不安は、
もしも相手が愛してくれなかったら、というものだ。
そしてたとえ相手が愛してくれたとしても、
いつこの愛が途切れてしまうのか、
と次期の不安が襲忍び寄る。
これは、明らかに愛に生きる者ではなく、
不安に生きる者が一般的に作り出す経験だ。

では、無条件の愛とはどういった愛なのだろう。
何一つ条件が無いならば、
人は全てをあるがままに愛し、
それらがすでに完全な存在だと知りえるだろう。
全ての人々、出来事、物質、無物質、
生命、全てが神の創造した、
文句なしの天衣無縫だと知るだろう。

神が無条件に僕達を愛すように、
僕達も判断なしに全てを愛し、
祝福することができるだろうか?できるはずだ。
必要な力は全て与えられている。
損得無しに、純に愛する術は、僕達の核心にある。
なぜなら私達は神を模られ、
愛を成分として創られた最高傑作なのだから。

神が不完全な、不良品を創造するだろうか?


神が不完全な、不良品を創造するだろうか?
神は、僕達に選択の自由を与えておきながら、「間違った」選択をすれば、
永遠の業火で私達を罰する憎しみと復習の神なのだろうか?
そもそも、良い、悪い、正しい、間違っているといった概念は誰の創造したものなのだろう?
それらの言葉の持つ意味が、時代によって、または単純な地理の違いによって異なるのは何を示しているのだろう?

例えば、カトリック教徒にとって、1960年代以前は金曜日に肉を食することは罪であり、死後は煉獄へ行くとされたはずが、
それ以後は法王の決断で罪とされなくなった。
ヒトラーのやり方が正しいと感じ、彼を支持した多くの国民や、他国の多くは、今や彼は間違っていたと主張し、
彼にあらかたの責任を押し付ける。

ある文化は、男性が複数の女性と交際し、結婚することを力の印とみなし、
ある文化はそれを聞き、怒りに震え、道徳の侵害だ、と叫ぶ。
個人の人生の中でも、より若かったころの正しさは、後々の正しさとは異なることがしばしばある。

この喜劇に僕が思う真実は、こうだ。
これは全て、人によって作られたドラマ。
個人レベルであれ、団体レベルであれ、
意識の作り出した世界。
良い、悪い、正しい、間違っているなど、
実際には存在しない。

実在するものといえば、
世界に散らばるたくさんの観点、それらのみだ。
正しさ、良さなどのコンセプトは、
人により、経験と思考から描き出され、
団体意識によって強調される。

それなら僕は何を信じよう?そう、僕は、僕自身の真実を追究しよう。
望むべく経験を作り出そう。今、ここで、自分の思い巡らす最大の自己イメージを思い描き、宇宙に映し出そう。
それが人生の意図。
僕にとって、神は観測者であり、
裁判官ではない。
無条件で全てを愛する神は、
独裁者や多くの人間のように、
一つの観点からしか物事を見ず、
正しいだの間違っているだのとルッテルを張り巡らせ、
間違ったものを裁き、刑を処するだろうか?

僕達の多くが偏狭だからといって、
神にまでその特性を割り当てて良いのだろうか?

僕達が何をしようと、何を持とうと、
僕の神にとって、魂は一つ一つ、
罪も穢れも非の打ち所もないマスターピース。

僕と神の間には、義務も責任もない。
僕達は、選択の自由を持ち、
望むがままに道を造りゆく者達。
自己の真実を摘み取り、
自己の信じる目的を追求することを望む。

しかし、自分の信ずる道を進もうとも、
僕は、僕の知る神のようにありたい。
フィルター無しに、
全てをそうあるべきものとして愛し、解き放つ、
そう、無条件の愛を現実化させたい。

もしも僕がたった一つ、世界中の兄弟姉妹に
プレゼントを贈るとすれば、それは不安と罪悪感の欠けた心。





(製作3/12)
今年度のODA草の根資金J−Birdに
イスラム自治区の小学校建設をアプライ
2000年、2003年の戦闘では、10万を超す難民が出た。
その難民キャンプの悲惨さを目の当たりにしたのが、ミンダナオ子ども図書館を作るきっかけだった。
当時の銃痕が今も壁に残っている。

ARMMと呼ばれるイスラム自治区は、ミンダナオで最も支援が行き渡らない地域。MILFの活動地域としても知られている。
日本政府は平和構築のために、この地をあえて政府の支援地域の一部にして平和構築支援活動を開始している。
私たちは、ほとんど現地の人々も、恐れて入ろうとしないこの地域を、今年の学校建設の候補とすることに決めて活動を開始した。

この地域に支援をしても、おおかたが賄賂として、為政者や金持ちに渡ってしまって無意味だと言われている。
ARMM以外でも、似たようなものだと、私は思うのだが、行政機構が機能していないのも事実。
しかし、私たちの活動は、権力者に金を預けるのではなく、あくまでも自分たちの手で
最も貧しい地域の人々に、恩恵が直接行くように活動している。

現地には、心から貧しい人々と生きようとしている、多くの人々が居る!
彼らと共に、子どもたちと共に、スカラー達と共に活動を開始するのが、MCL流だ。

選んだのは、2000,2003年の
戦闘がひどく
フィリピン海軍がプランギ川を遡って攻撃し
ピキットへの上陸地点とした、
その名もランディングピース
と呼ばれた地域から

さらにパンボートに乗って
奥の対岸に渡る
PAARALANG村
陸路はなく、乗り合い舟でしか
たどり着けない


これがこの村の学校。メインビルディングが一つあるだけで、窓も木組みの粗末なものだ。
ここに3教室ある。これに破れた壁の掘っ建て小屋のような教室が一つと、塀のない屋根だけの教室が二つ。
6学年あるが、子どもたちの数は何と700名に近い!!!


子どもたちの数は何と700名に近い!!!

教室を遮る壁は、ベニヤを張っただけの粗末なものだ
便所も外になる。
隣接された教室
1年2年生が多く一教室では足りない
職員室も無い

椅子や机も不足しているので
子どもたちは床で勉強する

急きょ加えた教室は、竹壁のために一年もたつと腐り始めて
下部は、抜け落ちてしまった。隣接して作られた図書室も、本はなく、看板だけが目立つ!
ライブラリーと言っても、一冊の本もなく
半ば崩れていた
子どもたちは、抜け落ちた廃材を
シーソー代わりにして遊んでいた
外部教室は、屋根だけで、その下に2クラスあるが、仕切が無く
話し声が筒抜けで家具も足りない。
今回何よりも驚いたのは、
この様なところで、
二人の知り合いに会ったことだ。

一人は、7年前にのどの瘤の治療をした少女
アレナちゃんのお父さん
懐かしさに、感動しながら
「どこへ行く?銃は持ってきたか?」

「この地に知り合いの多い、
アスレーさんのお父さんが
同行してくれているが
銃はない」
と言うと

「任せておけ、俺が守る」
と言って
同行してくださった。

椰子の実のジュースを飲む時には
「ここに飲み口を開けていないのが
4っつある
お前が鉈で、飲み口を開けろ
毒を盛っていない証拠だ!」

「いや、信じているから
大丈夫ですよ
そちらでやってください」

と僕は答えた。



もう一人は、現地であった先生。上左の写真だが、
「あなた、私覚えていますか?」
「????」どこかで見たような
「あの、タリタイの目を手術した若者の姉です!
まだ、ミンダナオ子ども図書館がとても小さかった時に、弟に同行したのが私です!」

ここへ来た目的が、学校建設に応募することと聞いて大喜び!!
校長先生も村長も大喜びするのを必死になだめて
応募の段階ですから・・・・と、脂汗をかきながら繰り返し話すと
「その気持ちだけでもうれしいです!」

帰りには、子どもたちに見送られながら、まずは14日にスカラー達と
読み語りに訪れることを約束して別れた
保育所も無いので、保育所建設も始めよう。

資材は、ボートで運べば大丈夫だ
ナブンダスに建設した経験がここで役立つ
週明けて
皆で読み語りに訪れた

キダパワンからピキットまでは、車で小一時間しかない
それにもかかわらず多くの若者たちは、互いの文化も土地も知らない
何しろ、交通が発達しているわけでもなく、極貧で村から出ることすらない若者たち。
小さな山の村以外には、行ったことも見たこともなく、

イスラム教徒はキリスト教徒を恐れ、キリスト教徒はイスラム教徒を恐れ、マノボ族は山岳民族として見下されている

読み語り活動の大きな利点は、こうした地域に閉じこめられた若者たちが
互いに、思いもかけない場所を訪れる事が出来ると共にその土地の人々と交流できること・・・
これは、逆に、戦闘や貧困で、閉じこもった地域の人々、子どもや大人の心を開く上でもきわめて効果的だ。
読み語りは、平和構築の大きな力であると感じる。

いよいよ読み語りがはじまった
合間には、イスラムの歌、マノボの歌、ビサヤの歌、
そして、最後にタガログ語で、平和の歌が歌われる
平和の歌は、スカラー達が作詞作曲したものだ

ミンダナオ子ども図書館だより:2009年1月〜2月

ミンダナオ子ども図書館便り:2月24日

目次

1,マキララでのNPAと戦闘と難民

2,日本のJICAのODAによるピキットの灌漑運河の建設
3,IMT国際停戦監視団の菊地 智徳氏からのメール
4,兎口の子どもたちの治療
5,難民キャンプの歯茎異常の少女の治療
6,ナブンダスに市川鉄子先生寄贈の保育所が完成!
7,生まれて初めて体験した観覧車!


マキララでの
NPAと戦闘と難民


この地は、ドールによるプランテーションが、ダバオ近郊と比べて比較的近年開発された地域で、
ここ30年ほど、山岳地域でのNPAと軍による戦闘が絶えない地域である。
最近、再び、この地域に隣接して戦闘が起こり、2000人以上に上る難民が出た。
その多くは、山岳地域のバゴボ族である。
http://www.gmanews.tv/story/148140/2000-villagers-displaced-by-anti-NPA-drive-in-North-Cotabato

戦闘が起こっている理由は諸説あるが、Fr,ピーターのトライバル・フィリピーノ・ファンデーションによると
プランテーションの拡張のための農地所有の拡大によるNPAや先住民と軍の衝突であるという。
名前が出ている企業には、バナナで有名なドールと共に日本の会社も挙がっており、
おもに、ジェトロファ(こちらでは、トバトバと呼ばれ、バイオディーゼルを作る原料の実)の作付けや
ゴム農園の大規模拡張と関連しているという。


先進国による農地拡大の問題に関しては、次の記事をクリック Info

これは、現地から聞こえてくる解釈であり、戦闘は政府軍がNPAのキャンプを
空からのペリコプターによる襲撃を加えて攻撃したが、理由は、経済的危機と同時に活発化している
反政府組織を叩くためであると、言われている。


経緯

マキララやトゥルーナンは、ダバオからキダパワンに入る手前の山沿いの市で、周囲を山並みに囲まれている。
この地域は、先住民族がもともと広範囲に住んでいた地域で、2000年前後から、
NPA(反政府ゲリラまたは共産ゲリラと呼ばれる)と政府軍の戦闘が繰り返され
結果的に、彼らを追い出して山に封じ込める形で、ビサヤイロンゴ系の人々が農地を拡張してきた。

私が、8年前にこの地に来た時には、マキララはNPAと軍の戦闘地域として、危険視されていた。
現在は多少収束しているが、情勢が根本的に変わったわけではない。
ちなみに、ミンダナオ子ども図書館が農地を購入したのも、このマキララの山岳地の中の村である。

2000年前後の戦闘では、先住民族は、反政府ゲリラではないにもかかわらず、NPAであるとされて山に追われるか、
山麓に移住してもすでに自分たちの土地は無く、しかたなく日雇いとして、移民系住民の村の郊外に固まって住むようになった。
これは、読み語りで訪れた、バゴボ族の村人が、私に語ってくれた事である。

私が来た、8年前から現在に至る過程は、
資産家が大土地を所有した後に、5年前ほどにスタンフィルコつまり、
ドールの立派なバナナ集積所が国道沿いに建てられた。
その後、山裾に大規模なバナナプランテーションが開発されていった。
こうしたバナナは、高地栽培バナナとして、
ドールを経由して日本や中国に輸出されている。

土地無しの先住民は、山岳地に追われたものの、
当時、小規模ながら土地を持っていた住民も、
優先して雇用に預かれるという事で、土地を売却したが、
その後、雇用されていた地元の人々が、リストラで職を失い、
他所から来た人々が雇用されてきている。

こうした問題から住民の不満が集積し、
先年、12月のドール倉庫の焼き討ちやトラックの襲撃、
二人のバランガイキャプテンが殺害された。
これらの事件も、NPAの仕業とされているが、
経済的クライシスとともに反政府、反プランテーション感情が
根強く表に現れてきた結果であると言えよう。



日本のJICAのODAによる
ピキットの灌漑運河の建設
日本のJICAのODAによる
ピキットの灌漑運河の建設も再開されたようだ。
写真の対岸をダンプが走っているのが見える。

数台のトラックと水管が所々に置かれている。
しかし、部分的にかなり埋まっている場所もあり
工事に時間がかかるだろう。

私たちのスカラーを訪ねた時に偶然見た。

ピキットには、アメリカ軍もかなり入って来ているらしい。
表向きは目立たないが、おもに「道路」といってもかなり
バランガイ深くまで届く道に砂利をひく整備を行っている。

日本のODAで建設し、ミンダナオ子ども図書館がお手伝いした、
ここマカブアルの小学校にも砂利道の道路が整備されて驚いた!
校長先生曰く、
「アメリカ軍は、道もないこんな所に、こんな立派な小学校が
日本の支援で出来ているのを見てビックリ!していましたね。
『What a beautiful school!』と驚いていました。
米軍がこんな所まで来る理由は、
『家畜に予防注射をうつためだ』そうです・・・」

家畜つまりミンダナオの人々、に
悪いバイ菌つまり反体制思想、が感染しないため
予防注射つまり戦闘、を起こして
バイ菌に感染した人々=MILFを退治する???

道路整備の大きな理由は、戦闘が起こった時に、
戦車や軍用車が容易に入れるようにするためだと言われている。
「アメリカ軍が道路を建設した後には、
必ず大規模な戦闘が起こる。」
と現地では言われている。

私の経験から、ミンダナオで戦争が起こった半年から一年後に
中東で大規模な戦争が起こっている。計画したかのように?

2年前、こんな平和な時期に、ダバオに何故、
立派な赤十字のビルが出来るのだろうか?と思った、
翌年に、戦争が起こり、赤十字が活動を開始した。.
あらかじめ知っていたかのように。

日本政府の停戦監視団の皆さん、
戦闘が起こらないようによろしくお願いします!!!



マカブアルの小学校、近況


IMT国際停戦監視団の菊地智徳氏からのメール
このメールは、ご本人の修正加筆の元に、承諾を得て掲載しています

菊地智徳氏、JICAインタビュー記事は以下をクリックしてお読みいただけます
http://www.jica.go.jp/story/interview/interview_66.html
おはようございます。
時々、webで発信されるHP内容を拝見しています。
今朝、見ましたが、なるほど、という見解がいくつかありました。参考になります。
(菊地氏が読まれた記事を再読されたい方はクリック)Go!

なるほど、と私が思ったのは、

・住民のなかにおいて政府、反政府の色分けは、必ずしも明瞭ではない、という点。
・地域の特性(政府よりなのか、反政府よりなのかなど)は、まさに現地のヒトでないとわからない、という点。
 また、それは、明瞭でないこともあるという点。
・会話でNPAとかMILFとか、を安易に出さない方がいいという点、
・平穏に見えても、突然、戦闘が開始されるかもしれない、という不気味さ
・国軍がいる場所で戦闘が再開される可能性大のため、避難民は戻らないという指摘、
・行政職員が必ずしも政府より(国軍の味方)とは限らないという点などです。

菊地智徳氏とピキット市長を表敬訪問 市庁舎裏の日本軍の要塞跡を訪れる


他の国でも共通の要素もあると思います。


たとえば、中近東の一部では、家族・親族のなかに、国軍、警察、イスラム過激派支援者などが混在しており、
いったい、この家族・親族はどちらの味方なのか、という問い自体が意味をなさない地域もあります(国境地域)。
平易にいえば、「ぐちゃぐちゃ」です。

ミンダナオや、フィリピンの他の地区にも、同じようなことがいえるかもしれませんね。
家族・兄弟のなかに、国軍、NPA、警察、あるいはMILFとの繋がりをもつもの、
また、その構成員がいるとしても、それは不思議ではないと思います。
地域という広がりを持たせると、もっと、複雑で、曖昧だと思います。

結局、白黒はっきりしないグレーゾーンのなかで支援を行っていく上では、そうした特性を把握して、
極力「政治色のない」支援を心がけるしかないのだと私も思います。
保健医療、給水などは、その代表と思います。

しかし、「道路」というのは少し違います。
この国に限らず、戦略物資の輸送、また、軍事車両の迅速な展開を可能にするという軍事的観点から見ると、
「道路」には政治性が出てきますので要注意であること、
また、道路建設により、結果として、裨益する人々と裨益しない人々の格差を生じさせるという可能性があると思います。

また、いろいろなことで、ざっくばらんに意見交換させていただきたい、と思います。

感想を交えて、いろいろ書きましたが、「読み聞かせ」の心理効果ということには、私は興味を覚えました。
情操教育とは異なるのでしょうが、そうした心理面の効果というのは、私は子どもには重要ではないか、と思います。

現地に根を張って生きる、そこの骨を埋める、という覚悟はすごいと思いました。

お元気でご活躍ください。


菊地 智徳






兎口の子どもたちの治療

今年も、ダバオで開かれる、兎口の子どもの治療に参加した。
これは、UCCP(フィリピン・キリスト教団)とドールが協賛して、毎年ダバオで開かれるものだ。
ミンダナオ子ども図書館では、家族の食事と宿泊、そして搬送を行う。






今回、参加したのは、マキララ地区の
先住民バゴボ族の子たちと
ピキットのイスラム教徒の子たちが多く
総勢で、8名の子とその親たち

経済的なサポートは、ドールが、
治療と検査は、比キリスト教団の招待で
アメリカのドクター方が
ボランティアで行ってくださる

私たちも、大いに助かっている
年一回の無料治療!


それにしても、ドールのプランデーション開発の影響を受けて山岳地域に追われた子たち、
米軍も関与している戦闘地のイスラム教徒難民の兎口の治療を、アメリカ人を交えたキリスト教会が行う・・・
それで助かるのなら良いとは思うのだが、国際支援とは、何なんだろう?
支援を考える時にいつも繰り返し戸惑いながら、問い解される素朴な疑問!
支援とは、単なる利益の還元、それとも罪滅ぼしなのだろうか???


難民キャンプの
歯茎異常の少女の治療


手術前の姿


治療が終了し
再び難民キャンプに戻った少女
すでに半年もこういう生活が続いている

祖母は涙が止まらない

歯茎が異常に飛び出してくる病気
原因が何だかわからないが、ピキットの地に、瘤や発育の異常が多いのは事実で、戦闘時期と重なっている。
まるで劣化ウランの症状のようだと、その道に詳しい者が語っていたが、証明は難しい。
とりあえず手術が成功、6ヶ月後に今度は歯を入れる事になった。
見違えるように成った孫娘を見て、祖母は涙が止まらない。(右写真上)



ナブンダスに
市川鉄子先生寄贈の保育所が完成!




この保育所に到達するには
パンボートと呼ばれる
舟で行くしかない


完成した、保育所。読み語りの後に、プレートが張られる。
舟には、椅子と机も運び込まれた 途中からも、子どもたちが次々に舟に乗り込んでくる、


読み語りに、熱中する子どもたち
彼らの顔を見るのは
本当にうれしい

何度見ても見飽きない
子どもたちの表情。

イスラムやマノボ族の歌も
みんなで歌った。





前回から、開所式には、私がビデオを持参して、支援者のために短いドキュメンタリー映画を作ることにした。
市川鉄子先生は、長く幼稚園教師を務めて退職された。その記念と想い出に、寄付をされた。

市川先生、もうじき開所式のDVDが届きます。
そして必ず、いつかいらしてくださいね。現地を訪れましょう!!!

市川鉄子先生
ありがとう!

保育所支援

すでに振り込みを頂いている保育所も、時期をみながら今年中に順次建設をしていきます。
マキララに一軒、さらにピキットやARMM地域に建設を予定しています。
建設や開所式の映像をドキュメンタリーにして、DVDにして、寄贈者にお送りすることにいたしました。
一生の想い出になり、他の方々や子どもたちにも、現地の様子がわかるように・・・
開所式に参加されることも可能です。参加ご希望の時は、ミンダナオに来られる日をあらかじめお教え下さい。
その日に合わせて建設を開始いたします。

支援方法

一保育所(プレスクール)建設費用は、日本円で30万円です。
振替用紙に「保育所建設」と明記して、一括でお送り下されば幸いです。


郵便振替口座番号:00100 0 18057
加入者名:『ミンダナオ子ども図書館』



生まれて初めて体験した観覧車!

バレンタインの日、キダパワンの町に遊園地が出現した。
日本の我々には、あまりにも小さな遊園地だが、山で育った貧しい子たちにとって、夢のような憧れ!
生まれて初めて、遊園地の中に入り、生まれて初めて、観覧車に乗せてもらった子たち。


小さな小さな観覧車だが、乗ってみると結構高く感じられる。
終始、悲鳴に似た歓声が、観覧車から聞こえてくる。高校生なのに、7歳の子どものような喜びようだ!

実の娘や息子のように想っている、私のバレンタインデーの個人的な、大盤?振る舞いだった。

新しいスカラー候補

スカラーのザイノディン君の妹。もう一年近く、難民状態だ。
最初は、父親が高校生になるのを反対した。

保守的なイスラム教徒の中には、女の子は学業を続けることなく、結婚した方がよいと言った考え方がある。
彼女が、涙を流して悲しんだ様子が今でも脳裏に焼き付いている。






しかし、一年たち、兄のザイノディン君が、
MCLの活動の素晴らしさを語ったので、
保守的な父親の気持ちも変わった。

「もう、こんな難民生活はほとほと嫌になった。
娘も自由に羽ばたかせてやりたい」






彼らの難民状態の原因は、村長一族の確執が原因で
今回の戦闘とは、理由が少し違う・・・


家族写真を撮る時
最初は棒立ちだった父親の手を取ると
わたしは、娘の肩に乗せてやった。
ぎこちないだけに、父親の気持ちが伝わってくる。

「娘が親元を離れて、MCLに住むとなると、父さんは寂しいでしょう」
父親は、一瞬言葉につまったが、「寂しい・・・」とつぶやいた。
その気持ちは良くわかる、私ももう8年間も、生き別れになった娘達に会っていないから・・・

支援者が見つかりました!


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ミンダナオ子ども図書館便り:2月14日
制作完了2月14日
ただ、以下の記事のみ制作中として、今回は概要を示し、後に論じることにした
「貧困地域における支援活動としての読み聞かせ」

目次

1,憑依が何故起こるのだろうか
2,憑依に関する若干の考察
3,ミンダナオ文化・農業プロジェクトM−CAPについて
4,驚くべきムスリムのシャマニズム
5,フィリピン伝統のハラナ
6,山の中に農場を開く
7,ピキットの奇妙な洪水
8,むしろ困難なのは戦闘難民の人々
9,貧困地域における支援活動としての読み聞かせ



憑依が
何故起こるのだろうか


初めてミンダナオ子ども図書館で、憑依が起こった時には、
これは体の傷が原因かと思った。
その子は、銃が暴発し腹部を貫通。
そこから排便していたが手術の結果、肛門が使えるようになった。
しかし、その後も傷は癒えていなかったから、その膿が頭部にも移るのかと・・・・

最近、二人の子に起こった憑依は、
顔かたちも変わり、同時に憑依状態になり、
二人を引き離し、部屋を別に移動した後、
私が仲立ちの子と二人で彼女を押さえて落ち着かせ、
神とイエスの話を聞かせ、落ち着き始めると不意に正気に返り、
本人は何も覚えていない。

以下、大渕さんに当てた私のメールから抜粋して、
その後さらに状況を多少分析してみたい。




2月10日


心配おかけしてすみません。
ちょっと体調を崩していました。先年からの疲れが出たのか、気管支炎になって数日入院しました。
それに、うちの二人の子が憑依状態になって・・・

霊がとりついたようになって、これで三人の子で、数度目の体験ですが、今回は二人が一緒に一つになって憑依状態が始まり
一人には、もう一人子の、去年の暮れに亡くなった障害者の妹の霊が乗り移った、と言うことなのですが
目が真っ赤に血走って斜め上を凝視したまま、手が収縮して手先を尖らして固くなり、想像以上の力で暴れ
別人格のようになり、髪を振り乱してけたたましく笑ったり・・・

もう一人の亡くなった障害者の妹の霊がついたと言う子の場合は、小さな女の子の霊は、マノボ語しか介さず、
私は、彼女を抱きとめてマノボのスカラーに通訳してもらいながら、霊に、死者の魂は父である神とイエスの元にあって、
お姉さんの事をしっかりと見守っているから安心するように、話しかけていきました。

顔を見たりすると仰天するような形相で(普段は可愛い子なのですが)。
周囲は、恐れ騒然となるのですが、時には押さえ込もうとする屈強の男の子を、信じられない力ではねとばしたりする。

私は、こういうのがなぜか全然怖くないので、興奮している、スカラー達や大人を厳しくたしなめて、
冷静な子以外は、興奮を助長するだけなので部屋から出てもらい、
穏やかに愛情を持って接して、すごい力で暴れようとするのを、時にはしっかりと抱き留めて安心させ、落ち着かせ、
問題を見極めて行くと不意にスーッと憑依状態が消えて元に戻る。

元に戻る瞬間というのは、非常に感動的で、狐につままれたような顔で、あたりを見回しながら、
自分のいるところも、何が起こったかも理解できず、何も覚えていないのです。

結局、様々な言えない悲しみや家庭の問題があり、ストレスが引き金になるようです。
一人は、障害者の妹を大事にしていた子で、クリスマスに
櫛、髪飾り、小さな靴を買って帰ろうとしていた矢先に妹の死を知った。
その妹は、いつも大好きな姉さんが側にいることを望んでいたので、霊となって来たのだと・・・

もう一人は、父親が毒殺された子で、ここでは語れないのですが、非常に複雑な家庭背景と
父親の親戚が、土地の問題も含めて、密かに連れ戻そうとするのを恐れている。
その子は上述の子の親友で同じ村から来た子で、妹の霊の媒体になった。
MCLは、子どものシェルターとしても認定されているから、大丈夫守ってあげると言ってようやく心が落ち着いてきた。

山の貧しい家族の期待を一身に背負っていたり、
都会でレベルの多少高い学校に移った結果、学校の事も含めて、
心因性のストレスがたまり、限界を超えて、
引き金になって憑依状態になるようなのですが、
それだけでは説明しきれないものもある。

私は、平静をたもちつつ、寄り添いながら、落ち着かせ、
原因を話をしながら明確にして、解決策を見いだす。
そのご、彼らのストレスを全部私が吸い取ったようになり、
疲れがどっと出て。
日本にいると、こういう事は特殊でしょうね。

どうも、人だけではなく、霊までも、私が理解してくれると思って、
頼ってくるようですね????
(アイヌ文化に造詣の深い、藤村久和氏なら、そう言うだろう)

経済的にだけでなく、精神的にも、強い愛情を持って
しっかり支えていかなければならないようですね。
大変な家庭状況を背負っていたりして。


カトリックには、こういう状況に対応する神父がいて、
エクソシストを行うと聞いていますが、
こちらでは時々あることで、
マナナンバルと呼ばれる祈祷師が対応します。

今回は、二人ともクリスチャンでサウザン・バプテストなのですが、
村にしばらく帰って、亡くなった妹の墓に、
櫛や靴や髪飾りを持って墓参し、
その後、マナナンバルが生け贄に、黒いニワトリを捧げたようです。


キリスト教と地元の信仰が、
矛盾無く共存している所も興味深い点ですね。





憑依に関する若干の考察

本当にスピリットが取り憑くのだろうか?
それとも、無意識のなかの自我が、突然水面下から現れるのだろうか?
ちょうど巨大な氷塊が、激しい嵐で、水面上に現れている意識の部分を崩し突然、氷塊全体がひっくり返り、
今まで海面下にあった無意識の部分が現れるかのように・・・

確かに、こうした状況を見ると、若者も大人も、取り押さえようと異常な興奮状態に取り憑かれるのだが、
私は、なぜか、全く心の動揺が無い、かつて北海道で、アイヌ文化に触れ、
カムイの世界を少しでも感じたいと、たった一人で山頂で、テントもなく眠ったり過ごしたり、
沖縄の神の島、宮古の池間島で、神々の話を聞いて過ごしたせいで
人間の意識を超えた世界に心を慣らしているせいなのだろうか?

普通の女の子が、夜叉のように面相が変わり、声も変わり、暴れても
少しも動揺することなく、受け止めて、愛情を持って接し、優しく語りかけることが出来る

その後も、数日、様々な原因を話しながら探っていくと、こうした症状に至る前に、かなり激しい心因性のストレスがあり、
人に言うことが出来ない原因が内在することが分かってくる
心が素朴で純粋であるが故に、それが引き金になり、つまり、憑依状態に入ることで、助けを求めているとも言える。

だが、完全に人格が変わっていることは確かで、スーッと意識が戻ってから、全然何が起こったのか覚えていない。
今回は、別室に移した二人の子の意識が、全く同時に、戻ってきたのも不思議な現象だった。

ただ、山での生活が、貧しいにもかかわらず、
楽園のように美しく
キダパワン郊外の学校の生活が、
(日本の東京から来た者には、
あまりにものんびりしたストレスのない社会なのだが)
彼らの、ナイーブで感じやすく素朴な感性から見ると、
都市部に近いストレスのある社会であることもわかってきた。

確かに学校教育そのものが、ストレスの押しつけなのだ。
その延長に会社があるが・・・

私も学校教育が本当に嫌いで、
小学校の担任、無着成恭先生の影響か、
点数による、競争教育に強い拒否感を持っている・・・
成績がそれほど良くなかったことも原因だが。

その上、ここでは、スカラシップを受けた子は、
家族で唯一学業を継続できると言う事で、
一家から、両親から、親戚や村から、
多大の期待を背負ってきている事も大きい。

さらに、家族や友人から離れている事、
村のコミュニティーや友だちから遠いことも、寂しさを募らせる。
そこに、大事な妹の死や、込み入った家族の状況が複雑に重なって
意識が限界を超えて、弾けてしまい、
憑依という手段で自我が助けを求める!

ただ、それを受け止めて、理解し、
解決の道を探ってくれる人が居るかいないかが問題で、
どうやら、私がその役を引き受けてくれると感じているらしい。

私に出来ることは、ただひたすら愛情を持って強く接し
話を聞き、問題を見つけ、それを整理し、解決の糸口を探していくことだ。
こうした経験を経て、ますます深く心の繋がりが生まれていく。
多くの若者たちとの間に。


本文と写真は
関係ありません


musha

驚くべき
ムスリムのシャマニズム
,

この様な世界が、まだ生きているとは思わなかった!
制作完了


一月の最後の日曜日は、年3回の文化祭の初日、ムスリムデーだ。
そこで若者たちは、自分たちの文化のルーツを演じる。
今回のテーマは、「病気などの祓い」
そこで演じられた世界を見て、唖然とした!
この様な世界がまだ生きているとは、思わなかった。
マノボだったらまだ理解できるが、ムスリムにもシャーマンがいたとは!
ミンダナオのイスラムの世界に
このようなシャマニズムが
とけ込んでいるとは思わなかった。

写真の流れを見ながら、
背後に宿る壮大な宇宙観の片鱗を
ご説明しよう。

日本で8年かけて執筆した拙著
『沖縄の宇宙像』(洋泉社)を
読んでいただければ

これが、シベリアから欧州、
中国からアジアに広がる
シャマニズムに則ったものだとわかるだろう


イスラムの教えに則っているのではないだろう、なぜなら、ここで若者たちが演じたのは、
病気を治すための御祓いであり、シャマニズムの世界観に則ったものだから。.

下の連続する写真を見て、象徴が何を意味しているか、理解できたとしたら
あなたはシャマニズムの宇宙像コスモロジーを把握している!

儀式に必要なものを備える
上に掲げられた赤い布は舟を表しているのだろう
ドゥヤンと呼ばれるゆりかごでもあるが
ゆりかごは、神の世界に昇る舟でもある
赤子は神の世界と最もつながっている存在
置かれた6本の旗は、第七の天界に昇るまでの
六段階の世界を意味している
天界は、神の世界である
塔や大木(神木)の最先端から昇るが
神の世界の入り口には星がある
沖縄ではネノハンマティダといって女神だが
そこには供物、そして鈴の着いた楽器をならしていく
イスラムの塔の先の月と星は、何を意味しているのか
新約のイエスの誕生とマリアの星は・・・
シャマニズムでは、女性と男性は
役割を別にしている
神の世界の入り口に女性はおり
地位が低いわけではない
祈る儀式は男性だが、女性は山の神のように
世界を司っている
宇宙は陰と陽で出来ているからだ。

コーランを読んだ時にも、カーバ神殿の石を巡る祈りの方法を知った時にも、
そして何よりも、イスラムの寺院の塔の頂の月と星を見た時にも
イスラムにも、シャマニズムの香が残っているのではないか
(キリスト教の中にも聖書の中にもシャマニズムの宇宙観は至る所に散らばっているが)と思っていたが、
この儀式は、まさにシャマニズムそのものであり、ミンダナオのイスラム、アジアのイスラムに特徴的なものなのだろうか?
それとも、イスラム教徒に全体的なものなのだろうか。

宗教家は
シャマニズムというと、キリスト教や仏教、イスラム以前の原始宗教、
精霊崇拝として邪視したり、排斥したりすることが多いのだが、
拙著『沖縄の宇宙像」』でも述べたごとく、そこには、キリスト教の根元をなす宗教観、
特に罪と生け贄の原型の構造がある。
つまり、罪のあがないとして、羊(旧約)や豚(沖縄)やニワトリ(マノボ族)、最高の生け贄として人を屠った時代。
(日本の人柱、ヨーロッパのメイポール、沖縄の送り、アンデスからフィリピンに至るまで、旧約にも出てくる慣習)

さらに、屠った人の肉を食べた習慣。
これは、キリストの教えそのものにつながる。
イエスは、罪の許しの最後の唯一の方法は、わたし(人の姿をとった神)の肉を食べ血を飲むこと、
その象徴的な行為としての最後の晩餐を行うことを教えた。パンと葡萄酒に代わっているが、神道では餅と御神酒。
アイヌも、カムイとして熊を迎え送る時に、実際の肉を食べ血を飲む儀式を行う。沖縄でも死者を送るために食べた。
その様子はカトリックのミサ、プロテスタントでも行われる正餐式そっくりである。

つまり、全世界にかなり共通していたと見られる、シャマニズムの宇宙観の後に、さらにその上に、その影響のもとに
宗教が、愛、平等、そこから生まれる自由の概念を実現する教えとして現れたという、歴史を顧みれば、
すべての宗教が、シャマニズムという根から枝葉を出してきたのであり、
当然ながらその表現に影響が見られてもおかしくないのだ。

ただ、宗教を研究する時に、近代から過去にさかのぼる、という形で分析することにより、宗教以前の世界を否定した結果、
その大きな影響が見えなくなったのではないだろうか。
あたかも、意識の下に眠っている無意識の世界を否定して、理性のみで心を分析するように・・・
しかし、かつてユングが行ったように、無意識の世界を深く知り尽くした上で、その上に宿る意識をとらえ、

総合的に分析する時に真実の心が見えてくるように、宗教に置いても、深層としてのシャマニズムという観点から、
(宗教の無意識の部分にあり、絶えず意識に影響を与え続けている)シャマニズムという視点から、
改めて宗教を分析する事は、特に現代のように、宗教的といわれる国々が、
あたかもその教えに反したような戦闘を行うような時代には
有意義で必要なことであるかもしれない。

ダトゥを中心に村人が輪になり、病気の子どもが
天界へ向かう舟、揺りかごの左右に寝かされる
中心に供物が置かれている
山盛りのご飯などの上に卵が乗せられているが
ゆで卵は、誕生と同時に宇宙の象徴でもある
この世界は、この世を表している
神の世界への出発点であり
儀式はこの世から始まる
シャーマン(ダトゥと呼ばれる首領)は、お皿の香料に
火をつけて、その煙を供物にかかるようにして
供物を清めている
線香や香炉、ローソクと同じで、
火は天界への儀式に欠かせない

同じ火と煙で、病気の子どもを浄めている

シャーマンが、6段階に竹で組まれた
塔の前で、その一つ一つの段階に
火と煙をかけて浄めている
この儀式は、シャーマンが天に昇る儀式でもある


右が椰子の葉で包んだ供物が下げられている木の枝
木の元には、プラスティックの大きなゴミバケツが
置かれていて、半分ほど水が入っていたが
撮影の邪魔になると思って、私が移動させてしまった


ゴミバケツの水は重要で、木は天の世界への道、
水は地下の先祖の魂の世界への道を象徴していたのだ!
仏壇の前に、ローソクと水を奥のと同じ意味。
勝手に外したのは私の過ちだったが遅かった。


病気の子どもを浄めた後に、いよいよシャーマンは、天界への道行きを歩き始める。
竹で組んだ、塔のようなものには、6つの段階のスペースが儲けられており、その一つ一つに飯などの供物が置かれている。
シャーマンは、そこにも清めの火を持っていく。
この塔は、6本の赤いテープで、本体の家とつながれている。

この塔の右側に、木が置かれており、木の枝にも米の飯を椰子の葉で包んだ供物が下げられている。
この木の手前に、プラスティックの大きなゴミバケツが置かれていて、半分ほど水が入っていた。
理由がわからず、撮影の邪魔になると思い、私が一人で勝手に移動してしまったが、儀式が始まってはっと気が付いた。
水は重要な象徴なのである。

木は、神木と同様に、天頂に魂が向かうための道筋である。
昔は、天頂の北極星に向かって巨大な目に見えない神木、または柱がありそこを中心にして天界は支えられ、星も巡っていると思われていた。
また、下にも、この世と同様の世界が裏側にあり、そこに向かう入り口が、洞窟や海や井戸であり、
水は先祖の魂の世界に人々を導くスピリット精霊であると考えられていた。

火は天界に昇ろうとする火之神だが、水は下の世界に流れようとする、その性質から精霊、アイヌではワッカウシカムイ、水の神とされて
沖縄では海がその世界への入り口だと考えられていた。ニライカナイ、宮古島ではニッラ。アイヌではポクナモシリ、つまり黄泉の国である。
旧約聖書でも、死者の国が無くなって、海から死者が復活してくる場面が詩篇などで描かれている。
太陽は海の中に沈み、あの世へ出ていくと考えられていたから、あの世への道は、太陽の沈む西から、海つまり水を通って行くと思われている。

井戸や滝、山上の湖(恐山等)が祈祷の場になっていたりするのもその名残。
それゆえに、ミンダナオの若者たちの演じている儀式でも、例えそれがゴミバケツであったとしても重要な意味を持っていたのである。

さらに、世界は、地の下の世界から天界まで、6段階で表されており、第七段目が到達点である。
6本のテープは、家であるこの世と、天の各々の聖霊と段階を結んでいる象徴。
方位とも関係しており、南、西、北、東、天頂、天界(月)の6段階を得て、最高神(かつては太陽神)に到達した。
その全体に祈願する事が、宇宙全体の聖霊(天使)と神に祈願するために必要であり、
6段の塔は、その一つ一つを経て、シャーマンが最高神まで登り詰めていく道行きを表している。
塔の横に置かれている水と木は、その道そのもの。



6段階の世界を経て天界に登り詰めてきたシャーマンは、最高神から特別な力を授かってこの世に戻ってくる
彼はもはや、この世の存在ではなく、神と一体となった人間の姿なのだ
その象徴として、特別に作られた被り物をかむるのである

こうした被り物は、神聖な儀式の時に、天界との関係を結んだ人という意味で、過去、皇帝や王などに被せられた

被りものを頭に乗せたシャーマンは、右手に木の板を持っているが、ここには沢山の鈴がつけられている
シャーマンの聖なる道具として、音の出る鈴も重要なものである。
天界から降りてきて、聖なる力を持った
シャーマンは、病魔を祓う
シャーマンの後を、病気の子の母親がついていく
最後に病気の子を伴いながら 天界への供え物がある塔へと導く
その周囲を巡り、天の神の力によって病気をいやすと同時に
左手に刀を持って、地界と天界、家と塔の間に結ばれている6つのテープを切断する
テープの切断によって、天界と地界の繋がりが
断ち切られて、再び人々は地界に戻っていく


地界に戻ってから、最後の祓いを行い、
人々の周りを喜びに満ちて踊りつつ巡る

地上に戻りいやされた病人に最後の浄めを行う
病人の健全な魂が、再び子どもの肉体に戻る


こうして、天界の力が地界にもたらされ、病魔は追い払われ
地上に平和と幸せが息づきはじまる。


最後に火と煙で全体を浄めつつ導かれて退出する



フィリピン伝統のハラナ
制作完了


誕生日の朝早く、みんなで4時頃に起きて
誕生日の子の部屋の前で、みんなでお祝いの歌をうたう伝統的な、ハラナ。

山の家では、村の人々が、家の周囲に集まって
夜明け前頃から歌をうたい、その後、メッセージや願いをとなえ、誕生日を祝福する
みんなで心を合わせるこうした時が、ここでは今も生きている


まずギターの響きで、ゆったりしたお祝いの曲がはじまり、
誕生日の子は、それとなく、恥ずかしそうに、窓から覗く
「あっ、起きてる起きてる」


盛り上がってきたところで、誕生日の子が部屋から外に出てくるが
タイミングの曲がだいたい決まっていて
その曲に続いて、ハッピバスデーの曲になる

「何歳なの?」という、合いの手が入ることもあるが
食卓でうたわれる時は、「ニワトリ料理が無いぞ!」といった冗談が合いの手にはいったりする。


歌の後、希望者が、願い事を述べる
祝辞を述べると言っても良い。


訪問者で、偶然誕生日の方は、必ず事前にお話下さい!
しらずに、後で誕生日だったことを言われると、皆、ガッカリする。

一年の最大のハラナは・・・・クリスマス!
「ハッピィー バースデー ジーザス!」
イエスさん、誕生日おめでとう!!!!


これは、ミサデガリオ(夜明け前のミサ)という名で呼ばれていて、
何と、クリスマスの一週間前から、教会で毎朝続くハラナなのだ!





ミンダナオ文化・農業プロジェクト
M−CAP
Mindanao Culture & Agriculuter Project

ミンダナオが豊かに自立していく道筋は、金融・工業化社会を作ることではなく
文化と農業(プランテーションではない)を主体にして行くことではないか、と常々考えていた。
ミンダナオ文化・農業プロジェクトは、ミンダナオの自立支援に最も適した方向だと感じて以来
すでに、5年以上、その企画実現を暖め続けて、ようやく今日、実現の一歩を踏み出す地点に何故か立った。

今までも、さあ始めるかという気運になりながらも、先延ばししてきたのは、
気はあるものの足下が熟していなかったせいであり、同時に
出発したミンダナオ子ども図書館の事業を、ある程度、盤石な軌道に乗せることが
支援者と子どもたちに対する最も重要な責任であると感じてここまで来たからだ(この気持ちは今も変わらない)。

足下が熟していなかったと書いたが、足下とは、私自身の考えやこの地を理解するための経験、
読み語り、スカラシップ、医療、難民救済など、多様な活動を総合的に運営するMCLのスタッフとボードの体勢
といった点もあるが、何よりも、この地で育ちつつあるスカラシップの若者たちの成長を待つ過程でもあった。

現在、スカラシップの子たちは、小学生から高校、大学まで400名弱、すべて最貧困層からの出である。
今年2009年から、大学生達が、毎年20名ほど卒業して、社会に旅立っていく
一日本人に過ぎない私がいくらがんばっても、M−CAPの事業は推進できるはずもない
実現していくのは、未来に向けて羽ばたこうとしている、彼らなのだから。

今このプロジェクトを始めようと決心したのは、こうした気運がスカラー達の間に生まれつつあることと、
現在の世界情勢(宗教と文化の崩壊)と経済情勢(金融を中心としたグローバル資本主義経済の崩壊)
そこから脱却するための鍵としての文化と農業の重要性を、ミンダナオの地で感じ取ると共に
多様性を基盤とした文化と大地に根ざした経済、それを実現するためのコミュニティーのあり方の模索など
今こそ、実行に移す時が熟したと感じるからである。

人類は本来、どのような文化的、農業生産的な基盤に立って、生存の道を歩んできたのだろうか・・・
これこそ展開と模索と実現を必要としている視点であると思うし、未来を示す一方向性であると感じる。
辺境の地の、小さなアクションに過ぎないけれども、実行を通しての模索と探求を始めることに決心した。





M−CAPミンダナオ文化・農業プロジェクト

農場プロジェクト

山の中に、農場を開く

ミンダナオ子ども図書館で、マキララの山の中に、12ヘクタールの農場を開くことに決めた
制作完了

ミンダナオ子ども図書館は、米州開発銀行から国際交流基金のアドバイザーに移籍した高橋毅氏(高校時代の仲間なのだが)
の特別寄付と、私個人の出資を加えて、マキララの山の奥の小さな村に、12ヘクタールの農場を購入。
MCLの事業と平行させながら、農場運営を開始する。

名付けて、M−CAP(Mindanao Culture & Agriculture Project)ミンダナオ文化・農業プロジェクト
文化は、地元文化の保存や映像、出版を目指し、農業は貧困層のためのコミュニティーファームを考えている。
資本資金は独自採算として、ミンダナオ子ども図書館とは分離させ、MCLへの寄付は転用せず、協力関係でMCLを支えていく。


農場と平行して、MCLで子どもの宿泊施設を作り、ミンダナオ子ども図書館のブランチも置くことにした。
この地域は、有名な新人民軍NPAの活動地域で、最も戦闘が激しかったところだが・・・・
多くのバゴボ族が、未だに山に追われたままだ。

マキララ農場を、土地を追われた先住民族の救済を通して、貧困解消と平和構築を進めていく拠点にする。
同時に他地域の貧しい先住民族の家族や、卒業したスカラー達の仕事場として、コミュニティー農場を実現していく。
幸い、小学校が隣接していて、三食たべられない先住民の子たちを収容して、学校に行けるように出来るだろう。



ここを担当するスタッフとして
レクサム君のご両親を選んだ!


スカラーのレクサム君と
妹のライラニさん(向かって左)


思っても見なかった突然の話に
喜びを隠せない。


この農場を担当するのは、スカラーのレクサム ピアン君と妹ライラニさんのご両親。バゴボ族で、母親はハンセン氏病だ。
父親は、わずかに有った土地も、病気の薬を買うために売ってしまった。
今は、二人で日雇いをして何とか生活している。

M−CAP全体の経理を取り仕切っていくのは、スカラーで今年ノートルダム大学のマスコミ学科を卒業するチェリリンさん
マノボ族で、民族楽器を天才的に奏でる父親を持っているが、病気で非常に貧しい。しかし、がんばりやで信頼でき成績も良い努力家。
こうして、ミンダナオ子ども図書館の活動に平行して、卒業生が活躍する場を少しずつ作っていくのがこれからの夢


さっそく、土地を案内して
ピアン一家にもみてもらった
ここだったら素晴らしい仕事が出来る!
感動の面もち

一緒について来たスカラーの
男の子達も
目の輝きが違っている
僕もここで働きたい!!

土地無しの人々にとって
日雇いではなく、
安定した場所で働けるのは
大きな夢だ!!


ミンダナオの人々にとっては
土地というものは特別な意味を持っている
特に、土地を失い、
山に追われた人々にとっては・・・

土地は、生きていけるか行けないか
生活と生死を決定する?

男の子達の仕事に対する
目の色が変わったのがうれしかった


購入する土地は
元、この小学校の先生だった方の所有。

まだ、4年までしかない小さな学校だが
購入する土地の並びに建っている。





土地は村はずれの10ヘクタールと
村の中心のココナツ林2ヘクタール

中心の土地には、巨大な木が立っている
1000年は超えるだろう
このそばに
ミンダナオ子ども図書館の分館を建てる



見ると、のどかな田園に見えるが、4WDで入っていく、相当の山奥だ!
反政府組織の拠点と言われ、近隣から恐れられてきた場所だが、今は、比較的平穏だという。

周囲を山々に囲まれており、非常に小さな集落だが、低地をイロンゴ系クリスチャン(ネグロス島から来た人々)に所有され
先住民のバゴボ族は山に追われて、非常に貧しい生活を強いられている地域。

普通ならば、怖くて入らない場所なのだが、この下の集落である、バト部落から、
先ほどのピアン一家をはじめとしてスカラーを取っているし。この地にも、読み語りで来ている。

現地の人々は、ミンダナオ子ども図書館が、この地でコミュニティー農場を始め、分館を作ることを非常に喜んでくれている!
何よりも、スカラーの、特に男の子達に、未来への夢が出来たのがうれしい。
ミンダナオの男の子達の夢は、農業!



分館には、周辺の山に追われた
バゴボ族の子たちが泊まり
小学校に通うことになる
三食たべられない子たちが多い

さらに、各山岳地に追われた
マノボなどの貧困家庭の
季節労働の宿舎となる

一ヶ月ほど滞在して
収入を得られるようにする
世界的経済クライシスの余波を受けて
食事もとれない貧困の中に
放り込まれているのだから



農業と若者たち

現地における仕事に関する考察
僕たちの夢は農業!




土地もなく、三食たべられなかった
所から来た子たちにとって
自分たちの食べ物があると言うこと

それをこうして運べるということ
それだけでも、うれしいことだ
彼らの喜々として米を運んでいる姿を見ると
この子達にとって、農業そして
収穫というものが、どんなにありがたく
素晴らしいものであるのかを実感する







町で働くことも彼らの夢だろう
海外に出稼ぎに行くことも夢に違いない

しかし、何よりも
このミンダナオの地で
食物を作り、家族を養うことが出来たなら




そして、その様な生き方が出来る
社会構造になり

自分たちの生活や文化の素晴らしさが
自覚できるようになったなら

彼らは喜んでそれをするように
私には見える


ピキットの奇妙な洪水
制作完了

ピキットを再び、大きな洪水が襲ったと、今回は大々的に報道された。
腰まで届く水に、スタッフのノライダさんも、隣のアスレーさんの所に避難した。
その報告を受けて、どのような状態で、どのような救済支援が必要かを確かめるために、洪水の翌日に緊急にピキットに向かった。

しかし!
水は、何と、24時間で、引いていたのだ!!!!
道路沿いには、若干の難民が残っているものの、昨日の午後には、腰まであったという水はすっかり引いて、
以前、洪水救済にいったときの、半分ぐらいになっていた。
あのときは、10日間あまり、洪水が続き、医療支援にカバサラン村にボートで向かったのだが・・・

洪水というよりも、Flash Flood 鉄砲水と呼ばれるものだったのだろう。
上流に、大量の雨が降ると、突然、想像を絶する量の水が流れ出す。
原因は、1960年代に、日本がラワン材を輸入するために、ジャングルをことごとく伐採した事による。

それが、鉄砲水で終わるか、洪水になるかは、雨の量とともに、降水期間が関係している。
たとえ量的には少な目でも、降雨が長期にわたると、洪水になる。
今回のケースは、降雨量が異常に多く集中的に降ったものの、短期だったので救われたのだろう。

確かに鉄砲水で家屋が流されたり、一時的に腰までとどく水の被害はあったものの、
引くのも実に早かった。現地の人々に、全く悲壮感が無く、
むしろ道路の決壊箇所を利用して、大量の魚の捕獲が出来、一時、魚の出荷に湧いたのは人々の生活力のしたたかさだった。



激しい洪水が襲ったと聞いて現地に向かったが、先日の腰まで来る水は、あっという間に引き始めていた


洪水難民も数は少なく
むしろ現地は
道路の決壊箇所に網を張って
捕獲した、魚の漁獲に湧いていた

大量に捕獲され
バイヤーに取り引きされていく
鯉、フナ、ナマズ、手長エビ

リグアサン湿原のある
この地域が
いかに富裕な天然資源を
保持しているかが理解できる

膨大な
天然ガスと石油も眠っており
国際資源争いの場となっているが・・・

何としたたかな民衆だろう
災い転じて福となす

雨にも負けず
風にも負けず
洪水にも戦闘にも負けず

生きる力に満ちた人たち
こういう人に、わたしもなりたい?






以前にも書いたが、洪水が、予想を超えて高く水位が現れる原因は、
USAIDと呼ばれるアメリカ政府の道路建設支援の結果、
国道からラジャムダと呼ばれる村まで、
川沿いに、土盛りの高い道路ができたせいだ。
この道路に堰き止められる形で、水が川沿いの村を襲うようになった。
いわば、国際支援が災害を大きくした例だが、
この道路は、この先のリグアサン湿原に眠る、
大量の天然ガスと石油の開発と積み出しを
狙ったものだと、現地では言われている。
しかし、現地の人々はしたたかだ。
前回の経験から、道路の決壊箇所に漁網が張られ
大量の漁獲がされていた!



学校も鉄砲水につかり、教室も腰まで来る水の中だった
すっかり濡れてしまった教材。しかし、翌日には水が引き、道路で教材が乾かされていた。


洪水が出たとたん、
飛び出して泳ぎ始める子どもたち

むしろ困難なのは、
戦闘難民の人々
制作完了

地域によって、支援のあるところと、無いところの格差が明確になってきている

山元しんぷ支援のサダム君も、支援をはずされている地域のスカラーだ
おそらくクランボク村の村長が、MILFよりだという理由だろうと、スタッフ。
このときは、WFP世界食料機構のスタッフも同行
オーストラリアからのスタッフのための事前調査。
行く先は、副市長の地元のパイドプランギ。
洪水に阻まれてストップ。ボートで行くことはできるのですが・・・

私たちの活動にずいぶん興味を持ったようすだった。
私たちも、時々WFPとは、行動を共にしている。
ランドクルーザーの後を、スズキの軽トラで追いかけるのが大変だった。


歯が悪く、ガンの疑いのある少女の母親
いよいよダバオでの本格的治療が開始されるので、打ち合わせ


私たちは、非政治でかつ、特定の宗教に偏らないNGOだから、国際的NGOや行政から見捨てられた、
この様な場所にこそ支援を継続していく。といっても、蚤のような小さなNGOで、出来ることも限られているのだが。
医療と炊き出しの支援を開始することに決定した。特に医療は重要。

先日、ダバオで、20万円ぶんの医薬品を購入したが、
2月から、マノボの山岳地域をふくめて、医療支援を本格的に開始する。
平行して、白血病の疑いのある患者が、現在ダバオで検診治療を開始している。





貧困地域における
支援活動としての読み聞かせ

制作中

制作中

執筆要旨案・覚え書き:文化プロジェクト 制作案

現地での読み聞かせが、いかに愚かなことか、から出発。


*,図書館と読み聞かせから出発して
  金持ち国の文化としての本、逆に豊かな語りの生きている文化としての現地、先進国的優越感を持って
  支援の発送をし続けている限り見えてこない貧しい国の豊かさ。
  いかに、図書館と読み聞かせ、または「本」という、狭い世界で物事を見ようとしていたかの反省と崩壊
  独自の文化を保存し、出版できる体勢を作ることが先決で、外国の本の紹介や収集はその後からでも十分すぎる。

*,本をそろえるばかりが脳じゃない!
  本は、英語のものがほとんどで、フィリピンのものはタガログ語だけ、ミンダナオのビサヤ、マノボ、ムスリムのものが無く
  英語の本は、多くが現地の文化にそぐわず、図書館活動や読み聞かせ活動が、
  先進国による文化破壊になる可能性すらある。先進国的優越感にとらわれている人は、外国(自国や欧米)文化の紹介が
  現地の人々のためになると信じ込んでいる、そうした視点のみから活動している浮き上がった滑稽さ。
  ある時期から、現地の語りや文化への傾倒と力の投入を決断。これぞと思って持ってきた本が、現地の生命力のある
  風に当たって、かすんでしまい興味を失う。
  
実は彼らの文化の方が、心の面では豊かだった  

*,支援しようとすることよりも、まずは謙虚に学ぶことから始まった。特に、子どもや若者や、貧しい人々の生活から
  学ぶことが多い。経済的豊かさは、心の貧困を生み、経済的貧困地域の人々のなかに、心の豊かさは生きている。

*,「読み聞かせ」という、本に執着した形態から、現地の昔話の語りを重視した「読み語り」へ軌道修正していった。
  フィリピンは、スペインや日本、米国の植民地で来たために、人々の間に、海外の文化が上だという卑下した考えが根強い。
  ただし、ミンダナオは、ムスリムが、400年間以上、抵抗運動をし続けており、先住民族のなかにも、
  独立の機運が強く、それをフィリピンの他の地域と隔てている。

*, ミンダナオ子ども図書館で、読み語り活動をする時の歌も、最初は、英語の歌だった。かっこいいと思っている。
  キリスト教教会では、現地文化を否定して、歌もすべて英語、現地の伝統は邪だという、意識がある。
  カトリックの中にも多少残っているがかなり土着化している。アメリカ系のプロテスタントに強いようだが、
  プロテスタントでもアライアンスのように、民族的な信仰と融和しようとしている会派もある。

* ミンダナオの若者たちが、英語の歌をうたって踊り、欧米の絵本を読み聞かせしても、
  現地の子どものに受け入れられているとも思えず、浮き上がっていて見ていてみっともない。
  学校教育を受けた子たちが、進んだ世界を、先住民族のまえで得意げに演じているような感じ。
  現地の歌を歌い始めると、子どもたちも人々も、とたんに息を吹き返したように生き生きとしてくる。
  この感触が大事。

ミンダナオ子ども図書館の活動は、単なる海外の絵本の読み聞かせから、
現地の物語と現地の歌や文化を重視する活動に切り替えていった。


*,イスラム教徒、先住民族、キリスト教徒が一つの屋根の下で生活する事のすばらしさ
  難しさも多少あったが、思った以上に容易に生活ができて驚いた。
  互いの文化を尊重する活動をするようになってから、互いの言語まで理解して語るようになってきて驚いている。

*,ムスリムデー・マノボデー・ビサヤイロンゴデー文化の日の制定
  現地文化の若者たちによる再認識の必要性、その結果生まれたのが、文化祭。
  これによって、驚くべき変化が、若者たちの中に起こった。
  ムスリム文化を敵対視していた子たち、ムスリムであるが故に自分を解放できなかった子たち。
  先住民族の文化を見下していた子たち、自分たちの文化を卑下していた子たち。
  欧米文化を鼻にかけていた子たち、独自のアイデンティティーが有ったことに気が付いた子たち


*,文化の日に加えて、平和の祈りの日を設定
  宗教、文化、民族の違いを、お互いに知り、理解し、尊重し尊敬すること。
  同時に、人間として、愛、友情、悲しみ、喜び、貧困の問題、平等などを共感し、共有すること。

  互いの宗教的な歌を、子どもたちの前で披露する。

*,この五年間で若者たちが育ってきた、卒業していくその子たちを核に、いよいよ文化プロジェクトが始められる時期に来た
  昔話の収集をはじめとする、歌謡、踊りの採集、出版、映像による保存。
  出版、映像、インターネットを駆使して、世界にミンダナオの文化を発信。






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(ミンダナオ子ども図書館だより:1月26日校了)


日本人(外国人)
を受け入れるにための準備


今まで、ミンダナオ子ども図書館は、その活動においては、
現地の人々のことしか視野に入れずにプロジェクトを推進してきた。
しかし、今年度から日本の、特に若者たち同士の交流をも視野に入れることを考え
「Mの会」の力で、ゲストハウスを作ることになった。

しかし現地と日本では、思い描いている以上に、文化的、生活的ギャップがあることも確かであり、
しかも、フィリピン法人として、プレシデント、バイスプレシデントを始め、執行役員はすべて現地人。
彼らが実質的にマネージメントし発言権も有している。

確かに私は、エキゼクティブ ダイレクターでファウンダー(創立者)という地位なのだが、
ダイレクターの役割は、フィリピンと日本をつなぐことが主で、フィリピン国内での実質的な権限はなく
現地での運営はフィリピンサイドが責任を背負って行っており、私の意見がすべて通るわけもなく、合議制で進めている。

日本人達は、私がすべてをコントロールしているかのように思っているかもしれないが、
彼らが、現地側の意見として、否定的な見解を出してこれば、私も折れて受け入れざるを得ない。
というより、私は必ず彼らにアドバイスを求め、その判断を尊重して事を進めている。

日本人は、「寄付をしているのは我々で、出資者のようなものだ」から、
「支援者の意見を現地は当然ながら尊重し、受け入れるべきだ」と思っている場合がある。
それが時には、知らず知らずのうちに傲慢で独善的な態度となって現れる(事もあろう)。

自分たちが先進国であり、経済的、文化的後進国の人は、我々のようになるのが憧れだろうから
我々の意見を受け入れて当然だという、多少思い上がった考えを持ちやすい。
しかし、彼らのプライドは、当然ながら高く、そうした気持ちが摩擦を生み出す事が多い。

私自身は、彼らに、先進国の生活はたいしたことはなく
こちらの方がよっぽど心豊かだという話をするが・・・
しかし、門戸を開くと決めたからには、皆さん方にもそれなりの理解をお願いしたい

そこでこの際、私自身の失敗や経験をも率直披露しながら、
皆さんが、こちらで生活したり交流したりするための予備知識を提供することに決めた。

まずは日常生活から・・・


郷にいれば郷に従う
事ができますか?

まずはトイレから
ビジターにとって、これが一番、悩みの種のようだ!!!

これがトイレだ。日本のように蓋がない。直接陶器の部分にお尻をのせてする。
日本的な感じでは、おしっこがかかっているのではないかと、衛生上不安になる。
どうしても座る気になれないだろう
そこで、日本人用に蓋を置くことにした。
普段は乗っていないから自分で置いて欲しい。
一番の問題は、トイレットペーパー
ここでは、トイレットペーパー等、
高くて買えない人が多い
山では売っていない。

そこで、お尻をきれいにするのに手を使う。
写真の水くみを、
便器に座ったままの姿勢で
背後からお尻にかけて
手の指でウンコを洗い落とす。
もちろん手に付くが
それも最後にきれいに洗い流す

街のデパートでは、トイレットペーパーを
売っているので、それを使っても良いが、
トイレが詰まらないように、ビニールに入れて
ゴミ箱に捨てること

使用方法、まずは便器を水で流す。
大概は清潔なのだが、おしっこがついている不安があれば洗う方がよい。
手動式水洗便所だから、ウンコは写真のように水で流す。
そのさい、便器ごと水をかける。
最後には、周りのタイルにも水を流して
便所自体をきれいにして終わる

私は、もちろん現地式でトイレを使っている。聞くところによると、インドや東南アジアでは同じスタイルだという。
今では、日本の便座で、使用後水をザバザバかけない便座の方が不潔に感じるぐらいだ。
お尻も水で洗わず紙だけだと、ウンコが残っている気がする。
ウオッシュレットなら良いのだが、ミンダナオ式の方が清潔感がある。

良く聞かれるのが、水でお尻を洗った後、どうやって乾かすの?
答えは簡単
濡れたまんまパンツをはく。暑いから自然に乾く・・・・
ハンカチなどという、高級なものを持って生活している子はほとんどいない

アジアなどを旅した人は問題ないが、欧米様式の生活に慣れた人は躊躇するようだ。
私は、北海道時代に山に登り、アイヌの人々とも自然のなかで生活したので
こちらの山の、トイレの無い生活も問題がない。水がなければ、木の葉で拭く。
ミンダナオで何よりも助かったのは、自然の中で生活できる体験を北海道でしていた事だった?



《郷に入れば郷に従え》    山元 眞 しんぷ(Mの会)

 2005年11月末に初めてミンダナオ子ども図書館を訪ねた。

 今でもはっきりと思い出す。初めてトイレを見て、松居さんから「使用方法」を聞いたとき
《郷に入れば郷に従え》という諺が思い浮かんだこと…。

 「マニュアル・ウオッシュレットで最高だ、これ」とたぶん声を出して叫んだ?と思う。
すべてがマニュアル、アナログの世界で、自分の幼少時代に
タイムスリップした気がして懐かしくもあった。


 不便であることが自然。自然は身体にも心にもいい。

 今は廻りを見渡すと人工のものばかり。温かいものがあまりない。
ミンダナオには、きれいな空気、土の温かさ、肌にフィットする風がある。
《生きた心地》がする。

 新しいものがいい、新製品はそれまでのものよりもいい…という価値観がひっくり返った。
同時に「経済のシステム」に人間は振り回されていることにも気づいた。
 人々を犠牲にして、一部の人が富を得る。
果たして「便利」なものは本当に人間にとって「いいもの」なのか…という疑問も湧いてきた。

 科学の発展やモノの進化は、本当に人間の成長に役立っているのか疑問に思えてきた。
人間をだんだんと怠慢にしていく…。できることができなくなる…。
気をつけないと「退化」してしまう。


 幼稚園では、自然のもの、本物を大切にしている。

 人間の成長発達段階は、どんなに科学が発展しても、いつの時代も変わらない。
時代が進んだからといって赤ちゃんは以前よりも成長して誕生してくるだろうか。
かつて6歳になってできることが、今では2歳でできるようになっただろうか。

 人間の動作。つかむ。つまむ。ねじる。まわす。たたく。押す。
ひっぱる。さらには、歩く、走る、跳ぶなどの動作はすぐにできるものではない。
それぞれの成長発達段階に応じて、繰り返しながら、少しずつ身につけていくもの。

 今、中学生になっても、先のような動作が的確にできない若者が
増えているように思えてしかたがない。

 このような神経、筋肉の発達にともなう感情や感性の発達も十分でないような気がする。
そのような人間の基本能力が身についていないと、
人のことを思いやるなど人間の《高度な力》は育たない。

 ミンダナオ(子ども図書館)を訪ねるたびに息を吹き返すような気分になる。
足の裏から《なつかしさ》を感じる。4回目の今回は手洗いで洗濯もした。
手押しポンプで水をたらいに汲んで…。靴も洗った。草取りもした。

自分の身体がとっても喜んでいるように感じた。












写真は、山元撮影

次に洗濯と水浴び
以前は、洗濯も水浴びも、
蛇口でしていた。

しかし、若者たちは、
川での洗濯になれているのか、

はたまた、とにかく洗濯好きの性格か
蛇口の栓を閉じることなく、

水が常時出しっぱなしで
大量に使われる。

これにはほとほと参ってしまった。


水道では大変な金額になるので、早速水道は料理用に限定した。
キダパワンはアポ山に近く、水道は飲み水として問題はないが、キッチンの蛇口の水のみを使用してください。

洗濯と水浴びが大量に水を使う原因なので、そのために井戸を掘った。
二つ掘ったが、最初は電動ポンプで蛇口とつないだせいで
相変わらず開きっぱなしの蛇口から大量に水が使われて、手堀の井戸がすぐに干上がって使えなくなり、ポンプも壊れた!

さすがに頭に来て、蛇口はひねる形式から、押すと自然に戻るものに代えて、洗濯と水浴びに使えなくした。
深井戸をドリリングで掘ることも計画にあるが難民が出たりで予算が付かない、ほとほと困り果てて最後に打った手段が
昔ながらの手漕ぎのポンプ!!!


水浴中のロザリナ
水浴びは、服を着たままするのが普通だ。
石けんを使って、服の下の体を洗い、最後に水をかぶって流す
井戸水だとそれほど冷たくないが・・・・

山では、川縁の泉で同じ光景に出会う
小さい子たちは、素っ裸で水浴する
川で洗濯して、
最後に水浴びをしてお仕舞いというケースが一般的

手堀の井戸は、男女を分けて
今は、女の子用を二つ、
男の子用を一つ掘って、使っている。
これだと水が出しっぱなしになることなく、
合理的で節約できる。
洗濯物干しも、各々の井戸に近く別にしている

日本という先進国から来た者として
何も知らない現地の若者に
彼らがあこがれているだろう、「文明生活」を学ばせたい
大きくなって海外に出てもいっぱしの文明人として役にも立つだろう
そんな思い高ぶった事を当初は考えたが、
その思惑は、この5年間の共同生活でことごとく崩れてしまった


今は、井戸端風景の無い日本
スイッチを押せば全部洗濯機が全自動でしてくれる先進国の生活が
ひどく味気ないものに感じられる
ただし、ビジターは井戸端でなくとも右の写真のような
シャワー個室で水浴びが出来るからご心配なく

せっかくミンダナオに来たのなら、
若者たちと一緒に井戸端で洗濯し水浴びをすることを、お薦めしますが・・・・
結局、こちらでの生活は、どこにでもある村の風景に戻っていた。
昔ながらが一番。


来客は、右側のシャワー室で
水を浴びられる
もちろん、お湯などは出ない


洗濯は最高のストレス解消作業
襟元など、汚れやい部分は
特別に石けんをつけてゴシゴシ洗う。

頭に来ているときは
特に思いっきり力を入れて
汚れを落とす(冗談)

私も良くやったが、
今は忙しくて洗濯の暇もない。
その分、ストレスが激しい。

洗濯は、数人の気のあった仲間と
わいわいお喋りしたり
手伝いながらやるのがふつう。
ここでのコミュニケーションは
日課の一部
洗濯風景のあるところに
喧嘩はない?

何とものどかな風景だ
体力も付く

結構集中力も必要だし
力のいる作業だから
その分、よけいな事は忘れられる


洗濯物がミンダナオの風と日差しを浴びて、喜んで息をしている!!!!


炊事はどうするの?
ご飯の食べ方は?

日々の食卓の野菜つみ
野菜は、スカラー達が自分たちで畑を作って植えている。少しでも自立した生活をしたいという気持ちから・・・
豆やオクラ、芋やピーナツなど自分たちの山で植えているような野菜を作っている

ただ、焼き畑的な移動農業で、私の目には全部が雑草に見える!どこに野菜があるのか探すのが大変。
これから農地を広げて、仕事がないマノボの家族や卒業生達の農業指導場として展開していく予定。

農業指導員がいてくれたらと、良く思う。ただし、農薬と化学肥料をベースにした日本式農業が、どこまで通用するかは不明だが
結局、現地式に戻っていくのかもしれない?????

ドジョウインゲン
ウナギインゲンと名付けた方が良いほど長い
オクラは、こちらでもオクラという 私には、雑草にしか見えないのだが
雑草の中に野菜が混じっている
日本ではハトウリと呼ぶのでは?こちらではオポ アナリンがキノコを見つけた
これは自然のものだが、食べられる
こちらの大根は小さい
日本に行ってまず驚くのが大根の太さ
住んでいる人々の足に比例する?

農業はまず自給から

山羊の飼育を始めた
寄生虫を警戒して
家屋形式で育てている
山羊はスペースも取らずミンダナオには合っている


最初は、肉用の山羊から
食べるのは可哀想?
バプテストルーラルライフセンターで
飼育方法を学びながら


美しい庭も若者たちで造園した
さぞかし高価だっただろうって?
経費はゼロ。近所から頂いた株分けで
芝生すべても増やしていった

5ヘクタールの米の収穫
2期作だが、食べ盛りの子たちなので
半年しか持たない


籾米を干すのも
スカラーの若者たちの仕事だ
今は、学校に行っている


全部雑草に見えるが
れっきとした野菜畑だ


アジア学院の元副校長の長嶋ご夫妻が来られたときに、「農業は、自給をまず基本にして、
現地の市場に出荷するような方向で、地元に根ざした展開をするのが良いように思う」と言われた。

当時、そんな儲けがわずかしかない現地消費よりも、日本に輸出すれば大きな利益があがるはずだ、
ミンダナオのような狭い場所で、小規模のみみっちい利益の仕事を苦労して熱心に進めるよりも、
海外消費を視野に入れた世界規模のトレードの方が、貧しい人々の経済を潤すはずだ、と考えたのを思い出す。

しかし、今は、人々がトレードに収益を頼るのではなく、地元に根ざした経済圏のなかで、
金持ちにならなくても、少なくとも三食たべ、子どもの病気を治し、
学校に行かせられるような社会を作ることが大切だと考えるようになった。

確かに、日本はトレードで経済発展をさせてきたが、自給をおろそかにしたつけが、これから回ってくるのではないか?
アメリカに製品を買ってもらっていた頃は良いにしても、
トレードに頼った社会が、いかに不安定かを、これから体験するのではないか。

ミンダナオに来て良かった、と思う。
若者たちに教えることより、若者たちから学ぶことの方が多い。



料理は、最初はちゃんとした、二階のキッチンでしていた。
ガスレンジも冷蔵庫も置いたし、一通り料理道具もそろえたが、手狭で効率が悪く、
急きょ見かねて一階に、こちら式の薪でやる台所を作った。

こちらでは、ダーティーキッチンと卑下して呼ぶが、いつの間にか、全部こちらで料理するようになった。
70人分の料理を、子どもたちだけでチームを組んで、効率よく料理していく。
いや間違えました。効率よりも、お喋りしながら楽しく料理していく、と表現した方がよい。



魚の解体は、内臓を取り
大事に卵を別にして・・・

その後、勇んで買った文明の利器
冷蔵庫やレンジはどうなったか。
ほとんど使われずに崩れてしまい
古物商に売ってしまった。

ガスレンジも壊れて使い物にならず
すべては、薪に代わった。

オーブンは今も使用は出来るのだが、
誰も使おうとはしない。
食べ残し置き場となっていた。

唯一使っているのが、電気釜と冷凍庫だけ。


最初の頃は、電気もない山育ちで、家電製品も使ったことのない、哀れな子たちに
せめて電化製品の使い方を教えてあげたいと思ってそろえていたのだが、
今思うと、得意げになっていた自分がみっともなく思える!

文明の利器は、それから、次から次へと壊れていき、
彼らが元に戻していく山での炊事スタイルの方が、よっぽど効率的で経済的、料理もおいしいことが分かり、
今は、先進国カゼ、金持ち国カゼを吹かせていた自分を深く恥じている。


生活スタイルは、時を経るにしたがって、逆にこちら式になっていった。
Back to Nature!!
先進国の文明が、いかに脆くはかないものか、つくづく感じるこの頃。

私は、この子達との生活を誇りに思い、彼らに養われていることを、心から感謝している。


ガスレンジやオーブンも使えるが
誰も使おうとしない
残りご飯の置き場になっている
電気釜は生きている
大量にご飯を炊くからだが、薪でも十分だ
唯一役に立っているのが冷凍庫
魚を冷凍して保存しておく

ご飯の食べ方

お皿一つが一人前。粗食だが・・・上は二人前
ご飯は好きなだけお皿にとって食べる

私も子どもたちと一緒に、
一緒のものを食べて生活している


特別扱いされなくなったら、心に壁が少し消えた証拠。

フィリピンではよく、金持ちは、家族は使用人と別のテーブルで別の食事をしたり、
客人は、客人専用の食事を豪華に用意、使用人にも階級があったりする。
おそらく植民地時代の風習の残りだろう。

客人をもてなすのは習慣だが、貧しい家では、みんなで食卓を囲んで分かち合う。
ミンダナオ子ども図書館では、みんな一緒に、一緒の粗末な食事を食べる。
ただ、それとなくビジターには、一皿余分におかずが置いてあったりして・・・

子どもたちは、外国人が珍しいし、とにかくお客が大好きで、サービス精神を旺盛に寄ってくる
だいたい寄っていく子は決まっていて、「ああまた同じ調子でやっているな」と、見ているが
すっかり舞い上がって、自分が特別に好かれている?等と思い上がってゆく、客人も多い(ように見える)。

くっついてくることをせずに、自然に接するようになったら、慣れて受け入れてくれた証拠


とにかくご飯をたくさん食べてお腹を満たす おかずが足りないときは、醤油をかける 一汁一菜が基本
汁物は、必ずご飯にかけて食べるのが普通。

とにかくよく食べる。
家では、三食たべられない家庭の子たちだから。

朝食べてから、昼前に焼きバナナのおやつを食べて、昼食。
午後帰ってきてから、残りご飯か掘ってきたお芋を食べて、
その後に夕食。
さらに、寝る前に残りご飯を食べる。一日何と、五食か六食!

50キロの米袋が、一日で消費される生活だ。
日本人の目には、おかずが少ないので、
繰り返し「これでよいのか」とたずねたが、

答えはいつも、
「これだけあれば充分過ぎる。だって、三食米が食べられるんだもの」

最初の頃は、せめて魚一匹尾まるごと焼いたのを喰いたい!
サンマが食いたい!
トンカツ一枚ペロリと喰いたい!
と夢にまで思ったが・・・・

今は、すっかりなれてしまって、夢にも見ない。

スカラー達が作った合い言葉
Eat together, sharing one another

基本的に、みんなで一つのテーブルを囲んで食べる

食器の使い方
逆に、日本に行くと、フィリピンでご飯をたくさん腹に詰め込む習慣に加えて、
何しろ一人分のおかずが、こちらの一家十名のおかずに匹敵する分量だったりして
たちまち食い過ぎて太ってしまう。

興味深いことに、私たちの目には粗食だが、彼らにとっては、
毎日腹一杯食べれるだけでも幸せで
あれだけ痩せて小柄だった子たちが、三ヶ月ぐらいからふっくらとし始めて、
一年後ぐらいから、急速に背が伸び始める。


食堂などでは、スプーンとフォークで食べるが、一般的に家では、手で食べる。
ミンダナオ子ども図書館では、最初スプーンとフォークを用意して食べさせていたが、
全体のミィーティングや帰省の時期になると
あっという間にスプーンとフォークの数が減っていく
(家や下宿に持ち帰ってしまう)

怒ったハウスキーパーのテルマさん、
「スプーンはもう出さない!
スプーンで食べたかったら、自分の小遣いで買いなさい!!!」
それ以来、スプーンは出さないことになった。
その後、みんな町にスプーンを買いに出かけたかって?
とんでもない、家と同じで、手で食べています。
スプーンを買うぐらいだったら、焼きバナナを買った方が良い???

訪問者には、ちゃんとスプーンとフォークを出しますのでご心配なく。
こっち式で、手で食べてみるのも良いですが・・・
私はときどき手で食べます。

こちらの食べ方の悪いところは、少し残すこと。
残すのが礼儀という見方もあり、残すことによって他の人がおこぼれに預かれる。または家畜や動物がおこぼれに預かる。
これは、アイヌの人々と同じ考えかと思われるが、子どもたちには、米一粒も残しては駄目だよ、と話す。日本式。

お米さん一粒にも、仏さんがいるのだから、と言っていた、京都生まれの祖母の言葉が耳に残って離れない。
熱心な浄土真宗で、毎朝おつとめを欠かさなかった。
仏像の横に、イエス・キリストの絵もちょこっと置いたまま、あなかしこー あなかしこー


イスラム教徒とキリスト教徒の子たちで
相談して作った食前の祈り

Bless us oh Lord and these are gifts,
which we are about
to receive as a goodness
through our God!
Amen



食前の祈り
スタイルはそれぞれ自由だ

イスラム式のお祈り
最後に顔を撫でる


トレードよりも
小さな雑貨屋から始めよう

ミンダナオに来たときに、孤児施設のハウスオブジョイの烏山さんが、
「卒業生が経済的に自立するためにもサリサリストアを建ててあげたい」と言ったのを覚えている。

サリサリストアとは、小さな小さな雑貨屋。
それを聞いて「そんな小さな事をするよりも、ファエトレードみたいにして、ちょっとしたものでも日本で売れば
こちらでは大きなお金になるのに、何でそんな現地的なみみっちい事を考えるのか」と思ったものだ。

実際その通りで、日本でちょっと稼げば、こちらでは大きなお金になる。
こうして、多くの人々が海外出稼ぎに出る。それで幸せになれば良いのですがね。
ただひたすら海外に頼ることしか考えられない性格になっていく。本当のミンダナオの良さも可能性も見えずに。

あれから6年がたち、私はいま、烏山さん同様に、卒業生の仕事の一つに、農場と平行して
小さな雑貨屋を作ることを考えている。
将来、小さな大衆食堂を平行させて作り、いつかパンを焼いて村で販売する。

「パンデサール、パンデサール。焼きたての朝のパンだよー。」
そういって、自転車にパンを乗せたり、子どもたちが手提げにパンを入れて売りにくるのは、ダバオの朝の風物詩。

どんなに儲かっても、フェアトレードよりも優先すべき重要な企画だと思う。
現地で、現地に根ざして、現地の人々のために仕事をすることで、若者たちが生きていくこと・・・

フェアトレードを否定しているのではない。
海外出稼ぎが悪いと言っているのでもない。
トレードで生きていくのは、最終的なプラスαのおまけの部分に過ぎないと言うこと。

自分の生きている地方の良さを意識せずに、ただひたすら海外に頼ることしか考えられない性格になっている
中産階級のフィリピン人をたくさん知っている。そういう人々の心情を見透かした、海外派遣業もさかんだ。

しかし、どんなに豊かになっても、自分たちの国の良さも文化も可能性も見えずに、自国を否定し
海外に目を向けている国の人々の心は寒々としてはいないか?
今の日本が寒々としているように?

今私は、当時雑貨屋を馬鹿にして、
「日本で売れば儲かる、こちらの人々に簡単に高額なお金が入る」、と考えたこと自体を恥ずかしく思う。
外国人としての傲慢が有ったような気がして。


今年の収穫


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st0
ミンダナオ子ども図書館便り:1月22日校了

ミンダナオにおける紛争の特徴
危険の特徴

1,紛争が起こっていることを感じさせない奇妙な紛争.

 ミンダナオは、現地があまりに自然豊かで、人々の表情もある意味で生き生きとしているので、
 この様な地域で30年も紛争が続いているなどとは想像が出来ない。
 しかも、3年から5年置きに、比較的大きな戦闘が起こり、
 そのたびに大量の難民が出ているといった事が繰り返されているのだ。

 私自身、2000年にミンダナオのダバオオリエンタルに入ったときには、
 この島でこんな大規模な戦闘が起こっていることすら意識しなかった。
 実際に日本の新聞では、国軍兵士が30人ほど死亡の小さな記事しか無かったし、
 当時ミンダナオで50万人近い難民が出ていると言った事実を知っていた人は、
 一般国民の中には皆無だったのではないだろうか?

 現地には、赤十字を始めとする国際的なNGOが活動していたから、知られないはずもないのだが、
 とにかく、偶然現地で地平線まで続くかと思われる難民キャンプを見て唖然としたのだった。
 あの光景は忘れられずに脳裏に焼き付いている。

 世界のNGOが集まった現地は、当時NGOの見本市とまで言われたが、
 翌年、アフガン戦争が勃発したとたん、潮が引くように国際NGOが消えていった。
 まだ、大勢、難民が居るというのに・・・
 支援を継続させたのは、ミンダナオ子ども図書館といくつかの現地NGOだけ。
 その後も、たゆまず、読み語りやスカラシップ、医療による平和構築活動をしているのは、MCLのみ。

 あの風景に比べれば、今回の戦闘はまだ小規模で、拡大しなければ良いがと思う。


2,世界の紛争体験者が見た、ミンダナオの紛争。

 チベットなどの紛争を体験してきたCさん曰く。
 
「ここは、一見平和そうで何も起こっていないように見えるだけに、とっても怖い!!!
 チベットなどでは、民衆が蜂起して騒然となる。
 だけど、ここではジャングルや普通の民家に反政府組織がいて、
 30年以上にもわたってプロフェッショナルな兵士として訓練と実践を繰り広げて来ているから、本当に怖い。
 どこで何が起こっているのかわからないし、よそ者には現地の色分けが分からない。」

 アフガニスタンで選挙監視団を体験した来た人が、2006年の選挙監視をコタバトでしたときの印象
 
「アフガニスタンでも選挙監視をしてきたが、こここは比べものにならないほど怖かった」
 この選挙期間は、しばしば小規模の戦闘が起きた。
 ミンダナオの怖さは、一見まったく平穏で何もないように見えるところに、突然激しい戦闘が起こること。
 相手がプロフェッショナルで、なかなかその姿が見えない点にあると言う。




3,地域情勢は現地でないとつかめない

 地域情勢も、現地で、現地に長く住んでいないとつかめない。
 一見、日本的感覚から見ると、どこも平和な森やジャングルや村に見えるだけだから、
 どこが反政府組織の村かは、地域の人々しか知らない。
 現地で英語でたずねても、絶対に安易に話さないだろう。
 それほど、よそ者に対する警戒心は強いし、不安も大きい。

 不用意な言葉は危険を招く 
 例えば、乗り合いジプニーやレストランで、ちまたで、英語や日本語でNPAやMILFといった言葉を
 交えた会話をしたとしよう。時々、日本からの訪問者に見られる行為だが・・・とたんに周囲が緊張する!
 私は、日本人同士で話すときには、NPAと言う呼び名を隠し、日本語で新人民軍などと訳して話す。
 周囲が緊張し警戒心を起こしたくないからだ。
 妻のエープリルリンなどは、怖い顔してにらみつける。
 そんな言葉を、見知らぬ人がいる、こんな所で不用意に吐いてはいけない!

 現地情勢が見えて来るには、現地語を理解する必要がある。
 相当腹を割って信頼しあえる関係を構築してからでないと、本当の事は誰もかたらない。
 また現地語を知っていれば、彼らが語っていることも理解できる。
 フィリピン人は日本人と同様に、本音と建て前が異なったアジア人だと感じる。

 心から信頼できるパートナーが必要
 私の場合は、この地で妻として歩き始めてくれたエープリルリンの存在は非常に大きい。
 誠実ではっきりと意見を述べてくれるので頼りになる。
 彼女が居なければとても今の仕事は出来なかったしこれからも出来ないであろう。
 加えて、共同生活をしているスカラーたちの存在も大きい。

 スカラーの中に、NPAもMILFも居ると事は知っている(聞かないが)・・・・
 彼らは、それなりのサジェスチョンや現状を教えてくれる。
 これは、どのようなニュースやアドバイスよりも参考になるし、
 活動する前は必ず可能な限りの情報を現地とつながりがある人々から収集し、同行を求める。

 現地の人が、政府よりか反政府よりか、等と、白黒で考える考え方は、ミンダナオでは通用しない。
 庶民は、両方とつきあっているから、両方の立場を理解して、状況におおじて使い分けている。
 なかなか真実は言わない。言うと危険が身に及ぶこともあるので。
 山の人たちは、昼間は政府軍も家に歓待して語り合い、
 同じ日の夜には、反政府の人々が、一夜の床を借りていったりする。
 

4,それでも、日本人であるがゆえに、危険を忘れている時もしばしばある。

 私自身は、自分の身に何が起こっても仕方がないと覚悟はしている。
 スタッフ達には、誘拐が起こったら狙いは僕だから、僕をおいて逃げるように、
 絶対に抵抗してはいけない、と言い聞かせてある。
 身代金は、払ってはいけない、目的は身代金だから、払わない限りは生かしておく。
 警察に通報する前に大使館に通報するように、とも話してある。
 
 特にジャーナリストの殺害はイラクに次いで二番目と言う記録もあり、アムネスティーも抗議している。
 現地のNGO関係者や、トレーダー等のビジネスマンが誘拐の対象として狙われる。
 短期のヴィジターは、不用意に歩き回らなければ大丈夫だろう。

 貧しい人々と接触していると、どうしても反政府的な人々との関わりが多くなる。
 トレーダーやビジネスマンなど、金銭に関係している人々は、
 資金目当てに反政府勢力から狙われると、一般に言われている。
 とにかく、外国人は、お金を持っていると見られている、財布が歩いていると思われていると言って良い。
 マニラよりは素朴で安全だと思うが・・・







フェアトレードを夢見る例


ミンダナオ子ども図書館が知られるにしたがって、
定年後のいろいろな夢を見る方々が出てきたのであえてこの記事を書くことにした

ミンダナオのキダパワンは、短期訪問者として来られて、
ミンダナオ子ども図書館のプロジェクトに参加される分には、比較的安全であると言える

しかし、独自にこちらで活動をなさりたいと考える方の場合は
現地を知らないと言う事は、誘拐も含めた危険にさらされる可能性がある


紹介したX氏が夢見たのは、フェアトレードだったが、スタッフやボードメンバーから危険が指摘された。
だいぶ迷ったが、皆さんにも現実の一部をお知らせしたく、
スタッフの見解を省略しつつ簡潔に載せる決断をした。
定年後のボランティア活動の受け入れなどを、夢見るメールも来ているので・・・
参考にしていただければ幸いです


明けましておめでとうございます。
お元気ですか。

返事が遅くなりもうしわけありません。
先日、スタッフミィーティングがあり、Xさんのもっておられる計画の件で話し合いました。
ボードメンバーの方からは、NPA関係の情勢もふまえた意見を頂き、
それも参考にしつつスタッフで検討する形になりました。
スタッフからは、かなり日本人の私たちとは異なった厳しい意見(不安)がだされました。
要点のみを概略します。

特に問題になっているのは、フェアトレード関係の部分でした。
原因の一つは、帰られた後に山岳地域の先住民の人々が来て、MCLの二階に上がりこみ、
「貧しくて家に帰れないから500ペソ貸してくれ豆で返すから」、と言われ、
「これはMCLの企画ではない」と断ってもなかなか帰ろうとしません。
乳飲み子を抱いて、いかに惨めな生活をしているかを強調していましたが、
目つきが異なるような感じで、しきりにお金の話を持ち出しスタッフも不安を感じているようでした。

現在、経済崩壊の影響が、特に最貧困層のこうした地域で、日雇い仕事のカットとして現れ始めており、
戦闘の起こる可能性も指摘されています。
NPAやMILFの動きも活発化している情報も入っています。

山岳部はすべてですが、NPAの強い地域で、私たちは活動内容から理解し合い、互いに認めあって動いています。
しかし、MCLに準じた形でこの地で、フェアトレードの動きが始まると、
人々のMCLに対する解釈や関心のありかたが微妙に違ってくることに、スタッフは強い不安を持っているようです。
以下、スタッフミィーティングの要約です。

*********************************


1,フェアトレードを考えられている対象地域は、NPAの勢力の強い山岳地域である。
例えばB村は、現在軍とNPAの戦闘が噂されているし、
M地域はともに、NPAの根拠地の一つで過去、幾度も戦闘が起こり、NPAがわも軍側も死者を出している。
また先住民などが、殺されたり戦闘で死んでいる。
去年の暮れは、マキララの国道沿いのドールに対する襲撃があり、倉庫が焼失、
トラックが破壊され、バランガイキャプテンが殺されている。


2,M地域の行政と親しくなったのは、善し悪しで、こちらにおける行政は日本と意味が異なる。
山岳地域は、反体制側が実質的に支配しており、行政に対して武力闘争を展開している。
企画を進めている関係者も、また市長も現地の有力者で、
マニラの財界(マカティ)などとつながっている様子もあり、反政府から見れば敵である。
関係者は格好の誘拐対象でもあり外国人はなおさらである。


3,フェアトレードという概念が、山の人々に理解できない。
彼らには、どんなに地域に無償で貢献しようとする理念を説明しても、儲け仕事としてしか受け取っていない。
事実、直接金銭に絡む活動であることに変わりなく、本来のミンダナオ子ども図書館の行為とは全く異なり、
直接金銭がからむ活動として受け取られても仕方がない。
トレーダーは日本人で大金を持っていると思っている。その場合、身代金目当ての誘拐や殺害のおそれがある。
それが、MCL職員やスカラーにまでおよぶ可能性もある点をスタッフは非常に警戒している。


4,MCLが医療やスカラシップ支援活動をする背後に、トレードで儲けようとする
裏魂胆があると思われ誤解される可能性がある。

この場合、現地でのMCLの活動に支障を来す可能性がある。
今までも、いくら読み聞かせがメインだと説明しても、金銭にからんだ話を持ちかけてこられ、
最近になってようやく認知されたような状態。
ところが、せっかく認知されたにもかかわらず、新たにトレードの話が伝わり、
特に、事務所が敷地内にあったり、活動に同行されたりすると、MCLの活動として誤解されるおそれが高い。
主催者は共に日本人であり、読み聞かせなどの活動で同行している現場を見られると、
おなじ活動であると思われても仕方がない。


5,すでに山岳地域の人々の目の色が変わっている。
現地にスカラシップ関係で行ったところ、すでにMCLで金銭を渡した人々から、話が広がりつつあり、
金銭や仕事を要求すると言ったことが現に起き始めている。
こちらでは口コミで非常に早く(時には間違って)広がるので危険である。
MCL内にオフィスがおかれると、さらに多くの、金銭目当ての素性の分からない人々が図書館を訪れ集まるだろう。
スカラーや子どもにも危険が及ぶ。
特に仕事や土地のないマノボ地域は、経済的クライシスの影響が現れ始めており
三食たべられない状況が起こっている。NPAとMILFの動きが活発になっている。


6,金銭に絡む殺傷事件は非常に多い。
仕事が始まった場合でも、思ったような利益があがらなかったり、品質保証ではねられたりしたときに、
こちらの人々の性格上、感情的に怒りを表す可能性もある。
実例として、マグペットのバナナプランテーションは日本資本のAJMRと呼ばれているが、
職員の対応や態度で怒った人々(日雇い)が、針をバナナに仕込んで、
それを食べて日本の子どもが病院に運ばれている事件が起きている。 


7,トレードの許可が無く、活動するのは法的にまずい。



8,誘拐などの事が起こった場合、MCLと関係があると責任を問われ、
  社会的にMCLが打撃を受けることとなる。



9,誘拐やNPAからの法外な金銭取り立ての可能性
(MCLの場合は無いが、活動税として営利法人や宗教法人は、当地でも払わされているケースが多い)。
MCLの場合は今まではないが、トレードと誤解されると、MCLやMLCスタッフに金銭取り立てが及ぶ可能性がある。
しばしば読み聞かせで、NPAのコマンダーと接触しているし、
今までは理解されているが、トレードが関わると難しくなるであろう。


10,例え別組織として活動しても、品質管理を請け負ったりすれば同一と見られる可能性がある。
MCL独自の企画としてスカラー自身が織物を作ったりするのはかまわないが、
外部のトレーダーからの仕事の一部を引き受けるとなると話は異なる。
協力関係にあると受け取られる可能性もあり、スカラーに小銭が入ったとしても仕事は請け負うべきではない。


11,スカラシップを口実に、労働をさせているいう批判がDSWDや行政機関に入ると、
   認可を剥奪される可能性もある。



以上、スタッフの意見を参考に集約しました。
期待されたような良い返事では無いと思いますが、ご検討いただければ幸いです。




追伸

ダバオオリエンタルのハウスオブジョイは安全ですし、そちらにアプローチされると
じゃこう猫の事などもスムーズに行くように思います。
http://www.bonchi.jp/joy/index%20new.htm
私の出発点となった、孤児施設で、子どもたちもたくさん居て海に近く美しいところです。

烏山さんは、もと青年海外協力隊で、奥さんのアイダさんのお姉さんが元市長で、セキュリティーが保証されています。
NGO活動も盛んに行っています。石けんも椰子のからで作るネットやおみやげ品も、ハワイに卸しています。
企画をお話しなさると、大喜びされると思いますよ。一度行かれたらよいと思います。

ミンダナオ子ども図書館は、積極外向型支援で、活動範囲が山岳地域やムスリムエリアなど広範なので、
それだけ(時には必要以上に)慎重に行動しなければならないのですが、
ハウスオブジョイは、孤児施設ですので、活動が異なっていてより安全です。


ミンダナオがフェアトレードに向かないと言っているのではない
ただ、同じフィリピンでも、ネグロスやセブとはかなり異なる
場所によって、やり方によっては可能だし、政治情勢が好転したり
MCLで別組織を作り法人登録をキチッとして
本部に影響のない、セキュリティーもふまえた計画の元に
責任を持って活動する時期は来るかも知れない





その他、ミンダナオに関する
徒然の問題

児童を悪用した犯罪に関して

質問
「前回の帰国の途上でダバオオリエンタルで児童を悪用した犯罪
(shild explitation とでもいうのでしょうか)の予防を担当している警察官と隣り合わせになりました。
かれは8割方はフィールドに出て犯罪の芽を摘んでいるそうですがどう思われますか。」


興味深い点です。実際、ミンダナオ子ども図書館には、その種の子たちが多く来ていますので、
私も注目している点です。私たちは、たいていこうした慎重に扱わなければならないケースの場合は、
地元のDSWD(市の福祉局)のソーシャルワーカーと連携を持って活動しています。
グレイスさんもピキットサイドですが、キダパワンやマグペットなど、
他の市のソーシャルワーカーとも連携を持っています。
ミンダナオ子ども図書館は、関連のある市町村からも表彰されていますが、
政府認定のソーシャルワーカーがMCLスタッフとして内部に居るのもその理由からです。

お会いになった方が、
どのような犯罪を調査または見ていられるのか、
ミンダナオにおける犯罪例の一覧、または実態。
そして、どのように予防をされているのか、
お教えいただければこちらの活動にも
非常に参考になりますのでお願いします。

大都市型とここのように、山岳地帯が多い地方では
児童犯罪も形態が異なっていると思います。
ここには、大都市型の強制売春などは、あまり見られません。

逆に、エージェンシーによる、海外斡旋で、
お金を借りる形でビサをもらい海外にいったまま、
借金を返済できずに売春を強要されていくケースが
マノボの人たちの中にあり、
マノボの勧誘人を使って
マノボの少女を売り飛ばすケースがあります。

それゆえに、スカラーには、
海外出稼ぎに行かない方が良いよ、と言っています。

また、日本にスカラーと共に行くときは、
浮かれ気分をたしなめるために、
日本でのフィリピン人の現状と実態を多少でも理解するために、
大阪の釜が崎に泊まり、
フィリピンパブ関係の人に会う機会を作っています。


実際は、ドライバー担当のトトン君
本文とは関係がありません・・
この地で、多いのが親の養育放棄。
離婚、殺害による孤児。
戦闘による殺害もありますが、
毒殺、撲殺で父親が殺された子も数名います。
父親が投獄中の子も数名います。
次に多いのが、レイプです。

ミンダナオ子ども図書館では、レイプで子どもを産んだ女性は、
積極的にスカラシップに受け入れています。
近親にレイプされるケースも多く、
多いのが継父、実の父親もある。
日常こちらで接している(明るい)子たちですが・・・
どの子かは、簡単におはなしできません。

都市のストリートチルドレンの場合は、売春なども多そうですね。
それから、外国人による少年愛好が意外と多いと耳にしています。

かつてある施設に近寄っていた外国人男性が、
変態趣味の疑いがある話は耳に入っていますが・・・
よその人を受け入れるときに、最も難しいのが、
なかなか見分けにくい、こういうケースです。

安易に女の子を捜しに来るなど、論外ですが。
ミンダナオ子ども図書館は、保護者との契約で
高校生は、MCL内部での恋愛は禁止・・・大学まで待つ
家族のように、兄弟姉妹、親子のように互いに愛し合うこと

大学生の場合は、外部ではOK
文通もかまわないが、妊娠したりさせたらストップ
と言う規約がある。

これは、訪問者にも適応され
現地スタッフと学生との対話の結果、
スタッフの決断で判断される。


実際はスカラーのマノボの少女
本文とは関係がありません






頭を悩ます車ショップ

ミンダナオで活動しようと思うと、どうしても必要になるのが車だ。
何しろ、道も悪く、車がないと移動できない。老後をこちらで過ごしたり、多少とも活動しようとなると、車が必要になる。
といっても、ダバオなどの市内を移動するのなら、タクシーやトライシクルで十分だが・・・

こちらで車を買うならば、新車がおすすめ!当たり前だが、故障が少ない。
しかし、よほど懐が豊かな個人か、NGOなら別だが、大概は中古で間に合わせようかと言う事になる。
ここでいくつかの現地ならではの問題が発生する。



1,運転手が居た方がよい
 何しろ交通規則が有ってないようなもの。
 交通規則を知らなくても、
 車を動かせれば免許を取ることが出来る。
 (免許は、お金を出せば買うことが出来る。試験もない。)

 だから、交通規則をほとんど知らないで運転している。
 そのような中で運転するのだから、
大使館も運転手をつけることを強く薦めている。



2,中古の場合は、故障する。

 故障すると、こちらではデューラーに出さずに、
 ショップと言って、街の修理屋に出す。
 これがくせ者。
 外国人だと見ると、法外な値段を請求して修理する、事も多い。

 修理するだけなら良いが、
 オリジナルの車の部品を密かにはずして、
 質の悪いまがい物をつけたりする。
 オリジナルは、高く売れるからだ。

 だから、決して新車をショップに出してはいけない。
 ことごとくオリジナル部品がはずされて、
 修理して戻ってきたときには気がつかずに
 中古になっている(可能性がある)。

 時には、故障箇所を修理した後、別の箇所を
 すぐに壊れるように改造しておく。
 すると、別の箇所が再び壊れて、修理に出す。
 こうして、ショップは儲けるのだ!

3,運転手や知人も・・・・。

 親戚や友人が修理店をやっている場合など、
 ちょっと壊れたと言っては、車を持っていって、
 法外な値段や故障を作ったりして、修理店を儲けさせる。
 先方からバックマージンをもらっているケースも多い。

 私の知っているS氏は、中古の車の修理を、
 運転手に言われるままに繰り返し、
 結局は、新車を買うよりも高い車に乗ることになった。
 貧しさならではの、知恵とも言えるが・・・・


 こちらの言葉

 「お金が無くなったらどうするか」「まずは祈る」。「それでも無いときはどうするか」「盗む!」

 最初にこの話を聞いたときは、冗談かと思った。実際、冗談として語られたのだが・・・・
 しかし、三食たべられない先住民が、日雇い仕事もなく、生活の窮地に陥ったとき、
 彼らはまず、一家で神に祈るだろう。深く神の存在を信じている人々だから。

 そして、移住者の土地に植わっているバナナを、お腹をすかせている子どものために、密かに盗む。
 土地もなく、作物もなく、それ以外に、子どもを養っていくすべはない。背に腹は代えられぬ。
 捕まれば、クシュンとなって謝るだろう。こうしたきっかけで、監獄に入っているスカラーの親もいる。

 「お金が無くなったらどうするか」「まずは祈る」。「それでも無いときはどうするか」「盗む!」
 今は、その気持ちが、私にもわかる。

 ミンダナオ子ども図書館でも、たびたび小さな盗みが有ったりして、私も腹を立てたい気持ちに駆られる時もあった。
 
そういうときは、こう考える知恵をもらった。

 (先進国が、プランテーション等で搾取をしていることを考えれば、可愛いものだ!)

 
チベットでのNGO活動が長かったCさん、ミンダナオ子ども図書館で子どもたちと一緒に生活して一言。
 「こんなに無防備でいられるなんて!あちらに比べれば驚くほど盗みが少ない!!」
 キダパワンが、外人の居ない、田舎だからかも知れませんが・・・・




Mの会
寄贈で、ゲストハウスが完成する

母屋に継ぎ足す形で建設開始 下部はガレージになる

ゲストハウスと言っても、支援者の方々が泊まると同時に
(今までは、若者たちと同じ部屋で、添え寝していただいていたのだが・・・)
とりわけ学校に行けなくなった子たちと、うちの若者たちとの交流の場になればと願っての建設。

最初にここに泊まれらるのは、おそらく立正佼成会の10名の子どもたちになるだろう
夢ポッケという名の学用品寄贈プロジェクトで、平和の祈りもかねて
ご両親ともども30名が来られる予定だ


向かって左端と同じ大きさの建物が、右端に出来る。
完成すると、鶴が翼を広げたような形になろう

建物の見かけは大きいが、実際に生活するとそれほど広さは感じさせない
ここで、一ベッドスペースに二人で添え寝する形で、
一部屋に2から3個の二段ベッドが置かれており8名から12名が寝起きを共にしている
スタッフも入れて、全体で約70名の若者たちが共同生活をしてい


建設費は、中央部が当時の価格で300万、その後資材が値上がりし、左右は250万で完成
ちなみに、今回は、目的を限定したMの会の特別寄付で建設、
他の部分も、私自身の仕事から来る収入
(私は、ミンダナオ子ども図書館から給与をいっさいもらっていない)
を積み立てて建設、土地や家には、いっさい皆さんの寄付を使っていませんので、ご心配なく。
基本設計は私だが、ボードメンバーで設計技師のダニー氏が設計施工をしている



左側の部屋、3部屋は寝るだけのスペース
食事も、学習も、遊びや語らいも、すべてこの中央のスペースで行われる
「分かち合い」を重視した構造は、フィリピンの伝統を生かしたポーチ形式で
自然に対しても心が広がるオープンスペースだ!

この先にゲストハウスがつながることで、ビジターとも隔たり無く交流が出来る構造になる
「すべてをみんなで分かち合う」と言う考えを、建築方法でも実現した
壁もコンクリートは使わず、伝統的で安価で美しい竹の編み壁を採用している

ゲストハウスが二階にあり、大勢の若者たちと一緒であることで
周囲の敷地の塀を作らなくとも、高度のセキュリティーを実現している


ちなみに、ミンダナオ子ども図書館の敷地には、心の壁だけではなく、
外界と隔てる塀や垣根はいっさい無い。
夕暮れ、村人たちが、敷地内の小道を抜けて家に帰っていく姿が、ポーチから見える。
このことに地元の方々も驚かれる!
これだけの施設だと、必ず高いコンクリートの壁が張り巡らされ、鉄格子の門を開けて入るのが普通だから
周囲の人々に対して、心の壁を作らないと言う、理念を実践したもの

門番も、ガードマンも置いていない

『Mの会』って何?

山元眞しんぷと、行橋カトリック教会有志で発足した、ミンダナオ子ども図書館支援の会
http://www.yukuhasi.catholic.ne.jp/
行橋カトリック教会のサイト



ミンダナオ子ども図書館のガードマン達





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ミンダナオ子ども図書館便り:1月8日
2009年、ミンダナオ子ども図書館は
三つの問題を、
主題として活動を開始するだろう

一つは、イスラム地域における戦闘難民の救済の問題。
難民キャンプにおける、食料と医療支援の継続および現地の若者たちによる平和構築

もう一つは、世界的な経済危機の影響を、最も残酷な形で影響を受け始めている(3食たべられない)
土地を奪われ、プランテーョンの日雇いで生活せざるを得ない、先住民族の救済である。


日本サイドの問題を、第三に加えるとするならば
日本の若者や中高年の人々の置かれている精神的危機の問題も議題に上っている。


2009年最初のボード会議



ボードメンバーによる、定例の第三期会議が行われた
会計報告と同時に、イスラム難民や戦闘の現状
経済クライシスの影響をもろに受けつつある、先住民族の状況

若者を中心とした、日本人の受け入れの問題が話し合われた

再びここで、簡単にボードメンバーの構成をお伝えしておこう。

マノボ族サイドからは、エラさん(元アジア学院研修生でマノボ指導者)、
スーザン・インカルさん(マノボ族で父親が初代のキダパワン市長、フィリピン先住民族協会)
イスラムサイドからは、ホサイン氏(イスラム教指導者オスタージュで、ピキットのイスラムファンデーション相談役)、
イスラムとクリスチャンの橋渡しとして、グレイスさん(ピキットDSWDの所長補佐)
マノボ族とクリスチャンの橋渡しとしてビックビックさん(山岳地域の保育者、ジャスティス&ピース)
クリスチャンサイドから、ダニー・イサカ氏(シビルエンジニアでカップルオブクライスト)
フィリピンサイドと日本サイドの橋渡しとして、エープリルリン松居(バイスプレシデント)
日本サイドとフィリピンサイドの橋渡しとして、松居友(エクゼクティブディレクター、MCL創設者)
日本サイドから山田順子さん(日本事務局)

会議の概要

全体として、ミンダナオにおけるアンセスタードメイン(先祖伝来の土地所有)の問題を、先住民族とイスラムの立場から確認
歴史的経緯と現在の移民系クリスチャンとの確執、イスラム地域における戦闘の状況と難民の見通し
先住民族の立場の歴史的経緯と現在の状況、世界的クライシスと土地所有、プランテーションや食物貿易による貧困の増幅
日雇い、草取りなどの労働の現状や、現場や学校での差別が報告された。
現実に、起こっているイスラム難民の救済方法や山岳地域の先住民族の現状と救済方法などが、検討された。


1,イスラム地域では、戦闘が継続している。


戦闘地域から避難してきた難民達が、政府の指示があっても帰省しようとしない。
理由は、戦闘地域での自分の家が、破壊されたり燃やされたりして、住む家がない。家畜も奪われて財産がない、等の原因がある。
しかし、最も大きな理由は、

フィリピン政府軍の保護の元にクリスチャン系の難民の帰宅が、都市周辺部において行われているが、
この様に政府軍が入った地域では、MILF反政府勢力との戦闘が発生したり、発生する可能性が高くなる。
それゆえに、イスラム教徒難民達は、政府軍が入った地域には恐れて帰ろうとしない。
結果、難民キャンプが長期化している。

理論的には、政府軍が制圧した場所は安全が確保されたと思われて、難民が帰省すると考えられるが、
こちらでは、政府軍が侵攻してきたところは、戦闘が始まると恐れられて、逆に難民化が進み、
政府軍が滞在する限りは、難民が帰省しようとしない。

政府軍は、当面、撤退することはないであろうから、難民は長期化するであろう。
すでに、半年目に入っている人々も居て、食物の欠如から体力が低下、病気が蔓延している。
衛生状態の悪さも追い打ちをかけている。

また、MILFと政府との交渉課題である、アンセスタードメインの問題が棚上げされた格好となっており、
この問題に見通しが立たない限り
反政府側は交渉のテーブルに着くことを拒んでいる。
第3国政府が仲介に立つ必要性も指摘されているが・・・。



2,マノボ族など先住民族の状況が悪化している。

とりわけ、プランテーションや移民系クリスチャンに追われた、土地無しの人々に貧困の影響が出ている。
彼らの収入は、遠隔地にあるサトウキビ農場の過酷な労働による低賃金、
または移民系クリスチャンに占有された水田や田畑の雑草刈りぐらいしかない。
収入は、食事自前で一日100ペソ(180円から200円程度)、自分で食事をすると70ペソほどにしかならず、
さらに借金でがんじがらめになっている。

それが、今回の世界的な経済危機で、ゴムやサトウキビ等の輸出用作物の価格が下落。
また、雇用側も、マノボなどの人々の教育水準の低さを見越して
経済的クライシスを理由に賃金を低く抑えたり、雇用のカットをしているように見える。
その結果、最貧困層の人々の生活が極端に困窮している。

私たちのスカラーの居るプロック8やボホラノン、ボアイボアイ村などでこの傾向は顕著である。
3食たべることが出来ずに、体力が低下、高熱がひかなかったり髪の毛が落ちる子が出ていることは、前年の便りでも報告した。

この地域は、過去イラガ(ねずみ)と言う移民系クリスチャンの暗殺集団が、先住民族を辺境に追いやったのちに開拓した場所。
プロック8等は、追い出された後に、もどったと言う歴史的経緯があり、問題を根深くしている。
しかし、ここに来てこうした問題が噴出し始めている背景に、今回の世界的な経済クライシスから来る不安心理があるように見える。
NPAなどの反政府勢力の動きも活発化しており、そうした不安から、一時覆われていた差別やいじめが増幅されているきらいがある。

以上のような内容が、各役員によって話された
特に結論的なものはだしていないが、役員も適宜同行することによって
現場における解決の方法を見いだすことになった。




1月11日、奇しくもこの2点に関する、
注目すべき記事をインターネット上で見つけたので、紹介したい。

毎日新聞:矢野純一 1/11
フィリピン:MILFと戦闘やまぬ、ミンダナオ島 避難先、弱る子供たち

http://mainichi.jp/select/world/news/20090111ddm007030075000c.html

 【マニラ矢野純一】フィリピン南部ミンダナオ島で、
国軍と反政府組織「モロ・イスラム解放戦線」(MILF)の戦闘が激化した昨年8月以降、
不衛生な生活環境の中で病死する子供の避難民が急増している。
事態を重くみた国連児童基金(ユニセフ)は、飲料水の確保やトイレの整備を最優先に活動を行う。
戦闘下、避難先で新年を迎えた住民は30万人以上に上った。

 国軍の災害対策本部や地元NGO(非政府組織)によると、昨年8月以降に病死した18歳以下の避難民は45人。
死因の多くは不衛生な水を飲んだことによる下痢や栄養失調、はしかなどの感染症だという。
公園や空き地に作られた避難所にはトイレや水道などの衛生施設が整っていない。

中略    

 ユニセフ・マニラ事務所のバネッサ・トビン代表は「ここまで戦闘が長引くとは予想できなかった」と言い、
衛生施設整備のほか、子供の精神面のケアや医薬品の配布に力を入れると語った。

 昨年10月に38万人に上った避難民は現在、30万7000人までに減った。
しかし、12月24日には北コタバト州で戦闘に巻き込まれた住民9人が死亡、
約400家族が新たに避難民になるなど、戦闘はやみそうにない。

afp25

国際ニュース : AFPBB News 1/11
貧困国から奪われてゆく土地、背景に食糧危機や景気後退など
http://www.afpbb.com/article/economy/2555463/3659718

  • 2009年01月11日 16:26 発信地:クアラルンプール/マレーシア

【1月11日 AFP】資源の乏しい国々が、アジアの貧困国の広大な農地をわれ先に買っていく。
活動家らはこれを「土地の収奪」と呼び、貧困と栄養不良がさらに悪化しかねないと注意深く見守っている。

 食糧を輸入に頼っている国々は、原油・食糧価格の高騰、バイオ燃料ブーム、そして急激な景気減速の中、
自国民の食糧を確保するための対策に追われている。中でも、耕作地が不足している中国と韓国、
オイルマネーで懐が豊かな中東諸国が、
アジア・アフリカの農地の権利取得に向けた動きをけん引している。

 スペインに本部を置く農業権利団体「Grain」は、最近の報告書で、
「今日の食糧および金融の危機が世界規模の新しい土地収奪を招いている」と指摘した。

 同団体によると、こうして確保された農地の目的は、主に「本国の食糧安全保障を念頭に、
本国で消費するための作物を栽培するため」と「ヤシ油やゴムなど、経済的利益を得るためのプランテーションを
設立するため」の2つに分かれるという。

「こうした傾向により、世界で最も厳しい貧困と飢餓に見舞われている国々の肥沃な農地が急速に外国企業により
統合・私物化されている」と、同団体は警鐘を鳴らしている。

    中略

■腐敗政府との契約で農民を苦況に

 タイ・バンコク(Bangkok)に本部を置くNGO、フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウス(Focus on the Global South)の
ウォルデン・ベロ(Walden Bello)氏は、昨今の世界的な経済危機にあっても、
土地を持たない農民を一層の苦境に陥れる可能性のある、
1つの「傾向」は脈々と続いていると指摘する。

 その傾向とは、腐敗した政府と土地に飢えた先進国が、農地契約の名のもとで私腹を肥やしているという事実だ。
実際、契約の多くは、汚職が横行、または政府が機能不全に陥っているような国々で結ばれている。

 クウェートは前年8月、カンボジアに対し、穀物生産の見返りとして、
5億4600万ドル(約500億円)の借款供与に合意した。
カンボジア政府はカタール、韓国、フィリピン、インドネシアとも同様の契約を結ぶ準備を進めているという。

 だが、カンボジアのある野党議員は、クウェートのような裕福な国が、コメを輸入するのではなく、
わざわざ他国の土地で栽培するという選択肢をとっていることに疑問を呈する。

 この議員は、「カンボジアの農民たちは土地を必要としている」と主張。
政府に対し、外国に貸与する土地に制限を設けるべきだと訴えている。(c)AFP/Sarah Stewart

先住民族の置かれている危機的状況
世界的経済クライシスとマノボ族の貧困

去年のミンダナオ子ども図書館便りで、マノボ族の村のスカラーが高熱のために入院し、
検査の結果、栄養失調が原因である、と言う事実を報告した。
その後、対策として、上述のスカラーたちは、ミンダナオ子ども図書館に収容し、ここから小学校に通うことにし、
3ヶ月後にはすっかり体力が回復した。
また、クリスマスと正月に、こうした村の子たちを大勢招いて、栄養補給も兼ねたフィーディングを行った。

この時期になって、何故、こうした土地無しで山岳地域に追われたマノボ族の子たちに、栄養失調が増えているのか
私は疑問に思い、子どもたちの村への帰省などの機会を利用して、聞き取りを開始した。
すると、そこからいくつかの事実と問題が浮かび上がって来た。

実に驚くべき事に、最も辺境に位置して、およそ世界の動きからは見放されているかのような、再貧困地域こそが、
世界的な経済クライシスが直撃してくる形で、影響を受けていたのである!

彼らの現金収入を支えているのは、日雇い労働である。
近隣の水田の田の草取り、ゴムの木の汁集め、サトウキビやトウモロコシ刈り、農地の草刈り、といった
土地所有者が、自身の土地のメンテナンスや、それに伴う雑用を請け負う脇の仕事を彼らが行っている。
その多くは、輸出用作物を栽培している大土地やプランテーションと関係している。

日取りは、日給およそ100ペソ(今のレートが×2だから=200円)で、食事は自分持ち。30日間フルにはたらいて3000ペソ。
(ちなみに、ドールの日給は200ペソだが、土地所有に関連した一部の人々にしか仕事は与えられない)
日々の食費の30ペソを引くと、一日70ペソ(140円)ほどにしかならない。30日間はたらいて2100ペソ。
円で計算すれば、月給の手取りが、4200円と思えばよい。

スカラーの家族 栄養失調だが、先年暮れ
ダバオの病院で亡くなった子
スカラーの家族
ミンダナオ子ども図書館の、粗食だが米を子どもたちに食べさせている状況で、
一人一ヶ月の食費が1000ペソだから
平均7名の子どもに両親を加えた9人家族であれば、食費だけでも9000ペソ。

それが、月給2100ペソしか無いとしたら、
普通日雇いから帰って、7名の子どもが待っていて、
両親と一緒に食べるとして、何日分の食費になるだろう。

さらに、子どもの学費や弁当の米代などのための借金があるケースがあり、
日雇いの季節労働から帰ってきても
手元にはほとんど残らないような状況が多い。
この状況では、子どもにお弁当を持たせることが出来ないし、
学用品に至っては無理なのは、当然。

それどころか、毎日食べ物がなく、かろうじて、
山地に植わっているバナナと芋をかじる生活になる。

栄養失調で毛が抜け始めた少女

いくら何でも、これはひどい!


バナナは味気のないバナナで、芋もカサバ芋という、腹持ちがしないもので、甘みもなくモソモソしてとてもたべる気にならない代物。
塩水に唐辛子を潰して、バナナや芋につけてようやくのどを通ると言ったものだ。
肉や魚と言ったものはほとんどたべる機会が無く、これでは、次第に栄養が細るのは当然で、病気にもなろう。

こうした状態を助長しているのが、世界的な経済危機だ。
彼らのわずかな現金収入源であった、日雇いの季節労働が、物価高による経営状況の悪化という、雇用者側の理由で
カットまたは削減されているのだ。

日雇い労働が無ければ、全くの現金収入がない。
田の草取りのような、仕事でも、移民系クリスチャンが経済危機を理由に雇用を渋りはじめている。
米の値段は、高値で推移しているのだが、物価高が理由。

彼らの貧困の根本的な理由は、農業のプランテーション化による輸出作物の作付け面積の著しい増大と、
移民系の土地所有によって、自給用の耕作地を奪われたことに起因している。
今まで、ミンダナオ子ども図書館では、彼らにとって最も経済的負担が多い部分である、子どもの教育と弁当を支援してきた。

現在、ミンダナオ子ども図書館は、学校側との協議を始めると同時に、最も良い解決法を、現地の親や子どもたちと模索している。
同時に、仕事を得るための水牛の支援、山羊などの家畜を増やす可能性。
そしてさらに、ミンダナオ子ども図書館所有の農地や水田を確保し、そこでの労働を通して、経済的支援が出来る体勢を考えている。

しかし、今回何よりも感動したのは、こうした困難に直面しつつも、マノボ族の人々がより団結して
プロック8で、わずかに6ヘクタールだが、30家族で、自ら子どもたちの食事のために、農地の共同管理と運営を始める決意をしたことだった。
(一ヘクタールで養えるのは、子どもの数にもよるが2家族程度と言われている)
理由は、支援だけに頼っているのは良くない。わずかであっても、自分たちの力で生活を切り開きたい。

教育支援を始めて5年目、子どもたちの成長していく様子を見つつ
自分たちも、成長しなければならない、と言う自覚を、子どもたちの姿から学び始めた大人達、
特に、父親や男達の姿がまぶしかった。


イスラム地域の戦闘と難民の問題
何故、イスラム難民は自分の土地に帰らないか

これには、いくつかの原因がある。
一つは、帰っても家が焼かれて無かったり、家畜が奪われて居なかったり、
生活を始めるための基本的な財産が戦闘のために失われている
それ故に、帰ろうと思っても帰れない、と言うものだ。

しかし、もっと根本的な原因は、戦闘の拡大を恐れているからだ。
彼らは、政府軍がMILF反政府組織を見かけ上は土地から追い出し、
外見上は戦闘地域を制覇した事で戦闘が終わったとは考えていない。

クリスチャン系住民は、政府軍の制圧によって守られていると言う自覚があり、
彼らはほとんどが自分の土地に帰った。
行政が、公的な難民キャンプであった、倉庫や学校を閉鎖して、帰省を促していることも大きい。

しかし、イスラム教徒たちは、自分の土地に帰ろうとせず、
ピキットの辺境に移って道路沿いに住み始めている。
彼らが、ビニールシートの屋根を椰子の葉に変えて、仮小屋を建て始めたことは、
長期滞在を覚悟したことを意味している。

理由は、クリスチャン系住民とは正反対に、イスラム教徒の人々にとって、
政府軍が地域を制圧し、軍が駐在したことは、戦闘が起こる可能性、
拡大する可能性が高まった事を意味しているからであると言う。


彼らが、ビニールシートの屋根を椰子の葉に変えて、
仮小屋を建て始めたことは、
長期滞在を覚悟したことを意味している。

普通なら、政府軍は、
フィリピン政府が自分たちを守るために出動させた軍隊
という解釈になろう。

クリスチャン系住民にとっては、まさにその通りである。
しかし、イスラム系住民にとっては、敵の侵攻に見えると言えば、理由が明らかになろう。
ピキットは、7割がイスラム教徒でしめられているが、他の地域もふまえて、
イスラム地域はほとんどの住民が感情的には反政府だと言って良い。

特にこの傾向は貧困層に強く、村長や金持ちの土地所有をしているイスラム教徒は、
ダバオやマニラに居を移しているケースが見られる。
といっても、この境目は実に曖昧なもので、遠くから、指示を出している可能性もある。

いわゆる反政府地域のイスラム教徒のたちは、MILFの正規軍が滞在したり、
通過しても逃げることはない。
しかし、政府軍が入ってくると、子どもたちも、女達も、いっせいに村を放棄して逃げ出す。
理由は、政府軍が村人を攻撃してくるからではなく、政府軍が入ったところに戦闘がはじまるから。
MILFにとっては、政府軍は自分たちのテリトリーに入ってきた侵入者であり、攻撃の対象。

軍は、政府軍も、MILF軍も、訓練された正規軍と、一般住民が武器を持った民兵とにわかれる。
民兵は、ライフルや迫撃砲を持っていればそれとわかるが、
特にMILFに属する民兵は軍服を着ていないし、普通の住民と同じ、というか、
普通の住民達のなかの男性達だから、それと見分けるのが難しい。

彼らは、自分たちが戦うためにも、家族を安全な場所に移しておきたい。
最も安全な場所はどこか、それが、難民キャンプだ。
このことは、地方行政も承知であるし、ピキットでは人道的な立場から
ワールドフードと協力して食料支援もしている。

難民キャンプは、ほぼ村単位で固まるケースが多く、
その結束は固い。


難民状態が続いたからと言って、彼らの結束が弱まったり、
コミュニティーが崩壊することはなさそうだ。
金持ちの村長などは、市の中心の別宅やダバオに逃れたりしているのが普通だが、
貧しい人々の結束は、難民状態を通して、
より強くなることはあっても、弱まることは無いと感じる。

しかも、彼らは、こうした経験を、過去30年間、3年置きに体験しているので
戦闘難民になっても、「またか」と言う状況なのだ。
唯一、困難なのが食料と医療であり、精神的なトラウマなどはあまり感じられない。
外国人に対する不審感と、長期化してくると抑鬱状態は感じるが・・・・

戦闘における精神的トラウマの問題は、他国に攻撃を仕掛けてきた軍の兵士たちが、
故郷を離れて戦地に放り込まれた結果、つまり、ベトナムやイラクの米兵などのように、
その様な場合に顕著に現れるのではないか。

私も、戦闘を身近に体験して、10,11月に日本に帰国しても、
ちょっとした音で神経が高ぶったり
飛行機の爆音や、東京都内の環状道路を自衛隊の軍用車が走っているのを見ただけで、
「どこが戦闘か!!!」と、強烈な感情に襲われたが、こういうのは未経験者に特有で、
長期に経験し続けているイスラムのスタッフに聞いても、慣れっこになってしまうようだ。

スカラーの中には、父親などが殺されると、かなり強い抑鬱状態になることは、確かだが、
加害者の立場に置かれたものの方が、トラウマは激しく
被害者の場合は、むしろ家族や親戚や村人たちで、心を結束させて行くように見える。

今はやりなのだろうか?
海外NGOによる、トラウマの解消のための支援は、
現地の人々の表現を借りると
「それしかやらないのか、米をくれる方がよっぽど良いのだが・・・」と言った言葉になる。
私には、理念が理解できるが、彼らには良くわからないようだ。

私たちは、読み語り活動を通して、
子どもに対してトラウマ解消の支援に類似したこと?をしているが、
私自身は、昔語りに起源を発する語りは、心理学的にも歴史的にも
最高の心理療法であることは、拙著「昔話と心の自立」洋泉社、で執筆したが。

さらなる利点は、繰り返し通うことによって、
見知らぬ人々や子どもたちと、信頼しあい友だち関係になれることと、
現地の若者たち、スカラー達のボランティア精神を育成できることだろう。

平和構築が、宗教や部族や国を超えて、心を通わせ会うことから始まると考えると
読み語りは、最高の平和構築活動だと感じる。
ただし、海外の英語の絵本を読んだり、欧米の歌やカテキスタの歌のみを歌ってもだめで
言葉はマギンダナオ語やマノボ語などの現地語を中心に置き
現地の文化や宗教を重視し、地元の昔話、踊りや歌を、必ず交える必要がある。
その意味で、現地の若者たちが中心にならなければ意味をなさないだろう。


ただ読み語りも含めて村人達には、トラウマ解消プランは、
NGOの自己満足といった感じで、映っているように見える。
期待しているのは、炊き出し、そして医療なのだが・・・
実際、最も困窮しているのは、医療と食料である。

ちなみに、こうした難民キャンプに、年寄りと子どもの男性しか居ないのは、
農地に帰っている事もあるが、戦えるものは戦っているからだとも言われる。

たまに、男達が戦場から難民キャンプに帰ってきて、
バスケットボールの試合をしているのに出会ったりするが、
彼らの活力と体格の屈強さはすごい。
難民キャンプ全体が、声援と活気と熱気に満ちるときだ。
とてもトラウマ状態にある人々の集まりとは思えない。

興味深いことだが、地方政府やイスラムの行政担当者、
福祉局の人々もこのことはちゃんと知っている。
現地の人々の心情は重層的で、行政の職員だから政府よりだ、などと考えてはならない。
政府軍が、NGOの食料支援を、難民キャンプに届けさせないように妨害するのも、
そのことを知っているからであろう。

ようするに、難民が帰らないのは、反政府活動をしている身近な人々から
最もビビッドな情報を得ているからに他ならない。

戦闘など、まったく馬鹿げたことである。


地域社会や家庭と同時に、会社というコミュニティーも崩壊し
心理的なトラウマ解消支援を必要としているのは、
自殺率の高い、先進国の人々の方かも知れない


私たちのファーザー!
 ー異邦人の救いー         山元 眞
 

ルカ福音書は一貫して「異邦人への救い」、聖霊の働き、
そしてそれが貧しい人々にもたらされたことを強調しているように思える。
 
年末にフィリッピンのミンダナオ島に行き、年を越した。聖家族の主日に出発し、公現祭の翌日に帰国した。
「救い主の誕生」について思い巡らした。危険といわれているイスラム地区の難民を訪ね、炊き出しをした。
電気もない山岳地帯の貧しい村を訪ね、人々の温かさに触れた。
公現祭にはマノボ族の子、ビサヤ族の子、そしてイスラムの子たちとミサに参加した。
 
少しわかった。人々は律法を越えて救われることが。幼子は「万民の救い主」として生まれたことが。
十字架の上で死ぬ幼子の人生は聖霊に満たされたものであり、その発せられるみ言葉は異邦人に向けられていたものだということが。
 
北コタバト地方に「ミンダナオ子ども図書館」という施設がある。
六十人ほどの子どもたちが日本の人たちから奨学金を受けて共同生活をしながら学校に通っている。
貧しい子どもたちの中でも最も貧しいと思われる子どもたちが優先的に奨学金を受ける。
宗教、民族、文化を越えて共に生きる「そこ」には真の平和がある。
かれらは紛争によって生まれた難民のところにも「読み語り」に行き、炊き出しをし、
医療の必要な子は「図書館」に連れ帰り必要な治療を受けさせる。
子どもたちが子どもたちを助ける。
 
公現祭の前晩、降っていた小雨が止み、見上げると「図書館」の真上に星空があった。
真上に。そこだけに星がきらめいていた。
 
少しわかった。「ここ」に救い主がいると。
「万民のために整えてくださった救い」があると。「異邦人を照らす啓示の光」があると。
 
翌日、子どもたちと公現祭のミサに参加し、「図書館」を後にした。心は喜びで一杯だった。


     上智大学、雨宮神父主催 『今日のみことば』 2009年2月2日から、一部抜粋
何の期待も
何の先入観も
なく

何の意図も
何の利害関係も
なく

何の宗教も
何の部族も
なく

何の国も
何の地域も
なく

ただ
愛し合う事って

難しいこと
なのだ
ろう


+




カナダからの手紙


遠くに山が見えるが、
あの山の中腹に村がある


この道を4WDで行くのだが・・・


学校のあるスマヤソン集落
ホウキづくりが主産業でホウキ草が干してある

彼女のいるスマヤソン集落は、山のなかにある。4WDの車で途中まで言ったが、これ以上は無理と判断して歩いていった。
一通のカナダの子どもたちから送られてきたバースデーカードを届けるために。

カナダのバンクーバーは
冬のまっただ中だろうか

カナダの日系人の集まり
クローバーの会が

山の、父親の居ない少女を
支援してくださっている
お友達から届いた
バースデーカードに
大喜びのエリザベスちゃん!!



写真をありがとうございます。
早速、エリザベスちゃんの写真を
私たちのブログに載せました。
http://cloverforever.jugem.jp/

自分たちが書いたカードが一緒に
映っているのをみて、
繋がったという実感があったのでしょう。
子どもたちもとても喜んでします。
エリザベスちゃんの笑顔が
私たちに分けてくれることは
はかりしれません。
この機会をいただいていることに、
松居様にもエリザベスちゃんにも
大変感謝しています。

取り急ぎ、お礼まで。

石本さゆり


学校から帰りがけに、エリザベスに会うことが出来た。
ちょうど雨宿りをしていたよその家を借りて、お返事を書く。
彼女には、父親が居ない。ここからさらに離れた徒歩でしか近寄れない辺鄙な山奥に、母親と住んでいる。
土地がないので、そこら辺に生えているバナナや芋を市場で売って、かろうじて生活しているという。


ミンダナオ子ども図書館のボードメンバーで、地域の保育所の先生をしているビックビックさんと、返事の手紙を書いているエリザベス。
あれだけ貧しい、しかも厳しい生活をしていながら、とても利発だ。将来の成長も楽しみ。


カナダの皆さん、いつか会いにいらしてくださいね!
冬がないから、いつでもバナナが食べられます。


















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「0」ゼロに立つための支援を 
年頭エッセー 
松居友
  

 「0」ゼロというイメージを、人々はどのようにとらえるのだろうか。
 「ゼロになる」という事は、何も無い状況を意味している。感覚的には、すべてを失った状態だろう。
 浮かび上がってくる例は、財産も家庭もうしなって、社会的な地位も無くなり、絶望の淵に立たされ
 自殺もしかねない中高年の男性の姿だろうか。

 しかし、かつてから私の心には、ゼロに立つというイメージの一つに、さわやかで肯定的なものがあった。
 座標軸で言うゼロは、マイナスとプラスの狭間であり、上下左右の中心である。
 シャマニズムのコスモロジーでいえば、東西南北の中心、
 陰陽の世界から考えれば、五行の軸、西洋の錬金術にしたがえば、両極性における螺旋の軸ということになる。
 かつて学んだゲーテの自然科学や錬金術、沖縄やアイヌの宇宙像をもちだせばきりがないが・・・・・・
 仏教的に言えば無の悟りに近いものだろう。 
 つまり、「0」ゼロとは、原点であると同時に、これから「自分の判断で、
 思う方向に自由に進んでゆける」可能性に満ちた地点なのである。

 現在のミンダナオ子ども図書館のような「支援」をする仕事を始めるとは、夢にも思わなかったが、
 やってみて支援には二通りあると思った。
 一つは、ゼロからプラスへ持っていく支援であり、これは何も無いところから、仕事なりを作り、
 経済的な基盤から実質的な利益を生み出していく、
 今はやりの経済開発支援と呼ばれているものなどは、この種のものだろう。
 それによって、プラスを走っている先進国の、仲間入りをさせてやろう、と言う種のものだが、
 これはこれで良いと感じる。
 ただ、現在の先進国の様子をミンダナオから見ていると、G7から推薦されても、
 仲間入りしたくは無いなと個人的には思う。

 もう一つは、マイナスにあるものを限りなく「0」ゼロに持っていく支援で、
 教育や医療、文化支援などは、こちに属する場合が多いように思える。
 ミンダナオ子ども図書館が、発足から6年、現在までおもにやってきたのは、こちらの支援だ。
 貧困で教育を受けられない多くの子どもたちや、経済的に極端な格差社会で、
 マイナスの位置から抜け出られない地域の人々にとって、教育支援や医療支援のありがたさは、
 不可能が可能になることによってゼロつまり出発点に立てる、つまり人心地ついて一歩を踏み出せる
 可能性に立つことである。

 自由、平等、博愛という価値観からみると、現在は、はき違えた自由だけが横行し、
 平等も無く、博愛に至っては風前の灯火と感じられるが。
 教育と医療と食料支援は、まさしくマイナスからゼロに持っていくための支援で、
 最低の平等とは、食べることが出来、病気を治せ、学校に行ける
 つまり、どちらに向かっても進める=希望をもって生きていける、ゼロ地点の支援だろう。

 ただ、ミンダナオ子ども図書館は、教育に関しては、学校教育のみに期待を持つことが出来ず、
 平和で平等で愛のある未来を作るためにも、
 スカラー達が、貧しい地域での読み聞かせや難民救済に参加し、宗教を超えた融和をはかるために、
 文化祭や平和の日をもうけ、若者自身が運営している。
 こうした経験を若者たちにあたえることも、教育の一つと考えている。学校教育よりもずっと重要な・・・・

 学校教育の道を突っ走って、ゼロから先のプラスの道を、先進国のように走って欲しくはないと言う思いも若干ある。
 ミンダナオ子ども図書館での、民族や宗教を超えた友愛の体験を経れば、
 かつての先進国の道とはひと味もふた味も異なった、新たな方向をゼロから始めることも可能ではないか・・・
 ミンダナオ子ども図書館でいつも若者たちに語ることだが、
 「海外に出稼ぎなど行くなよ、寂しいだけだぞ、ここでがんばって仕事を作った方が良いよ
 仕事は、探すものではなく、創るものだからね・・・」といつも話す。
 ミンダナオは、限りなくゼロに近い世界なのだ。

 ミンダナオ子ども図書館のスカラシップの選択基準を、孤児、片親の子、家庭崩壊の子たちを優先させたのも、
 彼らは出発点からすでにマイナスに立っていて、
 彼らこそ、ゼロすなわち出発点に立たせたときに、偉大な仕事はしなくても、
 心優しく社会に貢献しようとする人に育つだろうと思ったからだ。
 しかも、彼らのような境遇の子たちには法外とも思える、大学まで卒業できる道を開きたいと思ったのも、
 人よりもマイナスから出発しているだけに、
 人並みを超えて出発させたら良いじゃないか、と思った事による。

 現実的には、自分が親だったら、だれだって、子どもの病気は治してやりたいし、
 学校には出来る限り行かせてやりたいし、食べさせていかなければならないし、と言う、
 「自分が親だったらこうしてやりたい」と思うことを、可能な限り(限界も多い)したいという、
 個人的な感情に過ぎないかも知れない。

 それならば、ミンダナオ子ども図書館は、ゼロからプラスの支援はしないのかと言うと、
 今現在、次々とスカラー達が大学を出て育っていく中で
 私のかつての専門だった、文化事業、出版や映像を通して、ミンダナオから昔話、踊り、音楽など
 文化を発信する事業を考えている。
 もう一つは、農業事業で、山岳地のマノボ族などでも作れる高地農業の可能性を実験する、実験農場、
 また雇用を創出するためのコミュニティー農場の実験を今年から始める。

 フェアトレードなども、関心はあるが、こうしたものは、長年出版などの文化事業(商売)にたずさわって、
 講演販売などを30年も続けてきた体験(つまり行商)
 その結果、福武書店の児童図書部門の新規事業を、当時出版部門で最初に黒字化し、
 海外戦略まで展開していた経験から、よほど本腰を入れなければ、
 販売一つでも立ち上がらない、しかも少なくとも30年は続けないと定着は無理だという事を知っている。
 近江商人の末裔だから言うのではないが、商売ほど難しく奥の深いものはない。
 実は、ここだから言うのだが、ミンダナオ子ども図書館の事業展開も、かなり近江商人の手法を継承している???

 もちろん、自己満足的に、わずかな地域に利益をもたらすのであれば、NGOのサイドワークで可能だろうが、
 100年も定着する貿易会社にはならないだろう。唯一日本で尊敬するのは、バナナに絞ったネグロスバナナだが、
 これも生協という組織を介したから可能なのだと今も思う。

 ミンダナオに、しばらく住んで、むしろ、現地で作物を育て、現地の市場や近隣で販売する方が
 もうけ自体は少なくても、100年の可能性が有るように感じる。
 少なくとも、ミンダナオ子ども図書館が無くなっても
 先進国の貿易商社が解体しても、輸出に依存せず、現地で生産し消却していくような方法の方が
 (輸出依存の日本の不安定な現在の経済を見ても)
 山岳地域の人々が、生きていける手法のように思えてきた。
 今年から、独自のプラス支援を試みていきたい。

 私は、現在55歳、活動できるのも最大で20年(父は85歳でまだ活動しているから、30年?)
 将来は、どのような展開になるかは分からないが・・・・ミンダナオに骨を埋めたいと思っている

 今年からの予定だが、
 今年は日本の若者たちも視野に入れた活動を行おうと思っている。
 閉塞状態で、時には学校からドロップアウトした若者たちなど、特に魅力的だ。
 彼らもマイナスに立っている子たちで、彼らがこちらに来て、ミンダナオの若者たちと交流することによって、
 せめてゼロに上に立てたら良いなと思う。
 そこから進んでいくほうが、学校の成績や学歴に執着している子より良い。
 既成の道などかなぐり捨てて、思う方向に進めばよいのだ。それもゼロに立つから出来ることだ。

 そう考えると、何と多くの日本人が、若者だけではなく、中高年など特に、
 経済的には多少プラスの時点でも、精神的な心の面ではマイナスの上に立っていることだろう。
 自殺率から鑑みれば、マイナスからゼロに立つための国際支援を必要としているのは、ミンダナオより日本人?
 少なくとも、国際比較の自殺率から見れば、日本は9位で先進国中第一位。
 フィリピンは、100ヵ国中85位だ。

 自殺志願の中高年も可哀想だとは思うのだが、
 ミンダナオ子ども図書館が、あえて若者にこだわるのは、彼らに、未来があるからだ。
 死ぬぐらいの勇気があるのなら、戦闘地域に入っていって、子どもや難民を救済することができるだろう。
 今後もなるべく多くの若者たちを、ゼロの上に立たせる支援をしていきたい。
 ゼロに立った彼らが、新たな道を切り開くだろう。
 プラスに向かって歩を進めていくのは、彼らの意志にまかせよう。
 

  
 

松居友著・女子パウロ会 山元眞著・パウリーノ 松居友著・BL出版
映像:[ミンダナオの風]
『ミンダナオ紛争と難民たち』

ミンダナオ紛争と難民たち
季刊誌『ミンダナオの風』:Hangin gikan sa Mindanao
特集号「ミンダナオ紛争と私たち」を特別にお手元に!
ミンダナオの風

2009年の夜明け
ミンダナオ子ども図書館から
明けましておめでとうございます。
今年も、現地の若者や子どもたち、難民の人々、高地民族の人々、
そして日本の若者たちと共にがんばります。
よろしくお願いいたします。

今年は最も大変な、しかし、最も興味深い一年になるかもしれませんね。

ムスリム難民キャンプからのクリスマス!

バゴンイグド難民キャンプで読み聞かせ
ここのキャンプは、初期の頃から、なぜか「疎まれて」きた難民キャンプだ。
十分な支援が回らずにある。

支援にも優先順位や、さまざまな「戦略」があるのだろうが
未だに分からないことが多い
所詮戦闘は、人間がやることだから、「戦略」が思った効果を発揮せず、予想外の展開になることもあるだろう。

以下、クリスマスから新年にかけての報告をします


私たちは、こことシリックで、現状を見て、難民支援をはじめた。
まずは、炊き出しと読み聞かせ。
地方行政には、それなりの思惑もあるとは思うのだが、特定の政治や宗教にかかわらない方針のミンダナオ子ども図書館は、
現地を見て、必要としている場所を見極めてから、自分たちで活動内容を決める。

地方行政の依頼にも耳を傾けるが、あくまでも現地を見てから自分たちで判断する。ちょっと頑固だが、時には有力者の依頼も断る。
福祉局もそれを良く知っていて、互いに一定の距離を置きつつ、重要な情報も共有し会って、尊重し会い行動している。
DSWD局長補佐のグレイスさんが、MCLのボードメンバーであり、
ピキットカトリック教会の(例の有名なライソン神父の右腕)ソーシャルワーカーで有ることも大きいが。

シリック難民キャンプ
難民でスカラーのアイサちゃんとお兄ちゃん
アイサちゃんの結膜炎は治ったけれど、お兄ちゃんの左目が充血していた

もう、5ヶ月も難民生活で
学校もストップしている

あの歯の出ている子は、いったん難民キャンプに帰り
来年度から、ダバオで手術も視野に入れた
本格的な治療に入る予定。

難民キャンプでクリスマス。

ムスリムがほとんどだから、クリスマスこそ無いが
イエス・キリストが貧しい人々を愛し、この世に来たとしたら
家庭で七面鳥をたべて、おいしいケーキを囲んで、プレゼントをいくつももらいながら、
裕福なパーティーをしているクリスチャンと、
すでに五ヶ月以上も困窮し、地べたに寝ているような、イスラム教徒の難民と
どちらを深く憐れみ、共にいたいと思っただろうか???

クリスマス炊き出し

子どもの体力を回復させないまでも、維持させるには
子どもに限定した炊き出しは、とても有効なプロジェクトだ
今回も、難民キャンプで一番気になったのは、病気の子どもが多いという事

確実に体力の低下と、衛生の悪さ、外で寝ているのと同じような
生活環境の劣化が子どもたちの基礎体力を奪っている


こうした子どもたちの体力を維持させるために、炊き出しは、確かに有効な手段だが、
一度きりでは、自己満足に過ぎないだろう
少なくとも週三回、三週間続けることによって、体力の多少の回復や健康維持が可能になるのではないだろうか
しかし、最も大事なのは、早く難民が家に帰って通常の生活にもどれることなのだ。

炊き出しを実行している間に
私たちは、病気の子どもが居ないか、難民キャンプを回った

すると、思った通り
あちらこちらに、
寝たままになっている子どもたちが居る
多くが、風邪による高熱だった

すでに、医療に費やすことが出来る
予算がギリギリのところまで来ているので
すぐに大きな救済することは出来ない

現在、支援者にレターを送っているが
そのリスポンスを見て
1月から医療を再開始することになるだろう

運営活動は、予想がつかない事も多く
激動的で常に数字との格闘だ
戦闘と言うものの性格を象徴している?


日本の経済状態も良くない事は、充分承知だ。 どこまで救済活動が出来るのか、予断はゆるされない。
「日本の事だけでも大変なのに、外国の事まで考えていられるか・・・・」と言う意見も聞こえてこよう。

しかし、その様な時だからこそ、国境を越えて、平和を構築する努力を日本はするべきではないだろうか。
とりわけ、隣人である国々の人々と手をつないで。


困窮しているときに、心から手をさしのべられた体験は、単なる経済的な開発支援関係よりも深く人と人をつなぐと感じる。
開発支援も重要だが、見返りを求めない、心の支援も大切だろう。
人間のベースは、愛であり、その上に経済が来るのだが、現代社会は経済だけが優先される。
その結果、先進国は、最も大事な「心」を失った空虚な化け物になってしまった???

マイナスからゼロに持っていく支援が基礎になって、初めてゼロからプラスに持っていく支援が可能になる?
日本人の心に必要なのも、マイナスからゼロに持っていく支援だろう。日本の若者たちを救うために・・・



彼女に支援者が見つかった!おめでとう
歯の治療をしつつある子に付き添ってきた
従姉で成績は良い

私自身は、歯の治療をしつつある子を
その境遇ゆえに
スカラーにと考えていたのだが

ガンの可能性があるという

キダパワン市の中心に飾られた
クリスマスイルミネーション
仲間達は帰り
帰れない子たちが
ミンダナオ子ども図書館に残る

クリスマスは寂しい時期だ
それだけに、
どのように過ごしたらよいか

一番こころを砕く時期でもある

フィリピンの人たちは、本当にイルミネーションが好きだ
普段の生活がきついだけに、幻想に酔いたいという気持ちが強いのかと最初は思った
しかし、もともと妖精達が居ることを信じている、幻想的な人たちなのだろう



路上にたむろしている不良達
ではなく、
ミンダナオ子とも図書館の若者たちだ



中には、実際
結構、その道にはまりこんでいた
子もいるが・・・・
この時期、先住民族の子どもたちは
町に降りてきて踊り、街頭で小銭を稼ごうとする



こうした子たちも、本当は学校に行ったりしたいだろうなと、いつも思う
ダバオでもそうだが
ミンダナオでは、
クリスマスの時期になると

山から先住民の
人々がたくさん降りてきて

歌ったり踊ったりする

と言えば聞こえはよいが
物乞いをしに
街に降りてくると言った方が良い

親や元締めが
子どもを使って
稼いだりしているのが
現状だろう


ミンダナオ子ども図書館の子たちも、その多くが
先住民族の子たちなのだが、少なくとも守られて学校に行けるだけ
幸せなのかも知れない

みんなに会えるのを楽しみにしています。

松居友さん

わたしたち、すべての人の救い主の誕生…こころから喜びましょう!
そちらに行く日が近づいてきました。
昨晩から通風の兆候があり、目覚めても足が痛く…今朝のミサをパスするほどでした。
通風の痛みが始まると収まるまで二日はかかり ます。
困った!と思って応急処置(ただ水をいっぱい飲むだけ…) をして…
不思議と痛みが増さず…収まりました。このところの不摂生のたまものです。
運動不足、睡眠不足、栄養過多?…など。気に はしていたのですが…ドキッとしました。
明後日は出発できそうで す。
よかったです。

22日にキャンドルサービスと終業式をしました。
その時に子ども たちと家族の皆さんの「やさしい気持ち」がいっぱい詰まった
「お もいやり貯金箱」を奉納しました。
「だれがいちばん喜ぶと思 う?」と子どもたちに尋ねたところ、
即座に一人の子が「フィリッ ピンの子どもたち!」と答えてくれました。
わたしは「神さま!」 という答えを期待していたのですが…。
子どもたちはやはりスゴイです。

11月に松居さんと倉橋神父さまが幼稚園でお話ししてくださった あの時は実にタイムリーで、
子どもたちはずっとフィリッピンやボ リビアの子どもたちを意識して待降節を過ごしたようです。
本当に うれしいことです。
おかげさまで、みんなのやさしい気持ちがいち だんと大きくなったようです。

「おもいやり貯金箱」は子どもの手作りで…年少は「お家」、年中 は「天使」、
年長は「クリスマスツリー」の形に作りました。
お金 だけをいただいて貯金箱はみんなに返すのですが、
ミンダナオに行 く時、それぞれ1個ずつお持ちしたいと思います。
 「サンタさん が来る前に、だれが来るの?」という問い掛けにも
「イエスさま!」と迷わず答えてくれる子どもたちです。感動します。
小さい時から思いやりの気持ちを膨らませることができて、幸せです。
ありがとうございました。

みんなに会えるのを楽しみにしています。     やまもと。


山元しんぷは、子どもたちの才能や資質を問わず
すべての子どもたちを心から等しく愛してくれるので
子どもたちは、「父さん」「父さん」と呼んで飛んでくる。
イスラムの子たちも、「父さん」と親しみを込めて呼ぶから面白い。

こちらでは、神父の事をFather と呼ぶ習慣があるが
言葉の中に、それ以上の気持ちを彼らが込めているのが良くわかる


クリスマスに古着のプレゼント

はるかなるマノボの村、ボアイボアイ
ミンダナオの国道から離れた地域は、ほとんどがいわゆる反政府地域だが、
そした背景に、土地所有によるプランテーョン化の問題が横たわっている
土地を追われた人々の村


ボアイボアイは、私が先住民族を知る原点になった村だ
本当に貧しい山奥の村で、反政府組織NPAの多いところだが、私たちはこの村を心から愛している


村には、いつでもたどり着けるとは限らない
天候の状態などで、様々な困難が待ちかまえている
今回も村直前で、橋が崩壊していた。

スカラーのお父さんが、古着の入ったボックスを頭に載せて運んでくれた
3人がかりでようやく運べるほどの重さなのだが、軽々と運んでいく

古着をもらって大喜び
素晴らしいクリスマスプレゼントになった

ここの村の人たちは、
ほとんど現金収入というものが無いから
何キロも離れた町に出ることもなかなか出来ない

古着を買うお金も無いので
普段は、ほとんど裸同然の格好をしている

私たちが来ると、
さすがにそれなりの上等な?
服に着替えて迎えてくれるが・・・
三食満足に食べられない
マノボの村のスカラーを、
クリスマスお正月に招待

クリスマスとお正月は、いわば日本と同様で
生まれた村に帰省して、家族や親族と過ごすのがこちらの習慣

そのようなわけで、住み込みのスカラーたちも、多くが帰省する
親が居なくても、せめて親戚のところへと・・・

それゆえに、ミンダナオ子ども図書館が最も寂しくなる時期でもあった

しかし、家に帰省しても3食たべられない
子たちも多い

とりわけ、今年は、経済不況が
日雇い労働に影響を与えたせいか

マノボの村で
3食たべられずに痩せて
病気になる子が続出した

そこで、私たちは、
とりわけ貧しい
ボアイボアイとボホラノンの子たちを
ミンダナオ子ども図書館に
招待することに決めた

クリスマスと正月に
せめてものフィーディングプランを
ミンダナオ子ども図書館で実行しようと言うものだ

これが大成功!!!
ボホラノンの子どもたちも
ミンダナオ子ども図書館にやってきた
貧しいスカラーの子たちに加え
親のいない子
片親の子

そして、特に栄養失調気味の
子たちを選んだ

選んでくれたのは
現地出身のスカラーの若者

ミンダナオ子ども図書館が
とても賑やかになった
彼らの喜ぶ姿を見ると
心からこちらもうれしくなる

戦後、久留米に来た
宣教会の外国人修道女たちが
孤児施設を作ったときに

日本の子どもたちを見て
ひたすら
「可愛い、可愛い」
を連発している記録があると

久留米信愛女学院の院長
シスター村田が
話されていたが

この子達を見ていると
本当に可愛いと思う
おそらく滑り台やシーソーで
遊んだことがないのだろう

庭にかけだして
まず、飛びついたのが

シーソーや滑り台
ブランコだった

高校生が多いので
普段は寝ている遊具達が

がぜん目をさました
感じだった
ミンダナオ子ども図書館が孤児施設に変身?
ミンダナオ子ども図書館が
息を吹き返したようだった

というよりも、
普段は高校生と大学生がおおい
ミンダナオ子ども図書館に
小さい子たちがあふれた

私自身は、
ダバオオリエンタルの
ハウスオブジョイや

同じキダパワンで
日本の神父が始めた
イースターヴィレッジといった
孤児施設に敬意を表して

高学年の子たちの教育に
心を砕いてきたが

孤児施設もなかなか
良いですね・・・・・・

始めようかな?

そんなわけで、ミンダナオ子ども図書館も、来年からは、小さな子たちも一緒に生活を始めようと思う
それは、今居る高校生や大学生にも良い影響をあたえるだろう
大きい子たちが小さい子たちの面倒を見、規範をしめす
互いの成長を助け合う、大家族が生まれるだろう


12月30日 海へ行った

多くのマノボ族の子たちにとっては、海は生まれて始めてみるものだ
山からは、車で一時間ほどなのだが、彼らは海を見たこともない


まずは、塩辛いのにビックリ
思わず口からはき出す姿が可愛い


彼らの遊びは、自由な空想の中にあるようにいつも思う。
遊びながら、おそらく両親や祖父母から聞いた、昔話の世界を想像しているのだろう
たわいもないもので、延々といつまでも遊び続けている


父さんも、母さんもいないケビン君にとって、山元しんぷさんは、父さんのような感じなのだろう
最初は、堅い顔をしていたかれも、すっかりうち解けて幸せそうだ
「これから、どこに住みたいの?」
「ミンダナオ子ども図書館」
そう答えるケビン君

僕は、ここの子どもたちの
刻々に変わる表情を見ているだけで
幸せな気持ちになってくる

うれしそうな表情もいいけれども
寂しげな様子や
ちょっと見せる微笑みなどが

作り物ではなくって
心の奥底の
宝石のような核心から

自然に
生まれて来るのが良くわかる



もくもくと一人で砂で遊ぶ、
メリーアン コルデロ
コルデロとは、子羊の事だから、
子羊のメリーアン




彼女もお父さんがいない。
母さんは、別の男性といっしょで、
この子と妹は、村の人の話でも、
ほとんどほったらかし


来年もまた、みんなで海に来ようね

12月31日 大晦日の炊き出し

ピキットの炊き出しは続く
グレイスさんの話だと、炊き出しを継続しているのは、ミンダナオ子ども図書館だけ
ワールドフードが、一ヶ月に一回、半サックの米を支給するだけで
後は、ミンダナオ子ども図書館の炊き出しだけが食べ物
一日に一食か、二食がせいぜいだろうと言う

炊き出し、医療など、
ミンダナオ子ども図書館は、8月からすでに5ヶ月
絶え間なく継続しつつ、難民支援をしている

すでに支援の資金は枯渇し始めている

皆さんの継続的な支援をお願いします
私たちは、皆さんの手足となって、思いを現地に届けます

支援方法
炊き出しと同時に、
古着の支援を行った
スカラーたちも
休みを利用して
大晦日にもかかわらず
積極的に参加した

古着をもらってうれしそうな子どもたち
古着は単なる物資支援だとは思わない、
クリスマスやお正月の時も、ちゃんと皆さんの事を忘れていませんよ、
と言う、心のメッセージだと思う

難民状態でお正月を迎える彼らに
せめてもの心のプレゼントが出来たら良いな、と思う



アルバちゃんも訪ねた
ご主人が、MCLで引き取ることを拒否しているが、
それでも、繰り返し訪ねることで、周囲の家族の気持ちも違ってきているのがわかる

そして、うれしいことに、アルバちゃん自身も、少し太って元気になってきている
行橋カトリック教会で、粉ミルクやお粥の支援をこれからも続けることを、話し合った

何故こんな子にこだわるのか、と言う考えもあるかも知れないが
こうした小さなこだわりが、難民キャンプの多くのイスラム教徒の人々に、
異邦人でもある私たちを、受け入れてくれる心の素地を提供していると感じる

この様な機会には、なるべく多くの同行した異なった部族の子たちを連れて行く
彼らに対する影響も大きい

こちらはシリックの難民キャンプ
私は、どうしても
あの歯の出ている子が気になって
しかたがない

写真を撮ろうとすると、すぐに後ろを向いて逃げてしまう
しかし、僕の顔を見ると、微笑む
と言っても、飛び出した歯が目立つだけだが・・・・

何とか、来年は、治療を開始して、
この子が恥ずかしがらずに人前に出て
出来れば学校に行けるように
してあげたいと思う

この様に、
悲しい思いをした子は、
立派に活躍する子にならなくても
心の優しい子になるだろう
最後に、同じ場所で難民になっている
バイヤンくんと妹さん

とても献身的で
いつも難民支援を手伝ってくれる

妹さんには、
まだ支援者が居ない

ちなみに
バイヤン君は、
ミンダナオ子ども図書館で

選挙で選出された
プレシデントだ

とても穏やかで謙虚な
イスラム教徒



妹さんの支援者になっても
良いという方
メール下さい
支援者が
見つかりました!


来年は、平和な年になって欲しいのだが
情勢を見ると、難しいかも知れない

しかし、困難なときほど、人間の心の本当の美しさが、輝き出る???

みんなで大いにはしゃぐ、ミンダナオの大晦日
ケーキを切って、年越しのスパゲティーか焼きそばを食べて、爆竹をならして

ウオーターフォール村の
Embang Sabas Jr.君に
1月1日
支援者が見つかった
おめでとう!

13歳、5年生でマノボ族



ミンダナオ子ども図書館の初日の出


2009年末から 2010年3月まで.

.
ミンダナオ子ども図書館だより:3月2日

1:ヘアリップの子たちの集中手術が始まった
2:初日は、登録と、ドクターによるチェック
3:翌日から治療が始まる

4:難しい手術の子は病院で単独手術をくり返し完治させる
5:立正佼成会の調査 日本軍の要塞跡での祈り
6:ピキット市長やBDAの役員と、セキュリティーに関しての話し合いをした
7:社会貢献グループ 次長・保科和一氏からのメール
8:日常の風景から

3月2日は、私の誕生日
早朝5時前にみんなで歌ってくれました


全ての子たちの誕生日に、こうしてみんなで歌います
ハラナと呼ばれるこちらの習慣です



初日は、登録と、ドクターによるチェック


ARMMイスラム自治区から応募した
少女と父親


サポートに活躍するスタッフのFeさん
元、奨学生で看護学を修了

ミンダナオ子ども図書館は、本当に僻地の患者たちを支援する。
患者たちは、時には、タガログ語も話せず、文字も書けない。
子どもや孫の、生年月日も定かではなく、出生届も出ていない。

こうした人たちは、サポートがなければ、治療を受けることもできない。
ここでも、スタッフたちが活躍する。みな、ミンダナオ子ども図書館の卒業生たちだ。
マギンダナオ語の通訳をするアスレーさん、患者に話をしたり、ドクターに説明をするFeさんは、看護士だ。
彼らは、現場で本当に頼りになる。



第二回、口蓋手術の青年
小さいときから親に見放されて育った

Feさんの後ろに控えるのは、アスレーさん
言葉が通じないケースも多い
マギンダナオ語をアスレーさんが通訳する




立正佼成会の調査
日本軍の要塞跡での祈り

立正佼成会の方々が、本格的に現地調査を行った。
昨年のゆめポッケ配布で、日本の子どもたちと現地の子たちの交流が、予想以上に好評だった事を受けて、ゆめポッケ記録映像へ!
以前、さまざまな世界の難民地域を巡ってプロジェクトを推進して来られた、保科氏を中心にして
イスラム地域、マノボ地域の状況とセキュリティー調査を行われた。


ピキットの日本軍が作った要塞跡で、近い将来、平和の祈りを開催するのも1つの大きな目的だ。
ピキットでは、今も戦闘が起こって、人々が死んでいくのだけれど、第二次世界大戦では、日本軍がこの地に要塞を構え激戦と成った。
私たちも、活動をしていると、「私は日本人の軍人の血が入っているんです」と、非常に言いにくそうに話しかける人に出会う。
この要塞は、地下に複雑な防空壕を持っているが、今だに、日本政府や慰霊団の調査が入っていない。
現地の人々も曰く、「多くの遺骨が眠っていて、怖くてはいれない。財宝があるという話もあるが・・・」

ここにお連れしたとき、ちょうど太陽が、ミンダナオの湿原の彼方に沈むときだった。
立正佼成会の方々は、思わず手を合わせて拝む。
英霊たちに導かれてこの地に来たのだという想いが巡る。

日本軍、フィリピンの人々、MILF、MNLF、政府軍
そして、地元の家族や子どもたちが、今もこの地で、戦争の被害を受け続けている。
その全ての魂に、鎮魂の祈りを捧げたい。

私も父から聞いた話だが
叔父、父の兄もフィリピンの地で戦死している。
時々、私もその叔父のことに思いをはせる。
「こんな素朴な人々や、子どもたちのいる美しい地で、なんで戦闘などしなければならないのか」
そう思って死んでいったのだろう。

叔父は、従軍医で、スペイン語も良くできて、
若くハンサムでもてたらしい????
そんな叔父の魂に呼ばれて、こんな地に来て、平和を作る活動をするはめになったかなと
ふと思うときがある。

ピキット市長やBDAの役員と、セキュリティーに関しての話し合いをした


BDA(バンサモロ ディベロップメント エイジェンシー)の方々と


ピキット市長、DSWDのグレイスさんと話し合い



立正佼成会
社会貢献グループ 次長
保科和一氏からのメール
謹啓、
 ミンダナオから帰国して早くも一週間以上が経過してしまいました。
この度の「ゆめぽっけ親子隊」下見調査では、急なお願いにもかかわらず、
事前から当日まで大変に行き届いたお手配を賜り、誠にありがとうございました。
お陰様で、大変に多くの学びと収穫を得ることが出来ました。

 下見調査の主なテーマは、
@事業目的に照らしての訪問地の適正とA現地の安全調査の二つでした。
以下、大変僭越ながら思うところを申し上げます。

@「事業目的に照らしての訪問地の適正」について
 「親子の手づくりによる『ゆめぽっけ』を直接手渡す行いを通して、
紛争や対立で傷ついた世界の子どもたちに、まごころと友情の支援をすること」
そして「現地での出会いを通して、自分たち自身が
いのちを尊ぶ心や思いやりの心を育む」という訪問の目的に照らし、
以下の点で大変に相応しく、大きな価値があると思いました。

 先住民マノボ居留地、ムスリム地域、クリスチャン地域のどこをとっても、
紛争や抑圧の影響にさらされ、日々の食事を得ることも十分でなく、
ましてや医療や教育に関しての保証が希薄な環境で生活している
多くの極貧の家族と子どもたちがいる。
MCLは日頃の地道な地域コミュニティーとの接触により、
人びとの生存と生活のニーズを把握し、堅実な物資配付の姿勢と能力を持っている。

 社会的、経済的に大変厳しい生活条件の中でも、
家族や共同体の仲間が自然の恵みに生かされ、互いに寄り添い、
支え合いながら生活しており、彼らとの出会いから日本の親子がまなぶことは多い。
さらに、地元先住民・モスレム・クリスチャンの人々が
共に尊重しあうMCLの生活は、
本会が目指す理想を実現しておられるものでもあります。
なによりも、MCLのお子さんたち・スタッフの皆さんとの出会いは宝であり、
必ずや大きな感動を生むと信じます。

A「現地での安全調査」について
 安全調査チェック項目として、
「紛争・テロ行為との遭遇」「犯罪(強盗その他)被害」
「暴動の発生」「誘拐被害」さらに「危機回避の事前の手立て」
「安全に関する最新情報収集」「危機発生時の対応・脱出方法」
などに留意して行程を過ごしました。

 MCLの危機管理は、地元の各コミュニティーに深くしかも偏り無く溶け込み、
地元行政・NGO・住民との信頼関係を築き、
現地住民による最新で生の情報を随時更新しつつ、
紛争当事者間のバランスに配慮して進める方法とお見受けしました。

現地コミュニティー出身者の同伴に護られながら、自分たちが何者であり、
何の目的で訪問するのかについて、また敵意が全く無く、
友好協力のために来ていることを知らせつつ現地入りする。

これらの方法はMCL独自のものであり、私には大変に新鮮でした。
そして、信頼に値するものであり、大変心強く思いました。
実際、今回訪問した私たち三人は、殆ど危機を感じることなく
安全に行程を終えることが出来ました。

しかしまた、私は、このことを決して安易に考えてはおりません。
安全であったのは、あくまでもその条件を作り出してくださった
松居さん・大渕さん、長時間車の荷台に乗って私たちを護ってくれた
お子さん方を始めとするMCLの方々のお陰様であり、
当然の如くそこに安全があったのだとは思いません。 

 もう一方のチェック項目は、
「疾病・感染症」「衛生(水・食事・就寝・トイレ)」「医療環境」
「移動手段」「気候」等です。
これらについては、訪問するこちら側が、
事前準備をし注意すべき点を心得て現地に入れば、概ね問題無しと思います。
とりわけ水は清らかで、手づくりの食事は大変に美味しく頂きました。

 私は、これまでにも色々な国を訪問し、様々な出会いに恵まれましたが、
今回の旅は本当にめったに無い豊かな実りを頂戴しました。
「貧しい途上国」という私の単純な見方は訂正を迫られました。
美しい自然の豊かなる恵み、街中のマーケットに溢れるばかりの山海の品々、
そして何よりも、人々と子どもたちの優しく温かい笑顔に触れました。

本来は豊かである土地に住む温和な人々が、
自分達の望んでいない対立と争いに巻き込まれ、
貧しく不安定な生活を余儀なくされている。
そして、分かち合い、支えあって日々を生きておられるのだと知りました。

 MCLのお子さんたちの歌は、聴く人の魂に響く奇跡の歌です。
お世辞ではありません。
最終日に訪れたマロンゴンは
多くの人びとが心の奥にしまってある南の天国の姿です。
ピキットの日本軍要塞跡での慰霊供養は、キリスト教の愛に導かれ、
仏教の慈悲の心を多くの御霊に捧げる尊い機会を頂きました。

 あらためて松居さん、奥さん、大渕さんはじめ
MCLの皆様に心から御礼申し上げます。
                              合掌

立正佼成会
社会貢献グループ 次長
一食平和基金 事務局長
保科和市



















日常の風景から
この、何の変哲もない日常生活の中に
ミンダナオ子ども図書館の
本来の姿がある。
今年から、大学生の教育学専攻の奨学生に数名
MCLに住み込んでもらい、家庭教師をしてもらうことになった。


必殺、連続シラミ捕り作戦の開始
戦争や貧困が日常の風景にならず。こうした風景が日常になりますように・・・






ミンダナオ子ども図書館だより:2月7日

1:北九州小笠原ライオンズクラブ寄贈の保育所が完成した
2:読み語りが終わって署名式
3:スカラシップ調査が続く
4:サトウキビ刈りに駆り出される子どもたち
5:医療も絶え間なく続く
6:ムスリムデー(マギンダナオデー)が終了
7:財団法人 北野生涯教育振興会の島村さまも参加
  12人の奨学生に授与式をされた

8:ミンダナオ子ども図書館の新しいボードメンバー
9:山田順子さんの死を悼んで

おめでとう!二人の奨学生が、看護士の資格試験に合格!
Charie Magne TANCIO
Jenny Rose FARE
上記の二人が、卒業後、看護士の資格試験に合格しました。
これで4人の看護士が、ミンダナオ子ども図書館から巣立ちました。
支援者の方々、ありがとうございます!


北九州小笠原ライオンズクラブ
寄贈の保育所が完成した

北九州小笠原ライオンズクラブの保育所が完成した。予算額から、50万円を寄贈してくださり、一回り大きくて立派なものになった。

(急遽でしたので、窪田まゆみ様の予定だったボアイボアイに建設しました。
窪田まゆみ様の保育所は、2月下旬から別の場所に建設を開始いたしますので、ご了承下さいませ。)


上右二枚の写真は、今回のライオンズクラブの保育所(50万円)。右は、通常建設している保育所(30万円)。
違いは、一回り大きくなっているのと、窓にガラスサッシが入っていること。
そして屋根が青くペンキで塗られ錆びにくく、裾のコンクリートも白く塗られていて美しい。

普段は右で十分なのですが、記念などに少し美しく屋根が錆びに強いものをご希望でしたらいつでもご相談にのります。

保育所建設支援は、建物だけではない。椅子と机も寄贈する。
椅子は、プラスティックを避けて籐で作られている。田舎でも修理が利くためだ。

ボアイボアイは、非常に貧しいマノボ族の集落だ。
NPAゲリラの活動する地域としても有名で、ときどきコマンダーから声をかけられたりする。
もちろん、彼らもMCLの事は良く知っていて好意的だ。
私たちは、ここから小学校、高校のスカラーを採っているが、もうすぐ大学生も出てくるだろう。
ミンダナオ子ども図書館との関係を持つことで、この村が少し明るくなった。

今日、初めて読み語りをする、奨学生たち。
毎週日曜日の夜は、みんなで読み語りの練習をしている。
英語やタガログ語の勉強にもなるし、人の前でも怖じけずに表現できるようになる。
最初は、恥ずかしそうに。
でも、お兄さんお姉さん(先輩)の読み語りをいつも見ていて、アドバイスも受けているのでけっこう上手だ。

読み語りが終わって署名式

落ちこぼれたような村に、美しい保育所が出来ることで、どれだけ村人の気持ちが明るくなることだろう。
明日から、子どもたちの歓声がひびく、ボアイボアイ集落


今後の建設予定
松岡なつめ・・・グマイ、窪田なつめ・・・カヨパトン
藤岡市私立幼稚園協会・・・プノル  久岡隆行・・・ケロハス
  STUDY UNION関・・・カティラカン  京都暁星高校・・・   
多湖ファミリーと親戚・・・プロックM  多湖ファミリーと友人・・・カバサラン




スカラシップ調査が続く

 今年の小学校の里親奨学生を選考する対象地域は、
反政府勢力NPAの活動が活発で、戦闘が絶えない山岳地域から2カ所選んだ。
 1,アラカンのマノボ地域
 2,マキララの移民系山岳地域

 さらに戦闘の続くイスラム地域から、ピキットの山岳地域とARMM(イスラム自治区)に属し、MILFの強い2カ所。
 3,湿原沿いのサパカン集落
 4,山岳沿いのセニオマラウ集落

 そして、昼はゴミを拾って、深夜は物乞いでさまよう
 5,ストリートチルドレンたち
父親もいず、食べるのも困難なマノボ族の子たち
母親が、必死で娘を育ててきた。それでも、大学は夢のまた夢。
思いがけないスカラシップに泣き出す子たち。
山のマノボ族の子たちの家庭調査は、山登りから始まる。


サトウキビ刈りに駆り出される
ウオーターフォールの子どもたち
サトウキビ刈りにプランテーションに駆り出され、学業をストップ、
スカラシップを続けることが困難になった子たちを
ソーシャルワーカーのカティーと調査する。
こうしたケアーも重要な仕事だ。
彼らの生活環境は劣悪だ。下は、サトウキビ刈りの労働者が過ごしている宿泊施設??
ようやく、いなくなった奨学生の両親と会えた。
しかし、彼らもいなくなった娘の事も、居所も知らなかった。
両親を交えて、調査は続く。


医療も絶え間なく続く

新年度に入って、次々に患者が運び込まれてくる。
医療というのは、不思議なことに時期があるようで、ドッと増える。
年額120万円(月10万)の医療費を充てているが、一気にオーバーして予算を使い果たしてしまった。
年度累計額は150万に達しようとしている。高額な手術がいくつか入ってきたためだ。

歩けない少女のために、特性の車椅子を作った。
小型で、小水が出てもだいじょうぶだ。
半年前から、急激に瘤が出来てきた少女
歯の位置にも奇形がある。
一度の手術では完治は不可能。
交通事故の若者も運び込まれる。プロック8の子で、もちろん両親に医療はだせない貧困だ。



ムスリムデー(マギンダナオデー)が終了

今年のムスリムデーは、テーマが結婚式
BDA(バンサモロ デベロップメント エージェンシー)のスタッフの方々も
アドバイザーとして参加された

財団法人 北野生涯教育振興会
の島村さまも参加
12人の奨学生に授与式をされた

スタンレー電気が母胎の財団法人 北野生涯教育振興会
日本製の多くの車は、スタンレー電気のライトで世界を走っています。
その北野財団が、ミンダナオ子ども図書館の大学生を12名、支援してくださることになりました。
そのほとんどが、苦労しているワーキングスチューデント
日常は働きながら、夜間や週末に大学に通ってくる苦学生たちです。

スタンレー電気の皆さま、そして財団法人 北野生涯教育振興会の皆さま
このような戦闘のある僻地にも、灯りをともしてくださってありがとう!
いつでもまた、いらしてください。





山田順子さんの死を悼んで
日本事務局をお一人で支えてこられた、山田順子さんが亡くなられた。癌だった。昨年のクリスマス前。
季刊誌『ミンダナオの風』表紙より

新しい事務局は、大渕みほ子さんで出発。さらに充実させていく予定です。
今回の季刊誌『ミンダナオの風』は、この事を中心に書きました。
下記をクリックしていただければPDFで読むことが出来ます。

季刊誌へGO!

順子さんの遺志をついで私たちは、
ミンダナオ子ども図書館の日本事務局を、
さらに本格的に立ち上げていきます

1、日本事務局長に、ミンダナオでのNGO活動の経験豊かな
大渕みほ子さんを抜擢しました。


  すでにHP『ミンダナオ子ども図書館だより』で執筆していただいているので、
 ご存じの方もいらっしゃるかも知れませんが、大渕さんは、
 長くミンダナオのピキット、イスラム地域と関わってこられた方です。
 ミンダナオへの関心も思い入れも深く、MCLとも活動を共にしてきた関係で、
 私たちの活動も良く理解しています。
  お父さんは、プロテスタントの牧師さん。
 ご主人は、三鷹の国立天文台の技術者です。思春期の頃から、
 宗教対立に関心を持ち、立教大学の大学院で
 論文「紀要 2006 年5 号 - フィリピン・ミンダナオ紛争におけるNGO の役割
 ●大渕みほ子 - 立教大学大学院独立研究科 21 世紀社会デザイン研究科」を発表。
 (サイト検索:「ミンダナオ紛争」で探せます。GO!
 
2,日本事務局の日本法人化を早急に


  繰り返し議題にあがりながらも、山田順子さんのご病気などで、
 のびのびになっていた、NPO法人化を、大渕みほ子さん中心にして、
 早急に進めていきます。
  ミンダナオ子ども図書館は、フィリピンのNPO現地法人ですが、
 日本での支援者は1500名を超えます。
 少しずつ人々にも知られるようになり、社会的な役割を考えても、
 法人化は必然的な流れだと思います。
 すでに去年、ボードメンバーの選出も終えて、今年こそNPOとして登録させて、
 日本での新しい活動基盤を確立します。

3,支援者への対応も迅速、充実

  驚かれる方が多いのですが、今まで日本サイドの仕事は、
 ほとんど松居友一人で、現地でこなしてきたのです。
 しかし、お礼の葉書の発送や寄付確認の問い合わせに対する対応が、
 遅いという批判を免れることは出来ませんでした。
  理解のある方は、「現地であれだけの活動をしながら、
 良くまあ、一人でなさりますねえ。」と同情されたものです。
 しかし、これからは、日本事務局がMCLの強い見方。
 支援者への対応も迅速、充実させていきます。

4,日本の若者とミンダナオの若者たちの、接点になる事務局を!


  時代を見ると、日本の人々がミンダナオの若者たちを支援すると同時に、
 心の問題、貧しくとも強く明るく生きていく方法など、経済支援は出来なくとも、
 ミンダナオの若者たちが、日本の若者に、心の支援を開始できる時が来たと思っています。
  日本事務局を中心にして、国際交流の輪を広げていきたいと思っています。
 その点でも、大渕みほ子さんは適任で頼りになります。
 旅行業の資格も持ち、旅行会社とも契約。
 団体の訪問は、現地を知っている彼女を通してお願いします。
 個人やグループの訪問も、相談してみてください。
 航空券やホテルの手配もOKです。

5、日本事務局の住所や電話が変更に!

日本事務局住所:〒207-0022 東京都東大和市桜が丘4-261-1-505
携帯電話:090-8105-3948  メール:japan.mcl@gmail.com(大渕みほ子)
MCL 日本事務局電話・FAX 番号:042−511−7246

季刊誌では、大渕さんのご挨拶の記事も読むことが出来ます。季刊誌へGO!







毎日新聞記事
もうご存じの方もいらっしゃると思いますが、毎日新聞の「ひと」欄に掲載されたので
皆さんにもご紹介します。出発の頃には、朝日新聞の「人」欄にも紹介されましたが・・・

これをきっかけに、MCLのスカラシップ支援者が増えてくださればうれしいのですが。
http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20091218k0000m070141000c.html

ひと:松居友さん ミンダナオ島で子供たちを支援する

 フィリピン南部・ミンダナオ島で、貧しい子供への本の読み聞かせや奨学金支援などを6年前から続ける。異なる宗教、民族が同居する島で見つめた絵本の効用と、子供同士の触れあいの大切さを、一時帰国した祖国で訴えた。

 出版社の編集者を辞め、講演などで暮らしていた8年前、うつ状態になった。「気分転換に」訪れたミンダナオ島で、貧困の中、生き生きとした子供たちに心を癒やされた。だが、1年後に再訪した島で、子供たちに笑顔はなかった。武装勢力と政府軍の戦闘は、子供たちから親や家を奪った。

 「自分は子供たちに救われた。今度は自分の番」。頭に浮かんだのは、編集者として手がけた絵本だった。

 1年の大半を島で過ごす生活が始まる。毎週末、支援する子供たちを連れ、島内の山村を訪れる。イスラム教の子が先住民族の子に絵本を読み聞かせたり、移民の子が読み手になったり。「最初は相手を怖がることがあっても、子供たちはすぐに打ち解ける」

 日本からの寄付を基に、医療資金や奨学金の援助も行う。昨年、洪水の被災地で、難民キャンプから女の子が走り寄って来た。以前、医療支援で手術が成功した少女だった。「ありがとう」が言いたかったという。小さな喜びの積み重ねが活動の原動力だ。

 この秋、日本に滞在しながら各地で講演した。近い将来、ボルネオ島やタイにも活動範囲を広げるのが目標だ。【宮川裕章】

 【略歴】松居友(まつい・とも)さん 東京都出身。フィリピン人の妻と2女。日本文芸家協会に所属し、「絵本は愛の体験です」などの著書がある。56歳。



ミンダナオ子ども図書館だより:1月10日

1:スカラシップの調査を開始した
2:私たちが学校に行けるように支援をお願いします!
3:アルバちゃんを訪ねた
4: 《星に導かれて》   山元 眞
5:元旦、年明けの勉強をした
6:山元しんぷさん、お別れの日、温泉の流れる滝に行った
7:そしてお別れの日


スカラシップの調査を開始した

 今回、私たちは、山岳地域のNPAの村を訪ねた。
 入り口は、ミンダナオ子ども図書館の農場からで、普通見れば、どこが入り口かもわからず
 この様な場所の奥に、人が集落を構えているなど、外部者にはわからないようになっている。

 行ってみると、別に普通の人たちで喜んで迎えてくれた。
 もちろん、マロゴン村の役場の人など、現地の人が同行する。現地の学校に通っている、ミンダナオ子ども図書館の若者たちも。
 総じてこうした場所は、隠れた人と自然のパラダイスのような平和を感じる。


マキララは本当に山深い。MCL農場のあるマロゴン村まで、まずは4WDでようやく到達。
そこから、本格的に山に入っていく。この様な奥に、集落があるなどとは思えない。あえて隠された場所に集落を作る。

到着して早速調査を開始
今回の子どもたちのリストは
現地の小学校の先生の協力や
現地の奨学生の協力を得た


病気のお母さんを囲んで




生活状況は非常に厳しい
自分たちの土地はなく
他人の土地に
住まわせてもらいながら
日雇い仕事を請け負っている

年齢の割には
考えられないほど小柄で痩せている
栄養が足りないからだ!


現地の人々との良好な関係が無ければ、この様な土地に足を踏み入れることは不可能だ。
ぼくたちは、マロゴン村に保育所を寄贈し、MCL農場に、5人のスカラシップの男の子を置き、彼らが小学校に通っている。
年齢は高い子たちだが、地元の小学校で、級長などになって活躍。

彼らは、どの子が困窮しているかを正確に把握している。
また、こうした地域の学校の先生も、スカラシップ候補を綿密に選び出し、推薦し、調査に同行してくれる。
そうした協力が無ければ、とても入れないNPAの活動地域。

今回、マロゴン村に高校を建てる計画があり
山元しんぷさんと、Mの会で
1ヘクタールの土地を寄贈
高校がないと、この地域の子たちは
ほとんど学校に通えない
ここに高校が出来ることで
将来は、地域の発達に
大きな助けになろう

日本政府の草の根資金で
建設できないだろうか
日本からワールドフードを経た
食糧支援は来たが・・・
小学校もコンクリートは4クラスのみ 2時間も山を登って、やっと奨学生候補の家に着いた


2時間もかけて、山頂に近い家に着いた
誰もいない。
小一時間立つと、
4人の子どもたちだけが帰ってきた。

帰るとすぐに、仕事を始める。
まず、山羊を移し
ゴミをかたずけ
椰子の汁をあつめ
ゴムの汁を絞り始める
本当に、しっかりした子たち
しかし、ほとんど裸足に近い生活だ







部屋には何もないが
壁に、日本の国旗が見えたので
よく見ると

「世界食料機構」の文字のしたに
「日本のひとびとより、支援」と書かれている

話を聞いてみると、このマロゴン村に、昨年末に日本から、世界食糧機構ワールドフードを通して米の配給が数ヶ月あったという。
とても助かったのだそうだ。滅多に米は食べられないから・・・・

JICAさん、結構やりますね。良くこんな所まで・・・それにしても、どうしてここがわかったのかなあ?
NPAの活動も活発化し、イスラム部隊も入り、さらに難しい状況を現地はむかえようとしている。
下山は、別の子を調査するために
別の道を下った。
こんな山の中に、網の目のように道がある。

この子のお母さんは
家出したまま別の夫を持ち帰らない。
お父さんと二人で、深い山の中で暮らし
うけおいの森番をしていた。
先生の推薦だけあって
貧しいけれども
学業に関する興味は高く
成績も良い

推薦された子のなかの数名は
父さんがいない子だった。
国軍との戦闘で殺されたという。
反政府勢力の村だから・・・




一日ではとても調査できず、マノゴル村でその夜は泊まった
電気のない暮らしも乙なもの?
石油の灯りで学ぶ奨学生たち


翌日は、MCLのソーシャルワーカー
カティも加わり調査を続行。

この子たちには
お父さんが居ない。
お母さんは日雇いをしながら
子育てをしている。

イスラム部隊が駐屯した地域の近く
来年は、そちらの村にも行ってみよう。
イスラムの奨学生たちといっしょに。

調査は一日では足らず、翌日も続けた。
翌日、ミンダナオ子ども図書館のスタッフとソーシャルワーカーが、血相を変えてやってきた。
「携帯は届かないし、夜帰らないものだから、MCLは大騒ぎだったのよ!
てっきり誘拐か殺害があったと思って・・・・」
一泊すると話してきたつもりが、伝わっていなかったらしい。
とにかく無事であることを見て、ホッとしたようだ。
そう言う場所ではあるのだけれど・・・・スミマセン!

右写真、遠くにイスラム集落が望める。
この右手奥の谷に、駐屯している。
かつてイスラムの土地をクリスチャン市長が手にいれたが、それを奪い返して駐屯した。
ピキットから来た者もいる。
マキララ地区は、行政とアメリカのドール資本の癒着が強く、
行政からの依頼を受けた国軍と、それに対抗するNPA(新人民軍)との戦闘も絶えない。
今後、拡大しなければ良いのだが。



こちらは、バゴボ族の村
ここの子どもたちも奨学生候補に

貧しい村にもかかわらず
成績も良く
がんばっている子が多い
スカラシップに選ばれて
突然泣き出した少女

病気と貧困で2年間
学業を停止して新たに開始

本当にがんばっている
様子がわかる

まだ、小学校だが、
高校にも行けるよ
と、話したとたんに泣き出して
涙が止まらない。

がんばれば大学まで
行けるからね
と言ったら、
呆然としていた。




アルバちゃんを訪ねた

かつて難民キャンプにいた少女、アルバちゃんを訪ねた。
あまりにも衰弱した様子に驚いて、山元しんぷさんのグループMの会で、ミルクの支援をした。
その後、戦闘も終息して村に帰ったと聞いていた。
今回、ピキットのDSWDの協力を得て、彼女の家を訪ねた。

アルバちゃんは、思ったよりも元気だった。
体つきも、少ししっかりしてきたように見える。
山元しんぷさんが声をかけると、微笑んだ。目も見えないのだが、ちゃんと覚えているのだ。

祖父母と近所の人々が、共に面倒を見ている。
イスラムの小さな村・・・
そこでは、ちょうどアラビア語学校が始まっていた。

《星に導かれて》
  山元 眞


 夜中にMCL(ミンダナオ子ども図書館)に着いた。朝目覚めて最初に会った子に驚いた。
 わたしが今のわたしになる大きなきっかけを与えてくれた子どもだったから。

 2005年の11月末から12月にかけて初めてMCLに行った。
 教会の創立50周年を機にミンダナオ支援を始めた。
 その祝いに松居さんご夫婦を招待した。
 急に、ほんとに急にミンダナオに行きたくなり、帰国する松居さんに付いていった。

 いろんな村を訪ねてまわったが、夕暮れ時にその日最後の村を訪ねたとき、
 ぼろぼろの車をいち早く見つけて駆け寄ってきた子どもがいた。
 頭に大きな傷跡があった。
 こぼれるような笑顔で、車を降りた松居さんに飛びついてきた。
 その時、松居さんが話してくれたことと、あの笑顔を今でもはっきり覚えている。

 「この子はこの村で最初に医療を受けた子ども。
 この子が医療を受けて元気になって、この村に明かりが灯った。
 希望のない暗い村全体が、この子一人が元気になることで村全体が明るくなった。」

 プロック8(エイト)と呼ばれる村。この村の名前?だけは最初から覚えていた。
 その時から、「こんな小さなことをしても大して役に立たないのではないか」という疑問が消えた。
 今回、最初に会ったのが、その時の子。ボランティアの原点みたいなことを思い出した。
 「一人の子どもが救われることで、村全体が明るくなる。」
 このことを思い出すとき、いつも同時にマザー・テレサの言葉も思い出す。
 「わたしたちがしていることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
 でもその一滴の水があつまって大海となるのです。」

 帰国する日の朝、キダパワンのカテドラル(司教座聖堂)で朝7時の英語ミサを共同司式した。
 この日は公現祭。キリストの救いが一部の限られた人たちだけのものではなく、
 全世界に人たちにまで及んでいることを記念し、祝う祭日。

 ミサの中で三人の占星術の学者が星に導かれて幼子イエスを訪ねた聖書の話しが読まれた。
 朗読をじっと聞きながら、ヘロデ王に尋ねた言葉が腹の底に落ちた。
 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。
 わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

 今回の訪問の目的のひとつがアルバちゃんに会うことだった。
 2008年の夏の紛争で避難民となったアルバちゃん。
 ほとんど飢餓状態だったアルバちゃんがどうしているのか。

 2008年の12月31日に避難民キャンプに訪ねてから一年。松居さんに尋ねた言葉
 「アルバちゃんはどこにいますか」と三人の学者の言葉が重なった。
 「アルバちゃんはどこにいますか」という言葉が「キリストはどこにいますか」という言葉となって、
 その言葉がミサの間中、心に中で響いていた。

 アルバちゃんはイスラムの小さな村に戻っていた。
 帰国する前日、アルバちゃんに会いに行った。
 家に入ると部屋(一部屋しかない家)の隅にアルバちゃんが横たわっていた。
 手を握って声をかけるとニコッと微笑んでくれた。そのことを思い出し、ミサの間ずっと考えていた。

 言いすぎだろうか…。キリストがそこにいた。アルバちゃんがキリストだった…。
 「この子にしてくれたことは、わたしにしてくれたこと。」(マタイ福音書25章40節)
 わたしは神父だが、神父が人を救うなどということはウソで、
 救われていることに気づくことが神父であることなのではないかと、今、思う。

 宗教、民族、文化、育ちなど、あらゆる違いがありながら、
 平和に暮らしているMCLの子どもたちを見ていると、
 ここにこそ、本当の平和があると…今回もまた、その思いを強くした。

 プロック8で会った子との再会で始まった今回の旅。
 イスラムの村の家の片隅にころがるようにして横たわっていた
 アルバちゃんを見つけて終わった今回の旅。
 こうして星に導かれた旅は終わった。
 うれしかった。とても。


アルバちゃんのいる
イスラムの村では、アラビア語学校が始まっていた

アルバちゃんの村のアラビア語学校。
小さなきれいなモスクに隣接して、子どもたち、大人たちも集まって、熱心にアラビア語のコーランを勉強していた。
ここの村は、半年以上、去年は避難民になっていた。それでも、明るさを失わない子どもたち。
モスクも新しく建立されたようだ。青空にモスクが青く輝いていた。

イスラム教徒の新年は、12月18日。一般の正月は祝わない。
1月2日も、アラビア語学校が、平日通り行われている。金、土、日が授業の日だ。
ちなみに、公立学校を彼らは、イングリッシュスクールと呼ぶ。
スタッフのノライダさんやアスレーさんは、帰省する事もなく、ミンダナオ子ども図書館のクリスマスや正月をサポートしてくれた。




元旦、年明けの勉強をした
仕事始めという言葉があるが、元日にわずかでも良いから勉強する。
私が大学の頃、父が、元日に書斎机に向かっていたので、「元日から仕事をするの?」と聞いたら、
「わずかでもこうして机に向かい、原稿を書くのさ。一年の計は元旦にあり」と言った。
本人が覚えているかどうかは知らないが・・・
ストリートチルドレンもいっしょに勉強した。女の子を除いて、一年生も終えていない。
少女だけは、4年生だが・・・


山元しんぷさん、お別れの日
温泉の流れる滝に行った

久しぶりに温泉滝行った。
無料で入れる滝と温泉。
向こうに見える滝壺の左の崖から、ボトボトとお湯がしたたり落ちている。

流れる川の底からも、お湯がにじみ出ていて温かい。
さらに、手前の岩間には、こぼれ出るお湯をためた温泉がある。
結構、温度も熱くて体中が暖まる。

周囲は、全くの原始のジャングル。
岩で囲った温泉以外は、手つかずの自然だ。
滝壺の水も、温泉のおかげでいくぶん温かく、滝壺で泳いでは温泉に浸かる。
溜まった疲れがお湯に溶けて、体がいくぶん軽くなる。

そしてお別れの日





ミンダナオ子ども図書館だより:2010年元日

1,行橋カトリック教会から、山元眞神父さんが来られた!
2,今回は、乗り合い舟にのって、イスラム地域のナブンダスを目指した。
3,読み語りが終わり、行橋カトリック教会から送られてきた古着を配った
4,クリスマスの夜は、みんなでキダパワンの街に花火を見に行った!!!

5,ストリートチルドレンの子たちの家を探し訪ねて・・・
大晦日の夜の新年ミサを村のチャペルで!
7,クリスマスに海に行った


行橋カトリック教会から
山元眞神父さんが来られた!
今回で、5回目のミンダナオ子ども図書館訪問。
忙しいクリスマスのミサを終えて、一足飛びでミンダナオへ。
神父の仕事は激務だ。精神的ストレスと幼稚園の園長も務めているので、年末はヘトヘト・・・・

福岡の行橋カトリック教会を、同僚のボリビア滞在の神父さんにまかせて、とにかく逃げるように日本を発つ。
飛行機の中では、むさぼるように眠り、今回同行されたなじみの教会員でMの会の山本幸子さんが声をかけても
寝言のように答えるだけだったという。疲れている日本人を代表して、肩にしょってやってきた?

ところが、ご本にもおっしゃるように、ミンダナオに着いたとたん(ミンダナオ子ども図書館に着いたとたん)
すっかり心も体も解放されて本来の自分を取り戻した・・・
ミンダナオ子ども図書館、心の回復の旅。


今回は、乗り合い舟にのって
イスラム地域のナブンダスを目指した。



ナブンダスは、リグアサン湿原の
入り口にある集落
集落の面影もない
中州の村だ!

神父が、イスラム地域の、よりによって乗合船に乗り、中州の集落に行っただけでも、地元でも驚くべき事で、
しかも、外国人である日本人が・・・・・・・・
キダパワン教区司祭のジェシー神父も、「よくもまあ!」と言ったきり、開いた口がふさがらない。

地元ピキットのOMI(オブレード会)のライソン神父なら、行くだろう。
「来年もまた、お目にかかりましょう」というと、ライソン神父はこう答える。
「生きていればね・・・」


しかし、この中州の村は、私たちはもう5回目だ。
本当に、原始のミンダナオを感じさせる美しさと素朴さ。
ミンダナオ子ども図書館では、市川鉄子さまの寄贈で、ここに保育所を建設している。

その後も、たびたび訪れては、子どもたちと会う。
来年は、ここの小学生の子たちをスカラシップに採用していこうと思っている。

学校までは遠く、貧しい村で
洪水が起こると、島全体が水の中に沈んでしまう。
そうしたらどうするのですか、と聞くと。

椰子の木につかまったりするのだという。
確かに、魚採りの小舟や、バナナの幹を切った筏をロープで椰子の木に結びつけて
洪水をしのいでいた姿が思い浮かぶ・・・




子どもたちとの久しぶりの再会
毎年来るたびに
子どもたちや村人たちの
表情が柔和になる



山元しんぷさんと
山本幸子さんと
この村出身のスカラーで
大学生のHadiguiaさん
読み語りに夢中になる
子どもたちの姿
街から離れたこうした地域の
子どもたちほど、
真剣で集中する

この顔、何度見ても
美しいと思う。





冨 高 英 徳さま
Hadiguiaさんは元気ですよ
クリスマスプレゼントをありがとう!

読み語りが終わり、
行橋カトリック教会から送られてきた
古着を配った


ここでは、古着も貴重だ
今日は、ミンダナオ子ども図書館が
来るというので
皆、精一杯のおしゃれをしてきた

でも、普段はほとんど
裸足で裸の子どもたち


新年の何よりものプレゼント

古着の他にも
日本から送られてきた
米が入っていた

米は、貴重だ
湿地はあるが
ここで育てられているのは
ほとんどがトウモロコシ

上は、行橋カトリック教会が作ったユニフォーム
背中の天使のデザインは、スペイン在住の有名な画家、九十九(つくも)画伯の制作。
キリスト教徒ではないが、行橋カトリック教会のステンドグラスを始め、壁画のデザインは全て手がけている。

地元のお父ちゃんがそれを着て、山元神父さんと山本幸子さんと記念撮影(背中の)
イスラムの父ちゃんたちも、大はしゃぎだった。

クリスマスの夜は、みんなでキダパワンの街に
花火を見に行った!!!
年末は、キダパワンの街で花火が上がる
ことしも、みんなで見に行った。

ここで、5人のストリートチルドレンに会った。
泊まるところがないというので、とりあえず、一晩ミンダナオ子ども図書館に泊まり
翌日、彼らの両親に会いに出かけた。

思った以上に辺鄙なマノボの村だった。
想像以上に貧困だ。



ストリートチルドレンの
子たちの家を探し訪ねて・・・

町外れに住んでいるのかと思ったら、
町外れの田舎道を車で走り、さらに曲がって奥まで行くと
道が無くなった。

ここからは、歩いていくしかない。
小道を子どもに案内されていくと、何と川に出た。
川を渡って行くと集落とも言えない、場所に出た。

数件のマノボ族が住んでいる。


年をとって、盲目のマノボのおばあちゃんと歓談する。
体はそれほど悪くないし、まだまだ働けると思うのだけど、目が見えなくてね・・・


子どもたちの家は、
家という体裁も無い家もある

ほとんど学校には行っていない


親も、家に居なかったりする。
街に近い親戚の家に
出ているという

クリスマスから新年
彼らにとっての稼ぎ時
つまるところ
物乞いのシーズンなのだ
かろうじて親がいる子の、親に話を聞くと、
この子たちはもう、11月から、家を出たまま、どこにいるのかもわからなかったという。

途中で、ゴミの山の子たちにも手を振っていたし
そのようすからして、物乞いをしながら、街のゴミを拾って生活をしていたらしい。
たくましいといえば、たくましいのだが・・・・

子どもたちの希望もあり、親戚や親の承諾を得て、正月をミンダナオ子ども図書館で過ごすことにした。
彼ら曰く「ミンダナオ子ども図書館は、天国みたいだ!」


大晦日の夜
新年ミサを村のチャペルで!
ミンダナオ子ども図書館のある、マノゴル村には、チャペルがあるが神父が不在だ。
山元神父さんが、新年の大晦日のミサをあげてくださった。
村人たちは大喜び!

本当に暖かに晦日の夜が更けていく。
新年のミサは、ローマ教皇の出す、平和のメッセージが土台になる。
今年のメッセージのテーマは、「神の創られた被造物を守ることと平和」

深い意味での環境と平和がテーマだ。
山元神父さんの温かい人柄と、心のこもったわかりやすい説教。
自然界のスピリットにも言及した話は、大いなる共感を呼んだ。

こんなに暖かなミサは滅多にない。

その夜は、ストリートチルドレンの子たちもいっしょに食事をし
ミサにも出て、元旦を祝った。



クリスマスに海に行った

クリスマスからお正月のシーズン、里帰り出来る子たちは、故郷にもどる。
親がいなくても、親戚の家に帰る子もいる。
ミンダナオ子ども図書館の若者たちが、ポツリポツリとかけていく時が、残っている子どもたちにとって寂しい時。

ミンダナオ子ども図書館に年末年始、残っている子たちは、親がいなかったり、居ても何らかの理由で帰れない(帰りたくない)子たち。
彼らの心が寂しさで沈む時でもある。
この様な時期に、読み語りなどのプロジェクトを実行したり、日本からの訪問客がいると気持ちがだいぶ違うのだが、
毎年、この時期を見て、海に泳ぎに行くことにしている。
それこそが、居残り組の特典??

クリスマスが終わると、ミンダナオ子ども図書館にもどってくる子たちもいる。
とりあえず、親戚や家族で顔を合わせて、また、大好きな?ミンダナオ子ども図書館に帰ってくる。
こちらにいる方がホッとするのだろう。
今年はフェリーボートに乗って(と言っても10分ぐらいでダバオから着くが)対岸のサマール島に泳ぎに言った。



初めて海を見る子もいる
初めて海で泳ぐ子もいる


海にはたくさんの「星」が
落ちていた!


新しく来たスイーツスイーツも
すっかりみんなとの生活に慣れた
支援者も見つかって
うれしさと
ホッとした様子が顔からわかる




左は、一昨年
両親共に亡くなった姉弟

右は、かつて奨学生のタタ君
苦労を重ねて
結婚し一児の父となった

エープリルリンも元気です

右端の写真は、かつて奨学生で自動車工学を学び、
現在、MCLの運転手けんメカニコを担当してくれているスタッフのタタくん。
3年ほど、自動車修理店で働いた後に、MCLに移籍した。

結婚して子どももいる。
こうして、奨学生たちが家庭を持ち、次世代を育てていくのは楽しみでもある・・・





ミンダナオ子ども図書館だより:12月23日

0,クリスマスイブの読み語り
1,日本から帰ったとたん、子どもたちが大喜びで迎えてくれた
2,早速、新たに建設予定の保育所を調査
豊島紀子さま、久岡隆行さま、松岡なつめ様、Stady Unionさま、小笠原ライオンズクラブさま寄贈の保育所
3,今年最後の学生総会:クリスマスパーティーをかねたスカラーズデイ
4,諏訪淑子先生の寄贈で、キアタウに保育所が完成!
5,立正佼成会から送られてきた、ゆめポッケを届けた
6,全国海外教育事情研究会とWE21おだわら寄贈の初等小学校が完成した
7,ブグアック村にも保育所が完成!N.T.さん、ありがとう!


クリスマスイブの読み語り
ストリートチルドレンの子たち

12月23日、街の真ん中の広場で、ストリートチルドレンの子たちをおもに集めて、読み語りをした。
この時期、貧しい子たちは、いっせいに?街を徘徊する。
夜遅くまで手を叩いて、「パスコ、パスコ、クリスマス!」と歌って小銭を集める。

右端の写真の二人の少女。
特に、写真の左の少女。
今はミンダナオ子ども図書館に住んでいるが、つい一週間前まで、街を徘徊していた。
夜の9時近く、屋台で簡単な食事をしているとよってきて歌をうたう。

「学校に行きたいの?」「うん、でもお金が無くて」
「お父さんとお母さんは?」
「父さんは小さい時に死んだ。母さんは、頭がおかしくなっていて、おばさんの所にいるの」
写真の左のスイーツスイーツというあだ名の子が答えた。

ミンダナオ子ども図書館を見てみたいというので、夜遅かったが家をたずねた。
川沿いの貧民地区。
家にはいると、少女が言うとおり、母親は完全な痴呆だった。
叔母が見ているが、病気で、絶えず少女を棒で叩く。

ミンダナオ子ども図書館に来たとたん、歓迎を受けて泣き出した。
「家にいても寂しい、ここに住みたい。」
ストリートチルドレンの子たちに
最後のゆめポッケを配った
ここで、残っていた
最後の
ゆめポッケを配った
ゆめポッケは、
立正佼成会から贈られたプレゼント

中に、学用品やおもちゃが入っている

,

読み語りと炊き出しが終わった後
みんなで遊んだ

大喜びの子どもたち
私たちが想像する以上に
彼らの生活は厳しい

6割ほどが
街に住むイスラム教徒の子だった






 両目に白い膜が出来ていた少女がいたので、「目を治したい?」と聞いた。
 すると、涙をためながらうなずいた。
 さっそく母親を訪ねた。路上で蕪を売って生活をしている。
 学校にも行きたいことがわかった。成績も良いのだけれど、貧しくて学校が続かない。
 「スカラシップの支援者をさがしてあげるからね。がんばれば大学まで行くことも出来るよ」
 と言うと、後ろを向いてしまった。
 見ると、目に涙をいっぱいにためて泣いている。




この子もスカラシップを出すことに決めた
成績も良いしがんばりやだ。

まずは、目の手術をしなければならない
上は、蕪を売っているお母さん

お父さんは、ゴム汁をしぼる日雇い
いつも、仕事があるわけではない

母さんががんばって

生活を支えているが・・・


どなたか、支援者になって
いただけませんか?



支援者が
見つかりました!!




日本から帰ったとたん
子どもたちが大喜びで迎えてくれた!


二ヶ月の日本滞在で
MCLを留守にする。
私も寂しいが、子どもたちも寂しい

帰ったとたん、
大喜びの笑顔で迎えてくれた
うれしくて泣き出す子も・・・


安心して暮らせる
いつもの日常がもどってきた?

私がいない時の方が、
「鬼のいない間に洗濯?」ではないけれど、
のびのびと好き放題しているように
思っていたが
そうでもないらしい。
父親のいない子の孤独感
寂しくて泣いていた子もいたと聞く。
私も日本では寂しいのだが、
ここに帰ってくるとホッとする。

講演を仕事の一部とせざるを得ない、仕事人の悲しさ。
寅さんのようなものだと、いつも思う。

しかし、心から大喜びで迎えてくれる子たちがいるだけで
本当に救われた気持ちになる。

ダバオでは、久しぶりにジョイとアリエルにも会った。

早速、新たに建設予定の保育所を調査
豊島紀子さま、久岡隆行さま、松岡なつめ様、Stady Unionさま、小笠原ライオンズクラブさま寄贈の保育所

さらに5カ所ほど、新たな保育所の建設場所を実地調査した。
豊島紀子さま、久岡隆行さま、松岡なつめ様、Stady Unionさま、小笠原ライオンズクラブさま寄贈の保育所。
必要としている場所はたくさんあるし、ただ、次々に建てていくなら簡単なのだが、
私たちは、村の中でも、周到に調査して、最も困難で、学校へも遠く、貧困や戦闘で困窮している場所をとことん探す。


この地域は、NPA(新人民軍)と呼ばれる反政府組織の強いところだ。
そのようなわけで?かどうかは知らないが、バランガイから2名の銃を持った私兵(その村のお父さん)が同行してくれた。

このように、初回村に入る時には、村人が私たちを良く知らないこともあり
誤解から、事故が起こる可能性も否定できないので、このように、その筋の人たちが同行してくださる事がある。

途中で、鉄砲を持った少年に出会った。
少年兵ではない、晩ご飯のおかずに鳥撃ちに行って来たのだ・・・


しかし、この地域でも、少年に対するNPAのリクルートが多い。
山での戦闘訓練に参加すれば食べられるし、スカラシップを出して学校にも行かせてくれる。
ただし、戦闘がある時には、最前線に立たせられるのも少年兵たちだ。

川の手前で
4WDは、ストップ
山の斜面を歩いて登っていった

こうした山の子たちは
本当によく働き
良くお手伝いをする

牛飼いの少年
水くみの少女
子守の少女
マノボ族のこうした地域は
山岳地であるために、農業事情も良くない。
平地の良い土地を、移住民に取られ
山に追われた・・・
仕事も無く本当に貧しい

左の写真は、父親が死に、
母親は遠くダバオに行ってしまった
小学生の少女

おばさんの所に住みこみながら
3人いる下の子たちの
食事から洗濯まで
彼女がすべて面倒を見ている

私たちは彼女も含めて
この村から10名の小学生
高校生と今度大学に入る子を
スカラシップ候補としてとった

そして、保育所を建設することにした。
建設は、1月から始まる



今年最後の学生総会
クリスマスパーティーをかねたスカラーズデイ

12月最後の奨学生総会。
イスラム教徒もいるので、クリスマスパーティーと言う名を使わず、スカラーズデーとした。
総会が終わってから、クリスマスパーティーは任意で参加する。

彼らの決めたテーマは、「隠された才能の発見」
各々通っている学校を代表して、歌、踊り、寸劇などを披露
いやはや、実に楽しく、またいつもながら、彼らの表現力の豊かさと自由さに喝采



迫真の演技に
涙ぐむ子たちもいる


楽しむ時は大いに楽しむ
明日のことは思い煩わない

今を精一杯生きる

貧しさ故に、培われていく
心の豊かさだろうか。
これらの子たちが、極貧の、また家庭崩壊したり両親がいなくなったり、戦闘地域で避難民化していた子たちに思えない?
皆、逆境にもめげず、精一杯生きている。

日本の子たちに、この元気さをわけてあげたいといつも思う。




諏訪淑子先生の寄贈で
キアタウに保育所が完成!

ミンダナオ子ども図書館は、困難で貧しい地域を選んで活動しているが、
ここ、キアタウは、その中でも最も山深く困難な地域だ。

しかし、私が知る限りでも、最も美しい村である。
雄大な風景も美しいが、
子どもたちの心も純粋で美しい!!!

ここの保育所作りは、困難を極めた。
麓の町で、資材を買っても、車でこの地まで運ぶのが大変。
道が悪路なので、天候が悪いと車が現地近くまで入れない。

さらに、現地近くから、ブロック、砂利、トタンなどの資材を馬で運ぶ。
建設は村人たちの手で・・・・
ゆめポッケ訪問のドキュメントは、こちらをクリック ドキュメントへ

この村に
立正佼成会から
送られてきた
ゆめポッケを届けた




「ゆめポッケ」とは、
立正佼成会が行っているプロジェクトで、
家庭で、母親と子どもたちが、
巾着のような袋を作り、
学用品やオモチャを選んでつめたもの。
それを、世界の難民、
貧困地域に届けている。

ミンダナオ子ども図書館に声がかかり、お手伝いさせていただいた。
2009年は、山に追われたマノボ族の地域に、来年、2010年は、イスラム地域に届ける予定。
手作りであるだけに、一般の物資支援と異なっていて、まごころがこもっていて子どもたちが本当に喜ぶ。
子どもたちだけでなく、親も、感動して大喜び。
なにしろ、ここの子どもたちは、こうした学用品やオモチャを見たことも、さわったこともないから。


全国海外教育事情研究会とWE21おだわら寄贈の
初等小学校が完成した
こちらが、かつての小学校 これが、今回完成させた小学校

ミンダナオ子ども図書館で、初めての、初等小学校が完成した。
初等小学校とは、こちらで呼ぶ、プライマリースクールの事。1年から4年生までの、小学校だ。
おもに山の遠隔地に置かれていて、年齢の小さな子でも、歩いて行かれる距離に建てられている。

ミンダナオ子ども図書館では、小学校建設は経費の関係上不可能と思っていた。
それで、JICAの草の根資金などに応募して建ててきたが、上左の写真の小学校を見るに見かねて
保育所建設応募の2団体で、合計30×2=60万円の建設費で、初等小学校を建てる決心をした。

保育所はDSWD(福祉局)の管轄だが、小学校は文科省の管轄になる。
この地域は、絶えず戦闘にさらされており、反政府的な意識が強いという事で、海外などの支援もまったくなく
そんなわけで、小学校も屋根に穴が空いたままだった。

小学校が出来て、子どもたちは大喜びだ。父母たちも、先生たちも、大喜びだ・・・
今回、ここから、10名の小学校のスカラシップを採用することも決めた。
高校生も数人とる。
かつてのマカブアル同様に、閉ざされた反政府的な人々の心を開いていくための一歩。

今後の重点地域の1つになるだろう。


ブグアック村にも保育所が完成!
N.T.さん、ありがとう!

この村も、山沿いに位置している。
山沿いは、反政府勢力の通り道になっていると言う都合で、政府軍との戦闘がしばしば起こる。
ブグアク村も、その様な村の1つだ。

この村とのおつきあいは長く、大学を卒業したスカラーも出ている。
多くの子たちが、皆さんの支援で学校に行けていて、その意味で、貧しくても夢のある村となった。





ここでも、立正佼成会から届いた
ゆめポッケを配った。
イスラム難民の村では初めて。

絶えず起こる戦闘で、
家族は、山の家を離れて
麓に避難する。

帰ってみると
せっかく植えたトウモロコシも
他の作物も枯れている。

新たに播く種を買うお金もなく
食事にも事欠く生活。
それでも、子どもたちは元気だ。

ここから来た子の高校生8名ほどは、
ミンダナオ子ども図書館に住んでいる。
家からは、学校までひどく遠いし
食事もろくに食べられないからだ。



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