ミンダナオ子ども図書館だより;2010年4月から6月
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ミンダナオ子ども図書館だより:6月12日:

1,帰ったとたん、子どもたちが歓迎してくれた
2,皆で特別にプールに泳ぎに行った
3,カヨパトンに衣料を届けた
4,MCLジャパンの出発
5,MCLジャパンを強力に支える、ミンダナオ支援Mの会婦人会.
6,長崎巡礼の旅



帰ったとたん
子どもたちが歓迎してくれた
新しく今年からMCLに住む子たち。特に小さな子たちが多い。父親や母親、両親がいなくなって、村や親戚に取り残された子たち
こう書くと、重苦しい施設のような感じがするけれども、MCLは本当に開放的で、閉ざされた施設という雰囲気はない。
なぜだろうかとよく考えるし、訪問者からも質問される・・・

考えられる理由の一つは、多様性だろう。
ここにいる子たちは、それぞれが厳しい状況から来ている子たちに違いないのだけれども
孤児だけが集まっているわけでもなく、親のいる子でも、学校が遠い子、極貧で親が養いきれない子
宗教も部族も実に多様だ。

それに、彼らの目的は、学校に行き、ここから社会に巣立っていく事だから、収容されていると言う感じがない。
周囲に、塀もない。実に温かいコミュニティーが生きている。
最近よく思うのだが、
個人も大切だし、それを統合するような全体も大切なのだが、
それだけでは、個人主義か全体主義かと言う事になる。

本来は、個人と全体の間にある見えざる空間が存在し、それがコミュニティーと呼ばれるものだと思う。
祈りで考えると、人と神(唯一の創造神)の間に、愛というコミュニケーションが存在するようなもので、
その見えざる中間の存在は、「見えない」ゆえに、最も意識されにくいものなのだろう。

これは、この世の世界にも当てはまることで
人と自然だけではだめで、その中間に、「見えない」関係が宿り、それを太古から人は精霊と呼んだ。
ミンダナオの人々が、愛を維持していけるメンタリティーを持ち続けているのは、
クリスチャンもイスラムも、マノボ族のような先住民族につながる精霊の感覚を持っているからだと感じるときがある。

精霊は、神と人の関係では、聖霊になる。
カトリックで良かったとふと思うときがある。それは、父と子と聖霊が一つの愛に統合される世界観を感じるときだ。
MCLは、もちろんカトリック教徒は逆に少数派なのだが、カトリックの意味を普遍的ととらえるならば、
MCLは普遍的であるが故に、おおらかで、のびのびとしている?




みんなで特別に
プールに泳ぎに行った!
初めて今年からMCLに住む子たちが多い
生まれて初めてのプール体験に夢中
この子たちの多くは、下のカヨパトン集落から来ている こちらは高校組




カヨパトンに衣料を届けた
カヨパトン集落に作った保育所。いかに山の中かがわかる。
マノボ族の子たちは、普段は、ほとんど裸に近い生活をしている
日本の支援者から届いた古着に、歓声があがった!
こんなステキな服がもらえるなんて!!!

今年は、この地域から12名の里親を採用した。
そのなかの片親や崩壊家庭の子たち6名がMCLに住み込む。
あまりの貧しさに耐えきれなくなってだろうか
村を出たまま、行方がわからなくなったり
他の男性や女性といっしょになって、帰らない親が結構多い
写真のロックサンさんは、今年から奨学生になり、MCLに住み込んで小学校に通う


同行した高校生、大学生の奨学生たち。彼らも貧しい出であると同時に、他の地域の現状を学ぶ良いきっかけとなる。





MCLジャパンの出発

いよいよ、ミンダナオ子ども図書館の日本事務局が、本格的に立ち上がるめどが見えてきました。
すでに5年前、北九州で発足していたミンダナオ支援;Mの会・・・
お年寄りも子どもたちも、そして若者たちも。個人会社の社長さんから大きな会社の経営者、塾の先生
コンピュータの専門家、そして多くのボランティアの方々・・・
仏教の住職さんや神父さん(ベトナム人、フランス人、日本人)
皆さん方が、ボランティアの手弁当で関わり作り上げてきたMの会。
(Mの会は、特定の宗教や宗派にこだわらない会です)
繰り返しMCLにも訪れ、心から子どもたちを愛し、愛されている庶民の方々。

そこから、日本事務局が立ち上がりました。名前も、MCLジャパン
アジアへの玄関口、小倉に本部を置き、庶民的感覚を生かしながら和気あいあいと出発します。
NPO法人化も、意外と早く軌道に乗せることが出来そうです。独自の企画も考えています。
とりあえずメンバーの一部をご紹介します。
全員の写真はまだありませんが、藤瀬さん、山本幸子さん、小田崎さん、おいたてさん、井本さん・・・
理事を含めた構成は、NPO法人化の進行と共にお伝えします。


MCLジャパンを強力に支える
ミンダナオ支援Mの会婦人会
葉書の発送を手伝ってくださる方々
行橋カトリック教会の主任司祭、フランス人の ベリオン・ルイ神父様を囲む婦人会の方々。
それから、ミンダナオ子ども図書館に来られた経験もある、行橋カトリック幼稚園の先生方も支えてくださいます。




長崎巡礼の旅





ミンダナオ子ども図書館だより:5月8日

1,窪田まゆみ様寄贈の保育所が完成
  お米のご飯、食べられた!

2,宮崎朱美さま寄贈の保育所が完成しました
  開所式の後に読み語りが

3,久岡 隆行 喜美子さまマティアス村に保育所が出来ました。

4,第七回創立記念シンポジウム
  「差別を無くして、平和を築き、異なった宗教や部族が、
  一体となって強い絆を作るには」
  インターミッションで子どものための踊りをおどる

5,この子覚えていますかスカラーになりました

6,アリエル君の実験作



この保育所は、山岳のアラカン地域、それも山道を大きくそれた場所。
カヨパトン集落に建った。純粋なマノボ族の集落。
非常に貧しく、子どもたちは、ほとんど全て裸足。米のご飯などは、ほとんど食べられない。

今回は、ここカヨパトンとグマイ、マティアスの開所式を報告。
カヨパトンは、純粋なマノボ集落。
グマイは、マノボと移民系イロンゴ族がまざっている。
マティアスは、移民のイロンゴとビサヤ系の集落。

まずこのカヨパトンを最初に取り上げることによって、開所式の流れをご説明します。


カヨパトンまでは、車で2時間以上かかる
マノボ族の住む山岳地帯は、
過酷なオフロード。

途中で川も渡り
道無き道を行く。
NPAの活動地域としても有名だ



カヨパトン集落にようやくの思いで着いた
村人たちが喜んで迎えてくれる
ほとんどがマノボ族だ




非常に貧しく
着るものもろくにない子どもたち

それでも、笑顔がくったくなく
美しいといつも思う
さっそく子どもたちが、看板を運んでくれた。
自分たちの村に、すてきな保育所が出来て大喜びだ。



子どもたちはみんな、可能な限りの
おしゃれをして集まってきた。
いつもは、裸に近い生活。
服も下着も破れているのだが・・・

先住民の子には
髪の毛が茶色くなっている子がいる
染めたのかと思っている方もいるが
強い日差しの影響で
この様な髪になる


開所式の読み語り

開所式の前に、まずは読み語りを始める
子どもたちが楽しみにしている行事

歌や踊りも交えて読み語りが進む
歌には、必ず
マノボの歌、イスラムの歌、クリスチャンの歌
そして最後に、
平和の歌を歌う



オープニングセレモニー
いよいよ、オープニングセレモニーだ。

セレモニーと言ってもシンプルなもの・・・
必ずフィリピン国歌が歌われるが、
今回は、このさらに奥のケロハス集落で唯一の奨学生
ピティーボーイ君が指揮してくれた
この後、バランガイキャプテン、村の役員、保育士などの祝辞が述べられ
私も、スピーチをする。もちろんみじかーいのを・・・
ほとんどの子どもたちが裸足だ。 保育所は、素晴らしい眺めの高台に作られた

開所式で、ダトゥと呼ばれる種族長が、マノボの歌をうたってくれた。
哀愁に満ちたうたで、イスラムの歌とよく似ている。実にうまく間の手が入って、否が応でも気分がたかまる。

ダトゥのスピーチも感動的だった。
村役員や時には政治家が、この集落に道を作り、保育所や学校建設を約束した。
しかし、未だかつて約束を守った者はいなかった。
このマノボの集落は、見放されたような集落で、移民系のクリスチャンからの差別を受けている。

しかし、ここに、こんなに素晴らしい保育所が建った。
しかも、日本人の友人の支援で。こんなところに!考えられない!
日本の皆さん、ありがとう」

戦時中の日本のイメージも重なったのだろう。日本人という言葉が何度も出てくる。
差別という言葉と共に!

お米のご飯、食べられた!


これがお皿だ
バナナは葉をちぎってお皿にして
みんなで地面にしゃがんで食べる

開所式の前に、山羊が生け贄に捧げられ、その血が入り口と四方にまかれた
沖縄の建前とまったく同じ手法だ。
そして、みんなでお祝いの食事。待望の米が炊かれる。


ご飯のおかずは、山羊のはずなのだが。
一匹の山羊では、全ての子どもたちや人々の手にはわたらない。
山羊は、細かく砕いて、スープにする。山羊の骨をかじり、ひたすらご飯を食べる。
ご飯だけの子たちも多い。
それでも、こうして米のご飯が食べられるというだけでも、ここの人々にとってはすごいことなのだ。





宮崎朱美さま寄贈の
保育所が完成しました


この保育所は、バランガイの中心に生えている、大木の側に建った。
この大木には、妖精が住んでいるという。
こちらには、実にたくさんの妖精がいて、インカントと呼ばれしたしまれている。
大概は、ゲゲゲの鬼太郎に出てきそうな、一風変わった怖いのも多いのだが、
この木の妖精は、トトロのように、気が優しいらしい。


山に囲まれた、実にのんびりした村。
住んでいるのは、マノボ族がマジョリティーだが、イロンゴ族と協働している。
イロンゴ族は、移民系クリスチャンで、そこで、マノボの人たちが、日雇いなどの労働につく。
しかし、マノボの人たちも土地を持ち、共に仲良くやっているようで、マノボの子たちは、イロンゴ語をおもに話すという。
マノボの言葉や文化が消えていくのは、ちょっと残念な事なのだが・・・

開所式の後に読み語りが

大きなトトロの住んでいそうな木下で、私たちは、読み語りをした。
差別感情が少し低いのが、この村の特徴のような気がする。
キダパワン司教区のイタリア人神父、正義と平和の代表もしていたFr.ピーター
頭に赤いバンダナをまき、マノボ族を支援し続けてきた。

かつて司教館に滞在していたとき、円卓で共に食事をしながら話を聞いた。
マルコス時代、政府の刺客に殺害された友人の神父の墓にも行った。
「本当は、自分が殺されるはずだった。刺客は私と間違えて、友人を殺した」

神父のグループが力を入れていた場所でもあって、敬意を表して私たちは、少し距離を置いてきた。じゃましないように・・・
でも、今は、神父も別の地域に力を入れているので、私たちは、ここでの活動を開始。
村人たちは、とても喜んでくれた。



マノボもイロンゴ族も
仲良く生活している様子がよくわかる

馬も牛ものんびりと、
読み語りを聞いている。




久岡 隆行 喜美子さま
マティアス村に保育所が出来ました。

あきこさんの名前が入らなくてゴメンナサイ

マティアス集落は、移民系クリスチャンの集落だ。
貧しい集落だが、マノボ族のように、集団で固まって生活していない。
小さいながらも、各々が土地を持っているので、分散して家が建っている。



これは教会


プレシデントのアスレーさんが
MCLの保育所建設の主旨を述べる

ピキット出身のイスラム教徒と聞いて
皆、ビックリするが
さらに、MCLのプレシデントとして
紹介されると
さらにビックリした顔になる


この方が、保育所の先生
とても熱心に子どもたちを指導している

マティアスの保育所からは、
アラカンを始めとする中部ミンダナオが見渡せる
のどかな田園地域の中に建つ平和な保育所。
ミンダナオがすべて、この様な風景になれば良いなと思う。
マノボもイスラムもクリスチャンも・・・




第七回創立記念シンポジウム
今日は、設立7周年の記念日。
4月の学生総会は、シンポジウムと決めている。

今日の日のために、前回の総会で全員で論議し、学生たちが決めたシンポジウムのテーマは
「Eliminate Discrimination and Promote Peace to strengthen Unity of each tribe」
訳すと、
「差別を無くして、平和を築き、異なった宗教や部族が、一体となって強い絆を作るには」
と言ったところか。
これを書いている朝、奨学生たちが集まり始め、昨日から準備がはじまっていたが、最後の準備に入っている。
高校生、大学生のスカラシップ学生、約200名が集まる。
インターミッションで
子どものための踊りをおどる
単に議論だけ
していてもだめ
議論の間に
マノボ族も
イスラム教徒
キリスト教徒も
手をつなぎ
グループ別に
分かれて
遊戯をした。

こういうときに
部族や宗教を
超えられる
頭で考える
だけではなく
体で実感する
のが大切
最後の総まとめの発表
シンポジウムは、素晴らしいものだった。
「差別を無くして、平和を築き、異なった宗教や部族が、一体となって強い絆を作るには」
このテーマは、若者たちにとって切実なものだ。

部族間の偏見や差別、外国人の見下した対応。
世界で、あちこちで、女中、子守、エンターテイナーとして
苦言も言わず働くフィリピン人。
外国人を、サー、マムといって、自らへりくだり、
雇ってもらう態度には、良い面もあるのだろうけれども???

ここミンダナオでも、宗教の対立、部族たいりつ
無知から来る偏見
怒りをすぐに暴力で現す対応。
様々な問題が身近にある。

日本の若者たちにとっては海外の遠い出来事、
シンポジウムのテーマも、日本で実施すれば
実感の無い抽象論???
 「差別撤廃」「搾取と貧困}「人権平和」
といった議題は、日本では、左翼か部落解放か、
はたまた共産主義者かと思われそうだ。
レッテルを貼るという行為は、セクトとして排除し、
本質から目をそらせようとする行為に過ぎないのだろうが・・・

しかし、ここでは、若者たちが自分たちでテーマを投票決定した。
キリスト教徒にとっても、
イスラム教徒にとっても、先住民族にとっても
日常の切実な問題だからだろう。
これこそ本当は、世界が議論を必要としている
あたりまえのテーマなのだと知らされる。

ごく普通の若者たちが、このごく普通
の問題に、ごく普通の気持ちで熱心に、
議論を重ねていく姿はすがすがしい。
しかも、その合間に、みんなで手を取
り合って、童謡を歌ったり踊ったり。
日本でも、この様な試みは、なされなければならないのかもしれない。
教育現場で無理ならば、お寺とか、教会とか、NPOで?
彼らの発表は優れていたし体験に基づいた重みもあった。




この子覚えていますか
スカラーになりました

2008年の戦闘の時、難民キャンプで、足に大やけどをおったイスラムの少女。
いつかスカラーにとは思っていたのだが、ある方から連絡があった。
「あの少女を、奨学生にできますか?」
「もちろん・・・」

私たちは、少女のいた家を訪ねたが、そこから引っ越して、いなかった。


ピキットのライソン神父が作り上げた、マノボ、ムスリム、クリスチャン共存集落。
といっても、非常に貧しい小さな集落だが、そこに移って家を建てていた。
下右は、彼らの家。
しかし、そこにでも一家は留守。両親は、そこからさらに行ったモスクで集会に出ているという。

家族みんなで写真をとる
5人兄弟のたった一人の女の子

下の戦闘時のお父さんの顔を見てください。
怖い顔。
左の写真と別人のよう。

いかに戦闘が、普通に人に
厳しい感情を起こすかがわかる?


アリエル君の実験作
ダバオのカトリック障害者再生施設アワレディー オブ ビクトリーで
奨学生となっているアリエル君
不治の筋ジストロフィーだ。
しかし、こうして木彫で、手紙ケースやキーホルダーを作る技術を身につけ始めた。
手は萎えて、筋力もないのだが、きように作った。


ピキット出身のクリスチャン
ジョイさんも車椅子で、同じ所で学校に行っている。
足は義足。
彼女の絵もすばらしい。

確かに、彼らの作品は、素人的で技術的にはイマイチかもしれない
「品質が高くないと売れないですよ・・・」

しかし、僕はそうは思わない。
ファインアートの分野では、素朴な農民の描いた絵でも
先住民族のアートでも、心がこもっていれば感動を呼ぶ。
絵本でも同じだ。

見かけの良さではなく、心。
外見が良くても「心」がこもっていなければ、真の感動は伝わってこない。
僕の目には、彼らの作品は、そこらのお土産以上に美しい。


大量に売れる必要はない。画家のように、彼らのファンがつき
その収入が彼らの励みになれば、それでよい。



ウオーターフォールの読み語り

ミンダナオは、夏休みで、自分の村に帰った子も多い。
4月5月の夏休みは、最も読み語りの活動が盛んになる時期だ。
今回は、ウオーターフォールにも読み語りに行った。

読み語りが終わると、今年、小学校を卒業する子どもたちのスクリーニングにはいる。
この時期の重要な仕事の一つだ。

今度、小学一年生になる、娘のアイカ。そして、右も娘の一人のようなエルマリー。
MCLで、いつもお姉さん、お兄さんたちの読み語りの活動を見ているので、幼くても、自分で読み語りを始めた。


「おおきなかぶ」の劇も、ハイライトの一つ。大人気だ。ただし、こちらでは、「蕪」ではなく、「カサバ芋」になっている。
「おおきなかさばいも」・・・・だから、堀り方も違っている。ミンダナオらしく、サルも出てくる。
最後にネズミが、芋のまわりをちょこちょこ掘って、成功させる。






滝壺で夏休み




追悼そして復活

昨年から今年の復活祭までに亡くなった、思い出深い人々。
いつもやさしく、死の床でも、枕元に奨学生の写真や手紙を置き
「あの子、どうしているかしら」とおっしゃっていた、
土谷美知子さん。


 松居 友 さま

 美知子は、いつもミンダナオの子供たちに元気をもらって生きてきました、2008、6、25日、肺がんが見つかり、
 「ミンダナオの風」を枕元に重ね何度も読み返したり、山奥から私たちに会いに来てくれた後、
 帰りにすごい雨が降ってきて無事にちゃんと家に帰れたのかなとか、すごい石だらけの道、大丈夫だったかしらとか、
 赤ちゃんは大きくなっただろうね、見てみたいななどといっていましたし、
 ミンダナオの思い出を語りながらとうとう8月23日逝去いたしました。
 生前、故土谷美知子に寄せていただきました

 皆様のご厚情に対し心より御礼申し上げます。有難うございました。
 残された、私どもも、故人同様のお付き合いをいただき、ご指導をいただけますことをお願い申し上げます。

  
                                                                  土谷 登喜夫



土谷美知子さんに、支援してもらって卒業したマリベールは、
その死を知って激しく泣いた。

彼女は、2009−10年度のミンダナオ子ども図書館のプレシデント。
温厚な性格ながら芯は強く、最も難しい時期を乗り切ってくれた。
奨学生全員の事を良く把握しており、
今年から、最も重要なスカラシップセクションのリーダを
スタッフたちの満場一致で選ばれた。

大学の時に、妻子ある男性にだまされて妊娠。
お父さんは、牧師の職を捨てることを余儀なくされた。
会った当時は、ホウキを売って生活していた。極貧のマノボ族。
今は、農業スタッフのトト君と結婚して、一児(男の子)をもうけた。
最初の娘、サンシャインも元気で、今は保育園。本当に可愛い子。
みんなで育てているので、ご心配なく。


懐かしい多湖さん
下は、日本にイスラムの踊りの公演に行ったときのもの

ノルハナさんやアスレーさん
イスラム教徒の若者たちを支援してくださっていた
大阪の多湖さんご夫妻
ご主人が亡くなった。

2008年3月、大学を退職。
2008年12月にすい臓がんがみつかり、
その後抗がん剤治療で1年余りの闘病生活の後、
2009年12月27日に帰天。

大学教員としての研究、講義と平行して、
「正義と平和」活動に心血を注いでいた。
奥様の敬子さんは、正紀さんの意志を継いで 
Sarah Rumiko Miyashiro さんと 
hannah Yumiko Miyashiro さんの支援を
続けていきたいと思っている。

ミンダナオ子ども図書館を心から愛して
これからの出会いが楽しみだったのに・・・
ミンダナオにこられたら、
子どもたちはどんなに喜んだことだろう
子ども好きのご本人の笑顔を思い浮かべると
残念でならない。

アスレーさんは、何と、上のマリベールさんを継いで
2010年からのプレシデントで、活動を始めた。
奇しくも、彼女のお父さんは、イスラム教徒のオスタージュで
ピキット現地のNGO活動も推進。
MCLのボードメンバーだったが、去年他界。

その悲しみから立ち上がるように
アスレーさんは、MIFLとMNLFなどの狭間に立ちながら
正義と平和のために活動を開始している。



懐かしい、小野智子さん

もうお一人、思い浮かぶのは、小野智子さん。
軽井沢の一画から、いつも葉書をくださった。
どこに住んでいらっしゃるのかはわからないが、
カトリックの教会に属していらして
病気がちで、裕福ではない事は良くわかった。
卒業するジミー・マリンバくんを長く支援してくださっていた。

(右の写真は、今回のシンポジウムで発表しているジミー君
すでに30代だが、マノボ族で極貧の家庭。
仕事を見つけて結婚し、家庭を作ることを夢見ている。
結婚相手は、相手は、スカラーのMさん。
27歳で、今度大学に。
父親の子を産まざるを得なかった子だが、
ジミー君の明るさで・・・・・)

小野さんのお手紙には、
いつも、懐かしいミンダナオ。
わたしは、子ども時代、ミンダナオで育ちました。
懐かしい、懐かしい。
出来ればそちらで暮らしたい。
でも、病気もありますし、もう本当に年ですから。
ミンダナオの様子を教えてください。
ジミー君によろしく。

ダバオのカリナンで育たれたのだろうか?
戦争と同時に日本に帰られたのだろうか?
病床にあっても、死の床にあっても、お葉書が届いた。
亡くなられて、娘さんから手紙が来た。

母が、ミンダナオの子を支援しているなんて、
ぜんぜん知りませんでした。
遺品のなかからわかって・・・・
経済的には、豊かではないし、
どうしようかと思ったのですが、
私が引き継いで支援することにしました。

小野智子さんは、亡くなられて自由に
ミンダナオのなつかしい地を、
ソロイソロイ(散歩)しているような気がする。





ミンダナオ子ども図書館だより:イースター号

1,イースターの天使たち
2,天使たちの舞台裏
3,ささやかな自宅


イースターの天使たち
ローソクを手に天使を先導する天使役のペルリータ
彼女のお父さんもお母さんも、2年前に病気でなくなった。
キダパワンの貧民街から来た。

イースター土曜日。
山元しんぷさん、山本幸子さんとMの会が寄贈して、拡張工事が終わったマノンゴル村の教会で、ささやかなミサに参加した。
神父がいず、カーバックと呼ばれる聖体奉仕者による、小さなチャペル。
ミンダナオ子ども図書館の年下の子たちと、私の娘二人も参加して、天使の役になった。
大きなカテドラルのミサも荘厳だが、こうした小さな村の、村人たちの手作りによるミサが、情緒があって私は好きだ。

男性グループと女性グループと、二つに分かれて、ローソクを持って村を巡る
教会の前で出会い、天使たちが向かえる。 先頭に立つ、イエス役の青年と
マリヤ役の娘さん。
教会の入り口で待っていた天使たちが
入場してくる、イエスとマリアを迎え導く

聖堂の前で、
イエスの前でマリアが跪いている

金曜日の礼拝で、
イエスは十字架に付けられ
死ぬ場面が語られ
今日、土曜日の夜
復活する


復活したイエスを最初に
驚きを持って迎えたマリアの姿を
現している。


ミンダナオ子ども図書館から飛んできた天使たち



マノゴル村のチャペルは
ミカエル教会と呼ばれている。
左は、聖ミカエル像

キリストの姿も
木彫で素朴だ
それが何とも暖かな雰囲気を
醸し出している?

朝の3時半から始まるミサ。
眠たい目をこすりながら、2時に起きて準備をした。

夜明けのミサは、すがすがしい。
ミサが終わる頃には、夜が明けている。

夜明けの光のなか、起きたばかりの村人たちと
挨拶をかわしながら帰宅する。平和なミンダナオの復活祭の朝。



うっすらと夜が明けるころに、帰宅する。
ミンダナオ子ども図書館に新しく建てた、私たちの家。小さい子たちと住んでいる。

アレッ、いつのまにか天使が代わっている・・・・???


天使たちの舞台裏
ミンダナオ子ども図書館の日常の風景より


ささやかな自宅

90名近くの若者たちと一緒に生活していると、
時に煮詰まることがある。
私は、結構平気なのだけれども、
連れ合いのエープリルリンが煮詰まった。
時には、自分で料理したいし
プライベートな時間も欲しい!!!

気持ちは良くわかるので、
なけなしのお金をはたいて
家を建てた。
もう少し先に考えていたのだけれど。

もちろん、MCLの寄付は使っていない。
今までも、家や土地は、寄付を使わずに来た。
寄付は、人々のために・・・が原則だから。
私とエープリルは、給与も無いボランティア
講演会の謝礼だけで生きている。
年収?150万くらい。

この家も100万円で建てた。
建築家でボードメンバーのダニーさんに
「お金がないから、屋根はニッパヤシで葺いて」
「エッ!」
「トイレは、お金がかかる部分だから、溲瓶で良いです」
「エッ!それではあまりだから、
トイレと台所は、何とかしましょう」

こうして三部屋の家が出来た。

内壁は、竹。内装もシンプルだ。
ランプシェードは、こちらでゲームをするときに
天井に下げる鳥かごを使った

台所も質素で部屋は寝るだけ



ポーチが、外の自然と内側の生活が出会う空間。

つまり、生活が家に閉じこもらないで
外にも内にも開いている
日本で言えば、縁側の原理だ。

こちらでは、欧米をまねして
コンクリートの高価な家を建てたがる
暑くて閉鎖的で息がつまるので僕は嫌いだ。


この子たちも、一緒に住むことになった
家族だけで住むつもりで建てたけれども、年齢が低く、親を必要としている年頃の子たちも
一緒に住むことになった。
今年は、さらに数名増えて、にぎやかになりそうだ。

自分たちのために建てたけれども、いつかは彼らに占領される???
一階は、みんなのスタディースペースになっている。
食事は、月曜から木曜の朝食、全ての昼食、週末の夕食と、一週間21食のうち14食、
ほとんどはいつものように母屋で90人と一緒に食べる。




ミンダナオ子ども図書館だより:4月1日

1,戦闘地域ブアラン小学校の卒業式
2,MCLのある、マロゴン村の高校生の卒業式
3,合唱の伴奏は、かつてハウスオブジョイからきた奨学生たち
4,夢ポッケが届いた!
5,夜明けと共に始まる庭仕事:ミンダナオ子ども図書館の日常風景
6,4カ所の保育所建設に着手しました。
7,奨学生候補になりました



戦闘地域ブアラン小学校の
卒業式


見る人見る人に見覚えがある
難民救済で会ったからだろう
懐かしさに手を振ってくれる


過日、国際停戦監視団の
菊地さんと訪れた
ブアランの小学校で
十数年ぶりで
初めての卒業式が行われた


この学校を訪問した時の事が
同行した朝日新聞記者の筆で
30日の夕刊で報道された。
朝日の記事へ GO!



たびたび避難民状態の様子を
映像で追ってきた奨学生
アイサちゃんも元気に通っていた
十数年ぶりで初めての卒業式という事は、
この学校が建てられて、十数年間、一度も卒業式がなかったことになる。
理由は、単純に、ここでは絶えず戦闘が起こり、子どもたちが毎年のようにくり返し
避難民になってきたこと。

この学校に登録していた生徒数も700名以上いたのだが、現在は200名程度に減っている。
原因は、避難先の学校に転籍したり(土地はまだここにあり、親も耕しに通っている)
土地家屋を残して、遠くの親戚の元になど疎開したりしているから。
何と多くの家族が、疎開先から戻っていないことだろう。
しかたなく村を放棄した家族も知っている。奨学生にも居て、コタバトに行ったまま今どうしているだろうか。



即席に軍が作った
卒業用のステージにのる


元奨学生でスタッフ
今期のプレシデントを勤めるアスレーさんが
子どもたちにメッセージを述べた
確かに、いつも危険にさらされて、不便な避難民生活を余儀なくされて。
半年、時には一年半にもおよぶ困難な生活の後に、家に帰ってみると、家は焼けてなかったり家屋もボロボロ。
これでは、この地で落ち着いて生活も出来ないだろう。
そのうえ、学校は、2000年の戦闘で、壁には穴が空き、床は破れ、天井も腐って
いつ落ちてくるかわからないと言う状態だ。

左の男の子たちも
ミンダナオ子ども図書館の奨学生たち

私たちは、この不幸な辺境の村の
子どもたち20数名を奨学生にしている

今回、ここを卒業して高校に通うことになった奨学生
戦闘の度に学校をストップしてきたので、比較的年齢が高い
これから、高校から大学への道を歩き始める
彼らにこそ、平和の可能性を託すことが出来る??



MCLのある、マロゴン村の
高校生の卒業式
こちらは、MCLのある、マロゴン村の卒業式
MCLに住み込んでいる子たち80名あまりと、この村に住んでいるスカラーたち、合計すると90数名が、この学校に通っている。
キダパワン市から少し離れた郊外。果樹園の多い、緑豊かな土地で、名前もMarogon National Highschoolとなっている。
名前の中に、”National”の文字が入ると、日本で言えば公立が国立になった?ような感じで、レベルが高くなると言われている。

それだけに、山から来た子たちには、最初はちょっと難しい場合もあるが、頑張って卒業した。
下は、今回卒業した子たち。皆さんが支援している子たちもいますか?
これから、晴れて大学生になります。
イスラムの子たちは、カバサランの大学に、他の子たちは、ほとんどがキダパワンの大学に。
成績によって、コースも若干異なりますが・・・




右は、今年からスカラーになった
エラさんの娘さん。
ご両親共にアジア学院の卒業生で
お父さんは、南米の出身です。

エラさんも、今までの
ファンデーションの仕事が突然切られ
困難な状況に

娘さんが、MCLの奨学生になり
ホッとされたようす。

ここの高校の、ミンダナオ子ども図書館の卒業生に女性が多いのは、ミンダナオ子ども図書館日記
の方でも書いたが、元気の良い男の子たちは、男子寮を作り、山の学校に通うことになったためで
驚くには当たらないのだが・・・


それにしても、どこの学校も圧倒的に女性が多いのは驚きだ。
マノゴル高校では、3分に2が女性。4列になった合唱の最後列に男性がいるだけ。
ブアランの小学校では男性は5名ほどで、あとは女性だ。
出生率が女性が多いのか?学校に籍を置いても、男性は落ちこぼれていくことが多いのか?

一つ見ていてわかることは、辺境地であればあるほど、男の子は、畑仕事や刈り入れなどの労働力として
小学校の中高学年から、働かされること・・・


合唱の伴奏は、
かつてハウスオブジョイからきた
奨学生たち
今回、卒業式の歌を支えるバンドは、ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちがつとめました。
ハウスオブジョイを出て、MCLのスカラーになった、キットキット、ララン。
ジュンジュンは、ハウスオブジョイのスカラーですが・・・




ドラムを叩くキットキット



キーボードのジュンジュンは、
ハウスオブジョイのスカラー


大学生のラランは
MCL全体の副プレシデントを勤めている


ジュンジュンの兄のボボン
奥さんのタタと娘さんと




夢ポッケが届いた!
立正佼成会の送る、手作りの学用品支援、夢ポッケが届いた。
去年始まった、夢ポッケ支援。
今年も、40名あまりの子どもと親が、ミンダナオ子ども図書館を訪れる。

ただし、3月に予定されていたのを、8月に変更。
理由は、現在の総選挙に関連する政情が不安定なためだ。
平和の祈りも、8日の第2日曜日になるだろう。
村に入ったところで、コンテナトラックが立ち往生した。電線が低くて、これ以上先に行けないと言う。
そこで、みんなで取りに行った。大きなコンテナが止まっている・・・
開けてビックリ!

夢ポッケとは、立正佼成会が世界の貧しい戦闘に影響された子たちの元へ届けている、
学用品とおもちゃが入った手縫いの巾着ぶくろだ。
去年も、イスラム地域やマノボ地域の多くの子どもたちにあげて
とても喜ばれた。

とりわけ、年一回、30名ほどの親子が来て
直接貧しい村を訪ね、子どもたちの手で夢ポッケを渡す。
その時の映像があるので、ご覧ください。
夢ポッケ映像


この企画は、互いの宗派を尊重しつつ、
救ってやろうと大仰に構えるのではなく、
愛するものを救うことによって自らが救われるという心を子どもに伝えている。

小学校時代の恩師、無着成恭先生がおっしゃった言葉が心によみがえる。
「友くん、君はクリスチャンだから、人に何かを施すことを寄付と考えているかもしれんが、
仏教では、施しは寄付ではなく喜捨という。
喜んで捨てるのは、人に施すことによって自分の煩悩を喜んで捨てる。
喜んで捨てますので、どうか私を救ってください。




つまり、施すことによって、
救うのではなく、
救ってもらうのだよ。

だから、タイでは、
お坊さんに喜捨するときは、
お坊さんの方が立っていて
与えるものの方が身を低くする・・・」





無着先生は、曹洞宗だが、
夢ポッケにも仏陀の教えが生きている。

ぼくは、カトリックだけれど、
結構仏教が好きで、
寺院で拝むのも抵抗ない。

お稲荷さんも好きだけどね・・・
早速みんなで夢ポッケを、ミンダナオ子ども図書館まで運んだ。
夢ポッケの到着もさることながら、子どもたちは
8月に日本の友だちたちが訪れて
共に平和の祈りを開催できるのを心から楽しみにしている。




夜明けと共に始まる
庭仕事

ミンダナオ子ども図書館の日常風景
4時半、まだ暗い内から、外で鍋の音が聞こえてくる。
子どもたちが起き出して、朝食の用意を始めたのだ。
やがてうっすらと空が明るくなる5時過ぎ。
子どもたち自身が、みんなで相談して決めた、掃除が始まる。竹箒で、シャッシャと床を掃く音。
大人たちが指示を出しているわけではない。
金曜日の夜のハウスミィーティングで、自分たちで決めたことなのだ。

休日の土曜日曜日も、それぞれみんなで庭作りをしたり、農作業をしたりする。
こちらの子たちは、学校でガーデニングの奉仕授業があるせいか、庭造りがとても上手だ。
もちろん、自分たちの家の小さな自給用の畑を手伝ってきたせいもある。
草刈り、石運び、土運び、花壇を作っては植えていく。
ミンダナオ子ども図書館の庭は美しいが、全て彼らが作り上げたのだ。

最初の頃は、こんなに働かせて良いのだろうか?などと考えたものだ。
まるで、子どもに労働を強いているようだ・・・
しかし、彼等に言わせると、MCLにいると本当に働く量が少なくて、これで良いのかと思う・・・・
つまり、家だったら、こんなもんじゃない。
朝早く、ポリタンクを持って、遠い泉まで水をくみに行き。外の掃除、家の掃除、食事作り、小さな弟や妹の面倒。
畑の草刈り、山羊の世話、お手伝いに明け暮れて勉強をしている暇もない。
それゆえに、週末は庭造りや畑仕事をさせた方が、精神衛生上も良いことがわかってきた。




日本の子たちは
どれだけお手伝いを
して育つのだろうか?







ミンダナオ子ども図書館だより:3月20日

1:ミンダナオは、エルニーニョの影響で乾燥化が進んでいる

2:保育所調査のためにケロハス村に馬で向かった
3:燃え広がる野火に行く手を阻まれる
4:ケロハス村に保育所を建設決定
5:IMT国際停戦監視団の方々をブアラン小学校に案内する
6:ジンジンとラブラブ姉妹


ミンダナオは、エルニーニョの影響で
乾燥化が進んでいる


普段は、水が流れている
山の谷間も
すっかり干上がっている


こうした影響で、平地の作物は枯れ
土地にひびが入っている
作物も育たず、政府が
緊急食糧支援を決定した


森林が残っている地域は
まだ乾燥が食い止められているが
アラカンなど、伐採ではげ山になった地域は
乾燥の進行が激しい

低地のコタバト地域も
かつての日本に輸出されたラワン材を始めとして
森林が壊滅状態だ

この様な地域で、焼け跡が広がっている
乾燥のために、草は枯れている。MCLの芝生なども枯れていく。田んぼや畑の被害も拡大しつつある。
作物が枯れ死、大地は乾き、ひび割れている。
戦闘の被害は、局地的に大変だが、この様な自然に関連した災害は、広範囲に広がる。
山岳地域のマノボ族、低地の水資源から離れた地域の人々。
食糧と水は、生命線であるだけに、不気味な不安感が襲ってくる。
右は、枯れたバナナ
バナナは、カサバ芋と同様に
乾燥に強い作物として知られているだけに
不気味な不安感がただよう

背後は、野火で焼けただれた斜面
焼き畑ではない

保育所調査のために
ケロハス村に馬で向かった
キアタウから、ケロハスに向かった。
保育所建設の事前調査をするためだ。
この地域は、車がまったく入れないので、二頭の馬をかりて徒歩で向かった。
途中に見える小学校
初等小学校で4年生までの茅葺き校舎
遠くに見える斜面は、赤茶けている。これは、草が乾燥のために枯れた様子だ。
斜面に植えられている自給用のトウモロコシも、乾燥のために実を結んでいない。
人々は、緊急にカサバ芋などの、乾燥に強い作物を植えて、この先の危機状況に備えているが・・・・

燃え広がる野火に
行く手を阻まれる


しばしば、野火に行く手を阻まれる
煙と熱気
すぐ足下の斜面が焼けている

保育所建設予定地の調査と言っても
命がけだ????
馬と徒歩で、約1時間半

乾燥被害の調査もかねて行動した


斜面に緊急にカサバ芋を植えている
カサバ芋は、
ほとんどが非常食で
作付け後に
毒を含み
亡くなる人もいるという

しかし
背に腹は代えられない?


ケロハス村に保育所を
建設決定
ケロハス村に保育所を建てて欲しい。
キアタウ村の紹介で、ケロハスのダトゥ(首領)が懇願してきた。
キアタウは、私たちの活動地域のなかでも、山岳地域の奥に入る。

そこからさらに小一時間歩くと言う事で
なかなかまとまった調査時間がとれずにいた。

私たちは、ケロハス集落に二頭の馬をかりて向かった。
徒歩30分ほどで着くだろうと、高をくくっていたが
結局、1時間半以上かかった。

途中で野火に行く手を阻まれたりもした


文明や教育からも隔絶しているだけに
子どもたちの生活は、素朴そのものだ。
トウモロコシを石臼でひく子ども。
もちろん、電気があろうはずもなく、学校すらも遠い。
4年生までは、キアタウに近い初等小学校に通えるけれども、
それでも山の斜面をどこまでも登っていく道のりは容易とは言えない。
右は、パコパコ初等小学校。茅葺きの質素なものだ。

さらに、5年生以上、小学校を卒業しようと思えば
さらに遠くのトマンディン村まで、毎日10キロ以上の道を歩かなければならない。
平地の10キロと違って、激しい上り下りが続く山道の10キロは、過酷だ。
ここから1時間のキアタウ村の子たちは、朝の4時に起きて通う。

その様なわけで、ほとんどの子たちが、小学校を卒業していない。
過去、たった二人が、高校まで進学した。



右は、保育所の先生になる方
高校で学業停止。
現在は、二児の母だが
この村で高校まで行けた人は二人
卒業したのは、一人だけ
村のほとんどの子たちは
小学校4年生まで
あまりにも学校が遠い
10キロ以上の道のりがある

唯一がんばって
左は高校を卒業した若者
アラカンのミラノ宣教会
ファウスト神父の奨学生
毎日、片道10キロの道を
往復し続けた

ファウスト神父の奨学金は
高校生止まりなので
MCLの奨学生となり
大学で教育学を目指す
学校の先生になり
ケロハスの子どもたちを
学校に行かせたい
首領曰く、「ケロハスは、つい数年前まで、NPA反政府ゲリラの活動舞台だった。そこに村が出来て、少し落ち着いてきた。
ここが少しでも平和な村になるためにも、子どもたちに教育を授けたい。それにはどうしても、保育所が必要なのです。
土地は、私が提供します。先生になる人もいるし、給与も保証します。」

あまりにも辺鄙な村なので、資材なども、馬で運ぶしかないだろう。
少したじろいでいたのだけれど、その熱意に、スタッフたちは、「やりましょう」という結論をだした。
さらに、日本の支援者にお願いして、10キロ離れたトマンディン村に
ミンダナオ子ども図書館で下宿小屋を作ることを考えた。

トマンディン村に下宿小屋を作れば、小学校も高校も近くにあり、遠くて学校に通いきれない子どもたちも
ここに下宿しながら、学校に通える。
親たちが、子どもたちの世話も食事も見るという約束もとりつけた。
遠い、キダパワン市のミンダナオ子ども図書館の本部に住むより
子どもたちは週末には、親元に帰れるし。
寂しくないだろう。

保育所同様に、30万円ほどで完成できる。
どなたか、お願いできませんか。
      トマンディン下宿小屋建設応募 
       河野優子さま、ありがとうございます。ぜひいらしてください。ご一緒しましょう!





IMT国際停戦監視団の方々を
ブアラン小学校に案内する
久々に、ミンダナオで国際停戦監視団が動きはじめた。
マレーシア、インドネシアそして日本からは菊地智徳さんが紛争調停に参加。
「また、国際停戦監視団が動きはじめることになったんですよ。今、コタバトです。」
菊地さんからお電話をいただいた。
「お目にかかりたいですね。お話ししたいこともあるし・・・」
「こちらも現状を知りたいですね。サイトはいつもチェックしているけど、
書けないこともあるでしょうから・・・」

そんなわけで、先日コタバトでお会いした。
以前から懸案の、戦闘地域、しじゅう子どもたちが避難民化している
ブアラン小学校のお話をした。
2000年2002年の戦闘で、壁には砲弾の痕があり、
教室内部もコンクリートが禿げている。
骨組みもガタが来て、屋根がいつ落ちるかわからない。
それから数日後、再び電話があり
「ブアランの小学校を見たいのですが・・・」

この地域の子どもたちは、もう十数年、絶え間なく避難民状態をくり返している。
700名登録されている現地の子どもたち。
本当は土地はここにあり、畑を耕してもいるのだけれど、家は焼かれ、
小学校も絶えず休校になるので、遠い小学校に越境している子たち
学業を停止している子たちもいて400名しか来ていない。
一昨年建てたマカブアルの小学校の場合もそうだけれども、
学校が建って生徒数が200名から400名以上になった。
1年2年の就学率が、倍になり、このまま数年後には1000名を超えるだろう。

教育は、現地に安心と安らぎを生みだす。
反政府勢力の拠点の1つだが、反政府勢力の人々も一般住民であり
自分たちの子どもたちが、教育を受けられる美しい施設を
そうやすやすと破壊はしない。
戦闘で、どちらの砲弾が教室を破壊したのだろうか???
先生曰く、「このあたりの学校の子どもたちは、MILF軍が入ってきても
逃げないけれど、政府軍が入ってくると、一目散に逃げるんですよ」


小学校の校長先生から
学校の経緯を聞く菊地氏
今回は、ハイエースに、菊地氏の他、マレーシア軍の方々、
そして国軍とMILF側の方々が同行された。
朝日新聞の脇阪記者も・・・
ブアラン村に入ると、道ばたの粗末な家々から、貧しい人々や子どもたちが、
私の顔を見て、うれしそうに手を振っているのを見て驚いたようだった。

マレーシア軍の方々や国軍の方々からも、
「どんな活動をしているのですか。何年になるのですか?」等、いろいろ質問を受けた。
特別なことは、何もしていないのだけれど。
この地には奨学生も多くいて、避難民の時の苦労を知っているから、それ故にさらに可愛い。

子どもたちの一人に言った。
「あの人たち、日本政府から来ていて、学校を建ててくれるかもしれないんだよ」
「本当・・・・?」絶句

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