2009年末から 2010年3月まで.

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ミンダナオ子ども図書館だより:3月2日

1:ヘアリップの子たちの集中手術が始まった
2:初日は、登録と、ドクターによるチェック
3:翌日から治療が始まる

4:難しい手術の子は病院で単独手術をくり返し完治させる
5:立正佼成会の調査 日本軍の要塞跡での祈り
6:ピキット市長やBDAの役員と、セキュリティーに関しての話し合いをした

7:社会貢献グループ 次長・保科和一氏からのメール
8:日常の風景から

3月2日は、私の誕生日
早朝5時前にみんなで歌ってくれました


全ての子たちの誕生日に、こうしてみんなで歌います
ハラナと呼ばれるこちらの習慣です



初日は、登録と、ドクターによるチェック


ARMMイスラム自治区から応募した
少女と父親


サポートに活躍するスタッフのFeさん
元、奨学生で看護学を修了

ミンダナオ子ども図書館は、本当に僻地の患者たちを支援する。
患者たちは、時には、タガログ語も話せず、文字も書けない。
子どもや孫の、生年月日も定かではなく、出生届も出ていない。

こうした人たちは、サポートがなければ、治療を受けることもできない。
ここでも、スタッフたちが活躍する。みな、ミンダナオ子ども図書館の卒業生たちだ。
マギンダナオ語の通訳をするアスレーさん、患者に話をしたり、ドクターに説明をするFeさんは、看護士だ。
彼らは、現場で本当に頼りになる。



第二回、口蓋手術の青年
小さいときから親に見放されて育った

Feさんの後ろに控えるのは、アスレーさん
言葉が通じないケースも多い
マギンダナオ語をアスレーさんが通訳する




立正佼成会の調査
日本軍の要塞跡での祈り

立正佼成会の方々が、本格的に現地調査を行った。
昨年のゆめポッケ配布で、日本の子どもたちと現地の子たちの交流が、予想以上に好評だった事を受けて、ゆめポッケ記録映像へ!
以前、さまざまな世界の難民地域を巡ってプロジェクトを推進して来られた、保科氏を中心にして
イスラム地域、マノボ地域の状況とセキュリティー調査を行われた。


ピキットの日本軍が作った要塞跡で、近い将来、平和の祈りを開催するのも1つの大きな目的だ。
ピキットでは、今も戦闘が起こって、人々が死んでいくのだけれど、第二次世界大戦では、日本軍がこの地に要塞を構え激戦と成った。
私たちも、活動をしていると、「私は日本人の軍人の血が入っているんです」と、非常に言いにくそうに話しかける人に出会う。
この要塞は、地下に複雑な防空壕を持っているが、今だに、日本政府や慰霊団の調査が入っていない。
現地の人々も曰く、「多くの遺骨が眠っていて、怖くてはいれない。財宝があるという話もあるが・・・」

ここにお連れしたとき、ちょうど太陽が、ミンダナオの湿原の彼方に沈むときだった。
立正佼成会の方々は、思わず手を合わせて拝む。
英霊たちに導かれてこの地に来たのだという想いが巡る。

日本軍、フィリピンの人々、MILF、MNLF、政府軍
そして、地元の家族や子どもたちが、今もこの地で、戦争の被害を受け続けている。
その全ての魂に、鎮魂の祈りを捧げたい。

私も父から聞いた話だが
叔父、父の兄もフィリピンの地で戦死している。
時々、私もその叔父のことに思いをはせる。
「こんな素朴な人々や、子どもたちのいる美しい地で、なんで戦闘などしなければならないのか」
そう思って死んでいったのだろう。

叔父は、従軍医で、スペイン語も良くできて、
若くハンサムでもてたらしい????
そんな叔父の魂に呼ばれて、こんな地に来て、平和を作る活動をするはめになったかなと
ふと思うときがある。

ピキット市長やBDAの役員と、セキュリティーに関しての話し合いをした


BDA(バンサモロ ディベロップメント エイジェンシー)の方々と


ピキット市長、DSWDのグレイスさんと話し合い



立正佼成会
社会貢献グループ 次長
保科和一氏からのメール
謹啓、
 ミンダナオから帰国して早くも一週間以上が経過してしまいました。
この度の「ゆめぽっけ親子隊」下見調査では、急なお願いにもかかわらず、
事前から当日まで大変に行き届いたお手配を賜り、誠にありがとうございました。
お陰様で、大変に多くの学びと収穫を得ることが出来ました。

 下見調査の主なテーマは、
@事業目的に照らしての訪問地の適正とA現地の安全調査の二つでした。
以下、大変僭越ながら思うところを申し上げます。

@「事業目的に照らしての訪問地の適正」について
 「親子の手づくりによる『ゆめぽっけ』を直接手渡す行いを通して、
紛争や対立で傷ついた世界の子どもたちに、まごころと友情の支援をすること」
そして「現地での出会いを通して、自分たち自身が
いのちを尊ぶ心や思いやりの心を育む」という訪問の目的に照らし、
以下の点で大変に相応しく、大きな価値があると思いました。

 先住民マノボ居留地、ムスリム地域、クリスチャン地域のどこをとっても、
紛争や抑圧の影響にさらされ、日々の食事を得ることも十分でなく、
ましてや医療や教育に関しての保証が希薄な環境で生活している
多くの極貧の家族と子どもたちがいる。
MCLは日頃の地道な地域コミュニティーとの接触により、
人びとの生存と生活のニーズを把握し、堅実な物資配付の姿勢と能力を持っている。

 社会的、経済的に大変厳しい生活条件の中でも、
家族や共同体の仲間が自然の恵みに生かされ、互いに寄り添い、
支え合いながら生活しており、彼らとの出会いから日本の親子がまなぶことは多い。
さらに、地元先住民・モスレム・クリスチャンの人々が
共に尊重しあうMCLの生活は、
本会が目指す理想を実現しておられるものでもあります。
なによりも、MCLのお子さんたち・スタッフの皆さんとの出会いは宝であり、
必ずや大きな感動を生むと信じます。

A「現地での安全調査」について
 安全調査チェック項目として、
「紛争・テロ行為との遭遇」「犯罪(強盗その他)被害」
「暴動の発生」「誘拐被害」さらに「危機回避の事前の手立て」
「安全に関する最新情報収集」「危機発生時の対応・脱出方法」
などに留意して行程を過ごしました。

 MCLの危機管理は、地元の各コミュニティーに深くしかも偏り無く溶け込み、
地元行政・NGO・住民との信頼関係を築き、
現地住民による最新で生の情報を随時更新しつつ、
紛争当事者間のバランスに配慮して進める方法とお見受けしました。

現地コミュニティー出身者の同伴に護られながら、自分たちが何者であり、
何の目的で訪問するのかについて、また敵意が全く無く、
友好協力のために来ていることを知らせつつ現地入りする。

これらの方法はMCL独自のものであり、私には大変に新鮮でした。
そして、信頼に値するものであり、大変心強く思いました。
実際、今回訪問した私たち三人は、殆ど危機を感じることなく
安全に行程を終えることが出来ました。

しかしまた、私は、このことを決して安易に考えてはおりません。
安全であったのは、あくまでもその条件を作り出してくださった
松居さん・大渕さん、長時間車の荷台に乗って私たちを護ってくれた
お子さん方を始めとするMCLの方々のお陰様であり、
当然の如くそこに安全があったのだとは思いません。 

 もう一方のチェック項目は、
「疾病・感染症」「衛生(水・食事・就寝・トイレ)」「医療環境」
「移動手段」「気候」等です。
これらについては、訪問するこちら側が、
事前準備をし注意すべき点を心得て現地に入れば、概ね問題無しと思います。
とりわけ水は清らかで、手づくりの食事は大変に美味しく頂きました。

 私は、これまでにも色々な国を訪問し、様々な出会いに恵まれましたが、
今回の旅は本当にめったに無い豊かな実りを頂戴しました。
「貧しい途上国」という私の単純な見方は訂正を迫られました。
美しい自然の豊かなる恵み、街中のマーケットに溢れるばかりの山海の品々、
そして何よりも、人々と子どもたちの優しく温かい笑顔に触れました。

本来は豊かである土地に住む温和な人々が、
自分達の望んでいない対立と争いに巻き込まれ、
貧しく不安定な生活を余儀なくされている。
そして、分かち合い、支えあって日々を生きておられるのだと知りました。

 MCLのお子さんたちの歌は、聴く人の魂に響く奇跡の歌です。
お世辞ではありません。
最終日に訪れたマロンゴンは
多くの人びとが心の奥にしまってある南の天国の姿です。
ピキットの日本軍要塞跡での慰霊供養は、キリスト教の愛に導かれ、
仏教の慈悲の心を多くの御霊に捧げる尊い機会を頂きました。

 あらためて松居さん、奥さん、大渕さんはじめ
MCLの皆様に心から御礼申し上げます。
                              合掌

立正佼成会
社会貢献グループ 次長
一食平和基金 事務局長
保科和市



















日常の風景から
この、何の変哲もない日常生活の中に
ミンダナオ子ども図書館の
本来の姿がある。
今年から、大学生の教育学専攻の奨学生に数名
MCLに住み込んでもらい、家庭教師をしてもらうことになった。


必殺、連続シラミ捕り作戦の開始
戦争や貧困が日常の風景にならず。こうした風景が日常になりますように・・・






ミンダナオ子ども図書館だより:2月7日

1:北九州小笠原ライオンズクラブ寄贈の保育所が完成した
2:読み語りが終わって署名式
3:スカラシップ調査が続く
4:サトウキビ刈りに駆り出される子どもたち
5:医療も絶え間なく続く
6:ムスリムデー(マギンダナオデー)が終了
7:財団法人 北野生涯教育振興会の島村さまも参加
  12人の奨学生に授与式をされた

8:ミンダナオ子ども図書館の新しいボードメンバー
9:山田順子さんの死を悼んで

おめでとう!二人の奨学生が、看護士の資格試験に合格!
Charie Magne TANCIO
Jenny Rose FARE
上記の二人が、卒業後、看護士の資格試験に合格しました。
これで4人の看護士が、ミンダナオ子ども図書館から巣立ちました。
支援者の方々、ありがとうございます!


北九州小笠原ライオンズクラブ
寄贈の保育所が完成した

北九州小笠原ライオンズクラブの保育所が完成した。予算額から、50万円を寄贈してくださり、一回り大きくて立派なものになった。

(急遽でしたので、窪田まゆみ様の予定だったボアイボアイに建設しました。
窪田まゆみ様の保育所は、2月下旬から別の場所に建設を開始いたしますので、ご了承下さいませ。)


上右二枚の写真は、今回のライオンズクラブの保育所(50万円)。右は、通常建設している保育所(30万円)。
違いは、一回り大きくなっているのと、窓にガラスサッシが入っていること。
そして屋根が青くペンキで塗られ錆びにくく、裾のコンクリートも白く塗られていて美しい。

普段は右で十分なのですが、記念などに少し美しく屋根が錆びに強いものをご希望でしたらいつでもご相談にのります。

保育所建設支援は、建物だけではない。椅子と机も寄贈する。
椅子は、プラスティックを避けて籐で作られている。田舎でも修理が利くためだ。

ボアイボアイは、非常に貧しいマノボ族の集落だ。
NPAゲリラの活動する地域としても有名で、ときどきコマンダーから声をかけられたりする。
もちろん、彼らもMCLの事は良く知っていて好意的だ。
私たちは、ここから小学校、高校のスカラーを採っているが、もうすぐ大学生も出てくるだろう。
ミンダナオ子ども図書館との関係を持つことで、この村が少し明るくなった。

今日、初めて読み語りをする、奨学生たち。
毎週日曜日の夜は、みんなで読み語りの練習をしている。
英語やタガログ語の勉強にもなるし、人の前でも怖じけずに表現できるようになる。
最初は、恥ずかしそうに。
でも、お兄さんお姉さん(先輩)の読み語りをいつも見ていて、アドバイスも受けているのでけっこう上手だ。

読み語りが終わって署名式

落ちこぼれたような村に、美しい保育所が出来ることで、どれだけ村人の気持ちが明るくなることだろう。
明日から、子どもたちの歓声がひびく、ボアイボアイ集落


今後の建設予定
松岡なつめ・・・グマイ、窪田なつめ・・・カヨパトン
藤岡市私立幼稚園協会・・・プノル  久岡隆行・・・ケロハス
  STUDY UNION関・・・カティラカン  京都暁星高校・・・   
多湖ファミリーと親戚・・・プロックM  多湖ファミリーと友人・・・カバサラン




スカラシップ調査が続く

 今年の小学校の里親奨学生を選考する対象地域は、
反政府勢力NPAの活動が活発で、戦闘が絶えない山岳地域から2カ所選んだ。
 1,アラカンのマノボ地域
 2,マキララの移民系山岳地域

 さらに戦闘の続くイスラム地域から、ピキットの山岳地域とARMM(イスラム自治区)に属し、MILFの強い2カ所。
 3,湿原沿いのサパカン集落
 4,山岳沿いのセニオマラウ集落

 そして、昼はゴミを拾って、深夜は物乞いでさまよう
 5,ストリートチルドレンたち
父親もいず、食べるのも困難なマノボ族の子たち
母親が、必死で娘を育ててきた。それでも、大学は夢のまた夢。
思いがけないスカラシップに泣き出す子たち。
山のマノボ族の子たちの家庭調査は、山登りから始まる。


サトウキビ刈りに駆り出される
ウオーターフォールの子どもたち
サトウキビ刈りにプランテーションに駆り出され、学業をストップ、
スカラシップを続けることが困難になった子たちを
ソーシャルワーカーのカティーと調査する。
こうしたケアーも重要な仕事だ。
彼らの生活環境は劣悪だ。下は、サトウキビ刈りの労働者が過ごしている宿泊施設??
ようやく、いなくなった奨学生の両親と会えた。
しかし、彼らもいなくなった娘の事も、居所も知らなかった。
両親を交えて、調査は続く。


医療も絶え間なく続く

新年度に入って、次々に患者が運び込まれてくる。
医療というのは、不思議なことに時期があるようで、ドッと増える。
年額120万円(月10万)の医療費を充てているが、一気にオーバーして予算を使い果たしてしまった。
年度累計額は150万に達しようとしている。高額な手術がいくつか入ってきたためだ。

歩けない少女のために、特性の車椅子を作った。
小型で、小水が出てもだいじょうぶだ。
半年前から、急激に瘤が出来てきた少女
歯の位置にも奇形がある。
一度の手術では完治は不可能。
交通事故の若者も運び込まれる。プロック8の子で、もちろん両親に医療はだせない貧困だ。



ムスリムデー(マギンダナオデー)が終了

今年のムスリムデーは、テーマが結婚式
BDA(バンサモロ デベロップメント エージェンシー)のスタッフの方々も
アドバイザーとして参加された

財団法人 北野生涯教育振興会
の島村さまも参加
12人の奨学生に授与式をされた

スタンレー電気が母胎の財団法人 北野生涯教育振興会
日本製の多くの車は、スタンレー電気のライトで世界を走っています。
その北野財団が、ミンダナオ子ども図書館の大学生を12名、支援してくださることになりました。
そのほとんどが、苦労しているワーキングスチューデント
日常は働きながら、夜間や週末に大学に通ってくる苦学生たちです。

スタンレー電気の皆さま、そして財団法人 北野生涯教育振興会の皆さま
このような戦闘のある僻地にも、灯りをともしてくださってありがとう!
いつでもまた、いらしてください。





山田順子さんの死を悼んで
日本事務局をお一人で支えてこられた、山田順子さんが亡くなられた。癌だった。昨年のクリスマス前。
季刊誌『ミンダナオの風』表紙より

新しい事務局は、大渕みほ子さんで出発。さらに充実させていく予定です。
今回の季刊誌『ミンダナオの風』は、この事を中心に書きました。
下記をクリックしていただければPDFで読むことが出来ます。

季刊誌へGO!

順子さんの遺志をついで私たちは、
ミンダナオ子ども図書館の日本事務局を、
さらに本格的に立ち上げていきます

1、日本事務局長に、ミンダナオでのNGO活動の経験豊かな
大渕みほ子さんを抜擢しました。


  すでにHP『ミンダナオ子ども図書館だより』で執筆していただいているので、
 ご存じの方もいらっしゃるかも知れませんが、大渕さんは、
 長くミンダナオのピキット、イスラム地域と関わってこられた方です。
 ミンダナオへの関心も思い入れも深く、MCLとも活動を共にしてきた関係で、
 私たちの活動も良く理解しています。
  お父さんは、プロテスタントの牧師さん。
 ご主人は、三鷹の国立天文台の技術者です。思春期の頃から、
 宗教対立に関心を持ち、立教大学の大学院で
 論文「紀要 2006 年5 号 - フィリピン・ミンダナオ紛争におけるNGO の役割
 ●大渕みほ子 - 立教大学大学院独立研究科 21 世紀社会デザイン研究科」を発表。
 (サイト検索:「ミンダナオ紛争」で探せます。GO!
 
2,日本事務局の日本法人化を早急に


  繰り返し議題にあがりながらも、山田順子さんのご病気などで、
 のびのびになっていた、NPO法人化を、大渕みほ子さん中心にして、
 早急に進めていきます。
  ミンダナオ子ども図書館は、フィリピンのNPO現地法人ですが、
 日本での支援者は1500名を超えます。
 少しずつ人々にも知られるようになり、社会的な役割を考えても、
 法人化は必然的な流れだと思います。
 すでに去年、ボードメンバーの選出も終えて、今年こそNPOとして登録させて、
 日本での新しい活動基盤を確立します。

3,支援者への対応も迅速、充実

  驚かれる方が多いのですが、今まで日本サイドの仕事は、
 ほとんど松居友一人で、現地でこなしてきたのです。
 しかし、お礼の葉書の発送や寄付確認の問い合わせに対する対応が、
 遅いという批判を免れることは出来ませんでした。
  理解のある方は、「現地であれだけの活動をしながら、
 良くまあ、一人でなさりますねえ。」と同情されたものです。
 しかし、これからは、日本事務局がMCLの強い見方。
 支援者への対応も迅速、充実させていきます。

4,日本の若者とミンダナオの若者たちの、接点になる事務局を!


  時代を見ると、日本の人々がミンダナオの若者たちを支援すると同時に、
 心の問題、貧しくとも強く明るく生きていく方法など、経済支援は出来なくとも、
 ミンダナオの若者たちが、日本の若者に、心の支援を開始できる時が来たと思っています。
  日本事務局を中心にして、国際交流の輪を広げていきたいと思っています。
 その点でも、大渕みほ子さんは適任で頼りになります。
 旅行業の資格も持ち、旅行会社とも契約。
 団体の訪問は、現地を知っている彼女を通してお願いします。
 個人やグループの訪問も、相談してみてください。
 航空券やホテルの手配もOKです。

5、日本事務局の住所や電話が変更に!

日本事務局住所:〒207-0022 東京都東大和市桜が丘4-261-1-505
携帯電話:090-8105-3948  メール:japan.mcl@gmail.com(大渕みほ子)
MCL 日本事務局電話・FAX 番号:042−511−7246

季刊誌では、大渕さんのご挨拶の記事も読むことが出来ます。季刊誌へGO!







毎日新聞記事
もうご存じの方もいらっしゃると思いますが、毎日新聞の「ひと」欄に掲載されたので
皆さんにもご紹介します。出発の頃には、朝日新聞の「人」欄にも紹介されましたが・・・

これをきっかけに、MCLのスカラシップ支援者が増えてくださればうれしいのですが。
http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20091218k0000m070141000c.html

ひと:松居友さん ミンダナオ島で子供たちを支援する

 フィリピン南部・ミンダナオ島で、貧しい子供への本の読み聞かせや奨学金支援などを6年前から続ける。異なる宗教、民族が同居する島で見つめた絵本の効用と、子供同士の触れあいの大切さを、一時帰国した祖国で訴えた。

 出版社の編集者を辞め、講演などで暮らしていた8年前、うつ状態になった。「気分転換に」訪れたミンダナオ島で、貧困の中、生き生きとした子供たちに心を癒やされた。だが、1年後に再訪した島で、子供たちに笑顔はなかった。武装勢力と政府軍の戦闘は、子供たちから親や家を奪った。

 「自分は子供たちに救われた。今度は自分の番」。頭に浮かんだのは、編集者として手がけた絵本だった。

 1年の大半を島で過ごす生活が始まる。毎週末、支援する子供たちを連れ、島内の山村を訪れる。イスラム教の子が先住民族の子に絵本を読み聞かせたり、移民の子が読み手になったり。「最初は相手を怖がることがあっても、子供たちはすぐに打ち解ける」

 日本からの寄付を基に、医療資金や奨学金の援助も行う。昨年、洪水の被災地で、難民キャンプから女の子が走り寄って来た。以前、医療支援で手術が成功した少女だった。「ありがとう」が言いたかったという。小さな喜びの積み重ねが活動の原動力だ。

 この秋、日本に滞在しながら各地で講演した。近い将来、ボルネオ島やタイにも活動範囲を広げるのが目標だ。【宮川裕章】

 【略歴】松居友(まつい・とも)さん 東京都出身。フィリピン人の妻と2女。日本文芸家協会に所属し、「絵本は愛の体験です」などの著書がある。56歳。



ミンダナオ子ども図書館だより:1月10日

1:スカラシップの調査を開始した
2:私たちが学校に行けるように支援をお願いします!
3:アルバちゃんを訪ねた
4: 《星に導かれて》   山元 眞
5:元旦、年明けの勉強をした
6:山元しんぷさん、お別れの日、温泉の流れる滝に行った
7:そしてお別れの日


スカラシップの調査を開始した

 今回、私たちは、山岳地域のNPAの村を訪ねた。
 入り口は、ミンダナオ子ども図書館の農場からで、普通見れば、どこが入り口かもわからず
 この様な場所の奥に、人が集落を構えているなど、外部者にはわからないようになっている。

 行ってみると、別に普通の人たちで喜んで迎えてくれた。
 もちろん、マロゴン村の役場の人など、現地の人が同行する。現地の学校に通っている、ミンダナオ子ども図書館の若者たちも。
 総じてこうした場所は、隠れた人と自然のパラダイスのような平和を感じる。


マキララは本当に山深い。MCL農場のあるマロゴン村まで、まずは4WDでようやく到達。
そこから、本格的に山に入っていく。この様な奥に、集落があるなどとは思えない。あえて隠された場所に集落を作る。

到着して早速調査を開始
今回の子どもたちのリストは
現地の小学校の先生の協力や
現地の奨学生の協力を得た


病気のお母さんを囲んで




生活状況は非常に厳しい
自分たちの土地はなく
他人の土地に
住まわせてもらいながら
日雇い仕事を請け負っている

年齢の割には
考えられないほど小柄で痩せている
栄養が足りないからだ!


現地の人々との良好な関係が無ければ、この様な土地に足を踏み入れることは不可能だ。
ぼくたちは、マロゴン村に保育所を寄贈し、MCL農場に、5人のスカラシップの男の子を置き、彼らが小学校に通っている。
年齢は高い子たちだが、地元の小学校で、級長などになって活躍。

彼らは、どの子が困窮しているかを正確に把握している。
また、こうした地域の学校の先生も、スカラシップ候補を綿密に選び出し、推薦し、調査に同行してくれる。
そうした協力が無ければ、とても入れないNPAの活動地域。

今回、マロゴン村に高校を建てる計画があり
山元しんぷさんと、Mの会で
1ヘクタールの土地を寄贈
高校がないと、この地域の子たちは
ほとんど学校に通えない
ここに高校が出来ることで
将来は、地域の発達に
大きな助けになろう

日本政府の草の根資金で
建設できないだろうか
日本からワールドフードを経た
食糧支援は来たが・・・
小学校もコンクリートは4クラスのみ 2時間も山を登って、やっと奨学生候補の家に着いた


2時間もかけて、山頂に近い家に着いた
誰もいない。
小一時間立つと、
4人の子どもたちだけが帰ってきた。

帰るとすぐに、仕事を始める。
まず、山羊を移し
ゴミをかたずけ
椰子の汁をあつめ
ゴムの汁を絞り始める
本当に、しっかりした子たち
しかし、ほとんど裸足に近い生活だ







部屋には何もないが
壁に、日本の国旗が見えたので
よく見ると

「世界食料機構」の文字のしたに
「日本のひとびとより、支援」と書かれている

話を聞いてみると、このマロゴン村に、昨年末に日本から、世界食糧機構ワールドフードを通して米の配給が数ヶ月あったという。
とても助かったのだそうだ。滅多に米は食べられないから・・・・

JICAさん、結構やりますね。良くこんな所まで・・・それにしても、どうしてここがわかったのかなあ?
NPAの活動も活発化し、イスラム部隊も入り、さらに難しい状況を現地はむかえようとしている。
下山は、別の子を調査するために
別の道を下った。
こんな山の中に、網の目のように道がある。

この子のお母さんは
家出したまま別の夫を持ち帰らない。
お父さんと二人で、深い山の中で暮らし
うけおいの森番をしていた。
先生の推薦だけあって
貧しいけれども
学業に関する興味は高く
成績も良い

推薦された子のなかの数名は
父さんがいない子だった。
国軍との戦闘で殺されたという。
反政府勢力の村だから・・・




一日ではとても調査できず、マノゴル村でその夜は泊まった
電気のない暮らしも乙なもの?
石油の灯りで学ぶ奨学生たち


翌日は、MCLのソーシャルワーカー
カティも加わり調査を続行。

この子たちには
お父さんが居ない。
お母さんは日雇いをしながら
子育てをしている。

イスラム部隊が駐屯した地域の近く
来年は、そちらの村にも行ってみよう。
イスラムの奨学生たちといっしょに。

調査は一日では足らず、翌日も続けた。
翌日、ミンダナオ子ども図書館のスタッフとソーシャルワーカーが、血相を変えてやってきた。
「携帯は届かないし、夜帰らないものだから、MCLは大騒ぎだったのよ!
てっきり誘拐か殺害があったと思って・・・・」
一泊すると話してきたつもりが、伝わっていなかったらしい。
とにかく無事であることを見て、ホッとしたようだ。
そう言う場所ではあるのだけれど・・・・スミマセン!

右写真、遠くにイスラム集落が望める。
この右手奥の谷に、駐屯している。
かつてイスラムの土地をクリスチャン市長が手にいれたが、それを奪い返して駐屯した。
ピキットから来た者もいる。
マキララ地区は、行政とアメリカのドール資本の癒着が強く、
行政からの依頼を受けた国軍と、それに対抗するNPA(新人民軍)との戦闘も絶えない。
今後、拡大しなければ良いのだが。



こちらは、バゴボ族の村
ここの子どもたちも奨学生候補に

貧しい村にもかかわらず
成績も良く
がんばっている子が多い
スカラシップに選ばれて
突然泣き出した少女

病気と貧困で2年間
学業を停止して新たに開始

本当にがんばっている
様子がわかる

まだ、小学校だが、
高校にも行けるよ
と、話したとたんに泣き出して
涙が止まらない。

がんばれば大学まで
行けるからね
と言ったら、
呆然としていた。




アルバちゃんを訪ねた

かつて難民キャンプにいた少女、アルバちゃんを訪ねた。
あまりにも衰弱した様子に驚いて、山元しんぷさんのグループMの会で、ミルクの支援をした。
その後、戦闘も終息して村に帰ったと聞いていた。
今回、ピキットのDSWDの協力を得て、彼女の家を訪ねた。

アルバちゃんは、思ったよりも元気だった。
体つきも、少ししっかりしてきたように見える。
山元しんぷさんが声をかけると、微笑んだ。目も見えないのだが、ちゃんと覚えているのだ。

祖父母と近所の人々が、共に面倒を見ている。
イスラムの小さな村・・・
そこでは、ちょうどアラビア語学校が始まっていた。

《星に導かれて》
  山元 眞


 夜中にMCL(ミンダナオ子ども図書館)に着いた。朝目覚めて最初に会った子に驚いた。
 わたしが今のわたしになる大きなきっかけを与えてくれた子どもだったから。

 2005年の11月末から12月にかけて初めてMCLに行った。
 教会の創立50周年を機にミンダナオ支援を始めた。
 その祝いに松居さんご夫婦を招待した。
 急に、ほんとに急にミンダナオに行きたくなり、帰国する松居さんに付いていった。

 いろんな村を訪ねてまわったが、夕暮れ時にその日最後の村を訪ねたとき、
 ぼろぼろの車をいち早く見つけて駆け寄ってきた子どもがいた。
 頭に大きな傷跡があった。
 こぼれるような笑顔で、車を降りた松居さんに飛びついてきた。
 その時、松居さんが話してくれたことと、あの笑顔を今でもはっきり覚えている。

 「この子はこの村で最初に医療を受けた子ども。
 この子が医療を受けて元気になって、この村に明かりが灯った。
 希望のない暗い村全体が、この子一人が元気になることで村全体が明るくなった。」

 プロック8(エイト)と呼ばれる村。この村の名前?だけは最初から覚えていた。
 その時から、「こんな小さなことをしても大して役に立たないのではないか」という疑問が消えた。
 今回、最初に会ったのが、その時の子。ボランティアの原点みたいなことを思い出した。
 「一人の子どもが救われることで、村全体が明るくなる。」
 このことを思い出すとき、いつも同時にマザー・テレサの言葉も思い出す。
 「わたしたちがしていることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
 でもその一滴の水があつまって大海となるのです。」

 帰国する日の朝、キダパワンのカテドラル(司教座聖堂)で朝7時の英語ミサを共同司式した。
 この日は公現祭。キリストの救いが一部の限られた人たちだけのものではなく、
 全世界に人たちにまで及んでいることを記念し、祝う祭日。

 ミサの中で三人の占星術の学者が星に導かれて幼子イエスを訪ねた聖書の話しが読まれた。
 朗読をじっと聞きながら、ヘロデ王に尋ねた言葉が腹の底に落ちた。
 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。
 わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

 今回の訪問の目的のひとつがアルバちゃんに会うことだった。
 2008年の夏の紛争で避難民となったアルバちゃん。
 ほとんど飢餓状態だったアルバちゃんがどうしているのか。

 2008年の12月31日に避難民キャンプに訪ねてから一年。松居さんに尋ねた言葉
 「アルバちゃんはどこにいますか」と三人の学者の言葉が重なった。
 「アルバちゃんはどこにいますか」という言葉が「キリストはどこにいますか」という言葉となって、
 その言葉がミサの間中、心に中で響いていた。

 アルバちゃんはイスラムの小さな村に戻っていた。
 帰国する前日、アルバちゃんに会いに行った。
 家に入ると部屋(一部屋しかない家)の隅にアルバちゃんが横たわっていた。
 手を握って声をかけるとニコッと微笑んでくれた。そのことを思い出し、ミサの間ずっと考えていた。

 言いすぎだろうか…。キリストがそこにいた。アルバちゃんがキリストだった…。
 「この子にしてくれたことは、わたしにしてくれたこと。」(マタイ福音書25章40節)
 わたしは神父だが、神父が人を救うなどということはウソで、
 救われていることに気づくことが神父であることなのではないかと、今、思う。

 宗教、民族、文化、育ちなど、あらゆる違いがありながら、
 平和に暮らしているMCLの子どもたちを見ていると、
 ここにこそ、本当の平和があると…今回もまた、その思いを強くした。

 プロック8で会った子との再会で始まった今回の旅。
 イスラムの村の家の片隅にころがるようにして横たわっていた
 アルバちゃんを見つけて終わった今回の旅。
 こうして星に導かれた旅は終わった。
 うれしかった。とても。


アルバちゃんのいる
イスラムの村では、アラビア語学校が始まっていた

アルバちゃんの村のアラビア語学校。
小さなきれいなモスクに隣接して、子どもたち、大人たちも集まって、熱心にアラビア語のコーランを勉強していた。
ここの村は、半年以上、去年は避難民になっていた。それでも、明るさを失わない子どもたち。
モスクも新しく建立されたようだ。青空にモスクが青く輝いていた。

イスラム教徒の新年は、12月18日。一般の正月は祝わない。
1月2日も、アラビア語学校が、平日通り行われている。金、土、日が授業の日だ。
ちなみに、公立学校を彼らは、イングリッシュスクールと呼ぶ。
スタッフのノライダさんやアスレーさんは、帰省する事もなく、ミンダナオ子ども図書館のクリスマスや正月をサポートしてくれた。




元旦、年明けの勉強をした
仕事始めという言葉があるが、元日にわずかでも良いから勉強する。
私が大学の頃、父が、元日に書斎机に向かっていたので、「元日から仕事をするの?」と聞いたら、
「わずかでもこうして机に向かい、原稿を書くのさ。一年の計は元旦にあり」と言った。
本人が覚えているかどうかは知らないが・・・
ストリートチルドレンもいっしょに勉強した。女の子を除いて、一年生も終えていない。
少女だけは、4年生だが・・・


山元しんぷさん、お別れの日
温泉の流れる滝に行った

久しぶりに温泉滝行った。
無料で入れる滝と温泉。
向こうに見える滝壺の左の崖から、ボトボトとお湯がしたたり落ちている。

流れる川の底からも、お湯がにじみ出ていて温かい。
さらに、手前の岩間には、こぼれ出るお湯をためた温泉がある。
結構、温度も熱くて体中が暖まる。

周囲は、全くの原始のジャングル。
岩で囲った温泉以外は、手つかずの自然だ。
滝壺の水も、温泉のおかげでいくぶん温かく、滝壺で泳いでは温泉に浸かる。
溜まった疲れがお湯に溶けて、体がいくぶん軽くなる。

そしてお別れの日





ミンダナオ子ども図書館だより:2010年元日

1,行橋カトリック教会から、山元眞神父さんが来られた!
2,今回は、乗り合い舟にのって、イスラム地域のナブンダスを目指した。
3,読み語りが終わり、行橋カトリック教会から送られてきた古着を配った
4,クリスマスの夜は、みんなでキダパワンの街に花火を見に行った!!!

5,ストリートチルドレンの子たちの家を探し訪ねて・・・
大晦日の夜の新年ミサを村のチャペルで!
7,クリスマスに海に行った


行橋カトリック教会から
山元眞神父さんが来られた!
今回で、5回目のミンダナオ子ども図書館訪問。
忙しいクリスマスのミサを終えて、一足飛びでミンダナオへ。
神父の仕事は激務だ。精神的ストレスと幼稚園の園長も務めているので、年末はヘトヘト・・・・

福岡の行橋カトリック教会を、同僚のボリビア滞在の神父さんにまかせて、とにかく逃げるように日本を発つ。
飛行機の中では、むさぼるように眠り、今回同行されたなじみの教会員でMの会の山本幸子さんが声をかけても
寝言のように答えるだけだったという。疲れている日本人を代表して、肩にしょってやってきた?

ところが、ご本にもおっしゃるように、ミンダナオに着いたとたん(ミンダナオ子ども図書館に着いたとたん)
すっかり心も体も解放されて本来の自分を取り戻した・・・
ミンダナオ子ども図書館、心の回復の旅。


今回は、乗り合い舟にのって
イスラム地域のナブンダスを目指した。



ナブンダスは、リグアサン湿原の
入り口にある集落
集落の面影もない
中州の村だ!

神父が、イスラム地域の、よりによって乗合船に乗り、中州の集落に行っただけでも、地元でも驚くべき事で、
しかも、外国人である日本人が・・・・・・・・
キダパワン教区司祭のジェシー神父も、「よくもまあ!」と言ったきり、開いた口がふさがらない。

地元ピキットのOMI(オブレード会)のライソン神父なら、行くだろう。
「来年もまた、お目にかかりましょう」というと、ライソン神父はこう答える。
「生きていればね・・・」


しかし、この中州の村は、私たちはもう5回目だ。
本当に、原始のミンダナオを感じさせる美しさと素朴さ。
ミンダナオ子ども図書館では、市川鉄子さまの寄贈で、ここに保育所を建設している。

その後も、たびたび訪れては、子どもたちと会う。
来年は、ここの小学生の子たちをスカラシップに採用していこうと思っている。

学校までは遠く、貧しい村で
洪水が起こると、島全体が水の中に沈んでしまう。
そうしたらどうするのですか、と聞くと。

椰子の木につかまったりするのだという。
確かに、魚採りの小舟や、バナナの幹を切った筏をロープで椰子の木に結びつけて
洪水をしのいでいた姿が思い浮かぶ・・・




子どもたちとの久しぶりの再会
毎年来るたびに
子どもたちや村人たちの
表情が柔和になる



山元しんぷさんと
山本幸子さんと
この村出身のスカラーで
大学生のHadiguiaさん
読み語りに夢中になる
子どもたちの姿
街から離れたこうした地域の
子どもたちほど、
真剣で集中する

この顔、何度見ても
美しいと思う。





冨 高 英 徳さま
Hadiguiaさんは元気ですよ
クリスマスプレゼントをありがとう!

読み語りが終わり、
行橋カトリック教会から送られてきた
古着を配った


ここでは、古着も貴重だ
今日は、ミンダナオ子ども図書館が
来るというので
皆、精一杯のおしゃれをしてきた

でも、普段はほとんど
裸足で裸の子どもたち


新年の何よりものプレゼント

古着の他にも
日本から送られてきた
米が入っていた

米は、貴重だ
湿地はあるが
ここで育てられているのは
ほとんどがトウモロコシ

上は、行橋カトリック教会が作ったユニフォーム
背中の天使のデザインは、スペイン在住の有名な画家、九十九(つくも)画伯の制作。
キリスト教徒ではないが、行橋カトリック教会のステンドグラスを始め、壁画のデザインは全て手がけている。

地元のお父ちゃんがそれを着て、山元神父さんと山本幸子さんと記念撮影(背中の)
イスラムの父ちゃんたちも、大はしゃぎだった。

クリスマスの夜は、みんなでキダパワンの街に
花火を見に行った!!!
年末は、キダパワンの街で花火が上がる
ことしも、みんなで見に行った。

ここで、5人のストリートチルドレンに会った。
泊まるところがないというので、とりあえず、一晩ミンダナオ子ども図書館に泊まり
翌日、彼らの両親に会いに出かけた。

思った以上に辺鄙なマノボの村だった。
想像以上に貧困だ。



ストリートチルドレンの
子たちの家を探し訪ねて・・・

町外れに住んでいるのかと思ったら、
町外れの田舎道を車で走り、さらに曲がって奥まで行くと
道が無くなった。

ここからは、歩いていくしかない。
小道を子どもに案内されていくと、何と川に出た。
川を渡って行くと集落とも言えない、場所に出た。

数件のマノボ族が住んでいる。


年をとって、盲目のマノボのおばあちゃんと歓談する。
体はそれほど悪くないし、まだまだ働けると思うのだけど、目が見えなくてね・・・


子どもたちの家は、
家という体裁も無い家もある

ほとんど学校には行っていない


親も、家に居なかったりする。
街に近い親戚の家に
出ているという

クリスマスから新年
彼らにとっての稼ぎ時
つまるところ
物乞いのシーズンなのだ
かろうじて親がいる子の、親に話を聞くと、
この子たちはもう、11月から、家を出たまま、どこにいるのかもわからなかったという。

途中で、ゴミの山の子たちにも手を振っていたし
そのようすからして、物乞いをしながら、街のゴミを拾って生活をしていたらしい。
たくましいといえば、たくましいのだが・・・・

子どもたちの希望もあり、親戚や親の承諾を得て、正月をミンダナオ子ども図書館で過ごすことにした。
彼ら曰く「ミンダナオ子ども図書館は、天国みたいだ!」


大晦日の夜
新年ミサを村のチャペルで!
ミンダナオ子ども図書館のある、マノゴル村には、チャペルがあるが神父が不在だ。
山元神父さんが、新年の大晦日のミサをあげてくださった。
村人たちは大喜び!

本当に暖かに晦日の夜が更けていく。
新年のミサは、ローマ教皇の出す、平和のメッセージが土台になる。
今年のメッセージのテーマは、「神の創られた被造物を守ることと平和」

深い意味での環境と平和がテーマだ。
山元神父さんの温かい人柄と、心のこもったわかりやすい説教。
自然界のスピリットにも言及した話は、大いなる共感を呼んだ。

こんなに暖かなミサは滅多にない。

その夜は、ストリートチルドレンの子たちもいっしょに食事をし
ミサにも出て、元旦を祝った。



クリスマスに海に行った

クリスマスからお正月のシーズン、里帰り出来る子たちは、故郷にもどる。
親がいなくても、親戚の家に帰る子もいる。
ミンダナオ子ども図書館の若者たちが、ポツリポツリとかけていく時が、残っている子どもたちにとって寂しい時。

ミンダナオ子ども図書館に年末年始、残っている子たちは、親がいなかったり、居ても何らかの理由で帰れない(帰りたくない)子たち。
彼らの心が寂しさで沈む時でもある。
この様な時期に、読み語りなどのプロジェクトを実行したり、日本からの訪問客がいると気持ちがだいぶ違うのだが、
毎年、この時期を見て、海に泳ぎに行くことにしている。
それこそが、居残り組の特典??

クリスマスが終わると、ミンダナオ子ども図書館にもどってくる子たちもいる。
とりあえず、親戚や家族で顔を合わせて、また、大好きな?ミンダナオ子ども図書館に帰ってくる。
こちらにいる方がホッとするのだろう。
今年はフェリーボートに乗って(と言っても10分ぐらいでダバオから着くが)対岸のサマール島に泳ぎに言った。



初めて海を見る子もいる
初めて海で泳ぐ子もいる


海にはたくさんの「星」が
落ちていた!


新しく来たスイーツスイーツも
すっかりみんなとの生活に慣れた
支援者も見つかって
うれしさと
ホッとした様子が顔からわかる




左は、一昨年
両親共に亡くなった姉弟

右は、かつて奨学生のタタ君
苦労を重ねて
結婚し一児の父となった

エープリルリンも元気です

右端の写真は、かつて奨学生で自動車工学を学び、
現在、MCLの運転手けんメカニコを担当してくれているスタッフのタタくん。
3年ほど、自動車修理店で働いた後に、MCLに移籍した。

結婚して子どももいる。
こうして、奨学生たちが家庭を持ち、次世代を育てていくのは楽しみでもある・・・





ミンダナオ子ども図書館だより:12月23日

0,クリスマスイブの読み語り
1,日本から帰ったとたん、子どもたちが大喜びで迎えてくれた
2,早速、新たに建設予定の保育所を調査
豊島紀子さま、久岡隆行さま、松岡なつめ様、Stady Unionさま、小笠原ライオンズクラブさま寄贈の保育所
3,今年最後の学生総会:クリスマスパーティーをかねたスカラーズデイ
4,諏訪淑子先生の寄贈で、キアタウに保育所が完成!
5,立正佼成会から送られてきた、ゆめポッケを届けた
6,全国海外教育事情研究会とWE21おだわら寄贈の初等小学校が完成した
7,ブグアック村にも保育所が完成!N.T.さん、ありがとう!


クリスマスイブの読み語り
ストリートチルドレンの子たち

12月23日、街の真ん中の広場で、ストリートチルドレンの子たちをおもに集めて、読み語りをした。
この時期、貧しい子たちは、いっせいに?街を徘徊する。
夜遅くまで手を叩いて、「パスコ、パスコ、クリスマス!」と歌って小銭を集める。

右端の写真の二人の少女。
特に、写真の左の少女。
今はミンダナオ子ども図書館に住んでいるが、つい一週間前まで、街を徘徊していた。
夜の9時近く、屋台で簡単な食事をしているとよってきて歌をうたう。

「学校に行きたいの?」「うん、でもお金が無くて」
「お父さんとお母さんは?」
「父さんは小さい時に死んだ。母さんは、頭がおかしくなっていて、おばさんの所にいるの」
写真の左のスイーツスイーツというあだ名の子が答えた。

ミンダナオ子ども図書館を見てみたいというので、夜遅かったが家をたずねた。
川沿いの貧民地区。
家にはいると、少女が言うとおり、母親は完全な痴呆だった。
叔母が見ているが、病気で、絶えず少女を棒で叩く。

ミンダナオ子ども図書館に来たとたん、歓迎を受けて泣き出した。
「家にいても寂しい、ここに住みたい。」
ストリートチルドレンの子たちに
最後のゆめポッケを配った
ここで、残っていた
最後の
ゆめポッケを配った
ゆめポッケは、
立正佼成会から贈られたプレゼント

中に、学用品やおもちゃが入っている

,

読み語りと炊き出しが終わった後
みんなで遊んだ

大喜びの子どもたち
私たちが想像する以上に
彼らの生活は厳しい

6割ほどが
街に住むイスラム教徒の子だった






 両目に白い膜が出来ていた少女がいたので、「目を治したい?」と聞いた。
 すると、涙をためながらうなずいた。
 さっそく母親を訪ねた。路上で蕪を売って生活をしている。
 学校にも行きたいことがわかった。成績も良いのだけれど、貧しくて学校が続かない。
 「スカラシップの支援者をさがしてあげるからね。がんばれば大学まで行くことも出来るよ」
 と言うと、後ろを向いてしまった。
 見ると、目に涙をいっぱいにためて泣いている。




この子もスカラシップを出すことに決めた
成績も良いしがんばりやだ。

まずは、目の手術をしなければならない
上は、蕪を売っているお母さん

お父さんは、ゴム汁をしぼる日雇い
いつも、仕事があるわけではない

母さんががんばって

生活を支えているが・・・


どなたか、支援者になって
いただけませんか?



支援者が
見つかりました!!




日本から帰ったとたん
子どもたちが大喜びで迎えてくれた!


二ヶ月の日本滞在で
MCLを留守にする。
私も寂しいが、子どもたちも寂しい

帰ったとたん、
大喜びの笑顔で迎えてくれた
うれしくて泣き出す子も・・・


安心して暮らせる
いつもの日常がもどってきた?

私がいない時の方が、
「鬼のいない間に洗濯?」ではないけれど、
のびのびと好き放題しているように
思っていたが
そうでもないらしい。
父親のいない子の孤独感
寂しくて泣いていた子もいたと聞く。
私も日本では寂しいのだが、
ここに帰ってくるとホッとする。

講演を仕事の一部とせざるを得ない、仕事人の悲しさ。
寅さんのようなものだと、いつも思う。

しかし、心から大喜びで迎えてくれる子たちがいるだけで
本当に救われた気持ちになる。

ダバオでは、久しぶりにジョイとアリエルにも会った。

早速、新たに建設予定の保育所を調査
豊島紀子さま、久岡隆行さま、松岡なつめ様、Stady Unionさま、小笠原ライオンズクラブさま寄贈の保育所

さらに5カ所ほど、新たな保育所の建設場所を実地調査した。
豊島紀子さま、久岡隆行さま、松岡なつめ様、Stady Unionさま、小笠原ライオンズクラブさま寄贈の保育所。
必要としている場所はたくさんあるし、ただ、次々に建てていくなら簡単なのだが、
私たちは、村の中でも、周到に調査して、最も困難で、学校へも遠く、貧困や戦闘で困窮している場所をとことん探す。


この地域は、NPA(新人民軍)と呼ばれる反政府組織の強いところだ。
そのようなわけで?かどうかは知らないが、バランガイから2名の銃を持った私兵(その村のお父さん)が同行してくれた。

このように、初回村に入る時には、村人が私たちを良く知らないこともあり
誤解から、事故が起こる可能性も否定できないので、このように、その筋の人たちが同行してくださる事がある。

途中で、鉄砲を持った少年に出会った。
少年兵ではない、晩ご飯のおかずに鳥撃ちに行って来たのだ・・・


しかし、この地域でも、少年に対するNPAのリクルートが多い。
山での戦闘訓練に参加すれば食べられるし、スカラシップを出して学校にも行かせてくれる。
ただし、戦闘がある時には、最前線に立たせられるのも少年兵たちだ。

川の手前で
4WDは、ストップ
山の斜面を歩いて登っていった

こうした山の子たちは
本当によく働き
良くお手伝いをする

牛飼いの少年
水くみの少女
子守の少女
マノボ族のこうした地域は
山岳地であるために、農業事情も良くない。
平地の良い土地を、移住民に取られ
山に追われた・・・
仕事も無く本当に貧しい

左の写真は、父親が死に、
母親は遠くダバオに行ってしまった
小学生の少女

おばさんの所に住みこみながら
3人いる下の子たちの
食事から洗濯まで
彼女がすべて面倒を見ている

私たちは彼女も含めて
この村から10名の小学生
高校生と今度大学に入る子を
スカラシップ候補としてとった

そして、保育所を建設することにした。
建設は、1月から始まる



今年最後の学生総会
クリスマスパーティーをかねたスカラーズデイ

12月最後の奨学生総会。
イスラム教徒もいるので、クリスマスパーティーと言う名を使わず、スカラーズデーとした。
総会が終わってから、クリスマスパーティーは任意で参加する。

彼らの決めたテーマは、「隠された才能の発見」
各々通っている学校を代表して、歌、踊り、寸劇などを披露
いやはや、実に楽しく、またいつもながら、彼らの表現力の豊かさと自由さに喝采



迫真の演技に
涙ぐむ子たちもいる


楽しむ時は大いに楽しむ
明日のことは思い煩わない

今を精一杯生きる

貧しさ故に、培われていく
心の豊かさだろうか。
これらの子たちが、極貧の、また家庭崩壊したり両親がいなくなったり、戦闘地域で避難民化していた子たちに思えない?
皆、逆境にもめげず、精一杯生きている。

日本の子たちに、この元気さをわけてあげたいといつも思う。




諏訪淑子先生の寄贈で
キアタウに保育所が完成!

ミンダナオ子ども図書館は、困難で貧しい地域を選んで活動しているが、
ここ、キアタウは、その中でも最も山深く困難な地域だ。

しかし、私が知る限りでも、最も美しい村である。
雄大な風景も美しいが、
子どもたちの心も純粋で美しい!!!

ここの保育所作りは、困難を極めた。
麓の町で、資材を買っても、車でこの地まで運ぶのが大変。
道が悪路なので、天候が悪いと車が現地近くまで入れない。

さらに、現地近くから、ブロック、砂利、トタンなどの資材を馬で運ぶ。
建設は村人たちの手で・・・・
ゆめポッケ訪問のドキュメントは、こちらをクリック ドキュメントへ

この村に
立正佼成会から
送られてきた
ゆめポッケを届けた




「ゆめポッケ」とは、
立正佼成会が行っているプロジェクトで、
家庭で、母親と子どもたちが、
巾着のような袋を作り、
学用品やオモチャを選んでつめたもの。
それを、世界の難民、
貧困地域に届けている。

ミンダナオ子ども図書館に声がかかり、お手伝いさせていただいた。
2009年は、山に追われたマノボ族の地域に、来年、2010年は、イスラム地域に届ける予定。
手作りであるだけに、一般の物資支援と異なっていて、まごころがこもっていて子どもたちが本当に喜ぶ。
子どもたちだけでなく、親も、感動して大喜び。
なにしろ、ここの子どもたちは、こうした学用品やオモチャを見たことも、さわったこともないから。


全国海外教育事情研究会とWE21おだわら寄贈の
初等小学校が完成した
こちらが、かつての小学校 これが、今回完成させた小学校

ミンダナオ子ども図書館で、初めての、初等小学校が完成した。
初等小学校とは、こちらで呼ぶ、プライマリースクールの事。1年から4年生までの、小学校だ。
おもに山の遠隔地に置かれていて、年齢の小さな子でも、歩いて行かれる距離に建てられている。

ミンダナオ子ども図書館では、小学校建設は経費の関係上不可能と思っていた。
それで、JICAの草の根資金などに応募して建ててきたが、上左の写真の小学校を見るに見かねて
保育所建設応募の2団体で、合計30×2=60万円の建設費で、初等小学校を建てる決心をした。

保育所はDSWD(福祉局)の管轄だが、小学校は文科省の管轄になる。
この地域は、絶えず戦闘にさらされており、反政府的な意識が強いという事で、海外などの支援もまったくなく
そんなわけで、小学校も屋根に穴が空いたままだった。

小学校が出来て、子どもたちは大喜びだ。父母たちも、先生たちも、大喜びだ・・・
今回、ここから、10名の小学校のスカラシップを採用することも決めた。
高校生も数人とる。
かつてのマカブアル同様に、閉ざされた反政府的な人々の心を開いていくための一歩。

今後の重点地域の1つになるだろう。


ブグアック村にも保育所が完成!
N.T.さん、ありがとう!

この村も、山沿いに位置している。
山沿いは、反政府勢力の通り道になっていると言う都合で、政府軍との戦闘がしばしば起こる。
ブグアク村も、その様な村の1つだ。

この村とのおつきあいは長く、大学を卒業したスカラーも出ている。
多くの子たちが、皆さんの支援で学校に行けていて、その意味で、貧しくても夢のある村となった。





ここでも、立正佼成会から届いた
ゆめポッケを配った。
イスラム難民の村では初めて。

絶えず起こる戦闘で、
家族は、山の家を離れて
麓に避難する。

帰ってみると
せっかく植えたトウモロコシも
他の作物も枯れている。

新たに播く種を買うお金もなく
食事にも事欠く生活。
それでも、子どもたちは元気だ。

ここから来た子の高校生8名ほどは、
ミンダナオ子ども図書館に住んでいる。
家からは、学校までひどく遠いし
食事もろくに食べられないからだ。

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