.ミンダナオ子ども図書館だより:2009年1月〜2月

ミンダナオ子ども図書館便り:2月24日

目次

1,マキララでのNPAと戦闘と難民

2,日本のJICAのODAによるピキットの灌漑運河の建設
3,IMT国際停戦監視団の菊地 智徳氏からのメール
4,兎口の子どもたちの治療
5,難民キャンプの歯茎異常の少女の治療
6,ナブンダスに市川鉄子先生寄贈の保育所が完成!
7,生まれて初めて体験した観覧車!


マキララでの
NPAと戦闘と難民


この地は、ドールによるプランテーションが、ダバオ近郊と比べて比較的近年開発された地域で、
ここ30年ほど、山岳地域でのNPAと軍による戦闘が絶えない地域である。
最近、再び、この地域に隣接して戦闘が起こり、2000人以上に上る難民が出た。
その多くは、山岳地域のバゴボ族である。
http://www.gmanews.tv/story/148140/2000-villagers-displaced-by-anti-NPA-drive-in-North-Cotabato

戦闘が起こっている理由は諸説あるが、Fr,ピーターのトライバル・フィリピーノ・ファンデーションによると
プランテーションの拡張のための農地所有の拡大によるNPAや先住民と軍の衝突であるという。
名前が出ている企業には、バナナで有名なドールと共に日本の会社も挙がっており、
おもに、ジェトロファ(こちらでは、トバトバと呼ばれ、バイオディーゼルを作る原料の実)の作付けや
ゴム農園の大規模拡張と関連しているという。


先進国による農地拡大の問題に関しては、次の記事をクリック Info

これは、現地から聞こえてくる解釈であり、戦闘は政府軍がNPAのキャンプを
空からのペリコプターによる襲撃を加えて攻撃したが、理由は、経済的危機と同時に活発化している
反政府組織を叩くためであると、言われている。


経緯

マキララやトゥルーナンは、ダバオからキダパワンに入る手前の山沿いの市で、周囲を山並みに囲まれている。
この地域は、先住民族がもともと広範囲に住んでいた地域で、2000年前後から、
NPA(反政府ゲリラまたは共産ゲリラと呼ばれる)と政府軍の戦闘が繰り返され
結果的に、彼らを追い出して山に封じ込める形で、ビサヤイロンゴ系の人々が農地を拡張してきた。

私が、8年前にこの地に来た時には、マキララはNPAと軍の戦闘地域として、危険視されていた。
現在は多少収束しているが、情勢が根本的に変わったわけではない。
ちなみに、ミンダナオ子ども図書館が農地を購入したのも、このマキララの山岳地の中の村である。

2000年前後の戦闘では、先住民族は、反政府ゲリラではないにもかかわらず、NPAであるとされて山に追われるか、
山麓に移住してもすでに自分たちの土地は無く、しかたなく日雇いとして、移民系住民の村の郊外に固まって住むようになった。
これは、読み語りで訪れた、バゴボ族の村人が、私に語ってくれた事である。

私が来た、8年前から現在に至る過程は、
資産家が大土地を所有した後に、5年前ほどにスタンフィルコつまり、
ドールの立派なバナナ集積所が国道沿いに建てられた。
その後、山裾に大規模なバナナプランテーションが開発されていった。
こうしたバナナは、高地栽培バナナとして、
ドールを経由して日本や中国に輸出されている。

土地無しの先住民は、山岳地に追われたものの、
当時、小規模ながら土地を持っていた住民も、
優先して雇用に預かれるという事で、土地を売却したが、
その後、雇用されていた地元の人々が、リストラで職を失い、
他所から来た人々が雇用されてきている。

こうした問題から住民の不満が集積し、
先年、12月のドール倉庫の焼き討ちやトラックの襲撃、
二人のバランガイキャプテンが殺害された。
これらの事件も、NPAの仕業とされているが、
経済的クライシスとともに反政府、反プランテーション感情が
根強く表に現れてきた結果であると言えよう。



日本のJICAのODAによる
ピキットの灌漑運河の建設
日本のJICAのODAによる
ピキットの灌漑運河の建設も再開されたようだ。
写真の対岸をダンプが走っているのが見える。

数台のトラックと水管が所々に置かれている。
しかし、部分的にかなり埋まっている場所もあり
工事に時間がかかるだろう。

私たちのスカラーを訪ねた時に偶然見た。

ピキットには、アメリカ軍もかなり入って来ているらしい。
表向きは目立たないが、おもに「道路」といってもかなり
バランガイ深くまで届く道に砂利をひく整備を行っている。

日本のODAで建設し、ミンダナオ子ども図書館がお手伝いした、
ここマカブアルの小学校にも砂利道の道路が整備されて驚いた!
校長先生曰く、
「アメリカ軍は、道もないこんな所に、こんな立派な小学校が
日本の支援で出来ているのを見てビックリ!していましたね。
『What a beautiful school!』と驚いていました。
米軍がこんな所まで来る理由は、
『家畜に予防注射をうつためだ』そうです・・・」

家畜つまりミンダナオの人々、に
悪いバイ菌つまり反体制思想、が感染しないため
予防注射つまり戦闘、を起こして
バイ菌に感染した人々=MILFを退治する???

道路整備の大きな理由は、戦闘が起こった時に、
戦車や軍用車が容易に入れるようにするためだと言われている。
「アメリカ軍が道路を建設した後には、
必ず大規模な戦闘が起こる。」
と現地では言われている。

私の経験から、ミンダナオで戦争が起こった半年から一年後に
中東で大規模な戦争が起こっている。計画したかのように?

2年前、こんな平和な時期に、ダバオに何故、
立派な赤十字のビルが出来るのだろうか?と思った、
翌年に、戦争が起こり、赤十字が活動を開始した。.
あらかじめ知っていたかのように。

日本政府の停戦監視団の皆さん、
戦闘が起こらないようによろしくお願いします!!!



マカブアルの小学校、近況


IMT国際停戦監視団の菊地智徳氏からのメール
このメールは、ご本人の修正加筆の元に、承諾を得て掲載しています

菊地智徳氏、JICAインタビュー記事は以下をクリックしてお読みいただけます
http://www.jica.go.jp/story/interview/interview_66.html
おはようございます。
時々、webで発信されるHP内容を拝見しています。
今朝、見ましたが、なるほど、という見解がいくつかありました。参考になります。
(菊地氏が読まれた記事を再読されたい方はクリック)Go!

なるほど、と私が思ったのは、

・住民のなかにおいて政府、反政府の色分けは、必ずしも明瞭ではない、という点。
・地域の特性(政府よりなのか、反政府よりなのかなど)は、まさに現地のヒトでないとわからない、という点。
 また、それは、明瞭でないこともあるという点。
・会話でNPAとかMILFとか、を安易に出さない方がいいという点、
・平穏に見えても、突然、戦闘が開始されるかもしれない、という不気味さ
・国軍がいる場所で戦闘が再開される可能性大のため、避難民は戻らないという指摘、
・行政職員が必ずしも政府より(国軍の味方)とは限らないという点などです。

菊地智徳氏とピキット市長を表敬訪問 市庁舎裏の日本軍の要塞跡を訪れる


他の国でも共通の要素もあると思います。


たとえば、中近東の一部では、家族・親族のなかに、国軍、警察、イスラム過激派支援者などが混在しており、
いったい、この家族・親族はどちらの味方なのか、という問い自体が意味をなさない地域もあります(国境地域)。
平易にいえば、「ぐちゃぐちゃ」です。

ミンダナオや、フィリピンの他の地区にも、同じようなことがいえるかもしれませんね。
家族・兄弟のなかに、国軍、NPA、警察、あるいはMILFとの繋がりをもつもの、
また、その構成員がいるとしても、それは不思議ではないと思います。
地域という広がりを持たせると、もっと、複雑で、曖昧だと思います。

結局、白黒はっきりしないグレーゾーンのなかで支援を行っていく上では、そうした特性を把握して、
極力「政治色のない」支援を心がけるしかないのだと私も思います。
保健医療、給水などは、その代表と思います。

しかし、「道路」というのは少し違います。
この国に限らず、戦略物資の輸送、また、軍事車両の迅速な展開を可能にするという軍事的観点から見ると、
「道路」には政治性が出てきますので要注意であること、
また、道路建設により、結果として、裨益する人々と裨益しない人々の格差を生じさせるという可能性があると思います。

また、いろいろなことで、ざっくばらんに意見交換させていただきたい、と思います。

感想を交えて、いろいろ書きましたが、「読み聞かせ」の心理効果ということには、私は興味を覚えました。
情操教育とは異なるのでしょうが、そうした心理面の効果というのは、私は子どもには重要ではないか、と思います。

現地に根を張って生きる、そこの骨を埋める、という覚悟はすごいと思いました。

お元気でご活躍ください。


菊地 智徳






兎口の子どもたちの治療

今年も、ダバオで開かれる、兎口の子どもの治療に参加した。
これは、UCCP(フィリピン・キリスト教団)とドールが協賛して、毎年ダバオで開かれるものだ。
ミンダナオ子ども図書館では、家族の食事と宿泊、そして搬送を行う。






今回、参加したのは、マキララ地区の
先住民バゴボ族の子たちと
ピキットのイスラム教徒の子たちが多く
総勢で、8名の子とその親たち

経済的なサポートは、ドールが、
治療と検査は、比キリスト教団の招待で
アメリカのドクター方が
ボランティアで行ってくださる

私たちも、大いに助かっている
年一回の無料治療!


それにしても、ドールのプランデーション開発の影響を受けて山岳地域に追われた子たち、
米軍も関与している戦闘地のイスラム教徒難民の兎口の治療を、アメリカ人を交えたキリスト教会が行う・・・
それで助かるのなら良いとは思うのだが、国際支援とは、何なんだろう?
支援を考える時にいつも繰り返し戸惑いながら、問い解される素朴な疑問!
支援とは、単なる利益の還元、それとも罪滅ぼしなのだろうか???


難民キャンプの
歯茎異常の少女の治療


手術前の姿


治療が終了し
再び難民キャンプに戻った少女
すでに半年もこういう生活が続いている

祖母は涙が止まらない

歯茎が異常に飛び出してくる病気
原因が何だかわからないが、ピキットの地に、瘤や発育の異常が多いのは事実で、戦闘時期と重なっている。
まるで劣化ウランの症状のようだと、その道に詳しい者が語っていたが、証明は難しい。
とりあえず手術が成功、6ヶ月後に今度は歯を入れる事になった。
見違えるように成った孫娘を見て、祖母は涙が止まらない。(右写真上)



ナブンダスに
市川鉄子先生寄贈の保育所が完成!




この保育所に到達するには
パンボートと呼ばれる
舟で行くしかない


完成した、保育所。読み語りの後に、プレートが張られる。
舟には、椅子と机も運び込まれた 途中からも、子どもたちが次々に舟に乗り込んでくる、


読み語りに、熱中する子どもたち
彼らの顔を見るのは
本当にうれしい

何度見ても見飽きない
子どもたちの表情。

イスラムやマノボ族の歌も
みんなで歌った。





前回から、開所式には、私がビデオを持参して、支援者のために短いドキュメンタリー映画を作ることにした。
市川鉄子先生は、長く幼稚園教師を務めて退職された。その記念と想い出に、寄付をされた。

市川先生、もうじき開所式のDVDが届きます。
そして必ず、いつかいらしてくださいね。現地を訪れましょう!!!

市川鉄子先生
ありがとう!

生まれて初めて体験した観覧車!

バレンタインの日、キダパワンの町に遊園地が出現した。
日本の我々には、あまりにも小さな遊園地だが、山で育った貧しい子たちにとって、夢のような憧れ!
生まれて初めて、遊園地の中に入り、生まれて初めて、観覧車に乗せてもらった子たち。


小さな小さな観覧車だが、乗ってみると結構高く感じられる。
終始、悲鳴に似た歓声が、観覧車から聞こえてくる。高校生なのに、7歳の子どものような喜びようだ!

実の娘や息子のように想っている、私のバレンタインデーの個人的な、大盤?振る舞いだった。

新しいスカラー候補

スカラーのザイノディン君の妹。もう一年近く、難民状態だ。
最初は、父親が高校生になるのを反対した。

保守的なイスラム教徒の中には、女の子は学業を続けることなく、結婚した方がよいと言った考え方がある。
彼女が、涙を流して悲しんだ様子が今でも脳裏に焼き付いている。






しかし、一年たち、兄のザイノディン君が、
MCLの活動の素晴らしさを語ったので、
保守的な父親の気持ちも変わった。

「もう、こんな難民生活はほとほと嫌になった。
娘も自由に羽ばたかせてやりたい」






彼らの難民状態の原因は、村長一族の確執が原因で
今回の戦闘とは、理由が少し違う・・・


家族写真を撮る時
最初は棒立ちだった父親の手を取ると
わたしは、娘の肩に乗せてやった。
ぎこちないだけに、父親の気持ちが伝わってくる。

「娘が親元を離れて、MCLに住むとなると、父さんは寂しいでしょう」
父親は、一瞬言葉につまったが、「寂しい・・・」とつぶやいた。
その気持ちは良くわかる、私ももう8年間も、生き別れになった娘達に会っていないから・・・

支援者が見つかりました!


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ミンダナオ子ども図書館便り:2月14日
制作完了2月14日
ただ、以下の記事のみ制作中として、今回は概要を示し、後に論じることにした
「貧困地域における支援活動としての読み聞かせ」

目次

1,憑依が何故起こるのだろうか
2,憑依に関する若干の考察
3,ミンダナオ文化・農業プロジェクトM−CAPについて
4,驚くべきムスリムのシャマニズム
5,フィリピン伝統のハラナ
6,山の中に農場を開く
7,ピキットの奇妙な洪水
8,むしろ困難なのは戦闘難民の人々
9,貧困地域における支援活動としての読み聞かせ



憑依が
何故起こるのだろうか


初めてミンダナオ子ども図書館で、憑依が起こった時には、
これは体の傷が原因かと思った。
その子は、銃が暴発し腹部を貫通。
そこから排便していたが手術の結果、肛門が使えるようになった。
しかし、その後も傷は癒えていなかったから、その膿が頭部にも移るのかと・・・・

最近、二人の子に起こった憑依は、
顔かたちも変わり、同時に憑依状態になり、
二人を引き離し、部屋を別に移動した後、
私が仲立ちの子と二人で彼女を押さえて落ち着かせ、
神とイエスの話を聞かせ、落ち着き始めると不意に正気に返り、
本人は何も覚えていない。

以下、大渕さんに当てた私のメールから抜粋して、
その後さらに状況を多少分析してみたい。




2月10日


心配おかけしてすみません。
ちょっと体調を崩していました。先年からの疲れが出たのか、気管支炎になって数日入院しました。
それに、うちの二人の子が憑依状態になって・・・

霊がとりついたようになって、これで三人の子で、数度目の体験ですが、今回は二人が一緒に一つになって憑依状態が始まり
一人には、もう一人子の、去年の暮れに亡くなった障害者の妹の霊が乗り移った、と言うことなのですが
目が真っ赤に血走って斜め上を凝視したまま、手が収縮して手先を尖らして固くなり、想像以上の力で暴れ
別人格のようになり、髪を振り乱してけたたましく笑ったり・・・

もう一人の亡くなった障害者の妹の霊がついたと言う子の場合は、小さな女の子の霊は、マノボ語しか介さず、
私は、彼女を抱きとめてマノボのスカラーに通訳してもらいながら、霊に、死者の魂は父である神とイエスの元にあって、
お姉さんの事をしっかりと見守っているから安心するように、話しかけていきました。

顔を見たりすると仰天するような形相で(普段は可愛い子なのですが)。
周囲は、恐れ騒然となるのですが、時には押さえ込もうとする屈強の男の子を、信じられない力ではねとばしたりする。

私は、こういうのがなぜか全然怖くないので、興奮している、スカラー達や大人を厳しくたしなめて、
冷静な子以外は、興奮を助長するだけなので部屋から出てもらい、
穏やかに愛情を持って接して、すごい力で暴れようとするのを、時にはしっかりと抱き留めて安心させ、落ち着かせ、
問題を見極めて行くと不意にスーッと憑依状態が消えて元に戻る。

元に戻る瞬間というのは、非常に感動的で、狐につままれたような顔で、あたりを見回しながら、
自分のいるところも、何が起こったかも理解できず、何も覚えていないのです。

結局、様々な言えない悲しみや家庭の問題があり、ストレスが引き金になるようです。
一人は、障害者の妹を大事にしていた子で、クリスマスに
櫛、髪飾り、小さな靴を買って帰ろうとしていた矢先に妹の死を知った。
その妹は、いつも大好きな姉さんが側にいることを望んでいたので、霊となって来たのだと・・・

もう一人は、父親が毒殺された子で、ここでは語れないのですが、非常に複雑な家庭背景と
父親の親戚が、土地の問題も含めて、密かに連れ戻そうとするのを恐れている。
その子は上述の子の親友で同じ村から来た子で、妹の霊の媒体になった。
MCLは、子どものシェルターとしても認定されているから、大丈夫守ってあげると言ってようやく心が落ち着いてきた。

山の貧しい家族の期待を一身に背負っていたり、
都会でレベルの多少高い学校に移った結果、学校の事も含めて、
心因性のストレスがたまり、限界を超えて、
引き金になって憑依状態になるようなのですが、
それだけでは説明しきれないものもある。

私は、平静をたもちつつ、寄り添いながら、落ち着かせ、
原因を話をしながら明確にして、解決策を見いだす。
そのご、彼らのストレスを全部私が吸い取ったようになり、
疲れがどっと出て。
日本にいると、こういう事は特殊でしょうね。

どうも、人だけではなく、霊までも、私が理解してくれると思って、
頼ってくるようですね????
(アイヌ文化に造詣の深い、藤村久和氏なら、そう言うだろう)

経済的にだけでなく、精神的にも、強い愛情を持って
しっかり支えていかなければならないようですね。
大変な家庭状況を背負っていたりして。


カトリックには、こういう状況に対応する神父がいて、
エクソシストを行うと聞いていますが、
こちらでは時々あることで、
マナナンバルと呼ばれる祈祷師が対応します。

今回は、二人ともクリスチャンでサウザン・バプテストなのですが、
村にしばらく帰って、亡くなった妹の墓に、
櫛や靴や髪飾りを持って墓参し、
その後、マナナンバルが生け贄に、黒いニワトリを捧げたようです。


キリスト教と地元の信仰が、
矛盾無く共存している所も興味深い点ですね。





憑依に関する若干の考察

本当にスピリットが取り憑くのだろうか?
それとも、無意識のなかの自我が、突然水面下から現れるのだろうか?
ちょうど巨大な氷塊が、激しい嵐で、水面上に現れている意識の部分を崩し突然、氷塊全体がひっくり返り、
今まで海面下にあった無意識の部分が現れるかのように・・・

確かに、こうした状況を見ると、若者も大人も、取り押さえようと異常な興奮状態に取り憑かれるのだが、
私は、なぜか、全く心の動揺が無い、かつて北海道で、アイヌ文化に触れ、
カムイの世界を少しでも感じたいと、たった一人で山頂で、テントもなく眠ったり過ごしたり、
沖縄の神の島、宮古の池間島で、神々の話を聞いて過ごしたせいで

人間の意識を超えた世界に心を慣らしているせいなのだろうか?

普通の女の子が、夜叉のように面相が変わり、声も変わり、暴れても
少しも動揺することなく、受け止めて、愛情を持って接し、優しく語りかけることが出来る

その後も、数日、様々な原因を話しながら探っていくと、こうした症状に至る前に、かなり激しい心因性のストレスがあり、
人に言うことが出来ない原因が内在することが分かってくる
心が素朴で純粋であるが故に、それが引き金になり、
つまり、憑依状態に入ることで、助けを求めているとも言える。

だが、完全に人格が変わっていることは確かで、スーッと意識が戻ってから、全然何が起こったのか覚えていない
今回は、別室に移した二人の子の意識が、全く同時に、戻ってきたのも不思議な現象だった。

ただ、山での生活が、貧しいにもかかわらず、
楽園のように美しく
キダパワン郊外の学校の生活が、
(日本の東京から来た者には、
あまりにものんびりしたストレスのない社会なのだが)
彼らの、ナイーブで感じやすく素朴な感性から見ると、
都市部に近いストレスのある社会であることもわかってきた。

確かに学校教育そのものが、ストレスの押しつけなのだ。
その延長に会社があるが・・・

私も学校教育が本当に嫌いで、
小学校の担任、無着成恭先生の影響か、
点数による、競争教育に強い拒否感を持っている・・・
成績がそれほど良くなかったことも原因だが。

その上、ここでは、スカラシップを受けた子は、
家族で唯一学業を継続できると言う事で、
一家から、両親から、親戚や村から、
多大の期待を背負ってきている事も大きい。

さらに、家族や友人から離れている事、
村のコミュニティーや友だちから遠いことも、寂しさを募らせる。
そこに、大事な妹の死や、込み入った家族の状況が複雑に重なって
意識が限界を超えて、弾けてしまい、
憑依という手段で自我が助けを求める!

ただ、それを受け止めて、理解し、
解決の道を探ってくれる人が居るかいないかが問題で、
どうやら、私がその役を引き受けてくれると感じているらしい。

私に出来ることは、ただひたすら愛情を持って強く接し
話を聞き、問題を見つけ、それを整理し、解決の糸口を探していくことだ。
こうした経験を経て、ますます深く心の繋がりが生まれていく。
多くの若者たちとの間に。


本文と写真は
関係ありません


musha

驚くべき
ムスリムのシャマニズム
,

この様な世界が、まだ生きているとは思わなかった!
制作完了


一月の最後の日曜日は、年3回の文化祭の初日、ムスリムデーだ。
そこで若者たちは、自分たちの文化のルーツを演じる。
今回のテーマは、「病気などの祓い」
そこで演じられた世界を見て、唖然とした!
この様な世界がまだ生きているとは、思わなかった。
マノボだったらまだ理解できるが、ムスリムにもシャーマンがいたとは!
ミンダナオのイスラムの世界に
このようなシャマニズムが
とけ込んでいるとは思わなかった。

写真の流れを見ながら、
背後に宿る壮大な宇宙観の片鱗を
ご説明しよう。

日本で8年かけて執筆した拙著
『沖縄の宇宙像』(洋泉社)を
読んでいただければ

これが、シベリアから欧州、
中国からアジアに広がる
シャマニズムに則ったものだとわかるだろう


イスラムの教えに則っているのではないだろう、なぜなら、ここで若者たちが演じたのは、
病気を治すための御祓いであり、シャマニズムの世界観に則ったものだから。.

下の連続する写真を見て、象徴が何を意味しているか、理解できたとしたら
あなたはシャマニズムの宇宙像コスモロジーを把握している!

儀式に必要なものを備える
上に掲げられた赤い布は舟を表しているのだろう
ドゥヤンと呼ばれるゆりかごでもあるが
ゆりかごは、神の世界に昇る舟でもある
赤子は神の世界と最もつながっている存在
置かれた6本の旗は、第七の天界に昇るまでの
六段階の世界を意味している
天界は、神の世界である
塔や大木(神木)の最先端から昇るが
神の世界の入り口には星がある
沖縄ではネノハンマティダといって女神だが
そこには供物、そして鈴の着いた楽器をならしていく
イスラムの塔の先の月と星は、何を意味しているのか
新約のイエスの誕生とマリアの星は・・・
シャマニズムでは、女性と男性は
役割を別にしている
神の世界の入り口に女性はおり
地位が低いわけではない
祈る儀式は男性だが、女性は山の神のように
世界を司っている
宇宙は陰と陽で出来ているからだ。

コーランを読んだ時にも、カーバ神殿の石を巡る祈りの方法を知った時にも、
そして何よりも、イスラムの寺院の塔の頂の月と星を見た時にも
イスラムにも、シャマニズムの香が残っているのではないか
(キリスト教の中にも聖書の中にもシャマニズムの宇宙観は至る所に散らばっているが)と思っていたが、
この儀式は、まさにシャマニズムそのものであり、ミンダナオのイスラム、アジアのイスラムに特徴的なものなのだろうか?
それとも、イスラム教徒に全体的なものなのだろうか。

宗教家は
シャマニズムというと、キリスト教や仏教、イスラム以前の原始宗教、
精霊崇拝として邪視したり、排斥したりすることが多いのだが、
拙著『沖縄の宇宙像」』でも述べたごとく、そこには、キリスト教の根元をなす宗教観、
特に罪と生け贄の原型の構造がある。
つまり、罪のあがないとして、羊(旧約)や豚(沖縄)やニワトリ(マノボ族)、最高の生け贄として人を屠った時代。
(日本の人柱、ヨーロッパのメイポール、沖縄の送り、アンデスからフィリピンに至るまで、旧約にも出てくる慣習)

さらに、屠った人の肉を食べた習慣。
これは、キリストの教えそのものにつながる。
イエスは、罪の許しの最後の唯一の方法は、わたし(人の姿をとった神)の肉を食べ血を飲むこと、
その象徴的な行為としての最後の晩餐を行うことを教えた。パンと葡萄酒に代わっているが、神道では餅と御神酒。
アイヌも、カムイとして熊を迎え送る時に、実際の肉を食べ血を飲む儀式を行う。沖縄でも死者を送るために食べた。
その様子はカトリックのミサ、プロテスタントでも行われる正餐式そっくりである。

つまり、全世界にかなり共通していたと見られる、シャマニズムの宇宙観の後に、さらにその上に、その影響のもとに
宗教が、愛、平等、そこから生まれる自由の概念を実現する教えとして現れたという、歴史を顧みれば、
すべての宗教が、シャマニズムという根から枝葉を出してきたのであり、
当然ながらその表現に影響が見られてもおかしくないのだ。

ただ、宗教を研究する時に、近代から過去にさかのぼる、という形で分析することにより、宗教以前の世界を否定した結果、
その大きな影響が見えなくなったのではないだろうか。
あたかも、意識の下に眠っている無意識の世界を否定して、理性のみで心を分析するように・・・
しかし、かつてユングが行ったように、無意識の世界を深く知り尽くした上で、その上に宿る意識をとらえ、

総合的に分析する時に真実の心が見えてくるように、宗教に置いても、深層としてのシャマニズムという観点から、
(宗教の無意識の部分にあり、絶えず意識に影響を与え続けている)シャマニズムという視点から、
改めて宗教を分析する事は、特に現代のように、宗教的といわれる国々が、
あたかもその教えに反したような戦闘を行うような時代には
有意義で必要なことであるかもしれない。

ダトゥを中心に村人が輪になり、病気の子どもが
天界へ向かう舟、揺りかごの左右に寝かされる
中心に供物が置かれている
山盛りのご飯などの上に卵が乗せられているが
ゆで卵は、誕生と同時に宇宙の象徴でもある
この世界は、この世を表している
神の世界への出発点であり
儀式はこの世から始まる
シャーマン(ダトゥと呼ばれる首領)は、お皿の香料に
火をつけて、その煙を供物にかかるようにして
供物を清めている
線香や香炉、ローソクと同じで、
火は天界への儀式に欠かせない

同じ火と煙で、病気の子どもを浄めている

シャーマンが、6段階に竹で組まれた
塔の前で、その一つ一つの段階に
火と煙をかけて浄めている
この儀式は、シャーマンが天に昇る儀式でもある


右が椰子の葉で包んだ供物が下げられている木の枝
木の元には、プラスティックの大きなゴミバケツが
置かれていて、半分ほど水が入っていたが
撮影の邪魔になると思って、私が移動させてしまった


ゴミバケツの水は重要で、木は天の世界への道、
水は地下の先祖の魂の世界への道を象徴していたのだ!
仏壇の前に、ローソクと水を奥のと同じ意味。
勝手に外したのは私の過ちだったが遅かった。


病気の子どもを浄めた後に、いよいよシャーマンは、天界への道行きを歩き始める。
竹で組んだ、塔のようなものには、6つの段階のスペースが儲けられており、その一つ一つに飯などの供物が置かれている。
シャーマンは、そこにも清めの火を持っていく。
この塔は、6本の赤いテープで、本体の家とつながれている。

この塔の右側に、木が置かれており、木の枝にも米の飯を椰子の葉で包んだ供物が下げられている。
この木の手前に、プラスティックの大きなゴミバケツが置かれていて、半分ほど水が入っていた。
理由がわからず、撮影の邪魔になると思い、私が一人で勝手に移動してしまったが、儀式が始まってはっと気が付いた。
水は重要な象徴なのである。

木は、神木と同様に、天頂に魂が向かうための道筋である。
昔は、天頂の北極星に向かって巨大な目に見えない神木、または柱がありそこを中心にして天界は支えられ、星も巡っていると思われていた。
また、下にも、この世と同様の世界が裏側にあり、そこに向かう入り口が、洞窟や海や井戸であり、
水は先祖の魂の世界に人々を導くスピリット精霊であると考えられていた。

火は天界に昇ろうとする火之神だが、水は下の世界に流れようとする、その性質から精霊、アイヌではワッカウシカムイ、水の神とされて
沖縄では海がその世界への入り口だと考えられていた。ニライカナイ、宮古島ではニッラ。アイヌではポクナモシリ、つまり黄泉の国である。
旧約聖書でも、死者の国が無くなって、海から死者が復活してくる場面が詩篇などで描かれている。
太陽は海の中に沈み、あの世へ出ていくと考えられていたから、あの世への道は、太陽の沈む西から、海つまり水を通って行くと思われている。

井戸や滝、山上の湖(恐山等)が祈祷の場になっていたりするのもその名残。
それゆえに、ミンダナオの若者たちの演じている儀式でも、例えそれがゴミバケツであったとしても重要な意味を持っていたのである。

さらに、世界は、地の下の世界から天界まで、6段階で表されており、第七段目が到達点である。
6本のテープは、家であるこの世と、天の各々の聖霊と段階を結んでいる象徴。
方位とも関係しており、南、西、北、東、天頂、天界(月)の6段階を得て、最高神(かつては太陽神)に到達した。
その全体に祈願する事が、宇宙全体の聖霊(天使)と神に祈願するために必要であり、
6段の塔は、その一つ一つを経て、シャーマンが最高神まで登り詰めていく道行きを表している。
塔の横に置かれている水と木は、その道そのもの。



6段階の世界を経て天界に登り詰めてきたシャーマンは、最高神から特別な力を授かってこの世に戻ってくる
彼はもはや、この世の存在ではなく、神と一体となった人間の姿なのだ
その象徴として、特別に作られた被り物をかむるのである

こうした被り物は、神聖な儀式の時に、天界との関係を結んだ人という意味で、過去、皇帝や王などに被せられた

被りものを頭に乗せたシャーマンは、右手に木の板を持っているが、ここには沢山の鈴がつけられている
シャーマンの聖なる道具として、音の出る鈴も重要なものである。
天界から降りてきて、聖なる力を持った
シャーマンは、病魔を祓う
シャーマンの後を、病気の子の母親がついていく
最後に病気の子を伴いながら 天界への供え物がある塔へと導く
その周囲を巡り、天の神の力によって病気をいやすと同時に
左手に刀を持って、地界と天界、家と塔の間に結ばれている6つのテープを切断する
テープの切断によって、天界と地界の繋がりが
断ち切られて、再び人々は地界に戻っていく


地界に戻ってから、最後の祓いを行い、
人々の周りを喜びに満ちて踊りつつ巡る

地上に戻りいやされた病人に最後の浄めを行う
病人の健全な魂が、再び子どもの肉体に戻る


こうして、天界の力が地界にもたらされ、病魔は追い払われ
地上に平和と幸せが息づきはじまる。


最後に火と煙で全体を浄めつつ導かれて退出する



フィリピン伝統のハラナ
制作完了


誕生日の朝早く、みんなで4時頃に起きて
誕生日の子の部屋の前で、みんなでお祝いの歌をうたう伝統的な、ハラナ。

山の家では、村の人々が、家の周囲に集まって
夜明け前頃から歌をうたい、その後、メッセージや願いをとなえ、誕生日を祝福する
みんなで心を合わせるこうした時が、ここでは今も生きている


まずギターの響きで、ゆったりしたお祝いの曲がはじまり、
誕生日の子は、それとなく、恥ずかしそうに、窓から覗く
「あっ、起きてる起きてる」


盛り上がってきたところで、誕生日の子が部屋から外に出てくるが
タイミングの曲がだいたい決まっていて
その曲に続いて、ハッピバスデーの曲になる

「何歳なの?」という、合いの手が入ることもあるが
食卓でうたわれる時は、「ニワトリ料理が無いぞ!」といった冗談が合いの手にはいったりする。


歌の後、希望者が、願い事を述べる
祝辞を述べると言っても良い。


訪問者で、偶然誕生日の方は、必ず事前にお話下さい!
しらずに、後で誕生日だったことを言われると、皆、ガッカリする。

一年の最大のハラナは・・・・クリスマス!
「ハッピィー バースデー ジーザス!」
イエスさん、誕生日おめでとう!!!!


これは、ミサデガリオ(夜明け前のミサ)という名で呼ばれていて、
何と、クリスマスの一週間前から、教会で毎朝続くハラナなのだ!





ミンダナオ文化・農業プロジェクト
M−CAP
Mindanao Culture & Agriculuter Project

ミンダナオが豊かに自立していく道筋は、金融・工業化社会を作ることではなく
文化と農業(プランテーションではない)を主体にして行くことではないか、と常々考えていた。
ミンダナオ文化・農業プロジェクトは、ミンダナオの自立支援に最も適した方向だと感じて以来
すでに、5年以上、その企画実現を暖め続けて、ようやく今日、実現の一歩を踏み出す地点に何故か立った。

今までも、さあ始めるかという気運になりながらも、先延ばししてきたのは、
気はあるものの足下が熟していなかったせいであり、同時に
出発したミンダナオ子ども図書館の事業を、ある程度、盤石な軌道に乗せることが
支援者と子どもたちに対する最も重要な責任であると感じてここまで来たからだ(この気持ちは今も変わらない)。

足下が熟していなかったと書いたが、足下とは、私自身の考えやこの地を理解するための経験、
読み語り、スカラシップ、医療、難民救済など、多様な活動を総合的に運営するMCLのスタッフとボードの体勢
といった点もあるが、何よりも、この地で育ちつつあるスカラシップの若者たちの成長を待つ過程でもあった。

現在、スカラシップの子たちは、小学生から高校、大学まで400名弱、すべて最貧困層からの出である。
今年2009年から、大学生達が、毎年20名ほど卒業して、社会に旅立っていく
一日本人に過ぎない私がいくらがんばっても、M−CAPの事業は推進できるはずもない
実現していくのは、未来に向けて羽ばたこうとしている、彼らなのだから。

今このプロジェクトを始めようと決心したのは、こうした気運がスカラー達の間に生まれつつあることと、
現在の世界情勢(宗教と文化の崩壊)と経済情勢(金融を中心としたグローバル資本主義経済の崩壊)
そこから脱却するための鍵としての文化と農業の重要性を、ミンダナオの地で感じ取ると共に
多様性を基盤とした文化と大地に根ざした経済、それを実現するためのコミュニティーのあり方の模索など
今こそ、実行に移す時が熟したと感じるからである。

人類は本来、どのような文化的、農業生産的な基盤に立って、生存の道を歩んできたのだろうか・・・
これこそ展開と模索と実現を必要としている視点であると思うし、未来を示す一方向性であると感じる。
辺境の地の、小さなアクションに過ぎないけれども、実行を通しての模索と探求を始めることに決心した。





M−CAPミンダナオ文化・農業プロジェクト

農場プロジェクト

山の中に、農場を開く

ミンダナオ子ども図書館で、マキララの山の中に、12ヘクタールの農場を開くことに決めた
制作完了

ミンダナオ子ども図書館は、米州開発銀行から国際交流基金のアドバイザーに移籍した高橋毅氏(高校時代の仲間なのだが)
の特別寄付と、私個人の出資を加えて、マキララの山の奥の小さな村に、12ヘクタールの農場を購入。
MCLの事業と平行させながら、農場運営を開始する。

名付けて、M−CAP(Mindanao Culture & Agriculture Project)ミンダナオ文化・農業プロジェクト
文化は、地元文化の保存や映像、出版を目指し、農業は貧困層のためのコミュニティーファームを考えている。
資本資金は独自採算として、ミンダナオ子ども図書館とは分離させ、MCLへの寄付は転用せず、協力関係でMCLを支えていく。


農場と平行して、MCLで子どもの宿泊施設を作り、ミンダナオ子ども図書館のブランチも置くことにした。
この地域は、有名な新人民軍NPAの活動地域で、最も戦闘が激しかったところだが・・・・
多くのバゴボ族が、未だに山に追われたままだ。

マキララ農場を、土地を追われた先住民族の救済を通して、貧困解消と平和構築を進めていく拠点にする。
同時に他地域の貧しい先住民族の家族や、卒業したスカラー達の仕事場として、コミュニティー農場を実現していく。
幸い、小学校が隣接していて、三食たべられない先住民の子たちを収容して、学校に行けるように出来るだろう。



ここを担当するスタッフとして
レクサム君のご両親を選んだ!


スカラーのレクサム君と
妹のライラニさん(向かって左)


思っても見なかった突然の話に
喜びを隠せない。


この農場を担当するのは、スカラーのレクサム ピアン君と妹ライラニさんのご両親。バゴボ族で、母親はハンセン氏病だ。
父親は、わずかに有った土地も、病気の薬を買うために売ってしまった。
今は、二人で日雇いをして何とか生活している。

M−CAP全体の経理を取り仕切っていくのは、スカラーで今年ノートルダム大学のマスコミ学科を卒業するチェリリンさん
マノボ族で、民族楽器を天才的に奏でる父親を持っているが、病気で非常に貧しい。しかし、がんばりやで信頼でき成績も良い努力家。
こうして、ミンダナオ子ども図書館の活動に平行して、卒業生が活躍する場を少しずつ作っていくのがこれからの夢


さっそく、土地を案内して
ピアン一家にもみてもらった
ここだったら素晴らしい仕事が出来る!
感動の面もち

一緒について来たスカラーの
男の子達も
目の輝きが違っている
僕もここで働きたい!!

土地無しの人々にとって
日雇いではなく、
安定した場所で働けるのは
大きな夢だ!!


ミンダナオの人々にとっては
土地というものは特別な意味を持っている
特に、土地を失い、
山に追われた人々にとっては・・・

土地は、生きていけるか行けないか
生活と生死を決定する?

男の子達の仕事に対する
目の色が変わったのがうれしかった


購入する土地は
元、この小学校の先生だった方の所有。

まだ、4年までしかない小さな学校だが
購入する土地の並びに建っている。





土地は村はずれの10ヘクタールと
村の中心のココナツ林2ヘクタール

中心の土地には、巨大な木が立っている
1000年は超えるだろう
このそばに
ミンダナオ子ども図書館の分館を建てる



見ると、のどかな田園に見えるが、4WDで入っていく、相当の山奥だ!
反政府組織の拠点と言われ、近隣から恐れられてきた場所だが、今は、比較的平穏だという。

周囲を山々に囲まれており、非常に小さな集落だが、低地をイロンゴ系クリスチャン(ネグロス島から来た人々)に所有され
先住民のバゴボ族は山に追われて、非常に貧しい生活を強いられている地域。

普通ならば、怖くて入らない場所なのだが、この下の集落である、バト部落から、
先ほどのピアン一家をはじめとしてスカラーを取っているし。この地にも、読み語りで来ている。

現地の人々は、ミンダナオ子ども図書館が、この地でコミュニティー農場を始め、分館を作ることを非常に喜んでくれている!
何よりも、スカラーの、特に男の子達に、未来への夢が出来たのがうれしい。
ミンダナオの男の子達の夢は、農業!



分館には、周辺の山に追われた
バゴボ族の子たちが泊まり
小学校に通うことになる
三食たべられない子たちが多い

さらに、各山岳地に追われた
マノボなどの貧困家庭の
季節労働の宿舎となる

一ヶ月ほど滞在して
収入を得られるようにする
世界的経済クライシスの余波を受けて
食事もとれない貧困の中に
放り込まれているのだから



農業と若者たち

現地における仕事に関する考察
僕たちの夢は農業!




土地もなく、三食たべられなかった
所から来た子たちにとって
自分たちの食べ物があると言うこと

それをこうして運べるということ
それだけでも、うれしいことだ
彼らの喜々として米を運んでいる姿を見ると
この子達にとって、農業そして
収穫というものが、どんなにありがたく
素晴らしいものであるのかを実感する







町で働くことも彼らの夢だろう
海外に出稼ぎに行くことも夢に違いない

しかし、何よりも
このミンダナオの地で
食物を作り、家族を養うことが出来たなら




そして、その様な生き方が出来る
社会構造になり

自分たちの生活や文化の素晴らしさが
自覚できるようになったなら

彼らは喜んでそれをするように
私には見える


ピキットの奇妙な洪水
制作完了

ピキットを再び、大きな洪水が襲ったと、今回は大々的に報道された。
腰まで届く水に、スタッフのノライダさんも、隣のアスレーさんの所に避難した。
その報告を受けて、どのような状態で、どのような救済支援が必要かを確かめるために、洪水の翌日に緊急にピキットに向かった。

しかし!
水は、何と、24時間で、引いていたのだ!!!!
道路沿いには、若干の難民が残っているものの、昨日の午後には、腰まであったという水はすっかり引いて、
以前、洪水救済にいったときの、半分ぐらいになっていた。
あのときは、10日間あまり、洪水が続き、医療支援にカバサラン村にボートで向かったのだが・・・

洪水というよりも、Flash Flood 鉄砲水と呼ばれるものだったのだろう。
上流に、大量の雨が降ると、突然、想像を絶する量の水が流れ出す。
原因は、1960年代に、日本がラワン材を輸入するために、ジャングルをことごとく伐採した事による。

それが、鉄砲水で終わるか、洪水になるかは、雨の量とともに、降水期間が関係している。
たとえ量的には少な目でも、降雨が長期にわたると、洪水になる。
今回のケースは、降雨量が異常に多く集中的に降ったものの、短期だったので救われたのだろう。

確かに鉄砲水で家屋が流されたり、一時的に腰までとどく水の被害はあったものの、
引くのも実に早かった。現地の人々に、全く悲壮感が無く、
むしろ道路の決壊箇所を利用して、大量の魚の捕獲が出来、一時、魚の出荷に湧いたのは人々の生活力のしたたかさだった。



激しい洪水が襲ったと聞いて現地に向かったが、先日の腰まで来る水は、あっという間に引き始めていた


洪水難民も数は少なく
むしろ現地は
道路の決壊箇所に網を張って
捕獲した、魚の漁獲に湧いていた

大量に捕獲され
バイヤーに取り引きされていく
鯉、フナ、ナマズ、手長エビ

リグアサン湿原のある
この地域が
いかに富裕な天然資源を
保持しているかが理解できる

膨大な
天然ガスと石油も眠っており
国際資源争いの場となっているが・・・

何としたたかな民衆だろう
災い転じて福となす

雨にも負けず
風にも負けず
洪水にも戦闘にも負けず

生きる力に満ちた人たち
こういう人に、わたしもなりたい?






以前にも書いたが、洪水が、予想を超えて高く水位が現れる原因は、
USAIDと呼ばれるアメリカ政府の道路建設支援の結果、
国道からラジャムダと呼ばれる村まで、
川沿いに、土盛りの高い道路ができたせいだ。
この道路に堰き止められる形で、水が川沿いの村を襲うようになった。
いわば、国際支援が災害を大きくした例だが、
この道路は、この先のリグアサン湿原に眠る、
大量の天然ガスと石油の開発と積み出しを
狙ったものだと、現地では言われている。
しかし、現地の人々はしたたかだ。
前回の経験から、道路の決壊箇所に漁網が張られ
大量の漁獲がされていた!



学校も鉄砲水につかり、教室も腰まで来る水の中だった
すっかり濡れてしまった教材。しかし、翌日には水が引き、道路で教材が乾かされていた。


洪水が出たとたん、
飛び出して泳ぎ始める子どもたち

むしろ困難なのは、
戦闘難民の人々
制作完了

地域によって、支援のあるところと、無いところの格差が明確になってきている

山元しんぷ支援のサダム君も、支援をはずされている地域のスカラーだ
おそらくクランボク村の村長が、MILFよりだという理由だろうと、スタッフ。
このときは、WFP世界食料機構のスタッフも同行
オーストラリアからのスタッフのための事前調査。
行く先は、副市長の地元のパイドプランギ。
洪水に阻まれてストップ。ボートで行くことはできるのですが・・・

私たちの活動にずいぶん興味を持ったようすだった。
私たちも、時々WFPとは、行動を共にしている。
ランドクルーザーの後を、スズキの軽トラで追いかけるのが大変だった。


歯が悪く、ガンの疑いのある少女の母親
いよいよダバオでの本格的治療が開始されるので、打ち合わせ


私たちは、非政治でかつ、特定の宗教に偏らないNGOだから、国際的NGOや行政から見捨てられた、
この様な場所にこそ支援を継続していく。といっても、蚤のような小さなNGOで、出来ることも限られているのだが。
医療と炊き出しの支援を開始することに決定した。特に医療は重要。

先日、ダバオで、20万円ぶんの医薬品を購入したが、
2月から、マノボの山岳地域をふくめて、医療支援を本格的に開始する。
平行して、白血病の疑いのある患者が、現在ダバオで検診治療を開始している。





貧困地域における
支援活動としての読み聞かせ

制作中

制作中

執筆要旨案・覚え書き:文化プロジェクト 制作案

現地での読み聞かせが、いかに愚かなことか、から出発。


*,図書館と読み聞かせから出発して
  金持ち国の文化としての本、逆に豊かな語りの生きている文化としての現地、先進国的優越感を持って
  支援の発送をし続けている限り見えてこない貧しい国の豊かさ。
  いかに、図書館と読み聞かせ、または「本」という、狭い世界で物事を見ようとしていたかの反省と崩壊
  独自の文化を保存し、出版できる体勢を作ることが先決で、外国の本の紹介や収集はその後からでも十分すぎる。

*,本をそろえるばかりが脳じゃない!
  本は、英語のものがほとんどで、フィリピンのものはタガログ語だけ、ミンダナオのビサヤ、マノボ、ムスリムのものが無く
  英語の本は、多くが現地の文化にそぐわず、図書館活動や読み聞かせ活動が、
  先進国による文化破壊になる可能性すらある。先進国的優越感にとらわれている人は、外国(自国や欧米)文化の紹介が
  現地の人々のためになると信じ込んでいる、そうした視点のみから活動している浮き上がった滑稽さ。
  ある時期から、現地の語りや文化への傾倒と力の投入を決断。これぞと思って持ってきた本が、現地の生命力のある
  風に当たって、かすんでしまい興味を失う。
  
実は彼らの文化の方が、心の面では豊かだった  

*,支援しようとすることよりも、まずは謙虚に学ぶことから始まった。特に、子どもや若者や、貧しい人々の生活から
  学ぶことが多い。経済的豊かさは、心の貧困を生み、経済的貧困地域の人々のなかに、心の豊かさは生きている。

*,「読み聞かせ」という、本に執着した形態から、現地の昔話の語りを重視した「読み語り」へ軌道修正していった。
  フィリピンは、スペインや日本、米国の植民地で来たために、人々の間に、海外の文化が上だという卑下した考えが根強い。
  ただし、ミンダナオは、ムスリムが、400年間以上、抵抗運動をし続けており、先住民族のなかにも、
  独立の機運が強く、それをフィリピンの他の地域と隔てている。

*, ミンダナオ子ども図書館で、読み語り活動をする時の歌も、最初は、英語の歌だった。かっこいいと思っている。
  キリスト教教会では、現地文化を否定して、歌もすべて英語、現地の伝統は邪だという、意識がある。
  カトリックの中にも多少残っているがかなり土着化している。アメリカ系のプロテスタントに強いようだが、
  プロテスタントでもアライアンスのように、民族的な信仰と融和しようとしている会派もある。

* ミンダナオの若者たちが、英語の歌をうたって踊り、欧米の絵本を読み聞かせしても、
  現地の子どものに受け入れられているとも思えず、浮き上がっていて見ていてみっともない。
  学校教育を受けた子たちが、進んだ世界を、先住民族のまえで得意げに演じているような感じ。
  現地の歌を歌い始めると、子どもたちも人々も、とたんに息を吹き返したように生き生きとしてくる。
  この感触が大事。

ミンダナオ子ども図書館の活動は、単なる海外の絵本の読み聞かせから、
現地の物語と現地の歌や文化を重視する活動に切り替えていった。


*,イスラム教徒、先住民族、キリスト教徒が一つの屋根の下で生活する事のすばらしさ
  難しさも多少あったが、思った以上に容易に生活ができて驚いた。
  互いの文化を尊重する活動をするようになってから、互いの言語まで理解して語るようになってきて驚いている。

*,ムスリムデー・マノボデー・ビサヤイロンゴデー文化の日の制定
  現地文化の若者たちによる再認識の必要性、その結果生まれたのが、文化祭。
  これによって、驚くべき変化が、若者たちの中に起こった。
  ムスリム文化を敵対視していた子たち、ムスリムであるが故に自分を解放できなかった子たち。
  先住民族の文化を見下していた子たち、自分たちの文化を卑下していた子たち。
  欧米文化を鼻にかけていた子たち、独自のアイデンティティーが有ったことに気が付いた子たち


*,文化の日に加えて、平和の祈りの日を設定
  宗教、文化、民族の違いを、お互いに知り、理解し、尊重し尊敬すること。
  同時に、人間として、愛、友情、悲しみ、喜び、貧困の問題、平等などを共感し、共有すること。

  互いの宗教的な歌を、子どもたちの前で披露する。

*,この五年間で若者たちが育ってきた、卒業していくその子たちを核に、いよいよ文化プロジェクトが始められる時期に来た
  昔話の収集をはじめとする、歌謡、踊りの採集、出版、映像による保存。
  出版、映像、インターネットを駆使して、世界にミンダナオの文化を発信。






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(ミンダナオ子ども図書館だより:1月26日校了)


日本人(外国人)
を受け入れるにための準備


今まで、ミンダナオ子ども図書館は、その活動においては、
現地の人々のことしか視野に入れずにプロジェクトを推進してきた。
しかし、今年度から日本の、特に若者たち同士の交流をも視野に入れることを考え
「Mの会」の力で、ゲストハウスを作ることになった。

しかし現地と日本では、思い描いている以上に、文化的、生活的ギャップがあることも確かであり、
しかも、フィリピン法人として、プレシデント、バイスプレシデントを始め、執行役員はすべて現地人。
彼らが実質的にマネージメントし発言権も有している。

確かに私は、エキゼクティブ ダイレクターでファウンダー(創立者)という地位なのだが、
ダイレクターの役割は、フィリピンと日本をつなぐことが主で、フィリピン国内での実質的な権限はなく
現地での運営はフィリピンサイドが責任を背負って行っており、私の意見がすべて通るわけもなく、合議制で進めている。

日本人達は、私がすべてをコントロールしているかのように思っているかもしれないが、
彼らが、現地側の意見として、否定的な見解を出してこれば、私も折れて受け入れざるを得ない。
というより、私は必ず彼らにアドバイスを求め、その判断を尊重して事を進めている。

日本人は、「寄付をしているのは我々で、出資者のようなものだ」から、
「支援者の意見を現地は当然ながら尊重し、受け入れるべきだ」と思っている場合がある。
それが時には、知らず知らずのうちに傲慢で独善的な態度となって現れる(事もあろう)。

自分たちが先進国であり、経済的、文化的後進国の人は、我々のようになるのが憧れだろうから
我々の意見を受け入れて当然だという、多少思い上がった考えを持ちやすい。
しかし、彼らのプライドは、当然ながら高く、そうした気持ちが摩擦を生み出す事が多い。

私自身は、彼らに、先進国の生活はたいしたことはなく
こちらの方がよっぽど心豊かだという話をするが・・・
しかし、門戸を開くと決めたからには、皆さん方にもそれなりの理解をお願いしたい

そこでこの際、私自身の失敗や経験をも率直披露しながら、
皆さんが、こちらで生活したり交流したりするための予備知識を提供することに決めた。

まずは日常生活から・・・


郷にいれば郷に従う
事ができますか?

まずはトイレから
ビジターにとって、これが一番、悩みの種のようだ!!!

これがトイレだ。日本のように蓋がない。直接陶器の部分にお尻をのせてする。
日本的な感じでは、おしっこがかかっているのではないかと、衛生上不安になる。
どうしても座る気になれないだろう
そこで、日本人用に蓋を置くことにした。
普段は乗っていないから自分で置いて欲しい。
一番の問題は、トイレットペーパー
ここでは、トイレットペーパー等、
高くて買えない人が多い
山では売っていない。

そこで、お尻をきれいにするのに手を使う。
写真の水くみを、
便器に座ったままの姿勢で
背後からお尻にかけて
手の指でウンコを洗い落とす。
もちろん手に付くが
それも最後にきれいに洗い流す

街のデパートでは、トイレットペーパーを
売っているので、それを使っても良いが、
トイレが詰まらないように、ビニールに入れて
ゴミ箱に捨てること

使用方法、まずは便器を水で流す。
大概は清潔なのだが、おしっこがついている不安があれば洗う方がよい。
手動式水洗便所だから、ウンコは写真のように水で流す。
そのさい、便器ごと水をかける。
最後には、周りのタイルにも水を流して
便所自体をきれいにして終わる

私は、もちろん現地式でトイレを使っている。聞くところによると、インドや東南アジアでは同じスタイルだという。
今では、日本の便座で、使用後水をザバザバかけない便座の方が不潔に感じるぐらいだ。
お尻も水で洗わず紙だけだと、ウンコが残っている気がする。
ウオッシュレットなら良いのだが、ミンダナオ式の方が清潔感がある。

良く聞かれるのが、水でお尻を洗った後、どうやって乾かすの?
答えは簡単
濡れたまんまパンツをはく。暑いから自然に乾く・・・・
ハンカチなどという、高級なものを持って生活している子はほとんどいない

アジアなどを旅した人は問題ないが、欧米様式の生活に慣れた人は躊躇するようだ。
私は、北海道時代に山に登り、アイヌの人々とも自然のなかで生活したので
こちらの山の、トイレの無い生活も問題がない。水がなければ、木の葉で拭く。
ミンダナオで何よりも助かったのは、自然の中で生活できる体験を北海道でしていた事だった?



《郷に入れば郷に従え》    山元 眞 しんぷ(Mの会)

 2005年11月末に初めてミンダナオ子ども図書館を訪ねた。

 今でもはっきりと思い出す。初めてトイレを見て、松居さんから「使用方法」を聞いたとき
《郷に入れば郷に従え》という諺が思い浮かんだこと…。

 「マニュアル・ウオッシュレットで最高だ、これ」とたぶん声を出して叫んだ?と思う。
すべてがマニュアル、アナログの世界で、自分の幼少時代に
タイムスリップした気がして懐かしくもあった。


 不便であることが自然。自然は身体にも心にもいい。

 今は廻りを見渡すと人工のものばかり。温かいものがあまりない。
ミンダナオには、きれいな空気、土の温かさ、肌にフィットする風がある。
《生きた心地》がする。

 新しいものがいい、新製品はそれまでのものよりもいい…という価値観がひっくり返った。
同時に「経済のシステム」に人間は振り回されていることにも気づいた。
 人々を犠牲にして、一部の人が富を得る。
果たして「便利」なものは本当に人間にとって「いいもの」なのか…という疑問も湧いてきた。

 科学の発展やモノの進化は、本当に人間の成長に役立っているのか疑問に思えてきた。
人間をだんだんと怠慢にしていく…。できることができなくなる…。
気をつけないと「退化」してしまう。


 幼稚園では、自然のもの、本物を大切にしている。

 人間の成長発達段階は、どんなに科学が発展しても、いつの時代も変わらない。
時代が進んだからといって赤ちゃんは以前よりも成長して誕生してくるだろうか。
かつて6歳になってできることが、今では2歳でできるようになっただろうか。

 人間の動作。つかむ。つまむ。ねじる。まわす。たたく。押す。
ひっぱる。さらには、歩く、走る、跳ぶなどの動作はすぐにできるものではない。
それぞれの成長発達段階に応じて、繰り返しながら、少しずつ身につけていくもの。

 今、中学生になっても、先のような動作が的確にできない若者が
増えているように思えてしかたがない。

 このような神経、筋肉の発達にともなう感情や感性の発達も十分でないような気がする。
そのような人間の基本能力が身についていないと、
人のことを思いやるなど人間の《高度な力》は育たない。

 ミンダナオ(子ども図書館)を訪ねるたびに息を吹き返すような気分になる。
足の裏から《なつかしさ》を感じる。4回目の今回は手洗いで洗濯もした。
手押しポンプで水をたらいに汲んで…。靴も洗った。草取りもした。

自分の身体がとっても喜んでいるように感じた。












写真は、山元撮影

次に洗濯と水浴び
以前は、洗濯も水浴びも、
蛇口でしていた。

しかし、若者たちは、
川での洗濯になれているのか、

はたまた、とにかく洗濯好きの性格か
蛇口の栓を閉じることなく、

水が常時出しっぱなしで
大量に使われる。

これにはほとほと参ってしまった。


水道では大変な金額になるので、早速水道は料理用に限定した。
キダパワンはアポ山に近く、水道は飲み水として問題はないが、キッチンの蛇口の水のみを使用してください。

洗濯と水浴びが大量に水を使う原因なので、そのために井戸を掘った。
二つ掘ったが、最初は電動ポンプで蛇口とつないだせいで
相変わらず開きっぱなしの蛇口から大量に水が使われて、手堀の井戸がすぐに干上がって使えなくなり、ポンプも壊れた!

さすがに頭に来て、蛇口はひねる形式から、押すと自然に戻るものに代えて、洗濯と水浴びに使えなくした。
深井戸をドリリングで掘ることも計画にあるが難民が出たりで予算が付かない、ほとほと困り果てて最後に打った手段が
昔ながらの手漕ぎのポンプ!!!


水浴中のロザリナ
水浴びは、服を着たままするのが普通だ。
石けんを使って、服の下の体を洗い、最後に水をかぶって流す
井戸水だとそれほど冷たくないが・・・・

山では、川縁の泉で同じ光景に出会う
小さい子たちは、素っ裸で水浴する
川で洗濯して、
最後に水浴びをしてお仕舞いというケースが一般的

手堀の井戸は、男女を分けて
今は、女の子用を二つ、
男の子用を一つ掘って、使っている。
これだと水が出しっぱなしになることなく、
合理的で節約できる。
洗濯物干しも、各々の井戸に近く別にしている

日本という先進国から来た者として
何も知らない現地の若者に
彼らがあこがれているだろう、「文明生活」を学ばせたい
大きくなって海外に出てもいっぱしの文明人として役にも立つだろう
そんな思い高ぶった事を当初は考えたが、
その思惑は、この5年間の共同生活でことごとく崩れてしまった


今は、井戸端風景の無い日本
スイッチを押せば全部洗濯機が全自動でしてくれる先進国の生活が
ひどく味気ないものに感じられる
ただし、ビジターは井戸端でなくとも右の写真のような
シャワー個室で水浴びが出来るからご心配なく

せっかくミンダナオに来たのなら、
若者たちと一緒に井戸端で洗濯し水浴びをすることを、お薦めしますが・・・・
結局、こちらでの生活は、どこにでもある村の風景に戻っていた。
昔ながらが一番。


来客は、右側のシャワー室で
水を浴びられる
もちろん、お湯などは出ない


洗濯は最高のストレス解消作業
襟元など、汚れやい部分は
特別に石けんをつけてゴシゴシ洗う。

頭に来ているときは
特に思いっきり力を入れて
汚れを落とす(冗談)

私も良くやったが、
今は忙しくて洗濯の暇もない。
その分、ストレスが激しい。

洗濯は、数人の気のあった仲間と
わいわいお喋りしたり
手伝いながらやるのがふつう。
ここでのコミュニケーションは
日課の一部
洗濯風景のあるところに
喧嘩はない?

何とものどかな風景だ
体力も付く

結構集中力も必要だし
力のいる作業だから
その分、よけいな事は忘れられる


洗濯物がミンダナオの風と日差しを浴びて、喜んで息をしている!!!!


炊事はどうするの?
ご飯の食べ方は?

日々の食卓の野菜つみ
野菜は、スカラー達が自分たちで畑を作って植えている。少しでも自立した生活をしたいという気持ちから・・・
豆やオクラ、芋やピーナツなど自分たちの山で植えているような野菜を作っている

ただ、焼き畑的な移動農業で、私の目には全部が雑草に見える!どこに野菜があるのか探すのが大変。
これから農地を広げて、仕事がないマノボの家族や卒業生達の農業指導場として展開していく予定。

農業指導員がいてくれたらと、良く思う。ただし、農薬と化学肥料をベースにした日本式農業が、どこまで通用するかは不明だが
結局、現地式に戻っていくのかもしれない?????

ドジョウインゲン
ウナギインゲンと名付けた方が良いほど長い
オクラは、こちらでもオクラという 私には、雑草にしか見えないのだが
雑草の中に野菜が混じっている
日本ではハトウリと呼ぶのでは?こちらではオポ アナリンがキノコを見つけた
これは自然のものだが、食べられる
こちらの大根は小さい
日本に行ってまず驚くのが大根の太さ
住んでいる人々の足に比例する?

農業はまず自給から

山羊の飼育を始めた
寄生虫を警戒して
家屋形式で育てている
山羊はスペースも取らずミンダナオには合っている


最初は、肉用の山羊から
食べるのは可哀想?
バプテストルーラルライフセンターで
飼育方法を学びながら


美しい庭も若者たちで造園した
さぞかし高価だっただろうって?
経費はゼロ。近所から頂いた株分けで
芝生すべても増やしていった

5ヘクタールの米の収穫
2期作だが、食べ盛りの子たちなので
半年しか持たない


籾米を干すのも
スカラーの若者たちの仕事だ
今は、学校に行っている


全部雑草に見えるが
れっきとした野菜畑だ


アジア学院の元副校長の長嶋ご夫妻が来られたときに、「農業は、自給をまず基本にして、
現地の市場に出荷するような方向で、地元に根ざした展開をするのが良いように思う」と言われた。

当時、そんな儲けがわずかしかない現地消費よりも、日本に輸出すれば大きな利益があがるはずだ、
ミンダナオのような狭い場所で、小規模のみみっちい利益の仕事を苦労して熱心に進めるよりも、
海外消費を視野に入れた世界規模のトレードの方が、貧しい人々の経済を潤すはずだ、と考えたのを思い出す。

しかし、今は、人々がトレードに収益を頼るのではなく、地元に根ざした経済圏のなかで、
金持ちにならなくても、少なくとも三食たべ、子どもの病気を治し、
学校に行かせられるような社会を作ることが大切だと考えるようになった。

確かに、日本はトレードで経済発展をさせてきたが、自給をおろそかにしたつけが、これから回ってくるのではないか?
アメリカに製品を買ってもらっていた頃は良いにしても、
トレードに頼った社会が、いかに不安定かを、これから体験するのではないか。

ミンダナオに来て良かった、と思う。
若者たちに教えることより、若者たちから学ぶことの方が多い。



料理は、最初はちゃんとした、二階のキッチンでしていた。
ガスレンジも冷蔵庫も置いたし、一通り料理道具もそろえたが、手狭で効率が悪く、
急きょ見かねて一階に、こちら式の薪でやる台所を作った。

こちらでは、ダーティーキッチンと卑下して呼ぶが、いつの間にか、全部こちらで料理するようになった。
70人分の料理を、子どもたちだけでチームを組んで、効率よく料理していく。
いや間違えました。効率よりも、お喋りしながら楽しく料理していく、と表現した方がよい。



魚の解体は、内臓を取り
大事に卵を別にして・・・

その後、勇んで買った文明の利器
冷蔵庫やレンジはどうなったか。
ほとんど使われずに崩れてしまい
古物商に売ってしまった。

ガスレンジも壊れて使い物にならず
すべては、薪に代わった。

オーブンは今も使用は出来るのだが、
誰も使おうとはしない。
食べ残し置き場となっていた。

唯一使っているのが、電気釜と冷凍庫だけ。


最初の頃は、電気もない山育ちで、家電製品も使ったことのない、哀れな子たちに
せめて電化製品の使い方を教えてあげたいと思ってそろえていたのだが、
今思うと、得意げになっていた自分がみっともなく思える!

文明の利器は、それから、次から次へと壊れていき、
彼らが元に戻していく山での炊事スタイルの方が、よっぽど効率的で経済的、料理もおいしいことが分かり、
今は、先進国カゼ、金持ち国カゼを吹かせていた自分を深く恥じている。


生活スタイルは、時を経るにしたがって、逆にこちら式になっていった。
Back to Nature!!
先進国の文明が、いかに脆くはかないものか、つくづく感じるこの頃。

私は、この子達との生活を誇りに思い、彼らに養われていることを、心から感謝している。


ガスレンジやオーブンも使えるが
誰も使おうとしない
残りご飯の置き場になっている
電気釜は生きている
大量にご飯を炊くからだが、薪でも十分だ
唯一役に立っているのが冷凍庫
魚を冷凍して保存しておく

ご飯の食べ方

お皿一つが一人前。粗食だが・・・上は二人前
ご飯は好きなだけお皿にとって食べる

私も子どもたちと一緒に、
一緒のものを食べて生活している


特別扱いされなくなったら、心に壁が少し消えた証拠。

フィリピンではよく、金持ちは、家族は使用人と別のテーブルで別の食事をしたり、
客人は、客人専用の食事を豪華に用意、使用人にも階級があったりする。
おそらく植民地時代の風習の残りだろう。

客人をもてなすのは習慣だが、貧しい家では、みんなで食卓を囲んで分かち合う。
ミンダナオ子ども図書館では、みんな一緒に、一緒の粗末な食事を食べる。
ただ、それとなくビジターには、一皿余分におかずが置いてあったりして・・・

子どもたちは、外国人が珍しいし、とにかくお客が大好きで、サービス精神を旺盛に寄ってくる
だいたい寄っていく子は決まっていて、「ああまた同じ調子でやっているな」と、見ているが
すっかり舞い上がって、自分が特別に好かれている?等と思い上がってゆく、客人も多い(ように見える)。

くっついてくることをせずに、自然に接するようになったら、慣れて受け入れてくれた証拠


とにかくご飯をたくさん食べてお腹を満たす おかずが足りないときは、醤油をかける 一汁一菜が基本
汁物は、必ずご飯にかけて食べるのが普通。

とにかくよく食べる。
家では、三食たべられない家庭の子たちだから。

朝食べてから、昼前に焼きバナナのおやつを食べて、昼食。
午後帰ってきてから、残りご飯か掘ってきたお芋を食べて、
その後に夕食。
さらに、寝る前に残りご飯を食べる。一日何と、五食か六食!

50キロの米袋が、一日で消費される生活だ。
日本人の目には、おかずが少ないので、
繰り返し「これでよいのか」とたずねたが、

答えはいつも、
「これだけあれば充分過ぎる。だって、三食米が食べられるんだもの」

最初の頃は、せめて魚一匹尾まるごと焼いたのを喰いたい!
サンマが食いたい!
トンカツ一枚ペロリと喰いたい!
と夢にまで思ったが・・・・

今は、すっかりなれてしまって、夢にも見ない。

スカラー達が作った合い言葉
Eat together, sharing one another

基本的に、みんなで一つのテーブルを囲んで食べる

食器の使い方
逆に、日本に行くと、フィリピンでご飯をたくさん腹に詰め込む習慣に加えて、
何しろ一人分のおかずが、こちらの一家十名のおかずに匹敵する分量だったりして
たちまち食い過ぎて太ってしまう。

興味深いことに、私たちの目には粗食だが、彼らにとっては、
毎日腹一杯食べれるだけでも幸せで
あれだけ痩せて小柄だった子たちが、三ヶ月ぐらいからふっくらとし始めて、
一年後ぐらいから、急速に背が伸び始める。


食堂などでは、スプーンとフォークで食べるが、一般的に家では、手で食べる。
ミンダナオ子ども図書館では、最初スプーンとフォークを用意して食べさせていたが、
全体のミィーティングや帰省の時期になると
あっという間にスプーンとフォークの数が減っていく
(家や下宿に持ち帰ってしまう)

怒ったハウスキーパーのテルマさん、
「スプーンはもう出さない!
スプーンで食べたかったら、自分の小遣いで買いなさい!!!」
それ以来、スプーンは出さないことになった。
その後、みんな町にスプーンを買いに出かけたかって?
とんでもない、家と同じで、手で食べています。
スプーンを買うぐらいだったら、焼きバナナを買った方が良い???

訪問者には、ちゃんとスプーンとフォークを出しますのでご心配なく。
こっち式で、手で食べてみるのも良いですが・・・
私はときどき手で食べます。

こちらの食べ方の悪いところは、少し残すこと。
残すのが礼儀という見方もあり、残すことによって他の人がおこぼれに預かれる。または家畜や動物がおこぼれに預かる。
これは、アイヌの人々と同じ考えかと思われるが、子どもたちには、米一粒も残しては駄目だよ、と話す。日本式。

お米さん一粒にも、仏さんがいるのだから、と言っていた、京都生まれの祖母の言葉が耳に残って離れない。
熱心な浄土真宗で、毎朝おつとめを欠かさなかった。
仏像の横に、イエス・キリストの絵もちょこっと置いたまま、あなかしこー あなかしこー


イスラム教徒とキリスト教徒の子たちで
相談して作った食前の祈り

Bless us oh Lord and these are gifts,
which we are about
to receive as a goodness
through our God!
Amen



食前の祈り
スタイルはそれぞれ自由だ

イスラム式のお祈り
最後に顔を撫でる


トレードよりも
小さな雑貨屋から始めよう

ミンダナオに来たときに、孤児施設のハウスオブジョイの烏山さんが、
「卒業生が経済的に自立するためにもサリサリストアを建ててあげたい」と言ったのを覚えている。

サリサリストアとは、小さな小さな雑貨屋。
それを聞いて「そんな小さな事をするよりも、ファエトレードみたいにして、ちょっとしたものでも日本で売れば
こちらでは大きなお金になるのに、何でそんな現地的なみみっちい事を考えるのか」と思ったものだ。

実際その通りで、日本でちょっと稼げば、こちらでは大きなお金になる。
こうして、多くの人々が海外出稼ぎに出る。それで幸せになれば良いのですがね。
ただひたすら海外に頼ることしか考えられない性格になっていく。本当のミンダナオの良さも可能性も見えずに。

あれから6年がたち、私はいま、烏山さん同様に、卒業生の仕事の一つに、農場と平行して
小さな雑貨屋を作ることを考えている。
将来、小さな大衆食堂を平行させて作り、いつかパンを焼いて村で販売する。

「パンデサール、パンデサール。焼きたての朝のパンだよー。」
そういって、自転車にパンを乗せたり、子どもたちが手提げにパンを入れて売りにくるのは、ダバオの朝の風物詩。

どんなに儲かっても、フェアトレードよりも優先すべき重要な企画だと思う。
現地で、現地に根ざして、現地の人々のために仕事をすることで、若者たちが生きていくこと・・・

フェアトレードを否定しているのではない。
海外出稼ぎが悪いと言っているのでもない。
トレードで生きていくのは、最終的なプラスαのおまけの部分に過ぎないと言うこと。

自分の生きている地方の良さを意識せずに、ただひたすら海外に頼ることしか考えられない性格になっている
中産階級のフィリピン人をたくさん知っている。そういう人々の心情を見透かした、海外派遣業もさかんだ。

しかし、どんなに豊かになっても、自分たちの国の良さも文化も可能性も見えずに、自国を否定し
海外に目を向けている国の人々の心は寒々としてはいないか?
今の日本が寒々としているように?

今私は、当時雑貨屋を馬鹿にして、
「日本で売れば儲かる、こちらの人々に簡単に高額なお金が入る」、と考えたこと自体を恥ずかしく思う。
外国人としての傲慢が有ったような気がして。


今年の収穫


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ミンダナオ子ども図書館便り:1月22日校了

ミンダナオにおける紛争の特徴
危険の特徴

1,紛争が起こっていることを感じさせない奇妙な紛争.

 ミンダナオは、現地があまりに自然豊かで、人々の表情もある意味で生き生きとしているので、
 この様な地域で30年も紛争が続いているなどとは想像が出来ない。
 しかも、3年から5年置きに、比較的大きな戦闘が起こり、
 そのたびに大量の難民が出ているといった事が繰り返されているのだ。

 私自身、2000年にミンダナオのダバオオリエンタルに入ったときには、
 この島でこんな大規模な戦闘が起こっていることすら意識しなかった。
 実際に日本の新聞では、国軍兵士が30人ほど死亡の小さな記事しか無かったし、
 当時ミンダナオで50万人近い難民が出ていると言った事実を知っていた人は、
 一般国民の中には皆無だったのではないだろうか?

 現地には、赤十字を始めとする国際的なNGOが活動していたから、知られないはずもないのだが、
 とにかく、偶然現地で地平線まで続くかと思われる難民キャンプを見て唖然としたのだった。
 あの光景は忘れられずに脳裏に焼き付いている。

 世界のNGOが集まった現地は、当時NGOの見本市とまで言われたが、
 翌年、アフガン戦争が勃発したとたん、潮が引くように国際NGOが消えていった。
 まだ、大勢、難民が居るというのに・・・
 支援を継続させたのは、ミンダナオ子ども図書館といくつかの現地NGOだけ。
 その後も、たゆまず、読み語りやスカラシップ、医療による平和構築活動をしているのは、MCLのみ。

 あの風景に比べれば、今回の戦闘はまだ小規模で、拡大しなければ良いがと思う。


2,世界の紛争体験者が見た、ミンダナオの紛争。

 チベットなどの紛争を体験してきたCさん曰く。
 
「ここは、一見平和そうで何も起こっていないように見えるだけに、とっても怖い!!!
 チベットなどでは、民衆が蜂起して騒然となる。
 だけど、ここではジャングルや普通の民家に反政府組織がいて、
 30年以上にもわたってプロフェッショナルな兵士として訓練と実践を繰り広げて来ているから、本当に怖い。
 どこで何が起こっているのかわからないし、よそ者には現地の色分けが分からない。」

 アフガニスタンで選挙監視団を体験した来た人が、2006年の選挙監視をコタバトでしたときの印象
 
「アフガニスタンでも選挙監視をしてきたが、こここは比べものにならないほど怖かった」
 この選挙期間は、しばしば小規模の戦闘が起きた。
 ミンダナオの怖さは、一見まったく平穏で何もないように見えるところに、突然激しい戦闘が起こること。
 相手がプロフェッショナルで、なかなかその姿が見えない点にあると言う。




3,地域情勢は現地でないとつかめない

 地域情勢も、現地で、現地に長く住んでいないとつかめない。
 一見、日本的感覚から見ると、どこも平和な森やジャングルや村に見えるだけだから、
 どこが反政府組織の村かは、地域の人々しか知らない。
 現地で英語でたずねても、絶対に安易に話さないだろう。
 それほど、よそ者に対する警戒心は強いし、不安も大きい。

 不用意な言葉は危険を招く 
 例えば、乗り合いジプニーやレストランで、ちまたで、英語や日本語でNPAやMILFといった言葉を
 交えた会話をしたとしよう。時々、日本からの訪問者に見られる行為だが・・・とたんに周囲が緊張する!
 私は、日本人同士で話すときには、NPAと言う呼び名を隠し、日本語で新人民軍などと訳して話す。
 周囲が緊張し警戒心を起こしたくないからだ。
 妻のエープリルリンなどは、怖い顔してにらみつける。
 そんな言葉を、見知らぬ人がいる、こんな所で不用意に吐いてはいけない!

 現地情勢が見えて来るには、現地語を理解する必要がある。
 相当腹を割って信頼しあえる関係を構築してからでないと、本当の事は誰もかたらない。
 また現地語を知っていれば、彼らが語っていることも理解できる。
 フィリピン人は日本人と同様に、本音と建て前が異なったアジア人だと感じる。

 心から信頼できるパートナーが必要
 私の場合は、この地で妻として歩き始めてくれたエープリルリンの存在は非常に大きい。
 誠実ではっきりと意見を述べてくれるので頼りになる。
 彼女が居なければとても今の仕事は出来なかったしこれからも出来ないであろう。
 加えて、共同生活をしているスカラーたちの存在も大きい。

 スカラーの中に、NPAもMILFも居ると事は知っている(聞かないが)・・・・
 彼らは、それなりのサジェスチョンや現状を教えてくれる。
 これは、どのようなニュースやアドバイスよりも参考になるし、
 活動する前は必ず可能な限りの情報を現地とつながりがある人々から収集し、同行を求める。

 現地の人が、政府よりか反政府よりか、等と、白黒で考える考え方は、ミンダナオでは通用しない。
 庶民は、両方とつきあっているから、両方の立場を理解して、状況におおじて使い分けている。
 なかなか真実は言わない。言うと危険が身に及ぶこともあるので。
 山の人たちは、昼間は政府軍も家に歓待して語り合い、
 同じ日の夜には、反政府の人々が、一夜の床を借りていったりする。
 

4,それでも、日本人であるがゆえに、危険を忘れている時もしばしばある。

 私自身は、自分の身に何が起こっても仕方がないと覚悟はしている。
 スタッフ達には、誘拐が起こったら狙いは僕だから、僕をおいて逃げるように、
 絶対に抵抗してはいけない、と言い聞かせてある。
 身代金は、払ってはいけない、目的は身代金だから、払わない限りは生かしておく。
 警察に通報する前に大使館に通報するように、とも話してある。
 
 特にジャーナリストの殺害はイラクに次いで二番目と言う記録もあり、アムネスティーも抗議している。
 現地のNGO関係者や、トレーダー等のビジネスマンが誘拐の対象として狙われる。
 短期のヴィジターは、不用意に歩き回らなければ大丈夫だろう。

 貧しい人々と接触していると、どうしても反政府的な人々との関わりが多くなる。
 トレーダーやビジネスマンなど、金銭に関係している人々は、
 資金目当てに反政府勢力から狙われると、一般に言われている。
 とにかく、外国人は、お金を持っていると見られている、財布が歩いていると思われていると言って良い。
 マニラよりは素朴で安全だと思うが・・・







フェアトレードを夢見る例


ミンダナオ子ども図書館が知られるにしたがって、
定年後のいろいろな夢を見る方々が出てきたのであえてこの記事を書くことにした

ミンダナオのキダパワンは、短期訪問者として来られて、
ミンダナオ子ども図書館のプロジェクトに参加される分には、比較的安全であると言える

しかし、独自にこちらで活動をなさりたいと考える方の場合は
現地を知らないと言う事は、誘拐も含めた危険にさらされる可能性がある


紹介したX氏が夢見たのは、フェアトレードだったが、スタッフやボードメンバーから危険が指摘された。
だいぶ迷ったが、皆さんにも現実の一部をお知らせしたく、
スタッフの見解を省略しつつ簡潔に載せる決断をした。
定年後のボランティア活動の受け入れなどを、夢見るメールも来ているので・・・
参考にしていただければ幸いです


明けましておめでとうございます。
お元気ですか。

返事が遅くなりもうしわけありません。
先日、スタッフミィーティングがあり、Xさんのもっておられる計画の件で話し合いました。
ボードメンバーの方からは、NPA関係の情勢もふまえた意見を頂き、
それも参考にしつつスタッフで検討する形になりました。
スタッフからは、かなり日本人の私たちとは異なった厳しい意見(不安)がだされました。
要点のみを概略します。

特に問題になっているのは、フェアトレード関係の部分でした。
原因の一つは、帰られた後に山岳地域の先住民の人々が来て、MCLの二階に上がりこみ、
「貧しくて家に帰れないから500ペソ貸してくれ豆で返すから」、と言われ、
「これはMCLの企画ではない」と断ってもなかなか帰ろうとしません。
乳飲み子を抱いて、いかに惨めな生活をしているかを強調していましたが、
目つきが異なるような感じで、しきりにお金の話を持ち出しスタッフも不安を感じているようでした。

現在、経済崩壊の影響が、特に最貧困層のこうした地域で、日雇い仕事のカットとして現れ始めており、
戦闘の起こる可能性も指摘されています。
NPAやMILFの動きも活発化している情報も入っています。

山岳部はすべてですが、NPAの強い地域で、私たちは活動内容から理解し合い、互いに認めあって動いています。
しかし、MCLに準じた形でこの地で、フェアトレードの動きが始まると、
人々のMCLに対する解釈や関心のありかたが微妙に違ってくることに、スタッフは強い不安を持っているようです。
以下、スタッフミィーティングの要約です。

*********************************


1,フェアトレードを考えられている対象地域は、NPAの勢力の強い山岳地域である。
例えばB村は、現在軍とNPAの戦闘が噂されているし、
M地域はともに、NPAの根拠地の一つで過去、幾度も戦闘が起こり、NPAがわも軍側も死者を出している。
また先住民などが、殺されたり戦闘で死んでいる。
去年の暮れは、マキララの国道沿いのドールに対する襲撃があり、倉庫が焼失、
トラックが破壊され、バランガイキャプテンが殺されている。


2,M地域の行政と親しくなったのは、善し悪しで、こちらにおける行政は日本と意味が異なる。
山岳地域は、反体制側が実質的に支配しており、行政に対して武力闘争を展開している。
企画を進めている関係者も、また市長も現地の有力者で、
マニラの財界(マカティ)などとつながっている様子もあり、反政府から見れば敵である。
関係者は格好の誘拐対象でもあり外国人はなおさらである。


3,フェアトレードという概念が、山の人々に理解できない。
彼らには、どんなに地域に無償で貢献しようとする理念を説明しても、儲け仕事としてしか受け取っていない。
事実、直接金銭に絡む活動であることに変わりなく、本来のミンダナオ子ども図書館の行為とは全く異なり、
直接金銭がからむ活動として受け取られても仕方がない。
トレーダーは日本人で大金を持っていると思っている。その場合、身代金目当ての誘拐や殺害のおそれがある。
それが、MCL職員やスカラーにまでおよぶ可能性もある点をスタッフは非常に警戒している。


4,MCLが医療やスカラシップ支援活動をする背後に、トレードで儲けようとする
裏魂胆があると思われ誤解される可能性がある。

この場合、現地でのMCLの活動に支障を来す可能性がある。
今までも、いくら読み聞かせがメインだと説明しても、金銭にからんだ話を持ちかけてこられ、
最近になってようやく認知されたような状態。
ところが、せっかく認知されたにもかかわらず、新たにトレードの話が伝わり、
特に、事務所が敷地内にあったり、活動に同行されたりすると、MCLの活動として誤解されるおそれが高い。
主催者は共に日本人であり、読み聞かせなどの活動で同行している現場を見られると、
おなじ活動であると思われても仕方がない。


5,すでに山岳地域の人々の目の色が変わっている。
現地にスカラシップ関係で行ったところ、すでにMCLで金銭を渡した人々から、話が広がりつつあり、
金銭や仕事を要求すると言ったことが現に起き始めている。
こちらでは口コミで非常に早く(時には間違って)広がるので危険である。
MCL内にオフィスがおかれると、さらに多くの、金銭目当ての素性の分からない人々が図書館を訪れ集まるだろう。
スカラーや子どもにも危険が及ぶ。
特に仕事や土地のないマノボ地域は、経済的クライシスの影響が現れ始めており
三食たべられない状況が起こっている。NPAとMILFの動きが活発になっている。


6,金銭に絡む殺傷事件は非常に多い。
仕事が始まった場合でも、思ったような利益があがらなかったり、品質保証ではねられたりしたときに、
こちらの人々の性格上、感情的に怒りを表す可能性もある。
実例として、マグペットのバナナプランテーションは日本資本のAJMRと呼ばれているが、
職員の対応や態度で怒った人々(日雇い)が、針をバナナに仕込んで、
それを食べて日本の子どもが病院に運ばれている事件が起きている。 


7,トレードの許可が無く、活動するのは法的にまずい。



8,誘拐などの事が起こった場合、MCLと関係があると責任を問われ、
  社会的にMCLが打撃を受けることとなる。



9,誘拐やNPAからの法外な金銭取り立ての可能性
(MCLの場合は無いが、活動税として営利法人や宗教法人は、当地でも払わされているケースが多い)。
MCLの場合は今まではないが、トレードと誤解されると、MCLやMLCスタッフに金銭取り立てが及ぶ可能性がある。
しばしば読み聞かせで、NPAのコマンダーと接触しているし、
今までは理解されているが、トレードが関わると難しくなるであろう。


10,例え別組織として活動しても、品質管理を請け負ったりすれば同一と見られる可能性がある。
MCL独自の企画としてスカラー自身が織物を作ったりするのはかまわないが、
外部のトレーダーからの仕事の一部を引き受けるとなると話は異なる。
協力関係にあると受け取られる可能性もあり、スカラーに小銭が入ったとしても仕事は請け負うべきではない。


11,スカラシップを口実に、労働をさせているいう批判がDSWDや行政機関に入ると、
   認可を剥奪される可能性もある。



以上、スタッフの意見を参考に集約しました。
期待されたような良い返事では無いと思いますが、ご検討いただければ幸いです。




追伸

ダバオオリエンタルのハウスオブジョイは安全ですし、そちらにアプローチされると
じゃこう猫の事などもスムーズに行くように思います。
http://www.bonchi.jp/joy/index%20new.htm
私の出発点となった、孤児施設で、子どもたちもたくさん居て海に近く美しいところです。

烏山さんは、もと青年海外協力隊で、奥さんのアイダさんのお姉さんが元市長で、セキュリティーが保証されています。
NGO活動も盛んに行っています。石けんも椰子のからで作るネットやおみやげ品も、ハワイに卸しています。
企画をお話しなさると、大喜びされると思いますよ。一度行かれたらよいと思います。

ミンダナオ子ども図書館は、積極外向型支援で、活動範囲が山岳地域やムスリムエリアなど広範なので、
それだけ(時には必要以上に)慎重に行動しなければならないのですが、
ハウスオブジョイは、孤児施設ですので、活動が異なっていてより安全です。


ミンダナオがフェアトレードに向かないと言っているのではない
ただ、同じフィリピンでも、ネグロスやセブとはかなり異なる
場所によって、やり方によっては可能だし、政治情勢が好転したり
MCLで別組織を作り法人登録をキチッとして
本部に影響のない、セキュリティーもふまえた計画の元に
責任を持って活動する時期は来るかも知れない





その他、ミンダナオに関する
徒然の問題

児童を悪用した犯罪に関して

質問
「前回の帰国の途上でダバオオリエンタルで児童を悪用した犯罪
(shild explitation とでもいうのでしょうか)の予防を担当している警察官と隣り合わせになりました。
かれは8割方はフィールドに出て犯罪の芽を摘んでいるそうですがどう思われますか。」


興味深い点です。実際、ミンダナオ子ども図書館には、その種の子たちが多く来ていますので、
私も注目している点です。私たちは、たいていこうした慎重に扱わなければならないケースの場合は、
地元のDSWD(市の福祉局)のソーシャルワーカーと連携を持って活動しています。
グレイスさんもピキットサイドですが、キダパワンやマグペットなど、
他の市のソーシャルワーカーとも連携を持っています。
ミンダナオ子ども図書館は、関連のある市町村からも表彰されていますが、
政府認定のソーシャルワーカーがMCLスタッフとして内部に居るのもその理由からです。

お会いになった方が、
どのような犯罪を調査または見ていられるのか、
ミンダナオにおける犯罪例の一覧、または実態。
そして、どのように予防をされているのか、
お教えいただければこちらの活動にも
非常に参考になりますのでお願いします。

大都市型とここのように、山岳地帯が多い地方では
児童犯罪も形態が異なっていると思います。
ここには、大都市型の強制売春などは、あまり見られません。

逆に、エージェンシーによる、海外斡旋で、
お金を借りる形でビサをもらい海外にいったまま、
借金を返済できずに売春を強要されていくケースが
マノボの人たちの中にあり、
マノボの勧誘人を使って
マノボの少女を売り飛ばすケースがあります。

それゆえに、スカラーには、
海外出稼ぎに行かない方が良いよ、と言っています。

また、日本にスカラーと共に行くときは、
浮かれ気分をたしなめるために、
日本でのフィリピン人の現状と実態を多少でも理解するために、
大阪の釜が崎に泊まり、
フィリピンパブ関係の人に会う機会を作っています。


実際は、ドライバー担当のトトン君
本文とは関係がありません・・
この地で、多いのが親の養育放棄。
離婚、殺害による孤児。
戦闘による殺害もありますが、
毒殺、撲殺で父親が殺された子も数名います。
父親が投獄中の子も数名います。
次に多いのが、レイプです。

ミンダナオ子ども図書館では、レイプで子どもを産んだ女性は、
積極的にスカラシップに受け入れています。
近親にレイプされるケースも多く、
多いのが継父、実の父親もある。
日常こちらで接している(明るい)子たちですが・・・
どの子かは、簡単におはなしできません。

都市のストリートチルドレンの場合は、売春なども多そうですね。
それから、外国人による少年愛好が意外と多いと耳にしています。

かつてある施設に近寄っていた外国人男性が、
変態趣味の疑いがある話は耳に入っていますが・・・
よその人を受け入れるときに、最も難しいのが、
なかなか見分けにくい、こういうケースです。

安易に女の子を捜しに来るなど、論外ですが。
ミンダナオ子ども図書館は、保護者との契約で
高校生は、MCL内部での恋愛は禁止・・・大学まで待つ
家族のように、兄弟姉妹、親子のように互いに愛し合うこと

大学生の場合は、外部ではOK
文通もかまわないが、妊娠したりさせたらストップ
と言う規約がある。

これは、訪問者にも適応され
現地スタッフと学生との対話の結果、
スタッフの決断で判断される。


実際はスカラーのマノボの少女
本文とは関係がありません






頭を悩ます車ショップ

ミンダナオで活動しようと思うと、どうしても必要になるのが車だ。
何しろ、道も悪く、車がないと移動できない。老後をこちらで過ごしたり、多少とも活動しようとなると、車が必要になる。
といっても、ダバオなどの市内を移動するのなら、タクシーやトライシクルで十分だが・・・

こちらで車を買うならば、新車がおすすめ!当たり前だが、故障が少ない。
しかし、よほど懐が豊かな個人か、NGOなら別だが、大概は中古で間に合わせようかと言う事になる。
ここでいくつかの現地ならではの問題が発生する。



1,運転手が居た方がよい
 何しろ交通規則が有ってないようなもの。
 交通規則を知らなくても、
 車を動かせれば免許を取ることが出来る。
 (免許は、お金を出せば買うことが出来る。試験もない。)

 だから、交通規則をほとんど知らないで運転している。
 そのような中で運転するのだから、
大使館も運転手をつけることを強く薦めている。



2,中古の場合は、故障する。

 故障すると、こちらではデューラーに出さずに、
 ショップと言って、街の修理屋に出す。
 これがくせ者。
 外国人だと見ると、法外な値段を請求して修理する、事も多い。

 修理するだけなら良いが、
 オリジナルの車の部品を密かにはずして、
 質の悪いまがい物をつけたりする。
 オリジナルは、高く売れるからだ。

 だから、決して新車をショップに出してはいけない。
 ことごとくオリジナル部品がはずされて、
 修理して戻ってきたときには気がつかずに
 中古になっている(可能性がある)。

 時には、故障箇所を修理した後、別の箇所を
 すぐに壊れるように改造しておく。
 すると、別の箇所が再び壊れて、修理に出す。
 こうして、ショップは儲けるのだ!

3,運転手や知人も・・・・。

 親戚や友人が修理店をやっている場合など、
 ちょっと壊れたと言っては、車を持っていって、
 法外な値段や故障を作ったりして、修理店を儲けさせる。
 先方からバックマージンをもらっているケースも多い。

 私の知っているS氏は、中古の車の修理を、
 運転手に言われるままに繰り返し、
 結局は、新車を買うよりも高い車に乗ることになった。
 貧しさならではの、知恵とも言えるが・・・・


 こちらの言葉

 「お金が無くなったらどうするか」「まずは祈る」。「それでも無いときはどうするか」「盗む!」

 最初にこの話を聞いたときは、冗談かと思った。実際、冗談として語られたのだが・・・・
 しかし、三食たべられない先住民が、日雇い仕事もなく、生活の窮地に陥ったとき、
 彼らはまず、一家で神に祈るだろう。深く神の存在を信じている人々だから。

 そして、移住者の土地に植わっているバナナを、お腹をすかせている子どものために、密かに盗む。
 土地もなく、作物もなく、それ以外に、子どもを養っていくすべはない。背に腹は代えられぬ。
 捕まれば、クシュンとなって謝るだろう。こうしたきっかけで、監獄に入っているスカラーの親もいる。

 「お金が無くなったらどうするか」「まずは祈る」。「それでも無いときはどうするか」「盗む!」
 今は、その気持ちが、私にもわかる。

 ミンダナオ子ども図書館でも、たびたび小さな盗みが有ったりして、私も腹を立てたい気持ちに駆られる時もあった。
 
そういうときは、こう考える知恵をもらった。

 (先進国が、プランテーション等で搾取をしていることを考えれば、可愛いものだ!)

 
チベットでのNGO活動が長かったCさん、ミンダナオ子ども図書館で子どもたちと一緒に生活して一言。
 「こんなに無防備でいられるなんて!あちらに比べれば驚くほど盗みが少ない!!」
 キダパワンが、外人の居ない、田舎だからかも知れませんが・・・・




Mの会
寄贈で、ゲストハウスが完成する

母屋に継ぎ足す形で建設開始 下部はガレージになる

ゲストハウスと言っても、支援者の方々が泊まると同時に
(今までは、若者たちと同じ部屋で、添え寝していただいていたのだが・・・)
とりわけ学校に行けなくなった子たちと、うちの若者たちとの交流の場になればと願っての建設。

最初にここに泊まれらるのは、おそらく立正佼成会の10名の子どもたちになるだろう
夢ポッケという名の学用品寄贈プロジェクトで、平和の祈りもかねて
ご両親ともども30名が来られる予定だ


向かって左端と同じ大きさの建物が、右端に出来る。
完成すると、鶴が翼を広げたような形になろう

建物の見かけは大きいが、実際に生活するとそれほど広さは感じさせない
ここで、一ベッドスペースに二人で添え寝する形で、
一部屋に2から3個の二段ベッドが置かれており8名から12名が寝起きを共にしている
スタッフも入れて、全体で約70名の若者たちが共同生活をしてい


建設費は、中央部が当時の価格で300万、その後資材が値上がりし、左右は250万で完成
ちなみに、今回は、目的を限定したMの会の特別寄付で建設、
他の部分も、私自身の仕事から来る収入
(私は、ミンダナオ子ども図書館から給与をいっさいもらっていない)
を積み立てて建設、土地や家には、いっさい皆さんの寄付を使っていませんので、ご心配なく。
基本設計は私だが、ボードメンバーで設計技師のダニー氏が設計施工をしている



左側の部屋、3部屋は寝るだけのスペース
食事も、学習も、遊びや語らいも、すべてこの中央のスペースで行われる
「分かち合い」を重視した構造は、フィリピンの伝統を生かしたポーチ形式で
自然に対しても心が広がるオープンスペースだ!

この先にゲストハウスがつながることで、ビジターとも隔たり無く交流が出来る構造になる
「すべてをみんなで分かち合う」と言う考えを、建築方法でも実現した
壁もコンクリートは使わず、伝統的で安価で美しい竹の編み壁を採用している

ゲストハウスが二階にあり、大勢の若者たちと一緒であることで
周囲の敷地の塀を作らなくとも、高度のセキュリティーを実現している


ちなみに、ミンダナオ子ども図書館の敷地には、心の壁だけではなく、
外界と隔てる塀や垣根はいっさい無い。
夕暮れ、村人たちが、敷地内の小道を抜けて家に帰っていく姿が、ポーチから見える。
このことに地元の方々も驚かれる!
これだけの施設だと、必ず高いコンクリートの壁が張り巡らされ、鉄格子の門を開けて入るのが普通だから
周囲の人々に対して、心の壁を作らないと言う、理念を実践したもの

門番も、ガードマンも置いていない

『Mの会』って何?

山元眞しんぷと、行橋カトリック教会有志で発足した、ミンダナオ子ども図書館支援の会
http://www.yukuhasi.catholic.ne.jp/

行橋カトリック教会のサイト



ミンダナオ子ども図書館のガードマン達





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ミンダナオ子ども図書館便り:1月8日
2009年、ミンダナオ子ども図書館は
三つの問題を、
主題として活動を開始するだろう

一つは、イスラム地域における戦闘難民の救済の問題。
難民キャンプにおける、食料と医療支援の継続および現地の若者たちによる平和構築

もう一つは、世界的な経済危機の影響を、最も残酷な形で影響を受け始めている(3食たべられない)
土地を奪われ、プランテーョンの日雇いで生活せざるを得ない、先住民族の救済である。


日本サイドの問題を、第三に加えるとするならば
日本の若者や中高年の人々の置かれている精神的危機の問題も議題に上っている。


2009年最初のボード会議



ボードメンバーによる、定例の第三期会議が行われた
会計報告と同時に、イスラム難民や戦闘の現状
経済クライシスの影響をもろに受けつつある、先住民族の状況

若者を中心とした、日本人の受け入れの問題が話し合われた

再びここで、簡単にボードメンバーの構成をお伝えしておこう。

マノボ族サイドからは、エラさん(元アジア学院研修生でマノボ指導者)、
スーザン・インカルさん(マノボ族で父親が初代のキダパワン市長、フィリピン先住民族協会)
イスラムサイドからは、ホサイン氏(イスラム教指導者オスタージュで、ピキットのイスラムファンデーション相談役)、
イスラムとクリスチャンの橋渡しとして、グレイスさん(ピキットDSWDの所長補佐)
マノボ族とクリスチャンの橋渡しとしてビックビックさん(山岳地域の保育者、ジャスティス&ピース)
クリスチャンサイドから、ダニー・イサカ氏(シビルエンジニアでカップルオブクライスト)
フィリピンサイドと日本サイドの橋渡しとして、エープリルリン松居(バイスプレシデント)
日本サイドとフィリピンサイドの橋渡しとして、松居友(エクゼクティブディレクター、MCL創設者)
日本サイドから山田順子さん(日本事務局)

会議の概要

全体として、ミンダナオにおけるアンセスタードメイン(先祖伝来の土地所有)の問題を、先住民族とイスラムの立場から確認
歴史的経緯と現在の移民系クリスチャンとの確執、イスラム地域における戦闘の状況と難民の見通し
先住民族の立場の歴史的経緯と現在の状況、世界的クライシスと土地所有、プランテーションや食物貿易による貧困の増幅
日雇い、草取りなどの労働の現状や、現場や学校での差別が報告された。
現実に、起こっているイスラム難民の救済方法や山岳地域の先住民族の現状と救済方法などが、検討された。


1,イスラム地域では、戦闘が継続している。


戦闘地域から避難してきた難民達が、政府の指示があっても帰省しようとしない。
理由は、戦闘地域での自分の家が、破壊されたり燃やされたりして、住む家がない。家畜も奪われて財産がない、等の原因がある。
しかし、最も大きな理由は、

フィリピン政府軍の保護の元にクリスチャン系の難民の帰宅が、都市周辺部において行われているが、
この様に政府軍が入った地域では、MILF反政府勢力との戦闘が発生したり、発生する可能性が高くなる。
それゆえに、イスラム教徒難民達は、政府軍が入った地域には恐れて帰ろうとしない。
結果、難民キャンプが長期化している。

理論的には、政府軍が制圧した場所は安全が確保されたと思われて、難民が帰省すると考えられるが、
こちらでは、政府軍が侵攻してきたところは、戦闘が始まると恐れられて、逆に難民化が進み、
政府軍が滞在する限りは、難民が帰省しようとしない。

政府軍は、当面、撤退することはないであろうから、難民は長期化するであろう。
すでに、半年目に入っている人々も居て、食物の欠如から体力が低下、病気が蔓延している。
衛生状態の悪さも追い打ちをかけている。

また、MILFと政府との交渉課題である、アンセスタードメインの問題が棚上げされた格好となっており、
この問題に見通しが立たない限り
反政府側は交渉のテーブルに着くことを拒んでいる。
第3国政府が仲介に立つ必要性も指摘されているが・・・。



2,マノボ族など先住民族の状況が悪化している。

とりわけ、プランテーションや移民系クリスチャンに追われた、土地無しの人々に貧困の影響が出ている。
彼らの収入は、遠隔地にあるサトウキビ農場の過酷な労働による低賃金、
または移民系クリスチャンに占有された水田や田畑の雑草刈りぐらいしかない。
収入は、食事自前で一日100ペソ(180円から200円程度)、自分で食事をすると70ペソほどにしかならず、
さらに借金でがんじがらめになっている。

それが、今回の世界的な経済危機で、ゴムやサトウキビ等の輸出用作物の価格が下落。
また、雇用側も、マノボなどの人々の教育水準の低さを見越して
経済的クライシスを理由に賃金を低く抑えたり、雇用のカットをしているように見える。
その結果、最貧困層の人々の生活が極端に困窮している。

私たちのスカラーの居るプロック8やボホラノン、ボアイボアイ村などでこの傾向は顕著である。
3食たべることが出来ずに、体力が低下、高熱がひかなかったり髪の毛が落ちる子が出ていることは、前年の便りでも報告した。

この地域は、過去イラガ(ねずみ)と言う移民系クリスチャンの暗殺集団が、先住民族を辺境に追いやったのちに開拓した場所。
プロック8等は、追い出された後に、もどったと言う歴史的経緯があり、問題を根深くしている。
しかし、ここに来てこうした問題が噴出し始めている背景に、今回の世界的な経済クライシスから来る不安心理があるように見える。
NPAなどの反政府勢力の動きも活発化しており、そうした不安から、一時覆われていた差別やいじめが増幅されているきらいがある。

以上のような内容が、各役員によって話された
特に結論的なものはだしていないが、役員も適宜同行することによって
現場における解決の方法を見いだすことになった。




1月11日、奇しくもこの2点に関する、
注目すべき記事をインターネット上で見つけたので、紹介したい。

毎日新聞:矢野純一 1/11
フィリピン:MILFと戦闘やまぬ、ミンダナオ島 避難先、弱る子供たち

http://mainichi.jp/select/world/news/20090111ddm007030075000c.html

 【マニラ矢野純一】フィリピン南部ミンダナオ島で、
国軍と反政府組織「モロ・イスラム解放戦線」(MILF)の戦闘が激化した昨年8月以降、
不衛生な生活環境の中で病死する子供の避難民が急増している。
事態を重くみた国連児童基金(ユニセフ)は、飲料水の確保やトイレの整備を最優先に活動を行う。
戦闘下、避難先で新年を迎えた住民は30万人以上に上った。

 国軍の災害対策本部や地元NGO(非政府組織)によると、昨年8月以降に病死した18歳以下の避難民は45人。
死因の多くは不衛生な水を飲んだことによる下痢や栄養失調、はしかなどの感染症だという。
公園や空き地に作られた避難所にはトイレや水道などの衛生施設が整っていない。

中略    

 ユニセフ・マニラ事務所のバネッサ・トビン代表は「ここまで戦闘が長引くとは予想できなかった」と言い、
衛生施設整備のほか、子供の精神面のケアや医薬品の配布に力を入れると語った。

 昨年10月に38万人に上った避難民は現在、30万7000人までに減った。
しかし、12月24日には北コタバト州で戦闘に巻き込まれた住民9人が死亡、
約400家族が新たに避難民になるなど、戦闘はやみそうにない。

afp25

国際ニュース : AFPBB News 1/11
貧困国から奪われてゆく土地、背景に食糧危機や景気後退など
http://www.afpbb.com/article/economy/2555463/3659718

  • 2009年01月11日 16:26 発信地:クアラルンプール/マレーシア

【1月11日 AFP】資源の乏しい国々が、アジアの貧困国の広大な農地をわれ先に買っていく。
活動家らはこれを「土地の収奪」と呼び、貧困と栄養不良がさらに悪化しかねないと注意深く見守っている。

 食糧を輸入に頼っている国々は、原油・食糧価格の高騰、バイオ燃料ブーム、そして急激な景気減速の中、
自国民の食糧を確保するための対策に追われている。中でも、耕作地が不足している中国と韓国、
オイルマネーで懐が豊かな中東諸国が、
アジア・アフリカの農地の権利取得に向けた動きをけん引している。

 スペインに本部を置く農業権利団体「Grain」は、最近の報告書で、
「今日の食糧および金融の危機が世界規模の新しい土地収奪を招いている」と指摘した。

 同団体によると、こうして確保された農地の目的は、主に「本国の食糧安全保障を念頭に、
本国で消費するための作物を栽培するため」と「ヤシ油やゴムなど、経済的利益を得るためのプランテーションを
設立するため」の2つに分かれるという。

「こうした傾向により、世界で最も厳しい貧困と飢餓に見舞われている国々の肥沃な農地が急速に外国企業により
統合・私物化されている」と、同団体は警鐘を鳴らしている。

    中略

■腐敗政府との契約で農民を苦況に

 タイ・バンコク(Bangkok)に本部を置くNGO、フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウス(Focus on the Global South)の
ウォルデン・ベロ(Walden Bello)氏は、昨今の世界的な経済危機にあっても、
土地を持たない農民を一層の苦境に陥れる可能性のある、
1つの「傾向」は脈々と続いていると指摘する。

 その傾向とは、腐敗した政府と土地に飢えた先進国が、農地契約の名のもとで私腹を肥やしているという事実だ。
実際、契約の多くは、汚職が横行、または政府が機能不全に陥っているような国々で結ばれている。

 クウェートは前年8月、カンボジアに対し、穀物生産の見返りとして、
5億4600万ドル(約500億円)の借款供与に合意した。
カンボジア政府はカタール、韓国、フィリピン、インドネシアとも同様の契約を結ぶ準備を進めているという。

 だが、カンボジアのある野党議員は、クウェートのような裕福な国が、コメを輸入するのではなく、
わざわざ他国の土地で栽培するという選択肢をとっていることに疑問を呈する。

 この議員は、「カンボジアの農民たちは土地を必要としている」と主張。
政府に対し、外国に貸与する土地に制限を設けるべきだと訴えている。(c)AFP/Sarah Stewart

先住民族の置かれている危機的状況
世界的経済クライシスとマノボ族の貧困

去年のミンダナオ子ども図書館便りで、マノボ族の村のスカラーが高熱のために入院し、
検査の結果、栄養失調が原因である、と言う事実を報告した。
その後、対策として、上述のスカラーたちは、ミンダナオ子ども図書館に収容し、ここから小学校に通うことにし、
3ヶ月後にはすっかり体力が回復した。
また、クリスマスと正月に、こうした村の子たちを大勢招いて、栄養補給も兼ねたフィーディングを行った。

この時期になって、何故、こうした土地無しで山岳地域に追われたマノボ族の子たちに、栄養失調が増えているのか
私は疑問に思い、子どもたちの村への帰省などの機会を利用して、聞き取りを開始した。
すると、そこからいくつかの事実と問題が浮かび上がって来た。

実に驚くべき事に、最も辺境に位置して、およそ世界の動きからは見放されているかのような、再貧困地域こそが、
世界的な経済クライシスが直撃してくる形で、影響を受けていたのである!

彼らの現金収入を支えているのは、日雇い労働である。
近隣の水田の田の草取り、ゴムの木の汁集め、サトウキビやトウモロコシ刈り、農地の草刈り、といった
土地所有者が、自身の土地のメンテナンスや、それに伴う雑用を請け負う脇の仕事を彼らが行っている。
その多くは、輸出用作物を栽培している大土地やプランテーションと関係している。

日取りは、日給およそ100ペソ(今のレートが×2だから=200円)で、食事は自分持ち。30日間フルにはたらいて3000ペソ。
(ちなみに、ドールの日給は200ペソだが、土地所有に関連した一部の人々にしか仕事は与えられない)
日々の食費の30ペソを引くと、一日70ペソ(140円)ほどにしかならない。30日間はたらいて2100ペソ。
円で計算すれば、月給の手取りが、4200円と思えばよい。

スカラーの家族 栄養失調だが、先年暮れ
ダバオの病院で亡くなった子
スカラーの家族
ミンダナオ子ども図書館の、粗食だが米を子どもたちに食べさせている状況で、
一人一ヶ月の食費が1000ペソだから
平均7名の子どもに両親を加えた9人家族であれば、食費だけでも9000ペソ。

それが、月給2100ペソしか無いとしたら、
普通日雇いから帰って、7名の子どもが待っていて、
両親と一緒に食べるとして、何日分の食費になるだろう。

さらに、子どもの学費や弁当の米代などのための借金があるケースがあり、
日雇いの季節労働から帰ってきても
手元にはほとんど残らないような状況が多い。
この状況では、子どもにお弁当を持たせることが出来ないし、
学用品に至っては無理なのは、当然。

それどころか、毎日食べ物がなく、かろうじて、
山地に植わっているバナナと芋をかじる生活になる。

栄養失調で毛が抜け始めた少女

いくら何でも、これはひどい!


バナナは味気のないバナナで、芋もカサバ芋という、腹持ちがしないもので、甘みもなくモソモソしてとてもたべる気にならない代物。
塩水に唐辛子を潰して、バナナや芋につけてようやくのどを通ると言ったものだ。
肉や魚と言ったものはほとんどたべる機会が無く、これでは、次第に栄養が細るのは当然で、病気にもなろう。

こうした状態を助長しているのが、世界的な経済危機だ。
彼らのわずかな現金収入源であった、日雇いの季節労働が、物価高による経営状況の悪化という、雇用者側の理由で
カットまたは削減されているのだ。

日雇い労働が無ければ、全くの現金収入がない。
田の草取りのような、仕事でも、移民系クリスチャンが経済危機を理由に雇用を渋りはじめている。
米の値段は、高値で推移しているのだが、物価高が理由。

彼らの貧困の根本的な理由は、農業のプランテーション化による輸出作物の作付け面積の著しい増大と、
移民系の土地所有によって、自給用の耕作地を奪われたことに起因している。
今まで、ミンダナオ子ども図書館では、彼らにとって最も経済的負担が多い部分である、子どもの教育と弁当を支援してきた。

現在、ミンダナオ子ども図書館は、学校側との協議を始めると同時に、最も良い解決法を、現地の親や子どもたちと模索している。
同時に、仕事を得るための水牛の支援、山羊などの家畜を増やす可能性。
そしてさらに、ミンダナオ子ども図書館所有の農地や水田を確保し、そこでの労働を通して、経済的支援が出来る体勢を考えている。

しかし、今回何よりも感動したのは、こうした困難に直面しつつも、マノボ族の人々がより団結して
プロック8で、わずかに6ヘクタールだが、30家族で、自ら子どもたちの食事のために、農地の共同管理と運営を始める決意をしたことだった。
(一ヘクタールで養えるのは、子どもの数にもよるが2家族程度と言われている)
理由は、支援だけに頼っているのは良くない。わずかであっても、自分たちの力で生活を切り開きたい。

教育支援を始めて5年目、子どもたちの成長していく様子を見つつ
自分たちも、成長しなければならない、と言う自覚を、子どもたちの姿から学び始めた大人達、
特に、父親や男達の姿がまぶしかった。


イスラム地域の戦闘と難民の問題
何故、イスラム難民は自分の土地に帰らないか

これには、いくつかの原因がある。
一つは、帰っても家が焼かれて無かったり、家畜が奪われて居なかったり、
生活を始めるための基本的な財産が戦闘のために失われている
それ故に、帰ろうと思っても帰れない、と言うものだ。

しかし、もっと根本的な原因は、戦闘の拡大を恐れているからだ。
彼らは、政府軍がMILF反政府組織を見かけ上は土地から追い出し、
外見上は戦闘地域を制覇した事で戦闘が終わったとは考えていない。

クリスチャン系住民は、政府軍の制圧によって守られていると言う自覚があり、
彼らはほとんどが自分の土地に帰った。
行政が、公的な難民キャンプであった、倉庫や学校を閉鎖して、帰省を促していることも大きい。

しかし、イスラム教徒たちは、自分の土地に帰ろうとせず、
ピキットの辺境に移って道路沿いに住み始めている。
彼らが、ビニールシートの屋根を椰子の葉に変えて、仮小屋を建て始めたことは、
長期滞在を覚悟したことを意味している。

理由は、クリスチャン系住民とは正反対に、イスラム教徒の人々にとって、
政府軍が地域を制圧し、軍が駐在したことは、戦闘が起こる可能性、
拡大する可能性が高まった事を意味しているからであると言う。


彼らが、ビニールシートの屋根を椰子の葉に変えて、
仮小屋を建て始めたことは、
長期滞在を覚悟したことを意味している。

普通なら、政府軍は、
フィリピン政府が自分たちを守るために出動させた軍隊
という解釈になろう。

クリスチャン系住民にとっては、まさにその通りである。
しかし、イスラム系住民にとっては、敵の侵攻に見えると言えば、理由が明らかになろう。
ピキットは、7割がイスラム教徒でしめられているが、他の地域もふまえて、
イスラム地域はほとんどの住民が感情的には反政府だと言って良い。

特にこの傾向は貧困層に強く、村長や金持ちの土地所有をしているイスラム教徒は、
ダバオやマニラに居を移しているケースが見られる。
といっても、この境目は実に曖昧なもので、遠くから、指示を出している可能性もある。

いわゆる反政府地域のイスラム教徒のたちは、MILFの正規軍が滞在したり、
通過しても逃げることはない。
しかし、政府軍が入ってくると、子どもたちも、女達も、いっせいに村を放棄して逃げ出す。
理由は、政府軍が村人を攻撃してくるからではなく、政府軍が入ったところに戦闘がはじまるから。
MILFにとっては、政府軍は自分たちのテリトリーに入ってきた侵入者であり、攻撃の対象。

軍は、政府軍も、MILF軍も、訓練された正規軍と、一般住民が武器を持った民兵とにわかれる。
民兵は、ライフルや迫撃砲を持っていればそれとわかるが、
特にMILFに属する民兵は軍服を着ていないし、普通の住民と同じ、というか、
普通の住民達のなかの男性達だから、それと見分けるのが難しい。

彼らは、自分たちが戦うためにも、家族を安全な場所に移しておきたい。
最も安全な場所はどこか、それが、難民キャンプだ。
このことは、地方行政も承知であるし、ピキットでは人道的な立場から
ワールドフードと協力して食料支援もしている。

難民キャンプは、ほぼ村単位で固まるケースが多く、
その結束は固い。


難民状態が続いたからと言って、彼らの結束が弱まったり、
コミュニティーが崩壊することはなさそうだ。
金持ちの村長などは、市の中心の別宅やダバオに逃れたりしているのが普通だが、
貧しい人々の結束は、難民状態を通して、
より強くなることはあっても、弱まることは無いと感じる。

しかも、彼らは、こうした経験を、過去30年間、3年置きに体験しているので
戦闘難民になっても、「またか」と言う状況なのだ。
唯一、困難なのが食料と医療であり、精神的なトラウマなどはあまり感じられない。
外国人に対する不審感と、長期化してくると抑鬱状態は感じるが・・・・

戦闘における精神的トラウマの問題は、他国に攻撃を仕掛けてきた軍の兵士たちが、
故郷を離れて戦地に放り込まれた結果、つまり、ベトナムやイラクの米兵などのように、
その様な場合に顕著に現れるのではないか。

私も、戦闘を身近に体験して、10,11月に日本に帰国しても、
ちょっとした音で神経が高ぶったり
飛行機の爆音や、東京都内の環状道路を自衛隊の軍用車が走っているのを見ただけで、
「どこが戦闘か!!!」と、強烈な感情に襲われたが、こういうのは未経験者に特有で、
長期に経験し続けているイスラムのスタッフに聞いても、慣れっこになってしまうようだ。

スカラーの中には、父親などが殺されると、かなり強い抑鬱状態になることは、確かだが、
加害者の立場に置かれたものの方が、トラウマは激しく
被害者の場合は、むしろ家族や親戚や村人たちで、心を結束させて行くように見える。

今はやりなのだろうか?
海外NGOによる、トラウマの解消のための支援は、
現地の人々の表現を借りると
「それしかやらないのか、米をくれる方がよっぽど良いのだが・・・」と言った言葉になる。
私には、理念が理解できるが、彼らには良くわからないようだ。

私たちは、読み語り活動を通して、
子どもに対してトラウマ解消の支援に類似したこと?をしているが、
私自身は、昔語りに起源を発する語りは、心理学的にも歴史的にも
最高の心理療法であることは、拙著「昔話と心の自立」洋泉社、で執筆したが。

さらなる利点は、繰り返し通うことによって、
見知らぬ人々や子どもたちと、信頼しあい友だち関係になれることと、
現地の若者たち、スカラー達のボランティア精神を育成できることだろう。

平和構築が、宗教や部族や国を超えて、心を通わせ会うことから始まると考えると
読み語りは、最高の平和構築活動だと感じる。
ただし、海外の英語の絵本を読んだり、欧米の歌やカテキスタの歌のみを歌ってもだめで
言葉はマギンダナオ語やマノボ語などの現地語を中心に置き
現地の文化や宗教を重視し、地元の昔話、踊りや歌を、必ず交える必要がある。
その意味で、現地の若者たちが中心にならなければ意味をなさないだろう。


ただ読み語りも含めて村人達には、トラウマ解消プランは、
NGOの自己満足といった感じで、映っているように見える。
期待しているのは、炊き出し、そして医療なのだが・・・
実際、最も困窮しているのは、医療と食料である。

ちなみに、こうした難民キャンプに、年寄りと子どもの男性しか居ないのは、
農地に帰っている事もあるが、戦えるものは戦っているからだとも言われる。

たまに、男達が戦場から難民キャンプに帰ってきて、
バスケットボールの試合をしているのに出会ったりするが、
彼らの活力と体格の屈強さはすごい。
難民キャンプ全体が、声援と活気と熱気に満ちるときだ。
とてもトラウマ状態にある人々の集まりとは思えない。

興味深いことだが、地方政府やイスラムの行政担当者、
福祉局の人々もこのことはちゃんと知っている。
現地の人々の心情は重層的で、行政の職員だから政府よりだ、などと考えてはならない。
政府軍が、NGOの食料支援を、難民キャンプに届けさせないように妨害するのも、
そのことを知っているからであろう。

ようするに、難民が帰らないのは、反政府活動をしている身近な人々から
最もビビッドな情報を得ているからに他ならない。

戦闘など、まったく馬鹿げたことである。


地域社会や家庭と同時に、会社というコミュニティーも崩壊し
心理的なトラウマ解消支援を必要としているのは、
自殺率の高い、先進国の人々の方かも知れない


私たちのファーザー!
 ー異邦人の救いー         山元 眞
 

ルカ福音書は一貫して「異邦人への救い」、聖霊の働き、
そしてそれが貧しい人々にもたらされたことを強調しているように思える。
 
年末にフィリッピンのミンダナオ島に行き、年を越した。聖家族の主日に出発し、公現祭の翌日に帰国した。
「救い主の誕生」について思い巡らした。危険といわれているイスラム地区の難民を訪ね、炊き出しをした。
電気もない山岳地帯の貧しい村を訪ね、人々の温かさに触れた。
公現祭にはマノボ族の子、ビサヤ族の子、そしてイスラムの子たちとミサに参加した。
 
少しわかった。人々は律法を越えて救われることが。幼子は「万民の救い主」として生まれたことが。
十字架の上で死ぬ幼子の人生は聖霊に満たされたものであり、その発せられるみ言葉は異邦人に向けられていたものだということが。
 
北コタバト地方に「ミンダナオ子ども図書館」という施設がある。
六十人ほどの子どもたちが日本の人たちから奨学金を受けて共同生活をしながら学校に通っている。
貧しい子どもたちの中でも最も貧しいと思われる子どもたちが優先的に奨学金を受ける。
宗教、民族、文化を越えて共に生きる「そこ」には真の平和がある。
かれらは紛争によって生まれた難民のところにも「読み語り」に行き、炊き出しをし、
医療の必要な子は「図書館」に連れ帰り必要な治療を受けさせる。
子どもたちが子どもたちを助ける。
 
公現祭の前晩、降っていた小雨が止み、見上げると「図書館」の真上に星空があった。
真上に。そこだけに星がきらめいていた。
 
少しわかった。「ここ」に救い主がいると。
「万民のために整えてくださった救い」があると。「異邦人を照らす啓示の光」があると。
 
翌日、子どもたちと公現祭のミサに参加し、「図書館」を後にした。心は喜びで一杯だった。


     上智大学、雨宮神父主催 『今日のみことば』 2009年2月2日から、一部抜粋
何の期待も
何の先入観も
なく

何の意図も
何の利害関係も
なく

何の宗教も
何の部族も
なく

何の国も
何の地域も
なく

ただ
愛し合う事って

難しいこと
なのだ
ろう


+




カナダからの手紙


遠くに山が見えるが、
あの山の中腹に村がある


この道を4WDで行くのだが・・・


学校のあるスマヤソン集落
ホウキづくりが主産業でホウキ草が干してある

彼女のいるスマヤソン集落は、山のなかにある。4WDの車で途中まで言ったが、これ以上は無理と判断して歩いていった。
一通のカナダの子どもたちから送られてきたバースデーカードを届けるために。

カナダのバンクーバーは
冬のまっただ中だろうか

カナダの日系人の集まり
クローバーの会が

山の、父親の居ない少女を
支援してくださっている
お友達から届いた
バースデーカードに
大喜びのエリザベスちゃん!!



写真をありがとうございます。
早速、エリザベスちゃんの写真を
私たちのブログに載せました。
http://cloverforever.jugem.jp/

自分たちが書いたカードが一緒に
映っているのをみて、
繋がったという実感があったのでしょう。
子どもたちもとても喜んでします。
エリザベスちゃんの笑顔が
私たちに分けてくれることは
はかりしれません。
この機会をいただいていることに、
松居様にもエリザベスちゃんにも
大変感謝しています。

取り急ぎ、お礼まで。

石本さゆり


学校から帰りがけに、エリザベスに会うことが出来た。
ちょうど雨宿りをしていたよその家を借りて、お返事を書く。
彼女には、父親が居ない。ここからさらに離れた徒歩でしか近寄れない辺鄙な山奥に、母親と住んでいる。
土地がないので、そこら辺に生えているバナナや芋を市場で売って、かろうじて生活しているという。


ミンダナオ子ども図書館のボードメンバーで、地域の保育所の先生をしているビックビックさんと、返事の手紙を書いているエリザベス。
あれだけ貧しい、しかも厳しい生活をしていながら、とても利発だ。将来の成長も楽しみ。


カナダの皆さん、いつか会いにいらしてくださいね!
冬がないから、いつでもバナナが食べられます。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


「0」ゼロに立つための支援を 
年頭エッセー 
松居友  

 「0」ゼロというイメージを、人々はどのようにとらえるのだろうか。
 「ゼロになる」という事は、何も無い状況を意味している。感覚的には、すべてを失った状態だろう。
 浮かび上がってくる例は、財産も家庭もうしなって、社会的な地位も無くなり、絶望の淵に立たされ
 自殺もしかねない中高年の男性の姿だろうか。

 しかし、かつてから私の心には、ゼロに立つというイメージの一つに、さわやかで肯定的なものがあった。
 座標軸で言うゼロは、マイナスとプラスの狭間であり、上下左右の中心である。
 シャマニズムのコスモロジーでいえば、東西南北の中心、
 陰陽の世界から考えれば、五行の軸、西洋の錬金術にしたがえば、両極性における螺旋の軸ということになる。
 かつて学んだゲーテの自然科学や錬金術、沖縄やアイヌの宇宙像をもちだせばきりがないが・・・・・・
 仏教的に言えば無の悟りに近いものだろう。 
 つまり、「0」ゼロとは、原点であると同時に、これから「自分の判断で、
 思う方向に自由に進んでゆける」可能性に満ちた地点なのである。

 現在のミンダナオ子ども図書館のような「支援」をする仕事を始めるとは、夢にも思わなかったが、
 やってみて支援には二通りあると思った。
 一つは、ゼロからプラスへ持っていく支援であり、これは何も無いところから、仕事なりを作り、
 経済的な基盤から実質的な利益を生み出していく、
 今はやりの経済開発支援と呼ばれているものなどは、この種のものだろう。
 それによって、プラスを走っている先進国の、仲間入りをさせてやろう、と言う種のものだが、
 これはこれで良いと感じる。
 ただ、現在の先進国の様子をミンダナオから見ていると、G7から推薦されても、
 仲間入りしたくは無いなと個人的には思う。

 もう一つは、マイナスにあるものを限りなく「0」ゼロに持っていく支援で、
 教育や医療、文化支援などは、こちに属する場合が多いように思える。
 ミンダナオ子ども図書館が、発足から6年、現在までおもにやってきたのは、こちらの支援だ。
 貧困で教育を受けられない多くの子どもたちや、経済的に極端な格差社会で、
 マイナスの位置から抜け出られない地域の人々にとって、教育支援や医療支援のありがたさは、
 不可能が可能になることによってゼロつまり出発点に立てる、つまり人心地ついて一歩を踏み出せる
 可能性に立つことである。

 自由、平等、博愛という価値観からみると、現在は、はき違えた自由だけが横行し、
 平等も無く、博愛に至っては風前の灯火と感じられるが。
 教育と医療と食料支援は、まさしくマイナスからゼロに持っていくための支援で、
 最低の平等とは、食べることが出来、病気を治せ、学校に行ける
 つまり、どちらに向かっても進める=希望をもって生きていける、ゼロ地点の支援だろう。

 ただ、ミンダナオ子ども図書館は、教育に関しては、学校教育のみに期待を持つことが出来ず、
 平和で平等で愛のある未来を作るためにも、
 スカラー達が、貧しい地域での読み聞かせや難民救済に参加し、宗教を超えた融和をはかるために、
 文化祭や平和の日をもうけ、若者自身が運営している。
 こうした経験を若者たちにあたえることも、教育の一つと考えている。学校教育よりもずっと重要な・・・・

 学校教育の道を突っ走って、ゼロから先のプラスの道を、先進国のように走って欲しくはないと言う思いも若干ある。
 ミンダナオ子ども図書館での、民族や宗教を超えた友愛の体験を経れば、
 かつての先進国の道とはひと味もふた味も異なった、新たな方向をゼロから始めることも可能ではないか・・・
 ミンダナオ子ども図書館でいつも若者たちに語ることだが、
 「海外に出稼ぎなど行くなよ、寂しいだけだぞ、ここでがんばって仕事を作った方が良いよ
 仕事は、探すものではなく、創るものだからね・・・」といつも話す。
 ミンダナオは、限りなくゼロに近い世界なのだ。

 ミンダナオ子ども図書館のスカラシップの選択基準を、孤児、片親の子、家庭崩壊の子たちを優先させたのも、
 彼らは出発点からすでにマイナスに立っていて、
 彼らこそ、ゼロすなわち出発点に立たせたときに、偉大な仕事はしなくても、
 心優しく社会に貢献しようとする人に育つだろうと思ったからだ。
 しかも、彼らのような境遇の子たちには法外とも思える、大学まで卒業できる道を開きたいと思ったのも、
 人よりもマイナスから出発しているだけに、
 人並みを超えて出発させたら良いじゃないか、と思った事による。

 現実的には、自分が親だったら、だれだって、子どもの病気は治してやりたいし、
 学校には出来る限り行かせてやりたいし、食べさせていかなければならないし、と言う、
 「自分が親だったらこうしてやりたい」と思うことを、可能な限り(限界も多い)したいという、
 個人的な感情に過ぎないかも知れない。

 それならば、ミンダナオ子ども図書館は、ゼロからプラスの支援はしないのかと言うと、
 今現在、次々とスカラー達が大学を出て育っていく中で
 私のかつての専門だった、文化事業、出版や映像を通して、ミンダナオから昔話、踊り、音楽など
 文化を発信する事業を考えている。
 もう一つは、農業事業で、山岳地のマノボ族などでも作れる高地農業の可能性を実験する、実験農場、
 また雇用を創出するためのコミュニティー農場の実験を今年から始める。

 フェアトレードなども、関心はあるが、こうしたものは、長年出版などの文化事業(商売)にたずさわって、
 講演販売などを30年も続けてきた体験(つまり行商)
 その結果、福武書店の児童図書部門の新規事業を、当時出版部門で最初に黒字化し、
 海外戦略まで展開していた経験から、よほど本腰を入れなければ、
 販売一つでも立ち上がらない、しかも少なくとも30年は続けないと定着は無理だという事を知っている。
 近江商人の末裔だから言うのではないが、商売ほど難しく奥の深いものはない。
 実は、ここだから言うのだが、ミンダナオ子ども図書館の事業展開も、かなり近江商人の手法を継承している???

 もちろん、自己満足的に、わずかな地域に利益をもたらすのであれば、NGOのサイドワークで可能だろうが、
 100年も定着する貿易会社にはならないだろう。唯一日本で尊敬するのは、バナナに絞ったネグロスバナナだが、
 これも生協という組織を介したから可能なのだと今も思う。

 ミンダナオに、しばらく住んで、むしろ、現地で作物を育て、現地の市場や近隣で販売する方が
 もうけ自体は少なくても、100年の可能性が有るように感じる。
 少なくとも、ミンダナオ子ども図書館が無くなっても
 先進国の貿易商社が解体しても、輸出に依存せず、現地で生産し消却していくような方法の方が
 (輸出依存の日本の不安定な現在の経済を見ても)
 山岳地域の人々が、生きていける手法のように思えてきた。
 今年から、独自のプラス支援を試みていきたい。

 私は、現在55歳、活動できるのも最大で20年(父は85歳でまだ活動しているから、30年?)
 将来は、どのような展開になるかは分からないが・・・・ミンダナオに骨を埋めたいと思っている

 今年からの予定だが、
 今年は日本の若者たちも視野に入れた活動を行おうと思っている。
 閉塞状態で、時には学校からドロップアウトした若者たちなど、特に魅力的だ。
 彼らもマイナスに立っている子たちで、彼らがこちらに来て、ミンダナオの若者たちと交流することによって、
 せめてゼロに上に立てたら良いなと思う。
 そこから進んでいくほうが、学校の成績や学歴に執着している子より良い。
 既成の道などかなぐり捨てて、思う方向に進めばよいのだ。それもゼロに立つから出来ることだ。

 そう考えると、何と多くの日本人が、若者だけではなく、中高年など特に、
 経済的には多少プラスの時点でも、精神的な心の面ではマイナスの上に立っていることだろう。
 自殺率から鑑みれば、マイナスからゼロに立つための国際支援を必要としているのは、ミンダナオより日本人?
 少なくとも、国際比較の自殺率から見れば、日本は9位で先進国中第一位。
 フィリピンは、100ヵ国中85位だ。

 自殺志願の中高年も可哀想だとは思うのだが、
 ミンダナオ子ども図書館が、あえて若者にこだわるのは、彼らに、未来があるからだ。
 死ぬぐらいの勇気があるのなら、戦闘地域に入っていって、子どもや難民を救済することができるだろう。
 今後もなるべく多くの若者たちを、ゼロの上に立たせる支援をしていきたい。
 ゼロに立った彼らが、新たな道を切り開くだろう。
 プラスに向かって歩を進めていくのは、彼らの意志にまかせよう。
 

  
 

松居友著・女子パウロ会 山元眞著・パウリーノ 松居友著・BL出版
映像:[ミンダナオの風]
『ミンダナオ紛争と難民たち』

ミンダナオ紛争と難民たち
季刊誌『ミンダナオの風』:Hangin gikan sa Mindanao
特集号「ミンダナオ紛争と私たち」を特別にお手元に!
ミンダナオの風

2009年の夜明け
ミンダナオ子ども図書館から
明けましておめでとうございます。
今年も、現地の若者や子どもたち、難民の人々、高地民族の人々、
そして日本の若者たちと共にがんばります。
よろしくお願いいたします。

今年は最も大変な、しかし、最も興味深い一年になるかもしれませんね。

ムスリム難民キャンプからのクリスマス!

バゴンイグド難民キャンプで読み聞かせ
ここのキャンプは、初期の頃から、なぜか「疎まれて」きた難民キャンプだ。
十分な支援が回らずにある。

支援にも優先順位や、さまざまな「戦略」があるのだろうが
未だに分からないことが多い
所詮戦闘は、人間がやることだから、「戦略」が思った効果を発揮せず、予想外の展開になることもあるだろう。

以下、クリスマスから新年にかけての報告をします


私たちは、こことシリックで、現状を見て、難民支援をはじめた。

まずは、炊き出しと読み聞かせ。
地方行政には、それなりの思惑もあるとは思うのだが、特定の政治や宗教にかかわらない方針のミンダナオ子ども図書館は、
現地を見て、必要としている場所を見極めてから、自分たちで活動内容を決める。

地方行政の依頼にも耳を傾けるが、あくまでも現地を見てから自分たちで判断する。ちょっと頑固だが、時には有力者の依頼も断る。
福祉局もそれを良く知っていて、互いに一定の距離を置きつつ、重要な情報も共有し会って、尊重し会い行動している。
DSWD局長補佐のグレイスさんが、MCLのボードメンバーであり、
ピキットカトリック教会の(例の有名なライソン神父の右腕)ソーシャルワーカーで有ることも大きいが。

シリック難民キャンプ
難民でスカラーのアイサちゃんとお兄ちゃん
アイサちゃんの結膜炎は治ったけれど、お兄ちゃんの左目が充血していた

もう、5ヶ月も難民生活で
学校もストップしている

あの歯の出ている子は、いったん難民キャンプに帰り
来年度から、ダバオで手術も視野に入れた
本格的な治療に入る予定。

難民キャンプでクリスマス。

ムスリムがほとんどだから、クリスマスこそ無いが
イエス・キリストが貧しい人々を愛し、この世に来たとしたら
家庭で七面鳥をたべて、おいしいケーキを囲んで、プレゼントをいくつももらいながら、
裕福なパーティーをしているクリスチャンと、
すでに五ヶ月以上も困窮し、地べたに寝ているような、イスラム教徒の難民と
どちらを深く憐れみ、共にいたいと思っただろうか???

クリスマス炊き出し

子どもの体力を回復させないまでも、維持させるには
子どもに限定した炊き出しは、とても有効なプロジェクトだ
今回も、難民キャンプで一番気になったのは、病気の子どもが多いという事

確実に体力の低下と、衛生の悪さ、外で寝ているのと同じような
生活環境の劣化が子どもたちの基礎体力を奪っている


こうした子どもたちの体力を維持させるために、炊き出しは、確かに有効な手段だが、
一度きりでは、自己満足に過ぎないだろう
少なくとも週三回、三週間続けることによって、体力の多少の回復や健康維持が可能になるのではないだろうか
しかし、最も大事なのは、早く難民が家に帰って通常の生活にもどれることなのだ。

炊き出しを実行している間に
私たちは、病気の子どもが居ないか、難民キャンプを回った

すると、思った通り
あちらこちらに、
寝たままになっている子どもたちが居る
多くが、風邪による高熱だった

すでに、医療に費やすことが出来る
予算がギリギリのところまで来ているので
すぐに大きな救済することは出来ない

現在、支援者にレターを送っているが
そのリスポンスを見て
1月から医療を再開始することになるだろう

運営活動は、予想がつかない事も多く
激動的で常に数字との格闘だ
戦闘と言うものの性格を象徴している?


日本の経済状態も良くない事は、充分承知だ。 どこまで救済活動が出来るのか、予断はゆるされない。
「日本の事だけでも大変なのに、外国の事まで考えていられるか・・・・」と言う意見も聞こえてこよう。

しかし、その様な時だからこそ、国境を越えて、平和を構築する努力を日本はするべきではないだろうか。
とりわけ、隣人である国々の人々と手をつないで。


困窮しているときに、心から手をさしのべられた体験は、単なる経済的な開発支援関係よりも深く人と人をつなぐと感じる。
開発支援も重要だが、見返りを求めない、心の支援も大切だろう。
人間のベースは、愛であり、その上に経済が来るのだが、現代社会は経済だけが優先される。
その結果、先進国は、最も大事な「心」を失った空虚な化け物になってしまった???

マイナスからゼロに持っていく支援が基礎になって、初めてゼロからプラスに持っていく支援が可能になる?
日本人の心に必要なのも、マイナスからゼロに持っていく支援だろう。日本の若者たちを救うために・・・



彼女に支援者が見つかった!おめでとう
歯の治療をしつつある子に付き添ってきた
従姉で成績は良い

私自身は、歯の治療をしつつある子を
その境遇ゆえに
スカラーにと考えていたのだが

ガンの可能性があるという


キダパワン市の中心に飾られた
クリスマスイルミネーション
仲間達は帰り
帰れない子たちが
ミンダナオ子ども図書館に残る

クリスマスは寂しい時期だ
それだけに、
どのように過ごしたらよいか

一番こころを砕く時期でもある

フィリピンの人たちは、本当にイルミネーションが好きだ
普段の生活がきついだけに、幻想に酔いたいという気持ちが強いのかと最初は思った
しかし、もともと妖精達が居ることを信じている、幻想的な人たちなのだろう



路上にたむろしている不良達
ではなく、
ミンダナオ子とも図書館の若者たちだ



中には、実際
結構、その道にはまりこんでいた
子もいるが・・・・
この時期、先住民族の子どもたちは
町に降りてきて踊り、街頭で小銭を稼ごうとする


ミンダナオ子ども図書館の子たちも、その多くが
先住民族の子たちなのだが、少なくとも守られて学校に行けるだけ
幸せなのかも知れない

みんなに会えるのを楽しみにしています。

松居友さん

わたしたち、すべての人の救い主の誕生…こころから喜びましょう!
そちらに行く日が近づいてきました。
昨晩から通風の兆候があり、目覚めても足が痛く…今朝のミサをパスするほどでした。
通風の痛みが始まると収まるまで二日はかかり ます。
困った!と思って応急処置(ただ水をいっぱい飲むだけ…) をして…
不思議と痛みが増さず…収まりました。このところの不摂生のたまものです。
運動不足、睡眠不足、栄養過多?…など。気に はしていたのですが…ドキッとしました。
明後日は出発できそうで す。
よかったです。

22日にキャンドルサービスと終業式をしました。
その時に子ども たちと家族の皆さんの「やさしい気持ち」がいっぱい詰まった
「お もいやり貯金箱」を奉納しました。
「だれがいちばん喜ぶと思 う?」と子どもたちに尋ねたところ、
即座に一人の子が「フィリッ ピンの子どもたち!」と答えてくれました。
わたしは「神さま!」 という答えを期待していたのですが…。
子どもたちはやはりスゴイです。

11月に松居さんと倉橋神父さまが幼稚園でお話ししてくださった あの時は実にタイムリーで、
子どもたちはずっとフィリッピンやボ リビアの子どもたちを意識して待降節を過ごしたようです。
本当に うれしいことです。
おかげさまで、みんなのやさしい気持ちがいち だんと大きくなったようです。

「おもいやり貯金箱」は子どもの手作りで…年少は「お家」、年中 は「天使」、
年長は「クリスマスツリー」の形に作りました。
お金 だけをいただいて貯金箱はみんなに返すのですが、
ミンダナオに行 く時、それぞれ1個ずつお持ちしたいと思います。
 「サンタさん が来る前に、だれが来るの?」という問い掛けにも
「イエスさま!」と迷わず答えてくれる子どもたちです。感動します。
小さい時から思いやりの気持ちを膨らませることができて、幸せです。
ありがとうございました。

みんなに会えるのを楽しみにしています。     やまもと。


山元しんぷは、子どもたちの才能や資質を問わず
すべての子どもたちを心から等しく愛してくれるので
子どもたちは、「父さん」「父さん」と呼んで飛んでくる。
イスラムの子たちも、「父さん」と親しみを込めて呼ぶから面白い。

こちらでは、神父の事をFather と呼ぶ習慣があるが
言葉の中に、それ以上の気持ちを彼らが込めているのが良くわかる


クリスマスに古着のプレゼント

はるかなるマノボの村、ボアイボアイ
ミンダナオの国道から離れた地域は、ほとんどがいわゆる反政府地域だが、
そした背景に、土地所有によるプランテーョン化の問題が横たわっている
土地を追われた人々の村


ボアイボアイは、私が先住民族を知る原点になった村だ
本当に貧しい山奥の村で、反政府組織NPAの多いところだが、私たちはこの村を心から愛している


村には、いつでもたどり着けるとは限らない
天候の状態などで、様々な困難が待ちかまえている
今回も村直前で、橋が崩壊していた。

スカラーのお父さんが、古着の入ったボックスを頭に載せて運んでくれた
3人がかりでようやく運べるほどの重さなのだが、軽々と運んでいく

古着をもらって大喜び
素晴らしいクリスマスプレゼントになった

ここの村の人たちは、
ほとんど現金収入というものが無いから
何キロも離れた町に出ることもなかなか出来ない

古着を買うお金も無いので
普段は、ほとんど裸同然の格好をしている

私たちが来ると、
さすがにそれなりの上等な
服に着替えて迎えてくれるが・・・
三食満足に食べられない
マノボの村のスカラーを、
クリスマスお正月に招待

クリスマスとお正月は、いわば日本と同様で
生まれた村に帰省して、家族や親族と過ごすのがこちらの習慣

そのようなわけで、住み込みのスカラーたちも、多くが帰省する
親が居なくても、せめて親戚のところへと・・・

それゆえに、ミンダナオ子ども図書館が最も寂しくなる時期でもあった
しかし、家に帰省しても3食たべられない
子たちも多い

とりわけ、今年は、経済不況が
日雇い労働に影響を与えたせいか

マノボの村で
3食たべられずに痩せて
病気になる子が続出した

そこで、私たちは、
とりわけ貧しい
ボアイボアイとボホラノンの子たちを
ミンダナオ子ども図書館に
招待することに決めた

クリスマスと正月に
せめてものフィーディングプランを
ミンダナオ子ども図書館で実行しようと言うものだ

これが大成功!!!
ボホラノンの子どもたちも
ミンダナオ子ども図書館にやってきた
貧しいスカラーの子たちに加え
親のいない子
片親の子

そして、特に栄養失調気味の
子たちを選んだ

選んでくれたのは
現地出身のスカラーの若者

ミンダナオ子ども図書館が
とても賑やかになった
彼らの喜ぶ姿を見ると
心からこちらもうれしくなる

戦後、久留米に来た
宣教会の外国人修道女たちが
孤児施設を作ったときに

日本の子どもたちを見て
ひたすら
「可愛い、可愛い」
を連発している記録があると

久留米信愛女学院の院長
シスター村田が
話されていたが

この子達を見ていると
本当に可愛いと思う
おそらく滑り台やシーソーで
遊んだことがないのだろう

庭にかけだして
まず、飛びついたのが

シーソーや滑り台
ブランコだった

高校生が多いので
普段は寝ている遊具達が

がぜん目をさました
感じだった
ミンダナオ子ども図書館が孤児施設に変身?
ミンダナオ子ども図書館が
息を吹き返したようだった

というよりも、
普段は高校生と大学生がおおい
ミンダナオ子ども図書館に
小さい子たちがあふれた

私自身は、
ダバオオリエンタルの
ハウスオブジョイや

同じキダパワンで
日本の神父が始めた
イースターヴィレッジといった
孤児施設に敬意を表して

高学年の子たちの教育に
心を砕いてきたが

孤児施設もなかなか
良いですね・・・・・・

始めようかな?

そんなわけで、ミンダナオ子ども図書館も、来年からは、小さな子たちも一緒に生活を始めようと思う
それは、今居る高校生や大学生にも良い影響をあたえるだろう
大きい子たちが小さい子たちの面倒を見、規範をしめす
互いの成長を助け合う、大家族が生まれるだろう


12月30日 海へ行った

多くのマノボ族の子たちにとっては、海は生まれて始めてみるものだ
山からは、車で一時間ほどなのだが、彼らは海を見たこともない


まずは、塩辛いのにビックリ
思わず口からはき出す姿が可愛い


彼らの遊びは、自由な空想の中にあるようにいつも思う。
遊びながら、おそらく両親や祖父母から聞いた、昔話の世界を想像しているのだろう
たわいもないもので、延々といつまでも遊び続けている


父さんも、母さんもいないケビン君にとって、山元しんぷさんは、父さんのような感じなのだろう
最初は、堅い顔をしていたかれも、すっかりうち解けて幸せそうだ
「これから、どこに住みたいの?」
「ミンダナオ子ども図書館」
そう答えるケビン君

僕は、ここの子どもたちの
刻々に変わる表情を見ているだけで
幸せな気持ちになってくる

うれしそうな表情もいいけれども
寂しげな様子や
ちょっと見せる微笑みなどが

作り物ではなくって
心の奥底の
宝石のような核心から

自然に
生まれて来るのが良くわかる



もくもくと一人で砂で遊ぶ、
メリーアン コルデロ
コルデロとは、子羊の事だから、
子羊のメリーアン




彼女もお父さんがいない。
母さんは、別の男性といっしょで、
この子と妹は、村の人の話でも、
ほとんどほったらかし


来年もまた、みんなで海に来ようね

12月31日 大晦日の炊き出し

ピキットの炊き出しは続く
グレイスさんの話だと、炊き出しを継続しているのは、ミンダナオ子ども図書館だけ
ワールドフードが、一ヶ月に一回、半サックの米を支給するだけで
後は、ミンダナオ子ども図書館の炊き出しだけが食べ物
一日に一食か、二食がせいぜいだろうと言う

炊き出し、医療など、
ミンダナオ子ども図書館は、8月からすでに5ヶ月
絶え間なく継続しつつ、難民支援をしている

すでに支援の資金は枯渇し始めている

皆さんの継続的な支援をお願いします
私たちは、皆さんの手足となって、思いを現地に届けます
炊き出しと同時に、
古着の支援を行った
スカラーたちも
休みを利用して
大晦日にもかかわらず
積極的に参加した

古着をもらってうれしそうな子どもたち
古着は単なる物資支援だとは思わない、
クリスマスやお正月の時も、ちゃんと皆さんの事を忘れていませんよ、
と言う、心のメッセージだと思う

難民状態でお正月を迎える彼らに
せめてもの心のプレゼントが出来たら良いな、と思う



アルバちゃんも訪ねた
ご主人が、MCLで引き取ることを拒否しているが、
それでも、繰り返し訪ねることで、周囲の家族の気持ちも違ってきているのがわかる

そして、うれしいことに、アルバちゃん自身も、少し太って元気になってきている
行橋カトリック教会で、粉ミルクやお粥の支援をこれからも続けることを、話し合った

何故こんな子にこだわるのか、と言う考えもあるかも知れないが
こうした小さなこだわりが、難民キャンプの多くのイスラム教徒の人々に、
異邦人でもある私たちを、受け入れてくれる心の素地を提供していると感じる

この様な機会には、なるべく多くの同行した異なった部族の子たちを連れて行く
彼らに対する影響も大きい

こちらはシリックの難民キャンプ
私は、どうしても
あの歯の出ている子が気になって
しかたがない

写真を撮ろうとすると、すぐに後ろを向いて逃げてしまう
しかし、僕の顔を見ると、微笑む
と言っても、飛び出した歯が目立つだけだが・・・・

何とか、来年は、治療を開始して、
この子が恥ずかしがらずに人前に出て
出来れば学校に行けるように
してあげたいと思う

この様に、
悲しい思いをした子は、
立派に活躍する子にならなくても
心の優しい子になるだろう
最後に、同じ場所で難民になっている
バイヤンくんと妹さん

とても献身的で
いつも難民支援を手伝ってくれる

妹さんには、
まだ支援者が居ない

ちなみに
バイヤン君は、
ミンダナオ子ども図書館で

選挙で選出された
プレシデントだ

とても穏やかで謙虚な
イスラム教徒



妹さんの支援者になっても
良いという方
メール下さい
支援者が
見つかりました!


来年は、平和な年になって欲しいのだが
情勢を見ると、難しいかも知れない

しかし、困難なときほど、人間の心の本当の美しさが、輝き出る???

みんなで大いにはしゃぐ、ミンダナオの大晦日
ケーキを切って、年越しのスパゲティーか焼きそばを食べて、爆竹をならして

ウオーターフォール村の
Embang Sabas Jr.君に
1月1日
支援者が見つかった
おめでとう!

13歳、5年生でマノボ族



ミンダナオ子ども図書館の初日の出

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近年、日本の特に青少年の国際化が謳われる中、この記録が学習素材としても注目され、
国際活動へ一歩踏み出したい体験希望者や、悩みを抱えた若者たちの受け入れも決断しました。
また、中高年の方々にも、現地の子供たちの笑顔が生きる喜びになっていることがわかり
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