2013年8月から11月




クリスチャンデーの文化祭 
    
     
    
   
     

イエスの受難について 
  
 
 
 
 


 

弟子の足を洗い、愛と受難を伝える
最後の晩餐
 
   
 
  

十字架に向かうために立ち上がった瞬間
強風が起こった!
 
   
 
  
 


丹原美穂さま寄贈の
ダトゥ・インダの保育所補修が完了した 
   



 マノボの集落
プロック8の保育所が完成
 

この集落は、周囲を移民の人々に土地をとられ
先住民族は、狭い斜面に住まざるを得なくなっている。


自給地もないために
周囲の田んぼの雑草を刈ったりして
日銭を稼いで生活しており
子どものための弁当も作れず
MCLで米を支給している。 

開所式の準備のために、子どもたちが保育所のいすを運んだ。 
    

いよいよ、開所式の読み語りに、MCLの子どもたちが出発 
  
  

諏訪湖ロータリークラブの方々も乗り込んで,出発!

まずは読み語りと歌から、開所式が始まる。
マノボ族の村だから、マノボの子たちが中心になるが、必ずイスラム、クリスチャンの子たちの歌と読み語りを入れていく。
宗教を前面に出し違いを敬意を持って受け入れ、互いに友情を結ぶことは、21世紀の最大の課題だとMCLは考えている。
子どもの文化の中に、絵本にも、様々な異なった文化や宗教表現を、どんどん入れていく時代が始まっていると思うのだが・・・
もっと先住民の宗教の絵本、イスラムの絵本、仏教の絵本、神道の絵本、カトリックやプロテスタントの宗教観
などを描いた絵本が、どんどん出ると今後の平和を創り出す運動に貢献するだろう。 


読み語りの後に、開所式が・・・ 


ミンダナオでは、会合はすべて祈りから始まる  
 
 

まわりは水田に囲まれているが
彼らの土地は無い。
元々は彼らの居住地だったのだが・・
  



丹羽正吉さん、お母さん、山下直子さん、そして池田愉香さん
マノボの村に古着を配った 



丹羽正吉さんは、
体が生まれつき不自由だが
何度もケニアに行き
貧しい人々の支援をしている。
今回、お母様と
山下直子さんとご一緒に
ミンダナオ子ども図書館を訪問し
マノボの集落を訪ねた。
どんな印象をもたれたのだろう・・・

 


 
   
 

電気の無いマノボの村
キアタウにも泊まった 
    
  
 
電気も無いマノボ族の村
キアタウで一泊したことは
生涯忘れられない思い出になった。
子どもたちにも
良い体験として心に残ることだろう



MCLの日常 


ザンボアンガでは戦争が起こり、ピキットでも季刊誌で述べた懸念が
現実のものとなりつつあり、MILF分離派のBIFFとMNLFが組んで
国軍との戦闘が散発的に起こっている。
しかし、MCLのなかでは、クリスチャンもムスリムも本当に仲が良く
ミンダナオが、世界が、MCLのようになれば良いのにとつくづく思う。
 
    
  

訪問者もいっしょに
子どもたちと遊ぶ 


マノボの祈りの家が
高島ご夫妻の支援で完成 


大勢の首長たちが、開所式に参加してくださった。
今後、MCLを中心に、マノボ文化の保存育成活動が
広範囲に展開されていくだろう。

 
  


MCLの訪問者たち 
  


教文館の編集者
倉澤さんご夫婦も訪れてくださった

左は、上智大学関西ソフィア会の笠原さん
二度目の訪問だ。
 

支援者の高橋くん(私の高校時代の友人)に会えて
大喜びの奨学生
子どもたちにとって、自分を学校に行かせてくれている支援者は
第2のお父さん、お母さんのような存在だ
  
 

支援者の方も一緒に、保育所建設 

支援者に会えて大喜びの奨学生 
 

ブアラン小学校で
支援している子に出会った。
戦闘が絶えない不安定な時期だったが
福祉局とも連絡を万全に取り
学校を訪問。
 


普通では、とても入れないニューバレンシア
クリスチャンとムスリムが対立してきた村だが、
MCLの努力で今は友情が・・・
その村のイスラムの子を支援してくださっている磯綾子さん
本当に偶然だったが、ここまで入れたのは神様アッラーのお導きだろうか。

ブアランで両親が居ない子を先生が・・・ 
 

両親がいず、最近叔母とこの地に来たが
孤独と戦闘の毎日に泣き出した・・・
再訪して、早期にスカラシップ奨学生として採用し
MCLに引き取ろうと思う。本人も希望。

追伸:その次の週に、この子の調査をしようとしたが、すでに戦闘が激しく
現地に入ることは出来なかった。
   

この子も、父が居ず
母親だけで困窮している
成績は良いのだが
母だけでは、小学校を
卒業させることだけでも
難しそうだ
 



戦闘の合間をぬって
最もデリケートな拠点に米と古着をとどけた
 


ここは、反政府分離派と国軍の戦闘地域。
ピキットの大規模戦争もこの地域から勃発するのが常だ。
イスラムとクリスチャンの対立があおられてきた場所だが、
数年前からMCLで、平和構築のために、保育所を建て、スカラシップを出し
下のブアランには小学校を建設してきた。
イスラムの家族がクリスチャンに襲われ報復されるなど、
この地域の一部勢力が動き出しており、現在最もデリケートな場所。

 
 

福祉局DSWDに持ちかけて、現在恐怖から孤立しているこの地域に
ワールドフードの米とMCLの古着を届けた。
重要な事は、この地域のクリスチャンとムスリムの人々が安心し
協力しあって現地で助け合う状況を作ることだ。
両方の集落に、MCLの子どもたちが居て、彼らが仲良しであることも
平和構築に大きく役立っている。

 
  

さらに奥のイスラム教徒と完全に対立している
クリスチャンの民兵集落にも古着を届けた 
 

イスラム教徒が入ったら殺す・・・
30年以上対立しているが、こうした対立を意図的に作る背景もあり
この意味では,戦争の犠牲者でもある。
MCLは、敵味方や宗派に関係なく、
子どもたちが困窮しているところならどこにも向かう。 
 


ミンダナオ子ども図書館だより:9月7日 

Ⅰ:保育所調査を継続 
  アポックアポック村の保育所は元気だった

Ⅱ:北野生涯学習財団寄贈の保育所が完成した

Ⅲ:保育所建設に関するお願い

Ⅳ:キアタウ村で5泊した若者たち
  誕生日の夜明け前のハラナ(祝福) 
  翌二日は、村人とゴムの苗を植えた
  この村には、MCLの奨学生がたくさん居る 
  ケロハス村に古着を届けた
  最後に、お別れの読み語りをした

Ⅴ:ブアランに避難民が出た

  さっそくビニールシートを配る

Ⅵ:子どもたちに古着や靴をわたした

Ⅶ:高校生で初めての海外の琴美さん。お別れ会で、子どもたちが泣いた


保育所調査を継続 


10月は、保育所を支援された方々に、保育所の現状と写真をお送りする月だ。
たった一つの保育所を調査し、写真を撮るだけでまる一日かかる。
ボランティアスタッフの杉菜さんと史子さんが同行したが、もうビックリ。
こんな山奥にMCLは、保育所を作っているんだ。

現在MCLでは、54の保育所を完成させています。
来年は、そのすべてをペンキを塗り修復をします。
 
 

アポックアポック村の保育所は元気だった 
 

聖マーガレット幼稚園の皆さん
ありがとう!!!
  
 

来年、何とか予算を計上して
土台をピンクに、屋根を緑に塗る予定。
先生もしっかりしている。
ここから学校には通えないほど遠いので
小学校になると、
村の中心へ下宿する。
マノボ族の村。



保育所の後ろが大きな地滑りが起きていた。
予期していなかった場所に、大きな地滑り。
これは、山岳地域の大きな問題。
森林の伐採が原因。 


村人たちと相談し、植林をすることに決定。
斜面は、竹を植え、平坦地にはゴムの木を植える。
このような急斜面には、竹が一番良い。

植林支援を復旧に当てていきます。
村人たちと、昼ご飯を支援金の中から出して、労働費としていきます。
植林は、あらゆるところで行っています。

  

今後は、ゴムの木に加えて、竹、マホガニー・ラワンなども植林予定です。

山田穂積さま・久岡喜美子さま・内海公子さま・箱田昌平 貴代子さま・井手公平さま・熊田富士江さま
小張和俊 和子さま・白井照子さま・立石順子さま・松浦秀代さま・井上勝巳さま・小島光子さま・関浩成 高橋俊也さま 
確実に、支援金は植林の約にたっていますので、ご心配なく。
植林地の木の生長とともに、ご報告を開始いたします。




長期ボランティアの史子さん


 



 


ボランティアスタッフの杉菜さん。
民希さんが、半年帰国し
大学を卒業してからまた帰ってくるまで
杉菜さんと史子さんが中心になって
支援者の対応を行いますので
よろしくお願いします。




オモチャが無くても
子どもたちの遊ぶ力はすばらしい


日本の若者たちが、この村に終日滞在できるようにしたいと思う。キアタウのように。 


北野財団寄贈の保育所が完成した
 

北野生涯学習財団INFOは、
日産などの車のライトを
作っているスタンレー電気の財団。


 毎年2棟の保育所を寄贈してくださっている
また、4名の大学の奨学生も・・・

開所式は読み語りから 
   
 

9月に完成予定の保育所
北野生涯教育振興会第2棟・岩永昌子・東郷暢彦 


年内から来年3月までに、完成予定の保育所
京都暁星高校・光の子グレース幼稚園・佐藤浩市・北野生涯教育振興会2棟・溝口幸二・福山延広教会・ 



 保育所建設に関するお願い

 保育所建設は、現地の戦闘の状況や選挙で政治利用されないようにするために、選挙期間を数ヶ月避けたりするために
時に、建設が翌年にまたいでしまうことがありますので、ご理解ください。
今回も、前年の戦闘、今年の6月の総選挙前、そして地域的な紛争の影響で、2012年分が13年に跨いでしまいました。
しかし、確実に建てていきますのでご心配なく。
また、政治的な状況から移転や移築を余儀なくさせられる場合も出ていますが、確実に実行していきます。
来年は、痛んだ保育所の全面修理と塗装を行います。
建てた後も、しっかりメンテナンスをしながら、毎年10月に写真で現状を報告しています。
ただ、資材(セメント、ブロック、木材、労賃)などの値段が激しく上がり、また建築後の補修費も加える必要があるので
建設費用を、30万円から40万円に引き上げざるを得ないことをご了承ください。




キアタウ村で
5泊した若者たち


日本の若者たちの未来を考えて、MCLで若者の滞在できる企画を立てることを始めた。
MCL内だけでは、滞在可能人数も限られるし、それよりもっと現地の人々のなかに!コミュニティーのなかに!
本当の出会いと生活とを体験させてあげたい!

今までは、現地の子どもたちの事だけを考えてやってきたが
閉塞的な世界に引きこもっているかのような日本の若者たちが、世界を知り、体験し、
喜びと希望を持って一歩踏み出せるような
そんな場を、現地の子どもや人々と作っていく必要があると思う。
特に、フィリピンは隣国だ。
隣の人を自分のように愛せずに、どうして世界で生きて行けよう! 



同志社大学 経済学部 2

この度は学生団体Novel Standardの活動に協力してくださいまして
ありがとうご
ざいます。個人として日本にいては体験できない、
また海外に旅行するだけでは
体験することができない
素晴らしい体験をすることができました。
これは人生
の宝物となりました。
キアタウの方と信頼関係を築いてこられたMCLの努力に
謝の気持ちでいっぱいです。

子どもたちの笑顔をたくさん見ることができとても幸せでした。
子どもたちにこ
こに帰ってくると約束してと言われる前から
帰ってこないといけないな と思
い、義務ではなく自分が会いにいきたいと
思わせてくれる人に出会えました。
れもMCLが僕たちの間に入ってくださったからだと思います。
本当にありがとうございます。

最後になりましたが、キダパワンの案内をしてくださった松居友様、
フィリピン
での活動をサポートしてくださったスタッフの皆さま、
そして子どもたちに感
謝申し上げます。
ありがとうございました。

 
    
 

電気も無いマノボ族の村キアタウ
そこの村の普通の家で、家族と一緒に生活する体験。
必ずスタッフが一人つくものの、一人一軒、貴重な体験だ。
    

   

同志社大学 商学部 2

日本へ帰国してまだ1週間も経っていませんが、
既にまたフィリピンへ赴き、MCL
の子ども達や、
キアタウの人々と再開したいという気持ちでいっぱ いです。

自然や子どもが好きな僕にとって、ここでの生活は、
とても印象的で有意義なも
のとなりました。

僕にとって今回が初渡航ということもあり、文化や言語の違い、
治安等の面で相
当な不安を抱えていました。
しかし、MCLさんの協力により抱えてい た不安が解
消され、
日本では決して体験することが出来ないような
貴重な体験をすることが
出来ました。
また、その体験を通じて様々な人々と交流する ことができ、
それ
が僕にとって今回一番の大きな財産となりました。

一週間という短い間でした
が、
親切にサポートして頂きありがとうございました。



   

誕生日の夜明け前のハラナ(祝福) 
    

関西大学 商学部 2

1週間、MCLには大変お世話になり、非常に貴重な体験をさせて頂きました。
MCLには3度目の訪問となりましたが、今回は初めてキアタウに行き、
それも5
させて頂きました。
数か月ほど前から松居さんと直接メールで打ち合わせをさ
せて頂き、
キアタウでのゴムの植林、ケロハスでの古着の配布、
と様々な活動を
することができました。

3度目の訪問となったMCLでは、子どもたちに再び会うことができ幸せでした。
初のキアタウでは、夜は予想以上に冷えますが、
それを感じさせないホットな村
の方々に迎えて頂きました。
子どもたちも無邪気で、よく遊んでくれま した。

2日間に渡っておこなったゴムの植林でしたが、
私たち日本人は足手まといにな
るだけ。
村の方々も私たちを常に心配されながらの作業でした。

よく「魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えよ」と言いますが、
まさに我々側
の傲りに満ちた言葉だと思いました。
何でも彼らの方がよく知っている ことを
実感しました。

また私はキアタウで忘れがたい幸せな20歳の誕生日を迎える事が出来ました。
他に、植林・古着の配布、どれをとってもこの1週間は
私にとって生涯忘れられ
ない記憶となりました。
MCLのスタッフの皆様には感謝してもしつくせない思いであります。
MCLにはまた再び訪れたいと思っています。

ありがとうございました。



こんな感動的な誕生日
今までに経験したかな



翌二日は、村人とゴムの苗を植えた 
    

この村には、MCLの奨学生がたくさん居る 

女の子たちは、MCLで渡した、支援者からの古着を着て、
普段よりちょっとおしゃれして来ているな

 

同志社大学 グローバル地域文化学部 1

キアタウ村での植林など私達のために、
様々なことを計画してくださった松居さ
ん、
言葉も全く通じないキアタウ村で困っている私達を
いつも助けてくれて、本
当にお世話になったスタッフの方々、
そしてたくさんの笑顔をくれた子どもたち

に感謝の言葉を述べたいとおもいます。
我々を受け入れていただき、本当にあり
がとうございました。

キアタウ村での生活は、言葉の面などにおいて本当に不安でした。
しかし、現地ス
タッフの方々の通訳や色々な説明により
村の方々と交流を深められまし た。
アタウ村では、一生忘れられないような経験をさせていただきました。

またいつの日か、子ども達とも約束したように
MCLに戻らさせていただきたいとお
もいます。
その時は、どうぞよろしくお願いたします。


 

同志社大学 グローバル地域文化学部 1

 先日は、貴重な体験をご提供いただき、誠にありがとうございました。
また、ゴムの木の植林、古着の配布といった活動を成し遂げることができ、
学生
団体としての職務を果たすことができました。
6日間付き添ってくれたスタッフの皆さんに、感謝申し上げます。

 

 

現地の若者や人たちと一緒にゴムの苗を植える 
   

若者たちは、キアタウからさらに貧しいケロハス村に、古着を届けた
ケロハス村に古着を届けた 


一つの村を拠点にして、その近隣のさらに貧しい村々に
交流と支援の輪を広げていく。
ケロハス村は、キアタウから馬か徒歩でしか行けない。
しかし、MCLでは、ここからもスカラーを採り
保育所も建てている。 

    

最後に、お別れの読み語りをした 
 

また、絶対に帰ってきてね 



ブアランに避難民が出た
8月12日


和平交渉が軌道にのっているかのように見えたところに
急に戦闘が次々に起こり始めた。 
 

13歳の時、家に帰ると戦争に巻きこまれ
恐怖のあまり、痴呆状態になってしまった女性
今は、28歳だが、MCLで治療を試みる予定です。

   
  

さっそくビニールシートを配る 
    
    
    
 
   


子どもたちに古着や靴をわたした 
皆さんから送られてくる古着や靴を届けています。無限に必要とされています。活動範囲が山深く広大なので。



高校生で初めての海外の琴美さん
お別れ会で、子どもたちが泣いた 
 

17歳、高校3年生の琴美さん、北海道から一人で、初めての海外
といっても、看護婦でお忙しいお母様が、初日、一泊してこられたが・・・
どうしても、どうしても、どうしても、どうしても来たくって! 
来て良かった。友だちがたくさん出来たのが、何よりもうれしい。
  
   


松居さん、こんにちは!

鈴木琴美です。昨日家につきました。
家に帰ってからも、何回もMCLで撮った写真を見たり、
今頃みんな学校かなーとか、ご飯の時間かなーとか考えちゃって、
すごく寂しいです。
すんごくMCLに戻りたいです(*_*)

初めて日本以外の国を、自分の目で見て感じて、
町も車も匂いも生活も文化も、全て日本と違うことにドキドキして
見るもの見るもの興味を感じました。

全部が忘れられない経験ですが、1番頭の中に残ってるのが、
陽さんと何人かの子どもと、クリスティーの家に行ったことです。
クリスティーが毎回毎回、一緒に家行こうって
言いに来てくれたこともうれしかったです。
クリスティーの家まで、泥道を歩き、川を渡り、バナナ農園を通り、
こんなとこに家あるのかと思いました。

でも子供たちがすんごい楽しそうに、ぎゃあぎゃあ騒ぎながら
ジャンプしたり、じゃれあったりして、歩いたり走ったりしてるのを見て
私も楽しかったです。
たくましいなと思いました。
クリスティーの家族は、初めて会った私に、すごく優しくしてくれました。
厳しい生活環境にいながら、すごくあったかい家族だなって感じました。
クリスティーのお姉ちゃんっぷりを、見ることもできました。

クリスティーの家族たちだけでなく、
MCLの近くにいる人も、アンティパスやマロンゴンにいる人、
みんなすごく優しくて、あったかかったです。
見知らぬ私にフルーツくれたり、話しかけてくれたり、笑いかけてくれたり、
すごいうれしかったです。
たくさんの人のあたたかさに、触れることができました。

MCLの中もいっつも楽しかったです。
他のビジターやスタッフに比べたら、全然英語しゃべれなくて
最初話すのが怖かったけど、
どんどん話してくうちに、お腹痛くなるくらい笑ったりずっと話してたり、
会話力に乏しい私でも、ここまで仲良くなれたと思って
すごい楽しかったしうれしかったです。
相手の言葉を聞こうって気持ちと、言葉を伝えたいって気持ちと
あと笑顔があれば、なんとかコミュニケーションとれることがわかりました。

大学にも行って、1日だけラマダンも経験して、
洗濯や子供たちと勉強したり、家のペンキ塗りや
車の中や外にあんなにぎゅうぎゅうに乗るのも初めてだったし
書ききれないくらいたくさんのこと経験して、感じることができました。
ほんとに行ってよかったなって、思います。

ビサヤ語や生活のことやフィリピンのことなど
子供たちからいろんなことを教えてもらって、
わたしもちょっとは、日本語とか子供たちに教えたけど
それ以上に、教えてもらうことの方が多くて、
たくさんたくさんお世話になりました。

友さんやエイプリンや陽さん、
スタッフの人やビジターの人にも、たくさんお世話になりました。

本当にありがとうございました。
またぜひMCLに行きたいです。
今の私の目標は、大学生になったら
MCLに泊まって、キダパワンのUSM大学に留学することです。

ビサヤ語や文化を学んでみたいと思ったし、
それ以上にもっとフィリピンの人たちと
話したり関わったりしてみたいなって、思いました。

長くなりましたが、本当にお世話になりました。
ありがとうございました!!




ミンダナオ子ども図書館だより:8月12日 
Ⅰ:中園さんと前田さん寄贈の男子下宿小屋がマロゴンに完成した
  大きなカブの劇をした
  最後にみんなで歌った
  建築祝いを最後にした

Ⅱ:マノボの祈りの家の建前式
  マノボ族、ビラアン族のスカラー(奨学生)の歌や踊り
  酋長たちも訪問してくださった
  支援者からの手紙を渡した

Ⅲ:訪問者の規定
  訪問者のためのガイドラインとポリシー
  ミンダナオ子ども図書館での体験
  子どもたちと一緒に 久住泰平
  ボランティアも手伝ってゴムの苗を運ぶ
  ボランティアも手伝って、学用品をわたす
  ボランティアも手伝って、保育所建設

Ⅳ:ピキットのMNLF山岳地域の状況がひどく心配になり、まず小学校を訪ねた
  子どもたちと一緒に家を調査
  ブグアク村は、非常に貧しく、MCLの奨学生も多いが、現在は特に厳しい状況

Ⅴ:北コタバト州のDSWD(福祉局)所長に言われて、MOAに同席

Ⅵ:PHP派遣の若林さんキアタウに

松居陽が連載中の子ジカ原稿が読めます  講演会用のチラシが出来ました
4月号 5月号 6月号 7月号 9月号 10月号   講演会用のチラシへGO


中園さんと前田さん寄贈の
男子下宿小屋がマロゴンに完成した 

マロゴンは、山の奥の集落だけれども、教育に情熱を傾けている。
小学校が完成し、高校が出来つつある。
ここに、念願のMCLの男子下宿小屋が、完成した。
MCLの奨学生は、山の貧困家庭や親の無い子、
崩壊家庭の子たちを優先している。
それゆえに、日常学校に行けず、
学校成績や年齢にハンディがあったりする。
しかし、山の子たちはそれなりに頑張る。

本部は、キダパワン市郊外で、大学もあり、
近くの小学校、高校に通えるが、
しかし、町の学校はレベルも高いし、
雰囲気も山とは違ってソシアルだし。
その環境が、若者たち、
とくに男の子たちの成長に適しているとはかぎらない。
むしろ、自分が生まれ育った山の環境に近く、
しかも、学校まで遠くなく、
MCLで食べ物の米を支給してくれるから労働時間が短縮できる場所。
米だけあれば、野菜を植えたり、鶏をかったりはお手の物だ。
総菜は自分たちで作って生きていく。

マロゴンの山地には、12ヘクタールのMCLの山岳実験農地があり、
そこで、トウモロコシやゴムのトッピングの技術も習得でき
将来は、ブドウ栽培なども計画している。
町の学校に行くよりも、このような場所で、
学業に平行して農業技術を身につけられ、
たとえ大学を出ても、山に戻って地域のために、
農業技術を広められる。
そのような場所がマノンゴルなのだ。

皆で協力して生活し、
勉学しながら農業技術を身につける。
ここで高校を卒業すれば、大学にも進学できるので
条件は、本部の若者たちと同じ。

 

みんなで読み語りをした 
  
    
  

大きなカブの劇をした 
   

最後にみんなで歌った 
 

毎回必ず最後に
イスラムの歌、マノボの歌、ビサヤの歌
そして平和の歌を歌う 

建築祝いを最後にした 
    
 

家の建設祝いをした。
 
    
ここには、高校生以下の男の子たちが住み、学校に行きながら、農業も行う。 


マノボの祈りの家の建前式 


今年のマノボデーは、マノボの祈りの家の建前式を行った
マノボ文化を若者たちに伝え続けるためにも
こうした、伝統的な祈りの家が必要だった。
 
  

酋長たちの祈りに私も酋長として加わった。
妻のエープリルリンは、マンダヤ族の血が入っている。
マノボ族にとって鶏は、地上と神の国をつなぐ存在だ。
     

マノボ族、ビラアン族のスカラー(奨学生)の歌や踊り
マノボ族の踊り   上は、ビラアン族奨学生


従兄弟どうしの二人は、本当に伝統的な踊りを知っている
貴重な存在で、昔話もたくさん語れる
彼らに昔話を収集してもらって、絵本や本を作ろうと思っている 
  

 酋長たちも訪問してくださった

支援者から届いた手紙を渡した 
  モスクが出来、
マノボの祈りの家が出来
今度は、ルルドを作りたいのですが
どなたか寄贈できませんか?





ミンダナオ子ども図書館での体験
子ども達と一緒に

久住泰平

かつて僕は引きこもりだった、と自分の体験を語ってくれた久住くん 

 74日から84までの1か月間、MCL(ミンダナオ子ども図書館)に滞在させて頂きました。
ミンダナオの山岳地域やイスラム地域での
MCLの様々な活動に参加させて頂いたり、
国際監視団の視察に同行させて頂いたりしたのはどれもとても貴重な経験をすることができました。
なかでも
MCLの子どもたちとの共同生活からはとても多くの事を学び、体験しました。
一緒に毎日ご飯を食べたり、外で元気に遊んだり、たらいで洗濯をしたり、
絵本を楽しんだ、子ども達に導かれました。

「仕事はあたえられるものじゃなくて、自分で切り拓いていくもの。
できることを何でもやってみてください」友さんの言葉に背中を押してもらって、
MCLのスタッフや他のビジターにも協力してもらって、七夕の短冊を子どもたちみんなと書きました。
学校を修了して、将来は先生になりたいたくさんの子どもたち。
ナースやお医者さんになって多くのひとを助けたい子供たち。
家族や友達の幸せやミンダナオや世界中の平和を願う子ども達。
グアバの木の枝を彩った子どもたちの七夕のお願い事は
11つどれも素敵なものばかりで、
子ども達の夢の実現を応援したいと思ったり、
そのために自分には何ができるのかを自然と考えるようになりました。


ミンダナオ子ども図書館子どもたちの七夕のお願い事
2013年7月
 クリックしてPDFへ 

子ども達と友達になって、同じ目線で一緒に遊んでいるとたくさんの発見をしました。
その
1つが、表情豊かに絵本を読み語る子ども達の表現力。
日本語の本でも一度、英語で読み聞かせをしてあげると、すぐほかの子ども達にビサヤ語で読み語ります。
声の抑揚や体をうまく使って、読み語るので現地語のわからない僕も
たちまち周りの子どもたちと一緒に物語の世界に惹きこまれていきました。
まず子ども達と一緒に絵本を楽しんでいるといくつかの事に気が付きました。
言葉がわからなくても、子ども達は絵が美しく、楽しい日本の絵本をみるのが大好きだということ。
そこで、日本の絵本を英語に翻訳することを始めました。
子ども達と一緒に楽しく翻訳に取り組むなかで、面白いアイディアを思い付きました。
僕が日本語の絵本を英語に訳した後に、今度は子ども達がそれをビサヤ語に翻訳しました。
ストーリーを楽しみながら、子ども達と一緒にわきあいあいと取り組む翻訳活動はとても楽しいものでした。
週末の読み語りで子ども達が堂々とこれらの絵本を読み語るのをみていると
子ども達との温かい時間を思い出し、自然に笑顔になりました。

「子ども達と友達になって、それから自分にできることをみつけよう」
友さんが日頃色々な場面でおっしゃっているこの言葉に出会って、その時
MCLに行くことを直感しました。



 ボランティアの最近の活動から

ボランティアも手伝ってゴムの苗を運ぶ 

ボランティアも手伝って、学用品を渡した 
 私、いったん就職したけど
どうしても来たくて。
父さんに言ったら、言い出したら聞かない!
パッキャウの居るところだろ、行ってこい!
今までも世界を一人で旅したけど、
これからさらに、世界中を回ります。
でも、ここは特別!また帰ってきます。
ぼくは、高校時代は引きこもりの不登校。
でも、自分で勉強して資格を取って
大学に入って、ボランティア活動を始めた。
フィリピンは数回来ているけど
ボランティアとは何か、考えさせられた。
まずは、友だちになること、なんですね。
それから、何が出来るか考えれば良い。 
ビジターで一週間滞在された
若田尚里さん
短い滞在期間だったけど
とても充実していました。
また必ず来ます。
 

ボランティアも手伝って
保育所建設も進めている 
   

17歳、高校3年生の琴美さん、北海道から一人で、初めての海外
どうしても、どうしても、どうしても、どうしても来たくって! 
来て良かった。友だちがたくさん出来たのが、何よりもうれしい。



IMT国際停戦監視団の中川さんを案内して
サパカン集落に行った 

上の写真の若者は久住君。
今回MCLのビジターで訪問滞在している。
秋田国際教養大学で勉強中で、
現在、米国の大学に留学中。
休みを利用してMCLへ。
大学でフィリピン支援活動を始めたが
ミンダナオは、カガヤンデオロの
洪水支援についで二度目。 
「JICAは、僕のあこがれ
IMTの中川さんにどうしてもお会いしたい」
と繰り返し言われ、フィリピンの現状を
多少なりとも理解しているし、同行を許可。
MCLでは、特別な理由を除いて
訪問者を極度の危険地域にはお連れしない

しかし、その熱心さに負けて今回は同行。
中川さんにいくつも質問を重ね
中川さんも、喜んで対応してくださり
気があったようだ。

かつて僕は引きこもりだった、
と自分の体験を語ってくれた。



日本の若者たちの未来を考えて可能な限り、
訪問ボランティアを受け入れていますが、規定をよくお読みください。
訪問希望
 
現地の人々からも、またローカルLGOからも、この学校を新築したい
という、要請が長年あり、良い機会なので、中川さんにそのお話をした。


MCLが担当するわけではないが
実現すれば、子どもたちも地域の人々も
心から喜ぶだろう
ここにも、MCLの奨学生がたくさんいる 

この日は、洪水とはいえず、多少水かさが増した程度だった 
 

教室近くに水が来ているが、日常のことだ。
しかし、学校を作るとしたら水が来ない位置に、
しかも、少し高くした土地に建てる必要があるという結論に達した。
そうすれば、鉄砲水が来て、家々が床上浸水したり家屋が倒壊しても
緊急の避難場所として機能する。
 

中川さんとは、初めての本格的な出会いだったが
南米やアフリカの体験も多く、地元に根ざした建設的な支援を
地元の特に貧しい人の立場に立ち、純粋な心で見て
考えていることがわかり、好感を持てた。
それは、地元の人たちにも伝わった。

同じ敷地内でも、反対側は水をかぶっていない
そちら側に高台を作り学校を建てるのが良いと思う 


敷地の反対側では、子どもたちが楽しく遊んでいる。
家々もたっていて、水にかぶる率が低いことを証明している。
木々もたくさん茂っている。

  
 

上は、MCLで建てた保育所
水がかぶりにくい場所を選んで
建てている。


 
  
   



J-Birdで建設中のバゴンイギッドの学校 
 

MCLが担当しているわけではないが
この水路の奥に小さな村があり、
MCLでは、複数の奨学生を採用し、しばしば行っている場所。
6月の選挙後にこの奥で殺害があり危険で、最近は敬遠していたのだが
MCLの奨学生を含めた子たちのためにも、学校が出来ることはうれしいことだ!


この村の本来学校がある場所に、MCLで保育所を建設出来ないかという
要請が過去あり、かなり時間をかけて検討したが、
小学校のグランド内に穀物干し場があり、村の公共施設として使えば
子どもたちの運動場がなくなる事、子どもたちが使えば村人が困るという点、
また、そのことを含めて、村長との間に土地の問題があることがわかり断念していた。
その後、川沿いに場所を変更したが、
どうか、という再度の要請が来たが、
洪水などの問題もあると予想して
保育所建設を決めるには、状況が早い、
支援をスカラシップに限定して
当面の様子を見ることにしていた。
特に6月の選挙による混乱を意識していたが
選挙後も関係者が殺害されて躊躇していた。
ところが日本政府がすでに学校建設を
始めていることを、今回初めて知って、
中川さんに同行。
びっくりしたのは、建てた場所で、
本格的な洪水でもないのに、
学校全体が水の中に浮いている。
地元の担当者に
「このような場合は、子どもたちは
どこを通って学校に通うのですか?」と聞くと
「このへんの子たちは
水があっても舟で来るから大丈夫だよ」
という話であった。
その子どもたちの中には、
MCLの奨学生もたくさんいるし、
彼らは湿原地帯から
舟で来るから大丈夫だろう。
とにかく、学校が出来て良かった!



ピキットのMNLF山岳地域の状況がひどく
心配になり、まず小学校を訪ねた 

校長先生から、特に大変な子たち10人を紹介されていたが、今のMCLの状況では
支援者のいない子が200を超え、申し訳ないが小学校低学年の子、3人に絞っていただいた。
父親が殺され、母は出稼ぎ先を探しに町へ出ている子。両親とも出稼ぎで遠くに行ってしまい、
おばさんがあずかってい子。極貧で3食たべられない家庭の子たちだ。 


最近、父が殺された少女
母は、子どもたちを食べさせるために
ダバオに出稼ぎに行ったまま
祖母のところで暮らしている。
PHPの記事を書いていらっしゃる若林さんが、
里親になってくださった。
少女は、大喜び!

子どもたちと一緒に家を調査  
 

私たちは、子どもを候補に選んでもすぐには決定しない
必ず、すんでいる家庭を訪問する。 


両親は遠く離れ
一人、おじさんおばさんの家から
学校に通っている少女
おじさんはクリスチャン
おばさんはイスラム教徒
クリスチャンのおじさんは、
我が子以外にも兄弟の
イスラム教徒の子たちをあずかり
貧しいながらも必死に学校に行かせている

ブグアク村は、非常に貧しく、MCLの奨学生も多いが
現在は特に厳しい状況
  

今回の戦闘の間に、心労からスカラーのお父さんが亡くなった。
スカラーはもう卒業しているのだが、
武器を持って現地を案内してくれた。痩せて心配だ。
この地は、イスラム地域でも非常に貧しく
収入としてゴムの木を植えることを考えることにした。
  
  



北コタバト州のDSWD(福祉局)所長に
言われてMOAに同席
 
 
 
右の女性が現在のピキット新市長(21)
   
懇意の前市長の長女

PHP派遣の若林さん、キアタウに
 PHPの月刊誌の10月号に、ミンダナオ子ども図書館の記事が掲載されます。
その取材に、3週間、若林さんがこられました。
仏教に深い造詣がおありになり、『苦しまなくていいんだよ』PHPを編集された方です。


キアタウ周辺には
今もゴムを植え続け居てます。
改めて植林を報告しますので
支援者の方々、
ご安心ください。
 
 
    
 

キアタウから向こうに見える丘
サーグ集落が麓にあり
山頂から下にかけて、ゴムの木を植えている場所
 
 

ケロハスの村は,キアタウから徒歩か馬に乗ってしか行けない
山の中の小さな村
それだけに、子どもたちの素朴な姿に出会える 
左は、ケロハスに作った保育所 




ミンダナオ子ども図書館だより:戦闘と洪水

①:イスラム地域で戦闘が勃発、避難民が出ているので緊急調査に向かった 7月8日 
  早速、翌日にビニールシートの支援をした。
7月9日
  ビニールシートをカットしていく
②:7月5日 別の難民キャンプを調査
③:7月6日 子どもたちと支援を開始
④:避難民キャンプでの読み語り。すでに避難生活を始めて2ヶ月が過ぎた
  雨よけのビニールシートを配った 
  小学校に避難している人たちにも、パンと古着を配った

⑤:洪水の中、支援者へ報告するためのスカラシップの子の成績進級調査をする 
  6月下旬、イスラム地域は、しばしば洪水に襲われた
⑥:新学年のバッグと学用品を届け、支援者へのお礼の絵手紙を描く子どもたち
⑦:6月17日、ボアイボアイの子達に学用品を届けた
⑧:サアグ集落の新しい奨学生たちに学用品を届けた。6月14日
⑨:戦闘の耐えない山岳地、タガイタイの殺された酋長の子達にも学用品を届けた
⑩:昨年、保育者が突然辞めて居なくなり、荒れた保育所を再建するための調査をした。7月1日
⑪:イスラム地域で洪水が起こり避難民発生。6月15日
⑫:保育所を新築移転するブロッドをたずね、奨学生に学用品をわたした 
⑬:再び戦闘が起こり始めた!
2013年6月11日
  今回は、薬による医療支援も行った。
  ヘアリップの子たちも記録し、後日治療を行う。
⑭:翌日、すぐにビニールシートを届け、古着と読み語りと医療支援をした


イスラム地域で戦闘が勃発
避難民が出ているので緊急調査に向かった 

7月8日 

今回の戦闘の状況は非常に良くない。
国軍が積極的に介入している。
政府の対応いかんによって、
今後かなり大規模な戦争に
拡大する可能性を秘めている。
毎年、大規模な戦闘は、この地域から
勃発している。
パイドプランギから、ブアラン、そして
ラガイェンに拡大し、本格的な戦争が起こる。
時期的にも良くない。
毎年5年ごとに大きな戦争が起こると
現地では言われているが、2003年、
2008年そして今年は2013年。
時期的にも、ラマダン期間中にこのような
小規模な戦闘が各地で勃発。
すでにマタラムでの戦闘では避難民が出て
MCLで救済支援に向かった。
ラマダンは、8月9日までの一ヶ月。
この時期に、爆弾事件が多発したり
誘拐事件が起こるのが、戦争の前触れだ。
すでにダトゥピアンでも、爆弾事件が
報告されているし、誘拐を恐れて
オーストラリア、カナダそしてアメリカ政府は、
政府関係者のミンダナオ入りを禁止。
一般アメリカ市民にも警戒警告を発した。
すでに何らかの情報を得ての行動だろう。
ダバオからコタバトに抜ける国道も
この時期に合わせたようにすっかり
セメント舗装されているし・・・
 


今回の戦闘を危惧するのは、
すでにかなりの国軍兵士が
現地に投入されている事実。
これは、この地域の戦闘が
単なるリドーと呼ばれる
地域における対立ではないことが
明確であること・・・
さらに、国際的なNGO
つまり現地NGOだけではなく、
海外のNGOが積極的に入ってきている
現地の人々は、それを大規模戦争の
兆候と見ている。
杞憂に過ぎなければ良いのだが。
アキノ政権は、和平を樹立するという
方向性を持っていたのでそれを信じたいが、
2008年も、直前までマレーシアでの
和平調印が口外されていたにもかかわらず
突然?交渉が崩壊し大規模戦闘となり
80万の避難民が出た。




現地の人々は、悲観的だ。
杞憂に過ぎなければ良いのだが。
この地域には、
たくさんのMCLの奨学生たちがいる。


 
  
 
すでに40年間、3年から5年おきに
戦闘が起こり、避難民化していく。
こうした戦闘の背景は、
背後の湿原地帯に眠る
膨大な天然ガスと石油資源だという。
しかし、東南アジア最大といわれる
リグアサン湿原には、沢山の魚が生息し
2000世帯は超えるという
漁民たちが生活している。
下流を加えると、どれだけ多くの人々が
自然の恩恵を受けて生活していることか。
開発によって、こうした人々の生活が
破壊されないように願うばかりだ。
 



早速、翌日にビニールシートの支援をした 
7月9日
   
   

ビニールシートをカットしていく 
 

 


すでに長いお付き合いのある村人たち
MCLのこともよく理解して
喜んで迎えてくれる
 
 


日本から来た若者も手伝ってくれた




7月5日 別の難民キャンプを調査

ミンダナオの状況は、あまり良くない。各地で小規模な戦闘が起こり、避難民が出ては救済支援に向かう日々。
ラマダン期間中に、爆弾事件や誘拐も起こる可能性があり、2003年、2008年のように、
ラマダン後に本格的な戦争が起こる気配が無きにしも非ず。
MCLでは、避難民救済を開始しています。

   
腹痛や風邪、皮膚疾患も多く見られ
薬による医療支援もした

 
  

7月6日 子どもたちと支援を開始


ミンダナオ子ども図書館では、活動の中心を担うのは子どもたち
前夜のうちにシートを5メートル置きにカットして
翌日、トラックに運んだ。
 

ビニールシートと一緒に
日本から送られてきた
古着も積みこんだ。
   

避難民キャンプでの読み語り 
すでに避難生活を始めて2ヶ月が過ぎた
 

読み語り支援は、本当に喜ばれる
心の支援だ。
物資だけでは、何かが足りない?
 


2ヶ月も難民だった子達の顔に
笑顔がもどってくる
 


小学校低学年の彼女(女の子です)も
見事な読み語り。
野菜売りをしていた少女
 
 

読み語りだけではなく
歌と踊りでますます元気
  
  どうして大人たちは戦争なんか起こすのか
世界が、子どもたちの幸せを
第一に考えれば
戦争などは出来ないはずだ。
子どもたちこそが希望であり
未来なのだから


 

今年はじめて入った
大学生の奨学生も
早速劇に加わった
げきの名は「おおきなかぶ」
 
  

雨よけのビニールシートを配った 
読み語りが終わった後に、ビニールシートを配った



これで雨が降っても大丈夫 
  
 
   

小学校に避難している人たちにも
パンと古着を配った 
  


こちらはまた別の避難民収容場所で
小学校が避難場所になっている
ここに、古着をくばった
学校でも、昼間は授業があるので
外に居なければならないので
後日、日よけと雨よけのビニールシートを届けた
 


避難民にとって、誰かが見ていてくれるのは大きな安心と喜びだ
 
 
   

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