2013年6月まで


洪水の中、支援者へ報告するための
スカラシップの子の成績進級調査をする 

6月下旬、イスラム地域は、しばしば洪水に襲われた
     
  
 

今年は、洪水もくり返し襲ってくる
まだ、大洪水までにはならないけれども
支援者に送る手紙や成績表を受け取り
現地の子どもたちに学用品を届けるために
スタッフは洪水の中を現地に向かう


車の後は、舟を借りて
小学校に向かう
 
 
 

MCLが来たことを知って
子どもたちは大喜びで
集まってきた
水の中を・・・
 




新学年のバッグと学用品を届け
支援者へのお礼の絵手紙を描く子どもたち


私たちの支援している子どもたちのいる場所が、本当に考えられないほどの山岳地域だったり、湿原地域だったり
しかも奨学生は620名にのぼり、3000メートル弱のアポ山山麓いったいから、東南アジア最大のリグアサン湿原に及び
ようするに富士山山麓一周地域から霞ヶ浦一帯を想像すれば理解させる地域で、しかも4WDのみで登れる地域であるばかりではなく
時には戦闘が起こったり、洪水が起こったり、がけ崩れで道が先へ進めなかったり・・・
数名の子どもたちに学用品を届けたり、お礼の絵手紙を描いてもらうだけで、丸一日かかる!!!
それでも、子どもたちの笑顔を見るために、活動を続けるスタッフたち。


6月17日
ボアイボアイの子達に学用品を届けた 
     
     
 

絵手紙を描いてもらう

サアグ集落の新しい奨学生たちに
学用品を届けた

6月14日
 
   


マノボ族の村、サアグ。
そこまで到達するだけでも、3時間ほどかかる
そのような場所に、学用品を、2ヶ月に一回届けることが
どんなに大変なことか、文明国の人には理解できない?
電話も電気もないので、家族が山に農作業に行っていなければ
またたずねなければならない・・・
 

戦闘の耐えない山岳地、タガイタイの
殺された酋長の子達にも学用品を届けた
 
6月14日
     
     
   

時には激流を越えて
山道を歩き登って
学用品を子どもたちに届ける。
同行した訪問者いわく
「これは想像以上だ!
日本の支援者にも体験させてあげたいものだ!」


     
   


今日は、お母さんが遠くから帰ってきたが
いつもは子どもたちだけで生活している。
小学生のお姉ちゃんがご飯を作り、下の子の面倒を見ている 
   

次に向かった家は、
マノボ族の酋長の家
しかし、昨年酋長は殺されて
母親だけで生活している。

 
 

夫はマノボ族の酋長だったが、昨年殺された。
土地の問題が原因だそうだ。
このような山奥にまで
希少金属の鉱山開発の手が伸びている
それが、戦闘や殺害の原因だという




昨年、保育者が突然辞めて居なくなり
荒れた保育所を再建するための調査をした 

7月1日
昨年、保育者が辞めて放置され、荒れた保育所が一つあり、修理再建するための事情調査を行った。
保育所は、毎年状況を調査、修理の必要な場合や、歳月がたった保育所は、
全面的に塗装修理を行いますので、丹原さん安心してください。

   

村長が選挙で代わった結果もあり、以前の保育者(中年男性)が辞職した。
厳しすぎるという批判も集落にあった。
新村長のもとで、新たな保育者が選ばれた。30代でがんばって高校を卒業し保育者になる3児の母。 

   
   

一年近いブランクの後、保育所は荒れてしまった。イスや机もなくなったが、すべて修理しペンキを塗ってMCLで再生させる。
毎年保育所のチェックをしていますが、来年は、すべての保育所を修理しペンキを塗りなおして再生させる予定です。
建物の支援はアフターケアが大事。 

     
     
   




イスラム地域で洪水が起こり避難民発生 
6月15日

     
   
     
     

保育所を新築移転するブロッドをたずね
奨学生に学用品をわたした 
     
   


MCLが来たよ!
子どもたちが大喜びで寄ってくる。
先日、読み語りをしたばかりだ。
 
     
   

偶然だが、同じ丹原さんの寄贈の保育所が、戦闘で穴が開き去年のうちに急きょ村で移転し新築中であったが、
そこも洪水が襲うので、さらにMCLで学校敷地内に移転新築することに決めた。 
   




再び戦闘が起こり始めた!
2013年6月11日
 

ミンダナオにおける、
イスラム地域の和平交渉が、
軌道に乗り始めたかに
思えたにもかかわらず、
再び戦闘が起こり始めた。

表向きは、リドーと呼ばれる
土地争いに起因する、
地域紛争と言われているが、
内実は、MILF(モロイスラム解放戦線)と
MNLFとの勢力争い。

MILFが、アキノ政権と
和平交渉を始めたことで 
本来政府よりであったMNLFが、
立場をなくした感じを持っていた。

それに対して、何らかの報復行動を
起こすのではないかと、感じていたが、
3週間ほど前から、ピキットではなく、
もっとキダパワンよりのムラアンで、
戦闘が勃発、避難民が大量に出た。

ちょうどそのとき、ぼくは、
過労とストレスに風邪をこじらせて
一週間の入院をしていたので
スタッフは気を使って話さなかったが、
それが、今週になって
さらに国軍を交えた戦闘になり、
再び大量の避難民が出た。

まだ地域紛争の範囲だから、
規模こそ小さいが、
根が政治的で、深いところから
発しているので、今後も戦闘地域が拡大し
難民規模と地域が、
広がることが感じられる。

先日、奨学生たちと、早急に
ビニールシートと古着
そして、読み語りの支援を行った。

今後、戦闘は、広がる恐れもあり
今日さらに、ピキット地域では、
追い打ちをかけるように、洪水が発生
避難民が国道沿いに集まり始めた。
こちらもビニールシートなどの
緊急支援をしなければならないのだが、
現在、ミンダナオ子ども図書館では、
奨学生たちの学費の支払い
新年度の学用品の届けで、
避難民救済にかける資金が
枯渇状態で、
救済活動の緊急支援を
お願いできれば幸いです!

支援申し込み
 
 
 
   


近年、日本でもときどき報道されているように、
日本政府も国際停戦監視団IMTなどを通して
マレーシアやインドネシアと連携しつつ、
積極的にミンダナオの反政府勢力である
MILFと接触し、フィリピン政府と
和平交渉を進めてきたことは、
しばしばウエッブサイトや
季刊誌『ミンダナオの風』でも述べてきた。

和平交渉は、2008年に決裂し、
80万人の避難民を出した。
その後、アキノ政権下で、
再び交渉の土俵に乗ることが決まって、
最近は、楽観的なムードが、
ミンダナオにも広がっていたが、
しばしばぼくは、MILFと政府の交渉を、
MNLFやBIFFといった、イスラムの別の勢力が
どのようにとらえ、場合によっては、MILFに対し
独自の抵抗運動を開始するのではない
という懸念を述べてきた。

 

今回の戦闘勃発は、その懸念を拡大させた。

BIFF(バンサモロ・イスラム自由戦士)は、
MILFの分離派であり、
MILFから圧力をかけられた形で静かだが
軍事訓練は行っている。

今回の戦闘は、
MNLFとMILFの対立が背景にある。
まだ、全面的な戦闘ではなく、
地域紛争(リドー)と呼ばれるものだが、
MNLFに属する軍人たちは、
マタラム市の北方に集まり
戦闘が起こった。

(そのときぼくは、
過労とストレスに風邪がこじれて
一週間、入院していたので、
スタッフは、あえて報告しなかったようだが。)

その戦闘には、ピキットの山岳地域の
MNLFの住民である戦士たちも参加し、
戦いに向かったが、
その地域には、ミンダナオ子ども図書館
の奨学生のいる極貧の村々があり
奨学生の父親の一人は、
今回の戦闘による、過労とストレスで
亡くなった。
MNLFの司令官だったが・・・

 
   
   
 
 


写真の老人は、今回の戦闘による避難民の一人。
度重なる戦闘による難民化で、過労とストレスが蓄積
調査の日に撮影し、病院に運ぶことを約束
翌日、早々に子どもたちと救済に来てみると
この写真を撮った夜に亡くなっていた!!!
   

今回は、薬による
医療支援も行った。


避難民生活は、お年寄りと子どもたちに
特に厳しい。
ちょうど私が、過労とストレスで
病院で唸っているときに、
何と知り合いのMNLFの司令官で
奨学生のお父さん(良い人だった)が亡くなり、
さらに救済を約束していた老人が
翌日に行ってみると亡くなり、
埋葬中だったことを聞いて、ショック!
ぼくも60歳、
それだけに人ごととは思われない。
 

こうした避難民キャンプでは、
子どもたちも夜は、
雨が降らなければ、外の土や
コンクリートの上で寝ている。

雨が降ると、身を寄せ合って
なけなしのシートの下で過ごす。
これでは、風邪になったり
下痢や食中毒を起こすのは当たり前だ。

私たちは、急きょ薬を購入して
メディカルアウトリッチ(医療支援)を行った。

   
 
 
   



翌日、すぐにビニールシートを届け
古着と読み語りと医療支援をした

ちょうど翌日は独立記念日、祝日だったために、子どもたち、特に高校生と大学生の奨学生たちで、避難民救済支援をした。
今年から、ミンダナオ子ども図書館に移り住むようになった子どもたちも、今回、初めての体験。
イスラム教徒、先住民族、クリスチャンが協力して救済活動を展開した。

 
 
     

最近のNGOの動向を見ていると
和平協定再会いご、ほとんどのNGOが
ピキットなどのMILF地域に比重をかけて
活動している感じが現地では否めず、
逆に、MNLF側の貧困地域の事が気になり
MCLでは、あえてMNLF地域を意識して
活動しようと考えていた矢先だっただけに
戦闘の発生と奨学生の父親の死は
ショックだった。



それから、2週間後、さらに規模の大きな
戦闘が、国軍を交えて発生し、
現在も続いている。

MCLでは、
すぐにビニールシートを持っていき、
古着の支援もし、
薬による医療支援もしたが、
奥地までは、戦闘が頻発して
入れない状況になっている。



さらに戦闘は、
広がる恐れもあり、
避難民救済に走らなければならない
可能性が高いのですが、
現在、MCLでは、
奨学生たちの新年度の学費支払いで
資金が枯渇の状態で

(平和構築も意識して
反政府地域の集落などから
意識的に多くの奨学生と採用したため
まだ、200名以上が、支援者無しの状態。
自由寄付を充てていたために、
資金が枯渇。)



避難民救済にかける資金が無く
今後、戦闘は拡大の方向に走るか、
縮小に向かうかは予期できないのですが、
当時に、洪水による避難民も発生しており
緊急支援をお願いできれば幸いです。







今後戦闘は、ピキットの背後、
カルメンからビキッドノンにいたる
イスラム教徒、先住民族の混合している
地域に拡大するという話だ。

日本政府が、
ダム建設を計画している地域でもある

   
 
 
   
 
 
   


古着支援をした 
   

訪問者の若者たちも、子どもたちと手伝って・・・
     
     
     
   
 
     
   
   

子どもたちへの読み語り 
    
   
   
   

このさらに奥で、両親が殺され
自分も腹部を撃たれていた奨学生の若者も
イスラムの子どもたちに読み聞かせをした。

 
   

沈んだ、避難民キャンプに笑顔が戻ってくる






父親が居ない子たちの調査 

  

  父親が殺され、プランテーションのはずれで、母親と祖母と共に、極貧の生活を送っている。
家ともいえないような狭いところに、5人ほどで寝泊まりしている。
まだ支援者のいない子たちへ Go!
 
     


  調査をし、奨学生に採用した。
まだ、支援者が見つかっていない子たちが
200名以上も居るのに。
でも、見てしまったからには放っておけない。
とりあえず、自分の私費をつぎ込んで、
この場をしのいでいくしかなさそうだ。


まだ支援者のいない子たちへ Go!


 前田さん夫妻が、お友達を連れて再訪!

9日間、前後2日を日本との移動日に充てて、正味週間滞在された前田夫妻と5人の友人たち
ほぼ50代から60代の面々の動向を追い、MCLとミンダナオの山岳地域、マノボ族の村などで
何を体験されたのかを追ってみたい。 

ごめんなさい、あまりにも活動が次々起こり、サイトに載せる暇もなく、さらに体調を崩して、写真を掲載するだけでやっとでした。

    
     
     
     
   
 
前田さん寄贈の保育所・開所式 
 
 

開所式は、マノボ族の伝統に則って行われた
祈りを捧げるときに、白いニワトリを生け贄として
神々に捧げる
     
     
   
     
  この地は、世界大戦の時に、日本軍と米国軍が、決戦を交えた場所。
しらなかったのだが、この村の首長が語ってくれた。
そして、まだ若い40代ぐらいのこのマノボ族の首長は、
自分の父親は、この地域の首長のなかでも最高位で、
日本軍とも親しかったことをかたり、
そっと、なんと、ももたろうの歌を歌ってくれた。
父親からならったそうだが・・・
この地域には、多くの日系人がいることは確か。
さらに向こうのアポ山に近い山岳地域では
新人民軍との戦闘が絶えず起こっていて、
資源開発、プランテーション開発の諍いが繰り返されている。
貧しい地域だけに、ここに足場を作り
さらに山岳地域へと活動を広げていく拠点にしようと思っている。



まだ支援者のいない子たちへ Go!
   
     

さらに奥の極貧の村に古着を配った 
   
     
     

読み語りもした 
   
 
   
 
 
 

キアタウ村に泊まり
子どもたちと伝統的な遊びをした 
     
     
     
     
     
    
   
     
     
     
  
   
     
   
   
     

その夜は、子どもたちと民家に泊まった 
     
   
   

早朝のキアタウ村 
     
   
     
 
   

ゴムの木の植林地を見た 
   
     
   

ダバオ市のイスラム貧困地域で古着を渡す 
    
     
    
     
     
     
     
     

また必ず、帰ってくるからね!
     
     
   




ワクワクのチカチカ 妖怪たちの噂話
 
     
     
     
     
     
     
    
   



ミンダナオ子ども図書館便り:4月26日報告

1:奨学生候補の子の調査 
2:
井上幼稚園の園長・松尾琢二先生と竹田先生が来られた
3: 園長・竹田のミンダナオ滞在記.,
4: 小学校の卒業式
5:
共同通信社の三井さんが来られて、このような記事を書いてくださいました。
6:
共同通信社のカルンソッドさんは、Japan Timesに以下の記事を書いてくださいました



 奨学生候補の子の調査
 

さまざまな所から口コミで
時には、父親が殺害され
困窮している子の話が入ってくる。
時には、アビューズだったり・・・
放置だったり・・・

そのまま、放っておくことが出来ないので
家庭調査を始める。
車が入れないので
徒歩で向かう事も多い。


まだ支援者のいない子たちへ Go!


支援者見つかっていない子も多いのに
さらに子どもを受け入れて
まだ見つかっていなくても
学校に行かせてあげる。
時には、MCLに住むこともある。

支援者の無い子は
自由寄付を充てているが
採用してから、ため息がいつも出る
「経済的に大変なのに
また背負い込んだな」


     ミンダナオ子ども図書館のスカラシップ・里子支援は
他のこうした支援とかなり異なっています。
まずは、以下をクリックしてパンフレットを読まれることをお勧めします
スカラシップ・里子支援のパンフレットへ Go!
専用サイトも作りました

まだ支援者のいない子たちへ Go!
    
     
   
 
  

佐藤栄亮くんも支援してくれた。

 

まだ支援者の見つかっていない子たちを紹介するサイトを作りました。パスワードで入れます。




 
学校法人 雪見ヶ丘学園
  井上幼稚園の 
  園長・松尾琢二先生と竹田先生が
来られた


日本での講演会にうかがって知り合った、
愛知の井上幼稚園の園長・松尾先生と竹田先生がMCLを訪れられた。
ちょうどマノボ族の村に、ゴムの木の植林をする日だったので、
子どもたちと一緒に参加された。
その後、アラカンの電気のない、キアタウ村に行き宿泊。
夏休みだったので、村の子どもたちに読み語りをし、伝統的な遊びをされた。

井上幼稚園に関するサイトへ

サイトを見ればわかるように、子どもたちが自然を感じ、神を通して
妖精たちと生きるようにさせてあげている幼稚園なので、絶好の機会となった・・・?
お忙しい中、4泊5日の短い日程だったにもかかわらず
あっという間に、現地の子どもたちの中にとけこんでいった。

幼稚園の先生方が、自然の中で生きていた時代の
子どもの自然な本来の姿にふれるには、MCLに来られて
電気もない山々の村などで過ごされて、
子どもたちと素朴な遊び、伝統的な遊びであそんだり
一緒に川で洗濯をしたり泳いだり、薪で料理を作ったり
竹の家で、現地の家族と食事を共にしたりする体験が貴重かもしれない。


ミンダナオ子ども図書館の子どもたちと
ゴムの木を荷台に載せた 

食事も子どもたちと薪で料理し、一緒に食べる 
   
井上幼稚園は、自然体験を大切に子育てを考えていらっしゃるので
さすがに先生も、こうした場所であっという間に適応される。
現場で子どもたちと接していらっしゃるだけに
子どもへの観察力や適応力が異なっていて
私たちの方が教えられた面も多かった。
「朝の5時には起きて、自分で食事を作ったり、庭からトイレの掃除もしたり。
洗濯も遊びも、本当に自立している。」
またいつでもいらしてください。
子どもたちと歓迎いたします。

 園長先生からいただいたメール
先日は一週間にわたり、お世話にりありがとうございました.
大切な時間の中、支援先の村々への訪問まで帯同
させていただき、私たちにとって何事にも変えることができない
大きな恵みを受けることが出来ました。
子どもたちとの時間は
今日本で関わっている子どもたちの
本来持っている力を再確認する時間となりました.
と同時に豊かさの中で鈍くなってしまった子どもたちの感性や
力強く生きようとする力の弱さを現実の問題として
突きつけられたようにも感じております。
現地に行かなくては知ることが出来ないことをミンダナオ子ども図書館
のお働きも併せて具汰的に知ることが出来ましたこと、
子どもたちへ保護者へどのように伝えるかが私たちの今の宿題です。

園長先生もいっしょに、子どもたちと
マノボの村 サアグで植林をした 
 

伐採の跡地に広がっていく、バナナプランテーション
ほとんど日本に、そして最近は中国に輸出されていく


下の土地は、ほとんど移民系クリスチャン
ビサヤ、セブ、イロカノ、ルソンから
移民してきた人々の所有となってしまい
その中の丘だけが、マノボ族の首長の土地
プランテーションは麓にまで迫っている。
ここを守るためにも、現金収入の生じる
ゴムの木の植林は効果的だ。
首長の強い願いもあり
4ヘクタールをここに植えた。
 

本来はジャングルだった場所が、ほとんど伐採されている。
大量の材木が、日本に輸出されていった。
その結果、土地に保水力が無くなり、鉄砲水が起こっては土砂崩れを併発
下流のイスラム地域は、毎年洪水に襲われている。

今回の寄贈者の方々
1.山田 穂積さま 2.久岡 喜美子さま 3.内海 公子さま 4.箱田 昌平・貴代子さま
現地の子どもたち、家族たちに代わって、ここで心から感謝いたします!
彼らが、自分たちの収入を自分たちの手で確保し
子どもたちを学校に行かせることが出来る日が、8年後には来るでしょう。
 
   

井上幼稚園での講演会を設定してくださったのは
福音館書店の月刊絵本を販売している
愛知こどものとも社の北原さん。
こどものとも社は、全国に広がっていて
私が編集者をしたり、執筆活動を始めたり。
絵本や童話、一般書を書いていた時代から
30年に渡って講演会をしてきた。

ちなみに 福音館書店は、私の祖父が始め
父が絵本児童書部門中心に会社を立ち上げ、
松居直は、86歳の今も活動している。
私は、思いかけない離婚後、
日本の事を考えるのも嫌になり、
ミンダナオに移り住み
現在まで、ミンダナオ子どもたちのために
生きてきたのだが、
昨年あたりから、日本の子どもたちの現状、
自殺やいじめ、引きこもりや交遊が無く
競争原理と個人主義に毒されて
家庭も心も根本的に崩壊している様子に
至る所で接して以来、放っておけず
(国家まで、アジアの中で引きこもり、隣国との友情ももてずに
自殺やいじめに走ろうとしている????)
再び絵本の出版や児童心理、子どもや親の
心の自立も視野に入れて、活動することに決心。

未来を担うのはいつも子どもや若者たち!
幼稚園・保育園関係の皆さま
今後は、かつてのように
全国こどものとも社を通じても、
講演会を受けますので楽しみにしていてください。
9月には、絶版になっていた
「わたしの絵本体験」「昔話と心の自立」
「昔話の死と誕生」も教文館から再版し
13年間離れていた
絵本、児童書、一般著作の
執筆も開始していく予定です



北原さんは、当時札幌こどものとも社で
私が、北海道でアイヌ文化を探求し、
執筆していた頃からの長いおつき合い。
すでに高齢にもかかわらず、足もお悪いのに、
何と娘さんの手に引かれてミンダナオまで来られ
山岳地で出た難民の人々に、衣料支援をした。
娘さんは、四国の高松シオン教会の牧師婦人。

 
 
 
上は、松尾園長先生、左上は竹田先生、上右はMCLの奨学生
左のボランティアスタッフの大野理実さんも一緒に。
理実さんは、お茶の水女子大の修士を一年休学して参加している。
もうじき 横浜市立大学 国際総合科学部の若者(女性)も
休学して8ヶ月滞在する予定。

ボランティアの若者たちの働きは、すばらしい!
短期訪問者とはまた異なって、深く理解し先の人生に生かしていく。
こうした点を鑑みて、長期ボランティア受け入れを考えたいと思い始めた。

正規 スタッフの場合は、全員・一律6000ペソ(約10000円)の月給
これは、現地では私立小学校の先生やデパートの正規スタッフの初任給ほど
そに加えて、子どもの大学までの学費はMCLで面倒を見ている。
つまり生活費と医療と学校教育をMCLで保証している。
(本来は、社会保障として国がやるべき事だと思うが・・・)

医療費は、診察代は保険が無くても日本のように高額ではない。
私立病院の専門医に診てもらって診察代が、450ペソ(1000円ぐらい)、
薬は日本と同額で、すべて入れて多めに見積もって1500ペソぐらい。


ボランティアスタッフの規定


ミンダナオ子ども図書館に住む限りは、
生活費、食費、宿泊費、
入院した場合の医療費
(薬代も含む全額)は、
MCLが責任を持つ。

正規スタッフのこの規定を
ボランティアスタッフにも適応する。

給与はでないが、アルバイト代として
月1000ペソを支給
これがあれば、
町でちょっとおいしいものを食べたり
生活必需品を買えるし、
私用でダバオに出かけることも出来る

ただし、
8ヶ月以上の長期滞在が原則。

ボランティアスタッフ
したい方
メールで連絡ください

Mail
 

マノボ族のキアタウ村で
子どもたちと過ごした

   
 

小さな竹の家で
素朴な家庭料理を食べて
子どもたちや家族と一夜を過ごす
 

翌日、読み語りをし、最後に「おおきなかぶ」を演じた
 

おもしろいことに、大して言葉が通じなくても
心が通じていく・・・
 
 
     

絵本「おおきなかぶ」を一緒に演じた 
     
   

その後、子どもたちと楽しく遊ぶ 
 

さすがに子どもとの遊びが上手?
いいえ、子どもたちが先生の
相手をしてくれているのです???
 

言葉が、それほど通じていないはずなのに
完全にとけ込んでいる
大事なのは言葉の意味よりも
言葉に込められた心
 
     
   

竹田先生の逆立ちに刺激されて
次々に逆立ち
    
 
ミンダナオ子ども図書館の子どもたちも
学校から帰ってくると
本当によく遊ぶ。
かつて僕も子どもの頃に遊んだ
「はないちもんめ」や「はんかちおとし」
竹馬やゴム草履で、野球もする。
庭のグワバの木や、マンゴスティンの木に
登って実をとってくれたり。

僕も小学校が明星学園で
5,6年の担任が無着成恭せんせいだった。
何しろ、4年生まで、試験が無く
通信簿が無く、家で勉強しなくて良かった!
とにかく夕暮れ時まで、自然の中で
カエルやザリガニを追いかけて
友人たちと徒党を組んで遊び回った。

ミンダナオの特に山の村に来ると、そんな
自分の少年時代を思い出す光景に
たくさん出会う。

 
 


園長・竹田のミンダナオ滞在記
~ミンダナオで見て・聞いて・感じた5日間~

  
 
昨年度、フィリピンのミンダナオにある「ミンダナオ子ども図書館」(以下MCL)の松居さんが
幼稚園に講演をしに訪れてくれました。
その際「いつでも来てください。」というお言葉をいただき、春休みの5日間を使って
園長・竹田でミンダナオへ行ってきました。
滞在は短い期間でしたが様々な経験をさせていただき、
たくさんのことを感じ、考えさせられる時間となりました。

 井上幼稚園が支援しているお友だち

アンジェリカちゃん

ミンダナオ子ども図書館のスタッフである兄弟と一緒に敷地内に居住。
8人兄弟。母子家庭。私たちが訪問することをとても楽しみにしていたが、
恥ずかしくて声をかけれなかったとのこと。話しかけると照れながら、受け答えしてくれました。
お兄さんはとてもハンサムな方で、お礼にと体をマッサージしてくださいました。
感謝を伝えること。自分で出来ることを心を込めて行うことだということを教えて下さいました。

アレア・カイちゃん

ミンダナオ図書館のあるキダパワン市内の貧困している町にお母さんと二人で住んでいます。
およそ2畳ほどの部屋を間借りして住んでいますが、
家主から3月いっぱいで退去してほしいと言われてしまいました。
しかし、小学校の先生が手を差し伸べてくれ、先生の家に住むことに。
お母さんが先生の家の洗濯を担うことで生活をしています。きれいな目の女の子。

困難にある中でも穏やかな表情をしていた、お母さんが印象的でした.


ミンダナオでの4泊5日の滞在記録です。
1日目        

 名古屋国際空港を飛び立ち4時間でフィリピンのマニラに到着。
マニラにてダバオ行の飛行機に乗り換えました。
警備員のお姉さんにものすごい形相で睨まれたり、パスポートを投げ返されたり、
飛行機の搭乗口の人が隠れてトウモロコシを食べていたりと、早速文化の違いを感じました。
(笑)そこからさらに2時間半飛行機に乗り、現地時刻18時過ぎにダバオへ到着。
 空港へ松居さんが迎えに来てくれました。
竹「MCLまでどのくらいなんですかね?」 園「1時間ぐらいでしょ」と松居さんが来るまで
話していた2人。車に乗り込みどれくらいかかるか聞くと園・竹「3時間!!?」
と驚いてしまいました。そこから車に揺られること3時間。
(信号がほとんどなく、また道路の状態もあまりよくない中、結構スピードを出すので
まるでジェットコースターのようでした。)
工事渋滞などもあり、MCLのあるキダパワンに着いたのは21時半でした。
そこで少し遅い夕食。道に並ぶ屋台で食べたのですが、
味付けが日本によく似ていてとってもおいしくいただきました。
(ウィンナーの炭火焼き、角煮みたいなもの、
鳥の内臓の煮込みみたいなのなど)
お腹もいっぱいになり、MCLに着くとすぐさま眠りにつく2人でした。

2日目(朝~昼)

シュ!シュ!という物音に気づき目を覚ましました。外に目をやるとやっと日が登ったくらい。
時間は5時半でした。何の音か確かめに行くと子どもたちがほうきやココナツの皮で
床や建物の周りを掃除する音でした。
また台所では朝食作りをしていたり、他にも草刈り、洗濯、トイレ掃除など
子どもたちが早くから家事に取り組んでいました。
しかし驚かされたのは、こうしたことをやらされているのではなく子どもたちが自主的に
進んで組んでいるということ。(しかもみんな楽しそう)
そしてこの日はゴムの樹を植樹しに行くということでトラックに500本積み込みました。
朝からヘトヘトです…。そして朝食を済ませ、植樹&里帰りに同行させていただきました。
(フィリピンは3月から6月までが夏休み)車でいろいろな村を周り子どもを送り届けます。
ピックアップワゴンに子どもも含め12人程乗っています。
もちろん道は舗装などされていない道がほとんどです。

5時間かけて子どもを送り届け、植樹をする村へ。
トラックから大量のゴムの樹を降ろして、山の頂上まで運びました。
多少体力に自信のあった園長・竹田ですが、二人ともばてている中、
「Are you OK?」と笑いながら登っていく子どもたちでした。
そして区切りがつくとその村で昼食。昼食後、松居さんは支援する子どもを選ぶため面談。
そして私たちは追いかけっこや地元の遊びで子どもと遊んで過ごしました。

2日目(昼~夜)

植樹をした村を後にしてひたすら山道を3時間。
再び車に揺られ、この日泊まらせていただくマノボ族の村に到着。
電気も水道もない村でトイレは男性の場合「そこらへんでして」という感じです。
この日は園長・竹田それぞれ別の一般のお宅にMCLの現地スタッフ(ジョジョさん、タタさん)と
泊めてもらうことに。英語があまり話せない私たちにも積極的に話しかけ、
明るく振舞ってくれる姿に心が温かくなりました。
晩御飯は魚の開き、魚のスープ、鶏肉の焼いたものを頂きました。
後で聞いたことなのですが、これだけのメニューはこの村ではかなりのごちそうで
一年に一回あるかないか、という程のおもてなしだったそうです。
そして夜はふけ、ココナツワインまでごちそうになり、なんとかの英語で話は盛り上がりました。
ミンダナオにはそこらじゅうに犬がいるのですが、扱いがネズミ程で、
家に入って来ようものならほうきで叩かれてしまいます。
それを見て、
竹「日本では犬は家の中で飼ってるんだよ」

ジョ「なかで!?ご飯はどうするの?自分のを分けてあげるのかい?」
竹「そうだよ、一緒に食べるんだよ。」
ジョ「外には出ないの?」
竹「首にひもをつけて外に出るんだよ、牛みたいに。」
ジョ「おぉ~(信じられないといった様子)」
また恋の話は万国共通で盛り上がるようで、
タ「フィリピンの女性は好き?」
竹「もちろん!とってもやさしいよね。」
タ「そうなんだよ!優しくて、笑顔がすてきで、一生懸命家族のために働いてくれる。ガールフレンドはこっちでつくりなよ」
ジョ「でも私は日本の女性が好きです」
竹「日本の女性も優しくて可愛らしいよ、でもすごく強い!(精神的な意味でと言いたかった…)」
ジョ「おぉ!カラテ!?日本人は女性も空手をするの?」
竹「(まぁいっか)もちろん!みんなやるよ!」
みんなで笑いながらそんな会話が続いていたが、ふと外に目をやると蛍が数匹光っていました。それを見て、
竹「すごくきれいだね。」
タ「日本にはいないの?」竹「いるけど探すのはすごく難しいよ。」
タ「なんで?」
竹「蛍はきれいな森や川でしか生きられないんだよ」
タ「日本にはきれいな自然はないの?」
と、とても驚かれました。この日は満月だったのですが、
月のない日には星と見間違える程の蛍が光るそうです。
他にも様々なことを話しましたが、言葉がいまいち理解できなかったことも多々ありました。
それは相手も同じことでしょう。それでも言葉はちゃんと通じなくとも
心がぐっと近づくことのできる時間となりました。
そしてこの日はスタッフとお家の家族と川の字になって就寝。
別々の家に泊まると聞いた時の不安が嘘かのように、
もっとこの時間が続いて欲しいという気持ちを胸にしまい寝袋に入りました。

3日目

朝、起きて家の外に出てボ~と景色を見てると、タタさんがコーヒーを持ってきてくれました。
竹「見渡す限りきれいな緑と山ですごく美しい景色だ。」と言うと、
タ「私たちはいつもこんな景色を見ているが何度見てもやっぱり美しいと思う。」
と話してくれました。
たくさんの関わりの中で、ミンダナオの人たちは普段身近に存在しているものに対しても、
あることが当たり前と思わず、感謝の気持ち、尊重する気持ちをしっかりと
心の中に宿していることを感じました。
こうした気持ちの欠如は現代社会における人間の問題点の一つですはないでしょうか。
物の豊かさが必ずしも幸せに直結しないことを痛感した瞬間でした。
そしてお昼からは村の子どもたちに絵本の読み聞かせをしました。
園長・竹田も一冊ずつ読ませてもらいました。

そして、昼過ぎに村を出てMCLへ。
「MCLへ直行なので3時間ぐらいでつきます」という説明に
3時間か~近いな。」とここ2~3日で完璧に時間の感覚がずれてます。
そしてMCLへ着くと夜には子ども達が歓迎&送迎会を開いてくれました!!



4日目

この日はお昼までMCLの中で子どもたちと過ごしました。
MCLにはゴムの樹、ココナツ・バナナの木、名もわからない草や木が生い茂る
緑豊かな敷地があり、その中を子どもたちが説明しながら歩き、草花を使ってあそびました。
またお昼からは支援しているアレア・カイちゃんの村を訪れたり、
市場にも連れて行ってもらいました。
アレア・カイちゃんの住む村も貧しい人が大勢暮らし、
4帖ほどのうす暗い部屋に一家全員が住んでいる家があるかと思うと、
すぐ隣には2階建て、庭付きの豪邸で昼から外でカラオケをする家もあり、
格差の大きさを一目で把握することができました。
市場では、いろいろな現地のフルーツを食べさせてもらったり、
「ハロハロ」もごちそうになりました。
「日本にもハロハロがあるの!?」と前夜話をしたところでした。
そして夕方には、空港のあるダバオへ向かうため、MCLをあとにしました。
別れ際に子どもたちが「また来ることを願っているよ」と声をかけてくれました。
必ずまた来たい!と思える出会いと経験の数々でした

ダバオまでの車の中で松居さんは「ミンダナオに来れば世界が見えてくる」と
話してくださいました。
実際に様々な村を回ったり話を聞く中で、資本主義による一方的な産業、
宗教問題、格差問題、森林伐採、教育格差、政治など世界各地で起きている、
様々な問題をミンダナオも抱えられていることを感じることができました。
しかしそうした現状の中でも、人々は常に前を向き、笑顔を絶やさず、
家族のために働いて生活をしている姿が見られました。
豊か=幸せという価値観を本質から考えなおさせられるような経験の数々でした。


5日目 

7時にダバオ空港に着き夜7時に名古屋空港に着く移動の1日でした。
園「戻ってからの生活が物足りなく感じるかもね」という程、私たちにとって刺激的な、
そして考えさせられる経験となりました。


 「Do you hava Dream?」歓迎会を開いてくれた時に、子どもたちに対して訪ねた質問です。
その返事は迷うこと無く全員が「YES!!!!」。
目を輝かせ、絶対的な将来への希望がその一言に溢れていました。
またゴムの木の植樹の際、現地に向かうピックアップの荷台の上で隣にいた女の子が
歌っていた歌の歌詞♪I hava a  Dream. Ibelive me.♪希望を持つことの意味を
このミンダナオで教えられました.
ミンダナオ子ども図書館の支援は就学、医療、農業、貧困など
様々な支援を展開していおられます。
様々な宗教をバックボーンに持つ子どもたちですが、それぞれに絶対的な存在に支えられて
いることに加えて、家族の一員として金銭的、物質的なミンダナオ子ども図書館の
支援を得ることは困難な家庭の状況の中にあっても、
夢や希望を具体的な目標として歩む大きな力となっています。
「わたしはせんせいになりたい!」[わたしはかんごしになりたい!」
全員の夢を聞くことは出来ませんでしたが、子どもたちの持つ希望や夢を、
自分のことがごとく願わざるをえません。
「Yes!!」という全員の声が今でも頭の中で鮮明に響いています。
「教育は無限大に可能性を広げるもの」改めてその事を実感したミンダナオ訪問でした。


遊び

子どもたちと色々な遊びを楽しみました。自然の中でかけまわり、
鬼ごっこなどゲームの要素がある集団遊びをし、山の子どもたちとは、
木の実を採ったり家畜の鶏を追いかけ回したり、、、、。
遊びながらふと思い出したのが、幼稚園の子どもたちと遊ぶ中で時々聞かれる言葉、
「どうやって遊ぶの?」でした。
本来子どもは遊ぶことにバリアフリーで無くてはならない存在だと思います。
しかし、日本の子どもたちが過ごす環境は「遊び方」なる押しつけが
往々にして子どもたちの自由な発想を阻害しているように感じます。
言い換えれば「情報」が多すぎるのだと思います。
目で見たことを、耳で聞いたことを、鼻で臭ったことを、
手で触ったことをダイレクトに遊びに展開することが出来るミンダナオの子どもたち。
子どもが本来持つ潜在的な力を、否が応でも発揮できる環境がうらやましく感じました。
その反面、ミンダナオの子どもたちにとって遊びを広げ、
視野を広げる為の道具や遊具の不足はとても深刻です。
教育を受けることが出来ない貧困の中にある子どもたちにとって、
そしてその親にとって遊びを豊かに展開することの大切さを、
ひとつの価値として持つことができたらいいなあと感じています。
松居さんが絵本やストーリテリングを支援の一番の柱とする意味が少しわかった


最後に

ミンダナオ子ども図書館への訪問は、井上幼稚園の子どもたちの今、
そしてこれからの将来を客観的に感じることが出来た経験となりました.
豊かさとは何か?日本が抱えている様々な問題の原因となるものは、よくよく考えると
その「豊かさ」が原因となっていることも少なくありません。
環境問題、原発問題、子どもたちの教育の問題、健康の問題など。
様々な情報が氾濫し、便利で物質的にも豊かと感じている環境に疑問を持ち、
少なくとも子ども時代は、目で、耳で、口で、鼻で、手でそして心で感じることを
生活の基盤としていくことが大切であると、ミンダナオの子どもたちとの触れ合いから
改めて感じることが出来ました。
そして豊かさの方向性を変える教育を幼稚園から展開することが
自分自身の大きな役割だと感じています。
ミンダナオ子どもと図書館の働きが隅々にまで展開されることを祈っています。
何年か後、また訪問します。絶対

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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