ミンダナオ子ども図書館だより:1月1日

1,あけましておめでとうございます
2,夜の観覧車
3,年末の大ペンキ塗り
4,ブアラン村で今年最後の読み語り
5,村長選挙の腹いせで、小学校に火がつけられ
  子どもたちが学校に通えなくなってしまい、泣いた!
  彼らにとって、日本のJICAの支援だけが今は頼りだ!
6,読み語りに大勢の子どもたちが集まった
7,特に、ストリートチルドレンのために・・
8,クリスマスは海辺でキャンプ
9,12月の総会はスカラーズデー!
10,今年の成績優秀者とがんばった子たちを表彰!b
11,京都暁星高校の招待で奨学生が日本へ



2011年開けまして
おめでとうございます
ミンダナオ子ども図書館


夜の観覧車
30日夜

大晦日の前の夜は、キダパワン市の市庁広場に出かける。
広場には舞台が出来、ロックの演奏と隣に遊園地が出来る。
夜の観覧車は、子どもたちのあこがれだ。

家庭に事情がある子が、毎年クリスマスと正月をミンダナオ子ども図書館で過ごす。
それだけに、寂しさを感じる時・・・
そんな彼らのためにも、この時期の計画は大事な意味を持っている。



お化け体験の車にも・・・

観覧車に乗ったことも見たことも無い子たち


本当にあれに乗るの?
ゴクン

こちらの観覧車は、猛烈な勢いでグルグルまわる。
「本当に大丈夫だろうか???」
しばし、心配と恐怖にかられながらも、あこがれの観覧車へ。



意を決していざ観覧車へ

初めて乗るだけに
その感動もひときわだ
高校生とは思えない表情


無事に生還した。まるで月にまで行ってきたような興奮状態。

仮設の遊園地だから、そんなに大きなものではない。
観覧車とお化け車に乗ったら、後は特に乗り物はないから
みんなでおやつを食べることにした。
どれでも10円、でもこの子たちにとってはあこがれ。
なぜなら、彼等の多くは、このクリスマスや正月の時期に
町に出てきては、物乞いをして歩いていた子たちだから。


去年のお正月に物乞いをしていたスイートスイート(左写真ピンクの服)も元気です。
たっての願いがかなって、来年からMCLに住むことになりました。



年末の大ペンキ塗り
30日

 年末の大掃除は、こちらでも恒例だけれども、今年は母屋の壁の傷みが進んでいるので
MCLに残っている子たち全員で、部屋と壁のペンキの塗り替えをした。
専門職では無いけれども、皆おのおのがんばって、一日がかりで2階の壁をぬりあげた。


彼等の家は、竹で編んだような、なけなしの小屋なのだけれども
それぞれ、大事に修理しながら住んでいるし、
家を建てること、屋根を葺くことも手伝っているから
こうしたペンキ塗りも、見よう見まねですぐに覚えて実行する。
その実行力には、いつも驚く。



女の子たちも積極的にペンキ塗り

保育所に納めたり、家の机も、今は全て自分たちで作り上げる。
外注すると高いので、経費を削減することも理由だが
こうした経験を経て、技術を身につけていくことも大切な教育課程だと思っている。



小学生のアルアル君


コンクリートの部分は黄色に

小学校の女の子たちも、積極的に仕事を進める。
いろいろな家庭の事情で、帰郷できない、したくない子たちとは思えないほど生きることに積極的だ。


車いすのアリエル君やベンジー君も手伝って完成させていく。
二人とも筋ジストロフィーだけれども、やれることはがんばって、はっても実行する。


床もニスを塗り完成した塗装。夜の闇の中で輝いている。いよいよ明日は元旦だ。


ブアラン村で
今年最後の読み語り

29日

村長選挙の腹いせで、小学校に火がつけられ
子どもたちが学校に通えなくなってしまい、泣いた!
彼らにとって、日本のJICAの支援だけが今は頼りだ!

読み語りに大勢が集まった。
本当に、不幸や困難を繰り返し
くぐってきた小さな集落。

向こうに焼けた小学校が見える。
今回、ピキットで、三つの小学校が
焼かれた。

全てはフィリピン政府系の建物で
マカブアルの日本政府JICAが建設
MCLがお手伝いした学校は、大丈夫。

話によると
BDAで建設した建物は
決して焼かれることはないとのこと

地域の村長選を巡っての
小競り合い、リドーで
今は、きわめて平和だ。

新たに選出された村長さんと、小学校の校長先生。
誠実で村の人々からの信頼も厚く、本当に村を良くし平和を作りたいという願いを感じる
下は、古く、2000年の戦闘で崩れたままの校舎。
ごらんのように四隅の鉄の柱は腐り、いつ倒れてもおかしくない危険な建物。
ここでは、授業を続けられない。


読み語りに
大勢の子どもたちが集まった

学校が焼けて、大勢の子たちが泣いた。
授業が停滞している。
それにしても、こんなに大勢の子どもたちが集まるとは思ってもいなかった。
親たちも、おかゆの炊き出しをして、村の人々や子どもたちの
JICAによる、学校建設への期待を強く感じた。


難民救済の時から、深くつながっている子たちも多い。
その中の5名ほどは、来年から高校生になる。
すでに4年越しのつきあいで、多くの奨学生がここからMCLに参加している。
私にとっても思い出の多い地域の子どもたちだ。


この上のクリスチャン集落であるニューバレンシアにも保育所を建てたことは報告した。
先日は、市長に会い、クリスチャン集落とイスラム集落をつなぐ道を再開建設する確約をとったばかりだ。
MCLの主導による、平和構築の試みは続く。
私たちは、決してあきらめない。


母親たちもがんばって、おかゆを支給
MCLは、パンとジュースを配った
村の女性たちも応援に出た。
本当に貧しい村だけれども、こうしておかゆを作って子どもたちに配る。
それだけ、学校が焼けてしまった悲しみと、それをたちなおらせる期待
平和への願いが大きく感じられる。



ジュースも滅多に飲めないので大喜び。
ジュースの袋を大事に集めて
縫い合わせて、家の飾りにするために
子どもたちは、持ち帰っていった。



もちろん、普通だったら捨てるはずの
プラステックのコップも・・・

彼等にとって特別な日だけに、最上の服を着て集まってきているけれども、
皆さんが、現地を訪れたら、あまりにもへんぴな、集落にもなっていない貧しい地域に驚くだろう。
もちろん、普段は子どもたちは、裸足で、裸に近い生活をしている。
しかも、ここの小学校は、1988年に創設されて、今年2010年に初めて6名の卒業生を出した。
なんと、12年間の半分は、戦闘による避難民状態だったのだ。


最後に古着の支援

古着の支援を終えた後、建物の背後で恥ずかしそうに、
5人の子どもたちが私を呼んで
心から奨学金のお礼を言った。
まだ小学生の子たちで、その中の3名は、
来年、高校になるという。見慣れた顔の子たち、
そのなかに、難民救済でしばしば会った、アイサちゃんの顔もあった。

右の赤い服の子で、ユーチューブに掲載したビデオにしばしば出てくる子。
小さいと思っていたけど、来年高校になるのだ。それが、感慨深かった。
見かけは小学校3年生ほど、ここの子たちは
栄養失調が重なって、とても小柄だ。
お父さんもお母さんも死んでいない。

映像へGO!  ミンダナオ子ども図書館の活動をYou Tubeで見ることが出来ます。



町に集まってきた子どもたち
特に、
ストリートチルドレンのために・・

28日


去年からミンダナオ子ども図書館が始めた、ストリートチルドレンたちのための年末読み語りが
すっかりキダパワン市の事業になった。良いのか悪いのかわからないが・・・
クリスマスからお正月の時期になると、山の先住民族や町の貧民街の子たちが
夜遅くまで町に繰り出して、簡単なクリスマスの歌を唱いながら物乞いをする。
それらの子たちのために始めた読み語り。
キダパワン市の市庁舎広場で、歌と踊りと遊びと読み語りと、簡単な炊き出しを行っている。


今年は、赤十字、DSWD(福祉局)、教会の青年団体、
そしてフィリピンのケンタッキーといわれるジョリビーが参加。
子どもたちも、300名ほど集まってきた。

こうなると、他の団体職員だけではお手上げで、
ミンダナオ子ども図書館の若者たちとスタッフが彼等の頼りだった。
MCLの若者たちは、積極的に子どもたちと遊ぶ技を心得ている。
ふだん、MCLの庭で、大勢で遊んでいるから???


市庁舎まえの広場が、子どもたちの歓声で埋まった。

読み語りも、いつも好評だ。読み語りを通して、本に関心を持ち、勉強をする子が増えてくる
優等生を育てるための読み語りでは無いのだけれども・・・結果的に

去年は、この中から出会いがあり、3名が奨学生となった。
MCLは、町の貧民街からも、子どもたちを奨学生としてすでに多数採用しているから
来た子の中には、MCLの事を良く知っている子たちもいる。
自分も奨学生になって、MCLに住みたいという子も多いのだが
まだ支援者が見つかっていない子が多いので、来年度の採用は難しいかもしれない。
皆さん、支援者になっていただけませんか。
スカラシップ・里親紹介


クリスマスは海辺で
キャンプ

22日、23日、24日、25日、26日

最初の二日は、ハウスオブジョイの浜辺へ

ミンダナオ子ども図書館は、北コタバト州にあり、3000メートル弱のフィリピン最高峰
アポ山の山麓、高原地帯にある。
ミンダナオのフルーツバスケットと言われているほど、ドリアンなどの熱帯果樹が豊富で
高原ゆえにさわやかな風がながれ、クーラーどころか扇風機もいらないほど居心地が良い。

MCLの子たちは、こうした山岳地域や内陸のマノボ族やイスラム教徒が多いので
海を見たことも無い。
車で小一時間、走れば海なのだけれども、現金がないから、自分の集落からすら出たことがない。
海は、彼等のあこがれなのだ。



ハウスオブジョイは、私の著書『サンパギータの白い花』(女子パウロ会)でも描いたが
私のミンダナオ滞在の出発点となった孤児施設。
烏山さんとアイダさんご夫妻が運営されている。
プライベートビーチを持っておられて、安全度も北コタバト州よりも低く
接客も行き届いているので、のんびりと日本の方々が滞在し、孤児たちと遊ぶには良い施設。


初めて海で泳ぐ子もいて、興奮気味だ。
テントをはり、屋根だけの家で寝ても、
普段から山でキャンプに近い生活をしてきている子たちだから
料理もすべて問題は無い。
私たち日本人は、とてもかなわないほどしっかりしている。

MCLの中にも、数人、ハウスオブジョイを出て、
MCLに来て大学や高校に通っている子たちがいる。
下の真ん中のマリアフェもその一人だが、弟のジェフリーに久しぶりに会って大喜び。
ハウスオブジョイでは、成績が悪かったのだが、
今は立派に高校に通い、来年は大学生だ。
 
アイダさん マリアフェとジェフリー 烏山さん
子どもたちが作ってくれた、MATSUI FAMILYと刻まれている
隣には、PAPA TOMOと書かれたものが・・・

ハウスオブジョイでの読み語り

ミンダナオ子ども図書館は、100名ほどが集団生活をしているが、ハウスオブジョイのような孤児施設ではない。
もちろんMCLには、ソーシャルワーカーも3名滞在していて(そのうち二人は卒業生で住み込み)、
ハウスキーパーもちゃんと常駐し、幼い子どもたちも預かれる規定の体制は、備えている。

しかし、子どもたちは、自分たちの意志で、住みたいかどうかを決定する。
それゆえに、MCLを出て、自分や親戚の家や故里にもどって、遠くてもそちらの学校に通いたい子たちは
いつでも、そちらに移れるようになっている。

また、施設ではないので、活動の中心は、子どもたちを預かることではなく
子どもたちが積極的にボランティア活動である、読み語りや時には避難民救済のために
外に向けて活動していく形態を持っている。

子どもたちも、孤児施設の場合は17歳までと決まっているが
スカラシップの学生たちが、自分たちの意志で滞在しているので
保育園から、小学校、高校、大学生まで、年齢も広く滞在し、お互いの勉強などを手伝っている。
ハウスオブジョイとは、かなり異なった形態を持っている。だから雰囲気もかなり違う?
こうした施設は、いろいろと個性があり、異なった役割を担いながら、その特徴を生かしつつ共存し
協力し合っていくのが良い形だと思う。


マティの浜辺でクリスマス

マティは、再婚した妻のエープリルリンの生まれ故郷。
この浜の上の尾根に家があった。

家と言っても小さな竹の小屋で、トイレもなく、
小さい頃からヘアリップ(兎唇)で、母親から嫌われていたようだ。

小学校のころに母親が家出、以来帰らず、
本人は今も母親を慕い泣くことがある。

家族は崩壊し父親は育児放棄、その後、転々と山の親戚を移動し、
水くみなどをして学校に行かせてもらった。


ハウスオブジョイのアイダさんのお姉さん(当時市長)
に拾われて、兎口を手術。
手術前に、私と会った。
当時17歳、まさか結婚するとは思ってもいなかったが、

前歯が二本前に飛び出した裂けた口で微笑んだとき、
目の澄んだしっかりした子だと思った。

まったく、いわゆるところの美人でもないし、
ひどいぜんそく持ちで、

「私と会わなかったら20代で、叔母と同様に
ぜんそくで死んでいた?薬が買えるはずもないから・・・」

しっかりとした子で、MCLの基礎を作ったのは彼女がいたから。
そのせいで高校半ばでストップしていたが、来年高校を卒業
25歳で大学に進む。
高校の若い先生方やシスターから、逆に相談を受けることが多い。
今は、藍花(エンジェル)と舞花(アンジェラ)
二人の女の子の母。



一人一人の子たちの背景と、生まれた家、
家庭の状況もみな把握している。
調査やフォローに、いつも行くから。
小学校から大学まで、470名の奨学生たち。
その中の特に事情のある子たち100名ほどが
MCLに住んでいる。

クリスマスやお正月になっても帰らない(帰れない)子たちは、
約45名で半数近くにのぼる。
家庭崩壊、離婚、死別、貧困、いろいろな事情で
帰郷できない子どもや若者たち。
この子たちを見てると、とても愛おしい。
前妻と突然去っていった
自分の娘たちを想い起こすのだろうか・・・

家庭崩壊で育ったタタ君。
MCLの奨学生だったが
今は、スタッフで結婚して二児がいる
二人とも父親がいない
ラブリンの母親は、呆けたままだ

一人一人の生い立ちを明かすと、信じられないほどなのだが、
jこれまた、信じられないほど、心が澄んでいて明るい。まるで、ミンダナオの海のようだ。


私は、この子たちを置き去りにして、旅立つことはないだろう。

浜での食事


父親の顔を知らず母親に認知されず、
福祉局からMCLの奨学生になったアイサ
HRM(ホテルレストランマネージメント)のコースを終えて
街の食堂で働いた後に
来年からMCLにスタッフに・・・

下は、ミンダナオの定番料理、ギナモス、ブラッド、サギングつまり塩辛、干物、蒸しバナナだ。
ギナモス(塩辛) ブラッド(干物) 蒸しバナナ

マノボ族の子、クリスチャン(ビサヤ系)、イスラム教徒(マギンダナオ族)
互いの言語や種族や宗教が違うのに、まるで家族のようだ。



12月の総会は
スカラーズデー!

19日



日本に招かれた、3名の奨学生の報告から始まった

毎月、月末に行っている総会。高校生、大学生が集まる。
その中で、1月がムスリムデー、3月が平和の祈り、4月がシンポジウム、
7月がマノボデー、9月がビサヤデー、そして12月が奨学生の日

12月は、クリスマスなのだが、イスラム教徒もいるので
奨学生みんなで祝う日として、スカラーズデーとみんなで決めた。
とにかく一年の終わり、みんなで楽しもうと言う日だ。


今回はまず、日本を訪問した三人の子たちに登場願った。
下のサイトでも紹介したが、京都暁星高校の招きで日本に10日間滞在した三人。
今回の総会で、日本での体験を語った。

初めて乗る飛行機が、どんなに恐かったか。
日本の人々は、決して裕福ではないのに、一生懸命私たちを支援して下さっていること。
向こうの学生たちの様子、家庭の様子。

時には、水の飛び出すトイレの話。温泉で素っ裸にならなければならないこと等
会場の笑いをさそいつつ、日本の体験を語ってくれた。
何よりも、日本の人々の親切が心にしみたようだ。



マノボ族のグレン


イスラム教徒のモハジール


マノボ族のマリテス

学校別のアトラクション

その後は、学校別にアトラクションを披露した。歌あり、劇あり、その多様で上手なこと。
彼等の表現力の豊かさは、いったいどこから来るのだろう。


とりわけドラマは感動的だ。
金持ちで傲慢な雇い主に、とことん虐められる家政婦。

貧富の差の中で、自分たちも身近に体験するような事柄が
表現力豊かに、ドラマティックに演じられるものだから
見ている方も、涙ぐんで鑑賞している。


日本から見ると、まだ小学生と中学生なのに、なんと驚くべき表現力を身につけている事か


今年の成績優秀者とがんばった子たちを表彰!

平均成績が85%以上の好成績の子たち、学校からオナーとして表彰を受けた子たち


表彰の対象となった子たちは、全体で39名に昇った

表彰の対象となった子たちは、全体で39名に昇ったが
高校と大学生(フィリピンに中学はない)たち、230名ほどで39名が受賞というのは
成績優秀の子ではなく、孤児、片親、問題家庭、極貧といった
学校へ通うものも困難な子たちの集合体としては、高いパーセント?


最後に古着を配る
クリスマスプレゼントに
自宅の両親や兄弟たちに
12月の総会で、クリスマスもかねて
毎年、古着を配る。
家にいる両親、曾祖父、
そして、平均7名という兄弟姉妹のために
古着、靴、バッグなど
一人10品に限り持ち帰れる。

皆それはそれは、大喜びだ!


京都暁星高校の招待で
奨学生が日本へ


京都暁星高校は、長年にわたってMCLの奨学生を支援し続けて下さっている
保育所建設や下宿小屋も、生徒の協力を得てすすめている。
今回は、支援して下さっている3名の奨学生が、招かれて交流した。


初日は、歓迎と紹介を兼ねて、私が現地の映像を見せながら講演をした
その後、彼等が、マノボ族の踊りと、イスラムの踊りを紹介。
最後は、日本の若者たちを交えて、一緒に踊った。




京都暁星高校は、
独自の課外授業を実施している。
その一つが、堤防での釣りだ。
宮津の漁港にめんしているだけに、
好釣り場。

イスラムのモハジール君にとっては、
飛行機に乗るのも
海を見るのも初めてだが、
ピキットの大湿原で、
漁もしているのでお手の物。

戦闘地のピキットから来て、父親を失っているモハジール君。大学生だ。
「こう言う交流は、本当に素晴らしいと思う。
友さんが、どんなに日本で大変で、
一生懸命支援者を探しているかもわかったし、
将来は、友さんのような仕事がしたい。
平和を作るためにも、重要だと思う。」


日本の文化を学ぶ時間も


日常は、他の学生さんたちと一緒に授業に参加もした。


平日は学校が終わると、生徒の家庭でホームステー
日本の家が、ミンダナオの裕福な家のように大きくはなく
質素な生活をしながらも、支援をして下さっている様子に感動!


このような体験こそが、戦闘のトラウマを超えて、平和を作る若者を生み出す
京都暁星高校の皆さん、ありがとう!




ミンダナオ子ども図書館だより:12月16日(木)

1,若い世代からの便り
2,ラナコランの下宿小屋が完成
3,下宿小屋を文庫として地域の子どもたちに解放!
4,保育所候補地を調査
5,立正佼成会の皆さん夢ポッケを、ありがとう!
6,北九州ライオンズクラブの役員が訪問
7,山羊を寄贈
8,フレンド幼稚園の園長先生寄贈の水田を慰霊訪問

9,オブレード会(OMI)の乾盛夫神父ピキットへ



若い世代からの便り

今回、日本に滞在して、最も強く感じたことは、日本の若者達の心の状況だった。
それと、世界に、特に日本も含むアジアに迫っている、戦争を起こそうとする見えざる外からの足音だ・・・
このことに関しては、ミンダナオ子ども図書館:日記で書いた。
ミンダナオ子ども図書館:日記

ミンダナオのコタバトで、先日、IMT(国際停戦監視団)の菊地さん、落合さん達と、福祉局のグレイスさん、
プレシデントのアスレーさん、バイスのマージーさん、妻のエープリルリンと話したときにグレイスさん曰く、
「この非常に複雑な戦闘を作る状況を解決でするために必要なのは
次の世代に期待をかけるしかないのだと思う。その点で、ミンダナオ子ども図書館が行っている事は
(次の世代を育てて行くと言う点で)画期的な試みだと思う。」

ここ8年あまり、現地の若者達と関わってきて、ぼくが今、非常に重要に思うことは
現地の若者だけではなく、日本を始め、先進国の若者達を育てなければいけないという事だ。
そのためには、彼らがミンダナオ子ども図書館に来て、こちらの若者達と交友を深める体験の機会を作る必要がある。


大澤君は、今年、上智の大学院、修士課程を卒業する。
現代っ子だが、真剣に発展途上国の貧困問題を考えている。
将来は、国連で仕事をしたいそうだが、こうした若者たちが日本にも着実に増えてきていると感じる。
閉塞的な日本に見切りを付けて、世界の、とりわけ先進国文化から「取り残されている」と言われている地域に
真実の可能性を発見しつつある若者達・・・
彼の文章を、ときどき連載しながら、今後も若い世代からの意見をサイトで公にしていきたいと思う。

MCLとの出会い

 20105月、大学院で発展途上国の貧困問題について勉強していた僕は、
学部生時代の恩師である先生のゼミで後輩の指導にあたっていた。
そんな時、ミンダナオ子ども図書館というフィリピンで子供たちの
就学支援や医療支援等を行っている
NGOの代表である松居さんが
そのゼミで講演会を開いてくださることになった。
将来は国際協力ができる場で働きたいと考えていた僕は
松居さんとの出会いに胸が躍った。
MCLのホームページをチェックし、松居さんの著書を読んで
自分の研究と照らし合わせて、いくつもテクニカルな質問を考えて
講演会に臨んだことを今でも覚えている。

 しかし、結果的にその質問をすることはなかった。
それは、松居さんの子供たちの話をする時の幸せそうな顔や、
綺麗ごとではすまないミンダナオでの戦闘の様子を見て、
自分が学んできた机上の研究をどこかちっぽけに感じたからである。
以前から様々な発展途上国といわれる国に足を運んで、
色んな状況を見てきたつもりでいた。
だが、松居さんの講演を聞き自分のやっていることに物足りなさを感じ、
講演会後、松居さんを追いかけとっさに出た言葉が
MCLで勉強させてください。」というものだった。

20109月、僕はMCLに向かった。
不安がなかったかというと嘘になるが、
そんなものは初日から子供たちの笑顔が吹き飛ばしてくれた。
MCLに着いて最初に感じたことは、子供たちのエネルギーの凄さである。
これに関してはまた回を改めて詳しく書きたいのだが、
とにかく子供たちのそのエネルギーには圧倒された。
それは、塾講師のアルバイトを通して
MCLのスカラー達と同世代の
日本人の子供たちと接する機会が多い僕にとって、
日本人の子供たちからは感じることができないものだった。
MCLの子どもたちが持つ底抜けな明るさや優しさは、
夜眠りにつくときになって
「そういえばあの子たちは色々な境遇にある子たちだったな。」
とやっと思いだすほどに純粋なものだった。

滞在中、子どもたちに勉強を教えたりもしたが、
僕の方が多くの事を教えてもらった気がする。
印象的だったのは、彼らの手紙や会話の中に
僕の家族を気遣う内容が多く含まれていたことである。
たいていの日本人は(少なくとも僕は)誰かに手紙を書くときに
その人の親を気遣う文面を書いたことがないだろう。
しかし、彼らは僕の家族までも気遣ってくれた。
とても心が温まる思いだった。今では僕も友人に手紙を出す際には、
友人の家族を気遣う文面を加えるようにしている。

一般的に、MCLのような団体や発展途上国を想像する時、
僕たち日本人は、そこに暮らす人々を「希望がない可哀そうな人々」
と考える節がある。しかしそれは違うのだということを

MCL
の人たちが体現してくれている。MCLは支援者だけでなく、
不登校になってしまった生徒や精神的に疲れてしまった人の
日本からの訪問を歓迎している。これはそのような人々が訪問することで、
MCLの人々のエネルギーに触れ、何かを感じ取ってほしいという
松居さんの心遣いであるように思う。近年、日本では「心の貧しさ」が
社会問題となっている。そういった点から考えると、
僕たち日本人とフィリピン人、どちらが豊かなのかはわからない。

MCLと出会って、日本人にあってフィリピン人にないもの、
フィリピン人にあって日本人にないものを少なからず見つけることができた。
多くの日本人は発展途上国の人々に対して何かを「してあげている」
という意識がある。しかし、述したように彼らから学ぶことも多い。
したがって上からの「援助」でなく、手と手を取り合う「協力」
をしていくという意識こそが互いが発展していくために必要であると思う。

帰国する際、MCLの子供たちが「私たちは友達だよね。」と尋ねてきた。
その際は、「そうだよ。」としか答えられなかったが、
今この場を借りて僕も彼らに言いたい。
「僕たちは既に友達ではなく家族だよ。」と。


お別れ会の日、大澤君の顔がこわばっているなと思っていたら、突然、堰を切ったように号泣したのには驚いた。
別れの時に、泣き出す若者達は多いのだが(若者達だけではなく、中高年も・・・)
その泣き方が、あまりにも激しかっただけに、周囲の涙も誘った。
「涙が出るとは思わなかった、小学校以来です・・・」
一人で来ただけに、さらに深く、若者達との友情の輪が深まったのだろう。



ラナコランの
下宿小屋が完成

初めての下宿小屋の試みが、成功した。
保育所の二件分で建てたが、多少予算が足りなかったが、その重要性が確認できた。
下宿小屋は、遠くて学校まで通えない子どもたちが、そこに住み込み
近くにある、小学校や高校に通えるようにする試みだ。

このラナコランの下宿小屋には、女の子30名、男の子10名が、ハウスキーパーと共に住める。
ここに住むのは、ケロハス村(片道10キロ)、キアタウ村(片道7キロ)、そして今回調査したカンポゴン村
下記に写真を掲載している、村の子達と、それ以外にもはるかに遠い地域の子達だ。

住むことが出来るのは、MCLの奨学生だけではなく、他の子達にも解放している。
それと同時に、ここを小さな文庫にして、およそ絵本や本、辞書も見たことも無い地域の子達が
学習や読書が出来る場とする事にした。

この試みは、大成功で、さらに今後の展開が楽しみ・・・
他にも、こうした文庫けん下宿小屋を必要としている地域は多く、
マネージメントの仕方を含めて、今後の大きなプロジェクトとしての可能性を秘めている事が明らかになった。



河野優子さんと京都暁星高校が、支援して下さった。
男の子の家
(10名)
台所 女の子とハウスキーパーの家
(30名)
遠くにトイレも見える

開所式には、村人たちが集まった。
部屋は、女の子の家が三部屋(30名)、男の子の家が一部屋(10名)で
全体を寝るスペースとしている。
勉強や読書、交流や食事は、オープンスペースで・・・


ここに到達するには、4WDで3時間はかかる、大変な山の中だが、それだけに素朴な人々たち。マノボ族が多い

下宿小屋を文庫として
地域の子どもたちに解放!

地元の村々の親の協力を得て運営するが、一日に3食たべられない極貧家庭も多く
ハウスキーパーは、奨学生のお母さん(夫がいない)。MCLで毎月1000ペソ(2千円)を給付する。
子どもたちの食事は、米は月に50キロを限度に、MCLが面倒を見る。副食の野菜は、村人たち。

高校生も数名共に下宿をするが、高校生達は、年下の小学生の面倒を見たり、家庭教師の役割を持つ。
文庫としては、地域の全ての子どもたちに解放する
ほぼ、月に一回の割合で、MCLでは、当地の子どもたちに学用品などを支給しているので
その都度、運営に支障が無いかをチェックする。


今回は、スタッフで奨学生担当のマリベールとソーシャルワーカーのマルチェジンが
子どもたちに、文庫の使い方や、勉強の仕方、守るべき最低の規則などを語った
二人とも、ミンダナオ子ども図書館(MCL)の卒業生だ。

普段は、ボロボロの家に住んでいるが故に
質素な建築であるにもかかわらず
このような、新しい、
ステキな家に住めることに
子どもたちは大喜びだ。

この地域は、ことのほか学力が低く
その向上にも役立つだろう。



保育所候補地を調査

ミンダナオに戻って、休む暇もなく、保育所建設候補地の調査を始めた。
12月中に、建設を開始するのは以下の地域。年開けて、さらに5カ所の建設予定が決まっている。

カパタガン・ソロプチミスト 原田万紗子 /ムナリ・錺 栄美子/カンポゴン・(財)北野生涯教育振興会

今回は、その中で、カンポゴンの保育所候補地を調査決定した。
ここは、上述した、ラナコランの下宿小屋からさらにジャングルを小一時間入る村だ。



この先に本当に集落があるのだろうか

行く先をジャングルが覆う。小さな踏み跡道をたよりに集落を目指す。
道は時々、枯れ沢状になっている。雨が降れば濁流となり、家にたどり着くのも困難だろう。
こんなところを、毎日4時や5時に起きて、子どもたちが学校に通っているのだ。

今までは、こうした困難な地域の子たちを優先して、MCLに住まわせてきたが、
現在、100名近くなり、もう満杯状態だ。苦肉の策が、下宿小屋だが
下宿小屋の重要さが良く理解できる。


谷を越え、尾根をたどり、ようやく山上に近い集落に着いた。
比較的大きな家が一軒、首領の家だ。そこに人々が集まっている。
それ以外の家は、ようやく建っているような貧しい集落。
子どもたちは、お客様が来るというので、最良の服を着て集まってきていた。
普段は、裸足で裸同然の生活。

子どもたちも多いが、今の時期、多くの親が子どもたちを連れて、
遙か彼方のダバオの町へ行っているという。
クリスマスを控えて、集団で、物乞いに出かけているのだ。
ダバオの町の物乞いは、子どもたちが中心で、風物詩にもなっているが
そのほとんどは、山から下りてくる先住民だと聞いていた。
道ばたで寝起きしながら、子どもたちは、車から投げてもらう小銭を期待して
何時間も道脇にたっている。

なんと、こんなに遠い地域から来ていたのだ。
ダバオまで、数日かけて歩くのだろう。

この方が、保育所の先生になる
この集落で一人
弟や妹を学校に行かせるために
高校を停止して
父親の農業を手伝っている
若者に出会った
学校に行きたくて
MCLに期待してやってきたのだ

日曜日は、この村の
牧師の仕事も引き受けている
成績も良いし
心根も良い
将来は、大学を出て
マノボ族を守るために
弁護士になりたいという

「親が、土地を取られた苦い経験から
先住民族を守る弁護士になりたい・・・」

今後、同村と深い関係を持つためにも

コンタクトパーソンとして
スカラシップ候補とすることにした。

どなたか支援者に
なってくれませんか?
奨学生候補の若者




立正佼成会の皆さん
夢ポッケを、ありがとう!

今年の8月に、立正佼成会の子どもたちと母親が、平和の祈りに参加するために
ラナコランを訪れた様子をサイトに載せた。サイトへ
そのときも、子どもたちに手渡して好評だった夢ポッケ
信者の方々が、子どもたちと一緒に手縫いで作った巾着に
思い思いの文房具や玩具を入れたものを、最終的に全部子どもたちに手渡し完了。
最後は、マノボ族の多いカマッド村の子どもたちに手渡した。


ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちが、みんなで手伝って一つ一つ手渡しする。
立正佼成会の子どもたちが、ていねいに一つ一つ手渡ししているのを見ているので
同じやり方で、心をこめて手渡しした。


私たちの活動範囲は、非常に広いので、いくらあっても足りることはない。
来年も、1000個以上を届ける約束になっている。
これからも長いおつきあいが出来ると良いね。
友情は、宗教の輪を超えて広がっていく。




北九州小倉ライオンズクラブの
役員が訪問

北九州小倉ライオンズクラブの役員の方々が、ミンダナオ子ども図書館を訪れた。
実際に自分たちの目で、MCLを見、MCLの活動を視察するために・・・
私たちは、ピキットの避難民がいる地域に、乾神父と共に行き
(この記事は、以下に掲載)

後日、マノボ族のいる、カヨパトン集落を訪ね、読み語りの活動をした。
その後、ラナコランの下宿小屋に、とりわけ貧しい三集落
ケロハス村、キアタウ村、ムヤス村、カヨパトン村の集落長に集まってもらい
各集落に、雄ヤギ一頭、雌ヤギ五頭を寄贈した。


山羊を寄贈

今回のヤギの寄贈は、個人的なものだけれども、このような山岳地域では、ヤギは貴重だ。
ヤギの良さは、豚や牛のように、特別に餌を用意することなく、山地の草を食べてくれること
乳は、地元の子どもたちの栄養になること。
増えやすいことなど、貧しい地域にとって、大きな支援となる。
これらのヤギは、個人ではなく、集落のものとして増やし、増やした分をさらに貧しい個人家庭に分け与えていく。


今回の訪問は、現地の実地視察。
ベトナムやカンボジアなども、絶えず訪問し、現地を良く知っていらっしゃるベテランの役員の方々も
思った以上に貧困度の激しい現地の状況やミンダナオ子ども図書館の誠実な活動に胸を打たれた様子。
多くのドキュメントフィルムを撮影して帰られた。
これから、北九州小倉ライオンズクラブとの長いおつきあいが始まろうとしている。


フレンズ幼稚園の園長先生寄贈の
水田を慰霊訪問

ライオンズクラブの方々は、亡くなられた盟友、北九州フレンズ幼稚園の富村園長先生が
遺言で寄贈して下さった水田を視察に訪れた。
吊り橋を渡っていくどん詰まりの村に、2ヘクタールの水田は田植えを終えて、美しい若苗をのばしていた。
MCLで作った看板も、雨風をよけるようにして置かれている。
そのようすに、深く感動し、涙ぐまれていた。


水田の支援は、ものすごく役立っている。
何しろ、ミンダナオ子ども図書館本部だけでも、100名が共同生活
なんと、50キロの米が一日で消費される。

さらに、毎月月末の日曜日には総会があり、高校生と大学生の奨学生
約200名が集まり、炊き出しをかねて昼食を出す
普段は、米に醤油をかけてたべる生活だから。

さらに、地域によって、子どもたちは弁当を持っていくことが出来ずに
学校での炊き出し支援もしている。

2ヘクタールではまだたらず、最低6ヘクタールは必要なので
4ヘクタール足りない。
1ヘクタールが、灌漑施設が整っていて60万円
どなたか寄贈していただけませんか。



オブレード会(OMI)の
乾盛夫神父
ライオンズクラブの面々と
ピキットへ
モンテッソーリ教育でも有名な、鳴門教会の乾神父。
属しているのは、ミンダナオのイスラム地域で
イスラム教徒の救済に奔走している神父たちがたくさんいる、
OMI(オブレートミッション会)
今回は、日本で同僚だったフィリピン人の司祭叙会に
参加するためにミンダナオを訪れた。
以前は、他の神父から、
ミンダナオの奥地には入るなと止められていたのだが
ミンダナオ子ども図書館が、
全面的にお世話をすることになって現地に来られた。

今回は、グレイスさんからのたっての要請もあり、普通ではちょっといけない、
パイドプランギの奥の村にボートに乗って出かけた。
ダトゥピアン側から逃れてきて、一年近く避難民状態になっている人々の調査のために。
ライオンズクラブの役員もいらっしゃるので、セキュリティーは、市長もはじめ万全を期した。
ピキット市長訪問の後に、民兵の護送船団方式で現地を訪問・・・
現地のOMIの神父たちも、めったに足を踏み入れない地域???

一艘のボートは、
ほとんどが民兵で埋まり
護送船団方式で
警護に就く

私たちが行くときには
ここまで警護を
することはないけど・・・

対岸のダトゥピアンから逃れてきて、一年以上避難民になっている人々
一見のどかな風景なのだが、この地域でも最も戦闘が多く不穏な場所だ




ミンダナオ子ども図書館だより:9月25日

1:ARMM(イスラム自治区)の読み語り
    読み語りが始まった

2:ブアランのクリスチャン地域の保育所で奇跡が起こった!
    ブアランのイスラムの村長がかつて語った
    「子どもたちだったら、この対立を超えられるかもしれない」
    と言った言葉が、現実となり始めた。


3:明治学院経済学部の学生さんたちが訪問。生きた経済を学んだ?
    ムヤス村での初めての読み語り
    古着の支援をした

4:経済学部の学生たちがキアタウ村に一泊
    忘れられない体験
    コミュニティーの生きている社会では、子どもたちが生き生きとしている

5:先住民族の日常生活に触れた若者たち

6:先住民族の家庭に案内されて宿泊
    一緒に同じものを料理して、いっしょに食べる

7:特集;あの保育所は今・・・
    過去に建ててきた、23の保育所と1初等小学校の現状と今後










ARMM(イスラム自治区)
の読み語り

保育所建設の事前調査もかねて、イスラム自治区のラヨグ村、ナムリ集落に行った。
ここは、卒業したイズラハイダさんの生まれた村で、彼女のお父さんは、イスラムの司祭。
アンパトワン一族のその後の動向も、この地の人々から聞こえてくるが、まあ、それとは別に
イスラム自治区側にも保育所を建て、奨学生を増やしていくことは重要な課題だと考えている。
すでに、パガルガンやサパカンにMCLは、活動領域を広げているが・・・


イスラム自治区には、道路というものがあまりなく(ダト・ピアン側は別だが)ほとんどがパンボートと呼ばれる乗合船で移動する。
この地区は、外国人には、特に危険な地域として指定されているので、皆さんは、決して気軽に乗合船に乗ってはならない。
私も以前「乗合船にだけは乗るな、どこに連れて行かれても(誘拐)、見つけることは不可能だから・・・」と言われていた。
乗るときは、今回もそうだが、信頼できる知り合いのつてで舟を貸し切り、大勢の奨学生やスタッフだけで乗る。
特に注意しなければならないのは、ワニで、スキを見せると水の中からジャンプして食いついてくる。(ジョーダン)
ワニがいるのは本当の事だが、とにかく原始のミンダナオを見ているようで美しさに感動。


この村の村長の父親は、パナルガンの元副市長で前選挙の時にリドーにあった。
JICAの碑があったので、撮影したが、穀物干し場の寄付のようだ。
サウジアラビアの支援で、アラビア語学校も出来ているが、
イングリッシュスクール(公立学校)も含め荒れている。
MCLの今回の目的は、読み語りをすると同時に、保育所建設のための実地調査。
子どもの数は多いが、保育所の建物がない。

今回は、訪問してきた鳥海武夫さんが同行した。
聾唖者だが、有名なアイアンマンだ。



村の人から、
こんな場所にまで良く来ますね。
怖くないですか・・・と言われた。

現地の事情を知っているだけに
一人か、数名だけで
来ようとは思わないし
奨学生のイズラハイダさんがいなければ
来ることは考えられない。

少し時間が出来たので、イズラハイダさんの家を訪ねた。
彼女のお父さんは、オスタージュと言うイスラムの司祭だ。
お母さんと一番下の妹さんと写真をとった。

家の前の道を、鉄砲を持った人が横切っていった。
学校がえりの、数人の子どもたちを守って
前後を歩いて行く。
何を警戒しているのだろうか。

読み語りが始まった

ここのイスラムの人々が使う言語は、マギンダナオ語。
私たちは、まずは現地の言葉を優先する。
しかし、マギンダナオ語の話せない奨学生たちは、ビサヤ語やタガログ語で物語り
イスラムの奨学生たちが通訳する。
みんなでイスラムの歌、マノボの歌、ビサヤの歌もうたった。




多湖さんと友人の方々から寄贈された
ブアランのクリスチャン地域の保育所で

奇跡が起こった!

多湖敬子さんとご家族、友人方から寄贈された保育所が、
2008年の戦闘勃発の発端となった地、ブアランのニューバレンシアに建った。
私たちは、この日のオープニングセレモニーを計画。子どもたちと一緒に現地に向かった。


これは、2009年12月27日に亡くなった故人・多湖正紀さんへの追悼の想いとして
友人方から寄せられた物心両面の厚志をひとつにして、ご遺族が故人の志を継ぐべくして寄贈されたものである。

丘の下のイスラムの人々と、丘の上のクリスチャンの人々とが激しく対立。
かつては交流があったが、20数年にわたって交流が途絶え、
かつてあった道も無くなり
クリスチャンの子どもたちは、7キロも離れた別の村の学校に通っている。
激しい戦闘の結果、200家族以上いた村人たちは、土地を残して避難、
現在は、36家族になっている。

下のイスラムの村も同様で、激しい戦闘のために、卒業式が毎年遅れ、
このことも便りに書いたが、
ようやく今年、12年ぶりに、開設以来初めて卒業生が出た。
赤十字やIOMなど国際NGOも注目している地域だが、
平和への決定的な足がかりがまだない。

この村で、山元眞神父さん主催で、村人たちと平和のミサをあげたことも
サイトに書いた。Info

私たちMCLは、すでに三年前から、
この地の子たちをスカラー
(奨学生)として採用しており。
2008年の難民救済でも、
砲弾の音がする中、
子どもたちへの支援活動を行ってきた。
そして戦闘が終わった現在、
現地からの
依頼によって
日本政府の草の根資金ODAに
小学校建設の案件を提出。
大使館からも、
調査に来られたことも書いた。
(結果はどう出るかわからない・・・)
MCLの開所式は、堅苦しいものではなく、
子どもたちの読み語りから始まる

下の写真、左は、ニューバレンシアを指導しているクリスチャンの村民。
実は、人も恐れる豪腕の民兵司令官。
ここの村民は、すべて民兵として登録されていて、常時武器を携行している。


上の写真、右は、下のイスラム集落の村長。
本来は、クリスチャン地域もブアランに属するので、この集落の村長でもあるのだが、
対立が続いてから、互いに一歩も近づいたことは無かった。

当然、開所式には、村長のサインが必要で、開所式に参加するのが通常なのだが、
イスラムの村長は、恐れて参加を拒否していた。
しかし、当日、私たちも子どもたちも同行するので意を決して参加。

ブアランのイスラムの村長がかつて語った
「子どもたちだったら、この対立を超えられるかもしれない」
と言った言葉が、現実となり始めた。


サイン式の後に、握手を交わす
イスラムとクリスチャンの二人
MCLのボードメンバー
DSWDのグレイスさん(左)
所長さん(右)も驚きの笑顔


今回の開所式には、
下のイスラムの保育所(高橋毅氏寄贈)の子どもたち親たちも招待した。
彼らが、平和への足がかりを作ってくれると思ったからだ。

しばしば、読み語りをしていて、
MCLの活動も理解してくれているだけに、
喜んで参加してくれた。

対立している二つの地域の、大人たちが交流し
心を開きあうには、まだまだ時間がかかると思っていた。
まして、村長や集落長が握手するには・・・


それが、保育所開所式で
突然実現したのだから、本当に驚いた!
唖然とした!
目頭が熱くなったのは、
私だけではないだろう。

地元の人々も、
事の成り行きにあっけにとられ
感動していた。

5年にわたる
下のイスラム地域と
MCLの若者たちが培った
信頼関係

避難民になったときの
命がけの救済
絶え間ない支援

スカラシップと小学校建設計画
そして、山元神父さんによる
平和のミサと読み語り

こうした積み重ねが
有ってのことだろうが・・・


とっさに脳裏を横切ったのは
大学教員の仕事と平行して
「正義と平和」の希求のため、
教会内で、あるいは市民運動として
真摯に活動を続けてこられた
故人・多湖正紀さんの事だった。

正紀さんの霊が
微笑みながら側に建ち
共に開所式を喜んでいるように
思えたからだ。

このような幻想というか
幻視は、たまに起こるから
それゆえに奇跡だとは言えないが

この日起こった事の感動は
状況をよく知っているだけに
奇跡のように感じられた。



読み語りを聞きに来ている子たちのなかに、避難民だった子たちの顔が散見される


あの例のおばあちゃんも
強力な民兵の一人だった?

今後の平和構築を話し合ったが、まずは消えてしまった道を復活させること
そのために、MCLは、ピキット市に道路建設の要望書を提出することにした。
すでに建設部門に顔を出したし、市長も副市長も懇意なのでうまくいくだろう。
道が出来れば子どもたちは、下の村の中心にある小学校に5分で通えるようになる。

さらに日本政府がODAで、予定通り7クラスルームの美しい学校を建てれば
大きな平和のシンボルとして、評価されると同時に
この村から離れていった、多くの家族を呼び寄せる力になるだろう。
クリスチャン地域だけで200世帯、
イスラム地域を加えると400世帯はくだらない家族が、ブアランから逃避した。

興味深いことに、すでに学校を建設したマカブアルでは、
道が出来、避難していた家族が帰り、新たに家が建ち始めている。
200人だった子どもたちも、600人近くに増えて、日本政府が建てた5教室の建物に
古い2教室を加えても追いつかず、急きょフィリピン政府が、
2教室の新たな建物を追加して建てたぐらいだ。


平和構築の正念場は、これからだ。





明治学院経済学部の学生さんたちが
高島教授といっしょに訪問
生きた経済を学んだ?
マノボ族のムヤス村での初めての読み語り
10月の村長選挙の余波をうけて、ムヤス村に圧力がかかり、保育所が停止してしまった。
貧しい崩れかけたような保育所。MCLでは、この村に保育所を作る決定を下した。
ただし、11月に入って、選挙が終わってからだ。落ちこぼれた村ほど支援するMCL。

ムヤス村で、初めての読み語りをした。
集落長から、「このような忘れ去られた村にまで来てくれてありがとう」といわれた。
「こんな素晴らしい子どもたちに会えるのだから、こちらの方こそありがとう」と答えた。

上の写真のヘアリップの子は、看護士のフェさんが登録し
他のヘアリップの子といっしょに、2月にダバオで治療をする。

マノボの子たちに、古着の支援をした
今日は日曜日。
集落の子たちも、
貧しくとも一枚ぐらいは、
教会に行くための服を持っているので
写真からは、
あまり貧しさが伝わってこないだろう。

しかし、もし皆さんが、
現地に同行されたとしたら、
想像以上にへんぴで
貧しい地域であることに
驚かされるに違いない。

子どもたちの後ろにあるのが
保育所だ。


教会から出てきた子どもたちにMCLの奨学生たちが服をくばっているところ。
明治学院の若者たちも手伝った。
並んでもらって、一人一人にあわせて渡す。
一人に3枚。大人にも渡す。
兄弟姉妹が多いので多少サイズが違っても少しもかまわない。
経済学部の学生たちが
キアタウ村に一泊
忘れられない体験
コミュニティーの生きている社会では、
子どもたちが生き生きとしている

生きる力は、学校教育からは得られない、
というのが持論だが、本当にそう思う。

ここで遊んでいる子どもたちに出会うと、自分の少年時代を思い出す。
本当に、夕暮れまで、よく遊んだ。
それに加えて、ここの子たちは、本当に良く生活のお手伝いをする。

MCLに泊まられた方々が口をそろえて、
フィリピンの若者たちが自立していることに驚く。
炊事、洗濯、掃除、身の回りのすべてのことを、
全く嫌がらずに自分たちだけでこなしていく。
その原点が、ここにある。

「子ども時代に一番大切なのは、思う存分遊ぶこと、と夜に昔話を聞くこと」
日本にいたころ、子どもたちの現状を憂えて、拙著や講演で繰り返し話してきたことが、
間違っていなかったことがここでは良くわかる。
『わたしの絵本体験』『昔話とこころの自立』という本は、今は絶版になっているが、
そのうち復活させて、ネット上で皆さんに読めるようにすることを考えています。
エイデル出版から出ている講演録、
『絵本・昔話にみる楽しい子育ての知恵』はまだ手に入るようですが・・・
しかし、その本質を体験したければ、この地に足を運ぶのが最善だろう。
昔話だけはなく、ここには、妖精も生きている。

日常生活に触れた若者たち
ココヤシのジュースは、渇いたのどにおいしい。
蒸しバナナは味が無く食べずらいが、これがほとんど毎日3食の食事なのだ。
コーヒーだけは、いくらでも飲める。そこら中に木が生えている。
ただし、砂糖は買わなければ手に入らないので、貴重だ。
ぼくは、ブラックで飲むけど・・・


早朝と夕刻の水くみは
子どもの重要な仕事の一つ

エルニーニョで、引き水が涸れると、ここから遙か30分以上も歩いて下る
子どもの足だと、1時間近くかかるだろう谷底のわき水から、水をくみ、運び上げる。
例の巨大な鍾乳洞のある場所。
この引き水は、アラカンのミラノ宣教会のプロジェクトとして完成した。
それでも、乾燥時期になると水はしばしば涸れてしまう。

くんだ水でお洗濯。子どもたちの大事な仕事の一つ。
お母さんといっしょに、夜食べるドジョウインゲンを収穫する。
すごく長いので、ぼくは、ウナギインゲンと呼んでいる。現地ではバトンという。

先住民族の家庭に案内されて宿泊
各家庭に、男性または女性のスタッフかスカラー(奨学生)が付きそい同宿する。
スタッフの一人、フェさんは、看護士。病気の事態に備えている。
寝袋があるほうが良いだろう。懐中電灯は必携。
飲み水は、MCLから持っていくが、ぼくは現地の水を飲む。山だから大丈夫。

一緒に同じものを料理して、いっしょに食べる

今回も、お客様が来ているので、
特別に米を炊いて出した。


普段は、上の写真にある、
カサバイモがせいぜい。
上の米は陸稲だろうが、本当に貴重な食物だ。写真のように、木の杵で精米する。

大事なニワトリをつぶしてくれた。一年に何度あるかないかの鶏肉料理だ。
村人たちには、日常食べているものを、食べさせてあげれば良いのだから、と話しているのだが、
さすがに、恥ずかしいと思うのだろう。


夕ご飯は灯りを中心に座って食べる。
フラッシュを使って撮影したので明るいが、真っ暗闇にほのかな石油ランプの明かりがあるだけ。
それがまた、暖かく、情緒があって心が和む。
食事の後は、みんなで語ったり唱ったり、昔話をしたりする。
こんなにおかずがあるのは珍しい。
町で買ってきたビーフンに、家で育てたニワトリをつぶした鶏肉まで添えてある。
もちろん、スプーンなどは使わずに、手で食べる。
たぶんMCLでスプーンも用意したのだろう。

数字が先行する経済学ではなく、幸せな暮らしを保証する経済学が理論的に生まれないだろうか



特集:あの保育所は今・・・
過去に建ててきた、23の保育所と1初等小学校の現状と今後

皆さんの寄贈された保育所の今の様子を、毎年10月の季刊誌とサイトで、
最新の写真をもってお伝えし、現況をご報告することにしました。
なかには、戦闘のために弾痕がついたり、軍の滞在で壁などに傷や痛みが出たり
椰子の実が落ちてきて、屋根に穴が空いたりしたものもありますが、
読みにくい看板の文字の書き換え塗り替えとともに、
修復いたしますのでご心配なく。
MCLでは、この時期に全保育所を調査、
寄贈者に現状を報告すると共に、状況により痛んだ箇所の補修修理していきす。
皆さん、是非とも現地を訪ねてください。
子どもたちや保育所の先生がたが、大喜びしますよ!
ダバオ空港までこられたら、車でお迎えにあがります。


ブアラン集落・イスラム地域ピキット
高橋 毅
繰り返し戦闘にみまわれてきたブアランのイスラム地域の保育所。丘の上のクリスチャン地域にも保育所が建ち、学校建設も視野に入り、本格的な平和への一歩を踏み出した。
最初期に建った保育所の一つで、良くここまで保ったものだと感心する。
バロン集落・イスラム地域ピキット
高橋 毅
やはりイスラムの戦闘地域に建った保育所。ブアランと共に戦闘に耐えてきた。
椰子の実が落ちて、屋根に穴が空いたが、補修する予定。この奥にさらに貧しい集落が広がっているが、対岸はダトゥピアン。今後の課題だ。
バラティカン集落・イスラム地域ピキット
高橋 毅
上述のMILF地域に対して、こちらはMNLF地域。学校の敷地内に建っている。
戦闘後、USAIDなどの学校建設などが集中し、MILF地域から反発があり、リドーが起きた。その辺の配慮も考えながらバランスのとれた支援が必要。
パマリアン集落・イスラム地域ピキット
小役丸 良徳
この地域は、戦闘で避難民が逃げ込んだ地域の一つ。MCLで避難民救済支援をした。
その時からのおつきあい。保育所が出来て子どもたちも大喜びだが、川の対岸まで立派な橋もかかり、初等小学校があるが建て物がひどい。小学校建設がこれからの課題だ。
フォートピキット・イスラム地域ピキット
京都暁星高校
看板が禿げているので、ペイントし直す予定。ピキット市のゴミ捨て場の側に建った。
今年の前半に大統領も含めた総選挙があり、ミンダナオ情勢が不安定化した。その時期、この近くのゴミ捨て場に反政府集団が潜んでいると言う理由で、この地域を国軍が占領、保育所が軍の施設と化した。市長に懇願し、取り返したが看板が少し色あせてしまった。
ナブンダス集落・イスラム地域ピキット
市川 鉄子
この保育所には道が無く、到達するにはパンボートと呼ばれる舟で行くしかない。
大きな中州の島の保育所。この地域は、市長の一族が広大な土地を持ち、MNLF系。人々は素朴だが、洪水がしばしば襲い、水は屋根まで到達し、島全体が水没してしまう。
セニオル マラオ集落・イスラム地域ピキット
WE21おだわら
ピキットの山岳地帯に建てられた、4年生までのクラスがある、初等小学校。
山岳地帯は、低地に比べると土地がやせていて貧しい。しかも、この地は反政府軍の移動地域になっていて不安定で、絶えず避難民化を余儀なくされてきた。
セニオル マラオ集落・イスラム地域ピキット
全国海外教育事情研究会
MCLでは、保育所を中心に建設し、学校建設は日本政府のODAに要望している。
全体がコンクリートのものを作りたいからだ。しかし、低学年の子たちが通えない場合、保育所2棟分使って、初等小学校を建てる事がある。
ブグアク集落イスラム教徒ピキット
N.T.
上のマラオ集落をさらに尾根沿いに行った奥の集落。つきあいは長く、多くのスカラーが来ており、数人は大学を卒業している。尾根は地味が悪く、さらにこの地のMNLFとこの先のMILFとでリドー(地域戦闘)が起こり繰り返し避難民となっている。
キアタウ集落・マノボ地域アラカン
諏訪 淑子
最近、ホームステイ体験で脚光を浴びているキアタウ集落。雄大で美しい風景のなかに、素朴なマノボの生活が広がる。本来は、ダバオやアラカンの低地に住んでいたマノボ族が山に追われた場所で、土地はやせていて生活は厳しい。それでも子どもの笑顔が美しい。
マティアス集落・ビサヤ系アンティパス
久岡 隆行
移民系クリスチャンが開いた山岳の農業地域。道も無く貧しい事に代わりはないが、それでも若干の土地はあり、生活は比較的安定している。MCLは、貧困の度合いから、マノボ、イスラム地域の保育所建設が多いが、貧しい移民系クリスチャンも等しく応援している。
グマイ集落・マノボ/イロンゴ系
Aunt in Japan
マノボ族と移民系クリスチャンのイロンゴ系の混在地域。
まだ、建設して間がない。山に囲まれた谷間にある。
比較的平穏で安定した地域。
パイドプランギ集落・イスラム地域
溝田美恵子・山元 眞 神父
戦闘、洪水など、数々の災難に見舞われて来た保育所。
大河プランギ川の側に位置し、対岸は戦闘の絶えないダトゥピアン。何度となく避難民の救済を行い、保育所自身も避難所と化したが、子どもたちは今も元気だ。
ブロッド集落・イスラム地域ピキット
丹原 美穂
最近のリドーと呼ばれる地域紛争で、トイレの壁の一部が破壊され、弾痕の痕が痛々しい。
窓の一部は破れたが、地域紛争も収まり、これから痛んだところを修復する予定。
子どもたちは元気だが、このようなことが度々起こらないようにと願う。
ダトインダ集落・マノボ族アラカン
丹原 美穂
貧しいマノボ集落にある保育所。マノボ族に対して村長が協力的ではなく、月給が出ないので、村人たちが一ヶ月一人60円を出して維持しようとしたが、何しろ3食たべられない家が多く、60円も出せずに生徒が4人になり停止してしまった。村長が代わるのでMCLが仲介して、来年新たに再開する予定。継続調査が必要な理由が、このようなところにある。
サパカン集落・イスラム地域ピキット
茨木ロータアクトクラブ
イスラム自治区のMILFの拠点と言われる紛争地域。しかし住民の教育にかける期待は大きい。子どもの数も多く、学校の敷地内にあり、小学校の建物もひどい状態なので、今後も日本政府のODAに期待したのだが・・・平和構築に重要な地域でMCLの奨学生も多い。
ボアイボアイ集落・マノボ族
北九州ライオンズクラブ
北九州のフレンズ幼稚園の故富村昌弘園長が中心になり、ライオンズクラブで作った保育所。日本資本のバナナプランテーションAJMRの開発で土地を追われたマノボ族が多く住んでいる。予算が50万円だったので、一回り大きく窓もガラスが入り立派だ。
カヨバトン集落マノボ族アラカン
窪田 まゆみ
山奥の非常に貧しいマノボ族の集落に建てられた。丘の上の眺めの良い位置にある保育所。今年、開所式を行ったばかり。子どもたちは、ほとんど裸足に近い生活をしている。
この地から、MCLに住み込みで奨学生が来て、高校や小学校に通っている。
ケロハス集落マノボ族アラカン
松岡 なつめ
キアタウから、車では入れず、さらに徒歩か馬で行く小さな集落。最近まで、NPAの拠点のひとつだった。今は、若き集落長の思いもあり、教育による集落の発展を願っている。
学校までは10キロも山道を行くので、ほとんど小学校も卒業できないが、MCLで下宿小屋を作って対応。
ルモット集落マノボ族キダパワン
岡本 るり子
キダパワンの山間にあるマノボ族の地域にある。移民系クリスチャンの土地所有に追われて、マノボ族が次第に姿を消しつつある地域。現地から下には、雄大な風景が広がっているが、そのほとんどがドールのバナナプランテーションだ。
ティナゴ集落ビサヤ系マキララ
小雀保育園
この集落は、小学校まで距離があり、低学年の子たちが通いきれないので、1,2年生の初等小学校として使われていた。無許可なので、再び契約通り保育所にもどしてもらい、新たに初等小学校の建物を作る計画を話し合っている。看板も元のように書き直す。
マロゴン集落ビサヤ・バゴボ系マキララ
ほるぷ舎
マキララの山岳地にある小さな村に建てた保育所。山岳地の裾野は、ドールのプランテーションで占められており、NPAとの戦闘が絶えない。この地も、有名なNPAの活動地域。ただ、近年は比較的平穏で、MCLの農場もあり、多くの奨学生もここから来ている。
カティンド集落・マノボ族アラカン
京都暁星高校
今年出来たばかりの保育所。マノボ族の集落にある。アラカンにおける、マノボ族の拠点でもあり、近くに小学校もあるので、保育所が出来た事によるメリットは大きい。
ビアラフローリス集落・ビサヤ系マキララ
藤岡市私立幼稚園協会・
水沼武彦

貧しく山岳地に入植する以外に方法がない、ビサヤ系の移民の集落。この地域の裾野には、広大なドールのプランテーションが広がっている。移民系のクリスチャンも、こうしたプランテーションに追われて貧しい生活を強いられているが、NPAの強い地域。
ウオーターフォール集落・マノボ族
TBSプロジェクト
キダパワンから山に入ったどん詰まりの集落で、土地を追われたマノボ族が吹き溜まって出来たような集落。TBSの番組で紹介された。先祖伝来の地として多少保護されてはいるのだが、美しい滝があり、不法な入植が続いている。



ミンダナオ子ども図書館だより:9月4日

1:マノボ族の家に体験宿泊
  美しいキアタウの丘と村
   各々、自分の宿泊先へ

  失われた森林を復活できないだろうか
  キアタウの神秘的な石灰岩洞窟
2:イスラムと対立しているクリスチャン集落で平和を願うミサ
  夢ポッケの配布もした
  最後はみんなで、カゴメカゴメ

  多湖 敬子・正爾・広紀さま寄贈の保育所建設も進んでいる
3:京都暁星高校寄贈の保育所が完成
  この地から新たな奨学生(里子)を
4;亡きフレンズ幼稚園の園長先生が寄付された保育園で・・・
  OTARUワールドフレンズから送られてきた、靴の支援もした


マノボ族の家に体験宿泊

山元眞しんぷさんと、MCLジャパンの面々に、福祉を専攻している若き女性リサさんが加わって
キアタウのマノボの集落に一泊した。夜になると、満天の星空以外は、灯りのまったく無い世界。
子どもたちの無邪気さに、一生消えないすばらし体験だったという。


最初に、アラカンのミラノ宣教会のイタリア人神父、ジョバンニ神父を訪ねた。
有名なファウスト神父はいなかったが、モトクロス用のバイクで、山でミサを上げている。
政府側の人々からも、反政府側の人々からも、敬意をもって見られている神父たちだ。

美しいキアタウの丘と村

この宿泊体験の企画は、地元から上がってきたものだ。
スカラーたちのお父さんたちから、村をあげて歓迎し、セキュリティーも万全を期するという条件で
今回、MCLジャパンの面々で、初めて実行した。その体験のすばらしさは、予想以上のものだった。
スカラーたちのいる貧しい現地が、多少でもうるおうプロジェクトなら、無償で貢献したいと思っている。

一泊2000ペソで、1000ペソは宿泊家庭に、1000ペソは、コミュニティーに渡され、水道や植林事業に使われます。
贅沢なスタディーツアーに慣れた人々には、とうてい無理?現地に適応する心の無い方には、帰っていただく、
あくまでも現地重視の企画です。



MCLに住んでいる集落出身のスカラー(奨学生)たちが、休日であれば同行する。
また、現地には、小学生、高校生の奨学生たちがたくさんいる。
彼らたち、そして両親たちが、皆心から歓迎してくれる。
およそ外国人が、来ることのない世界。
外国人どころか地元の人たちも、この隔絶したマノボの集落を知らない。


電気もなく、下界から遠く離れているから、文明の影響がほとんど無い。
特に子どもたちは、貧しいけれども、本当に心が純粋で美しい。
こうした子どもたちの姿に、私もどれだけ救われてきたことか、その体験を多少でも分かち合いたい。


ごらんのように、子どもたちは普段裸足だ。
学校に行くときには、すり減ったゴム草履を履いたりするけれども、ほとんど靴は持っていない。
MCLで古着の支援をしたことがあるので、服は比較的良いものを着ていたりするのだが・・・


ここの住人の一人
オンゴイ君

猿の事を
オンゴイと呼ぶ
まだ小さな
小猿だ
各々、自分の宿泊先へ

宿泊先は、普通の民家で、家族と寝食をともにする。
食べ物は、日常のもので、特別に用意はしない
(はずだが、ニワトリを一羽つぶしてくれた家族もあった。
これは、こちらでは、一年に一度あるかの大変な歓迎。
米も普段は食べられず、カサバイモだけだったりする。)
ただし、マンツーマンで、MCLスタッフや高校生のスカラー(奨学生)が
付き添い同宿する。

看護師のフェさん、空手が堪能な秀君
(亡くなった日本事務局の山田さんの息子さん)も同行する。
ちなみに、トイレは外の木を二本並べただけの、和式(?)便所だが、
(うんこ以外は)落ちないようになっている・・・?
ティシューと懐中電灯は必携。飲み水は、ミネラルを買っていく。
地元のコーヒーが旨い。その辺にたくさん生えている。


これがトイレだ
スカラーの家族と一緒に。
彼女には、お父さんがいない
久しぶりにお父さんのような
人が来て大喜び!
神父さんが泊まられたのは
村の牧師さんの家。
翌日の礼拝に
神父さんも参加した。
MCL事務局の山本幸子さん
スタッフのジェックジェクと一緒に
「何しろ、夜は部屋もなにも
みんな真っ暗。
手探りで外に出たら
満天の星空!!!」
「今回のMCL訪問で
何よりも良かったのが
このホームステーだった」
「本当の貧しい家の
それでも心豊かに生活している
家族に触れて
学ぶことが、本当に多かった。」

 今回、唯一の?若手
 福祉大学生のリサさんの感想

 
先日はMCLに訪問させていただき
ありがとうございました。
大変、実のある経験を
させてもらいました。
松居さんはお忙し中にもかかわらず、
いろいろな場所に
連れて行ってくださり
ありがとうございました。

この10日間で
私が経験したことは

私にとって
すごく大きなものになりました。

知らないこと、感じたこと、
子ども達から笑顔や元気
いろんなものを貰いました。

又、考えさせられることも
多くありました。

これから、自分なりに
考えていきたいと思いました。
 


貧困の地域や戦争が今にも起こりそうな地域、
そこに住んでいる人々と触れ合う機会など
めったに無いような経験をさしてもらい本当に多くのものを感じました。

現地の方たちと触れ合うと私のほうが元気や笑顔を貰った気がします。
皆さんからいろいろなものを貰ってばかりで、何も出来なかった自分が恥ずかしく思いました。
MCLのみなさんにも感謝の気持ちで一杯です。
子ども達と過ごした何気ない時間などがとても大好きでした。


 日本に帰ってからはみんなに逢えなくて寂しいです。
いろんな過去を背負っている子ども達とは思えないほどパワフルで元気で愛があって、私は本当に癒されました。
私自身子ども達から学ぶことや気づかされることが多くありました。
感謝の気持ちで一杯です。

 ミンダナオが平和になることさまざまな問題がなくなること、子ども達やみんなに幸せが訪れること、
MCLにある平和がもっともっと広がっていくことを祈りたいと思いました。
又、自分ができることを見つけられるように頑張りたいと思います。



失われた森林を復活できないだろうか

キアタウ集落があるのは、森がなく、一見、イタリアの丘陵地帯を思わせる高原地帯。
だが、山頂付近や谷間に、わずかに残っている、巨大なシダや天を目指して枝を広げる
壮大なラワン木を見ると、ここが昔、水の豊かな、深いジャングルで、
たくさんの虫や鳥、猿やイノシシが住んでいる、豊かな大地であったことがわかる。
その視点で見ると、どこまでも森の無い、丘陵地帯が、いかに不自然な自然破壊の残骸であるかが理解できる。


見渡す限り、木の無い、広大な草原地帯。ここは、かつてジャングルだった。
1900年代後半、ちょうど日本の高度経済成長期に、ミンダナオのジャングルは伐採
ラワン材の多くが日本にも輸出された。
その後、さらに雑木も伐採、焼却されて、土地が移民系クリスチャンに
安く売却されると同時に、低地に住んでいた先住民族(マノボ族)たちは
こうした山岳地の斜面に追いやられた。
山岳地は、すでに森林が伐採された後で、飲料水の供給もままならない
斜面は、腐葉土が流出して、作物が育たない。

キアタウの村人たちは、写真のように、遙か谷間の下の、多少は保水力の残っている傾斜地に
かろうじてバナナやトウモロコシを植えて収穫し、口糊をしのいでいる。
かつて森林が豊かであったころは、このような貧困はなかっただろう。森林破壊によって作られた貧しさ。

下の写真は、望遠レンズで撮影した、低地のバナナプランテーション。
日本資本のAJMR(スミフル)の展開するプランテーションで、いわゆる皆さんが食べている高原バナナ。

こうしたプランテーションに雇用されるのは
おもに移民系クリスチャンで
高校大学を卒業した人々。

日雇いですら、出生届や
小学校卒業程度の学歴は要求されるから
山の貧しいマノボ族には、
仕事はほとんど回ってこない。

この広大な伐採跡の大高原地帯。
見た目は、イタリアの丘陵地帯のようなのだが、ここは、ピキットに注ぐ大河川
プランギ川の上流地帯にあるために、ここに降る集中豪雨は、信じがたい鉄砲水となって
毎年、ピキットをおそう。


下はピキットの洪水(MCLで救済支援をした)
2008年・松居友撮影

キアタウの
神秘的な
石灰岩洞窟


キアタウの谷底に、神秘的で手つかずの
鍾乳洞があると聞いて、私たちは向かった

引き水が涸れると、キアタウの人々は、遙か谷底のこの地まで、水をくみにやってくる。
かつてジャングルが、国土を豊かに覆っていた頃は、どこもかしこもこのような風景だった。
清水は美しく、飲んでもまったく問題はない。


巨大な洞窟は、大きなトンネルになっている。
手探りで登っていくと、さまざまな鍾乳洞がある。
真っ暗闇の向こうに、緑のトンネルの出口が見えたときは感動した。


出口近くの小さな穴。地元の人の話だと、
その奥にさらに巨大な鍾乳洞が広がっていて
いったい、どこまで続いているのか、
わからないのだという。
かつて、一度だけ、神父に同伴してきた外国人が、
簡単な調査をして、驚嘆していたという。

再びキアタウの村にたどりついた。
美しい夕暮れ。
訪問者たちが、地元の子どもたちと、本当に楽しそうに遊んでいた。
父親のいない子の支援者になった
NBC1
イスラムと対立している
クリスチャン集落で
平和を願うミサ

以前も紹介した、2008年の戦闘が勃発した集落。
イスラム地域の丘の上にある、小さなクリスチャン集落で、ミサをたてた。
ピキットの町の中心にあるカテドラルから、3ヶ月に一回だけ、
OMI(オブレード修道会)の神父がミサをあげる。
この集落は、下のイスラム地域と敵対していて、全員が民兵として武装している。
さらに、イスラム教徒を入れないという規定があるが、今回も、MCLのイスラムの子たちも参加して
一緒にミサにあずかった。驚くかもしれないが、異なった宗派の祈りの場に、
敬意を表しつつ、抵抗なく参加する気持ちが、日常生活のなかから
ミンダナオ子ども図書館の子たちの中に、自然に培われているのだ。


本当に今までのミサのなかでも、とりわけ感動的なミサだった。
この地の人々の平和への気持ちが、移ったのだろう。
ピキットから同伴して下さった、地元の神父さんの目も潤んでいた。


ピキットのカテドラルの聖歌隊も参加。車で20分ぐらいの近くであるにもかかわらず
恐れて踏み込んだことのない集落だったけれども、最後は笑顔が満面に。
ミサが終わって、みんなで平和の歌をうたった。このような地域に、はるか日本から神父が訪れ
平和の祈りを捧げたこと自体が、現地の人々にとって驚嘆すべきことだった。


ブアランは、現地の人々も恐れている場所。よく日本のNGOは、現地の人々なら、現地を知っていると思い込んでいるが
決してそのようなことはない。イスラム教徒同士であっても、同じMILFに近くても
現地を知っているだけに、かえって恐れて、自分の小さな集落と町を往復するだけの人々が多いのが現実だ。


夢ポッケの配布もした

立正佼成会が残していってくれた夢ポッケをここでも子どもたちに配った。
本来は、この戦闘のあるピキットで平和の祈りをされたかったが、実現できなかった。
だがきっとそのときが来るだろう。日本の子どもたちが自分たちの手で、夢ポッケを配ることの出来る日が。
その日が来るまで、平和構築活動を続けよう。

最後はみんなで、カゴメカゴメ

ミサが終わって、すぐ教会の外で、子どもたちと、現地のカゴメカゴメをして遊んだ。
イスラム教徒もマノボ族もキリスト教徒も、みんな一緒に。
そうそう、かつて第二次世界大戦の時大きな被害をもたらした「恐ろしい」日本人も一緒に。
ピキットには、今も遺骨遺品調査もされていない、日本軍の大きな要塞がある。
いつか、そのうえで、カゴメカゴメを踊りたい。


多湖 敬子・正爾・広紀さま寄贈の
保育所建設も進んでいる

この地のすぐしたには、ブアラン集落があり、日本政府によるODAの小学校建設計画が進んでいる。
すぐ近くにもかかわらず、現在道はなく、子どもたちは越境して7キロの別の地域の学校に通っている。
これも、戦闘の憎しみが生み出した不幸だ。
昔は、この集落の若者たちも、下のイスラムの村に、バスケットボールをしに行っていた。
ミンダナオ子ども図書館では、独自の平和構築の一環として、ここに保育所を建設開始。



多湖 敬子・正爾・広紀さま寄贈の
保育所の建設も、着実に進んでいる。

今月中には、開所式が可能だろう。
現村長さんの息子さんと奥さん。
奥さんが保育所の先生。

若い世代に、
平和を作る可能性が
生まれつつある。

戦闘で財産を失い、蒔く種も買えない農民が多い。
「Mの会」から、ミンダナオ子ども図書館を通して、種を支給した。
現地の収入を確保するためのプロジェクトの一つだ。



京都暁星高校寄贈の保育所が完成

京都の宮津にある、京都暁星高校は、前から奨学生を支援して下さっている。
フィリピンとの関係は深く、夏休みに植樹プロジェクトにいったりもしているが、
今年もミンダナオ子ども図書館の奨学生3名、イスラム教徒の子とマノボ族の子とクリスチャンの奨学生が
11月末招かれて、日本の子どもたちと交流をする計画が進んでいる。
今回で2度目のプロジェクト。それ以外にも、この保育所と下宿小屋の一部に支援をして下さっている。
こうした寄付は、暁星高校の若者たちによる、ウォーカソンと呼ばれるボランティアプロジェクトから寄贈される。


上の写真のアルバート君、政府系ラジオ局のスタッフで現地取材に訪れた。
なんと、彼も、かつて京都暁星高校の奨学生で、キダパワンのノートルダム大学の
マスコミュニケーション学科を卒業したマノボ族の青年なのだ。
自分を支援してくれた日本の高校が、同じマノボ族の集落に保育所を建設した事を
現地取材に訪れて、村の福祉職員にインタビューしているところ。
ミンダナオ子ども図書館から、こうした人材が多数出ていることはうれしいことだ。

この地から新たな奨学生(里子)を


亡きフレンズ幼稚園の園長先生が
主体になって寄付された保育園で・・・

北九州で有名な、フレンズ幼稚園の園長先生が亡くなられた。
去年の秋に、病室にお見舞いにいったときは、まだお元気そうだったのだが・・・
親身にミンダナオ子ども図書館の事を考えて下さっていた先生で
この小笠原ライオンズクラブの保育所も、先生が主導して作って下さったものだ。
Mの会とも関係が深く、その追悼の意も込めて、ボアイボアイ村を訪ねた。


上の写真で、青いユニセフのシャツを着て、一緒に踊って下さっているのが

この保育園の先生。若く情熱的な若者の先生で、この先生のおかげでユニセフから
机の支援が入っている。50万で建設されたこの保育所は、本当に立派だ。
非常に貧しい村だが、古着の支援を度々しているので、着物はそれほど悪くはない。


フレンズ幼稚園の園長先生は、ミンダナオ子ども図書館の活動を愛し、遺言で100万円を寄贈して下さっていた。
私たちは、Mの会と相談して、この遺産で水田を買うことにした。
ミンダナオ子ども図書館の子どもたちの食べる、米が毎年2度、先生のおかげで食卓に並ぶ。
米の値上がりが激しく、住み込みの子たちもスタッフを入れて100人を超え、米が足りなかったのでホッとした。
心から感謝します!!!!!!!!

OTARUワールドフレンズから
送られてきた、靴の支援もした

毎年、数度にわたって、北海道から古靴を箱いっぱいに送って下さる
小樽ワールドフレンズの方々。
ミンダナオの山の子どもたちにとっては、靴は、夢のまた夢なのだ。
小学校に入ると、特に高校になると、靴を履いて登校する規定がある。
しかし、もちろん、多くの親たちは、子どもに靴を買ってやることが出来ない。


このボアイボアイ村も非常に貧しく、特にマノボの人々は、自分たちの自給地も持っていない。
この村のそばには、日本資本のAJMR(スミフル)のバナナプランテーションが近年急速に広がり、
アンティパス県のほとんどは、日本向けバナナ(完熟王)の出荷地となってしまった。
このボアイボアイには、そのときに、土地所有者と企業の契約で、自給していた土地を追われた
マノボの家族が多く住んでいる。


子どもたちは、ほとんど裸足だが、小学校に行くときには、せめてすり切れたゴム草履を履く
本当は、ゴム草履ではなく、靴を履く規定になっているのだが・・・
そのようなわけで、古靴の支援は、古着と並んで、本当に喜ばれる支援なのだ。



靴を持って、大喜びで家にかけていく子どもたち


この家などは、屋根がトタンで家自体も大きく
まだ経済的に良い方だ。

現地に足を運び、時には寝食をともにして、経済的な貧しさの不幸と、
心の豊かさと美しさを、自分の目で見て体験する事は、今の日本人、特に若者たちにとって
欧米やオーストラリアなどに体験留学するよりも、大きな収穫だと思う。



ミンダナオ子ども図書館だより 2010年7−8月へ
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