ミンダナオ子ども図書館だより 2010年8月29日以前
ミンダナオ子ども図書館だより:8月29日

T:立正佼成会の親子ボランティア隊、訪問記
 A;(初日)マイパラダイスの浜での出会いと交流
    1:浜辺での歓迎会\
 B:(第2日)マノボの聖地、ラナコランで平和の祈り
    1、MCLの若者たちが、祈りの踊りを披露
    2、イスラムの祈り、マノボの祈り、移民系クリスチャンの祈り
    3、小さな子たちも祈りを踊りで表現
    4,立正佼成会の親子による平和の祈り
    5,マノボ族伝統的な踊りをみんなで踊った
    6,最後に平和の歌をみんなで唱った
    7,夢ポッケをみんなに渡す
 C;(第2日午後)キアタウ集落で昼食と交流
    1,子どもたちに夢ポッケを届けた
 D:(第3日)プランテーションに追われたカリナンの先住民族たち
    1,みんなで読み語りを展開
    2,医療プロジェクトの患者に
    3,夢ポッケをもらってうれしそう
    4,そして別れの時が・・・

U:日本大使館から、ブアランの小学校建設;最終チェック


V:対立していたクリスチャン集落での読み語り

 A;平和の読み語りが始まった
 B;衣料支援も行った



立正佼成会の
親子ボランティア隊、訪問記
日本の若者たちと、
ミンダナオ子ども図書館の若者たちの感動の出会いと、
思いに残った現地体験の日々

今回は、外務省の都合で、北コタバト州に入れず、ダバオ州のパラダイスビーチで出会う事になった。
ミンダナオ子ども図書館のあるキダパワンは、北コタバト州に属しているが、
領域的には、クリスチャン地域に属していて、安全だといわれている。
(マニラやダバオと言った都市よりは、はるかに安全だと思うのだが・・・)
だが、行政地図による杓子定規な判断では、細かいことは、言えなくなる。

ミンダナオ子ども図書館で、寝食を共にすると言う、最高の経験が出来なくなったのは残念だが
私たちは、活動範囲がミンダナオ全域を許可されており、
ダバオ地域でも日々活動しているので、まったく問題は無く
かえって興味深い計画を実現できた。


立正佼成会のこの企画は、今回が二度目。
戦闘で疲弊した貧困地域の子どもたちを、日本の子どもたちが直接訪れ
心を込めて用意した「夢ポッケ」を渡す。

若者どうしの交流を重視しているミンダナオ子ども図書館にとっても、
日本の子どもたちにとっても、例年すばらしい体験を保証してくれる。


(初日)
マイパラダイスの浜での出会いと交流

マイパラダイスの浜は、外国人に有名なサマール島のパラダイスビーチとは異なっていて
庶民の隠れた海水浴場で、私たちは、みんなで時々訪れる。
どんなにインターネットでリサーチしても、ここを見つけるのは難しいだろう。
白い珊瑚の浜で、ダバオから離れているので水もきれいだ。


新しい子どもたちは、海で泳げると聞いただけで、有頂天で夜も眠れなかった。
日本の友達に会うことも楽しみだが、生まれてから一度も「海」を見たことも無い子たちだから。
貧困地域のマノボ族の子たちなどは、山の下の小さな町に出ることすら、滅多にないことで
(歩いて行ける場所にしか、お金がないから、出て行けない)
海などは、話で聞いただけの、おとぎ話の世界なのだ!
それだけに、いったん海に入ると、何時間でも泳いで(つかって)いる。

浜辺での歓迎会

立正佼成会の子たちはピックアップで、MCLの子たちは上の写真のジプニーで到着した。
MCLの子たちは、実に3時に起床、準備を開始。5時には出発し、浜で昼食の準備をした。
翌日の平和の祈りなどは、2時に起床して、準備を開始している。
誰に言われたのでもなく、自分たちで相談して、
いやな顔一つせずに、実行していく若者の力に感心する。

いつもなら、図書館でする歓迎会(ウエルカムパーティー)を、今回は初めて浜でした。


最初は、ちょっと緊張していても、MCLの子どもたちののびのびとした雰囲気に押されて
日本の子どもたちの顔も少しずつ代わっていく。
MCLの若者たちは、あっという間に、日本の子たちに接近し、名前を覚え
共に海で泳ぐ頃には、互いの距離も消えていく。

最初に日本の子どもたちの顔を見たときには、「なんと子どもらしくない、硬く孤独な顔をしているのか」と
私は、少し心配になったが、最後に彼らの顔を見たときには、驚くべき事に、ミンダナオの子どもたちと
寸分違わない、明るく、のびのびと解放された顔になっていた。
この変化は、私自身、驚きだった。

(第2日)
マノボの聖地
ラナコランで平和の祈り
MCLの若者たちが、祈りの踊りを披露

今回の平和の祈りは、ラナコラン村で行った。
私たちの奨学生がたくさんいる、マノボ族の先祖伝来の土地として保護された山岳地域。
長年ダバオに住んでいるドライバーも、「いったいどこですか?」

4WDのピックアップで、どんどん山道を登っていく!
視界が開け、アポ山山麓の美しい風景が飛び込んでくる。
ラナコランについたときは、その美しさにビックリ
遠く西に、アラカンからイスラム地域のピキットまで見渡せる。
東は、アポ山からダバオが遙かに広がる。
そして、アポ山の北に位置するこの地域は、マノボの聖地だ。

イスラム教徒、キリスト教徒の両地域を見渡す中間の先住民族の聖地!
まさに、「平和の祈り」にぴったりの場所。


「平和の祈り」は、2008年のピキットでの戦闘以来、
毎年かならずミンダナオ子ども図書館で実施している
プロジェクトの一つだ。
例年は、3月に実施。今年は、立正佼成会の訪問が、
選挙の影響もあって8月に延期されたので
それにあわせて計画を延期して実行した。
イスラムの祈り、マノボ族の祈り、クリスチャンの祈りに加えて、
立正佼成会は、仏教の祈りを代表して下さるので、大歓迎だ!
どなたでも参加できますので、ご連絡ください。


祈りも、こちらでは踊りで表現する。
歌、言葉、踊り、五体で全力で表現していくのがこちらの特徴のように思える。」
この祈りの踊りも、若者たちが自分たちで組み立てたものだ。

イスラムの祈り、マノボの祈り、移民系クリスチャンの祈り
今回の祈りは、MCLの大学生の奨学生にお願いした。
イスラムの祈り マノボ族の祈り 移民系クリスチャンの祈り
小さな子たちも祈りを踊りで表現



今年から、年齢の低い子たちがミンダナオ子ども図書館に増えた。
その結果、MCLがさらに家庭的になったと同時に、彼らも独自に祈りを表現。
全員がMCLに住んでいる。

立正佼成会の親子による平和の祈り

そして、いよいよクライマックス。日本から訪問された立正佼成会の仏教の祈り。
次期「教祖」さまも娘さんと参加してお経を読まれた。
とても優しい方で、母親のいない妻のエープリルリンを我が子のように愛して下さった。
仏教の経典が、山々の風景にゆっくりと溶け込んでいく。
子どもたちも、真剣に聞いている。
非常に厳かで良い感じだ。
現地の子たちにとっても、このような体験が平和を築く礎になると感じる。


この山岳地域は、日本人にもゆかりの深い地域で、
日本人が戦前20万人も入植し、先住民と結婚しながら、平和に住んでいたダバオのカリナン
大戦が起こったときに、カリナンに日本軍が陣を張り、敗戦と共に、故郷に引き上げた者もいるが
多くの日本人が妻の家のあるこの山岳地域に逃げ込んだ。
その後、そのまま日本国籍を隠して住み続けた。
私も、この山の領域で、時々、祖父が日本人だったという人に会う。
どう見ても日本人の血が流れていることがわかる人も多い。
MCLのスタッフ、ジケロ君もその流れをくむ一人だが。

マノボ族の伝統的な踊りをみんなで踊った

一連の祈りが終わった後、みんなでマノボ族の踊りを踊った。
日本の人たちも、私も加わって、みんなで踊った。

最後に平和の歌をみんなで唱った
夢ポッケをみんなに渡す
祈りが終わり、日本の子どもたちが、現地の子たちに一つずつ、夢ポッケをわたす。
夢ポッケとは、立正佼成会の信者の方々が、心をこめて一つずつ作った手縫いのバッグに
それぞれ思い思いの学用品やおもちゃが入っている。

同じものを一斉に渡す、いわゆる「支援」と異なっていて
一つ一つに渡す側の思いがこもっていることがわかる。
引っ張り出して、それぞれ違うおもちゃに大喜びしあう子どもたちの顔を見るのは楽しみの一つだ。

現地の子どもたちは、夢ポッケを胸に抱いて、美しい風景の中、自分たちの貧しい集落に帰っていった
(第2日午後)
キアタウ集落で昼食と交流

午前中、ラナコランで平和の祈りを終えた後、そこから30分ぐらいのキアタウ集落で昼食。
この集落とのおつきあいは長く、たくさんの奨学生がこの集落から来ている。
彼らは、ここから7キロも歩いてラナコランの小学校や高校に通わなければならないので
今、平和の祈りをしたラナコラン村に、MCLで下宿小屋を建設している。

信じられないほどの美しい風景に、立正佼成会の子どもたちもビックリ仰天。
しかも、この急坂を車で下っていくのに、地元ダバオの4WDドライバーもビックリ仰天。

キアタウには、諏訪俊子さんが寄贈された、保育所がある。


このキアタウは、先祖伝来の土地として
保護されているのだが、
ごらんのように、森林伐採によって
周囲に木がほとんど無い

昔はジャングルだったのだが
木材の多くは、日本に輸出された。
ここで降る雨は、保水力がないために
鉄砲水となって下り
その下流に位置するピキットの湿原に
流れ込み、膨大な洪水被害を
毎年起こしている。

この問題を、日本政府として解決できたら
どんなにすばらしいことだろう。
この山岳地域の森林復活

人々の生活の糧となる
ヤシやゴム、マンゴーなどの林を作ること

こうした作業をMCLでも行っていこうと
思っているが、
何しろ伐採地域が
アラカン全体に広がっていて
あまりにも広大で
小さなNGOだけでは、
手の施しようがない

地元の人々が食べる食事を、みんなでいただく。
蒸しバナナ、カサバイモ、貧しい食事だが、おいしくいただく。
現地の人々のためには、普段食べられない、お米のご飯と
両方のために、豚の丸焼きを用意した。


キアタウには、さらにその下のケロハスからも、親子が登ってきていた。
キアタウも貧しい集落だが、ケロハスはもっと貧しい。
子どもたちの多くは、素足のままだ。
この周辺は、マノボ族の聖地と呼べる場所。
文明から切り離されているだけに、なによりも、子どもたちが素朴で美しい。


立正佼成会の親たちががんばった、紙芝居も大好評。
お父さんやお母さんの奮闘している姿を見ている娘や息子の姿も良かった。

子どもたちに夢ポッケを届けた


最後に、子どもたち全員に「夢ポッケ」を届けた。
一人一人の親子の手から心を込めて渡される贈り物に
子どもたちは、喜びを隠せない。
いつまでも手を振り続けて見送る、裸足の子どもたち。
今度はここに、靴を届けよう。
(第3日)
プランテーションに追われた
カリナンの先住民族たち

カリナンは、ミンダナオに関心がある人なら必ず知っている土地で、
戦前まで、ここには約20万人の日本人が住んで、おもにマニラ麻の栽培をしていた。
先住民族とも結婚し、仲良く生活をしていたのだが、大戦がすべてを破壊してしまい
多くの日本人は、山に逃げ、そのまま先住民族として生活をした。
その2代目3代目に、私たちはよく山の中で出会う。
プランテーションが、先住民の土地を浸食していく過程で
反政府ゲリラ(NPA)として、先住民や移民系のクリスチャンたちと共に
活動した(今もしている)日系人もけっこういるようだ。
これは実際にあって聞く話・・・・
大規模プランテーションに土地を奪われていく過程は
先住民も移民系も同じで、現地を見ていると気持ちは良く理解できる。
気持ちだけは・・・
MCLには、こうした地域から、父親や親戚などが、
NPA、MILF、MNLFに所属していたり、コマンダーだったりする子も多い。
皆普通の人たちで、現地の人々とも仲がよい。
もちろん、政府系に属している家族もいて
皆が、仲良く生活をしているのだから、おもしろい。

今回は、スタッフのマージーがよく頑張った。初期からのスカラーで今はスタッフ。
日本政府との学校建設ODAの仕事なども一手に引き受けて活躍する。

みんなで読み語りを展開

カリナンの郊外、丘陵の山頂に広がるカホサヤン集落は、今不幸に見舞われている。
アンセストラルドメイン(先祖伝来の土地)として保護されているはずなのだが、
地元出身の有名テレビ牧師が、「祈りの山のリゾート」という名目で
売買できないはずの土地を半ば強制的に奪い、外国人向けのリゾートを開発し始めた。
マノボの首領は、殺害いされ、妻も子も足などを撃たれた。
今も、夜に来ては、5000ペソ出すから出て行けと脅される。

有力政治家もからんでいるだけに、
皆怖がって表に言えない。
立正佼成会の某さんの願いで、
殺された首領の子をふくめ、
この土地から20名ほどの小学生を
MCLの奨学生に採用するが、
こうした事実を公にした私も
殺されるかもしれない。
医療プロジェクトの患者に
一回きりではなく、地域の開放や発展に、教育などを通して永続的に関わっていくためにも
医療は、第一のコンタクトプロジェクトとなる。
さらに、この地から30名ほどの奨学生を里親として採用の予定。
ダバオに近く、文化的にも山岳地より良いはずなのだけれども、
追い詰められ、貧困度は激しく、小学校を卒業するのも大変な環境だ。

 
夢ポッケをもらってうれしそう
最後に夢ポッケを皆に届け、子どもたちとみんなで、「カゴメカゴメ」の遊技をして別れた。
そして別れの時が・・・
別れの情景については、
何も語るまい。
写真での子どもたちの姿が
すべてを語っている。

短い滞在なのに
こんなにも心を通わせあえるなんて・・・

一生消えない思い出を持って
また会う日を約束して・・・

ミンダナオの子どもたちも
日本の子どもたちも
同じ顔になっていた。




日本大使館から
ブアランの小学校建設;最終チェック

日本大使館から、二人のフィリピン人スタッフが、ブアランの小学校建設最終調査に来られた。
ブアランには、IMT(国政停戦監視団)の菊池さん関係以外は、日本人は来られていない。
今回は、提出された書類に書かれている事の実地調査。
校長先生と村長さんなどが対応した。

ブアランは、絶え間ない戦闘にさらされてきた地域。
丘陵の下のイスラム地域と、丘の上のクリスチャン地域が激しく対立。
2008年の50万を超す避難民が出た戦闘もここから始まった。
下記に報告している、先日読み聞かせに行った村がクリスチャン地域。
両者は、対立してから長年交流が途絶えている。
わずか一キロ半を隔てる、山の上と下であるにもかかわらず・・・


マニラの日本大使館から来られた、勇気ある若き二人のフィリピン人スタッフ、ハナさんとマリアフェさん
次々と鋭い質問を繰り出す。
右は、奥が村長さん、一人おいて手前が校長先生。若く正義感が強く、エネルギッシュなやり手の先生。
手前がピキットDSWDのおなじみグレイスさん。MCLのボードメンバーだ。


協議の後に、教室を視察。
2000年の戦闘で穴が開き痛んだ教室もさることながら
とりわけ1年生と2年生の多さに唖然。
マカブアルに、ODAで学校を作ったときもそうだったが、学校が出来たという事で
避難民化していた多くの家族が、村に戻ってきた。
実数200人、登録500人でも、今は生徒の実数だけでも600名を超える。
5教室では足りなくて、教育省が2教室を付け足した。

道が失われ、関係が閉ざされていたクリスチャンの村とも交流が生まれてくるし
親戚のいる町や他村に逃げていた家族たちも戻ってくるので、
戦闘が無ければ生徒数は数年で数倍になるだろう。
「一・二年は、2クラスづつにした方が良いですね。
どうせ作るのだったら、いい加減なものにしないようがよいと思います。
早速、帰ったら提案してみましょう。」
子どもたちの現状を見て、お二人からうれしい言葉。


戦闘が再びこの地で起こらないようにするためには、
クリスチャン地域との閉ざされた関係を再び構築しなければならない。
私たちは、下記に記した、クリスチャン集落へ読み語りに行き、すでに関係を構築し始めている。
クリスチャン集落の子たちは、恐れて下のブアランの小学校に通わない。
イスラムの子たちは、山の上を恐れて近寄らない。
かつてあった道は、雑草や木が生い茂る。

グレイスさんと私は、ピキット市に、道路を再び整備する可能性に関して、要請と調査をした。
このことを村長さんに話すと。
「大人たちの感情的なしこりをとるのは、そう簡単ではないでしょう。
しかし、次世代を担う、子どもたちだったら出来るかもしれない」

避難民救済から保育所建設まで、5年以上にわたって関係してきたブアラン。
村長さんも、心から信頼し、尊敬できる方だと感じてきた。
さすが・・・と思った。

「先日、上のクリスチャン地域に読み語りに行き、イスラム教徒の奨学生も同行し
アッラーの歌と、クリスチャンの歌と、マノボの歌を歌ったのですよ」
そう言うと、村長さんは、思わず微笑んだ。
NBC2

対立していた
クリスチャン集落での読み語り

こちらは、ブアランの丘の上のクリスチャン集落。
かつては100世帯ほど住んでいたが、度重なる戦闘でわずかしかいない。
この村は、イスラム教徒の立ち入りを、独自の規定で禁止している。


今回の選挙で落選した、有名議員一族の息のかかった村であることは、ポスターをみれば一目瞭然。
日本政府や国際停戦監視団もかかわった2008年の和平条約締結は、この議員の最高裁への提訴でご破算になった。
兄弟親戚が、各市の市長や副市長、市の役員をしていて、広大な保有地を持っている

村人たちは、全員が民兵に登録されていて、常時武器を携帯している。
一般の農民たちなのだが、彼らは、とにかく土地を守りたい一心だ。
丘の向こうには、勇猛で名高い、MILFのコマンダーもいる。

以下*ミンダナオ子ども図書館:日記8月5日(木)に執筆継続


この村の人々は、ほとんどがカトリック。
この地域に入っているのは、OMIと呼ばれる
フランスミッションの宣教会。
戦時中、イスラムの人々と抗日運動を展開しており
MILFをはじめイスラム教徒の信頼も厚い。

この宣教会は、ピキットの有名なライソン神父や
コタバトのオーランド司教がいて
(日本では、鳴門教会の乾神父がオーランド司教の盟友)
戦闘では、命がけでイスラムの子どもたちを救済している。
MCLのボードメンバーのグレイスさんも
同教会のメンバーだ。

16日には、日本から山元しんぷさんをはじめとする
小倉、行橋カトリック教会他のメンバーが来る。
現在、MCLでは、この村に保育所を建設開始。
山元しんぷさんのミサを準備している。
MCLジャパンからは、
このクリスチャンの村民と下のイスラムの村民に
農園に蒔く種を寄贈予定。
戦闘で疲弊し、農民たちは、種を蒔くにも、種を買えない。

日本の皆さんの支援のおかげで
今ここに、平和の種が蒔かれようとしている
平和の読み語りが始まった

しかし、どのような種よりも、最も美しく効果的な平和の種を蒔いてくれるのが
実はこの子たち。皆さんが支援して下さっている、ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちだ。
初めての読み語りに訪れた。


もちろん、イスラム教徒、キリスト教徒、マノボ族の混成部隊。
イスラム教徒を拒絶していた村人たちも、受け入れてくれた。
みんなでマノボ族の歌、クリスチャンの歌、イスラムの歌もうたった。
イスラムの歌を、歌うとき、アッラー(神)の名が出てくる来るのに村人たちは一瞬たじろいだが
クリスチャンの子たちも一緒に声を合わせて歌うのに驚いたようす。



歌を歌いながら踊る
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たち。

戦闘で疲弊した村に
久々に子どもたちの
歌声がこだます
村の子どもたちも
喜びの表情で
踊りのまねをする




陰で見ていた
村の人々の表情も
少しずつ緩み始める

大きなカブならぬ、大きなカサバイモが演じられる頃には
堅かった村人たちの表情もすっかり緩み
久しぶりに平和を感じている様子だった。
村人たちのひそひそ声が聞こえてくる。
イスラム教徒のジェネッサさんが、読み聞かせをするのを見て
「ほらほら、あの子、下のイスラムの子。あんなにビサヤ語が上手だなんて!!!」
それもそのはず、2年間、MCLに住んでいたし・・・
下は、スカラシップに採用する若者。今度大学生だが、貧しくて学校に行けない。

衣料支援も行った
堅かった村人たちの表情
水を頭に載せて
不審そうに通り過ぎた
おばあちゃんも
(上写真)
最後には笑顔でわらっていた



ミンダナオ子ども図書館だより:7月30日

;マノボデーの準備
2;食材を採りに山へ行った
3;キダパワンの市場
4;みんなで作るマノボ料理
5;会場の飾り付け

6;本番:マノボ族の結婚式
7;マノボ族の歌
8;いよいよ結婚式が
9;マノボの踊り
10;エラさんの講義
11;ガボン牧師とエラさんも踊った

12;イスラム地域のクリスチャン、憎しみと対立を超える試みが始まった
13;支援者と共にアポ山へ
14;MCL ジャパン発足総会開催、法人化へ


マノボデーの準備
食材を採りに山へ行った

毎年、7月の最終日曜日は、先住民族の文化祭「マノボデー」と決めている。
1月末のマギンダナオデー(イスラム文化祭)、9月末のビサヤデー(移民系クリスチャン文化祭)
そしてこのマノボデーが、いわゆる民族文化の祭典。

イスラム教もキリスト教もミンダナオにとっては、外来の宗教で
中東や欧米文化の影響があり、それが元来の先住民文化に溶け込んで生まれた独自の文化。
それ故に、味わい深いが、やはりこのオリジナルな先住民族の文化が持つ
根源的な力は、圧倒的に、若者たちの心を動かす。

普段は、蔑まれ、恥とされているような部分もあるにもかかわらず
このような場を与えてあげると、圧倒的な迫力で皆の心を動かしていく。

急斜面に、カサバイモ(バランホイ)を探す

卑下していた自分たちの文化を、生き生きとした喜びを持って再認識する機会
それが、文化祭の持つ、一つの意味だろう。
喜びの中で、さらにそこに宿る世界観、宇宙観、自然観、生活観を探り出し
現代文明が切り捨ててしまった、大切な精神「心」を回復する。

キダパワンの市場

キダパワンには、活気に満ちた市場がある。
アポ山山麓の町にも、海から、マグロ、アジ、イカなど豊かな幸があがってくる。
それに、地鶏、豚、牛の肉。干物から塩辛まで・・・
活気に満ちた市場には、スーパーマーケットにはない、生活のぬくもりが満ちている。
私は、自分が子どもだった頃の、東京・荻窪の駅前市場を思い出す。

みんなで作るマノボ料理

文化祭では、踊りや歌、伝統文化と同時に食を重視している。
マノボデーには、みんなでマノボ料理を食べる。
今回は、山でとれる野菜や果物が多かったが、
今までに食材として上がってきたものには、蛇や蛙やトカゲもある。
下手物食いなどと思うなかれ!どれもこれもおいしくいただいた。
料理は大事な文化だから、大切に保存し伝えていかなければならないと思う。

ビーコ カラマイハピ(餅米のお菓子)
トウモロコシのお菓子 地鶏の蒸し焼き ビーフン 蒸しモロコシ アドボ
会場の飾り付け

民族楽器のクリンタン
イスラムのクリンタンは、横置きだが、マノボのクリンタンは吊す形式。
軽快なリズムにのって、踊る踊る。こういう機会を経て、新たな伝承者が生まれてくる。


こうした飾り付けのすべてを、子どもたちが、自分たちの手だけで完成させていく。
MCLの庭作りも、すべて彼らのデザインだが、感性のすばらしさには、いつも驚嘆!
ミンダナオの人々は、芸術家だとつくづ思う。


練習は、夜も続いた。表現することの飽くなき情熱。



本番:マノボ族の結婚式
マノボ族の歌
いよいよ結婚式が

今年のテーマは、「結婚式」だ。
イスラムの結婚式が終わり、今回はマノボの結婚式。
結婚式をテーマにしたのは、今回が二度目。
最初の時以上に、今回は、事前にリサーチをして
より、伝統に乗っ取った形態で伝統的な結婚式を再現した。
最初に、家族同士で食事をして、お互いの娘と息子の結婚を確認する。

その後に結納式。


いよいよ結婚式の日取りがきまり、
ダトゥと呼ばれる首領が結婚を祝別する。
首領の役割は、ただの村長とは異なっていて、
神聖なスピリットが降りてきて村人に振り分ける
シャーマンの役割も持っている。

祝別された食事を互いの口に入れることによって結婚が成立する。
マノボの踊り
エラさんの講義

文化祭では、かならずその道の指導者や、深く文化を探求している方々
いろいろな角度から、講演をしていただく。
今回は、MLCのボードメンバーでもあり、マノボの指導者としても活躍している
エラさんにお願いして、マノボ文化について語っていただいた。

エラさんは、那須塩原にある、アジアの農業指導者を養成しているアジア学院に
留学の経験もある方で、日本のつながりも深い。
ご主人は、ボリビアの方で、日本で研修中に知り合った。

ガボン牧師とエラさんも踊った
ガボン牧師は、アライアンス教会の牧師。
MCLのボードメンバーでもある。
興に乗って、エラさんとご一緒に、伝統的な踊りを披露。
エラさんの娘さんも共に踊った。
エラさんの娘さんは、MCLの奨学生。
ガボン師は、閉会の最後の祈りを、マノボ語で捧げて下さった。





イスラム地域のクリスチャン
憎しみと対立を超える試みが始まった

戦闘の絶えないブアラン集落。山麓のイスラム地域と丘の上に移住してきたクリスチャン移民。
ともに恐れて、近寄らない。2008年の50万の避難民が出た戦闘は、実にこの地から始まった。
しかし、下のイスラム地域に保育所が建ち、ミンダナオ子ども図書館奨学生が増え、
さらに日本政府の支援で小学校が建設される計画が広がるに従って、平和構築の試みが始まった。

ピキット市も道を整備すると同時に、両地域に公平に電線を引いた。
IOMもクリスチャン地域の家のヤシの葉を支援をした。
イスラム地域には、赤十字も入り、簡易水道を建設し始めた。

ミンダナオ子ども図書館は、すでに4年前からこの地に、保育所を建て、奨学生たちをとってきた。
今回初めて、山上の貧しいクリスチャン地域を訪れ、最終的なこの地の平和構築に向けた一歩を踏み出す。
 保育所を建設する場所を確認。
 この小さな村が、クリスチャン系移民の前線基地として
 イスラム教徒と対立してきた構図。
 
 問題は、外部から、この構図を利用して
 武器を渡し、集落民を民兵化し
 外部から対立と憎しみをあおって

 乾いた枯れ葉の上に
 マッチで故意に火をつける
 第三の勢力があること???



ここに、この子たちのために
保育所を作り学校を作り
閉ざされた村を開放しよう。

さらにここから奨学生を採用
下のイスラムの村の子たちと一緒に
平和を作っていく試みを
しなければならないだろう。

戦争に嫌気がさして
このクリスチャンの村は
初めて、心を開こうとしている。



 住民たちは、素朴で貧しいから
 戦闘にそそのかす者たちの
 隠れた意図や背景を知らない。
 唯々ひたすら
 自分たちの土地を守ること・・・
 
 しかし、その背後に
 政治的、経済的権力を
 持った人々や組織があり、
 
 さらにその背景に
 国際的な地下資源獲得や
 プランテーションなどの
 農業利権獲得の思惑
 武器売却による利益その他が
 結びついていたとしたら・・・?


 小さな集落に火をつければ
 50万の避難民を出す
 戦争も作れるのだ。
 
 すべての戦争は、
 巧妙な第三者の思惑によって
 作られることを、
 無邪気な彼らは
 何も知らない。


支援者と共にアポ山へ

支援者の西村章さんと一緒に、スタッフのジケロ君、大学生のララン君が、フィリピンの最高峰アポ山に登った。
キダパワン市は、アポ山へ登るための登山口として有名で、登山名簿を見ると世界から登りに来ていることがわかる。
ただし、登るためには、市に登録し、ガイドをつける必要がある。

今回の市が選んだガイドは、なんとMCLに奨学生応募をしてきた若者の弟だった。
キダパワン市は、日本の川崎市の姉妹都市でもあり、大学が7つほどあり、
その一つは州立大学、医療大学もあり、CTスキャンもある総合病院が二つ、その他の病院も4つほどある
高原の学園都市のような存在なのだ。

もちろん、フィリピンのマクドナルドと呼ばれるジョリビーもある。
地域的には、ダバオよりのクリスチャンエリアで、ここまでは戦闘もなく安全であると言われている。
(もちろん、ダバオやマニラより遙かに安全)
ただし、コタバト州の端に属しているので、日本政府の高度危険地域に入るが・・・


今回彼らがたどったのは、メインルート。私がかつて下ったルート。
ここが一般的で、世界から来る人々は、ほぼこのルートをたどる。
これ以外に、より深い、バージンフォーレスト(原生林)を抜けるのが、
ご存じ、スカラーもいる、ウオーターフォールのルート。

そして、ニューイスラエルのルート、さらにアラカンルートもあり、
ただし、現地とつながりがあり、ガイドとポーターを知っている(奨学生のお父さんだったりする)
ミンダナオ子ども図書館でなければ、アレンジできない地域だろう。

山自体は、3000メートル弱だが、裾野のジャングルがすばらしい。
アプローチを含めると、最低3泊は、山中でする。

下から仰ぐと、単純な山に見えるが
登ってみると意外に複雑な地形で
美しい山上の湖沼がいくつもあったりして
峰も入り組んだ岩峰だ。

何しろ、手つかずの自然がすばらしく
まさに原生林の中にいる気配がある。
つまり、妖精たちがたくさん今も
活動している地域なのだ。
なんとこれはブルーベリーの食べ放題だ
山頂からは、はるかダバオ湾が
見渡せる。絶景だ。

ああ、、これぞミンダナオ
一度は経験すると良いだろう。

登りたい方はいつでもどうぞ
ガイドやポーターは、
貧しいマノボの人たちです。

山道を裸足で登ります。
村の活性化にもなるので
歓迎します。




ミンダナオ子ども図書館だより:7月6日

1,マノボ族のバックパック
2,MCLの日常から、土砂降りの日
3,MCLに住みこみの子は、今年は100人を超えた
4,ケロハスに、松岡なつめ様寄贈の保育所が出来た

5,保育所の建ったケロハスには、谷を越えたこの小さな集落から出発する
6,行く手を深い谷が遮る。ケロハスの村は、この谷の向こう側だ
7,やっと目的の保育所が見えた!
8,
開所式は、マノボの歓迎の踊りから始まった
9,セレモニーの後の読み語り
10,最後は、今や定番の「おおきなかぶ」ならぬ「おおきなカサバ芋」で終わる
11,急坂を下って帰路につく
12,マキララのドールに追われる先住民
13,ドールのバナナに、日本の新聞が使われている理由?
14,プランテーションに土地を奪われ山に追われたバゴボ族
15,学用品の支給を開始
16,網膜の手術が完了した
17,放っておけない子どもたち



マノボ族のバッグパック
欲しい方いらっしゃいますか?



MCLの日常から
土砂降りの日!

土砂降りの雨が降ってくると、いち早く外に飛び出して、雨の中ではしゃぐ子どもたち。
山の生活では、水は貴重だから、
とりわけ、水浴びをするためには、半時間も山道を下って、わき水のある泉まで下りなくてはならないから
そんな山育ちの子たちにとって、土砂降りの雨は、うれしい水浴びの機会なのだ。

小さな子たちは
服を脱いで
男の子などは
パンツも脱いで
素っ裸になって
雨の中を駆け回る
そのうれしそうな様子!

土砂降りの雨の中で
花いちもんめをして
遊んだり・・・

日本の子たちにも、
このような体験をさせてあげたいと
思うのだが?

親に怒られそう!
今年は、100人を超えた

MCLに住み込んで、近くのマノゴル小学校、高校に通う子たちが
今年は、90名を超えるだろう。
スタッフも含めると、100人ぐらいが共同生活をしはじめた。

一部の子たちは、おばさんの家などに移籍するから、
結果的には、前と同じ90名程度になるだろう。
と考えたのが甘かった?
移籍すると言っていた子たち、
(理由は、マノゴルの学校がレベルが少し高いから・・・)
帰って親に相談すると、猛反対された
可哀想に、理由の多くは、
現地の学校は遠いし、
何よりも食べていけない!

年齢が上の子たちが故郷から通う分
親のいない小さな子たちも10数名増やしたので
結果的に100名近くなる。
ただ、雰囲気はもっと家族的になってきた。

1ッヶ月ぐらいは、ヤレヤレ、こんなにたくさんでどうするのだ!
と、子どもたちも、私たちも思ったが
生活し始めて2ヶ月弱
すっかりなれて、この風景が当たり前の家庭となた。

今年は、ソーシャルワーカーも二人増えて、3名の体制となる。
二人ともMCLの卒業生で、一人はこの地域では初のマノボ族のソーシャルワーカー。
MCLから、マノボ族の初めての看護師も、先生も輩出しているから、
ソーシャルワーカーを含めて、残るは弁護士のみ。

マノボ族を擁護するビサヤ系の移民の弁護士が殺されたから、
いよいよ、マノボ族初の弁護士の奨学生支援を考えている。




ケロハスに松岡なつめ様寄贈の
保育所が出来た!!

ケロハスは、山深いマノボ族の集落。深い谷を越え山をよじ登って到達する。
アラカンのこの地域は、本当に美しい場所だ。
緑の山々がつながり
遠くにアポ山が望まれ、ミンダナオの心臓部、秘められた心の故郷を感じる。

もともと、マノボ族の故郷と言うべき地で、今も、この山裾の広大な地域が
アンセストラル ドメイン(先祖伝来の土地)として保護されている。
下の平野の部分は、かなり移民系の人々の所有となっているが、聖地だけは、守られている。
ただ、元々のジャングルは、ほとんど伐採によって失われた。
ここに大雨が降ると、川下のイスラム地域、ピキットなどの湿原地帯に洪水が起こる。



保育所は、この聖地の斜面にある
秘められたような小さな、
マノボ族の集落に建てられた。

首領の話では、ごく最近まで
ここは、反政府軍のキャンプだったという。
今は、教育を通して、
村を立て直したい・・・

ここの子たちは、ほとんど学校に行っていない
行っても、小学校4年までの初等小学校
それ以上のクラスに行くには
10キロも先の学校に通わなければならない。





当然、保育所もない
車の通る道も無いから
村人たちは、資材を担ぎ馬に乗せて運び
保育所を自分たちの手で建設した





看板を担ぎ上げているのは、
この村で唯一高校を卒業した
ピティ ボウイ君

麓のファウスト神父の奨学金で高校を卒業
今は、ミンダナオ子ども図書館の奨学生で
大学に通っている

学校の先生を目指している好青年だ。

保育所の建ったケロハスには、
谷を越えたこの小さな集落から出発する

ケロハス村には、この山麓の小さな村から歩き始めるか、上の方のキアタウ村から歩き始める。
とにかく、徒歩で踏み痕道を歩き続けて到達する。
今回は、ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちとスタッフ、25人あまりが開所式に参加するためにケロハスに向かった。
マノボ族、イスラム教徒、クリスチャンの奨学生たち・・・

麓の村から歩き始める。
ここには、バナナの農場があり、ここまでは車で何とか近づける。
前方に、広大なミンダナオの高地が広がる。このはるか先に、イスラム教徒のいるピキットがある。
素朴な小さな村は、本当に心が和む。マノボ族の子どもたちが可愛い。
髪の毛が褐色になっているが、これは自然な姿で、染めたわけでもない。


行く手の山は、私たちの奨学生たちがたくさんいる地域。
キアタウ、トマンディン、カヨパトンといった集落で、ここから見える裾野に、すでに4つの保育所が建っている。
ケロハスの村も、実は、この山の裾にある。

行く手を深い谷が遮る
ケロハスの村は、この谷の向こう側だ

この雄大な裾野に、点々とマノボ集落が点在している。
写真で見にくいかもしれないが、中腹の右端の方に小さな村があり、小学校と高校がある。
ところが、点在している集落からは、10キロも道のりがあり、なかなか子どもでは通いきれない。
ミンダナオ子ども図書館では、各集落に保育所を建設してきたが、最後に、学校のある村に
河野さま一家の寄贈で、下宿小屋を建てることになった。建設は7月から開始される。
そうすれば、ケロハスの子どもたちも、キアタウの子たちも、下宿をしながら学校に通えることになる。
下宿は、キアタウの親たちが維持する。キアタウの高校生の奨学生も手伝って・・・

平坦に見えた行く手が、突然途切れて
目もくらむような深い谷があらわれた。
この谷の向こう側に、ケロハス集落があるのだ。
この山の中腹には、ケロハスのほかに、キアタウやカヨパトンといった
マノボ族の集落が散らばっていて、MCLの奨学生が、あちらこちらの村にいる
この地域は、本当に美しく、私たちだけが近寄れる地域だ。


陸稲の手入れをしている
子どもたち


この谷を渡って
さらに急な崖を登る

想像以上に深い谷に愕然とする。しかし、さすがにこちらの子たちだ、奨学生たちは、靴を脱ぎ、裸足になって、かけるように斜面を下っていく。
重い荷物にもへこたれることなく・・・?



こんな谷底にも
畑を作って、人が住んでいる
マノボ族の家族たちだ。

平坦な土地は、土地所有が決まっていて
自分たちの自給地を持つためには
こうした、人が見向きもしないような
場所に、トウモロコシや陸稲を
植えなければならない




学校に通っていないが、
保育所が出来たら、この子たちも
新しくたった保育所に通うのだという

さらに小学校になったら、
MCLの奨学生に採用しよう
今回のケロハス集落の保育所建設と案内役に、キアタウの奨学生のお父さんたちが活躍した。 お父さんと一緒にうれしそうな奨学生



山岳地域もなれたもの
軽々と荷物を運び上げていく



やっと目的の保育所が見えた!
正直に言って、こんなに遠いとは思わなかった
遠いというよりは、谷を越えていく
急斜面の道のりは、素晴らしかったが
思ったより厳しかった。

私は、二度目だが、
一度目は、上の方から
斜面を降りてこの村に来た。

それにしても、
キアタウを始め、この地域の人々の
素朴さと風景の美しさは
絶品中の絶品。

アラカンには、イタリアのミラノ修道会が入り
イタリア人神父が数人いる。
彼らがこの地に引かれた理由が良くわかる
マノボ族の美しい素朴さ
そして、北イタリアの丘陵地帯によく似た風景

僕の秘密の場所だったのだが・・・
キアタウ集落のお父さんたちから、
ここに、日本人を迎えられないだろうか・・・と言う話が出た。
収入が少なく、土地を手放すマノボ族も多い、
観光?による地域興しが出来ないだろうか・・・

「うーん!セキュリティの問題は?」
「大丈夫、私たちが保証します。この奥には、不思議な巨大な洞窟があり、
その奥に泳げる場所もある」
「?????」

私も一晩泊まったことがあるのだが、
開所式は、マノボの歓迎の踊りから始まった

マノボ族の子たちの踊りは、本当に可愛らしい。
純粋なマノボの文化が残っている。
もちろん、観光客どころか、外国人が来ることもほとんど(まったく)無いところだから、観光用に踊りなどではない。
保育所が建設された喜びを、伝統的な踊りで表現しているのだ。

こんな素晴らしいところで、
マノボの家に泊めてもらって
素朴な食事を共にして、2,3日過ごしたら
心も体も、すっかり清らかな元気を取り戻すだろう

精神的に病んでいる、日本の若者や中高年に
こうした体験をさせてあげたいとふっと思った。

ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちが
たくさんいる村だし。
スタッフも同行して、2,3日マノボの村で過ごす
企画を立てたら、皆さん来られますか???
セレモニーの後の読み語り

2年から、3年目に入った奨学生たち。第2世代の読み語りが、素晴らしくなってきている。
しろいうさぎとくろいうさぎ、絵を見ただけで、物語が生まれて語る。
イスラム教徒の子も、マノボ族の子も、クリスチャンの子たちも・・・


こちらは、今年からミンダナオ子ども図書館に住み始めた、第3世代の子たち。
ほとんどが、この地域から来た子たちだ。
新しい奨学生たちも、先輩の読み語りを熱心に見ている

最後は、今や定番の「おおきなかぶ」ならぬ
「おおきなカサバ芋」で終わる


うんとこしょ、どっこいしょ、それでもカサバ芋は抜けません!

最後は、平和の歌を歌い、大きなかぶならぬ、大きなカサバ芋の劇で終わる。
これは、本当に評判が良い。
おじいさんから孫、そして犬も猫もネズミも曳くが、特に評判が良いのは、猿だ。そんなの本にあったっけ?

村人たちも、
こどもたちも、
お話しを聞いて
パンを食べて
絵本を見て
遊んで・・・

満ち足りた半日が過ぎた

こうして、私たちと村とのご縁が始まる。
ここから、来年はさらに奨学生を採用し
彼らが村を育てていく。
急坂を下って帰路につく

この急坂を見て下さい!そして風景の美しさと、人々の暮らしの素朴さを!!!!!


私たちは、MCLの収入を求めてスタディーツアー企画を立てたいとは思いませんが、
現地からの声もあり、こうした村に数日滞在したいと言う希望の方があれば、ご連絡下さい、ご紹介します。
生活方法もあらかじめお教えして、セキュリティも万全にして、スタッフや時には私も同泊するような形で、
文明からかけ離れた黄金の日々を過ごしてみますか?





マキララのドールに追われる先住民


超広大にどこまでも広がり
山々を裾野まで埋め尽くすバナナ
ドールのバナナに、日本の新聞が使われている理由?

この新聞をバナナにかけている日雇い労働者に聞いた

「この新聞、どこから来たのかしってますか?」
「下の、スタンフィルコ(ドールのオフィス)からだよ」

「ドールは、どこの会社だかしっていますか?」
「地元の会社だよ」

ドールが、アメリカの会社であり、新聞が日本のものであること、
このバナナは、ほとんど日本人が食べる事も、何も知らない。
教育がないから・・・と言ってしまえばそれまでだが





プランテーションに土地を奪われ
山に追われたバゴボ族

上のドールのプランテーションのすぐ奥に広がる森のなかに
まるで外界から遮断され、隠れたようにバゴボ族の集落があった
タケノコを見つけて食事にする 土地を奪われたにもかかわらず、プランテーションでの仕事はない。
アバカを梳いて、かろうじて生活している
この地域のバゴボ族には、日本人の血が混じっている
アバカの栽培は、かつて日系移民の仕事だった

ミンダナオに居て、あちらこちらに行くと、あっ、この人、日本人に似ている。と言う人々に時々出会う。
中国系の人々は、町に多いのだが、山奥やイスラム地域の奥で、中国人が入りそうもない地域で出会うことが多い。
自分からはっきり日系人だとは言ってこない。たいがい、微笑みながら、近寄るともなく見守っている。
目が合うと、意味ありげに微笑む。聞くと、実は・・・・
いろいろな過去の歴史から、日系であるということは、戦中のイメージとも重なっていて、後ろめたいことでもあったりする。

ミンダナオの子どもたちを、早く寝かせるときに言うことば
「早く寝ないとハポン(日本人)が来て、連れて行くぞ」



遠い道を通ってわずかに小学校に行っている子たち
この周辺の集落のバゴボ族は、ほとんど遠くて通えない
戦中にこの地に移ってきた
日系バゴボ族で
自らバゴボの土地と文化を
守ろうとしている
MCLスタッフのジケロ君の叔父さん
ここに初等小学校を
建てようとしているのだが・・・
日本政府で支援できないだろうか!
日本向けのバナナに追われて
極貧をよぎなくされている
日系バゴボ族なのだから!



学用品の支給を開始

このリックサックのなかに、ノート、鉛筆、ボールペン、定規、消しゴムといった
あらゆる学用品が詰められている。
さらに、新たなノートや鉛筆といった消耗品は、二ヶ月に一回のわりあいで、定期的にスタッフが山に届ける。

小学生対象スカラシップ(里親奨学制度)は、地域を対象としているので
山をめぐり、時には舟にのって届けなければならない。対象地域も多いので大変だ。
年初に支給するバッグは、車で運ぶが、2ヶ月に一度の学用品届は、ガソリン代節約のために可能な限りバイクを使う。


とりわけ大変なのが、7月に支援者の方々に送る、
最新のプロフィールの写真撮影。
「えっ、何で写真撮影が大変なの????」
理由は、休校している子が、必ず数名いるため。
家まで行っても、子どもは留守だ。
「なんで????」

理由は、両親を手伝って、
はるかな山の斜面の畑を手伝っているから!!!
子どもを捜すのを断念して、出直さなければならない。
写真撮影が終わるまで。

皆さんの手元に送られて来るプロフィール。
一枚の写真ですら、大変な苦労が必要なのです。
これが理由で、小学生のプレゼント届を断念しましたが、
返事が数ヶ月から半年ほど送れてもよろしければ
手紙やプレゼントを届けます・・・・

これが僕らスタッフの昼食弁当。経費削減を考慮して、文字通りスタッフは手弁当で活動する。写真は、日系マノボ族のジケロ君。




網膜の手術が完了した

先日、休みの日、市場に行くと、道ばたで母さんとシンカマス(砂糖大根)を売っている彼女に出会った
二度目の手術を受けて、よく目が見えるようになった。よかったね。




放っておけない子どもたち
足と手の指がなぜか6本

左手と両足に、指が6本ずつある彼女
カヨパトン集落で、唯一の高校生。
でも、高校までは、本当に遠い道のり。
放っておけなくて、
MCLに住みこみ、
近くの高校に通うことになった

本人は、とっても明るく、
今回も許可を得て写真を掲載するけれども
将来を考えると、
MCLに住み込んで
しっかり、大学に行くのが良いと判断した。

支援者が 見つかりました!
私たちが、野菜を売って、たくさんの兄弟姉妹を養っています
父親を失い
母親は、この子たちを含めて
7人の子を育てている
祖父母もいっしょだが
非常に貧しく
辺鄙なところに住み
この子たち3人が
野菜を売って、
米を買って
実質的に家族を養っている
学校に行きたいけど
お金が無くて行けない。
真ん中の子だけが
昨年1年生に通ったが
帰るとすぐに、
毎日野菜を売りに出かけるため
進級できていない。

MCLによく野菜を売りに来るので
顔だけは知っていたが・・・
事情や環境がわかって
MCLに住み込んで
学校に通うことになった
今年、MCLは、はっきり言って、食費だけでも大変だ。
何しろ、90名近くがともに生活することになったから。
(自由寄付を生活費として、投入しているのですが、食品を始め物価の値上がりが激しくて)
予定では、今年自宅に戻り、そこから学校に通うはずだった子たちが、
世界的な経済不況の結果、家で養いきれなくなって、もどってきたこともひびいた。
これが予定外だったことと、上の写真の子たちのように、どうしても放っておけない環境の子たちが多くなった。
これから、高校生のスカラシップ17人、小学校の里親を53人探さなければならない。
まだ全部の子たちの写真等を載せていないのですが、順次掲載していきますので
よろしくお願いします


ミンダナオ子ども図書館だより:6月29日

1、パマリアン集落で多くの難民
  とにかく子どもたちが多い!二晩も雨に打たれたまま外で寝ていた。
2,状況を見かねて昼にはシートの支援を開始
3,同時に読み語りも




パマリアン集落で、さらに多くの難民が・・・

ピキットとアレオサンの境界に広がる丘陵地域が今回の戦闘勃発地域だ。
以前のニュースで、3月に入り、米軍がピキットの道に砂利を敷き詰めている話を載せた。
おかげでブアランまでもハイエースで入れるようになったが、案の定、軍の車も入りやすくなり戦闘が勃発した。

ブアランとパニコパンで読み語り

私たちは、先週ブアランとパニコパンの難民支援をし、週末の土曜日は、
この二カ所で読み語りをする計画を立てて実行した。

この地域の人々は、ブアランに近い丘陵地域から
逃れてきた人々で、読み語りのあいだじゅう
遠方の丘陵地域から迫撃砲の音が聞こえてきた。

難民の数は思ったよりも少なかったが
ブアラン地域は、次第に増えつつある

その後、パマリアンに難民が集結している、何とかして欲しいと
現地の村長から連絡が入っており、調査に向かった。
現地に行って、唖然とした。
シートもなく、椰子の葉をおいただけの掘ったてで、すでに二晩の昼夜を過ごしている。
その数は、他の2地域よりもはるかに多くとりわけ子どもたちの多いのに驚かされた!
この様な状態のなかで、子どもも大人も2晩以上過ごしている。
今は、雨の非常に多いシーズンだ。
もちろん他からの支援は全くない。
子どもたちが非常に多いのには驚かされた。
80%が子どもたちだと言っても良いだろう。
一晩なりともこのまま放っておくことは出来ないので、早速ピキット市にもどりシートを購入。
子どもたちが、
毎晩雨にうたれているかと思うと
居ても立ってもいられず
早急にシートの支援を決めた

人々は呆然としている
「早急にシートを支援しましょう」
「支援を決めても
いつ戻ってくるのか?」
半信半疑の様相だ。

多くの支援は、調査や決定に時間がかかる
難民が出て、速くて2,3週間
遅い支援は数ヶ月後である。

しかし、難民にとって
初期と、後期が一番厳しい時だ
とりわけ雨の多い熱帯地域は
初期のシートが死活問題。

それを知っているので、
今回は、午前に調査、
午後にシートを支給した。
ピキットの市場で購入したが
そんなお金どこにあったかって?

つけバライで購入したのです
店主が私たちを良く知っているので・・・
「また、難民ですか
大変ですね。どうぞどうぞ・・・」



状況を見かねて
昼にはシートを準備
シートカットの方法も、それなりの技術がいる。
可能な限り長く広げて、4ロールを重ね、6メートルにカットしたシートを添えていっぺんにカットしていく。

午前中の読み語りが終わりこれで今日のスケジュールが完了したかと思いきや
急きょ難民救済が始まる。
ピキット市内でシートをカットして準備をする若者たち、彼らは本当に頼りになる。
400枚を超えるシートが、瞬く間に準備されていく。


さっそく緊急支援を開始
若者たちが中心になって、次々にシートが張られていく・・・
暗かった難民キャンプに笑顔が戻り始める。
とにかくこれで一息つける・・・


同時に読み語りも・・・
シート張りと平行して、読み語りがはじまる。
午前に続いて午後の2セクションこちらもお手の物だ。
それにしても、とにかく子どもの数が多い

難民支援は始まったばかりだ。
長く続かなければ良いのだが、ブアランでは、右の写真のように
一部の難民は、椰子の葉で完全に家のような物を作っている。
これは、長期化を覚悟した結果だという。

MCLではシートを張ったが
とりあえず雨にうたれなくてすむだけであり
難民支援は始まったばかりだ

たびたび通い状況を把握しながら
医療、食糧、衣料しえんなどをしなければならないだろう

支援方法支援方法


ミンダナオ子ども図書館便り:6月23日

T:ピキットのブアラン近郊で戦闘があり、再び多くの難民が出ている

  ピキット近郊で、政府軍とMILF軍が衝突し、多数の難民が出ている。

U:次々と医療患者が・・・
  写真は、ピキットのラガイエン出身のスカラー、Kakim Noraimaさん。

V:キダパワン市の貧困地域での読み語り
   訪問者は、とうぜん国道に沿った表側だけを見るから、そこで生活している人々の真の姿を知らない。

W:MCLでの読み語り,




ピキットのブアラン近郊で戦闘があり
再び多くの難民が出ている

ピキットのブアランとアレオサン近郊で、政府軍とMILF軍が衝突し、多数の難民が出ている。
ブアランは、2000年の戦闘の砲弾跡を残したままの小学校がある地域で、非常に貧しい地域である。
ミンダナオ子ども図書館で保育所を建設、小学校や高校生のスカラーもいる。
去年の8月に発生した戦闘で、半年間も難民生活を余儀なくされていた人々。
ようやく今年の3月に家に戻れたところ、3ヶ月で再び難民化することになった。

木の枠組みだけ作ってもシートがない。

高熱を出していた、4人の子どもたち。

この様な状態で夜を過ごしている
かなり広範囲に難民が出ており
国道沿いもふくめて、
難民は各地に散らばっている。
ハウスベース(親戚などの家に逃れた人々)
の場合はまだよいのだが、
写真の地域のように、
野外に逃れた人々は悲惨だ。
雨の多いシーズンなので
緊急のビニールシートが必要。
熱や腹痛などの病気の子どもも多く
早速、ミンダナオ子ども図書館に
保護して、治療をすることになった。
ミンダナオ子ども図書館で、とりあえずビニールシートを支援した。手伝っているのは、スカラーのザイノディン君



この様な雨よけも無い所に
子どもたちを放っておくことは出来ない
熱帯雨林地域の雨は、半端でない



左の少女は、両足先を膿んでいた
上の子たちは、
高熱を出して寝ていた。
ミンダナオ子ども図書館の子たちも
高熱を出して入院したが
今流行のインフルエンザか・・・

この様な場所においておくことも出来ずに早速、ミンダナオ子ども図書館に収容した。
しかし、後述したが、ここ数ヶ月の連続する患者の治療で医療費が底をついている。
今後、戦渦が拡大すると、大変な状況になっていく恐れがある。
6月から7月にかけて、新たな戦闘が勃発する噂があるが、現実にならないことを祈るのみだ。

ピキット地域だけではなく、ミンダナオ子ども図書館の水田のある、マタラム地域でも軍が入り戦闘が広がっている様子。
今回の戦闘で、軍は、3ヶ月分の「お弁当」(食料)を準備しているという話が聞こえてきた。
最低、3ヶ月は戦闘が続くという意味だろうか????
可哀想なのは、子どもたちだ。





MCL(ミンダナオ子ども図書館)
だけが、難民たちの唯一の頼り。
現地で奨学生の
ジハッド君と
バイナオットさんに会った。
私たちが来て
本当にうれしかったようだ

この地の人々は皆
私たちを知っていて
「本当にMCLは
頼りになってうれしい」
と言ってくれた。
当然、この時期は、どこのNGOも政府も、救援活動を開始していない。
恐らく戦闘が拡大するとしても、救済活動が開始されるのは数週間後だろう。

緊急支援は、夕暮れまで続き
最後に、病気の子たちと
その保護者を車に乗せて
一路
ミンダナオ子ども図書館に向かった

明日から、さらに本格的な
救済活動が始まる

病気の治療も
開始しなければならない

ヤレヤレ





次々と医療患者が・・・

ミンダナオ子ども図書館の運営で、戦闘が起こった時は別にして
最も予期できないのが、医療と車の故障だ。
予算をとってはいるのだが、とりわけ医療は、過去の事例を見ても、
突然に次々と病気の子どもが運ばれてくる。

写真は、ピキットのラガイエン出身のスカラー、Kakim Noraimaさん。
難民だったところを、支援者の意向で小学校のスカラーに採用された。
戦闘は終わり、難民状態の生活は終わり、自分の家に戻り
学校に通い始めたところまでは良かったのだけれども、
右足の膝の裏側から腿にかけて痛みが広がり、歩行するのも難しくなった。


どうも肉腫のような物が出来て、3ヶ月の短期間に大きくなっていくようだ。
それで、ミンダナオ子ども図書館に運ばれて、キダパワンの病院で診てもらったところ
手術が必要で、癌の可能性も有るという。
さっそくダバオのドクターに診てもらったが、DMCと呼ばれるJICAも支援している
公立病院でも最低10万、私立病院だろ20万は軽く出ると言う。

公立病院では、入院したまま、病院が手術を決定するまで数ヶ月かかり
かつて半年も滞在した患者がいた。
日本では考えられない病院事情なので、キダパワンの医師に相談して
最良の方策を現在模索している。
スカラーでもあるし、何としてでも治療を成功させたい。
彼女の従妹(下左の写真)も、歯茎が出る奇形で手術をした。

戦闘地ピキットでは、しばしば、目が飛び出す異常、瘤などの奇形、癌、そして
戦闘期間や難民生活ちゅうに妊娠した子の異常などの奇形が見られる。


Kakimさんの従妹の歯茎の治療は完了。
8月に、その後の経過を診ることになっている。
かつて2000年、2002年の戦闘後に
奇形が増えた理由に疑問を抱き
大学時代の友人で、現在は
カトリック教会大阪司教をしている
松浦悟郎くんに話をした。

彼は、私の写真を見て即座に
「劣化ウランとちゃうかなあ」と言った。
さすがに、正義と平和協会の代表。
私は知らなかったが
写真集を見せてもらって驚いた。
似た症状の子たちに多く会っていたから。
白血病で亡くなった子もいる。
知り合いの子も奇形だった。

その後、中国新聞社から取材を打診する
連絡をいただいたのだが、
危険すぎる地域という理由で
許可が下りずに断念。
劣化ウランは、証明は難しい。
Kakimさんも、
癌でなければ良いのだが・・・
劣化ウランに関しての中国新聞の情報は
右をクリックInfo

それにしても、ここ数週間で、次々と病人が出た。
今はやりのインフルエンザでは無いと思うのだが
最初は喉の痛みと咳から始まって、ある時あっというまに高熱が出る。
半端ではない、39度から40度を超える熱が出るのだ。


高熱が出るたびに、最初は病院に運んで薬を出してもらった。
様態が重い子になると、意識がもうろうとしてくる。
医師に言われて、その様な子は入院することになった。
一貫して症状は同じ。
その後も、次々と感染し、ほとんど20人に上った。

幸い、薬で治療すると、熱は短日間でひき、
問題ないこともわかってきたので、なるべく家で治療をすることにした。
ほんとうに、費用が馬鹿にならない。8月までの医療費予算がこれで消費されてしまった。

さらに追い打ちをかけるように、別件の子どもの治療が舞い込む。
幸い、去年看護学を卒業したスカラー、
Feさんが今年からボランティアスタッフで活躍してくれているが
あまりにも次々と患者が出て、その対応に苦心のあまり、涙ぐむ場面も・・・





キダパワン市の貧困地域での読み語り

ミンダナオのどの町でも市でも、表側と裏側がある。

訪問者は、とうぜん国道に沿った表側だけを見るから、そこで生活している人々の真の姿を知らない。
裏側の人々は、町から少しはずれた墓地などの周辺で、特に川沿いに生活している。
川沿いに生活している理由は、彼らは水道が得られないし、洗濯や水浴にも水が必要だからだ。
大概は、かなり汚れた汚水なのだけれども・・・・


かねてから私たちは、こうした地域の子どもたちを対象に活動しようと考えていた。
最初は戦闘で疲弊するイスラム地域、それから極貧で山に追われた山岳地域のマノボ族
その後、最後に足下の市街周辺に散らばるスラム地域の子どもたち。
キダパワンにも数カ所そのような地域があり、ほとんどの子どもたちが小学校にも通えない


今年入ったばかりの子たちも、いきいきと始めての読み語りをする。
最初期のスカラーの一人、アイリーンが訪ねてくれた。
結婚して一児の母。今年、学校の先生になる。
ここからも、両親の亡くなった兄弟姉妹がスカラーとなり、MCLに住んでいる。

こうした地域の子どもたちは、町に出てゴミを拾うことを仕事にしている。
夜は家に帰らずに、ストリートチルドレンとしてさまよっている子も多いし
高校の年齢になると、売春を強要される子もいる。
ミンダナオ子ども図書館は、こうした都市型の困窮を背負った子を、今後少しずつ支援していくことにした。


MCLでの読み語り

その日の夜から、毎週日曜日の夜は、MCLでスカラー達だけで読み語りを楽しむことにした。
新しいスカラーたちにとっての練習の場にもなる。
小学校一年生のスカラーも堂々と読み語り もちろん、始めての体験なのだが、 彼は、まだ字を読むことが出来ない
しかし、絵を見ながら語る。爆笑に次ぐ爆笑!
最後は、今年は言った
プロック8のマノボの少女が
見事に昔話を語った。
ここでは、祖父母や両親から
また、村のお年寄りからお話を聞いて
育っている子が大半で
小さな子でも、半数以上が昔語りをする。

これこそ、語りの神髄だ!
絵本だけでは、
地元のオリジナルの
語り文化が途絶えてしまうので
必ず、語りを交える。


現代社会では、絵本から語りが生まれてくるように思っている人もいるが
歴史的に見ても本来、語りから絵本が生まれたのであって、絵本から語りが生まれたのではない。
絵本が定着するようになって、絵本こそが定番のように思われる嫌いがあるが
語りは、一人一人の個性によって、同じはなしでも違ってくるし
同じ人でも、目の前にしている聴衆?の雰囲気によって、微妙に調子が異なってくる。
語りとは自由な物なのだ。

彼らの語りを目前にしていると、それが良くわかる。
絵本の読み語りも、そういった「本質」が基盤となって実行されているので、
いわゆる絵本の「読み聞かせ」のように「聞かせられる」のではなく、「語られる」ので本当に楽しい。
わたしが、ここの読み聞かせを「読み語りと」呼ぶのは、そのせいである。



ミンダナオ子ども図書館だより:6月10日

T:2008-9年度:決算報告

外部監査士に依頼して、毎年領収書のチェックから報告書の作成までをお願いしていますが、
非常に良いと太鼓判を押されました。

U:2009年度スタッフ紹介


V:新たな展開新たなスカラシップ
今後、ミンダナオ子ども図書館は、足下のキダパワン市のストリートチルドレンに焦点を当てていく予定

W:2009年度のミンダナオ子ども図書館に住み込む子たち

今年は、意識して低学年の子たちを入れた
年上の子たちにとっても、お姉さんお兄さん役をこなすことは重要だと考えたから。
その結果、ミンダナオ子ども図書館は、ますます大家族的になった

X:ミンダナオ子ども図書館の新しい役員が選出された

Y:茨木ロータリーアクトによる保育所が完成した!

Z:マリアフェの事
彼女は、深く亡くなった母親を慕っている。
母の死と同時に、自分自身が、母親と一体となり、二人の弟の面倒を見始めた。

[:医療活動も絶え間なく続いている

\:日本政府から、勇敢にも?停戦監視団の菊地さんがマカブアルの小学校を訪れた



2008-9年度:決算報告
ご覧になりたい方は以下をクリック
決算報告
円ーペソのレートを0.5とすると寄付総額が、20,464,163円
支出が、17,442,354円で、ほぼ全てが個人寄付

概観

 2008年度は、ミンダナオ紛争も起こり、とりわけ難民救済活動が活発に行われた。Info
幸い、皆さまからの支援で、ビニールシートを張ることから、医療、炊き出しと、
半年に渡りきめ細かな救済活動が出来。
多くの人々に代わって心より感謝をいたします。

 4月から5月にかけては、6月から始まる新学年の準備時期であると同時に、決算の時期でもあります。
毎年、フィリピン政府に提出する事業報告、決算報告書を作成しますが、
今回もネット上に、決算報告書を掲載しました。
外部監査士に依頼して、毎年領収書のチェックから報告書の作成までをお願いしていますが、
非常に良いと太鼓判を押されました。



人件費

スタッフは、以下で今年度のスタッフを紹介させていただいていますが、
M−CAP事業のスタッフも増えました。
ただし、MCLとM−CAPは、会計は別で、人件費も含めて、いっさいの経費を
MCLへの皆さまからの寄付からは使用していません。
今後も、M−CAPは、独立してMCLの活動を支える、
ジェネレートインカム プロジェクトとして活動していきます。

スタッフ給与は、オノラリウムの項目で提出していますが、
プレシデントも経理も会計も、ドライバーもハウスキーパーも
職種に関係なく、役員であっても、一律5000ペソ(約10000円)としています。
これは、キダパワン市の私立高校などの
職員の初任給ほどであり、公務員はその3倍ほどの給与をもらっていますが、
一般としては、まあまあと言ったところです。

MCLは、さらに健康保険、年金をスタッフに支払っています。
また、MCL内に住んでいるスタッフが多いのですが
彼らの食費、光熱費、居住費を全て賄っていますので、外で働く以上に保証され、
それらを考えると給与も10000ペソに匹敵すると言われています。

その他、ボランティアスタッフ制度を設けて、卒業した学生のなかで、
ボランティアスタッフとして生活しながら経験を積み
将来の仕事を見つけていく場を作っています。
ボランティアスタッフの給与は1000ペソですが、健康保険と年金が支給されます。
現在、農業部門と看護部門で活躍していますが、優秀な子は、スタッフとして採用されていきます。

ディレクターの仕事は、日本とフィリピンを結ぶ仕事ですが、私も含め現在は、無給のボランティアです。
生活費は、日本での講演や執筆で賄っています。
(日本人の給与は、フィリピン人の約20倍ですので、寄付を可能な限り現地活動に落とすために、
全ての事務業務は現地で行うのを原則として、現在まで松居友が一手に引き受けている状態です。
今後、現地で日本人またはフィリピン人スタッフで、対日本事務を手伝ってくれる人材を捜すのが課題です)

スカラシップ
スカラシップは、小学校から高校まで合計すると、357名になります。
内訳は、大学84名、高校115名、小学校159名です。
2008年度は、20名以上の大学卒業生が出ました。

今までの職種を見ると、病院の看護士、教諭、農業、会計士、自動車整備工、会社員などで活躍しています。
最貧困層の、しかも優等生を優先せず、家庭環境の厳しい子たちを優先している割には、
厳しい現状の中をがんばって生きていると言えるでしょう。

ミンダナオ子ども図書館自体も、M−CAPを通して「仕事を作る」事を目標に新たな事業を展開しています。
そこで働いているスタッフも皆ほとんどが卒業生です。
今後も、ソーシャルワーカー、教諭、農業、商業、看護士など
様々な職種で働く子たちがMCLを支えていくと思います。

子どものシェルター
世界の辺境であるミンダナオでも、経済的クライシスの影響で、最貧困層の日雇い仕事がカットされるなか、
子どもの教育費どころか、三度の食事にも事欠く家族が頻出してきています。
それらの子たちが、ミンダナオ子ども図書館に
住みこみで学校に通いたいと申し出が多く、約70名近くが、共同生活を行うことになりました。

共同生活の場合は、食費から生活費全般をミンダナオ子ども図書館が丸抱えで面倒を見る必要があり、
費用も多くかかり、キャパシティの面も含めて、MCLだけでは人数も限界に来ているかと思われます。
それゆえに、マキララファームやアンティパスに宿舎を設けて若者、特に男の子達が、農場を手伝うことによって
食物の供給を増やし、少しでも自給自立していく、新たな体制を作りつつあります。

保護の必要な低学年の子も受け入れを拡大し、子どものシェルターとして
高学年の子たちが、低学年の世話をすると言う形で、若者たちの協力を得ながら
大家族的な協働生活を実現すべく進めています。

医療
医療は、とぎれなく実行されています。
現在も、40度に近い高熱の子たちが、突然18名も出て、一部の子たちは病院に収容されました。
医療は、絶え間なく実施されていくので、全てをサイト上でご紹介できませんが、
別事、年度報告で皆さまにご報告いたします。

保育所建設
戦闘の結果、保育所建設支援が遅れてしまいましたが、サパカン集落の保育所完成を始めとして、
今後、ボアイボアイ集落、キアタウ集落、マグペット、マキララ地域に完成させていきます。
保育所支援の方々、もうしばらくお待ち下さい。



新たな展開
新たなスカラシップ




ミンダナオ子ども図書館のスカラシップは
変わってますね・・・
と現地でもよく言われる

成績優秀の子を採用して
欧米流のリーダーを育てる
スカラシップではないから。

不幸な環境の子を探し出し
学校に通うことによって
立ち直っていく場?
とも言えるけれど

言語も宗教も種族も
生活や社会環境も多様だから
美しく楽しい?

新たにミンダナオ子ども図書館に住む子どもたち
この子達の現状に関して、語ることはここでは出来ない。
貧困のみではなく、家庭問題や社会問題の渦中の子たちもMCLには多く住んでいて
その背景も実に実に多様だ・・・

涙を流しながら話を聞く、ソーシャルワーカーとスタッフたち


「ミンダナオ子ども図書館は、孤児施設???でもないし。読み語りの図書館にしては、子どもたちが多いし・・・
文化活動や難民救済活動までしながら、子どものシェルターでもあるし
極貧の子を拾い集めている割には、看護士や教師や農業家や図書館司書や宗教家も育っているし・・・・」



今後、ミンダナオ子ども図書館は、足下のキダパワン市のストリートチルドレンに焦点を当てていく予定

2009年度の
ミンダナオ子ども図書館に住み込む子たち
今年は、意識して低学年の子たちを入れた
年上の子たちにとっても、お姉さんお兄さん役をこなすことは重要だと考えたから。
その結果、ミンダナオ子ども図書館は、ますます大家族的にな
った
新たに住み込みの子たちで役員が選ばれた
左から2番目がプレシデント
「牧師」と呼ばれているが、本当の牧師!
高校一年から開始する。
大学生の多くは、自立して下宿生活をはじめる。
男の子達の中には、マキララ農場で実地の農業研修をしながら学校に通う子もいる。
ミンダナオ子ども図書館は、子どもたちの成長に合わせて、多様な自立を模索している。

ミンダナオ子ども図書館の
新しい役員が選出された


高校・大学のスカラシップの子たち、約250名が無記名投票で役員を選出する
今年のプレシデントは、Lankoban君(マノボ族)
バイスプレシデント、Ronie Odin君(イスラム教徒)
バイスプレシデント、Bernie君(ビサヤ族)
Jeam Salik(ムスリム): 秘書
Jerome(マノボ):経理
Laboan(ビラーン):会計
Awin(ビサヤ):P.I.O.
Lansangan(タガログ):B. Manager
Zainodin(ムスリム):B. Manager
Suhat(マノボ):Sytatarms
  


茨木ロータリーアクトによる
保育所が完成した!
場所は、ARMMイスラム自治区と呼ばれる地域で、舟でしか通えないサパカン集落
リグアサン湿原地帯から、約800人近い子どもたちが小学校に通っている
度重なる戦闘の犠牲となり、不幸な場所で、国際的な支援もほとんど無い

私たちは、この集落に、日本政府の力を借りて、学校を建設出来ればと考えて
草の根無償資金に応募した。
保育所が出来て、村長さんも村人達も大喜びだ!
読み語りのあとに、開所式を行った
サパカンから、成績も良いのだが、貧困で
高校に進学できない子をスカラシップに一人採用した。
対岸のラジャムダの高校に通うことになった。

今後は、彼女がコンタクトパーソンになって
この地域の活動を手伝ってくれるだろう。

それ以外に、小学校の子たちを
3年、4年、5年と各学年、2名ずつ里親奨学制度で採用する。

スタッフが、毎月学用品を届ける事になるが
それによって現地の状況を知り、
住民ととぎれぬ関係を築く縁となる。


マリアフェの事

当時のマリアフェ(向かって右端)

サンパギータの白い花
松居友:著 

(女子パウロ会)

注文は以下からも・・・
Info


マリアフェについて書いたページ
Mother Happy Happy Mother
読みたい方はクリック


自著:『サンパギータの白い花』より抜粋


「母親は、夫に頼んで上半身を起こしてもらうと、そのままフェに抱きかかえられた。
かつてシスターからもらったという薄い寝間着の下で、骨だけの体がかろうじて息をしている。
母親はフェに抱きかかえられながら耳元でささやいた。ジェフやロジは元気かい。
・・・・中略・・・・・
みんな幸せかい。
ええ、幸せよ。それを聞いて母親が、うれしそうにほほえんだときに、だれも予想していなかった事態が起こった。
ほほえんだ母親の体がのけぞり、フェが大声でわとた泣き出したのだ。そして次の瞬間、
フェに抱かれたまま、母親の体がベッドに沈み込むといのちが果てた。皆ぼう然と立ちすくんだ。
フェは、おんおん泣いた。見たこともない激しい泣き方でおんおん泣いた。・・・・・・」

かつて、孤児施設ハオウオブジョイで出会ったマリアフェ。
高校で学業が停止して苦労していたけれども、ミンダナオ子ども図書館にやってきた。
彼女の亡くなった母親は、イスラム教徒だった。

私がハウスオブジョイでフェに、亡くなった母親の事を聞いた時。
「母さんは、だいじょうぶ。(天国で)幸せにしている」と語り、私のノートに、

Mother Happy Happy Mother
と記してくれた。


スタッフのハジブ君のお母さんと・・・

(戦闘でイスラム教徒の夫を亡くした彼女は、
かつてカトリック教徒だった)







スタッフのノライダさんと・・・

イスラム教徒であることに
別に負い目を感じる必要はない

「出生届は、カトリックになっているけど
かきかえなくちゃ」










イスラム地域での読み聞かせ
ムスリムの子どもたちを抱いて
幸せそうだ

私はカトリックだが
そんな彼女の姿に心から喜びを感じる

彼女は、深く亡くなった母親を慕っている。
母の死と同時に、自分自身が、母親と一体となり、二人の弟の面倒を見始めた。

その彼女が、ミンダナオ子ども図書館で、イスラム教徒がのびのびと自分のアイデンティティーを持ちながら
イスラム地域での読み聞かせや、難民の救済で活躍しているのを見たせいだろう。

心の中で抑圧されていた、自分はムスリムだという気持ち、ムスリムであって良いのだ!
と言う思いが一気に吹き出して母を慕う心と重なり、
豚を食べざるを得なかった生活の身を清め・・・・今は、喜々としてヴェールをまとい学校に通っている。

私自身はカトリックだが、彼女の気持ちが良く理解できるし、押し殺してきたアイデンティティーがのびのびと解放されて
満面の笑顔を見るのがうれしい。娘の一人のように想ってきた子だけに。






医療活動も絶え間なく続いている

スカラーで、今年看護学を卒業したフェさんも
MCLのスタッフとなり、医療活動もさらにきめ細かく充実してきた
相変わらず、予算をにらみながらの活動だが
患者がいると、放っておく訳にもいかずに・・・



日本政府から、勇敢にも?
停戦監視団の菊地さんが
マカブアルの小学校を訪れた


建設が完了してから10ヶ月めにして、現地視察が完了した。
菊地さんと私の間に立っているのは、ピキット市長。
幸い米軍による砂利道の修復が出来ていたので現地に楽に到着できた。
平和であれば8月頃に開所式がなされるという・・・




ミンダナオ子ども図書館だより:5月15日

T:新しいスカラーの若者たち
  今年の新しいスカラーたちを見ていると、才能のある子が多く
  彼らが、自身の能力を生かせる環境作りを課題として行こうと思っている。

U:ピキットの農場計画・・・ライブリーフッドプロジェクト&現物マイクロファイナンス
  18ヘクタールは、こちらではありふれた大きさだが、日本人の私の感覚ではとにかく広い。
  緩やかな傾斜地と窪地を持ち
  国道沿いには果樹が、傾斜地にはトウモロコシが、窪地には米が作付けできる。


V:亡き二人のボードメンバーに捧ぐ

   お二人とも持病があることは承知していたが、突然のあまりにもあっけない死に
  言葉を失うと共に、その喪失の大きさにMCLとしても悲しみがつきない

W:2009年度最後のボードメンバー会議
  今回の会議では、ミンダナオの状況とともに
  とりわけ、農場と文化を通して仕事を作っていくMーCAP構想が報告され、絶賛された!

X:二人の娘を紹介します





新しいスカラーの若者たち

6月からの新学期に向けて、新しいスカラーたちが入ってきた。
小学校から大学まで、現在、総スカラーは400名を超えた。
自宅や親戚、下宿から通っている子が大半だが
その中の特に親のいない子、保護が必要が子、学校が遠くて通えない子
おもに下宿を許していない小学生から高校生70名あまりが、ミンダナオ子ども図書館に住むことになる。

今は、ミンダナオの夏休みで、親戚や家族の元に帰っている子たちも多いが、
新しく選ばれたスカラーたちが、集まってくる時期でもある。
バケツや空き缶、鉄板などのがらくたを使って作ったドラムで即席のコンサートが始まった。


楽器のリズムと共に
踊り出す若者たち


ドラムはポリバケツ
張っている皮は、米袋
キットキット君は
私がハウスオブジョイにいた頃に
膝に乗って遊んでいた
男の子だが
すっかり大人になった。
今年からMCLに・・・

この子達の家を見たら、ビックリするほどの山の奥で
粗末な小屋のような家なのだけれど、
父親や母親の居ない子たちも多いのだけれども
なぜか、そんなところで育っていても、
音楽や芸術を表現する力がそなわっているのは驚きだ。


その様な環境だからこそ、楽譜が無くても、音楽教師がいなくても、自己流で楽器を奏でていく・・・
これこそ、芸術の神髄かもしれない。
皆さんから支援された古着を着ると、いっぱしの格好になるから面白い。


MCLに戻り、この子達の笑顔を見ると本当にホッとする
私は決して、この子達を放り出して
どこかに去ることはないだろう

親に見捨てられた子も多く。いつも思うのだけれども、
こんな可愛い子たちをおいて、どうして去ることが出来るのだろうか・・・
色々な事情はあるのだろうけど。


今年の新しいスカラーたちを見ていると、才能のある子が多く
彼らが、自身の能力を生かせる環境作りを課題として行こうと思っている。

下は、今年から始まる
M−CAPプロジェクトの農業スタッフたち

M−CAPで活躍する、同じ年頃の農業スタッフの生き生きと仕事に励む姿も
勉学中のスカラー達が、将来を考える上で役に立つだろう。
土地無しで育った子に、農業技術を実地で研修させる場にもなるだろう。

ベンジー君
小学校を卒業後
マティの海辺に近い斜面借地で
トウモロコシや椰子の栽培をしてきた。
「給料はいらない
食べさせてくれたら何でも手伝う!」
母さんを助け、マティの町の市場で、
野菜の販売もしてきた
明るい情熱家

ロットロット君
「実地の農業こそ僕の夢」と
高校を2年で中退して
高地でトマトを中心として栽培を開始
チンゲンサイやオクラやゴーヤが得意。
たい肥技術などを研修で拾得。
寡黙だが明るく
実地の農業にかける青年。
ボードメンバーのビックビックさんの息子さん

アルトゥール君
片目の眼球が飛び出していた少年だったが、
MCLで義眼手術をした後にスカラーに
小学校に入学して卒業。
学用品を買うために黙々と野菜を植え
販売して学費の足しにしてきたが
高校に入って極度の近視で学業を断念。
極貧の母と兄を手伝い
斜面にトウモロコシ畑を切り開いた努力家。


大学で勉強したからと言って、それでいっぱしの仕事人になったわけではない。あたりまえだ!
その様なことを他のスカラー達にも理解して欲しくて、若き農業スタッフは、
年齢や個人や家庭の事情で大学までは行けなくとも(行かなくとも)
農業や生きることに情熱をかけ、勤勉で生き生きとしている若者たちを選んだ。

当然、マキララ農場(12ヘクタール)山岳高地と、今回購入する予定の、低地湿原が近いピキット農場(18ヘクタール)では、
作付け作物も異なっている。
現地の人々や、その地の出身のスカラー達と手を組み、イスラムとクリスチャンと先住民族の若者たちが協力しつつ
彼らが率先して自ら作付けを計画し、会計や経理を加えて相談し、市場のリサーチをしながら農業計画し実行していく。

言われたこと、与えられたことのみをやるのではなく、自ら考え相談し合い、協調し工夫して仕事を作り、
成果を実感し、共に働く喜びを分かち合いながら農地を切り開いていく。
学力主義を超えた良い意味での実力主義の若者たち。

「仕方なく仕事をする」のではなく、「仕事がしたい」へ
「ボスから、仕事を与えてもらう」のではなく「自らの発想で仕事を作る」へ

単にスカラシップをもらって、学校に行かせてもらうだけではだめで、
例え学業を終了していなくとも、協調しながら生き生きといきていく、そんな若者たちがイニシアティブを持ち
他のスカラー達の模範となって行く共同体を育てることが、今後のMCLの最大のテーマだと思う。

(今の日本は、自ら作り出し、切り開く力を失って、与えてもらう病に陥っているのではないだろうか?)


協働しながら自らの力を生かし切り
仲間と共に幸せな家庭を実現し、平和なミンダナオを作ってい場を
みんなで実現していって欲しい、と思う。




ピキットの農場計画

中央の写真の遙か彼方には、イスラムの村が望める。小さなモスクも見える。そこまで、農地は広がっている。
左は、果樹の植わっている国道沿いで、右はクリスチャンの村
ここでは、ムスリム、クリスチャン、先住民族が仲良く暮らしている。


ピキット、タキパン集落の国道沿いの18ヘクタール農地の購入を決断した。
タキパンは、G7と呼ばれる、イスラム、先住民族、クリスチャンが平和共存する宣言をした7つのバランガイの一つ
奇しくも去年、大渕みほこさんが、イスラム女性の支援活動でミシンを寄贈した地域だ。
MCLのイスラム教徒のスカラーたちもここから8名ほど来ている。

ボードメンバーのグレイスさんから、かねてから良い土地があるのだが・・・
と言う話は聞いていたが、国道沿いで、しかも公立小学校と高校がすぐ目の前という好条件だけに値段も良い。
よほど迷ったが、イスラムとクリスチャンと先住民族の若者たちが
共に協働出来る事や、山岳地域の極貧のイスラムのスカラー達に高校へ通えるための宿舎を作れること

また、戦闘が起こった時の難民キャンプとしても解放できるし
作付けのトウモロコシや米を、戦闘後や洪水で財産を失って農地に帰り
作付け用の種も買えないイスラムや先住民の人々に、
フィーディング用の種子を現物貸し付け(現物マイクロファイナンス)出来ること

世界的な経済危機を乗りこえるため、MCLのスカラーたちに
穀物や野菜を供給できることを考えて、思い切って購入を決断した。500万円。
寄付は使わず、私の両親と私で300万までは出資できるのだが・・・

後の100万は何とか目処をつけるにしても、まだ100万円ほどが足りない。
どなたか、この活動計画に賛同して、共同出資して下さる方がいたらご連絡ください。
Mail

果樹、トウモロコシ以外に水田も広く、.
プランテーションなどの海外消費に依存する輸出作物ではなく
ここで現地消費されるような穀物や特産のスイカやメロンを中心に、作付けをはじめようと考えている


18ヘクタールは、こちらではありふれた大きさだが、日本人の私の感覚ではとにかく広い。
緩やかな傾斜地と窪地を持ち、国道沿いには果樹やメロンが、傾斜地にはトウモロコシが、窪地には米が作付けできる。

敷地内を歩く。バナナやマンゴーも植わっている。 ムスリムの村

隣接のイスラムの村の婦人と・・・
所有者は、クリスチャンでボードメンバーのグレイスさんの友人。
土地を管理しているのは、タキパンの女性支援グループのプレシデントで、
この方もグレイスさんの友人で、ソロプチミストの支援で大渕さんがミシンを渡した方。

そんな奇遇もさることながら。さらなる奇遇が・・・・

土地管理をしているクリスチャンの方が
「土地の向こう端の村は、ムスリムの村で、怖いのであまり近寄らない方がよい・・・」と語られた。
たぶん、私が外国人なので気を遣われたのだと思うのだけれど
聞いていたスタッフのハジブ君とノライダさんが大笑い。
「怖がることないですよ、私たちもムスリムだから」
「・・・・・・・・・」

私たちは、美しいモスクが建つ、農地に隣接したイスラムの村も訪れた。
そして、そこにいたイスラムの婦人と立ち話。
私が、ミンダナオ子ども図書館を紹介して
「たしか、タキパン村から、私たちのスカラーで、アイダさんとマト君という子が、タキパンの高校に通っているのですが・・・」
と言うと・・・

婦人は目を白黒させて「私たちの甥と姪で、今はこの村に住んでいますよ!」
「・・・・・・・・」何という奇遇!
アイダさんは、父親が殺されて孤児となった子。マト君も母親が居ない。
しかし、二人とも、難民救済などで活躍している、素直でとても良い若者たちだ。


そんな奇遇に驚きながら
美しいモスクのある村を後に
管理者の家の前まで来ると
奇遇に追い打ち!

当のアイダさんが、ボカンとして立っている
「トモさん!何故こんな所にいるの????」
スカラーは皆、私を「Tomo San」と呼んでいる。
私もあぜんとして・・・

「そうだ、この村出身のアイダさんやマト君に
この農場を手伝ってもらえば良いんだね!」
今度は、アイダさんがポカンとする番。

近くに美しいモスクがあれば
イスラムの子たちにも良いし
クリスチャンも仲良く住んでいるから
ここをピキットに平和を作るための
拠点にしよう・・・・


難民救済で活躍する、アイダ エズラさん(左)

美しいモスク

ARMMイスラム地域の難民救済で出会ったバリバリのイスラム指導者が
その娘さんの医療のために、MCLに泊まった。
来られた地域では、クリスチャンとムスリムの世代を越えた憎悪の戦いが今も続いている。
その方が、ムスリム、クリスチャン、マノボ族が仲良く生活しているMCLを見て驚いた。
「ここには、神(アッラー)の御旨が息づいているのが感じられる!」
私は、山元眞しんぷが、ここに来て言った言葉を思いだした。
「MCLの敷地にはいると、ここだけ何か違うものが息づいている!同じフィリピンに居ながら。」




亡き二人のボードメンバーへ捧ぐ
ミンダナオ子ども図書館に土地を提供して
下さった、スーザン インカルさん
マノボ族で父親は初代の
キダパワン市長

イスラム自治区での活動を支援してくださった
ホサイン氏、イスラム教徒の師
娘さんのアスレーさんは、今年からスタッフ
バンサモロのメンバー


相次ぐお二人の突然のボードメンバーの病死に悲しみが絶えない
MCLを心から愛してくださっていた貴重なお二人
心よりご冥福をお祈りします

お二人とも持病があることは承知していたが
突然のあまりにもあっけない死に
言葉を失うと共に、その喪失の大きさにMCLとしても悲しみがつきません

お二人とも、心からMCLを愛し
いつも人々に「MClはすばらしい」と、過分の評価で話してくださっていた方々。
イスラム教徒とクリスチャン、宗教が異なっていても、同じ天国から見下ろしながら
MCLを導くための議論をされているような気がしてならない。


2009年度最後のボードメンバー会議
グレイスさん
ピキット市DSWD
ソーシャルワーカー

エラさん
マノボの指導者
農業

ガボン師
アライアンスの牧師
マノボ族

エリンダさん
山の保育所の先生
通称ビックビックさん

ダニー氏
建設技師
カトリックのカーバック

エープリルリン
M-CAP
代表


今回の会議では、ミンダナオの状況とともに
とりわけ、農場と文化を通して仕事を作っていくMーCAP構想が報告され
エラさん、グレイスさんを始めとして、絶賛された!

M−CAP構想は、マキララの12ヘクタールの農地
マタラムの5ヘクタールとロハスの2.5ヘクタール、合計7.5ヘクタールの水田
加えて、ピキットのタキパンに18ヘクタールの農地を持ち、農業事業を開始する。

とりわけ、戦闘地のピキットでは、イスラムの若者たちとクリスチャンの若者たちが
協力して農地を経営管理し
戦闘難民や洪水被害の農家に、トウモロコシの現物支給をし
収穫時に返済するという現物マイクロファイナンスを開始する予定

さらに、小さな雑貨屋サリサリストアがMCLで好調にスタート
今後、山の貧困地域にMCLチェーンサリサリを出し
貧困地域のスカラーの家庭の収入とする

ダバオに用事で出た時に商品を安く購入し
山に学用品を届ける時にデリバリーして
ライブリーフッドプロジェクトとし極貧の家庭の経済支援を開始する

エラさん曰く
「いったい誰が、こんなすばらしい構想を考えついたの?」

今後は、農業構想を軌道に乗せる過程で
出版も含む文化事業構想を進めていく予定です。
事業は、MCLとは別組織として寄付は使いません。

目的は、貧困地域の生活支援、
難民や洪水被害のライブリーフッド支援と現物マイクロファイナンス
そして、卒業していくスカラー達の、仕事を作る、雇用創出支援のためです。

成長していく若者たちの、成長に合わせた大きな木のイメージ
これが、MCLとM−CAPを一つにした全体の構造です






M−CAP事業は、それなりに大きな構想でこれを持って、MCLの構想がようやく整ってきました
詳しくは、今後、サイト上で経過と共に論じていきます。

単なる物を支援するのではなく、
次の世代の若者たちの成長を支援するための計画を実現する
皆さんのミンダナオ子ども図書館を
今後ともよろしくお願いします。



 私の二人の娘を 
紹介します


下、左が長女の
エンジェル 
藍花(アイカ)

下、右が次女の
アンジェラ 
舞花(マイカ)

大勢の若者や
子どもたちといっしょに
のびのびと
育っています


ミンダナオ子ども図書館だより:5月10日

Tイスラム自治区を中心に、新たな戦闘があり避難民が発生している。再び戦闘が始まる兆しがある。
  最近ミンダナオのあちらこちらで爆弾事件があり、以前の経験からも、
  こうした事件は戦闘の予兆とも見られる。

U:イスラム自治区の避難民
  スタッフの友人を通して、イスラム自治区ARMMの一地域(カルメンとカバカンの中間)で戦闘があり
  避難民(正式には国内避難民だが、以下避難民とする)が出ていると聞き調査に向かった。

V:ピキットの避難民
  ほぼ同時期に、ダトゥ ピアンと呼ばれる、イスラム自治区で戦闘が起こり
  川向こうのピキット側に難民が来ているという、ボードメンバーでDSWDのグレイスさんから連絡があった。

W:マノボ族の先祖伝来の土地、アラカン・キアタウの読み語り

X:プロック8集落の不幸

イスラム自治区を中心に、新たな戦闘があり
避難民が発生している

再び戦闘が始まる兆しがある。
最近ミンダナオのあちらこちらで爆弾事件があり、以前の経験からも、
こうした事件は戦闘の予兆とも見られる。
大概の爆弾事件は、「イスラム反政府勢力の仕業と思われる」とマスコミで報道される。
市長に組織からメッセージが送られてきたりするので、公式に発表されるのだが、
簡単に信じてはならないようだ。
反イスラム感情をマスコミを通して高めておいて
次のステップに本格的な戦闘を起こすとも言われている。
それにしても、戦闘が起これば、可哀想なのは子どもたちだ。



イスラム自治区の避難民

スタッフの友人を通して、イスラム自治区ARMMの一地域(カルメンとカバカンの中間)で戦闘があり
避難民(正式には難民ではなく、国内避難民との菊地氏からのご指摘を頂きました。
少し長いので、本稿では以下「避難民」といたします)が出ていると聞き調査に向かった。
国道わきの鉄塔が爆破され、空から警戒するヘリコプターが見えた。

現地で避難民となっている村長(イスラム系)の話だと
「今回の戦闘は、移民系クリスチャンとムスリムの間で起きた。長年の確執が原因だ」という。
発端は、化粧品の商売に歩いていた3人のイスラム女性が、
移民系クリスチャンに襲われたところから発していると言う。
一人が病院に収容されている。

これに怒ったMILF系住民とクリスチャン系住民の間で、襲撃があり
それが、民兵同士の戦闘に拡大。
フィリピン政府軍がイスラム地域を攻撃するに至ったという。
「MILF正規軍の領域に広がる可能性があり、そうなると軍同士のかなり激しい戦闘になるだろう。」


爆弾がしかけられて倒れた鉄塔
イスラム自治区は非常に貧しいが、貧しくとも幸せに暮らしている様子も感じられる

戦闘のきっかけは、去年勃発して40万もの避難民が出た8月の開始とほぼ同じパターンを持っている。
一般住民が襲われる事件をきっかけに民兵が出動し、政府側と反政府側の民兵同士の戦闘が始まる。
それを契機に、政府軍が出動し、反政府がわの正規軍が反撃を開始する。
問題は、最初のきっかけが、かなり意図的に作られているのではないかという疑惑。

「MILF正規軍の領域に広がる可能性があり、そうなると軍同士のかなり激しい戦闘になるだろう。」
と村長の発言を引用したが、逆に物事をたどる必要もあるのだ。
「軍どうしの激しい戦闘」を作るために、民衆の中の暗殺集団にイスラムの女性を襲わせた。
すでに往年のクリスチャンとイスラムの(家族を殺されたり)といった対立感情を利用して
喧嘩を起こし、地域住民の民兵組織を参加させることによって、大規模な軍レベルまで拡大させる。

こうした暗殺集団は、実在し、クリスチャン系は「イラガ」と呼ばれている。
イスラム系にもあるだろうが、問題は、暗殺集団を背後で「お金」で操っている第三者がいる可能性が有ることだ。
去年の大規模な戦闘も同じ経緯をもっていたし、かなり大きな範囲で同時に起こることを考えると
相当な規模で、計画された?可能性も否定できない?

どうでも良いけど、
私たちにとっては、大人の喧嘩に巻きこまれる子どもたちが可哀想でならない!



この地域の戦闘は、まったく話題にならず、NGOも地域政府も避難民の救済に動くことはなかった。
ミンダナオ子ども図書館だけが、ビニールシートを届け医療活動を行った。





ピキットの避難民

ほぼ同時期に、ダトゥ ピアンと呼ばれる、イスラム自治区で戦闘が起こり
川向こうのピキット側に難民が来ているという、ボードメンバーでDSWDのグレイスさんから連絡があった。
こちらも、国際NGOは動いていない。
グレイスさんも属しているOMI(カトリック教会のオブレード会)が唯一食料の支援をしている。
私たちは、窮乏しているビニールシートの支援に向かった。


支援は道がないので、ボートで救済に向かう。




対岸では
軍の無人偵察機が
飛び交っているのが見える
ともかく
自分たちの事を気遣ってくれる
人々が居るという事だけでも
避難民達は安心できるようだ




今回の避難民救済でも、スカラーたちが活躍した。
今年から新しく入ってきたスカラー達も同行して、ビニールを張る作業を進めた


どうでも良いけど、
この子達のために
平和になってほしい!

5月に入り、
戦闘は拡大すると
言われているが・・・


マノボ族の先祖伝来の土地
アラカン・キアタウの読み語り

キアタウは、政府の認めた先祖伝来の土地つまり、先住民族の保護地域だ。
一般の入植は許されていない。
人々も自分たちの伝統的な信仰や風習を重んじて生活している。

MCLからは、3時間もかかる、本当に山の中だが、私たちのスカラーもいる。
この地域が自立するために、イタリアのカトリック宣教会、ミラノミッションが長く貢献している事は有名だ。
山の中で、ファオスト神父と出会った。
正義と平和の活動を現地で進めている。

貧しいけれども美しいところで、土地があるから何とか食べられるし
ここに来て、人々と出会うことで、本当に心が癒される。
教育だけが問題で、要請を受けて保育所を作ることになった。


プロック8集落の差別

プロック8村の子どもたちが、学校や通学路で移民系の子たちにいじめられる被害が続いている。
先祖伝来の土地の所有を求める訴訟で、先住民族側の弁護士が殺害!
その後の土地をめぐる大人達のいざこざが、子どもたちにも及び
今年は、たくさんの子たちが、ミンダナオ子ども図書館に移り住みたいと言ってきたのだが・・・

MCLも子どものシェルターとして法人登録もされていて、受け入れに法的問題は無いのだが
何しろ手狭で、食費も大変!
マノボのボードメンバー、エラさんやガボン牧師のサジェスチョンを受けて対応を模索している
政治的問題でもあり、非政治というMCLポリシーからは、表向き子どもの保護に限定した活動を考えている
下手に動くと、私が簡単に殺害される危険がある。
ミンダナオは、世界でも有名なジャーナリストのNGO関係者、殺害地域なのだ。


経済危機の余波をまともに受ける貧しい人々。
日雇いの草刈りもことごとくカット。
窮余の策として、先祖伝来の地を耕し始めたのだが、「そこに生えている大きな木を切った」という理由で訴訟を起こされた。

移民系の人々の言い分だと、その地は自然保護地域で、木を切ってはいけないのだという。
訴訟を起こされても、極貧で字も読めないマノボの人々は、対抗する弁護士を雇う費用もない。
マノボの立場で活動してきた弁護士も、一昨年に殺害された。

自給地もない彼らは、移民系の人々の田の草取りをして何とか生きてきたのだが、対立が深まるほどに生存も怪しくなる。
子どもたちは、学校や通学路で、虐めにあって怖くて学校に行けない。
学校の先生も、村長もマノボの子たちが悪いというし・・・。
これは、マノボの子たちが私に語ってくれたことなので、一方的かもしれないが。
真実だとしたら、まったくひどいことだ・・・・
彼らの唯一の希望は、「小学校を卒業したら平和なMCLに住むこと」、なのだそうだが・・・




僕は餡がぎっしり詰まった
お饅頭になりたいと思います


大渕みほ子

公開日当日に映画「スラムドッグ$ミリオネア」を見てきた。
たぶん半年ぐらい前だと思うが、
映画の予告を見て絶対見たいと待ちに待った作品だ。
ご存知のようにアカデミー賞を受賞してから、話題沸騰の作品でもある。

映画の内容を振り返ってみると、
売春やドラッグ、殺人や暴力、盗みや争いといった
スラムの闇と、急速に近代化に向けて変化するスラムとの狭間で、
時代に翻弄されな
がら生きる最貧困層の人々が、愛や夢を追い求め、
したたかに生きる姿にはすがすがしい思いさえした。

この映画で印象的だったのは、
主人公がクイズに正解するにつれて応援する人もどんどん増え、
働いていた会社の人、
町中の人までもテレビにくぎ付けになって応援している姿だった。
発展途上国だからだろうか?同じような光景をフィリピンでも良く見かける。

アメリカで一時流行した「アメリカン・アイドル」のような番組がフィリピンにもあり、
私がミンダナオでホームステイをしていた家の子ども達も、
歌手を目指す素人の勝ち抜きバトルにくぎ付けになり応援していた。

たとえ全くの素人で顔見知りじゃなくても、
頑張っている人には心から皆で応援したり、
喜怒哀楽を共に分かち合う姿をみると私も嬉しくなるし、また羨ましくもなる。
ちょっとしたことで感動できたり、笑顔になれたり、
そういう心の素直さを羨ましく感じるからだと思う。

文化の成熟なのか、それとも無感動や無関心が広がっているのか分からないが、
日本では大そうな出来事でもない限り、
あまり人を応援したり感動しなくなっている気がする。

「そんなことで驚くの?」「何が楽しいの?」、
そんな冷めた目で見ている自分がいることに気がつく。

私自身も良く言われることだが、
日本にいるときとミンダナオにいるときでは、顔が違うようだ。
日本で閉ざされた感情が解き放たれて、顔が変わるのかもしれない。
もしかしたら、こうしてミンダナオに行くことで
自然に心のバランスを取っているのかもしれない。

今回ご一緒した親子ボランティアの皆さんの顔も観察していたが、
やはり私と同じだった。

初めはこわばった顔や無表情の顔をしていても、
ミンダナオ子ども図書館での生活に慣れるにつれて表情に変化が現れ、
感情が顔に出るようになる。
嬉しいときはとびっきりの笑顔になり、悲しい時は人前だろうと涙する。

「ミンダナオの子どもを助けたいと思って来たのに、逆に自分が助けられた」と、
あるお母さんが話して下さったが、
ミンダナオ子ども図書館を訪れる方々は、良くこのように話して下さる。
日本で忘れていたことや失っていた大切なことに気が付き、
心がリフレッシュされるのだろう。
このような感想をもたれた方々の顔はまた美しい顔をしている。

今回同行したツアーのある男の子が、最後の振り返りのときに
こう話してくれたことが大変印象的だった。

「僕はお饅頭が大好きです。フィリピンに来て思ったんだけど、
日本は見かけはとっても美味しそうだけど中はスカスカなお饅頭みたい。
でもフィリピンは見かけが悪くても餡がぎっしり詰まっている。
僕は餡がぎっしり詰まったお饅頭になりたいと思います。」

「あぁ、日本の子ども達にもきちんと分かるんだ」と、感動して聞いていた。
日本の子どもも捨てたものじゃない。
こういう気づきが出来る子どもがどんどん増えたら、
日本の未来もきっと明るい。

大渕みほ子




ミンダナオ子ども図書館だより:4月15日

1,ミンダナオ子ども図書館のゲストハウスが完成!

2,立正佼成会の子どもたちとミンダナオ子ども図書館の子どもたち
    日本の仏教団体である、立正佼成会の子どもたち10名が母親といっしょにMCLにやってきた。
   スタッフや撮影班もいれて総勢30名、
   目的は、コンテナとともに1000個送られてきた、『夢ポッケ』を貧しい村の子たちに届けることと
   こちらの子どもたちとの交流を通して、日本に失われてしまった「何か」を体験し学ぶこと・・・

3、コンテナで運ばれてきた「夢ポッケ」の開帳式と平和の祈りPlayer for Peace
    
  かつてから、仏教の方々を交えて平和の祈りを開催したいと言うのが、私たちの願いだった。
    それが、子どもたちを交えて美しい形で実現できたことは、本当にうれしかった。

4,マノボ族の村、いっしょに作った料理、そして洗濯水浴び。いざ!滝の滑り台へ
   
 こうした体験をへて日に日に我が子の顔や言動が変わっていくのにビックリし、感動し。
    我が子たちの変化に思わず目頭を熱くして泣き出す母親もいた。


たった3泊4日だったのに永遠の時が流れたように・・・お別れは、涙、涙、涙

ミンダナオ子ども図書館の
ゲストハウスが完成!
今年、向かって右端の建物がつながった、ゲストハウス。
山元神父さんが音頭をとって、「Mの会」で先日、完成させた。
ここを使った第一陣は、立正佼成会の子どもたち
仏教徒、イスラム教徒、先住民族、プロテスタント、カトリック、みんなで平和の祈りを開催した!

立正佼成会の子どもたち

ミンダナオ子ども図書館の子どもたち

日本の仏教団体である、立正佼成会の子どもたち10名が母親といっしょにMCLにやってきた。
スタッフや撮影班もいれて総勢30名、7台の4WDを手配し、コーディネートをしたのは大渕みほ子さん。
目的は、コンテナとともに1000個送られてきた、『ゆめポッケ』を貧しい村の子たちに届けることと
こちらの子どもたちとの交流を通して、日本に失われてしまった「何か」を体験し学ぶこと・・・

車から降りた、日本の子どもたち、母親たちやスタッフの方々。
皆さん、緊張した面もちだったが、大喜びと笑顔で迎える、MCLのスカラーたちの表情に少しホッとしたようす。

ミンダナオ子ども図書館に日本から訪問者が着くと、なぜだかわからないが、皆さんおっしゃる言葉。
「ああ、何か懐かしい雰囲気!ここに来ると、ホッとする」 
たぶん、若者たちの自然な笑顔、屈託のない生活の姿、のびのびと遊ぶ様子が、人としての原点の気持ちを目覚めさせるのだろう。
加えて、テラスから見える緑の果樹園とその向こうに見える山並み。

さっそく歓迎会(Wellcome party)が始まった。
日本式の歓迎儀礼?に少し戸惑った若者たちだが、あっという間に自分たちのスタイルで歓迎会が進行していく。
こうした歓迎会やミィーティングに関して、アドバイスをあたえることはあるものの
進行や工夫は、すべて若者たちにまかせているので
始まるまでは、何を彼らが企画しているのか、私にもわからない。

歌ったり、踊ったり、歓迎の言葉が述べられたり、イスラム、マノボ族、クリスチャンの文化が披露されたり・・・
歓迎会が終わった時には、たがいの距離がぐんと近くなり、
日本の若者たちが持ってきた折り紙で、またたくまに遊びがはじまった。

コンテナで運ばれてきた
『ゆめポッケ』の開帳式

『ゆめポッケ』とは、立正佼成会の子どもたちが、月に2度食事を抜き、その食費を献金貯金して
世界の貧しい子どもたち、とりわけ難民の子たちのために
学用品やぬいぐるみを買ってプレゼントする、心の支援だ!
今回、コンテナに詰められた『ゆめポッケ』が、1000個運ばれてきた。
みんなで、開帳式をした。


『ゆめポッケ』に関しては、以下をクリック
http://www.kosei-kai.or.jp/news/2008/09/post_1178.html
「ゆめポッケ親子ボランティア隊」フィリピンから帰国
http://www.kosei-kai.or.jp/news/2009/04/post_1335.html

『ゆめポッケ』には、お母さんが手縫いした布袋に、ボールペンやノート、ぬいぐるみや絵手紙が詰められている。
一つ一つ、異なったプレゼントを子どもたちが、思いを込めて選んでいるし、
お母さん方の思いもこもっているので、単なる物資支援とは異なった、暖かみが感じられる。
日本の子どもたちにも、自分たちで心を込めて作った『夢ポッケ』を配っているという、気概を感じた。

平和の祈り
Player for Peace

かつてから、仏教の方々を交えて平和の祈りを開催したいと言うのが、私たちの願いだった。
それが、意外とはやく、第二回目に、しかも子どもたちを交えて美しい形で実現できたことは、本当にうれしかった。

 高校大学のスカラー、総勢224名が一堂に会して行う「平和の祈り」は、学生達が自身で企画実行しているが、
ミンダナオらしく踊りや歌で彩られて厳粛な中にも楽しさや美しさが生きていた。
とりわけ訪問者の読経は、スカラーたちに感銘を残した。
平和の祈りでは
マノボ族の牧師がマノボ語で
イスラムの説教師がアラビア語で
仏教からはお経が
カトリックからはシスターが
祈りや説教をしてくださった

マノボ族の村
プロック8へ

平和の祈りの後に、非常に貧しいマノボ族の村へ行った。
『ゆめポッケ』を届けに。

大勢の日本人が、何台も車をつらねて訪れて来たのに皆ビックリ!
ここの村の子どもたちは、ほとんどがMCLの奨学生たちだ。
次々と運びあげられる『ゆめポッケ』
いったい何が入っているのだろう???

明けてビックリ、何とすてきな贈り物!
とにかく笑顔が止まらない・・・
ぬいぐるみをいつまでも抱きかかえて離さない少女たち!
ノートやボールペン、小さな車のおもちゃや鉛筆削り・・・

日本からの訪問者は、それぞれの子たちの家庭を訪問した。
その貧しい生活にびっくり!
家庭では、せめてものおもてなしに、家の前の椰子の実をとって飲ませてくれたり・・・
貧しくとも、屈託のない交流が、子どもたちの心に残った。

いっしょに作った料理
そして洗濯・水浴び

二日目と三日目は、日本の子どもたちは母親と離れ(親は市内のホテルにスタッフと滞在)ミンダナオ子ども図書館に泊まった。
心配顔の親たちをホテルに送り届け、子どもたち同士での生活がはじまる。
薪でご飯をたいたり、翌日の早朝は、洗濯をしたり水浴びをしたり。
たちまち、子どもたち同士の距離がちぢまっていくのがわかる。

 子どもたちがすっかり変わったのは親から離れて最初に図書館に宿泊した日の夜からだった
 何か特別な出来事が起こったわけではない。
MCLにすんでいるスカラーたちが、ときどき楽しみのためにするこちら式の遊技、
「ハンカチ落とし」や「かごめかごめ」「はないちもんめ」を始めた時からだ。
テレビも無い生活だけれども、楽しい笑い声が夜遅くまで星空にこだましていた。

滝のあるマノボの村
ウオーターフォールへ!

翌日は、滝のあるマノボの村ウオーターフォールへみんなで読み語りをしに・・・・
日本の子どもたちやお母さん方も読み語りをして拍手喝采!
踊ったり歌ったりしたあと、村人達と、豚の丸焼きを食べて交流をはかった。
3食たべられない家族の多いマノボの人々や子どもにとっては
素晴らしいフィーディングプロジェクトとなったし
日本の人々は、マノボの人々がいつも食べている
カサバ芋や蒸かしバナナや芋を食べた。
i

いざ!滝の滑り台へ

食事の後は、村の子たちと、いざ、滝の滑り台へ!!!
もう、言うことなし。喝采がジャングルにこだまする。


見事に滑る、この村出身のアロナ
こうした体験をへて
日に日に我が子の顔や
言動が変わっていくのに
ビックリし、感動し。

我が子たちの変化に
思わず目頭を熱くして
泣き出す
母親もいた。

たった3泊4日だったのに
永遠の時が流れたように・・・
お別れは、涙、涙、涙

愛というのは、やはり時空を超えていると思うことがたびたびある。
たった三泊四日、実質的には二泊三日だったにもかかわらず
まるで、何年もいっしょに暮らしてきたような親近感。
時計やカレンダーの刻む時の流れとは、まったく異なった時の流れがここにはある。
愛の流れは、久遠の神や仏のもとからやってくるから。

いつまでも、友だちでいようね。
なぜって、愛しているから・・・


また会おうね
また、ぜったいに会いに来るからね

ミンダナオ子ども図書館の
若者たちは、
一度出会い
愛し合った人の事を
決して忘れない。

時々、ふとしたおりに
名前が出て
「・・・・」どうしているかな
「今度いつ来るの?」と

無邪気にわたしに
聞いてきたりする。

でも、必ずまた会おうね!
涙の後の笑顔がみんな、すがすがしい。        
アイ ラブ ユー また必ず会おうね!

季刊誌『ミンダナオの風』より
一部抜粋

『ミンダナオの風』23号をPDFで読みたい方は、ここをクリック Info


 先年の夏、ミンダナオ紛争が勃発し、MCLで、「平和の祈り」を始めて以来、
ぜひとも仏教団体に参加していただけたらと思っていた。

 ミンダナオの若者たちにも、温厚な仏教はよい影響をもたらすだろう。
 それが、立正佼成会のおかげで、思いもよらず早々に、しかもとても美しい形で実現したのは喜び以外の何ものでもない。
 最初は、緊張しきった顔が、一夜明けるとすっかり変わっていた
 三泊四日という、非常に短い期間だったにもかかわらず、日ごとに子どもたちの表情が変わっていくのが興味深かった。
 最初は緊張した顔も、歓迎会が終わり、外でバレーボールをしたり、薪で料理をしたり、
井戸で洗濯をし始めるにしたがって変わっていった。
 高校大学のスカラー、総勢224名が一堂に会して行う「平和の祈り」は、学生達が自身で企画実行しているが、
ミンダナオらしく踊りや歌で彩られて厳粛な中にも楽しさや美しさが生きていた。
とりわけ訪問者の読経は、スカラーたちに感銘を残した。
 10名の子は、母親といっしょに、最初はホテルで宿泊したが、翌日の「平和の祈り」以降は親から離れ、
若者たちといっしょにミンダナオ子ども図書館に泊まった。
 
 子どもたちがすっかり変わったのは親から離れて最初に図書館に宿泊した日の夜からだった
 何か特別な出来事が起こったわけではない。

MCLにすんでいるスカラーたちが、ときどき楽しみのためにするこちら式の遊技、「ハンカチ落とし」

や「かごめかごめ」「はないちもんめ」を始めた時からだ。
 こうした子どもの遊びは、こちらではごくごく一般的な日常で、ただ日本と異なるのは、高校生や大学生でも、
子どもと全く同じで、無邪気に喜々として遊ぶことだ。

 こうした幼心を失わないところに「素顔のミンダナオ」があると思う。
 日本から来られた子たちは、六年生が中心で、高校生も混じっていたが、気がつくと皆、遊びのなかにとけこんでいた。
 こちらの若者を見ていていつも思うのだが、心の壁を取りはらうのが実にじょうずだ。
 山の貧しい集落が、それ自体が大家族のような濃密なコミュニティーで有ること、
粗末な家には個室が無く、家族がいつも身を寄せあい暮らしている環境などが関係しているように思えるが、
彼ら自身に、心の壁というものがあまり無く、たとえ言葉が通じなくとも、
相手の気持ちや思いを察して、ごくごく自然にとけこんでくる。
 それがあまりにも自然だから、心に壁を作って構えていた日本の若者の心が、
いつの間にか開かれていて、翌日母親やスタッフが来て、子どもの顔つきの違いに驚き唖然とするような事態が起こるのだ。
 山の村で子どもたちに学用品の『夢ポッケ』をくばり、読み聞かせをし、豚の丸焼きを村人と食べ、美しい滝壺で遊ぶにいたって、
彼らの顔はすっかり地元の子になっていた。

 
 「最初は、日本の子どもとフィリピンの子どもだったのに、どちらの子も私たちの子のように見えますね」と、
お別れ会で私は言った。

 お母様方も、うちのスカラー達を、「私たちの子」と呼んでくださった。
 そう、私たちは世界中にいる、「私たちの子」のために、平和で貧困がない世界を作っていこう。
 そう、語りあいながら、涙ながらに別れた。
 再会を誓いながら。
 アイ ラブ ユー・・・
 また遊ぼうね。


ミンダナオ子ども図書館だより:3月25日

1,ほるぷ舎の保育所が出来た!
  高崎に拠点を置く、絵本の専門店、『ほるぷ舎』寄贈の保育所がマキララ、マルンゴン村に完成
  代表の金子さんが、開所式に来られた。

2,愛に捧ぐ黙想・・・松居陽

3,今年度のODA草の根資金J−Birdにイスラム自治区の小学校建設をアプライ
  ARMMと呼ばれるイスラム自治区は、ミンダナオで最も支援が行き渡らない地域。
  MILFの活動地域としても知られている。
  日本政府は平和構築のために、この地をあえて政府の支援地域の一部にして平和構築支援活動を開始している。
  私たちは、ほとんど現地の人々も、恐れて入ろうとしないこの地域を、
  今年の学校建設の候補とすることに決めて活動を開始した。


(3/25制作)
ほるぷ舎
の保育所が出来た!

高崎に拠点を置く、絵本の専門店、『ほるぷ舎』寄贈の保育所がマキララ、マルンゴン村に完成
代表の金子さんが、開所式に来られた。
ご自身も読み聞かせ活動や講演会も行っている積極的な方で、
毎年、私の講演や息子の陽の講演会を、10月、11月にセットしてくださっている。
金子さんへの講演依頼は以下のメールへ
holp-kaneko@holpsya.com
お忙しい中、ミンダナオ子ども図書館に正味二日滞在された。
ほるぷ舎のブログは以下をクリック
http://holp.blog61.fc2.com/blog-entry-11.html





歓迎の歌を
アラビア語で歌う
イスラム教徒の若者たち




興味津々で
訪問者を迎える若者たち

忙しい日本の日々とは異なった時間が、ここミンダナオ子ども図書館には流れている。
たった二日の滞在だったのに、まるで2ヶ月も居たような錯覚に陥る。
この様な時の流れを体験すると、人生観や、帰ってからの仕事への気持ちが変わってくる
それは、心そのものが癒される体験なのだ。

明けて翌日
さっそく、保育所の開所式へ



保育所の看板を運ぶ
スカラー達

左にMCL、右に福祉局DSWDのマークが入り
寄贈者の名前が登録される。
その後、テープカットとサイン式が行われ、保育所はフィリピン政府の管轄下に入る


日本語で自己紹介
私が現地語に訳して経緯を説明





テープカット
バランガイキャプテン(村長)さんと
にこやかに・・・

かつて、MPAの拠点だった村だが、
今の村長始め
役員はほとんど皆、女性だ。




サイン式を見守る子どもたち



子どもたちの歌も披露された




その後、保育所のなかで
読み語りが始まった。

金子さんは、日本語で
紙芝居を演じて
好評だった!!

保育所建設、希望の方々へ

ミンダナオ子ども図書館の保育所建設は
ピキットの戦闘で、先年からじゃっかん滞っていましたが、
現在、7件ある建設予定のうち
4月から6月にかけて、5件が順次、建設されます。

今年から、建設が終わって開所式の様子を
松居友が制作した映像と写真のDVDに焼き付け
映画として想い出にお送りしています。



その後、
ピキットのスカラーを訪問


ほるぷ舎の金子さん方は、ピキットのイスラム教徒の若者をスカラシップ支援している。
Joemar Abudul君
父親はなく、ゴミ捨て場の近くの貧民地域に住んでいる。

時々、働きながらの
苦学生だ。
本当に二人ともうれしそうだ!

「愛に捧ぐ黙想」

松居 陽


ここは、まったく面白い世界だ。
相対性原理に基づいて作られたこの宇宙。
無限であり、ゼロである絶対的な宇宙とは違い、
全てがこれ、あれ、そしてその間、
と比較によって成り立っている。
これが高ければ、あれは低い。
これが近ければ、あれは遠い。
これが良ければ、あれは悪い。
これが正しければ、あれは間違っている。

その中でも最も興味深いのが、愛と不安の相対性だ。

不安は、押し止め、閉じ困り、闇に隠れ、傷つけ、逃げる力。
愛は、解き放ち、開け広げ、明るみに立ち、癒し、留まる力。

不安に生きる者にとって、多くは足りない。
財が足りない。愛が足りない。
何かが足りない。
足りないったら足りない、と彼は叫ぶ。
富を下さい、と彼は祈る。愛が欲しい、彼は懇願する。
満たされたいんです!
その声明は、宇宙によって聞き入られる。
そう、あなたは満たされたがっている。
求める者は、延々と求めている自分を経験することだろう。

彼は、朝起き出し、多くを得る努力をする。
多くを得た後、さらに多くを得るため骨を折る。
とにかく、前へ前へ。
より多く、より大きく。彼の視界は狭く、厳しい。
彼の不安から逃れたい者達を、
彼は押し止めようとする。
持つという幻覚に住む彼にとって、
無くすことは最大の恐怖だ。


愛に生きる者にとって、全てはすでに与えられている。何もかも、十分に存在する。世界は、愛に満たされている!
彼は、何かが足りないとは決して考えない。全てを、そしてこれから与えられる全てをありがとう、彼は感謝に祈る。
その声明は、宇宙によって聞き入られる。
そう、あなたは満たされた。彼は、充満な自分を経験するだろう。

信仰心に肥えている者にとって、欲しがる必要は初めからから無い。
彼が得ることを選択した瞬間に、全ては与えられると、神は約束されたのだから。
彼は、宇宙の息吹に目覚め、命の触れ合いを感じる。神は、喜びいっぱいの素晴らしい世界を創って下さった。
そして、彼は自分や他人の死を恐れない。永遠の命を信じる者に、死などという概念は存在しない。

彼は、命の全てを祝福し、愛しながら、永遠の一瞬を生きる。全てに溶け込み、一体となり、神と語り合う。
彼には、執着心が欠けている。全てはすでに与えられている、と言う真実に住む彼にとって、
無くすことへの不安など、無邪気な錯覚だ。


無条件の愛に、不安は微塵も無い。

僕は、信じること、
そして愛することを恐れる人達を多く知っている。

受け入れてもらうため、愛してもらうため、
何かを代わりに得るために愛し、信じるのであれば、
たとえ求めているものが無条件の愛だとしても、
与えているのは条件付の愛であり、
それは愛と呼ぶより、要するに、
欲することから生まれた取引行為だ。
君の欲しいものを上げるから、僕の欲しいものを下さい、
と語られざる交渉がそこにはある。

この取引には、不安が隠れている。
初期の不安は、
もしも相手が愛してくれなかったら、というものだ。
そしてたとえ相手が愛してくれたとしても、
いつこの愛が途切れてしまうのか、
と次期の不安が襲忍び寄る。
これは、明らかに愛に生きる者ではなく、
不安に生きる者が一般的に作り出す経験だ。

では、無条件の愛とはどういった愛なのだろう。
何一つ条件が無いならば、
人は全てをあるがままに愛し、
それらがすでに完全な存在だと知りえるだろう。
全ての人々、出来事、物質、無物質、
生命、全てが神の創造した、
文句なしの天衣無縫だと知るだろう。

神が無条件に僕達を愛すように、
僕達も判断なしに全てを愛し、
祝福することができるだろうか?できるはずだ。
必要な力は全て与えられている。
損得無しに、純に愛する術は、僕達の核心にある。
なぜなら私達は神を模られ、
愛を成分として創られた最高傑作なのだから。

神が不完全な、不良品を創造するだろうか?


神が不完全な、不良品を創造するだろうか?
神は、僕達に選択の自由を与えておきながら、「間違った」選択をすれば、
永遠の業火で私達を罰する憎しみと復習の神なのだろうか?
そもそも、良い、悪い、正しい、間違っているといった概念は誰の創造したものなのだろう?
それらの言葉の持つ意味が、時代によって、または単純な地理の違いによって異なるのは何を示しているのだろう?

例えば、カトリック教徒にとって、1960年代以前は金曜日に肉を食することは罪であり、死後は煉獄へ行くとされたはずが、
それ以後は法王の決断で罪とされなくなった。
ヒトラーのやり方が正しいと感じ、彼を支持した多くの国民や、他国の多くは、今や彼は間違っていたと主張し、
彼にあらかたの責任を押し付ける。

ある文化は、男性が複数の女性と交際し、結婚することを力の印とみなし、
ある文化はそれを聞き、怒りに震え、道徳の侵害だ、と叫ぶ。
個人の人生の中でも、より若かったころの正しさは、後々の正しさとは異なることがしばしばある。

この喜劇に僕が思う真実は、こうだ。
これは全て、人によって作られたドラマ。
個人レベルであれ、団体レベルであれ、
意識の作り出した世界。
良い、悪い、正しい、間違っているなど、
実際には存在しない。

実在するものといえば、
世界に散らばるたくさんの観点、それらのみだ。
正しさ、良さなどのコンセプトは、
人により、経験と思考から描き出され、
団体意識によって強調される。

それなら僕は何を信じよう?そう、僕は、僕自身の真実を追究しよう。
望むべく経験を作り出そう。今、ここで、自分の思い巡らす最大の自己イメージを思い描き、宇宙に映し出そう。
それが人生の意図。
僕にとって、神は観測者であり、
裁判官ではない。
無条件で全てを愛する神は、
独裁者や多くの人間のように、
一つの観点からしか物事を見ず、
正しいだの間違っているだのとルッテルを張り巡らせ、
間違ったものを裁き、刑を処するだろうか?

僕達の多くが偏狭だからといって、
神にまでその特性を割り当てて良いのだろうか?

僕達が何をしようと、何を持とうと、
僕の神にとって、魂は一つ一つ、
罪も穢れも非の打ち所もないマスターピース。

僕と神の間には、義務も責任もない。
僕達は、選択の自由を持ち、
望むがままに道を造りゆく者達。
自己の真実を摘み取り、
自己の信じる目的を追求することを望む。

しかし、自分の信ずる道を進もうとも、
僕は、僕の知る神のようにありたい。
フィルター無しに、
全てをそうあるべきものとして愛し、解き放つ、
そう、無条件の愛を現実化させたい。

もしも僕がたった一つ、世界中の兄弟姉妹に
プレゼントを贈るとすれば、それは不安と罪悪感の欠けた心。




今年度のODA草の根資金J−Birdに
イスラム自治区の小学校建設をアプライ
2000年、2003年の戦闘では、10万を超す難民が出た。
その難民キャンプの悲惨さを目の当たりにしたのが、ミンダナオ子ども図書館を作るきっかけだった。
当時の銃痕が今も壁に残っている。

ARMMと呼ばれるイスラム自治区は、ミンダナオで最も支援が行き渡らない地域。MILFの活動地域としても知られている。
日本政府は平和構築のために、この地をあえて政府の支援地域の一部にして平和構築支援活動を開始している。
私たちは、ほとんど現地の人々も、恐れて入ろうとしないこの地域を、今年の学校建設の候補とすることに決めて活動を開始した。

この地域に支援をしても、おおかたが賄賂として、為政者や金持ちに渡ってしまって無意味だと言われている。
ARMM以外でも、似たようなものだと、私は思うのだが、行政機構が機能していないのも事実。
しかし、私たちの活動は、権力者に金を預けるのではなく、あくまでも自分たちの手で
最も貧しい地域の人々に、恩恵が直接行くように活動している。

現地には、心から貧しい人々と生きようとしている、多くの人々が居る!
彼らと共に、子どもたちと共に、スカラー達と共に活動を開始するのが、MCL流だ。

選んだのは、2000,2003年の
戦闘がひどく
フィリピン海軍がプランギ川を遡って攻撃し
ピキットへの上陸地点とした、
その名もランディングピース
と呼ばれた地域から

さらにパンボートに乗って
奥の対岸に渡る
PAARALANG村
陸路はなく、乗り合い舟でしか
たどり着けない


これがこの村の学校。メインビルディングが一つあるだけで、窓も木組みの粗末なものだ。
ここに3教室ある。これに破れた壁の掘っ建て小屋のような教室が一つと、塀のない屋根だけの教室が二つ。
6学年あるが、子どもたちの数は何と700名に近い!!!


子どもたちの数は何と700名に近い!!!

教室を遮る壁は、ベニヤを張っただけの粗末なものだ
便所も外になる。
隣接された教室
1年2年生が多く一教室では足りない
職員室も無い

椅子や机も不足しているので
子どもたちは床で勉強する

急きょ加えた教室は、竹壁のために一年もたつと腐り始めて
下部は、抜け落ちてしまった。隣接して作られた図書室も、本はなく、看板だけが目立つ!
ライブラリーと言っても、一冊の本もなく
半ば崩れていた
子どもたちは、抜け落ちた廃材を
シーソー代わりにして遊んでいた
外部教室は、屋根だけで、その下に2クラスあるが、仕切が無く
話し声が筒抜けで家具も足りない。
今回何よりも驚いたのは、
この様なところで、
二人の知り合いに会ったことだ。

一人は、7年前にのどの瘤の治療をした少女
アレナちゃんのお父さん
懐かしさに、感動しながら
「どこへ行く?銃は持ってきたか?」

「この地に知り合いの多い、
アスレーさんのお父さんが
同行してくれているが銃はない」
と言うと
「任せておけ、俺が守る」
と言って同行してくださった。

椰子の実のジュースを飲む時には
「ここに飲み口を開けていないのが
4っつある
お前が鉈で、飲み口を開けろ
毒を盛っていない証拠だ!」

「いや、信じているから
大丈夫ですよ
そちらでやってください」
と僕は答えた。



もう一人は、現地であった先生。上左の写真だが、
「あなた、私覚えていますか?」
「????」どこかで見たような
「あの、タリタイの目を手術した若者の姉です!
まだ、ミンダナオ子ども図書館がとても小さかった時に、弟に同行したのが私です!」

ここへ来た目的が、学校建設に応募することと聞いて大喜び!!
校長先生も村長も大喜びするのを必死になだめて
応募の段階ですから・・・・と、脂汗をかきながら繰り返し話すと
「その気持ちだけでもうれしいです!」

帰りには、子どもたちに見送られながら、まずは14日にスカラー達と
読み語りに訪れることを約束して別れた
保育所も無いので、保育所建設も始めよう。

資材は、ボートで運べば大丈夫だ
ナブンダスに建設した経験がここで役立つ
週明けて
皆で読み語りに訪れた

キダパワンからピキットまでは、車で小一時間しかない
それにもかかわらず多くの若者たちは、互いの文化も土地も知らない
何しろ、交通が発達しているわけでもなく、極貧で村から出ることすらない若者たち。
小さな山の村以外には、行ったことも見たこともなく、
イスラム教徒はキリスト教徒を恐れ、キリスト教徒はイスラム教徒を恐れ、マノボ族は山岳民族として見下されている

読み語り活動の大きな利点は、こうした地域に閉じこめられた若者たちが
互いに、思いもかけない場所を訪れる事が出来ると共にその土地の人々と交流できること・・・
これは、逆に、戦闘や貧困で、閉じこもった地域の人々、子どもや大人の心を開く上でもきわめて効果的だ。
読み語りは、平和構築の大きな力であると感じる。

いよいよ読み語りがはじまった
合間には、イスラムの歌、マノボの歌、ビサヤの歌、
そして、最後にタガログ語で、平和の歌が歌われる
平和の歌は、スカラー達が作詞作曲したものだ


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