2015年12月まで



大河、プランギをわたったとたん
 
ミンダナオの母なる大河、
プランギをわたったとたん、
風景はいっぺんした。
「なんだこれは?」
 今までつづいてきた、
平和な田園風景のあちらこちらに、
避難生活をしている、
避難民たちの姿があらわれだしたのだ。

 ピキットにむかって走る車のりょうがわ、
国道ぞいのわずかな空き地に、
着の身着のままの姿で生活をしている。

 彼らのすんでいる場所は、
避難小屋などとは
とてもよべないようなしろものだった。
 1畳か、良くて3畳半ぐらいの
スペースにゴザをしき、
どこからとってきたかわからない
木の枝を四方にたてて柱にして、
そのうえに青いビニールシートを
かむせて屋根がわりにしている。
 ビニールシートを買うことができる
家族はよいほうで、
おおくの家族が、
ヤシの葉をかさねておいたしたで生活している。

 車でピキットにむかうにつれて、
その数はまたたくまに増えだした。

 少し小高い国道をはしりながら見わたすと、
道ぞいだけではなく、
りょうがわの牧草地のような農地にも
避難民の仮小屋はひろがっている。
 しかもその数がはんぱではない!
 見わたすかぎり地平線まで、避難民なのだ!

 「避難民キャンプ」というのは、
キャンプという言葉から想像していたように、
戦争で避難してきた人々を、空き地なりに
テントをはって収容する施設であ り、
そこにいけば、医療や食料も
用意されている場所であると
おもいこんでいただけに、
初めて見る避難者の状況に強ショックをうけた。

 たしかに場所によっては、
特定の空き地などに
集められてはいるものの、
そのほとんどは国道ぞいどころか
農地や川ぞいに
いたるあらゆる場所に、
雨よけのシートをはって生活しているのだ。

 そのときは、
なぜこのようなことが起こっているのか、
見当もつかなかった。
 あとでわかったことだが、
2000年にエストラーダ大統領のもと、
フィリピン軍とアメリカ軍の
合同演習(バリカタン)があったのだ。
しかし、演習というのは名ばかりで、
事実じょうの実戦がおこされて、
100万人いじょうの人々が避難民となった。

 さらに、これらの避難民が
まだ家にかえらずに、
苦しい避難生活をつづけている
にもかかわらず、
二〇〇一年に、
フィリピンのアロヨ大統領と
アメリカのブッシュ大統領の主導による
「テロリスト掃討作戦」がはじまった。
 このけっか、避難民は
三年近く避難生活をしいられたのだ。

 ぼくが、この地につれていかれたのは
2001年のはじめのころのことだから、
このときの避難民を見たことになる。

   
   
   




 ペール生まれの双子の兄弟
2015/12/20

今回、いっしょに来た、
ペール生まれの双子の兄弟。

 4歳の時に、
母親とペルーから日本に移住して、
日本で育ったけれども、
中学2年で学業を停止。
いじめやケンカもあってか、
混沌とした成長期を
過ごしてき た20歳の若者。
日本語以外に
英語もほとんどしゃべれない。

でも、見ていると子どもが大好きで、
友情を培う力がすばらしい!

 前にも、父親が中華系で苦労して育ち、
やはり英語があまりしゃべれない
若者が来たけれども、性格が良く、
たちまち子どもたちと親しくなっていった。

ミンダナオ子ども図書館の子どもたちは、
友情と愛をはぐくむ感性がすばらしく、
言葉がつながらなくても心が通じて、
相手の気持ちをすぐに察して、
たちまち親友になっていく。

 でも、やはり心が通じるだけではなく、
言葉も通じる方が良い。

 ペルーの双子の兄弟も、ここにきて、
英語を勉強したくなって、
子どもたちから遊びながら習っているけど、
日本に帰ったらがんばって
飛び職人として働いて、
次回はさらに長期滞在しながら
英語学習をする予定だ
 
   

左が日系人でスタッフのジケロくん
 
   



山本博樹さまからのお頼り

山本博樹さまからのお頼りの一部を掲載させていただきました。写真は、弟様からです。

松居友さま、おはようございます。
先日、MCLで、大変お世話になりました山本博樹(剛の兄)です。

日本での超多忙さから解放され、大好きな子どもたちに癒されて
ゆっくり元気回復を待ち望まれていた友さんだったのに、
穏やかにあんなにも奥地まで、私たちを「慰霊の旅」に案内していただいた上に、
MCLでは、涙の大歓送迎で迎えていただきました。

帰ってきて振り返ってみますと、友さんの慈愛の深さと偉大さが、心遣いのやわらかさが 
しみじみ伝わってきてミンダナオの風のように私たちを癒してくれていことに気付きます。
人の幸せとは、何かを知る出会いの旅を、ありがとうございました。

今回、私は、4回泣きました。
1つは、カリナンの小学校を訪れたとき、「十一叔父さんのひ孫がここにいる!」と思うと泣けました。
日系の子どもたちの表情、声、歌、しぐさに戦争と同邦が重なって、そこに、私の場合、
私の母方の伯父は、カナダの敵国、日系1世だということで、山奥に強制収容されていたのですが、
そのときの状況もダブって、涙が止まりませんでした。
まさに「慰霊の出会い」でした。

2つめは、ナナオプランのタカさんに。
「この方は、十一さんではないか」と。タカさんも、何か言いたそうで、涙ぐんでいました。
「タカさんの父が、10歳の時、お祖父さんが父を背負い、ここまで逃げてきた!」
(敗戦の直前で、祖父は30~40歳と思われる)
「タカさんの祖父は、当時、『アバカ(マニラ麻)の太田興業』で働いていた!」という。
叔父十一も、同じ太田興業だったから、(当時叔父は21歳)、ぜったい叔父のことは知っていたはず。
だからこそ、友さんは,私たちに、タカさんを会わせたかったのでしょう。

今回、最初に訪れたタモガンに住む「山田部隊ミンタル会」の堺幸一さんが、
今回の一番の情報通で、友さんはこの方を、一番当てにしておられたのに、
今年亡くなっていて、当てが外れてしまいました。友さんは後で、しきりに、「急がないと!」。
日本国内でも、戦争体験者は、僅かになってきて、とりわけ、現地は、きびしい。
私たちも、調査時には、是非ご一緒したいと強く思いました。

三つ目は、マノンゴルのMCLのスカラシップの子どもたち / 
一つの家族、笑顔、その声、合唱は、
「よくぞ来てくれた!」「私たちは、うれしいよ」という歓びを一つにして、
私たに、大歓迎を届けてくれました。
賛歌は、まるで、笑顔の弾丸が、私をぶち抜くがごとく、
凛凛と、滔々と、延々と 熱く熱く、私を打ちつづけました。
この子ら、一人ひとりは、過酷な、想像を絶する境遇を背負って、
今、ここに、安堵の喜びを爆発させているのだ。
皮膚の色、顔かたち、背負ったもの、宗教の違いを超えて!
私は、今、まさに人間の尊厳が輝いていると、涙しました。
叔父十一たち、この地で無念に果てた一人ひとりの命の魂の、これは、歓びと大歓迎なのだ!
私は、胸が詰まって痛く、涙は流れ続けました。

同時に、4っつ目は、松居友さんの「やっていること」が、究極、
「こういうことかあ」と笑顔の大合唱で気づきました。
心底、すげーことを、したはるんや、あの穏やかさで。
「人間の尊厳を踏みにじる場が『人間の戦場』である(広河隆一)」
ならMCLは、「人間の尊厳が輝く人間の幸せと希望の場所」である
と。(子どもたちとスタッフのメンバーと梓さんと友さんへの尊敬と、元気を願って)

終わりに、私たちは、「小学生のスカラシップ」を、支援させていただきます。
これも、叔父十一の遺志です。叔父の遺族年金を充てます。

私たちの「慰霊と出会いの旅」をありがとうございました。

  2015年12月11日(金)朝

:
 
 


山の村キアタウの下の川の洞窟
   

写真は、山の村キアタウの下の川の洞窟。
日本の兵隊が沢山隠れていた場所で、
ここが激戦地だった。
MCLの奨学生が沢山いる地域。

実は、ぼくの叔父、父の兄も
フィリピンのルソン島で戦死していて、
なぜかミンダナオにいると、
しばしばその叔父の事を思い浮かべる。

 会ったことはないのだけれど、
父の話に聞くところでは、
性格も良く勉強も出来て医師になった。
ところが世界大戦が勃発して、
軍医としてフィリピンに派遣されたけれども、
スペイン語も出来て、現地の女性たちにもてたそうだ。

 ぼくが思うのは、
その叔父が戦争でジャングルを巡りながら、
おそらく現地の子どもたちにも出会ったに違いなく、
こちらの明るい子どもたちを見ながら、
なんでこんな馬鹿げた戦争を
しなければならないのだろう、
と思ったに違いないと言う事だ。

 ぼくが、ミンダナオ子ども図書館をはじめたきっかけは、
イスラム地域での戦争で、
100万を超す避難民が出ていて、
特に子どもたちの笑顔が消えてしまっ ていることに
心を痛めたからだったが、
ミンダナオ子ども図書館の活動を始めてから、
しばしばその叔父のことを考えるようになった。

 死んだ叔父がぼくの前に立ち、
この仕事を導いているような気がする時があるのだ。
 

 
   
   
 


 
慰霊に訪れた山本御兄弟 
 

写真は、今回ミンダナオで亡くなられたおじさまを
慰霊に訪れた山本御兄弟。

 70歳代前後のお二人は、
おじさんが戦前にダバオでマニラ麻を作っていた
太田興業に所属されていた。
しかし、世界大戦が勃発。
徴兵されて日本軍とともに、
カリナンの奥のタモガンのジャングルに逃げこんで亡くなられ、
その慰霊のために、お二人は来られた。

現地でマノボ族と平和に暮らしていた人たちは、
戦争を複雑にとらえていた人が多いと聞く。
おそらく山本さんのおじさんも、
同じ思いだったのではないだろうか。

 ミンダナオ子ども図書館のスタッフのジケロくんも、
おじいさんが太田興業の関係で
カリナンでマニラ麻を栽培していた。
しかし、戦争になり、おじいさんは戦争を避けて、
まだ小さな彼のお父さんを背中におんぶして、バゴ
ボ族の妻と一緒にジャングルのなかを逃げまわったという。

 ミンダナオ子ども図書館の奨学生には、
そうした日系人の子たちも多い。
彼らは、ジャングルに逃げた後、
自分が日本人の末裔であることをひた隠しにして、
先住民として生き延びた。
ぼくもときどき耳元でそっと声をかけられることがある。
 「実は、わたしのお祖父さんは、日本人・・・」

 
   
   



初代市長の末裔だった
 
図書館の敷地内には、
アポ山の噴火で飛ばされてきた火山弾とおもわれる
大きな岩があるけれども、
いぜんから村人はそのなかには
妖精がすんでいると語ってきた。

 とりわけ夕刻に、その岩のそばをとおるときには、
岩にむかって声をかけるのが習慣だ。
 「ちょっと、ごめんなさいね、通してね・・・。」
 その岩は、妖精たちの家だといわれているし、
なにか気配をかんじるのだろう。

 ミンダナオ子ども図書館の土地をゆずってくださったのは、
お隣さんのインカルさんだ。
インカルさんは、理事をやってくださっていたが、亡くなられた。
 お父さんが、初代のキダパワン市の市長で、
マノボ族の酋長だった。

 そのころキダパワンには、マノボ族しかすんでおらず、
ミンダナオ子ども図書館のある場所が、神聖な中心地で、
ある特別な日になると、
敷地内の妖精の家とよばれている岩のまわりに
亡くなった先祖たちがあつまって、
集会を開くのだとおしえてもらった。

 インカルさんを中心としたマノボ族は、
けっきょくそのご自給地を奪われ、
山のおくへとうつっていった。
 ただし、インカルさんのお孫さんたちや、親族たちは、
貧しいけれども川のふちに家をたてて
今でも何とか暮らしている。

 子どもたちも三食たべられなかったりするので、
ミンダナオ子ども図書館でご飯を
食べられるようにしてあげているし、
何人かはスカラシップをあたえて、
大学までいけるようにしてあげている。

 驚いたのは、はるか遠い山のなかの
村のはずれを歩いていたら、
一人の男の子が、バナナを袋に入れた
重い荷物をしょってやってきた。
 なかなか、すがすがしく、良い顔をしているのでたずねると、
学校にいくためにがんばっているのだという。
 「名前は?」
 「インカル。」
 びっくりした、初代市長の末裔だった。
 その出会いがきっかけで、彼は奨学生になった。
いま彼は、高校生だ。
いつか市長になってくれたら、いいのになあ。
 

 
 


子ども時代から
青春時代にいたる体験
じぶんにとって、
ミンダナオ子ども図書館って何だろうとかんがえるときに、
いつもかさなって浮かんでくるのが、
子ども時代から青春時代にいたる体験だ。
幼稚園から小学校の低学年のころ、
冬休みなどでコタツにあたっていると、
母に怒られたのをおもいだす。
「子どもは、風の子。
コタツになんかあたっていないで、外で遊んできなさい!」
そこで寒くてふるえながらも外へでると、
タコあげをしたりコマ回しをしたり、
木登りや屋根に登ったり、夏には川にいかだをうかべたり。
ザリガニや小エビを池でとったりしてちまたで遊んだ。
あそび仲間があつまると、石けりやゴム段飛びやじんとりなど、
親や先生や大人たちの目からはなれて、
子どもたちどうしで仲間をくんで遊ぶのが楽しかった。

ときには帰りが遅くなり、あたりはすっかり暗くなって、
心配した母が街灯のしたにたたずんで待っていた。
夕暮れどきに、家々からただよってくる
夕飯のにおいにあいまって、
わが家のよさを実感したものだ。
家にかえるとお風呂を薪でたいたりしたし、
時にはとなりのおばさんの家に入りにいったりもした。
「お風呂がわいたよー。入りにおいでー。」

お隣さんとの垣根もへだたりがあまりなく、
いけ垣をかいくぐってとなりの家の庭をぬけて、
学校にいったりもしていた。
絵本も読んだけれども、いま考えると、
あの外遊びの体験があったがゆえに、
いまの自分があるようなきがする。

中学校は、公立のふつうの学校だったけれども、
おもしろい先生がいらっしゃったし、
仲のよい友だちにあえた時期でもある。
公立学校のよさは、
友人たちが近所にすんでいて遊びにいきやすく、
かえり道などにその家庭にもたちよれるし、
友人たちの家庭環境も、
寿司屋から八百屋やふとん屋、
サラリーマンから地域の商店街まで多様だという点だろう。
学校は明るくのびのびとして好きだったけれども、
ひとつだけなじめなかったのはクラブ活動だった。

子ども時代から木登りは得意で、運動神経はひといちばいよく、
小学校のときからとくに球技は得意だった。
ソフトボールやバレーボール、ドッジボールから卓球まで、
なんでもやったけれども、
中学にはいってそうした遊びがクラブ活動になると、
楽しかはずの遊びが、
ひたすら勝ち負けを追求する競技になってしまう。
「ワッショ、ワッショ」と声をあげて、
運動場をひたすらはしる馬鹿馬鹿しさ!
教師や先輩の笛にしたがい、
真剣な表情をあえてつくって行動をするつまらなさ!

遊びのばあいは、上手でも下手でも、
子どもどうしが友情をもってささえあい、
歓声と笑いで楽しんだのに、
クラブ活動ではうまいへたによって評価され、
そこから少しでもはずれると馬鹿にされ、
見下され、ブーイングが飛び、
あげくのはてに排除され疎外される。
それをみて、こんな馬鹿げたことはやっていられない、
と判断しすぐに辞めてしまった。

学校がおわると家にかえり、庭で花をそだてたり、
休みの日には、ひとりで自由に
山や高原を歩きはじめたのもこのころからだ。
庭にコンポストをおいて堆肥をつくり、
水仙や矢車草、カンナやケイトウを育てて
楽しんでいるぼくの姿をみて、
母がいった言葉がわすれられない。
「おまえの趣味は、まるで隠居老人のようだねえ。」
いまりゅうにいえば、おちこぼれ。

ちょうどそのころ、母方の祖父が隠居して、山梨に移りすみ、
ブドウ栽培をちゅうしんとした農業をいとなんでいた。
週末や休みの日などに、ぼくは祖父のところにいっては、
南アルプスや八ヶ岳をながめてブドウをたべた。
有機農業の基本的な知識も、このころ学んだ。
高校時代には、小説から哲学書、文学から自然科学、
心理学まで本もたくさん読んだけれども、
本だけではだめだとおもった。
どんなに知識をつめこんで、想像力をやしなったとしても、
じっさいに神が創造した自然や人間に、
直接ふれて出会って体験してこそ、
初めて真実を感じとることができる。
きょくたんな言いかたをすると、どんなに知識や教養があっても、
実体験がなければ、ほんとうの人生ではないような気がした。

高校時代には、学生紛争もあったし、たくさんの本を読んだ。
実存と死を考察し、
生きることの意味を考えつづけた多感な時代だ。
けれども、いまになって振りかえると、
この時期はとくに引きこもりで厭世的、
実存主義的で無宗教だった。
 そして、「人は何のために生まれ、
生きる意味はどこにあるのか」
ということを考えたときに、究極において、「死とは何か」、
「人間は死ぬのになぜ生きようとするのか」、
「生きる意味はどこにあるのか」を考え続けた。

 その結果、この問いを解決するためには、
死から目をそらすことをせずに、死を見つめ、
意識的に死に向かって歩き、
死を超える意志を確立しなければならないと思いつめた。
 そのあげく、自力で死をこえようとして、
さいごに死の恐怖と精神の崩壊の瀬戸際にたった。

 ある日のこと、昼間、寝床によこになっていたのだが、
とつぜん信じられない恐怖が、ドカーンと外から襲ってきた。
 目ざめてはいたのだけれど、
そのあまりにも強い衝撃にあわてて飛び起きて、
扉をひらき庭をみたが、台地は大きくゆれうごき、
目のまえでボッカリと裂けて、
虚無のなかに落ちこむ恐怖にとらわれた。
 地獄に堕ちるとは、このことだろうか、といっしゅん思った。

 ひっしに心を強くもとうとしたけれども、
くりかえし自殺の衝動が襲ってくる。
 ああ、このままでは発作的に自殺をするか、
その衝動に耐えたとしても、
発狂して精神が崩壊するだろう、とわかった。
 そしてふらつきながら、ふたたび寝床に横になったときだ、
枕元に黒い女性があらわれ、ぼくに語りかけた。
 「あなたはもう、じゅうぶんやったのだから、いまは休みなさい。」
 実在の女性ではないのだけれど、
そこに存在しているのがつたわってきた。
まるでその膝を枕にしているかのような安堵感が、
じぶんの身体にひろがっていった。
 救われた、とおもった。

 それは、死をこえた愛の体験で、
この体験が、後に洗礼へとつながっていった。
 高校を卒業する時期がちかづいてきたとき、
 「どこの大学にゆきたいのか」
 と、父から問われて、
 「一年ぐらい学校にいかずに、
山を歩いたり、音楽を聴いてみたい」
 といったらあきれられた。
 「どうしても大学にいくとしたならば、どこが良いか。
なんの学部を専攻するのかを、聞いているのだ。」

 執拗に問われて、
最終的に私立の文学部を受験することに決めた。
理由は、受験科目が少なかったから。
 いまだから告白するけれども、ぼくの場合、
学校でならった知識はあまりやくだった記憶がない。
本を読んで得たものの方が多いけれども、
ただし語学だけは生涯にわたって役にたつから、
したほうがよいと思う。
大学では、恩師の木村直司教授に影響をうけて、
ゲーテの自然科学論文を中心に錬金術的宇宙像をまなんだ。
 ゲーテの宇宙像を、心理学的にも
展開しているユングの勉強もすこしした。

 自分の興味で、本はたくさん読んだけれども、
髪の毛は長めでインドの袋を肩にかけ、
皮のサンダルをはいて大学に通い、
それほどまじめに授業にもでなかった。
 大学4年の後半になって、父から、
 「おまえは卒業したら何をしたいのか」
 と問われて、
 「この世の本質が知りたい」
 と答えたら、
 「大学4年にもなって、なにを馬鹿なことをいっているのか。
どこに就職するのかを聞いているんだ」
 と言われたことをおもいだす。
 答えにきゅうしていると、とうとう父がいった。
 「おまえのような性格の人間は、社会に適応できないから、
大学にでものこって先生になったらどうだ。」
 しかし、たいして勉強をしていなかったから、
修士を受けて落ちて浪人し、
その春に、初めて海外を一人で旅した。
いまから40年ぐらいまえ、1970年のころだ。
それが、初めて飛行機というものにのった体験で、
旅の計画は、すべて一人でたてた。
 たった一人で飛びたって、
初めておりたった場所はチェコのプラハ、
そこから旧東ドイツに入っていった。
 翌年なんとか修士に入り、修士論文は書いたものの、
修士終了のときに教授にいわれた。
 「おまえは、論文はよいのだが、学者への道はどうかなあ。
大学教師には向かないと思うよ。どうみても、野人だからな。」
 「野人?」
 野人とは、どういう意味だろうと、今もときどき考えるけれど、
おそらくアウトサイダー、組織に属することのできない、
まあいってみれば、社会の落ちこぼれ、という意味だったと思う。
 今の日本の学生たちの70パーセントが落ちこぼれて、
世界に散らばって、
生きることをそこから学んで帰ってきたら、
日本の将来も明るくなるかもしれない。 

 
 
 
 
 



剣を持つものは、剣で滅びる 

涙も枯れ、泣きはらした顔が、
そのままこおってしまったような
表情をした子どもたちや、
戦闘の恐怖におびえきったようすの
子どもたちをみると、
戦争を肯定することが
できるはずもない。

 ぼくの心のなかに、
聖書の一節がうかんできた。
 「剣を持つものは、剣で滅びる。」

 たがいに武器をもちあって、
戦をしたとしても、
いったいなんの解決に
なるというのだろう。
かえって憎しみを助長して、
対立をふかめて
いくだけではないだろうか。

 かわいそうなのは、
被害にあう子どもたち。

 ぼくにとっては、
目の前でぼうぜんとしている
子どもたちが、
イスラム教徒であろうと
キリスト教徒であろうと、
先住民であろうと他宗教であろうと、
子どもたちは
子どもたちにしか見えなかった。

 せめてこの子たちのために、
何かできないだろうか。
 そうおもったとき、
ぼくの頭のなかに、
どこからかわからないけれども、
すとんと落ちてきた考えが、
 「ここで、読み語りをしたらいい。」

 そうだ、たしかに、
それは良いかもしれない、とおもった。



阿部幼稚園のお母様方から
講演会の感想

阿部幼稚園のお母様方から、講演会の感想がとどきました。
自然な森で子どもが遊べる、すてきな幼稚園ですね。
園長先生も子どもが大好き。
ミンダナオ子ども図書館とどこか通じるものを感じました。

・自分を育む、愛の話がよみがえった。
 忙しい中、本を読んでくれた父の話。
 読めるようになってから聞いてもらって褒めてくれた母。
 我が子と本をよむ楽しみがさらに深まった。

・松居友さんの「サンパギータのくびかざり」の
 読み聞かせが心に残った。
 「愛は死を超えたもの」という友さんの言葉が心に響いて、
 自分の読み聞かせのときに役立てようと思う。
 ランチ会のとき、奥様のことも聞けて温かく本当によい会だった。

・「母の愛、父の愛は永遠の力である」という言葉が心に響いた。

・松居友さんの読み聞かせが印象的だった。
 「サンパギータのくびかざり」を息子に読んであげると、
 死への興味を感じているようだった。
 息子のその姿を見たり、ミンダナオの子ども達、
 奥様のお話を聞いていると、
 人は何歳でも学べて伸びていける、
 という人間の可能性を感じた。

・子守歌を歌えるということは、
 歌ってもらったということ、という気づきが嬉しかった。

・人間同士の関わりが大切だと思った。
 本、物語そのものに力があるというより、
 愛情を込めて読む体験の重要さを感じた。
 友達と明日も遊びたい!
 と思うから生きていたいという力。改めて気づかされた。

・人柄にじみでるニコニコ楽しそうに話す松居友さん。
 ミンダナオの子ども達の力、語る力、
 想像力の素晴らしさに圧倒された。
 自分の子の想像力を大切にしようと思う。

・ミンダナオ、友情、コミュニケーション・・・が印象的だった。
 昔話、絵本による愛情。
 自分の受けてきたものを、今の子ども達にも伝えてあげたい。
 ミンダナオ図書館のお話は、
 自分のできることは何だろう?と考えさせられた。

・「忙しいから後でね」というのを改めたい!
 絵本に始まり、たくさんのお話が伺えて、
 とても素晴らしい講演会に参加できてよかったです。

・世界の話が聞けて視野が広がった。
 子守唄、絵本・・・自分はできているか。
 子どもは子どもらしく生きる環境ができているか。
 どうやったら愛情を伝えられるか。色々と考えさせられた。

・奥様の笑顔が印象的だった。
 ミンダナオの現状のすごさの中での
 松居友さんの頑張りに、真実をみつけ、
 そこに人生をかける美しさを感じた。
 自分自身も自分なりの真実をみつけたいと思う。

・「心のつながった中で生きている」という言葉が心に響いた。
 見えないものがある世界は、想像する力のある世界。
 そんな世界は、互いを思いやり繋がれる。
 昔話などの「語り」がその力を育む。
 いつかこの時間を思い出して欲しいという気持ちで、
 我が子と接するようにしていきたいと強く思った。

・「夜、爪を切らない」「口笛をふかない」など、
 昔からの見えないものに対する考え方を
 普段から生活に取り入れるようにしている。
 そうすると、子どもの反応も、その世界に生きているのがわかる。
 松居さんのお話を聞いて、共感できるところがたくさんあった。

・にこにこ話す松居友さんが印象的だった。
 「見えないものが見える」。忘れかけていたものを思い出した。
 我が子に伝えていければと思う。

・自分のできる小さな一歩から何かはじめようと思う。
 子どもにも見せていきたい。
 奥様の生き生きとした生き方に感動しました。
 お話が聞けてよかったです。

・ミンダナオの大変さと違って、
 にこやかに話す松居友さんの人柄が伝わり、
 心温まる、いい講演会でした!
 子ども達と奥様の力が、友さんを支えているように思いました。
 「物」の豊かさと比例しない「心」の豊かさ・・・にはショックです。

・「生きる力」。友情や人とのつながりを大切に、
 そこから始めようと思う。

・日本とフィリピンとの子ども達の置かれている
 現状があまりにも違いすぎて愕然とした。
 世界にはこうした状況の中で生きている
 子どもがいる事実を忘れずにいたいと思う。

 
 
 
 



小学校のころ

ぼくの人生でいちばん楽しかったときの一つが、小学校のころだろう。
小学校になると童話も読んだけれども、
読書よりも何よりも楽しかったのは、
学校がひけると友人たちと、
近くの公園の池や川でカエルやカニやザリガニをとったり、
木登りをしてカブトムシやクワガタをつかまえたりして、
ほんとうによくちまたで遊んだことだ。

いくら絵本を読み聞かせしてもらっていても、読書体験が豊富でも、
「何とか教室」にかよったとしても、
ちまたでなかまと遊ぶ体験がなければ、いまの自分はないだろう。
なにしろ小学校4年生まで、
通信簿もない期末試験もない自由な雰囲気の学校
(註・小学校は明星学園だった)だったから、
学校のなかでも外でも、ひまさえあれば友だとたちと、
缶けり石けり鬼ごっこやかくれんぼをした。
そのことをおもいだすと、
自分がミンダナオの子どもたちとにかよった、
子どもが子どもでいられる子ども時代をすごせたようにおもう。

当時のぼくのいっていた学校の方針も、
他校とはちょっとかわっていて、
勝ち負けを重視するバスケットなどのゲームより、
伝統的な自由遊びを重視して、
朝礼のあとにはフォークダンスなどをして、
競争よりも友だちづくりを優先させる教育方針だった。
おもいおこすと授業の方法も、知識のつめこみではなく、
じぶんで考えることを大切にさせていたことがわかる。

数学の松井幹夫先生は、たとえば2×0は、なぜ0なのか?
子どもたちに問いかけた。
リンゴが2つあったとして、それに0をかけると、
なぜあったリンゴが無くなるのか?
0っていったい、何だろう?
それを子どもたちに問いかけて、自分の力で考え発表させる。

理科の遠藤豊先生は、水素と酸素を結合させると水になるけど、
どうして水にかわるのかを、一週間グループ討議して発表させた。
想像力だけで考えるから、
子どもたちは奇想天外な説をたてて発表する。
まちがっていてもよいから
「自分の力と想像力で考えてみる」ことを評価し優先させた。

しかし、なによりも影響をうけたのは、
5、6年生の担任で国語の教師だった無着成恭先生。
当時のぼくにとっては、父親いじょうに父親のような人だった。
お坊さんから教師になり、
教師から晩年ふたたびお坊さんになられた方だけれども、
ランニングシャツに腰手ぬぐいをさげた東北スタイルで、
東北訛りをいれながら国語の授業をすすめていった。
ラジオの子ども電話相談室にもでていらっしゃったが、
いまでも訛りのある声がなつかしく耳にきこえてくる。
授業の進めかたもどくとくで、知識をつめこむのではなく、
つねに子どもたちに質問をして問いかけて、
その発言をもとに文学のふかいながれをとき明かしていった。

子どもたちに質問を問いかけると、
80%ぐらいのおおぜいの子どもたちが、
いっせいに手をあげた。
ハイ!
ハイ、ハイ!
ハーーーイ!
ハイ!
たちあがって手をあげる子もいて、その熱気はすごかった。

お昼休みで弁当をたべていると、
教室にこられて本を読んでくださった。
いまも思いだすのは、
『ヴィーチャーと学校ともだち』(註・岩波の児童文学全集から)。
成績よりも遊びを重視して、学校のなかでも休み時間になると、
カンケリや鬼ごっこ、コマ回しや縄跳び、
馬乗りごっこやはないちもんめ。
校外教育もさかんで、理科では「散歩」という授業があって、
田んぼのあぜを歩きながら、生態系を教えてもらったり、
体育になると井の頭公園までいって
林のなかで陣取りをして遊んだりした。


絵本も読んだけれども、いま考えると、
あの外遊びの体験があったからこそ、
ミンダナオのいまの自分があるようなきがする。


 
 



ほんらいは平和な島


ミンダナオは、ほんらいは平和な島なのだ。
 現地の人々の話では、400年前にイスラム教徒がはいり、
300年前にキリスト教がもたらされ、
その後も、中国や日本からの移住民が島に住みついていったけれど、
それでも先住民と平和に共存してきたという。 

 この地域が不安的になりはじめたのは、
資源の獲得を目的とした経済的植民地主義が
広がりはじめた第二次世界大戦後のようだ。

 とくに、ここ40年ほどは、イスラム地域や先住民のいる
山岳地域で戦闘や戦争がおきている。
大きな戦争は4・5年おきに。
リドーとよばれる小さいのをふくめるとほぼ毎年のように。
 現地での話を聞くと、
アメリカ軍がもどってくるためのバリカタンと呼ばれる演習が、
1997年にミンダナオではじまった。
ミンダナオ子ども図書館の若者たちの話でも、演習とは名ばかりで、
そのときの戦闘と避難民の状況は、とてもひどかったと聞いている。

 その後、2000年になってふたたび合同演習が再会され、
2002年にはいるとブッシュ大統領の指示で、
米軍によるテロリスト掃討作戦がおこなわれた。
 国連の発表によると、100万をこす避難民が出た。
 ぼくたちも、このときに救済活動を続けたけれど、
テロリスト掃討作戦のときの風景は異常だった。

 国道ぞいには、NGOの見本市と言われるほど、
欧米とくにアメリカのNGOが集まった。
けれども、危険な奥にはほとんど入らず、
国道沿いに店をならべているだけで、
持ってきた商品のテレビ撮影などをしている。

 政府よりと反政府寄りの支援差が激しく、
政府寄りの村々には、支援がまわり、
アメリカ政府によって学校が建てられたりもしたけれど、
反政府寄りの方は貧しいままにほったらかされ、
避難民キャンプにもいれさせてもらえなかった。

 そして、2003年にイラク戦争が勃発したとたんに、
ほとんどすべてのNGOは、店じまいして消えていった。
 「まだこんなにたくさん避難民たちがいて、
苦しい生活をしているのに、なんで去っていくのですか?」
 不思議におもってたずねると、こういう返事が返ってきた。
 「もう、ミンダナオじゃないですよ。イラク、イラクですよ。
ここでやっていても、これ以上、支援金は集まらないしね・・・。」
 話を聞くと、これからはイラクの方での活動に
支援金が落とされるのだという。
 「何てことか!NGOというのは、いったい何なのか?
 人々を助けるために来ているのではなかったのか?
これでは、戦争にかこつけた商売だな。
 まるで、死肉に集まる、ハゲタカのようなものだ!」

 (註・ナオミ クラインの書いた
『ショック・ドクトリン――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』
岩波書店を読んで納得した。
そこで書かれていることと全く同じ事がミンダナオで展開された。 )

 その後も現地に残ったのは、ミンダナオ子ども図書館ともう一つだけ。
そして、いまも続けて現地の人々を支援し続けているのは、
ミンダナオ子ども図書館だけになった。
 とうじある有名なイギリスに本部を置く海外NGOが、
現地で掘って作った井戸も
数ヶ月後には壊れてしまい、今はほどんど残っていない。

 その後、2005年にふたたび戦争が起こり、
2006年から日本政府の仲介で、
IMT国際停戦監視団が形成されて和平交渉が再開された。
 ところが2008年、マレーシアで和平合意の調印がされる直前に
交渉が崩壊して戦争が勃発。
80万人をこす避難民がでて、救済にむかった。
 ぼくは、和平交渉が合意されると信じこんでいただけに、ショックだった。
 それいらい、現地の人々とどうように、
国際的な和平交渉というものすらも、簡単に信じられなくなってしまった。

 戦争がおこると避難民たちは、町ちかくの国道ぞいに
避難して雨よけもなく寝ているので、
ミンダナオ子ども図書館では、
戦争がおこるたびにビニールシートを配布したり、
炊きだしや医療をおこなってきた。
 戦争で親を殺された子どもたちも、かなりたくさん奨学生にしている。

 ある若者は、戦争で目の前で両親が殺された。
そして、殺された両親のもとに駆けよったときに、
本人も撃たれて腹部に深い傷をおった。
 彼はその後、ミンダナオ子ども図書館に住み、
池上彰さんの番組で、パックンがインタビューをしたけれども、
うつむきながら当時のようすをぼくに語ってくれた。
 戦争がおこされる理由は、最初は、
イスラム教徒とキリスト教徒が対立しているかのように思っていたし、
そのように報道されるけれども、
ミンダナオのイスラム地域では、リグアサン湿原にねむっている、
ぼうだいな石油と天然ガス資源の国際的な利権をめぐる争いだ。

 東ティモールの独立も、石油をめぐる利権だけれど、
いま問題になっている南シナ海もまったくおなじ。
 「東ティモールは独立させておいて、
なぜミンダナオのイスラム地域は、独立させないのか」
 というのが、現地のイスラムの人々の主張だ。
 国際資本が利権を獲得するために、
対立を起こし支配しようとしているというのが、現地の人々の考え。
戦争は勃発するのではなく、
じつに巧妙に意図的に、第三者の手によってつくられているという。

 現地でも体験したけれども、
戦争が勃発する前に起こるのが誘拐と殺害、そして爆弾事件。
新聞やテレビで大々的に報道され、戦争気分が高められる。

 可哀想なのは、罪もない住民や子どもたち。

 
 
 




加治康男の報道記録

加治康男の報道記録
http://mediacritique.dip.jp/modules/pico/index.php?cat_id=17

最近知った報道記録ですが、実に深く現地で取材していらっしゃいますね。
驚きました。
まさに、そのとおり、という記事が掲載されています。
すばらしい!

ブッシュ米政権は石油・天然ガスから金、銅、ウランまで
資源の宝庫とされるミンダナオ地方中部での対テロ戦遂行を名目とした
米軍駐屯に執念を燃やしてき た。
駐留予定の米兵は沖縄から移動する海兵隊員だ。
米国に「こちらにつくのか、テロリスト指定されたいのか」と迫られた
MILF指導部は苦渋の選択として 組織としての生き残りを選んだ。

 ゛約束の島゛とされながら
イスラム勢力の反抗で開発が手付かずの状態のミンダナオ島。
二十世紀前半、植民者として統治した米国にとって
゛ミンダナオ支 配゛は「見果てぬ夢」だった。

また、中部ミンダナオ地方での大規模で長期な
米比合同軍事演習実現は
米国の今後のアジア戦略に深くかかわっている。

http://mediacritique.dip.jp/modules/pico/index.php?cat_id=17



 生きる力ってなんだろう

生きる力ってなんだろう

 ミンダナオで何よりも魅力的なのは、子どもたちだろう。
 現地の子どもたちは、確かに、
 貧しくて学校にいけないような環境の子どもたちも多いのだけれど、
 表情ゆたかで明るくて、なぜか生きる力にみちている。
 生きる力ってなんだろう。

 上のお姉ちゃんが下の子に、
 「ねえ、そこのお店でお塩をかってきてちょうだい」
 といえば、たとえむちゅうで遊んでいるさいちゅうでも、
 下の子はさっとたちあがり、明るい笑顔で、
 「はい」
 といって買いにでかける。
 お姉ちゃんがいったことに、下の子たちは笑顔でこたえ、
 ちっともいやな顔をしないのは驚きだ。
 そのかわり、お姉ちゃんは、きちんと下の子の世話をしてめんどうをみる。  

 もちろん、お年寄りを一人孤独にほうっておくなど、考えられない。
 妻のエープリルリンのおじいさんもおばあさんも、
 当時まだ小学生だった彼女の膝のうえで亡くなった。

 「自分の力できりぬけろ!」
 という言葉への、現地の子どもたちの返答は、
 「でも自分の力なんてたかがしれている、みんなでやるほうが、楽しいよ。」
 「自分のことは自分でやれ!」
 への返答は、
 「一人で出来ないことなんて山ほどあるよ。
 みんなで力をあわせるほうが大事だよ。」

 「日本では、自殺する人が多いんだよ。」
 というと、子どもたちはびっくりしてさけんだ。
 「なんで自殺するの?信じられない。
 あんな豊かな国なのに!死ぬなんて、もったいないよ。」
 「孤独で死ぬんだよ。」
 というとさらに驚く。
 「孤独で死ぬってどういうこと?」

  貧困のなかで家庭がいきづまったり、崩壊したり。
 りふじんな戦闘で親を失った子の多い、
 ミンダナオ子ども図書館の子どもたちにとって、
 ゆたかでみちたりた日本は、
 精神的にも安定した理想の国とうつっているようだ。 

 ところが現実的には、日本は、
 青少年の自殺率がひじょうに高いのでゆうめいだ。
 しかも、遺書を残していない場合は、自殺に数えられていないというので、
 ほんとうの自殺の人数は、統計よりもはるかに多いといわれている。
 なぜ日本では自殺が多いのだろうか。

 原因はいろいろとあげられるだろうけれども、
 疎外感からくる孤独もひとつの原因だろう。
 その観点からみると、たしかに、
 フィリピンは孤独感をあまり感じさせない国かもしれない。
 とくに孤独感を感じさせない場所は、貧しい人々のすんでいる地域。

 それにしてもフィリピンの若者たちが、
 孤独で死ぬということの意味がわからないのはなぜかというと、
 彼らが、孤独を知らないからではない。
 ミンダナオ子ども図書館のおおくの若者や子どもたちは、
 ときには孤独を感じている。
 親を戦闘でうしったり、貧困のために、
 父親や母親がマニラや海外に出稼ぎにゆき帰ってこないと思っていたら、
 べつの人といっしょになっていたりして、
 その結果、家庭が崩壊した子などがも多い。

 それでも、彼らはいちおうにたくましく、
 明るく生きていこうとするのはなぜだろうか。
 「孤独だけれども、自分はのこされた母親や
 兄弟姉妹を助けるために、がんばって学校にいくの。」
 「でも、さびしくない?」
 「さびしいこともあるけれども、ここだったら友だちがいるからだいじょうぶ。」
 なぜ、孤独で死なないのか、と聞くと、こう答えた。
 「どこかで誰かが助けてくれるから!」

 「ぼく、ストリートチルドレンになったときもあるけど、
 でもそんなときは、別のストリートチルドレンがやってきて言葉をかけてくれるんだ。
 ひとりじゃさびしいだろう、俺たちの仲間になれよ!」
 日本では、孤独な母子家庭がふえている、という話をすると、
 「近くの人たちといっしょにすんで、
 いっしょに食べたらよいのに、なぜしないの?」

 子どもの貧困がふええている、という話をすると、
 「なぜ、親戚の家にすまないの?
 もしも、親戚の家がだめだったら、自分の家によんで、
 自分の子にしたらよいのに。MCLみたいに!」
 こういった言葉が自然にポンポン飛びだしてくる。
 とにかく大人たちが考えなくてはならないことは、
 こうした子どもたちが、愛と友情のなかで、
 素直に楽しく大人になっていけるような、戦争や争いのない社会、
 対立のない平和な世界をつくっていくことだろう。

 でも、金持ちが天の国にはいるのは、
 ラクダが針の穴をくぐるより難しいから、
 先進国の人々が孤独からぬけだすためには、
 貧しくても愛と友情にみちた、
 ミンダナオの子たちのような人々に出会って、
 孤独の闇から引きあげてもらうしかないのかもしれない?

 
 
 



人の味がするんです 

避難民キャンプというものも初めてだったが、
雨がふればそこらじゅうから水がもれてくる、
タタミ二畳ぶんもないような、
椰子の葉やビニールシートの屋根のしたに、
まるでちじこまるようにして二年いじょう、
家族が生活している姿をみるのはあわれだった。

 しかも、その数たるやはんぱではない。
 そのおおくは町からはなれた平地や丘陵地帯で、
トウモロコシをちゅうしんにほそぼそと畑をたがしている農民や、
湿原地帯の漁民たちだった。
 戦争が勃発してまもないころは、
彼らは、農業倉庫や政府機関によって指定された
難民キャンプに収容される。
それはモスクのそばだったり、学校のそばだったりする。

 しかし行政も、毎日のようにあふれでてくる
避難民たちに対応しきれず、
その数があまりにもとほうもないので、
たちまち収容場所からはみだして、
道路わきから畑地にも、
乞食小屋よりもさらにひどいものが立ちならぶようになっていく。
 避難民たちは、ほんとうに骨の髄から
疲れきったという顔をしている。
 何しろ数年おきに同じことがくり返されるし、
水も不自由でトイレもなく、食料もない暮らしが、
半年から一年以上も続くのだから。
 食料といえば、日に二度のトウモロコシを薄くとかしたような
お粥を食べられれば良いほうで、
ときには何日も食べるものがなく、おなかが痛くなってきて、
しまいには栄養失調になって体が弱っていく。
 それにくわえて不衛生な環境で病気になり、
薬もなく、たとえあっても買えるだけのお金もないので、
キャンプで死んでいく大人や子どもも多い。

 案内をしてくだった女性がいった。
 「あなたは、ナマズをスープにした料理、食べますか?」
 ぼくは、こたえた。
 「ええ、大好きですよ。ここは、河も湿原もちかいから、
 おいしい川魚料理がたべられそうですね。」
 「ええ、雷魚も鯉もおいしいですよ。
でもねえ、人の味がするんです。」
 「ええ?人の味?」
 おどろいて絶句するぼくにむかって、女性はこたえた。
 「あのプランギ河をコタバトから海軍が、
戦闘用のボートでのぼってきて、
 いっせい射撃をしながら、
 このさきのランディングピースと名づけられている
場所に上陸したとき、
 おおぜいの人々がにげるひまなく殺されて、
 その死体を埋めるひまなく川にながしたんです。
 このあたりの魚は、その死体をたべてそだっているから、
 人の味がするといわれている。」

 ぼくは、答えにきゅうしてだまってしまった。
 まわりをみると大人たちも疲れきった顔をしているけれども、
子どもたちの疲労困憊ぶりはさらにひどい。
 父さんも母さんも絶望的に機嫌が悪いし、ひもじいし、
泣きはらした顔がそのままこおってしまったような表情をして、
ぼくが手をふっても、ほとんど表情がなく笑おうともしない。

これはのちほど、この地域出身のある父親から聞いた話だが、
彼はうまれていらい30年間というもの、
かずしれぬ戦闘を体験してきたという。
そのたびにつらい避難民生活をよぎなくされてきた。
幼い子ども時代から、くり返しくり返し・・・。

 げんちで活動しはじめてからしったことだが、ミンダナオ紛争が、
イスラム自治区の独立闘争としてはじまったのが1970年。
 そのご3年おきぐらいに大きな戦争がおこり、
そのたびに住民たちは、
避難民としてこのような生活をよぎなくされてきたのだった。
 そのお父さんは、こうぼくにかたってくれた。
 「わたしは、生まれてからこのかた、子ども時代から青年時代、
そして結婚して子どもが生まれてからも、
数年おきにこうした避難生活をさせられてきたのです。
 戦争になるたびに、母親に手をひかれてにげました。

 ちかくで、おおきな爆発がして、
世界がひっくりかえったような気がしました。
母さんはないています。
 父さんは、牛車に、なけなしの服と家財道具をのせて、
ビニールシートをかけて、
わたしたちをのせて家をあとにして逃げだします。
 家畜はおいたまま、帰ってみるとなにもかもなくなっているんです。
 国道近くまでくると、ちいさな空き地に、
ヤシの葉っぱを地面にしいて、
おおぜいのみしらぬ人たちといっしょに、
ときには一年以上も地面のうえでねる生活。

 ねていると、とつぜん爆弾が、ドカーーーン!
 銃声が、パンパン、パパンパン!
 また逃げなければならない。
 じゅうぶんな着がえもないし、体はいつもよごれたまんま。
しかも空腹で、食べものもないから、しだいに体が弱っていき、
たくさんの子どもたちが、病気になって死んでいきました。
 とくに1990年代の戦闘と難民生活はひどかった。」

 いま目のまえで、まのあたりにしている状況でさえひどいのに、
もっとひどいときがあったという事実に、ぼくは心を痛めた。
 その方の小さな娘さんは、ほおに大きなこぶができていて、
後にぼくたちは、その切開手術をしてあげた関係で、
いまも親しくおつきあいさせていただいている。

 
 




4時半に起きて朝食のしたく

ミンダナオ子ども図書館の子どもたちは、
毎朝こうたいで4時半に起きて朝食のしたくをはじめる。

食堂にちかい台所で、マキをつかって火をたいて、
ほぼスタッフの分をいれると
一〇〇人ぶんに近い量のごはんをたき、おかずをつくる。
交代制だとはいっても、
朝早く目をさまして一〇〇人分の料理をつくるのは、
大変な仕事だとおもうのだけれど、
ぜんぜん嫌な顔をもせず、
むしろ楽しそうにおしゃべりしたり笑いながら、
朝ごはんのしたくをしていく。

朝食当番ではない子たちも、五時ごろには起きだして、
庭の手入れや掃除をしたり、
水浴びをして学校にいく用意をはじめる。
すると、カンカンカンと
朝食の準備がととのったことをつげる鐘の音がして、
子どもたちがおしゃべりしたり笑いながら、
食堂にあつまってくる。

ぼくや妻の顔をみると、笑顔で声をかけてくる。
「おはよう、パパ友。」
「ママエープリル。よくねられた?」
「うん、きみたちは?」
「ぐっすりねられたよ。」
「明日は学校ないし、夜は映画見られる?」
「もちろんだよ。」
「わーい!」
「やったー!」
「何がいい。」
「トトロ!」

ミンダナオ子ども図書館には、テレビがない。
しかし、翌日に学校がない日は、
みんな集まって映画の上映会をすることになっている。
子どもたちにとっての、最大のお楽しみのひとつ。

土曜日曜の休日は、女の子たちは、
庭の手いれや野菜づくり。
男の子たちは、芝刈り機で雑草をかったり、
薪割りや畑仕事。
洗濯もちゃんと自分たちでする。




 エープリルリンに出会った当時のこと

エープリルリンに出会った当時のこと

エープリルリンも、小学校は親戚のサポートで卒業できたけれども、高校までは無理だった。
 そこで、手術をしてくれた市長さんとの出会いから、成績のよい彼女は就労学生にさいようされたのだ。
 しかし、朝の四時まえにはおきて食事、洗濯、掃除。
夜は一〇時近くに寝る生活は非常にきびしく、女中やお手伝いをやとうよりも安く、
家事労働をさせているようなかんじもした。
 しかもひどい喘息もちで、もちろん薬などもかえず、
おばさんはやはり喘息のアレルギーで20代で死んでいることもわかった。
 彼女も、自分はそのころには死ぬとおもっていた。
 のちのちわかってくることだが、なかには、このような女中や子守をさせられていて、
雇い主にレイプされておいだされ、妊娠して子どもを産むケースもおおい。
 事実ミンダナオ子ども図書館にも、そうした体験をしてきた少女がけっこういる。
 話はそれたけれども、再会は、おたがいにうれしかった。
市長さんは理解がある方で、読み語りの活動も再開できた。
 それとどうじに、就労学生のおかれている境遇や仕事をしりたくて、
朝早く5時におきて、いっしょにトイレの掃除をしたり、
食事も外にあるダーティーキッチン、つまりよごれた台所という場所でいっしょに食べたりした。
 おそらく長くつづいた植民地時代のなごりであろう、
こちらでは、裕福な家庭の雇い主たちは、招待者や客人とともに、
母屋のなかの豪華なダイニングルームで、雇人に料理させた食事をするのが習慣だ。
 とうぜん食べるものも豪華な料理。
 そして雇人たちは、母屋の外のトタン屋根のダーティーキッチンとよばれるそまつな台所で、
仕事のあいまをみてかんたんな食事をする。
 おどいたのは、結婚式やフィエスタという村祭りのときだ。
 そのようなばあい、招かれた人々や親族はそれなりのじょうとうな席につき食事をするけれども、
つぎに正規の雇われ人たちが主人の残り物をたべ、さいごに外にベニア板がしかれて残飯などがおかれて、
就労学生や労働者や浮浪者たちがそれを手でつかんでたべたりする。
 ぼくも、彼らといっしょにたべた。
 植民地主義とは極端な格差社会で、こういうものかとおもった。
ほんとうに、貧富の格差がはげしい社会だった。
 学業も、大学までいけるのは20%にもみたない、富裕層の子息たちだけ。
貧しい子たちは就労学生になったとしても、よくて高校までがせいぜいで、大学までは不可能。
 そんな状況をみて、あるときぼくが、
 「こういう子たちこそ、大学までいかせてやりたいですね。」
 というと、その人は、悪びれる様子もなくこういった。
 「極貧の家庭の子たちが大学にいっても、あんまり意味はないですよ。生まれが違いすぎますからね。」
 それを聞いてショックをうけたせいか、
ミンダナオ子ども図書館でスカラシップ支援をはじめたときにはおもった。
 「こういう子こそ、夢のまた夢の大学までいける、そんなスカラシップ支援にしよう。
 そして、食事は、貧しい子どもたちと、いっしょの物をいっしょにたべよう。」
 そんなわけで、ミンダナオ子ども図書館のスカラシップは
極貧の孤児たちでも大学までいけるスカラシップだし、
ぼくも妻も二人の娘も、おなじような竹の部屋で寝て、おなじものをいっしょに食べている。
 それだけみてもミンダナオ子ども図書館は、こちらの生活習慣の常識とはちがっている、
不思議な場所なのかもしれない。
先住民族には近いけれども?
 ぼくが、ダバオオリエンタルをはなれキダパワンにいくことになったとき、
エープリルリンとレイセルの二人の就労学生の同行がきまった。
 出発の日、車にエンジンをかけてまっていると、市長さんのお宅からレイセルがでてきて、
おおごえで叫んだのが忘れられない。
 「ばんざーい、ばんざーい!わたしは自由!」
 ミンダナオ子ども図書館の活動と運営の中心は、じつはこうした子どもたち若者たちで、
彼らによってつくられていった、というのが真実だ。
 ただ、ここであえていっておきたいのだが、この前市長さんとその後市長をついだ奥さんご夫妻は、
苦労人で思いやりもあり、
本当に心も性格もよい方々で、ここで雇われるだけでも、そうとう幸運な状況だといえる。
 ぼくが、ここで書いたような体験ができたのでも、市長さんの理解があったからだ。

    
 
 
  




わたしの少女時代の思い出から 
エープリルリン

妻、エープリルリンが書いた、自分の幼いころの事の一部を、
本人の希望と了解でここにのせます。
いま彼女は、自分の人生を書き始めています。

 1985年4月20日、わたしは兎口で生まれた。5人兄弟姉妹の2番目。
 わたしが生まれても、母さんは、わたしを自分の子どもと思ってくれなかったし、
何の世話もしてくれなかった。
おばさんが、めんどうを見てくれただけ。
普通とちがう顔で生まれたから、それからあとの人生でも、さんざんいじめられて育った。
 でも、恥ずかしいとは思わなかった。それどころか兎口で生まれたことを誇りにおもった。
兄弟姉妹のなかでも、ユニークな顔立ちだから。
 しかし、思った以上に人生はきびしく、そう簡単ではなかった。
 「なぜ、わたしの顔はこんななの?」
 「なんで、こんな顔になってしまったの?」
 五歳になると、母さんがわたしを嫌っているのがよくわかった。
母はわたしと目をあわせたくなかったし、わたしが抱きつくと叫んだ。
 「あっちへ、いけ!」
 母がやってくると、わたしは、あえて台所で働いたり、井戸から水をくんだりした。
いつもの習慣で母がお酒を飲んだときは、なんの過ちもしていないのに怒鳴られた。
 母は洗濯女で、父は農夫。
 山から父は、月に1度か2度しか家に帰らず、
母はまいにち夜おそく家にもどり、それからあとは飲んでいた。
 小さいころから母さんをよろこばせ、家族を助けるために家事をしたから、料理はじょうず。
でも、ほかの子たちと遊ぶひまはなかった。わたしたちは、海のそばにすんでいた。
だから、貝をみつけておいしいスープも作った。
 母さんは、朝早く5時には起きて頭をかかえると「いたい、いたい」とうめいていた。
その日、わたしは前日食べた貝のせいか、ぜんそくの発作で起きられなかった。
 すると、母さんは、わたしのところに来て、怒っていった。
 「起きなさい!まだ寝ているの!はやく、起きなさい!」
 母さんは、わたしをつかむと、家の入りぐちまで押しやって、外になげだそうとした。
 わたしは、あわてて、母の服をつかんだ。
 それを見たおとなりさんが、すかさずさけんだ。
 「自分のむすめに何ということをしているの!
頭がおかしいんじゃない!あんた、娘を殺すつもり!」
 おおきな叫び声に、隣近所のひとたちが、家からでてきた。
 それを見て、母さんは、わたしを外においたままドアを閉めた。
 その後、おばがわたしを引き取って、数ヶ月そこですごした。
そのごも、親戚から親戚へとたらい回しに回されて、一年たって家へもどった。
 わたしは、小学校に行きたくてしょうがなかった。一年生になれることに、興奮していた。
友だちには、クラスメートになる子もいた。
でも、予想したとおり、彼らは、わたしを「兎口!」といって、ばかにした。
 それでも、わたしはそれを受け入れて、
かえって勉強に精をだしたので、クラスでトップになった。
 でも、両親は、表彰式の日にはこなかった。
わたしがクラスでトップになって、授賞式の日がいつか、知っていたのに。
 下の妹がわたしを呼んで、人混みのなかをいっしょに両親を探したけれど、
どこにもいなかった。
 しかたなく、わたしはひとりステージに立ち、リボンとメダルを受けとった。
 涙がほおを伝わって流れるのを感じた。
 家に帰ると、家のなかの様子がおかしくて、そっとカバンとメダルをテーブルにおくと、
バケツを持って水くみにいこうときめた。
 そとにでて、家の扉をしめようとしたとき、父にあった。
 父は、わたしを家におしもどした。
 中にはいると、メダルとリボンは、めちゃくちゃになりこわされていた。
 わたしは、泣いた。
 その夜、母は弟と妹をつれると家を出ていった。
 姉は祖母のところにいき、わたしは、下の妹と残された。
 その後、父も友だちと仕事をさがしてどこか遠くへ行ってしまい、
わたしは下の妹と叔母の家に住むことになった。

下の写真は、父親が亡くなって奨学生になった
イスラムの戦闘地の少女といっしょのエープリルリン。
いま彼女は、MCLのプレシデント。
彼女が、採用の決定をします。
しかし、まだ支援者がないのに奨学生として見捨てられないので
採用して学校にいかせてあげているこが180人もまっています。
皆さん、第二の親になってあげてください。
支援方法は、以下のサイトから・・
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/siennhouhou.htm

 

On April 20, 1985, I was born with a harelip. I am the second child among 5 siblings.
Since, I was born  my mother did not like me as her child.
She did  not want to take care of me instead, my aunt who take care of me.
I`ll grow up with full of teasing because of my physical appearance, despite my appearance I do not feel shy,
I am proud of become harelip because I feel I am unique among of them, but it is not an  easy as I thought,
It is hard enough fo me. Sometimes, I ask "Why I am like this?"" Why it happened to me?" 

The age of 5,  I cannot deny that my mother hate me, she doesn`t want to see me if I try to hug her she shouted  of me.
"Go away! she said. If I saw her coming,  
I'll rather than make myself busy helping in the kitchen or get water from the deep well.
I always scolded by my mother with or without mistake especially when she was drunk, it is a daily routine.
I do all chores in our home.
My mother is a laundry woman and my father is a farmer once or twice in a month he came back home
while my mother returned  home late at the night
and  some other time that she was drunk.
Even in my age I work hard to help my family I already know how to cook just for our meal.
have no time for playing together with other children because I always thinking on how to make my mother happy.
We lived near in the seashore, so, it is easy for me to find a shell to make soup for viand.
Early in the morning at 5:00 am she woke up
and touching her head "I had my head ached" she murmured.
I was not able to wake up that morning because my asthma was attacked at that night.
She rushed towards me " wake up...wake up..why you still sleeping here?" in a roaring voice. 
I was caught by her and she pushed me  into the doorway, exactly she threw me, I quick touched her clothes, suddenly,
our relative neighbor`s saw the event
" What are you doing to your own daughter? are you crazy? Do you want to kill her? ”neighbor`s loud voice.
The overflowing terrific voice catches the attention of our neighbor and one by one they came out from their house
and that time my mother put me down and closed the door.
Because of that event my aunt took me to their house temporarily stay there for a couple of months,
I move from one relative to another relative until almost a year then I go back home. 

I am so excited going to school in frist grade, I meet many children, some of them become my classmate.
As I expected they teasing me "BUNGI" in Bisaya dialect notwithstanding for teasing me I pursuing my studies
and become a first honor of our class.
The time of our recognition day giving awards to those pupils who got an excellent in their class.
My parents did not go there even though they knew that I am a first honor. I heard my name calling by the Emcee,
I look side by side in the crowded people to find my parents but no one there,
I came to the stage alone and received my ribbons and medals and I notice my tears flowing in my cheek.
I came back home, I found that they cruel and I slowly put my bag and my medals on the table
and I pick up a container to get water in the pump when I close to our house I met my father  
and he pushed me into the house.
I have nothing to do  but just crying and
I found out that the lace of my medals and my ribbons scattered and cut into pieces.
At that night my mother gone away, she went to her godparents and few days after, she took my brother and sister,
 I left and my two sisters in the house and then,  my father gone away too.
He joins his friend to find a job far from us so, our relative get us and stay their house.
A week after, my grandparents come and take my eldest sister I left with my sister in my aunt.
 







イスラムの子達が、ラマダン(断食期間)に入った
そこで、クリスチャンの子、先住民の子たちが
MCLのモスクのまわりを清掃してあげた



MCLの敷地内には、祈りの場としてのイスラムのモスクと、
先住民のパルバランが建っている。
何故かというと、この近辺には、クリスチャンの教会はあるのの、
イスラムと先住民の祈る場がない。
祈りは、大切な場所、それならMCLの中に作ろう!


そう決めて発信したら、埼玉のあるカトリック教会の有志と、
日本イスラミックセンターが協力してモスクを建ててくださった。
イスラムの子たちは、大喜び。
こうしたことから、友情が芽生えてくる。
 

ラマダンは、約一ヶ月続く。日の昇っているときは食事をせずに、
夜中の1時頃に起きて食事をする。
去年のラマダンの時には、クリスチャンの子たちも数人、
自主的にラマダンに参加していた。


友達が、どんな体験をしているのか、知りたかったのかな?
 今年は、大喜びで、クリスチャンの子たち、先住民の子たちが、
積極的にモスクの周りを清掃した。
イスラムの子たちも、大喜び。
 




野菜売りの少女の家をたずねた
今回は、訪問者とダバオの画家が同行した


大雨の中を、びしょ濡れになって川を渡る 

家は、川向こうに建っている 


妹のビビが野菜売りをしている
以前のジョイジョイそっくり
お姉さんのインダイ次女ギンギンもいた。
すっかり大きくなって年頃の少女
でも、仕事が無くて困っている。
何か、考えてあげなければ!
 
小さかったインダイ(手前)とギンギン(向こう)
パイナップルをプレゼントしてくれた。
滑る中を登っていく 

カリナンの市場に行った 


日系人がたくさんいることで
有名なカリナンの市場に行った。
今、野菜売りの少女のお話を
何とか本にしたいと思っている。
画家にとっても、実際に現地に行くと
気持ちがぜんぜん違ってくる。
 

ミンダナオの食卓は、日本の食事と根底がにている。
たくさんの干物。塩っ辛いけど、ご飯が進む。
塩辛に沖縄と同じゴーヤチャンプルもある。


おいしさの秘訣は、下味づくりだ。
ショウガ、ニンニク、小さなタマネギ
香辛料の草を細かく刻んで
下味を作り


それをだしにして、魚の煮物
肉料理の味付け
スープのだしにする。
軽く酢で締めた刺身もたべる。



ここに保育所を建設することに


保育所の建物が無く、プロックという村の仮設の集会所で
子どもたちが、勉強してる。
 

先生もしっかりしていて
情熱的に子どもに接している。
月給は1500円ほど。


ラナコランの女子寮が完成間近


ラナコランの女子寮。かつては、左の建物で、現地の建て方で壁は竹
木で作ったのだけれど、雨風の激しい場所で、5年ほどたつと
痛みが目立ってきた。そこで、長持ちするように、ブロックとボードで
作り直した。これで、日本からの訪問者も泊まることができる。
かつての下宿施設  今回は、ブロックとセメントでしっかり建てられている。 


周囲では、子どもたちが
おかずの野菜を育てている。


少しでも自給するために。

章さん、もうじき保育所完成しますよ!

山登りが大好きで、いろいろな方向から、
何度もアポ山に登られた西村章さん。
大好きなアポ山が見えるところに、保育所を寄贈してくださった。
もうじき開所式に来られる予定。MCLの子どもたち、も開所式に参加して、
読み聞かせができるのを楽しみにしている。

 


章おじちゃん、ありがとう!!!



MCL館長・松居友、7月1日(水) 
講演会&サイン会のお知らせ

『サンパギータのくびかざり』の出版社:今人舎より


 
松居友がMCLで活動するなかで感じ、
いまの日本の子どもたちに伝えたいことを書いた
絵本『サンパギータのくびかざり』を今人舎より出版しました。
出版を記念して、以下の通り
講演会&サイン会をおこなうことになりました。
ミンダナオ子ども図書館の活動についてや
『サンパギータのくびかざり』に込めた想いなどを語ります。
講演会終了後は、『サンパギータのくびかざり』への
サイン会を予定しています。、
直接みなさんとお話しできる機会となれば幸いです。
どうぞお越し下さい。
「東京国際ブックフェア」会場への入場には、
招待券が必要だそうです。
ご入用の方は、出版社からご招待券をお送りすることも
可能とのことですので、
招待状ご希望の方は、郵便番号、住所、お名前、希望枚数を
6月24日(水)までに下記メールアドレスにお送りください。
(招待状は東京国際ブックフェアHPからも申請できます)

「松居友 講演会&サイン会」(無料)

会 場 :第22回東京国際ブックフェア会場内
時 間 :7月1日
     講演会 14:00〜(こどもひろばにて) 
     サイン会15:00〜(今人舎ブースにて)

場 所 :東京ビッグサイト 西1・2ホール内こどもひろば
    (サイン会は講演会終了後、今人舎ブース(No.6-34)にて開催)
アクセス:東京ビッグサイト(東京国際展示場)
     東京都江東区有明3-11-1
     ゆりかもめ「国際展示場正門」駅より徒歩5分
     りんかい線「国際展示場」駅より徒歩10分

※ 「東京国際ブックフェア」会場への入場には、
招待券が必要だそうです。
ご入用の方は、出版社からご招待券を
お送りすることも可能とのことですので、
「招待状ご希望の方は、
郵便番号、住所、お名前、希望枚数を
下記メールアドレスにお送りください」

〒186-0001 東京都国立市北1-7-23
 TEL 042-575-8888042-575-8888
 FAX 042-575-8886042-575-8886
 Email 
imajin@imajinsha.co.jp
nands@imajinsha.co.jp

 URL www.imajinsha.co.jp

参照サイト
 今人舎ホームページ http://www.imajinsha.co.jp
 第22回東京国際ブックフェア http://www.bookfair.jp
 東京ビッグサイト http://www.bigsight.jp

 
   「サンパギータのくびかざり」を購入したい方は、クリックしてください。
著者印税は、すべて、ミンダナオ子ども図書館に寄付されます。
  



サンタマリアのクラクシン集落の
高校と小学校の奨学生に
学用品を届けた

6月9日
いつも行く白い浜辺の反対側に、小学校と高校がある。
こんなところに、本当に学校があるの???
カヌーで漁をする漁師さん 村が見えてきた。 カヌーとバイクでしか入らない村

村の生活は、とてもシンプルで、
クリスチャン、ムスリム、先住民が
仲良く暮らしている地域だ。

目指す高校があった! 


高校と言っても
まだ、仮の校舎だ。
奨学生は、どこにいるかな?


周辺の漁村から集まってきた
高校生たち。
クラクシン高校 「お小遣いを持ってきたよー」 親のいない子の場合は、 お小遣いがないと、学校も続けられない
受領書にサインしてもらう そして、高校の裏から、岩礁を抜けて、小学校に向かった。
マングローブが生えている 小学校に着いた ここにMCLの奨学生がいますか? 先生が奨学生を呼んでくださった

皆さんのお子さん、ここにいますか?
学用品をもらって大喜びの奨学生たち 


パックンから、
ディレクターを通して写真が届いた



15年近く日本を離れていると
パックンが、有名な俳優であることも
知らなかったので、
失礼してしまった。
「ごめんね」


撮影の時も、撮影されていないときも
同じ表情で子どもたちを愛する、パックン


しかし、とっても自然で
心の温かい人柄の
好青年であることは
すぐにわかった。
子どもたちも、パックンが大好き 
 

また必ず来ますからね
絶対に!
   

いつでもどうぞ
何日でも、泊まっていってくださいな



 今回、今人舎から出版された絵本、
「サンパギータのくびかざり」の画家
ダバオ在住Bong Perezさんの絵を紹介

画家のペレスさんは、JICAの留学生として、
日本にも来られて修士をとられた方。
その絵は、繊細で、子どもたちの表情がすばらしい!
右は、ペレスさんが、
ミンダナオ子ども図書館の子どもたちを
描いた作品です。
知っている子も出ている!
ペレスさんの絵を見たい方は、
以下をクリックしてサイトに・・・
http://fineartamerica.com/profiles/bong-perez.html

ペレスさんに連絡したい方は、
フェイスブックがあります。
Bong Perez

絵本は、今回が初めてだけれども
オーストラリアの本の表紙にもなっています。
日本の出版社の方々、声をかけられたら・・・
いつか、個展、原画展を開催したいと思っています。

 



イスラムの村長さんが、言った言葉が忘れられない
外国が、ここに興味を持ってさえくれなければ
ミンダナオは平和なのになあ!

アメリカ軍は、フィリピン政府と
10年間の共同軍事作戦を展開しようとしています。
日本もそれに参加しようとしている。
http://www.huffingtonpost.jp/…/the-selfdefense-forces_n_711…

対象は中国を抑止する事だとしているけれど、
現地では、2016年に起こると予想されている、
ミンダナオのイスラムとの戦争に備えることだといわれている。
すでに米軍は、ミンダナオのザンボアンガに入っていて、
ミンダナオにおける戦争の準備は、着々とされている。
イスラム国が、日本に近い、ミンダナオにまで
影響を延ばしていると言う噂も盛り上げられて、
危機感を通して日本の参戦への機運を高めている。
表向きは中国との対立だけれど、
現地では、ミンダナオが視野に入っているのは確実で、
アメリカ軍が爆撃を開始すれば、
日本軍も参加せざると得ないと言われている。
2000年に見た、米軍とフィリピン軍の合同演習は、
バリカタンと言われる実戦で、100万の避難民をだした。
その惨状、特に笑顔を失った子どもたちを見て、
ミンダナオ子ども図書館を始めた。
現地に日本...のマスコミは、いっさい入れなかったので、
隣国で100万も避難民が出ている戦争が
起こっているなど、誰も知らなかったし、
今も知らない。僕は、この目でそれを見て、唖然とした。

その後も2002年に、ブッシュ政権によるテロリスト掃討作戦。
死者を葬る暇もなく、川に流した。
だから、リグアサン湿原の川魚は、人の味がすると言われたほどだ!
現地で10年以上、戦争を作る仕掛けを見てきたけれど、
大きな戦争を作る前には、
必ず誘拐殺人、爆弾事件があいついでおこり、
反政府勢力の仕業であると報道される。
戦争機運を高めるために意図的に仕掛けられると言われている。
その意味では、僕が誘拐殺害されて、
イスラム国の仕業と報道される可能性は、
極めて高いと思っている。
爆弾事件も起こるとしたら、日本で起こされるかもしれない。
日本人の参戦気分を高めるために。
現地の人々は、今までの友情の関係から、
現地のイスラム教徒が僕を誘拐殺害することは無いと言っている。
まずお願いしたいのは、僕が殺されても、
現地のイスラム教徒の人々の仕業であると
報道されても、皆さんは信じないでいただきたい。

日本が中国と対立させられてから、
ここ数年で、ミンダナオのデパートから、
あっというまに日本製品が消えていった。
フィリピンの大統領をはじめとして、議員、財界、
銀行やデパートも、ことごとく中華系が占めているから。
逆に、アメリカ、欧州、韓国、台湾などの車や
コンピューターが席巻し始めている。
日中関係が、良ければ良いほど、
地理的にも、技術力でも、日本は漁夫の利を得るわけだから、
欧米は中国と密約で、日本の孤立化を画策し
日本には、武器を大量に買わせて、儲けようとしてもおかしくはない
バナナを中国が買わなくなったとき、財界あわせて、政府に抗議して
アキノ政権を動かしたのは、ごく最近の話。
表向きに言っていることと、実際にやっていることには開きがある。
フィリピンは、絶対に、本気で中国と戦争はしないだろう。
日本軍が、代わりに戦えばそれで良い、というのが本音?
世界の人口の四分の一は、中国人だ。
これは、東南アジア全体にいえることだろう。

最近ダバオで多く見かける若者たちは、インド人と韓国人。
日本は、武器ばっかり買わされて、周辺諸国と対立させられて、
若者たちも、中高年も、アジアに対してすっかり引きこもり?
円安になっても、なかなか輸出が伸びないのは、
現地で見ているとあたりまえ?
こうした事実を書けば書くほど、殺される確率は高くなると、
周りの人々は心配するけど、日本の子どもたち、
若者たちの事もとっても心配。


今年の2月にも、小さな戦闘が起こり、避難した子どもたちへ、
ビニールシートをとどけ、炊き出しをした。
幸い数週間で帰ることが出来たが、この14年で、
何度避難民救済をしたことか!!!
2008年の80万の避難民の時には、湿原地帯の上を見ると、
アメリカ製の無人偵察爆撃機が、ふわふわと飛び爆弾を落としていた。
そのうち日本も軍隊を送り込んでくるのだろうか。
集団的自衛権をたてまえに。
それにしても、反政府ゲリラと呼ばれている、
ミンダナオのイスラム教徒のなかに、
第二次大戦中に逃げた、たくさんの日系人がいることを、
日本政府の人々は知っているのだろうか。
日本人が、日本人の末裔を殺すことになることを!

   
   



平和を心から願い、現在の日本を心配する
大学時代の親友、松浦悟郎司教が、本を出版
皆さん読んでみてください!

大学時代の親友、松浦悟郎司教さま(通称悟郎ちゃん)から、
新刊『平和をつなぐ』(ドンボスコ社)が、送られてきました。
ありがとう。時々あっては、励まし合う仲、がんばっているね、悟郎君!
簡潔で、わかりやすく、しかも鋭いところを突いているね。
MCLの事も載っています。みなさん、読んでみてください。
以下のサイトから、注文できますよ。
http://www.donboscosha.com/product/6858

「宗教者という立場から平和を訴え続けてきた松浦悟郎司教が、
普遍的な価値である人間の尊厳や互いを大切にし合う関係の実現
という視点から現代社会を見つめ、平和の実現のために今、
私たち一人ひとりが何をすべきなのかを説く。」
●目次...
はじめに
1.“ぼんやり”で導かれる日本
2.集団的自衛権行使がもたらすもの
3.集団的自衛権と結びついていく法
4.「国を守る」ということ
5.戦争は、非人間化への歩み
6.非暴力、非軍事でつくる平和
7.平和に取り組む国際社会の中で
8.日本国憲法を平和の礎に
おわりに
私の伝えてきたこと

A5判並製 109頁 定価本体550円+税
みなさん、読んでみてください。以下のサイトから、注文できますよ。
http://www.donboscosha.com/product/6858

私の上智時代の聖歌隊の友人、松浦悟郎名古屋司教
(ぼくらは、悟郎ちゃんと呼んでいるけれども・・・)。
カトリック正義と平和で活躍し、キリスト者九条の会でも平和を目指して・・・
ミンダナオ子ども図書館に関しても、最初期から心から協力してくれた友人。
その悟郎ちゃんが、ミンダナオ子ども図書館最初期に送ってくれた
英文のサイトへの文章を、再度掲載しました。
My wonderful memory in Mindanao
I visited Mindanao on 1990 and it was also my first visit in Philippines.
That time I had an opportunity to meet and
I talked with some groups of indigenous people of the mountain area.
It was so wonderful experience that I was able to hear their stories
and exchange cultures with each other.
Until now I cannot forget about spending special night with them in the mountains.
That was already in the evening we meet some groups of indigenous people
on the path of the mountain and they decided to stay and sleep on that place.
I confused because there were only bushes around the path,
but they began to work immediately cutting bushes
and made an open space for talking and sleeping.
Actually after that I could have many surprising experiences of their abilities
and wisdoms about how to survive in the nature.
Also we talked about some problems
about situation of the native people in Mindanao.
After talking I show their dancing and singing.
We also exchanged culture and then we slept on the field.
I thought it was an end of the day, but in the midnight many Datu
(chiefs of the community from different areas) began singing and sharing.
One Datu sang like " Today we had good friend from Japan.
Their songs were very interesting for us." Then next Datu continued,
" Oh! It's true. We want to be friends with them forever."
And then next and next they laughed laud and sang many songs.
They enjoyed their meeting so much on whole night!
I heard their pleasant voice and chat in the dream.
What a wonderful time it was!
I had to think and ask myself about what is a real richness,
especially when they appealed us ,
"Please don't take our earth, which we inherited from our ancestors.
We only hope that we can live here peacefully."
I promised in my mind that I will do my best for not to break their wish.
After 10 years I met Mr. Tomo Matsui,
who has been my good friend from the time of the university.
I heard from him that he lives now in Mindanao and works for poor children
especially indigenous people and Muslim.
Then I feel a possibility to be realized
what I promised in myself at that night in Mindanao.
I am so happy now that I can walk with people of Mindanao through him.



今、日本の子どもたち、若者たちに
ミンダナオ体験から伝えられる事
鏑木さん父子の漁村体験

4月25日

日本の子どもや若者たちの現状、とりわけ精神や心の不安定、
満たされない生活感、孤独感、生きる力の欠如や引きこもり
はては、多発するいじめや自殺といった、問題をを知るにつけて。

またそれとは正反対に、こちらの子どもたちの、生き生きとした表情
子どもたちが、子どもたち同士で、遊び、歌い、
また明るくはしゃぎながら協力して仕事をこなしていくようす。
ちまたの、子どもたちもさることながら、
とりわけ、ミンダナオ子ども図書館の子どもたちは、
貧困や家庭崩壊や戦争の悲惨な状況から、
ときには、親や兄弟姉妹を失って、やってきたにもかかわらず、
驚くほど笑顔が絶えず、生きる力に満ちている。

そんな、子どもたちのいる、僻村やミンダナオ子ども図書館にやって来て、
いっしょに遊び、歌い、料理や洗濯をし
週末は、山岳地帯の僻村に同行して、絵本の読み語りを体験したりした、
日本の子どもや若者たちや、孤独な中高年の方々が、
突然のように、感動し、泣き出し、心を回復していく様子を見るにつけて、
こうした日本の人々、とりわけ子どもや若者たちの事が放っておけなくなり、
何かできないかと、考え始めた。

ミンダナオ子ども図書館に、日本の人々、
特に若者たちや子どもたちを受け入れよう、と決心したのが3年前。
(それまでは、現地の純粋な子たちの心に、先進?国の上から目線の風を
吹き込みたくないと考えて、あえて支援者以外の訪問者が、
来ないようにしていたのだが・・・)

受け入れを決断して、3年間様子を見てみると
現地の子どもたちは、大喜びして、いつの間にか覚えた日本語を使ったり、
日本の「ふるさと」の童謡を自然に覚えて、歌ったり・・・
そうした影響を受けながらも、そのナチュラルな本質は、
なんと、ぜんぜん変わらない!!!
それどころか、逆に日本の若者や子どもたち、高齢者たちが、
大きな影響、生きる力や希望や喜びを抱いて、
時には、泣きながら、またくるからね、またくるからね、と
どちらが故郷かわからないような言葉を残して、帰っていく!!!

そうした様子を見るにつけて、思い切って決断した!
日本の人々、とりわけ、若者たちを受け入れよう!!!


ちょうどそうしたことを考える、きっかけとなったひとつは、
三田の家で、不登校の学校を経営する、梅木先生との出会い。
そこで毎年、授業や講演を頼まれるにつけて、
不登校や引きこもりに悩んでいる、この子たちに出会い、
できれば、この子たちをミンダナオに連れて行って、
MCLの子どもたちと出会わせたい・・・。

すでに、関西大学や同志社大学、佼正学園、立教大学、ICU、お茶の水女子大、
一橋大学、学習院、桃山学院、立教女学院、秋田国際大学、立命館大学などなどの
若者たちが訪れてきて、共に遊んだり、山のマノボ族の村に泊まって、
読み語りや植林体験をしたり、させてあげてきたけれど、
ミンダナオ子ども図書館は、山岳民族の村には、良く行っているが
海での活動地域は、ダバオ郊外のイスラム地域ぐらいだった。

山で育った山岳民族の子たちや、内陸のイスラム教徒の子たちは
海も見たことがないので、いつか海のMCL(下宿小屋)を作りたいと思っていたが
ちょうど、先述の梅木先生の学校で講演したときに出会った
塾経営者で、子どもたちの事も真剣に考えられている鏑木さんに
その話をすると、意見が一致して、かつてからの計画だった、
海のMCLを、本格的に検討することになった。

日本の若者たちが、素朴な漁村で、子どもたちと遊び、漁を体験し、
ちょうど、山のマノボ族の山岳地帯に、遠くて学校に行けない子たちや
親のいない子たちが、下宿しながら学校に通えるように作った
アラカンのラナコランのような、MCLの寮を作って
現地の子たちと、日本の子たちが、リゾートではなく
(金持ちの集まるリゾートは、現地の目から見ると変な感じ・・・)
本物のミンダナオの生活体験できるように、計画を進める決心をした。

今回、忙しい合間を縫って、鏑木さんが、息子さんと甥御さんをつれて来られた。
漁村に泊まり、子どもたちと遊び泳ぎ、漁にも出た。


 

サンタマリア市の市場体験
市場は、スーパーと異なり、庶民の生活が感じられる 


リサーチのために、
ただ市場を歩き回るのではなく、
料理を作るときに、
観察と生活が結びつく


上のココナッツの殻の実を買って



割って中身を轢いてもらって
中の白い実を削りだして


真っ白な粉は、このままでもおいしいけれど


これを煮込んで野菜を入れて


ギナタアングーライを作ると美味しい。
海が近いから、魚のラポラポを煮込もう


白浜のサンタマリアの漁村に泊まった
ここは、ダバオからも遠くなく、ダバオ州に属しているため
北コタバト州より、日本政府の定める危険度が低い

山のマノボ族の村
キアタウもそうだけれど
民宿するときは、
必ずスタッフが同宿する
今回は、妻子も一緒に


小さな小さな、竹小屋のような家だけれども
そんななかで、子どもたちと一緒に遊んだり、歌ったり
昼間に市場で買ってきたおかずや
海で捕れた魚を煮込んで
みんなでご飯を作ったり


MCLのスタッフたちと
夜は、歓談をした。

翌日は、子どもたちと海で遊び、
漁師さんの舟に乗せてもらって、漁にも出た
 

体験学習でもない、
スタディーツアーでもない
リゾートでの休暇でもなく
現地の人々の生活に
子どもたちへの愛と友情で
とけこんで、そこで何かを考える。

現地の子どもたちと、友情を結ぶ体験
友人が困っていたら、
助けたくなるだろう。
貧しくて学校に行けなければ
何とか行かせてあげたいと
思うに違いない。

私たちも、接待で行ったのではない
今回いっしょに村に行き
奨学生を採用するのが目的だった。


一緒に現地で行動して
MCLの仕事を見て
実際に体験することで
若者たちは、きっと
何か大切なことを
学ぶだろう。
 

ミンダナオ子ども図書館は、子どもたちが中心のファミリーだ。
子どもたち自身が、自分たちの代表を選出して選び
金曜日の夜には、毎週ミィーティングをして問題を討議したり
読み語りの計画を、話し合ったり。
もちろん、ハウスペアレントもソーシャルワーカーも、
スタッフも会計や経理も含めて15人ほどいるけれども
(そのほとんどは、卒業生たち)でも、中心は、子どもたち。
朝は、4時半に起きて、グループで薪で朝食を作るし、
(昼は、学校から帰ってきて、みんなで食べるけど、料理担当のスタッフが炊事)
夜も、子どもたちが料理する。
また、洗濯も外で、和気あいあいとおしゃべりしながら、自分自身の服など洗う。
これが、いどばた会議で、日本の洗濯機でボタンを押すのが寂しくなる。
畑作りや庭造りも、子どもたち・・・

こういう事を、MCLに滞在しながら、日本の若者たちもやってみると
愛と友情のコミュニケーションの中で、生活することの喜びが感じられて
生きることの幸せのなかに、勇気と力が沸いてくる。

生きる力というのは、他をけ落として
勝ち抜くことでは毛頭無く、
友情と愛に心を開き、お互いに、
自分を犠牲にしてでも助け合うことなのだ。


貧しい海の漁村や山の村でも、こうした体験で育った大人たちが
互いに話し合い、協力し、喜びをわかちあい、
捕れた魚や野菜を、食べ物がない隣人たちと分かち合って生きている。
子どもの頃の、とりわけ遊びで培われていく
友情と愛の体験こそが、人を自立させていくのだ。
MCLに日本から来た、ある若者が、つくづくため息をついていった。
「ここの子どもたちは、本当に自立している!!!!!」

海のMCLを、前々から企画していた理由はいくつかあるが、
その最大の目的は、日本の若者たちとの交流だった。
もちろん、ミンダナオ子ども図書館こそが、
最も良い交流の場所では、あるのだけれど、
個人で来るのは、良いのだけれど、
大学や学校単位で、学生に勧めるとなると、
MCLのあるキダパワンが、北コタバト州に属するために
高度な危険地域となってしまい、行政的に問題がある。
(本当は、僕の体験でも、危険な思いをしたことは無く、
マニラやニューヨークのほうが、よっぽど怖い。特にマニラは、恐ろしい。)
キダパワン市自体も、北コタバト州のダバオよりの端に位置し、
カトリック教会の司教区があり、キリスト地域で安全であるといわれている。
アポ山の登山口で、海外からも人が来るし、総合病院も四つあり、
ドクターも十人ほど待機していて、(MCLの患者は、特別価格で治療してくださる)
ダバオと提携していて、CTスキャンも完備していて、
デング熱もコブラにかまれても、大丈夫だ。
大学も、USM州立大学からノートルダム大学まで、小さいのを加えると
七つはゆうにくだらない、高原の学園都市なのだ。
さらに、山には温泉もあり、熱帯果樹も豊富で、ダバオのように暑くなく
老後を過ごすには最高の場所!
日本の川崎市と、姉妹提携をしている町。

話がそれたが、しかし、行政区域は、北コタバト州に属するために
危険度は一段上のため、個人の決断で行くしかない。
ただ、MCLでは、もしものことがあると困るので、町や外を歩くときにも
必ずスタッフと同行するなど、滞在の規約を作っている。
MCL訪問規約

しかし、多くの方々から、MCL体験を望む声が、特に学校関係から挙がり
そこで、ダバオ州に隣接しているアラカンのラナコラン村に、
山のMCLの寮を作ったときに、近隣のキアタウ村から声が挙がって
そこで、滞在でいるようにした。
しかし、MCLでも、夏休みや正月に、子どもたちと海水浴に行っていたけれども
どうしても、リゾートが好きになれず、
また、海に近い漁村の生活や貧困の状況も気になり、
長く考えてきたのが、海のMCLだった。
そこに、サンタマリア市が現れた。
   
 
   

サンタマリア市は、海に隣接、美しい白浜を持っていると同時に
イスラム、クリスチャン、先住民族が、仲良く平和に共存している。
MCLの理念や方針に、見事に一致した地域




鏑木さんの息子さんと甥御さんに聞くと
また絶対帰ってくるよ、と言っていた。
何か心に響くものがあったようだ。
将来の日本を考える上で・・・

子どもたちこそが未来だから


すでに、サンタマリア市の市長と会い、DSDW福祉局とも連携し、保育所も建設開始、山の先住民民族の集落の調査もした。
今回は、この海辺の村から、五人の崩壊家庭の子たちを奨学生に選択。
また、別の村からも、五名を選び、人々との交流と市への支援を開始した。
今回の鏑木さん親子の訪問も、その一環。

 
 

訪問された、ジプロスの
鏑木 諒さまの感想


今回のMCLについて
 

まずフィリピンは、治安も環境も酷い印象が、自分のなかでは強かったため
最悪な場所だと思っていました。
率直な意見をいうと、日本に住んでいる僕にとっては、とても酷い場所でした。
ご飯もトイレもその他の整備も、とても良い国とは言えませんでした。
けれどフィリピンの人達が、日本の人達より満足そうに暮らしている
理由がわかる気がしました。
口では説明できませんが、実際に行ってみるとわかります。

テレビで激しい紛争があったとか、報道されることもあり、
その映像は、何回かは見たことがありますが
実際に行ったときと映像越しでは、まったく実情は違いました。
アナウンサーは、まるで今も紛争が起きて危ないような口調で説明します。
行ってみたけれど、そこまで危険な場所でもないし、
行ってみなければわからないこともありました。
特に人の温かさは映像やニュースでは解りません。
MCLの人達の温かさ、村の人たちの温かさは決して忘れる事が出来ません。
約束した通り、また必ず会いに行きたいと思います。


二度目の訪問

昨年の6月に松居さんとお会いして、ミンダナオの実情を知りました。
会った場所は不登校になってしまった生徒さんが通う
サポート校での勉強会でした。

私は20年に渡り東京で塾を経営しています。
年を追う毎に日本の子供達から学ぶ意欲が減退し、
未来への意欲が失せて行くのを実感していました。
今迄、沢山の海外ボランティアをなさっている方のお話を聞いてきましたが、
持論は、「日本の中にもまだまだ救われなければならない現実がある」と言う物でした。
マザーテレサ曰く、自分の国で困っている人を助けなさい、と言う考えに同意でした。
自分の国で、すなわち日本で困った人とは、
私にとっては学ぶ意欲や生きる意欲を失いつつある子供達です。
先ずは日本の子供達をなんとかしたい、これが私の思いでした。

しかし松居さんのお話を聞いて、窮状迫る危機がそこにある事を知りました。
“今”何とかしなければならない現実がある。
しかも日本のこんな近くに。
紛争で家も学ぶ機会も、親でさえも奪われてしまった、ミンダナオの子供達。
しかし、昨年の訪問で明るく元気に、
みんなで助け合って生きている姿に驚きを隠せませんでした。
不自由があふれているのに幸せに満ちた生活。
片や満ち足りた環境にあってそれを感じられない生活。

この子たちが交わる事で、お互いに足りないものが補い合えるのでは無いか!
ミンダナオの子供達に学ぶ環境を、
日本で学ぶ子供達を、いつかミンダナオの子供達と触れ合わせたい。
そう思う様になりました。

今回高2になる息子とその従兄を、一緒に連れて訪問させて頂きました。
見る物全て初めて。
多少は聞きかじっていたかも知れませんが、
余りにも無いものが多すぎたことでしょう。
どれだけ日本は満たされていて、
満たされている事すら感じられない程生活が、スムーズに進みます。
自ら努力をして掴みにいかなくとも、全て揃っていて、
親が先生が親戚が、向こうの方から声をかけてくれ、行動を促してくれる。
環境や、大人の言いなりでいれば、簡単に生活できます。
そうやって自ら行動する事を忘れてしまった、日本の子供達。
そんな生活に慣れた彼らは、困った事があると私の所に来て、
これどうしたらいい?と聞いて来ます。
私にも解らないから、自分で誰かに聞いてごらん。
そんなやり取りが繰りかえされました。
水が飲みたい、
こんなに多くて食べられない、
疲れているから休みたい、
トイレの使い方が解らない。
自ら発しなければ何も叶わない生活。
遊びもそうです。ゲームなど無い世界。
誰かと何かをして、遊ばなければ暇を持て余します。

徐々に、MCLの子供達の明るさと積極性に引きずられ、
行動出来る様になりましたが、
彼らは正しく、日本の子供達代表でした。
恐らく衝撃的な体験だったでしょう。
しかし学んだことは、沢山あった旅だったと思います。
何が本当の幸せか、日本が全てでは無い事、
学ぶとは、働くとは、家族とは。
良い高校、良い大学良い会社。その為に勉強する。
そのラインから外れると不安になる。
でもそれは、日本だけの話しであり、
世界にはもっと別の考えや生き方がある事。
それを別に、日本で実践しても良い事。
そして何より大事なのは、人は人と支え合って生きるという真実。
そんな経験を、是非一人でも多くの日本の子供達にして欲しい。
そして、一人でも多くのミンダナオの子供達が、学ぶ機会に恵まれて欲しい。
改めてそう思った旅でした。

松居さん、宮木さん、現地スタッフの方々、
そしてMCLの子供達に心より感謝申し上げます。
一人でお多くの子供達に、スカラーシップが与えられる様に、
微力ながらお手伝いをさせて頂ければと思います。
本当に有難うございました。
そして子供達の為に、今後益々の活躍をお祈り申し上げます。



鏑木さまの経営する、ジプロスに関しては、
以下をクリック。


ジプロス事業(新体感型学習プログラム)
小中高大学~社会人までの一貫教育を目指しています。
 




ミンダナオ子ども図書館の
2014年~15年度の
奨学生の状況
 

ミンダナオ子ども図書館のスカラシップは、山岳地域や戦闘地域の僻村の子たちの中でも
孤児、片親、母子家庭、崩壊家庭の子たちを第一候補として採用しています。
第二候補として、僻村の中でも、自給地も無く極貧で、兄弟姉妹も多く
スカラシップ支援が無いと小学校も出られず、三食たべられない家庭の子を加えています。

 

2014年度の卒業生

 

 













MCLでは、年4回
大学生たちが集まる総会を開催

3月ムスリムデー
6月先住民族デー
9月クリスチャンデー
12月にスカラーズデー

を開催し(是非いらしてください)
文化相互理解と友情を深めています。
また、僻地への読み語りや
時には戦争や洪水避難民救済も
奨学生自ら行っています。


なにがしかの理由で、
現地に放っておけない子たちは、
MCL本部に住むことが出来ます。
その数、80名ほど・・・


小学校卒業・・・・・54名
高校卒業・・・・・・・60名
大学卒業・・・・・・・33名 


小学校の奨学生・・・・・145名


1年生・・・・・3名
2年生・・・・・5名
3年生・・・・・17名
4年生・・・・・36名
5年生・・・・・50名
6年生・・・・・34名 


高校生の奨学生・・・・・251名


1年生・・・・・56名
2年生・・・・・53名
3年生・・・・・72名
4年生・・・・・70名


フィリピンでは、小学校の後は、ハイスクール(高校)になります。
中学校という概念は無く、高校は、4年制でしたが、
今年から高校4年(ジュニアハイスクール)の後に
高校2年(シニアハイスクール)が加わり、6年制となります。



大学生の奨学生・・・・・139名


1年生・・・・・60名
2年生・・・・・31名
3年生・・・・・21名
4年生・・・・・26名
5年生・・・・・・1名



支援者のある奨学生・・・・・402


小学生・・・・・136名
高校生・・・・・167名
大学生・・・・・・99名


支援者のまだ無い奨学生・・133名


小学生・・・・・・9名
高校生・・・・・84名
大学生・・・・・40名


現地に放っておけない子たちなので、
支援者がいなくても、自由寄付やスカラシップ残予算で
学校に行かせています。
支援していただければ、幸いです。


MCLでは、
イスラム教徒、クリスチャン、先住民族を
なるべく公平に採っていますが、
山岳部に追われた
先住民族の貧困度が高く、
相対的に多く採用される
結果となっています。


イスラム教徒の奨学生・・・・・159名


キリスト教徒の奨学生・・・・・112名


先住民族の奨学生・・・・・・・・264名


奨学生全体数・・535名


皆さんの支援を
よろしくお願いします!


支援に関する一般的な質問は、
現地日本人スタッフの梓さん
にお願いします
mcl.v.staff@gmail.com


 ミンダナオ子ども図書館支援方法
支援方法は、上のロゴをクリックして入ってください。




パックンが、テレビ東京の方々と来られ
カバサランに読み聞かせと
古着の支援をした


突然、テレビ東京の関係の方から、連絡が入った。 
池上彰の番組で、ミンダナオ子ども図書館を取材してとりあげたいが・・・

4月12日生放送「池上彰のJAPANプロジェクト」
~命の現場と向き合う日本人~
世界のどこかに誰かが行かなくてはならない。
危ないと言われる地域で活動する日本人がいる。

池上彰が「世界で踏ん張る日本人」と生放送で対話

放送日時 4月12日(日)19:54~21:48(2h)生放送

中東の過激派「イスラム国」や
様々な過激派組が
世界各地で破壊活動を展開している。

「世界で今、何が起こっているのか?」
池上彰が地図や映像を駆使し解説して
「混沌の世界」を伝える。

世界には「危ないと言われる地域」が
たくさんある。
しかしそこで活動している日本人がいる。

この番組は「誰かがそこにいないとならない」
と思い、踏ん張っている日本人の声を聞く。

最初は、正直に言って、
お引き受けするのを躊躇した。
理由は、イスラム国を前面に
イスラム教徒の人びとを
いかにもテロリスト集団のように
報道する傾向が、今の日本に
はびこっているように感じられ、
それに荷担したくなかったからだ。

ミンダナオ子ども図書館では、
イスラム教徒もクリスチャンも先住民も
みんな仲良く生活している。
彼らは、自ら、自分たちは家族で
兄弟姉妹だと言っている。
たしかに、ミンダナオでは、
イスラム自治区を中心に
不穏な動きがあるのだが、
こちらの人びとの見方からすると
「意図的に政府とMILFを分断し
戦争を起こさせるための工作では?」
と言われているほどだ。

それは別にしても、
ミンダナオ子ども図書館には、
多くのすてきなイスラム教徒の
我が子のような子どもたちがいて、
戦闘地域でも、200名あまりの奨学生が
MCLの支援で元気に学校に通っている。
イスラム文化祭をつい先月末に開いて
みんなで楽しんだばかり・・・
そうした子たちもひっくるめて
イスラム教徒=テロリストといった
図式に当てはめられるのは
ちょっと心外・・・
友人や我が子をテロリスト呼ばわり
されているようで胸が痛む・・・

それでも、考えあぐねた結果、あえてこの企画に挑戦しようと思ったのは、
逆に、ミンダナオ子ども図書館や、私たちが行っている地域の人びと、
特に無邪気な子どもたちの素顔や純真な笑顔。
どこの国の人びととも変わらない庶民の姿を、
映像を通して、日本の人びとに、伝えることが
可能かもしれないと思ったからだ。
(テレビ映像は、編集次第でどのようにも変えられるけれど・・・)

「ミンダナオは、海外からの力が入りさえしなければ平和な土地なんだがなあ・・・」
という、村長の言葉が思い浮かんだ。
中近東もそうだけれど、ミンダナオも40年間の戦争の原因は、
リグアサン湿原にねむる、膨大な天然ガスと石油の利権を
どこが獲得するかと言う問題の背後に、国際資本が絡んで起こされているという。

福祉局に、事前に状況を伺いに行くと驚いたことに、
つい最近まで戦闘で避難民が出て、MCLで救済活動をしていた
カバサランやカルボガンの人びとが、現地の村に戻り、
すっかり平和になり、しかもそこに読み語りに行くことも可能だという!
そこで、市長に話を通し、さらに現地の村長を訪れて話をつけ
両方の確証の元に決断を下した。
さらに当日は、MILFの軍人が護衛につき、
北コトバト州のMILF最高司令官にも、お会いして
協力関係を持ち、万全の準備をしてから活動を開始。



パックンを交えて、歌と踊りと読み語り

前日に、有名な俳優で
米国と日本の血をうけついだ
パックンが到着。
(ごめんなさい、15年以上も
日本のテレビを見ていないので
存じ上げませんでした・・・)
しかし、とっても気さくで自然な若者で、
たちまちMCLの子どもたちに、大人気。
撮影していようが(仕事の時も)
撮影していまいが、
水道のプラスティックの配管で
子どもたちが作ったフラフープで
子どもたちと一緒に遊んだり、
ゴム草履のベースボールをしたり、
心から子どもたちを愛していることが
良くわかる。

翌日は、子どもたちと
トラックの荷台に載って
本来は極度の危険地域である
カバサランの集落に向かった。
この向こう側は、イスラム自治区で
12万の避難民が出て問題になっている、
ママサパノも遠くない。


MCLのイスラムやクリスチャンや先住民族の若者たちと
現地で読み語りのまえの踊りをおどる、パックン
 

普段は、全くのどかで平和な村。最近、15軒の家が焼かれた。
MILFとBIFFの戦闘で、村人全員が避難していた。
敵味方に関係なく、僕はとにかく、一切の戦争が嫌いだ。
かわいそうなのは、子どもたち。

 
避難民の時に約束した車いすを
少年に届けた

大久保さん、ありがとうございます!


久保山 真由美さん
この子に、二台目の
車いすを寄贈しました。
ありがとうございます!


避難民の時にあった少年
車いすさえあれば
学校に通えるんだけど・・・
「これで大丈夫だね!」

皆さんから支援していただいた
古着を人びとに届けた
 

ミンダナオ子ども図書館での体験、子どもたちとの出会い。
そして、イスラムの人びととの交流。
思いがけない体験を胸に、時には涙を目にためながら
パックンも、制作者の方々も、撮影の方々も、
来られたときの緊張した顔とは、
全く異なった笑顔を携えて、別れを惜しみながら帰路につかれた。
「必ずまた来ますからね。今度は、子どもをつれてプライベートに・・・」
子どもたちも、抱きつきながら、大喜びで、撮影隊の方々を見送った。
「バイバイ。また来てね・・・」
「もちろん、さよならは言わないからね。また来るからねーーーー!!!」
月明かりの夜、みんなの愛情のこもった別れの抱擁と歓声に送られて
パックンは、明かりのついた食堂から出ると
昇ってきたばかりの半月と金星を見上げて、
こみ上げてくるものを押さえきれない様子だった。
 



支援しているイスラムの子に再会


まずは、学校に行き
支援している少女と弟に出会った。
再会し、学用品と靴を届ける。
イスラム教徒のしっかりしたよい子だ。


ピキットに行く途中に通過するARMM(イスラム自治区)のプランギ川沿いに
支援している子の学校と家があるので訪ねた。
この地域の奥からは、地域戦闘(リドー)による避難民が出ているが
国道沿いにあるこの子の家は、今のところ大丈夫だ。
元気に学校に通っているが、まえに書いたように、この子の足が腫れてきていて
医師の診断を受ける予定。
日本からの贈り物を家族に届けた。

BIFFとMILFの戦闘避難民の現状を同時に調査


先にも書いたが、北コトバト州側のピキット
その湿原沿いのカバサラン集落にBIFFが集結して、
MIFLとの戦闘(リドーと呼ばれる地域戦)があり、
避難民が出ていたが、カバサラン側は、福祉局の指導で
家にもどり始めていた。しかし、十四軒の家が焼かれた。

イスラム自治区のパガルガン側は
今回、MCLで学校建設を進めている
カルボガン集落。
こちらはまだもどらず、UNHCRが
シートの支援をしていた。
さすがにお金があるので、シートの質が
全然違う。
良かった良かった。

こちら側も近々もどれるという話を聞いたが
その後、国軍(フィリピン政府軍)が
イスラム自治区に派遣されていて
戦闘を恐れる避難民が、
大量に避難し始めているという
ニュースが流れている。
基本的に、MILFから分離した
BIFFを押さえる目的で、派兵されている、
とはいうものの、どこでどう戦闘が起こされ
るかわからず、国軍が入ったことにより
大きな戦争になる可能性が高くなり
人びとは、一斉に避難し始めたと思われる。

あせらずに、注視する必要があるだろう。


みんなで、62歳の誕生日を祝ってくれた!

3月2日、みんなで誕生日を祝ってくれました。
私と3人の子どもたち。合計4人。
子どもたちのなかの2人は、自分の誕生日がわからないので、一緒にお祝い。
あやさん、シェーラも一緒ですよ。
誕生日の最大のお祝いは、夜明け前、
四時半に部屋の前に集まって、
ハラナと呼ばれる夜明けのお祝いの歌と祝福をすること。
これが最高の楽しみ!
(西山さん、写真を撮られていたから、
FBに載せません?シェアしますよ!)
ハラナは、ビサヤの習慣で、
MCLに住んでいる全部の子たちのハラナをします。
そんなわけで、時には一週間に三度ほど、
四時半に起きて、その子の部屋のまえに、
子どもたちと一緒に私も行き。
歌って祝福します。
お祝いのケーキとスパゲッティは、
予算がいつもぎりぎりなので、
月末に、その月の誕生日の子を一緒に祝います。
今回の誕生日は、特別に私の日に祝ってくれましたが、
スパゲッティとケーキとコーラを特別に寄付しました?
年始めも同じで、麺を食べるのは、長生きを祈願してです。


 



UNHCRが避難民の救済を開始

BIFFの拠点のある、カバサラン集落には
避難民たちが、福祉局の指導で
避難民キャンプから帰り始めていた。
しかし、14軒ほどの家は、焼かれたようだ。

こちらは、MCLで学校を建設する予定の
カバサラン集落の人びと。
ここの避難民のために、古着を届けた。

UNHCRが、避難民のために
ビニールシートを用意していた。
これほど早急に活動を行う例は、珍しいが
福祉局で、UNHCRの派遣員に会った。
かつてミンダナオ子ども図書館にも来られた人たち。
お互いに、再会し、喜び合った。
UNHCRが来て、良かった良かった。

今回、カバサラン集落で小学校を建てる
建設技師にも会った。
「今は、、難民化しているが、大丈夫。
現地は、比較的安定している。
難民たちも、もうすぐもどるだろう。
学校建設は、可能だと思うよ。」
BIFFが、MILFと国軍に押さえられているようだ。
思ったより、平和の可能性もあるような気がした。
MILFは、これ以上の戦争を望んでいないようだ。

ただ、今後も余談は許さない状況に変わりは無い。

国軍部隊投入へ

武装集団同士の交戦長期化受け、「国軍部隊投入で事態収拾図る」と参謀総長

マニラ新聞

 ミンダナオ地方マギンダナオ、コタバト両州の州境付近で、14日から続く反政府武装勢力モロ・イスラム解放戦線(MILF)とバンサモロ・イスラム自由戦士(BIFF)の交戦で、国軍のカタパン参謀総長は19日、事態収拾のため、近く国軍部隊を投入する考えを明らかにした。首都圏ケソン市の国軍本部で記者団の質問に答えた。

 交戦地域の拡大で、避難住民が2万人を超えたためだが、国軍介入が事態悪化につながる恐れもある。また、BIFFはMILFとの戦闘に加えて、コタバト州キダパワン市にある州庁舎襲撃を計画しているとされ、予断を許さない状況が続きそうだ。

 交戦はマギンダナオ州パンガルガン町で始まり、その後、隣接する同州ダトゥモンタワル、コタバト州ピキット両町にも広がった。

 国軍が介入する上で問題となるのは、部隊投入対象となる地域の選定。戦力面でMIFFに劣るBIFF側は、小グループによるゲリラ戦を続けているとみられ、「仲裁に入ったレフェリー(国軍部隊)が殴られることもあり得る」(カタパン参謀総長)状況だ。

 また、両州に点在するMILF支配域に国軍部隊が不用意に入った場合、MILFとの遭遇戦が発生する可能性もある。「三つどもえ」の交戦を回避するため、MILF指導部との連携など、慎重な対応が必要となる。

 今回の交戦原因は、主に(1)リド(土地をめぐる争い)(2)BIFF構成員によるMILF支配域通過をめぐるトラブル--の2点が指摘されている。発生直後、MILFの部隊指揮者が死亡したことから、「報復戦」の様相も呈している。このため、カタパン参謀総長は「(MILFとBIFFの)組織的戦闘なのか、それとも部族間同士の争いなのか。事態を複雑化させないため、交戦原因と現状の把握をまず進める」と述べ、部隊投入の時期は明示しなかった。

 BIFFは、現政権発足直後の2010年12月、MILF第105部隊のカト元部隊長により結成された。MILFの離脱者らで構成され、兵力は1千人程度とされる。カト元部隊長は、MILFと比政府の和平交渉に不満を持ち、08〜09年に町役場占拠事件などを起こした。(酒井善彦)

  


 


ミンダナオ図書館:日記 2014年3月以前より



サミット延岡さま寄贈の保育所が
ニューイスラエルに完成



なぜ保育所が必要か!

保育所は、読み語りと共に、MCLと極貧の地域を結ぶ、
大きな意味を持つ支援活動です。
保育所支援を始めたきっかけは、7年ほど前でしょうか、
フィリピン政府が保育所か幼稚園を経由した子以外は、
小学校に入学できないという制度を制定しました。
理由は、保育所で読み書き計算の初段階、
ABCを学ばずに、直接小学校に入ると、
先生が、大変だと言う理由からです。
ですから、保育所というのは、日本のように、
子どもを親から預かって、託児をする施設では無く、
毎日、2時間ほどかよって、ABCを学ぶ場所なのです。

バランガイセントロと呼ばれる村の中心には、役場もあり、
大概、保育所と幼稚園が建てられるのですが、
保育所建設の費用は、集落が持つことに基本的になっており
多数の山奥や、極貧地帯の人びとは、極度に貧しく、
とても保育所を建てることが出来ません。
椰子の葉で吹いた、屋根だけある小屋の下で学んでいたり
ひどいときには、大木のしたで勉強しています。

そのような村々と交流をもつにいたって、現地から
「なんとか、保育所を建ててもらえないだろうか」という
悲痛な声が聞こえてきて、
「それならば、日本の支援者の方々に相談してみましょう」と、
始められたのが、保育所建設支援です。
2015年の現在までに、80棟以上建てていますが、
まだまだ足りません。


 
 

保育所建設は、2015年度から、
1:土台コンクリート製を
ペンキ塗り+修理費込みで、50万円でお願いします。

福祉局が推薦する、修理費がかからない耐久性もある、
2:総コンクリート製のは、80万円で可能です。


山村のあちこちの集落から、4,5キロも離れている
村の中心にだけある保育所に、3,4歳の子どもを
とても通わすことが出来ない。
親は母親もふくめて、早朝から、山仕事に行かなければならす、
とても送り迎えは出来ません。
その需要の多さはすごいもので、まずしい集落に行くと必ず言われます。
そこで、福祉局の規定で、3種の保育所の建物があることがわかりました。

1:一番安いのが、内部の地面は土のママで、
壁も屋根も材料費の安い椰子の葉と竹。30万円ほどで建ちます。

2:次が、土台と壁の半分は、セメントブロックでトタン屋根。
これは、修理費も含めて50万円ほどで建ちます。





3:最後は、壁も含めてコンクリート、それは80万円ほどでした。



(1)の椰子の葉と竹の保育所は、安いのですが、
半年もたつとボロボロになってしまいます。
とにかくたくさん要望があるので、建てやすい(2)の保育所に決めました。
(2)の土台コンクリート製は、60件ほど建てましたが、
この場合問題は、以外と高価な壁と屋根のペンキ塗りを、
30万の予算では出来ないので、
修理とペンキ塗りは、村でやってもらうことに決めたことです。
建てたときは、壁も良いし、正直に言って、熱帯の気候では
竹の方が涼しくて勉強しやすく、今でも使われています。



ただし、やはり竹ですので、3年たつと修理が必要になってきます。
維持修理は、村で行う規定なのですが、
比較的豊かで、教育に理解がある村は良いのですが、
日々の食事にも窮する貧困の山草で、修理など、出来るはずがありません。
そこで、意を決して、MCLの自由寄付の予算から
修理代を捻出することにしましたが、
円安と物価高により、経費がなかなか捻出できない状態です。



そこで、2014年から、50万円でお願いし、修理代も加え
さらに、保存が多少でも良くなるように、ペンキ塗りを
スタッフが、ボランティアで行うことにしました。



今まで通り、土台コンクリート製も造っていきますが、
長く使ってもらうためには、福祉局が提案する
第3案の総コンクリート、1棟80万円が理想です。




 
 
 
 
 
 
 
 




イスラム地域で、MILFとBIFFが内戦
避難民の緊急支援に向かった 

2月16日
Civilians flee as MILF, BIFF clash

PAGALUNGAN, Maguindanao (MindaNews/16 February) –
Hundreds of Moro civilians from outlying villages here
and in nearby Pikit, North Cotabato
fled following clashes since Saturday night between
rivals Moro Islamic Liberation Front
and Bangsamoro Islamic Freedom Fighters.

Children and work animals in tow,
the villagers carrying valuables
evacuated the interior villages of Kalbugan
in Pagalungan and Buliok in Pikit Sunday night
en route to the Pagalungan gymnasium in Barangay Poblacion
and in Mahad School in Poblacion Pikit, respectively.

“Walang tigil ang putukan, pina-bakwit kami ng mga barangay kapitan,”
(There was endless gunfire, the village chiefs
told us to evacuate) one of the evacuees said.

Obviously tired of the long walk,
the children fell asleep easily at 9 p.m. Sunday.
Others entertained themselves by viewing movies on portable DVD player.

In the gymnasium the children slept
close to each other on the concrete floor
covered with tarpaulins, malong (shawls) and cartons.

Carabaos, cows, goats and chickens litter
around the Pagalungan town hall compound.

More civilians arrived early Monday morning in Pagalungan Poblacion,
fearing an escalation of hostilities
following the death of one MILF commander.

Villagers said the MILF and the BIFF
have been fighting since Saturday night.
The fighting intensified following the reported
death of Commander Falcon of the MILF
in a clash with the group of BIFF commander Kagui Karialan.

BIFF spokesperson Abu Misri Mama said
four other MILF rebels were killed
when they attacked the group of Karialan.

Capt. Joanne Petinglay, 6th Infantry Division spokesperson, said
both armed groups have been “staring at each other since last week.”

On Saturday night they clashed,
leaving one MILF commander dead,” she said,
adding the encounter site was deep inside the Maguindanao marshland.

She said they the BIFF who figured in a clash
with PNP Special Action Force (SAF)
commandos in Mamasapano, Maguindanao on Jan. 25
wanted to cross North Cotabato from Maguindanao
but the MILF prevented them from coming in.

She said the Army is on stand by and did not interfere in the fighting
but ensured the safety of civilians.


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Civilians flee as MILF, BIFF clash


まずは、ピキット市側に
避難してきた人びとのところに行き、
炊き出し支援をすると同時に、
現状を調査した


先日、避難民救済支援をしたばかりなのだが、
ピキットの福祉局所長補佐でミンダナオ子ども図書館の役員、
ソーシャルワーカのグレイスさんから再び連絡が!
「リグアサンの湿原地域で、戦闘が起こり、前回以上の大量の避難者が出ている。」
それに答えて、まずは現地調査をかねて、即刻炊き出しの支援を決定。

本来ならば、ビニールシートを持って行くべきなのだが
なぜかというと、難民が出て最もきびしい時期の一つが
避難した直後で、そうした時期には、一般の国際NGOは、まず調査をして
早くても、1ヶ月後、ときには、数ヶ月後から活動を開始する。
ところが、体育館や学校のように、屋根のある場所に、避難できれば良いのだが、
大量の難民が収容しきれずに、一部の家族は、木下や野原、時には
路上横の空き地に寝ることになる。
まずしい彼らが、雨よけや地面に牽くビニールシートを買うお金があるはずもなく、
雨が降ったらびしょ濡れにならざるをえない。

私たちは、この十年間、過去何度も行ってきた救済で、そのことを知っているので
まずは、最優先でビニールシートの支援をする。
ところが、今回は、先日の難民救済で、ストックしておいたロールを全部使い果たし
今回のは持参することが出来なかった。
その代わり、ご飯を炊いて子どもたちにあたえる、炊き出し支援を実行した。

幸いなことに、おそらく今後も、戦闘がしばしば起こるだろうという予感から
なけなしの資金で、ダバオに行くスタッフ頼んで、6ロールをとりあえず購入。
翌日届ける約束をした。

今回の戦闘は、政府との和平交渉を推進しようとしている
MILFモロイスラム解放戦線と、そこから分離して、和平交渉を拒否して
あくまでミンダナオの独立を求めて、戦闘を続けようとする、
BIFFバンサモロイスラム自由戦士との内部抗争。
その結果、MIFL側とBIFF側の司令官が死亡し、
一般市民には、死者はいないものの、戦士がかなり死んだようだ。
拡大の危険も大きいので、住民は、急きょ町に近い場所に避難した。
国軍は、様子見をしている状況で、参戦はしていないが、
国軍が参加するとなると、状況は良くない。
 
 

ミンダナオ子ども図書館で炊き出しをした


MCLのスカラーで、片手が萎えている子のおばさん
大喜びで迎えてくれた。
大ぜいの人びとが、すでに私たちを知っていて
本当の心から歓迎してくれる。
     

大喜びの子どもたち

MCLの奨学生たちも避難していた 


会えて、本当にうれしそうだった。
まだ避難して間もないが、
これから生活や状況が厳しくなったら
MLCの本部に、兄弟家族と一時的に住むように話した。
ミンダナオ子ども図書館は、敷地自体を難民キャンプとして
使用できるように登録してある。


手に、多数の湿疹のようなものが出来て
手が痛くてたまらない
MCLの奨学生
医療で治すことにした。

まだまだ、次々の避難民が向かってきている。 

ぼくが、初めて体験した
2000年の米比合同演習と
2003年のテロリスト掃討作戦の時の
100万を超す難民。
2008年の和平交渉決裂による
80万の難民に比べれば
本当に、微々たる、地域的な難民だ。

それ以外にも、毎年のように
このような避難民救済に向かっている。
それにしても、とにかくどのような戦争も
僕は、心底拒絶する気持が
トラウマのように出来上がった。


イスラム教徒、クリスチャン、先住民など
種族や宗教の違いは、
ぼくには、あまり意味をなさない
とにかく、子どもたちへの愛だけだ。
集団的自衛権を行使して、
ここミンダナオに、米国軍と共同で
戦闘を起こす可能性が日本にあるが、
日本軍の爆撃があれば、
その戦禍を受けている子たちのために
カトリック教会のグレイスさんや
ライソン神父と協力して、
難民救済をするつもりでいる。
   

以下は、2008年の時の戦闘の映像 
映像をクリックしてください、

戦争と避難民救済
:ミンダナオ子ども図書館の活動 13分

説明
ミンダナオで戦闘が勃発。80万の避難民が出た。
イスラムの地域で、
ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちもたくさんいる。
時に砲撃音がとどろく中、
イスラム、クリスチャン、
先住民族の奨学生たちと一緒に、
私たちは、子どもたちの救済に向かった。



緊急支援をお願いします!!


郵便振替口座番号:00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

  
 
 インターネットバンキングも可能です
■銀行名 ゆうちょ銀行  ■金融機関コード 9900
■店番 019  ■預金種目 当座
■店名 〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
■口座番号 0018057
口座名:ミンダナオ子ども図書館
ゆうちょ銀行(郵便局)や、
それ以外の金融機関からの振込もOK
 

イスラム自治区サイドのキャンプも訪ねた 

湿原地帯の最も厳しい地域
カルボガン集落の人びとも
ほとんどここに集まっていた。
この人たちは、皆MCLの事を
よく知っている。
奨学生もいる。

和平を構築する重要な地域として
小学校の建設計画を
日本政府に提出したが
いこう、返事をまだ受け取っていない。
非常にセンシティブな状況になってきた。
予想したとおりだが・・・

この地域には、すでに日本政府による
学校建設が完成した、
サパカン集落の人びとも
避難民化している。

この場所の避難民の状況はさらに厳しく
とりあえす、翌日には
ビニールシートを持って行く
約束をした。



翌日、雨よけのシートを配った
2月17日

夜を徹して、シートをカットする、MCLの奨学生とスタッフたち
緊急支援をお願いします!

新たに避難民が、集落にあつまっていた。
雨よけも無く、このままでは地面に寝るしかない。
ミンダナオ子ども図書館の事は、よく知っていて、
大喜びで歓迎してくれた。 
現地福祉局のわずかな支援があるだけで、
他の支援はまだほとんどない。


 緊急支援の自由寄付をお願いします。
1万円で、1ロール100メートルのシートが買えます。
5メートルで切っていくので、20枚がとれ、20家族を救えます。

 

郵便振替口座番号:
00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

  
 インターネットバンキングも可能です
■銀行名 ゆうちょ銀行  ■金融機関コード 9900
■店番 019  ■預金種目 当座
■店名 〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
■口座番号 0018057
口座名:ミンダナオ子ども図書館
ゆうちょ銀行(郵便局)や、
それ以外の金融機関からの振込もOK
 

MCLで、さっそくビニールシートを配った 


MCLのスタッフたちと
左は、MCL役員でDSWD福祉局の
グレイスさん

 現地日本人スタッフの梓さん(左)、右はかつて山元眞神父さまが支援していたイスラム奨学生で、今はスタッフのサダムくん  
 ムスリムスタッフのエズラサさんとバイヤンくん。彼らも奨学生だった。 
村人は、私たちの事をおよく知っていて、子どもたちも一緒に 

読み語り、奨学生、医療で普段からおつきあいのある村の人たちだけに、今回の難民救済支援で、さらに心がつながった。
平和構築とは、こういうものだと思う。「隣の人を、自分のように愛しなさい。神は愛である。」
神が愛であるならば、すべて神が創られたものは、イスラム教徒もクリスチャンも先住民も、皆兄弟姉妹であるはず。 
皆さんも愛の支援、おねがいします。


緊急支援をお願いします!!


郵便振替口座番号:00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

  
 
 インターネットバンキングも可能です
■銀行名 ゆうちょ銀行  ■金融機関コード 9900
■店番 019  ■預金種目 当座
■店名 〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
■口座番号 0018057
口座名:ミンダナオ子ども図書館
ゆうちょ銀行(郵便局)や、
それ以外の金融機関からの振込もOK
 
 
 緊急支援の自由寄付をお願いします。
1万円で、1ロール100メートルの
シートが買えます。
5メートルで切っていくので
20枚がとれ、
20家族を救えます。

病気の少女を見つけた

13歳で結婚していた。手術で足を切断する以外に無いだろう。
しかし、助かるかどうかはわからない。母親は、手術をさせたくない。  


左の子は、
民棚なお子ども図書館の奨学生
大喜びで駆け寄ってきた。




右の写真は、かつて車いすを約束し
今回、探していた子。


難民キャンプで
車いすを約束して
探していた子を見つけた。
車いすさえあれば、学校に通える。

寄贈する車いすがあることを話すと、
本人も母親も大喜び!
次回、なるべく早く、
車いすを届けることを約束した。

かつて難民キャンプで見つけた子に
再び、難民キャンプで会うとは
なんと皮肉な偶然だろうか。


 







春に戦闘があった
イスラムの村に保育所が建った

制作2月12日

この湿原の向こうでは、先日戦闘が起こり、左の方の集落で避難民が出て、救済にむかったばかり。
       


この村について、
2013年のサイトに以下の原稿を載せた
今回、保育所を建設したのは、以下の集落 


戦闘避難民の調査を継続


約200世帯が、
この村には避難している。


この地域は、BIFFの最も活発な地域
普段は、私たちも行っているが
今は、戦闘で入れない


今回の避難民は、ハウスベースで
とりあえず、親戚や友人の家々に
避難して生活している

戦闘で家が焼かれている!


パンパパン
鉄砲の音が聞こえて
私たちもあわてて避難!

遠くに煙が上がっている。
地元の方が言った。
反政府勢力(BIFF)によって
火がつけられている。
国軍がはいったから
腹いせに燃やしている!

目の前の川は、プランギ河で
わたしたちは、良くここを舟で通る。
しかし、今は危険ではいることが出来ない。
戦場と化しているからだ。
そのとき

パン、パン
パパン

鉄砲の音がした。
案内の人は、慌てて逃げるように指示した。
「遠くでも、今の武器は高性能で
遙か彼方の目標でも狙えるんだ!!」

 
   
 

五ヶ月も避難生活をしている家族も 


避難民のなかには
すでに5ヶ月も避難している人々も居る。
戦闘で、いつも犠牲になるのは
善良な市民
そして、子どもたち。

私たちは、とにかく子どもたちのために
シートと古着
そして、読み語りをすることにした。
さらに、この村に、保育所を建設し
平和への先駆けとしよう。


とりあえず、持ってきたシートを配ったが
土曜日にはもどってきて、200家族に古着とシート
そして子どもたちのためには、読み語りを行う予定。


この集落に今回、保育所を建設
読み語りもした。



イスラムのスタッフ、バイヤンと
マノボ族でクリスチャンのニナが結婚

制作2月12日


両親がいず、貧民街から来たマノボ族の奨学生のニナ
大きく育って、今は大学の4年生。
クリスチャン(プロテスタント)だけれども
イスラム教徒のスタッフ、バイアンと恋に落ちた。
バイヤンもスタッフ。
卒業を間近に結婚を決めた。
二人は、MCLに住むことになった。

結婚式は、キダパワン市の貧民街の一角にある、プロテスタント教会で、
イスラムの儀式にのっとって、行われることになった。

牧師夫妻も、マノボの首長も、参加した。



最初に二頭の獅子と少年の踊りがあり、それに導かれて、新郎が結婚式場にやってくる。 

いよいよ結婚の儀式。花嫁を迎えに部屋へ。

不幸のどん底から来たような子たちだけに、幸せになって良かった、良かった。 




イスラム地域ピキットで避難民が出た
2月46日


MCLの役員のグレイスさん

イスラム地域、ピキットに避難民が大量に出ていると、
現地の福祉局の所長補佐のソーシャルワーカー、MCLの役員のグエイスさんから
連絡が入り、急きょ救済にむかった。 
グレイスさんは、現地のカトリック教会のソーシャルワーカーでもあるのだけれど、
有名なオブレード会(OMI)のライソン神父と共に、命がけで爆弾のなかを
イスラム教徒の救済に走るので有名。
もう10年、毎年のように起こる戦闘に、適切な指示をだして
私たちと行動を共にしてくださる方だ。
今回は、まだ戦闘は起こっていないものの、
新聞にも出た、BIFFバンサモロ自由戦士と警察特殊部隊の戦闘で
40名近くが亡くなった後、いよいよ国軍が動き始めると言う状況になり
リグアサン湿原近くに、BIFFの戦士が集合しつつあり、
住民たちは、戦争が避けられないと言う状況のなか
大量に村から避難してきたのだ。
言い換えるならば、反政府組織自体が、戦闘が避けられないと言う理由で
住民たちを避難させたともいえる。
おそらく、週末から来週にかけて、かなりの規模の戦闘がこの地で起こる可能背が高い。
いよいよ、始まったか・・・という感じ。
まだ、地域的なものではあるが、過去の経験からも、国軍が関与し始めると
大きな戦争になる可能性が高い。
   


この村の人びとは、MCLの事をよく知っているし
まだ、ほとんど報道もされていない状況のなか
MCLだけが、早急にビニールシートの支援をしに来てくれたので
大喜びで迎えてくれた。
なかには、MCLの奨学生のお父さんもいた。

それにしても、支援のための基金が、円安で底をついている状態
皆さん、どうか、この子たちを救うために寄付をお願いします。
これから、さらに戦闘が広がる可能性が大きいです。


支援申し込みメールでご住所を送っていただければ、
会員登録をして年4回、季刊誌をお送りします。
直接下記に振り込んでいただけると早く確実です

自由寄付、医療支援、スカラシップ、里親支援、
植林支援、緊急支援


郵便振替口座番号:00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

  
 インターネットバンキングも可能です
■銀行名 ゆうちょ銀行  ■金融機関コード 9900
■店番 019  ■預金種目 当座
■店名 〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
■口座番号 0018057
口座名:ミンダナオ子ども図書館
ゆうちょ銀行(郵便局)や、
それ以外の金融機関からの振込もOK
 
     

机上の空論や、テレビやゲームでしか、
戦争を考えられない人びとにとって
こうした場で、子どもたちや普通の人びとが、
どのようなつらい目に遭うのか、理解できるだろうか。
この地では、40年にわたって、イスラムの人びとと
フィリピン政府の間で戦争が起こり続けてきた。
ぼくも、2001年に、100万を超える難民を見てショックを受けて
MCLを始めたのだが、それ以来、何度となく戦争救済を続けてきた。
40年以上前までは、宗教の違いがあっても平和にやってきたミンダナオ
戦争の起こる原因はなにか???
実は、宗教の違い、民族の違いではなく、このそばの湿原地帯に眠る
石油と天然ガスの利権をめぐる、国際的な利権争いであることがわかってきた。
中東の戦争も、金目的の利権争いに過ぎない。
かわいそうなのは、一般市民と子どもたち。

早急に難民救済を実行
 ミンダナオ子ども図書館のイスラムの大学生たちが、現地でも活躍する。 
こんな子どもたちが、雨に打たれているなど放っておけない。 



妻とMCLの奨学生たち


福祉局のスタッフをはじめ、現地の村長さん、役員、MCLのスタッフ、みんなで協力して、避難民を救済。 


このようなところで、食事をし、夜を過ごす。
雨が降ったら、どんなに惨めかは、想像できよう。
今回の戦闘は、早く収まると良いのだが
長い戦争になると、半年から一年半も
難民生活をしなければならないのだ。


ミンダナオ子ども図書館支援方法

難民生活は、とりわけ、お年寄りと子どもたちにきびしい。 


難民生活が続く限り、
私たちは繰り返し、
もどってきては支援活動を続ける。


皆さんも支援
よろしくお願いします。
今回は、古着も届けました。


これからは、医療の問題も出てきます。
自由寄付で結構です
よろしくお願いします。




 戦争が心配なイスラム地域に、
車いすを届けた


3台の車いすを寄贈してくださったのは、
大久保さんご家族
 

数日前に洪水があったが、思ったより早くひいて、この地域の被害は少なかった。


一台は、ピキットの福祉局の局長補佐で
ミンダナオ子ども図書館の理事、グレースさんの希望で
貧しい地域の若者に届けた。
いすの後ろには、
「末日聖徒 イエス・キリスト教会」のラベルが。
ありがとうございます!
宗教、民族、宗派を越えて、愛は広がる・・・

同じ村に歩行困難な子がいた
松葉杖を約束した



どなたか、松葉杖の支援をしていただけませんか。
医療支援の自由寄付でもOKです。
よろしくお願いします。

古着の支援もした 
日本の支援者の方々から届けられた古着を
こうした調査などに共に持っていく
本当に、無限に需要がある。
MCLの活動は、積極的外向型と呼んでいるように
絶えず、毎日のように
現地に赴き、奨学生たちに会うと同時に
実に多くの集落とつながりを持ち続けて活動している。
イスラムのピキット市の全集落をはじめ
先日戦闘があり、死者の出たイスラム自治区の集落
マノボ族の山の多くの集落にいたるまで
古着の需要は、膨大だ。

MCLの奨学生の調査

支援者に毎年スナップショットを送るため
また、その年の奨学生の状況をしるために
子どもたちの家々をまわって、調査をする。

子どもたちの現状
村々の状況を知るためにも
足で巡り、直接顔を合わせることは
重要な要素だ。

MCLの日本人スタッフの梓さんも
子どもたちに直接出会うことで、
スカラシップ支援者に
新しい子を紹介するときの
気持ちが全然変わって来るという。

この子の支援者は、この後見つかった。
貧しくて、三度の食事も難しい家庭。
お母さんは、出稼ぎに出たまま音沙汰なし。
優しいお父さんが、がんばっているけど、
奨学金が無いと学校にいけない。

この地域は、絶えず戦争にさいなまれて
去年の春に、
戦闘で避難民になっているときに
出会った子だ。


彼女は、生まれつき
足が短く
膝からしたが、
少ししかない。
そんな子だからこそ
大学まで行って
良い仕事に就いて欲しい。
食事も困難なことがあるので
今年からMCLに
住むようになるかもしれない。

MCLの奨学生で、片親の子たち

 この村の子たちには、片親が多い。非常に戦争や戦闘のしばしば起こる村。
片親になった理由はいろいろある。病気、戦争、不慮の事故。
この子たちは、まだ支援者がいない子たちです。
どなたか、支援者になっていただけませんか!!

ミンダナオ子ども図書館支援方法 


村の役員の方が曰く
「MCLは、他のNGOとは、ぜんぜん違って、
ほんとに心から人を助けるNGOですね。
うちの娘たちが奨学生になっていること、誇りです!」
村の出口近くには、私服の護衛兵たちが、守ってくれていた。

劣化ウランの影響では?

2000年の比軍と米軍の合同演習と言う名の実戦。そして、2003年のテロリスト掃討作戦。
当時、100万を超える避難民が出て、私たちは、終始救済に向かった。
そのとき以降、ちょうどその時期に妊娠していた子たちが生まれると、こうした奇形の子があちこちに増えていった。
驚いて、日本に帰り、当時にカトリック正義と平和協議会で働いていた、大学時代の親友、松浦悟郎司教さん(悟郎ちゃん)に写真を見せると
「松居君、これ、劣化ウラン、ちゃう・・・」といって、イラクの爆撃による劣化ウラン被害の写真を見せてくれた。
驚いたことに、まったく同様に症状だ!
それを聞いて、中日新聞が取材を言ってきたのだが・・・その後なぜか、没になった。
当時は、朝日もNHKも全てマスコミは、MCLに来るという取材、北コタバト州に入るという取材が許されなかった。
なぜだか、未だに分からないが、最近になって「なぜここに日本人」の取材が許されて、リグアサン湿原まで行けたのは驚きだった。


僕が一番心配なのは、今回のイスラム国への米軍の爆撃で、
多くの子どもたちが死ぬだけではなく
劣化ウランの症状が、イラク戦争の時以上に、中東全体で広がることだ!
 


足が腫れてきた奨学生


手足の異常も多く見られる。
MCLでは、こうした子の将来を考えると
なるべく、奨学生に採用して、医療を保証して
学校も大学までやらせることにしている

義眼を入れる手術をする予定 


そろそろ、義眼を入れても良い頃かもしれない。
父親はいない、今年から、MCLに住みたいという。
この子たち、まだ支援者がいないのですが。
下の男の子も、睾丸が腫れてきたので、手術をします。

ミンダナオ子ども図書館支援方法


スタッフの彼女も
かつて、MCLの奨学生。
MCLで手術して
義眼を入れている。
お父さんは、イスラムの宗教指導者。
銀行に受かったけれど
ベールをはずすように強制されて
それがいやで、MCLのスタッフに。


イスラム教徒の子どもたち

イスラムに対する偏見が、フィリピンでも強くなりそう。
しかも、この地域は、大規模な戦争に巻き込まれそうなので、今から逆に
奨学生調査や保育所建設で、しっかりつながりを持ち、重点的に歩き回って
いざというときに、この子たちを救済に走れるように、重点地域として活動することに決めた。 



ミンダナオ和平

アキノ大統領、
警官隊と国軍の連携不足認める。
国民に協力訴え事態沈静化図る

マニラ新聞より、上記をクリックすれば、サイトに入れます。

 アキノ大統領は首都圏マニラ市のマラカニアン宮殿で
28日午後6時40分から演説を行い、
警官40人以上が死亡したミンダナオ地方マギンダナオ州での
モロ・イスラム解放戦線(MILF)らとの交戦で、
実行部隊の国家警察特殊部隊(SAF)と
現地に駐屯する国軍との連携が十分に取れていなかったことを初めて認めた。
国会議員らから「和平交渉を中断すべき」との声も上がる事態を招いており、
大統領自らが国民向けに「ミンダナオ和平実現」への協力を強く呼び掛け、
緊急事態の沈静化を図ったものとみられる。

 MILFと軍警察の戦闘で多くの犠牲者を出した交戦は
包括和平合意後初めてとなるもので、
バンサモロ基本法案に対する批判が高まっていた。
演説でアキノ大統領は「和平交渉を今中断すれば
テロリスト勢力を手助けすることになる」と訴え、
国民に支援を呼び掛けた。

 大統領によると、国家警察は昨年5月ごろ、
イスラム系テロ組織、ジェマ・イスラミヤ(JI)の構成員とみられる
2人の隠れ家に関する情報を得、
プリシマ長官=停職処分中=を中心に捜査を進めていた。
大統領は以前から、国家警察と国軍の双方に
連携を密にするよう指示していたが、
SAFと国軍部隊が連携を開始したのは、
SAFが追跡対象の2人に遭遇してからだったという。

 SAFが実行した作戦について大統領は
「自身は命令を出していない」と弁明。
実行命令を出した責任者を名指して批判もしなかった。
ロハス内務自治長官とエスピナ国家警察長官代理は先に、
SAFの作戦を把握してなかったと表明している。

 演説で大統領は「事実がはっきりしない段階で非難はできない」とも述べ、
MILFへの糾弾も慎重に避けた。
大統領はSAFが追跡していた2人は過去に国内外でテロ活動を行い
複数の逮捕状が出ていた凶悪犯であると指摘し、作戦の正当性を主張。
さらに、聖書に書かれた「真理があなたがたを自由にする」という記述を引用し、
「全容解明は調査委員会の結果を待とう」と呼び掛けた。

 大統領は、一部上院議員などから
和平交渉を中断すべきとの非難が出ていることに触れ、
「和平交渉を頓挫させたい勢力が悲劇を悪用している」と批判。
その上で、ミンダナオ和平の実現は
「フィリピン国民全体の積年の願いだ」と強調、
バンサモロ基本法案の審議継続の
必要性をあらためて訴え、国民の理解を求めた。 

 演説は約20分間にわたりフィリピン語で行われた。
アキノ大統領は犠牲となった警官に弔意を示すとともに、
30日を国家を挙げて「追悼の日」とすると表明した。(鈴木貫太郎)


以下は、松居友みずから
難民救済の時に
撮った写真です。

 
  

 少なくとも、今回は、中央政府が直接指示していないので、
大規模な戦争になることは無いだろう。
しかし、これから不穏な状況が、多く出てくるだろう。
2016年の大統領選を含む、国政選挙にむかって・・・
 



実行部隊の国家警察特殊部隊(SAF)と
現地に駐屯する国軍との連携が十分に取れていなかったことを初めて認めた。

つまり、今回の戦闘勃発に関しては、国家警察特殊部隊の暴走と
解釈することもできるが、このことは、政府の中にも、

国会議員らから「和平交渉を中断すべき」との声も上がる事態を招いており、

今回の和平交渉を良しとせず、あわよくば崩壊させて、
大きな戦争に持って行こうとする、動きがあることを証明している。
こうした動きに対して、アキノ大統領は、早期に決断を出さずに、
和平交渉を実現させるために、慎重に対応している事は、評価に値する。


 大統領は、一部上院議員などから
和平交渉を中断すべきとの非難が出ていることに触れ、
「和平交渉を頓挫させたい勢力が悲劇を悪用している」と批判。
その上で、ミンダナオ和平の実現は
「フィリピン国民全体の積年の願いだ」と強調、
バンサモロ基本法案の審議継続の
必要性をあらためて訴え、国民の理解を求めた。 


ただ、状況は楽観視できない。
現地では、むしろ悲観的な意見が多い。
アキノ大統領が、平和をのぞんでも、最終的に2008年に和平交渉が
直前になって決裂し、80万の避難民を出す戦争になったように、
今回は、それ以上に大規模な、ミンダナオ全域をあげての
戦争になり、米軍はもとより、集団的自衛権を行使して、、
日本軍も参加するのでは無いかと、現地ではいわれている。

SAFが実行した作戦について大統領は
「自身は命令を出していない」と弁明。
実行命令を出した責任者を名指して批判もしなかった。
ロハス内務自治長官とエスピナ国家警察長官代理は先に、
SAFの作戦を把握してなかったと表明している。


ここ数年で、ダバオからイスラム地域に向かう国道は
完全にコンクリート化されて、信じられないぐらい道が良くなった。
喜ぶべき事かもしれないが、
現地では、コンクリート舗装は、戦争を控えて
戦車が、通れるようにするためだという。
戦争が起こったら、ぼくたちは、
若者たちと協力して、イスラムもクリスチャンも先住民族も、
団結して、戦争避難民の救済に向かおうと思っている。
現地にたくさんいる、仲間(MCLの奨学生たちや子どもたち)を
放っておくことは出来ないから。

しかし、円安の結果、現時点での経済的困窮もMCLでは、大きく。
戦闘が起こった場合、救済費用を見いだせないのが現状です。
皆さん。戦争難民支援のためには、早急にビニールシート、医療、炊き出し
が必要となります。
自由寄付を送っていただければ幸いです。
貯蓄して、いざという時に救済活動に使います。


直接下記に振り込んでいただけると早く確実です

自由寄付、医療支援、スカラシップ、里親支援、植林支援、緊急支援
郵便振替口座番号:00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館


ミンダナオ子ども図書館で行った、平和の祈り
 
 
 
 



神戸震災の20周年ですね。
今、ミンダナオ子ども図書館で、日本人スタッフをしてくださっている、
宮木梓さんは、震災を子どもの頃に体験したかたです。
季刊誌『ミンダナオの風』に以下の記事を執筆して下さったので
抜粋して掲載しました。
季刊誌は、年四回、絵本も交えて、寄付をくださった方々にお送りしています。

私は14歳のときに西宮で阪神・淡路大震災を経験した。
幸い家族も家も無事だったが、道路は液状化でひび割れ、
泥水が噴き出し、ガスや水道は1 ヶ月止まった。
お店からは食品も日用品も消え、母はパニックになった。

 父は海外出張中だったので、アスファルトの下の割れた水道管から
あふれる水をバケツで運んでお風呂に貯め、
飲み水のために給水車に並ぶのは私と妹の仕事だった。
学校は休校になっていたが、自分たちが家族のために働けることがうれしかった。

 たくさんのボランティアが私たちの町にもやって来た。
そこで初めて自分が、「助けられる立場」になったのだと知った。
それまで、自分がアジアやアフリカのかわいそうな子どもたちを
助けてあげるのだと思っていた。
どこか遠くから来たボランティアの人たちは、
崩れた家や、マンションや高速道路を見て
「すごい」「ひどい」「かわいそう」と言いながら、次々に写真を撮った。

 私にとって崩れた街並みはすぐに日常になっていたし、
自分をかわいそうだと思いもしなかった。
だから、外の人から「かわいそうな被災者」と名前を付けられたことがショックだった。
この人たちは、何日かしたら壊れていないきれいな町に戻って、
「かわいそうな被災者」を助けるボランティアをしたと褒められていいなぁ、と思った。

 もちろん、被災地にはボランティアが必要だったし、
膨大な救援物資の仕分けや、温かい食事の炊き出しをして、
たくさん助けてくれたことも知っている。
それでも、当時の私はボランティアを心から受け入れられなかった。
ただ、救援物資の箱に書かれた励ましのメッセージはすごくうれしかった。
自分たちは、世界から見捨てられていない、と思った。

 ミンダナオ子ども図書館で暮らしている子どもたちは、
3食満足に食べられないほど生活の厳しい家庭から来たという。
けれども、自分たちは貧しく社会の底辺にいるというような劣等感を感じない。
経済的に恵まれた日本で育った私を、自分たちと同じように受け入れてくれる。

新しい生活に慣れない私に、
「ご飯の鐘が鳴ったで。食堂行こう。お腹空いたやんな」と教えてくれる。
一人でいると、「寂しくない?ここに座り」と心配して
ぎゅうっと抱きしめてくれる。

 私も、子どもたちに、たくさんたくさん助けてくれている人がいるよ、
忘れられてないよ、と伝えたい。
そして、しっかりご飯を食べて、安心して学校に行ってほしい。
そのために働くこと
が、大人になった私のできることだと思う。

 

フランスで起こったテロとMCL

お元気ですか。
ミンダナオでは、子どもたちが学校に通い始めました。
いろいろなつらい体験をしてきた子たちですが、MCLの子たちは元気です。
フランスで、アルカイダによるテロが起こりました。
ヨーロッパでは、イスラム教徒に対する反感が高まっていると聞きます。
世界中に反イスラムをあおるかのような、マスコミを中心とする情報がながれました。
ミンダナオでも同じでしょう。

 私が一番心配するのは、MCLのイスラムの子どもたちをはじめとする、
戦禍の中をかいくぐって救済し続けてきた、
我が子のような、イスラム地域の子どもたちや若者たちの心が
(大人も同じでしょうが)、この騒動で、深く傷つくことです。
 イスラムの子たちも、心から愛情をもって見守っている私にとっても、
自由も大切でしょうが、教皇フランシスコが言うように、
言葉上の「自由」を盾にとった、人の気持ちを省みない安易な表現は、
意図的に戦争を作る操作に似ていて、どうしても納得できない部分があります。

 今ちょうど、教皇フランシスコが、フィリピンに来ており、
その後、ミンダナオの和平交渉に関する発表がアキノ大統領からあるようですが、
それを踏まえて近く、イスラムの若者や子どもたちの様子をサイトに上げようと思っています。

 また、一月末に、学生総会があるので、そういった点も含めて、
MCLの若者たちにシンポジウムをしてもらい、
意見を求めてみようと思っています。
ミンダナオの平和について。

 未来を背負うのは、若者たちと子どもたちです。
彼らが幸せに暮らせる社会を作っていかない国には、未来は無いと思います。

日本の子供たち、若者たちは幸せかな????




ミンダナオ子ども図書館の
庭で遊ぶ子どもたち




バライバライ遊び
家を作って遊ぶ子たち


ここから家族の気持ち
友情の気持ちが培われる
 家を建て・・・
子どもたちのために、たき火をして、お料理をするお母さんの役目。
普段の食事も、毎日子どもたちが4時半に起きて、薪で作っているからお手の物 


実の娘の姿も見える
いっしょに育っているから
友情を心底体験しているから
それが生きる力


妖精の家の岩で
語り合う子どもたち
妖精の話をしているに違いない


親が死んだり、殺されたり
バラバラになったり
様々な悲しみを体験した
子たちだけれど
わたしたちは、MCLで
皆兄弟姉妹
イスラム教徒もキリスト教徒も
先住民の皆一つの家族


MCLの子どもたち
わたしたちは、一つの家族!




わたしたちは、一つの家族

基本的に、男の子は、小学校以上になると、大学生と同じ寮に移るように 
福祉局の指導で決められている。本部は、小学校の男女と、日本で言えば中高の女子。
大学生は、下宿に出て、旅立ちの用意をする。
しかし、数名、力仕事をするために、MCLに残っている子もいる。

スタッフたちも、『仕事人』というよりは、家族の一員 

子どもたちは、わたしたちのことを、「パパ とも」 「ママ エープリル」と呼んで、抱きついてくる。 




お正月を浜で過ごした


クリスマスに、ちょっと過労がたたってかダウン。数日入院。
ミンダナオ和平交渉への不安、2016年の選挙の年に大規模な戦争が起こる不安。
日本の集団的自衛権の行使への不安。
それに加えて、突然の円安で、MCLの経済情勢も楽ではないので
今年から、再び季刊誌を年四回発送に決めました。
出版や執筆で、どう日本の若者たちを支援したら良いのか・・・
受け入れ体制はどうしたら良いのか・・・
支援者のいない子の支援者をさがさなくっちゃ
などなど、一昨年あたりからの心労が重なってダウン?
円安による経済情勢が厳しいので、
学生総会も子どもたちと相談して、年四回にしました。
3月末の日曜日がイスラムデー、6月末の日曜日がマノボデー(先住民の日)
9月末の日曜日が、クリスチャンデー(島外移民のクリスチャンの日)
そして、12月の第一日曜日がスカラーズデー(奨学生が、卒業したスカラーと会う日)

また、日本の若者たちと交流するためには、
ダバオ州が良いのだがと言う、大学などからの希望で
海の白浜に、交流のための浜を考えていましたが、見つけました。
それが、今回子どもたちと正月を過ごした浜です。
MCLからも、ダバオからも二時間半ほど。
週末に子どもたちと、泳ぎにこれますし
真っ白な浜で、リゾート化されていないで
本当に自然で素朴な村人たちと、友だちになれる浜です。
場所は、ディゴスの奥のサンタマリア市から
四輪駆動で入っていくところ。
サンタマリア市近郊には、名の知られたリゾートビーチもあるのですが、
そういうリゾートは、地元の人々の生活から、かけ離れて変な感じがして、
まったく好きになれないので、ここの浜を見つけたときは大喜び。
村でも、読み聞かせをし、保育所を建てることにしました。
学校にも貧しくて行けない子も多い村です。

どこあるかは、秘密です。開発が入って欲しくないから・・・


秘密の浜に着いた!

 村に到着 村の子どもたち  MCLの子どもたち  アポ山も見えるよ 


日本から訪問した若者と子どもたち


現地でも、これだけきめが細かくて
真っ白な砂は珍しい

地元の子どもたちといっしょに遊ぶこともできて、その交流が素晴らしい。
いつか日本の若者たちがきたら、漁師さんたちの家に民宿して、いっしょに漁を体験するのも、良いかも。 


2015年の初日の出



椰子の林の中に
漁師さんたちの家々がある


双頭のカヌーで漁をする

浜で遊ぶMCLの子どもたち


海辺の村に保育所建設を約束 


この村では、クリスチャンと先住民、そしてイスラム教徒が平和に共生している。
まるで、MCLのような村 


保育所の先生と左が仮設保育所
もう少し大きく、しっかりした
保育所が必要

ほぼ、100%漁民だが、生活は厳しい。特に、医療と教育は大変。 

読み語りと劇もした
 


絵本も見たことのない
地元の子どもたち
読み語りも初体験。
真剣な目に、感動。
 

スナップショット
皆さんの支援している子はいますか?
正月に残っている子たちは、家に帰れない子たち。
でも海で、友だちと幸せ。



妻のエープリルリンが
高校生の子たちといっしょに
料理を担当。

最後に、日本人スタッフの梓さんも交えて
みんなで、「大きなカブ(カサバイモ)」の劇をした。
この浜は、ダバオ州に属し、政府の指定する危険度も低く
日本の人々、若者たちが、訪れるのも(行政的に)容易。

日本から、大学や法人から、ミンダナオ子ども図書館と交流したいが
北コタバト州は、高度の危険地域にしていされていて
訪問しにくいので、ダバオ州に海のMCLを作れないか・・・
そこがあれば、訪問も交流も可能なのだが。
という、意見や寄付の申し出がでていた。

日本の若者が、現地の若者や子どもたちと交流し
精神的に開かれていくケースも、しばしば目にしていることもあり、
また、組織や団体としての、訪問希望が増えるにつけて
かつてからの夢。
海のMCLを、実現する時期にきたと思った。
 
山の方は、マノボ族やイスラム教徒のマギンダナオ族との交流が深くなったが
海の方は、交流が今までほとんどなかった。
今回、ここで出会ったのが、海のイスラム教徒のバジャウ族、

海の先住民テサロニケ族、そして海沿いのクリスチャンたち。
ここでは、皆が、MCLのように平和に共存している。
しかも、素朴な漁師の文化も、興味深い。

マノボ族のキアタウ村は、山での体験のために
宿泊が可能で、村の子どもたちや先住民との交流が可能だが、
ここがあれば、海の人々の家に泊まり
漁師の人々の暮らしを知り、いっしょに漁もできるだろう。
子どもたちも本当に素朴でかわいい。

日本の若者たちとの(もちろん中高年でもかまわないが)
新たな交友ができる気がする。                         
 




琴平ロータリークラブの方々が
米を寄贈してくださった

MCLの子たちと、お米を干した
 
アラカンの山奥を巡ってダバオへ


奨学生のいる極貧の村へ行くと 奨学生の一人が、
病気だった 病院長で医師のロータリーの方が
その場で診断し、薬をくださった。
父親はいないけど、母と当人は大喜び。
 

ミンダナオの近況
ときどき、イスラム地域で地域的な戦闘は起こるものの
ミンダナオ現況は、比較的おだやかに推移している。

ときどき、イスラム地域で地域的な戦闘は起こるものの
ミンダナオ現況は、比較的おだやかに推移している。
ただ、人々が、きたる2016年の大統領選もまじえた
国政選挙のさいに起こると予想されている、 戦闘に不安を感じているのが、
いろいろな動きから伝わってくる。

ミンダナオというと、戦争がしばしば起こり、イスラム教徒も多いことから
危険地域というイメージが強いが、先入観を持って来らた方々も驚くほど
人々の生活、特に子どもたちのようすは平和だ。
ダバオの人々は、MCLのあるキダパワン、北コタバト州は、
とても来られない恐ろしい場所と聞いているので、 たまたま来られては唖然とする。
「ここは、ダバオよりもよっぽど治安も良いし、安定していてステキなところですね!」

最近は、ガイサノモールと呼ばれるデパートも建ち、
大学は、ノートルダムや州立大学、たくさんの大学と総合病院も4つほどあり、
高原の学園都市であり、フィリピンの最高峰、3000メートル弱の アポ山への登山基地として、
温泉あり、気候も暑くなく寒くなく ミンダナオのフルーツバスケットと言われるほど、
熱帯果樹の産地で住みやすい。 高崎市との姉妹都市でもある。

私が、キダパワンを拠点に選んだ理由の一つは、
戦争になってもここは戦場になることはなく、比較的安全だという理由から。
ただし、キダパワンから西へ1時間半ほど行ったイスラム地域は
40年間のあいだ、たえず戦闘の被災を受けてきている。
特に、選挙の時は、地域の有力者同士のリドーと呼ばれる内戦が必ず起こる。
今回の2016年の選挙では、MILFとMNLF、BIFFの対立から
イスラム勢力同士の戦闘がおこるばかりではなく、
和平交渉の決裂から、イスラムと政府軍との大規模な戦争が起こり、
そこにアメリカ軍と、場合によって集団的自衛権のを行使して
日本軍も、参戦してくるのではないかと噂されている。
最近、人々の、日本人に対する目が、複雑になってきたのを感じる。

大規模な戦争の前には、必ず誘拐事件と爆弾事件が多発する。
反政府組織の仕業と思われると、マスコミは報道するが
現地では、戦争気分を高めるための報道であると言われている。
15年間活動してきて、怖い目に遭った体験はないが
ここ数年は、最大限の注意が必要だと思っている。

しかし、現実には、ダバオは、治安が非常に良くなってきているし
(マニラより、よほど安全だ!と言う声をよく聞く。)
白人を含め、外国人も多くなり、特に増えたのが
韓国の若者に加えて、最近は、インドの若者たちが激増している。
看護学を勉強しにきているのだと聞いている。

キダパワンでも、かつては見かけなかった、白人を時々見るようになった。
石油施設を始め、経済施設の建設は驚くべきで、
さらに驚きは、三つしかなかったデパートが、 さらに五つほども増えたことだ!
新車の車も激増している。

それが良いか悪いかは別にして、 一方では物価が上がり、
貧富の格差が激しくなっている。
貧しいものはさらに貧しく、
一部の豊かな者たちだけが肥えていく、
日本も同様の状況なのでは?
 
 
 
奨学生の 学業ストップの現状と悩み
気になるのは、今年後半になって、
MCLの奨学生に、ストップする子が急増したこと。 

気になるのは、今年後半になって、 MCLの奨学生に、ストップする子が急増したこと。
その原因が、転居して行方がわからないケースの激増。
学校に教材を届けたり、授業料の支払いに行くと 奨学生はすでにいず、
先生も、どこに転居したかがわからない、とおっしゃる。
特に、イスラム地域にそうしたケースが激増した。

考えられるのが、2015,6年の選挙の時期に 起こると言われている、大規模な戦争。
それを恐れて、今のうちに親戚などをたどって、 現地から脱出しているように思える。
来年は、戦闘地域を逃れて、安全なMCLに 転校したいというイスラム教徒が増えるだろう。

円安で、経済的に大変で悲鳴を上げているのだけど、ヤレヤレ、がんばらなくっちゃ。
スカラシップをストップする場合は、支援者に宛てて
「お詫びの手紙」を書くことが、義務づけられているのだが、
家族ごと行方がわからないケースが多く、スタッフも困惑し 日本人スタッフの梓さんも、
支援者にどう説明しお詫びしたら良いのか 途方にくれるしまつで、見ていてかわいそうになる。

支援者の皆さん、本当に残念です。
わたしたちもサポートしきれず、すみませんでした。
若者たち、特に大学生がストップする
もう一つの理由が妊娠と結婚だ。
この点に関しても、こちらの若者たちの 心を察してもらうために
少し状況を説明したほうが良いだろう。

若者たち、特に大学生がストップするもう一つの理由が妊娠と結婚だ。
この点に関しても、こちらの若者たちの心を察してもらうために
少し状況を説明したほうが良いだろう。

以下は、まずは、日本人スタッフ梓さんの支援者への 心のこもった手紙の抜粋
「大学生を奨学生に選ぶときは、
高校生から大学に入るときも、
本人のスクリーニングをしています。
特に4年制のコースの場合は、成績も良く、
大学での勉強に関心があるのか、
将来の夢なども含めて直接面接をして決めています。

面接の時は、真剣に勉強するつもりでも、
大学3年生くらいになると、
妊娠する学生が増えてくるのは、
現地スタッフも困っているようでした。
2か月に1度の学生総会の際にも、
繰り返し気を付けるように話しているのですが、
こちらの子どもたちは、情熱的な子どもたちも多く、
恋愛に飛び込んだまま、
結婚していく子どもたちが少なからずいます。

そうなると、奨学金を停止しなければならないし、
保護者もがっかりするし、
本人の経済状況では大学を続けることは不可能ですが、
やはりそれでも愛の力になかなか打ち勝てず、
大学を止めてしまうそうです。

それから、避妊について日本ほど知識がなく、
カトリックの国なので中絶が禁止されていたり、
宗教的理由でなくても授かったら産む、という意識があります。
若いカップルの場合でも、 両親や兄弟たちに助けてもらって
育てることができるので、
日本のように若すぎて世話ができないから、
という理由で中絶することは考えられません。
また、あまり成績の良くない子や
勉強に関心が無い子どもたちの場合は、
途中で止めることのないように短期コースや
スキルトレーニングを勧めているとのことでした。」

とにかく、最大の理由の一つが、
こちらの若者たちの強い心の感情、
そして愛情の強さと真剣さ!
とにか恋愛は最高の夢で、結婚は最高の理想!
そのことは、こちらでの自殺の原因が
日本のように孤独死や閉じこもりではなく
恋愛の崩壊と、
結婚を反対されて心中すること!
からもわかる?
 
 
 
まずは、こちらの子たちの結婚観、、
妊娠観の日本との違いから・・・

まずは、こちらの子たちの結婚観、、
妊娠観の日本との違いから・・・

こちらでは、先住民族の子たちの場合、14,5歳から結婚することが多く
16,7歳になると、結婚適齢期を逃してしまいつつあるという意識が生まれる。
20歳以上になり始めると、日本での30代を超えたような意識で、
仕事で兄弟姉妹を支えるという、 なにがしかの強い意志がないと、不安になるようだ。

そうした意味で、大学3年生は、順調に進学して 現在は18歳、
新しい制度では22歳
学業を幼い頃受けられずにいた子たちの場合は、さらに年が上になり
これはもう、山の子たちにとっては、
結婚適齢期を、完全に逃がしているという、焦りを感じる年頃。

それを考えると、大学で彼氏を見つけて、
そのまま妊娠、結婚した方が幸せになれると思う気持ちもわかる。
興味深いのが、結婚のための第一ステップが妊娠。
カトリック教会の主催する 結婚前の準備教室に出たことがあるが、
40組ほど来ているカップルの、なんと8割が妊娠していた。

ある人曰く、 「妊娠してから結婚した方が良いよ。 子どもを産める体かどうか、わかるからね。」
妊娠して子どもを産んで、家族を作ることが、
ある意味では、仕事や勉強以上の夢であり、理想なのだ。
特に極貧で親もなく育った、MCLの子たちにとっては 小学校を卒業するのも不可能なのに、
大学まで行けただけでもすごいこと。
それならば、せめて大学をがんばって 卒業したら良いのにと思うのだが、
ミンダナオで大学に行けるのは、30%ほどの富裕層の子息たち。

そんな子息たちと恋に落ち、結婚を申し込まれたら、
それこそ夢のまた夢が、実現したようなもので
卒業も忘れて、舞い上がってしまうのもわかる気がする。
私は、とにかくMCLの子たちは、 極貧の、さらにマイナスから来た子たちだから、
人並みに幸せな人生を初めてもらえれば、 それでうれしい、と考えている。
それだから、中退してスカラシップをストップしても、 孤児故に、
私が親代わりで結婚式に参加するし
「子どもが生まれたら見せにおいで!
大変な状況になってしまったら、かけこんでおいで!」 と言って、
祝福して送り出すようにしている。

妊娠は、「避妊に失敗した結果」ではなく 子どもを産むことは、
彼らのあこがれ、なのだと思うときがある。
たとえ結婚できずに、母子になっても、
結構、幸せに子どもと過ごしているし
親戚や親などが、必ず子育てを手伝ってくれたりする。

MCLにも、マニラで妊娠した子が、 今はスタッフとして、活躍し、
みんなで赤ちゃんを育てている。
昔、孤児施設にいた子で、小さいときに私が会った子だけど・・・
みんな何の偏見もなく、楽しく過ごしている。

私生児に対する偏見も、母子家庭に対する偏見も
離婚に対する偏見も、再婚に対する偏見も、
年齢の格差に対する偏見も、
ほとんどないのが不思議な事の一つ。

彼らの妊娠観は、
妊娠=結婚を手に入れた!=子どもを産んで家族が持てる幸せの一歩!
ただ大変なのが、わたしたちで、
それをどう、支援者に説明し伝えたら良いのか・・・・ヤレヤレ
 
 
秘密の白い浜を見つけた
ここで26日から3泊で
子供たちと海水浴をする予定
    
ここに行くには、小さな素朴な漁村をいくつもこえていく。 


真っ白な粉のような砂浜


素朴な浜の子供たち
今回は、スタッフのクリスマス会をした。 26日から、MCLに残っている子供たちと3泊ここでする。
MCLの海の家を作って、 日本の若者たちとの交流の場にする計画もある。 
季刊誌『ミンダナオの風』 新年48号から抜粋
寄付や支援をしてくださっている方々には、 年4回季刊誌をお送りしています。  
 
夕暮れの、電気も無い、
マノボ族の集落 でも子どもたちは、
学校鞄をおくと みんな家から飛び出してきて
ゆうぐれまで、なかよく遊ぶ。

伝統的なハンカチおとしや、おにごっこ 後ろの正面、だーーーれ!
バスケットだって、ただのボール遊びさ。
学校の体育館やコートでする、サッカーや野球は
大人が作ったルールのなかで 勝ち負けを競い合うゲームにすぎない。

遊びは、楽しみながら友情をつちかうもの。
学校でも幼稚園や保育園でも無く、
野原や森や路地裏といった、 家や学校の壁や垣根の外側の
ちまたと呼ばれる場所でするものさ。
そここそが、ぼくたちの自由な空間!

こうした場所でこそ、ぼくらの心は解放されて
競争原理からも自由になって 家庭や教育からも解き放たれて
真の友情と社会性を培う心が養われる。
友情と愛こそが生きる力!

子ども時代に、ちまたでの友愛体験を持てずに、
勝つことばかり考えて、育った大人は恐ろしい?
日本では、ちまたで遊ぶ子どもたちの姿を 見なくなって久しい。
ミンダナオの子どもたちと、 日本の子どもを比較すると、
ちまたでの遊びの欠如、真の友愛体験の欠如が
生きる力を喪失させて、自殺と引きこもりを
生んでいるように思えてならない。

お金と物は豊かでも、日本の子供たちがかわいそう!
日本の子どもや若者たち、
中高年の方々とのかけはしを作る試み  
MCLが現地法人の資格をとって10年間というもの、
ミンダナオの子どもたちの事のみを 視野に入れて活動してきました。
しかし、最近になって、日本の若者たち、
中高年の方々が、MCLを訪れ、感動され、
生きる勇気をえて帰られる姿をみると同時に、
自殺や引きこもりの多い日本の 子どもたちの心の現状をしるにつけ、
さすがに日本の子たちを放っておけない気持ちが強まりました。
日本の方々の想いに答えるためにも、
貧しくとも生きる力にみちあふれ、
明るい笑顔のミンダナオの子どもたちの姿をつたえ、
語り皆様方とともに考えることによって、
微力ながらも何か出来ないかと考えるようになりました。  

日本の人々を受けいれる以外に、 何ができるだろうかと考えたときに、
思いいたった一つの可能性は、
絵本をはじめとして、 児童文学や文化論の執筆をふたたび始めること。
そして、かつてのように絵本や昔話の話に、
さらにミンダナオの子どもたちから学んだ、
遊びやちまたの大切さ、
妖精や見えないものとの交流の重要性を加えて、
新たな気持ちで講演を再開することでした。

本当は日本にいるとさびしくて、常時MCLに滞在したいのですが、
 数年間は、日本滞在を
4月5月、7月8月、10月11月、1月2月と増やして活動します。
この期間は、常時講演会にもうかがいますので、 日本窓口か私宛に、ご連絡ください。  
講演会、家庭集会など希望の方は、常時メールか 電話、ファックスでお知らせください。  
松居友メール:mcltomo@yahoo.co.jp 
電話:080-4423-2998 ( 日本および現地転送、松居友)  
FAX:0743-74-6465 電話:090-5091-7514(日本窓口*前田容子)
絵本『サンパギータのくびかざり』 出版予告 
 先日、日本での講演会の後で、子育ての終わった一人のお母様がやってきて、 こうおっしゃいました。
 「私の息子は、25歳になりました。 今はしっかりと自立して楽しみながら、自分の仕事をしています。
 それにしても、20年いじょう前ですが、松居友さんの絵本論、
とりわけ昔話とこころの自立の話をきいていてよかった。
とりわけ、父性や母性の影の部分としての天狗、 鬼婆や魔女の話を聞いていたせいで、
私も、子どもの成長とともに 自立できたと思います。  
それにしても、子どもが子ども時代にくりかえし読んで欲しいと もってきた絵本と、
大きくなってから「このお話が心に深く残っているよ」 といっている絵本とが、ちがうのには驚かせられます。
本当に、友さんが、『わたしの絵本体験』に書かれているとおりなんですね。」  

本当に心に残る絵本が、売れないという理由で消えていくのは、
さびしいかぎりですが、かつて30代のときに出版した、
『わたしの絵本体験』『昔話とこころの自立』『昔話の死と誕生』が、
教文館から再版されましたので、読んでいただければ、
真に心に残る絵本とは何かを、ご理解いただけるかとおもいます。  

上をクリックして購入サイトへ入れます  
ただ上記の拙著は、30年前の絵本編集者時代の執筆なので、
絵本と昔話を中心にした、お話体験をテーマに執筆しています。
が、本来子どもにもっとも重要なのは、
家庭や園や学校から外にでた「ちまた」での、遊ぶ体験であること、
そこでこそ心の自立と成長と、生きる力がえられることを新たに加え、
ミンダナオの子どもたちの様子をまじえて、講演で語り始めています。  


生きる力で大切なのは、愛が死を超えていることを伝えること。
そして、神秘的な力と、貧しくともコミュニティーのなかに宿っ ている、
友愛の真実を子供たちに語ること。(4月、今人舎から出版)

4月に絵本「サンパギータのくびかざり」タガログ英語版を、
寄付をっくださった皆さんがたには、お届けします。
日本語版は今人舎から出版されます。 ご期待ください。
今人舎のサイトhttp://www.imajinsha.co.jp/
この絵本を描いた画家は、フィリピンのミンダナオでも有数の画家であり、
日本政府の奨学金で、日本にも留学した経験があります。  
この絵本の文を書いた松居友は、ミンダナオ子ども図書館の創設ディレクターであり、
かつて福武書店(現ベネッセ)で手島圭三郎氏の『おおはくちょうのそら』や
吉田遠志の『動物絵本シリーズ』を編集してきた絵本の編集者でした。

その後、日本文芸家協会に属し
『わたしの絵本体験』『昔話とこころの自立』『昔話の死と誕生』(現在は、教文館)
『サンパギータの白い花』『ナディヤと灰色オオカミ』(女子パウロ会)や
『おひさまのくにへ』
(リブリオ)『ふたりだけのキャンプ』(童心社)など、
アイヌ文化論『火の神の懐にて』や沖縄文化論『沖縄の宇宙像』などを執筆しています。
 ミンダナオ子ども図書館制作の絵本に関して 
 貧しい人々は、幸いである  

さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。  
今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。  
今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。  
人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、
汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
その日には、喜び踊りなさい。 天には大きな報いがある。
この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。  

しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、
あなたがたはもう慰めを受けている。  
今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。  
今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。  
すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。
この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」(聖書:ルカによる福音)
 

今回お送りする絵本は、
フィリピンミンダナオの現地NGO、ミンダナオ子ども図書館が、
絵本を見たことも無い山岳地帯の先住民のこどもたちや、
40年間以上戦争にむしばまれ続けてきたイスラム地域の子どもたちに、
読み聞かせの際に、各家庭に一冊づつ無償で配るために制作している絵本の一冊です。  

ミンダナオ子ども図書館は、図書館という名を持ちながらも、
600名以上の親の無い子、片親の子、
三食たべられず学校に行けない極貧の子たちを、
小学校から大学まで行けるようにスカラシップ支援をしています。

イスラム教徒、先住民族、キリスト教徒を可能な限り公平に支援しています。
それらの子たちの中から、どうしても理由があって、地域においておけない子や、
特に両親ともいない子たちは、
本人の希望と 保護者の了解があれば、本部にすむことができます。

本部には、ほぼ100名。下宿小屋を含めると、200名以上の子供たちを養っています。  
こうした子どもや若者たちが中心となり、僻村に出向いて読み聞かせや昔語り、
踊りや歌の文化活動を、移動図書館形式でおこなってると同時に、
医療、植林、保育所建設、時には戦争時の避難民救済を行ってきています。  

ミンダナオ子ども図書館では、今回初めて、絵本の編集と制作をはじめました。
理由は、ミンダナオの、絵本を見たことも無い子供たちに、無償で配布するためですが、
また一方では、生きる力を失って、自殺やひきこもり登校拒否などになやむ
日本の子供たちや若者たちに、
生きる力に満ちあふれたミンダナオ子供たちの姿を絵本を通して、
「ほんとうの生きる力とは何か」を伝えることを目的にしています。  

この作品でもそうですが、生きる力というのは、
ひたすら一人でがんばることでは無く、
見える世界と見えない世界の境がないことが感じられ、
すべての根底にやどる愛が、死を超えている体験から得られると同時に、
近所の人々、ちまたの人々が、友情と愛を持って受けいれ支えてくれる隣人愛の力です。

ミンダナオの山村や海沿いの、特に貧しい人々の世界には、
こうした愛、友情、そして隣人愛が生きていて、それが希望と信仰をささえています。  
こうした世界を、日本の子供たちをはじめとする 若者や中高年の人々にもう一度ふり返ってもらい、
日本を再生していくための原動力になってもらえればと願っています。


季刊誌『ミンダナオの風』48号の
記事の一部をご紹介
 

 
以下は、現地ボランティアスタッフの
宮木 梓さんの記事から抜粋
 10月に、山の村に読み語り行くのに連れて行ってもらった。
お話を語る高校生の奨学生たちにとって、ものすごく楽しいことらしく、
絵本を選んだり、晩御飯のあと、歌や劇の練習をしたりと大騒ぎだった。  

最初は恥ずかしがって、家に隠れていた山の村の子どもたちだけれど、
奨学生がお話を語りだすと、みんな身を乗り出して聴いていた。  

語るのがとても上手な女の子がいて、普段一緒に過ごしているのに
気が付かなかった一面を見せてもらえた。

私たちは図書館に住んでいるけれど、様々なお話を運んでいく奨学生や、
その前でワクワクしている小さな子どもたちを見ていて、
私たち自身がまるで図書館のようだと思った。  

高校生の女の子たちが、先月号の季刊誌を出す封筒に 切手を貼るのを手伝ってくれていたとき、
「私の、ミンダナオ子ども図書館での一番楽しかった思い出の一つは、
読み語りに行ったこと」と話しているのを聞いた。
親を亡くしていたり、見捨てられていたり、満足に食べらなかったり、
事情があってここに来た子どもたちだけれど、
ここは孤児院ではなくて、図書館だ。  

両親や家族と過ごせるのが一番だけど、図書館で
みんなと一緒に暮らすのも楽しかった、と感じてもらえればうれしい。   
私は、図書館に住んでいるって、何て素敵なことかしら、と思っている。

  以下は、現地ボランティアスタッフの
秀島 彩女さんの記事から抜粋
 もうひとつここにきていいなと気づいたこと、それは「停電」。
ここMCLがあるKidapawan はよく停電する。
お昼、夜、短い間停電することもあれば3~4時間停電することも。

夜停電した時はとりあえず真っ暗。 
初めは嫌だなと思っていた停電、 母に「また停電で大変だったよっ」と伝えると、
「停電で困るのってパソコン使えなくなるあやめちゃんだけじゃない??」 と言われて、
確かに・・・図星だった。  

その日から私は停電した時は、いつもしないこと、
停電したからこそしかできないことをやろう、
子どもたちはどんなことをしているのか見てみることにした。  

わかったこと、停電した瞬間はみんなキャーキャー言っているけど、
少し時間がたつと暗さにも慣れてきて、
いつも感じることができない感覚を感じることができるのだ。  

あたりは虫、動物の鳴き声、自然の音、ホタルのひかりと星の光だけ。
地面に寝転がって、満点の星空をみんなでただただ眺める。
時々大きな流れ星が目の前を通り過ぎていく。  

こんなにただ星を眺めるのが素敵なことだったとは!
これほどすがすがしい気持ちになれる瞬間は 日本ではなかなかないな、と思った。  

そしてもうひとつ停電のいいところそれは、 キャンドルをともして、
いつも話せない子とゆっくり話ができること。
家族の話や将来の夢、不安なこと、
これまで聞けなかったこと知らなかったことも、
二人で同じ時間を共有することで知ることができるのだ。  

これからも自分のことを知ってもらうのと同時に、
もっともっと子どもたちひとりひとりのことを知っていきたい。
日本にいると感じることのない気持ちや世界観を感じる日々、
一日一日を大切に過ごしていこうと思う。

日本の子どもミンダナオの子ども         
松居友
 

比較することは、あまり好きでは無いのだけれども、
日本の子どもたちとミンダナオの子どもたちを比べてみると、
生きる力は圧倒的にミンダナオの子どもたちが優っている。
 

生きる力って、何だろう。
厳しい競争に勝ち抜くこと?  
他人をけおとしてでも、自己実現を成就すること?
 
リーダーになって人の上に立ち、指導力を発揮すること?   

ミンダナオの子どもたちは貧しくて、三食たべることすら大変で、
場合によっては小学校を卒業することも困難だから、
社会的に高い地位について、指導力を発揮しようと夢見ているようにも思えないし、
他人をけおとしてでも競争に勝ち抜いて、自己実現しようとしているようにも思えない。  

早朝に、父さんと母さんが、山に仕事にでかけるときには、
長男は親につきそって、力仕事にいっしょにいくし、
長女は末の赤ちゃんを背に抱いて、終日子守。
次女は、料理と家の掃除。 三女や次男やその下の子たちは、
水くみや森での薪探し。
それがおわると子どもたちは協力して、タライのなかにたくさんの洗濯物をいれて、
はるかしたの川や沢にまでおりていって、洗濯したりしてすごす。  

そんなわけで、学校に行けるのは、兄弟姉妹のなかでも、
5番目ぐらいの妹が多く(男の子たちは力仕事)、
家族みんなで働いて、一人でも小学校を卒業させようとこころみる。  

そんなこともあって、MCLのスカラシップに応募しようとする子たちの、
応募理由の99パーセントは、
「自分が学校にいって、少しでも良い仕事について、 両親を助けたい。
妹や弟を、学校にいかせてあげたい・・・。」  

そんな貧困状況なら、人生に夢も希望もなく、 さぞかし気持ちが暗いだろうとおもうと、
それが全く逆で、 訪問した日本の若者たちもびっくりするほど、表情はゆたかで明るいのだ。  

川に洗濯にいくときは、村の他の子たちもみないっしょ。
おしゃべりしながら楽しくやるし、 干しおわったら川に飛びこんで遊びながら自分を洗濯!  

料理も、蛙をとったり煮こんだり、ごちそうの鶏をつぶすことから、
芋掘りもおしゃべりしながら楽しくやる。  
MCLでも、料理をするのは子どもたち。
朝4時半には起きだして、みんなで楽しく食事をつくり、
その後は、掃除や洗濯、
庭いじりから野菜そだてまで、みんなで楽しくやっている。  

そのような子どもたちの姿を目のあたりにして、
日本から訪れた人々は驚く。
「孤児だったり、問題家庭の子たちだったり、戦争やアビューズなど、
背景をきくと想像を絶する状況からきた子たちなのに、なんでこんなに明るいの?」  

ミンダナオの子たちの特徴は、困難におちいっても、家庭が崩壊しても、
親が戦争で殺されたり、貧困で家族が崩壊して
たとえストリートチルドレンになったとしても、
自殺したり引きこもったりすることなく、笑顔をわすれずに生きていくこと。



逆に日本では、子どもや若者の自殺や引きこもりがまんえんしている。 
子どもだけではなく、大人や老人の自殺や孤独死もおおい。
講演会で日本にゆくたびに、人々の顔が暗くけわしくなるばかりか、
東京ではたえず電車が停車して、人身事故が報告される。
理由はなんと、飛び込み自殺!
 

地方は地方で商店街は閉鎖して、街に人通りがまったくない。
公園ですら子どもが遊んでいるようすもなく、本当にさびしい世界になってしまった。  

急速に子どもの数がへったということは、 少子化政策が成功したという事だろうけど、
結婚した大人の視点からみるならば、
子どもを産んだとしても、 保育所にあずけて育ててもらうのがせいぜいで、
我が子が幸せに成長できる環境が、ちまたにないことが実感されて、
生まない方がましだと考えているせいだろう。
結婚を望まない若者たちも激増している。

さらに追い打ちをかけているのが、教育費と医療費の高騰だ。  

子どもが幸せに成長できない社会、 楽しくそだっていく事ができない国に未来はない。
なぜなら、子どもこそ未来だから!  

ミンダナオは、たしかに貧困率が高いし、戦争などの問題もあるのだが、
子どもにかんしていうならば、町でも山でも農村でも、子どもを見ない場所はないし、
しかも明るく生き生きとしている。 この違いはいったいどこからくるのだろう。  

ミンダナオに足をふみいれてから15年、MCLを設立してから11年。
戦争や作られた貧困のなかで、あえぐ家族や子どもたちを見ていたたまれずに、
読み語りと同時に、教育、医療の活動をおこなってきたが、
それにつけても近年気になりはじめたのが、
日本の子どもや若者たちの心の病や、 子育てに悩み苦しむ母親たちの切実な告白。
精神疾患の問題は、子どもや若者たちだけではなく、
出社できない中高年から、
一人暮らしの老人たち、ひいては貧困の中に取り残された母子家庭にまでおよんでいる。

 

かつてやっていた絵本や童話や評論の執筆も、
ミンダナオの子どもたちとの出会いと感動に圧倒されて、
この一〇年ほど、ほとんどせずに過ごしてきたが、
その間の日本人の心の変わりようには唖然とせざるをえない。 

今考えているのは、
「どうしたら日本の子どもたちに、ミンダナオから救いの風をおくれるか!」という事。

ミンダナオで再婚し、小学校の4年と5年の実の娘を育てているが、
MCLで、親のいない子や崩壊家庭の孤児たち90名あまりと いっしょに暮らしてきているせいか、
娘たちは放っておいても実にのびのびとそだっている。  

MCLにいると、「子育て」という言葉がへんに感じる。
「子育つ」というのが本当で、
ちまたで遊び友情をはぐくむ体験があれば、
子どもたちは自然にそだっていくものなのだ。

 「子育ての責任は、家庭にある。特に母親の役割は大きい」 などという言葉に、
違和感を感じるのはぼくだけだろうか。
子育ての責任が親や家庭にあるばあい、
親がいなくなったり家庭が崩壊した子どもたちは、
どのように育ったら良いのだろうか。  

また、子育ての責任は、保育者や学校の先生にもある、
という考え方も ここでは奇妙に感じられる。
もしそうだとしたら、保育園にも学校にもいけず、
教育もうけられない僻村の子たちは、育てられなかった子たちなのか!

 

先日、アジアの孤児施設をめぐっている日本の人たちが、MCLを訪れた。
曰く「ここの子どもたちは、本当に他の施設の子どもたちとちがいますねえ。
施設にいながら、こんな明るい子どもたちをみるのは初めてです。
なぜこんなに明るいのかなあ?」  
ぼく答えた。「ここは孤児施設ではないからですよ。」
 

ぼくは孤児院をつくろうとも、施設を運営しようともおもったことは無いし、
他の施設をほとんど知らない。
ただ、困難な状況にある一人一人の子どもたちをみるにつけて、
放っておけない、何とかしたい・・・。
そんな思いで活動してきたら、自然とこんな形になってしまった。

もちろんここには、母親役のスタッフたちもいるが、
彼らとてもとは奨学生で、 必要なときには助言や指示をあたえるものの、
不必要な干渉はしない。  

子どもたちのとって大切なのは、愛をもって見まもり、
ときどき抱いてあげたり愛情のある言葉をかけてあげること。
そしてなによりも大切なのは、 自由にのびのびと遊べる環境をととのえてあげ、
将来の夢をもてるように導いてあげることだとつくづく思う。  

まるで機関車が煙を噴いて走りぬけるように、
高度成長期をひたすら走りつづけてきた人々は、
成長期がとまり、老齢化して、自分の事は自分で出来なくなり始めると、
落ちこむどころか精神的にパニックをおこしはじめる。  

「日本で自殺が多いのは、個人主義が行き過ぎたからでは無いだろうか」と、
マニラの修道士が話してくれた。  
「個人が尊重され過ぎる競争優先の社会では、
協調の心がうしなわれて、孤独な人が増えていく」  
自分の力で走れなくなった老人は、
施設のベッドにしばりつけられたまま
死をまつ以外に方法はないのだという。
それもお金があればの話で、一人暮らしの孤独死も多いのだそうだ。
 

ミンダナオでは、MCLでも同様だが、
上のお姉ちゃんが下の子に、
「ねえ、そこのお店でお塩をかってきてちょうだい」といえば、
たとえ夢中で遊んでいる最中でも、
下の子はさっとたちあがり、
明るい笑顔で、「はい」といって買いにでかける。
 

お姉ちゃんがいったことに、下の子たちは笑顔でこたえ、
ちっともいやな顔をしないのは驚きだ。
そのかわり、お姉ちゃんは、きちんと下の子の世話をしてめんどうをみる。  

もちろん、お年寄りを一人孤独にほうっておくなど、考えられない。
妻のエープリルリンのおじいさんもおばあさんも、
当時まだ小学生だった彼女の膝のうえで亡くなった。

「自分の力できりぬけろ」という言葉への、現地の子どもたちの返答は、
「でも自分の力なんてたかがしれている、みんなでやるほうが、楽しいよ。」

「自分のことは自分でやれ」への返答は
「一人で出来ないことなんて山ほどあるよ。みんなで力をあわせるほうが大事だよ。」

「日本では、自殺する人が多いんだよ」というと、
子どもたちはびっくりして
「なんで自殺するの?あんな豊かな国なのに!」
「孤独で死ぬんだよ」というとさらに驚く。
「孤独で死ぬってどういうこと?」  

MCLの子たちは、親がいなくなって一人取り残されても死のうとしない。
どこかで誰かが助けてくれるから!
一人ストリートチルドレンになっても、
必ず別のストリートチルドレンがやってきて言葉をかける。
「俺たちの仲間になれよ。」

日本では、孤独な母子家庭がふえている、という話をすると、
「近くの人たちといっしょに住んで、いっしょに食べたら良いのに、なぜしないの?」
子どもの貧困が増えている話をすると、
「自分の家によんで、自分の子にしたら良いのに。MCLみたいに!」
こういった言葉が自然にポンポン飛びだしてくる。  



経済的な貧困で大変なのが、医療と教育。
でも日本もMCLのように、医療と教育を無償にして生活を保障すれば、
子どもをたくさん産んでも、何の問題もないはずだ。
それどころか、生活の喜びが倍増し、地方も活性化するだろう。
 

ミンダナオのように、子どもが学校を引けたら、親の職場に直行し、
職員もお客も大喜びで子どもに声をかけてむかえたら、
親も子育てが楽しくなる。  

MCLみたいに(地方都市の役所や銀行でもそうだが)、
職場に子どもたちがはいってきたら、
「・・・ちゃん。おかえりなさーい」といって、
母親の仕事机の横に、ござをひいて昼寝をさせたり、
工場の修理工の後ろでも、木の長椅子をおいて、
そこで妊娠中の奥さんが、ごろ寝をしている風景があれば、
仕事場と家庭の壁もくずれて、社会は生き生きとしてくるだろう。  

個人と社会、家庭と会社、保育園や幼稚園、学校と家にしか、
意識が向かない思考は閉じこもりの壁型思考だ。
その中間に存在する曖昧な場所、
「ちまた」こそが壁をときはなち、 人々の心を解放し孤独から救う場所。
ちまたで、子どもたちがおおぜい生き生きと
遊んでいる姿をみることがない国は、本当にさびしい。  

個人と個人の間に存在しつつ、人をささえるのが愛だとすれば、
ちまたこそ愛と友情の空間。  
妖精のように存在していても見えない、友情と愛の力こそが、
人々を幸せにし、生きる力をあたえてくれる。


講演会に関して

講演会に関して、私の話す内容が、MCLの単なる報告のような感じがして、
かつて講演をしていたように 絵本や昔話、子どもの頃の遊び体験を交えて、
今の子どもたちが必要としている、
子どもの心の自立や成長に関して話して欲しいという要請が強くなってきました。

今年の年末(おそらく来年の1月に届く)季刊誌は、
「サンパギータのくびかざり」の英語タガログ版を
支援者の方々にお送りする予定ですし、
日本語版は、今人社から出版される予定です。

これをきっかけに、講演会の内容も、単なる活動報告ではなく、
ミンダナオと日本の子どもを見ながら、
生きる力や自立する力、
遊びや絵本をはじめとするお話体験の持つ意味。
死の持つ意味と愛の力について話していきたいと思っています。


最新の季刊誌『ミンダナオの風』47号
pdf版 をご覧になれます。

ミンダナオの風47号にGo!

集団的自衛権で国民安保懇 
閣議決定撤回を要求

東京新聞

 集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈見直しの閣議決定に反対する学者や弁護士、
元官僚らでつくる「国民安保法制懇」は二十九日、閣議決定の撤回を求める声明を発表し、政府に提出した。

 声明は安倍政権が閣議決定した武力行使の新三要件で「他国に対する攻撃により、
国民の生命や権利が覆される明白な危険がある場合」に、行使が容認 されるとしたことについて
「この要件は『日本に対する急迫不正の侵害』という従来の要件とは異なり、客観的な歯止めではない」と批判した。

 解釈変更の閣議決定は「特定の政権の判断で憲法解釈を自由に変更する前例となり、
政府の憲法解釈を不安定化させる」とし、憲法によって権力を縛る立憲主義を覆す行為だとして、撤回を求めた。

 自衛隊が集団的自衛権を行使して米軍の対テロ戦争に協力した場合、日本がテロ組織に報復される懸念にも言及した。

 声明の提出に合わせ、法制懇の委員九人は衆院議員会館で記者会見した。
元外務省国際情報局長の孫崎享(まごさきうける)氏は「集団的自衛権の本質 は、
米国の戦略のために自衛隊を使うことだ。
あたかも日本の防衛のために集団的自衛権を使うように説明するので、訳が分からなくなる」と指摘した。

 小林節慶応大名誉教授は、新三要件について「他国が攻撃された結果として、
日本人の人権が全否定されるような事態があり得るのか。考え付かない」と述べた。


対イスラム国、米の武力行使加速に懸念 
バチカンが声明
産経新聞ニュース
ローマ法王庁(バチカン)は4日、 中東各国に駐在するバチカン大使らによる会合の声明を発表、
イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」の活動は 国際法に基づく手段で止めさせるべきだとする一方、
米国などによる武力行使の加速には懸念を示した。

会合にはイラクやシリア、エジプト、トルコ、国連などに駐在するバチカン大使らが参加。
大使らはイスラム国の行動を「国際社会は看過できない」と強調する 一方、
「武力行使だけでは問題は解決できず、対話促進のために
イスラム教とキリスト教の指導者らが 重要な役割を果たすべきだ」と指摘した。(共同)

 

 MCL発足時からかかわってくださっている、
大阪司教区の松浦悟郎司教さま
(実は学生時代の友人の悟郎ちゃん) から
メールをいただきました。
(ご本人の許可を得て掲載)

 松居君 今の世界は本当にどこか悪いスパイラルに入ってしまったようです。
イスラム国の非 道さはあるにしても、
その原因を作っていったのは米国を中心とする同盟国なのです から、
その反省の上に立って解決を図らないとますます泥沼に陥っていくでしょう。
日本はわざわざこのスパイラルを悪化させるような首の突っ込み方をしそうで心配で す。
平和憲法を持っている日本こそ、本当は両者の和解の働きが本来できるはずです が・・・。
何とか頑張らないとと思っています。
これまで貧しい子供たちのために活動してきたミンダナオ図書館が
そのような大国の エゴの結果に巻き込まれないようにと願っているし、また祈っています。 松浦悟郎


ミンダナオは厳戒態勢 まにら新聞 
原文を読まれる方は、クリックしてください 原文記事へ移行
 
 ミンダナオ地方の治安当局は、米国が国際テロ組織アルカイダに代わる
「最大脅威」となった過激派「イスラム国」(シリア領内)と イラク国境への空爆拡大を発表した事態を受け、
厳戒態勢を敷いている。
イスラム過激派アブサヤフや、反政府武装勢力モロ・イスラム解放戦線(MILF)から離脱した
バンサモロ・イスラム自由戦士(BIFF)がこれに反発して比国内でテロ攻撃を仕掛ける恐れがあるため。
既に10日夜から11日にかけ、同地方コタバト州ミドサヤプ町で国軍とBIFFが交戦し、双方で計12人が死亡している。

 政府とMILFの和平合意に基づいて起草されたバンサモロ基本法の国会提出直後だったため、
関連が指摘された。BIFF側は襲撃は認めたが、法案提出との関連は否定した。(12日・スター)


季刊誌に関して、 さっそく以下のようなご返事をいただきました。

季刊誌の件 全て了解しました。 わざわざご説明いただき ありがとうございましたm(_ _)m
縁あって自由寄付をさせていただいた後に 季刊誌が届き、
興味を持って拝読する中で 写真の子どもたちの、
生き生きとした表情と美しい笑顔が あまりにも素敵で驚いてしまいました。

それと同時に 日本の子どもたちが失っているものを突きつけられた気がして、
私たち大人の責任を感じました。
この子たちのような笑顔を目標に、自分も自分の仕事(教職)を頑張ろうと思いました。
あの笑顔、あの表情に出会えて 私の人生観が変わり、その感謝の気持ちを、
スカラシップの支援という形でさせていただいています。

今思えば、表情の臨場感がしっかり伝わる上質の紙での印刷の季刊誌だったからこそ
ここまで心に残ったのだと、改めて気づきました。
スタッフの方々は 全てにおいて、色々と考え尽くされて
一つ一つのことに取り組んでいらっしゃると思います。

季刊誌の件は、全く異議なしです。

また現地の方のお心遣いも、嬉しく、益々応援したくなりました。
これからも よろしくお願いしますm(_ _)m  T.S.匿名


季刊誌の制作経費に関して  
  
季刊誌が日本に届いて、それを読まれた方から、おおよそ以下のような疑問が寄せられました。
それは、季刊誌が、紙質も印刷も、他の団体の季刊誌よりも、あまりにも上等で、
支援金の多くが印刷経費に消えているのではないか、と言う疑問です。
同様の疑問を、前にも聞いたことがありますので、 重要なポイントとして、
サイト上と次期季刊誌上でもお答えしたいと思います。


 私も出版社にいたので、季刊誌に関しては、出発時点から試行錯誤したことの一つだった。
とりわけ、支援金をどのように使うかは大きな問題で、
季刊誌にかかる印刷代と発送費は、支援金から出さねばならない。  

そこで、他の団体の季刊誌を見たのですが、その多くは日本で印刷しているものでした。  
日本の印刷製本費は、非常に高く、それを見ただけでも、
これではとても季刊誌は出せない!と思ったほどです。  
出発時に、ほかの多くの団体に聞いても、
NGOの経費の大きな負担は、三つあることがわかってきました。

1,季刊誌などの報告・宣伝費。   
季刊誌だけではなく、ポスターや報告の会場費、新聞の折り込みや広告など。  

 幸いMCLは、季刊誌以外にまったく宣伝費も会場費も使っていません。
そのかわり、お声をかけていただければ、家庭集会でも喜んでうかがっています。

2,人件費。   
日本の人件費は、桁違いに高く、こちらの一五倍から二〇倍になる。   

そこで対策として、事務作業はほとんど現地で行い、
日本事務局は、日本NPO法人をとっているものの、
入金確認のはがきの送付と現地への送金作業、
それに付随する仕事を完全ボランティアでやっていただいているのです。

つまり、日本における人件費はゼロ。
藤瀬さん、頭島さん、前田さん、千絵さん、心から感謝です!
みなさんに届く心のこもった写真入りの入金確認のはがきも、
完全ボランティアのおかげなのです。  

長く支援者への対応は、経費を使わないために現地で
私一人でやってきましたが、さすがに少し大きくなると一人では無理で、
今は、現地日本人スタッフが一人と日本人ボランティアで対応しています。

日本のように迅速に連絡が取れる環境とはほど遠く、
日本との距離がありすぎ、さすがに素早い対応までは不可能な場合も多いのですが、
大きな経費削減になっています。   

実際に有名なNGOから話を聞くと、寄付の60から70%は、
人件費で消えていくのだという。
それを聞いて対策を考えた結果だが、
MCLが、小さなNGOでもかなり大きな活動ができるのは、
人件費が少ないことで、それを地域の人々に還元できるからだ。
その代わり、支援者に対する対応は迅速さを欠くことがあるが・・・
そこがこれからの課題だろう。


3,事務所代
  
日本人スタッフが多くなると、当然ながら日本に事務所を置かなければならなくなる。
その事務所代が馬鹿にならない。
MCLでは、そうした経費がほとんど無い。
 

以上、2と3で、大きな経費削減をしていると同時に、
現在台湾赤十字社と東京メソニック、
そしてM氏の特別寄付で水田を購入し、
100%の米の自給と余剰米による収入でおかずの無料化をもうじき実現できる。
そこで削減した経費を、子どもたちの支援へと向けていく予定。  

はっきりいって、極度に進む円安で、対応に必死だというのが現実だけれど。

さて、話を季刊誌にもどしましょう。  

MCLの季刊誌は、日本で印刷すれば、
とても高額で不可能。それが可能なのは、
季刊誌をミンダナオのダバオの老舗の印刷会社で印刷しているからで、
印刷価格は、日本で、コピー用紙に白黒で印刷する程度の価格で、
季刊誌はできあがっているのです。

 製本料にいたっては10分の一で、それゆえに、
印刷で使う経費は、日本よりも比べものにならないほど安い。
 さらに、用紙がコート紙で驚かれる方もいらっしゃるのですが
、コート紙で上記の値段であり、それでも経費を削減することを考えて、
上質紙への変更を印刷所に提案しましたら、
「MCLさんは、フィリピンの人々のためによく頑張っているから、
写真も美しいし、上質紙の値段でコート紙を提供しますよ。
さほどかわらないですから・・・」と言われ現在にいたっているのです。
パンフレットなどは、ときどき上質紙で印刷しますが・・・
 つまり、MCLの季刊誌は、内容もさることながら、
印刷所のご厚意で日本の白黒誌よりも安くできているのです。

 季刊誌制作に関して、次に気になったのは、発送費でした。
海外だと高額ではないか・・・しかし、これも、
ほぼ日本の国内での発送と代わりがないことがわかり問題を解決。
 さらに、他の団体の季刊誌との違いについてよく言われるのが、
写真が美しくて、子どもたちの顔を見たり、写真を見るだけでも生きる喜びです
、という読者からのご意見です。
 他の季刊誌は、下手するとゴミ箱に直行してしまうけど、
MCLのは、大切の保存して、本のように時々読み返しては楽しんでいます、
と言うお便りを良くいただきます。

絵本の出版に携わっていた者として見ても、
くだらない週刊誌や内容の薄い新聞など、
ゴミ箱に直行する印刷物ほどもったいないものはありません。
資材の無駄。

 季刊誌も例外ではないと思います。
それゆえに、絵本のように、末永く保存して、
息子や娘や、近隣の友人たちにも見せたい内容の、
単なる報告書ではないものを作るにいたったのです。
 

読者からは、個人だけではなく、家族で楽しんでいる、という手紙も多く、
それゆえ若者たち、青少年や子どもにも楽しめるように、
童話を連載しはじめたのも、編集者と同時に作家もしてきた経験からでしょう。
つまり、単なる報告書を一段進めて、
心に残り、手元に残しておきたい、
価値ある印刷物、冊子にしようと思ったのです。  

なかには、コンピューターでも良いのではと言う意見もありますが、
良い印刷物は絵本や本と同様に、
大人になってもいつも側にいてくれるという友達のような感じを持つことができる、
特別な存在だと思っています。
 定期的に季刊誌が送られてくることにより、
単に現地を支援しているだけではなく、季刊誌によって、
現地からの風が届き、自分たちも心の支援を受けていると言う、
相互に支援しつつ支援される意味を、MCLの季刊誌は持っています。
特に、自殺や孤独、不登校の多い日本の人々や若者、そして子どもたちのために。

 現地に無償で配布する絵本を加えていきたいと思っているのもその一つで、
助けてい ながら、助けられてもいる。
お互いに助け合うための手段の一つが季刊誌です。
それが、日本で数ページ印刷する白黒の季刊誌と同程度か、
それより安くできるのですから、活動の一つとしてやるべきだと決心したのです。

 以上季刊誌にかんしてですが、いろいろと考え抜いた末の決断で、
紙質は、印刷会社の好意ですが、紙の値上がりがあれば落とすことも考えています。


 もうひとつ、付け加えさせていただきますと。
部数が、多いほど、一冊あたりの単価が安くなることはご存じかと思います。

 MCLでは、支援者が現在3000人ほどいらっしゃいます。
季刊誌は、最低で3000部を印刷しています。
そうしますと、一冊あたりの原価は、
500部とか1000部よりもはるかに安くなり、
個人の方々の負担は、支援者が多くなり印刷部数が多いだけ、
発送部数の少ない団体よりも、遙かに少なくなるのです。

 支援者の数は、来年から再来年にかけては、
3500から4000人を見込んでいます。団体の支援ではなく、
個人の支援で運営できているからこそ、印刷経費が大きく削減できているのです。

松居友
 
 
 
 
 
 
 
 


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