2011年5月29日から3月


5月の学生総会で
新しいプレシデントと役員が選出された

5月29日(日)

2011年度:MCLの学生役員

バイスプレシデント
マノボ族
プレシデント
移民系クリスチャン(ビサヤ)
バイスプレシデント
イスラム

会計なのど役員

選挙は、推薦立候補のあと、各々の見解を表明し、その後、公正な記名投票で決められる



IMT国際停戦監視団の
落合さん方が訪れた

5月20日(金)



夏休みで子どもの数は少なかったが、厳しいお仕事の合間、少しリラックス?



夏休みの終わり
みんなで海に行った

5月24日(火)〜26日(木)


初めて海を見る子も多い


最初は、少し孤独に感じる子も


特に、今年から初めて
MCLに住み込む子たちは
まだ慣れないので
孤独を感じる

そんなときは、
様子を見ては、声をかける

それでも、あっという間に溶け込んで
MCLの家族になっていく

夕暮れても遊びは続く



ダバオの貧困地域
ササでの読み語り

5月25日(水)




家々は板張りの上に載っていて
下は海だ


町の外れ、海に張り出して住んでいる人々が居る
この地域は、イスラム教徒のタウソグ族
MCLの奨学生は、山からだけではなく
大きな町の貧困地域からも来ている
町の貧困は、山の貧困ともまた異なっている
こうした地域では、皆力を合わせて生きているが
外部からの差別意識も強い

読み語りが始まった


山の子も街の子も
子どもの笑顔は皆一緒?

読み語りが終わり、パンを配る

生まれて初めての都市
5月25日(水)


生まれて初めてのエスカレーター「こわい怖い」高校生でも初めてのエスカレーターだ



奨学生を迎えに
5月27日(金))

エルマリーとモクモク、そしてラブリーを迎えに行った


夏休み里帰りしていた奨学生たち
子どもたちをMCLに送り届けるだけの
費用を両親が出せる訳もないので
私たちで迎えに行かなくてはならない

ラブリンとロムニック


お父さんが居なくなり、お母さんが気が触れて疾走したまま帰らない
おばあさん一人で面倒を見ているが、生活の糧を得られる当てもなく・・・



ミンダナオ子ども図書館だより:5月24日

リグアサン湿原へ
  リグアサン湿原のカルボガンに保育所を建設中
2:かつて足を運んだR7へ再び活動を開始することに決定
3:今後、建設予定の保育所の寄付者名
ブアランでイスラム教徒とキリスト教徒の平和の合意
  国軍も交えた合意会議の前に読み語りをした
  国軍とピキット市政の仲介のもとイスラムとクリスチャン住民の平和に関する合意が・・・
5:クリスチャンの集落とイスラムの集落を結ぶ道を、村人総出で作った
  場所によっては、野焼きをして道を開く
  クリスチャン集落への最後の登り
6:ダバオの貧民街から奨学生を



リグアサン湿原へ
5月12日(木)

ここは、ほとんど
外国人が入れない地域だ。
反政府組織の活動拠点で
あるばかりではなく
アブサヤフや
ジェマイスラミアといった
(いわゆる)テロリスト?
そして、
ペンタゴンと呼ばれる
誘拐組織の跋扈する場所?
その背景には、
この地に眠る膨大な
石油と天然ガス資源をめぐる、
国際的な暗闘がある
と言われているが・・・
この広大な湿原地帯に
多くの人々が生活している
最大の収益は、漁業だ。
私も良く、村を訪れると、
鯉の丸焼きを食べさせてくれるが
鯉、ナマズ、ウナギ、テラピア、雷魚
どれをとっても、信じられないくらい大きく
驚嘆するほど美味しい。


洪水の激しいときにこの地に
何度か踏み込んだが
まるで、果てしない海だった
洪水になると、漁民たちは、
大喜びで一斉に、水が落ちる場所に
魚縄をしかけ、漁網をはる。
屋根まで水が浸かっているのに
悲壮感がない理由が今はわかる。
洪水になると、農地は消えるが
漁獲量が大幅に増え
漁業取引がかっぱつになるのだ。
彼等にとって洪水は、大きな収入源なのだ。
農民は困るのだが、ここの人々は
農業と漁業を使い分けていて
両方をうまく組み合わせて生活している

湿原は、巨大なワニの生息地でもある
漁業をしながら、農地も持つ
家の手前にはトウモロコシ
家が一段高くなっているのは
洪水の時に下が完全に水没し
2階に住むためだろう。
水は、確実に屋根まで来るが、
屋根に舟をつないで寝泊まりし、
漁業をする人々も多い。

洪水は、鉄砲水の様相をしめし
急激に低地を襲うが
二,三日後には引いていく
長くても一週間は続かない・・・
それも、悲惨さが無い理由だろう



小舟が無くても、水牛に乗って川を渡る


リグアサン湿原には、多くの集落や家々が散在している
この地を治めているMILFが、この上流のプランギ川の
ダム建設に、敏感に反応する理由は、ダムによって水位が落ち
漁師で生活している多くの人々が困窮すると考えているからだと、聞いている。
すでに、上流のマノボ族社会は、ダムに反対の意志を表明
先日、建設受諾のサインを拒否した。
上流のカルメン、アラカン地域は、NPAの地域だが、
アラカンでもキダパワンでも、反対意見が強く出ていると聞く。

「ダム建設による、電力供給だけではなく
下の洪水を収めるための、
治水効果もあるはずなのに
なぜ反対するのだろう・・・」

最初私も理解に苦しんだが、
次第次第にわかってきた。
ミンダナオは、急峻な谷を持つ山岳地の日本と違って、
なだらかな丘陵地形であり
日本のように、ダムが出来ると、谷底の村が水没するという
小さな地域の問題ではなく、
広大な自給地や農地が消滅する。
つまり、川沿いの広大なゆるやかな傾斜地で、
多くの住民が自給しているために
ダムの貯水が、浅く広範囲に広がり、
自給地が失われる。

ミンダナオの住民たちは、土地問題にものすごく敏感で、
戦闘の殆どは土地問題だ。
ブキッドノンのダムが失敗の良い例だと言われているが、
アポ山の地熱発電による川の汚染もあり、
電力を供給するダム建設には、NPAもMILFも
強く反対していると聞いている。
電気が流れても、貧しい人々には全く恩恵はない。
家に電気も引けないから・・・

もしも、真剣に洪水対策を考えるなら、植林による森林復活を通した
洪水対策のほうが、ダム建設よりましだ・・・』とは、ある先生の話。
川沿いに堤防を作るのも効果がありそうだ。
灌漑も良い考えだと思うのだが、


治水のための灌漑水路による、
水位の低下も、
漁民たちは非常に怖れている。
灌漑とダムを同一視しているからだろう。
この広大な湿原と川で、
生活を立てている漁民の数は、
半端ではない。
彼等の多くが
反政府活動をしているとしたなら、
これはよほど考えなければならない。
過去、誘拐による殺害も起こっているし・・・

確かに、この地には、
膨大な石油と天然ガスが眠り、湧出もしているのだが、
資源開発による環境汚染も漁民たちは怖れている。
洪水が資源発掘の障害になっているのは事実で、
洪水対策が行われたとたん、資源開発が活発になり
湿原自体の環境が、汚染されるのではないだろうか・・・。
アポ山の地熱発電により、川が汚水で汚染されている現状から
環境汚染問題が、未だに、NPA活動の焦点になっているように。

魚も美味しいし、ワニもいるし、野鳥も豊富、
太古を思わせる湿原の美しさは神々の世界そのままだ!
この地を、ラムサール条約による特別自然保護地域に指定し、
http://www.env.go.jp/nature/ramsar/conv/
開発を最低限にして、豊富な魚と豊かな土地を基盤とした漁業と農業
美しい自然と素朴な生活を舞台にした、ツーリズムによる付加的収益向上が、
この地に最も適している開発ではないかと、私自身は思うのだが・・・


リグアサン湿原のカルボガンに
保育所を建設中

5月12日(木)
今回は、円福幼稚園のご寄付です
http://w2.avis.ne.jp/~enpuku/

上記の湿原の入り口になる
カルボガンに、現在MCLで
保育所を建設している。
隣のカルボガン小学校にも
保育所が無いので建設予定だ。
すでに、小学校の里子と
高校生をスカラシップに採用し
現地とのコンタクトをつなげているが
保育所も学校も極度に不足している。

湿原が広大なために道も無く
舟だけが移動手段ゆえ
悪天候や洪水の時には、
学校に通いきれないで休む子も多い。
そのような状況を考慮して
この近くのバロンギスには
高校もあるので、ラナコラン同様に
将来、下宿小屋を建設することを
考えています。
下宿小屋は、60万円で建設可能です。

下宿小屋建設支援
国家規模の大きな支援も大切だが
爪の垢を掘るような
小さな支援も、大切だし
現地NGOの持ち味だと思う

小学校の希望は多いが、
MCLのような小さなNGOでは無理と考え
日本政府のODA,草の根無償に応募して
お手伝いする形で建てている。
もちろん、個人または団体
学校建設資金を寄付する話があれば
喜んでお受けしたいです。
この地域は、日本政府では危険度が高く
無理だと言われています。

しかし、たとえ小さな保育所でも、
地域との平和構築に大きな力を
持っているとつくづく感じる。


今回の保育所は、長野の篠ノ井にある、円福幼稚園の寄贈
保育園の名前は、現地の子どもたちで決めますね・・・

http://w2.avis.ne.jp/~enpuku/


これで、舟で毎日通わなくても
保育園に行けるわ


かつて足を運んだR7へ
再び活動を開始することに決定

5月12日


破壊された施設は、かつてのまま取り残されていた
この村で、5年前に病気を治療した少女にも出会った


反政府組織が使っている
USA製の武器。
国軍から払い下げてもらった。
結果的に儲けているのは、
アメリカの武器製造会社だけ?


この地域は、2003年のテロリスト掃討作戦の後に、病気の子の救済で良く入った場所。
当時は、国軍の警護が厳しく、一般者は入れなかったが、病気の救済目的ゆえに、
国軍が特別に配慮して検問を通して入れてくれた。
私たちが救済した子も多く、奨学生もいて、大学を卒業しているが、日本の某NGOが、
R7であるこの地に力を入れたいと言う意向を聞き、
敬意を表して、私たちは別地域と対岸のARMMイスラム自治区に力を入れた。
(私たちは、いつも国際的なNGOが入ると、その地を任せて、より困難な地域に活動を開始する)
その後、そのNGOは、この地域から引いたようで、久しぶりに訪れたが、あまりにも見捨てられたひどい状況なので
MCLで、再びこの地域もターゲットにして、対岸のARMMと平行して、保育所建設や奨学支援などを進めていくことにした。
現地の人々も、とても喜んでくれた。
「MCLが、戻ってきてくれた!」

KPT椿 様からの荷物が届きました。
今後、建設予定の保育所の寄付者名
中本山實相院発菩提心の会 三好ヶ丘聖マーガレット幼稚園 宮崎 朱美
大野 理実 京都暁星高校 (財)北野生涯教育振興会


ブアランで
イスラム教徒とキリスト教徒の
平和の合意

5月11日(水)




クリスチャンとイスラム教徒が
一緒に、食事の用意をした

40年にわたって、
イスラム教徒とキリスト教徒が対立。
多くの家族がこの地から逃げ出していった。
激しい憎悪の結果、
お互いに集落に入ることを拒否。
それが、MCLの働きで交流が再開。
国軍と行政も含めて
お互いの平和合意が行われることになった。
政治的な合意なので、
MCLは、直接関わらないが、会議の前に
読み聞かせをすることにした。

国軍も交えた合意会議の前に
読み語りをした

読み語りは、イスラム教徒のマギンダナオ語とキリスト教徒のビサヤ語が同時に使われた。
MCLに住み込んでいる、ザイノディン君兄妹が両方語れるので大活躍
大人たちが、どんなに戦争をしても
子どもたちの心は、
イスラム教徒もクリスチャンも変わらない
このような子どもたちの姿に
長年憎しみあってきた
地元の人々の心も開かれていく。

ブアラン小学校には、24名のイスラムの
奨学生がすでにいるので
今回は、同数のクリスチャンの奨学生を
まずは、この地から採用することにした。

国軍とピキット市政の仲介のもと
イスラムとクリスチャン住民の
平和に関する合意が・・・


40年にわたって、敵対し、交流が途絶えていた
二つの集落が平和に合意
子どもたちは、日本政府が建設する下のブアラン小学校に通うことになった


イスラム教徒側とクリスチャン側の議論が続く


私たちも最初少し加わったが、
MCLは、特定の宗教や政治に関与しない立場なので後は任せた



クリスチャンの集落とイスラムの集落を結ぶ
道を、村人総出で作った

5月10日(火)



前述の合意のある前日
イスラムの人々、クリスチャンの人々に
MCLの奨学生を加えて
両村を結ぶ道を切り開いた


40年間、途絶えていた、
クリスチャンとイスラムの二つの集落を結ぶ道が
両村の人々の協力で切り開かれていく。
これで、丘の上のクリスチャン集落の子どもたちが、
すぐ下のブアラン小学校に通うことが出来る。

40年間交流が途絶えていた間に
下草どころか、いたるところに灌木が生い茂り
行く手を阻む。
チェーンソーがあるわけでもなく、
大きなノコギリもなく、
手刀だけで、大木も倒す。

微熱が有ったが、私も雑木を伐る
北海道にいた頃は
薪割りもしていたのだが
チェーンソーを使うわけではなく、
使用する道具は、いわゆる蛮刀
これで、大木から雑木まで伐る

こんな小さなものでと思うが、
さすがにテクニックがすごい
特に、ジャングルの木々は、
互いに蔓でからまっているので
いくつもの大木の根本を、
蛮刀で堀を付けておき

最後に一個を倒したとたん
蔓に引っ張られて、
軒並みに次々と倒れ始める
葉を散らしながら、
雪崩のように倒れる
木々の迫力はすごい!


これは、陽が映像におさめたので
いつか上映したい。


クリスチャン集落の役員


ブアラン小学校の校長先生


ミンダナオ子ども図書館の
奨学生の若者たちも手伝った


道がつながることによって平和への足がかりがつながる
むろん、平和構築はこれからだ
ブアランのイスラム教徒の奨学生は25名
これから、クリスチャンの奨学生を同数採る


MCLの奨学生たちも
この作業に参加した


クリスチャンもイスラム教徒も
力を合わせて道を切り開く

私と陽は撮影記録を取り編集

場所によっては、野焼きをして道を開く


時には、野焼きをしながら道を開く
傷の応急処理をする
エープリルリン
日本から送られてきた薬品が
ここでも役に立った

クリスチャン集落への最後の登り


ここを駆け上がれば、丘の上へ


遙か彼方の、
リグアサン湿原まで見渡せる
素晴らしい眺めだ


やっぱり平和は良いなあ



平和構築は、始まったばかりだ
まだまだ、紆余曲折が考えられるが
この経験は、彼等の子孫に
語り継がれる事だろう


クリスチャン集落の奨学生の子たち
これから、もっともっと採用しなければ
彼等が平和を作る世代に成長するために


MCLの若者たちもよく頑張った
この体験は、彼等が将来を考える
貴重な糧になるだろう



ダバオの貧民街から奨学生を
5月9日(月)



海に張り出したイスラム教徒の貧民街
ここも、ミンダナオ子ども図書館が長く関係し
奨学生を採用してきた場所だ


土地を持てない人々は、
海に張り出して家を建て
貧民街を形成する。


おもにイスラム教徒の
タウスグ族だ


かつて奨学生でスタッフでもあった
エーフロアーさんのお母さん
介護科を卒業した
娘は今は、ドバイで働いている
ここから、また新たに奨学生を採用
MCLに住んで通う


近くここで読み語りを行う予定だ





ミンダナオ子ども図書館だより:5月2日

1:Mの会寄贈キダパワンの寮が完成
  神父さんをお呼びして、いよいよ開所祝別式が始まった
2:アラカンでの活動を再開
  まずはカヨパトン、そこから山道を歩きパコパコ集落への旅
  ナポナガン集落に到着
  川に行く手を阻まれる
  カヨパトンに到着
  カヨパトン集落から、パコパコ集落目指して歩き始める
  ようやくパコパコに着いた
  パコパコからキアタウへ向かう
  2008年のウエッブサイトの記事から
  洪水は、川沿いの村々も襲った

3:キアタウでの読み語り
  まずは、みんなでお昼ご飯
  読み語りが始まった
4:キアタウ脱出劇
  ラナコランの下宿小屋へ
5:皆で、下宿小屋に泊まった
  ラナコランの下宿小屋で夕食
  翌朝は、さわやかな高原の夜明け
6:貧しいムヤス集落に読み語り
  ここには、多湖さん一家と親戚の方々寄贈の保育所
  ここでも、「おおきなかぶ」が大好評
  読み語りの後、家々を回り、貧困家庭の調査を開始
7:MCLの日常より
  エープリルリンの誕生日と卒業記念パーティー


MCLの
季刊誌『ミンダナオの風』31号を
pdfで添付しました


季刊誌『ミンダナオの風』は、
寄付を下さった方に年四回(3月、5月、7月、10月)、
ミンダナオからお送りしているものです。
編集・執筆は、松居友(作家:日本文芸家協会)

今回から、ウエッブサイトの記事とは多少異なり、
特集連載形式で踏み込んだ内容を執筆する形に変更します。
初回のテーマは、
『ミンダナオ子ども図書館流の平和構築』

今回の31号のみ、サイトで読めるようにpdfにしましたが
購読希望の方は、五〇〇円でも一〇〇〇円でも
制作費と送料程度の購読費で結構ですので
自由寄付という形で、思いついたときに思いつく額を
郵便振替口座に振り込んでいただければ
年四回、現地よりお届けします。


31号のテーマは
『ミンダナオ子ども図書館流の平和構築(1)』

ここをクリック
http://home.att.ne.jp/grape/MindanaoCL/haging31s.pdf

ミンダナオ子ども図書館が、独自に現地で展開してきた『平和構築活動』を、紹介論議

購読されたい方は、制作費と送料程度の多少の自由寄付を
振替用紙で、送っていただければお届け!


郵便振替口座番号:00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館



Mの会寄贈
キダパワンの寮が完成

4月28日(金)

大学・高校の男子学生20名ほどが、ここに住み込んで学校に通う
町での下宿代が高騰している折、これは大きな経費削減
浮いた分を、医療などの他の支援に回せる


ここがキッチン件スタディールーム
料理は、外の空間で作り
この裏に併設してトイレがある


ベッドルームは、20人寝られるが
一つのスペースに二人寝ることもこちらでは多く
そうなると最大40名収容可能となる

設計施工は、エンジニアでMCLのボードメンバー、ダニー氏
きちっとした仕事で評価が高く、行政や大きなビルの建設も引き受けている

寄付は、行橋や小倉カトリック教会等の方々で構成するMの会

神父さんをお呼びして、いよいよ開所祝別式が始まった

若きキダパワンの神父さん、聖水をまき祝別し、その後みんなで会食

将来的には、周囲にフェンスを建てて、女子寮も併設する予定
隣には、プロテスタントミッションの立派な牧師養成寮も建設されつつある
Mの会の皆さんありがとう!!!



アラカンでの活動を再開
4月26日、27日



まずはカヨパトン、
そこから山道を歩きパコパコ集落への旅


アラカンは、マノボ族の聖地、アンセストラルドメイン(特別保護地)にも指定されている。
MCLにとっても重要な活動地域だ。NPA(反政府組織)でも有名だけど・・・
カヨパトンへ行く途中で、
ファウスト神父に会った
私たちが司教館に住んでいた頃の事を
想いだして下さった

ミラノミッション会で、反政府組織NPAとも深いつながりがあり、貧困克服と平和構築に大きな貢献をしている、
ピーター神父共々、私の尊敬するイタリアの神父。頭に巻いた、赤いバンダナが、ピーター神父と一緒のスタイル。
私もカトリックだけれど、カトリックはあまりにも多様でミッション会が多く、内情は良く知らない。
解放の神学系だという人もあるけれども、解放の神学を学んだこともない。
しかし、貧しい人々の立場から見ても、30年以上活動し続けている、現地における、こうした神父の働きには頭が下がる思いがする。
結婚していないから、命をかけて、どこでも行ける?シスター方もすごいが・・・

日本の若者よ。自殺する勇気があるのなら、神父やシスターになって、命を捨てた思いで活動したら????


ナポナガン集落に到着


ナポナガン集落は、カヨパトンに行く手前
ここからも奨学生が複数来ている

今回の調査を活用して松居陽が、
マノボ族のドキュメンタリー映画を制作
文化プロジェクトの一環


家に戻っていたビーメールグレイスさん
ビサヤ系だが、16人兄弟姉妹がいる。
左端は奨学生のジェサ。今度高校。
高校までは遠いし、
両親はMCLに住まわせたかったけど
ジェサは、貧しくても両親の元に居たいので
大学から、キダパワンに・・・

川に行く手を阻まれる

多少川が増水していた。奨学生の男の子たちが、川に入り、障害となる大きな石をどける。


カヨパトンに到着

母さんと郷里に戻っていたジョジョは、高熱を出してすっかり痩せていた。
こうした村では、ちょっとした病気が、そのまま命取りになる。MCLに戻って治療をすることに決めた。


母親と父親が別れたエラ(左)。祖母の強い要請で、カヨパトンに住むことになったが
あんなに明るかった顔が、表情が失われて暗くなっている。大丈夫だろうか・・・


カヨパトン集落から
パコパコ集落目指して歩き始める


車で行き止まりのカヨパトン集落から
いよいよ歩いて、パコパコに向かった。

今回の調査には、ピキットのブアラン小学校の
校長先生も、同行した。

ロクサンさんの家の前を通ったが
両親の手伝いで、山に下草刈りや
トウモロコシの収穫
洗濯に行って居なかった。

ジェジェも両親を手伝って山へ
里に帰った奨学生たちは
貧しい一家を助けて早朝から山へ

山を越えていくと、こんなところに、と思う場所に家があり、マノボ族の人々が住んでいる。
こんな高地にと思うかもしれないが、もともと耕作が容易な低地に住んでいた人々なのだ。
低地の良い土地が、所有者の無い土地(土地登記がない)という理由で
お金のある、移民系の人々に政府によって売却され、さらに転売されてきた。
その結果、自分たちの自給地を失い、山へ山へと逃れていった。


ここから小学校までは、数時間の道のりがある。
高校になると、ほとんど歩いて通える距離ではない。
いつかこの子たちも、学校に行かせてあげたいが・・・
スカラシップを与えたとしても、続くかどうかが疑問だ。
MCLに住み込めば、近所の学校に行けるのだが、
まだ幼いので、親から離れることが良いとは言えない。
ラナコランに建てた下宿小屋も、あっという間に満杯になってしまったし。


試行錯誤の結果、里親やスカラシップの新制度を作った。
小学校の場合、高校の場合も
学校継続がまだ確実と言えない子の場合は、
MCLで、奨学生として採用して、
学費や文具費やプロジェクト代すべてを支給するが

支援者を付けずに独自にMCLで費用を出して、
数年間、様子を見ることにしたのだ。
その分負担は大きくなるが、
せっかく支援者をつけても、ストップしてしまうと悲しいから・・・

上右の写真に写っている、斜面の中の小さな白い点。
右の写真がその点で、実は、ミンダナオ子ども図書館の奨学生のお母さん。
条件の悪い斜面に、かろうじてトウモロコシを植えて生活している。

彼等が植えているトウモロコシは、原種に近いものだが、収穫量が少ないし安い。
ハイブリッド(企業によって遺伝子操作がなされた)トウモロコシは、
収穫量は多く単価も高いが、種子は高価で、しかも遺伝子操作のためか
一回しか育たないので、毎回、企業から高価な種子を購入しなければならない。
そのうえ、ハイブリッドの品種は、化学肥料や農薬も使うので
結局、収穫して売っても、原価を吸収できずに赤字になる。

海外の種子企業、肥料企業、農薬企業だけが、儲かるように出来ている???


途中で出会った、奨学生のお父さん、お母さんたち。
真ん中の谷底のロクサンさんのお母さんは、谷底でワラビを採っていた。もちろん売るために。


どこまでも広がる、木の無い原野。昔はここが、ジャングルだったなんて、誰が信じるだろう。


ようやくパコパコに着いた


初めて見る、パコパコ集落
この地をもっと良く知るために
読み語りを近く行うことにした


村で唯一初めて高校卒業する首領の娘
大学へは行けないのでMCLの奨学生に・・・
将来は先生になりたい


パコパコの初等学校
ケロハスやキアタウの子も
4年生まではここに通う
しかし、5年生になると
ここから遙か彼方のラナコランまで
朝の4時に起きて通わなければならない。

ラナコランの下宿小屋は、
他の集落の子たちでいっぱいだし
どうしたらよいのだろう。

大勢子どもが居ても
高校まで通っているのは4名だけ。

パコパコからキアタウへ向かう

昔は、深い深いジャングルだった。巨大なラワンの木々が、大地をことごとく覆っていた。
それらの木が、次々に伐採されて、海外、特に高度成長期の日本に輸出されて、その結果丸裸になったなんて・・・
この地域の下流域が、ピキットの大湿原地域で、毎年繰り返される洪水は、上流のこの地の森林伐採の結果なのだ。
そういえば、私も子どもの頃、小学校の工作の時間に、ラワン材を使っていたな。
先生の説明だと、南の国から来たラワン材は、非常に安価で節がなく、工作にはうってつけとの話だった。
日本は、外国とくに発展途上国の木を大量に伐採輸入して、自国の森を残したのだな。
フィリピンの若者たちは、日本には森がないと思っている。森がないから、ミンダナオの森を切って木を輸入したのだと・・・

2008年のウエッブサイトの記事から
洪水は、川沿いの村々も襲った

水量は激しく、ムアランでは、200世帯が鉄砲水で家を流されたという。
写真のように、水は軒下まで達している。
道は水でところどこと寸断され、タリタイからラジャムダまでも容易にたどり着くことができない。

家の庭で泳ぐ子どもたち、飲み水が心配だ 道路は至る所で寸断されている ラァジャムダ高校も水の中だ
この地域は、戦闘による難民は居ない
しかし、洪水による難民が出ている。水は数日で引くので、戦闘難民のような悲惨さはないが、
戦争状態で復旧は遅れるだろうし、病気がここでも心配だ。

この比較的立派な村道は、2年前にアメリカ政府の支援(USAID)で作られたものだ。
高く作られた道路は、堤防の目的も担っているようだが、
川沿いに近い家々は、軒まで達する水の下に、水没するようになってしまった。

この経験を、今後の復旧やODAによる道路や灌漑整備に注意深く活用しなければならないだろう。

以上は、2008年の私たちの活動記事だが、http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanews2008.htm
こうした問題を解決するためには、広大な山岳地域の植林支援を実施する以外にないだろう。
鉄砲水は、驚くべき早さで、下流のピキット地域を襲う。上流の山々に保水機能がないからだ。
単に植林をし、ジャングルを復活するだけでは、この地域に追い詰められたマノボ族の生活が圧迫される。
マノボの人々の収入をある程度確保しつつ、植林を可能にするにはどうすればよいのか。



キアタウでの読み語り
4月26日


故里に帰っている奨学生


キアタウ村に入ると、本当にホッとする。
人々は明るく、子どもたちが可愛い
しかし、ここも以前はカヨパトンやムヤス集落同様
暗く落ちぶれて、外界と閉ざされた集落だった。
MCLが入り、奨学生をとり、さまざまな活動をすることによって
こんなに人々の表情が明るくなるとは驚きだ。

驚きは、表情だけではない。
久しぶりに来るたびに、子どもたちが増えていくのだ。
新たに生まれるだけではない、
ここが住みやすいので、町から戻ってくる村人たちも多いのだ。
電気は未だにないのだけれど・・・

まずは、みんなでお昼ご飯

こんなご飯やおかずを食べられることは珍しいこと、


読み語りが始まった

ここの子たちは、何度も読み語りを体験しているので、お話を聞くのが大好きだ。
それだけではなく、踊りや歌も、だいぶ覚えていて、スタッフたちと一緒に歌ったり踊ったりする。
本当に絵本やお話が大好きで、生活に根付き始めているのがわかる。



キアタウ脱出劇
4月26日

キアタウは、とても美しいところだが
想像以上に過酷な山岳地帯にある
とにかく、雨が少しでも降ると
車での脱出が不可能になるのだ
このようなアクシデントは
しょっちゅう起こるので
変な話だが、何が起こっても
少しも驚かなくなった。

あらゆる困難をしっかり受け止めて
最良の解決策を
慌てずに模索していく。

荷台には、太いロープが入っているので
それで引っ張ることに・・・

この地の大地は、粘土質で、雨さえなければ乾燥して硬いが、いったん雨が降ると
磨き上げられた大理石のようにつるつるになる
そうなると、どんなに頑張っても脱出は不可能。

みんなで押せば解決することもあるが、それでも駄目な場合は
みんなでロープで引っ張る。
大人も子どもたちも、村人たちが大勢で助けに来てくれる。

子どもたちがお世話になっているミンダナオ子ども図書館の事だも
僕らに任せなさい・・・・

みんなで力を合わせて、泥だらけになりながらも夢中で救援する姿は、
本当にフィリピン的だ。(都会はどうだかしらないが・・・)


困難も楽しんでしまうのも
フィリピン的かもしれない


ラナコランの下宿小屋へ

キアタウを脱出してラナコランへ
かつて、立正佼成会の方々と
平和の祈りをした場所だ


皆で、下宿小屋に泊まった
4月27日

ラナコランの下宿小屋は、京都暁星高校と河野優子さまの寄贈で建てた
建設費は60万円。遠くて学校に通えない、遠隔地の子たちのために建てた小屋だ


私は、今回初めて泊まったが
驚くほど快適で、まるで別荘。
訪問者の方々、ご希望があれば
お泊めします。

ポーチで、勉強し、食事を取る。地域の子たちにも、文庫として解放している。
この地域は貧しく、本も絵本も辞書もないので、奨学生たちだけではなく、
多くの子どもたちに解放し、地域の発展に寄与している。
下宿小屋は、保育所とも異なって、小学校から高校までの多くの子どもたちに利用され
大きなインパクトを地域に与える試みである事が解ってきた。


この地域は、マノボ族のアンセストラルドメイン(保護地区)でもあり、
彼等の、昔話や楽曲、伝統の祈りやさまざまな文化が未だに生きている場所でもある。
戦中に、下のダバオ地域のカリナンから、マノボ族と結婚した多くの日系人が
逃れてきた場所で、混血も多い。

文化的に興味深い地域なので、この下宿小屋に併設して、
マノボ文化研究所を作り、大学を卒業した奨学生たちが中心になって
昔話を集めたり、文化を保存研究したりできる、文化施設にしたいと思っている。

もちろん本部は、
ミンダナオ文化研究所という名で
キダパワンに作るが、ここで集めた昔話や
貴重な文化の映像などを、出版したり
ネットで紹介したり、保存したりする
プロジェクトを考えている。
今回の陽の映像も、その過程の一つだ。
才能ある卒業生たちに
仕事を作り、提供するのも目的の一つ
ミンダナオ強みは、農業と文化



ラナコランの下宿小屋で夕食


左端下に見えるのが
下宿小屋のハウスペアレントでスタッフ
奨学生のお母さんだ。


遙か彼方には、フィリピン最高峰
アポ山の姿も望める

ここに拠点を置くことで、さらに山奥のマノボ族の集落へ、皆で読み語りに行ける
明日のムヤスの読み語りに備えて、おやすみなさい

翌朝は、さわやかな高原の夜明け


4月5月は、フィリピンの夏休み
奨学生たちが、読み語りのプロジェクトに
参加することが出来る日々だ。
親の居ない子も多いのだが

見事にアポ山が顔を出した

貧しいムヤス集落に読み語り
4月27日



ここには、多湖さん一家と親戚の方々寄贈の保育所





多湖さん、Relativesのところ
修正してありましたよ
ちょっとたどたどしい字ですけど

ムヤスを見ると、かつてのキアタウを思い出す。
非常に貧しく、何よりも人々の心が沈んでいる。
生活が厳しいこともあるが、教育や医療も含めて
貧困から脱出する希望が感じられないのだ。
MCLが入ってから、キアタウや他の集落には希望が感じられる。

今回の調査で、パコパコの首領が告白していたが
「沢山の子どもたちが居ながら、高校に進学している子が数名
大学まで行った子はもちろん皆無。
そんな集落に、大学まで行く子が出ること
これは、気持ちの上でも画期的なことなのですよ」



イスラム教徒のザイノディン君
宗教や民族の違いを超えて
他の地域の貧困の現状を体験する事は
彼の生涯に大きなインパクトだ。
今年から大学生になる。

読み語りに集まる子どもの現状を把握することによって、村の状況を理解するのも大切な私の役割だ。
とりわけ目立つ、極貧の子には声をかけ、読み語りが終わった時点で家に案内してもらう。
病気の子が居ないかもチェックする。


ここでも、「おおきなかぶ」が大好評

「おおきなかぶ」の後に、みんなでマノボ語、ムスリム、ビサヤの歌をうたい、最後に平和の歌をうたう。
その後、みんなにパンを配り、絵本に触れる時間を作る。


英語やタガログ語の本は読めないけれど
大事なのは、絵本というものに触れること


読み語りの後
家々を回り、貧困家庭の調査を開始


ここから、新たな奨学生候補を
選んでいくのだ

上段右の写真のお母さん、
なんと、上段左の写真に写っている、
手を上げている
奨学生のピティボウイ君の
小学校時代の同級生だった。
15歳で結婚して、ここに住み着いている。

右の写真は、その家。
このようなところに
4人の子どもたちと一緒に住んでいる。

毎日の食べ物にも事欠く生活。



最貧困層に光を当て、その中から新しい奨学生を選び育てて行く。それが、MCL流だ。




MCLの日常より

エープリルリンの誕生日と卒業記念パーティー

MCLを共に立ち上げてきた妻、エープリルリン
責任ある仕事ゆえに、高校2年のまま休学
その後も、問題が起こると停止
2年間で卒業するところを、8年かけて26歳で高校を卒業
今年から大学に進学する。
彼女がいなかったら、ミンダナオ子ども図書館は無かっただろう。




親友のセントメリー高校の先生方も駆けつけて下さった。
先生やシスターがたの方が、彼女を頼りにし、悩みを打ち明け相談に来る・・・
先生が、生徒に人生相談にのってもらうのだから?????





ミンダナオ子ども図書館だより:復活祭号

1:ブアランで初めて、ムスリムとクリスチャンの子たちが集まって、一緒に読み語りをした
   避難民当時のブアラン集落の子どもたち
   イスラムの子、クリスチャンの子たちを交えての初めての読み語り
   読み語りが終わって、古着の支援が・・・
   そして最後に、炊き出しのご飯をみんなで食べた!
   警護に派遣された国軍兵士も子どもたちにご飯を・・・
   平和への歩みはまだまだ続く
2:ブアラン小学校の卒業式
   今年卒業するMCLスカラシップの子どもたち
   MCL代表として、松居陽が参加、スピーチをした

3:ARMMイスラム自治区、リグアサン湿原の学校を支援
   カルボガンとバロンギスの小学校から奨学生を取る事になった
   カルボガンの小学校は、酷い状態だ
4:カヨパトンに子どもたちを送り届ける
   この地域の生活は、厳しい
   去年会ったときにロクサンさん
   窪田まゆみ様寄贈の保育所が役立っている
   故里に戻った奨学生たちは、垢抜けて見える?
   北九州小倉ライオンズクラブの寄贈したヤギが子を産んで増えてた
   新しい高校の奨学生

5:マノゴル高校の卒業式
   卒業成績が最優秀の子もMCLの奨学生だ
6:マノゴル小学校の卒業式
   卒業生たち、今度は高校に
   今年は、グライデルが、成績最優秀で表彰された

7:新たに小包が届きました
8:MCLの日常から。みんなで洗濯
9:完成したモスク



ブアランで初めて
ムスリムとクリスチャンの子たちが
集まって
一緒に読み語りをした

4月13日(水)


ブアラン小学校の若き校長先生
30年にわたる戦闘で
丘の上のクリスチャン集落
ニューバレンシアと
丘の下のイスラム集落ブアランは
全く交流を絶っていた。

2008年の大きな戦争は、
この地域を発火点として
ミンダナオ全域、80万の避難民を出した。

その後も、絶えず避難民化した子どもたち
その中に多くの、ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たちが混じっていた。



イスラム教徒の子もクリスチャンの子も
一緒に読み語りに集まった
ミンダナオ子ども図書館は、2003年の戦闘の頃から、
この地域のイスラム教徒の子たちと関わり続けてきた。
当時は、国際的なNGOは、決して足を踏み入れない地域だった。

まず最初に、ブアランに高橋毅氏の寄贈による保育所が建設された。
その後、奨学生を採用したが、彼等は繰り返し避難民化した。
彼等が避難民化するたびに、私たちは、救済支援を繰り返した。

昨年、MCLは、丘の上のクリスチャン集落にも
多湖ご夫妻の寄贈により保育所を建設、
決してイスラム教徒を受け入れなかったクリスチャン集落が心を開いた。
その地で読み語りをし、山元眞しんぷがミサをあげた。


子どもたちのために、炊き出しをする
ムスリムとクリスチャンの親たち

避難民当時のブアラン集落の子どもたち
2008年の戦闘の様子は、以下をクリック
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanews2008.htm

ブアラン小学校が建設されて、最初の入学以来、
何と12年後に初めて卒業式が出来た。
昨年の事である。
つまり、6年間は、学校が閉鎖され、避難民生活が続いてきたのだ。



先日、4月1日に行われた、
ブアラン小学校の第二回卒業式(記事は以下に掲載)
このときは、感動して、泣き出す親もいたという。


イスラムの子、クリスチャンの子たちを交えての
初めての読み語り
イスラム地域の子たちは、丘の上のクリスチャンを怖れ
クリスチャン集落の子たちは、イスラムの人々を怖れた。
かつては、クリスチャン集落の若者たちは、下のイスラムの村に
ボスケットボールをしに行ったという。

だが、いつの間にか道は閉鎖され、雑草や木が覆い被さり
クリスチャンの子たちも、下の小学校に通わず
遠い地域に通っていた。

そのようにして、何と、30年の歳月が過ぎた。
しかし、今、クリスチャンの子たちも、大勢でイスラムの村を訪れた。
読み語りを楽しむために・・・


子どもたちは、素直でいつも可愛い
彼等には、憎しみは感じられない


「おおきなかぶ」の劇に
熱心に見入る子どもたち

MCLは、平和構築のためのNGOではない。
子どもたち一人一人が可愛いので、困っている子たちがいると黙してはいられない、ただそれだけ・・・
平和構築のために、読み語りや奨学制度や医療や古着の支援を採用しているのではない、
子どもたちが幸せになれるために、読み語りやスカラシップを出し、医療や古着の支援をしている。
子どもたちの幸せに、平和構築が必要ならば、平和構築の努力もする。

2008年の戦闘の様子は、以下をクリック
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanews2008.htm


読み語りが終わって、古着の支援が・・・


捨てるはずだった古着が
平和構築に役立つなんて!
そして最後に、
炊き出しのご飯を
みんなで食べた!


一緒に子どもたちの炊き出しを準備する
イスラム教徒とクリスチャンの親たち

警護に派遣された国軍兵士も
子どもたちにご飯を・・・

平和への歩みはまだまだ続く

今後の展開で予定しているのは、まずは、住民たちの手によって、クリスチャン集落とムスリム集落をつなぐ
かつてあった道を切り開くこと・・・MCLの奨学生たちも手伝って草刈りをし、その後は、ブルドーザーで道を開く。
ブルドーザーは、すでにピキット市長が、無償の貸し出しを許可している。
みんなで力を合わせて道を作り、平行して、日本政府のODAによる学校建設が開始される。
10月か11月、年度末には完成する。
完成した後で、「平和の祈り」の集いを現地で行う。
このときに、立正佼成会が贈って下さっている、夢ポッケのバッグも配ろうと思っている。
今回は、クリスチャン地域からも小学校の里子を8名採ったし、彼等が協力する形で
クリスチャンとムスリムの子どもたちをつなぐ、読み語りなどもしばしば行い
二つの村をつなげていこう。
平和への歩みはまだまだ続く・・・・

2008年の戦闘の様子は、以下をクリック
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanews2008.htm



これから、ここに
MCLが外務省に提案した
日本政府のODA
草の根無償による
6教室の学校が建設される

日本政府の草の根無償による学校建設が、6月から始まる。
ミンダナオ子ども図書館が、外務省に提案した企画だ。
最後まで、セキュリティーの問題が検討されたが、先日も、
IMT国際停戦監視団の落合直之氏の提案で
コタバト市で、国軍側とMILF側のセキュリティーに関するお墨付きをもらった。

MILF側は、私たちの事を良く知っていて、そこで出会った方も、
同行したブアラン小学校の校長先生の親友だったし、
今回の学校建設の設計監督技師のマンソーリ氏は、BDAのエンジニアであると同時に
MCLのボードメンバーでもある。
私たちは、重要なメンバーが、現地を訪れるときには必ず
市長を通して国軍側とMIFLのBDAピキット支部に報告して
背後からセキュリティーを保障してもらっているが
今回は、落合氏のおかげで、コタバトの中央で合意が出来たことをうれしく思う。

話の内容は、共通して、MILF側とは問題が無いという意見で、
国軍側からは、NPAの方が難しいと言う話が度々出た。
具体的な地域の名前もポンポンとあがり、それらが、
ことごとくMCLと関わりを持っている地域であることが先方にとっても私たちにとっても興味深く、
スタッフ共々話が弾んだ???
MIFL地域に関しては、恐いのは、はみだしの誘拐グループであり
その通りだろう。

誘拐犯に囲まれたら、抵抗せずに、ぼくをおいて逃げるようにと、スタッフや奨学生たちには言っているが
MCLは、取り立てて平和構築活動を意識しているわけではない。
一人一人の子どもたちが、平和で幸せで、貧困の無い世界で生きてほしいと願っているだけ・・・
まずは、友達になること、それから、何が出来るかを考えよう!




ブアラン小学校の卒業式
4月1日(金)

上で記事を書いた、ブアラン小学校の卒業式。
ちょうど、13日前に、読み聞かせがあった小学校で、卒業式があった。
私は、過労がたたったのか、激しい下痢、腹痛、頭痛、体中に痛みが走り
歩くこともままならずダウン。5日間ほど、入院していて出られなかったが
MCLボードメンバーのグレイスさん、プレシデントのアスレーさん、そして息子の松居陽が出席した。


今年卒業する
MCLスカラシップの子どもたち

MCL代表として、松居陽が参加、スピーチをした


校長先生と陽は、よほど気があったようだ
両親のいないジハード君は、MCLに住んで高校に通う


陽曰く「本当にブアランは良いところだ。
イスラムの子たちは、本当に可愛い!
校長先生も良い人だね。」


MCLの奨学生たち、今度高校に進学する。
後段、右端から、校長先生、松居陽、アスレー、グレイスさん

ニットニット、フェ



ARMMイスラム自治区、
リグアサン湿原の学校を支援

3月31日(木)

リグアサンの湿原地帯は、MILFの地域であると同時に、MNLFや誘拐集団の跋扈する不安定な地域と言われている。
海のような広大な湿原の隅々からは、天然ガスや石油の湧出が確認されていて
その利権をめぐる現地有力者の争い、その背景に、政府や各国企業、世界の国々が関与している。

ミンダナオの母なる川、パイドプランギは、アラカンの上流地域から流れ出すと、リグアサン湿原にいったん流れ込み
ここから、再び大河となって、コタバト市に達し海に注ぐ。
この川は、かつてはミンダナオのハイウエーであり、コタバトの下のイスラム国と、ピキットの上のイスラム国とを結ぶ道であり
商業も文化も、この川を通して発展してきた。

川の中には、多数の中州があり、そこここに集落があり、多くの人々が住んでいる。
これらの集落には、道が無く、舟でしか到達できない。
その意味でも、いったん誘拐されて連れ込まれると、複雑な地形ゆえに、発見が困難となる。
それも、この地域が、いわゆる反政府勢力の拠点として、長く歴史をたどってきたゆえんでもある。



私たちが行くというので
ライフルで武装した兵士たち
もちろん国軍の兵士ではない

私たちは、プランギ川のピキットサイドのほとんどの村々には、かねてから行ってはいたが
イスラム自治区(ARMM)側は、難しかった。理由は、パンボートと呼ばれる舟でしか到達できないからだ。
一昨年、亡くなったボードメンバー、アスレーさんのお父さんのつながりで、サパカン集落に入り
そこに、保育所を建設、多くの子どもたちを奨学生として受け入れた。

この地とのつながりは、2005年、瘤のある少女の救済に始まるのだが、
それ以来、戦闘も繰り返され、最も危険な地域として、この地に入ることは不可能だった。
下は、当時の少女の事をサイトに掲載した記事。
今回行った村からすぐのところに住んでいる。あれから6年、すっかり少女になっただろう。
次回は訪ねる予定。


カルボガンとバロンギスの小学校から
奨学生を取る事になった

警護に同行しているのは、もちろん、国軍ではない。MILFの正規軍でもない。
MCLに応募する子たちの中には、大学でクリミノロジーを学びたいと志望する子も多い
軍や警察にはいるために犯罪学だ。
親を国軍に殺されたMILFやNPA側の少年たちもいるから
国軍に志願するとは考えにくいし、復讐心から武器を持とうとする気持ちも解らないではないのだが
MCLでは、唯一、クリミノロジーに奨学金は出さないことに決めている。
武器では、解決できないこともある?

フィリピン:少年兵戦闘防止、国連と反政府軍が合意

 【マニラ矢野純一】フィリピンを訪問中の、子供と武力紛争に関する国連事務総長特別代表、
ラディカ・クマラスワミ氏が8日、毎日新聞とスペインの通信社の取材に応じた。
特別代表は、同国南部ミンダナオ島で政府軍と紛争を続ける
反政府組織「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」との間で今後9カ月以内に、
MILFの軍事活動に関与していた全ての未成年者の身元を確認し、
戦闘参加を防ぐ仕組みを作ることで合意したことを明らかにした。

 MILFと国連は09年8月、少年兵の徴用や、
紛争に18歳未満の未成年者をまきこまないことで基本合意し、
双方の間で具体的な実施方法について協議していた。
ラディカ特別代表は、今回の合意について「共同で作業を進める
中立なパートナー選定で(合意から)時間がかかったが明るいニュースだ」としたうえで、
日本政府に対し資金面での支援を期待を表明した。

 ユニセフ(国連児童基金)マニラ事務所は、
MILFの軍事活動に関与していた未成年者564人を確認。
最終的には1000人以上に上るとみている。


http://mainichi.jp/select/world/news/20110409ddm007030137000c.html


上記の記事が出た。
私の知る範囲でも、父親を殺されて、積極的に戦士になる子も多く、
少年兵戦闘防止は、概念のみの理想論では一筋縄には、行かないだろう。
ミンダナオ子ども図書館の奨学生になって、高校に通い、大学を出ることで
戦士にならない道を歩んだ子の例も多い。
政令も大事だが、貧困も含め現地の子たちの置かれている、真の状況を把握することが大切だと思う。
NPAも同じ事だ。



カルボガンの小学校は、酷い状態だ

ブアランの小学校は、日本政府の支援による学校建設の目処が立ったが、
この地域は、まだ先になるのかもしれない。

去年ブアランと同時に応募した、ARMMサパカンの小学校は
危険すぎるという事で、却下された。
カルボガンよりも、安全なのだが、
同時に、隠れたような小さな運河が、
広大なリグアサン湿原の入り口となり
戦闘後の人口、子どもの数も多くなり
こちらがまずは、課題だろう。

将来を見据えて、この地とのコンタクトを続け
平和への足がかりを作らなければならない。
子どもたちのために。




カヨパトンに子どもたちを送り届ける
4月6日(水)



フィリピンでは、一年は3月末で終わり、4月5月が夏休みとなる。
MCLに住んで、近くのマノゴル小学校に通っている子たちは、
当然帰るための旅費がないので郷里の村に送り届ける。
今回は、遠い、アラカン地域、カヨパトンの村の様子を掲載した。

川を渡り、
4WDでしか行けないところに
集落はある。
マノボの集落でも、非常に貧しい地域。

パンクやスタックは、日常茶飯事
今回も、大型タイヤがパンク。
慌てず、早急に処理して
旅を続ける。


この地域の生活は、厳しい
子どもたちは、一日三食たられず
ほとんど裸の状態で過ごしている。
この川を4WDで渡航するのだ


故里に帰った奨学生のロクサンさん、今度高校に進学する。
下の写真は、去年、衣料支援をしたときのロクサンさん


指が6本あるジョジョさんの家

窪田まゆみ様寄贈の保育所が役立っている


木に登っている、この地出身の奨学生を見上げている子どもたち。
多くの子たちが、小学校や高校に行きたいけれども
貧困ゆえに行けない。

この村からは、比較的に多くの子たちを奨学生として採っているのだけれども
私の力が及ばず、なかなか彼等の期待に応えきれない。





故里に戻った奨学生たちは、垢抜けて見える?
父親がいず、後ろの家で小学校4年生の姉さんに
面倒を見てもらいながら、暮らしていたジョジョたち
MCLに住んで今はすっかり子どもらしくなった


こちらがそのお姉さんのジュエリン
彼女がたった一人で、左の弟妹の面倒を見ていた
彼女もすっかり安定した
指が6本あるジェジェさんも
この村の出身。
お父さんは、マノボの伝統を受け継ぐ
首領だが、とっても貧しい

日本から送られた古着のせいか?町に近い場所での暮らしのせいか、
ちょっと垢抜けて見える奨学生たち???
この村の子たちにとってMCLの奨学生になって、MCLに住むのは大きな夢だ。

北九州小倉ライオンズクラブの寄贈したヤギが
子を産んで増えてた


極貧のこの村にヤギを寄贈して下さった
ライオンズクラブの方々。
ヤギが子を産んで増えています!

新しい高校の奨学生
この村から、唯二人
高校に行っていた
ジェジェさんと従妹。

従妹だけが村に残り
たった一人で
はるか山麓の村に通っていた。

それを見かねて、
奨学生に・・・
MCLに住み込んで学校に
通えるようにしてあげる。

大の仲良しだったので
ジェジェは、大喜び!!




マノゴル高校の卒業式
4月2日(土)



プロック8集落のウェルマーも
すっかり大きく成長した
今度、大学生だなんて!!!
皆、小さいときから知っている
思い出深い子たちだけに
私の胸に感慨が起こる。

卒業成績が最優秀の子もMCLの奨学生だ


卒業生で最優秀賞をもらったMCLの奨学生


それ以外の子たちも頑張って、いろいろな栄誉に輝いたが、それよりも卒業したこと自体がうれしい




マノゴル小学校の卒業式
4月1日(金)

午前中は、オーナースチューデント(表彰された子)の表彰式からはじまる
あちらこちらの小学校に奨学生はいるが、今回はMCLのあるマノゴルとブアランに主席した
皆さんの支援している子たちは
ここにいますか?

こちらの卒業式は、表彰や歌やスピーチで
進行していく。

華麗な衣装は、学校から借りる。
なんとセレモニー好きの国だろうといつも思う。

今年は、どういうわけか、小学校の子たちにも
成績優秀者が続出した。
親代わりに、繰り返し舞台にあがった。

卒業生たち、今度は高校に

今年は、グライデルが、成績最優秀で表彰された


グライデルは、最優秀成績で卒業。ソーシャルワーカーを目指したい








卒業生代表として
グライデルが英語でスピーチをした
今後の成長が楽しみ

ソーシャルワーカーになって
MCLで子どもたちを助ける仕事が夢


二番目の子も奨学生だった

「ヤレヤレ、あまり早く大きくなるなよ・・・」と、私は良く彼等に言う。
成長していくのはうれしいのだけれども、いつまでも子どもでいてほしいと願うのは親心だろうか。

高校へ新たな旅立ち。支援者の方々、ありがとう。これからも、サポートしてくださいね


Marunoto Tomomi 鳥海武夫
こどもの里 牛久教会 子どもの家
普連土学園
国際親善委員会
Togakushi Tomoko



MCLの日常から
みんなで洗濯


男の子も女の子も、小さい子も大きい子も
私の娘も、自分で洗濯、みんなで洗濯


最後は、自分の体も
洗濯して終わる



完成したモスク




ミンダナオ子ども図書館だより

1:3月のスカラシップ学生総会は平和の祈の日
  モスクの開所式
  平和の祈り
  ミンダナオの平和、世界の平和と共に今回は特に、
  日本の地震被害についての報告があり
  みんなで鎮魂と平和の歌をうたった

2:MCLでは、みんな家族

  MCLファームのあるマロゴンの農場から
  また会いましょう
3:京都暁星高校が寄贈
  マノボ族の村、アマベルの保育所開所式

  村の子どもたちを集めて読み語り
  テープカットと開所セレモニー
4:日本政府の海外支援ODAによるブアランの小学校建設が決定した
  マニラの日本大使館主催で署名式典が行われた
5:スタディーユニオン寄贈の保育所開所式
  学用品を届けると同時に小学校から高校への選考を開始
  今度、高校に進学する子の英語と国語の理解能力を調べる

3月の
スカラシップ学生総会は
平和の祈りの日

3月27日(日)
日本から、京都暁星学園高校の仁科夫妻と
幼稚園のユウカちゃんが来られた。
今年の役員およびスタッフの構成が紹介された。
2011年度役員およびスタッフ構成に関しては、あらためて報告します

モスクの開所式

MCLの本部があるマノゴル村には、カトリックもプロテスタントも
キリスト教徒の教会はそろっているが
イスラム教徒のためのモスクがなく
それが、MCLにムスリムの若者たちが住みたくても住めない理由だった。

そこで、高島均明治学院大学教授が、日本人の有志たちと
日本イスラミックセンターのイスラム教徒と協力して
MCLにモスクを寄贈した


立派なモスクを設計して下さったエンジニアのマンソーリ氏は、
ミンダナオ子ども図書館のボードメンバー。
BDAバンサモロデベロップメントエイジェンシーの設計技師でもあり
JICAの草の根無償等でも、技師を務めている。
以前に建てた、マカブアルの小学校や、今回、建設が決まったブアランの小学校建設も
彼の設計で建設している。



建設の経緯を記した、
高島教授からのメッセージが、
モスク内に掲載され披露された。

今回のモスクは、高島均明治学院大学教授が、日本人の有志たちと協力し、
さらに、日本イスラミックセンターに呼びかけて、実現したものだ。
宗派を超えて、子どもたちのために、贈られたモスク。
画期的な試みと言えよう。



今まで、MCLのあるマノゴル村には
クリスチャンの教会は多々あっても
イスラム教徒のモスクだけは無かった。

そのため、イスラム教徒の奨学生は、
祈る場所が無く、それが、MCLに住みたくても
住めない理由だった。

今、モスクが出来て大喜び。
クリスチャンの子たちからも
良かったね、と声をかけられた。

平和の祈り


平和の祈りは、子どもたちの
歌と踊りで始まる

ミンダナオの平和、世界の平和と共に
今回は特に、日本の地震被害についての報告があり
みんなで鎮魂と平和の歌をうたった


今回は、日本の地震と津波、原発の被害者の報告があり、その人たちのためにも祈った。
日本にいる、支援者の事を想い、泣き出す子たちも・・・


日本政府JICAの支援で建設が決まった
ブアランの小学校の先生方も参加された
京都暁星高校の
仁科先生ご夫妻が
日本の地震の様子と
日本の子どもたちの抱えている
問題について語り

その後で、みんなで
日本の支援者の方々や
被害に遭われている人々
そして、日本の若者や
子どもたちのために歌い
そして、祈った

若者たちは、涙をためて
家族のような支援者の方々
兄弟姉妹のように感じられる
子どもたちや若者たちのために
歌い祈っていた


京都暁星高校ホームページ
 http://www.kghs.ed.jp/


この子たちは、国境というものを超えて
人間を感じ、考える素質を持っている
心に壁がないといつも感じる

私たちも、歌った。仁科先生や子どもたちの目に、涙が浮かぶ。

MCLでは、みんな家族


宗教の違い、宗派の違い、民族の違い、
国の違い、豊かな国と貧しい国、金持ちと貧乏人
そのような人為的に作られた壁を超えて、
互いに心を通わせ、愛し合え、
心も、富も、知恵も、
分かち合える時代を彼等だったら作れる・・・
少なくとも、MCLには、
そのような家族の雰囲気がある。
ここには、世界の平和につながる
芽が感じられる。

MCLファームのあるマロゴンの農場から


妖精のいる木
時期になると、蛍の乱舞が見られる


何とも気持ちよさそうに水浴する一郎
寄贈者の名にちなんで、一郎と名付けられた水牛君
否、水牛さん(雌)です。

また会いましょう


今回の滞在で
最も活躍したのは
5歳のユウカちゃんだった



京都暁星高校が寄贈
マノボ族の村、アマベルの
保育所開所式

3月26日(土)



霧の中を山上のマノボ族の集落へ
ここには、日本人を名乗る
マノボ族の人々も多い

京都暁星高校ホームページ
 http://www.kghs.ed.jp/
京都暁星高校は、カトリックの高校で宮津にある
不登校の子どもたち、学校に行きたくなかった子どもたち
さまざまな事情のある子どもたちを優先的に受け入れている

京都暁星高校ホームページ
 http://www.kghs.ed.jp/


海外、特にフィリピンとの交流を重視し
植林や学校建設なども、生徒主体に行っている
MCLの初期からの仲間で
イスラム地域のパイドプランギ、
マノボ地域のカティンド、
ラナコランには、下宿小屋を、
そして今回、アマベルに保育所を建設して下さった
MCLの若者たちのスカラシップ支援も3名して下さっており、
去年11月、招かれて、滞在した記事もサイトに掲載されている

村の子どもたちを集めて読み語り



お話は、マノボ語も使われる
言葉が通じないけれど
心が通じる



そんな体験を子どもの頃からした子は
本物の国際人?


この方が、保育所の先生

テープカットと開所セレモニー

京都暁星高校ホームページ http://www.kghs.ed.jp/



日本政府の海外支援ODAによる
ブアランの小学校建設が決定した

ブアラン村民との打ち合わせに
クリスチャン集落からも役員が参加
平和への一歩が記された

3月22日(水)


村の中心はイスラム地域、
この丘の上にクリスチャンの小さな集落がある
30年間まったく、交流が途絶えていた。
それどころか、終始対立し、2008年の戦闘もここから勃発。


校長先生が村人に説明する


小屋の外にも村人たちが


この方が、新しく選ばれた村長さん

しかし、日本政府のJICAが、学校建設を決定。
そのための集会が、クリスチャンの役員を交えて話し合われた。
このようなことは、初めての事だ。
すでに記事にも書いたが、MCLでは、両地域に保育所を建設
クリスチャン地域で、山元しんぷさんが、ミサをあげ読み語りをして
両地域をつなげてきた。
今後は、クリスチャン地域の子と親をイスラム地域に呼んで
建設される学校の敷地で「読み語り」を実施
消えてしまっていた両集落をつなぐ道を、村人たちで開き
クリスチャン地域の子たちが学校に通いやすくする。
学校ができあがったら、校庭で、日本からの訪問者も交えて
平和の祈りを行うことに話が決まった。



プレシデントのアスレーと
副プレシデントのマージーが会議をリード
共に元奨学生だった

マニラの日本大使館主催で署名式典が行われた
3月25日(金)


ミンダナオ子ども図書館では、今回、マカブアルの小学校に次いで二度目


こちらは、三日後にマニラで行われた
大使館主催の式典


草の根・人間の安全保障無償資金協力http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/kaigai/human_ah/index.html

平成22年度草の根・人間の安全保障無償資金協力 J−BIRD案件(9件)合同署名http://www.ph.emb-japan.go.jp/pressandspeech/press/pressreleases/2011_j/39.htm



大使とのサイン交換
華麗なる広間で
なんだか友さん
偉くなったみたい???

ミンダナオ子ども図書館は、現地の切なる要請と、平和貢献に役立つことを確認し
現地の思いを実現するために協力。
ODA草の根無償は、日本の国民の税金を使っているので、MCLも無償で貢献している
人件費はとっておらず査察のガソリン代も自分たちで負担して、ODAのお金は100%現地に・・・

前回建設したマカブアルの小学校は、200名だったのが、現在は600名の子どもたちが通っている
平和がもたらされ、道も建設されて、避難していた人々が帰り、新しい家も建ち始めている


J-Bird草の根無償は
現地のLGOやNGOが対象
MCLは、フィリピンのNGO


現地にも来られ、いろいろお世話になった大使館の(勇敢な)スタッフたち
なかなか情熱的で良い仕事をしている

これ以前の記事を読みたい方は、ここをクリック
2011年1月から3月



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ミンダナオ子ども図書館では、支援者へ真の活動報告が行くように、
自分で撮った写真と記事を、10年以上サイトに随時掲載してきました。
近年、日本の特に青少年の国際化が謳われる中、この記録が学習素材としても注目され、
国際活動へ一歩踏み出したい体験希望者や、悩みを抱えた若者たちの受け入れも決断しました。
また、中高年の方々にも、現地の子供たちの笑顔が生きる喜びになっていることがわかり
夢と真実を伝えるために、活動を年次ごとにまとめ、過去の機関紙もPDFで掲載しました。
ただし、機関誌は2018年4月までで、数年はサイトに掲載しません。
購読されたい方は、自由寄付や奨学生支援等を振り込んでいただければ現地よりお送りします。
隔月にお送りし、そのうちの一回は、MCLで制作した、絵本をお届けしています!
 
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