ミンダナオ子ども図書館日記2014年


9月3日 複雑になりはじめたミンダナオの近況
 今後の活動を調整していくための日本滞在が終わり、ミンダナオに帰ると、子どもたちが大喜びで迎えてくれる。 彼らの顔を見ると、本当にホッとするのはなぜだろうか。真の安らぎがここでは感じられる。



 このような世界、心が日常に生きているのに、なぜ戦争や貧困が作られていくのだろう。
先日、立正佼成会の方々が来られて、戦争被災地の子どもたちに贈る「ゆめポッケ」を今年配布した地域の視察と受け取った子どもたちへのインタビュー、そして来年に親子で来られた場合の配布地域と平和の祈りの集いの開催について話をした。この様子は、「ミンダナオ子ども図書館だより」に写真入りで報告。
 ミンダナオでは、イスラム地域も先住民族の地域でも、いたるところに戦闘の被害にあった集落があり、貧しく、本来はこんな豊かな地なのに、なぜこのような状況に置かれてしまったのだろうかと、不思議に思う。 ミンダナオは、約束の地と呼ばれている心の平和の聖地でもあるのだ。
 ここには、先住民族もイスラムもクリスチャンも住んでいるのだが、本来平和にやってきた。東洋には、かつて人類が持っていた、善悪二元論に左右されない一元論、陰陽五行のような調和があったはずなのだが・・・。
 戦闘は、現地の人々が、起こすのではなく、ミンダナオの外からの力で、戦争や貧困が作られていくと人々は感じている。 「島外からの力が入って来さえしなければ、ここは平和なのになぁ」とは、かつてイスラムの村長が言っていた言葉。


イスラム国:米記者2人目を殺害か 映像を公開
毎日新聞 2014年09月03日 11時13分(最終更新 09月03日 11時57分)  http://mainichi.jp/select/news/20140903k0000e030239000c.html

(前略) 今回発表された「アメリカへの第2のメッセージ」と題された動画によると、実行犯はフォーリー氏殺害犯と同様に英国アクセントの英語を話し、黒ずく めの服装。米軍の空爆に怒りを表明し、「ミサイル攻撃を続ける限り、我々のナイフはおまえたちの国民の首を狙い続ける」と述べ、米国人の殺害継続を宣言し た。また、他国に米国の対イスラム国戦略に同調しないよう要求した。動画には英国人とみられる人質男性が映っており、次の犠牲者になる可能性がある。

 ミーハン報道官は動画の信ぴょう性を情報機関が確認中と説明し「事実なら、罪のないジャーナリストの残虐な殺害だ」とイスラム国を非難した。イスラム国は米国人数人の他、千葉市の湯川遥菜さんも拘束しているとみられる。 (後略)


 国勢情勢の動きが、ミンダナオにも深く底辺で影響していることが、様々な戦争勃発に関連して、感じられて以来。ミンダナオの平和、子どもたちのことを考えるときには、背景としての国際情勢を意識するようになった。
 世界の状況は良くない。中東でジャーナリストが殺害されている。

 先日、訪問規定で、MCLでの大学生の場合、独自の意図で卒論や修論のリサーチに協力することは出来ないと、少し厳しく書いた。あえてメールニュースにも載せた。 ミンダナオでも、ジャーナリストやNGO職員などが誘拐されたり殺害されているので、よほど現地を知って、政府側にも反政府側にも慎重にコンタクトをとってからでないと、特に宿泊などは危険を伴う事。MCLでは、そこまで責任を負いきれないと言う事。
 現地の事情、特にこれから起こる事への動きを察知できない状況の方々からは、「厳しすぎるのでは」という意見もうかがったが、先日、研究者のM氏をピキットに2泊の予定で、文化と農業のリサーチをサポートしたが、市長、副市長、福祉局の行政から軍関係へ、また現地のコマンダーを通して反政府関係へも周到にセキュリティーを事前に確立してからの行動で、現地出身のスタッフも数名宿泊した。
 現地の副市長はそれでも心配で、家屋に宿泊した研究者のために夜私兵を派遣して誘拐に備えたと、先日会ったときに話してくれた。 そのようなことを卒論や修論のために訪れる学生のために事前準備するのは、現地の関係者も大変なばかりではなく、心配ばかりが高じてくるので、現状も踏まえて少し厳しく書いたのだが・・・。 その背後には、ミンダナオの和平に関する現状の不安が関係している。



 想像した通りに、現状は、中東で情勢は厳しさを増し、それがおそらくミンダナオにも流れてくるという動きが見えてくる。 平和構築が崩壊し2016,7年に大規模な戦争が起こったら、子どもたちの救済に命を懸ける覚悟はしたつもりなのだが・・・
イスラム国、再びジャーナリスト殺害か 次の犠牲者も予告CNNhttp://www.cnn.co.jp/world/35053229.html

 (CNN) 過激派組織「イスラム国(IS)」は2日、米国人ジャーナリストのスティーブン・ソトロフさん(31)の首を切断して殺害した場面とされるビデオ映像をインターネット上で公開した。 (中略) ソトロフさんは中東各国を訪れて米誌タイムや外交専門誌、主要紙に記事を書いていた。昨年8月、シリアでの取材活動中に消息を絶った。本人の安全のため当初は公表されなかったが、解放に向けて家族と米政府機関が力を尽くしていた。 ISはビデオで、次に殺されるのは英国人の「デービッド・ヘインズ」という人物だと警告した。米紙ワシントン・ポストによると、この人物はシリアで支援活動に当たっていたが、北部イドリブの避難民キャンプ付近で昨年3月に拉致されたとみられる。   
以下、サイトで読んでください。ここをクリック。

 2016年の和平交渉が決裂したら、最終戦争に向かうというのが、MILFを含むイスラム側の主張だ。 最終戦争の目的は、ミンダナオを独立させて、イスラム国にするための戦争を、ダバオも含むミンダナオ全土で開始するという事で、そのためには手段を選ばない。
 イスラム教徒は、コタバト州や南西の地域や島にだけいるのではなく、ダバオにも、ミンダナオ全土に広がっているから、たとえ米軍や政府軍が、無人戦闘機を使って攻撃してきても、手段を選ばずゲリラ的に戦闘していくというものだ。 ここ最近、中東における過激派組織イスラム国(IS)の動きが気になっていたが、2016年の和平交渉が決裂すれば、ミンダナオでも同様の動きが勃発していくだろう。
 すでに下の記事に書かれているように、ミンダナオからもイスラム国に多くの戦士が参加している。 ここでターゲットになっているのは、アメリカ人であり米軍だが、フィリピンにも米軍駐留を認める契約をアキノ大統領とオバマ大統領が結んだ。 2000年、2001年の比米合同作戦とテロリスト掃討作戦の時、死者を葬ることなく川に流したと言われている戦闘が起き、現地でのイスラム教徒の反米感情は強い。
 そこに、かつて第二次世界大戦で、残虐な行為を働いたとされている日本軍が、集団的自衛権を建前に参戦してくるとしたならば、日本人に対する憎悪も勃発し、おそらくNGOであり日本人が関係しているMCLは、住んでいる多くの子どもたちを含めて極度の危険に落とし込められるだろう。

 

比若者がイスラム戦士に(9月1日のまにら新聞) http://www.manila-shimbun.com/category/society/news214332.html

 ミンダナオ地方ダバオ市のドゥテルテ市長はこのほど、フィリピンのイスラム教徒の若者がシリアやイラクで「イスラム国」(IS)の樹立を目指す過激派武装組織にリクルートされていることを確かな情報筋で確認したと述べた。  それによると、1カ月前に過激派志望のイスラム教徒の若者がミンダナオ各地から続々と中東入りし、約100人に膨らんでいる。イスラム教武装組織アブサヤフやバンサモロ・イスラム自由戦士のメンバーが多いという。  同市長によると、ISはイラク北部の豊富な石油地帯を占領、そこで得た原油をヤミで売買し1日300万ドルを稼ぎ、これを資金源に過激派に興味を持つ若者をリクルート、イラクやシリアで銃撃訓練を受けさせ、戦闘員に育てている。


 日本は、(儲けるために)戦争を意図的に作るための、善悪二元論の操作に、はまることなく、(それを操っているのは、二元論の外側にたって、笑って操作している第三者で、これこそ悪魔と呼ばれるもの?)スイスのように、永世中立国であることを宣言し、技術産業と同時に、観光業で立国していくの良いと思うのだが!
 世界から見ても、日本は小さな島国ながら、山も海も自然が多様で古都の文化も美しい。 最近の「イスラム国」(IS)の動きは、ミンダナオの状況を理解するうえでも大事だと思ってみていたが、予想した通りの展開が見えるので非常に複雑な心境だ。


比政府とMILF、バンサモロ法案めぐり対立(世界日報:マニラ・福島純一)  http://vpoint.jp/world/asia/24668.html 上をクリックすれば、サイトへ移行します。
 16年までの創設に黄信号  今年3月に国内最大のイスラム武装勢力のモロ・イスラム解放戦線(MILF)が、新しい自治政府(バンサモロ)の創設を条件に武装解除などの要求に応じ、政府との包括和平合意文書に調印したことで、比南部ミンダナオ島における和平問題は大きな前進を果たした。しかし、ここにきてバンサモロ基本法案の内容で再び見解の相違が浮上。基本法案の国会提出が大幅に遅れており、アキノ大統領の任期が終了する2016年までの和平実現に、黄信号がともり始めている。 同様の英文記事は、以下のサイトにも出ています。 INFO

 8月18日の世界日報オンライン版で、上の記事が掲載された。まさに、私たちが心配している事が現実になりつつある。 つまり、2016年の総選挙までに、和平交渉が合意される可能性が、次第に薄れてきている。 2008年の時も、マレーシアで合意の直前に交渉決裂。80万の避難民が出る戦争に突入した。
 当時は、私も、単純に和平を信じていたが、あっけない展開に、こうした交渉の持つ背後の意味を模索すると同時に戦争を作るシステムを考えざるを得なくなった。 今回も、いよいよ疑問がわき始めた。 ダバオからコタバトの道路建設もほぼコンクリートで完成したし、アメリカ軍も10年間駐留することが決定したし、2000年の時に米軍と政府軍が共同でMILFを攻撃して、100万を超える難民が出た以上に、場合によっては、2016年には、米軍といっしょに、集団的自衛権の実行で、NGOを救済するという理由で、日本軍も戦争へ参戦するのではと、現地ではすでに噂されている。
 そのNGOとは、MCLの事のようだと現地では言われていて、その前あたりに、松居友を誘拐して事を荒立てて報道を仕掛けるのではと・・・本気で話が聞こえてくる。

 戦争を起こす準備段階として、今までも見てきているのが、爆弾事件と誘拐事件だ。
 今起こっているイスラム国の事件も、誘拐や殺害、爆弾事件がマスコミでは「反政府組織の仕業」と報告されるが、過去いくつもの現地での事例から聞こえてくるのは、表向きは反政府組織と言われているが、現実はかなり疑問だという声だった。 先日の保護者のミィーティングでも、イスラムの人々から、来年は、子どもたちをMCLに預けたいという親や保護者が沢山出てくるだろう、と言う事だった。
 2016年に起こるだろう戦争から子どもたちを、少しでも守るように、来年2015年に、MCLに子どもたちを移したいと言う事だ。 やれやれ、とにかく、子どもたちの事を考えて、彼らの救済の準備を始めなければならない!
 ミンダナオが戦争になっても、日本軍だけは、出てきてもらわない方が、私も子どもたちの救済に安全に向かえるのですが!


      久保山真由美さまからのお便り
訪問の際は大変お世話になりありがとうございました。
帰国して、あ〜日本ってなんて幸せな国なんだろうと改めて思いました。当たり前の日常にもどったのに、何か物足りない…   MCLの子供達の笑顔…
そんな時に目に飛び込んできたのが、高一の少女が同級生の少女を殺害
[人を殺してみたかった]
[解剖したかった]  
が殺害の理由     なんともやるせない
こんな豊かな国なのに…
長男が初めてフィリピンから帰国した時の第一声が、 「日本人の目は死んでいるよ。 フィリピンの人は豊かではないけど目は輝いているよ」と言ったことを思い出しました。
MCLの子供達に会った時にも、長男が言った「日本人の目は死んでいるよ」の意味が分かったような気がしました。
この目 
キラキラ輝く目 
屈託のない笑顔     これだと…
時間に追われて仕事して、疲れはてていた心を癒してくれました。
自分の無力さも、実感させてもらいました。仕事が高校の食堂の調理をしているので、調理しているところを見させてもらいましたが、MCLの子供達はたくましかったです。 普段 スイッチをピッと入れるだけで、ガスが付きご飯が炊ける。私は火をおこすことすらできない…
そして子供達は、壊れたスリッパをむだにすることなく、スリッパに火を付け種火にもしていた。すばらしい百人分の食事を作るのも、すべて子供達  ガスではなく焚き火で… MCLを訪問したことで、日本ではなかなか出来ないことができました それは、時計を見ないですごすこと. 昼寝  読書  ゆっくりとした時間の流れで、充実した時間を過ごす事ができました。 山 岳の村に行ったのも、貴重な体験をさせて頂きました。次男が言ったように別世界でした。 が 羨ましくもありました。 村の人々の生活は大変だとうかがいましたが、日本では感じることができない「生きてる」「命を頂く感謝の気持ち」を改めて感じまし た。宿泊させて頂いた家のお父さんに、調理して頂いた鶏の煮込みは、とっても美味しかったです。 貴重な鶏をありがとうございました。 何も考えなくていいのであれば、ここの生活もいいかなと思いました。 MCLの子供達に会えなくなって、一週間程しかたってませんが、会いたくて会いたくて何してるかなぁ 今学校かなぁ、と思う日々です。 いつになるかわかりませんが、また子供達に会いに行きたいです。 幸せな時間をありがとうございました。 私が働いている高校は、福岡県の浮羽工業高校といいます。ここの自動車部は  空飛ぶ車いす  という活動をしていて、壊れた車いすを分解修理し、タイ 台湾 などアジアを中心に訪問寄付してますので、車いすが必要ならば声をかけてください。 いつでも頂くことができます。 
ミンダナオ子ども図書館・漂流記 
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7、高校時代は、ほとんど引きこもり状態で
 事実、ミンダナオと沖縄のつながりは深く、おそらくは太古の昔にまでさかのぼるのだろうけれども、近年においても、ミンダナオには、戦前まで東洋一の日本人町があった。ダバオやカリナンには、20万人を超える日本人が住んでいて、特に沖縄や鹿児島出身の人々が多く、現地のマノボ族やバゴボ族と結婚して、マニラ麻を栽培していた。  
 ぼくは、中学高校のころから、学校の授業で得られる知識には、あまり興味がわかないで、自分で気に入った本を読み漁る方だったけれども、読書に熱中しているときは、今から考えると精神的にはほとんど引きこもり状態で、小学生の頃からはじまった経済の高度成長とともに人々が、本来の人間性を失っていくような感じがして、しだいにこの世に嫌気がさすと同時に、死について感じ考え続けた。  
 ミヒャエル・エンデの書いた児童文学『モモ』の灰色の男たちが、町中を徒党を組んでうろつき回り始めた感じだ。  
 高校時代は、ヘルマン・ヘッセやトーマスマン、ドストエフスキーやサガンなどの小説もよんだけれども、キルケゴールやニーチェといった哲学書にも興味をもった。実存と死との関係を考察するのに役立った。  
 キースジャレットのジャズや岡林信康のフォーク、そしてモーッアルトもよく聞いた。アルフレート・アインシュタインのモーッアルト論を読んで、死に関する手紙を知り、芸術と死との関係についても考えた。  
 70年代の学生紛争が盛んな頃で、高校の友人などは、学校封鎖を行ったりもしたが、ぼくは右にも左にも進むことなく、第三の道を探求した。虚無の背後にある死の探求。結果的に今考えると、引きこもりで厭世的、実存主義的で無宗教。   
 そして、一人死を越えるために、死を正視し、死に戦いを挑もうとして、意識的に死に向かって歩き続け、最後の死の恐怖と精神の崩壊の瀬戸際に立った。
 台地は大きく揺れ動き、発狂と自殺衝動の寸前に枕元に黒い女性があらわれ、ぼくに言った。  「あなたは、じゅうぶんやったんだから、今は休みなさい。」
 非現実的な体験だったが、死を超える愛の実体験で、死の瀬戸際で自分の命が救われたことを知った。
 自分が何故救われたのかわからなかったが、その後、世界が輝きだした。人間の作った文明は輝かなかったが、自然界や人、特に子どもたちは光のように輝きだした。アルバート・アインシュタインの相対性理論を思い出しながら、この世は光の収縮と膨張で形成されているのかと思い始めたのは、この時期だ。
 その影響もあって、大学では、授業にはあまり関心はなかったけれども、木村直司教授のもとで、ゲーテの錬金術的な宇宙像をテーマに論文を書いた後、欧州でふらふらしながら、日本に戻ってきた後に、日本を含むアジアの宇宙観に関心をもちはじめた。
 というのも、ヨーロッパの中世錬金術的な宇宙像を深く探求すればするほどに、心理学者のユングが『心理学と錬金術』やゼーデルマイヤーが『中心の喪失』などの建築理論で述べているように、西欧思想も、元はといえば中国の陰陽五行などともつながっていることがわかってきて、ウノ・ハルバの『シャマニズム』などを読みさらにそれを深めていくと、農耕牧畜文化以前の狩猟採集文化の宇宙像が土台になっていることが見えてきたので、日本で絵本の編集者をしつつ、シベリアのシャマニズムを通して、北海道のアイヌ文化に惹かれていった。
 アイヌ文化に引かれた理由は、日本の民族文化の中に、世界に通じる驚くべき世界観がやどっていて、物質文明に犯されて行きづまった今の文明を乗り越えて、21世紀からはじまる新たな文明を拓く、基盤となる宇宙像があると感じたからだ。  編集の仕事はおもしろかったが、本を通して物事を見ることに飽きてしまい、実体験をもとめて出版社を辞めて、北海道に移住し、先住民族のアイヌの古老を訪ねては話を聞き、その体験は、『火の神の懐にて』という本にまとめた。
 その後、精霊の導きによってか、ぐうぜん沖縄の宮古島の離島、池間島に滞在して、神謡とともに生きる古老の心にやどる死生観、宇宙像(コスモロジー)を聞き取りして、それらをまとめて『沖縄の宇宙像』という本も書いた。
 そのとき池間島にいた前泊徳正おじいが、池間のこの辺の漁師たちは、ミンダナオを超えてボルネオまで漁をしに、昔から今でも舟で行くよ、と言っていたのを思い出す。
 沖縄的でミンダナオ的な思考をすれば、そのころから、妖精たちが、ぼくを次には、ミンダナオに放りこもうと準備していたのではないかと思う。

 8,こんなに、神事を知ったら、あんた死ぬはず。
 沖縄とくに宮古島や石垣島の人々にとっては、フィリピン人は、台湾人とともに、大和人よりも地理的歴史的にはるかに近い隣人たちだ。精霊を信じて生きている生き方や、隣近所とのコミュニティーの関係も食べ物すらも・・・。
 宮古の池間島にいると、石垣沿いに小さな家の中が見え、数人の人が集まって泡盛を飲んでいる。すると、おばあの一人が、通りすがりのぼくを見つけて言う。
 「ジャー、アソビッタイ、アソビッタイ。」
 「さあさあ、中に入っておいで、いっしょに飲んで食べて、踊っておゆき。」
 ミンダナオの小道をゆき、外のプロックという掘っ建てで、数人あつまって食べて飲んでいると、必ず同じ声がかかる。
 「カオンナ、カオンナ、リンコッドナ。」
 「食べな、食べな。休んでゆきな。」
 沖縄で過ごしたことのあるぼくには、何しろ食べ物が沖縄とそっくりで、全く外国に来た気がしない。
 基本は、塩のきつい干し魚と塩からだが、ニガウリを使った炒め物のゴーヤチャンプルや煮込みうどん等々、実に沖縄料理とよく似ている。素材の下味を重視して、ニンニク、小型のタマネギ、小型のトマト、ショウガを使うところから、お酢にニンニクとショウガ、唐辛子を入れた調味料。カボスを醤油にいれて小さな唐辛子をおいてつぶす作法まで、本当にそっくりだ。  マグロの刺身をキュウリとお酢であえた刺身もうまいし、お菓子に至っては、チマキ(ミンダナオではバナナの葉で包む)や芋ようかんなど、和菓子の原型と思われるものがたくさんあって、ベースがあまりに日本食に近いので人によっては特色がないなどと言うが、日本食の土台に、世界の美味料理の中華料理とスペイン料理がまざったようで、実においしく飽きがこない。
 沖縄では、ウタキを中心に死生観や神事についても聞き取りをして、『沖縄の宇宙像』という本にまとめたが、そういえば、沖縄のウタキと呼ばれる神聖な場所を守っているおばあの一人が、ぼくが沖縄の神々の世界を解き明かす本を書いた後に言った言葉が忘れられない。
 「こんなに、神事を知ったら、あんた死ぬはず。」
 死にはしないで、今も生きているけれども、確かにその後、落ちこんで鬱状態になって、それがきっかけで北海道の神父さんに「どこか、アジアの国に久しぶりに行って、気分転換をしたいと思うのですが、」と話したら。
 「アジアはよく知らないけれども、ミンダナオなら同僚の神父が、孤児施設にいるから、紹介は出来るよ。」と言われた。  フィリピンは、あまりアジア的だと思えなかったし、特に関心がある国ではなかったけれども、「孤児施設」と言う言葉に惹かれて、行ってみようと決心した。若いときから、子ども好きだったこともあって。
 今思うと、亡くなった沖縄のおじいやおばあ、アイヌの古老や精霊たちが、ぼくが無駄に命を落とさないために、ミンダナオに投げこんでくれたのかなあと思わずにはいられない。

 6,フィリピンといえば、日本の隣の国。
   フィリピンといえば、日本の南隣りにある島国で、調べてみると島数は、なんと7107もあるという。
 北の大きな島はルソン島。南の大島はミンダナオで、ミンダナオ島の大きさは北海道と四国を合わせたくらい。
 古代からすでに南米からインディオたちが黒潮に乗って、ミクロネシア、メラネシアに到達していた。
 南米のインディオたちが筏に乗って、イースター島を経由してミクロネシアやポリネシアにまで来たことを、実践して証明しようとした人類学者が、ノルウェー出身のトール・ヘイエルダール。
 彼は、当時の記録にしたがって自ら筏を建造して、南米からミクロネシアに向かって冒険航海をしとげたが、そのときの記録が『コンチキ号漂流記』。
 ぼくも、小学校高学年の時に、児童文学で読んで、南洋の冒険に憧れたことを思い出す。そのときの記憶があこがれとなって、無意識のうちに今の活動にもつながっているような気がする時がある。
 フィリピンの民族構成は、南洋の島々から渡ってきたミクロネシアとポリネシア系に、大陸の南、マレー半島から渡ってきたマレー系の民族が混ざっているいるのだと言う。
 300年前、ヨーロッパからスペイン系のキリスト教徒がやってきて、フィリピンを植民地化するすでに100年以上前、マレーシアからイスラム教徒がミンダナオ島に入ってきて、西海岸のコタバトに王国を築いていたという。まだそのころは、フィリピンに王国というものはなかったから、フィリピン最初王国はイスラム国家だったのだ。
 そのころすでに、ボルネオからインドネシアにいたる南シナ海一帯の島々は、イスラム教徒が活躍する商業文化圏だったというから、マレー半島からイスラム教をもたらしたのは、マレー系の人々だったろう。
 確かに、ミンダナオ島で活動していると、かつて平地にすんでいて、今は山岳地帯に追われた先住民族のマノボ族やバゴボ族、ビラーアン族やマンダヤ族は、(ミンダナオには、約十二部族があって、それぞれ言語が違うという)原住民とよばれていて、色黒で小柄で髪の毛がチリチリしていて、ミクロネシアやポリネシアの島民に似ている。たぶん古代から、黒潮に乗ってわたってきた南方系の住民たちの血が混ざっているだろう。
 そこに大陸の南から、比較的色白で背が高く、髪がまっすぐなマレー系の人々が入ってきて混血し、現在のフィリピン人の基礎ができたと考えられる。
 確かに、ミンダナオの西に多いイスラム教徒や、島外のセブやルソンから移住してきた人々も、高地の原住民と呼ばれる人々とは多生異なっていて、髪の毛がまっすぐで背も多少高く、色もそれほど黒くない。
 これらの古代の人々は、近代にいたるまで、筏や舟をあやつって、漁をしながら黒潮に乗って、フィリピンからさらに台湾や沖縄列島をぬけて、日本にまでやって来たと言われているから、フィリピンは、古代から日本とも深い関係を持っている国なのだ。
 もちろんそれ以外にも、中国大陸から、中華系の人々がたくさん移民してきているし、スペイン人との混血もいるし、ミンダナオの場合は、さらに日本人がダバオ地域に入植しているから、現在のフィリピン人は、それらが総合的に集まった種族の吹きだまりと考えられる。
 日本人の祖先の血には、太古の昔から、フィリピンを抜けて、黒潮に乗って沖縄列島を上って鹿児島に上陸し、九州や四国に広がっていった、南方のミクロネシア、メラネシアとマレー系の海洋民族の血が入っているということは、遺伝学的に確かなようだ。
 加えて北からは、シベリア大陸から樺太を抜けてやってきたアイヌ系の民族がいて、東北では蝦夷と呼ばれて、関東から中部地方にまで広がっていた。
 彼らは、後の時代に、大陸から移動してきて稲作を広めた弥生系と、その後の大和朝廷の蝦夷征伐によって、北に追われる前まで、縄文文化を形成し、諏訪の御柱の祭りなどは、そうした縄文文化の名残を残しているという。
 さらに弥生時代には、大陸から今の朝鮮中国系さらにモンゴル系の人々が、朝鮮半島を抜けて北九州や出雲地域に上陸し、稲作文化を伝えていった。
 その後、大和時代には、琵琶湖をわたって南下し近江にたっし、そこから京都や奈良に入っていき、天皇家を中心にして大和国家を形成し、北方の蝦夷征伐を進めていった。
 ぼくの父方の先祖は、近江商人だというから、おそらくは古代大陸から来た朝鮮中国系で、母の方は能登だから、縄文系かもしれない。
 そんな歴史をかえりみると、日本人は単一民族だなどというのは、とんでもない話であって、フィリピン同様に、ユーラシア大陸の東の端の、民族吹き溜まり列島だったといえよう。
 特に、沖縄の南部の島々は、地図で見ると日本本土よりもフィリピンに近く、沖縄文化は、アイヌや蝦夷、大和文化とも異なって、本当にミンダナオの文化とよくにている。

松居様

この度は急なお願いにも関わらずご対応頂き有難う御座いました。

以下訪問の感想をお送りさせて頂きます。

 

感想

1訪問の意図

 私は東京の城東地区で20年に渡り学習塾を営んでいます。ちょうど阪神大震災の年、1995年からこの仕事に携わっています。それまでの塾の使命は生徒さんを少しでも偏差値の高い学校に入学させて上げる事でした。いい学校に入ればいい会社に就職でき、いい将来が待っている。そんな日本人の幸せ方程式の第一歩を叶える仕事でした。
 
1995年と言えばバブル崩壊が鮮明となり、97年には山一証券が破綻し、魔の就職氷河期が始まった年。大卒者の3人に1人が正社員として就職できない現実から、教育界では学歴では無く実力や生きる力が大事だと言われ出した頃で、学習内容3割削減や土曜休校につながって行きました。
 教育改革が叫ばれました。しかし一向に変わりませんでした。
それまでの様に教育=学歴と言う教育が続きました。相変わらずいい点を取る事、いい学校に入る事、いい会社に入る事が教育の最大の目的でした。気付くと子供達の学ぶ意欲、将来への意欲、は低下し、大人の幸福度は世界で43位にまで落ち込んでいました。
 日本の子供達は勉強が出来る子も、そうでない子も皆勉強が好きではありません。厳密には徐々に嫌いになっていくと言った方が良いでしょう。調査では高校生の中で“勉強が好き“”どちらかと言えばそう思う“と答える割合は全体の2割にとどまっています。
 
また、日本の大学生で1週間の学習時間が10時間に満たない学生の割合はなんと85%にも上ります。ニートは180万人とも200万人とも言われています。引きこもりは全国で60万人。働き甲斐を感じて仕事をする大人は半数にも満たず、現在心の疲弊を感じている大人が69%にも上り自殺者は年間約3万人、親が子を殺し、子が親を殺し、年老いた親は老人ホームで最後を迎える。これが今の日本の現実です。

 

2日本の教育を何とかしたい

 どうして日本の子供達の学ぶ意欲はこれ程迄に低下してしまったのか?
日本人の働く意欲、生きる意欲は低下してしまったのか?
 
私たちは長年この課題に向き合って来ました。そして得た仮説が「本当の学び」の必要性でした。
 
日本人は“入る”為に勉強していると言っても過言ではありません。いい高校、いい大学、いい会社に入る為に、学歴や社歴が目的で小さい頃から勉強しています。いや、させられています。この教育目的を変えない限り、点を取っていい学校に入る為だけの教育を変えない限り、日本人の学びに対する意欲は、しいては働くこと、生きる事に対する意欲は高まる事は無いでしょう。
 そこには学びの本来の目的は不在です(発展途上の国で、学歴が将来の生活を保障するのであれば、それは学ぶ意欲につながって行くのですが、日本は既になんでも揃っています)。本来の学びとは人としての成長の為の学びです。自分の知的好奇心を満足させるた為に学ぶ、自分の価値を高める為に学ぶ、自分を豊かにする為に学ぶ、そして多種多様な学びを通して高まった自分の商品価値や学ぶ過程で見つけた自分らしさや自分の得意で仕事をする、こう言う学びとその結果の仕事とが日本人には必要だと、これが私たちの結論でした。
 一言で言えば自分を磨いて社会から必要とされる存在になる事。それこそが学習本来の目的だと考えました。

 

3体験を興味に、興味を学びに~世界をもっと知る事の重要性

 しかし日本の子供達の学習に対する意欲をどう喚起するのか?
 飽食で何不自由なく、ゲームや携帯を
小学生の頃から持って、良い点数を取る為の勉強を幼少の頃からさせられる事で完全に学習意欲を失いる子供たちの意欲をどう呼び起こすのか?
 また、家と学校と塾のトライアングルゾーンでしか生活をしていない子供達。何かを経験するという事が極端に少ない子供達。どう考えても環境として
は学習の誘因は見当たりません。 人は行動する事で次の行動のきっかけが得られます。旅行に行く前は面倒だから家でゆっくりしようかとも思っても、行ってみるとまた来たいと思うものです。
 学校説明会
等も行く前は別にそんな学校大して行きたくないと言っていても、いざ行ってみるとここがいい、となります。そう考えると今の子供達は行動が少ないから学ぶ意欲も少ないと言えるかもしれません。家と学校と塾の三角地帯で関わる大人と言えば親と先生としかいない、経験の少なさ、交流の少なさ。もっともっと経験を、体験をし、人と接し、世界を知る事は出来ないものか?
 自分の周辺の世界が全て
では無く、世界にはもっと多種多様な現実があり多種多様な人種が住み、心踊らされる出来事も、悲しみに打ちひしがれる出来事も、自分の力ではどうにもならない現実もある事を知って欲しい。

 

4ミンダナオの現実~本当の豊かさとは

 そんな時にミンダナオ子供図書館の事を知りました。松居さんの事を知りました。
 東京でスライドを基に
お話し頂いた現実は、私にとっても非日常でした。新聞や雑誌では知っていた“つもり”でした。東南アジアの厳しい現実、それは日本に住む人達にとって、知ってはいるけど決して生活の中に入り込むものではありません。 授業で取り上げる先生もほとんどいないでしょう。世界史でも地理でもフィリピンや東南アジアの現実はほとんど触れられません。触れたとしてもそれはテストの対象であり、考え何かしらの行動を促す対象ではありません。
 
家の手伝いをする子供は見かけなくなりました。食べ物は残さず食べなさい、と言う親は見かけなくなりました。一家がそろって食事をしたり団欒をしたりする事も少なくなって来ました。
 子供にも部屋が与えられ、一つ家の中にいても別々の空間で生活しています。 親が口を開けば勉強しなさい、テストでいい点を取れば褒められ、そうでないと叱られる。 子供は携帯やゲーム機ばかり見つめています。物を買ってくれるといい親で、
勉強の事を言うと「うざい」と逆切れし、親は言って聞かせられない状態です。
 進学の事でも親子で親身に話し合う事は少ないようです。
服や靴は磨り減る迄使いません。鉛筆や消しゴムもまだまだ使える段階で使われなくなります。多分新しい物が欲しくなって買ってしまうからです。 部活に使う道具は数万円とかかります。多くの家電製品もまだ使えるのに捨てられます。
 蒲団も自転車も家具も食べ物も。
日本の年間の食糧廃棄率は世界1です。海外から毎年5400万トンもの食物を輸入して実に1940万トンも廃棄しています。金額にして約11兆円。5000万人が1年間食べられる量です。確かにフィリピンの人よりもお金は稼ぎます。町は安全です。義務教育も受けられない人もいません。
 家もあります。食べ物もあります。 でもそこには無いものがあります。
子供達の笑顔です。寄り添う姿です。親子や仲間との交わりです。人への関心です。我慢です。

 ミンダナオ子供図書館の子供達はみな驚く程笑顔でした。にこやかで愛くるしく寄って来ます。
 朝、暗いうちに起きて朝食の準備をします。5時前には起きていました。 100人分の食事を創るのですから、たり前と言えば当たり前です。 食事はご飯とおかずが1品です。私が食べた食事はご飯と干物1枚でした。
ご飯とスープと振りかけでした。ご飯と魚の煮物1つでした。
  でも、当たり前ですが文句を言う子はいません皆美味しそうに食べていました。 残す子もほとんどいません。後片付けも年齢に関係無く皆で遣ります。
自分の服は自分で洗濯をします。朝食前に洗濯桶で手洗いし、庭の物干し用のロープに干していました。 共用部分の掃除をします。当番で無い子は本を読んで待っていました。一人の子が読んでいると小さい子が寄って来ます。一人来て二人皆で寄り添って本を読んでいます。皆本当に仲良しです。
 訪問させて頂いたのが土日だったのでバスケットをしたり外で基地を作ったりして遊んでいました。
勿論ゲームなどありません。物はありません。 親のいない子も多いです。 でも人と人のつながりはとても強い事が解りました。宗教が違っても、年齢が違っても、性別が違っても、皆仲良く寄り添って笑顔で暮らしていました。
 
勿論日本にもいいところは沢山あります。フィリピンの良くないところは沢山あります。 しかし今回の滞在での幸せとは何かを考えさせられました。お金があるに越したことは無いと思います。
 しかしあればあったで失う物も出てきます。貧困は人々を苦しめます。しかし貧しいからこそ得られる物もある。 そんな思いが得られた訪問でした。
本当に良い経験になりました。 沢山考え沢山思い、多くの思いを新たにしました。 快く迎え入れてくれたスタッフの皆様に心よりお礼を申し上げます。 有難うございました。 次回お会いできる日を楽しみにしております。

 

(株)ジプロス 鏑木 稔 http://jiproce.co.jp/

宅配便のフォレックスジャパンから、ミンダナオ子ども図書館に限り 特別の割引を行います、という連絡が入りました。 物資支援のサイトにも掲載しましたが
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/busshi.htm 以下のようになります。
株式会社 フォレックス ジャパン (FOREX JAPAN) フリーダイヤル:0120?77?3583 TEL: 03?5755?7291 FAX: 03?5755?7292 〒143-0001 東京都大田区東海4-3-1 日本語でのご連絡は上記の電話番号、 または以下のメールで中三川(ナカミガワ)まで。 nakamigawa@forexjapan.co.jp www.ForexJapan.co.jp
日本国中、4種類の箱をお届けしますので、 支援物資をお詰め下さい。 東京から毎週月曜日に出港。 4?6週間でミンダナオ子供図書館に届きます。 ミンダナオ子供図書館に支援物資をお送りになる場合は、 以下の通常料金から、ジャンボ・ラージ(大)の1箱につき1,000円 ミディアム(中)・スモール(小)の1箱につき500円 の値引きをさせていただきます。

ジャンボ (73 x 55 x 62cm) : ¥12,000 ラージ (72 x 45 x 55cm) :  ¥11,000 ミディアム (62 x 55 x 36cm) : ¥8,000 スモール (55 x 26 x 36cm) :  ¥6,000 ミディアム 2箱特別価格: ¥12,000 *通関料などは全て込みの料金です。 *関東地区及び静岡県と愛知県からの集荷は無料です。
 それ以外の地域からの集荷には、ジャンボとラージ一個につき千円、  ミディアムとスモール一個につき500円の料金が追加されます。

ミンダナオ子ども図書館・漂流記 
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5,さすがにショックだった。
 
 車は、ピキットの市内に入る手前のパガルガン・ピキットで止まった。
 「ここはARMMといって、フィリピン政府から半ば独立したイスラム自治区です。あの白い建物が役所。でも、一般の州とちがって、警察や軍の管理下に入りにくい地域なので気をつけてください。絶対にわたしたちから離れないように。身代金目的の誘拐が起こっても、少しもおかしくはない場所ですから。」
 バリエス司教は、そう言うと、車から下りた。
 後ろの荷台から、数人のおつきの者たちが飛び降りて、すぐに司教の周囲を囲んだ。ぼくたちも、車から下りると、その仲間に加わった。
 目の前には、一階建ての白い役所の建物が見える。しかし、役所のまわりにはこれといった家もなく、店もなく、町といった感じはまったくない。  それどころか、役所の庭にも、広場の大木の下にも、穴だらけの国道沿いにも、どこにもかしこにも青いビニールシートがはられ、避難民たちが、シートの下にしゃがみこんだっきりボーッとしている。
 そのころぼくは、ミンダナオの歴史については何も知らず、司教が言ったイスラム自治区(ARMM)が、モロ民族解放戦線(MNLF)の30年にわたる独立闘争のすえに、1990年に成立した、イスラム教徒による自治区であることも知らなかった。
 自治区というのは、政府が特別にモロ民族解放戦線の自治にゆだねた場所のことだ。それだけに、ぼくが誘拐されたとしても、フィリピン政府の手が入りきらない可能性の高い地域なのだ。
 司教はさらに言葉をつづけた。
   「さっき、大きな河をわたりましたね。この先にも河がある。この町の左手奥にはリグアサン大湿原が広がっているんです。もしここで誘拐されて、手足を縛られたまま目隠しされて、小舟に乗せられ、反政府ゲリラのいる島に運ばれても、誰も救い出すことができない。湿原地帯は、ゲリラたちの拠点なのです。」
 ぼくは、フィリピンに来る前まで、ミンダナオ島に、イスラム教徒がいることすら知らなかった。そんなぼくが、今目の前にしている戦争避難民の置かれている状況を目の当たりにして、「その原因が何か」を理解しようにもできなかった。
 日本の世界史の教科書は、フィリピンには、300年前にスペイン人が入植し、キリスト教がもたらされ、アジアでは珍しいカトリックの国であることは書かれていても、それよりもさらに100年前に、すでにミンダナオにはイスラム教が布教され、フィリピンでは初めての王朝が出来ていたことなど知る由もない。
 役所の方から、小太りの女性が近づいてきた。案内をしてくださるソーシャルワーカーだという。
 その女性の後について、ぼくらは、難民キャンプと呼ばれているこの一帯を歩き始めた。
 歩きながらまわりを見ると、疲れ果てたような女の人、そして 子どもとお年寄りがほとんどだ。なかにはシートの下から出て木陰で話をしている人もいるが、午後の炎天下のせいか、ほとんどの人がシートの下にこもっている。 「男の人たちは、どうしているんですか。」
 ぼくが、同行者の女性にたずねると、小太りで母親らしい女性は、こう答えた。
 「そうですね。土地があるひとは、危険をおかして自分の畑にもどって、植えた野菜が少しでも残っていないか、探しにいっているかもしれないけれど・・・」
 しばらく沈黙したあと、彼女は、少し言葉を濁すように言った。
 「多くの男性たちは、戦っているのです。」  「えっ。」
 イスラムの男性たちは、普段は漁民や農民たちなのだが、戦争がおこると、妻子を難民キャンプに残して、戦場におもむくというのだ。確かに、ここに残っているのは、女性と子どもたち。男といえば、老人か少年たちで、日本の中高生にあたる若者たちもほとんど見かけることはなかった。
 彼らが、戦っているとしたならば、正規軍ではないはずだから・・・。
 たしかに、周辺の山々からは、散発的に大砲の音がドドーン、ドドーンと聞こえてくる。
 子どもたちも、大人たちも、そうした砲声には慣れきっているのか、避難シートに座ったまま、大砲の音がしても、 特別な反応をしめすこともなくぼんやりとしている。
 バリエス司教は、案内の女性にたずねた。
 「ピキット教会のライソン神父は、どうしていますか?」
 女性は、三つ又に編んで後ろにゆわえた髪を、左手でたくし上げながら言った。
 「いま、教会仲間で、市のソーシャルワーカでもあるグレイスさんといっしょに、戦闘地のなかを駆け回っていますよ。残された子どもや女性を助けるために!」
 「残された子どもや女性って!なぜ難民キャンプに収容しないんですか?」
 おつきの者が、驚いてたずねた。
 「一部の村は、反政府ゲリラよりだという理由で、町の難民キャンプにも入れさせないのです。」
 「それは、ひどい!」
 「それで、教会の神父や教会員が、命がけで救済に向かっているというのですね。」
 「ええ、そうです。時には、爆弾の落ちるなかを!」
 ぼくには、驚くべき話だった。
 ミンダナオでは、クリスチャンとイスラム教徒は、てっきり反目しているのだと思っていた。
 ぼくは、その女性にたずねた。
 「つまり、カトリックの信者が、反政府組織と呼ばれているイスラムの人々を、命がけで救済しているというのですか?」
 「そうです。隣人を放っておけないでしょう。」
 「今、起こっているのは、宗教戦争ではないのですね。」
 困惑したような顔をしている女性を見て、バリエス司教が言った。
 「現地では、クリスチャンもイスラム教徒も、比較的仲良くやっているんですよ。特に、ここからコタバトにいたるイスラム地域で、戦前から長く活動してきたオブレート会はね。」
 案内の女性が言葉を継いだ。
 「第二次世界大戦中に、日本軍がここに攻めてきたときに、イスラムの人々をかくまって助けたのも、オブレート会の神父たちだったんです。
 隣のピキットの街中には、日本軍が駐留していたスペイン時代の要塞跡がありますよ。地下にはいくつもの防空壕があって、遺骨や遺品が残っているようだけれども、何しろここが、危険地域なので、いまだに日本政府も調査団を派遣できないでいるのです。
 まさにここが、日本軍と米軍の激戦地で、いまだに湿原地帯には、当時逃げた日本兵の末裔がいますよ。イスラム教徒になっていますがね・・・。」 ぼくの父方の叔父も、ミンダナオではないけれども、レイテ島で戦死している。海軍の医師で、スペイン語もたんのうで踊りもうまく、ずいぶん現地でモテたらしい。遺体も何も見つかっていない。
 これは、後になって、ぼくたちが現地で活動し始めて、起こったことだけれども、病気を治してあげたイスラム教徒の子どものお父さんが、ぼくの耳元で、「自分の祖父は日本兵だった」、と語ってくれたことがあった。
 同様のことは、山岳地域に住む先住民のマノボ族の人々からもしばしば聞いた。


6月25日 ミンダナオ子ども図書館では、毎年5回、現地から季刊誌「ミンダナオの風」をお送りしています。
今年から、毎年一回、特集号として絵本かDVDを送ります。 前書きに次のように書きましたが、今後のMCLの10年の方向性を示唆する文を掲載しているので 今回特別に、PDFで読めるようにしましたので、クリックしてごらんいただけます。 ここをクリック
以下、季刊誌のまえがき 次世代の若者たちを育てる場  MCLのこれからの10年のテーマは、農業と文化。文化活動の一貫として、従来の機関誌の発行とともに、現地の生活や文化、民話を題材にした、絵本やドキュメンタリーの制作を視野に入れています。
 若者たちと民話を収集、絵本の画家や作家、編集者を育てたり。自由寄付を活用して、絵本を見たこともない現地の子どもたちに、自分たちの生活が舞台になった絵本を無償で提供し、たとえ貧しくとも豊かな心の素晴らしさを認識してもらうのが目的です。
 それと同時に、現地の出版社や日本や海外の編集者とも協同して、日本をはじめ海外の多くの子どもたちにも、素晴らしいミンダナオの子どもたちの世界を伝えていく予定です。  機関誌希望の方は、わずかでも自由寄付をお送りくだされば登録します。
 「機関誌を生きがいにしている」という手紙をよく受け取ります。お年をめして、一人暮らしだったり経済的に厳しい方には、わずかな寄付でもお届けします。喜んで読んでいただけるだけで幸い! 不要な方は、メールか日本窓口にファックスでご一報ください。裏面に記載してあります。


かつて高校生の時に、ミンダナオ子ども図書館を訪れた高木くんから、メールが届いた。 立正佼正会が戦闘地域の子どもたちに配るゆめポッケを、高校生の時にいっしょに配った。 その思いから、今は中央大学の国際経済学部に入学し、貧しい国々の経済を考え、貧困からの救済をテーマにする学科に入った。 感動的なメールだったので、本人の許可を得て掲載します。6月17日


松居 友様

 

こんにちは。 ご無沙汰しております。

お身体お変わりありませんでしょうか?

 
新生活に慣れるまで時間がかかってしまい、お礼が遅くなってしまいましたが、4月の画廊ではお会いできて、とても嬉しかったです。ありがとうございました。 MCLの子ども達も元気ということなので、よかったです。松居さんのお話やMCLの活動の映像を見ることができて、当時の気持ちや大学に進学するにあたっての決意など様々なことを思い出しました。
僕自身、「ゆめぽっけ」で松居さんやMCLの子ども達と出逢い、大袈裟ではありますが、人生が大きく変わりました。いかなるものにも勝る思いがミンダナオ島で湧きました。大学も途上国の発展に寄与できる自分になるという明確な目標を持って、一年回り道はしましたが、経済開発を学べる大学に進学しました。
今は、
経済開発を中心に震災復興、フィリピン以外の途上国についてなど様々なことについて視野を広げながら、学び、学ぶだけでなく実践できる
(アクションを起こせる)人間になりたいと考えています。将来的にはミンダナオ島で今はまだ明確な答えはありませんが、何か自分でやりたいと思っています。
松居さんと先日お会いし、映像を見せて頂いて改めて自分の志を固められた気がします。
今でも、思っているのは「子ども達の<笑顔>を絶やしたくない!」という思いです。純粋で輝いている屈託のないあの<笑顔> を内乱などでなくしたくないという思いです。これが今の私の原動力です。
まだ、自分ができることは無に等しいですが、これから学び経験し、出逢っていく仲間と自分を高めて、自分ができることは何なのかを考え、見つけ行動し、自ら立てた目標を達成していきたいと思っています。
 

 

今、大学の仲間に自分の経験や考えなどを話し、まだ行きたいと思っている段階ではありますが、夏(9月)に仲間とMCLに伺わせて頂きたいと思っております。後日、彼、彼女の紹介文を送らせて頂きます。

 

よろしくお願い致します。

中央大学経済学部国際経済学科     髙木 快郎                                                                                                  
6月14日 ミンダナオ子ども図書館の活動映像をごらんになった尾崎様から 心のこもった感想のお返事をいただきました。 ご本人の許しを得て掲載させていただきました。 近々、ユーチューブに映像をアップロードする予定です。
松居友さま
 
今日、やっと、ミンダナオの動画を見終わりました。
なんというか…… 胸がいっぱいで、うまく言葉がみつかりません。
「戦争と平和」を観て、友さんたちがとても過酷な状況の中で、
避難民の支援を持続されてきたのだなぁと、じんじんしました。
戦争の裏にある黒い影… 本当にミンダナオ島で起きていることは、世界の縮図ですね。
それから、先住民の暮らしを奪ったプランテーションで作られたバナナや
伐採されたラワン材の多くが日本に輸入されていることも、
恥ずかしながらはじめて知ったのです…
 
そして、「先住民族マノボデー」や「朝の光 海」を見て、
子どもたちの表情や、ジャングルの豊かな自然、ユニークで貴重な文化に魅了されました。
するする木を登りヤシの実をとる子、きらきらした海でたわむれる子どもたち、
蛇やカエルの料理、殺される豚、お祭りの様子、平和を祈る人々…… 大好きなシーンがたくさんあります。
結婚式の若いふたりの恥じらう様子、ひやかす友人たち、ほほえましくてとってもかわいい。
マノボ族の文化について、「祈りにはじまり、祈りに終わる」という言葉が、とても印象的でした。
 
人生は美しいなぁ。ニンゲンがいきていくことは大変なことだし、理不尽なこともたくさんあるし、
自分の至らなさや無知を思うと、心臓をかきむしりたい気持ちになるけど、
やっぱりニンゲンが好きだなぁと、しみじみ思ったのです。
 
ミンダナオ子ども図書館の活動を応援したいです。
 
わたしは数年前からイスラム教に興味をもち、少しだけ本を読みはじめているところです。
なんでもイスラムVS西欧文化の構図にからめとられ、
イスラムが世界のガンのように言われることを、とても悲しく思っていました。
イスラムの子もクリスチャンの子も先住民族も、みなが一緒に遊んでいるミンダナオ子ども図書館は素敵です。
なので、できればイスラムの子どもの支援をしたいと思っています。
ホームページの「まだ支援者のいない子たち」をみせていただき、考えますね。
 
とりいそぎ、お礼をお伝えしたくって、メールしました。
心から、本当にありがとうございました。
どうぞ、くれぐれもきをつけて、ミンダナオの子どもたちのもとに帰ってくださいね。
 
また連絡いたします。
 
尾崎 ミオ 編集ライター/一般社団法人Get in touch 理事/  NPO法人東京都自閉症協会 副理事長
 

ミンダナオに帰る日も近づいた。 待っている子どもたちに、早く会いたい。
 6月5日 どんなにミンダナオが危険な状態になったとしても、彼らを優先して、ぼくは現地にとどまるだろう。生涯をここで送ると決めているし。
 日本の若者たち、子どもたちのためにも、活動を開始しようと決心した。
 今回、日本の子どもたち、若者たちを見て思ったのは、彼らがとても素直で良い感じだと言うこと。
 逆に、あまりにも素直だから、外へ踏み出すきっけを失っているようにも思う。
 出会って、話し、映像でミンダナオの子どもたちの姿を見せると、とても感動し、心が開かれて、未来に向かって純粋に踏み出そうと感じる、そのときの様子がとっても良い。
 子どもたち、そして10代、20代、30代は見ていてもすがすがしいが、素直さ故に心が沈み、閉じこもってしまう気持ちも良くわかる。
 むしろ学校教育の場において、競争原理と点数主義、勝ち負けのゲームで育った世代が恐ろしい?

 ぼくの小学校明星学園は、点廃主義で4年生まで学期末試験がなく、通信簿がなく、成績で優劣をつけない教育方針だった。無着成恭先生、理科の遠藤豊先生、数学の松井幹夫先生からは、知識の詰め込みではなく、自分で考えて、たとえ間違っていても恐れずに発表する楽しさを学んだ。
 1×0は、0だという知識ではなく、1(一つあるもの、例えばリンゴ一つ)に0をかけると、なぜ0になり、有ったはずのリンゴがなくなるのか????それを考えるとき、×という事の意味がわかる。
 今の若い世代が、良い感じなのは、少子化により競争原理が教育の中で薄れたからか?しかし、一歩進めないのは、相変わらず詰め込み主義で、自分で考えて行動する楽しさを知らせられてないのと、遊ぶ時間が足りないからか?
 ゲームと遊びは根本が違う。サッカーも野球もバスケットも、社会的(大人の作った)ルールのなかで点数により勝ち負けを競う。遊びとは、花いちもんめや鬼ごっこやかくれんぼ、ハンカチ落としや縄跳びのように、点数ではなく、子どもたち自身が作った楽しい仲間の交流。学校でもなく、保育園や幼稚園のなかでもなく、家でゲームをするのでもなく、外のちまたで、時には森や林や川で遊ぶ。ミンダナオ子ども図書館の子どもたちがそこで友情を築いていく、そんな姿が日本にはない。  
 しかし、子どもも若者も、友情や愛のすばらしさはわかっている。それだけに、素直にそれを感じ取るとき感動し、自分の生きる道が見えてる?
 逆に、全員が一丸となって真っ黒な服を着て会社に向かう中高年が不気味だった。
 他国を競争相手や敵と見なし、勝つことだけを考える???  一丸となって、戦争に向かわなければ良いのだが・・・・

今回行って話した、 大阪府立大学の若者たちの感想です。
6月5日

 参加者A
ミンダナオでは今でも緊張状態が続いているとの話を聞いたことが一度もなく、驚いた。 奇形を持つ子が多いことも知り、写真に釘付けになった。
  どこの国でも人気のあるアイドルがいることはかわらず、K-popがフィリピンで人気というのは前から知っていたので、松居友さんに確かめられてよかった。 参加者B ますます現地に行こうという気持ちが湧いてきました。 僕が感じたこととして、 同じ人間なのにこんなにも過酷な状況におかれている子たちがいるんだなと、心を打たれました。 また、そんな状況の中でも子供たちは良い笑顔をしているなと思いました。 あと、ミンダナオの自然はものすごくキレイというか、壮大だなと思いました。

 参加者C
 初めはフィリピンのことは正直あまり知らなくて、考えたこともありませんでしたが、実はこんな身近なところに全く違う世界があるのだと実感しました。
  特に印象的だったのは、戦争がフィリピンでも起こっているということと、大量の森林が伐採されていて、その多くが日本に来ていたという話です。
  戦争なんて遠くでやっていて自分には関係ないと思っていたので、とても衝撃でした。しかもそれが他国の計画的なものだというのはとても理不尽で、おかしいことだと思いました。 日本の森林はとても豊かですが、そこには実はフィリピンの犠牲が背景にあるなんて全く知らず、日本も影で他国に被害を与えていたなんて、と考えずにはいられません。
 松居友さんのお話のおかげでフィリピンにとどまらず、貧困とはどういうものなのかを少しは学ぶことができたと思います。それでもやはりお話だけでは感じられなかった部分もあり、それを知るためにも、ぜひともフィリピンには行きたいと思っています。その時はよろしくお願いします。

  参加者D
 貧困な人が多くても自殺が少ないこと、孤独な人や落ち込んでいる人をそのままほおっておかないこと、素敵だなと思いました。特に、落ち込んでいる人をほおっておかず、必ず誰かが声を掛けること、大きいと思いました。
  日本では、誰かを助けようとすることは偽善だとか、誰かに助けを求めることは甘えだとか言われてしまうように思います。 自分だけではどうにもならないときや、誰かの力を少し借りられればどうにかなること、少し声を掛けてもらうだけで救われることはたくさんあると思います。 当たり前のように助け合えることがすごくいいなと思いました。
 戦争がなくなればいいなとすごく思いました。その地の人々を実際には知らない人たちによって引き起こされてしまうのだろうなと悲しかったです。
  親を亡くすのはとても悲しいことだと思います。 どうしようもない理由ではなく、戦争によって親を殺されてしまうのは、もっと悲しいと思います。 2ヶ月日本にいると子どもたちが恋しくって、1ヶ月ずつにしたという話をされたのが印象的で、 私も活動で関わっている、週に一度しか会えない子どもたちが毎日恋しいです。どうしても予定が入ってしまうと、週に一回すら会えないことになってしまいます。
 私もたくさんの子どもたちと家族として暮らす松居友さんのような暮らしにとても憧れます。 実際に行って感じたいこと知りたいことがたくさんだなあと思いました。ありがとうございました。


 絵本の出版を視野にいれて・・・  

 5月27日  現在、日本に滞在しながら、ミンダナオ子ども図書館の次の段階への準備を進めている。
 絵本の制作を、日本の出版社、編集工房と連携を取り、現地でも始める。
 現地の英語タガログ版は、日本からの自由寄付をもとに、マノボ族など先住民族の住む山岳地帯やイスラム教徒の住む湿原地帯の子どもたちに、読み語りを通じて絵本に触れてもらった後に、絵本を見たこともなく、手に取った子どもない子どもたち、もちろん家庭に絵本などあろうはずもない子どもたちにただで渡してあげる。
 絵本自体は、英語や日本語、タガログ語の本があるが、すべてお金持ちの先進国が出版し、昔話を除くと先進国の視点から描かれていて、現地の子どもたちの憧れにはなっても、現地の子どもたちの実生活のなかの貧しくとも愛に満ちた美しさが出ていないので、自分たちの生活を卑下してしまうきっかけになる。都会や海外への憧れを助長するばかりだ。
 私たちは、現地の言葉、文化、生活を重視しているので、現地に生きている昔話や歌や踊りも読み語りに取り込んでいるが、なかなか自分たちの本当の生活のなかにある、貧しくても豊かな愛をテーマにしたものがない。
 そのようなわけで、編集者でもあったぼくが、MCLで絵本の編集と制作を、現地スタッフとともに始めることにした。現地の若者たちに編集技術を伝達する事も一つの目的だ。
 同時に、日本の出版社、編集者と協力し合いながら、お金と物は豊かでも心が貧困状態の日本の子どもや若者たち、大人たちに、お金と物には貧しくとも心の豊かな現地の生活を伝えることで、いじめや自殺、孤独死から日本の子たちを守ろうとする思いもある。
 今回は、その目的で、日本で講演の合間を縫って活動している。

集団的自衛権は、NGO活動を危機に落とす。
 日本に滞在中に最も気になる動きは、憲法9条をめぐる動きだ。
 特に、集団的自衛権は、NGO活動をしてきた者にとっては、本当に恐ろしい動きだ。
 正直に言って、日本が集団的自衛権を主張して、海外に軍隊を送ることが可能になると、われわれの活動地域での危険は、数十倍にふくれあがるだろう。
 ぼくらが、100万の難民が出るような戦闘の合間を縫い、また反政府ゲリラの地域でも、読み聞かせや医療、スカラシップの活動が、比較的安全に出来るのは、日本が、世界にたぐいまれな憲法9条を持ち、決して海外派兵をしないという、素晴らしい平和憲法を持っているからだ。
 それ故に、人々は、日本人を尊敬し、過去の過ちがあったとしても、現在は心を開いて受け入れてくれる。米国人の場合は、フィリピン軍と米軍のバリカタンという合同演習、そしてテロリスト掃討作戦がブッシュ政権時代あり、2000年、2002年に100万の難民を出した。
 また、2008年の和平交渉決裂のおりも、米軍の無人偵察機が飛び交い、その他のことで、現地では米軍が米軍=大規模戦闘の開始と解釈し、恐れられている。それに、日本も集団的自衛権を建前に、日本軍が参加する可能性があるとしたならば、それだけで、現地の人々の日本人への目が変わってくる。それゆえに、警戒もされ、第二次世界大戦中の行動に対する記憶も手伝って、われわれNGO関係者を警戒し、場合によっては誘拐殺害する可能性がダントツに高まる。
 ぼくは最近、少しづつだが、現地の人々の日本に対する意識の変化を感じ取る。
 集団的自衛権は、NGO関係者を危機へと追い込むだろう。
 現地で長年活動してきた者には、恐怖以外の何物でもない。

オバマ大統領 東アジア歴訪に関して思うこと
   2015から16年に、ミンダナオで大きな戦争が起こる?
 

 アキノ大統領が、フィリピンにおける米軍駐留を10年にわたって再開することを決定した。フィリピン国内では、それに対する不安の声や反対のデモも起こった。
 報道の大半は、南シナ海への進出を強める中国を牽制する狙いであると言われいる。特に日本の報道はそれ一色だ。オバマ大統領自身は、繰り返し否定してはいるが・・・
 その視点も否定は出来ないのだが、ぼくには、アキノ大統領の腹づもりは、ミンダナオ紛争勃発への事前の圧力に思われる。すでにザンボアンガには、2000年以前から米軍が滞在し、2000年の米比合同演習、2002年のテロリスト掃討作戦で100万を超す難民が出る戦闘がなされている。2008年の和平交渉決裂での戦闘では、80万の難民。それゆえに、フィリピンの市民は、今回の米軍駐留をこれから起こる内戦への準備と考えて恐れているのだろう。
 「米軍が駐留すると、必ず大きな戦争が起こされる!」
 今回の米軍滞在も、ザンボアンガが主流となり、さらなる増強と言われているし、オバマ訪比に連動してMNLFが発表した見解をテレビも報道した。和平交渉の合意による、最初のイスラム自治区選挙は2016年。こちらでは、選挙は有力者同士の戦闘と殺し合い、暗殺が常道。すでにMILF内部でも対立が明確化している。
 その流れから考えれば、来年2015年、2016年は、現地では最も危険な時期と言われている。さらに2008年のような和平交渉の決裂が起これば最悪だ。アキノ政権も2016年で終わり、大統領選も加算されるとすると、アキノ政権が、10年間の米軍駐留に合意する腹づもりも見えてくる。
 オバマとしては、米軍も疲弊しているので、日本に派兵を検討して欲しいというところだろうが(武器も売却できるし、経費も削減できる)韓国が従軍慰安婦の問題で深刻な懸念を表明しているように、それが実現に向かうとしたら、フィリピン国民も米軍の駐留以上に反対を表明していくだろう。かつての日本軍の悪いイメージが全く払拭されていないが故に。

日本経済新聞

米軍、22年ぶりフィリピン駐留 新軍事協定に署名 2014/4/28 10:22 (2014/4/28 13:11更新)

 【マニラ=佐竹実】米国とフィリピンは28日、米軍のフィリピン展開強化を柱とする新軍事協定に署名した。かつてフィリピンに駐留していた米軍は 1992年までに撤退していたが、今回の協定で22年ぶりに復帰し、事実上再駐留することになる。米比両国には、米軍のフィリピン派遣を拡大することで、 南シナ海への進出を強める中国をけん制する狙いがある。
    (中略)  新協定により、米軍はフィリピン軍の基地を利用できるようになる。南シナ海に面するルソン島スービックなども含まれる。物資補給のための施設の建設、航空機や艦船の派遣も可能となる。核の持ち込みは禁じる。     (中略)  米比両国は、米軍撤退後も地位協定を結んで米軍の一時滞在を受け入れているほか、共同軍事訓練を定期的に行っている。現在約600人の米兵が南部ミンダナオ島ザンボアンガの基地などに滞在しており、新軍事協定により人数は増えるとみられる。


 日本のマスコミも含めて、報道は、基本的に中国に対抗する力関係を意識して、歓迎の論調に満ちているように見えるが、フィリピンでは、オバマの訪問にたいして、若者を中心にして激しい抗議のデモがあった。フィリピンのテレビでは報道されたものの、日本でどれだけの人々が知っているのだろうか。
 以下の記事は、アメリカのロサンジェルスの在外在住日本人会から発信されただけに、日本人の現在の対中国の意識を過剰反映して書かれているように見えるが、フィリピンの反オバマに対する抗議は、この記事ぐらいしか日本語ではないので掲載した。
 「燃えるオバマ人形 in フィリピン」- 22年ぶりの米軍再駐留、 中国共産党の第一列島線構想、 沖縄米軍基地問題との共通点を考える
   
 なんとも衝撃的なオバマ人形ではないだろうか?この後、完全に燃やし尽くされてしまう運命にあるとは言え、今にも襲い掛かって来る悪魔や鬼のような気迫に満ち溢れる様はちょっとしたアートの領域。
 そのオバマ米大統領だが、今回のアジア4カ国歴訪の最終訪問国となるフィリピンでアキノ比大統領と首脳会談を行った。日本で「沖縄県・尖閣諸島には日米安 全保障条約が適用される」と明言したのに続き、フィリピンとは新軍事協定を締結し、米比関係は「新たな段階」に入ったと表明。中国共産党政府に対して圧力 をかける形になった。
 この新軍事協定は、今後10年間、米軍がフィリピン国内に駐在し、全ての軍事基地を利用可能とするもの。これに対して、一部のフィリピンの活動家が集まり、オバマ大統領を悪魔に見立てたような人形(上記写真)を焼いて抗議したという報道があった。 (以下省略)


 確かにフィリピンは多民族の国で有り、フィリピンの政治や経済に大きな影響力を持つ華人社会についても触れているが、「この抗議デモが、親中派もしくは中国共産党政府の後ろ盾があると いう考え方も出来なくはない。」という下りは、現地にいると偏りすぎた発言に思える。アメリカ軍の滞在を戦争の前触れとして心配する声は、ミンダナオでも至る所で聞こえてくるからだ。
 ちなみに、アキノ大統領自身も華人だ。ミンダナオでも、イスラム教徒のMILFやMNLFのトップや市長、議員の中にも華人の血を引いている者が多いし、財界、銀行も華人系が多い。
   オバマ大統領は、米軍のフィリピン駐在を中国を牽制するためでは無いと繰り返し述べているが、中国牽制を目的としている国際世論が圧倒的だ。その背後には、東シナ海の資源をめぐる利権の問題が含まれている。
 しかし、オバマ米大統領は今回のアジア歴訪で同盟国に対する米国の軍事支援を再確認したが、一方でそれは決して中国を標的にしたものではないことを中国に伝えようと懸命だった。ぼく自身は、こちらでの二元論作りによる戦争作りや、政治的経済的世論コントロールの手法を根底に、対立でもうける方法を鑑みると、アメリカと中国は、根底で連携していると思っているが・・・・?  
 ウオールストリートジャーナル

中国刺激を避ける米「綱渡り」アジア外交  同盟国支援と両立できるか

オバマ米大統領は今回のアジア歴訪で同盟国に対する米国の軍事支援を再確認したが、一方でそれは決して中国を標的にしたものではないことを中国に伝えようと懸命だった。

 28日に訪れたフィリピンの首都マニラでも中国へのメッセージをあらためて強調した。その直前には、フィリピンの軍事基地を米軍に再び開放する協 定に両国の当局者が調印していた。米軍は20年以上前にフィリピンから追い出されている。オバマ大統領は「われわれの目標は中国に対抗することでも、中国 を封じ込めることでもない」と述べた。

(以下略)

 ただ、アキノ大統領の腹づもりには、2015年から16年における、ミンダナオの不安定化とそれを抑止する目的での米軍在中が画策されているのではないだろうか。そう考えられる理由の一つに、今回のオバマ訪比に関連して、MNLFが「オバマは、MNLFのミズワリ議長と、なぜ現在進行中のMILFと政府の和平交渉と自治州成立が良くないのか、和平交渉そのものを壊す必要がある理由を論議すべきだった」と言っているところにもある。つまり、MNLFは米軍と組んで、MILFを攻撃し和平交渉を崩壊させるべきだというのだ。この声明は、テレビでも報道された。
 事実、フィリピンとアメリカ軍の合同演習は、対MILFという視点から2000年に行われ、さらに2002年のテロリスト掃討作戦も含め、100万を超す避難民が出た実戦の背景となっているし、2008年の和平交渉直前の崩壊による80万の難民が出た戦争も、米軍が背後で関与している。ぼくは、戦地の難民救済で、米軍の無人偵察機が上空を飛行しているのを現地でフィリピン軍の軍人からら、指さして教えてもらった。
 2016年は、アキノ大統領が辞めると同時に、大統領選とミンダナオにおける初めての自治州選挙が行われる。こちらでは、選挙がリドーと呼ばれる私兵を使った候補者同士の戦闘になるのは通常の事で、今までもそうしたリドーによる難民を僕たちは見、救済してきている。
 2000年以降、ミンダナオのザンボアンガには、米軍600人が滞在しているが、今回の調印でそれをさらに増やすという。その背後には、ミンダナオでの戦闘の拡大が可能性として意識されているように思えてならない。
 「米比両国は、米軍撤退後も地位協定を結んで米軍の一時滞在を受け入れているほか、共同軍事訓練を定期的に行っている。現在約600人の米兵が南部ミンダナオ島ザンボアンガの基地などに滞在しており、新軍事協定により人数は増えるとみられる。 」(日経新聞)
 すでに、現在、MILFの内部でも抗争が起こり始めている。自治州政府を確立する2016年に向かって、これから大きな戦争が起こる可能性が、現地では指摘されていて、悲観的な意見も強い。さらに2008年のように、和平交渉が最終場面で決裂し、MILFとMNLF,BIFFそして政府軍と米軍も含めた大規模な戦争に発展する可能性も指摘されている。
 話はそれるが・・・  ミンダナオ子ども図書館でも、ボードメンバーから、今後の数年間の不安定さを考えると、MCLの現地スタッフたち、ぼくや日本人ボランティアスタッフたちが、緊急に避難できる場所をダバオに持った方が良いと言われており、とりあえず、ダバオに家を借りようかと思っている。
 現在は平和で、訪問者も多くなり、またダバオに近いカリナンやダバオ市内のイスラム貧困地域バジャウの人々を将来少しずつ奨学生として増やしていくことによって、都市の貧困にも目を向ける意味も有り、スタッフのダバオの滞在の必要性も増大しており、そのたびにホテルに泊まるには経費も大変なので、長期的に見ると、スタッフの活動における滞在、訪問者の迎えや宿泊、緊急の避難場所の確立といった観点から、ダバオに拠点の一つを持った方が良いと言われている。支援者で、しばらくダバオに滞在されたい方がいらしたら使ってください。
 話はそれたが、フィリピン政府の思惑は、対中国というよりもミンダナオ情勢が背後にあるような気がしてならない。アメリカとしても、経済の悪化、軍需費用の増大を軽減するためにも、日本政府を動かして海外特にアジアへの軍隊派遣を可能にしたいところだろうが、これに関しては、韓国が従軍慰安婦の問題を正面に出して強く反対しているし、次第にアメリカも、日本の右傾化に不安を示し始めていることは、オバマの発言でも感じられる。
 フィリピンも日本が海外、特にフィリピンに派兵するとしたならば、政府は別にしても、一般市民は強烈に反対するだろう。その反対の動きはおそらく、オバマ訪比の時のデモとは比べものにならないだろう。日本軍駐留は、人々を強い不安に陥れるだろう。これは、東アジアで過去行ったことに対する明確な歴史認識と謝罪がなされていないからで、ドイツが近隣と現在友好関係をもちつつEUで活動しているのと大きく異なる。
 フィリピンから見ていると、やはり憲法九条を前面にたてて、韓国、中国、台湾、フィリピンという隣国に東南アジアやインドを加えて友好のなかで経済発展を維持していく方が将来も良いだろう。もちろん、中国と対立させて、軍事化させる方が、世界の軍需産業や、海外の車や家電製品業界にとっては、日本を孤立化させて利益を上げる格好の機会になるだろうが・・・
 アジアにおける、世界における、日本の将来、そしてミンダナオの動向が心配だ。
 杞憂に過ぎなければ良いのだが・・・

2014.5.1
 多くの人々から、以前のように本を執筆するように、特に、ミンダナオ子ども図書館の 成り立ちを書いて欲しいという依頼を受けるようになりました。
 本にまとめる前に、とにかく、ミンダナオ子ども図書館のなりたちから、このサイトで 執筆を開始することにしました。  タイトルは、「ミンダナオ子ども図書館・漂流記」とします。
 ダバオで、海岸沿いのイスラム民、バシャウの家々が焼けて避難民が出ているので、 近々ダバオのDSWDと調査をします。忙しい毎日なのですが、何とか時間を見つけて、執筆をしていきたいと思っています。 2014/03/23 母・松居身紀子の個展が、銀座でひらかれます。 松居友も、11(金),12(土),13(日)と画廊にいます。


日時! ── 4 月4 日~ 4 月17 日® 11:00 ~ 19:00 〈日曜日のみ13:00f19:00 /最終日は18:00 まで〉 場所! ──銀座 教文館9F ウェンライトホール 交通─ JR 有楽町下車徒歩10 分 地下鉄出口─銀座駅…銀座線A9,     日比谷線A9, 丸の内線C8 104-0061 東京都中央区銀座4-5-1 9F ウェンライトホール  TEL ─ 03-3561-0003 連絡先(自宅)─ 168-0071 東京都杉並区高井戸西1-15-12 松居身 紀子 TEL ─ 03-3332-2534 FAX ─ 03-3333-9858


2014/03/16
レイテに行った報告が遅れています。 「ミンダナオ子ども図書館だより」の方にも、写真を掲載中ですが、訪問者も多くサイトにアップロードが出来る時間が限られていて、スミマセン。 いろいろとお知らせしたいことがたくさんあるのですが、順次上げていきます。 以下は、季刊誌4月号に執筆したものですが、ご報告を兼ねてこちらにも掲載します。

 レイテ台風支援・その二
 2月26日から3月1日まで、レイテ台風支援に向かった。
 日本の心ある方々が送ってくださった、支援物資をトラックに満杯に詰めこんで、現地に向かった。 運転を交代しながら、目的の村に着いたのは、翌々日の午前3時。 前回、11月の支援の時に比べると、折れた椰子の木の梢から芽が吹き出してきていたり、自然の緑の回復力が目立った。
 最も大きな変化は、ビニールシートを受け取って、とりあえず屋根を作って人々が住み、生活が曲がりなりにも始まったように見えることだろう。
 前回、最も必要とされている物はビニールシートだと書いたが、その後、12月に入って、海外からのビニールシートの支援が入り、人々の生活も次第に復活してきたのがわかる。 特に、UNHCRのシートが目立ち、かなり奥まで丁寧に手渡しているのが見えた。 もうひとつ目を引いたのは、台湾、中華民国の支援で、学校に避難所と教室をかねた簡易宿泊施設を作っていた。
 こちらでは、日本の東北のように寒くは無いので、宿泊施設やテントよりも、雨をよけられる程度のビニールシートのほうが重宝されるが、台湾の支援は、単に一時的な宿泊施設を提供するばかりでは無く、避難者がもどったあとも、屋根の吹き飛んだ学校で授業が出来なくなった子どもたちのための教室として機能していた。
 MCLでは 低地の国道に近い場所は、普通のトラックも入ることが出来るし、支援はほぼ一巡し、日々の生活が次第にもどっている感じもしたので、今回は、四輪駆動車しか入れないような山岳地の貧しい集落にターゲットを絞って行った。 こうした村々の人々は、一家族の抱えている子どもの数も多く、子供服や子供靴、鍋や釜やお皿などの、生活必需品に困っている事が多いので、今回皆さんから送られた物資を心から喜んでくれた。
 さらに、読み聞かせに、子どもたちが喜ぶ姿を見て、親たちも満面笑顔になり、最後に、炊き出しのご飯をわたした。支援の大切さは、必要な物を届けると同時に、心の交流を通して、沈んだ雰囲気を打ち破って、友情を広げていくことだと、つくづく感じた。
 皆さんから届いた古着は、MCLの子どもたちが、徹夜でビニール袋に詰めこんだ。一袋に子供用と大人用の衣服を10着つめこみ、1000袋作り、一家族に一袋ずつわたした。
 帰りに、もっとも被害の大きかったタクロバン市の海岸沿いを見たが、ここの状況は決して良くない。ビニールシートなど、渡ってきている物の、収入のある家と、貧しい家との格差が急激に広がっている。
 多少なりとも収入のある家は、家の建て直しなどを、少しづつでも始めているが、極貧の家は、次第に劣化していくシートの下で、あいかわらず途方にくれて暮らしている。犯罪も多くなっているという。
 次回は、6月に、こうした町の海岸に近い、スラム地域を中心に衣料と炊き出しと、読み語りの支援をすることに決めた。


2014/03/07 ボランティアでこられた、秀島さんから、メールが届いた。 3月に発送する季刊誌に、写真つきて原稿を載せて送るのだけれど、特別に「ミンダナオ子ども図書館:日記」にも掲載することにした。

立命館アジア太平洋大学 1年 秀島 彩女
They always be in my heart.
 私がMCLに行きたいと思った理由、それは単純に子どもが好きだから。
 MCLについたとたん、想像以上の子ども達の明るい笑顔とfriendlyさで迎えられ驚きと嬉しさでいっぱいで、疲れが吹き飛んでしまった。
 日々の子ども達との生活は、何もかも新鮮で、私が忘れていた事の多くを思い出させた。
 TVもゲームもないけれど、庭で駆け回ったり、歌ったり踊ったり、絵を描いたり本を読んだり、子ども達は、生き生きとしていて常に笑顔がたえなかった。
 その笑顔は、私を毎日幸せな気持ちにさせ、子どもたちの輝く笑顔は、悲しいことやつらいことを忘れさせる力があること、笑顔の素晴らしさを感じさせた。
 笑顔は、人を幸せな気持ちにさせ、自分をも強く幸せにすることができる、と子ども達から学んだ。
 MCLの子ども達は親がいない、家庭崩壊、虐待、経済困難1人1人つらい過去がある子達だ。だけどそんなことは、あの子たちとすごしていると全くわからない。  子ども達は、彼らにしかない優しさ、思いやりの心、素直さ、きらきらと輝く笑顔を持って毎日ほんとに強く生きている。私自身、MCLで子ども達と過ごして、考え方が大きく変わった。
 まず早寝早起き、規則正しい生活を送ること、3食食べれることのありがたみを実感した。
 3食のごはん、水、トイレ、寝る場所、そしてあの子ども達の笑顔さえあれば十分幸せで満足した生活を送れることがわかった。
 今まで自分が、どれだけ無駄な生活をして、無駄な物にお金と労力を使っていたのかとても反省というより、ばからしく感じた。化粧や、たくさん洋服や靴を買ったり、何のためにそんな着飾る必要があるのか、大事なことは表面的なものではなく心から人と人が関わって繋がっていくことであると、改めて深く感じた。
 日本に帰った今、私は生活習慣を見直して早寝早起きをし、食事の前には子どもたちから教わった感謝の言葉を言って、1食1食をありがたく頂いている。 そして、こんな多くのの素敵な思い出と、学びをくれた子ども達をできることなら側でずっと寄り添ってあの笑顔を見ていたい、守りたいと思うのだが、今、私にできることは、少しでも多くのひとに自分が体験したこと、MCLのことを伝えて、支援者を増やすこと、そして、自分ができる範囲で寄付や募金活動をすることであると考え、さっそく行動に移している。
 自分の細やかな行動が、少しでも支えになるのなら、あの子ども達の笑顔を守ることができるなら、私は、あの子達にたくさん、ありがとうの気持ちを返していこうと思う。  この旅の中の4日間、私は、レーテ島へ台風被害の支援物資の配給にも、同行させて頂いたが、これまた非常に忘れられない体験となった。
 出発前から、MCLに残るこども達と遅くまで、配給する衣類の仕分けをしたが、自分のためだけではなく、人のためにも一生懸命全力で頑張る子ども達は、ほんとに素敵だ。  被災地は、東北大震災と似ていて家がぼろぼろと崩れ、跡形だけが残っていたり、建物の組みの部分だけ残っていたり、ヤシの木が途中で折れるほど、台風の被害は酷かったことを知った。
 人々にとって、衣類やタオルといった日用品は、すごく貴重なものであるらしくみなとても嬉しそうに、サラマー(thank you )っと何度も言って受け取っていた。  被災地の子ども達にとって、古着の靴一足がすごく貴重で、本当に嬉しそうで、私自身現地の人達からありがとうと言われたり、子どもが靴をもらった時の笑顔を見て嬉しい気持ちになった。
 現地で時々見かけたNEVER GIVE UPの文字、東北の人々と同じようにここPhilippineでも復興に向けて踏ん張っている人がたくさんいた。
 今回私は、1人1人の些細な思いやりが大きな助けになること、私にもまだまだできることがあることを知れた良い旅となった。  MCLに行って、子ども達や友さんスタッフのみなさんに出会えたおかげで私のこれからのビジョンをはっきりとさせることができた。
 これからビサヤ語も勉強して、次に行くときには、子ども達1人1人にもっと深く関わっていきたいと思う。  それまで私はあの子たちの笑顔を胸に日々頑張っていく。  最高の出会いに感謝して。


2014.3.6
  和平構築の最終局面にはいったか  新年にはいり、レイテ台風支援に対する準備をはじめたが、それ以上に、イスラム地域で戦闘が起こり、広範囲ではないものの避難民が続出した。
 レイテ台風支援の方は、日本からの支援物資が大量に届くであろう、2月末に設定し、急きょ戦闘難民救済支援に向かった。
 戦闘発生に関する表向きの報道からは、以下の流れが明確になる。
 去年の末に、MILF(モロイスラム解放戦線)とフィリピン政府のアキノ政権が、和平構築の合意に向けてのサインをした。
 これで、少しは平和への道が開けてくるかと思いきや、心配したとおり、和平合意に反対する勢力が、戦闘を起こした。  去年前半には、MNLF(モロ民族解放戦線)が、MCL(ミンダナオ子ども図書館)のあるキダパワン市から近い隣のマタラムで戦闘を起こし、MCLで難民救済に向かったが、その後、ザンボアンガで大規模な戦闘を起こし多量の難民が出た。
 このことは、日本でも報道されたが、政府軍に制圧された。
 こうした一連の動きに関する背景は、前回の季刊誌で分析し書いたが、簡単に流れを復唱すると、次のようになる。  
 MNLFは、最も初期にイスラム地域の独立を求めて結成されたモロ民族解放戦線と呼ばれる反政府組織だったが、イスラム自治区ARMMの設立で政府と妥協したとして、不満分子を中心に分派が形成され、MILFモロイスラム解放戦線が生まれた。  2006年以降の和平交渉は、政府とMILFとの間で進み、IMT国際停戦監視団がマレーシア、インドネシア、日本なども含めて形成され、昨年末のアキノ政権との和平交渉調印にまでこぎつけた。
 しかし、MILFと政府との和平交渉に不満な動きが発生し、MILFか分離したイスラム教徒たちが、BIFF(バンサモロ・イスラム自由戦士)を結成し、ピキットを中心として戦闘を開始、昨年からたびたび国軍が入り難民が出た。 難民は現在も半年以上にわたって避難生活を余儀なくされている。
 さらに今年に入り、BIFFにMNLFが合流する形で戦闘が勃発し、拡大が懸念されている。  ただし、和平に不満な勢力は、イスラム内部にだけあるのでは無いという事を知っておいた方が良いだろう。
 多くのクリスチャン勢力も先住民の中にも、ミンダナオをイスラム勢力がコントロールすることに不安を持ったり、良としない人々も多いという事実だ。
 そういう勢力が、カトリックもプロテスタントも、クリスチャンでありながら、第3国を経由して背後から、反政府勢力を支援して、戦闘を起こすことも大いにある。
 ちょうどシリアにおいて、アメリカやEUが、イスラム反政府勢力を支援したように・・・。ちなみに、アジアのイスラム教徒は、スンニ派が主流だが、BIFFは、シーア派が多いと聞いている。  中近東の情勢を見るとミンダナオ情勢の参考になる?
 MCLは、即座に避難民救済活動を開始。
 戦闘は、MCLの奨学生が多いピキット、リグアサン湿原地域、ARMM地域で起こり、新年早々、MCLで避難民救済に向かった。
 場所によっては、国際停戦監視団や国連、NGOも視察に来ていたが、MCLでは、まず緊急のビニールシートを切って渡し、さらに古着などの支援を継続した。
 (皆さんからのレイテ台風支援の物資の一部を、了解を得て、戦闘難民支援にまわしました。ありがとうございました。)
 湿原地帯の村々から逃げてきた人々は、MCLの事をよく知ってくれて、大喜びで迎えてくれた。というのも、現在は戦闘が起こって入れないリグアサン湿原地帯の彼らの集落にも、わたしたちは日頃から、読み聞かせに訪れたり、医療や奨学生を採用したりして、学用品を届けているから。
 今回の救済支援も、日頃からのお付き合いの延長で、知っている村の人々が困難であれば、放っておくことが出来ないから、救済に向かっただけの事なので、現地ではNGOとも呼ばれているものの、私たちは自分たちをNGOとも国際支援団体とも感じていない。近所つきあいの延長線のよ うな感じ・・・?  しかし、実地に歩いて、避難民の状況を調査していると、遙か彼方の湿原地帯から煙がもくもくと上っているではないか。
 「軍が退去した後、反政府勢力が、腹いせに、滞在した家に放火して焼いている!」  戦闘がないときには、MCLの舟で通る湿原の川の、さらに対岸のダトゥ・ピアン側の集落から、もくもくと煙が上がり、かなり離れてはいる物の、突然向こうから、 パン パパン パン 銃声が響いてきた。
 案内してくれた村人が慌てた様子で叫んだ。
 「早く逃げよう!」  「こんなに遠くても、BIFFの武器は高性能で、ここまで照準を合わせられるんだ!」
 その後、MCLの奨学生たちと、再度現地を訪れて、避難が半年以上にわたっている戦闘地に近い困難な集落で読み聞かせを行い、衣料の支援をし、最も不安定でかわいそうな集落には、保育所の建設も約束した。
 避難民も、集落の人々も大喜び。
 読み聞かせの効果は、子どもたちが大喜びすること。それによって、落ちこんでいた親や村人に笑顔がもどること。
 さらに保育所を約束することで、未来への希望が見えてくる。
 せっかく和平交渉が確立し、平和への足がかりが見えてきているのに、なぜ、和平を内側から覆すような内部分裂がおこるのだろう!
 皆さん方の中にも、そのような疑問を持つ方々が多いだろう。
 MILFは、MNLFから分離した一派だが、BIFFは、MILFから分離した一派で、現在、MNLFはBIFFと合流して新たな戦闘を起こす準備を進めているという。
 アジアのイスラム教徒は、おもにスンニ派だが、BIFFはシーア派でイランやシリア等との結びつきも深いという。この辺から見ると、世界情勢の構図の中に、ミンダナオも含まれていることが少しずつ見えてくるだろう。
 結局これは、どの勢力が、現地の天然ガスと油田の資源の開発権利を持つかという、きわめて現実的で生々しい問題であるとも解釈され、MNLFは、すでに持っていた利権をMILFに渡したくないし、BIFFは、自分たちで管理したいということだろうが、その背後に、海外を含めた「見えざる第三者の力」が働いていると考えた方が良い。
 そう思考するとしたら、何が見えてくるだろうか。そうした視点から、いくつかの素朴な疑問を提示してみよう。
 (疑問だけ提示するので、皆さんで考えてみてくださいね。)
 戦闘には、お金がかかる。  戦闘を起こすにも、武器を買ったりするための経費はどこから出るのだろう?
 現地の一般の人々は、たとえ反政府組織と言われていても、武器を購入するだけの経済力が無いのは当然で、武器製造会社から武器を購入する資金が無ければ、大規模な戦争を起こすことは不可能。
 それならば、資金はどこから出るのだろう?  例えば日本が軍国化して、国民皆兵とするならば、武器を買うのは国家であり、国家が私たちの税金を使って、武器を製造している国の会社から購入し、その武器をただで軍人化した市民に渡し、給与も出して戦地に送り込むわけだ。
 フィリピン国軍の武器と給与は、市民の税金から支払われているが、しかし、反政府勢力の場合は購入するだけの経済力もないのに、どこからお金が落ちてくるのだろう?  現地から聞こえてくる声。
 「政治家の一部が、架空のNGOを作り、そこを通して国税の一部を流し、それが反政府組織にも届いている。」  国税の一部が横流しされて、反政府勢力に流れ、政府軍との戦闘に利用されているというのだ。
 この点は、去年大きな政治問題となり、アキノ政権は、NGOを厳しく制御しようとしている。
 法人登録も、10年前の40万円ぐらいから、200万円に突然上がった。 監視や規制も非常に厳しくなった。その背後には、簡単にNGOを作らせないという政府の思惑が見える。  現地では、以前から、NGOというと、金儲けの手段と見られている部分も強く、特に政府や政治家と関連しているNGOに関しては、多くの人々が不信感を持っていたが、いよいよ規制が厳しくなってきた。
 MCLは、金儲けのための架空NGOでもないし、意図的な不正を行っていないので問題は無いが、全てのNGOが調査の対象となり、銀行の預金を始め全てのお金の動きの提出を求められたので、すぐに提出し完了した。
 「MCLは、本当に人々を助けるNGOですね。」と良く言われるが、その言葉の背後には、人々のNGOに対する根強い不信感がある。
 しかし、私たちは、自分たちをNGOともNPOとも思っていない。子どもたちを救済し支援するためには、法人資格がないと出来ないと言われて、当時の高校生の若者たちが、自主的にとったものだ。
 子どもたちへの愛、それがMCL。
   さらに、こんな言葉も聞こえてくるが、ホントかどうかは別にして背後の解釈も皆さんにお任せしよう。
 「武器の一部は、海外から届いている。中には、国軍ですら持っていない高性能の武器もあるよ。」
 「最近は、中国製が米国製よりも性能が良い。いちぶ、日本製のピストルもマレーシアから流れてくるよ。」
 「フィリピン国軍の中古の武器も、反政府勢力に売られているよ。」
 世界的な反政府勢力に落ちるお金は、どこからくるのか。
 反政府組織字体がそんな大金をもっているわけもなく、地方有力者としても、私兵に武器を渡して、小規模な戦闘を選挙時に起こすのがせいぜいで、巨大な戦争を起こす力は毛頭無い。
 結局、戦争を起こし、鉱物資源や農業資源を獲得する可能性がある、国内資本や国際資本が、国内や第三国、さらに先進国の政治とからんで、反政府勢力を支援し戦争を勃発させて、儲ける仕組を作ろうとしているようにも見えてくる?   
 勝手な空想にすぎないが、先進国の税の一部が、支援名目で第三国に流されて、政治家などから架空NGOを通して反政府勢力に流れ、武器購入資金として使われて、そこから政府軍との戦闘に利用されていたらどうだろう。
 戦闘に勝利を収めたとして、その後の石油利権はどこに行くのか。開発は、どこの国のどこの企業が担当するのだろう。
 どうでも良いけど、貧困が無く、宗教的な争いも無く、子どもたちが幸せに育つことが出来る、ミンダナオ子ども図書館のような世界を作って欲しい。 (季刊誌「ミンダナオの風」から抜粋)

  2014年3月3日
先日は、僕の61歳の誕生日だった。 夜明け前に、子どもたちが集まって、窓辺で誕生日の歌をうたってくれた。 僕の他に同じ誕生日の子が一人居るけれど、自分の誕生日すら知らないで育ってきたシェラミーと妹、他二人の男の子を交えで、6人の誕生日にした。 先日に、4日間のハードスケジュールで、レイテ支援を終えた後だったのでスタッフも疲れているので休みにして、お昼はバイキングを食べに行った。 その後、公園で子供用の自転車を借りて、みんなで乗り回した。 100人近い子どもたちが、公園を小さな自転車や三輪車で走り回って遊んだ。 自転車に乗ることなど、夢のまた夢子どもたちは大はしゃぎだった。 レイテの報告も含めて、この様子は、サイトでも紹介していきます。

以下は、4年前の2010年に執筆した物ですが、 今の日本にとっても重要な内容を含んでいるように思えるので、ここから再開します。,

2010年12月21日(火) 明日から、帰郷できない子たち20名ほどと海に泳ぎに行く。 海を見たことも無い子も多く興奮気味だ。
朝鮮半島の動きが気になる。
 以前、以下のような記事を書いた。
 「たとえば、今は、アメリカに言われて吠えついて、武器を大量に買わされて、アメリカと中国が手を結んだ時点で「番犬は黙っていなさい!」としかられてキャンキャンキャンとなる程度なら良いのだが。 武器を使って噛みついて、一般の人々に、大変な人的被害を出すようになったら悲しいことだ。
  武器を売りたい人々にとっては、どこで戦争が起ころうとかまわないわけで、イランとイスラエルでも(サウジが大量に武器を購入)北朝鮮/中国と韓国/日本でも・・・
 しかし、僕が武器商人ならば、東アジアで最大の顧客は日本。 武器をあまり持っていないし、近隣諸国との対立も煽りやすいし、フィリピンやベトナムに比べたら、 保持している資産貨幣の量がちがう。
 自動車産業や家電を例に挙げるとするならば強いのは、日本と韓国。 アメリカは、ようやくGMを再建した状態で、中国も今ひとつ・・・それを考えるならば、
 戦争で、日本と韓国を北朝鮮に対立させて、とりわけ、中国との関係を悪化させれば、アメリカとEUが、中国市場を牛耳れる。
 中国と共に、世界の車市場は、日本と韓国をつぶして広がる??? 国が戦争で破壊されてから傷だらけになって捨てられるのは、日本と韓国???? 田中宇の記事が結構おもしろい http://www.tanakanews.com/

 再び繰り返すが、
 対立する背景には、第三者がいる。その目的は、戦争そのものとは全く別な、経済的、政治的進出と利益である事が多い。 コタバトに大量の武器が上がっているのも気になる。
 それでも、子どもたちは、本当に元気で明るくかわいらしい 12月18日(土) 明日は、月例総会で高校大学の奨学生が200名ほど集まる。12月は、スカラーズデーといって、クリスマスのような総会。 今晩は、すでに大勢が集まり始め、明日の料理の準備で大忙し。とっても賑やかだ。

 キダパワンで、韓国の専門家によるエコプランニングの研修会があった。 http://www.gmanews.tv/story/208374/korean-experts-teach-eco-planning-in-north-cotabato The workshop aims to develop plans for the preservation, conservation, and enhancement of the ecosystems of areas that have tourism potentials. According to Edgar Paalan, environment officer of Kidapawan City LGU, the mouth of Nuangan River can be traced to the Liguasan marsh believed to have vast deposits of natural gas and oil. The Liguasan marsh and the Mount Apo, the country’s highest peak that still has lush forests, might quality to become a natural heritage of the UNESCO, according to Prof. Kwi-Gon.

 韓国は、積極的にミンダナオに関与しているが、興味深いのは、多くの牧師を先住民地域に派遣していることだ。
 
ミンダナオ子ども図書館の裏にも、韓国の牧師たちが作っている小さな農場があり、そこを拠点に、先住民の宣教者とくに若者たちを教育して貧しい地域に送り込んでいる。
 ミンダナオ子ども図書館の奨学生にも、こうした韓国系の教会で牧師の教育を受けた若者がいる。 エコプランニングは、アポ山の地熱発電会社、国立のPNOCフィリピン ナショナル オイル カンパニーが倒産してテレビ会社の経営者が買い取った。PNOCは、日本の丸紅も関わっていたはずだ。希少金属の宝庫と言われている。
 先日、ミンダナオ子ども図書館の奨学生の調査でアポ山の山麓の村に行ったが、今まで、PNOCから奨学金が出ていたのが失われレイオフも激しく、この地の先住民が困窮している。
  その解決策の一つは、ツールズムだろう。アポ山の登山口だし、温泉も出る。 さらに、ピキットの戦闘地域で石油の埋蔵が確認されているリグアサン湿原も、素晴らしツーリストスポットだ。
 「UNESCOの自然遺産に指定される価値がある」と韓国の専門家は述べている。 韓国の狙いは何かわからないが、経済的効果におけるWin-Winの関係を強調している。 最近よく耳にする「Win-Winの関係」とは、中国から出てきた言葉だが「共存互恵」の訳語だろう。 12月17日(金) ミンダナオは、クリスマス一色、今度の日曜日は、ミンダナオ子ども図書館の総会はスカラーズデー。 終わった後にプレゼント交換や古着の支援もします。若者たちは、一人10品。 里帰りの時に、家族や兄弟姉妹にあげる古着やおもちゃや靴を持って、帰ります。 メーリークリスマス。

 12月16日(木)
日曜日に、ミンダナオの現状に関して、IMT(国際停戦監視団)の菊地さん、新任の落合さん達と、かなり長時間にわたり、イスラム地域の状況について話をした。
 
コソボやアフリカを始め、世界各地で停戦和解の活動を支援してきたそうそうたる方々だが、ミンダナオの状況のあまりにも複雑な様相に「ここは、世界で最も複雑で、問題解決が困難で時間がかかる地域だと思う・・・」という、感想に達したようだった。 政府の下で仕事をしている民兵が、夜はMILFに変身したり。政府よりのはずのバランガイキャプテンから、国際支援の食料が反政府兵士の訓練キャンプに流れるのが当然だったり、反政府軍に銃器を売りさばいているのが国軍だったり???
 ミンダナオ情勢は、今少し落ち着いているけれども、現職のアキノ大統領が、平和構築活動を積極的に推進しようとしないことに反政府勢力はいらだっているようだ。 つい先日、水曜日に、ピキットのマカブアルにかなりの規模の軍が入った。
 マカブアルでは、11月の村長選挙で、対立候補が落選したが、その腹いせで、リドーと呼ばれる、小規模な小競り合いが起きていると聞いていた。 こうした小競り合いは、ラガイエンでも起こったし、小学校が三つ焼かれた。 小学校が焼かれるのは、他に建物らしいものが無く、事を大げさにするのに好都合だからだが、リドーそのものを、それほど心配する必要はない。
 ただ、小規模なリドーのはずのマカブアルで、国軍がかなりの規模で動いたのは、心配だ。
 落選した対立候補者が、アンパトアン一族とつながっている事も気になる。 アンパトアン一族は、アロヨ前政権と深く関係し、大量の国軍の武器が流れていて、国軍とも深い関係を有していた。 マカブアルでの両候補は、ともにMILF系であるから、実に奇妙な構成なのだが????? (反政府勢力とつながっているにも関わらず、政府が支援していたことになる)まあ、こちらでは、当たり前のことだが・・・
 今回、国軍が入った理由は、MILFの動きを抑止し牽制するためだと表向きに言われているのだが、国軍が関与しているためには、それなりの筋書きがあるはずで多少不安が残る動きだ。
 マカブアル集落には、奨学生もたくさんいるし、JICAによる学校建設も完了していて、もう戦闘には、皆、辟易しているのだけれども。

  12月14日(火)
 ミンダナオに帰ったとたん、子どもたちが迎えてくれた。 『パパ、トモー」と叫びながら、抱きついてくる子どもたち。
 しばらくは、訪問者と共に現地での活動が続いた。 先着していた、乾盛夫神父と北九州ライオンズクラブの役員方とピキットの奥の村へ、パンボートに乗って避難民調査。 普通ではとても入ることが出来ない地域だが福祉局のグレイスさんからの要請もあり、市長が、厳重な警備を保障して行った。 僕らは、ごく普通に行っている場所だが・・・その後、アラカンのマノボ族の地域にもお連れしてヤギの寄贈をした。

 11月29日(月)
  明日、ミンダナオに旅立つ・・・と言うよりも、帰郷する。 二ヶ月前、一緒に住んでいる100名近い子どもたちが、泣きながら抱きついてきたのを思い出す。
 「パパ、トモー、行かないで・・・」
 帰ってくるからと諭しても、激しく泣く。 小さい子達だけではない、高校生たちも、泣きながら抱きついてくる(日本で言えば、中学生だが)帰郷の時は、お土産に腐心するなによりも、数が多いので 帰ったらすぐに、ピキットの一部で出ている避難民の調査に行かなくてはならない。 保育所建設や奨学生の調査など、休んでいる暇はないだろうが、それでも、ミンダナオに帰るとホッとする。 自然と、人々の生活があって、時計の針とは無関係の生活と自然の流れがある。 そして、可愛い子どもたち。 日本でも、子どもや若者の事を考え続けて仕事や本を書いてきたが、子どもの頃から、子どもが好きな性格らしい、10歳あたりから、成長が止まってしまっている?
 30年前、3冊の本を初めて書いた。
 「わたしの絵本体験」と「昔話のこころと自立」「昔話の死と誕生」 現在3冊とも、教文館から出版されています。 前者2冊は、絵本に関心のある方々に多く読まれた。 後者、ほとんど売れなかったが、ぼくにとっては、人類の方向性を示す宇宙像を描いた作品で、その後の、「火の神の懐にて」で書いたアイヌ文化の宇宙像や「沖縄の宇宙像」に展開していく。 人類は、狩猟採集文化から、農耕牧畜文化に展開し科学技術文化が生じることによって、どのような世界観を作り何を喪失していったか・・・ さらに、21世紀にいたって、それらを総合した第四の文化を形づくる宇宙像を獲得するために再び、世界や宇宙をどのようにとらえ、座標軸のゼロの上に立つ必要性を書いている。 ゲーテや錬金術の宇宙像、そして東洋の陰陽五行を踏まえて昔話を分析した。 30歳の頃に書いたから、27年も昔の作品だが、現代において、ますますその重要性は明らかになって来ている。

 その後、「沖縄の宇宙像」を仕上げた時点で、落ち込む。

 50代になる頃で、更年期障害のようなものかと、自分で書いてはいるが、本当は異なる。 その直後、離婚されているから、それが原因だと思っている人もいるようだがそれも異なる。 「沖縄の宇宙像」執筆を完了したとき、池間島のおばあから、「あそこまで神ごとを理解したならあんた、死ぬはず・・・」と言われたから、そのあたりが当たっているのかもしれない。 結局、死にそうになっただけだが、復活した。(イエスに導かれたからだろう) 幸い、死ぬことはなかったが、深く落ち込んで、孤独を求めたその底で考えていたのは
 「2000年に入ると、何か、大きな変化(大変なこと)が世界で起こる・・・」
 どのように人類は生きていったらよいのか、と言う事だった。1999年の事だ。 2001年、9.11が起こったとき、いよいよやってきたな、と思った。 その頃は、深い落ち込みから抜け出しつつあり、新たな世紀、次の時代を作る作業をミンダナオの子どもたちや若者達と一緒に始めていた。 それともう一つ、人類の根源になる宇宙像、狩猟採集文化の宇宙像を明確にした後落ち込んでいる時期に、
 最後にぼくがやらなければならないのは、宗教の問題だと、繰り返し言われた。
 
「言われた」というのは、なぜかわからないが、内的な声がそう語りかけてくるのだ。 特に、神道のような、狩猟採集文化の持つスピリチャルな信仰と仏教やヒンズー教、ユダヤ教、キリスト教、とりわけ、イスラム教が平和に共存する世界観。 落ち込んでいるぼくの心の根底に世界が体験する危機の出現と同時にそうした、問題が、自分の人生の最終課題として提示された。それが、どのような形で自分の人生の中で実現されるのかは、皆目見当がつかないでいた。 その後、ミンダナオに放り出されて、今やっていることの必然的な意味を悟らされ始めている。 このような形で、行動するとは、予想もしていなかったが今は理解できる。 本当に、充実して、美しい形で子どもたちと平和を実現しつつあるMCL ミンダナオは、おもしろい。 イスラムとキリスト教と先住民の信仰、先進国と搾取される途上国の相克、抑圧される人権、自然と環境、現代の諸問題が総合的に凝縮されていると同時に、ぼくを待ってくれている子どもたちが本当に可愛い。この子達のためだったら、また、日本や世界の子どもや若者達のためなら、命の二つや三つ、 捨てても良いかな、といつも思う。この世では、命は一つしかないようだが・・・ 最悪の時期は、まだ来ていないこれから始まる??? ほぼその先も見えてきている。 明日には、我が子のような子どもたちに会えるだろう, 我が子にも会える、アメリカにいる、二人の娘とは、もう10年以上も会っていないが・・・まあ、幸せにやっているのだろう。 ミンダナオにいる「我が子達」は「パパ、トモー!!!」と言って、駆け寄って、抱きついてくるだろう。一人一人を抱きしめよう。日本で出会った若者や子ども達の事も忘れることなく。

 11月28日(日)
  ネット上で、ミンダナオ子ども図書館と関連する、いくつかニュースが流れたので紹介、ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は、以下の記事を出した。アンパトゥアン一族の殺害に関する、詳細な調査記事で、注目に値する。 これは、ミンダナオだけではなく、フィリピン全土、また、海外のグローバル企業や武器を携えた自由主義に関わる大きな問題。 全文は、サイトで読んでほしい。ここでは、部分的に抜粋した。 ただここで注意しなければならないのは、これが、イスラムの問題ではなく、クリスチャン系も含めた全フィリピンの問題であり、ひいては、植民地主義、グローバル経済も含む、国際的な経済的植民地主義、新自由主義経済を背景としていることだ。
フィリピン:地方を支配する有力な一族による人権侵害 政府関与 http://www.hrw.org/ja/news/2010/11/16
アンパトゥアン一族の台頭と勢力拡大の背景には、虐殺当時政権の座にあったグロリア・マカパガル・アロヨ元大統領の支援があった。 同元大統領はミンダナオ島における重要な支持票獲得や長期化するモロ族との武装紛争への支援をアンパトゥアン一族から受けることで、依存を深めてきたのだ。 そして民兵部隊はアロヨ政権の下、地方当局者やその他の政権支持者を相手に軍用兵器の売り上げ高を伸ばし、同国で長年人権侵害を行ってきたとされる軍勢力の強化に充ててきた。 アロヨ政権はこうした重大な人権侵害への不処罰問題にも対処してこなかった。 ヒューマン・ライツ・ウォッチは、虐殺発生の根本的原因や民兵部隊の不処罰問題に、フィリピン政府が概して対処して来なかったことについて懸念を表明した。 アンパトゥアン一族の民兵は、フィリピン全域で活動しているとされる100もの私設軍隊の1つにすぎない。 事実上、彼らの武装規模は、活動費を提供する地方政治家の力に左右されている。 これまでの政権は1987年制定のフィリピン憲法の規定に従いこれらの民兵部隊を解体・非武装化するという義務を無視するばかりか、私的な目的のために民兵を統制・利用してきた者の違法行為を捜査・起訴してこなかった。

「フィリピン政府は、マギンダナオ虐殺という国民的な悲劇をきっかけに、私設軍隊をすべて廃絶し、すべての人権侵害者を司法で裁くという動きに転ずることができたはずだ。」と述べる。 「有力な一族が思い通りの支配を続ける限り、フィリピン国民は苦しみ続け、フィリピンという国の評判にも悪影響を与え続けてしまうだろう。」

  11月26日(金) ミンダナオに帰る日が近づいてきた。 子どもたちへのお土産も買ったし心は、ミンダナオへ飛んでいる。 今、これを、渋谷のカフェーで書いているのだけれど・・・

 今回の滞在で、成果は多い。
数日前に、日本事務局のNPO法人化も達成できたし、より深い日本との関係が、構築され始めたきがしている。 しかし、何よりも大きな成果は、日本の若者達に話が出来たことだろう。 大学でのセミナーも多かった。日本の若者達に、新しい未来を感じる。 就職など、厳しいだけに、過去、年配の人たちが築いてきた「現在」にスッパリと見切りを付けて、新たな生き方を模索しようとする気配を感じる。 まだどちらかというと、意識は欧米志向のようだが、アジアに目を向ける機運も、確実に芽生えている。(あいかわらず、自殺も多いけれども・・・・)

 今回の滞在で、一番気がかりだったのは、世界情勢の中で揺れる日本の人々の気持ちだ。

 ミンダナオで、絶えず戦闘を見てきているだけに、トラウマになっているのだろうか、戦争へ引っ張る力が日本を巡る世界を覆っているのを敏感に感じ取る。 それに対応する世界観を、中高年の人々が持っているのだろうか?それが気になる。 何より子どもたちが可愛そうだ。引っかからなければ良いのだが。 ぼくが、武器を持たない、殺されても殺さないと決心したのは、ティーンエイジャーの頃、17歳のころだろうか。高校生で、大学の学生紛争が飛び火していろいろなことを考えた頃だ。 右にも左にも行くことなく、第三の道を切り開こうと決心した年頃。 今、ぼくが、常識では考えられない地域に入っていけるのは、武器を持たない決心をしているからだ。 反政府も政府も混在している複雑な地域であるだけに武器は日常的に見ることも多い。 そのような中で、なぜ活動が出来るのか不思議に思う人も多いが、もし護身のために武器を携行していたり軍隊の護衛があったりしたら、かえって恐くて活動できない。 武器を持たないことと、子どもたちのために、命をかけて仕事をしたいというこの二つの想いがあってそれを人々が感じてくれる。これが最大の安全だと思う。ただし、絶対だとは言い切れない。 武器三原則の見直しなど日本は、武装した方が良いという考えがあるようだが、もし、日本が武装したら、危険度は格段に高まるだろう。 渋谷を歩く人々を見ても今の日本人は、若者も含めて戦争に耐えられるはずがない。高齢化しているし、体力的にもミンダナオの政府系も反政府系にもかなわない。 金の力だけで(経済力だけで)戦争に勝つことが出来ないことは、近代兵器で攻め込んだ、アメリカが証明している。 (アメリにも、たくさんの良心的な人々がいるが・・・) 今こそ、どんな挑発を受けても平和的に解決する忍耐強さを、見せるときだ。 憲法九条を全面にだして、逆に対話を続けていく勇気を持つならば、日本は、世界、とりわけアジアの国々から賞賛され信頼され、経済的にも伸びるだろう。 若者達も、それを望んでいるし、そのようなことを今回は深く考えさせられた

 ミンダナオの戦闘は、 2008年、9年の80万の避難民が出た戦闘でも実に奇妙な戦闘で、民間の死者は少なかった。 国軍も、反政府軍もプロフェッショナルな戦闘で、戦闘が起こる場所の住民達をまずは、双方とも避難させてそれからドンパチやるからだった。 2000年のフィリピン政府軍と米軍の合同演習。演習という名の実戦が起こったとき。 そして、2002年のやはり合同のテロリスト掃討作戦の時には多数の死傷者出て、死体を埋める暇もなく川に流したと言うそのときとはずいぶん違う。 米軍が関わってきた、合同演習や掃討作戦は、本当に恐い。 2008年は、おもにフィリピン国軍と反政府軍だったので良かったが、理由は、両方とも、フィリピンの人たちだから、民間人をむやみに殺したくないと思っているからで、ピキット市の市長が、ぼくの目の前で国軍司令官に携帯で電話して、戦闘を国道沿いから外して民間人に危害が行かないように頼んでいる。 その後すぐに、反政府勢力のMILFの司令官に、同様の事を頼んでいる そんな様子からも、現地の人々は、本当はあまり、戦闘をしたくはない事が良くわかった。

 戦争で一番恐いのは、当事者同士ではなく、その背後にいる、第三者なのだ。
 日本がそれに、引っかからないように切に祈りつつ故郷を発つ。 たぶん、杞憂に過ぎないだろうが・・・可愛い日本の子どもたちや若者達の事を想いつつ

 11月25日(木)
  久しぶりに日本に帰ってきて、いつも驚くのが、日本の風景の美しさだ。 自然が豊かで、森の木々が目にしみ山々が輝いている。 今回は、時間が無く、長野の茅野での講演の後、北八ヶ岳をめぐり、みどり池にぬけたが、日本は、九州の湯布院あたりも至る所みどりが美しい。 海外の人々とりわけ、アジアから来ると、日本の美しさが際立ち、韓国や中国の人々がなぜこんなに日本に観光に来たがるのかが良く理解できる。

 日本で将来、最も可能性がある収益事業の一つが観光業だろう。

 北海道の風景、雪の山、そして夏も雪渓の残るアルプスの岩峰。 海も近く、川は澄んだ水をたたえる。 九州や四国ののどかな田園風景、京都や奈良の古都の文化。そして、温泉。 東京などのビルの風景は、さほど興味深いとは感じられないが、何しろ田舎が美しい。 驚嘆すべきことは、道路が地方の山の農道や林道に至るまで舗装されていることだ!!! この箱庭的でコンパクトな中に、山川海が全て配置されている日本。 日本の経済的基盤の最も大きな車輪の一つは、観光だとつくづく思う。 観光だけは、家電や車と違って技術革新もいらず、他がまねようとしてもまねられない。 ただ一つ残念なのは、こんなに風景が美しいのに人々の様子が寒々としている感じだ。 心が閉じこもった感じで、表情もなく出会い頭に挨拶もない。 子どもたちが生き生きと、美しい風景の中で遊んでいる様子もない。 外国人を見ると、どこか蔑んだ表情が浮かぶ?とくに、アジアやフィリピンの人々に対して。 どんなに風景が美しくても隣人を友として受け入れて、自分のように愛すことが出来ない国は孤独で自殺率が高くても仕方がない?

 11月11日(木)
 今回の日本滞在中に感じたこと、経験したこと、思ったことを少しまとめよう。

 若者達に語る必要性
 日本に着く前には、5カ所ほどの講演会しか入っていなかったのに、数日たつと、ほぼ埋まってしまったのには、驚いた。 予定表を見ていただければわかると思うが、大学が多い。 東京理科大、お茶の水女子大、立教女学院、立命館、創価大学。高校もフレンド学園など・・・ このことは、日本の人々が時代を担うはずの若者達の現状に行き詰まりと不安を感じ、それを打開する方向性をミンダナオ子ども図書館の若者達や活動方針に見ているからだろう。 小学校でも話す機会があったが、これからの若者達はアジアに目を向け、そこでこそ、将来、活動する喜びと課題が得られるように思える。
 その点では、韓国はとても先進的でミンダナオのダバオには韓国の若者達が多い。

 日本の若者は全く見ないが、これは、日本政府、外務省が渡航を制限しているからだろうか? 韓国の若者達は、すがすがしく、若者同士で交流し、もちろん引率者など無しに現地に滞在。 現地の人々と交わりながら同時に英語を学んでいく。 日本人で見かけるのは、ほとんどが中年男で、女の子を追いかけてきたような情けない雰囲気・・・ 韓国では、若者を積極的にアジアに、特に貧しい地域に送り出す政策をとっていると聞いている。 もう数年もたつとアジアで活躍するのは、韓国人と中国人そして、インド人になるだろう。 そういえば、ここ数年インド人も見るようになった。4,50代の、働き盛りのビジネスマンが多い。 もはや、日本の若者は、閉塞的に閉じこもり、どこにも自分たちの力で、出て行かない?
 ぼくが、生まれて初めて一人飛行機に乗り自分で旅程を計画し、生まれて初めて、外国に降り立ったのはプラハだった。チェコスロバキアだ。

 20歳の頃だったから、35年も前のことだ。 言葉も大して通じないプラハから東ドイツへ入るビザをとり、ワイマールに向かった。 当時は、プラハの春の後の頃で当然、チェコもドイツも共産圏だ。 共産主義に興味があったわけではなくゲーテを学んでいたのでワイマールを目指したのだが、もちろん日本人に会うわけもない。 全くの一人旅だったが、それ故に貴重な体験だった。 軍の尋問を受けたりもしたが、みな、良い思い出だ。それ以来、海外はほとんどが、一人旅だ。 そのような体験を、今の若者にもしてほしい。
 今日本ではやりは、海外のNGOへのスタディーツアーだそうだ。
 海外NGOを体験すると、就活に役立つのだという。 そんな下心を持った体験が、若者の心を形成するのだろうか??? ミンダナオ子ども図書館でも、かつてやったが、一日いくらで滞在費をとりやらせの保育所建設。 時には、リゾートで宿泊といった、現地から見ると不自然な、お客様ようの特別扱いで、日本の若者達を、かえって駄目にしているように感じた。 MCLは、お客様ではなくファミリーとして訪問者を受け入れたいし、それが嫌な方には、帰っていただく。結局、収益目当てのスタディーツアーは、馬鹿馬鹿しくてやめてしまった。 ミンダナオで、現地の若者達と力を合わせたった一人で、図書館を立ち上げたのも、本当に楽しい体験だ。 海外での、一人旅の体験が、こんなところに生きていると思う。

 絵本をめぐる現状

 それと、今回、増えてきたのが絵本や昔話といった、子どもの本にまつわる依頼が増えたことだ。 以前も、絵本論や昔話を通した自立論を語ってきたが時代が行き詰まっているからだろう、ミンダナオの子どもの姿を含めて、新たに聞きたいという要求が多い。 10年以上前の子育て時期に講演を聴いておいて良かったという方々にも多くであう。 読み聞かせや子どもの本の関係者、図書館員や出版に関係した人々から聞こえてくるのは、ここ10年で、絵本が本当につまらなくなったと言う苦情だ。 「絵本の世界が、ちまちまとして、趣味的で、女の世界になってしまった」 これは、女性蔑視で言うのではない、絵本に関係している、女性達が言っているのだ。 確かに、出版は低調で、本来、時代に向かって何を語りかけていこうとしているのかという、主張もビジョンも無いような気がする。 売れれば良い、売れるか売れないか、当たるか当たらないか。そればかりなのかもしれない。
 出版の本来の意味は、時代に向かって語りかけ時代を切り開くこと。
 子どもや若者達の羽ばたきや旅立ちのきっかけを作ることだと思うのだが・・・ それが全く失われているというのが、父の意見だった。 驚いたのは、編集者が、ほとんど持ち込みの原稿からしか絵本を作らないと言う事だ。これには、あっけにとられた! ぼくも編集者時代があったが、90%は、絵本作りを考えたことも無かった作家や画家を起用。 ようするに、時代の中で生き、表現している芸術家の力をどのように、絵本という形で子どもたちに伝えるかを考えてきたからだ。 父の編集者としての仕事「だいくとおにろく」などの赤羽末吉や荻太郎、佐藤忠良などもおよそ、絵本とは縁のない人々だ。 それゆえに、絵本という狭い概念を超えた、時代の力を作品にこめて表現している。 絵本から、絵本の発想を得て、絵本を作るという、絵本から抜けられない絵本が多い? 絵本の外の世界から、絵本という形で本を作り、子どもの心を、絵本の外の世界へダイナミックに向かわせる絵本が本当に、無い、と感じる。 他の絵本を見て、絵本に興味を持ち絵本の世界から、絵本を作る三次産業的に絵本は、3番煎じの出涸らしのような感じがあって、絵本で育った?ぼくには、趣味的でおもしろくない。 かつては、ぼくも、編集者だったわけだが、手島圭三郎も吉田遠志も井上博幾もおおよそ、絵本など考えていなかった本格的な画家達であって、その世界は、彼らの人生の生き方そのものの表現だった。おそらく、父が言うように、今の絵本のつまらなさは、本格的な信念や理念を持って時代に、今の子どもたちに向かおうとする、本物の編集者、本物とは何かという事が理解できる編集者がいないという点に尽きるのだろう。
 ミンダナオでは、たとえ絵本が無くともお話が見事に生きていて

 それゆえに、コミュニティーも生きていて子どもたちの生きる力も生きていて、ちょっとやそこらで、自殺などしない。 絵本が無くとも、絵本の原点が生きていることを、ぼくは、彼らから学んだ。 彼らと共に、僻地の子どもたちと会い、読み語りを楽しむのは本当に充実していて、すばらしい! ミンダナオには、本物の世界が生きているといつも思う。 ぼくが、先進国のグローバル化によって追い詰められ、作られた貧困の中であえいでいる現地の子どもたちや若者達から真実を学んだように、日本の子どもや若者達そして、大人たちも、彼らからこそ、生きる力の真実を謙虚に学ばなければならないのかもしれない。 空虚な絵本を読み聞かせても家庭も個人も崩壊し続け、自殺はいっこうに減らないだろう。 思い切って視点を変える体験を日本から出てしない限りは?

  11月9日(火)
  ミンダナオ子ども図書館、そしてぼく自身への誤解が無いように、この辺でMCLのスタンスを明確にしておこう。
 戦争に対する危惧やプランテーションに対する危惧をサイトに掲載しているが、ぼく自身、
「何かを告発する」といった考えは全くない。 コミュニティーが大事だと言ってもぼくは、コミュニストでもないし共産党員でもない。 高校時代に、左翼運動に関心は持ったがすぐにその限界を感じ取り、右でもなく、左でもなく第三の道を見つけようと心に決めた。その方向性は、今に至っても変わらない。 秘密結社にも属していない。何かの儀式に参加したり、暗記したりが嫌いだからかもしれないが、ライオンズクラブにもロータリーにも加盟していないし、とにかく、何にもクラブや結社に加盟してはいない。 もちまえの、めんどくさがりやなのだ。 大学時代に、恩師の木村直司教授から(元上智大学教授でゲーテの自然科学の本を出している)ゲーテのコスモロジーにかんする、宇宙像を学んでいるし、中世の錬金術やユングやゼーデルマイヤーを学んでいるからルシファーや自然と関連した宇宙像は、把握しているが、沖縄やアイヌのシャマニズムに通じる宇宙観も、さらなる根底として把握している。
  団体からの寄付は途切れることもあるので、ミンダナオ子ども図書館の寄付は、99%が個人寄付。
 企業からの寄付も含めていつ途切れても、大丈夫な体制を引いている。 ちなみに、ぼくは、給与を一切寄付からもらわず(個人的に渡される講演収入だけ、それもほとんMCLのために使っている)日本事務局のMCLジャパンスタッフも含めて完全ボランティア。 寄付は、全額、子どもたちのために使われている。 宗教的には、祖母は、仏教の浄土真宗だったし父は、日本基督教団だが、ぼくは、カトリックに属している。 伝道のためにMCLを作ったわけではないし、一信者に過ぎないからイスラム教徒やマノボ族の子たちと一緒に住み、朝は、イスラムの祈り、昼はマノボ族の祈り、夜はキリスト教徒の祈りで食事をする事が出来る??? もちろんぼくは、モスクでも祈るし、お寺も大好きだ。
 ミンダナオ子ども図書館は、Non Religious Sect, Non Politic 特定の宗教や宗派に偏らない、政治的な動きにも関わらない団体だ。

 僕はカトリックだが、洗礼を授けて下さったヘルマン・ホイヴェルス神父との出会いが大きい。 (『人生の秋に』(春秋社)といった本が出ている)。代父は、先述のゲーテ研究家の木村直司教授。 しかし、この世に理想的な宗教団体などが、有ろうはずもなく(人間が組織するものであるがゆえに)ぼく自身は、カトリックが、この世において属するには良いところかなと個人的に思うのは、神父の説教が、時には納得できなくても聖体拝領でイエスと出会えることと、バチカンが世界の神父や信者を完全に牛耳っている訳でもなく(そう思っている人が多いようだが、ミンダナオにいると良くわかる)右から左、聖人のような神父や修道女から、時には子どもがいる(・・・失礼、でも本当)神父まで多様だからだ。 フィリピンでは、暗黙で子どもがいる神父もいるが、神父をやめて愛を貫いた、元神父に、人々は喝采を送る。大事なのは、愛だと思っているからだろう。フィリピンのカトリックは、明るくおおらかでしかも、歌も朗らかでとても良い。 カトリックは戒律が厳しいと聞いていたのだが、実際には広い心で罪人を愛で迎える。 マリアを通して、女性の愛の永遠性も感じられる。神が愛だとするならば、母性愛も神聖な愛だから。 カトリックは、まあ、これだけ世界各地広がると、金持ちから極貧の家庭まで、人種や教会の歌や表現まで文字通り多様で、簡単に突っ走ったり、戦争には荷担できないだろう。 2000年に、過去犯してきた2000年間の罪を告白したところも大いに気に入っているところだ。
 自分たちこそ最高で、正しいと思い込む宗派ほど恐いものはない?

 特に気に入っているのは、ミンダナオでは、命がけでイスラムの子達を救おうとするシスターやブラザーなどのミッション修道会の存在で、こうした修道士や修道女、神父達の活躍はすばらしい。NGOという観点から見ても、宣伝もしないし、頭が下がるような活動を現地でしている。 バイクに乗って、ミンダナオの山岳地帯を駆け巡り政府も反政府も関係なく、ミサを建てていくファウスト神父(2013年殺害された、シスター方の話だと軍関係だと言うが?)やジョバンニ神父、ピーター神父などなかなか勇壮でかっこいい。 オブレード会で、イスラム教徒を救済しているピキットのライソン神父やオーランド司教(2013年バチカンの枢機卿に選ばれた)には頭が下がる。 結婚する気もなく、むしろ人生の生き甲斐を探している若者達など、派遣労働者にもなれず、グチグチしているよりも、こうしたミッションに人生を捧げたら良いのにといつも思う。 修道会には、欲得を超越した奉仕に捧げるコミュニティー精神が生きていて、カトリックを支えているのは、彼らだと思う。 また、プランテーションの事などを書くのは、告発したいからではない。(そのようなNGOの存在も知ってはいるが)ミンダナオ子ども図書館の子どもたち、ぼくにとっては、我が子のような子どもたちが、それらの影響をもろに受けて、族や村人たちが困窮している様子を毎日見るからだ。
 ぼくの活動の原点は、いつも我が子のような子どもたちに対する愛情!
 イスラムの子どもたちもぼくには、我が子のように思える。 戦闘などで、彼らが困窮している様子をみると多くの人々、特にその原因の一つを作っている先進国の人々に、現実を知ってほしいと思う。現実を知り、可能であれば行動を起こし対処してほしいと切に望む。 フェアトレードなども行動の一つだろうし資源と戦闘の問題を見ながら日本を見ると、北朝鮮、中国、東シナ海、南シナ海の問題がさらに大きな戦争に拡大しないか気になるし、戦争が起こったとき被害を被るだろう子どもたちが、ミンダナオのイスラムの我が子のような子たちの顔と重なってくる。 それだからこそ、日本の将来を開いていくはずの若者や子ども達の事がとても気になる。 そうした想いから、発言するのであって政治的な闘争や告発を考えているわけではない。 ただし、現地では、国際的なプランテーションや山に追われた民族、イスラムや戦闘の真の原因に触れることはタブーでぼくが知っていた女性議員、先住民族を擁護していた弁護士やOMIというオブレード宣教会のラジオ解説者夫婦も殺害されている。 ジャーナリストやNGO関係者も多数殺されていてとりわけ現地の人々が殺されるが、過去には、とりわけマルコス時代、ダバオやキダパワンの神父達も殺されている。 現在でもたまに、国際NGOの人も殺されると言う。 殺害者は、覆面をかぶっているので特定できないが、マスコミでは、反政府勢力の仕業と書かれていても現地では、有力者や企業がやとった殺し屋だと言われている。中には政府の送った刺客に殺された神父も居る。5000ペソ(一万円)だせば殺し屋が雇えると言う。 アムネスティーも抗議してるが、ぼくの場合も、殺害の可能性があると、子どもたちやスタッフが心配している。 我が子を誘拐される可能性も否定できない。 反政府組織の場合は、すぐに解放されるだろうし殺害はないと、言われているが・・・もしも、ぼくが殺されたら、「反政府組織の仕業と思われる」とマスコミに載るかもしれないが信用しない方が良いだろう。 ときどき、「イエス・キリストも最後は殺されたから仕方がないか」と思うときがある。 子どもたちが、可愛いから活動しているだけなのだが愛に生きようとすればするほど、殺される可能性が高まってくる? それでも、決して武器はとらない覚悟はしている。

  11月9日(火)
  コミュニティーとは、8日の記事で書いたように「隣の人を、自分のように愛する事」と考えると、それを広げていけば戦争は、無くなるはずだ。
 ミンダナオのプランテーションで山に追われたマノボ族の極度の貧困もグローバルな企業の現地を顧みない利益追求から生まれたものだし、イスラム地域の国際的な天然ガスや石油の利権を目的とした戦争も、結局は、現地の人々よりも自己、自国、自社の利益のなりふり構わぬ追求から生じた結果。そこに、武器製造企業などが絡んで戦闘が、意図的、計画的に作られる様子はミンダナオによく見える。
さらに、国際的なNGOも絡んでいる(かもしれない)としたならば皆さんは、どう思われるだろう。 しかし、隣の人、特に貧しく困窮している人々の事を切り捨てることなく優先し、考え、野心もなく、満ち足りた小さな平和を望んでいるこうした人々が幸せに暮らせる社会を優先し支援し、作り上げることを考えれば・・・ 隣人の中でも、こうした人々をとりわけ大切にする社会を作り上げれば、戦争は、最もやってはならないものであることが、理解できるだろう。 「隣の国の人々を、自分の国の人々のように愛する事」自分の国の豊かさが、隣の国の人々の貧しさを作る原因にもなっている事を理解すること。 ミンダナオのバナナプランテーションに追われるマノボの子たちのように・・・ 隣人、隣国、そうした最も身近なところと友情も結ぶところから考えるとき初めて、世界の平和が実現するように思えてならない。
 世界が、経済や政治、軍事分野で複雑な動きをしている現在フィリピンのミンダナオという地域から海の向こうの欧米諸国と日本とを比較するといくつか興味深い点に気がつく。
 欧米諸国は、実に、戦略に長けている。おそらく、ヨーロッパでは、長年にわたって歴史の中で諸国が戦闘を繰り返し、複雑な国家や宗教の対立のなかで生き延びざるを得なかったからだろう。 戦争のおこし方、対立の作り方。相手側に工作員を送り込む方法、マスコミを使った宣伝作戦人心操作? 日本は、江戸時代の300年の平和そうした平和が続いた後、突然、世界の中に引き出されて何もしらずに世界戦略の渦中に巻き込まれ二つの戦争を経て敗退。 真珠湾攻撃の際も、見事に戦争を作る操作に引っかかり原爆投下で、全てをうしなったにもかかわらず当時、どのように、国際社会の中で孤立化させられ戦争に焚きつけられていったかの、戦後の冷静な分析がなされていない。 アジアにおける、誤った行動、とりわけ、大量の虐殺の反省、ミンダナオでも、穴を掘って、多くのマノボの人々が生き埋めにされたという事実など(マノボの妻といっしょになって、山に逃れた日本人たちも多いが)そうした検証がなされていないのは、とても不安だ。 アジアの各国にとっても不安だろうが、また、同じように、世界戦略に載せられて武器を使って噛みついて一般の人々に、大変な人的被害を出すようになったら悲しいことだ。 武器を売りたい人々にとってはどこで戦争が起ころうとかまわないわけで、武器輸出三原則を改正して 日本企業も参加に名乗りを上げている?

 日本が武器を持ったらアジアは日本から離れるだろう。
 欧米ならば、多少は戦略的な判断ができるだろうが、」300年の平和を享受し、戦争の仕組みを知らない日本が大戦時のように、ただ感情のなすがままに武器を振り回せば子どもにライフルを持たせたようだ・・・ 欧米と日本の歴史の違いは、商売の方法にも見えるような気がする。欧米の商売の方法は、植民地主義のように商人は、貴族と結託し貴族の持つ軍事力を使って他国に軍を送り植民地化し、 反政府的な人々を追い出し経済的に支配する。 まさに、現在、ミンダナオでも起こっている事のような気がする。 日本の場合は近江商人がそうであったように、商人は、貴族や武士と関わることなく武力行使もせずに独自の文化を形成していった。 文化とは、欧米では、貴族文化のことを指し、日本では、町人文化、貴族や武家とは一線を画した純粋な市民文化が生まれている。それが、江戸の300年間続いた平和な時代を作ったように思われる。 江戸時代から商業で、ミンダナオまで貿易し、明治になっても戦前には、ミンダナオのダバオには20万の日本人が住みマノボ族と結婚して現地に溶け込み日本人学校も出来たりしていた。 「郷に入っては、郷に従え」が商売の基本であり、武力を使った植民地主義とは異なっている。 大戦でその全てを失ったが・・・
 中国の場合は、華僑だが、これはなかなかしたたかだ。
 良くわからないが、とにかく武力は行使してこない。 静かに深く浸透するがアイデンティティは保持して中華街を形成するが、小さな商店もミンダナオの小さな町にまで広がっていてダバオやコタバトにも大きな中華学校があり中国語が教えられている。 日本の場合、ダバオに戦前まで日本人学校があったのだが、戦争にまんまと引っかかりその後全てを失ってしまった。 まあどちらにせよ商売の仕方は、現在の日本の貿易や自動車産業、衣料や家電にしても、日本のやり方は武力を使った植民地主義では無いことは確かで中国やASEAN諸国に近い。 ただ、政治が暴走すると怖いのが日本で単純なだけに、もう一度大戦へ至った経過を検証し、アジアに対して行った失敗を反省する方が、将来の日本のために、特に、今後、おそらくアジアを含む世界で活躍していく子どもや若者たちのためにも良いだろう。 戦争を起こさない商業、貿易、友好関係のなかで互いに語り合って問題を解決し、貧困層を作らない発展を模索する力が、アジアにはあると思う。

  11月8日(月)
  コミュニティーとは何かを考えてみると・・・ それは、おそよ団体生活とは異質なものでクラブ活動やサークルでもない。 ましてや、行政による地域社会や町でもない。
 ミンダナオ子ども図書館には、イスラム教徒もキリスト教徒もマノボ族も仲良く生活しているが、ここには、コミュニティーがあると感じる。 ミンダナオ子ども図書館は、施設ではない。スカラシップを受けている子の中で家庭状況や、学校まで遠くて通えない子、三食食べられなく、お弁当を持って行けない子などが、住んでいるが、皆、自分たちの意志で来る。 だから、家族の元や、親戚、郷里に帰りたくなった子はいつでも、戻れることになっている。 いわば、下宿や寮のようなものかもしれない。 ただ、読み語りや避難民救済などのボランティア活動には積極的に参加する。 しかし、山の集落には、コミュニティーが生きていると言った場合それは、集団社会が機能していると言うのではなく、子どもたちも大人たちも、個人として尊重されながらも、お互いに理解し合い助け合って生きているという事だ。 つまり、互いのコミュニケーションが生きている、互いに愛し合っている、助け合っている、友情や愛情が生きている社会だ。 だから、家庭が崩壊し親がいなくなったとしても子どもは自殺などしない。 周囲の人々の愛や仲間の友情に支えられるからだ。
 コミュニティーとは何かと訪ねられたらぼくは即座にこう答えるだろう。
  「隣の人を、自分のように愛する社会」

 日本には、この感覚が失われ、競争社会のなかで孤立し、孤独だ。 そのような教育で育ったエリートが政治や経済を動かしているとしたら恐ろしい。 隣の人を、自分のように愛する事のできない人は、隣の国の人々を、自分の国の人々のように愛する事はできないだろう ミンダナオの資源獲得のために起こされる紛争や戦争。 先住している人々を山に追いやって広がるグローバル企業によるプランテーション、隣の国の人々を、自分の国の人々のように愛さない自己中心的なエゴイズム。 今の日本人たちは、中国や韓国やフィリピン、そしてASEAN各国といった隣国の人々を自分のように愛せるだろうか。 成績優秀で、エリートとして育てられた官僚ほどこうした気持ちがわからない??? 10月29日(金) 日本に来ると、孤独のどん底に落とされるような、気持ちになる。 それが、今までは、2週間ほど続いたのだが、今回は、3週間ぐらい続いた。
 日本人の心の状況、経済的、政治的に一段深く落ち込んだような気がするが二番底は、これからなのかもしれない?
 経済的には、ミンダナオの山に追われたマノボ族の集落などは、3食たべられないような、7番底ぐらいの状況なのだが、子どもたちや大人たちの様子には、どん底の暗さはない。 開き直ったのかというと、そうでもない。 彼らの心、生きる力を支えているものは、何かを考えると、次第にわかってきたのは、分かち合い、助け合い、友情や愛の生きているコミュニティーであることがわかってきた。 コミュニティーと言う言葉は、日本では、死語に近い。コミュニティー、社会、地域社会、ご近所づきあいどのように訳したら良いのかわからないが、ミンダナオの貧しい集落には、コミュニティーが生きている。 日本では、コミュニティーどころか、家庭も崩壊している。 家庭の大事さは、講演などで、識者が強調しているようだが、家庭が大事、大事と言っても、ミンダナオの社会、家族、子どもたちの生き生きとしている様子を見、考えるに付けコミュニティーが崩壊しているところに、家庭は成り立たないのではないかと思う。 先進国社会は、学校教育、識字、自由主義の力で個人主義が可能になった、と言われる。 確かに、日本の人々も、個人の自立、確立が進みそれが、コミュニティーの崩壊や、家庭という集団社会を崩壊させたと思われるときもあるが個人主義が確立したように見える日本の人々を一人一人眺めていると、その内面で、「個人」すら崩壊しているように見える。 こうした観察から、ぼくは今、このように考え始めた。 コミュニティーが崩壊すると、次に家庭が崩壊する。家庭が崩壊すると、しまいには、個人も崩壊する。
 家庭は、コミュニティーから生まれ豊かなコミュニティーによって、支えられる。
 コミュニティーの無い社会に、家庭も無い。さらに、コミュニティーの無い社会には個人もない。 個人は、家庭から生まれる。家庭は、コミュニティーから生まれる。 ミンダナオ子ども図書館の子どもたちを見ているとわかることだが、家庭が崩壊しても彼らは個人として、崩壊しない。自殺もしない。なぜか、コミュニティーが生きているから。 つまり、コミュニティーは、家庭、そして個人全ての人々の「母体」なのだ。 コミュニティーのなかで個人は存在し得ると同時にコミュニティーと個人の間にあってその両者を結ぶ場が家庭なのかもしれない。 三位一体で、初めて愛が完成する? 10月27日(水) 中国の若者たちが、反日デモを行っている。 裏から政府がコントロールしている・・・貧富の格差によって起こる不満を転嫁している・・・ などなど、いろいろな要因があるだろう。 フランスでも若者たちがデモに参加。デモに参加する気概があるだけ、元気な国なのかもしれない。
 若者たちの反日感情の昂揚は何故だろう。
 円高で、日本企業の国内生産と輸出は厳しく、日本の企業は、中小も含めて海外進出に活路を見いだそうとしているが、感受性の鋭い若者たちには、それが、海外侵略と映り大戦中の日本軍の行動と重なるのだろうか・・・。 しかし、ミンダナオからの視点を加えるとしたならば対立を煽る背景には、必ず、「見えざる第三者の存在」がある。 各国政府も、軍隊も、政治家も、場合によっては民衆さえもマスコミやテレビを通して、「見えざる第三者」の影響を受けていると考えると意外なところに存在する、その意図と目的は何だろうか。 日本が円高を利用して、海外に進出していくのを押さえたいと思っている国々・・・ もしも、日本と中国と韓国そしてASEANが強い友情で結ばれて、協調して経済活動をしはじめたとしたならば、経済力の世界第二位と第三位に加えて、強力な韓国とASEAN各国が一体となるわけだから経済的なパワーの大方は、東アジアが牛耳るだろう。 それに、危機感を抱くとしたならば、東アジアを分断させ、中国を孤立化する政策を展開したくもなるだろう。 加えて北朝鮮も希少金属の宝庫であるし、東シナ海、南シナ海も資源の宝庫だと言われている。 ミンダナオは、南シナ海領域に入り、米軍は、ミンダナオのサンボアンガやジェネラルサントスに南シナ海を中心にインドネシアからマレーシア、ベトナムを睨む基地を置こうと計画している。 東シナ海の基地は、沖縄だろう。 北朝鮮の潜水艦の問題から始まって尖閣列島の問題、若者たちのデモ、日中の政治的な対立・・・ 金持ちの日本が、円高で海外に進出するのを止めてに大量の武器を購入し核武装をしてくれれば、儲かるかもしれない。サウジアラビアが、大量の武器を購入したように・・・ だからといって、見えざる第三者が米国だとは思っていない。 米国の経済力の疲弊をにらんだ国家を超えた、グローバルな力。 世界の中で、善悪二元論を使って対立を起こし、国際的な政治的なプレゼンス、軍事的なプレゼンスを高めてそれによって利益をあげる? 国家の安全は、経済的には、共存互恵、隣国と深い友情で結ばれるところから始まると思うのだが・・・

 10月25日(月)
  日本について25日間が経過した。 日本に着くと、必ずと言って良いほどに落ち込む。想像を絶する孤独感に見舞われるのはなぜだろうか。 ミンダナオ子ども図書館での子どもたちをはじめとする人間同士の交流が温かく愛情に満ちていて、互いに支え合う心が生きているのにたいして、日本の社会は、人々が孤立していて、孤独感ばかりが迫ってくる。 孤独な老人や子どもたちの話題がニュースで飛び交うがミンダナオとの差を激しく感じる。
 経済の豊かさと心の貧困は、反比例しているのだろうか・・・
 日本からの訪問者、とりわけ若者たちがミンダナオ子ども図書館に来るとほんの数日の滞在であるにもかかわらず別れの時に、激しく泣く。 それだけ、日本で、孤独の中に住んでいて、MCLにやってくると日頃、深く求めているにもかかわらず満たされることがない、愛や友情に飢えていた心が現地の若者たちとの出会いでどっと開かれ、奥底にしまい込み、失われていたと感じていた自分自身が一気に復活するからだろう。 「帰ってくるからね、また帰ってくるからね、私の事を忘れないで・・・」 泣きじゃくりながら、どちらが故郷で、どちらが故里かわからないような言葉を口にして帰って行く。 何が日本と違うのだろうか・・・
 日本の若者たちの事が気になるが、少なくとも今回滞在して多少なりとも世論が、若い世代の事を心配し、気づかい始めていると感じる時がある。
 今までは老人のことばかりだったが、若者こそが未来なのだ・・・。 「若者よ、派遣労働者よ、この辺でイッチョ、デモでもやったら・・・」などといったら、ひんしゅくを買うだろうか? ミンダナオと日本の社会の大きな違いは、競争社会か、お互いに助け合い、心を分かち合うコミュニティーを重視した社会かの違いであるように思えるときがある。 ミンダナオは、ある意味では、現代の競争社会の落ちこぼれグループの典型だ。 貧しく、開発からも、経済システムからも、教育からも取り残された人々、多くの自称先進国の人々は、 こうした人々を哀れと思ったり「努力が足りない」と蔑んだりする。 ミンダナオは、かつては豊かだった。 国際的な資源獲得競争によって起こされる、戦闘、プランテーションなどの国際資本によって山に追われる、先住民族、ミンダナオの貧困は、国際的な資本主義社会、グローバリズムと新自由主義が、民主主義の理想だと思い込んでいる先進国の経済至上主義によって作られた貧困だと思う。 ミンダナオの貧しいコミュニティーこそ、真の民主主義の具現化だと、感じる時がある。
 もともと、競争よりも、分かち合うこと

 競争相手を蹴落とし、追い詰めて、自己、自社または、自国の利益を獲得することより、平等で分かち合い、互いに愛し合うことを求める人々もいるのだという事を先進国は、忘れていないだろうか。 日本の若者も含め、競争することよりも心を分かち合い助け合うことを大切に思う人々がいる。 今の若者たちが、真に求めているものは、これではないだろうか。 ミンダナオの、特に貧しい人々は、そうした心を失っていない。 それに出会って、若者たちは、号泣する。 「生き残るためには」競争社会を勝ち抜かなければならないと日本人たちは、子どもの時からたたき込まれる。 「生き残る」という意味は、競争が嫌いな負け組は「死ね」または、「死ぬしかない」「あんな者たちは放っておけ」と言う意味かもしれない。 そうした気持ちを人々が抱いて生きている社会は心の安まる社会だろうか。孤独な社会ではないだろうか。 そうした競争社会に疑問を持ち、競争社会のなれの果てとも言えそうなグローバリズムや新自由主義の陰で貧しく虐げられている人々と分かち合い、心のつながりを持つことを大事だと考える人々も、日本にはいる。 そういう人々が、ミンダナオ子ども図書館を心から支援して下さっていると感じる。 その心の根底は、優しさかもしれないし哀れみかもしれないし「取り残されている人々」?を自分たち同様の、先進的な?競争社会、新自由主義的民主主義?に取り込むことかもしれないが・・・ 支援する心に違いがあっても良いとして、ぼくの目には逆に、自分の社会が喪失した大事な心に対する希求や危機感が根底にあるように思われるプライドもあるから率直には言えないとしても、心のどこかに、本来の優しさや人間性を失った自分を少しでも回復させたいという希望が無意識に働いているのではないだろうか。 その点、若者たちは、率直で感性も豊かだから、ミンダナオ子ども図書館の子どもたちに出会うと心の底から慟哭するのだろう。
 小学校の恩師無着成恭師が言った言葉が忘れられない。

 仏教では、支援や寄付は、布施または喜捨という。 寄付とは、つまり、自ら執着しているもの、財産や我執を喜んで捨てることであり、それゆえ、信者は、ひざまずいて僧侶に布施をする。 布施をする方が偉いのではなく布施をする方がひざまずくのは、それによって、自分を救って下さいと願う行為だからだ。 寄付する方の者、支援する側の者が、自分を低くして、貧しい人々の心によって救ってもらう、それが、寄付であり、支援であるのかもしれない。 ミンダナオに来た若者たちに、言う言葉
 「何かをしてあげようと思うよりも、まずは、友達になること。友達になれば、友達が困っているときに何かしたいと、心から思う。そこから、始めればよいのだと」
 ミンダナオの若者たちにはこう言う。 「支援してもらっている事を感謝することは大事、でも、まずは、友達になること、日本の子どもたちは孤独で、心の友情や愛の支援をひつようとしている。だから、助けてあげてほしい・・・」 経済的に豊かでも、心の貧困にあえいでいる先進国の競争社会の人々が、現地で救われていくのを目の当たりにするたびに思う。

  9月5日(日)
 日本に行く準備をはじめた。10,11月は、毎年日本に報告会、講演会に出向いている。 そのために、この時期、報告会に使用する映像を制作する。 イスラム地域の戦闘を体験し、大洪水の状況を見て、さらに今年は、エルニーニョの影響によるマノボ族の現状、その後、山に追われた先住民の現況を見るにつけて、こうした別々に見える諸問題の背後に共通した問題があるのがわかってきた。
 「作られた貧困」
 本来は、このような貧困や避難民と行った困難な状況に置かれる必要の無い人々が、なぜこのような不幸な立場に置かれざるを得ないのか。 それは、彼らには抗しがたい状況が、近代の先進国主導の政治的、経済的、文化的状況によって作られ、圧倒的力でもって、ある日突然に、彼らの生活を破壊していくからのように見える。 先日、ボアイボアイ村を訪ねた。スカラシップの調査のためだが、この村のマノボ族の状況は良くない。理由は、この集落の人々が、自分たちの土地を持っていないためだ。 周囲は丘陵地で、広大な土地が広がっているにもかかわらず、彼らには、自分たちの土地がない。 移民系の人々に、ただ同然の値段でだまされて土地を奪われてしまった経緯もある。 しかし、それだけでは、ここまでひどくはならないだろう。 首領に聞くと、この村には、多くのマノボ族が逃げてきた。彼らは、向こうのアンティパス県から移ってきた。 首領の指さす方向に目をやるとすぐしたの道路の向こうアンティパス県に、どこまでもどこまでもバナナ畑が広がっている。AJMR(スミフル)と呼ばれる日本資本のバナナプランテーションだ。 ここ数年、進出が甚だしく、ミンダナオ子ども図書館の奨学生の中にもAJMRに追われて、自給地を失い家族が崩壊している子も多い。 追われた家族の多くが、このボアイボアイに逃れてきたが、彼らとて作付けできる土地があるわけではなくさらに追い詰められていく。 ミンダナオ子ども図書館のスカラシップ、子どもたちの世代が教育を受けることでせめて生活できるようにすること・・・これが最後の頼みの綱なのだ。
  すでに既得権を持った人々が、土地の所有権を放棄するとは思われず。今後も問題が続いていくだろう。

 8月5日(木)
  ミンダナオ子ども図書館だより「対立していたクリスチャン集落での読み語り」より継続
 2008年の戦闘は、この周辺の地域から始まった。この先の村に避難民救済に行ったとき、避難民は数千人。 どこのNGOも恐れて入らない地域だが、グレイスさんが言った言葉が忘れなれない。
 「クリスチャン系の有力者が、クリスチャン系の農民に武器を渡している・・・」 その実に数週間後、国軍が入り、避難民は10万を超え、数ヶ月後には、80万を超えた。 ここのごく普通の人々たちは、そのようなことまで気がついていない。今も気がついていない。
 この地域の貧しい人々は、ただ自分たちの耕作する土地を守りたかっただけだ。 かつては、この村にも、イスラムの人々が魚を売りに来たり、クリスチャンの若者たちが、下のイスラムの村にバスケットボールをしにいったりしたというから、宗教的な教義が、対立を生み出しているわけではない。
 これは、現在世界で起こっている、紛争や戦争でも同じだろう。 地域の小競り合いは、リドーと呼ばれ、たびたび起こるのだが、それが、80万もの避難民を出すほど拡大するためには、すでに筋書きによって用意された準備がいる。つまり、小さな発火を「待っている」大きな軍備。小さな発火が作られる。
 世界で起こっていることを知らない文字も読めない「無知な」農民を扇動するのは訳もない? 時には、それが不発に終わったり、計略によって覆されたりすることもある。 アロヨ政権末期のアンパトワン事件などは、戒厳令を起こす計画が事前に漏らされ火はくすぶっただけで消されたが、それも用意されていた筋書きだった?
 マギンダナオ自治区などでは、小さな規模で戦闘が起こされることもある。 イスラムの薬売りの女性が襲われて、その報復にMILFが立ち上がり、それに対抗してヘリコプターから空爆がはじまった。 このような場合は、次のように疑って見るといい。 空爆を起こすために、意図的に女性を襲わせ挑発したのではないか・・・空爆の目的は何だったか?
 避難民が出て、その救済に向かったのは、なんと「ミンダナオ子ども図書館」だけだった。 空を飛んでいるヘリコプターも見ているのだが、新聞にも載らない。NGOも地方行政も避難民救済すら行わない。 かわいそうなのは、子どもたちだ。 2008年、戦闘が勃発した初期の段階で、クリスチャン系の暗殺団「ねずみ」の話が出たが、すぐに消え、マスコミは一斉に、反政府組織を非難する論調であふれかえった。どちらが先に手を出すのかは、あくまで不明の闇の中だが、戦闘を煽る強力な手段はマスコミだろう。
 戦争を起こす根本的な原因を、時には偏った論調を掲載して、覆い隠すのもマスコミだろう。 宗教対立が強調され、人々は、それを信じる。 外から対立をあおって、戦争を起こすきっかけを作る勢力が存在する。 戦争を起こす理由は何かというと、現地では、土地問題だったりもするのだが、マキララでのNPAとの戦闘もそうだが、土地問題の背後には、日本も含む国際的なプランテーションが遠巻きに関与していたり、(直接関与しているのではなく、地域の政治家などの有力者を通して間接的に関与している) またピキットのように、リグアサン湿原に眠るという、膨大な天然ガス、石油、ミンダナオが希少金属の宝庫だといった鉱物資源だったりする。
 こうなると、背景は、国際的な国と国との対立関係も絡んできて、ミンダナオの豊かな資源を、アメリカがとるか中国がとるか、EUや日本はどうやってそのおこぼれに預かるか、といった事まで動き始め、 戦闘の後の、国際的なNGOの動きまでが関わってくる。 コタバトの経済は、中国資本で保っているし、ダバオにもコタバトにも中華学校がありコタバトの市場に行けば、中国語のコーランも手に入る。 (フィリピン経済が、中華系であることは、自明の理だと言われているが) ただ、中国の影響は、経済で大きく、武器売却や戦闘戦略には現れていないように見える。 ただ、現地の識者からは、中国商人が手を引けば、コタバト経済は崩壊すると聞いている。
  中国は、国として関与していないで中華系の商人として関与しているので、共存互恵があるかぎり手を引くことはあり得ないが・・・ 経済的な問題は、戦争を起こす大きなきっかけだ。 反政府勢力にとっては、貧困の問題。不公平な社会の矛盾。 体制を牛耳っている側にとっては、落ち込みつつある現在不況を打破すること? 「こう、不景気だと、戦争でも起こってもらえないか・・・」 経済力が落ちてくると、国際的な政治力が落ち、軍事力も落ちてくる。国力が落ちてくるのだ。 力を維持するためには、経済力、政治力、軍事力を維持しなければならない。 それは、ミンダナオの小さな村においても、世界においても、同様? 戦争で最も儲かるのは、兵器武器を製造する産業だろう。 その主な生産地は、アメリカと部品製造に関与している列強諸国。もちろん、日本も含まれる。 ミンダナオでは、反政府組織が使っているのも国軍同様に、アメリカ製の武器だ。 アンパトワン一族が検挙されたときに、大量の武器が見つかった。 国軍から流れたものも有ったが、国軍ですら持っていないアメリカ製の武器があり、合同演習の時にアメリカ軍から流れたと言われている。 そこを経由して、反政府組織にも武器は流れているというから、武器が売れるなら、儲かるならば、敵も味方も関係ない? 宗教などを理由に挙げて二極の対立を故意にあおり立てて、戦争を作っては、そこに武器を供給していけばよいのだ。
  国際的な武器商人にとっては、自国が勝とうが負けようがどうでも良い。 結局、反政府組織も正規軍側も、戦闘の正面に立って戦うのは、正義感に燃えた若者たちや農民で組織された民兵たち。 革命を起こして、不平等な社会を是正する。貧困を解消して、理想の社会を作る。自由を広め、民主主義国家を建設する。 掲げている理想は美しくとも戦闘の前面に立って戦い、死んでいくのは純粋な若者たちだ。 その陰で利益を享受しているのは別の国に住む第三者たち? 自国の国内で、戦争が起こるのを喜ぶ者はいないだろう。 見世物の格闘技と同様で喜んで儲けているのは、リングの外にいる顔の見えない第三者だ。 ちょうどプロレスのように、公衆の前面やテレビで格闘技をやらせておいて、リングの外で、金を賭けているような仕組み。
 アメリカは、ドル安を望んでいるという。輸出産業を振興させるために・・・アメリカの輸出産業とは、何だろう。 ベトナム戦争の時、日本も特需にわいた、日本の自動車産業も、機械産業もアメリカの武器産業の下請けだとしたら、今回もアメリカの後を、しっぽを振って追い続けるだろう。 世界で武器を買うことの出来る国は多くはない。石油資源で儲かっている、中近東諸国。 中国やロシアに脅威を感じている東アジア諸国。 とりわけ日本は、金持ちだから武器を買ってくれる最上の国の一つ?
 アメリカ軍の日本からの全面撤退に重ねて、日本が独自の武装した国軍を持つとしたならば、最大の顧客は金持ちの日本だろう。 中国脅威論を展開して朝鮮を刺激して、戦争の脅威を高めれば日本国民も武装を納得する? 現在の朝鮮半島情勢も、そのあたりと関係している? 北朝鮮にも希少金属があるし、中国を通してそちらにも武器を売れるしスーダンや南アフリカ、ソマリアやアフガニスタンにも、ミンダナオ同様に多くの資源が眠っている。 とにかく、このような不景気な社会を打開するためには、戦争でも起こってもらわないと・・・ このような事実に疑問を持ち、ラジオや新聞で発表したジャーナリストは、キダパワンでも殺されたし 地元のNGO関係者や弁護士、弱者擁護の議員も殺害されたりしている。表には出ない、簡単な暗殺か事故。 トモさんだって危ないよ・・・と、スタッフやスカラーや妻も寝食を共にしている90名の親のいない子どもたち、500名近い奨学生たちも心配している。
 ハイゼンベルグやゲーテやユングの言うように、自然科学論を分析してもわかるように、最も小さな部分で起こっていることをとらえると全体が見えてくる? 日本は、かつて世界大戦の時に善悪二元論に引っかかった。 大切なのは、決して善悪二元論に引っかからない事。 悪魔のように狡猾な、三者が必ず背後にいると疑ってかかるべき? 第三者を監視する、第四者として行動すれば、四角形の曼荼羅となり、伝統的な陰陽二元論からはっする五行の螺旋が回復する。 仏教や陰陽道は、武器を持つな、殺すなと言ったイエスの教えに近い気がする。 一例を挙げれば、相撲のような格闘技を、賭博や金儲けのツールにせずに、神聖な技の儀式として平和のうちに受け入れること。 決して武器を持たず平和憲法を前面に出して勇気を持って世界を渡り歩くこと。 中国は、商業を前面に出して、世界を渡り歩き始めた。ひょっとしたら、これも東洋の知恵かもしれない。
 中国では、驚異的な勢いでクリスチャンが増えているという。 イエスは西で十字架につけられて死に夜明けと共に東から復活する? 幸い、子どもたちの読み語りのおかげで、フィリピンのミンダナオ、ブアランのクリスチャンエリアは、心を開き始め、下のイスラム地域と一緒に多様性の中で生きていく道を模索し始めた。 イスラム地域の村長さんの言葉 「年とった大人たちは、なかなか簡単に受け入れられないだろうが、子どもたちなら、未来に期待が持てるだろう」 ミンダナオ子ども図書館をよく理解して下さっているイスラム教徒の村長さん。 日本政府は、JICAの草の根支援を通してこの地に小学校を建設しようとしている。日本国民である皆さんの税金で。 MCLの若き現地スタッフたちは、喜んでそのお手伝いをしたいと思っている。


 
8月3日(木) ピキットで、再選された市の役員が殺害された。 理由は、彼が選挙中にモスクに爆弾を投げたからだというのだが・・ 殺害の対象はイスラムの首領だったので、報復されたのだという。 軍が多少出ていて不穏だが、ともにイスラムの同じ地域の有力者の対立いわゆるリドーと呼ばれるものだ。 対岸のダトピアンでもリドーが起こりピキットのダマラサク方面に避難民が出たが、ハウスベース(親戚の家などに避難する)なのでMCLとして救済はする必要はないと判断した。
 マキララ地区では、軍隊が小学校近くに駐屯し住民からの批判を浴びた。 本来は、こうした場所に駐留してはならないことになっているのだが、子どもに武器を持たせて、写真撮影もしたといので、DSWD(福祉局)も抗議した。撮った写真を、マスコミを通して、NPAが活発に動いているという宣伝工作に使うのではないか、というのが推測。 軍は、NPAの取り調べという名目で、家宅調査をしているが住民を追い詰め怒らせて反政府組織の活動を誘発させるかつて経験したその恐ろしさを、地域の人々たちは語る。 選挙が終わり、落選した議員たちの中には、今回の選挙を無効と宣言している者たちも多い。 選挙のしこりが、様々な不穏な動きにつながっている。 中東や北朝鮮も含めて、戦争を起こしたい勢力が動き始める気配もする。 アメリカの経済は、崩壊過程に入り始めた?大量に武器を売らずば、経済は持たない?

7月30日(金)
 イスラム地域のクリスチャン集落 戦闘を起こすきっかけや、貧困の仕掛けが解ればわかるほど気が重くなる。背後の巨大な国際利権もさることながら・・・ 先日は、カリナンに行った。 日本人の入植地で、カリナンからさらに山に入った集落を支援するため。 ここは、プランテーションに追われた先住民の吹きだまりジャガン、オボマノボ、タガバワ、カオロといった種族が住んでいる。 ここを支援してたのは、スタッフのおじさん。彼同様に日系の血が混じっている。 かつては反政府組織の一員だったが、今は牧師。 「・・・派の牧師が、有力者・・・と組んで先祖伝来の土地を所有し農場を開いている。抗議をした首領は殺害された」 見渡す限りのプランテーション。戦後、反政府組織に加わっていった日系人は意外に多い。 先祖伝来の土地の件で、5月には、MILFのコマンダーとマラカニアン宮殿に呼ばれたのだが・・・ 日本人の知らない、日本人の歴史が想像以上に深く、現代に至るまでミンダナオに流れている。 これからも流れ続けるだろう。 明日は、イスラム教徒を拒絶していた、イスラム地域のクリスチャン集落にイスラムの子たちも一緒に読み語りに行く。 書きたくても、安易に書けないことが多すぎて、なかなか、書く気が起こらない


 6月13日(日)
 日本からミンダナオに帰ってきた。 日本から、アポ山に登りにこられた訪問者の方もあり、新しくMCLに住むことになった、子供たちへの対応にも追われて日記に記録する時間もなく慌ただしく時が過ぎた・・・? 本当に、ミンダナオ子ども図書館に帰ってくるとホッとする。
 多くの子どもたちがいて、騒がしいはずなのだけれども、彼らの姿が、ミンダナオの緑と光と風に溶け込んで心からの安らぎを感じる。 先日、マノボ族のいる貧しいカヨパトン集落に行った。 すでにMCLに移ってきている、二人の子の話から、彼らのお姉さん、といっても小学校の4年生だが、一人で下の4歳と5歳の子の面倒をみてるのだという。 先夫は、娘を産んだ後いなくなった。二番目の夫との間に、5人の子が生まれたが、その夫は、先夫の娘と関係を持ちDSWDの調査で黒となり、監獄行きとなった。
 長女は、DSWDの保護下に置かれ母親は、生活のために町に出た。 父親も母親もいなくなった山奥の家で、5人の子どもたちは取り残されたまま長女が面倒を見続けてきた。 村の人々は、水と芋としか食べられない子どもたちを放っておけずに、ときどきわずかな差し入れをしては、彼らを支えてきた。 最初、僕らは、集落に残された5人のうち小学校に行っている上から2番目の男の子と、3番目の女の子を採用し、MCLに住まわせることにした。しかし、二人の話からも、ほかの子たちを放っておけずに、学年が始まる直前、決心して、すべての子を迎えることに決めた。 現地に行くと、集落の人々が歓声を上げて迎えてくれる。幸い、町からお母さんが帰ってきていた。 数日滞在して、また、町に戻らねばならないのだという。
 村長をはじめとする村に人々は、子どもたちの置かれている立場を非常に心配している。 小学校4年生の女の子が、母親となって3歳と4歳の弟と妹の面倒をみながら、寂しい山の寒村で暮らすなど、日本では不可能なことなのだが、幸い、こうした山の村には、人々のコミュニティー意識が 強く生きていてお互いにたすけあうので可能なのだ。 日本が、もっとも失ったものがここにある。 これが日本だったらと思うとゾッとする。 たくさんの人が住んでいる都会ならなおさらに、子どもたちは、家の中で餓死するか、その前に、母親が、生活の悲嘆と絶望で子どもを次々に殺害しているのではないだろうか。 近所の人々? 事件が起こった後で、「へーっ、そんなことが身近に起こっていたなんて少しも知りませんでした」 ぼくらは、母親とも話し合って、子どもたち全員をMCLに引き取ることにした。 さらに、DSWDの保護下に置かれている長女にも会った。 ちょうど高校を卒業した長女も、専門学校に通うことになるだろう。 今、家族全員が久々にそろってMCL にいる。

 5月30日(土)
 日本に来てみると、本当に自然が美しい、5月ということもあるのだろうけれども・・・自然と同時に驚くのが、町の景観や道路とにかくチリ一つ落ちていない。環境問題に関心があるせいもあろう。 観光立国としては、スゴイ可能性がある美しい国だと思う。 チリ一つ落ちていない点は、スイスを思わせる。ただ、スイスも日本も、青少年の自殺率は高い。 こんなに美しい国なのに、住んでいる人々の表情は、暗い。 この人、泣いているんじゃないか?この人の目つきは、普通じゃない? 「人」がたくさんいるのに、人がいないような不気味さ。 本当に心が解放されないし孤独感ばかりがつのっていく。 テレビを見ても、善悪二元論の中で対立ばかりが煽られて、思考も感情も感性もはたまた、政治や経済もコントロールされている不気味さ。 よって立つ場所の無い不安。 北朝鮮の問題がクローズアップされているが、ミンダナオの経験からすぐ感じるのは、これは、どこかで作られた臭いがする。 田中宇氏のサイトに、以下のような記事が掲載されている。  「韓国軍艦「天安」沈没の深層」 http://tanakanews.com/100507korea.htm まさかと思うだろうが、ミンダナオを見ている僕には、非常に納得がいく記事だ。 この事件と、沖縄の普天間基地をめぐる動きは、並列しているように見える。さらに、中国に対する動き。


 5月16日(日)
  かつて日本にいた頃、特に若い頃、ボランティアという言葉が、胡散臭くて嫌いだった。 ニヒリズムが席巻し、神も仏も信じていなかった。学生運動の末期の時期、友人たちは、高校の職員室を封鎖した。 読んでいた本は、ニーチェ、ハイデガー、サルトルにボーボワール、サガンにキルケゴール。 聞いていたのは、小学校の頃からビートルズ、サイモン、ドアーズ、サンタナ、岡林、高石。 面白い時代だったが、虚無が世界を支配しており、宗教は、死におびえる人間の生みだした空想、幻想に過ぎないと思っていた。 「宗教はアヘンである。」「神は死んだ」ニーチェ。 「おぼれる者は、ワラをもつかむ、宗教とは、おぼれる者のつかむワラである。救いを求め、ワラにしがみつきながら、人はおぼれていくのである」当時考えた言葉。
 虚無へ戦いを挑み、意志の力を信じていたが、虚無を追求しすぎて、死と狂気の狭間に立った・・・ その後不思議な体験をして、今は神を信じ、北海道では自然を追求し、といっても、環境問題ではなく、草木を含めたスピリット(精霊)との共存。 アイヌや沖縄を舞台に先住民族の文化を追いかけたが、現在は、ミンダナオで思春期の頃から胡散臭いと思っていたボランティア活動をしているのは、まったく興味深いほど、胡散臭い? MCLには、今のところ、純粋なボランティアで関わっていることになるから、今の活動は、ボランティアなのかもしれない。 無給であっても、好きでやっているのだから偉そうな顔は出来ない。
  ただ自分の心の中では、ボランティアをしているという気持ちも、NGO活動をしていると言う気持ちもあまりない。 ただ、子どもたちが可愛いからだ これをボランティア活動とするならば、かつて軽蔑していた方向に、向かわされている自分がいる。 誰がこんなことを、こんな馬鹿な人間にさせているのか?と自問するときがある。


 5月15日(土)
  去年の里親とスカラシップの重点地域は、イスラム地域では、MILFのARMM地域サパカン。 マノボ地域では、NPAの強いアラカン、クリスチャン地域では、やはりNPAの強いマキララを選んだ。 反政府的なこうした地域は、貧しいだけではなく、差別されているという意識や閉ざされた気持ちを人々が持っている事が往々にしてある。 そうした心を開いていくにも、スカラシップや読み語りは有意義だった。 今年は、ちょっと視点を変えてみようと思う。 イスラム地域のマノボ集落やクリスチャン集落。クリスチャン地域のイスラム集落やマノボ集落。マノボ地域のイスラム集落こうした貧しい小集落は、マノボでもクリスチャンでもムスリムでも困難な状況に置かれている。 イスラム地域のマノボ族には、イスラム側からのそれなりの差別や偏見がある。
 現に、私たちは、ピキットのマノボ集落を見ている。 クリスチャンに差別されていると感じている、イスラムの子たちにもイスラムに差別されている、マノボの集落と関わることは大事なことだと思う。ピキットのブアランには、イスラム教徒のなかでひっそりと暮らす貧しいクリスチャン集落もある。 クリスチャン地域のイスラム教徒も同じで、マキララでは小さな戦闘や小競り合いが絶えない。 イスラム教徒もマノボ族もクリスチャンも自分たちが被害者であるという意識が強い。 お互いに小集団に追い込まれている種族の集落の現状を若者たちが見ていくことによって時代を担う若者たちの視点が広がることを期待したい・・・イスラム地域の先住民や、クリスチャン地域のイスラム教徒の貴重な報告が、来年は出来るかもしれない。
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