2011年7月から大晦日まで



大晦日の観覧車
12月31日
Happy New Year



ミンダナオ子ども図書館では、
五五〇名以上の
子どもたちを学校に行かせている。
孤児や片親、両親がいても
極貧で3食たべられない家庭の子たち。
そして、本人が希望すれば
MCLに住み、近くの学校に通える。
そんな子たちが86名ほど
共同生活をしてる。
朝5時に起きて朝食を作り
掃除をして、庭の手入れをするのも
子どもたちだ。

それ以外にも、週末になると
ボランティアで、僻村に読み語りに行くし
戦闘や洪水で避難民が出ると
救済に向かうのも子どもたちだ。
本当に素晴らしい子たちだと思う。
活動範囲の性格から
イスラム教徒、先住民族、キリスト教徒が
同数になるようにつとめている。

MCLの奨学制度は、基本的に大学までだ。
けれども、全員が優等生というわけでもないし
(優等生だから良いわけでも無いし)
多少勉強が苦手な子には
手に職を付けるための短期学校に
行かせたりする。

クリスマスの時期になると
故郷に帰る子も多く
MCLに残る子たちは
家庭に問題がある子が残り
ちょっと寂しい気持ちになるから
毎年、泳ぎに行ったり、
年の暮れには、夜の遊園地に行ったりする。


子どもたちといっても
活動するのは、小学生から大学生まで
奨学生は、スカラシップスチューデントが
正式な名称だが、
現地では簡略に、『スカラー』と呼んでいる。
みな、私にとっては
「我が子」のような存在だ。

元日の朝、事故に遭った奨学生の家族を
病院へ救済

1月1日


特に従兄の少年は
両足を骨折した。
母親はいないし
出生届も出ていない
貧しい山の家族の子。
MCLの医療プロジェクトで
面倒をみる。



医療は、東京メソニックから
毎年100万円の寄付があり
皆さんの自由寄付も含めて対応!
昨年は、奨学生159、一般70名の
子どもたちを治療
170万円ほどを使っている。
報告書はこちら




年末の訪問者
わたしたちの新しい家族

前田さんご夫妻、MCLの敷地に家を建てて、もうこちらに住まわれたら?





まずは、古着の支援をした
12月30日


状況は良くない。今日、支援している最中に現地の警察官に連絡が入り
上流のブキッドノンのダムは放水したまま決壊し、大量の水が下流に流れ出し明日にもカルメンに届くという。
このダムは、ODAつまり私たちの税金で作った物で、山岳地ではなく、高原地域にあり
現地の先住民族の酋長から聞いた話ですが、河の近くに田畑や居住地を持っていた
貧しい人々の土地がダム建設の結果水没し、そこから、ミンダナオの先住民族の
ダム反対の動きが起こったと聞いている場所です。
水田の所有者には、大きな利益をもたらしたのですが、川沿いに住む
多くの貧しい人々には、打撃を与えた物だそうです。(日本人として胸が痛みます)

さらに下流のカルメンのダム
(これもODAで作られていて、下流の洪水を守る役割を持っているとは思うのですが)
も満杯で放水し始めており、このままで行けば
ピキットやパガルガン、リグアサン湿原を大洪水が襲う可能性があるという・・・
ただし情報は錯綜しているので、慎重に行動する必要がある。



ミンダナオ子ども図書館で
支援の古着を用意する奨学生たち
活動は、いつも若者たちが中心

洪水の避難民たちは
近くの小学校に避難していた。
しかし、教室内ではなく
外に避難している。
ビニールシートが必要だが
1ロールが12000円で
100メートルだから、
4メートル単位でカットして
1ロールから25枚とれる。
700世帯が避難しているので
28ロールが必要となり
336、000円かかる。
ガソリンなど諸経費を入れると
ビニールシートの支援だけで40万円。
MCLは、他の国際NGOとは異なり
個人の支援でほぼ成り立っている
極小の団体なので大変だ。
今年は、日本でも津波があり
支援も少なく
さらに、現地での洪水支援に奔走し
出費が多く
子どもたちへの食費も大変な状況。
しかし、避難民の人たち
特に子どもたちを
このような状況に放り出しておくことは
出来ない。
ワールドフードなどの国際支援は
カガヤンデオロに向かっているが
こちらにも目を向けてほしいと思う。

状況は良くない。
今日、支援している最中に
現地の警察官に連絡が入り
上流のブキッドノンのダムは
放水したまま決壊し
大量の水が下流に流れ出し
明日にもカルメンに届くという。
カルメンのダムも満杯で
放水し始めており
このままで行けば
ピキットやパガルガン
リグアサン湿原を大洪水が襲う
可能性があるという・・・
今後も避難民は増えていく。
今年は、クリスマスも正月も
返上するしかなさそうだ。

700世帯を越える家族が、学校内の敷地に避難している
雨よけのビニールシートと米に窮しているというが、MCLでは、米までは支援できない
屋根を見ればわかるが、このような代物で、雨をよけることは不可能だ


今回は衣料支援のみだが、状況によって医療の支援が必要になってくるだろう
子どもに限定した炊き出しも必要になるかもしれない
年が明けたら、若者たちと読み語りに来る予定だが
そうした活動の中で次の一手が見えてくる
長くならないことを願うのみだ


衣料支援をした
各家庭に4着づつ、400家族に届けた
明日また来て、300家族に届けなければならない



本当に子どもたちがたくさんいる
この子たちを放っておくことは出来ない


中には、川岸近くの住民で、家が流された家族も多い





ブッキドノンの灌漑ダムがあふれだし
カルメンが洪水に襲われた!

12月28日


洪水で着の身着のまま
緊急避難する人々


このような状態で夜を明かす
雨が降ればびしょ濡れだ!

数日前、日本政府で作ったブキッドノンの灌漑ダムが、
豪雨のために増水し、ダムを越えて水があふれだし、
現地で三〇〇世帯以上が水に浸かり
一〇〇〇人以上が避難しています。
ダムで水かさが増えて、川岸の住民の住宅を襲いました。
http://www.mindanaoexaminer.com/news.php?news_id=20111227011712

このダムは、建設時にも多くの民家が水没し田畑が奪われ、
その後、ダム建設の反対運動の象徴となった物です。
昨日、この増水が、さらに下流に流れ込み、
現在下流地域のカルメンを襲っています。
MCLの奨学生も多いパガルガン市が、緊急の避難情報を出し
夜に人々が高台に避難しました。
その中にはスタッフや奨学生もいます。
カルメンにも、ブキッドノンのダム同様に、
日本ODAつまり私たちの税金で建設した灌漑ダムがあり
(右の写真で、このダムに関しては記事に書きましたInfo
ブキッドノンであふれ出した水は,
現在下流のカルメン市のダムでぎりぎりで保持されている様子です。
しかし、ブキッドノン同様に、保持された水があふれ出しつつあり、
川岸の住民を襲い、七〇〇世帯あまりが避難しています。
ミンダナオ子ども図書館では、
台風による洪水被害の出たカガヤンデオロは
現在も多くの国際NGOなどの支援があるので
こちらに力を入れることにしました。

今は、かろうじてカルメンのダムが水を保持していますが
飽和状態で、隣のカバカン市に水があふれ出しています。
洪水は今までも見てきましたが、このような事態は初めてです。
カルメンのダムの放流が開始されつつあり、
今後は、下流のパガルガンやピキット市を洪水が襲う可能性があります。
前夜に、パガルガンの人々が高台に避難する事態が起こりました。
まだ、下流に洪水が流れ込んではいませんが、
今後、雨量が多くなると
ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちが多くいる地域を大規模な洪水が襲い
カガヤンデオロを越える事態を招くのではいかという、
懸念する報道も出ています。

これ以上、上流で雨が降らないことを祈ると同時に、緊急支援を決定しました。


カルメンのダム


激流で岸が削られ、モスクの半分が流れ去った
カガヤンデオロでも、死者の半数は子どもたちだった



川沿いの貧しい家々が流され、被害が甚大になる

川沿いには、土地を持たない多くの貧しい人々が住んでいる
犠牲になるのは彼等だ


トウモロコシ畑も水の中だ
河を上記のような流木が流れ出すのは、カルメンのダムの放流の結果であり
大洪水が起こる予兆であるとされている。

緊急に避難する人々、しかし、
このような状態では雨が降れば大変だ
ビニールシート等の緊急支援が必要です
現地で購入する方が安いです
皆さんの支援をお待ちしています。

郵便振替口座番号:00100 0 18057:口座名:ミンダナオ子ども図書館


このような状態では
とても雨には絶えられない
屋根になるビニールシートが必要




Merry Christmas!

クリスマスおめでとうございます。ご安心下さい、私たちは元気です。

洪水のニュースが流れました。
私たちは皆元気です。場所は、ミンダナオの北部で、ここから五時間の場所です。

しかし、悲しいニュースがあります。
今年高校を卒業した奨学生のマリテス・ナヴァロさんのおばあちゃんと
小母さんと子どもたちが、カガヤンデオロの洪水で流されて亡くなりました。
おばあちゃんは、娘の事を心配して、現地へ行ったのですがそこで洪水に遭いました。

貧しい人々は、土地が無いので川沿い、海沿いに貧民街を作って住んでいます。
今回の洪水は、台風による増水で、河の水位が高くなり溢れたことが原因と報道されています。

河の水が鉄砲水となった原因に関しては、ピキットのリグアサン湿原と同様に、
上流の樹木の伐採が関係している事は疑いもありませんし、この件も報道されています。
多くの貧しい人々の家々が流され、特に子どもたちが亡くなったことは悲しい、悲しい事実です。


もう一つの悲しい出来事は、
アラカンで30年間、マノボ族を支援し続けてこられた
ファウスト神父さまが、殉教された事です。
この件に関しては、
ドン・ボスコ社発行の『カトリック生活』1月新年号
に書きました。
殺害の理由は、現地や地元マスコミでは
マノボ族の住む山岳地域の鉱山開発に
反対していたことが原因だと言われていますが、
正確にはわかりません。
現地記事の一部
INFO
ドンボスコ社の月刊誌『カトリック生活』購入 INFO

松居友へのMCL電話、番号が変更になりました!!!!!!!
08044232998 です。



私の保育所は今
プノル 北野財団
パイドプランギ 溝田美恵子・山元神父と友人たち
ブアラン 高橋毅
ニューバレンシア 多湖ファミリー
パマリアン 小役丸 良徳
ブロッド 丹原美保
バロン 高橋毅
カルボガン 円福幼稚園
タリタイ 長崎出島ロータリークラブ
フォートピキット 京都暁星高校
バラティカン 高橋毅
ナムリ 大阪のEM.K
レオン ARMEC
サパカン 茨木ロータアクトクラブ
セニオマラウ 全国海外教育事情研究会
セニオマラウ W21小田原
ブグアク N.T
カティンド 京都暁星高校
スプリング STUDY UNION
アマベル 京都暁星高校
ボアイボアイ 北九州ライオンズクラブ
ビラフローリス 藤岡市私立幼稚園協会・水沼武彦
マロゴン ほるぷ社
キダパワン 中本山實相院発菩提心の会
キアタウ 諏訪 淑子
ケロハス 松岡 なつめ
バンシラン 北野財団
ムヤス 多湖ファミリーと親戚一同
ダトゥ インダ 丹原美保
ラナコラン下宿小屋 河野優子
ラナコラン下宿小屋 京都暁星高校
ティナゴ 小雀保育園
マティアス 久岡 隆行・きみこ
グマイ 日本の小母さんから
セニオマラウ 北九州小倉ライオンズクラブ
ナブンダス 市川 鉄子
ウオーターフォール 日本テレビ
ルモット 岡本 るり子
カヨパトン 窪田 まゆみ
カパタガン ソロプチミスト 原田万紗子
保育所支援希望
支援方法



カヨパトンに古靴と古着を届けた
9月9日(金)


最近の激しい雨で、川底は荒れて、4WDでも川を渡ることが出来なかった。
ジョジョを家に送り届けるのに、車を川の手前に止めた。
カヨパトン村の子たちを、下の集落までつれてこなければならない。

足に傷がつかないように、靴を履いたまま川を渡るのがテクニック。
こちらの子たちの足と私たちとは出来が違う。
カヨパトンは、いつ行っても貧しく
見放されたような村だ。




学校に行くにも、履いていく靴どころか
草履すらなく、裸足の子も多い。
スカラシップの子も多いのだが
せめて学校に行くのに、
靴を支給してくれれば・・・
と言う話は、聞いていた。

靴の支給は、古着に比べると少ないので
いつも困ってしまうのだが、
うれしいことに、毎年小樽から


小樽ワールドフレンズの方々が
靴を贈って下さる。
どれほど助かることか!

http://otaruwf.web.fc2.com/
Link

ここ以外にも、無限に靴のない子たちが
居るのだが・・・
皆さん、物資支援もよろしくお願いします。


ジョジョのお母さんとジンジンも
元気そうだが少し痩せた。


スカラシップ・医療・古着の支援方法は、下のロゴをクリックしてご覧下さい!

自由寄付:思ったときに、思った額を!子どもたちの食費や活動費に使われます。
郵便振替口座番号:00100 0 18057:口座名:ミンダナオ子ども図書館
お母さんが、小さいときに亡くなり
お父さんも、別の女性といっしょなった
ロウェナ
父親も非常に貧しく
子を養えず
親戚の家を転々として
女中仕事をしつつ
頑張って小学校を卒業した。
生まれつき、
足が萎えている。
でも、勉強は、良くできる。
このような子にこそ
将来の事を考えて、
スカラシップを与えていくのが
ミンダナオ子ども図書館。
幸い、同行されていた
理実さんが、
支援を引き受けて下さった。
理実さんは、
未希さんのお姉さん、
二人とも、お父さんを失っている。
つらい体験もしてきているだけ
ミンダナオの子どもたちの気持ちがわかる。
お茶の水大学の理実さんは、
ミンダナオをテーマに保育の調査を
「卒論を発表した後、大学院へ行っても
ミンダナオをテーマにしていきたい!」
一橋大学4年生の未希さんも
すっかりミンダナオになじんでいる。
2月になって卒業したら
早くミンダナオに来て
ビサヤ語をダバオで学んで
ミンダナオ子ども図書館の
仕事を始めたい。
几帳面で、物事を深く捉え
しっかり考えて語る性格。
文章力もある。
専門は、社会学の哲学
ハイデッガーの『存在と時間』
私も、専門はドイツ文学だった。
実存哲学にも興味を持ったが
はるか過去のこと?
哲学好きの陽とも気が合うようだ。

MCLにいる、ロクサンさんの妹。
ロクサンさんも、兄弟思いで、しっかりした子だけれど、
妹も、こんなに小さいのに、下の弟をおぶって、下の集落に靴と古着をとりに行く。
この年齢の日本の子どもは、弟や妹の面倒をここまで見るだろうか!



今は、増水こそしていないが
増水時にこの川を渡る
小学生たちの事を想うと
悲しくなる


こうしてみんなで助け合う姿は、
見るたびに美しいと思う。
別に血がつながっている
わけではないけれど、
同じ集落に住んでいるだけで
兄弟や家族のような気持ちなのだ。
下の子も、川を渡れずにいると
すぐに別の子がやってきて(下中)
おんぶして川を渡った。


高島 幸枝さん主催の
小樽ワールドフレンズの
古靴を渡す

http://otaruwf.web.fc2.com/
Link



この集落の子どもたちは
ほとんどが、裸足だ。


右の写真の子どもたちの
足下を見て下さい。
靴の支援が、古着と共に
どれだけ彼等にとって
うれしいか。
こうした靴は、
もし買うとしても、
町に出て、
古靴屋に並んでいるのを
手に入れるのがせいぜいだが、
相乗りのバイクに乗って
町まで出るお金も無いのだから、
日々食べる米を買う金すらないのだから
親が子に、靴を買ってやるなど
考えられない事なのだ。
靴がないので、
草履を履いて学校に通っても
すぐに穴あき、
それが原因で、停学する子も多いと聞く。



ミンダナオ子ども図書館に住んでいる子にすら
全員に、こんな良い靴を買って与えることは考えられないから、
彼等の多くも、ゾウリを履いて通っている。
靴をもらうことが、どんなにうれしいことかわかるだろう。

学校では、基本的にゾウリは駄目で
靴を履くことが、義務づけられているのだが・・・
裸足で通うことは不可能だ。

皆さんから贈られた古着も・・・


靴と同時に、大事なのが古着だ。
日々、彼等は、ほとんど裸に近い
姿で生活している。
着ていても、穴の空いたボロボロの服。


古着を配るときにも、MCLでは、

古着の入った箱を、そのまま置いておくような配り方は決してしない。
一部の人たち、特に地域の有力者が、箱ごととって
血縁関係者にだけわたしたり、ひどいときには、
町へ行って古着屋に売りさばいたりすることがあるから。
必ず、その子に合わせて、一着ずつ支給する。

こうして、みんな並んでもらって
その子の体に合わせて
一着づつ渡すのだが、
時には、子ども服が足りなくなると
兄弟や姉妹、
親のための服を、代わりに渡したりもする。
子供服が貴重で少ないし
古着屋でも値段が高い。
全員に行き渡らなかったりすることもあるが、
その時は、また次の機会に持っていく。
村とのお付き合いは、
奨学生のための学用品を
2月に一回届けているだけではなく
読み語りなど、
さまざまな機会があるから・・・

ヒナイヒナイバスタカヌナイ
ゆっくり、ゆっくり
でも絶え間なく・・・が
ミンダナオ子ども図書館のモットーだ。
ほとんど個人の方々の
支援によって
成り立っているMCL。
小さな小さなNGOだけに
大きな支援は出来ないけれど

長くご縁を持って
お付き合いしていきたいと思っています。




古着をもらって大喜びの子どもたち




スカラシップ・医療・古着の支援方法は、下のロゴをクリックしてご覧下さい!

自由寄付:思ったときに、思った額を!子どもたちの食費や活動費に使われます。
郵便振替口座番号:00100 0 18057:口座名:ミンダナオ子ども図書館


また必ず来るからね、待っててね。





ミンダナオの情勢

ミンダナオの情勢は、良いのか悪いのか、つかみ所がはっきりしない。
イスラム地域は、ラマダン明けが一つの節目で、ラマダン期間中は、国軍は動いても
イスラム教徒は、断食月に入り動かない。しかし、あちこちで爆弾事件などが起こるのもこの時期
それに対応するかのように、ラマダン明けに、戦闘が起こることが多い。
8月初め頃には、和平交渉が決裂するのではないかという、不安があって少し緊張した。
決裂すれば、即戦闘態勢に入るという話も聞いていたし。
7月下旬あたりから、軍の動きも活発で目立つようになった。

しかし、アキノ大統領とMILFの極秘会談(非公式という意味だろう)が、日本で行われ
平和への努力で話し合われ、その結果、戦闘は回避されたような感じだった。
むしろ、戦闘の動きは、マグペットやマキララのマノボ族地域で起こり始めた。
若い軍人たちが投入されているという話は聞こえていたし、マノボの人たちからは
山の中を軍隊が陣を張ったり動いているという話が聞こえてきていた。
戦闘は、小規模な物だが、死者や避難民もあちこちで出た。
マキララでは、空からの空爆もあり、バゴボ族にかなりの死者が出たと聞いたが
死者の実数などの報告は、マスコミ上では出てこない。

MCLの奨学生のいる、ボアイボアイでも戦闘が起こり、今も住民は困窮している。
しかし、こうした小規模な戦闘の状況は、ほとんど報告されることもなく、
今回、国連難民高等弁務官事務所から連絡が入ったときは、少し驚いた。
国際的な機関は、このような小さな動きには、呼応しないものだと思っていたから。
同時に、私は、イスラム地域の状況と同時に、貧困では、はるかに困窮している
マノボ地域に比重を少しかけて行こうと考えていた矢先だっただけに、うれしくもあった。
今後の動きについては、予断を許さないと思っている。

和平交渉は、自治と資源がメインの課題としてのぼってきたが、
両者の隔たりは未だに大きく、和平交渉の困難さを浮き彫りにした。
結果的に、和平交渉は継続するが、政府案は拒否する考えをMILF側は表明した。
イスラム地域での今後の動きは、MILF分離派のKatoの動きとも複雑に関係している。
http://newsinfo.inquirer.net/52461/kato-prefers-talks-
先日、ミンダナオ子ども図書館で平和の祈りをしたブアランのニューバレンシア。
その裏のラガイェンに軍が入った。上記の事と関連している。
2008年にも、この地域から戦闘が勃発した。それが50万の避難民を発生させる戦闘に
拡大していったのだが、ブアランの子どもたちやラガイェンの奨学生たちの事を考えても
この地域の動きに不安を覚える者たちは多い。

マノボ族の地域も含めて、子どもたちの事を考えて、出来る限りの手は打っていきたい。
平和構築も安易に出来る物ではないことは重々承知だが、諦めてはいけない。
ただ、世界的な経済バランスが崩れているので、最悪の事態は回避できるかもしれない。



国連難民高等弁務官事務所から
今井飛鳥さんが避難民調査に

9月7日(水)

UNHCR(United Nations High Commissioner for Refugees)
国連難民高等弁務官事務所のサイト
Info


UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が、
コタバトに拠点を構えたことは知らなかった。
UNHCRは、緒方貞子さんがかつて活躍した
国連の部署であるぐらいしか知識はない。


UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の
Protection Officer の今井さんから連絡をいただき
MCLでお目にかかることになった。
ミンダナオにおける先住民族、特にマグペット地域の
マノボ族の状況について聞きたいというお電話をいただいた。
MCLでは、バランガイマノボで200名を超す避難民が出て
すぐに行動を起こしていたし、そこから最奥の集落アポックアポックに
保育所建設を開始。同時に、現地の状況をかなり把握していたので
マキララやアラカンの情勢と共にお話をした。
ボードメンバーのガボン牧師に連絡をし、当日は
各地の首領も参加して、マノボ族の状況を話し合った。
これをきっかけに、お互いに協力しあって行くことに話がついた。




ジーナの妹
9月3日(土)




ジーナは、MCLに住んでいる。
お母さんが居なくても、
お父さんから遠く離れていても
優しい心を失わない。
腹違いの3歳の妹が
たった一人で山の奥の家に
取り残されているのが悲しくて
涙ぐむ。

その子は、先週、4日間ほど
MCLに滞在し、
私と妻のエープリルリン
ジーナも一緒に子どもたちと
キダパワンのカテドラルのミサに出た。
3歳の子は、
私の肩ですやすやと寝息を立てる
父親は、その子もMCLに引き取ることが
出来ないだろうかと言う。
しかし、MCLでは、
小学校1年以下の子は
DSWDの受け入れ許可を得ていない。



妻のエープリルリンは、
父親の了解を得て
いっそ、養子にしたらよい、と言うだのが




山元神父さんによる
ニューバレンシアの平和のミサ

8月21日(日)


イスラムの村とクリスチャンの村の中間に、保育所の移設も完了した。
Mの会で、ここに穀物干し場を兼ねたバスケットボールコートが近くできる。
子どもたちは、仲良く保育所に、若者や大人は、バスケートボールを楽しみながら、収穫を喜ぶことが出来る。




長崎出島ロータリークラブ
寄贈による
ピキット・タリタイ村の
保育所の開所式

8月27日(土)




NPO STUDY UNIONを主催されている
関さんは、3度目の訪問
今回は、RCの寄付で
タリタイ村に保育所を建設

希望としては、イスラム自治区のカルボガンに
保育所建設を望まれていた。
私たちは、資材も購入し準備を完了していたのだが、
洪水が繰り返し襲うことで
どうしても建設を開始することが出来ず
急きょ、ピキットのタリタイ村に変更した。
ここは、MCLが最初に活動を始めた地域で
イスラム地区における活動は、ここから始まった。

関さんは、STUDY UNIONの活動をなさっていると同時に
長崎出島のロータリークラブのメンバーでもある。
STUDY UNIONに関しては、こちらをクリック

http://www.justmystage.com/home/studyunion/


今回の開所式で
私が個人的に最もうれしかったのは
この子に会えたことだ。
下は、かつての記事の抜粋
洪水で大変な時に
たった一人で魚を売りに
裸足で道を歩いていた。
あまりにも身なりが貧しいので
思わず車を止めて
魚を買った。


タリタイ村の川沿いの集落に
住んでいると言うことはわかったが
どこだかわからない。
必ずいつか探し出して
訪ねようと決心したのだが・・・

開所式の読み語りに
その子が来ていることがわかったときには
どんなにうれしかった事か。
早速、写真に収めた。
彼女も私を思い出してくれた。
一緒にいるのは、妹。
ピンクの服を着ているものの
破れてひどい服。
話を聞いていく内に
川沿いの非常に貧しい
ニュータリタイに住んでいるという。
川沿いゆえに、洪水の影響をもろに受けている
この村には、MILFの司令官もいるのだが、
彼も貧しく、タリタイの村長に
米をもらいに来たりしている。
彼女のお父さんも病気で
ほとんど仕事が出来ないで
この子たちが魚を獲っては
売り歩いていることもわかった。
その村は貧しいと言うことで
必ず訪れる決心をした。

写真の少女は、恐らく父親か兄弟が捕ったウナギを
村の小さな市場に売りに行くところ。

こうして、日々の糧をようやく得ている多くの貧しい人々が
川沿いの地域で生活している。
もちろん、学校に行くことも出来ない。


ウナギはいくらかと聞くと
二匹で25ペソ、50円
そこで、持っていたウナギ4匹を
100ペソで買った。
小さい頃から、
親に言われて、
こうして兄弟で魚を捕っては売り歩く。
それが、彼等の生活を支えている。

ダムで川が堰き止められることによって
乾期に水位が低下し、
漁業が出来なくなったために
多くの貧しい人々が、
日々の食卓にも不安を持つようになった。
こうした人々は、
ダムの後にさらに
農業用灌漑水路が出来ることによって
今まで以上に水位が低下して、
漁業被害が出ることを怖れている。



足は素足だ



上の写真は、地元の子のように見えるが、娘の藍花と舞花

こちらは、本当に世話になった
タリタイの村長さん

開所式のサイン


この村からは、
現在、MCLのプレシデントを
しているアスレー
スタッフのノライダさんや
アミン君も来ている。
過去に多くの奨学生を採っていて
大学生を卒業して
いろいろな場所で活躍している
上の写真は、保育所の先生だが
奨学生のお姉さんでピキットBDAの
メンバーでもある。
EUの支援で学校も建ったが
保育所だけが小さかった。




マノボの村
ブハイでの読み語り

『ゆめポッケ』を渡した

8月29日(月)



ブハイは、去年初めて訪れた。
MCLのスタッフで日系人のジケロ君が
自分の叔父さんが、会いたいと言っている
というので訪れた。
ドールの広大なバナナプランテーションを
抜けていくその奥。
原生林の側に、へばりつくようにある
非常に貧しい村。
マノボ族、バゴボ族、テサロニケ族
三つの先住民族が混じっているが
日系の先住民が多い地域で
ジケロの叔父さんもその一人だ。

マキララ地域は、先住民が多く
谷の深い山岳地域で
村や集落も分散していて
車はもちろん
徒歩でもしばしば難しい。
それだけに、素朴な生活が生きているが
NPAで有名な地域でもあり
戦闘がしばしば起こる。

今回は、立正佼成会から贈られた
ゆめポッケを配ると同時に
親のいない高校生を
奨学生に採用
今後のこの地域での展開の一歩とした

読み語りの後で大きなカブを演じた

NPO法人、STUDY UNIONの関さんと日系人国際大学で日本語の先生をしているタカコさん
タカコさんは、タガログ語もたんのうで、かつて日本で保母さんをされていた

おおきなかぶの劇をした。
子どもたちは、この劇が大好きだ。
こちらでは、「かぶ」ではなく
「カサバイモ」になっていて
猿も登場する。
今回は、おおきなカブに
民希さんが
お父さんに関さんが
お母さんにタカコさんが
出演して大好評だった。


みんなで声を合わせて「うんとこしょ、どっこいしょ」
それでもカサバイモは抜けません


ミンダナオの子どもたちの純粋に熱中する姿は
本当に子どもらしく美しいといつも思う


民希さんもすっかりなじんで
来年から日本人スタッフとして
活躍してくれるだろう
「ここにいると本当に楽しい」

最後に、ゆめポッケを配った

立正佼成会から送って下さる
ゆめポッケについて


『ゆめポッケ』は、子どもたちが食事やおやつをがまんして、その分を献金して
とりわけ戦禍で追い詰められた貧困地域の子どもたちに
夢を送るためのおもちゃや学用品を入れて、家族で手縫いした巾着に入れて送る運動です。
MCLでは、3年ほど前から、親子で現地を訪れて、子どもたちが直接『ゆめポッケ』わたすと同時に
平和の祈りに参加し、MCLの子どもたちとの交流を深めてきました。
今回は、ピキットのイスラム地域で政府の危険地域指定になっている関係上、配布に参加は出来ませんでしたが
又の機会をMCLの若者たちも、楽しみにしています。


Info




立正佼成会寄贈の
夢ポッケを
マノボの村
アポックアポック
に届ける

8月26日(木)


アポックアポック集落は、バランガイマノボから
約7キロの山道を歩いて行く。
今回は、ゆめポッケをリュックに入れて
村へ向かった。


集落に着くまでには、下に見える川を
渡らなければならない。
この川の向こうの村からもMCLの奨学生は
来ているのだが・・・


遠く望遠レンズで望む
アポックアポック集落
右の写真の山の中腹にも見えるのだが


山道と言っても
整備されているわけではない。
7キロというとかなりあるが
途中、川を渡ったりもする。
子どもたちは、この道を毎日歩いて
学校に通うのだ。


学校は、7キロ先のバランガイマノボにある。
この道を毎日歩いて通っている少女たちにあった。
さすがに保育所に通う年頃の3,4,5歳児には無理な道のりだ。
親が付き添って行くが、山仕事が出来なくなる。
それゆえに、この集落に保育所を作ってほしいと言う要請がMCLに来た。
保育所は現在、馬で資材を運んでいるところ。
その調査で村に向かったが、ゆめポッケを同時に配ることにした。


村に行く途中で川を渡る
増水しているときは危険だ。
子どもたちが大雨の中
滑りやすい丸木橋を
自分たちだけで渡って
学校や保育所に通うのかと思うと
鳥肌が立つ


橋の建設の要請もあるのですが
どなたか寄付できますか?
20万円ぐらいで出来るようですが
Eメール:mclstaff@zar.att.ne.jp(松居友)
やっと無事に、集落に着いた
保育所の状況を把握した後
子どもたち全員にゆめポッケを配った



学用品とちょっとしたオモチャも入っている
オモチャなど、見たことも触れたことも無い
子どもたちだけに、大喜びだ!!
水筒などは、
学校に行くときに大いに役立つ
縄跳びやボールで
たちまち遊び出す子どもたち
時には、大人たちの方が
夢中になったりしている


ほとんどの子どもたちが
小学校すら卒業できない地域だけに
MCLで学校に行けるように
してあげたのだが
まだ、150名の子どもたちに
里親やスカラシップ支援者がいない




平和の祈りのために
立正佼成会から送られてきた

夢ポッケをトラックに積んだ




1053個のゆめポッケがMCLに届いた
その中の500あまりを、今回は小学校が建設されたブアランの子どもたちに
届ける事にした

MCLが主催し、日本政府が建設した
小学校の開校式を兼ねて
平和の祈りをブアランで開催

8月23日(火)



MCLが提案・マネージメントし
日本政府とバンサモロで建設した
ブアランの小学校の開所式を兼ねて
平和の祈りを開催した




戦闘の激しかったブアランの地に、7教室の美しい学校が日本政府の支援で完成した。
草の根支援と呼ばれるこの支援は、現地のローカルガバメントやNGOの要請を、日本大使館で慎重に審査して決定される
MCLは、現地組織として案件を提出、日本人が関わっているNGOとしては、今回唯一だった。
美しい校舎は、30年間対立していたこの地域のムスリムとクリスチャンの親たちが協力して3ヶ月で建設した。


平和の祈りは、MCLの子どもたちの踊りから始まる


今回、背後で中心に位置している男の子は、
イスラム教徒で戦闘で両親を殺され、自分も腹を射貫かれた少年
ソライミン サリック君だ。今は、MCLに住んでいる。


訪問者の方々

国際停戦監視団の落合氏
仏教徒を代表して参加

MCLジャパンの山元眞神父
日本のカトリック教会から

ピキットの神父
現地のカトリック教会から

ブアランの村長さん
イスラム教徒

ブアラン小学校の校長先生
イスラム教徒
MCLプレシデント アスレー


イスラムの祈りが
聖職者によって行われ
イスラムの祈りの歌がうたわれた


マノボの祈りと
マノボの歌が奨学生たちによって


山元神父によって
クリスチャンの祈りと
歌が歌われた


国際停戦監視団からの参加と報告の後に
仏教の祈りが、落合氏によって
捧げられた


最後に、イスラム、先住民、クリスチャン
みんなで平和の歌が歌われた

オウコイ酋長も参加して、マノボの踊りを披露した




オウコイ酋長の突然の参加に
マノボの子たちも大張り切り


日本からの訪問者も
急きょ踊り加わった

立正佼成会から送られてきた
夢ポッケを子どもたち全員に渡した




平和の祈りの最後に
立正佼成会から贈られてきた
ゆめポッケを参加した子どもたち
全員に配った。


日本の子どもたちが食を抜いてためた献金で
一つ一つ思いをこめてノートや文具やプレゼントを選び
さらに両親などが巾着を手縫いして作っただけに
単なる物ではなく、そこに魂が籠もっているといつも感じる。
子どもたちにもその事を説明する。

MCLジャパンとMの会を代表して参加した山元神父さんも、自分の支援しているイスラムの若者に出会えて、大喜び。

山元神父さんに同行した大学生の拓くん。
数日するとすっかり現地の若者たちと溶け込んで、帰るときには
「今度は、ぼく、一人だけで来て、もっと長く滞在します!!」


北九州小倉ライオンズクラブによる
保育所が完成

8月21日(日)





アマベルの奥
サリンシン集落に保育所調査!

8月17日(水)



ブアラン小学校の最終チェック
8月16日(火)

設計施工を担当した、BDA(バンサモロデベロップメント エージェンシー)のマンソーリ氏
ミンダナオ子ども図書館のボードメンバーでもある。

これがかつての小学校。6年生は野外で授業。



発菩提心の会寄贈の
寄宿舎が完成

8月13日(土)

キダパワン市内に
大学生を中心とした
寄宿舎が完成
寄贈して下さったのは、
岐阜県揖斐郡大野町領家
中本山實相院発菩提心の会
http://www.34th.jp/bosatsu/m/

寄宿舎の完成は
大学生の若者たちへ
大きな希望を与えてくれた

ここでの開所式は、マノボの祈りで始まった


私も酋長として参加した


キダパワンの町はずれに
大学生の寄宿舎が出来ることで
非常に大きな助けになる
MCLの若者たちが
みんなで協力しながら
ここから明日へ、
人生の一歩を歩き出す。


本当に皆さん、ありがとう!
心から感謝します。





アポ山麓のアポックアポック村へ
保育所調査



アポックアポック村は、山麓のドールのバナナプランテーションに追われた
マノボ族の村。この奥に原生林が広がっている。

村人には、お祖父さんなどが日本人だった人も結構多い。
おそらくダバオの日本人町があったカリナンあたりから移住してきた人々。
この地で未だに手漉きのアバカを生産している。
上のお母さんも、祖父は日本人だったという。
最初は皆、自分が日系人であることを語りたがらない。
日本人というだけで、否定的なイメージを拭いきれないからだ。
こちらでは、子どもを寝かせるときに
「寝ないと、ハポンが、さらいに来るぞ・・・」と言って
子どもを脅す。戦時中の日本人の残虐なイメージが語り継がれているので
自分の血筋を明かさずに、マノボ族として、逃れ逃れて生きてきたのだろう。
しかし、このお母さん、MCLの事は聞いて知っていた。
「キダパワンの日本人がやっているファンデーション!!
あなたがその日本人!!!」
大喜びで、ジャングルを案内してくれた。


右は牧師、プロテスタントだが
自分の教会に
マノボの文化を取り入れている
聖書もマノボ語
祈りの形態にもマノボの祈祷が入っている


この村のジャングルに
高い滝があるというので
みんなで向かった


スタッフたちも
この地の山の出身だけに
子どもの頃を思い出した?


とにかく、本物の原生林がどこまでも奥深く広がっている
左は、すっかり姿を消したラワンの木


奇妙な果実を掘り出して
食べさせてくれた
甘酸っぱいジャングルの味と香り


このような原生林が残っているのは
アポ山周辺の地域だけだ
ミンダナオの94%は、伐採された


滝に向かって
最後の登り


左の写真に
スタッフのジェックジェクが
写っているが
どんなに滝が高いか
想像がつくだろう


登りもきついが
下りも慎重に行かなくてはならない
北海道時代に
日高の沢を登った経験が
このような場で生きるとは
思わなかった


この小さなマノボの村に泊まって
この奥の原生林を体験された方
スパイク付きの地下足袋を持ってこられると良いかも
ザイルはあります。
帰りは大雨に打たれてビショビショに
でも、素晴らしい体験だった



アポックアポック村で読み語り
そして、保育所建設を決定




子どもの数は少なめだけれど
素朴で本当に心の温まる村
非常に貧しい


けれど、子どもたちの表情は伸びやかで明るい



マノボデー(先住民族の文化祭)
7月31日(日)

毎月、7月最終の日曜日、若者たちの集まる日に、マノボデーを行っている。
今回は、私が正式にマノボの酋長に任命される儀式が行われた。
これによって、ミンダナオのあらゆる先住民族の地域に、酋長として訪問できるそうだ。
私のマノボ名は、
Datu Oukoy Moungangon


マノボの歌と踊りから始まった


今回は、ペルーから
レイミッションの方が参加

いよいよ、酋長任命の儀式が始まった

上は、マグペットのバランガイ・マノボの酋長


ミンダナオ子ども図書館のマノボ族の奨学生たち
踊りながら茣蓙を運び、真ん中に敷いてくれた
そこに私が導かれて座る


マノボ族の首領たち。
一人の女性は、MCLのボードメンバーのエラさん
日本のアジア学院の卒業生で、今年は米国から呼ばれて報告に行っている。

男性三人は、何と全員プロテスタント教会の牧師たち。
マノボ族で、一人はアライアンス教会でMCLのボードメンバ
二人は、バプテスト教会で、奨学生のお父さんでもある
プロテスタント牧師で有りながらも、伝統的なマノボの儀式も司り
精霊たちに向かって祈りを捧げ、白いニワトリを生け贄に捧げる
その辺の融通が利くクリスチャンが、フィリピンの特徴と言えるかもしれない



妻のエープリルリンは、
半分先住民族の血が入っている
マノボ族ではなく、マンダヤ族の衣装
白いニワトリの血が額に塗られる


さらに、蛮刀で手をこすり
悪霊を払い、
伝統的な楽器を渡される


いよいよ最後に酋長になる祈りと祝福を受けた
酋長になることによって、ミンダナオの全ての先住民の地域で
仲間としてより安全に地域に受け入れられるのだという。
酋長任命の申し出は、マノボの人々から出てきたものだ。
先住民族の子供たちを救ってきた、今までの活動が評価されたと同時に
彼等の将来を今後も考えて行かなくてはならない

続いて、マノボの祈りの聖堂Punovaranの
建設場所祈願が行われた


酋長に任命された後、マノボの祈りの場を作る儀式が始まった
みんな、ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちだ
おおはりきりで大喜びだ


アゴンと呼ばれるドラムの音色に
合わせて踊るように舞い
布の落ちたところに
聖なる場所の中心がおかれる


ボードメンバーの
ガボン牧師とエラさん


民族楽器のアゴンが
軽快な音を奏でていく


祈りに重要なタンバ(Tombaa)が
置かれ、祈願がなされた
タンバの上には
小さなお皿がのせられて
そこに祈りのコインが置かれる
お金が意味を持っているのではなく
金属が置かれる事に意味がある


こうしたシャマニスティクな精霊崇拝の祈りを
クリスチャンの牧師たちが司っているのが実に興味深い
日本で言えば、クリスチャンの牧師が神道の神主を兼ねていることになる?


タンバは、三つ置かれ
恐らく沖縄と同じ
シャマニズムにおける3界つまり
天界、この世、地界
宇宙全体を意味しているのだ
こうして天界の神々
この世の精霊
地界の死者たち全てに祈りが捧げられる


この後、ここに祈りの場が作られるが
7本の柱を持っている
これも沖縄同様に東西南北の星から
中心の北極星そして
月と太陽に向かう宇宙像だろう


陽がしっかりとこの興味深い儀式を映像に収めたので
そのうちドキュメンタリーとして発表してくれるだろう



マノボ族の子たちは
私を、「酋長」「酋長」と
呼んでくれる
親になったような気持ちだ



ペルーから来られた
レイミッションの方


私自身は、クリスチャンのカトリックだが、こうした儀式にぜんぜん違和感を感じない
父と子と聖霊の三位一体で、父なる神への思いがイスラム教徒と
子なるイエスへの思いがプロテスタントと
聖霊への思いが先住民族の精霊崇拝へと、つながっているような気がする
勝手な解釈だと言われればそれまでだが、アジア的でいいんじゃない!!!




ブアランの小学校が完成


MCLで提案しマネージメントした
JICA(日本政府)による小学校が
何と3ヶ月で完成した

かつて対立していた、イスラム教徒とキリスト教徒の村の親や人々が協力し
しかも、大勢で、子供たちのために喜びの内に建設。
何十人も協力して、何と3ヶ月、8月のラマダン前に完成した。
教育支援が、いかに平和構築に役立つか・・・・


日本が支援して建てた学校は、いつ見ても繊細で美しい!
設計と施工監督は、JICAが指定したBDA(バンサモロ開発エージェント)のエンジニア、マンソーリ氏
実は、ミンダナオ子ども図書館のボードメンバーで、MCLの奨学生の叔父さん


教室の内部も清潔で明るい雰囲気
黒板も広がりが大きく
家具もしっかり作られている

トイレもトイレタンクも、清潔にしっかりと作られている

8月23日には、ここで完成祝いを兼ねた、平和の祈りの集いを行う
ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちも大勢集まり、イスラム教徒、キリスト教徒、マノボ族皆で祝う
日本を代表して、国際停戦監視団IMTの落合さんも参加、仏教を代表して語って下さるだろう。
山元眞神父と小倉カトリック教会の子供たちも日本から参加の予定。





保育所の看板の補修を開始

毎年、建設が終わった保育所の補修をする。特に看板の色あせが顕著な場合がある。
今年から、看板制作および補修は、外部ではなく、MCLの元奨学生で、今はスタッフのジョイさんが担当。
ダバオの身障者施設から大学に行き、同時に画業も学んだ。
妹さんと共に、今年からMCLのスタッフに・・・






カルボガンの集落の最奥集落に
最終のさらに最終シートを届けた

7月13日(水)

リグアサン湿原のイスラム反政府地域、ここには何故か病気の子が多い。
まずは、この子たちの治療を決定した


普通では入れない地域だが
MCLは、心から迎えてくれる
人々は、素朴で親切だ
ここは、リグアサンと呼ばれる湿原地域で
反政府組織の地域であると言われている
道は無く、舟でしか入れないことと、
いったん誘拐されても、見つけ出すのが
困難な地域であるがゆえに
おいそれと入れない場所である。
私たちも、8年目にしてようやく
この地域と関係を持てるようになった。

遠く湿原の中にまで家が建っている
多くの人々が、漁業で生活をしている。
今回の洪水で、彼等の生活は一ヶ月近く
厳しい状況に置かれてきた。

私たちは、それらを実際に目で見て
そして、一つ一つの家族に
チケットを渡した。
後日それを、ビニールシートと交換する。

シートは、穴の空いた家の屋根や壁に張り
雨よけになるばかりではなく
雨が引いた後も
干し魚を乾燥させたり
トウモロコシを干したりするのに役立つ
緊急支援と同時に、
緊急事態が終わった後の
生活再建にも役立つ支援なのだ。


こんなところで、元奨学生と出会うとは
思っても見なかった
非常に貧しい地域に入って結婚し、
湿原にトウモロコシ畑を開いている
将来、ここにも保育所を建てよう

洪水のために破壊されかかった家々

家々を一件ずつまわり、チケットを渡す。後日、ビニールシートと交換するためだ
洪水時には、水は床上まで来た。沢山の浮草(スイレン)が家に引っかかり、家を傾かせ倒壊させた



災難時にもかかわらず、晴天の合間を見ては
魚を獲り、開いて干して、市場に売りに行く
ちょっとした事ではへこたれない生活力がある


こうして一件ずつ回ることで
現地の状況がつかめ
さらに、人々と密な関係を築ける
それが、次の平和構築活動に
つながっていく


洪水で破壊され転倒した家
今回の洪水で最も多くなく亡くなったのは
子供たちだった

中州に植えたトウモロコシも全滅している


トウモロコシは、彼等の日常の自給用
余った場合は市場に出す。
土地は肥えているから
洪水さえなければ収穫は豊かなのだ

ここにもMCLの奨学生たちがいる。学校帰りだ
この地に戦闘が絶えないのは、海外の資本家たちが
この地に眠っている、膨大な石油資源を獲得したいからだという
そのためには、反政府組織を駆逐して、思うような開発を行いたい?
石油と天然ガスは、すでに米軍も調査を終えている
普通の場所から、ガスが出ていて、料理にも使えるという

ここが、油田として開発されたら、鉱物汚染が広がって
公害によって、下流の漁民に大きな損害が行くのではないかと
人々は怖れている。

数日後に、ビニールシートを配布
シートを受け取って
人々は本当に喜んでくれた。
こうしたところから、
お互いの関係が始まる。

次は、読み語りにここに来よう
保育所を建て、奨学生を採用しよう。
子供たちこそ未来だから。

また戻ってくるからね、待っててね




アルバちゃんも元気だった
7月20日(水)


2008年の難民キャンプで出会ったアルバちゃん。
その後も、行橋カトリック教会から、ミルクの支援が続いている。
あれから4年。ずいぶん大きくなった。




ニューバレンシアの保育所を共同で使える場所に
イスラムとクリスチャンの集落の人たちが
協力して運んだ


ニューバレンシアの保育所は、クリスチャン集落の中にあったが
新たにクリスチャン集落の人々も、村を作り始め
その道の向こうに、イスラムの人々も
ラガイエン集落から戻ってきた

両方の集落が、道を挟んで仲良く生活を始めたので
保育所も、両方の子どもたちが通える位置に移すことに決定
クリスチャンとムスリムの人々が、協力して保育所を運んだ。
何と家をみんなで担いで山道を移動させた
こうした作業も
平和構築への大きな足がかりになる
保育所を通して、
子どもの頃から
イスラムの子とクリスチャンの子たちが
友達になれる

ここに、さらに、
バスケットボールコートを作りたい
コンクリートのコートは
トウモロコシなどの干し場になり
地域の経済にも貢献するし
子どもたちだけではなく
若者や大人たちの
交流の場にもなるから・・・




カルボガンにシートの配布
7月13日(水)

カルボガンは、ARMMイスラム自治区の
パガルガンサイドの
最も下流にあるバランガイ
それゆえに土地が低く貧しく
今回の洪水でも
多くの家屋が被害を受けた。
さらに下流は、水量も多く
被害はさらに大きかった。
こうした支援活動は、
現地の人々と深いつながりを築く
大きなきっかけにもなる。
今回は、保育所の子どもたちも歓迎してくれた
この辺鄙な小さな集落に
80名を超す園児が居る。


子どもたちの後ろで
黒い服を着て左に居るのが
保育所の先生


この子の手術も決定した


大喜びでシートを受け取り帰る若者
背後のトウモロコシ畑は、洪水で壊滅状態だ


シートを受け取って大喜び


こうした家族を支えているのが
湿原で捕れる魚
日々のおかずでもあり
市場で売ってわずかな収入にする
彼等は、上流にダムが出来
灌漑水路が出来ることで
水位が低下し
漁獲量が減ることを
怖れている


貧しい人々は
内陸の土地を得ることが出来ないので
(すでに大地主とその小作で占められている)
こうした湿原や川の空き州や中州に
トウモロコシを植えて自給している
今回の鉄砲水で壊滅した


マグペットのマノボ地域へ


マグペットは、前市長がマノボの女性だった。
その前市長が、山の奥に、マノボ族の避難所とも言えるような村、
その名も、マノボ村を作り
そこに高校と小学校も建てた。
子どもたちも多く、コミュニティーが生きている感じの興味深い村。

ところが最近、大量の国軍兵士が、
このさらに奥の山々の集落に派遣され
地域の住民たち、そのほとんどがマノボ族だが、NPAとの戦闘が勃発している。

この地域から、高校生を一人
そして、親の居ない小学生たちをスカラシップに採用した。
成績も良い子たちだし、
しっかりした考えを持っているし。
今後、彼等との交友を通して
マノボ集落の発展に寄与できる日が来るのが楽しみだ。

マノボの人々は、
総じて明るく
非常に貧しくても
人間らしい心の温かさを持っているように感じる。

かつて、ダバオで
多くの移住してきた日本人たちが
マノボの人々と結婚し
戦争の時に
夫婦でマノボの親戚の元に避難。
その後、マノボ族として生きている。
山で、良くそのような人と会う。



マノボ集落(バランガイ・マノボ)から
さらに奥の部落に保育所を建設
バランガイ・マノボの奥の山々。
最近この奥に国軍が大量に送られて
NPAとの間に、戦闘が絶えず起こっている。
現地のNPAと言われている2名が殺され
国軍の若い兵士が4名負傷し
奥の集落から、マノボの家族が避難民となり
この地域に降りてきている。
元市長でマノボの方から依頼を受け
MCLは、すでに先月にこの地を調査し
保育所建設を決定したのだが・・・
個人的には、なんでこんな平和なところに
大量の若い兵士が投入されなければならないのかなあ
と思うのだが。NPAを対象に
訓練も兼ねたオペレーション(手術)だという話も聞こえてくる。
マキララでは、空爆まで実施された。

COTABATO City, Philippines?Communist rebels and government forces clashed on Saturday
in a remote village in North Cotabato,
leaving two guerillas killed and four soldiers and six rebels wounded.

Colonel Prudencio Asto, speaking for the 6th Infantry Division,
said soldiers belonging to the 57th Infantry Battalion were in Sitio (settlement) Dalag,
Barangay (village) Manobo, Magpet, North Cotabato,
to pursue New People’s Army rebels who were reportedly harassing civilians, mostly Manobo tribesmen.

Asto said the soldiers were patrolling the village when fired at by the rebels
who were on a higher ground, triggering a firefight that lasted for more than an hour.
・・・・・・・


ここに保育所を作ることを決定した

Cotabato villagers flee homes due to tension between Army, NPA rebels

http://www.gmanews.tv/story/226069/regions/cotabato-

KIDAPAWAN CITY ? Some 200 families from two villages in
Magpet town in North Cotabato
have refused to return to their homes due to tension
between government forces and communist guerilas there.

The evacuees are staying in barangay halls and other government facilities
in the villages of Manobo and Kinarom
for fear of being caught in the crossfire
once they return home.
Many have sought shelter from their relatives.


ダム建設

難しい開発支援
ダム建設

7月10日



カバカンとカルメンに接する地域に、新たなダムを建設するプランに、マノボ族も合意のサインを出さなかった。
ピキットの人々に聞くと、漁民が水位が変わり低下する被害を怖れているのだという。
漁民と行っても日本と異なり、日々のおかずとして魚を捕獲し、残りを町に売り、米を買って帰るような
漁民とも言えない、川を自給地としている実に多くの庶民、貧しい人々がいる。
こうした人々は、自分の土地がなく、川縁の州や中州にトウモロコシを植えて自給している。
大地主は、5つの市町村の全ての土地をもっていたりするのだが・・・

ゴコタン集落から、保育所建設の要請があり
この地を下見に行ったついでに、
現地の方々と、この先の日本政府が建設した
ダムサイトに連れて行ってもらった。
この集落は、もっとも複雑な状況の場所で
とても記述は困難だが、本当に不幸な地域だ。
外国人は、入らない方が良いだろう。
カルメン側からならば、多少は良いが
人々の怒りの理由は、多少は理解できる気がする。

農業灌漑水路の光と影




こちらでは、
多くの貧しい人々は、自ら所有する土地が無く、
川沿いの所有者のない中州や川縁にトウモロコシを植え
漁をして、日々の糧を得たり、
数匹の魚を市場に売りに行ったりして食いつないでいる。
農業で収益を上げられる人々は大地主たちで
川縁で自給用のトウモロコシを植えたり
魚を捕ったりして食いつないで居る家族の方が、はるかに多い。
農業灌漑水路の建設による水田開発で、
広大な地所を所有する土地持ちは豊かになったが、
土地が無く、川沿いに住み、川の漁業で生活の糧や、
わずかな収入を得ていた多くの貧しい人々や漁師たちは
水位の極端な低下や、放流による変化に翻弄されている。
写真の少女は、恐らく父親か兄弟が捕ったウナギを
村の小さな市場に売りに行くところ。

こうして、日々の糧をようやく得ている多くの貧しい人々が
川沿いの地域で生活している。
もちろん、学校に行くことも出来ない。

ウナギはいくらかと聞くと
二匹で25ペソ、50円
そこで、持っていたウナギ4匹を
100ペソで買った。
小さい頃から、
親に言われて、
こうして兄弟で魚を捕っては売り歩く。
それが、彼等の生活を支えている。

ダムで川が堰き止められることによって
乾期に水位が低下し、
漁業が出来なくなったために
多くの貧しい人々が、
日々の食卓にも不安を持つようになった。
こうした人々は、
ダムの後にさらに
農業用灌漑水路が出来ることによって
今まで以上に水位が低下して、
漁業被害が出ることを怖れている。



足は素足だ
こうした状況は、
リグアサン湿原に近づくほど強くなる。
リグアサンでは、
捕れる魚も多くなり
乾燥させて町の市場に売りに行く。
今回の洪水では、
川縁の砂州や中州に植えた
トウモロコシが壊滅し
彼等の収入は
魚しかない。
それでも、
漁業で生活を確保している
リグアサンの人々は良いが
上流地帯の川縁の人々は厳しい。


魚は豊富でこうして干物にして売る
貧しい家庭の収入は、
年間で5000ペソ
一万円。
月ではなく、年収だ。

中州に植えたトウモロコシは完全に壊滅状態
洪水は、ダムの排水口を開く事で
鉄砲水と化す。
繰り返しこの地域の洪水を見ていて
自然災害にしてはおかしいと思っていたが
ダムが許容量を超えると
勢いよく排水口を開き
鉄砲水となって
人々を襲う。
浮き草、スイレンどころか
大きな木や枯れ枝も
勢いよく川を下る。
これらが、水をかぶった家にぶつかり
家々を倒壊させたり
橋を破壊したりする。
川沿いの州に植えられていた
トウモロコシも
今回の洪水で全滅した。
今年は、異常に雨が多い。
竜巻のようなものも襲う。
今後も繰り返しダムの開口と共に
下流を鉄砲水が襲うだろう。
雨の少ない一昨年のような時期には
逆に、川沿いや湿原地帯の多くの、
生活を川に依存している住民や漁民を
水位の低下が襲うだろう。


洪水支援のシートを受け取りに来た男性。
周囲のトウモロコシは壊滅状態だ。
スイレンと豪雨で川が氾濫、50万人が被災 比ミンダナオ島
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/


リオグランデ川は全長約320キロ、ミンダナオ島最長、フィリピン全土でも2番目に長い河川だが、
流域に群生するスイレンがモロ湾(Moro Gulf)に通じる流れをせき止めているため氾濫し、洪水が発生している。

 ミンダナオ島南部コタバト(Cotabato)市の社会福祉担当長によると、
23の自治体が洪水に見舞われ、55万9067人が影響を受けている。

浮き草(スイレン)で倒壊した湿原地帯の家

上流の水門を開くことで
こうした浮き草がドッと流れ出す。
浮き草だけではなく、
結構大きな枝や倒木も流れていく
こうした浮き草や倒木が
家や橋に引っかかり
自然のダムとなって
洪水被害を大きくする。

今回も下流で
かなり大きな被害が出た。

ダムからの放流を無くすために
農業灌漑水路が役に立つ?


これは、かなりの巨額をつぎ込んで
作ったサイフォン
大きな川を地下水路で抜ける
日本の技術力の見せ場だったが・・・
こうした農業用開発水路が、ダムからの排水を軽減し
鉄砲水を防止する役割を持っているのではないかと、私も思っていたのだが、
(確かにその効果はあると思う)
しかし逆に、乾期で水不足になったり
一昨年のように、エルニーニョが襲ったりすると乾燥が激しくなり
水田の所有者である大地主たちは、
自分の田んぼが水不足にならないように
ダムを閉ざして灌漑用水路に、貯水を全て引き込もうとする。
そうすると何が起こるか・・・
本流は水不足となり、涸れてしまい、
多くの貧しい人々が、手持ちの網で魚を捕獲することも出来なくなる。

こうした貧しい人々にとって、日々の糧すら得られなくなることは大打撃だ。

それが理由かはわからないが、
ダムを建設したり、
農業用水路を作ったりする
企画は日本政府だが、
現地で技術指導をしていた
韓国人を殺害した???
その後も、外国人の誘拐が
頻発している地域。
単なる身代金目的だけだろうか?
自分たちの生活を奪った者に対する
憎しみは無いだろうか?


濁流は多くの泥と砂を含んでいる


さらに問題を難しくしているのは、
流れ込む水が、日本のような清流ではなく
多くの泥を含んでいる濁流であることだ。
上流地域のジャングルの伐採が
こうした濁流を生み出すようになった
その結果、ダムの貯水池も
農業灌漑水路もたちまち泥で埋まっていく
途中で見た農業水路も
見かけは深そうなのだが、
泥に埋まり浅くなっていて、
人の腰までしかなかったりする。



これは、山のマグペット地域での泥流、これが流れ込む
そこにさらに、水草が覆い茂ってきたりすると
もはや水路の役割を持たず
たえず、水草を除去し、泥を除去しなければならなくなる。
しかし、水草や浮き草に混じって、土地の人々の食料となる
カンコンと呼ばれる水草が、畑のように植えられているからまぎらわしい。
水を止めて、膨大にたまった泥を除去する作業は大変だ。
ダムサイトに溜まった泥を除去するに至っては
どのような作業をすれば良いのだろうか?
川で魚を捕り生活している、多くの貧しい人々の生活。
地主の持つ水田の利益を優先してコントロールされるダムの水権利
土地所有権利から外れた川縁の中州や川沿いの州に
トウモロコシや作物を植えている人々を襲う放水による鉄砲水。
日本では空想すら出来ない、多くの状況の違いが
問題を非常に複雑にしている。


ここに来て、開発支援の難しさ
現地の状況を知らずに行うことの
恐ろしさをヒシヒシと感じた。
教育や学校建設のように
実利や利害、土地所有やお金に
直接結びつかない支援の方が
人々、とりわけ貧困層の心を解き放ち
未来へ向かわせる気がした。

しかし、いったん手を付けた事業を、途中で放棄することも出来ないだろう。
漁業者と農業者、貧困層と富裕層が納得できるような、水利権や放水権を設定して
対立する両者を共に保護するような奇策が必要な気がする。

自由経済、グローバル資本主義が発展すれば
貧困は自然と解消する?????????
ミンダナオにいると、自由経済の発展や多様性を無視した開発は、一部の人々を利するだけで
貧富の格差は、むしろ拡大するばかりのような気がしてならない。


この先の記事を読みたい方は、ここをクリック



 もくじINDEX
 ミンダナオ子ども図書館だより:サイトへGO! MCL文庫
民話、絵本原稿、青少年から大人までの読みものを
自由購読で提供しています。
MCL映像サイト
何故ここに日本人などのテレビ映像
その他の貴重な活動映像を掲載

ミンダナオ子ども図書館日記(松居友制作)にGO! ミンダナオ子ども図書館支援方法 講演、公演の予定表など 
訪問希望の方は ここをクリック!  まだ支援者のいない子たちへ! ミンダナオ子ども図書館日本応援窓口 

ミンダナオ子ども図書館では、支援者へ真の活動報告が行くように、
自分で撮った写真と記事を、10年以上サイトに随時掲載してきました。
近年、日本の特に青少年の国際化が謳われる中、この記録が学習素材としても注目され、
国際活動へ一歩踏み出したい体験希望者や、悩みを抱えた若者たちの受け入れも決断しました。
また、中高年の方々にも、現地の子供たちの笑顔が生きる喜びになっていることがわかり
夢と真実を伝えるために、活動を年次ごとにまとめ、過去の機関紙もPDFで掲載しました。
ただし、機関誌は2018年4月までで、数年はサイトに掲載しません。
購読されたい方は、自由寄付や奨学生支援等を振り込んでいただければ現地よりお送りします。
隔月にお送りし、そのうちの一回は、MCLで制作した、絵本をお届けしています!
 
ミンダナオ子ども図書館だより 
 2006 2007  2008  2009  2010  2011  2012  2013  2014  2015  2016 
Go! Go!  Go! Go! Go! Go!   Go! Go! Go! Go! Go!
ミンダナオ子ども図書館日記      
2008  2009  2010  2014  2015  2016  2017         
Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go!        
機関誌『ミンダナオの風』バックナンバーPDF 
1号 2号 3号 4号 20号 21号
2008/10
22号 23号 24号
2009/7
25号
2009/10
26号
2010/2
27号
2010/5
28号
2010/7
29号
2010/10
30号
2011/3
Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go!
31号
2011/5
32号 33号
2011/10
34号
2012/3
35号
2012/6
36号
2012/8
37号
2012/10
38号
2012/12
39号
2013/4
40号
2013/6
41号
2013/8
43号
2013/12
44号
2014/3
45号
2014/6
46号
2014/8
Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go!
47号
2014/10
48号
2015/1
51号
2015/10
52号
2016/1
53号
2016/3
54号
2016/5
56号
2016/10
57号
2016/12
58号
2017/2
59号
2017/4
60号
2017/6
61号
2017/10
62号
2017/12
63号
2018/2
64号
2018/4
Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go! Go!
スカラシップや訪問希望、
また種々のご質問やお問い合わせは
現地日本人スタッフ宮木梓(あずさ)へ
 
mclmidanao@gmail.com
 
メールニュース希望
登録していただければ、サイトの更新等の情報を
メールで配信しています
 
松居友メール
mcltomo@gmail.com