ミンダナオ子ども図書館だより
2011年



2011年開けまして
おめでとうございます
ミンダナオ子ども図書館

スタディーユニオン寄贈の
保育所開所式

3月17日


関 浩成さんと
立命館大学・同志社大学の若者が参加

保育所が建つ村をしってもらうために奨学生の家を訪問


この家の子を奨学生にとっている


この家の子も奨学生に
同志社大学の若者は、朝日新聞社に内定している、ともに、将来有望な若者たち。
スタディーユニオンは、起業家も含め、将来の日本を背負っていく若者を独自に教育している。
若いときに、ミンダナオで様々な経験をし、頭だけではなく、全身を使って独自に物事を考える人間に成長してほしい。


読み語りもした
スタディーユニオンの関さんは、二度目の訪問
前回は、ボートで、勇敢にもイスラム地域のナブンダスの保育所を訪問された


同志社大学の青年は
朝日新聞への入社が内定している
優秀なカメラマン




学用品を届けると同時に
小学校から高校への選考を開始

3月16日
小学校から高校に上がる子たちの選考を開始

今度、高校に進学する子の
英語と国語の理解能力を調べる

ここスマヤホン小学校の子たちは、皆合格、今度高校一年生に進学する




ミンダナオ子ども図書館だより;3月14日(月)

地震と津波のニュースに子どもたちは心を痛めています。
1:ムスリム自治区、リグアサン湿原、カルボガン村での読み語り
  JICAで建設した吊り橋の下を行く
  カルボガン村へ着く
  読み語りと古着の支援
  今回は医療支援にも力を入れた
  即日、手術をした若者たち
  反政府勢力の拠点と言われている

  リグアサン湿原の村々との交流がこれから始まる

2:日本から荷物が届きました!ありがとう
  MCLに滞在した、長谷山文香さん、佐藤知美さんからのお便り
3:北野財団が寄贈、マノボの山の村バンシランに保育所が完成
  開所式をした

  保育所は、村人の尽力で見事完成していた
  開所式の読み語りと、セレモニー
  そして、村人たちと共にお祝いの食事が振る舞われた
  開所式が終わり帰路をたどる

4:ロクサンさんと私の誕生日
  みんなで祝ってくれました
5:年に一度の兎唇の手術に15名の患者を!

  まずは、検診から始まる
  そして手術が始まる

地震と津波の
ニュースに
子どもたちは
心を痛めています

地震と津波のニュースに、子どもたちは心を痛めています。
支援者の人々は、大丈夫だったか?
津波のニュースを見て、泣き出す子たちも・・・

原発の爆発は、今後の日本を考える上で、おおきな試練かもしれません。
でも、天災に対して、一致団結できる日本人の良さを今こそ発揮して
コミュニティーをとりもどすために、全力をあげましょう。
フィリピンからも、子どもたち共々、応援します。




ムスリム自治区
リグアサン湿原
カルボガン村での読み語り

3月12日(土)

プレシデントのアスレーとスタッフのノライダさん
ARMMイスラム自治区は、多くの問題を抱えた地域でもあり
支援がなかなかうまく行き届かない場所でもある。
とりわけ、ピキットと隣接しているイスラム自治区の
リグアサン湿原側は、MILFの活動地域
この大湿原から、膨大な天然ガスと石油の湧出が確認されている
度重なる戦闘も、ほぼこの地域が中心になっており
絶えず避難民化している地域でもある。
政府よりのMNLFと独立を目指すMILF
さらMILFと誘拐組織として有名なペンタゴンとの戦闘も
数日前に伝えられていて、実に不幸な地域でもある。

奨学生たちも参加


ブリオクの小学校
この小学校は、度々洪水で水没する

JICAで建設した吊り橋の下を行く
この橋は、対岸の
イスラミックセンターとセットで
JICAが、建設。
建設したのは、
MCLがマカブアルの小学校を建設した同年

しかし今回、
保育所建設について話し合うために、
私が、数日前にここを訪れたときには
この橋は、吊り紐のロープがのびきっていて
一部水につかっている状態だった。
橋桁も、折れたり外れたり
洪水による被害のせいだろうが、
使われている様子は全くなく
廃物同然の姿・・・

それから、一週間後、
今回、私が再訪するという事で、
数日前に、急いで修復したそうだ。
右の写真は、修復後のもの。


上と右の写真は、修復前
橋桁は外れ、一部が水に浸かっている
使用されていないのは一目瞭然



とりあえず、綱がしっかりはられて、橋の形態をとりもどしたものの
使用されていない理由は、
多くの家族や子どもたちが、戦闘で、ここブリオクから、
MCLで保育所を建て奨学生も採用している、
サパカンに引っ越していった事が大きい。

サパカンは、人口が急増し、小学校が酷い状態で修復増設が急務。
リグアサン湿原の左側の集落への交通の要衝として、
平和構築には重要な位置にあるのだが・・・
去年、JICAの草の根にMCLで学校建設を応募したが
危険すぎるとしてペンディングになっている。

MCLでは、今後、
バロンギス、カルボガンの先生方、村長さん方と連携をとり、
取り残されている、リグアサン湿原地帯の集落に、
保育所を建設し奨学生を採用していく事にしている。

吊り橋も、こうした現地での
地道で絶え間ない努力を続けていけば、
子どもたちが、対岸から、
歌いながら渡る日がくるだろう。

カルボガン村へ着く


カルボガン村の村長さん
小銃に加えて、腰にはピストル


子どもたちは、どこも変わらない

読み語りと古着の支援
この地からの
スカラシップの要望が高い

ああ、私の力がもっとあり
多くの支援者を
見つけることが出来れば
平和へ、おおきな貢献が
出来るであろうに

反政府勢力の拠点と言われている
リグアサン湿原の村々との交流がこれから始まる



日本から荷物が届きました! 
ありがとう

同志社小学校 様 港ユネスコ協会 様
大沢 ミカ   様 鳥海 武夫 様
柿本 るみ子 様 Yuki Oguro 様
栗原 めぐみ 様 子どもの里 様
柿本 けい子 様 湯沢 正樹 様


送られてきたお人形が、大好評!
もう、うれしくてうれしくて・・・引っ張りだこです

MCLに滞在した、
長谷山文香さん、
佐藤知美さん
からのお便り


長谷山 文香さんからの便り


友さん

こんばんわ。パソコンの調子が悪く、
連絡が遅れてしまい申し訳ありません。
2日前4人で集まって写真を見せていただきました。
膨大な量の写真の中から、
友さんやスタッフの方がカメラを向ける視点が
わたしたちのそれとは違ったり、
「あ、これ知らない!見ておきたかったー!」と感想を漏らしたり
日本に帰ってきてからも新たな発見がありました。
写真鑑賞会とともに、
わたしたちの9泊10日を振り返りましたので、
うまく言葉にできていない部分がたくさんありますが、
以下に記します。

レクチャーを聞いた直後に友さんをおいかけ、
ミンダナオの場所さえわからないままに訪問希望を申し出ました。
専門的な知識も見解ももたないわたしですが、
ゼロからのMCL滞在の珍しい1例として。
ほとんど衝動的に、訪問希望を申し出たわたしたちですが、
正直不安でいっぱいでした
渡航情報やネットなどを見ても、
「渡航延期推奨」や「危険」の文字が。
また、経済的に子どもたちを支援できるわけでもなく、
子どもたちに何かを教える技術ももたずに訪問して、
果たして子どもたちは受け入れてくれるのか。

でも、そんな不安はMCL到着後すぐ、
子どもたちの歓迎で吹き飛びました。
わたしたちが無意識的に作ってきた壁を、
壊すのではなく、飛び越えてきてくれる感じ
「こっちもたのしいよ」と教えてくれるようでした。
一緒に絵本を読んだり、日本でいうと
「かごめかごめ」のような遊びをしたり、抱きついたり。
「アテアヤカー」と笑顔で話しかけてくれ、
可愛くって愛しくって、溶けてしまいそうでした。
思い出すと日記帳には書ききれないくらい、
たくさんの経験をさせていただきました。

キアタウという、標高の高い、
電気の通っていない小さな村で一泊したこと。
そこでホタルの木や白いペンキをぶちまけたような星を見たこと。
「日本人は星を見たことがないのか?」と驚かれたこと。
建設途中の保育所を見に、山登りをしたこと。
スタッフや子どもたちがナイトのように
わたしたちを気遣ってくれながらの頂上到着でした。
滞在半ばで具合が悪くなり部屋で寝ていると、
ふと目を開けた時に枕元で子どもたちが
心配してくれていたことに気づけたこと。
支援者である日本の財団、企業の方と日程が偶然重なり、
ピキットでの2つの保育所の開所式に居合わすことができたこと。

最後の日は、学生が集まる総会が始める前から、
頭が真っ白になり涙が止まりませんでした。
泣かないって思ってたのに。
「わたしを忘れないように」と子どもたちがつけてくれた
指輪やブレスレットは、
日本では浮くくらい日に焼けた肌にキラキラしています。

ただ、楽しい滞在の中で、
行ってみて初めてわかる問題もたくさんありました。
移動中の車で、何度も
バナナのプランテーション農場の横を通りました。
バナナ以外の植物が一切生きていない裸の土壌。
農薬の恐ろしさ。
何年かすると土壌自体が使えなくなるとのこと。
そして、企業はそれを見越してか、
期間を設けて土地を借用するそうです。
今まで10円でも安いバナナを買い、
ときには腐らせてしまうこともあったわたしは
ただただ恥ずかしく思いました。

また、子どもたちの着ている服は、ほとんどが古着ですが、
「ミンダナオは暑い」という先入観からか
(もちろんわたしもそう思ってました)、
Tシャツがほとんどのように感じられました。
標高の影響もあるのか、MCLの夜は少し冷え込みます。
シーツにくるまって寝、朝3時や4時に起きて
炊事や掃除を行う子どもたちが何度か
「寒い寒い」と言っているのを聞きました。

日本の保育の場では、保育園主催のバザーなどで
「集まりすぎるから古着は持ち込み不可」
など決められる場合もあるそうです。
それを子どもたちに回してあげられないか。
みんなに長袖を買ってあげることはわたしたちには出来ないけれど、
アナウンスをして集めることなら可能ではないか。
就寝時間がきて、部屋に戻ると、
わたしたちの会議が始まります。
「いま、わたしたちに出来ることはなにか?」
保育学、教育学、社会学、そして心理学といった異なる分野で
「子ども」を学ぶ4人で訪問できたからこそ、
とらえることが出来た部分も大きかったと思います。

えるだけではなく、行動にする。
これからのわたしたちの課題です。
また今回、3人中2人が「はじめまして」からのMCL滞在だったため、
このような話を真剣に交わせる大事な友だちが日本に増えたことも
MCL
で得た宝物となりました。

子どもたちと離れるのが、苦しくって、寂しくって、
本当は1番言いたかった「ありがとう」が
あまり伝えられなかったことが心残りでした。
今では次回訪れるときの宿題、と都合のいい解釈をしていますが。
最後に、今までNGOの活動やボランティア、
国際情勢に足を踏み入れたこともなかったわたしが、
今回MCLを訪問したいという衝動にかられたのは、
友さんが見せてくださった子どもたちのスライドと、
こんな言葉がきっかけでした。
「子どもたちを助けようと思う前に、
まず子どもたちと友だちになってください。
友だちになれば、相手が必要としているものはわかってきます。」
「(日本の心の貧しさに触れて)ぼくはMCLの子どもたちに、
『君たちが日本人をたすけてやってくれ』って言ってるんですよ。」

本当にその通りになってしまいました。
日本に帰り、MCLを訪れた話をすると、
「ボランティアで?」と聞かれることが何度かありました。
そのたびに、
「こっちがボランティアされてのこのこ帰ってきちゃいました。」
と苦笑している毎日です。

子どもたち、友さん、スタッフの方々、
本当に本当にありがとうございました。


長谷山文香



MCLでの記憶  お茶の水女子大学 佐藤 知美


MCLでの10日間は
本当に毎日が楽しくてキラキラとしたものだった。

全力で子ども達との触れ合いを楽しみ、
見たり聞いたりした現実を深く考えた。


子ども達はどこまでも明るく
懐っこく又可愛かった。
こんなに日本で自分を解放できた事があるだろうか。
子ども達と共に心行くままに歌い踊り遊び大声で笑った。

MCLで過ごす間は、なるべく子ども達と
同じように過ごすよう心掛けた。
ご飯は手で食べ、
朝は早く起きココナッツの実で掃除をした。
中でも印象的だったのが、
井戸で洗濯をしている際に子ども達が寄ってきて
手伝ってくれた時の事だ。
初めは服を洗濯していたが、
しまいには私も丸ごと洗われてしまった。
太陽の下、服ごとの水浴びはなんとも気持ちが良かった。

5日目には電気のない村キアタウに一泊した。
夜6時には辺り一面真っ暗になり、
ただ蛍の光が木に宿り、満天の星空となる。
朝は太陽の光と木や葉、
家々が織り成す影はなんとも美しかった。

6日目の晩には、次の日の朝ご飯の手伝いを頼まれた。
いつももてなそうとしてくれる子ども達が
手伝ってと言ってきてくれた事が、
仲間として気を許し
認めてくれたような気がして本当に嬉しかった。
前日は夜遅く朝4時起きはきつかったが、
何がなんでも起きようと思った。

9日目は総会の後、送別会を開いてくれた。
子ども達に負けない満面の笑みでと思い、
歌い踊っていたが途中から堪えきれなくなった。
I miss you.’‘Come back again.
と泣き出す子ども達。
また必ず
MCLへと誓った。

この10日間、子ども達の純粋さに心癒され、
子ども達の屈託のない笑顔に幸せをもらった。
しかし、貧困や戦闘により暮らしが厳しい人々や
家庭環境で心に傷を負った子ども達、
家族の為学校へ行けない子ども達がいるというのも
また私達が見てきた現実である

フィリピンでは、保育園を出ないと
小学校に入れない規定が制定され
今後厳しくなっていく、という話も聞いた。
この年齢の子ども達に保育が重要だという以上に、
小学校への架け橋として保育園が必要となる。


今になって講演で松居さんが
おっしゃっていた言葉が蘇る…

「まずは友達になって、
それから出来ることを考えよう。」


10日間を通して、子ども達には多くのものをもらった。
これから大好きな友達に私達は何ができるだろうか。
最後になりますが、お忙しい中私達を迎い入れ、
多くを教え様々な経験をさせて頂いた松居さんを始め
スタッフの方々に感謝と敬意を表します。




北野財団が寄贈
マノボの山の村バンシランに
保育所が完成
開所式をした

3月7日(月)


可愛い子どもたちのためとは言え
モオー、人間どもは、よくまあ
あんな山奥の村にモオー
保育所などをたてるもんだモオー

保育所は、村人の尽力で見事完成していた


今年から、フィリピン政府は、以前よりさらに厳しく
保育所卒業を小学校入学の条件とした
その結果、こうした僻地の先住民は
さらに厳しい教育の機会喪失に見舞われていく

ここでも、貧困と格差が助長されていくのだろうか

開所式の読み語りと、セレモニー

そして、村人たちと共にお祝いの食事が振る舞われた
母親のいないこの子を
里親候補に選んだ


里親支援希望

開所式が終わり帰路をたどる
この日で村との関係が
終わるのではない
この日から、この村の人々との
関係が始まる

保育所建設は、
このへんぴなマノボ族の村との
関係の始まりなのだ。




ロクサンさんと私の
誕生日
みんなで祝ってくれました
3月2日(水)
エッ、158歳におなりで?
いいえ、15歳と58歳です。




マティから息子の陽も戻り、これからインターナショナルセクションを立ち上げていきます




年に一度の
兎唇の手術に15名の患者を!

2月27日(日)〜3月6日(日)


まずは、検診から始まる

そして手術が始まる


手術の一週間、スタッフで看護士のフェは、
終始患者と生活を共にする
体育館で、患者たちと寝起きを
共にするのだ・・・
本当に献身的だ
フィリピンの人々は、ビジネスが下手で
一般的に怠惰で怠け者だという印象があるが
とんでもない。
スタッフのフェさんを見ていると良くわかるが・・・

ビジネスマンとしては、
おしゃべり好きで勤勉ではないかもしれないが
ひとたび、人情というか、人を助けることになると
信じられないほどの忍耐と献身を発揮する。

看護士や介護士に活躍するのは
そうした「人情」で行動する
フィリピン人の特徴ゆえかもしれない。





ミンダナオ子ども図書館だより:3月8日(火)

1:2月のスカラシップ総会は、訪問者の歓迎送別会となった
   イスラム・マギンダナオ族の踊り、マノボ族の歌、ビサヤ系クリスチャンの歌が披露された
   男子学生たちの愉快な踊りに触発されて訪問者たちも踊った
   北野財団の卒業生に島村氏から、直接賞状が渡される
   今年の大学卒業生全員にMCLから賞状。そして、卒業生たちの後輩へのスピーチ
   感動的だった最後のお別れ会
   またお会いしましょう・・・MCLファミリー
2:スタンレー電気、北野財団が寄贈して下さった
保育所が、プノルに完成。開所式に島村氏訪問
   今回の白眉は、北野財団、島村さん主演のおおきなカブだった
   絵本は真の平和を作る!

3:アルメック寄贈の保育所が完成、開所式に役員が参加
   開所式の前に読み語りをした
   そして開所式が始まった
   古着の支援もした

4:祝日、ウオーターフォールに遊びに行った
   皮膚病の子と風邪の子を医師の元へ
   滝で遊んだ
   村の子どもたちも一緒にお昼を食べて遊んだ

5:北野財団の寄贈、カンポゴンの保育所を目指して
   カンポゴンの村に着いた
   建設中の保育所を目指して最後の登り
   みんなで昼食
   ようやくラナコランの下宿小屋まで帰ってきた

6:高地マノボ族の村
キアタウに泊まった
   キアタウの子どもたちと
   翌日は、馬に乗り保育所の開所式に出発
7:カバカンの避難民たちの一部が集落にもどった
   108軒の家々と学校が焼かれた

   焼き払われた学校、焼かれた家々
8:マキララを訪ねる

   小学校の側にある、MCLファーム
9:リスター君の家を訪ねる
10:お茶の水大学の3人と一橋大学の女子学生が山上のマノボ集落を訪問
   村を回って子どもたちを集める
   いよいよ読み語りが始まった
   日本の若者たちが、ここから何を学んでいくのだろうか
   その夜は、みんなに読み語りを




2月のスカラシップ総会は
訪問者の
歓迎送別会となった

2月27日(日)


アルメックの役員の方々にインタビュー
こちらでの経験と印象を語っていただいた

北野財団http://www.kitanozaidan.or.jp/
アルメックhttp://www.armec.jp/の役員の方々、そして
お茶の水女子大と一橋大学の女子学生が訪問されていたので
その方々の紹介からスカラシップ学生総会が始まった。

訪問者の皆さんからの報告、現地での体験談は、多くの若者たちを勇気づけ示唆をあたえた。
ミンダナオの子どもたち、若者たちは、自分たちを遅れた途上国の貧しい人間として卑下している事が多い
また、日本の若者や人々は、自分たちが先進国のより高度な文明社会を維持していると言う、誇りに
心を奪われて、閉塞状況に生きていることも多々ある。
共に交流することによって、お互いが保っているもの、失ったものに気づき、真の尊敬と友情の輪が広がる。

イスラム・マギンダナオ族の踊り
マノボ族の歌
ビサヤ系クリスチャンの歌が
披露された
訪問が、スカラシップ学生総会に当たり
みんなで歓迎と送別の気持ちをこめて
それぞれの宗教や部族に伝わる伝統を披露。

クリンタンの演奏に乗って、イスラム・マギンダナオの踊り
マノボ族の歌
ビサヤ系クリスチャンの歌が披露された




マノボ族の衣装に身を包み
マノボ語で、マノボの歌を歌う

学校では、マノボ語を話すことは
禁じられていたりする。

また、ビサヤ語とタガログ語が
一般に使われている地域で
マノボ語は、恥ずかしい言葉





しかし、MCLでは、読み語りなども
積極的に現地語を使うことを奨励し
母語の大切さを日頃から語っているので
彼等は、臆することを知らない。

笑顔で、のびのびと
自分たちの文化を表現している


こちらは、ビサヤ語の歌。
明るく、のんきで、愉快なのが
ビサヤの人々の特徴とされている

男子学生たちの愉快な踊りに触発されて
訪問者たちも踊った
どう見てもこの格好は、マノボ族のモンキーダンスの系列だが?


こちらは、伝統文化ではないが
現代的にアレンジされた
愉快なロックに触発されて
思わず
訪問者たちも
踊り出した

大喝采と笑いが
周囲を包む

北野生涯教育振興会の卒業生に
島村氏から、直接賞状が渡される

北野財団(北野生涯教育振興会)は、
トヨタや日産、ホンダの車のヘッドランプ等を作っている
スタンレー電気の財団

工場のある、中国、ベトナム、インドなどで
就職希望の優等生にスカラシップ協力をしてきたが
ミンダナオ子ども図書館のようなタイプの
貧困の中でも極貧の子を支援するファンデーションに
協力するのは初めてだという。

毎年3名の大学生、2カ所の保育所を支援、寄贈して下さっている
島村氏は、今回で二度目の訪問

今年の大学卒業生全員に
MCLから賞状
そして、卒業生たちの
後輩へのスピーチ
こちらは、MCLの今年の大学卒業生たち
毎年、卒業生が増えていく

左のイスラムの二人の男性は
MCLのあるマノゴル村で
高校の先生見習いをしている。

小学校の頃から
すでに7年以上関わっている子たちもいて
私も感慨深い


毎年、卒業生たちには
自分たちの経験を
後輩に発表してもらっている

苦労話に
聞いている方も涙ぐみことも

感動的だった最後のお別れ会

またお会いしましょう・・・MCLファミリー



スタンレー電気
北野財団が寄贈して下さった

保育所がプノルに完成
開所式に島村氏訪問


村長さんのサインをもらい
テープカットを行う

北野財団http://www.kitanozaidan.or.jp/

今回の白眉は、北野財団
島村さん主演の
おおきなカブだった


島村さんが、おおきなカブになられた


こちらでは、おおきなカサバイモだが、
猿もその大きさにビックリ
こちらは犬だ こっちはネズミ 村人たちのひさびさの大笑い?
ここは、絶えず戦闘に見舞われ
避難民化が絶えないイスラム地域
ピキットの奥だ

そんな村に、朗らかな笑い声が
みなぎった
このようなお付き合いを通して
村人たちの心が開かれ
MCLを愛し、信頼し

平和への想いが強まっていく

絵本は真の平和を作る!
北野財団http://www.kitanozaidan.or.jp/


アルメック寄贈の
保育所が完成
開所式に役員が参加

2月26日(土)
アルメックhttp://www.armec.jp/

こちらは、アルメックが寄贈して下さった、保育所。
アルメックhttp://www.armec.jp/
到達するには、さらに奥に行かなくてはならない。
船着き場から、乗合船に乗る。

対岸はイスラム自治区で、絶えず戦闘に見舞われている地域だ。
市にも話を事前に通して、DSWDのグレイスさん方も同行するが
軍や私兵も警護をしている姿が物々しい。

私たちだけで行くときは、ここまで警護は無いが・・・

開所式の前に読み語りをした

この地域は、イスラム地域で、
マギンダナオ族
マギンダナオ語が話されている。
小さい子たちは、
マギンダナオ語しか知らない子も多い


しかし、保育所では、タガログ語が使われるので
スタッフが何語でお話ししようか、と聞くと
タガログ語!と言う言葉が返ってきた。

そこで私が、言った
「タガログ語は学校で習うけど、マギンダナオ語は誰が教えてくれた?」
「お母さん、お父さん・・・!!!」
「そうだね、お祖父さんもその前のひいお祖父さんも・・・
だから、マギンダナオ語の方が、とっても大事なんだ。
MCLでは、読み語りの時に
その地の母語を優先する・・・」

この瞬間から、とりわけ周りのお父さんお母さんの表情が変わった!

そして開所式が始まった
アルメックhttp://www.armec.jp/


アルメックhttp://www.armec.jp/

古着の支援もした
思いがけない、古着の支援に大喜び
この地域の子たちは、ピキットの町に出るだけでも遠い
戦闘でも、繰り返し避難民化している
対岸は、イスラム自治区のダトゥピアンだ。

今日は、なけなしのおしゃれをしてきているが
衣服がほとんど無いのは目に見えている
それだけに、大喜びだった。




祝日、ウオーターフォールに
遊びに行った

2月25日(金)


ウオーターフォール村の状況は良くない
男性も小学生の高学年の子たちも
時には家族総出で
サトウキビ刈りに駆り出され
村には小さな子どもと女しか残っていない

滝で遊んだ


訪問者の方々も
ファミリーの一員


つかの間の休日
みんなで滝に泳ぎに行った

リスター君のお兄さんも参加
すっかりMCLが気に入った様子だ

村の子どもたちも一緒に
お昼を食べて
遊んだ


この村出身の奨学生も多い


村では、3食たべられない家族も多い
肉や魚どころか
米のご飯も食べられない

それがわかっているので
村の子たちも皆呼んで一緒に食べ
一緒に遊んだ




北野財団の寄贈
カンポゴンの保育所を目指して

2月24日(木)


北野財団の寄贈して下さった
カンポゴンの保育所は馬で行く


馬でも歩けない場所は
ジャングルを徒歩で登っていく


この村の小学生、高校生は
この道を毎日通っているのだ

カンポゴンの村に着いた


ようやく、山上の尾根にある
カンポゴンの村に着いた

建設中の保育所を目指して
最後の登り


資材を運び上げる困難から
開所式には間に合わなかったが



一生忘れならない
想い出になった

みんなで昼食

ようやくラナコランの下宿小屋まで帰ってきた


あの山奥の子たちが
安全に通えるように
この下宿小屋を使っている




高地マノボ族の村
キアタウに泊まった
2月23日(水)

キアタウの子どもたちと

翌日は、馬に乗り
保育所の開所式に出発




カバカンの避難民たちの一部が
集落にもどった
108軒の家々と学校が焼かれた

2月23日(水)
ここには、訪問者は同行してません。松居友と数名のスタッフのみです。



MNLFの集落に軍が入り、つかの間の停戦が実現
避難民の一部は、集落もどったが・・・


今回は、DSWDと軍が米の支給をした
しかし、下の写真のように
地元までは、軍に送り届けられて
帰ったものの、家が奥地にあり
恐ろしくて帰れない人々もいる


今回の状況調査で、様々なことがわかってきた
あまり詳細には語れないが
なぜ、MNLFとMILFが対立したか

大土地所有者と多国籍プランテーション
無数の貧しい土地無し農民と
先住民と・・・



村の中心部のヘルスセンターで生活している人々

焼き払われた学校
焼かれた家々


なぜ学校が焼かれるのか不思議に思っていたが、
大土地所有者が土地を握っているこのような地域では
おもに大土地所有者は、MNLFに属し、議員など政界につながっており、
学校の誘致や時には軍への支援要請もできる。
大土地所有者は、かつての日本での荘園制度のように、
広大な土地を持っており、多くの小作と私兵を抱えている。

こうした大土地所有者の庇護のもとで、
小作や日雇いの仕事をあたえられている者たちは、
収入もあり、学校に通える。
しかし、その周囲に、ほとんど土地のない貧しい人々や、先住民族たちもいる。

彼等は隣村の、MILF地域に属しているようで
今回の戦闘は、それらの土地も、大土地所有者の登記の元にあり、
追い出してアブラヤシを植えようとしたりしたところから始まったようだ。
すでに、数年前から、住民の殺害などの事件が起きていたようだ。



軍の駐留で、今は戦闘が収まっているが・・・


108件の家々が、焼かれた
次は、隣のMILF側の村をDSWDと訪問する
道がないので、舟に乗らなければならない
両者の間に平和を実現するには、
どうしたらよいのか

皆さんからの戦闘に対する寄付は、戦闘による被害者、破壊された小学校や保育所
避難民の食料や物資などの支援、平和構築に使っていきます。




マキララを訪ねる
2月21日(月)

マキララの奥の小学校、2年前に初等小学校から6年生の小学校に・・・
この村は、5年ほど前までは、NPAの拠点でもあり
戦闘が絶えなかった。

山麓に広がる、広大なドールのバナナ農園を抜けて、
山岳民族の集落を越えて移民系のこの集落に達する道程は、
グローバル経済の抱えている矛盾を目の前で理解できる。

ドールのバナナを覆っている新聞紙は、日本の新聞
日本向けのバナナプランテーションが、人々を追いやり
それに反対してNPAが立ち上がり戦闘が起こった。

私が、来た2000年頃は危険地域では入れなかったが
今は、この地から多くの奨学生を取っているし
MCLの農場もある。
上記のイスラム地域と同じ問題が、ここにもある。

この村で、今高校を建てようとしている。
はるか山麓にしか高校はないから・・・
MCLジャパンで、土地を寄贈、
今年の6月から一年生のクラスが始まる。

右の掘っ立て小屋は何かというと
村人たちが、一生懸命出資して
小学校の子たちも、トウモロコシを栽培して
やっと建て始めた、高校の教室。

この掘っ立て小屋で
6月から授業が始まる。


こちらは、小学校。
かつては、屋根だけの下で勉強していた
初等小学校だったが
2年ほど前に教育省が
教室を作った

小学校の側にある、MCLファーム


MCLの農場にある
大きな木の下で!
MCLの農場を守って下さっている
ピサンさん一家
子どもたちは、奨学生。

この地に、今、MCLは
下宿小屋を建てようとしている。
高校生たちが下宿して通えると同時に
近隣の山岳地帯から
小学生たちが下宿をしながら
学校に通えるように・・・


この村には、JICAの支援で
給食事業が行われていたが
それが止まってから
学校に通えない子たちが
また増えてきたという。


皆で食事をした


ここに、高校生の下宿小屋を作り
農業をしながら勉強が出来るように
する予定だ。

リスター君の家を訪ねる

上のマノゴル村の生まれでありながら、土地所有者に父親を殺されたリスター君一家。
まず、お兄ちゃんを迎えに行き、一週間、MCLで生活してもらうことになった。


お昼のおかずの芋を掘ってきた
お母さんもやってきた
この日、リスター君のお兄ちゃんが
家族に一足先だって
MCLに来た。

3月に、姉妹が学年を終えると
リスター君やお母さんも含め
みんなでMCLに引っ越す。

父親が殺された家族たち
それでも、MCLに来られることで
ずいぶん顔つきが明るくなった。


犯罪心理学を学んでいる学生もいる
何を感じているのだろうか




お茶の水大学の3人と一橋大学の女子学生が
山上のマノボ集落を訪問

2月20日(日)

お茶の水大学の心理学を学んでいる3名と、一橋大学で経済を学んでいる一人、
日本の若者たち4人の女性が、ミンダナオ子ども図書館を訪れた。
きっかけは、私が、お茶の水大学で講演したこと。

学校と本で学んだことが、初めて現地で子どもたちに出会い、
人々との交流で息を吹き返していく。

学校で見た若者たちが、時がたつたびに、
ここで息を吹き返したようにのびのびとしていく姿を見るのは、楽しい。


もともとキダパワンの市に近い、山麓に住んでいたマノボ族が
プランテーションや移民の土地所有に追われて
こんなにも高い尾根上に集落を作って、
住み着くことになった。

MCLに土地を譲って下さった名門のマノボ族
亡きスーザン・インカルさん
お父さんは、初代のキダパワン市長だったが、
土地を譲り、売り渡していった。
その親戚たちも、今は、低地の土地から追われ、
この村のさらに奥の集落に移っている。



自分たちの所有地はほとんど無く、
ホウキ草で箒を作っては
町に売りに行くのが、唯一の収入源だ。


大事なのは、しっかりと見て受け止め
感じ取り、理解し
そして、何が出来るか考えること
この地から高校生の奨学生を
一人選んだ。
成績も良いし
この村とのコンタクトパーソンとして
役割を果たしてくれるだろう。

家は非常に貧しいが
自ら野菜を売りながら
高校まで進学。

スカラシップが決まったとたんに
泣き出した。


村を回って子どもたちを集める


村に着くと、読み語りの場所を決め
その後、村を回って子どもたちを集める
そのとき、村の人々と話をし、その地の生の声を聞き
現状を把握していく。

いよいよ読み語りが始まった


たとえ言葉が通じなくても、
子どもたちの表情から
多くの事を学ぶことが出来る

日本の若者たちが
ここから何を学んでいくのだろうか

その夜は、みんなに読み語りを




ミンダナオ子ども図書館だより:2月13日(日)

1:避難民支援を学校で

  祈りの後で読み語りが始まる
  おおきなかぶの劇は,子どもたちの楽しみの一つ
  初めて手にする絵本たち
  読み語りが終わってパンを配る
  長く続いた対立に軍が介入
  古着の支援
  軍による炊き出し
  最後にビニールシートを渡す
2:日本から届いた贈り物
3:ARMMサパカン集落に今度高校に進学する子の調査
  小学校を卒業するとき高校スカラシップに上がるための読書力の調査をする
  のどに腫瘍が出てきた子を病院でチェックすることに
4:父親が殺されたリスター君の一家MCLに小さな家を建て家族で住むことになりました
5:スカラシップ・里親調査
6:ビニールシートをさらに届ける
  今週末は、ここで読み聞かせと炊き出し古着の支援を行う
7:孤児で、弟を戦闘で殺され腹部を撃たれた少年をMCLに引き取る
8:誕生日のお祝いに早朝みんなで歌うハラナ
9:早朝に起きて籾米を干す
  こちらは夕暮れ時の収納
10:多湖ファミリーと親戚たちによるもう一つの保育所がマノボ集落ムヤスに完成
  開所式の読み語りが
  米も食べられない貧しい村開所式のご飯を!
11:支援者の湯沢さんが帰られるのでエルマリーは泣いた!
   彼女の姿を見ているとこの子たちにとって、支援者とは何かが理解できる



避難民支援を学校で
2月12日(土)
キダパワンとピキットの間の間の町カバカン。
USM南ミンダナオ州立大学もある学園都市だが、
ムスリム地域とクリスチャン地域の境界に位置していると同時に、
イスラム地域とマノボ地域の境界の町でもある。

その背後は、道も無いプランギ川の上流地帯で、ムスリムとマノボが混合している。
その地で、1月に戦闘が起こり、100以上の家が焼かれた。
MCLでは、地域の有力者同士のリドーと呼ばれる地域争いと思い、
関与して来なかったが
意外と深い問題が隠されていることがわかってきた。
祈りの後で
読み語りが始まる




イスラム地域なので
イスラムの祈りで始める。
カバカンは、大学もあるので
学校教育が行き届いていると
思っていたが、
ほとんどの子たちが
タガログ語も知らず
マギンダナオ語で
読み語りがなされた


おおきなかぶの劇は
子どもたちの楽しみの一つ


MCLの奨学生たちの
演技に、笑いと拍手
難民キャンプに
ひさびさの笑顔と歓声が

初めて手にする絵本たち

読み語りが終わってパンを配る

長く続いた対立に軍が介入


国軍の司令官と懇談・・・
状況について、意見を聞く
直接的な軍の関与は
今回が初めてだ。

多かった避難民が、半減していた。それでも多いのだが・・・
理由がわからなかったが、国軍が入り、戦闘地に滞在しにらみをきかせ
MILFとMNLFの和解も開始。避難民は、半強制的にここから現地に送り届けられた。
その事を事前に知って、戦闘のある郷里に帰ることを怖れた避難民たちが
新たに親戚などをたよって移動したのだ。

思い出したが、今回の対立の芽は、1月7日あたりに発している。
土地をめぐる小競り合いゆえ、リドーだと解釈し、行動を起こさなかったが
事実を知るにつけて、根の深さが表面化してきた。
先祖伝来の土地の問題やマノボ族、アブラヤシプランテーションの拡張
フィッシュポンドからウナギまで・・・
軍が入って、若干の秩序が回復したものの
戦闘は拡大するというのが、大方の見方。

授業がない日は、こうして教室の中で寝られるが、普段は教室から外に追い出され
雨が降っていても、外で過ごさなければならない。

古着の支援
大成功だった古着の支援
思ったより奥から出てきた家族で
着るものも十分ではない。

戦闘の様子を見ながら
今後、この地域と
深い関係を築いていく
必要を感じた。


日本では、秋から冬の服でも
暖かく夜寝るためにも
とても役に立つ。
こちらでは、パジャマは
ほとんど着ない




とりわけ、子供服は数が少なく
貴重だ。
古着屋で普通買うが
なかなか値段も良く
ボロボロの服か
裸で過ごしている子が多い


子どもだけではなく
親や大人たちにも
古着が渡された。




軍による炊き出し
今回は、軍が炊き出しを行った。
前回行った奥の村には行けなかったが、今後いくつかの村を調査し、
避難民の状況を把握、救済支援を継続していかなければならないだろう。
最後に
ビニールシートを渡す

ビニールシートは、最も必要としている支援なのだけれども
MCLのような小さなNGOでは、高価でなかなか皆に行き渡らない。
DSWDの事前の調査で選ばれた家族に渡すが、なかなか難しい。
この地域の今後の展開が気がかりだ。
とりわけ、ムスリムと共存している
マノボ族の事も気になる。

MILFとMNLF
見かけは、同じムスリム同士の対立だが
背後に、世界の潮流を感じる。
イスラム原理主義と
米国支援のムスリムの対立?




日本から届いた贈り物
2月10日(金)
こんにちは、・・
Excelくんに、息子のお古ですが、学用品。
お母さんにバッグ、皆さんに古着とぬいぐるみやおもちゃを同封しました。

クリスマスカードと手紙を書きましたので、Excelくんに渡して下さい。
皆さんが幸せなクリスマスとお正月を迎えられますよう心よりお祈りしています。

河田朋美さん、Excelくんは、MCLに住んでいます。
プレゼントをわたしました。ちょっと恥ずかしがっていました
でも、すごく喜んでいましたよ。

横尾優子さん(福岡)、北野財団からの荷物も届きました。



ARMMサパカン集落に
今度高校に進学する子の調査

2月10日(木)
サパカンには、小学校の里子が16名ほどいる。
イスラム自治区で、ラジャムダを超えてランディングピースから舟に乗る。
リグアサン湿原の入り口だ。

バランガイはブリオクに属しているが、
バランガイから、多くの家族が戦闘を嫌って移住。
こちらに中心が移った。

そのようなわけで、子どもたちが多いが、小学校の設備がそれに追いつかない。
去年、JICAに学校建設を申請したが、MILFの活動地域なだけに、
ペンディングとなっている。

ミンダナオの情勢は、あまり良くない。
7月か8月ごろに、大きな戦闘が起こるかもしれない。


戦闘が起こると
この子たちが皆
避難民として困窮するのだ
MCLでは、ここに保育所を建てて
その後、多くの奨学生(里子)を取っている。
そのようなわけで、とても親しくして下さる。

しかし、子どもたちはごらんのように
穴の空いたコンクリートに座って授業を受けている状態だ。

MCLでは、この地域は重点地域で
今度は、この先のカルボガンに保育所を建設する予定

小学校を卒業するとき
高校スカラシップに上がるための
読書力の調査をする

自己紹介などをタガログ語で

絵本の英語とタガログ語を読む

のどに腫瘍が出てきた子を病院でチェックすることに


もうすでに何人、この種の腫瘍を
手術してきたことだろう
すでに拡大して手術が出来ない子もいる

この地域に戦闘後、こうした腫瘍を始め
奇形、未熟児が多いのは
劣化ウランのせいではないか
と、ある専門家の言葉。



父親が殺されたリスター君の一家
MCLに小さな家を建て
家族で住むことになりました

2月6日(水)


まずはお兄ちゃんがMCLに移り
家族のために、MCLの奨学生と
家を作ることに・・・


彼は、ボランティアスタッフとして
MCLで働きます。



スカラシップ・里親調査
2月9日(水)
今年は、まだ支援者が見つかっていない子たちが
実質的に、50名以上もいて
増やさずに、調整しようと思っているのだけれど、
親がいなかったり、非常に貧しい状況を見ると
放っておけない、子どもたちが出てくる。

ここにいる、3人の子たち、
すべてミンダナオ子ども図書館のお隣さんたち。
下は、かつてボードメンバーで亡くなられた
スーザン・インカルさんの姪御さんたち

お父さんはいない。
お母さんだけでは、とても学校にやれない。
下は、近所にすんでいる、
奨学生のマリテスさんの従妹
マノボ族で両親はいるのだけれど、土地もなく
他のゴム園の出稼ぎに出て
彼女とおばあちゃんだけ。

家はボロボロで、子どもは4人いるけれども、
彼女がかろうじて1年生を終了。
家は近いけれども、とても住める状態ではないので
MCLに住むことになった。




台所もボロボロ
いったい何を食べているのだろう?


写真で見る以上に
家はボロボロ、
住めるような状態には見えない

ここに7人住んでいる
信じられない!




ビニールシートをさらに届ける
2月8日(火)

多湖さま2万円、伊藤さま1万円、
難民支援を早速ありがとうございます。
ビニールシート一巻き100mが1万1千円ほど、
それを5mづつに切り、20家族に届けます。

多湖さまの支援で、二巻き、40家族にくばりました。
今後、土曜日、日曜日に読み聞かせと炊き出し
古着の支援を、子どもたちとする予定です。
伊藤さまの支援は、炊き出しに使います。

支援を振り込まれる方、振り込まれた方は、
出来ればメールかFAXでお知らせ下さい。
直ちに支援金として活用していきます。
FAX010−68−64288−5426

Eメール:mclstaff@zar.att.ne.jp(松居友)



シートをもらってホッと一息ついた家族
しかし、まだまだ足りないので困惑

まずは、最も必要としている家族を慎重に選び出して、シートを渡す。

今週末は、ここで読み聞かせと炊き出し
古着の支援を行う


もちろん学校は休み
それでも、子どもたちは
けなげに遊ぶ
食べ物もほとんど底をついているけど
ままごと遊び!


バナナの花房、これだけが食べ物
子どもを抱え、呆然としている母親
今度の土曜日は、2カ所で読み聞かせをし、炊き出しをする。
次の日曜日には、別の場所で、読み聞かせと古着の支援を・・・
カバカン側の支援が始まったところで
次は、カルメン側の調査と支援を開始しなければならない。

MILFとMNLFの対立だというものの、かなり根深いものがある。
しかし、それよりも不安なのは、国軍の動きだ。
どうやら7月8月に、大きな戦争が起こりそうだ。
いつも、戦闘が始まるのは、この時期だが
着々と準備が始まっている?????


孤児で、弟を戦闘で殺され
腹部を撃たれた少年を
MCLに引き取る
幼いときに、両親を亡くした上に
今回の戦闘で、流れ弾に当たり
目の前で弟を失い
自分も腹部を撃たれ
福祉局の支援で病院に入院

2週間の入院の後
退院にまでこぎ着けたものの
家族も引き取り手になる親戚もない
その話を聞いて、
彼をMCLに引き取ることにした。

Sulaiman Salik 14歳 小学校4年生
ショックのせいか、表情が無いが、
まじめな好青年であることは良くわかる

支援者が 見つかりました!

どなたか、里親になっていただけませんか
MCLに住んで、
6月から学校に通います。



誕生日のお祝いに早朝みんなで歌う
ハラナ
2月7日(月)

ハラナというのは、窓辺や部屋の前で、
夜明け前の4時頃に起きて、愛の歌を奏でる習慣。

ミンダナオ子ども図書館では、誕生日の子がいると、必ずハラナをする。
ギターのメロディーと子どもたちの歌声が、夜の闇の中で聞こえてくると
私は、眠い目をこすりながら必ず参加する。
大概のスタッフは眠っているが・・・・

誕生日は、子どもたちにとっては特別の日、
特に、親のいない子にとって、
寂しくないように、ケアしてあげる大事なときだ。

希望者が、祝福の言葉を述べる。激励や未来への祈り、愛情のこもった様々な言葉を、心をこめてプレゼントする。
物のプレゼントは無いのだけれど、心のこもった歌と言葉が、寂しい子どもの心を癒す。
最後に言葉をかけるのは、いつも私の役割だ。

父親がいない、母親がいない、両親がいない
家族が遠くに住んでいて会えない・・・
何で自分はここにいるの?なぜこの世に生まれてきたの?

時には、自分が、見放され
捨てられたように感じる子どもたち
この世に誕生したことを、時には、素直に喜べない。
捨てられた小石たち?

でも、こうやって、お互いに兄弟姉妹のように愛し合う
私たちは、一つの家族!
それを確かめ、支え合うとき、それが愛のこもったハラナ
捨てられた小石ほど、可愛らしく美しい
こんな美しいものを、神様は愛をこめて造ったと思うと、いつも感動する。




早朝に起きて
籾米を干す

2月7日(月)

自分たちが食べる米を自分たちで干す。まだ朝焼けの残る時、みんなで庭に出て籾米を広げる。
再来週には、みんなで田んぼの刈り入れに行く予定だ。
野菜や米を育てること
ヤギやニワトリを飼うこと

米を収穫し
果実を取り入れ
ニワトリをさばき
卵を集め
時には、ヤギを解体する

朝の4時に起きて
朝食の用意
昼食、夕食も自分で料理

洗濯、掃除
生活の基本が、
しっかりと身についている子どもたちは
見ていてとてもすがすがしい

こちらは夕暮れ時の収納
2月7日(月)

多湖ファミリーと親戚たちによる
もう一つの保育所が

マノボ集落
ムヤスに完成

2月4日(金)


多湖ファミリーと友人と出てますが
親戚の間違え
修正しますのでご心配なく


ムヤス集落の新しい村長さん
ムヤスは、山上の非常に貧しい村
ムヤスは、アラカンの山岳地帯にある、非常に貧しい集落
ほとんど全てがマノボ族。

最初にこの村に保育所を作る決定をしたとき
前集落長が、
「このような見捨てられた村に、目をかけて下さって
感謝の言葉もありません」
とおっしゃったのが、忘れられない。

開所式の読み語りが


今日は、これでも特別な日なので
みんな、最高の服を着て集まってきた
もちろん古着だ。

ほとんどが以前に
ミンダナオ子ども図書館で渡した物

米も食べられない貧しい村
開所式のご飯を!


ここの子どもたちは
ほとんど、米は食べられない


あまりの貧しい状況に、持ってきたスタッフたちの
弁当のおかずも、全て子どもたちを優先してあたえてしまった。
最後には、おかずもなくなり、ご飯だけが残ったが、
それでも夢中になって、ご飯をほおばる子どもたち。



支援者の湯沢さんが帰られるので
エルマリーは泣いた!

2月3日(木)」

彼女の姿を見ていると
この子たちにとって、支援者とは何かが理解できる



ミンダナオ子ども図書館だより:2月3日

1:カバカン地域で小規模戦闘が勃発。2000人の避難民への救済支援を開始
  病気の子どもたちをチェック
  さらに奥の集落でも避難民発生
  ビニールシートの支援を開始
  子どもをすぐに病院に運ぶ
2:ムスリムデー今年のテーマは、洗礼
  イスラームの歌が唱われた
  イスラームの出産と洗礼
  BDA(バンサモロ エージェンシー)の教授がレクチャー
  訪問された湯沢さんの紹介の後、みんなでマギンダナオ料理をいただく
3:立正佼成会と共に訪れたダバオサイドの先住民の村へ、スカラシップ調査
  ここから奨学生を採用することに決定

  覚えていますか下の子
4:モスクの建設が進んでいる
5:MCLの日常から
6:実に、いろいろと考えさせられた日々だった


カバカン地域で小規模戦闘が勃発
2000人の避難民への救済支援を開始

2月2日(水)

北コタバト州のカバカンからカルメン市にまたがる地域は、道らしい道も無く、
プランギ川を舟でたよるしかない地域だ。
今回、この地域でリドーと呼ばれる戦闘が発生し、
両地域で2000人ほどの避難民が出た。

MILFとMNLFとの路線対立に、
土地の問題が絡まったものであるという以外
現地の詳しい者たちも、口を濁して語りたがらない。
すでに長い間の、かなり深い確執だという。

支援のお願いのパンフレットを作りました
避難民支援パンフレット

とりあえず、市の福祉局(DSWD)を通して、
赤十字からのシートが配られている地域もあるが
新たに非難してきた家族も居て、足りない状態。
早急にMCLでシートを買い、避難民に提供したが、
これから各地の調査と共に
本格的な活動を開始する。

このまま小規模で収まる事を願うのみだが
赤十字やユニセフ、UN(国連)が
このような初期から動いているのは珍しく
逆に、今後の展開が気になる。

病気の子どもたちをチェック
健康状態は、良くない。
現在、のど、咳、熱の出る風邪がはやっている事もあり
また、環境の変化や水の悪さで
腹痛や頭痛を訴えるものが多かった。

簡単な投薬治療は、福祉局専属の医師が
行っているので、メデカルアウトリッチは任せて
むしろ、多少とも重く
病院での診察や治療
入院を必要としている患者をターゲットにすることにした。

大概の支援は、こうした重篤な患者の治療をしたがらない。
人数の割に、経費がかかりすぎるからだが、
MCLは、一人一人に可能な限り治療を施す主義にしている。

さらに奥の集落でも
避難民発生


意外と多いのが上のような奇形だが
なぜだろうか?


ビニールシートの支援を開始


ビニールシートを購入して
次々に切断していく

切断方法も慣れたものだ

避難民支援パンフレット



避難民支援パンフレット

シートを必要としている人に、「シートの支援をしましょう」と言うと
「いつ、シート持って、戻ってくるの???」
「今すぐです、今日の午後は?」
「えー、驚き!たいていの支援団体は、話だけで戻ってこないよ。写真だけ撮ってね・・・・」



こちらは、廃校になった
小学校に避難している家族たち
汚れたコンクリートに寝ている



子どもをすぐに病院に運ぶ
ユニセフの車に出会った。
訪問者と仕事内容と分担の打ち合わせ。

ユニセフは、避難民教育のみの活動であることがわかり、
MCLは、困窮している医療とビニールシートをその日のうちに実行。
後日、読み語りと炊き出しを行うことに決定した。

本当は、日々食べる米の支援が最も必要で
期待されているのだが、
MCLでは、子どものための炊き出しが限度。

米の支援をお願いしたが、最近流行の
トラウマ解消の心理的カウンセリング教育支援。
投薬だけでは、どうにもならない子たちを
街の医師の元へ運び検査
入院や手術の必要な子は
改めて日にちを指定し
付き添いの家族を加えて迎えに行き
キダパワンの病院に入院させる事に


また、時期を見て読み聞かせ活動も
奨学生たちと行い
心のケアにもつとめていく予定だ。
活動には、カバカンに下宿して大学に通っている
イスラム教徒の奨学生たちも、参加し、協力してくれた
現地を良く知っているぢ、現地語も話す、強い味方だ。

今回は、カバカンの一上流地帯一カ所だが
別の地域にも避難民が出ている。
今後、カルメンサイドも含めて
調査し、救済支援を実行して行かなければならない。

よろしければ、難民支援寄付をおねがいします。
郵便振替口座番号:00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館
避難民支援パンフレット



ムスリムデー
今年のテーマは、洗礼

1月30日(日)

毎年1月の最後の日曜日、総会はムスリムデーと決めている。
ムスリムつまりイスラム教徒の文化も多様だから、正確にはマギンダナオデーと呼ぶ。
ミンダナオのムスリムも、タウソグやマラナオ等と、いくつかの種族があり、
ピキットを中心としているマギンダナオ族がMCLには多いので、マギンナオデーだが
いくつかの種族がMCLにもいる。


Welcomeと書かれている。
お祝いや結婚式の幟


優雅な手でビーズを刺繍した
壁飾り
全て神をあらわす

ミンダナオのムスリム文化は、六〇〇年以上の歴史があり、奥が深い。
さすがに国際的な文化で、服飾や飾りの美しさも、中東の文化にアジア独特の味が加わり優雅だ。

イスラームの歌が唱われた
独特の短調も入ったイスラムの歌は、
どことなく日本の古い歌を思い出させる
アジアンテーストに満ちていて、憂愁を感じさせて心を打つ
普段はベールをまとっていないが、
要所要所で彼女たちはベールをまとう。

独特の味わいがあって美しい。
小さな子どもでも、街中や田舎道をベールをまとって
アラビックスクールなどに通っていく。

イスラームの出産と洗礼


へその緒を切るところ


ゆりかごに赤ちゃんを寝かせる

イスラム教徒は、7日後に洗礼を授ける。これが唯一の誕生の祝いで、その後に誕生日は祝わない。
イスラムの子たちが、時々自分の誕生日を知らないのは、誕生祝いが一生に一度だからだ。

BDA(バンサモロ エージェンシー)の教授がレクチャー

イスラム文化のすばらしさ、戦争を必ずしも許容しない考え方、多様性などについて
バンサモロエイジェンシーでアラビックスクールの教授が語った。
ヨーロッパも含め世界を巡ってきた教授。

ミンダナオ子ども図書館の活動を絶賛して下さった!
内容は、近く英文で掲載します。


訪問された湯沢さんの紹介の後
みんなでマギンダナオ料理をいただく

伝統的なお菓子も多い

長野県の茅野からこられた湯沢さん。エルマリー(一緒にいる少女)の支援者
大柄でバスケットなどのスポーツに堪能。
エプソンに勤めていらっしゃる。長野のNGO等との今後のつながりが楽しみ。



立正佼成会と共に訪れた
ダバオサイドの先住民の村へ
スカラシップ調査

1月29日(土)

ダバオのカリナン地域のバナナ農園を抜けていくと、大きな谷の端っこ、
追い落とされそうな場所に、小さなマノボの集落がある
この広大なバナナ農園、ご存じのスミフル。日本の住友フルーツの農園。
(住友フルーツの皆さん、一緒にスカラシップ支援をしませんか?)

農園の中や表の村道にすんでいる人々は、移民系も多く
農園のメンテナンスなどで、多少の収入はあるのだが
土地を追われ、移住を余儀なくされ
隠れた裏側に追いやられた彼等の生活は、非常に貧しい

下の腐ったような山は、食用にならないバナナを刻んだもので
豚の餌だ。これを売って、なんとか彼等は食いつないでいる。
出生届も学歴もないので、正規に雇われることは無い人たち。
立正佼成会の訪問をきっかけに知り合った
子どもたちだが、
ここから奨学生を採用することに決定
先祖伝来の土地として守られているはずなのに、「祈りの山リゾート」建設のために、親を殺害された首領の娘たちも二人

親の居ない子、片親の子
厳しい環境の子たちが優先されるが
学習意欲も大事なポイントだ。

スタッフたちが次々に質問をしていく
最近は、スタッフたちも写真技術が向上し、
カメラを使うようになったので
下のように、時々私も写っている

前は、全部私が撮影を引き受けていたのだが


覚えていますか下の子

立正佼成会の皆さん、覚えていますか下の子を。
皆さんが帰られた後、子どもを病院へ・・・今はすっかり治りました。右が今です。




埼玉のカトリック教会有志と
イスラミック サークル オブ ジャパンが
共同で寄贈した

モスクの建設が進んでいる
MCLにモスクを建設することは、長年の課題だった。
MCLのある、マノゴル村には、プロテスタント教会もカトリック教会もある。
ただ、モスクだけは無かった。
イスラムの子や若者たちにとって、一日五度の礼拝は、重要で、
今までは図書館を使っていたが
礼拝がモスクで出来ないがために、MCLに住むことを断念していった子も多かった。
この点を克服し、イスラム教徒もキリスト教徒同様に、
祈りを捧げる場所があるようにするために
今回、埼玉のカトリック有志と
イスラミック サークル オブ ジャパン
http://icoj.org/component/option,com_frontpage/Itemid,1/
が手をつないで,
モスクの建設にこぎ着けたことは、画期的なことだ。




MCLの日常から
かつて奨学生今は、スタッフのベビン
同じ奨学生のレイナルドと結婚
女の子の赤ちゃんが生まれました





実に、いろいろと
考えさせられた日々だった


松居友 様
 私にとって二度目のMCL訪問、
滞在中は何かとお世話になりありがとうございました。
予定を変更し、ビザ日程をギリギリまで使う
十九日間の滞在となっりましたが
そこから見えてきたものはいろいろあります。

私自身支援者の一人ですが、
現地MCLの活動や子どもたちの生活の様子は
まだ良く分かっていなかった事を感じました。
本当のMCLを理解していただくためにも
今回の滞在中、自分の目で見たもの体験した感想を
多くの方々に、少しでも紹介してみたいと思いました。
日本の支援者の方々にも現地の活動や,
子どもたちの生活の様子を知って頂くための
一助になれば幸いです。

 <1月13日> 
MCLの活動は、毎朝のスタッフミーティングから始まる、
スケジュールに従って行動開始である。
3名のスタッフと供にカティンド村に 向かう、
目的はスカラーに手紙を書いて貰うこと、
支援をして下さる方々への
サンキュウレターやソーリーレターである。

その日の行動の効率を考え、学用品等も同時に届ける。
スタッフたちの仕事の大変さは移動距離の大きさである。
四駆でやっと登れるような荒れた山道を,
二時間〜三時間喘ぐように登って行 く。
数枚の絵手紙を書いて貰うためにも、
時間と労力を惜しまない
スタッフたちに頭が下がる思いがした。

 <1月15日> 
今日はウオーターホールへストリーテーリングだ。
ウオーターホールはアポ山への登山口でもあり、
美しい滝が有るので有名な村でもある が、
急な坂道を上って行く事には変わりはない、
村の人々の生活は非常に貧しい。

四十人ぐらいの子どもたちを二回に分けての移動である。
朝早く第一陣が出発、
スタッフは第二陣を迎えるために又山を下る。
第二陣が到着した時にはもう正午を過ぎていた。
先発隊が昼の食事をつくって待っていた。

流れ落ちる滝を前に、みんなで食べる昼飯の味は格別だ。
ミンダナオはスコールの多さでも有名であるが、
この日のスコールは別格ものだった。
四駆が動けない、止むのを待って帰路につくが、
大スコールの後の荒れた山道は滑りやすい。
四駆の運転は、スタッフにとって緊張の連続である。
子どもたち全員を無事に運び終えた時は
もう夜の帳が辺りを支配していた。

 <1月18日> 
マキララのカタパガン村の保育所開所式に参加した。
松居さんは急用が出来ダバオへ行く事になった。
プレシデントのアスレーが中心になって
セレモニーを進めて行く、
保育所の使用目的や取り決め事項等を読み上げ確認をとる。

村の主だった人達との調印を済ませ
握手を交わし開所式は終了した。
その後スタッフ全員で、集まった子どもたちに、
歌やパフォフオーマンスを交えながらの、
絵本の読み聞かせが始まった。
村の人達も交えて昼食をすませ、喜びのうちに無事終了。
スタッフ達の仕事は多種多様だ
多くの仕事をこなして行く。

 <1月20日> 
先日ひょんな事で知り合う事になった
レリンダ・ランダウィさんに会うために、
マグペットのイナムアランという村に向けて車を走らせた。
彼女は以前日本に住んでいた事が有り日本語が話せる。
松居さんとスタッフのマリペールの三人で
道を尋ねながら四駆で登って行った。

レリンダさんに会う事が出来いろんな話を聴く事ができた。
彼女は、この村のもっと上の山奥に
とても貧しい集落が有る事を話してくれた。
松居さんの表情が変わった。
是非そこに案内してくれませんか、四人でその集落をめざした。

途中四駆も登れない山道にさしかかった、徒歩で登るしかない。
松居さんもまだ足を踏み入れた事の無い村だ、
上り詰めた所に数戸の集落があった、
一見してこの集落の人たちの極貧の生活が窺える、
中でもとりわけ目立つ 家があった
九歳を頭に八人の子どもと両親が、
二畳程の家の中で生活している、
一日一食がやっとだという。

松居さんが呟いた、
これを見るともう黙っては居れない、何とかしなければ、
スタッフのマリペールの聴き取り調査が始まった。
MCLの活動の原点が見えた、これだ、
同時に日本の支援者の皆様の温かい心を感じ胸が熱くなった。

 いよいよMCLを離れる時がきた、
あっという間に時が過ぎた気がする。
夕食後、子どもたちがサヨナラパーティをしてくれた。
別れの言葉やグループで歌を歌ってくれた、
しかしいつもと違う、声が出ていないのだ。

子どもたちの胸の内が窺え目頭が熱くなった。
ロロヨシ(ヨシおじいちゃん)明日帰るんだね・・
そうだよ明日日本に帰るよ・・
堰を切ったように子どもたちが抱きついてきた、
もう溢れる涙を抑えることができなかった。

 MCLの子どもたちは実に良く働く、
当番の子どもたちだろうか、朝四時には炊事を始める。
他の子どもたちも五時には起きる、学校に行く前に庭の掃除、
一階の床をヤシの実で磨く、
二階のフロアーのモップがけなど苦もなくやってのける。
学校から帰ってくると、洗濯や掃除に勉強と楽しそうにやっているのだ。

日本ではなかなか見られない光景である。
子どもたちは底抜けに明るく笑顔を絶やさない。
 ロロヨシ、サヨウナラ、次は何時来るの、
子どもたちの目に妖精の涙がキラリと輝いた。
ありがとう。
                                        
  =頭島義成=     
     


ミンダナオ子ども図書館だより:1月23日まで

1:保育所建設調査に別の山頂のマノボの村を訪れた
  かつてMCLボードメンバー亡きインカルさんの親戚の子に会った
2:二週間滞在された頭島さん(ロロヨシ)のお別れ会
3:実に、いろいろと考えさせられた日々だった
4:マノボ族の村に保育所建設の調査
  ここに保育所を建てることになった
5:ソロプチミスト・原田政子さま寄贈の保育所が完成
6:登山家の章さん・再訪
  ピキット・ブアランの支援している奨学生を訪問
  ピキットの市場で、母親に会う
  今回は、ウオーターフォール村からアポ山に登頂
7:熱帯雨林のバージンフォーレストを抜けて
  フィリピンで農業をしている青年を訪問
8:ラガイェンでは、リドー(地域戦闘)で避難民化して帰っていない奨学生たちがいる

9:ブロッドの保育所修理完了
10:ブアランの焼けた小学校の修理が始まった
11:新年早々に奨学生へのケアを開始
   学用品を届ける
   里親奨学金支援者に絵手紙を書く子どもたち
   お弁当のための米を支給
12:イスラム自治区ナムリ村に保育所完成
   まずは、開所式
   読み語りが始まった
   アルバちゃんを訪ねる
13:父を殺された悲劇から
14:今年もよろしくお願いします!
15:大晦日にプレゼントが届いた!



保育所建設調査に別の
山頂のマノボの村を訪れた

1月21日

キダパワンの隣、マグペット市のDSWD(福祉局)から、保育所建設の依頼があり
福祉局の職員と、保育所担当のスタッフジケロ
スカラシップ担当のスタッフマリベールと共に現地を訪れた。

道には、橋が無く、車で川を渡る。増水していないので良かった。
マグペット市地域では、バアイボアイとウオーターフォール集落に保育所を建設しているが
その両者に挟まれて、多くのマノボ族の集落が山岳地域に点在している。

現地は、赤土の道で、雨が降ればスリップして帰れない。
バイクの車輪跡があるだけで、車の轍はまったくない。



車で二時間ほど、山を登っただろうか。
山頂から伸びる尾根状の場所に、突然集落があった。
こんなところに、と思われる場所に、小学校がある。
教室数は足りないが、それでもしっかりした学校だ。

そこからの眺めは、絶景で。
ミンダナオの広大な平地が見渡せた。
アポ山の山麓に、ぽっかり抜けたようなマノボの集落。
低地を追われた彼等が、自らの平和な土地を探して、
ここまで登ってきたのだ。
彼等の生活の基盤は、
ホウキ草で箒を作って
下の街で売ること。

そして、ほぼ野生のような
コーヒー豆を売ること。

途中でバナナが植わっている
農場があるが、
プランテーションのような
大規模なものではない

それらの土地は、
ほぼ、下の街に住んでいる
お金のある有力者のものだ。

そうした畑の草刈りや
収穫の手伝いをして
日銭を稼ぐ。
ここには、移民系の人々の家も若干あり、そうした関係か、電気が引かれていた。
(先住民だけなら、電気が引かれることはない)
こうした移民系の人々の家は、このような高地でも思ったより良いので
バナナ農場の管理などを、金持ちに任せられているのだろう。

右は、高台の良い場所にある、移民系の人々の家々
それらの家の少し下に
貧しいマノボ族たちの家がつらなっている。

下は、マノボ族の人たち

マノボの子たちは、本当に働き者だ。
小さい子でも、水をくんだり、薪を運んだり。
ホウキ草のホコリのような種子を、地面に叩いてとったりして
家のお手伝いをしている。



一家族に、7人から12人ほどの
子どもたちがいる。

避妊の指導をしなければならない
だって?
コンドーム買うお金
どこにあるの?


フィリピンに来て、自然に生まれてくるものは、生まれてきたらいい、と思うようになった。
貧しくても良い、みんなで助け合って生きていく事が大切だと・・・
日本のような、寂しい国にならないために。


かつてMCLボードメンバー
亡きインカルさんの親戚の子に会った

どん詰まりのように見える、この村。
実は、このさらに奥に、七つほどの集落を抱えている。
全てマノボの集落だ。

そこから、大きな荷物を頭に載せて来る人々に出会った。
その中の一人は、少年だ。
汗びっしょり、しかし、目元の涼しい利発そうな子

「いくつなの?」
「12歳」
「学校は?」
「小学校二年生」

名前を聞くと、インカルという姓だ。
一緒にいた、叔父さんが笑っていった。
「MCL、知っているよ。
うちの兎唇の子を治してもらったしね・・・」
エッと驚くとさらに続けた。

MCLのボードメンバーの
スーザン・インカルさんの親戚なんだ・・・

亡きスーザン・インカルさんは、ミンダナオ子ども図書館に土地を譲って下さった方で
お隣さんであり、初代のボードメンバーだった。
おじいさんは、キダパワン市の初代市長。マノボ族。
キダパワンの南ミンダナオ州立大学の土地も、寄贈されていることを知っていた。

生前、ミンダナオ子ども図書館のある、キダパワンは、
マノボ族しか住まない土地で、今は、次々に追われて山に追いやられ
ほとんど、彼女たちが最後の土地所有者だった。
その土地を、ミンダナオ子ども図書館に譲って下さったのだが、
MCLの活動を心から愛して下さった方だった。

この少年は、自分の集落から学校に通うには遠すぎるので
この小さな村に、仲間と共に崩れかけたような下宿小屋を持ちながら
小学校に通っているのだという。

亡きスーザン・インカルさんの声が聞こえるような気がした。
「この子を奨学生にしてあげてくださいね・・・
将来、立派なマノボの指導者になるために」

よろしくお願いします。




二週間滞在された
頭島さん(ロロヨシ)のお別れ会

1月20日夜
山元しんぷさんと一緒に来られた頭島さん、子どもたちから
ロロヨシと呼ばれて親しまれた。ロロとは、おじいちゃんの事だ。
日本事務局の構成員のお一人でもある

忙しい神父さん方が、三日で帰られた後、意を決して、一人残られた。
言葉がさほど出来るわけでもなく、海外で一人になったのは初めて。

最初は不安そうだったのだが、数日もたつと、すっかり溶け込んでしまった。

私は、いつも、「せめて二週間はいないと、本当のMCLはわかりませんよ」と言ってきた。
二週間というのは、日本では大変な長い日にちなのだが、頭島さんが言うように
あっというま、つまり、時の流れが違うのだ。時の流れの違いに気がつき
こちらの時に身を移したとき、初めて、本当のミンダナオが見えてくる。

お別れ会。これで、二度目。今回は無くても良いから・・・と言っていたのだが。
子どもたちがしたがった。そして、唱っているときの声が全く違うのに、おそらく気がつかれたことだろう。

「短期間の滞在では、とても日本人には、現地の様子、MCLの活動がいかに大変か、
子どもたちの本当の姿も、わからないですね。
日本にいる人には、想像もつかないでしょうね。一枚のお礼の葉書や手紙を子どもたちに書いてもらうだけでも
スタッフたちがどんなに努力しているか・・・帰ったら、私から話しましょう。」




マノボ族の村に
保育所建設の調査

1月20日
頭島さんのたっての願いで訪れた、マノボの村。
保育所調査で訪れた。
このような調査の時にこそ、現地の現状が飛び込んでくる。

会う人々に、執拗に質問をしながら、
最も貧しく、最も大変な集落に案内してもらいつつ
調査が進められていく。

そのあまりにも貧しい状況に、唖然とされた頭島さん。
「ミンダナオ子ども図書館の活動の原点を見た気がした・・・」


貧しい集落の中でも
比較的ましな首領の家
この集落で唯一
6年生を卒業する子がいた

この子を、コンタクトパーソンとして
スカラシップに採用しようか?



ぼろぼろで、貧しく、
家の様子すらなしていない、
極貧の家庭も多い。
先ほどの首領が、
面倒を見ているが、
首領自体も、しばしば三食
たべられない日があるという。
そんな家を、二軒紹介してもらい訪ねた。
小学校2年生で止まった子がいる。
お弁当を持って行けないからだ。

今年は、日本の経済事情も厳しく
なかなか支援者が見つからない

それでも、私の弱みで
いったん見てしまうとどうにもならない。

せめてこの集落から
一人の高校生と
二人の小学生のスカラシップ候補を
とりたいと想った。

実現するだろうか・・・

ここに保育所を建てることになった
ここは、上記の集落から下に数キロ下った集落
子どもたちはたくさんいるのだが、保育所が右のような代物で
しかも、地主が撤去を依頼しているとわかった。


上は、保育所の先生。
調査をしているのは、スタッフのマリベール。
私たちは、ここに保育所を建設することにした。
そうすれば、この周辺の多くの集落が助かる。



ソロプチミスト・
原田政子さま寄贈の
保育所が完成!

1月18日

ソロプチミスト、原田さまの依頼の保育所が、マキララ地域に完成した。
マノボ族とクリスチャンの混在地域だが、
非常に山奥で、NPAの有名な活動地域。
(貧しい地域は、ほとんどそうで、
NPAを選んで支援している訳ではないのだが・・・)

とにかく、子どもが多い。
平日なので、開所式の読み語りは、スタッフたちがした。
彼等も以前は、奨学生たちだったからお手の物だ。


登山家の章さん・再訪
1月10日〜1月16日

ピキット・ブアランの支援している
奨学生を訪問

1月16日


奨学生の家、今は非難してここには住んでいない。

章さんは、四度目のアポ山とざん。
よほどミンダナオが気に入ったと見えて、度々訪れている。
以前は、セブに泳ぎに行っていたけど、ミンダナオの方がおもしろい。
支援している、イスラム教徒の奨学生を訪れた。
ブアランの度重なる戦闘で、就学が遅れている彼女。
「来年から、高校一年生になるけど、MCLに住みたい」
しっかりしたよい子なので、受け入れる予定だ。


ピキットの市場で、母親に会う


ピキットの市場は、
フィリピンの他のどの市場とも
雰囲気が違うと感激
お母さんも、
娘がMCLに住むのに大賛成。
戦闘が無ければ良いのだが

今回は、
ウオーターフォール村から
アポ山に登頂


四回目の登山 1月12日〜15日


初回は、ダバオ側から。
前回は、キダパワンのメインルート。
今回は、初めて、原生雨林が残る、
ウオーターフォール村からの登頂

雨の多い時期だった。3名のMCLスタッフに、ガイドとポーターがついた。
ポーターは、MCLの奨学生、アロナさんのお父さん、ガイドは叔父さん。


熱帯雨林のバージンフォーレストを抜けて

これはもう、写真で見ていただくしかない、原生雨林のすごさ、すばらしさ。


森の途中でキャンプ
石油ストーブもあるけれど
あっという間に、料理の準備を薪で

フィリピンで農業をしている青年を訪問
1月16日

その後、MCLを離れ、ミンダナオで農業をしている青年を訪問
http://farmmindanao.blog38.fc2.com/ ブログはこちら

MCLのために、米を寄贈して下さった。
しかりと大地に根ざしての活動。これからも協力しながら頑張りましょう。



ラガイェンでは、リドー(地域戦闘)で
避難民化して帰っていない
奨学生たちがいる

1月8日



カキムさんは、現地に
しかし、残りの二人は
非難したまま
行方がわからない。

現在、小学校の生徒の
半分は、非難したまま
戻っていない

ブロッドの保育所
修理完了



小規模な戦闘リードで壁に穴が空き、部分的に破壊された保育所
丹原さん、修復完了しましたのでご心配なく
その他の保育所もだいじょうぶです。

ブアランの焼けた小学校の
修理が始まった



こちらは、ブアランの公立小学校
選挙の関係で火が付けられ、天井部分を消失
その後、政府によって、修復が完了されました。

新年早々に
奨学生へのケアを開始
1月5日〜


学用品を届ける

支援者からの学用品、支援者への絵手紙を書いてもらうだけでも
スタッフが、何度も足を運び(居ないこともあるので、再訪する)
想像を絶する活動努力が必要なのです。
同行された、頭島さんもビックリ。

里親奨学金支援者に絵手紙を書く子どもたち

お弁当のための米を支給

こちらはプロック8、非常に貧しく家族は一日三食たべられないこともある
小学生たちは、八キロあまりの道を通うけれども、お弁当を持って行けない。
そうした村には、毎月、お弁当のための米を支給する


イスラム自治区 
ナムリ村に保育所完成

1月6日

山元神父さん、現地訪問


イスラム地域の中でも、とりわけ孤立しているARMM(イスラム自治区)
ピキットには、国際的支援が集まっても、こちらにはなかなか集まらない
MCLでは、重点地域として指定している。
この地域は、湿原地帯にあり、道路が無く、無数に張り巡らされた湿原の支流が道

KAZARIさんは、この地域の奨学生を支援して下さっているかた

まずは、開所式

読み語りが始まった

ここでも、読み語りに、スタッフたちが活躍した。
船首に立ち
ワニをチェックしている少年

冗談だが
確かにワニはいる



父を殺された悲劇から
1月7日



酔って父親を殺した男は
拘置所に
でも、二万円払って
サッサと出てきた


些細なことから、土地所有者に
父を殺された家族。
支援している奨学生
リスパー君は、
仕事に出かけていたが
兄弟たちが居た。

お兄ちゃん、長男は、何度も殺害した男を殺そうと思ったという、
でも、自分が殺されたら、家族が困る。そう思って止まった。
極貧の生活、複雑な心。このままでは、経済的にも、心理的にも、不安定なので
ミンダナオ子ども図書館で、小さな小屋を建ててあげるから、母さんと兄弟で移るようにと提案した。
リスターくんと小さな妹二人はすでにMCLの奨学生。
ミンダナオ子ども図書館に住めば、食べ物は大丈夫だし、お兄さんもボランティアスタッフとして1000ペソ支給される
現在一家の収入は、三ヶ月で1000ペソ(2000円)だけ。


今年もよろしくお願いします!




大晦日にプレゼントが届いた!
12月31日


大晦日の31日、大きなプレゼントが届きました。
荷物を運ぶ、フォーレックスの職員たちは、毎回MCLに泊まっていきます。




5月の学生総会で
新しいプレシデントと役員が選出された

5月29日(日)

2011年度:MCLの学生役員

バイスプレシデント
マノボ族
プレシデント
移民系クリスチャン(ビサヤ)
バイスプレシデント
イスラム

会計なのど役員

選挙は、推薦立候補のあと、各々の見解を表明し、その後、公正な記名投票で決められる



IMT国際停戦監視団の
落合さん方が訪れた

5月20日(金)



夏休みで子どもの数は少なかったが、厳しいお仕事の合間、少しリラックス?



夏休みの終わり
みんなで海に行った

5月24日(火)〜26日(木)


初めて海を見る子も多い


最初は、少し孤独に感じる子も


特に、今年から初めて
MCLに住み込む子たちは
まだ慣れないので
孤独を感じる

そんなときは、
様子を見ては、声をかける

それでも、あっという間に溶け込んで
MCLの家族になっていく

夕暮れても遊びは続く



ダバオの貧困地域
ササでの読み語り

5月25日(水)




家々は板張りの上に載っていて
下は海だ


町の外れ、海に張り出して住んでいる人々が居る
この地域は、イスラム教徒のタウソグ族
MCLの奨学生は、山からだけではなく
大きな町の貧困地域からも来ている
町の貧困は、山の貧困ともまた異なっている
こうした地域では、皆力を合わせて生きているが
外部からの差別意識も強い

読み語りが始まった


山の子も街の子も
子どもの笑顔は皆一緒?

読み語りが終わり、パンを配る

生まれて初めての都市
5月25日(水)


生まれて初めてのエスカレーター「こわい怖い」高校生でも初めてのエスカレーターだ



奨学生を迎えに
5月27日(金))

エルマリーとモクモク、そしてラブリーを迎えに行った


夏休み里帰りしていた奨学生たち
子どもたちをMCLに送り届けるだけの
費用を両親が出せる訳もないので
私たちで迎えに行かなくてはならない

ラブリンとロムニック


お父さんが居なくなり、お母さんが気が触れて疾走したまま帰らない
おばあさん一人で面倒を見ているが、生活の糧を得られる当てもなく・・・



ミンダナオ子ども図書館だより:5月24日

リグアサン湿原へ
  リグアサン湿原のカルボガンに保育所を建設中
2:かつて足を運んだR7へ再び活動を開始することに決定
3:今後、建設予定の保育所の寄付者名
ブアランでイスラム教徒とキリスト教徒の平和の合意
  国軍も交えた合意会議の前に読み語りをした
  国軍とピキット市政の仲介のもとイスラムとクリスチャン住民の平和に関する合意が・・・
5:クリスチャンの集落とイスラムの集落を結ぶ道を、村人総出で作った
  場所によっては、野焼きをして道を開く
  クリスチャン集落への最後の登り
6:ダバオの貧民街から奨学生を



リグアサン湿原へ
5月12日(木)

ここは、ほとんど
外国人が入れない地域だ。
反政府組織の活動拠点で
あるばかりではなく
アブサヤフや
ジェマイスラミアといった
(いわゆる)テロリスト?
そして、
ペンタゴンと呼ばれる
誘拐組織の跋扈する場所?
その背景には、
この地に眠る膨大な
石油と天然ガス資源をめぐる、
国際的な暗闘がある
と言われているが・・・
この広大な湿原地帯に
多くの人々が生活している
最大の収益は、漁業だ。
私も良く、村を訪れると、
鯉の丸焼きを食べさせてくれるが
鯉、ナマズ、ウナギ、テラピア、雷魚
どれをとっても、信じられないくらい大きく
驚嘆するほど美味しい。


洪水の激しいときにこの地に
何度か踏み込んだが
まるで、果てしない海だった
洪水になると、漁民たちは、
大喜びで一斉に、水が落ちる場所に
魚縄をしかけ、漁網をはる。
屋根まで水が浸かっているのに
悲壮感がない理由が今はわかる。
洪水になると、農地は消えるが
漁獲量が大幅に増え
漁業取引がかっぱつになるのだ。
彼等にとって洪水は、大きな収入源なのだ。
農民は困るのだが、ここの人々は
農業と漁業を使い分けていて
両方をうまく組み合わせて生活している

湿原は、巨大なワニの生息地でもある
漁業をしながら、農地も持つ
家の手前にはトウモロコシ
家が一段高くなっているのは
洪水の時に下が完全に水没し
2階に住むためだろう。
水は、確実に屋根まで来るが、
屋根に舟をつないで寝泊まりし、
漁業をする人々も多い。

洪水は、鉄砲水の様相をしめし
急激に低地を襲うが
二,三日後には引いていく
長くても一週間は続かない・・・
それも、悲惨さが無い理由だろう



小舟が無くても、水牛に乗って川を渡る


リグアサン湿原には、多くの集落や家々が散在している
この地を治めているMILFが、この上流のプランギ川の
ダム建設に、敏感に反応する理由は、ダムによって水位が落ち
漁師で生活している多くの人々が困窮すると考えているからだと、聞いている。
すでに、上流のマノボ族社会は、ダムに反対の意志を表明
先日、建設受諾のサインを拒否した。
上流のカルメン、アラカン地域は、NPAの地域だが、
アラカンでもキダパワンでも、反対意見が強く出ていると聞く。

「ダム建設による、電力供給だけではなく
下の洪水を収めるための、
治水効果もあるはずなのに
なぜ反対するのだろう・・・」

最初私も理解に苦しんだが、
次第次第にわかってきた。
ミンダナオは、急峻な谷を持つ山岳地の日本と違って、
なだらかな丘陵地形であり
日本のように、ダムが出来ると、谷底の村が水没するという
小さな地域の問題ではなく、
広大な自給地や農地が消滅する。
つまり、川沿いの広大なゆるやかな傾斜地で、
多くの住民が自給しているために
ダムの貯水が、浅く広範囲に広がり、
自給地が失われる。

ミンダナオの住民たちは、土地問題にものすごく敏感で、
戦闘の殆どは土地問題だ。
ブキッドノンのダムが失敗の良い例だと言われているが、
アポ山の地熱発電による川の汚染もあり、
電力を供給するダム建設には、NPAもMILFも
強く反対していると聞いている。
電気が流れても、貧しい人々には全く恩恵はない。
家に電気も引けないから・・・

もしも、真剣に洪水対策を考えるなら、植林による森林復活を通した
洪水対策のほうが、ダム建設よりましだ・・・』とは、ある先生の話。
川沿いに堤防を作るのも効果がありそうだ。
灌漑も良い考えだと思うのだが、


治水のための灌漑水路による、
水位の低下も、
漁民たちは非常に怖れている。
灌漑とダムを同一視しているからだろう。
この広大な湿原と川で、
生活を立てている漁民の数は、
半端ではない。
彼等の多くが
反政府活動をしているとしたなら、
これはよほど考えなければならない。
過去、誘拐による殺害も起こっているし・・・

確かに、この地には、
膨大な石油と天然ガスが眠り、湧出もしているのだが、
資源開発による環境汚染も漁民たちは怖れている。
洪水が資源発掘の障害になっているのは事実で、
洪水対策が行われたとたん、資源開発が活発になり
湿原自体の環境が、汚染されるのではないだろうか・・・。
アポ山の地熱発電により、川が汚水で汚染されている現状から
環境汚染問題が、未だに、NPA活動の焦点になっているように。

魚も美味しいし、ワニもいるし、野鳥も豊富、
太古を思わせる湿原の美しさは神々の世界そのままだ!
この地を、ラムサール条約による特別自然保護地域に指定し、
http://www.env.go.jp/nature/ramsar/conv/
開発を最低限にして、豊富な魚と豊かな土地を基盤とした漁業と農業
美しい自然と素朴な生活を舞台にした、ツーリズムによる付加的収益向上が、
この地に最も適している開発ではないかと、私自身は思うのだが・・・


リグアサン湿原のカルボガンに
保育所を建設中

5月12日(木)
今回は、円福幼稚園のご寄付です
http://w2.avis.ne.jp/~enpuku/

上記の湿原の入り口になる
カルボガンに、現在MCLで
保育所を建設している。
隣のカルボガン小学校にも
保育所が無いので建設予定だ。
すでに、小学校の里子と
高校生をスカラシップに採用し
現地とのコンタクトをつなげているが
保育所も学校も極度に不足している。

湿原が広大なために道も無く
舟だけが移動手段ゆえ
悪天候や洪水の時には、
学校に通いきれないで休む子も多い。
そのような状況を考慮して
この近くのバロンギスには
高校もあるので、ラナコラン同様に
将来、下宿小屋を建設することを
考えています。
下宿小屋は、60万円で建設可能です。

下宿小屋建設支援
国家規模の大きな支援も大切だが
爪の垢を掘るような
小さな支援も、大切だし
現地NGOの持ち味だと思う

小学校の希望は多いが、
MCLのような小さなNGOでは無理と考え
日本政府のODA,草の根無償に応募して
お手伝いする形で建てている。
もちろん、個人または団体
学校建設資金を寄付する話があれば
喜んでお受けしたいです。
この地域は、日本政府では危険度が高く
無理だと言われています。

しかし、たとえ小さな保育所でも、
地域との平和構築に大きな力を
持っているとつくづく感じる。


今回の保育所は、長野の篠ノ井にある、円福幼稚園の寄贈
保育園の名前は、現地の子どもたちで決めますね・・・

http://w2.avis.ne.jp/~enpuku/


これで、舟で毎日通わなくても
保育園に行けるわ


かつて足を運んだR7へ
再び活動を開始することに決定

5月12日


破壊された施設は、かつてのまま取り残されていた
この村で、5年前に病気を治療した少女にも出会った


反政府組織が使っている
USA製の武器。
国軍から払い下げてもらった。
結果的に儲けているのは、
アメリカの武器製造会社だけ?


この地域は、2003年のテロリスト掃討作戦の後に、病気の子の救済で良く入った場所。
当時は、国軍の警護が厳しく、一般者は入れなかったが、病気の救済目的ゆえに、
国軍が特別に配慮して検問を通して入れてくれた。
私たちが救済した子も多く、奨学生もいて、大学を卒業しているが、日本の某NGOが、
R7であるこの地に力を入れたいと言う意向を聞き、
敬意を表して、私たちは別地域と対岸のARMMイスラム自治区に力を入れた。
(私たちは、いつも国際的なNGOが入ると、その地を任せて、より困難な地域に活動を開始する)
その後、そのNGOは、この地域から引いたようで、久しぶりに訪れたが、あまりにも見捨てられたひどい状況なので
MCLで、再びこの地域もターゲットにして、対岸のARMMと平行して、保育所建設や奨学支援などを進めていくことにした。
現地の人々も、とても喜んでくれた。
「MCLが、戻ってきてくれた!」

KPT椿 様からの荷物が届きました。
今後、建設予定の保育所の寄付者名
中本山實相院発菩提心の会 三好ヶ丘聖マーガレット幼稚園 宮崎 朱美
大野 理実 京都暁星高校 (財)北野生涯教育振興会


ブアランで
イスラム教徒とキリスト教徒の
平和の合意

5月11日(水)




クリスチャンとイスラム教徒が
一緒に、食事の用意をした

40年にわたって、
イスラム教徒とキリスト教徒が対立。
多くの家族がこの地から逃げ出していった。
激しい憎悪の結果、
お互いに集落に入ることを拒否。
それが、MCLの働きで交流が再開。
国軍と行政も含めて
お互いの平和合意が行われることになった。
政治的な合意なので、
MCLは、直接関わらないが、会議の前に
読み聞かせをすることにした。

国軍も交えた合意会議の前に
読み語りをした

読み語りは、イスラム教徒のマギンダナオ語とキリスト教徒のビサヤ語が同時に使われた。
MCLに住み込んでいる、ザイノディン君兄妹が両方語れるので大活躍
大人たちが、どんなに戦争をしても
子どもたちの心は、
イスラム教徒もクリスチャンも変わらない
このような子どもたちの姿に
長年憎しみあってきた
地元の人々の心も開かれていく。

ブアラン小学校には、24名のイスラムの
奨学生がすでにいるので
今回は、同数のクリスチャンの奨学生を
まずは、この地から採用することにした。

国軍とピキット市政の仲介のもと
イスラムとクリスチャン住民の
平和に関する合意が・・・


40年にわたって、敵対し、交流が途絶えていた
二つの集落が平和に合意
子どもたちは、日本政府が建設する下のブアラン小学校に通うことになった


イスラム教徒側とクリスチャン側の議論が続く


私たちも最初少し加わったが、
MCLは、特定の宗教や政治に関与しない立場なので後は任せた



クリスチャンの集落とイスラムの集落を結ぶ
道を、村人総出で作った

5月10日(火)



前述の合意のある前日
イスラムの人々、クリスチャンの人々に
MCLの奨学生を加えて
両村を結ぶ道を切り開いた


40年間、途絶えていた、
クリスチャンとイスラムの二つの集落を結ぶ道が
両村の人々の協力で切り開かれていく。
これで、丘の上のクリスチャン集落の子どもたちが、
すぐ下のブアラン小学校に通うことが出来る。

40年間交流が途絶えていた間に
下草どころか、いたるところに灌木が生い茂り
行く手を阻む。
チェーンソーがあるわけでもなく、
大きなノコギリもなく、
手刀だけで、大木も倒す。

微熱が有ったが、私も雑木を伐る
北海道にいた頃は
薪割りもしていたのだが
チェーンソーを使うわけではなく、
使用する道具は、いわゆる蛮刀
これで、大木から雑木まで伐る

こんな小さなものでと思うが、
さすがにテクニックがすごい
特に、ジャングルの木々は、
互いに蔓でからまっているので
いくつもの大木の根本を、
蛮刀で堀を付けておき

最後に一個を倒したとたん
蔓に引っ張られて、
軒並みに次々と倒れ始める
葉を散らしながら、
雪崩のように倒れる
木々の迫力はすごい!


これは、陽が映像におさめたので
いつか上映したい。


クリスチャン集落の役員


ブアラン小学校の校長先生


ミンダナオ子ども図書館の
奨学生の若者たちも手伝った


道がつながることによって平和への足がかりがつながる
むろん、平和構築はこれからだ
ブアランのイスラム教徒の奨学生は25名
これから、クリスチャンの奨学生を同数採る


MCLの奨学生たちも
この作業に参加した


クリスチャンもイスラム教徒も
力を合わせて道を切り開く

私と陽は撮影記録を取り編集

場所によっては、野焼きをして道を開く


時には、野焼きをしながら道を開く
傷の応急処理をする
エープリルリン
日本から送られてきた薬品が
ここでも役に立った

クリスチャン集落への最後の登り


ここを駆け上がれば、丘の上へ


遙か彼方の、
リグアサン湿原まで見渡せる
素晴らしい眺めだ


やっぱり平和は良いなあ



平和構築は、始まったばかりだ
まだまだ、紆余曲折が考えられるが
この経験は、彼等の子孫に
語り継がれる事だろう


クリスチャン集落の奨学生の子たち
これから、もっともっと採用しなければ
彼等が平和を作る世代に成長するために


MCLの若者たちもよく頑張った
この体験は、彼等が将来を考える
貴重な糧になるだろう



ダバオの貧民街から奨学生を
5月9日(月)



海に張り出したイスラム教徒の貧民街
ここも、ミンダナオ子ども図書館が長く関係し
奨学生を採用してきた場所だ


土地を持てない人々は、
海に張り出して家を建て
貧民街を形成する。


おもにイスラム教徒の
タウスグ族だ


かつて奨学生でスタッフでもあった
エーフロアーさんのお母さん
介護科を卒業した
娘は今は、ドバイで働いている
ここから、また新たに奨学生を採用
MCLに住んで通う


近くここで読み語りを行う予定だ





ミンダナオ子ども図書館だより:5月2日

1:Mの会寄贈キダパワンの寮が完成
  神父さんをお呼びして、いよいよ開所祝別式が始まった
2:アラカンでの活動を再開
  まずはカヨパトン、そこから山道を歩きパコパコ集落への旅
  ナポナガン集落に到着
  川に行く手を阻まれる
  カヨパトンに到着
  カヨパトン集落から、パコパコ集落目指して歩き始める
  ようやくパコパコに着いた
  パコパコからキアタウへ向かう
  2008年のウエッブサイトの記事から
  洪水は、川沿いの村々も襲った

3:キアタウでの読み語り
  まずは、みんなでお昼ご飯
  読み語りが始まった
4:キアタウ脱出劇
  ラナコランの下宿小屋へ
5:皆で、下宿小屋に泊まった
  ラナコランの下宿小屋で夕食
  翌朝は、さわやかな高原の夜明け
6:貧しいムヤス集落に読み語り
  ここには、多湖さん一家と親戚の方々寄贈の保育所
  ここでも、「おおきなかぶ」が大好評
  読み語りの後、家々を回り、貧困家庭の調査を開始
7:MCLの日常より
  エープリルリンの誕生日と卒業記念パーティー


MCLの
季刊誌『ミンダナオの風』31号を
pdfで添付しました


季刊誌『ミンダナオの風』は、
寄付を下さった方に年四回(3月、5月、7月、10月)、
ミンダナオからお送りしているものです。
編集・執筆は、松居友(作家:日本文芸家協会)

今回から、ウエッブサイトの記事とは多少異なり、
特集連載形式で踏み込んだ内容を執筆する形に変更します。
初回のテーマは、
『ミンダナオ子ども図書館流の平和構築』

今回の31号のみ、サイトで読めるようにpdfにしましたが
購読希望の方は、五〇〇円でも一〇〇〇円でも
制作費と送料程度の購読費で結構ですので
自由寄付という形で、思いついたときに思いつく額を
郵便振替口座に振り込んでいただければ
年四回、現地よりお届けします。


31号のテーマは
『ミンダナオ子ども図書館流の平和構築(1)』

ここをクリック
http://home.att.ne.jp/grape/MindanaoCL/haging31s.pdf

ミンダナオ子ども図書館が、独自に現地で展開してきた『平和構築活動』を、紹介論議

購読されたい方は、制作費と送料程度の多少の自由寄付を
振替用紙で、送っていただければお届け!


郵便振替口座番号:00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館



Mの会寄贈
キダパワンの寮が完成

4月28日(金)

大学・高校の男子学生20名ほどが、ここに住み込んで学校に通う
町での下宿代が高騰している折、これは大きな経費削減
浮いた分を、医療などの他の支援に回せる


ここがキッチン件スタディールーム
料理は、外の空間で作り
この裏に併設してトイレがある


ベッドルームは、20人寝られるが
一つのスペースに二人寝ることもこちらでは多く
そうなると最大40名収容可能となる

設計施工は、エンジニアでMCLのボードメンバー、ダニー氏
きちっとした仕事で評価が高く、行政や大きなビルの建設も引き受けている

寄付は、行橋や小倉カトリック教会等の方々で構成するMの会

神父さんをお呼びして、いよいよ開所祝別式が始まった

若きキダパワンの神父さん、聖水をまき祝別し、その後みんなで会食

将来的には、周囲にフェンスを建てて、女子寮も併設する予定
隣には、プロテスタントミッションの立派な牧師養成寮も建設されつつある
Mの会の皆さんありがとう!!!



アラカンでの活動を再開
4月26日、27日



まずはカヨパトン、
そこから山道を歩きパコパコ集落への旅


アラカンは、マノボ族の聖地、アンセストラルドメイン(特別保護地)にも指定されている。
MCLにとっても重要な活動地域だ。NPA(反政府組織)でも有名だけど・・・
カヨパトンへ行く途中で、
ファウスト神父に会った
私たちが司教館に住んでいた頃の事を
想いだして下さった

ミラノミッション会で、反政府組織NPAとも深いつながりがあり、貧困克服と平和構築に大きな貢献をしている、
ピーター神父共々、私の尊敬するイタリアの神父。頭に巻いた、赤いバンダナが、ピーター神父と一緒のスタイル。
私もカトリックだけれど、カトリックはあまりにも多様でミッション会が多く、内情は良く知らない。
解放の神学系だという人もあるけれども、解放の神学を学んだこともない。
しかし、貧しい人々の立場から見ても、30年以上活動し続けている、現地における、こうした神父の働きには頭が下がる思いがする。
結婚していないから、命をかけて、どこでも行ける?シスター方もすごいが・・・

日本の若者よ。自殺する勇気があるのなら、神父やシスターになって、命を捨てた思いで活動したら????


ナポナガン集落に到着


ナポナガン集落は、カヨパトンに行く手前
ここからも奨学生が複数来ている

今回の調査を活用して松居陽が、
マノボ族のドキュメンタリー映画を制作
文化プロジェクトの一環


家に戻っていたビーメールグレイスさん
ビサヤ系だが、16人兄弟姉妹がいる。
左端は奨学生のジェサ。今度高校。
高校までは遠いし、
両親はMCLに住まわせたかったけど
ジェサは、貧しくても両親の元に居たいので
大学から、キダパワンに・・・

川に行く手を阻まれる

多少川が増水していた。奨学生の男の子たちが、川に入り、障害となる大きな石をどける。


カヨパトンに到着

母さんと郷里に戻っていたジョジョは、高熱を出してすっかり痩せていた。
こうした村では、ちょっとした病気が、そのまま命取りになる。MCLに戻って治療をすることに決めた。


母親と父親が別れたエラ(左)。祖母の強い要請で、カヨパトンに住むことになったが
あんなに明るかった顔が、表情が失われて暗くなっている。大丈夫だろうか・・・


カヨパトン集落から
パコパコ集落目指して歩き始める


車で行き止まりのカヨパトン集落から
いよいよ歩いて、パコパコに向かった。

今回の調査には、ピキットのブアラン小学校の
校長先生も、同行した。

ロクサンさんの家の前を通ったが
両親の手伝いで、山に下草刈りや
トウモロコシの収穫
洗濯に行って居なかった。

ジェジェも両親を手伝って山へ
里に帰った奨学生たちは
貧しい一家を助けて早朝から山へ

山を越えていくと、こんなところに、と思う場所に家があり、マノボ族の人々が住んでいる。
こんな高地にと思うかもしれないが、もともと耕作が容易な低地に住んでいた人々なのだ。
低地の良い土地が、所有者の無い土地(土地登記がない)という理由で
お金のある、移民系の人々に政府によって売却され、さらに転売されてきた。
その結果、自分たちの自給地を失い、山へ山へと逃れていった。


ここから小学校までは、数時間の道のりがある。
高校になると、ほとんど歩いて通える距離ではない。
いつかこの子たちも、学校に行かせてあげたいが・・・
スカラシップを与えたとしても、続くかどうかが疑問だ。
MCLに住み込めば、近所の学校に行けるのだが、
まだ幼いので、親から離れることが良いとは言えない。
ラナコランに建てた下宿小屋も、あっという間に満杯になってしまったし。


試行錯誤の結果、里親やスカラシップの新制度を作った。
小学校の場合、高校の場合も
学校継続がまだ確実と言えない子の場合は、
MCLで、奨学生として採用して、
学費や文具費やプロジェクト代すべてを支給するが

支援者を付けずに独自にMCLで費用を出して、
数年間、様子を見ることにしたのだ。
その分負担は大きくなるが、
せっかく支援者をつけても、ストップしてしまうと悲しいから・・・

上右の写真に写っている、斜面の中の小さな白い点。
右の写真がその点で、実は、ミンダナオ子ども図書館の奨学生のお母さん。
条件の悪い斜面に、かろうじてトウモロコシを植えて生活している。

彼等が植えているトウモロコシは、原種に近いものだが、収穫量が少ないし安い。
ハイブリッド(企業によって遺伝子操作がなされた)トウモロコシは、
収穫量は多く単価も高いが、種子は高価で、しかも遺伝子操作のためか
一回しか育たないので、毎回、企業から高価な種子を購入しなければならない。
そのうえ、ハイブリッドの品種は、化学肥料や農薬も使うので
結局、収穫して売っても、原価を吸収できずに赤字になる。

海外の種子企業、肥料企業、農薬企業だけが、儲かるように出来ている???


途中で出会った、奨学生のお父さん、お母さんたち。
真ん中の谷底のロクサンさんのお母さんは、谷底でワラビを採っていた。もちろん売るために。


どこまでも広がる、木の無い原野。昔はここが、ジャングルだったなんて、誰が信じるだろう。


ようやくパコパコに着いた


初めて見る、パコパコ集落
この地をもっと良く知るために
読み語りを近く行うことにした


村で唯一初めて高校卒業する首領の娘
大学へは行けないのでMCLの奨学生に・・・
将来は先生になりたい


パコパコの初等学校
ケロハスやキアタウの子も
4年生まではここに通う
しかし、5年生になると
ここから遙か彼方のラナコランまで
朝の4時に起きて通わなければならない。

ラナコランの下宿小屋は、
他の集落の子たちでいっぱいだし
どうしたらよいのだろう。

大勢子どもが居ても
高校まで通っているのは4名だけ。

パコパコからキアタウへ向かう

昔は、深い深いジャングルだった。巨大なラワンの木々が、大地をことごとく覆っていた。
それらの木が、次々に伐採されて、海外、特に高度成長期の日本に輸出されて、その結果丸裸になったなんて・・・
この地域の下流域が、ピキットの大湿原地域で、毎年繰り返される洪水は、上流のこの地の森林伐採の結果なのだ。
そういえば、私も子どもの頃、小学校の工作の時間に、ラワン材を使っていたな。
先生の説明だと、南の国から来たラワン材は、非常に安価で節がなく、工作にはうってつけとの話だった。
日本は、外国とくに発展途上国の木を大量に伐採輸入して、自国の森を残したのだな。
フィリピンの若者たちは、日本には森がないと思っている。森がないから、ミンダナオの森を切って木を輸入したのだと・・・

2008年のウエッブサイトの記事から
洪水は、川沿いの村々も襲った

水量は激しく、ムアランでは、200世帯が鉄砲水で家を流されたという。
写真のように、水は軒下まで達している。
道は水でところどこと寸断され、タリタイからラジャムダまでも容易にたどり着くことができない。

家の庭で泳ぐ子どもたち、飲み水が心配だ 道路は至る所で寸断されている ラァジャムダ高校も水の中だ
この地域は、戦闘による難民は居ない
しかし、洪水による難民が出ている。水は数日で引くので、戦闘難民のような悲惨さはないが、
戦争状態で復旧は遅れるだろうし、病気がここでも心配だ。

この比較的立派な村道は、2年前にアメリカ政府の支援(USAID)で作られたものだ。
高く作られた道路は、堤防の目的も担っているようだが、
川沿いに近い家々は、軒まで達する水の下に、水没するようになってしまった。

この経験を、今後の復旧やODAによる道路や灌漑整備に注意深く活用しなければならないだろう。

以上は、2008年の私たちの活動記事だが、http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanews2008.htm
こうした問題を解決するためには、広大な山岳地域の植林支援を実施する以外にないだろう。
鉄砲水は、驚くべき早さで、下流のピキット地域を襲う。上流の山々に保水機能がないからだ。
単に植林をし、ジャングルを復活するだけでは、この地域に追い詰められたマノボ族の生活が圧迫される。
マノボの人々の収入をある程度確保しつつ、植林を可能にするにはどうすればよいのか。



キアタウでの読み語り
4月26日


故里に帰っている奨学生


キアタウ村に入ると、本当にホッとする。
人々は明るく、子どもたちが可愛い
しかし、ここも以前はカヨパトンやムヤス集落同様
暗く落ちぶれて、外界と閉ざされた集落だった。
MCLが入り、奨学生をとり、さまざまな活動をすることによって
こんなに人々の表情が明るくなるとは驚きだ。

驚きは、表情だけではない。
久しぶりに来るたびに、子どもたちが増えていくのだ。
新たに生まれるだけではない、
ここが住みやすいので、町から戻ってくる村人たちも多いのだ。
電気は未だにないのだけれど・・・

まずは、みんなでお昼ご飯

こんなご飯やおかずを食べられることは珍しいこと、


読み語りが始まった

ここの子たちは、何度も読み語りを体験しているので、お話を聞くのが大好きだ。
それだけではなく、踊りや歌も、だいぶ覚えていて、スタッフたちと一緒に歌ったり踊ったりする。
本当に絵本やお話が大好きで、生活に根付き始めているのがわかる。



キアタウ脱出劇
4月26日

キアタウは、とても美しいところだが
想像以上に過酷な山岳地帯にある
とにかく、雨が少しでも降ると
車での脱出が不可能になるのだ
このようなアクシデントは
しょっちゅう起こるので
変な話だが、何が起こっても
少しも驚かなくなった。

あらゆる困難をしっかり受け止めて
最良の解決策を
慌てずに模索していく。

荷台には、太いロープが入っているので
それで引っ張ることに・・・

この地の大地は、粘土質で、雨さえなければ乾燥して硬いが、いったん雨が降ると
磨き上げられた大理石のようにつるつるになる
そうなると、どんなに頑張っても脱出は不可能。

みんなで押せば解決することもあるが、それでも駄目な場合は
みんなでロープで引っ張る。
大人も子どもたちも、村人たちが大勢で助けに来てくれる。

子どもたちがお世話になっているミンダナオ子ども図書館の事だも
僕らに任せなさい・・・・

みんなで力を合わせて、泥だらけになりながらも夢中で救援する姿は、
本当にフィリピン的だ。(都会はどうだかしらないが・・・)


困難も楽しんでしまうのも
フィリピン的かもしれない


ラナコランの下宿小屋へ

キアタウを脱出してラナコランへ
かつて、立正佼成会の方々と
平和の祈りをした場所だ


皆で、下宿小屋に泊まった
4月27日

ラナコランの下宿小屋は、京都暁星高校と河野優子さまの寄贈で建てた
建設費は60万円。遠くて学校に通えない、遠隔地の子たちのために建てた小屋だ


私は、今回初めて泊まったが
驚くほど快適で、まるで別荘。
訪問者の方々、ご希望があれば
お泊めします。

ポーチで、勉強し、食事を取る。地域の子たちにも、文庫として解放している。
この地域は貧しく、本も絵本も辞書もないので、奨学生たちだけではなく、
多くの子どもたちに解放し、地域の発展に寄与している。
下宿小屋は、保育所とも異なって、小学校から高校までの多くの子どもたちに利用され
大きなインパクトを地域に与える試みである事が解ってきた。


この地域は、マノボ族のアンセストラルドメイン(保護地区)でもあり、
彼等の、昔話や楽曲、伝統の祈りやさまざまな文化が未だに生きている場所でもある。
戦中に、下のダバオ地域のカリナンから、マノボ族と結婚した多くの日系人が
逃れてきた場所で、混血も多い。

文化的に興味深い地域なので、この下宿小屋に併設して、
マノボ文化研究所を作り、大学を卒業した奨学生たちが中心になって
昔話を集めたり、文化を保存研究したりできる、文化施設にしたいと思っている。

もちろん本部は、
ミンダナオ文化研究所という名で
キダパワンに作るが、ここで集めた昔話や
貴重な文化の映像などを、出版したり
ネットで紹介したり、保存したりする
プロジェクトを考えている。
今回の陽の映像も、その過程の一つだ。
才能ある卒業生たちに
仕事を作り、提供するのも目的の一つ
ミンダナオ強みは、農業と文化



ラナコランの下宿小屋で夕食


左端下に見えるのが
下宿小屋のハウスペアレントでスタッフ
奨学生のお母さんだ。


遙か彼方には、フィリピン最高峰
アポ山の姿も望める

ここに拠点を置くことで、さらに山奥のマノボ族の集落へ、皆で読み語りに行ける
明日のムヤスの読み語りに備えて、おやすみなさい

翌朝は、さわやかな高原の夜明け


4月5月は、フィリピンの夏休み
奨学生たちが、読み語りのプロジェクトに
参加することが出来る日々だ。
親の居ない子も多いのだが

見事にアポ山が顔を出した

貧しいムヤス集落に読み語り
4月27日



ここには、多湖さん一家と親戚の方々寄贈の保育所





多湖さん、Relativesのところ
修正してありましたよ
ちょっとたどたどしい字ですけど

ムヤスを見ると、かつてのキアタウを思い出す。
非常に貧しく、何よりも人々の心が沈んでいる。
生活が厳しいこともあるが、教育や医療も含めて
貧困から脱出する希望が感じられないのだ。
MCLが入ってから、キアタウや他の集落には希望が感じられる。

今回の調査で、パコパコの首領が告白していたが
「沢山の子どもたちが居ながら、高校に進学している子が数名
大学まで行った子はもちろん皆無。
そんな集落に、大学まで行く子が出ること
これは、気持ちの上でも画期的なことなのですよ」



イスラム教徒のザイノディン君
宗教や民族の違いを超えて
他の地域の貧困の現状を体験する事は
彼の生涯に大きなインパクトだ。
今年から大学生になる。

読み語りに集まる子どもの現状を把握することによって、村の状況を理解するのも大切な私の役割だ。
とりわけ目立つ、極貧の子には声をかけ、読み語りが終わった時点で家に案内してもらう。
病気の子が居ないかもチェックする。


ここでも、「おおきなかぶ」が大好評

「おおきなかぶ」の後に、みんなでマノボ語、ムスリム、ビサヤの歌をうたい、最後に平和の歌をうたう。
その後、みんなにパンを配り、絵本に触れる時間を作る。


英語やタガログ語の本は読めないけれど
大事なのは、絵本というものに触れること


読み語りの後
家々を回り、貧困家庭の調査を開始


ここから、新たな奨学生候補を
選んでいくのだ

上段右の写真のお母さん、
なんと、上段左の写真に写っている、
手を上げている
奨学生のピティボウイ君の
小学校時代の同級生だった。
15歳で結婚して、ここに住み着いている。

右の写真は、その家。
このようなところに
4人の子どもたちと一緒に住んでいる。

毎日の食べ物にも事欠く生活。



最貧困層に光を当て、その中から新しい奨学生を選び育てて行く。それが、MCL流だ。




MCLの日常より

エープリルリンの誕生日と卒業記念パーティー

MCLを共に立ち上げてきた妻、エープリルリン
責任ある仕事ゆえに、高校2年のまま休学
その後も、問題が起こると停止
2年間で卒業するところを、8年かけて26歳で高校を卒業
今年から大学に進学する。
彼女がいなかったら、ミンダナオ子ども図書館は無かっただろう。




親友のセントメリー高校の先生方も駆けつけて下さった。
先生やシスターがたの方が、彼女を頼りにし、悩みを打ち明け相談に来る・・・
先生が、生徒に人生相談にのってもらうのだから?????





ミンダナオ子ども図書館だより:復活祭号

1:ブアランで初めて、ムスリムとクリスチャンの子たちが集まって、一緒に読み語りをした
   避難民当時のブアラン集落の子どもたち
   イスラムの子、クリスチャンの子たちを交えての初めての読み語り
   読み語りが終わって、古着の支援が・・・
   そして最後に、炊き出しのご飯をみんなで食べた!
   警護に派遣された国軍兵士も子どもたちにご飯を・・・
   平和への歩みはまだまだ続く
2:ブアラン小学校の卒業式
   今年卒業するMCLスカラシップの子どもたち
   MCL代表として、松居陽が参加、スピーチをした

3:ARMMイスラム自治区、リグアサン湿原の学校を支援
   カルボガンとバロンギスの小学校から奨学生を取る事になった
   カルボガンの小学校は、酷い状態だ
4:カヨパトンに子どもたちを送り届ける
   この地域の生活は、厳しい
   去年会ったときにロクサンさん
   窪田まゆみ様寄贈の保育所が役立っている
   故里に戻った奨学生たちは、垢抜けて見える?
   北九州小倉ライオンズクラブの寄贈したヤギが子を産んで増えてた
   新しい高校の奨学生

5:マノゴル高校の卒業式
   卒業成績が最優秀の子もMCLの奨学生だ
6:マノゴル小学校の卒業式
   卒業生たち、今度は高校に
   今年は、グライデルが、成績最優秀で表彰された

7:新たに小包が届きました
8:MCLの日常から。みんなで洗濯
9:完成したモスク



ブアランで初めて
ムスリムとクリスチャンの子たちが
集まって
一緒に読み語りをした

4月13日(水)


ブアラン小学校の若き校長先生
30年にわたる戦闘で
丘の上のクリスチャン集落
ニューバレンシアと
丘の下のイスラム集落ブアランは
全く交流を絶っていた。

2008年の大きな戦争は、
この地域を発火点として
ミンダナオ全域、80万の避難民を出した。

その後も、絶えず避難民化した子どもたち
その中に多くの、ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たちが混じっていた。



イスラム教徒の子もクリスチャンの子も
一緒に読み語りに集まった
ミンダナオ子ども図書館は、2003年の戦闘の頃から、
この地域のイスラム教徒の子たちと関わり続けてきた。
当時は、国際的なNGOは、決して足を踏み入れない地域だった。

まず最初に、ブアランに高橋毅氏の寄贈による保育所が建設された。
その後、奨学生を採用したが、彼等は繰り返し避難民化した。
彼等が避難民化するたびに、私たちは、救済支援を繰り返した。

昨年、MCLは、丘の上のクリスチャン集落にも
多湖ご夫妻の寄贈により保育所を建設、
決してイスラム教徒を受け入れなかったクリスチャン集落が心を開いた。
その地で読み語りをし、山元眞しんぷがミサをあげた。


子どもたちのために、炊き出しをする
ムスリムとクリスチャンの親たち

避難民当時のブアラン集落の子どもたち
2008年の戦闘の様子は、以下をクリック
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanews2008.htm

ブアラン小学校が建設されて、最初の入学以来、
何と12年後に初めて卒業式が出来た。
昨年の事である。
つまり、6年間は、学校が閉鎖され、避難民生活が続いてきたのだ。



先日、4月1日に行われた、
ブアラン小学校の第二回卒業式(記事は以下に掲載)
このときは、感動して、泣き出す親もいたという。


イスラムの子、クリスチャンの子たちを交えての
初めての読み語り
イスラム地域の子たちは、丘の上のクリスチャンを怖れ
クリスチャン集落の子たちは、イスラムの人々を怖れた。
かつては、クリスチャン集落の若者たちは、下のイスラムの村に
ボスケットボールをしに行ったという。

だが、いつの間にか道は閉鎖され、雑草や木が覆い被さり
クリスチャンの子たちも、下の小学校に通わず
遠い地域に通っていた。

そのようにして、何と、30年の歳月が過ぎた。
しかし、今、クリスチャンの子たちも、大勢でイスラムの村を訪れた。
読み語りを楽しむために・・・


子どもたちは、素直でいつも可愛い
彼等には、憎しみは感じられない


「おおきなかぶ」の劇に
熱心に見入る子どもたち

MCLは、平和構築のためのNGOではない。
子どもたち一人一人が可愛いので、困っている子たちがいると黙してはいられない、ただそれだけ・・・
平和構築のために、読み語りや奨学制度や医療や古着の支援を採用しているのではない、
子どもたちが幸せになれるために、読み語りやスカラシップを出し、医療や古着の支援をしている。
子どもたちの幸せに、平和構築が必要ならば、平和構築の努力もする。

2008年の戦闘の様子は、以下をクリック
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanews2008.htm


読み語りが終わって、古着の支援が・・・


捨てるはずだった古着が
平和構築に役立つなんて!
そして最後に、
炊き出しのご飯を
みんなで食べた!


一緒に子どもたちの炊き出しを準備する
イスラム教徒とクリスチャンの親たち

警護に派遣された国軍兵士も
子どもたちにご飯を・・・

平和への歩みはまだまだ続く

今後の展開で予定しているのは、まずは、住民たちの手によって、クリスチャン集落とムスリム集落をつなぐ
かつてあった道を切り開くこと・・・MCLの奨学生たちも手伝って草刈りをし、その後は、ブルドーザーで道を開く。
ブルドーザーは、すでにピキット市長が、無償の貸し出しを許可している。
みんなで力を合わせて道を作り、平行して、日本政府のODAによる学校建設が開始される。
10月か11月、年度末には完成する。
完成した後で、「平和の祈り」の集いを現地で行う。
このときに、立正佼成会が贈って下さっている、夢ポッケのバッグも配ろうと思っている。
今回は、クリスチャン地域からも小学校の里子を8名採ったし、彼等が協力する形で
クリスチャンとムスリムの子どもたちをつなぐ、読み語りなどもしばしば行い
二つの村をつなげていこう。
平和への歩みはまだまだ続く・・・・

2008年の戦闘の様子は、以下をクリック
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanews2008.htm



これから、ここに
MCLが外務省に提案した
日本政府のODA
草の根無償による
6教室の学校が建設される

日本政府の草の根無償による学校建設が、6月から始まる。
ミンダナオ子ども図書館が、外務省に提案した企画だ。
最後まで、セキュリティーの問題が検討されたが、先日も、
IMT国際停戦監視団の落合直之氏の提案で
コタバト市で、国軍側とMILF側のセキュリティーに関するお墨付きをもらった。

MILF側は、私たちの事を良く知っていて、そこで出会った方も、
同行したブアラン小学校の校長先生の親友だったし、
今回の学校建設の設計監督技師のマンソーリ氏は、BDAのエンジニアであると同時に
MCLのボードメンバーでもある。
私たちは、重要なメンバーが、現地を訪れるときには必ず
市長を通して国軍側とMIFLのBDAピキット支部に報告して
背後からセキュリティーを保障してもらっているが
今回は、落合氏のおかげで、コタバトの中央で合意が出来たことをうれしく思う。

話の内容は、共通して、MILF側とは問題が無いという意見で、
国軍側からは、NPAの方が難しいと言う話が度々出た。
具体的な地域の名前もポンポンとあがり、それらが、
ことごとくMCLと関わりを持っている地域であることが先方にとっても私たちにとっても興味深く、
スタッフ共々話が弾んだ???
MIFL地域に関しては、恐いのは、はみだしの誘拐グループであり
その通りだろう。

誘拐犯に囲まれたら、抵抗せずに、ぼくをおいて逃げるようにと、スタッフや奨学生たちには言っているが
MCLは、取り立てて平和構築活動を意識しているわけではない。
一人一人の子どもたちが、平和で幸せで、貧困の無い世界で生きてほしいと願っているだけ・・・
まずは、友達になること、それから、何が出来るかを考えよう!




ブアラン小学校の卒業式
4月1日(金)

上で記事を書いた、ブアラン小学校の卒業式。
ちょうど、13日前に、読み聞かせがあった小学校で、卒業式があった。
私は、過労がたたったのか、激しい下痢、腹痛、頭痛、体中に痛みが走り
歩くこともままならずダウン。5日間ほど、入院していて出られなかったが
MCLボードメンバーのグレイスさん、プレシデントのアスレーさん、そして息子の松居陽が出席した。


今年卒業する
MCLスカラシップの子どもたち

MCL代表として、松居陽が参加、スピーチをした


校長先生と陽は、よほど気があったようだ
両親のいないジハード君は、MCLに住んで高校に通う


陽曰く「本当にブアランは良いところだ。
イスラムの子たちは、本当に可愛い!
校長先生も良い人だね。」


MCLの奨学生たち、今度高校に進学する。
後段、右端から、校長先生、松居陽、アスレー、グレイスさん

ニットニット、フェ



ARMMイスラム自治区、
リグアサン湿原の学校を支援

3月31日(木)

リグアサンの湿原地帯は、MILFの地域であると同時に、MNLFや誘拐集団の跋扈する不安定な地域と言われている。
海のような広大な湿原の隅々からは、天然ガスや石油の湧出が確認されていて
その利権をめぐる現地有力者の争い、その背景に、政府や各国企業、世界の国々が関与している。

ミンダナオの母なる川、パイドプランギは、アラカンの上流地域から流れ出すと、リグアサン湿原にいったん流れ込み
ここから、再び大河となって、コタバト市に達し海に注ぐ。
この川は、かつてはミンダナオのハイウエーであり、コタバトの下のイスラム国と、ピキットの上のイスラム国とを結ぶ道であり
商業も文化も、この川を通して発展してきた。

川の中には、多数の中州があり、そこここに集落があり、多くの人々が住んでいる。
これらの集落には、道が無く、舟でしか到達できない。
その意味でも、いったん誘拐されて連れ込まれると、複雑な地形ゆえに、発見が困難となる。
それも、この地域が、いわゆる反政府勢力の拠点として、長く歴史をたどってきたゆえんでもある。



私たちが行くというので
ライフルで武装した兵士たち
もちろん国軍の兵士ではない

私たちは、プランギ川のピキットサイドのほとんどの村々には、かねてから行ってはいたが
イスラム自治区(ARMM)側は、難しかった。理由は、パンボートと呼ばれる舟でしか到達できないからだ。
一昨年、亡くなったボードメンバー、アスレーさんのお父さんのつながりで、サパカン集落に入り
そこに、保育所を建設、多くの子どもたちを奨学生として受け入れた。

この地とのつながりは、2005年、瘤のある少女の救済に始まるのだが、
それ以来、戦闘も繰り返され、最も危険な地域として、この地に入ることは不可能だった。
下は、当時の少女の事をサイトに掲載した記事。
今回行った村からすぐのところに住んでいる。あれから6年、すっかり少女になっただろう。
次回は訪ねる予定。


カルボガンとバロンギスの小学校から
奨学生を取る事になった

警護に同行しているのは、もちろん、国軍ではない。MILFの正規軍でもない。
MCLに応募する子たちの中には、大学でクリミノロジーを学びたいと志望する子も多い
軍や警察にはいるために犯罪学だ。
親を国軍に殺されたMILFやNPA側の少年たちもいるから
国軍に志願するとは考えにくいし、復讐心から武器を持とうとする気持ちも解らないではないのだが
MCLでは、唯一、クリミノロジーに奨学金は出さないことに決めている。
武器では、解決できないこともある?

フィリピン:少年兵戦闘防止、国連と反政府軍が合意

 【マニラ矢野純一】フィリピンを訪問中の、子供と武力紛争に関する国連事務総長特別代表、
ラディカ・クマラスワミ氏が8日、毎日新聞とスペインの通信社の取材に応じた。
特別代表は、同国南部ミンダナオ島で政府軍と紛争を続ける
反政府組織「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」との間で今後9カ月以内に、
MILFの軍事活動に関与していた全ての未成年者の身元を確認し、
戦闘参加を防ぐ仕組みを作ることで合意したことを明らかにした。

 MILFと国連は09年8月、少年兵の徴用や、
紛争に18歳未満の未成年者をまきこまないことで基本合意し、
双方の間で具体的な実施方法について協議していた。
ラディカ特別代表は、今回の合意について「共同で作業を進める
中立なパートナー選定で(合意から)時間がかかったが明るいニュースだ」としたうえで、
日本政府に対し資金面での支援を期待を表明した。

 ユニセフ(国連児童基金)マニラ事務所は、
MILFの軍事活動に関与していた未成年者564人を確認。
最終的には1000人以上に上るとみている。


http://mainichi.jp/select/world/news/20110409ddm007030137000c.html


上記の記事が出た。
私の知る範囲でも、父親を殺されて、積極的に戦士になる子も多く、
少年兵戦闘防止は、概念のみの理想論では一筋縄には、行かないだろう。
ミンダナオ子ども図書館の奨学生になって、高校に通い、大学を出ることで
戦士にならない道を歩んだ子の例も多い。
政令も大事だが、貧困も含め現地の子たちの置かれている、真の状況を把握することが大切だと思う。
NPAも同じ事だ。



カルボガンの小学校は、酷い状態だ

ブアランの小学校は、日本政府の支援による学校建設の目処が立ったが、
この地域は、まだ先になるのかもしれない。

去年ブアランと同時に応募した、ARMMサパカンの小学校は
危険すぎるという事で、却下された。
カルボガンよりも、安全なのだが、
同時に、隠れたような小さな運河が、
広大なリグアサン湿原の入り口となり
戦闘後の人口、子どもの数も多くなり
こちらがまずは、課題だろう。

将来を見据えて、この地とのコンタクトを続け
平和への足がかりを作らなければならない。
子どもたちのために。




カヨパトンに子どもたちを送り届ける
4月6日(水)



フィリピンでは、一年は3月末で終わり、4月5月が夏休みとなる。
MCLに住んで、近くのマノゴル小学校に通っている子たちは、
当然帰るための旅費がないので郷里の村に送り届ける。
今回は、遠い、アラカン地域、カヨパトンの村の様子を掲載した。

川を渡り、
4WDでしか行けないところに
集落はある。
マノボの集落でも、非常に貧しい地域。

パンクやスタックは、日常茶飯事
今回も、大型タイヤがパンク。
慌てず、早急に処理して
旅を続ける。


この地域の生活は、厳しい
子どもたちは、一日三食たられず
ほとんど裸の状態で過ごしている。
この川を4WDで渡航するのだ


故里に帰った奨学生のロクサンさん、今度高校に進学する。
下の写真は、去年、衣料支援をしたときのロクサンさん


指が6本あるジョジョさんの家

窪田まゆみ様寄贈の保育所が役立っている


木に登っている、この地出身の奨学生を見上げている子どもたち。
多くの子たちが、小学校や高校に行きたいけれども
貧困ゆえに行けない。

この村からは、比較的に多くの子たちを奨学生として採っているのだけれども
私の力が及ばず、なかなか彼等の期待に応えきれない。





故里に戻った奨学生たちは、垢抜けて見える?
父親がいず、後ろの家で小学校4年生の姉さんに
面倒を見てもらいながら、暮らしていたジョジョたち
MCLに住んで今はすっかり子どもらしくなった


こちらがそのお姉さんのジュエリン
彼女がたった一人で、左の弟妹の面倒を見ていた
彼女もすっかり安定した
指が6本あるジェジェさんも
この村の出身。
お父さんは、マノボの伝統を受け継ぐ
首領だが、とっても貧しい

日本から送られた古着のせいか?町に近い場所での暮らしのせいか、
ちょっと垢抜けて見える奨学生たち???
この村の子たちにとってMCLの奨学生になって、MCLに住むのは大きな夢だ。

北九州小倉ライオンズクラブの寄贈したヤギが
子を産んで増えてた


極貧のこの村にヤギを寄贈して下さった
ライオンズクラブの方々。
ヤギが子を産んで増えています!

新しい高校の奨学生
この村から、唯二人
高校に行っていた
ジェジェさんと従妹。

従妹だけが村に残り
たった一人で
はるか山麓の村に通っていた。

それを見かねて、
奨学生に・・・
MCLに住み込んで学校に
通えるようにしてあげる。

大の仲良しだったので
ジェジェは、大喜び!!




マノゴル高校の卒業式
4月2日(土)



プロック8集落のウェルマーも
すっかり大きく成長した
今度、大学生だなんて!!!
皆、小さいときから知っている
思い出深い子たちだけに
私の胸に感慨が起こる。

卒業成績が最優秀の子もMCLの奨学生だ


卒業生で最優秀賞をもらったMCLの奨学生


それ以外の子たちも頑張って、いろいろな栄誉に輝いたが、それよりも卒業したこと自体がうれしい




マノゴル小学校の卒業式
4月1日(金)

午前中は、オーナースチューデント(表彰された子)の表彰式からはじまる
あちらこちらの小学校に奨学生はいるが、今回はMCLのあるマノゴルとブアランに主席した
皆さんの支援している子たちは
ここにいますか?

こちらの卒業式は、表彰や歌やスピーチで
進行していく。

華麗な衣装は、学校から借りる。
なんとセレモニー好きの国だろうといつも思う。

今年は、どういうわけか、小学校の子たちにも
成績優秀者が続出した。
親代わりに、繰り返し舞台にあがった。

卒業生たち、今度は高校に

今年は、グライデルが、成績最優秀で表彰された


グライデルは、最優秀成績で卒業。ソーシャルワーカーを目指したい








卒業生代表として
グライデルが英語でスピーチをした
今後の成長が楽しみ

ソーシャルワーカーになって
MCLで子どもたちを助ける仕事が夢


二番目の子も奨学生だった

「ヤレヤレ、あまり早く大きくなるなよ・・・」と、私は良く彼等に言う。
成長していくのはうれしいのだけれども、いつまでも子どもでいてほしいと願うのは親心だろうか。

高校へ新たな旅立ち。支援者の方々、ありがとう。これからも、サポートしてくださいね


Marunoto Tomomi 鳥海武夫
こどもの里 牛久教会 子どもの家
普連土学園
国際親善委員会
Togakushi Tomoko



MCLの日常から
みんなで洗濯


男の子も女の子も、小さい子も大きい子も
私の娘も、自分で洗濯、みんなで洗濯


最後は、自分の体も
洗濯して終わる



完成したモスク




ミンダナオ子ども図書館だより

1:3月のスカラシップ学生総会は平和の祈の日
  モスクの開所式
  平和の祈り
  ミンダナオの平和、世界の平和と共に今回は特に、
  日本の地震被害についての報告があり
  みんなで鎮魂と平和の歌をうたった

2:MCLでは、みんな家族

  MCLファームのあるマロゴンの農場から
  また会いましょう
3:京都暁星高校が寄贈
  マノボ族の村、アマベルの保育所開所式

  村の子どもたちを集めて読み語り
  テープカットと開所セレモニー
4:日本政府の海外支援ODAによるブアランの小学校建設が決定した
  マニラの日本大使館主催で署名式典が行われた
5:スタディーユニオン寄贈の保育所開所式
  学用品を届けると同時に小学校から高校への選考を開始
  今度、高校に進学する子の英語と国語の理解能力を調べる

3月の
スカラシップ学生総会は
平和の祈りの日

3月27日(日)
日本から、京都暁星学園高校の仁科夫妻と
幼稚園のユウカちゃんが来られた。
今年の役員およびスタッフの構成が紹介された。
2011年度役員およびスタッフ構成に関しては、あらためて報告します

モスクの開所式

MCLの本部があるマノゴル村には、カトリックもプロテスタントも
キリスト教徒の教会はそろっているが
イスラム教徒のためのモスクがなく
それが、MCLにムスリムの若者たちが住みたくても住めない理由だった。

そこで、高島均明治学院大学教授が、日本人の有志たちと
日本イスラミックセンターのイスラム教徒と協力して
MCLにモスクを寄贈した


立派なモスクを設計して下さったエンジニアのマンソーリ氏は、
ミンダナオ子ども図書館のボードメンバー。
BDAバンサモロデベロップメントエイジェンシーの設計技師でもあり
JICAの草の根無償等でも、技師を務めている。
以前に建てた、マカブアルの小学校や、今回、建設が決まったブアランの小学校建設も
彼の設計で建設している。



建設の経緯を記した、
高島教授からのメッセージが、
モスク内に掲載され披露された。

今回のモスクは、高島均明治学院大学教授が、日本人の有志たちと協力し、
さらに、日本イスラミックセンターに呼びかけて、実現したものだ。
宗派を超えて、子どもたちのために、贈られたモスク。
画期的な試みと言えよう。



今まで、MCLのあるマノゴル村には
クリスチャンの教会は多々あっても
イスラム教徒のモスクだけは無かった。

そのため、イスラム教徒の奨学生は、
祈る場所が無く、それが、MCLに住みたくても
住めない理由だった。

今、モスクが出来て大喜び。
クリスチャンの子たちからも
良かったね、と声をかけられた。

平和の祈り


平和の祈りは、子どもたちの
歌と踊りで始まる

ミンダナオの平和、世界の平和と共に
今回は特に、日本の地震被害についての報告があり
みんなで鎮魂と平和の歌をうたった


今回は、日本の地震と津波、原発の被害者の報告があり、その人たちのためにも祈った。
日本にいる、支援者の事を想い、泣き出す子たちも・・・


日本政府JICAの支援で建設が決まった
ブアランの小学校の先生方も参加された
京都暁星高校の
仁科先生ご夫妻が
日本の地震の様子と
日本の子どもたちの抱えている
問題について語り

その後で、みんなで
日本の支援者の方々や
被害に遭われている人々
そして、日本の若者や
子どもたちのために歌い
そして、祈った

若者たちは、涙をためて
家族のような支援者の方々
兄弟姉妹のように感じられる
子どもたちや若者たちのために
歌い祈っていた


京都暁星高校ホームページ
 http://www.kghs.ed.jp/


この子たちは、国境というものを超えて
人間を感じ、考える素質を持っている
心に壁がないといつも感じる

私たちも、歌った。仁科先生や子どもたちの目に、涙が浮かぶ。

MCLでは、みんな家族


宗教の違い、宗派の違い、民族の違い、
国の違い、豊かな国と貧しい国、金持ちと貧乏人
そのような人為的に作られた壁を超えて、
互いに心を通わせ、愛し合え、
心も、富も、知恵も、
分かち合える時代を彼等だったら作れる・・・
少なくとも、MCLには、
そのような家族の雰囲気がある。
ここには、世界の平和につながる
芽が感じられる。

MCLファームのあるマロゴンの農場から


妖精のいる木
時期になると、蛍の乱舞が見られる


何とも気持ちよさそうに水浴する一郎
寄贈者の名にちなんで、一郎と名付けられた水牛君
否、水牛さん(雌)です。

また会いましょう


今回の滞在で
最も活躍したのは
5歳のユウカちゃんだった



京都暁星高校が寄贈
マノボ族の村、アマベルの
保育所開所式

3月26日(土)



霧の中を山上のマノボ族の集落へ
ここには、日本人を名乗る
マノボ族の人々も多い

京都暁星高校ホームページ
 http://www.kghs.ed.jp/
京都暁星高校は、カトリックの高校で宮津にある
不登校の子どもたち、学校に行きたくなかった子どもたち
さまざまな事情のある子どもたちを優先的に受け入れている

京都暁星高校ホームページ
 http://www.kghs.ed.jp/


海外、特にフィリピンとの交流を重視し
植林や学校建設なども、生徒主体に行っている
MCLの初期からの仲間で
イスラム地域のパイドプランギ、
マノボ地域のカティンド、
ラナコランには、下宿小屋を、
そして今回、アマベルに保育所を建設して下さった
MCLの若者たちのスカラシップ支援も3名して下さっており、
去年11月、招かれて、滞在した記事もサイトに掲載されている

村の子どもたちを集めて読み語り



お話は、マノボ語も使われる
言葉が通じないけれど
心が通じる



そんな体験を子どもの頃からした子は
本物の国際人?


この方が、保育所の先生

テープカットと開所セレモニー

京都暁星高校ホームページ http://www.kghs.ed.jp/



日本政府の海外支援ODAによる
ブアランの小学校建設が決定した

ブアラン村民との打ち合わせに
クリスチャン集落からも役員が参加
平和への一歩が記された

3月22日(水)


村の中心はイスラム地域、
この丘の上にクリスチャンの小さな集落がある
30年間まったく、交流が途絶えていた。
それどころか、終始対立し、2008年の戦闘もここから勃発。


校長先生が村人に説明する


小屋の外にも村人たちが


この方が、新しく選ばれた村長さん

しかし、日本政府のJICAが、学校建設を決定。
そのための集会が、クリスチャンの役員を交えて話し合われた。
このようなことは、初めての事だ。
すでに記事にも書いたが、MCLでは、両地域に保育所を建設
クリスチャン地域で、山元しんぷさんが、ミサをあげ読み語りをして
両地域をつなげてきた。
今後は、クリスチャン地域の子と親をイスラム地域に呼んで
建設される学校の敷地で「読み語り」を実施
消えてしまっていた両集落をつなぐ道を、村人たちで開き
クリスチャン地域の子たちが学校に通いやすくする。
学校ができあがったら、校庭で、日本からの訪問者も交えて
平和の祈りを行うことに話が決まった。



プレシデントのアスレーと
副プレシデントのマージーが会議をリード
共に元奨学生だった

マニラの日本大使館主催で署名式典が行われた
3月25日(金)


ミンダナオ子ども図書館では、今回、マカブアルの小学校に次いで二度目


こちらは、三日後にマニラで行われた
大使館主催の式典


草の根・人間の安全保障無償資金協力http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/kaigai/human_ah/index.html

平成22年度草の根・人間の安全保障無償資金協力 J−BIRD案件(9件)合同署名http://www.ph.emb-japan.go.jp/pressandspeech/press/pressreleases/2011_j/39.htm



大使とのサイン交換
華麗なる広間で
なんだか友さん
偉くなったみたい???

ミンダナオ子ども図書館は、現地の切なる要請と、平和貢献に役立つことを確認し
現地の思いを実現するために協力。
ODA草の根無償は、日本の国民の税金を使っているので、MCLも無償で貢献している
人件費はとっておらず査察のガソリン代も自分たちで負担して、ODAのお金は100%現地に・・・

前回建設したマカブアルの小学校は、200名だったのが、現在は600名の子どもたちが通っている
平和がもたらされ、道も建設されて、避難していた人々が帰り、新しい家も建ち始めている


J-Bird草の根無償は
現地のLGOやNGOが対象
MCLは、フィリピンのNGO


現地にも来られ、いろいろお世話になった大使館の(勇敢な)スタッフたち
なかなか情熱的で良い仕事をしている



ミンダナオ子ども図書館だより:7月10日

1:IMT国際停戦監視団の『IMT通信』にミンダナオ子ども図書館が紹介されました
2:平和構築に向けての歩みが続くブアラン集落
3: 新しく奨学生に選ばれた
4:ニューバレンシア集落のイスラム教徒の子どもたち

5:ニューバレンシアのイスラム集落の新しい奨学生たちに学用品を届けた
6:クリスチャン集落にムスリムの人々も集まって保育所の移設が話し合われた
7:病気の子たちのチェックと手術
8:子どもたちを病院へ
9:治療の方法の無い子は将来を考えて奨学生に
   劣化ウラン弾に関してのサイト
10:イスラム自治区にシートと衣料を届ける
   サパカン集落に届ける
   日本から送られてきた古着も渡す
11:カルボガン集落に届ける
   スカラシップ候補にした子のインタビュー
   医療支援も行う
   カルボガン小学校に学用品を届ける
   カルボガンの小学校は、ひどい状態だ
12:バロンギス集落に学用品と衣料を届ける
   再びサパカンにもどり、学用品を届ける
13:先日同行された共同通信社の現地記者の記事
14:マギンダナオ州イスラム自治区にシート支援を開始
   サパカン集落も水の中だった
   今回は、シートの配布を、事前にチケットを配る方式にした
   サパカンの裏の小さな運河を抜けてリグアサン湿原へ
   さらに奥のカルボガンにもチケットを配った
15:ビニールシーを準備するMCLの子どもたち
16:今度は、反政府地域にビニールシートと衣料の支援をした
   共同通信社の記者とカメラマン、
   国際停戦監視団の方々も同行された
   古着の支援も行った





IMT国際停戦監視団の『IMT通信』に
ミンダナオ子ども図書館が紹介されました


IMT通信へgo


IMT国際停戦監視団が発行している
『IMT通信』に、
MCLの記事が載りました
取材に来られた福永さんが執筆
IMT通信へgo

やはりMCLに来られた落合さん
なかなかわからない、
国際停戦監視団の役割
また、今回の大規模な
洪水の状況などを
簡潔に実にわかりやすく
述べていらっしゃいます。



平和構築に向けての
歩みが続くブアラン集落

7月8日(金)



ブアランの小学校は、ほぼ完成に
近づいている
6ヶ月かかる予定が
3ヶ月で完成するのだから
村の親たちの意気込みがわかる
村の父親たちが、クリスチャンもイスラム教徒も
協力し合って大勢で、みんなで作業をしたものだから、
11月に完成予定の小学校が何と7月末には、完成しそうだ。
外観はできあがり、最後のペンキ塗りと窓のはめ込み
黒板を含めた内部の仕上げが残っているのみ。
敷地も広がり、素晴らしい学校になりそうだ。
そのせいか、子どもたちの顔もあかるい。
丘の上のニューバレンシアのクリスチャンの子たちも、
イスラム教徒の子たちも、一緒に下の学校に通っている。

クリスチャンとイスラム教徒が40年にわたって対立してきた、
丘の上のニューバレンシア集落
40年ぶりに平和が戻り、
クリスチャンの子たちを奨学生に採用したことは前回述べた
さらにその側に、下のラガイェンに避難していた
イスラムの家族たちが戻ってきた。
クリスチャンの村の人たちは、彼等を心から歓迎し、
今共生の生活が始まっている。
MCLでは、新しいイスラムの子たちで、
ブアランの小学校に通い始める6名を奨学生に採用した。
こうして、毎朝、イスラムの子たちとクリスチャンの子たちが、
同じMCLのカバンを背負って、
仲良く登校するようになった。

イスラムの子たちと、
クリスチャンの子たちが、
一緒に支援者の方々に手を振っている
本当に皆さんありがとう!

MCLとJICAで建設中の小学校も、
日本の皆さんの税金で建てた
平和のシンボル!
8月にここで、
平和の祈りの祭典をします。
参加希望の方は、ご連絡下さい。




ニューバレンシアのイスラム集落の
新しい奨学生たちに学用品を届けた

7月1日



イスラム教徒の村の中で
クリスチャンの若者と集落長が
イスラムの若者たちと
一緒にバスケットボールをしていた。
かつて40年前には
このような光景が見られたという。
今それが再び復活したのは、
感動的な風景だった。

この下のクリスチャンとムスリム集落の
出会う場所に、今度、村人たちが
協力して保育所を移設する。
多湖さん一家によって
寄贈された保育所だ。
その話し合いがもたれたが
その場所に、ぜひとも
バスケットボールコートを作りたい。
バスケットボールコートは、
トウモロコシなどの穀物干し場になるし
保育所は小さな子たちの
バスケットボールコートは、
若者や大人たちの
良き交流の場になるから。
どなたか、寄贈できませんか?
今見積もりをとっているところです。



村を訪ね、直接学用品をわたす。
子どもたちの多くは、ラガイエンの小学校に通っているが
6名の子どもたちが、ブアランの小学校に通い始める
その子たちを奨学生に選び、学用品の入ったバックを渡す
来年から、より近いブアラン小学校に籍を移す子たちがドッと増える
この地を去った多くの家族も戻ってくる予定で
ブアランが活気を取り戻すだろう


クリスチャン集落にムスリムの人々も集まって
保育所の移設が話し合われた

7月7日



ニューバレンシアの丘は、驚くべき場所だ。
遠く、リグアサン湿原が
一望できるだけではなく、
なんと、下を見ると、
白頭の鷲が飛んでいる!!!
目を疑った!!!
「あれ、ひょっとして
フィリピンイーグルですか?」
「そうですよ、ここには
24匹ほどが棲んでいる。」
「エエエッ・・・!!!!」
「この間、縄張り争いで、
あっちに移ったつがいが居る・・・」
その勇壮で美しい飛翔の姿が
リグアサン湿原を背景に燦然と輝いている。
あわてて、望遠レンズのある写真機を探して向けたが、
もう飛び去った後だった。
これを聞いて、「俺は絶対この地に行き、1週間は滞在するぞ・・・」
と考えた人は、野鳥好きの人。
フィリピンイーグルは、絶滅危惧種にも指定されていて
私も、ダバオの郊外の保護施設の檻の中でしか見たことがなかった。
おっとどっこい、数日前に、リグアサン湿原地帯のサパカン集落で
幼鳥を飼っている人に見せてもらったっけ。
そういえば、来る途中、エメラルドグリーンの鳥が横切ったけど
どう見てもカワセミの一種としか思えないし。
専門家ではないので何とも言えないが、
リグアサン湿原は、周囲の丘陵地帯も含めて、天然の野鳥の宝庫!!!
そのスケールから見ても、釧路湿原を数倍しのぐ。
釣りにヨシ、カヌーにヨシ、野鳥観察からワニ観察まで・・・
石油や天然ガスが出るからって、こんな素晴らしい自然を破壊しても良いの?

保育所の移転と今後の取り組みについて
話し合いがもたれた
イスラム教徒の村長と
キリスト教徒の集落長が話し合っている
市の福祉局DSWDの所長補佐
グレイスさん、MCLのボードメンバー


ここに多湖さん家族から寄贈された
保育所を移設する
右は、クリスチャン集落に遊びに来た
イスラム教徒の少女たち
クリスチャンとムスリム集落の
出会う場所に、今度、村人たちが
協力して保育所を移設する。
多湖さん一家によって寄贈された保育所だ。
その話し合いがもたれたが
その場所に、ぜひとも
バスケットボールコートを作りたい。

バスケットボールコートは、
トウモロコシなどの穀物干し場になるし
保育所は小さな子たちの
バスケットボールコートは、
若者や大人たちの
良き交流の場になるから。
どなたか、寄贈できませんか?
今見積もりをとっているところです。
左がバスケットボールコートを作る場所。
こうしていけば、多くの家族が
ここに戻ってくるだろう。


40年間、憎しみと戦闘ばかり
安心して暮らせるって良いね

しかし、安心しきってはいられない。現在進行中のMILFと政府側の和平交渉の会議。
北コタバト州などの独立を目指すMILF側と政府側の交渉が決裂すれば
再びかなり大規模な戦争が勃発するだろう。
先日のタリタイ集落でのミィーティングでも
IMTがどこまで本気で平和構築が出来るかが問われている、と言う話?
8月のラマダン明けが一つの目安だろうか。
5月からすでに、国軍の動きが活発化している。
NPAの領域も含めて、すでに手術(オペレーション)が始まっているが、8月には、一斉に新規放出?
アキノ大統領は平和路線で行きたいらしいが、周囲がそうはさせないかもしれない。
南シナ海を巡る、ASEANとその背後のアメリカ、それを睨んだ国軍とアメリカ軍との合同演習。
対する中国の動きもからんで・・・資源争奪戦はまだまだ続く。
尖閣列島も北朝鮮も、これからが戦争作りの本番かもしれないので、日本の皆さんも心した方が良いかもしれない。
アメリカ政府は、米国市民に警告を発した。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-21717320110615
国務省は「空港やショッピングモール、会議場など人が集まる場所が狙われる可能性がある」とし、
「ミンダナオやスールー諸島に渡航する場合は細心の注意を払うべき」と呼び掛けた。
昨年11月にはミンダナオ島の中部と西部への渡航警戒を勧告していたが、今回は対象を島全体に拡大。
また「テロ攻撃は無差別の可能性があり、マニラでも起こる恐れがある」としている。
 ・・・・・・・・・
オーストラリア政府も14日発表したフィリピンへの渡航勧告で、
ミンダナオ島東部については「必要性を再検討するように」と制限を緩和したが、
同島西部は引き続き「禁止」としている。

先日は、洪水難民救済のためとはいえ、オーストラリア政府の寄贈の高性能戦闘用ボートに乗せてもらったし
それなりのゲームが、机上で作られ実行されつつあるのだろうか。
ここが戦場になったら、ここの子たちを、全ていったんMCLに集団疎開させよう。
こんな可愛らしい子たちを戦闘の渦中に置いてはおけない。
幸いMCLは、発足時から、避難民救済のためのシェルターの許可も得ているし・・・でも経済的に食べさせていけるかなあ?
正面に座っていた母親が声をかけた
「トモさん、何を考えているの、一人沈み込んでいらっしゃるようだけど」
「エッ、いいえ、別に。ここに、バスケットボールコートを作れば皆もっと楽しく幸せになれるかと・・・」




病気の子たちのチェックと手術
7月4日(月)

ちらの方でも、今でも多数の奇形が見られる
劣化ウラン弾のせいではないだろうか
生まれつきの物も多いが、
後から、でき物が出来て
体の内部で大きくなる子も多い
現地では、水による影響と言われているが
何らかの遺伝子の異変ではないだろうかと
思うことが良くある




いったん引き始めた水が、昨日来の大雨で、また増え始めた。
写真のように川の流れに、木の枝や浮き草が混じり始めると、かなりの洪水になる


子どもたちを病院へ


ほとんど、医者や病院に
かかることの不可能な子たちだ


いつもお世話になっている、キダパワンの総合病院
キダパワン・ドクトルスペシャリスト病院の外科医師、モダンサ氏。
もう長いお付き合いで、MCLの運んできた子たちの場合は
ご自身の給与無しで、執刀、診断してくださる。
また、子どもによっては、適切なアドバイスや
別のファンデーションや良い病院を紹介して下さる。
こうしたドクター方にどれほど助けられたか・・・

治療の方法の無い子は
将来を考えて奨学生に


片目が見えなくても
片足が動かなくなっても
せめて大学を出て
学校の先生や看護士など
プロフェッショナルの道へ

こうした子は、かなり軽度の方で
集落に行くと、かなり高度な奇形
水頭症の子を見る。
全く動くことが出来ない子も多く
小さい内に亡くなっていく子も多い

とりわけ、2000年、
アメリカ・フィリピン合同演習バリカタン
これは演習と呼ばれる実戦で
空からの空爆も行われ
死体を埋める暇亡く、川に流した

2003年のテロリスト掃討作戦
この両者は、共に空爆が行われており
その後、急速に奇形が増えた
とりわけ、この時期に妊娠していた子たちに
奇形が多い。

爆撃の際に、
劣化ウラン弾が
使用されたのではないだろうか


治療は不可能でも
奇形のまま、貧困ゆえに学業を
停止するより、
頑張って大学を卒業し
プロフェッショナルの道を歩かせたい
奨学生になれば、
これから社会に巣立つまで
彼等の人生を見守っていける

スカラシップの話をしたとたん
母親の目から、涙があふれ出した!

劣化ウラン弾に関してのサイト
http://www.tgk.janis.or.jp/~blessing/REKKAURAN/lekkaulan.html

私が劣化ウラン弾に関して初めて知ったのは、友人で大阪の司教区に属し、
「正義と平和」の活動を進めている松浦五郎司教に会って、
こちらの子どもたちの写真を見せ、奇形の多さに疑問を呈したときであった。
「松居君、これ、劣化ウランとちゃう?」
その後、劣化ウランに関する本を読むうちに、あまりに似た症状が多いので、唖然とする。

グーグル検索「劣化ウラン弾」
http://www.google.co.jp/

こういう子たちの将来を考えると、極貧で生活が厳しい地域だけに慄然とする
せめてスカラシップ支援が出来ればしてあげたいと思うのだが・・・
MCLのスカラシップは、変わった支援のスカラシップ?


カルボガンの奇形の子

手足の障害、目の見えない子など、生まれつきの身体障害が多い。この子たち、皆カルボガンの子たちである
私が同時に心配するのは、このような被害が、長期にわたって
原発の崩壊した日本の人々、とりわけ次世代の子どもたち、子孫たちに
長期にわたって後遺症を残していくのではないかと言う事である。



イスラム自治区に
シートと衣料を届ける

7月4日(月)

サパカン集落に届ける
サパカン集落は、リグアサン湿原の入り口にあり重要な要衝。
近年、この先のブリオクなどから非難移住してきた家族などが沢山住んでいる。
生活は、半農半漁だが、とりわけ土地の無い人々は生活を淡水漁業に頼っている
年収は、5000ペソ、一年間の収入がなんと1万円程度だという。

パンボートと言うエンジン付きの小舟を貸し切って乗り込む。
覆面をかぶっていて物々しいが、MILF側のセキュリティだ。
このあたりには、国軍は入れない。
いったい何から、私たちを守ろうとしているのだろうかと、
いつも不思議に思うのだが、
その筋から、現地の司令官などには、
私たちが入るという報告は行っている。



スタッフたちが、シートを渡す。
一枚ずつチケットをもらって渡さないと
大変な混乱状態になって、
もらえない人々が殺気立つこともあるので
確実にチケットと引き替え条件にする


この村からは、
奨学生もたくさんとっているので
皆さん、MCLの事をよくご存じで
読み語りなどもしているし
総じてフレンドリーだ
日常からのお付き合いが大切だと
つくづく思う。

日本から送られてきた古着も渡す


古着は、子どもたちを優先する
特に、貧しい見成りの家族に
手渡すように心がける


村を離れるとき
みんなで見送ってくれる
とりわけ子どもたちが可愛い
沢山の困ってる子を
奨学生に採りたいのだけれど・・・


最後は、フォーレックスの
段ボール箱も渡す
結構貴重品で
箱が壊れても
段ボール紙を寝床の代わ
りに
敷いたりする

カルボガン集落に届ける
サパカンから舟でさらに下流に下っていくと
ブリオク、バロンギスを経てカルボガンに着く
サパカン以上に到達が難しく、貧しい地域だ



カルボガンから小舟に乗り
まずは、最も困窮している
湿原内の家族にシート
衣料をわたした


すでに手渡してあったチケットを持って、水の中を母親がやってきた

スカラシップ候補にした子のインタビュー


前回、チケット配布で来た
洪水の中の家
子どもたちが大勢居るのに
唖然としたが
その中の年上の子の一人が
高校生であり、
成績も悪くない事がわかった
こうした困難な状況の中から
来た子にこそ
大学に行ってほしいと思い
スカラシップ候補に選んだ
大学を出て教師を目指す
もう一つの理由は、こうした子を選ぶことによって、MCLと現地を結ぶ
コンタクトパーソンになってくれるから、高校生を選ぶ。
カルボガンには、小学生のスカラシップの子が10名ほど居るが
高校生は、この集落では、この子を入れて二人となる。
もう一人は、右の写真で緑の服を着ている少年。
高校一年生で、私たちを守って同行しているが
素直でとてもよい子だ。
上の少女とも同郷の顔見知りなので、
今後、二人で月末のミィーティング(総会)にキダパワンまで来るだろう。
一人で来るより、心強いし、MCLの平和の祭典や文化祭にも出席し
いろいろ感じてくれるだろう。
MCLの奨学生は、こうして一人一人選んでいく。


かつて北海道の激流で
カヌーを漕いでいたので
特に怖いとも思わないが

シートが足りなくなったので、再度訪問を約束。次回は、カルボガンからカバサランの至る
ARMMイスラム自治区サイドを訪問することに決定した

医療支援も行う
カルボガンでは、シートが尽きたので医療支援に集中した。
子どもの風邪、腹痛、足の皮膚病や出来物が多い。
汚れた水の中を絶えず歩く生活のためだ。
歩くだけではない、この汚れた水を飲んで生活をしなければならないのだ。
この地で多いのが、喉や顔や足のでき物、腫瘍や腫れ物、そして、目や顔や足の奇形だ

ここでは、現在MCLのスタッフで、
もと奨学生でキダパワンの看護科を卒業した
フェさんが活躍した。
彼女はマノボ族で、両親が別れてしまった。
父親はその後、戻ってきたが
しばらくたって脳溢血で倒れた。
彼女は、両親を支えると同時に
驚いたことに、
一人の小学生の里親を買って出て
自ら支援している。
月一万円の薄給だというのに・・・
こうした使命感に燃えたスタッフたちが
育っていくのは、本当に頼もしい。


カルボガン小学校に学用品を届ける

この小学校には、保育所が無く、
今月中に建設予定で資材も調達し終わっているのだが、
洪水が長引いて、資材を運ぶのが困難となり止まっている。
今回はようやく陸は見えたが、資材運搬トラックが、
船着き場まで入らないのと、繰り返し洪水が襲ってくるのだ
しかし、奨学生もたくさんいるので、学用品だけは届けた
来週は再び訪れて、シートを届けなければならない
この8年間、この地域を繰り返し訪問しているが
こんなに雨が多い年は初めてだ。時には、竜巻のようにして襲う。
ダバオでも、鉄砲水で家が流され30名ほどが亡くなったが
その大半は、子どもたちだった。



この子たちの治療も
実行予定に入れている

カルボガンの小学校は、ひどい状態だ


これは、物置でも納屋でもない
これが二クラス分の教室なのだ
上流のサパカン集落の学校もひどいが
カルボガン集落の学校は、
それに輪をかけてひどい状態だ
この地区では、唯一
バロンギスやブリオクの集落が
建物も良い
JICAの建設したコミュニティーセンター
イスラミックセンターもあるが


サパカンの後に、いつかカルボガンの小学校もJICAにアプライしたいが
もう少し様子を見た方が良いと判断し最初にサパカンを選ぶ予定だ。

前コマンダーが亡くなってから
あまり使われている様子もなく
今後どうするかが課題でもある。
とりあえず、MCLは、
最も貧困状況が良くない
サパカンとカルボガンを支援対象地として
少しずつ地域と
関わりを持っていくことにした。
とにかく小さなNGOに過ぎないので
たいしたことは出来ないから・・・



翌日、また大雨が降り
少し引いた水位がまた
もとに戻ってしまった

バロンギス集落に
学用品と衣料を届ける



カルボガンでも、このバロンギスの集落の学校は良い方だ。
ここからもスカラシップの子たちを採っている。
私たちは、この村の通り過ぎて
さらに奥の集落にいつも向かうので集落長から、
「ここも大変なので支援対象から外さないでほしい」と
切に言われた。そこで、集落を見回ったが特に川向こうの
リグアサン湿原地帯が同様に貧しいことがわかった。

再びサパカンにもどり、学用品を届ける


再びサパカン集落に戻ってきた
子どもたちも喜んでくれて
なんだか、故里に戻ったような気がする


スカラシップの子どもたち・・・
奨学生だが、今年から高校になった子たちは
対岸のラジャムダ高校に通っている
こちらは、ラジャムダ高校の新任の先生
今年から先生に採用された・・・
といっても、もとミンダナオ子ども図書館の奨学生で
彼の奥さんは、MCLのスタッフの会計担当のネットネット
彼は、イスラム教徒で奥さんはクリスチャン
可愛い男の子がいる。

背後のラジャムダ高校は、JICAによって建設された



先日同行された
共同通信社の現地記者の記事


The Japan Times Online http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20110628a7.html

Tuesday, June 28, 2011

NGO extends help to Philippine flood victims

Kyodo

PIKIT, Philippines ? A Japanese nongovernmental organization extended assistance to flood victims in a Muslim rebel-controlled village on the southern Philippine island of Mindanao over the weekend.

News photo
Out of the storm: Children displaced by floods sleep at an evacuation shelter in Cotebato on Mindanao Island in the Philippines on June 20. KYODO PHOTO

Tomo Matsui of the Mindanao Children's Library Foundation, based in the island's central province of North Cotabato, led the distribution of tarpaulins and clothes to residents of Kabasalan, a remote village of this town that has been submerged in flood waters for almost a month now.

Incessant rains caused by three storms that hit the country this month have swelled major rivers and tributaries in the region, causing heavy flooding in low-lying towns and cities. A major river system clooged by water hyacinth was another contributing factor.

Several hundred thousand people in central Mindanao have been affected by the flooding, with tens of thousands now sheltering in evacuation centers.

"The Mindanao Children's Library Foundation is mainly for children, but we help those who are in need, regardless of the circumstances. If we made them happy, then that's good," Matsui, 58, said, speaking in the local Cebuano dialect.

With a population of a little over 3,000, Kabasalan is an area controlled by the secessionist Moro Islamic Liberation Front.

"We are very grateful to Tomo-san for their help, said village leader Teng Oba.

"These tarpaulins and clothes are a big help to us already. We use those tarpaulins to add cover to our roofs during rainy season, or as cover when we sail to catch fish, or as drying mats for our corn during the dry season," he said.

Last week, the foundation conducted similar missions in six other rebel-controlled villages of Pikit believed to be under the jurisdiction of another rebel group, the Moro National Liberation Front.

"Sometimes, if I think about it seriously, I feel afraid a bit. But knowing that there are many children there and their situation is very pitiful, my fear dissipates," Matsui said.

MCLF President Asrie Sabil Hussain and Pikit deputy social welfare head Mary Grace Cadungog said proper coordination with municipal leaders ensures their safety against the rebels.

Aside from Cadungog, Naomi Ochiai, Japanese representative to the International Monitoring Team of the ongoing peace process between the Philippine government and the MILF, joined the MCLF's mission on Sunday.




マギンダナオ州イスラム自治区に
シート支援を開始

7月1日(金)


サパカン集落も水の中だった

先日、この上流のARMM地域、タリタイ・マギンダナオでMILFと政府側の和平交渉があった。
IMTも参加。MCLのスタッフもメンバーに属しているので参加したが
ミンダナオの独立を視野に入れた政府との攻防になるのだろうか。
2008年ように、ピーストークが戦争の引き金にならなければ良いのだが・・・



行政地図が無いと
わかりにくいかもしれないが、
リグアサン湿原は、プランギ川を挟んで
ピキット市のある北コタバト州と
マギンダナオ州に
別れている。
マギンダナオ州はARMMとも呼ばれ
イスラム自治区になっている。


MCLの保育所があるサパカン地域も水の中だった
イスラム自治区は、湿原地帯を中心にして
反政府組織MILFの活動拠点で
大方のNGOは、こちらで活動することを
怖れても居る。また複雑な行政事情から
活動が難しい地域だ。
今回の洪水に関しても
北コタバト州や
ARMM地域でも、ダトゥピアン市に
近い方はまだしも米などの支援が入るが
とりわけ、ピキットの対岸
リグアサン湿原のこの地域は
全く支援が入らない。
私たちは、すでにサパカンやカルボガンに
保育所を建てているし
奨学生も沢山ここから来ているのだけれど



去年JICAに学校建設を応募したが、
危険すぎる地域という理由で却下になったサパカン小学校
子どもたちも多く、平和構築に重要な位置にあるので
今年も再度応募する予定。
下流のバロンギスから逃れてきた子たちも多く、圧倒的に教室が足りないし
内部もひどい状況だ。MCLに任せて下されば建設も難しくないのだけれど
この集落には、MCLの保育所もあり
多くの奨学生が、ここから来てる。
高校生はこの集落から
ラジャムダの高校に通っている。


壊れた家に避難している
子どもたち
屋根は穴だらけだ

今回は、シートの配布を、
事前にチケットを配る方式にした

こうしたシートを配る難しさがいくつかある
村長や行政関係者にまかせると、おおかたが選挙に関係して
支援者のみに振り分けられる。
DSWDも、グレイスさんのように信頼できるソーシャルワーカーが居ればよいが
自分の親戚や息のかかったところに配布されたりするケースがほとんど
過去の経験から、最良の方法は、事前に一軒一軒回って確認し
チケットを渡し。その分だけ配布する方法だ、
手間暇はかかるが、確実に必要としている人のところに配布できる。
特に、イスラム自治区は、支援が確実に必要としている人々のところに
なかなか届かないので、どのNGOも困っている。
多くが有力者の懐に入ってしまうのだ。
過去の経験から、私たちMCLは、絶対に支援をする手を他人任せにしない。。
戦闘のころから、すでに8年以上
こうした地域と関わっているので
人々は心を開いてくれる。
信頼関係を構築するのに
特に重要なことは、
戦闘時や緊急時だけに訪れるのではなく、
普段から、保育所建設
スカラシップ、医療や衣料支援で関係を持ち
日常の場での信頼関係を構築すること
特に、読み語りは最高だ。
それ故に、緊急支援でも
戦闘が起こっても、
私たちは、緊急支援に向かえる

サパカンの裏の小さな運河を抜けてリグアサン湿原へ
護送して下さっているのは、もちろん
現地のその筋の方々、
つまり、その筋の私たちが
護送しているから
大丈夫ですよと、
人々にわかるようにしている


激しい水流で、傾いた家も多い
どんなにか不安な日々だった事だろう
ニッパヤシの屋根は、腐りやすいが
その上、今回のような長雨が続くと
たちまち穴が空き痛んでくる
水漏れも激しく
壁も崩れ、そのようなときに
ビニールシートはとても役に立つ
乾燥がもどれば、
穀物や魚を干すのにも使えて
人々はとても喜ぶ


浮き草がくせ者で、これが溜まると
水の流れが滞り
家も橋も倒壊してしまう

この先、まだまだ家が続いている
大変広大な湿原地帯
家族の状況を確認に向かう


湿原の各地から
サパカン集落に避難してきた
家族たち

さらに奥のカルボガンにもチケットを配った


こちらはサパカン集落よりも、
さらに奥のカルボガン集落の裏側
つまりリグアサン湿原の中だ
家々の状況も非常に悪い
真ん中の少女は、高校生、成績も良いし、困難な地域だけに、スカラシップ候補に


多少なりともヤシやトウモロコシを植える
土地がある人々は、
この地域でも収入が多く
まずまずの生活をしている。
厳しいのは、こうした場所に住んでいる
漁師さんたちだ
水が引いているときには、
自給用のトウモロコシぐらいは育つのだが
水が浸かると、魚しか収入が無く
それを、ピキットやカバカンの市場に
売りに行く
家を見れば貧しい事が良くわかる




今回の洪水でもそうだ
死亡者には、圧倒的に
子どもたちや赤ん坊が多い
家が崩れて流されて
泳げないのに水に落ちたら
どうするのだろう


川エビや魚が現金収入源
子どもたちでも漁をする
ユニセフの報告にもある、
水による皮膚病
それから、瘤が多くできるのは
なぜだろか。
収穫前のトウモロコシ畑も
洪水ですっかりダメージを受けた
まだまだ、雨が続く・・・・


洪水避難民救済のために
ビニールシーを準備する
MCLの子どもたち




今度は、反政府地域に
ビニールシートと衣料の支援をした

6月26日(日)


こちらは、反政府勢力と呼ばれるMILFのピキットサイド。
カバサラン方面だ。かつてからコンタクトを持っていた場所だが、
R7に属するので、しばらくご無沙汰していた。
と言っても、戦闘のあった2008年には、医療と読み語り支援をしているので
村人たちとは懇意だ。
前回のように、軍の動向は拒否されている地域。
普通の舟を3艘借り切って向かった。
今回、共同通信のマニラ支局長とカメラマン、
IMT(国際停戦監視団)の落合さん方が同行された。
平和を作り出すためには、バランスのある支援が大切なことをご存じで
IMTもJICA、政府側と反政府側にバランスをとりながら支援するように努めている。



カバサランは洪水の渦中だったが
2日前から少し引いて陸地が見えていた
しかし、今回の洪水は、
2008年の時より長期化している
繰り返し大雨が襲ってくるから

ユニセフが、子どもの感染症に
関する警告を出した。
次回は、ARMM地域で
医療も行う予定。

ビニールシートを配布した

共同通信社の記者とカメラマン、
国際停戦監視団の方々も同行された

古着の支援も行った


次回は、国際支援がほとんど全く行かない
川向こうのイスラム自治区に、
ビニールシートと衣料、
そして医療の支援を行う予定だ。
洪水、長引かなければ良いのだが。



寄付をありがとうございました。
洪水支援に使わせていただきます。

水害支援(敬称略) 河野優子
NPO法人ドネーションシップわかちあい

松居友さま
6月11日に寄付を正式決定しました。
事務局ブログの報告です↓↓
http://blog.goo.ne.jp/donationship/e/aba46247944972949004c99adbd9bf21
会員さんから子ども図書館を紹介してもらって、サイトや通信を読ませていただいて、
子ども図書館の理念、実際の活動に共感し、
子どもたちのために、少しでも皆様の現場のお役に立てればと寄付を決めました。
互いの違いを尊重しあい、多様な価値観や存在が共存しながら<平和>をめざす。
それはこれからの世の中でますます重要で大切なことになってくると思っています。
今後、事務局ブログや会員ページで、
ミンダナオの現実や、子ども図書館の活動について情報紹介していけたらと思っています。
人と人、心と心をつないで、分かちあい支えあいの社会を築いていきたいと願っています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
先日、フィリピンにドネ通信を郵送しました。(まだ届いてないかな)
私たちの活動や会員の皆さんの気持が伝わればと思いますので、
お時間がある時に見てみて下さい。

◆連絡先◆
わかちあいささえあい明日のくにへ
****************
特定非営利活動法人ドネーションシップわかちあい(立川さき)
TEL&FAX075−621−3128
*****************
事務局ブログ「困った時はお互い様」
過去の避難民救済も今回使わせていただいています。(敬称略)
林田 裕子、久岡 隆行、戸塚 恭子、
磯道 來恵視、井手 公平神父、仙台白百合学園幼稚園、
中島 利男、クルムプアンタイ椿、
木下 とわ子、保田 妙子、諏訪 淑子、江口 陽子、子安 洋子、
中本山實相院発菩提心の会、
北川 容子、冨高 英徳、多湖 敬子、



ミンダナオ子ども図書館だより:6月21日

1:パイドプランギ方面にビニールシートの支援をする
  現地に着き、ビニールシートをプロペラ船に移し替える
  国軍のプロペラ船で出発
  水没した家にビニールシートを配る
  学校が避難所になっているが、そこも水の中だった
2:国際停戦監視団IMTの福永さんが、マカブアルの小学校と MCLを訪問された
  ピキットの後に、MCLを訪問された
3:ARMMイスラム自治区カルボガンに建てたばかりの保育所も水の中だった
4:創価大学の若者たちと学用品を届けに行った
  夜は、ウエルカムパーティ,MCLの家族になった
5:マカブアルの小学校に奨学生の学用品を届ける
6:ブアランの小学校が、驚くべき早さで建てられている
7:ニューバレンシアの子どもたちが、下のイスラムの村の学校に通い始めた
8:洪水の中を舟で・・・円福幼稚園寄贈のARMMカルボガン保育所の開所式
  前日からの大雨で、鉄砲水がピキットを襲った!
  車が一台水をかぶりストップ、修理する
  ラジャムダから舟に乗ることに、変更

  ようやくカルボガン集落に着いた
9:7年前に頬の手術をしたアメラちゃんに会った
10:ARMMカルボガン、ワカワカ保育所の開所式
  譲渡サイン式が最後に
  明日、もう一度、洪水避難民のチェックに来よう
11;ピキットで洪水が発生し避難した人々
   この子たちの病気を治すことに決定
12:保護者のための総会を開いた
13:日本政府によるブアランの小学校建設が、MCLのマネージメントで急ピッチで進んでいる
14:マキララの集落バダックでの読み語り
   子どもたちを集めて、読み語りを始める

   読み語りのあとで、本を手に取る
   一息ついたところで、パンを配る
15:ブアランのクリスチャン集落から
   奨学生を選び出した
   スカラシップと里子の選考が始まる
16:5月の学生総会で新しいプレシデントと役員が選出された
   2011年度:MCLの学生役員

17:IMT国際停戦監視団の落合さん方が訪れた
18:夏休みの終わりみんなで海に行った
   最初は、少し孤独に感じる子も
   それでも、あっという間に溶け込んで
   MCLの家族になっていく
   夕暮れても遊びは続く
19:ダバオの貧困地域ササでの読み語り
   読み語りが始まった
   読み語りが終わり、パンを配る
20:生まれて初めての都市
21:奨学生を迎えに
   エルマリーとモクモク、そしてラブリーを迎えに行った
   ラブリンとロムニック



パイドプランギ方面に
ビニールシートの支援をする

6月20日(月)


中日新聞(マニラ共同):フィリピン洪水で70万人被災 スイレンが排水溝ふさぐ
フィリピン南部ミンダナオ島で約3週間にわたる大雨で洪水などが発生、
国家災害対策本部によると、22日までに少なくとも12人が死亡、約70万人が被災した。
アキノ大統領は22日、被害が大きかったコタバト市を訪れて記者会見、
今後感染症が広がる恐れがあるとして関係省庁に対策を指示し、救援物資を増やす方針を表明した。
・・・・後略・・・・
詳細は以下をクリック

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011062201000715.html



洪水で水位が高いので、ピキット市が提供してくれたダンプカーで
目的のパイドプランギ村に向かう

写真右はピキット市の副市長。
誠実で良い方で懇意にさせてもらっている
この一帯のバランガイは、一族の所有。
政府よりなので国軍も滞在し、
今回のプロジェクトにプロペラ船を
提供してくださった。

市長の足下であるピキットの川の
上流部も同様MNLF
MCLは、その地の極貧の山岳エリアから
多くの奨学生を採っている。
先日MCLを訪問された日本のNGO
ICANの松浦さんのお話だと
ICANは、この地域を支援予定だそうだ。
(MCLは、ICANと直接の関係はないが)
市長の奥さんがピキットのワールドフードの
代表だし、行政で働いている職員は、
DSWDも含めて、MNLFよりが多いが、
選挙ともからんで、これらの地域は
国際NGO、地方行政等の支援が多い地域。
ゆえに比較的めぐまれている。
先日は、台湾の大きなNGOが、
これらの地域に食料を配った。
MCLは、この地にも保育所などを建てて
政府と反政府の両方と良い関係を持っている
しかし、バランスが難しい。

今回も、副市長のお膝元を支援した後、
さらに貧しいMIFL側のR7地域とARMM地域を支援する予定。
だが、当然ながら今回のように国軍は入れないので、
MILF側の既知のルートで、普通の舟を借りていく。
ARMM地域も同じだが・・・
現地に居ないと、なかなかどの地域がどうであるのかわからないが、
支援が特定の地域に偏れば、とうぜん地元の他の場所からの反発が起こり
支援の不平等が、逆に、MILFとMNLFとの内戦にエスカレートする事も多い。
こうした現実を、ほとんどの海外NGOは、知らない。
現地が入り組んでいるだけに、支援は難しいが、
子どもたちに隔たりがあるわけではないので、
子どもたちの事のみ考えて、バランスを取りながらMCLは活動している。


現地に着き、ビニールシートをプロペラ船に移し替える


ピキット市が提供したダンプから
ビニールシートをプロペラ船に
移し替える

国軍のプロペラ船で出発

この戦闘用ボートは、オーストラリア政府によって寄贈されたものだそうだ。
先日、マニラのテレビ局が、これで取材。
ピキットのMILF地域に近づいた結果、もう少しで戦闘になるところだったと言う。
いかにも物々しい、物騒な話だ。
今回は、セキュリティの事もあり、地元から出ている、
懇意の副市長さんも同行して下さったのでリスクも少なくなった。
といっても、副市長一族の地域内で活動しMILF地域には入らなかった。
この戦闘用ボートでは入れない!
後日、カバサラン等のMILF地域には、普通の舟を借り切って
改めてビニールシートを配ることにした。
確かに、写真で見ても、恐ろしい姿で猛スピードで疾走する。

水没した家にビニールシートを配る


水没した家の特に貧しく、屋根が草葺きの家にシートを配る。
大雨と洪水で家の屋根が腐り、水漏れして困っているからだ。

子どもも大人も、裸に近い生活をしている。雨で服を干せないし、干す場所も無い。
それに、周りは水だらけで、服を着てもすぐに濡れてしまうから・・・



雨漏りが激しい家も多く
シートをもらって本当にうれしそう。
トタン屋根の家は避け
草葺きの貧しい家を選んで渡す



私たちMCLで、せめて医療や食料の支援をしたいのですが、
どなたか緊急支援の寄付をお願いできませんか!
学用品や入学授業料の支払いに追われて、緊急支援の資金がありません!!!!
振り込み可能な方は、メールで、「洪水支援金・・・・・円振り込みます」
と書いて以下でメール下さい。
早急にこちらで行動を明日にでも実行します!!!

洪水支援


リグアサン湿原は、まるで大海原の様相だ。
この広大な湿原の中に
こんなにも多くの家族が生活しているとは
驚き以外の何物でもない




舟がなければ家から出ることも出来ず
何日もこのような家で過ごすのだ
両親は、漁師であることが多く
日々のおかずをとりに
小舟で出かけている
子どもたちだけで家に残っている
ケースも多い。


上流から流れてきた
水草に覆われた家


せめてもの恩恵は
魚が豊富なこと
日々の食物であるばなりではなく
市場に売りに行ったりする


2百枚近くあったシートが
あっという間に無くなっていく


シートをもらいに
必死に泳いでやってきた少女

私たちMCLで、せめて医療や食料の支援をしたいのですが、
どなたか緊急支援の寄付をお願いできませんか!
学用品や入学授業料の支払いに追われて、緊急支援の資金がありません!
振り込み可能な方は、メールで、「洪水支援金・・・・・円振り込みます」
と書いて以下でメール下さい。
早急にこちらで行動を明日にでも実行します!!!



私たちMCLで、せめて医療や食料の
支援をしたいのですが、
どなたか緊急支援の寄付を
お願いできませんか!

振り込み可能な方は、メールで、
「洪水支援金・・・・・円振り込みます」
と書いて以下でメール下さい。
早急にこちらで行動を
明日にでも実行します!!!


学校が避難所になっているが、そこも水の中だった


保育所が無いので
水が引いたら、
ここに保育所を建てることを約束


本当に子どもたちが多い!!!
また来るからね、元気でね。




国際停戦監視団IMTの福永さんが
マカブアルの小学校と
MCLを訪問された

6月17日(金)
JICAの職員として、世界各国で活動されてきた福永さん
今回は、IMTのメンバーとしてミンダナオに赴任された。
私がお世話になったハウスオブジョイの烏山さんと
青年海外協力隊のころからの友人。
http://hoj.jp/
今回は、MCLを取材されるために来られた。
MCLがJICA草の根無償で建設した
マカブアルの小学校を訪問。
マカブアルは、現在洪水に見舞われていて
ミンダナオの現実を行政の視点からと同時に
地域住民の視点から見つめる
良い経験になった。
洪水は、毎年起こるわけではないが、2,3年に一度の割合で起こる。
前回の大きな洪水は、2008年だった。
この時期は戦争の時期で、避難民化している人々を洪水が襲ったので、
大変厳しい状況だった。
MCLは、ビニールシート、医療、食料の支援をした。
今回は、戦闘が無いだけ、まだ平和で良いが、困窮の状況は変わらない。
ピキットの地域政府は、すでに米の支給をしているが、一世帯わずか2キロ。
洪水が長期化しなければ良いが。
屋根近くに逃げたりして、屋根が壊れたり、避難民化している人々も多く、
MCLでは、他がしていないビニールシートの支援をすることに決めた。


マカブアルの小学校も水の中だが
一時教室内まで水没したが
今は、多少水が引いた状態だ
村に行くには、
小さな舟に乗るしか道はない。


周囲は大海原のようだが
マカブアルはまだ内陸に属していて
この先の村々の被害が甚大だ


学校は、すでに一週間休校だが、
事前にMCLで連絡していたので
先生方が駆けつけて下さった。
DSWDのグレイスさんもご一緒下さった
MCLのボードメンバーだ。


少し遅れて、警官も到着。恐らく市長からの要請だろう。裸足なのが珍しい?
人々の生活は楽ではない。
漁師をしている人々は良いが
内陸地ではおもに農業で
そうした人々は打撃が大きい。
洪水を避けるための
灌漑用水路が効果的だと、
私は思うが漁業者は、怖れている。
ただし、洪水で地味が豊かになる
利点もあるが・・・
私がこの地に踏み込んだときは、この村に入る道は踏み跡以外に無かった。
理由はいろいろあるが、
今もそれは変わらないと思うのだが、
奨学生を30名ほど採用し、今その多くが高校生。
大学卒業生も出ている。
読み語りにも通って、村人たちと親しくなり
人々も警戒を解いて親しくしてくれるようになった。
その時期から、崩れかけ、屋根だけの校舎で勉強している子たちの状況ゆえに
村人から、学校が建てられないか、と言う依頼が出てきた。
MCLのような小さなNGOでは、保育所建設が限界であるし
学校のような恒久的な建物は、コンクリートのしっかりしたものを建て
半永久的に使ってもらわなければあまり意味がないと考えた。
そうなると三百から五百万円はかかることになる。

MCLの力ではとても無理と考えて、検討した結果
日本政府ODAであるJICAの草の根無償基金に応募することにした。
この基金は、対象が日本のNGOではなく、
現地のNGOが直接大使館に応募する基金で
MCLは、フィリピン政府公認のNGOだから、応募できる。
完成後、当時200名だった子どもたちが500名近くになった。
USAIDにより道も出来、電気も届き、家々がたち始めた。
村の人々が明るくなったのが何よりも印象的だ。
うまく機能すれば、政府のODA、米国などの海外支援
JICAのプロジェクト等が素晴らしい効果を発揮する良い例だろう。
コタバトのOMIオブレード会の
オーランド司教が
今までの既存の洪水対策の
抜本的な見直しを提案しているが、
賢明な方策だろう。
漁業者、農業者、政府側、反政府側が
歩み寄って根本的な対策を打ち出す時期だ。
JICAが会議の場を提供し
EUを含むIMT参加国やUNとも連携し
技術的にも協力する体制を打ち出したら
良いと思うのだが・・・

ピキットの後に、MCLを訪問された


お昼時に子どもたちが戻ってきていたので
急きょ短い歓迎会を
子どもたちが開いてくれた

その後、インタビューを交えて2時間近く話をした。
内容の一部は、IMTの機関誌に掲載されると思うので皆さんにも報告したい。
ピーストークが、7月末に、再度の区切りが付けられそうだが、
それをきっかけに戦闘が起こらなければ良いのだが・・・
今、不安定なのは、むしろ新人民軍NPA側との戦闘で
先日、私たちの奨学生がいるボアイボアイで国軍との間に戦闘が起きた。
子どもたちが心配で、学用品を届ける事をかねて現地に行ったが
小規模だったので軍も引いていた。
また、別の保育所のあるマキララ地域の近くで戦闘があり
こちらの方は、150名ほどの避難民が出ている。
土曜日は、ピキットの洪水対策のために緊急支援に向かうが
マキララの情勢もチェックしなければならない。
かつて7,8月頃に戦争が起こるかもしれないと書いたが
根拠がないわけではない、戦争だけはごめんだ。
停戦監視団の方々、よろしくお願いします。




ARMMイスラム自治区
カルボガンに建てたばかりの
保育所も水の中だった

6月16日(木)



つい先週に開所式があったカルボガンのワカカワ保育所も水の中だった


村は完全に水の中だ




つい先週開所式をしたばかりの
ワクワク保育所の子どもたち



ワールドフードや国軍、地方自治体や国際NGOなどの食糧支援が始まったが、
北コタバト州にあるピキットサイドがほとんどで、イスラム自治区ARMMサイドには
全くと言って良いほど、支援が行かない。
川を隔てて対岸なのだが・・・




創価大学の若者たちと
学用品を届けに行った

坂本弥生、林田依里香
6月6日(月)



MCLのスタッフは実に頼もしい
スカラシップ担当のマリベールは
マノボ族、かつての奨学生で
自分も同様の生活を体験してきた

坂本弥生さん、林田依里香さんのお二人が、カガヤンデオロからMCLに来られた。
お二人と出会ったのは、私が去年の10,11月の講演期間に、
お二人の母校の創価大学で講義をしたのがきっかけ。
カガヤンデオロからの連絡に驚いたが、
創価大学は、カガヤンデオロの大学と姉妹関係があり
毎年、数名の留学生を10ヶ月間送っているそうだ。
ダバオの大学にも送っているというから、
これは興味深い企画だと思った。

アメリカとかオーストラリア留学というのは、月並みで良く聞く話だが
フィリピンのマニラ近郊ならまだしも、
ミンダナオの大学に生徒を送るというのは初耳だった。
創価大学,なかなかすごいと思った。
http://www.soka.ac.jp/
ミンダナオのUSM州立大学から、池田大作氏が、名誉博士号を受けて
私が日本滞在中に、USMから教授陣が来た話を聞いていたが
USMは、イスラムとクリスチャンの境界にあり、イスラムの若者たちも多く
MCLの若者たちもたくさん奨学生で通っている。


カガヤンデオロは、日本からの中古車が着く貿易港のある町で
私も行ったことがあるが、商業都市で、活気はあるが殺伐としている。
その上のブキッドノン地域も、ドールのプランテーションが中心で
本当に貧しく、山岳地域などの追いやられた先住民族やイスラム教徒の状況が
理解できる場所ではない。
その意味で、お二人がMCLに数日なりとも滞在し
おもにマノボ族の状況を垣間見たことは、大きな刺激となったろう。
MCLに来て初めて、ミンダナオに来た感じがした、というのは良くわかる。
10ヶ月の滞在の合間をみて、度々訪れてくれるだろう。
こうした若者たちが育っていくのは楽しみだ。
世界的な経済低迷と物価高の影響をもろに受けて、
土地を追われ、自給地も持たない先住民族の状況は非常に良くない。
3食たべられない家族も多い。

ここ、プロック8とボアイボアイは、数あるこうした場所の一つで
MCLの奨学生もたくさんいるが、なかなか学業が続かない。
ボアイボアイに関しては、さらに国軍とNPAの戦闘が先日あり
村の状況は、さらに悪化している。

夜は、ウエルカムパーティ,MCLの家族になった

松居友様
 
6月7日から9日までの3日間、大変お世話になりました。
忙しい中、本当にありがとうございます。
遅れましたが、無事に二人ともカガヤンデオロの家にたどり着きました。

短い期間ではありましたが、MCLでの日々は私たちにとって
素晴らしい思い出深き体験となりました。
本当にここでしかできなかった貴重な体験だったと思います。
自分が考えもしないところで貧しい生活をしているマノボ族の人や、家族を失ってしまった子供たち、
実際に自分の目で貧困で苦しんでる人に触れて、勉強できること、親がいること、
当たり前だと思っていたことは当たり前ではなかったのだと気づき、感謝に変わりました。
苦しい体験をしながらも、明るく元気に話しかけてくれるMCLの子供たちに励まされ、
社会に対する考え方が大きくかわりました。すべて子供たち、スタッフの方におしえていただきました。

今度はもっと長く時間をつくり、MCLにもう一度訪れたいと思います。
 
 
子供たちの幸せのために自分にできることを身近なことからはじめていこいうと決意しています。
 
どうぞ、素敵なMCL家族の皆によろしくお伝えください。
ますますのご発展をお祈りいたします。
本当にありがとうございました。
 
 
坂本弥生、林田依里香




マカブアルの小学校に
奨学生の学用品を届ける

6月15日(水)

日本政府ODAの支援で、MCLが建てたマカブアルの小学校は、洪水の中だった。
しかし、プランギ川からは比較的離れているので、水が屋根まで届くような事はない。
今回は、奨学生に学用品を届けるためと、IMT国際停戦監視団の福永さんが訪れるという事で
事前の打ち合わせに訪れた。もちろん、洪水被害の状況をチェックするためでもあるが・・・




遙か彼方にも家々が見える、マカブアルの小学生たちが通っている集落だ
普段はもちろん、陸を歩いて通っているのだが、今は完全に水の中だ
どうしているのだろう、かなり困窮している話を聞く。
時を見つけて、この集落に行ってみよう。
父親を失い、母親が一人で漁師をしながら、子どもを小学校に通わせている家族がある
経済的困窮で、小学校3年生を休学せざるを得ないようだ。
何とか学校にいけるようにしたいし、
MCLは、現状を把握するために必ず家庭を訪問する。水の中でも・・・


確かに、大変な状況なのだけれども、子どもたちには、困窮を楽しみに変えてしまう力がある。
そんな子どもたちの様子に、私たち大人の心が救われる。



MCLの奨学生が沢山いる
かつての暗いイメージは今は無い。


ここは、かつて道も無く、
反政府組織の拠点の一つだった
今は、外界との道もつながり
200名だった子どもが
500名になった。


JICAの草の根無償で建てられた学校は、いつ見ても美しいと思う



学校は、洪水のために休校だったので
先生方から子どもたちに
学用品を渡してもらうようにお願いした



マカブアルには、ほとんど家が無かったが
今は、多くの家が建ち始めた。
戦闘で村を放棄していた人々が帰ってきた
小学校の生徒も、200名から
500名になった。


この地域は、農業地帯だが、上流の雨次第で
洪水は急速に引いていくだろう。
洪水の後、肥えた土が残るので地味は豊かだ。
それゆえか、戦闘時のような悲壮感はあまり感じられない。


今回、BDA(バンサモロ開発エージェンシー)のエンジニアで、JICAの委託で
マカブアルの小学校を建設、ブアランも担当しているマンソーリ氏が同行して下さった。
MCLのボードメンバーでもあられる。
今はコタバトに居を構えているが、この地の出身で姪は偶然MCLの奨学生。
子どもの頃を思い出して、舟を漕ぐマンソーリ氏の後ろ姿(右写真)



日本政府ODAでJICAが建設
MCLが提案し建設管理を委託された

ブアランの小学校が
驚くべき早さで建てられている

6月15日(水)


何と20日間でここまで建設された。完成は、7月末。
予定では、11月から12月の完成と言われていたのだが・・・・
理由は、ブアラン村の男たち、特に父親たちが、イスラム教徒もクリスチャンも
自分たちの子どもの事だからと、一致協力して大勢建設に関わっているからだ!
父親たちの姿も明るく、40年にわたる戦闘で暗かった村が、一気に明るさと活気を取り戻したようだ。


若き校長先生と、MCLスタッフ。右プレシデントのアスレーさん、左バイスプレシデントのマージー
日本政府のODAの仕事を、大使館の現地スタッフと連絡を取りながら見事にこなしている。
二人ともMCLの奨学生だった。マージーは、まだ5人だった頃の一人。
日本人は、私一人だったし、現地語もおぼつかないので、彼等の働きがなければ何も出来ない。
初期の頃は、彼等が高校や大学に行った後、私が便所掃除と洗濯をしていた。



40年間争い、交流が途絶えていた丘の上のクリスチャン集落

ニューバレンシアの子どもたちが
下のイスラムの村の学校に通い始めた




ブアランの小学校に通えて、本当にうれしそうなクリスチャンの子たち。
平和になることで、どんなにホッとする事か!
教室が足りないので、ここで4年始から6年生までが一緒に授業を受けている
机もいすも足りないが、外ではお父さんたちが
一生懸命学校を建てているので心は明るい

イスラム教徒がほとんどの学校に、新しく入ってきたクリスチャンの子たち
イスラムの子たちも奨学生が沢山いるブアランの小学校
さぞかし緊張しているだろうと思ったけど、意外と明るい顔で幸せそう。
子どもたちは皆、戦闘が無く、みんなが仲良く住める世界を望んでいるのだ!
この様子を見て、胸が温かくなり、本当に幸せな気持ちを感じた。
お父さん方が、みんなで建設に励んでいる姿も素晴らしかったし、思わず目頭が・・・

今後、ニューバレンシアに戻り、ブアランの小学校に通い始めた
イスラム教徒の子どもたち、5名も調査して加えたいと思っている。
一緒に手をつないで、学校に通えるようになるために。
皆さん、里親奨学支援に応募して下さい。
まだ支援者のいない子たちがいっぱいいます。
まだ支援者のいない子たちがいっぱいいます。


7月いっぱいには、小学校が完成する。
完成と同時に、
8月半ばに開所式を兼ねて
MCLの奨学生が全員集合し、
この地で『平和の祈り』の
祭典を行う予定だ。
日本からも、山元眞しんぷが参加予定。
現地のイスラム宗教者や
OMIカトリック神父、
マノボ族のプロテスタント牧師も
マノボ指導者も参加します。
仏教会からも、
どなたか参加されませんか?
一般参加もOKです。






洪水の中を舟で・・・
円福幼稚園寄贈の
ARMMカルボガン保育所の開所式

6月2日(木)




円福幼稚園ウエッブサイトhttp://w2.avis.ne.jp/~enpuku/

前日からの大雨で、鉄砲水がピキットを襲った!

確かに、今年は異常に雨が多い。
2008年の戦闘時に、多くの人々が避難民であるにもかかわらず
無慈悲に雨が降り洪水が起こった。
それに勝とも劣らない、雨だという。
去年の春は、エルニーニョで山岳地の人々が困窮した。
ピキットの上流のアラカンのマノボ族たちだ。
今年は、異常に雨が多いので、下のリグアサン湿原周辺の
イスラム教徒たちが大変だ。
しかし、それでも、戦闘がないだけ、まだ平和な感じがする。
日本でも、津波のような天災よりも、原発の人災がよほど怖いように
ここでも、洪水よりも戦争が恐ろしい。
といっても、洪水も原生林(ジャングル)が伐採され、
日本等に材木が大量に輸出された結果に起こされた
人災ではあるのだが・・・




モスクもすっかり水の中だ



家を放棄して道路に逃げている人々

車が一台水をかぶりストップ、修理する

悲しいことだが、この道は、昔の轍道を戦闘後、USAIDというアメリカのODAが、
土盛をして幅を広げて高くし、建設した道路だ。
それが、堤防の役割をするために、道路の川沿いの集落が、
ことごとく水没するようになってしまった。
水はなんと、屋根まで来る。
奨学生が多くいる、タリタイ村の家々も水没するようになってしまった。
このような状況の結果、人々の開発支援に対する不信感が増幅する。
支援が逆効果を及ぼす悲しさ。




それでも、人々の生活意欲は高い
決壊した道路沿いで
魚を捕る子どもたち
水の中で、ボール遊びをする
子どもたち


本来なら、この先まで
車で行かなければならない
しかし、断念して
ラジャムダまで
舟で来てもらうことにした

ラジャムダから舟に乗ることに、変更


日本のODA、JICAが県建設した
ラジャムダの高校も水の中だった
この学校には、MCLの奨学生も
通っている


右の写真、子どもたちが釣り竿で
魚をとっているように見えるかもしれないが
そうではない。
川の畔にたち、上流から流れてくる
木や枝を集めているのだ
それを集めて薪にして
家のご飯を炊いたりするために。
時には、一束いくらかで売るために。





JICAの支援で建てられた
こちらはARMMタリタイの小学校
こちらもすっかり水の中

ようやくカルボガン集落に着いた

カルボガンに建ったワカワカ保育所。円福寺幼稚園の寄贈だ。
円福幼稚園ウエッブサイトhttp://w2.avis.ne.jp/~enpuku/
先生から、保育園の名前は、子どもたちに付けてもらいたい、と言うご希望で、
ワカワカ保育所という名になった。こちらの人ならすぐにわかるが、
今流行の歌に出てくる節回しで、特に意味は無いようだが、子どもたちが踊り出したくなる言葉らしい。





ARMMカルボガン
ワカワカ保育所の開所式

6月2日(木)


度重なる戦闘、洪水、さまざまな悲劇に見舞われ、今もその渦中にあると言って過言でない
イスラム自治区の集落、カルボガン。
カルボガンに建ったワカワカ保育所。円福寺幼稚園の寄贈だ。
円福幼稚園ウエッブサイトhttp://w2.avis.ne.jp/~enpuku/
すでにこの地域から、奨学生を採用した記事を載せたが、いよいよ待望の保育所が建った。
次に、カルボガン小学校の校庭内にもう一つ保育所を建てる。
人々の心に、平和への希求が始まる事を願って・・・



海外NGOどころか、外国人が入れない「反政府地域?」
偏見でどう見られようとも、子どもたちは皆同じ
私には、神様の創造した美しい奇跡に見えるが・・・


松居 友


お元気でご活躍の事と思います。
もうキダパワンを後にして10日ほどになりますが、
明日には長期にお世話になっていた
日本語ボランティアーNGOの施設から去り、
日本に戻ります。
そんな事もあって、ここ一週間MCLで
体験させていただいた事をまとめておりましたが、
とりあえず2部の小文にしましたので
添付ファイルでお送りします。
お閑な折に、読んでいただけるとありがたいです。
これは小生が続けておりますブログ用のもので、
フィリピンに関心を持つ友人たち向けに
書いているものです。

この続きとして、マノボの方の家で
ステイさせていただいたことを
書きたいと思っていますが、帰国後になります。

では、どうぞよろしく。

大橋健司


大橋健司さまから送られた原稿は、
『ミンダナオ子ども図書館:日記』
に掲載しました。
是非ご一読ください。


Go!


ミンダナオ子ども図書館の歌が響き、村に希望の灯火がともる
イスラムの子もクリスチャンの子も先住民の子たちも声を合わせて歌う

譲渡サイン式が最後に

拳銃を二丁、いつも腰に下げている村長さん。そして、保育所の先生と握手。



明日、もう一度、
洪水避難民のチェックに来よう



ピキットで洪水が発生し
避難した人々

6月3日(金)

今年は、本当に良く雨が降る。
それにしては、洪水の情報が無いなあと思っていたら
案の定、ピキットを鉄砲水が襲った。
カルボガン保育所の開所式は、洪水のなかだったが、
ピキットで避難民が出始めた。
こうした洪水は、数日で引くこともあり、
ビニールシートの支援が必要かどうかは
今後の状況次第だ。
様子見を決め込んだが、
避難民の中に、病気の子がいたので
その治療を決定した。

後記:その後、洪水は、大規模に広がり、救済支援を決定した。


国道近辺の避難民たちは
数日で戻ったが
湿原奥地の避難民の状況が
悪化している


保護者のための総会を開いた
6月9日(木)



ソーシャルワーカーでスタッフのカティが
ミンダナオ子ども図書館の奨学生の状況や
MCLの規則などを説明、理解を求める

毎年MCLでは、学生総会の後に保護者のための説明会を開いている。
極貧の地域も多いので、全員出席とは言えないのだが、せめて集落から数名が代表として出席
MCLでも子どもを預かっていたり、下宿している子たちも居るので、責任の所在など
ミンダナオ子ども図書館のポリシーを説明し、親や保護者の協力と理解を求めている。
山の集落やイスラム教徒の方々も、実際にMCLを見て、子どもたちの様子を知り
MCLそのものを知ってもらい、協力していただくための重要な機会でもある。




日本政府によるブアランの小学校建設が
MCLのマネージメントで
急ピッチで進んでいる

6月1日(水)






マキララの集落
バダックでの読み語り

6月1日(水)


子どもたちを集めて、読み語りを始める

読み語りのあとで、本を手に取る

一息ついたところで、パンを配る




ブアランのクリスチャン集落から
奨学生を選び出した

6月7日(水)




2011年7月から大晦日まで



大晦日の観覧車
12月31日
Happy New Year



ミンダナオ子ども図書館では、
五五〇名以上の
子どもたちを学校に行かせている。
孤児や片親、両親がいても
極貧で3食たべられない家庭の子たち。
そして、本人が希望すれば
MCLに住み、近くの学校に通える。
そんな子たちが86名ほど
共同生活をしてる。
朝5時に起きて朝食を作り
掃除をして、庭の手入れをするのも
子どもたちだ。

それ以外にも、週末になると
ボランティアで、僻村に読み語りに行くし
戦闘や洪水で避難民が出ると
救済に向かうのも子どもたちだ。
本当に素晴らしい子たちだと思う。
活動範囲の性格から
イスラム教徒、先住民族、キリスト教徒が
同数になるようにつとめている。

MCLの奨学制度は、基本的に大学までだ。
けれども、全員が優等生というわけでもないし
(優等生だから良いわけでも無いし)
多少勉強が苦手な子には
手に職を付けるための短期学校に
行かせたりする。

クリスマスの時期になると
故郷に帰る子も多く
MCLに残る子たちは
家庭に問題がある子が残り
ちょっと寂しい気持ちになるから
毎年、泳ぎに行ったり、
年の暮れには、夜の遊園地に行ったりする。


子どもたちといっても
活動するのは、小学生から大学生まで
奨学生は、スカラシップスチューデントが
正式な名称だが、
現地では簡略に、『スカラー』と呼んでいる。
みな、私にとっては
「我が子」のような存在だ。

元日の朝、事故に遭った奨学生の家族を
病院へ救済

1月1日


特に従兄の少年は
両足を骨折した。
母親はいないし
出生届も出ていない
貧しい山の家族の子。
MCLの医療プロジェクトで
面倒をみる。



医療は、東京メソニックから
毎年100万円の寄付があり
皆さんの自由寄付も含めて対応!
昨年は、奨学生159、一般70名の
子どもたちを治療
170万円ほどを使っている。
報告書はこちら




年末の訪問者
わたしたちの新しい家族

前田さんご夫妻、MCLの敷地に家を建てて、もうこちらに住まわれたら?





まずは、古着の支援をした
12月30日


状況は良くない。今日、支援している最中に現地の警察官に連絡が入り
上流のブキッドノンのダムは放水したまま決壊し、大量の水が下流に流れ出し明日にもカルメンに届くという。
このダムは、ODAつまり私たちの税金で作った物で、山岳地ではなく、高原地域にあり
現地の先住民族の酋長から聞いた話ですが、河の近くに田畑や居住地を持っていた
貧しい人々の土地がダム建設の結果水没し、そこから、ミンダナオの先住民族の
ダム反対の動きが起こったと聞いている場所です。
水田の所有者には、大きな利益をもたらしたのですが、川沿いに住む
多くの貧しい人々には、打撃を与えた物だそうです。(日本人として胸が痛みます)

さらに下流のカルメンのダム
(これもODAで作られていて、下流の洪水を守る役割を持っているとは思うのですが)
も満杯で放水し始めており、このままで行けば
ピキットやパガルガン、リグアサン湿原を大洪水が襲う可能性があるという・・・
ただし情報は錯綜しているので、慎重に行動する必要がある。



ミンダナオ子ども図書館で
支援の古着を用意する奨学生たち
活動は、いつも若者たちが中心

洪水の避難民たちは
近くの小学校に避難していた。
しかし、教室内ではなく
外に避難している。
ビニールシートが必要だが
1ロールが12000円で
100メートルだから、
4メートル単位でカットして
1ロールから25枚とれる。
700世帯が避難しているので
28ロールが必要となり
336、000円かかる。
ガソリンなど諸経費を入れると
ビニールシートの支援だけで40万円。
MCLは、他の国際NGOとは異なり
個人の支援でほぼ成り立っている
極小の団体なので大変だ。
今年は、日本でも津波があり
支援も少なく
さらに、現地での洪水支援に奔走し
出費が多く
子どもたちへの食費も大変な状況。
しかし、避難民の人たち
特に子どもたちを
このような状況に放り出しておくことは
出来ない。
ワールドフードなどの国際支援は
カガヤンデオロに向かっているが
こちらにも目を向けてほしいと思う。

状況は良くない。
今日、支援している最中に
現地の警察官に連絡が入り
上流のブキッドノンのダムは
放水したまま決壊し
大量の水が下流に流れ出し
明日にもカルメンに届くという。
カルメンのダムも満杯で
放水し始めており
このままで行けば
ピキットやパガルガン
リグアサン湿原を大洪水が襲う
可能性があるという・・・
今後も避難民は増えていく。
今年は、クリスマスも正月も
返上するしかなさそうだ。

700世帯を越える家族が、学校内の敷地に避難している
雨よけのビニールシートと米に窮しているというが、MCLでは、米までは支援できない
屋根を見ればわかるが、このような代物で、雨をよけることは不可能だ


今回は衣料支援のみだが、状況によって医療の支援が必要になってくるだろう
子どもに限定した炊き出しも必要になるかもしれない
年が明けたら、若者たちと読み語りに来る予定だが
そうした活動の中で次の一手が見えてくる
長くならないことを願うのみだ


衣料支援をした
各家庭に4着づつ、400家族に届けた
明日また来て、300家族に届けなければならない



本当に子どもたちがたくさんいる
この子たちを放っておくことは出来ない


中には、川岸近くの住民で、家が流された家族も多い





ブッキドノンの灌漑ダムがあふれだし
カルメンが洪水に襲われた!

12月28日


洪水で着の身着のまま
緊急避難する人々


このような状態で夜を明かす
雨が降ればびしょ濡れだ!

数日前、日本政府で作ったブキッドノンの灌漑ダムが、
豪雨のために増水し、ダムを越えて水があふれだし、
現地で三〇〇世帯以上が水に浸かり
一〇〇〇人以上が避難しています。
ダムで水かさが増えて、川岸の住民の住宅を襲いました。
http://www.mindanaoexaminer.com/news.php?news_id=20111227011712

このダムは、建設時にも多くの民家が水没し田畑が奪われ、
その後、ダム建設の反対運動の象徴となった物です。
昨日、この増水が、さらに下流に流れ込み、
現在下流地域のカルメンを襲っています。
MCLの奨学生も多いパガルガン市が、緊急の避難情報を出し
夜に人々が高台に避難しました。
その中にはスタッフや奨学生もいます。
カルメンにも、ブキッドノンのダム同様に、
日本ODAつまり私たちの税金で建設した灌漑ダムがあり
(右の写真で、このダムに関しては記事に書きましたInfo
ブキッドノンであふれ出した水は,
現在下流のカルメン市のダムでぎりぎりで保持されている様子です。
しかし、ブキッドノン同様に、保持された水があふれ出しつつあり、
川岸の住民を襲い、七〇〇世帯あまりが避難しています。
ミンダナオ子ども図書館では、
台風による洪水被害の出たカガヤンデオロは
現在も多くの国際NGOなどの支援があるので
こちらに力を入れることにしました。

今は、かろうじてカルメンのダムが水を保持していますが
飽和状態で、隣のカバカン市に水があふれ出しています。
洪水は今までも見てきましたが、このような事態は初めてです。
カルメンのダムの放流が開始されつつあり、
今後は、下流のパガルガンやピキット市を洪水が襲う可能性があります。
前夜に、パガルガンの人々が高台に避難する事態が起こりました。
まだ、下流に洪水が流れ込んではいませんが、
今後、雨量が多くなると
ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちが多くいる地域を大規模な洪水が襲い
カガヤンデオロを越える事態を招くのではいかという、
懸念する報道も出ています。

これ以上、上流で雨が降らないことを祈ると同時に、緊急支援を決定しました。


カルメンのダム


激流で岸が削られ、モスクの半分が流れ去った
カガヤンデオロでも、死者の半数は子どもたちだった



川沿いの貧しい家々が流され、被害が甚大になる

川沿いには、土地を持たない多くの貧しい人々が住んでいる
犠牲になるのは彼等だ


トウモロコシ畑も水の中だ
河を上記のような流木が流れ出すのは、カルメンのダムの放流の結果であり
大洪水が起こる予兆であるとされている。

緊急に避難する人々、しかし、
このような状態では雨が降れば大変だ
ビニールシート等の緊急支援が必要です
現地で購入する方が安いです
皆さんの支援をお待ちしています。

郵便振替口座番号:00100 0 18057:口座名:ミンダナオ子ども図書館


このような状態では
とても雨には絶えられない
屋根になるビニールシートが必要




Merry Christmas!

クリスマスおめでとうございます。ご安心下さい、私たちは元気です。

洪水のニュースが流れました。
私たちは皆元気です。場所は、ミンダナオの北部で、ここから五時間の場所です。

しかし、悲しいニュースがあります。
今年高校を卒業した奨学生のマリテス・ナヴァロさんのおばあちゃんと
小母さんと子どもたちが、カガヤンデオロの洪水で流されて亡くなりました。
おばあちゃんは、娘の事を心配して、現地へ行ったのですがそこで洪水に遭いました。

貧しい人々は、土地が無いので川沿い、海沿いに貧民街を作って住んでいます。
今回の洪水は、台風による増水で、河の水位が高くなり溢れたことが原因と報道されています。

河の水が鉄砲水となった原因に関しては、ピキットのリグアサン湿原と同様に、
上流の樹木の伐採が関係している事は疑いもありませんし、この件も報道されています。
多くの貧しい人々の家々が流され、特に子どもたちが亡くなったことは悲しい、悲しい事実です。


もう一つの悲しい出来事は、
アラカンで30年間、マノボ族を支援し続けてこられた
ファウスト神父さまが、殉教された事です。
この件に関しては、
ドン・ボスコ社発行の『カトリック生活』1月新年号
に書きました。
殺害の理由は、現地や地元マスコミでは
マノボ族の住む山岳地域の鉱山開発に
反対していたことが原因だと言われていますが、
正確にはわかりません。
現地記事の一部
INFO
ドンボスコ社の月刊誌『カトリック生活』購入 INFO

松居友へのMCL電話、番号が変更になりました!!!!!!!
08044232998 です。



私の保育所は今
プノル 北野財団
パイドプランギ 溝田美恵子・山元神父と友人たち
ブアラン 高橋毅
ニューバレンシア 多湖ファミリー
パマリアン 小役丸 良徳
ブロッド 丹原美保
バロン 高橋毅
カルボガン 円福幼稚園
タリタイ 長崎出島ロータリークラブ
フォートピキット 京都暁星高校
バラティカン 高橋毅
ナムリ 大阪のEM.K
レオン ARMEC
サパカン 茨木ロータアクトクラブ
セニオマラウ 全国海外教育事情研究会
セニオマラウ W21小田原
ブグアク N.T
カティンド 京都暁星高校
スプリング STUDY UNION
アマベル 京都暁星高校
ボアイボアイ 北九州ライオンズクラブ
ビラフローリス 藤岡市私立幼稚園協会・水沼武彦
マロゴン ほるぷ社
キダパワン 中本山實相院発菩提心の会
キアタウ 諏訪 淑子
ケロハス 松岡 なつめ
バンシラン 北野財団
ムヤス 多湖ファミリーと親戚一同
ダトゥ インダ 丹原美保
ラナコラン下宿小屋 河野優子
ラナコラン下宿小屋 京都暁星高校
ティナゴ 小雀保育園
マティアス 久岡 隆行・きみこ
グマイ 日本の小母さんから
セニオマラウ 北九州小倉ライオンズクラブ
ナブンダス 市川 鉄子
ウオーターフォール 日本テレビ
ルモット 岡本 るり子
カヨパトン 窪田 まゆみ
カパタガン ソロプチミスト 原田万紗子
保育所支援希望
支援方法



カヨパトンに古靴と古着を届けた
9月9日(金)


最近の激しい雨で、川底は荒れて、4WDでも川を渡ることが出来なかった。
ジョジョを家に送り届けるのに、車を川の手前に止めた。
カヨパトン村の子たちを、下の集落までつれてこなければならない。

足に傷がつかないように、靴を履いたまま川を渡るのがテクニック。
こちらの子たちの足と私たちとは出来が違う。
カヨパトンは、いつ行っても貧しく
見放されたような村だ。




学校に行くにも、履いていく靴どころか
草履すらなく、裸足の子も多い。
スカラシップの子も多いのだが
せめて学校に行くのに、
靴を支給してくれれば・・・
と言う話は、聞いていた。

靴の支給は、古着に比べると少ないので
いつも困ってしまうのだが、
うれしいことに、毎年小樽から


小樽ワールドフレンズの方々が
靴を贈って下さる。
どれほど助かることか!

http://otaruwf.web.fc2.com/
Link

ここ以外にも、無限に靴のない子たちが
居るのだが・・・
皆さん、物資支援もよろしくお願いします。


ジョジョのお母さんとジンジンも
元気そうだが少し痩せた。


スカラシップ・医療・古着の支援方法は、下のロゴをクリックしてご覧下さい!

自由寄付:思ったときに、思った額を!子どもたちの食費や活動費に使われます。
郵便振替口座番号:00100 0 18057:口座名:ミンダナオ子ども図書館
お母さんが、小さいときに亡くなり
お父さんも、別の女性といっしょなった
ロウェナ
父親も非常に貧しく
子を養えず
親戚の家を転々として
女中仕事をしつつ
頑張って小学校を卒業した。
生まれつき、
足が萎えている。
でも、勉強は、良くできる。
このような子にこそ
将来の事を考えて、
スカラシップを与えていくのが
ミンダナオ子ども図書館。
幸い、同行されていた
理実さんが、
支援を引き受けて下さった。
理実さんは、
未希さんのお姉さん、
二人とも、お父さんを失っている。
つらい体験もしてきているだけ
ミンダナオの子どもたちの気持ちがわかる。
お茶の水大学の理実さんは、
ミンダナオをテーマに保育の調査を
「卒論を発表した後、大学院へ行っても
ミンダナオをテーマにしていきたい!」
一橋大学4年生の未希さんも
すっかりミンダナオになじんでいる。
2月になって卒業したら
早くミンダナオに来て
ビサヤ語をダバオで学んで
ミンダナオ子ども図書館の
仕事を始めたい。
几帳面で、物事を深く捉え
しっかり考えて語る性格。
文章力もある。
専門は、社会学の哲学
ハイデッガーの『存在と時間』
私も、専門はドイツ文学だった。
実存哲学にも興味を持ったが
はるか過去のこと?
哲学好きの陽とも気が合うようだ。

MCLにいる、ロクサンさんの妹。
ロクサンさんも、兄弟思いで、しっかりした子だけれど、
妹も、こんなに小さいのに、下の弟をおぶって、下の集落に靴と古着をとりに行く。
この年齢の日本の子どもは、弟や妹の面倒をここまで見るだろうか!



今は、増水こそしていないが
増水時にこの川を渡る
小学生たちの事を想うと
悲しくなる


こうしてみんなで助け合う姿は、
見るたびに美しいと思う。
別に血がつながっている
わけではないけれど、
同じ集落に住んでいるだけで
兄弟や家族のような気持ちなのだ。
下の子も、川を渡れずにいると
すぐに別の子がやってきて(下中)
おんぶして川を渡った。


高島 幸枝さん主催の
小樽ワールドフレンズの
古靴を渡す

http://otaruwf.web.fc2.com/
Link



この集落の子どもたちは
ほとんどが、裸足だ。


右の写真の子どもたちの
足下を見て下さい。
靴の支援が、古着と共に
どれだけ彼等にとって
うれしいか。
こうした靴は、
もし買うとしても、
町に出て、
古靴屋に並んでいるのを
手に入れるのがせいぜいだが、
相乗りのバイクに乗って
町まで出るお金も無いのだから、
日々食べる米を買う金すらないのだから
親が子に、靴を買ってやるなど
考えられない事なのだ。
靴がないので、
草履を履いて学校に通っても
すぐに穴あき、
それが原因で、停学する子も多いと聞く。



ミンダナオ子ども図書館に住んでいる子にすら
全員に、こんな良い靴を買って与えることは考えられないから、
彼等の多くも、ゾウリを履いて通っている。
靴をもらうことが、どんなにうれしいことかわかるだろう。

学校では、基本的にゾウリは駄目で
靴を履くことが、義務づけられているのだが・・・
裸足で通うことは不可能だ。

皆さんから贈られた古着も・・・


靴と同時に、大事なのが古着だ。
日々、彼等は、ほとんど裸に近い
姿で生活している。
着ていても、穴の空いたボロボロの服。


古着を配るときにも、MCLでは、

古着の入った箱を、そのまま置いておくような配り方は決してしない。
一部の人たち、特に地域の有力者が、箱ごととって
血縁関係者にだけわたしたり、ひどいときには、
町へ行って古着屋に売りさばいたりすることがあるから。
必ず、その子に合わせて、一着ずつ支給する。

こうして、みんな並んでもらって
その子の体に合わせて
一着づつ渡すのだが、
時には、子ども服が足りなくなると
兄弟や姉妹、
親のための服を、代わりに渡したりもする。
子供服が貴重で少ないし
古着屋でも値段が高い。
全員に行き渡らなかったりすることもあるが、
その時は、また次の機会に持っていく。
村とのお付き合いは、
奨学生のための学用品を
2月に一回届けているだけではなく
読み語りなど、
さまざまな機会があるから・・・

ヒナイヒナイバスタカヌナイ
ゆっくり、ゆっくり
でも絶え間なく・・・が
ミンダナオ子ども図書館のモットーだ。
ほとんど個人の方々の
支援によって
成り立っているMCL。
小さな小さなNGOだけに
大きな支援は出来ないけれど

長くご縁を持って
お付き合いしていきたいと思っています。




古着をもらって大喜びの子どもたち




スカラシップ・医療・古着の支援方法は、下のロゴをクリックしてご覧下さい!

自由寄付:思ったときに、思った額を!子どもたちの食費や活動費に使われます。
郵便振替口座番号:00100 0 18057:口座名:ミンダナオ子ども図書館


また必ず来るからね、待っててね。





ミンダナオの情勢

ミンダナオの情勢は、良いのか悪いのか、つかみ所がはっきりしない。
イスラム地域は、ラマダン明けが一つの節目で、ラマダン期間中は、国軍は動いても
イスラム教徒は、断食月に入り動かない。しかし、あちこちで爆弾事件などが起こるのもこの時期
それに対応するかのように、ラマダン明けに、戦闘が起こることが多い。
8月初め頃には、和平交渉が決裂するのではないかという、不安があって少し緊張した。
決裂すれば、即戦闘態勢に入るという話も聞いていたし。
7月下旬あたりから、軍の動きも活発で目立つようになった。

しかし、アキノ大統領とMILFの極秘会談(非公式という意味だろう)が、日本で行われ
平和への努力で話し合われ、その結果、戦闘は回避されたような感じだった。
むしろ、戦闘の動きは、マグペットやマキララのマノボ族地域で起こり始めた。
若い軍人たちが投入されているという話は聞こえていたし、マノボの人たちからは
山の中を軍隊が陣を張ったり動いているという話が聞こえてきていた。
戦闘は、小規模な物だが、死者や避難民もあちこちで出た。
マキララでは、空からの空爆もあり、バゴボ族にかなりの死者が出たと聞いたが
死者の実数などの報告は、マスコミ上では出てこない。

MCLの奨学生のいる、ボアイボアイでも戦闘が起こり、今も住民は困窮している。
しかし、こうした小規模な戦闘の状況は、ほとんど報告されることもなく、
今回、国連難民高等弁務官事務所から連絡が入ったときは、少し驚いた。
国際的な機関は、このような小さな動きには、呼応しないものだと思っていたから。
同時に、私は、イスラム地域の状況と同時に、貧困では、はるかに困窮している
マノボ地域に比重を少しかけて行こうと考えていた矢先だっただけに、うれしくもあった。
今後の動きについては、予断を許さないと思っている。

和平交渉は、自治と資源がメインの課題としてのぼってきたが、
両者の隔たりは未だに大きく、和平交渉の困難さを浮き彫りにした。
結果的に、和平交渉は継続するが、政府案は拒否する考えをMILF側は表明した。
イスラム地域での今後の動きは、MILF分離派のKatoの動きとも複雑に関係している。
http://newsinfo.inquirer.net/52461/kato-prefers-talks-
先日、ミンダナオ子ども図書館で平和の祈りをしたブアランのニューバレンシア。
その裏のラガイェンに軍が入った。上記の事と関連している。
2008年にも、この地域から戦闘が勃発した。それが50万の避難民を発生させる戦闘に
拡大していったのだが、ブアランの子どもたちやラガイェンの奨学生たちの事を考えても
この地域の動きに不安を覚える者たちは多い。

マノボ族の地域も含めて、子どもたちの事を考えて、出来る限りの手は打っていきたい。
平和構築も安易に出来る物ではないことは重々承知だが、諦めてはいけない。
ただ、世界的な経済バランスが崩れているので、最悪の事態は回避できるかもしれない。



国連難民高等弁務官事務所から
今井飛鳥さんが避難民調査に

9月7日(水)

UNHCR(United Nations High Commissioner for Refugees)
国連難民高等弁務官事務所のサイト
Info


UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が、
コタバトに拠点を構えたことは知らなかった。
UNHCRは、緒方貞子さんがかつて活躍した
国連の部署であるぐらいしか知識はない。


UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の
Protection Officer の今井さんから連絡をいただき
MCLでお目にかかることになった。
ミンダナオにおける先住民族、特にマグペット地域の
マノボ族の状況について聞きたいというお電話をいただいた。
MCLでは、バランガイマノボで200名を超す避難民が出て
すぐに行動を起こしていたし、そこから最奥の集落アポックアポックに
保育所建設を開始。同時に、現地の状況をかなり把握していたので
マキララやアラカンの情勢と共にお話をした。
ボードメンバーのガボン牧師に連絡をし、当日は
各地の首領も参加して、マノボ族の状況を話し合った。
これをきっかけに、お互いに協力しあって行くことに話がついた。




ジーナの妹
9月3日(土)




ジーナは、MCLに住んでいる。
お母さんが居なくても、
お父さんから遠く離れていても
優しい心を失わない。
腹違いの3歳の妹が
たった一人で山の奥の家に
取り残されているのが悲しくて
涙ぐむ。

その子は、先週、4日間ほど
MCLに滞在し、
私と妻のエープリルリン
ジーナも一緒に子どもたちと
キダパワンのカテドラルのミサに出た。
3歳の子は、
私の肩ですやすやと寝息を立てる
父親は、その子もMCLに引き取ることが
出来ないだろうかと言う。
しかし、MCLでは、
小学校1年以下の子は
DSWDの受け入れ許可を得ていない。



妻のエープリルリンは、
父親の了解を得て
いっそ、養子にしたらよい、と言うだのが




山元神父さんによる
ニューバレンシアの平和のミサ

8月21日(日)


イスラムの村とクリスチャンの村の中間に、保育所の移設も完了した。
Mの会で、ここに穀物干し場を兼ねたバスケットボールコートが近くできる。
子どもたちは、仲良く保育所に、若者や大人は、バスケートボールを楽しみながら、収穫を喜ぶことが出来る。




長崎出島ロータリークラブ
寄贈による
ピキット・タリタイ村の
保育所の開所式

8月27日(土)




NPO STUDY UNIONを主催されている
関さんは、3度目の訪問
今回は、RCの寄付で
タリタイ村に保育所を建設

希望としては、イスラム自治区のカルボガンに
保育所建設を望まれていた。
私たちは、資材も購入し準備を完了していたのだが、
洪水が繰り返し襲うことで
どうしても建設を開始することが出来ず
急きょ、ピキットのタリタイ村に変更した。
ここは、MCLが最初に活動を始めた地域で
イスラム地区における活動は、ここから始まった。

関さんは、STUDY UNIONの活動をなさっていると同時に
長崎出島のロータリークラブのメンバーでもある。
STUDY UNIONに関しては、こちらをクリック

http://www.justmystage.com/home/studyunion/


今回の開所式で
私が個人的に最もうれしかったのは
この子に会えたことだ。
下は、かつての記事の抜粋
洪水で大変な時に
たった一人で魚を売りに
裸足で道を歩いていた。
あまりにも身なりが貧しいので
思わず車を止めて
魚を買った。


タリタイ村の川沿いの集落に
住んでいると言うことはわかったが
どこだかわからない。
必ずいつか探し出して
訪ねようと決心したのだが・・・

開所式の読み語りに
その子が来ていることがわかったときには
どんなにうれしかった事か。
早速、写真に収めた。
彼女も私を思い出してくれた。
一緒にいるのは、妹。
ピンクの服を着ているものの
破れてひどい服。
話を聞いていく内に
川沿いの非常に貧しい
ニュータリタイに住んでいるという。
川沿いゆえに、洪水の影響をもろに受けている
この村には、MILFの司令官もいるのだが、
彼も貧しく、タリタイの村長に
米をもらいに来たりしている。
彼女のお父さんも病気で
ほとんど仕事が出来ないで
この子たちが魚を獲っては
売り歩いていることもわかった。
その村は貧しいと言うことで
必ず訪れる決心をした。

写真の少女は、恐らく父親か兄弟が捕ったウナギを
村の小さな市場に売りに行くところ。

こうして、日々の糧をようやく得ている多くの貧しい人々が
川沿いの地域で生活している。
もちろん、学校に行くことも出来ない。


ウナギはいくらかと聞くと
二匹で25ペソ、50円
そこで、持っていたウナギ4匹を
100ペソで買った。
小さい頃から、
親に言われて、
こうして兄弟で魚を捕っては売り歩く。
それが、彼等の生活を支えている。

ダムで川が堰き止められることによって
乾期に水位が低下し、
漁業が出来なくなったために
多くの貧しい人々が、
日々の食卓にも不安を持つようになった。
こうした人々は、
ダムの後にさらに
農業用灌漑水路が出来ることによって
今まで以上に水位が低下して、
漁業被害が出ることを怖れている。



足は素足だ



上の写真は、地元の子のように見えるが、娘の藍花と舞花

こちらは、本当に世話になった
タリタイの村長さん

開所式のサイン


この村からは、
現在、MCLのプレシデントを
しているアスレー
スタッフのノライダさんや
アミン君も来ている。
過去に多くの奨学生を採っていて
大学生を卒業して
いろいろな場所で活躍している
上の写真は、保育所の先生だが
奨学生のお姉さんでピキットBDAの
メンバーでもある。
EUの支援で学校も建ったが
保育所だけが小さかった。




マノボの村
ブハイでの読み語り

『ゆめポッケ』を渡した

8月29日(月)



ブハイは、去年初めて訪れた。
MCLのスタッフで日系人のジケロ君が
自分の叔父さんが、会いたいと言っている
というので訪れた。
ドールの広大なバナナプランテーションを
抜けていくその奥。
原生林の側に、へばりつくようにある
非常に貧しい村。
マノボ族、バゴボ族、テサロニケ族
三つの先住民族が混じっているが
日系の先住民が多い地域で
ジケロの叔父さんもその一人だ。

マキララ地域は、先住民が多く
谷の深い山岳地域で
村や集落も分散していて
車はもちろん
徒歩でもしばしば難しい。
それだけに、素朴な生活が生きているが
NPAで有名な地域でもあり
戦闘がしばしば起こる。

今回は、立正佼成会から贈られた
ゆめポッケを配ると同時に
親のいない高校生を
奨学生に採用
今後のこの地域での展開の一歩とした

読み語りの後で大きなカブを演じた

NPO法人、STUDY UNIONの関さんと日系人国際大学で日本語の先生をしているタカコさん
タカコさんは、タガログ語もたんのうで、かつて日本で保母さんをされていた

おおきなかぶの劇をした。
子どもたちは、この劇が大好きだ。
こちらでは、「かぶ」ではなく
「カサバイモ」になっていて
猿も登場する。
今回は、おおきなカブに
民希さんが
お父さんに関さんが
お母さんにタカコさんが
出演して大好評だった。


みんなで声を合わせて「うんとこしょ、どっこいしょ」
それでもカサバイモは抜けません


ミンダナオの子どもたちの純粋に熱中する姿は
本当に子どもらしく美しいといつも思う


民希さんもすっかりなじんで
来年から日本人スタッフとして
活躍してくれるだろう
「ここにいると本当に楽しい」

最後に、ゆめポッケを配った

立正佼成会から送って下さる
ゆめポッケについて


『ゆめポッケ』は、子どもたちが食事やおやつをがまんして、その分を献金して
とりわけ戦禍で追い詰められた貧困地域の子どもたちに
夢を送るためのおもちゃや学用品を入れて、家族で手縫いした巾着に入れて送る運動です。
MCLでは、3年ほど前から、親子で現地を訪れて、子どもたちが直接『ゆめポッケ』わたすと同時に
平和の祈りに参加し、MCLの子どもたちとの交流を深めてきました。
今回は、ピキットのイスラム地域で政府の危険地域指定になっている関係上、配布に参加は出来ませんでしたが
又の機会をMCLの若者たちも、楽しみにしています。


Info




立正佼成会寄贈の
夢ポッケを
マノボの村
アポックアポック
に届ける

8月26日(木)


アポックアポック集落は、バランガイマノボから
約7キロの山道を歩いて行く。
今回は、ゆめポッケをリュックに入れて
村へ向かった。


集落に着くまでには、下に見える川を
渡らなければならない。
この川の向こうの村からもMCLの奨学生は
来ているのだが・・・


遠く望遠レンズで望む
アポックアポック集落
右の写真の山の中腹にも見えるのだが


山道と言っても
整備されているわけではない。
7キロというとかなりあるが
途中、川を渡ったりもする。
子どもたちは、この道を毎日歩いて
学校に通うのだ。


学校は、7キロ先のバランガイマノボにある。
この道を毎日歩いて通っている少女たちにあった。
さすがに保育所に通う年頃の3,4,5歳児には無理な道のりだ。
親が付き添って行くが、山仕事が出来なくなる。
それゆえに、この集落に保育所を作ってほしいと言う要請がMCLに来た。
保育所は現在、馬で資材を運んでいるところ。
その調査で村に向かったが、ゆめポッケを同時に配ることにした。


村に行く途中で川を渡る
増水しているときは危険だ。
子どもたちが大雨の中
滑りやすい丸木橋を
自分たちだけで渡って
学校や保育所に通うのかと思うと
鳥肌が立つ


橋の建設の要請もあるのですが
どなたか寄付できますか?
20万円ぐらいで出来るようですが
Eメール:mclstaff@zar.att.ne.jp(松居友)
やっと無事に、集落に着いた
保育所の状況を把握した後
子どもたち全員にゆめポッケを配った



学用品とちょっとしたオモチャも入っている
オモチャなど、見たことも触れたことも無い
子どもたちだけに、大喜びだ!!
水筒などは、
学校に行くときに大いに役立つ
縄跳びやボールで
たちまち遊び出す子どもたち
時には、大人たちの方が
夢中になったりしている


ほとんどの子どもたちが
小学校すら卒業できない地域だけに
MCLで学校に行けるように
してあげたのだが
まだ、150名の子どもたちに
里親やスカラシップ支援者がいない




平和の祈りのために
立正佼成会から送られてきた

夢ポッケをトラックに積んだ




1053個のゆめポッケがMCLに届いた
その中の500あまりを、今回は小学校が建設されたブアランの子どもたちに
届ける事にした

MCLが主催し、日本政府が建設した
小学校の開校式を兼ねて
平和の祈りをブアランで開催

8月23日(火)



MCLが提案・マネージメントし
日本政府とバンサモロで建設した
ブアランの小学校の開所式を兼ねて
平和の祈りを開催した




戦闘の激しかったブアランの地に、7教室の美しい学校が日本政府の支援で完成した。
草の根支援と呼ばれるこの支援は、現地のローカルガバメントやNGOの要請を、日本大使館で慎重に審査して決定される
MCLは、現地組織として案件を提出、日本人が関わっているNGOとしては、今回唯一だった。
美しい校舎は、30年間対立していたこの地域のムスリムとクリスチャンの親たちが協力して3ヶ月で建設した。


平和の祈りは、MCLの子どもたちの踊りから始まる


今回、背後で中心に位置している男の子は、
イスラム教徒で戦闘で両親を殺され、自分も腹を射貫かれた少年
ソライミン サリック君だ。今は、MCLに住んでいる。


訪問者の方々

国際停戦監視団の落合氏
仏教徒を代表して参加

MCLジャパンの山元眞神父
日本のカトリック教会から

ピキットの神父
現地のカトリック教会から

ブアランの村長さん
イスラム教徒

ブアラン小学校の校長先生
イスラム教徒
MCLプレシデント アスレー


イスラムの祈りが
聖職者によって行われ
イスラムの祈りの歌がうたわれた


マノボの祈りと
マノボの歌が奨学生たちによって


山元神父によって
クリスチャンの祈りと
歌が歌われた


国際停戦監視団からの参加と報告の後に
仏教の祈りが、落合氏によって
捧げられた


最後に、イスラム、先住民、クリスチャン
みんなで平和の歌が歌われた

オウコイ酋長も参加して、マノボの踊りを披露した




オウコイ酋長の突然の参加に
マノボの子たちも大張り切り


日本からの訪問者も
急きょ踊り加わった

立正佼成会から送られてきた
夢ポッケを子どもたち全員に渡した




平和の祈りの最後に
立正佼成会から贈られてきた
ゆめポッケを参加した子どもたち
全員に配った。


日本の子どもたちが食を抜いてためた献金で
一つ一つ思いをこめてノートや文具やプレゼントを選び
さらに両親などが巾着を手縫いして作っただけに
単なる物ではなく、そこに魂が籠もっているといつも感じる。
子どもたちにもその事を説明する。

MCLジャパンとMの会を代表して参加した山元神父さんも、自分の支援しているイスラムの若者に出会えて、大喜び。

山元神父さんに同行した大学生の拓くん。
数日するとすっかり現地の若者たちと溶け込んで、帰るときには
「今度は、ぼく、一人だけで来て、もっと長く滞在します!!」


北九州小倉ライオンズクラブによる
保育所が完成

8月21日(日)





アマベルの奥
サリンシン集落に保育所調査!

8月17日(水)



ブアラン小学校の最終チェック
8月16日(火)

設計施工を担当した、BDA(バンサモロデベロップメント エージェンシー)のマンソーリ氏
ミンダナオ子ども図書館のボードメンバーでもある。

これがかつての小学校。6年生は野外で授業。



発菩提心の会寄贈の
寄宿舎が完成

8月13日(土)

キダパワン市内に
大学生を中心とした
寄宿舎が完成
寄贈して下さったのは、
岐阜県揖斐郡大野町領家
中本山實相院発菩提心の会
http://www.34th.jp/bosatsu/m/

寄宿舎の完成は
大学生の若者たちへ
大きな希望を与えてくれた

ここでの開所式は、マノボの祈りで始まった


私も酋長として参加した


キダパワンの町はずれに
大学生の寄宿舎が出来ることで
非常に大きな助けになる
MCLの若者たちが
みんなで協力しながら
ここから明日へ、
人生の一歩を歩き出す。


本当に皆さん、ありがとう!
心から感謝します。





アポ山麓のアポックアポック村へ
保育所調査



アポックアポック村は、山麓のドールのバナナプランテーションに追われた
マノボ族の村。この奥に原生林が広がっている。

村人には、お祖父さんなどが日本人だった人も結構多い。
おそらくダバオの日本人町があったカリナンあたりから移住してきた人々。
この地で未だに手漉きのアバカを生産している。
上のお母さんも、祖父は日本人だったという。
最初は皆、自分が日系人であることを語りたがらない。
日本人というだけで、否定的なイメージを拭いきれないからだ。
こちらでは、子どもを寝かせるときに
「寝ないと、ハポンが、さらいに来るぞ・・・」と言って
子どもを脅す。戦時中の日本人の残虐なイメージが語り継がれているので
自分の血筋を明かさずに、マノボ族として、逃れ逃れて生きてきたのだろう。
しかし、このお母さん、MCLの事は聞いて知っていた。
「キダパワンの日本人がやっているファンデーション!!
あなたがその日本人!!!」
大喜びで、ジャングルを案内してくれた。


右は牧師、プロテスタントだが
自分の教会に
マノボの文化を取り入れている
聖書もマノボ語
祈りの形態にもマノボの祈祷が入っている


この村のジャングルに
高い滝があるというので
みんなで向かった


スタッフたちも
この地の山の出身だけに
子どもの頃を思い出した?


とにかく、本物の原生林がどこまでも奥深く広がっている
左は、すっかり姿を消したラワンの木


奇妙な果実を掘り出して
食べさせてくれた
甘酸っぱいジャングルの味と香り


このような原生林が残っているのは
アポ山周辺の地域だけだ
ミンダナオの94%は、伐採された


滝に向かって
最後の登り


左の写真に
スタッフのジェックジェクが
写っているが
どんなに滝が高いか
想像がつくだろう


登りもきついが
下りも慎重に行かなくてはならない
北海道時代に
日高の沢を登った経験が
このような場で生きるとは
思わなかった


この小さなマノボの村に泊まって
この奥の原生林を体験された方
スパイク付きの地下足袋を持ってこられると良いかも
ザイルはあります。
帰りは大雨に打たれてビショビショに
でも、素晴らしい体験だった



アポックアポック村で読み語り
そして、保育所建設を決定




子どもの数は少なめだけれど
素朴で本当に心の温まる村
非常に貧しい


けれど、子どもたちの表情は伸びやかで明るい



マノボデー(先住民族の文化祭)
7月31日(日)

毎月、7月最終の日曜日、若者たちの集まる日に、マノボデーを行っている。
今回は、私が正式にマノボの酋長に任命される儀式が行われた。
これによって、ミンダナオのあらゆる先住民族の地域に、酋長として訪問できるそうだ。
私のマノボ名は、
Datu Oukoy Moungangon


マノボの歌と踊りから始まった


今回は、ペルーから
レイミッションの方が参加

いよいよ、酋長任命の儀式が始まった

上は、マグペットのバランガイ・マノボの酋長


ミンダナオ子ども図書館のマノボ族の奨学生たち
踊りながら茣蓙を運び、真ん中に敷いてくれた
そこに私が導かれて座る


マノボ族の首領たち。
一人の女性は、MCLのボードメンバーのエラさん
日本のアジア学院の卒業生で、今年は米国から呼ばれて報告に行っている。

男性三人は、何と全員プロテスタント教会の牧師たち。
マノボ族で、一人はアライアンス教会でMCLのボードメンバ
二人は、バプテスト教会で、奨学生のお父さんでもある
プロテスタント牧師で有りながらも、伝統的なマノボの儀式も司り
精霊たちに向かって祈りを捧げ、白いニワトリを生け贄に捧げる
その辺の融通が利くクリスチャンが、フィリピンの特徴と言えるかもしれない



妻のエープリルリンは、
半分先住民族の血が入っている
マノボ族ではなく、マンダヤ族の衣装
白いニワトリの血が額に塗られる


さらに、蛮刀で手をこすり
悪霊を払い、
伝統的な楽器を渡される


いよいよ最後に酋長になる祈りと祝福を受けた
酋長になることによって、ミンダナオの全ての先住民の地域で
仲間としてより安全に地域に受け入れられるのだという。
酋長任命の申し出は、マノボの人々から出てきたものだ。
先住民族の子供たちを救ってきた、今までの活動が評価されたと同時に
彼等の将来を今後も考えて行かなくてはならない

続いて、マノボの祈りの聖堂Punovaranの
建設場所祈願が行われた


酋長に任命された後、マノボの祈りの場を作る儀式が始まった
みんな、ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちだ
おおはりきりで大喜びだ


アゴンと呼ばれるドラムの音色に
合わせて踊るように舞い
布の落ちたところに
聖なる場所の中心がおかれる


ボードメンバーの
ガボン牧師とエラさん


民族楽器のアゴンが
軽快な音を奏でていく


祈りに重要なタンバ(Tombaa)が
置かれ、祈願がなされた
タンバの上には
小さなお皿がのせられて
そこに祈りのコインが置かれる
お金が意味を持っているのではなく
金属が置かれる事に意味がある


こうしたシャマニスティクな精霊崇拝の祈りを
クリスチャンの牧師たちが司っているのが実に興味深い
日本で言えば、クリスチャンの牧師が神道の神主を兼ねていることになる?


タンバは、三つ置かれ
恐らく沖縄と同じ
シャマニズムにおける3界つまり
天界、この世、地界
宇宙全体を意味しているのだ
こうして天界の神々
この世の精霊
地界の死者たち全てに祈りが捧げられる


この後、ここに祈りの場が作られるが
7本の柱を持っている
これも沖縄同様に東西南北の星から
中心の北極星そして
月と太陽に向かう宇宙像だろう


陽がしっかりとこの興味深い儀式を映像に収めたので
そのうちドキュメンタリーとして発表してくれるだろう



マノボ族の子たちは
私を、「酋長」「酋長」と
呼んでくれる
親になったような気持ちだ



ペルーから来られた
レイミッションの方


私自身は、クリスチャンのカトリックだが、こうした儀式にぜんぜん違和感を感じない
父と子と聖霊の三位一体で、父なる神への思いがイスラム教徒と
子なるイエスへの思いがプロテスタントと
聖霊への思いが先住民族の精霊崇拝へと、つながっているような気がする
勝手な解釈だと言われればそれまでだが、アジア的でいいんじゃない!!!




ブアランの小学校が完成


MCLで提案しマネージメントした
JICA(日本政府)による小学校が
何と3ヶ月で完成した

かつて対立していた、イスラム教徒とキリスト教徒の村の親や人々が協力し
しかも、大勢で、子供たちのために喜びの内に建設。
何十人も協力して、何と3ヶ月、8月のラマダン前に完成した。
教育支援が、いかに平和構築に役立つか・・・・


日本が支援して建てた学校は、いつ見ても繊細で美しい!
設計と施工監督は、JICAが指定したBDA(バンサモロ開発エージェント)のエンジニア、マンソーリ氏
実は、ミンダナオ子ども図書館のボードメンバーで、MCLの奨学生の叔父さん


教室の内部も清潔で明るい雰囲気
黒板も広がりが大きく
家具もしっかり作られている

トイレもトイレタンクも、清潔にしっかりと作られている

8月23日には、ここで完成祝いを兼ねた、平和の祈りの集いを行う
ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちも大勢集まり、イスラム教徒、キリスト教徒、マノボ族皆で祝う
日本を代表して、国際停戦監視団IMTの落合さんも参加、仏教を代表して語って下さるだろう。
山元眞神父と小倉カトリック教会の子供たちも日本から参加の予定。





保育所の看板の補修を開始

毎年、建設が終わった保育所の補修をする。特に看板の色あせが顕著な場合がある。
今年から、看板制作および補修は、外部ではなく、MCLの元奨学生で、今はスタッフのジョイさんが担当。
ダバオの身障者施設から大学に行き、同時に画業も学んだ。
妹さんと共に、今年からMCLのスタッフに・・・






カルボガンの集落の最奥集落に
最終のさらに最終シートを届けた

7月13日(水)

リグアサン湿原のイスラム反政府地域、ここには何故か病気の子が多い。
まずは、この子たちの治療を決定した


普通では入れない地域だが
MCLは、心から迎えてくれる
人々は、素朴で親切だ
ここは、リグアサンと呼ばれる湿原地域で
反政府組織の地域であると言われている
道は無く、舟でしか入れないことと、
いったん誘拐されても、見つけ出すのが
困難な地域であるがゆえに
おいそれと入れない場所である。
私たちも、8年目にしてようやく
この地域と関係を持てるようになった。

遠く湿原の中にまで家が建っている
多くの人々が、漁業で生活をしている。
今回の洪水で、彼等の生活は一ヶ月近く
厳しい状況に置かれてきた。

私たちは、それらを実際に目で見て
そして、一つ一つの家族に
チケットを渡した。
後日それを、ビニールシートと交換する。

シートは、穴の空いた家の屋根や壁に張り
雨よけになるばかりではなく
雨が引いた後も
干し魚を乾燥させたり
トウモロコシを干したりするのに役立つ
緊急支援と同時に、
緊急事態が終わった後の
生活再建にも役立つ支援なのだ。


こんなところで、元奨学生と出会うとは
思っても見なかった
非常に貧しい地域に入って結婚し、
湿原にトウモロコシ畑を開いている
将来、ここにも保育所を建てよう

洪水のために破壊されかかった家々

家々を一件ずつまわり、チケットを渡す。後日、ビニールシートと交換するためだ
洪水時には、水は床上まで来た。沢山の浮草(スイレン)が家に引っかかり、家を傾かせ倒壊させた



災難時にもかかわらず、晴天の合間を見ては
魚を獲り、開いて干して、市場に売りに行く
ちょっとした事ではへこたれない生活力がある


こうして一件ずつ回ることで
現地の状況がつかめ
さらに、人々と密な関係を築ける
それが、次の平和構築活動に
つながっていく


洪水で破壊され転倒した家
今回の洪水で最も多くなく亡くなったのは
子供たちだった

中州に植えたトウモロコシも全滅している


トウモロコシは、彼等の日常の自給用
余った場合は市場に出す。
土地は肥えているから
洪水さえなければ収穫は豊かなのだ

ここにもMCLの奨学生たちがいる。学校帰りだ
この地に戦闘が絶えないのは、海外の資本家たちが
この地に眠っている、膨大な石油資源を獲得したいからだという
そのためには、反政府組織を駆逐して、思うような開発を行いたい?
石油と天然ガスは、すでに米軍も調査を終えている
普通の場所から、ガスが出ていて、料理にも使えるという

ここが、油田として開発されたら、鉱物汚染が広がって
公害によって、下流の漁民に大きな損害が行くのではないかと
人々は怖れている。

数日後に、ビニールシートを配布
シートを受け取って
人々は本当に喜んでくれた。
こうしたところから、
お互いの関係が始まる。

次は、読み語りにここに来よう
保育所を建て、奨学生を採用しよう。
子供たちこそ未来だから。

また戻ってくるからね、待っててね




アルバちゃんも元気だった
7月20日(水)


2008年の難民キャンプで出会ったアルバちゃん。
その後も、行橋カトリック教会から、ミルクの支援が続いている。
あれから4年。ずいぶん大きくなった。




ニューバレンシアの保育所を共同で使える場所に
イスラムとクリスチャンの集落の人たちが
協力して運んだ


ニューバレンシアの保育所は、クリスチャン集落の中にあったが
新たにクリスチャン集落の人々も、村を作り始め
その道の向こうに、イスラムの人々も
ラガイエン集落から戻ってきた

両方の集落が、道を挟んで仲良く生活を始めたので
保育所も、両方の子どもたちが通える位置に移すことに決定
クリスチャンとムスリムの人々が、協力して保育所を運んだ。
何と家をみんなで担いで山道を移動させた
こうした作業も
平和構築への大きな足がかりになる
保育所を通して、
子どもの頃から
イスラムの子とクリスチャンの子たちが
友達になれる

ここに、さらに、
バスケットボールコートを作りたい
コンクリートのコートは
トウモロコシなどの干し場になり
地域の経済にも貢献するし
子どもたちだけではなく
若者や大人たちの
交流の場にもなるから・・・




カルボガンにシートの配布
7月13日(水)

カルボガンは、ARMMイスラム自治区の
パガルガンサイドの
最も下流にあるバランガイ
それゆえに土地が低く貧しく
今回の洪水でも
多くの家屋が被害を受けた。
さらに下流は、水量も多く
被害はさらに大きかった。
こうした支援活動は、
現地の人々と深いつながりを築く
大きなきっかけにもなる。
今回は、保育所の子どもたちも歓迎してくれた
この辺鄙な小さな集落に
80名を超す園児が居る。


子どもたちの後ろで
黒い服を着て左に居るのが
保育所の先生


この子の手術も決定した


大喜びでシートを受け取り帰る若者
背後のトウモロコシ畑は、洪水で壊滅状態だ


シートを受け取って大喜び


こうした家族を支えているのが
湿原で捕れる魚
日々のおかずでもあり
市場で売ってわずかな収入にする
彼等は、上流にダムが出来
灌漑水路が出来ることで
水位が低下し
漁獲量が減ることを
怖れている


貧しい人々は
内陸の土地を得ることが出来ないので
(すでに大地主とその小作で占められている)
こうした湿原や川の空き州や中州に
トウモロコシを植えて自給している
今回の鉄砲水で壊滅した


マグペットのマノボ地域へ


マグペットは、前市長がマノボの女性だった。
その前市長が、山の奥に、マノボ族の避難所とも言えるような村、
その名も、マノボ村を作り
そこに高校と小学校も建てた。
子どもたちも多く、コミュニティーが生きている感じの興味深い村。

ところが最近、大量の国軍兵士が、
このさらに奥の山々の集落に派遣され
地域の住民たち、そのほとんどがマノボ族だが、NPAとの戦闘が勃発している。

この地域から、高校生を一人
そして、親の居ない小学生たちをスカラシップに採用した。
成績も良い子たちだし、
しっかりした考えを持っているし。
今後、彼等との交友を通して
マノボ集落の発展に寄与できる日が来るのが楽しみだ。

マノボの人々は、
総じて明るく
非常に貧しくても
人間らしい心の温かさを持っているように感じる。

かつて、ダバオで
多くの移住してきた日本人たちが
マノボの人々と結婚し
戦争の時に
夫婦でマノボの親戚の元に避難。
その後、マノボ族として生きている。
山で、良くそのような人と会う。



マノボ集落(バランガイ・マノボ)から
さらに奥の部落に保育所を建設
バランガイ・マノボの奥の山々。
最近この奥に国軍が大量に送られて
NPAとの間に、戦闘が絶えず起こっている。
現地のNPAと言われている2名が殺され
国軍の若い兵士が4名負傷し
奥の集落から、マノボの家族が避難民となり
この地域に降りてきている。
元市長でマノボの方から依頼を受け
MCLは、すでに先月にこの地を調査し
保育所建設を決定したのだが・・・
個人的には、なんでこんな平和なところに
大量の若い兵士が投入されなければならないのかなあ
と思うのだが。NPAを対象に
訓練も兼ねたオペレーション(手術)だという話も聞こえてくる。
マキララでは、空爆まで実施された。

COTABATO City, Philippines?Communist rebels and government forces clashed on Saturday
in a remote village in North Cotabato,
leaving two guerillas killed and four soldiers and six rebels wounded.

Colonel Prudencio Asto, speaking for the 6th Infantry Division,
said soldiers belonging to the 57th Infantry Battalion were in Sitio (settlement) Dalag,
Barangay (village) Manobo, Magpet, North Cotabato,
to pursue New People’s Army rebels who were reportedly harassing civilians, mostly Manobo tribesmen.

Asto said the soldiers were patrolling the village when fired at by the rebels
who were on a higher ground, triggering a firefight that lasted for more than an hour.
・・・・・・・


ここに保育所を作ることを決定した

Cotabato villagers flee homes due to tension between Army, NPA rebels

http://www.gmanews.tv/story/226069/regions/cotabato-

KIDAPAWAN CITY ? Some 200 families from two villages in
Magpet town in North Cotabato
have refused to return to their homes due to tension
between government forces and communist guerilas there.

The evacuees are staying in barangay halls and other government facilities
in the villages of Manobo and Kinarom
for fear of being caught in the crossfire
once they return home.
Many have sought shelter from their relatives.


ダム建設

難しい開発支援
ダム建設

7月10日



カバカンとカルメンに接する地域に、新たなダムを建設するプランに、マノボ族も合意のサインを出さなかった。
ピキットの人々に聞くと、漁民が水位が変わり低下する被害を怖れているのだという。
漁民と行っても日本と異なり、日々のおかずとして魚を捕獲し、残りを町に売り、米を買って帰るような
漁民とも言えない、川を自給地としている実に多くの庶民、貧しい人々がいる。
こうした人々は、自分の土地がなく、川縁の州や中州にトウモロコシを植えて自給している。
大地主は、5つの市町村の全ての土地をもっていたりするのだが・・・

ゴコタン集落から、保育所建設の要請があり
この地を下見に行ったついでに、
現地の方々と、この先の日本政府が建設した
ダムサイトに連れて行ってもらった。
この集落は、もっとも複雑な状況の場所で
とても記述は困難だが、本当に不幸な地域だ。
外国人は、入らない方が良いだろう。
カルメン側からならば、多少は良いが
人々の怒りの理由は、多少は理解できる気がする。

農業灌漑水路の光と影




こちらでは、
多くの貧しい人々は、自ら所有する土地が無く、
川沿いの所有者のない中州や川縁にトウモロコシを植え
漁をして、日々の糧を得たり、
数匹の魚を市場に売りに行ったりして食いつないでいる。
農業で収益を上げられる人々は大地主たちで
川縁で自給用のトウモロコシを植えたり
魚を捕ったりして食いつないで居る家族の方が、はるかに多い。
農業灌漑水路の建設による水田開発で、
広大な地所を所有する土地持ちは豊かになったが、
土地が無く、川沿いに住み、川の漁業で生活の糧や、
わずかな収入を得ていた多くの貧しい人々や漁師たちは
水位の極端な低下や、放流による変化に翻弄されている。
写真の少女は、恐らく父親か兄弟が捕ったウナギを
村の小さな市場に売りに行くところ。

こうして、日々の糧をようやく得ている多くの貧しい人々が
川沿いの地域で生活している。
もちろん、学校に行くことも出来ない。

ウナギはいくらかと聞くと
二匹で25ペソ、50円
そこで、持っていたウナギ4匹を
100ペソで買った。
小さい頃から、
親に言われて、
こうして兄弟で魚を捕っては売り歩く。
それが、彼等の生活を支えている。

ダムで川が堰き止められることによって
乾期に水位が低下し、
漁業が出来なくなったために
多くの貧しい人々が、
日々の食卓にも不安を持つようになった。
こうした人々は、
ダムの後にさらに
農業用灌漑水路が出来ることによって
今まで以上に水位が低下して、
漁業被害が出ることを怖れている。



足は素足だ
こうした状況は、
リグアサン湿原に近づくほど強くなる。
リグアサンでは、
捕れる魚も多くなり
乾燥させて町の市場に売りに行く。
今回の洪水では、
川縁の砂州や中州に植えた
トウモロコシが壊滅し
彼等の収入は
魚しかない。
それでも、
漁業で生活を確保している
リグアサンの人々は良いが
上流地帯の川縁の人々は厳しい。


魚は豊富でこうして干物にして売る
貧しい家庭の収入は、
年間で5000ペソ
一万円。
月ではなく、年収だ。

中州に植えたトウモロコシは完全に壊滅状態
洪水は、ダムの排水口を開く事で
鉄砲水と化す。
繰り返しこの地域の洪水を見ていて
自然災害にしてはおかしいと思っていたが
ダムが許容量を超えると
勢いよく排水口を開き
鉄砲水となって
人々を襲う。
浮き草、スイレンどころか
大きな木や枯れ枝も
勢いよく川を下る。
これらが、水をかぶった家にぶつかり
家々を倒壊させたり
橋を破壊したりする。
川沿いの州に植えられていた
トウモロコシも
今回の洪水で全滅した。
今年は、異常に雨が多い。
竜巻のようなものも襲う。
今後も繰り返しダムの開口と共に
下流を鉄砲水が襲うだろう。
雨の少ない一昨年のような時期には
逆に、川沿いや湿原地帯の多くの、
生活を川に依存している住民や漁民を
水位の低下が襲うだろう。


洪水支援のシートを受け取りに来た男性。
周囲のトウモロコシは壊滅状態だ。
スイレンと豪雨で川が氾濫、50万人が被災 比ミンダナオ島
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/


リオグランデ川は全長約320キロ、ミンダナオ島最長、フィリピン全土でも2番目に長い河川だが、
流域に群生するスイレンがモロ湾(Moro Gulf)に通じる流れをせき止めているため氾濫し、洪水が発生している。

 ミンダナオ島南部コタバト(Cotabato)市の社会福祉担当長によると、
23の自治体が洪水に見舞われ、55万9067人が影響を受けている。

浮き草(スイレン)で倒壊した湿原地帯の家

上流の水門を開くことで
こうした浮き草がドッと流れ出す。
浮き草だけではなく、
結構大きな枝や倒木も流れていく
こうした浮き草や倒木が
家や橋に引っかかり
自然のダムとなって
洪水被害を大きくする。

今回も下流で
かなり大きな被害が出た。

ダムからの放流を無くすために
農業灌漑水路が役に立つ?


これは、かなりの巨額をつぎ込んで
作ったサイフォン
大きな川を地下水路で抜ける
日本の技術力の見せ場だったが・・・
こうした農業用開発水路が、ダムからの排水を軽減し
鉄砲水を防止する役割を持っているのではないかと、私も思っていたのだが、
(確かにその効果はあると思う)
しかし逆に、乾期で水不足になったり
一昨年のように、エルニーニョが襲ったりすると乾燥が激しくなり
水田の所有者である大地主たちは、
自分の田んぼが水不足にならないように
ダムを閉ざして灌漑用水路に、貯水を全て引き込もうとする。
そうすると何が起こるか・・・
本流は水不足となり、涸れてしまい、
多くの貧しい人々が、手持ちの網で魚を捕獲することも出来なくなる。

こうした貧しい人々にとって、日々の糧すら得られなくなることは大打撃だ。

それが理由かはわからないが、
ダムを建設したり、
農業用水路を作ったりする
企画は日本政府だが、
現地で技術指導をしていた
韓国人を殺害した???
その後も、外国人の誘拐が
頻発している地域。
単なる身代金目的だけだろうか?
自分たちの生活を奪った者に対する
憎しみは無いだろうか?


濁流は多くの泥と砂を含んでいる


さらに問題を難しくしているのは、
流れ込む水が、日本のような清流ではなく
多くの泥を含んでいる濁流であることだ。
上流地域のジャングルの伐採が
こうした濁流を生み出すようになった
その結果、ダムの貯水池も
農業灌漑水路もたちまち泥で埋まっていく
途中で見た農業水路も
見かけは深そうなのだが、
泥に埋まり浅くなっていて、
人の腰までしかなかったりする。



これは、山のマグペット地域での泥流、これが流れ込む
そこにさらに、水草が覆い茂ってきたりすると
もはや水路の役割を持たず
たえず、水草を除去し、泥を除去しなければならなくなる。
しかし、水草や浮き草に混じって、土地の人々の食料となる
カンコンと呼ばれる水草が、畑のように植えられているからまぎらわしい。
水を止めて、膨大にたまった泥を除去する作業は大変だ。
ダムサイトに溜まった泥を除去するに至っては
どのような作業をすれば良いのだろうか?
川で魚を捕り生活している、多くの貧しい人々の生活。
地主の持つ水田の利益を優先してコントロールされるダムの水権利
土地所有権利から外れた川縁の中州や川沿いの州に
トウモロコシや作物を植えている人々を襲う放水による鉄砲水。
日本では空想すら出来ない、多くの状況の違いが
問題を非常に複雑にしている。


ここに来て、開発支援の難しさ
現地の状況を知らずに行うことの
恐ろしさをヒシヒシと感じた。
教育や学校建設のように
実利や利害、土地所有やお金に
直接結びつかない支援の方が
人々、とりわけ貧困層の心を解き放ち
未来へ向かわせる気がした。

しかし、いったん手を付けた事業を、途中で放棄することも出来ないだろう。
漁業者と農業者、貧困層と富裕層が納得できるような、水利権や放水権を設定して
対立する両者を共に保護するような奇策が必要な気がする。

自由経済、グローバル資本主義が発展すれば
貧困は自然と解消する?????????
ミンダナオにいると、自由経済の発展や多様性を無視した開発は、一部の人々を利するだけで
貧富の格差は、むしろ拡大するばかりのような気がしてならない。






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また、中高年の方々にも、現地の子供たちの笑顔が生きる喜びになっていることがわかり
夢と真実を伝えるために、活動を年次ごとにまとめ、過去の機関紙もPDFで掲載しました。
ただし、機関誌は2018年4月までで、数年はサイトに掲載しません。
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