戦争と平和構築
2008年の記録から
(5)




日本大使館主催の
調印式に
出席しました。
戦闘の後遺症を抱える
イスラム地域の
マカブアル村に
小学校が建設されることに
決まり、

日本大使館主催の
調印式に出席しました。


今回の調印式は、
日本政府が主催し、
J-Bird(日本―バンサモロ・
イニシアチブズ・
フォー・リコンストラクション・
アンド・デベロプメント)
の代表とMILF代表と
ARMM(イスラム自治区)代表、
MIT(国際停戦監視団)の代表の
出席のもとで行われた。
選ばれた7団体は、
ほとんどが現地NGOであり、
ミンダナオ子ども図書館も
現地NGOとして選ばれた。

今回は、主にARMM
(イスラム自治区)における
小学校や文化施設、
水道施設に対する支援。
調印式の様子は、
フィリピンのテレビ局によっても
報道された。
日本のNGOである
HANSが後押しする水道施設と共に、
ミンダナオ子ども図書館が
支援しているマカブアル村の
小学校建設が認可された。


マカブアル村は、
ピキットのMILF地域の
中枢に属しており、
戦闘中も子どもたちも含め
難民キャンプ入りが許されず、
その後も、ワールドフードなどによる
食料支援もなされなかった地域。



当初マカブアル村は、
道が意図的に遮断されて
一般車が入れず、
4WDで踏み跡を
たどって入るしかない


JICAから選出されて
IMT国際監視団に
派遣された
菊池さん方が
調査に同行された。

ミンダナオ子ども図書館では、
2年前からこの地から
スカラシップ奨学生を
採用してきた。

続いて小学校の
里親奨学制度の
重点地域に指定。
30名の子どもたちが
学校に通えるようにしてきた。

その後、
読み語りや医療を展開し、
村長をはじめとする
村の人々と
信頼関係を築いてきた。
今回の学校建設は、
地元の人々の強い要望から、
実現したもの。

嘆願があった当初は、
ミンダナオ子ども図書館で
建設を考えたが、
地元の要望に添う恒久的な
しっかりしたものを
建設する必要を考えると、
個人支援に頼る
小さなNGOでは無理。
中途半端な仕事はしたくないので、
日本政府の支援を
仰ぐことに決めて活動開始。

その意味でも、
今回の認可は、
現地の子どもたちを含む
多くの人々の
期待に応えるものだ。



現地の子どもと
親の希望から出発し、
さらに村長と
学校の先生の期待を
確認した後、
ピキットの
DSWD(福祉局)を通して、
ピキット市の行政としての
意志を確認。


ミンダナオ子ども図書館は、
実務を担当することにした。
現地の人々と現地行政、
そして日本政府とを結ぶ
橋渡しの陰のお手伝い。
さっそくピキット市の
エンジニアに依頼して
見積もりと計画書を作成した。
さらにピキット市から提出する
書類を代理に作成して提出完了。

また、陰で、
ミンダナオ子ども図書館の
ボードメンバーであり、
キダパワン市の役所や銀行などの建築も
手がけている設計技師(エンジニア)の
ダニー氏のアドバイスや協力も大きい。


この地域は、
2000年の戦闘時期から、
意図的に車の通る道を破壊しており
(反政府勢力の地域の特徴)
今回も大使館から建設における
安全の確保について打診があった。

私たちは急遽、
マカブアル村の村長以下役員と
学校の先生方との会合を現地で開き、
予定していたピキット市長との
会談に結びつけた。
その結果、政府側と反政府側、
市行政と村の両者から
安全の保証が得られた。

村は、MILFの勢力下にあり、
市行政側はMNLFに属しているので、
行政側の安全保障だけでは不十分。
(2008年当時、アロヨ政権は
MNLFは体制側とし、
MILFは、反体制組織としていた。
2018年、ミンダナオ出身の
ドゥテルテ大統領は
MILFを正当な組織として認定し
和平を進めている。)

その点で、両者の保証が
得られたことは大きい成果だ。

私たちは、事前に考慮して
行動を起こす前には、
かならず現地の
政府側と反政府側の
両方と人と連絡をとり
安全を保証してもらってから行動する。
しかし、マカブアルの村長(MILF)と
市長(MNLF)が従兄弟どうして
あったのには驚いた!
ピキットのある構造の一面を
かいま見た体験?
というより、
現地ではそれが当たり前。


今後の予定としては、
現地の視点に立ちつつ、
IMT(国際停戦監視団)と
JICAなどと連絡を密にとりながら、
現地の学校建設を開始する。
現地には、スタッフが毎週おもむき、
状況を逐一報告していく予定。
完成すればピキットで
おそらく最も新しく美しい、
5教室の小学校が建つ。
閉ざされていたMILF地域の中枢に、
こうした学校施設が建ち、
将来的には500人を超す
子どもたちに喜ばれるのは、
大きな意味がある。


マニラでの調印式では、
最後に英文の俳句で
ピキットの戦闘の悲劇が述べられた。

2001年2002年と、
現地の悲惨な難民キャンプを
見たときの私のショック。
それをきっかけに始めた
ミンダナオ子ども図書館。
さらにその後も難民キャンプを訪れて
子どもを救済したり、
難民が村に帰っても、
心が破壊された子どもたちへの
読み語りと医療をしてきた記憶が、
ドッと胸によみがえり、
不覚にも目頭が熱くなった。
現在は、この地から
多くの大学、高校、小学校の
奨学生を採用している。

戦闘当時、父親を亡くし、
心が千々となり、
表情の失われていた彼らが、
今は生き生きとした顔で
大学や高校に通っている。
今年の奨学生候補も多くが、
ピキットのこうした村から。
応募してくる若者たちの多数が、
父親を戦闘で失っている。


ただ一つ気になるのは、
ピキットで唯一、
反政府組織の奥の院と
呼ばれ恐れられてきた、
ブアラン村の学校が、
2000年の砲弾の跡を
残したままであることだ。

今回、
奨学候補生の
家庭調査で訪れた、
ブアラン村


今年度の奨学生候補は
ブアラン村から特に選ぶことにした。
先年暮れには、
高橋毅氏の寄贈で、
保育所も建設された。
願わくば、このブアラン村に、
小学校を建ててほしいのだが・・・。


ブアラン村では、
父親が亡く
母親やお年寄りが
子どもを育ている
ケースが多い。

上のベールを被った子も
奨学生に採用したが、
これも戦闘の悲劇だ。


村人たちは恐れて
帰ることが出来ず
最近になってようやく
戻ってきた。


下の壁にいたっては、
2000年、2002年の戦闘で
壁が破壊されたままの
ブアランの小学校だ。


教室内部は、
破壊されたままで
地べたが剥きだし。
このようなところで、
毎日勉強している子どもたちの
複雑な内面を考えると・・・・。
何とかこの村に
日本の支援で、
学校を建ててあげたい。


今回の戦闘で焼けた
ブアラン小学校


砲弾で
屋根は焼け


壁にも砲弾や銃で
破壊された跡がある


家並の奥に見える、
高橋毅氏寄贈の
保育所は無事だった。


今回の奨学生候補の一人
親がいず、
祖母と暮らしている。


ほとんどの家が
崩れかけたような
粗末な家だ。


森と湖沼に覆われた
ブアラン村周辺の地は、
2000年のバリカタンと呼ばれる
フィリピン政府軍と米軍の合同演習
(集団的自衛権が通って以来
 日本の自衛隊も、
 この演習に参加している。
 現地では、次回戦争が勃発したら
 米軍と一緒に日本軍(自衛隊)も
 攻め込んでくると、
 恐れられている)

それに続く2003年の
米軍によるテロリスト掃討作戦
の結果、戦闘の被害が
最も深く激しかった地域。

あれから7年たった今も
小学校は、
砲弾の傷を残したまま。
政府もNGOも、
恐れてここまで来なかった。


ブアラン小学校の
修理が始まった


村人たちも、
ようやく数年前から
少しずつこの地に戻り始め、
学校も、4年生までしか
無かったのが、
今年から、5年6年が増設される。
けれども、勉強する教室が足りない。

教室が足りなくて
あっても、
下の写真のようなところで
勉強することに。

この地は、あまりにも複雑で
今は無理だけれど
いつかここに
小学校を建ててあげたら
平和構築に大きな貢献と
なるだろうと思った。

そのことを提案すると、
校長先生が、
村長や住民たちに
提案してみると言われた。

ブアラン村民との
学校建設に関する
相談会が開かれた。

40年間対立してきた
イスラム集落と
クリスチャン集落からも
役員が参加。


平和への一歩が
記された。


下の写真で、
立って話をしているのは
ブアラン小学校の校長先生。
イスラム教徒で、
子どもたちへの献身的な
心を持った方で、
ミンダナオ子ども図書館の
平和の祈りにも参加された。


その後、
2013年に
ようやく
ブアランに学校が
建ちました
その様子を
ビデオでご覧ください。
平和構築と学校建築 
映像を 見たい方は ここをクリック
山麓のイスラム教徒と
山上に住むクリスチャンが
40年以上にわたり対立し
入ったら殺す、と言ってきた
ブアラン村が、
学校建設で平和交渉をして
かつてあった道を切り開き
平和が作られた過程を
映像におさめました。
ブアラン村の開校式では、
ミンダナオ子ども図書館の
子どもたちが
平和の祈りを開催しました。
そのときの様子も
上の映像で見られます。
 

まずは、
日本政府の
海外支援ODA
による
マカブアル村の
小学校建設が
決定した
 

ミンダナオ子ども図書館が
最初に応募した
マカブアル村の小学校。
建設許諾の調印式が
マニラの日本大使館で。


このような調印式は
初めての体験だった。


大使と並んで
サインをする。
本来、一番貢献しているのは
MLC代表で
妻のエープリルリンなのだが・・・


これから建設が始まるのだが、
非常に複雑な地域なだけに
これからが大変だ。


マスコミからの取材も。







J-BiRD
(日本のODA)による
学校建設が確定した。
下は、その後に完成した
マカブアル村の小学校

こちらはさらに、
2011年に完成した
第二棟のブアラン村の小学校

その後も、
IMTの中川さんからの
推薦依頼を受けてサパカンに。

その後さらに
第四棟目は、
2016年に
最も困難な湿原の村で
平和構築に大きな影響を持つ
カルボガンに小学校を建設。
2018年までに、
四棟の小学校が
ミンダナオ子ども図書館の提案で
最も困難な戦闘地域の村に建てられ
現地の人々の話からも
平和構築に、日本は
多大な貢献をしたと言う話が
あちらこちらから聞こえてくる。


J-BiRD

ミンダナオ
子ども図書館の
今年の課題


今年度の予定として、
ARMM(イスラム自治区)サイドの
パガルガンの学校等の調査を
独自に始めます。

私たちは、ピキット以前には、
医療などで、
イスラム自治区の
パガルガンと
関係を有してきました。

ARMMサイドは、
ミンダナオ子ども図書館の
出発点となった地です。
とりわけ戦闘直後に
学校を焼かれた
イノクオグ集落など・・・・
2003年、パガルガンの
イノクオグを訪れた体験を、
訪問直後書いた
奨学生ベビンさんの記事


ベビンは、現在スタッフで、
ライブラリーを担当している。
2018年には、奨学生を卒業し
スタッフとなったレイナルド君と結婚し
子どもと共にMCLに住み、
現在はMCLの副代表。
 
 
レイナルド・パセテ君  
農業植林担当 
副代表をしている
ベビンさんのご主人。
しっかり者で信頼も厚く、
妻の仕事を精神的にも
サポートしながら、
MCLが自給している
200人分の米の
水田管理と
植林支援を支えています。
ノエミ・バセテ(通称ベビン) 
 アドミンオフィサー
父親が殺害され
シスターの所に住みながら
学校に行っていた
大学までは無理なので
MCLの奨学生に。
妻と創設に携わった。
しっかり者で信頼も厚く、
代表の妻をサポートして
副代表を務めている。
また今年は、ARMMサイドの
イスラム地域の卒業生の一人
エズラさんが、が、
スタッフに採用されます。
すでに同地からの
奨学生候補も出そろっており、
より貧しく困難なイスラム自治区に
ウエイトを置いて
活動を進めていきます。

 
 イズラハイダ・バンスナンさん
 スカラシップセクション
イスラム自治区出身のイスラム教徒。
MCLで目の義眼手術をした卒業生。
お父さんが、イスラム教徒の司祭で
しっかりした女性。
外部の奨学生たちの状況、
特にイスラム教徒たちの状況をしっかり把握。
MCLのスタッフたちは、
ハウスペアレント、会計、経理、
ソーシャルワーカー、医療、
スカラシップ、保育所等を含めて
2018年現在は25名。
そのほとんどが、
MCLの元奨学生です。

ミンダナオ子ども図書館の役員
およびスタッフ構成は、
以下をクリック

GO!



ARMM
サパカン集落に
今度高校に
進学する子の調査

サパカンには、
小学校の里子が
16名ほどいる。

イスラム自治区で、
ラジャムダを超えて
ランディングピースから舟に乗る。

リグアサン湿原の入り口だ。

バランガイは
ブリオクに属しているが、
バランガイから、
多くの家族が
戦闘を嫌って移住。

こちらに中心が移った。

そのようなわけで、
子どもたちが多いが、
小学校の設備が
それに追いつかない。

去年、
JICAに学校建設を申請したが、
MILFの活動地域なだけに、
ペンディングとなっている。

確かに
ミンダナオの情勢は、
あまり良くない。

7月か8月ごろに、
大きな戦闘が
起こるかもしれない。
戦闘が起こると
この子たちが皆
避難民として困窮するのだ


MCLでは、
ここに保育所を建てて
その後、
多くの奨学生(里子)を取っている。
そのようなわけで、
とても親しくして下さる。

しかし、
子どもたちはごらんのように
穴の空いたコンクリートに座って
授業を受けている状態だ。

MCLでは、
この地域は重点地域で
今度は、
この先のカルボガンに
保育所を建設する予定。
2018年現在
サパカンとカルボガンに
ミンダナオ子ども図書館の
日本政府のODAへの提案で
小学校が建ちました。



小学校を卒業するとき
高校スカラシップに
上がるための
読書力の調査をする


自己紹介などを
タガログ語で


絵本の英語と
タガログ語を読む

最後に内容を質問し、
理解を確かめる



スカラシップ
学生総会は
平和の祈りの日に

前に立っているのは
スタッフたち。


高校生以上の
奨学生たちが、
集まった。


日本から、
京都暁星学園高校の
仁科夫妻と
幼稚園のユウカちゃんが
来られた。


今年の役員
およびスタッフの
構成が紹介された。


イスラムとクリスチャンの
スタッフが、
抱き合っている。



総会に続いて
平和の祈り


ミンダナオでは、
祈りも踊りで!


心がこもっていて
表現力がすばらしい!



平和の祈りは、
子どもたちの
歌と踊りで始まる


こうした歌も
踊りの振り付けも
みんな、若者たちが
相談して決めたものだ。





ミンダナオの平和、
世界の平和と共に

日本の地震被害についての
報告があり
みんなで
鎮魂と平和の歌をうたった


今回は、
日本の地震と津波、
原発の被害者の報告があり、
その人たちのためにも祈った。

日本にいる、
支援者の事を想い、
泣き出す子たちも・・・


日本政府の支援で
建設がほぼ決まった
ブアランの小学校の
先生方も参加された


京都暁星高校の
仁科先生ご夫妻が
日本の地震の様子と
日本の子どもたちの抱えている
問題について語り

その後で、みんなで
日本の支援者の方々や
被害に遭われている人々
そして、日本の若者や
子どもたちのために歌い
そして、祈った

若者たちは、涙をためて
家族のような支援者の方々
兄弟姉妹のように感じられる
子どもたちや若者たちのために
歌い祈っていた

京都暁星高校ホームページ
 http://www.kghs.ed.jp/


私たちも、歌った。
仁科先生や
子どもたちの目に、
涙が浮かぶ。



MCLでは、
みんな家族


宗教の違い、
宗派の違い、

民族の違い、
国の違い、

豊かな国と貧しい国、
金持ちと貧乏人

そのような
違いを超えて、

互いに心を通わせ、
愛し合え、
心も、富も、知恵も、
分かち合える時代に
ならないだろうか。

少なくとも、MCLには、
そのような
家族の雰囲気がある。

ここには、
世界の平和につながる
芽が感じられる。






教育の可能性、
部族や信仰の違いを超えて
心を一つに!


一年間の締めくくりと
新年度の出発を祝う
ファウンデーションデイが
無事終了しました。

今回の奨学生による
パネルディスカッションのテーマは、
『教育の振興と
部族や信仰の違いを超えた一致』
若者たちが決めたテーマですが、
難しいのでは?
と思いきや、

貧困のなかで
学校に通う事の困難さと、
その解決に話がおよび、
涙ながらに
自分の体験を語る姿が
感動的でした。

パネルディスカッションの後には、
昼食を挟んで、
各部族の踊りが続きました。









三つの文化祭 
ミンダナオ子ども図書館では、
先住民、イスラム教徒、クリスチャンが仲良く平和に住んでいます。
みんな、私たちは兄弟姉妹、一つの家族だといっています。
しかし、お互いに理解し合うのは大事なこと。
そこで、毎年、先住民、イスラム、クリスチャンの文化祭を行います。
文化は、食べることから踊りまで。
映像は、かなり初期のものです。

先住民族の文化祭
マノボデー
映像を 見たい方は ここをクリック
イスラム教徒の文化祭
ムスリムデー
映像を 見たい方は ここをクリック
 移民系クリスチャンの文化祭
ビサヤデー
映像を 見たい方は ここをクリック
今年はよく
雨が降るけど
美しい虹も多い


君たちの笑顔こそが

わたしたちにとって

何よりも美しい虹!


今日も
ミンダナオ子ども図書館の
一日が終わった。

60人の子どもや
若者たちが
眠りにつく・・・
お休みなさい






イスラム自治区
ナムリ村に
錺様支援の
保育所完成

イスラム地域の中でも、
とりわけ孤立している
ARMM(イスラム自治区)

ピキットには、
国際的支援が集まっても、
こちらにはなかなか
集まらない。

MCLでは、
重点地域としている
この地域は、
湿原地帯にあり、
道路が無く、
無数に張り巡らされた
湿原の支流が道。

保育所を寄付してくださった
KAZARIさんは、
この地域の奨学生を
支援して下さっているかた。



開所式の様子です

まずは、寄付をしてくださった
方の名前をしるした
看板を設置。


その後、村長、保母
そしてミンダナオ子ども図書館の代表
として松居友がサインする。


山元神父さんが
現地訪問された。
カトリックの神父だけれど
何の抵抗もなく
皆さんから喜ばれた。


子どもたちのイスも
寄付の中にふくまれています。
プラスティックだと
現地で修理がきかないので
竹のイスにしました。


ミンダナオでは、
宗教の違いがあっても
心のつながりが優先されて
僕もカトリックだけれど
どこでも、何の抵抗もなく
受け入れてくださる。



読み語りが始まった

絵本は、どこでも大評判!
現地は、イスラム教徒の
マギンダナオ族
マギンダナオ語が話されている。

下の写真で読んでいるのは
カトリックのスタッフ
フィリピンの国語のタガログ語で話し
隣のイスラムのスタッフが、
マギンダナオ語に訳して語る。


絵本なんて
見たことも無いけど
夢中になって!!!





みんなで歌う。
イスラムの歌、
先住民の歌
クリスチャンの歌。


ここでも、
先住民、イスラム
クリスチャンの
スタッフたちが大活躍。


絵本も見たことが無い
子どもたちは、
絵本にびっくり。
最後には、
皆手にとって
見られるようにしてあげる。



訪問者も
感動の一時




道は無く、帰りも舟で。
船首に立ち
ワニをチェックしている少年?
確かにワニはいる。
ギネスブックに載っている
世界一のワニは、
ミンダナオ生まれ。


アルバちゃんを
訪ねる

かつてやせ細り、
餓死寸前で
難民キャンプで見つかった
アルバちゃん。

行橋カトリック教会の
ミルク支援で、
すっかり丈夫になりました。

目は見えないけど、
座ることも
出来るようになりました。

これからも、
支援を続けます。



ラガイェンでは、
リドー(地域戦闘)で
避難民化して家に
帰れない
奨学生たちがいた



幸いカキムさんは、
村に帰っていた。
しかし、残りの二人は
非難したまま
行方がわからない。


現在、小学校の生徒の半分は、
非難したまま戻っていません。

ブロッドの保育所
修理完了


戦闘リドーで壁に穴が空き、
部分的に破壊された
保育所だったけれど、

そのようなところで
勉強をするのは、可哀想なので
すぐに修理をしました。

丹原さん、
修復完了しましたので
ご心配なく。

その他の保育所も、
すべてチェックしました。
だいじょうぶです。



小雀保育園が
寄贈した
プレスクール
(保育所)
が完成した


長野の佐久市にある、
小雀保育園が
寄贈してくださった
保育所が、
マキララ地区に完成した。

今は、
至って平和だが・・・

この地域は、5年前まで
戦闘が絶えなかった地域。
NPA(新人民軍)と政府軍との
衝突した地域だ。

開所式の後に
読み聞かせも行った。

子どもたちは、
目をまん丸にして、
お話や歌に聴き入っている。

ピキットの政情で、
保育所建設が遅れているますが、
必ず建てて行きますので
ご心配なく。



スタンレー電気
北野財団が
寄贈して下さった

保育所が
プノルに完成

北野財団http://www.kitanozaidan.or.jp/


開所式に
島村氏訪問



保育所建設を始めた理由
フィリピンでは、
とつぜん政府が、
小学校入学の条件として、
「保育所もしくは幼稚園を出ていること」
という規定を加えた。
理由は、

ABCも読めないで、
子どもたちが小学校に入ってくると
学校の先生方が、大変だから。


学校には、併設して
国の支援で幼稚園が建てられた。

町や村の中心近くに
住んでいる家族なら
そこに子どもたちを
通わせられる。
けれども、
辺境の地の子どもたちは、
ジャングルや川を渡って
山道やワニのいる湿原を
何時間もかけて
通わなければならない。
小学校に通うことさえ大変なのに、
四,五歳の子どもには不可能だ。


そこで、国は幼稚園にかわって
保育所でも、
毎日2時間ほどABCを習えば
小学校に入学できる、
と言う制度を加えた。


しかし、保育所建設の経費や
運営の責任は、村にあるとされた。
しかし、村人たちは極貧で
米も食べられず
食事も三食たべられないのに
どうやって、
保育所を建てたら良いのか!

それでも、がんばって、
大木の下で先生が
保育をしている。
そうした村々が、無数にあり
悲鳴に近い声が聞こえてきた。
「せめて、簡易保育所でいいから
保育所が建てられないか!!!」

簡易保育所なら小柄で
出入り口は一つで、トイレ付き。
そこで、MCLでは、
土台と壁の半分は、
腐らないようにコンクリートにして
屋根は、トタン屋根。
壁は、熱気で暑くならない
伝統的な竹壁にした。
当時は、日本円で40万でできた。
その後、資材が値上がりが激しく
建設費が60万ほどになったものの
すでに、七〇棟以上建てました。

ただ、簡易保育所は、
5年以上たつと補修が必要になり、
本来は、契約では
補修も村の責任なのですが、
極貧では、補修も困難で、
MCLで補修作業もやっています。

2018年現在は、行政から
保育所はできる限りすべて
スタンダードで建てるように
要請が変わり、
出入り口が二つあり、
外に二つトイレがある
スタンダードに一本化しました。
ますます貧困地域は、
建設困難に{涙}

保育所支援へGO!

開所式に参加された村長さん
サインをもらい
テープカットを行い
正式に保育所として
認められる


今回の白眉は、
開所式に参加された
北野財団の島村さん主演の劇
おおきなカブだった!


島村さんが、
おおきなカブになられた。


子どもたちは、
大喜びの大歓声!


ミンダナオには、
カブがないので、
大きなおおきなカサバイモ。

「おじいさんは、
お芋の大きさにびっくり!」


オリジナルは
絵本「おおきなカブ」だけれど
ミンダナオ子ども図書館の子どもたちが
自由に劇を作りかえて演出。


「うんとこしょ
どっこいしょ!」


「おじいさんだけでは、
なかなかカサバイモが
ぬけません。」


日本から訪問してきた来た、
娘さんも、
おばあさんになって参加。

下の写真、
こちらは犬だ。
抜けないのであきらめて、
カサバイモにオシッコを
ひっかけた。

うんとこしょ
どっこいしょ
それでも、
お芋はぬけません!



なんと、
ミンダナオのジャングルから
猿が出てきた。
猿もカサバイモの大きさに
びっくり!

そして、最後は、
ネズミが出てきて、
お芋のまわりをコツコツ掘って。

現地では、
子どもたちは、こうやって、
山で本当に
カサバイモを抜くのです。


カサバイモは
抜けました!


村人たちの
ひさびさの大笑い。




ここは、
絶えず戦闘に見舞われ
避難民化が絶えない
イスラム地域。
ピキットの奥だけれど、

そんな村に、
朗らかな笑い声が
みなぎった。

このような
お付き合いを通して、
村人たちの心が開かれ、
MCLを愛し、信頼し
平和への想いが
強まっていく。


絵本は
真の平和を作る!









アルメック寄贈の
保育所が完成
開所式に役員が参加

こちらは、
アルメックが寄贈して下さった、
保育所。

アルメックhttp://www.armec.jp/

到達するには、
国道から外れて舟に乗り
さらに奥に行かなくてはならない。

対岸はイスラム自治区で、
絶えず戦闘に
見舞われている地域だ。

セキュリティーを万全に
市にも話を事前に通して、
DSWDの
グレイスさん方も同行する。

政府軍や反政府ゲリラとも
事前に連絡を取り合って、
両者が協力して、

要所要所に、
軍や私兵を配置したり
同行して警護をしてくれる。
日本では想像しがたい事が、
現地では普通のこと。
私たちだけで行くときは、
ここまで警護は無いけれど、


やはり政府側と反政府側に、
事前に連絡が届いている。



開所式の前に
読み語りをした


この地域は、
イスラム地域で、
マギンダナオ族、
マギンダナオ語が話されている。

小さい子たちは、
母語である
マギンダナオ語しか
知らない子も多い。


しかし、保育所では、
タガログ語が使われるので

スタッフが何語でお話ししようか、
と聞くと、
タガログ語!
と言う言葉が返ってきた。

そこで私が、
子どもたちにたずねた。
「タガログ語は
学校で習うけど、
マギンダナオ語は
誰が教えてくれたの?」

「お母さん、お父さん・・・!!!」
「そうだね、
お祖父さんも
その前のひいお祖父さんも・・・

だから、母語である
マギンダナオ語の方が、
とっても大事なんだ。」

MCLでは、読み語りの時に
その地の母語を優先する・・・。
読み聞かせの前に
踊りと歌で景気づけ!
日本からの若者たちもいっしょ!

この瞬間から、
とりわけ周りの
お父さんお母さんの
表情が変わった!


写真のお話をしているのは
マノボ族の奨学生。

マギンダナオ語は、わからないから
タガログ語で語り、
横でイスラムの奨学生が、
マギンダナオ語で訳して語る。

この村から来た
MCLの奨学生は
マギンダナオ語でお話を語る。

ぼくは、「絵本の読み聞かせを
こうしなさい」と教えない。
すべては、若者たちが考えて
思い思いに自由に語る。



そして
開所式が始まった


祝辞を述べているのは
ピキット市の福祉局の
所長補佐のグレイスさん。
カトリックだけれど、
イスラムの婦人たちと連携して
多くの人たちの信頼を集めている。
ミンダナオ子ども図書館の
理事のお一人。


村長さんから
支援してくださった訪問者に
感謝の賞状が送られた。



古着の支援もした

思いがけない、
古着の支援に大喜び

この地域の子たちは、
ピキットの町に
出るだけでも遠い

戦闘でも、
繰り返し
避難民化している

対岸は、
イスラム自治区の
ダトゥピアンだ。

今日は、
なけなしのおしゃれを
してきているが

衣服が
ほとんど無いのは
目に見えている

それだけに、
大喜びだった。






開所式が終わって
再び舟に乗って
湿原の村を後にする。


わたしは、この村に来た
はじめての外国人だったけれど、
今は、皆私のことを知っていて
帰るときも手を振って
見送ってくれる。


今回ここに来た
支援者の方々と
日本の若者たちは、
私以外に初めて来た外国人だ。


第二次世界大戦の
日本人の悪いイメージも
今回の訪問で、
すっかり変わったそうだ。


日本から来た
若者たちにとっても
生まれて初めての
またとない体験だった。


ムスリムデー 
2008

ミンダナオ子ども図書館には、
イスラム教徒、先住民族、
移民系クリスチャンが
ほぼ同数いる

昔は皆、
仲良く暮らしていたのだが、
植民地化、資本主義化が
進むにしたがって
貧富の格差が大きくなり

不幸な対立や
蔑みが生まれるように
なってしまった。

それが、
ミンダナオの情勢を
不安定にしている
大きな原因だ。

この不幸な対立を
解消するために
ミンダナオ子ども図書館では、

ムスリムデー、マノボデー、
ビサヤデーの
三つの文化祭を
毎年行っている

1月の最終日曜日が
ムスリムデー。

年明けを告げる
最初の行事だ!

現在、
高校大学の奨学生は、
150名を超えている

そこで、今回は、
庭に大きなヤシの葉の
屋根を持った家を作った

こちらでは、
結婚式で作るそうで、

竹を組み

ヤシの葉を編んで、
手際よく作業を進めていく

なんと、
10代の若者たちだけで・・・・


年齢の割に、
情緒的には
とても素直で
幼いのだけれど

精神的には
自立していて、
強靱だ!
もちろん肉体的にも。

情緒的にはませていて、
精神的、肉体的に
ひ弱な日本の・・・・と、
正反対???


中には、
初めて経験する子も
少数いるが、
ミンダナオ子ども図書館の
こうした場が、
文化の伝承の
機会になればうれしい。



ムスリムデー
前日


最後の飾り付けに
熱がこもる。

イスラム教徒独特の
装飾の美しさ。

そして、
独特のイスラム料理


ヤシの殻に
小さな穴を開けて、
小麦粉を油の中に
垂らしながら作る
独特のお菓子・・・
ピナクタグ


親や保護者も
手伝って、
伝統料理が作られていく

結婚式や
晴れの日に
作られるものが多く、

こうした機会が
伝統の継承の場になる


それと宗教や部族が異なった
文化に触れることによって
お互いの理解と友情が深まる。


下は、今回子どもたちが作った
イスラムの伝統料理のピナクタグ
とってもおいしいお菓子!



そして、
いよいよ当日


会場も出来て
飾り付けも終わり

先住民、イスラム、クリスチャンの
大学生と高校生の奨学生たちが
全員集まった。

まずはミィーティングが始まり、
諸問題が話し合われる。
自治組織になっているので、
年始の投票で選出された
各部族の代表の学生が
事前に話し合い計画して
前に出て議題をすすめていく。
私も含め
スタッフは脇役だ。


ミィーティングの後は、
いよいよ、
ムスリムデーが始まった。

今回は、
先年に選ばれて
日本に行き公演した
若者たちが中心になり

民族舞踊を披露した。

先輩の世代から、
若い世代へと、

ここでも貴重な
伝統文化が
引き継がれていく。


毎回感じることだが、
イスラム文化は
実に華やかで
伸び伸びとして、
しかも、
ユーモアに富んでいる

こうした経験を通じて、
自分たちの文化を継承し、
その美しさや
すばらしさを体験して、
次の世代が育っていけば、

お互いの文化の違いを
尊敬しつつ共生できる
時代がきっと
訪れるのでは・・・・
と言う、期待が胸をよぎる

kosodatu
ミンダナオ子ども図書館にいると、
「子育て」という言葉より
「子育つ」が自然!

2018年に加えた記事です
ミンダナオ子ども図書館にいると、
「子育て」という言葉が変に聞こえる。

敷地内には、スタッフの家も建てて、
夫婦で住んで、
赤ちゃんや子どもたちもいる。
あえて、仕事場と家庭の境もとって、
仕事場で、ゆりかごで赤ちゃんをあやしながら、
時には、机の横の足元で
子どもたちが遊んでいるのを見ながら、
経理や会計の仕事をしてもOKだ。

これは、わたしが
キダパワン市の銀行や役所や、
ダバオの修理工場で学んだスタイル。
あるとき、銀行や役所で順番を待ち、
名前が呼ばれるのを待っていると、
とつぜん小さな小学生が入ってきた。
私が驚いていると、職員たちが言った。
「・・・・・ちゃん、おかえり!
母さん、あっちにいるよー。」

そしてなんと、私たちの前の机にこしかけて、
客の対応をしているのが母親だった。
母親は、我が子を呼ぶと、
座って順番をまっている私たちの前で
子どもの服を着替えさせてから、
タオルケットを横に広げて言った。
「さあ、少しここで休みなさい・・・」

日本人的発想の私は、驚いて思った。
「公私混同も甚だしい!」
しかし、隣に座って待っている
ほかの人たちは、全然気にせず、
むしろうれしそうに声をかける。
「あなたのお子さん?」
「・・・・・ちゃん、大きくなったね。」

ダバオの家電修理をしている工場に
入ったときは、もっと驚いた。
座って修理をしている職員のうしろに
ところどころ木の台が置かれていて、
タオルをかぶった女の人が、
なんとゴロゴロと寝ているのだ!

案内をしてくださった工場長に、
「あの寝ている人は、だれですか?」
とたずねると、その方はこう答えた。
「ああ、職員の奥さんですよ。
妊娠中で出産も間近だから、
家に放っておくことできないでしょ。
だから、ご主人の後ろに台を置いて
そこで、寝られるようにしているんです。」

びっくりしていると、
寝ている女性が起き上がって、
前で仕事をしているご主人に言った。
「あなた、のどがかわいたわ。
コーラのまない?」
すると、ご主人は振り向いていった。
「わかった。今買ってくるからまってて。」
そういうと、立ち上がって出て行き、
コーラを買ってくると、

二人は奥さんの寝ている台に腰かけて、
仲良くコーラを飲み始めた。
ちょっと驚いたけれど
なんだか良い雰囲気があって、
ミンダナオの社会では、
日本では失われてしまっている
何か大事な物が、
失われていないような
気がしてホッとした。

ミンダナオでは、
一家族が平均して5人、
山では7人から
12人ぐらい子どもがいる。
おじいちゃん、おばあちゃんも含めると
家族もおおい。

「そんなにたくさんの子どもを、
どう育てるの?」
ミンダナオを訪れた日本人は、
皆そうたずねる。

山では、
お姉ちゃんや弟が、
赤ちゃんをおんぶして、

下の子たちは、
川で洗濯が終わったら、

今度は最後に、

自分を洗濯!。

お兄ちゃんやうえの弟は、
山の畑仕事を
てつだってくれるし

山から薪を集めて来て、
薪でご飯も
炊いてくれるし。

山羊もニワトリも
裁いてくれるし、

みんなで
ご飯も作れるし。

外で友だちたちと
仲良く遊ぶし、

近所の人たちも、
みんなで面倒を
見てくれるし。

ミンダナオでは、
「子育て」しなくっても、
子どもが育つ。
「子育つ」社会。

そう答えると、
唖然とした顔になって、
日本から来られた若者たち
とくに、未婚の方などは、
よくこうおっしゃる。

「ここだったら、結婚できそう!」

娘の舞花が、中一(13)の時に
家族で初めて高山である
八ヶ岳の赤岳に登った。
そのとき、自分で撮った
写真とビデオを
舞花自身が自分でパソコンを使い、
初めて製作した思いでの映像です。
以下をクリックして
見ることができます

映像:八ヶ岳に登った 松居舞花作

ミンダナオ子ども図書館でも
子どもたちは、
山と同じように、
スタッフの赤ちゃんや
子どもたちの面倒を
見てくれる


だからここでは、
子育てしなくても、
子どもは自然に育っていく。

家族のなかで、
コミュニティーのなかで、
子どもは、放っておいても
自然と育つ、
ということがわかってきた。

娘たちも、
小さい頃から料理や

洗濯を、
自然に友だちから
教わって育った。

3年前に日本に来たときには、
日本語もしゃべることもできず。
私立学校や
インターナショナルスクールに
入れる経済的な、
ゆとりも無いので、
公立の小学校にはいったけれど。

「だいじょうぶよ!
友だちがたくさんいるもん!」
ミンダナオ子ども図書館で、
おおぜいの仲間と
いっっしょに育っているから
全然平気。
言葉が通じなくっても
心が通じるからだいじょうぶ。

今は長女は中三、
次女は中一で
日本語がペラペラ。
学校の先生がビックリして曰く、
「本当に明るいですね。
それにしても、ふつうは、
兄弟姉妹で反目するのに、
信じられないくらい
仲が良いですね。

娘さんがいるクラスや学年が、
明るくなりました!」

大きくなってくると、
面倒を見てもらった体験から、
今度は、逆に小さい子たちに
愛と友情で接することを
自然に学んだ・・・?

しかし、娘たち曰く
「高校からは、ミンダナオがいいな!
だって、いっしょに育った
仲間もたくさんいるし!
みんないっしょが楽しいし!
中学を卒業したら、
高校は、ぜったいミンダナオ!

将来も、
私たちがMCLを
仲間といっしょにやっていく!」

長女は、今年から
ミンダナオの日系人会が
運営するダバオの高校へ。
次女も、中学を卒業したらミンダナオへ。

わたしたちも2年後には、
娘たちとミンダナオに移り
生涯ミンダナオに住むつもりです。












昨年の夏に登った
八ヶ岳の赤岳






マノボ族の酋長になったときの写真です。
酋長の役割は、
親の無いこの面倒をみること、
母子家庭を脇から支えること、
喧嘩や諍いをおさめ、
戦争が起こりそうになったら
酋長が集まって会議を開き
平和を作ること。だそうです!!!!

ミンダナオ子ども図書館は17年を経てようやく土台ができた感じ。
妻や娘も、ここ数年日本に滞在し日本語も見事に話せるようになったけれど、
娘たちが言うには、「将来は、いっしょに育った兄弟姉妹のような
ミンダナオ子ども図書館の仲間たちと、MCLを続けていくこと以外考えられない!」
中三の長女は来年に、中一の次女は3年後にはミンダナオに帰り仲間たちと
現地の高校に通う予定です。そのときは私と妻も、ミンダナオに永住し、
生涯ミンダナオを中心にして活動していきます。
25名いるスタッフたちのほとんどは、大学を卒業したかつての奨学生たち。
そうした次の世代が育っていることを見ると、
ミンダナオ子ども図書館のこれからの20年は、農業と文化を中心において
ミンダナオと世界との国境や心の壁をとりさって、日本の若者たちのためにも
土台の上に、家を建てていこうと思っています。
kosodatu


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