戦争と平和構築
2008年の記録
2

 
 2008年は、
本当に大変な年だった。
緒方貞子さんが2006年に
JICAのトップになられ
IMT国際監視団による和平構築で
フィリピン政府とMILF
モロイスラム解放戦線
との和平構築が、
実現しかけたものの
マレーシアにおける
サインの直前に決裂し
2008年に戦争が起こり、
80万の避難民が出た。
以下の映像は、
その時の記録です。
 戦争と平和
映像を 見たい方は ここをクリック 

J-Birdの名で
日本も独自に
国際監視団と協働して
積極的に和平に貢献しました。
現地では、高い評価を得ています。
ミンダナオ子ども図書館も、
時に要請を受けて
協働で和平構築を行い
J-Birdの名で、
2018年までに
4棟の小学校を建てています。
以下は、学校建築の映像です。
平和構築と学校建築 

ミンダナオ子ども図書館で
提案し建てた4番目の小学校
映像を 見たい方は ここをクリック
これを書いている2018年は、
ドゥテルテ大統領の下で
連邦制国家としての独立が議会を通り
今後の和平に期待がもたれていますが、
分離派の動きもあり
ミンダナオ子ども図書館としては
現在は注意深く、様子見の状況です。

(以上は、2018年執筆)















子どものための
炊き出し支援を
開始した

ミンダナオ子ども図書館では、
子どもに限定した
炊き出しをする。


安易に米を渡すと、
売りさばいたり、
横領で無くなったり


結果的に、
子どもたちの口に入らないことも
多いことが分かって


直接、米は渡さず、
MCLの子供たちが
避難民の子たちのために
炊き出しをして


直接子どもたちに
食べさせる。


時機を見て、場所も変えつつ
炊き出しを行う。


避難生活が長くなると
食べるものもなく、
栄養失調になり


病気の子供が増えてくる。

避難生活が終わるまで
くりかえしくりかえし
通いながら

状況にあわせて
最も必要としていることを見抜き
判断して、
至急実行に移す。


そこで活躍するのが
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たち。


自分も戦争孤児だったので
何をしてあげたら、一番良いか
良く知っている。


支援が終わって一息
わたしたちも、食べようね。


みんなで作ったイスラムの伝統料理
鶏肉とお米を
バナナの葉っぱで包んだピナクタク
おいしいよ!

物資支援だけではなく
親がいない子、
殺された子をしらべて
本人の希望で
奨学生に採用して


大学にまで行かせてあげるのが
MCLのスカラシップです。
こうしたなかから、
平和を創る子たちが育つ


こちらは、難民キャンプでの
炊き出しの様子


直接、米は渡さず、
MCLの子供たちが
避難民の子たちのために
炊き出しをして


直接子どもたちに
食べさせてあげる。


炊き出しは大成功で
子どもたちと
母親たちは
本当に幸せそうだ


幸せそうな、うれしそうな
子どもたちの笑顔ほど
美しいものはないと、
いつも思う。
子どもたちこそ未来だから・・・
子どもたちが幸せでいられる
社会を、大人たちは
創らなければ!

医療活動も続いている

新しい患者たちも
次々に運び込まれる

どこまで治療できるか、
予算との格闘だ・・・・






よろしければ寄付をお願いします。
一つでも虹のような
笑顔が生まれるように!

覚えていますか
あの子たち


今は、治療のために
ミンダナオ子ども図書館に
母さんと住んでいます

とっても元気に
そして、明るくなりました。

この子たち、
スカラーになります。
どなたか
支援してくださいませんか

難民キャンプの状況

戦争が拡大し
毎日のように増えてくる
避難民たち


戦争が
3年おきに繰り返されて40年
リドー(地域紛争)も含むと
毎年のように戦争が・・・


現地でお会いした国連UNの方曰く
避難民の累計が世界一が
ミンダナオなんですよ!


避難生活が始まって
まず必要なのは
ビニールシート


これで、
寝る場所をつくれるわ。
どこで寝ようかしら・・・。


着るものも
家においたままなの。
だから、着がえの服もなかったの。


親が殺されていない、
二人の姉妹

ミンダナオ子ども図書館の奨学生になって
MCLに住むことになった。
(2018年現在、左の子は大学生に、
右の妹は高校生に)


この子は、
上の姉妹のお兄ちゃん
この子も奨学生に。

この子も
奨学生になりました。


奨学生たちが中心になって
避難民の子供たちに
読み語り。





ぼくたち、
こんなところに寝ているの。





これでは、雨が降ったら
びしょぬれですね。


土の上に寝なければならないの。
でも、子どもたちは
まだ元気に遊ぶ。


日本の皆さん
ビニールシートをありがとう!





これで子どもたちと
安心して寝られます!








ビニールシートは、
まだまだ足りない。
明日もまた、
届けなくっちゃ。









支援は、何か月も、
時には、
数年続くこともある。





屋根のある場所に
避難できた人々も
冷たいコンクリートの上で
寝なくてはならないので
ビニールシートを支援した。











スタッフや奨学生たちと
必ず現場を見て
避難している人たちの意見を
耳にしてから
次に何をするべきかを検討する。


何よりもつらいのが病気
お金もないし、
薬一つ買えないし・・・



奇形が非常に多いのは
空爆による劣化ウランの
せいではないかと、
耳にした。








ふつうの国際NGOでは、
入れない
湿原地帯の集落にも
足を運んで現状を調査








現地の人々が
守ってくれる。
国軍や海外の軍は
危険では入れない地域だけれど。


毎日のように、
あふれてくる避難民たち。


家畜や家財道具を
置き去りにしたまま
帰ってみると、
すべて失われている
場合も多い。





水牛の背に
なけなしの衣服や
食器をつんで
避難に向かうひとびと


ミンダナオ子ども図書館は、
小さなNGOで、
大きなことは出来ないけれど


ただひたすら、
子どもたちの事を考えて
出来る限りのことをしていく。


道路脇にこの様な小屋が延々と続く

難民キャンプの状況は、
ピキットでは
あまり変わっていない。
難民は増えても減ってもいない

ただ、日にちがたつにつれて、
生活に疲れが見え始めている
「もう、こんな生活は、
早く切り上げて、
自分の農地で平和に暮らしたい」
と言う
ため息混じりの声が聞こえてくる。


行くと必ず、
数人の病人を抱えて
車に乗せて帰ることになる。

多いのが、
風邪と高熱
天然痘や皮膚の病気。

栄養が悪く、
ガリガリに痩せている
この体力では、
ちょっとした病気も
命取りになる事が良くわかる。

難民の状況を見るスカラーたち
古着でこざっぱりしているが、
彼女たちも
同じような極貧の難民で、
親がいない

後ろにいるのは、
3年前から歯が出てきた
奇形の子
その後、
ミンダナオ子ども図書館の
医療プロジェクトで手術をした。

「あっ、MCLの車が来た!!」
「あの若者たちが、
スカラシップの子たちなんだ。」
「あれっ、あそこの村の・・・ちゃんもいる。
スカラーだったんだね」

そんな親しみのある言葉が、
あちらこちらから飛んでくる。
もう何度も、
読みきかせ活動の頃から
出会っている人々だから、
まるで、友だちのように思って
迎えてくれる

間髪をいれず、
ピキットの難民キャンプへ

日本滞在中、
とにかく気になったのは、
難民キャンプの子どもたちの状況だった。
日本での報告会が終わり
現地に帰り、
まだ、かなり疲れが残っていたが、
翌日には、
難民キャンプを訪れた

今回訪ねた難民キャンプは、
シリックとブアラン
そして、
国道沿いの一カ所を訪れた。
ピキット近郊では、
戦闘は比較的落ち着いているが、
難民たちは帰ろうとしない。


DSWDの調査では、
数は約4000で継続している。
帰ろうとしない理由は、
難民たちの多くが、
今後も戦闘が続くと
考えているからだ。
ピキット緊急支援報告
8月16日記載
ピキットの状況は、
一部避難民が帰省したと言う事実はあるのですが、
現地では増えているというのが実感です。

政府軍がアレオサンの
MILFが制圧していた村を
一部奪回して、
しばし攻撃を控えた形です。

しかし、
現地から聞こえてくるのは、
さらに本格的な戦闘に
拡大するだろうと言う
悲観的な見方です。

成立直前だった
イスラム自治区の拡大承認が
ボツになれば、

イスラム側は
聖戦(ジハード)に入る
覚悟でいるようです。

ミンダナオ子ども図書館の支援でようやく
ホッと息をついた人々
これで雨に打たれずに眠れる・・・

海外の支援も入ってきたので
私たちは逆にホッと一息

今後は、さらに取り残された人々の
緊急の医療
古着やタオルやシーツ

スカラーによる読み語りと心の支援
ビニールシートの支援も選択しつつ
かゆいところに手が届くような
こまめな活動をしていきます

難民が現地に帰り
友達になったよしみから
将来、彼らの村で読み語りを行い
難民だった子達にスカラシップを与えられる
平和な日を夢見つつ。
スカラーの若者達と共にがんばります

世界食糧機構(ワールドフード)や赤十字、
日本のJICAも一部
支援を開始しています。

上は、日本のODAによって
提供されたビニールシート、
さすがに品質がすばらしい!!!
とりわけ米の支援、
生活必需品の支援も始まり、うれしい限りです。

ただし、行政が作った
大規模な難民キャンプ(学校など)
に限られており、
国道脇の小さな難民キャンプや
国道から奥に入った地域の難民には、
食糧や米も
届けるのが難しい状況です。

ビニールシートは、
JICAが大きなものを6カ所ほど配りました。
戦闘の長期化を覚悟して、
安全な市街地に
移住してこられる方々も多く見られ
今後も独自に
継続する必要がありそうです。

ただし、シート欲しさに、
国道沿いに骨組みだけ
建てている家族も多くあり、
DSWDのスタッフも含めた
チェックが大切です。

医療も、
難民があまりに広範囲に散らばっているために、
赤十字も入って動いていますが
手が回らない状況です。
メディアでは、難民の数は
ミンダナオ全域で、推定13万人とも
16万人とも言われています。

ミンダナオ子ども図書館は、
活動の中心を
本来の読み語りにシフトさせつつ
今後、大規模NGOが手が回らない、
置き去りにされている地域の難民に絞って、
地域の住民のニーズに応えて
活動を続ける予定です


大雨が
難民キャンプを襲った
ビニールシート設置中に、
一転雲行きが怪しくなり、
あっという間に大雨が襲ってきた!

今まで晴れていた天空が、
一転にわかにかき曇り、
まさしく「襲う」の形容詞が
ピッタリの熱帯雨林の集中豪雨。

激しい風に、
必死にビニールシートを
押さえる少女。

ちょっとしたビニールシートが、
どんなにありがたいものであるかを
実感する瞬間だ。




皆さんが、
支援してくださっている
ミンダナオ子ども図書館の
スカラー(奨学生)達は、

多少の雨でも負けずに行動する
実に頼もしい存在だ!






雨が降り出すと
何と子ども達が雨の中に飛び出して
踊り始めた!


最初のうちは、
友情で悲しみを
乗り越えようとするけれど

だんだん、落ちこんでいき
トラウマで表情がなくなってくる。
場所によっては、
地域有力者が、
地方行政を通じて
大量の米や食料等を
獲得しようと動いている。

それらが、現実の難民個人に
届くかは疑問が残る部分も見られる。
ビニールシート一枚にしても、
現地でその家族に
直接手渡すのが
ミンダナオ子ども図書館流で
いくらバランガイキャプテンやDSWDスタッフから、
数枚(時には一本丸ごと)
手渡して欲しいと言われても
必ず現地に同行し、
自分たちの手で一つ一つ家族に渡す。

こんな頑固なNGOが、
一つぐらい有っても良いだろう。
本当に細部に、
重箱の隅をほじくるような活動で、
たとえ有力者に煙たがられようと・・・・
これも、2000年、2002年の大量の難民と、
彼らに対する不公平で
政治的に計画的な対応や
その後の差別的な方法、
あまりに大ざっぱな
支援のやり方を目の当たりにしたからだが。

1ロールまたは
数十枚のシートを置いていって欲しいといった、
地域有力者の場合も、
置いていくことはせずに、
実際の難民のいる場所に案内してもらい、
一家族づつ手渡す。
たとえ深夜に及ぼうとも、
丸投げはしない。
心のこもった寄付を
丸投げに出来るだろうか???

確かに、緊急支援における、
米などの大量の支援は非常に有効。
ワールドフードやJICAをはじめ、
国際舞台での大規模国際NGOの存在は重要だ。
しかし、
ミンダナオ子ども図書館のような、
ハツカネズミのようなNGOの良さは、
独自独特のものがある。

今後は、
読み聞かせを開始して、
子どもの心の救済と共に、
古着やシーツやタオル、
こまめに現地の子どもの
病気の状態を聞き出し、
緊急入院の必要な場合は病院に運び
また、薬での治療も、
現地の医師と共に開始する予定。


大規模NGOに比べると
規模も資金も小さいのですが、
本当にこまめに、
効率的に資金を大切に使うと、
少額でも思った以上に
大勢の人々を救済できる事が
今回の経験でわかって来ました。
そして何よりも、
現地の人々との長く続く、
心の交流が
平和構築のためには大事ですね。

雨のために出られなくなった車を
難民キャンプの人々が
大勢で押し出してくださった


お互いが心から助け合えるとき
戦闘につかの間の
真の平和が感じられる

ありがとう
今度は読み聞かせで
戻ってくるからね
nbbnjvh子どもが緊急医療の必要な時は
連絡してください!
ビニールシートを
さらに届ける

まだ、湿原の中に取り残された
家族のことが心配で
調査にのりだした。


戦闘で、
学校は閉鎖


戦闘を恐れて
家族で町の周辺へ
避難する人々


湿地にも強い
水牛が唯一の助け舟





戦争避難は、
老人と子どもたちにとって
つらい日々の始まりだ。





湿原の中の集落に
まだ、避難できずにいる
家族を見つけた。





危険で外国人は入れないと
いわれている場所だけれど
現地の人々と行動する。


町に避難した後に
取り残された家は
風水で腐り、ガタガタだった。


湿原での唯一の
交通手段は
小さな舟


湿原の奥から
逃れてきた家族に
ビニールシートを渡した。


放置された家を
時には洪水が襲う。





毎年のように
起こる戦闘
でも、
家族は協力して
困難を
乗り越えようとする。











ミンダナオ子ども図書館の役員で
カトリック教会と市の
福祉士のグレイスさん
イスラムの婦人たちとつながり
信頼も厚く
時には神父さんといっしょに
爆弾の落ちる中を
イスラムの子どもたちの救済に走る。


現地出身のイスラム教徒の
ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちと
救済支援に駆け回る。


多湖さま、伊藤さま、
難民支援を早速
ありがとうございます。

ビニールシート一巻き100mが
1万1千円ほど、
それを5mづつに切り、
20家族に届けます。

多湖さまの支援で、
二巻き、40家族にくばりました。



今後、土曜日、日曜日に
読み聞かせと炊き出し
古着の支援を、
子どもたちとする予定です。

伊藤さまの支援は、
炊き出しに使います。

支援を振り込まれる方、
振り込まれた方は、
出来ればメールか
FAXでお知らせ下さい。
直ちに支援金として
活用していきます。

シートをもらって
ホッと一息ついた家族

しかし、まだまだ足りないので困惑

まずは、最も必要としている家族を
慎重に選び出して、シートを渡す。



今週末は、
ここで読み聞かせと
炊き出し
古着の支援を行う



もちろん学校は休み
それでも、子どもたちは
けなげに遊ぶ

食べ物もほとんど
底をついているけど
ままごと遊び!

バナナの花房、
これだけが食べ物

子どもを抱え、
呆然としている母親

今度の土曜日は、
2カ所で読み聞かせをし、
炊き出しをする。

次の日曜日には、
別の場所で、
読み聞かせと古着の支援を・・・

カバカン側の支援が
始まったところで
次は、カルメン側の調査と
支援を開始しなければならない。

MILFとMNLFの対立だというものの、
かなり根深いものがある。
しかし、それよりも不安なのは、
国軍の動きだ。

どうやら7月8月に、
大きな戦争が起こりそうだ。
いつも、戦闘が始まるのは、
この時期だが
着々と準備が始まっている?????

目の前で
両親と弟を殺され
腹部を撃たれた少年を
MCLに引き取る




また戦争・・・?
もう、ぼく、
どうしたらいいのか
わからない!


こんな、ヤシの葉のしたで
もう何日も過ごしている・・・





戦争のときに妊娠していた子に
上のような奇形が多い。
米軍の空爆で、
劣化ウランが使われた?


目の前で両親は撃たれ
流れ弾に当たり
目の前で弟を失い
自分も腹部を撃たれた。

福祉局の支援で病院に入院

2週間の入院の後
退院にまでこぎ着けたものの
家族も引き取り手になる親戚もない
その話を聞いて、
彼をMCLに引き取ることにした。

14歳 小学校4年生
ショックのせいか、表情が無いが、
まじめな好青年であることは良くわかる

病気の子をチェックして
病院に運ばなければならない子は
すぐに病院へ。


医師もよく知っていて
自分の給与はなしで
診察から手術までしてくださる。
手術は、キダパワンの総合病院へ、
それでもだめなら
ダバオの病院へ運ぶ。
数日後、
難民キャンプを訪れると
戦車が轟音を建てて
通り過ぎていった
ミンダナオ子ども図書館で
治療した子どもたち









ミンダナオ子ども図書館の
子どもたちによる
絵本の読み語り


おおきなカブの劇もするよ。
ミンダナオには、
カブがないから、
おおきなカサバイモで
サルもネズミも出てくるよ。


支援物資を
最後にくばって


悲しかった避難キャンプに
子どもたちの笑顔がもどってくる。


洪水で家が倒れた
集落も調査


これでは、
戦争が終わって家に帰っても
住む家も家具も
家畜もいない。





ビニールシートを
家族に配って


子どもたちも
大喜び!






いつもは、
平和な場所なのに
なんで
こんなものが
現れてくるの?


「剣を持つものは
剣で滅びる」
と聖書には、
書かれているのに。


戦争をつくって
武器を大量に売却して
もうかる人もいるけれど


多くの子どもたちが
死んでいく。












泣いている子に
日本から届いた
ぬいぐるみをあげた。










ミンダナオの雨は、
半端ではない!!!


夕方は、
毎日のように


集中豪雨が襲ってくる!

早くビニールシートを
かけてあげなくっちゃ!


雨の中を
全力で走りまわって


支援活動をする
ミンダナオ子ども図書館の子供たち。



それでも、
子どもたちは、
生きる力に満ちている


雨の中に飛びだして
みんなで歌って
踊って遊んで


悲しみを吹きとばして
洗い流そうと試みる。


でも、それも最初のうちで
避難生活が長引くにしたがって
落ちこんでゆき
トラウマが心にのしかかる。



それでもやっぱり
家族が大事


お父さんが亡くなったり
お母さんがいなくても
お姉ちゃんのわたし

お兄ちゃんのぼくが
妹や弟のめんどうをみるの。


勝ち負けじゃなくって
友情こそが、
生きる力だよね。

ガリガリと
異様な音を立てて失踪する戦車に
人々の顔も
引きつっていたが、

戦車から顔を覗かせている、
政府軍の兵士の顔も引きつっていた。
どこから、
M16ライフルやロケット弾の攻撃を
受けるかわからないからだ・・・・

こうした戦車の示威活動と戦闘で、
MILF軍は押し返された様相で
市政は、
学校や施設に滞在している難民たちに、
半ば強制的な帰省を促している。

そのために、
公の難民キャンプから、
難民の姿はだいぶ消えたが
逆に難民たちは、
公のキャンプから追い出された形で、

道路沿いに
新たにテントを張って避難している。
まだ地域では戦闘が続いていて、
帰省を恐れているからだ。

装甲車と異なって、
キャタピラをはいた戦車は
さすがに不気味だ!

町から遠くない地域の人々は、
ほぼ帰宅したが、
戦闘はイスラム自治区との
境界周辺で新たに発生しており
難民キャンプは、
辺境へと移っている。

具体的な地名は避けるが、
ピキット周辺でも反政府勢力は、
山岳地域などに
新たに集結して体制を立て直して、
総攻撃に備えているという。

イスラムには、
聖戦による聖都奪回の歴史がある。
メッカを追われたモハメッドは、
メジナに引き下がり、
体勢を立て直した後に聖都メッカを奪回した。

攻撃されれば、
必ず挽回するのが、
イスラムの教えだとすると
彼らがこのまま引き下がるとは思えない。

ピキット市の要塞跡
スペイン時代の要塞だけれど

世界大戦のときには
ここに日本軍の司令部があり
防空壕も掘られていた。

しかし、敗戦で日本軍は
湿原に逃げ

今も、イスラムゲリラとなって
生き続けている
日系人も多い。


今後の展開を
予想するのは難しい。


政府は、今回の戦闘を
MILF側の一方的な違反行為と断定して、
和平交渉の棚上げ、
棄却を示唆しているが、
MILF側はそれに反発している。

互いに総攻撃も辞さないという、
過激な論調が出ているが・・・・

一方で、今回の展開は、
事前にかなり周到に準備されたドラマであり、
反政府側がそれに
引っかかったという見方も根強い。

直前に平和交渉に異議を申し立て、
ホゴにする計画に、
イスラム側が引っかかったと言うのだ。

そのシナリオは、
米国によって書かれ、
日本も側面から支援したと言うのだが、
真相は闇の中だ。
(もちろん、米政府は否定している)

ただ、この劇のしこりは、
かなり深く影響を及ぼすだろう。

難民キャンプで見つかった、
子どもアルバ(女9歳)ちゃん。


極端な栄養失調の状態だった。

現地を訪れた山元眞神父と
行橋カトリック教会のメンバーたちと
相談して救済を決断した。

3ヶ月の病院治療の後に
一年の栄養補給
そして、3年のリハビリが始まる

下は、病院に収容された
アルバちゃん

きつい難民生活で、
もっともかわいそうなのは
子どもたちとお年寄りだ

上と下は、ブアランの小学生
10歳で私たちのスカラーの一人。
彼女は、熱を出していた。

2000年の戦闘で
すでに父親を失っている。
母親は、行方が知れない。
彼女を育てているのは
年老いた祖母一人だ。
もう少し年が上になったら
ミンダナオ子ども図書館で
暮らすことになるだろう。

(その後、少女は妹と
ミンダナオ子ども図書館に住み
2018年現在は大学生で
妹は高校生です。)
9月になって、
イスラム教徒は、ラマダンに入った。
ミンダナオ子ども図書館にいる子たちも
断食をしている。
10月1日のラマダン明けまで、
最も重要な祈りの月だ。
もしも、本格的な総攻撃が
始まるとしたならば、
ラマダン明けになるだろう。

以下はフィリピン
インサイドニュースの
9月1日の記事からの抜粋

http://www.t-macs.com/
◆政府、MILFとの合意文書を破棄

最高裁で29日、
デバナデラ訟務局長が、
モロ・イスラム解放戦線(MILF)との
先祖伝来の支配地に関する
合意文書には
どんな形であれ政府が署名する
ことはないと述べた。(Star)

 ◆ラマダンも戦闘継続へ

政府が合意文書を破棄した
という29日の話を受けて
モロ・イスラム解放戦線(MILF)は
31日、
和平プロセスが
全面戦争に至る可能性も
あると警告した。
(Inquirer)
◆MILFのテロ組織指定を

北コタバト州はこのほど、
命令系統から離脱した
急進派部隊の掃討作戦を支援するため
モロ・イスラム解放戦線(MILF)を
テロ組織に指定するよう
アロヨ大統領に
強く訴える決議を出した。(Star)

 ◆MILFの武器工場を制圧

国軍は29日、マギンダナオ州で
モロ・イスラム解放戦線(MILF)急進派
カト部隊の
武器工場を兼ねる
訓練キャンプを制圧した。(Star)
以上の記事を見ても、
和平のサイン問題から、
かなり精巧に
イスラム教徒は追いつめられている。
スペインによる植民地化から数えると、
400年間戦い続けてきた
歴史を見ると、
このままで引き下がるとは思えない。

ピキットでも、山岳部で
MILFは軍を展開している
という情報があり、
アメリカでの選挙の動きを含めて
状況を見守る必要がありそうだ。
戦闘が激化すれば、
共和党が有利になるだろう。

現地では、
イスラム教徒とキリスト教徒との対立は
あまり感じさせず、
あくまで国際政治の枠組みと、
資源確保が原因だろう。

2年前日本が
イスラム自治区やMILF支援を含む
日本ーバンサモロイニシィアティブを
発表したとき、
あるバランガイキャプテンが
言った言葉が忘れられない。

「国際社会が支援して、
学校や道路や灌漑施設を
作ってくれるのはうれしいのだが、
また、戦争が始まるかもしれない

国際支援は、
戦争と、
表裏一体をなしている
というのが、
現地から聞こえてくる言葉。

 難民キャンプでは、
病気の子供が増えている






















病気でもっとも多いのが
激しい下痢と腹痛
そして、高熱の症状だ。

折しもミンダナオでは、
高熱を発して
悪寒と痙攣を引き起こす
奇妙な風邪が流行っている

ミンダナオ子ども図書館の子たちも
すでに、5人が引き付けを起こして
入院している

私たちは、繰り返し現地を訪れて
人々から聞き取り調査を行い
何に困窮し
何を必要としているかを尋ねた

その結果、相変わらず需要が高いのが
新たな難民たちのための
ビニールシートであり
薬品であることがわかった

薬品に関しては、すでに赤十字も入っており、
あちこちでたくさんの
赤十字のマークが入った車を
見かけていたので、
安心していたのだが・・・・
聞いてみると、
今回の赤十字の支援は、
食料(米)と水の支援であることがわかった。

事実、食料とりわけ米の支援は
ワールドフードも入り十分すぎる。
近隣の難民たちが帰宅した事もあるが・・・・
薬品の支援に関しては、
アメリカのNGOが入ったと聞いていたが、
一部の地域に限られている。

初めて見た、
難民キャンプ
 
松居 陽


































東南アジア最大の
湿原と言われている
リグアサン湿原


たくさんの人食いワニがいるから
ここだけは、
絶対に入らないようにと
言われていたけれど


今は、
子どもたちの支援に
舟で入っている。


人食いワニとは、
ゲリラの事。


この湿地には、
5000世帯といわれる
漁民たちが
貧しい生活をしている。


今回の戦争で
銃弾と砲弾
そして、
ドローンによる爆撃で
破壊されたモスク







先日、僕は生まれて初めて
難民キャンプと言うものを見てきた。
雨の中、ろくなテントが無い者達も多く、
地面はぬかるんでいた。
七月二十七日からの戦闘で、
四日目の難民生活を営んでいる彼達は、
まだ士気も高く、子ども達には笑顔が見られた。

それでも数日前と比べると
住居を追われた世帯の数はほぼ二倍、
今では八つの村から
約五百家族がやむなく
道路沿いに住んでいる。

戦闘の理由はと言うと、
土地を追われたと感じるムスリムが、
収穫の時期に自治区から村々に乗り込み、
農作物を奪っているだとか、

地方の市長が、
クリスチャンの農民達に武器を持たせ、
逆に自治区の人間を挑発しているなど、
少なくともこんな
うやむやな証言が飛び交っている中、
証拠も無しに原因を決め付ける権利は
誰も持っていないだろう。

僕達はと言えば、
ああだこうだと口論している暇なく、
当然これら犠牲者、
特に子供達のために
何ができるかを検討している。
古着、米、ビニールシートと薬品を
分配した後、

彼らの気力が尽きる前に、
読み聞かせをしに行くつもりだ。
音楽、踊りや遊びを楽しみ、
ちょっとしたパン菓子を添えて、
彼らの笑顔を絶やさないための
手助けを行っていきたい。

それにしても僕と彼らの子供時代と見比べてみると、
なんという違いだろう。
僕は当然物質的に
より豊かな環境に育っていたし、
健康的で、安全な生活を営んでいた。
考えてみると、
スカラー達もずいぶん荒んだ
現実から来たのだ。

しかし、現実で苦労しているのにもかかわらず、
あるいはそのためか、
彼らはいつも自分の目の前で
起きていることを受け止め、
経験する力、
いわゆる勇気を持っているのだ。

そして愛するということが
どれ程大切なものなのかを
実際に悟ったのだろう。
毎日、生存の戦いに
表情が硬くなった子供達も、
MCLへ到来してまもなく
太陽のように輝き、

解き放たれたように
見えるようになるのは、
彼らは苦しみの中で
すでに習得したからなのであろう、
幸せになるために
必要不可欠な知恵と能力を。

ミンダナオの状況は、
良いとも悪いとも言えない。


日本の新聞でも紹介されたが、
IMT(国際停戦監視団)の中核をなす、
マレーシア軍は撤退した。
和平交渉が進展せず、
業を煮やしての撤退だ。
フィリピンの国軍は、
MILFに対する強硬姿勢を貫いている。
IMTには、日本政府も
人材を文民派遣しているが、
撤退を戦闘の拡大の
きっかけと考える向きもある。

今後、どのような展開を見せるかは
余談をゆるさない。
ピキットでは、
戦渦は多少おさまったものの、
ARMM(イスラム自治区)等では、
今まで以上の激しい戦闘が
起こっているとも聞く。
ダトゥピアンなどでは、
国際NGOが入ることが制限され、
難民は悲惨な状況だと聞く。

ミンダナオ紛争は、
多少日本でも報道されているが、
現地の真実の状況も知らずに、
単にイスラム教徒とキリスト教徒の
対立として描いている
紋切り型の報道も多い。
現地でも多い。
そのなかで、今回、光っていたのが、
毎日新聞社の10月29日の記事だった


現地を良く知っている者からすると、
ジャーナリストの矢野純一氏が
ダトゥピアンに直接踏み込んで
現地取材をしている意気込みには
敬意を表したい。
ARMMのこの地域は、
現在も、最も不幸な地域とされている。
ピキットでは、
国際的なNGOなどが
初期の頃から入っているが、
この地域は、色々な理由で支援が無い。

理由の一つは、
支援物資がMILFに流れて、
現地の人々に届かないと言うもの。
もう一つは、矢野氏が指摘するように、
「国軍は、『危険』を理由に、
町へ通じる道を通行止めにするため、
国際機関からの援助の食料や
飲料水が十分に届かない」
ピキットのポンポン神父からも
上述の状況は間接的に私も耳にしている。

さらに、インターネット上に公開された
「ねずみ」の取材など、
久々に本格的なジャーナリスト魂を
感じさせるものだった。
興味ある方は、以下の記事をクリック。
http://mainichi.jp/select/world/news/
20081111dde007030079000c.html
(期限切れ2018年次)

日本でも、
アフリカに駐在のNGO関係者の記事で、
朝日新聞に、
アフリカにおける部族間闘争の裏側に
資源をめぐる思惑があると書かれていたが
この様な、表面の内側を
キチッと報道する姿勢が、
日本のマスコミにも有るということは、
うれしいことだと思う。


今回の戦争で
銃弾と砲弾
そして、
ドローンによる爆撃で
破壊されたモスク
 カバカン地域で
小規模戦闘が勃発
2000人の避難民への
救済支援を開始

戦争でかわいそうなのは
子どもたち


ミンダナオ子ども図書館は

ひたすら
子どもたちの事だけを考えて
行動している。


Non politic
Non religious sect

政治に関与せず

宗教や部族の違いは
尊重し認めあうけれど


特定の宗派の下では
行動しない


子どもへの愛
それだけで、
活動する。


なぜって
どんなに強い
山のような信仰をもってしても


どんなに美しい
夢や希望
理想を抱いていても


愛がなければ
無に等しいもの。



とくに子どもたちへの
愛こそが


すべての信仰や希望に
勝るよね。














北コタバト州のカバカンから
カルメン市にまたがる地域は、
道らしい道も無く、
プランギ川を舟でたよるしかない地域だ。

今回、この地域で
リドーと呼ばれる戦闘が発生し、
両地域で2000人ほどの避難民が出た。

MILFとMNLFとの路線対立に、
土地の問題が絡まったものであるという以外
現地の詳しい者たちも、
口を濁して語りたがらない。
すでに長い間の、
かなり深い確執だという。

とりあえず、
市の福祉局(DSWD)を通して、
赤十字からのシートが
配られている地域もあるが
新たに非難してきた家族も居て、
足りない状態。

早急にMCLでシートを買い、
避難民に提供したが、
これから各地の調査と共に
本格的な活動を開始する。

このまま小規模で収まる事を
願うのみだが
赤十字やユニセフ、UN(国連)が
このような初期から
動いているのは珍しく
逆に、今後の展開が気になる。


病気の子どもたちを
チェック
 

健康状態は、良くない。
現在、のど、咳、
熱の出る風邪がはやっている事もあり
また、環境の変化や水の悪さで
腹痛や頭痛を
訴えるものが多かった。

簡単な投薬治療は、
福祉局専属の医師が
行っているので、
メデカルアウトリッチは任せて
むしろ、多少とも重く
病院での診察や治療
入院を必要としている患者を
ターゲットにすることにした。

大概の支援は、
こうした重篤な患者の治療をしたがらない。
人数の割に、
経費がかかりすぎるからだが、
MCLは、一人一人に
可能な限り治療を施す主義にしている。


さらに奥の集落でも
避難民発生


意外と多いのが上のような奇形だが
なぜだろうか?
ビニールシートの
支援を開始
ビニールシートを購入して
次々に切断していく
切断方法も慣れたものだ

茅野から訪問してこられた
エプソンの社員
湯沢さんも、救済に参加
思いもかけない体験になった

シートを必要としている人に、
「シートの支援をしましょう」と言うと
「いつ、シート持って、戻ってくるの???」

「今すぐです、今日の午後は?」
「えー、驚き!
たいていの支援団体は、
話だけで戻ってこないよ。
写真だけ撮ってね・・・・」

こちらは、廃校になった
小学校に避難している家族たち
汚れたコンクリートに寝ている
子どもをすぐに
病院に運ぶ

ミンダナオ子ども図書館のおかげで
両親のいないわたしは、
2018年
大学生になりました。











貧しい
湿原の漁師さんたちは


避難生活で
漁網を失って困っていたので


ミンダナオ子ども図書館で
寄付してあげた。


すでに一年
戦争は続き


避難生活も
まだまだ続く





それでもがんばる
子どもたち


くりかえしかよっては
古着も届けた。









この子たちも
すぐに、病院に運んだ







上の子も下の子も
手術の後に
奨学生になった





ユニセフの車に出会った。
訪問者と仕事内容と分担の打ち合わせ。

ユニセフは、
避難民教育のみの活動
であることがわかり、


MCLは、
困窮している医療と

ビニールシートを
その日のうちに実行。

後日、避難民の子供たちの
トラウマ解消のために

読み語りと炊き出しを
同時に行うことに決定した。


本当は、
日々食べる米の支援が
最も必要で
期待されているのだが、

MCLでは、
子どものための炊き出しが限度で
ユニセフにも
米の支援をお願いしたが、

最近流行の
トラウマ解消の
心理的カウンセリング
教育支援だけだった。

投薬だけでは、
どうにもならない子たちを

街の医師の元へ運び検査

入院や手術の必要な子は
改めて日にちを指定し

付き添いの家族を加えて
迎えに行き

キダパワンの病院に
入院させる事に

また、時期を見て
読み聞かせ活動も
奨学生たちと行い
心のケアにもつとめていく予定だ。

活動には、
カバカンに下宿して大学に通っている
イスラム教徒の奨学生たちも、
参加し協力してくれた。

現地を良く知っているし、
現地語も話す、
強い味方だ。

今回は、
カバカンの一上流地帯
一カ所だが

別の地域にも
避難民が出ている。

今後、カルメンサイドも含めて
調査し、救済支援を
実行して行かなければならない。













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