ミンダナオ子ども図書館 の医療支援活動

A:過去の医療支援活動を
サイトから抜粋し
まとめました


私たちが読み聞かせ活動と平行して、
最初にしたことは、
医療活動とスカラシップでした。
医療活動は、
難民キャンプで病気の子どもたちを
救済する事から始まりました。
ポケットマネーで始めましたが、
当時私はまったく財産も
持っていませんでしたから
(今もですが)たちまち底をつき
支援を求めました。
一般的に、小規模なNGOで
実施されている医療活動は、
メディカルアウトレットと呼ばれる、
健康診断的な活動が主流です。
しかしミンダナオ子ども図書館では、
簡単な投薬だけでは治りにくい患者から、
時には重度の手術まで引き受けます。
入院や手術を伴う疾患は、
医者にかかることの出来ない
貧困世帯の子どもにとっては死を意味します。
教育と同時に、本格的な医療は、
最も必要とされる分野だと感じます。
子どもの命を救おうとする活動は、
地域における心理的効果が大きく、
結果イスラム地域の人々も、
頑なで敵意に満ちた心を開き、
読み聞かせ活動を受け入れ、
奨学生として我が子を、
喜んでミンダナオ子ども図書館に送り出すほど
信用してくださるようになったのです。
誰でも、我が子の命が救われれば感謝しますし、
いざという時の頼りになる存在として喜ばれ、
驚くほど広範囲な山奥にまで
噂が伝わっていきました。
ミンダナオは、
まれに見る口コミ情報社会だったのです。
「あの、日本人がやっている
ファンデーションに行けば、
救ってもらえるかも知れない」

ルモット村から来た子が、
腹痛と下痢の病気で亡くなりましたが、
そのまた2名運ばれてきて、
こちらは快復してきています。

イスラムの村の高熱の子は
無事快復し山に送り届けました。

**********

盲目のベルリーンさんを実家に送った。
場所は、戦闘のあったピキットの奥。
マノボ、イスラム、クリスチャンが共生している村のさらに奥。
川には丸木橋が架かっている。
丸木橋を迎えに来たおじさんの背に
乗って運ばれていくベルリーン。

実家は、トタンを組み合わせただけの粗末なものだ。
これでは、強い雨が降れば
雨もしのげないのではないかと思うのだが・・・・

それでも、ベルリーンさんは、
兄弟にも会えてうれしそうだ。
新しく赤ちゃんも生まれ、5人の兄弟姉妹がいる。
一家は、ビサヤ系移民。

お母さんと一緒に写真をとった。
お母さんも、右目が見えない。
戦闘のあった時期に、難民生活を余儀なくされ、
そのときから片目が盲目となった。
このような症状の子どもは多く、
過去何人も治療してきた。
戦闘時期に生じる症状の一つとして、
戦闘の際に使われる
兵器と関係があるのではないかと疑われている。

ダバオの障害者施設でリハビリ中の
ジョイの義足が完成し、歩行訓練に入った。
最初は痛がっていたジョイだが、
がんばって一歩一歩あるいている。
まだ、歩行棒を握ったままの訓練。

あいかわらず笑顔を絶やさない子で、
来年の6月からの新学期には、
歩いて大学に通えるだろう。
すっかり背が高くなった?
ジョイは見違えるようだ。
「支援者のI様、感謝しています。
これから大学に行ってがんばりますね!」
本人の話では、
コンピュータプログラミングを勉強したいとのこと。
歩行に障害が残ることを考えると良いと思う。
カニのような手でコンピュータを打つことになるが、
すでに施設で練習をしている。
先日、山から運ばれてきた子が、
数日来下痢がひどく脱水状況だったが、
今朝病院で死亡。

もう少し早くミンダナオ子ども図書館に
これば助かった命だった。
残念でならない。
5日間、高熱が続いているイスラム地域の男の子が、
今朝病院でチェックを受けた後に入院。
今、様子を見ている。
デング熱を疑われたイスラムの奨学生、
ノルミナさんは、高熱だけで無事に退院。
クリスマスパーティーの後に、急性の下痢が広がったが、
こちらの方は正露丸で乗り切った。
(正露丸が切れてしまい、どなたか
送っていただけませんか?)
医療プロジェクトが続くが、予算が逼迫している。
今年は東京メソニックからの支援がなく、
図書予算をすべて医療に回しているが苦しい。
兎口など生命に影響しない治療は延期してもらい、
緊急の患者を受けるようにしているが・・・

*************

盲目でダバオの盲学校に行っているベルリーナさんが
クリスマスに家に帰るために迎えに行った。
少し成長し、以前はほとんど話をしなかった子が、
少しずつ話すようになった。
ご飯もこぼさずにきれいに食べる。
ゆっくりだが確実に成長している。

盲目のジュンジュン君は、元気で積極的だ。
クリスマスパーティでも歌って大好評。

目が見えないが、草刈りを始めたり、
自転車に乗ろうとしたり・・・
村の教会まで行き、帰れなくなり、
トライシクル(三輪バイク)で
送ってもらって帰ってきた。
運転手はお金を受け取ろうとしなかった。
クリスマスのキャロリングを村の家々を
回ってして、お金をもらってくる・・・
と言って出かけそうになったが、
ソーシャルワーカーのリアがそれだけは止めさせた。
マッサージの資格も得て、
クリスマス中はピキットで、
警察官のマッサージを頼まれてする。
依頼者は、ピキットの福祉局で、
ミンダナオ子ども図書館の役員を
務めてくださっているグレイスさん。
ジュンジュン君は、自立に向けて大張り切り。
旅に出たくてしょうがないらしく、
このままでは盲目のまま世界を旅しそうな勢いだ。

マッサージの賞状をもらって大喜びのジュンジュン君
酸素吸入マスクをつけながらも、
手術後にパッチリと目を開いた
彼女を見て喜んだのは、御両親と医師と
私と、そしてメールニュースに
載せた写真を見てともに祈ってくださった
日本の多くの支援者の方々でした。

 「まずはうれしい知らせです。
本当にうれしく思いました。
手術後のロザリナさんの状態が、
執刀医も驚くほど良いのです。 
前夜、ダバオから帰り、
ロザリナさんのご両親などに、
日本ではたくさんの方々が祈ってくれましたよと、
皆さんの事をお伝えしました。
彼女は、月曜日には病院を出て、
ミンダナオ子ども図書館に移り、
そこから当分二日おきに、
病院に通うことになりました。
完治ではないので、再発の危険も残っており、
まだイスラム地区の山には戻れませんが、
とにかく山は越した感じです。
皆さんの祈りの力があったと思います。
執刀医は、いつもお世話になるドクターモダンサさんと、
ダバオの医師2人の3名チーム。
ドクターは給与を返上して執刀して下さいました。」
私は、祈って下さった皆さんの
おかげだな、と思いました。
その後、カラカカン村に招待され、
イスラム教徒の子どもたちの
洗礼式に出席させていただいた時、
ロザリナさんとデング熱で
緊急入院したオマール君が涙を流しながら、
自作の詩を吟誦してくれました。 
想いが深く心に伝わり、沸々と感動が
私の胸にわき上がってきました。
日本人の皆さんのおかげで、
小さな平和が生まれたんだな、と思いました。

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以前お伝えした、肺の癒着した女性のための家が、
ミンダナオ子ども図書館の一角に完成しました。
これで、へんぴな場所から、
馬で通うことなく治療に専念できます。
お母様とも一緒の生活になります。
お母様は、ミンダナオ子ども図書館のスタッフです。
しかし、手術が不可能な状態で、
酸素吸入が欠かせません。
すでに数年の歳月ですから、
さらに長い闘病になりそうです。
基本的に食事も治療費も
ミンダナオ子ども図書館でみますので、
ご本人の家族に対する負担の気持ちは和らぐでしょう。
長く親子で過ごすこともなかったでしょうから、
まずは心の重荷を下ろしてもらえたらと思っています。
お祈りいただければ幸いです。モルモン教徒です。
家は、ミンダナオ子ども図書館の
ニワトリ小屋をつぶした廃材も使ったので、
3万円ほどで出来ました。
ニワトリは、野菜をついばんで食べてしまうので、
みんなで食べてしまいました。


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新しくスカラーで、
17歳の盲目の子が入りました。
ダバオの盲学校に通います。
ドイツ系ミッションの良い学校です
(すでに盲目の少女がスカラーになっています)。
戦闘地だったピキットの子で、
ピキット市のDSWD(福祉局)所長のグレイスさん
(私の尊敬しているソーシャルワーカーで
クリスチャンだが戦闘地のイスラム教徒の救済に
命がけで奮闘してきた人、
ミンダナオ子ども図書館の役員の一人)から、
うちのソーシャルワーカーのリアに
連絡が入り会いに行きました。
父親はなく母親も遠くに行き、
極貧家庭の叔母の家で
ほとんど放置状態。食事は近所の人が
バナナを与えたりしていました・・・
全くひどい状態ですが、歌が上手です。

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山に入ったときに、ジクジク、アルメリン、ラライ、
バンダン姉妹のお母様を訪ねました。
以前からお伝えしている末期ガンの方です。 
腰が立たなくなり、病院にお連れしたときは
すでに骨がガンで犯され、
1年半の命という診断で、
お一人だけ山に置いておけずに
(ご主人は亡くなっています)引き取った方です。
奇跡的に3年近く、
ミンダナオ子ども図書館に住まわれたのですが
(幸せな日々だった)、
いよいよ覚悟されて、若者や子どもたちに
自分の死ぬところを見せたくない事と、
娘達は勉強に集中して欲しいと言う願いから、
生まれ育った山に戻り
結婚している長女のもとに帰ったのです。
お元気そうでしたが、さすがにやせ細っていられます。
しかし、長女も孫もいますので
こうして亡くなれば幸せだろうと、感じました。
興味深いのは、
ご自身が産婆でマナナンバル(民間医師)で、
お父さんも同じなのですが、
父親も現在病気で、
マナナンバル同士が近くに住むと、
互いに体力を消耗して早く死ぬので、
父親を逆に町に移したことです。
娘達は、4人、孤児として残りますが、
ミンダナオ子ども図書館で、
育てていくことになります。
アルメリンは大学一年生で、
看護を勉強していますし、
ラライも高校生、バンダンは小学年生ですが、
すっかりうちの子になっていますので、
お母様も安心でしょう。
皆で撮した写真を添付しました。

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その他の子の医療状況
イスラムのオマール君
(父親におぶられている写真を添付)は、
デング熱も軽く今日退院します。
尿に血が混じっているハッシム君の方が、
少しかかりそうです。
腎臓を痛めています。
盲腸をこじらせたロザリンダさんも、
医師も驚くほどの回復ぶりで
(皆さんのお祈りのおかげだと思います)
もう歩いていますし、
来週には帰れるようですが、
患部を完全に削除していない事と、
帰ると学校まで山道を5キロ以上も、
歩いて毎日通うのが不可能なので、
ご両親から、ミンダナオ子ども図書館に
住めないか打診されています。
従姉妹もここにいるのですが、
本人が親から離れて寂しくないかが問題で、
良く両親と本人と話し合わなければなりません。
4歳の子が、緊急に入院しました。
高熱と喘息の発作です。
未婚のまま4人の子を産み、
父親が別の女性と結婚してしまい、
母親は働きに出ていて、
祖母が駆けこんできました。
祖母のご主人も職が無く監獄にいたとか・・・・・
おばあさん一人で小卒の末娘と、
5人の孫の面倒を見ていますが・・・・

****************

:ロザリナさんのその後の経過など 8月20日
ここのところ医療プロジェクトの報告が続いていますが、
病気の多い時期なのでお許しください。

まずは、うれしい知らせです。
本当にうれしく思いました。
手術後のRosalina Guiandalさんの状態が、
執刀医も驚くほど良いのです。(写真)
前夜、ダバオから帰り、
Rosalina Guiandalさんとご両親などに、
日本ではたくさんの方々が祈ってくれましたよと、
皆さんの事をお伝えしました。
彼女は、月曜日には病院を出て、
ミンダナオ子ども図書館に移り、
そこから当分二日おきに
病院に通うことになりました。
完治ではないので、再発の危険も残っており、
まだイスラム地区の山には戻れませんが、
とにかく山は越した感じです。
皆さんの祈りの力があったと思います。
執刀医は、いつもお世話になるドクターモダンサさんと、
ダバオの医師2人の3名チーム。
ドクターは給与を返上して執刀して下さいました。
この時期はデング熱のシーズンですが、
ロザリナさんの朗報と平行して、
同じイスラムの村から2人の男の子が、
5日間高熱の後に血を吐いた
(典型的なデング熱の症状)とやはり
高熱と尿に血が混じる(UPIの症状)
が出ていると連絡が入り、慌てて向かいました。
Omar MonibくんとGarry Hasimくんです。
今は病院ですから大丈夫ですよ。
状態を見ていますが輸血が、
必要になるかも知れません。
また山から来た大学生のEdmon Linatoくんも
デング熱で入院しました。
輸血が必要で、A型ですので私も献血しました。
今後は、少し日本人の血が混じるね、
などと冗談を言いつつ・・・
彼は極貧ですが屈強の体なので
辛い病気ですが大丈夫でしょう。
お祈りして下さっている方々、
寄付を送ってくださっている多くの方々、
ありがとうございます。

この日、ひどい皮膚病の子を
治療する決定をしました.。
お姉さんとミンダナオ子ども図書館で
撮った写真を添付しました。
かなり膿んでいてかわいそうです。
時間がかかるでしょうが、
命に別状があるわけではなさそうです。
写真
こちらの子の場合は、病気がそのまま
生命の危険に結びつくケースが多いので大変です。

イスラムの少女の緊急手術 8月19日

ミンダナオ子ども図書館では、
イスラム教徒の戦闘地域、ピキットの山岳部、
カラカカン村の小学生35名に、
スカラシップを出していますが、
5年生のRosalina Guiandalさんが、
盲腸炎が破裂して緊急入院させました。
この地域は極貧で竹の家もボロボロの家庭が多く、
当然医療は受けられず、
腹部の痛みが盲腸の破裂であるにもかかわらず、
腹部マッサージを続け、菌が腹部に飛散した状態です。
緊急に手術をしましたが、
患部の全削除はかなわず、現在は様子見で、
生存は五分五分だそうです。
まつげの長いいたいけない子です。
皆さんお祈りしてください!お願いします!

この地域は、政府軍とアメリカ軍の
テロ掃討作戦で爆撃を受け、
ガンなどの患者が増えている地域です。
共にイスラム教徒のために活動し、
DSWD(市の福祉局)所長であり、
ミンダナオ子ども図書館のボードメンバーの
クリスチャングレイスさんは、
劣化ウランを疑っています。彼女自身も喉頭ガンです。


医療プロジェクトより 8月7日

肺の癒着が進んでいる女性が、
ダバオの私立病院で診察を受けた。
病気の発端は喘息だった。
初期においては薬の治療で治る病状だったので、
当時はデパートで働いて、薬を買い治療していたが、
肺の異常に気づいたデパート側は、
病気を理由に解雇した。
(大都市ダバオのデパートなどの雇用は、
比較的恵まれた職なのですが、
終身雇用ではなく5ヶ月契約がほとんど。
理由は、半年未満の契約であれば
正規の雇用ではなく、
健康保険や年金の法的責任がない。)
解雇後はもちろん薬は買えず、貧困のなかで、
母親が近くの町で住み込み
お手伝いをしながら面倒を見ていたが、
薬を買ったり買えなくなったりをくり返し、
現在の状態になってしまった。
彼女の存在を知ったのは、
スカラシップに応募してきた
一通の手紙からだった。
調査に行くと、
田んぼの側に車を乗り捨てて川沿いの
あぜ道を吊り橋や丸木橋を渡りながら、
行くこと30分あまり。
緑の田んぼの中に孤立した、島状の土地があり、
3軒ほどの竹家が、
隔離されるように建っている内の一軒だった。
そこに寝かされている女性は、
明らかに顔色も悪くやせ細り、
一見して大学進学どころではない事は、明白だった。
その時母親は居なかったが、話を聞くと、
母親の給与では食べるのがやっとで
薬は買えないとのこと。
進学は論外で
まずは病気を治すことが先決だが、
ミンダナオ子ども図書館の規定である、
「医療は17歳以下」に当てはまらない。
そこで、母親に
現在の家事手伝いから図書館に移り、
もう少し給与の良いハウスマネージメントに雇い、
その給与で薬を買ってもらう事にした。
それから半年、
残念ながら喘息の薬だけでは回復は見込めず、
呼吸困難になったと聞いて、
例外規定でダバオメディカルセンターに
入院する事になった。
病院に見舞ったときは、
酸素吸入を受けやせ細り、
方肺が機能不全で心臓も弱り、
手術は不可能との診断。
薬の投与で病状を見守るという結果になった。
話を聞いていると、
本人は元気になりたいのだが、薬が買えず、
病気で仕事も出来ず家からも出られず、
自分が生きていることによって
親兄弟に精神的経済的な負担を
かけていることが重荷なようだ。
しかも病状はゆっくりと進行し、
かといって死ぬことも出来ない。
しかし、本人の生きたいという意欲も確かだし、
ミンダナオ子ども図書館では、
いったん引き受けた患者は、
可能性がある限り最後まで
面倒を看るという原則から、
薬物治療に賭けることにした。
ダバオに見舞ったとき、
偶然ではあるが、貧しい人たちが
15人近く寝ている病室の隣のベッドで、
老人が息を引き取っていく瞬間を見た。
老人はすでに意識はないらしく、
風船を手で圧すという原始的な方法で、
家族が人工呼吸を続けていたが、
ようやくやってきた医師の心臓マッサージもむなしく、
その場で息を引き取っていった。
鼻や喉に差しこまれていたビニールのチューブが
一つ一つ抜きとられ、
最後には病院の薄汚れたシーツにくるまれて、
運び出されていくのを見ながら、
死ぬという事は、自分の体から
離れることだとは思うのだけど、それにしても
大変な一仕事だなとつくづく思った。
死んだ後、周りを囲んでいた家族も、
むしろホッとしたようだったが、
本人も死臭漂う体から離れて、
どんなにかホッとしたことだろう。
ちなみに、肺が癒着した女性は、
長く病院に置かれるのも嫌だし
費用も馬鹿にならないので退院したいと言い、
かといって不便な実家にもどれば、
診察のたびに馬で
道路まで運ばなくてはならないので、
意を決して、ミンダナオ子ども図書館の
道路側の開いている土地に、
小さな竹の家を建てて、そこで母親と生活しながら
回復まで面倒を見ることにした。
半年以上はかかるだろう。

*******************

ミンダナオ子ども図書館では、
昨年は105名の子どもたちの病気を治したが、
その半数はスカラシップの学生や里親の子どもたちだ。
全員が全員、極貧家庭から来た子たちだから、
健康保険に加入していなくて当たり前だし、
病気になっても親が医療費を払えるわけがない。
言ってみれば小学生から大学生まで、
合わせて200名近くの栄養不良で、
しかも健康管理の行き届かない
地域の子達がいるのだから、
病気の子が出て当然なのだ。
中には、長期治療を続けている子もいる。
そのようなわけで、肺の癒着が進んでいる女性の
対応に追われている間にも、
大学生クリスティーン・パデルナルさんが
デング熱で緊急入院した。
幼いときに両親と死別し完全な孤児だから、
私たちが助けなければ他に助けてくれる人もいない。
デング熱というのは、
夏の時期になると流行する病気で、
蚊によって媒介される。
高熱がくり返し襲い、体が極端にだるく食事が進まず、
ひどくなると鼻や口から出血する。
点滴と輸血をすれば、だいたい治まるが、
そうした最低限の治療費も出せない
一般の貧しい子どもたちにとっては、
これといった治療法もなく
薬も効かない恐ろしい病気で、
僕もかつて7キロも痩せた経験がある。
クリスティーンの場合は試験があり、
熱があるにもかかわらず
終了まで頑張ったのも良くなかったようだ。
図書館に住んでいれば、
すぐにも入院させたのだが、
仲間のスカラーと下宿生活をしていたので
知らずに入院が遅れてしまった。
鼻から出血したと聞いて慌てた時には
すでに輸血が必要な状態だった。
血液型はタイプA。
奨学生やスタッフの支援を仰いだが、
自分の血液型も知らなければ、
注射もしたことがない子達なので
恐れて献血をしようとしない。
キダパワンの血液バンクが登録ドナーに電話して、
ようやく最低限の血液を確保した。
4月にはコナナン君が、
同様の状態で輸血を受けているので、
今回の反省から、
全体ミィーティングで全員の血液型検査をして
緊急時のドナーを登録することにした。

****************

たとえトタン屋根の下に避難できたとしても、
土の上で寝るのは厳しい。
とりわけ子供とお年寄りには過酷な生活が始まる。
読み聞かせに行った日の前夜、
ミンダナオ子ども図書館のスカラーの一人、
ノルハナさんのお祖父さんが難民キャンプで亡くなった。
心臓発作だった。
難民生活がいかに過酷か理解できるだろう。
彼女は悲しみにうちひしがれていた。


私たちは、医療プロジェクトも持っているので、
病気の子供がいるとすぐに救済に向かう。
今回も、39度近い熱の子どもたち、
激しい腹痛と下痢の子どもたち
30名ほど出会った。

読み聞かせを聞きに来た子供の一人は、
腹が写真のような状態。
もう一人は高熱を出している。
病院に運ぶことに決定した。
同じ村の隣の家で、
骨折した子がいるというので、向かった。
一週間前に骨折、木から落ちて足と手を折っていた。
もちろん、彼らには治療するだけの力も財力もない。


本当に貧しい家だ。この家のなかで、
少女は寝ていた。母親は亡く、継母が同行。

村人たちは、私たちが治療を決断した事を
心から喜んでくれた。

男泣きに泣く村人もいる。
「神様のおかげだ!」
と天に手をあげて感謝する村の牧師。

みんなで協力して、少女を車まで運ぶ。
レントゲンの結果、かなりひどい骨折で、
放っておいたら一生歩けないと言う事がわかった。
足にはステンレスの補強をし、
手の骨折も含めて、15万ほどの治療費だ。
国民健康保険に加入している訳もなく、
出生届すらないのだから・・・・


緊急治療は、なぜか次々に重なる。

スカラーの年老いた父親が
高熱で意識がもうろうとして緊急入院。

ピキットから子供を運んだ後に帰ってくると、
別の地域から子供が運ばれてきた。

見た感じは、たいしたことがなさそうに見えたが、
全身がむくみ膿んでいる。

キダパワンの病院に診せた結果、
「これは、キダパワンでは無理。
ダバオの病院に今すぐにでも運んでください!!!」

「ええ、でも、もう夕暮れですよ!」
「そうしないと、明日にも亡くなるかもしれない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
そのようなわけで、現在夜8時、
スタッフが患者を連れてダバオに向かった。

出かける前に「医療費はどうしますか?
ダバオでの治療となると、大変です。」

概算すると、すでに一月で40万円。
月予算の10万をはるかに超えて、
4ヶ月分の医療費を使っている。

今度は、私たちの方が、
「おお、神様、何とかなりますように!」
しかし、救済を優先してGOサインを出す。

明日のことは思い煩うな・・・・・?
 
ナブンダスの子たちの中には、下のように、
体の奇形が発症している子たちが数人いる。
左の子は、手の指が発達せずにくっついている。
右の子は左の目が盲目になっている。
まずは、検診し、可能ならば
手術をすることになった。

戦闘のあったピキット地域では、
このような奇形が多いことは、
すでに報告したとおりだ。
空爆の際に劣化ウランが
使用されたのではないかと疑っているのだが・・・・
戦闘後に増えていることは確かである。

今回は、ヘアリップを中心に10数名の治療を、
ダバオメディカルセンターで一気に行った。
スマイルファンデーション主催の集中治療に参加。

山から子どもたちをミンダナオ子ども図書館に運び一泊、
翌日ダバオでスクリーニングを終えた後、
手術日が決まり、再度ダバオに運ぶ。

術後は病院の体育館で一泊。
いつもながら、医療プロジェクトは、
子どもと家族の面倒を手取り足取りする
スタッフにとって最も過酷な活動だ。


今回は、ダバオメディカルセンターに平行して、
足が内側に曲がった子どもたちの診察も行っている。
山奥のマノボの若者で、
その家の兄二人は今年度のスカラシップ候補者だ。


何とか救済しようと、
まずはドクターに診せると、
医師は顔をしかめた。

「あなた方のファンデーションは、
難しい患者ばかり運んでくるね。
これは、筋ジストロフィーだと思われるよ。」

筋ジストロフィーは、
足から次第に硬直が体の上部に進み、
やがてからだが麻痺し、
肺と心臓が硬直して死に至る病気だ。
彼らの家庭は、ひどい困窮状態で、
山地の谷間にほとんど土地はなく、
父親が一人で5人の歩行困難な子を
養っていくことはどう見ても不可能。

二日後に、神経内科の検査を受けて
その結果を見て決めるが、
この分では、ミンダナオ子ども図書館の敷地内に
小さな家を建てて家族で移り、
両親に仕事を与える以外になさそうである。
と言っても、これだけ養っていけるだろうか。

ミンダナオ子ども図書館の住人は、
今年の春新しいスカラーを加えると
60名近くになりそうである。

神よ我らを守り給え!

下左は、デング熱で入院した奨学生マノボ族の
ローズマリーさん。

下は、体内に細菌感染が広がり、
緊急入院したマノボ族の子。
ドクターはいつもお世話になっている、
ドクター チュー先生。
中国系だと思うが、本当にすばらしい方。

悲しいニュースを一つ
前号のメールニュースで紹介した
病気の赤ちゃんが亡くなりました。
 

骨折した子は、無事に退院

ステンレスで補強しましたが無事に退院。
今は、ミンダナオ子ども図書館に住みながら、
メンテナンスをしている。
少しずつ歩けるようになり、山に戻れる日も近いでしょう。
ありがとうございました。


   ********************

新しい患者が運び込まれた!

6月1日に日本よりミンダナオへもどる
イスラムの若者たちの民族楽器による、
10月の日本公演打ち合わせから、
ミンダナオに帰ると、息をつく暇もなく
さまざまな状況が待ち受けていた。
まずは、骨折したマノボの若者14歳の救済。(写真下)


彼は、前回に少女ローズマリーグマイちゃんを
救済したボアイボアイ村に隣接する、
山岳地帯の貧しいマノボの
村はずれの家に寝かされていた。
彼の家も同様に、山中の貧しい小屋であった。
父親は無く、母親と生活。
すでに2週間も寝たままであった。


骨折は、サントルの実をとろうとして
木から落ちたのが原因。
サントルの木は高木になり、
実は枝の先端になっているから、
落ちたらただではすまない。 
サントルの木から落ちて
骨折した子の救済は、これで3人目。
もちろん、医者にかかり治療する事は、
貧しい彼らには不可能なことだ。
とりあえず宛木をほどこし、
村医者(祈祷師)になにやら
炭を油に溶かしたようなものを塗ってもらっていた。
しかし、気休めになっても、
このようなことで骨がつながるわけがない。
本人は、病院に行くのを恐れ嫌がったが、
「このままでは一生歩けなくなる、
下手をすると体が腐って死んでしまう」
などとと説得してようやく病院に運んだ。

案の定、完璧に骨折している。 
手術は、翌週の水曜日に実行されることになった。
貧しい地方の公立病院では、
専門医師は週一回訪れるだけ。
多くの患者が通路に寝ている。
ちなみに、以前骨折して運ばれた
ローズマリーちゃん(写真下)は、
すっかり歩けるようになった。
二人ともミンダナオ子ども図書館に寄せられた、
皆さん方の医療寄付がなければ、
一生歩行困難だったろう。
手のギブスは取れずにいるので、
今年は学校をお休みする。
彼女は、母親が亡くなっていて、
継母に育てられているが、
お姉さんと共に
ミンダナオ子ども図書館がすっかり気に入り、
ご両親の了解も得て、お姉さんとここに住み、
ミンダナオ子ども図書館の子として
学校に通うことになった。




写真左はローズマリーちゃん、
右は妹の世話をしている実姉のマリベールさん。
二人とも素直でとってもよい子たちだ。
お姉さんは、すでにミンダナオ子ども図書館のある
マノゴル村の小学校に通い始めた。
マリベール グマイ 十三歳 
マノボ族 六年生 支援者が決まりました。
もう一人の、緊急でダバオに運ばれた子も、
命をとりとめた。
現在は、ダバオから
ミンダナオ子ども図書館に戻り、
キダパワンの病院で
術後の検診を受けている。
キダパワンの医師や看護婦も、
この子が命をとりとめて生還してきたので、
ビックリして感動していた。
これも皆さんのおかげです。



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子どもたちが、学校に通い始めて、
日本で寄贈していただいた車いすが大活躍。
プロテスタント教会のH氏から
寄贈された2台の車いす。
筋ジストロフィーの兄妹が、
学校に行くために大活躍!
ミンダナオ子ども図書館のスカラシップの子たちが、
みんなで手分けして
毎朝学校に通っています。
うれしそうな彼らの写真を見てあげてください。





彼らを支えてくださっているのは、
支援者の皆さん方。
皆さん方の上にも、彼らからの
笑顔の支援をお送りします!!!

心からありがとうございます。

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今回は、盲目の方々や障害者の方々に
語る機会が幾たびかあった。

今まで、障害者に対する対応などを
語る機会はなかったが・・・
ミンダナオ子ども図書館を訪れた方々が、
図書館に住んでいる奨学生の若者たちが、
盲目のジュンジュン君やベルリーンさん、
ポリオのノノイ君、
筋ジストロフィーの3兄弟妹たちに、
家族の一員として、
自然に接していることに驚きの念をもたれ、
なぜそれが可能なのかを、
話して欲しいと言う要請に応えた形だ。
盲目の子や障害を持つ子たちが、
ミンダナオ子ども図書館では
いっしょに自然に生活している。
盲目の子は、最初、
市の福祉局からの要請で受け入れたが、
私に専門的なケアの知識や
経験があろうはずもなく、
最初は非常に不安だった。
しかし、驚くべき事に、
最初から若者たちは彼らを自然に受け入れ、
やがて若者たちに、
まかせれば心配のない事が解った。
その理由を、いろいろ考えながら話したのだが、
根本的にミンダナオの人々の
メンタリティーのなかに、
壁を作らず自然に接したり、
面倒を見ていく生活習慣があるように思える。
とりわけ貧しい辺境地域に見られることだが、
親に見放された子も、
周囲のだれかが引き取って面倒を見る。


盲目のジュンジュンくんとベルリーンさん。
ジュンジュン君などは、その典型的な例だ。
見放されても、自殺をせずに、
それなりのしたたかな生活力を持っている。
貧困が日常のミンダナオでは、
ほとんどの人々が、
いわゆる社会的弱者に属するので、
おたがいに思いやり支え合ったり、
したたかに生きていこうとする意志が、
共通してあるように思える。
フィリピン人は、介護や看護の分野でも定評があるが、
「人を放っておけない性格」=「おせっかいな性格」
がどのように形成されていくのか、興味は尽きない。
貧困と同時に、昔話が語りとして
生きているとい
う点、 
家の街頭やちまたに、洗濯や夕涼みなど、
生活そのものが生きている場が
あることも関係しているように思える。
   **************************************
アイリーンの手術が成功した。
アイリーンは、アラカンのマノボ族だ。
祭りの日に、家の台所で料理をしていると、外で銃が暴発し、
銃弾がアイリーンの腰から腹を射抜いた。
土地もなく、高地の貧しいマノボ族だったから、
父さんがあちこちから借金をして
安い公立病院で緊急の手術をしたが、
手術の半ばで費用がつきた。


アイリーンは、切断された腸を接ぐ
手術に移行することなく、
腹の脇から排便することになった。
薬を買うお金もなかったから、
傷口は大きなケロイド状になった。
退院した後、家庭はさらに極貧になったから、
傷が癒えるまもなく食堂の女給や
洗濯女をしながら家計を手伝った。
銃痕のあとから血がにじむこともあった。
女給をしているとき、去年の秋に、
突然脳障害が起こり、意識が失われた。
意識が失われると同時に、
異様な声を発して、転がり出した。
意識を取り戻した後、彼女は何も覚えていない。
かつて働いていた食堂では、彼女を男たちが取り押さえたが、
腹の手術の大きな傷を見たとたんに、
大の男たちがわっと逃げ出したそうだ。



先日も同様の症状が、
ミンダナオ子ども図書館で起こり、
意識を失ったアイリーンは、うめきながら転がった。
てんかんに似た症状に、皆、
悪魔が憑いたと思って恐れた。
無理矢理、強引に、若者たちが、
力ずくで押さえ込もうとする。
塩をまいたり、ニンニクを持たせたり、
香を焚いたり、悪霊よけの祈祷をしたりと、
一時は騒然となったが、冷静になるように皆を諭し、
彼女の頭を腕に抱いて、
くり返し優しく語りかけると、
次第に落ち着きを取り戻していった。
 「悪霊が憑いているのに、ともさんは、怖くないの?」
 「うん、僕はぜんぜん怖くなんかないよ。」
とても積極的で明るい子だし、非常にがんばりやだし。
スカラシップには、弟も高校生として応募してきたが、
私たちはアイリーンを採用した。
費用はかかるけれども、
手術をして彼女を救うことが、
先決だと判断したからだ。
私たちの医療プロジェクトは、
17歳以下という規定がある。
アイリーンは20歳だが、
奨学生になると例外規定が有効になる。
勉強に対する情熱も高いし、
結婚が不可能でも大きな良い働きをするだろう。

両耳が膿んで一年もたつ子。
すでに治療は始まっている。

また、祭りの際の暴発で腹部を射抜かれて
貧困のために手術を完了できずに、
腹から排便している子もいる。
(この子は、まず治療をしてから
学校に行くように決定)
またポリオの子も、
山岳地域にしばしば見受けられる。


マノボの子を抱く、イスラム教徒の奨学生。
ミンダナオ子ども図書館の奨学生は、
ボランティアで活動を手伝っている。

**************
盲目の少女日本から


盲目の少女といったら上岡さんに怒られるか、
笑われるかもしれないけれど、
奈良に住む上岡さん(27)は
少女のような心の持ち主であることは確かだ。
ミンダナオ子ども図書館を知ったのは、
このメールニュースでだった。
メールで返事をいただいたときには、
見事な日本語なので
(後になって関西のラジオでトーク番組を
持っていたことを知って納得)
まさか盲目だとは思わなかった。
11月の大阪市立図書館の講演会場で始めてお目にかかり、
その後からミンダナオ子ども図書館に
来られることを決心されたようだったが、
まさか本当に来られるとは思わなかった。
たびたびマニラなどには
行ったことがあるという話は聞いていたが・・・・・



上岡さんは、
ミンダナオ子ども図書館に引き取られてきた、
盲目のジュンジュン君の事が
気になっていたようだった。
ちなみにミンダナオ子ども図書館には、
ジュンジュン君とベルリーンさんの
二人の盲目のスカラーがいる。
下の写真は、ジュンジュン君とベルリーンさん。
二人は兄妹のように仲が良い。




今回、上岡さんは、
6月から盲学校に入るジュンジュン君に、
持ってきた教材と時計で、
時刻の読み方とアルファベットを教えてくれた。
この世の中に、時計という物があるという事も、
アルファベットで全ての物を
書きあらわせるという言うこと、
すら知らなかったジュンジュン君にとっては、
天地がひっくり返るような、
画期的な出来事だった。
教えている様子を見ていて、
忍耐強い上岡さんの様子に、
感銘を受けたスカラーも多く、
みんなでジュンジュン君の勉強を
手伝っている姿は傍目にも美しかった。
ちょうど日本に帰った折に、
吉祥寺カトリック教会の売店で手に入れた映画の
DVD「奇跡の人」を皆で鑑賞した後だっただけに、
上岡さんの姿がヘレンケラーに字を教える
サリバン女史の姿とダブったのだ。
といってもジュンジュン君は耳が聞こえるが・・・
下の写真は、教えている様子。



ジュンジュン君にとって、
この経験は画期的なことであることは、
様子の著しい変化でわかった。
歌だけ歌って馬鹿騒ぎしていた彼が、
物思いに沈むようになり、
聞くといろいろと
将来の事を考え始めている。
6月から盲学校で勉強する事に、
異常なぐらい関心を集中させている。
上岡さんを飛行場に迎えに行ったときも、
近くの芝生で座りながら、
「飛行機の足につかまって空を飛ぶんだ」
と言っていた。
どうやら鳥のような物を
想像しているらしいので、
「お客はお腹に入るのだよ、
出るときはウンコのようにお腹から出てくるのさ」
と説明して、二人で笑った。
上岡さんのおかげで、
盲目でも世界を旅できるという、
信じられない人生が広がったのだ。
まずは文字を覚えて、
英語とタガログ語を
勉強するのだとはりきっている。



上岡さんは、お兄さんが
インドネシアで勉強しているだけに、
イスラム教徒にも理解があり、
ピキット地域の読み聞かせにも参加し、市場を巡った。
盲目の日本人のしかも女性が
このようなところまで来ることに、
市場の人々もビックリして、
たちまち人気者。
(写真上、同行してくださったのは
DSWDの所長グレイスさん)
最後のお別れ会では、
イスラム教徒の若者たちが歌ってくれた。(写真下)



10日間ほどの短い滞在の間に、彼女が
ミンダナオ子ども図書館の若者たちの中に残した
足跡は深く大きかった。
とりわけ、ジュンジュン君には、
一生を決定するような足跡だった。
毎年来られるだろう。
ミンダナオ子ども図書館で山地を巡るときには、
盲目の子が他にもいないか、
たずねていきたいと思っている。
私自身も、多くの事を勉強させられた、
貴重な日々だった。上岡さんに感謝!

追記:上岡さんは、奈良の田舎でお父様は、
猟師もなさっている農家の家庭。
宗教を聞いたら、屋根の上に白い蛇がすんでいて
拝んでいるような感じの宗教、と言っていた。
ミンダナオ若者たちも同じような
物をたくさん信じている・・・・


医療と心療
再会、そしてミンダナオ子ども図書館へ

グレン

この子の手術をしたのは、もう5年も前になるだろう。
母親が居ず、父親の過ちで銃が暴発頭に傷を負っていた。
数ヶ月の治療の後、回復。
その後、父親は、別の女性と家庭を持った。

先日、たった一人で村に
帰ってきているのを見つけた。
大喜びで駆け寄ってきた。
しかし、膿が再び広がっている。
それでも、元気で大きくなって、
友だちと遊んでいる。
当時は、口からヨダレが止まらず、
左腕と足に軽い麻痺がみられる。
正常な成長は見込めないと思っていたが・・・


この子に再会してから3日後、
引き取るために村を訪ねたが
祖母の所にいると聞いて、
さっそくその場所に向かった。
祖母いわく「傷を治した後、
この子をMCLで引き取ってくれないか」。
祖母にとっても、厄介者でしかない。
グレンにたずねた「私たちといっしょに、
MCLに住むかい?」
「うん、MCLがいい」本人は大喜びだ。
と言うわけで、
新たにミンダナオ子ども図書館に
住むことになった。

久々に会って、思ったより
目つきも行動も
しっかりしているので
一安心した。
私の姿を見たとたん、
よほどうれしかったのだろう、
満面笑顔で駆け寄ってきた。
祖母の所を離れ、
一人でもどってきたという。
このままでは、
化膿が広がるので
再び治療を開始。
ときどき、このように、
まったく見放された
子に出会う。
軽トラの後ろに乗ってお別れ MCLでみんなと
初めての食事
どのような生涯を
送っていくのか

ジンジン

かつてMCLの奨学生だったジンジン。
足に問題があり、ゆっくりとしか歩けない。
薬をだしてメンテナンスを続けていたが、
父親も町に仕事が出来たし、
家で母親が面倒を見ることになった。
5年前のことだ・・・。
先日、キダパワンの町で、
5年ぶりに父親が声をかけてきた、
「ジンジンは、歩けなくなっている。
実はあれから、私たち夫婦は離婚して、
私も彼女も別の人といっしょになって、子どももいる」
「エッ、それならジンジンはどこにいるのですか?」
「母親の元にいるが、妹のラブラブが
学校を停止して面倒を見ている。
トイレにも行けないから・・・ぼくはもう、ずいぶんもどっていない、
彼女も別の男性と結婚し子どももいるから」


話の途中で
父さんの事になったとたん
泣き出したジンジン

とりあえず、事情を知る
必要があるので、
数日後、ジンジンの家に
向かった。
何年ぶりの再会だろうか、
大喜びで迎えてくれた。
しかし、歩行は出来ず
寝たきりだ。

かつてまだ小さかった
妹のラブラブ(下写真)が、
高校3年生の学業を停止して
ジンジンの面倒を見ていた。

将来、妹とMCLに
帰ることを決め
顔が明るくなった

  マイマイ

小さかったマイマイ、当時10歳。
股関節のヘルニアを治療した折りに、MCLと知り合った。

お母さんは、障害がある。
片足を切断して
義足を入れたので
娘のマイマイに
支えられて歩く。
それでもがんばって、
保育者をしている。
月給2000円。


お父さんは、
ガードマンだが、
音信が途絶え、
帰宅しなくなった。
別の女性と
いっしょになった。
マイマイは、
今年大学に入学したものの
一年たたずに、
経済的に続かなくなった。
同じ大学に通っている
MCLの奨学生の
友人に言われて
再びMCLを訪ねてきた。
どなたか、
支援者になって
いただけませんか?           

6年前、当時のマイマイ、10
アンティパスのDSWD(福祉局)からの依頼。

股間接のヘルニアで、カレングレースと二人一緒にダバオのDMC病院で
検診を受け手術を完了。

ジェニーボーイ
かつて私が滞在した孤児施設
ハオウオブジョイで
出会った少年
当時、小学生だった
ジェニーボーイ。
彼の両親は、
サリサリストアと呼ばれる
小さな村のお店を
していたが、
つけ払いで借金が貯まった
警察官に
文句を言ったと事が原因で
その場でピストルで
殺害された。
こうした物語は
拙著『サンパギータの白い花』
(女子パウロ会)
で書いたが、
一部下記で引用。
彼が暴漢に襲われ、
頭部を殴られ骨折して病院に運ばれたと聞いて、
彼の弟と妹、MCLの奨学生のラランと
ラブラブが現地に向かった。
ジェニーボーイは耳から血を流し、
救急車でダバオに搬送、
その後、キダパワンの病院に収容した。
CTスキャンの結果、頭部の骨が一部砕けていた。
喧嘩でもしたのかと思ってたずねると、
どうやら本当に
暴漢に襲われた不慮の事故だった。
「フィエスタで少し酔って、
外の机でウトウトとしていると、
後ろから懐の財布を探っているのを感じて、
手で押さえたとたん
後部から強く殴られて、そのまま記憶を喪失した。」
両親とは、幼い頃に死別ししてるし、
生活は、あちらこちらをさまよいながら、
草刈りをしたり、漁の手伝いをしたりしながら、
何とか生き延びているという。
学校は、小学校四年生でストップした。
ハウスオブジョイで下記の文章を書いた時に、
三年生になるところだったから、
その後一年でストップしたわけだ。
しょうがない、このまま追い出すわけにもいかないし、
入院治療が終わったら、
MCLのマキララ農場で働かせるか・・・


パン一個の不幸

 ボイはカッパに似ている。ぎょろっとした大きな目。
 針金のように立っている短く刈り込んだ黒い髪。
 一口で魚を飲み込んでしまいそうな大きな口と、
 ちょっと面長の顔。
 どうしようもない不良だという人もいるけれど、
 決してそうは見えないし
 問題児ほどかわいいというのもまた確かな事だ。
 確かにボイは学校が嫌いだ。
 いや正確には大嫌いだったと書くべきかもしれない。
 なぜって、ここ十日ほどは学校に通っているからね。
 これは彼にとっては画期的なことなのだ。
 おかげで二年生から三年生に、
 進級だってできそうだ。・・・・


続きを読みたい方は、書店、
または右のインターネットから購入できます。
サンパギータの白い花
松居友:著 

(女子パウロ会)

注文は以下からも・・・
Info


アシム
彼女は、図書館に住んで
学校に通っているスカラーのアシムさん、
やはりプロック8村のマノボ。
父親はいないが、成績も良い。
ところがある日、村に帰って
2週間以上帰ってこない日が続いた。
この様な時は、ソーシャルワーカーの
カティさんと相談まずは探しに行く。
村の母親の元から、さらに長女の家に移っていた。

頭痛の熱が発端だったが・・・
「その後、私、白い男の人が
前に立っているのを見たのです。
たぶん、妖怪だと思う。
それで、怖くなって、村にもどって、
マナナンバル(祈祷師)に看てもらったら、
女の妖怪が憑いているっていわれて。
母さんのいる村から、姉さんの所に移って
養生していたの・・・」



この様な場合は、
話を良く聞いて
本人が一番良いと
思う方法を選ぶ。
恐らく、新しい高校が
少し程度が高い
からだと思うのだが
姉さんも良い方だし、
母親と相談して、後日、
姉さんの家から通う
という結論を下した。
妖精達には、
逆らえない事が多い???

ピキットのブアラン近郊で戦闘があり
再び多くの難民が出ている
ピキットのブアランとアレオサン近郊で、
政府軍とMILF軍が衝突し、
多数の難民が出ている。
ブアランは、2000年の戦闘の砲弾跡を残したままの
小学校がある地域で、非常に貧しい地域である。
ミンダナオ子ども図書館で保育所を建設、
小学校や高校生のスカラーもいる。
去年の8月に発生した戦闘で、
半年間も難民生活を余儀なくされていた人々。
ようやく今年の3月に家に戻れたところ、
3ヶ月で再び難民化することになった。

木の枠組みだけ作っても
シートがない。

高熱を出していた、
4人の子どもたち。
かなり広範囲に難民が出ており
国道沿いもふくめて、
難民は各地に散らばっている。
ハウスベース(親戚などの家に逃れた人々)
の場合はまだよいのだが、
写真の地域のように、
野外に逃れた人々は悲惨だ。
雨の多いシーズンなので
緊急のビニールシートが必要。
熱や腹痛などの病気の子どもも多く
早速、ミンダナオ子ども図書館に
保護して、治療をすることになった。

この様な状態で
夜を過ごしている
ミンダナオ子ども図書館で、
とりあえずビニールシートを支援した。
手伝っているのは、スカラーのザイノディン君


この様な雨よけも無い所に
子どもたちを
放っておくことは出来ない
熱帯雨林地域の雨は、
半端でない

左の少女は、
両足先を膿んでいた
上の子たちは、
高熱を出して寝ていた。
ミンダナオ子ども図書館の
子たちも
高熱を出して入院したが
今流行の
インフルエンザか・・・

この様な場所においておくことも出来ずに早速、
ミンダナオ子ども図書館に収容した。
しかし、後述したが、
ここ数ヶ月の連続する患者の治療で
医療費が底をついている。
今後、戦渦が拡大すると、
大変な状況になっていく恐れがある。
6月から7月にかけて、
新たな戦闘が勃発する噂があるが、
現実にならないことを祈るのみだ。

ピキット地域だけではなく、
ミンダナオ子ども図書館の水田のある、
マタラム地域でも軍が入り戦闘が広がっている様子。
今回の戦闘で、軍は、3ヶ月分の「お弁当」(食料)を
準備しているという話が聞こえてきた。
最低、3ヶ月は戦闘が続くという意味だろうか????
可哀想なのは、子どもたちだ。


 MCL(ミンダナオ子ども図書館)
だけが、難民たちの唯一の頼り。
現地で奨学生の
ジハッド君と
バイナオットさんに会った。
私たちが来て
本当にうれしかったようだ
この地の人々は皆
私たちを知っていて
「本当にMCLは
頼りになってうれしい」
と言ってくれた

当然、この時期は、どこのNGOも政府も、
救援活動を開始していない。
恐らく戦闘が拡大するとしても、
救済活動が開始されるのは数週間後だろう。

緊急支援は、
夕暮れまで続き
最後に、病気の子たちと
その保護者を車に乗せて
一路
ミンダナオ子ども図書館に
向かった
明日から、さらに本格的な
救済活動が始まる
病気の治療も
開始しなければならない
ヤレヤレ

次々と医療患者が・・・
ミンダナオ子ども図書館の運営で、
戦闘が起こった時は別にして
最も予期できないのが、医療と車の故障だ。
予算をとってはいるのだが、
とりわけ医療は、過去の事例を見ても、
突然に次々と病気の子どもが運ばれてくる。
写真は、ピキットのラガイエン出身のスカラー
、Kakim Noraimaさん。
難民だったところを、
支援者の意向で小学校のスカラーに採用された。
戦闘は終わり、難民状態の生活は終わり、
自分の家に戻り
学校に通い始めたところまでは
良かったのだけれども、
右足の膝の裏側から腿にかけて痛みが広がり、
歩行するのも難しくなった。


どうも肉腫のような物が出来て、
3ヶ月の短期間に大きくなっていくようだ。
それで、ミンダナオ子ども図書館に運ばれて、
キダパワンの病院で診てもらったところ
手術が必要で、癌の可能性も有るという。
さっそくダバオのドクターに診てもらったが、
DMCと呼ばれるJICAも支援している
公立病院でも最低10万、
私立病院だろ20万は軽く出ると言う。
公立病院では、入院したまま、
病院が手術を決定するまで数ヶ月かかり
かつて半年も滞在した患者がいた。
日本では考えられない病院事情なので、
キダパワンの医師に相談して
最良の方策を現在模索している。
スカラーでもあるし、
何としてでも治療を成功させたい。
彼女の従妹(下左の写真)も、
歯茎が出る奇形で手術をした。
戦闘地ピキットでは、しばしば、
目が飛び出す異常、瘤などの奇形、癌、そして
戦闘期間や難民生活ちゅうに
妊娠した子の異常などの奇形が見られる。

Kakimさんの従妹の歯茎の治療は完了。
8月に、その後の経過を診ることになっている。
かつて2000年、2002年の戦闘後に
奇形が増えた理由に疑問を抱き
大学時代の友人で、現在は
カトリック教会大阪司教をしている
松浦悟郎くんに話をした。
彼は、私の写真を見て即座に
「劣化ウランとちゃうかなあ」と言った。
さすがに、正義と平和協会の代表。
私は知らなかったが
写真集を見せてもらって驚いた。
似た症状の子たちに多く会っていたから。
白血病で亡くなった子もいる。
知り合いの子も奇形だった。
その後、中国新聞社から取材を打診する
連絡をいただいたのだが、
危険すぎる地域という理由で
許可が下りずに断念。
劣化ウランは、証明は難しい。
Kakimさんも、
癌でなければ良いのだが・・・
劣化ウランに関しての中国新聞の情報は
右をクリックInfo
それにしても、ここ数週間で、
次々と病人が出た。
今はやりのインフルエンザでは
無いと思うのだが
最初は喉の痛みと咳から始まって、
ある時あっというまに高熱が出る。
半端ではない、
39度から40度を超える熱が出るのだ。
高熱が出るたびに、
最初は病院に運んで
薬を出してもらった。
様態が重い子になると、
意識がもうろうとしてくる。
医師に言われて、
その様な子は入院することになった。
一貫して症状は同じ。
その後も、次々と感染し、
ほとんど20人に上った。
幸い、薬で治療すると、熱は短日間でひき、
問題ないこともわかってきたので、
なるべく家で治療をすることにした。
ほんとうに、費用が馬鹿にならない。
8月までの医療費予算が
これで消費されてしまった。
さらに追い打ちをかけるように、
別件の子どもの治療が舞い込む。
幸い、去年看護学を卒業したスカラー、
Feさんが今年からボランティアスタッフで
活躍してくれているが
あまりにも次々と患者が出て、
その対応に苦心のあまり、涙ぐむ場面も・・・



兎口の子どもたちの治療
今年も、ダバオで開かれる、
兎口の子どもの治療に参加した。
これは、UCCP(フィリピン・キリスト教団)と
ドールが協賛して、
毎年ダバオで開かれるものだ。
ミンダナオ子ども図書館では、
家族の食事と宿泊、そして搬送を行う。


今回、参加したのは、
マキララ地区の
先住民バゴボ族の子たちと
ピキットのイスラム教徒の
子たちが多く
総勢で、8名の
子とその親たち
経済的なサポートは、
ドールが、治療と検査は、
比キリスト教団の招待で
アメリカのドクター方が
ボランティアで行ってくださる
私たちも、
大いに助かっている
年一回の無料治療!

それにしても、ドールのプランデーション開発の
影響を受けて山岳地域に追われた子たち、
米軍も関与している戦闘地の
イスラム教徒難民の兎口の治療を、
アメリカ人を交えたキリスト教会が行う・・・
それで助かるのなら良いとは思うのだが、
国際支援とは、何なんだろう?
支援を考える時にいつも繰り返し戸惑いながら、
問い解される素朴な疑問!
支援とは、単なる利益の還元、
それとも罪滅ぼしなのだろうか???

難民キャンプの
歯茎異常の少女の治療


手術前の姿

治療が終了し
再び難民キャンプに
戻った少女
すでに半年も
こういう生活が
続いている


祖母は涙が止まらない
歯茎が異常に飛び出してくる病気
原因が何だかわからないが、ピキットの地に、
瘤や発育の異常が多いのは事実で、
戦闘時期と重なっている。
まるで劣化ウランの症状のようだと、
その道に詳しい者が語っていたが、
証明は難しい。
とりあえず手術が成功、
6ヶ月後に今度は歯を入れる事になった。
見違えるように成った孫娘を見て、
祖母は涙が止まらない。(右写真上)

ピキットの奇妙な洪水
ピキットを再び、大きな洪水が襲ったと、
今回は大々的に報道された。
腰まで届く水に、スタッフのノライダさんも、
隣のアスレーさんの所に避難した。
その報告を受けて、どのような状態で、
どのような救済支援が必要かを確かめるために、
洪水の翌日に緊急にピキットに向かった。
しかし!
水は、何と、24時間で、引いていたのだ!!!!
道路沿いには、
若干の難民が残っているものの、
昨日の午後には、
腰まであったという水はすっかり引いて、
以前、洪水救済にいったときの、
半分ぐらいになっていた。
あのときは、10日間あまり、洪水が続き、
医療支援にカバサラン村にボートで向かったのだが・・・
洪水というよりも、Flash Flood 
鉄砲水と呼ばれるものだったのだろう。
上流に、大量の雨が降ると、
突然、想像を絶する量の水が流れ出す。
原因は、1960年代に、
日本がラワン材を輸入するために、
ジャングルをことごとく伐採した事による。
それが、鉄砲水で終わるか、洪水になるかは、
雨の量とともに、降水期間が関係している。
たとえ量的には少な目でも、
降雨が長期にわたると、洪水になる。
今回のケースは、降雨量が
異常に多く集中的に降ったものの、
短期だったので救われたのだろう。
確かに鉄砲水で家屋が流されたり、
一時的に腰までとどく水の被害はあったものの、
引くのも実に早かった。
現地の人々に、全く悲壮感が無く、
むしろ道路の決壊箇所を利用して、
大量の魚の捕獲が出来、
一時、魚の出荷に湧いたのは
人々の生活力のしたたかさだった。
 激しい洪水が襲ったと聞いて
現地に向かったが、
先日の腰まで来る水は、
あっという間に引き始めていた
洪水難民も数は少なく
むしろ現地は道路の決壊箇所に網を張って
捕獲した、魚の漁獲に湧いていた。
大量に捕獲され、バイヤーに取り引きされていく
鯉、フナ、ナマズ、手長エビ。
リグアサン湿原のあるこの地域が
いかに富裕な天然資源を
保持しているかが理解できる
膨大な天然ガスと石油も眠っており
国際資源争いの場となっているが・・・
 
 
 
何としたたかな民衆だろう、
災い転じて福となす
雨にも負けず、
風にも負けず
洪水にも戦闘にも
負けず生きる力に満ちた人たち
こういう人に、わたしもなりたい?
以前にも書いたが、洪水が、
予想を超えて高く、
水位が現れる原因は、
USAIDと呼ばれる
アメリカ政府の道路建設支援の結果、
国道からラジャムダと呼ばれる村まで、
川沿いに、土盛りの高い道路ができたせいだ。
この道路に堰き止められる形で、
水が川沿いの村を襲うようになった。
いわば、国際支援が、
災害を大きくした例だが、
この道路は、この先のリグアサン湿原に眠る、
大量の天然ガスと石油の開発と積み出しを
狙ったものだと、現地では言われている。
しかし、現地の人々はしたたかだ。
前回の経験から、
道路の決壊箇所に漁網が張られ
大量の漁獲がされていた!

学校も鉄砲水につかり、
教室も腰まで来る水の中だった
すっかり濡れてしまった教材。

しかし、翌日には水が引き、
道路で教材が乾かされていた。
洪水が出たとたん、
飛び出して泳ぎ始める子どもたち

むしろ困難なのは、
戦闘難民の人々
歯が悪く、ガンの疑いのある少女
地域によって、支援のあるところと、
無いところの格差が明確になってきている

山元しんぷ支援のサダム君も、
支援をはずされている地域のスカラーだ
このときは、WFP世界食料機構のスタッフも同行
オーストラリアからのスタッフのための事前調査。
行く先は、副市長の地元のパイドプランギ。
洪水に阻まれてストップ。
ボートで行くことはできるのですが・・・
私たちの活動にずいぶん
興味を持ったようすだった。
私たちも、時々WFPとは、
行動を共にしている。
ランドクルーザーの後を、
スズキの軽トラで追いかけるのが大変だった。
歯が悪く、ガンの疑いのある少女の母親
いよいよダバオでの
本格的治療が開始されるので、
打ち合わせ
私たちは、非政治でかつ、
特定の宗教に偏らないNGOだから、
国際的NGOや行政から見捨てられた、
この様な場所にこそ支援を継続していく。
といっても、蚤のような小さなNGOで、
出来ることも限られているのだが。
医療と炊き出しの支援を
開始することに決定した。
特に医療は重要。
先日、ダバオで、
20万円ぶんの医薬品を購入したが、
2月から、マノボの山岳地域をふくめて、
医療支援を本格的に開始する。
平行して、白血病の疑いのある患者が、
現在ダバオで検診治療を開始している。


初日は、登録と、
ドクターによるチェック

ARMMイスラム自治区
から応募した
少女と父親

サポートに活躍する
スタッフのFeさん
元、奨学生で
看護学を修了
ミンダナオ子ども図書館は、
本当に僻地の患者たちを支援する。
患者たちは、時には、
タガログ語も話せず、文字も書けない。
子どもや孫の、生年月日も定かではなく、
出生届も出ていない。
こうした人たちは、サポートがなければ、
治療を受けることもできない。
ここでも、スタッフたちが活躍する。
みな、ミンダナオ子ども図書館の卒業生たちだ。
マギンダナオ語の通訳をするアスレーさん、
患者に話をしたり、
ドクターに説明をするFeさんは、看護士だ。
彼らは、現場で本当に頼りになる。

第二回、口蓋手術の青年
小さいときから
親に見放されて育った

Feさんの後ろに
控えるのはアスレーさん
言葉が通じない
ケースも多い
マギンダナオ語を
アスレーさんが通訳する



医療も絶え間なく続く
新年度に入って、次々に患者が運び込まれてくる。
医療というのは、不思議なことに
時期があるようで、ドッと増える。
年額120万円(月10万)の医療費を充てているが、
一気にオーバーして、
予算を使い果たしてしまった。
年度累計額は150万に達しようとしている。
高額な手術がいくつか入ってきたためだ。
歩けない少女のために、特性の車椅子を作った。
小型で、小水が出てもだいじょうぶだ。

半年前から、急激に瘤が出来てきた少女
歯の位置にも奇形がある。
一度の手術では完治は不可能。

交通事故の若者も運び込まれる。
プロック8の子で、もちろん
両親に医療はだせない貧困だ。
両目に白い膜が出来ていた少女がいたので、
「目を治したい?」と聞いた。
すると、涙をためながらうなずいた。
さっそく母親を訪ねた。
路上で蕪を売って生活をしている。
学校にも行きたいことがわかった。
成績も良いのだけれど、
貧しくて学校が続かない。
「スカラシップの支援者をさがしてあげるからね。
がんばれば大学まで行くことも出来るよ」
と言うと、後ろを向いてしまった。
見ると、目に涙をいっぱいにためて泣いている。



この子もスカラシップを出すことに決めた
成績も良いしがんばりやだ。
まずは、目の手術をしなければならない
上は、蕪を売っているお母さん
お父さんは、ゴム汁をしぼる日雇い
いつも、仕事があるわけではない
母さんががんばって
生活を支えているが・・・
どなたか、支援者になって
いただけませんか?
支援者が見つかりました!!


今回、クリスマス医療プロジェクトで
医療診断を受けたり、
病院に入院した子どもたち
栄養失調と熱とで
毛の抜ける病気があるとは知らなかった
マノボ族の少女。
天然痘のような症状と
高熱の男の子
父親は、大事な
財産である子豚を売って
薬を買おうと出かけていた
熱でガリガリに痩せた子 天然痘と熱の男の子 高熱の赤ちゃん


難民キャンプでは、
子どもたちの病気が
問題だった
     アルバちゃんのこと  山元 眞    

今年の夏ピキットの難民キャンプを訪れたとき、
そのたいへんな「現実」を教えてくれたのが
アルバちゃんだった。
実際に難民キャンプの中に身を置いても
不思議と実感がわいてこない。
日ごろからテレビや新聞などの報道で
観的に見ることに
慣れてしまっているせいだろう。
まるでテレビを見ているような錯覚に
陥っていたことを思い出す。
その場にいても…。
ただアルバちゃんの、
触ったら折れるようなその手に触れたとき、
「現実」に触れた気がした。
ひどい栄養失調の状態を越えて、ほとんど飢餓状態…。
このような人に触れたのは、生まれて初めてだった。
「現実」が迫ってきた。
かわいそう、などと感じる余地はない。
アルバちゃんの背景にある世界を不気味に感じる。
現代社会のさまざまなひずみやしわ寄せが
アルバちゃんを、まるで骨だけの体にしている…。
このような「現実」にわたしたちは何ができるのだろうか。
難民キャンプからキダパワンに戻り、
30年ぶりに献血をした。
血を与えるということは、どういうことなのだろうか。
アルバちゃんがまた何か大切なことを教えてくれる。
クリスマスが終わってから、
アルバちゃんに会いに行こう。
今度は少し手を握り返してくれるかもしれない。


思った通り、難民キャンプでの現在の最も大きな問題は、子どもの病気だった。

上は、かつて紹介したアルバちゃん(9歳)。
病院でのチェックの後、
ビタミンと粉ミルクの栄養補給を続けていたが、
DSWDから突然帰郷したという
報告を受け中断していた。
今回、日本に行ったときに、
当時アルバちゃんに会った
行橋カトリック教会の「Mの会」メンバーと、
山元眞しんぷから、
「探して欲しい。できれば、
ミンダナオ子ども図書館に小さな小屋を建てて、
祖父母と共に、
健康が回復するまで療養させて欲しい」
と言う、希望を聞き、現地に足を運んだ。
幸い?、アルバちゃんは、
再び難民キャンプに戻っていて、
今後の事は、祖父母と
詰めて話し合うことに決定。
OKの場合は、
ミンダナオ子ども図書館に小屋を建てて、
そこで祖父母と共に
療養生活を始めることになる。
右は、今回診療することになった、天然痘の子ども。
彼女以外に、この地域に
4名の子が、病気であり、
即医師の診断をあおぐことにした。
また、年明けて各々の難民キャンプでの
医療プロジェクト実施を決めた。
難民キャンプにも優先順位があるのか、
いくつかの場所は、どういう訳か、
他の難民キャンプと異なって、
赤十字の食料支援も少ないし、
12月はうち切られていることが判明した。
一方で、ある地域では、オックスファムと
アメリカ海軍の支援が始まったと聞く。
軍の要人もシリック高校に
ヘリコプターで降り立ったと聞いたが、
これらは何を意味しているのだろうか・・・

しかし、ウオーターフォールの集落では
経済的な貧困がさらに進み、
病気が蔓延していた
今年は、奇妙な高熱と痙攣を起こす
風邪が流行っている
写真のスカラーの子たちも
すでに3週間も病床に伏したりして
学校も停止したままだった
久しぶりに会って愕然とした
なんて痩せてしまったことか!!!
立って歩こうとすると、
ふらついている
多くの親や子どもたちに
病気が蔓延している
同じ病気にかかっても
ミンダナオ子ども図書館に
住んでいる奨学生は、
数日で回復するが
栄養失調だと命取りだ
とにかく、病院でチェックを
受けることにした
 
病院では、すぐに入院!
色々な検査をした結果、
デング熱ではない事がわかってきた。
信頼できる小児科の
ウオン先生が首を傾げながら
単なる風邪で、
これだけ長期の症状が出るという事は
基本的に栄養失調だからですね。
食べるものを食べていない、基礎体力がない、
快復力がないところに病気が襲うから、
ますますやせ細って行く
このままだと、死ぬかも知れない。
唖然とした!!!
訪問者がいるので、
自由に行動は出来なかったが、
山のビックビックさんの家に預けて
別行動で急遽医療活動を実行した。
幸い、ピキットの難民キャンプでの
医療活動を継続しているので、
その薬をウオーターフォールに届けた。
日本では、薬は日常手にはいるし、
基礎健康が食事で出来ているので
「薬に頼っても、薬を渡しても・・・」と言う人もいるが
ちょっとした風邪でも死に至る場合もある時に、
予防も含めてやはり薬は頼りになるのだ。
日本では、風邪ぐらい自分で直すのだが・・・

カバサランの医療プロジェクト
先日、洪水に見舞われた
カバサラン地域を紹介した。
そのときに、人々が激しい腹痛、下痢、
高熱に困っていると言う報告をした。
翌週、私たちは、スカラーたちと一緒に
医療プロジェクトと読み語りを実施した。
ピキットのドクターと看護士が同行して・・・

左と右の写真を
見比べて欲しい
つい数日前の写真だが、
左が洪水時、
右は今回の写真
水は退いたが、
舟でしか、
たどり着けない事に
代わりはない
今も、周辺は、
かなり深い水に
覆われている

私たちは、医療を開始した。
ドクターが処方箋を出し
看護士が薬品を渡す
スカラーたちは
その指示に従って
お手伝いをしている
一方の木陰では
読み語りが始まった
この対岸は、ARMMの
ダトゥ・ピアンで
激戦地の一つ
この村には、対岸からも
子どもたちが通っている
MILF系の地域
私たちも、かなり長く
この地域と関わって
きているが
これから本格的に
関わる地域の一つ
MILFの力が強く、
対岸と協調をしながら
入っていく必要がある。
その中心でもある、
カバサランと
良い関係を築くことが
今後の活動を左右する。
カバサランからの帰り、
すでにミンダナオ子ども図書館で
保育所を建てたブロッドを抜けた。
のどかな田圃のあぜ道を、
17歳前後の若者たちが、
散歩でもするかのように歩いていた。
通りすがりに、手を振ると、
うれしそうに笑顔で答えてくれた。
数人は、ミンダナオ子ども図書館の私を知っているようだ。
彼らの服は、よれた迷彩服で、
手にはM61ライフルや、
ロケット弾が握られていた。
ミンダナオ子ども図書館の若者たちと、
ほとんど同じ年のあどけない若者たち。
学校に行きたくて、
反政府組織に応募する子がは多い。
組織が戦闘参加を条件に、
スカラシップを出してくれるし、
食べ物も食べさせてくれる。
先進国からは、少年兵の問題が声高に
非難され議論されるが、少年兵を生み出す、
不条理な貧困や差別の問題の解決無くして、
少年兵の問題は議論できないだろう。
ミンダナオ子ども図書館に来た若者たちの中には、
NPAやMILFに応募する予定だった子もいる。
医療プロジェクト報告
ヘアリップの子たちの手術が終わりました。
ヘアリップの子たちは、
緊急ではないが、
こうした子たちとの
関係を通して
新たな地域と関係を
築いていける
この子たちも
新たにスカラーと
なれれば幸いだ。
 
医療活動も続いている
新しい患者たちも次々に運び込まれる
どこまで治療できるか、予算との格闘だ・・・・

覚えていますか
あの子たち
今は、治療のために
ミンダナオ子ども図書館に
母さんと住んでいます
とっても元気に
そして、
明るくなりました。
この子たち、
スカラーになります。
どなたか
支援してく
ださいませんか
よろしければ寄付をお願いします。
一つでも虹のような笑顔が生まれるように!

こちらをクリックして・・・

現在の難民キャンプの問題は
長期滞在組が残り、
洪水や衛生、そして
栄養失調で病人が増えていることだ
とりわけ、子どもたちや赤子たちの病気が増え
死者も出てきている
左の婦人は、強度の腹痛で
病院に運び
翌朝、緊急の手術をした
ヘアリップの少女は
緊急ではないが
難民キャンプで出会ったからには
最後まで面倒を見よう

難民キャンプで大やけどを
負った少女は、
体の方は良くなっていたが、
父親が無理矢理
退院させたために
足のやけどが膿んでいた。
たまたま訪れた
カラカカンで見つかり
再び病院へ・・・・
今度は父親も
平身低頭、協力してくれた。
一方、栄養失調の少女は
親の意向で病院から出て
難民キャンプにもどった
そこで、ビタミン治療を続けるが
両親に、「ミンダナオ子ども図書館で
小さな家を建てるから
そこで半年か一年治療を続けるように」
提案したが、了解が得られない。
親次第で治療の道筋が立つのだが
今後もビタミン治療と栄養補強を
続けていくが、状況は難しくなった

 
 
今後の展開を予想するのは難しい。
政府は、今回の戦闘をMILF側の
一方的な違反行為と断定して、
和平交渉の棚上げ、
棄却を示唆しているが、
MILF側はそれに反発している。
互いに総攻撃も辞さないという、
過激な論調が出ているが・・・・
一方で、今回の展開は、事前にかなり
周到に準備されたドラマであり、
反政府側がそれに、
引っかかったという見方も根強い。
直前に平和交渉に異議を申し立て、
ホゴにする計画に、
イスラム側が引っかかったと言うのだ。
そのシナリオは、米国によって書かれ、
日本も側面から支援したと言うのだが、
真相は闇の中だ。
(もちろん、米政府は否定している)
ただ、この劇のしこりは、
かなり深く影響を及ぼすだろう。

難民キャンプで見つかった、
子どもアルバ(女9歳)ちゃん。
極端な栄養失調の状態だった。
現地を訪れた山元眞神父と
行橋カトリック教会のメンバーたちと
相談して救済を決断した。
3ヶ月の病院治療の後に
一年の栄養補給
そして、3年のリハビリが始まる
右は、病院に収容されたアルバちゃん


きつい難民生活で、
もっともかわいそうなのは
子どもたちとお年寄りだ
左は、ブアランの小学生で
私たちのスカラーの一人。

Aiza Midtimbang (10)

彼女は、熱を出していた。
2000年の戦闘で
すでに父親を失っている。
母親は、行方が知れない。
彼女を育てているのは
年老いた祖母一人だ。
もう少し年が上になったら
ミンダナオ子ども図書館で
暮らすことになるだろう。
 
難民キャンプでは、病気の子供が増えている
病気でもっとも多いのが
激しい下痢と腹痛
そして、高熱の症状だ。
折しもミンダナオでは、
高熱を発して
悪寒と痙攣を引き起こす
奇妙な風邪が流行っている
ミンダナオ子ども図書館の
子たちも
すでに、5人が引き付けを
起こして
入院している


私たちは、繰り返し現地を訪れて
人々から聞き取り調査を行い
何に困窮し何を必要としているかを尋ねた
その結果、相変わらず需要が高いのが
新たな難民たちのためのビニールシートであり
薬品であることがわかった薬品に関しては、
すでに赤十字も入っており、
あちこちでたくさんの赤十字のマークが入った
車を見かけていたので、安心していたのだが・・・・
聞いてみると、今回の赤十字の支援は、
食料(米)と水の支援であることがわかった。
事実、食料とりわけ米の支援はワールドフードも
入り十分すぎる。
近隣の難民たちが帰宅した事もあるが・・・・
薬品の支援に関しては、
アメリカのNGOが入ったと聞いていたが、
一部の地域に限られている。
DSWDのグレイスさんからの
強い要請もあり
ミンダナオ子ども図書館で、
医療プロジェクトを開始した

薬を車に積み込む
スカラーたち
現地では、
ドクターが処方箋を出
看護士が二人、
個別に患者に指示を出す
至急、ドクターの紹介で、ダバオの薬局で、
現在の難民たちの症状に最も適した
種類の薬品を選別して購入した。
ドクターのおかげで、
市価の7割安で薬品が購入できた。
(年末または年初に、
今回のピキット支援寄付の
内訳を公表する予定です)
その後、ドクターと看護婦とともに、
難民地域を訪れて処方箋に
あわせて薬を渡していく
英語が読めない人も多いので、
いちいち使い方を説明し、
裏蓋に処方量などを手書きで書いて、渡していく。
薬は、処方量を間違えると、
かえって危険だからだ・・・
この後も、残った薬は、
ピキット市のDSWDにスタッフを派遣して、
24時間態勢で、病気の人々の治療に専念する。
今回の医療は、子どもも大人も、
年齢は関係なく対象としている。

医療と平行して、読み語りも行う
医療が体の治療ならば、読み語りは心の治療だ!
スカラーの子たちによる
読み語り
ムスリムのスカラーたちも、
マノボ族のスカラーたちも
移民系クリスチャンの
スカラーたちも
皆協力して、読み語りをした
今回は、初めて、平和巡礼のために練習した、
ムスリムの祈りの歌、マノボ族の祈りの歌、
クリスチャンの祈りの歌を、読み語りで披露した。
それぞれの歌を、皆で歌う。
つまり、ムスリムの歌の時は、
マノボもクリスチャンも、
後背支援のようにして、
アッラーの名が出てくる歌を歌う。
マノボ族の時は、ムスリムもクリスチャンの若者も、
マノボ族の神マナマの名が出てくる歌を、
クリスチャンの時は、マノボもムスリムも
イエスの名が出てくる歌を歌うのだ。
これに対するイスラムの人々の反応はと思いきや・・・・
本当にうれしそうに大人たちも聞いてくれる!
驚いたのは、スカラーの一人が、(勇敢にも)
イエスの誕生の絵本を読んだときだ!
実際、私は真っ青になり、・・・
なぜならイスラム教徒の人々の
しかも難民キャンプというデリケートな場で、
聖誕物語を始めたのだから!
密かにムスリムのスカラーたちに、
周囲の大人たちの気持ちを探ってもらった。
驚いたことに、10人中10人が、
「あの話なら知っているし、
何の問題も無いんじゃない」
これには正直、度肝を抜かれた。
ミンダナオのイスラムの人々は、
自分の信仰は厳格に守るが、
他の宗派に対してはいたって
寛容な事は経験で理解していたが
ここまでだとは思わなかった。
 
上は倉庫に
避難している難民達
左は野外の子達
野外はろくな屋根もなく
雨が降るとずぶぬれになる


病気やけがの子も多く出てきた
下は、慣れない難民生活で大やけどをおった少女
緊急にキダパワンの病院に運び治療を開始した。
病室でホッとしている母さんと少女。
ミンダナオ子ども図書館では、
当然治療費や入院費以外に
付き添いの食事も面倒を見ている。

軍用車にひかれて頭部を骨折した少女
幸い今のところ良いようだ・・・
私たちの主治医をしてくださっている
モダンサ医師が、給与返上で
治療に当たってくださっている
今のところ、緊急のビニールシート支援だけで
手一杯で
医療活動は緊急以外は先延ばししている
あちらこちらから
風邪、熱、腹痛の症状の訴えがあるが
私自身も、ダンプで雨に打たれたり
激しい活動で熱があるが、そうも言っていられない。

洪水地区の医療活動
前号で、ピキットの洪水地区の様子を伝えた。
とりわけ、洪水地区の子どもたちのなかに、
下痢、腹痛、熱が広がっている
緊急支援を求めた結果
山本幸子さまから10万円が届いた。
うれしかった。
さっそくピキット市の福祉局DSWDを通して
医師に相談し、必要な薬を用意した。
薬代は10万円を超えたが、
不足分は医療プロジェクトの予算で満たした。
ドクターは、無休のボランティアで参加してくださった。
看護婦も3名同行した。
さすがピキットのドクター(住んでいるのはダバオだが)は、
こうした緊急支援に好意的だ。
「私の親戚は日本にも行っているが、
私はこのミンダナオにとどまって、
貧しい人々の医療につくすのが信念だよ」
ドクターは、そう話された。
ミンダナオでは、時々このような僻地医療に
命をかける気骨あるドクターに出会う。
多くの医者が、看護士の資格をとり、
海外に出稼ぎに行くのがフィリピンの現状なのだが。
ミンダナオ子ども図書館にも、
いつか常駐の看護士を置きたいと思っている。
クリニックもあると最高だが・・・・
上は、今回、山本幸子さまのおかげで購入できた、
10万円分の医薬品だ。
やはり診察を始めて見ると、
圧倒的に多いのが腹痛と下痢の症状だった。
それと、熱の症状。
洪水被害を受けている近隣の村に、
あらかじめ福祉局から伝令が入り、
子どもやお年寄りを連れて人々が駆けつけた。
300人を超す人々が来た。
ほとんどが普段、医薬品も買えない人々だ。
宝物でも持つように、
大事に薬を抱えて帰る姿が印象的だ。
医薬品は、大人用の熱や腹痛の薬が、
予想を超えて使用され、底をついた。
さらに、上記の緊急難民支援で、
8割方消費された。
その結果、第二回洪水医療支援の場所として
予定していた川沿いの
カバサラン村やブロル地域への
支援が不可能になってしまった。
この日は平日だったが、ここでも、
時間の割けるスカラーの若者たちが手伝った
医師や看護士の指示で
医薬品を渡したり、患者のお世話をしたり・・・
普段の医療プロジェクトも続いている
相変わらず予算との戦いだ
   松居 陽

MCLは、限られたスタッフと共に
複数の入り組んだプロジェクトを
同時進行しているため、常に活動内容、
スケジュール、予算などの計画と
整理を慎重に行わなければ、
寄付者の方々やプロジェクトの対象になる
子供達に対して顔を向けにくい
結果が訪れる可能性がありうる。
特に治安の不安定な地域や、
スムーズなシステムが存在しない場合の多い
ミンダナオでは、上手く立てたつもりの計画も、
次の瞬間には一変していることも少なくない。
忍耐力と、考えを切り替える力が十分に無ければ、
苛立ちを感じてしまうこともあるだろう。

全体の活動の感覚がつかめるようになるためには、
一つ一つのプロジェクトに深く入り込み、
じっくり観察し、学び、経験する
必要があると思った僕は、
手始めに何かと脇に置かれがちな
医療プログラムを受け持つことになった。
計画上、毎月同一の限られた予算の中で
行われるプロジェクトだが、
すぐに手を打たなければならないケースが生じると、
処置の実行を優先することになるだろう。
MCLの医療プロジェクトは全スカラーをはじめ、
17歳以下の子供を対象としている。
さらにMCLは、患者の下にスカラーや
スタッフの中から責任者を置き、
完治するまでなるべく常に側で見守らせる
方針をとっている。

先月、病院で患者の世話をしていると、
一人のスカラーのいとこに当たる小児が
熱病で亡くなったという報告が入った。
僕はその足で、スカラーと共に
急斜面にあるマノボの村へ向かった。
小児の家では、悲しみと啜り泣きが
空気を満たしており、死んだ子供を前に、
母親はやるせなさと絶望にあふれたありさまだった。
家の前では、男達が小さな棺おけを作っていた。
僕のお父さんが聞くところによると、
彼らは自分達の貧乏さを恥に思い、
助けを求めなかったとか。
さらに、MCLの医療プロジェクトは
スカラーにのみ当てられたものだと
勘違いしていたようだ。
僕達は、彼らとプロジェクトの概要を確認し、
今後こういったことが起こらないためにも
MCLの活動をパンフレットにして
各村に配布する必要性を認識した。

6月から今まで、腫瘍を持った
赤ん坊の手術と栄養失調の子供の処置が行われ、
スカラーの中にはカリウムの不足で下半身が麻痺した、
不清潔な環境で皮膚病を起こした、
そして急な腹痛で入院をした等の
ケースが医療の対象になっている。
さらに、ピキット方面の洪水の後に起こった
伝染病等の薬代も、少々プロジェクト費から出されている
先の見えないことも多いが、
信用の置ける情報の入手手段によって、
できるだけ早く、多くの子供達を
救う手伝いをしていくつもりだ
 


骨折した少年の救済
スカラシップの最終調査の
課程で
骨折した子の救済が始まった
父親もいない、母親もいない
兄弟はバラバラになり
叔父が面倒をみているが
骨折を治療するお金もない
一人、親戚の家に放りおかれ
厄介者扱いを受けている
子にしばしば出会う。
小学校を途中で止まったまま
学校にも行かせてもらえない
田んぼの草取りを
手伝っているが
骨折したとなると、
厄介者以外の何者でもない
少年は、ミンダナオ子ども図書館に保護され
病院の検査を受けて後治療に入る。
叔父さんの話だと
「そのままミンダナオ子ども図書館に滞在して
学校に行かせてもらえ」と、言われたという。
厄介者を追い払う?
しかし、確かに子だくさんで
日々の食事にも事欠き
つい最近自分の子も病気で亡くしたというから
一概に責めることは出来ないのだ。
マロットもそうだったが、
この子もここに住むことになるだろう。


今回は医療支援にも力を入れた

天然痘の症状

生まれながらの成長障害

彼女は、目がよく見えない
戦闘に苛まれ続けてきたこの地域では、
奇形障害や成長障害、
精神障害や奇妙な出来物が多く見られる
年齢的に、2000年、2003年頃に妊娠、
出産した子に多い。
こうした症状に詳しい友人曰く
「これは、劣化ウランの症状ではないか・・・」
2000年、2003年の米軍と
フィリピン軍の合同演習で
劣化ウラン弾が使われたのではないだろうか!


即日、手術をした若者たち
出来物や腫瘍の子たちは
即日に手術をした。
視力が異常な子は、キダパワンに運び、
これからチェックを始める



年に一度の
兎唇の手術に15名の患者を!

2月27日(日)~3月6日(日)


まずは、検診から始まる

そして手術が始まる

手術の一週間、
スタッフで看護士のフェは、
終始患者と生活を共にする
体育館で、
患者たちと寝起きを
共にするのだ・・・
本当に献身的だ
フィリピンの人々は、ビジネスが下手で
一般的に怠惰で怠け者だ
という印象があるが
とんでもない。
スタッフのフェさんを
見ていると良くわかるが・・・
ビジネスマンとしては、
おしゃべり好きで
勤勉ではないかもしれないが
ひとたび、人情というか、
人を助けることになると
信じられないほどの
忍耐と献身を発揮する。
看護士や介護士に活躍するのは
そうした「人情」で行動する
フィリピン人の特徴ゆえかもしれない。



孤児で、弟を戦闘で殺され
腹部を撃たれた少年を
MCLに引き取る

流れ弾に当たり弟は亡くなり、
本人も負傷

幼いときに、両親を亡くした上に
今回の戦闘で、流れ弾に当たり
目の前で弟を失い
自分も腹部を撃たれ
福祉局の支援で病院に入院
2週間の入院の後
退院にまでこぎ着けたものの
家族も引き取り手になる親戚もない
その話を聞いて、
彼をMCLに引き取ることにした。
Sulaiman Salik 14歳 小学校4年生
ショックのせいか、表情が無いが、
まじめな好青年であることは良くわかる
 


カバカン地域で小規模戦闘が勃発
2000人の避難民への救済支援を開始

2月2日(水)
北コタバト州のカバカンからカルメン市に
またがる地域は、道らしい道も無く、
プランギ川を舟でたよるしかない地域だ。
今回、この地域でリドーと呼ばれる戦闘が発生し、
両地域で2000人ほどの避難民が出た。
MILFとMNLFとの路線対立に、
土地の問題が絡まったものであるという以外
現地の詳しい者たちも、口を濁して語りたがらない。
すでに長い間の、かなり深い確執だという。
とりあえず、市の福祉局(DSWD)を通して、
赤十字からのシートが配られている地域もあるが
新たに非難してきた家族も居て、足りない状態。
早急にMCLでシートを買い、避難民に提供したが、
これから各地の調査と共に
本格的な活動を開始する。
このまま小規模で収まる事を願うのみだが
赤十字やユニセフ、UN(国連)が
このような初期から動いているのは珍しく
逆に、今後の展開が気になる。

病気の子どもたちをチェック
健康状態は、良くない。
現在、のど、咳、熱の出る風邪がはやっている事もあり
また、環境の変化や水の悪さで
腹痛や頭痛を訴えるものが多かった。
簡単な投薬治療は、福祉局専属の医師が
行っているので、メデカルアウトリッチは任せて
むしろ、多少とも重く
病院での診察や治療
入院を必要としている患者をターゲットにすることにした。
大概の支援は、こうした重篤な
患者の治療をしたがらない。
人数の割に、経費がかかりすぎるからだが、MCLは、
一人一人に可能な限り治療を施す主義にしている。



子どもをすぐに病院に運ぶ
ユニセフの車に出会った。
訪問者と仕事内容と分担の打ち合わせ。
ユニセフは、避難民教育のみの活動であることがわかり、
MCLは、困窮している医療とビニールシートを
その日のうちに実行。
後日、読み語りと炊き出しを行うことに決定した。
本当は、日々食べる米の支援が最も必要で
期待されているのだが、
MCLでは、子どものための炊き出しが限度。
米の支援をお願いしたが、最近流行の
トラウマ解消の心理的カウンセリング教育支援。
投薬だけでは、どうにもならない子たちを
街の医師の元へ運び検査
入院や手術の必要な子は
改めて日にちを指定し
付き添いの家族を加えて迎えに行き
キダパワンの病院に入院させる事に

また、時期を見て読み聞かせ活動も
奨学生たちと行い
心のケアにもつとめていく予定だ。
活動には、カバカンに下宿して大学に通っている
イスラム教徒の奨学生たちも、参加し、協力してくれた
現地を良く知っているぢ、現地語も話す、強い味方だ。
今回は、カバカンの一上流地帯一カ所だが
別の地域にも避難民が出ている。
今後、カルメンサイドも含めて
調査し、救済支援を実行して行かなければならない。
よろしければ、難民支援寄付をおねがいします。
郵便振替口座番号:00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館




覚えていますか下の子

立正佼成会の皆さん、覚えていますか下の子を。
皆さんが帰られた後、子どもを病院へ・・・
今はすっかり治りました。右が今です。

すっかり完治しましたよ。
ありがとう



アルバちゃんを訪ねる
かつてやせ細り、餓死寸前で難民キャンプで
見つかったアルバちゃん
行橋カトリック教会の
ミルク支援で、すっかり丈夫に
目は見えないけど、
座ることも出来るようになりました。
奇跡的に。
これからも、支援を続けます。



再び戦闘が起こり始めた!
2013年6月11日
 
ミンダナオにおける、
イスラム地域の和平交渉が、
軌道に乗り始めたかに
思えたにもかかわらず、
再び戦闘が起こり始めた。
表向きは、リドーと呼ばれる
土地争いに起因する、
地域紛争と言われているが、
内実は、MILF
(モロイスラム解放戦線)と
MNLFとの勢力争い。
MILFが、アキノ政権と
和平交渉を始めたことで 
本来政府よりであった
MNLFが、
立場をなくした感じを
持っていた。
それに対して、
何らかの報復行動を
起こすのではないかと、
感じていたが、
3週間ほど前から、
ピキットではなく、
もっとキダパワンよりの
ムラアンで、戦闘が勃発、
避難民が大量に出た。
ちょうどそのとき、ぼくは、
過労とストレスに
風邪をこじらせて
一週間の入院をしていたので
スタッフは気を使って
話さなかったが、
それが、今週になって
さらに国軍を交えた
戦闘になり、
再び大量の避難民が出た。
まだ地域紛争の範囲だから、
規模こそ小さいが、
根が政治的で、
深いところから
発しているので、
今後も戦闘地域が拡大し
難民規模と地域が、
広がることが感じられる。
先日、奨学生たちと、早急に
ビニールシートと古着
そして、読み語りの
支援を行った。


今後、戦闘は、広がる恐れもあり
今日さらに、ピキット地域では、
追い打ちをかけるように、洪水が発生
避難民が国道沿いに集まり始めた。
こちらもビニールシートなどの
緊急支援をしなければならないのだが、
現在、ミンダナオ子ども図書館では、
奨学生たちの学費の支払い
新年度の学用品の届けで、
避難民救済にかける資金が
枯渇状態で、
救済活動の緊急支援を
お願いできれば幸いです


支援申し込み
 
 
 
   

近年、日本でもときどき
報道されているように、
日本政府も国際停戦監視団
IMTなどを通して
マレーシアやインドネシアと
連携しつつ、
積極的にミンダナオの
反政府勢力である
MILFと接触し、
フィリピン政府と
和平交渉を進めてきたことは
しばしばウエッブサイトや
季刊誌『ミンダナオの風』
でも述べてきた。
和平交渉は、
2008年に決裂し、
80万人の避難民を出した。
その後、アキノ政権下で、
再び交渉の土俵に
乗ることが決まって、
最近は、楽観的なムードが、
ミンダナオにも
広がっていたが、
しばしばぼくは、
MILFと政府の交渉を、
MNLFやBIFFといった、
イスラムの別の勢力が
どのようにとらえ、
場合によっては、MILFに対し
独自の抵抗運動を
開始するのではない
という懸念を述べてきた。


今回の戦闘勃発は、
その懸念を拡大させた。
BIFF(バンサモロ・イ
スラム自由戦士)は、
MILFの分離派であり、
MILFから圧力を
かけられた形で静かだが
軍事訓練は行っている。
今回の戦闘は、
MNLFとMILFの対立が
背景にある。
まだ、全面的な戦闘ではなく、
地域紛争(リドー)
と呼ばれるものだが、
MNLFに属する軍人たちは、
マタラム市の北方に集まり
戦闘が起こった。
(そのときぼくは、
過労とストレスに
風邪がこじれて
一週間、入院していたので、
スタッフは、あえて報告
しなかったようだが。)
その戦闘には、
ピキットの山岳地域の
MNLFの住民である
戦士たちも参加し、
戦いに向かったが、
その地域には、
ミンダナオ子ども図書館
の奨学生のいる極貧の
村々があり
奨学生の父親の一人は、
今回の戦闘による、
過労とストレスで
亡くなった。
MNLFの司令官だったが・・・


 
   
   
 
 

写真の老人は、
今回の戦闘による避難民の一人。
度重なる戦闘による難民化で、
過労とストレスが蓄積
調査の日に撮影し、病院に運ぶことを約束
翌日、早々に子どもたちと救済に来てみると
この写真を撮った夜に亡くなっていた!!!
   
今回は、薬による医療支援も行った。

避難民生活は、お年寄りと子どもたちに特に厳しい。
ちょうど私が、過労とストレスで
病院で唸っているときに、
何と知り合いのMNLFの司令官で奨学生のお父さん
(良い人だった)が亡くなり、
さらに救済を約束していた老人が
翌日に行ってみると亡くなり、
埋葬中だったことを聞いて、ショック!
ぼくも60歳、それだけに人ごととは思われない。
 
こうした避難民キャンプでは、子どもたちも夜は、
雨が降らなければ、
外の土やコンクリートの上で寝ている。
雨が降ると、身を寄せ合って
なけなしのシートの下で過ごす。
これでは、風邪になったり
下痢や食中毒を起こすのは当たり前だ。

私たちは、急きょ薬を購入して
メディカルアウトリッチ(医療支援)を行った。

 
   



かつて病気を治した子たちにも出会った 
 
現地の村で、この子たちに出会った
以前、手術をして救った子たち
大きくなったね!
大喜びで駆けつけて手伝ってくれた

車椅子があれば、学校に行ける!行ける! 
 
難民キャンプで出会った少年
歩けなくて学校に行けない!
学校に行きたくてしょうが無い。
お母さんから、
車椅子があれば
学校に行かせられるのに・・・
どなたかお願いできませんか。





医療プロジェクト
毎年140名以上、大きな手術も含めて医療を推進
年間予算は、180万円ほどを計上しているのだが、
医療だけは、予定が立たず、突然運び込まれてくる子たちのために、行動を起こす。
東京メソニックの支援が大きい。

昨日の夜
癌で歩行が困難になり
病院で片足を切断
その後、
ミンダナオ子ども図書館に住み
松葉杖で学校に復帰した彼女
去年の暮れから
体調がすぐれず、病院に戻ったが
癌の転移が激しく
医師の診察で、
余命幾ばくかで
あることがわかった。
去年の夏にも、
イスラムの子が、お腹が大きく腫れ
繰り返し手術をしたが
救えなかった。

このような場合、本人や親の希望もあり
実家のある村に帰らせてあげるのが
最も良いと判断する。
死ぬのだったら、家族や兄弟、
友達が居る場所で死にたい!

ミンダナオ子ども図書館の奨学生が多い
マノボ族の貧しい集落
ウオーターフォール村の子で
仲間たちもたくさんMCLに住んでいて
彼らといっしょに、最後の写真を撮った。
そして、夜であったにもかかわらず
仲間たちもいっしょに、
みんなで村に送り届けた。
時々意識がもどって、
安らかが笑顔が顔にひろがるものの
たちまち、眠ったような状態になる。
うわごとで、「MCLに帰りたい、
学校に行きたい・・・」
イエスのように
死人や病人を生き返らせるほどの
信仰を持っていたら良いのに
としばしば思う。

ヘアリップの子たち12名の
一斉手術も・・・ 


この子たちの一斉手術は
これからダバオで行われる。
国際的なファンデーションと
タイアップ
イスラムの子たち
マノボ族の子たち
送り迎えから完治まで
MCLで面倒を見る





この子たちの治療も終わった 


 
病院での治療も完了した。少なくとも、この子たちは大丈夫だった。
治療を完了し、内臓疾患の薬を持たせてキアタウの山に送り届けた。




キアタウの病気の子を迎えに
母が居なくなった子も調査 

私がくると、キアタウに住んでいる
初等小学校の子たちが
大喜びで迎えてくれた。

先日まで肥えていた
双子の兄弟
両方とも病気で
すっかり痩せている。
早速車にのせて、
MCLに向かった。
とにかく病院で
検査を受けて
対応を考える。
医療費も逼迫している。
年間140名近くの子を
治療しているが、
どこまで
今後も可能だろうか。

彼女も奨学生だが、
最近母親がいなくなってしまい。
父親も村を離れ、祖母の家に一人残された。
今後は、ミンダナオ子ども図書館に住んで
生活することに・・・
下の子たちも、MCLの奨学生だが、
なんとかキアタウで生活している。



母さんの亡いマロットに、
ロラが見つかった!

骨折から救済された
ときのマロット



ダバオから来られた
大本さん一行
姉さんの田中衣子さんが
去年足と腕を骨折して
山から運ばれて
きたマロットの
支援者になってくださった
母さんの亡いマロット
まるで母親のように
甘えて慕う
今も、写真を見るたびに
懐かしくなって
涙ぐむマロット

マロットへ
                          たなか きぬこ

ミンダナオ子供図書館に行ったときに、
マロットに会えて本当によかったです。
私には日本に3人の孫がいますが、
マロットは4人目の孫のような気がします。
みんなといっぱい遊んで、勉強もしっかりね!
5月には日本に帰るので、
マロットのことを皆に話します。
またいつか会える日を楽しみにしています。
 
   ミンダナオ子ども図書館に滞在した思い出:田中 衣子

たった1泊2日の短い日程でしたが、
ミンダナオ子供図書館に行けたことは、
大きな感動の2日間でした。
美しく手入れされた庭や畑もそうですが、
何よりも感動したのは、そこにいる子供たちです。
小学生から大学生までおよそ50人程の子供たちは、
どの子も明るく、人懐こく、親切で、
もてなしの心と節度を持っているのを何度も感じました。
今の日本の子供たちが失ってしまったものを、
ここの子供たちは皆持っているのです。
食事の時、私達訪問者には彼らより、
立派なお魚のから揚げがついていても、
欲しそうな顔をすることもなく、
果物を切り分けた時も、
一番に私達のところに持ってきて勧めてくれます。
少しだけ一緒に遊んだバスケットボールの時も、
ボールを何度も私に渡してくれました。
ここに来るまでには大きな困難な
状況の中にいた子供達ばかりなのに、
こんなに明るく、のびのびと生活出来るのはきっと
松居さんの教育がすばらしいのだと思いました。
次の日に連れて行ってもらった、
貧困地域での読み聞かせや、
子供図書館での活動はほとんど学生が自主的に行い、
松居さんご自身は助言する程度とのことです。
キリスト教徒とイスラム教徒の人がともに過ごすことで、
大人になっても反発しあわないで
共存できる社会を作ってほしい
という松居さんの思いはしっかりと彼らに届いています。
一緒に写っているのは、私の里子となった
ローズマリー、愛称マロットです。
日本に3人の孫がいますので、
4人目の孫ということになります


ロラ(おばあちゃん)に甘えるマロット

妹さんの大本和子さんの方は
両親の亡くなったイスラム教徒の少年と
父親を亡くした少女を
支援してくださる事になった
和子さんは、現在ダバオの日系人会
が経営する
ダバオ国際大学の日本語教師を
ボランティアで勤めていらっしゃる。



これが、ピキットのトンドと呼ばれるゴミ捨て場だ
右奥に大きな丘のようなゴミの山がある
ゴミ捨て場の中から
必死に手を振る
父親と母親と少女がいた
本当にうれしそうに手招きし
こっちへ来い、こっちへ来い、と言う。
いったい何だろうと不思議に思い
ゴミの中の道を通っていくと
何と・・・・・・・
アニサちゃん!


5年前に手術をしたときの
写真
左は手術前
中は手術直後
右は翌日


父さんの顔も懐かしい
母さんも元気そう
上写真の右奥が
アニサちゃんの家
近づくと、どこかで一度会った顔だ!
しきりに、「あのときのヘアリップの子の・・・」と言う。
てっきり、ヘアリップの手術を頼みたいのかと思うが、
それにしては満面の笑顔!
父親の顔に記憶はあるが・・・・
娘も、どこかでみたような????
唇をみてハッと思い当たった!手術の痕がかすかに見える。
そうか・・・・確か隣のパガルガン難民だった家族。
ヘアリップを直すために
繰り返しダバオに通い、
寝食を共にした思い出が突然浮かび・・・・
あのときの!アニサちゃん?
大きくなって、しかもすっかり娘らしくなって!
こういう出会いは、お互いに本当にうれしい。
肩をたたき合って喜ぶ。
それにしても、このような場所に住んでいたとは。
口では言えない苦労もあったんだろうな。


*************************


 ミンダナオにおける
     医療の現状と課題

 肺の癒着した女性を一時入院させたダバオメディカルセンターは
通称DMCと呼ばれ、日本のジャイカからの支援が多い公立病院で、
私立病院にとても入ることの出来ない多くの貧しい人々にとっては
大きな救いとなっていると感じます。
 日本のODAに関しては様々な問題も指摘されているようですが、
ダバオメディカルセンターなどは成功している例だと感じます。
極度に制限された予算のなかで活動している
私たちにとっても頼もしい存在です。
 こうした比較的安く利用できる公立病院には、多くの人々が殺到するので、
診察に関する待ち時間が異常に長かったり、手続きが煩雑だったり、
ジャイカ病棟とも呼ばれている診察棟は
近代的で設備も整っているのですが、重要な入院棟と救急患者セクションは
老朽化したままで通路や体育館にまで患者があふれているばかりでなく、
トイレなどの衛生面にも問題がありそうです。
 医療プロジェクトを実施しつつ多種多様な患者のお世話をしてきて、
意外と助かるのが、マハリカファンデーションや
ジェロームファンデーションといった医療ファンデーションの存在です。
 マハリカファンデーションは兎口と目の異常を専門に取り上げている
ファンデーションで、衛生的な手術室も完備していますし、
ジェロームファンデーションは、設備の整った私立病院で
ポリオのジョイの足の手術を無料で実施してくださいました。
私たちは、点滴や医薬品を供給しました。

 これらのファンデーションは高額な治療費のかかる手術を
低額または無料で行ってくれるのですが、背景には
ダバオのライオンズクラブ、ロータリークラブ、メソニックファンデーションなどが
資金援助をしており、その背後では同団体の日本部門が
深い関わりを持ち活動していることもわかってきました。
 かつてダバオは、東洋一の日本人町があったほど
歴史的にも日本とのつながりが深く、日比混血も多いの
で、ミンダナオは日本と深い関係を持った地域なのです。
 また、ジョイの歩行訓練を引き受けてくださった
カトリック系の障害者更生施設Our Lady of Victoryや
ドイツミッションが運営している盲学校。
また、複雑で困難な瘤のパルコン君などの場合は、
手術が高額でミンダナオ子ども図書館では手に負えず、
地元の民放テレビが主催している子供支援基金に応募して放映され、
どっと支援金が集まりました。
その結果、私たちは患者の搬送などのお手伝いだけですみました。

 感動的だったのは、戦闘地ピキットから来た頭部の瘤のある
難しい手術の子を、ダバオメディカルセンターでお願いしたとき、
ミンダナオ子ども図書館の活動に常々行為を抱いてくださっていた
複数のお医者様方が、執刀治療費を無報酬のボランティアで
引き受けてくださった時です。
 こうした様々な方々やファンデーションの協力や連携で、
ミンダナオ子ども図書館の医療プロジェクトが一歩一歩
進み続けて行くことが出来るのは、
本当に感謝としか言いようがないことです。
 ミンダナオにおける医療の課題は、
こうした良い病院やファンデーションがありながら、
大都市ダバオに集中しておりミンダナオの山岳地や僻地の貧しい人々が
なかなかその功徳にあずかれないことです。
 当然のことながら、ミンダナオの貧しい人々の大半は、
大都市ダバオからはるか離れた山岳地や海岸地域に住んでいます。
 こうした人々は、ダバオにまで行く公共の乗り物費用すらも
高額で出ず、また治療費がただになっても病院などから要請される
点滴や輸血用血液、薬代が払えない状態なのです。
何しろ家にいても、三度の食事すらままならないのですから。

 また格安で治療をしてくれるファンデーションの存在も知らず、
知っていても文字が書けなかったり、
出生届がないといったハンディーを抱えていて、
面倒な書類整備の段階で挫折してしまうのです。
 ミンダナオ子ども図書館に運ばれてきた子達の場合は、
スタッフが献身的に複雑な書類整備や登録、
役所への出張を同行し代行するので治療が可能になるわけです。
 せっかく日本の政府や団体から支援金がありながら、
本当に貧しい人々の救済にまで
いたらないのは見ていて残念でなりません。

 ファンデーションのなかにはマハリカのように
ときどき車で僻地を訪ねて治療したり、
ジャイカの支援を受けているダバオメディカルセンターのように、
スマイルファンデーションと連携をとり地方の役所や
ラジオで無料の兎口の治療も行っている団体もあるのですが、
地方に拠点を持っていないために散発的であったり
需要の高い病気や手術にまでは手が届いていないのが現状です。
 そうした観点から見ますと、
ミンダナオ子ども図書館の医療プロジェクトは、
山岳地帯の先住民族やダバオに出ることの難しい
イスラム地域の子どもたちを対象としていますので、
痒いところにまで手が届く活動になっていて、
その結果僻地の人々に安心を提供していると、
先住民族リーダーやイスラム教徒の人々から喜ばれています。
ここ数年で、近隣のロハス市やグリーンヒル市、
先日はキダパワンのガールスカウト教会から盾や賞状をいただきました。

 地図でごらんになるとおわかりになるように、
ミンダナオ子ども図書館のあるキダパワンはミンダナオの中心部近くに
位置しており、アポ山周囲はマノボ族などの山岳民族の地域で、
西はイスラム地域の接点にあります。
 また、読み聞かせ活動を常時することで、たえず山岳地や僻地へ行き、
現場の子どもたちの健康状況を確認していることも大きな意味を持っています。

 ミンダナオのこれからの課題は、こうしたより僻地にある小さなNGOと、
大都市ダバオの大きな医療機関やファンデーションが
相互に連携を持ちながら、本格的に救済を必要としている人々に
支援の手を差しのべていくことだと思われます。
 また、ダバオ一極集中を是正しより深く先住民族やイスラム貧困層を
支援するためにも、要所要所に散在する公立病院の
設備の拡充や医師の常駐が望まれます。

 例えばキダパワン市に隣接したアマス病院などは、
多くの貧しい人々が利用するのですが、建物の衛生状態も悪く
患者が通路に寝ているしまつです。
 アマス病院は地理的に北は、現在日本の商事会社が
バナナ農園を次々に開発し、土地なし山岳民族が自給地から追われ、
狭い土地に移転させられる結果自給が困難になりつつある
ロハス、アラカン、グリーンヒルといった山岳地域と隣接し、
西は政府軍と反政府ゲリラの間に戦闘の絶えないイスラム教徒の
マギンダナオ自治区を結ぶ、いわばミンダナオの交通の接点部という
地理的には恵まれた位置にあり、その利点を生かして広大な
敷地を持つ北コタバト州庁舎が設置され、病院は隣接しているのですが、
医療担当者が常駐していることが少なく医療設備もなく
充分な治療が行われていないのは残念なことです。
 (アマス病院に入ると死ぬと言う噂が立つほど)

 私たちの患者もそこから回されてきたり、
治療が完了されずに来る患者がいて、
入院が必要な患者は遠いダバオに運ぶか、キダパワンにおいては結局、
治療費の高い私立病院に入院させている現状があります。
 日本政府のODAも、このような病院にもう少し
費やされると地域にさらに大きく貢献するように思われます。


ミンダナオ子ども図書館だより:医療 7月26日

 肺の癒着が進んでいる女性が、
ダバオの私立病院でチェックを受けた後に、
ダバオメディカルセンターに入院する事になりました。
 ダバオメディカルセンターDMCは日本のジャイカからの支援が
多い公立病院で、私立病院にとても入ることの出来ない
多くの貧しい人々にとっては大きな救いとなっています。
日本のODAが成功している大きな例の一つであると感じます。
 ライオンズクラブ、ロータリークラブ、メソニックファンデーションの
支援を受けて兎口や目の異常を取り上げているマハリカファンデーションや、
キリスト教系の障害者更生施設Our Lady of Victoryと
連携をとり手術を実行しているジェロームファインデーションも
大きな貢献をしている団体です。
ミンダナオ子ども図書館の患者たちも救われており、
こうした本格的なファンデーションの貢献は大きいと思います。
 問題はその所在地がダバオに集中しており、
こうしたファンデーションがあるにも関わらず、
ミンダナオの僻地の貧しい人々が
なかなかその功徳にあずかれないことでしょう。
 80パーセントを超えるという貧しい人々の多くは
ダバオにまで行く費用が出ず、また治療費がただになっても
病院などから要請される点滴や輸血用血液、
薬代が払えない状態にあるからです。
 せっかく日本などからの支援がありながら、
本当に貧しい人々の救済にいたらないのは残念でなりません。
 ファンデーションのなかには、マハリカのように
ときどき車で僻地を訪ねて治療したり、
ジャイカの支援を受けているDMCのように、
スマイルファンデーションと連携をとって地方の役所や
ラジオで無料の兎口の治療も行っていますが、
僻地に拠点を持っていないために散発的であったり、
需要の高い病気や手術にまでは手が届いていないのが現状です。

 その意味では、ミンダナオ子ども図書館の医療プロジェクトは、
山岳地帯の先住民族やダバオに出ることの難しいイスラム地域の
子どもたちに貢献と安心を提供していると、
先住民族のリーダーやイスラム教徒の人々から言われています。
 地図でごらんになるとおわかりになるように
ミンダナオ子ども図書館のあるキダパワンは、
ミンダナオの中心部近くに存在しており、周囲は山岳民族の地域で、
西はイスラム地域の接点にあるからです。
 また、読み聞かせ活動を常時することで、絶えず僻地へ行き、
さまざまな現場の子どもたちの健康状況を
確認していることも大きな意味を持っています。
 ミンダナオのこれからの課題は、こうしたより僻地にある
小さな活動機関と、大都市ダバオの大きな医療機関やファンデーションが
連携を持ちながらより広範囲の貧しい人々
(本格的に救済を必要としている人々)を
支援していくことだと思われます。

 また、ダバオ一極集中を是正するためにも、
要所要所に散在する公立病院。
例えばキダパワンのアマス病院などをジャイカや
日本政府がもう少し支援できれば、
さらに貧しい人々の福音となると思われます。
 アマス病院などは、多くの貧しい人々が利用するのですが、
建物の衛生状態も悪く患者が通路に寝ているしまつで、
広大な州庁舎のそばにありながらその設備や医療担当者が
常駐していることが少ない結果充分な治療が行われておらず、
私たちの患者もこちらから回されてきたり、
治療が完了されずに来る患者がいて、キダパワンにおいては結局、
治療費の高い私立病院に入院させている現状があります。
 ミンダナオの中央、東西南北の接点に位置し、
山岳民族とイスラム教徒を結ぶ接点になりながら残念なことです。
 肺の癒着が進んでいる女性は、喘息が発端で
初期においては薬の治療で治る状態でした。
当時はデパートで働いて薬を買って治療していましたが、
デパートの職を追われてしまい、貧困のなかで
薬を買ったり買えなくなったりをくり返し、現在の状態になってしまいました。
 (こうしたダバオのデパートなどの雇用は、比較的恵まれた職ですが、
終身雇用ではなく、5ヶ月契約がほとんどです。
理由は、半年未満の契約であれば正規の雇用ではなく、
健康保険や年金の法的責任がないからです)

 昨日、病院に見舞いましたが、酸素吸入を受けやせ細り、
方肺が機能不全で心臓も弱り手術は不可能で薬の投与で
病状の進行を見守るという診断です。
 キダパワンでは回復不可能という診断ですが、
ミンダナオ子ども図書館では、いったん手がけた患者は
可能性がある限り支援し続けると言うポリシーですので、
本人の希望もあり、ダバオに運び
最後の可能性をさぐりつつ治療を進めています。


 新たに私たちのスカラーで、親と死別し完全な孤児である大学生、
クリスティーン・パデルナルさんがデング熱で緊急入院しました。
 試験があり、熱があるにもかかわらず試験終了まで頑張ったのも
良くなかったようです。仲間のスカラーと下宿生活をしていたので
知らずに入院が遅れました。
 現在、点滴と輸血を受けています。デング熱は大変ですが、
設備のととのった私立病院で治療を受けていますので
生命の危険はないものと思います。
 4月にはコナナナ君が同様の状態で輸血を受けています。
治療を受けられない貧困状態の人々の場合は、死に至る病です。
 同じデング熱のアイリーンは、初期の状態で入院したので
輸血を受けずに退院しました。200名近い奨学生がいますと、
皆極貧家庭から来ているので基本的な体力や健康状態、
栄養状態が悪く、誰彼となく病気をし、その健康管理も大変ですが、
一人一人を我が子のように考えて、出来るだけの事をしていくのが
私たちの役割だと思っています。


ダバオメディカル病院にジョイをたずねました。
 手術が終わり、少し疲れた顔でしたが、穏やかで元気そうでした。
手術前と後の写真を添付しました。
 早いもので、明日には退院し、ダバオの障害者更生施設
Our Lady of Victoryに移ります。そこで治療後の足の回復を待ち、
その後義足の制作に移り、6ヶ月歩行訓練を続けます。
 Our Lady of Victoryは、現在私たちのスタッフでポリオの
ノノイ君が車椅子の訓練を受けたところです。
 今回の手術は、ジェロームファンデーションの協力で、
ダバオドクトル病院の先生が手術代を無償で執刀してくださいました。
私たちは、薬や点滴血液などその他の費用を負担しています。




ミンダナオ子ども図書館便り 7月23日

お元気ですか。今年の夏は暑くなりそうですね。
ジョイさんの手術が終わりOur Lady of Victoryに移りました。
車椅子ですが、傷も癒えて、うれしそうです。義足を作り歩行訓練にはいります。
6ヶ月の予定で、退院後は来年度から大学に通います。



ミンダナオ子ども図書館便り06711医療 7月11日

医療活動は、予算が限られた状態でぎりぎりに活動しています。
ポリオのジョイさんの手術が始まります。

 ジョイさんは昨日、ダバオドクトル病院に入院しました。
先天的に膝から下が30センチほどで細く萎えており、
それでも膝にゴム草履を履いて歩く状態でした。
手も指が3本しか無く、本人の表現を借りるとカニの手だそうです。
  家庭は極貧ですが、高校までピキット市の市長が面倒を見て、
高校を卒業しました。今はミンダナオ子ども図書館に住み
大学に行く準備をしていましたが、私たちの懇意にしている
障害者自立施設を運営しているアメリカミッション系のファンデーション、
Our lady of Victoryに相談し、せめて彼女特有の靴 を作ろうと思い
たちうかがったところ、膝下を切断して義足を入れれば
歩けるという結論に達しました。
 本人と両親も強く希望。今回の手術となりました。
 手術後、Our lady of Victoryで半年間、歩行訓練を受けます。
 この施設では、滞在期間中にコンピューター指導や絵画指導をしています。
彼女はコンピューターを使えるようになりたいという希望を、
強く持っていますので練習を始めることでしょう。
将来はミンダナオ子ども図書館を手伝ってもらえたらと密かに思っています。

 ミンダナオ子ども図書館でハウスマネージメントをして下さっている
方の娘さんが、片肺癒着で緊急入院しました。
 この娘さんは高校卒業後デパートに勤めたのですが、
肺炎の疑いありで停職処分、ミンダナオ子ども図書館に奨学生として
応募してきたときに調査すると、水田の奥の奥で、
小さな竹小屋に隔離されるように一人で住んでいました。
 やせ細り喘息のような発作もあり、奨学生になるのは無理と判断。
父親は病死、母親は住み込みのお手伝いをして口糊をしのいでいますが、
薬を買うことも出来ない状態なので、ミンダナオ子ども図書館の
ハウスマネージメントで雇いました。
 その後、喘息の薬は買うことが出来るようになったのですが、
昨日緊急入院しました。今後、医師の指示に従って手術などがはじまります。

 長く喉のガンが転移し骨ガンになり、
母子ともどもミンダナオ子ども図書館で暮らしてきた、
ジクジク、アルメリン、ラライ、バンダン姉妹のお母さんが、緊急入院しました。
 歩行不能で治癒も不可能、ガンも最終段階でせめて山ではなく
図書館で子どもたちと日々を過ごせればと3年前に引き取りました。
夫はすでに病死。ご本人も一昨年にはすでに命は無いだろうと宣告されて
いたのに今まで持ったのが奇跡です。
 今回の緊急入院が最後になるのではないかと懸念しています。
母親が亡くなれば子どもたちは完全な孤児となります。
 ジクジクは来年卒業し学校の先生を目指します。
支援し続けて下さっている瀬川神父様ありがとうございます。
 アルメリンは今年大学一年生で看護士の勉強を始め、
ラライは高校生、バンダンは小学校5年生です。
今後は、ミンダナオ子ども図書館で自立まで
面倒を見ていくことになると思います。

 デング熱で緊急入院したアイリーンは無事に退院しました。
 いよいよデング熱の季節が始まり、大きな手術もひかえている子もあり。
お断りしている子も多く、予算とのにらみ合いが続いています。
 医療以外のプロジェクトは順調に進行しています。


行政のシティープラニングで依頼された子どもの家を訪れる

 たった今、行政から依頼された子の家を訪ねました。
 今回のプランは、いくつかのファンデーションが行政を中心に
役割を分担して、一人の子を救うプロジェクトへの参加を依頼されたもので、
初めてのケースです。
 病院は私たちの重傷の患者をお願いしている、
日本政府の支援で運営されている市立病院DMC(ダバオメディカルセンター)で、
今回はミンダナオ子ども図書館には外の薬代をお願いしたいとの打診でした。
 外の薬は、おそらく一番お金がかかり、ファンデーションでは
(製薬会社との利害があり)なかなか手が出せない部分だからだと思います。
 そのこと自体は良いのですが、しかし、私たちの医療プロジェクトのポリシーとして、
最初の状況から常に付き添いながら完治を見届けていくという方針に立つと、
いったい完治にいたるまで、またその後のケアにいたるまで、誰が付き添い、
どこが責任を持つかという点で今回の企画には不明な部分が多くあります。
 案の定、患者は一度あるファンデーションがダバオの病院に
連れて行ってくれるというので車で行ったのですが、
ただ連れていっただけでそこに放りっぱなしで非常に困った経験があり、
患者も非常に不安そうでした。
 今回は、最初の部分は、行政が2000ペソほど
(ガソリン代と初診ぐらいでしょう)だしてDMC病院に連れて行くものの、
煩雑な再度の検診やレントゲンや入院手続きを誰がこなすのか?
誰がくり返しダバオに車を出し、患者には解りづらい手続きを
手を取り足を取りしていくのか・・・また、入院中の付き添いの母親の
食費などは誰が見るのかといった様々な部分が不明です。
 行政は、最初のきっかけだけを作って後は種々のファンデーションに
任せるにしても、その連携や細かい部分での責任が明確になっていないので、
患者の不安も考慮してミンダナオ子ども図書館ですべての行程をチェックして、
一人のスタッフが完治まで付き添いながら進めていき、
問題があればすぐに対応する事を約束しました。

(あるファンデーションでは、部分的に手術などを受け持っても
その後のケアが無く、山に読み聞かせに行ったときなど再度入院しなければ
ならない患者を見ているので、全体を統括する責任を誰が持ち、
どのように行動するかが問題になります。)

 ミンダナオ子ども図書館では、今年度の純医療予算が、
戦闘地ピキットの奇形の子の複雑な手術を多く取ったことと
(長期の手術になります)今年は政府も注意報を出すほどのデング熱の流行で、
山岳民族の子どもたちの入院が相次いだことで、予算が底をついています。
 しかしスタッフと協議した結果、この政府との協賛のプロジェクトは、
一つの重要な過程としてGOサインを出すことに決めました。
 子どもの写真を貼付しました。患者は1歳4ヶ月ですが、
栄養不良と病気せいで極端にやせ細っています。


この子は残念ながら亡くなりました。




憑依が
何故起こるのだろうか


初めてミンダナオ子ども図書館で、
憑依が起こった時には、
これは体の傷が原因かと思った。
その子は、銃が暴発し腹部を貫通。
そこから排便していたが手術の結果、
肛門が使えるようになった。
しかし、その後も傷は癒えていなかったから
その膿が頭部にも移るのかと・・・・
最近、二人の子に起こった憑依は、
顔かたちも変わり、同時に憑依状態になり、
二人を引き離し、部屋を別に移動した後、
私が仲立ちの子と二人で彼女を押さえて
落ち着かせ、
神とイエスの話を聞かせ、
落ち着き始めると不意に正気に返り、
本人は何も覚えていない。


2月10日

心配おかけしてすみません。
ちょっと体調を崩していました。
先年からの疲れが出たのか、
気管支炎になって数日入院しました。
それに、うちの二人の子が憑依状態になって・・・
霊がとりついたようになって、これで三人の子で、
数度目の体験ですが、
今回は二人が一緒に一つになって憑依状態が始まり、
一人には、もう一人子の、去年の暮れに亡くなった
障害者の妹の霊が乗り移った、と言うことなのですが
目が真っ赤に血走って斜め上を凝視したまま、
手が収縮して手先を尖らして固くなり、
想像以上の力で暴れ
別人格のようになり、
髪を振り乱してけたたましく笑ったり・・・
もう一人の亡くなった障害者の妹の霊がついたと言う子の場合は、
小さな女の子の霊は、マノボ語しか介さず、
私は、彼女を抱きとめてマノボのスカラーに通訳してもらいながら、
霊に、死者の魂は父である神とイエスの元にあって、
お姉さんの事をしっかりと見守っているから安心するように、
話しかけていきました。
顔を見たりすると仰天するような形相で
(普段は可愛い子なのですが)。
周囲は、恐れ騒然となるのですが、
時には押さえ込もうとする屈強の男の子を、
信じられない力ではねとばしたりする。
私は、こういうのがなぜか全然怖くないので、興奮している、
スカラー達や大人を厳しくたしなめて、
冷静な子以外は、興奮を助長するだけなので
部屋から出てもらい、
穏やかに愛情を持って接して、
すごい力で暴れようとするのを、
時にはしっかりと抱き留めて安心させ、落ち着かせ、
問題を見極めて行くと
不意にスーッと憑依状態が消えて元に戻る。
元に戻る瞬間というのは、非常に感動的で、
狐につままれたような顔で、あたりを見回しながら、
自分のいるところも、何が起こったかも理解できず、
何も覚えていないのです。
結局、様々な言えない悲しみや家庭の問題があり、
ストレスが引き金になるようです。
一人は、障害者の妹を大事にしていた子で、クリスマスに
櫛、髪飾り、小さな靴を買って
帰ろうとしていた矢先に妹の死を知った。
その妹は、いつも大好きな姉さんが
側にいることを望んでいたので、
霊となって来たのだと・・・
もう一人は、父親が毒殺された子で、
ここでは語れないのですが、
非常に複雑な家庭背景と
父親の親戚が、土地の問題も含めて、
密かに連れ戻そうとするのを恐れている。
その子は上述の子の親友で同じ村から来た子で、
妹の霊の媒体になった。
MCLは、子どものシェルターとしても認定されているから、
大丈夫守ってあげると言ってようやく心が落ち着いてきた。
山の貧しい家族の期待を一身に背負っていたり、
都会でレベルの多少高い学校に移った結果、
学校の事も含めて、
心因性のストレスがたまり、限界を超えて、
引き金になって憑依状態になるようなのですが、
それだけでは説明しきれないものもある。
私は、平静をたもちつつ、寄り添いながら、
落ち着かせ、
原因を話をしながら明確にして、解決策を見いだす。
そのご、彼らのストレスを
全部私が吸い取ったようになり、
疲れがどっと出て。
日本にいると、こういう事は特殊でしょうね。
どうも、人だけではなく、霊までも、
私が理解してくれると思って、
頼ってくるようですね????
(アイヌ文化に造詣の深い、
藤村久和氏なら、そう言うだろう)
経済的にだけでなく、精神的にも、
強い愛情を持って
しっかり支えていかなければならないようですね。
大変な家庭状況を背負っていたりして。
カトリックには、
こういう状況に対応する神父がいて、
エクソシストを行うと聞いていますが、
こちらでは時々あることで、
マナナンバルと呼ばれる祈祷師が対応します。
今回は、二人ともクリスチャンで
サウザン・バプテストなのですが、
村にしばらく帰って、亡くなった妹の墓に、
櫛や靴や髪飾りを持って墓参し、
その後、マナナンバルが生け贄に、
黒いニワトリを捧げたようです。
キリスト教と地元の信仰が、
矛盾無く共存している所も興味深い点ですね。



憑依に関する若干の考察

本当にスピリットが取り憑くのだろうか?
それとも、無意識のなかの自我が、突然水面下から現れるのだろうか?
ちょうど巨大な氷塊が、激しい嵐で、
水面上に現れている意識の部分を崩し突然、氷塊全体がひっくり返り、
今まで海面下にあった無意識の部分が現れるかのように・・・
確かに、こうした状況を見ると、若者も大人も、
取り押さえようと異常な興奮状態に取り憑かれるのだが、
私は、なぜか、全く心の動揺が無い、かつて北海道で、アイヌ文化に触れ、
カムイの世界を少しでも感じたいと、たった一人で山頂で、
テントもなく眠ったり過ごしたり、
沖縄の神の島、宮古の池間島で、神々の話を聞いて過ごしたせいで
人間の意識を超えた世界に心を慣らしているせいなのだろうか?
普通の女の子が、夜叉のように面相が変わり、声も変わり、暴れても
少しも動揺することなく、受け止めて、愛情を持って接し、
優しく語りかけることが出来る
その後も、数日、様々な原因を話しながら探っていくと、
こうした症状に至る前に、かなり激しい心因性のストレスがあり、
人に言うことが出来ない原因が内在することが分かってくる
心が素朴で純粋であるが故に、それが引き金になり、つまり、
憑依状態に入ることで、助けを求めているとも言える。
だが、完全に人格が変わっていることは確かで、
スーッと意識が戻ってから、全然何が起こったのか覚えていない。
今回は、別室に移した二人の子の意識が、全く同時に、
戻ってきたのも不思議な現象だった。

ただ、山での生活が、貧しいにもかかわらず、
楽園のように美しく
キダパワン郊外の学校の生活が、
(日本の東京から来た者には、
あまりにものんびりしたストレスのない社会なのだが)
彼らの、ナイーブで感じやすく素朴な感性から見ると、
都市部に近いストレスのある社会であることも
わかってきた。
確かに学校教育そのものが、
ストレスの押しつけなのだ。
その延長に会社があるが・・・
私も学校教育が本当に嫌いで、
小学校の担任、無着成恭先生の影響か、
点数による、競争教育に強い拒否感を持っている・・・
成績がそれほど良くなかったことも原因だが。
その上、ここでは、スカラシップを受けた子は、
家族で唯一学業を継続できると言う事で、
一家から、両親から、親戚や村から、
多大の期待を背負ってきている事も大きい。
さらに、家族や友人から離れている事、
村のコミュニティーや友だちから遠いことも、
寂しさを募らせる。
そこに、大事な妹の死や、
込み入った家族の状況が複雑に重なって
意識が限界を超えて、弾けてしまい、
憑依という手段で自我が助けを求める!
ただ、それを受け止めて、理解し、
解決の道を探ってくれる人が
居るかいないかが問題で、
どうやら、私がその役を引き受けてくれると
感じているらしい。
私に出来ることは、
ただひたすら愛情を持って強く接し
話を聞き、問題を見つけ、それを整理し、
解決の糸口を探していくことだ。
こうした経験を経て、
ますます深く心の繋がりが生まれていく。
多くの若者たちとの間に。


本文と写真は
関係ありません



驚くべき
ムスリムのシャマニズム
,

この様な世界が、まだ生きているとは思わなかった!
一月の最後の日曜日は、
年3回の文化祭の初日、ムスリムデーだ。
そこで若者たちは、自分たちの文化のルーツを演じる。
今回のテーマは、「病気などの祓い」
そこで演じられた世界を見て、唖然とした!
この様な世界がまだ生きているとは、思わなかった。
マノボだったらまだ理解できるが、
ムスリムにもシャーマンがいたとは!
ミンダナオのイスラムの世界に
このようなシャマニズムが
とけ込んでいるとは思わなかった。
写真の流れを見ながら、
背後に宿る壮大な宇宙観の片鱗を
ご説明しよう。
日本で8年かけて執筆した拙著
『沖縄の宇宙像』(洋泉社)を
読んでいただければ
これが、シベリアから欧州、
中国からアジアに広がる
シャマニズムに則ったものだとわかるだろう
 
イスラムの教えに則っているのではないだろう、
なぜなら、ここで若者たちが演じたのは、
病気を治すための御祓いであり、
シャマニズムの世界観に則ったものだから。
下の連続する写真を見て、
象徴が何を意味しているか、理解できたとしたら
あなたはシャマニズムの宇宙像コスモロジーを把握している!
儀式に必要なものを備える
上に掲げられた赤い布は
舟を表しているのだろう
ドゥヤンと呼ばれる
ゆりかごでもあるが
ゆりかごは、
神の世界に昇る舟でもある
赤子は神の世界と
最もつながっている存在
置かれた6本の旗は、
第七の天界に昇るまでの
六段階の世界を意味している
天界は、神の世界である
塔や大木(神木)の
最先端から昇るが
神の世界の入り口には
星がある
沖縄ではネノハンマティダ
といって女神だが
そこには供物、
そして鈴の着いた
楽器をならしていく
イスラムの塔の先の
月と星は、
何を意味しているのか
新約のイエスの誕生と
マリアの星は・・・
シャマニズムでは、
女性と男性は
役割を別にしている
神の世界の入り口に
女性はおり
地位が低いわけではない
祈る儀式は男性だが、
女性は山の神のように
世界を司っている
宇宙は陰と陽で
出来ているからだ。

コーランを読んだ時にも、
カーバ神殿の石を巡る祈りの方法を知った時にも、
そして何よりも、イスラムの
寺院の塔の頂の月と星を見た時にも
イスラムにも、シャマニズムの香が残っているのではないか
(キリスト教の中にも聖書の中にも
シャマニズムの宇宙観は至る所に
散らばっているが)と思っていたが、
この儀式は、まさにシャマニズムそのものであり、
ミンダナオのイスラム、
アジアのイスラムに特徴的なものなのだろうか?
それとも、イスラム教徒に全体的なものなのだろうか。
宗教家はシャマニズムというと、
キリスト教や仏教、イスラム以前の原始宗教、
精霊崇拝として邪視したり、排斥したりすることが多いのだが、
拙著『沖縄の宇宙像」』でも述べたごとく、
そこには、キリスト教の根元をなす宗教観、
特に罪と生け贄の原型の構造がある。
つまり、罪のあがないとして、羊(旧約)や豚(沖縄)やニワトリ(マノボ族)、
最高の生け贄として人を屠った時代。
(日本の人柱、ヨーロッパのメイポール、沖縄の送り、
アンデスからフィリピンに至るまで、旧約にも出てくる慣習)
さらに、屠った人の肉を食べた習慣。
これは、キリストの教えそのものにつながる。
イエスは、罪の許しの最後の唯一の方法は、
わたし(人の姿をとった神)の肉を食べ血を飲むこと、
その象徴的な行為としての最後の晩餐を行うことを教えた。
パンと葡萄酒に代わっているが、神道では餅と御神酒。
アイヌも、カムイとして熊を迎え送る時に、
実際の肉を食べ血を飲む儀式を行う。
沖縄でも死者を送るために食べた。
その様子はカトリックのミサ、
プロテスタントでも行われる正餐式そっくりである。
つまり、全世界にかなり共通していたと見られる、
シャマニズムの宇宙観の後に、さらにその上に、その影響のもとに
宗教が、愛、平等、そこから生まれる自由の概念を
実現する教えとして現れたという、歴史を顧みれば、
すべての宗教が、シャマニズムという根から枝葉を出してきたのであり、
当然ながらその表現に影響が見られてもおかしくないのだ。
ただ、宗教を研究する時に、近代から過去にさかのぼる、
という形で分析することにより、宗教以前の世界を否定した結果、
その大きな影響が見えなくなったのではないだろうか。
あたかも、意識の下に眠っている無意識の世界を否定して、
理性のみで心を分析するように・・・
しかし、かつてユングが行ったように、
無意識の世界を深く知り尽くした上で、
その上に宿る意識をとらえ、
総合的に分析する時に真実の心が見えてくるように、宗教に置いても、
深層としてのシャマニズムという観点から、
(宗教の無意識の部分にあり、絶えず意識に影響を与え続けている)
シャマニズムという視点から、
改めて宗教を分析する事は、特に現代のように、
宗教的といわれる国々が、
あたかもその教えに反したような戦闘を行うような時代には
有意義で必要なことであるかもしれない。
 ダトゥを中心に村人が
輪になり、病気の子どもが
天界へ向かう舟、
揺りかごの左右に
寝かされる中心に
供物が置かれている
山盛りのご飯などの上に
卵が乗せられているが
ゆで卵は、誕生と同時に
宇宙の象徴でもある
この世界は、
この世を表している
神の世界への出発点であり
儀式はこの世から始まる
 シャーマン
(ダトゥと呼ばれる首領)は、
お皿の香料に火をつけて、
その煙を供物に
かかるようにして
供物を清めている
線香や香炉、
ローソクと同じで、
火は天界への儀式に
欠かせない
同じ火と煙で、病気の子どもを浄めている
シャーマンが、
6段階に竹で組まれた
塔の前で、
その一つ一つの段階に
火と煙をかけて浄めている
この儀式は、シャーマンが
天に昇る儀式でもある
右が椰子の葉で包んだ
供物が下げられている
木の枝で元には、
プラスティックの
大きなゴミバケツが
置かれていて、
半分ほど水が入っていたが
撮影の邪魔になると思って
私が移動させてしまった
ゴミバケツの水は重要で、
木は天の世界への道、
水は地下の先祖の魂の
世界への道を
象徴していたのだ!
仏壇の前に、ローソクと
水を奥のと同じ意味。
勝手に外したのは
私の過ちだったが遅かった。
病気の子どもを浄めた後に、
いよいよシャーマンは、天界への道行きを歩き始める。
竹で組んだ、塔のようなものには、
6つの段階のスペースが儲けられており、
その一つ一つに飯などの供物が置かれている。
シャーマンは、そこにも清めの火を持っていく。
この塔は、6本の赤いテープで、本体の家とつながれている。
この塔の右側に、木が置かれており、
木の枝にも米の飯を椰子の葉で
包んだ供物が下げられている。
この木の手前に、
プラスティックの大きなゴミバケツが置かれていて、
半分ほど水が入っていた。
理由がわからず、撮影の邪魔になると思い、
私が一人で勝手に移動してしまったが、
儀式が始まってはっと気が付いた。
水は重要な象徴なのである。
木は、神木と同様に、天頂に魂が向かうための道筋である。
昔は、天頂の北極星に向かって巨大な目に見えない神木、
または柱がありそこを中心にして天界は支えられ、
星も巡っていると思われていた。
また、下にも、この世と同様の世界が裏側にあり、
そこに向かう入り口が、洞窟や海や井戸であり、
水は先祖の魂の世界に人々を導く
スピリット精霊であると考えられていた。
火は天界に昇ろうとする火之神だが、
水は下の世界に流れようとする、
その性質から精霊、アイヌではワッカウシカムイ、水の神とされて
沖縄では海がその世界への
入り口だと考えられていた。
ニライカナイ、宮古島ではニッラ。
アイヌではポクナモシリ、つまり黄泉の国である。
旧約聖書でも、死者の国が無くなって、
海から死者が復活してくる場面が
詩篇などで描かれている。
太陽は海の中に沈み、
あの世へ出ていくと考えられていたから、あの世への道は、
太陽の沈む西から、海つまり水を通って行くと思われている。
井戸や滝、山上の湖(恐山等)が
祈祷の場になっていたりするのもその名残。
それゆえに、ミンダナオの若者たちの演じている儀式でも、
例えそれがゴミバケツであったとしても
重要な意味を持っていたのである。
さらに、世界は、地の下の世界から天界まで、
6段階で表されており、
第七段目が到達点である。
6本のテープは、家であるこの世と、
天の各々の聖霊と段階を結んでいる象徴。
方位とも関係しており、
南、西、北、東、天頂、天界(月)の6段階を得て、
最高神(かつては太陽神)に到達した。
その全体に祈願する事が、宇宙全体の
聖霊(天使)と神に祈願するために必要であり、
6段の塔は、その一つ一つを経て、
シャーマンが最高神まで登り詰めていく道行きを表している。
塔の横に置かれている水と木は、その道そのもの。
6段階の世界を経て
天界に登り詰めてきたシャーマンは、
最高神から特別な力を授かってこの世に戻ってくる
彼はもはや、この世の存在ではなく、
神と一体となった人間の姿なのだ
その象徴として、特別に作られた被り物をかむるのである
こうした被り物は、神聖な儀式の時に、
天界との関係を結んだ人という意味で、
過去、皇帝や王などに被せられた
被りものを頭に乗せたシャーマンは、
右手に木の板を持っているが、
ここには沢山の鈴がつけられている
シャーマンの聖なる道具として、
音の出る鈴も重要なものである
天界から降りてきて、
聖なる力を持った
シャーマンは、
病魔を祓う
シャーマンの後を、
病気の子の母親がついていく
最後に病気の子を伴いながら、
天界への供え物がある塔へと導く
その周囲を巡り、
天の神の力によって病気をいやすと同時に
左手に刀を持って、地界と天界、
家と塔の間に結ばれている6つのテープを切断する
テープの切断によって、
天界と地界の繋がりが
断ち切られて、
再び人々は地界に
戻っていく

 地上に戻りいやされた
病人に最後の浄めを行う
地界に戻ってから、最後の祓いを行い、
人々の周りを喜びに満ちて踊りつつ巡る
病人の健全な魂が、
再び子どもの肉体に戻る

 最後に火と煙で全体を
浄めつつ導かれて退出する
こうして、天界の力が地界にもたらされ、
病魔は追い払われ
地上に平和と幸せが息づきはじまる




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